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2016年4月21日 (木)

ビートルズに勝った男

今日はとっても古い話し。
1962年の出来事から始まる…1962年は昭和37年、寅年。
Marshallが創業した年にして、マーブロのオジちゃんが生まれた年だ。
だから50年以上も時はさかのぼる。

まだご覧になっていない方は、まず下の記事に目を通して頂く必要がある。
【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.22 Jubilee Lineに乗って

この記事の中でで触れている、ロンドンはウエスト・ハムステッドにあった『デッカ・レコードのスタジオについての<続編>』というのが今日の内容だ。

「1962年の元旦にオーディションを受けたビートルズが、あるバンドと競って敗れてしまった。
この時、結果的に判断を誤ったとされるディック・ロウというデッカのプロデューサーは「ビートルズを蹴った男」としてロック史に汚名を残すことになった。」
コレはある程度ロックを聴いている人なら比較的誰でも知っているであろう有名な話だ。
もちろん若い人は除く。最近はビートルズを知らない若い音楽関係者も多いと聞く。
しかし不思議なことに、「ビートルズを破ったバンド」の話はほとんど出て来る機会がない。
もちろん熱心なビートルズ・ファンや60年代前半のロックを好む方ならそのバンドのことをご存知であろう。

80j そのバンドとは、Brian Poole & The Tremeloes(ブライアン・プール&ザ・トレメローズ)という。
デビューは1958年。
Buddy Holly & The Cricketsに影響を受け、1963年にThe Isley Brothersの「Twist and Shout」、The Contoursの「Do You Love Me」、Roy Orbisonの「Candy Man」、Cricketsの「Someone, Someone」等のヒットを飛ばした。
全部カバーである。
このあたりの事情は近い将来掲載する予定の岡井大二さんのインタビューで触れることになるが、当時は「自分たちで曲を書く」という発想がなかったのだそうだ。
日本だけでなく、イギリスでも職業作曲家の作品を演奏するか、アメリカン・ポップスの焼き直しが普通だった。
だ~か~ら~、ビートルズはすごいワケ。すべてを変えてしまった。
今、必死になって大二さんのインタビューの文字起こしに取り組んでるんだけど、もう最高に話が面白い!
真ん中のボーカルがブライアン・プール。
ギターのケーブルは刺さってないわ、ネックが顔にドンがぶりだわで私だったら絶対にNGにするであろう写真。
でも当時のロンドンの音楽シーンを表しているかのようなイキイキとした雰囲気が伝わってくるいい一枚だ。

10実は、デッカ・オーディションの話は知っていたけど、私もこのバンドのことは後年になるまで知らなかった。
ではナゼ、ディック・ロウはビートルズではなく、トレメローズを選んだのか?
ひとつは音楽性。
デッカはビート・バンドを欲しがっていて、トレメローズの演奏の方に一日の長があったらしい。
別項でも触れたようにこの時のビートルズの演奏を聴くと何ら問題ないと思うんだけどね。
反対にトレメローズのCDを買い込んできて聴いてみるに、ん~、ま、確かに何のわだかまりもない溌剌としたストレートな演奏はビート感覚で言えばビートルズに勝っていたのかもしれない。
他人の曲とはいえ「Do You Love Me」でのブライアンのシャウトは問答無用で最高にカッコいいし、とにかく「Someone, Someone」はとびっきりの名曲だ。
もうひとつの理由…それはトレメローズがロンドンのバンドだったから。
今でも電車で行くとかなり時間のかかるリバプールから出て来るバンドより、呼べば聞こえるような距離の西ロンドンのバンドの方がはるかに使い勝手がヨカッタということだ。
emailもLINEもない時代のこと、案外こっちの理由の方が強かったのではないかしらん?

さて、もうひとつ疑問が残りませんかね?
残らない?
アータ、これはMarshallのブログですよ。イギリスのMarshall直営のブログ。
どうして、このバンドがMarshall Blogに出ているかってことですよ。
こうして当時に写真を見る限り、少なくても爆音とディストーションには縁もゆかりもなさそうだ。

20私が翻訳と監修を担当させて頂いた『アンプ大名鑑[Marshall編]』を熱心にご覧になられている方はピンと来たかもしれない。

C_mb そう!Brian Poole and The TremeloesはMarshallのエンドーサーだったのだ。
見て、下の写真!
工場で撮ったMarshallの宣伝用の写真。おそらくカタログ用の写真を撮影した時のことだろう。
1965年の撮影。
まだMarshall社がミルトン・キーンズに移転する前、工場がロンドンの中心からチョット北東にはずれたシルバーデイル・ロードというところにあった頃。
当時ブライアンたちは大スターだったハズだ。
写真のMarshallに目をやると、コフィン・ロゴにシルバー・トップ・ポインター・ノブ。
こんな白いJTM45は見たことないナァ。
イギリスのMarshallの工場にあるミュージアムでも見ることはできないレア・アイテムだ。
キャビネットにアングルが付いたのもこの頃。
以下は上の『アンプ大名鑑』でも触れているが、真ん中に写っている細長いヤツは1983という型番のPA用のスピーカー・キャビネット。
その後ろでメンバー2人が持っているのは、JTM45の後継機種、JTM50のPA用。当時の新商品で、いかに当時MarshallがPAアンプに力を注いでいたのかが窺い知れる。コレのギター用ヘッドが後に発展して1987になる。
その後ろにホンの少し見えているのは、1962 Bluesbreakerだそうだ。現在のデザインではなく、「Series I」と呼ばれるオリジナル・バージョン。
そして一番右…やたらと奥行きがあるでしょう?おかしいよね?
ピートの考案による8x12"キャビネットではないか?と言われている。
ちなみに!
この写真を掲載している原書の『THE HISTORY OF Marshall  THE FIRST FIFTY YEARS』はバンドの表記に誤謬があって「Brian Poole and The Tremoloes」になっとる。
安心してください!(←コレももはや古いか!)
日本語版は私がちゃんと直しておきました!
正しくはBrian Poole and The Tremeloesですから。

