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2026年4月13日 (月)

マーシャル・ブログ博物館  第5回:工場ミュージアム<その5>

壁際に展示してあるアイテムの紹介をもう少し続ける。160下はジムの85歳を記念したモデル。
「還暦」から始まって「古希」、「喜寿」、「傘寿」、「米寿」、「卒寿」、「白寿」、100歳で「紀寿」と、日本には長寿のお祝いがいくつもある。
そしてコレはまだ続く…108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」と続き、120歳の2回目の還暦が「大還暦」、さらに250歳で「天寿」というのが用意されているそうだが、さすがにコレでお祝いをしてもらえるのは1人としてこの世にはいまい。
この名称、「喜、傘、米、卒、白」等の漢字を使って数字を表すところが実にオシャレではあるまいか?
「茶」や「皇」も同じ。
例えば「茶」という字を分解すると草かんむりは「十」が2つで「20」、その下のつくりは「八十八」と読めるので「20+88」で合計「108」になるワケだ。
オモシロいから「皇」もやっておくと、「白」は「白寿」と同じで「99」。その下の「王」は「十と一が2つ」に分解できるので「99+1+10+1」で合計「111」になる。
フフフ…こんなこと、英語には決してできまい?
では、その英語の故郷のイギリスの長寿祝いの状況はどうか?
もしかしたら「85歳」になるとナニか特別なお祝いをする慣習があるのであろうか?
調べてみると、そんなモノはおろか「敬老の日」すらありゃしない。
それではこのモデルの「85周年」は一体どういうことなのか?
2008年、1923年(大正12年)生まれのジムの85歳の誕生日を祝う社内のパーティが開かれ、その時に社員からサプライズでプレゼントされたのがこのコンボだった。
ジムは大層よろんだそうだ。
だから結局「85」という数字に意味はない。
1923年といえば、9月1日に関東大震災が起こった年。
ジムがもしご存命であれば103歳。
あと5年で「茶寿」だった。
最近、ジムがいた頃のMarshallが猛烈に懐かしく、そして恋しくて仕方がない。
Img_0115そんなところから「JCM2000 DSL」を下地にしたこの50W、2x12"仕様のモデルは「1923C 85th Anniversary」と名付けられて限定販売された。
どうしてもジムのことに意識が行きがちだし、もちろんそれで正しいんだけど、実はこのコンボにはチョットとしたレアリティが付加されることになった。
それはJCM2000のDSLコンボには40Wと20Wのモデルしかラインナップされなかったので、コレが唯一の「JCM2000の50WのDSLコンボ」となったということだ。Img_00852コレは竹谷さんのコレクション。
ヘッドも同時発売された。Img_0427 10W、2x10"のフルヴァルブ・コンボ「1930 POPULAR」。
名前のワリには売れ行きが悪かったのか、1972年から1973年までの短期間にしか生産されなかった。
このフル・フェイスのフレット・クロスってのはいかにもMarshallのコンボらしくていいよね。
いつか30W、1x12"コンボの新商品のアイデアをMarshallに出したことがあったが、外観については迷わず「ビンテージ・タイプのフレット・クロスのフル・フェイス」をリクエストした。
140上の黒いのっぺらぼうは1986年から1990年まで生産していた「Integrated Bass System」シリーズのパワー・アンプ「6020」。
コレは見かけることがないナァ。
出力は200Wだった。
一方、時々見かけるこ下段の銀色のモデルはJubileeのベース・アンプ・シリーズのヘッド「3560」。
JubileeシリーズはMarshallの25周年を記念したシリーズなので発売されたのは1987年。
1992年頃まで生産されていた。
フロント・パネルにデカデカと表示してあるように「600W」の出力を誇るモデル。Img_0551壁際の左の方にはもうひとつショウ・ケースが設置してあって、歴代のペダル類を展示している。Img_0123 たとえばこんなアイテム。
下も竹谷さんのコレクションから。
左が「SupaWah」、右が「Supa Fuzz」。
ちなみにSupa Wahのモデル・ナンバーは「2023」、 SupaFuzzは「1975」。
双方1967年から1972年頃まで生産されていた。

Photo
ということで「スパ」でつなげましょう。
壁際の一番端っこで固まっているグループ。
Img_7958こんなん見たことないでしょ?
「Supa Bass」というラインナップ。
いいえ「Super Bass」ではありません…1978年から1980年に生産されていた「Supa Bass」というシリーズ。
上から「2128 Horn PA4 Piezo」。
真ん中のホーン型スピーカーが2台搭載してあるのは「2127 Twin Drive」。
一番下のバスレフ・スピーカーが「2126 PA Supa Bass Reflex」とかいうらしい。
コレらについては資料がほとんどなくて調べようがなかった。
でもスピーカー・キャビネットの上にミキサーみたいなモノが乗っかっているでしょう?
コレは恐らく「2125」という8チャンネルのミキサーのハズ。
250v下がその「2125」。
100W、8チャンネルのパワード・ミキサーで表面にはそのまんま「Eight Channel Mixer」と記されている。 
モデル・ナンバーがSupa Bassと連番になっているし、生産していた時期も同じなのでこのミキサーと組み合わせて販売していたのかも知れない。
だとすると「Supa Bass」という名前にはなっているが、ベース用の機材ということではないということか?…ハッキリとしたことはわかりません。
低音域が「スーパー」なPAシステムだったのかしらん?Rimg0179それからこのいわゆる「ころがし」。
コレも日本ではまず見かけることがないでしょう?
260コントロールはこんなレイアウトになっている。
このアイテムについては色々と手を尽くしたんだけど手がかりをつかむことができなかった。
ただ「Marshallのモニター・スピーカー」ということでひとつ書いておくと…まだ私がMarshallのディストリビューターに勤めていた1999年のことだったと思うが、ジェフ・ベックが来日してその公演の模様をテレビで放映したことがあった。
その中でジェフの足元にLCフレットをまとったMarshallロゴのモニター・スピーカーが映り込んだ。
すると翌朝、そのモニター・スピーカーに関する問い合わせが会社に殺到したのには驚いた。
みんな熱心だよ~。
でもその時は情報もなく「市販されていません」と返答するより他になかった…本当のことだから。
それから数年してジェフのギター・テクと仲良くなる機会を得、その時のモニター・スピーカーのことを尋ねてみた。
彼の答えはこうだった…「ジェフは自分のギターの音がどういう風に聞こえているかをとても気にするので、彼の背後にセットしてあるMarshallのスピーカー・キャビネットから出て来る音と同じ音が出るモニター・スピーカーを足元にセットする必要があったんだ。
その希望をMarshallに伝えて特別に作ってもらったんだよ」
2000年以降、来日するたびに私がジェフが使うMarshallを用意していたので都度現場を訪れていたが、そのモニターを見かけたのはテレビで目にしたのが最後だった。
今にして思うと、このナゾのモニター・スピーカーがあのジェフのモニターのアイデアの元になっていたのか知れないな。
270vということで、このモニターに関してはナニもわからなかったが…アララ?
下は工場のリペア部門で修理をしてもらうのを待っている一般のお客さんから寄せられたMarshall製品。
オイオイ!この「ころがし」が送られて来ているじゃんか!
しかもこっちはスピーカーが1発のバージョン。
ということは、コレはシリーズでラインナップされてイギリスでは普通に流通していたということなのか?
ま、そうとしか思えん。
やっぱり本場は違うナ。310コレはどうよ?
1972年から1974年に生産されていたモジュール型ミキサー「2050」。
「2030」という8チャンネル・ミキサーの上位機種で9、12、15チャンネルのミキサーとして使用することができたとか。
Img_0546この70年代のMarshallの音響機器への取り組みはかなり本格的で、今では見ることも聞くこともできないミキサーやパワー・アンプがゴロゴロしていた。
ジョー・コッカーもMarshallのPAシステムを愛用しているという記述を目にしこともある。
アンプやキャビネットだけではない、1971年には「3700」というマイクロフォン、1974年頃には「2066 Lifeguard」という電源タップまで作っていたんだよ。
Img_0547それなのに70年代が終わる頃になるとまるで熱が冷めたようにこうした音響機器から手を引いてしまった。
売れなかったから?
いいや、ギター・アンプが爆発的に売れてきっとPA機材どころではなくなって来たのでしょう。
フィル・ウェルズがいなくなった今、この辺りのことを訊こうにもこうした歴史を肌感覚で知る人がもうMarshallにはいない。
だからMarshall Blogでやったフィルのインタビューは我ながら値千金だと思う。
その連続インタビュー記事はコチラ
   ↓   ↓   ↓
フィル・ウェルズ・インタビュー~その1(全8回)
Img_0549コレは懐かしいヤツ。
ピート・タウンゼンドのアイデアで作った8x12"スピーカー・キャビネットのレプリカ。
あまりにも重くて取り扱いができないことからピーターがジムに頼んで2台の4x12"キャビネットに分割してもらった結果誕生したのがいわゆる「3段積み」であることはつとに有名な話。
コレはMarshall初の100Wモデルの40周年を記念してリイシューした「JTM45/100」のPRのためのアイテム。
実際に発売した商品は上下半分で割って3段積みセットで発売された。
280多分このレプリカは2005年のフランクフルトの展示会でお披露目したハズ。
下はその展示の様子。
初めてコレを目にした時、「ウワ!コレは片付けるのが大変だぞ!」とビビったモノだったが、何てことはなかった。
スピーカーが入っていなかったのだ。
それより撤収の時にこのキャビネットを収納するための巨大な段ボール箱でMarshallの連中とかくれんぼをして遊んだ時はとても楽しかった…子供か!810もうコレは何度もMarshall Blogに書いて自慢して来たので古くからの読者の皆さんには迷惑千万な話かも知れないが、こうした記事を書くのも恐らくコレが最後になるであろうからもう1回書かせて頂く。
