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2019年1月10日 (木)

HFOとMarshallとNATALと~私の川越

 
川越へ行ってきた。
どうだろう…20年近く前に1回だけ行ったことがあるぐらいかな?
その時は昔の街並みなんてモノにまったく興味がなかったので、用を足してすぐ帰ってきちゃったけど、今回はその反対?
古い街並みを見に行くために仕事を探した…みたいな。
 
さて、「川越街道」なんてのをよく耳にするので、川越というのは宿場町かと思っていた。
そうではなくて、中山道の最初の宿場である「板橋」で分岐して川越に至るのが川越街道で、城下町なんですな。
ちなみに東海道の品川、中山道の板橋、日光&水戸街道の千住、甲州街道の内藤新宿(今の新宿)等、主要街道の最初の4つの宿場を「四宿(ししゅく)」と言うが、それぞれに女郎屋があって、江戸時代大変に栄えた。
その四宿の中で板橋は最もガラが悪く、博打、盗賊は当然、朝から晩までケンカが絶えなかったらしい。
ちなみに三遊亭圓生の演目に「四宿の屁」なんて話がありますな。
この辺りはまた別のところで詳しくやりましょう。
今日は川越。
「仕事の部」も含めて、盛りだくさんですごく楽しい秋の1日になった。

10日曜日だったので町中の駐車場が混雑するであろうことを予想して、チョット外れの駐車場に車を入れる。
駐車場の隣が川越城本丸御殿。
川越城は室町時代にこの地方を治めていた上杉氏の家臣の太田道真と道灌の親子の指揮によって1457年に建てられた。
太田道灌といえば、「江戸城を造った人」じゃんね。
「江戸城って誰が造ったか知ってる?」
「太田道灌だろ?」
「ブ~、大工さんでした!」
って昔やらなかった?
コレ、いまだにやっている人がいるからね?
「ごはん食べた?」
「イヤ、食べてない。パンなら食べた」ってヤツ。
これ以上は書かない。
現存しているこの本丸御殿は江戸時代に再建されたものだけど、その江戸時代のオリジナルが残っているのは全国でこの川越城と高知城の2つだけなんだって。20_2有料でも中に入る。100円で安い。
フーム、コレが本丸御殿か…。
普通「お城」というと、姫路城とか、名古屋城みたいなバカでかい建造物を想像しがちだけど、実際にはこうした普通の建物っぽい「平城」がほとんどだったらしい。
エヘン!…ウチの祖先をさかのぼると、里見家の関係の群馬の太田の殿様だということがわかったんだけど、やっぱり城は平屋建ての「平城」だったらしい。
跡形はまったくないけど、一国一城の主だったんだぜ。
ちゃんと地名や交差点にその名を残しているんよ。

30ワビサビか…質素だな。
川越は江戸近郊の要所で、ココに徳川家康、秀忠、家光が何度も泊まったらしい。

40_2釘隠しもこの通り。

50廊下も派手さがゼンゼンなくて落ち着いている。
ハイ、それでは折角ですので、同じ本丸御殿でも400年前の姿を忠実に再現して昨年から公開している名古屋城の本丸御殿を見てみましょうか?

60ザっとこんな感じ?
やはり家光が泊まりに見えたという。
ナ~ニ、川越城と少し違って見えるのは気のせいだよ。

70釘隠しもホラ、大して変わらない。

80廊下だって変わらない。チョット金ピカな気がするだけだよ。
どっちに住みたいか?と言われたらアタシャ川越スタイルの方でいいわ。
古さで言ったら今の住まいと大差ない。そっちの方が落ち着くわ。

90「郭町(くるわまち)」とあるけど、昔は遊郭でもあったのかな?
それとも城壁の関係か?

100こんなノスタルジックなバスが走ってる。
でも、私が本当に小さい頃はこういう形のバスがまだ普通に走っていたよ、前が出っ張ってるヤツ。

110川越城のお堀の跡。
江戸時代(1639年)に川越藩主となった松平信綱が大拡張工事を実施し、城の規模は約2倍となった。
その時、防御を目的に造られたのがこの中ノ門堀。
よく埋めて宅地にしなかったね~。
大戦中、ゼロ戦のエンジンを作っていた中島飛行機のパーツの製造拠点があったために猛烈な空襲を受けた熊谷とは異なり、川越はほとんど被害がなかった。
だからこうした土木的な史跡が残されたんじゃないかしら?
もし周囲が焼け野原になっていたら絶対に埋め戻されていたことでしょう。
120市役所の前に立っている太田道灌の像。
メッチャなで肩。
これじゃギター提げられんぞ。

130vその向かいにあったのがコレ。
そば屋になってるんだけど、見事な銅板!

140vコレはスゴイよ。
こんな木造3階の銅板建築なんてほとんど見たことない。150この意匠がいいね~。
こういうのはコリント式支柱っていうのかな?
出来た時は赤銅色でさぞかし立派だったことだろう。

160側面にも惜しみなく銅板が張り巡らされている。
元々はつり具屋さんだったんだね。

170街の中心に向かって歩く。
ん~、いい雰囲気。

180_2こういう路地はいいですよ。
まるでコッツウォルズのようだ。
だいぶ違うか?

190「札の辻」という交差点。
「札の辻」というのは、高札が掲げられた場所のこと。
だからこの地名はどこにでもある。
高札というのは、よく時代劇でやってるでしょ?
例えば黒澤明の『隠し砦の三悪人』。
「告 次の者を生きて捕らえた者には金三枚をつかわす」みたいな…。
要するに街の掲示板ですな。
今で言えばfacebookか?
昔は、農民をはじめ一般の人は字が読めなかったので、お坊さんや侍に読んでもらった。

200_3エ?スカラ座?!

210_2ウワ~、こういうモノには猛烈に郷愁をそそられるな~。
昔はこうやって、普通の住宅街の中に平気で映画館があったんだよ。
しかも「スカラ座」だもんな~。

0r4a0422 これがミラノのスカラ座。

235中はこんな感じらしい。
ま、川越のスカラ座も大差ないだろう。

236『武蔵野』という作品がかかっていた。
国木田独歩の『武蔵野』から引いた、武蔵野に残る循環農業に関するドキュメンタリー映画らしい。
循環農業というのは葉っぱが落ちて堆肥になり、それがまた草木を育てて、育った草木が落葉してまた堆肥になる。
要するに自然の摂理に従った農法のこと。
作品のキャッチコピーは「どんなに時代が変わっても変えてはならないものがある」…全く同感だね。
私の場合は「ロック」かな?

240v監督が舞台挨拶に来るそうだ。
でもチョット観てみたいな。
私なんか『ボヘラ』よりよっぽど感動しちゃうかも!

250ココにも映画館を発見。
こっちは廃業して取り壊すことになっているみたいだったけど。

255スゲエ行列!
ナニかと思ったら、「おさつチップ」とかいうサツマイモのスナック屋さんだった。

260_2「蔵の町」っぽくなって来たヨ。

280_2スターバックスもこの通り。

270_2いいね~、こういう感じ。

290川越市の教育委員会が「伝統的建造物」にしているよ。
こういうのはイギリスの「Grade」みたいに保存の規定などあるのだろうか?

300よくポスターで見かける「時の鐘」。

310_2蔵がゾロゾロ出て来た!

0r4a0451どれも手を入れてあってオリジナルのままではないことは先刻承知。
そんなことはどうでもいいの。
こういう雰囲気が好きなのだ。

335順路不同で写真を上げますよ。

340vこの屋根!
相当な重量だろうにナァ。

350どれも立派な蔵だ。

360空襲がなければ、日本にはこういう町並みがたくさん残っていたハズなのだ。
ゼンゼン「♪カ~モン、ベイビー」じゃない。

370私的にはこの家が優勝かな?

380この雨どいの支えは古いモノなんだろうか?
カッコよくね?

390コレは立派ですよ。

400西洋勢も負けていないよ。
埼玉最初の不銀行、元第八十五銀行本店。現りそな銀行川越支店。
大正7年の建造だそうだ。
ナンバー銀行についてはいつかやったね…『私のお伊勢さま』の時だ。

405こっちも元銀行の建物で現在は川越商工会議所になっている。

410昭和2年の建造。
こういう意匠はやっぱりカッコいい。

420v蔵に混ざってこのいでたち。
470コレも見事。

430v入り口のガラス装飾が目を惹く。

440この辺りの看板建築もなかなかに素晴らしいよ。

450昭和20年代中半から30年代前半の建築ってとこか?

455イヤ、もっと古いのかな?

460この新旧のコントラストも素晴らしい!

480v川越の「うまいもの」はお芋と鰻だとか…。

490奮発してタマには鰻でも…と思ったけど、どこもスゴイ行列だよ!
結局、トンカツを食べたわ。
去年はガマンして数回しかお店のトンカツを食べなっかったせいもあって殺人的に美味しかった。

500vまぁね、蔵の町も洋館もスゴイんだけど、何が一番スゴイって…

510この人出だわ!

520どこもかしこもスゴイのなんのって!
しかもこの一番人気の目抜き通りにはガンガン車が走ってるもんだから、歩道は観光客でパンパン!
日祭日は歩行者天国にできないもんかしらん…もう行かないと思うけど。

540トドメはココ。
「お菓子横丁」とかいうエリア。
お菓子屋さんや駄菓子屋が並んでいるらしんだけど、これじゃ何も見れないって!

550「お菓子横丁」どころか、コリャまるで年末の「アメ屋横丁」だわ!
あ、アメはお菓子か…我ながらうまくまとまったな。

560寛政4年に建てられたという大沢さんの家。
1792年だからね、古いよ。

570こっちは寛政元年創業の作り醤油屋、「笛木醤油」さん。
「金笛(きんぶえ)」という銘柄の醤油を作り続けている。

580この醤油がいいんですよ。
90r4a0008_2ナニがいいかというと、ココの醤油は下のカタログにあるような関連商品も含めて化学調味料を全く使っていない。
ウチは「調味料(アミノ酸等)」の入った食品を出来る限り摂らないようにしているのね。
アタマおかしくなっちゃうっていうから。
イギリスやアメリカやドイツでは国家レベルで使用を禁止しているヤツね。
それでも今の世の中、そういう化学薬品を完全に排除することはできないので、家の食事だけはそうするように努めているのです。
おかげでスーパーやコンビニでの食品の買い物が大変困難になりました。
だからこういうお店を見つけるとすごくハッピーな気分になるのです。
チョット名前は出せないけど、先日仕方なくチェーン店の中華料理屋で炒め物の定食を食べた。
もうね、化学調味料の味しかしなかった。
化学調味料をキッパリ断っていると、こういうことがすぐにわかるんだけど、チョット食べ続けてしまうと味覚がマヒしてしまってすぐにわからなくなっちゃう。
コレが化学調味料の恐ろしいところ…ってことがわかった。

90r4a0007さて、夕方になってきたので、仕事モードに入らねば…。
でもその前に…。
この川越市立美術館に入ってみた。

590するとこんなイベントをやっていた。
「Still Life」なんていうので、チョット観てみることにした。

600v「Still Life」はPat Methenyじゃんね。

12sl 金沢健一さんと浦裕幸さんによる「演奏会」ということなんだけど…コレが楽器らしい。

610お、始まった。
1曲目は「共振域-Untitled Original 20181125」。

620演奏中。

630コレね、テーブルにヴァイブレーターが付いていて、天板に振動を与えているのね。
そこへ針金だのワイングラスだの、色んなモノを乗っける。

640vすると乗せられたモノが振動してノイズを出すワケ。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジとか…。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザとか…。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガとか…。

650それを鑑賞するワケ…ナンでじゃい!
「ミュージック・コンクレート」ってヤツ?
要するにジョン・ケージみたいなの。
私はフリー・ジャズまでは聴くようになったけど、こういうのはサスガにナァ。
席に座りながら少しだけ休ませて頂きました。

660美術館に入ったのはコレが観たかったの。
「大正イマジュリィ」ってヤツ。

670「イマジュリ」というのはフランス語で「イメージ画像」という意味だそう。
印刷の技術が発達した大正時代は。美術が一般の民衆にみ身近となり、こうした様々なデザイン文化が栄えた。
アールヌーヴォーの橋口五葉、アールデコの杉浦非水とかいうデザイナーの挿絵、ポスター、広告、本の装丁などが展示されていた。
竹久夢二なんかもそうだね。
どれもこれもシャレていてね~。
オシャレなだけじゃなくて、デザインが上品で可憐なんだな~。

0r4a0002展示は一切撮影禁止だし、図録は貧弱な上に高価だったので買ってこなかったが見応えは十分だった。
映画の広告なんかも飾ってあったんだけど、スゴイのがあったな…メモしてきた。
『娘十八運動狂』、『三悪人の特徴に就いて』、『ペンキ塗りたて』の3本立て。
調べてみると、『娘十八運動狂』というのは1926年(大正15年=昭和元年)のアメリカ映画で、どうも「娘十八」というシリーズになっていたようだ。
「浅草水族館」の広告なんてのもあったな。
今の「木馬亭」の隣だったらしんだけど、その水族館の2階が有名な榎本健一の「カジノ・フォーリー」の本拠地だった…この辺りのことはまた勉強しておきます。
イヤ、エノケンに関する相倉久人さんの記述を最近読んだもので…。

0r4a0004以上で「私の川越」は終わり。
ココからがMarshallのお仕事で春日部へ移動したのです。
「草加越谷、千住の先よ オレんち春日部 もっと先」なんて歌がありましたな。
川越からもエラく遠かった。
春日部には家内の友達が住んでいて、大学時代に一度だけ来たことがあった。
39年前か?…しんちゃんが引っ越してくるズッと前のことだ。
向かった先はこの公民館。
講堂にかなりシッカリしたPAスピーカーが備え付けられている。

680リハーサルをしているのはあのHELL FREEZES OVER(以下「HFO」)。

690TREBLE "GAINER" AIDYSHO

700vRYOTO

710vHIROTOMO

720vTAKUYA MASHIKO

730vTom Leaper

740vアクションを交えた本番さながらのリハーサル。

840もちろんギター・チームは愛用のMarshall持ち込みだ。

750RYOTOくんの1959と1935キャビ。
760vHIROTOMOくんもヘッドを2台持ち込んだ。

770こっちは1959とJMP時代の2203か。
キャビネットはJCM800の1960B。
2人ともBキャビというところが泣かせるな。

780vそして、Tomくんが叩いているドラム・キットはNATAL。

7908"、10"、12"のトリプル・タム。
NATALのトリプルタム・キットは日本初。
今ならまだ「日本初の〇〇のNATAL」が狙いやすいぞ!

810Tomくんはコレで「日本で初めてトリプル・タムのNATALを使ったドラマー」として、NATAL史に永遠にその名前が残る。
もちろん本国イギリスにもこの情報が伝わっている。
そういうことなのよ!
「鶏口となるも牛後となるなかれ」って言ってね。
もっとも、またドラム・キットが変わりそうだけど…。

830NATALの音をひとつひとつ確かめるようにして叩くTomくん。
そう、今日はNATALのドラム・キットがHFOのバンド・サウンドにマッチするかどうかをタップリと時間をかけて実験するリハーサルなのだ。

800vさっそくギンギンに騒ぎまくるHFO!

850vアータ、Marshallがやってるドラムスですよ!
NATALがこういうサウンドに合わないワケがない。
880もちろんメンバーもそんなことは先刻わかりきっているんだけど、一応ね。
結果は超バッチリなのはこの写真を見ればわかる。

860休憩時間にTAKUYAくんが弾いたフレーズには驚いたよ。
あんまり突飛すぎてすぐにわからなかったんだけど、Mike Oldfieldの「Tubluar Bells」のベースのソロ・メロディ!

870v着ているモノのガラだって、David BowieにQueenに新しいところでJudas Priestだもん。
この公民館の出で立ちも相まって、タイムマシンで70年代に戻ったような感覚になったよ。

890以前レポートした通り、彼はらLOUDNESSに混ざって出演したRED BULLのイベントでも耳の肥えたお客さんから大絶賛された。
サビのメロディが「アレ」じゃないからね、ベテランのリスナーはよろこぶよ。
そういうトラディショナルにすぎるぐらいのハードロックあるいはヘヴィメタルなんだけど、5人がひとつの目標に向かって一丸となっているように見えるところがすごくいいんだよね。
昔のロック・バンドってのはみんなこんな感じだったハズ。
誰が何と言おうとオレたちはコレをやるんだ!…という気迫が伝わってくる。
でも決して態度が悪いワケではない
今の世の中、いくら筋金入りのロックンローラーだって先輩や周囲の人から可愛がられなきゃ損だよ。
もうロックはそういう音楽ではなくなってしまったんだから。
学校では正式なクラブ活動なんだぜ!
 
それと…。
RYOTOくんなんかと話をしていると、出て来る出て来る、70年代のハードロック・バンドの名前が!
やっぱり音楽を演奏するうえでで何よりもまず重要なのは、楽器を弾く技術ではなくて「インプット」だということを実感するね。
とにかく色んな音楽を聴く…ですよ。
それと、簡単に止めちゃわないこと!
「サポート」とか言って色んなバンドをやったりせずに、息の長い活動を展開して欲しいと思います、オジちゃんは。

900ファースト・ミニ・アルバム『SPEED METAL ASSAULT』絶賛発売中。
生粋のMarshallサウンドにオーバーウェルムされてください。

910cd 

200 
(一部敬称略)

2018年12月26日 (水)

私のフランクフルト <vol.5:スピンオフ~後編>

 
「スピンオフ」…つまり「番外編」だからネェ、展示してあったポスターをツラっと並べて、「ああ、思い出、思い出」で簡単に終わらせようと思ったんだけど、そうはいかなかった。
書き出すとダメなんよ。止まらなくなっちゃって…。
どうでもいいことばかりなんだけどね~。書き出すと色々なことが目に付いて気になり出しちゃう。
それで内容が膨らみ過ぎて図らずして2本立てになっちゃった。
ま、平成最後の大脱線&ウンチク大作ということで…。
<後編>いきます!

折角のブーム到来を記念して<後編>はQueenから始めるか。
今日も人名とバンド名の固有名詞は全て原語で書き記します。
 
PLフィルターを持っていなかったので場内の照明やら非常灯が盛大に写り込んでおりますが…。
1980年のドイツ公演時のポスター。
Queenは1980年に2枚のアルバムを発表している。
『The Game』とサウンドトラック盤の『Flash Gordon』で、その関係でFreddie Mercuryは「FLASH」のロゴTシャツを着ているのだろう。
しかし…ナンでこんな写真を使うかね~。
Brian Mayのギターは暖炉のヤツじゃないし、そもそも写真自体がカッコ悪い。Freddieも力いっぱいドラムスのライザーから飛び降りているせいか思いっきり変な顔になってる。
今回もこの後、普段見慣れているアーティストのイメージとはかけ離れたビジュアルを採用しているポスターがゾロゾロ出て来るが、バンド・メンバーが載っているとはいえ、コレもそんな1枚と言えるでしょうな。

440別の記事に書いたように、私はQueenに関しては中学生だった頃からアンチだった。
今でも決してファンではないけれど、避ける必要もなく、アルバムはほとんど持っているし、タマにベスト盤を聴いたりするようになっていた。
ところが!
最近のあの「ボヘラ熱」のおかげで、「ガリレオ」にすらウンザリして来たぞ。
でも、折角だからQueenで思いっきり脱線しよう。(「ボヘラ熱」なんて言うと、ホントにありそうな疫病の名前みたいだ)
アルバム『The Game』からのヒット曲といえば「Crazy Little Thing Called Love」でしょう?
それと「Another One Bites the Dust」。
映画『ボヘラ』でもディーコン・ジョンがメンバーの前であのベース・リフを誇らしげに披露して盛り上がっていた。
この「Another One~」をシングル・カットするように勧めたのはアメリカ・ツアーのLA公演を観に来ていたマイコーなんだってね。
なんかマイコーの気持ちがすごくわかるような気がするな。「フォウ!」って。
で、Queenのアルバムのジャケットには「No Synthesizers!」という断り書きが入っていたのだが、とうとう使っちゃったんだね~。
『The Game』からこの「No Synthesizers!」の断り書きが消えたのだそうだ。
下は実際の『A Night at the Opera』のジャケットの内側にあるクレジット。
健気だな~、Queenは!ね、チャンと「No Synthesizers!」って記してある。
ナンカQueenが好きになってきた。
アータ、シンセサイザーがナニよ!
チョットFreddie、今のバンドさんたちを見てこらんよ!
桜じゃあるまいし「同期」とか言って、ステージに弾き手が居ないのにもかかわらず、ピアノやアコギの音が聴こえて来るんだぜ!
「♪ママ~!」じゃ済まされませんよ。
ま、アナクロニズムと思わば思え。私はロックが本当にロックだった時代の美徳と魅力を忘れないようにしているだけなのだ。
ところで、このアルバム、「TRIDENT AUDIO PRODUCTIONS LTD」のロゴが入っている割にはTrident Studioを使ってないのね?
Trident Studioは『名所めぐり』でやったのでコチラをご覧あれ。
↓ ↓ ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】 ソーホー周辺 その2

9naoクレジットの「Recorded at」のところにある「Sarm」というのは、アンティークのマーケットが開かれることでその名前がよく知られているポートベロー・マーケットにほど近いラドブローク・グローヴというところにあるレコーディング・スタジオ。
下がその「Sarm West Studios」。「♪ママ~」もココで録音された。元は教会だった建物。
だからあの映画でRogerが「ガリレオって誰?」ってのもココでやったことになる。
私はそれよりも~…Jethro Tullの『Aqualung』やLed Zeppelinの『Four Stickers(「IV」のこと)』がココで録音されたということを知っていて、訪れた時はチョット感動したよね。
Queenは「We Are the Champions」を含む『News of the World』をこのスタジオで録音した。

9img_0472「Roundhouse」はコレ。
元々は列車の円形操車場だったカムデン・タウンに近いチョーク・ファームにあるホール。
ココを借り切ってレコーディングしたんだね。
この2つはいつか『名所めぐり』で詳しくやるつもり。

9img_1615チョット話は戻って…。
『The Game』なんだけど、前にも書いたけど、当時一部の連中は「メンコ」って呼んでたな。
メンコにもいろいろと種類があって、「丸メン」、「蝋メン」、そして『The Game』みたいにピカピカ光っているヤツを「銀メン」と呼んでいた。
あ、そんなことはどうでもいい。
このアルバムのヒット曲「Another One Bites the Dust」ね。
「もうひとりが砂を噛む」…どういう意味なのかズッと謎に思っていた。
すごくよく覚えているんだけど、あるアコギ・メーカーの仕事でサンディエゴに行った時のこと。
この曲がカーラジオから流れて来て、現地の人がそれに合わせて歌っていたので、そのタイトルの意味を教えてくれと頼んだ。
「ブッ倒れる」という意味であることはわかったんだけど、どうして砂を噛むのかがわからなかった。
その人の説明によると、「倒れると地面に顔がくっつくだろ?その時に砂を噛んじゃうんだよ」みたいなことを言っていた。
そして、フランクフルト。
このシリーズのどこかで書いたと思うんだけど、私はFrankfurt Musik MesseのMarshallのブースに常駐して雑用を手伝う傍ら、ネイティブしか使わないナマのイギリス英語を色々と教わるのを常にしていた。
教わったことを私が首から下げたメモ帳に熱心に書き記しているのを見ているウチに、みんなもそれを面白がって色々と積極的に教えてくれるようになった。
残念ながらナニを教わったのかはほとんど覚えていないんだけどね…。
それでも印象に残って頭に刻み込まれた表現がいくつかあって、そのひとつが「shit faced」という表現。
コレはアメリカでも言うのかな?
下品ですが、「shit」といえば「お小水」のこと…イヤ、本当は「ションベン」という意味でしょ?
すると「shit faced」は「ションベンの顔をした」という意味の形容詞になる。「ションベンづら」というヤツ…失敬。
どういう意味かというと、「ベロンベロンに酔っ払っている」という意味。
ナゼそういう意味になるんだろう?
教えてくれたヤツの説明によると、「ベロンベロンに酔っ払って倒れるだろ?それでオシッコまみれになっちゃうんだよ」って「Another one bites the dust」と同じじゃん!
「shit」がいいか、「dust」がいいか、それはアナタ次第です。
いずれにしても私はこうやって英語の勉強をしてきました。
ちなみに「bite the dust」は「死ぬ」という意味もあるからね。
 
ところで私は今、上機嫌であ~る。
それはまたまたロンドンのロック名所をいくつか発見したからであ~る。
またそれらを訪れるのが楽しみなのだ。
Queenおわり。

Tgコレと来たら一体ナンだ?
どうしてコレがThe Whoなのでしょうか?
1976年2月のミュンヘンのショウ。
例によってスペシャル・ゲストという名の前座はSteve Gibbons Band。
Steve Gibbonsは60年代から現在まで活動しているバーミンガム出身のシンガーソングライター。Jeff Lynneがいなくなった後のThe Idle Raceに在籍していた。
この1976年頃はThe Whoの元のマネージャーが面倒をみていた関係で、Steve Gibbons BandはThe Whoと行動を共にさせてもらっていたようだ。
キャリアを見るとスゴイよ、アメリカにも行っていてLittle Feat, Lynyrd Skynyrd, Electric Light Orchestra, The J. Geils Band, Rufus, Nils Lofgrenなんかと同じステージに立っていたっていうんだから。
そういえばニルス・ロフグレンなんてどうしてるのかね?
The Whoはこのポスターのコンサートの4ヶ月前に『The Who by Numbers』を発表しているので、そのレコ発公演ということになろうか?

380vThe Whoがこの時期に何回ヨーロッパ・ツアーをしたのかはわからないが、この1976年の後、Pete Townshendは家族と一緒に時を過ごした。
その頃、ビートルズやThe Rolling Stonesの元マネージャーのAllen Kleinが自分の曲の権利を買っていたことを発見。
当然モメたが、何とか問題は解決。でもまたいつKleinの魔の手が伸びるともわからず、Peteは精神的におかしくなっちゃったそうだ。
そんな折、オックスフォード・ストリートの有名なライブハウスSpeakeasyに行ってSex PistolsのメンバーやThe Whoのファンとワイワイ楽しくやっていたが、Peteがヘロヘロだったんろうね。
そこにいた警官にこう咎められた「ダレだ、お前は?」。
このことが『The Who by Numbers』以来3年ぶりにリリースすることになった1978年のアルバム『Who Are You』のタイトル・ソングができたキッカケとなったそうだ。
1977年の9月にはPeteが近い将来はThe Whoがライブ活動をしないことを発表。Roger Daltreyもそれに同意。
Keith Moonの健康状態が思わしくなく、とてもツアーなどできる状態ではなかったのだ。
しかしこの年、1回だけライブを演ったのが12月15日のこと。
場所はもう何回もMarshall Blogに登場しているロンドン、キルバーンのThe Gaumont State Cinema。

180v_2その模様がドキュメンタリーになったのが『The Kids Are Alright』。
字幕にはなっていないが、Jim Marshallのお店のことをPeteがテレビ・インタビューで口にしていることも過去に何度か書いた。
Kaaその『The Kids Are Alright』の撮影のライブのひと月後、The Whoは『Who Are You』の制作に取り掛かるが、keithのドラミングが非常にマズく、RogerとJohnはKeithをクビにするつもりだったらしい。
「Music Must Change」という曲の6/8拍子が叩けなかったというのだ。
その後、『The Kids Are Alright』のために行った撮影がKeithの最後のパフォーマンスとなった。
『Who Are You』のジャケット。
Keithが座っているディレクター・チェアの背もたれには「NOT TO BE TAKEN AWAY」と書いてある。

Way1978年9月7日、『Who Are You』のリリースから20日後、Keithはハイドパーク・コーナーにある下の写真のフラットで32年の生涯を閉じた。
「NOT TO BE TAKEN AWAY(持ち出し禁止)」とイスに書いてあったのに…。
 
最終的に何が言いたかったのかというと、1976年のツアーのThe Whoを観た人は超ラッキーだったな…と。

260v次はJack Bruce。
しかし、ヒドいイメージだよね~。
コレのどこがJack Bruceなんだろうか?しかも、コレってギターだぜ。
<前編>にも書いたけど、こういう催し物の告知ポスターやチラシって、開催の日付は入っているんだけど、案外「年」が入っていないことが多いんだよね。
コレなんかはヒドイことに、日付すら入っていない。
こんなんで告知の役割を果たせるのかね?
でも、いい名前が入ってる。
「Introducing」として、Niemen(ニーメン)が登場しているのだ。
Jack BruceとNiemenって何か関係があったのかな?
Jackファンの方々には申し訳ないのですが、話はNiemenに移らせて頂きます。

330vCzesław Niemenは1960年代から活動するポーランドのシンガーソングライター&キーボーズ奏者。ファースト・ネームは「チェズロー」とか「チェスワフ」と文物には表記されている。
「c」、「j」、「k」、「z」だらけでポーランド人の名前を解読するのは本当に難しい。この人の場合、そもそも「l」に斜め横棒が入った「ł」なんて馴染みのない文字が入ってるもんね。
大文字が「Ł」で小文字が「ł」。
やはり「L」の親戚なんだけど「w(ワ)」って発音するんだって。だから「Czesław 」は「チェスワフ」が正しいのだろう。
この斜めの横棒は「クレスカ」といって、「´」が正しい表記。
「Ć」、「Ń」、「Ś」、「Ź」、「Ł」と5つの文字にだけ付いて発音に変化をもたらすのだそうだ。
チョットごめんね、こんな脱線するつもりじゃなかったんだけど、こういうの好きなもんで…。
このポーランド語っていうのは音だけ聞いていればロシア語にソックリだよね。
ロシア語を少し話すことができるアメリカ人の友人がいて、「英語のネイティブ・スピーカーがロシア語を勉強するのは比較的ラクなんだよ。文法であまり苦労せずに、単語を覚えさえすれば結構イケるんだ」と言っていた。
でも、Ф、Щ、Жとかあのキテレツなキリル文字ってヤツがね~。大黒屋光太夫は、江戸時代、10年のロシアでの抑留生活で読み書きまでマスターして帰って来たんだからスゴイ。
その点、ポーランド語はアルファベットに毛の生えたようなものだからまだとっつき易い感じがある。
そこで!
Effective Language Learning」というウェブサイトの中に「Language Difficulty Ranking(言語の難易度ランキング)」というモノを発見。
調査の対象は英語のネイティブ・スピーカーなので、我々の感覚からはチョットずれるところがあるかも知れないがおもしろい。
習得するまでのおおまかな時間を週で表してその難易度を比較しているんだけど、一番チョロイヤツが23~24週間のコースで、マスターできそうなのは;
デンマーク語、オランダ語、フランス語、イタリア語、ノルウェイ語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、スウェーデン語…だって。
マジかよ。
ま、使っている文字が基本的に同じということからして我々とはスタート地点が大きく違うからね。
言語自体が英語に近く、関連性も高いのだそうだ。そもそも英語はこういう外国の単語をたくさん吸収してできているので、我々に比べれば語彙で苦労することが少なく、ある程度勘で喋ることもできるだろう。
次が30週間で、意外にもドイツ語。
それでも「英語に似ている」として難易度を低くとらえている。まぁ、そうでしょう。
その次が36週かかるとして、インドネシア語、マレーシア語、スワヒリ語だって。
英語とは言語体系と文化が違うのだそうだ。見りゃわかる。
そして、同じランクが圧倒的に多いのが44週間コース。
モンゴル語だのタガログ語、シンハラ語、ベンガル語に混ざって、ロシアをはじめとした東ヨーロッパからバルカン方面の国々の言語がズラリとランクされている。
もちろん、ポーランド語も入ってる。
そんなもんなのか。
さて、我が日本語はどうかというと…。
88週間ということで見事、「英語のネイティブ・スピーカーにとってもっとも習得が厄介な言語」のひとつにランクされました~!
「もう例外的にムズカシイ」って言われている。
パチパチパチパチパチ!ざまぁみろ、ネイティブ!
このランクには他に、アラビア系言語、中国語、韓国語が入っているんだけど、その中で日本語はとりわけ「習得がズカシイ言語」になっている。
つまり、英語を母国語、あるい共通語として話している人口が世界で一番多いとすれば、世界一ムズカシイ言語は日本語ということになる。
それを自由に話している我々って…天才?
その天才が何年勉強していても英語で苦労しているってのはどういうことだ?
イヤ、理由は簡単。
日常の生活で英語を使う機会がまったくなく、「必要がない」から習得する努力をしていないだけの話………おいチョット待てよ!英語のネイティブにとって日本語ってシンハラ語よりムズカシイのかよ!
シンハラ語ってコレだぜ!スリランカの言葉。
文字のデザインが丸っこくて実に可愛いらしい。

Sh でもね、文法的に世界で一番ムズカシイ言葉はフィンランド語だという話を聞いたことがある。
時制や目的語に合わせて動詞の格変化が100通りあるとか。
日本語が一番いいわ。
だから「ハンパない」なんて汚い言葉は使っちゃイケません!
 
さて、Niemenさん、お待ちどうさまでした。
Niemenはプログレッシブ・ロックのカテゴリーで紹介される人で、この1970年の『Enigmatic』というアルバムがよく知られている。
でもそんなにプログレっぽくはなくて、むしろNiemenのソウルフルな声を味わう感じ?
チョット驚いたのはこのアルバムにヴァイオリニストのMichael Urbaniakが参加しているんだよね。

9nm2Michael Urbaniak(マイケル・ウルバニアク)に詳しいワケではないんだけど、Larry Coryellと共演した『A Quiet Day in Spring』というアルバムが好きでしてね。
コレの1曲目「 Rue Gregoire Du Tour(リュ・グレゴワ・デュ・トゥワ)」というLarryの曲が究極的に美しい。
コレはパリのどこかの通りの名前なのかな?
今から30年チョット前、香津美さんとLarry Coryellが演奏しているのをラジオで聴いて一発で好きになった。
Urbaniakは他にも何枚かSteepleChaseにストレートアヘッドなジャズのリーダー・アルバムを吹き込んでいるけど、マァ取り立てて書くほどの内容ではないかな。

Mulc_2またNiemenに戻って…コレは1969年の『Czy mnie jeszcze pamiętasz?』…読めない。
コレなんかももうゼンゼンR&Bとかオールド・ポップスという感じでプログレのテイストは全く感じさせない。
でもね…

Anmコレはやり過ぎだろう~!
コチラがオリジナルですよ。
Albert Aylerの1967年のライブ盤『In Greenwich Village』。
こっちはコッテコテのフリー・ジャズね。

AaそんなNiemenなんだけど…。
ナニが起こったのかは知らないが、この1975年の『Niemen Aerolit』というアルバムが非の打ちどころがない最高のプログレなのだ。
カッコいいことこの上なし。
正直、今回コレを書いていて初めて聴いた。
ここ数年、現代&近代クラシックの楽しみを知ってからというもの、あんなに大好きだったプログレッシブ・ロックが全くツマらなくなちゃっていたんだけど、コレにはブッ飛んだ!
「オジさん、チョット教えて…プログレッシブ・ロックってどういうの?」と訊かれたら胸を張ってこのアルバムを推薦してもいいわ。
「Aerolit」というのはバンド名なのか…。

Nmこのアルバムの前、1973年頃までNiemenのバック・バンドを務めていたのがSBB。
SBBは「Serch, Break & Build」の略らしい。まるでゼネコンだな。
ポーランドを代表するプログレッシブ・ロックのトリオ・チームなんだけど、このバンド、ベースレスなんだよね。
夢中になるほど好きなワケじゃないんだけど、気になって何となく買っちゃうんだよね。

9s41a0004このライブ盤なんかはジャケ買いに近いかな。
だって、ギタリストの後ろ…JCM900 4100と1960Aなんだもん。
絶対この人たちいい人たちだよ。
そして、驚いたことに、どういう風の吹き回しかはわからないが、このバンドにはかつてPaul Werticoが在籍していたようだ。
WerticoはPat Metheny Groupのドラマーだった人。何回か観たけど、とてもいいドラマーだった。
 
ポーランドといえば、ショパンの国だもんね…というか、私にとってはクシシュトフ・ペンデレツキの国なんだな。
アウシュビッツも見学したいと思っていて、いつか行ってみたい国のひとつだ。

9s41a0006さて、話はJack Bruceのポスターに戻る。
もう一回出すか。
コレね。
このポスターのデザインは<前編>で紹介したGunther Kieserという人。
上のThe Whoも同様。確かにタッチが同じだ。
330vこの人、売れっ子だったようで、こんなポスターも手掛けている。
1969年のシュトゥットガルトのJimi Hendrix Experience。
ドイツには行ったんだね。
ジミヘンとプレスリーは日本には来なかったもんね。でもビートルズが来ているのはスゴイ。

Jhe_1これもそそう。
『Rough and Ready』の時かね?

Jhe_2The Tubesもあった。
1978年だから『What Do You Want from Live』のレコ発か?
「ハマースミス」の時にも書いたけどThe Tubesだけは観ておけばヨカッタ。
来たんだもん、日本に~!

490vこっちは1977年の初来日公演を観た。
実は、LPもCDもKISSの音源はウチには1枚もない。人生で買ったことがないのだから当然だ。
私が中学2年の時、「Detroit Rock City」が流行していたんだけど、私はちょっとダメだった。
決してキライではなかったんだけど、もっとこう、ヒネッたヤツがいいというか…、ムズカシイ方がいい…というか。
そう、わかり易すぎたんだね。
でもコンサートは違った。
最高にキレイでカッコよかった。
KISSの音楽には何の興味も湧かなかったが、KISSはロック・コンサ―トの楽しさを教えてくれた。
このポスター、「The American Supergroup」なんてドイツ語式のキャッチ・コピーが入っているけど、そんなこと書かなくたって先刻承知でしょう?
1980年ですよ。
この感覚がおもしろい。

510v1985年のオッフェンバッハのGary Moore。
『Run for Cover』のレコ発ライブだったんだろうね。
Gary Mooreの名前を初めて知ったのはCollosseum IIの『War Dance』はリリースされた時だった。
だから1977年ぐらいか。
多分、秋葉原の石丸電気のレコード館店員のお兄さんに教わったんだろうな。
「このギャリー・ムーアってギタリストはスゴイよ」ってんで買って聴いたんだと思う。
確かに昔は「ギャリー・ムーア」って表記をしていた。
でも、イギリスではコレが正しくて、実際にMarshallにGaryという人が2人いるが、私は現地の方式に倣って「ゲェァリー」みたいにして名前を呼んでいる。「ムーア」は「モー」ね。
「ゲェアリー・モー」みたいな感じが正しい発音。
「コリャ、スゴイ!」ってんで『Back in the Street』が出た時は、その日に買いに行ったよね。
その後、私がジャズに偏って行ったこともあって、ゲェアリーがメタル路線になってからは全く聴かなくなっちゃったけど、ブルース路線は結構好きだった。
それで、20年以上ぶりにそのブルース・セットで来日した時、Marshall経由でGaryのスタッフから私に連絡が入った。
Garyの使っている1959の調子が悪いので修理をして欲しい…という。
JCBホール(現Tokyo Come City Hall )までよろこんで取りに行って、修理してもらって、またタクシーで配達した。
お礼にピックもらっちゃって…コレはうれしかったネェ。
しかし驚いたのはGaryのギターの音の大きさよ!
私の人生で一番デカいギターの音だった。Blue Cheerでも復活しない限り、この記録は誰も破れないだろう。
昔、Ted Nugentが「世界一音の大きなコンサート」とか言っていて、武道館で観たけど、あんなのGaryのギターの音量に比べればまさに「蚊のなくような音」だったよ。
役得で本番中にGaryのMarshallの真ん前で音を聴かせてもらったが、もうドラムスの音なんかほとんど聞こえなかった。
それどころか、脳みそがギターの音に共振してしまうのか、ギターの他にもうひとつ音が聞こえてきちゃう。
でも、クランチまで行くか行かないかの音に深めにリバーブをかけたそのサウンドは美しいとしか言いようがない。
言っておきますが、全く市販の1959SLPと同じですからね。
やっぱりいい音を作るのはアンプの改造なんかじゃなくて「指」なんですよ。
次回はハードロックのセットでまた日本に戻ってくる…なんて言われていたが、Garyはほどなくしてスペインで客死してしまった。
私はその7月前、ロンドンでGaryのハードロック・セットを観た。
やっぱり1959を並べていてね、音はデカかった。
その時のレポートはコチラ
Garyが住んでいたブライトンの行きつけの楽器屋ってのにも行ったっけ。
それはコチラ
 
しかし、ツマらないデザインのポスターだね。
これならGunther Kieserさんの妙なイラストの方がいいわ。
Mama's Boysというのは知らなかったけど、アイルランドのバンドだそうだ。Garyのキモ入りだったのかな?
ちなみに「Gary」って一般的なニックネームを「Gaz」っていうのよ。

520vゲェアリーでもうひとつ。
それはアルバム・タイトルの『Run for Cover』。
コレは「安全な場所にサッサと非難する」という意味らしい。
「らしい」いうのは、私が認識していた意味とズレがあったものだから…。
私はこの表現を下のヒッチコックの本で知った。
フランソワ・トリュフォーが尊敬するアルフレッド・ヒッチコックに色んな質問をするインタビュー本だが、何回かヒッチコックが「そういう時は『Run for Cover』じゃよ」みたいなことを言っている…ように記憶している。
何か失敗したり、行き詰ったりしたら必ず「Run for Cover」するべき。つまり「最初に戻って考える」ということを「Run for Cover」と言っていて、「なるほど、そういう意味か…」と覚えてしまったんだネェ。
「Too Close to Comfort」というジャズのスタンダードがあって、こんな箇所が出て来る;

One thing leads to another, too late to run for cover
 She's much too close for comfort now

これだと両方の意味に取れるんだよナァ。
すなわち、「一番最初が一番安全なところ」ということかね?
ヒッチコックで記事を書きたいナァ。でもMarshallは関係ないもんな~。
あ、でもヒッチコックは元々イギリス人なんだけど、確か生家がアールズコートだったような…そうするとFreddie Mercuryの家が近いので縁がある?…あ、QueenはMarshallじゃないんだった!助けてママ~!

