Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【マー索くん(Marshall Blog の索引)】
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

トピックス Feed

2025年10月17日 (金)

Marshall Blog 2500回更新記念特集 <後編>

 
Marshall Blog『2500回更新記念特集』の「最終回」をお送りします。

<Marshall Blogを振り返って>
初めてご登場頂く方から言われてとてもうれしいこと…「Marshall Blogに出るんですか?ああ、今までズッとMarshallを使って来てヨカッタ!Marshallを信じて来たのは決して間違いではなかった!」
もうコレはMarshallのスタッフとして、そしてマーブロ書きとして気が遠くなるほどうれしいです。
このセリフには3つの喜びが仕組まれています。
それは、①Marshall Blogを知っているということ②単純にマーブロに登場することを喜んでくれていること③Marshallが好きということ。
うれしいのはまさにこっちの方であって「ああ、Marshall Blogを信じてきてヨカッタ!」と思うのです。
そうして新しい友達をマーブロ・ファミリーにお迎えするのはとてもうれしいことなのですが、反対にMarshallを使わなくなったから、あるいは何らかの事情でマーブロにご登場頂かなくなった方も何人かいらっしゃいます。
コレはもう「去る者は追わず」で仕方がない。
昔、一般の読者から「Marshall BlogってMarshallを使っているバンドしか出ないからツマらないんだよね」という仰天すべきご指摘を受けたこともありました。
マーブロは雑誌ではありませんから!
また、Marshallを使っていないのに「オレは絶対にMarshall Blogに出るぞ!」と異様な迫力で決意表明をしてくれた気風の良いギタリストもいらっしゃった…こういう人は好きです。
 
<前編>でMarshall Blogを一番最初に始めたのは2008年のことと書きました。
その頃の記事を見ると驚きますよ。
「ですます調」の文章と写真のマズさには汗顔の至り。
そして、「生き馬の目を抜く」ような業界ですから仕方のないことではありましょうが、もはや影も形もなくなってしまったバンドの多さには愕然としざるを得ません。
それからお悔やみの記事を書くのはいつもツラい。 
大谷令文さんのご逝去にともない大きな追悼特集を組んだことは記憶に新しいところでしょう。
今のマーブロでどれだけの訃報を掲載したのか数えてみました。
国内が19本、海外が14本の計33本。
Marshallの創設者のひとりであるケン・ブランからジェフ・ベックまで、2,500本の記事のウチ1.3%が訃報でした。
偉大な音楽家や音楽関係者を失うことはとても悲しく残念なことですが、たとえ片鱗だけでもそうした方がたの足跡をMarshall Blogに残せたことを誇りに思います。
 
<前編>で家内がメッセージの中に「多い時で年に153回ものライブにお邪魔した」という記述をしていますが、日程が重なり3台のカメラをブラ提げたまま渋谷の街を移動したこともあったし、最高で1日に3ヶ所の現場に取材をしに行ったこともありました。
この頃はまだ大分若かったね。もうできないな…。
そうそう「カメラ」といえば、前回書き忘れてしまったのですが、Marshall Blogに掲載している写真は転用防止を目的に極端にデータを軽くしています。
コレをやると撮影時の照明の色によっては画質が劣化してしまうのが大変残念なんです。
オリジナルの写真は我が目をも疑うようなクリアで美しい仕上がりなんですよ!
いつも皆さんにお見せしたいナァ。
Shibuya2そしてコロナ到来。
ライブの回数が見る見るウチに激減し、2020年には20本、2021には30本程度の取材回数になってしまいました。
この時は更新をしようにもネタがなくて手も足も出ずにさすがにマイりました。
それが原因で毎日更新もストップしました。
にっくきコロナ…何もかも台無しにしやがった!
「三密を避ける」とか言って、ライブハウスでお客さんの居場所が指定されていた頃もありましたが、もうこんなの覚えていないでしょ?
時の経つのはまったく早いものです。
10これまでずいぶん色々な取材をさせてもらいました。
どの記事も分け隔てなく心を込めて筆を揮ったつもりですが、やっぱり自分の中に素養のないタイプの音楽を演るバンドの記事を書くのは苦しかったナ。
テコでも筆が動かないこともあった。
一方、うれしい役得も数えきれないほどありました。
そうして書き上げた記事の数々を脱線部分も含めて「本にすべき」とおっしゃって下さる方が本当に大勢いらっしゃいます。
何と光栄なことでしょう!
しかし、私がMarshall Blogでやっていることは単なる情報の寄せ集めであって、ナニかを作り出しているワケではないのでそれはムリなご注文なのです。
私は電子書籍には反対の立場を採っていますが、今や本がインターネットになっているのだから考えようによっては既に本を上梓していることと大差ないのではないか?
ただマス・メディアで取り上げてもらって読者の数を増やしたい…という欲望はあります。
「〇〇新聞社の論説委員でマーブロが好きな人がいる」とか「△△テレビの人が絶賛していた」とか、そうしたうれしい話しも耳にしないワケではなく、「コリャいつか『情熱大陸』から取材が来るぞ!」などと妄想したこともありました。
しかし土台、Marshall BlogはMarshallの商品を宣伝する媒体なのでマス・メディアに取り上げられるワケがない…ということを理解したのは恥ずかしながら最近のことです。
まぁ、そんなことはどうでもいいね。
Marshall Blogを楽しんでくれる人とそれに協力をしてくれる人がいてくれさえすれば私はハッピーなのだ!
それとこの仕事をしていて楽しいと思うのは若い人たちと交流できること。
「シゲさん、シゲさん」とこんなアマノジャクのジジイにMarshallや音楽のことを相談してくれる自分のセガレよりはるかに若い彼らや彼女らがカワイくて仕方がない。
コレは普通のサラリーマンでは絶対に経験できないことでしょう。
取りあえず我が人生に悔いなし!
  
<Marshall Blogのこれから>
「Marshall Blogがこうであればスゴくいいな」と思うことがひとつあります。
仕方のないことだとは思いますが、やはり読者の皆さんは自分が知らない、あるいはなじみのないバンドの記事を敬遠してしまうことです。
そうではなくて、知らないバンドが出ているからこそ読んでもらいたいのね。
「こんなバンドがあるのか~。フムフム。かなりオッサンだけどオモシロそうだな?今度見に行ってみようかな?」…マーブロには決まって魅力的なバンドが登場しているワケだからゼヒともこうなって欲しいワケ。
昔はサブスクもYouTubeもなくて興味が湧いたバンドの音を耳にするには、一発勝負でレコードを買うしかありませんでした。
当然期待ハズレも多く、散財を重ねたものです。
でも今は、マーブロで知って、YouTubeで下調べをして、気に入ればライブ会場に足を向ける…と、手堅い手段が採れるワケです。
なんてシアワセなんでしょう。
だから未知の「ロック・バンド」を探すツールとしてMarshall Blogを活用して、「マーブロを通じた横の広がり」みたいなモノができたらとてもうれしく思うのです。
有名なバンドを取り扱えば商品の宣伝にはなるかも知れませんが、誰もが知っているバンドに出て頂いたところでオモシロくないでしょ?…みんな知っているんだから!
誰も知らないことを知ることこそが楽しんじゃん?
その点、好きにやらせてくれて来たMarshallには本当に感謝しています。
   
今回メッセージをお寄せくださった皆さんの多数から「次は3,000回!」とか、スゴイのは「10,000回更新を目指すべし!」といううれしいエールを頂戴しました。
盆暮れの休みを考慮せずに週に3回更新するとして、「3,000回更新」を迎えるのは今から4年弱先のこと。
コレは私はMarshallに在籍していればナントカなるかも知れません。
しからば10,000回更新はどうか…計算してみると、それは52年後のことです。
私は115歳…チョットムリか?
ロックはその時一体どうなっているのでしょうね?
これからもたくさんの方々のご助力を頂いて、私個人がオモシロいと思うこと、少しでもタメになること、「ああ、読んでヨカッタ」と思ってもらえる記事づくりを目指したいと思います。
 
この2,500回を記念して新しいカテゴリーを開設することにしました。
新しくて古い…イヤ、古くて新しい。
以前のMarshall Blogでも取り扱っていたことがありましたが、「Marshall Museum Japan」の展示品を紹介する『マーシャル・ブログ博物館』をヴァーチャル開館することにしました。
つまりMarshall Blogに残すことができるモノはすべて残しておいて、いつでも見られるようにしておこうという意図によるものです。
まだナニも手をつけていませんが、スタートした暁にはご支援のほどよろしくお願い致します。9_museum  
では『2,500回更新記念特集』の最終回はNAKED MACHINEの源ちゃんからお願いします!
  
里村源多朗(NAKED MACHINE)

牛澤さん、Marshall Blog2500回更新達成おめでとう御座います㊗️
Marshall Blogにはこれまで幾度となくNAKED MACHINEのLIVEレポートを掲載して頂きました!
牛澤さんのLIVEレポート、写真や文章からまるでLIVE会場のあの日あの時に戻っていると錯覚するぐらい臨場感溢れた素晴らしいレポートだといつも感じております。
曲ごとのキーや転調などについて細かく書かれていて、ご自分でギター片手に時間をかけて分析してくれている事にも感謝です。
あとお馴染みの脱線話し、こちらもシゲさんの情報量の多さでどんどん脱線して行きますが、これまた楽しみの一つとなっております。
莫大な時間を費やし丁寧に書き上げられるマーブロに掲載して頂ける事はMarshall使いとしては何よりの喜びです。
牛澤さん、Marshall Blog3000回更新目指し健康第一で続けて頂けたらと思っております。
改めましておめでとう御座います!Photo_15 
Kan(NAKED MACHINE)

な、な、な、なんと‼️
あの、Marshall Blogが2500回‼️
共に歩んできた私のROCK魂、憧れのBlog、初めて載せて頂いたのはバック・コーラスを専門にやっていた頃でした。
今はNAKED MACHINEでお世話になっております。
息遣いまで感じられそうな写真と臨場感溢れるレポート、イギリスのロックの名所めぐりや、映画のお話など、ライブ・レポート以外にも実に興味深いお話が盛りだくさんなところも楽しみの一つなのです!
何よりシゲさんのファインダーに映り込めることが喜び。
NAKED MACHINEを結成からずっと取り上げて頂けていることはとても光栄です。
雨にも嵐にも負けず、13年前間走り続けてきた賜物。
牛澤さん この度はおめでとうございます
Marshall blog大好き!Kan_2  
依知川伸一(BARAKA)

マーシャルブログ2500回、おめでとうございます。
牛澤さんの“継続する力”と“音楽愛”にただただ感服するほかありません。
2500という数字の凄まじさは、牛澤さんの生き方や思想にも通じています。
「うさぎとかめ」の逸話にもあるように、日本人は、古くから淡々と続けることの大切さを説いてきました。
まさに、継続は力なり。続けることの価値は計り知れません。
“偉業”という言葉の中には、時間的要素も含まれているのです。
それを体現しているのが牛澤さんなのです。
また、驚くべきは牛澤さんの文化的知識です。
音楽はロックのみならず、ジャズやクラシックまで広い範囲で相当数聴き込んでおり、映画は世界の名作(日本映画を含む)を総なめにしていると言っても過言ではありません。
古今東西の文学への造詣も深い。
そんな知的好奇心の塊とでもいうべき牛澤さんの文章の魅力のひとつが“脱線力”です。
とにかく飛躍する別世界の話がおもしろい。そんな所にまで着目するのかと話は縦横無尽に展開され、読者はどんどんと引き込まれていくのです。
音楽が好きで好きでしょうがない牛澤さんは、基本的にはバンドを、音楽をやっている人を、応援しています。
その根底に流れるのは音楽愛です。
これからもミュージシャンを、バンドマンを、音楽愛で包んでいってください。
次の一編を楽しみにしています。Photo_16  
高見一生 (BARAKA)

牛澤さん、Marshall Blog  2500回達成おめでとう御座います‼️
いつも丁寧なレポ、ステージ写真、ゴルゴ13若しくは大藪春彦ばりのむっちゃマニアックな脱線、楽しませて頂いております。
LIVE会場のBGMまで突っ込んで頂き嬉しいです。
どの事柄についても「よ〜知ってはるなぁ〜」と感心させられています。
僕は33年前に1987Xを購入しました。
当時どこの楽器屋にも1987Xが置いておらず、試奏するのに苦労したことを懐かしく思います。
今後も1987、1959引き倒しますので引き続きよろしくお願いいたします。Photo_17  
Jien Takahashi (MAJUSTICE/VIOLET ETERNAL/Michael Vescera)

Marshall Blog 2,500回更新突破、おめでとうございます!
「25」という数字は、銀色のマーシャルを愛するギタリストにとって特別に胸が高鳴る数字ですね。
改めて「2,500」という数字で見ると、その記事数の膨大さにただただ驚かされます。
それだけMarshall Blogがジャパニーズ・ロックの発展やマーシャルの歩みと深く結びついてきたのだと、ひとりの読者として感慨深く思います。
大谷令文さんや足立祐二さんの記事など、いまや生で味わうことのできない音が聴こえてくるかのような臨場感と、知性に満ちたシゲさんのライヴ・レポートは、日本のロック史を振り返る上でも貴重なアーカイヴとなって来ていると感じます。
リニューアルからすでに13年、その前から数えれば20周年も目前ですね。
これから迎えるであろう20周年、そしてその先の「Marshall Blog 25周年 シルバージュビリー」を目指して、日本のロックを見守りながら、その姿を記録し、ホンモノの音を発信し続けてください!
Jien_2  
山口PON昌人(FEEL SO BAD/MOMO & THE SHOCKERS)

Marshall Blog 2,500回更新達成記念‼︎おめでとう御座います‼︎
シゲさん(牛澤さん)にはNATALドラムスのサポートで本当にお世話になっております‼︎
ライブ現場には奥様の美幸さんまで来て頂きまして!
家族の様な最高にHappyな空気で楽しくパフォーマンスさせて頂いています☺️
そのパフォーマンスをくまなく様々な観点からライブレポートしてくれるMarshall Blogは他には無い、見どころ満載な内容で楽しませて戴いております‼︎
アーティストのパーソナリティや各楽器の特性、それらに纏わるウンチクの大脱線‼︎(笑)
なんと言ってもシゲさんが撮影する拘りの写真の数々は最高です‼︎(幾度となくアー写で活用させて戴いております‼︎感謝‼︎)
今後ともお元気で素敵なブログをお願い致します✨
目指せ‼︎ Marshall Blog 3000回‼︎Pon_2  
川島だりあ(FEEL SO BAD)

Marshall Blog バンザ〜イ!!!『2500回更新達成』おめでとうございます。
そしていつも楽器隊はたくさんお世話になり感謝しかございません。
写真と言葉で綴られる Marshall Blog、毎回ワクワク拝見させて頂いております。
何より魅力的なのは牛澤さまの言葉達!! 
毎回楽しみです。時に思わずニヤッとしてしまう。
歯に衣着せぬ物言い!!大好物ですw
ひとつのステージを終えるとそこそこの疲労と脱力。
そんな時Marshall Blogを覗きに行くとステージが隅々まで鮮明に蘇り幸せな時間へと誘ってくれるのです。
そして次へのパワーがなんだかモリモリ湧いてくる魔法のBlogにはひしめき合う素敵すぎるお写真達も…本当にいつもありがとうございます。
これからもバリバリ最強No.1の『Marshall Blog』をよろしくお願い致します!
3000回目指してGO!!Photo_11 
Ryo(1st0)

1st0のRyoです!Marshall Blog 2500回更新おめでとうございます!
ギターを始めた当時からライブ・レポートやコラムなどをひたすら読んでいた記憶がございます!
特に「プロのマーシャル」のシリーズは今はもう手に入らない数々の名機や、Marshall Blogでしか読めないような逸話などが大好きで何回も読み返していました。
Marshall Blogといえば、記事の途中での脱線も醍醐味です。
シゲさんの教養の広さ、深さを窺い知ることができ大変ためになりました (結構長いのでちょっとだけ飛ばしてしまうこともありましたが…笑)。
そんなMarshall Blogを読んで僕もMarshallが大好きになり、いつか自分のバンドで記事を書いてもらいたい!と夢見ておりましたが、今年になり遂にライブ・レポートで登場することに!
駆け出しのRyo少年に伝えたら驚くことでしょう!
これもシゲさんが長年に渡って更新し続けてくださったお陰です!
1回だけでなく、これから何回も記事を書いてもらいたいと思っておりますので、3000回と言わずに3500回、4000回と更なる大台に向けてぜひ突き進んでいただきたいところです!
Marshallサイコー!!Ryo_2  
森はるか(デザイナー・ドラマー/FATE GEAR)

Marshall blog2500更新おめでとうございます!
いつも読者としても楽しく拝見しております。
迫力あるライブのレポートに加え、その他の牛澤さんならではのお話がさらに想像を掻き立てる愛あるブログ。
私はNATALドラムの演奏者として度々ブログに登場させていただきました。
ここぞというライブの時NATALドラムを使用し、撮影と最高の楽器により当日はピリッと引き締まる思い出です。
改めて記事を読むと当時の記憶が蘇り、素晴らしい写真付きの記録を一つ一つ丁寧に作ってくださっていることに大変感謝しております。
初めてブログに掲載くださったときの感動からすでに7年以上は経っているかと思います。
これからも更新を楽しみに、演奏者としても精進して参りますので末長く宜しくお願いいたします!Photo_18  
中村達也(BLINDMAN)

Marshall Blog 更新2500回おめでとうございます!
SNS、blogなどについては無精者の自分からすると途轍もない数字です。
BLINDMANのLIVEも何度も記事にしていただき本当に感謝しています。
Marshall Blogの魅力はアーティストのLIVEの魅力を伝えたり、Marshall製品の紹介だったりが中心なのですが、イギリスの文化や僕があまり知らない70年代以前の音楽のことなども盛り沢山だということです。
「あの1回の文章の長さで2500回ってどんだけ知識もってるんじゃ?」と、Sihgeさんの懐の深さを心から尊敬いたします。
これからも5000回目指して頑張ってください!
BLINDMANもあと何回かは貢献できると思いますので…。

9_   
今井芳継(Voodoo Butterfly)

Marshall Blog 2,500回更新、おめでとうございます!
芸術や文化を愛する人々に向けた内容、
博識とユーモアある語り口を、いつも楽しみに拝読しております。
アーティストの創造源に迫る描写、
本線からアウトする脱線の深さ、
時に美しく!時に歪む!
牛澤さんの自在な語りは唯一無二です。
個人的にもっとも好きな瞬間は、
爆音を浴びながら
アーティストにレンズを向けるシゲさんの姿。

あの一瞬に、すべてが凝縮されているように感じます。
Marshallの神話を未来へと繋ぎ、
リアルを伝える現代の語り部に敬意と感謝を込めてこの輝かしい節目を心よりお祝い申し上げます。Photo_20  
的射場 瑞樹(株式会社都商会)

Marshall Blog2500回更新達成おめでとうございます!
Marshall Blogの私の一番のお気に入りは「イギリス‐ロック名所めぐり」です。
牛澤さん特有のひょうひょうとした文体と豊富な写真でゆったりと楽しめる紀行文ですが、話が音楽、歴史、さらには文学についてどんどんと寄り道していき、ふと気がついたらまたイギリスの街なかに戻っている。
不思議で素敵な読書体験で、読み進めるにつれて時間がどろどろに溶けていきます。最高!Photo_21

Carlie Tanaka(MOONSHINE/梵天)

Marshall Blog「2,500回更新達成記念」おめでとうございます。
いつも素敵なReportありがとうございます。
18の時に初めてMarshall「JCM800 2205」を買って以来「6100,1959,1987,DSL2000」と使い続けて来ました。
しっかり歪んだ音もCleanもどちらもいつもドキドキさせてくれます。
Marshall Blogもぜひ3,000回目指してこれからもドキドキを振り撒いてくださいね。Charlie 
金光健司(MOONESHINE/Strange,Beautiful and Loud)

Marshall blog 2500回達成、誠におめでとうございます。
僕は常々、シゲさんのライブレポートを「音が聴こえてくるような」と形容してきました。
ファインダー越しにその場の空気感や音のバイブレーションまで捉えた見事な画像、良い音を熟知しているからこそ表現できるリアルな文章。
自分のプレイも数えきれないほど取り挙げていただきましたが、そんなところを観てたのか!この瞬間を捉えられたか!と感嘆することが多々あります。
音楽以外にも文化や歴史など多岐にわたって造詣の深いシゲさんの記事は、読み物としての価値も相当なもの。
そんな投稿がすでに2500回にまで達していたとは脱帽です。
これからも密度の濃い記事を楽しみにしております!レポートに値するパフォーマンスを続けられるよう精進します。Photo_22 
藤井重樹(MOONSHINE)
 
Marshall blog 2500回到達おめでとうございます!!
ウチ(MOONSHINE)は金光とチャーリーが常々一方ならぬご尽力を賜り恐縮しっぱなしなのですが、今年は自分も「EmbertonⅡ」で微力ながらご恩返しをした……つもりになっております(笑)
この先も健康に留意されつつ3000、5000とその数字を伸ばして行って下さいね!
期待しています。
そして今後とも末永くよろしくお願い致します。Photo_23 
岡井大二(四人囃子)

牛澤さん、おめでとうございます!
Marshall Blog の優しくて、" 怖さ" まで感じる充実した中身(中味?)を、切れる事なく2500回も続けてこられたのは本当に素晴らしいです。
こういう時こそ「スゴイ!」と言う表現をさせて頂きます。
牛澤さんの 音楽の枠に収まらない博識さを、情熱も愛情も確固たる指針の上に載せて沢山盛り込んで、そして優しいプログにしているのって、「ブログ」というタイトルをつけた書籍としての作品だと思います。羨ましいです。
どうしても、お会いして話していると、私は優しさと怖さの感じ方から牛澤さんは年上の方のような気がしてしまいます。
読む受け手としての僕個人としては、イギリスなどへ行かれた時の訪ねる場所のチョイスと注目するものが、楽しくて、有り難くて、嬉しいです。
3000回もあとちょっとですね⁈
その時と"何がしかの機会"を、あらためて楽しみにしてお待ちいたします。Photo_24 
沢田ZIN天岳(LINX/変異種)

MarshallBlog 2500回更新おめでとうございます!
牛澤さんにはMV撮影などで日頃から大変お世話になっており心より感謝申し上げます。
また、自身のバンド活動やサポート現場においてもご協力いただき本当にありがとうございます。
2500回という数字はSNSなどでは簡単に到達できるものかもしれません。
ですが毎回ご自身で撮影された写真を添え、ライブの臨場感を余すことなく伝えながら、音楽観を反映した洒脱で熱量あふれる長文を更新し続けることは並大抵の努力では成し得ないことだと思います。
そこにはMarshall製品、そしてアーティストへの深い愛情、さらには牛澤さんのお人柄が表れていると感じます。
人生何が起こるか分かりませんが、次は3000回のお祝いをお伝えできる日を楽しみにしています。
Marshall使いとして、私自身もこの偉大なアンプをさらに押し上げられるよう精進してまいります。
学生時代に師匠から「お前はMarshall小僧だな」と言われたことがありますが、きっとこれからも一生Marshall小僧であり続けると思います。
Marshall AMPがある限りそれを鳴らしきれないのは自分の力不足――そう思えるほど、私にとってMarshallは大きな指針であり基盤です。
改めまして2500回更新、本当におめでとうございます。
そしてこれからも末永くよろしくお願いいたします。Zin 
深澤AKI(RAZOR HIGHWAY)

Marshall Blog 2,500回更新達成記念、心よりおめでとうございます!
運営の牛澤氏ご夫婦には毎回お世話になりっぱなしです。表現し切れない程の感謝の気持ちでいっぱいです。
ここまで長い年月このブログを継続して来られた努力は並大抵の胆力では成し得なかったものと尊敬の念しかありません。
大変お疲れ様で御座います!
更にいついつまでも続けて頂けたらと切に願うばかりです。
さて、Marshall Blogとの個人的なお付き合いは、板倉ジュン氏が関西に帰る時に大谷令文氏が企画した2009年のコンサートの時以来ですからもう16年以上前になるんですよね!
光陰矢の如し、まるで昨日のことのようですよ!! 
最近ではオリジナル・メロディックHR/HMバンド、Razor Highwayでの活動を同ブログにて何回も取り上げて頂いておりまして、その詳細で嘘偽りの無いピュアなライヴ・リポートと素晴らしい躍動感を捉えたライヴ・フォトによって唯一無二なブログとして、一読者として毎回楽しみに拝見&拝読させて頂いております。
振り返って想うのは過去のブログを読み直す必要のない程、僕の傍で光り輝いてきた数々のギタリストは皆デカいスタックからユニークで個性的で、そして一聴してわかるオンリーワンの爆音をMarshallを通して奏でていたという揺るぎない事実です。
時に余りに爆音過ぎて難聴を煩うメンバーもおりましたがw、 このドライブ感は周知の事ではありますが、昨今の流れとは明らかに異なる「リアルにドライブされたサウンド」であって、デジタルでは再現出来ないアナログの素晴らしき「美音」だと今も思っています。
これからもきっと僕の斜め後ろには必ずやMarshallのヘッド&スタックが牙を剥きつつ吠え続けていくことと思います。
そしてステージ上でのその爆音との、ある意味「心地良き戦い」は間違いなく続いていくことでしょう。
今一度、MarshallとMarshall Blog に感謝を!!
ありがとう御座います!Hell Yeah!!!Aki 
田中"OMMY"輝臣(RAZOR HIGHWAY)

この度は、2,500回更新達成おめでとうございます!
Marshall Blogは、Marshallの話だけではなく、記事に添えられる牛澤さんの知識や経験談から背景までをも遡ることが出来る文化財的資産価値を持つBlogだと思っております。
一言でいうなれば、最新の記事を読む、過去の記事を遡る、読み物として懐が深く、とても楽しめる、そんな数少ない貴重なBlogです。
素晴らしい写真と一緒に綴られる歴史の1ページをこれからも楽しみにしています!Ommy 
PEPE(目黒鹿鳴館) 
 

鹿鳴館オーナーの山口(PEPE)と申します。
先ずはMarshall Blog2500回更新おめでとう御座います。
2500回とは改めて本当に凄い事だと思います!仕事という事だけじゃなく好きでないと…いや、愛がないと続けられる事ではないと思います。
やはり牛澤さんの愛の賜物なのでしょう。
Marshall Blogさんには、鹿鳴館では数多くのバンドの取材をはじめ、移転発表後では僕にまで取材していただいた上に、しかも連載までしてくださり感謝しかございません。
鹿鳴館のメイン・ギターアンプは勿論Marshallで、HEADは「JCM2000、JCM900、JVM210、DSL100Hを揃え、CABINETは1960A×2」です。
ヘッド共に壊れては修理に出しつつかれこれ40年近くお付き合いさせていただいております。
10年程前からはドラム・セットにNATALを取り入れて演者からも高評価をいただいております。
この先、鹿鳴館移転した後も何卒よろしくお願い申し上げます。Pepe 
小松優也(LOADED DIAPER)

マーシャルブログ2500回おめでとう御座います!
マーシャルブログと牛澤さんには初期の頃から大変お世話になっております。
いつもいつもライブハウスにカメラ機材を担いでやって来て、汗だくになりながら細やかに確固たる哲学を持って取材をされているお姿にアーティストとしても嬉しくなっちゃうし、ただただ脱帽です。
こんな僕みたいな下々のミュージシャンへも沢山の愛と誠意を持って対応して下さり光栄ですし感謝しかありません。
また、ロック雑学にイギリス話しも(時に脱線するのもまた面白い。笑)山程ネタを持っておられてブログがどんな切り口で始まるのか毎回楽しみです。
そんな牛澤さんだからこそ皆に愛されているのだと思いますし、楽器メーカーの方でこれほどに熱心にアーティストと向き合って下さる人は他に中々いないのではないでしょうか?
特に印象に残っているのは僕が東京最後の時のさよならライブですが、一ミュージシャンのさよならライブをこれほど熱く取り上げて下さるとは、、、涙。
そして離れていてもいつも家族にまでお心遣いを頂き感謝です。
これからもマーブロ連載と牛澤さんのご活躍を応援しております!!Yuya 
今回の特集で頂戴したメッセージは以上です。
皆さん、ご協力誠にありがとうございました。
これからもMarshall、NATAL、そしてMarshall Blogをご愛顧賜り度く。
そして読者の皆さん、相変わらずのご支援をよろしくお願い申し上げます。
最後に…私に怒られつつも献身的にMarshall Blogづくりを手伝ってくれている家内の美幸に心の底から感謝の気持ちを捧げたいと思います。
アナタなくしては2,500回更新は到底実現できなかった。
これからもよろしくお願いします!
 
来週は更新を休ませて頂きます。
チョット骨休み!
 200_2(一部敬称略) 

2025年10月16日 (木)

SUPERBLOODの新たなる旅立ち

 
先頃、オリジナル・メンバーのフロントマン「RYUSUKE KAWAMOTO」さんが脱退し、その動向が注目されていたSUPERBLOOD。
Marshall Blogが初めてSUPERBLOODに接したのは2014年10月、富士スピードウェイで『富士6時間耐久レース』が開催された時のことだった。
御殿場ということもあったけど、寒い日だったナ~。
この時にはRYUSUKEくんを除くメンバーのことはすでによく知っていたので、初めて見るような気がしなかったことをよく覚えている。
この時からもう11年。
メンバーがスッカリ安定しているかと思ってばかりいたので、RYUSUKEくんが脱退を表明した時には驚いたわ。05そして今晩、その新体制が発表された。
 
OKAHIRO
マーブロ2,500回記念のメッセージありがとう!10vRYO20v大内MAD貴雄…ここまでは従来通りのSUPERBLOOD。
問題は新しいボーカルズだ。30vナント!…さかもとえいぞう!40v新しいSUPERBLOODはこういう顔ぶれになった。
「新しい」といってもこの写真の通り、もう百万年前ぐらいから仲良しだったかのような緊密な雰囲気。50私はえいぞうさんとは古いんですよ。60v2005年にビクターエンタテインメントが企画した『Marshall Nite vol.2』というイベント以来なのです。だからカレコレもう20年。
「渋谷BOXX」か…なつかしいね。70vそしてこの4人でこれから大暴れしようという寸法。
実はね、私はこのことは知っていたの。
ま、RYUSUKEくんが脱退したのも驚いたけど、えいぞうさんの話を聞いた時にも驚いたわ~!
でもすぐにコリャうまくいくな…と思ったよ。
80vそして、このSUPERBLOODに新たなる旅立ちに際しビデオ「Enter a New Phase」が公開された。

ね~、バッチリでしょ?スゲエ迫力!
なんか、えいぞうさんが最初からSUPERBLOODにいらっしゃらなかったことの方が不思議な感じすらするもんね?
今度はこの新しい4人で暴れ回ってSUPERBLOODだけの音楽世界を作り上げてくれることだろう。
とても楽しみだ!90v 100v 110v 120v早速来月から来年の9月までのツアー・スケジュールが発表されてヤル気満々だ!

SUPERBLOODの詳しい情報はコチラ⇒SUPERBLOOD Official Website

130 

200(一部敬称略 ※写真提供:RYOさん)

Marshall Blog 2500回更新記念特集 <中編>

Marshall Blogの2,501本目の記事のはじまり、はじまり~! 

