と、THE GOOD-BYEの「Hong Kong Blues」をプレイ。 もちろんドラムスは衛藤さん!
「Hong Kong Blues」って実は他にもあって、1939年のホーギー・カーマイケルの作品がそれ。 ホーギー・カーマイケルといえばアータ、「第2のアメリカ国歌」と言われている「Stardust」の作者ですからね。 『ラ・ラ・ランド』って最近の映画観た? ジャズ・ピアニストの主人公の家に彼女が遊びに来て、汚いイスに座ろうとすると、「それに座るな!それはホーギー・カーマイケルのイスなんだぞ」っていうシーンがあった…ような気がする。記憶違いだったらゴメンナサイ。 他にも「Georgia on my Mind」とか、「The Nearness of You」とか、「Skylark」とかアホほどいい曲をたくさん作っている。 で、ホーギーの「Hong Kong Blues」ってナゼか、ジョージ・ハリスンがカバーしてるんだよね。 でもTHE GOOD-BYEの「Hong Kong Blues」の方がゼンゼン魅力的だからご心配なく!
THE GOOD-BYEの10枚目のオリジナル・アルバム『Special ThanX』のレコ発コンサートとなったショウを完全収録! 付属のブックレットにはステキな写真が満載! 写真は表4にも… 私が撮らせて頂きました! いつもありがとうございます! そして、ヤッチンは5月24日。 神田明神ホールで『Special LIVE 「Now Here I am」~ファーストソロライヴより30年の時を経て』を開催予定。 できるといいね~。 私、楽しみにしているんです。 ナンとならば、神田明神は私の両親が結婚式を挙げた神社なのです。
「ストックポート市庁舎 1908年7月7日開業。新レン様式を取り入れたアルフレッド・ブラムウェル・トーマスの設計。TRH プリンス&プリンセス・オブ・ウェールズによって除幕された」 この「TRH」には苦労した。 「RH」は王室メンバーに対する敬称の「Royal Highness」の頭文字であることはすぐに思いつくが「T」がわからなかった。 「HRH」だったら「Her Royal Highness」とか「His Royal Highness」なんだけど。 インターネットで調べてもよくわからない。 そこでハッとして目を付けたのが「Prince and Princess」という複数のウェールズ公。 ひとりずつ省略せずに記せば「His Royal Highness」と「Her Royal Highness」になるハズ。 そうか…複数形になってるんだ!ということに気が付き、「TRH」は「Their Royal Highness」の頭文字ということで納得した。 イギリスに確認したところ…大正解!
ココからストロベリー・スタジオと10ccの物語…。 ストロベリー・スタジオは最初からこの場所にあったワケではなく、1967年にストックポートの街の中心にあった「ニールド&ハーディ」というレコード店の上の「インナー・シティ・スタジオ」が母体となっている。 Billy J. Kramer with the Dakotas(ビリー・J・クレイマーとザ・ダコタズ)のマネージャーを務めたりしていたPeter Tattersall(ピーター・タッターソール)がそのスタジオと機材(2台のテープマシーンと数本のマイク)を買い入れることを決心。 約500ポンドを支払い、その後の数か月間、朝7時から午後2時まで地元のパン屋で働き、スタジオ建設のための資金を貯めた。
ちなみに…このビリー・J・クレイマーという人はリヴァプール出身の歌手で、その芸名はジョン・レノンからが与えられた。 「Do You Want to Know the Secret?」、「I Call You Name」、「Bad to me」等のビートルズ・ナンバー、あるいはレノン=マッカートニー・ナンバー他を歌って人気歌手となった。(もちろんアビィ・ロード・スタジオ録音) イギリスから遠いところに住んでいる我々は、ビートルズというとやれ『Help!』だ、やれ『Let it Be』だと、ビートルズ本体のことしか頭にないし、それが当たり前のことだとは思うんだけど、その当時の周囲の状況を知れば知るほど、イギリスにおけるビートルズの影響というモノが巨大であったことに感心する。 「ダコタズ」だなんてね~。 ジョンが入り口で射殺されたセントラル・パーク・ウエストの自宅マンションの名前は「ダコタ・アパート」という。
