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2023年3月10日 (金)

ANVIL PLAYS NATAL

 
「anvil(アンビル)」というのは「金床」のことだったのか…知らなかった。
「安蒜」さんという方もいらっしゃるよね。
この「金床」というヤツ、これまで全く用がなかったので詳しいことは全く知らかったが、歴史としては青銅器時代にまでさかのぼる古いモノで、鉄道の廃レールで作るらしい。
鍛冶仕事に使うことぐらいはもちろんわかってはいたが、ナンでこんな形をしているのかがややナゾだった。
良い機会だと思って調べてみると、当然のこととはいえ金床のすべての部位に意味があることにスッカリ感心してしまった。
赤く熱した鉄塊を乗せて「しばしも休まず槌を打つ」上面の平らな部分は「Face(フェイス)」という。
サイの角のような尖がりの部分は、そのまま「Horn(つの)」。
ココは部材にアールをつける時に使用される。
また丸い穴は「Pritchel Hole(プリッチェル・ホール)」と言って、部材に穴を空ける時の目打ちのウケの役目をする。
一方の四角い穴は「Hardie Hole(ハーディ・ホール)。
外部の固定工具を取り付けるためのモノ。
さらにフェイスの両端は部材を直角に曲げるために几帳面に90度になっているし、フェイスとホーンの境目に段差が付いているのは部材を切断する時に利用するのだそうだ。
これまでは金床が不愛想な鉄の塊にしか見えなかったが、職人の技に応えるべく至れり尽くせりのアイデアが詰め込まれていることを知った。
やっぱりモノの形には理由があるんだネェ。
10それらの機能が何に有益だったかと言うと…代表的なモノでは馬の蹄鉄づくりなのね。
で、果たして30kg内外もあるこの金床がいくらぐらいするものかと思ってAmazonをチェックしてみると…チャンと取り扱っていて、その値段は1万円もしなかった。
意外に安いんだな。
ウチは使わんナ。

Hs

さて、コチラは少し前にドキュメンタリー映画で大きな話題となったカナダの職人ヘヴィメタル・バンドANVIL。
今日はその来日公演の話題。20v先週、東京で2度の公演を開催した。
40ドラマーのRobb "Geza" ReinerはNATAL。30メイプルの10"、12"、13"、16"に24"のバスドラム×2に、スネアは14"×5.5"のアルミシェルというコンフィギュレーション。50v残念ながら私はお邪魔できなかったのだが、凄まじくパワフルなサウンドで両公演とも満員の観客を魅了したと聞いた。
観たかったナァ~。60NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL日本語版公式ウェブサイト

70v 

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<Nowhere>


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200 (一部敬称略 2023年3月1日 立川BABELにて撮影 ※写真提供:UPP-tone music様 ご協力ありがとうございました!)

2023年3月 6日 (月)

かかってこんかい!~HADESのファースト・ミニ・アルバムとMV

 
「イギリスの食事はマズイ」と聞いた風なことを言うけど、体験してそれを言っているのかね?
知りもしないでそんなことを言ってるなら勘弁しねーぞ!
Bring it on!(かかってこんかい!)…と頭から湯気を出して怒るほどのことはなくて、ただウマいものはウマいし、マズいものは確かにマズいというだけの話。
日本と一緒だよ。
ただ、イギリスは産業革命や石炭や鉄鋼産業が盛んなりし時代に「メシよりも仕事」ということで、簡単に食事を済ませてもヘッチャラだぜ…という習慣がついた。
…という話には頷ける。
他にも「ジェントルマンは質素であるべき」という思想や、ライバルのグルメ国フランスの文化を排除したとか様々な理由が挙げられる。
じゃ、美味しいモノはナニがあるのよ?…という話になると…朝食?
「イギリスは朝食が一番豪華」と言われているぐらい。
下はその典型的な「English Breakfast」。
なるほど豪華…でも毎日はとても喰えん!それにそもそも特段ウマいワケではない。
でも、日本でいうところの「10枚切り」に薄くスライスしたトーストは日本の食パンよりはるかに美味しい。
しかし、間違いないのは「アジの開きに焼きのり、納豆、卵焼き、それに豆腐の味噌汁」の朝食の方が断然おいしい。
今は化学薬品まみれのヘンテコリンなものばかり喰わされているけど、こうして考えてみると日本ってのはホントに食文化を持った国だと思う。
それを…コオロギだなんて。10フィッシュ&チップスは「マズイもの」の代表にも出て来ることもあるようだけど、それは店の選択が悪いだけ。
美味しいお店ではホッペが落ちるほどウマいフィッシュ&チップスを食べることができるよ。
下はイングランド最北部のノースポートという港町にある「イギリスで一番美味しい」と評判のお店で出されるスタンダードなフィッシュ&チップス。
フィッシュはタラね。
でも「イギリスで一番美味しい」と謳っているお店は100軒は下らないらしい。
日本で言う「元祖つけめん」とか「カレーうどん発祥の店」みたいなもんですな。
でも、コレはホントに美味しかった。
こんなにギッタギタなのに全く油っこさを感じさせないの。
フィッシュだけでなく、元々から美味しいイギリスのジャガイモをナマのイモの状態から揚げたチップスがまたウマい。
〇〇ドナルドのポテトフライとはワケが違う。
20
それとカレー。
ま、イギリスのオリジナル料理ではないけれど、長いこと支配していただけあってインド料理はおいしい。
ただし、店によってクォリティの差が激しく、安い店はダメ…クサくて食べられませんから!
反対に値段の張る店は日本ではとても味わえないような美味しいヤツを食べさせてくれる。
下のアールズコートのインド料理店で食べた野菜カレーは人生の中でも1、2を争うおいしいカレーだった(ホントは家内のチョイス)。
他にもチョコチョコと美味しいモノがあったし、私は食の冒険を絶対にしないので他の美味しいモノを知らずに損をしているのかも知れない。
食べ物ではないけれど、何よりもパブで飲むあの上面発酵のビールのウマさは日本のビール会社が束になって逆立ちしても勝てやしまい。
それと硬水で淹れた紅茶の美味しさも日本では味わうことのできないモノだ。
だから「イギリスの食べ物はマズイ」と全面否定するのは全く間違えていると思うワケ。30反対にイギリスでマズイとされている代表的なモノを3つ。
まずはマーマイト。
コレはマズかった…というか、日本人の知らない味なんだよね。
パンに塗って食べるんだけど、ホテルに置いてある1回分の小さなパッケージを日本に持って帰り、コックの経験者に差し上げたことがあった。
その人はさっそくそれを指につけてペロリ。
「コレ、イーストじゃん」と平然と言ってのけた。
つまりマーマイトは下の写真のラベルに書いてある通り、イースト菌のペーストで知っている人にはおなじみの食材なの。
でもナニがナンでもマズイ。40次に「ジェリード・イール」。
「うなぎのゼリー寄せ」というヤツ。
あ~あ~、蒲焼にすればいいのに!
テムズ川の河口で獲れるうなぎをブツ切りにして煮凝りにした食べ物で、かつてはロンドンの下町っ子「コックニー」の皆さんの常食だったとか。
いつも「食の安全地帯」にいる私としては当然食べたことがないのだが、「すごく生臭い」と聞いただけでとてもじゃないけどパス。
しかし、最近はうなぎもご無沙汰だナァ。50そして、この手の話題でいつもチャンピオンのなるのがこの下のヤツ。
羊の心臓などの内臓を茹でてミンチにして、それにハーブを混ぜて羊の胃袋に詰めた…というキテレツな料理。
はい、即パス。
 
まぁ、「ウマい」、「マズい」というのは人それぞれの好みによるところが大きいので、一概には言えないことだけど、色々と経験してみるに、やっぱり食に対する心構えが日本人と違う感じがするね。
例えば、温めれば美味しく食べられるものを平気に冷たいままで食べて、それを「ウマい、ウマい」とやっているところとかね。
でもね、ひとつハッキリ言えるのは、化学調味料や化学薬品が山ほど入っている日本の食べ物の方がよっぽど「ヤバい」し、それを「安くてうまい!」と平気で食べている人たちの方がおかしいと思うよ。
そういう意味では日本人の食に対する心構えは完全狂っていると言えるでしょう。
イギリスのパンはアッという間にカビが生えちゃうんだよ。
それが当たり前なのだ。
 
あ、ところでこの下の食べ物はスコットランドの料理で名前を「ハギス(haggis)」と言います。
で、今日はその「ハギス」の話題。60…ではなくて、「HADES(ヘイディーズ)」の話題。
Marshall Blogにも何度か登場してもらったAZAZELの後進バンド。
もちろんハギスとは何の関係もありません、どころかコチラは最高に美味しいバンドなのだ!
80上の前書きで「HADES」を「ハギス」と引っ掛けたのは、下のギリシア神話の神様の「Hades(向かって右)」の読み方には「ハーイデース」とか「アイデース」とか、ものすごくたくさんのバリエーションがあって、その中に「ハデス」というのがあったから話をくっつけてみた。
西洋古典文学では「ハーデース」という表記が一般的らしいが、英語圏ではバンド名のように「ヘイディース」と発音するようだ。
このヘイディースはポセイドンとゼウスのお兄さんで、地下の世界に君臨して「冥界を支配する神様」。
それだけ聞くとナニやらコワ~い感じがするが、「曲がったことが大っキライ」という折り目正しい神様らしい…会ったことがないのでよくは知らないけど。
下の写真で写メを撮っているのが奥さんのペルセポネー。
ヘイディースの横にいる犬みたいなヤツは冥界の番犬、ケルベロス。
頭が3つ、尻尾がヘビ、胴体にヘビの頭が付いているというメチャクチャなデザイン。
ヘラクレスがコイツを地上に引っ張り出したところ、あまりの明るさに驚いてヨダレをたらした。
するとそのヨダレが猛毒のトリカブトになったらしい。
洋の東西を問わず「ケルベロス」という名前のバンドがいくつかあったナ。
70sその「正しい神様」のハズのヘイディースも男ですからね、浮いた話がないわけではなかった。
相手は「メンテ(Menthe)」というとても美しい妖精。
メンテを地下の世界に連れて来ようとすると、奥さんのペルセポネーが「オイ、ヘイ公!フザけんなよ!」と怒ってメンテを葉っぱに換えてしまう。
コレが「ミント」になった。
だからミントのことを英語で「メンソール(Menthole)」って言うでしょ?
アレは妖精の「メンテ(Menthe)」から来ているんだって。
メンテは自分の居場所を知らせるためにあの香りを発しているそうだ。
コレがホントの「居場所の発覚」…ナンチャッテ(←「ハッカ」のシャレになっているんですよ~)

9mint さて、HADESのドラマーはもちろんDr. MayoことMayo。
今回、HADESはファースト・ミニアルバムのリリースに先駆けてシングル曲のビデオをリリースすることになった。
Mayoちゃんといえば、NATALドラムス。
そこでそのビデオの撮影現場にお邪魔して来た…というワケ。
今日はそのレポート。

My_2 コレがそのファースト・ミニアルバムの『BRINGS』。
とてもいいデザインだ!100cd撮影スタジオのようす。110ギター用のMarshallはJVM410Hと1960A。
130一方、ベース用のMarshallは1959SLPと1960A。120NATALはMayoちゃん愛用のバーチのキット。
もんのすごく鳴るヤツ。140準備完了!150さっそく撮影開始!
曲は「BRING IT ON!!!」。
「bring it on」とは「かかって来いや~!」という意味。
サム・クックの有名な「Bring it on Home to me」とは意味が違う。
160Sala

170v空也180vyuriImg_3857 Mayo

200vもう皆さん手慣れたもので撮影はサクサクと進む。

205次のテイクまでチョットすり合わせ。
「このすぐ近くにメチャクチャおいしいパン屋さんがあったんだけど、今やってないんだって!」
「イヤ、最近週末だけはお店を開けているらしいよ」
なんて会話をしているのであろうか。
210こんなことをしている人もいる。220vカメラアングルを変えてもう1回。
何回も大変だネェ。
でも、同じことを同じように何度でも繰り返しできることが「プロフェッショナル」ということだから!
ラーメン屋さんも学校の先生もミュージシャンもやっていることはみんな同じ。
230皆さん、すべてのテイクで問答無用の大熱演!
オラオラ、かかってこんかい!Yy

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Img_3930

260vそして出来上がったのがコレ。
4月28日発売のHADESのファースト・ミニアルバム『BRINGS』のリード・チューン「BRING IT ON!!!」。
見てね!


ミニアルバムのリリースに向けて色々とライブも仕込んでいるHADES。
詳しい情報はコチラでどうぞ!⇒Official Website

My2 Mayoちゃん出演のMarshall/NATALのイベント『Marshall GALA2』はコチラ。

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20The Guv'nor(ザ・ガヴァナー)

290BLUES BREAKER(ブルースブレイカー)

9f43f3948e5fb45dcbd6eda5a9505b2fbDRIVE MASTER(ドライブ・マスター)

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120

200(一部敬称略)

2023年1月31日 (火)

【追悼】鮎川誠さんのこと

 
鮎川誠さんの訃報に接した。
長年にわたってMarshallをご愛用頂いたベテラン・ギタリストをまたひとり失ったショックは大きかったが、それよりも偉大なギタリストたちの度重なる物故によって、ロックが凄まじい勢いで「ロック」から遠ざかっているような気がしてコワくなってしまった。
 
私が初めて鮎川さんのギターの音に接したのは高校生の時に後追いで聴いたサンハウスだった。
20年以上前からMarshallの仕事をするようになって、幸運にも幾度となく鮎川さんとご一緒させて頂く機会に恵まれた。
最近は疎遠になっていたものの、Marshall Blogにも何度もご登場頂いたことは私の自慢のひとつである。
さて、Marshall Blogへの追悼記事を掲載するに当たっては、追悼の意を込めて故人との関りや思い出を綴ることを常としている。
ところが、そうした内容の詳しい記事を以前に掲載してしまっているので、今回どのようにするのがよいのかひと晩かなり悩んだ。
結果、同じことを何度も書いても仕方ないので、「SHEENA & THE ROKKETSの35周年記念」の時に書いた記事を加筆訂正したうえ転用し、現在閲覧することができる鮎川さん関連のMarshall Blogの記事を巻末で紹介して弔意を示すこととさせて頂いた(オリジナル記事は2014年10月23日初出の『【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】鮎川さんとMarshallとわたし』)。
 
     ★     ★     ★     ★
 
街というものは変わるものだ。
よくテレビで有名人が下積み時代に過ごした街を訪れる番組があるが、あの中で「アっレ~、ココだっけな~?」と自分が住んでいた場所を思い出せないシーンに出くわす。
アレを見るたびに「そんなに思い出深い場所なのに何で忘れちゃうの?」と思ったりするのだが、アレは忘れてもいないし、本人が変わってしまったワケでもなく、街があまりにも大きく変化してしまうのでわからなくなってしまうのであろう。
  
下の写真は新宿駅を背に小竹橋に向かう通り、いわゆる西新宿の光景だ。
かつてこのあたりに「新宿ロフト」があった。
前回いつ訪れたのかがサッパリわからないぐらい久しぶりにこの辺りに来たついでに、「新宿ロフトの跡はどうなってるのかな?」と思いつき、ブラリと足を向けてみた。
ところが…。 
恥ずかしながらわからなかったのである。
どこにあったのかがハッキリとわからなかったのだ。
1970年代、あんなに足繁く通い、80年代の初頭にはしばらくの間、月1回のペースで出演者の末席を汚していたにもかかわらず明確な場所が特定できなかった。
街が大きく変わってしまったのだ。0010ついでにもうひとつ…。
こちらはさすがにしょっちゅう通りかかるので忘れようがないのだが、渋谷駅前西武百貨店A館の裏。
下の写真のビルとビルに挟まれたやや背の低い建物。ここに何があったかを知る若い人はまずいないだろう。
ここの4階に「渋谷屋根裏」があった。

今となっては大資本が運営するホール様式の巨大なライブハウスが林立してごく普通の高校生もライブ・コンサートに足を運んでいるが、ここに屋根裏があった1970年代は「ライブハウス」というと「いかがわしい」とか「危険な」イメージが世間にあって高校生が出入りすることは大変マレなことだった…と思う。
どうしても酒を出すからね。
当時はもちろん店内でタバコもスパスパだった。
 
高校1年生の頃、当時スペース・インベーダーがものすごく流行っていて、スコアを伸ばそうと私も地元の小さなゲームセンターに入り浸って研鑽を積んでいた。
そこでアルバイトをしていたお兄さんがバンドをやっていて、毎月新宿ロフトや屋根裏に出演していた。
何となく口をきくようになったある日、「別にライブハウスは危ないところではないから、ロックが好きなら観においでよ!」と誘われ、ほどなくして屋根裏に遊びに行った。
多分16歳の時だったと思う。
そのバンドは現在でも元気よく活躍している「三文役者」で、「ゲームセンターのお兄さん」はそのギタリスト、大竹亨さんだった。
「あまり遅くならないように…」ぐらいのことは言われたろうが、親もよく行かせてくれたものだと思う。
これが私のライブハウスの初体験で、結構当時の色んなバンドを拝見した。
それでももっともっと色んなグループを見ておけばよかった…と今でも臍を噛む思いをしている。
その後、パンク/ニューウェイブが台頭してきて私の興味はジャズに移り、時のロックを熱心に聴かなくなってしまったので自然とライブハウスからは足が遠のいてしまった。
今では街も音楽もライブハウスもすっかり変わってしまった…。
前置きは以上。
鮎川さんとの出会いを記すにあたってはどうしても当時のライブハウスのことを書いておきたかった。
0030v
私は高校生ながら洋楽の知識をひと通り持っていたが、こと「日本のロック」となるとからっきしダメで、色々なグループの存在をずいぶん大竹さんから教わった。
その中のひとつが「サンハウス」だった。
当時、サンハウスのレコードは完全に入手不可能で、当時三文役者のPAを担当していた方にお願いしてサンハウスの3枚のアルバムをカセット・テープに録音して頂き、初めてサンハウスのサウンドを耳にした。
「3枚のアルバム」とは『有頂天』、『仁輪加』、『ドライブ・サンハウス』のこと。
本当にテープが伸びるほど聴き狂ったね。
大好きだった。
下はその時のカセット・テープ。
「Sun House」と綴っているのは私がバカだから。
イヤ、それもあるけど、それだけ情報量が少なかったのだ。
だって、レコード・ジャケットを見たことがなかったんだから!
正しくは「Sonhouse」。
元はEdawad James "Son" House Jr.だもんね。
0r4a0397 ブルースをベースにした洋楽風の曲想に、柴山さんの図太い声で「いかにも」の歌詞がビシっと乗せられたサマはナニよりもカッコよかった。
そして、夢中になったのは鮎川さんが弾くギターだった。
そうなると当然ホンモノを見たくなるのが人情だ。
ところが、サンハウスはとっくに解散しており、レコードですら入手できないのだからホンモノを見るなんてことは夢のまた夢。
年上のロック好きの人たちから耳に入ってくる情報といえば、「何年か前に上京して鹿鳴館で素晴らしい演奏をして九州へ帰っていった」なんてまるで月光仮面かスーパーマンのような話しばかり。
0020
そして、知ったのが鮎川さんが新しく結成したバンド、「シーナ&ロケッツ」のことだった。
1979年、セカンド・アルバム『真空パック』が発表されてすぐに買いに行った。
そして、同じ時期に新宿ロフトではじめてホンモノの「鮎川誠」を目にしたのであった。
ここで冒頭のロフトに話が結びつくというワケ。
それはまだ改装前のロフトで、店内がまだレンガづくりになっていたっけ。
超満員でメチャクチャかっこよかったのを覚えている。
もちろん鮎川さんとお話することもなどできるワケがなかった。Spその後すぐにファースト・アルバムも購入。
みんな「レモン・ティ」のことを口にするけど、私は鮎川さんがお歌いになった「ビールス カプセル」と「アイラブユー」がとても好きだった。
後にそれらの曲の出自を知ったが、「でもそんなの関係ネェ!」だった。S1_2 それから時代は25年ほど下って2004年。
『Marshall Nite』というビクター主催のイベントが開催された。
渋谷のTOWER RECORDSの地下にMarshallの壁を持ち込んでコンサートを開催する…という企画だった。
それはデビューして1年足らずのFUZZY CONTROLをプロモートするのが目的で、当時同じレコード会社だった増子真二率いるDMBQ、そしてSHEENA & THE ROKKETSが出演して華やかな色どりを添えてくれた。
その時、鮎川さんはMCで「ボクはズ~っとMarshallを使ってきた。ナニモノにも代えがたい信頼のおける相棒だ」とMarshallの素晴らしさを博多弁で熱心に説いてくださった。
コレは私がお願いしたワケではなくて、鮎川さんが企画の趣旨をご理解のうえ自主的に対応してくれたのであった。
そのお気遣いがとてもうれしかった。
ところが、この時はごどうしてもタイミングが合わずご本人にご挨拶をすることができなかった。
このイベントの記録がナニも残っていない。
下は第2回目の『Marshall Nite』の告知チラシ。
第1回目は「都心にMarshallの壁現る!」というキャッチとともに「ギターマガジン」誌が大きなレポートを組んで頂いたが、どこを探してもそのスクラップが見つからなかった…残念。
9mnt 
そして、翌2005年。場所は日比谷野音。
『Lightnin' Blues Guitar Festival』というイベントが開催され、中野重夫さんや故住友俊洋さんが出演するということでお邪魔させて頂いた。
私がMarshallのTシャツを着て楽屋をウロチョロしていると、「チョットチョット!そのシャツ、写真撮らせて!」と声をかけて来た人がいた。
鮎川さんだった。
恥ずかしいので「イヤ、こんなシャツの写真を撮ったって仕方ないですよ!」とお断りしたのだが、「構わん、構わん、ジッとして」と何回もシャッターをお切りになった。
コレが初めて鮎川さんとお話をする機会となった。
もちろん、上に書いたようなそれまでの経緯をご説明したことは言うまでもない。
鮎川さんはニコニコして「そうか、そうか」と私の話を聞いてくださった。
もちろん、その時もステージには愛用のMarshall 1987がセットされていた。
 
さらに、5年もの月日が経ち、次にお会いする機会がやってきた。
場所は原宿のクロコダイル。
楽器業界の重鎮の還暦祝いのコンサートが企画され、鮎川さんとシーナさんも出演した。
その頃はもうMarshall Blogを始めていて、撮影に忙しく簡単なご挨拶しかできなかった。
これはその時に撮影したうちの一枚。
写真には入っていないが、アンプはもちろんMarshallだ。
0040v
その時から2か月後の2010年5月、『JAPAN BLUES SOUL CARNIVAL』のSHEENA & THE ROKKETSをMarshall Blogで取材させていただいた。
この頃にはお会いすれば「ヨウ!」ぐらいの感じになっていたのがうれしかった。
 
ヘッドライナーはこの時が日本初公演となったR&B/ソウルの大御所ソロモン・バークだった。
元よりその手の音楽を聴かない私は、鮎川さんたちの出番が終わったらすぐに帰ろうかと思っていたのだが、開演前に鮎川さんが「今日のソロモン・バークは見逃せんよ~。ローリング・ストーンズの師匠じゃけんね。初めて日本で演るんじゃ」と教えてくださったので、せっかくだから最後まで観ていくことにした。
これが信じられないぐらい素晴らしいパフォーマンスで感動の嵐だった。
危なく見逃すところだった!
しかも、ソロモン・バークはこの日本での初公演から5か月後に急逝してしまった。
もう2度とその歌声を生で聴くことはできない。
だから鮎川さんには二重に感謝している。
その後、ソロモン・バークは名古屋のBOTTOM LINEに出演したが、車イスの幅が楽屋の入口より広く、御大は楽屋の中に入ることができず、終始外にいた…という話を大分経ってから耳にした。

もちろんここでもMarshall。

0041

鮎川さんの1987と1960B。Sb2 鮎川さんのMarshallは魚のマークが目印。50ホラ、リアパネルにも。Rear4続いては同じ年の夏のフジ・ロック・フェスティバル。
私はとうとうサンハウスを観たのだった。
この時、ドゥイージル・ザッパも出演していて、一週間ぐらい前にロンドンで会ったばかりだったので、私の顔を見るなりドゥイージルは飛び上がって驚いていた。
「オイオイ、キミは一体どこに住んでいるんだい?!」って!
 