<Marshall Blogのつくり方>
★写真について★
写真の撮り方について誰かに教わったことは一度もありません。
ただ、お手本は山ほど頭の中にあります。
それは50年ほど前に舐めるようにして眺めた「ミュージック・ライフ」等の音楽雑誌に掲載されていた海外のミュージシャンたちのライブ写真です。
今からさかのぼること17年、最初のMarshall Blogを始めるに当たって子供の運動会を撮影するような入門者用の一眼レフカメラを買い入れました。
そのカメラであるライブの写真を撮り、写真の心得のある人に見せたところ大層なおホメの言葉を頂戴したのです。
それはCANTAの時のルーク篁さんの写真でした…要するに被写体がカッコよかっただけの話。
ところが、そこから私の勘違いが始まったのです。
その勘違いのおかげでたくさんの大きな写真の仕事を頂戴することになったことは、一種の椿事である反面、私の人生における誇りのひとつです。
昔はシャカリキになって「ナンとしてもカッコいい写真を撮るぞ!」とガツガツしていたものでした。
でも、今は少しでも良質なマーブロの記事を書くための素材を確保するべくしてシャッターを切っています。
少々カッコをつけて言ってみれば、記事の構成や文章を考えながら写真を撮っているのです。
古い人間ゆえ、ITだのAIだののテクノロジーに抵抗感を覚える私ですが、デジタル・カメラだけはありがたいと思っています。
さもなければMarshall Blogなどとてもできなかった。
 
ただひとつ…写真で心底悩んでいるのはライブハウスのスモークです。
私が「ミュージック・ライフ」で見た写真には、荒天時の富士山頂でライブをやっているようなモノは1枚もありませんでした。
どれもアーティストの鼻毛までが見えるクリアな写真ばかりだったのです。
ですからステージに充満した煙にLED照明が当たった「模様」ともつかぬ写真を撮ることが辛くてなりません。
いつからこんな風になってしまったんだろう…。
写真を撮るためのライブではないことは百も承知しておりますが、「照明効果がどうの」といっても、お客さんは煙を見に来ているワケではないので、モクモクじゃない方が見やすいに決まっていると思うんです。
それゆえいつも「ノン・スモーク」のリクエストをお願いしているワケですが、そのワガママにお応え頂いているバンドの皆さんにはこの場をお借りして心より御礼申し上げます。
 
私は撮影機材にも全く無頓着で、カメラのことは最低限のことしか知りません。
自分が思うように撮ることができるカメラであればそれで十分。
他の人が持っているカメラにも、最新の技術にも何の興味もな湧かないのですが、それでも下の写真にあるように、これまでコレだけカメラを買いましたよ。
とにかく高いですからね~。ドエラい散財ですわ!
ちなみにコレらのカメラで撮影して2,499本の記事に掲載した写真の数は135,766枚に上ります。
単純に平均すれば記事1本あたり54枚の写真を使っている計算になります。
さらに乱暴な計算をすると、2時間のショウですと800枚ぐらい撮ることが多い。
そしてMarshall Blogの約7割がライブ・レポートで、それ以外の記事で撮った写真の数を加えるとこれまでザっと150万回以上シャッターを切った計算になりましょうか?
もっと多いかも知れません。
その間、どのカメラも故障したことは一度もありませんでした。
私の人差し指もなかなかに頑丈に出来ているようですが、日本の工業製品の優秀さを実感するばかりです。
今、一度やってみたいのは、スモークもLED照明も使わず、お客さんもいない状態で単焦点のレンズだけを使ってライブ写真を撮りまくること。
誰かやらせて!
9_img_4281 
★文章について★
<前編>の家内のメッセージにある通り、時間さえあれば本を読みます。
だからといって上手な文章が書けるワケではないことは承知していますし、書いているつもりもありません。
とにかく初見で意味が通じる文章を書く…つまり読み直す必要がない文章を書くことだけを心がけています。
あんな文章でも何度も何度も口に出して読んで、文の成り立ちを確認しているんですね。
そこで登場するのが家内です。
永井路子の大ファンの家内もなかなかの読書家なので、記事を書き上げるとまず家内に見せて誤字脱字をチェックしてもらい、読んで一発で文章の意味が通ったかどうかを尋ねます。
そして、もしマズイ箇所があれば文章を書き改めます。
こんなことを毎回やっています。
ところでMarshall Blogの文章を読んでいると、ひらがなが多いことに気がつきませんか?
コレは大学の時の卒論指導の教授から学んだことです。
この教授は無礼にも私の卒論に「可」を与えましたが、この「ひらがな」に関する注意には感謝しています。
もしかしたら大学で学んだことの中でこのことが一番有益だったかも知れない!
そして、カタカナを多用するのも読みやすさを考慮してのことです。
表記ユレが多いのも同様の理由からで、漢字か?ひらがなか?カタカナか?どれが一番目に入りやすいか?ということを常に考慮して臨機応変に対応しているのです。
さらに、以前は海外の固有名詞は原型通りのアルファベット表記をしていましたが、最近はコレを止めて作品名や曲名だけにアルファベットを適用することにしています。
昔はアルファベットを使うことがカッコいいと思っていたのですが、「GuitarをPlayする時のAmpやEffectorは…」のよう文章は全体を俯瞰した時に美しくないと思うようになったんです。
もうひとつ…文章で笑いを取りたい!そのために常時ない頭をヒネっています。
「わかる人だけわかってもらえればいい」的な「楽屋落ち」の文章が少なくないことをお許しください。
書いていて断トツでムズカシイと感じるのは「接続詞」ですね。
これには随所で苦労しています。
まぁ、それだけ考えいてもこの程度の文章なんですわ。
やっぱり漱石は偉大だ!
好きな作家はたくさんいますが、記事の構成といい、語彙といい、筆致といい、エッセイで言えば「井上ひさし」や「中村とうよう」や「藤原正彦」のようにMarshall Blogの文章を綴りたいといつも願っています。

★脱線について★
Marshall Blogは脱線なしではやっていられません。
また、脱線がなければMarshall Blogではありません。
中には脱線を邪魔に思う登場アーティストや読者もいらっしゃるでしょうが、筆者の一種のカタルシスと思ってご容赦頂きたい。
下世話な言い方をすれば、好きなことを書いてウサを晴らしているんです。
でも、今回頂戴したメッセージを拝見すると、ことのほか脱線が歓迎されているようでホッとしました。
コレね、どうやって話題を結びつけるか考えるのがオモシロイんですよ。
時には強引に話題を寄せ付けて脱線しちゃう。
そもそも、脱線抜きのMarshall Blogなんて考えてもご覧なさい。
雑誌のギグ・レビューほど固くはないにせよ、無味乾燥でツマらないでしょう?
正直、私も脱線のおかげでかなり色々なことを勉強させてもらっています。
コレもITの恩恵のひとつかな?
何か知らないことに突き当り、そのことを調べてみると何がしかの知っていることに結びつく。
つまり知識と知識の間に橋が架かる…コレが楽しくて仕方がない。
そうして蓄えた知識で、(今、脱線中!)旅行先のボランティアの観光ガイドさんを駆逐するのが実に楽しい。
萩、木曽を始め各地で善戦していた私ですが、長崎の「県立図書館」では勝利を収めたものの「大浦天主堂」のオバさんには完膚なきまでに叩き潰されて赤っ恥をかいたこともありました。
最近は記憶力がいいように減退していて調べたことを片っ端から忘れてしまうため、橋を架けにくくなってしまっているのがツラい!
もっと若い頃にMarshall Blogをやっていたらナァ。
  
さて、『2500回更新記念特集』の<中編>はStrange, Beautiful & Loudの三宅庸介さんから頂戴したメッセージでスタートです。
  
  
三宅庸介(Strange,Beautiful and Loud/TERRA ROSA/MARINO)

マーシャルブログ「2500回更新達成記念」おめでとうございます。
13年間、2500回の更新、Marshall Amplificationの名の下に残し続けて頂いていることに感謝いたします。
個人的にも沢山残していただきました。
Strange,Beautiful and Loud, Terra Rosa, そして、その日そのときの貴重なsession…。
Marshall ampsの音と共に生きてきた一人のギタリストにとって、どれほど嬉しく名誉なことでしょう。
時間は過ぎ、人は老いて、世の中も驚くスピードで変化しています。
でも、ここへ来れば自分の大切な歴史がある。
そして、令文さんにも逢える。YOUさんにも逢える。
書き続ける御苦労は想像に難くありませんが、心より敬意を表します。
そして、心より感謝いたします。Photo_25 
杉本篤彦

2,500回おめでとうございます。
マーシャル並びに牛澤さんには長年お世話になっております。
僕は基本ジャズ系のクリーントーンでマーシャルを使わせていただいております。
牛澤さんが執筆されているマーシャル・ブログはジャンルを超えて色々なアーティストの近況を牛澤さんの楽しい文章で楽しませていただいております。
また今年2025年の葉山福祉文化会館で開催されたジャズフェスティバル「真夏のJAZZ葉山」で使わせていただいたセットはご来場いただいた方々から、同じステージにいたミュージシャン、スタッフまで大好評のサウンドでした。
僕自身も人生最高とも言える音でした。感謝の気持ちでいっぱいです。
今後もマーシャルの愛好者が増えますよう頑張ってください。
<杉本さんが文中で触れている葉山で使用したMarshalは「JVM210H」と「1912」が2台です>
Photo_26 
大谷保泉(SEVENTH SON)

Marshall Blog 2500回更新達成おめでとうございます!
個人的にはライブ・レポートは勿論、機材関連と歴史物に触れる記事をとても楽しく読ませていただいております。
音楽以外の記事が楽しめるのもMarshall Blogの魅力だと思っています。
そして本家Marshallの話になるとかなり深い話になるので「そうだったの?」と毎回勉強になります。
写真の腕前も流石で、撮って頂いた写真はプロフィールなどにたくさん使わさせていただいてます。
次は3000回更新達成ができるようにくれぐれもお身体にお気をつけください。
また牛澤さん夫妻とライブ会場で会える日を楽しみにしています!Photo_27  
曾我泰久

マーシャル・ブログ2500回更新達成おめでとうございます! すごいですね〜…あの分量の記事を2500回も書いたんですね〜。
シゲさんすごいです! 
臨場感あふれるライヴ写真とライヴ当日の熱気が手に取るように事細かく伝わってくる文章にプラスして、脱線した時のどこまでも広がっていく生き生きとした文章も最高です。
音楽の知識はもちろん、時代を問わず、映画や本、そこにまつわる土地での出来事などから引っ張ってくる脱線文章も毎回の楽しみになっています。
行っていないライヴや行ったことのない外国なんかも行ったかのような気にしてくれるマーシャル・ブログ。
これからも愛のあるライヴ・レポートを楽しみにしていますね〜!Photo_28 
田川ヒロアキ

2,500回更新達成、おめでとうございます…と同時にありがとうございます。
Marshall Blogには、これまで私の記事を数多く掲載していただいています。
そのジャンルも多種にわたり、牛澤さんご夫妻がいかに私達の現場まで熱心に追っかけてくださっているかが伝わります。
テレビ番組/野外のサーキット/アルバム紹介&エピソード/アメリカへのプロジェクト/オリンピックやパラリンピックへ向けたイベント/数々の式典での大役/ライブハウスやツアー/その他様々な場面…
もうここまでくると、私の活動記録係のよう。
会場へ「この前のマーブロ読みました」と駆けつけて下さる方もいるほどです。
挙げればキリがありませんが、中でも思い入れ深いのは、私とマネージャー美瑞穂との結婚式の記事。
1週間、全て結婚スペシャルの特集としての掲載でした。
生涯の大切な日をマーブロに収めていただけたこと、非常に嬉しく光栄に思っています。
また、『THEME PARK』のジャケット制作秘話の記事、ギターではなくお腹を抱えて大爆笑しながら読んでいたことも印象深いです。
そして、私のアルバムタイトルを牛澤さんに命名していただいたことも大事なエピソードで、『THEME PARK』、『THE ROAD SEEKER』は今でも好評の作品たちです。
特に、その命名に至るエピソードを短編小説の記事として執筆されているのがもう大傑作!
あまりにもお見事で、アルバムよりこの小説の方が話題になるのではと嬉しい危機感になる記事で、私達も時折読み返すことがあります。
未読の方はこれを機会に隠れ名作を発掘するようなつもりでご一読下さい。
ところで、私は全盲のため点字ディスプレイや音声読み上げアプリでマーブロを読んでいます。
つまり、指と耳で文章のみを読んでいるのです。
牛澤さんが培ってきた膨大な知識やリアルな情景描写、鋭い洞察からユーモアまで網羅されていて「読み物としても楽しめるMarshall Blog」だと感じます。
また、近年ではAIの進歩により画像を文字で解説してくれるアプリが増えてきました。
牛澤さんが汗して撮影・選定した写真がAIの説明で楽しめているのです。
時折、AIの解説が詳しすぎることもあり、これはマーブロに対抗しているのか?と思うことも。
さて、思えば私がロックギターを始めた少年期から「Marshall」は憧れの存在でした。
その音が現実となり、今では「田川ヒロアキのサウンド」として各地へ響かせられるようになっています。
純粋なライブ会場以外の現場も多い為、「ここにマーシャルを持ち込んだ方は初めてです」と言われることも多々あります。
そのサウンドの全面的サポートであるMarshall公式のブログへの度重なる掲載が更なる意欲となっています。
これからも読者の皆さんと様々な記事の更新を楽しみにしながらここにお祝いコメントとさせていただきます。
牛澤さん、美幸さん、改めまして2,500回おめでとうございます。
最後に…「Marshall Blogはひとつのメディアだ」!Photo_29 
Kazuma Matsuura(Damian Hamada’s Creatures、伝々夢史)

Marshall Blog!2500本達成おめでとうございます!
ギタリストのKazumaです!
ShigeさんにはTORNADO-GRENADE時代から大変お世話になっておりまして、気がつけば10年以上のお付き合いです。
その間にはもちろん色々なことがあり、音楽を諦めそうになった時期などもありましたが、Shigeさんはいつも『とにかく続けることに意味がある』と応援して下さいました。
本当に感謝でございます。ありがとうございます。
私はこれからもMarshallアンプと共に"本物"の音を奏でていきたいと思っていますので今後とも末永くよろしくお願い致します!
マーブロ最高!!Photo_30 
魔王 ダミアン浜田(Damian hamada’s Creatures)

マーシャル・ブログでの公開記事が2500本に達したらしいな。
めでTiger!
13年間で2500本ということは2日に1本以上のペースで公開してきたということだな!
素晴らしいぞ!
そなたのブログは自らが汗を流して撮影した写真を豊富に掲載し、うんちくを傾けたこぼれ話を添えて大変読み応えがあり、ブログを読むといつも感心させられておる次第だ。
非常に詳細なライヴ・レポートばかりなので、一体、何字くらい書いたのかなと思い、そなたが公開してくれたDamian Hamada's Creaturesの初ライヴ「魔界小学校入学式典」の字数を調べてみたのJaguar、約5600字であった。
単純にこれに2500をかけると1400万字となる!
東京都の人口より多いぢゃないか!
こ、これは、もしかしたらギネスブックに記載されるのではないかね?
魔っ、仮に現時点で世界記録として認定されなくても、いつか認定されるくらいの勢いでこれからも励んでもらいTiger!
そして、そなたのライヴ・レポートは我々が目指す完全なる地球魔界化の推進力にもなっているので、私は常々感謝しておるぞ。Photo_31

JILL岡垣(TERRA ROSA/JILL’S PROJECT/APHRODITE)

牛澤さん!マーシャルブログ2500回記念おめでとう御座います㊗️
私はキーボーディストながらマーシャル・アンプの大ファンであり、高校生の時からマーシャルの壁が聳え立つステージで演奏するのが夢であり、アマチュアの頃から組んだバンドのギタリストは必ずマーシャルを愛用、そのルックスと真空管が生み出す温かく深い歪み、パワフルな中域に魅了されながらキーボードを弾くというのが日常でした。
そんな憧れのマーシャルブランドのブログにTerra RosaをはじめJill's Project、Aphroditeなど自分のバンドのライブレポートを度々掲載して頂き心より感謝しております!
まだまだ牛澤さんに取材して頂けるよう、マーシャルサウンドが鳴り響くライブを続行して参ります。
そして3000回のお祝いメッセージも用意しておきますね‼️Photo_32 
Shu(TSP/幻覚)
 
Marshall Blog、2,500回更新達成おめでとうございます!
創設時からお世話になりっぱなしで、TSPでは何度も取材していただきました。
ずっとマーシャルを愛用している僕にとっては、とても光栄なことなので、心より感謝いたします!
しかし! 中学〜高校〜大学の先輩である牛澤さんとは、おそらく30,000字以上は会話させて頂いてると思いますので、250,000回突破を目指して、よりマーシャルという素晴らしいアンプを日本に広め続けてください!Shu 
Seiji(D_Drive)

Marshallブログ2,500回更新達成おめでとうございます!
シゲさんと初めて出会ったのが20年ほど前の事になるのですが、大阪で開催された関西の高校生が集まった軽音部の大会でした。
自分は大阪の某音楽専門学校の代表として審査員で出席し、とてもレアなMarshallのTシャツを着て行きました。
他にも各楽器メーカーさん代表としての審査員の方が数名出席されていました。
休憩時間になり、突然自分に「そのTシャツはどこで手に入れられました?」と訊いてくる方がいました。
「同じ学校で教えているギタリストの住友(俊洋)さんからサイズが合わないのでと言う事で貰いました」と言うと「そのTシャツは私が住友さんに差し上げたTシャツなんです」と。
「え?」…その方がシゲさんだったのです。
そんな偶然のきっかけが20年近くのお付き合いになるなんて(笑)
MarshallブログはD_Driveを結成して間もない頃から取り上げていただき、もう何度お世話になった事か?
これまで数えきれないほど掲載して頂きました。
詳し過ぎるレポート内容や、その時の様子を収めたライブ写真、時々脱線するユーモア溢れる記事など本人達はもちろん、楽しみにしているファンも多くいらっしゃいました。
MarshallブログのD_Driveの記事をMarshall Records担当者が見てくれたことがきっかけでアルバムのリリースやイギリス、アメリカ、中国などの公演でワールド・デビューすることができました。
Marshallブログ(=シゲさん)に感謝です。
ブログでは各アーティストさんのレポートを毎回あれだけ多くの情報量で掲載するんですからとても大変な事ですよね。
それがなんと2,500回更新達成!って本当に驚きです。
でも自分はずっと前から思っていた事があります。
シゲさんは古くからMarshallに携わる「Marshall社の日本人」です。
Marshallについてあれだけ過去の歴史から現在までを詳しく語れる知識があり(まぁ、シゲさんは仕事だから当然ですと言うと思いますが…)、そして物事を説明する時の優れた文章力、ユーモアを交えて語る事にも優れている話術力など、本当にシゲさん自身が財産だと思います。
Marshallブログとして文章で記録するのも財産ですが、やはり今の時代ですから動画として記録を残す形の財産を自分は求めます。
そうYouTubeです!
『Marshall チューブ』(仮名)…「YouTube」と「真空管」に掛けています(笑)
次はMarshallブログ3,000回更新も楽しみですが、是非動画もご検討頂けますと嬉しいです。
改めましてMarshallブログ2,500回更新達成おめでとうございます。
ずっと応援しています~!Seiji_2 
YUKI(D_Drive/EAST of EDEN)

マーシャル・ブログ2500回おめでとうございます!
私はD_DriveやEast Of Eden、そしてソロの活動でもたくさん取り上げていただいております。
本当にありがとうございます。
いつも素敵な写真と共に詳しいライブのレポートを書いてくださっています。
脱線話もためになることだったり、面白いことだったり。笑 
いつも笑いながら楽しく読ませてもらっています。
シゲさんがマーシャル・ブログに記事を残してくださるので、私自身も自分のライブをマーシャルブログを通して振り返ることができています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
このまま3000回を目指して突き進んでください!Yuki 
Toshi(D_Drive)

Marshall Blog2500回更新達成、おめでとうございます!
いつも素敵な写真と聡明かつエンタメ性のある文章で心を楽しませてくれてありがとうございます。
シゲさんが書いたマーブロを読んでいると継続と人徳の大切さを学べます。
このまま10,000回更新突破して200歳くらいまで元気に頑張ってほしいと思います!
これからも健康第一で楽しみ頑張ってください!Toshi 
Chiiko(D_Drive)

シゲさん!Marshall Blog2500回更新達成おめでとうございます!
シゲさんは、私の音楽人生の大多数に関わって下さっている重要な存在だなぁと思っておりまして…。
NAONのYAONに出させて頂いた時や、個人でのドラムイベント【DRUM VIEW】関東編もレポしてくださったり、何より私の所属バンド・D_Driveでは、写真付きのライブレポはもちろんの事、私達とイギリスのMarshall Recordsとの架け橋になって頂いておりますものね!
イギリスや中国やアメリカなど、海外でのライブや思い出は私達だけではとても体験出来ないことばかりでした。
そう思ってMarshall Blogの記事を振り返っていたら、本当に色々なことが記録されているなぁとしみじみ…。
わたしが音楽と共に生きた証、その時の『今』をたくさん残していて下さっていて…嬉しい限りです!!
これからもMarshall Blogに、色々な『今』を残し続けていって下さいね!
今後ともよろしくお願い致します!

Chiiko 
吉永GOKI訓春 (DEALS)

いつもお世話になってるマーシャル・ブログの牛澤さん、ありがとうございます!
あなたの記事のおかげで私のギターもまるで「ロックスターの血」が通っているかのように熱く響いています。マーシャル・アンプの魅力をわかりやすく、でもちょっぴり笑いも交えて伝えてくれるその腕前に感謝感激雨霰です!
これからもあなたの言葉で僕たちギタリストの魂に火をつけ続けてくださいね。Goki 
雨宮敬義(DEALS/3Law)

Marshall Blog2500回更新達成記念、心からおめでとう御座います
少年の時からロックに憧れた俺達にとってMarshallは合言葉の様について回る憧れでした。そしてMarshallを使うようになって計り知れない時が経ちましたが、僕はMarshallのスタックの前に立ち、Marshallの音を浴びて観客にパフォーマンス出来る事に生まれて来た意味を思い出します…コノ音だ!と。ヘッドのノブを操作できる時は歓喜に震えます…行くぞって感じでね!
オレはMarshallがあれば何も怖いものが無いのです!コレからもMarshall=ロックの神様!俺を刺激して下さい。
ところでMarshall Blogとの出会いは2022年。
Marshall Blogの中でDEALSのことを「日本の最後のロックンロール・バンド」と評価して頂き、その表現を使わせてもらっています!Taka 
徳留羊亮(東京ネイルキャッツ)

Marshall Blog 2500回更新達成おめでとうございます!!
毎回本題のLiveレポートは勿論ですが、本題にたどり着くまでのつかみの文章を楽しみにしているコアなファンですw。
筆者と牛澤さんとの出会いは、やはりMarshall「1959HW」を通じての出会いでした。
2006年頃でしたのでまもなく20年のお付き合いになりますね。
Blogを見て頂ければわかる通り、牛澤氏のボキャブラリーや知識には関心致します。
毎回お話する度に色々な事を教えて頂き勉強になっています。
僕自身のバンド、東京ネイルキャッツも何回かMarshall Blogにのせて頂きましたが、臨場感のあるLiveレポートは、決して流れ作業ではなくその場所の空気感みたいなものを言葉にできる牛澤氏の力量を凄く感じました。
この先も3000回、4000回と頑張って下さい。
今後も楽しみにしております。Photo_33 
栗谷秀貴(那由他計画)

Marshall Blog 2500本更新、おめでとうございます!
Damian Hamada’s Creaturesに参加した折に牛澤さんからお声がけいただいたのがご縁で金属恵比須から、現在参加している那由他計画までご取材いただき大変光栄です。
Marshall Blogのライブレポートは、本筋からの寄り道と徹底した掘り下げ、そして現場の空気が生々しく伝わる写真で構成されまるでプログレの楽曲のような読み心地だと感じています。
これからも変拍子多めの音楽を演奏し続けますので、どうぞよろしくお願いいたします!Photo_34 
臼井孝文(NERVOUS BREAKDOWN/ OZMA-X/LOVEROCK VIOENT)

Marshall blogの2500回更新達成おめでとうございます。
2011年に初めてROCK CHILDで掲載していただき、それ以降も自分の関わるオリジナルバンドやイベントを取材して頂きました。
Marshallユーザーではない僕が掲載されるのは、Marshallサウンドを愛するギタリストと共に活動してきて、僕自身もそのサウンドに心酔してるいからに違いないと感じている次第です。
Marshall blogの特徴は、何と言ってもその緻密なライブの模様の再現度にあります。
それも筆者牛澤さんの観点からの情報の取捨選択がなされて実際のライブ以上に流れが良かったりします(笑)
的確な画像と共に構成されているので、当該のライブを観ていなくても観た錯覚にさえ陥ります。
僕は毎回取材してもらったら掲載される時までその日が楽しみでなりません。
牛澤さんの目はどのようにライブを捉えたのだろうという関心度が主ではあり、自分のライブを第三者視点で客観的に再考する的確な資料にもなっています。
また、時に本文に戻って来られるのだろうかというくらいの脱線っぷりも大好きです。
僕にとっては映画のウンチクがやはり大好物なんですが、牛澤さんの好きな部分と自分のそれとが重なる時などは音楽以上に嬉しかったりします(笑)
これからも、冴え渡る観察力と素晴らしい画像とで独自のブログを続けて下さり、ミュージシャンサイド、ファンサイドの双方を楽しませてくだされば嬉しいです。
そして、奥様の美幸さんの堅実なアシストも忘れてはならない側面だということを付記しておきます。Ozma 
堀真路 (NERVOUS BREAKDOWN)

この度はMarshall Blog 2500本達成、おめでとうございます!!
LIVEの熱量や臨場感が伝わってくるフォトレポート、Marshallの歴史や文化にまつわるエピソードなど、盛りだくさんな内容でいつも楽しく読ませて頂いております♪
これからもMarshall Blogを通じてたくさんの方々にMarshallの素晴らしさが伝わりますよう願っております!2_3 
中間英明

Marshall blog 2,500回更新達成、おめでとうございます。
Finally you did it!!!
大変な偉業を成し遂げてしまいましたね?
僕が10代の頃から使い始めたMarshall Ampが今や、若い世代は勿論、あらゆる分野で多くの人々に受け入れられているのは、陰で支える人々の尽力があった事に他ならないと思います。
これからも、3,000回達成を目指して頑張って下さい。Photo_35 
Neat KC(NEAT001)

Marshall Blog 2500回更新達成おめでとうございます!
他には無い存在感をギラリと放つマーブロ。
私が最初にマーブロの存在を知ったのは、かつて訪れたロンドンの街を検索した時でした。
ヒットしたのがマーブロ。
移り変わる街の風景や建物のみならず、関わったミュージシャンやアルバムにまつわる話、それから派生する映画、絵画、歴史的背景。
どうやってこんなに調べられるんだろう?という驚きと、異様に濃密な記事に圧倒される。
普通じゃない、確固たる意志。実にロック!
Marshallサウンドにインスパイアされ、ロックは生まれ、それを聴いて育ち、今がある。
2025年の今も鳴り続けるMarshallサウンドの現在進行形が読めるマーブロなのです。
臨場感あふれる写真&記事で綴られるライブ・レポートは素晴らしく、貴重な記録。
Shigeさんいわく、文中記事での脱線エピソード。
気になる脱線ポイントを自分なりに掘っていくと一層楽しい!
破天荒な記事から始まる、ワクワク感と広がる未来。
そこにマーブロの魅力が凝縮されてるなあと思います。
「継続は力なり」と言うけど、実際に積み上げ結果を残すのは本当に凄いこと。
Marshall愛好者として誇らしい限りです。
Shigeさん、本当にありがとうございます!!Kc皆さん、どうもありがとうございました!
<後編>につづく
 

200(一部敬称略)

2025年10月14日 (火)

Marshall Blog 2500回更新記念特集<前編>

<ごあいさつ>
本日、この記事をもってMarshall Blogは2,500回目の更新を達成致しました。
本来であればもっと区切りのよい3,000回をもってして記念記事を編むべきなのかも知れませんが、今の世の中、先行き何が起こるか皆目見当がつきませんので祝える時に祝ってしまおう!という魂胆で本特集を組む決心をしました。
 
日頃よりMarshall Blogをご愛読頂き誠にありがとうございます。
また、関係者の皆様方におかれましてはいつも多大なるご協力を賜り心から御礼申し上げます。
皆さま方のご支援なくしては、2,500回の更新を実現することなど到底できませんでした。
さて、このMarshall Blogは私がMarshall社に直接世話になり始めた2012年に始まりました。
前職を辞し、浪人としてしばらくの間を過ごしましたが、当時のMarshall社の社長から「ウチで働かないか?そしてあのブログをまた始めたらいいじゃないか」というお誘いを受けたのです。
2008年4月にスタートした以前のMarshall Blogを高く評価していてくれたのです。
こんなことをやっているMarshallの関係者は世界で私ひとりでしたから。
その以前のブログでは916本の記事を書き上げたものの、残念ながら1,000回目の更新を目前にして私の退職とともに2011年末に終了し、やがてインターネット上から完全に消滅してしまいした。
初期の頃は記事の内容も簡素なものでしたが、新旧のマーブロの記事を合計するとその数は3,416本に上ります。
そして、2012年に今のMarshall Blogを始めてからコロナになる前までは長年にわたり週末、盆暮れを除いて毎日更新を実践しました。
現場へ行って、ライブ写真を撮って、現像して、ストーリーを組み立てて写真を並べ、それぞれにテキストをつけていくことはなかなかに手間のかかる作業です。
また、何か脱線をしようにもいい加減なことは書けないので、裏を取るのにかなり時間を要することもあります。
これらは面倒極まりない作業で、毎日更新をしていた頃は朝の6時から夜中に1時までパソコンに向かっていることもそう珍しくはありませんでした。
そうしているウチにいつの間にかもはや記事を書かずにいるとウズウズしてくる体質になってしまいました。
Marshall BlogはMarshallの商品を宣伝するためのツールのひとつです。
つまり「コレはいいよ~!」と商品を褒めたたえる惹句を並べていれば事足りるハズなのですが、現場でアーティストの皆さんの熱演を目の当たりにするにつけ、MarshallやNATALを使って自分たちだけの音楽を創っているバンドやアーティストをMarshall Blogを通じて応援することを思いつきました。
コレがMarshall Blogの『ライブ・レポート』のキモです。
ナンと言っても「音楽」あっての「楽器」ですから。
そして、私がMarshallの仕事を通じて経験したことや、他で学んだことをオモシロおかしくたくさんの人に紹介したいと考えたのが『イギリス-ロック名所めぐり』や『私の〇〇』です。
結果、完全に「宣伝ツール」の枠を逸脱してしまいました。
それゆえ田川ヒロアキさんが「Marshall Blogはひとつのメディアである」と表現してくれた時はとてもうれしかった!
また、この仕事の別の意義を教えてくれた人がいました。
それは三宅庸介さんです。
三宅さんのバンドのライブ・レポートを掲載したある時、彼は私に「シゲさん、残してくださってありがとうございます」とおっしゃったんです。
「『残す』?『残す』って一体ナンのことだ?」と、その時は一瞬不思議に思いました。
それはどういうことかと言うと、どんなにミュージシャンが心血を注いで熱演したステージも、終わってしまえば二度とその様子を取り戻すことはできません。
いわゆるエリック・ドルフィーの名言ですな。
せいぜい演者や観客の頭にその様子が刻まれるだけで、きっとその記憶も次第に薄れてしまうことでしょう。
場合によっては残されて困ることもあるかも知れませんが、Marshall Blogにレポートが掲載されていれば、たとえヘタな写真とツマらない文章でもそのステージの様子が半永久的に記録される…というワケです。
コレはには全く気がつきませんでした。
三宅さんのご箴言を得てからというものライブ・レポートの制作にはMCの文字起こしを交えるなどして一層その再現に努めるようになりました。
Marshall Blogを一番最初に始めてから17年、最近では現場で脚立の上がり降りにも(特に降りる時)細心の注意を要するようになりましたが、続けられる限り健筆を揮っていきたいと考えております。

本特集では勝手ながら自主的に2,500回目の更新を記念させて頂き、昨今Marshall Blogにご登場頂いている皆さまから頂戴したメッセージを向こう3本に渡ってご紹介させて頂きます。
どれも拝読すれば涙が出るような温かいお言葉ばかり!
本来であれば頂戴したメッセージのすべてに答辞をお送りしたいところなのですが、紙幅が膨らみすぎてしまうので自重しました。
この場をお借りしましてメッセージをお送りくださいました皆様に深く感謝申し上げます。
尚、掲載に際しましては所属団体名とソロ活動名義の五十音順とさせて頂き、軽い文字校正を施した以外はオリジナルの文章をそのまま掲載致しました。
それではまずはアンバー・ランバーのアキラさんからお願いします!
   
森永JUDYアキラ(アンバー・ランバー)

Marshall blog様、祝2500回!おめでとうございます!
私は相方がMarshallを使っているご縁でアコースティック用のアンプを使わせてもらい、年に何度かレポートをしていただいています。
写真もアー写に使わせていただいたりして大変お世話になっています。
マーブロといえばライブのレポートはもちろんですが、シゲさんの豊富な知識が爆発して横道に脱線しまくって本線に戻れなくなりそうになっていることもよくありますよね(笑)。
今回はどんな道にそれるか?というのもひそかに楽しみだったりします。
とにかく物知り!シゲさんの頭の中は宇宙!(笑)
そして改めて考えるとあのボリュームのブログを2500回!? すごすぎます。
これからも私の知らない世界を教えて下さい!
マーブロばんざーい!Photo 
山本征史(アンバー・ランバー)

マーシャルブログ、2500回おめでとうございます!
アンバー・ランバーではライブの度にエッセイを書き下ろして配っているんですが、今のところ430回目あたり…マーブロは2500回!あのボリュームでこの回数、全く頭が上がりません。
「頭が高い!ひかえー!ひかえおろー!」でございます。
マーブロは脱線が楽しいですね。個人的に特に楽しいのが落語がらみの脱線。
牛澤さんと僕との共通の趣味です。
可楽、三木助あたりの淡麗辛口の江戸前の噺家と僕のベーススタイルが似てると書いて貰ったこと、とても嬉しく思っています。
歳を重ねての変化もあり、またバンドによって枝葉の部分を変えるので、今は川柳、円丈、白鳥スタイルに近い部分もありますが、芯の部分は可楽、三木助リスペクトなのは変わりません。
これからも芯を守りつつ進化して行きたいと思います。
マーシャルのベースアンプ、1978年製の「1992SUPER BASS」を30年以上愛用していて、夜叉、STAND、SBL、アンバー・ランバーと色々なバンドで取り上げて貰っています。
3000回、5000回、10000回と末永く、みゆきさんと仲良く続けて下さい。
これからも楽しみにしております。Photo_2<征史さんが2,500回を記念して描いてくださったネコ大仏>Nd 
犬神明(犬神サアカス團)

祝Marshall Blog 2500回達成!
初めてマーブロさんに犬神サアカス團を取り上げていただいたのは2013年、下北沢の芝居小屋での単毒公演「祟神」でした。
それ以来、牛澤さんご夫婦とは家族同然の濃厚なお付き合いをさせていただいております。
牛澤さんに会うと毎回「明さん〇〇って知ってます?」とこちらのオタク気質を刺激するよな話を切り出してくるんです。
私も負けじと「ほほう、じゃ牛澤さんこれ知ってます?」と応戦します。
最初は音楽の話なんですが、いつしか健康から歴史から政治から宇宙から民俗学に発展して、はてさてどうなることやらと白熱しても最後は「いやぁ〜昔は良かったですなぁ!」と意気投合して落ちつくのです。
まあこれが楽しいのなんのって(笑)。
考えてみたらそれってマーブロの内容そのものなんですよね。
これからも刺激をいただきたいです。
末永く楽しいお付き合いをよろしくお願いします。
この度はおめでとうございます。Photo_3  
犬神凶子(犬神サアカス團)

Marshall Blog 2500回連載おめでとうございます!
我々犬サアカス團も何度もライブ・レポートを載せていただいて大変お世話になっております。
演奏についてだけではなく、犬神サアカス團の歌詞の世界観をより深く掘り下げてくださったり、毎回読み応えのあるコラム記事で楽しませてくれるMarshall Blogさんに感謝感激しております。
また、ご自宅に招いていただいた時は美味しい食事と音楽の話で盛り上がり、楽しく充実した時間を過ごすことが出来ました。
あの日以来フランク・ザッパにほんのしばらくハマって皆を驚かせました(笑)…はい、にわかです。
本当にありがとうございました。
これからも素敵なMarshall Blogを応援しています。
今後ともよろしくお願いします。2 
ONOCHIN(犬神サアカス團)

Marshall Blog2500回連載おめでとう御座います!
自分は2つのバンドで載せていただきました。いつも素敵なレポートをありがとう御座います!初めて買ったアンプが新発売当時の「JCM900+1960BV」でした。
途中HIWATTに浮気しましたが…(笑)。
HEESEY WITH DUDESというバンドでデビューした時、ステージでは「JCM800 2203ZW」を使わせていただき、その後JCM800から現在使っている「JMP2204」と、Marshallと共にギターを弾いてきて、Marshall Blogさんの歴史の中のほんの僅かな時間でも取り上げていただいたことに感謝しています。
コレはMarshallユーザーとしてはとても光栄なことです!
表現のされ方が的確で時には面白おかしく、雑学も含めとても「読み甲斐のある」Marshall BlogはMarshallユーザーのみならずたくさんの方々に読んで欲しいですね!
これからも楽しくちょっと(だいぶ)ためになるBlogを書き続けていってくださいね!
3000回お祝いしましょう!
こちらも最高のパフォーマンスでお応えいたしますね!
いつも無理なリクエストにお応えいただきありがとう御座います。
これからもよろしくお願いいたします!
今回は2500回おめでとう御座いました!Onochin 
Adam Jang (YETI VALHALLA)

“Congratulations to the greatest blog of the greatest amp company on Earth, The Marshall Blog!!  This great blog, headed by the amazing Shigeyuki Ushizawa, is an extremely helpful and caring part of the Japanese music community.  It is a pillar of greatness, measured equally to the greatness of the company that it belongs to,  the greatest amp company in the world, MARSHALL !!  Nothing beats a Marshall.  Thank you for everything that you have done for our band, Yeti Valhalla, and every other band that has been featured.  You Are Rock And Roll.”