1972~1976年に10ccが大成功を収め、ストロベリー・スタジオはメジャーなスタジオとなった。 彼らの4枚のアルバムと8枚のトップ10ヒットシングル(うち2枚はナンバー1)がストックポートで録音されたとあればスタジオの知名度も上がるにキマってる。 スタジオは経済的に余裕ができ、機材も充実して行った。 また、ストロベリー・スタジオは「10ccの本拠地」であるだけでなく、同時に相変わらず外部からのアーティストも受け入れ続けた。 例えば…Bay City Rollersの1975年の「Give a Little Love」というヒット・シングルはストロベリーで録ったそうだ。 アルバムはどうなんだろう…。
…と思って調べてみたら驚いた! 私の世代なら間違いなくおなじみであろうコレらのBay City Rollersのアルバム…
それからポール・マッカートニーは弟のMile McGearのアルバム制作でストロベリー・スタジオを使った。 Mike McGear(マイク・マックギア)の1974年のその名も『Mcgear』というアルバム。 この方、本名をPeter Michael McCartneyとおっしゃる。 コレ、ジャケットがいいな。 今回初めて聴いたけど…ナカナカいいね。 Roxy Musicの「Sea Breezes」なんかを取り上げている。 バックはWingsなのね。
1975年になるとストロベリー・スタジオは隆盛を極め、1976年の『How Dare You!』のレコーディングの時には10cc自身がスタジオを押さえることが出来なくなってしまった。 そこで予てからのアイデアであった、サーリーのドーキングという所に2番目のスタジオ「Strawbweey South」をオープンすることにした。 大当たりですな。 ところが好事魔多し。 「South」での初めての録音の時にはロルとケヴィンはいなくなっていた。 理由は<前編>で触れた通り、自分たちの実験的なプロジェクト『Consequences』に取り組んでいた2人は、エリックとグレアムが次のアルバムのために用意していた「The Things We Do For Love」を耳にして、その旧態依然としたスタイルをがバカバカしく感じてしまったのだそうだ。 ところがこの曲がアメリカ大ヒット。
しかし、ストロベリー・スタジオの快進撃はまだ続く。 オリジナルのスタジオのビルの向かいに「Strawberry 2」を開業。 古めの機材を持ち込む代わりに料金を安く設定して営業を始めた。 本体にはBerkley James Harvestやロル&ケヴィンなどの常連も通い続け、70年代後半にはマーティン・ハネットがストロベリーと手を組み、Joy Division, Durutti Column, Pauline Murray, The Names, Minny Pops, Stockholm Monsters等の音源を制作し、この関係はマーティンが死ぬ1991年まで続いた。 他にもThe Buzzcocks, New Order, Crispy Ambulance, Blitz, The Wake, James, The Smiths, Simply Red and Saint Winifred’s School Choirなどもストロベリー・スタジオの常連となった。 ゴメンなさい…この辺りになるとサッパリわからないし興味もないのでコメントなし。 でもこのデザインは知ってる。 よく見かけるよね。
私がエントランスの写真を撮り終わったのを見計らって、そのオジさんが「じゃ、中を見せてあげるからついて来るといい」と更に中へと誘ってくれる。 こっちはもうそこがスタジオではないことはわかっているし、建物の中に入れたことだけで大満足だったので遠慮していると、「イヤ、大丈夫、大丈夫、おいでおいで!」と熱心に勧めてくれるので「じゃ」とお言葉に甘えることにした。 ドアを開けたところが下の写真。 事務所のフロアが少し低くなっていて、そこにいた人たちから私が丸見え。 そのオジさんが私のことを指しながら、事務所の人たち全員に向かって「この人、日本から来たそうだよ!」と大声で言うと、全員が私を見て「ハ~イ!」と言うワケ。 ダマっているのもナンなので「Sorry to interrupt you! Hello, I'm from Tokyo and a big fanatic of 10cc. That's why I'm here. I 'm really excited! Finally my dream came true!」とサッと挨拶した。 また「イエ~イ!」と皆さん拍手をしてくれてすぐに仕事に戻られた。 エライ恥ずかしかったわ! 今は、地元の出版社の事務所になっている。 そのオジさんが「かつてはココにスタジオになっていたんだよ」と教えてくれた。 かなり胸がイッパイになった。