Af_2ブースに展示してあるのはホ~ンの一部で、こうしてサムネイルにして自分のところの商品を紹介していた。
こういうのを見るとまずチェックするのは当然Frank Zappa。
この「Chunga」のヤツは欲しいナァ。
Frankie Miller、Genesis、Fleetwood Mac、Free…色んなバンドがイギリスやアメリカから日常的にジャンジャンとドイツに来ていたことがわかる。
こういうのを見ると、やっぱり日本は世界のハズレなんだと感じるナァ。

430v最後にそのFrank Zappaで〆ます。
1980年7月2日のフランクフルト。

9img_1023参加メンバーはこんな感じ。
Steve Vai(下段中央)が若い。
Vinnie(右下)もまだこんなだもん!
え、コレはナニかって?

9s41a0017この80年のツアーのプログラムなの。
もうコレもいつ買ったのかナァ?
やっぱり30年ぐらい前か?

9s41a0007このプログラムの内容が実に親切。
ロック史に残る大名盤『Shiek Yerbouti』のように、Zappaはライブで録音した音源に手を加えてスタジオ・アルバムを作る手法を採ったので、コンサートでは誰も聴いたことがない曲を演奏することが多かった。
そこで、このプログラムには「1980年のワールド・ツアーで演奏する新曲です」と曲のリストとその歌詞を掲載しているんだな。
この時の新曲は、後に『Tinseltown Rebellion』と『You Are What You Is』に収録された作品たち。
いくら歌詞を教えてもらっても、初めて聴く曲たちなので、少なくとも一緒に歌ったりすることは不可能なんだけどね。

9s41a0010プログラムの中はいかにもCal Schenkel風のデザインになっていて、どこから見つけて来たんだか、昭和30年代ぐらいの女性の下着の広告や「バストクリーム」とかいう商品の広告がコラージュされている。

9s41a0016…と、まぁこんな具合で、2003年から2011年まで、11年の間に経験した私のフランクフルトの思い出はコレでおしまい。
Jim Marshallと共に時間を過ごしたり、ポリツァイにお世話になったり、本当に色々なことがあった。
外国人とドップリ同じ時間を費やし、様々なことを教わったりもした。
ずいぶんみんなに可愛がってもらったし、とにかくいつも楽しかった。
もちろん人一倍仕事もした。

Polizeiでも、初めて行った時から16年近く経って、歳を取ったせいであろうか…もういいわ。
今アレをやっていたらもうツライ思い出ばっかりになってしまうかも知れない。
そういう意味では、若くもなく、さりとて年寄りでもない人生で最良のタイミングに参加させてもらったと思う。
それでもココに書けなかったことや、書かなかったことも結構あったんだけどね。
そういうのはバッサリとカットした形でMarshall Blogに半永久的に思い出を残しておくことになった。

540v最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。
さらばフランクフルト!

90_2記録完了。

200

(敬称略 2011年3月 Frankfurut Musik Messeにて撮影)

2018年12月25日 (火)

私のフランクフルト <vol.5:スピンオフ~前編>

 
前回まで4回にわたって『私のフランクフルト』をご覧頂き誠にありがとうございます。

自分で言うのもナンなんだけど…Marshall Blogを10年以上やって思うんだけど、何がしかの事件でも起こって終了しない限り、登場した人や事物が半永久的にココに記録&保管されるワケじゃない?
実際に「ああ、この時のライブはこうやった」みたいに子細な資料としてMarshall Blogをご利用頂いているバンドさんも少なくないと聞く。
普段はITの行き過ぎた進化をあまり快く思わないことが多い私だが、雑誌だと時期がくれば市場から姿を消してしまうし、バックナンバーを漁るのもそうたやすい作業ではないことを考えるとITの利便性を評価せざるを得ないであろう。
でも、簡単に公になる分、簡単に忘れ去られやすいよね。
だから、時折「昔の自分の記事を読んでかくかくしかじか」なんて話をミュージシャンから聞くととてもうれしくなる。
「ウェブログ」も日記の一種なんだから、読み返すことに意味があるのではなかろうかね?
「日記」ってそうでしょ?自分が読むにしろ、他人が読むにしろ、読み返された時に初めて価値を発揮するワケだから。
そのためにはまず記録。
それゆえ、限りなく公私混同に近い内容とはいえ、私の人生に大きな影響を与えるキッカケを与えることになった思い出のフランクフルトをこうしてMarshall Blogという場に半永久的に記録することができてヨカッタと思っている。
ナンカとてもスッキリした感じ。
実はそんな記録の他にフランクフルトの記事を連載したかった目的がもうひとつあったのね。
それが今日お送りする1本。
Marshall Blog、平成最後の「脱線&ウンチク大作」!

550それがナニかというと、このブース。
もしかしたら以前からあったのかも知れないが、この2011年の最後のMesseの時に初めて見た。
ナニかというと、早い話が「ポスター屋」さんのブースなの。

310正確に言うと、「メモラビリア屋」さんかな。
ポスター、写真、コンサートの半券、プライベート音源等々、ロックやジャズに関するレア・グッズを扱っているウェブサイトのPRブース。
会場では古今のドイツで開催されたコンサートの告知ポスターを展示していた。
コレがすごくおもしろかったのですよ…ワタシには。
それで個人的に気になったヤツを写真に収めておいたので、それらを並べてお見せしようというのが『私のフランクフルト』の<スピンオフ>というワケ。
それでは大いに脱線を交えて展示を覗いてみますよ~。
今日は地名を除く固有名詞は基本的にすべて原語表記にした。
まずは…

320vパッと見て文字がなかったなければ、まず何のバンドのコンサート告知ポスターかわかるまい。
The Rolling Stonesの1973年9月のフランクフルト公演のためのポスター。
イヤ、Stonesのコアなファンならわかるのかな?
少なくとも私はダメ。
メンバーの写真もなければあのベロ・マークもないとあってはお手上げだ。
「ルネ・マグリット展」かと思っちゃうよ。

Sonntag(日曜日)なので17:30と22:00の2回興行。
17:30の回はいいけど、夜の10時から始まるコンサートは絶対イヤだナァ。
しかしコレ、ドイツでは「17:30」のようにミリタリー・タイム表記をするのか…。
このひと月前に『Goats Head Soup』がリリースされているので、そのレコ発ツアーの一環だったのかしらん?
左端を見ると、スペシャル・ゲストとしてBilly Prestonの名前がクレジットされている。
しかし、どうしてコレがThe Rolling Stonesなんだろう。
ま、ズ~っと見てるとMick Jaggarに見えて来ないこともないけど…イヤ、ありませんね。
ホクロがあるところを見るとMonroeのイメージなんだろう。
他にも、こうしてアーティストのイメージとはおおよそ関係のないデザインのポスターがゴロゴロしているのにビックリ。
コレ、アーティスト・サイドに許可をもらっているのかナァ?もらってるんだろうナァ。

360vProcol Harumはネコか…。
このバンドで今ギターを弾いている人がすぐ近くでさっきまでデモ演してたよ。
ポスターには「A Whiter Shade of Pale」、「Grand Hotel」、「A Salty Dog」、「As Strong as Samson」等々、Procol harumの代表曲&人気曲のタイトルが刷り込まれている。
ナンカ演歌的だ。
1977年2月のフランクフルト公演のためのモノ。

350vHarumは同年の3月に9枚目のスタジオ・アルバム『Something Magic』をリリース。
ナゼか「Something Magic」が日本では『輪廻』というタイトルになっていた。
このアルバムが発表された時、私はまだ中学3年生だった。
当時はまだハードロックに夢中でProcol Harumには何の興味もなかったが、この『輪廻』という邦題がすごく印象に残った。
いまだにこのアルバムは聴いたこともないんだけど、一体どういうセンスでそんな仏教用語を引っ張り出してきたのだろうか?
とはいえ、この「変なアルバム・タイトル」ということだけで作品がアタマに刻み込まれた人間が実際ココにいるんだから、まずはこの邦題に効果があったということか…。
このアルバムがリリースされた後にベースのChris Coppingがグループを脱退。北アメリカのレコ発ツアーのベースはDee Murrayが務めたのだそうだ。
DeeはElton Johnの黄金期を支えた名ベーシストだったが、1992年に46歳で早逝した。

PhJohn Mayallはもうゼンゼンわかりませ~ん!
このポスターのデザインが彼の音楽作品に関係しているモノかどうかすら知らないのだが、いいデザインだな。
1971年9月のコンサートを告知するポスター。
バンドは「His Blues Group」となっているが、誰がギターを担当したのだろう?
調べて見ると、Mayallは71年の3月に『Back to the Roots』というアルバムをリリースしていて、そのアルバムに参加しているのは、Eric Clapton、Harvey Mandel、Gerry McGee、Mick Taylor等。
Gerry McGeeってこんなことやっていたとは知らなんだ。
それにヴァイオリンでDon "Sugarcane" Harrisが参加している…となると聴きたくなるじゃんね。
…と思って、早速自慢のSpotifyで聴いてみる。やっぱSpotify助かるわ。
ドワ~!ヴァイオリンが完全に『Hot Rats』~!
ゴキゲンです。
そして、Mayallは71年に『Memories』というアルバムをリリースしていて、こっちのギターはGerry McGee。
なので、この公演にもGerryが参加したのかも知れない。
GerryはもうThe Venturesを辞めてるんだね?
イヤ、それよりも!
このコンサート、The Groundhogsも出たんだね。
「&」で結ばれているところを見ると、コレはダブル・ヘッドライナー扱いだったのかな?
前座ということなんだろうな?
前座の方を観たかった。

370vMayallのポスターはもう1枚展示されていた。
コレもやはり1971年のモノで、ハーモニカ・メーカーのプロモーション・コンサートというかクリニック・ツアーだね。
デュッセルドルフ、ハンブルグ、ルードヴィヒスハーフェン、ミュンヘン、ハノーヴァー、ニュルンベルグでの6公演。
そういえば、この頃ってまだドイツが東西に分かれていたんだよね。
東ドイツの首都はベルリン。
では西はどこだったか覚えてる?
そう、天才バカ…〇〇。
当り~!
ちなみのこのブランド、ロックやブルース系の人にはハーモニカのメーカーとしておなじみだけど、メインはアコーディオンですから。
このシリーズで書いたように記憶しているが、アコーディオンはドイツの国民楽器なのだ。

9img_10251971年12月のフランクフルトのGrand Funk Railroad。
ゴメンチャイ!
私、Grand Funkダメなんです。
ま、Farnerさん、Marshallじゃないし。
アメリカのハードロックって、昔からどうもシックリこないんだよな~…飽きちゃうの。
お、スペシャル・ゲストでMott The Foopleが共演したんだ!
ヘヘヘ、前にも書いたけど、MottってGFRよりもっと苦手なの。
でも、コレはファンにはタマらない一夜だったんだろうね。

340vGFRは1971年に『Survial』というアルバムをリリースしているけど、このポスターは絶対に前年の『Live Album』を意識してのデザインだね。
まだトリオの頃のGFRか…タマには聴いてみようかな…。

Gl1977年、私が中学3年生だったある日、朝刊の死亡欄にMarc Bolanの訃報が載った時のことを覚えている。
Bolanは生前「自分は30歳で死ぬ」って言っていたんだってね。
1973年のアメリカ・ツアーで知り合ったグロリア・ジョーンズという黒人女性歌手が運転するミニ・クーパーの助手席に乗っていて、運転ミスにより車が横っ腹から街路樹に激突し、Bolanは即死だったらしい。
Marc Bolanの30歳の誕生日の2週間前の出来事だった。
それにしも「20th Century Boy」の定着ぶりには目を見張るものがあるよね~。
ナンだってこんなに誰もが演奏するようになっちゃったんだろう?
T.Rexは知らなくても「♪ジョコジョ~ン」なら知っている若者も大勢いることだろう。
このポスターはケルンでのコンサートの告知をしているんだけど、「年」が入っていないのでいつのことかはわからない。
「Bolan Boogie」と入っているのが手掛かりか?

400v『Bolan Boogie』は1972年にリリースされたシングルA&B面と未発表曲をコンパイルしたアルバム。
このアルバムのプロモーションのためのコンサートだったのであろうか?

Bbところで、T.Rexというと、もう悲しいぐらいにMarc Bolanばっかりだけど、言っておきますがこのチームは元々もうひとりMickey Finnというパーカッショニストのメンバーがいたんですよ!
そして、Mickey FinnはNATALのパーカッションを愛用していたんだから!
そこんとこヨロシク!

9percussion_group_1下は1978年、オッフェンバッハで開催されたTen Years Laterのコンサート告知ポスター。
Ten Years Afterじゃなくて「Later」ね。
我々の世代は、映画『ウッドストック』でAlvin Leeを知った人が多いのではなかろうか?
とにかくあの「I'm Going Home (by Helicopter)」の速弾きには本当にビックリしたものだった。
飛び起きたもんね。
私が『ウッドストック』を14歳で初めて観たんだけど、その時は『ウッドストック』はどうでもよくて併映の『バングラデシュ』がお目当てだった。
「ウッドストック・ムーブメント」なんてこともまだ知らないし、会場の設営シーンやインタビューやがダラダラ続くもんだからスッカリ眠くなっちゃって…。
そしてAlvin Leeが「アイムゴーインホーム…バイ……ヘリコプ(ゴニョゴニョ)」と曲名を告げた後に飛び出したアレ!
ビックリしたよ。
「そうか、このチョットこのシャクレたオッサンのグループはTen Years Afterというのか…」とさっそくアルバムを買いに行った。
多分『Ssssh』と『Watt』だったかな?『Stonedhenge』とか『Recorded Live』も持ってたけど、ロクに聴かないウチにいつの間にどれもなくなっちゃったナ。
Ten Years Afterの後に結成した、このポスターにあるTen Years Laterは1978年と79年にアルバムをリリースして終わったようだ。
昔、「Marshall祭り」というイベントを3回ほど開催したが、Marshallに頼んで外タレの派遣をお願いした時、Alvin Leeの名前が出てビビったことがあった。
ウッドストックの時もそうだったけど、この人Marshallだったんだよね。
しかし、右下の「+opening act」っていう表記が気になるね。
誰だったんだろう?

530vちょっとロック以外のアイテムも見てみようか?
Bob Marley & The Wailersの1980年のミュンヘン公演。
興味がないせいもあるんだろうな…日本にいるとそうでもないけど、ロンドンに行くとレゲエの影響力の強さを感じるんだよね。
「影響力がある」ということを感じたところでCDの1枚も買うワケじゃないんだけど。
イギリスはスペインの後のジャマイカの宗主国だからね。
1940年代の終盤から1981年までジャマイカからの移民を大量に受け入れた。
その関係なんでしょうな。
するとですよ、今、群馬のどこかがブラジル人一色とか、西葛西だかがインド人だらけなんて状況を見ると、日本からも何かおもしろい音楽が生まれやしないかな?なんて思ったりもするけど、日本人はまず無理だろうな。
9img_1024Bob Marleyと言えばやっぱり下のライブ・アルバムじゃない?
アレ?上のポスターって下のジャケットの写真を使っているのか。
さて、中学生の頃、このジャケットのレスポール・スペシャルを提げた黒人の写真を見て「この人絶対ジミヘンみたいにバリバリ弾くんだろうな…」と勝手に思い込んでいた。
今と違って何でも簡単に音源を聴ける状態ではなかったからね。
でも、レコードを買う勇気もなく、何かの拍子にBob Marley & The Wailersの音を聴く機会があった。
「何じゃ、この間の抜けた音楽は?全然ジミヘンじゃないじゃん!」と愕然としたのを覚えている。
当時はまだ「レガエ」と表記することも珍しくない時代だった。
それ以来、「現代音楽を聴きたい」と思うことは時折あっても、「レゲエを聴きたい」と思ったことは私の人生でただの一度もない。

Bml 下もコンサートの開催年が書いていないけど、さすがにアルバム『Get on the Good Foot』のレコ発ライブでしょうな。
となると1972年。
開催場所はベルリンになっている。
「ベルリンの壁」が崩壊したのが1989年だから、JBは冷戦のさなかに東側へ行ってコンサートを開いたのかしら?
来れこそ「冷や汗」。
そう、このアルバムには有名な「Cold Sweat」が再録されている。
そのアレンジをしたのが、なんとThe Manhattan Jazz Quintetで知られるDavid Matthewsらしい。
ジャズでは喰えないので、そんな仕事をしていたんだろうナァ。
私はファンク系の音楽も聴かないんだけど、タマにJBなんかを聴くとカッコいいね~。
でも1、2曲が限界。

390v次は『Jazz Ball 67』というジャズ・フェスティバルのポスター。
デザイナーはGunther Kieser(「ギュンター・カイゼル」って読むのかな?)という人。この人はまた後でご登場頂く。
Woody Hermanのオーケストラ、ニューオーリンズのフレンチクォーターにある有名なライブハウス「Preservation Hall」に因んで名づけられたPreservation Hall Jazz Band、そして、ディキシーランドの巨匠クラリネット奏者、George Lewisが出演したようだ。
だから後ろの2つはシデキだね。
シデキは聴かないんだよな~。
フェスティバルのタイトルにある「ball」というのは「楽しい時間」という意味のスラング。
久しぶりにイッパイやる相手に向かって「楽しもうぜ!」なんて時に「Let's have a ball!」と言ったりする。
何で「玉」が「楽しい時間」かって?
日本ではほとんど見かけないけど、由緒正しいホテルにはたいてい「Ball Room」という大きな部屋がある。
キューブリックの『シャイニング』で出て来るでしょ?ジャックがホテルの元支配人で幽霊のブレイディに会うシーンね。
ああいう「舞踏会」を開く設備を「ball」という。
だから「Have a ball!」なんて言うと「よい舞踏会を!」となって、「楽しい時間をお過ごしください」という意味になるワケ。
だから、Woody Hermanのところに「Tanz Mit」という黄色い吹きだしが付いてるでしょ?
コレ英語で「Dance with」という意味。
その昔、ジャズはダンスのための音楽でもあったからね。
さて、The Manhattan Transferの重要なレパートリーの「Four Brothers」でWoody Hermanの名前を知った人もいるかも知れない。
Zoot Sims、Serge Chaloff、Herbie Steward、そしてStan Getzという4人の人気のサックス奏者がWoodyのSecond Herdというオーケストラに集まって1947年に吹き込まれた曲が「Four Brothers」。

450vこの4人のソロに歌詞を付けて歌ったのがThe Manhattan Transferのヴォーカリーズ・バージョン。
収録アルバムは下の1978年の『Pastiche』。
「pastiche」とは「模倣作」とか「寄せ集め」とかいう意味で発音は「パスティーシュ」。
レコーディングのメンバーが多岐にわたっていてスゴイね。
Randy Brecker, Don Menza, Richard Tee, Steve Cropper, Jay Graydon, Donald "Duck " Dan, Steve Gadd, Jim Gordon, Jeff Porcaro,  Chrlie McCoy, Victor Feldman, ナゼかBuddy Emmonsまで参加している。
でも、一番のウリはその「Four Brothers」のサックス・セクションでしょうな。
Al Cohn, Jimmy Giuffre(作曲者), Lee Konitzという大御所にLewis Del Gattoという人を加えて「Four Brothers」を組んで見せた。
何かで調べたワケではないが、要するにオリジナルのWoody Herman Second Herdへのオマージュということなのだろう…と私は分析している。
そして、女性組のLaurel MasseはこのアルバムをもってThe Manhattan Transferを脱退。
Cheryl Bentyneを加えて翌年発表した『Extensions』が大ヒットして押しも押されぬ大スター・グループになった。
「Birdland」とか「Twilight Zone」が入っているアルバムね。
その後、1985年の『Vocalese』あたりまでは絶好調だったが、果たして今、The Manhattn Transferの名前を口にする人にここ数年会ったことがない。
特段私がこのチームのファンだというワケではないんだけど、人気を保つというのはいかに大変なことかと思ってサ…。
Weather Reportと共演したりするより、Laurel Masseがいた「Tuxedo Junction」なんかを演っていた時代の方がズッと好きだった。
80年代ってのは「音楽のイナゴの大群」みたいなモノだった。何も残さないでスゴイ勢いで通り過ぎて行った感がある。

Pasブレイク寸前にグループを辞めたLurelが地団太踏んで悔しがったかは寡聞にして知らないが、その後も歌手活動を続け、1984年にリリースした『Alone Together』というアルバムはメチャクチャ良かった。オススメ。

Lm一方のWoody Herman…私はほんの数枚しかアルバムを持っていないが、以前にも紹介したことがある下の『Thundering Herd』というアルバムはすごく好き。
「Thudering Herd」…さしずめ「雷組」ってとこか。
John Coltraneの有名な「Lazy Bird」をサックス・ソリにしてみたり、ナゼかFrank Zappaの「America Drinks and Goes Home」を取り上げてるの。
私はその渦中を大学生として、ロックよりもややジャズ寄りで過ごしたが、「美人ジャズ・ボーカル・ブーム」っていうのだけは全くヒドイと思っていた。
そもそも「ボーカル」じゃなくて「ボーカルズ」だし。
でもね、1986年ぐらいに富山の大きなコンサート会場の最前列で阿川泰子さんを観る機会があったんだけど、ステージ用の濃い目のメイクをしていたとはいえ、ものすごく美しい女性でかなり驚いたことがあった。

Th1972年のフランクフルト、Joe Cockerのコンサート。
ズラズラ色々と書いてある。
他に誰が出たのかな?
まず、Joeのバックを務めたのはChris Staintonのバンド。
StaintonはJoeの『Mad Dog & Englishmen』のツアーにも参加したJoeのお抱えキーボーズ奏者。Eric ClaptonやThe Who(『Quadrophenia』のレコーディングに参加)などとも仕事をしている。
おもしろいのはBoxerの『Below the Belt』以外のアルバム、つまり『Absolutely』と『Bloodletting』に参加していることか。
スペシャル・ゲストはHeads, Hands & Feet、Biggles、それに加えてサプライズゲスト。
Heads, Hands & FeetはAlbert Leeが在籍したイギリスのカントリー・ロックのバンド。ナンカ英語の童謡みたいなバンド名だ。
Bigglesというのはわからなかった…コレって「スペシャル・ゲスト」じゃなくて「前座」じゃないの?
それともドイツでは「前座」のことを「スペシャル・ゲスト」って言うのかな?
パッとこのポスターを見たらスゴイのがゾロゾロ出ていそうな感じがしたんだけどな…ハズレ。

460これまた完全にバンドのイメージとは関係なさそうなデザインのポスター。
このイラストだけでコレがEmerson, Lake & Palmerのコンサートの告知だと判別できる人がいたのかナァ?
残念ながら開催年が入っていないのでいつのモノかはわからないが「Super Group in Concert」となっているところを見ると、やはりドイツでもELPは大きな人気を誇っていたのでしょうな。
何度もMarshall Blogに書いているけど、2010年にロンドンでたった「1度だけ」の条件で再結成したELPを観たのは、ラスベガスで観たSummy Davis Jr.と並ぶ私の人生の宝物のウチのひとつだ。

420vエラく素直なデザイン。
でも、コレもダメだ。
上のELP同様、どこを見ても開催年が入っていない。
でも顔ぶれからすればMKIIなので1970年代の序盤ということになるのだろう。
この頃のことを調べていて驚いたのは、1972年の北米ツアーの時、ケベックでRandy CaliforniaがRitchie Blackmoreの代役を演ったことがあったとか…。
私が一番好きなアルバムは『Who Do We Think We Are』です。完全にCONCERTO MOONのノンちゃんの影響。
中学生の時、「Woman from Tokyo」しか好きでなかったが、ノンちゃんが「あのアルバムは『Woman from Tokyo』以外の曲がいいんです」とキッパリ言い切って、騙されたつもりで40年近くぶりに聴いてみたら…まったくその通りでスッポリとこのアルバムにハマってしまった。

470チッ!このポスターも年が入っていない。
でも、このデザインからすると、『The Dark Side of the Moon』と『Wish You Were Here』の間って感じかね?
すると、1973~1974年ってとこか。あるいは『Dark Side』のレコ発ヨーロッパ・ツアーだったのかしらん?
Pink Floydの人気っのは海外に行く度にいつもスゴイと思う。
今の日本のロックの状況を見ると、いよいよ攘夷が進み、まるで「ロックの鎖国状態」だ。
我々が若かった時分、すなわちロックの黄金時代の1970年代でも軽音楽のレコードの売り上げ比率の邦楽と洋楽の割合は、「洋」を大きめに見積もっても50:50だったらしい。
我々のようにずっとロック側にいる人間にとってこの数字は「洋」の比率が消極的のような感じがするが、幼稚園児からお年寄りまでが歌える流行歌がブンブン飛び交う「歌謡曲の時代」にあって、和洋の比率が50:50とは、「洋」の勢いがどれだけ大きかったかを逆に知るべきなのだ。
何しろ、YesのLP3枚組のライブ・アルバム『Yessongs』が売れて売れて、レコード会社の笑いが止まらなかった…という時代だった。
今、日本の若者に『狂気』を聴いたことがある人がどれぐらいいるんだろう?
ほぼゼロだろうな~?
イヤ、同じ質問を日本のロック・ミュージシャンにしてみるがいい。
同じく限りなくゼロに近い人数となるだろう。
『狂気』を聴いたことがない「ロック・ミュージシャン」なんて想像できる?最もビートルズのメンバーの名前さえ知らない人たちなのだからそれも不思議ではない。
海外の若いミュージシャンはと言えば…100%とは言わないが、「まったく聴いたことがない」という人はいないのではなかろうか?
日本が「ロックの後進国」たる所以はこういうところにあると感じている。
それにしてもこの頃のPink Floydのコンサートなんて…ホンモノを観てみたかったナァ~。

4801974年10月、フランクフルトのThe Sweet。
全盛期のSweetって観てみたかったナァ。
私はSweetや再結成後のAerosmithみたいなやり方を導入するのは日本の音楽界をおもしろく手法のひとつだと前々から思っている。
The Sweetは自分たちでもいい曲を作ったが、プロのソングライティング・チーム、Mike ChapmanとNicky Chinnの力を借りてヒット曲を世に送り出した。
同様に若いバンドさんたちは、キチンとクラシックまで勉強した音楽の専門家に作曲家に任せてはどうか?ということだ。作詞も同様。
もちろん編曲については何をかいわんやだ。
もう完全に出尽くしてしまった曲や詞のアイデアを乗り越えるには、昨日今日ギターを手にして作った曲がタマタマ当たった程度のにわか音楽家じゃ無理なんですよ。
上の『狂気』じゃないけど、勉強していないんだから無理だって。コレもインディーズや音楽の無料化の弊害なのだろうが、ナ~ニ、また時代を巡らせればよい。
クラシックの作曲家を目指した才能ある音楽家たちが、夢破れて腕によりをかけてティンパンアレイでミュージカルのためのヒット曲を作ったような状況にするのが今の音楽界を変える方法のひとつだよ。
私はコレを「ポップ・ミュージックの大政奉還」と呼んでいるが、
それでまた煮詰まったら、またそれをブチ壊すためのパンクみたいなムーブメントを起こせばいいじゃない。

410v1986年、コレもオッフェンバッハのStevie Ray Vaughanのコンサート。
私はSRVを全く聴かなかったのだが、この人は生前日本に来たことがあるのかしらん?
「Vaughan」といえばSarah Vaughan。Robert Vaughnという俳優もいたけど、最初は読めないよね~。「ヴァウガン」?みたいな。
アイルランドの名前らしい。
私がSRVについて言えるのはこんなことぐらいです。

500v<後編>につづく
本当は1本に仕立てようと思ったんだけど、脱線しているウチに長くなってしまったので2本に分けさせてもらいました。
<後編>の方がオモシロイと思う。Queenも出るし。
 

200

(敬称略 2011年3月 Frankfurut Musik Messeにて撮影)

2018年12月17日 (月)

私のフランクフルト <vol.5:2011年>

 
2011年、コレが「最後のフランクフルト」になってしまったことを認識して臨んだかどうかは全く覚えていない。
MUSIK MESSEは今も毎年開催されているが、もうMarshallがブースを出していない以上、事実上この時が私にとって最後の「メッセ」となった。

05ロック楽器の展示棟に入ると有名ギター・メーカーとその向かって左に我がMarshallのブースがあるのがお定まりの光景だった。
当時、この展示会はピークを迎えていたんじゃないかな~。
このロック系楽器の展示棟は4階まであって、この入り口に入ったすぐのところが一番いい場所なのね。
Marshallはそのロケーションを長年にわたってキープしていたんだから大したもんです。
それで、以前はこの建屋の4階あたりまで行くと、展示の数も少なく、スッカンスッカンだった。
イヤ、ズッと以前は3階までだったような気もするな…。
でも、この年は全館パンパンとまではいかないまでも、今までに見たことがない数の展示ブースが設置されていて、実際に来場者の数も目に見えて多かった。
この後、数年して檜舞台は上海に移ってしまったんだネェ。
9img_0964この年のMarshallのブース。

10目を惹くClass5のユニオンジャック。

30_2少しずつ造作に変化はあるものの、以前のように2年に1回大幅に展示設備を変えるという方法を採らなくなった。

20変化がないのでブースの造作については書くことがないな…。
こうして何度も海外への出張をしたけど、おかげさまで旅先で寝込んだり、怪我をしたり…なんてことはなかったナァ。
でも、あの時は相当疲れていたのか、ココへ来て口の中を思いっきり噛んでしまったことがあった。
みるみるウチに口の中で血豆が大きくなって、それが破けて口の中が血だらけになり…もうしばらくの間、痛くて痛くて…なんてことはあった。

23そうして幸いなことに一度も病院やお医者さんのお世話になったことがなかったフランクフルトだったが、警察のお世話になったことが一度だけあった。
ドイツ語で警察は「Polizei(ポリツァイ)」。
この独単語は一発で覚えた。
勘違いしないでよ、犯罪を犯したワケじゃない。
このMarshallが入っている展示棟の4階のハジっこに目立たないドアがあって、そのドアをくぐるとビルの事務所エリアになっている。
その一角にあるんだな…ポリツァイが。
閉会の翌日にホテルからスーツケースを携えて空港に行くのが普通の段取りだったのだが、どういういきさつだったのか思い出せないのだが、この時は開催の最終日にMarshallのブースにスーツケースを持っていくことになった。
多分、フランクフルトの後にMarshallの本社に行くことになっていたので、陸路でイギリスに帰るスタッフに頼んで、そのスーツケースを車に乗せて本社まで運んでもらおうとしたのだと思う。
朝、ホテルの前でタクシーを拾い、トランクにスーツケースを入れた。
同僚と車に乗り込み、つい車中でおしゃべりに夢中になってしまった。
コレがいけなかった。
メッセ会場の前にタクシーが止まり、料金を支払い、車を降り、Marshallのブースに向かってスタスタと歩き出した。
そして、「アレ?今日は荷物を持って出て来たような…」としばらくしてから気がついた。
そう、まんまとスーツケースをタクシーのトランクに置き忘れて来たのだ!
もちろん「ヤッベ~!」とは思ったものの、幸いパスポートや財布は別のカバンに入れて身に着けていたし、スーツケースの中にはそれ以降の少量の着替えと汚れた下着ぐらいしか入っていなかったので、下着とバッグはロンドンで買えばいいや…ぐらいにまずは考えた。
とはいえ、もしそのタクシーを捕まえることができて、愛用のスーツケースが戻ってくるのであれば、それに越したことはない。
そこで、古い知り合いのドイツのディストリビューターに努めるウーヴァに相談してみた。
会議では絶対に自分の意見を曲げることのないドイツ感丸出しの強豪な論客だが、こういう時には極めてやさしい。
「そいつぁ大変だ!」と言って、すぐに4階のポリツァイに連れて行ってくれた。
コレが私の人生初のポリツァイ体験。
担当してくれたのはとても若いおまわりさんで、ほとんど英語が話せないのでウーヴァがドイツ語⇔英語の通訳をしてくれた。
同じゲルマン語系言語だからといってドイツ人が皆英語がうまいと思ったら大間違い。日本人ほどではないにしろ、英語ができないドイツ人って結構いるよ。
で、どうしたか?まずはタクシー会社を探すわね。
運転手からもらったレシートをその若いおまわりさんに渡すと、そこに書いてある会社にすぐに連絡してくれた。
電話を切った後の表情が冴えない。
ウーヴァが「どうしたんですか?」と状況を尋ねると、「どうもこんな会社はないようだ」と言うのだ!
一度は諦めようとしたスーツケースだったけど、わざわざポリツァイまで来たとなると、おめおめと手ぶらで帰るのもモッタイない気持ちになって来る。
しかし、その若いおまわりさんがまたとてもいい人で、何やら片っ端からタクシー会社に電話をかけてくれたようで、しばらくしてウーヴァの通訳を介して私にこう伝えてくれた。
「今、そのタクシーは近くにいないが、運賃さえ払ってくれれば4時にこのメッセ会場まで持ってきてくれるそうだ」
私のスーツケースを積んだまま走り回っているタクシーを見つけてくれたのだ!
「ダンケシェーン」しか言えない自分が実に悔しかったが、そのおまわりさんには盛大にお礼を伝えた。
「東南アジアだったら絶対にこうはいきませんよ。ココがドイツでヨカッタですね」って!
そして、4時になって会場の車両専用の出入り口でタクシーが来るのを待っていると、少し遅れて見覚えのあるドライバーが運転するタクシーがやって来たので、約束通りメッセ会場に来るまでの運賃を支払ってスーツケースを返してもらった。
大した金額ではなかった。
スーツケースをMarshallのブースに持って帰ってウーヴァに見せ、丁重にお礼を言った。
「おお!ヨカッタね~!」とウーヴァも一緒に喜んでくれて、私にこう訊いた。
「シゲ、ところで運賃を支払ったのか?」
「そりゃ払ったよ、ココまで持って来てくれたんだから」
「どうして支払っちゃったんだ!」…と、ウーヴァはにわかに不機嫌になった。
彼が言うには、「その運転手はシゲがタクシーを降りるときに『忘れ物がありませんか?』と確認したか?しなかったんだろ?だったらシゲがスーツケースを下ろし忘れたのはその運転手のせいじゃないか!だから断じてシゲが運賃を支払う必要はない!」っていうのよ。
「ス、スミマセン…」と、ま、ウーヴァに謝ったりはしなかったものの、「コレがドイツ流なのか!」と考え方の違いに驚いたのは確かだった。
今、コレを読んでいる日本人の皆さん、どう思いますか?
「お前が忘れ物を確認しなかったからヒドイ目に遭ったんだぞ!」と、仕事を中断してワザワザ会場まで戻って来てくれたタクシーの運転手に言えますか?ま、お金をもらったてスーツケースを運んだ以上、それは割りのいい仕事だったことには間違いないんだけど。
コレが私の唯一のポリツァイ体験。
1polizeiそういえばこの年、前年にロンドンで開催された『HIGH VOLTAGE』というお年寄りのためのロック・フェスティバルに感動した私はMarshallに頼んで、会場に来ていたそのフェスを主催する「CLASSIC ROCK」という出版社の人を紹介してもらったっけ。
その年の夏に再び開催されるそのフェスをMarshall Blogで取材させて欲しいと申し入れたのだ。
建物の中は大層うるさいので、外のベンチに座って打ち合わせをした。
なんでそんなことを覚えているのかというと、すごく温かい日で、ブースに来ていたバーニー・マースデンがアイスクリームをペロペロ舐めていたのが可愛かったからなの。
結局、そのフェスには行かなかったので影も形も残っていない。フェス自体も2回開催してなくなってしまった。
実際、初年度のいい出演者を集めすぎて、2回目のラインナップがあまりもショボくて評判を落としてしまったと聞いた。 
私が行ったHIGh VOLTAGEはホントにすごかった。Emerson, Lake & Palmerや亡くなる直前のGary MooreやArgentを見たのは一生の思い出だ。
そのレポートはコチラ;
HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その2>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その3>
HIGH VOLTAGEの思い出 <最終回>

26しかし、この光景なつかしいナァ。

65まだまだシグネチャー・モデルが盛んだった。
ザック、ムスティン、ケリー…

40vレミー、ランディ、スラッシュ…「時の流れ」を感じ得ない。
80v前年に亡くなったロニー・ジェイムス・ディオへの追悼モデル。

50v1942-2010って、ロニーって享年68歳だったのか…。
戦中の生まれだったんだね。
それでも1976年に武道館で観た時は34歳か…。「34」なんて言うとエラく若い感じがするな。私は14歳だった。
歳取ったな~、オレも。

60おお、入り口にJMD:1!
私はこのモデルが好きで、一生懸命プロモーションをした。
発売してから間もない頃、ポール・ギルバートがソロで来日して、このモデルを薦めると気に入ってすぐに使ってくれた。
25
実際にこのモデルを使っていた田川ヒロアキさん等にお願いして、まだそれほど盛んでなかったデモ動画をウェブサイトに載せたりした。
もう知らない人の方が多いだろうから少しだけ話をさせてもらうと、デモンストレーターの皆さんには好きなチャンネルを3つ選んでそれを活用した短いオリジナルのデモ曲を3つずつ書き下ろして頂いた。
その3曲に私が「J」と「M」と「D」が最初に来る曲名を勝手に付けさせてもらった。こういうことをするのが好きなんですよ、私は。
残念ながらもうそのタイトルは忘れてしまったが、ひとつハッキリ覚えている題名がある。
それは「Denbigh Road Run Down」と題したヒロアキくんがクリーン・トーンを使って作ったバウンス・ナンバー。
実はコレはテナー・サックスの巨人、ソニー・ロリンズのImpulse時代の『East Broadway Run Down』というアルバムのパクリなのです。
で、この「East Broadway Run Down」という英語を「イースト・ブロードウェイを駆け降りる」と訳していたのが、かの植草甚一さん。
「Denbigh Road(デンビー・ロード)」というのは、Marshallの工場の前に通っている道路の名前。
お昼になると工員たちはこの道路を通って、みんなでおしゃべりをしながら近くのTESCOというスーパーに買い出しに出かけるワケ。
ヒロアキくんの作った明るい曲が、その楽しそうな姿にマッチすると思ってまさに「デンビー通りを駆け降りる」というイメージだったのね。
ところが、大分後になって気がついたのは、このロリンズのアルバム・タイトルにある「run down」というのはダブル・ミーニングになっていて、「rundown」に「概要報告」という意味があることを知った。
「デンビー・ロード概要報告」という意味で取ってもいいんだけど、ヒロアキくんにはチョット悪いことをしちゃったかな?と思って…。
ああ、スッキリした。
長い間このことをどこかで懺悔しようと思っていたのだ!

Ebrd そうした効果が少しはあったのかどうかは知らんが、日本ではJMD:1の売り上げが他の国より大きかったらしい。
それで会議の時に、世界から集まったディストリビューターの前で「どうやってJMD:1をPRしたか」を演説させられたことがあった。
何の前触れもなく会議中に急に振られてチョット困ったが、マァ笑いは取ったかな…と。
英語で笑いが取れれば上出来、上出来!

