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2020年1月22日 (水)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.7 <最終回>

 

11_0r4a0806昨夕、NAMMから戻りました。
ホント、年々時差ボケがシンドくなりますな。
おかげさまでD_Driveの音楽はどこへ行っても大盛況。
正直、こんなにウケるとは思わなかった。
Marshallの連中も驚いたのではないであろか?
…と、いうことで早速NAMMのレポートと行きたいところだけど、ダメよ、ダメダメ!10まだこっちが残っているのです。

20『Music CHINA』も開催4日目、最終日の午後。
いよいよD_Drive最後の「演示(=デモンストレーション)』がスタート!

30でも、今回は様子がいつもと違う。
D_Driveの「♪ハッピーバースディ」の演奏に導かれてステージに登場したのはスティーブ・スミス!
スティーブ・スミスといってもFocusやJourneyやVital Informationのドラマーじゃないよ。
Marshallのインターナショナル・デモンストレーターのSteve Simith。
コレ、正真正銘のサプライス。
ジョンが「シゲ、カクカクシカジカで、D_Driveに『Happy Birthday to You(本当のタイトルは知りません)』を演奏するように頼んでくれ」というので、早速D_Driveのメンバーと打ち合わせ構成をキメて、その通りバッチリ演奏してもらった。
本人はエラくビックリして、うれしいやら恥ずかしいやら…。
私なんかはモノスゴク気持ちが悪いんだよねコレ…実は。
というのは、コレ、何の前触れもなく、全く説明もなく、主役がいきなり舞台に遭って「お誕生日おめでとう!」ってやるワケ。
つまりお客さんはスティーブのことを知らないので、一体今ナニがステージで起こっているのかがわからないワケ。
私だったら「皆さ~ん、いきなりすみません!実は今日はカクカクシカジカで、みんなでスティーブのを祝ってあげてください!」ってやらないと気が済まない。
パーティの時なんかも同じで、ナンノ挨拶もなくナントなく始まって、いきなりスポンっと終わっちゃう。
文化の違いのナント面白いことよ!
おめでとうスティーブ!

11_hbssそして、D_Drive。
バッコンバッコンと今日はChiikoちゃんのドラムスでスタート。

200続くSeijiさんのリフ。

80vYukiちゃんもドロップチューニングのギターに持ち替えて演奏するのは「1,000,000Hp」。
アクロバチックなパフォーマンスがウケるのでは?と私からリクエストさせて頂いた。

90v案の定4人の超絶アンサンブルにお客さんは口をアングリさせていたぜ!
ただし、Seijiさんのアレはなし。

100vPAのジェフも最後のサポートに力が入る!…そうでもなさそうか?

11_0r4a0182 2曲目は「Russian Roulette」。

210前の曲に続いてまたしてもハードな展開に携帯でビデオを撮るお客さんの手に力が入る!…って、ビデオなんか後で見るにしてもせいぜい数秒でしょうに!
最近はコンサートへ行ってもステージを見ないで携帯の画面を見ている人ばっかりだもんね。
そんなのモッタイない!240vさらに「Screw Driver」を重ねて来た!

220最後のデモ・ステージはドロップ・チュー二ングを得て徹頭徹尾ヘヴィにキメたぜ!

230vD_Driveの硬派な面をアッピールする(D_Driveの曲は全部硬派だけど)とてもハードな展開。260vコレが上海での最後の演奏かと思うと寂しいが、ガマン、ガマン。
ナントならば、来年も出演が決定したのだ!
次回は別のもっと大きなステージで演奏する可能性も出て来た。
だって、お客さんが多すぎちゃってココじゃセマすぎちゃうんもんね。

2504日間、お疲れさまでした!
Seiji

40Yuki

50Toshi

60Chiiko

70今回最後のお客さんとの記念撮影。
「ハイ、奶酪!」
チーズは中国で「奶酪(ナイ)」と言うらしい。

270ハイハイ、すぐに撮影コーナーへ!
グエ!すでにモノスゴイ行列!

280ドワ~!

290一体いつからD_Driveはこんな人気者になったの?…と、思わずわが目を疑いたくなるような光景!

300ジョンも傍らで見守ってくれている。

310タネさんも真剣なまなざしだ。
次のアルバムのことでも考えているのかしらん?それとも全英ツアーか?

315みんなうれしそ~!

320D_Driveはこのブログで発掘されたんですよ~!
ところで中国でMarshall Blogって見ることができるのかしらん?

330控室に帰っても忙しい!

340コレはナンカのウェブサイトの取材。
流暢な中国語で質問に答えるYukiちゃん…さすがにそんなワケなくて、アチラさんに日本人のスタッフがいたの。

350色々と面倒をみて頂いた中国のMarshallのディストリビューター、algam CHINAともコレでお別れ。

375Seijiさんのお隣はフランスalgam社々長のジェラルド・ガルニエさん。
実は、今から18年前、Marshallの創立40周年記念パーティの時にガルニエさんご夫妻とテーブルをご一緒させて頂きましてね。
その時、奥様がまるでロイヤル・アスコットの時にイライザ・ドゥーリトルが被っていたような帽子をお召しになられていた。
今回、関係者全員が集まったパーティの時に社長にこのことを話すと「おお~!あの時の!」とうれしそうで懐かしんでくれた。
うれしかった。
360PAのジェフとも。
まったく、開催前日のサウンドチェックの時はどうなることかと思いましたぜ!

11_0r4a0020そして楊さん。
楊さんは日本語がベッラベラ、我々のでずいぶん面倒をみて頂いた。
2日目辺りからお願いしたオープニングのMCもとてもありがたかった!

11_img_1575私も楊さんと。
楊さん、私の古い友人の真ちゃんによく似ていて、すごく親近感が持てた。
そして、とても感謝しているのは、楊さんの爆音に対する気遣い。
やっぱり、この会場にも「サウンド・ポリス」なる過剰な音量による演奏を取り締まる人たちがいて、D_Driveのデモが始まると毎回「音が大きすぎる」と指摘されているようだった。
イヤ、わからない。
そうでなかったのかも知れないが、サウンド・ポリスが来ると楊さんが一手に対応を引き受けてくれて、気持ちよくいつもの音量で弾くことができるように最後の最後までD_Driveを守ってくれた。
ま、音量を下げればいいだけの話なんだけどね。
そして、下の写真を「Marshall Blogに掲載してもよろしいですか?」と許可を願い出ると「もちろんです!とても光栄なことです!」ととても喜んでくれた。
今年も10月にお会いできることを今からとても楽しみにしている。
なんか、肩を組んでいるワリには2人の間が離れているように見えるが、コレは後ろのalgamのロゴが写るように…という私の配慮です。
くっつくのをイヤがっているワケでは決してありません!

370v夜はMarshallの皆さんとドイツ料理の店へ!
「グワッハッハッハッツハッ、ディ~ドラ~イブ!」…タネさんがいると、いつでもその場の雰囲気が最高に明るくなるのだ。

380翌朝、チャーター・バスに乗ってみんなで空港へ。

390これから初めて上海へいらっしゃる読者の皆さんにいいこと教えてあげる。
私、空港で荷物検査にひっかかったの。

全日空の受付のお姉さんにスーツケースを渡してその場でX線検査機に通したところ、「荷物検査が必要です。お手数をおかけしてすみませんがアチラに行って頂けますか?」とやさしく言われて「ハイハイ」とその女性が指差す「行李検査室」というところに入って行った。
すると中には見るからにケンカの強そうな軍服のような制服を着た屈強な検査官がいて、私の分も含め、検査を通過しなかったいくつかのスーツケースを前にしてモノスゴイ形相と怒声で何か叫んでるワケ。
恐らくは「ハイ、荷物を開けてください」とか言ってるんだろうけど、中国語の発音ってキツイじゃない?
どう考えても激怒しているようにしか思えない。
もう完全に『ディアハンター』のあのベトナムのジャングルのロシアン・ルーレットのシーンみたいなワケ。
「マオッ!」ってやつね。
一昨年はベトナムにも行ったし、上に書いたようにD_Driveには「Russian Roulette」っていう曲もあるし、去年は「マオちゃん」というお友達もできたし…ヤレヤレ、よくできた話だと思ったよ。
そして、マズこのままじゃ日本に帰れないと思ったね。
荷物を開けたものの、どうしていいかわからない。
オッサンはただ怒鳴るだけだし。
部屋の中には他にも日本人の方がいらして、するとその中のひとりが「バッテリーがダメなのではないか?」と言い出した。
大正解。
何でもカメラやビデオのバッテリーをスーツケースに入れて預けることができないらしい。
慌ててカメラやビデオからバッテリーを摂り出して、係員に提示して手荷物にしまって見せた。
すると若い係員が出て来て「OK、OK」とやって荷物をベルトコンベアに乗せて無罪放免となった。
って、アタシャナニも悪いコトしてませんから!残念!

MaoD_Driveは関西国際空港、私は成田…ということで別々の搭乗ゲートを利用したんだけど、成田便はなんとタラップ式。
とにかく空港がアホみたいに広くて、駐機場所まで乗るバスの時間がナント長いことよ!

400イヤ~、しかし、国際線でこんなタラップで飛行機に乗るなって一体いつ以来だろう?
昔、フランクフルトであったような…。
こうなると、もうビートルズ気分を味わいたくなるね。
誰かANAの法被を持って来てくれい!

11_img_1602お土産報告。
家内のリクエストでお茶をゲット。
先日紹介した「豫園」のようなところに行けば、観光客用のチャンとしたお土産用のお茶を買うこともできるが、それじゃオモシロくない。
地元の人が日頃から飲んでいるヤツの方がよかろうと、D_Driveの女子チームと普通のスーパーマーケットに行ってみた。
「コレ本当にお茶かッ?」と我が目を疑いたくなるようなシロモノもあってオモシロイから片っ端から買って来た。
スーパーのオヤジ、ニンマリしてた。

410その中でスゴかったのがコレ。
「檸檬茶」の名の通り、レモンを乾燥させて作ったお茶。
コレがスゴイ。
少しレモン以外のニオイが気になるが、慣れれば酸っぱくてスゴクおいしい。
家内もこういったハーブティの類がが好きなので「おいしいね!」なんて言いながらレモンの味を楽しんでいた。
ところが…。
夜、寝る前に飲んだところ大変なことが起きた。
2人ともオシッコが止まらなくなってしまったのだ。
何回トイレに行ったかな?
それも、チョロチョロではなくて、トイレに行く度に力まなくても何リットルもジャバジャバと盛大に出てしまうのだ。
もう、身体中の水分が出きってしまうのではないか?と心配になった頃ようやく収まった。
このお茶のせいではないのかも知れないと、安全を見て昼間1人で事務所で淹れて飲んだところ、やはり明らかにトイレに回数が増えた。
皆さんもお気をつけあれ!
え、他のお茶はどうだったかって?
梅干しのタネみたいヤツとか、菊の花のヤツとか…あ、もう買いません。

11_2lt それとコレ。
女性用のハンドクリームなんだけど、どこへ行っても見かける。
パッケージがいかにも中国らしく、値段もお土産に手ごろなのでいくつか買ってみようとYukiちゃんたちと小さなコレの専門店に入ってみた。
色んなグレードがあるんだけど、お手頃なシリーズにはパッケージのデザインが全部12種類あった。
下の写真は外箱で、中に缶が入っている仕組み。
従って色や香りを外からチェックすることができない。
そこで、12通りの中身が同じなのか、違うのか店員のお姉さんに英語で確認してみた。
まったく英語ダメなの。
外人が頻繁に来るような店以外では「ワン、ツー、スリー」すら英語を口にしようとしない。
ナンカ英語に恨みでもあるのかな?
ま、確かにイギリスはアヘン戦争で徹底的に中国にアコギなことをしたけどね。
それで困って、「そうだ!我々は漢字があるじゃないか!」と筆談することを思いつき、Yukiちゃんにペンを借りて、メモ用紙にこう書いて店員のお姉さんに見せてみた。
「是内容全部同様的?」
もちろん適当な漢字の文章だけど、ゼッタイに通じると思った。
ところが、そのお姉さん、まったく読めなった。
「読もうとしなかった」のではなくて、真剣にメモを見て、「ん~~~~」みたいな感じ。
しかし、ひと文字を読めないようなのだ。
イヤ、私はどちらかというと達筆な方ですから…字が汚くて読めないということはない。
コレには結構ビックリしたよ。
後で中国に詳しい人に訊いたら、年寄りはOKだけど、若い人たちは簡体字以外の漢字…すなわち我々が日常的に使っている漢字を読むことが不可能なのだそうだ。
もっとも日本の若い人も旧字体が読めない子が多いだろうね。
私は漢字のことを英語で言い表す時「Chinese character」とか「Chinese letters」と言っているが、コレはね「Japanese Kanji」と呼んだ方がよさそうだね。
オリジナルではないけど、作った人たちが最早使ってないんだもん。
でも、そのお姉さん、私が5個買ったら1個オマケしてくれた。
それじゃあ、ということでもう5個買い足したらまた1個オマケしてくれた。
そうこなくちゃ!
漢字は苦手でも商売は上手なようである。

420そして、いくらもしないトランプを4種買ってみた。
左上から時計回りに…中国の軍人の肖像をあしらった「中國将師」。
文化大革命で活躍した人物を集めた「文革风伝人物」。
「毛沢東語録」、コレは説明不要。
そして「民国老照片」というのは昔の中国の古い写真を集めたモノ。
だからナンだ?と訊かれれば「自分への土産だ」としか答えられないアイテムね。
イヤ「风」はチョットしたクイズだったよ。
日本のパソコンで簡体字を入力することってできないでしょ?
ただ、我々の漢字を簡体字に変換してくれるウェブサイトはいくらでもあるので、「云」の前にナニが来るか…。
エライ人を称える図柄だから…はじめは「伝説」と想像したんだけど、ゼンゼン違う。
で、「評伝」という単語が思いついたら一発で「風伝」という答えを得た。
「風かんむり」だしね。
オモシロかった。

11_cards在这个时间,系列記事完成!
コレでNAMMレポートに移れます。
 
あんなにイヤがっていた上海行きだったけど、今年も楽しみにしている私です。
D_Driveさん、次回もよろしく!

11_0r4a0695 <おわり> 

 

200_3 
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2020年1月16日 (木)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.6

 

さて、早くもMusic CHINA最終日。
この日は当初1回の演示(デモンストレーション)が予定されていたが、開催直前になって2回演奏することになった。
結果、大正解。
2回とも大変なにぎわいを見せた。
その前に…。
昨日までのデモンストレーションでD_Driveの人気が期待以上に大きいことがわかり、サイン入りポストカードをまずは大量に増産。10朝、控室に入るなりスタート。

20セッセセッセ…。

30そして、第1回目のデモ…の前にMarshallチーム全員で舞台で記念撮影を撮ることに。

40コレ、写真を撮っている私の後ろにはもうお客さんがゴマンといて、演奏の開始を「今か今か」と待ってるのよ。
平気でこんなことしちゃう。

50そして、スタート。
いきなり出て来てシレっと演奏するのも不愛想なので、数回前からalgam Chinaの楊さんに中国語で呼び込みしてもらうことにしていた。
中国語で「スタートする」ことを「開始」っていうのかな?
どうも私には「D_Drive開始!」って聞こえたんだよね。
楊さんの隣の少年はもう耳をフサいでる。オイオイ、これからからだぞスゴイのは!

55v楊さんのメンバー紹介で…
「セ~ジ~!」

70v「ユ~キ~!」

80v「トシッ」

90v「チ~コ~!」

100v「開始!」

60今日も1回目のデモはレギュラー・チューニングのナンバーを演奏。
Seijiさんのディレイ・トリックを使ったイントロから…

110Yukiちゃんがリフを切り込む。

120v「The Lat Revenge」だ。
そうだ、今日は上海Last Dayだからね。

130暴れまくるToshiくんの後ろ…ジョンがシッカリ見てくれてるよ~。
エライな~。
毎回必ず演奏を傍らで見守ってくれる。

140Chiikoちゃんも余裕のパフォーマンス。

150vやっぱり『Maximum Impact』収録の曲を取り上げよう…ということで「M16」。

160そして最後はおなじみをカマして「Cassis Orange」。

170

180

190v

200v今回も大ウケの演示となった!2101回目の記念撮影。
もうたくさんの人がこの裏の撮影コーナーへ移ってD_Driveがやって来るのを待ってるよ。
そして、あのポストカードをプレゼントすつというワケ。

220さて、今回は本場の上海を離れて東京は根津の上海へやって来た。
ココは「海上海(はいしゃんはい)」というその名の通り上海料理を取り扱う中華料理店ね。
LOUDNESSのマネージャーの隅田さんに教わって以来スッカリ気に入っちゃって、家族でしょっちゅうお邪魔している。
チョット変わったメニューも良くて、ナニを食べてもとてもおいしいの。
上海から帰って数日後、GALAの準備を手伝ってくれたスタッフを伴ってお邪魔した。

230それだけ気に入ったお店だけあって、もう何度も来ているんだけど、全く気が付かなかったのが店内の壁に飾ってあった古い写真。
恐らく80年ぐらい前に撮ったモノであろう。
ま~、驚いたね。

240私は数日前に見てきた景色と変わらないのだ。

245コレはどこかはわからないけど、おそらくは実際に見てきた光景であることは間違いない。

250コレ!
この前を歩いたよ。

260v上海初の近代建造物と云われている「Broadway Mansion」。

270vそして右下の「Garden Bridge」橋も全く今も同じ!

360_2 スゴイよね。
浅草あたりは別として、80年前の東京の写真を見せられて「ドコソコ」と言い当てることなんてほとんど不可能であろう。
いつも言っているように関東大震災とアメリカによる無慈悲な空襲により東京は完全に昔の姿を失ったからね。
 
そしてこの夜景も80年前のまま。
もちろん照明の進歩で夜景の見え方は変わっているだろうけど、基本的は変わらない。
繰り返すが、東京にこんな光景はほとんどない。
浅草?
もう羽子板市の光景もほおずき市の光景も「風前の灯」だ。
そう言う意味では関西の方がマシだろう。
いまだに千日前や新開地の景色は50年前の浅草にソックリだ。

280実際、この夜景の中を歩くのは素晴らしくロマンチックだよ。

290正直、あまり気が進まなかった上海行きもこの夜景で完全に自家薬籠中に入った感じ。

300それだけに川辺の散歩道はものスゴイ人!
320そうかと思うとモダンな建物が入り込んでくる。

310v川の向こうは対照的に近未来的な光景。
360いいね~、「我♥上海」。

370vこのナイト・クルーズはさぞかし見ごたえがあるだろうね。
両岸がスゴイから。

340川ベリもライトアップした噴水でデコレートされている。

350しからばココでMarshall+D_Driveで記念撮影。

390以前紹介したギューツラフ信号台も夜になるとこうして美しくライトアップされる。

390v見れば見るほど感慨深い。
というのは…、

400v読んだのです。
この信号台を作ったドイツ人キリスト教宣教師、カール・フリードリッヒ。オーギュスト・ギューツラフが登場する小説を!
それは『氷点』でおなじみの三浦綾子の『海嶺』という作品。
あのね、問答無用でオモシロいです。
文庫で3巻組、1,000ページチョット…一気に読んだ。
主人公はギューツラフではなく、天保年間の岩松、久吉、音吉という3人の伊勢の漁師。
江戸に向かう途中、遠州灘で嵐に遭い。1年2か月太平洋を漂流した挙句、アメリカ/カナダ国境に漂着し、現地のインディアンに助けられたのはいいが、奴隷としてこき使われる。
それをイギリス人に救出されてロンドンまで行ってしまうという実話。
もう、とにかくオモシロい。
うれしいのは物語の中に幼少の頃のラナルド・マクドナルドやハリー・パークス出て来るところ。
ラナルド・マクドナルドは日本に憧れ単身来日し、オランダ語一辺倒だった鎖国時代に日本の通詞(通訳)に英語を教えた人。
ハリー・パークスは幕末から明治初期に駐日英国公使を務めた人。

420b私は三浦綾子をよくは知らないが、以前読んだこの『夕あり朝あり』というクリーニング業大手の『白洋舎』を創始した人の物語はヤケクソにオモシロかったので『海嶺』にも安心して飛びついた。
基本のテーマはキリスト教、もしくは「神」です。
でも、全く押しつけがましいところがなくて気持ちよく読める。

430しかし、漂流モノといったら何といっても吉村昭(また出た!)。
この『大黒屋光太夫』も最高にオモシロかった。

440bそして、吉村昭は前掲のラナルド・マクドナルドの物語も執筆している。
『海の祭礼』という作品。
コレも最高にオモシロかった。

450b…いうことで夜の散歩もおしまい。
公共厠所へ寄ってホテルへ戻った。
しかし、いつから「便所」なんて言葉を使うようになったんだろうね?
昔の日本人はトイレのことを「厠(かわや)」と言った。
中国に教わったんだね。
「厠」のままでよかったのに!
「机上、枕上、厠上(きじょう、ちんじょう、そくじょう)」…コレ、最も勉強に適した場所。
すなわち、人間が最も気持ちを集中しやすい場所なのだそうだ。
孔子だか、老子だか、孟子だか、養子が行った言葉。イヤ、養子さんは言わないか…。

460<最終回につづく>

200_3 
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2020年1月 9日 (木)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.5

  

開催3日目。
この日は土曜日とだけあって、来場者の数がどれだけスゴイことになるのかビビっていた。
会場の入り口はさすがにかなり込み合っていたが、中に入るとそれほどでもない。
NAMMの土日なんていうと、ハラが立って来るぐらいの混み合いようだが、ココはそうでもなかった
わりかしユッタリ。
それだけ会場のスケールが大きいのだ。

10土曜日と日曜日のデモ演奏は2回ずつ。
1回目が始まった!

20Seiji

30vYuki

40vToshi

50vChiiko

0r4a0759今日も快調に『Maximum Impact』からの曲を演奏する。

70「Attraction 4D」…

80たまにはバラードということで「Unkind Rain」。

0r4a0469 「Mr. RAT Boots」…

90「Cassis Orange」…等々のおなじみのナンバー。

100お客さんは全員ケータイでビデオを撮ってる。
こんな世の中に誰がした!

110でも、スゴイ熱気で盛り上がってる!

120デモの後は撮影会。

130ま~、とにかくスゴイ人気!

140この人はアコギのデモンストレーターね。

150ハイ、1回目終わり~。

160控室に戻ってサイン入れ。
そこへ通りかかったジョンが「ジャンジャン働け~!」と言って…いない。
180セッセセッセ。
実は、当初デモの後にサイン会をする計画にしていたのだが、直前になって来訪者が途方もなく多くなることが予想されたため、急遽プランを変更。

170ハガキ大のブロマイドに予めサインを入れてファンに配ることになったのだ。

190そして2回目のデモ。

200もう1回メンバー紹介だよ。

Chiiko

240vToshi

230vYuki

210vSeiji

220v気がついた?
そう、SeijiさんとYukiちゃんのギターが変わったね。
ドロップ・チューニングの曲を弾くために現地調達したのです。

250もうこの頃になるとYukiちゃんは中国語はベラベラだ!…是真実又嘘?