MarshallのR&Dチームがこの「JTM45/100」のリイシューを開発していた時、電源まわりの回路に不明な部分があったが当時のMarshallはその実機を持っていなかったので一計を案じることになった。
どこで調べたのか、竹谷さんがその実機を持っていることを突き止め、私から竹谷さんに頼んで当該の箇所の写真を撮ってもらい、それをイギリスに送って欲しいという依頼をしてきたのだ。
竹谷さんのことはそれ以前から存じ上げていたので、すぐに連絡を取ってお願いしたところご快諾頂き、しばらくして商品が出来上がった。
下はその取扱説明書。
本物はとても高価で手も足もでないので、当時Marshallで取説制作の担当をしていた故クリス・パーソンズにオネダリをして1部だけ頂いて来た。
どうしても欲しかったのだ。Img_5010そのどうしても欲しかった理由は、スペシャル・サンクスとして私の名前を入れてもらったから。
私の名字の頭文字は「U」なので、見事「T」のピート・タウンゼンドの隣にクレジットされることになった。
コレはうれしかったね~。
一方の竹谷さんは「Ta-」だから「Townshend」の前。
ただの偶然にしても日本人の名前がMarshall最初の100Wモデルの考案者の名前を両脇から固めたところがスゴイ。
今でも大切に保管してある。Img_5013_2ところでこのアンプ、ヘッドは残っているのに8x10"のスピーカー・キャビネットの実物は見たことがない。
せいぜい1965年当時のThe Whoの写真で見かけるぐらいなのだが、本当にこんなハンドルだったのであろうか?
こんな華奢な取っ手でこのキャビを持ち上げるのは絶対にムチャだ。290ハイ、これで壁側の展示品のほとんどの紹介が終了。300ココからはその向かい側、入り口に背を向けているアイテムを見ていくことにする。20「Bluesbreaker」の愛称でおなじみのMarshallの最初のコンボ・アンプ「1962」。
Marshallが保有しているこの「1962」は1965年3月製のかなりの初期型で「Series 1」と呼ばれているフロント・パネルと縁に段差が付いているタイプ。
今のフロント・パネルが平らになっているタイプは「Series 2」だ。
この「Series」という呼び方は『The History of Marshall』の著者のマイク・ドイルが1993年に唱え始めたモノでMarshallが名付けたものではない。
コレが「Bluesbreaker」と呼ばれるようになった経緯はもう書かないが、少しだけナニか書こうとするのであれば…「1961」が4x10"バージョン。
他に10インチのスピーカーを6台乗せたモデルもあったらしい。
「1962」専用のエクステンション・キャビネットを作っていたことも今回初めて知った。
それからクラプトンが車のトランクに乗せられるようにコンボ・アンプの制作をジムに依頼した…という話しは残念ながらウソ。
今ではクラプトンが使い始めるより前から「1962」が存在していたことがわかっている。30とにかくこんな本が出ているぐらい「1962」には色々な話があってチョットやソットでは解説しきれん。
採用パーツの違いや変遷はおろか、何しろ採用されているフレット・クロスの柄のパターンまで研究している人がいるのよ。
50この1965年製1962のコントロール・パネル。40この辺りはしょっちゅう場所が入れ替わっているようですでに紹介したMarshallが
ゾロゾロと並んでいる感じ。70_2コレは冒頭で紹介したジムの85歳の誕生日を祝って作られた「1923C」。
このおジイちゃんがどなたかおわかりか?
この方は「Bert Weedon(バート・ウィードン)」というギタリストで、1959年にザ・ヴェンチャーズもカバーした「Guitar Boogie Shuffle」という曲を世に出した人。
イギリスでは「最も影響力の大きいギタリスト」と言われていて、ポール・マッカートニー、クラプトン、ピート・タウンゼンド、ブライアン・メイ、スティング等々、みんな若い頃バートに感化されたという。
ナゼかマイク・オールドフィールドがとりわけ大きな影響を受けたらしい。802010年、このアンプはバートの90歳の誕生日を記念してジムがプレゼントしたモノだ。
Img_0085ジムとバートは大変な仲良しだった。
100バートは1920年(大正9年)の生まれでジムよりも3歳年上だったが、ジムが亡くなった2012年4月5日の15日後、ジムの後を追うようにして91歳でその天寿を全うした。
下の写真は向かって一番左がバートで真ん中がジム。
右端は「Brian Poole(ブライアン・プール)」。
ブライアンは「The Tremeloes(ザ・トレメローズ)」というバンドを率いて数々のカバー曲でヒットを飛ばしたイギリスの大歌手。
デッカのオーディションで「ビートルズに勝った男」としてよく知られている。
私は会ったことはないのだが、少しメールでやりとりをしたことがあって、とても親切な紳士だった。
110しかし、私がいかにもバートを知っている風なことを書いているように読者は思うかも知れない。
実は私はバートを知っているのだ。
というのは、バートは毎年フランクフルトの楽器展示会「Musik MESSE」に来ていて、いつも顔を合わせているウチにお近づきになったのだ。
奥さんがとてもチャーミングな方で、あんなところにたった1人東洋人がいるのが珍しかったのであろうか、私と目が合うといつでも例外なく熱烈なウインクを送ってくれた。
バートの家は裏道でヒースロー空港からMarshallの工場に行く途中の「Beaconsfield(ビーコンズフィールド)」という小さな町にあって、私とバートの関係を知っているMarshallの運転者はその前を通るたびに「ココがバートの家だよ」と教えてくれたものだった。
大きい家だった。
ところで、アンプのデモをするワケでもなく、毎年ウィードンご夫妻が何のためにドイツまで来ているのかというと、その理由はただひとつ…「ジムの友だち」という仕事をこなすためだった。
下はフランクフルトでのMarshallの定宿。
私も何度もMarshallの連中とこのホテルに滞在したがいつも最高に楽しかった。
Marshallに本当に可愛がってもらったことを心から感謝している。
その分、徹底的に一生懸命仕事をしたけどね。またそれが楽しかった。
このあたりのことを含め、30年近くにわたって私が経験したMarshallに関することをいつか「回顧録」のような形で文章に残すことができたらいいな~と真剣に思っている。
さて、フランクフルトにはそういう類の人が他にも来ていて、Marshallのスタッフに「あの方はダレ?」と尋ねると答えはキマって「Jim's friend」だった。
Rimg0276ココは脱線。
そのジムの親友の皆さんの中に顔見知りではあったものの、特に親しく接したことがないご夫妻がいらっしゃった。
そして、フランクフルトに最後に参加してから11年も経過したコロナ真っただ中の2020年のある日、その奥さんから突然メールが送られて来てビックリ仰天した。
正直、最初はそのメールの主が誰かはわからなかった。
用件はその方のお嬢さんが友だちから譲ってもらったフランク・ザッパのレコードを買わないか?というお誘いだった。
フランクフルトでその奥さんと特に話し込んだ記憶がないつもりだったが、どうやら私はその方にザッパの話を滔々としていたらしい。
コレには理由があって、イギリスの少しご年配の方々が若い頃にどんな音楽を聴いて、何のコンサートに通っていたという話しを聞くのが滅法オモシロイのだ。
「私は何と言ってもレジよ!(エルトン・ジョンのこと)」とか「私は断然ロッド!」…ロッド・スチュアートってったって「フェイセズ」の時代ですからね。
こういう話を聞くと生のブリティッシュ・ロックを感じて感動しちゃうワケ。
そんなおしゃべりをする時の私のルーティンは「その頃、フランク・ザッパをご覧になったことがありますか?」という質問をすることだったので、きっとそこからつながったのであろう。
ザッパはヨーロッパにツアーに行く時は必ずロンドンからスタートしていたので、「もしかしたら」という期待があったのだが、もちろんザッパのコンサートに行ったことがある淑女は皆無だった。
さてそのレコード、訊けばほとんどがイギリスのオリジナル・プレスで、リストの中には私が30年近く探しても手に入れることができなかった『Zappa in New York』があった。
喜んで11枚ほど買い込ませてもらった。
だからコレもジムのおかげなんです。
でもコレで完全に燃え尽きてザッパの音源を買い求めることを止めてしまった。
Img_5008さて、話をバートに戻して…。
レーザー・ディスクなんて懐かしいでしょ?
1991年頃にリリースされた『Guitar』という作品。
今となっては軍事評論家になってしまったらしい「ジェフ・バクスター」がホストになって「B.B.キング」や「レス・ポール」、「デイヴ・ギルモア」や「エリック・ジョンソン」等、錚々たるギタリストたちにインタビューをしてギターという楽器の魅力を探求する…みたいな内容だった。
120この作品に何とも奇妙なスタンスでバートが出演しているのだ。
もうレーザー・ディスクを再生する装置がないので記憶だけでそのシーンについて書かざるを得ないが、
バートの目の前でマーク・ノップラーがあるギターの教則本を指して「コレはウソだ!」と結構マジメに非難するシーンがあるのだ。
気の毒に…バートは少々顔を引きつらせながらも弁解していた。130このシーンでノップラーがナニを言っているのかというと、バートは1950年代の後半に『Bert Weedon's Guitar Guide  PLAY IN A DAY(バート・ウィードンのあなたも1日でギターが弾ける)』という教則本を著していて、ノップラーは「この本を読んでも1日で弾けるようになんかならない!」と文句をつけているワケだ。
当たり前じゃね~か!大人気ない…そんなことで怒るんじゃない!90bでも心配はご無用。
バートのこの著書は累計百万部以上を売り上げ、現在も流通しているこの類では大の名著とされているのだ。
かつてはマイク・オールドフィールドはテレビでこの本を紹介したこともあったという。
懐かしな、バート・ウィードン。
1枚ぐらい一緒に写真を撮っておけばヨカッタ。
Piadさて、この工場ミュージアムの紹介もいよいよ次で最終回です。
Thumbnail_img_0274<つづく>
 200