サンハウスの出番は遅く、朝から降ったり止んだりの雨の量が強くなるばかりだった。
帰りの新幹線の時間も気になるし…チョコっとだけ観て帰ることにした。
ところが、ナンのこたぁない。
結局、ほとんど全部観てしまった。
だって演る曲、演る曲が好きな曲ばかりなんだもん!
しかし、この後がシンドかった。
ズブ濡れになって苗場の駅から乗った新幹線がガラガラのうえに冷房がギンギンに効いていて寒くて凍死するかと思った。
でも、心の中はとうとうサンハウスを見たよろこびで暖かかったナ。
0042v
残念ながらマネージメント・オフィスの方から演奏中の撮影許可を取り付けることができなかったので、機材の写真だけ撮らせて頂いた。
もちろんMarshallにキマってる。
ライブの写真を撮ってMarshall Blogに残しておきたかったナァ。Img_0204そして、2010年の10月。
今度は「京浜ロック・フェスティバル」にお邪魔させて頂いた。
コレが川崎の駅から超満員のバスで40分というかなり過酷なロケーションだった。
考えてみるとこの時も野外。
シナロケは野外が良く似合う。

0043vもちろんこの時もMarshallだ。Photo_2さて、先のソロモン・バークとフジロックの間に私の人生の中でも指折り印象に残る出来事が起こった。
もうMarshall Blogのアチコチで書いて来たことなんだけどね。
 
福島県の郡山市立美術館が『スウィンギン・ロンドン 50's-60's ―ビートルズたちが輝いていた時代―』という企画展を開催することになり、MarshallのJTM45 OffsetやJTM45/100を展示品として貸し出すことになった。
その時代に流行した様々なグッズを展示し、ブリティッシュ・インベンションの時代を振り返ってみようという企画だ。
 
美術館の学芸員の方が事前にご挨拶にお見えになり、展示品の貸し出しに関する打ち合わせをしているウチに私の悪いクセが爆発してしまった。
今でも時折展開している自分勝手な「ロックはこうあるべき論」を熱くぶってしまったのだ。
ビックリしながらもその美術館の方は私の話に耳を傾てくださった。
10_2

打ち合わせから数日してその美術館の学芸員の方から連絡を頂戴した。
Marshall Blogを子細にご覧頂いたうえでの「折り入ってのお願い」とおっしゃる。
「困った時はお互い様」とご依頼の内容を伺ってみると、その企画展の関連事業として『60'sロック談義』と題した公開座談会を企画しており、私に出席して欲しいという。
…ザダンカイ?
題名の通り「60年代のロック」について、またロンドンについての話しをするという内容だ。
「60年代か…70年代ならまだしも、60年代はキビしいかな?」と思いつつ、対談の相手を尋ねると鮎川さんとシーナさんだっていうではないの!
だから対談ではなく鼎談だ。
51_2
上に記した通り、鮎川さんは既に何度かお会いして存じ上げていたし、Marshallのクリニックや研修を数えきれないほどやってきた私としては人前で話しをするのもキライな方ではない。
目立ちたがり屋の自分としては飛びつくべき話しなのだが、相手が相手だからナァ。
鮎川さんのロックのキャリアと言えば、ビートルズが完全にリアルタイムなワケだし、ブルースやR&Bの造詣の深さたるや尋常ではなかろう。
直接ではないにしろ、時代的に実際に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」をご経験なすっている方だ。
一方、こちとらローリング・ストーンズすらロクに聴かない、どちらかと言えば「正統派」から遠く離れた「変態」に属するロック・ファンだ。
ジャズなら人後に落ちないが、それ以外の黒人音楽は全くと言っていいほど聴いて来なかった。
コレは何日も考えたね~。
正直かなり悩んだ…訊けばお客さんもかなりの数だというし。
鮎川さんとシーナさんの前でワザワザ自分の無知をさらけ出すのか?!
学芸員の方とは押したり引いた入りの局面があったが、「ええいママよ!Marshallのためじゃい!」と自滅覚悟でお引き受けすることにした。
52
それからは徹底的に鮎川さん研究に没頭した。
相手のことを知らないで対談するなんてエチケット違反だと考え著書を漁った。
コレがまた読めば読むほどますます自信がなくなるようなご経験を鮎川さんはされていらっしゃるでありませんんか!
「やっぱり、断ろうかな…」と再び弱気になったこともあった。0030こんなのも読んだ。
こうして鮎川さんに関する情報を仕入れているうちに、不思議とご本人と打ち解けてきたような気になってきた。
「そうか、要するに生きた時代は違うし、経験も異なるけど、我々は結局『ロックバカ』なんだな…」と…。
それからは楽だった。
途中からおふたりの胸をお借りするつもりで「何でも教わっちゃおう!」という気持ちに変わったのだ。0050もちろんシーナさんの本も楽しく読ませて頂いた。0040
コレで準備万端…と言いたいところだが、実はまだ悩みが残っていた。

20vこの座談会、ただ座って「フムフム」と鮎川さんのお話の相手をするだけでなく、司会役も仰せつかっていたのだ。
「司会」とあらばツカミが肝心。
段取りとしては冒頭でお客さんの笑いを取るのが一番手っ取り早い。30_2

当時は「なぞかけ」がブームになっていた。
「●●とかけて▲▲ととく。その心は××です」というアレだ。
コレで行こう決め、郡山にちなんだネタを仕込もうと考えた。
郡山って何が名物なんだ?何しろ一度も行ったことがない場所だ。
地名で行くか?「こおりやま、こおりやま」…「こりゃマァ」でナンカできないかな?
ん~、いいのが浮かばない。
有名な食べ物は「ママドール」というお菓子か…?
ダメだ…いいアイデアが出てこない。
こうなりゃチョイと浅草演芸ホールまで行って「ねづっち」にお願いしてくるか?

40v_2…とかなんとか言っているうちに当日が来てしまい、座談会の心配はどこへやら、「なぞとき」のネタができずに新幹線の中で七転八倒する始末!
それでも出ない!
郡山駅に着く直前に強引にヒネリ出したネタを携えてこの超立派な美術館に入り込んだのであった。

50vドワッ!開演を待ちわびる人でロビーがゴッタ返してる!
こりゃ責任重大だぞ!

60…と、いよいよ開演時間になり、総合司会の方からご紹介を頂き予定通り考えたヤツをカマしてみた。
「エ~、郡山とかけまして…台所に通じる廊下ととく、その心は…『ママドール』。しげっちです!」
コレが大ウケよ、大ウケ。
もちろん無理してウケてくれた郡山の皆さんが飛びっきり心優しい人たちだったということなんでしょうけどね。
でもね、コレ、終演後に私のところにやや年配の方がいらしゃって、「アノ~、あの『ママドール』のなぞときなんですが、会社の宴会でやってもいいでしょうか?」とおっしゃるではないの!
「どうぞ、どうぞ!」…とてもうれしかった!
そんなこと私にワザワザ断らなくたっていいのにね。
もう、郡山がいっぺんで気に入っちゃった。

T_img_0039 そして、いよいよ鮎川さんたちをお迎えした。70_2ものスゴイ歓声!
お客さんは200人は優に超えていただろうか?
決して小さくはない講堂が超満員になっていた。

80事前の打ち合わせは一切なし。
話す内容についても主催者側からの指定が一切ない。
例の鮎川さんの著書を叩き台にして、当時の話しをお聴きしつつ鼎談がが進行した。
始まってみたらとてもオモシロかった。90_2何しろ鮎川さんは「ビートルズ」の名前をお弁当を包んでいた新聞紙でお知りになったっていうんだから驚きよ。
他にもThe Kinksのレイ・デイヴィスとのことや当時の九州のロック事情など貴重なお話をたくさん伺うことができた。
シーナさん曰く「レイはとってもいい人よ~」。
私はレイとデイヴのマズウェルヒルの生家までは行ったけど、もちろん会ったことはない。
キンクス・ファンの私としてはもっとおふたりにレイの話をお伺いすればヨカッタ。
最後の方では美術館のお計らいで、Marshall Blogの「ロック名所めぐり」の写真を使った「プチ・ヴァーチャル・ロンドン・ツアー」なんてこともやらせて頂いた。
鮎川さんもシーナさんも私が撮ったそれらの写真を熱心に見入ってくださり、とこどろどころコメントや質問を頂いた。
このコーナーも大成功だったと思う。
この時だったかナァ?
「ユー・メイ・ドリーム」の話になって、鮎川さんがプロデュースを担当した細野さんを天才だと思ったっておっしゃった。
「どんなところが?」と私が訪ねると、「例えばあのカスタネットを入れたこと」と鮎川さんがおっしゃる。

Img_00322 私があまり納得していない風に見えたのか「だってあんなところにカスタネットを入れるなんてアイデアは絶対に浮かばんけん!」と説明を加えてくれた。
私はそういう風に思うことの方がよっぽど天才だと思った。
100そして、最後はお2人のパフォーマンス。
残念ながらパソコンの調子が悪く、バッキングトラックが再生できなかった。
しかし、鮎川さんはゼ~ンゼンひるんだり困ったりする素振りなど見せず、「ア・カペラで演るけん!」とひとことおっしゃって、シーナさんのタンバリンをバックに「Satisfaction」を弾き始めた。
Img_00242「ロック」がそこに出張して来て演奏しているようなすさまじいパワーで会場は大いに盛り上がった。
この時だってもちろんMarshall。
限定で発売した1987のコンボ、2187をお使いになった。
 
とにもかくにも座談会は大成功で、大きな拍手をお客さんから頂戴して私はようやく肩の荷を降ろすことができた。
もうひとつとてもうれしかったのは、その学芸員の方が「私に任せて間違いなかった」とおっしゃってくれたことだった。
イエイエ、100%お2人のおかげでした。
Img_00203終演後は閉館して貸切状態になった展示場を鮎川さんとシーナさんたちとでユックリ見学させていただいた。
先にも触れた通り、数えきれないほどの50~60年代のグッズが完全な形で展示されていて、実に興味深い。
初めて見るようなモノあり、なつかしいモノもあり…。

125vおふたりにMarshallの前でポーズをお願いする。
同行した家内がシーナさんとパンの話をすると「マコちゃん、パンが好きなんだけど、太っちゃうからあんまり食べさせられないのよ~!」なんておっしゃっていらした。
鮎川さんたちと親しくなるわ、ギャグはウケるわで、人生の中でもマレに見るエキサイティングな一日だった。160v座談会に先立ってのソロモン・バークの時の野音で鮎川さんの著書にサインを入れて頂いた。
0060
家内はシーナさんにサインをしてもらった。
0070_2
鮎川さんのトレードマークのレスポール・カスタムをジックリ拝見させて頂いたこともあった。
170v1969年製。
恐らく日本で最も有名なLes Paulの内の1本だろう。180vさぞかし何度もリフレットしているのかと思ったら案外そうでもないらしい。

190v満身創痍のボディ表。

200v_2リア・ピックアップが少し傾いてしまっている。

210v上の写真は郡山以前月に撮影したもの。
そして下は郡山市立美術館で撮影したもの。
よく見るとブリッジ・サドルが交換されているようだ。T_img_0038 リアのトーン・ポットのノブは4年経っても取り付けられていない。
このハット・ノブについているハズの数字なんか完全にのっぺらぼうになっちゃってる。

220vテールピースとスタッドも最早一体化している。
コレの方が振動の伝導率が高くてサスティンが稼げたりして…。

230ボディ・サイドもかなり塗装部分が減ってきている。

240v_2ストラップ・ピンも何回も交換されたのかもしれない。

250_2ヘッド裏。
ペグは交換していないとお聞きした。

260v_2あ~あ、ネックはもう完全に塗装がなくなっちゃってる。

270vボディ裏の塗装もかなり剥がれている。残っているのは60%ぐらいか?

280v触ってみるともうツルッツルのドモホルンリンクル状態。
塗装はハデに剥がれているにしてもズボンのベルトの傷がまったく見当たらない。

290vジャックも何度か交換されているに違いない。

300私のフォト・クレジットが入っているが、下は鮎川さんが撮影してくれた写真。
宝物の写真だ。
このギター、鳴りがいいのはもちろんだが、それよりもネックを握った瞬間「アレ?あったかい」と感じた。
愛用のMarshall 1987とともに鮎川さんの愛情を分かち合っているからなのだろう。
1969年生まれだから私より7歳も若いのよ。
この時、鮎川さんの前で何を弾いたかって?
「キング・スネーク・ブルース」と「レモンティ」。320v_2
以上、鮎川さんに関する思い出。
やはり郡山美術館の仕事は私の人生のハイライトのひとつだった。
その後も鮎川さんにはMarshall Blogにご登場頂いていた。
記事は以下の通り。
ゼヒご覧頂いて日本最高のロック・ギタリストを偲んで頂きたい。
鮎川さんにご愛用頂いたMarshallも記事内で紹介しています。
 
★【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】 ROKKET RIDE TOUR
[2014年9月13日 日比谷大野外音楽堂]
鮎川さんのリクエストでステージの前っツラまでお客さんを入れた野音のライブ。
私もずいぶん野音でコンサートを観て来たが、他にこの景色を見た記憶がない。
シーナさんのお葬式の時に、鮎川さんが私の顔をご覧になるなり「あの野音でシーナが登場して来る時の写真、彼女、とても気に入っていたんよ」とおっしゃてくださった。
それを聞いて家内と2人でドバ~っと涙を流した。
 
<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog10_2

『シーナの日』 #1 ~シーナに捧げるロックンロールの夜~
[2015年4月7日 下北沢GARDEN]

シーナさんのご逝去から2か月後の4月7日に開催した追悼ライブ。
イベントの名前通り本当に「ロックンロールの夜」の様相を呈していた。
菊さんやマリさんも登場してこの上ない盛り上がりを見せたが、鮎川さん、やっぱり寂しそうに見えたな。
 
<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog

210

鮎川誠と祝うMuddy Waters生誕100年
[2015年9月12日 下北沢GARGEN]
 
上にソロモン・バークのことを書いたけど、普段ブルースをいう音楽を全く聴くことのない私はこのコンサートで多くのことを勉強させて頂いた。
この時も菊さんが出演して鮎川さんとのコンビネーションで凄まじいステージを見せてくれた。

<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog

200_2
★SHEENA & THE ROKKETS 35周年ライブ日比谷野音DVDリリース!
[2019年7月2日]
35周年を記念するコンサートのDVDが5年の月日を経てリリースされることになったニュース。
許可を得てMarshall Blogの記事に使用しなかった写真を多数掲載させて頂いた。
  
記事はコチラ⇒Marshall Blog
20以上。
 
鮎川さん、本当に色々とありがとうございました。
私はいちファンとして、そしてMarsdhallの人間として、偉大なるロックンローラーとお仕事をさせて頂いたことを誇りに思っています。
安らかにお眠りください。270v SHEENA & THE ROKKETSの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAl WEB SITE

2023年1月12日 (木)

【追悼】I REMEMBER JEFF

 
ココ数年はスッカリ朝に強くなって…イヤ、正確に言うとやたらと朝早くに目が覚めてしまってユックリ寝ていられないだけの話なんだけど…。
今朝も5時起きだった。
今年はいつになく忙しい正月でMarshall Blogの更新がスッカリ滞ってしまっていた。
そこで「今日こそは新しい記事を公開しよう!」とまず気合を入れ、顔を洗って5時15分には事務所のパソコンの前に座った。
昨晩ひと通り書き上げた記事の推敲をするしようとインターネットをつなげてブッタマげた。
それで完全に目が覚めた。
いきなり「ジェフ・ベックの訃報」が目に飛び込んで来たのだ。
 
…と言っても、私は昔から熱心なファンであったことはなくて、むしろそのスゴさに気づくようになったのは、来日した時にMarshallでサポートをするようになってからかも知れない。
それでも私が初めてジェフ・ベックの演奏を耳にしたのは1976年のことだからカレコレ47年も前のことになる。
初体験はBBAの『Live in Japan』だった。
あのトーキング・モジュレーターがカッコよくてね。
その時にはもうギターを始めていたので、ラジカセを使ってマネをしたことをよく覚えている。
ギターをラジカセにつないで、イヤホンで鳴らす。
紙を巻いて作った筒をそのイヤホンにセロテープで貼り付けて筒の先端を口にくわえる。
するとイヤホンの中のスピーカーを通して口の中でギターの音が鳴るという寸法だ。
要するにホンモノのトーキング・モジュレーターと仕組みは同じ。
ところが、加入力になってしまったイヤホンが猛烈に熱くなるのがチョット怖かった。
それにトーキング・モジュレーターを使いすぎると、その振動で脳波が乱れる…とかいうウワサが流れてこの遊びはそう長くは続かなかった。
そもそもギターもほとんど弾けなかったし!

Bba 1976年と言えば、ちょうど『Wired』がリリースされた年で、ロック界ではかなり大きな話題になっていた。
オコチャマだった私はあのインストゥルメンタルのアルバムのどこが良いのかサッパリわからなかった。
一方、『Blow by Blow』は後追いだった。
その中2の時、ひとつ上の学年の人が文化祭で「Scatter Brain」を弾いたんだよね。
中学校3年生ですよ!その演奏にかなりビックリしてね~。
今では「万国ビックリショウ」にエントリーできそうな速弾きキッズも珍しくなくなったけど、当時はロクな教則アイテムがなかったからね。
バツグンのうまさだった…ように見えた。
その人は全くの独学で、ライナー・ノーツに掲載している譜面をさらったようなことを言っていた。
それで『ギター殺人者の凱旋』というアルバムがあることを知ってすぐに買いに行った。
コレも私のジェフ・ベックの思い出のひとつなのだ。
ちなみにその方は最終的にジャズに走ったが、お兄さんは明治大学ビッグサウンズソサエティ・オーケストラに在籍し、慶応大学ライトミュージック・ソサエティオーケストラの神保彰さんの向こうを張った名ドラマーだった。
とにかく、この『ギター殺人者の凱旋』というアルバム名は子供ながらに「ナンじゃらほい」と思ったモノだったな。
このアルバムを持っているにも関わらず、石丸電気レコード館2階のロック売り場に行って「すいません、ジェフ・ベックの『ブロー・バイ・ブロー』をください」と店員さんに頼んで、出て来たアルバムが『ギター殺人者の凱旋』だったので赤っ恥をかいた友人もいた。
かく言う私もこの凄まじい邦題が海外の宣伝惹句の直訳だったことを知ったのはかなり後になってからのことだった。9am1 その後、ひと通りアルバムはさかのぼって聴いてはいたが、上述の通り夢中になることはなかった。
それでも『Truth』が好きだったかな?
そんな状態だったので来日してもコンサートに足を向けることはなかった。
そして、初めて生のジェフ・ベックを見、そのギターの音を耳にしたのはジェニファー・バッテンとステージをともにした2000年の来日の時のことだった。
この時はJCM2000 DSLでサポートしたように記憶している。
会場は東京フォーラムで、ショウが始まってすぐに観客全員が立ち上がったのにはハラが立った。
こっちは初めてのジェフ・ベックだからジックリ観たいワケよ。
少々ムカムカしながら仕方なく立って観たことを覚えている。
Dsl その次に来日したのが2005年。
この時も東京フォーラムか…コレはまったく記憶にないな。
でもMarshallでサポートして、ゲストとしてショウを拝見したハズだ。
そしてその翌年が富士スピードウェイで開催された『ウドー・ミュージック・フェスティバル』での来日。
コレはよく覚えている…というか、色んな意味で一生のウチでも最も印象に残るイベントのひとつとなった。
御殿場まで電車で行くのがツラかったな~。
この時もジェフはJCM2000 DSLと1960BXを使用した。
ステージのソデでそのプレイをジックリ拝見させて頂いたのもとてもいい思い出だ。
この頃はMarshall Blogをやっていなかったので記録はなし。
その後、2008年にMarshall Blogをスタートさせて機材を紹介するようになった。
そんなジェフ・ベックに関する過去の記事を紹介して追悼記事に代えさせて頂きたい。
 
Jeff BeckとDSL
2009年。
この時は単独公演とクラプトンとのダブル・ヘッドライナーで来日。
ジェフのバンドはキーボーズがデビッド・サンシャス、ベースがタル・ウィルケンフェルド、ドラムスがヴィニー・カリウタというメンバーだった。
2020年のNAMMのイベントの楽屋でタルちゃんと2人きりになってしまい、無言でいるのも心苦しいので、この時のジェフのMarshallをサポートしたことを話したところ「あ、そう」で終わり。
あ、もちろん他の会話をしたけど、とても落ち着いた方で、自分の軽さが恥ずかしかったワ。Jb_jb1_4 この来日時の前半では、持参したカスタム・メイドのMarshallを使用していた。
ところが横浜の「みなとみらいホール」で演奏中にノイズが盛大に出てしまい、途中から上の写真の通り1987Xに変更となった。
確か大急ぎで名古屋へ1987Xを送り出さなければならなくて、も~その手配が死ぬほど大変だったことを覚えている。
ちなみにそのノイズはMarshallのせいでは全くなくて、会場側の電源のケーブルの不良が原因だった。
それを映画の『欲望』よろしくジェフがアンプをバンバン叩くもんだから、あの時は客席から見ていて寿命がかなり縮まったわ。
今、そのモデルはMarshall本社の博物館に収蔵されている。0r4a0094
Jeff BeckのMarshall 2010
この記事はゴメン。
秘密が多くて写真を撮ることができなかったように記憶している。
何せペダルボードなんかはいつも目隠しされていて、本番の時以外は見えないようになっていたりするからね。
そんな!…例え全く同じ機材を使っても誰にも絶対にあんな音を出すことはできないんだから心配ないのにね。
そういえば、あのジェフのストラトのワーミー・バーがどんな感じなのか、この頃はスッカリ顔なじみになっていたギター・テクに頼んで触らせてもらったことがあった。
想像していたよりはるかに動きが硬くてビックリした。
 
Jeff BeckのMarshall 2014
この頃になるとMarshall Blog用にライブの写真も撮らせてもらうようになった。
外タレのコンサートの場合、「アタマ3曲」とか制限つきでステージの真ん前で撮らせてもらうことが多い。
この時も同様だった。
コレはどこかに書いたように記憶しているけど、ステージの前からレンズをジェフに向けるとこっちを見るでしょ?するとカメラのファインダー越しに目がバッチリと合っちゃうワケよ。
向こうには私の目は見えないハズなんだけど、それがコワくてね~。
そんな時には「許可もらってますから!」と心の中で叫びながらシャッターを切ったものでした。10v 
Jeff Beck Live in Japan 2015
この頃は今のDSL、つまりDSL100Hを使用していた。
それでも完全に音は「Jeff Beck」だったナァ。
撮った写真はもちろん先方のチェックを経てMarshall Blogへ掲載したのだが、てっきりスタッフが選ぶのかと思っていたらジェフ自身が選んでいるということを後に聞いてかなりビックリして…照れた。

90 そして、コンサートにお邪魔したのは2017年1月31日の東京フォーラムでの公演が最後だった。
いつかfacebookに投稿したが、スタッフの連中がフォーラムのトイレに驚いて「Electric toilet!」と大騒ぎしていたのが大変にオモシロかった。
ジェフは愛器を人任せにせず、自分でギターを肩にかけて会場に現れ、楽屋にいる間はズッと練習していた。
この時、リハーサルで何度もジョン・ルイスの「Django」を弾いていたっけ。
アンプは1987と1959、キャビネットはやはり1960BXを使用していた。
ライブの写真も撮らせてもらったので大量の写真が残っているのだが、どこをどう探してもMarshall Blogにライブ・レポートが見当たらなかった。
理由を思い出すことができないが、恐らく先方スタッフと没交渉になってしまい記事は書かずじまいになってしまったのだろう。
 
ま、コレは偶然だけど、ジェフの住むサーリーへ行ったこともあった。
仕事や用事があるといちいち車でロンドンへ出て来るというような話を聞いた。
Img_1101
こうしてみると2000年から2017年までずいぶんと長い間お手伝いをさせて頂いたものだ。
残念ながら顔を突き合わせてヤアヤアなどとやることはとてもできなかったが、トーキング・モジュレーターごっこで遊んでいた頃には「ジェフ・ベックのお手伝いをする」などという光栄なことは想像したこともなかった。
こうして毎回来日するたびにコロコロとバックラインが変わったし、Marshallを全く使わない来日公演もあったが、基本的にはいつでもMarshallがメインだった。
50WでBキャビ…コレがジェフのMarshallのベースだった。
下の写真はかつてのフランクフルトの展示会のMarshallブースのようす。
やはりジェフはいつでもMarshallの大切なアイコンのひとつだった。
 
ギターの奏法云々はマニアの人に任せることとして…私流に考えると、ジェフ・ベックのスゴイところは、ヒット曲を作るでもなく、歌を歌うでもなく、本当にギターだけで自分の音楽をつくり出したことだと思う。
Marshallは長い間そのジェフの音楽づくりのサポートを務めて来た。
ジェフ・ギターの音はMarshallの音であり、Marshallの音がジェフのギターの音だった。
それが突如としてこの世から消えてしまった。
大変に恐ろしいことだ。
昨年の大谷令文さんといい、今回のジェフといい、「Marshall」という「音楽を作る装置」を本当に理解しているギタリストが年を追ってドンドン少なくなっているのだから。
Marshallを愛用しているスゴいギタリストはまだまだ枚挙にいとまはないが、今日「ひとつの時代」が終わり、「ギターが作り出す音楽」のひとつが絶滅したような気がした。
Rimg0167偉大なるギタリストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます
 
さよならジェフ・ベック!20_2

2022年12月30日 (金)

来世でもMarshall!!~現世のCASPA NatasumiとMarshall

 
CASPAが昨年末に活動休止を発表した時は本当にガッカリしてしまったっけ。
ところが!
しばらくの間鳴りを潜ませていたものの、いよいよ活動を再開させて今月上旬ライブハウスのステージに戻って来た!
ヨカッタ、ヨカッタ!
そのCASPAのギタリストがNatsumiちゃん。10vNatsumiちゃんはいつでもMarshall。
楽器フェアの大舞台でも…20v汐風そよぐ夏の渚でも…30v熱狂のライブハウスでも当然Marshall。40そして、テレビ番組の収録スタジオでもMarshall。
70このMarshallはテレビ東京で来年1月4日の深夜0:30からスタートするドラマ『来世ではちゃんとします 3』のオープニング映像の撮影のために用意したモノ。
1959と1960Aね。
110v夜中の12時まで起きていることが全くない私は、残念ながらこのドラマのことを存じ上げなかったが、何でも人気の4コマ漫画を実写ドラマにコンバートした作品だそう。
もう『3』だからね、その人気が窺えるというモノだ。50オープニングの映像に出演されているのがこの方々。60その映像がコレ。
曲は大森靖子さんの「ムゲンライセ」。

映像の中でギターを弾いている人はNatsumiちゃんではない…見ればわかるか。
でも、使っているギターはNatsumiちゃんの愛器のレスポール・カスタムなのだ。90vそう、自身は出演していないが、ギター演奏の演技指導と楽器の調達をNatasumiちゃんが担当したというワケ。100やっぱりこういう映像にMarshallが映り込んで来ると全体の印象がガラっと変わって「シマる」よね。
問答無用で「ロック」になる。
そりゃMarshallは60年間もロックをクリエイトするお手伝いをし続けている「ロックのための必須道具」なんだもん、当たり前といえば当たり前のこと。
この大きな黒いハコの中にはロックの夢とカッコよさが詰め込まれているのサ!
「夢」はこの大きさであるべきなのよ!
ねぇ、カスタムさん!
(ちなみに筆者は27年前、生前のレス・ポールさんにニューヨークでお会いして少しお話をしたことがあります)
1959活動を再開したCASPAには大いに期待していますからね!
現世はMarshallでガンバレ、Natsumiちゃん!
 
CASPAの詳しい情報はコチラ⇒CASPAオフィシャルウェブサイト

120v

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
クールな女性シンガーがお好きなアナタにピッタリのバンドはREWS!
 