260vということでココまで披露して来なかった曲をプレイ。

270v

280v

290v

60すなわち「GEKIRIN-逆鱗」…

310「Russian Roulette」…

340v

350v「Screw Driver」などだ。

330v

320vドロップ・チューニングとだけあってヘヴィなナンバーが多く、重厚なステージとなった。

330ハイ、記念撮影。

340すぐ裏に移動して撮影会。

350またまたスゴイ人!

360皆さん、とてもうれしそうでした。

370

380Marshallの皆さんとも。
毎回デモが大盛況で気分上々!

3903日目もお疲れさまでした!

400夕食を頂いた後は高層ビルのテッペンのバーに行こう!ということになってご一緒させて頂いた。
ジョンが下の写真のビルの最上階だ…と教えてくれたけど違った!
しかし、このビルもスゴイな。
コレ確か警察署の向かいだったな。

410v正しくはコッチ。
1階に受付がある。
この後、高速エレベーターでギュイーンと最上階まで上がるんだけど、Marshallの連中が口々に「Baby shark」と言っている。
「Baby shark」?
「Mud shark」なら知ってるけど…あるいは「Baby snakes」?

420階上に上がって意味がわかった。
このバーでは水槽で小さなサメを飼っていたのだ。

430窓の外はこんな感じ。
皆さん、飲み物をオーダーする時、しきりに「No ice please!」とやってらっしゃる。
私もウエイターにそう告げたのだが、運ばれてきたジントニックには盛大に氷が入っていた。
仕方なしに飲んでみたけど、とりあえず何ともなかったよ。

123mt ココでも記念撮影。
D_Driveは女子チームだけ。
Seijiさんは『GALA2』に向けて部屋で作曲作業中…かな?

440さて、ダンスとD_Driveミュージックとマルチメディアの融合『チェリーを三つ入れてください。』がいよいよ今週末に迫ったよ!
楽しみだ!
 
詳しくはコチラ⇒ENTERART OFFICIAL WEBSITE

12small_origそして、『チェリーを三つ入れてください。』の後、一日空けてD_Driveはアメリカへ飛ぶ。
NAMM期間中にハリウッドで開催されるPress to Mecoとのショウケース・ライブも楽しみだ。
新しいイメージが出来上がって来た。

121bf217ba23274ef4812324cf4b136a92<つづく>
 

200   
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2020年1月 3日 (金)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.4

 

開催2日目の『Music CHINA』。

10「W5」がD_Driveが演奏するMarshallのブースが入っている建屋。
見るからにデカそうでしょう?

20v会場の中庭。
こんなに広い。

30何でもデカい。

40コレは無料で配られる『中国(上海)国際楽器展覧会』のガイドブック。
「指南」はわかる。
「观众」はナンダ?英語で「Visitor」となっているから「来客」か?…それにしては字が違いすぎる。
調べてみると「观众」は「聴衆」という意味だそうです。

50会場の見取り図。
下の列の一番左が我々のベースキャンプ「W5」。
「電子電声総合館」となってる。
多分、コレ1つか1つ半あれば東京の「楽器フェア」全部が収まっちゃうのではないか?というサイズ。
それが12棟もある。
「楽器フェア」は隔年の開催だけど、コレは毎年開催だからね。
イヤイヤ、デカけりゃいいってもんじゃない!と言いたいところだけど…イヤ、まさにその通りだと私は感じたな、悪いけど。

60Marshall Recordsの親分にしてD_Driveの発見者、スティーブ・タネット。
いわゆる「タネさん」。
イヤ~、本当にオモシロかった。
…というのは、タネさん私より5つ年上の生まれも育ちもロンドンの生粋のロンドナー。
しかも業界で長いキャリアをお持ちの方だ。
70年代のロンドンのロック・シーンの話をタップリとお伺いした。
伝説的なバンドはもちろん、信じられないようなアーティストの共演を山ほど観て来ているワケ。
しかも「ああ、レインボーで観たな~」とか「マーキーで何回観たかな~」とか「もうヤメてくれ!」というぐらいの羨ましさ!
「屋根裏」だ「ロフト」だなんて言ったところでかなうワケがない。
古いロックだけじゃなく、映画の話も絡んできて、ま、向こうも「シゲ!ナンでそんなこと知ってるの?」と少しは舌を巻いて頂いたんだけど、とてもとても!
日本に来るチャンスがあったらMarshall Blogでインタビューをやらせてもらうことになってるの。

70で、タネさんと2人でブラブラと会場を歩いて見て回った。

80この辺りは「電子電声総合館」。
日本風に言うと「LM館」みたいな感じ?
110なんかどこかで見たことがあるようなデザインだな。

90ま~、だいたいこういう展示会なんてのは世界中どこへ行っても同じだわな。

120しかし、とにかく広い!

130世界最大と言われるフランクフルトのMusik MESSEよりデカいな。
もっともアレが上海へシフトしているワケなんだけど。

140

150

160そう、目立ったのはアコースティック楽器のデモンストレーション。
ひと昔前風に言うならフォーク・ミュージックっていうヤツ。

100そこら中でアコギをかき鳴らして歌っている。
それがまたやたらとデモンストレーターが若いんだよね。
まだ、ロックは夜明け前なのかな?
明後日ファンキーさんにお会いするのでこの辺りの状況をお尋ねしようかと思ってる。

170管楽器ももちろん大量に展示してある。

180この人なんかバリバリのビ・バップを吹いていたよ。

190まだまだ歩くよ~。
実はクタびれちゃってタネさんと2人でベンチで休み休み見て回ったのだ。
それぐらい広い。

200ピアノもスゴイ!
呆れるほどたくさんのメーカーがジャブジャブ展示してる。

210タネさんと「お、アレを見に行ってみよう」と訪ねたのが…

220「民楽館」っての?
「Traditional Chinese Instruments」の展示。

260入った途端「♪ビエ~」ってスゴイの。
何ていう名前か知らないけど、あのダブルリードの篳篥みたいな笛の音。
アノ音が脳天を突き刺すワケよ!

230ココはひたすら大蛇の革の展示。
二胡に使うんだね。
こんながいる国なんだもんナァ、中国って。
日本とゼンゼン違う。

240琵琶の展示もなかなかに壮観ですよ。
この楽器ってネックとボディがワンピースの単木削り出しなんだね。
知らなかった。

250展示を見ていて頭の中に浮かんできたのは1997年のパット・メセニーのアルバム『Imaginary Day』。
このアルバムってメチャクチャ上手に中国音楽のエッセンスを取り込んで独特のメセニー・ミュージックをクリエイトしてるでしょ?
「芸術性」と「娯楽性」と「大衆性」と「独創性」というそれぞれが相反する要素をすべて包含した偉大が音楽がメセニー・ミュージックだと私は思っていて、音楽の種類は異なれどD_Driveもこういうクリエイティビティを目指してもらいたいと思っているのです。

Pmとかなんとか考えたり、おしゃべりに夢中になって歩いていたら2人ともスッカリ迷ってW5に帰れなくなっちゃた!
 
ドワ~、なんだアリャ?
あんな高ェところにナニかたくさんブラ下がってる。

270タネさんと私はの頭に浮かんだのは「♪Always look on the bright side of life」。
イヤイヤ、平和な楽器の展示会で磔刑(たっけい)なワケなくて、コレPAスピーカーの実演設備なの。280「今、〇〇番が鳴ってます」とサウンドのサンプルを提示しているワケ。
こんなの東京じゃ絶対ムリ!

290イヤ~、何とか帰って来た。
軽く1万歩は歩いたな。
しかし、正直、こんなにデカい必要あるのかね?
地球上の資源の心配をしたくなるような規模だよ。300屋外のステージではこんなキッズ・ミュージシャンが「Fky me to the Moon」を歌っていた。
中国もこうなのね。

310やっとのことで控室に戻って来た。
Yukiちゃんは勉強中。320実は昨日の演奏の時にYukiちゃんが英語でMCをしても完全に無反応で、コリャ英語はダメだ!と判断して日本語が話せる中国人スタッフの方にカタカナで中国語の挨拶を書き留めてもらったのだ。

3302日目ともなるとスタッフの皆さんとも打ち解けてこんな雰囲気。

340皆さん、ものすごく親切で気持ちのいい方々ばかりだった。

350私は出陣前にジョンと談笑。

315さあ、今日も現場演示でMarshall/NATAL/EDENの素晴らしさをお見せいただきましょう!

355D_Drive!

360Seiji

370vYuki

380vToshi

390vChiiko

400v1曲目はSeijiさんの人力シーケンサーで始まる「The Last Revenge」。

410Yukiちゃんのリフを経て…

420vToshiくんのCrazy Bassが唸って…

430Chiikoちゃんがドライブさせる!
といういつもの図式。

440「ニーハオ!ウォーメンシ ディードライブ!」
オオ!Yukiちゃんってこういうのスゴイうまいんだよね。
英語の挨拶の時もそうだったけどイッパツで覚えちゃう。

405アラ…足元にナニか落ちてますけど。

406「The next song is 'M16'」と次の曲を英語で紹介。

0r4a0309 通じようが通じまいが、ンなこたぁ関係ない。
もうスゴイ盛り上がりなのだ!
おお!タネさん、一番前で観てる。
ジックリとD_Driveを観察しているのだ。

450上海の皆さんにはこの2人の掛け合いのシークエンスがどう映ったのだろう。
多分こんなの見るの初めてでしょうに。

460ステージ下手狭しと暴れまくるToshiくん。
こんなCrazyなベーシストも滅多に見たことないハズ。

465vそして、Chiikoちゃんのドラミングには度肝を抜かれたことだろう。

466そしてYukiちゃんもバッチリとエンディングをキメて見せた!

467vもう1曲は「Mr. RAT Boots」。

470Toshiくんに死ぬほど暴れて頂いて…と。

480Chiikoちゃんが思いっきり〆る!

490v今日のデモも大成功!

500例によって演奏の後の撮影&握手会も黒山の人だかりだった!

510お疲れさまでした~。
さすが紳士の国の人、タネさんがサッとYukiちゃんのギターを手に取って車まで運んでくれた。

520メンズはご自分でお願いします!

530この晩、D_Driveの希望者を募ってまた例の豫園へ行ってみた。

535おお~!

540夜のいよいよ横浜中華街!

545なんてモンじゃない!

550コレはなかなかのスぺクタキュラー。

560昼間見る景色とゼンゼン違う!

580_2

590
660

600

570Seijiさんからの情報で「ストローで食べる小籠包」がおいしい…というので食べてみた。
コレがですね~、かなりの危険物なの。
というのは、確かにスープ入りの饅頭なんだけど、そのスープが殺人的に熱い!
私は熱いモノにはかなり自信がある鉄舌なんだけど、コレはアブナイ。
ストローで一気に吸い上げようモノなら間違いなく口の中の皮がムケます。
味はどうかというと…正直、化学調味料の味しかしませんでした。
「調味料(アミノ酸等)」がお好きな方はどうぞ!

Srp この反り返った屋根がまたステキでね。630屋台もたくさん出てる。
すると照明が突然消えて…

640太鼓を使ったパフォーマンスが始まった。

650あの池のあった場所。
私が持っていたカメラが目に入ったのだろう、ココで日本人女性から声をかけられて写真を撮って欲しいと一眼レフカメラを渡された。
もちろん快く引き受けたんだけど、カメラの設定がとてもシャッターを切るだけの状態になっていなかった。
私が感度や露出のことを口にすると、一緒にいた男性が「ああ、それじゃもういいです。ありがとうございます」とか言って立ち去って行った。
きっと「だからああいうカメラオタクってイヤなんだよね~」とか言ってたんだろうな。
別にハラも立たないけどよ。

680前回、あの「照明が七色に変わる」と書いた建物。

690ね。
赤くなった。
池の水面に映った姿が美しい。

700ハイ、それをバックにパチリ!

710v<つづく>
 

200   
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2019年12月30日 (月)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.3

  

さて、滞在3日目…いよいよ『Music CHINA』のMarshllブースでD_Driveが演奏する時が来た!
イザ、会場へ!
『Music CHINA』の会場は「上海新国際博覧中心」という多目的展示場。
コレ、「上海新国際博覧」はわかるじゃん?
でも「中心」って一体ナンダ?と最初は思ったよ。
それで街のショッピング・センターの看板を見て気がついた。
「中心」…すなわち「センター」だよ。
イギリスなら「Centre」、アメリカなら「Center」。
王様もビックリの直訳なのだ!
ホテルから東浦江を渡って車で15分ぐらいかな?
こんな感じ…

最後オモシロかったでしょう?
 
コレが「中心」の入り口。

10入り口はゼンゼン大したことない。

20やや厳重な保安検査を経てゲートへ向かう。

30パスをセンサーにかざして顔認証をするんよ。

40結構厳重だわ。

50場内に入るとこんな感じ。
詳しくはまた別の回で。

60場内の巡回バス。
歩行者に注意を促すように音楽を鳴らしながら走るんだけど、コレが驚いたことにそのメロディがJRのドアが閉まるときに流れるヤツなの!
こんなメロディぐらいオリジナル曲を使えばいいだろうに…。

70後ろの「W5」がMarshallのブースが入っている建屋。

80記念に撮影ポイントでも撮っておきましょう。

90飛ぶ人。

100vおお~っと、タネさん乱入!

110Marshallは「艾鸽商贸(上海)有限公司」という中国のディストリビューターのブース内で展示されている。
140「艾鸽」というのはフランスのディストリビューター「Algam(アルガム)」のこと。
しかし「艾鸽」でホントに「アルガム」って読むのかね?

130大きい通路に面したデモンストレーション用のステージ。
もうD_Driveのロゴが出てる。

150ブース内の商品展示。
ORIGINにCODE。

160AS50D。
ASが単独でフィーチュアされている理由はこの後知った。

165DSLに…

170MG他。

180ココにもORIGIN。

190試奏には当然MArshall Lifestyleのヘッドホン。

195vEDENコーナー。

200

210来場者へのプレゼントの告知かな?
「好札」というのは「良い贈り物」という意味のようだ。

230vデモンストレーションの案内ではD_Driveがドンと真ん中で紹介されていた。
黒田さんも喜んでいることだろう。
「黒田さん」とは洋画家の黒田清耀のことね。

240ミーティング・ルームの壁。
ジェフにニタにコリィ。
280コチラは防音完備の試奏ルーム。

260v本社から来たインターナショナル・デモンストレーターのスティーブがココでデモンストレーションを実施するんだね。

300

270フランスのディストリビューターが運営しているだけあって奥はフランス語の看板だ。

290デモンストレーション・ステージのすぐ裏。

310ん~、飾りとはいえ、この1960Bのでぃうプレイは見事だな。

320その下はMarshall Design Store(デザイン・ストア)の展示。
340

330やっぱりコレか…。
ん?
コレってトリコロールの中にユニオンジャックなんだ!

350コレはナンだろう?

360v昨日ミッチリとサウンドチェックをしたし、今日は演奏するだけ。
その前に記念撮影しておきましょう。

365初日と2日目は日に1回の登板。

370vn出番の時間になりセッティングをするメンバー。

375中国の電源タップ。
やたらと忙しい!
全く知らない日本人はコレを電源タップと思わないのでは?

380v振り返ったら…ギクッ!
すごい人!

390それでは初デモンストレーション、スターティン!

400中国のD_Driveは…
 
Seiji

450v中国でもJVM410Hと1960。
フル・スタックだぜ。

410vYuki
460vYukiちゃんもいつも通りのJVM410Hと1960。
驚いたことに2人の1960…上下両方鳴らしてる!

420vToshi

470vToshiくんもいつも通りのEDEN。
WTP-600にD410XSTが2台…ではなくて、コレ、キャビは8x10"のD810XST。
どれぐらい重いのかは知らないで終わった。

430vChiiko
480vChiikoちゃんのNATALはメイプルのオレンジ・スパークル。440v_2 それではコテ調べに「Attrction 4D」から。

530安定のキラー・チューン。

500大陸に渡っても、電圧が違っても…

510絶好調!

520来場者の皆さん、目がテンになっております!

540続けて「Cassis Orange」。

550そして「The Last Revenge」。

570v1回あたりの持ち時間20分なので、チョット余裕を見て3曲。

580ジョンもタネさんも真剣に観てる。

5603曲とはいえ、中身の濃い~演奏に会場は大盛り上がり。
600v歓声は大きんだけど拍手は少ない。
ナントならばみ~んな携帯でビデオ撮ってるんだよ。
そんなの撮ったって後に見ないでしょうに…。

610コレで終わりじゃない。
演奏後の握手&撮影会。
ナンってこった!

620ものすごい人気!

630その様子を見るタネさんの目は真剣だ。
タネさんがD_Driveを見る目はプロの目なのだ。

640でも乱入~!

650第1日、大成功!

660<つづく>
 

200   
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2019年12月28日 (土)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.2

 

昨日のレポートで紹介したMarshall一行の投宿先のWaldorf Astoria(ウォルドーフ・アストリア)ね。
車寄せがある方の玄関は近代的な建物に見える。

60v中の様子もこの通り。
30「五つ星ホテル」の評価にふさわしいゴージャスな設備。

40吹き抜けのダイニング・ルームもとてもいい雰囲気。
コレらを通り抜けるとホテルの反対側に出る。

50反対側の黄浦江沿い側の玄関がコレ。
前を走っているのは「中山东二路(「东」は「東」ですな)」という大通り。
この通り沿いに前回紹介した歴史的な建造物が並んでいる。

10_2実はこのウォルドーフ・アストリアもその歴史的建造物のひとつ。
ま、こっち側のたたずまいを見ればわかるか…。
元々はイギリスが1861年に建造した3階建てのレンガ造りだったが、再建され1910年に現在の建物になった。
だから築109年か…。

20コレが入り口。

160_2せっかくなんでD_Driveの皆さんにモデルさんになって頂いた。
4人が立っている階段にはカーペットが敷かれているが、その下はシチリア産の白大理石だそうだ…知らんけど。

11_0r4a0787 その入り口から入ってすぐのホールはかつてのダイニング・ルーム。

140v_2この建物は「上海クラブビル」と言われ、上海に住むイギリス紳士の社交場だった。
要するに「イギリス県人会」みたいなヤツ。
1941年から太平洋戦争が終結する1945年までの間は日本軍が接収したそうだ。

80暖炉をしたがえた奥の部屋。
すごくいい感じ。
ココを抜けるとさっきの新しい方の建屋になる。
60ま~、どこかの宮殿かと思えるほどの荘厳さ。
でもかつてはココにケンタッキー・フライド・チキンの上海第1号店が入ってたんだってよ…興覚め。

70_2折角だからこのホールでも撮っておいた。
コレ、Toshiくんだけ服の趣きが違うのには理由があったんだよね~。
全員、黒で統一しようとしていたんだけど、ナントSeijiさんとToshiくんの部屋が水びだしになってしまって、Toshiくんが撮影のために用意していた黒い洋服がビチョビチョで着れなくなってしまったのです。
災難だったよね~。
もちろんホテルからはマネージャーがスッ飛んできて大陳謝。
グレードが高い部屋を用意して謝意を表してくれた。
そのマネージャー、部屋にあった楽器を発見してSeijiさんとToshiくんがどんなことをしているのか知ったんだろうね。
ひと度この事件が落ち着いて、廊下に出て私と2人きりになった途端、「私、J-POP大好きなんですよ」と英語で興奮交じりに切り出してきた。
「チャゲ&飛鳥、長渕剛…」、あといくつか名前を挙げていたけど忘れちゃった。大好きなんだそうです。
もうこのことを話したくてしょうがなかったんだろうね。

11_30r4a07262階に上がるには…

90_2この手動式エレベーター。
100年モノだぜ。カッコいい!
もちろん今でも稼働している。100_2コロラドの山奥にスティーヴン・キングの原作の『シャイニング』のモデルになった「The Stanley Hotel」というホテルがあって、一度泊まったことがあった。
そこのエレベーターもかなりの骨董で、全米で1番古いとか言っていたが、コレもなかなかにスゴイ。

110v2階には…バンケットルームなのかな?
こんな部屋があって、結婚パーティが開かれていた日もあった。

130_2コレは入り口の両脇にあるスペースなんだけど、一体何のためのモノなんだろう?