2026年4月10日 (金)

マーシャル・ブログ博物館  第4回:工場ミュージアム<その4>

Marshallの「工場ミュージアム」の紹介はまだ続く。
今回はエントランス正面2階の下手側。10下手側にもショウ・ウインドウが設置されていてギターが展示されている。
ギターの下にポコっと置いてあるのは「"DE LUXE" OUTPUT TRANSFORMER」の箱。
古いイギリス製のトランスだ。
ナンでコレだけこんなところに置いてあったのかね?
2img_0122このウインドウは異動が頻繁で、ある時はこんな感じだった。
左の赤いVシェイプはケリー・キングからのモノでサインの傍らには「Marshall Rocks!」と入っている。
青と黒いVはともにデイヴ・ムスティンから。
「50」と入っているエクスプローラー・シェイプは既に紹介した創立50周年記念コンサートの時に先日亡くなったフィル・キャンベルが使っていたギター。
右端のレスポール・シェイプのギターはMarshall製…こんなのあったっけかナァ?
マルコ・メンドーサ他のサインが入っている。30ギターの下にはハンドワイアード他の基板を展示している。50下は2012年9月、50周年記念コンサートを直前に控えてBBCが取材に来た時のもよう。
大変カンタンである。
インタビューを受けているのは長年にわたってリペア・サービスを担当していた「フィル・ウェルズ」。
Marshall Blogでロング・インタビューを掲載したことがあるので古くからの読者はこの名前に聞き覚えがあるかも知れない。
翌朝、さっそくこのインタビューが放映されていた。
60それではひとつずつ展示品を見ていこう。
まずはポール・ウェラーのシグネチャー・モデル「1987X-PW」。
ポールやジムのサイン入り。
このモデルは「1987」と謳っているが、元は1973年から1976年までの間に通信販売されたギターとベース兼用の50W、2x12"コンボの「2100」だ。
ポールの50歳を記念して世界で50台だけ生産し、その売り上げのすべては「Childline」という恵まれない子供のためのチャリティ団体に寄付された。
70ポールは長い間「2100」を愛用していて、2009年に来日した時も持参していた。
下の写真でポールの背後に見えているのがソレ。
この時、私の方からはNATALを貸し出した。
そこでMarshall Blogの取材をさせてもらったのだが、この時は本当に驚いた。
会場はZepp Diver Cityでリハーサルの最中にお邪魔すると、マネージャーが私が到着したことをポールに伝えてくれた。
するとポールは曲の途中で演奏を止め、ステージから降りてホールの後方にいた私のところに歩み寄り、自分が使うワケでもないのに丁寧にNATALの貸し出しに対するお礼を述べてくれたのだ。
コレには本当にビックリした。
洋の東西を問わずそんなことをしてくれる人はまずいないからね。1202下はその時にもらったピック。
そういえば、開演前に私に話しかけて来た比較的ご年配の白人ご夫婦がいた。
オジさんは会場の設備についてしきりに私に尋ねていたが、そのウチ聞くとはなしに自分たちのことを語り出した。
何でもその2人はポール・ウェラーの大ファンで、ポールが行くところ世界中どこでもくっついて回っているというのだ。
グレイトフル・デッドの「デッド・ヘッズ」みたいなもんね。
一体何の仕事をしているのか気になったが訊かなかった。
とにかく世界には色んな人がいるもんだ…と思った。12_pwpその隣りの白い「1962」。
なつかしい…。
2003年、Marshallの40周年を記念して自動車の「ジャガー」とコラボレイトした完全手作りの逸品。
世界で30台だけ作られた
Marshallの工場である段階まで組み立て、コヴェントリーにあるジャガーの工場に移送し、そこで車のシートに使われる本革を用いてカバリングが施された。
80この記念モデルは発表となる前、Marshallの創業40周年を記念するパーティが開かれた際に関係者にお披露目された。
下はその時に撮った写真。
スピーカーには「JTM45 Offset」の時のCelestion製アルニコ・スピーカーを搭載。12_img_4957_1シャシやパーツはギンギラギンのゴールド・ミラー仕上げ。
当然のごとくかなりのお値段で£5,000の値(今の為替レートで107万円)で売り出された。12_img_4960_1Marshallはこの30台をインターネット上の世界規模の抽選を通じて販売した。
あくまでもファンの間の公平を期すためだ。
クジを引いているところを見ることはできなかったが、日本の方が当選した場合にはMarshallから応募者と私に連絡が来ることになっていた。
そして、その当選者が購入の意思を表示した場合には私がMarshallの代理人として当選者と連絡を取り合い、販売を担当する楽器店の間を調整するという段取りだった。
そしてある日、「シゲ、日本人が当たったゾ!」という連絡がMarshallから入った。
しかし、その当選者は経済的な理由で購入を辞退してしまった。
なんせあのお値段だからネ。
12_img_4956_1それからほどなくして、また「日本人に当選した」という知らせが来た。
ご当選されたのは中京地区の方で「ま、こんなことは滅多にないでしょうから頂いておきますわ~」とスパっとご購入を決意されてワザワザ東京までお越し頂いてご購入頂いた。
だからもしそのお客さんが手放して海外に流出していなければ、また誰かが海外から持ち込んでいなければこの「40周年記念Bluesbreaker」はたった1台だけ日本に存在していることになる。
ちなみにイギリス人は「Jaguar」を「ジャガー」とは発音しない。
綴り通りハッキリと「ジャギュア」と発音する。12_img_4963_1ところでこのMarshallの創業40周年を記念した式典については、Marshall Blogにも詳しく書いたことがなかったように記憶している。
私はラッキーなことにその40周年記念の式典と50周年記念コンサートの両方に出席した唯一の日本人なのだが、恐らく今のMarshallにも同じ経験をした人はほとんどいないのではなかろうか?
2012年の「ウェンブリー・アリーナ」での50周年のコンサートに参加した人は今でも何人か工場に残っているが、40周年の式典の時にはMarshallの社員でもごく限られた人しか出席できなかったからだ。
その点、2002年当時私はディストリビューターだったので「来賓扱い」で出席することができたというワケ。
下がその時にジムと撮った写真。
テーブルの散らかり具合でかなり盛り上がったことが想像できよう。
12_img_4973「40周年を記念する式典」と聞いて、そこは「世界のMarshall」…Marshallを愛用するブリティッシュ・ロックの大物が大挙してやって来ることを想像して臨んだ。
が、その期待は大きくハズれた。
会場は下の写真にある「Wilton Hall」という本社の近くの貸しホールで(写真は10年後の2012年の撮影)、そこに世界中のMarshallの関係者が集まって食事をし、創業40周年を祝う…という簡素な内容だった。
日本のこういった行事となると、ヤレ社長の挨拶だ、ヤレ来賓の挨拶だ、ヤレ祝電の披露だ…となるのが式次第の相場だ。
向こうの人はコレを指して「So mamy speeches!」とイヤがるのが普通なんだけど、この時は……やっぱりそういう儀式が一切なかった。
司会もなし、どころか確かジムの挨拶もなかった。
食事はビュッフェ形式で、「カンパ~イ!」も「いただきます!」もなく、何となく食べ始めちゃう。
それでも気になるミュージシャンのゲストは、「アイアン・メイデン」のメンバーが来ていたぐらいだったかな?
確かブルース・ディッキンソンは来ていなかったと思う。
それから「ポール・ロジャース」からお祝いのビデオ・メッセージが届いていた。
会場内にはステージがあって、Marshallのデモンストレーターや社員によるバンドの演奏が繰り広げられた。
リチャードというベラボーに歌のウマい社員がいて「Smoke on the Water」を歌っていたっけ。Img_5849_2 こうした西洋の正式な式典の場ではタキシードやイブニング・ドレスで着飾った映画に出て来るような紳士淑女に囲まれて、日本人はどうしても強いコンプレックスを感じてしまうのが普通だろう。
私も何度か経験があるが、アレだけは本当にイヤだね。
しかしこの時はジムがそういうかしこまった雰囲気を好まなかったため、参席者はみな平服で参加していた。
それでも、同じテーブルに着席した当時のフランスのディストリビューターの社長夫人のいでたちにはド肝を抜かれた。
巨大にして華美な帽子を頭に乗せたその夫人の姿はまるでセシル・ビートンがデザインしたドレスに身をくるんで「ロイヤル・アスコット」にやって来た「イライザ・ドゥーリトル(=オードリー・ヘップバーン)」そのものだった。
でも、まったくおかしくないんだよね。
日本人があんな帽子をかぶったらハロウィンのコスプレとしか思えないだろうけど、本物のマドモアゼルにはとてもお似合いだった。
ま、そうして見てくれに関しては一切肩身の狭い思いをすることはなかったのだが、好事魔多し、意外なところで恥をかくことになった。
それは宴もたけなわになった頃のこと。
誰かがある歌を歌い出した。
それは英語の歌の中で「Happy birthday to you」に次いで世界で2番目に頻繁に歌われている曲で、誕生日や誰かを祝福する時に歌われる。
この場合の「誰か」とはもちろんジム・マーシャルのことだ。
やがてそこにいた人たち全員が立ち上がってその歌を大声で歌い、前の人の肩に両手を置き輪を作って長蛇の列を組み上げて「ジェンカ」のように会場内をグルグルと回り出した。
もちろん私もその曲をよ~く知っていた。
だから私もその輪に入って声高らかにジムを称えたかったのだが……歌えない。
歌詞がわからないのだ。
そして恥ずかしいことにその場で歌うことができないのはどうやら自分ひとりだけなのだ!(同行した日本人は対象外)
かといってニコニコと口パクで歌っているフリをしながら輪に加わるのも大きな屈辱ではないか。
仕方なくみんなが盛り上がっているのを横目で見ながらワインをチビチビと口にしてその場をやり過ごしたという次第。
情けないったらありゃしない。
みんなが楽しそうに歌っていたのは「For He's Jolly Good Fellow(彼はいいヤツだ)」という曲だった。
For he's a jolly good fellow
For he's a jolly good fellow
And so say all of us
(彼はすごくいいヤツだってみんなそう言っている)」
知ってるでしょ?これだけの歌なのに手も足も出ないなんて…。
「郷に入れば郷にしたがえ」で、先方の文化を知って海外の人と付き合うべきとエラそうに日頃から思っていた私にとっては思いがけずこの宴席が針のムシロになった。
下もこの時に撮ったジムとデイヴ ’バケット’ コルウェルの写真。
バケットはかつてバッド・カンパニーのメンバーだった。
2人の後ろにいるのは24年前の私。
しかしこの写真、一体誰が撮ったんだろうナァ?Mr_marshall2元に戻って…
コレ、私が思うにMarshall史上最もMarshallの製品に見えないモデルだと思うんだけどどうだろう?
「SRXシリーズ」というPA用の150Wアンプ・ヘッド/6チャンネル・ミキサー。
名前は妙だわ、色合いはおかしいわ、パーツのデザインも変だわ。90 
「Marshall」のロゴだってまるで隠すようにして小さく入っている。
本当にMarshallの工場で作っていたのかしらん?
Srxリア・パネルのようす。
これは試作機なのかな?100販売していたのは1987年から1991年の間で、こんな感じでスピーカーを組み合わせていたようだ。Srxsこのスピーカーがまた全くMarshallらしくない…ように思える。
100Wの1x12"が「6121H」、 150Wで 1x15"が「6151H」という型番だった。
型番もヘンだわ。
12_6121hまるで戦時中の無線機のようなルックスのPA用アンプ。
このモデルは100Wが「2009」、50Wが「2010」、20Wが「2011」とされていた。
販売していたのは1968年から1971年まで。110「KITCHEN」バージョンも生産していた。
「KITCHENS」は北イングランドを主に商売をしていた楽器店で、1966年頃、ジムやローズ・モーリスに依頼して自社のブランド名を冠した製品の生産してもらっていた。
そこでPA用のアンプを主体にブランド展開したのが「KITCHEN-MARSHALL」だ。
しかし、KITCHENSが本業で販売していたのがMarshallやPARKの商品だったので、たとえ自社の名称が使われていてもほぼ同じ商品を売ることに意味が見出せず、結局短期間のうちに消滅してしまった。
それゆえ「KITCHEN Marshallは」レア度が高く、下の工場に展示しているアンプは最後に作られたモノであるらしい。1201967年に発表した100WのPA用アンプヘッド「Master P.A. 2003」と4x12"のコラム・スピーカー「1969」の組み合わせは「100-WATT SET-UP」と呼ばれた。
「Set Up」というのはローズ・モーリス流の「Stack」呼び方だ。
当時、この辺りのPA用のアンプはワッテージ違い、インプット違いでたくさんのラインナップを備えていた。
それだけPAシステムの需要が高かったということであろう。
130「KITCHEN」が出たところで「Park」を見てみよう。
「Park」はローズ・モーリスとの契約から離れてバーミンガムの「ジョニー・ジョーンズ」という友人のためにジムが生産したMarshallの傍系ブランド。
「ジョーンズ」という名前ではパンチが効かないのでジョニーの細君の「パーク」という名前を冠した。
コレも75WのPA用アンプ「1001」。
2x12"のコラム・スピーカーは「1017」。
この青いフレット・クロスもいいネェ。
実に涼しげだ。170v「コンビネーション・アンプリファイヤー」という宣伝惹句で売り出した1x15"コンボ「1018」。
出力は25W。
そこで「大音量を必要としないギタリストであれば、コレ1台で必要な機能がすべて手に入ります」と謳った。
ナニが「コンビネーション」でナニが「必要な機能」かというと、トレモロとリバーヴが搭載されているのだ。
この時代の人が今の巷間のデジタル・アンプの多機能を知ったら一体ナンて言うだろう?
「へへん、それがどうした?音の良さなら負けないよ!」って言うんじゃない?
230vロゴがハズれてしまっているが、ヘッドは「Park45」と呼ばれる「JTM45」のシャシを90度回転させてキャビネットに収めたPAアンプ。
だから出力は30Wということになろうか。
極めて珍しいモデルで、このアンプが製造されたのは1968~1969年ぐらいのようだ。
組み合わされたコラム・スピーカーには 12"のスピーカーが2台搭載されている。
背面はハーフ・オープン。
このフレット・クロスも実にいいね。
ケン・ブランは「Marshallの余剰パーツを使ってParkを作っていた」なんて言っているけど、イヤイヤ、ルックスに関して言えばParkもゼンゼン素晴らしいんじゃないですか?180v6インプット、100Wのミキサー・アンプ「1220」。
しかし色んなことをやっていたんだナァ~、感心しちゃうわい。
19050W、1x12"のギター用フルヴァルブ・コンボ「1239」。
1970年代後半に流通していたモデルで、ベース用が「1238」というモデル・ナンバーだった。
2008W、1x8"のトランジスタ・アンプ「1230」。
もうコレなんかは「Marshall感」がゼロだね。
少年マンガ雑誌の表3の通信販売の広告に出ていそうな見た目だ。
「ギュイィィィィン!キミも1日でギターが弾ける!」みたいなヤツ。
210お揃いでベース用も用意されていた。220ところで…。
もう今の若いギタリストの皆さんは「Park(パーク)」なんてご存知ないでしょう?
下の写真みたいなヤツ。
え?MarshallのMGシリーズのニセモノじゃないかって?
イヤイヤ、チャンとしたMarshallの商品だったんですよ。
かつてあった「Park」とは丸っきり無関係にMarshallが1993年に立ち上げた海外生産の汎用モデルのラインナップだった。

G10
Parkシリーズが始まった1993年当時の広告、「PARK SON OF MARSHALL」。
マッド・サイエンティストのJCM900が息子を創造した…それが「Park」。
コレには『ロッキー・ホラー・ショウ』の「ドクター・フランクンフルター」のイメージがあるのかも知れないね。
ところが、Parkの購買者層はいくらMarshallの息子とはいえ「Park」などという見知らぬブランドに興味を示さず、商売はあまりいかなかったらしい。
Som2コチラは当時のParkがデビューした1993年の雑誌広告。
「見た目はチョイと違うけどParkはMarshallですよ~!」と懸命に主張している。
最早、完全にMarshallのコバンザメとして、商品の良さよりも手っ取り早く「Marshallの血脈ですよ」ということを押し出した。
12_img_4947_1下は1997年からスタートした第2世代のParkシリーズの一番小さい10Wモデル「G10 MKII」。
もう自らが「Park by Marshall」と「Marshall」の名前を謳い出しちゃった。
その甲斐があってか、日本では「ジーテン」と呼ばれ、大ヒット商品となった。
「Marshall」というとステージでスポットライトを浴びる大型アンプにどうしても注目が集まりがちだが、実はギター初心者のキッズの皆さんが手始めに手に入れるこうした練習用の小型アンプはMarshallの重要な商品なのだ。G10mk2そしてParkシリーズは2002年になると再びフル・モデル・チェンジをする。
Marshall社内では「MGIII」と呼ばれていたこのPark第3世代ではいよいよ「Park」の名を取り除き、「Marshall」のロゴ・サインをまとうことになった。
「ParkがMarshallになる?!」…発表に先駆けてMarshallからこの知らせを受け取った時はかなり驚いた。
もちろんMarshallファンの間でも大きな衝撃となったハズだ。
ナゼ初めからこうしなかったのか?…実はジムはイギリスで生産していない製品に「Marshall」という名前をつけることをイヤがっていたからだった。
12_img_4940_1この「MGシリーズ」の売り上げはビックリするほど好調だった。
オモシロイほど売れに売れた。
いい時代だった。
実際、「FDD回路(Frequency Dependent Damping)」という真空管アンプのサウンドを模すための新機能を搭載した商品自体もとても良い出来だったと思う。
12_img_4943_1「Park」つながりで「CMI」。
30Wの「Master Lead Tremolo」は「1070」。
このアンプ、珍しく10"のスピーカーを3台搭載している。
CMIは「Cleartone Music Instruments」の略称でParkの販売をしていた会社。
MarshallはそのCMI向けのOEM商品を生産していたが、ラインナップはParkと大差なく、同じ会社が異なる名前の同じ商品を販売するという妙な形態となってしまったため、KICHEN Marshallと同様にCMIのアンプも1976年~1977年と短命に終わった。240<つづく>
 200