<Birdsong>

<Today We're Warriors>

<Monsters>

<Heart is on Fire>


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200 (一部敬称略 写真提供:NatsumiHoney Burst)

2022年11月26日 (土)

PROGのD_Drive

 
もうスッカリご無沙汰しているけど、内容が少しでも良ければイギリスに行くたびに買って帰る雑誌がある。
それは70年代のロック・アーティストを中心に据えた『CLASSIC ROCK』。
このことは以前にも何度書いてきた。102010年にはこの雑誌が主催する『HIGH VOLTAGE』というロック・フェスがロンドンで開催され、たまたまその時にロンドンに居合わせた私は、2日間にわたって「我が青春のロック」を十二分に堪能したのであった。
その時のようすはコチラでレポートした(4回シリーズ)⇒HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>

05_2さて、そんなこんなで大好きな『CLASSIC ROCK』の姉妹誌がプログレッシブ・ロックに焦点を絞った『PROG』という雑誌。
私は中学校3年生ぐらいからプログレッシブ・ロックに夢中になり出し、結果的に人生で一番長い時間聴いたロックとなった。
どういう頻度で刊行されているのかは知らないが、イギリスに行く機会があれば、スーパーでこの『PROG』という雑誌も必ずチェックしている。
日本でも手に入るんだけど、お値段がね~。550r4a0204ちなみに「Prog」というのは「プログレッシブ・ロック」のこと。
プログレッシブ・ロックの故郷のイギリスでは間違えても「プログレ」なんて言わない。
「プロッグ・ロック」と呼んでいる。
それで、子供の頃から親しんで来たつもりの「プログレッシブ・ロック」がどうも日本で捉えている「プログレッシブ・ロック」とどうも違うようだ…ということに気が付いたのはつい先日のこと。
今年8月にD_Driveが2枚目の世界リリース・アルバム『DYNAMOTIVE』を発表した時、ヨーロッパでの受け止められ方を目にして日本が「プログレッシブ・ロック」という言葉に関して世界の感覚とズレていることを発見したワケだ。
コレは結構大きなショックだったね。
 
詳しいことはコチラに書いておいたので、キミも読んで世界に通用する「ロック博士」になろう!⇒プログレッシブ・ロックってナンだ?~D_Driveの新作『DYNAMOTIVE』が教えてくれたこと

225479_ddrive_dynamotive_615x600px さて、ココからが今日の記事の本題。
今までは前置き…「You ain't heard nothing yet!」というヤツ。
そのD_Drivenの新作はイギリス本国のみならずフランス、イタリア、ベルギー、オーストリア、あとキリル文字のどっかの国、等々のネットで思いっきり取り上げて頂いた。
そのこともココに記録しておいた⇒世界の国からD_Drive

9pr2 そして、真打登場。
ナント、その私の大好きな『PROG』誌面にD_Driveを取り上げてもらったのだ!
下が昨日発売されたその掲載号。
いきなり表紙がThe Moody Bluesですからね。
昔、『Every Good Boy Deserves Favour』だの『Seventh Sojourn』だのよく聴いたね。
たしかムーディーズは「Go Now」で最初にMarqueeのスタジオでミュージック・ビデオを作ったバンドじゃなかったけか?Progド~ン!
1ページまるごとD_Drive!
コレは「Limelight」という注目のバンドを紹介するコーナー。
「ライムライト」とは「スポットライト」と同じ。
コレは間違いなく日本人初でしょう。
マジでうれしいわ。
「歌詞がないけど歌はある」というSeijiさんの名言で始まるインタビュー記事。
さすが「PROG」。
D_Driveが言いたいことをバッチリと記述してくれている。
翻訳したのは私なんだけど、いつもの通り実に巧みな英語にブラッシュアップされているのがうれしい。
実は、この雑誌でこうして大きくフィーチュアされるのは、お膝元のMarshall Recordsも喜ぶぐらいイギリスでは価値のあることなのです。
いくら時代が変わったとはいえ、チャンとした雑誌に取り上げてもらうのは、やっぱりインターネットに登場するより格段にステイタスが高いということよ。
当たるといいナァ。
Thanks very much for your hard work Tristan!!

9ddrive_colour_blurred 「PROG」はTOWER RECORDやHMV等の大手輸入レコード店のウェブサイトでお求めになれます。
 

■□Marshall Music Store Japanからのお知らせ■□

 
D_DriveのSeijiとYukiのビデオがイギリスで人気のギター・雑誌『GUITAR WORLD』のウェブサイトに登場しました!
 ↓  ↓  ↓
GUITAR WORLD PLAYTHROUGH

Gw  

このビデオの曲が収録されているD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』を絶賛販売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。53000x3000コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive official website
 
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Simg_9727

200(一部敬称略)

2022年11月 9日 (水)

【I REMEMBER 令文】Marshall Mania

  
大谷令文さんの追悼特集はまだまだ続く。
ウチの「大谷さん」は「翔平」ではなく、徹頭徹尾「令文」だから!
今回からは今のMarshall Blogでは見れなくなっていた記事を加筆訂正して、かつ新たに現像した写真を交えて紹介していく。
今日は私の手元に残っている一番古い令文さん関連の記録。
2006年に開催された『Marshall Mania』というイベントのレポート…と言っても、この記事は今のMarshall Blogにも復刻掲載していたことがあるので見覚えのある読者も少なくないと思う。
局面によって内容を書き換えていたのではジャーナリズムとして成り立たないことはわかっているけど、令文さんの追悼に主眼を置くとどうしてもリライトせざるを得ず、大幅に内容を書き換えて再々掲載させて頂くことにした。
つまり書下ろし!
 
それでは早速はじめましょう。 
『Marshall Mania』が開催されたのは2006年4月16日のこと。
「昨日のことのよう」と言いたいところだが、ずいぶん昔の話だナァ。
会場は名古屋伏見の老舗ライブハウス『Heartland Studio』。
『Marshall Mania』は中京地区のMarshallファンの皆さんが自慢のMarshallを持ち寄って展示するという企画。
そして、ゲストの令文さんのギター・クリニック、さらに夜の部ではMarshallゆかりのミュージシャンが集ってのスペシャル・ライブ…というMarshallゾッキのイベントだった。
Marshall Blogが始まる2年前のことで、私は「Marshallの輸入代理店の担当者」としてVBA等、夜のスペシャル・ライブで使用する機材のサポートをする格好で参加させて頂いた。
この日、イベントが終了したのがかなり遅い時間で、お客さんが全員お帰りになった後に機材を地下の会場から人力で地上まで運び出すのがメチャクチャ大変だった。
また、よりにもよって、8x10"のベース・キャビネット「VBC810」を持って行っていたんだよね。
営業所の若者と2人で大騒ぎしながら何とか階段で運び上げた。
その後、松屋かなんかに食事に行った時は午前1時を過ぎていた。
16年前…私もまだ若かったんだネェ。
今じゃとてもそんなことできないわ。
 
さて…。
昼の開場と同時にお客さんがポツポツ集まりだした。
所狭しとズラリと並んだ新旧のMarshall。
右を見ても左を見てもぜ~んぶMarshall!
101959は当然のこと、JCM800 2203、JCM900 2100SL-Xや4100、JCM2000 TSL60、6100と様々なモデルが並んだ。
この当時はまだJVMが出る前だった。
よってフラッグシップ・モデルはまだJCM2000のTSLシリーズ。
この半年後ぐらいにVintage ModernとJVMシリーズが発表になったのです。
壁に貼ってあるジミヘンのポスターもなつかしいね。201974X、2061X等のハンドワイアード・シリーズに加えてJTM45 Offset(右端)まで並んでいた。
JTM45 Offsetは思い出のある商品でしてね~。
真相は恥ずかしくてとてもココに書くことはできないが、土壇場でアメリカに頼んで50セット分けてもらったんだよね。
コレは本当に素晴らしいアンプだった。
お金のことなら何とでもなる!…と、職権を濫用してマジで1台買おうかと思ったが、家に置くスペースがないので泣く泣く諦めた。
Marshallもコレを復刻するのが大変だったそうで、「もう二度とやらない」と以前言っていた。
買ったお客さんは「ラッキー中のラッキー」と言えよう。
30「White Special」も並んでいる。
白い1959、白い1960、そしてPower Brake PB-100まで白で揃えたラインナップはMarshallの35周年を記念するモデルだった。
40
ココは1959族がズラリ。
一番右は1994年に世界限定で200セットを生産し、発表とほぼ同時に完売した「Barney(バーニー)」とアダ名されたモデル。
紫色のカバリングをまとい、Bキャビが背高の1959のフル・スタックだ。
別名「The Hendrix Stack」。60「Barney」というのはアメリカの子供向けテレビ番組に出て来る紫色のティラノサウルスのこと。
当該のスタックはこのキャラクターと同様、紫色でサイズが大きいということから海外で「Barney」と呼ばれた。
コレは多分アメリカだけの話だと思う。
イギリスのMarshallが「バーニー」と言う時にはバーニー・マースデンだし、日本で「バーニー」と言えば日下部正則さんと相場がキマっとるからね。
 
9bd_2

目の玉が飛びだすようなウルトラ・レアなアイテムが並んだワケではないが、オーナーの皆さんが自分のMarshallに愛情を注いでいることが伝わって来るうれしい展示だ。
しかし、これはさぞかし設営/撤収が大変だったことだろう。
今更ながらに主催者に感謝を申し上げたい。
50Marshallを手に入れること、Marshallをステージにセットすること、Marshallを弾くこと…すべてが「ロック」ですからね。
その「ロック」に直結しているのがこの光景は圧巻だった。70楽屋に行くと、出番を控えた令文さんがウォーミングアップをしていた。
しばらくすると令文さんのギター・クリニックが始まるのだ。
追悼記事『私の令文さん』の中で触れた通り、この時に初めて令文さんと面と向かってお話をした。
もちろん私から声をおかけして、「〇〇の時の私です」と過去の接触事例を引き合いに出して自己紹介すると、とても気さくに対応してくれて、早速Marshallの話をしたのであった。
 
ほどなくして令文さんのギター・クリニックがスタート。
この内容がまたスゴかった。
こう言っちゃナンだが、「ギター・クリニック」とは名ばかりで、バッキング・トラックもナニもなしに令文さんがコアなロックの曲を好き放題に弾きまくるというスタイル。
グワ―ン!と弾いて「フリートウッド・マック…ピーター・グリーン…知ってる?」とやるだけ。
こんなの令文さんだからできるし、許される。
他にロビン・トロワ―の曲なんかを持ち出して「コレ知ってる?知ってんの?知らないだろうな~」なんてお客さんに向かってやってる。
そのようすが滅法オモシロかった。
80その代わりサウンドは抜群だった。
だって、この後のライブのためにご自分のMarshallを持ち込んでいたんだもん。
もちろんスライダック&コーラスエコー付きのフル装備。
ナンのことはない、令文さんが一番の「Marshall Mania」だったんだよ。Rimg0186 途中で加わったのがGEORGIE PIEの原マサシ。
当時マサシさんはロンドンのテムズ川南岸のパットニーというところにお住いで、この時がご縁となって翌年私が渡英した時にMarshallの工場にご案内した。Rimg0192_2 マサシさんもご自分のMarshallを持ち込まれていた。
フル・フェイスの1962。
その後ろに見えているのがVBC810。Rimg0185 マサシさんは「本当はトロロのブルースブレイカーが好きなんです」とおっしゃっていたナァ。
「トロロ」というのは下の写真のフレットクロスのこと。
「とろろ昆布」のトロロね。
トトロじゃないよ。Img_0905 そして、令文さんが「それじゃ、アイルランドの民謡でも一発やりますかな…」と言って2人で弾き出したのがThin Lizzyの「Black Rose」のあの真ん中のギター・アンサンブルのパート。
ココもバッキング・トラック全くなしのア・カペラ。
生身の人間が目の前であのパートを完璧に弾くのを見てビックラこいたわ!
だって、スコット・ゴーハムが「こんなもんできるかい!」と投げ出してしまったもんだから、あのパートはゲイリー・ムーアがひとりでレコーディングしたっていうんでしょ?
もう、音は十二分にスゴイいし…というか、鳴っている音がギターだけなのでそれはそれはスゴイことになった。
一生忘れることができないパフォーマンスだったな。
そして、この2人にはもう一生会うことができない。Rimg0202 この時から数年経って…。
Fairport Conventionは私のガラではないんだけど、勉強のために名盤と呼ばれているアルバムを大かた揃えて(ガマンして)聴いていたらビックリ!
『Liege & Lief』に収録されている「Medley: The Lark in the Morning」という曲に「Black Rose」のあのパートの最後の方のメロディがそのまま出て来るじゃないの!
きっとアイリッシュ・ミュージックを好んで聴く人には基本中の基本なんだろうけど、私は全く興味がなかったのでコレを見つけて結構感激した。
そして、さっそく令文さんに報告した。
令文さんもおおよそFairport Conventionは守備範囲でなかったらしく、私の報告を聴いて驚き、「ええ!聴きたい!」とおっしゃていた。
当時はYouTubeもSpotifyもなかったので、確か音源をCDに焼いてお渡ししたように記憶している。Ll そして、夜。
マーシャル弾きが集まって熱気あふれるライブ・パフォーマンスが繰り広げられた。
もう会場はこれ以上はひとりとして入れないような満員状態!90出演は令文さんの他に、トーベンさん、The Sons、Shigeo Rollover、マサシさん、メリケン・バンドのコヤマタケシさん等々の豪華メンバー。
Rimg0227コレだけのメンバーだからして当然最後は大セッション大会になるわな。
まぁ~みんな弾くわ弾くわ!
もう完全にコントロール不能になってしまい、まさしく阿鼻叫喚のギター地獄!
誰かが「Child in Time」に出て来る「♪A、C、E、Eb~」のフレーズを弾き始めたらセッション内で流行っちゃって、トーベンさんまでベースでそのフレーズを弾き出す始末。
楽しかったナァ~。
ところが、いっくら弾いても終わる気配を見せず、そのウチ終電に乗り遅れそうな人も出て来てしまい、会場のお客さんが少しずつ減り出して来た。
まさにジミ・ヘンドリックスが登場した時の月曜日の朝のウッドストック状態!
ま~、冗談抜きにゲップが出るほどギター聴かせてもらいました。Rimg0249セッション・リーダー的な存在だった令文さんも思う存分弾きまくっていた。Rimg0250しかし、人間ってナンだってこんなにギターを弾くかネェ?
答えはカンタン!…そこにMarshallがあるから。
Rimg0257とにかく素晴らしいイベントだった。170このイベントは翌年、『HeartLand 30th Anniversary HTV MARCYのロック道場 Presents Marshall Mania2 in NAGOYA』と銘打って再演され、令文さんも出演されたが私はお邪魔しなかった。Mm2

200_2(一部敬称略 イベントの写真は2006年4月15日、名古屋HeartLand Studioにて撮影)

2022年9月13日 (火)

世界の国からD_Drive

 
去る8月26日にインターナショナル・リリースされたD_Driveの『DYNAMOTIVE』ですが、おかげさまで中身はもちろんのこと、ジャケット・デザインに対しましても大変な好評を頂戴しております。
D_Driveのライブ会場並びにMarshall Music Store Japan他でお買い上げ頂きました皆様には心より御礼申し上げます。
 
さて、Marshall Recordsからの報告によると、『DYNAMOTIVE』は海外のSNSを中心とした数多くのメディアに盛んに取り上げられ、特に本国イギリスでは注目の的となっており、1作目の『MAXIMUM IMPACT』の時に比べて『D_Drive』の名前が飛躍的に浸透してきているそうだ。
『日本のプログレッシブ・ロック・バンド」としてね…。
D_Driveの音楽がプログレッシブ・ロックか否かは先日書いた記事「プログレッシブ・ロックってナンだ?~D_Driveの新作『DYNAMOTIVE』が教えてくれたこと」をご覧あれ。
気に喰わないったって仕方がない。
エリザベス1世がスペインの無敵艦隊を破ってからというもの、言葉も時間も世界の標準は全てアチラですからね。
同じ島国でもこっちは世界の田舎の「Far East」だからイギリスが「D_Driveはプログレッシブ・ロック・バンドである」と言ったら世界的に「D_Driveはプログレッシブ・ロック・バンド」なのだ。
そもそもプログレッシブ・ロックは「イギリスの音楽」なのだから逆らうことは絶対にできまい。
私も今度イギリスに行った時に「D_Driveってどんなバンド?」と現地の人に訊かれたら胸を張って「インストゥルメンタルの『プロッグ・ロック』を演っているんですよ」と答えるつもりだ。
ま、何でもいいのよ、注目されれば!
そんなワケで今日はどんな海外のメディアでD_Driveが取り上げられてきたかを今日は紹介するよ!
今日の1本、泣きたいぐらい大変だった!53000x3000_2 D_Driveに関する記事が投稿された順番にはなっていないのであしからず。
目についたヤツを片っ端から並べてみた格好だ。
ホトホト困ったのが国籍。
ウェブサイトって、ナゼかどこの国のページかを明らかにしないんだよね。
「About Us」というページを読んだところで、どのサイトも全くと言っていいほど国籍に言及していない。
だから英語で文章を書かれてしまうと、どこの国のウェブサイトかもうゼンゼンわからない。
例えばスウェーデンなんかは、国の刊行物が英語と自国語の2通り発行されるっていうぐらいの英語国だからね。
英語でもスウェーデンのサイトかも知れないワケ。
オランダ人なんかホントに英語がうまいからね。
でも、「世界の人が見る」というインターネットの特長を考えれば、英語で書きたいのは当然だ。
今日これから紹介するサイトは、Marshall Recordsの情報によるとイギリスのウェブサイトがかなり多いようだ。
猛烈にウェブマガジンの文化が浸透していると言い換えられるではなかろうか?
でも、どれも言っている内容はほぼ一緒。
基本は私がD_Driveやアルバムについて書いた文章を参考にして、各サイトが音源を聴いての感想が付け加えているという流れ。
そんな感じでご覧頂きたいと思う。
 
 
1. Games, Brrraaains & A Head-Banging Life
まず…コレはイギリス。
「ゲーム、ホラー、ヘビメタ…他に人生で何を望もうぞ」みたいなサイト。
「少しは本を読んで勉強しなさい!」とでも言いたくなるナ。
D_Driveは「ロック/メタル・アルバム・レビュー」というページに登場している。Uk1

2. DISTORTED SOUND

名前からするとどうしても歪み系ギターが活躍する音楽のサイトという印象を受けるが、今イギリスで大人気のウチのNOVA TWINSやMarshall Records初のブルース系ギタリストのローレンス・ジョーンズなども取り扱っているところを見ると、総合的な音楽サイトのようだ。
上でリンクしている記事に書いた通りD_Driveを冒頭から「Japanese progressive rockers」と紹介している。
Uk2
誌面ではご親切にも大分前にシングルでリリースした「Begin Again」のビデオも紹介してくれていてチョット照れるな…イヤ、コレは私が作ったビデオなんですわ。5ba  

3. METAL NOISE
名前の通りのメタル系ロックのサイト。
『DYNAMOTIVE』に収録されている曲をひとつずつ音楽的に丁寧に説明してくれている。
最後に点数が付けられているんだけど、10点中8.5。
何枚か他のアルバムもチェックしていみたけど、8.5は高いほうみたい…ヨカッタ。

Uk3 
4. METAL EPIDEMIC
「生きてるかッ?メタルで息をしているかッ?没頭できる新しいバンドやアルバムを探しているかッ?」…みたいなサイト。
ん~、この記事は放っておこう。
真実と違うことを推測で書いている。Uk4

5. ROCK 'N' LOUD
コレはイギリスのロックの総合ウェブ・マガジン。
コチラさんはシングルやら、ビデオやら、当然アルバムやら、何かをリリースするたびにD_Driveを取り扱ってくれてありがたい。
アルバムのレビュワーはBABY METALとCROTHFAITH以外の日本のロックやインストゥルメンタル・ミュージックに詳しくない…としていながら『DYNAMOTIVE』のことは大変気に入ってくれたようで、やはり1曲ずつ適切な感想を述べてくれている。

Uk5

6. BRING the NOISE UK
昔、黒人音楽の歴史を綴った『Bringin' da Noise, Bringin' da Funk』というブロードウェイ・ミュージカルがあったが、それはそれは素晴らしい作品だった。
このサイトは特に『DYNAMOTIVE』の解説はしておらず、「I remember The Town」と「Wings」、それに「Red Light, Green Light」のビデオを紹介していた。

Uk6 

7. CLASSIC ROCK
大好きなCLASSIC ROCKマガジン。
イギリスのスーパーへ行った時、雑誌コーナーにおいてある本が好きなバンドを特集している時には必ず買って帰ってくる。
そんな雑誌がD_Driveを取り上げてくれてとてもうれしい。
コレはシングル「I Remember The Twon」の紹介記事。 

Uk7

8. MAXIMUM VOLUME
「Maximum Volume」なんて言ってるけどサ、向こうの連中、「Marshall Live」のサウンドチェックの時にD_Driveの「音がデカい!」ってやたら言うんだゼ。
いくら音量を下げても「まだデカイ!」とか言われてPAとD_Driveの間に入っていて往生したわ。
でもこの『MAXIMUM VOLUME』は大丈夫。
他の記事では「TURBO D_Drive」なんてキャッチ・コピーまで付けてくれてとても好意的。
この『DYNAMOTIVE』の紹介記事では『POWER ON』だよ。
ココのサイトも『MAXIMUM IMPACT』の頃からとてもD_Driveに協力的で、このレビューでもメンバーの言葉を引用しながら丁寧な解説をつけてくれている。5mv3  
 
9. METAL PLANET

タイトルの通りメタル中心のウェブ・マガジン。
出ているバンドは結構ベテラン感大。
D_Driveが若い感じ。
このサイトも「Thumbs Up」や「Begin Again」の頃から応援してくれているが、今回もシングル「I Rmember The Twon」を取り上げているだけで『DYNAMOTIVE』自体の紹介はなし。Uk9 

10. FrontView Magazine
コレはベルギーだな。
上で紹介したどれかの記事と同じ内容。Uk13 
11. Musipedia of Metal
コレはイギリスのブログ。
一切写真が使われていない男のブログ。
今時、政府の刊行物でもゆるキャラを遣ったりして愛想を良くしているものだが、大丈夫なのか?。
内容的には他のサイトと同じ。Uk14 
12. Stormbringer.at
オーストリアのサイト。
副タイトルが「THE AUSTRIAN HEAVYZINE」だって。
ヘビメタル+マガジンね。
「ヘビジン」か…浅草の蔵前に「蛇善(へびぜん)」という明治17年創業のゲテモノ食材屋があるけどね。
品揃えのスゴさは『DYNAMOTIVE』の比ではない。
このページはドイツ語なので解読不可。
大学の時、もっと勉強しておけばヨカッタ!(←ウソ)
Uk15 
13. At The Barrier
アルバム発売前の記事。
先行リリースしたシングル2曲の紹介と、近い将来リリースされるアルバムへの期待が書かれている。
メンバーの言葉も引用された結構マッシブな内容。Uk17 
14. News Day FR
コレはフランス。
まったく読めません。Uk18  
15. SPAZIO ROCK
コチラはイタリア。
チャオ!
「SPAZIO ROCK」というのは「ロック空間」みたいな意味かな?
まったく読めないけど、評価はかなりよさそう。
グラッツィエ!

Uk19 
16. RADIO ACTIVE
ドイツの総合音楽ウェブサイト。
ビデオからサブスクから丁寧な作りでダンケ!Uk20 
17. DISTORTION
「интерактивный журнал о музыке и искусстве.」…ってサッパリわからんわ!
とうとうキリル文字の登場!
スゲエなD_Drive。
コレがですね、どこの国のサイトかどうしてもわからない。
ロシアとウクライナはD_Driveどころじゃないだろう。
他のキリル文字の言葉を使うどこか他の国だろうから…ベラルーシ、ブルガリア、マケドニア、セルビア、カザフスタン、キルギス、ウズベク…。
そうそうモンゴルもキリル文字なんだよね。
「D_Driveのウランバートル公演」とか見てみたいナ。
会場は当然あの「ゲル」よ。
ホーミーと共演しちゃったりなんかしてね。Uk21

18. THE RAZORS EDGE
コレもイギリスかな?
『DYNAMOTIVE』がリリースされる大分前に掲載された記事。
Uk22 
19. Progressive Rock Journal
待ってました、プログレ!
「Wings」がリリースされた時の『DYNAMOTIVE』の紹介記事。
サイトのページは「Progressive Rock」を声高らかに謳っているけど、オリアンティとかも出ていてそれほど専門色が強い感じはしない。
「プログレ」として目立つのはせいぜいELPのことが少し書いてある程度か?
D_Driveのことも「プロッグ・ロック・バンド」と騒いでいるワケでもなく、ごく平均的な内容。

Uk24

20. Shreddelicious
「シュレッド+デリシャス」がサイトの名前。
コレはその名の通り、速弾き系ギタリスト向けのサイト。
すでにYukiちゃんとLisa-Xちゃんが取り上げられていた。
イヤ、ナニがビックリって、私が『NAONのYAON』で撮影した時よりLisaちゃんがメチャクチャお姉さんになっていたことよ!
ココでは「Red Lighjt, Green Light」と「Begin Again」のビデオを紹介してもらった。Uk25
21. Marshall Blog
コレは国内のブログだけど常時D_Driveの情報やライブ・レポートを掲載している。
スゲえホーム感!
やっぱ、コレが一番いいな。

Uk26

これだけじゃないの。
現在もビデオがらみや雑誌インタビュー等、仕込み中の企画がいくつかあるのだ。
例えば『POWER PLAY』という人気雑誌のインタビュー。Uk27アメリカの人気ギター雑誌『GUITAR WORLD』のイギリス版。
ココからはビデオがらみで「I Remember The Town」のインタビューが来た。
Gw_2困っちゃうのは、「I Remember The Town」の作曲のコンセプト、音楽的な解説、ギターの奏法について…を英語で5~6行でまとめてください、って言うワケよ。
「英語で5~6行」?
幅はどれだけなのよ?
日本語で「何千字」と言うのであれば簡単なんだけど、英語の「5~6行」というのはかなりムズカシイ。
でも、こっちも大分慣れてきているから、こういう時は遠慮なく箇条書きで応えちゃう。
それで後は「煮るなり、焼くなり、二宮和也」で「後は自由につなげてくれ!」と、先方に押っ付けちゃう。
そして、出来上がって来たのがコレ。
オイオイ、コレのどこが5~6行なんじゃい!
ま、そんなもんですわ。
Uk30 そして、プログレッシブ・ロック・メディアのボスキャラ的な存在の「Prog Rock」マガジンのインタビュー。
ゼヒお楽しみに!
 