(地球上で最も偉大なアンプの会社の最も偉大なブログ、マーシャル・ブログ、おめでとうございます!!驚くべきShigeyuki Ushizawaの手によるこの素晴らしいブログは日本の音楽コミュニティにとって極めて有益です。そのスゴさの支柱は、ブログを運営する世界のMARSHALLに比肩されるものです。Marshallには誰も適いません。
マーシャル・ブログが我々Yeti Valhallaや他のバンドにしてくれたことすべてに感謝します。
あなたはロックンロールだ)Adam 
石川達也

2,000回記念の時にもコメントさせて頂き、その後も牛澤さん夫妻には公私共とてもお世話になっていて、今回も光栄なことにお声がけ頂きコメントさせて頂きます!
改めてMarshall Blog 2,500回おめでとうございます!
2,500本の記事を投稿するには、毎日1つの記事を投稿するにしても約7年の月日を要します。
2,500本の記事を書き上げるだけで想像を絶する労力があったかと思いますが、その内容も一つ一つがとても濃密!
それも牛澤さんの知る音楽とそれに伴う知識はもちろんですが、音楽以外のことの見聞の広さ、深さからくるものと思います。
Marshall Blogでは「脱線」と表していますが、一つの曲やアーティスト、土地からその脱線が始まるので、そこと繋がる知識を持っていなければ始まらない話ばかり!
プライベートでお話しさせて頂く時もいつも僕が知らない素敵な音楽を教えて頂いたり、音楽以外の色々なことも教えて頂いてます!
今後も脱線を含めた濃密な記事を楽しみにしています!
次は3,000回目指して頑張ってください!
3,000回の時も声をかけて頂けるように僕も音楽活動を頑張って進めていきます!Tatsuya 
伊藤"ショボン"太一(東京アクティブNEETS/i3K)

マーシャルブログ2500回おめでとうございます!
牛澤さんとは10年以上の付き合いになりますね、いつもお世話していただきありがとうございます。
初めて記事を書いていただいた時の事、今でも覚えています。
こんなに詳しくたくさん書いていただけるなんて!嬉しい!!(心の声)
マーブロは読んでいても牛澤さんのエッセンスがとても面白いのですが、写真がまたすごくかっこいい!
これぞライブ!というビシッと決まった写真をいつも撮影してくださいます。
私はちょくちょく体系や見た目が変わるという特徴をもっておりまして、昔からの記事を見返しますとこれまた変化がすごい!
当時撮っていただいた写真を見てその時の自分はこんな感じだったなぁ、なんて見返すのも楽しいのです。
これからも牛澤さんのマーシャル・ブログを、楽しみにしています!Shobon 

牛澤美幸(Marshall Blog)
 
シゲの家内の美幸でございます。
マーシャル・ブログが2500回の更新を達成しました。
ご愛読並びにご協力頂いている皆様のおかげと心より感謝申し上げます。
さて、私は主人がライブの写真を撮っている間、ステージの様子を記録し、主人がそのメモを参照にして記事を書いています。
皆さんのMCの文字お越しも私の担当です。
出来あがったブログをいち早く読むことができるのは私の特権で、同時に誤字脱字がないか、また文章が読みにくくないかをチェックしています。
ところがそのメモが問題で、私は若い頃に特にロックを聴いていなかったためわからないことも多く、メモを見た主人から「この曲は誰のリフで始まったの?」と訊かれても「リフ」の意味がわからなかったり、「青いギターはどの曲で弾いた?」と確認されても照明の加減でステージ上のギターの色がわからなかったりするのです。
ですから大きな会場で何本もギターを使用したり、ツイン・ギターのグループの時はドキドキなんです。
そういう時はいつもより一生懸命ステージを見て、音を聴いてメモしています。
いつも遅くても開場の30分前には現場に入り、出演者や関係者の方々にご挨拶。
そして、セットリストやギターの確認をして本番を待ちます。
たくさんギターが並んでいる時は写メを録っておきます。
このようなことを繰り返し、コロナ前には年に153回ものライブにお邪魔したこともありました。
どこへ行っても関係者やお客さんがとても親切に接してくださり心から感謝しています。
お陰さまでとても楽しい時間を現場で過ごすことができます。
今やどの現場でも最年長の私たちですが、どうかこれからも末永く仲良くお付き合い頂ければとてもうれしいです。
少々口が悪くわがままな主人ですが、仕事に関してはとても真剣で、24時間Marshallのこと、アーティストのこと、そして音楽やロックのことを考えているようです。
そして時間さえあればいつも本を読んでいます。
「本当によくもそんなに!」というほどなんですよ!
マーシャル・ブログが少しでも皆さまのお役に立てるようにこれからも頑張りますので、どうぞ我々ともどもよろしくお願い致します。9_mm2_2<家内がライブ中に書き記したメモ。コレが大きな段ボール箱満杯になりました>9_0r4a00102  
日下部BURNY正則(ASIAN BLACK)

Marshall Blog 2500回更新達成 おめでとうございます!
始められた時から拝見していますが、13年も経つんですね。
話したいことは山ほど有るのですが、書ききれないのでここではやめておきます(笑)
2000年の第一回目のMarshall祭りで Jim Marshall ご本人に会えたのが嬉しかったです。
彼に「4 Inputのマーシャルで、きれいなクリーントーンが出るAmpは無いのか?」と聞いたところ、「マーシャルからきれいなクリーントーンが出てきたら気持ち悪いだろ?(笑)」という会話が忘れられません(笑)
きれいなクリーントーン、出ますけどね。
ELK→YAMAHA→Marshall と旅をし、他にいろいろなAmpにも出会いましたが、気がつくとMarshallに戻るんですよ。
迫力があり気持ち良いBacking、歌声のようなソロ、これはMarshall しか出せないサウンドです。
牛澤さんとも25年の付き合いになりますね。
健康にご留意しつつ、Marshall Blog 10000回更新達成されることを楽しみにしています。Burny 
Ken Kishi(CALAVERAS,TILT,OZZIKI OSBOURNE)

牛澤さん、マーシャルブログ2500回記念おめでとうございます㊗️
牛澤さんと出会ったのはSHRIEKERの時で2003年だったと思います。
以来20年以上の長いお付き合いになりますが、音楽に対する眼差しの深さも、人としての温かさも、出会ってきた中で群を抜いており、最も信頼できるライターだと感じております。
何度も掲載してくださったCALAVERASの記事では、ステージの熱量を正確に捉え、文字に変えて届けてくださり、単なるレポートではなく自分たちにとって“もう一つのライブ”やなって思ってます。
これからもその筆で音楽を照らし続けてください❗️❗️
アンプ?
ロックはライブもレコーディングも今までもこれからもマーシャル一択です!
Ken 
Doug Wilson(CALAVERAS)

Congratulations, Shige san, on reaching your 2500th blog post! Your dedication and hard work have truly paid off, and you've built a successful blog that inspires and engages everyone in our industry. Its always an honor to be featured and its always exciting to see you come into the venue. Your posts are extremely detailed and accurate and really defines the feeling of the show. I wish you the best of luck going forward and its an honor to be part of the Marshall Blog!  Calaveras Vox-Doug Wilson

(シゲさん、2500回目のブログへのご投稿おめでとうございます!
あなたの献身と勤勉さの賜物です。あなたは我々の業界に刺激と活力を与えることに成功しているブログを書き続けているのです。
マーシャル・ブログに載ることはいつも名誉なことであり、会場でアナタに会うことはいつもエキサイティングなことなのです。
マーシャル・ブログが伝える内容は究極的に詳しく、そして正確で、リアルにショウの雰囲気を伝えてくれます。
アナタが前身し続けることを祈っています。
そして我々はMarshal Blogの一部であることを誇りに思います)Doug 
高木大地(金属恵比須)

Marshall Blogは音楽メディア界の「黒死館殺人事件」である。無論、異端の探偵小説家・小栗虫太郎が弦楽奏者をテーマに書いた奇書のこと。Marshall Blog、音楽はもちろん、文学や映画、そして歴史や風土まであらゆるジャンルを網羅した一大叙事詩だ。科学的で博識でありながらも、ケムに巻いたような衒学的な文学の要素も内包している。
探偵小説の大家・江戸川乱歩が「黒死館殺人事件」に関して寄せた「序」をMarshall Blogへの賛辞としてお送りしたい。
論理の貴族主義者、抽象の詩人の比類なき情熱と、驚嘆すべき博学と、凄愴なる気魄とをもって(中略)あらゆる流派を超越した一つの地位を要求することが出来るであろう
Marshallはギタリストという弦楽奏者のためにある。衒学(ゲンガク)的な弦楽(ゲンガク)を紡ぎ出すべく、これからも邁進していただきたい。
ひょっとしたら総文字数、「黒死館」より遥かに上回るのでは?
出典:『黒死館殺人事件』(教養文庫、1977年)小栗虫太郎著、江戸川乱歩による「序」より。Daichi 
後藤マスヒロ(金属恵比寿)

伝統のMarshall Blog、記事の数が2,500本に達したという事で誠におめでとうございます。
プロ野球で言ったら名球会に入れるような、あるいは殿堂入り出来るような数でこれま素晴らしい!!
わたしはドラマーなのでMarshallブランドのNATAL DRUMSを愛用しています。
Marshall Blogさんとは2021年頃にはじめてお近づきになり、2年後の2023年から本格的にNATALを演奏するようになりました。
圧倒的な鳴りの良さとリバウンドをはじめ、演奏する上での操作性の素晴らしさにすっかり魅了されたドラマーの1人であります。
私が出演するライブ(もといコンサート)にも度々足を運んでくださり、素敵なレポートを何度も書いて貰っています。(そうかぁ~、俺が出てる記事も2500分の何回かなんだなぁ~~、実に感慨深い!!)
ライブ・レポートでは、他の媒体とは比べ物にならない位、詳細な取材と圧倒的な情報量で、自分でも忘れていた部分まで思い出させてくれる事に感謝!!
また、その日演奏した楽曲や土地に因んだ豆知識も豊富で色々と勉強になります。
これからも3000本安打…じゃなくて3000更新!
いや4000、5000、1万、いや10万(あれ?魔界の誰かみたいになっちゃった…)を目指して突き進んでいってください!! 
ばんざ~~い!!(^^♪Mas 
ユキ(Crimzon Flare、Anatomy、LuLu)

牛澤さん!Marshall Blog2500回記念!
本当におめでとうございます!
牛澤さんには何度も直接お話させていただいてるのですが、2008年でしょうか?…島紀史さんとのMarshall Roadshowを観に行ったことが牛澤さんとの一方的な出会いでした。
そのRoadshowをみてすぐに「Vintage Modern 2466」を手に入れ、自分はそこから「2203」や「1959」等、ずっとMarshall人生を歩んでいます。
その後、三宅庸介さんの現場で初めて直接お話させていただき、「Vintage Modernを使っています!」とご挨拶させていただいたのをずっと覚えています。
そしてその後、LuLuというバンドで初めてMarshall Blogに取り上げていただいた時にはとてもうれしく光栄で、1つの目標を達した様な気持ちになりました。
そしてこれはいまもずっと変わりません。
牛澤さんとお会いする度に自分の背筋はピンっと伸びます。
そうです、これは自分が第1回目から読み続けている、「憧れのMarshall Blog」なんです。
自分の大好きな、憧れのギタリストだけが載っている、「憧れのMarshall Blog」なんです。
これからも3000回、10000回と続いていくことを願っております!
そしてこれからも、「憧れのMarshall Blog」であり続けてください!
本当におめでとうございます!Photo_4 
ケリー・サイモン

シゲさん、マーシャル・ブログ2500回達成おめでとうございます!
思えば僕とシゲさんは古いようでそんなに古くないお付き合いかと思います…というのも僕は高校生の頃初めてマーシャルの「LEAD12」というプラクティス・アンプを買ってから、その後渡米して夢のマーシャル「1959」や「1987」をゲットし、色々と試して来たのですが、帰国してからはバンド活動がなかなかできない環境だったのでライブをしていませんでした。
すなわちシゲさんと出会う機会がほとんどなく、音楽学校の講師などをした後の40代から改めてバンド活動を再開したところから、とある方の伝で僕の事を知るようになった…という経緯だったと思います。
殆どのミュージシャンは若い頃からシゲさんにお世話なって年齢を経ていくという事を考えると非常にレアなケースでしょう(笑)。
初めてマーシャル・ブログに登場したのも楽器店のイベントでしたし、そこで「ついにマーシャル・ブログがケリー・サイモンを発見したといわれたよ!」というシゲさんの言葉を思い出します(笑)。
その後は僕がホームとしていた「東京キネマ倶楽部」でのライブ写真を毎年撮影していただき、沢山の素晴らしいショットを残してくれました。
僕は30代は音楽活動をほぼしていなかっため、写真など殆ど取ってもらったことがなかったのですが、シゲさんに撮ってもらってからは選ぶのに困る程のベストショットが増えて紹介するのに困るまでになりました。
シゲさんを通してマーシャルを愛する仲間も増え、同年代の島紀史氏率いるコンチェルト・ムーンとのダブル・ヘッドライナーのツアーなどはまさにシゲさんのお陰で実現する事が出来たといっても過言ではなく、それ以外もMarshall GALAなども含め様々な世代のマーシャルアーティストと繋がることが出来ました。
日本はもちろん、海外でもマーシャルの壁を構築してライブをするアーティストは少なくなりましたが、やはり誰もが憧れたものであり、多数のフル・スタックをバックにギターを弾く憧れの写真もたくさん撮って頂きました。
僕はもともとバンド活動だけでなく楽器店でのワークショップや様々なフォーマットでライブ・イベント活動をしてきた分、スタック・アンプを常に鳴らして爆音で演奏するというわけではありませんが、常に頭のなかにあるプリ・セットは「シングルコイルP.Uにはプレキシ(1959,1987)、ハムバッカーP.UにはJCM800(2203)」という揺るぎないものがあります。
そのリファレンスを元にこれからも伝統のマーシャルトーンを後世に残せるよう一層努力してまいります。
シゲさんのマーシャルブログもさらに3000、4000回と記録を更新し続けてもらえる様、僕もハイゲインのフル・アップ(ベースは下げ目)で弾き続けて参りますので、これからもどんどんシゲさん独自の含蓄を交えた面白い記事を書き続けてください!Photo_5 
MASHA(Silex)

マーシャル・ブログ2,500回突破おめでとうございます!
臨場感あるレポートと写真、マーシャルにまつわる話、まつわらない話(?)、いつも楽しく拝見させていただいております。
"継続、情熱と努力の積み重ね"…これは僕がシゲさんから教わり、今も胸に刻んでいる大切な言葉なのですが、この度のマーシャル・ブログ2,500回突破はまさに継続と情熱の積み重ねがもたらした偉業だと思います。
改めまして心よりお祝い申し上げます!
ところで、日本のロックシーンの最前線を伝える音楽ブログであるだけではなく、歴史資料としての価値も大変高いマーブロですが、流石に2,500回超ともなると過去のアーカイブから気になる記事を探すのは大変かも…とお思いのアナタ!
マーブロ索引サイト「マーさく君」を活用することで、過去のアーカイブをさくさくと読むことが可能ですよ!
これからもマーシャル・ブログの更新を楽しみにしております!
自分も沢山掲載していただけるように音楽活動に勤しみます!
読者の皆様も末長く楽しまれてくださいませ!2_2 
関雅樹(simo)

Marshall Blog 2500回更新、誠におめでとうございます。
マーシャル(牛澤さん)とのご縁は 2011 年にご連絡をいただいた時からで、ほぼマーブロの歴史と重なります。
私のバンド「simo」をはじめ、セッションギタリストとしての活動や、様々なアーティストやタレントのサポート現場など、多くの場面を取材していただきました。
素敵なライブ写真、MC の一語一句までもれなく記録された読み応えある本文、時間をかけて丁寧に綴られた文章は、もはやブログの枠を越えた「作品」と呼ぶにふさわしいものです。
また、牛澤さんご自身が幅広い守備範囲を持つハードコアな音楽ファン(マニア?)である点も、私にとっては大変嬉しいことです。
私自身もギタリストである前に一人の音楽ファンですので、音楽を愛する者同士だからこそ、10 年以上のお付き合いが続いているのだと確信しています。
昨今のデジタル技術の進化によって、私たちミュージシャンも大きな恩恵を受けています。
しかし、初めて「1959」 にプラグインしたときの音圧と感動に勝るものはありません。
Viva Marshall! Viva マーブロ!!
3000 回更新の際には、ぜひ4発キャビを壁にして記念ライブを!
ますますのご活躍とご清栄を心よりお祈り申し上げます。Seki 
清水保光

Marshall Blog 祝2500回!
しかしマァ、気付いて読者となり自分も何度か登場させて頂きましたがこの偉人百科事典、いつ読んでも牛澤さんの色と毒で満たされた飽きのこないブログ。 
古典落語を時事的音楽解釈に絶妙にアレンジを施し、「水戸黄門」や「太陽にほえろ!」のような安定のお約束の話術、特に僕が愛してやまないのが取り上げたアーティストへの記事がスタートするまでの枕詞の長いこと長い事!
これでいつ本題に入るのだ?と思いきや、いつの間にか本題に入り、ちゃんとオチがありお後がよろしいようで、となる。
これは僕の愛してやまない様式美ではないか!
そう!このBlogはまさしく様式美なのでR。
今後も次世代へ繋がることなんて恐らく考えていないだろうと思われるこの愛してやまないBlogの繁栄を陰ながら応援させて頂きます!Photo_6 
Jekyll(JEKYLL★RONOVE)

2,500回更新達成おめでとう御座います。
いつもMarshall Blogに、私供JEKYLL★RONOVEのLIVEの模様を掲載して頂き、大変光栄に思っております。
躍動的な写真や牛澤さんならではの心に響く文章で、LIVEの熱さや盛り上がりを表現して頂いております。
お馴染みの脱線話も、いつもクスッと笑ってしまったり、へぇーと勉強させて頂いたり、楽しく拝読致しております。
素敵な奥様とお二人で心一つに、いつも私達バンドマンを支えて頂き、心より感謝を申し上げます。
これからも何卒宜しくお願い申し上げます。Jkl 
N★OTO(JEKYLL★RONOVE)

このたびは2500回更新達成、誠におめでとうございます。
思えば我々 JEKYLL★RONOVE の活動初期より記事に取り上げていただき、その後も幾度となくご掲載いただきました。
いつも迫力ある写真と臨場感あふれる記事を楽しみに拝読しております。
Marshall Blogを通じて多くの音楽ファンの皆様と出会えたことに、改めて感謝申し上げます。
今後も3000回、4000回と末永く続いていかれることを心よりお祈り申し上げます。
我々もこの節目を励みに、より一層精進してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。9_naoto 
五十嵐★sun-go★美貴(SHOW-YA)

Marshall Blog2500回更新&突破、おめでとうございます♪
私の場合、うっしーさんとの出会い=Marshall=今の自分のギターサウンドです。
SHOW-YAではブギーColosseum300とVintage30だったのが、mintmintsのツアーの時、SHARAのMarshallを借りて回ったのがきっかけで、うっしーさんと知り合い、その出会いから今自分がメインとしているサウンドに欠かせないMarshallのJVM410Hと1960BDMになってます。
長時間の試奏後、テックと美味しいインドカレーをご馳走になったり、代官山のカフェで取材と撮影をしていただいたり、本番中に撮影しているうっしーさんの頭を踏んづけてしまったり💦、Marshall GALAやMarshall社長とのParty等、想い出も一杯です。
今年NAONのYAONの小柳ゆきちゃんのセットで今では製造中止となって手に入らないMarshallのアコースティックギター・アンプAS100Dもお借りして、リハなし、モニター状況も見えない中でBestなサウンドメイクが出来たと思っています。
長年、SHOW-YAやかー君Liveを写真と文章で紹介して頂いて来ました。
Liveに参加出来なかった人たちも臨場感溢れる写真と文でLive追体験でき、内容によってはイギリスのLive音楽史や時代背景なども交え、読んでいて楽しいものですし、Liveレポートという枠を超えているMarshall Blogは貴重だと感じます。
これからも、身体に気をつけてMarshallサウンドとRock史を綴っていってください。
その1ページに自分も存在して生き続けていけたら嬉しいです。

9_sng
岡田弘(SUPER BLOOD/DENIAL)

僕がギター弾きになろうと思った時、憧れの人達の後ろにはいつもMarshallがあった。
僕はROCKギタリストはMarshall背負ってナンボっていつも思ってる。
Mr.Marshallのウッシーさんとの出会い…ある日のステージ、僕がいつもの様にMarshallの爆音で無心に弾きまくってる時、カメラを構えてグッと親指を立ててくれたのが最初でそれ以来の交流。
以来Marshall Blogにもたくさん載せていただいいた。
こんな光栄な事はありません。
そんなMarshall Blogが2500回の節目!
こんな素晴らしいタイミングでコメントさせていただける幸せ。ウッシーさんおめでとうございます!
そしていつもありがとうございます!
永遠に続けてくださいね!
次は3000回の祝福が出来ますように!Photo_7皆さん、どうもありがとうございました!
<中編>につづく
 

200(一部敬称略)

 

2025年9月18日 (木)

【追悼】BARAKA平石正樹さんのこと

 
結成28年を迎えるBARAKAのドラマーでオリジナルメンバーの平石MAX正樹さんの訃報に接した。
本当に驚いた。
平石さんは早生まれの私と同じ学年で、3か月チョット前にお会いした時にはとてもお元気でいつもと変わらない様子だった。
ライブの会場でご一緒する程度のお付き合いだったが、BARAKAのメンバー3人のウチ一番最初にSNSでつながったのは平石さんで、Marshall BlogにBARAKAのライブ・レポートを掲載すると毎回真っ先にシェアをしてくださっていた。
その3か月前のLINE CUBE SHIBUYAの時は、開演前に男子トイレで一緒になって、少し世間話をしたのだが、それが平石さんとの最後の会話になってしまおうとは一体誰が想像できようか。
予てよりガンと闘っていたなどということは全く存じ上げなかった。
010Marshall Blogで古参バンドのひとつであるBARAKAはD_DriveのSeijiさんのご紹介だった。
私がプロッグ・ロックの類の音楽が好きなことを知っていて、ベースの依知川さんと知り合いのSeijiさんが顔つなぎをしてくれたのだ。
A10初めてBARAKAの演奏の場にお邪魔したのは2015年4月18日にシルバーエレファントで開催したBARAKAの500回目のライブを記念するタイミングだった。A20SeijiさんがBARAKAを紹介してくれた理由はもうひとつ。
高見一生さんがMarshall。A30依知川伸一さんが当時Marshallが取り扱っていたEDENを愛用してくれていたからなのであった。
210平石正樹さんはNATALではなかったが、気にしない、気にしない。
プロッグ・ロックにMarshallにEDEN…「コイツぁ、コタえられネェ!」とばかりによろこんで吉祥寺に足を運んだのであった。A50vSeijiさんのおススメに間違いはなく、1回で気に入ってしまったBARAKAを次に取材したのは結成20周年を目前に控えた2016年11月11日。
場所は渋谷の「PLEASURE PLEASURE」。F10この頃のBARAKAはビートルズとクイーンのカバーアルバムをリリースしたばかり。
Bcd2つのバンドが残したロックのスタンダードの数々をBARAKAの3人の人智を超える大胆なアレンジで聴かせるステージはまさに圧巻だった。F20 F35 F40そして今度は600回目のライブの記念公演。
2019年3月20日、会場はまたシルバーエレファント。B70この時も他のバンドでは到底考えつかないようなBARAKAだけの音楽をノビノビと演奏して観客を圧倒した。B20 B30 B402022年11月30日、六本木のEXシアターで結成25周年を祝った。C10このチームは結成してから一度もメンバー・チェンジをしていない。
このワンアンドオンリーの音楽が3人の気持ちをまとめ上げるのか、お互いに弱みを握っているのかは存じ上げないがこの団結感もスゴイと思う。
C25v C30v C40メンバーがマイクを握ってトークをするのはBARAKAのステージのルーティンのひとつ。
いつも最初に依知川さんが「いらっしゃいませ」のご挨拶をして、平石さんがBARAKA全体の話をし、一生さんが終演間近にアクロバチックな話で爆笑を誘う…概ねこのようなトークの流れになっていた。20_2 そして、もうひとつのルーティンは平石さんのドラム・ソロ。
毎回後半でタップリとその鮮やかなスティックさばきを見せてくれた。C60「25周年があるなら26周年があってもいいじゃないか」ということで渋谷PLEASURE PLEASUREにBARAKAが戻って来た。D10この時「Superior Force」を初めて生で公の場で演奏した。D60 D50 
D20vこの時の平石さんのトーク。
「去年25周年を記念してEX Theaterで演りましたがあの時もありがとうございました。
普通25周年の次は、30周年、35周年、となるんでしょうどBARAKAは26周年。
そしてまた、結成した時と同じ日にライブを演るという…こう見えて意外と3人ともマジメなんです」
C50vもちろんこの時もバッチリと平石さんはドラム・ソロをキメてみせた。D70そして結成28年を迎えた今年の5月。
アルバム『Superior Force』リリースを記念するツアーの千秋楽。
会場はLINE CUBE SHIBUYA。008a0032 この日、一生さんは数日前に左手を骨折する大ケガを負ってしまい、手をパンパンに腫れ上がらせた状態でステージに上がった。
開演前にそれを知らされてとても心配だったが、まさかこの時、平石さんのお身体の調子が悪いなどとはツユほども思わなかった。D15v_2 E20v 
E30vツアーの千秋楽ということで、この時のトークのコーナーで平石さんはツアーの醍醐味を語り、「とにかくステージに立って皆さんの前で演奏することがとても好きなバンドですので、そういう感じでまた1年間ガンバっていきます。
これからも応援よろしくお願いします」
と言っていたのに…。E40vそしてショウの後半でいつも通り元気にドラム・ソロを披露した。E50vまさかコレが私にとって平石さんの最後のドラム・ソロになろうとは…。E60熱演に送られた大喝采に応える平石さん。
E70v上に書いた通り、28年間もの長い間メンバーを変更することのなかったBARAKAの一角が欠けてしまったことは大変に悲しく残念なことだ。
しかし平石さんとともに3人で創り上げてきたBARAKAの音楽は間違いなく継続していくことであろう。
E55名ドラマーのご逝去を心から悼み謹んでお悔やみ申し上げます118a0125 そして今夕、10月16日にZepp Shinjukuにて『BARAKA28周年記念ライブ』として開催される予定であった公演を急遽『平石正樹追悼ライブ』とすることが発表された。
 
詳しくはコチラをご参照ください⇒BARAKA Official Web Site
E80 

200

2025年8月26日 (火)

マーシャル・ジン正規販売開始!

2023年6月2日の記事でMarshallのジンが発売されることをお知らせした。
意気込んで例によって色々と書いたものの、残念ながら諸般の事情によりその時点で日本国内で流通することはなかった。
その時の記事はコチラ
  ↓  ↓  ↓
Marshall London Dry Gin発売!

それから早くも2年が経過してしまい、その間並行輸入品も散見されたようだが、今般いよいよ「正規輸入品」として日本国内で販売される運びとなった。
イザ初陣!…ナンチャッテ。
Long 名称は「Marshall LONDON DRY GIN」。
略して「マージン」…と呼ばれるかどうかは知らない。
60「ドライ・ジン」というのは、19世紀に発明されたそれまでとは異なる蒸留機を使用して作られたジンのことで、それまでの「オールド・トム・ジン」と呼ばれていた甘みを含んだ旧来のジンとは異なり、辛口で雑味の少ない良質なジンを指す。008a0046しからばどんなお味なのか?…ココはお酒のプロである輸入販売元「都商会」の言葉をお借りることにする。
口当たりはなめらかで、ジュニパーとコリアンダー・シードの風味が心地よく広がり、シトラス・フルーツの複雑なニュアンスが味わいに奥行きを与えます。
香りはふくよかで、ほんのり甘く、やさしい滑らかさが印象的。
クラシックなジンの骨格に繊細なバランスと洗練された余韻が宿っています
私も頂いてみたが、まさにそういう感じ。
2023年の記事にも書いたが「ジュニパー」というのは「Gin」の語源だからしてジンがジンある最も肝心な成分。
Fr_2ジンの原材料としての場合は違うのかもしれないが、イギリスへ行くと「パクチー」のことを「コリアンダー」と呼ぶ。
私はホントにパクチーが大のニガテで、どんなに小さなカケラでもひと粒でも入っていればすぐにそれとわかる。
ロンドンに行ったある時、ツユもの、ダシものが恋しくなるとベトナム料理店へ行ってフォーを食べればよいことに気がついた。
ところがダマっていると遠慮なくパクチーをブッ込んで来る。
そこで2回目は当然「パクチーを絶対に入れないでね」と給仕のボーイに頼んだ。
ところがどうしても「パクチー」が通じない。
「The green stinky leaves」とかさんざん説明すると、ようやくそのボーイが「Ah! You are talking aboht the coriander, aren't you?」となって事なきを得た。
こういう英単語は一発で覚えるね。 Cad数年後、NAMMに行った時のこと。
アメリカに行ったとてやはりツユもの、ダシものが恋しくなる。
すると、ホテルの近所にフォー屋が出来ているのを発見した。
ある晩、Marshall Recordsの関係でThe Policeの元マネージャーから「House of Blues」でのスティーブ・ヴァイのコンサートに誘われたのだが、私はその晩は「絶対にそのフォー屋に行く!」と心に決めていたのでその誘いを断ってひとりでフォーを食べに行った。
ウェイトレスが寄って来てオーダーを取る。
もう大丈夫!意気揚々と「コリアンダーは入れないでね!」とウインクかなんかしてみせた。
反応はアレ?…ダメなの、ゼンゼン通じないの。
そのウエイトレスはテーブルを離れて仲間のところへ行き、ヒソヒソ話しながら小さく私の方を指さしている。
「あのオッサン、『コリアンダー』とかなんとか言っているけどアタマがおかしいんじゃないかしら?」ぐらいのことを言っていたのであろう。
そう間を空けずしてそのウエイトレスは私のテーブルへ戻って来て「コリアンダーは入っていません!」とキッパリ宣言した。
ホントか~?
運ばれて来たフォーを見ると…パクチーはまったく入っていなかった。
結果、今でもアメリカでパクチーのことを正式に何と呼ぶかは知らないままにしている。
脱線終わり。Img_2755_2ところでこのジン、そもそも見た目がいい。
側面はこのようにMarshallのスクリプト・ロゴのエンボス加工(?)が施されている。80vコレは背面のようす。
アルコール度数は43%。
内容量は700ml。
「Dr. Jim Marshall OBE」のサイン入りだ。
ま、私の記憶ではジムがジンを飲んでいるのを見たことがないが…。
ジムはスコッチ派だったから。
90v黒に金に白…Marshallトリコロールが映えるボトルは飾りとしてもバッチリ。
110現在は「発売記念セール」としてアンプの意匠を施した化粧箱入りのセット販売も展開している。

90s6本入り。
飲みすぎ注意。
ジンは口当たりがいいからネェ。
「ウィリアム・ホグワース」という有名な風刺画家が描いたように、18世紀の前半にロンドンでは「Gin Craze」というアルコール禍の時代があったぐらいだから。100これがそのホグワースの版画。
街中みんなヘベレケ。
30vs ところで、上掲の都商会はMarshallビールの輸入販売業者。
ビールも相変わらず大好評だそうだ。
実際、メチャクチャおいしいもんね!
170v_2ジンもよろしくお願いします!
  