70v「SHRED ZONE」か…これからもその面積をキープ、あるいは拡大し続けて欲しいものだ。

75vサイン会の時間が近づくとワサワサと人が集まって来る。

90In Flamesのビヨルン・イエロッテ。
この人、いい人なんだよ~。
何回か一緒になっていて、来日時に滞在していた赤坂のホテルの部屋にお邪魔したこともあった。
このフランクフルトの数年後に幕張で再会した時も「ヤアヤア!」と私の方を抱き込んで挨拶してくれたっけ…私のことなど覚えていないのに。
110vこの年のデモ・ルームのようす。
ジャ~ン、NATAL登場!
この時はまだEDENはMarshall傘下には入っていなかった。

120バーニーがブルースを演ってたけど、ギターも歌もメチャクチャかっこよかったな~。
こんなにコロンコロンになっちゃったけど、ひと度ギターを弾き出したらもう大変。
やっぱり日本人のロック・ミュージシャンが演るブルースとは、トーンやアーティキュレーションが全く違うんだよね。
こういうチョコっとしたパフォーマンスにこそ、向こうの人たちと日本人の間の音楽の歴史や食べ物に大きな差があることを発見するね。
歌もうまいんだよな~。
私のバーニー・マースデンはBabe Ruthであって、Whitesnakeのバーニーは知らない。
どちらかというと、「いつもニコニコしながらアイスクリームを舐めているオジさん」というイメージだっただけに、この時すごく感動したのを覚えている。

130vこの年からMarshallのブースとは別棟にある打楽器エリアにNATALのブースが開設された。

140結局、翌年以降はフランクフルトに行かなかったので、コレが最初で最後の私が見たMESSEのNATALのブースということになる。
こうして見るとエラく立派だったんだナァ。

160vNATALの原点であるパーカッション類もズラリ。

170エルトン・ジョンのバンドでドラムを叩いているというスイス・クリスというドラマーがデモンストレーションをしていた。
なかなかのコワモテさんだったけど、クリスはある理由で大変な日本ビイキで、私にはやたら親しくしてくれた。

180v1965年創業のイギリスの名門パーカッション・ブランドはいえ、当時日本に入って来なかったため、この頃はNATALの名前を知る人といえば、私をはじめとしたMarshallの関係者と私の家内ぐらいだった。
それがおかげさまで、今となってはドラマーさんたにちはもちろんのこと、ドラムスを演奏しない一般のロック・ファンの間にもその名前が浸透してきて、本当にうれしい限りなのです。

150ビックリしたのはヴァイオリンの武藤さん。
当時、和佐田竜彦さん、そうる透さん、小川文明さん、田川ヒロアキさんらと組んでいたSPICE FIVEというセッション・バンドに参加していたのがヴァイオリニストの武藤祐生(ひろお)さんで、何の予告も情報もなく本当にいきなり会場でバッタリと出くわしたのだ。
武藤さんはお使いになられているエレクトリック・ヴァイオリンのデモンストレーターとしてメッセに参加されていた。
バッタリ出くわした武藤さん、すかさず「ドイツ人のお友達はいませんか?」とおっしゃる。
この時は東日本大震災の発生から2週間ほどしか経っていなかった。
武藤さんはその犠牲者や被災者に捧げる詩のドイツ語訳を持参していて、現地在住のネイティブのドイツ人にその詞を朗読してもらい、録音して自分のステージで流したい…ということだった。
ドイツで困ったらすぐウーヴァ…ということで、ポリツァイの所で登場したウーヴァに頼んでみた。
彼は話を聞くと即座にOKしてくれて、武藤さんが持って来たレコーダーにその詞を吹き込んだ。
そして、武藤さんのヴァイオリンとともにウーヴァの朗読が会場に響き渡った瞬間が下の写真。
コレがよくヒロアキくんが時々思い出したようにステージで歌っている「♪ドイツでバッタリ~!」の真相。
「♪ドイツでバッタリ~!」は大変感動的なシーンだったのだ。

190vこの時は珍しく夕方からフランクフルトの繁華街に出かけた。
Marshallではないメーカーのパーティがあって、その会場に出向いたのだ。
ホラ、またロッキー・ホラーをやってる。
ホントに向こうの人はロッキー・ホラー好きだよ。

200vミュージカルの『Tommy』もフランクフルトに来たんだね。
日本は演らなかったでしょ?

210v桜のような木が美しい薄暮のフランクフルトの繁華街。
でも、どこか冷たい感じがする街なんだよな~。

220パーティの会場はなかなかのモノだった。

230昔は食料品の貯蔵庫、戦時中は防空壕というところかね?

240なんかドイツ感満点?

250トイレに行く通路もこの通り。

260このシリーズの最初の方の回で…フランクフルトという街は、「世界でも最も多くの人種が交錯している危険な街なので、夜のひとり歩きは厳禁」とMarshallのベテラン・スタッフに諭された…と書いた。
そんなことがあったので、仲間が滞在するホテルから離れた繁華街を夜間にひとり歩きするようなことは一切しなかったが、この時はひとりではなかったので酔い覚ましに少し夜の街の散歩を楽しんだ。
私のような品行方正な人間にとって、明るいうちに見ておもしろくない街は、夜もおもしろくないワケで…。
でも、この建物は昼夜を問わず目を惹いたな~。
「旧オペラ座(Alte Oper Frankfurt)」は1880年だからそう古いモノではない。
…と言いたいところだが、元の建物は1944年の連合軍の空爆によって廃墟と化してしまい、一時は撤去されそうになったが、「ドイツ一美しい建物」の呼び声も高かったため、市民の抗議や寄付金によって外部を完全に復元する形で1981年に復活した。
その際、内部は従来の歌劇場の様式ではなく、多用途に使える普通のコンサート・ホールにしたそうだ。

2701880年のオープン時のコケラ落としはモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』で、時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世と皇太子(のちのフリードリヒ3世)らが客席にいたそうだ。
その後、ワーグナーの最新作や、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニなどの著名なオペラが次々に上演された。
カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』も1937年にココで初演されたんだって。
『カルミナ・ブラーナ』もサ、初めて聴いた時は「カッコいい!」と思ったけど、テレビのそこら中で安易に使われているもんだから、最も聴きたくないクラシックの曲の筆頭になっちゃったよ。
「それではお答えいただきます!」みたいな大決心のシーンでは必ず「カルミナ」じゃん?…ウンザリ。
ロックでは「B〇〇n」、ジャズ/フュージョンでは「S〇〇〇n」、クラシックでは「カルミナ」。
コレが私の「3大耳タコ曲」。家では絶対に自発的に聴かない。
世の中、他にもいい曲がいっくらでもあるんスけどね~。

280下は駅前にあった中華料理店でのひとコマ。
ホテルの近くにも中華料理屋があって、以前ニコ・マクブレインなんかと食べに行ったことがあったんだけど、マ~ズくて、マズくて…。
ある時駅前を歩いていて、ゼンゼン中華風ではない出で立ちのこのお店を見つけて入ってみた。
餃子が恋しかったんだね。
お店に入って早速餃子を注文すると、中国人のウエイトレスが「大丈夫ですか?」と訊いてくるんだよね。
「ハ?ナニが?」と尋ね返すと「量が多い」と言う。
こっちは腹ペコだったし、恋しい餃子がもうすぐ食べられるとあって「ゼンゼン大丈夫!」と答えたものの、出で来た餃子を見て驚いた。
直径5cmはあろうかという真ん丸でキツネ色の物体がすき間なく皿一杯に乗っかっている。
数えると19個!
それでも行けちゃうような餃子ラブ。
しからば醤油に、ラー油タップリとお酢少々…と。
ところが!ないのよ…それが。
テーブルの上に乗っていのは、大きめの醤油さしのようなガラス容器に入った黒酢のみ。
この黒酢だけで喰えっていうワケよ。
「エ~!酢は苦手なんですけど~!」と思ったけど、食べてみたらとてもおいしくて19個ペロリ。
 
…ということがあったので、この年も予定が空いていたので「世界中どこへ行ってもやっぱり餃子とビールでしょ」なんて言いながら、その中華料理店に行った。
予定通り、ビールで餃子を流し込んでいると、若い女性が「あの~、おひとりですか?」といきなり声をかけてきた。
流ちょうな日本語だったので「はい、そうですよ」と答えると、「ボク、日本語の勉強をしているんです。日本語の練習をさせてください」と、その女の子が勤め先の名刺の漢字表記の自分の名前にカタカナで読みがなを振って私に差し出してきた。
名刺を見ると、メッセに出展している台湾の会社の方々だった。
そして、「一緒に飲みませんか?」と誘ってくれるので、ホテルに帰っても寝るだけだし、ありがたくお誘いを受けることにした。
そしたら、盛り上がっちゃって、盛り上がちゃって!
ナニでそんなに盛り上がっちゃったのはサッパリ覚えていないけど、日本語と英語が飛び交って、メチャクチャ楽しかったナァ。

290もうとにかく飲め!飲め!とエライ騒ぎになっちゃって、最後にお勘定の一部を支払おうとしたら、ガンとして一銭も受け取らない。
押し引きしていても仕方ないので、お言葉に甘えてこの場はありがたくごちそうになった。
翌日、この方々のブースを探し出して、余分に持って来ていたお土産をお渡ししてお礼に代えさせてもらった。
下の写真以外にも全員とツーショットまで撮っちゃいましてね。あまりにも恥ずかしいのでココには載せない。

300コレで「私のフランクフルト」は終わり。
ま、酒席の写真で終わるのもナンなので、ゴメンナサイ、「スピンオフ」と称してもう1編だけ記事を上げさせてください。
それはオールド・ロックファンに、多分、楽しんで頂けるような内容になるハズ。

285<次の『スピンオフ』でおわり>
 

200 
(一部敬称略 2011年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年12月 6日 (木)

居酒屋でぃ~どらいぶ <2018年10月の巻>:ちょっとだけ「私のパブ」

 
前回、ロンドンのハマースミスの記事でビールやらパブをフィーチュアしてお気に入りの記事が書けたことに気を良くして、もうチョットだけつなげておこう。
イヤイヤ、「つながり」と言えばそれどころじゃなかったんだ!
Marshall Blogがスタートして以来、毎回欠かさずご覧頂いているギタリストの三宅庸介さんが、そのハマースミスの記事の中にご登場頂いた私の思い出の人物を偶然ご存知でいらして、facebookでつないでくだすったのだ。
30年ぶりのサイバー再会!
Marshall Blogなんてやっている割に私は、ITテクノロジーの過剰にして無謀な進歩を快く思わない者のひとりだが、こういう使い方はいいね。
「OK、facebook、座布団1枚あげる」と言いたい。
あ、ウチはアレだけは絶対にやりません。アレが将来どういう風に使われるのかを考えたらコワくてとても手を出せません。
Marshall Blogはコレだけではなくて、もうひとつスゴイことへの橋渡しをしてくれて、今、その案件の実現に向けて着々と準備を進めているところなのだ。
なんだなんだ、素晴らしいじゃないかITテクノロジーは!…ナンチャッテ。こう時だけは味方にしておくことにしよう。
 
ということで今日は「パブ」ではなくて「居酒屋」。
ユックリ座ってイッパイやりながらD_Driveの演奏を楽しむ『居酒屋でぃ~どらいぶ』の2回目のレポート。

10_2その前にもう1回ロンドンのパブの様子を『居酒屋』につなげておこう。
だって大スキなんだもん!
下はソーホーのパブ。
渋谷のライヴハウスのように、ソーホーには数え切れないほどのパブがある。
昼間の店内は完全に隠居したとおぼしきおジイさん数人がボ~~~っとしているだけだが、夕方になると全てのパブがこういう光景になる。
「黒山の人だかり」だ。
ココは庶民的なオッサンが多いな。

20次はカーナビ―・ストリートの脇道に入ったところにある店。
元々車は入って来ない通りとはいえ、堂々と道路の真ん中まで店舗を広げちゃう。
日本ではとても考えられないが、ロンドンではコレが当たり前のやり方。
この人たち何も好き好んで外に出て飲んでいるワケではないのよ。
もちろん中にはそういう人もいるけど、店内がもうパンパンで立錐の余地がないの。
勘定は基本的に全て「キャッシュ・オン・デリバリー」。
つまり商品と現金の引き換えで単純明快…というか、こんな状態だと後払いなんてことは到底不可能。
チップが要らないのがありがたい。
でも、割り勘のやり方が厄介と言えばチョット厄介。
何人かで飲みに行くと、全員の分を誰かが代表して順番で払うことになる。
どういうことかと言うと、全員の飲み物がなくなったのを見計らって誰かが「じゃ、今度はオレが払うわ!」とそこにいる全員分の飲み物を買いに行く。
そして、その飲み物がなくなると、今度は「んじゃ、今度はオレね!」といって次の人がカウンターへ行って全員分の飲み物を買ってくる。
じゃ、10人で飲みに行ったらどうなるか?
順番が回って平等に支払が済むまで飲み続ける。10人なら10パイント。1人当たり5.7リットル。中ビンあるいは500mlのロング間で6本。ビールばっかりそうは飲めんよ。
まぁ、10人でパブに繰り出すなんてことはまずないからコレは心配ない。
パブに来ている人たちを見ていると、普通はたいてい1人か2人。せいぜい4人連れぐらいまでかしらん?
以前フランクフルトで3人のイギリス人とパブに行ったことがあった。
3杯飲んだところでいよいよ次の支払いは自分か…と覚悟を決めたところでお開きとなり、私の支払いはなかった。
普通だったら「じゃ次回は私が!」というこうことになるんだろうな…ごちそうそうさま、気の毒だが次回はない!

30この美しいこと極まりないレドンホール・マーケットでも夕方になると…

36ワイワイガヤガヤ。
世界の金融の中心地、シティが近いとあってココはスーツ姿のビジネスマンの姿が目立つ。
みんなカッコいいんだわ~。
さっきのソーホーの様子とはゼンゼンちがうでしょ?
こうしてエリアによってお客さんが異なるのを観察するのも面白い。

37そして、ひとしきり飲んだ後はこの通り。
平気でグラスを置いて帰っちゃう。
コレは男性3人に女性が4人のグループだな。
というのは、女性はあんまりビールを飲まない。
ジン・トニックだとかワインを好んで飲むようだ。
ウチの家内はイングリッシュ・エールが大好きなのでそんなことはお構いなしにパブでオーダーしちゃう。
ウマいもんはウマいのだ。
もちろんパブの人は女性がビターを飲もうが、スタウトを飲もうがゼンゼン気にしない。

50外壁にはたいていこういう細い板が取り付けてあって、コレをテーブル代わりに使う。
やっぱりみんな飲んだら飲みっぱなしなので、事後にはこのでっぱりに空のグラスがズラ~っと並ぶことになる。
しかし、パブもいい加減すごい数のグラスを保有しているよナァ。

35次…トラファルガー広場から少しこのあたりはいつもお巡りさんが厳重に警戒している。
この写真じゃわかりにくいと思うけど、門扉の向こうに黒い壁の建物が見えるでしょう?

70vよくイギリスの総理大臣が記者会見を開いている場所がココ。
つまり、イギリスの首相官邸。
「ダウニング街10番地(Number10)」と呼ばれ、この名前は官邸またはイギリス首相の代名詞として用いられる。

92mayね、ドアに「10」って表示があるでしょ?
それとこのネコちゃん。
ダウニング街では昔から多くのネズミが住み着いており、16世紀初頭からネズミ捕り兼ペットとしてネコを飼うことが多かった。
首相官邸もその例にもれず。
そして、1924年からは「首相官邸ネズミ捕獲長(Chief Mouser to the Cabinet Office)」として正式にネコちゃんを「雇用」している。
今の捕獲長は「ラリー」というネコらしい。
ナント、身分は「公務員」で年100ポンド(=15,000円)の給料が支給される。
ネズミをたくさん捕るとボーナスが出る…かどうかは知らない。
こういうシャレっ気がいいんだよな~、イギリス人って。
くだらないことをマジメにやる。

10dそのすぐ近くのパーラメント・ストリートというところにあるパブも夕方になるとコレ。

60コレはリヴァプール・ストリートの駅前にある古いパブの店内。
こういう古いパブは空いている時は大変静かで実に落ち着く。
我が家もロンドンのパブ並みに古いので、まるで家に帰って来たようにくつろぐことができる。
ユッタリとイングリッシュ・エールの香りとノド越し、そして独特の苦みを味わうのだ。
中には博物館かと思わせるような古式ゆかしく、貫禄のある造作のお店もあって実に興味深い。
サッカーやクリケットの試合をテレビで流している店だったり、Witherspoonのように大型のチェーン店だとこうはいかない。

80このパブの文化っていうのはいいよね。
イギリスの家はみんな小ぶりなので、普段は人を招き入れることをあまりしない。
会社の同僚とちゃっとイッパイやろうにも日本の居酒屋のように食事をしながらワイワイ騒いで飲むスペースもない。
かといってレストランに行ったら勘定に目を回すことになるし、そもそも大声で話したりすることは禁物だ。
そこで、勤め先からの帰りがけにパブへ寄って、気の合う仲間と会社や上司の悪口を楽しむ。
「そうなんだよ、会社の給料なんてサ、7割は『ガマン代』なんだよな!」
「そうそう、オレなんか9割だぜ!」…なんてやっておいて、1パイントだけエールを飲んでサッサと家に帰って家族と食事をする。今の為替レートなら700円ぐらいか?
ロンドンの中心街にあるパブでは食べ物は扱っていない。
ああいう生活を見ていると、働き方や酒の文化が日本とオッソロシク異なることを思い知らされる。
日本は永久にマネできまい。

90コレはアールズ・コートのパブ。
この赤い天井ね、他のパブでもよく見かけるんだよ。
パブの天井の定番素材なのかしらん?

100そしてやっぱりコレだよね。
せっかくなので写真はFuller'sのものにした。
イギリス人はコレじゃないと「ビール」って認めないから。
いつも100%以上冷静なウチの社長が、アメリカでレストランに入った時、瓶ビールしか置いてないことを知ってメッチャ不機嫌になってたからね。
あ、それと地方のホテルで開催した社長の結婚10周年記念パーティに出席した時、会場のビールサーバーにはラガー・ビール(日本で普通に出て来るヤツ)しかなかったのね。
それを飲んでいた私を見つけた社長は、私がイングリッシュ・エールが好きなのを知っていて「シゲ!ビターは下の階だ!」、「シゲ!下の階に行けばビターがあるぞ」、「シゲ、下のビターは飲んだか?」、「シゲ、ビターはうまいか?」…わかったから!と言うぐらいしつこく…イヤ、親切に面倒をみてくれた。
それぐらいイギリス人ってビールにマジなんですよ。
そんな本場で飲むビールがうまくないワケないよね~。
 
110コレを書いていてフト気が付いたんだけど、パブでビールを頼むと、そのビールの銘柄のロゴが入ったグラスに注いでくれる。
例えば、上のハンドパンプ(ポンプ)でLondon Prideを注文すると下の写真のようにLondon Prideのロゴが入ったパイント・グラスを使うワケ。
もちろんHob Goblinを頼めばHob Goblinのロゴが入ったグラスを使う。
それを見て、「ずいぶんシッカリやってるナァ」といつも思うんだけど、こういうことをするのは全部が全部ではないかも知れないけど、ビール会社が経営しているパブだからなんだね。
宣伝のためにビール会社が自分の会社の製品のロゴが入ったグラスをパブに支給してるんだ。
イケね、こんなにイギリスのビールのことを持ち上げちゃったんで、この後がやりにくくなってしまった。

710ビールといえば本八幡ですよね~!
今日もこの4人と「ドライビング・ロック」で盛り上がろう!

120Seiji

130vYuki

140v_2Toshiyuki

150vChiiko

160v宴会らしくアタマっからハデに行くぞ~!(「宴会」ではないか?)
まずはSeijiさんのリフから!

170v_4d「Attraction 4D」だ!

180そのまま続けて「M16」。

190_m16もちろん今日もリズム隊は絶好調。

200v濃密なコンビネーションが気持ちいい!

210「M16」の見せどころ。
SeijiさんとYukiちゃんの押したり、引いたり。

220智にはたらけば角が立つ…情にサオさせば流される…

230意地を通せばキュウクツだ…とかくこの世は生きにくい。
…なんてこと考えてんのかね?
なんでやねん?イヤ、押したり引いたりしてるからさ。

240もう1曲続けて「Cassis Orange」。

250_co来るね~、今日も。

260vノッケからMarshallサウンド全開!

S41a9206 「こんばんは~、D_Driveです!
『居酒屋でぃ~どらいぶ』にお越し頂きましてありがとうございます。
今日も後でセッション・コーナーがありますからね、ご参加になる方は緊張して待っていてくださいね!
フリー・タイムの後にはジャンケン・コーナーもあります。
今日楽しい1日を過ごしましょう!」

280v_2ギターを持ち替え。

290_gr曲はYukiちゃん作の「GEKIRINー逆鱗ー」。
300vこないだ、コレを1曲目に演奏してヨカッタよね。
アレは意外な発見だった。
175v次のMCではSeijiさんが新しく作ったギターを紹介した。
ポジション・ドットが光るヤツね。

90r4a9737 するとToshiくんが「イードゥン」と正確なネイティヴ発音を交えてEDENを紹介!

330コレがToshiくん愛用のイードゥン。
今日はWT-800とD410XSTのフル・スタック。

340vすると、私が目の前にいるもんだから「コイツァいかん!」と思ったのか、Seijiさんも愛用のMarshallを紹介。

345v今日のSeijiさんは、ヘッドはいつものDSL100EC。
でもスピーカー・キャビネットは1960BX。いつもは1960AXね。

346vこうなるとダマっていられないのがChiikoちゃん。
「そんだったらワタシだって!」とNATALを紹介してくれた。

350ウォルナットのキット。

360コンフィギュレーションは10"、12"、16"、22"。

370スネアもマッチドの14"×5.5"。
このキット、手に負えないぐらい音がいい!
叩き手がいいからなんだけどね。

380ありがたいバンドだな~、D_Driveは!
さて、今度はYukiちゃんがMarshllを紹介する番だな?…と思ったらアララ?280v_3しからば、私が。
Yukiちゃんはいつも通りのバックライン。

390vTSL100と1960Aのコンビネーションだ。

400vでは、新しいギターで「Gradation」を!

410曲はガラリと替わって「Mr. Rat Boots」。

420_rat軽快なスピード・チューンでますます盛り上がれ!

425v定番のToshiくんフィーチュア。

430ディストーション・サウンドで思いっきりブチかます!

440vいつも通り後の方でSeijiさんがワウペダルを踏んでいま~す。

450「Rat」で大騒ぎした後はYukiちゃんフィーチュアのバラード「Unkind Rain」。

460vスローな曲でもビシっとキメるところはキメてくれるChiikoちゃん。
このメリハリがいい。

461「さて、あと2曲でセッション・タイムに入ります。ご参加になる方は心の準備をお願いします!」
なんか、やたらとプレッシャーをかけるYukiちゃん。
「いいニオイがしてきて若干お腹が空いてきましたよ!」

9s41a9513 で、「Lost Block」。

462sv_lbD_Driveのワルツ。

463v重要なナンバーだ。

465セッションの前のもう1曲は「The last Revenge」。
しつこいようだけど「居酒屋甲子園」のテーマ。

670コレも人気曲だでね。
大いに盛り上がった。

270v「それではセッション・コーナーいきます!まずは'Runaway Boy'から」」

470v別名「Seijiさんの休憩コーナー」。
Seijiさんの曲が選ばれると、どうしてもメイン・パートを担当しているSeijiさん役で出演する確率が高くなる。
それにYukiちゃんとツイン・ギター演りたいよね。

480_rbトップバッターでご登場頂いたのは中村さん。

490vホント、このコーナーに出て来る方々はみんなバッチリなんだよね。
ま、そうでなきゃ出て来ないだろうけど…。
中村さんも完璧にSeijiさんのパートを弾きこなされていらした!

500続いてはベース!
お、ベースでの参加者を初めて見た!
ハイ、Seijiさん戻って。Toshiくんは休憩。

510_hdh中野からお越しの沢さん。
Toshiくんのベースを拝借しての演奏。

520vコレまた完璧な演奏!
で、皆さん決まって「イヤ、練習して来なかったんですよ!」とおっしゃる。
どうせ完璧な演奏をされるんだから「バッチリやって来たぞ!お前ら少しでもミスったらブッとばすかんなッ!」とD_Driveにプレッシャーをかけちゃえばいいのに!
そんなファンはD_Driveにはいないか…。

530もうおひと方はまたSeijiさんパート。
ハイ、Seijiさんまた休憩。

540「Cassis Orange」を演奏されたのは「さいしょ」さん。
「最所」さんかな?「税所」さんかな?
いずれにしても「さいしょ」さんという方は九州に多くいらっしゃるようですな?
なかなか珍しいお名前でしょう。九州は珍名さんの宝庫だからね。
一番は「牛糞」さん。
この名字の方は戸籍上で改名してしまってもう「牛糞」姓は絶滅されたらしい。
私がお会いした中で九州最強は「上段」さんだ。字面はおとなしいが読み方でブッとんだ。その読み方は各自で調べてください。
最近では何と言っても富山からエントリーされた「瘧師(ぎゃくし)」さんだ。このお名前には本当に驚いた。
あ、ゴメンナサイ!珍名さんに目がなくて…。

550vさいしょさんも、何のよどみも引っ掛かりもなくスラスラと「Cassis Orange」のSeijiさんパートを披露してくれた。
しかし、皆さんホントにお上手ですよ。
このコーナー、他流試合をやったら絶対にオモシロイよ。
D_Driveで使われていない楽器の人が一緒に演奏するねん。
管楽器だとキーの問題があって実現はムズカシイかもしれないけど3管で「M16」のテーマなんかを吹いたらカッコいいんじゃん?
個人的にはマリンバとかで聴いてみたいナァ。
後は擦弦楽器。
ヴァイオリンもいいけど、チェロがいいな…ツイン・チェロ。
ええい!もうこうなったら2 CELLOSと一緒に演ったらどうなのよ!
エ?オマエ酔っぱらってるんじゃないのかって?いいえ、私は酔っていません。車ですから。

560お楽しみのフリー・タイム。570メンバーとファンの交流タイム!

580もちろん話題は政治経済と世界平和に関することだ。

590今回は盛りだくさんだな…。

600今度はじゃんけん大会だ!
640D_Driveのメンバーとジャンケンをして、勝ち残った人がそのメンバーが持参したグッズをもらえるよ。
620「最初はグー」
考えてみるとこの「最初はグー」って一体なんの意味があるの?
元はドリフなんだね。
いつの間にかやるようになったよね。私はやらないけど。
この後に続く文句があったが、今では「最初はグー」だけになったそうだ。
意味合いとしてはジャンケンのイントロみたいなもんらしい。
いきなり「ジャンケンポン!」とやるのではなくて、「さいしょはグー」と1小節加えることによって「ジャンケンポン」のタイミングをバッチリ合わせることができるんだと。
面倒じゃん?
そういえば「ジャイケンホイ」ってやる地方があるでしょ?
「ジャイケン」ってなんだろう?

610Toshiくんがスゴかった。
ジャイケンの勝者にストラップをプレゼントするのかと思ったら、ベース本体をあげちゃった!…ウソですよ~。

630最後にもう1曲。
「Champaign」を持ってきた。
私は最近この曲がお気に入り。

660_cpそしてアンコールで「Screw Driver」をプレイして演奏のコーナーを締めくくった。

0r4a9549

680v_2

690v_2

700v「Dの進撃」は続く…。
さて、今週のD_Driveはまた東京です。
明日7日のは今年も高田馬場DXでYukiちゃんのバースデイ・ライブ。
軽々と手にしているのはバースデイ・プレゼントではありません。

720v翌8日は西川口Heartsで真壁六郎太のところとダブル・ヘッドライナー+アルファ。
「ツーマン」でも「スリーマン」でもありません。
タイトルがいいよ!…「Valve Maniacs」だもん。「valve」はイギリス英語。
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive OFFICIAL WEBSITE

Nh あ~、イングリッシュ・エール飲みたい。
この色!この泡!この温かさ!
タマりまへん。
そういえばMarshallビールどこへ行った?710 

200

(一部敬称略 2018年10月12日 本八幡Route Fourteenにて撮影)

2018年11月15日 (木)

私の女王様

 
え~、「女房と畳は新しい方がよい」…なんてことが昔から云われておりまして…。
 
畳は間違いなく新しい方がいい。
ウチは残念ながら改装した時に畳の部屋がなくなってしまったが、あの青々としたイグサのいい香りを味わうことができるのは日本人の特権のひとつだと思っている。
子供の頃、家の畳が入れ替わるのがとてもうれしかった。
一方、女房は「古女房」なんて言葉もある通り、同じ世代の相手と長年連れ添うことはは、とてもいいことだと私は思う。
何が一番いいって、話題がピッタリじゃん。
ウチは夫婦が全く同じ年なもんだから、同じテレビ番組を見て、同じ流行歌を聴いて育っているワケ。
歳をとって来ると昔を懐かしんで「あ~、そんなのあったね!」なんてやるのも楽しいもんですよ。
さすがに前のオリンピックはまだ2歳だったので何も覚えていないが、万博とか、ダッコちゃん、三億円事件、ノストラダムス、あさま山荘、笠谷、佐藤栄作とニクソン、アポロ11号、光化学スモッグ、チクロ、PCB、横井さんや小野田さん、紅茶キノコ、ユリ・ゲラー、アメリカン・クラッカー、そして大量のヒットソングなどなど。
そんなことを話していると結構話題に上がるのがQueenなんだよね。
そう、このお方、ハーマジェスティ、エリザベス2世。
相当イギリスに通っている私でも実際にお会いしたことはない。
そのうちソーホー辺りのパブでバッタリ出くわすだろう…「ハイ、リジー!」なんてね。アホか!

20もしくはコチラ、1世さん。
ヘンリー8世と2番目の奥さん、アン・ブーリンとの間にできたお嬢ちゃん。
ウチ、「八っつあんモノ」好きだから。八五郎じゃないよ、8世ね。
1588年、「アルマダの海戦」でスペインの「無敵艦隊」を破ってイギリスを世界の一等国に引っ張り上げた女王。
「オレって最強?」よろしく、「無敵艦隊」なんてスペインもずいぶんと大仰な名前を付けたことよと思ったがさにあらず。
スペインを打ち破ったイギリスが、自分たちのスゴさを喧伝するために「スペイン無敵艦隊」と呼んだらしい。よ~やるわ。

30vでも同じエリザベス1世を演るならこっちのお方の方がいい。
デイㇺ・ジュディ・デンチ。「デイㇺ」は男性で言うところの「ナイト」。

40それと、やっぱりバンドのQueenね。
私たちの世代だと、「Killer Queen」の大ヒットの直後ぐらいからリアルタイムで意識するようになった感じかな?
Queenが出ていないミュージックライフの号はなかったし、「ぎんざNOW」ではしょっちゅうフィルムが流れていた。QueenとBay City Rollersば~っかりだった。
そもそもあの頃はヤングもまだ「銀座」だもんね。断じて渋谷ではない。
我々が大学ぐらいまでは「渋谷」ってのはとてもいい街だったんだよ。今はホントにウンザリさせられる。
だいたい「ヤング」なんて言葉も死んだもんね。今はなんて言うんだろう?
当時、つまり中学の頃、家内のクラスはKISS派(硬派)とQueen派(軟派)の対立が盛んだったというんだよね。
いい時代だナァ。
一方、私はといえば、Queenが好きではなかった。
「女の子たちのアイドル」というイメージが強くて、どうも苦手だった。
それといつもの調子で、人と同じことをするのがイヤで、そういう流行り物には一切近づかなかった。
だからKISSもダメだった。
ウチにはいまだにKISSの音源はレコードもCDも1枚もない。あるのは初来日の時のコンサート・プログラムだけ。あのコンサートは本当にヨカッタにゃ~。メッチャ感動したわ。でも全くファンではない。
その頃ってナニを聴いていたかな?Toddとか?とにかく「♪ドンドンパン」が出る前にはFrank Zappaに夢中になってたのは覚えている。
  
しかし、スゴイね~、facebookを見ていると、皆さん『ボヘミアン・ラプソディ』だらけじゃないの!
まぁ、私なんか上に書いた通りで、絶対に観に行くワケがないのよ。
しかも、今映画ってひとり1,800円もするのね!
数か月前に新宿の映画館で『スパイナル・タップ』を観たんだけど、関係者としてご招待頂いたのでチケットの値段は知らなんだ。
その前はロンドンの『ナショナル・ギャラリー』のドキュメンタリーを観に行ったけど、3年前のことだったので、入場料のことなんか忘れてたよ。
でもね、行っちゃったのよ……「ボヘラ」を観に!(「ボヘラ」はどなたからかのパクリ)
観に行った理由はね…「夫婦どちらかが50歳以上」という割引があるのを知ったから。
1,800円が1,100円になるの。
ああ~、自分がこんなサービスを受けられるようになるなんて「Killer Queen」が流行っていた頃には想像したことすらなかったよ。
でも、コレだけじゃない。
Marshallの連中が「アレ、すごくいいよ~!絶対に観た方がいい」と強力に薦めてくれたのだ。
イギリスの人が言うんだから間違いないだろう…と思って、「じゃ、行ってみっか!」と軽い気持ちで家内を誘って、ガラガラであろう平日に行ってみることにした。
そしたら、結構入ってた。
客層は予想通り年配の方々ばっかりだったね。

10…と、いうことで、今日は映画『ボヘミアン・ラプソディ』の私なりの感想とウンチクを少々書き記してみたいと思う。
 
その前にもう少し私のQueen遍歴を…。
上に書いた通り、アンチQueenの私だったが、大学に入って間もない時、軽音楽部に加わらせてもらい、どういういきさつだったのかは覚えていないが、Queenのコピーを演ることになった。
その時点で生まれて初めてQueenのLPレコードを買った。
アンチとはいえ、以前から密かにカッコいいと思っていた「Keep Yourself Alive」を演りたかったので、明治大学の生協でファースト・アルバムを買った。
大学の生協ってレコードが1割引きだったんだよね。
『The Game』の頃かな?そういえば、周囲のヤツらは『The Game』のことを「メンコ」って呼んでたわ。「銀メン」ってあったでしょ?アレのこと。
Queenのファンの連中って当時やたらと『Queen II』をススメるんだよね。「特にB面がいいんだよ!」って。
私にはどうもピンとこなかったナァ…今でもわからん。素直に『Sheer Heart Attack』の方が魅力的だと思う。
で、結局演ったのは「Death on Two Legs」だけだった。
確か私が部室で外道の「香り」のリフを弾いた時、先輩が「あ、ソレ知ってる!『外道のテーマ』だよね?」と言った瞬間にイヤになった。
「香り」というタイトルが出て来なかっただけで、私にとってはその先輩はロックに関しては無知に等しく、失格なワケ。
私はやっぱりもっとマニアックな音楽の方が性に合うし、人とは違う行動がしたくてすぐにクラブを離れてライブハウスの世界に戻った。
私はそれほどロックが真剣に好きだった。1980年の話ね。「80年代のロック」が出て来る前の話。
 
さて、もうそのファースト・アルバムはとっくの昔に処分してしまってウチのレコード棚には入っていないが、手元にいくつかQueenのアイテムが残っている。
まずはシングル盤。
デへへ、アンチ・クイーンの「Queen Killer」を気取っていながら、好きな曲のシングル盤を少し買っていたんだね。
でもね、この「Bicycle Race」にはビックリしたね。ラジオで聴いてすぐにこのシングル盤を買いに行った記憶がある。後年『Jazz』を買ったけど、この頃はまだLPを買うことに抵抗があったのか、お金がなかったのかは覚えていない。
ちなみに海外の人が「bicycle」という言葉を使うのをほとんど聞いたことがない。「bike」って言うんだよね。で、オートバイは普通「motor cycle」。
でもコレは当然のことで、冷蔵庫のことを「refrigerator」なんて言わずに「fridge」って言うでしょ?
アレと同じ。
「bicycle」の短縮形が「bike」。我々は「バイク」と言うとすぐにオートバイを思い浮かべてしまうけど、コレも和製英語の良くないところ。
「Killer Queen」は「Seven Seas of Rhye」とのカップリングで両A面だったんだね。この「Seven」を好きな人って多いよね。

70それとこのライブ盤。
当時はカラー・レコードが珍しくて、それに惹かれて買った。

80後はコレかナァ。

90ロンドンはトッテナム・コートロードにあるドミニオン・シアターで『We Will Rock You』を観た。
おもしろかった。
エンディングには出演者全員で「Bohemian Rhapsody」のオペラ・パートを実演して盛大に鳥肌が立って、感動で涙が止まらなかったね。
90r4a3281 バンド・メンバーがかつてMarshallのデモンストレーターをしていたフィル・ヒルボーンと元Wishbone Ashのローリー・ワイズフィールドのダブル・キャスト。
ベースはニール・マレイがクレジットされていた。
この時は200回目の記念公演とかで、ホンモノのブライアン・メイが出て来て「Bohemian Rhapsody」のソロを弾いてくれた。VOXでよ。
終演後、ブライアンは出口のところに立って、劇場を後にするお客さんたちにに礼儀正しくお礼を言っていた。
さすが天文学者。ペンギンになることはできなかったけど、キチンとしとる!
ま、この辺のことはもう何回もマーブロに書いたね。別に忘れているワケではござんせん。

9img_0334 私は「アンチ」と言っても、「何が何でもイヤだ」というワケではなくて、さっきの「Keep Yourself Alive」のように、いい曲はいいと思ってるワケ。
だから、こうして僅かとはいえ、シングル盤も買い込んだりしてたのね。
来日公演に行かなかったのは後悔してるね。
そこへチャンスが到来したのは2014年のSUMMER SONIC。
来ちゃったんだよね、Queen、チーバくんのところへ。
私も年を取って、頭も心もスッカリ丸くなっちゃっいましてね、正直、メッチャ楽しみましたよ
その時のことはコチラでレポートさせて頂きました。
  ↓    ↓    ↓
【Shige Blog】SUMMER SONIC 2014~QUEENを観たよ…の巻30_2あ~思う存分総括した。
「ネタバレ」になる部分もあるのでまだこれから映画をご覧になるおつもりの方は、映画を鑑賞してからこの先をお読みください。
ココでスッと辞められるところがインターネットのいいところ。
勝手に読み進めて「ナンダ!」なんて言うことになっても責任は持てません。
じゃ、なんで書くんだ?と問われると、一応私なりに映画を観て刺激を受けているので、その刺激が薄らぐ前に書いておこうと…。

Exit さて!
ココからは私の映画『ボヘミアン・ラプソディ』に関する感想とウンチク…というか、ま、気の付いたことを書かせてね。
な~んにも知らない、まっさらの状態で映画をご覧になりたいと思っていらっしゃる方は以下を読まない方がいいでしょう。
観た後に読んでも大したことはありませんけど。

Ver まず、「20世紀フォックス」のファンファーレはニヤリとさせられるよね。
こういうアイデアがウマいよね、向こうの人は。
 
最初の方で、バンドがマネージメント・オフィスと契約に関するミーティングをするシーンがあるでしょ?
アレはココ。
コレはハマースミスのテムズ川沿いにあるパブなの。
私は以前、ロンドンに行くとハマースミスにあるホテルを定宿にしていて、ある時、川沿いを散歩していてココを通りかかった。
ものすごくステキなところでね~、とても印象に残っていたので映画を観ていてすぐにわかった。

190あのシーンのバックに見えている橋がこのハマースミス橋。
スゴく立派な橋なのよ。
今回、これらの写真を見てなつかしくなっちゃって…『イギリス-ロック名所めぐり』で急遽「ハマースミス」の記事を書くことにした。
おスキな人はお楽しみに…おキライな人はお気の毒に。

200ハイ。
映画の中でEMIのプロデューサーとどの曲をシングル・カットするかモメるでしょ。
「ボヘミアン・ラプソディ」は6分近くあるから「ダメよダメダメ」って。
ヘヘヘ、ね、ゼンゼン平気なんだよ、6分。それで大ヒット。
アンチだった私だってこうしてシングル盤を持ってる。
だからケンカしなくてもヨカッタのよ。
昔はドン・アーデンとかシェル・タルミ―とか、スゴイ権力だったんだろね。

60フレディがムクれて部屋を出る時「Queenを捨てた男って言われるぞ!」みたいな捨てゼリフをプロデューサーに向かって吐くでしょう?
あれはデッカ・レコードのディック・ロウというプロデューサーのことを言ってるの。
詳しくはコレを読んでみて!
 ↓   ↓   ↓
【Marshall Blog】ビートルズに勝った男

240気になったのは、『オペラ座の夜』のタイトルを決めるシーン。
あの『A Night at the Opera』というのはマルクス兄弟の『オペラは踊る』から引用したと聞いたが、このことに一切触れていないのはどういうことか?
コレも何回も書いたけど、『オペラ座の夜』の次のアルバムは『華麗なるレース』という邦題が付けられているじゃない?
コレもマルクス兄弟の『マルクス一番乗り』の原題の『A Day at the Races』を拝借している。

110「night」と「day」で対が完成するのに、邦題の『華麗なるレース』はコレを台無しにしちゃってる。
そもそもナンでマルクス兄弟の映画からタイトルを引用したかというと、レコーディングの時にこの映画を観ていたっていうんでしょ?
この話が本当だとしたら…グルチョやチコやハーポからこの偉大なアルバムを作っちゃうところこそがオモシロイのにナァ。
私が脚本を書いていたら絶対にそうするのに~!