 

2026年3月 6日 (金)

マーシャル・ブログ博物館  第3回:工場ミュージアム<その3>

Marshallの工場のエントランス2階の展示アイテム解説の3回目。10「JCM900 4100」と「1960A」のカバリングとフレットクロスを貼っていない仕様。
製作途中というワケでも製造工程を説明するための製品というワケでもない。
ツルッツルですねん。
30年近く前、東京の大手楽器店からの特別注文で日本に入って来たこともあった。
その時はこの仕様を「ベア・ウッド(Bare wood)」と呼んでいたが、今は「ネイキッド(Naked)」という名称になっているようだ。
「bare」も「naked」も「裸の」っていう意味。
だから昔からあったアイデアで、その楽器店の方がMarshallの工場に行った時にタマタマ同様のモデルを目にしてマネてオーダーをしたのであろう。
しかしコレ…ヘッドはまだいいにしても、キャビネットはスピーカーの保護にかなり気をつかう必要があるね。
ところで、それぞれのスピーカー・ユニットの周りに黒いヤツが4つ付いているでしょう?
20vコレらはスピーカー・ユニットを固定するビスを受け止めるための下の写真ようなナット。
鋭い爪が4つ付いていて、それをバッフル板に打ち込んでナットを固定するんだけど、コレが1回バカになってしまうと大変なことになっちゃうんですよ。
今、この「ネイキッド」にはフレット・クロスが張っていないので、そういう事態になったとしても、少しナットを回して打ち込んでやれば何ら問題はない。
ところが普通の「1960」でそうなっちゃうと、バッフル板とフレット・クロスのすき間にナットが落ちてしまって、まずコレを取り出すのにひと苦労。
重いし、デカイので逆さにしてシャカシャカ振るワケにいかないから。
ようやくナットを取り出して元の位置に戻しても穴がバカになっているので、スピーカーの手前からねじ込むビスがチョットでも変な風にナットに当たってしまうと、またバッフル板の向こうに落ちてしまう。
私はコレでスピーカー・ユニットをひとつ交換するのに3時間半かかったことがあります、ハイ。
もちろん「マレに見るブキッチョ」ということもありますが…。
ちなみに長年Marshallの修理をしてくれていたオジさんはすべての工程を10分もかからないで完結していた。
私も今ではコツをマスターしたのでこの作業はお茶の子サイサイです。

Tn_3 スラッシュの特別シグネチャー・モデルのフル・スタック。30vベースは2代目のシグネチャー「AFD100」。
フロント・パネルがミラー仕様でパイピングがシルバー。
カバリングも黒蛇のような目地になっている。
キャビネットのフレットクロスは「ソルト&ペッパー」。
アルミ製のセクシーなロゴにどうしても目が行ってしまうか?Img_8006この赤いのは目立つな~。
1972~1973年に製造していた「Picture Flame」と呼ばれるスピーカー・キャビネット。
「Lead/Organ」…すなわちギターとオルガン用のキャビネットで、入力が100Wの1x12"が「2053」、125Wで1x15"が「2054」というモデル・ナンバーだった。
フルスタックが組めるようになっていて、それぞれに「Bキャビ」が用意されていた…といっても今の「A(angled)」と「B(Base)」でキャビネットの形状が異なるワケではなく、どうも上段のキャビネットのキャスターの「ウケ」の有無で区別していたようだ。
見た目のインパクトが強いことが認めるが、どんな音を求めてこんな形にしたのだろう?40v上に乗っているのはPARKのトランジスタ回路のスレイヴ・アンプ(パワー・アンプ)「1221」。
出力は100Wだった。Img_8009フル・バルブの30Wヘッド。
コレ、良さそうでしょう~?
型番も決まっていたが、残念ながらこのモデルは生産されなかった。
1959方式の4インプットでボリュームが2つ。
3バンドEQとプレゼンスとループのレベル調整を搭載。
もしこのモデルが発売されていたら、間違いなく大ヒットしていたことだろう…とだけ書くに留めておくことにしよう。
0r4a0095レミーのサイン入りシグネチャー・モデル「1992LEM」。
コレは本当にベース・アンプの「スペードのエース」だった。
60_22002年に発売したザック・ワイルドのシグネチャー・モデル「2203ZW」。
コレはドカンと売れた。
ザックのサインにある「DAD RULES!!!(オヤジ最高!)」の「DAD」とはもちろんジムのこと。
70実はこの商品、製造が追い付かずなっかなか日本に入って来なくてネェ。
それで2002年の5月、私がイギリスに飛んで直談判をして商品の一部の出荷を早めてもらったんですわ。
人生で初めて訪れたMarshallの本社/工場だった。
当時、日本はMarshallにとって最も重要なマーケットのひとつだったので、ジム・マーシャルが礼を尽くして接待をしてくださった。
それ以前、ジムとは日本では何度かお会いしていたのだが、この時は初めての完全アウェイ。
ジムと奥さんとヴィクトリアの4人だけで食事に行ったんだけど、ま~、緊張したわ。
軍隊で言えば元帥と二等兵の会食みたいなものですからネェ。
ココでは気軽に「ジム」なんて書いているけど、もちろん「ジム!」なんて気安く呼ぶことはできません。
私は親しくなった後でも、ご本人に向かっては最後まで「Mister Marshall」と呼ぶようにしていた。
年齢も39年も離れているし、一体何の話をしようかと案じたが、ジムがジャズ・ドラマーだということを当然知っていたのでジーン・クルーパやベニー・グッドマンの話を持ち出して結果的に和気あいあいとした時間をすごした。
私はスウイング・ジャズを聴くことはまずないけれど、とりあえず「ジャズが身を助けた」と思ったわ。
下はその会食の後にお招き頂いたジムの自宅のリビング・ルームで撮った1枚。
この時のことは一生忘れない。
そして、2203ZWにはそんな思い出が残った。
Img_4934 ザックのシグネチャー・モデルの2代目。
サインの日付を見ると上の2203ZWと同じ「2010年7月22日」になっている。
コレはザックのバンド、BLACK LABEL SOCIETYが、ロンドンの東にある「ヴィクトリア・パーク」という公園で開催された『HIGH VOLTAGE』フェスティバルに出演するために渡英した際に入れたサイン。
「BLEED MARSHALL(血を流せマーシャル)」?…調べて見ると「bleed」はスラングで「金を搾り取る」という意味があるようだが、まさかね。
となると、コレは「Be bloody Marshall」とかいうことなのかしらん?知らんけど。
130_2フルスタックにするとこうなる。
基本的には見た目が変わっているだけ…のハズ。
ナゼか市販はされることはなかった。
80vMarshallの工場には昔、「Theatre(シアター)」と呼ばれる多目的の講堂があった。
ココで爆音で試作機を鳴らしてみたり、新商品の発表会をしたり、世界中のディストリビューターを集めて会議をしたりした。
私もココで開催された会議に何回も出席したがいつも寒くてね~。
ヨーロッパの皆さんは半ソデ半ズボンなのに私だけセーターを着ていた。
だから「シゲ、大丈夫か?風邪を引いているんだろ?」とよく心配されたものだった。
そしてだだっ広い空間でボソボソと話される英語がとても聞き取りにくく、大変に苦労したのを覚えているが、私にとってはMarshallの工場の思い出深き場所のひとつ。
今は「Marshall STUDIO」になってしまって跡形もなくなっちゃった。
町の公民館的な役割を果たすこともあって、シン・リジーもココで演奏したことがあったし、震災の時には現地の日本の和太鼓のチームがチャリティ・イベントを開催したこともあった。
さて、そのシアターにズラリと並んだそのザックの2代目のシグネチャー・モデル。
上に書いたように、この時ザックはこの場所でHIGH VOLTAGEのリハーサルをして、その後イギリス・ツアーに出かけたというワケ。
ザックだけではなく、他のバンドも時折このシアターをリハーサルの場として借用していた。
90メタル感満点のルックス。100スピーカー・キャビネットに付けられたプラーク。
ジムのサインが入っているところが何とも律儀。120_2傍らには最初のシグネチャー・モデルを6台収納したラックが用意されていた。
リハーサルの最終日、「お世話になったお礼に…」と、工場の従業員を招待してHIGH VOLTAGEのステージのゲネプロを公開した。
コレが生身の人間には有害としか思えないようなモノスゴイ爆音で、はじめはかなりの人数が集まっていたものの、終わりの頃にはほとんど誰もいなくなっていたっけ。
私はチャンと最後まで付き合いました…だって避難するところがないんだもん。
110そしてコレが実際のHIGH VOLTAGEでのBLACK LABEL SOCIETYのステージ。
それはそれは猛烈な爆音でございました。
でもステージにズラリと並んだザック・モデルは壮観としか言いようがなかった!390展示品の中央に位置する後から設置された「シリアル#1」の「JTM45 Offset」の展示ケース。135v昔のミュージアムの時は何の特別待遇も与えられず、ごく普通に展示されていた。190それが現在では大出世を遂げて専用に作られたケースに神々しく収められている。
ケースに入る前は、「チョットオフセットの写真撮らして~!」、「ああ、好きにやっていいよ~!」みたいな感じでいとも気安くイジることができたんだけど、今はもうそうはいかない。140v_2下はそんな風にして撮った写真。
コレについては何度もマーブロに書いて来たのでココでは詳しくは取り扱わないけど、このミュージアムに展示されている経緯だけしつこく書いておくと…
1701962年、ジム、ケン・ブラン、ダッドリー・クレイヴンのチームで開発したこの「JTM45」がギタリストの間で大きな評判を呼んだ。
ある時、少年がアクスブリッジのジムの楽器店を訪れJTM45を買おうとした。
ところが既に23台もの先約があって、すぐに販売することができずジムは「数週間待ってくれ」と少年に伝えた。
当時は週に1~2台しかJTM45を製造することができなかったのだ。
ところがその少年はその週末に使いたかったので「プロトタイプでも良いから売って欲しい」とジムに頼み込んだ。
ジムは試作機を普通に売ることに気がとがめ、通常の値段よりも安くしてシリアル・ナンバー「#1」が付けられたそのプロトタイプを少年に売り渡すことにすると、ほどなくしてその少年の親が支払いにやって来た。
それから7~8週間後、ようやくJTM45の製造に余裕が出て来た頃、その少年が以前販売したプロトタイプを手にして再び店にやって来た。
やはりどうしても「正規の商品が欲しい」というのだ。
そこでジムは一旦お金を少年に返し、戻って来たプロトタイプを受け取って店の階段の下の棚に押し込んだ。
そして1966年、事業の拡大にともないロンドンの西から現在のブレッチリーに引っ越すことになった時、スッカリ忘れていたこのアンプが転がり出て来た。
「どうするコレ?捨てちゃう?」という意見もあったが、ジムはナニかの縁と考えてブレッチリーへ持って行くことにした。
そして、ブレッチリーに移転しても結局は階段の下に押し込んでほったらかしにしていた。
Img_7996 それから数年が経過し、1970年代の後半になってまたジムはこのNo.1アンプに遭遇する…と言ってもただ忘れていただけなのだが。
「こんなに長い間私はコイツをキープしていたなんて!」とジムは驚き、このアンプとの大きな絆を感じて大切に保管することを決心。
そして階段の下からアンプを自分の執務室に移動させた。
こうして一旦はジムの元を離れたMarshallの第1号機が現在も保管されることになったというワケ。
教訓……断捨離はダメね。
それにしてもその少年は損したね。
何せMarshallが最初に作ったアンプ6台のうちのひとつだからね。
手放さないで「何でも鑑定団」に出品していたらオモシロイことになっていただろうに…。
185ケースの中のJTM45は吊り下げられていて…150見上げればシャシの内部を見ることができるようにもなっている。180私なんかがオモシロイと思うのはコレね。
上に出て来たジムの楽器店があったアクスブリッジにある建造物に取り付けられたプラーク(銘板)のレプリカ。160_2本物はコレ。
詳しいことは下の2編に書いたので興味のある方は是非ご覧くださいまし。
【Marshall Blog】Speak of the Devil ~ ビックリしたな~モウ!
【Marshall Blog】ビートルズに勝った男
220w次…。
リッチー・ブラックモア、ミック・ロンソン、ジョン・エントウィッスルが愛用したことが知られているKT77をパワー管に採用した200Wの「MAJOR」シリーズ。
Marshallがブレッチリーに引っ越しをしてすぐに開発に着手し、翌年の1967年から1974年まで販売された。
PA用8インプットの「1966」、ギター用の「1967」、ベース用の「1978」がラインナップされた。
下の写真は「Pig」というニックネームが付けられたオリジナルの「1967」。
「Pig」というのは複数のMarshallの本を上梓している「マイク・ドイル」が後になって付けたニックネームで、当時のMarshallがそう呼んでいたワケではない。
「ずんぐりしたデザインがブタを思わせる」ということらしいが、デザインした人がその時それを知っていたらブーブー文句を言うだろう。
Pigは発売した1967年だけしか作られなかったのでかなりのレア・アイテムになっていて、今となってはベラボーな値段が付いているらしい…というか、そもそも見かけることがない。
私もホンモノはココでしか見たことがない。
200Pigは2インプットで、3つのノブはすべて「VOLUME」。
左から「MASTER」、「BASS」、「TREBLE」となっていた。3img_7982ギター用の「1967」は、発売の翌年にはモデル・チェンジをして「Pig」から下のような「1959」と同じく4インプット、6ポットの仕様になった。
コレは時々見かける。
下は竹谷さんが所有している「1967」。Img_05931984年、「ミニ・スタック」のコンセプトの下、Marshallは「3210 MOSFET」というヘッドに4x10"のキャビネット(AとB)を組み合わせたモデルを発表した。
要するに廉価版ですな。
いつの世も「アナタも手ごろな値段でMarshallスタックを手に入れることができる!」ってMarshallはやっていたワケ。
「MOSFET」というのは「Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect Transistor」の頭文字で、日本語にすると「金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ」ということになるらしいが余計わからん。
平たく言えばパワー回路がトランジスタのモデルだ。
そして1986年、Marshallがその流れ…つまり「小型スタック」のノリで新しく発表したヘッドが下の「3203 ARTIST」というモデルで、そのコンボが「4203」だった。 
2チャンネル、30Wという仕様で、プリ回路にトランジスタを採用し、今度はパワー部に1xECC83と2xEL34を搭載した。
コレが大変に評判が良く、1991年まで製造が続いた。
1986年は円高が急速に進んだこともあるが、定価を調べてみると確かに安い。
220_2この「1959」のかつてのオーナーはシン・リジーのスコット・ゴーハムだった。
1978年頃に使われていたアンプで、インプットの部分が改造されているのはマスター・ボリュームなんでしょうナァ。225ちなみに、1978年頃、スコット・ゴーハムはMarshallの広告に登場していた。Img_4939 チョット変わった感じのルックスが目を惹くコンボ「2199」。2301976年から1980年まで生産していた30W、2x12"のトランジスタ・コンボ。
名前を「Master Lead Combo」と言った。
こういう名前は覚えにくいね。
現行品であるならともかく、過去のモデルともなると似たような名前がたくさんあってゴッチャになってしまう。
240Marshallで最も初期のトランジスタ回路を搭載したモデル。
日本では全く見かけないよね?
250_2コレは工場の修理部門の作業台のところで撮った1枚。
さすが本国。
そんな日本では見ることのないこのモデルの修理をしていた。
私が工場にいると「シゲ!珍しいヤツが入って来たぞ!見に来いよ!」と修理部門のデイヴから行く先々に電話がかかってきたものだった。