120トイレのドアは「押」ではなくて「推」だ。
コレ、もしかしてドアを「押す」んじゃなくて、中に誰か入っていないか「推す」ということ?
そんなこたぁないか。

150_2滞在2日目のこの日はとても天気が良かったので、『Music CHINA』の会場に行く前にまたホテルの近くを散策してみた。
コレが黄浦江。
川幅は平均400m。隅田川は花火会場の近辺で160mだって。

170_2やっぱりこの光景はスゴイよ。

180_2川沿いの遊歩道もこんなに広い。
さすが大陸だけあって何でもデカい。

190中山东二路沿いの建物を堤防から眺める。

200_2コレがまた見応え満点。210_2この日は午後から仕事だったので、体力を温存しておくためにいちいち建物の近くまで行って観察することはしなかった。
でも遠目でも十分楽しめる。

220遊歩道についていたタイル。
さすが中国。
ラーメンみたいでしょ。
コレは「雷紋」というデザインで、何も中国だけのモノではないんですよ。

230vこの牛、マンハッタンにある有名な「チャージング・ブル」と同じ人の作品なんだって。
善光寺の「おびんずるさま」みたいに顔ばっかり触られるものだから地金が出て来て胴体と色が違って来ちゃってる。

240vイヤ~、ホントにスゴイ。
ロンドンのウエストミンスターに来ているみたいだ。

250_2でもそんな背景をバックにロンドンとはゼンゼン違う、共産主義国家っぽいアイテムがズラリ並んでいる。
それはこの花壇。

260_2花壇に付けられている標語が気になってひと通り全部チェックしてみた。

270このあたりの単語はまったく問題ありませんな。

280_2「和諧」という言葉は、日本語にもあるようだが、我々は普段使わないね。
中華人民共和国がスローガンに掲げるのが「和諧社会」。「矛盾のない調和のとれた社会」なのだそうだ。

290「敬業」ってのは「勤勉に働くこと」だそうです。

11_0r4a0346 このあたりは大抵出て来るでしょうね。

300しかしこうして見ると、わかってはいるけど、我々はずいぶん中国から言葉を借りているナァ。
タマタマこの通りにあった道路標識で見つけたんだけど「隧道(ずいどう)」なんてのもそうだもんね…「トンネル」のことね。

310_2写真のちょうど中央に写っている建物がウォルドーフ・アストリア。
今度は反対側へ来たというワケ。
この角のビルのハス向かいにイタリアンのレストランがある。

330この「Goodfellas」という店。
滞在中Marshallの連中と2度ほど行った。
下品な店名だし、私にはチョット味が濃すぎる感じだったけど、「仲の良い男友達が集まる」おいしかった。

Gfv 下の写真はインターネットから借りてきたお客さんがいない時の店内の写真。
店内はいつも欧米の人たちで大賑わい。
「イタリアン」ということもあるが、欧米の人たちが馴染んでいる食事の段取りができる点でこの店の人気が高いような気がしている。
我々がみんなでイッパイやって食事をする時には大抵それぞれが好きなモノをオーダーしてシェアするじゃない?
そして最後に「シメ」と称して腹持ちのよい炭水化物を摂るでしょ?
もう私は卒業したけど、さらに帰りにラーメンなんてことも珍しくはない。
向こうの人は違うのよ。
まず、レストランに行く前に、あるいは食事をする前にバーでイッパイ引っ掛ける。好きな人はどうだろうビールなら2パイントや3パイントは飲んじゃう。
それからレストランに行って、まず「Starter(スターター)」と呼ばれる前菜を食べる。
それから「Main(メイン)」を頂く。
結局主役は肉よ、肉。
「ゴハンとおかず」あるいは「パンとおかず」という意識がないので、ずっとオカズを食べているイメージ。
パンは置いてあるにしてもオマケ程度のモノだ。
そして、デザートを必ず食べる。
コレで終わりかと思ったら大間違いで、レストランを出るとまたバーへ戻って「Night cap(ナイトキャップ)」と称して「寝酒」をキメこむ。
ま、軽く12時とか1時とかにはなるわね。
しかし、途中で失礼しても一向に問題ない。
「エ~、もう帰っちゃうの?ああ、いいよ、いいよ。そういうヤツだったんだな!」なんてことを言う人は絶対にいない。
「I'm leaving」と挨拶をすると「See you tomorrow!」…コレで終わり。
ま、コレはホテルに滞在している前提の話なので、ロンドンのど真ん中でイッパイやる場合はもう少し簡単になるだろう。

コレ、東京でやろうとするとできないんだよね。
まず、普通のレストランだと「前菜+メイン」のバラエティが貧弱で、肉料理のラインナップがやたらと少ない。そして、意外に魚のメニューが多い。
デザートの種類も少なく、店を出た後に適当なバーを探すのもひと苦労なのだ。
そもそもバーのないホテルばかりだからね。
でも、この上海は違う。
毎晩異なるレストランを使って上と同じプロセスで夕食を摂ることが容易にできる。
「郷に入っては郷に従え」ということもあるが、欧米の生活様式を基準にすると、東京を「国際都市」と呼ぶのにはまだまだムズカシイと思うことがたくさんあるのだ。
Gf2このレストランのランチョン・ペーパー。
『Some Like it Hot(お熱いのがお好き)』のマリリン・モンロー。
大好きな大好きな映画のひとつ。
うれしくて持って帰って来ちゃった。

Mm上の紙をたたんでいたら「シゲ、コレも持って帰ればいいじゃん!」と誰かが渡してくれた。
さすがイギリス人!
でも、ショーン・コネリーは映画の中ではイギリス諜報部(MI6)に勤める公務員だけど、イングランド人ではなくてスコットランド人なの。
しかし、イギリス人とこの手の話をすればするほど、イングランドとスコットランドが別の国であることを実感してすごくオモシロイ。
北アイルランドなんていったら尚更よ。それがBREXITのコアな問題になっているんだからコレまた皮肉なものだ。
ウェールズはほぼイングランド扱いしているようなんだけどね。

Jb中山东二路を進む。
左側に現れた「灯台」、正確には「信号台」だそう。
天文台が観測した気象情報を黄浦江を行き交う船舶に伝え事故を減少させた。
1960年まで実際に使われていた。
世界に2つしか残っていない「Atonobo建築スタイル」の建造物のウチのひとつ…だっていうんだけど、この「Atonobo」という建築様式がどんなものなのかが調べてもどうしてもわからなかった。
「外灘信号台」というのがコレの名前なんだけど、英語表記では「The Gutzlaff Signal Tower」という。

349「Gutzlaff」というのは中国で活躍したドイツ人宣教師カール・フリードリッヒ・オーギュスト・ギュツラフのこと。
このギュツラフという人、実は世界で最初に聖書を日本語に翻訳した人。
19世紀の前半、ギュツラフは太平洋を漂流した漁師3人をマカオで引き取り、日本語を学んだという。
マカオに移送されるまでに大変な目に遭っていて、ナント、日本人で最初にロンドンの地に降り立ったのはこの3人の漁師だったという。
もうコレに関する本を読むしかないじゃんね!
で、探してみたらあった。さっそくAmazonにオーダー(←今ここ)。

350v信号台本来の役目を終えた1960年からは河川の警察署として使用されたそうだ。

360v_2カッコいいし、そもそもデザインがオシャレじゃん?

365川沿いの中山东二路から離れて街中に入る。

370中国っぽいじゃんね?
歩道の上まで居住スペースが飛び出しているこれらの建築スタイルは日本では見かけないモノだ。

380適当に道を曲がって進む。

390するとこんな大通りに出た。
しかし、広い!
右側は工事現場なんだけど…

400入り口が中国仕様でオモシロイ。

410正面に広がる光景。
通りを渡って行ってみる。
420ドデカイ土産モノ屋がズラリと並んでいるぞ。

430いよいよ本格的に中国っぽくなってきたアルよ。

440そうでもないか…コリャ横浜の中華街と変わらないアルね。

450と思ったら、スゴイのザックザック出て来たよ。

469中国~!

470無限に続くお土産屋さん。

480白い煙はミスト。
特段暑くはなかったけど盛大にシュパシュパやってた。

490「豫園(よえん)」という明代の名庭園が近くにあって、その周りにこうした土産物屋が立ち並んで大きな観光名所になっている。

500覗いた箱の中にナニが映されているのは知らんけど、この右端のオジちゃんの弁士っぷりがド迫力で笑ってしまった。

510スタバはこんな感じ。

520「星巴克珈琲」…「星」と「珈琲」はわかる。
「巴克」は何だろう?と思って調べると、この2字で「バックゥ」と発音するようだ。

530ハーゲンダッツは「禿立冰淇淋」。
「冰淇淋」は「アイスクリーム」のこと。
オイオイ、「ハゲが立つ」はないだろう!

540ウソウソ!
ハーゲンダッツは中国語で「哈根達斯」と綴るそうです。
下は渋谷で出くわした焼き鳥屋さん。
なんで店名に「ハゲ」なんて言葉を使うかね~。
それとも「ハゲ」ってめでたい言葉なのかしらん?
少なくともハゲてる人は入りにくいよな~。
私は行きません。

11_2thすごいお土産屋さんの数なんだけど、ありがたいことに客引きをしていないんだよね。
ホーチミンなんかスゴかったからね。
でもね、自転車に売り物を積んで日本人を見つけるとしつこく「時計を買え」と追いかけて来る出っ歯のババアがいたな。
「ナニが欲しい、時計か?」
「ナニも要らん!」
「じゃ、ナニが欲しい、時計か?」
「ナニも要らないってば!」
「じゃ、ナニが欲しい、時計か?」
と繰り返し攻め込んで来た今生だけは認めておこう。

550vこれが「豫園」なのかな?
夜になると七色の照明を浴びて、池の水面にその姿を映す。
ま、なかなかのモノでしたよ。

560コレも中国っぽい風景じゃない?

570例の棒を外に突き出して、中には布団を干している猛者もいる。

580しかし、コレって1回に干せる洗濯物の数って相当少ないよね?
かなりマメに洗濯しないとマズそうだ。

590救急車は意外にソフィスティケートされたデザインだった。

600さて、この日は『Music CHINA』開催の前日で、午後からD_Driveがデモンストレーションをするステージでサウンドチェックとリハーサルを実施した。

610準備中の4人。

620「現場演示」か…わかりやすいな。
ちゃんとD_Driveのロゴも入れてくれてる。640サウンドチェックが大変だった。
なかなか音がキマらず、Chiikoちゃんは30分ぐらいズッとバスドラムを踏み続けるハメになってしまった。
お疲れ様でした。
私も色々なシチュエーションで数限りなくこうした現場に立ち会って来たけど、多分人生で最長のサウンドチェックだったな。

650待ちきれなくなって他のデモンストレーターも準備し出しちゃった!

710ええい、もう一緒に演奏しちゃえ!

660でも、一旦音がキマったら後はスイスイ。

680v

690v

700v

710v演奏は何ら問題なし…いつものD_Drive。
しかし、音デケェ~!
こんな爆音で大丈夫なのか?

740それを聞きつけてこの通り。

750コラコラ、職場に戻りなさい!

760この人たち、もう仕事が終わったのか、サウンドチェックからリハーサルまでズ~っと見て行ったよ。
しかし、こんなところのビデオを撮ってどうすんのかね?

770本番は明日!
楽しみだ!

780夜はMarshallのみんなとディナーへ行ったよ。
別のホテルのビュッフェだったんだけど、上海蟹を頂いた。
私はもういいです、アレ。
それより麺を入れて頂く鶏ガラのスープが置いてあってね…要するに「鶏そば」なんだけど、コレが浅草橋の「水新菜館」で出す大好きな鶏そばと同じ味のスープなのよ。
ところが麺がズイマでね~。
スープだけお替りさせてもらいました。

790食後はそのホテル屋上にあるバーへ。

800コレは本当に絶景だった!

810

860

840ウチのホテルが見える。

850

870vもちろん、上に書いたようにこの後はホテルのバーで「ナイト・キャップ」を頂きました。
時差がないのでヨーロッパやアメリカへ行った特に比べて身体がゼンゼン楽だわ~。
…ということで明日から思いっきりドライビング・ロックで暴れて頂きます。
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive OFFICIAL WEB SITE

880<つづく>
 

200   
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2019年12月26日 (木)

D_Drive Drove Music CHINA 2019 ~ 私の上海 vol.1

 
10月上旬の成田空港。
ナンダナンダ、予想よりはるかに混んでるぞ!

10海外へ行くのは仕事の時だけで、繁忙期に来ることがないので閑散とした眺めが私の成田空港なんだけどな…。
だから、私にはこれでも相当混んでいるように映る。
20今回は生まれて初めての中国。
D_Driveのロード・マネージャー兼通訳、Marshallのスタッフ、Marshall Recordsのいちアーティスト担当として、上海で開催される楽器の展示会『Music CHINA』に行くところなのだ。

30海外渡航のお供はコレ。
田川ヒロアキくんとパートナーの美瑞穂さんがタイに行った時にで作ってプレゼントしてくれたパスポートケース。
40いつも書いているので今回も書くと、このパスポートケースを見るといつもコレを思い出してしまう。
ポーランドのSBBというグループの『Welcome』というアルバム。
旅に出るモノにとってはピッタリのタイトルではなかろうか?
ヒロアキくん、美瑞穂さん、ありがとう…使ってます!

Sbbハイ、着いた。
3時間半のフライトと1時間の時差…ラクだね~。
関西空港からやって来るD_Driveとは上海の空港で待ち合わせ。
先に到着していたD_Driveメンバーさんたちの「シゲさ~ん」の声に迎えられて「初めての上海」スタート。

50宿泊先はココ。

60v外灘(ワイタン)と呼ばれる上海随一の観光エリアの中心に位置するウォルドーフ・アストリア。
マンハッタンのウォルドーフに泊まるのはとても無理だろうから上海で勝負!
下の表札(?)にある「the BUND(バンド)」というのは外灘の英語式呼び名。
「bund」とは「築堤」とか「埠頭」を意味するウルドゥー語が英語化したものなのだそうだ。
イギリスの旧植民地には「bund」という地名が他にもあるが、「The Bund」と定冠詞を付けると、上海の「bund」すなわち「外灘」を指すそうだ。

70部屋からの眺め。
古いビルだナァ。

80そうかと思うとユニークな高層ビルもすぐそばに立っている。

90心配したコンセントの形状。
〇〇カメラの海外旅行グッズコーナーでアダプターを買おうとしたが、「何通りも用意しておいた方がいい」ぐらいのことを言われてビビったが、ナンのことはない、日本の2芯のプラグが上の方のヤツに入るんでやんの。
電圧は220Vだから要注意だけど。

100着いた日は特別予定がない空き日なので、荷物を置いて少し休んでから早速外へ出てみた。
「簡体字」とかいう漢字を解読するには少々の想像力が必要だが、街中の看板は案外読みほどくことができる。

110ホーチミンほどではないが、ミニバイクの数がスゴイ。
コレ危ないのよ。
というのはホーチミンと違って、上海のミニバイクは電動なのね。
つまり無音で走りまくるものだから結構コワイ。
そばに走り寄って来るバイクに気づかず「ウワァ!」なんてことが何回かあった。

130ん~、コレはいいぞ。

120この街並み!
ほとんど下調べをして来なかったんだけど…ステキ!
この外灘地区は19世紀の半ばにイギリスの租界となり、その後英米の共同租界となった。
そして、外灘は東アジアの金融のハブとなり、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、オランダ、ベルギーといった各国の銀行が入り込み、それらしい立派な建物を作った。
その当時の建造物がそのまま残ってるんだね~。
こりゃジックリと見て歩かなきゃ損じゃんね!
さあ、歩きますよ~!

140元「Asia Realty Co. (アジア不動産)のビル。1922年の竣工。関東大震災の1年前だね。大正11年。ネオクラシカル・スタイルという様式らしい。

150コレなんかステキじゃない?

170横の店舗スペースには楽器屋が入っている。

0r4a0018レリーフも凝ってる。
1903年の完成で、イタリアン・ルネッサンス様式というそうだ。
設計は平野さんという日本人。
この建物、元は三井物産の社屋だった。

0r4a0021ナンでそんなことがわかるのかというと、コレ。
この辺りにある古い建物は「優秀歴史建築」として市の保護を受けていて、そうした建造物にはこうしたプラークが付いているのね。
まぁ、何とも簡素な説明なんだけど、ないよりは全然いい。

11_20r4a0023ロンドンで言えばコレね。
 
毎度毎度書いているけど、東京だって関東大震災と東京大空襲がなければ、こういう歴史事業に力を入れて大きな観光財源に育てることができたのにナァ。
東京って観るところないよ。
「海外からの観光客が過去最高」なんて言っているけど、結局お目当ては食べ物と100円均一と渋谷のスクランブル交差点だけでしょ?
シーフードを好まない外人が来たら東京なんて楽しむところなんて何もありゃしない。

11_jp コレは「The Joint Savings Society Bank」という元銀行。
1926年竣工の鉄筋コンクリート、いわゆるRCづくり。
ジョージアン様式。

180「The Ta-Ching Government Bank」という銀行。
1908年に完成した建物。
コレ中央銀行だったのかしら? 

190「Ta-ching Government Bank of China」の紙幣がコレ。
浅学にしてこの辺りのことはよくわからないのでコレ以上書かないが、真ん中に「壹萬圓」ってあるでしょう?
ゼンゼン知らなかったんだけど、現地では「〇〇円(イェン)」って言うじゃない?
通貨マークも「¥」だし。
「元(ゲン)」っていうのかとばかり思っていた。
ちなみにテレビなんかでよく「中国はもうほとんどキャッシュレスになっている」とか言うでしょ?
私の経験ではゼンゼンそんなことなかったナァ。
マウスを持って行くのを忘れて、買いに行ったお店では「キャッシュ・オンリー、キャッシュ・オンリー!」と言われたし、他の土産物屋もそうだった。

Tachingコレは「Liang-Chuan」という開運会社の社屋。1916年の竣工。

200こんな風体の建物もある。
コレ、漢方薬屋だったかな?

210いいね、アールデコ調。

220部屋の中からニョキニョキと外に棒が伸ばして洗濯物を干している。
チャイナ感満点の光景じゃない?

230「北京アパート」という1920年代の建物。

240この建物はまだチョットしたベランダみたいな手すりが付いているので棒は飛び出していない。

250こんな光景もチャイナ感があってなかなかいいものだ。
「手机」ってナンのことか知ってる?
どう読むのかは知らないけど、「携帯電話」のことだって。

260看板の青い文字ね、「電動工具」はわかる。
その左側は「業」の上だけでしょ?
一番左はわからんナァ。
280ホテルの前の通りをズ~っと歩いて行って出くわしたのが「Shanghai General Post Office」。

2901924年の竣工で現在も郵便局として使われている。

300vその向かいは「Asia apart」という1930年代の鉄筋コンクリートの建物。
このRがいい。

310通気口のフタも以下したデザインだった。

3201907年に建造された上海初の長大橋「Garden Bridge」を渡る。
ちなみに現在隅田川に架かっている橋で一番古いのは永代橋で1926年の建造だ。360橋床は今でも木造。

0r4a0129右を見るとこの景色。
薄曇りではあるけれどなかなかの絶景で「おお~!」と少々喜びながら、いつもライブの撮影で使っているキャノン5Dで写真を撮っていたら「あの~、日本の方ですか?」と中年の女性に声をかけられた。
若干アクセントや発音が不自然だがかなり流暢な日本語だ。
「ハイ、そうです」と答えると「持っているカメラを見ればすぐに日本人かどうかはわかります」と言う。
そうなのか…。チョットこわいな。
「私、ずっと日本に住んでいました。多摩の方です。私はコッチへ帰って来ましたが、娘が日本人と結婚して日本国籍を取りました。
私、日本語忘れちゃうので、こうやって日本の人を見つけると声をかけておしゃべりをして、日本語の練習するあるね」
ウソ、「あるね」は言わないけど、そういう事情で声をかけて来たのだそうだ。
マァ、コレがとにかくよくしゃべるオバさんで、ジッと話を聞いてやり取りをしているウチにハッと気が付いた。
ヤバい!
肩にかけていたバッグを慌てて前に持って来て荷物を確かめた。
セーフ。
オバさんは私の心配に気がつかなかったようだが、自分の気のチョットしたゆるみに一瞬ゾッとしたわ。

330橋を渡ったところに立っている「Broadway Mansions」という19階建てのホテル。
1934年、上海発の近代建造物として長年にわたって上海の象徴とされてきたそうだ。

350現在も5つ星の「Broadway Mansions Hotel」として営業している。

340vその向かいのレストランの前では新婚さんだろうか?…カメラマンを雇って写真撮影をしていた。
こういう人を結構見かけたよ。

370今度は「黄浦江(こうほこう)」という川沿いを歩く。
この辺りには「全国重点文物保護(保管)単位」、英語で表現すると「A Major Historical and Cultural Heritage Protected at the National Level」ということになるらしいのだが、国単位で保護している重要文化財扱いの建造物が並んでいる。
0r4a0158例えばコレ。
元「Jardine Matheson Building」。
ジャーディン・マセソンというのは香港に本社を置くイギリス系コングロマリット。
前身は「東インド会社」でアヘンの密輸と茶の貿易で得た金をイギリスに送るための銀行が元になっているそうで、当然アヘン戦争に深く関わっていた。

380有名な長崎の「グラバー商会」は「ジャーディン・マセソン商会」の代理店だったらしい。
現在、登記上の本社は英領バミューダ。
ムムム、コレものすごい胡散臭いね~。
なんかこの会社に関するオモシロい本はないもんかね?
あれば読みたい!

4001924年完成の「旧横浜正金銀行上海支店ビル」。11_0r4a0181チョットしたこういうデザインがいいんだよね。
「横浜正金銀行」は日本の半官半民の貿易金融や外国為替の専門銀行だったってよ。

11_0r4a0183ホラ、ココでも。
お婿さんどうしたんかね?

11_0r4a0179「旧中国銀行ビル」の入り口には…

410vホラ、狛犬。
ちゃんとコッチは「あ」。

420vコッチは「ん」と言ってる。
ベロが出ちゃってるけど。
え?
何で「あ」と「ん」なの?
日本語を形成する50音の最初と最後の文字である「あ」と「ん」で「すべてがココにある」みたいな意味ってどこかの神社で聞いた記憶がるんだけどな。
もちろん中国には50音なんてありゃしない。
…と思ったらコレ元はサンスクリット語で、「阿吽」のことなんだそうだ。
だから向かって右の狛犬は「あ」と言っているのではなくて「阿」と言っていて、左は「ん」ではなく「吽(ウン)」なんだって。
どうすんだよ、さんざん外人を浅草神社に連れて行って「あ」と「ん」って説明しちゃったぞ!

430vホラね、ココでも。
さっきのピンクの人は例外で、お嫁さんは間違いなく赤いドレスを着ている。
もちろんコレは「めでたい色」だから。
反対にめでたくない色は何だ?
「白」なんだって。
哀悼の意を表すらしいよ。
 
ところでこうして写真を撮っている横を通り過ぎると、スゲエんだよ。
スタッフ全員が穴のあくほど私が持っているカメラを見るんだよね。
そんなスゴいカメラじゃないんですけど。

440ひと通り歩いたらおなかが空いたのでD_Driveのメンバーに声をかけてラーメンを食べに行った。

450私が食べたのはコレ。
肉ラーメンみたいなヤツ。
全てのラーメンに高菜が乗ってる。
スープは日本にはない風味だったけどおいしかった。
ただ、麺がね~。
なんていうのかな?
少なくても我々が「ラーメン」と思っているモノとは明らかに違う。
私たちの感覚だと、ナンていうか、ソーメンの太いヤツっていうえばいいのかな?
ちょっとモチモチしていてこのスープにマッチしないように感じた。
280円ぐらい。
店員さんは一切英語を話さず。

460D_Driveが1回も登場しなくてゴメンね。
次回からジャンジャン登場します。

<つづく>

200_3 
(2019年10月8日~14日 上海にて撮影)

2019年1月23日 (水)

犬神サアカス團『東京2060レコ発巡業』~私のディープ浅草<vol.7>

 
だいぶ遅くなっちゃったけど、今日は昨年の11月に開催した最近作『東京2060レコ発巡業』のレポートをお送りするよ。
そうだ…ショウウインドウのガラスに水滴が付いている通り、この日は夕方になって雨が降ってきたんだった。

05コレが昨年9月に発表された『東京2060』。
東京の近未来をテーマにした作品。
オープニングがいいんだわ。
「気象衛星百年記念式典」と題した犬神さん得意の口上からスタート。
そうか…アルバムがリリースされた去年は気象衛星が打ち上げられてちょうど100年目だったのか…と思って早速調べてみる。
100年前だから1918年…と。
え?そんなバカな!1918年と言えば大正7年。テレビもない時代に衛星なんか打ち上げられるワケないじゃん!
イヤだなぁ、犬神さんも、慌てちゃて!…と思ったら、私がヤボだった。
時は2060年。
その100年前、すなわち1960年のことを言っているのでした!
史上初の気象衛星はNASAが打ち上げたタイロス1号という衛星。
名前のタイロス(TIROS)はまたギリシア神話かなんかからの転用かと思ったら、「Television Infrared Observation Satellite(テレビジョン赤外線観測衛星)」の略だって。ツマんねーの。
さて、この口上でスゴイのは2本の金管楽器。
トランペットが情次兄さんで、トロンボーンが明兄さんだてーんだから驚きだ。
何でも2人は中学の時、ブラスバンドに所属していたそうな。
今、吹奏楽部の部員というと、100%近く女子なんだってね~。
昔は男子部員の方が多かったんじゃない?
私なんか中学も高校も吹奏楽部の部員って全員男子だったよ…あ、オレ男子校行ってたんだ。しかも高校は情次兄さんと同じ。
その高校の話を今日は後でもう一度出すので乞うご期待。
「凶子ちゃ~ん!」の後にトロンボーンが奏でるメロディはW.C.ハンディの「St. Louis Blues」。
アメリカ人の心のメロディ…昔のね。
そして「St. Louis Blues」で思い出すのはグレン・ミラー楽団。

20cdジャズのオーケストラは普通トランペットが主旋律、つまりメインのメロディを奏でるんだけど、あるリハーサルでグレン・ミラー楽団のリード・トランぺッターが唇を切ってしまい、メイン・メロディを吹くことができなくなってしまった。
本番は明日。
さあ、どうする。
元々アレンジャーだったグレン・ミラーは咄嗟のアイデアでクラリネットにそのメイン・メロディを奏でさせることを思いつく。
それが後に「Killer Diller Sound」と呼ばれるグレン・ミラー楽団独特のサウンドになったんだね~。
で、愛国心あふれるグレン・ミラーは志願して慰問団として第二次世界大戦に参加。
軍楽隊の指揮を任されるんだけど、スーザのマーチじゃ兵隊の士気も上がらん!ということで、この「St. Louis Blues」を行進曲にアレンジして兵隊さんを喜ばせたんだね~。
今風に言えば行進曲がAKB48みたいになったワケ。
犬っ子さんだったら、行進曲が「白痴」になったようなもんよ。戦争をやるなんてどうせバカなんだから。
その行進曲が「St. Louis Blues March」といって後年まで語り草になった。
グレン・ミラーは大戦末期、慰問でイギリスからフランスに移動する飛行機が行方不明になりその生涯を閉じた(諸説あり)。
あ、お若いみなさん、この時アメリカが戦争していた相手はドイツやイタリアや日本ですからね。
「♪カモン・ベイビー・アメリカ」なんて言ってられなかったんですよ。
グレン・ミラーの半生は『グレン・ミラー物語』という映画になっています。
あのね、『ボヘミアン・ラプソディ』なんかは比べ物にならないぐらいシッカリと作り込まれた感動的な映画です。
漫画と怪獣だけの今のアメリカ映画とは違って、一番いい時の作品だからね。
『アメリカ交響楽』だの『夜も昼も』だの『五つの銅貨』だの『ベニーグッドマン物語』だの、『ジョルソン物語』だの、こういう音楽家の伝記映画を結構観たけど、ダントツで『グレン・ミラー物語』が一番いい。
今では廉価版のDVDで数百円で観れるので興味のある犬っ子さんはゼヒ!
私はそれこそ10回以上観て毎回涙を流してる…ちなみに『ボヘラ』は全く何とも思いませんでした。
Queenファンではなかったということもあるけど、映画自体の作りがあまりに薄くて軽いんだもん!昔のハリウッド映画を山ほど観て来ているジジイを感動させることはムリです。
あ、ちなみグレン・ミラーも明兄さんと同じくトロンボニストだった!