Marshall LONDON DRY GINの詳しい情報はコチラ⇒都商会公式ウェブサイト 
85

200

2025年8月18日 (月)

【ショ盆まつり】伊藤ショボン太一~松田聖子『Sing! Sing Sing!』のNATAL

 
お盆の時期は過ぎたけど、Marshall Blogのお盆はまだ続く。
ナンとならば今週は「ショ盆まつり」と題してNATALドラマーの「伊藤ショボン太一」にスポット当てるのだ!
まずは松田聖子の日本武道館から。
聖子ちゃんはデビュー45周年を迎え、6月7日の「さいたまスーパーアリーナ」を皮切りに全国各地を回るツアーの真っ最中。
10ツアーのタイトルは『45th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2025 Sing! Sing! Sing!』。「ベニー・グッドマン」が耳にしたら喜ぶこと間違いなし!
ベニー・グッドマン楽団には「ジーン・クルーパ」という大スター・ドラマーがいた。
そして、聖子ちゃんのバンドには「伊藤ショボン太一」がいる。
NATALドラムスを引っ提げて日本武道館、大阪城ホール、マリンメッセ福岡A館を経て、Aichi Sky ExpoホールA、追加公演の武道館2Daysまで走り抜けるツアー。
今回の日本武道館は6月、7月、9月の凱旋追加公演、それぞれ2回ずつの計6回だ。
以下の写真はその7月の武道館公演のようす。
30ショボンちゃんは2023年のツアー『Parade』から聖子ちゃんのバンドに参加し、今回で3回目。
前の2回ではウォルナットのキットを使用していたが今回はブビンガのキットで臨んだ。2012"、13"、16"、22"のコンフィギュレーション。40ショボンちゃん側から見るとこんな感じ。
80スネア・ドラムもブビンガの14"x5.5"。60ペダルはもちろん、一部のハードウェアもNATAL製だ。70このNATALラインナップで聖子ちゃんの数々の名曲のリズムを叩き出すのだ!
50そして今回もアコースティックのセットで活躍している「Cafe Racer」の小口径キット。
125コンフィギュレーションは12"、14"、18"。
シェルの素材は「チューリップ・ウッド」。
90スネア・ドラムはメイプルの14"×5.5"。110もちろんコチラのキットでもペダルはNATALを使用。120この2セットのNATALで「スーパー大物歌手」の14公演をこなす。100ヨレない、ブレない、間違えない…という理由で、どうもショボンちゃんは現場では「ターミネーター」と呼ばれているらしい。
スゲな(←秋田弁)。
そんなターミネーターのお仕事を手伝うことができてNATALの創始者アラン・シャープもさぞかし喜んでいることだろう。
ところで、以前にも書いたことがあったらゴメンよ。
大分前に読んだ音楽雑誌で読んだ「スティーブ・ガッド」へのインタビュー。
その中で聞き手が「アナタの夢は何ですか?」と問うとガッドはこう答えていた。
「私の夢はビッグ・バンドでフランク・シナトラのバックを務めることです」
かのスティーブ・ガッドでもそうなんですよ。
つまり、偉大な歌手の伴奏を務めることは楽器を奏でるモノとしての至福の喜びなのです。
今、ショボンちゃんはそれをやっている。130残すところあと4公演。
がんばれショボンちゃん!南の風に乗ってNATALで突っ走れ!140<『ショ盆まつり』はつづく>
 

200(一部敬称略 2025年7月12日 日本武道館にて撮影)

2025年7月27日 (日)

【訃報】クレオ・レーンのこと

  
またしても強力な「虫の知らせ」に驚いている。
一昨日、「MIDDLETON II」という新しいMarshallのBluetoothスピーカーが発売となり、メディアの方々を招待して発表会が催された。
私は「Marshallの歴史」の講義を依頼され、そういう仕事が嫌いではないので喜んでお引き受けした。
ただ、普段やる専門学校での講義であれば2~3時間かけてミッチリやるところを「15~20分に収めて欲しい」とリクエストされて、超短く内容をまとめ上げるのに四苦八苦してしまった。
結局、時間を持ち時間を少々オーバーしてしまいご迷惑をおかけしてしまった。
「Marshallの歴史」とくれば「ジム・マーシャルの人生」に他ならないので、その講義の内容にジムとのお別れ会のことを少し盛り込んだ。
その会が開か入れた場所はMarshallの工場からほど近い「ウィルトン・ホール」というところ。
Img_5850時は2012年5年27日。
会は「A celebration of a legendary life(伝説の人生を祝福する)」と題され、日本人どころか列席した東洋人は私ひとりだけだった。
Img_5966この時、私は前職から離れ、浪人の身だった。
とてもイギリスへ行く旅費を持ち合わせていなかったが、先代の社長からお誘いを頂戴し、「コレはナニがナンでも行かなくては!」と当時持っていたギターを9本ほど売りさばいて何とか旅費をヒネリ出した。
Img_5794一昨日の講義の持ち時間の中では細かい説明は一切できなかったが、資料を用意するために13年前のこの時の写真を引っ張り出しては懐かしく眺めていた。
Img_5790ジム・マーシャルはチャリティ精神に満ちた篤志家として有名だった。
生前は恵まれない子供たちの施設、病院、慈善団体に莫大な寄付を施して社会に貢献した。
その功績が認められて「大英帝国勲章(OBE=Order of the British Empire)」の称号を得た。
この時、そちら方面の関係者が大勢この会に集い、ジムに最後の謝意を表した。
その中にはジムがギター・アンプを作っていたことを知らない人も少なくなかったらしい。
この辺りのジムの所業を一昨日の講義で説明したかったワケ。Img_5927上に書いたようにこの時私はMashallから離れていたが、かつての仲間が大歓迎してくれてとてもうれしかった。
これは今年Marshall勤続40年を表彰されたスティーブ・ヒルとカール・タッカー。
Img_5803_2ケン・ブランと。
一度お会いしたかったのでこの時は本当にうれしかった。
そのケンもこの時から6年後に亡くなってしまった。
Img_5796前述のように音楽関係者より福祉関係の出席者が多かったのだが、ディープ・パープルのニック・シンパ―も出席していた。
私は元より顔を知らなかったのだが、エンジニアのスティーブ・ドーソンが「おいシゲ、ニック・シンパ―が来ているぞ!」と教えてくれたのだ。
ピート・タウンゼントからビデオ・レターも届いていた。
そうして音楽や楽器業界の関係者や福祉関係の方々が次々に登壇し、ジムへ感謝と惜別の言葉を贈った。
下はニコ・マクブレインのスピーチ。
親子ほども齢が違うニコは同じドラマーとしてジムからとても可愛がられ、この日のニコは司会の大役も務めた。
Img_5816そうしているウチに司会者から紹介され、壇には上がらず自分の席でスピーチをした女性がいた。
司会者が口にした女性の名前は「Cleo Laine DBE」。
「DBE」は「Dame Commander of the Order of the British Empire」の略。
いわゆる「デイム」。
すなわち男性の「ナイト(Knight)」に相当する女性への敬称だからかなり地位の高い人。
イヤイヤ、そんなことよりも、私にとってはイギリスの大御所ジャズ・シンガーの「クレオ・レーン」なのだ!

もちろん歌手としての人気も高く、後で知ったことだがデイム・クレオ・レーンは1974年のメロディ・メーカー誌の人気投票の「国際女性歌手」という部門で第2位を獲得しているそうだ。

この時の第1位は「アメリカで1番ギャラが高い歌手」、エラ・フィッツジェラルドだった。

Img_5837私も詳しいワケではないが、シェイクスピアの言葉を題材にしたアルバム『Shakespeare and All That Jazz』というアルバムや…008a0003メル・トーメと共演したコンコルド盤『Nothing Without You』なんてアルバムを聴いていたのでこの時はビックリしたね。008a0002そのクレオ・レーンが24日に94歳で亡くなった。
ちょうどその日、上に書いたように資料を作成するためにこのあたりの写真を目にしていたので本当に驚いた。
Img_5835_21927年(昭和2年)の生まれでジムの6歳年下。
周囲の人にジムとはどういう関係なのかとこの時尋ねたところ、「幼友達らしいよ」という答えが返って来た。
確かにスピーチではそんな昔話をしていた。
 
デイム・クレオ・レーン…
イギリスの大ジャズ歌手のご逝去を心より悼み謹んでお悔やみ申し上げます
Img_5836会の詳しいレポートはコチラ⇒ジム・マーシャルの生涯を祝う会Img_5851 

200_3 (敬称略 2012年5月27日 Bletchley Wilton Hallにて撮影)

2025年7月 9日 (水)

THE GOOD-BYE 40周年記念コンサートDVD付属マーブロ写真館<B館>

 
「THE GOOD-BYE40周年記念イヤー」の最後を飾るコンサート・ツアーの東京公演の様子を丸々収録したDVDが発売された。
今日は前回に引き続き、Marshall Blogが勝手に開館したそのDVDに付属する写真館の<B館>をご案内。0r4a0092ショウは中盤。
バンドがステージを離れ、THE GOOD-BYEの3人によるアコースティック・セットが始まった。
野村さんがベース、ヤッチンはアコースティック・ギター、そして今回の衛藤さんはウクレレではなく、ブラシを手にして「エド・シグペン(Ed Thigpen))ばりにスネア・ドラムを操った。
エド・シグペンは長年にわたってオスカー・ピーターソンのバックを務めた名ドラマー。
やっぱり「Ed」と「花のお江戸」でつながっているんだネェ。
そういえば…エドはもう15年前に亡くなってしまったが、それよりズッと前のこと、NAMMショウで誰も気が付かないエドを見かけて「あ、エド・シグペンだ!」とひとりで色めき立っている私にエドも気づき、微笑みながら私に向かってパチリと片目を閉じてくれたことがあった。
それがすごくカッコよくて、うれしかった。
今だったらスマホで一緒に写真を撮ったんだけどナァ。
「男性のウインク」なんて日本人がやったら絶対に気持ち悪いよ。30_2そんな衛藤さんのブラシ・ワークと歌で2019年に30年ぶりに発表した10枚目のアルバム『Special ThanX』から「笑顔がICHIBAN」を披露。20_eiMCをはさんで加賀八郎さん作の「僕らの祈り」。50_bi情感豊かに歌い上げるヤッチン。60_2衛藤さんはハーモニカも披露した。
3人の加賀さんへの想いが込められた感動的な演奏だった。70_2バンドがステージに戻って、添田さんの柔らかなシンセサイザーのサウンドをバックに…90_2のっつがシタールの音でエキゾチックなフレーズを重ねる。80_oot曲は「OUT OF THE TIME」。
ココから「裏グッバイ」。
「グッバイってこんな曲を演るの?」というような曲を取り上げるコーナー。
コレがいいのよ!
100_2ナポレオン・ジャケットを身にまとった3人がまず演奏したのは…110ポップ度をゆるめたロック要素が濃いナンバー。
120_2こういう曲もまたTHE GOOD-BYEの音楽の大きな魅力だ。130_2そのまま次の曲へ。
和佐田さんの重く太いベースが唸るのは…140「白夜のREVOLUTION」。150_brワウワウ・ペダルを踏み、歌詞に出て来る「Purple Haze」をクォートする野村さんのソロ。160さらにヤッチンのギター・ソロも飛び出してくる。180ヤッチンはいつも通りMarshall。
この時はMarshallのフラッグシップ・モデル「JVM210H」と「1960A」をプレイした。190v_2そしてツイン・リード・ギターのパートに突入。
ハードなTHE GOOD-BYE…すごく好き。200_2続けては再びキーボーズ・チームの出番。
例のエキゾチックなアンサンブルから…
210v_awヤッチンのストラミングが加わって「Another World」。
240vこの曲もヤッチンがソロのコンサートで時折取り上げる1曲だ。230バッチリとキマりました!245v_omakeジャケットを脱いで「Mass-Communication」。250_mcTHE POLICEっぽいサウンドにシリアスな歌詞。
「♪Mass-communication people」のコーラスがバツグンにカッコいい。
260衛藤さんのビート・スタートによる次の曲は…290_cm『Special ThanX』から「ちょっと待って」。
エキサイティングな野村さんの歌に…
300_2ヴァイオリンを弾かないsourcesの2人の「♪ちょっと待って」のコーラスが鉄壁の布陣でかぶさってくる!310_2ヤッチンのソロ!を交えて…320「♪帰えらなきゃ!」
野村さんと完璧に同期するフォーメーションはお見事!330再び衛藤さんのビート・スタート。118a0098同じく『Special ThanX』から「アカンBe love」。
実際に何かよっぽど「アカンこと」でもあったかのように、ヤッチンがクレッシェンド気味に歌っていく「♪アカン、アカン、アカン、アカン」のパートには強い気魄が感じられた。
350そんなアカンほど熱のこもった演奏に客席は大興奮!
340_ablコーラスや振り付けでも大活躍のsourcesのヴァイオリンの綾太郎くんと…360v_2隼人くん。
今回はほとんどの曲に2人のヴァイオリンのバッキングが加わり、そのカッコいいアレンジが曲を華麗に彩った。370v添田さんが弾く愛らしいメロディのピアノが導くのは「Real Me」。118a0748ゴキゲンなロック・ビートに乗って野村さんがストレートに歌い込む。380_rmヤッチンのソロ。
芯がシッカリしたとても良い音色だ。
390_2曲の最後はお客さんの掛け声を得て大エキサイト!400_aiaiさぁ、いよいよクライマックス!
ヤッチンのソロのライブでも欠かすことのできない「YES! YES!! YES!!!」が続く。118a1217 「♪Nice!!」420衛藤さんのコーラスも大活躍して…118a0488 「♪Nice!!」440野村さんのソロから…450v_2最後の「♪Nice!!」
3回ともバッチリとタオルが宙を舞った!460「祭り気分でTAKE A CHANCE」はヤッチンが弾くイントロ・リフでスタート。
ムムム、コレもカラっとしていてとてもいいギターの音!118a1153ボーカルズを分け合い、そしてハモる。
野村さんが歌うハモリのパートがまたどの曲もカッコいいんだよね。470_mktcスリリングなバンド・アンサンブルからのっつのシャープなシンセサイザーのソロ。490_2曲がブレイクするとヤッチンがステージの前に歩み出てリフをプレイ。0r4a0091_2すごい歓声!
500一方、下手では野村さんも前に出て来てソロをブチかます!510ステージの両端でギタリスト2人が大きな喝采を浴びた。520アッと言う間に本編最後!
『Special ThanX』から「LOVE」。530_lvココでも2人でボーカルズを分け合った味わい深い演奏を聴かせてくれた。540_lv本編全18曲。
シングルA面、B面、レア曲、最新曲、最高な盛りだくさんなプログラム。
ヤッチンがピックを遠投してメンバー全員がステージを離れた。550そしてアンコール。
全員お揃いのツアーTシャツに着替えてステージに登場し、まずは1989年7月発表のシングル「25ans」を演奏。560_25続いて同じく1989年にリリースしたアルバム『Revolution No.9』収録の「Hong Kong Blues」。
この曲を発表した頃は香港ってまだイギリスの租借地だったんだよね。
キャリアを感じるナァ。570_hkb最後のTHE GOOD-BYEの40周年記念コンサートの東京公演を締めくくったのはこの曲。580_krg「♪You!」…590v「悲しきRadio Girl」だ!600THE GOOD-BYEの40周年おめでとうございました!610完璧な演奏で3人を盛り立てたバンド・メンバーの皆さん。
素晴らしい演奏だった!
620v 630v 640 650感動のエンディング!660「どうもありがとうございました!」670最後に野村さんがベースを片手に加賀八郎さんを紹介した。680大きな大きな歓声を浴びてステージを去って行くTHE GOOD-BYEの3人。690お客さんは手を振りながら3人を送り出し、「THE GOOD-BYEのテーマ」を大合唱した。
ああ、実にいいコンサートだった!
 
THE GOOD-BYEは8月30日の札幌を皮切りに全国7ケ所を回るツアーが予定されている。
それも楽しみ!
700曾我泰久の詳しい情報はコチラ⇒soga21.com710vDVDのお買い求めはコチラ⇒Guts EntertainmentSleeve<おしまい>
 200(一部敬称略 2024年8月18日 昭和女子大学人見記念講堂にて撮影)

2025年7月 7日 (月)

THE GOOD-BYE 40周年記念コンサートDVD付属マーブロ写真館<A館>

  
2023年、THE GOOD-BYEはデビュー40周年を迎え、それを記念するコンサートが開催された。0r4a0035東京公演は9月10日、場所は昭和女子大学人見記念講堂。
その様子はMarhall Blogでレポートした。35そして、年が明けて2024年。
その40周年記念イヤーを締めくくるコンサートが催された。008a0005_2 場所は同じ、昭和女子大学人見記念講堂。
人見に始まり、人見に終わるいかにも「元気」が出そうな企画だったのだが…THE GOOD-BYEファンやヤッチン・ファンの皆さんのうち、1人か2人は気が付いていらっしゃるのではなかろうか?
イヤ、気が付いてチョーダイ!
そう、そのコンサートのレポートがMarshall Blogに載らなかったのである!
コレは大事件でしょう?
エ、そうでもない?
20理由はコレ。
その2024年8月18日の公演が全編収録されていて、この度その模様が2枚組DVDとなって発売されたのだ。
要するにいわゆる「ネタバレ」を避け、このDVDの発表を待ってMarshal Blogにレポートを掲載するという段取りだったのだ。0r4a00027 さて、そのDVDが出来上がってジャケットを見てビックリ仰天有頂天(←コレは古すぎるか?)!
私が撮影した写真がジャケットの表裏合計でナント108+1枚も使われているではないの~!
どうもありがとうございます!15Marshallアンプをご愛用頂いているヤッチンの流れから、THE GOOD-BYEを初めて撮影させて頂いたのは30周年の時のこと。
それからもう10年に渡ってシャッターを切らせて頂いているんです。
上質の音楽をこの上なく楽しく聴かせてくれるTHE GOOD-BYEやヤッチンのコンサートの様子を写真に収める仕事に私が大きな誇りを抱いて臨んでいることは改めて申すまでもないでしょう。10さて今回のDVD、ショウの内容が本当に丸々収録されている。
ココまで充実した内容ともなるとファンの皆さんが羨ましいね。
もちろん競っているワケでは全くないけれど、こうなると動きもしなければ音も出ないMarshall Blogのレポートは到底DVDに太刀打ちできませんな。
そもそもDVDで観られる内容をワザワザ写真と文字で綴ったところでファンの皆さんがよろこんでくれる道理はあるまい。
ということは…DVDで見ることができないモノをMarshall Blogでお見せすればいいんでないの?とハタと閃いた。
で、考えた。
その答えはジャケットに使われていないロング(=ヒキ)とヨコ組みの写真と見た!
メンバーのソロのタテ組の写真は虫メガネ片手にジャケットで楽しんで頂くとして、今回のMarshall BlogのTHE GOOD-BYEの「40周年記念ファイナル・コンサート」のレポートは、記事のタイトルにあるようにDVDに付属している「写真館」というスタイルでお届けします。
 
さあ、開場の時間が近づいて来ましたよ~!30ハイ、満員御礼!40「右、左、右、左」…開宴時間となり、「赤いポルシェ」のインストゥルメンタル・バージョンをBGMに、隊列をなしてステージに姿を現したTHE GOOD-BYEとサポート・ミュージシャンの皆さん。501曲目は「赤いポルシェ~TAKE OFF」。50_ap野村義男60曾我泰久70衛藤浩一8040周年イヤーを締めくくるTHE GOOD-BYE。901曲目からいきなりハイライト!100背中を合わせてギター・アンサンブルを奏でる野村さんとヤッチン。110vそして、奥の方からは衛藤さんの歌声。120チョット照れた感じも初々しく、楽しそうにこのアクションを決めた2人。130MCを経て曲は1983年9月に発表したデビュー・シングル「気まぐれOne Way Boy」。
DVDには楽しいMCも丸々収録されていますからね。
ココからしばらくはTHE GOOD-BYEのシングルA面の特集。
140_kowbヤッチンがキメのフレーズを弾いてエンディングへ。118a0402ヤッチンはいつも通りMarshall。
この時はMarshallのフラッグシップ・モデル「JVM210H」と「1960A」をプレイした。160vギター・アンサンブルのイントロがうれしい「涙のティーンエイジ・ブルース」。
150_ntbこの曲は1983年のシングル…40年前にはこんな3連リズムのロック曲がシングル盤として世に出されていたんだネェ。
まだまだいい時代だった。170vスインギーなベースがゴキゲンな「モダンボーイ狂想曲」。
加賀さんのパートを担当したのは今回も名手・和佐田達彦。
190vTHE GOOD-BYEのバックを固めたのは…
 
添田啓二180vsourcesの3人、野津永恒…200加賀谷綾太郎…210日髙隼人。220「モダンボーイ狂想曲」は1984年3月の3枚目のシングル。
しつこく同じようなことを書いて恐縮ですが、こうしたジャズ・ビートの曲で勝負に臨むことができた時代でもあったんですナァ。
というか、THE GOOD-BYEってホントに色んなことをやっていたんだよね~。230_mbk「モダンボーイ狂騒曲」の4か月後にリリースした「YOU惑-MAY惑」。
歌詞は野村さん、曲はヤッチン。
私は大学4年生でジャズに狂ってロックは全く聴いていない時期だったんだけど、この曲は知ってる。
うまいことやるナァ…とタイトルに感心したことを覚えている。240_nnその4か月後の「にくめないのがニクイのさ」。
コレもリリース当時に聴いた記憶がある。250_nnTHE GOOD-BYEって、歌詞もメロディもシッカリしたフックを曲の中に組み入れるのがとても上手なんだよね。
「フックのある曲ってナンですか?」て問われたら、最近私は「ブックオフへ行ってごらん」と答えるようにしている。
店員さんが「いらっしゃいませ、こんにちは!」と歓迎してくれる店内に流れているBGMは古今のヒット曲なんだけど、何となく人の耳に残りやすいパートを持っている曲ばかりを選んでかけているように思うのね。
イギリスでいえば「Old Grey Whistle Test」を通過した曲とでもいいましょうか?
この曲でいえば、歌の最後のつい口ずさみたくなっちゃう「♪にくめないのがニクイのさ」のパート。
40年前に耳にしたこのパートが今でもスッとでて来るワケ。
コレがフック。260v以上5曲、ヤッチンがシングルA面ナンバーをリリース順に演奏したことを説明。
もちろん客席は大盛り上がり!270v替わって今度はシングルB面曲特集。
まずは「Dance×3」。
「気まぐれOne Way Boy」のB面。
A面の作詞&作曲家が手掛けた曲だが、「Dance×3」は野村さんとヤッチンのコンビで作られた。
B面曲とはいえ、もうデビューシングルの時点で自作曲を世に問うていたんだね。
作者にしてみれば、本当はこっちをA面にしたかっただろうナァ。
280_dddヤッチンのスカ・ビートのスクラミングから「二人だけのクリスマス」。
「涙のティーンエイジ・ブルース」のB面。
も~、本当に律儀というか、さっきリリース順に演奏したA面曲に呼応する形でB曲も演奏しているの。290_2ch中間部のストリングスのパートがステキ!
310次も楽しい「浮気なロンリーガール」。
380「Da Doo Ron Ron」を思い出しちゃう。
つまりコレも3連曲。
今、テレビを見ていても3連のリズムの曲って流れて来ないでしょう?
やっぱりチャンと伝統に根差したバンドって3連の曲を演るんだよね。
300「YOU惑-MAY惑」のB面「Love Again」。340コレも実にいい曲。370_dmmb衛藤さんも絶好調!
実に楽しそうだ!
360vシングルB面特集の最後は「Don't make me blue」。
320_urgこの曲はヤッチンのソロでも時々取り上げられるからよく知っています。
350_la野村さんのソロがハードに炸裂!400v「シングルのA面よりB面の曲やアルバムの方が評判がヨカッタ」と毎回ヤッチンがMCで説明してくれるけど、両方いいわ。
言い換えると、今演奏したどの曲をA面に据えても十分に通用すると思う。
「どっちをA面にするか?」…バンドも制作サイドもリリースの際には毎回悩んだのではないでしょうか?390しばし3人でトーク。
ココもオモシロかったね。008a0240次のセクションはTHE GOOD-BYEのミュージカル『ラ・ボエーム'85 ミュージカル 原宿物語』からの2曲。
1996~2008年までロングランしたブロードウェイのミュージカル『RENT』の下地はプッチーニの「ラ・ボエーム」ですからね。
このミュージカルが始まった頃、ちょうどブロードウェイに行ったんだけど、チケットを手にれるために何日も寝袋で過ごす若い人が劇場の前にたくさんいてビックリした。
THE GOOD-BYEは『RENT』より10年以上前に「ラ・ボエーム」を演っていたんですな。
まずは「ペパーミントパティTelephone」。420_pptオールディーズっぽい曲調がうれしい。430続けて「Two Nights」。440v_tnこれも問答無用でいい曲。
このミュージカル、観てみたかったナァ。
また演ってくれないかナァ?450v綾太郎くんのソロ、カッコよし!118a0248このあたりから衛藤さんコーナー。
「衛藤さんコーナー」といえばヤッチンのファンク・ストラミングから始まるコレ。480vヨイショっと!
おなじみの「花のお江戸は華盛り」!
470衛藤さんが歌にトークに盛り上げに盛り上げてコンサートの前半を終了した。
 
曾我泰久の詳しい情報はコチラ⇒soga21.com
  
DVDのお買い求めはコチラ⇒Guts Entertainment490<B館>につづく
 

200(一部敬称略 2024年8月18日 昭和女子大学人見記念講堂にて撮影)

2025年3月19日 (水)

バリバリ最強No.1が帰って来た!~祝FEEL SO BAD復活


アレから9年近くも経ったのか…道理で懐かしいワケだ。
2016年12月、FEEL SO BAD(以下「FSB」)が自らのレーベル「TURBO DREAMS」を発足し、その発表会を開催した。10v当然、発表会ではFSBがエキサイティングなライブ演奏を披露。30川島だりあ40v倉田冬樹50vChris60v翔己70そして山口"PON"昌人。80vNATALのツーバスのキットがPONさんにとてもお似合いだった。90当時ピアノをやっていたウチの上の子が『地獄先生ぬ~べ~』の大ファンで、彼に頼まれて番組テーマ曲の「バリバリ最強No.1」の譜面を書いてあげたことがあった。
それゆえ曲は知ってはいたものの、恥ずかしながらそれがFEEL SO BADというバンドのモノであることは知らなかった。
そして、PONさんがNATALドラムスを使ってくださるようになってから、彼が「ぬ~べ~」のドラマーだったということを知った次第なんですわ。
その後、このレーベル発足記念会を期にMarshall Blogの取材でFSBのライブにお邪魔するようになった。
手を変え、品を変えの充実したステージで毎回とても楽しかった。
ところが好事魔多し…この発表会からわずか3年で冬樹さんがご逝去され、活動停止を余儀なくされてしまった。
下は冬樹さんが作ってくれた私の名前が入った「FSB CREW」の認識票。
認識番号が「1962」になっているのは私の生年でありMarshall「Bluesbreaker」のモデル・ナンバー。
私の宝物のひとつなのだ。110それからというもの、PONさんと色んな現場で一緒になると時折「またFSBが復活するといいのにね」なんて話をしていたら…
100復活!
去る3月17日、FEEL SO BADがTBSの朝の番組『ラヴィット!』に出演したのだ!
130もちろん演奏したのは「バリバリ最強No.1」。140ナント29年ぶりにこの曲をテレビで生演奏したという。
だりあさんは「ホントに古い曲」とおっしゃっていたが、ゼンゼン古くならないね。
それだけ曲の完成度が高いのであろう。
150PONさんもバリバリに暴れまくった!160PONさんが使ったドラム・キットには「NATAL」のロゴ・サイン。
うれしいね~。170Chrisは後ろにMarshallを従えてバリバリ!
「JCM2000 DSL100」と「1960A」。180翔己くんも相変わらずのテクニックでバリバリ。190そして誰よりもバリバリだったのはだりあさん!
210こうしてこのメンバーでFSBが活動を再開することが決まったというではないの!
うれしいね~!
200PONさん、楽しみにしていますゼ!
バリバリやってください!220v(一部敬称略 写真提供:山口"PON"昌人)

2024年12月28日 (土)

目黒鹿鳴館物語<その5:最終回>


アイドルについて
S:ところで、アイドルの方はいつ頃からブッキングするようになったんですか?S41a0101_1
P
:14~15年前ぐらいですか。
S:ナニか特別なキッカケがあったんですか?
P:BABY METALですね。
それまではゼンゼン関係なかったんですが、彼女たちがデビューする時にプロデューサーの方から「イベントをやりたい」という連絡をもらったんです。
「BABY METALはXをモチーフにしているので、活動のスタートは鹿鳴館でなければダメだ」ということだったんです。
Xと同じ流れで鹿鳴館からスタートにして、武道館でやって、ドームでやって、それでウェンブリーをやったんですよ。
S:へぇ~、完コピしないと気が済まないというワケですね?
P:そうなんですよ。
で、連絡をもらった時には正直よくはわからなかったんですが、とにかく「主旨はわかりました」ということにしてイベントをやってもらった。
当日を迎えて、リハーサルを見て、並んでいるお客さんを見て、本番を見て…自分が考えていた「アイドル」というモノとはゼンゼン違うじゃないか!コリャ勉強不足だったな!と感じたんです。
そうしたら、アイドルの運営の人たちがBABY METALが鹿鳴館で演やったことを聞きつけて「鹿鳴館でアイドルが演ってもいいんだ?」ということになった。
S:「ナンダ~、ペペさんってアイドルに理解があるんだ~?ウ~ケ~るぅ~!」というワケですね?
P:そうそう!
それで問い合わせが増えて来て、その中で「BELLRING少女ハート」というアイドル・グループが自分たちのホームグラウンドを探しているんだけど紹介していいか?という話があったんです。
「それはもうゼヒ」ということで、出てもらったら「昭和のイメージでやっているので鹿鳴館の雰囲気は理想通りです!」とスッカリ気に入ってもらったんですね。
もう解散してしまったんですが、それからBELLRING少女ハートは結構大きなハコで演るようになって、今から10年位前ですけど「地下アイドルのひとつの到達点」と言われたんです。
だからBELLRING少女ハートは他のアイドル・グループの憧れの的で、対バン希望者もたくさんできて、結果「アイドルに鹿鳴館あり」みたいになっていったんです。
S:なるほど、そうやって始まったんですね。
 
シーンを作るのはライブハウスではない
P:コレは他の取材でも話したことがあるんですが、これまで鹿鳴館が「ジャパメタやるぞ」とか「ヴィジュアル系にするぞ」とか「アイドルで喰っていくぞ」みたいに舵取りをしたことって1回もないんですS41a0116_1よ。
S:時代がそうさせてきた?
P:そうなんですよ。だからカッコをつけて言うワケじゃありませんが、よく言う「ライブハウスが音楽シーンを作る」なんてのは絶対ウソですよ。
やっぱりシーンを作るのはライブハウスに出ているバンドのジャンルの勢いなんですよ。
S:ライブハウスは出てもらっているだけ?
P:そうなんです。でも、出てもらうからにはこっちも必ず出演者に向き合った仕事をします。
ヨソではアイドルを出すと恥ずかしいと思うようなところもあるようですが、ウチの場合は「鹿鳴館に出ている」ということがひとつのステイタスになっているようなんです。
だから「鹿鳴館がアイドルを取り扱うようになってくれて本当にヨカッタです」とよく言われますよ。
S:すると「鹿鳴館のアイドルの歴史」ということになると、BABY METALが一番最初だった…という風に考えていいんですね?
P:そうですね。ボクの気持ちが切り替わったのはBABY METALからです。
 
************<コラム21:鹿鳴館を記録する>************
コレは目黒鹿鳴館ではなくてチッタ川崎。
NATALドラムスが使われたのでMarshall Blogの取材にお邪魔した。
ステージに上がっているのは「RED-i」というアイドル・グループ。
『赤く塗りつぶせ』という、戦前・戦中だったら間違いなく大変なことになっていたであろうタイトルを冠した単独公演のようす。
以前、告知ポスターが目に入ってこのチームが目黒鹿鳴館に定期的に出演していることは知っていた。
426当日、会場内を歩いて回ったところ…おお!客席にペペさん発見!(こんなことなら写真を撮っておけばよかったな)
ちゃんと応援に駆けつけていらっしゃってスッカリ感心してしまった。
こういう気持ちが出演者に伝わるんだろうネ。480   
ロックの今後
S:しかし、はじめの方の話に戻るようですが、ペペさんってこのビルに37年いらっしゃるワケでしょS41a0144_1う?
今回そこから離れなければならないなんてどうしようもなく寂しいんじゃないですか?
P:まだ実感がないんですよ。次の計画もだいたいのところは決まっているんですけどね。
とにかく休みたくないとは思っているんです。
S:ペペさんはそうしてロックの現場の真っただ中に長い間いらっしゃるいわゆる「ロックのプロ」ですが、これからのロックってどうなって行くとお考えですか?
P:漠然とですけど、「個人個人の中にあるロック」で残っていけばそれでいいと思うんですよね。
その人が「ロック」だと思えば「ロック」なワケで…。
ま、日本のロックに関して言えば、少子化の問題もあってもうコレ以上繁栄はしないと思っています。
最近は現場に行かない連中がSNSで世の中の「ロック」という音楽に対してゴチャゴチャ文句をつけたりしているでしょ? S41a0114_1_2
もうロックの定義なんてナンセンスだと思うんです。
好きにやるのがロックであって、「あんなのロックじゃネェ」とか言っている連中がロックじゃないワケです。
そういう連中に限って「全ての音楽を聴いて来た」ぐらいのことを言いたがるんです。
でも多分そういう連中よりボクの方が断然音楽を聴いていますよ。
ボクはタワー・レコードより「No Music, No Life」ですから!
通勤の時に聴いて、鹿鳴館で聴いて、Pepe Trickで聴いて、家に帰って聴いて、寝る時にまた聴いていますから!
S:アッハハ!職場がロックだからどうしたって聴く時間が長くなりますよね。
P:ロックだけではありませんからね。あらゆる音楽を聴いています。
新しい発見があるんです。さっきのアイドルもそうです。S41a0147_1
で、気に入ればジャンルの分け隔てなくお金を出してCDを買います。
サンプル盤のような無料でもらったCDにはあんまり価値を感じないんですね。
もう一種の職業病みたいなものなのか、サンプル盤は「仕事」として聴かなきゃならない感じになってしまって純粋に楽しむことができない。
まだ知らない名盤とかがあってワクワクしますから!
S:うらやましいな…。
ところで、ロックの高齢化はどういう風にご覧になっていますか?
P:ウ~ン、やっている方が還暦を越えて絶滅危惧種みたいになって、お客さんもアラフィフになって来ましたよね。
でも若い人もタマにいるにはいるんですよ。
LAメタルが好きな若者が仙台にいて、「仙台にいてもどうにもならない」と思って東京に出てきたら、状況が仙台とまったく変わらなかった!…でも逆にそれで火がついてしまった。
結果として仙台にいるままだったら決してつくことのなかった火ですね。
ただ、そういう若い人たちは幻を見ているところもあって、ボクはドンズバでLAメタルを聴いていましたが、彼らが今想像しているのと当時の実際の状況は大きく違っていましたからね。
当時のロサンゼルスのことはわかりませんが、日本では彼らが想像しているより盛り上がっていなかったんだよ…みたいな。
S:一方ではデジタル技術が進歩して音楽制作の現場の様相が大きく変わってしまった。
P:今はAIを使うので曲を作るペースがものスゴク速いんですよね。
そんなんで「作曲」なんて言えるのかどうか…。
S:まったく。
目黒の鹿鳴館とはもうすぐさよならになってしまいますが、今後もペペさんの音楽に対する姿勢は変わることがなさそうですね?S41a0139_1
P:はい。
自分でも楽しみながら、新しい鹿鳴館から皆さんが楽しめる音楽を強力に送り出していきたいと思っています。
S:楽しみですね!今後ともMarshallとNATALをよろしくお願いします。
P:もちろんです!
S:本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。
P:こちらこそ!
S:最後にひとつ…ペペさんが一番好きなバンドは誰ですか?
P:そりゃもうKISSです。
S:絶対にそうだと思いましたよ!S41a0005_1 ペペさんも昔のことをとてもよく覚えていらっしゃってね~。
当初「1時間もあれば大丈夫ですよね?」なんておっしゃっていたが、ナニをナニを!
フタを開けてみたら3時間近く語って頂くことになってしまった。
約40年分の話がまるで昨日のことを話しているかのように次から次へと飛び出してくるのだ。
今では話に出て来る皆さんのほとんど全員を存じ上げているので聞いていてとてもオモシロかったし、驚きの連続だった。
3時間がアッという間だった。
 