260 「Marshallも色々やってきたね~」と思わざるを得ないこのモデルは「Club and Country」というシリーズの中のひとつ。
それまでMarshallが無視してきたカントリー・ミュージックのマーケットに殴り込みをかけるべく開発された。
フル・ヴァルブ仕様で出力は100W、2x12"の「4140」、4x10"の「4145」、4x10"でベース用の「4150」がラインナップされた。
「4140」はスティーヴィー・レイ・ヴォーンが使っていたみたい。
下のモデルは「4145」。270_4140薄い!280この「Club & Country」というのはローズ・モーリスが付けた名前で、元々Marshallは「Reverb Twins」というどこかで聞いたことがあるような名前で呼んでいた。
というのは…このモデルは真ん中のマスター・ボリュームを境にして、左右対称に2つのアンプが搭載されているような格好になっているのだ(向かって左のチャンネルにだけリバーブ、ブースト・スイッチ、ブライト・スイッチが付いている)。
だから「Twins」なのね。Img_80661979年から1982年まで生産されていたので「JCM800」シリーズにもラインナップされた。
下は竹谷さん所有の2x12"の「JCM800 4140」。Img_0875「ローズ・モーリス(Rose-Morris)」というのはロンドンのデンマーク・ストリートに小売店を構える楽器商社のこと。
1966年にMarshallと契約を取り交わし、向こう15年間、国内外を問わずすべてのMarshall製品がローズ・モーリスを通して販売されることになった。
そして1981年にその契約が終了するのを見計らってスタートさせたのが「JCM800シリーズ」だ。
それまでの間、Marhallは自分の会社の製品に自由に名前をつけることすらできなかった。
今はキャビネットにヘッドを積んだスタイルのことを「スタック」と呼んでいるが、ローズ・モーリスが関わっていた頃はその言葉を使わず「セット・アップ」と呼ばれていた。
ジムは私に何度か「"Stack"という言葉を最初にアンプに使ったのは私なんだよ」と教えてくれたが、もしかしたら悔しい思いをしたこともあったのかも知れない。
反対に言うと「1959」、「1960」、「2203」といった「ロック楽器の歴史」に永久に残るであろう有名な商品名をつけたのがローズ・モーリスであったことも否定できない。
これらの数字がナニを意味しているのかは以前Marshall Blogに書いた。
この4文字の数字の意味を発見した時はかなりうれしかった。
もし自分の考えが間違っているとなると「ぬか喜び」になってしまうので、上に出て来たマーシャル研究家のマイク・ドイルにわざわざメールを打って確認までした。
大丈夫だった。Img_4936 コレは目立つわ~。
PA用のホーン付き2x15"スピーカー・キャビネット「2029」。290v_2以前、イアン・ギランがココにやってきてこのキャビネットを目にした瞬間「あ、オレの!」と言ったとか言わないとか…。
ご存知の通り1970年代のはじめ、ディープ・パープルはMarshallのデモンストレーション・バンドを務めていて、アンプの類はPA機材も含めてすべてMarshallの製品を使っていた。
そしてある日、イアン・ギランのボーカル・アンプが盗まれてしまった。
その盗まれたキャビネットが長い長い年月を経て流れて来たのがコレ…とイアンは思ってしまったというワケ。
ディープ・パープルの1973年のニューヨークのライブで演奏している「Strange Kind of Woman」のビデオにこのキャビネットが写っているのを偶然発見した。
だからイアン・ギランの話もまんざらウソじゃないかもよ。
300vしかしコレは重そうだナァ。
この「2053」は下の写真のように8チャンネル・ミキサーの「2030」とスレイヴ(パワーアンプ)の「2031」と組み合わせて使うようになっていたようだ。2030残念ながらミキサーはミュージアムで保有していないが、スレイヴ・アンプの「2031」が展示されている。
コレ、裏面ではなくてこののっぺらぼうの面がフロントなの。
最初見た時、一体コレはナンじゃろな?と思ったわ。
上の写真を見ると、元々は左上にMrshallのロゴが付いていたことがわかる。Img_0018リアパネルのようす。
出力は100Wだった。Img_0017スピーカーのアウトプットが2ついていて、1台でペアのキャビネットを鳴らすシステムだった。
このシステム、商品としてはとても優れていたが、少ししか売れなかったようで完全な状態で残っているモノがかなり少なく、コレクター垂涎の的なのだそうだ。Img_0015<つづく>
 

200

2026年1月30日 (金)