Gmsさて、会場の方はといえば…
バックドロップや幟やバスドラムのヘッドに新しいイメージを取り入れてステージの雰囲気が変わった。

10そして、お楽しみの物販コーナー。

40ああ、もう翌年の手帳だもんね…って、年明けちゃったけど。
この手帳ね、すごくショッキングなことが書いてあってサ…。
ナニが書いてあったのかというと、映画でも漫画でも、過去のSFものの舞台設定が、今やほとんど過去になっているっていうんだよね。
ジョージ・オーウェルの『1984年』なんてもう35年前のことで、私は就職活動してたわ。
『2001年宇宙の旅』もそう。もう18年も前のことじゃん?
テレビを見ているとデジタル・テクノロジーを活用した色々な商品が盛んに喧伝されているけど、これ以上必要なものってあるの?
電気ぐらい自分の手で消せばいいじゃないか。
すごく思うのは、本当に人々の生活に役に立つ家電製品は洗濯機と冷蔵庫とテレビまでぐらいなんじゃないかね~。
電話なんかもそうか。
ナニが言いたいのかというと、それらの古典的な家電製品は「なくてはならないモノ」、あるいは「あって欲しいモノ」なんだけど、現在のテクノロジーを利用して「新しい」と呼ばれて世に出てくる家電製品やシステムは「なきゃないで済むモノ」ばかりなんじゃないかしら?
その「なくても済むモノ」を「なくてはならないモノ」に仕立て上げることが商売になっちゃってる。
若い人に「スマホと洗濯機」どっちかひとつだけ必要なモノを選べと訊いたらどうなるだろう?
私は迷わず洗濯機を取るわナァ。
そして、そういう最近のITがらみの商品は「便利ですよ~」という羊の仮面をかぶった、人間をバカにする悪魔の装置なんじゃないかと思う。
一方、その製品やテクノロジーの開発サイドはドンドン利口になっってっちゃう。
インターネットだってそうだよ。
昔は何かを知りたい、調べたいと思った時、まず、どうやって調べるか?ということにアタマを使った。
今の若い人は話を聞きながらその場で調べちゃうでしょ?コレとても便利なんだけど、間違いなくその知識は身につかんよ。
知識というものは、考えて、本を開いて、活字を目で追って、時にはそれを写して、ようやく頭の中に入れるモノなんですよ。
もちろんいつでも何回でもスマホで調べることができるから頭の中に入れなくてもいいんだよね~。
そういうのを「バカになる」って言うんだよ。
そんなにテクノロジーがすごいなら「戦争を防ぐ装置」を開発したらどうかと思うよ。
もうひとつ、手帳に書いてあったことを引かせて頂けるならば、それは科学者のホーキング博士の言葉。
「人類は1000年以内に滅亡するであろう」
コレは間違いなく当たってると思うね。
理由のひとつを手塚治虫が『火の鳥』の「未来編」に描いてくれている。ナント1967年の作品!

50新しいグッズのひとつ、「いぬがみさあかすだん」法被。

60v後ろはこんな感じ。
法被については最後の方でもう一度触れる。

70vほぼ定刻通りにステージに姿を現した4人。

120おお、ナンダナンダ?

130珍しく円陣を組んで気合を入れた!

90r4a0001 「みなさんこんばんは~!犬神サアカス團で~す!
今日は『東京2060』ツアーのファイナルだぁ~。盛り上がっていくぜ~、高田馬場~!」
…と、「血煙」が上がるようなハイテンションなオープニング。
曲は『東京2060』のリード・チューン、「ロックンロールを唄いきれ」。

150_ru犬神凶子

160v犬神情次2号

170v情次兄さんはいつものMarshall。
JCM800 2203と1960Aだ。

180v犬神ジン

190vジン兄さんはEDEN。
Terra Nova TN-501ヘッドとD410XSTキャビネットが2つ。

200v犬神明

210v明兄さんはNATAL。
バスドラムの新しいフロント・ヘッドがカッコいい!

220v_2「次は一緒に踊るゾ~!」
続けてもニュー・アルバムから「最新型アンドロイド」。

230_sa今日もカッチリとキメてくるジョニーちゃんのギター・ソロ!

240v「アタマから飛ばしていくぞ~!まだまだ飛ばしていくぞ~!」

250_sa今日のこの「飛ばし」感はナンダ?

260v最初の円陣が効いているのか?それともヤケクソなのか?
300v_ube掛け声だけじゃなく、いつになくアクションも激しい凶子姉さん。
この3曲目の「最後のアイドル」ですっかり宴会は、イヤ、演奏会は出来上がってしまったゾ!

280v「改めまして犬神サアカス團です。今回、行ってきました…札幌、名古屋、大阪、広島、福岡。
その間に曲が育ったと思います。今日も最後まで盛り上がっていくぞ~!」290_mc…と、ニューアルバムのナンバーを次々と披露した。
それこそ明兄さんのジーン・クルーパのようなドンドコ・ビートから「奪え!」
270v凶子姉さんの巻き舌ボーカルズ炸裂!
この曲カッコいいね~。

310_ybg_3イントロのブルージーなギターや#9thのクロマチック下降、歌中の4度進行、いいね~。
いかにもギタリストが作りそうな曲…と思ったらジョニーちゃんの作品。 

0r4a0033 これまた切れ味鋭い「夜をぶっちぎれ」。

320ジン兄さんのグルーブが気持ちよいのだ!

330そして、「裸の女王様」。
ゴメン、コレもいい。
ジョニーちゃんのペンが冴えわたっております。

340「♪みんな病気でつまんない」…ホントだねぇ。

345v「曲順間違えちゃった~!」
あ、そう?
「今回のアルバムは『新しい音』ということで近未来がテーマです。
2060年はどんな世界になっていると思う?」

350_mcここでニュー・アルバムのタイトル・チューン「東京2060」をプレイ。

360_2060明兄さんのドラムからスタートし、まるで「Move Over」のようなボーカルズとギターのユニゾン・パートを経て…
380犬神の42年後の世界へ!
やっぱりこういうロック・サウンドが「ロック」だよね。

370v「こんばんは犬神ジンです。
この会場にお集まりの皆様は『タイムトラベラー』という言葉をご存知ですね?未来から過去、過去から未来へと時間を自由に旅する人のことです。
なんと私は2060年からやってきたタイムトラベラーなのです…拍手!」

390「へ~、ココが2018年か…人を発見!アナタは何をしているんですか?」
「あ、私ですか?スマホでゲームをしているんです」
「スマホ…?」
ってな具合にジン兄さんと凶子姉さんで近未来をテーマにした社会派ドラマを展開した。
2060年には携帯電話などなく、人間の頭に埋め込まれたマイクロチップがスマホの代わりをしているのだ…って、コレもうできるんじゃないのかしら?

400寸劇の後も『東京2060』からの曲で「幸福論」。

410_kfrジョニーちゃんの歪んだカッティングの音が素晴らしい。
まさにJCM800の音だ!

440v「論」つながりで2012年の『恐山』から「陰謀論」。

430vコレ、結構久しぶり?
どうでもいいけど、詞も曲も、ものすごく犬神っぽい曲ですな~。

420_2「犬神情次2号です。
本日この会場にお集まりの皆様は『タイムトラベラー』という言葉をご存知でしょうか?過去から未来へ、未来から過去へと時間を自由に旅する人のことをタイム・トラベラーと呼びます。
手前味噌ではありますが、私は1990年からやってきたタイムトラベラーなのです…拍手!」

450「へ~、ココが2018年か…そこを行くお嬢さん!アナタは何をしているんですか?」
「あ、私ですか?スマホでゲームをしているんです」
「スマホ…?そうかゲームボーイの進化形か…1990年はポケベルの時代だったからナァ。
昭和から平成にななって…ティラミス、ちびまる子ちゃん、一番人気の女優と言ったら宮沢りえ」
「じゃあ、いいこと教えてあげようか?宮沢りえ、来年ヌード写真集出すよ」
「ウソだろ~!」
「平成という元号は30年で夢を閉じるわ」
460そこから「平成デモクラシー」。
うまくつないだ。

470_hd「平成」か…個人的には元号そのものに何の思い入れもないナァ。
ただ「昭和生まれ」という言葉が定着して、昭和時代に生まれた人のことを思いっ切り昔の人のように修飾するようになったよナァ。
「昭和の香り漂う」という表現はキライ。大きなお世話だ!と言いたくなる。
コレが30年もすれば「平成生まれ」と呼ばれ、「平成のレトロ感たっぷり!」なんて言われるようになるよ。
もちろんその頃、皆さんはスマホを持たず頭の中のマイクロチップを使ってゲームをやっているワケ。

480v前作『新宿ゴーゴー』から「栄光の日々」。
イントロのジン兄とジョニーちゃんの掛け合いが好き。

490v_ehbジョニーちゃんのソロはここでも昭和感爆発!あ、コレは「70年代ロック風」という最高のホメ言葉なんですよ。

500そのころステージ下手では…こんな感じ。

506ニューアルバムから「化猫遊女」。
シンプルな歌詞は凶子さんのペンによるもの。
化猫遊女というのは、江戸時代の人気キャラクターのひとつで、「化け猫の飯盛女が品川宿にいる」という風説が元になったのだそうだ。
「どうだい、ナカにも飽きたことだし、ミナミにでも繰り出してみるか?」なんてシーンが落語の「居残り佐平次」に出て来るんじゃなかったけ(うろ覚え)?
この「ナカ」というのは吉原。「ミナミ」というのは品川宿のこと。
当時、幕府は江戸エリアにおいて吉原のみを遊郭として公認していたが、「岡場所」と呼ばれる深川をはじめとする遊郭を半ば黙認していた。
立地がよく、リーズナブルだった岡場所は強力な商売敵なので、吉原からの強い要請を受けると幕府は取り締まりに乗り出して岡場所をぶっ潰したんだね。
一方、宿場には必ず女郎屋があって、コチラは吉原から離れているので、商売敵にはならず、取り締まりを受けることはなかった。
そこで「江戸四宿」と呼ばれる品川、千住、板橋、内藤新宿らの江戸の中心から近い宿場は大層栄えたらしい。
ナゼ取り締まらなかったのかというと、便宜上「江戸四宿」と呼ばれていたものの、コレらの場所は当時「江戸」とみなされていなかったんだって。
それで、こうした宿場の遊女を「飯盛女」って呼んだんだネェ。
そのウチのひとりが夜になるとネコに化けてムシャムシャと人間の食べものを頂いていたという。

510v_bnyj_2明さんのトーク…新作について語る。
「どうも…化猫遊女です。
そうだねぇ、前から近未来をテーマにしたものをやりたかったの。『近未来』ってひと言が好きなんだよね。ロマンがあって…。
男は宇宙とか未来って好きなんだよ」

S41a3307そして、「見張ってますよ~!」と明さんからバックドロップの説明。

30両手の人差し指と中指を曲げて、自分の両目を指してから、2本の指をそのままの形で相手の目に向ける仕草は「I'm watching you(見てるからな!)」という意味なのね。
欧米人は時々コレをやる。
本番直前に楽屋でこのことを口にすると、さすが凶子姉さん、ちゃんと覚えていてステージでこの仕草をやってくれた。
また同じく、下の写真のようにその両手の2本の立てて曲げ伸ばししながら話をするのは「ただ今誰かのセリフを引用しています」のサイン。
英語で「」は" "(ダブル・クォーテーション)を使うので、2本の指をそのチョンチョンになぞらえているワケ。
コレ、会議の時になんか皆さんよく使ってる。
たとえばお客さんの意見なんかをその人になりきって口にしたりする時にみんなこの仕草をします。510mcみんなで騒ごう「暗黒礼賛ロックンロール」。

520_arrr言っちゃ悪いけど、もうなんか『新宿ゴーゴー』がずいぶん前のような…。
でも名曲は古びない…ったって1年チョット前か。

525v「ロックンロール!」…『形而上のエロス』から「道行き」。

S41a3276

540v続けて「DEAD END KIDS」!

550

560そして、『東京2006』から「おやすみ」。

0r4a0063 『東京2060』でもアルバムを締めくくっているこの曲。
亀有に来たようなホンワカ気分。
こうしてコンサートのクロージングに持ってきて「我々の未来は明るいな…」と。

90r4a0044 これにて本編終了。

580vアンコール。
いつも通り演奏の前はジン兄さんの物販紹介コーナー。

590おお、凶子さん以外の3人は赤い法被をまとっての登場だ。
この法被でサ、スゴイことに気がついちゃったんだよ。

595_2それはコレ。
時は2060年どころか、1966年にさかのぼる。
そう、ビートルズが来日した年。
このFab4(アメリカではビートルズはよく「ファブ・フォー」と呼ばれていました)が着ている法被のガラを見てください。

80vコレね。

90sこの柄。
「吉原つなぎ」なんだよ。
コレは「私のディープ浅草」のvol.5で紹介した。

100フランク・ザッパも着たヤツね。
JALは意味がわかっていてこのガラを選んだのだろうか?110アンコールは「新宿ゴーゴー」!

0r4a0103

610v

620vなんか法被ひとつですごくホッコリした感じになるナァ。

640_2そして、最後は「白痴」!

630演者も観客を暴れに暴れて最後はジャ~ンプ!

650本日2回目のペロリンチョ。

660vツアー終了~!
お疲れさまでした。

670今年、犬神サアカス團はデビュー25周年だからね~。
スゴイよね~、ほぼズッ~ト同じメンバーで25年。
若いバンドさんにはゼヒ見習ってほしいものです。
狂犬倶楽部、部員募集中です。
 
犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒公式家頁

680

(一部敬称略 2018年11月10日 高田馬場Club PHASEにて撮影)
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「レディース&ジェントルメン!お待たせしました。本日のハイライト、『私のディープ浅草』の登場です!」
なんてね、ハイライトは犬神さんでした。
ココからはしばらくお休みしていた「私のディープ浅草」。
再開します。
というのは、このコーナー、てっきり皆さんから嫌われていたのかと思っていたんだけど、犬神さんのライブ会場で「続きを楽しみにしている」というお声を少なからず寄せて頂いたのだ。
うれしかったね。
正直、何か間違いではないのかとにわかには信じられないような気もあったが、ありがたくそのお言葉を頂戴してキーを叩かせて頂いた。
コレね~、吉原周辺の話題も含めると、実は書きたいことがまだまだものスゴくたくさん残ってるんですわ。
それゆえお言葉に甘えて犬神さんのライブ・レポの時には努めて連載していくようにしたいと思っていますのでこれからもご高覧のほどよろしくお願い申し上げます。
 
さて、このシリーズを書くために結構関連の書籍に目を通しているんだけど、以前にもチョット触れた通りモノによっては吉原に対する説明や見方が異なっていて、一体どれを信じていいのか本を読めば読むほどわからなくなって来たのね。
それが連載を休んでいたひとつの理由でもあったりする。
また、しかつめらしいことをズラズラ書いてあるだけでナニが言いたいんだかサッパリわからない本もあったしね。
その中でこの本は面白かったナァ。ブックオフで200円(税込み)。
値段の次に装丁が気に入った。
そして、目を惹いたのは著者の興津要(おきつかなめ)の名前。
興津さんは大正13年(関東大震災の翌年)、栃木の足利生まれの近世文学や落語の研究家にして早稲田大学の名誉教授。
もちろんこの先生の名前を知ったのは大ベストセラーの『古典落語』という速記本を元にした落語のストーリーブック。
ナントこの落語のシリーズ、これまで6冊が刊行され、トータルで200万部も売れているそうだ。
で、その先生が近世文学の研究の傍ら、江戸時代のあらゆる文献から吉原にまつわる箇所を抽出して項目別に解説を加えている本。
多少の誇張がしてあるにせよ、江戸時代の人々の真の言葉であり、その人たちの感覚がストレートによみがえってくるようで実におもしろい。

90r4a0014それでですね、色んな人の本を読み散らかしても微妙に違うことが記してあって、考えがまとまらないんですわ。
そのため途中から、読んでいて内容が最もシックリくる著者の本だけを手中して読むことにした。
それは小説家であり、歴史評論家の肩書を持つ永井義男という方の本。
なんていうか、どの本も「らしい」だとか「だそうだ」みたいな記述がなく、「である」と言い切っているところに絶大なる信頼感を感じたのだ。
もちろんどの著述を読んでも一点のブレはありはしない。

90r4a0009_2読んでいるうち、次第に永井さんの小説家としての作品も読んでみたくなり2冊ほど買い込んだ。
それが下の2冊。
私は自分の頭が悪いだけに数学家や将棋指しみたいな人たちに憧憬の念を持っていましてね…。
数学もわからなければ将棋もやらないけど、それら関する話にとても興味があるものだから2冊のタイトルに心を躍らせた。
特に右の『算学奇人伝』は「開高健賞」を受賞しているということで、まずコチラから読んでみた。
内容は和算(江戸時代の数学)を絡めた宝探しと悪徳鉄火場を成敗する勧善懲悪もの。
それで、最後まで読んだところで事件が起きた。
個人的なことね。

90r4a0011それは、巻末の参考文献のリスト。
こんなところ、いつもは絶対に目を通さないんだけど、「もしや…」と思って珍しくチェックしてみた。
やっぱり!
「佐藤健一」さんの名前が出てるでないの~!
このお名前は私だけでなく、犬神情次2号さん、TSPのSHUさん、そしてANTHEMの清水昭男さんもおなじみのハズ。バレーボールの河合もそう。あ、河合は同級生なの。
この佐藤健一さんは、ナント我々の高校の時の数学の先生なのです。
頭のてっぺんが薄くていらして、上から見ると花のような形に見えることから「ヒマワリ」というアダ名が付いていた。
また、とても立派な体躯をお持ちで、頭髪の両側が角のように見えたことから「ポセイドン」なんてニックネームもお持ちでいらした。「バビル2世」ね。
おっかない先生だった。
私が2年生の時の担任でね、自分のバンドの自主コンサートのチケットを学校で売っていたらそれがバレちゃってね~。
退学になるかと思ったら、「親呼び出し」で済んだ。どうも母も相当うまく立ち回ってくれたようだった。
そういえばあの時、先生からも母からも一切怒られなかったナァ。
当時はバンドをやっている生徒なんてほとんどいなかったので、もしかしたらその個性を尊重してくれたのかも知れない。
佐藤先生は関孝和という江戸時代の和算家の研究をしていらして、『多摩の算額』という本を上梓された。
ゴキゲンを取ったワケではないが、私はその本を買って、先生にサインをしてもらった。
あのヤケクソに恐いヒマワリが、とてもうれしそうな顔をして丁寧に記名してくれたあの本はどこへ行ってしまったか…。
授業中、関係ないことは一切しゃべらない先生で、どうしてヒマワリが和算の研究をしていることを知ったのかを全く覚えていないのだが、「関孝和」や「塵劫記(じんこうき)」の名前はこの時に知った。
江戸時代の日本の数学はすでに世界レベルだったらしい。
「塵劫記」は関孝和も学んだ江戸時代の数学の本で、超ベストセラーとなり、少しずつ内容を変えたパチモンが明治時代までに300~400種類出回ったという。
今にして思うと、そうした研究がしたくて学校の先生をやっていたんだな。
もっと色んな話を聞いておけばヨカッタ。

9ksなんで、こんなことをココに書こうと思い立ったのかと言うと、こんな本が出て来たのです。
コレ、学校の創立50周年を記念して、中学&高校で普通に教鞭を執っていらっしゃる先生が日頃から取り組んでいる自分の研究成果を発表した冊子。
昭和54年っていうからちょうど40年前。
今回初めて開いてみてビックリ仰天。
あの先生がこんな研究をしていたのか!ってな具合。
だって40年前といったら先生たちは今の自分よりも大分若かったハズだからね。
土田先生の「徳川慶喜政権の誕生」から、大場先生の「ヒナの成長並びに代謝整理に及ぼすコリンの作用」まで内容は種々雑多。
英語の半田先生は「have」を「ヒャブ」と発音することから「ヒャンダ」先生と呼ばれていたが、立派な英語の「文体論」を著していらっしゃる。
ジョニーちゃん、こんなの知ってた?
しかし、一番の驚きは、こんなモノを一体誰に読ませようとして編んだか?ということだな。
中学の時のおジイちゃん先生なんかはもうみんな死んじゃっただろうナァ。

920r4a0027佐藤先生はもちろん得意の「算額」で勝負。

90r4a0030こういうヤツ。
いわゆる幾何ですな。
サッパリわからないけど、サスガ佐藤先生、完璧!…でしょう、きっと。
そういえば、私は「数IIB」ってのに全く歯が立たなくて、佐藤先生が作った数列かなんかの単元のテストの時は16点だった。
アレ、人生で受けたテストの中で最低点だったわ。
まあね、この数IIBはどうでもいいんだけど、とにかくもっと授業を聴いておけばヨカッタよ。
親が金を払っていたワケだし…特に歴史とか地理とかもっとやっておけばヨカッタ。
皮肉なもんですな、勉強しなくてよくなると、勉強したくなる。

90r4a0034…と、いきなり脱線で失礼したが、久々の「ディープ浅草」…いよいよ吉原の中に入って行くよ。
少し戻ってスタートはココ。
吉原大門の交差点。
以前書いた通り、「吉原」という地名はもう存在しない。今は「千束3&4丁目」だ。10交差点から遊郭のあった方を眺める。
道がギュインと曲がっているのは遊郭の中が見えないようにしている…ということは以前に書いた。
この角ッコの「武蔵」というラーメン屋のとなりに飲み屋兼そば屋があるんだけど、ココのそばは大変おいしゅうございます。
目の前の横の通りは「日本堤」という土手になっていた。20ハイ、土手から下ったつもりで通りを渡って曲がり道を進む。
写真正面のマンションにはかつて引手茶屋の「松葉屋」があって、戦後は「花魁ショー」を企画して大当たりした。
フランク・ザッパが来たこともvol.5で書いた。
その脇の道はかつては「お歯黒どぶ」という堀があった。
もちろん、遊女の脱走を防ぐのと、外部からの不審者の侵入を防ぐためで、最大で幅が9mもあったという本格派。
この「お歯黒どぶ」ってのが見てみたいんだけよね。
全部ではないにしても、大正年間にはまだあったようなので、写真の一枚も残っていていいと思うんだけど見たことがない。
錦絵すら見たことないんだよね。

30ドーン!
これが吉原の目抜き通り、仲之町通り。
茶色い支柱が立っているあたりに吉原に入り口である「大門」が立っていた。
ハイ、しばらく目を閉じて開けてみて…。

40ハイ、開けて。
江戸時に代は同じ場所からこういう景色が見えていた。
ステキじゃね?
46江戸時代はどんなに身分の高い大名でも駕籠でこの中へ入ることは許されなかった。
例外は医者だけ。
男性は全く自由に大門から出入りできたが、女性はそうはいかなかった。
この手前に「四郎兵衛会所」という警備員の詰所があって、女性の通行をジロジロと見張っていた。
もちろん遊女の脱走を監視するためだ。
え、女性が遊郭なんかに来ていたのかって?
江戸時代の吉原は日本を代表する一大観光名所で、女性の来訪者も多かったそうだ。
そこで、女性の来訪者はあらかじめ茶屋で「切手」というものを発行してもらい、ココから出るときにその警備員にその切手を見せて「私は女郎ではありません」と証明するワケ。
たまに田舎から出来てきたお登りさんがそれを知らずにウッカリ大門から中に入ってしまい、番所で止められて出るに出られない…なんてこともあったそうだ。
「途中で帰るなんて…アナタがた大門で止められますよ!」なんて、八代目桂文楽のオハコ中のオハコであった「明烏(あけがらす)」のサゲはココを指している。

45下は上と同じ錦絵。
今回はインターネットから画像をいくつか拝借してお送りします。
ありがとうインターネット!
 