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official website
Pr…なんてやっていたら、今朝来たのはイタリア。
コレは結構マッシブなインタビューでホネだな~。
『TuttoRock』というウェブ・マガジン。
「tutto(テュット)」というのは「all」という意味だね。
「tutti(テュッティ)」という音楽用語があるのでコレは知ってる。
イタリアはプログレ大国だからね…プログレッシブ・ロック・バンドのD_Driveとしてはイタリアも大切にしなきゃイカン。
Seijiさん、質問を後で送るのでよろしく!Uk29  
うれしいことにこんな仕事がまだまだ続きそうだ。 
そして、Marshall Blogは先日の初台Doorsでのレコ発ライブのレポートを次回公開します!0r4a0026

■□Marshall Music Store Japanからのお知らせ■□

インスト・ミュージックを盛り上げよう!
Mmst_square 去る8月26日に発売したD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』絶賛発売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。53000x3000コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。

また長らく欠品しておりましたインターナショナル・アルバム第1弾『MAXIMUM IMPACT』も入荷しました!7_d_2Marshall Music Store JapanでCDをお買い上げのお客様にはMarshallスクエア・ロゴステッカー3枚をプレゼント!
 
お求めはコチラ⇒Marshall Music Store Japan
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200 (一部敬称略)

2022年9月12日 (月)

力作がズラリ!…Marshallファミリーの皆さんと過ごす秋の夜長

 
ソロソロ芸術の秋か…。
と言っても、ここ数年は春と秋がほとんどなくなっちゃった感じですナァ。
夕方ともなれば風がビュービュー吹いて、雨が降ればバカみたいにジャンジャン降って…もうコレは東南アジアの気候だわね。
そのウチ、日常で使う言葉の数もドンドン減っていくよ。
英語2万語、日本語5万語…コレは日常の生活で使う語彙数と言われているけど、この3万語にも上る差異は、恐らく日本語には尽きることのない擬態語や擬音語があるからであろう。
そうした言葉はハッキリした四季の変化が生み出したとされているモノが多いワケで、四季がなくなれば自然と言葉も減っていくにキマっている。
だってもう「雨がサメザメと降る」ことがないんだもの…「ドバー」ばっかりだよ。
 
さて、そんな秋の夜長、皆さんはどうお過ごしですか?
今日のMarshall Blogはここ最近リリースされたMarshallファミリーの皆さんの力作を紹介する1本としたい。
やっぱり、人間モノを作ってナンボですからね。
音楽家の仕事は「自分の音楽を創る」ことであって、Tシャツやタオルを売るのが本業ではありません。
だからMarshallファミリーの皆さんがこうして果敢に自分の音楽世界を創り続けてくれていることに喜びと誇りを感じざるを得ないんですわ。
それではまず、杉本さんのアルバムから。
掲載されているアイテムはだいたいリリースされた順番に並んでいます。
 

1. <CD>Laule'a / 杉本篤彦
杉本さんは自身のシグネチャー・モデルのアーチドトップギターをMarshallに直つなぎしてジャズを演奏するギタリスト。
最近は時折ピックを使うこともあるが、基本的には人差し指の先を弦に当ててアップ&ダウンでストロークするとてもユニークな奏法を身上としている。
あのね、日本人は「ユニーク(unique)」という言葉を「珍しい」ぐらいの意味で使っているけど、コレは「uni(ひとつから成る)」という接頭辞が示すように、「たったひとつだけ」というのが本当に意味なんですよ。
だから、まさに杉本さんの奏法はユニーク。
そして親指のハラで弾くオクターブ奏法を多用することもあって、かつてはウェス・モンゴメリーと同じく、音の速いトランジスタ・アンプのMGシリーズを愛用されていた。
最近はウォームなトーン・キャラクターを重視して大きなステージではJVM等のフルバルブのモデルを使用されている。
20vその杉本さんの通算27枚目のアルバムが『Lauke'a(ラウレア)』。
コレはハワイの言葉で「幸せ」という意味で、ハワイではとても大切にされている言葉なのだそうだ。
かといって、杉本さんがハワイアンに転向したワケではない。
前作の『DAZZ』というアルバムではジャズとクラブ・ミュージックの融合に取り込んだので、今度は「ジャズ+ハワイアンか?」と思ってしまいそうだが、中身は純正の「杉本ミュージック」。
1曲目の「荒野のギター」から全8曲、杉本さんがすぐそこにいるような温かさを感じるアルバムだ。「Moon River」や「Fly to the Moon」のように「月」にまつわる曲を作ろうと思い立って書き上げた「The Way to the Moon」。
古き佳きスイング・ミュージックへに寄せた想いをオクターブで奏でる「夜風のスイング」。
土方歳三をテーマにした得意の幕末チューンの「North Road」…何しろ、杉本さんは土方歳三の大ファンでありながら坂本龍馬のご末裔とお付き合いをしてしまうスケールの大きさなのだ。
せっかくなのでMarshallにちなんで、今度の幕末シリーズは「The House of Glover」でお願いしたい。
そして、ア・カペラで奏でる静謐なタイトル・チューンには心を打たれる。
副題に「'A'ohe mea'imi a ka maka」とあるがコレもハワイのことわざで、スリーブに書いてある通り「本当に大切なモノはすぐそばにある」という意味。
「灯台下暗し」ということだね。
杉本さん、クレジットありがとうございます!
 
杉本篤彦の詳しい情報はコチラ⇒杉本篤彦ホームページ10ナニせ27枚目のアルバムですからね。
こうしてオリジナル曲を作って、休むことなく自分の音楽を世に送り出し続ける杉本さんの姿勢には感銘を受ける。
やっぱりミュージシャンは音楽を創らないと!コピーじゃダメなのよ!
そんな杉本さんのmarshall Blogの最新のライブ・レポートはコチラ⇒真夏のJAZZ葉山 2022

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2. <DVD/Blu-ray>MEMORIAL / REACTION
昨年7月、最後のアルバムと称した『Farewell』を発表。
そのリリースから4か月後に『LAST NIGHT』と銘打った最後のコンサートを2日間にわたって目黒鹿鳴館で開催した。
1日目はアコースティック・セット。
2日目はエレクトリック・セット。
その模様を収録したのがこのDVD、またはBlu-ray。402日間のステージから18曲を選び出し、丁寧な編集を加えた上質のライブ映像がココに収められている。
私は小松優也がギターを担当するということからYukiさんから声をかけて頂き、2日目だけ鹿鳴館にお邪魔させて頂いた。
だから1日目のようすが見れるのはうれしいね。
喧ちゃんにCharlie、PONちゃんがYukiさんと並んで直樹さんの伴奏をしている姿が実に絵になっている。
へへへ、NATALが見えているのがまたうれしいじゃあ~りませんか!
Yukiさん、加えてクレジットありがとうございます! 
50Blu-rayを観ていて思ったんだけど、スゲエ音がいいんだよね。
PAは長沢祐介さんがご担当されていたんだけど、自分がこの場にいたとは思えないような不思議な感じがした。60そんな良質のサウンドとともに当日のエキサイティング極まりないパフォーマンスがよみがえる。
編集も変にイジりすぎることがなく、カット割りもとても適切で実に観やすい。
ジータンがベースの弦を切って、愛器をステージに置くところまでジックリご覧頂きたいと思う。
Yukiさん、クレジットありがとうございます!
 
REACTIONの詳しい情報はコチラ⇒REACTION 20121

70v優也くんの雄姿もバッチリ収録されているのでお見逃しなきよう。
Marshallでガンガン攻めてくれています!
 
2日目のステージのMarshall Blogのレポートはコチラ
   ↓    ↓    ↓
①REACTION~FAREWELL 2 days : Last Night <前編>
②REACTION~FAREWELL 2 days : Last Night <後編>80v

3. <CD>II FACE / JEKYLL★RONOVE
私はドップリと70年代のロックで育った世代なんだけど、日本においてはあの頃の音楽は近い将来絶滅すると思っている。
ナゼかと言うと、聴き手がいなくなるからだ。
ロックが世代交代に失敗したことと、右で倣えでみんなで同じことばかりして来たツケがいよいよ回ってくる。
そうならないように、Marshall Blogはトラディショナルなテイストを持った若手のバンドを常にサポートして来たつもり。
そのひとつがJELYLL★RONOVE。
若手と呼ぶにはベテラン過ぎるか…。
残念ながらリズム隊の2人がバンドを離れてしまったが、そんな逆境をモロともせず、先輩ミュージシャンの助けを得て完成させたのが3曲入りのシングル『II FACE』。
ジキロノの魅力がタップリ詰まった充実の3曲。
スミレちゃん、N★OTOくん、クレジットありがとうございます!90Marshallサウンドだから奏でることができるクールなリフとギター・ソロ。
私の世代はそれが「ロック」だった。
ジキロノの音楽にはそれがある。
しかし!
最近痛切に思うのは…
110v歌のある音楽のキメ手は100%ボーカルズだね。
要するにシンガーの声だ。
我々の世代が今の若いバンドに「ロック」を感じないのは、リフやソロの有無ではなく、シンガーの声に「ロック」を感じ取ることができないことに尽きる…と私は悟った。
このシングルに収められた3曲は「ロックの歌」がどうあるべきかをスミレちゃんが身を以って、イヤ、ノドを以って教えてくれる。
 
JEKYLL★RONOVEの詳しい情報はコチラ⇒⇒JEKYLL★RONOVE official site
100vレコーディングに参加してくれた先輩、五十嵐公太さんと満園庄太郎ちゃんを迎えて開催した『II FACE』のレコ発ライブのMarshall Blogのレポートはコチラ
   ↓    ↓    ↓
①『II FACE』レコ発ライブ<前編>
②『II FACE』レコ発ライブ<後編>

230_wdi N★OTOくんが出演したMarshallのデジタル・アンプ「CODE25」のデモ・ビデオもお見逃しなく!
ナンとならば、N★OTOくんは『II FACE』のギター・パートをすべてこのビデオに出て来るCODE25で録音したのだ!
いい音だゼ~。

4. <教則本> Kelly SIMONZ式 超絶プレイを可能にするトレーニング・メソッド [実践編]/ Kelly SIMONZ
DVD付き教則本『Kelly SIMONZ式 超絶プレイを可能にするトレーニング・メソッド』の第2弾。
身につけたギターテクニックで音楽的表現を豊かにする数々のアイデアやサンプル・フレーズを満載した1冊。
Kellyさんの7冊目のリットーミュージックさんからの上梓。
7冊目にして初めてライブの写真が表紙を飾ったのだそうだ。
デへへ、この写真は私が撮ったモノなのです。
Kellyさん、写真のご採用とクレジットどうもありがとうございます!
120模範フレーズのいくつかが、よくある4小節の短いモノではなく、16小節としているところがkellyさんらしい。
音楽として成立するキチっとした尺で表現力を磨け!という狙いであろう。
Kellyさんらしい親切な配慮である。
収録時間90分のDVDつき。
Kellyさんを目指すシュレッダーさんたちはこの教則本でプレイング・テクニックを身につけて、自分だけの音楽を創ることを目指してください。130_2 ライブ写真の表紙が「初めて」ということなので、私もKellyさんとの「初めて」にさかのぼってみた。
それは2010年12月19日のこと。
今はなき新宿のロックインの1階で開催されたクリニックの時のことだった。140この時のようすをMarshall Blogに掲載した。
それがKellyさんのマーブロ・デビューだったのだが、「とうとうMarshall BlogがKelly SIMONZを見つけてしまった!」なんて書き込みがあってね。
別に見つけたワケじゃない!
確か誰かの紹介でKellyさんから直接連絡を頂戴してお邪魔させて頂いたように記憶している。
この時から12年前か…。
レポートは前のMarshall Blogなので今は記事を見ることはできません。
150vJMD:1の試奏会なんてのもやったナァ。160そして、『Marshall GALA2』。
この2月後にはコロナになってしまって、Kellyさんのステージからは遠ざかったままだ。
また、Marshall Blogで取材させて頂くのを楽しみにしている。
  
Kelly SIMONZの詳しい情報はコチラ⇒Kelly SIMONZ Official Website170Marshall GALA2でのKellyさんの雄姿はコチラ。
まだご覧になっていない方はゼヒどうぞ!

5. <CD>VANITTY OF THE WORLD / NAKED MACHINE
NAKED MACHINEもロックの黄金時代を伝承するために大切にしたいチーム。
時々テレビで「今日の演奏は『薩摩琵琶保存会』の皆さんです」みたいなのを見かけるでしょう?
ホントに昔のロックもそんなっちゃうよ。
「今日の70年代ハードロックの演奏はNAKED MACHINEの皆さんです」なんてことにならないことを祈ってる。
だってこんなにカッコいいんだゼ!
何とかして若い人たちに聴いて好きになってもらえないものか…。
まぁ、若い人は若い人がやることにしか興味はないわな。
だとしたら「ベテラン」に一体何の意味があるというのだ!
そのベテランがコピーばっかりになっちゃったからな~。
でも、年寄は年寄がやることの方がいいにキマってる。
さて、このシングルに収録された3曲…よもや伝統のスタイルのロックが絶滅の危機に瀕しているとは思えないほどの素晴らしい出来栄えだ。
180 どう素晴らしいのかというと、とにかく「NAKED MACHINEの音楽」なのだ。
つまり、最も輝いていた時代のロックを「NAKED MACHINE」という音楽装置を使って新しく創造し直しているというワケ。
残念ながらこの装置には入れ物がない…「NAKED」だから(「ハダカ」という意味)。

190vそれにしても素晴らしいのは源ちゃんのギターよ。
JVMで録った音がまず素晴らしい。
そして、ガリガリ、クシクシとピッキングの音を盛大に出してロックギターの最もカッコいい部分をタップリと実演してくれている。
「タッピング」とか「エコノミー・ピッキング」とかいうテクニックが花盛りだけど、源ちゃんのようにキチっとピックで弦をハジいて弾くギターの音色が一番好き。
 
源ちゃん、KANちゃん、クレジットありがとうございます!
200v源ちゃんにもCODEのデモをお願いしている。
演奏に没頭してバリバリと弾く姿はとてもカッコよかった。
実は源ちゃんのビデオといえば、VintageModernの頃からお世話になっているんだよね…と言うか、あの時が初対面だったんだ。
15年ぐらい前か…なつかしいな~。
こっちは最新の「源ちゃん×Marshall」ね。

 
6. <CD>
UNSTOPPABLE / 大山まき
副題を「かっぱえびせん」としないところがヨカッタ。
先月リリースされたばかりのまきちゃんの4枚目のミニアルバム『UNSTOPPABLE』。
すでに'まきちゃん'のライブでは欠かすことのできないレパートリーである「Dinosaur」や「MERA MERA」等の6曲を収録。
「まき節」炸裂!
いいんだわ~。
スリーブ・デザインもバッチリだ。210 JEKYLL★RONOVEのところにも書いたように、やっぱり歌入りのロックの最大の魅力は「声」だということを'まきちゃん'も教えてくれる。
この魅力的な声と歌い方が'まきちゃん'独特の世界を創るんだね。
'まきちゃん'の曲を似たような声を出す人が歌っても絶対にこうはならない。
コンポジションとパフォーマンスの得も言われぬ化学反応とでも言えばよいのか、コレが「音楽を創る」ということなのだろう。
聴いていてとてもシアワセな気分になる。
どんなシアワセかって?
「ロックを聴く」というシアワセよ!
250vそして、'まきちゃん'をガッチリとサポートするKAZZ。
「Marshallの人」だからね。
KAZZなくして「まきミュージック」は語れない。120v 大山まきの詳しい情報はコチラ⇒大山まきOfficial Site
240CDもいいけど、'まきちゃん'の声はゼヒ、ライブへ出向いてナマで聴いて欲しい。
最初から最後で1秒たりとも手を抜かない熱唱にきっと心を打たれることであろう。
Marshall Blogの最新のライブ・レポートはコチラ。
   ↓   ↓   ↓
①大山まき~the beginning <前編>
②大山まき~the beginning <後編>

'まきちゃん'もMarshall GALA2に出演してSHOW-YAの曲を歌ってもらった。
まきちゃんにはいつか「まきミュージック」を引っ提げてご出演頂きたいと思っている。
それまではコチラをご覧ください。

 
7. <CD>CHANGE! / ALL IMAGES BLAZING

プログレッシブ・ロックの本場であるイギリスにおいて、現在となっては「プログレッシブ・ロック」という言葉が日本人の認識している音楽以外のモノも指すことを知って比較的大きなショックを受けたのは最近のことだった。
その考察はココに記しておいたのでご興味のある方にご覧頂きたい。
  ↓  ↓  ↓
プログレッシブ・ロックってナンだ?
 
さて、前作からそう間を空けずしてリリースされたALL IMAGES BLAZING(以下「AIB」)の新作『CHANGE!』。
コチラは「プログレッシブ・ロック」という言葉しか当てハメようのない、我々世代が知っている正真正銘のあの「プログレッシブ・ロック」。
前作の『Crimson Red』は総帥の片岡さんの意向で古今のロックのモチーフを随所に取り入れた遊び心を交えたロックへのオマージュ作になっていた。
私なんかにはメチャクチャおもしろかった。
今回は新しいギタリストを迎えてドップリとAIB自身と向き合って取り組んだ一作。
こういう音楽はやっぱりいいね。
私は子供の頃から「魂」とか「気合」一発とかいう音楽よりも、丹精込めて作り込んだヨーロッパ的な音楽が好きでしてね。
片岡さんが「これでもか!」と、幾重にも幾通りにも音を重ねて作り上げた世界は圧巻だ。
また今回初めて日本語の歌詞を取り入れたという「LUKA 流迦」に見られるようにポップな場面とシリアスな場面のコントラストがとても魅力的。
歌のパートから5/4の器楽パートに移ってギターソロが出て来るところなんかトリハダもんだ。
ああ、今からでもいいから日本もこういうチームがドンドン出てくればいいのにナァ。260片岡さんは昔からゴダイゴの大ファンで、今回のアルバムをスティーブ・フォックスさんが担当してくれたことにいたく感激されていらっしゃった。
そうそう、音も素晴らしいのです。
 
ALL IMAGES BLAZINGの詳しい情報はコチラ⇒Official facebook
270v敦子さんは日本語の歌詞はどうだったのかしらん?
今度お会いした時に感想を伺ってみよう。
AIBは関西のプログレッシブ・ロック・バンド。
対して東京には「金属恵比須」がいる。
双方女性ボーカルズだからね…近いうちに「東西プログレ競演」を観てみたいものだナァ。
 
Marshall Blogではメンバー・チェンジ前のライブをレポートしているのでコチラをどうぞ。
  ↓    ↓    ↓
PROG TOKYO 2021 SPRINGのALL IMAGES BLAZING
 
280v 
 
8. <CD>桃色センセーション / Johnny Yoshi Hiro

ジョニーくんはいくつになったのかな?
前のバンド、Luther Smoke Sokeyesを解散した後、しばらくナリを潜めていたジョニーくんが作詞・作曲、歌、すべての楽器演奏を1人でこなした4曲入りのシングルを引っ提げて帰って来てくれた。
この人には本当に「才能」というモノを感じる。
ポールやトッドのようなマルチなところにその「才能」を感じているワケではござらんよ。
ジョニーくんから「音楽」というモノが猛烈に発散されているところに「才能」を感じるのだ。
最近はチュートリアル素材が進化したせいか、ギターでもドラムスでも実に巧みに弾きこなす若者が多いが、総じて彼らから「音楽」を感じることがない。
特にドラマーさんにそういう傾向が強いかな?
「楽器」は知っていても「音楽」はチンプンカンプンみたいな子がナントたくさんいることよ。
やっぱりそういう子の演奏からは「音楽」は聞こえて来ないんだよね。
その点、ジョニーくんのやっていることは新しくもナンともないが、なんと音楽的なのだろう!
「新しい」とされているモノが「良い」モノであるとは絶対に限らない。
また、今の世の中にあっては、SNSへのアクセス数を稼ぐモノが「良いモノ」に成り下がってしまった。
勘違いして欲しくないのは、決して「古いモノだけがいい」と言っているワケではないということね。
ジョニーくんのような新しい世代の人たちが、伝統的なモノを踏襲した上で自分たちの感性を交えてクリエイトする音楽が今一番必要なのではないか?といつも思っているのである。
ココに収録されている4曲はひとことで言えばサザンロックやカントリーのテイストを吸収した「70年代前半までのロック・サウンド」と言えると思うのだが、それに「桃色センセーション」なんて曲名やアルバム名を付けちゃう。
この感覚ですよ。コレでいいのだ。
若いって素晴らしい。
290ロックの曲には不向きの「単語」というモノがあって、そうした言葉が出て来ると一気に興ざめしてしまうのだ。
例えば、目も覚めるようなソリッドなハード・ロックに「青春の輝き」みたいな表現が出て来たらどうだろう?
今のロックにありがちな「ありがとう」もしかり。
その点、ジョニーくんの曲は歌詞もすごくいい。
耳にストレートに入って来てアタマに残る。
すると知らないウチにその曲を口ずさんでいる自分がいたりするんだよね。300v日本のロック界も正気を取り戻して、こういう才能のある子たちが音楽だけで喰っていける世の中に戻ってもらいたいと心から思うね。
 
Johnny Yoshi Hiroの詳しい情報はコチラ⇒Officieal Twitter

310つい先日のシングルの発売記念ライブのレポートはコチラ。
   ↓   ↓   ↓
活動再開宣言!帰って来たジョニー

320v
ジョニーくんにはMarshallの世界的大ヒットモデル、STUDIOシリーズのデモビデオに出演してもらっています。
①STUDIO VINTAGEシリーズ

②STUDIO CLASSICシリーズ

 
9. <MV>Gentrification / 変異種

LINXのギタリストであるZINくんは、現Silexのドラマー石川達也くんと組んでいたトリオBlack Coffeeを通じて知り合った。
だから結構時間が経つんだけど、残念ながらいつもタイミングが悪くドップリとライブにお邪魔したことがなかった。
そんな状態だったところにZinくん本人から連絡を頂戴した。
今度新しいバンドの「変異種」でビデオを撮るのでサポートして欲しい…というのだ。
もちろん、よろこんで!
長年にわたって日ごろからMarshallをご愛用頂いている恩返しが少しでもできればうれしいじゃないか!Thumbnail_img_7682 コレがそのビデオの撮影現場。330用意したのは1959と1960Aのハーフ・スタック。340v曲はラップ・パートを絡めたファンクビート・チューン(筆者註:最近は和製英語である「4ビート」とか「8ビート」とか「16ビート」とかいう言葉をなるべく使わず、「スイング・ビート」、「ロック・ビート」、「ファンク・ビート」と言い換えりようにしているんだけど、コレがなかなかに苦しい!)。
ビジュアル的には普通の格好とディヴァイン装束のシークエンスが混ざり合って出来ている。His2Zinくんはまるでピート・コージーのような独特なソロをカマしてくれていてカッコいい!
後ろのドラマーさんはいつか達也くんと一緒にドラム・クリニックのレポートでMarshall Blogに出てもらった千寿くん。His_2 英語の達人っぽい人がボーカルズを務めていらっしゃるので、知った風なことは書けないが、曲名の「Gentrification」というのは「紳士化」という意味で、元々は「Gentry(ジェントリ)になる」…ということ。
「ジェントリ」というのは昔のイギリスの階級のひとつで、下級の地主層とのことを指し、「郷紳」と日本語では訳されるらしい。
イギリスは「貴族=地主」であり、ジェントリは男爵の下の階級になるが、正式は貴族には含まれない。
そして、「Gentrification」という言葉は現在では「地域に住む人の階層が上がって地域全体の質が向上すること」とされているとか。
日本は空襲で丸焼けになり、行政の区画整理は入ってゼロから街づくりをし直したため、あまりこういう例を見かけることはないようだが、最近は古い民家を改装して手づくりアクセサリーの店が並んでおしゃなエリアになっていたりするケースを見かけるでしょ?
ああいうのも「ジェントリフィケーション」になるそうだ。
新木場の倉庫街や横浜の赤レンガ倉庫なんかも良い例だろう。
ロンドンなんかこういうエリアがたくさんあるのよ。
 
通常時の変異種の皆さん。
ゼンゼン「変異種」ではない。360vコレがそのビデオ。

 

変異種の詳しい情報はコチラ⇒Official Twitter




10. <MV>オンステージ / リアクションザブッタ
先日、初めてMarshall Blogにご登場頂いたリアクションザブッタの最新のミュージック・ビデオが公開された。
写真はギターの健太郎くん。
Thumbnail_img_7106
健太郎くんはMarshall。
創業25周年記念モデルの「2555 Silver Jubilee」のオリジナルのハーフ・スタックを愛用している。
380vもちろん今回のビデオでもバッチリ使ってくれている。390 そのビデオがコレ。
曲は「オンステージ」 。
溌溂としたポップ・ロック。
とてもいい曲だ。

リアクションザブッタの詳しい情報はコチラ⇒Official Website

このチームの音源をよく聴くと、音楽的にとても凝ったことをしているのが散見出来てオモシロい。
一方、ライブはCDとはゼンゼン違ってトグロを巻くようなグルーブ満載の熱狂的なステージを見せてくれる。
 
そんなライブのレポートはコチラ。
  ↓   ↓   ↓
リアクションザブッタ~ツアーに来い来い、あなたの恋

370
以上、力作ぞろいの秋のMarshallファミリーでした。
 

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Mmst_square 去る8月26日に発売したD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』絶賛発売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。53000x3000コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。

また長らく欠品しておりましたインターナショナル・アルバム第1弾『MAXIMUM IMPACT』も入荷しました!7_d_2 
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200

2022年9月 9日 (金)

【追悼】私の女王陛下

 
今朝、エリザベス女王の訃報を耳にした時は結構ショックだった。
昨晩、夏を過ごす女王のスコットランドの私邸、「バルモラル城」に王室のメンバーが向かった…と報道された時には「いよいよか…」と思った。
お会いしたことも、お見かけしたことも全くないので「悲しい」という感情はないけれど、同じ君主制の国に生まれた者の性なのであろうか、何となく心のどこかに穴が開いてしまった感じがする。
というのも、今年還暦を迎える私でも「イギリスの一番偉い人」といえば、エリザベス女王以外は知らないもんね。
70歳以下の人は誰も知らない。
さて、何も知らない私ですが、せっかくイギリスの会社に勤めているので、女王陛下について知っていることや勝手な思い出を綴って僭越ながら追悼の一編を認めたいと思う。
こんなこと、Marshallに勤めていなかったら絶対にやってなかったし…。

Qe2 Marshallは早速SNSに弔辞を投稿した。
ジムが生きていたらどうしていたかな?