イヤ~、マンゾク、マンゾク。 ヒザの痛みなんかスッカリ忘れちゃった! 記念に自撮り。
中学生の頃から大好きだった10ccのホームに行って、東京に帰って来て興奮冷めやらぬうちにストロベリー・スタジオのことを調べていたらこんなCDボックスセットを発見した。 『Before, During, After 10cc 』というコンピレーション・セット。
「10ccの前と最中とその後」のストロベリー・スタジオの仕事の記録。 1枚目が10ccのベスト・アルバムになっているんだけど、選曲は超ベタという感じ。 他にストロベリー・スタジオ第1号音源である例のHotlegsの「Neanderthal Man」だのニール・セダカの「Solitare」だの、ポールの「Pretty Little Head」が収録されている。 気になったのはPeter Cowapという人。 やたらとこの人の演奏曲が収録されている。 このボックス・セットで初めて名前を知ったんだけど、マンチェスター出身の歌手でグレアムと活動を共にしていたらしい。
大ざっぱに言って人の音楽の聴き方には2つのタイプがあるのではなかろうか。 ひとつは好きなアーティストをトコトン掘り下げて徹底的に聴き続けるタイプ。 もうひとつは、何でもいいからとにかく色んな音楽を聴き漁っちゃうタイプ。 私は完全に後者なんだけど、好きでズ~ット聴いている中心的なアーティストがいないワケではない。 それはフランク・ザッパ。 長いブランクはあったにせよ、中学3年の時にジャケットがオモシロいという理由で『Fillmore East - June 1971』を買ってからだから…カレコレ43年ほどのキャリアになる。 2番目に好きなのは誰だ? コレがキメにくい。 好きなアーティストが「いつでも帰りたくなるホーム的な存在」と定義してビートルズを除けば、10ccということになりそうな気がする。 でも、それもファースト・アルバムから6枚目のライブ・アルバムまでなんだけどね。
今回の「名所めぐり」はその10ccにまつわるレポート。 日本に今、果たしてどれぐらいの10ccファンがいらっしゃるのかわからないが、どうせ自粛期間だし、コレをいい機会に公私混同的に色々と10ccについて調べて、いつも通りウンチクを固めて記事を書いてみることにした。 そしたら止まらなくなっちゃって…2本立ての長編になってしまった! お好きな方には少しはお楽しみ頂けましょうし、10ccをご存知ない方は旅行気分で目を通して頂き、イギリスが生んだ最高のポップ・ミュージック・チームにご興味を持っていただければ幸いである。 特に若い人になんかが10ccを聴いてくれたらうれしいナァ。 結果、老いも若きも誰も読まないような気もするけど、書いて書いて私の気が済んだからよしとするわい。 一応、おさらい的に少なくとも4人のMancunian(マンキュニアン=マンチェスター出身者)たちの紹介をしておけば…。 Eric Stewart (エリック・スチュアート:vo、g、key) Lol Creme (ロル・クレーム:vo、g、key) Graham Gouldman (グレアム・グールドマン:vo、b、g) Kevin Godley (ケヴィン・ゴドレー:vo、ds) …という4人のシンガー/マルチプレイヤー/ソングライターのチームが10ccね。
さて、私が10ccの名前を知ったのは、中学校2年の時に秋葉原の石丸電気のレコード館で「10cc」と書かれたレコード展示台(通称「エサ箱」)にはさまっていたプラスチックの仕切り板によってだった。 「10cc?変な名前だな~」 と、石丸電気に行くたびに気になっていた。 中学3年の時に、猛烈にロック好きのお兄さんがいるクラスメイトの増田くんにカセット・テープを渡して、そのお兄さんにカッコいいロックのレコードを録音してもらうようにお願いした。 増田くんのお兄さんは、録音してくれただけでカセット・テープの中に入っている音楽の情報をシェアしてくれなかった。 それでもゼンゼンありがたかった…当時はチャンとお金を出さないと音楽を聴くことができない時代だったからね。 その中にライブ盤が1枚混ざっていて、聴いてみると、オープニングのMCで「10cc!」と言ってるではないか! ほほう、コレが10ccか…どんなもんかいな…と大した期待もしないで聴き始めたところ、1曲目の「The Second Sitting for the Last Supper」で腰を抜かした。 「オイ、チョット待てよ!10ccってこんなカッコよかったのかよ!」 アルバムはリリースされたばかりの『Live and Let Live』。 マァ、ビックリしたわな。 あの衝撃はザッパの「Inca Roads」を聴いた時に匹敵してたな。 それでいっぺんに気に入ってしまって、石丸電気レコード館に通い、それまでリリースされていた10ccのレコードをすぐに買い揃えた。