ステキだね~。
丁度真ん中に「仲の町」という表示板が出ている。
両側に見えるのは妓楼ではない。
コレらは引手茶屋といって、妓楼の代理店みたいな仕事をしていた。
妓楼にはいくつかのグレードに分かれていて、上から順に一流の大見世、中見世、小見世とあり、他に端っコの方には河岸見世、一部に切見世という激安の女郎屋があった。
で、客はいきなりダイレクトで大見世に入ることが許されなかった。
必ずその引手茶屋を通さなければならず、そこでの飲み食い代をして、遊女に迎えに来てもらう。
今でいう「同伴」だ。
そのため、一流の妓楼で遊ぶにはかなりの出費が必要だった。ひと晩で100万円なんてのはザラだったらしい。
中見世以下は一見さんでもいきなり妓楼に入ることができた。
この真ん中の桜。
コレはこの通りに元々生えていたものではなくて、春になると、夥しい数の桜の木を持って来て一時的にココに植えた。
暗くなってくると、見世の軒先に提げた提灯が桜の花を照らし、茶屋からは「清掻(すががき)」という三味線のインストを演奏する音が漏れ聞こえ、この世のものとは思えないぐらい美しい光景だったらしい。
見てみたかったナァ。
もちろん、桜の季節が終わると、桜の木は取っ払われる。そして、また次の催しが導入される
よく耳にする花魁道中もこの仲の町通りで行われた。
花魁道中は引手茶屋にお客を迎えに行く花魁が見習いの新造、禿(かむろ。ハゲじゃないよ)と店の若い衆を引き連れて練り歩く行事(コレは花魁道中ではないという記述もあり)。
普段質素な格好をしている庶民には色とりどりの美しい着物や髪飾りをまとった花魁がさぞかし美しく見えたハズ。
花魁は当時のファッション・リーダーだったのだ。
志ん生の落語を聞くと、「あ、高尾が出て来た!」とか「あっちに薄雲が歩いてるぞ!」と客は花魁を目にして大騒ぎになっていたらしい。
こうして江戸時代、吉原は完全にディズニーランドであり、花魁道中はエレクトリカル・パレードだったのだ。

46コレは明治時代かネェ?大正かネェ?
人力車がいるところなんざ今の浅草と変わらん。

47上の写真を見ると必ず下の光景を思い出しちゃう。
ね、やっぱり吉原はディズニーランドだったのだ。

48_small絵ハガキにもなった大門。
この辺りの絵ハガキに採用されている写真は、明治の中期から関東大震災の間に撮られているのではないかと私は勝手に推測している。
ナゼかと言うと、同じ趣向の絵ハガキに浅草の「凌雲閣」という12階建てのレンガづくりの塔の写真をあしらったモノがあって、この凌雲閣は明治24年に落成し、大正12年の関東大震災でポキっと折れてしまったから。
その間に撮影されたことが想像できる。
凌雲閣は日本初のエレベーターを擁した高層建築で、昔は高い建物がなかったので、一番上の12階からは群馬や栃木の山々まで見ることができたそうである。
また、備え付けの望遠鏡で吉原を望むことも人気だったとある。
下の写真、昔の撮影だから露光時間が長く、半透明の人がいくつか写っっちゃっている。
まだカメラなんて滅多に目にすることがなかったんだろうね~、右端の若い3人がもの珍しそうにこっちを見ている。

49「遊女三千」といって、江戸時代の吉原は3,000人の遊女を擁し、その他スタッフや商店やらで約10,000人がこのエリアで暮らしていた。
以下、江戸時代の話。
遊女とか女郎とか、そういう仕事をしていた女性がいたことは、映画なんかを通じて若い人でもご存知のことだろう。
時には「お女郎さん」なんて言い方もするけど、「女郎」というといかにも卑しいイメージがあるでしょ?
でも当時、「女郎」という言葉は決して蔑称ではなかったらしい。
前にも書いたけど、落語ではたいてい「上臈(じょうろう)」って言ってるよね。コレって「女郎」が江戸っ子にかかると「じょうろう」という発音になるのかと思っていたが、調べてみるとさにあらず。
元は「上臈」という言葉が先にあったらしい。コレは元来「身分の高い人」という意味。
ココでは「遊女」という言葉を使うことにしましょう。

50現在の仲之町通りを進む。
今は春になっても桜の花びら一枚舞うことはない。

60すでに書いた通り、よっぽど美しかったのか、仲之町通りを描いた錦絵というのは少なくないようだ。
一方、春画ってあるでしょう?
とてもココに作例を挙げるワケにはいかないが、大英博物館の日本コーナーにも飾ってある世界的に芸術的評価が高い江戸時代のエロ絵図。
はじめて大英博物館に行った時、展示アイテムが春画ばっかりで恥ずかしくなっちゃったけどね。
アレらは、誰もが知っている有名な浮世絵師達が「どうせエロだから適当でいいや」なんてことを一切抜きに、マジで取り組んでいたんだって。
というのは、浮世絵とか錦絵というのは「贅沢品」として色の数や題材が幕府から規制されていて、絵師たちは自由な創作活動ができなかった。
その点、春画は禁制品とされていたので、幕府のチェックが入らず、自由に描くことができた。
それゆえ、絵師たちは腕にヨリをかけて丹精に書き上げた。
永井先生は春画の本も著しているが、それを見ると確かに色使いなんかはスゴイよね。
猛烈に独自性の高い作風ゆえ、西洋での評価が高いことがうなずける。75vそれが今ではこんな感じだからね。
元10,000人が暮らした日本最大の遊郭にはマンションが立ち並び、有名なソープ街も一日中ヒッソリとしている。
現在の吉原で働く人たちのインタビューを集めた『吉原で生きる(彩図社)』という本もおもしろかったよ。
で、その女郎…若い人たちはもしかして、小遣い稼ぎのために女性が自ら進んで吉原でバイトしている…なんて思ってやいないだろうか?
とんでもないことでございます。

70志願して吉原の遊女となる女性はいなかった。
貧農の娘や凋落した店(たな)の娘が両親のために売られて行ったワケ。
幕府は人身売買を禁止してはいたが、完全な人身売買が行われていた。
「女衒(ぜげん)」って知ってる?
「オイ、ルパン、早いとこズラかろうぜ!」ってヤツ。
それは「次元」ね。
「女衒」というオッサンが貧しい農村に赴き、若い娘や幼い女児がいて金に困っている家に目を付ける。
そして「娘を売らないか?」と言ってわずかな金額で女の子たちを買い上げる。
要するにスカウトだよ。
貧しい家のお嬢さんたちは「おとっつあん、おっかさん、私、いいの…売られて行きます」と言って女衒の悪徳条件を受け入れる。
すると女衒は「そうかい、親思いのいい娘じゃねーか。お父っつあんもおっ母さんも親孝行の娘を持って幸せだな。せいぜい娘に感謝するんだな。ホラよ、約束の18両…ココに置いとくぜ」
この貨幣価値の計算って実に厄介なんだけど、色んな本を読むと江戸時代(といっても200年の幅があるが…)の1両は今の感覚だとどうも10~13万円ぐらいだったらしい。
となると18両は180~234万円ぐらいというところ。
人ひとりの値段が…である。
さすがにこの女衒は世間では蛇蝎のごとく嫌われていたらしいが、かなりの専門職で簡単になれるものではなかったらしい。
というのは、女郎屋に娘を売る時に証文を入れる必要があって、高い文章作成能力を必要としていた。
その能力たるや、名主級だったらしい。
昔の市井は読み書きができないのが当たり前だったからね。
もちろん、妓楼の商売になりそうな質の良い娘を選別する特殊な眼力がなければならない。
女衒は買い取った娘に「綺麗なおべべを着て、腹イッパイ白いおまんまが食えるからな」とかなんとか言って安心させちゃう。
半ベソをかきながら「米ェ、盗まれただよう」とレポートする『七人の侍』の左卜全ではないが、昔のお百姓さんは白米を食べることなんてできなかった。
将軍様にお召出す米農家の地獄についてはいつか書いたことがあったね…「1俵につき、欠けた米は3粒まで」とかいうヤツ。
かの武田信玄だって「ンなにッ!?上杉は米を食っているのかッ!」とビックリ仰天したとか言うんでしょ?
そんな具合だから、期待に胸を膨らませたお嬢さんもいないワケではなかったようだ。
ところが、白い米は食べられるにしても、実際にはかなりの粗食だったらしい。
  
クドイようだけど、下も絵ハガキになった仲之町通りの昔の光景。
コレは警官かな?軍人かな?それらしい人が歩いている。
奥の方に立ち並んでいる洋館が気になるな。
吉原の本を読んでも、江戸期の記述ばかりで、明治や大正についての情報がほとんど出ていない。
こうした洋館は大正12年の関東大震災で壊滅してしまった。
電柱がスゴイね。

85そうして、吉原に連れて来られると「苦界十年」と言って、向こう10年間の奉公が始まる。
それも、客を取るようになってからの10年だからね。
10年を経過しても「御礼奉公」といって、今までお世話になったお返しとして2年間のエキストラ・ワークをこなさなければならなかった。
だから、5歳で売られて行った女児なんかは、はじめ禿(かむろ)という見習いから初めて、超早くて13歳ぐらいで客を取り始める。
ここまでで8年。
そこから12年だからたまったもんじゃないよね。
年季が明けるまで20年も吉原の中にいなければならない。
1回入ってしまうと、火事で深川で仮営業をする時以外、吉原からは一歩も出でられなかったんだから。
その間、給料なしですからね。
だって、女衒がもうプリペイドで給料を処理しちゃってるんだもん。
その代わり…と言っていいのかどうかわからないけど、女郎は読み書きはもちろん、お茶から、小唄から、鳴り物から、ありとあらゆる教養や芸事を仕込んでもらえたんだね。
何しろ、明治の時代に英会話をマスターしていた遊女もいたらしいよ。
アレは井上ひさしの創作なのかナァ…伊能忠敬の後妻も吉原から身請け(後出)された女性で、相当優秀だったらしい。何しろ、後年地図作りを手伝っていたというんだからね。
つまり、「いかにお客さんを楽しませるか」が勝負なワケで、ルックスだけ良くてもダメだった。
身分の高い人が来ても相手ができる様な教養をバッチリ身に付けていたのだ。
それでもやっぱり一番のポイントは顔立ちで、「一に顔、二に床、三に手」と言われていた。
まずはやっぱり「美人は得」だ。
次に「床」はいいね。遊郭ってのはそういうことをするところだから。
三番目の「手」というのは「手練手管」の「手」。
要するに演技や策略を使ってでもお客さんをつなぎとめておくテクニックというヤツ。
「あちき以外のところへ行ったら死んでやりんす」
「オイオイ、物騒なことを言うない。オメエ以外のところへ行く道理がねーじゃねーか」
みたいなヤツね。
吉原は1回登楼してしまうと、同じ見世では違う遊女を遊ぶことはできなかった。
もちろん、遊女は自分の客全員に同じことを言っちゃってるわね。
そこで「三枚起請」なんて落語があるワケよ。
 
さて、ココでこのシリーズを始めるキッカケとなった「小口末吉事件」が出て来る。
覚えてますか?
犬神サアカス團のステージに置いてある赤い幟の文句「女殺火箸地獄」ね。
詳しくはコレを読んでね⇒私のディープ浅草
日本で最初の「SM殺人」っていうヤツ。
パーフェクトなマゾヒストのヨネは少々愚鈍のダンナ末吉にタガネとゲンノウを持たせて指先を切断させた…という。
小指の先がポーンと飛んだとか。
詳しく調べてみると、この「指先を切断する」という行為は、吉原が元になっていることがわかった。
そこからこのコーナーにつながった。
遊女はギャラはもらえないが、金持ちの客から小遣いをもらうことは自由だった。それで自前で高価な着物や髪飾りを買った。
そんな金持ちの客が付けば、遊女は当然離したくない。
そこで遊女は指先を切り落としてその客への忠誠心を示したというワケ。
吉原で働いていたヨネはこのことを知っていたんだね。
そこでヨネは遊女とは反対に、「指を切り落としてくれなかったら出て行ってやる」と末吉を脅かして本当に指先を切り落とさせた…ってとこでしょう。
ところが、この遊女の「指先切り」は完全にジェスチャーで、そんなことはしなかった。
そもそも遊女は妓楼の大切な商品であるからして、そんなことをさせたら他に客が付かなくなってしまう。だから妓楼サイドでも絶対にそんなことをさせなかった。
遊女が客と一緒になる2階には遊女OGの「遣り手」と呼ばれる老練のスタッフがいて、始終遊女の様子を監視していたのだ。
当然「やり手ババア」というのはコレが語源になっている。
もうひとつ。
大見世などでは、遊女ははじめて来たお客さんにはツンツンして口もきかない。コレを「初会」という。
次に行った時のことを「裏を返す」といって、少し親しくなるが、同衾(一緒に布団に入ること)はまだできない。
3回目にようやく「馴染み」になって遊女とゴールインできる。
この厄介なシステムは「ブラタモリ」でも思いっきり紹介されていた。
コレもウソらしい。
「ウソ」というか、タマタマそういうことはあったにしても、それがシステムになっていたワケではなかったんだって。
だって客は毎回高いお金を払うんですよ。
いくら格式高い吉原とはいえ、そんなことをしていたら客が寄り付かなくなっちゃう。
いわゆる「吉原伝説」らしい。
でも、このことが吉原のシステムとして、当然のごとく書いてある本がいくつもあるのよ。最初に書いたのはこういうこと。
 
下は上の写真よりも古いのかな?
スゴいスケールだよね。
この提灯が飾られた建物は妓楼ではなく、やはり引手茶屋だ。
65よく西部劇なんかでも「娼館」っていうのが出て来るでしょ?
クリント・イーストウッドの『許されざる者(Unforgiven)』みたいなヤツ。
あの映画はとてもヨカッタね。
ジーン・ハックマンもいいけど、リチャード・ハリスが「English Bob」というイギリス人のガンマンに扮して出てくるでしょ?…アレがすこぶるヨカッタ。
ロンドンのサウス・ケンジントンにあるかつてのジミー・ペイジの家ね、下の写真。
ジミー・ペイジの前の住人はリチャード・ハリスだった。
『ジャガーノート』とかなつかしいね。

70v_2 で、欧米の場合、そうした娼館で娼婦をしていたなんてことになると世間から蔑まれ、堅気の生活をすることは一生できなかった。
ところが、吉原の場合、文字通り身を呈して両親や家の危機を救ったということで、売られて行った娘は「見上げた娘さんだ!」と評価されて、数は少なかったものの年季が明けた後、嫁に行き一般の市井として暮らすことができたのだそうだ。
しかし!最短でも10年の年季をこなすのは至難のワザだった。
過酷な労働条件を病気がその前に立ちふさがるからだ。
仮に無事に年季が明いたにせよ、幼いころから吉原の世界しか知らない娘たちは、料理はおろか家事が一切できず、主婦業をこなすことができなかった。
今ではそんな若い女性も珍しくないけど、当時は女性としては致命的な欠陥だったんだね。
しからば、実家へ帰るか…ということになると、実家の貧しさは依然続いているワケで、「帰って来てもらっては困る」ということが多かった。
気の毒にナァ。
それどころか、金を無心しに吉原の娘のところに行くバカ親も珍しくなかったらしい。わかっとらんな。
それでどうするかというと、歳を取ってくると客も付きにくくなるので、元の妓楼に遊女としてもどることも難しく、さっきの遣り手のような見世のスタッフになったり、下級の見世で客を取ることになってしまう。
結局生きて吉原から出るには「身請け」が一番の理想だった。
身請けというのは、遊女に惚れたお金持ちのお客さんが、遊女の借金、予想される将来の稼ぎ、周囲への祝儀や宴席の費用を支払ってその遊女を引き取るワケだね。
詞は悪いけど「買い上げ」ということ。
当然見世の方でも値段を吹っ掛けて来るので、その費用はベラボウで、人気の遊女の身請けとなると(今の感覚で)億単位の金が動いたらしい。
でもそんなのは、地元のライブハウスからいきなり東京ドームでコンサートが数日出来るクラスに出世したバンドのようなもので、万にひとつの実現も期待できなかったようだ。
それよりも年季明けを迎えずして、病気で若くして命を落とす確率がメッチャ高かった。
もちろん病気をいうのは「梅毒」だ。
別名「瘡っかきの病」。
井上ひさしで「江戸の夕立」という短編がある。
文庫では井上さんが直木賞を獲った「手鎖心中」とカップリングされているが、こっちの話の方が断然おもしろい。
幕末期のバカ旦那と幇間の冒険譚なのだが、まるでジェットコースター小説。
「へのこ飯」なんてモノをこの本で初めて知った。飯場で出される飯のことで、嵩を稼ぐために米に細かく切った木綿を混ぜるという。
話の中で、そのバカ旦那がある女にホレてしまう。すると、幇間が「あの女は瘡をかいているから手を出すな」というシーンがある。
つまり、その女は梅毒にかかっているということ。
それほど江戸時代は梅毒持ちが珍しくなかったのだ。
手塚治虫の「最上殿始末」なんて話にも江戸時代の梅毒が出て来るよね。
吉原は元旦とお盆に休みが2日しかなく、1年363日、土日もなく、毎日不特定多数の男性と避妊具なしに性交渉をさせられるのだからタマらない。
病気にならない方がおかしい。
遊女から梅毒スピロヘータをもらって来ると、今度はそれが妻に伝染した。
もちろん抗生物質などなかった時代なので、漢方薬などで痛みを和らげる程度の対象治療しかできなかった。
ところがこの梅毒という病気は、ある程度の時間が経つと一旦症状が消え、江戸時代の人たちはコレで治ったと思い込み、さらに悪いことに、一度罹患した者は二度と罹ることはないという定説が流布していて、遊女たちは前にも増して客を取らされたのだそうだ。
当然、時間の経過とともに病気は進行し、最後は命を落とす。
死んだ遊女の死体はためらいなく千住にある浄閑寺という寺に投げ込まれた。浄閑寺はまた別の回で紹介する。
しかし…いくら知識がなかったとはいえ、その時代の男性は病気が怖くなかったのだろうか?
当時、女郎買いというのは本当に何でもない娯楽のひとつで、参詣などチョットした用事の帰りに「精進落とし」とか言って平気でみんなで遊郭に赴いた。
「病気が怖くて女郎が買えるかッ!」ってな具合だったらしいよ。
 
とにかく過酷な労務状態も重なって、最短10年の年季を済ませることは容易ではなかった。
一方、どうなっていたのかと心配になるのが妊娠だ。
まず、性病に罹患している遊女が多く、健康上の理由で妊娠できないケースが多かったらしい。
それでも妊娠してしまうと、様々な方法で堕胎を試みた。また、生んでしまう遊女もいたらしい。
その堕胎の方法だが、ひとつおかしなことをどこかで読んだことがある。
その「おかしなこと」…というのはコレ。
そう、おなじみ金龍山浅草寺。(そういえば仲見世の家賃値上げの話は一体どういう決着が付いたんだ?)
新吉原は江戸の中心から離れた辺鄙なところ、すなわち浅草寺の裏に移転させられた。

A毎年7月になると、9日と10日に境内で「四万六千日の縁日」が立ちほおずき市が催される。
この日にお詣りすると「向こう46,000日風邪をひかない」とか言うんだけど、46,000日といったら126年だからね。
人間そんばには生きられない。
つまり「一生分の功徳が得られる」とかいうことなのだそうよ。

B夜になると各露店に照明が灯り、グッとムードが高まる。
電気がなかった江戸時代はもっと幻想的な雰囲気であったことだろう。

C昔は縁日になると「海ほおずき」の露店が出ていたけど、最近はどうなんだろう?
もちろん浅草のほおずき市は植物の「ほおずき」ね。
こういうヤツ。
ほおずきは薬草の一種で、煎じて服用すると子供の疳の虫や女性の癇癪に効果があるとされていた。昔は参拝した折の記念にと、境内で売っていたほおずきを買って帰ったのだそうだ。
今はどうなんだろう?
鑑賞用に買って行くのかしらん?
「ウチのカミさん、ナニかと言うとやたらクダを巻くのでほおずきを煎じて飲ましてやったわ!ガッハッ!」なんてのはついぞ聞いたことがない。
Eで、その薬草のほおずき、摂り方によっては猛烈な腹痛を起こし、流産の危険があるというので、妊婦には絶対に服用させなかった。