15v_2まずは女王について私が知っていることをいくつか…。
エリザベス女王のお父さんはジョージ6世。
20vコリン・ファースが演じた『英国王のスピーチ』の主人公ね。30fそのお父さん、つまりエリザベス女王のおジイちゃんはジョージ5世。
今、イギリスは対ロシア制裁の急先鋒となっているけど、このおジイちゃんはロシア革命前のロマノフ家の皇太子、ニコライ2世のイトコなんだぜ。
向かって右がイギリス。左がロシア。よく似てる。
このニコライ2世は日露戦争の前に来日して、長崎で楽しい滞在をした後、滋賀の大津で地元の津田三蔵という警官に襲われて重傷を負った。
世に言う「大津事件」である。
このあたりのことは『私の横須賀』に書いた。
35若き日のエリザベス女王。
昨年亡くなった王配のフィリップ・エジンバラ公はギリシャの王子さまだった。
女王は1952年2月に即位し、翌53年の6月にウエストミンスター寺院で戴冠式を執り行った。
この写真を撮ったのはセシル・ビートン。40vコレは即位60周年の時に開催したセシル・ビートンの写真展。
私は見たかったんだけど、タイミング合わず。45セシル・ビートンはロイヤル・ファミリーの写真を撮り続ける傍ら、ファッション・デザイナーを務め、『マイフェアレディ』のイライザ・ドゥーリトルの衣装のデザインを手がけ、「アカデミー衣装デザイン賞」を獲得した。
やっぱり、「ロイヤル・アスコット」のシーンではこの衣装にノックアウトされるよね。50vビートンはこんな女王の写真集を上梓している。
この赤ちゃんはチャールズかな?
それとも妹のアン王女かな?Cbbアン王女はMarshall Blogにご登場頂いている。
興味のある方はコチラをどうぞ。
  ↓   ↓   ↓
【英王室アルバム】Her Royal Highnessがお見えになりました!

290そういえば、若き日のエリザベス女王のロマンスを描いた『ロイヤル・ナイト(A Royal Night Out)』っていう映画はなかなかオモシロかった。
「Night Out」っていうのは決まり文句でね。
秋吉敏子に「Tanuki's Night Out(タヌキの夜遊び)」という曲があるけど、イギリスの地方のパブへ行くと、客足が鈍る水曜日だったか木曜日だったかに「Mom's Night Out」みたいなお題目で「お母さんの夜遊びキャンペーン」をやっていたな。70fこの映画では女王が即位する前の天真爛漫なエリザベスが描かれているが、実際の女王ってスゴイ権力の持ち主なんだよね。
「君臨すれども統治せず」と、政治には無関係な立場だけど、イザ、イギリスが戦争で他の国の援助が必要になると、カナダやインド、スリランカ、南ア他に加え、オーストラリアやニュー・ジーランドのような国旗にユニオンジャックが入っている国が総勢で女王陛下のために身を挺して戦うことになっている。
「イギリス連邦(Commonwealth of Nations)」というヤツ。
イギリスの君主であるエリザベス女王はその親分だった。Flagさらに、女王は「イギリス国教会」の首長でもあった。
コレは、今からさかのぼること488年前、ヘンリー8世がスペインから輿入れした最初のお妃、アラゴンのキャサリンと離婚をするために作った新しいキリスト教の宗派。
当時カトリックでは離婚を禁じていたので、新しい宗派を作ることによってローマ教皇と袂を分かったんだね。
私は「イギリス国教会」がプロテスタントの最高峰だと思っていたんだけど、そうではないらしい。
そのイングランド国教会の本山はプログレッシブ・ロックでおなじみのカンタベリーにある大聖堂。
曹洞宗でいえば福井の永平寺だ。
ウエストミンスター寺院でエリザベス女王の戴冠を行ったのもカンタベリーの大司教だ。Img_0887 テムズ川に浮かぶ駆逐艦「ベルファスト」。140正式名称は「HMS Belfast」。
この「HMS」は「Her Majesty's Ship」。
つまり「女王様のお船」なのだ。
ビートルズにも「Her Majesty」という曲があるけど、「HM」は「Her Majesty」か王様なら「His Majesty」の略になる。
「HRH」というのもあるけど、コレは「Her(His)Royal Highness」の略で「HM」の子供の敬称。
日本でいえば「殿下」。
コレラのアタマの「H」は、チャールズが王になった時は「His Majesty」となるので「HM」のままでOK。
大変便利である。
150ロンドンにこんな「Her Majesty's Theatre」という由緒ある劇場もある。
ココでは『オペラ座の怪人』をロングランしていた。
今は知らない。
ココも「His Majesty's Theatre」となるのかも知れない。160v女王様の持ち物はまだある。
コレはリッチモンドというテムズ川の上流。
「上流」と言ったってロンドンの中心から地下鉄30分ぐらいよ。
それでこんなに風光明媚な景色が広がっている。170_2 写真に写っているのは鴨だけど、テムズ川にいる白鳥もゼ~ンブ女王様の所有物。
それだけじゃないよ。
イギリスの海岸から4.8kmの海域にいるイルカとクジラもゼ~ンブ女王陛下のモノ。180女王陛下は車の免許がなくても運転OK。
ナゼなら免許証は女王陛下の名の下に発行するから。
ナニせ総理大臣をクビにすることができるぐらいだからね。
世界一の土地持ちだし。
下のバッキンガム宮殿の中にはロイヤル・ファミリー専用の銀行ATMがあるらしいよ。190「The Queen's Gallery」というデカイ美術館だって持ってる。
ダビンチの素描とか飾ってあった。
一番感動したのはトイレだったけど…。200ま、そんなスゴイ女王だから毎日こういう儀式をしてお守り申し上げている。
この人たち真剣ですからね。
馬はジャバジャバお構いなしでオシッコしちゃうけど。
135誰でも知ってるウエストミンスター宮殿。210その真裏にあるのが「ウエストミンスター寺院(Westminster Abbey)」。
女王の葬儀は女王の戴冠式と同じくココで執り行われるという。
220v思い出した。
2005年にイギリス国内の音楽関係者を招いてバッキンガム宮殿で開催されたレセプション。
確か音楽で外貨を獲得してくれたアーティストや業者たちへの謝恩会…と言われていたような記憶がある。
私の知り合い2人がこの会に招かれて大層感動していた。
そのウチ1人である楽器商社の社長が残した手記を読んだことがあった。
冒頭にこんなことが書かれていたのを覚えている。
「昨晩は人生で最高の夜だった。
横にはエリック・クラプトン…後ろを振り返ればジェフ・ベック。
そして、女王陛下が私たちの方に近づいてくるではないか!」…みたいな。
私はそれを読んで「フーム、イギリスの関係者でもクラプトンやジェフ・ベックに会えるとうれしいのか…」と思ったものだった。
イヤ、やはり筆者が一番感動したのは、今にして思うとクラプトンやベックではなく、はたまたジミー・ペイジやブライアン・メイでもない女王陛下だったのだろう。Eq 今度は「King」か…。260カミラ・パーカー・ボウルズはどんな気分なのだろう?
ダイアナ妃のことはあったけど、チャールズも気の毒な幼少時代を送っていて、すぐ傍にいたカミラに甘えざるを得ない環境にあったらしい。
「憧れの人」だった。270エリザベス女王はあんなにイヤがっていたカミラに「Queen Consort」という「王妃」の称号を認めたとか。
「consort」というのは「配偶者」という意味。
だから「Queen」でも「Princess」でもない。280さて、次に国歌。
アメリカ国歌の次に有名と思われる「God Save the Queen」は当然「God Save the King」に替わる。
な~に、ビックリすることはナニもない。
70年もの長い間「God Save the Queen」だったけど、1837年に即位したヴィクトリア女王の前までは「God Save the King」だったんだから。
このイギリス国歌は1745年から始まったそうだ。
その初演はコヴェント・ガーデンの「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドゥルリー・レーン)」だった。
1958年、『マイ・フェア・レディ』のウエスト・エンドでの初演もこの劇場だった。
Img_7674ん?
チョット待てよ…。
ヴィクトリア女王といえば、歴代第2位の長期王位在位期間の記録保持者だ。
その在位期間は64年。
エリザベス女王の70年と合わせると、「God Save the Queen」と歌われていた期間が137年。
この曲の初演は上に書いた通り1745年だから、歌われ続けて277年。
すると、「God Save the King」の期間が8人で140年。
なんとビックリ!ほとんど変わらないではないか!
「Queen強し」なのである。
というか、「女性強し」なのだ!ナニせ2人 vs. 8人だからね。300国歌は単語を入れ替えるだけなのでそう問題はない。
「コレ、どうするんだろう?」というのが「ER II」問題。
「ER II」というのは、「エリザベス女王2世」の略号。
エリザベス女王は署名する時、以前の女王に倣って「Elizabeth R」としていた。
「R」は「Regina(リジョイナ)」の略でラテン語(イタリア語も)で「女王」という意味。
そのロゴサインがコレ。
ロンドンを歩いていると、街中のいたるところでこのロゴを見かけるワケ。
全部「チャールズ印」に取り換えるのかな?
Er2コレはマリルボンにあるエルトン・ジョンの母校、「王立音楽院」のとなりの「ヨーク・ゲート」という「リージェンツ・パーク」入り口の門柱。310ロンドン塔のビフィーターのユニフォームもモロ「ER II」。320vポストにもガンガン入っちゃってる。
コレはどうするんだろうか?330vもうひとつ大変なことがある。
それは貨幣のデザイン。
今は離れてしまったけど、EUの通貨はご存知の通り「ユーロ」。
でも、イギリスだけは自国のスターリング・ポンドの使用を主張して譲らなかった。
ナゼか?
ま、半分は冗談だったんだろうけど、「女王陛下の顔が入っていない金なんか使えるかよ!」…だったらしい(そのくせEUの硬貨は技術に優れたイギリスが鋳造していた)。
その通り、紙幣、硬貨の別を問わずイギリスの貨幣には女王の顔が載っている。
これ、どうするんだろう?
というのは£20紙幣なんかチョット前に変更したばかりだったのに…。
調べてみると、どうも全部作り変えるらしい。
コレ、大変だぜ。
紙幣も硬貨も両方だからね。
ウチにはイギリスの全種類の貨幣があるんだけど、それを聞いて最低1種類ずつ保管しておくことにした。Gbpjpg もうひとつ…それは英語。
英語の故郷はイギリスであり、その最も伝統的・標準的な発音は王族やBBCのアナウンサーが使う英語であり、それを「Queen's English」と呼ぶ。
みたいなことを中学生の時に教わった。
コレはこれから「King's English」になるのであろうか?
なるらしい。
そうした伝統的・標準的な英語は「Queen's English」あるいは「King's English」の両方で呼ぶことができるのだそうだ。
「Queen」の方がいいナァ。Qeb 歴代第一位の女王在位期間の長さを誇るエリザベス女王。
それだけにロンドンの街を歩いて目につくのが女王の在位を記念するアイテム。
コレはウエストミンスターで見かけた「SILVER JUBILEE」のオブジェ。
シルバーだから「25周年」だね。340コレはウォータールー近くのランベスの歩道で見つけた記念プラーク。350そして、2012年。
私は在位60周年の記念式典の時にロンドンにいた。
370天気が悪くて滅法寒くてね~。
女王がテムズ川を船で下るイベントなんてのがあったけど実に寒そうで気の毒だった。360ただ街の中はどこもかしこもユニオンジャックづくしのお祭り騒ぎでとても楽しかった。380コヴェント・ガーデンもこの通り。390チャールズ3世の戴冠式はどこでやるんだろう?
セント・ポール?
それはないか…ダイアナとの結婚式をしたところだからね。


400私は仕事柄もあって「イギリス、イギリス」と騒ぐことが多いが、この国が過去に世界でナニをやって来たかということは勉強したつもり。
歴史全般の本はもちろん、アヘン戦争や中国と

インドとの三角貿易の本も読んだし、第二次世界大戦の本は今でも頻繁に目を通している。
また、イギリス人の技師がアメリカに乗り込んで原爆を完成させたことも知っている。
結果、現在世界中に根強く残っている紛争や負の遺産の7割ぐらいはイギリスが原因ではないか…とも思っている。
ところがイギリスには、イギリスを「世界の第一等国」たらしめる優れた部分がたくさんあって、まだまだイギリスから、イヤ、今だからこそイギリスから学ぶことがたくさんあるのではなかろうか?
実際にイギリス人とドップリ付き合ってみると、アメリカ人よりゼンゼン日本人向けだということを感じるし…。
伝統的に日本という国は他の国の良い点を隠してしまう傾向があるように思われるので自発的に勉強する必要があるのがツライ。
 
ここのところ、BREXIT、コロナの大流行、殺人的インフレ、首相交代等、揺れに揺れているイギリス。
加えて国民の心のよりどころである偉大な君主を失って本当に大変な時期にあるイギリスだが、世界の第一等国の実力を発揮してうまく乗り切ってもらいたいと思う。

謹んで女王陛下のご冥福をお祈り申し上げます
410

200_2

2022年8月26日 (金)

DYNAMOTIVE物語~D_Drive2枚目の世界リリース・アルバム発売!

 

本日2022年8月26日、Marshall Recordsより…10s_2D_Driveの2枚目の世界発売アルバム『DYNAMOTIVE(ダイナモーティブ)』がリリースされました!
前作はそれまでのD_Driveの代表曲をコンパイルしたベスト・アルバム的な内容であったが、今回はこのアルバムのためにD_Driveのソングライティング・チームが書き下ろした曲で構成したドオリジナル・アルバム。
D_Driveのピッカピカの新曲を自分のレーベルからリリースしたがっていたMarshall Recordsもその仕上がりに大変よろこんでいる。
しかし、ココまで来るのは決して平坦な道のりではなかった…。
その過程を振り返って、『DYNAMOTIVE』誕生の喜びをさらに深く味わいたいと思う。20s_2Marshall Blogの記事がMarshall Blogの親分の目に留まり、2019年2月、D_DriveはMarshall Recordsと契約。30同年5月、最初の世界リリース・アルバム『MAXIMUM IMPACT』を発表。40sリリースと時を同じくして開催されたMarshallが主催する『Marshall Live』に出演するために渡英。50現地の音響スタッフに「音デカ!」と言われながらも、完璧なパフォーマンスで観客の度肝を抜き、Marshallの故郷イギリスで最高のお披露目をすることができた。60その足でロンドン最大級のフェス、『Camden Rocks Festival』に参加。70D_Driveが出演した会場は小ぢんまりとしたパブだったが、メンバーも満員のお客さんも汗ダクになる熱演で、「アンコール」の要望が引きも切らず、例外的に追加の演奏が許可された。80その4か月後。
ところは上海。
今やNAMMをもしのぐ規模の楽器展示会『Music CHINA』でのデモンストレーション。90毎回ものスゴイ数のお客さんだった。
お客さんが多くなるとつい音も大きくなる…見回りに来た主催側のスタッフと小競り合いをするブースの音響担当者に昔の楽器フェアでの自分の姿を思い出したものだった。100コレ、全員D_Driveのサインと記念撮影待ちですからね。
人気のほどが窺えるというモノだ。
その人気ぶりに、翌年は野外の大きなステージへの出演が約束された。
620 年が開けて2020年1月。
今度はNAMM ShowのMarshallブースを大いに賑わした。10_2 最終日の最後の回まで毎回広いブースを満員にできたことは私も鼻タカダカだった。
この人気に気を良くしたMarshallは、翌年のNAMMへの出演を正式に依頼した。
ミーティング・ルームにMarshallの社長、Marshall Recordsの親分、D_Drivreメンバーと私が集まったところで、「また来年もお願いします」と言われた時は盛り上がったナァ。120そのNAMMの時に近隣の「Houese of Blues」にて開催された『SHE ROCKS AWARD』のオープニング・アクトを務め、ココでも注目を集めた。
130こうして、英米に端を発するD_Driveの世界進出計画も順風満帆かのように見えたし、実際その通りだった。
ところが…好事魔多し。610 帰国して間もなく瞬く間にコロナウイルスが日本中に蔓延し、D_Driveの海外渡航の道が完全に閉ざされてしまい、上海もNAMMも2回目の渡英の可能性も、すべて水泡に帰してしまった。
一方、国内での活動も大幅な制限を余儀なくされる中…Cv_3 2021年4月、名古屋でのライブの後にSeijiさんが急遽入院することになってしまった。
脳出血だった。
音信不通の期間がしばらく続き、一時は「D_Driveもココまでか…」と観念しかけたこともあったが、140 驚くことに2か月も経たないウチに見事復帰!
さすが、ハンドルを握って1人で地球10周(以前は「7周半」だったが上方修正が入った)した男だけのことはあった!50vコロナ地獄の中、2022年3月、足掛け4年を費やして『感謝の47都道府県ツアー』も完了。
後はコロナさえ収まってくれれば…と思っていたら…。150今度は7月にYukiちゃんが入院。
しかし、Yukiちゃんも日ごろの行いが良いおかげで、先週復帰ライブをやり遂げてくれた。160v…とマァ、色々なことが起きた3年間だったワケ。
そんな山と谷の間を縫って『DYNAMOTIVE』の制作が進行した。
私がMarshall Recordsから「新曲で固めたアルバムを作りたい」という連絡を受けたのが昨年の夏のこと。
そこからD_Driveのソングライティング・チームと連絡を取り合い、作曲作業を進めてもらった。
何しろ相手は「世界」。
海外のリスナーが泣いて喜ぶような曲を作るには、やはり世界を制覇したロックの本場のプロの意見を取り入れるのが一番だ。
Marshall Recordsからいくつかの課題が出されたが、SeijiさんもYukiちゃんも素直にアドバイスを受け入れてくれて、最大限の努力を試みてくれた。
私は間に入って、双方の意見をスリ合わせるパイプ役を務めたのだが、正直言うと精神的には結構シンドかったな。
何故なら、私はMarshallの人間である一方、D_Driveの音楽はデビューしていた時から知っていてSeijiさんのやりたいことがわかっているつもりだったから、イギリスから課題が出された瞬間にSeijiさんが示すであろう反応が100%わかってしまうのだ。
反面、子供のころから夢中になって聴いて来たブリティッシュ・ロックの世界に足を踏み入れることができてうれしくもあった。
「世界レベルのショウビジネス」を見たような気がしたよ。
一体、Seijiさんと延べ何時間ぐらい打ち合わせをしたかナァ…?
こうして『DYNAMOTIVE』の制作は進み、約1年をかけていよいよ本日発売の運びとなった。
D_Driveのメンバーと制作スタッフが手塩にかけて完成させた1枚なのだ。
 あえてココでは音楽については触れずにおくが、ゼヒひとりでも多くの人にお聴き頂きたい。
さて、そんな『DYNAMOTIVE』のリード・チューンであるアルバム1曲目の「Red Light, Green Light」のできたてホヤホヤのビデオが公開されたのでゼヒご覧あれ!

音楽の他に今回のアルバムで注目して頂きたいのはアートワーク。
『MAXIMUM IMPACT』の時はイギリス・サイドにデザインを一任した結果、レーベル・メイトであるBad Touchのギタリスト、ダニエル・シーキングスが担当してくれたのだが、今回は日本サイドでデザインをすることが早い段階で決定していた。170誰にお願いするか?…私の要望でMarshall Blogではおなじみの梅村昇史氏をお迎えすることになった。
185梅村さんはその頃、ザッパやニール・ヤング、カンタベリー・ロックの本のデザインや原稿執筆でかなりお忙しかったが、「D_Driveさんのタメなら」とひと肌脱いでくださった。

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今回のジャケットは3面見開きの完全紙ジャケ仕様。
普通のゲイトフォールド(見開き)仕様という選択肢もあったが、せっかくの機会なので6つの面を梅村さんに託した。190私が梅村さんのデザインをD_Driveに適用したかった理由は世界をターゲットにしているから。
音楽の内容は別にして、日本で制作するCDってどこまでいってもドメスティック臭が強く、当然ジャケットも「はい、日本で作りました」という感じが抜けきらないんだよね。
そこへ行くと梅村さんは、日本を代表するフランク・ザッパ研究家で、ジミヘンやソフト・マシーンやイングランドの国内盤のジャケット・デザインも手掛けている根っからの洋楽派だ。
「下町のひとりヒプノシス」を標榜するだけのことはある洋楽アートワークのエキスパートなのだ。
それが梅村さん起用の理由。
つまり洋楽のジャケットの雰囲気を出したかったのだ。200盤面はピクチャー・ディスク仕様。
ココでも梅村デザインがいい味を出している。210そして、今回もD_Driveのライブ会場で販売される国内盤仕様を制作した。
帯と…215s_220ページに及ぶブックレットが付属している日本限定バージョン。220sチラリを中をお店するとこんな感じ。
もちろん梅村デザイン。230ブックレットにはたくさんの写真と、この記事に書いたようなアルバム制作の裏話と各曲ごとの解説が掲載されている。
この辺りは職権乱用で私が筆を執らせて頂いた。240…とCDはこんな感じ。
もちろん各種サブスクでも音源を入手することができる。
 
『DYNAMOTIVE』の音源はコチラ⇒サブスク広場250bnさらに、『DYNAMOTIVE』はMarshallのレコード屋さん、Marshall Music Store Japanでも販売します。Mmst_square_2コチラは帯やブックレットが付いていない通常の輸入盤仕様。20s_3でもオマケでMarshallのスクエア・ロゴ・ステッカーが3枚もらえるよ!5s2img_9727しばらく入荷が途絶えていた『MAXIMUM IMPACT』も入荷しますのでよろしく!

Marshallのレコード屋さんはコチラ⇒Marshall Music Store Japan280と、今回も色々なことを学ばせてもらったアルバムづくりだったが、ひとつ…とても驚いたことがありましてね。
それは、D_Driveの音楽が世界ではどう受け取られているか?…ということ。
コレには勉強させてもらいました。
あんまり興味深かったので、それに関する論文を後日Marshall Blogに掲載させて頂きます。
興味のある方はお楽しみに!

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Website

270

200_2(一部敬称略)

2022年8月 1日 (月)

【弔辞】坂下さん、どうもありがとうございました!

 
今朝、四人囃子のキーボード奏者、坂下秀実さんのご逝去の報に接し大変驚いてしまった。
しばらく前から療養をされていて、岡井大二さんから時折その様子を伺ってはいたものの、何の前触れもない訃報にただただショックを受けている。
私が国内で最も好きなロック・バンドのメンバーであり、弊社のイベントをお手伝い頂いたこともあって、Marshall Blogで記事を編んで弔意を示したいと思う。
 
私は中学1年生だった1975年あたりからロックを聴き始めたが、当時は100%洋楽しか聴かなかった。
それでも高校に上がる前ぐらいには日本のバンドのことも気になり出し、遅ればせながら頭脳警察や外道を中心に聴き始めた。
その頃に初めて聴いた「四人囃子」のアルバムは数寄屋橋のハンターで買った『ゴールデン・ピクニックス』だった。
0r4a0682 一方、四人囃子はリアルタイムでは『包(Bao)』をリリースした頃で、音楽雑誌でその広告を見て「面白いジャケットだナァ」と感心したのを覚えてはいるのだが、中身を聴くことはなかった。
ナマの演奏を見ることもなかった。
05s_3
それから時代がだいぶ下って…今にして思うと初めて四人囃子の演奏をナマで拝見したのは2002年、10月25日の新宿厚生年金会館の頭脳警察とのダブル・ヘッドライナーだった。
この頃、森園さんにMarshallをお使い頂いていて、お呼ばれして頂いた。
その1年後、四人囃子を観るチャンスがまためぐって来た。
場所は同じ厚生年金会館大ホール。
今度はプロコル・ハルムとのダブル・ヘッドライナーで、ハルムのギタリストのジェフ・ホワイトホーンに挨拶に行き、この時楽屋の廊下ではじめて大二さんとおしゃべりをさせて頂いた。
もちろん坂下さんが両方のコンサートでキーボーズを演奏されていたことは言うまでもない。7img_1728 そんな関わりがあって、2010年8月。
日比谷野音で開催された『プログレッシブ・ロック・フェス 2010』にお邪魔させて頂いた。10この頃はもうMarshall Blogを運営していたので写真が残っている。
イベントのバックドロップを背に颯爽と鍵盤を叩く坂下さん…カッコよかった!30前のMarshall Blogに掲載していたこの時のレポートは消去されて見れなくなっていたが、加筆訂正
の上、今のMarshall Blogに再掲したので野音での坂下さんの雄姿をゼヒご覧あれ。
   ↓    ↓    ↓ 
PROGRESSIVE ROCK FES 2010 IN TOKYO~四人囃子編
20この日は猛烈に蒸し暑くてね~。
四人囃子の皆さんは出番が終わると、エアコンの効いた楽屋に籠り、モニター・テレビで「ア~でもない、コ~でもない」と言いながらReneissanceやスティーブ・ハケットのステージを観賞していた。
私もその場にお邪魔していたが、そのおしゃべりを聞いているのがとても楽しかった。
この時、初めて坂下さんと会話をした。
そして、持参したCDにメンバー全員のサインを入れてもらった。
ビックリしたのは、佐久間さんも坂下さんも想像を絶するまでにデカかったこと。
ホントにビックリした。
佐久間さんとオフステージでお会いしたのはこの時が最初で最後だった。40翌年、四人囃子のオリジナル・メンバーのおひとり、ベースの中村真一さんがお亡くなりになり、『The Beat Goes on』と銘打った追悼コンサートが青山のCayで催された。45v四人囃子のメンバーが弔辞を述べ…50追悼の演奏が贈られた。
坂下さん、森園さん、大二さんの四人囃子メンバーに加え、安全バンドの長沢ヒロさん、それにCharさんや金子マリさんが加わり「空と雲」他を演奏して中村さんに弔意を示した。60その後、NATALのビジネスがスタートし、大二さんにお使い頂くようになると、坂下さんの演奏に接する機会が増えることになった。
コレは稲葉政裕さんと山崎洋さんと組んだ「稲葉囃子」。70メンバーは異なれど、オリジナル・メンバーがオリジナル通りに演奏する姿を拝見するのはとてもうれしかった。
この時だったかナァ~、坂下さんがお話になった「自動操縦」の話がメチャクチャ面白かった。
「自動操縦」というのは「寝ながら演奏する」こと。
これ以上は書かない。80vそして、2016年3月6日。
イギリスからMarshall社の社長を招き、東京キネマ倶楽部で第1回目の『Marshall GALA』を開催。
私は1人でも多くの人に四人囃子の音楽を素晴らしさを伝えようと、稲葉囃子にトリでの出演をお願いした。90このコンサートからほどなくして、とてもうれしいことが起こった。
今は無き赤坂BLITZでのこと。
Marshall GALAに出演した稲葉囃子ではない他のミュージシャンを観に来てくれた若い女性が、私を見つけて声をかけてくれたのだ。
「Marshall GALAはとても楽しかったです。特に最後に出たバンドがすごくよくて、あんな素晴らしい音楽があったなんて知りませんでした!」
我が意を得たり…正直、とてもうれしかった。
「機械仕掛けのラム」、「なすのちゃわんやき」、「一触即発」と3曲だけの短い持ち時間ではあったが、良質な素材と坂下さんたちの熱演が多くの観客の心を大きく揺さぶったのだった。100v打ち上げ時のようす。
楽しかったナァ~。
ん?坂下さんだけグラスを持っているのはナゼだ?110クレイジーケンバンドの小野瀬雅生さんとのスピンオフ四人囃子にもお邪魔した。120バンドのフォーマットがどうあれ、黙々と、そして着実に四人囃子のキーボーズ・サウンドを繰り出す坂下さんの存在感は大きかった。130v2018年7月には名古屋のボトムラインへ飛んだ。
今度は根本要さんと西山毅さんと組んだ「スピンオフ四人囃子」だ。140この時も誠実感極まりない演奏で坂下さんは観客を魅了した。150公演は大成功!
超満員のお客さんは、皆満面の笑みを浮かべていらっしゃった。160DVD『Fullhouse Matinee 』のリリースを記念して、名古屋の時の反省会を兼ねて「スピンオフ四人囃子のスピン」なんてこともやった。
大二さんが「四人囃子の名前を守って行きたい」みたいな発言をすると、坂下さんはそれを受けて「守るんじゃなくて、攻めなきゃダメ!」なんておっしゃっていたのにナァ…。1702019年11月9日、再び稲葉と山下さんを迎えて『Marshall GALA2』のトリをお引き受け頂いた。
この時は「稲葉囃子」ではなく「スピンオフ四人囃子#1」という名義で、自分の企画したイベントに「四人囃子」という名前が組み込まれたのがうれしかったナァ。190思えばこの時拝見した坂下さんの演奏が最後になってしまった。
そんなこと、この時は全く思いもよらなかった。
『Marshall GALA2』の後、年が明けてしばらくするとコロナ禍に突入。
延期を余儀なくされ、ようやく2022年3月3日に六本木のEXシアターで開催された東京でのスピンオフ四人囃子のステージに坂下さんの姿はなかった。
寂しかった。
200こうして坂下さんとは何度もご一緒させて頂いたのだが、ドップリおしゃべりをしたことが一度もなかった。
だからココにナニか坂下さんとの個人的な思い出を書き記すことはできない。
でも、私には何度も拝見した坂下さんの素晴らしい演奏の思い出がタップリ詰め込まれているのだ。210私は仕事で四人囃子のことをMarshallに説明する時、今でも毎回誇りを持って「日本のロックのパイオニア」とか「イノベーター」と紹介している。
間違いではあるまい。
そんなバンドのサウンドの要だった坂下さんのご逝去は日本のロックに大きな損失を与えることになる。
しかし…220s今、タマタマ『一触即発』と『ゴールデン・ピクニックス』のジャケットをココに挙げているが、
日本のロックの歴史に残る数々の四人囃子の名作を通じていつまでも音楽ファンの心の中で坂下さんは生き続けることは間違いない。

230s坂下さん、色々とお世話になりました。
安らかにお休みください。240v

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2022年7月28日 (木)

Marshall60周年記念グッズ・コレクション~ミニ・リマスタード(Marshallエディション)

 
言葉の感覚からして果たしてコレを「グッズ」と呼んでいいのかどうか…。
チョット前にMarshallの創業60周年を記念するグッズを紹介したけど、今度は車!
 