コレが増田くんのお兄さんが録ってくれた、1977年にリリースされた10cc初のライブ・アルバム『Live and Let Live』。 ジャケットはツマらないけど、よく聴いたナァ。 録音はハマースミス・オデオンとマンチェスター・アポロ。
タイトルの「Live and Let live」はもちろん「ライブ(生)」に引っ掛けているワケだけど、意味としては文字通り「あなたはあなたで生きればいいし、人は人で放っておいてやれ」ということから「他人を大きな包容力で受け入れる」という意味のことわざになるらしい。 ま、簡単に言えば「人は人」ということですな。 『007』の第8作目、1973年の『死ぬのは奴らだ』の原題は『Live and Let Die』。 こちらは「こっちは生きて、向こうは死なせてやれ」という意味。 ポール・マッカートニーの主題歌を使ったタイトル・バックは最高にカッコいい。 曲の中でポールは「♪You used to say 'live and let live'」と歌ってるでしょ? アルバムのタイトルは、ビートルズ・ファンでポールとの親交が深いエリックのアイデアだったのかも知れない。 ちなみに『死ぬのは奴らだ』と『黄金銃を持つ男』でジェイムズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアって、我々日本人では想像できないぐらいイギリスでは人気が高かった大スターだった。
このレコード、裏ジャケが日本語まじりの歌詞カードになっていてね~。 中学生の時、その装丁がすごくイヤだった。 ライナー・ノーツは故今野雄二さんがご寄稿されている。 スゴイよ…「1970年代のロックの主流を支配するのはRoxy MusicとSparks、そして10ccである」と豪語していらっしゃる。 氏にとっては、どんな時でもRoxy Musicなのは理解できるが、Sparksも推していたのは忘れていた。 実際『Kimono my House』から『Big Beat』あたりまでは私も大好きで今でも時々聴いている。 そして、10cc。 その今野さん曰く「ビーチ・ボーイズとビートルズの精神に70年代の魂を吹き込んだ極上のロックバンド」と10ccのことを表現している。 そして、メンバーのひとりであるロル・クレームは「10ccはポップソングにナニができるかを試す『 研究室』のようだった」と言っている。 このアルバムから「Donna」がヒット。 ビートルズの「Oh! Darling」のパロディと言われているけど、私にはそうは聞こえないんだよナァ。 かつてMarshallに勤めていたスティーヴと10ccについて話した時、「10ccはスタジオ・ミュージシャンの集まりだったんだよ」と言って「Donna」を歌っていた。 「Donna」に続いて「Johnny Don't Do It」もヒット。 「♪Johnny was an angel, an angel dressed in black」なんて歌詞は完全にシェリー・フェブレの「Johnny Angel」からじゃんね。 更にゴキゲンな「Ruber Bullets」もすごく流行ったらしい。実際にスティーヴも歌っていた。 ホント、このアルバムは「The Dean and I」をはじめとしていい曲揃いなのだ。 そして、バンド名の下には「Produced at Strawberry Studio, Manchester」とクレジットされている。
フィルム編集機の画面に写っているカウボーイは『サイコ』のノーマン・ベイツ役でおなじみのアンソニー・パーキンス。 映画は1957年の『胸に輝く星(The Tin Star)』。 観たことはありません。 監督がアンソニー・マンなのできっと悪いワケはないでしょう。 マンは私の大好きな『グレン・ミラー物語』を撮った人だから。 そう! 「マン」といえばイギリスの「マン島(Isle of Man)」ね。 ザッパに「Manx Needs Women」という曲もあるけど、驚いたことに厳密に言うとマン島というのはイギリスでもなかれば、イギリス連邦にも属していないんだってね~。