D浅草にほおずき市が立ったのはコレが理由である…とする記述をどこかで読んだことがある。
どういうことかというと、吉原が近いからということ。
書かなくてももう意味はおわかりでしょう。
私は親に連れられて幼い頃から時折ほおずき市に来ていたので、この年になってそんなことを知ってショックだったわ。

F大門の反対側から仲之町通りを眺める。
塀と堀で囲んだ吉原は出入り口が大門一ヶ所しかなく、この反対側の突き当りを「水道尻(すいどじり)」と言った。
この先の山谷(住所は台東区清川)エリアに行きつけのガソリン・スタンドと伊藤広規さんから教わったお気に入りの居酒屋があってこの道をよく通るのだが、何回通過しても「昔の光景を見てみたかった…」と残念に思うのである。
…とマァ、色々書いたけど、コレは吉原の全貌のホンの一部。
何冊も何冊も本を読んで印象に残っていることを比較的ランダムに私なりに書き連ねてみた。
もっと詳しく知りたい人はどうぞ専門書を読んでみてください。
上で紹介した通り、永井義男さんの著述がおススメです。
もうチョット書こうと思ったんだけど、今回は写真が少なく字ばっかりになっちゃったのでこの辺りでお開きにします。
次回も吉原の話を交えながら、今度は仲之町通りを垂直に横切る横の通りの数々を見て行こうと思っとります。

130<『私のディープ浅草』はつづく>
 

200

 

 

2019年1月10日 (木)

HFOとMarshallとNATALと~私の川越

 
川越へ行ってきた。
どうだろう…20年近く前に1回だけ行ったことがあるぐらいかな?
その時は昔の街並みなんてモノにまったく興味がなかったので、用を足してすぐ帰ってきちゃったけど、今回はその反対?
古い街並みを見に行くために仕事を探した…みたいな。
 
さて、「川越街道」なんてのをよく耳にするので、川越というのは宿場町かと思っていた。
そうではなくて、中山道の最初の宿場である「板橋」で分岐して川越に至るのが川越街道で、城下町なんですな。
ちなみに東海道の品川、中山道の板橋、日光&水戸街道の千住、甲州街道の内藤新宿(今の新宿)等、主要街道の最初の4つの宿場を「四宿(ししゅく)」と言うが、それぞれに女郎屋があって、江戸時代大変に栄えた。
その四宿の中で板橋は最もガラが悪く、博打、盗賊は当然、朝から晩までケンカが絶えなかったらしい。
ちなみに三遊亭圓生の演目に「四宿の屁」なんて話がありますな。
この辺りはまた別のところで詳しくやりましょう。
今日は川越。
「仕事の部」も含めて、盛りだくさんですごく楽しい秋の1日になった。

10日曜日だったので町中の駐車場が混雑するであろうことを予想して、チョット外れの駐車場に車を入れる。
駐車場の隣が川越城本丸御殿。
川越城は室町時代にこの地方を治めていた上杉氏の家臣の太田道真と道灌の親子の指揮によって1457年に建てられた。
太田道灌といえば、「江戸城を造った人」じゃんね。
「江戸城って誰が造ったか知ってる?」
「太田道灌だろ?」
「ブ~、大工さんでした!」
って昔やらなかった?
コレ、いまだにやっている人がいるからね?
「ごはん食べた?」
「イヤ、食べてない。パンなら食べた」ってヤツ。
これ以上は書かない。
現存しているこの本丸御殿は江戸時代に再建されたものだけど、その江戸時代のオリジナルが残っているのは全国でこの川越城と高知城の2つだけなんだって。20_2有料でも中に入る。100円で安い。
フーム、コレが本丸御殿か…。
普通「お城」というと、姫路城とか、名古屋城みたいなバカでかい建造物を想像しがちだけど、実際にはこうした普通の建物っぽい「平城」がほとんどだったらしい。
エヘン!…ウチの祖先をさかのぼると、里見家の関係の群馬の太田の殿様だということがわかったんだけど、やっぱり城は平屋建ての「平城」だったらしい。
跡形はまったくないけど、一国一城の主だったんだぜ。
ちゃんと地名や交差点にその名を残しているんよ。

30ワビサビか…質素だな。
川越は江戸近郊の要所で、ココに徳川家康、秀忠、家光が何度も泊まったらしい。

40_2釘隠しもこの通り。

50廊下も派手さがゼンゼンなくて落ち着いている。
ハイ、それでは折角ですので、同じ本丸御殿でも400年前の姿を忠実に再現して昨年から公開している名古屋城の本丸御殿を見てみましょうか?

60ザっとこんな感じ?
やはり家光が泊まりに見えたという。
ナ~ニ、川越城と少し違って見えるのは気のせいだよ。

70釘隠しもホラ、大して変わらない。

80廊下だって変わらない。チョット金ピカな気がするだけだよ。
どっちに住みたいか?と言われたらアタシャ川越スタイルの方でいいわ。
古さで言ったら今の住まいと大差ない。そっちの方が落ち着くわ。

90「郭町(くるわまち)」とあるけど、昔は遊郭でもあったのかな?
それとも城壁の関係か?

100こんなノスタルジックなバスが走ってる。
でも、私が本当に小さい頃はこういう形のバスがまだ普通に走っていたよ、前が出っ張ってるヤツ。

110川越城のお堀の跡。
江戸時代(1639年)に川越藩主となった松平信綱が大拡張工事を実施し、城の規模は約2倍となった。
その時、防御を目的に造られたのがこの中ノ門堀。
よく埋めて宅地にしなかったね~。
大戦中、ゼロ戦のエンジンを作っていた中島飛行機のパーツの製造拠点があったために猛烈な空襲を受けた熊谷とは異なり、川越はほとんど被害がなかった。
だからこうした土木的な史跡が残されたんじゃないかしら?
もし周囲が焼け野原になっていたら絶対に埋め戻されていたことでしょう。
120市役所の前に立っている太田道灌の像。
メッチャなで肩。
これじゃギター提げられんぞ。

130vその向かいにあったのがコレ。
そば屋になってるんだけど、見事な銅板!

140vコレはスゴイよ。
こんな木造3階の銅板建築なんてほとんど見たことない。150この意匠がいいね~。
こういうのはコリント式支柱っていうのかな?
出来た時は赤銅色でさぞかし立派だったことだろう。

160側面にも惜しみなく銅板が張り巡らされている。
元々はつり具屋さんだったんだね。

170街の中心に向かって歩く。
ん~、いい雰囲気。

180_2こういう路地はいいですよ。
まるでコッツウォルズのようだ。
だいぶ違うか?

190「札の辻」という交差点。
「札の辻」というのは、高札が掲げられた場所のこと。
だからこの地名はどこにでもある。
高札というのは、よく時代劇でやってるでしょ?
例えば黒澤明の『隠し砦の三悪人』。
「告 次の者を生きて捕らえた者には金三枚をつかわす」みたいな…。
要するに街の掲示板ですな。
今で言えばfacebookか?
昔は、農民をはじめ一般の人は字が読めなかったので、お坊さんや侍に読んでもらった。

200_3エ?スカラ座?!

210_2ウワ~、こういうモノには猛烈に郷愁をそそられるな~。
昔はこうやって、普通の住宅街の中に平気で映画館があったんだよ。
しかも「スカラ座」だもんな~。

0r4a0422 これがミラノのスカラ座。

235中はこんな感じらしい。
ま、川越のスカラ座も大差ないだろう。

236『武蔵野』という作品がかかっていた。
国木田独歩の『武蔵野』から引いた、武蔵野に残る循環農業に関するドキュメンタリー映画らしい。
循環農業というのは葉っぱが落ちて堆肥になり、それがまた草木を育てて、育った草木が落葉してまた堆肥になる。
要するに自然の摂理に従った農法のこと。
作品のキャッチコピーは「どんなに時代が変わっても変えてはならないものがある」…全く同感だね。
私の場合は「ロック」かな?

240v監督が舞台挨拶に来るそうだ。
でもチョット観てみたいな。
私なんか『ボヘラ』よりよっぽど感動しちゃうかも!

250ココにも映画館を発見。
こっちは廃業して取り壊すことになっているみたいだったけど。

255スゲエ行列!
ナニかと思ったら、「おさつチップ」とかいうサツマイモのスナック屋さんだった。

260_2「蔵の町」っぽくなって来たヨ。

280_2スターバックスもこの通り。

270_2いいね~、こういう感じ。

290川越市の教育委員会が「伝統的建造物」にしているよ。
こういうのはイギリスの「Grade」みたいに保存の規定などあるのだろうか?

300よくポスターで見かける「時の鐘」。

310_2蔵がゾロゾロ出て来た!

0r4a0451どれも手を入れてあってオリジナルのままではないことは先刻承知。
そんなことはどうでもいいの。
こういう雰囲気が好きなのだ。

335順路不同で写真を上げますよ。

340vこの屋根!
相当な重量だろうにナァ。

350どれも立派な蔵だ。

360空襲がなければ、日本にはこういう町並みがたくさん残っていたハズなのだ。
ゼンゼン「♪カ~モン、ベイビー」じゃない。

370私的にはこの家が優勝かな?

380この雨どいの支えは古いモノなんだろうか?
カッコよくね?

390コレは立派ですよ。

400西洋勢も負けていないよ。
埼玉最初の不銀行、元第八十五銀行本店。現りそな銀行川越支店。
大正7年の建造だそうだ。
ナンバー銀行についてはいつかやったね…『私のお伊勢さま』の時だ。

405こっちも元銀行の建物で現在は川越商工会議所になっている。

410昭和2年の建造。
こういう意匠はやっぱりカッコいい。

420v蔵に混ざってこのいでたち。
470コレも見事。

430v入り口のガラス装飾が目を惹く。

440この辺りの看板建築もなかなかに素晴らしいよ。

450昭和20年代中半から30年代前半の建築ってとこか?

455イヤ、もっと古いのかな?

460この新旧のコントラストも素晴らしい!

480v川越の「うまいもの」はお芋と鰻だとか…。

490奮発してタマには鰻でも…と思ったけど、どこもスゴイ行列だよ!
結局、トンカツを食べたわ。
去年はガマンして数回しかお店のトンカツを食べなっかったせいもあって殺人的に美味しかった。

500vまぁね、蔵の町も洋館もスゴイんだけど、何が一番スゴイって…

510この人出だわ!

520どこもかしこもスゴイのなんのって!
しかもこの一番人気の目抜き通りにはガンガン車が走ってるもんだから、歩道は観光客でパンパン!
日祭日は歩行者天国にできないもんかしらん…もう行かないと思うけど。

540トドメはココ。
「お菓子横丁」とかいうエリア。
お菓子屋さんや駄菓子屋が並んでいるらしんだけど、これじゃ何も見れないって!

550「お菓子横丁」どころか、コリャまるで年末の「アメ屋横丁」だわ!
あ、アメはお菓子か…我ながらうまくまとまったな。

560寛政4年に建てられたという大沢さんの家。
1792年だからね、古いよ。

570こっちは寛政元年創業の作り醤油屋、「笛木醤油」さん。
「金笛(きんぶえ)」という銘柄の醤油を作り続けている。

580この醤油がいいんですよ。
90r4a0008_2ナニがいいかというと、ココの醤油は下のカタログにあるような関連商品も含めて化学調味料を全く使っていない。
ウチは「調味料(アミノ酸等)」の入った食品を出来る限り摂らないようにしているのね。
アタマおかしくなっちゃうっていうから。
イギリスやアメリカやドイツでは国家レベルで使用を禁止しているヤツね。
それでも今の世の中、そういう化学薬品を完全に排除することはできないので、家の食事だけはそうするように努めているのです。
おかげでスーパーやコンビニでの食品の買い物が大変困難になりました。
だからこういうお店を見つけるとすごくハッピーな気分になるのです。
チョット名前は出せないけど、先日仕方なくチェーン店の中華料理屋で炒め物の定食を食べた。
もうね、化学調味料の味しかしなかった。
化学調味料をキッパリ断っていると、こういうことがすぐにわかるんだけど、チョット食べ続けてしまうと味覚がマヒしてしまってすぐにわからなくなっちゃう。
コレが化学調味料の恐ろしいところ…ってことがわかった。

90r4a0007さて、夕方になってきたので、仕事モードに入らねば…。
でもその前に…。
この川越市立美術館に入ってみた。

590するとこんなイベントをやっていた。
「Still Life」なんていうので、チョット観てみることにした。

600v「Still Life」はPat Methenyじゃんね。

12sl 金沢健一さんと浦裕幸さんによる「演奏会」ということなんだけど…コレが楽器らしい。

610お、始まった。
1曲目は「共振域-Untitled Original 20181125」。

620演奏中。

630コレね、テーブルにヴァイブレーターが付いていて、天板に振動を与えているのね。
そこへ針金だのワイングラスだの、色んなモノを乗っける。

640vすると乗せられたモノが振動してノイズを出すワケ。
ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジとか…。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザとか…。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガとか…。

650それを鑑賞するワケ…ナンでじゃい!
「ミュージック・コンクレート」ってヤツ?
要するにジョン・ケージみたいなの。
私はフリー・ジャズまでは聴くようになったけど、こういうのはサスガにナァ。
席に座りながら少しだけ休ませて頂きました。

660美術館に入ったのはコレが観たかったの。
「大正イマジュリィ」ってヤツ。

670「イマジュリ」というのはフランス語で「イメージ画像」という意味だそう。
印刷の技術が発達した大正時代は。美術が一般の民衆にみ身近となり、こうした様々なデザイン文化が栄えた。
アールヌーヴォーの橋口五葉、アールデコの杉浦非水とかいうデザイナーの挿絵、ポスター、広告、本の装丁などが展示されていた。
竹久夢二なんかもそうだね。
どれもこれもシャレていてね~。
オシャレなだけじゃなくて、デザインが上品で可憐なんだな~。

0r4a0002展示は一切撮影禁止だし、図録は貧弱な上に高価だったので買ってこなかったが見応えは十分だった。
映画の広告なんかも飾ってあったんだけど、スゴイのがあったな…メモしてきた。
『娘十八運動狂』、『三悪人の特徴に就いて』、『ペンキ塗りたて』の3本立て。
調べてみると、『娘十八運動狂』というのは1926年(大正15年=昭和元年)のアメリカ映画で、どうも「娘十八」というシリーズになっていたようだ。
「浅草水族館」の広告なんてのもあったな。
今の「木馬亭」の隣だったらしんだけど、その水族館の2階が有名な榎本健一の「カジノ・フォーリー」の本拠地だった…この辺りのことはまた勉強しておきます。
イヤ、エノケンに関する相倉久人さんの記述を最近読んだもので…。

0r4a0004以上で「私の川越」は終わり。
ココからがMarshallのお仕事で春日部へ移動したのです。
「草加越谷、千住の先よ オレんち春日部 もっと先」なんて歌がありましたな。
川越からもエラく遠かった。
春日部には家内の友達が住んでいて、大学時代に一度だけ来たことがあった。
39年前か?…しんちゃんが引っ越してくるズッと前のことだ。
向かった先はこの公民館。
講堂にかなりシッカリしたPAスピーカーが備え付けられている。

680リハーサルをしているのはあのHELL FREEZES OVER(以下「HFO」)。

690TREBLE "GAINER" AIDYSHO

700vRYOTO

710vHIROTOMO

720vTAKUYA MASHIKO

730vTom Leaper

740vアクションを交えた本番さながらのリハーサル。

840もちろんギター・チームは愛用のMarshall持ち込みだ。

750RYOTOくんの1959と1935キャビ。
760vHIROTOMOくんもヘッドを2台持ち込んだ。

770こっちは1959とJMP時代の2203か。
キャビネットはJCM800の1960B。
2人ともBキャビというところが泣かせるな。

780vそして、Tomくんが叩いているドラム・キットはNATAL。

7908"、10"、12"のトリプル・タム。
NATALのトリプルタム・キットは日本初。
今ならまだ「日本初の〇〇のNATAL」が狙いやすいぞ!

810Tomくんはコレで「日本で初めてトリプル・タムのNATALを使ったドラマー」として、NATAL史に永遠にその名前が残る。
もちろん本国イギリスにもこの情報が伝わっている。
そういうことなのよ!
「鶏口となるも牛後となるなかれ」って言ってね。
もっとも、またドラム・キットが変わりそうだけど…。

830NATALの音をひとつひとつ確かめるようにして叩くTomくん。
そう、今日はNATALのドラム・キットがHFOのバンド・サウンドにマッチするかどうかをタップリと時間をかけて実験するリハーサルなのだ。

800vさっそくギンギンに騒ぎまくるHFO!

850vアータ、Marshallがやってるドラムスですよ!
NATALがこういうサウンドに合わないワケがない。
880もちろんメンバーもそんなことは先刻わかりきっているんだけど、一応ね。
結果は超バッチリなのはこの写真を見ればわかる。

860休憩時間にTAKUYAくんが弾いたフレーズには驚いたよ。
あんまり突飛すぎてすぐにわからなかったんだけど、Mike Oldfieldの「Tubluar Bells」のベースのソロ・メロディ!

870v着ているモノのガラだって、David BowieにQueenに新しいところでJudas Priestだもん。
この公民館の出で立ちも相まって、タイムマシンで70年代に戻ったような感覚になったよ。

890以前レポートした通り、彼はらLOUDNESSに混ざって出演したRED BULLのイベントでも耳の肥えたお客さんから大絶賛された。
サビのメロディが「アレ」じゃないからね、ベテランのリスナーはよろこぶよ。
そういうトラディショナルにすぎるぐらいのハードロックあるいはヘヴィメタルなんだけど、5人がひとつの目標に向かって一丸となっているように見えるところがすごくいいんだよね。
昔のロック・バンドってのはみんなこんな感じだったハズ。
誰が何と言おうとオレたちはコレをやるんだ!…という気迫が伝わってくる。
でも決して態度が悪いワケではない
今の世の中、いくら筋金入りのロックンローラーだって先輩や周囲の人から可愛がられなきゃ損だよ。
もうロックはそういう音楽ではなくなってしまったんだから。
学校では正式なクラブ活動なんだぜ!
 
それと…。
RYOTOくんなんかと話をしていると、出て来る出て来る、70年代のハードロック・バンドの名前が!
やっぱり音楽を演奏するうえでで何よりもまず重要なのは、楽器を弾く技術ではなくて「インプット」だということを実感するね。
とにかく色んな音楽を聴く…ですよ。
それと、簡単に止めちゃわないこと!
「サポート」とか言って色んなバンドをやったりせずに、息の長い活動を展開して欲しいと思います、オジちゃんは。

900ファースト・ミニ・アルバム『SPEED METAL ASSAULT』絶賛発売中。
生粋のMarshallサウンドにオーバーウェルムされてください。

910cd 

200 
(一部敬称略)

2018年12月26日 (水)

私のフランクフルト <vol.5:スピンオフ~後編>

 
「スピンオフ」…つまり「番外編」だからネェ、展示してあったポスターをツラっと並べて、「ああ、思い出、思い出」で簡単に終わらせようと思ったんだけど、そうはいかなかった。
書き出すとダメなんよ。止まらなくなっちゃって…。
どうでもいいことばかりなんだけどね~。書き出すと色々なことが目に付いて気になり出しちゃう。
それで内容が膨らみ過ぎて図らずして2本立てになっちゃった。
ま、平成最後の大脱線&ウンチク大作ということで…。
<後編>いきます!

折角のブーム到来を記念して<後編>はQueenから始めるか。
今日も人名とバンド名の固有名詞は全て原語で書き記します。
 
PLフィルターを持っていなかったので場内の照明やら非常灯が盛大に写り込んでおりますが…。
1980年のドイツ公演時のポスター。
Queenは1980年に2枚のアルバムを発表している。
『The Game』とサウンドトラック盤の『Flash Gordon』で、その関係でFreddie Mercuryは「FLASH」のロゴTシャツを着ているのだろう。
しかし…ナンでこんな写真を使うかね~。
Brian Mayのギターは暖炉のヤツじゃないし、そもそも写真自体がカッコ悪い。Freddieも力いっぱいドラムスのライザーから飛び降りているせいか思いっきり変な顔になってる。
今回もこの後、普段見慣れているアーティストのイメージとはかけ離れたビジュアルを採用しているポスターがゾロゾロ出て来るが、バンド・メンバーが載っているとはいえ、コレもそんな1枚と言えるでしょうな。

440別の記事に書いたように、私はQueenに関しては中学生だった頃からアンチだった。
今でも決してファンではないけれど、避ける必要もなく、アルバムはほとんど持っているし、タマにベスト盤を聴いたりするようになっていた。
ところが!
最近のあの「ボヘラ熱」のおかげで、「ガリレオ」にすらウンザリして来たぞ。
でも、折角だからQueenで思いっきり脱線しよう。(「ボヘラ熱」なんて言うと、ホントにありそうな疫病の名前みたいだ)
アルバム『The Game』からのヒット曲といえば「Crazy Little Thing Called Love」でしょう?
それと「Another One Bites the Dust」。
映画『ボヘラ』でもディーコン・ジョンがメンバーの前であのベース・リフを誇らしげに披露して盛り上がっていた。
この「Another One~」をシングル・カットするように勧めたのはアメリカ・ツアーのLA公演を観に来ていたマイコーなんだってね。
なんかマイコーの気持ちがすごくわかるような気がするな。「フォウ!」って。
で、Queenのアルバムのジャケットには「No Synthesizers!」という断り書きが入っていたのだが、とうとう使っちゃったんだね~。
『The Game』からこの「No Synthesizers!」の断り書きが消えたのだそうだ。
下は実際の『A Night at the Opera』のジャケットの内側にあるクレジット。
健気だな~、Queenは!ね、チャンと「No Synthesizers!」って記してある。
ナンカQueenが好きになってきた。
アータ、シンセサイザーがナニよ!
チョットFreddie、今のバンドさんたちを見てこらんよ!
桜じゃあるまいし「同期」とか言って、ステージに弾き手が居ないのにもかかわらず、ピアノやアコギの音が聴こえて来るんだぜ!
「♪ママ~!」じゃ済まされませんよ。
ま、アナクロニズムと思わば思え。私はロックが本当にロックだった時代の美徳と魅力を忘れないようにしているだけなのだ。
ところで、このアルバム、「TRIDENT AUDIO PRODUCTIONS LTD」のロゴが入っている割にはTrident Studioを使ってないのね?
Trident Studioは『名所めぐり』でやったのでコチラをご覧あれ。
↓ ↓ ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】 ソーホー周辺 その2

9naoクレジットの「Recorded at」のところにある「Sarm」というのは、アンティークのマーケットが開かれることでその名前がよく知られているポートベロー・マーケットにほど近いラドブローク・グローヴというところにあるレコーディング・スタジオ。
下がその「Sarm West Studios」。「♪ママ~」もココで録音された。元は教会だった建物。
だからあの映画でRogerが「ガリレオって誰?」ってのもココでやったことになる。
私はそれよりも~…Jethro Tullの『Aqualung』やLed Zeppelinの『Four Stickers(「IV」のこと)』がココで録音されたということを知っていて、訪れた時はチョット感動したよね。
Queenは「We Are the Champions」を含む『News of the World』をこのスタジオで録音した。