ところで、SNSに上がってくる広告に「オフィシャル」と平気で表示してフルスタックのミニチュアを売っているのを見かけるが、Marshall社が公式にリリースしている「60周年記念グッズ」はココで紹介しているモノだけです。↓      ↓      ↓
Marshall60周年記念グッズ・コレクション~ダイヤモンド ・ジュビリーの大脱線添え
他に出回っている記念グッズは全て非公式ですので要注意。
  
このMarshall Blogは、書いているのは私だけど、イギリスのMarshall社が運営している「オフィシャル」のブログですので安心してご覧くださいましね。5goods_group さて、円安と航空券の高騰で行きたいけどとてもじゃないけど行かれないイギリス。
写真を見て無念を抑え込むしかない日々が続きそう…。
ということで、Marshallの本社/工場の写真を引っ張り出す。
ココから歩いて10分もかからないぐらいのところにあるのが…Img_0631 Marshall ARENA。
2019年6月、『Marshall Live』というイベントでD_Driveがココのステージに立った。
その時のレポートはコチラ03ナニやらその前で黒いベールを取り外している女性が…。
♪タラ~ン!
05出て来たのは、いわゆる「ミニ」。
「Marshall edition by David Brown Automotive」というMarshallとMini Remasteredのコラボレーション・カー。
David Brownはこのミニを作っていた会社。
スゴイねこの車、1959年から2000年まで一度もモデルチェンジをしなかったとか…まるで1959じゃん!
50そして「Marshallと車」で思い出すのはMarshallの創立40周年。
この時は「1962JAG Limited Edition」と名付けて、Bulesbreakerの40周年記念バージョンを製造した。
20「JAG」というのは、Marshallからさほど遠くないコベントリーに工場を持つ車の名門ブランド「Jaguar」のこと。
日本では「ジャガー」と呼んでいるけど、向こうの人はハッキリと「ジャギュア」と発音しますな。
この白いカバリングは、実際のジャギュアのシートに使われているものを使用。
だからフロント・パネルには「Jaguar」のシンボルが刻印されていた。40回路はハンドワイアード。
シャシから何から金属部分は金ピカの仕様。
Celestionとの共同作業でスピーカーも1962が発売された1965年当時のモノを忠実に再現した。
それはそれは見事なモノでしたよ。
世界限定40台。
今ほど盛んではなかったインターネットで世界から希望を募り、抽選で販売した。
日本からも申し込んだ方がいらっしゃって、見事抽選に当たって1台だけ輸入された。
かなり高価な商品であったが、Marshallはその売り上げで楽器を買い、恵まれない子供たちに寄付した。
この時から20年…私もいい加減Marshallの中でも古株になるわナァ。30そして、2022年。
前回は「車のMarshall」だったけど、今度は反対に「Marshallの車」を作っちゃったというワケ。
黒と金のコントラストが思いっきりMarshall感を引き立てているね。60前はこんな感じ。
Marshall曰く「車と音楽はアンプとギターのようなもの。だとしたら、ミニ・リマスタードとMarshallの組み合わせ以上にロックなコラボレーションはあり得ないでしょう?」
70運転席に座ってみる。90おお、このペダルは素晴らしい!
アクセルが「プレイ」。
ブレーキが「ポーズ」。
クラッチが「早送り」。
しかし、クラッチ・ペダルなんてもう何年踏んでないかナァ?95クラッチ・ペダルが付いているということは…マニュアルなんだ?
Marshallに行くと現地の従業員のプライベート・カーに乗せてもらうことがよくあるんだけど、いまだにマニュアルの車が多いんだよね。
こんなのを見ると、タマにはクラッチのひとつも切ってみたくなるナァ。
調べてみると日本のオートマチック車の普及率って98.6%なんだって。 100 後ろの席はこう。
110運転席のスイッチ・パネル。
やたらスッキリしてる。120コレはダッシュボードを開けたところ。135横はこう。136コレは右側だな?
この「黒地に金文字」というMarshallのイメージ・カラーはジムがパブの看板からヒントを得たのではないか?と私は思っているんだけど、考えてみるとこのコーディネーションって日本人には大変馴染みの深いモノなんだよね。
仏壇でお線香をあげる時に目に入るでしょ?…つまりアレです。137ホイールのデザイン。
あ、コレはスピーカーのコーン風にして欲しかった。138給油タンクは「DAVID BROWN AUTOMOTIVE」のロゴが彫り込まれたブラック・クローム仕様。
205ドアを開けると…1392ウェイのスピーカーが搭載されている。139_2後ろはこんな感じ。140開けると…どうなってんだ、コリャ?
DSL1Cがすっぽり入っているようだ。
ミニの燃料計とかラジエーターの温度計とか、ココに付いてんの?15060台限定生産。
「1」のところにはシリアル・ナンバーが入るのだろう。155エンジン・ルームのようす。160前はこうなってる。190自慢の「DAVID BROWN」バッジ。200コレはオマケか?
フタの裏には「Coachbuilding for THE 21ST CENTURY」と書いてある。
「coach」とは四輪の大きな馬車のこと。
ちなみにジョンフォードの『駅馬車』の原題は『Stagecoarch』という。
現在では「Coachbuilding」で「自動車生産」という意味になる。
210「DAVID BROWN」とMarshallのスクリプト・ロゴが彫り込まれたゴールドのキーホルダー。220DAVID BROWN AUTOMOTIVEのウェブサイトには他のMarshallな仕様を説明しているので興味のある方はコチラ
 ↓ ↓ ↓
DAVID BROWN AUTOMOTIVE Marshall Edition特設ウェブサイト

230 
「AUTOMOTIVE」とくれば「DYNAMOTIVE」!ということで…
□■□Marshall Recordsからのお知らせ■□■Marshall_records_logo_square_blac_2  
先頃、2作目の世界発売アルバム『DYNAMOTIVE』のリリースを発表したD_Drive。
先行して配信リリースした「I Remember The Town」に続いて7月29日に第2弾先行シングル「Wings」を配信リリースします!
すでにD_Driveのステージでは頻繁に取り上げられているYukiちゃん作の人気曲。
お引き立てのほどよろしくお願いします。
詳しい情報は発売日にMarshall Blogからお届けします。
126v そして、そのセカンド・アルバム『DYNAMOTIVE』。
我がMarshall Music Store Japanからは輸入盤を販売致します。
コチラも方もよろしくお願い申し上げます!
尚、帯とブックレットが付属した国内盤はD_Driveのライブ会場での限定販売となります。53000x3000Marshall Music Store Japanはコチラ
  ↓   ↓   ↓
Marshall Music Store Japan

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2022年7月19日 (火)

simoが初のオフィシャル音源「Pinky」をリリース!~レコーディング探訪記


ギタリスト、関雅樹率いる腕利きカルテット「simo(シモ)」。
ギターだけでなくキーボーズもベースもMarshallで鳴らして、ドラムスはNATALという「Marshallづくしライブ」なんてことをして頂いている。
まるで昔のディープ・パープルのようだ。
「関」の「s」、「石井」の「i」、「宮野」の「m」、「岡井」の「o」で「simo」というワケなのだが、チームの黎明期には「関4」なんて、それこそ昔の六本木ピットインの「昼の部」のスケジュール表で見かけそうな名前でやっていた。
このチーム、その時代から数えると結構長いキャリアを誇っているのだが、残念ながら正式な音源を制作していなかった。
05そこで、「機は熟した」と一念発起してレコーディングに臨むことになった。
よしよし。
となると、当然レコーディングの様子をMarshall Blogでレポートさせてもらうことになるでしょう?
関ちゃんにスタジオの場所を問い合わせると、メールで「瀬谷の烏賊舌音響」と案内してくれた。
「烏賊舌音響」…スゴイ字面だなと、一瞬ギョっとしてしまった。
でもよく見ると…「イカ」に「シタ」。
ハハハ、「イカした音響」か!
こういうのはいいな。
…というワケで生まれて初めて横浜の「瀬谷」なる所へ行って来た。10お邪魔してみると、すごくアットホーム感じのステキなスタジオだ。
まずはセッティング。20大二さん自ら愛用のNATALのキットを組み立てて頂いているところ。30メンバーは、(左から)岡井大二、関雅樹、宮野和也、そして石井為人。
順番が「osmi」になっているけど、コレが「simo」。40関ちゃんが持ち込んだMarshall。
上段のヘッドがSTUDIO VINTAGE SV20H。
その下がJCM800の1959。
50v最近導入したSV20H。
大変なお気に召しようで、関ちゃんはいつもリンクして使っている。60SV20Hをつないでいるキャビネットは、こちらも最近導入してくれた1974CX。
ハンドワイアードの18Wコンボ、1974X用の1x12"エクステンション・キャビネット。
1974は三角形のデザインで知られるWatkinsの「Dominator」というアンプが18Wだったことに目をつけたMarshallが、パブ等の大きな出力を必要としない場所で使用するモデルとして開発された。
そんなだから元々エクステンション・スピーカーは存在しておらず、1974Xをはじめとしたハンドワイアード・シリーズをスタートする時に初めて生産された。701959をつないでいるキャビネットは2x12"の1922。
コレはJCM900時代のコンボ用のエクステンション・キャビネットだった。
80足元のようす。90一方、大二さんのNATALは愛用のバーチ。
フィニッシュはグロス・バーガンディ。
31のアイスクリームの「バーガンディ・チェリー」って美味しいな。100そしてスネア・ドラム各種。
 
コレはキット付属のスネア。110メイプルの12"x5.5"。120もうひとつはステイヴ・スネア。
「Stave(ステイヴ)」とは「桶」のこと。
温泉場の風呂桶のように、木材をタテに組み合わせた構造。
コレがおっそろしくパンチの利いたウォームなサウンドをクリエイトしてくれる。
残念ながらもうNATALでは生産していない。130そして、Cafe Racerの18"のバス・ドラム。
曲によってはこの小口径のバスドラムを使用するという寸法だ。140まずは打ち合わせ。
「エ~と、今日の予定は…」なんてやっているところ。150まずは数曲、リズム・セクションだけのレコーディングに取り掛かった。160'みやん'と…0r4a0277大二さんの2人がスタジオに入って他の録音済のトラックを聴きながらプレイ。170vミキシング・ルームでは鬼プロデューサーが厳しくディレクションする…
190そうでもないか。
「いい感じ~!」ってな具合。
200こうしていくつかテイクを重ねる。0r4a0280

180そして、都度プレイバックを聴いては演奏の内容を細かくチェックする。210私なんかだいたいこのあたりでナニがいいんだか、ナニが気に入らないのかがサッパリわからなくなって飽きて来ちゃう。
220こういう人たちはこうした作業を呆れるぐらい繰り返してもケロっとしているのだから恐れ入る。
だって飽きちゃうじゃん?同じ曲ばっかりで!
私なんぞはとてもミュージシャンになれません。0r4a0202 学校の先生でもラーメン屋でもそうなんだけど、「同じことを同じように何度でも繰り返しすることができる」のがプロの定義のひとつだと私は思っている。
私はミュージシャンは無理だっただけど、「Marshall Blogのプロ」でいたいとは思っているのです。
360今度はメンバー全員がスタジオに入る。240鬼プロデューサーに徹していた(だから「鬼」じゃない!)関ちゃんもギターを手にして自在に弾きまくる。250simoのライブ・ステージメンバーが持ち寄ったオリジナル曲を演奏しているが、この日録音したのはすべて関ちゃんの作品。260vファンキーな「K.T. Street」他、すでにライブでは頻繁に演奏している曲だ。270vそんな状態でのレコーディングだったので演奏はスイスイだ。280皆さんムズカシイ顔して演奏しているけど、曲はどれも耳に親しみやすいインスト・ナンバーだ。290vそして、プレイバックを聴いてチェック。300また演奏。
コレの繰り返し。310そして、この日の最後に7月16日にリリースした今回のレコーディング・セッションのリード・チューン「Pinky」を吹き込んだ。
385s大二さんはバスドラムを例の18"のCafe Racerに交換。
320音数を抑えた関ちゃんが弾くテーマ・メロディが印象的だ。330いつも通りの為人さんの密度の濃いソロ!
お、今度為人さんにお会いした時に「白鶴」のお話をするのを忘れないようにしなきゃ!340vそんな演奏を'みやん'が奏でる低音でグッと引き締める。350v念願のレコーディングで関ちゃんも楽しそうにプレイしていた。0r4a0266 終了後はレコーディングの時のスタッフの皆さんと記念撮影。380このレコーディングの様子を収録して制作した「烏賊舌ビデオ」がコレ。
音源のPRビデオ。

「Pinky」のお求めはコチラからどうぞ!⇒DI++O
 
この日にレコーディングした他の曲も9月中にアルバムという形でリリースする予定なのでお楽しみに!
Simoba_2
 
Apple Musicはコチラ⇒Apple Music


さらに、simoは前回好評だった「Marshallづくしライブ」を8月5日に予定しているので、是非ご参集くださいまし。

simoの詳しい情報はコチラ⇒Seiki's Web

400 

200 (一部敬称略 2022年4月 横浜市瀬谷 烏賊舌音響にて撮影)

2022年6月24日 (金)

D_Drive ニュー・シングル&ニュー・アルバム発表情報!

 
昨晩、D_Driveの新しいシングル「古き良き街(I Rmember the Town)」がリリースされた。
是非コチラからアクセスお願いします!
   ↓  ↓   ↓
I Rember The Town

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そう、実はコレに呼応するためにShige Blogの記事を書いてみたワケ。
   ↓        ↓      ↓
【Shige Blog】I Remembe r The Town~私の銀座/日比谷/有楽町<その1>
以前から映画に関するこの手の文章を書きたいと思っていたので、キッカケを与えてくれた作曲者のSeijiには感謝している。
現在、続編執筆中。5mshigeblog_top_blue_w_l 
さて、その新しいシングルの情報に続いて待望の世界発売アルバム<第2弾>リリースのニュースが発表された。Thumbnail_d_drive_profile_photo_202イギリス時間の24日午前10時だから、あと6時間もすると下のプレスリリースがヨーロッパ各国やアメリカに送り出され、「D_Driveがセカンド・アルバムが発表する」ことを世界のメディアが知るところになるワケ。
ようやく、「いよいよか~!」という感じ。
0r4a0423 ご存知の通り、ファースト・アルバムの『Maximum Impact』はD_Drive今までの作品をコンパイルしたベスト・アルバムだった。
「セカンド・アルバムは新しい曲で作りたい」…とMarshall Recordsからリクエストがあったのは昨年の初秋のこと。
毎週イギリスと電話で打ち合わせをして、その都度リーダーのSeijiさんと相談する…コレを数えきれないほど繰り返してレコーディングに漕ぎつけた。
アルバムがリリースされる時にまたゴチャゴチャ書きたいので、今回はコレぐらいにしておくけど、イギリスや私の意見、それにムチャなリクエストを辛抱強く受け止めてくれたSeijiさんやYukiちゃんたちには一旦ココで心から御礼を申し上げたい。

190296900402 セカンド・アルバムのタイトルは『DYNAMOTIVE(ダイナモーティブ)』。
コレを決めるのも大変だった!
発売は8月26日。
今回も帯や豪華ブックレットが付属するオリジナル国内盤が制作されるのでお楽しみに!
現在、ワタクシめがライナー・ノーツを執筆しております。
 
ジャケットはコレ。
コレもなかなかに大変だった。
私はメチャクチャ気に入っています。
だって、こんなのそこら辺にないでしょ?
海外のバンドの作品の香りがする。
ま、D_Driveはイギリスのレコード・レーベル所属のバンドなんだけど…だからこそだったのです!
コレが本番ではアッと驚く豪華仕様となって姿を現しますので乞うご期待!
53000x3000デザインを担当したのは「下町のひとりヒプノシス」、梅村デザイン研究所の梅村昇史。
カル・シェンケルもマッツァオの得意のコラージュ手法。Img_0886_2 梅村さんもチョット前に上梓されたカンタベリー・ロックや大好評だったフランク・ザッパ、それにニール・ヤングのディスク・ガイド・ブックの装丁や記事の執筆にテンテコ舞いだったのだが、万難を排して気合を入れた作品を創作して頂いた。
ちなみに上の「Shige Blog」のバナーも梅村デザインです。

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47都道府県ツアーも無事完遂して、結成13年を迎えたD_Drive。
8月のリリースが楽しみで仕方ない!
あ……リリースまでの間、まだサプライズがあるかも知れないので楽しみにしていてくださいまし!

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さて、今週末もD_Driveはステージ立つ。
明日から会場では「I Remember The Town」にちなんだグッズを発売するそうなのでよろしくお願いします!
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Website

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■□■□■□■□■□
お知らせ■□■□■□■□■□■□
Marshall Music Store Japan

Marshallのレコード屋さん「マーシャル・ミュージック・ストア・ジャパン」営業中です!
Marshall Recordsのバンドの作品を販売するお店。

Photo日本が誇るインストゥルメンタル・バンド、D_DriveはMarshall Recordsの契約アーティストです。
 
<Thumbs Up>

<Begin Again>


そのD_Driveの世界デビュー盤『Maximum Impact』が全部売れちゃってただ今入荷待ち!
またすぐに入って来るのでよろしく!7278829_ddrive_maximumimpact_615x60 帯と豪華ブックレットが付いている国内盤仕様の『Maximum Impact』はD_Driveのライブ会場でお買い求めください。
380Marshall Music Store Japanはコチラ
  ↓   ↓   ↓
Marshall Music Store Japan

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2022年6月22日 (水)

【本日発売!】SHOW-YA『BATTLE ORCHESTRA 2022』のDVD

 
去る1月30日、LINE CUBE SHIBUYAで開催されたSHOW-YAとオーケストラの共演ライブが『BATTLE ORCHESTRA 2022』というDVDになって今日帰ってきた!0r4a0403ケースを開くとこんな感じ。
盤とブックレット。0r4a0405収納されているのは、まずはDVDとCD。
バラの意匠をあしらったピクチャー・ディスクがカッコいい。
0r4a0413赤い方がDVD。

0r4a0328removebgpreview3 映像はスゴいマルチカムで見応えタ~ップリ!
ナニせ、満を持してSHOW-YAが世に問うた一大スペクタクルだからね。
当日不幸にして渋谷に行かれなかった人は『BATTLE ORCHESTRA』の初の感動を、ラッキーにも実物を観ることができた人は二回目以降の感動を味わって頂きたい。0r4a0520さらにうれしいのは「レコーディングドキュメンタリー」と題した【特典映像】。
笹路正徳さん指揮するオーケストラのレコーディングにSHOW-YAの5人がお邪魔した時のようすが納められている。
笹路さんやメンバーのインタビュー、「スゴイ、スゴイ」とレコーディング風景を興味津々に見学するカワイイ5人の姿が収録されている。
5pg黒い方がCD。
当日恵子さんがMCで触れていた通り、オーケストラと演奏した「組曲」と「限界LOVERS」のスタジオ・レコーディング音源のCDも収められている。
このスタジオ・バージョン、オケの編成もライブの時より大きく、また違った雰囲気のコラボレーションを楽しむことができる。

0r4a0326removebgpreview そして当日撮影された写真他と歌詞を掲載した豪華ブックレット。0r4a0415うれしいなったらうれしいな…私が心を込めてシャッターを切った写真をテンコ盛りで掲載して頂きました!0r4a0416先日の『NAONのYAON』は不覚にも直前で身体をコワしてしまって参加できなかっただけに、この写真集の喜びはひとしお!
結構ムズカシイ撮影で、DVDを観ながら撮影していた時のことを色々と思い出してしまった。0r4a0419そして、忘れちゃイヤなのは…sun-goさんはMarshallね。Img_0503コレらが当日実際に使用されたMarshall。Img_0504さて、当日にようすはMarshall Blogでもコッテリとレポートさせて頂いておりますのでご覧になっていない方はゼヒ!
読んでから観るか、観てから読むか…イヤイヤ、まずはDVDを買ってくださいまし!

SHOW-YA『組曲』~Battle Orchestra~ <前編>

0r4a0057SHOW-YA『組曲』~Battle Orchestra~ <中編>

0r4a0350SHOW-YA『組曲』~Battle Orchestra~ <後編>

0r4a0379 DVDの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA Official Website

Bod 

200

2022年6月20日 (月)

超新星のNova Twins!