マーシャル・ブログ博物館  第2回:工場ミュージアム<その2>

 
英Marshallの工場のミュージアムからお送りしている『マーシャル・ブログ博物館』の第2回目。
飾られているアイテムを時に詳しく、時に雑に見て行く。
前回案内した通り、工場のミュージアムはエントランス突き当りの2階に位置している。
ただ古今のMarshallを並べているだけで、特に解説のようなものは付けられていない。
下はほぼ現在のようす。
いつも代り映えがしないが、注意深く観ていると少しずつ変化が確認できる。
さて、コレらをお見せしようかと思って少々悩んだが、単純に写真の右側からズラ~っと見て行くことにした。
ずいぶん前に撮った写真も多数混在しているので、現在の様子とは異なる部分も少なくないことを予め申し上げておく。
でも、展示しているアイテムが増えることはあってもなくなっているということはないと思う。
10まず、上の写真には写っていない右の壁側。
ショウ・ウインドウが設置してあって中にズラリとギターが並んでいる。
昔はもう少しスカスカだったんだけど、最近は何やらアイテムが増えて賑やかになっているようだ。
20まずはショウ・ウインドウの中のアイテムから。
一番左の「50th Anniversary」のロゴがデカデカと入ったエクスプローラー。Thumbnail_img_0269コレはモーターヘッドのフィル・キャンベルが「50周年記念コンサート」の時に使っていたギター。
このオジさんもエラく気さくな人だった。
タバコのニオイがかなりスゴかったのをよく覚えている。
30コレはスラッシュから贈呈されたギブソン・レス・ポール。40v「FOR MARSHALL AMPLIFICATION
The Fucking Best Rock & Roll Product EVER ConSTRUCTED!」と大文字と小文字が入り乱れたメッセージがサインに添えられている。50Marshall初のシグネチャー・モデルだった「JCM800 2555SL」なんて懐かしいね。
日本にどれぐらい入って来たのかわからないが、当時はかなりの台数だったハズだ。
それらは今どこにあるんだろう?
このモデルに限らずMarshallをお買い上げ頂いて、ギター演奏を楽しんで、お歳を召してギターを弾くこともなくなり、もうMarshallも無用になってしまう…さてどうする?
少なくとも街中にMarshallが捨てられているのを見たことは一度もないし、皆さん押し入れで大切に保管されているのであろうか?
不思議なんだよネェ。
私が大学の時は「JMP1959」のハーフスタックを持っていたけど、それは友人に売った。
その先は知らない。
60「スパイナル・タップ」仕様のギター。
Bキャビがハズれちゃってるナァ。70vこれなら完璧。
『This is Spinal Tap』もまさかの続編が公開されてビックリしたわ。
しかもロブ・ライナーの遺作となってしまった。75vMarshallはこの機に記念の「JVM410H」を20台限定で生産した。16_9_spinal_tapリア・パネルにあしらったスパイナル・タップのロゴ。St_rearフロント・パネルの目盛りの最大値は「ラウドであることは良きこと哉」のコンセプトのもと、マスター・ボリュームは「∞」、その他のコントロールは「11」になっている。
ハハハ!好きだね~!
Marshall_spinal_tap_4_3ところでMarshallは映画『This is Spinal Tap』の公開25周年を記念して2009年にも2つのアニバーサリー・モデルを製作している。
2つのモデルのウチのひとつは「JMP1959」。
1970年代の1959ね。
すでに書いたように私なんかはこの1959で育った世代よ。
Img_0001 ノブも目盛りは「11」まで。90リア・パネルに入れられた「Spinal Tap」のロゴ。
シリアル・ナンバーが「NIGEL TUFNEL」になっているところがニクイね。
「Spinal Tap」についてはこれまでMarshall Blogでさんざん取り扱ってきたのでココでは詳しいことはやりません。
120こっちはそれこそナイジェル・タフネル(=バロン・クリストファー・ゲスト)が当時の広告に登場していた「JCM900 4100」。100こっちは目盛りの最大値が「∞」になっている。
コリャ、やかましいぞ~!110コチラもリア・パネルに「Spinal Tap」のロゴを入れた。
これらの2つのモデルは非売品で、マーケットに出ることはなかった。
とにかくMarshallとスパイナル・タップとの長く深い関係を示す2台だ。
130 これは以前にも何度かお見せしたことがあるが、私個人のマーシャル・ミュージアムからの出品。
スパイナル・タップ仕様の「MS-2」。140vフロント・パネルのロゴと「11」までついた目盛りが自慢。
150今でこそ「続編出来!」なんて騒いでいるけど、このロブ・ライナーの1984年の映画館向けの処女作は当時日本では未公開だったんだよ。
その頃の日本人には「この映画を楽しむだけのロックに関する素養がない」と映画配給会社が判断したのであろう。
未公開ゆえ私も知らなかった。
それがある時…多分1990年代のはじめ頃…NHKの衛星放送で放映され、本当にタマタマ観た。
するとあまりの面白さに「ナンじゃコリャ~!」となった。
2000年代に入っても多分ほとんどの日本人にはなじみがない映画だったんじゃないかしらん?
私はどうしてもまた観たくて2002年に初めてロンドンに行った時、真っ先にオックスフォード・ストリートのHMVへDVDを買いに行き、また別の機会にはロンドンの中心部に何件か店舗を構えていた「Book Warehouse」というゾッキ本屋で写真の右にあるスパイナル・タップの本を買った。
コレらもミュージアム入りさせていいでしょう?0r4a0017_3 他にもザック・ワイルド他のギターが飾ってあって、その前には小さ目のMarshallがゴロゴロ。160上の写真でショウ・ウインドウの中に納まっているMarshallはコレ。
1962~1963年頃に製造していた「JTM45」の2代目。
通称「White Front」。
いいネェ~、実にいいルックスだ。
170傍らにはこのアンプの出自に関する情報が添えられている。
このアンプの持ち主はケン・ブラン。
ケンがこのミュージアムに展示するなら…と息子さんのマシュー・ブランが2014年7月8日に持参してくれたもの。180下はケン・ブランと私。
Marshallはジム・マーシャルだけでなく、エンジニアのケン・ブランとダドリー・クレイヴンの3人で操業を開始した。
ダドリーはもうかなり前にお亡くなりになったが、ケンはMarshallからご勇退された後も長らくご存命で、私は一度でいいからお会いしたいと思っていた。
その念願が叶った瞬間が下の写真。
2012年5月、「ジム・マーシャルの生涯を祝う会」…すなわちジムとのお別れ会の時に撮った1枚。
うれしかったネェ。
自己紹介をすると「そうですか、そうですか」と紳士的に応えてくださって、好々爺の手本みたいな方だった。
そのケンも2018年3月25日にお亡くなりになってしまった。
ちなみにこの写真を撮ってくれたのはアメリカの「Colby Amplification」の創設者ミッチ・コルビー氏。
ミッチには大変にお世話になったことがあって、「JTM45」のレプリカを取り扱う時にお話したいと思う。190これはまた違う日のショウ・ウインドウのようす…2012年。
考えてみると、この展示って一体誰が担当しているんだろう?
そして、どうやって展示するアイテムをキメているんだろう。
今の今まで一度も考えたことがなかったけど…不思議だ。200この時に飾ってあったレス・ポール・モデル。
210vコレはポーランドの人だろうナァ。
ギターに付された解説には「Manek Krayczkowsk」という人を通じて2006年5月16日に寄贈された…とある。
ポーランドの人名は「c」と「w」と「z」だらけでまず読めませんな。
どうもコレは「マネク・クライチコフスク」ぐらいに読むようだ。
会社の名前かも知れない。
このギター、オーナーがノエル・レディングだった。220ボディとピックガードには数々のサインが施されている。
その主は…ジムにはじまって、バディ・ウィッティントン(ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ)、ポール・ヤング、スザンヌ・ヴェガ、ミック・ラルフス、レズリー・ウエスト、他知らない人2名。Img_0113その前に置いてあるのはJMP時代の「1987X」。
コレはナニが珍しいのか?…一度事務所の古株の友人に実際に訪ねたことがあった。230その時の答えでは…シャシに「1987SEMKO」というステッカーが貼ってあるでしょ?
この「SEMKO」というのは「SVENSKA ELEKTRISKA MATERIELKONTROLL ANSTALTEN」の頭字語で、「スウェーデン電気製品安全協会」みたいな意味。
スウェーデンで流通される電気製品はすべてこの機関の精査を受けて合格していなければならない。
当然日本にもそうした規格の協会があるが、何でもこのスウェーデンの検査がベラボーに厳しいらしい。
で、安心してください、MarshallはチャンとSEMKOの検査をパスしていますよ…それほど品質は確かですよ!…ということをアッピールするために置いてあるのではないか?、という話しだった。
かつてMarshallの法務室の人からは、そうした検査が最も厳しいのはアルゼンチンだという話しを聞いたことがある。240これは「POWER BUILDER(パワー・ビルダー)」という1967年に販売されていた商品。
モデル・ナンバーはない、もしくは不明。
パワー・アンプを内蔵したセレッション搭載の「Slave(スレイヴ)」と呼んだ2x12"のスピーカー・キャビネットと組み合わせて使った。Img_0046コントロールはノブの先のゴールド・キャップが取れている右端の「BASS/TREBLE」のみ。
他に電圧の切り替えとON/OFFスイッチ、ヒューズボックスが2つ。
そして、この機種最大の特徴である2つの端子が左端についている。
向かって左が「POWER INLET」、その内側が「POWER OUTLET」…つまりオスメスの出入力端子だ。
これをどういう風に使ったのかというと…
Img_0043下は「Marshallがまた1番!」のキャッチコピーが目を惹く1967年当時のローズ・モーリスの広告。
ナゼまた1番になのかというと、「新しいアンプの革命的なコンセプト」をパワー・ビルダーで確立したから…だって。
50W出力のパワー・ビルダーを1セット持っていれば、上のオスメスの入出力端子を使ってリンクし、最大10セットまでつなげることにとって500Wのアンプになりますよ!…というワケ。
「オモチャのブロックを積むみたいに簡単です!」だそうです。
要するに昔ジミ・ヘンドリックスが「1959」でやっていたようなことですな。0r4a0026_3 実際には下の写真のようにして使ったらしい。
Marshallは自信マンマンで発売した年の「British Trade Show」という展示会に出品したのだが期待に反してウケが悪かった。
理由は値段。
このセット商品はとても高価で、同じ50Wの「1987」の2.3倍の値段がつけられていた。
オマケに200Wの「MAJOR」シリーズともそう値段差がなかったのでコスパの悪さが目立ってしまったというワケ。
そして1967年にたった50台を生産したのみで廃番になったのだそうだ。
写真のアイテムは最後に作られた個体らしい。
結果、ゼンゼン1番ではなかったが、今となってみるとレア度は結構1番かも知れない。
「高野長英」の顔じゃないけど、実際にコレをこうやって使っているのを見たことがある人はもはや世界で1人もいないのではなかろうか?
0r4a0027…とココまで書くためにインターネットやら手持ちのMarshallに関する書籍でパワー・ビルダーのことを調べてみたのだが、どこを見ても「パワー・ビルダーはプリアンプ」という説明になっている。
で、今一度Marshallのコレクションを見てみると…コレ、シャシに乗っている真空管は「EL34」じゃんね?
オマケにプリアンプにしては妙にトランスもデカイ。
コレはプリアンプではなくて、スレイヴのアンプ部分なんだね。
下のシャシが後ろを向いてスピーカー・キャビネットに搭載されていた。
そうすれば上の写真の上段で2台のキャビをつないでいるケーブルにも納得がいく。
違っていたら正直に謝ります。
260ショウ・ウインドウの前に飾られているMarshallをいくつか見てみよう。
一部のモデルは後々細かく取り扱うつもりなので、ココではスキップすることをご承知あれ。
まずは… 
1969年から1971年まで製造していた5Wのバルブ・コンボ「Capri」。
Capriにはこの写真のストレート・タイプと他にアングルド・タイプがあって、スピーカーも2x8"と1x12"の2つのバージョンがあった。280「2060」というモデル・ナンバーが付された5W、1x12"トレモロ搭載コンボの「Mercury」は1972年から1975年までの製造。
コレを見るたびに思うのだが、この書道家が⁀揮毫したような「Marshall」のサインはカリグラフィが得意な工員がひとつずつ手で書いたのであろうか?…そんなことあるワケないな。
コレ、そのウチに赤やオレンジのバージョンも出て来るけど、ゴールド・ビーディング(上面に入っている金色のモール)やLCフレット(大きいチェックのフレット・クロス)が使われていてナニげにカッコいいんだよね。
29030W、2x12"、トランジスタ・コンボの「LEAD 30Watt」。
モデルナンバーは「2201」で1975年から1977年に生産していた。
「2202」というベース用もあったが、それは1977年に製造していたのみだ。
300v下は工場に送られて来た修理品を保管しておくスペースのようす。
ココで白い「2201」を発見したことがあった。
日本でも見かけたことはあるが、さすが本国、こんなモデルが普通に修理に持ち込まれることに感心し、「珍しい~」と思って下の写真を撮ったワケだが、日本でインターネットを見てみると、オークションのサイトにチョコチョコと出されているんですな。3101979年頃に製造していた「Park」の20W、1x12"コンボ。
型番が「1231」という情報が出回っているが、私が使っているMarshallの記録にはその型番は存在しない。
正面と上部に何のコントロールもついていないツルっとしたルックスがうれしい。
320コントロールはすべて「VINTAGE L.E. 20W Tube Amp」と表示されているリア・パネルに集中させている。
「Valve」ではなく「Tube」という言葉を使っているところがやや気になるが、その名の通り「ECC83」と「EL84」を2本ずつ搭載している。
2インプット、ボリューム、トレブル、ベースだけの極シンプルな構成。330しかし誰がコレの中身を入れ替えているんだろう…不思議だ。340<つづく>

200

2026年1月 9日 (金)

マーシャル・ブログ博物館  第1回:工場ミュージアム<その1>

  
昨年の10月にMarshall Blogは2,500回目の更新を果たし、それを記念して日頃よりご協力を頂いている皆さまからお祝いのメッセージを頂戴した。
そのメッセージを紹介する記事の最後の回に「2,500回更新を記念して『マーシャル・ブログ博物館』をヴァーチャル開館する」ことを宣言。
ある程度の段階まで下ごしらえをした上でこのことを発表してはみたものの、アレやコレやでなかなか手をつけることができないでいた。
しかし年を新たにしたことで意を決し、とにかく始めてみることにした。
今日はその第1回目。07ご覧頂いている写真はかつて山口県柳井市にあった「Marshall Music Japan」のようす。
以前、開館の時のもようをMarshall Blogで具にレポートしたので覚えていらっしゃる方も多かろう。
また、実際にお出かけくださった方もいらっしゃることと思う。08コレらMarshall Museum Japanで展示していたアイテムをこのMarshall Blogでヴァーチャル展示しようという「またやんのかよ!」的な企画。092012年末に上梓された拙著『Marshall Chronicle(シンコーミュージック刊)』で同ミュージアムに展示していたかなりの数のアイテムを紹介しているが、紙幅の関係で掲載できる写真の数が限られ、またどうしても多くはモノクロ写真を使わざるを得なかった。
そこで今回はブログという形態の利点を活用し、世に出ていない写真を存分に使って立体的にお送りしたいと思っているワケ。
何しろミュージアムのオープンに先立つこと2ケ月、泊まり込みで5日間にわたって徹底的に撮り溜めた写真だからしてそのボリュームだけには自信があるのだ。
Mcさらに時間をさかのぼれば、2008年から2011年末まで916本の記事を公開した昔のMarshall Blogにおいても『T氏のコレクション』と題して24回にわたり数々のMarshallのレア・アイテムを紹介したことがあった。
「T氏」とは当該のMarshallのコレクションを保有されている山口県熊毛郡在住の「竹谷和彦」氏のこと。
竹谷さんは先日テレビ東京の人気長寿番組『開運!何でも鑑定団』にご出演されてジェフ・ベックがかつて所有していたギターの鑑定をご依頼された。
ご覧になられた方もたくさんいらっしゃることと思う。Img_2168_2コレがその鑑定に供されたギター。Img_2012_4テレビでは触れなかったが、上のギターの写真を撮影した時、竹谷さんはシカゴで発行されている文化やエンターテインメントを専門に取り扱う「Chicago READER」という新聞のスクラップを私に見せてくれた。
そこには当該のギターを提げたジェフ・ベックの写真が掲載されていていた。
証拠写真である。Img_0326さて、ナゼまたぞろ「博物館」などという企画を持ち出したのかと言うと、竹谷さんのご了承を得た上でその集大成を飾りたいと思い立った次第。
Marshall Blogは内容の良し悪しや濃淡の差はあるにせよ、一応2,500回以上の記事を制作/掲載してきた歴史と実績があるので、この国にある(あるいは「あった」)再び入手することが困難と思われる古今の珍しいMarshallを記録しておくにふさわしい場所であり、またその作業に取り組む価値があるだろうと考えたのだ。  
要するにMarshall Blogにキチンと全貌を残しておきたいというワケ。 
上に記したようにMarshall Blogでは似たような企画を何度もやって来たので、過去の記述と重複する箇所が少なからず出て来ることでしょう。
その上、もしかしたら過去の内容との間に齟齬があるかも知れないがその点は平にご容赦頂きたい。
一応、最新の情報でウンチクを傾けたいとは思っている。9_museumさて、人さまのコレクションを紹介する前に、まずは自分のところで蓄えているアイテムを紹介していくことにしよう。
「自分」と言ってももちろん「私」のことではない。10おなじみイギリスはバッキンガムシャーのミルトン・キーンズにあるMarshallの工場内のミュージアムに展示されているアイテムだ。30もうMarshall Blogでは何度も紹介してきたが、エントランス・ホール正面2階のスペースがそのミュージアムになっている。
私は四半世紀近くにわたってココのレイアウトの変遷を目にして来た。
最近はスッカリご無沙汰してしまっているが、現在はこういう感じになっているそうだ。
工場にいる仲良しのジョールに頼んで写真を撮って送ってもらった。40正面突き当りの階段の踊り場に据え付けられているのはサンドイッチ・タイプの「JTM45」と8x12"スピーカー・キャビネット。
そして「STUDIOシリーズ」の最新作「STUDIO900」のヘッドと1x12"コンボ。50vその傍らにある牛がJVMのフル・スタックから頭を突き出しているオブジェはMarshallの工場がある「ミルトン・キーンズ」という町の創立50年を記念して2017年に制作された。
★ミルトン・キーンズについての詳しい情報はコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.27~Marshallが「Milton Keynes Business Achievement Award 2017」を受賞!  