このアルバムは「I'm not in Love」が収録されていることで知られているが、私は違うんだな。 まず10ccを好きになったキッカケとなった「The Second Sitting for the Last Supper」がB面の1曲目に鎮座ましましている。 そして、1曲目の「Une Nuit a Paris(パリの一夜)」、ヒット曲「Life is a Minestrone(人生は野菜スープ)」、「Brand New Day」等々、どれもじ~つ~に~素晴らしい。 私が初めてロンドンに行った時、タワー・ブリッジにほど近い、インド人だらけのAldgate Eastのホテルの部屋に入って一番最初にしたことは、テレビのスイッチを入れることだった。 ホテルの入り口で乞食に言い寄られたりして心細かったからね。 すると、テレビからいきなり飛び出してきたのが「Life is a Minestrone」だった。 それまでの不安な気持ちが一気に吹っ飛んだ。
それにしたって10cc一番のヒット曲「I'm not in Love」についてもう少し触れておかねばなるまい。 レコード会社を移籍した最初のアルバムを成功させようと今までにない試みに挑んだ曲のひとつ。 メンバーはラブソングを作ろうと話し合い、エリックが100%詞を書いた。 最初はボサノヴァ調にしてみたが、曲が死んでいるようでまったくオモシロくなく、メンバー全員とても作業を続ける気にならなかった。 そこへ、ケヴィンが「楽器を使わないで津波のような分厚い声を入れたらどうだろう」というアイデアを提案した。 そのアイデアを基に「バッキングを考えられるだけ大きな合唱隊のようにしてみよう」ということになった。 当然、合唱隊などを雇う経済的な余裕はないので、テープループを使って取り組むことになった。 今となっては有名な話だけど、コレがやっぱりオモシロい。 まず、ケヴィンとロルとグレアムがスタジオに入って息が続かなくなるまでユニゾンで「アー」とやる。 当時のレコーディング機器は16チェンネルだったので、16のすべてのチェンネルのこの「アー」を録音する。 それをトラックダウンすれば3人のコーラス×16チャンネル分で48人が「アー」とコーラスしている音源ができる。 いいですか~、今、よくわかっていないヤツが説明していますからね~。お手柔らかにお願いしますよ~。 今度は同じく13の音程それぞれで「アー」と歌う。 ド、ド#、レ、レ#……とクロマチックにやっていって上のドまで録音する。 ココで48人のコーラスで13通りの音程を録るので、624人分の声を集めたことになる。 で、それぞれの音程の音源のテープを約7分のループにして、16のウチの13チャンネルにその音をそれぞれ割り当てる。 こうしておけば、ミキサーのフェーダーを上げ下げすることで和音を作ることができるようになるというワケ。 原理としてはメロトロンに近いということになるのかな? そして、残りの3つのチャンネルのうちのひとつにガイドリズムと仮歌を入れておいて、それを聞きながら「せーの」であらかじめフェーダーの目盛りにつけておいた印に合わせて4人がフェーダーを上げ下げしてバッキングの和声を作ったという。 そして、そのコーラスを残った2つのチャンネルにステレオで録音したら、今度は13のチャンネルのコーラスをすべて消去して、残り楽器を録音したのだそうです。 あのバスドラムの音はムーグなんだって。 「♪アッア~、ア、ア~ア」って左右に振るところなんかは、パンポットを回すのにハラホロヒレハラだったらしい。 この作業だけで3週間も費やしたのだそうだ。 大変だったろうけどオモシロかったろうナァ~。 アナログ録音ならではのストーリー。 結果、クリックひとつで何でもできるデジタルのモノより何倍もいいものができた。 やっぱり養殖モノより天然モノですな。 ま、そもそも曲がいいからね。 そしていよいよ完成か?次はどうする?…というところで、スタジオのレセプションのキャシー・レッドファーン(Cathy Redfern)嬢が、スタジオ内にいたエリックに電話がかかって来たことを知らせに来た。 「エリック、あなたに電話ヨ!」と言われてピンと来た。 「コレだ!」 そうして曲の中間部にあの女性のささやきがダビングさされた。 「Be quiet, be quiet. Big boys don't cry」っていうヤツね。 最初、キャシーは恥ずかしがって固辞したが、「チョコっと囁くだけだからお願い!」とロルやケヴィンにせがまれてイヤイヤやったという。 あの囁きがなかったらまた曲は締まらないモノになっていたよね。 すごくいいアクセントだと私は思う。