 
ココのところMarshall Recordsの鼻イキが荒い。
所属バンドのNova Twinsが海外でブレイクし、ニューアルバム『Supernova』をリリースしたのだ。
Nova Twinsとは誰ぞや?
プロフィールを見てみよう。
  
Nova Twinsはリード・ボーカリストのエイミー・ラブとベーシストのジョージア・サウス(ハハハ!「北野ルモイ」みたいな感じか?)から成るジャンルを超えた女子のデュオ・チーム。
観客にモッシュをさせようと、フェスのテントを満杯にしようと、ミュージック・ビデオをディレクションしようと…あるいはすべての写真撮影のためのセットを自分たちで作ろうと、はたまたステージ衣装をデザインしようと、アーティストとして彼女たちが取り組んでいることのすべてが革新的だ。
NMEは「悪魔的にヘヴィで鮮やかなパンク・ロック」とNova Twinsを称し、PRSは「ナマのパンクのエネルギー、イリーガル・レイヴ・エレクトロニクス、そして悪びれない薄汚れた態度」と形容した。
アデル, Arctic Monkeys, Kasabian等を手掛けたジム・アビスのプロデュースによるファースト・アルバム『Who Are The Girls?』はClash、Kerrang、 Dork、NME 、Alternative Press等の雑誌から大歓迎を受けた。
また、「Devil’s Face」、「Vortex」、「Taxi」、「Play Fair」といったシングル曲がBBC Radio1のアニー・マック、ダニエル P. カーター、ジャック・サンダースによりヘビーローテーション曲となり、イギー・ポップやトム・ロビンソンによってRadio6でも同様のことが起こった。
ライブ活動ではWolf Alice、 Prophets of Rage、Skunk Anansieとツアーをともにし、Bring Me The HorizonやEnter Shikariからも2021年からラブコールを受け続けている。
2019年、Nova Twinsは靴の人気ブランド、Dr. Martensの「Alternative A/W」のキャンペーンの顔となった。
また、Fever 333とBBC Radio1の「Maida Valeセッション」で演奏し、2020年には「Heavy Music Awards」の「Best UK Breakthrough Band」を獲得した。
さらに同年、「1x1」という曲でBring Me The Horizenとのレコーディングに参加し、同曲が「featuring Nova Twins」という形でNo.1ヒット・アルバム 『Post Human : Survival Horror』に収録された。
2021年はGang of Fourの「Where the Nightingale Sings」やMassive Attackの「3D/Robert Del Naja」のリミックス・バージョンへの参加で幕を開けている。
そして、2022年6月17日、ニューアルバム『Supernova』がリリースされた。

10s_2 私なんか「Super Nova」なんていうと真っ先にウェイン・ショーターを思い浮かべるんだけどね。
「supernova」というのは「超新星」という意味。
まさにNova Twinsのことなのだ!20cdすると、今日Marshall Recordsから期せずして荷物が届いた。
開けてみると…おお!さっそくNova Twinsグッズ!
『Supernova』づくしだゼイ!30まずはヴァイナル。
レコードね。
ん~なかなかいいジャケットだ。40レコード盤は紫色のジャケットに入れられていて、盤面は紫/透明のカラー仕様。
いくつになってもカラー・レコードってうれしいもんです。50コチラはイギリスのRough Trade限定仕様のアウター・ジャケット入りバージョン。
写真ではわからないだろうけど、外側のジャケットは『対自核』の真ん中みたいにピッカピカになっている。
コレ、写り込んじゃってメチャクチャ写真が撮りにくいのよ。
最も『対自核』を知っていて、自発的にNova Twinsを聴くような若い人はもはや世界で1人もいないだろうけどよ…。60外側のジャケットでは本体の裏ジャケットのモチーフを転用している。
いいデザインだね。
やっぱりジャケットがいいと中身が聴きたくなるもんだ。0r4a0373 コチラはCD。
マーレコの商品はいつもピクチャー・ディスク仕様でうれしいなっと!70ブックレットを見ると…ホラ、NATAL!
そうか、そうか、ノヴァちゃんもNATALが好きか…。80カセット・テープも!
コレだけはわからないんだよね~。
どういう利点を期待してカセット・テープを好んで買う人がいるのかがわからない。
久しぶりにカセット・テープに触ったわ。
前回触ったのは八代目桂文楽のテープをメモリー・スティックにダビングする時以来だわ。

90そして、コレが靴下。
コレもノヴァちゃんのデザインなのかな?100で、早速聴いてみると…コレがいいのよ!
もちろん私は普段この手の音楽を自分から好んで聴く機会は万にひとつもないけど、仕事とはいえ、こうして聴いてみると物珍しさもあって、新鮮な感じがするナァ。
世代があまりにも違うので、「音楽」としてはさすがにすべてを受け入れるおとはムズカシイ…というのが正直なところ。
でもね、ところどころ「お!」と思わせるカッコいいフレーズやメロディが出て来るんですよ。
それとやっぱり洋楽の持つパワーみたいなモノね。
そういうところは同種の日本のチームとは一線を画しているように聞こえる。
30分チョットの収録時間だけど、最後まで一気に聴いてしまった!
 
こんな感じ。
アルバムを聴いていて一番気に入った「K.M.B」という曲。
ディズニーの「狼なんか怖くない(Who's Afraid of the Big Bad Wolf)」のモチーフを大胆に取り入れているのがオモシロイ。


ヒット祈願!
 
Nova Twinsの詳しい情報はコチラ(英語版)⇒Nova Twins OFFICIAL WEBSITE

110しかし、Marshall Recordsもスゴイよな…Nova TwinsからD_Driveだもんね。
ルックスからするとD_DriveがよもやNova Twinsのレーベル・メイトとは誰も思うまい。
D_Driveも日本代表としてガンバるぞ!

Ma_2  
マーシャル・ミュージック・ストア・ジャパンで『Supernova』の取り扱いが始まる時にはまたお知らせします!
 
Marshall Music Store Japanはコチラ⇒お店

Mmst_square 

200 (Thank you very much, Peter!)

2022年6月 2日 (木)

矢島舞依『Metamorphose』のNATAL~カンちゃん Plays NATAL

 
これまでにも何度もNATALの話題でMarshall Blogに登場してくれているカンちゃん。20_2いつか「もう若いドラマーでNATALを知らないヤツなんていませんよ!」と私に言ってくれた時はとてもうれしかった。170vそのカンちゃんが矢島舞依さんの「Metamorphose」のミュージック・ビデオにNATALと共に登場してくれた。
ベースはつよぽんだ。 
40これが撮影に使用したNATALのキット。9p0fcxd6jpg_small10"、12"、16"、22"のアッシュ。70NATALの鳴りの良さを実感しながらの縦横無尽なカンちゃんのプレイが素晴らしい!

80それではそのビデオをどうぞ!
「metamorphose」…ビッグ・ワードですな。
どうでもいい話だけど、私はこれまでの人生で外人に向かってたった一度だけこの言葉を使ったことがあるのを覚えている。
それはどういう場面だったかというと、まだ英語を本気で勉強し出して間もない頃のことで、ナゼかアルマジロの説明をしなくれはならない時だった。
ホラ、アレってボールみたいに丸くなるでしょ?
それをどう表現すればよいのか困ってしまって「metamorphose into=~に変形する」とやってみた。
もちろん一発で通じたけど、今ならもっと簡単に「turn into」を使うだろうな。
 
ビデオを見ながらそんなことを思い出してしまった。
カンちゃん、いつもありがとう!
 
矢島舞依の詳しい情報はコチラ⇒矢島舞依Official Site
100_2 

■□■□■□■□■□お知らせ■□■□■□■□■□■□
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Marshallのレコード屋さん「マーシャル・ミュージック・ストア・ジャパン」営業中です!
Marshall Recordsのバンドの作品を販売するお店。

Oldspitalfieldsmarket こんな商品を扱っています。
King_creatureKing Creature(キング・クリーチャー)!


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 200(一部敬称略 写真提供:カンちゃん)




2022年6月 1日 (水)

酒は白鶴、アンプはマーシャル!

 
時折このブログに「落語」のことを書いているけど…好きなのよ。
で、「落語」と切っても切れないモノと言ったら…何と言っても「酒」と「吉原」。
「親子酒」、「夢の酒」、「花見酒」、「居酒屋」、「らくだ」、「替り目」、「富久」「うどんや」、「二番煎じ」、「もう半分」、「鰻の幇間」…酒にまつわる噺を挙げ出したらまったくキリがない。
噺に出て来る酒は当然すべて日本酒だ。
「ホッピーの中おかわり!」なんてシーンは絶対に出て来ない。
私は若い頃はどちらかというと日本酒がニガテで、こうした酒にまつわる噺を聴くにつけ「日本酒がおいしく飲めたらいいナァ」…なんて思ったりしたものだった。
それが、最近は日本酒がとてもおいしくなった。
コレも歳を取ることの特典のひとつなのか?

Ae さて、日本酒の原料は米。
米ばっかり食べていると脚気になっちゃうよ!なんてことを先日書いたばかりですな。
じゃ、米の生産高が大きい都道府県といえばどこを思い浮かべますか?
やっぱ「新潟」だよね。
調べてみると、事実、新潟県がナンバーワンだ。
そして、北海道、秋田、山形、宮城…と続く。
それなら日本酒の生産量も新潟がナンバーワンかと思うわね。
私には新潟の知り合いが比較的多く、みんな米と日本酒の自慢ばっかりするものだからそう思い込んでいた。
しかし、「灘の生一本」で知られる兵庫も気になるわね。
「京都伏見の酒」なんてのもよく耳にする。Sakj_2正解は兵庫。
しかもケタ違いのダントツ!
やっぱり「灘の生一本」強し。
それもそのはず、神戸市の灘区には、今津郷、西宮郷、魚崎郷、御影郷、西郷という5つのエリアで構成される「灘五郷(なだごごう)」という酒づくりの一大名所がある。
大関、日本盛、白鹿、白鶴、白鷹、菊正宗、剣菱、沢の鶴、櫻正宗…なんてのは酒を飲まない人だって知っているブランドでしょ?
それらはゼ~ンブその「灘五郷」で作られている。
何せその量たるや全国の生産量の3割を占めるっていうんだからスゴイ。
上質の米、ミネラル豊富な地下水、冷たい六甲おろし、という酒造りに適した条件が揃っているからだそうだ。
それと、肝心なのは「神戸」という良港があったこと。
どんなにいいモノを作っていても、便利で安価な輸送手段がないと産業は発展しないからね。M5_2 ちなみに今でも絶大な人気を誇る五代目古今亭志ん生は大の酒好きで知られ、関東大震災の時に真っ先に家を飛び出して酒屋に向かったという人。
「酒が地面に飲まれちゃうんじゃモッタイねえ!」というワケ。
その志ん生師匠が「妾馬(めかんま)」で、八五郎が殿様から出された酒を口にして「ああ~、いい酒だナァ~」と実にうまそうに飲んで見せるシーン…こういうのはタマらないネェ。
やっぱり日本酒だネェなんて改めて思っちゃう。
その志ん生師匠は「菊正宗」が好みだったことがまことしやかに語り継がれているが、実は酒なら何でもOKだったらしい。
だから落語はオモシロい。
余計なお世話だけど、落語を言語のまま楽しむことができるのは日本人に生まれた大きな特権のひとつだと思う。
Kss さて、話は強引に柔道に飛ぶ。
私は中学と高校の体育の授業で「受け身」と「体落(たいおとし)」を教わった経験があるだけの完全な門外漢なのだが、「嘉納治五郎」という名前ぐらいは知っている。
文京区春日にある柔道の総本山「講道館」を設立した人ね。
最近では「プーチンが尊敬している人物」ということでテレビの話題になっていたようだ。

16vところ変わって、ココは台東区は稲荷町にある永昌寺。
木久蔵の爆笑モノマネで知られる「稲荷町の師匠」、林家彦六(八代目正蔵)の家はこの寺の裏手に当たる。
20明治15年、この永昌寺にあった広さ12畳の書院で嘉納治五郎が9人の門弟と稽古を始めたのが「講道館」の始まりだった。
翌年には神田に引っ越しちゃうんだけどね。
とにかくココからオリンピックの一大人気種目であり、世界中の人が取り組んでいる「講道館柔道」が生まれたワケよ。30境内には昭和43年に建てられた「講道館柔道発祥の地」という自然石の記念碑がある。
40vその嘉納治五郎は「灘五郷」の一角である「御影郷」の嘉納家の出身。
この嘉納家は後醍醐天皇に酒を献上したことによりその名前を賜ったというぐらいの名門中の名門。
後醍醐天皇といったら14世紀前半の天皇ですからね。
嘉納家の由緒たるや生半可ではありませんよ。
この嘉納家の本家である「本嘉納家」が「菊正宗」の蔵元。
そして、「白嘉納家」が「白鶴」の蔵元。
治五郎さんのところは「浜東嘉納家」という。
 
ビックリしちゃったんだけど、東大への進学率がトップクラスの「灘高」ってあるでしょ?
この「旧制灘中学校」は、造り酒屋の子弟の教育のために「菊正宗」と「白鶴」の嘉納家、それに「櫻正宗」の山邑家が設立したのだそうだ。
だから初代の顧問は嘉納治五郎だった。
45一方、コチラは西宮の甲陽学院。
設立は1917年と灘中より10年早く、この学校の設立者は「白鹿」の辰馬家だそうだ。
「白鹿」に負けまいと嘉納チームも灘中を作ったのかどうかは知らない。
そもそも「造り酒屋」というのは裕福なのが相場とキマっているが、灘方面の大手蔵元の方々はケタ違いのお金持ちということだ。
Kgコレで米と日本酒生産のトップはわかった。
しからば、その日本酒メーカーの生産量トップはどのブランドか?
それは「白鶴」だ。
チョット前のデータによると2位は京都伏見の「月桂冠」に譲るが、さすが「灘の生一本」、ベスト10の中に「大関」、「日本盛」、「菊正宗」と4つのブランドが名を連ねている。
「月桂冠」、「松竹梅」を擁する京都伏見も強い(灘にも「松竹梅酒造」というメーカーがあるが、そちら「灘一」というブランド)。
同じデータによると、私が期待した新潟勢は「久保田」の11位が最高で「八海山」が12位、「菊水」が14位だった。
しかし、頻繁にテレビコマーシャルをやっているワケでもなく、はたまた毎夜酒場に行くワケでもなく、ましてや大酒のみというワケでもないのにこれらの日本酒のブランドにやたらと馴染みがあるのはナゼだろう?
不思議だな。
きっと日本人だからだな。
 
今日はD_DriveのYukiちゃんと日本最大手の酒造メーカー、「白鶴」のお話。
「白嘉納家」ね。

10_2大工だったウチの父は日本酒が大好きで、日本酒を3~4合飲んで、ビールで〆るという普通とは逆の手順で毎晩欠かさず飲んでいた。
私が成人して酒を飲むようになってからその理由を訊くと、「日本酒を飲んでノドが渇いたところにビールを流し込むのがウマい。それにビールを先に飲んでしまうとハラが膨らんでしまって酒がウマくなくなってしまう」と言っていた。
何でも母任せの父だったが、その日本酒だけは必ず自分で買いに行っていた。
その父の晩年のチョイスが白鶴の「まる」だった。
実家に帰って父と食事をする時には必ず下の赤い紙パックが食卓に登場したものだった。
ナンカ思い出すナァ。

15v_s 
さて、これまでありとあらゆる他流試合に臨んで来たYukiちゃんだが、今回の相手は日本酒。

50その「まる」のCM曲「えんやまる」をアレンジして白鶴のウェブCMでギターを弾いてみせてくれたのだ。60もちろんお供は「白マーシャル家」のJVM。
Yukiちゃんのシンボルマークだ。70そして、撮影で共演してくれたのはお姉さんのYukariさん。80白鶴のロゴ入りの法被がお気に召したと見た!90Yukariさんは「ENTERART」というパフォーマンス・グループを率いてニューヨークを拠点に活動を展開するダンス・アーティスト。
だからコレはCGでも何でもない実写版だ。
ワザワザ、撮影のためにイースト・リバーまで足を運んでくれた。
ものスゴイ寒かったんだって!
後ろに見えるのがマンハッタン島とブルックリン地区を結ぶ有名な「ブルックリン・ブリッジ」。
200観光地で売っている昔の絵ハガキの写真みたいだけど、下は私が27年前に初めてニューヨークに行った時に撮ったブルックリン・ブリッジ。
天気の良い日に徒歩で渡ってみたが、実に気持ちがヨカッタ。
そのひとつ向こうがマンハッタン・ブリッジ。
そのもうひとつ大分向こう方に小さく見えているのがジャズ・ファンの間では有名なウィリアムズバーグ・ブリッジ。
何とならば、当時スターの座を確立していたテナー・サックスの巨人ソニー・ロリンズが、後進のジョン・コルトレーンに引けを取ってしまったと感じ、雲隠れしてしまった。
ロリンズは一線から身を引いている間、「打倒コルトレーン!」を目指し、そのウィリアムズバーグ・ブリッジの上でひたすらサックスを練習していたという。2bb その後、ロリンズはアルバムをリリース。
そのタイトルは『The Bridge(橋)』だった。
Brビデオの撮影にはYukiちゃんも白鶴の法被をまとって演奏した。120灘の夜に鳴り響く「Yukiのギター一本」!
210v「まる」をやりながらコチラからお楽しみアレ!
さて、白鶴酒造さんは戦前から「白鶴美術館」という施設を運営しており、文化事業にも力を注いでいる。
この「白鶴酒造資料館」もその一環。
130清酒が完成するまでの工程をかわかりやすく解説するための資料館。
昭和40年代中頃まで実際に清酒の醸造に使用していた本店の「壱号蔵」を改造のうえ転用しているのだそうだ。
170Yukiちゃんはこの中でももう一発大暴れ!
190曲はもちろん「えんやまる」。
曲のモニターにはMarshall Headphonesの「KILBURN II」を使用した。
 
「Kilburn」という地名についてはコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.22~Jubilee Lineに乗って
180それではYukiちゃんの「えんやまる歌つなぎ」をどうぞ!


さて、ココからはスピンオフ。
Yukariさんは撮影に際しての衣装の解説もしてくれた。


Yukariさんは2020年1月に開催したD_Driveとの共演による『チェリーを三つ入れてください。』でもMarshall Blogにご登場頂いている。
 
★チェリーを三つ入れてください。<前編>~私の新開地(上)
★チェリーを三つ入れてください。<中編>~私の新開地(中)
★チェリーを三つ入れてください。<後編>~私の新開地(下)

320_2そして、「コラボお疲れさまでした~!」ということで姉妹が「まる」を頂きながらリモートで感想戦のビデオを公開した。
撮影の時の裏話から、昔話までいろいろな話題で盛り上がったよ!
<前編>はコチラ。


そして<後編>はコチラ。


今晩は白鶴でイッパイやるか…。
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Website 

Syuki2 

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Marshall Recordsのバンドの作品を販売するお店。

Photo D_Driveの世界デビュー盤『Maximum Impact』が全部売れちゃってただ今入荷待ち!
またすぐに入って来るのでよろしく!7278829_ddrive_maximumimpact_615x60 帯と豪華ブックレットが付いている国内盤仕様の『Maximum Impact』はD_Driveのライブ会場でお買い求めください。
380Marshall Music Store Japanはコチラ
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 200(一部敬称略 ※写真提供:Yuki)

2022年5月11日 (水)

FATE GEAR最新作『KILLERS IN THE SKY』MV撮影レポート~私の横須賀


その少女は『声』を捨て、戦うことを選んだ―
 
去る4月27日、FATE GEARが7曲入りのアルバム『KILLERS IN THE SKY』を発表。
「通常盤」のジャケットは弱冠21歳ながらプロのメタル・イラストレーターとして活躍しているyu-ki【Carnage Society】さんの作品。20cd一方、CDとライブDVDを組み合わせた「豪華盤」のデザインは我らがHaruka画伯の作品。
「豪華盤」という名前がいいね。
確かに豪華だから間違いではない!
そして、肝心のサウンド方はもちろんFATE GEARテイストに満ち満ちた7曲が収録されている。
10cdさて、2001本目となる今日のMarshall Blogは、FATE GEARが横須賀で行ったミュージック・ビデオ撮影のレポート。
今日はね、Mina隊長から事前に「自由に脱線してもよし!」というお許しを得ているんですわ。
滅多にないことなんだけど、脱線が長いとイヤがるアーティストさんもいらっしゃるので、今回はお言葉に甘えて安心して脱線させて頂いた。
軍隊だったら隊長の指導には絶対服従ですからね。
でもね、そうかと思うと隊長みたいに脱線を楽しみにしてくださっている方も大勢いらっしゃるんですよ。
現に先日、誰もが知っている大御所ギタリストからお電話を頂戴して「Marshall Blogいつも読んでいますよ!」と励ましのお言葉を頂いた。
続けて「あの脱線がオモシロいんですよ!ドンドン書いて欲しいナァ~」とおっしゃってくれたのはとてもいい励みになった。
「脱線に一生懸命になる」のもどうかと思うが、「転覆」よりはいいだろう(←コレ、シャレになっています)
…なんて書いているところからすでに脱線なんだけど、今日はお許しが出ていますんで…ハイ。
  
さて、横須賀。
ビデオの撮影開始が朝の7時というので、前日に横須賀に入ることにした。
年寄りは早起きなので、5時に家を出てくれば間に合わないことはないんだろうけど、もし途中で何かがあったら大変だからね。
安全を見て前泊したというワケ。
30横須賀は久しぶりで、2014年の横須賀芸術劇場の取材の時以来。
前泊して時間ができれば当然現地の様子を見てみたくもなる。
ということで、撮影現場の下見も兼ねて外に繰り出した。
 
まずはJR横須賀駅。
軍港横須賀は鎮守府(後出)だっただけに、利便性を確保するために古くから鉄道が敷かれ、横須賀駅は「横須賀線」の終着駅として明治22年に開業した。
40レトロな現駅舎は大正3年に改修したバージョンをコピーして昭和15年に建てられたモノ。
中に入ってみる…おお!
終着駅だから当たり前のことなんだけど、ターミナルになってる!
つまり、行き止まりということ。
「ターミナル駅」とかいう言葉はあっても、国中鉄道がつながっている日本では「ターミナル=終点」になっていないことが多い。
「terminal」というのは「終点の」とか「最後の」とかいう意味なのよ。
だからターミナル駅の線路は行き止まりになっていないとおかしいワケ。
ヘタをすると駅ビルと駅前にロータリーがある大きな駅のことが「ターミナル駅」だと勘違いしている人も多いかも知れない。
50早速、派手に脱線してみましょうか?
コレはロンドンのパディントン駅。
あの熊のパディントンが南米からやって来たところね。
だからアレ、「パディントン」っていうんだよ。
70イギリスはロンドンを起点に鉄道が東西南北に伸びているので、そのロンドンの始発駅がターミナル駅になっている。
このパディントンの他、上野駅のモデルとなったキングス・クロス駅、その隣のセント・パンクラス、ウォータールー、リヴァプール・ストリート、チャリング・クロス、Marshallへ行くときのユーストン、カンタベリーへ行く時に使うヴィクトリア…全部ターミナル駅。

80ターミナルだからレールの終点にはこうした安全装置が付けられている。
電車がコレに突っ込むのを一度でいいから見てみたい。
こういう風にハジッコが行き止まりになっているのを「頭端式ホーム」と呼ぶらしい。

90替わってドイツは「フランクフルト中央駅」。100ココもチャンと列車をターミネイトする頭端式ホーム。110さらに今度は思いっきり日本の西でターミネイトしている長崎駅。

120コレがJRの西の果てよ。
この線路がナンダカンダで東京までつながっていると思うと感動しない?130では東京はどうか?
新幹線を除いて東海道線の東京駅も、中央線の新宿駅もターミネイトしていないからね。
昔は総武線の両国駅が房総線をターミネイトしていた。
私が中学ぐらいの時までは現在の総武線の隣に行き止まりの線路があったもんです。
今では上野かな?
上野駅は高崎線、宇都宮線、常磐線等をターミネイトしてるんだよ。
偉いナァ、上野は。

T0上に書いてしまったので一応載せておくが、コレが上野駅のモデルとなったと言われているロンドンの「キングスクロス駅」。
スコットランドとかニューカッスル方面へ向かう路線のターミナル駅。
初めて見た時から「上野駅に似てるナァ~」と思ったんだけど、やっぱりそうだった。0r4a0011 上野駅の「低いホーム」と呼ばれている番線はココでガッチリとターミネイトしている。T1頭端式ホームになってるでしょ?

T2私は「鉄道マニア」でも「ターミナル好き」でも何でもないんだけど、この横須賀駅の光景を見てチョットうれしくなってしまったのです。60翌日の撮影の現場は記念艦「三笠」。
前泊するにしても、翌朝がかなり早いので現場の下見をしておくことにした。
ところでココって車で行くと、高速道路から降りて来た時、左手に海上自衛隊の艦船が目に飛び込んでくるんだよね。
それらの船を見ただけで勝手に「三笠」だと思っちゃって…。
「三笠」がある三笠公園と反対の方向に来ちゃったよ、トホホ。
つまり海上自衛隊の施設ね。
横須賀は「鎮守府」といって旧日本海軍のとても重要な基地のひとつだった。
鎮守府は横須賀の他、呉、佐世保、舞鶴の3か所しかなかった。
ところが、悲しいことに「横須賀鎮守府」の略称は「ヨコチン」だったらしい。
小学生か!
140コレを120年前に建造された軍艦と間違えるなんて…我ながらストレートに恥ずかしい。
イヤ、ただただ「船~!」ということしか意識していなかったもんだから…。
この船、ツルっとしているでしょう?
いわゆる「ステルス船」というヤツ。
艤装(船につける設備)のゴタゴタを極力少なくしてレーダーに引っかかりにくくしている最新鋭の船だそうです…ということを教えてくれたのは、対岸の三菱重工長崎造船所を眼下に見下ろすグラバー園のボランティア・ガイドのおジイさん。160コチラの対岸はかつての横須賀製鉄所(造船所)、あるいは海軍工廠。
要するに船を建造するドック。
この日も潜水艦がプカプカ浮いていた。170それで思い出すのは吉村昭先生の『深海の使者』という小説。
第二次世界大戦中、ここ横須賀鎮守府から3万キロ彼方のドイツまでレーダーかなんかを潜水艦で取りに行ったという話。
大変オモシロかった。
 
今回は吉村先生の作品を何回か引き合いに出しますのでよろしく。180bコレがその伊号潜水艦。
当時、潜水艦の技術はドイツが圧倒的に世界ナンバーワンだったそうだ。
日本海軍は東南アジアからインド洋を経て、喜望峰を回り、大西洋を北上してヨーロッパに向かう航海に5回挑戦したが、成功したのは1回だけだった。
ヤダね~、何か月も陽に当たらずに海の底にいるんだよ。190さて、間違いは素直に認めて方向転換。
アメリカ海軍基地の入り口の前を通って反対の方面に向かった。
この中はアメリカだからね。

210何とも雰囲気のあるアパート。220そして、三笠公園に到着。230軍刀と双眼鏡を手にした東郷平八郎元帥が迎えてくれる。240vコレが「さかみ」か~!
あ、「みかさ」だ。
こっちは船尾ね。250「三笠」や横浜の「氷川丸」のように教育や記念物としての目的で保存してる古い船のことを「記念艦」、あるいは「博物館船(Museum ship)」と呼び、世界中で公開されている。
そして、「三笠」は「世界三大記念艦」の一角ということになっているんだけど、コレは世界共通の認識なのかどうか…誰がキメたのかかなり調べたが、結局わからなかった。
「三大」は極めて日本特有の表現方法だということを承知で他の2つを調べてみると…
300まずはアメリカの「Constitution(コンスティテューション)」。
観光とアメリカ海軍の宣伝に使われていて、「アメリカ海軍で最も有名な艦船」と言われているらしいんだけど、進水したのが1797年だというのにいまだに航行できるんだって。
要するに現役!
船っていうのは手入れをチャンとしていれば長持ちするんだネェ。260そして、イギリスの「HMS Victory(ヴィクトリー)」。
「HMS」というのは今なら「Her Majesty's Ship」。
つまり「女王様のお船」のこと。
エリザベス女王が崩御してチャールズが王様になれば「His Majesty's Ship」になるが「HMS」のままでイケちゃうのはありがたいのではないか?
ちなみにテムズ川の白鳥は全部女王陛下のモノなんだぜ。
ヴィクトリーは歴戦の雄船だが、何といっても一番有名なのは1805年、スペイン沖の「トラファルガー海戦」でフランス軍を駆逐してナポレオンのイギリス本土上陸の野望を挫いたことだろう。
その時の司令官が「ホレーショ・ネルソン」…「ネルソン提督」だ。