30cごく初期のMarshallのカタログ。
「Go over big」というのは「大当たりする」という意味。
「ブライアン・プールとトレメローズのようにMarshallでひと山当てよう!」ということになる。
ヤケに生々しいキャッチ・コピーではあるまいか?
それだけものスゴイ勢いでロックが市民の間に浸透していった時期だったのだろう。何せビートルズをもってしてイギリスがアメリカを征服した直後だったのだから。
でも、こういう宣伝惹句は、昔は日本のエレキ・ギターの雑誌広告なんかでもよく見かけたな。

50vc写真にある通り、この頃にはアングルドのキャビネット、すなわち「Aキャビ」が存在していた。
世界のロック・ステージに必要不可欠のスピーカー・キャビネットのスタンダード、1960Aにまつわる話は枚挙にいとまがない。
このアングルは偶然の産物というか、Jimの美的感覚から生まれたデザインであることもMarshallファンであればきっとご存知であろう。
この当時、Jimは「どうしてキャビネットにアングルが付いているのか?」という質問をあるギタリストから受け、「イヤ~、横から見るとカッコ悪いんで上のほうチョン切っっちゃったんだよ、フォッ、フォッ、フォッ」と答えるのもどうかと考え、咄嗟に「イヤ~、ああしてキャビネットに角度を付けるとスピーカー2つが上向くだろ?そうするとギターの音が遠くまで飛ぶんだよ、フォッ、フォッ、フォッ」と答えた。
しかし、本当に音が遠くまで飛ぶかどうかを実際には確認していなかった。
そこで、バンドのリハーサルが始まると、Jimは脱兎のごとくホールの最後列まで走って行き、果たしてギターの音が後ろまでそこまで飛んで来るかどうかを確かめた。
結果は上々。
ギターの音はホールの最後列にいたJimの耳にまんまと鋭く突き刺さった!
「フォッ、フォッ、フォッ、わしの思った通りじゃ」…ウソこけ!
ナニはともあれ、アングルの効果がバッチリ確認できたこの最強のロック・アイコンは、その姿を50年以上にわたって保ち続けている。
コレってスゴイことだと思う。
そして、その効果を検証した現場こそBrian Poole and The Tremeloesのコンサート会場で、アングルについて尋ねたのがギタリストのRicky Westwoodだったのだ。
しっかし、Jim若いな~!

40cそれからおよそ40年後の姿がコレ。
右端がブライアン。
一番左はJimの大親友だったギタリストのBert Weedon。
Eric Clapton, Brian May, Jimmy Page, Paul McCartney, George Harrison, John Lennon, Dave Davies, Keith Richards, Pete Townshend, Tony Iommi…みんなみんなBertが書いた『Play in a Day』という「あなたも一日でギターが弾ける!」的な教則本を読んでギターの練習に励んだ。
日本で言うと故成毛滋のカセット・テープと赤い教本のようなものだ。
で、あるビデオでMark KnopflerがBertの本を手にして、著者本人に面と向かって「This is a lie!」と言っていたのには笑った。
もちろん大先輩への敬愛の念を込めたギャグだ。

60Iron MaidenのNicko McBrainと。
昨日国技館だったんだってね、Maiden。
80
コレはMarshallの創立40周年記念のパーティで。
ブレッチリーのWilton Hallというところ。私もこの場にいた。
この時知っていたらブライアンに挨拶できたのにな…。まだMarshall Blogもやってなかったけど。
2枚上の写真とメンバーがほとんど同じ…仲よしさんだね~。
後ろにNickoが写ってる。
ちなみにBertはJimが亡くなった2週間後に後を追うようにこの世を去った。
フランクフルトでよくご一緒させて頂いたが、いつもニコニコしている好々爺だった。向こうの老人はたいていニコニコしている。
奥さんがまたとても気さくな方で、目が合うとよくウインクをしてくれた。そういう仕草がゼンゼン不自然でなくてカッコいいんだよね。
Bertの家の前も何度も通りかかったことがあるが、あの奥さんは元気にしていらっしゃるだろうか。

70Jimの86歳の誕生パーティで。

90このようにブライアンはとてもJimやMarshallとの関係が深く、2013年4月、Jimが最初のドラム・ショップを開いたUxbridge(アクスブリッジ)にMarshallのプラークが設置された時、序幕式を執り行ったのもブライアンだった。
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132013apriljimmarshallsplaque2300_2 そして、ナントこの時の様子を収めた動画を発見してしまった!
2:20あたりをご覧あれ!

今年75歳になる当のブライアンはすこぶるお元気で、「The Sold Silver 60's Show」という懐メロ系のイベントを中心に音楽活動を続けている。

100実はEllery社長ご夫妻とも大の仲良し。
左はJonの奥さん、すなわちMarshall社長夫人のEllie。
私が最初にMarshallへ行った時からEllieにはお世話になりっぱなしだ。

110ブライアンがMarshallの工場があるMilton Keynesにお住まいのことから、ジョンたちとしょっちゅう行き来をしているとのことだ。

120今回この記事を編むにあたってJonから紹介してもらい、何度か直接ブライアンとメールで連絡を取らせて頂いたが、とても感じのいい方だった。
できれば次回工場に行ったときにお礼かたがたお会いしたいものだ。

ブライアン・プールの詳しい情報は⇒The Official Brian Poole Website

130Thank you very much for your cooperation, Mr.Poole and Jon!