エエイ!やっぱり脱線だ! この10ccの手法を丸々マネッコしたのがビリー・ジョエル(イギリス人は「Joel」を「ジョール」と発音します。「エ」は聞こえてきません)の「Just the Way You Are」。 「I'm not in Love」の方がゼンゼン豪華。 イヤ、この曲はコーラスよりもアルト・サックスのソロでしょう。 吹き手はアルトの巨人、フィル・ウッズ。 何せフィルは長年のジャズ界での活動よりも、このソロ一発で世間にその名前が知られてしまったという気の毒なんだかラッキーなんだかわからない人。 私はフィルのプレイを「アルト・サックス界のリッチー・ブラックモア」だと勝手に思っているんだけど、晩年のフィルをニューヨークのブルーノートで観る機会があった。 ナント、パット・マルティーノとのダブルヘッドライナーだった。 でももうかなりのご年齢で、残念ながら往年の閃光ような鋭いフレーズを吹くことがほとんどなかった。
話を10ccに戻して… もうひとつ…アルバムの最後に入っている「The Film of my Love」。 コレはカンツォーネだね。 「The Magnificent Seven(荒野の七人)」、「Orient Express(オリエント急行)」、「Pathe(パテ:フランスの映画会社)」なんて名前が出て来る。 コレもゴドレー&クレームの曲をグラハムが歌っている。 バンド内オーディションで優勝したのだろう。 まぁロマンティックないい曲でしてね。 数年前、ある若い女性から結婚式の雰囲気にマッチするステキな曲を教えて欲しい、という相談を受けた。 その中に入れた1曲がこの「The Film of my Love」だったんだけど、彼女は本当にそれを自分の結婚式で使ってくれて、バッチリだったとすごく喜んでくれた…すぐに別居しちゃったみたいだけど。 しかし、こうして見ると、好きなのは圧倒的にゴドレー&クレーム組の曲だナァ。 『荒野の七人』も子供の頃は夢中になって観たけど『七人の侍』を観てしまってからはバカバカしくてとても観れなくなってしまった。 だから小学校の時からこの映画は観ていない。
このアルバムの内ジャケットには「Produced and Recorded by 10c.c. at Strawbweey Recording Studios…」とある。
ある時、スチュアート&グールドマンがゴドレー&クレームにこのアルバムのリード・チューン「The Things We Do for Love」を聴かせると、「そんな曲は絶対に演りたくない!」と言ってゴドレー&クレームはバンドを辞めちゃったんだね。 2人はギズモに夢中になっていて、そのギズモをフィーチュアした実験的なアルバム『Consequences』のA面を制作していた時期だったものだから、ありきたりのポップ・ソングを演るのがバカバカしく感じてしまったのだ。 ま、『Consequences』にも甘々のポップ・ソングがいくつも入っているけどね。 でもロル・クレームは、「あと半年ズレていれば…」とバンドを辞めたことを後悔してるようだった。 というのも、シングル「The Things We Do for Love」がアメリカで大ヒットしてしまったから。 一方、『Consequences』は散々だったろう。 コレは豪華なブックレットがついたLP3枚組の高価なボックスセットだった。 中学3年の時にリリースされて、すぐになけなしのお小遣いでコレを買った私はクラスメイトから「アタマがおかしい」といわれたよ。よく覚えている…加藤な。 ああ、アタマがおかしくてヨカッタよ。おかげで今も音楽変態道を歩み続けてるわ。 ちなみに今となっては、私はコレをLPとCD2種類の3セット持ってるわい。
ロルとケヴィンの2人が脱退した時、「10ccが5ccに!」なんて世間が騒いでいたのを覚えている。 コレは「10cc」というバンド名の由来が「成人男性4人の1回分の射精量の合計」とされていたところがあったのだろう。 アノね…よくそういう話を聞いたし、本国イギリスでもそういうことになっている部分があるみたいなんだけど、本人たちが違うって言ってるから。 上に出て来たシンガーソングライターにして「UK Records」オーナーのジョナサン・キングに「Donna」を聴かせると、「コレはイケる!」と判断して自分のレーベルで囲い込んだ。 その時はまだバンド名はなく、キングが「昨晩、『10cc』 the greatest group in the world」といのが夢に出て来た!」と言って、それがそのまま10ccがグループ名となった。 どんな夢だよ。 ちなみにGenesisの名付け親もキング。 それと、『Rocky Horror Show』のオリジナル・ロンドン・キャスト盤もキングがプロデュースした。