270ココはロンドンのトラファルガー広場(Trafalgar Square)。
もちろんこの広場の名前は「トラファルガー海戦の勝利」にちなんでつけられている。
写真の背中はナショナル・ギャラリー。
正面の塔の向こうの通りを下って行くとビッグベンや国会議事堂(ウエストミンスター寺院)に突き当たるロンドンの中心地。
280その塔の先端にはネルソン提督が乗っかって国会議事堂の方を向いて国の成り行きを見守っている。

290この2つの記念艦に比べると「三笠」はずいぶんモダンな感じがするな。
コレも私が「三大記念艦」にシックリ感を得ない理由なのかも知れない。
でもね、「メチャクチャすごいことをやってのけた現存する船」という意味での「三大」ならわかる。
このことはもうチョット後で。310残念なのは…三笠は海に浮かんでいないんだよね。
私は氷川丸のイメージが強かったので、地元の方に「安心してください!浮いていませんよ」とお聞きしてホンの少しショックだった。
ところが、「三笠」もなかなかに可哀そうな運命をたどっているんだよ。

320v「三笠」は明治35年(1902年)にイギリスの造船会社ヴィッカーズによって建造された。
日露戦争中、日本海軍連合艦隊の旗艦として大活躍した後、佐世保港に停泊中、艦内の火薬庫に引火して大爆発を起こし沈没してしまった。
その後、船体を引き揚げて修理を施し、大正12年(1923年=関東大震災の年)に引退するまで海上防衛の仕事をこなした。
そして、その3年後に現在の地に保存された。590 時代は下って昭和20年の太平洋戦争敗戦後、連合軍から「三笠」の艦橋、マスト、大砲、煙突のすべてを取っ払うよう命令が下る。
憐れ「三笠」は原形をとどめない「のっぺらぼう」にされてしまったんだね。
コレ、なんでこんなことをしたかね?
私がに思うに、日本が太平洋戦争を引き起こしたのは、日露戦争で日本軍はマグレでロシアに勝利して「自分たちはメッチャ強いけんね!」と勘違いし、イケイケドンドンになってしまったのが原因のひとつで、その日露戦争の勝利の象徴でもある「三笠」をそのままの形にしておくのはよろしくない…と連合軍が考えたからではないの?
そして、戦争のほとぼりも冷めた10年後の昭和30年、「三笠」を元の姿に戻してやろう!という声が高まり、昭和36年に現在の姿に復元されたというワケ。
だから今の「三笠」はMarshallよりひとつ年上ということになる。
330後部の主砲。340右が主砲の砲弾。
コレが10km先まですっ飛んでいったが、目標への命中率は10%程度だったらしい。
390v砲塔には戦歴を刻んだ金の銘板が取り付けられている。
もちろん対戦の相手はロシア。
にわか勉強で恐縮だけど、ものすごく簡単に言って「日露戦争」というのは南満州と朝鮮の権益をめぐって勃発した日本とロシアの武力衝突。
ロシアは不凍港が欲しいので、南下して朝鮮半島を分捕りたかったんだけど、日本としてはロシアが鼻っ先に入り込んで来るのはイヤなワケ。
伊藤博文が「南満州を上げるから朝鮮から出て行ってね(満韓交換論)」とか色々と粘り強く交渉したものの、ダメ。
昔からロシアってのはズルいんだよ。
頑として動かない。
日本国内はもう「ロシアをブッとばせ!」と国民が盛り上がっちゃってる。
しかし、ロシアは当時から「世界の大国」だからね、たった37年前までチョンマゲを結っていた国とは土台国力も文明も違う。
そこへ「サポートしてあげるからロシアをたたんじゃいないなさいよ」と励ましてくれたのはロシアの南下に危機感を抱くイギリス。
親切にも日本サイドに立って「日英同盟」を結んでくれた。
そりゃそうだよ、この「三笠」もそうだけど、イギリスからたくさん武器を買ってるんだもん。
今のアメリカとウクライナみたいなもんで、日本がロシアと戦争してくれればイギリスは一石二鳥のウハウハなワケだ。
それでも、やっぱロシアは大国だからネェ…と、日本政府と軍部は悩みに悩む。
明治天皇は最後の最後まで交渉しろ…とか言うし。350そして、海軍軍令部参謀の山下大佐が伝令を携えて佐世保に停泊していた「三笠」にやって来る。
「三笠」に集まった海軍のお歴々の前で、明治37年2月6日の夜中、海軍大臣である山本権兵衛のメッセージを開封する。
「もういいからジャンジャンやっちゃって!」
ホントはメッチャかっこいい文章なんだけど、長くなるので興味のある方はこういう本を読んでみてください。
日露戦争に至る経緯が泣きたくなるぐらいこと細かに書いてあります。

520bこうしてロシア軍が堅牢な要塞を造ってガッツリ入り込んでいる満州の旅順攻略を口火に日露戦争が始まったワケ。
有名な「203高地」なんてのはこのあたりの陸軍の話。
そして、「三笠」は連合艦隊の旗艦として、東郷平八郎海軍大将の指揮のもと大活躍し、日本海海戦でロシア海軍をケチョンケチョンにやっつけてやった。
でもね、コレにはラッキーな裏事情があって、ウラジオストクに向かう世界最強と言われたロシアの「バルチック艦隊」の到着が遅れたから日本は勝つことができた。
もちろん日本軍もバルチック艦隊が来る前に何とかしなきゃ!という体制を組んでいたことは言うまでもない。
 
ちなみに…ウラジオストクって「ウラジオ/ストク」だと思う?
それとも「ウラジ/オストク」だと思う?
正解は後者。
「ウラジ」は「支配する」、「オストク(正確にはウォストーク)」は「東方」という意味だそうです。
360増村保造監督、若尾文子&田村高廣の主演で『清作の妻(1965年)』という映画があるんだけど、時代はまさにこの時。
ド田舎の村でも「旅順攻略万歳!」と大騒ぎしているシーンが出て来る。
とにかく日露戦争は日本国中の市民がイケイケドンドンだったということがよくわかる。
この映画、スゴイよ。
若尾文子が五寸釘を手にしているでしょ?…ああ~、もっと詳しく書きたいけどネタバレしてはこれからご覧になる人に申し訳ないのでガマンガマン。
St 吉村先生の『海の史劇』という小説には、このバルチック艦隊の7か月に及ぶ苦しい航海、日本海海戦、戦後のロシア兵とのやり取りが丁寧に描かれている。
コレ、文庫で700ページの大長編で、実は私…大好きな吉村作品なれど2度ほど途中で挫折してしまった過去があったのです。
「また読んでみようかな?」と思うたびにブックオフで買って来るもんだから家に同じのが3冊もあったわ。
で、不退転の決意でまた読んでみた…もうどうしようもないぐらいオモシロかった!
もちろん「三笠」がジャンジャン登場する。

370b甲板のひとつ下の階は三笠に関するアイテムの展示コーナーになっている。

400コレがまたオモシロかった。410こんな展示もしてあってチョットうれしかった…「久松五勇士」。
上に書いた通り、日露戦争におけり日本の勝利の大きなポイントはバルチック艦隊の遅刻だった。
宮古島には、そのバルチック艦隊が接近していることを発見し、命を賭していち早く伝令しようとした「久松五勇士」という5人の漁師がいた。
当時、宮古島には通信設備がなかった。
そこで通信設備があった最寄りの石垣島まで5人で船を漕いで大急ぎで知らせに行った。
「最寄り」といってもその距離170km。
15時間かけて石垣島に着き、そこから30kmの山道を歩いて郵便局へ向かった。
その郵便局から打った電信は沖縄の本局から県庁を経て、市ヶ谷の大本営へと伝えられた。
ところが、付近を航行中だった「信濃丸」という巡洋艦が航行中にバルチック艦隊の姿を偶然発見し、久松五勇士より先にその情報を無線で市ヶ谷に届けた。
そして、日本海軍に迎撃の体制を取らせたその情報は大いに勝利に貢献した。
つまり、結果的には久松五勇士は「骨折れ損のくたびれもうけ」になってしまい、彼らの決死の努力は歴史の闇に葬り去られてしまった。

415 ところが、見ている人は見ているもんです。
下は宮古島にあるその5人の顕彰碑。
昭和の時代になり、久松五勇士のことが発掘されて教科書に掲載された。
すると、一気に評価が高まって沖縄県知事から顕彰されて郷土の英雄になったというんだね。
私はナゼか…多分何かの本で読んだのだろう…「久松五勇士」のことを知っていて、2011年に宮古島を訪れた際にシッカリ下の顕彰碑を見て来たというワケ。

417ほほう…コレはオモシロイ。
「三笠」の艦内での食事風景の写真。
実はココにはものすごく重要なことが書かれている。
「献立:麦飯、味噌汁、つけ物」というのがそれ。
「若いのに麦飯じゃかわいそう…」などと思うなかれ。
この麦飯が当時の多くの海軍兵の命を救ったのです。418 「脚気(かっけ)」って知ってる?
若い人は知らないかも知れないな。
我々の世代は健康診断の時、浮かした足の膝を下のような小さいゴムのハンマーでコツンと叩かれたものだった。
今もやってるのかな?
普通ならそのハンマーに反応してピョコンと足がハネ上がる。
ところが脚気に罹患していると足は何の反応も示さない。
コレが脚気の検査。
 
脚気という病気はビタミン・バランスの崩壊がもたらす恐ろしい病気で、第14代将軍の徳川家茂も若くして脚気で死んでる。
日露戦争の陸軍においては、戦死者47,000人に対し、脚気による死者は27,800人、罹患者は47,000人もいたという。

419s 
原因は「貧困」…イヤ「米の食いすぎ」だ。
当時の兵隊の食事の支給は現金だった。
つまり金をもらって好きなものを買って食べるシステムで、兵隊たちはその食費を出来るだけ削って、浮かした金を家に送金することが多かった。
そして、自分たちは米ばっかり食べていた。
日の丸弁当なんてのはその典型的なメニューなワケね。
梅干し1個でどんぶり何杯もの米を食べちゃう。
また、米が食えるだけでとても幸せだった時代が長いこと続いたので、オカズなんか要らなかった。
吉原の女衒じゃないが、米さえ食えればヨカッタ。
加えて当時はまだ医学的に「ビタミン」という概念がなく、完全栄養食とされていた「米」を食ってさえいりゃ大丈夫という意識が強かった。
するといいようにビタミンB1が欠乏し、また糖質の摂取が過多となって脚気を引き起こす。
最後は心臓が機能障害を起こし死に至る。

Rc ところで、海軍は陸軍に比べ脚気の罹患率が著しく低かった。
コレはイギリスに留学しイギリス医学を学んだ海軍医の高木兼寛少将という人が、西洋人に脚気の患者が1人もいないことに気付き、食餌が脚気の原因になっていることを突き止めたから。
外人はパン食でしょ?…兼寛はそこに目を付けた。
そして海軍に導入されたのが、給食制と麦飯だった。
みんなパンはイヤだから麦飯。
こうして海軍は脚気を駆逐した。
一方の陸軍。
総監医を務めた森鴎外はどこまでもドイツ医学を信奉し、頑として米主体の食事を止めなかったため、上に書いたような膨大な数の脚気の犠牲者を出したという。
 
こうして高木兼寛は日本におけるビタミン学の権威となり、慈恵医大の創設者のひとりともなった。
資生堂とも深い関係があった。
資生堂は、元々は薬屋さんだからね。
Kt 高木兼寛については吉村先生の『白い航跡』という作品でどうぞ。
コレも大変にオモシロかった。419話が食べ物になったところで…「横須賀のグルメ」といえばハンバーガーと海軍カレー。
よく海軍で「週に1回カレーが出されるのは長い航海の間に曜日を忘れないようにするため」とか聞くけど、コレは今の話。
カレーはビタミンのバランスが取れた栄養価の高い副食であるだけでなく、白米偏食を避けるために導入した麦飯を美味しく食べさせるための工夫のひとつだったらしい。
ちなみにイギリスの海軍でもカレーを出していたんだって。Curryさて、まだまだ脱線は続くよ~。
展示コーナーには「三笠アイテム」以外に日露戦争に関する資料もたくさん展示してある。
とてもいい勉強になる。
例えばコレ…チーム・ロシアの紹介。420バルチック艦隊の親分、ロジェストヴェンスキー中将。
この人はなかなかの人物だったようだ。430東郷元帥もまた立派な人で、この敗軍の将に帯刀を許したりしたそうだ。
ロジェストヴェンスキーもそんな敵将を敬ったが、軍の下の連中がどうにもならないチンピラばっかりだったらしい。
戦時協定を盾にして、捕虜のクセにステーキやうまいパンを食わせろだの、女を抱かせろだのとワガママの言いたい放題で、また日本サイドもその要請にいちいち応じていたそうだ。
こんな絵も飾ってあった。
日本海海戦で負傷したロジェストヴェンスキーを見舞う東郷元帥。
440チーム・ロシアの親分は皇帝のニコライ2世。
この人、イギリス国王のジョージ5世(エリザベス女王のおジイちゃん)のイトコ。
若い頃、世界旅行に出かけて日本にも立ち寄っている。
日本は国賓待遇でニコライを長崎で迎えた。

450長崎にの稲佐(いなさ)という所に「道永栄(みちながえい)」という女性がいて、当時は皇太子だったニコライ2世の接待をした。
お栄さんは稲佐にあった「ボルガ」というロシア料理店に勤めている時にロシア語を覚え、その後上海やウラジオストクに渡ってひと儲けして帰って来た。
スゴイ人だ。
その資金で「ヴェスナ」というホテルを稲佐に開店し、ニコライをそこに招待した。
お栄さん、下の写真にあるようにこの時代にあってはケタ違いの美人。
ニコライもデレデレになったかどうかは知らんが、みんなで夜中まで飲んで騒いだ後、2人で同じ部屋に入って行ったとか…。
ちなみにお栄さんは、お茶で財をなした「大浦慶」とシーボルトの娘で日本初の女医となった「楠本稲」とともに「長崎三大女傑」の1人にカウントされている。
この「三大」は間違いないでしょう。

465v_2さてこのニコライ、長崎では上野彦馬(あの有名な坂本龍馬の写真を撮った人)に人力車に乗ったところの写真を撮らせたり、当時日本ではヤクザしか入れる風習がなかった刺青(デザインは竜)を周囲の反対を押し切って腕に入れてしまったりと、日本が大のお気に入りだった。
楽しかった長崎を離れ、一行が滋賀の大津に入ると、警護に当たっていた津田三蔵という警察官がニコライ皇太子を切りつけて大怪我を負わせてしまった。
ビビったのは日本政府。
世界の大国の皇太子に大怪我を負わせてしまったのだから、ヘタすると日本は怒り狂ったロシアに滅亡させられてしまうのではないか?
しかし、皇太子は寛大にも勘弁してくれたのね。
コレがつとに有名な「大津事件」というヤツ。
ところがこの事件から13年後、日本とロシアは先に書いた理由で戦争状態に陥ってしまう。
皇帝となっていたニコライは、その時日本人のことを「猿」呼ばわりしていたらしい。
そして、日本との戦いに敗れたことがロシアの帝政を終結させるキッカケのひとつとなる。
この「大津事件」については吉村先生の『ニコライ遭難』をどうぞ。
長崎での数日を若きニコライが大変楽しそうに過ごした様子が生き生きと描かれている。
460bチーム・ジャパンからもひとり触れておく。
東郷平八郎元帥や山本権兵衛海軍大将は頻出なので、軍人ではなくて政府から1人。
小村寿太郎外務大臣。
この人は大変優秀だったらしい。
小村外相はロシアとの開戦前から政府のブレーンとして慎重に交渉を重ね、終戦後は仲良しだったセオドア・ルーズベルトを仲介にして「ポーツマス条約」を締結させた。
0r4a0138ロシアとの交渉というと、江戸時代末期にプチャーチンとガップリ四つに組んだ川路聖謨(かわじとしあきら)といい、この小村寿太郎といい、当事者の皆さんは大変な苦労を強いられた。
下は終戦後にアメリカのポーツマスで開かれた講和条約締結会議の様子。
テーブルの向こう側の左から2人が小村さん。
交渉の相手となったロシアの全権大使はセルゲイ・ウィッテ。480ロシアはバルチック艦隊の到着が遅れて負けちゃったようなもんだから、「何ならリターン・マッチしてみる?」的な態度で交渉に臨む。
一方、武力的にも経済的にも限界ギリギリでナントカうまい具合に勝利で終戦を迎えた日本は、リターン・マッチなどしようものならロシアにかなうワケがないのは痛いほどわかっているので、少しでも有利な条件で講和条約を締結したい。
下は犬山の明治村に展示されている実際に会議で使われたテーブル。

490交渉の結果、日本が朝鮮半島にすることにロシアは干渉しないとか、遼東半島の租借権を日本に譲渡するとか、樺太の南半分を日本に割譲する等の補償を獲得。
ところが賠償金はビタ一文取ることができなかった。
この結果に全く納得しない国民を新聞が煽り立て、気の毒に小村さん、苦労の甲斐なく国民からいいように叩かれて、暴徒化した連中が「日比谷焼き打ち事件」を起こしてしまう。
コレね当然なんですよ。
ナゼかというと、日露戦争の戦費は国家予算の6年分だからして、国民はその分ガッツリ税金を取られているワケ。
それでも日本はこの交渉の結果で大陸進出の足掛かりを作ることができた…けど、それがまた不幸にして太平洋戦争の礎になっちゃった。
だから太平洋戦争は日露戦争から始まったと説く学者さんがいるワケだ。
470bまた吉村先生。
この小村寿太郎の対ウィッテの死闘を描いているのが『ポーツマスの旗』。
夢中になって読んだわ。
「ウラジミールと同じ未来を見ている人」もこういう本を読んで先輩がどんなに立派だったか少しは勉強するといい。495bオマケで…。
コレは早稲田大学にある同大創設者の大隈重信の像。
作者は「朝倉文夫」という世界的に有名な彫刻家。510vそして、下は谷中にある「朝倉彫塑館(さくらちょうそかん)」。
朝倉文夫さんがかつて実際に住んでいた家が美術館になっている。
ココはいいよ~。
各部の意匠にこだわった家自体がもはや芸術品みたいなモノなんだけど、このアトリエには朝倉さんが製作した高さ8mもの小村寿太郎像が展示されている。
圧巻です。
500さて、日露戦争は「極東のマイナーな小国が世界の大国をブッとばしやがった!」ということで世界的に大変なニュースとなった。
この日本の勝利が、列強の圧政に苦しんでいたアジアの国々に与えた影響も大きく、後にインドの首相になる当時16歳だった「ネルー」はこの時にインドの独立に命を懸ける決心をしたというし、中国の民族革命運動家の「孫文」にも多大な影響を与えたという。

Nr

Sb

 

ココで孫文が出てきたところで脱線。
チョット驚いたことがあったもんで…。
下は長崎にある「香港上海銀行」の長崎支店の跡。

530これまた素晴らしい建物なんですよ。
もうこういうの大好きでしてね。

535ココの2階に「孫文」と長崎出身の「梅屋庄吉」に関するアイテムや資料が展示されている。
香港で孫文と知り合いになった梅屋はその革命にかける情熱を知り、経済的な援助を申し出る。
ココでビックリの第1弾は、この梅屋庄吉という人…日本活動写真株式会社の創設者の1人なのよ。
つまり後の「日活」ね。
映画で設けた金で孫文をサポートしたのだそうだ。

540ビックリの第2弾。
日本にも「HSBC」というイギリス資本の銀行があるでしょ?
ロンドンの街中を歩いているとそこら中で見かける。
HSBCの正式名称は「The Hongkong and Shanghai Banking Corporation Limited」という。
つまり、「香港上海銀行」。
知らなかった!
そして最後のビックリが、このHSBC、ナンのために創設された銀行かと言うと…古くは「アヘン戦争」で設けた金をロンダリングするための銀行だったんだって!

550一旦記事を作成したところ、あまりにも脱線量が多かったので、一部をShige Blogへ移転させました。
コチラもゼヒご覧くださいまし!
  ↓   ↓   ↓
【Shige Blog】<スピンオフ>私の横須賀 ~FATE GEARのミュージック・ビデオ撮影現場より

Shigeblog_top_blue_w_l  
さすがに脱線しすぎて疲れてきた。
チョット「三笠」から離れて横須賀の街を歩きますよ。
我々の世代は「横須賀」とくれば…「港のヨーコ」から「♪これっきりこれっきり」。
ロック好きにはもうひとつ…TENSAWというバンドの「ドブイタSt.」という曲。
「♪ドブイタに行ったらサ ヤツに伝えて」…日本のロックをほとんど聴かなかった私は全然詳しくないんだけど、それでもこの曲は知ってる。
横浜出身で私よりは横須賀についての知識を持ち合わせている家内は「ガラが悪いから」と「どぶ板通り」を歩くことを少々イヤがっていたが、折角だからこの曲を口ずさみながら繰り出してみた。

560ああ?
ココでいいの?
ヤツに伝えようにも、ほとんど誰もいないんですけど…。
ガラガラのスッカスカ。
それでもひと通り歩いてみた。

570_2おお、とてもいい感じの金物屋さん!580どう見ても家具屋には見えないが、ココもいい感じ。
6時ぐらいでお婆さんがひとりで店じまいをしていた。590さすが基地の街。
上野の「中田商会」みたいな軍払い下げのアイテムを販売する店があった。600やっぱコレか!
私は人生で一度も買ったことも着たこともないけど、一部ではとても根強い人気があるようですな。
となると調べたくなるわナァ、「スカジャン事始め」について。
で、調べてコレまたビックリ!
戦後まだ間もない頃の話。
日本に駐留していたアメリカ軍兵士が記念品として、トラだのワシだの、ジャケットに自分が所属している部隊のトレードマークを東洋風にアレンジして刺繍させたのが始まりなんだって。
そんな長い歴史があったのかよ!
てっきり、70年代あたりに暴走族が始めたモノかと思っていたゼ。610ココじゃ子供も犬もスカジャンだよ。
名古屋の大須にもこういう店があったな。620vドワッ!
駅前のショッピングセンターにもこんな立派なスカジャン専門店が入ってる!630夕ごはん。
麦飯じゃないよ。
横須賀なのでハンバーガーを頂くことに。
家内がウェブサイトで調べて「Honey Bee」という人気店に入ってみることにした。640家内はコレ。
スタンダードなハンバーガー。
ハンバーグがメチャクチャおいしかった。

650私はナゼかタコスが食べたかったのでコレ。
ハンバーガーにしておけばヨカッタ。
このお店、結構大きいのに店員さんが1人しかいなくて、調理からお運びまで全部その人がやっていた。
オマケに入店時の体温チェックまでその人がやっているもんだから、手が回らなくて外に長い行列ができていた。
店内はガラガラだったのに…。660さて、いよいよビデオ撮影の朝。
7時前に三笠に集合!670みんなに協力して頂いてMarshallとNATALを船首の甲板に運び込んだ。

680どうよ、「戦艦とMarshall」。
「戦艦マーチ」でも歌いたくなるんじゃん?

700vどうよ、「海のMarshall」。
こんなホイストと一緒にすると、何となくビーチボーイズの「Sloop John B」を歌いたくなっちゃうじゃん?

690イヤイヤ、冗談じゃない!
とても鼻歌なんか歌っていられん。
猛烈に寒いのだ!
しかも、雨がポツリポツリと降ってきやがった!710それでも飛行スタート!720Mina隊長

730vYuri

740vHaruka

750vに加えて…
 
NANA

760vErika

770v…という乗組員のラインナップ。

780曲はアルバムのリード・チューン「Live in blood」。

790v始まったら皆さん、寒さなんて忘れちゃう!800Erikaさまの激烈アクションは暑いぐらいだ!

810vNATALの24"ツーバス・キットで暴れるHarukaちゃん!

820そして隊長のギター・ソロ!

830vやっぱりMarshallがあるとグッと雰囲気が出るね。

840この様子を捉えた写真は「豪華盤」の裏ジャケットに採用されている。

850それでも寒くてね~。
昨日はあんなに暑いぐらいだったのに!
気の毒に…演奏が終わるたびにお嬢さん方は寒そうに震えてた。9508時になると米軍基地から「アメリカ国家」と「君が代」が流れてくる。
この日も「三笠」は通常通り公開しているので、お客さんが来る9:00までに撮影を終了して機材を撤収しなければならない!
こういうのって大抵押しちゃうでしょ?
ところが、隊長のリードの元、全体の撮影は見事制限時間前にすべてを終了したのだった!

そしてその後は「三笠」の色々な場所を使ってのソロの撮影に入った。855v私の方は手の空いている乗組員さんたちのアー写撮影。
コレがね~、場所探しが結構難しかったの。
それと午後には朝の悪天候がウソみたいでカンカンに晴れちゃった。
温かくなったのはありがたいんだけど、そうなればそうなったで光の都合が出て来ちゃうワケ。
逆光とか、まぶしくて目が開けられない…とかね。

380そんな中で撮った写真で構成したフォトブックがCDの特典でついてくるお店があるのでFATE GEARのウェブサイトをチェックしてみてくだされ。
890そして、通常盤と…

Mina 豪華盤のジャケットをあしらったTシャツの販売されているのでコチラも要チェック。860vHarukaちゃんがデザインしたイラスト。

870v2年前の「The Sky Pirates」の時は蒸し暑くて大変だったけど、今回もなかなか大変な撮影だった。
そういえば、あの時も雨がほんの少し降ったんだっけ。
寒さに負けずギンギンの熱演を見せてくれた5人!
お疲れさまでした!900

920

S41a0232_2

930

940その完成したビデオはコチラ。
曲は「Live in blood」。
お楽しみアレ!


本来であれば、4月の末からドイツを中心としたヨーロッパ・ツアーに行く予定だったFATE GEAR。
残念ながらコロナとウクライナ危機のせいで延期を余儀なくされてしまった。
ま、またチャンスはいくらでも来るって!
 
しかし、考えてみるとこれまで何度もFATE GEARのビデオ撮影のお手伝いをさせて来て頂いたナァ。
過去をチェックしてみると… 
★2018年 FATE GEARのニュー・アルバム『7 years ago』
★2018年 Headless Goddess~FATE GEARの新しいMV「Headless Goddes」」
★2020年 FATE GEARのニューアルバム『The Sky Prison』~メイキング・オブ・「The Sky Pirates」」

毎回、とても楽しい撮影だった。
これからもどんな環境の下にあろうと、自分たちの音楽を作り続けていって欲しいと思う。

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FATE GEARの詳しい情報はコチラ⇒FATE GEAR Official Website

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