120ファンでない私が指摘するのもどうかと思うけど、もう少し丁寧に有名になっていく過程を描いて欲しいと思ったのが素直な感想。
例えば、Queenは日本で人気が出たこともあって、本国で名声を得たんでしょ?
チョット日本を素通りしすぎじゃないのかしらん?
そこのところ、もうチョット「手を取り合って」欲しかった。
「Bohemian Rhapsody」の創作過程のシーンなんかにももっと時間を費やして欲しいと思ったんだけど、観ていてこの辺りの感想は自分が間違っていることに気付いた。
つまり、この映画はQueenの映画ではなくて、Queenという場所で名声を掴み早逝した「フレディ・マーキュリー」という音楽家のプライベート・ストーリーなのね。
だからQueen単位で観るのは間違いだと思うワケ。ジョン・ディーコンのファンなんかがこの作品を見ると期待外れに終わっちゃうかもね。
で、プライベートといえば、コレ。
フレディの終の棲家。

130ココであのパーティをやったのね?
ジム・ハットンとアレのヤツ。
世界中から訪れるファンの手紙が入り口周辺の壁に貼られているが、最近ココに赴いたMarshallの友人の写真を見ると、キレイサッパリ取り除かれていた。

150ちなみにジム・ハットンも2010年にAIDSで亡くなったそうだ。

155場所はアールズ・コート。
すぐ近くにあの「クソテスコ」がある。
なんで「クソ」なのかはコチラをそうぞ。コレが本当の「クソ」だから!
  ↓   ↓   ↓
イギリス紀行 2015 その4~雨のウエストミンスターからの~

260さらに…マジソン・スクエア・ガーデンでのライブのシーンがあった。
アソコでフレディは「ビッグ・アップルを喰ってやった」みたいなことを言う。
もちろん、マンハッタン島が「Big Apple」と呼ばれていることは誰でも知ってる。
でも、わたしは下のロゴを思い出した。
年配のイギリス人なんかは即座にアラン・チューリングのことを連想するのではないか?
アップル・コンピューターの設立は1976年だというから、もしかしたらアラン・チューリングのことがバイセクシャルのフレディのアタマにあったのでは?…なんて考えるのは思い違いか?
何のことを言っているのか知りたい人はコチラ。
  ↓   ↓   ↓
【Marshall GALA レポート】 vol.7: LUKE Tries CODE!そしてスタッフの皆さんのご紹介!

230_2映画の中ではフレディとマネージメント・サイドのイザコザのシーンが何回か出て来るが、面白い話を入手したのでココにひとつ付け加えよう。
いつかもMarshall Blogで紹介したロンドンはソーホーのトライデント・スタジオ。
このスタジオがどんなにスゴイかは下にリンクした記事をご覧になって頂くとして…。
Queenはポールの計らいでこのスタジオを自由に使うことができたらしい。
そこからスタートしたのかどうかは知らないが、このスタジオのオーナーのノーマン・シェフィールドという人はQueenの初代マネージャーだった。
やっぱり、ノーマンとバンドはケンカをして離れ離れになってしまったが、数年後ノーマンはQueenの新しいアルバムの1曲目を耳にして、驚いてイスから飛び上がったという。
そのアルバムは『A Night at the Opera』といい、1曲目は「Death on Two Legs」といった。
さっき出て来たヤツね。
この曲、フレディとノーマンのケンカのことを歌っていて、ノーマンは訴訟沙汰にするつもりだったが、取りやめたとのことだ。
も~、ケンかばっかりよ。
で、映画にも出て来る「Bohemian Rhapsody」のブライアンのギター・ソロね。
アレはやっぱりロック史に残る名ソロだよね。
映画の中でもブライアンが気合いを入れてレコーディングをしていたけど、あのメロディはフレディが作ったんですってね。
トライデント・スタジオに興味のある人はコチラをどうぞ。
  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり vol.7】 ソーホー周辺 その2

140v そして最後の『LIVE AID』のウェンブリー。
『LIVE AID』のリハーサルをしていて、終わろうとするとジョン・ディーコンが「let's call it a day!」って言うシーンはチョットうれしかったな。
コレ、英会話の教科書によく出て来るけど、外人が実際言うのほとんど聞いたことがないんだよね。
ちなみにイギリスからの情報によると、ジョンは絶対にブライアンとロジャーと合わないし、口もきかないようにしてるんだって。
あのシーン、フレディが座っているピアノ椅子の下をくぐってカメラごと移動してブライアンをクローズ・アップしてるでしょう?
アレ、どうやって撮った?
ちょっとカメラの動きが不自然だった感じがあったので、CGなんだろうナァ。

210下はスタジアムの隣にあるウェンブリー・アリーナ。Marshallの50周年記念コンサートを開いたところね。

220なんて、ここまでいかにも淡々と書いて来たけど、感動した…かというと、感動はしませんでした。
またヘソ曲がり&アマノジャク風を吹かせてしまっているようだけど、私は映画を前にすると本来の姿である「映画小僧」に戻ってしまうのです。
2時間チョット、飽きることは全くないんだけど。映画として観た時チョット厳しいんですよ。フレディやQueenのファンなら感動必死なんでしょうけど、感激するには伏線の張り方が浅すぎる。
同じ音楽家の伝記モノということになると『グレンミラー物語』とか『ジョルソン物語』とか『アメリカ交響楽』とかと比べて残念ながら脚本のレベルが違う。
また、「アンチ」ということと、上に書いたような役に立たない付帯知識があったせいもあるでしょう。
でもね、私は「Bohemian Rhapsody」という曲は人類の宝のひとつだと思ってる。
私は死ぬまでに順不同で「自分のベスト・ソング10」をキメようと思っていて、ビートルズの「Hey Jude」、The Kinksの「Waterloo Sunset」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」と並んで「Bohemian Rhapsody」は既に10曲のうちにランクインさせてるの。
残りの6曲はどうなるか?
何か奇跡でも起こらない限り、こういう曲はもう未来からは出て来ないでしょう。
過去から選ぶしかない。
映画館に行ったのが平日の昼間ということもあって、お客さんの年齢層はかなり高かった。
週末はどうなるのか知らないが、こういう映画こそ若い人たちに観てもらいたいと心底思うよね。
誰もやっていないこと、誰も聞いたことのない音を夢中になって探求するQueenの4人の姿を見てもらいたい。
コレが私の一番の感想かな?

しかし、考えようによってはこの種の映画、これからジャンジャン出来てくるかもしれないね。
クラプトン、エルトン・ジョン、The Who、フィル・コリンズ…一番観たいのはThe Kinksかな?
レイとデイヴのケンカとダニー・クェイフをイジめているシーンばかりで1本終わっちゃいそうだけど。
でも、『Sunny Afternoon』というクロニクル的なミュージカルもあったことだし、The Kinksが一番可能性があるんじゃん?涙を流すシーンはなさそうだ。
でも、エンドロールで「Waterloo Sunset」が流れたら号泣間違いなし!
その点、この作品はどうしたことか?それがイキというモノなのか?

10 

200_2

2018年11月 6日 (火)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.5(最終回)~私の明治村 <後編>

 
ようやく5丁目の見学を終わらせて4丁目に降りて来た。
しかし、暑いナァ~。
さっき犬山で雨が盛大に降っていた時はうすら寒かったのに。
 
このエリアは今までとはガラッと雰囲気が変わって庶民的な木造の建物が並んでいるぞ。

10コレは大阪の池田にあった「呉服座(くれはざ)」という芝居小屋。
明治25年の建造だそうだ。
池田ネェ…私はしばらく箕面に住んでいたことがあったので、あのあたりの土地勘はある程度持っているつもりだが、池田に芝居小屋ネェ…。

20歌舞伎の地方公演や演芸に使われていたそうだ。
なるほど。
それだけに回り舞台になってるんだって。
さらに、政治の講演会の場としても使われていたのだそうだ。
よく映画やテレビドラマのロケで使われているらしいよ。
そうそう、アチコチの展示物に「NHK朝のドラマ〇〇のロケで使われました」とか「NHKの大河ドラマの撮影をココでしました」みたいな表示が付いてたナァ。
ウチは両方とも絶対に見ないので面白くもうれしくもなかったけどよ。

30焼津から移築してきた小泉八雲の避暑の家。
別荘というワケではなくて、夏になると八雲は東京を離れて、この山口乙吉という魚屋さんの家に身を寄せていたのだそうだ。
今は駄菓子屋になっちゃってる。
しかし暑いな…と外でボーっとしていると、「ハイ」と家内が声をかけて何かを差し出してきた。

40何かと思ったら凍らせた「あんずボー」。
ウチはコレに目がなくてね~。
普段、アミノ酸だの人工甘味料だのと騒いでいるけど、コレだけは許す。
ナニを含有しているのかは今でも知らないんだけどね。
子供の頃から大好きで、昔は5円で売ってた。
今でも夏になるとアメ横の「二木の菓子」へ行ってまとめて買って来る。

Abコレね、浅草にある「港常(みなつね)」という会社が生産してるんだよ。
下がその本社社屋。
立派でしょう?「あんずひと筋」だよ。ステイタス・クォーの「ブギ」みたいなもんだ。
この「あんずボー」ね、かなり古い歴史があるよ。
港常は大正4年の創業のあんず加工メーカーで、戦前に干あんずが輸入された。
すると、長野の更埴出身の、時の2代目社長の奥さんが「チョイとオマイさん、このままじゃ安い輸入あんずにヤラれてオマンマの喰い上げになっちまうよ!アタシが口を効いてやるから、あんずの木が生えている山を丸ごと買っておしまいよ」と杉村春子っぽく言ったかどうかは知らないが、山ごと買っちゃった。
更埴というのは更科と埴科が合体したところで、「森」というエリアに「ひと目百万本」といわれるほどのあんずの木が生えている。
ちなみにこのすぐ近くには長野自動車の「森トンネル」という長い隧道があるが、ここの現場プラントに納入するセメントを担当したのは私です。
で、あんずの木って、桜を思いっきり低くしたような感じなのね。
だから、桜のように見上げることなく、目の高さで可愛らしいピンクの花を目にすることができる。
そんなだから、開花の時期はスゴイよ、観光客でゴッタ返しちゃって。
でも、この時に売っているあんずの実はすべて前年に収穫されたモノです。
で、その後港常はどうなったか?
その2代目社長の弟さんが独立して「あんず水」というあんずボーの前身のようなお菓子を開発。
コレがアホほどヒットして、とても生産が追い付かず、弟さんは権利を港常に譲渡したのだそうだ。
あんずって長持ちしないんだって。
だから賞味期限内に配送できる範囲でしか「あんずボー」が販売できないため、関東近郊でしか売っていなかった。
今でも東京からの遠隔地では販売していないようだけど、どうなんだろう?
名古屋では売ってる?
その後、「あんずボーを凍らせるとおいしさ倍増!」という評判が立ち、冷蔵庫の普及とともにガンガン売れたんだって。
ただし、長野のあんずではとても生産に追いつかず、また原価も嵩むことより昭和20年代から中国のあんずを使っているそうだ。
今、駄菓子屋なんてないじゃない?
「あんずボー」も売り場を失ったかのように思えたけど、どころがドッコイ、スーパーでまとめ売りしたところ、コレがまた大当たりしたんだって。
さもなきゃ東京のど真ん中でこんなビルを構えてないわな。
あんず恐るべし!

92mt2「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて 蟹とたはむる」…石川啄木ね。
この下の家は文京区の本郷にあった「喜之床(きのとこ)」という床屋さんで、石川啄木がこの2階に住んでいたのだそうだ。

50v伊勢にあった郵便局舎。
明治42年の建築。
シナゴーグみたいでカッコいいデザインだ。

60中には歴代のポストが展示されている。

70日本テレビが移転して来て再開発が進み、スッカリ賑やかになってしまった汐留だけど、明治の末期には火力発電所があったそうだ。
もっとも一般の家庭に供給する電気ではなくて、近くの新橋停車場のために発電をしていた。
それにしても、あんなところに火力発電所があっただなんてネェ。
マァ、小津安二郎の『東京物語』にも出てくる「オバケ煙突」で有名な東京電力の千住火力発電所を考えれば大したことないか?
ロンドンのバタシーしかり。

80上の煙突の跡のとなりにあったコレが面白かった。
日本の鉄道の先生ってイギリスでしょ?
下は新橋にあった「鉄道寮新橋工場」なる明治5年に建てられた今で言うプレハブの建物。
柱、サッシ、壁板、すべてイギリスから持って来たんだって。
柱には「Hamilton Windsor Ironworks Ltd」という銘が入っている。
リバプールの会社だそう。
リバプールというのは18世紀は世界有数の港町だったからね。
ナニで栄えたか知ってる?
そう、奴隷貿易。
でも面白いのこの建物のガワタではなくて中身。
中身が面白かったので、この建屋の全景の写真を撮り忘れたよ。

90r4a2733 鉄道とは全く関係ないんだけど、紡績をはじめとした古式ゆかしい機械がズラリと並んでる。

100コレはドイツのMiehleという会社の印刷機。

110

120このPlatt Brothersというのはイギリスの紡績機械を作る会社。
なんと創業は1770年だって!
今でもあって、従業員15,000人を抱える大手企業だ。

150日本経済の礎はナント言っても生糸と紡績だからね。
特に生糸に関しては、ダントツで世界一のクォリティを誇っていたのだそうだ。

160こういう古い機械ってのはカッコいいね。
重々しくて、頑固そうだけど、いい仕事をします…みたいな。
何しろウチの製品もいまだに真空管を使ってますもんで!

180_2コレは名古屋の「衛戍(えいじゅ)病院」の中の展示。
こういう古い看板とか広告ってのも実にいいよね。
「衛戍病院」というのは、旧陸軍が衛戍地に設けていた病院のこと。
しからば「衛戍」とはナニか?
大日本帝国陸軍の軍隊が永久に駐屯することを「衛戍」という。その場所が「衛戍地」。
この…といっても外観の写真がまたしてもないんだけど…衛戍病院は終戦後に連合軍に接収され、「国立名古屋病院」になった。
当然、軍隊とともに「衛戍」というシステムも言葉も無くなった。

190v他にもナニやら怪しげな医療器具が展示されているのよ。

200vコレはレントゲン関連の機械。
ちょっとカル・シェンケルっぽくてカッコいいじゃん?

210コレは「無声堂」という名の金沢の第四高等学校の武道場。
大正6年の建築。

220ちょうど何かのイベントをやっていて、「無声堂」どころかワイワイ若い人で賑わっていた。
『おれは鉄兵』に出て来るような、いかにも「道場」らしい道場だ。

230ブラジルはサンパウロから移設した日本人移民の住宅。
ウチにはとても仲良しの日系ブラジル人の女性がいてね、興味深く見学させてもらった。
チョット日本家屋っぽいのは、現地の日本人大工が作ったから。

240明治41年、781人でスタートしたブラジルへの移民渡航者は最盛期に年間20,000人にも上ったという。
コレらはコーヒーを栽培する道具。
辛抱強い日本人は想像を絶する過酷な生活に耐えたのだ。

250外観は日本家屋っぽくても、風土に合ったブラジル式の構造が取り入れられている。
この半分開放しているような屋根もそうなんだって。

260v最初に日本人を運んだ「笠戸丸」の資料も展示されている。

270「橋」にちなんだ人情話を集めた藤沢周平の『橋ものがたり』。
井上ひさしがこのアイデアを耳にして「やられた!」と大変悔しがったという。
いいよね~、藤沢周平って。
時々、無性に読みたくなる。
…ということで、マーブロの「橋ものがたり」を<前編>の新大橋に続いてひとつ。
イヤ、大したことはありません。

Hm コレは大田区の蒲田と川崎を結ぶ多摩川に架かっていた「六郷橋」。
明治5年に日本で初めて鉄道が開業した時、新橋・横浜間に架かっていた橋はすべて木造だった。
本当は鉄橋にしたかったんだけど、日本にはまだその製造技術がなかった。
さりとて、イギリスから輸入していたのでは間に合わない。そこで木造で架橋することに踏み切ったんだって。
そして鉄道が開通して、複線にする時に日本で初めての鉄橋が導入された。
コレがその日本で初めての鉄橋。

280ホラ!
またHamilton Windsor Ironworks。
日本にとってリバプールはビートルズだけじゃないんよ!え!マージ―で?…ナンチャッテ。コレが言いたかった。
橋ものがたり、終わり。

290この灯台は古いよ。
明治3年(1870年)の建設。
1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスらの列強5か国と結ばれた条約によって各地に港が開かれたが、ヤイノヤイノと関税他についてうるさいことを言い出したもんだから、1866年に新しい条約を交わすことになった。
その新しい条約に「外国船のために灯台を作る」という文言が入っていた。
で、作った灯台のウチのひとつがコレ。
当時、日本には灯台建設の技術がなかったため、フランス人技師の指導を受けた。
だから風見鶏の方位を示す記号がN(north)S(south)E(east)W(west)ではなくN(nord)S(sud)E(est)O(ouest)とフランス式になっている…へんなの。

300この辺りでようやく3丁目。
このエリアで目を惹くのは西園寺公望(さいおんじきんもち)の別邸、「坐漁荘」。
ボランティアの人が色々と説明してくれて面白かったな。
実に細かいところまで公望の希望が組み込まれていて、建築の際にも監督が厳しかったらしい。
大工さんはイヤだったろうナァ。明治時代、最後の総理大臣だからね~。

320こちらは墨田区の東向島にあった幸田露伴の住まい「蝸牛庵」。
「蝸牛」ってのは「かたつむり」のことね。
はい、幸田露伴といえば、尾崎紅葉と並ぶ明治の文豪ですね。で、代表作は「五重塔」。
ココまでは誰でも知ってる。
でも、幸田露伴について、我々はそれ以上ナニを知っているというのだ?
「五重塔」すら読んだことがない私が言えた義理ではないが、ほとんどの人は「五重塔」で終わっちゃうのではないか?
それなのにナンでこんなに有名なんだ?…なんてことを、ココのボランティアの係りに人に話したら、「……ホントですね~」とのお答え。

310港区にあった「北里研究所」を通りすぎていよいよ2丁目へ。
しかし、こんな建物が東京にもゴロゴロしていたんだもんね~。
ステキだったろうな~。

330ココもなかなかに見応えのある建物が並んでいた。

340明治31年建設の札幌電話交換局。
北の電話交換局といえば樺太の「真岡事件」。
コレは近々詳しくMarshall Blogで取り扱います。

350安田銀行会津支店。
安田銀行を創設した安田善次郎はオノヨーコの母方のひいジイちゃんだ。
ヨーコさんの父方のおジイちゃんは著名な銀行家の小野英二郎、ダディは東京銀行の常務。
手がつけられないほどのお金持ちのお嬢さんなのだ。
ちなみに凶弾に斃れたヨーコさんのダンナさんは元ビートルズのジョン・レノンさん…コレは誰でも知ってるか。
その前の旦那さんは誰だか知ってる?
先頃文化勲章を叙勲した作曲家の一柳慧(とし)。
もう好きにすれば良いじゃないか。
でもね、今の若い人…どころか若いミュージシャンもビートルズのメンバーの名前が言えない子が多いんだよ。

360コレも立派だったナァ。
東山梨郡役所だって。明治18年の建設。

380もうこの頃にはヘロヘロ。
朝、あの喫茶店でホットドッグを食べてから水以外何も口にしていないし、ズッ~ト歩きっぱなし、立ちっぱなしなんだもん!

390ほとんどウンザリしながら最後の1丁目へ。
しかし、コレもスゴイな。
昔の三重県庁舎。

400やった!
正門に到着!
ゴォォォォール!

410コレが明治村の正門なのよ。
一応、全部見た…ということで。
オイ、チョット待てよ~!
「全部見た」はいいけど、これからあの駐車場まで歩いて戻れっていうのか?
ずっと上りなんだぞ!
あ~、ムリムリ。無理です。
誰か車を持って来て!…というワケにもいかず…。

420有料とは知っていながら例のシャトルバスにご厄介になることにした。
チケットを買って…と。

430オイ、チョット待てよ~!
500円も取るのかよ~!タッケェな~。
と思ったら、1日何度でも乗り降りし放題なんだって。
バスの中ではかなりの名調子で運転手さんが建物の解説をしてくれる。
お年寄りなんかはコレを利用して見て回るんだね。
ナンのこたぁない、自分が「お年寄り」なんじゃねーか!

440ハイ、駐車場に到着。クタクタだ~。
オイ、ちょっと待てよ~!
これから東京まで運転して帰るんだぜ~!
 
ということで、今回の「私の〇〇」はライブ・レポートよりお先に終了させて頂きます。
最後までご高覧頂きありがとうございました!

450さて、ELLの方もいよいよ大詰め!
SNIPERを終えたトシさん、「みんな大丈夫?まだ元気ありますか?」
「オオ~!」客席からは元気な反応。

460vさっきからACEさんに代わってMCを務めているKAZUさん。
「今日のイベントにもいよいよリーチがかかったね。長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
トシと増井と赤松は同世代で、赤松が生前に作ったCDが3枚あります。
奥さまが『お聴き頂けるのであれば持って行ってください』ということで預かっています。
死ぬ間際までいい音を作っていました。
どうか皆さん、聴いてやってください」

465v12番目はDYNAGON!
待ってました!

470中野重夫

480v加藤剛

490v宮田叔侑

500v増井康博の4人がDYNAGON。

510vドヘヴィなサウンドはまさに「中京の重戦車」!

530ナニを演るのかと思ったら「Dynagon」。

520この曲はシゲさんと剛さんのバトルが見所なんだ。

540今日も組んずほぐれつ2人で暴れております!

550剛さん、会心の一撃!

560vMarshallとSGのコンビネーションでシゲさんも負けじと応戦。
もう最近は長いこと「ギターを欲しい」なんて思わなかったんだけど、近ごろメチャクチャSGが欲しいと思ってるのです。
理由は特にない。
だけど、ナンカ惹かれているんだよね~。
あ、アンプは大丈夫です。

570ヤスさんもタフだな~。
この巨岩がゴロゴロと転がり落ちていくような激しい曲でも涼しげにスティックをさばいてる。
これで10バンド目だからね。

580トシさんはひとつ少なくて9バンド目。
やっぱり元気だわ~。
見て、ステージの上下でシゲさんとギンギンに角を付け合わせてる。

590剛さん、渾身のソロ~!

600v1曲だよ。
15分で1曲。
コレで言いたいこと、演りたいことをすべて吐き出した。
カッコいいじゃあ~りませんか!

610さぁ、さぁさぁさぁさぁさぁ、もうカレコレどれぐらい押してるんだ?
んなことはどうでもいいか!
泣いても笑ってもいよいよ『Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル"生涯現役でいこみゃ~か"』の最後!
皆さん、一番最初に誰が出たか覚えていますか~?
覚えていない人はコチラを読んで復習してからこの先に進みましょう。
色々あったな~。コレで終わっちゃうの寂しいな~。

620v演奏前に主役の2人からひと言。
「最後まで本当にありがとう!リハからアクセル全開で演ってます。最後はGONZで〆たいと思います」

S41a2258 「みんなが還暦になった時に思い出してね…コレぐらいのことはできるって。赤松他、先に逝った人たちにも感謝の気持ちを込めて演ります」
S41a2259トリを飾ったのはキーボーズ・トリオのGONZ。

630Talkey Sakamoto

640Tosh

650Yasu

660v曲はアルバㇺ『Instrumental Trance Phenomena』のクローザー、トシさん作の「Circle of Mind」。
このアルバム、いいんだぜ~。
キーボーズのトリオというとThe Nice、Egg、ELP、Refugee、UK、Quatermas、Trace等々、歴史的にはそんなに珍しいモノではないけど、GONZはどれにも近くない独特の存在なんだよね。
トシさんとも話したんだけど、このアルバム、仕上がりがエラくワイルドで粗削りなのね。それがすごくカッコいいのよ。

670cdTalkeyさんの部厚いキーボーズサウンドに乗って…

690vトシさんが美しいテーマを奏でる。

730vそしてドラムが加わる。

710v曲はメジャーのミディアム・スロー。
コレを最後の最後に1曲勝負で持ってくるなんでズルくない?
感動してまうでにゃ~か!

680トシさんのソロが華やかに展開する。

700vTalkeyさんのピアノがどこまでも可憐で愛らしい。

720そして表情豊かなヤスさんのドラミング。
なんかギターがいないのにパット・メセニーの音楽を聴いているような幸福感に包まれる。
もしくはZappaの「Watermelon in Eastwr Hay」みたいな感動だ。

740vそのGONZ、今新しいアルバムをレコーディング中なんだって!
トシさんはEDENのTerra Novaをガンガン使ってくれているし、

750ヤスさんはもちろん愛用のNATALメイプルを使用。

760Talkeyさんもオルガン様に1987Xを使ってくれているようだ。

7703人の熱演が心を揺さぶる!

780終わった~!終わっちゃった~。

790トシさん、ヤスさん、お疲れさまでした~!

800最後はステージ全員集合。
ジャムセッションなんてなくていい。
もうコレでいいんだってば。
「おめでとう」を連発するワケでもなく、主役が挨拶を考えて来ないような実にリラックスしたお祝いのコンサートだった。
ま、確かに予定をはるかに超過してかなりの長尺となったが、イベントはある程度仕方ない。
ヘタをするとここから、「ハイ、じゃ、そっちから全員ひとことずつ…」なんてイベントもあるからね。
もう音楽で十分語ったハズなんだからそんなことしなくていいの!
810トシさんとヤスさんは色んな音楽を演ってきたんだね~。

815しかし、うらやましいね。
昔からの仲間がこうして集まって音楽で友達を祝福するなんて。

820コレも名古屋だからなせるワザでしょう。
東京や大阪ではなかなかこうはいかない。東京や大阪は集まって来る場所だから、いつかみんないなくなっちゃう。
それに規模が大きすぎる。
その点、名古屋は丁度いいサイズなんじゃないかしら?
才能ある人材も確保できるし、規模が大きくないゆえに横のつながりが強固になる。
カッコよく言えば、60年代のロンドンのロックシーンみたいなモノか?アメリカの都市だと広すぎちゃう。
ケンカしちゃうとやりにくいだろうけどね。
さらに「尾張名古屋は芸どころ」だから!
名古屋はある種、音楽の都なのかも知れないよ。
そもそもいいライブハウスが多いもんね。
コレが今シリーズ最後の脱線になるけど、歴史をひも解くとその理由がわかる。
享保年間、江戸では8代将軍吉宗(「暴れん坊将軍」ね)が前代未聞の緊縮財政をひき、爪に火を灯すような倹約を強要していた頃、尾張徳川家7代藩主の徳川宗春は、祭りや芸能を奨励し、ジャンジャン消費を推進したんだね。
遊郭や芝居小屋も公認して名古屋に芸能ブームを巻き起こした。(江戸では風紀を乱すとして、歴史的に芝居小屋の規制も厳しかった)
この伝統が息づいているに違いない。
でも、コレは宗春のヤキモチによるモノで、吉宗への当てつけでこんなことをしたのかも知れないよ。
吉宗は徳川宗家の出身ではなくて、宗春と同じ徳川御三家のうちの紀伊の出身だから。
 
そして、名古屋にはうまいもんがたくさんある。
今回も白川で「ひつまぶし」を頂きました!

830もうひとつ。
仲間がいるから続けているからか、それとも続けているから仲間がいるのか、どちらかわからないけど…両方かな?…とにかくみんな音楽から離れていないところがスゴい。
何事も続けなければ何にもならないもんね。
それにはやっぱり健康第一ですわ。
どんなにいいギターを持っていても、健康でなくては弾くこともできやしない。
  
13ものバンドを見ていて、私も久しぶりにバンドやりたくなっちゃったよ。
私とバンドを組むとMarshall GALAに出れるよ…こういうのを「職権乱用」とか「公私混同」とかいうんだけどね。

840最後に主役の2人から本当に「ひと言」。
「チョット疲れ切っています!みんな、どうもありがとう…最高!」

860v「みんな、覚えておけよ!みんなもコレをやるんだぞ!」

850vハイ、記念撮影。
きっと赤松さんもどこかにいらっしゃると思うよ。
みなさん、最後までお疲れさまでした!

870超末筆になってしまいましたが…
トシさん、ヤスさん、還暦おめでとうございます!
これからも名古屋においてのギンギンの音楽活動を楽しみにしています。
とにかく健康第一!
GONZのニュー・アルバム楽しみに待っています!

880<おしまい>
 

200_3
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 5日 (月)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.4~私の明治村 <前編>

 
ナンダ、ナンダ?
犬山城を出た後はグイグイと天気が良くなってきたぞ!
この日は完全に「雨」の予報だったんですけど…。
もちろん文句は言うまい。
今回の観光で一番楽しみにしていた「明治村」が晴れているんだからこの上なし!
案内板に導かれるまま山道を登って駐車場に直行し、その最寄り入り口から入村した。
正門ははるか下の方になる。
この駐車場のロケーションがね~…この時は知らなかったよ。

10明治村に来たのはコレが初めてのことではなくて、前回書いた、例の社員旅行の時に訪れたことがあるの。
つまり34年ぶりの再訪。
だから犬山城同様、ゼンゼン覚えていない…というワケではない。
ところどころ覚えていて、長い間「また来たい」と思っていたんだ。

20ウワ~!地下通路を抜けるとこの景色。
気持ちいい~!

30そして、すぐ左手には旧帝国ホテル。

40カッコいいな~。

90r4a2444 コレがこうして日比谷公園の向かいにあったなんてね~。
この建物がフランク・ロイド・ライトの設計であることはつとに有名だ。
1923年の竣工。つまりジム・マーシャルが生まれた年(大正12年)に工事が終わった。
コレすなわち関東大震災の年。
オープンの準備に大あらわだった時に地震が発生した。
植草甚一の本を読むと、植草さんは当時中学生で、都電(当時は市電かな?)に乗っていた。
地震の瞬間に電車が転覆したそうで、何が起こったのか全くわからなかったらしい。
そんな地震でも出来上がったばかりの帝国ホテルはビクともしなかった。
アメリカに戻っていたライトは、地震の2週間後に手紙でそれを知り、狂喜したそうだ。
しかし、見ての通りこの東京の貴重な土地のど真ん中を陣取っていた割には部屋数が270しかないために採算性が悪く、老朽化が著しく進んだことより1968年(昭和43年)に解体され、一部がこうして明治村に移築されて保管されている。

110中に入る。
やっぱり覚えてないな。

60アールデコ調の装飾がそこら中に施してあってステキなことこの上ない。

70v

80v

90見て!この天井のデザイン。

100コレがロイド翁。

120v中には帝国ホテルで使っていた食器なども飾られている。
このお皿のデザインはライトによるもの。
あくまでも「シンプル」だね。

130コレは銀のスプーン。

140ハイ、ココで脱線。
この脱線のために上のスプーンの写真を撮って来た。
「銀のスプーン」は英語で「silver spoon」。
出て来るでしょ、「アビィ・ロード」のアレに。
「♪She came in through the bathroom window, protected by the silver spoon」ってヤツね。
この曲はポールの実体験に基づいていて、風呂の窓から入ってきた女性の「空き巣」の歌なんでしょ?
だけど、それはリンダだという説もあるとか…。
「銀のスプーンに守られて」いるんだから相当な金持ちの女性のはず。
しからば旧姓イーストマンのリンダに違いない…と思ったことがあったけど、リンダはイーストマン・コダックのイーストマン家とは無関係なんだってね?
そう、「silver spoon」は金持ちの家を象徴していて「be born with a silver spoon in one's mouth(銀のスプーンを咥えて生まれる)」という風に使い、リッチな家庭の出身を意味する。
向こうの曲を聴いていると時々この表現に出くわす。
そして、この反対をやったのがThe Whoの「Substitue」…「恋のピンチヒッター」ね。
「♪I was born with a plastic spoon in my mouth」っていうところ。
ウチのことだわ。
銀なんてムリムリ!ウチはプラスティックのスプーンです。
そういえば最近が「プラッチック」っていう人を見かけなくなったね。

Subコレはチョコレ―トでできたスプーン。
トルコ製。
ホット・ミルクをコレでかき混ぜると、スプーンが溶けてホット・チョコレートになるんだって。
ホンマかいな?
アメ横で見つけて、この記事のために買って来た。

9sp2 戻ってコレですよ。
ビリヤード台でも帝国ホテルの大浴場のそばにあったピンポン台でもないよ。
コレ、ポーツマス条約の時に実際に使われたテーブルだっていうんだよね。
ポーツマス条約というのは1905年(明治38年)にアメリカのセオドア・ルーズベルトの仲介で結ばれた日露戦争終結のための講和条約だよね。

150交渉を全権委任されたのが、日本側は時の外務大臣、小村寿太郎。
ロシア側は調印直後にロシアの首相となるセルゲイ・ウィッテ。
下の絵がその調印式のようすで、ン~、絵の方が何となくテーブルが短いように見える感じはするけど、確かには似てはいる。
ホンモノかナァ?興奮するな~。
なんだって、こんなモノに興奮するかというと、ウチのひい爺ちゃんがこの席にいたとかいうワケではまったくなくて…

9160 この吉村昭の小説を読んだからなのね。
ハッキリ言いましょうか?
ヤケクソに面白い。
もうチョット言うと、今の政治家は全員読むべき。
昔の政治家が大変に立派だったということがわかる。
この講和条約に臨んだ小村外務大臣は、途方もない苦労をして調印にこぎつける。
普通、日露戦争というと、「アジアの小国がヨーロッパの列強に勝利した誇るべき戦い」みたいなイメージが我々にはあるでしょ?
とんでもない。
ロシアはバルチック艦隊の到着が遅れて、チョット劣勢になってしまっただけで、「何なら2回戦をやってもいい」ぐらいのつもりだったらしい。
そうなったら間違いなく日本は滅亡していたらしい。
コレに先立つことたった14年、1891年に「大津事件」という滋賀の大津で津田三蔵という警官が来日中の時のロシアの皇太子ニコライを突然斬りつけるという暗殺未遂事件が発生した。
この時、日本政府はマジでロシアが仕返しで日本を滅亡させると心配したらしい。
そんな状態での交渉なもんだから当然小村は苦労しますわな。
でもとにかくガンバル。
結果、樺太の北部はゲットできず、かつ一銭もロシアから賠償金をふんだくることができなかった。
国内はマスコミがいいように掻き立てて、国民はスッカリ大勝だと思っているもんだから、小村は国賊扱いされてしまうんだな。
ヒドイ話よ。
この「勝ったつもり」になった戦争が、結果的に太平洋戦争に発展しちゃったんだから恐ろしい。
とにかくご一読をオススメします。

9ph そして、そのバルチック艦隊の顛末を小説にしたのがコレ。
あ、私は戦争マニアとかいうワケではゼンゼンありませんよ。
ただ、戦争まわりのことは、機会があれば少しでも多くを学ぶように努めているつもりなのです。
Us「大津事件」はコレに詳しい。
コレも面白いよ。
今日は徹底して吉村昭を出しちゃう。
私のウンチクの多くは吉村昭の小説から拝借しているのです。

Ns 話を戻して…
ココに「このテーブルがポーツマス条約の調印に使用された」ことを証明する銘板が取り付けてあった。170その銘板がコレ。
ようするにホンモノなのね。

180コレはその時の写真。
上の絵の反対側から撮影してるね。
手前側の左から3人目が小村寿太郎。
190村内をシャトル運行する乗り合いバス。
無料かと思ったら有料。まあ乗らないわね。
ところが、このバスにトリックがあることを最後の最後に知った。

200コレ、何だと思う?
日本の司法制度確立期の明治19年に京都の宮津に建てられた裁判所の一部。

210内部には人形を用いて当時の裁判の様子が描かれている。
裁判所なんてどこにでもあるわけじゃなく、明治9年には全国で23か所しか地方裁判所がなかったらしい。
私はですね、今から30年ぐらい前、関西電力の「宮津エネルギー研究所」という火力発電所の建設現場によく行ったんですよ。
宮津といえば舞鶴から天橋立を経て西進したロケーションでとても寂しいところだった。

にもかかわらず何で宮津に裁判所なんかあったんだろう?

220トトロの「さつきちゃん」の家?
新潟の上越市に明治41年(1908年)に建てられたという写真館。
明治時代は正式な理化学の知識を持ち、それなりの修行を積んだ人でなければ写真館など開くことはできなかったらしい。
今のデジカメで猫も杓子も「にわかカメラマン」というのとはワケが違う、花形職業だった。
ま、私も猫や杓子の一部ですが…。

2302階がスタジオになっている。
当時はストロボ等の人工の光源がなかったため、太陽の光がスタジオに入り込むように大きな天窓を設けたのだそうだ。
わかるワァ、この気持ち。
しかし、低感度のフィルムじゃ、冬の上越ではコレでもキツかっただろうナァ。

240「明治五大監獄」っていうのがあるの知ってる?
私は知らなかった。
入ったこともないし。
千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島の5つ。
下はそのウチの金沢監獄の正門で明治40年に作られた。

420コレがその中央看守所という設備。
アータ、調べてビックリよ。
この金沢監獄はおろか、上の五大監獄はすべて山下啓次郎という人の設計。
山下啓次郎…知ってる?
なんと、ピアニストの山下洋輔の実のおジイさんだって!
そういえば以前テレビでそんなことをやってたような記憶がなきにしもあらずだわ。
そして、まだコレが金沢にあった頃、五木寛之がこの監獄の裏に住んでいたそうだ。(この設備が解体されたのは昭和46年)

250中央看守所から5つの収監棟が伸びていて、下のような八角形の監視室から全てが見渡せるようになっている。
この監視室は網走刑務所のモノだそうだ。

260網走刑務所か…開拓作業に従事する明治時代の北海道の刑務所を描いた小説も吉村昭は書いている。
コレはどちらかというと集治監が主役の話。
正直あんまり面白くなかったナ。
9ah_2 吉村昭の監獄モノの白眉といえば、実際に4度刑務所を脱走し「昭和の脱獄王」といわれた白鳥由栄を主人公にした『破獄』。
私は33年ぐらい前に『高熱隧道』についでこの『破獄』を読んで吉村昭のファンになった。

9hg他にも吉村の刑務所モノにはコレ。

9kshそれから巣鴨プリズンを舞台にしたコレ。
もし吉村昭に興味を持った人がいても、ま、この2つは後にしましょう。

9pm先に読んでもらいたいのはコレ。
シーボルトに師事した蘭医、高野長英の悲劇的な半生を描いた長編小説。
天保の改革の水野忠邦の部下、悪名高い鳥居耀蔵の「蛮社の獄」で伝馬町の牢獄に入れられた長英が脱獄して逃げに逃げる話。
コレは私の「吉村昭ベスト5」に入るね。

9sim_2 話は戻って金沢監獄。
コレが監獄棟。

270v官房はこんな感じだったそうだ。

280v食事はコレ。
身体にいいよ~。
しかし考えてみると、牛丼やコンビニの弁当で格安に済ませてしまう現在の食生活と大差はないかもね。
イヤイヤ、摂取カロリーは低いし、MSGやトランス脂肪酸、化学保存料、合成着色料、人工甘味料などが含まれていないこの囚人の食事の方がはるかに身体にはヨカッタのかも知れないよ。

290さ、我々も脱獄して外へ出よう。
この荘厳な洋館は明治40年に皇居の大手門内に建てられた「内閣文庫」の本館。
今の国公文書館の前身。

300手前の電灯は皇居前の石橋に明治21年に設置されたモノ。
明治21年にガス燈として設置されたが、時代は電気に移行するタイミングで、最終的には電灯になったが、その安全性が確認されるまで5年も使われなかったんだって。
デザインがすごくイカしてる。

310vしかし、昔の建物ってのは立派だよな~。

320中にはこんなモノが展示されている。
全国の歴史的な建物の紙でできた模型。
ココのアトラクションはさっきのポーツマスみたいに、例え建物とは何の関係ないモノでも色んな展示をして見るものを飽きさせないようにしているところがエライね。

330村内を見渡す。
ホントに気持ちいい~!
この辺りは「5丁目」というエリアでまだ見学コースが始まったばかりの地点。
お~、向こうの方に良さそうな建物が!

340コレコレ。

345愛知の刈谷から移築された「菊の世酒造」の酒蔵。
1868年の建造だというから、明治元年だね。
デザインがカッコいい。

350内部には様々な酒造りのツールが展示されている。

370ハイ、今度は手前。
左下の鉄橋。

380ナント、隅田川にかかる「明治五大橋」の一角、新大橋。
五大橋は他に上流から吾妻橋(ウンコビルのところね)、厩(うまや)、両国、新大橋、そして永代橋を指す。
ウエストミンスター、ウォータールー、ブラックフライアーズ、ロンドン、タワー…ロンドンに行くとテムズ川にかかる橋にいつも魅了されてしまうが、ナンノナンノ、隅田川も負けてない。
テムズ川の橋もそうなんだけど、デザインがそれぞれ全く異なるところが実にカッコいい。
また、それぞれの橋は大正末期から昭和の初頭に集中して建造あるいは改築されていて、関東大震災の惨劇の教訓を生かして設計された。
もうひとつ、その頃にこれらの橋の建造が集中しているのには理由があって、関東大震災の前年、大正11年のワシントン軍縮会議で列強より押し付けられた条項により、軍艦建造用の鉄が余ってしまった。
「ワリィ、軍艦作れねーわ。ココはひとつ我慢しちゃって!」というワケにもいかず、政府は鉄鋼会社から購買を約束した鉄を買って、それを消費するために隅田川の橋を造ったんだね。
これまた上流からいくと、白髭、言問、吾妻、駒形、厩、蔵前、両国、清洲橋、永代…要するに今隅田川に架かっている主要な橋は全部この時に作られた。
この新大橋と勝鬨橋は対象外。
昨日も吾妻橋と駒形橋を車で渡った。アホみたいに金をかけて作った大和や信濃は海の藻屑と化したが、橋はこうして今でも大活躍してるぞ!