************<コラム22:鹿鳴館の思い出>************
最後に私自身の「鹿鳴館の思い出」を添えて『目黒鹿鳴館物語』の幕を降ろしたいと思う。
 
まずは…食べ物。
ライブハウスの近所においしいモノを食べさせる店があるかどうかはとても肝要なことでしてね。
目黒はJRの線路に向こうにあるこの「こんぴら茶屋」という讃岐うどんのお店がお気に入りで、鹿鳴館に行く前、かなりの確率でココで腹ごしらえすることが多かった。10カレーうどんがウリのようなのだが、私はカツオ昆布だしの普通のおツユのうどんが好きだった。
下はお店の名前を冠した「こんぴらうどん」。
ナンだか知らないけど、ココはトッピングのお餅がすごっくおいしいのよ。
「そういえば、昔のお餅ってこうだったよな~」みたいな。
ココのうどんももう「思い出」になっちゃうだろうナァ。202さて、うどんの次はお詫びと訂正。
イヤ~、マイったわ。
このシリーズの冒頭で「初めて目黒鹿鳴館にお邪魔したのは2010年の『メガトン・クラブ』だった」と断言してしまったが、それが誤りであったことが判明した。
しからば、私が生まれて初めて目黒鹿鳴館に足を踏み入れたのは誰が出演した時だったか…答えは田川ヒロアキだった。
ヒロアキくんは<その1>を読んでくれて、私が誤りに気付いてソロソロ確認の連絡がある頃だろう…と思っていたって!
もちろんこの公演のことは覚えていたが、一番最初の鹿鳴館だったとは気が付かなかった!
もうこの時には「JVM210H」を使ってくれていたんだナァ。
まだJVMが「新商品」だった頃。
それから15年の間ズッ~と使ってくれている。
ヒロアキくんのギターの音の良さの秘密がココある。
30_2「覚えていないんじゃ『思い出』じゃないじゃん?」と言われそうだけど、とりあえずソレはほうっておけ。
2009年11月21日、『メガトン・クラブ』に先立つこと約1年、ヒロアキくんが『FLY AWAY』というリーダー・アルバムをリリースした時の記念ライブがそれだった。2tagawaヒロアキくんが上京して、初めて大きな単独公演を開催した場所がこの目黒鹿鳴館だった。
みんな目黒鹿鳴館から始まってるんだネェ。
イベンターの人に見込まれ、Summer Sonic、Loud Park、そしてこの目黒鹿鳴館の3本立ての企画で、
以前からアルバムのリリースを計画していたので、この鹿鳴館の公演を発売記念ライブにしたのだそうだ。
メンバーは和佐田達彦、長谷川浩二、はんだすなお。2tagawa2 私もこの時に初めて鹿鳴館でシャッターを切ったことになるワケだが、撮ったウチの1枚が制作サイドの方に気に入られ、しばらくの間(今でも時々)ヒロアキくんのオフィシャル・ポートレイトとして使用された。
それが下の写真。目黒鹿鳴館で撮影したのだ。40v次がその勘違いしていた2010年12月21日の『メガトン・クラブ』。
スゲ~人だったナァ。
既にこの時はイスがあることを知っていたので「座って観られるのは助かるナァ」なんて思ったのも束の間。
それはトンデモナイ間違いで、長丁場の最初から最後まで始終立ちっぱなしでクタクタになってしまった。50この時、白田さんが出演されていた。55この後、白田さんにはアチコチでご一緒させて頂いたが、最近は全くご無沙汰で、数年前にメールのやり取りを少ししただけだった。
お身体の調子が思わしくないということは耳にしていたが、去年、いきなり訃報が飛び込んで来て本当にビックリした。60v2013年3月20日に開催された女性シンガーを主役に据えた『QUEENS OF NOISE IN TOKYO』というイベント。
出演したのはTAKAEITA。63EITAちゃんは最も付き合いの古いギタリストのひとり。
このイベントとは別に『EITA PARK』という自らの名前を冠したイベントを鹿鳴館で何度か開催している。50v_5この時、TAKAEちゃんは元気イッパイに声を張り上げていた。64vイベントではKRUBERABLINKAが後に続いた。66一風変わった歌詞と独特な曲づくり、そして卓越した演奏で私はこのバンドがとても好きだった。
ゼヒまた活動して欲しいバンドのひとつ。67vそしてイベントのトリを務めたのはRAJAS。
何度も書いて来た通り、私はジャパメタを全く通っていないのでこのバンドを存じ上げなかった。68反対にRAJASの福村さんのことはEITAちゃんが属していた「時空海賊SEVEN SEASのマネ―ジャー」として古くから存じ上げていた。
ところが、ドラマーだったということは噂程度にしか耳にしていなくて、失敬ながら福村さんがココでスティックを握っている姿を初めて目にしてすごく驚いた。
69v鹿鳴館はタマにしかお目にかかることができない東京近郊以外に在住しているミュージシャンに会うことが出来る場所でもあった。
下は2013年6月14日の『EITA PARK』に出演したEBONY EYES。
69_1この時、久しぶりに金谷幸久さんにお会いした。
金谷さんは関西を中心に活発な活動を展開し、今でも熱心にMarshallをお使い頂いて素晴らしいギター・サウンドを出してもらっている。
ありがたいことである。69_3_2013_6_14鹿鳴館のステージをMarshallで埋め尽くしたこともあった。702013年11月、今はもうないバンドのビデオの収録だった。
100アレ?今と床の色が違っていたんだネェ。
ね?こういうことは案外覚えていないものなのよ。
80コレ、始まりの時間が遅くて、ひと通り終わったのが真夜中だった。
夜に滅法弱い私はヘロヘロになって帰宅したことを覚えている。
でもやっぱり「Marshallの壁」ってのはいいもんだな。
鹿鳴館のステージにピッタリだ。902013年12月1日。
コレは2回目の『様式美大作戦』。120この時から『様式美大作戦』の東京公演は目黒鹿鳴館がホームとなった。Ysb ゲストとして足立"YOU"祐二さんが出演した。
私はYOUさんの訃報をいち早く三宅庸介さんから受け取ったのだが、その時は本当に信じられなかった。
130PONさんのメッセージにあったようにBLIND BIRDの初の単独公演も目黒鹿鳴館だった。135私はこのバンドが好きだった。
メンバーの個性が際立っていて、歌詞も曲もアレンジも他の凡百のバンドとは異なる私好みのサウンドだったのだ。
PONさんのドラムスは言うに及ばず、優也くんのギターもカッコ良かったし、何と言ってもベースが河野さんだったから。
そしてあの独特な直志さんの歌声が曲にベストマッチしていた。
だからライブがあると欠かさずMarshall Blogの取材にお邪魔した。
136v直志さんはステージで数曲ギターを弾くのでギター・アンプを自ら持参していたが、それはMarshallではなかった。でも私はそれを気にすることは全くなかった。
ある時、渋谷のライブハウスの楽屋で直志さんが真顔で私にこう尋ねて来たことがあった。
「あの~…ナンでそんなに我々に親切にしてくれるんですか?」
直志さんは後に私が取材の請求書でも送り付けて来るのではないか?と心配していたのであろうか?
模範的な回答としては、「PONさんがNATAL、優也くんがMarshallを愛用してくれているので、ブログでライブのレポートをするとブランドの宣伝になるんですよ」となるのだが、私はそうは答えなかった。
本心からとっさに「BLIND BIRDが好きだからですよ!」と返答した。
事実だから仕方がない。
そして…その後のことだったように記憶しているが、直志さんのギター・アンプがMarshallの「JCM800 2203」に替わった。
直志さんはそんな人だった。
PONさんから訃報を耳にした時、あまりに突然すぎて意味がわからなかった。
137こんなショウにもお邪魔したことがあった。
『ALICE in The DEAD WORLD FINAL HALLOWEEN Party』というイベント。
実はコレは鹿鳴館のスタッフのしきちゃんからのリクエストだった。
「Satan」という2人組のチームのギタリストが「Marshallを使っているので取材をして欲しい」という話だ。
1402014年の10月31日だからハロウィンの日だね。
鹿鳴館の入り口の階段の壁に左右の目にそれぞれ異なる色のコンタクトレンズを入れた男が写っているポスターが貼ってあって、予てからそれがチョット気になっていた。
それがSatanだった。
そんなこともあったのでしきちゃんのご要望に応えるべくお邪魔した。
すると…コレが大変に楽しかったのだ!
170お客さんがみんなこんな格好をして来てフロアで大騒ぎ!150終演後には仮装を施したお客さんたちの記念撮影をさせてもらったことも今となっては楽しい思い出だ。160鹿鳴館の令文さんも何度か取材させて頂いた。
コレは2014年11月2日の『BATTLE OF FORCE』というイベントのひと幕。180令文さんはMARINOで出演。
私にとっては2008年に中野サンプラザで観た『JAPAN HEAVY METAL FANTASY 関西なぐり込みギグ』以来2回目のMARINOだった。190中間さんのHURRY SCUARYやMEDUSA他が出演し、会場はパンパンでホール下手の壁際に設置した脚立の上に乗ったきり最後まで一度も下に降りることが出来ない有様だった。
その位置からは2階席の一番前が丸見えで、大谷一門会の門弟であるノンちゃんがうれしそうな表情で師匠の演奏を見守っている姿がよく見えた。
200v令文さんはこんなことをやっているけど、実は開演前はゼンゼン「グ~!」じゃなかったんですよ!
何が起こったのかは、令文さんと仲のヨカッタ方ならだいたいの察しがつくことだろう。
しかし演奏はスゴかった!
その開演前のイメージもあって、まさに「ギターの鬼神」と呼べるかのようなパフォーマンスだった。
195vああ、令文さんが出すMarshallの音が聴きたい!
ロック・ギター界は今こそ令文さんが必要なのだ!
私もリアルタイムでMARINOを知っているワケではないのでエラそうなことは言えないが、これからはこの令文さんのMarshallの音を聴いたことがない世代の連中ばかりになってしまうことがとても心配だ。210vペペさんが鹿鳴館をホームにしているバンドのひとつとして「高橋ヨシロウ」さんのお名前も挙げていらしゃった。
下はヨシロウさんのバンドで出演した時の令文さん。
2014年12月21日、ACTIONのデビュー30周年を記念する公演。220この時、私は写真の仕事を頼まれて、撮影スペースを確保するために前柵を設置してもらった。
ド派手な演出で、我ながらとてもいい感じに撮れてうれしかったね。
こうしてCO2もブッ放したんだよ。230それだけではなくてこんな赤い花ビラも舞わせたりして、それはそれはゴージャスなショウだった。240モチロン令文さんの「アクショ~ン!」もバッチリだった!260ちょうどこの頃、私が監修を務めた『アンプ大名鑑[Marshall編](スペースシャワーネットワーク刊)』という本が上梓されて、令文さんからご注文を頂戴し、この時に鹿鳴館でお渡しした。
下の写真はその時に鹿鳴館の楽屋の廊下で撮ったもの。
ちなみにこの本、定価は4,500円だったが、現在はインターネットで12,000~21,000円ぐらいの値段が付いていてちょっとビックリ。
私の苦労代が今頃上乗せになったんだな?
270vやっぱりペペさんも「本当にうまいギタリスト」として、令文さん、YOUさん、白田さんのお名前を挙げ、そのご逝去を本当に残念がっていらっしゃった。
250SHOW-YAが目黒鹿鳴館のステージに帰って来たのは2015年8月30日のこと。
この時も当然パンパンで、客席の後ろに立てた脚立の上でできる身動きと言えばカメラを持ち替えることだけだった。
ま、そういうことは今でもタマにあるもので、10年前のこの頃はそんな環境にも耐えることができた。
一方、とても耐えられなかったのは場内の気温。
も~、殺人的に暑くて、開演直後から着ていたシャツがすぐさまビチョビチョになってしまった。
終演後、楽屋で私の汗ダクの姿を見たSHOW-YAのメンバーからも「チョット大丈夫?」と心配されてしまったぐらいだった。
286この時の様子がDVDに収められ、私が撮影した写真をジャケットにご採用頂いた。
DVDを観ると、1曲目の「限界LOVERS」を歌い終えた恵子さんが「ものすごく暑い!」みたいなことをおっしゃっている。
そう、本当に暑かったのだ!
この後ぐらいにホール内のエアコンが入れ替わったのではあるまいか?
280この後も、Concerto Moon、BLINDMAN、様式美大作戦を中心に様々なライブにお邪魔してMarshall Blogの取材をさせて頂いた。
そして、コロナがやって来た。
Marshall Blogの記録を調べてみると、上に挙げたように2013年と2014年に最も足繁く通っていたようだが、コロナ騒ぎが始まった2020年はナント「0回」!
この年、目黒鹿鳴館に行くことは一度もなかった。
その沈黙を破ったのはやはりConcerto Moonだった。
翌2021年の7月17日、『Rain Fire』のレコ発公演だ。210717_rf2021年は他に11月21日のREACTIONの『FAREWELL』にお邪魔した。
Marshall Blogに掲載された2021年の鹿鳴館でのライブのレポートはこの2回だけ。2111212022年になって…やはりConcerto Moon。
1997年にリリースしたデビュー作『Fragment of the Moon』のリリース25周年を記念したアルバム再現ライブを5月7日に開催。
ね、コロナの期間中はこうしてステージの前を開けてくれていた。
コレが我々写真班にとってどれだけありがたいか…。
私も40度の熱が1週間続いて死ぬかと思ったコロナを憎んだが、この「前柵(英語では"Press Pit")」というコロナがもたらした恩恵に喜びを隠し得ないことが何度かあった…というのは正直なところ。
ところで、私はコーヒー牛乳を片手にペペさんが担当する照明が好きだった。
ピンスポットの当て方がキメ細やかで、とてもキレイな写真を撮ることができたからだ。
やっぱりぺぺさんは昔から様々なコンサートをご覧になっていて、ステージの上で起こっていることをいかに奇を衒うことなくお客に上手に見せるか…ということを体得されていたでしょうナァ。
220507その1週間後のBLINDMAN。
アルバム『Expansion』のレコ発公演の2回目。
コレも前の柵の中から撮影している。2205158月6日にはNAKED MACHINEが『Vanity of the World』のレコ発を開催。22080611月には再びBLINDMANが登場し…221103この年の最後にConcerto Moonがファンからのリクエスト曲を演奏する『Request of the Moon』を開催した。
2022年は5回。
結果、Marshall Blogとしてはコロナの全盛期だった2020年~2022年までの3年の間に目黒鹿鳴館で開催されたライブはこれらの合計7回しかレポートすることができなかった。
3年間でたったの7回だよ!
もちろん、コレはMarshall Blogの取材に限った話で、実際にはその他のショウが目黒鹿鳴館で数多く開催されていたのであろうが、ペペさんもさぞかし大変なことだったろう。221217こうして軌跡をたどってみると目黒鹿鳴館はMarshall Blogにとっても大事な大事なホームグラウンドであったことを実感するナァ。302この連載も今日で最後。
来年1月19日の最終日まで行く用事はもうなさそうだ。
310_2となると、鹿鳴館がホントに遠くへ行ってしまったようでとても寂しい。320Marshallを使った数えきれない名演・激演が繰り広げられたステージ。
37年の間Marshallが、そして10年の間NATALがお世話になりました!
 
最後に手前ミソながら…今回、Marshall Blogをやっていて本当にヨカッタと思った。
こうして目黒鹿鳴館の歴史と姿を半永久的に残すことができたし、ココで繰り広げられたライブの様子をいつでも、そしていつまでも見返すことができるのだから。
そんなことができるのは恐らく世界でもMarshall Blogがある日本だけではなかろうか?…知らんけど。
新しいモノだけが良いモノと妄信しがちな日本人とは大きく異なり、伝統こそを重んじるイギリス人のやり方なんかを見ていると、「残す」ということは「創る」のと同じぐらい大切だということを思い知る。
目黒鹿鳴館はファンの皆さんの心とMarshall Blogの中で生き続けるのだ。
そんなつもりで展開しているMarshall Blogに全面的な協力をしてくださった目黒鹿鳴館には心から感謝申し上げる次第である。Stage 末筆ながら、いつでもご親切にしてくださったペペさん、小関さん、しきちゃん、スタッフの皆さんに心から御礼を申し上げます。
そして新しい「鹿鳴館」に移ってもMarshall、NATAL、Marshall Blogをよろしくお願い申し上げます。
ペペさん、お忙しい所全面的なご協力をどうもありがとうございました!
330v<おしまい>

************<コラム22:鹿鳴館を記録する(番外編)>************
本記事を脱稿した後、ペペさんが昔の鹿鳴館の写真を発掘された。
目黒鹿鳴館を記録することがこの記事の大きな目的のひとつなので、それらの写真を拝借してココに掲載することとした。
1991年頃の様子だそうだ。
 
入り口から降りて来た階段の踊り場。
10_3ホール入り口のロビー。
自動販売機が置いてあったんだネェ。
昔の鹿鳴館はドリンクを取り扱っていなかったからね。
20「ALL NIGHT STUDIO」のサインを出しているところを見るとまだこの頃はスタジオが営業していたんですな?30_3コレは階席。
こんなに広かったのか!?40奥の楽屋。
まだ鏡が壁に取り付けられていなかった。50_2舞台へ上がる階段を上から見下ろしたところ。60v_2

☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆

エルトン・ジョンが絶賛してイギリスで人気爆発のNOVA TWINS!
 
<K.B.B.>

<Choose Your Fighter>


Marshall Recordsからのファースト・アルバム『スーパーノヴァ』絶賛発売中!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan9novatwinscd レコードもあり〼。(盤面の仕様は写真と異なる場合があります)
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
9ntv Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!

9img_9727 
200 (一部敬称略)

2024年12月27日 (金)

目黒鹿鳴館物語<その4>

 
鹿鳴館のアノ話
S:ところでこのホールだとか楽屋のフロアが地下にあると思っている人が多いですよね。
ココは地下ではない…廊下の窓を開けると地上ですもんね。
今は慣れましたけど、私も一番最初はココが地下だと思い込んでしまって、誰もいない時なんかはこの辺りが結構コワい感じがした。
お差し支えがなければそっち方面のお話を…噂では学生服を着た中学生の男の子が男子トイレに立っているとか…。S41a0141_1
P:そっちの話?ゼンゼン大丈夫ですよ!
その手の取材はこれまで何度も受けていますから。
S:あ、そうだったんですか?さすが!
P:ボクも3回ぐらい「不思議な体験」をしているんですよ。
実はボクも中学生を見ているんです。
S:ヒエ~!
P:2階で照明をやっていた時のことです。
2階席は関係者しか入れませんが、それを知らないでライブをやっている最中に勝手に上がって来ちゃう人がいるんですよ。
カメラマンとかだったら放っておきますが、そうではなくて一般のお客さんが上がって来た時にはピンスポの担当者の肩を叩いて「降りてもらえ」って合図をするワケ。
ある時、照明をやっていたボクの視界に見知らぬ中学生の男の子が入って来たんです。
ホントに白いシャツに白いズボン、メガネをかけたボウズ頭の子がしゃがんでいるんですよ。
最初はそういう衣装を着た出演者かと思ったんですが、そんなのいないし。
一般のお客さんが入ってきたのかとばかり思ってピンスポのヤツに合図をしたらソイツはキョトンとしているんです。
「しょうがね~な~、出て行ってもらえ」ってその子の方を指したらもう跡形もなく姿を消していたんです。その間、1秒ですよ!
S:やっぱり…。そりゃ間違いないな。
P:まぁ、期待を裏切るようで申し訳ないんですが、以前にもインターネットの取材の申し入れがあったんですが、鹿鳴館は女性のお客さんも多いし、アイドルも出ていますでしょ?
彼女たちをコワ怖がらせてはマズイということで取材を断ったんです。
でもオモシロ半分ではなくて真剣な取材だから…と何度も頼み込んでくるので事前に原稿をチェックさせてもらうことを条件にOKしたんです。
そして「霊能者」という方がやって来たんですが、来てすぐに「ココにはいない」って言うんです。
「以前はいたかもしれないけど、移動して行った」…って。
その場所のトップの人やスタッフが強力なパワーを持っていると霊が居づらくなって移動して行っちゃうんですって。S41a0113_1
S:「ペペさんパワー」ですね?
P:へへへ!
さっき3回経験したと言いましたが、他の2回も2階席だったんです。
でも全部コワくなかったんですよ。
よく聞く「ゾワゾワという感じ」が全くしなかった。
下からすごくキレイな手が上がって来て床をビチビチ叩くんですよ。
女の子が下から手を伸ばしたところで届く高さではないでしょ?

でも「ナンダ今のは?」という感じでゾッともナニもしませんでした。
S:私だったら飛び上がっちゃうナ。
P:でもね、スタジオをやっている時は終了時間を知らせるベルが勝手に鳴ったり、スタジオの中に誰かがいる気配がしたりで、予約が入っていない時の深夜ひとりの留守番はみんなイヤがっていましたよ。
さっき話したようにスタジオがあったところも地下ではないんですが、「地下だから」という思いこみでコワくなっちゃうということもあったようです。
S:私はココが地下ではないということが比較的すぐにわかりましたよ。
坂を下りて来る時に外の地形を見ていればわかる。
 
鹿鳴館の座敷わらし
S41a0101_1P:でもはじめの頃はコワく感じることもありましたよ。
一番コワかったのはトイレからホールに上がる階段。
S:トイレ自体ではなくて階段ですか?
P:そう。ナンカ人の気配を感じたんですよね。
それとステージに上がる階段。
ご存知の通り、鹿鳴館に出ていてメジャーに行ったバンドがいくつかありますよね?
メジャー・デビューして武道館で演りました、ドームで演奏りました、という大出世したバンド。
そういうバンドの人たちがみんなこういうんですよ…「他の会場でもそこそこ緊張するけど、鹿鳴館のステージに上がる階段が一番緊張します」って。
S:楽屋の向こうの細い階段?
P:はい。そういう風に言っていたバンドがひとつやふたつではなくて、何十組もいるんですよ。
理由はわからないんですけど、とにかく緊張するんですって。
でも別の言い方をすると「初心に帰ることができる」って言うんですよ。
あの階段が最初の頃の気持ちに戻してくれるというワケです。
S:まさか幽霊のせいとは思っていないから!
P:そう、ハハハ!
だから鹿鳴館にいるのは「霊」ではなくて「魔物」なんじゃないか…イヤ、魔物というか「座敷わらし」S41a0131_1みたいな?
それがいい意味の緊張をもたらして良い結果を生んでくれる。
S:座敷わらしを見ると幸運が訪れる…というヤツですね?
守護神がいるみたいな?
P:そうそうそうそう、そういう感じの方がつじつまが合う。
「悪霊」ではないと思えるのは、ウチでは事故が起きていないんですよ。
ま、イスがあったおかげで将棋倒しみたいな事故を防ぐことができた…ということもあるんですけどね。
「お祓いしてもらった方がいいよ」なんてことが全くなかったんです。
S:それはナニよりですよ!

************<コラム16:鹿鳴館を記録する>************
鹿鳴館のチョット手前のところ。
まっすぐ権之助坂を降りればすぐに右側に鹿鳴館。
右に曲がると道はグ~っと下がって行くかなり勾配のキツイ坂だ。
Img_2209この辺りは昔どうなっていたのか?…と思って去年神田の「古本祭り」で買った自慢の古地図のソフトを引っ張り出してきて江戸時代後期のようすを調べてみた。
それが下の地図。
江戸の昔、鹿鳴館があった場所は「中下目黒村入会(いりあい)」というところだったようだ。
この坂の右側の今コンビニがある辺りから目黒駅寄りは「肥前島原藩 松平主殿頭忠精(まつだいらとのものかみただきよ)」の領地と記されている。
鹿鳴館とはゼンゼン関係ないけど、島原は元は天領で松倉家が入封したが、あまりにもキツい治世をして農民をイジメたせいで1637年、天草四郎時貞の元で暴動が発生した。
コレが有名な「島原の乱」。
「島原の乱」ってキリスト教を弾圧することによって発生した暴動だと思われる向きがあるけど、そうではなくて松倉の圧政に対する農民の反抗だったのよ。
「乱など起こさせおってこのバカが!」ということで松倉家は改易(平民に格下げ、武士への量刑としては切腹の手前)させられ、後に徳川スタッフの松平家が入封した(直系、ご三家、ご三卿以外の德川関係者はみんな「松平さん」)
さらに『江戸三百藩(人文社刊)』という本で調べてみると、島原藩は中屋敷を持っておらず、上屋敷は有楽町、下屋敷は三田にあった。
だからこの目黒はただの島原藩が所有している土地だけだったのだろう。
一方、「入会地(いりあいち)」というのは、まぐさや萱などの飼料の原料を作るための近隣の住民(農民)の共有スペース。
要するにこのあたり一面はスカ~ンと野ッ原と田圃だったのであろう。
浅草の観音様の背後ですら「僻地」と呼ばれていた時代だから、言っちゃ悪いけど「目黒村」ともなるともう江戸の西の地の果てだったに違いない。
下の地図で目黒駅のすぐ下に見えているJALのロゴのような家紋は播磨三日月藩、森家の上屋敷。
ロゴはカッコいいけど石高は1万5千石だから大したことはない…そんな地の果てに上屋敷があるぐらいだからね。
Oldmapチョット坂を降りて左側に目をやる。
真ん中の黄色い非常階段が付いているビルが目黒鹿鳴館が入っている「ヤマザキビル」。Img_2207表から見るよりズッと大きいと思わない?Img_2765鹿鳴館の中に入って…ココは楽屋のスペース。
壁に窓が付いているでしょう?Img_2252それを開けるとすぐにコンクリート壁が現れる。Img_2298廊下の窓も同じ。
そう、インタビューに会ったようにココは地下ではなくて地上なの。
だって地下に窓がある建物なんてあるワケないでしょ?…と言っても楽屋には入らない一般の皆さんにはピンと来ないか?
言い換えると、皆さんがアタマを振って腕を振り上げてライブを楽しんでいるあのホールは地上2階にあるのです。
つまり目黒鹿鳴館は地下では全くないし、地下は存在すらしない。
このビルがあの坂の下のレベルに建てられているからこうなるんだね。
裏から見るとこのビルが大きく感じるのもそのせい。
タメになるね~。
この楽屋スペースが1階だから、そこから数えると道路に面している入り口は4階ぐらいになるのかな?
いまだにココが地下だと思っている人が多いようなので最後にこのことを明らかにした次第。Img_2247廊下の入り口側。
ロビーから降りて来る階段の背面にトイレがある。
Img_1801_1_2せっかくだからトイレも記録しておこう。Img_1802_1ええい、ついでだ!コレが男子トイレ。
中学生の男の子をココで見たことがある…という噂はどうもデマだったようだ。
イヤ、「ペペさんパワー」が知らない間に退散させてしまったのであろう。
Img_1804_1そのトイレの横からホールへとつながっている階段。Img_1805_1ペペさんによると、ココに誰かがいるような感じがする…というのだ。
私も数えきれないぐらいこの階段を上り下りしたけど、サッパリわからなかったです。Img_1806_1その階段から上がって来てこのドアを通ってホールに入る。Img_2240廊下の反対側。
コレが楽屋スペースからステージに上がる階段。
前回KANちゃんも言っていたけど、出番直前のミュージシャンがココで大いに緊張するらしい。
ココも何度も行き来したけど、私は一度たりとも緊張したことがないわい。
Img_9842昔はこんなようすだった。S41a0157その階段を上がって、このドアを通ってステージに入る。Img_2233するとステージからはこんな景色が広がる…というワケだ。
2階席は結構な高さだからね、ペペさんが言っていた通り、女の人の手が上がって来るなんてことは絶対にあり得ない。
やっぱりペペさんは貴重なモノを目にしたな。Img_22242階席へ上がる階段。
関係者以外は立ち入り禁止だ。
Img_2222反対から見たところ。Img_2220昔はこんな感じだった。S41a0152_2照明のポジションから2階席を見る。
この辺りに中学生がしゃがんでいたんだネェ。Img_22172階からの舞台の風景。
こういう風に見える。
ステージは最後の目黒鹿鳴館の出番を待つばかりのCONCERTO MOONのセット。Img_2216ところで、この鹿鳴館の内装について本シリーズの<その1>にご登場頂いたREACTIONのユキさんからオモシロイお話を伺った。
ユキさんは、REACTION解散後に加入したDEVILSも解散し、「第二の人生」よろしく職人3人を擁する内装業の会社を立ち上げた。
そして、2010年に目黒鹿鳴館の前の社長から仕事の依頼があり、叙々苑の脇の入り口から一番奥の楽屋まで、電気設備や壁面の塗装、床貼り、ステージの補修等々ホール内を除くすべての箇所の改装を一括でユキさんの会社が請け負うことになった。
だからホール以外の今の鹿鳴館の内装はすべてユキさんたちの手によるものなのだそうだ。
だからこの真っ黒い黒い壁の塗装もそう。「漆黒にして欲しい」というリクエストがあったのだそうだ。Img_1807_1改装前、この奥の楽屋の床は土間コンクリートがムキ出になっていのだそうだ。それはヒドイな。
「キレイな部屋にして欲しい」というリクエストを受けてユキさんたちがコンクリートの上に床板を載せてこのような仕様になった。
Img_2249
ステージに上がる階段の壁の色にも当初は「漆黒」のリクエストが寄せられたが、本番で照明を落としてバンドがステージに上がる時、すべて黒い塗装にしてしまうと足元が見えず大変危険であるため、ユキさんのアドバイスでこの色が採用された。
実際に足を踏み外してひどい捻挫を負ってしまったバンドがあったのだ。
昔は底が高い靴を履いてステージに上がるバンドが多かったからね。Img_2248かつてはツーバスを擁するような特大のドラム・キットを使用する時は既成のドラム・ライザーに乗り切らないため舞台に直置きしていた。
そこでエキストラのライザーを製作して面積を広げ、大型のドラム・キットでも載せられるようにしたのもユキさん。
ずいぶん器用な人だ。
何でもおジイちゃんが大工さんで子供のころから大工仕事のお手伝いをしたそうだ。
ウチは父も祖父も大工で、学生時代は私も小遣い欲しさにずいぶん手伝った…けど、私は全然ダメ。
でも、下地の釘を打つ速さはそこらのヤツには負けないぜ。
結果、今、鹿鳴館でツーバスのドラマーがライザーに乗ることができるはユキさんのおかげなのだ。
このエキストラのライザーはユキさん個人で製作したもので鹿鳴館に寄贈された。S41a0447 それだけに<その1>のコメントにあるように、文字通り「鹿鳴館をともに作ってきた」という思いがあるそうだ。
下の写真は「ドヤ顔」のユキさん。S41a0541 
鹿鳴館伝説
S:(事務所内に飾ってあるポスターを指して)あの『鹿鳴館伝説』…アレは何年でしたっけ?
S41a0140_1_2
P:2010年と2012年…震災の年を挟んで2回やりました。
S:うれしかったでしょう?
P:そりゃうれしかったですよ!
S:出演者はどうやって決めたんですか?
P:純粋にボクが「鹿鳴館らしいイベントをやりたい」と言い出して、鹿鳴館に縁のあるジャパメタとヴィジュアル系の代表的なバンドを選んだんです。
普段だったら絶対に実現しない組み合わせもあって、ファンの間では「夢の共演」が実現したイベントだったんですよ。
S:それはイベントの醍醐味ですね。
P:JCBホール(現東京ドームシティホール)はスタンディングでキャパが3,000なんです。ま、初日のヴィジュアル系は入りがよくて1,500、2日目のジャパメタは1,000は入らないだろうな~、と読んでいたんです。
ところが、フタを開けてみると、初日が2,200、2日目は2,800ぐらい入ったんですよ。
ほぼほぼソールドアウトでした。
で、翌年にも開催しようと思ったんですが、結果的に震災でできなかったので、2年後の2012年に1日にまとめて開催したんです。
S:2回とも大成功してヨカッタですね!
P:まったく。
実は2020年には「40周年記念」のイベントをやろうと思ったんですが、コロナになっちゃったんです。
またメタル系とヴィジュアル系の2本立てという企画で、出演バンドにもオファーをして、会場も押さえてあったんですよ。
S:ウワァ、それは残念でしたね~。

************<コラム17:鹿鳴館を記録する>************
事務所内に飾られている『鹿鳴館伝説』のポスター。S41a0094_1JCBホールの満員のお客さんと出演者との記念撮影。
ぺぺさん、うれしかったろうナァ。11_0320

************<コラム18:鹿鳴館の思い出>************
来年30周年を迎えるBLINDMANを率いてきたギタリストの中村達也。
達也さんも鹿鳴館の古参のウチのひとりだ。
 
中村達也
S41a0747「初めて鹿鳴館のステージに立ったのは1987年。
それから37年の間ずっと継続的に出演していたわけではありませんが鹿鳴館はずっと大切な場所でした。
決して大きくはないけれど、ステージが高くてお客さんの顔が良く見える。
死ぬまで絶対に忘れない景色です。
そういえば、1989年の1月7日、昭和天皇が崩御された日にブッキングしていて、とにかく前例のないことだったので、当時のスタッフの方々がアチコチのライブハウスに連絡を取って営業するかしないかの検討していたのを思い出します(もちろんライブはキャンセルになりました)。
そして、新しい鹿鳴館にはボクらも出演したいし、若く新しい世代のバンドたちのためにも一日も早い再開を期待しています。
ペペさん、同じ齢どうしお互い身体に気を付けて頑張りましょうね!」
 
<BLINDMANは去る12月22日、目黒鹿鳴館の最後のステージを終えた。ショウのもようは後日Marshall Blogにてレポートします>0r4a0223

************<コラム19:鹿鳴館の思い出>************
PONさんも古い。
広島から上京してプロ・ドラマーとして初めて立ったステージが目黒鹿鳴館だったのだ。
 
山口PON昌人160v「かれこれ41年前、プロアーティストに憧れて上京した時、東京で初めて立ったステージが目黒鹿鳴館でした。
NOVELAやACTIONの曲を演奏するように頼まれてセッションに出ました。
慣れないメイクもされたりしてね!
それからはバンドを結成する度に必ずブッキングしてもらっていました。
そして遂に28歳の時にメジャーデビューしたのがFEEL SO BAD…その初ライブも鹿鳴館でした。
確かシークレットライブだった。
その後、活動の拠点を大阪に移して10年ほどご無沙汰だったんだけど、また東京に戻って2010年に結成したのがBLIND BIRDで、その初のワンマン・ライブも鹿鳴館で演りました。
様々なアーティストのサポートで数えきれないぐらい鹿鳴館の舞台に上がりました。その経験と仲間たちとの出会いで今の自分があると言っても過言じゃないと思います。
それと、常備のドラムスが現在エンドースしているNATALのメイプルのドラム・キットだったので常に安心して演奏できることがありがたかったですね。
機材を抱えて階段を上り下りしたこと、楽屋でバンド仲間や対バンの連中との大騒ぎ、SEが流れてドアを開けてステージへ入る瞬間などなどみんなと作った楽しいライブの思い出は一生忘れることがないでしょう。
新人スタッフで鹿鳴館に入って来た頃からペペさんには本当にお世話になりました。
目黒での鹿鳴館は一旦ピリオドになりますが、伝説はまだ終わらないはず。
楽しみにしてるし、これからもよろしく!
目黒鹿鳴館、本当にありがとう!そしてお疲れさまでした!」

<PONさんがメッセージの時に触れている2014年8月10日のBLIND BIRDの初のワンマンの時がコレ>Img_0046 <その時に撮ったPONさんの写真。NATALのスリー・バスドラム!>Img_0033_2 
************<コラム20:鹿鳴館の思い出>************
最後に目黒鹿鳴館に言葉を贈るのは島紀史。
ペペさんが「鹿鳴館ホーム」のバンドとして真っ先に頭に浮かべるというのがConcerto Moonだ。S41a0021「関西に住んでいたボクにとって目黒鹿鳴館は憧れのヘヴィメタル/ハードロックの殿堂でした。
そんなボクが初めて鹿鳴館で演奏したのはCRYSTAL CLEARの時代でしたが、それはレーベル主催のライブだったので、上京してConcerto Moonを結成して、やっと自分たちの看板で出演出来た時はメチャクチャうれしかったです。
目黒鹿鳴館は簡単に出演できるライブハウスではなかったし、そこに出演できるバンドをやっているということに誇りを感じていました。
それ以来、目黒鹿鳴館をホームグラウンドと言えるバンドでいたいと思っていました。
一度、演奏中に会場のすべての電源が落ちてしまったことがあるのですが、その時はトラブルにアセるどころか、「自分は鹿鳴館の電源を落とすぐらいラウドなバンドをやっているんだ!」と思い、興奮してそこから演奏のテンションが何段階も上がった記憶があります。
ペペちゃん、目黒鹿鳴館を守り続けてくれてありがとうございます!
アナタがいなければ鹿鳴館はなくなってしまっていたかも知れない…と思っています。
新天地での鹿鳴館で演奏するのが待ち遠しいです。
場所は変わってもアナタがいればそこは「鹿鳴館」です。
相変わらずマニアックなメタル話をしてテンションを上げてからステージを踏むことが出来るのを楽しみにしています!
鹿鳴館はいつまでもボクの憧れの場所であり、ホームグラウンドです。
また電源が落ちるぐらいのラウドな演奏をしてビックリさせてやるぜ、鹿鳴館!」
  
<通常、Concerto Moonはステージの背面にバンド・ロゴが入ったバナーを掲げていた>0r4a0039<下は去る12月14日の目黒鹿鳴館最後のConcerto Moonのステージ。
お気づきであろうか?
島さんはConcerto Moonのバナーを取り付けず、「鹿鳴館」のネオン・サインをあらわにして演奏したのだ。私はこのことに途中で気がついて、心を込めてシャッターを切ったわ>0r4a0015<最終回につづく>
 

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
イギリス南西部のコーニッシュ出身のキング・クリーチャー。
本場のブリティッシュ・ハードロックを存分にお楽しみあれ!