9img_0472「Roundhouse」はコレ。
元々は列車の円形操車場だったカムデン・タウンに近いチョーク・ファームにあるホール。
ココを借り切ってレコーディングしたんだね。
この2つはいつか『名所めぐり』で詳しくやるつもり。

9img_1615チョット話は戻って…。
『The Game』なんだけど、前にも書いたけど、当時一部の連中は「メンコ」って呼んでたな。
メンコにもいろいろと種類があって、「丸メン」、「蝋メン」、そして『The Game』みたいにピカピカ光っているヤツを「銀メン」と呼んでいた。
あ、そんなことはどうでもいい。
このアルバムのヒット曲「Another One Bites the Dust」ね。
「もうひとりが砂を噛む」…どういう意味なのかズッと謎に思っていた。
すごくよく覚えているんだけど、あるアコギ・メーカーの仕事でサンディエゴに行った時のこと。
この曲がカーラジオから流れて来て、現地の人がそれに合わせて歌っていたので、そのタイトルの意味を教えてくれと頼んだ。
「ブッ倒れる」という意味であることはわかったんだけど、どうして砂を噛むのかがわからなかった。
その人の説明によると、「倒れると地面に顔がくっつくだろ?その時に砂を噛んじゃうんだよ」みたいなことを言っていた。
そして、フランクフルト。
このシリーズのどこかで書いたと思うんだけど、私はFrankfurt Musik MesseのMarshallのブースに常駐して雑用を手伝う傍ら、ネイティブしか使わないナマのイギリス英語を色々と教わるのを常にしていた。
教わったことを私が首から下げたメモ帳に熱心に書き記しているのを見ているウチに、みんなもそれを面白がって色々と積極的に教えてくれるようになった。
残念ながらナニを教わったのかはほとんど覚えていないんだけどね…。
それでも印象に残って頭に刻み込まれた表現がいくつかあって、そのひとつが「shit faced」という表現。
コレはアメリカでも言うのかな?
下品ですが、「shit」といえば「お小水」のこと…イヤ、本当は「ションベン」という意味でしょ?
すると「shit faced」は「ションベンの顔をした」という意味の形容詞になる。「ションベンづら」というヤツ…失敬。
どういう意味かというと、「ベロンベロンに酔っ払っている」という意味。
ナゼそういう意味になるんだろう?
教えてくれたヤツの説明によると、「ベロンベロンに酔っ払って倒れるだろ?それでオシッコまみれになっちゃうんだよ」って「Another one bites the dust」と同じじゃん!
「shit」がいいか、「dust」がいいか、それはアナタ次第です。
いずれにしても私はこうやって英語の勉強をしてきました。
ちなみに「bite the dust」は「死ぬ」という意味もあるからね。
 
ところで私は今、上機嫌であ~る。
それはまたまたロンドンのロック名所をいくつか発見したからであ~る。
またそれらを訪れるのが楽しみなのだ。
Queenおわり。

Tgコレと来たら一体ナンだ?
どうしてコレがThe Whoなのでしょうか?
1976年2月のミュンヘンのショウ。
例によってスペシャル・ゲストという名の前座はSteve Gibbons Band。
Steve Gibbonsは60年代から現在まで活動しているバーミンガム出身のシンガーソングライター。Jeff Lynneがいなくなった後のThe Idle Raceに在籍していた。
この1976年頃はThe Whoの元のマネージャーが面倒をみていた関係で、Steve Gibbons BandはThe Whoと行動を共にさせてもらっていたようだ。
キャリアを見るとスゴイよ、アメリカにも行っていてLittle Feat, Lynyrd Skynyrd, Electric Light Orchestra, The J. Geils Band, Rufus, Nils Lofgrenなんかと同じステージに立っていたっていうんだから。
そういえばニルス・ロフグレンなんてどうしてるのかね?
The Whoはこのポスターのコンサートの4ヶ月前に『The Who by Numbers』を発表しているので、そのレコ発公演ということになろうか?

380vThe Whoがこの時期に何回ヨーロッパ・ツアーをしたのかはわからないが、この1976年の後、Pete Townshendは家族と一緒に時を過ごした。
その頃、ビートルズやThe Rolling Stonesの元マネージャーのAllen Kleinが自分の曲の権利を買っていたことを発見。
当然モメたが、何とか問題は解決。でもまたいつKleinの魔の手が伸びるともわからず、Peteは精神的におかしくなっちゃったそうだ。
そんな折、オックスフォード・ストリートの有名なライブハウスSpeakeasyに行ってSex PistolsのメンバーやThe Whoのファンとワイワイ楽しくやっていたが、Peteがヘロヘロだったんろうね。
そこにいた警官にこう咎められた「ダレだ、お前は?」。
このことが『The Who by Numbers』以来3年ぶりにリリースすることになった1978年のアルバム『Who Are You』のタイトル・ソングができたキッカケとなったそうだ。
1977年の9月にはPeteが近い将来はThe Whoがライブ活動をしないことを発表。Roger Daltreyもそれに同意。
Keith Moonの健康状態が思わしくなく、とてもツアーなどできる状態ではなかったのだ。
しかしこの年、1回だけライブを演ったのが12月15日のこと。
場所はもう何回もMarshall Blogに登場しているロンドン、キルバーンのThe Gaumont State Cinema。

180v_2その模様がドキュメンタリーになったのが『The Kids Are Alright』。
字幕にはなっていないが、Jim Marshallのお店のことをPeteがテレビ・インタビューで口にしていることも過去に何度か書いた。
Kaaその『The Kids Are Alright』の撮影のライブのひと月後、The Whoは『Who Are You』の制作に取り掛かるが、keithのドラミングが非常にマズく、RogerとJohnはKeithをクビにするつもりだったらしい。
「Music Must Change」という曲の6/8拍子が叩けなかったというのだ。
その後、『The Kids Are Alright』のために行った撮影がKeithの最後のパフォーマンスとなった。
『Who Are You』のジャケット。
Keithが座っているディレクター・チェアの背もたれには「NOT TO BE TAKEN AWAY」と書いてある。

Way1978年9月7日、『Who Are You』のリリースから20日後、Keithはハイドパーク・コーナーにある下の写真のフラットで32年の生涯を閉じた。
「NOT TO BE TAKEN AWAY(持ち出し禁止)」とイスに書いてあったのに…。
 
最終的に何が言いたかったのかというと、1976年のツアーのThe Whoを観た人は超ラッキーだったな…と。

260v次はJack Bruce。
しかし、ヒドいイメージだよね~。
コレのどこがJack Bruceなんだろうか?しかも、コレってギターだぜ。
<前編>にも書いたけど、こういう催し物の告知ポスターやチラシって、開催の日付は入っているんだけど、案外「年」が入っていないことが多いんだよね。
コレなんかはヒドイことに、日付すら入っていない。
こんなんで告知の役割を果たせるのかね?
でも、いい名前が入ってる。
「Introducing」として、Niemen(ニーメン)が登場しているのだ。
Jack BruceとNiemenって何か関係があったのかな?
Jackファンの方々には申し訳ないのですが、話はNiemenに移らせて頂きます。

330vCzesław Niemenは1960年代から活動するポーランドのシンガーソングライター&キーボーズ奏者。ファースト・ネームは「チェズロー」とか「チェスワフ」と文物には表記されている。
「c」、「j」、「k」、「z」だらけでポーランド人の名前を解読するのは本当に難しい。この人の場合、そもそも「l」に斜め横棒が入った「ł」なんて馴染みのない文字が入ってるもんね。
大文字が「Ł」で小文字が「ł」。
やはり「L」の親戚なんだけど「w(ワ)」って発音するんだって。だから「Czesław 」は「チェスワフ」が正しいのだろう。
この斜めの横棒は「クレスカ」といって、「´」が正しい表記。
「Ć」、「Ń」、「Ś」、「Ź」、「Ł」と5つの文字にだけ付いて発音に変化をもたらすのだそうだ。
チョットごめんね、こんな脱線するつもりじゃなかったんだけど、こういうの好きなもんで…。
このポーランド語っていうのは音だけ聞いていればロシア語にソックリだよね。
ロシア語を少し話すことができるアメリカ人の友人がいて、「英語のネイティブ・スピーカーがロシア語を勉強するのは比較的ラクなんだよ。文法であまり苦労せずに、単語を覚えさえすれば結構イケるんだ」と言っていた。
でも、Ф、Щ、Жとかあのキテレツなキリル文字ってヤツがね~。大黒屋光太夫は、江戸時代、10年のロシアでの抑留生活で読み書きまでマスターして帰って来たんだからスゴイ。
その点、ポーランド語はアルファベットに毛の生えたようなものだからまだとっつき易い感じがある。
そこで!
Effective Language Learning」というウェブサイトの中に「Language Difficulty Ranking(言語の難易度ランキング)」というモノを発見。
調査の対象は英語のネイティブ・スピーカーなので、我々の感覚からはチョットずれるところがあるかも知れないがおもしろい。
習得するまでのおおまかな時間を週で表してその難易度を比較しているんだけど、一番チョロイヤツが23~24週間のコースで、マスターできそうなのは;
デンマーク語、オランダ語、フランス語、イタリア語、ノルウェイ語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、スウェーデン語…だって。
マジかよ。
ま、使っている文字が基本的に同じということからして我々とはスタート地点が大きく違うからね。
言語自体が英語に近く、関連性も高いのだそうだ。そもそも英語はこういう外国の単語をたくさん吸収してできているので、我々に比べれば語彙で苦労することが少なく、ある程度勘で喋ることもできるだろう。
次が30週間で、意外にもドイツ語。
それでも「英語に似ている」として難易度を低くとらえている。まぁ、そうでしょう。
その次が36週かかるとして、インドネシア語、マレーシア語、スワヒリ語だって。
英語とは言語体系と文化が違うのだそうだ。見りゃわかる。
そして、同じランクが圧倒的に多いのが44週間コース。
モンゴル語だのタガログ語、シンハラ語、ベンガル語に混ざって、ロシアをはじめとした東ヨーロッパからバルカン方面の国々の言語がズラリとランクされている。
もちろん、ポーランド語も入ってる。
そんなもんなのか。
さて、我が日本語はどうかというと…。
88週間ということで見事、「英語のネイティブ・スピーカーにとってもっとも習得が厄介な言語」のひとつにランクされました~!
「もう例外的にムズカシイ」って言われている。
パチパチパチパチパチ!ざまぁみろ、ネイティブ!
このランクには他に、アラビア系言語、中国語、韓国語が入っているんだけど、その中で日本語はとりわけ「習得がズカシイ言語」になっている。
つまり、英語を母国語、あるい共通語として話している人口が世界で一番多いとすれば、世界一ムズカシイ言語は日本語ということになる。
それを自由に話している我々って…天才?
その天才が何年勉強していても英語で苦労しているってのはどういうことだ?
イヤ、理由は簡単。
日常の生活で英語を使う機会がまったくなく、「必要がない」から習得する努力をしていないだけの話………おいチョット待てよ!英語のネイティブにとって日本語ってシンハラ語よりムズカシイのかよ!
シンハラ語ってコレだぜ!スリランカの言葉。
文字のデザインが丸っこくて実に可愛いらしい。

Sh でもね、文法的に世界で一番ムズカシイ言葉はフィンランド語だという話を聞いたことがある。
時制や目的語に合わせて動詞の格変化が100通りあるとか。
日本語が一番いいわ。
だから「ハンパない」なんて汚い言葉は使っちゃイケません!
 
さて、Niemenさん、お待ちどうさまでした。
Niemenはプログレッシブ・ロックのカテゴリーで紹介される人で、この1970年の『Enigmatic』というアルバムがよく知られている。
でもそんなにプログレっぽくはなくて、むしろNiemenのソウルフルな声を味わう感じ?
チョット驚いたのはこのアルバムにヴァイオリニストのMichael Urbaniakが参加しているんだよね。

9nm2Michael Urbaniak(マイケル・ウルバニアク)に詳しいワケではないんだけど、Larry Coryellと共演した『A Quiet Day in Spring』というアルバムが好きでしてね。
コレの1曲目「 Rue Gregoire Du Tour(リュ・グレゴワ・デュ・トゥワ)」というLarryの曲が究極的に美しい。
コレはパリのどこかの通りの名前なのかな?
今から30年チョット前、香津美さんとLarry Coryellが演奏しているのをラジオで聴いて一発で好きになった。
Urbaniakは他にも何枚かSteepleChaseにストレートアヘッドなジャズのリーダー・アルバムを吹き込んでいるけど、マァ取り立てて書くほどの内容ではないかな。

Mulc_2またNiemenに戻って…コレは1969年の『Czy mnie jeszcze pamiętasz?』…読めない。
コレなんかももうゼンゼンR&Bとかオールド・ポップスという感じでプログレのテイストは全く感じさせない。
でもね…

Anmコレはやり過ぎだろう~!
コチラがオリジナルですよ。
Albert Aylerの1967年のライブ盤『In Greenwich Village』。
こっちはコッテコテのフリー・ジャズね。

AaそんなNiemenなんだけど…。
ナニが起こったのかは知らないが、この1975年の『Niemen Aerolit』というアルバムが非の打ちどころがない最高のプログレなのだ。
カッコいいことこの上なし。
正直、今回コレを書いていて初めて聴いた。
ここ数年、現代&近代クラシックの楽しみを知ってからというもの、あんなに大好きだったプログレッシブ・ロックが全くツマらなくなちゃっていたんだけど、コレにはブッ飛んだ!
「オジさん、チョット教えて…プログレッシブ・ロックってどういうの?」と訊かれたら胸を張ってこのアルバムを推薦してもいいわ。
「Aerolit」というのはバンド名なのか…。

Nmこのアルバムの前、1973年頃までNiemenのバック・バンドを務めていたのがSBB。
SBBは「Serch, Break & Build」の略らしい。まるでゼネコンだな。
ポーランドを代表するプログレッシブ・ロックのトリオ・チームなんだけど、このバンド、ベースレスなんだよね。
夢中になるほど好きなワケじゃないんだけど、気になって何となく買っちゃうんだよね。

9s41a0004このライブ盤なんかはジャケ買いに近いかな。
だって、ギタリストの後ろ…JCM900 4100と1960Aなんだもん。
絶対この人たちいい人たちだよ。
そして、驚いたことに、どういう風の吹き回しかはわからないが、このバンドにはかつてPaul Werticoが在籍していたようだ。
WerticoはPat Metheny Groupのドラマーだった人。何回か観たけど、とてもいいドラマーだった。
 
ポーランドといえば、ショパンの国だもんね…というか、私にとってはクシシュトフ・ペンデレツキの国なんだな。
アウシュビッツも見学したいと思っていて、いつか行ってみたい国のひとつだ。

9s41a0006さて、話はJack Bruceのポスターに戻る。
もう一回出すか。
コレね。
このポスターのデザインは<前編>で紹介したGunther Kieserという人。
上のThe Whoも同様。確かにタッチが同じだ。
330vこの人、売れっ子だったようで、こんなポスターも手掛けている。
1969年のシュトゥットガルトのJimi Hendrix Experience。
ドイツには行ったんだね。
ジミヘンとプレスリーは日本には来なかったもんね。でもビートルズが来ているのはスゴイ。

Jhe_1これもそそう。
『Rough and Ready』の時かね?

Jhe_2The Tubesもあった。
1978年だから『What Do You Want from Live』のレコ発か?
「ハマースミス」の時にも書いたけどThe Tubesだけは観ておけばヨカッタ。
来たんだもん、日本に~!

490vこっちは1977年の初来日公演を観た。
実は、LPもCDもKISSの音源はウチには1枚もない。人生で買ったことがないのだから当然だ。
私が中学2年の時、「Detroit Rock City」が流行していたんだけど、私はちょっとダメだった。
決してキライではなかったんだけど、もっとこう、ヒネッたヤツがいいというか…、ムズカシイ方がいい…というか。
そう、わかり易すぎたんだね。
でもコンサートは違った。
最高にキレイでカッコよかった。
KISSの音楽には何の興味も湧かなかったが、KISSはロック・コンサ―トの楽しさを教えてくれた。
このポスター、「The American Supergroup」なんてドイツ語式のキャッチ・コピーが入っているけど、そんなこと書かなくたって先刻承知でしょう?
1980年ですよ。
この感覚がおもしろい。

510v1985年のオッフェンバッハのGary Moore。
『Run for Cover』のレコ発ライブだったんだろうね。
Gary Mooreの名前を初めて知ったのはCollosseum IIの『War Dance』はリリースされた時だった。
だから1977年ぐらいか。
多分、秋葉原の石丸電気のレコード館店員のお兄さんに教わったんだろうな。
「このギャリー・ムーアってギタリストはスゴイよ」ってんで買って聴いたんだと思う。
確かに昔は「ギャリー・ムーア」って表記をしていた。
でも、イギリスではコレが正しくて、実際にMarshallにGaryという人が2人いるが、私は現地の方式に倣って「ゲェァリー」みたいにして名前を呼んでいる。「ムーア」は「モー」ね。
「ゲェアリー・モー」みたいな感じが正しい発音。
「コリャ、スゴイ!」ってんで『Back in the Street』が出た時は、その日に買いに行ったよね。
その後、私がジャズに偏って行ったこともあって、ゲェアリーがメタル路線になってからは全く聴かなくなっちゃったけど、ブルース路線は結構好きだった。
それで、20年以上ぶりにそのブルース・セットで来日した時、Marshall経由でGaryのスタッフから私に連絡が入った。
Garyの使っている1959の調子が悪いので修理をして欲しい…という。
JCBホール(現Tokyo Come City Hall )までよろこんで取りに行って、修理してもらって、またタクシーで配達した。
お礼にピックもらっちゃって…コレはうれしかったネェ。
しかし驚いたのはGaryのギターの音の大きさよ!
私の人生で一番デカいギターの音だった。Blue Cheerでも復活しない限り、この記録は誰も破れないだろう。
昔、Ted Nugentが「世界一音の大きなコンサート」とか言っていて、武道館で観たけど、あんなのGaryのギターの音量に比べればまさに「蚊のなくような音」だったよ。
役得で本番中にGaryのMarshallの真ん前で音を聴かせてもらったが、もうドラムスの音なんかほとんど聞こえなかった。
それどころか、脳みそがギターの音に共振してしまうのか、ギターの他にもうひとつ音が聞こえてきちゃう。
でも、クランチまで行くか行かないかの音に深めにリバーブをかけたそのサウンドは美しいとしか言いようがない。
言っておきますが、全く市販の1959SLPと同じですからね。
やっぱりいい音を作るのはアンプの改造なんかじゃなくて「指」なんですよ。
次回はハードロックのセットでまた日本に戻ってくる…なんて言われていたが、Garyはほどなくしてスペインで客死してしまった。
私はその7月前、ロンドンでGaryのハードロック・セットを観た。
やっぱり1959を並べていてね、音はデカかった。
その時のレポートはコチラ
Garyが住んでいたブライトンの行きつけの楽器屋ってのにも行ったっけ。
それはコチラ
 
しかし、ツマらないデザインのポスターだね。
これならGunther Kieserさんの妙なイラストの方がいいわ。
Mama's Boysというのは知らなかったけど、アイルランドのバンドだそうだ。Garyのキモ入りだったのかな?
ちなみに「Gary」って一般的なニックネームを「Gaz」っていうのよ。

520vゲェアリーでもうひとつ。
それはアルバム・タイトルの『Run for Cover』。
コレは「安全な場所にサッサと非難する」という意味らしい。
「らしい」いうのは、私が認識していた意味とズレがあったものだから…。
私はこの表現を下のヒッチコックの本で知った。
フランソワ・トリュフォーが尊敬するアルフレッド・ヒッチコックに色んな質問をするインタビュー本だが、何回かヒッチコックが「そういう時は『Run for Cover』じゃよ」みたいなことを言っている…ように記憶している。
何か失敗したり、行き詰ったりしたら必ず「Run for Cover」するべき。つまり「最初に戻って考える」ということを「Run for Cover」と言っていて、「なるほど、そういう意味か…」と覚えてしまったんだネェ。
「Too Close to Comfort」というジャズのスタンダードがあって、こんな箇所が出て来る;

One thing leads to another, too late to run for cover
 She's much too close for comfort now

これだと両方の意味に取れるんだよナァ。
すなわち、「一番最初が一番安全なところ」ということかね?
ヒッチコックで記事を書きたいナァ。でもMarshallは関係ないもんな~。
あ、でもヒッチコックは元々イギリス人なんだけど、確か生家がアールズコートだったような…そうするとFreddie Mercuryの家が近いので縁がある?…あ、QueenはMarshallじゃないんだった!助けてママ~!

Af_2ブースに展示してあるのはホ~ンの一部で、こうしてサムネイルにして自分のところの商品を紹介していた。
こういうのを見るとまずチェックするのは当然Frank Zappa。
この「Chunga」のヤツは欲しいナァ。
Frankie Miller、Genesis、Fleetwood Mac、Free…色んなバンドがイギリスやアメリカから日常的にジャンジャンとドイツに来ていたことがわかる。
こういうのを見ると、やっぱり日本は世界のハズレなんだと感じるナァ。

430v最後にそのFrank Zappaで〆ます。
1980年7月2日のフランクフルト。

9img_1023参加メンバーはこんな感じ。
Steve Vai(下段中央)が若い。
Vinnie(右下)もまだこんなだもん!
え、コレはナニかって?

9s41a0017この80年のツアーのプログラムなの。
もうコレもいつ買ったのかナァ?
やっぱり30年ぐらい前か?

9s41a0007このプログラムの内容が実に親切。
ロック史に残る大名盤『Shiek Yerbouti』のように、Zappaはライブで録音した音源に手を加えてスタジオ・アルバムを作る手法を採ったので、コンサートでは誰も聴いたことがない曲を演奏することが多かった。
そこで、このプログラムには「1980年のワールド・ツアーで演奏する新曲です」と曲のリストとその歌詞を掲載しているんだな。
この時の新曲は、後に『Tinseltown Rebellion』と『You Are What You Is』に収録された作品たち。
いくら歌詞を教えてもらっても、初めて聴く曲たちなので、少なくとも一緒に歌ったりすることは不可能なんだけどね。

9s41a0010プログラムの中はいかにもCal Schenkel風のデザインになっていて、どこから見つけて来たんだか、昭和30年代ぐらいの女性の下着の広告や「バストクリーム」とかいう商品の広告がコラージュされている。

9s41a0016…と、まぁこんな具合で、2003年から2011年まで、11年の間に経験した私のフランクフルトの思い出はコレでおしまい。
Jim Marshallと共に時間を過ごしたり、ポリツァイにお世話になったり、本当に色々なことがあった。
外国人とドップリ同じ時間を費やし、様々なことを教わったりもした。
ずいぶんみんなに可愛がってもらったし、とにかくいつも楽しかった。
もちろん人一倍仕事もした。

Polizeiでも、初めて行った時から16年近く経って、歳を取ったせいであろうか…もういいわ。
今アレをやっていたらもうツライ思い出ばっかりになってしまうかも知れない。
そういう意味では、若くもなく、さりとて年寄りでもない人生で最良のタイミングに参加させてもらったと思う。
それでもココに書けなかったことや、書かなかったことも結構あったんだけどね。
そういうのはバッサリとカットした形でMarshall Blogに半永久的に思い出を残しておくことになった。

540v最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。
さらばフランクフルト!