390もう少し新大橋と吉村昭の話を…。
ジム・マーシャルが生まれた1923年、つまり大正12年の9月1日の昼に関東大震災は発生した。
死者は10万とも14万人とも言われているが、吉村先生の本によると、そのうち3万人が両国の横網にあった陸軍被服廠(軍服を作る工場)で焼死したという。
多くの人が逃げ込んだ工場の敷地内に火が燃え移り、そこに強風が入り込んで、避難者もろともアッという間に全焼したという。
当時、女性は髪の毛に大量を整髪油を塗布していて、そこに火がついて頭が丸焼けになった女性が多かったらしい。
また、災害の被害を食い止めるには、携行する荷物をできる限り少なくするのが鉄則なのだそうだ。
何も持たないで逃げるのが一番。
コレは吉村昭の本によるところではないが、それでも東京大空襲の時にはアップライト・ピアノを運んで逃げた人もいたらしい。
さて、そうした被害が甚大になるのは橋の周りに多かった。
結局、荷物を多く持っていると、それだけ避難者の体積が大きくなり、動きも鈍く、橋上のスムースな通過を妨げることになり、実際に関東大震災の時にも橋で亡くなった人が多かった。9kd ところが!
この新大橋ではひとりの死者も出すことがなかったのだそうだ。
ナゼか?
この橋が架かる新大橋通りにある所管の久松警察署の職員がこのことを知ってか、橋の両端に待機して、荷物を持っている避難者の通行を一切遮断したのだそうだ。
そうして、隅田川の東詰めを目指す避難者をスムースに通過させて多くの命を救った。
後日、久松警察署は東京府かどこかから表彰されたのだそう。

400新大橋の手前の池の反対側に移動したよ。
それでもまだ5丁目。
コレ、今日中に見終わるのかね?
この後東京まで帰らなきゃならないのよ!

410京都の河原町三条にあった聖ザビエル天主堂。
名前の通り、フランシスコ・ザビエルを記念して明治23年に建造されたもの。

430イギリスのドデカイ聖堂に慣れているせいか、マァ、正直それほど「ドワ~!」という感じにはならないけど…

450それでもなかなかのモノ。
470vかつて取り付けてあったバラ窓も立派だ。

460吉村先生には隠れキリシタンの長崎での処刑を描いた「磔」という短編もあるよ。

9ht 以上で『私の明治村』の<前編>は終わり。
 
さあ、コンサートもいよいよ後半。
ココから各バンドの持ち時間が5分ずつ伸びて20分になる。
まずはLOVE HUNTER。490千田忠彦

500vTora

510v松井博樹

520vTosh

530vそして、Yasu。

540v千田さん、ステージの上から私を見つけてビックリしてたナァ。
彼は広島の人だけど、確か前回会ったのも名古屋でのことで、BOTTOM LINEだったような気がするぞ。

550vLOVE HUNTERは広島のWhitesnakeのコピー・バンド。
今日はその名古屋バージョンだ。
だから「nagoya LOVE HUNTER」。

560曲は「Crying in the Rain」。
BLINDMANの松井さん、名古屋からご苦労さま…ってココ名古屋だった!
イヤ、東京で一緒になると、どうしてもそういうご挨拶をするもんだからつい!

570私はWhitesnakeってゼンゼン接点を持たずにココまで来ちゃったんだけど、ピリリとしまったとてもいい演奏!

580vしかし、後半になってもこんなに濃い~チームが出て来て…トシさんもヤスさんも、ずいぶん音楽的に濃い60年を送って来られたのね~。

585「どうですか?もうお一方…僕の大好きなアニキを!もうスッカリ出来上がっちゃってますけど…ミスター・アメリカ・タケ!」
600v曲は同じくWhitesnakeから「Walking in the Shadow of the Blues」。

590タケさんがまたスゴい破壊力!
もうステージ狭しと縦横無尽に暴れまくる!

610負けていられない伴奏陣。

630Toraさんのギターもガッツリとフィーチュア。

640vこの辺りからドップリとハード・ロック・ゾーンに突入。
650全く疲れを見せない還暦リズム隊…

645vと言いたいところだが、リハーサルからだからね~…大変ですよ!
あと4バンド!ガンバレ!

620vいよいよ大台の10バンドめ!
「やっと出番が来ました!」とさっきからステージを離れていた…

660ACEさんがボーカルズで登場!

670v柴田博章

680v引き続いて松井博樹。

690vベースはトシさんで…

700vドラムスはヤスさんが休んで、藤生善三にスイッチ。

710vバンドはGypsies Heap。
コチラはユーライア・ヒープのコピー・バンド。
曲はまずは「July Morning」。
なつかしいナァ。

720vACEさんが今までのトークでの仕事と区切りをつけるようにシンガーとしての凄まじいテンションを見せつける!730このACEさんのステージさばき。
さすが!

740トシさんとは二人羽織を披露。
ACEさんはギタリストでもあるからね。

750そして、もう1曲は「Look at Yourself」。

760「対自核」!
一体何年ぶりに聴いたことか!
やっぱり盛り上がるね。

770vもう会場は総立ち!

800…と言ってはおりますが、ワタクシ、ヒープもチョイと苦手で、加えてヘソ曲がりなもんだから『Firefly』が一番好きだったりするのです。
790vしかし、ACEさんの声はデヴィッド・バイロンのように伸びやかで聴いていてすごく気持ちがいいね。

780v藤生さんを得たヘヴィなリズム隊もバッチリ!

810v20分で2曲。
70年代ハードロックの、つまりロックが一番カッコよかった時代のロックを堪能させてくれた。
ところで、Gypsies Heapは「Heep」じゃないのね。
以前Soft HeapというSoft MachineとNational Healthの元メンバーが集まったバンドがあったね。
「heap」というのは「堆積」とか「山」いう意味。

890v11番目に登場したのは今日のこのイベントの目玉のひとつSNIPER MKII。

900金子光則

910v日下部正則

920v加藤剛

930v宮田叔侑

9s41a2063 板倉淳

950v事前に頂いた資料ではこのチームの表記が「SNIPER(BAD SCEME)」となっていた。
浅学にして存じ上げなかったのだが、「マーク2」と呼ばれているこの面々でのSNIPERの演奏は大変珍しいそうで、ココだけ枠が30分に拡大された。

960vまずはSNIPERで「Open the Attack」。

970正統派ジャパメタ・サウンドにBurneyの純潔ロック・ギター・サウンドがベストマッチする。
気を衒うことのないBurneyのギターはいつ聴いても折り目が正しくて気持ちがいい。

980vヘヴィにドライブするリズム隊も爽快感に満ち溢れたもの。

985じゅんぺーさんは久しぶりのMarshall Blog登場だ。

990v金子さんのMarshall Blogへのご登場はコレが2回目。
そういえば、前回のご登場もBAD SCENEのギタリスト、杉山勝彦さんの還暦記念コンサートの時のことだった。
「35年前にBAD SCENEが名古屋に来たことを知っていますか?BAD SCENEで音源になっていない曲をトシと演ってみたくて…楽しみにしていてください!」

1030v2曲目は1曲目同様SNIPERで「Turning Point」。

1000ココはヤスさんも加わってのツイン・ドラム体制。

1010vこの曲でも金子さんのド迫力の歌いっぷりが炸裂!
その姿を目の当たりにすることができた喜んだお客さんも多いハズだ。
S41a2071剛さんのキーボーズがバンド・サウンドを分厚くするのだ。

1040そして、3曲は金子さんがさっきMCで触れたBAD SCENEのナンバー。
1020「No where」という曲。
私の知らない曲だった。

1050ココでのドラムスは増井康博。

106011番目のパフォーマンスもまったくダレることなく終了。
演者も観客も集中力を欠かさずこの記念イベントの行く末を見守っている。

1070金子さんが前に置いていた譜面台。
最後に向きを変えてお客さんにお見せしたページ。

1080 汗ダクのトシさん。
MCマイクを握ってひとこと…「生きててヨカッタ!」

90r4a2093 <次は最終回!>
 

200_3
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 2日 (金)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.3~私の犬山城

 
コンサートのレポートはまだ前半が終わったところだけど、『私の〇〇』の方はひと足先にコンサートの翌日にコマを進めるよ。
初日の宿を名古屋市内に取ることができず、桑名の温泉宿に投宿したことは既報の通り。
その翌日のコンサート当夜もダメだったの。
本当はELLの近くに泊まって打ち上げにも参加したかったんだけど、宿が取れないんじゃ仕方がない。
そこで翌日の行程を考慮して小牧に宿を取った。
終演後、大須から高速に乗って急いで向かったんだけど、ホテルに着いたのは12時チョット前。
普通のビジネス・ホテルに素泊まりしたんだけど、驚異的に安かった。
風呂に入ってホテルがサービスで提供してくれたビールを飲んでバタンキュー!
で、翌朝のごはんは家内が予め調べておいてくれた、目的地に行く途中の「グリーンハウス」という喫茶店のモーニングを摂った。

01なんだ?
朝から駐車場は満杯だよ。
お店もほぼ満席。

02最近は「コメダ珈琲店」が東京に進出して来て、東京に住む我々も音に聞こえた名古屋独特の「喫茶店文化」に触れるようになったけど、ココにはビックリ!
このメニュー見て。
トーストは当然のこととして、ホットドッグ、パフェ、あんみつ、たい焼き…これらからひとつオーダーすればコーヒーや紅茶が付いてくる。
…と思ったら違うんだよ!
いいですか?
話は反対で、コーヒーや紅茶を頼むとコレらのフードが付いてくるっていうワケ。
おかしいでしょう~、それは!
弦を買ったらギターやベースが、マイクを買ったらイアン・ギランが無料で付いてくるようなもんですよ!
イヤ、どうでもいいことなんだけど、この感覚が実にオモシロイ。
飽くまで「ウチはコーヒー店」ということか?

03ホットドッグを頂いて目的地へ向かう。
すると…。
またこれは朝からナンダ?
若い人が大勢集まってる。
ライブハウスか…と思って一旦は通り過ぎたんだけど、どうしても気になって、ワザワザUターンをして様子を見に行った。

04ハハン、アイドル系のライブがあるので朝から整理券か物販をゲットするのに並んでるんだな?
しかし「maruman」なんてライブハウス聞いたことないな…。
06…と思ったらこの若い人たちパチンコ屋の開店を待ってるのよ!
コレもビックリだった。
朝から東京では見かけないモノを見て新鮮な気持ちで向かった先は…
05ココ…犬山城。

10_2お城観光もいいけど、どこも結構上り下りが大変なんだよね~。

0r4a2232ま、戦の時の防御を考えてのことだから仕方がない。

20v_233年前、当時赴任していた富山から社内旅行でココまで来たことがあるんだけど、見事にナニひとつ覚えていなかったわ。
社内旅行がイヤでね~。
反対に普段大人しいくせに、社内旅行となるとやたらと燃えちゃうヤツがいるんだよね。
今でもああいうのやってるのかな?
そういえば、あの朝食の時のビール。
若い頃はアレがキライだった。
ところが、数年前郡山で開催された『スウィンギン・ロンドン展』の講演会に登壇するために行って泊まった温泉。
電車だったので、何の気なしに朝風呂浴びた後の朝食の時のビール。
コレが信じられないぐらいおいしくて「コレがあのオッサンたちが社内旅行の時に飲んでいたビールか!」と、感動とともにジジイ度が増したことを自覚したのであった。

30v_2国宝ですよ。
江戸時代までに建造された現存する12の天守のうちのひとつで、国宝に指定されている5つの天守のうちのひとつでもある。
他の4つはと言えば、姫路、松本、彦根、松江だそうだ。
繰り返すが、私は城に関してはマニアでも何でもないのだが、このうち行ったことがないのは松江城だけだわ。
ナゼか他は行ってる。
松本城はすごく好きです。

40_2天守へ上がると、おお~絶景かな、絶景かな…ただし天気がヒドイ!
眼下の木曽川までは高さ88mもあるんだって。

50_2下の写真…屋根の先っちょには桃。
桃が乗っかっているのは亀の甲羅。「固く守る」という意味。
ではナゼ桃か?
桃は大好きよ。
桃は太古の昔から「魔除けの力」があるとされていたのね。
なるほど、だから桃が引っ付いているか…で終わっちゃダメなワケ。
どうして桃に魔除けの効果があるのか?というところまで興味を持つ。コレがMarshall Blogを書くコツ。
コレね、2回前の「猿田彦神社」のところに書いてあったでしょ?…「古事記」の話。
マーブロってのはホントによくできてるナァ。
チョット省略するけど、イザナギとイザナミの「国生み儀式(凸と凹を合わせるヤツ)」を営んででイザナミが火の神様を生んだ時、自分も焼け死んじゃうんだな。
するとイザナギは寂しくて、イザナミに会いたくて黄泉の国に会いに行く。
いいですか~、「ファンタジー」ですからね。
イザナギは黄泉の国でイザナミを見つけて現世に連れ戻したいのだが、イザナミは黄泉の国の食べ物を口にしてしまっているので、ルールとして現世に帰ることができない。
でも、イザナギの元へ帰りたい一心で黄泉の国の親分に相談するのでその間イザナギに待っているようにお願いする。
その待っている間、「絶対に私を見ちゃダメよ」と厳重に戒める。
ところがあまりにも時間がかかるので我慢できないイザナギがイザナミを見に行ってしまうんだな~。
すると!
イザナミは腐った身体にウジ虫が湧く化け物になっていたのよ。
ま、キューブリックの『シャイニング』に出て来る237号室の幽霊のもっとスゴいヤツと思えばいいでしょう。
ちなみにあの辺りに使われている音楽はバルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」の第2楽章です。第2楽章はあの通り薄気味悪いけど、第1楽章はすこぶるカッコいいよ。
で、「おのれイザナギ!アレほど見てはならぬと言ったのに!」と怒り狂ってイザナギに襲いかかる。
イザナギだって元のままのイザナミならいいけど、腐った化け物に追いかけられてはタマらんので、そりゃ逃げだすわね。
這う這うの体で黄泉の国と現世の間まで逃げて来た時、イザナギの目に入ったのはそこに生えていた桃の木!
その木から桃の実をもぎ取って追いかけて来るイザナミの化け物に「エイッ!」っと投げつけるとイザナミは退散したという。
ま、私はその場にいなかったのでホントかどうかは知りませんよ。
そんなことから「桃には魔除けの力がある」と信じられているのだそうですよ。
ま~、とにかくこの「古事記」とか「日本書紀」に出て来るストーリーはスゴイよ。「なんでやねん?」のカタマリです。60_2さっきまで晴れていたのにもうこんな曇り空。
晴れてればキレイだったろうにナァ。

70_2城の中はどこも一緒だわね。
コレ、上の階ってトイレはどうしてたのかネェ。
桶に溜めて家来が捨てに降りたんだろうナァ。
日本家屋というのは2階以上にトイレがないのが普通なのね。
ま、お城を「日本家屋」として扱っていいのかどうかは知らんけど。
ところが江戸時代、2階にトイレがあるのが当たりまえの建物が並んでいるエリアがあった。
それはどこかというと、吉原。
だから当時は「2階で用をたして来た」と言うのは「吉原へ行って来た」という意味の符牒だった。

80_2犬山城は元々は織田信長の叔父さんの織田信康が1537年に築城して、1617年に尾張徳川家のお偉いさん、成瀬正成が拝領して今の天守の姿にしたのだそう。
前にも書いたけど、この御三家、御三卿のシステムってのはよく考えたよね。

90_2初代から数えて12代目が昭和の名横綱千代の富士。
チガウカ。

100_2そして昭和27年に国宝に指定されたのだそうだ。
どうよ家が「国宝」って。
でもね、上には上がいくらでもいましてね…

105例えば「Never give in!(負けるもんか!)」の名演説で有名なウィンストン・チャーチル。
頭文字は「WC」。
下はイギリスのオックスフォードにある世界遺産の「ブレナム宮殿」。
なんと、コレがウィンストン・チャーチルの実家。
実家が「世界遺産」って一体どういうことだっつーの!

106私のCD棚にはチャーチルの名演説を収録した下のBBC制作のアルバムが収まっているが、最後まで聞いたことがない貴重なCDの筆頭に君臨している。

Wc 城から出てきた頃には雨が降り出しちゃった!

120_2それでも近くの「犬山城下町」と呼ばれているエリアを散策。

130_2ココもなかなかに面白いね~。
雨さえ降ってなきゃもっといいのにな~。

140vなんて言ってたらウワ~!
土砂降りだよ!
「すぐ止むだろう」と読んではいたけど、さすがにこの時ばかりはお土産物屋さんで雨宿りさせてもらったよ。

90r4a2334 ね、すぐ止んだ。
早速、散策。
この建物は2004年に「犬山市都市景観賞」というのを獲っている。
あんまりそうは見えないんだけどナァ。

150_2カッコイイ雨樋。
コレは銅だね?
何十年かするといい感じの緑になるんじゃない?

160_2コレもイイ感じ。

170_2昭和10年頃まで酒を造っていた高木さんの家。
大正初年の建築だというから築106年。

90r4a2345 ココは立派だったナァ。
屋根にRがついているのがわかる?180_2「柏屋孫兵衛」の屋号で呉服商を営んでいた磯部さんの家。

185慶応年間の建築だ。

186「慶応」というと、スゴイ昔の感じがするけど明治のすぐ前で、期間はたった4年だったんだよ。
だからこの家が慶応年間の最も古い時期に建てられたとしてせいぜい築155年ぐらい。
スゴイ古いか!

190_2でもイギリスなんかへ行くと築100年はまず当たり前。
築400年の家とかあるからね~。
「石」にはかなわないし、向こうは地震がないからね。

200_3この吹き抜けは立派ですよ。
しかし冬は寒かったろうね~。

210_2ホラ、シャチホコ。

220_3ね、屋根の真ん中あたりが膨らんで少し丸くなってるでしょ?
こういうのを「起り屋根(むくりやね)」というのだそうだ。
どうしてこういうデザインになっているのかというと、勾配がゆるい屋根でも軒先にキツイ勾配がつけられることより、雨水を流し易くなるというメリットがあるんだって。
そういえば、昔の奥行きのある家の屋根の勾配はゆるかやになってるもんね。
この「起り屋根」は海外には存在しない日本のオリジナル・デザイン。
かつ寺社仏閣や武家屋敷なんかには見ることができず、もっぱら商人、庶民の家に用いられたんだな。
なんかチョット曲線になっただけでずいぶん感じが変わるモノですな。
となりの家の屋根と比べてみて!

230_2さて、コンサート。
ELLに戻る前にチョイとコレを見て頂こう。
コレは私の手元にある3枚組のLPレコード。
今は「ヴァイナル」っていうのか?
Marshall RECORDSの連中も「ヴァイナル」って言ってるけど、アレはどうもシックリ来ないね。
レコードは「レコード」だよ。
「日本全国俺達スターだ!!」というキャッチが付いた当時ヤマハが運営していた各地のバンド・コンテストの優勝者が雌雄を決するアマチュア・バンドの一大イベントの実況録音盤。

240日本の「ロック」が一番ヨカッタ時代かもね。
この数年前まで「ロック」という音楽はまだマイノリティだった。
そして、全国で大規模なコンテストがこんなに開催されていたんですよ。
「East West」は有名だよね。私も高校の時、予選の予選ぐらいは何度か出させてもらった。
中京地区の「Mid Land」や関西の「8.8 Rock Day」や九州の「L-Motion」は東京にいてもよく耳にした。
「Rock Fusion」とか「West Wave」なんてのは知らなかったナァ。
楽器を売るためとはいえ、ヤマハさんは大手にしか絶対にできない立派な仕事をされた。
こうした企画は日本でのロックの普及に計り知れない功績を残したが、マァ結果的に功罪はあったことも否めまい…飽くまでも結果論ですよ。
学校の先生が軽音楽部の生徒を引率してバンド・コンテストに出場するなんてことをこの頃誰が予想できたであろうか?
つまり、一般化しすぎて本来「ロック」という音楽が持つ、不良の香りや、クリエイティビティの追求という魅力が消失してしまい、誰もが同じことをやる健全な「童謡」になってしまった。
このLPに音源が収録されているバンドさんたちは「日本のロックの第2世代」的な存在で、「いかに人とは違う『自分たちのロック』をクリエイトするか」ということに腐心していた猛者たちだ。

250ライナーを見てビックリ。
知ってる人がイッパイ出てるんだもん!
まずはSHOW-YA。
まだ恵子さんとキャプテンだけだったんだね。
でもさすがSHOW-YA!レディース部門で「優秀賞」を獲得している。

260_2X-Rayも。
朗さんはいるけど、まだオズマさんもロジャーさんもメンバーになる前か?
ドラムはババちゃんだったのね?後列の左がそうかな?
他に八重ちゃんの「十二単」なんかも収録されている。

270そして…今日のトップ・バッターはこの方々。
スゴイ、全員ご健在!
さぁ、原形のままELLのステージに登場だ!

2806番目にステージあがったのはSPRITZ!

290もうメンバーを紹介しちゃったようなもんだけど…
KAZU

300v中野重夫

310v加藤剛

485vTosh

500vそしてYasu。

510vSPIRITZはシゲさんの還暦記念コンサートでも演奏したので、1982年以来36年ぶりの再集結というワケではない。

520このチームは「Midnight Train」1曲のみを演奏。

530Marshall Blogには久しぶりの登場となるシゲさん。
シングル・ピックアップのSGがよく似う!

540v剛さんも久しぶりのマーブロ登場で見事な鍵盤さばきを見せてくれた。

550vしかし、考えてみるとこのチームはDYNAGONにKAZUさんが加わった格好なんだね。
610でもシゲさんは「KAZUちゃんは元気にココで歌っていますけど、このステージにいられるのは奇跡なんです」とMCで告げた。

560このチームは1曲だけだったので演奏のパートがタップリ!

580中京の重戦車、DYNAGONチームのパフォーマンスだけあって聴きごたえ満点!
600vちなみにこの曲は演奏時間を超過してどこかのコンテストで失格になった曲だそうです。
だから今日は1曲にしたのかな?
今日はお時間ちょうどでございました!合格!
590続いてステージに現れたのは…アレ?
今日、女性ボーカルズはひとりだけだ!
記事を書いていて今気が付いた。

620オトミさん!

640vそしてバンドは剛さんがステージから降りて、SPIRITZII。
カッコいいな「II」。
そんなね、名前に「II」が入ったバンドなんてそうないよ。
パっと思い浮かぶのは「Colosseum II」ぐらいだもんね。

630曲は、まずは「Wishing well」。

690出るべくして出たロックの名曲。
やっぱり名曲はいつ聴いても名曲だ。

680v2曲目は「Good Times」。
この曲はシゲさんの還暦記念コンサートでも演った曲。
私はフィービ・スノウのバージョンでこの曲を知ったが元はサム・クック。
収録されているのはまたしても『サンフランシスコ・ベイ・ブルース/ブルースの妖精フィービ・スノウ』とかいうマヌケな邦題が付けられた1974年の『Phoebe Snow』というドンズバのタイトルのフィービのデビュー・アルバム。
私はジャズ以外の女性ボーカルズものは聴かないんだけど、コレはズート・シムズやテディ・ウィルソン、チャック・ドマニコやチャック・イスラエルズとったベテランのジャズメンが参加していることで興味を持った(ナゼかデイヴ・メイスンも参加している)。
つまり、大分後になって聴いたワケなんだけど、実にいいアルバムだよね。
このフィービの声と歌い回しはナニモノにも替えがたいぐらい素晴らしい。
そしてこの「Good Times」。
これがですね~、「ナニが悲しくてフィービはこのクックの曲を選んだんだろう」と首をかしげるぐらい原曲と違う。
歌詞の一部が同じというだけで、完全に別の曲と言っていい。コレなら自分で1曲作っちゃえばよかったのに…。
つまりフィービの方がダンゼンいいワケ。
このアルバムに感動して他のフィービのアルバムを色々買って聴いてみたけど、このアルバムがダントツでお気に入り。
それとドナルド・フェイゲンの『New York Rock & Soul Revue』での活躍もすこぶるカッコよかったが、フィービも残念ながら7年ほど前に亡くなってしまった。
650cdチャック・ドマニコなんて名前、Marshall Blogで出る機会がないし、女性ボーカルズつながりということで一応脱線しておくけど、カーメン・マクレエの代表作、『The Great American Songbook』の「Satin Doll」のチャック・ドマニコによるベースのイントロ…トリハダです。
このアルバムはギターがジョー・パスで、バリッバリ弾いているので、「ジャズでも聴いてみようかな?」なんて思っているロック・ギター・ファンにもおススメです。

Cm勝手にフィービ・バージョンでオトミさんが歌ったかのような筆致になってしまったが、少なくともサム・バージョンには料理されていない(←ココ、シャレになってます)。
でもフィービ式でもない。
つまりオトミさん流なのだ。

660vというのもバックがこのメンツだからして、それはそれはガッツのある演奏だった。

670この日、唯一の女性シンガーのステージ、ものすごく良いショウ運びのアクセントになった。

700おなかが空いてきたので、私はこのあたりで栄で買ってきた天むすをコッソリ頂いたよ。
ひと口で食べられるし、おいしいし、とてもいい感じ!
記録を紐解いてみると、この時点で30分押し。
演奏も転換も順調だけど、イベントってのはだいたいこんなもんよ。
でも、早くももう後半だよ。
出てこいや8番手!
 
で、出てきたバンドはBlues Deluxe。
いい名前だ。

710コレ。
このアルバムってモノの本によると、Marshallとレスポールのコンビネーションが最もいい音で録られたアルバムなんだって。
そのアルバムに収録されているのが「Blues De Luxe」。
私がこのアルバムを友達の家で初めて聴いたのは中学2年ぐらいの時のことだったが、全然ピンと来るものがなかった。
わからなかったんだろうね。
アルバムは持っていても、実は今でもほぼ聴くことはないのだが、初めからこの曲だけはすごく印象に残っている。
それはジェフ・ベックのギターというよりも、あのロッド・スチュアートの「♪ッスッテディ~アッ、ッスッテディ~アッ」っていうところ。

720cd曲はJeffrey Rodのオリジナル。
この「ジェフリー・ロッド」ってだ~れだ?
答え…下の写真の左から2人と一番の右、2人1組でジェフリー・ロッド。
つまり、ジェフ・ベックとロッド・スチュアートですな。
藤子不二雄か!?
『Truth』にはこの名義で3曲ほどオリジナル曲が吹き込まれている。
右から2人目のメガネのアンちゃんはミッキー・ウォーラー。
ジム・マーシャルのドラム教室の生徒さんだった。
自分が通うドラム教室の先生が作ったギター・アンプを弾くヤードバーズのOBと一緒にバンドをやるなんてのはどんな気分だったんだろうね?
ミッキーはロング・ジョン・ボールドリー、ロッド、ジュリー・ドリスコル、ブライアン・オーガーらが在籍したThe Steampacketやジョン・メイオールのBluesbreakersといったイギリスのブルース/ロック・シーンで輝かしいキャリアを積んだが、自分のドラム・キットを持っていないことで有名だった。
ちょっと~、ジム・マーシャル、つまりあなたのドラムの先生はドラム・キットを生徒に売りつけるためにドラム教室を開いたんですよ!
ココでもうチョット付け加えると、エルトン・ジョンの「ジョン」はロング・ジョン・ボールドリーの「ジョン」、「エルトン」はSoft Machineのサキソフォン奏者、エルトン・ディーンの「エルトン」からとられている。
本名は「レジナルド・ドワイト」というので、イギリスの年配のファンはエルトン・ジョンのことを「レジ」と呼ぶ。
コレも何回も書いたか…。

725ミッキーがドラム・キットを持たなかった代わりにヤスさんがNATALを所有してくれている。
ジムも喜んでくれているハズだ。

726vBlues DeluxeのボーカルズはKAZU。

730vギターは2人。
ひとりは平井チカ哉房。

740もうひとりは松村英利…エイリさん。
800vベースはトシさん。

760vそしてヤスさん。
トシさんもヤスさんはこのバンドでも赤松さんと一緒だった。

780v曲はZETT時代に演っていたという「Maybe Tonite」。

790ボトルネックのエイリさん。
いかにも「ギタリスト」のたたずまいがカッコいい。エイリさんも赤松さんを敬愛するギタリストのひとりだ。
ヒヌカムブロウ、また東京に来ないかな~。

750ワイルドなチカさん!
チカさんも赤松さんのフォロワーだ。

810ピックアップセレクターに付いている50円玉が気になるんですけど!
ん…もしかして、パチンとセレクト・バーをリアにしたときに自動的にセンターとリアのハーフ・ポジションに止まるようになってるのかな?

8202曲目もオリジナルの「Sweet Home」。
ココでもパワフルなKAZUさんの歌声が爆発!

830v徹底して暴れっぱなしのチカさん。

860エイリさんをして、「素晴らしい後輩」と演奏後にトシさんがおっしゃっていたが、いいねこういうのは!
今の若いJ-POP世代の子はこういうことができないだろうからね。
先輩との音楽的な接点が全くない。
まず「ブルース」なんて音楽を知っている子が少ないだろう。そりゃ学校へ行けばコード進行ぐらいは教わるだろうけど、それぐらいで身に付いたり習得したりできるほど音楽は甘くない。
加えてブギやシャッフルの3連のリズム。
若い人の間にコレがなくなって日本人のリズム貧乏に拍車がかかった。
考えてみると我々の世代は中学とか高校の時にステイタス・クォーとか聴いていたんだもんナァ。
今、ITのおかげでいかにもロックが盛んになっているように見えるが、実は本来「ロック」と呼ばれていた音楽はトキよりも深刻な絶滅の危機に瀕しているのだ。
マディ・ウォーターズが歌ったように「ブルース」から生まれた子供が「ロック」なんだから…親を尊敬しなければバチが当たるというものだ。
コレは今音楽をやっている子供たちのせいではなくて、作り手の大人の責任だ。

840だからこうした新旧が入り混じっている光景を見るとうれしくなってしまう。

870そんな社会的な意義も含めて2人の還暦の記念は進む。

880v

890vココからMCはKAZUさんに交代。
するとトシさんから「このコンサートはKAZUの快気祝いでもあるだでナァ」のひと言。
さっきSPIRITZの時、シゲさんが「KAZUがココに立っているのは奇跡」という発言をしたが、KAZUさんは深刻な大病を患って、それを見事に克服しての出演だったのだ。
するとKAZUさん、「そんなこと言われると泣いちゃうよ~!60歳にもなるとナミダもろくなるね!」
感動のシーン。
KAZUさん、ご回復おめでとうございます!
Kz<連日の大作続きでちょっと疲れてきたぞ!でもまだつづく>
 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 1日 (木)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.2~私の名古屋城

 

特段「城マニア」とかいうワケではないのだが、ELLにお邪魔する前に名古屋城に行ってみた。
山岡荘八の『徳川家康』全26巻を見事読破した家内のリクエストでもあり、5月に来た時にどうしても時間がなくて来れなかったリベンジ的意味合いもあった。

10メッチャ曇り!よくもマァこんなに曇ったもんだ。
これだけ曇っていると最早気持ちがいい…ワケないか。
でもEvery cloud has a silver lining…きっといいことあるよ。
そして、工事中の雰囲気満点。

20v名古屋城と言えば「金のシャチホコ」。
家内と「そもそもシャチホコってなんだ?シャチか?」という話になった。
シャチってのはこういうヤツじゃんね。
あんな屋根に乗っかっているようなシャツはオルカ?ってな具合。
ちなみに、「オルカ」がシャチを指すことは映画を通じで日本人の間にも知れ渡ったが、英語では「Killer Whale」、すなわち「殺し屋クジラ」という物騒な名前が付いている。

Shachi_2シャチというのは漢字で「鯱」と書く。
コレは頭が虎で身体が魚のルックスをした想像上の魚で、Killer Whaleとは別のモノ。
鯱は水を吐く能力を持ているため、火除けのおまじないとして織田信長が安土城の天守閣に乗せたことにより広まったそうだ。
コレがあのシャチホコか…。
案外ユーモラスな顔してるな。

30v空模様は回復する見込みは全くないけど、家内と「徳川将軍15人のウチ、誰が好き?」なんて話をしながら奥へ進む。
ウチでは14代の家茂が人気者なのです。

40今回、名古屋城については何の下調べもしないで訪れたんだけど、何やら新規オープンでにぎわいを見せているアトラクションがあったので寄ってみることにした。

50名古屋市内の地下鉄の駅にも盛んにポスターを見かけたんだけど「名古屋城本丸御殿」ってのが公開されているというワケ。

60「名古屋城本丸御殿」というのは徳川家康のオーダーで1615年に建てられた尾張藩主の住居かつ藩の政務を司る役所だった。
それがですよ、昭和20年にアメリカのバカったれが爆弾を落として全部焼き尽くしてしまった。
名古屋もかわいそうに…。
そして、長い間望まれていた復元が完了して今年6月から見学できるようになった。
折角だから中に入ってきたんだけど、コレがスゴかったのですよ。

70本丸御殿は世界に誇る近世書院造の建造物として、昭和5年に城郭建築における国宝の第1号に指定されていたんだって。
コレが玄関。
ウチとは大分違うナァ。

80どこもかしこもキンキラキンでスゴイのよ。
100釘隠しもこの通り。

90「表書院」と呼ばれる正式な謁見に用いられた場所。
ま、応接間ですな。110ね?
「ホントにこんなんなってたのかいな?」と疑いたくなるような完全に不必要なまでの豪華さ!
ボランティアの案内係が説明していたけど、エライ人が使う部屋になればなるほど天井がゴージャスさに差が出てくるのだそうだ。

120ココは「対面所」。
藩主が身内や家臣とプライベートで会ったり宴を開くためのスペース。
プライベートならもっと質素にイケや。

130名古屋城には江戸時代の文献や実測図や戦前の写真等の史料が豊富に保管されていたため、かなり忠実な復元に成功しているのだそうだ。
廊下だってこの通り。

170釘隠しもドンドン豪華になっていく。

160欄間がスゴイわな~。
「透かし彫り」っていうヤツ?

180コレは1634年に3代将軍家光がココへやって来るってんで造っちゃった建物「上洛殿」。
「上洛」っていうのは都へ行くことね。
ちなみにさっき名前が出た14代将軍は229年ぶりに上洛、すなわち天皇陛下に合いに京都に行った将軍で、攘夷を約束して江戸に帰ってきた。
幕府もエンディングに向かっていた家茂の頃は色々と大変だったんですよ。そのストレスもあり、家茂は21歳で脚気で死んだ。甘いものには目がなくて、全部虫歯だったらしい。
 
家光のために作った部屋はいくつもあって、下の写真は「一之間」。

250こんなの落ち着かないだろうにな~。

220すぐ隣に続いているのは…

230「上段の間」。

190コレ、スゴイよね~。
A面とB面でデザインが違うんだもんね。

200こっちが「二之間」だって。

270そして「三之間」。
一体コレらの部屋をどうやって使い分けていたのかしら?

290最後は釘隠しもこうなっちゃう。

240しまいには目がチカチカしてきた。
やっぱりどんなにボロでも我が家が一番ということよ!

300で、結局工事中で城の中には入れず。

310でも、この工事もスゴイよ。

330通路にはいくつものテントが…。

340「堂主」?
「看守」?
何かと思ったらコレは楽屋だね。
屋外ステージかなんかでプッチーニの「トスカ」を上演するイベントがあるんだね。

350「名古屋城へ行って来た」と言ったら「じゃ、アソコも見て来た?」と地元に人に訊かれたのがココ。
名古屋城のすぐ隣にある昔風のアーケード「金シャチ横丁」。

370こっちで言えば「伝法院通り」ってとこか?
スミマセン、時間が押していたので素通り。

380結局、名古屋城の中には入れなかった。
でも「本丸御殿」が見応えタップリだったので「入場料損した感」は全くなし。これが「Silver lining」だったのね。
また、名古屋来るぞ!
ということで今回のレポートはコレで終了!

Img_9301 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋城にて撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘヘヘ、知らない読者もソロソロ増えて来たのではないかと思って久しぶりにまたやってみた。
前回コレをやったら真剣に注意してくれた人がいてサ…「ホントに終わったのかと思いました。あんなことをしたら読むのを途中で止めてしまう人がいてモッタイないですよ!」って!
なので今回はブランクを短めにしてみた。
フェイク・エンディングね。
音楽的に言えば「偽終止」。英語では「Deceptive cadence」。
「Decptive」とくれば10ccの『Deceptive Bends』。
イタズラの上に脱線で恐縮だけど、チョットこれについてやらせてくだされ!
今コレを読んでいる人の中に10ccファンはいらっしゃるかな?
このアルバム、『愛ゆえに』というクソ以下の邦題がついているけど、原題はすぐ上に書いたように「Decptive Bends」という。
下のジャケットがそれ。
なんで潜水服の男が溺れてしまったステキな女性を抱えているのか?
さすが10ccというより、さすがヒプノシス。
このデザインの意味合いが超面白い。
まず、「Deceptive Bends」というのは、ロンドンの南西のサーリー(クラプトンとかジェフ・ベックの地元)に実際にあった道路標識のことね。
「bend」だから曲がっているモノを指す。要するに「見通しの悪い曲り道に注意」という意味ね。
ジャケットを見る。
ひとコマ漫画のようにストーリーになっている。
どういう展開かというと…潜水服の男は助けた美人に惚れこんでしまうかも知れない。
もしかしたらそれがうわべだけの(deceptive)危険な恋かも知れない。そうだとしたら問題だ。
こうして、あたかも人間は海から上がって、世界に出て来て、たくさんの問題に直面していくというワケ。だから曲がり角(bend)を運転する時のように注意をしなければならない。
後ろに2人の男が海から上がって来てるでしょ?この人たちも同様に色んな目に遭うことでしょう。
さて、ココがわからないとこの話は面白くもなんともないんだけど、コレはガッチリしたシャレになっていて、実は「bends」というのは「減圧症」という潜水病の俗称なんですな。
気圧が急に大きく変わると耳が痛くなったりするでしょ?…アレ。
すべてがシャレでつながってる。

Db そしてジャケットをひっくり返すと…エリック・スチュアートとグレアム・グールドマン。
あの後ろの潜水夫はメンバーの2人だったんですね~。
そして、真ん中の潜水夫は誰?…と、潜水服を脱ぎだすところで話が終わる。
こういうジャケットをまとっていたロックを聴いて育った私はシアワセだ。
そういえば、ロンドンのどこかにこの潜水服を発明した人のプラークがかかっていたな。
Rc さて、話を戻さみゃ~か。
ELLでご挨拶を済ませてからチョイとお出かけ。
本城未沙子さんのサポートでMashaくんが名古屋に来ているというのでSPADE BOXというライブハウスに顔を出してみた。雄太くんも来てた。
ココ、ダイヤモンド・ホールの下なのね?
いつかダイヤモンド・ホールってChildren's Bodomのアレキシ・ライホの写真を撮りに来たことがあったわ。
それと、BOTTOM LINEに曾我ヤッチンも来ていたのでサプライズして来た。慌てていて写真を撮るのを忘れちゃった!

385vそして、ELL。
この芳名表がいいね。
「♡おかえりなさい♡」って。
コレはELLに「おかえりなさい」ということなのか、演奏を終えて楽屋に「おかえりなさい」とうことなのか…両方だね?
やっぱりライブハウスを知り尽くした人が作っただけあって、荷物の搬入スペースから、照明から、楽屋の導線から、何から何まで気が行き届いている。

390このパスもうれしいね。
「FREE PASS」の吹き出しのデザイン。

400だって『FREAK OUT!』なんだもん!
Help, I'm a Rock!