<Lowlife>

<Can You Forgive Me>


Marshall Recordsからのファースト・アルバム『ヴォリューム・ワン』絶賛発売中!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
7king_creature レコードもあり〼。
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan

9king_creature_volume_one_vinyl_moc Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!

9img_9727

200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)

2024年12月26日 (木)

目黒鹿鳴館物語<その3>

  
大型トラブル発生!
S:それではヒドイ目に遭った話を聞かせてください。S41a0003_1P:ヒドかった話ネェ…。
S:何やらたくさんありそうですね?
P:いっぱいありますよ~!
そうね~、アレはスゴかったナァ。
あるヴィジュアル系のバンドが仕切ったイベントでした。
S:一体ナニが起こったんですか?
P:はい、ヴィジュアル系のバンドだけを集めてやればよかったんですが、ナニを考えたのかハードコアのバンドと組み合わせた企画だったんです。
ハードコアの連中ってのはちょっとコワいワケですよ。
それで8バンドぐらいが集まってやるにはやったんです。
「やった」まではヨカッタんですが、ハードコアの連中にしてみるとヴィジュアル系なんてどうでもいいワケですよ。
ハードコアとヴィジュアル系が交互に出演して行って、このままナニも起こらなければいいナァ…なんて思っていたんですが、最後の最後に両方のバンドが出るセッションがあったんです。
それに出たハードコアのバンド・メンバーはわずかで、ヴィジュアル系のバンド・メンバーばっかりだっS41a0035たんですね。
その時演奏したのはセックス・ピストルズの「Anarchy in the UK」かなんかだったかな?
そうしたら2階にいたハードコアのファンの連中が「お前らナンだってパンクの曲なんか演ってんだ!」って怒り出してステージに向かって空き缶をガンガン投げ出したんです!
S:ハードコアの人たちはパンクが気に喰わないというワケですね?
P:でも、ビジュアル系のバンドの子たちはハードコアのバンドを恐れていたので、空き缶を投げられても反抗もナニもできなかったんです。
ところが、今度は1階にいたヴィジュアル系のファンの連中が「自分たちがヒイキにしているバンドに向かってナニをしてくれるんだ!」と怒り出して、2階席と1階席でお客さん同士のケンカが始まっちゃったんです!
S:ギャハハ!分断だ!
P:そう!そのケンカを止めるでもなくステージではそのまま

演奏が続いていたんですが、2階の連中がその場にあった長椅子を下の階へ放り投げたんです。
S:そんなムチャな!
P:ナニかに引っかかってズドンと直接下に落ちることはなかったので幸いケガ人は出なかったんですが、お客さんの1人が救急車を呼んじゃいましてネェ。
結局、救急車は来るし、警官は来るし、ライブは中断するし、マァ~、アレにはマイりましたよ。
 
禍福は糾える縄の如し
S:それは大変でしたネェ。天災は?…浸水とか。
P:そりゃありましたよ!
下水ではなかったんですが、上の階から水が漏れ出したんです。
場所がステージの上だったんですが、ビニールを張ってポタポタ垂れてくるのを防いでいたんですね。
漏れて来る水の量は多くないにしても段々ビニールに溜まっていっちゃうじゃないですか。S41a0009_1_2
で、あるバンドのアンコールの時にシンガーが上向いた瞬間にビニールがハズれてジャッバ~とやっちゃった!
S:まるでドリフ状態じゃないですか!
P:まったく!
他にも上の階の配管工事がオソマツで、トイレのところから上に上がる階段の壁が全部崩れ落ちたなんてこともありましたよ。
この楽屋も隣の配管がおかしくなって水浸しになったことがありましたね。
その時は汚水だったのでクサくて大変でしたよ!
S:そういう意味では近所のお付き合いなんかもご苦労があったんじゃないですか?
P:さっきもチョット触れましたが、最初の頃は店の前のお客さんの行列でこの辺りの商店会の会長さんからら毎日クレームが入ったんですよ。
我々も菓子折りを持って近所のお店に挨拶をして回ったりしたんですが、ある時から鹿鳴館のロゴが入ったシャツやジャケットを着てこのあたりの清掃活動をするようにしたんです…毎日欠かさず。
見てくれている人はよく見てくれていて、そのうち商店会の会合で新しく店を出した人から鹿鳴館に対するクレームが出たりすると「アナタのお店の前を掃除してくれているのは鹿鳴館さんなんですよ!」と、かつて鹿鳴館にクレームを入れて来ていた皆さんが味方をしてくれるようになったんです。
S:やりましたね~!気持ちが通じた。
P:で、周辺のお店とはうまくいくようにはなったんですが、通行人からクレームが入ることもありましてネェ。
店の前の道も狭いので、通行人の邪魔にならないように気をつけてはいたんですが、一度お客さんとその筋の人がモメてしまったことがあって、その仲裁に入ったなんてこともありましたよ。
ズ~っと手首をつかんで話をするんですよ…コワかった。
ま、大人しく引き下がってくれましたけどね…。
 
**********<コラム11:鹿鳴館を記録する>**********
その問題のイベントの時、このような長椅子を下の階に向けてココから放り投げたのだという。
そんなことしちゃダメよ、ダメダメ。
しかし、ペペさんたちもビックリしただろうナァ。
「客どうしのケンカ」といえば、コレはこれまで何度も書いているけど、私は武道館のテッド・ニュージェントのコンサートの最中にアリーナ席で外国人の客と警備員が取っ組み合いのケンカをしたのを目にしたことがある。団体戦でスゴイ迫力だった。
でも、おかげさまでライブハウスで危険な目に遭ったことはなかったナァ。Img_2219コレはステージの天井スラヴ。
先日のJill's ProjectのMCでDio Kenちゃんが「鹿鳴館のステージの天井は黒くない」ということを言っていたけどホントだわ。
打ちっぱなしのコンクリート。
ココから水が漏れていてドッパ~ンとなった。
見てみたかったナァ。
Img_2227ステージ上に設置されている照明群。
第1回目のコメントでユキさんが触れていたが、この中にREACTONの時に設置された照明機材が残っているかな?Img_2236楽屋エリアのようす。Img_2252ノンちゃん、チョット失礼!
かつてはココにも汚水が入り込んでしまったことがあったという。Img_2250楽屋用の部屋は奥にもうひとつあって、男女別、または喫煙/禁煙別で使い分けているバンドが多かった。
Img_2249

困ったお客さん
S:お客さんの中にも厄介な人がいたのでは?ゲロ吐いちゃうヤツとか。
P:ウ~ン、結構いましたネェ。
切ない話なんですけど印象に残っているのは…「たこ八郎」を思い浮かべてもらえばよいと思うのですが、ああいうパンチドランカーみたいな感じの人が、油まみれの汗臭い作業服を着てやって来るんですよ…週一ぐらいで。
S:ライブを観にくるんですか?
P:そう。メタルだろうがヴィジュアル系だろうが、そういうことはお構いなしで、3バンドぐらい出るイベントになると現れるんです。
でもナゼかワンマンの時には来ない。
とにかく酒と汗と油のニオイがスゴくてまったくしゃべらない。
で、受付でポケットから小銭を取り出してトレイの上にジャラジャラ置くんです。
5円玉とかも混ざっていて、それで何とかチャージを支払ってくれるんですよ。
当時の鹿鳴館はドリンクをやっていなかったのでチャージだけ支払ってもらう。
それで一番前の席に座って、ツマらないと思うと寝ちゃうんです。
ところが、寝ると小便をしちゃうんですよ!…寝小便ね。
反対に楽しくなると他の人たちと一緒になって「ワ~!」って騒ぐんですが、今度は周りのお客さんからクレームが来ちゃうんですよ…「あのオジさんがクサイ!」って。
S41a0025_1_2まぁ、ナニかしちゃってからでは遅いということはわかっているんですが、痴漢をするワケでもないし、人のモノに手を出すワケでもないのでこちらからはどうすることもできない。
「あの人もライブハウスが好きで来てくれるみんなと同じお客さんなのでわかってあげて~」って周りのお客さんには納得してもらいました。
S:そのお客さんはその後どうなったんですか?
P:気がついたら来なくなっていましたね。
ナンカこっちも勝手にストーリーを作っちゃって…だって2,000円も出せば他でイッパイできるのに、仕事をしてクタクタになった後、ライブを見に来てくれるワケでしょ?
キレイごとを言うつもりはありませんが、鹿鳴館はそういう人の心の拠り所にもなっていたんだナァと思うんです。
あの人のことを思い出すととても切なくなるんですよ…今どうしてんのかナァ。

一番お客さんが入ったライブ 
S:切なくなってしまったところで今度は景気よく行きましょう。
今までで一番客が入ったライブは誰でした?
P:(即座に)「Dancer」だと思います。解散ライブでは400以上入れましたからね。S41a0092_1_2
S:エエエエエッ?400人もッ?! 一体どうやって?
藤本泰司さんがやっていたバンドですね?
P:そうです。420近く入れたのかな?
メジャーに行く前、インディーズ界隈ではかなり惜しまれつつ解散しちゃったんですよ。
アルバムもよく出来ていましたし、本当の正統派のメタルというか、ハードロックのバンドでした。
その解散ライブだったんです。
S:メタルに人が群がる時代だったんですね。
しかし、400って…。
P:前売りで300とか350とか出してソールドアウトしたんです。
もう入りきらないので今だったらもうそこで打ち切りにしますけど、ナンカ知らないけど当日券を出したんですね。
S:だってホールに入れなければお客さんだって観ることができないでしょう?
P:そうです。だからホールの扉を開けっぱなしにして、ロビーまで満員にしたんです。
S:ヒョエ~!
P:でもそれどころじゃなくて、階段にまで入ってもらって、お客さんは手すりの下からアタマを出して見てもらったんです…ま、見えませんけどね。
あの光景は忘れることができません。
S:その反対は?つまりお客さんがゼロとか。
P:ワンマンで20人以下とかいうバンドはありましたよ。
ボクはそのバンドがニガテでしてネェ。
ライブもムダに長くて、そのバンドが出る時には仕事に来るのがユーウツでしたね。
S:ペペさんでもそんなことがあるんですか?
それにしても鹿鳴館のワンマンで20人じゃいくらなんでも寂しいですね~!
 

**********<コラム12:鹿鳴館を記録する>**********
ホールの扉を開けてロビーを望む。Img_2241反対にロビーからホール内を望む。
今はホールに誰もいないので見通すことができるけど、お客さんが入ってしまったらココからはナニも見えやしないって!Img_2242 この階段に座って首を手すりの間から出して逆方向を向いてホールの中を覗いたっていうんだけど…ますます見えるワケがない!
音だけなら家でレコード(この頃はもうCDかな?)を聴いているほうがよっぽどよかろうに!
姿は見えなくても、音を聴いて、一緒にその場にいる…ということだけで満足だったんだろうね。
「ファン」ってのはそういうもんなのね?
Img_1812_1_2 かく言う私も実は似たようなことをしたことがある。
1981年、キング・クリムゾンが初めて日本に来た時のこと…『Discipline』のレコ発ツアーね。
コンサートに行きたいものの小遣いが足りない。
でもどうしても観たい!
そこで思い立ち、家から自転車で5分の浅草国際劇場まで行って、中から漏れ聞こえて来る音だけを聴きに行くことにした。
外からだから、Dancerのファンより条件が悪いハズだった。
劇場の前で開演を待っていると、若い男性が近寄って来て、「スイマセン、友達が急に来れなくなってしまったんです。チケットをお持ちでないのであれば2,000円でこの余ったチケットを買い取ってもらえませんか?
どうせ売るのであればあの人たちに売るより、キング・クリムゾンが好きな人に買ってもらいたいんです」と、その男性は見るからに風体のよろしくないオジさんたちの方を指さした。
もちろんダフ屋の皆さんである。
ズボンのポケットに手をいれると千円札が3枚ぐらい入っていたので勿怪の幸いとばかりに即座に2枚の千円札を渡した。
チケットはS席で2階席の1番前だった。「コレで2,000円はラッキーすぎる!」と思ったことはココに書くまでもなかろう。
中学生の時からキング・クリムゾンが大好きだったので、そのコンサートは人生の中で忘れ得ない感動的なモノとなった。
前回、ペペさんが鹿鳴館でもダフ屋が出た話をされていたが、インターネットでコンサートのチケットを買い求めるようになった昨今、今でも「ダフ屋」って商売はあるのかね?
今は「転売ヤー」か?
皆さんきっと「昔はヨカッタなぁ」と思っていることでしょうナァ。
何でも昔はヨカッタよ。
Skd2  
鹿鳴館とMarshall
S:ところで、ペペさんが記憶している範囲で…Marshallは昔からズッと鹿鳴館のステージにあったんですか?
P:イエ、昔は鹿鳴館のステージには機材が備え付けられていなかったんです。
鹿鳴館は「オーディションが厳しい」って言われていて、ボクが1987年に入社して、その翌年からそのオーディションを担当したんです。
LUNA SEAを落としたのもボクなんです。
S:ギャハハ!ビートルズを失格にしたデッカのディック・ロウみたいですね?(Marshall Blog「ビートルズに勝った男」参照)
P:最終的には店長が合否をキメるんですけど、彼はライブをあんまり見ないんですよ。
それで「あのLUNA SEAってのどうだった?」って後で訊かれて「イヤ~、ダメですよ」なんてやっちゃった。S41a0069_1
そんなんで「鹿鳴館は敷居が高い」なんて言われていたんです。
一方では、鹿鳴館には機材がないので自分たちの機材や機材車がないと出ることができない…ということもあったんですね。
今ではハコの機材を使ってライブをやることは普通になっていますが、鹿鳴館はそれを許さなかった…というか、機材を持っていなかったので許しようがなかったんです。
その内、ドラムスを持っていないバンドがだんだん増えて来てしまった。
あるいはドラム・キットは持っているけど、それを運搬する車がないというバンドですね。
それで「コリャ鹿鳴館も機材を置かないとダメだな…」ということになって来たんです。
S:そう言われてみると、あの頃って屋根裏でもロフトでも備え付けの機材を持っていたのかな?
少なくとも今みたいに「Marshallが常備してあった」というイメージは全くないな。
実際自分もMarshallを中古で買って持ち込んでいましたし…。
P:当時はほとんどなかったと思いますよ。
S:イギリスには機材を常備しているライブハウスもありましたけど、海外は基本的に機材は用意されていませんもんね。
P:そうですよね。
それで「鹿鳴館も機材を置こう」ということになって、誰が持ち主だかわからなかったドラム・キットをS41a0052_1_2使ったり、ピーヴィーのベース・アンプを買い足したりしたんです。
当然ギター・アンプは最初からMarshallのスタックを2セット用意しました。
S:ありがとうございます!
それはザっと何年頃の話ですか?
P:1994、95年位かな~?
S:結構後になってからだったんですね?
それじゃお買い上げ頂いたのは「JCM900」だったのかな?
P:多分。
昔はココ(事務所の場所)でスタジオをやっていたんですが、そのMarshallは最初、そのスタジオ向けだったんです。
 
鹿鳴館のスタジオ
ココでインタビューの場所を事務所の中に移した。
S
:今でも階段の壁に「ALL NIGHT STUDIO」という黒いサインが残っていますけど、アレはどういう風になっていたんですか?S41a0096_1
P:この部屋(事務所)だけがスタジオだったんです。
かつてこのビルのオーナーだった人が経営していたんですが、ビルを手放すことになって、「この地下のスタジオも鹿鳴館が借りてくれないか」と言われて引き継いだんです。
S:ん?…ということは、上は鹿鳴館で下は別の人がスタジオをやっていたということなんですね?
P:そうそう。中がつながっていたのでチケットが取れない人気のあるバンドが出る時は、スタジオを借りて中から鹿鳴館に入ってライブを見た…なんてこともあったようです。
「今だから話すけど」と、後から聞いた話なんですが…。
S:それでその誘いに乗ってスタジオを引き継いで経営されたワケですか?
P:実はそれには乗り気ではなかったんですよ。
ところが第三者がそのスタジオを運営するということになると、共有部分が自由に使えなくなってしまう…そこで渋々借りたんですね。
それで「深夜料金1万円」なんてやっていたんですけど、シンバルの補充だけでもかなりコストがかさんでしまって「コリャ元が取れね~な」ということになった。
で、上の事務所が手狭になって来たこともあって、スタジオの経営からは撤退してココを事務所として使うことにしたんです。

************<コラム13:鹿鳴館の思い出>************
今回、目黒鹿鳴館の思い出を語って頂くのはNAKED MACHINEチームのふたり。
思い出してみるに、源ちゃんのことはかなり前から存じ上げていたが、2016年の4月に私が初めて5人組のNAKED MACHINEに接したのは目黒鹿鳴館だった。
下はその時のようす。
10 その後、メンバー・チェンジを経て、ペペさんおっしゃるところの「ホームにしているチームのひとつ」として鹿鳴館とは切っても切れない関係のバンドがNAKED MACHINE。
008a3950 まずはリーダーでギタリストの源ちゃんから。
 
里村源多朗S41a0005 「僕が初めて鹿鳴館に出演したのは割と遅く、1993年頃だったと思います。
その時、楽屋の横の事務所を覗くと、元Xのベーシスト沢田泰司さんが打ち合わせにいらしていて、Xファンだった当時のバンドのボーカルが驚いていた記憶があります。
それから10年後、まさか泰司さんと『音風』というバンドを結成するとはその時には夢にも思いませんでした。
2003年、鹿鳴館での音風の初ライブは超満員のソールドアウト。
フロアの扉は開きっぱなしでお客さんが溢れてた記憶があります。
現在NAKED MACHINEでは鹿鳴館RECORDSからCDをリリースさせて頂き大変お世話になっております。
そんな鹿鳴館ももうすぐ閉館、沢山の思い出をありがとうございました。
オーナーのぺぺさん、デンさん、シキちゃん、大変お世話になりました。
今後新たな地で『鹿鳴館』の歴史が始まることを期待しております」
  
************<コラム14:鹿鳴館の思い出>************
続いてはボーカルズのKANちゃん。
ペペさんと並ぶ「鹿鳴館の華」だけあって思い出は尽きないことでしょう。
 
KANS41a0626 「『目黒鹿鳴館』といえば!…私は小学生の頃からハードロックが好きで、中学時代は「将来バンドを始めたら絶対に毎月鹿鳴館で演奏するバンドマンになるんだ!」と思っていた憧れの聖地でした。
それから18歳位になってやっと鹿鳴館に出られるようになったのです。
その頃は今の楽屋と事務所の辺りはスタジオだったのですよ~!
で、階段の踊り場の横が事務所だったのですが、常連のバンドマンの先輩たちはその事務所から小さな窓をくぐり抜けて2階席に行くのです。
それがカッコよくて、いつかそれをするのが許される人になりたくて、初めてその窓から行き来できた時はうれしかったな~。
ペペちゃんがこれまで目黒鹿鳴館を支え、発展させ、そして動かしてきた功績はみんなの希望の証です。本当にスゴい!
ペペちゃんがアルバイトで鹿鳴館に来た時からアッあっという間に時が経ちましたが、今でも一緒に日々笑い、励まし合っている私の人生には無くてはならない大切な存在です。
そして忘れてはいけないのは、スタッフのデンさんとしきちゃん!
各バンドのステージ上での諸々を記憶していてくれて、毎回完璧な対応を施してくれました。
しきちゃんが、Marshallアンプをヒョイッと持ち上げた時は驚いた!
本当に安心して身をゆだねることができたことに感謝しています。
ところで、楽屋裏から舞台に上がる細い階段があるのですが、ライブが終わって高いブーツを履いたままその階段を降りる時、何回か落ちたことがありましたが、反対にあの階段を上がる時の緊張感はいつも変わらない「聖なる瞬間」でしたね。
長い間ずっと鹿鳴館に居ることができて本当にうれしかったです…『憧れていた場所』が『いつも居られる場所』になったのですから。
私の人生に目黒鹿鳴館が現れてくれたことに心から感謝します!
今はない歩道橋、打ち上げ後の蕎麦屋『与一』、エレベーターが無い搬出入、折り畳みのイス席…全部覚えておくよ~!
私はあのステージからの景色を忘れないでこれからも生きていきます。
ひとます、目黒の地でお疲れさまでした。
そして、次の鹿鳴館でもお世話になりますね!
そう、新たな『鹿鳴館』も楽しみでしかありません。
またずっとホームとして出られるようにNAKED MACHINEもがんばります。
これからも健康で一緒にワクワクして行こうね!
ありがとうペペちゃん、ありがとうスタッフのみんな!
これからもお支えします!」
 
<NAKED MACHINEは去る12月21日に最後の鹿鳴館での単独の公演を予定していたが、ドラマーの本間大嗣さんの椎間板ヘルニアが悪化し、やむなく内容を変更しての上演となった。
私も椎間板ヘルニアで塗炭の苦しみを味わった。本間さんが「稲妻のような激痛」と表現していたけど、ホント、アレは「苦痛のチャンピオン」としか思えないような苦しみだから!
最後にもう1度目黒鹿鳴館のステージに上がったNAKED MACHINEの姿を見てみたかったが、この判断は仕方のないところであろう。
代りに源ちゃんのソロ演奏と…>0r4a0095 <メンバー3人によるトーク・ショウが上演された。
滅多に目にすることのできない出し物を観ようと大勢のファンが駆けつけて大いに盛り上がった(詳細は後日Marshall Blogでレポートします)。
新しい鹿鳴館のステージ上がったNAKED MACHINEの雄姿が待ち遠しい!>
0r4a0150  
************<コラム15:鹿鳴館を記録する>************
ロビーから…Img_1815_1楽屋の階に降りる階段。
Img_1810_1その壁にペペさんやkANちゃんが述べていたスタジオがあった痕跡が残っている。Img_1809 廊下の突き当りの左、楽屋スペースの隣にある今は事務所として使っている部屋がかつてはそのスタジオだった。
部屋はこのひとつだけ。
Img_1799_1スタジオを始めた時に導入したMarshallのハーフ・スタック2セットがコレ。
やはり「JCM900 4100」と「1960A」だった。S41a0167 ちなみにペペさんが語っている「手狭になった上の事務所」とは踊り場の受付の右のところにある小部屋。
あ、しきちゃんが写ってる。
KANちゃんのメッセージにあったように、しきちゃんはいつもステージ周りの面倒をみている鹿鳴館の重要なスタッフのひとり。
新しいところへ行ってもよろしくね!Img_2243今、そのかつての事務所はこんな具合。
そうだ!コレを見て思い出した。
鹿鳴館にはバーがなくて、昔はドリンクをやっていなかったわ。
この小部屋から…Img_22452階席のPA卓の後ろあたりにつながっていた。
コレがKANちゃんが憧れていたという2階席への抜け道。
実は、前のMarshallの社長を鹿鳴館に連れて来たことがあった。
その時、ちょうど音響設備を入れ替えたばかりで、今はなき鹿鳴館の前の社長が英語で直々にその新しい設備をウチの社長に説明してくれた。
その音響設備を操っているのがデンさん。
Img_2244オマケ的に…。
PA卓と照明卓の配線。
2階席に上がって写真を撮る時にいつもコレが気になっていた。
ナゼかというと…Img_2305 このベトナムの街で目にした電線のようすを思わせてくれたから!320v_2 <つづく>
 

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
北アイルランドのベテラン、Therapy?。
 
<Nowhere>

<Die Laughing>

Therapy?のベスト・アルバム『グレーテスト・ヒッツ(2022バージョンズ)』絶賛発売中!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan

Tp2 レコードもあり〼。
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan71a1607a645e78e5e1e83054dc506989 Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!

9img_9727

200 (一部敬称略 写真提供:ぺぺさん)

2024年12月25日 (水)

目黒鹿鳴館物語<その2>

 
目黒鹿鳴館入社

S:ナニはともあれ念願の音楽関係の仕事に就けてヨカッタですね。
S41a0005_1_2P:ハイ。でもマァ、色々とこき使われましたよ。
今で言うパワハラみたいなことも普通にありましたし。
でも、そうして一生懸命やっていたのでバイトから社員に格上げしてくれたんです。
それで「音響をやってもらう」って…。
S:社員になるとPA担当になるんですか?
P:そう。でも仕事の最初はピンスポの担当から始まるんです。
アルバイトは照明までしか担当させてもらえなかったんですよ。
ところが、「PA」と言われてもボクは音響の学校を出ているワケでもないのでどうやっていいのかサッパリわからない。
すると店長が「ああ~大丈夫、大丈夫!後ろで見てオレのを盗めばいいんだから」と言われて1、2週間やったんです。
ナニひとつ教わらないで「ハイ、後はその人のセンスだから。最初は後ろに付いていてあげる」で終わり。
結局ナニも盗めなかったんですよ!
S:アレは見ているだけは絶対わからないと思いますよ。
慣れている人は作業も速いし。
P:そうなんですよ!どれぐらいの音を出せばよいのかなんて全然わからない。
しかもボクは19歳ぐらいで、出演者はみんな年上じゃないですか?
もうコワかったんですが、昔はボクも長髪で痩せていて皆さんに可愛がってもらいましてね…特にガーS41a0020_1ル・バンドの皆さんとか「ペペちゃん、ペペちゃん」なんて言ってもらっちゃって…で、そのガールズ・バンドの人がミュージシャンの彼氏に「ペペちゃんを可愛がってあげて!」なんてやってくれるワケです。
S:実際、ペペさんはカワイイですからね、目が。
P:アハハハハ!
S:しかし、それからはズッ~~~と鹿鳴館?
P:そうです…1987年からズッと。
S:スゴイですね。私なんかMarshall社は3つめの勤め先ですからね。
P:ナンカあんまり働いているという感覚がないんですよ。
そりゃ仕事に対して悔しい思いや辛い経験もしましたが、好きなことなので…というか、コレをやりに田舎から出て来たので今までアっという間でしたよ。
S:以前はよくペペさんがデカい紙パックのコーヒー牛乳を片手にピンスポを動かしているのを目にしましたが、アレにはそんな職歴が背後にあったんですね?私はペペさんの照明が大好きでしたよ!
だって「コンサート」というモノをよくご存知だもん。
P:アハハハハハハハ!
 