この『Deceptive Bends』には「Recorded at Strawberry Recording Studios (South)」と出ている。 「(South)」というクレジットが追加された。
ココで取り出したるは『Mary Poppins Returns』。 この中にディズニーではおなじみのアニメと実写のシーンがあって、それが陶器(porcelain)の国という設定なのね。 そこでメアリーが子供たちを馬車に乗せると、馭者が「Where would you like to go on this fine day?(こんな天気のいい日はどちらへいらっしゃいますか?)」と訊く。 するとメリー・ポピンズが「The Royal Daulton Musc Hall please(ロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールにお願いね)」と答える。 そんなホールが実在したのかどうかはわからないが、イギリス人ならピンと来るんだろうね。 そして、メリーを演じたエミリー・ブラントが「The Royal Daulton music Hall」という曲を歌う。 コレが実にいいんだ~。 いつかこの映画を飛行機の中で観て、あまりいい感想をココに書かなかった。 最初の『メリーポピンズ』に使われていた曲があまりにもヨカッタからね。 でもこの『Returns』にも3曲だけメッチャいい曲があって、その中のひとつがこの曲なのです。 マンチェスターへと向かう電車はグングンと進む。 しかし、キレイだナァ~。
コレがオジさんが教えてくれたブックレットなんだけど、かなり上質のマット紙で製本してあって、表紙にはエンボス加工が施してある。 十分にお金を取れるクォリティだ。 左はその「Marvellous Days Days Out」のしおり。 もうひとつはチェスターからマンチェスターをつなぐミッド・チェシャ―線とリーズからマンチェスターをつなぐカルダ―・ヴァレー線にまつわる女性を紹介した「Discover Amazing Women by Rail」という小冊子。 作家、女優、スポーツ選手、女性活動家、女性参政権者、政治家までの分野を網羅しているが、勉強不足ゆえ私が知っていたのは『ジェーン・エア(Jane Eyne)』と『嵐が丘(Wuthering Heights)』を著したシャーロットとエミリーのブロンテ姉妹だけだった。 「キャシーにヒースクリフ」だけじゃなくて、私、両方とも読んでるんですわ。意外でしょ?
そんな折だから、これからの自粛生活を吹っ飛ばす記事をMarshall Blogがお送りするのだ。 まさか「緊急事態宣言」後の第1日目というタイミングに狙って当てたワケでは決してないよ。 タマタマです。 偶然にしろ皆さんを元気づけることが少しでもできればいいな…と思って健筆を奮いました。 オラオラLOUDNESSだぜ、LOUDNESS~ッ! ふさぎこむのはヤメにしようぜ! そして、Stay home with LOUDNESS! (Thanks for your idea, Kazuo!)
さて、例年通り『Rock Beats Cancer』の翌日はLOUDNESS。
今年の仕事納めコンサートのタイトルは『LOUDNESS World Tour 2019-2020 THANK YOU FOR ALL Chapter 1:Ampan vs. Dragon』。 昨年11月からスタートとした「デビュー39周年YEAR」。 向こう1年間に「THANK YOU FOR ALL」というスローガンを掲げ、その先の偉大なる「40周年」に向けてファンへの感謝を届け、そして精力的に世界を回るというプラン。 残念ながら新型コロナという厄介者がLOUDNESSの前に立ちはだかり、若干の計画の変更が余儀なくされてしまいそうだが、ナ~ニ「LOUDNESSの40周年」は逃げも隠れもしない。 みんなでそこに焦点を合わせて祝って行こうではあるまいか! その第1弾がこのコンサート。 今も脳梗塞の後遺症と戦う「あんぱん」こと鈴木さんと、現在のバンドの屋台骨を支えるサポート・ドラマー「ドラゴン」こと竜さんが、ステージ上でスティックを突き合わせる「Ampan vs. Dragon」なのだ!