ミルトン・キーンズには1978年にアメリカ人の彫刻家がコンクリートで作った牛の像があることが知られており、それがこの「マーシャル牛」の由来。
Marshallに牛…とても他人ごととは思えない。
★マーシャル牛についての詳しい情報はコチラ⇒マーシャル牛~Marshall Concerete Cow

その前に並んでいるのは2020年のNAMMショウで展示した「アートORIGIN」。60v階段の向かって左側には2025年のNAMMショウで「BEST in SHOW」を獲得した「MODIFIEDシリーズ」を展示。
無造作に床にドカンと置いてしまうところがスゴい。
70vレセプションのデスクにはSTUDIOシリーズのスタックがズラリ。80vMarshallらしい黒い電話ボックス。
85vコレは大分前から設置されている。
イギリスでも公衆電話の数がガンガン減っていて、携帯電話が普及する前の1990年代前半には全国で10万台あったが、現在では2万台に減少したそうだ。
Img_0712_2イギリスの電話ボックスといえば赤。
郵便ポスト同様、遠くからでも見つけやすいという理由で赤くしたそうだが、現存する2万台の電話ボックスのうち3千台がこの赤いタイプだそうだ。
下の写真は20年近く前にコヴェント・ガーデン辺りで撮ったように記憶しているが、もうこんな光景はこの世から消滅してしまったのかも知れない。Img_7635こんなモノが置かれていたこともあった。265vでも、JVM410Hの色が2種類あったとは気が付かなかったわ。Img_0715コチラは今からさかのぼること10年とチョット前、Marshallが創立50周年を迎えた2012年頃のエントランスのようす。10050周年を記念して制作した…101「JCM800 2203」のフル・スタックと…110v「1959」のハーフ・スタックを展示していた。120v真ん中はMarshall創立40周年記念の時にドイツのディストリビューターから贈呈された記念の品。
ドイツ各地にある楽器店の寄せ書き。
こんなにたくさんのサインを1枚のプレートにどうやって書き込んだのかは訊き損じてしまったが、間違いなく大変な仕事だったと思う。
ドイツも広いからネェ。
2002年の40周年の記念式典には私も参席したが、この頃はまだジムもピンピンしていて、この記念品をとてもよろこんでいた。
日本からは私のアイデアで浅草の職人が作った「1959」のハーフスタックを描いた和凧のミニチュアをお贈りした。
その時から数年後にジムの家にお邪魔した際、その凧がチャンと飾られていたのを発見してとてもうれしかった。
125コレは2002年、Marshallの創立40周年の式典の時に撮った1枚。
写真を撮る時には欠かせなかったペンダントとバッジをつけたジム。
こんなに元気だった。
いつかこのペンダントとバッジについて質問をしたことがあった。
コレは「ウォーター・ラッツ(Water Rats)」という芸能人で構成する福祉団体の会員証で、「初代の会長はボブ・ホープだったんじゃよ」とジムはうれしそうに説明してくれた。
ちなみブライアン・メイやリック・ウェイクマンもウォーター・ラッツの会員だ。
ジムと写っているのは「デイヴ・コーウェル(Dave Colwell)」。
ニックネームは「Bucket」…つまり「バケツ」。
バッド・カンパニーのツアーに参加したこともあるギタリストだ。
ミルトン・キーンズのショッピング・センターにあった楽器店を覗きに行った時、バケットがそこで店員をしていて驚いた。
一方のバケットも突然私が現れたので「What brings you here!?」とお互いに飛び上がってビックリしたことがあった。
右端で緑のジャケットを着てネクタイをしめて写っているのが私。
私はMarshallと同じ年の生まれだからまだ40歳だった…それに一番ビックリ!12_40anniversary昨年の10月、イギリス王室ではエリザベス女王の次男坊、つまり今のチャールズ王の弟である「アンドリュー王子」が児童買春の廉で「王子(Prince)」をはじめとする王室の称号や勲位を返上するという大スキャンダルがあった。
ロイヤル・ファミリーから「勘当」されたみたいなもので、今では「王子」ではなくただの「アンドリュー・マウントバッテン=ウインザー」になった。
マウントバッテン…いかにも高貴な名前だ。長崎の皆さんはさぞかし親しみを覚えることだろう。
まぁ、イギリス王室の話しはオモシロイよ。
イギリスの人たちはロイヤル・ファミリーが大好きで、彼等に王室の話題を振るとよろこんで何でも説明してくれる。
数日前に知ったのはチャールズ王の奥さん、つまり「カミラ・パーカー・ボウルズ」を「女王(Queen)と呼ぶのは止めよう!」運動みたいなことを今やっているらしい。
エリザベス女王のダンナの「フィリップ」は「王(King)」とは呼ばれず「Queen Consort(王配=女王の配偶者)」と呼ばれていたじゃないか!…というワケ。
いまだにみんな「ダイアナ」が大好きな一方、「カミラ」と「メーガン」が大ッキライなんだって。
要するに英王室の安寧を乱す人たちということなんでしょう。
つまり「英王室」こそが彼にとっての「国」なんだと思う。
話は反れたが、下は2012年12月6日にチャールズ王の妹さん、すなわちエリザベス女王の長女の「アン王女」が工場を訪れた後のエントランスのようす。
130アン王女の来訪を記念して作られた「JVM410H」と「1960A」。
アン王女は「Anne, Princess Royal」という称号で、敬称を「Her Royal Highness」という。
キャビネットの中央に入っている「HRH」はその頭文字。
もちろんチャールズ王の敬称は「His Majesty」。140工場来訪の翌日にHRHから送られて来た「バッキンガム宮殿」のロゴがレターヘッドに使われている感謝状がこのスタックの横に飾られていた。150v20年前に撮ったレセプションのデスクの写真。160ココはほとんど変わらない。170vその対面、ロビーの右側の壁のガラス窓の向こうの部屋はかつてジムの執務室だった。
日本に帰る時、挨拶をするためにこの部屋に入ると、ジムはよくどデカイ帳簿を広げてジッ~と眺めていた。
そして私がお礼の言葉を添えて「I'm leaving」と言うと、帳簿を両手から離していつもニコっと送り出してくれた。180vそのガラス窓の下に飾られている賞状や感謝状の数々。190エントランス正面の向かって左に設置されているショウ・ケースにはアクセサリーの類が展示されていた。
210vコレはその反対側のショウ・ケース。
こっちの方が断然オモシロい。200 例えばコレ。
ジムが好んで薫(かお)らせていたキューバ産の葉巻「Montecristo(モンテクリスト)」。
長さ129mm、太さ16.67mmの「ペティ・コロナ」と呼ばれるサイズ。
私は当時のスペインのディストリビューターの女性社長と仲良しで、彼女がこのモンテクリストをジムに送っているという話しを本人から聞いたことがある。
スゴいニオイでね…イヤ、「いい薫り」って言うのかな?
220毎年開催されているフランクフルトの展示会に行くと、控室のテーブルには下の写真にあるような四角くて薄い缶のフタとマッチが常備されていた。
ジムは火のついた葉巻の先端を缶のフタにこすりつけて灰を落としながら、いつもユッタリと紫煙をくゆらせていた。
葉巻は通常の紙巻きタバコとは異なり、吸っていないとすぐに火が消えてしまう。
ジムも何度も火をつけ直していたが、その時使うのは必ずマッチ。
絶対にライターを使わないのである時その理由をジムに尋ねてみた。
するとジムは「ライターを使うと薫りが悪くなってしまうんじゃよ…フォッフォッフォッ」と教えてくれた。
ホントなのかしらん?そんなこと絶対にないと思うんですけど。
ま、私はちょうど20年前にピタリと止めたのでもう興味はありませんが…。
Lidロサンゼルスの「ギター・センター」が「グローマンズ・チャイニーズ・シアター」か「浅草公会堂」を模して店の入り口に設置している有名ミュージシャンや楽器関係者の手形が「ROCK WALK」。
それにジムが参加した時の記念の盾。230vコレがギター・センターの入り口にある実際のジムの手形のプレート。
1985年の11月の設置だというからもう40年も経っているのか…。
いつものサインをしようとしているが相手が粘土なのでうまくいかなかった様子が窺える。2402003年に受勲した「OBE(Order of the British Empire=大英帝国勲章)」もショウ・ウインドウに飾られている。
ジムは「JCM800」シリーズの世界的ヒットでイギリスの輸出産業に大きく貢献し、1984年に「Queen's Award for Export(英国女王賞)」を受賞。
さらに「Valvestate」シリーズが当たりに当たって1991年に再び同賞を受賞している。
もちろんこの「Queen's Award」は今は「King's Award」になっている。
しかし、とりわけジムがよろこんだのはこの「OBE」だった。
250フタの裏には「Toye, Kenning and Spencer Limited(トイ、ケ二ング&スペンサー社)」とある。
同社は軍服などに付ける金銀のモールや記章、刺繍を製作している王室御用達の業者。
創業はナント1685年!
日本では「犬公方」で知られる五代将軍「徳川綱吉」が悪政を敷いていた時代だからスゴイ老舗だよ。
ジムがOBEを受勲した事由は、もちろん「Marshall」というひとつのイギリスのブランドを確立して英経済界の発展に貢献しただけではなく、長年にわたる社会福祉に対する経済的支援の功績が認められたからで、私はむしろ後者の理由の方が主だったのではないかと考えている。
決して裕福とは言えない労働者階級の家に生まれた病弱な男の子だったジムは、このOBEの受勲に欣喜雀躍したに違いない。
260私がそれを実感したのはジムのサインだった。
下は2002年にもらったサイン。0r4a0078コレは2003年にOBEを受勲した後のサイン。
チャチャっといつもの鮮やかな筆運びで名前を記した後、「OBE」と付け加えるジムがとてもうれしそうに見えたのだ。
名前の前についているのは「Dr.」。
ジムは同じ頃、ニューヨーク州にある「ファイブ・タウンズ・カレッジ」という大学から「音楽博士」の称号を授与されていた。
こちらには私の名字が入っていないでしょう?
子の頃にはスッカリ気安くなって私のことを親しく「シゲ、シゲ」と呼んでくれるようになっていたから。
私は平生の文章では「ジム」と呼んでいるが、礼儀をわきまえて面と向かってはそんな呼び方を決してしなかった。
だって軍隊で言えば元帥と二等兵みたいなモノですからネェ。
直接本人に接する時はキチンと「Mister Marshall」と呼びかけるようにしていた。
もうね、ジムのサインには色んな思い出があるんですわ。
0r4a0085工場の近くにある第二次世界大戦中にドイツ軍の暗号を解読するチームの本拠地となった国立公園「ブレッチリー・パーク」から支援に対する感謝の意を込めて「Dr. Jim Marshall OBE」宛に発行された入園許可証。
いいナァ、コレ。
いつか【イギリス-ロック名所めぐり】でブレッチリー・パークを紹介したけど、ココはオモシロイからね~。
ただ入場料がスゴイ。
私が行った6年前で4,000円ぐらいだった。
今ではそれが円安もあって大人1人6,000円だって!
このジム宛の入場許可証があればありがたいぞ~。