***********<コラム4:鹿鳴館を記録する>************
真ん中が昔のぺぺさん。
ピントが合ってないこともあるが、この写真を見て私は真剣に「アレ?西田敏行が来たんですか?」とペペさんに訊いてしまった。
「イヤ、それがオレです」って。S41a0165昔の鹿鳴館の入り口。
マリーンのポスターが時代を感じさせるナァ。
え?もしかして鹿鳴館に出演していたの?
コレは『サマー・ナイト』というアルバムのポスターでリリースは1982年だそうです。
そんな時分に撮った写真だとしたらコレは鹿鳴館がオープンしてから2年後のモノだ。
S41a0151 
ペペさんの下積み時代
S:そんな状態で一番最初に音響を担当したバンドって誰だったんですか?
P:「Magician’s Birthday」という当時30歳ぐらいのハードロックのバンドでした。
S:ユーライア・ヒープが好きだったのかな?
P:それが時間を守らないバンドでしてネェ。持ち時間が40分とか45分なのに平気で1時間を越したりするんですよ!
S41a0009_1当時は音出しが9時までだったんです。
6時から始めて、転換も含めて1時間ずつ3バンド演奏して終わりが9時。
ところがそのバンドが時間をオーバーするもんだから9時に終わらずに大騒ぎ。
すると先輩たちが「山口!オマエがチャンと言わないからダメなんだよ!」って言うんですよ。
相手はかなり年上でしたからね、「エエエエ?オレが言うんスか?」ってなもんです。
こういうことはブッキングの担当者の仕事なんですけど、しょうがないから「あの~、時間を守ってもらいたいんですけど」って言いに行ったんですよ。
そしたら「へへへ、迷惑をかけるつもりはないんだけどね~…ノッちゃうとね~、止まらないんだよね~」とか言われて困ったことがありました。S41a0047_1_2
でも当時はそういうバンドがたくさんいましたよ。「自由」と言えば自由な時代だった。
S:ルールを無視するのがロックだゼ!みたいな?
好きな仕事とはいえ、そういうご苦労は絶えなかった?
P:まぁ、色々ありましたネェ。
当時は今と違って「出待ち、入り待ち」がスゴくて、店の前なんかもうグッチャグチャになっていたんですよ。
すると近所のゲームセンターの人とかがもう怒鳴り込んで来ましてね。
こっちは隣近所に迷惑をかけるワケにはいきませんから、店の前にいる女の子たちに「移動してくれ」って頼むんですが、彼女たちも意地になっちゃってテコでも動いてくれない。
困りましてね…で、考えたのがその日のライブが終わってから、出演したミュージシャンがステージに落としたピックをかき集めてその子たちに「コレをあげるからどっかヨソへ行って!」ってやったんです。
そんなことをしているウチに向こうもボクに親しくしてくれるようになって、「ペペちゃんが怒られちゃうからアッチへ行こう!」なんて協力してくれるようになったんです。アレはアレでいい経験でしたよ。
S:それはウマいことを考えましたね~。

***********<コラム5:鹿鳴館を記録する>************
鹿鳴館が入っているヤマザキビル。Img_2753お店の前の歩道の幅員は普通で特に狭いワケではないが、ココに若いヤツらがひしめき合って通行の邪魔をしていれば近隣の人はハラが立って当然だわナァ。
ペペさんも大変だったと思う。
Img_2211 
ジャパメタについて
P:ボクが鹿鳴館に入った1987年は、時代的にはジャパメタ・ブームのピークだったです…まだ「X」が出て来る前ね。
S:ペペさん、途中でちょっとゴメンなさい。
私は1980年に入った頃からロックとはゼンゼン異なる音楽に夢中になっていたものですから、「ジャパメタ」なるモノを全く通っていないんですよ…それでMarshallか?って怒られちゃいそうですけど、70年代の洋楽なら人後に落ちることはまずありませんから!
で、「Xが出て来る前」ということになると、「ジャパメタ・ブーム」というのは一体ダレが火をつけたということになるんですか?EARTHSHAKERとかの世代?S41a0013_1_2
P:イヤイヤ、シェイカーは「第2世代」ですよね。
言ってみればBOW WOWとか、LOUDNESSが「第1世代」。
それからEARTH SHAKER、ANTHEM、44MAGNUM、ACTION、BLIZARDとかの「第2世代」につながるワケです。
で、「第3世代」がREACTIONとか、PRESENCEとかDEAD ENDとかの世代になるんだと思います。
それが1987年ぐらいになると、そうしたバンドが次々にメジャー・デビューをして大きな会場でライブをやるようになった。
その後にもバンドは出て来ましたが、ブームは段々終焉に向かい出した。
その頃にXが出て来たんですよ。
S:へぇ~、そういう感じだったんですか?
P:はい。正確に言うとXは「出て来た」のではなくて元々別のメンバーで存在していてチョット他のバンドとは違う感じだったんです。
当時のジャパメタよりもスラッシュ・メタルみたいにもっと激しい感じって言えばいいのかな?…すごくハデでね。
で、メンバーの何人かはすでに別のバンドで鹿鳴館に出ていたこともあってXも出るようになった。
S:なるほど…。
 
ライブハウスは危ない?
P:当時はライブハウスも黎明期というか、今とは違って親に「ライブハウス行ってきます!」って言えないような怪しい場所だったんですよね。
S:そうだったと思います。
私は高校生だった70年代の後半から屋根裏とかロフトに通っていましたが、確かにライブハウスはコワいイメージでしたよ。当時は店内でタバコもゼンゼンOKでしたしね。
P:そうそう、ヴィジュアル系も市民権を得るようになって、Xの頃から「ライブハウスというモノはそういう怪しい場所ではない」という風に変わったんですね。
テレビなんかにもライブハウスが出て来るようになったし。
で、その時代にライブハウスに通っていた人たちが親になっていますからね。
今ではライブハウスもそんなに煙たがられることがなくなったワケです。
S:ライブハウス周辺でブラブラしているお兄さん、お姉さんがまたコワかった。
いつ行ってもそこにいる人たちが何人かいた。
P:はい。この辺の高校なんて「鹿鳴館の前を通ってはいけません」という校則があったぐらいなんですよ!マジで。
目黒駅に行くのに鹿鳴館のところはワザワザ道路の反対側へ渡って通過するという規則なんですよ!S41a0019_1
P&S:ギャハハハハ!(大爆笑!)
P:それでも「行ってみたいナァ」って子がいるので先生がこのあたりをパトロールしていましたよ。
だから制服なんかでは絶対に行かれない。
埼玉とかからは制服で来ている子がいましたけどね…この辺の学校の生徒はムリ。
S:昔はライブハウスに高校生なんてまずいないのが普通でした。
そもそもロックを聴いている子が少数派でしたから。
だから私はどこへ行っても必ず一番年下でした。
それがいつの間にかどこへ行っても最年長になっちゃいましたよ!
P:そうでしょ?ボクも鹿鳴館に入った頃は一番年下でした。
お客さんに年下がホンの少しいたかな?
S:そうして若い子が鹿鳴館にも来るようになってなんかトラブルがあったりしました?
P:忘れもしませんよ。見るからに中学生の子が近所の居酒屋で酔いつぶれていたことがあったんですよ。
あの頃は居酒屋もかなりいい加減でしたけど、打ち上げの時なんかバンドもファンも居酒屋へ行って一緒になってメチャクチャやっちゃうんですよ。
おかげでバンドマンはこの辺りの居酒屋に出入り禁止になっていましたからね。
長髪にしているだけで出入りが許されない。
S:ま、ご苦労はあってもそのジャパメタの第3世代が来て、ものすごく盛り上がったというのは「とても良い思い出」ということですよね?
P:そうですね。

***********<コラム6:鹿鳴館を記録する>************
近くの高校生たちは道路の反対側に渡り、こんな景色を見て目黒駅へ向かっていたのであろうか?
そういえば昔、ココに歩道橋があったよね?Img_2751 「あ~あ、学校帰りに入ってみたいナァ、鹿鳴館」Img_2760_2 この高校生の話って実は他人ごとではなくて、今から約30年前、初めてニューヨークへ行った時、あまり治安がよくないと聞かされていた「バワリー・ストリート」というところをビクビクしながら歩いていると、「ドォォォォン、ドォォォォン」という不吉な低音が聞こえて来た。
何事かと思ったらそこにニューヨーク・パンクの殿堂の「CBGB」があった。
もうコワくてね、目黒の高校生のように店の前を通らずにワザワザ通りを渡ってCBGBを遠巻きにしながら通過した。
ペペさんの話をお聞きしてこの時のことを思い出してしまった。Cbgb2 で、こうして通りの反対側に来て初めて気がついたんだけど、コレ以前は「筑前屋」とかいう焼きとん屋が上に入っていたんですかね?
いつのことかナァ。かすかに覚えているような…覚えていないような。
その後に叙々苑が入ったのかな?
Img_2759  
Xの思い出
S:いわゆる「鹿鳴館が育てた」的な代表的なバンドというと?
P:「育てた」というワケではありませんが、鹿鳴館をホームグランドにしていてテレビに出るようになったバンドということで言えば、X、LUNA SEA、GLAY。S41a0066_1
Xは違いますが、他は鹿鳴館のオーディションから入っていますのでね。
S:私が高校生の頃はライブハウスに出るだけでも大変だった。
P:そうです。Xはベースの沢田泰司さんがボクが入る前の鹿鳴館の店長の高校の後輩だったんです。
その店長がXのツアー・マネージャー兼PAをやっていたので鹿鳴館がホームグランドになったんです。
で、1988年にメジャー・デビューして「紅白歌合戦」にも出るようになったんですが、当時、鹿鳴館では大みそかに「オールナイト・メタル・パーティ」というのをやっていたんです。
それでXの連中がNHKホールの後、必ず鹿鳴館に来てくれていたんです。
お客さんもそれを知っているもんだからNHKホールから全部流れて来ちゃう!
だって、こんな小さなライブハウスなのにダフ屋が出ていたんですよ!S41a0089_1S:ヒエエエエ!ダフ屋が?! 実際に演奏もするんですか?
P:タマにメンバーがステージに上がることはあっても演奏はしませんでした。
紅白も終わったし、後輩のバンドがたくさん出ているし、朝までやっているしで、自分たちも混ざってワイワイ楽しみに来ていたんです。
メチャクチャになっていましたけどオモシロかった!
アレには「ライブハウスの本質」を見たような気がしましたよ。
バンドのメンバーが楽しんでいるところを見てお客さんが楽しむ…みたいな。
S:そのイベントに出て今でも活動しているバンドはいますか?
P:東京ヤンキースとMUCCぐらいかな?
GLAYは出ませんでしたけど、LUNA SEAは一度出たことがありました。
S:しからば、今、鹿鳴館をホームグラウンドにしてくれている現役のロックのバンドとなると誰が思い浮かびますか?
P:CONCERTO MOON、BLINDMAN、岡垣さんのイベント…ズッ~と現役で「鹿鳴館がホーム」ということになると、一番最初に名前が出て来るのはやっぱりCONCERTO MOONかな?
あと高橋ヨシロウさんのバンドもそうですね。
S:それほど古くないにしてもNAKED MACHINEも?
P:もちろんです。
 
***********<コラム7:鹿鳴館の思い出>***********
「鹿鳴館の思い出」の第2回目はまず、ペペさんが「鹿鳴館をホームにしているバンド」のひとつに挙げていた岡垣さんの登場。
 
岡垣"JILL"正志0r4a0603「1984年にTERRA ROSAで初めて東京に遠征した時の会場が目黒鹿鳴館でした。
権之助坂に機材車を停車してその看板を目にした時『これがあの有名な目黒鹿鳴館か!東京進出頑張ろう!』と意気込んだのが40年前。
それ以来、初の全国ツアー、メジャー・デビューライブ、レコ発ライブ、そして解散ライブと、関東ではTERRA ROSAの節目の時には目黒鹿鳴館でライブを行うのが慣例となりました。
TERRA ROSAが解散した後も梅ちゃん祭、マンドレ祭、パープディープル、レインボー伝説などのセッション・イベントに出演したり、Metal総進撃、様式美大作戦といった自主企画イベントを目黒鹿鳴館で開催させて頂いてきました。
その慣れ親しんだステージの上から今年の11月に見た景色は40年前と変わらずとても素敵で、その時『この風景を見るのもコレで最後なんだな…』と思ってちょっとセンチメンタルになりましたね。
そして、鹿鳴館といえば本当に温かいスタッフの皆さん!
特別な安堵感があって、毎回『いつもの感じでお願いしま~す』で伝わる空気感の素晴らしさ。
ライブ中にブレーカーが落ちて停電状態になっても1度も不安になったことがありませんでした。
自分にとってそんな特別なホーム感がある目黒鹿鳴館が大好きでした。
エレベーターがない鹿鳴館では道路から2階分の階段を下りて人力でホールに機材を運ぶ必要があって、キーボードやアンプやスピーカー等、重くて大きな機材が多い私にとってはそれがかなりの力仕事で体力的にも精神的にも鍛えられた気がします。
1991年のTERRA ROSAのライブ・レコーディングでは48chオープンリール・レコーダーを持ち込んだのですが、人力ではその長い階段を降ろすことができなかったので電動昇降装置で搬入してもらい『こういう方法もあるのか!』と感動したのを覚えています。
派手さを求めて照明を追加したり、特効のCO2ボンベを複数持ち込んで会場を煙まみれにしたり、好き勝手をやらせてもらって舞台裏の面白さも知ることができました。
本当にタメになった『目黒鹿鳴館の日々』でした。
このライブハウスがなければ関西人である私にとって恐らく『目黒』という場所を頻繁に訪れる機会はなかったハズです。
関東でのライブの拠点として活動させて頂けたこと、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
最後になりますが、ぺぺさん、長きに渡り本当にお世話になりました!
思えば自分と同じく『Deep Purple好き』、『Rainbow好き』ということもあって、様式美イベントをいつも気持ちよく開催させて頂き感謝しております!
また新天地でも同じスタッフの皆さんと一緒にステージを作っていきたいと心から思っております。
今後もお世話になるつもりですので引き続きよろしくお願いいたします!」
 
<昔の鹿鳴館の入り口には出演バンドの情報が張り出されていた。
いいね~、すべて手書き!

その真ん中…TERRA ROSAの出演を告知している。
よく見ると「Final Concert」と題されていて「解散」の文字が見えるではないか。
コレは文字通り1991年の12月に開かれた解散コンサートの告知。
岡垣さんのコメントにある48チャンネルのレコーディング機材が持ち込まれたのはこの時>

S41a0154_2<そしてこのライブアルバム『Live・・・Final Class Day』が誕生した。
ジャケットに使われている写真を見ると、すべて2階席から撮ったモノだね?
きっと1階はパンパンで撮影するスペースがまったくなかったのであろう>
91_12_21<2024年11月9日、『様式美大作戦2024』のこのJill's Projectのステージが岡垣さんの最後の目黒鹿鳴館での演奏となった>0r4a0727 
***********<コラム8:鹿鳴館を記録する>************
では、鹿鳴館の入り口の様子を記録しておこう。
歩道に向かってつけられている電飾の看板。Img_2213かつて入り口の右側には焼肉の「叙々苑」が入っていた。Img_9829このネオンサインが上の岡垣さんのところに掲載した写真と同じモノだとすると…もう33年は使っていることになる。
Img_2214鹿鳴館に入る。
岡垣さんがオルガンやレスリー・スピーカーの搬入に苦労した箇所の始まりがココ。Img_9832 踊り場に受け付けがあって…Img_9834 更に階段を降りる。Img_1814_1_2昔はこんな感じだった。S41a0158そして、ロビーに降りてくる。S41a0161コレは今のようす。Img_1811_1 踊り場のショウ・ケースには目黒鹿鳴館のステージに立った皆さんのサイン入り色紙やドラム・ヘッドが所狭しと飾られている。
鹿鳴館の財産のひとつだ。Img_1813_1 
***********<コラム9:鹿鳴館の思い出>************
岡垣さんのTERRA ROSAでデビューを果たした三宅庸介さんからもメッセージを頂戴した。
三宅さんにもまた並みならぬ鹿鳴館への思い入れがおありなのだ。
 
三宅庸介
S41a0066「初めての鹿鳴館に出演したのはTERRA ROSA加入後の1987年6月のことだったと思います。
それは初めての東京でのライブでもありました。
TERRA ROSA在籍時は、イベントが開催されるホール以外で東京で演奏する場所は鹿鳴館ばかりで、あの音や景色は今でも特別な思い出になっています。
その後、他のバンドでも出演させてもらいとても感謝しています。
一度、2000年頃だったかな?…あるイベントに大谷令文さんと一緒に出演させてもらったことがあって、彼がデヴィッド・ボウイの『Lady Stardust』をギターで見事にカヴァーされていたことをよく覚えています。
それから、いつだったか打ち上げの後、ナゼか令文さんと”CRAZY"COOL-JOEさんと3人で話し込んでいい感じになってしまったことがありました。
するとぺぺちゃんが『朝まで鹿鳴館で飲んでていいですよ!』と、お店を開けておいてくれたんです。
ビックリするぐらいの量のお酒を買い込んで、3人で鹿鳴館のフロアの真ん中に寝そべったりしながら翌日の昼まで飲み明かしたこともありました…懐かしいですね。
初めて出演した時は20歳…そして先日、57歳で自身のバンドであるStrange,Beautiful and Loudで出演させてもらったのが最後の鹿鳴館のステージとなりました。
それもTERRA ROSAゆかりのイベントで。
個人的に色々なことがあった1年だったこともあって、たくさんの記憶と想いが交錯してしまいサウンドチェックの時に涙が溢れて止まらなかった。
音がとても良いあのステージ上で本番でも涙を流しながら自作曲の『petal』を弾いたことはきっと忘れることはないでしょう。
そういえば、TERRA ROSAで初めて出演したとき、ちょうどぺぺちゃんも鹿鳴館に入ったばかりの新人さんだったことを記憶してます。
歳も近いこともあってずっとよくしてもらいました。
ありがとうございました。ひとまずお疲れさまでした…感謝。
鹿鳴館は関西出身の者にとっては最後まである種の『緊張感』のある場所でした。
加えて、ステージ上でも、客席フロアでも、2階席でも音がとても良い見栄えのする特別な場所でもありました。
ステージからの景色は決して忘れません。
『鹿鳴館』というハコ、ぺぺちゃん、そして長年にわたってお世話になったスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします」

<2024年7月14日、三宅さんはTERRA ROSAのメンバーとして、鹿鳴館では最後となる岡垣さんとの共演を果たした>008a0391 <そしてコレが三宅さんの最後の鹿鳴館のステージの姿。
バンドは自信のStrange,Beautiful and Loud。
2024年11月9日、岡垣さんが主催した『様式美大作戦2024』のひと幕だった>

0r4a0168 
***********<コラム10:鹿鳴館の思い出>************
Jill's Projectで岡垣さんの、そしてStrange,Beautiful and Loudで三宅さんの最後の鹿鳴館をサポートしたのが金光さん。
金光さんも古くからの鹿鳴館のステージの常連だ。
「鹿鳴館の金光健司」というと、個人的には声優シンガーのバックを務めたステージもとても印象に残っている。
 
金光健司S41a0618「上京する前、関西で在籍していたJERUSALEM (エルサレム) というバンドのステージが個人的には初めての鹿鳴館でした。
おそらく1985年頃...ジャパメタシーンのド真ん中にあるその聖地にいつも勇気と刺激をもらい、ヘコまされ、励まされ、そして『お客さんの前で演奏する』ということがいかなる意味を持つのか…その全てを教わった場所が鹿鳴館です。

昔はどのバンドも自分のドラム・キットをフルで持ち込んでごっそりと転換するのが普通のやり方でした。
自分の楽器は自分の『武器』ですからね。
近年ではライブハウスに常設してあるキットを使い回しするのが一般的になったため、どんな状態のキットが常設されているのかはドラマーにとって非常に重要なポイントになります。
それゆえ後年、鹿鳴館にNATALのキットが常備されたことはとても嬉しく思いましたね。
これから新たに鹿鳴館でステージに立つドラマーにとっても武器になること間違いなしです。

鹿鳴館の思い出に話を戻します。
自分としてはペペちゃんの成長を昔から見守ってきたようでいたんですが、実はその何倍もこちらが見守ってもらって来たんだな…と感じることが多々あります。
これからもたくさんのアーティストを見守ってあげてくださいね。
鹿鳴館からは人生の宝物をたくさん与えてもらいました。
どんなに時が経っても憧れの場所であり、帰ると心が落ち着く場所でもありました。
もちろん寂しさはありますが、それ以上に今後の期待が大きい…そんな鹿鳴館の新たな門出を祝いたいと思います」11_0r4a1063 <つづく>

☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆
 
「やっぱりロックは骨太なヤツに限る!」という貴兄におススメなのはBAD TOUCH!
筋金入りのブリティッシュ・ハード・ロックをお楽しみアレ! 
 
<I Get High>

<Strut>

<I've Got the Music in Me >
Marshall Recordsからのセカンドアルバム『Kiss the Sky』絶賛発売中!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
9153822_badtouch_kissthesky_615x600 レコードもあり〼(実際の商品の盤面は写真と異なる場合があります) 
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store JapanBt2 Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!

9img_9727 

200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)

2024年12月24日 (火)

目黒鹿鳴館物語<その1>

 
今日から向こう数回にわたって「鹿鳴館」の話題をお送りする。
…とくればまずは歴史から。
鹿鳴館のオープンは明治16年(1883年)。
江戸幕府を倒し、開国をして列強各国との付き合いを始めたものの、不平等な条約に苦しんでいた新政府は海外から賓客を招き、上げ膳据え膳でご機嫌を取りながら「ネェ?日本だってナウでしょ~。これから仲良くしてくださいよ~」と近代化が進んだことをアピールして国際的な立場を向上させようとした。
そのために作られた宿泊所を兼ねた施設が鹿鳴館だった。
設計はイギリスからやってきた「御雇外国人」のひとりジョサイア・コンドル。
東京駅や万世橋駅(関東大震災で壊滅)を設計したことでその名がよく知られている辰野金吾の師匠。
御雇外国人というのは、一刻も早く西洋の文化を取り入れようとした明治政府が目玉がいくつも飛び出すほどの高給を出して雇い入れた外国人学者や技術者のこと。
施工に関係したのは大倉喜八郎の大倉財閥。
その建設部門が今の大成建設の源流となった。Rmk「外国人との交流の場を設ける」というアイデアは良かったが、そのアイデアを出した人の素行は決してホメられたものではなかった。
その人とは当時の外務大臣を務めていた井上馨(かおる)。
井上聞多(もんた←名前がカッコいい)として高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文らとともに1863年の「英国公使館焼き討ち事件」に参画したり(川島雄三の『幕末太陽傳』という映画では二谷英明が演じている)、「長州ファイブ」とか言って伊藤博文らとイギリス留学を果たしたりして、時として「維新の立役者」のひとりとされるようだが、新政府設立後はその立場を利用して徹底的に私服を肥やした大悪党でもあった。
ココには詳しく書かないけど、「尾去沢事件(おさりざわ)」という民間の鉱山を強引に我が物にしたり、ニセ札を作ったり、「川上冬崖(とうがい)」という日本で最初の洋画家を清国への地図密売事件の犯人に仕立て上げるために自殺に見せかけて箱根で暗殺したり(井出孫六著の直木賞受賞作『アトラス伝説(冬樹社刊)』より)、まさにやりたい放題だった。
まぁ、その時代にそういうことをしていたのはこの人だけじゃないだろうし、似たような悪事は現在でもごく当たり前のように横行しているけどね。
ちなみにその「尾去沢事件」で得た鉱山は後に三井物産の礎になった。
そうして井上と三井は濃密な関係を築き上げたのだそうだ。いいな。Ki鹿鳴館は日比谷の今の帝国ホテルの隣にあったが、元は薩摩藩の装束屋敷(藩主が江戸城に登る時に身支度をするための屋敷)が立っていた。
井上馨の政治的失脚とともに明治23年に「華族会館」として使用されるようになった。
その後、昭和2年に華族会館は大和生命保険に売却され、昭和15年に解体された。
一方、その外国人との交流の場は芝の高級料亭「紅葉館」に移されたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失。
今、その同じ場所には東京タワーが立っている。
ちなみに「金色夜叉」の「尾崎紅葉」はこの料亭の名前をペンネームに引用した。
Hhy私は浅学にして全く詳しくはないが、鹿鳴館を題材にした創作物はこれまでたくさん生み出されて来ていて、三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」もそのウチのひとつ。
私が大阪に住んでいた1987年頃、この三島の戯曲が有馬稲子の主演で梅田コマ劇場で上演され、知り合いが出演していた関係で家内が観に行った。
下はその時のプログラム。
だから私は観ていない。
ネコちゃん、見てみたかったナァ(92歳でご存命です)。
小津さんの『東京暮色』なんてすごくヨカッタ。
Img_2709私の鹿鳴館はもっぱらロックの方。
サディスティック・ミカ・バンドは「タイムマシンにお願い」で「♪鹿鳴館では夜ごとのワルツのテンポに今宵も…」と演ったし、パンタさんは頭脳警察の「鹿鳴館のセレナーデ」という曲で「♪ほのかにともるシャンデリア 夜の鹿鳴館のセレナーデ」と歌った。11_albumこれらの歌のように、さぞかし毎晩華やかだったんでしょうネェ。
華美な洋装に身を包んだ貴族やら華族やらが一同に会し、金髪碧眼の紳士淑女と手を取り合って生バンドの演奏に合わせてステップを踏んだワケよ、多分。
私にピッタリだな。Btkその中には「鹿鳴館の華」と謳われたひと際見目麗しい淑女たちがいた。
下の写真、向かって左は時の外務大臣・陸奥宗光の奥さん「陸奥亮子」。
陸奥宗光、小村寿太郎なんてのは日露戦争の後始末で大活躍した人だからネェ。
一時、鶯谷に住んでいたんだけど、息子をイギリスに留学させるための資金を得るためにその家を売り払ってしまった(現存しています)。
そして、亮子さんはその美貌で特に人気があって「ワシントン社交界の華」とも称された。
真ん中が岩倉具視の令嬢、戸田極子(きわこ)。
そして右端が同じく岩倉具視の長男の奥さんで、後に佐賀藩の最後の藩主であった鍋島直大(なおひろ)と結婚した鍋島榮子(ながこ)。
皆さん、140年前の女性とは思えないカワイさよのう。11_rmhそして、ようやく記事の内容が目黒へ飛ぶ。
ロック・ファンの皆さんの多くが既にご存知であろうが、「目黒鹿鳴館」は来年1月19日の「東京一家」の興行を最後に閉館し、移転することになっている。
Img_9828今、東京にライブハウスがいくつあるのかおおよその見当もつかないが、目黒鹿鳴館はその中でもとりわけ長い歴史を持つお店だ。
「私もずいぶん通ってネェ。決して鹿鳴館のことを忘れないよ!」などと今はおっしゃる皆さんも、時間が経てば必ずその記憶は薄れて行き、「アレ?鹿鳴館って確かココにあったような気がするな…」となるのが関の山だ。
私もあんなに熱心に通ったにもかかわらず、周囲の様子が変わってしまったために昔の新宿ロフトの場所を正確に指摘することができないんだから!
しからば…ということでMarshall Blogはこの栄えある歴史を誇る「日本のロックの殿堂」を半永久的に保存しておくためにいくつかの記事を編むことを思い立った。
そこでご登場頂くのが「目黒鹿鳴館の華」。
「ペペさん」の愛称でおなじみの目黒鹿鳴館社長、山口高明さんだ。
「鹿鳴館の華」でつなげたいがために冒頭で井上馨やら陸奥亮子やらまで引っ張り出したというワケ。
こんな調子でペペさんへのインタビューを中心に立体的に、そしてできるだけ具(つぶさ)に目黒鹿鳴館の姿をココに記録しようとするのが今回のシリーズだ。
それではさっそく…ペペさんよろしくお願いします!S41a0140_1 
目黒鹿鳴館事始め
Marshallシゲ(以下「S」):鹿鳴館のオープンは1980年ですよね?
それ以前は映画館だったと思っている人も多いようですが、鹿鳴館になる前は1960年代から続く寄席だったんですよね?
山口”Pepe”高明(以下「P」):はい、そうなんです。『目黒名人会』という立川談志がやっていた寄席でした。
: 私は談志のファンということもあるものですからチョット調べてみたんですが、どうやら談志も誰からか引き継いだらしいんですよね。
S41a0084_1:そうだったんですか?
:その寄席からすぐに鹿鳴館になったんですか?
:前の社長の言い方だと、「目黒にあるライブハウスが経営者を探している」という話があって、元々「鹿鳴館」というライブハウスがあったようなんですよね。
:それでは前の社長が誰かから鹿鳴館を引き継いだ…ということになるんですね?
:そう、だから前の社長は鹿鳴館の最初の社長ではないんです。
:前の社長は確か映画会社にいらっしゃったんですよね?
:はい。
で、その会社の人から「目黒でこういう話があるけどやってみないか?」という話を聞いて「オモシロそうだからやってみるか…」ということになったらしいんです。
当時はライブハウスが今みたいにたくさんなかったですからね。
新宿のロフト、渋谷のジアンジアンと屋根裏…。
:有名なところではヘッドパワー、ルイ―ド、クロコダイル、下北沢のロフト、それと1978年に吉祥寺のシルバーエレファントがオープンしたぐらい?
:そうですね。
それで、当時はどこもあんまり爆音が出せなかったので、それじゃ「鹿鳴館はデカイ音を出そうじゃないか!」という方針にしたらしいんです。
すると、「どうも目黒には爆音が出せるライブハウスがあるらしいぞ!」ということでジャパメタの流れにつながったようなんですね。
 
********<コラム1:立川談志と目黒名人会に関する話>********
上に書いたように私は立川談志が大好きで、昔勤めていた会社の関係で信州に住んでいた頃、長野市の一番の夜の繁華街「権藤」でナントご本人にバッタリと出くわしてビックリ仰天したことがあった。
平成2年1月25日のことだった。
この年の2月に衆議院議員選挙があったので、恐らく談志は小坂憲次の応援に来信していたのだと思う。
私はとてもうれしくて、酔っぱらっていたこともあって目の前で「地べたを掘ったって一文だって出て来やしねえ!」とご本人のモノマネをやってしまった。
すると談志は「おお?『ねずみ穴』だね?いいネェ!」と大変よろこんでくれて、「今夜はオモシロい人に会ったよ!オイ、アレを出してやんな」とお付きの人に命ずると、その人が下の名刺を渡してくれた。
私の大切な大切な宝物である。
ちなみに私がモノマネをしたのは、談志が指摘した通り、彼のオハコの人情話「ねずみ穴」の一節である。
この名刺の住所を見ると談志の事務所が「目黒区」になっているので、ナニか鹿鳴館と関係があるのでは?と場所を調べてみたがゼンゼン別のロケーションだった。
11_img_2714 そんなこともあって「目黒名人会」のことをペペさんに根ほり葉ほり伺っていたら「何かの参考になりますかね?」と倉庫の奥から木製のハコ2点を持ち出して来てくれた。
何でも「目黒名人会」の頃から存在するアイテムなのだそうだ。
ひとつがコレ。
S41a0180さすがにコレはごく普通の化粧箱でしょうな。S41a0177興味を持ったのはもうひとつの箱。
何だかわかりますか?S41a0169コレは「謄写器」…つまりガリ版印刷をする装置の簡易バージョン。
ガリ板印刷の正式名称は「謄写印刷」だ。
まだプリントゴッコすらなかった頃のシロモノ。
今、コレを読んでいる方の多くは「ガリ版印刷」をご存知であろう。
しかし、そうでない若い皆さんにピンと来ることは恐らくあるまい。
「ロウ原紙」と呼ばれるパラフィン紙に鉄のペン(鉄筆)でキズを付けるようにして文字や絵を描き(ガリ切り)、そのキズにインクを刷り込んで印刷する極めて原始的な印刷手法がガリ版印刷。
一旦鉄筆で何かを描いてしまうと訂正するのがとても厄介で、ガリ切りは大変に集中力を要する作業だった。
我々が小学校に通っていた時分の校内の印刷物はほぼ100%が藁半紙にこのガリ版印刷で白い紙にクッキリとした印字などにはほとんどお目にかからなかった。
コピーすることを「ゼロックスする」と言っていた時代はまだ後のことかな?
S41a0170「萬古(読み方に注意)」というのは大正14年に大阪で創業したこの謄写器の大手メーカーで、現在は「バンコ株式会社」としてプラスチック素材の文房具を製造している。
現在の社長のお名前が「萬(よろず)」さんとおっしゃるところとを見ると、創業家の苗字を冠して「萬古」としたのであろうか。
S41a0174この謄写器、試しにメルカリに出ているかと思って調べて見るとゾロゾロと出品されていてビックリ!
それらには5,000円内外の値段が付けられていて、何台も「SOLD OUT」になっていた。
一体誰が使っているのだろう?
どうしてこの謄写器にこれだけ紙幅を割いたのかというと、ひとつには「滅んでしまったモノ」とか「滅びゆくモノ」だけが持っている美しさとか寂寥感のようなモノを感じてしまってね。
そもそも見た目がカッコいいじゃん?
Marshallの観点から言えば「真空管」に通じるモノがある。
S41a0172
もうひとつの理由は下の手紙。
この印刷機で刷ったと思われる書状をペペさんが引っ張り出して来てくれた。
こんなことが書いてある。

立春とはいいながら寒い日が続いています。
貴芸能会の皆様にはご壮健に御活躍のこと御喜び申し上げます。
ご愛顧を受けました目黒名人劇場に従来の落語定席を改めまして
今後皆々様方の貸席として御利用いただきますのでご案内申し上げます。

下部椅子並補助席  180   舞台間口  4.30米
上部椅子席      80    奥行          3.10米
立見         60    舞台高さ   1.5米

 平日 午前 五阡円  午後 壱万円   夜 壱万五阡円
 土日 午前 五阡円  午後 壱万三阡円 夜 壱万八阡円
 全日 平日 二万円  土日 二万五阡円

狭いが音響の良いこぎれな小劇場でございます出来る限り御希望に添いたいと考へています 一度ぜひ御来館の上御利用いただきたくお待ち申し上げています

お連絡先  <電話番号>    目黒名人会劇場
(文中の表記は算用数字の部分を除いてすべて完全にママ)
 
「定席」というのは定期的に公演を行っている寄席のことを指すので「従来の落語定席を改めまして」というのはもう寄席を止めて「貸しホール」の商売に徹することをお知らせした書状ということになろうか?
言い換えると、鹿鳴館、あるいはその前身のライブハウスになる前にこのホールは貸しホールを生業として存在していた期間があったということか。
日付が表記されていないのが残念!
舞台の高さが1.5mとあるが、ペペさんによれば、現在のステージの高さは約70cmとのこと。
あのステージ、かつては倍以上の高さだったのか?
2階も合わせてイス席で260とはずいぶん詰め込んでいたんだナァ。
S41a0184 目黒名人会のポスターの切れ端。
当時の木戸銭は400円。
1970年頃のラーメンの値段は100円ぐらいだったようなので、今のラーメンを800円だとすると3,200円ぐらい?
ナニ?ラーメン一杯800円は安い見積もりだって?
ミシュランだかナンだか知らんが、ラーメンなんて元々は金がない時の食べ物なんだよ。
私はそれを知っている古い人間ゆえ、850円以上のラーメンは敬遠するようにしているのでこの計算でいいのだ。
今、浅草演芸場の木戸銭が2,800円なので目黒名人会の値段設定はチョット高めだったのかな?
S41a0187インタビューにあるように目黒名人会のオープンは1960年代後半のこと。
下は先頃亡くなった「柳家小三治」の1969年に披露した真打昇進時公演のポスター。
縁に魚のイラストが入っているところがオシャレ…もちろん「目黒のさんま」だ。
私は小三治がニガテなんだけど、フーム、後に人間国宝となる噺家の真打披露が目黒名人会で開催されていたとは…。
しかし、目黒名人会の経営は苦しく不振続きで廃業する予定になっていたが、1971年12月に救世主が現れる。
それが七代目立川談志だった。
その年の参議院議員選挙に立候補した談志の公約のひとつが「寄席の復活」だったのだ。
その後、談志ならではの色々な企画を打ち出して目黒名人会をプロデュースし続けてはみたものの、やはり経営状態は好転せず、数年で閉鎖してしまった。
もしかしたら上のガリ版刷りの案内状はその頃に送付されたモノかも知れない。
「ゲスト無数?」…ウワァ、この三平のリサイタルは見てみたかったナァ!
死ぬほどオモシロかったに違いないよ。
Mmkjpg談志はその後、寄席文化に見切りをつけて立川流を設立して自ら家元に収まり、「落語協会」にも「芸術協会」にも属さなかったため寄席に出ることがなくなった。
1983年、目黒名人会を引き継いだ12年後のことである。
 