410cdさて、『いこみゃ~か』の3番手はヤスさん参加のチーム。

415vKing Cool

420「赤松一郎くんとヤスとボクの3人でやった」とバンドを紹介したのはさっきThe Wizzで登場したJack。

430vギターはかまいたち才蔵。

440そしてヤスさん。
このバンドでは下手のキットに引っ越し。

450v曲はまず「Spoonful」。
Willie Dixonね。
この曲の歌詞ってオシャレなんだよね。
「スプーン一杯のコーヒー
スプーン一杯のお茶…でもスプーン一杯のお前の愛があれば俺には十分だ」
キザでしょう?
もうチョットやると…
「その一杯のスプーンのために人はウソをつき
涙を流し、死んだりもする
誰もがソイツのために戦うんだ」って。
コレはお薬のことを言ってるのかな?
私は知りません。
『Mary Poppins』の薬を飲みやすくする「スプーンフルの砂糖」とは大分違う。
 
このギター!
460vもう完全にCream。

470Jackさんは「Bruce」の「Jack」だったのね。
SGベースでブイブイとジャック・ブルース・トーンを炸裂させた。

480vもう1曲は「I'm so Glad」。

0r4a1289 かまいたち才蔵さんは大学の時から存知上げています。
遠藤豆千代さんとか、敷島パン助さんとか、紫狂乱さんとか、もちろん平野茂平さんとか…なぞなぞ商会大スキだったから。
私が観た渋谷の屋根裏は初めての東京へのツアーの時のことで、他にロフトとクロコダイルに出演したのを今回調べて初めて知った。
その次に上京した際の新宿ロフトにも一度観に行ったことがあった。
棺桶を持って来てお客さんを中に入れちゃうヤツ。
で、そのお客さんにマヨネーズに浸した白滝(だったかな?)を食べさせるんだけど、自分には絶対にできないと思った。
私、マヨネーズ苦手なんです。
なぞなぞ商会のことはもう何度もMarshall Blogに書いているけど、フランク・ザッパとロッキー・ホラー・ショウの曲をレパートリーにしていたのだが、今の「トリビュート・バンド」と称しているコピー・バンドとは異なり、原曲によく練られた日本語の歌詞を乗せていた。
要するに「替え歌」ということになるのだが、その歌詞が王様の手法とは全く異なり、完全にオリジナルでその内容が秀逸だった。
Zappaでは「Carolina Hard Core Ecstasy」とか「Penguin in Bondage」とか「Trying to Grow a Chin」とか、どれも最高によかったし、ロッキー・ホラーでは「Time Warp」とか「Sweet Transvetite」とかをカッコよくキメていた。
屋根裏の時に、悪乗りした客がステージ上がって来てしまい、見るに見かねて「ルールに従ってあんじょうよ~乗らんかい!お前らノリ方も知らんのかい!」と茂さんが怒鳴ったのがカッコよかった。
まだ書きたいことはあるんだけど、今日はココまで。

490ヤスさんのジンジャーぶりもゴキゲン!
私はCreamに夢中になったことはないけど、ロックにインプロヴィゼーションを大体的に持ち込んだ功績というのは偉大なものがあるね…とつくづく最近思うようになった。
私もようやくCremeの偉大さを理解したというのかな?
「偉大」といえば、Creamは音も特大だったらしいね。
そりゃ1959のフル・スタックをズラリと並べていたんだから。
時代が時代だけに恐らく全部鳴らしていたの出はないか?
ニューヨークでCreamを観た横尾忠則が「あまりにも音が大きすぎて途中で気分が悪くなった」と何かにインタビューに答えていた。
それが「ロック」というものですよ。

500v「赤松一郎…名古屋のスーパー・ギタリストやったね。
ボクも何回か一緒に演らせてもらいました。速く弾くとかじゃなくてね、彼のギターは『間』がいいんだよね」

9s41a1079 続いては…ギターの人が自分のポジションに向かう前にその赤松さんのストラトキャスターにキス。

510the Sharman Cultの出番だ。

520KAZU

530vKuma

540v山森洋之

550v野々部俊秀

555vそしてNATALのキットに戻ったヤスさん。
580曲は「Road Racing Crazy Riding」。

570胸のすくようなドライビング・ロック!
生前の赤松さんがKUMAさんを可愛がっていたということで、KAZUさんが今回ギターに起用したのだそうだ。
SPADE VOXで会った満園の庄太郎ちゃんに名古屋に来た理由を尋ねられ。「トシさんとヤスさんの還暦祝い」と伝えると、「あ、KUMAちゃんが出るヤツだ!」とおっしゃっていました。

590昔の日本の「ハード・ロック」ってこうだった。
コレでいいのだ!

600v 2曲目は「Tragedy」。

610v残念ながら現役時代のことは存じ上げないが、きっとこうしたロック感満点の空気感だったのだろう。

620当時のパワーをそのままよみがえらせたであろうエネルギッシュなステージ!
KAZUさんの暴れようがまたスゴイ!

630このあたりで気が付いたんだけど、ヤスさんは登場するたびに着替えて来てる!

560v「疲れるわ~!そんなん横で見ててオレが疲れたわ~!」とACEさん。
お2人は昭和29年生まれで、誕生月も11月で同じなのだそうだ…ということで仲良しトークが盛り上がる!

6404つめはZETT!

650ベースにはトシさん!
トシさんも着替えてる!

660vそしてドラムスはヤスさん。
今日初めてのTYコンビネーションだゼ~ット。

670v奥嵜明

690v日下部正則

700vボーカルズは引き続いてKAZU。

730v曲はまずオリジナルの「Rock'n Roll All of You」。

740Burnyスッカリ細くなっちゃって!
今日は珍しくVで登場。
コレには理由が…。

750ZETTは故赤松氏とトシさんと野獣を脱退した杉田サニー裕の3人で結成された。
その後、サニーさんが脱退してヤスさんが加入した。
そういう歴史。
その赤松さんがZETT時代に愛用していたのがフライングVで、Burnyは赤松さんへの敬意を表してこの日はVを使ったのであった。

710vトシさんと在りし日の赤松さん。
トシさんの後ろには1959のハーフスタックが見える。赤松さんが使ってたのかな?

720vBurnyとのコンビネーションもバッチリ!

765ココでSunnyさんが登場してNATALのキットに向かった!

790v_2「SunnyはZETTと野獣を作った。Sunnyはみんなと遊んでくれるんだよね。『平和』と『愛すること』と『友達』…この3つがSunnyのテーマ」とKAZUさんがSunnyさんを紹介して2曲目の「Natural High」がスタートした。

780v新旧ドラマーの共演!

800vこういうのは歴史があって、メンバーさんが元気でいないと実現しない。
S41a1470奥嵜さんとBurnyのギター・バトル!

0r4a1522トシさんもベース・ソロ!
ドラムスがヤスさんに交代して、ZETTは1981年のヤマハ・バンド・コンテストのMIDLANDにてグランプリを受賞。
トシさんは見事ベスト・ベーシスト賞を獲得し、同年の合歓の郷のLight Music Contest(LMC)に出場した。
トシさん、楽しそうだナァ~!

760「さぁ、皆さん!恐怖の時間がやってまいりました!
日本全国、そして世界がひとつになるように手拍子をお願いします!」というKAZUさんのアオリに合わせて手拍子。

0r4a1557ジャケットを脱ぎ去ったKAZUさんが客席をアオりまくる!
「ボツボツいってみようか~!」

830「♪どんな時でもナチュラル・ハイ!」が大須の街に鳴り響いて5つ目のバンドが終了。
まだ8バンドも残っているのにすでに完全に「ハイ状態」だ!

840<つづく>

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年10月31日 (水)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.1~私の猿田彦様2

 
ミュージシャンの還暦を祝うコンサートのレポート。
めでたいね~!
今回還暦を迎えて赤ちゃんに戻ったのは、名古屋が誇るリズム・セクション、ベースの宮田叔侑とドラムスの増井康博…「トシ&ヤス」のコンビだ。
ありがたいことに大分前にトシさんから撮影のお仕事の依頼を頂戴した。
まだスケージュールを確定することができない時期であったので、失礼ながらその時は流動的なお返事をさせて頂いた。
何もなければもちろんお請けするつもりでいた。
そして開催日が迫り、プログラムが決まって再度オファーを頂戴して驚いた。
だって、聞けば13ものバンドが出演するっていうじゃない!?
2マンだの3マンだのどころじゃない…13マンだよ!
「13マン」だなんて30年チョット前の大卒の初任給じゃん?
タイトルに「生誕60周年ライヴクロニクル」とあるように2人の音楽活動の遍歴を俯瞰するという内容だからしてそれも仕方ないだけろう。
しかし、13ものバンドが出るとあっては、想像を絶するほどの長尺になるハズだ。
ひとバンド短く見積もったとして、持ち時間は20分。13バンドが出れば合計260分…すなわち4時間20分。
転換に早くても15分ぐらいはかかるだろうから、15分×12回で180分。
コレに前後のセレモニーをチャッチャと済ませたとしても30分…しめて470分。
エ、8時間弱ってこと?! 
ウッドストックじゃないっつーの!
私がレギュラーでやらせてもらっているお仕事の中では、SHOW-YAさんの『NAONのYAON』よりはるかに長い。
さすがにコレには怖気づいてしまって、一度はトシさんにお断りしたの。
還暦を祝うったって、こっちもチャンチャンコがピンク色になってきた年回りだからね。どっちが還暦だかわかない。
東京から機材を持参して、8時間ブッ通しでシャッターを切って、翌日帰京…イヤ、コレだけならいいんだけど、この歳になるとね~、1回ムチャをしちゃうとホントに後がツラくて、他の仕事に差し支えがでてしまう恐れがあるのです。
するとトシさんが説明するには「夕方の6時半に始めて10時前には終わる」っていうワケ。
私も「Marshall祭り」や「Marshall GALA」やら色々なイベントを企画してきている経験上、「そんなワケがない!」と思ったものの、人の一生に一度しかないおめでたい機会でもありトシさんの言葉を信じることにした。
それにロケーションは5月に『スピンオフ四人囃子』で楽しませてもらった名古屋のこと。
結果、喜んで請けさせて頂くことにした。
…と来れば、ただ行ってもモッタイないので、社長から許可を取って2泊の行程を組んで、「私の〇〇」の取材も兼ねることにした…要するに観光だわね。

10vまずは、思い切って伊勢神宮を再訪することにした。
つまり、おめでたいのは還暦を迎えた2人だけではなくて、私たちもめでたかったのです。
ナントならば、以前に中野シゲさんの還暦祝いのイベントで松阪に赴いた時にも伊勢神宮に来ているから。

20コレはどういうことかというと、昔は「生きているウチに一度でもお詣りすることができれば最高の幸せ!」と言われていた伊勢神宮にわずか2年チョットの間に2回も来ることができたのだ。
こんなの江戸時代の人が聞いたら腰を抜かして驚くよ。

30vお伊勢さんのことは前回の2016年に訪れた時のレポートに詳しいので今回は割愛する。

40前回5月に名古屋へ来た時、最後の日は東京に着くまで豪雨だった。
今回の旅程は、天気予報によれば、ノッケから「雨」ということだったのよ。
ガッカリじゃんね~。せっかくの遠出なんかだから…と、心配していたんだけど、ナントカ首の皮一枚でつながっているような曇り空。

50やっぱり気が引き締まるというか、スガスガしいというか、太陽神、天照大御神を祀った伊勢神宮のたたずまいというのは他の神社とは勝手が違いますな。
ナニせ一番格式の高い神社だから。
ジャズで言えばデューク・エリントン。モダン・ジャズに限って言えばマイルス・デイヴィス。
ロックならザ・ビートルズ。
ギター・アンプで言えばMarshall…あ、コレが一番わかりやすかったな。
そのせいか、鳥居をくぐるたびに低頭している参拝者が目につく。

60原生林の参詣道を抜けると…

70内宮の拝殿だ。
ココから上は撮影禁止。
ナニをお詣りしたのかは秘密。
私は特に熱心にナニかを信心しているワケでは全くないのだが、歳を取ってからというもの、色々と古いモノに興味が湧くようになりましてな。
ムズカシイので本当に上っ面だけなんだけど、『古事記』や『日本書紀』に関する本なんかを読むと実に面白いね。
洋の東西を問わず、神話というのはおそろしくダイナミックかつアクロバチックな内容が多い。
日本神話の元、「イザナギ&イザナミ」の「国生み」話に思わず赤面してしまったりしてね。
こういう勉強をしていると、古来より我々の周囲にあるモノすべてには意味があることを学ぶのです。

90場所は替わって…。
実は、今回伊勢へ赴いたのは伊勢神宮が目的ではなかったのね。
ココに来るためだった。

100内宮の近所にある「猿田彦神社」。

110v5月に名古屋へ出張した時にお詣りした鈴鹿市にある「椿大神社(つばき おおかみやしろ)」も猿田彦大神を祀った一之宮の神社だけど、コチラは名前が「猿田彦神社」だから。

120全国に2,000はあると言われている「猿田彦神社」の総元締め…かどうかを「椿大神社」と争って来た神社。

130猿田彦大神は天照大御神のお孫さんの瓊瓊杵尊(絶対に読めん!「ににぎのみこと」と読みます)を宮崎の高千穂まで道案内したことから「道開き」の神様と言われている。
だからかなりの「ラッキー・カムカム」なワケ。
右下に参拝者が集まっているでしょう?
135皆さんこうして「方位石」と呼ばれている八角形の石柱に触っている。
ココは昔の神殿があったところで、強力なパワースポットなのだそうだ。
八角形は「方位」を表し、ココは鳥居の支柱も八角形になっている。

140v見ていると全員触って行くね。
私はやらないけど。150船のような形を「宝船」に見立て「たから石」と呼ばれている石。
白い蛇が乗っかってるところなんだって。
敏捷かつ獰猛なところから「蛇」というのは日本では縄文時代から崇め奉られていた。
蛇って脱皮を繰り返すでしょう?
アレが強靭な生命力の表れということになっているのだそう。
神社や神棚に飾る「しめ縄」あるでしょ?ネジネジのヤツ。
アレは2匹の蛇が絡み合って交尾をしているところなんだって。
さっきチョット触れたように『古事記』も『日本書紀』もスゴイよ、エロ度が。
つまり、子孫繁栄ということなんだよね。

160コチラは同じ境内にある猿田彦様の奥様、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)を祀った佐瑠女神社(さるめ)。
「椿大神社」でも対になっていたでしょう?いつも一緒。

170もう1回書くよ。
天照大御神が天岩戸に引きこもって、世の中が夜だけになってしまった。
そして、夜陰に乗じて悪がはびこった時、天宇受賣命は天岩戸の前で裸になって天照大御神をおびき出したという日本最古のストリッパー。
ハダカになったと言ったって、アータ、ロック座のソレよろしくチラリチラリと美しい肢体を出し惜しみするワケでもなく、一番大事な部分までキッパリとご開帳したというのだから根性が座っていらっしゃる。
そこに集まっていた神様たちがそれを見て大笑い。その声に「アララ、外では何が起こっているんだろう?」とチラリと岩戸を開けたのが天照大御神の運の尽き。
その隙にサッと岩戸のスキ間に鏡を挟み込まれて、天照大御神は岩戸の中に戻れなくなってしまった。
そして天手力男命(たじからをのみこと)というバカ力の神様がその岩戸を「ウオリャァァァ!」とブン投げた。
その岩戸ははるか遠く長野の戸隠までスッ飛んだというんだけど、それはウソだろ~。
とにかく、こうしてめでたく日本の昼間が光を取り戻す。
ちなみに、そのストリップの伴奏をしたのは「弦」というギターのような楽器なのだろう…演奏中にヘッドに鷲が止まった。
「日本に昼間を取り戻すのをサポートしエライ鳥」ということで、その鷲を祀っているのが、「お酉さん」でおなじみの「鷲神社(おおとりじんじゃ)」なのです…前にも書いたことは覚えてます。
もうすぐお酉さんだけど、また今年も「三の酉」まであるね。火事に気をつけないと!
もうチョット書くと、吉原に近い「鷲神社」の「酉の市」は「かこつけ場所」として有名だった。
「かこつけ場所」というのは、吉原へ行くための口実にした場所のこと。「オイ、ちょいとお酉さん行ってくらぁ!」とウソをついて男たちは鼻の下を伸ばして吉原へ出かけた。
他にも「隅田堤」なる桜の名所の隅田川べりなどもかこつけ場所としてはポピュラーで、昔は葬式も「かこつけ」のひとつだった。
葬儀の帰りには「精進落とし」と称して吉原へ行って妓楼に上がるのがごく当たり前のことだったらしい。
※私がロック座に入ったのは裕也さんの「ニューイヤーロックフェス」で原田の喧ちゃんがマサやんのサポートをやったのを観に行った時だけでストリップを観たことはありません。

180傍らにある石。
コレは「さざれ石」。
さざれ石というのは全国にあって、ココのさざれ石は成長を続けていて、やがて「岩」になるのだそうだ。長寿で縁起が良いということ。
みんながんばってるんだね。

190社殿の裏には「御神田」という田圃がある。

200毎年5月5日には豊作を祈って、桃山時代の衣装を着けてお囃子に合わせて田植えをする「御神田祭」というのが催されるのだそうだ。
『七人の侍』の最後のシーンみたいなヤツかな?
「今回も負け戦だった…勝ったのはあの百姓たちだ」…と島田勘兵衛が言うシーン。

210とりあえず目的を果たしたので、伊勢神宮のおはらい町へ。

220ココは何度来ても面白いナァ。
オリジナルのままの建造物ではないことは百も承知だけど、とても惹かれるモノがある。

230今日も赤福で一服。

240お、作ってる、作ってる!
完全ハンドメイド。

250商売とはいえ、上手に包むもんですナァ。

410前回ジックリ見たので今回はチョコっとだけね。

260お、コレは前回気が付かなかったゾ。
神宮道場という、神職を目指す人たちの研修設備なのだそうだ。

270チョット失礼して中を覗いてみる。
夏になると多くの神道系の大学の生徒が研修に訪れるそうだ。
雅楽の研修もあって、その期間はこの建物から笙や篳篥の音が朝から晩まで聞こえてくるんだって。
以上をもって伊勢を後にした。

280名古屋市内で宿を探したんだけど、全く取れず。
そりゃ金に糸目をつけなければ何とかなるんだろうけど、そうもイカン。
仕方ないので名古屋近郊で分相応の宿を探すことにした。
そうと来れば温泉があった方がいいにキマってる。
家内が桑名に適当なヤツを見つけてくれたので、早々に宿に入って温泉につかることにしたのだが、それでもまだ時間が早かったので途中「長島リゾート」ってのに寄ってみた。

290高速から見えて、前から気になっていたのです。

300コレが「長島スパーランド」か~。

310すごいウォータースライダーだね~。
まだこの頃そんなに暑かったっけ?

320vグバーっと通り過ぎるジェット・コースター。
もうこんなの乗れないな。
というか、ワザワザ乗ることに意味が見出せない年齢になったわ。

330ココが気になった理由のひとつはコレ。
「Jazz Dream」…ジャズに目がない私としては一体どうなっているのかが気にかかるじゃん?
で、入ってみた。340なんだココは?
どこがジャズなんだ?
360ジャズっぽいといえば、何とはなしにチャーリー・パーカーとロリンズっぽいこの階段のイラストぐらい?
ガックシ…。
ごく普通のアウトレット・モールだった。

350イヤイヤ、普通じゃないわ。
人がいない!

370ま、言ったのは金曜日の夕方ではあったんだけど、人がいなさすぎる!
コレ営業中ですからね。

380訊けば名古屋からのお客さんで週末は結構にぎわうそうだけど…。
肝心のアウトレット商品が少なくて困ったが、ムザムザと駐車代だけ取られるのもシャクだったので、強引にクツを1足買ったわ。

390宿に到着~。
「天然温泉」ですよ。
本来は結構なお値段でしてね。それでも家内が「ワケありプラン」という割安の部屋があるのを見つけてくれて、そこに収まることにした。
「ワケあり」…旅館でワケがあるのは「幽霊」と相場がキマっている。
そこで予約する前に電話をして確認してみた。
「あの~『ワケあり』っていうぐらいですから、当然、夜になるとアッチの方が出て来るワケですよね?」
「は?『アッチの方』とは?」
「ほら、アレですよ、夜になると出るアレ…足がないヤツ」
「あ~、幽霊ですね?大丈夫ですよ。特に幽霊が出たことはありません」
とかなり事務的に幽霊出現の有無を確認したうえで「ワケあり」の理由を尋ねると、部屋が屋上にあって、そこに行くには建物の外の階段を使わなければならないという。
要するに非常階段ですな。
「あ~、そんなの構いませんよ!」と値段につられて予約してみた。

400この看板の下が当日の我々の部屋…というか一軒家。
恐らく、かつては従業員のための設備だったのだろう。
内風呂がないだけで、中は広いし何の不自由もない。

410屋上から眺める景色はこの通り。

420チョット先に流れているのは木曽川だ。

430料理もバッチりおいしかったナァ。
ひとつ残念だったのは、ココは「日帰り入浴」で風呂を開放していて、エラく混んでいるのが不快だった。朝はガラガラで気持ちヨカッタけどね。
そして、翌日いよいよ名古屋へ!

440会場となる大須のElectric Lady Land(以下「ELL」)にお昼前に到着。

450Marshall BlogのELLでの取材は始めてのこと。
お隣のELL Fits AllはDynagonやTrio the Collagensでお邪魔したことがあるんだけどね。

460今回のコンサートの会場の場所を尋ねた時、トシさんが「ELLの本丸ですわ」と答えたのが印象的だった。
「本丸」…ELLは名古屋のロック・ミュージシャンにとっての要衝であり、聖地でもあるのだ。
かく言う私も18歳の時に出たことがあるんですよ。

470それは以前のELLね。
写真を探したんだけどどうしても手に入らなくてトシさんにお願いして送ってもらった。
コレが入り口。
中のようすはほとんど覚えていないけれど、とにかく細長くて、入り口の階段の途中にトイレがあって、その壁になぞなぞ商会の長細い塗り絵のポスターが貼ってあったのを覚えている。

480vステージはこんな感じ…だったのか。
私も生まれて初めて渋谷の屋根裏に行ってから40年が経つけど、ライブハウスっていうのは今も昔もそう変わるもんじゃないね。
また、こういう雰囲気のライブハウスが一番シックリ来るわ。

490コレは今のELL。
表の看板に今日の出し物が表示されている…13バンド!
そうか名古屋弁では「いこみゃ~か」か。
それではステージに行こみゃ~か!

500コレが数々の名演を生み出してきたElectric Lady Landのステージ。

510会場には出演バンドのグッズが並べられた。

520CDはもちろんのこと…
540シゲさんのペダルなんかも展示してあったよ。
奥に見えているハコは…

530コレ。
このコンサートの1週間前に関西を襲った台風21号や北海道地震の影響で会場に来ることが出来なかったお客さんもいらっしゃって、その皆さんを慮って義援金ボックスが設置されたのだ。
そして、集まった義援金はそれぞれの被災地に確実に送られた。

550さて、ステージのようす。

560まず目を惹いたのはケースと共に飾られた黒いストラトキャスター。
かつてのオーナーはギタリストの故赤松一郎氏。
ご存命であれば赤松さんはトシさんやヤスさんたちと一緒に還暦の祝いを迎えていた2人の朋輩だ。
この日、ステージの下手から2人の活躍を見守った。

565ベースアンプはEDEN WT-600とD410XSTが2台。

580vそしてステージの上手側にセットされたのがヤスさん所有のNATAL。
ヤスさんはDynagonで鹿鳴館にご出演された時にメイプルのNATALを叩いてスッカリ気に入って頂いた。
その後、メイプル、バーチ、アッシュのキットが揃っている高田馬場のバズーカ・スタジオまでワザワザお越し頂き、すべてを試した上でメイプルのキットをオーダーしてくださった。

590実は私もこのキットを当日初めて目にした。
コレ、写真の色がうまく出なかったけど、すごくキレイなのよ。NATALのフィニッシュは本当に美しい。
コッパー・スパークルというフィニッシュ。
今はもうやっていないので、このまま行けば日本に1台しかないNATALなるだろう。

600いよいよ本番がスタート。
先が長いからね、バッチリ定刻通りに始めるよ。

610司会は野獣のACEさん。
「皆さんどーも、どーも。今日は増井とトシの還暦ライブにお越し頂いてありがとうございます。増井とトシは40年も一緒に演っている兄弟みたいな仲ですからね~」
「増井とトシ」!…プライベート感丸出しのトークが素晴らしい。
完全にすべてのお客さんが友人であるかのようだ。
ACEさん、最近お身体を悪くされたが、無事快癒されたと聞いて安心した。

620そして、主役の2人が登場。
40年も仲良くしてるなんてスゴいよね。
親兄弟でもなかなかできるこっちゃないよ。仲が悪くならなくても、何がしかの事情でたいていはバラバラになっちゃうもん。
コレはね、名古屋という地元に在住して音楽をやっているからこそ成せるワザなんだよね。

630「何かひとこと」とACEさんに促されてご挨拶。
「え、ナニも考えて来なかった…」って、今日の主役のひとりはトシさんですよ!
「前日眠れないのは予想していたけどね…イッパイ出るんで楽しんで行ってください」
なんて挨拶だ!
ま、トシさんらしいか?

640vトシさんとACEさんはお揃いのTシャツ。
ELLのオリジナル・デザインで「ELL FACE」だって!
可愛いな~。

650替わってヤスさん。
「こんなにたくさんの人に集まって頂いてうれしいです。
60歳…今日はボクたちが主役の記念のライブですが、フロントの人たちがスゴイから最後まで楽しんでください!」
ACEさんから義援金ボックスの説明があって、いよいよショウ・タイム!

660早速最初のバンドがステージに上がる。

670ヤスさんが参加してThe Wizz。

710vJack

680vBrian

690vMinnieというヤスさんを除いて全員外人のバンド…チガウか。

700v1曲目は「Look Around」。

720「名古屋の重鎮リズム・セクションの記念イベントで一緒に演れてハッピーです!」とご挨拶をして2曲目の「Dear Prophet」へ。

730持ち時間が15分しかないのでとにかく演奏!

740vんん~、やっぱりNATALっていい音だな~。
NATALとモッズのターゲット・マークの組み合わせもバッチリ!

745もちろん全編を通じてMarshallも大活躍。

750vまずはポップに2曲を演奏したヤスさん。
コレからスゲエ色んなタイプのドラムを叩くからね~。

760vThe Wizzの詳しい情報はコチラ⇒The Wizz Official Page

770転換中はACEさんのトークを楽しむ。

780v「お疲れさま~。エフェクターとギターをつなぐケーブルが短くてどうなるか本当に心配だったけど、最後まで抜けなかったな~!間違えたんやろ?」
どうもBrianさん、アンプ側のケーブルとギター側のケーブルを取り違えてしまったようだが、無事に完奏!

790トークの合間にコレ。
忙しい。

800vおわ~、確かに転換が早い!
そうこうしているウチに2番手のJB-BANDの演奏がスタ―トした。
「おめでとうございます!すぐに追いかけますんで待っててください!
久しぶりなんで今日はイキの合わない所をお見せします!」

810お、今度はトシさんがステージに上がった!
860v小島リュージ
870v中垣博詞

830v小野寺宏美

840v水野芳史

850vこのチームはThe Doobie Brothersのコピーを披露。
8201曲目は『The Captain and Me』から「Dark Eyed Cajun Women」。

890ブルージーなマイナー・チューン。
小島さんの声と歌い方ががトム・ジョンストン的でバッチリ。

895中垣さんのシブいギター・ソロ。

900v2曲目は同アルバムからみんな大好き「Long Train Runnin'」。

880vゴキゲンなパフォーマンスでグイグイと雰囲気を盛り上げる!

910vトシさんも昨晩寝ていないとは思えないパワフルなプレイを見せてくれた。
ヤスさんもトシさんも滑り出し好調!

920v「♪ウィザッラ~」完璧にキマって2番手終了。

930「今、みんな歌詞を見るのにiPadを使うよね。私はまだ紙をめくっています。ところで写真屋さんに間違えられない?」
「戦場カメラマンね」

940<つづく>

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

 

2018年10月 3日 (水)

私のフランクフルト <vol.4:2009年>

 

2009年のMusik Messe。
いつ来ても変わらないフランクフルト中央駅。
「帰って来た~!」という気持ちにさせてくれる。

210この年は駅前のホテルに投宿した。
駅前だけあってとても便利なんだけど建物が古く設備も貧相だ。
見て、このベッド!

220ちっさ~!
私が寝てもこのザマだからして、ジャイアント馬場だったら一体どうなるんだろう。

660_2img_6878それでもMesseの会場に歩いて通うことができる駅前のホテルがいい。
かつてはMesse会場から遠く離れた新しくキレイなホテルに泊まったことも何度かあったが、電車の便など全くなく、ホテルの乗り合いバスを逃したりすると、後はタクシーを使うしかホテルに帰る手段がない。
で、フランクフルトのタクシーの運転手って圧倒的にトルコ人が多いんだよね。
ドイツ人やイラン人のタクシーに乗ったこともあるにはあったが、ほとんどがトルコ人。
最近は移民問題で揺れに揺れているドイツだけど、きっとトルコ人移民がフランクフルトに来て最初に就く職業のひとつがタクシーの運転手なのだろう。
それは構わないんだけど、この人たち自国の言葉と片言のドイツ語しかしゃべることができない。
英語での会話はほとんど絶望的。
すなわちせいぜい下手な英語しか話せない我々にとっては、行き先であるホテルの名前を告げるだけであとはコミュニケーションを取る方法がない。
「バザールでゴザール」も日本にいる分には笑っていられるが、両方の眉毛がガッチリつながった見知らぬトルコ人と密室で全くの無言…というのも実に気マズイものだ。
気マズイぐらいならまだいい。20分も我慢すれば解放されるのだから。
一番イヤなのは、車の外の環境だ。
フランクフルトの市街地から離れると、すぐに下の写真のような森が広がっていて、夜間はホテルに着くまで車の外は漆黒の闇になる。
シュバルツバルトかなんか知らないけど、コワイよ~。
だって、仲間が待っているこの森の中へ連れて行かれて、スブリ!あるはズドン!とやられて地面に埋められても絶対にわからないじゃん?
「そんなバカな!」と思うでしょうけど、実際に経験してごらん。実にコワイもんですよ。
だからどんなに施設が古くても、ベッドが小さくても、Messeの会場に歩いて通えるホテルの方が気がラクなのだ。

230_2ホテルの部屋にあったドイツのPCのキーボード。
若干配置が違う。
「Y」と「Z」が入れ替わっている他、「;」や「:」がドイツ語らしくウムラウト付きの文字、「Ö」や「Ä」に替わっている。

660_img_6880街でみかけたZappa Plays Zappaのポスター。
ドゥイージルは2008年、2009年と連続して日本にもやって来た。
両方観に行って2回目の公演では、開演前にバンド・メンバーのみんなとO-EASTの坂の下のラーメン屋に食事をしに行ったのはとても良い思い出だ。
リハーサルの時、ドゥイージルのデジタル・アンプの調子が悪くなってしまい、Marshallを用意する?と申し出たがガンとして使わなかった。
でもね、知ってたの。
お父さんが全幅の信頼を置いていたギター・テクの方によると、ドゥイージルは家のスタジオに父親譲りのものすごく程度の良いMarshallを何台も持っているとか…。
さらに2010年にはフジロックで再々来日。
その丁度一週間前、私はロンドンで開催されたHIGH VOLTAGEでドゥイージルに会っていたものだから、フジロックで舞台裏を訪れた際に彼は「エ~!キミは一体どこに住んでいるんだ?!」と仰天していた。

240この円形の広告塔は一体何のご利益があるんだろう?街灯になってるのかしらん?
日本では見かけないよね。
『Rocky Horror Show』のポスターが掲げられている。
ココはいつ来てもコレを上演してるんだよね。

250さて、Messe会場。
この年、ナゼか知らないけどMarshallのスタッフにはラミパスが配布された。
以前はこんなこと一回もなかったのよ。

255_2ブースは同じ造作。
この年はHazeをフィーチュアをしていたのか…。
なつかしいな…Haze。

260ブースの内部はほとんど前回と同じ。

270
320このカタログやポスターを収納するハコもずいぶん進化した。
ITの普及によりこの「カタログ」の文化もすたれてしまったナァ。
私にはカタログ集めの趣味はないが、今持っているモノぐらいは保管しておこう。

275vこの年もアーティストを強調したディスプレイだった。

280ま、この頃の「例年通り」と表現するべきか…。

295_2Megadethのデイヴ・ムスティンはMarshall初のシグネチャー・キャビネットだった。
SHOW-YAのsun-go☆さんが愛用しているヤツね。

290_2サイン会やデモンストレーション等、ブース内でのイベントの予定表。
ずっと以前はジムのサイン会とMarshallバンドのデモ演奏を毎日数回ずつやるだけだったのよ。
信じられないぐらいにぎやかになった。

300_2デモンストレーション・ルーム。
この年はダグが担当してくれたんだネェ。Vintage Modern使ってたからね。

310_3この年はジムも復活。
病み上がりとだけあってさすがに動きは緩慢だったが、毎回ファンが長い列を作るサイン会では元気な姿を見せた。

330デイヴ・ムスティンもサイン会を開催。

340v_2恒例のMarshallパーティ。
コレは珍しかった。
いつもは巨大なボール・ルームにごく普通のステージとに円卓を並べるだけの造作なのだが、この年はステージの壁面にダグとデイヴの大きなイラストがあしらわれ、それぞれに関連したモデルが並べられた。
もちろん、本人が登場して演奏した。
先にダグ・アルドリッチが出演して華麗なソロを聴かせてくれて、その後の歓談タイムを経てデイヴ・ムスティンがステージに現れた。
「オレはダグみたいには弾けないから…」とひと言発して、アレはMegadethの曲だったんだろうね、猛烈な爆音で1曲披露してくれた。

355Marshallのハウス・バンドも登場し、フランス人ドラマーのファリドが客席に降りてジムにスティックを渡した。
ジムはもう左手が自由にならなかったので、右手だけにスティックを持ち、テーブルの上の目の前のグラスをチンチンと叩いて見せた。

356vパーティも時間が大分経った頃だった。
司会者が参列者に静粛を促し、会場にいた200人以上の紳士淑女の耳目を集めた。
私もしこたまワインを飲んでいて、いい加減眠いし、何となく司会者の話に耳を傾けていると、何やら私の名前が何回か出て来るではないの。
「ヤベ!ナンカやらかしちゃったかな?」と思って心配していると、会場の前の方に出て来るように言われた。
何のことやら様子がサッパリわからないでいると、私に「Shige Award」と銘打った賞を与えてくれるというのだ。
「Marshallへの貢献度が著しく高い人に与えられる賞」だという。
下のトロフィがその証。
トロフィは司会者からジムに渡り、ジムから手渡してもらった。
猛烈にうれしかったネェ~。
子供のころからあこがれていたMarshallから賞をもらうなんて…。
ところが残念なことに誰もこのシーンの写真を撮ってないんだよ!
でも、この時の感動はヘタなピンボケ写真よりよっぽどクリアに胸に刻まれているし、きっとそれは一生消え去らないと思う。
ホントに何も聞かされていない、あまりにも完璧なサプライズだった。

360v_2自分で言うのもナンだけど、一生懸命やったからな~…仕事にやり甲斐を感じていたし、自分のしていることを誇りに思っていた。
ツライこともたくさんあったにせよ、とにかく仕事がメチャクチャ面白かった。
でも、そんな仕事も家内の我慢や協力なしにはとても実現できなかった。
そこで、パーティが終了してホテルの部屋に戻るなり、東京の家内に電話をしてShige Awardこのことを興奮交じりに伝えた。
そしてm心を込めてからお礼を伝えた。
家内は電話口で静かに泣いていた。
ま、一生懸命やり過ぎちゃって、この後の人生がガラリと変わっちゃったんだけど、前に勤めていた会社にも心から感謝している。
 
台座に刻まれている「INAUGURAL」というのは「初開催の」という意味。

370そこで、それを頂いたのがMarshall GALAのTシャツ。
第1回目だから「THE INAUGURAL Marshall GALA」と入れた。
残念ながらShige Awardの方は、私が前の会社を退職し、Marshallから一時離れたことにより2回目が開催されなかったが、Marshall GALAは来年の秋に「ThE SECOND」がありますからね。
皆さん、お楽しみに!

2e_img_1894 コレは最終日の最後。
あと数分で2009年のFrankfurt Musik Messeも幕を閉じようとしていた時のこと。
突然ブースの中央にJVMのフルスタックがセットされた。 

660_img_9180そこへ当時デモンストレーターだったクリス・ジョージが登場し、爆音でギターを弾き始めた。
曲は「God Save the Queen」だった。
何だってこんなことを急にしたのか、そして誰の発案か知らないけど、この時は私もイギリス人になったね。
私は歌詞はわからないのでハミングで一緒に歌った。

390vこの時も夜は夜で楽しかったな。
Marshallの定宿のPark Hotelのバー「King of Casablanca」でルークと「Your Song」を歌っているところ。
フランクフルトは「♪It's a little bit funny」どころか、いつでも「enormously funny」だった。

350<まだつづく>
 

200 
(一部敬称略 2009年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年8月22日 (水)

私のフランクフルト <vol.3:2008>

 

2008年、6回目のFrankfurt Musik Messe。

05_2ブースはほぼ前年と同じ。

10_3かつては1959だった巨大MarshallオブジェがJVM410Hに変わった。
当時JVMは新商品だったからね。

80_2レミー、ランディと、シグネチャー・モデルがフィーチュアされた。

660_2photo_from_20080315_021053ランディのモデル、1959RRはかなりセンセーショナルだったナァ。
取説に載っていたランディがルディ・サーゾに送ったハガキの翻訳をしていて楽しかったもん。
大学1年の時、『Blizzard of Ozz』でランディがブレイクして、短期間であったが、こんな天邪鬼の私でも入れ込んで、何曲かコピーした。
こうして思い出してみると、ランディは私にとっての最後のロック・ギター・スターだった。

660_photo_from_20080312_180309_2ケリーやザックのモデルも存在感を十分に誇示していた。

660_photo_from_20080315_021032この年もスゴイにぎわいだった。
コレ、何となくだけど列を作っているのね。
列は英語で「queue(キュー)」という。
イギリス英語ね。
イギリス人は「列」のことを間違いなく「line」とは言わず「queue」と言う。
The Kinksに「Who'll Be the Next in Line?」という曲がある。
レイ・デイヴィスが「失恋の列に次に並ぶのは誰だ?」と歌うナンバー。この「line」はアメリカっぽく演りたかったからだろう。やっぱりココを「キュー」と歌うとしまらない。

40_2広いスタンドをグルリと取り囲むようにして作られるキュー。
以前、初めて日本に来たイギリスに住むフランス人が地下鉄のホームでキチンと列を作って電車を待つ人たちを見てゲラゲラ笑っていたのを思い出す。
「こんなのパリでもロンドンでも見たことない!」って言ってた。
確かにロンドンの地下鉄には電車のドアの位置を示す印などない。そんなことより「Mind the Gap」と肝に銘じて電車とホームの隙間や段差に注意する方が絶対的に先決だ。
50_2ブース内の展示を見ているヤツがいねーじゃねーか!
キューの先にいるのは…

70_2ジム・マーシャル!
前年は体調不良で欠席せざるを得なかったが、2008年には復活を果たした。
関係者はみんな「Mighty Jim」なんて言ってたナァ。

60_2ケリーも。

80_2この年はスラッシュもサイン会を開いた。

90vコレはブースの裏通りのようす。
あ~あ~、ASがコッチ側に押し出されちゃったよ。
何度も書くけど、ASシリーズはヨーロッパにおけるアコースティック・アンプのベスト&ロング・セラーだ。

660_photo_from_20080312_180740この年はポールがデモ・ルームのステージに上がった。

100_2当然、毎回ルームから人があふれるほどの超満員だった。

110Musik MesseはNAMMほどプロ・ミュージシャンによるデモが盛んではない。
なので、ポール級の人が見れるとなるとかなりの大騒ぎになる。
でもね、ヨーロッパならではのミュージシャンのデモも散見されて、私なんかはヤン・アッカーマンとか地元ドイツでのウリの演奏とか…うれしかったナァ。
ジャズはダメ。

120ポールとは来日時のMarshallの手配なんかで以前からやり取りしていたが、この年はパーティや打ち上げなどで一緒になって楽しかった。

130この人はデモを演っていたワケではないが、ある方に紹介して頂いた。
誰だかわかる?
この太い腕!
この方はイタリアのArti E Mestieriのドラマー、フリオ・キリコなのだ!
高校の時大好きだったのでとてもうれしかった。

135こういうヤツね。
昔からのロック・ファンならきっとご存知のハズ。

Tilt 場所は変わって以前紹介したMarshallのスタッフの定宿のPark Hotelの前。

20_3ナンバーは「JCM800」。それに「M」の文字。
そう、コレはジムのベントレー。
ジムの最後の愛車だった。
「愛車」と言っても、まさかジムが運転するワケではない。
昔は以前の回にも登場したジョン・ケントというショーファーがいたのだが、年齢を理由に引退。この頃にはプロの運転手がイギリスから運転して来ていた。
かつてジョンに聞いたところによると、イギリスからは、ドーバー・トンネルを通ってフランス、ベルギーの一部を通ってドイツにはいるのだとか。
スゴイな~。
「地続き感」満点よ。「9時間ぐらいかかる」って言ってたかな?それに「ベルギーというところは本当に美しい」と言っていたのが印象的だった。
車は最高級だし、いくら運転しないとはいっても、ジムのようなご高齢の方にはさぞかしキツいドライブだったことだろう。

30_2ハイ、この年もシッカリ解体まで手伝いました。

140しかし、このイベント終了後の寂寥感ってのは何ともイヤだね。

150_2さっきまで大勢の人でゴッタ返していた会場にあふれていた話し声や楽器の音が「バコン」だの「ガタン」だのブースを解体する音だけになってしまう。

160_2写真は残っていないんだけど、この撤収作業が終わるとホテルのそばにある12時まで開いている「Leon」というイタリア料理店で打ち上げをするのが恒例だった。
この年はポールもその打ち上げに出席していたっけ。

170コレは別の日のザクセンハウゼン。

175「知らない」というので、ハドソン・ミュージックの社長を例のドイツ料理店、アドルフ・ワグナーに連れて行ってあげた。
アメリカ人もビックリの肉のボリューム!
ハドソン・ミュージックはドラム系の教則ビデオのメーカーね。
ロブはDCIの創設者でもある、業界では超有名な人。

180せっかくだから…と、2人で驚いてみた。
コレ、誰が写真を撮っているのかと言うと、ハドソンのヨーロッパのスタッフのロン・フライという人。
この人は子供の頃からロンドンのスタジオのメッセンジャーボーイをしていた人で、ブリティッシュ・ロック界においてメッチャ広い顔を持っているとのことだった。
だからアレよ。
まさに生きる「Old Grey Whistle Test」みたいな人。
最初はとっつきにくかったけど、慣れるとすごく親切な人だった。ケントのグレイヴスエンドというところに住んでいて、「今度カンタベリーに行くことがあったら絶対にウチに寄ってくれよ!」なんて言ってくれたけど、元気にしてるかナァ。
 
The Old Grey Whistle Testについてはコチラをご参照あれ。しかし…我ながらずいぶん書いたもんだナァ。⇒【Music Jacket Gallery】サマー・ジャケット特集 <中編>

190ロブとは2人でヴァイツェン・ビアを飲みに出かけたりして楽しかったナ。
フランクフルトの夜は更ける。
夜はなるべく外出しない。

Fn <つづく>

 

200
(一部敬称略 2008年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年8月 4日 (土)

私のボリビア(行ったことないけど)

 

しかし、暑いね~。
いつものMarshall Blogならしつこいぐらい「アツイ、アツイ」と文句を並べるところだけど、そんな気にもならない。
もはやコワイわ。
「一番暑い時期」と言われている3月に行ったベトナムよりゼンゼン暑い。なんかね、この暑さには「悪意」を感じるね。地球を大事にしないことに対する「お仕置き」とも取れる。
…ということで、今日は涼し気な画像を並べて少しは暑さを忘れて頂こう…という企画。
どういうことかというと、Marshall Blog初の南米の話題。
何しろ南半球は今、冬だからね。
いいな~、冬。11月生まれの私は、生来暑いのが苦手なのだ。
大黒屋光太夫のように零下50度の世界で10年も過ごすなんてのはさすがにゴメン被るが、「暑い」よりは「寒い」方がいい。
今日の舞台はボリビア。
ボリビアって知ってる?
私は小学生の時に初めて「ボリビア」という国の名前を耳にした。
それはポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の人気映画『明日に向かって撃て!』の予告編の中のことだった。
この映画、こんなマヌケな邦題を付けられてしまって気の毒なんだけど、原題は『Butch Cassidy and the Sundance Kid』という。
コレは「ブッチ・キャシディ」と「サンダンス・キッド」という19世紀末のアメリカの2人組の強盗の逃避行の話。
英語学習者は、後ろの「サンダンス・キッド」にだけ定冠詞の「the」が付いていることに気付くべきだ。
「サンダンス」というのはワイオミングにある地名で、それに「kid」が付いているアダ名なんだね。苗字ではない。「サンダンスのガキんちょ」といったところか?で、他にはいないから「the」が付いてる。
「Butch」もアダ名で「頑丈なヤツ」みたいな意味がある。
こういう名前ってSonny RollinsとかChick CoreaとかDizzy GillespieろかBuster Williamsとか、昔のジャズ・ミュージシャンに結構多いんだよね。
それで、その予告編の中で「銀行強盗をしながら、はるか南米のボリビアまで逃げた」みたいな一節があって、それでこの国の名前を知った。
バート・バカラックの「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' on my Head)」のヒットもあってとても人気の高い作品だったけど、私はあまり好きではなかった。
父の影響で幼いころから重厚なハリウッド映画ばかりを観て育ったので、この作品や『イージーライダー』のような「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれた軽い作風が好みに合わなかったのかも知れない。

10vしかし、今回のこの記事を書くまでその「ボリビア」なる国が南米大陸のどこにあるのかは知らなんだ。
で、調べてみた。
ブラジルとペルーの間って感じか…南米大陸にも海のない国ってあったんだな。パラグアイもそうか…。
事実上の首都はラパス(La Paz)。
国土の広さは日本の3.3倍。世界で27番目に広い国なんだって。
こうして見るとブラジルってデッカイな~。
日本の22.5倍で、ロシアを差っ引いたヨーロッパ大陸より広いんだって。

20v国旗はコレ。
またこの3色か…。

30ここで脱線。
この赤・黄・緑の配色の国旗ってやたら多いよね。
チョット見てみると…
  
サリフ・ケイタの故国、マリ。
公用語はバンバラ語とフランス語のはず。

C__5配色を反対にすると、ギニア。
コリャ、まるで「江戸三座」の定式幕だ。

C__2さらに配色を入れ替えて星をつければカメルーン。

C_マリを45°傾けてやればコンゴ。

C__3応用編はベナン。
アフリカの国旗に多く用いられていることより、この3色を「汎アフリカ色」と呼ぶらしい。
それぞれの色の意味は「赤」は殉教のために流された血、「緑」はアフリカの植生、「黄」はアフリカの富と繁栄なのだそう。
イカン、イカン、アフリカの話をしていたら暑くなって来た。
イヤ、いまや東京の方が暑いかも知れない。

C__4それじゃ、コレでどうだ!
今、冬のボリビアから。
ああ、見ているだけで涼しくなってくるような大雪原! 