ブレッチリー・パークについては気合を入れて書いた【イギリス-ロック名所めぐり】の連作記事があるので未読の方にはゼヒご覧頂きたい。
vol. 45 ~ ブレッチリー・パーク <その1>
vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>
vol. 47 ~ 国立コンピューティング博物館<その1>
vol. 48 ~ 国立コンピューティング博物館<その2:真空管まつり>

Img_0714かつてMarshallがスポンサーを務めていた地元のフットボール・チーム「MK DONS」のユニフォーム。
…と、ここまではエントランスに展示されてきたアイテムを紹介した。
270vさて、ココからはMarshall本社のミュージアムのご紹介。
エントランス正面の階段を上がったところにズラリとMarshallを展示している。280下はやはり2006年に撮った写真。
コレは今となっては結構珍しい写真なんじゃないかな?29020年前のこの頃は階段を上がったところにガラス張りのスペースがあったのだ。
今の工場の従業員でこの光景を目にしたことがある人はかなり少なくなったのではなかろうか?
300出入り口には常時カギがかけられていて、自由に中に入ることができなかった。
310ある時頼んで中を見せてもらった。
コレらがその時に撮った写真。320中央のドラム・キットはアイアン・メイデンのニコ・マクブレインのモノ。330「PARK」だの「NARB」だのレアなアイテムも多数。
350右手前の「Jaguar(ジャギュア)」とコラボして2003年に作った40周年記念の「1962JAG」なんてのは今やとても懐かしい。340赤い線に囲われているのはシリアル・ナンバーに「#1」が付されたMarshall最初の商品「JTM45」。
かつてはこうして何でもなくポッコンと展示してあったが…Amp1現在はガラス張りのショウ・ケースに収められて特別扱いされている。
下はジムが最初に楽器店を開いたロンドンの西の「アクスブリッジ」にあるプラークの複製品。
Img_0532コレが現在のMarshallの工場のミュージアムのようす。
いつ頃ガラスが取り払われたのかは覚えていないナァ。
90以前に比べて展示アイテムの数が劇的に増えた。360Marshallが生産して世に出した商品をなるべく自分の手元で保存しておこうということで、意図的に収集するようにし出した…という話を聞いたことがある。370自社製のアンプだけではなく…
380寄贈されたサオものも展示している。
400v日本で見慣れたモデルもゴロゴロしているが…
390そこはさすがホームのミュージアム。
日本には入ってこなかったのであろう写真でしか見たこともないようなモデルも散見される。420vコレは以前にはなかった展示アイテム。
ナント、ジムがドラマー時代に実際に使用していたドラム・キット。
このキットを保管していた人が出て来て、その方から譲り受けたのだそうだ。430vコレは2005年のフランクフルトでのパーティの時のドラマー、ジム・マーシャル。Rimg0086元気な頃は興に乗るとこうしてドラムスを叩いたものだった。
ジムのドラム・ヒーローは「ジーン・クルーパ」とおっしゃっていたっけ。
この後、さらにノッて来るとスティックをマイクに持ち替え、よくガーシュインの「S'wonderful」やディーン・マーチンの「Everybody Loves Somebody」を歌っていた。
3rimg0087 展示されているバス・ドラムの上に乗っている写真。
センターを務めるジム。
コレは一体どういう機会だったんだろうネェ。
Jim_drumこんな感じでまずはMarshallの工場のミュージアムに展示されているレアなアイテムをみつくろってひとつずつ紹介していきたいと思う。
好きな人にはタマらない、好きではない人にはタマったもんじゃない企画の始まり、始まり~!440<つづく>
 

200_2

2016年5月 2日 (月)

ゴールデン・ウィークをノンビリすごす

Marshall Blog読者の皆さん、ゴールデンウィークをいかがお過ごしですか~?

早くももうすぐ一周忌を迎えるウチの父は、人が多いところに行くことを極端にイヤがった。
私が子供の頃、後楽園球場に野球を観に連れて行ってくれても電車が混むので8回の表ぐらいで帰ってしまうし、映画に行ってもエンドロールを最後まで観るなんてことは万にひとつもなかった。
職人だったので朝が早いせいもあったが、昼食は決まって11時チョット過ぎ。腹が減るからではない。何としてでも食べ物屋が混む前に済ませてしまいたいのだ。
最大の例外は、1970年当時、いたいけな小学校2年のセガレにせがまれて万博に行ったことだ。
今にして考えるとなかなかにタフな旅程だった。
だって日帰りだもん。
「東京-新大阪」に4時間ぐらいを要していた時代だ。
一泊したくても宿など到底取れなかったのだろう。親戚縁者もいないので日帰りするしか選択肢がなかったのだ。
ちなみに当時ウチの家内のオジが大阪に住んでいて、万博が開催されている間、数えきれない人が家に訪ねてきて泊まらせたそうだ。
何しろ「友達の友達の友達」ぐらいの見たこともない連中が知り合いを装ってゾロゾロと訪ねて来るのだからタマったものではなかったそうだ。
土日はなおさら混むので、平日に学校を休んで行くことになった。
母が先生に「万博に行くので休ませて欲しい」と正直に申し出たのだが、担任の先生は「こんなチャンスは滅多にないので、是非連れて行ってよく見せてあげてください」と快く欠席を認めてくれたという。
今から46年前の話し。
ウッドストックの翌年。
ビートルズが解散して『Let It Be』をリリースした年。Jimi Hendrixの『Band of Gypsies』、Deep Purpleが『In Rock』、Eric Claptonたちが『Layla and Other Assorted Love Songs』、Pink Floydが『Atom Heart Mother』、The Whoが『Live at Leeds』、Soft Machineが『3rd』をリリースした。
ハードロックもプログレッシブ・ロックも油に乗っていた頃だ。
Marshallもさぞかし忙しかったに違いない。
さらに、「〇〇やXXが来日して万博なんか行っている場合じゃない」…と書こうと思い、1970年に来日したビッグ・ネームを調べたのだが、驚いたことにロック系で誰も来ていない。せいぜいDonovanぐらいだった。
恐らく人気のバンドは欧米を回るのに忙しく、極東の島国まで来ているヒマなどなかったのだろう。
年が開けると、Led Zeppelin、Pink Floyd、Elton John、Chicago、Grand Funk Railroad等々が大挙して押しかけて来た。日本が良質のロックのマーケットであることを発見したからであろうか?
万博に戻って…私はこの時はじめて新幹線に乗ったが、うれしかったナァ。東京駅で先頭車両の傍らに立ち、「バンザイ・ポーズ」で写真を撮ったのを覚えている。
実際、万博に行くために初めて新幹線に乗った人は多く、「万博のもうひとつのパビリオン」と言われたらしい。
父は何しろ列に並んだりするようなことはしなかったので、アメリカ館だのソビエト館のような人気のパビリオンに入ることはまずあり得ない。「太陽の塔だけは記念に…」といってかなり長時間並んで入館した。入っておいてヨカッタ。
だって他に入ったパビリオンはタンザニア館とかガーナ館(チョコレート・ドリンクがおいしかったのを覚えている)、よくてニュージーランド館ぐらいだからね。全部待ち時間ゼロ。
「パビリオン」なんて言葉もここ数十年聞かなかったな…。
懐かしくてつい前置きが長くなってしまった…。
このイベント、183日間で6,422万人が来場したんだって!スゴくね?
戦後25年、日本もロックも一番いい時代だったのかも知れない。
ついでに、この万博が舞台の一部になる山田洋次の感動の一作を紹介しておく。
倍賞千恵子と井川比佐志主演の『家族』という作品。
九州の貧しい炭鉱夫の一家が北海道に新天地を求め、家族で力を合わせて移動するというロード・ムービー。
劇中では万博でのロケがうまく使われている。


そもそも何で万博の話になったんだっけな…?
あ、わかった。
ゴールデンウィークはどこにも行かない…という話だ。
私は両親が東京と横浜の出身なもんだから、「里帰り」というものをしたことがなかった。新年のあいさつに父の実家に行くにも片道30分。
だから冬休みやゴールデンウィークに「田舎へ行く」というクラスメイトがうらやましかった。
そんな時はどこも人出が多くなるもんだから、私の父が外出なんてするワケがない。
そんな家庭で育ったもんだから、私も人混みが大キライで、ゴールデンウイーク中は仕事の時以外は出かけないで、家にこもってMarshall Blogの仕込みをしている。
それが飽きたらビール飲んでゴロンよ。
ゴールデンウィークはノンビリすごすに限る。

…ということで、ハイ、Marshallビール飲みたい人!
今日はMarshallビールの話題。
Marshallウイスキーを見たことがある人はたくさんいると思うけど、ビールは知らないでしょ?
下の写真がそれ。
Shige Blogでレポートしているように、社長の家にお邪魔した時にごちそうになった。

真ん中のは最近日本でも見かけるIron Maidenビール。
それとMarshallビールとはまったく関係なくてただ置いただけ。
後ろのハコがいいでしょ?まるでLead12でも入っていそうな…。

4_img_1998 ハコの写真…フロント・パネルの方、GAINとVOLUMEのところに「GO CRAZY!」なんていう表示になっている。
もちろんVOLUMEはフル。しかも目盛りは「11」!
ホントに「スパイナル・タップ」好きだナァ。

4_img_19981リアパネルのFX LOOPS(ナゼか複数形になってる)は、SENDが「CRAZY」、RETURNが「LAZY」になってるの。
もちろん韻を踏んでのシャレなんだろうけど、コレを飲んで「クレイジー」に騒いで、アルコールの効果(FX)が出るとしまいにはクタクタになって「レイジー」になっちゃうてことね?それ、オレだわ!

4_img_19983「Marshall」ロゴはビールのラベルになってもカッコいいね!
「ORIGINAL ROCK'N'ROLL BLONDE CRAFT BEER」と銘打ってあるけど、果たしてお味の方はいかに?
コレがですね、ヤタラメッタラ苦い!そして重い!
ビールの種別としてはごく普通のラガーなんだけど、アルコール分が8.9%もありやんの!
アルコール度数に関していえば、日本酒やワインはそのまま飲むんだから、この程度は何でもないハズなんだけど、この苦さでやられるとタマったもんじゃない。
ほとんど「薬飲んでる」状態ですわ。
幸いなことにボトルは330ml入りで小さい。2本は飲めんわ~。
やっとのことで1本空けて、普通のおいしいエールに切り換えた。
おフランス製だそうです。

4_img_19985やっぱりこっちだよね~。
日本ではお目にかかることのない極上ビール。イヤ、ワタシはイギリスのビールが好きなもんでネェ。
もっとこういうヤツが日本でも気軽に安く手に入ればいいんだけど…。
なぜかイギリスのビールはあまり入って来ないね。
浅草の地ビール屋のお兄さんに理由を訊いてみると、輸入種類のメインは何と言ってもワインで、ワインを出荷するついでにビールが輸入されてくるそうで、ワインが特産ではないイギリスからはそのチャンスが極端に少ないのだとか…。
John SmithとかBoddingtonとか、London Prideでもいいや、誰か大量に輸入して安く販売してくれないかナァ。

360あ、ちなみに「ゴールデンウィーク」は日本語なので海外では通じませんからね。
でも、あるアメリカ人は「いい名前だナァ」なんて感心してた。

2015年3月17日 (火)

We Love Loud!

Marshallロゴの入った小さなビニール袋…なんでしょう?

1_img_0002これまたMarshallロゴの入った小さな筒…ライト?流行のUSBメモリー?

1_img_0013ジャーン!耳栓でした!誰が爆音を出しているのかな~?

1_img_0018みなさんもコンサート会場の大音量には十分注意してくださいね!

※この耳栓は非売品です。

2013年12月20日 (金)

雨の日のマーシャル~♪Singing in the Rain with Marshall!

おなじみのMarshallスクリプト・ロゴ。コレな~んだ?

10そう、カサ。あん・あんぶれ~ら。

20雨の多いイギリスにはもってこいのマーシャル・グッズですな~。すんげ~デカイの。日本の標準的な傘よりふた回りぐらいデカイ。
でもね、連中、どんなに強い雨でもカサをささないんだぜ。ビッチョビチョになってるか、雨宿りするか…。

25雨の日もMarshall!ああ、雨の日が楽しみだ!…といいたいところだけど、もったいないからビニール傘にしよう。悲しき貧乏性。

30v今日のマーブロ、たまにこんなんがあってもいいでしょ?!

※このカサはMarshall本社がイギリスのあるイベントのために製作した非売品です。