開演前のステージのようす。 赤と青のスポット・ライトの下でセットされた2つのドラム・キット。 ツーバス・キットが2セット並ぶと壮観ですな。 何しろ今日は「Ampan vs. Dragon」だから!
客電が落ち、「Eruption」のオープニングSEが流れる。
そして、メンバーが登場しショウがスタートした!
二井原実
高崎晃
山下昌良
そして、ドラマーは…鈴木"あんぱん"政行。
おなじみの高崎さんの弾く名リフ!
オープニングは「CRAZY NIGHTS」だ!
ステージの突き当りのスクリーンには『THUNDER IN THE EAST』のアルバム・ジャケット。 今日はファンへのThanksgivingコンサートだからして、とっておきのナンバーが揃っている。 そして、演奏曲が収録されているアルバム・ジャケットがスクリーンに映し出されるという趣向。 歴史のあるチームじゃなきゃこんなことはできないよ~!
『THUNDER IN THE EAST』セクションの3曲目は「Heavy Chains」を持ってきた。
目の覚めるようなソロ! ワタシ、大好きなんです「Heavy Chains」。
もちろん高崎さんの美しいギター・サウンドはいつもの「Takasaki Rig」から。
今日の高崎さんのAxes。
まずは堰を切ったように『THUNDER IN THE EAST』の3曲をブっ飛ばした!
「こんばんは、LOUDNESSです!またやって来ましたな…年末が。 今日は2019年の締めくくりです。コレがないと年が越せませんな。 お越しいただきましてありがとうございます。 今日は曲をイッパイ用意して来ましたので最後まで楽しんでいってください!」 二井原さんのごあいさつの後、4曲目は場面が変わって最近作の『RISE TO GLORY』セクション。
ドラムスはDragon、西田竜一に交代。
アルバムのリード・チューン「SOUL ON FIRE」だ!。
最新のLOUDNESSスタンダード。 ココでも高崎さんのギターが会場の空気を切り裂く!
『RISE TO GLORY』からの2曲目は「I'M STILL ALIVE」。
ドバーっと押し寄せてくる竜さんのドラムス。
アルバムの中でもメタル度の高い曲が「今」のLOUDNESSをアッピールする。
この日、新旧のレパートリーで構成されたセットリストが組まれた。 もちろんオールド・ファンにとってスタンダード曲はウハウハものであろうが、こうした新しいレパートリーもすごく楽しみなのがLOUDNESSファンの得なところ。 長い歴史を持つアーティストはとかく過去の人気曲にしがみついてしまいがちだけど、LOUDNESSは「今」がオモシロイのだ。 その長い歴史を貫いているのは高崎さんのギターであることは言うまでもあるまい。 加えて曲のクォリティの高さだ。 いつも次回作が楽しみなのだ!『RISE TO GLORY』からのもう1曲は「GO FOR BROKE」。
印象的な4小節の導入フレーズとは対照的に展開する爆発的なソロが素晴らしい!
ココでドラムスは あんぱんさんにスイッチ。
場面は『DISILLUSION~撃剣霊化』。
曲は「夢・Fantasy」。
続けて『THE LAW OF DEVIL'S LAND~魔界典章』から「In The Mirror」。
1曲目は「Guilt or Innocence」。 ストレート・アヘッドなハードロック! やっぱりこういうロックにはJEKYLLのような声が必要だ。 すなわち「ロックの声」だ。
2曲目は「Biblical Sense」。 このステージの16日前にリリースした2枚目のフル・アルバム『A Dream Within a Dream』から。 「A Dream within a dream」…ポーの詩か。 ドッチードッチーとタテにハードに乗りまくれ! JEKYLLの声で「♪Love is ecstasy」とヤラれるとメロディがメッチャ耳に残るんだよね~。 やっぱり「歌」は「声」だね。