50_4写真を送ってくれたのはこの女性。
Marshallの友人を通じて知り合ったブラジルはサンパウロ在住のお友達リリアン。
そして、旦那さまのエドサンドロ。

40_3新婚旅行でボリビアに行ったんだって。
そこへMarshallも連れて行ってくれたとうワケ。
でもね、コレ…残念ながら雪原じゃないの。
ナント、塩!
有名な「ウユニ塩湖」を訪れたのだそうだ。

60_3スゲエな~!
視界を遮るものナニもない。
そして、白と青だけ世界!
この塩の湖の大きさは10,582平方メートル…と聞いてもピンとこんな。
秋田県と同じぐらいの広さだって。
オイオイ、塩分摂り過ぎじゃないの?

70_3標高3,700mっていうから、富士山のてっぺんと同じぐらいの高さだわね。
冬季の富士山の頂上がどんなに過酷なところかは新田次郎の『芙蓉の人』と読んでもらうことにして、やはり高山病が厄介らしい。
リリちゃんも高山病に罹ってしまい、2日ぐらい吐き気に悩まされてしまった…

Fuyo…ようには見えませんナァ。
アルパカかなんかに乗っちゃって!

75_3おまけにMarshallの上でジャ~ンプ!

80_3そして着地。
スゴイ!
リリちゃんの服装も偶然モノトーン。
白と黒と青で統一されている。

90v_2しかし、キレイだな~。
この湖面がまるで鏡のようなんだって。

100_2乾季になると、こうして湖面にクラックが入るのだそうだ。

110_2そして、夕暮れ。
さっきまであんなに青かった空が鮮やかなオレンジ色に変化する。
そして夜には満面の星が現れる…って、さも自分で見たように、スミマセン。

120_2一瞬、奥の山が浅間山のように見えるが、コレはLaguna Hediondaというところ。
「laguna」とは「潟」という意味。要するにエディオンダ湖だ。
ココも塩湖でフラミンゴで有名らしい。
塩湖とは普通の淡水湖とは異なり1ℓ当たりの塩類の総イオン量が3g以上の水を湛えている湖のことを指す。
何かテーブル・クロスがいかにも南米じゃない?フォルクローレ。

130_2場所を移して、ココはボリビアの首都、ラパスの「Carrot Tree」というレストラン。
アタシャ、れっきりバックパッカーのための宿の食堂かと思ったよ。
このラパスという街も標高3,600mを超える地点にあり、世界で最も高所に位置する首都なのだそうだ。
そして、ラパスにはいいレストランがたくさんあるんだって。
でも、インターネットでウユニ塩湖に行った人の紀行文を読むと、屋台なんかで売っている食べ物は食中毒になる危険度がかなり高いとのことで、その人もヤラれてしまったそうだ。
コレはリリちゃんに聞いたんだけど、当然水道の水は飲めない。
私ホラ、こないだのベトナムで水道の水飲めないことの不便さを知ったからさ。
ホントに日本の衛生環境には感謝してるのさ。

140_2コチラは「Cocina popular Boliviana」というレストラン。
リリちゃんは魚のフライをオーダー。
ま、淡水魚なんだろうね…海がない国なんだから。
結構デカい。
とても美味しかったって。

150_2コレは赤葉トウガラシを使ったスタッフド・ピーマンというモノ。

160_2コレなんかはリトル・マーメイドなんかで昔から取り扱っているバゲット・サンド…に見えるけど、間に挟まっているのはリャマの肉だそうだ。
ありゃま~!

170_2コレがリャマ。

180コレは「ちゃま」。
浅草の飲み屋だ。

C_chama_2こっちはミラバケッソ…つまりアルパカ。
リャマの近い親戚かね。
ボリビアではアルパカも召し上がるのだそうだ。

リャマの肉は柔らかく、牛肉のフィレのようなイメージだそうだ。
ウ~ン、爬虫類でもナンでも、未知の肉って大抵「鶏肉みた~い」となるのが普通なのだが、リャマはそうではないらしい。

190リリちゃんが日本にいた時には、家にお邪魔してブラジル料理をごちそうになったりしたものだった。
例えば、ブラジルの家庭の味、フェイジョアーダ。
豆とソーセージの煮込みっていうのかな?
コレを白米とミカンで頂く。ミカンってあの普通の温州ミカンね。

C_fd_2 コレはブラジルのチーズ・パン、ポン・デ・ケイジョ。
要するにチーズ・パン。
とてもおいしかった。 

Pdc下の2枚の写真もリリちゃんが送ってくれた。
この白い建物、ナンだと思う?
コレ、「サンペドロ」という刑務所なんだって。

200_21,500人もの囚人を収監しているんだけど、看守がいなければ、囚人服もないのだそうだ。外出も自由。
刑務所の中には、屋台やレストラン、美容師、さらにはホテルまであって、囚人たちが自主的にひとつの町を作っているというワケ。
で、この刑務所内を自由に見て回れるツアーがあって、ラパスの観光地として有名なんだって。
なんて書くと何やら面白そうだけど、麻薬フリーだったり、窃盗天国だったりで、どうやらトンデモナイところらしい。
入り口の前に行列ができている。
観光客だろうか?

210_2以上、正確には「私のボリビア」ではなくて「リリちゃんのボリビア」でした。
 
さて、せっかくのMarshall Blog初の南米の記事なので、リリちゃんにちなんでブラジルの音楽の話を少々。
何といってもブラジルは音楽の宝庫だからネェ…といいたいところだけど、私は特段ボサノバが好きなワケではないし、浅草のサンバ・カーニバルを楽しみにしているワケでもない。
でも、大好きなブラジルのミュージシャンがひとりいる。
それはアイアート・モレイラでもなく、フローラ・プリムでもなく、イヴァン・リンスでもなく、ましてやミルトン・ナシメントやエウミール・デオダートでもない。
私は、エルメ―ト・パスコアール(Hermeto Pascoal)が大好きなのです。
あ、エグベルト・ギスモンティも相当いいな…。
 
で、以前リリちゃんとブラジルの音楽について話していた時、当然パスコアールの話になるワケで、「エルメ―ト・パスコアール」って知ってる?と訊くと、「あ、はい。知ってますよ」と気軽に答えるでないの!
日本にいると、結構音楽を聴き込んでいる人でなければパスコアールなんて知らないと思い込んでいたので、いくら地元とはいえリリちゃんのような若い女性が知っていたのでビックリ!
「え?ブラジルの人だったらみんな知ってますよ!」と追い打ちをかける。驚いちゃったよ。
私はナンで知ったのかな…と思い返してみると、19歳ぐらいの時に聴いたMiles Davisの『Live Evil』で恐らくその名を知ったのだと思う。
エルメ―トはこのアルバムに「Nem Um Talvez」という曲を提供していて、そこにドラムで参加しているのだ。
この曲、マイルス作となっている次の「Selim('miles'の逆さ綴り)」と同じ曲なので注意。
この曲自体は「In a Silent Way」のできそこないのようで、私にはサッパリ良さがわからないのだが、名前は覚えて気に留めておいた。

Aそれに加えて、仙人のような風貌に惹かれて買ってみたのが下の右の『Slaves Mass』というアルバム。
コレでビビビと来たね。かなり気に入ってよく聴いた。
 
この人、1936年の生まれというから、今年でもう82歳にもなるんだけど、ついこの5月にも来日していた。
元々はバンドネオン奏者なのだが、フルートなんかもすさまじい演奏技術を持っている。
下は数少ない私のコレクション。
もっと聴きたいんだけど、滅多に中古に出ないんだもん!

1973

1976

どんな音楽を演っているのかというと、私はよく「ブラジルのFrank Zappa」と形容している。
とにかく「自由」なんですよ、自由。何しろクリエイティブ。
下の左はモントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤で、オープニングのMCが強いフランス訛りの英語でこんなことを言っている。
「ブラジルはあらゆる異なる種類の音楽のるつぼです。今から数分後に登場するグループは、信じられないようなセンス、トーン、リズム、ハーモニー、作曲、即興演奏、まさにそれらが溶け合ったモノで、「驚異的」としか言いようのない唯一の音楽を演奏します」
もう、このMCのオッサンが言う通り。
でもこのオッサン、「エルメ―ト」ではなくて「エルメット」って発音してるな…「エルメット」の方が正しそうだ。
今度リリちゃんに会った時に教えてもらおう。

1979

1980 自分のアタマの中にポッと浮かんだアイデアをそのままダイレクトに曲にしている感じ?
あるいは何も考えずに自然発生的に作曲している感じさえする。
ナレーションとユニゾンでピアノを弾いたりするアイデアなんかはZappaの「Dangerous Kitchen」みたいなこともしているんだよね。
創作の姿勢としては何となくPat Merhenyを感じさせる。

1987

1992 それと、楽器の偏重がないっていうのかな?自身の楽器をフィーチュアするようなところが一切なく、本当に「音楽最優先」という精神が伝わってくる。
でも、一緒に演る人は大変だろうナァ。エルメ―トがクチで「♪タリララダッパッダズララズビズビタラリラ…はい、このメロディ演奏して」ってやっている感じ。
こんなメロディ覚えるのは至難の業だ。
すなわち、シュッレッディング・ギター・ミュージックの極北だわね。
いつまでも元気に活躍して欲しい偉大なアーティストのひとりだと思う。

1999

2002 最後にもう1枚。
コレは昨年の11月にリリちゃんとエドが来日した時のようす。
ちょうどお酉さんをやっていたので連れて行った。
「ナニこれ?!」と2人は初めて見る「カメすくい」にビックリ。
リリちゃんは英語がベラベラなので、私がエドにわかるように英語で説明しようとしたら、このカメすくいのオジちゃんが英語を話し出した。
カメすくいのオジちゃん、まさかの英語ペラペラ!
あまりの予想外の展開に、失礼ながら3人で大笑いしてしまった!

C_img_5023 最後に…リリちゃん、どうもありがとう!
また日本に帰って来てね!その時を楽しみに待っています。

 

200_3

(一部敬称略)

2018年7月13日 (金)

私のフランクフルト <vol.2:2007年>

 
2007年。
2003年から毎年通ったFrankfurt Musik Messeもコレで5回目。
その間、パッと見では会場全体に何の変化もなし。
それにしても向こうの人たちの気温に対する感覚ってどうなってるんだろう?見て!…大抵の人はジャケットを着ているけど、半袖のアンちゃんもいるでしょう?
開催は例年通り3月の末だったが、ブルブル震えるような寒さではないものの、さすがに半袖はないと思いますよ。
シベリアあたりから来た人たちなのかな?あ、言っておくけど、「シベリア」は英語では「サイベリア」ですからね。
南の国から来た私は、多分厚手のジャケットを着こんでいたハズ。
ホント向こうの人って面白いよね、人それぞれで。
だからこのMesseでもNAMMでも、あるいはニューヨークでもロンドンでも、行き交う人たちを眺めていても飽きることがない。

10_2前回も触れたが、Frankfurt Musik Messeは、当時世界最大の楽器の展示会だった。
「ロックやジャズ等の軽音楽用楽器の展示会」ということになれば俄然NAMMが強い。
しかし、全体の規模では圧倒的にMesseなのだ。
そのココロは…まず、クラシック用の楽器が展示がスゴイ。
ピアノからヴァイオリンなどの弦楽器、管楽器、クラシック・ギター等々の品揃えがハンパない…じゃない、中途半端ではない。

20_2それにアコーディオンやリコーダー等のヨーロッパでの需要が大きな楽器。
リコーダーなんて日本では小学校の時に「フエ」として接するだけじゃん?
こっちはありとあらゆる大きさのリコーダーがウジャウジャ展示されていて、「まる子ちゃん」じゃあるまいし、そこら中でピーヒャラピーヒャラやってる。
それよりスゴイのがアコーディオン。
コレはいつかも書いたけど、アコーディオンはドイツの国民楽器なのね。
最近は見なくなったけど、飲み屋にいくと大抵壁に貼ってあった、ハイジみたいな恰好をした女の子が大きなジョッキをいくつも手にして微笑んでるポスターね。
ああいうシチュエーションでは必ず、アコーディオンに合わせてみんなで大合唱をするらしい。
そういえば、アコーディオンを使っているかどうかまでは覚えていないが、『シンドラーのリスト』にもそんなシーンがあった。
ドイツ人は合唱が好きなのかもしれない。
同じビール好きでもイギリス人にはこういうイメージが全くないもんね。
下の写真、コレ、つき当りまで全部アコーディオンのブースだよ。
コレだけじゃなくて、こういうのが何列も並んでる。
でもね、どんなに沢山集まっていてもアコーディオンやリコーダーの音ならおとなしくていいよ。
この建物の1階はいつも阿鼻叫喚の騒音地獄だからね。
ナニかというと、ドラムスを中心とした打楽器の展示スペースだ。

30vそれと、NAMMにないMesseの大きな特徴は楽譜の展示だ。
ヨーロッパとアメリカ中からありとあらゆる楽譜屋がやって来る。
もちろんクラシック中心。
楽譜なんてどれも一緒だと思うけど、その品揃えたるや尋常ではない。
ある時、Universal Editionという楽譜屋のブースに入ってみた。
ウィーンの会社なので「ウニヴェルザール・エディティョーン」みたいに読むようだ。
私はコンテンポラリーなクラシック音楽、いわゆる「現代音楽」がすごく好きで、そうした分野の作曲家たちの写真集がないか?とダメ元で訪ねてみたのだ。
こっちはMarshallのTシャツに汚いジーンズ…おおよそクラシックからは程遠く見えるオッサンにも大変ていねいな応対をしてくれた。
「写真集のようなものはありませんネェ…」という答えだったのだが、少し考えて…「ああ!チョット待って!」と控室に姿を消し、下の写真の冊子を手にして戻って来た。
「こんなモノでよろしければ…」とその冊子を渡してくれた。

40_2中を見ると、出てる出てる、バルトーク、ヤナーチェク、コダーイ、レスピーギ、ベリオ、リゲティ、ブーレーズ…。
写真集ではないし、中身はドイツ語でサッパリ読めないけど、どうにも欲しくなった。
「いくらですか?!」とその対応してくれた方に尋ねると、「ハハハ、お金なんて要りませんよ。どうぞご遠慮なくお持ち帰りください」
私も知っている限りの丁寧な英語でお礼を述べて謹んで頂いて日本に持って帰って来た。

50_2このUniversal Editionというのは1901年創業の老舗楽譜屋で、マーラー、シェーンベルク、ヴェ―ベルン、ワイル等々の版権を持っていた。
バルトーク、ヤナーチェク、ベリオ、リゲティも同様で、要するにこの冊子は、この会社が持っている版権に関するただのカタログなのね。
でも、私の宝物のひとつなのだ。
 
この会社のウェブサイトで見つけたカッコいい言葉をふたつ紹介しておきましょう。
まずはグスタフ・マーラー…「もし作曲家が何かを言葉で言い表わさなければならないとしたら、その作曲家が音楽で悩むことなどないでしょう
ん~、言ってみたい。
こちとら口先三寸で勝負だからね。
もうひとつはピエール・ブーレーズ…「始まりも終わりもなく、発見へと導く新しい道にあふれ、永遠に謎の解けない迷宮こそが音楽である
ロックも1975年ぐらいまではこのブーレーズの言葉がピタリと当てはまっていたように思いますな。その後、商売が絡んでロックの迷宮がスッ飛んじゃった。

60_2この年のMarshallのブースは大幅に様変わりをした。
まず、入り口でジムがお客さんを出迎えた。

70_2そして、アーティストを前面に押し出すようにした。

90_2ディスプレイの様式も以前のような平面的なセットではなく、立体的なデザインに変更。
そして、それぞれの商品の島ごとにイメージ・キャラクターの写真が取り付けられた。

110v_2イングヴェイはヴィンテージ・シリーズだったな。

120v_2ケリー・キングのディスプレイも立派だった。

130v_2以前のMarshallのブースのサイン会といえば、ほとんどジム・マーシャル一辺倒だったが、この頃からミュージシャンがカウンターの中に入るようになった。
ケリー・キングのサイン会はいつも長蛇の列だった。
このお客さんを整列させるのがサイン会の時の私の任務。

140実は、ジムがこの前年に心臓疾患で倒れてしまい、Messeに参加することができなかったのだ。
それでミュージシャンたちのサイン会を組み入れたというワケ。
ジムが来れないということもあってブースの入り口にジムの大きなポートレイトが取り付けられたのだ。

150v「早くよくなってね!」

160_2カウンターにはジムへ送るメッセージを記すノートが用意され、たくさんの人がMarshallの創始者への思いを綴った。
私はこのノートで「Get well soon」という表現を覚えた。

2_rimg0219この人なんか、自分が「get well soon」なのに…。

2_rimg0217 珍しくこんな写真。
これが初ケリーだったかな?
この時より以前、日本のテレビ番組にケリーが出演しているのを偶然見た。
番組のインタビューで「立派なタトゥーですね。身体の中でどのタトゥーが一番気に入っていらっしゃるんですか?」と訊かれると、ケリーは「ムゥゥゥ…そうだな…何だな…頭の後の女神だろうな…ムゥゥゥ、でもオレは一度も見たことがねーんだけどな…ムゥゥゥ」と答えていた。
コレが私にはすごくおもしろくて、こんなルックスだけど、案外ケリーってお茶目な人なんだなと思った。
そこで、控室でケリーと2人きりになった時に本人にこの話をしてみた。
「かくかくしかじか…あの話はとても面白かったですよ!」とケリーに伝えると、「ムゥゥゥ…そうか」…以上何も語らず。
お茶目かもしれないが、コワいルックスも手伝ってチョット取っつきにくいかな?
ケリーを良く知る人にこのことを話したところ知ったのは、ケリーってすごくシャイなんだって。
そうは見えないけどな~。
(※「ムゥゥゥ」はあくまでイメージです)

170_2デモ・ルームも一新。

180_2ココでニコ・マクブレインと2人でドラム・キットを組み立てたのは楽しい思い出だ。
こんなんだってヘタすりゃ下北沢の小ぶりなライブハウスぐらいのキャパはあるからね。

190_2ハイ、2007年のMesseも終了。
これから地獄の撤収作業~!
この人たちはイギリスから来てる大工さん。実際、Marshallの連中も「carpenter」って呼んでた。
大工さんったってみんなカッコいいんだよ、英語もベラベラだし。
さすがに毎年顔を合わせていると、大工さんたちともスッカリ仲良くなっちゃってね。みんなどうしてるのかな~。イギリスで大工さんやってるんだろうナァ。

200コレ、今やっているのはツライ撤収作業を始める前のルーティンなの。
日本とは反対で、作業の前にカンパイしちゃうの。
ま、「乾杯」というよりは「景気づけ」だろうね。
いつもはウィスキーを一杯グイっとやるんだけど、この年はケリーが愛飲しているというスウェーデンかどこかのやたらとアルコール度の高い強い酒だった。
妖しい緑色をしたビンの中身はどう考えても毒薬が入っているようにしか見えなかったが、飲んでみると、グェッ!…マズイ。
みんなも「何じゃ、こりゃ?」と顔をしかめつつ紙コップを傾ていた。

210前回紹介した地元の通訳のステファニー。
あれ以降、Marshallの指名により毎年Marshallのブースに就くことになったのだ。
いつもは撤収の時には帰っていなくなってしまうのだが、この年は名残惜しかったのかココまで付き合ってくれた。
この人はいつ会っても本当に快活で、感じがよくて、素敵な人だった。
チョコっとしたドイツ語をずいぶん教わったけど全部忘れちゃった。

220作業終了。
残っているMarshallは予めドイツ・マーケット用にイギリスから持って来たモノだから片付ける必要なし。コレが多いとゴキゲンなのさ!
壁に掛かっているMarshallはヘタに取り扱うと危険なのですべて大工さんが担当する。

230_2この年は帰りの飛行機の時間まで余裕があったのかな?
意を決して昼間に市中を見て歩くことにした。

370_2まずはフランクフルト中央駅。
「中央」といっても街の真ん中にあるワケではないそうだ。
ドイツ語で「Frankfurt Hauprbhanhof」ということは前回書いたが、「Haupt-」というのは「主要な」という意味。
ドイツのは115もの中央駅があるんだって!どれだけ中央なのよ~?

380駅前のサッカーのオブジェ。というか宣伝塔か?
今回のワールドカップのドイツは散々だったね。

385ヨーロッパのターミナル駅ってステキなんだよね~…と言ってもロンドンしか知らないけど。
ドイツ国内で最も乗降客数の多い駅であるだけでなく、ヨーロッパ最大級のターミナル駅なんだって。
1日の乗降客数は35万人。
それがどれぐらいかと思って調べてみると…お!新宿が36万人だって。次いで池袋で27万人。関西で言うと梅田が24万人。
エエ~!新宿や梅田より全然ユッタリしてるぞ~!一体なんなんだよこの違いは!
ちなみに下の写真は朝撮ったもので、ラッシュアワーの直前ぐらいかな?
ココもやっぱり改札がない。

390_2構内には軽食屋の他、色んなお店が並んでいる。
やっぱこうして見るとかなり大きいね。

400_2何回かお世話になった構内のマクドナルド。
この頃はまだ食べてた。
こんな箱に入って出て来る。
今は全くこういうモノを食べなくなった。もう何年食べてないかな~?
止めて最初の頃は時々食べたくなったけど、今はゼンゼンへっちゃら。

410_2ドイツのカップヌードル。
「カップ・ヌードルン」…でもコレはおかしい。ドイツ語で「cup」は「Tasse」のハズ。
麺類だけに英語とドイツ語のチャンポンになってる?
ドイツ人の友達が言っていたけど、ドイツ人でも若い人たちは英語の表記に憧れるんだって。同じアルファベットなのにね~。
そんなことやめなさい。自分の国の言葉を大切にしなさい。

420_2みんなと一緒に夕飯に行ったりするのが面倒な時は自室でディナー。
中央駅の地下にある店で惣菜を買って来る。
ハンバーグ、シュニッツェル、ウィンナー。これをビールで流し込めばディナー完了。
ところがコレがスゴイのだ!
何がスゴイって殺人的にしょっぱいのだ!
イヤイヤ、冗談じゃなくて、舌がシビれてくるぐらいしょっぱい。
私は辛いモノは大スキだけど、しょっぱいのはダメ。ウィンナーはまだいいんだけど、他の2つはとてもじゃないけど半分も食べられなかった。

430_2話を戻して…中央駅を背に駅前のメインストリート、「カイザー通り」を進む。
ドイツ語で「通り」は「Strasse」という。
そう、こんな時に口ずさむのはThe Sensational Alex Harvey Bandの「Action Strasse」ね。
そして「カイザー(Kaiser)」は「皇帝」という意味。「カイザー=カエサル」…ジュリアス・シーザーから来た言葉。

440後を振り返るとこんな感じ。右の奥の方にメッセ・タワーが見える。
やっぱ遠いな。

450ドイツ最大の駅でもこうしたホームレスの姿を見かける。
前回書いたようにジョンの「フランクフルトは危険な街だ」という言葉を思い出す。
駅前で下半身丸出しで歩いているオッサンを見たこともある。そのオッサンの目がコワかった。もう焦点がゼンゼン定まっていなかった。

445駅前で堂々と営業している巨大なポルノ・ショップ。
向こうの人はゼンゼン平気だから。女性もドンドン入って行っちゃう。
その代わりコンビニで自由にエロ本を見たりするなんてことはできない。
いつかドイツ人の友達が私にこう訊いたことがあった。
コレは以前に書いたかな?
「シゲ、日本には満員電車の中で女性の身体を触ったりするヤツがいるんだって?」
「ああ、molesterのこと?」
「痴漢」は英語で一応「molester」という。
「ナンダ、それ?molesterってナニ?」
彼は、会議の時にまた戦争でもおっ始まるのではないか?と思うぐらいの激しい舌戦をアメリカのディストリビューターと繰り広げるほどの英語の使い手なのよ。
「ナニ、ドイツにはmolesterがいないの?」と訊くと、彼はキッパリ「そんなヤツは1人もいない」と答えたよ。
「そういうヤツ」がいないので「molester」という単語を知らなかったのだ。
そして彼はこう付け加えた「日本の男性はそっちの方の欲求のハケ口がないって聞いたよ。だからそんなことをするヤツが出て来るんじゃないの?ドバ―っと開けっ広げにした方がいいんだよ」って。

460なるほど、このポルノ・ショップの大きさと主張は彼が指摘することのひとつの表れかも知らんな。
480店名の「Dr. Muller」ね。
「Muller」というのは超典型的なドイツの名字だとか?アメリカでもドイツ系移民の名前の代表は「Mullerさん」らしい。
私の母方の叔母が嫁いだ先のアメリカ人の家が「Muller」さんなのよ!
フランクフルトでこのことを口に出したことはない。

470お、変なポスター。
ドイツ語で「地下鉄」は「Andergraund」じゃないですからね~。

490vドイツ語で「地下鉄」のことは「U-Bahn(ウーバーン)」という。
「Bahn」は「鉄道」ということ。
「U」は何か?
「Untergrund」…つまり「地下」のこと。
なるほど。
だから同じく潜水艦のことをU-Boot(ウーボート)」というのか…と思うのはチト早い。
潜水艦の方の「U」は「海の下」を意味する「Untersee」の「U」。
元は「氷の下を進む船」ということらしい。
私は潜水艦が浮上したり潜航したりする動きが横から見ると「U」の字に似ているからかと思ってた。
アメリカ人だったら絶対コレが「U-Boat」の語源にしてるよ。

Ugjpちなみに、この本面白いよ。
また吉村昭。
戦争中に日本海軍が潜水艦でドイツまでレーダーを取りに行く話。

Ss さらに進んで中央駅の方を振り返る。
やっぱいいよね、ヨーロッパの街並みって…他にロンドンしか知らないけど。

500_2フランクフルトはヨーロッパ経済の中心地で「欧州中央銀行」の本店があるところ。

510_2しかし、EUもどうなっていくんだろうネェ。
米中間の貿易戦争が始まったけど、ホンモノの戦争が起こりやしないかと気が気じゃない。洋の東西を問わず、政治家や大企業家の頭の中では「経済」と「戦争」は「金」という等号で直結してるからね。

520_2カイザー通りを歩くのは初めてではないけれど、こんなところまで足を延ばしたのは初めて。

530_2こんなんなってるのか。

540_2イヤでも目に入って来るバカでかい建物は「聖バルトロメウス大聖堂」。
英語読みをすると「バーソロミュー」。

560v歴史は7世紀にまでさかのぼるらしい。
神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式はココで行われたのだそうだ。
しかし、現在の建物は1950年代に再建されたものなので、ウチよりもよっぽど新しい。

570v「レーマー広場」と呼ばれる旧市街地。

580聖バルトロメウス大聖堂からすぐのところ。

590vこういうギザギザになっている屋根を「切妻屋根」という。
ユダヤ人の音楽は「クレツマー」だ。
この写真の真ん中の他よりチョット背の高い建物が旧市庁舎で「レーマー」といったことからここがレーマー広場と呼ばれるのだそうだ。

600広場に足を踏み入れると「おお~!」となるんだけど、それだけ。
どっかで見た景色だな…と思ったら長野の白馬の土産物屋。
なんだかペナントとか木刀とか熊の彫り物でも売ってそうじゃない?

610特に見るところもなさそうで、これなら名古屋の有松とか千葉の佐原の方がゼンゼン見ごたえがあるな…というのが正直なところ。
ゴメンな、レーマー。

620市内をユッタリと流れるマイン川。

630時折こんな建物に出くわすのは面白いけど、概して見るところがない。
「ゴエテとはオレのことかとゲーテ言い」でおなじみのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの生家なんてのもある。「♪でもねボクにゃ詞なんてわからない」(←コレ知ってる人、チャンと日本のロックを聴いてる人)

640vコレが町の教会かな?
アラ、向こうに大聖堂のアタマが見えてるね。

550他にも「ゲットー博物館」というのがあって、入ってみたけど、コレはマァ見応えがあったな。
興味のある事物に関する博物館の類は、なるべく観ておくようにしている。

650コレだけ何でも手に入る東京にいて、どうしても自由に手入れることが不可能なのは、海外の芸術とエンターテインメントだと考えるているから。
やっぱり日本語で聴くグリザベラやエポニーヌの歌はどうかと思うから。

660<つづく>
 

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200

(一部敬称略 2007年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年7月10日 (火)

スピンオフ四人囃子 #3 <中編>:スピンオフ四人囃子~私の猿田彦様

  
せっかく車で名古屋まで来たんだから…ということで、空き時間を利用して興味のある場所にチョコチョコと足を延ばしてきた。
そのひとつがココ。
三重県は鈴鹿市にある「椿大神社」。
コレ、「つばき だいじんじゃ」じゃないからね。「つばき おおかみやしろ」と、神道だけに思いっきり訓読みをする。
私は信心はしないんだけど、何千年にもわたって民衆から支持されてきた神事にはそれなりの畏敬の念を持っていて、日本人である以上は神道、仏教、ともにある程度の知識と作法だけは身に付けておきたいと思っている。
そう思うようになったのも比較的最近のことで、海外の人とお付き合いすることが多くなってからの話。
海外の人はみんな宗教に熱心で、日曜日には必ず家族で教会に行って…なんてイメージがあるからね。
それなら私も自分の国の宗教ぐらい知っておかないと…ということで少しは勉強する気になった…なんてのはお門違い。
あのね、外人が映画やドラマで、食事の前に手を合わせて「天にまします我らの父よ…」ってお祈りするシーンに今でも時々出くわすでしょ?
私もアメリカ人やイギリス人の家庭にお呼ばれされて食事をごちそうになったり、レストランで一緒に食事をしたりすることがよくあるけど、今までああいうのをやっている人を見たことがないんだよね。
ただ1人の例外は、アイアン・メイデンのニコ・マクブレイン。
ニコとはフランクフルトやロンドンのレストラン、ジム・マーシャルの家などで何回か食事をご一緒させて頂いたが、周りの連中が早速ガバガバ飲み食いしてる中、いつでもどこでも必ず手をキチンと合わせ、うつむいて祈りの言葉を囁き、胸の前で十字架を切ってからフォークとナイフを手にしていた。
この間ほんの数十秒…他の皆さんは全く気にしていなかったけど、私はそれを見ていてすごくいい気分になったね。
あ、それとナッシュビルの偉大なるフィンガーピッカー、ドイル・ダイクスもやっていたかも知れない。
話が飛んだな。
昨日の記事を書くのに半日以上かかっちゃって、今日の前置きは簡単にしようと思っていたのだが…。
 
とにかく、神社仏閣などにも興味が出てきたというワケ。

10_2門柱に「伊勢一之宮」ってあるでしょう。
コレ、スゴイんだよ。
まず…伊勢神宮っていうのは全国8万社あるといわれている神社の中て一番尊いとされているのね。
かつてMarshall Blogでもお邪魔した。
そもそも「神宮」と「神社」ってのはアホほど格が違うもので、しかも「神宮」というのは元々お伊勢さま専用の言葉だったらしい。(「今は諏訪大社とかもあるけど「大社」というのは出雲を指す言葉だったらしいッス)
で、「一之宮」というのはナニか?
律令国家時代(10世紀ごろ)、日本は国内が「国」という行政区画に分かれていて、その国の親分を「国司」といった。
そして、それぞれの国は『延喜式(えんぎしき)』という法制書によって「大、上、中、下」と等級が定められていて、伊勢神宮のある「伊勢国」は大和、河内、武蔵等と並び、13しかない「大国」の一角を占めていた。
だからそこの国司っつったらメッチャ偉いワケ。
で、その国司が変わった時に、地元の神社に赴いて神様にご挨拶をして回る。その参拝して回る神社の順番が厳格にキマっていたんだね。
もちろん、重要なところから訪れるのは言うまでもない。
その順番で一番最初に訪れる神社のことを「一之宮」という。
つまり、ココはかなり位の高い神社なんです。

20_2そして、この椿大神社は猿田彦大神を祀っている神社で、全国に2,000あると言われている「猿田彦神社」の総本社とされている。
伊勢市にも「猿田彦神社」があるが、「どっちが総本社か」ということに関しては意見が分れるところらしい。

30v猿田彦大神は「導きの神様」といって、大変重要な神様の一柱。
鼻がやたらと大きく、七咫(あた)あったという。「咫」というのは手のひらを広げた時の中指の先から親指の先までの長さだというから尋常な大きさの鼻ではない。
手塚治虫の『火の鳥』に出て来る猿田博士は猿田彦大神をモデルとしていることはよく知られている。
手前はムーピーの「タマミ」。
この『火の鳥<未来篇>』は衝撃的だったね。
話の最初の方で大国のコンピューター同士がケンカして核戦争が起こるでしょ。
コレ、まんざら空想ではなくなって来てるよね、最近。「ITと核」。
ホントにコンピューターもいい加減にした方がいいと思うよ。
コンピューターに話しかけて選曲の依頼なんかをしているCMを見かけるけど。大変ゾッとする。
自分の聴きたい音楽ぐらい自分で探して自分でかけろよ。
人間がドンドン、しかもものスゴイ早さでバカになってるとしか思えない。
大ゲサだけど、あのCMを見るたびに『火の鳥<未来篇>』を思い出す。

Sh 中に入ってみる。
神社に入る時はお辞儀をして、参道の左側を静かに歩く。

40vいいね~、この雰囲気。
こんな私ですらスガスガしい気分になる。

50本殿。
『火の鳥<鳳凰編>』の我王という主人公も猿田彦大神がモデル。
猿田彦大神は「道の神様」とも言われ、中世には「道祖神」とされた。
我王は道端の石に仏像を彫りながら日本国中を旅して歩くでしょう。それが道祖神になったんだろうね。
手塚治虫はそこまで考えてキャラクター設定をしているワケですな。
『火の鳥<鳳凰編>』には、その我王の支持者として吉備真備(きびのまきび)が登場する。
この神社にはその吉備真備が奉納したとされる獅子頭があって、獅子舞発祥の地とされているのだそうだ。
こういうつながりを考えたり想像したりするのは歴史を勉強する醍醐味。この上なく面白い。

60_2二礼二拍一礼…実は今我々が行っている神社の作法は明治時代にできたもので、古式ゆかしいモノではない。
本来は鈴も賽銭箱もなかった。
だからこうした由緒正しい神社にはそうしたものが設置していない。あ、賽銭箱はあるな。
驚いちゃったのは、この神社、ロケーションはお世辞にも良いとは言えないんだけど、三重県では伊勢神宮、二見興玉神社に次い3番目に参拝客が多いのだとか。
その数たるや年間150万人弱!ウッドストック3回分だぜ!

70_3屋根は銅板だ。
コレが何十年かすると、緑青が生えて見事な緑に変色し、貫禄と風合いを蓄える。

80_2結婚式をやっていた。
こういう祝儀に出くわすのは縁起がいいんだよ。

90_2続いてそのお隣…

100_2コチラは椿岸神社。

105v天之鈿女命(アメノウズメミコト)を祀っている神社。
アメノウズメは皆さんもよくご存知も通り、天照大神が天岩戸に隠れてしまった時に、外で裸になって舞い、八百万の神様に「ヤンヤ、ヤンヤ」と言わせ、「外はヤケに楽しそう…」と見事天照大神を天岩戸からおびき出した大功労者。
日本で最初のダンサーともストリッパーとも言われている芸能の神様。
その時に伴奏をしたのが「弦」という楽器。恐らくギターみたいなヤツでしょう。
世が世ならMarshallでその「弦」とやらを鳴らしていたところだろう。

110_2で、アメノウズメというのは猿田彦大神の奥様なんだね。
天宇受賣命を祀っている神社はたくさんあって、ココもそのうちのひとつ…ということになる。
120本殿の傍らにある「扇塚」。

130_2儀式や舞などに用いる扇は、古来神様を招き、奉るものとして芸道を志す者の心の寄りどころとされ。芸を磨いていく過程には欠かせないアイテムだった。
芸の道に終わりはなく、その扇に感謝と慰霊の気持ちを込めてこの塚が作られたのだそうだ。
芸の道を志す者は常に新たな気持ちで芸の修行や恵子に励み、感謝の気持ちを込めて古くなった扇子をココに納めるというワケ。

140_2しからば、ウチは塚ではないけど、エンタテインメントの世界が活発にになって、またロックが以前のようなクリエイティビティを取り戻し、ギター・ヒーローが生まれ、Marshallがよく売れますように…と…。
見たか、ブレッチリー!こっちはもはや神だのみだぞ!