下はウチにある談志のCD。
チョット前にこのウチのどれかを聞いていたら、枕で「寄席文化の復活」を提唱して三遊亭円楽が1985年に東陽町で「若竹」という寄席を開業した話をしていた。
円楽が好きではない私の父が「円楽にしては立派なことをするナ」と珍しくホメそやしていたのでこのことは私も覚えている。
ところが、残念ながらその若竹も4年ほどで閉鎖に追い込まれてしまう。
すると談志がその時のことを茶化して指してこう言う。
「円楽が寄席で失敗しやがったろう?ま、オレも目黒で失敗しちゃったんで他人のことは言えないんだがね!」
コレがまさに「目黒名人会」、すなわち今の「目黒鹿鳴館」のことなのだ。
Img_2711  
ペペさん上京
:ジャパメタ関係のライブハウスといえば当時神楽坂に「エクスプロージョン」というお店がありましたよね?
アレは鹿鳴館とどっちが古いんですか?
S41a0047_1:多分、鹿鳴館の方が古いと思います。
ボクは栃木の鹿沼の出身なんですが、高校の時にそのエクスプロージョンが出したインディーズのソノシートを買いにワザワザ東京に出て来たりしていたんですよ。
それが1984とか1985年ぐらいのことで、鹿鳴館はそのズッと前からありましたからね(後に調べたところ、エクスプロージョンのオープンは1982年だった)。
それでボクは1987年に鹿鳴館に入ったんです。
:ペペさんってもしかしたらその時からズ~っと鹿鳴館だけにお勤めなんですか?
:はい。
ボクはどうしても音楽の仕事がしたかったんです。
でも田舎には音楽の仕事なんて全くありませんからね。
上京すればナニかしら音楽の仕事があると思ったんですよ…出版社のアルバイトでも、スタジオの仕事でも音楽関係の仕事ならナンでもよかった。
で、訛り丸出しで電話をすると「いつから来られますか?すぐに来てくれる人を探しているんです」って言われる。
でもボクは田舎にいるでしょ?交通費のこともあるし、ボクとしてはもう採用の確約をもらっている状態で東京に来たいワケなんです。
S:ワザワザ東京に出て来て「ハイ、不採用」じゃタマッタもんじゃありませんもんね?
P:まったくその通り!
でもそうは問屋が卸さない…「それじゃ上京したら連絡ください」なんて言われちゃう。
仕方がないのでとりあえず東京に出て来て、先輩がやっていたラーメン屋で半年ぐらいアルバイトをしたんです。
S41a0016_1_6その先輩は後に「BAD MESSIAH」いうバンドでメジャーへ行くんですが、当時「SHOCK」というバンドでドラムスを叩いていたんですね。
で、そのSHOCKが北陸ツアーに出ることになったんですが機材車の運転手がいない。
「ダレかいないか?」ということでボクが手伝うことになった。
それで、そのSHOCKが鹿鳴館に出演していたのでボクも鹿鳴館に出入りするようになったんです。
打ち上げの時に「コイツ音楽の仕事がしたいんだってよ」という話が出て、「それじゃウチに来ないか?」と鹿鳴館でアルバイトをするようになったんです。
でも、そのラーメン屋さんの女将さんに気に入られちゃって、「アンタ、調理師免許を取らせてあげるから音楽の仕事なんか諦めてラーメン屋をやりなさいよ!手に職をつけなきゃダメよ!」って言われていたんです。
:ペペさんならラーメン屋もバッチリこなせそうですけどね…つけ麺専門店とか。
:イヤイヤイヤイヤ…そのバイトも楽しかったんですけど、女将さんのその誘いがちょっとストレスになってしまって一刻も早くラーメン屋を辞めたかった。

 
鹿鳴館のアルバイト
S:鹿鳴館でアルバイトを始めた時はどんな感じでした?
P:鹿鳴館の最初のアルバイトは、1987年のゴールデンウイークに「REACTION 5Days」というのがあって、それの1、3、5日目の警備の仕事をしたんです。
S41a0053_1REACTIONの人気はスゴかったですからネェ。
その時はもうメジャーに行っていて、それ以前に『INSANE』という人気アルバムを出していて警備なしではとてもライブができなかったんですよ。
そこから始まってその年の8月からアルバイトに来るようになったんです。
当時、REACTIONは備え付けのPAじゃ音量が足りないと言って、その時の鹿鳴館の社長に「Turbosound(ターボサウンド)」という音響設備を買わせたんですよ。
当時、そんな設備を備えているライブハウスなんてどこにもありませんでしたからね。
それまでは古臭い音響設備だったんですけど、Tourbosoundが入って音がガラっと変わったのをよく覚えています。
S:まずは爆音…いい時代でしたね~。
P:そのREACTIONの5Daysは連日超満員でしてネェ…鹿鳴館ってステージが高いので一番前のお客さんが後ろから圧迫されないようにするのが大変でした。
S:当然、あのイスがあった頃ですよネェ?
P:そうです。あのイスも満杯でない時には「座ってユックリ観られるからいい」という意見もあったんですよ。
S:今となっては特に同感です。
P:ボクからしてみると、あのイスのおかげで事故がなかったんだと思っています。
今はもうお客さんがおとなしいですけど、昔は本当にスゴかった。
あのイスがお客さんが将棋倒しになるのを防いでくれたんです。
S:イスを撤去したのは?
P:2012年ですね。
Xとかの時もそうでしたが、2階席なんか揺れていましたからね。
S:エ?2階にお客さんを入れていたんですか?
P:ボクが入った時にはもう止めていたんですが、それ以前はお客さんに開放していたんですよ。
ただご存知の通り、前の人が立っちゃうと2階の後ろからは何も見えませんでしたけどね。

***********<コラム2>鹿鳴館を記録する***********

イス席があった頃の鹿鳴館。
私が初めて鹿鳴館にお邪魔した時はこんな様子だった。
S41a0148…とは言ってもそれは最近のことで、2010年12月4日の「メガトン・クラブ」の時のことだった。
出演したバーニーに誘われてお邪魔したような気がする。
その様子は2011年末に終了した前のMarshall Blogでレポートした。Maga 私なんかは武道館や厚生年金での公演中にイスからチョットでも立ち上がっただけで警備員がスッ飛んで来る時代に頻繁にコンサートに通っていたので、正直こうしてイス席でショウを観る方がシックリ来る。
写真でザっと数えて固定のイスは90席弱という感じか?
だから目黒名人会は補助席を使っていたにせよものスゴイ詰め込み状態だったのではなかろうか?
S41a01632012年、撤去する前のイスで記念撮影をするペペさん。
後方のエアコンは昔のヤツ。
お客さんがたくさん入ってしまうと効きが悪くなってホール内が大変に暑くなることがあった。
11_2isu2コレが今のエアコン。
スゴイ強力で、脚立に乗って写真を撮る時など、風が直接当たらないように注意しないと凍えてしまう。Img_9841エエッ?!
こんなところに荷物を置く人がいるの?Img_2306_2 ステージから見た2階の風景。
昔はココにお客さんを入れていたそうだ。
今は関係者以外は立ち入り禁止になっている。
2階席の前面に取り付けられている扇風機は暑さ対策。
エアコンの入れ替えと同時ぐらいに取り付けられたような記憶がある。3img_22242階席のようす。
後に陣取ってしまうとステージは見えない。
Img_2219 
***********<コラム3>鹿鳴館の思い出***********
目黒鹿鳴館にゆかりのあるミュージシャンの皆さんから頂戴した贈る言葉を毎回紹介していく。
第1回目はペペさんのインタビューに登場したREACTIONのベーシストのYukiさん。
反町"Yuki"哲之S41a0650 「目黒鹿鳴館閉館…。
多くのミュージシャンがSNSやブログに悲しみのコメントを書いていますね。
『メタル、ビジュアル系の聖地』という表現をよく見聞きしますが、私にはその認識がありません。
というのは、鹿鳴館がその聖地化する前から出ていたからなんです。
つまり、私が出始めた頃はまだ『聖地』ではなかったワケです。
『今はなき前のオーナーやスタッフと共に鹿鳴館を作って来た』というような気持ちがあるんです…おこがましいですがね。
初めて鹿鳴館に出演させてもらったのは、REACTION 以前の1982年だったかな?
音楽のジャンルを問わず、それ以前にはTHE MODS、米米CLUB、NOVELAなどを観に行った覚えもあります。
『音楽のジャンル』どころか、鹿鳴館となる前、アソコが劇場だった頃はアングラ演劇とか落語がブッキングされていましたねえ。
REACTION 結成後、1986年ぐらいからホール・コンサートでの演奏が主になりましたが、それまでの間鹿鳴館をREACTIONのホームとして出演させてもらっていました。
84〜85年の年越しイベント、鹿鳴館初の5Days、ライブ作品シューティング等、多くの思い出があります」 
<Yukiさんご本人によると1985年頃の写真>
S41a0166 
「その5Daysの時が現オーナーのペペちゃんの鹿鳴館での初めてのバイトだったんですよ。
だからいまだにペペちゃんから『小僧』のイメージが抜けないんだよナァ。
ちなみにこのシューティングのためにイントレを組んで照明の施設を増強したり、当時は最新だった『Turbosound』というスピーカーを導入して音響も補強、さらにステージのセリ出しも造作しました。バブリーだったナァ~!」
 
<そうして制作されたビデオがこの『TOKYO GIG'S DEAD & LIVE』>Dvd  
「シューティングの後、イントレの一部とTurbosoundはそのままで、現在も使われています。
また、その時に作った木製バンド・ロゴは、REACTIONの解散後もしばらくの間、記念品として楽屋からステージに上がる階段右の梁の上に置かれていました。
ああ、思い出を書き出すと止めどがないナァ!
さて、故初代オーナー、歴代店長及びスタッフ、そして現オーナー店長のペペちゃん、本当にお世話になりました!
『鹿鳴館あってのREACTION』だったことは間違いありません。
どうもありがとう!
移転後をとても楽しみにしています…とりあえずお疲れさま!」 0r4a0060_2 <つづく>

 

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
骨太なロックがスキ!という方におススメなのはBAD TOUCH!
筋金入りのブリティッシュ・ハード・ロックをお楽しみアレ! 
 
<Lift Your Head Up>

<Skyman>


Marshall Recordsからのファースト・アルバム『Shake a Leg』絶賛発売中!

7bad_touch Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan9img_9727

200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)





2024年12月23日 (月)

金属恵比須のキンゾク万博2024

 
新たなキーボード・プレイヤーを獲得してますます意気の揚がる日本のプロッグ・ロック界の最重鎮「金属恵比須」。
結成33年を迎える金属恵比須は去る12月11日に待望のライヴ・アルバムを発表し、それに合わせる形で今年もポップアップ・ストア「キンゾク万博」を開設した。
そこでさっそく会場の新宿のディスクユニオンにお邪魔して来た。
と思ったら…
05v新宿に着いて気が付いた…会場は渋谷だった!
完全に思い込み。絶対に新宿だと勝手に思っていた。
トホホ、ただでさえ人出の多い繁華街へ赴くのが大きな苦痛だというのに、よりによって日曜日の新宿と渋谷を訪れるなんて何たる悲劇!
よっぽど渋谷へ行かないで帰っちゃっおいかと思ったけど、どうしても「キンゾク万博」が見てみたかったので歯を食いしばって人ごみに我が身を投じた。
しっかし、渋谷ってヒドイね。
私が大学生頃はとても魅力的な街だったのにナァ…と言っても40年前の話だけどね。
あの頃は銀座も浅草も今よりステキだった。新宿は知らん。10_2 会場は渋谷のディスク・ユニオン「ロックイントーキョー」。
こんなのができたのか…。
私の「渋谷のディスクユニオン」といえばパルコの筋向いにあった間口が1間半ぐらいの店舗だからね。
当時はもう少し公園通りを上がったの右側に「ハンター」もあったんだよ。
さて、店舗のある地下へ降りる階段の壁一面には古今東西のロックの名盤のジャケットが展示されていて壮観!
でも、近い将来はこんなこともできなくなるんだろうナァ。
サブスクにはジャケットがないからネェ。20到着!
コレが「キンゾク万博」の会場。30vニューアルバムを中心に金属恵比須のありとあらゆるアイテムが展示されている。
40この日の警備員を務めていた高木大地さんと後藤マスヒロさん。35やっぱり「万博」となるとコレだよね~。
そう、長時間並んで「太陽の塔」に入ったわ。
せっかくの機会なのでココで「万博」で大きく脱線させてもらいましょう。
あの「日本万国博覧会」が開催されたのは1970年(昭和45年)の3月から9月。
今から54年前。
私は小学校2年生で、も~行きたくて行きたくて仕方がなかった。
そこで出不精の父が珍しく連れて行ってくれることとなり、平日に大阪へ行くことになった。
母は事前に学校へ行って担任の先生に休みの許可を願い出た。
すると先生は「一生に一度あるかないかのことでしょうから、休みを取ってよ~く見せてあげて来てください」と言ってくれたそうだ。
50vコレがその時の入場券。
小人は400円だったので、大人でも800円程度のものであったろう。
裏面に開場時間が書いてあって、それを見ると4月末から最後までは朝の9:00からナント夜の10:30まで開けていたそうだ。
60コレは万博を訪れる人たちのための記念周遊券。
東は草津、西は明石までの区間が乗り降り自由だった。
私はこの時に生まれて初めて新幹線に乗った。
万博終了後に取り払ってしまった新大阪駅から千里丘の会場に向かう電車の中から太陽の塔が見えた時には気絶しそうなぐらいうれしかったのを覚えている。
何しろ日帰りだったからね~。
アメリカ館だのソ連館だの、行列に長い時間を要する人気の展示館は避け、タンザニア館とかガーナ館とか並ばなくても入れるマイナーな展示館ばかり見て回った。
しかし、太陽の塔だけは「記念に見ておこう」ということで長い行列に加わったのだった。
こんな訪問でも大満足だったし、あの感動は一生忘れまい。70とにかくスゴイ人出でね。
以前にも何度かやっているんだけど、万博のそんな様子を垣間見ることができる映画を紹介しましょう。
それは1970年、山田洋次監督の『家族』という作品。
長崎の伊王島の炭鉱夫の家族が、斜陽化する石炭産業に見切りをつけ、酪農家になるために先行して入植した友人がいる北海道を陸路で目指すロード・ムービー。
何も知らない田舎の人たちなので、大阪を通過する時、「万博でもチョット見て行こうか」と軽い気持ちで会場を訪れると殺人的な人出にスッカリまいってしまう。
映画は全編ロケーション撮影であることに加え、万博のシーンなどは演出をしていないのでその混沌ぶりが実によく表現されている。Av話は飛んで…柴又の「寅さんミュージアム」のすぐ隣に「山田洋次ミュージアム」が併設されている。
みんな簡単に「寅さん、寅さん」と気安く呼んでいるけど、最終的には寅さんひとりで「松竹」という大きな映画会社を支えていたワケですからね(歌舞伎は別)、井上ひさし先生に言わせると「車寅次郎は世界最強の架空の人物」だというワケ。Bそれを作ったのが山田洋次。
コレも井上先生の受け売りだが、「男はつらいよ」というのは「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」といって、世間知らずの高貴な身分の人が旅に出て、社会の荒波にもまれて成長する…という古代ギリシアやローマの時代からあるような作劇の基本のその逆をやっているのだそうだ。
寅さんは失恋していつもガックシになるでしょ?
それだけに話の基盤が強固で、新しいアイデアを肉付けするだけでいくらでも作ることができるというのだ。
ま、戯曲作家のプロ中のプロが言うのだから間違いないでしょう。
さすが山田さん、東大出だけのことはある。Cvそんな山田さんの業績を結構キメ細かく展示しているのがこのミュージアムなんだけど、この『家族』にはほとんど触れていない…残念!
というのも、数ある山田作品の中にあって、興行成績がすぐれなかった作品のウチの1本に数えられているのだそうだ。
でも内容はとてもいいですよ。
泣けます。008a0138さらに脱線させてもらうと…。
コレは「大波止(おおはと)」という長崎港にある桟橋。
映画の中で伊王島から船で出て来た家族はまずココへ到着するのね。
ちなみにこの大波止はオランダに帰ってしまったシーボルトが戻って来やしないかと、日本人妻のお滝さんが幼い娘の楠本イネを抱きながら入港してくる船を毎日眺めていたとされる場所。
稲本イネは成長して日本で最初の女性産婦人科医になった。Dそして『家族』の家族は桟橋からこの交差点に出て右に曲がって長崎駅を目指す。E家族は福山や大阪を経て何とか東京までたどりつくが、疲労が重なり家族の一員である乳飲み子が死んでしまう。
クリスチャンである一家がその弔いをしようと探し出した旅先の教会が上野の駅前、浅草通り沿いにある「下谷教会」。
映画では下の写真の以前の建物が出て来る。
そして、家族は艱難辛苦に耐えながら何とか北海道にたどり着く…というお話。
私は父の推薦でこの映画を小学生の時に初めて観たんだけど、万博会場が出て来ることもあってエラク感動してしまいましてね。
みんなにおススメしているのです。
多分、日本で一番スケールの大きなロード・ムービーなんじゃないかな?Img_2787それと…こういうお店が谷中にある。
アンティーク・ショップということなんだろうけど、親しみを込めて呼ばせて頂くならば「ガラクタ屋」。
私はこういうお店が大好きなのだ。
ありとあらゆるヘンなものが置いてあって、私はアルテュール・オネゲルというフランスの作曲家の交響曲全集2枚組CDを100円で見つけてよろこんだことがある。
オネゲルはプロッグ・ロックとして聴くと大変にカッコよろしい。
高木さんなんかもお好きなんじゃないかしらん?
で、店名が示すように、大阪万博に関するグッズもたくさん取り扱っている。Ex さて、「認知して!プログレ。」のキャッチ・コピーが目を惹くキンゾク万博。
ハイハイ、もう認知してからカレコレ50年近く経ちますからご安心あれ。
既に書いたように展示の中心は…
11012月11日に発表したライブアルバム『金属恵比須 邪神<ライヴ>覚醒』。
丸っきり個性が異なる「塚田円」と「大和田千弘」からなる2人のキーボード・プレーヤーをそれぞれゲストで迎えた時の演奏が収録されている。
2通りの金属恵比須が平面的に並んでいると言えばいいのかな?
こういう作りのアルバムってのは結構珍しいのではなかろうか?
他に同じ趣向のアルバムがなかろうか?と考えてみたのだが、ひとつしか出て来なかった。
それは、1977年のマッコイ・タイナーの2枚組の『Supertrios』というピアノ・トリオ・アルバムで1枚目と2枚目でリズム隊が丸ごと変わる…というモノ。
もうコレしか思い浮かばなかった。Mt もちろん『金属恵比須 邪神<ライヴ>覚醒』には「武田家滅亡」、「う・ら・め・し・や」、「紅葉狩」、「邪神覚醒」といった人気曲がド迫力な演奏でタップリと収録されている。
 
それぞれの演奏はMarshall Blogでレポートしているので未読の方はゼヒ!
 ↓  ↓  ↓
<塚田さん編>
金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.6 <前編>&私のチョット井の頭
金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.6 <後編>
<大和田さん編>
金属恵比須~邪神"大和田千弘"覚醒 <前編>~私の「日本映画と音楽」
金属恵比須~邪神"大和田千弘"覚醒 <後編>
90個人的にジャケットもうれしかったね。
NATALドラムスが2台も登場している。
これまで1台というのは何回かあったんだけど、2台は多分「世界初」だと思います。
どうもありがとうございます!100v高木さんと来たら、ヒマさえあればPOPを手づくりしているようで、まぁ、展示のナント賑やかなことよ!80会場でメンバーがお迎えできる予定は…
12月28日:18:00~20:00 稲益宏美
12月29日:14:00~16:00 後藤マスヒロ&埜崎ロクロウ
万博の会期は12月31日まで。
 
金属恵比須の詳しい情報はコチラ⇒金属恵比須Offician Web
130(一部敬称略 2024年12月22日 ディスクユニオン ロックイントーキョーにて撮影)

2024年12月20日 (金)

FATE GEAR~最新アルバム『Kill the Shadow King』出来!

 
2025年もワールド・ツアーが決定しているFATE GEARがニューアルバム『Kill the Shadow King』を発表。
そしてリード・チューンの「Kill the Shadow King」のミュージック・ビデオを公開した。
 
コレが通常盤。
20cdそして「Kill the Shadow King」のミュージック・ビデオの本編とメンバー別のソロ・ショットの計6本を収録したDVDが同梱されている豪華盤付属バージョンがコレ。
両CDには2024年のワールド・ツアーの際のベルギー公演のライブ音源が収録されている。
11_10cd最新作のプロジェクト・メンバーは…

Mina隊長30Haruka40vゲスト参加しているのは…
 
NANA50v橋村姫70v2そしてビデオに登場しているのはErika。60v冥界の王と対峙する、数奇な天使と悪魔の運命は?…ということでFATE GEARならではの世界が展開する。80さて、その「Kill the Shadow King」のビデオ。100今回もMarshallと…90NATALドラムスが登場!110今回も「日本を代表するスチーム・メタル楽団」の名に恥じない独特の世界を構築した。120vやっぱりこうやってコンセプトを確立した上で作り込んだモノってのはいいですな。130v隊長によるとRainbowの「Kill the King」へのオマージュを詰め込んだ1曲なんですって。140vそんなだからHarukaちゃんもNATALドラムスで大デンジャー!150そのビデオがコレ。
FATE GEARの飛行をお楽しみあれ!
 
FATE GEARの詳しい情報はコチラ⇒FATE GEAR official site


 
(一部敬称略 写真提供:Mina隊長 撮影:Toshio Kawabata)

2024年11月27日 (水)

ブレイズブリンガー~新たなるメタルを求めて

 
昨年の春、自身の30周年を迎えイベントを開催した元TORNADO-GRENADEの塚本"JOE"旭がアキトと組んで新しいチーム「ブレイズブリンガー」を結成。
そして、その名も「ブレイズブリンガー」とバンド名と同じタイトルを冠したデビュー曲並びにビデオを公開した。

10メンバーは塚本"JOE"旭と…
 30v2アキトの2人。
すなわちブレイズブリンガーはこの2人がタッグを組んだツイン・ボーカルズのグループなのだ。

40v2そして、今回のビデオは3人の他に仲間を迎え入れて撮影された。

50ギターにはかつてVelatoriaを率いてMarshall Blogに登場してくれたことがあるKabaya'n(カバやん)。
現在はTweyelight(トワイライト)というバンドで活躍中だ。

60ベースはOctaviagraceのYouske。
Octaviagraceも『DON』というイベントのライブ・レポートでMarshall Blogにご登場頂いたことがある。

_i6a6107 
そしてドラムスはKabaya'nのTweyelightのメンバーのTkken。80Kabaya'nはMarshall。90v2ビデオでは「1959」のフル・スタックをセットした。

100v2ブレイズブリンガーの2人とMarshallの相性もバッチリだ。115

一方、TkkenはNATALを使用。

110

24"ツイン・バスドラムのメイプルのキット。

120こちらもとてもいい雰囲気!

140

そして今回、ブレイズブリンガーの2人と…150Kabaya'nをお招きして…160

ブレイズブリンガーについて色々と話を聞かせてもらった。170

Marshall(以下「M」):ビデオの公開おめでとうございます!
ブレイズブリンガーはJoeくんとアキトくん2人のグループということだけど、そもそもどうしてその2人がくっついたんですか?
Joe(以下「J」):「オマエら、日の目を浴びに行ってこい!」って2人を引き合わせてくれた人がいたんです。
それで一緒に始めたんです。

_y8a2229
M:今回のビデオのメンバーはどういう風にして集めたんですか?
J:アキトと2人で相談でしてキメました。
まずはギターのカバちゃん(=Kabaya'n)に連絡をしたんですよ。_i6a5651 M:今回のビデオは初動で6万回のアクセス…コレってスゴいんでしょ?
J:おかげさまで…アキトの人気が高いからなんです。
M:こういうSNSのフォロワー数とかアクセス数とかってどういう風にとらえています?
アキト(以下「A」):数字を丸々鵜呑みにするのはどうかと思いますが、安心感につながる指標にはなり得ると思うんです。
興味を持ってくれている人を離さないモノを作っていくための数字って言うのかな?0r4a0365_3 M:なるほど。この「ブレイズブリンガー」という曲は誰が作ったんですか?
J:オレが歌詞を書いて、カバちゃんが作曲しました。
M:最近は何でもかんでも「まずYouTube」ですよね?
まずはこうして実際にYouTubeで曲を発表したワケですが、今の世の中でこれからはどういう展開をしていきたいと思いますか?
J:オレはCDを出さないとダメだと考えているんですよ。
ナニがナンでもアルバムを1枚作りたいですね。0r4a0356_3 M:「CDが売れない」と言われてから久しいでしょ?それでもCDを作りたい?
A:「CDを作りたい」というのはとってもよく理解できるんです。
それはとても大事なことだと思うんですが、ゼロからスタートするということになると今風のやり方を取り込まないとダメだとも思うんです。
今ではCDは「グッズの中のひとつ」になってしまいましたからね。0r4a0366_3 M:アナタ、すごく大人しくされているワリにとてもいいことをおっしゃる。
身体は大丈夫?…もう10年ぐらい太陽の光を浴びていないようなイメージだけど…。
A:全然大丈夫です!
でも本当に少なくとも5年は運動をしていないですね~(一同大爆笑!)。

0r4a0373_2

M:音楽的にはどうしていきたい?
J:色んな曲を演って行きたいと思っています…でも、メタルからは離れたくない。
M:でも今となってはメタルはキツすぎるでしょう?
演奏する側も観客の側も驚くほど高齢化が進んでしまった。
これからメタル界隈はどうなって行くと思います?
J:はい、時流に全く合っていないとは思いますが、消え去ることはないと考えています。
他とは違ったカッコいいメタルを作っていく自信はあります。
そうすれば聴いてくれる人もまた増えてくるハズだと信じています。
0r4a0362 M:アキトくんはメタルを演ることについてどう思っているんですか?
A:メタルの方向性はいいと思っています。
色々なモノを吸収した多様性に富む現代風のメタルを作り出したいですね。
J:そう、メタルの要素を捨てずに色々なことをやってみたいです。
0r4a0369
M:ビデオではMarshallとNATALをバッチリと露出してくれてありがとうございました。
J:へへへ、Marshallが好きなもんで…。
M:ブレイズブリンガーのメタルっぽさをフィーチュアするのに少しは役立ったかな?
J:はい。
でも案外、アニソンっぽいって言われるんですよ。
ですからそこにMarshallが登場してくれると一気にメタルっぽくなります。

_i6a5340

M:アキトくんは「アニソン」と受け止められることについてどう感じますか?
A:我々の音楽の届いている形がどうあれ、受け入れられればそれでOKだと思うんです。
つまり、どういうジャンルの音楽に聞えているかは受け取り手次第でいいのではないか。
M:「何とかメタル」とか「何ポップ」とか、ジャンル分けをすることに意味がなくなっていますもんね。
アレは我々が若かった頃、新しいタイプのロックがガンガン出て来た時にレコード会社の「宣伝のツール」としてとても有効だったんです。
A:はい。我々がやっている音楽は我々が好きな音楽であるワケで、それが支持されればもう結果はOKです。
ジャンルは関係ないと感じます。0r4a0374
M:Joeくんは以前から「Heavy Metal Strikes Back!」を標榜して徹頭徹尾ヘビメタを支持して来たワケですが、こと最近の若い人たちの間ではメタルはどうなっているんだろう?
J:ウ~ン、なかなか厳しいのが現実だと思います。
つまり、残念ながら演る方も聴く方も下の世代が続いて来ていないんですよね。
M:ところで、ビデオを拝見するにJoeくんは以前に比べてますます声が出るようになったんじゃない?
J:ありがとうございます。
イヤモニを使うようになってからピッチもよくなって、何よりもノドを痛めることがなくなったんですよ。

_i6a6330

M:曲はカバちゃんがつけたんですよね?
イントロがなくて、いきなりサビのパートで始まってAメロに入る時に転調する…モロに今風の曲の展開だよね?
ま、このあたりの世間の事情は色々と聞いています。
この転調の多用に関してはどこからハヤリ出したんだろう?
Kabaya'n(以下「K」):ボカロが普及した時からではないでしょうか?
ボカロで何でも好きなことができるようになって色々なモノが出て来て、人と違うことをやる傾向が強くなった。
今度はそれをYOASOBIとかが人力で演るようになったという流れではないでしょうか?0r4a0377

M:カバちゃんもVelatoriaの時からメタル要素の強い音楽を演っていたよね?
K:激しい音楽が好みなんです。
でもメタルを押し出し過ぎるとイヤがられてしまうんです。
ですからさりげなくメタルの要素を…ん~、例えばニンジンがキライな人にニンジンをそのまま食べさせるのではなく、細かく刻んでオムライスの中に入れて知らない間に食べさせてしまおう…みたいなことを考えています。
M:ウマいこと言うね~。カバちゃんもずいぶん成長したもんだ。
K:へへへ、ありがとうございます。
ところがそれをやるとメタルからもロックからも「ナンダこりゃ?」と思われてしまう可能性もあるんです。
でも新しいモノってそうやって生まれてくるのだと考えています。

0r4a0382_2


M:カバちゃんはずっとMarshall、いつもMarshallだよね。
K:もちろんです!
ボクは「アンプで良い音を作ってナンボ」だと考えているんです。
まずはそこから始まって、それにエフェクターを足したりする。
外部プリアンプとかデジタル・アンプの類をもちろん試しはしましたが、ボクには合わないと感じました。

_i6a6129

M:それはそうと、ビデオの屋外の撮影は天気もよくて気持ちよさそうですね?
J:イエイエ、実は晴れたり曇ったりで天気は良くなかったんですよ!
午前中は雨も降っていたんです。
アレ、オレが編集したんですが、晴れている時と曇っている時で色がすごく変わっちゃうんです。
もうそれを調節するのがメッチャ大変でした!
スタジオの方は問題ありませんでしたけど。
_i6a6372
_y8a2080
M:そうか、それは大変でしたね。
でも屋外のシーンは解放感があってとてもいい感じ。
J:実は朝日の中で撮りたかったんですよ!
オレが「旭」でしょ?
アキトも漢字で「暁」の「人」と書くので本当は朝日に包まれて撮りたかった!

_i6a6613
M:あのビデオに登場する女の子はどういう意味合いなんだろう?

_y8a2427
J:はじめは我々のことを不安に思っているんですけど、最後は「もう大丈夫」と思って去って行く…という設定なんです。

_y8a2325

M:なるほどね。「ブレイズブリンガー」という名前は?
J:「ブリンガー」という言葉を使いたくて「炎の使者」にしたんですけど、ディープ・パープルの「嵐の使者」、「Storm Bringer」が元です。

0r4a0354
M:さしあたってブレイズブリンガー界隈では次にナニが起こるんだろう?
全員:12月6日に2作目を発表します!
M:おお!それは楽しみだ!

0r4a0350M:ナニか言っておきたいことはありますか?
J:メタルとはずっとくっついていたいですね。
あ、ブレイズブリンガーは「ビジュアル系ではない」とうことはハッキリ言っておきたいと思います!
M:わかってるって!メタルだよね!
J:ハイ!

0r4a0397

楽しいインタビューだった。
Joeくんとは付き合いも長いので世間の共通の話題も盛りだくさんで話はどこまでも尽きることがなかった。
ココに掲載したのはその話の中のホンの一部。
ブレイズブリンガーの音楽に対する姿勢について語った部分を抽出したつもり。
若い人と話をすることは古ボケてしまった自分の脳ミソへのとてもよい刺激になる。
とにかく2人にはブレイズブリンガーを続けて行ってくれることを願うばかりである。
 
最後にそのデビュー曲「ブレイズブリンガー」をお送りする。
ライブで聴くのがとても楽しみだ!
 
ブレイズブリンガーの詳しい情報はコチラ⇒Xオフィシャル・アカウント

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
イギリス南西部のコーニッシュ出身のキング・クリーチャー。
本場のブリティッシュ・ハードロックを存分にお楽しみあれ!

<Desolation>

<Captives>


Marshall Recordsからのセカンド・アルバム『セット・ザ・ワールド・オン・ファイヤ』絶賛発売中!
このアルバム、すごくいいよ~!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
Kc2_2 レコードもあり〼(盤面が通常の黒の場合がありますこと予めご了承ください)
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
Kc2v Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!
 
9img_9727

200(一部敬称略)

2024年7月24日 (水)

伊藤ショボン太一~松田聖子コンサートツアー『lolli♡pop』から

 
6月8日の「さいたまスーパーアリーナ」を皮切りに現在『lolli♡pop』とタイトルしたコンサート・ツアーを展開中の松田聖子。
今回のツアーは「Pre 45th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour」と銘打たれている。
聖子ちゃん、来年はデビュー45周年!
その45周年の1年前の大切なツアーを今回も我がNATALドラムスがお手伝いしている。
…ということで、今年も開演前の武道館にお邪魔してきた。
10ところで、昨年のツアー『Parade』の日本武道館の公演は聖子ちゃんにとって「125回目」だったのだそうだ。
コレは女「性アーティストの日本武道館公演」の最多記録。
スゲエな~。
今回のツアーでも2公演、そして追加公演が決定ているので更にもう2回記録を伸ばすことになる。
コレはもう誰も抜くことができない金字塔と言えるしょう。20聖子ちゃんのバンドのリズムを担当するのは伊藤ショボン太一。30vドラムスはNATAL。4010"、12"、16"、22"のウォルナットのキット。50ショボちゃんは昨年と同じ場所で同じドラム・キットを叩いた。60前回、ドラムスのサウンドの評判が大変ヨカッタという話しを聞いてとてもうれしかった。
70
この時は「さいたまスーパーアリーナ」、「大阪城ホール」と武道館の1日目の5公演を終わらせていたのだが、ショボンちゃんから「NATAL絶好調!」と聞いていたので今回の評判を耳にするのが楽しみなのだ。80ハードウェア類もすべてNATAL。90昨年同様アコースティック・セット用のドラムスもNATALが使用された。100Cafe Racerの10"、14"、18"というキット。110ペダルもNATAL。
120コチラのセットのハードウェアもすべてNATALで固めた。130NATALグ~!
150ナンだってショボンちゃんがそんなにNATALを気に入っているのか…についてはコチラのインタビューをご覧あれ!
  ↓  ↓  ↓
伊藤ショボン太一インタビュー~松田聖子コンサート・ツアー『Parade』日本武道館公演から008a0028コッチもグ~!
 
今晩の福岡の追加公演を終了すれば、後は8月23&24日の日本武道館の追加公演と31日&9月1日の名古屋公演を残すのみ。
最後まで張り切ってお願いします!
160  

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
フォーク、ロック、ポップの要素を巧みに混ぜ合わせた音楽をクリエイトするアイルランドの4人組Keywest。


アルバム『オーディナリー・スーパーヒーロー』好評発売中!
  
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan

7keywest

レコードもあり〼。
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan

3a9307d3734b2d8f35ffc26adcdb635d Marshall Music Store Japanでお買い上げのお客様にはMarshall特製スクエア・ロゴ・ステッカーを3枚プレゼント!9img_9727 

200 (一部敬称略 2024年7月7日 日本武道館にて撮影)