2_2img_6949 境内にはカワイイ滝も。
「かなえ滝」といって、椿大神社にある滝から流れを引いているのだそうだ。
つまり夫婦でお揃いの滝なんだって。
今日の「私の〇〇」は以上。

150_3さて、帰ってきたぞ今池へ!

700_2 ∞Z、The BECK'sの気合いの入ったパフォーマンスに続いてステージに現れた4人。
いよいよ「スピンオフ四人囃子 #3」のスタートだ!

160_2岡井大二

170v坂下秀実

180v山崎洋

190vそして、根本要。
コレまで「スピンオフ四人囃子」は稲葉政裕、小野瀬雅生とフロントを迎えて来て、根本さんが3人目なので今回は「#3」となる。

200v大二さんのドラムでスタートする1曲目。
「♪ドゴストタン、ドコストタン」と大二さんがNATALで叩きだすヘヴィなワルツのリズム。
350「円盤」だ~!
Seしかし、何だろうね、この世界は。
いつも言ってるけど、音楽ってのは、シンガーの甲高い声でも、ギターの速弾きでもなく、バスドラムを踏むスピードでもなく、最終的には「曲」のクォリティに尽きるね~。
曲があってのテクニック。
いくら楽器がウマくても曲が良くなければ音楽としての価値はないでしょう。音楽は「万国ビックリショウ」でもなければ「ウップン晴らし」でもないんだから。
そういえば最近は「ヘタウマ」という言葉を耳にしなくなったね。
お金を取って人に聴かせる以上は「ウマく」なきゃダメ…だと私は思ってる。
「ヘタウマ」ってのは「ウマい」ということだからね。

330_ufこのイントロのギターのメロディだって日本のロック史に残しておかなければならないモノだぜ。

340v根本さんと一緒に歌っちゃった人が多いんじゃないかな?
ハイ、私はシャッターを切りながらシッカリと歌わせて頂きました。
周囲の人、ゴメンナサイ。
でも、こんなコンサートは1年に何回もないんよ。今年はこの後、外道があった。

360vステージ上手でもの静かに鍵盤をたたく坂下さん。
出している音は重要で味わい深いモノだ。

370v根本さんからご挨拶。
「皆さん、よくいらっしゃいました。普段はスターダスト☆レビューというバンドをやっている者ですけど…大先輩の大二さんと坂下さんに誘われました。普段は『ガンバって演奏する』だなんて絶対に言いませんが、今日は『ガンバって演りたい』と思います」

1_0r4a2829続いてはこのアルバム…『一触即発』から。

Sokuhatsu 日本で一番有名なシンバル・レガート…「おまつり」だ。
海外には1小節にも満たないドラムスの音で曲名を当てられるナンバーがあるでしょ。
ビートルズの「She Loves You」や「Birthday」、Steely Danの「I Got News」とか…。ヘタすると「Hey Nineteen」なんてスネア一発でわかるもんね。
「おまつり」の大二さんのドラムスはまさにソレ。
日本にはそういう曲がほとんどないんだよね。
PANTA & HALの「ナイフ」なんかはそれに当てはまるな。
210vそしてこれまた日本のロック史に残るギターのメロディ。

230_2眼前に広がるこの四人囃子の音楽!
ドバ~っと知的に、上品に四人囃子の世界になった。
ロックを聴いてて「日本人に生まれてヨカッタな~」と思うことができる数少ない機会だ。

220「♪何もすることがなくて 何もすることがなくて…」
どうしても一緒に歌っちゃうナァ。
バラ色のシャツも着ていなければ、本当はやらなきゃいけない仕事が山積みなんだけど…。
根本さんはチャンと赤いカーディガンを身につけていらっしゃる。

240v坂下さんのエレピの音がまた素晴らしい。コレじゃないとダメ。

250_2中間のハードなパートもバッチリ!キマった。

260_2そして根本さんの歌。
声質がバッチリですな。安心して、イヤ、ウットリして聴いていられる。
ところで、つい先日脳に小さな血栓が見つかり緊急入院が報じられ、ファンをヒヤっとさせた根本さん。
このコンサートからさほど時間が経っていない時期での出来事だったので私もメチャクチャ驚いた。
だって、あの打ち上げの時の元気で楽しそうな根本さんの姿と声が瞼と耳にこびりついていたんだもん!
でも、心配はご無用。
スターダスト☆レビューとして、6月27日には4年ぶりとなる39枚目のアルバム「還暦少年」をリリースし、7日に沖縄宜野湾からスタートした開催した野外ライブツアー『楽園音楽祭2018(全11公
演)』で本格復帰を果たされた。
また10月からは、そのニュー・アルバム「還暦少年」の全国ツアーが開催される…というバリバリのスケジュール。
とにかくお身体だけはご自愛頂きたいものです。

270v_2大二さんはNATAL。

280_2愛用のバーチ。フィニッシュはグロス・バーガンディ。

290_2スネアは曲に合わせて使分けていらして、今日は3曲目からNATALになった。

300山崎さんは稲葉さんとMarshall GALAに登場してくれた、このプロジェクトには欠かせないベーシスト。

310_2EDEN WTP-600とD410XSTを使って頂いた。

320v根本さんの四人囃子の思い出。
「高校生の時に初めて四人囃子を観ました。ミュージシャンにはとても評判がヨカッタけど、一般人には知られていなかったんですね。
そこで、コピーして熊谷で演奏していたんです。
みんな知らなかったので、ボクらのオリジナル曲だと思って聴いていてくれたと思います」
ズルだ~!
でもどれだけロックがまだ一般大衆に浸透していなかったを証明する話だ。
「四人囃子の曲は複雑です。覚えるのに苦労します。でもスターダストではそんなことはありません。必ずや演奏に不備が出るということで、助っ人を呼んでいます。
私の素晴らしき相棒を紹介します。私がガンバるのは、ココまでです」

2_s41a3699「西山毅!」

375v根本さんから「1978年の『包』のA面の1曲目」という曲の紹介。
「A面」という言葉で会場から笑い声が漏れていたが、「A面&B面」は大切です。
今となっては「面」どころか、CDやらジャケットまでなくなろうとしているんだから恐ろしい。
新しいモノが「すべて良い」とは限らないんですよ~!
Bao 『包』のA面の1曲目は「眠たそうな朝には」。
そう、スピヨンのいいところは森さん期とミツルさん期の曲の両方が楽しめることなの。

380_na西山さん、お久しぶり~!
西山さんは2001年に開催された『マーシャル祭り2』にご出演して頂いたり、楽器屋さんやスタジオ主催のMarshallのセミナーなんかでよくご一緒させて頂いたんです。

390v今日の西山さん、ASTORIA CLASSIC他をお弾き頂いております。

400_2足元の様子。
右端のヤツなつかしいね。私、コレのスイッチ・ボックスを持ってますわ。

410これまた根本さんの声が曲にピッタリなんですよ。

420この曲って歌のパートが14小節でできているんだよね。
「歌」としてはシンプルなんだけど、恐ろしくドラマ性が強い。
コーラスとコーラスをつなぐ器楽のパートがバラエティに富んでいるからだろう。
まるでミュージカルを観ているみたいに舞台と物語が変わって行く。
あ、コレも大二さんの冒頭の「♪ドコドン」というドラム・フィルで曲がわかるわ。

430ギターのかけ合いパート…

1_0r4a2779今回の楽しみのひとつ…西山さんの完コピ具合。
西山さんは覚えていらっしゃらないだろうけど、ずいぶん前にどこかの楽屋で「哀しみの恋人たち」の弾き方を教えてくださったことがありましてね。
もうスゴイからね、几帳面で、正確で。
でも、コレぐらいじゃなきゃプロは務まらんよ。
そして、今日は四人囃子の音楽のギターのパートをどれだけホンモノと同じに、あるいはそれ以上に弾いてくれるか!…シカと楽しんでおります。

440vそれとベース・ラインがヤケクソにカッコいいんだよね。

2_s41a3242 「私は一部間違えてしまいました。西山君はどうでしたか?完璧でしたね~!」
イエイエ、根本さんもバッチリ!
「60を過ぎた頃からかなり得意分野でも物忘れが出て来ましてね…お客さんに指を差されないようにしようと思っています」
そう、得意の分野でも固有名詞が出て来ないことがあるんですよね~。昔はこんなこと絶対になかったのに~!

1_0r4a2724更に次の曲を根本さんが紹介する。
「次の曲はまたアルバム『包』からです。お気に入りのアルバムってことではないですか?
あ、今日のセットリストは岡井大二さんがキメてくれました。ボクはそのセットリスト通りに紹介しているだけです。」

Bao_2 実はね、このアルバムってライナーノーツに「Marshall」がクレジットされてるんだよ。
ヘヘヘ、一番上だぜ。
そして、このアルバムの2曲目の「君はeasy」の作者は大二さん、
大二さんのポップ感覚が窺えてすごく興味深いな。

2_2img_6951 さて、印象的な坂下さんのキーボーズから始まるのは「機械じかけのラム」。
私も大スキな曲で、Marshall GALAの時にリクエストさせてもらいました。

460v_lmこの曲も大二さんのシンバル・レガートがカッコよくてね~。

470vホントにコレなんか日本のロックにごくごく稀にしか誕生しない破天荒にカッコよい曲だと思うんだけど。
歌詞もいいよね。
1978年時点でコンピューターをテーマにしてる。
Pantaさんも1977年当時、「HALのテーマ」でコンピューターを題材にしてるんだよね。
やっぱりミュージシャンはこの頃から時代を先取りしてそうしたテクノロジーが気になっていたんだろうな。

490_2ホントだ。
西山さんが説明してくれたんだけど、この曲のイントロ。
AのペダルトーンでG69とBb69かな?
基本はこの2つのコードの繰り返しになってるんだ。
コード自体の音程が上がって行くのかとばかり思っていたけど、ドンドン音が積み重なっていくだけだったのね。

480_2「Machine Work 'RAM'」なんてタイトルもいいよね。
「時計じかけ」は「オレンジ」。「機械じかけ」は「ラム」。もちろん「Random Access memory」の「RAM」に引っ掛けている。イヤ、反対か?
果物の「rum」を引っ掛けてるんだね…お酒もあるだけに?(←「ラム酒を引っ掛ける」というシャレになっています)
今日の前半に手塚治虫が出て来たのでもうひとつ、「機械仕掛けのりんご」という社会派のマンガがあった。アレも面白かった。

500ココで『Printed Jelly』から1曲。

Jellyミツルさんのプレをイ完コピされている西山さんのギターがまず耳を惹きつける「昼下がりの熱い日」。510v_hsコレもいい曲だよね~。
坂下さんの作品。
560_2根本さんの歌が最高に映える。

520v「♪時計を遅く進ませて」とか「♪雨の音 遠くで緑に聞こえたら」なんて面白い表現だ。
でも昔から「♪空の中から落っこちて」の「落っこちて」という言葉のリズムがモノスゴク耳に残るのです。

530この曲の聴きどころのひとつは最後に出て来るミツルさんのギター・ソロ。
スタジオ・バージョンもかなり凄まじいんだけど、この『From the Vaults』に収録されている1977年のFM東京でのプレイが輪をかけて凄まじいと来てる。

2_img_6957 そして、西山さんのソロ!
新宿のリハーサルでお会いした時「あのソロは完コピでやるんですか?」と尋ねた。
「イヤ~、やろうかとも思ったんだけど…」なんておっしゃっていたけど、結果はモロに西山さん。
新東名を突っ走るスーパーカーのようなシャープなソロでゴキゲン極まりなし!

540vこうしたミディアム・テンポの曲でもバツグンのロック・グルーヴを聴かせてくれる大二さん。
やっぱり最高のドラムスだ。
大二さんがNATALを叩いていらっしゃることを誇りに思う。イヤ、自慢かな?

570_2四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook

580<後編>につづく

 

200_2

(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)

2018年7月 9日 (月)

スピンオフ四人囃子 #3 <前編>:The BECK's と∞Z~私の有松

 
今日は新記録出しちゃいます。
 
チョットいくらなんでもこんな入り方はどうかと思ったんだけど、「もうココに載せるしかない!」と思って、出だしはまさかの成田空港。

10到着ゲートのところにいつも必ずいる『YOUは何しに日本へ』のスタッフの方々。
大変なんだってね~。アレ、取材がOKになる人を捕まえることができる確率の低さと言ったら中途半端ではないとか…。100人単位に1人いるかいないか以下らしい。
ナニを基準に声をかけているのかは知らないけれど、この日も彼らをしばらく見ていたけど、適当なターゲットすら見当たらないらしく、ゲートから出て来る客の姿をボーっと見ているだけの感じだった。
そんだったら私に訊いて欲しいね…「Youは何しに成田空港へ?」って。

20「あ、私はイギリスへ帰る社長夫妻のお見送りに来たんです」ってのが質問の答え。
かつてウチの社長はVirgin Atlanticを使っていたんだけど、日本航路から撤退してしまったのでイギリスの航空会社のチョイスはもうBritish Airwaysしかない。
このBritish Airwaysの日本からの出発時間が朝の9時なもんだから、いつも6時にホテルへ迎えに行って成田へ送り届けている。
2時間前のチェックインを目指すとなると、時間の余裕が皆無となる。
コレがいつも心配なのよ。
もし京葉道路で何かがあって、大渋滞なんてことがあったら、飛行機に間に合わなくなっちゃうからね。
かといって、安全を見てあんまり早く迎えにいくワケにもいかないし…。
車だと結構あるよね~、成田空港って。
おかげさまでこの日も何事もなく無事に社長夫妻をお見送りして、「さぁ、行こう」と駐車場への渡り廊下があるターミナルビルの2階に上がってコレがあることに気が付いた。
「Anime Tourisum」という展示。

30ナニかと思ったら、要するに私が『イギリス-ロック名所めぐり』でやっていることと全く同じ。
アニメに出て来るスポットを実際に訪れてみよう!という観光案内。

60どこが何のアニメに出て来るのかはサッパリわからないけど、この「アニメ名所探索の旅」のスタートはココ、成田空港。
ナンカやることがウマいね。

65v「札所ポイント0」だから。
まずはココで記念のスタンプを押すワケよ。

50vそれがコレ。
「名所」じゃなくて「アニメ聖地」だった。
完全にお遍路さん状態。

55それぞれの聖地へのルートが示してある。
コレは空港や千葉近辺の案内。

70コレは神田明神だって。

80コレは横須賀。
面白いのは起点が全部秋葉原になってんのよ!
つまり「秋葉原からどう行くか」…ということが記してある。
スゲエな、秋葉原。聖地どころの話じゃない。『私の秋葉原』とは似ても似つかない。

90聖地の写真もそれぞれ飾ってある。
コレ、つい自分の知ってるエリアを探しちゃうね。

110神田明神の写真。
一体何というアニメに出て来るんだろう。皆目見当がつなないな…。全部「セーラー・ムーン」に見える。
ちなみにウチの両親は神田明神で結婚式を挙げた。

100パンフレットも立派。
日本語、英語、中国語で用意されている。
よくテレビのCMなんかで「英語が話せれば〇億人とコミュニケートできる」なんてやってるでしょ?
母国語として世界で最も離されている言語って「何語」だか知ってる?
中国語なんだよね。
次いで英語、スペイン語、ヒンドゥー語と続く。
中国語は国連でも公式の原語に定められているし、コレからは中国語ですよ。
私は英語をマスターしたら中国語をやろうかな…イヤ、もう私の人生内では間に合わないな。

56当然フィギュアの展示もある。

120v『ラブライブ!』は知ってますよ。

130主役の声優さんのライブではショボンちゃんがNATALを叩いてるからね。

120_2 『文豪ストレイドッグス』も知ってる。
GRANRODEOだもん。

140それとガチャガチャが完備している。
コレもいいアイデアだよね。
普通はコインは母国にに帰っても両替することができないので、日本から離れる前にアニメ・ファンの観光客は硬貨を全部コレにつぎ込んじゃうらしい。
我々にしてみれば、コインをかき集めて飲むヒースロー空港のエールみたいなもんよ。
まぁ、ホントにアニメの力ってのはスゴイよ。
 
…とイントロはここまで。
この話題をどこで出していいのか考えていたんだけど、今日の記事に載せるのが一番いいと決断した。
この後にどうつながるかというと、社長夫妻に別れを告げて、その足で成田空港から今日の記事の舞台となる名古屋へ向かったのだ! 40行くぞ名古屋~!…と張り切って京葉道路から新東名をブッ飛ばしたのはいいんだけど、エラく遠い。
決して走り慣れていたりするワケではなないが、「遠い」感が中途半端でなはい。
考えてみたら「成田⇒東京」間の80kmが加算されてたのね。調べてみると「東京~彦根」間か…。井伊さんのとこだな。

2_drive 名古屋に向かっている途中、Concerto Moonがell.SIZEに出演する情報をキャッチ。
ELLの平野さんともずいぶんご無沙汰していたので、ノンちゃんに会うためにまずは大須へ向かった。
ま、大須に向かったのにはもうひとつ理由があったんだけどね。
その理由は今シリーズの<後編>で解明する。

150ノンちゃんと1枚。
ホントはライブを観て行きたかったんだけど先約があったので断念。
前の会社を辞める時にELLにお邪魔して以来だから、平野さんにも6年ぶりぐらいにお会いしてご挨拶させて頂いた。

160実は、大須へ行く前にもう1ヶ所立ち寄ったところがあった。
「有松」というところ。
ココは名古屋市の南東になるのかな?
1560年、戦国時代の転機ともなった、織田信長と今川義元が一戦交えた桶狭間のすぐ近くというロケーション。
なんでそんなころへ行ったのかというと…。

170コレ。
古い町並み。

180ココは「有松しぼり」で有名なところね。

185スゴイんだわ~。
重要文化財級の古民家がゴロゴロしてる。
しかも、訪れた時間がチョット遅かったせいか観光客はゼロ。

190コレは有松絞りの開祖といわれている竹田家の住宅。

210何でも14代将軍、家茂がココの「裁松庵」と呼ばれる茶室を訪ねたとか。
江戸末期の1862年(私が生まれるたった100年前!)、「公武合体」ムーブメントの中で和宮親子内親王が家茂に降嫁し、翌1963年、家茂は3,000人を率いて229年ぶりに上洛した。つまり徳川将軍が229年ぶりに京都へ行ったっていうことね。
その時にココに寄ったのだろう。
ナニせ、この前の道は東海道だからして。

230チョット脱線。
一方、その前年に将軍家へ嫁いだ和宮様は京都から江戸へ引っ越す際、中山道を進んだ。
中山道は大井川のような大きな川を渡る危険個所が少なく、かつ外敵に狙われにくいというのがその理由だった。
下の写真の山道を30,000人で行列したという。(コレは人間椅子さんの回でやりましたね)

430v_2こんな山道を30,000人がいっぺんに歩いてごらんなさいよ。行列は50kmに及んだという。
和宮様は有栖川宮熾仁親王との結婚が決まっていたんだけど、岩倉具視らの「公武合体(朝廷と幕府が仲良しになること)」派の動きで身を挺して幕府に嫁いだ。
でも家茂と和宮様はすごく仲がヨカッタらしいね。

2_0r4a7713 しかし、竹田さんち、できゃー!
この塀見てよ!
ズッと向こうまで竹さんの家だよ。

240岡さんの家。
江戸末期の有松絞り問屋の典型的なつくりらしい。
かなり当時のまま残されている。

260小塚さんの家。
コレも典型的な有松絞り問屋の形式なのだそうだ。
卯建(うだつ)が付いているところがカッコいい。

280ん~、どの家も素晴らしい。

250郵便受けだってシャレてるよ。

270vこの松の木もスゴイ。

290傍らに「東海道五十三次二代目松」という碑が立っている。
何でもこの松は、東海道が開かれた当時からここに生えていた樹齢300年の松…からエキスを採取して育てた松なのだそうだ。
要するにクローン。

300v松のすぐそばに立てられている梅屋鶴壽という人の歌碑。
「あり松の 柳しぼりの 見世にこそ しばしと人の たちとまりけれ」
「あり松」の「松」はこの松に引っ掛けてあって、柳と対になってるんだね。
行き交う人がお店に飾ってある有松絞りの美しさに目を奪われて立ち止まってしまう。有松はそんなステキなところさ…ぐらいの意味かしら?
この梅屋鶴壽という歌人は神田佐久間町の出身なんだそう。
神田佐久間町は今の秋葉原のイケベ楽器さんがあるあたりね。

310イヤ、とにかく見ごたえがありますよ。
ガラガラだし。

320お、銅板。

330東京に残る銅板建築は関東大震災の火事に凝りて、防火を目的に木材を薄い銅板で覆っているんだけど、この銅板建築って、地方ではまず見かけないんだよ。
ナゼって家屋が密集している東京とは火事のコワさの度合いが全く違うから。
多分ココも同様で、飾りで戸袋に銅板を貼り付けただけなのではなかろうか。
今は緑青が生えて緑色だけど、取り付けた当初はゴージャスな赤銅色をしていて相当目立ったに違いない。

340見て、この雨樋(あまどい)。
古い家屋って、こういうディテールがいいんですよ。

350v瓦のデザインなんかも実に味わい深い。

360コレはなんだろね?
1_0r4a2088コレが今歩いて来た旧東海道ね。

370上の写真の左側の茶色いトタンの家屋がコレ。
昔は薬屋さんだった。

371今は有松絞りのショウルームみたいになっている。
チョット覗いてみた。

372藍だね。
以前、チョット書いたけど、藍に携わる仕事は極めて過酷で、「藍百姓」といって年貢にあえぐ一般の農家ですら「セーフ!藍じゃなくてヨカッタ」と思わせたらしい。
チョットその仕事の内容を見てみると…。
2月上旬に苗床を作って種をまく。それから何回も何回も間引きをし、施肥をする。虫よけのためにタバコの茎の汁で苗を撫でて歩くという単調極まりない仕事を繰り返す。
苗がある程度育ったら、本畑へ苗を移植しなければならない。その前の本畑を整備する作業がツライらしい。
本畑に移植した後、3回根踏みをし、畑に水を引いたり、何度も施肥を繰り返さなければならない。
そして害虫駆除に当たっては、ホウキを使って葉の1枚1枚を撫で払う必要があり、コレが気が遠くなるほど根気の要る作業だった。
また搗(つ)いたタバコの葉の粉を撒いて害獣駆除をする方法もあったが、タバコの粉は鼻や喉をひどく痛めるので、これも相当ツライ仕事だったのだそうだ。
刈り取った藍はその日のうちに茎や葉をナタで同じ長さで細かく刻み、翌朝からはその細かい藍を打ちほぐさなければならず、この間しばらくは不眠不休で作業をしなければならない。
要するにヤケクソに手がかかる商品だったということ。
デューク・エリントンはこのことを知っていたのであろうか?とても「Mood Indigo」なんて言ってる場合じゃないのだ。
…とそんな話をこのギャラリーの女性店長に話すと、さすが、よくご存じだった。
それどころか、その方は邦楽とロックを合体させた音楽をクリエイトしている集団との関わりがあって、私がMarshallの人間であることを告げるといよいよ話に花が咲いてしまった!

373ギャラリーの内部はまだ薬屋の造作を保存していて、コレがまたエラくカッコよかった。

374昔の薬屋ってこうだったよね。

375今度は駅前の道をはさんで反対側に旧東海道を進んでみる。
1_0r4a2110コチラ側も負けてはいない。

390この家はかなり立派ですよ。

400なんとならば、卯建が付いているから。

410vよく「ウダツの上がらない男」とか言うでしょ?
この屋根に垂直に設置されている小さな壁のことを「卯建(うだつ)」といって、ある程度の財力がある家にしかコレが付いていなかった。
だから、甲斐性のない輩のことを「卯建が上がらない」と表現した。
コレ、何のために付いているかというと、延焼を防ぐための火除けだったのね。一種の防火設備。
この屋根がカッコいいよね。

420v服部さんの家。
「服部」さんというぐらいだから元々服の職人だったんだろうけど、ココでは屋号を「井桁屋」といい、やはり絞り問屋だった。
見事な蔵だネェ。
470壁の下の方が海鼠壁になっているのも防火対策のひとつ。
蔵に関する落語に「鼠穴」という人情噺があるんだけど、チャンスがあれば是非聴いてくだされ。
「夢は土蔵の疲れなり」なんてね。スゴクいい噺です。

440鬼瓦も立派!

430v「井桁屋」だけあって、瓦には「#」のような井桁の紋がついている。
この服部さんの家は有松を代表する建築物とされているのだそうだ。

480反対側も大変立派な建物ばかりでどこもかしこも見ごたえ十分!

450

460

490ここにも銅板。
やっぱり戸袋だけだ。

520この道が東海道であったことを示す碑。
でも有松は宿場ではなかった。
有松は東海道39番目の宿場、池鯉鮒(ちりゅうじゅく)と40番目の鳴海宿の間にあった「間宿(あいのしゅく)」と呼ばれる集落で、宿場と異なり間宿には宿泊することが許されず、旅人が休憩をしていくエリアだった。

530v 有松絞会館の裏手にあるかなり立派な碑。

500c有松絞りの開祖といわれている竹田庄九郎の碑ですって。

510v マンホールのフタも絞り風だよ。

550コレは「きょうか」という駄菓子屋さん。

560ウインドウには何やら懐かし気なモノが並んでいる。

570ウインドウにあった張り紙。
「ばっちゃんは、しばらくお休みをさせてもらっていましたが、体が悪くなってしまい、お店を続けていくことができなくなってしまいました。
今までしんせつにしてくれたみんなに会えなくなってしまいさみしいですが、駄菓子きょうかを閉店することにしました」
チョット~、ヤメてよ~。ホロっと来ちゃうじゃんか!
駄菓子屋って必ずバアさんなんだよね。
私は小さい頃、実家の近所の「金子」と呼ばれる駄菓子屋によく通った。
別に看板が出ているワケではなくて、普通の家の一角で営業していたので、表札を見た誰かが「カネコ」と呼びだしたんだろうね。
金子のバアさんも江戸時代に生まれているんじゃないか?と思うぐらいシワクチャだったナァ。
当時、まだ1円とか2円の商品がゴロゴロしていて、アンズの甘露煮が3つ刺さっていた串が最初の頃は1本2円だった。
私はコレが大スキで、2円ずつ払って食べていたら、そういうことにはダイナミックな母が「そんなチビチビ買って食べるのはみっともないからヤメなさい。箱ごと買っといで!」と数百円渡してくれた。
早速カネコへ箱入りのアンズを買いに行くと、そんなことをする子は他に全くいないので、バアさん、「いいのかい?」なんて目をシロクロさせてブッたまげていた。
50年も前の話…こういうことはよく覚えているんだよな~。
もうカネコはとっくの昔になくなっちゃったけど、あのバアさん、今生きていれば130歳ぐらいかな?まだ顔も店の様子もハッキリ覚えてるわ。

590vソロソロ有松の町に別れを告げようかと思っていたところ…

600良さげなパン屋を発見。
パンもさることながら、家の中が見てみたくて買いに入ってみた。

610おお~。

620v雰囲気満点!

625v多分ここはお屋敷の下働きをする人たちの居住スペースだったんだろうね。
かまど…こっちでは「へっつい」かな?…があったり…

630井戸があったりいい感じ。
「へっつい幽霊」はメチャクチャ面白い噺だよね。

640店の奥にある窯。

650「どうぞ、どうぞ」と中を見せてくれた。

660v屋根にはこの窯に直結した煙突が飛び出していた。

670vあ~、堪能した!
最高に面白い町でありまつた!380以上で『私の有松』は終了。
ココから本題だでね。
やって来たのは今池のライブハウス、THE BOTTOM LINE。
久しぶり~。
2015年の1月以来。
ココはいいよね~。
とても好きなハコ。

700_22階に上がる階段の壁に飾ってある、ここで演奏したジャズ・ミュージシャンの写真がまずうれしい。
そして2階の楽屋…面白い話を聞いちゃったんだ~。
ソロモン・バークって知ってる?
「The King of Rock & Soul」の異名を取る、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンに大きな影響を与えたR&Bの超大御所黒人歌手。
2010年に日比谷野音で開催された『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル』に出演するために初来日した。
この時、私はシーナ&ロケッツの取材でお邪魔していたのだが、いつもMarshall Blogに書いているように、私はジャズ以外の黒人音楽をほとんど聴かないので「キング・ソロモン」と名前を知っているものの、シーナ&ロケッツの出番が終わったところで失礼しようと思っていた。
ところが、鮎川誠さんが「絶対に観ておいた方がいい」と博多弁で猛烈に勧めてくださり、最後まで残ることにした。
スゴかったね。
コレが人間の声かッ?というぐらいの圧倒的な歌唱力と説得力、そして最高のショウマンシップ…最後まで鳥肌が止まらなかった。
それで、キングは野音の後、大阪と名古屋を回った。
名古屋公演の会場はココ、THE BOTTOM LINE。
キングは一時期は体重が180kgを越したこともある巨漢で、晩年のチャールズ・ミンガスのようにもう自分の足では歩行することが難しく、車椅子を使っていた。
そんな巨漢だからして、当然使用する車椅子も規格外にデカい。
そこで、プロモーターのスタッフは車椅子のサイズの情報を得て、キングが不自由を被らないように行く先々のエレベーターや出入り口の寸法を前もって測ったっていうんだよね。
すごいナァ、プロは!
大きな車椅子といえども、意外にどこでも通過できることがわかったのだが、ただ1カ所だけどうしても通り抜けることができないポイントがあった。
それが下の写真。
ボトムラインの楽屋の入り口。
ドアの部分自体は通過できるのだが、内側の作り付けのテーブル(写真左)とソファの間隔が狭く、ナニをどうやっても車椅子が通過できないことがわかった。
作り付けのテーブルを壊して取り除いてしまえば通行に関する問題はすべて解消するのだが、まさかソレ1回だけのためにそうするワケにもいかず…。
で、どうしたか…。
「The King of Rock & Soul」は出番の時以外、ズット楽屋の外にいたんだそうだ。
知らない人はビックリしただろうナァ。バカでかい黒人が車椅子に座ってエレベーターホールにいるんだから。
キング・ソロモンは2010年、オランダのスキポール空港に向かう飛行機の中で亡くなってしまった。
結果、ソロモン・バークはロイ・ブキャナンやローウェル・ジョージ、リック・ダンコと並んで私の「観ておいてヨカッタ!」リストの上位に入っている。
鮎川さんにはホントに感謝している。

710さて今回、新東名をブッ飛ばしてはるばる名古屋にやって来た用向きは昨年1月にリリースしたアンソロジー『錯』も大好評だった四人囃子。
名古屋在住のある人の熱意でココTHE BOTTOM LINEで四人囃子がよみがえったのだ。
タイトルにある最近よく聞く「スピンオフ」というのは「副産物」という意味。
「番外編」みたいな意味で解釈されることが多いみたいね。
会社がある部門を独立させて子会社にすることなんかを英語で「spin off」という。
もちろん「spin」というぐらいだから、グルグル回って、その遠心力に耐え切れなくなってブチッと本体から切り離されちゃうイメージが語源だそうだ。

Sk定刻になりステージに登場したのがその「ある人」、野田欣志。
「こんばんは!スピンオフ四人囃子のライブにおいで頂きありがとうございます。
2014年、4年前に四人囃子はデビュー40周年を迎え、東京と大阪で記念ライブをする計画がありました。その時、ゼヒ名古屋でも演ってください!とお願いしたんですが、佐久間さんが亡くなって、結局そのプラン全体がなくなってしまい、そのまま現在に至っています」

720「しかし、今回そのライブが実現することになりました。サポート・フロントで根本要さんが参加され、西山毅さんも来てくれました。
リハを拝見したんですが震えるぐらいスゴかった!
その震える思いは最後にとっておきましょう!」
野田さんの四人囃子への情熱で実現したコンサート。
会場は超満員!ご盛会おめでとうございます。
まず、最初にステージに上がったのは…

730東北出身の3人によるトリオ、∞Z(ゼロゼロゼット)。
福島で2016年に開催したワンマン・コンサートでは1,700人を動員したという人気チーム。
1976年、四人囃子が出演した郡山で開催された伝説のロック・フェスティバル、『ワンステップ・フェスティバル』にちなんで福島から招聘したのだそうだ。
17歳の時にそのフェスに参加した野田さんの計らいだ。

740ボーカルズ/ギターのERIKA。

750vベースのKenji Sato。

760vドラムスはShingo Katagiri。

770v「フュージョン・ポップ・パワー・トリオ・バンド」というスタイルを標榜するこのバンド、確かにそんなサウンド。
え~、このタイプの音楽を3人で演っちゃうの?って感じ。
「こんなタイプの音楽」っていうのは、いわゆる「シティ・ポップス」っていうのかな?
普通だったらキーボーズがいるのが当たり前という雰囲気の音楽とでも言おうか?
それを緩急自在にギター・トリオで演っちゃう。

790ERIKAちゃんの個性的な声。

800高度な技術を駆使した厚みのある演奏。

810そう、アンサンブルが強力なんだよね。
とても3人演奏している感じがしない。

820MCでも大いに笑いをゲットして、この記念すべきコンサートの幕を華々しく切って落としたのであった!
ちなみにドイツ人は「0 0 Z」を「ぬるぬるツェット」と発音するハズ。

∞Zの詳しい情報はコチラ⇒The Official Website ゼロゼトゼット

830続いてステージに上がったのはThe BECK's。
名前の通り、ジェフ・ベックの音楽を追求するバンドだ。

840ギターというか、ジェフ・ベック担当は冒頭にご挨拶をされたこのコンサ―トの主催者、野田欣志。

850v今日は1959と1960BX。
そう、ジェフはBキャビしか使わないからね。
野田さんはClass5なんかも愛用してくださっている。
おお~っと!それと、いつもMarshall Blogを応援してくださってるのだ。

860v足元のようす。

870ドラムスは古山哲。

920v使用するNATALは大二さんのバーチのキット。

1_0r4a2523 サイド・ギターの宮脇貴博。

880v宮脇さんはDSL20Hと1960A。
ハイ、宮脇さん座布団1枚。
Marshall BlogにDSL20Hを持ち込んだのは宮脇さんが初めてです。

890vベースはサポート参加の河童。
あ、チガウ!

2_2kappa ベースは藤田亜沙子。
ニックネームが「Kappa」さん。

900vEDEN WTP-600とD410XSTを使用。

910vそして、ゲストで参加したのは松川純一郎。

930vオープニングはおなじみ「Superstition」。

940ノッケから野田さんのジェフ節炸裂!

960v「ジェフ・ベックはインストゥルメンタル曲が多いが、そればっかり演っちゃうとお客さんが引いてしまう…」ということで今回はすべて歌モノのジェフ・ベックでセットリストを構成したという。
そこで松川さんのボーカルズが大活躍!
2曲目は「Drifftin'」。

950vココでいかに私がジェフ・ベックに疎いかが自分の中で露見するのだ。
この曲のレコーディングではウィル・リーと共演してるのね?
作曲はジミ・ヘンドリックス。

990続いては、ジミつながりでおなじみ「Little Wing」。

970v「Little Wing」はジェフのライブの重要なをレパートリーだ。
そんなジェフの愛奏曲を歌うように弾きまくる野田さん。
以前、広規さんのkoki Tetragonがツアーを終えて、そのレポートを兼ねたライブをやったんだけど、MCで窪田晴男さんが「名古屋にジェフ・ベックそっくりな人がいて驚いた」なんておっしゃっていた。
それが野田さん。

980ココで野田さんが四人囃子の思い出について語る。
「ボクが高校生の時にレコード・デビューを果たし、四人囃子が今はなき勤労会館にやって来ました。東京の大学に行っていた友達のお兄さんが『観た方がいい!』と勧めてくれて観に行きました」
インターネットなんてない時代だからね、年上の人からの情報はとても貴重だったんでしょう。
当時は神様のような存在だったそうしたミュージシャンたちは当時20歳ぐらいで、野田さんは17歳。もっと年上だと思っていたという。
わかります。ソレ、すごくよくわかる。

1050そして、郡山で『ワンステップ・フェスティバル』が開催されることを知り、当時のロックを演っている人たちが全部出てるな…と思って観に行ったという。
コレもわかる。
当時、ロックはまだマニアックな音楽でバンドの数もそう多くなかったからね。大人の趣味のひとつだった。
パンク/ニューウェイブの後、80年代に入ってロックがビジネスになり出すと様子がガラっと変わってしまった。
若い人はこのワンステップ・フェスティバルに出演したバンドの音楽を聴き比べてみるといい。今、いい感じで音源がリリースされてるでしょ?
若い人たちはそれを聴いて、どのバンドも替えのきかないオリジナリティのカタマリであることを知るだろう。
海外のロックに追いつけとばかりに、人がやらないことを考えて独自性を競った時代のロックだ。
今の若いバンドさんを見てると、「人と同じこと」をやるのに必死になっているとしか思えない。そして、武道館が上がりの「バンド双六」をやってる。
野田さんの思い出話は続く…。
フェスティバルの初日のトリがジュリー。
2日目が四人囃子だったそうだ。
宿泊ってどうなってたんだろう?テント?
ロックのコンサート・イベントとしては「日本のウッドストック」みたいなものだからネェ、うらやましいね。私は生まれて来るのが5年遅かった。
そして、ナント同じ時間、同じ場所にこの後に登場する根本要さんもいらっしゃったというのだ。
「このことが自慢です。今日、このイベントを開催することができて本当にうれしくて…。
リハーサルを見ていてうれしくて泣いてしまいました。皆さんも泣きますよ!」
感動のMC!

1060vドラムからスタートしたのは「Rough Boy」。

1150vコレはZZ Topの曲なのか!
自慢じゃないけどゼンゼンわからないな。
でも、ビリー・ギボンズにはロンドンで1回会ったことがあるんだけど、私なんかにも気軽に声をかけて来てくれるすごく感じのいいおジイさんだったよ。ダスティもとても気さくな方だった。

1000もちろん野田さんと松川さんのギター・バトルもバッチリ。
ベックとSRVの共演か?それともジェフとビリーの共演か?
いずれにしてもゴージャスな組み合わせではあるまいか!

1070野田さん、楽しそう!

1100イヤ、2人ともギターを弾く楽しみを存分に味わってる!
2_s41a3204その2人を安定した低音で支える亜沙子さん。
コレを機にfacebookで友達になって頂き、やりとりをしてビックリ。
ジャズを大変よく聴いていらして、今般発売になったジョン・コルトレーンの未発表音源はCDもLPもゲットされたという。

1010_2それだけではなくて、彼女はKYOW-YAというSHOW-YAのコピー・バンドをされていて、10月20日にはell.FITS ALLで『NAONのNAGOYA』という一大イベントを今年も開催する。
おもしろいな~。
「尾張名古屋は芸どころ」っていってね。とてもお盛んでよろしいな。
 
NAONのNAGOYA 2018の詳しい情報はコチラ⇒facebook

1020vキタキタ~!定番の「Going Down」!
イケイケ、宮脇く~ん!Marshallがついてるぞ!

1040ココはもう皆さんに弾きまくっていただかないと!

1080いつかも書いたけど、ジャムセッション最強の曲のひとつだからね。

1090The BECKSのステージを締めくくったのは「Purple Rain」。
1110vこの曲はKoki Tetragonでも取り上げている松川さんの自家薬籠中の曲。
それだけに実にシットリと滑らかな演奏が展開した。

1120v

1130v

2_s41a3217

1045v思い入れタップリの舞台で充実の6曲を演奏した野田さん。
そして、この後はスピンオフ四人囃子。
1160v_2今日は最高の1日ですね~!…ニンマリ。

2_s41a2983 The BECK'sの詳しい情報はコチラ⇒The BECK's - JEFF BECK BOOTLEG NAGOYA - 

 
さて、冒頭でチョット触れた「新記録」ね。
何のことかおわかりになりましたか?
「いつになく長い記事だな…」とお思いになられた方、ほぼ正解。
本日掲載した写真の数は131枚。
80枚台は過去に何回もあるんだけど、100超えは今回が初めてのことだったのです。
最後までご高覧ありがとうございました!…イヤイヤ、このシリーズまだこれからですから!
 
四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook

1170<中編>につづく

 

200_2

(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)