90_2記録完了。

200

(敬称略 2011年3月 Frankfurut Musik Messeにて撮影)

2018年12月25日 (火)

私のフランクフルト <vol.5:スピンオフ~前編>

 
前回まで4回にわたって『私のフランクフルト』をご覧頂き誠にありがとうございます。

自分で言うのもナンなんだけど…Marshall Blogを10年以上やって思うんだけど、何がしかの事件でも起こって終了しない限り、登場した人や事物が半永久的にココに記録&保管されるワケじゃない?
実際に「ああ、この時のライブはこうやった」みたいに子細な資料としてMarshall Blogをご利用頂いているバンドさんも少なくないと聞く。
普段はITの行き過ぎた進化をあまり快く思わないことが多い私だが、雑誌だと時期がくれば市場から姿を消してしまうし、バックナンバーを漁るのもそうたやすい作業ではないことを考えるとITの利便性を評価せざるを得ないであろう。
でも、簡単に公になる分、簡単に忘れ去られやすいよね。
だから、時折「昔の自分の記事を読んでかくかくしかじか」なんて話をミュージシャンから聞くととてもうれしくなる。
「ウェブログ」も日記の一種なんだから、読み返すことに意味があるのではなかろうかね?
「日記」ってそうでしょ?自分が読むにしろ、他人が読むにしろ、読み返された時に初めて価値を発揮するワケだから。
そのためにはまず記録。
それゆえ、限りなく公私混同に近い内容とはいえ、私の人生に大きな影響を与えるキッカケを与えることになった思い出のフランクフルトをこうしてMarshall Blogという場に半永久的に記録することができてヨカッタと思っている。
ナンカとてもスッキリした感じ。
実はそんな記録の他にフランクフルトの記事を連載したかった目的がもうひとつあったのね。
それが今日お送りする1本。
Marshall Blog、平成最後の「脱線&ウンチク大作」!

550それがナニかというと、このブース。
もしかしたら以前からあったのかも知れないが、この2011年の最後のMesseの時に初めて見た。
ナニかというと、早い話が「ポスター屋」さんのブースなの。

310正確に言うと、「メモラビリア屋」さんかな。
ポスター、写真、コンサートの半券、プライベート音源等々、ロックやジャズに関するレア・グッズを扱っているウェブサイトのPRブース。
会場では古今のドイツで開催されたコンサートの告知ポスターを展示していた。
コレがすごくおもしろかったのですよ…ワタシには。
それで個人的に気になったヤツを写真に収めておいたので、それらを並べてお見せしようというのが『私のフランクフルト』の<スピンオフ>というワケ。
それでは大いに脱線を交えて展示を覗いてみますよ~。
今日は地名を除く固有名詞は基本的にすべて原語表記にした。
まずは…

320vパッと見て文字がなかったなければ、まず何のバンドのコンサート告知ポスターかわかるまい。
The Rolling Stonesの1973年9月のフランクフルト公演のためのポスター。
イヤ、Stonesのコアなファンならわかるのかな?
少なくとも私はダメ。
メンバーの写真もなければあのベロ・マークもないとあってはお手上げだ。
「ルネ・マグリット展」かと思っちゃうよ。

Sonntag(日曜日)なので17:30と22:00の2回興行。
17:30の回はいいけど、夜の10時から始まるコンサートは絶対イヤだナァ。
しかしコレ、ドイツでは「17:30」のようにミリタリー・タイム表記をするのか…。
このひと月前に『Goats Head Soup』がリリースされているので、そのレコ発ツアーの一環だったのかしらん?
左端を見ると、スペシャル・ゲストとしてBilly Prestonの名前がクレジットされている。
しかし、どうしてコレがThe Rolling Stonesなんだろう。
ま、ズ~っと見てるとMick Jaggarに見えて来ないこともないけど…イヤ、ありませんね。
ホクロがあるところを見るとMonroeのイメージなんだろう。
他にも、こうしてアーティストのイメージとはおおよそ関係のないデザインのポスターがゴロゴロしているのにビックリ。
コレ、アーティスト・サイドに許可をもらっているのかナァ?もらってるんだろうナァ。

360vProcol Harumはネコか…。
このバンドで今ギターを弾いている人がすぐ近くでさっきまでデモ演してたよ。
ポスターには「A Whiter Shade of Pale」、「Grand Hotel」、「A Salty Dog」、「As Strong as Samson」等々、Procol harumの代表曲&人気曲のタイトルが刷り込まれている。
ナンカ演歌的だ。
1977年2月のフランクフルト公演のためのモノ。

350vHarumは同年の3月に9枚目のスタジオ・アルバム『Something Magic』をリリース。
ナゼか「Something Magic」が日本では『輪廻』というタイトルになっていた。
このアルバムが発表された時、私はまだ中学3年生だった。
当時はまだハードロックに夢中でProcol Harumには何の興味もなかったが、この『輪廻』という邦題がすごく印象に残った。
いまだにこのアルバムは聴いたこともないんだけど、一体どういうセンスでそんな仏教用語を引っ張り出してきたのだろうか?
とはいえ、この「変なアルバム・タイトル」ということだけで作品がアタマに刻み込まれた人間が実際ココにいるんだから、まずはこの邦題に効果があったということか…。
このアルバムがリリースされた後にベースのChris Coppingがグループを脱退。北アメリカのレコ発ツアーのベースはDee Murrayが務めたのだそうだ。
DeeはElton Johnの黄金期を支えた名ベーシストだったが、1992年に46歳で早逝した。

PhJohn Mayallはもうゼンゼンわかりませ~ん!
このポスターのデザインが彼の音楽作品に関係しているモノかどうかすら知らないのだが、いいデザインだな。
1971年9月のコンサートを告知するポスター。
バンドは「His Blues Group」となっているが、誰がギターを担当したのだろう?
調べて見ると、Mayallは71年の3月に『Back to the Roots』というアルバムをリリースしていて、そのアルバムに参加しているのは、Eric Clapton、Harvey Mandel、Gerry McGee、Mick Taylor等。
Gerry McGeeってこんなことやっていたとは知らなんだ。
それにヴァイオリンでDon "Sugarcane" Harrisが参加している…となると聴きたくなるじゃんね。
…と思って、早速自慢のSpotifyで聴いてみる。やっぱSpotify助かるわ。
ドワ~!ヴァイオリンが完全に『Hot Rats』~!
ゴキゲンです。
そして、Mayallは71年に『Memories』というアルバムをリリースしていて、こっちのギターはGerry McGee。
なので、この公演にもGerryが参加したのかも知れない。
GerryはもうThe Venturesを辞めてるんだね?
イヤ、それよりも!
このコンサート、The Groundhogsも出たんだね。
「&」で結ばれているところを見ると、コレはダブル・ヘッドライナー扱いだったのかな?
前座ということなんだろうな?
前座の方を観たかった。

370vMayallのポスターはもう1枚展示されていた。
コレもやはり1971年のモノで、ハーモニカ・メーカーのプロモーション・コンサートというかクリニック・ツアーだね。
デュッセルドルフ、ハンブルグ、ルードヴィヒスハーフェン、ミュンヘン、ハノーヴァー、ニュルンベルグでの6公演。
そういえば、この頃ってまだドイツが東西に分かれていたんだよね。
東ドイツの首都はベルリン。
では西はどこだったか覚えてる?
そう、天才バカ…〇〇。
当り~!
ちなみのこのブランド、ロックやブルース系の人にはハーモニカのメーカーとしておなじみだけど、メインはアコーディオンですから。
このシリーズで書いたように記憶しているが、アコーディオンはドイツの国民楽器なのだ。

9img_10251971年12月のフランクフルトのGrand Funk Railroad。
ゴメンチャイ!
私、Grand Funkダメなんです。
ま、Farnerさん、Marshallじゃないし。
アメリカのハードロックって、昔からどうもシックリこないんだよな~…飽きちゃうの。
お、スペシャル・ゲストでMott The Foopleが共演したんだ!
ヘヘヘ、前にも書いたけど、MottってGFRよりもっと苦手なの。
でも、コレはファンにはタマらない一夜だったんだろうね。

340vGFRは1971年に『Survial』というアルバムをリリースしているけど、このポスターは絶対に前年の『Live Album』を意識してのデザインだね。
まだトリオの頃のGFRか…タマには聴いてみようかな…。

Gl1977年、私が中学3年生だったある日、朝刊の死亡欄にMarc Bolanの訃報が載った時のことを覚えている。
Bolanは生前「自分は30歳で死ぬ」って言っていたんだってね。
1973年のアメリカ・ツアーで知り合ったグロリア・ジョーンズという黒人女性歌手が運転するミニ・クーパーの助手席に乗っていて、運転ミスにより車が横っ腹から街路樹に激突し、Bolanは即死だったらしい。
Marc Bolanの30歳の誕生日の2週間前の出来事だった。
それにしも「20th Century Boy」の定着ぶりには目を見張るものがあるよね~。
ナンだってこんなに誰もが演奏するようになっちゃったんだろう?
T.Rexは知らなくても「♪ジョコジョ~ン」なら知っている若者も大勢いることだろう。
このポスターはケルンでのコンサートの告知をしているんだけど、「年」が入っていないのでいつのことかはわからない。
「Bolan Boogie」と入っているのが手掛かりか?

400v『Bolan Boogie』は1972年にリリースされたシングルA&B面と未発表曲をコンパイルしたアルバム。
このアルバムのプロモーションのためのコンサートだったのであろうか?

Bbところで、T.Rexというと、もう悲しいぐらいにMarc Bolanばっかりだけど、言っておきますがこのチームは元々もうひとりMickey Finnというパーカッショニストのメンバーがいたんですよ!
そして、Mickey FinnはNATALのパーカッションを愛用していたんだから!
そこんとこヨロシク!

9percussion_group_1下は1978年、オッフェンバッハで開催されたTen Years Laterのコンサート告知ポスター。
Ten Years Afterじゃなくて「Later」ね。
我々の世代は、映画『ウッドストック』でAlvin Leeを知った人が多いのではなかろうか?
とにかくあの「I'm Going Home (by Helicopter)」の速弾きには本当にビックリしたものだった。
飛び起きたもんね。
私が『ウッドストック』を14歳で初めて観たんだけど、その時は『ウッドストック』はどうでもよくて併映の『バングラデシュ』がお目当てだった。
「ウッドストック・ムーブメント」なんてこともまだ知らないし、会場の設営シーンやインタビューやがダラダラ続くもんだからスッカリ眠くなっちゃって…。
そしてAlvin Leeが「アイムゴーインホーム…バイ……ヘリコプ(ゴニョゴニョ)」と曲名を告げた後に飛び出したアレ!
ビックリしたよ。
「そうか、このチョットこのシャクレたオッサンのグループはTen Years Afterというのか…」とさっそくアルバムを買いに行った。
多分『Ssssh』と『Watt』だったかな?『Stonedhenge』とか『Recorded Live』も持ってたけど、ロクに聴かないウチにいつの間にどれもなくなっちゃったナ。
Ten Years Afterの後に結成した、このポスターにあるTen Years Laterは1978年と79年にアルバムをリリースして終わったようだ。
昔、「Marshall祭り」というイベントを3回ほど開催したが、Marshallに頼んで外タレの派遣をお願いした時、Alvin Leeの名前が出てビビったことがあった。
ウッドストックの時もそうだったけど、この人Marshallだったんだよね。
しかし、右下の「+opening act」っていう表記が気になるね。
誰だったんだろう?

530vちょっとロック以外のアイテムも見てみようか?
Bob Marley & The Wailersの1980年のミュンヘン公演。
興味がないせいもあるんだろうな…日本にいるとそうでもないけど、ロンドンに行くとレゲエの影響力の強さを感じるんだよね。
「影響力がある」ということを感じたところでCDの1枚も買うワケじゃないんだけど。
イギリスはスペインの後のジャマイカの宗主国だからね。
1940年代の終盤から1981年までジャマイカからの移民を大量に受け入れた。
その関係なんでしょうな。
するとですよ、今、群馬のどこかがブラジル人一色とか、西葛西だかがインド人だらけなんて状況を見ると、日本からも何かおもしろい音楽が生まれやしないかな?なんて思ったりもするけど、日本人はまず無理だろうな。
9img_1024Bob Marleyと言えばやっぱり下のライブ・アルバムじゃない?
アレ?上のポスターって下のジャケットの写真を使っているのか。
さて、中学生の頃、このジャケットのレスポール・スペシャルを提げた黒人の写真を見て「この人絶対ジミヘンみたいにバリバリ弾くんだろうな…」と勝手に思い込んでいた。
今と違って何でも簡単に音源を聴ける状態ではなかったからね。
でも、レコードを買う勇気もなく、何かの拍子にBob Marley & The Wailersの音を聴く機会があった。
「何じゃ、この間の抜けた音楽は?全然ジミヘンじゃないじゃん!」と愕然としたのを覚えている。
当時はまだ「レガエ」と表記することも珍しくない時代だった。
それ以来、「現代音楽を聴きたい」と思うことは時折あっても、「レゲエを聴きたい」と思ったことは私の人生でただの一度もない。

Bml 下もコンサートの開催年が書いていないけど、さすがにアルバム『Get on the Good Foot』のレコ発ライブでしょうな。
となると1972年。
開催場所はベルリンになっている。
「ベルリンの壁」が崩壊したのが1989年だから、JBは冷戦のさなかに東側へ行ってコンサートを開いたのかしら?
来れこそ「冷や汗」。
そう、このアルバムには有名な「Cold Sweat」が再録されている。
そのアレンジをしたのが、なんとThe Manhattan Jazz Quintetで知られるDavid Matthewsらしい。
ジャズでは喰えないので、そんな仕事をしていたんだろうナァ。
私はファンク系の音楽も聴かないんだけど、タマにJBなんかを聴くとカッコいいね~。
でも1、2曲が限界。

390v次は『Jazz Ball 67』というジャズ・フェスティバルのポスター。
デザイナーはGunther Kieser(「ギュンター・カイゼル」って読むのかな?)という人。この人はまた後でご登場頂く。
Woody Hermanのオーケストラ、ニューオーリンズのフレンチクォーターにある有名なライブハウス「Preservation Hall」に因んで名づけられたPreservation Hall Jazz Band、そして、ディキシーランドの巨匠クラリネット奏者、George Lewisが出演したようだ。
だから後ろの2つはシデキだね。
シデキは聴かないんだよな~。
フェスティバルのタイトルにある「ball」というのは「楽しい時間」という意味のスラング。
久しぶりにイッパイやる相手に向かって「楽しもうぜ!」なんて時に「Let's have a ball!」と言ったりする。
何で「玉」が「楽しい時間」かって?
日本ではほとんど見かけないけど、由緒正しいホテルにはたいてい「Ball Room」という大きな部屋がある。
キューブリックの『シャイニング』で出て来るでしょ?ジャックがホテルの元支配人で幽霊のブレイディに会うシーンね。
ああいう「舞踏会」を開く設備を「ball」という。
だから「Have a ball!」なんて言うと「よい舞踏会を!」となって、「楽しい時間をお過ごしください」という意味になるワケ。
だから、Woody Hermanのところに「Tanz Mit」という黄色い吹きだしが付いてるでしょ?
コレ英語で「Dance with」という意味。
その昔、ジャズはダンスのための音楽でもあったからね。
さて、The Manhattan Transferの重要なレパートリーの「Four Brothers」でWoody Hermanの名前を知った人もいるかも知れない。
Zoot Sims、Serge Chaloff、Herbie Steward、そしてStan Getzという4人の人気のサックス奏者がWoodyのSecond Herdというオーケストラに集まって1947年に吹き込まれた曲が「Four Brothers」。

450vこの4人のソロに歌詞を付けて歌ったのがThe Manhattan Transferのヴォーカリーズ・バージョン。
収録アルバムは下の1978年の『Pastiche』。
「pastiche」とは「模倣作」とか「寄せ集め」とかいう意味で発音は「パスティーシュ」。
レコーディングのメンバーが多岐にわたっていてスゴイね。
Randy Brecker, Don Menza, Richard Tee, Steve Cropper, Jay Graydon, Donald "Duck " Dan, Steve Gadd, Jim Gordon, Jeff Porcaro,  Chrlie McCoy, Victor Feldman, ナゼかBuddy Emmonsまで参加している。
でも、一番のウリはその「Four Brothers」のサックス・セクションでしょうな。
Al Cohn, Jimmy Giuffre(作曲者), Lee Konitzという大御所にLewis Del Gattoという人を加えて「Four Brothers」を組んで見せた。
何かで調べたワケではないが、要するにオリジナルのWoody Herman Second Herdへのオマージュということなのだろう…と私は分析している。
そして、女性組のLaurel MasseはこのアルバムをもってThe Manhattan Transferを脱退。
Cheryl Bentyneを加えて翌年発表した『Extensions』が大ヒットして押しも押されぬ大スター・グループになった。
「Birdland」とか「Twilight Zone」が入っているアルバムね。
その後、1985年の『Vocalese』あたりまでは絶好調だったが、果たして今、The Manhattn Transferの名前を口にする人にここ数年会ったことがない。
特段私がこのチームのファンだというワケではないんだけど、人気を保つというのはいかに大変なことかと思ってサ…。
Weather Reportと共演したりするより、Laurel Masseがいた「Tuxedo Junction」なんかを演っていた時代の方がズッと好きだった。
80年代ってのは「音楽のイナゴの大群」みたいなモノだった。何も残さないでスゴイ勢いで通り過ぎて行った感がある。

Pasブレイク寸前にグループを辞めたLurelが地団太踏んで悔しがったかは寡聞にして知らないが、その後も歌手活動を続け、1984年にリリースした『Alone Together』というアルバムはメチャクチャ良かった。オススメ。

Lm一方のWoody Herman…私はほんの数枚しかアルバムを持っていないが、以前にも紹介したことがある下の『Thundering Herd』というアルバムはすごく好き。
「Thudering Herd」…さしずめ「雷組」ってとこか。
John Coltraneの有名な「Lazy Bird」をサックス・ソリにしてみたり、ナゼかFrank Zappaの「America Drinks and Goes Home」を取り上げてるの。
私はその渦中を大学生として、ロックよりもややジャズ寄りで過ごしたが、「美人ジャズ・ボーカル・ブーム」っていうのだけは全くヒドイと思っていた。
そもそも「ボーカル」じゃなくて「ボーカルズ」だし。
でもね、1986年ぐらいに富山の大きなコンサート会場の最前列で阿川泰子さんを観る機会があったんだけど、ステージ用の濃い目のメイクをしていたとはいえ、ものすごく美しい女性でかなり驚いたことがあった。

Th1972年のフランクフルト、Joe Cockerのコンサート。
ズラズラ色々と書いてある。
他に誰が出たのかな?
まず、Joeのバックを務めたのはChris Staintonのバンド。
StaintonはJoeの『Mad Dog & Englishmen』のツアーにも参加したJoeのお抱えキーボーズ奏者。Eric ClaptonやThe Who(『Quadrophenia』のレコーディングに参加)などとも仕事をしている。
おもしろいのはBoxerの『Below the Belt』以外のアルバム、つまり『Absolutely』と『Bloodletting』に参加していることか。
スペシャル・ゲストはHeads, Hands & Feet、Biggles、それに加えてサプライズゲスト。
Heads, Hands & FeetはAlbert Leeが在籍したイギリスのカントリー・ロックのバンド。ナンカ英語の童謡みたいなバンド名だ。
Bigglesというのはわからなかった…コレって「スペシャル・ゲスト」じゃなくて「前座」じゃないの?
それともドイツでは「前座」のことを「スペシャル・ゲスト」って言うのかな?
パッとこのポスターを見たらスゴイのがゾロゾロ出ていそうな感じがしたんだけどな…ハズレ。

460これまた完全にバンドのイメージとは関係なさそうなデザインのポスター。
このイラストだけでコレがEmerson, Lake & Palmerのコンサートの告知だと判別できる人がいたのかナァ?
残念ながら開催年が入っていないのでいつのモノかはわからないが「Super Group in Concert」となっているところを見ると、やはりドイツでもELPは大きな人気を誇っていたのでしょうな。
何度もMarshall Blogに書いているけど、2010年にロンドンでたった「1度だけ」の条件で再結成したELPを観たのは、ラスベガスで観たSummy Davis Jr.と並ぶ私の人生の宝物のウチのひとつだ。

420vエラく素直なデザイン。
でも、コレもダメだ。
上のELP同様、どこを見ても開催年が入っていない。
でも顔ぶれからすればMKIIなので1970年代の序盤ということになるのだろう。
この頃のことを調べていて驚いたのは、1972年の北米ツアーの時、ケベックでRandy CaliforniaがRitchie Blackmoreの代役を演ったことがあったとか…。
私が一番好きなアルバムは『Who Do We Think We Are』です。完全にCONCERTO MOONのノンちゃんの影響。
中学生の時、「Woman from Tokyo」しか好きでなかったが、ノンちゃんが「あのアルバムは『Woman from Tokyo』以外の曲がいいんです」とキッパリ言い切って、騙されたつもりで40年近くぶりに聴いてみたら…まったくその通りでスッポリとこのアルバムにハマってしまった。

470チッ!このポスターも年が入っていない。
でも、このデザインからすると、『The Dark Side of the Moon』と『Wish You Were Here』の間って感じかね?
すると、1973~1974年ってとこか。あるいは『Dark Side』のレコ発ヨーロッパ・ツアーだったのかしらん?
Pink Floydの人気っのは海外に行く度にいつもスゴイと思う。
今の日本のロックの状況を見ると、いよいよ攘夷が進み、まるで「ロックの鎖国状態」だ。
我々が若かった時分、すなわちロックの黄金時代の1970年代でも軽音楽のレコードの売り上げ比率の邦楽と洋楽の割合は、「洋」を大きめに見積もっても50:50だったらしい。
我々のようにずっとロック側にいる人間にとってこの数字は「洋」の比率が消極的のような感じがするが、幼稚園児からお年寄りまでが歌える流行歌がブンブン飛び交う「歌謡曲の時代」にあって、和洋の比率が50:50とは、「洋」の勢いがどれだけ大きかったかを逆に知るべきなのだ。
何しろ、YesのLP3枚組のライブ・アルバム『Yessongs』が売れて売れて、レコード会社の笑いが止まらなかった…という時代だった。
今、日本の若者に『狂気』を聴いたことがある人がどれぐらいいるんだろう?
ほぼゼロだろうな~?
イヤ、同じ質問を日本のロック・ミュージシャンにしてみるがいい。
同じく限りなくゼロに近い人数となるだろう。
『狂気』を聴いたことがない「ロック・ミュージシャン」なんて想像できる?最もビートルズのメンバーの名前さえ知らない人たちなのだからそれも不思議ではない。
海外の若いミュージシャンはと言えば…100%とは言わないが、「まったく聴いたことがない」という人はいないのではなかろうか?
日本が「ロックの後進国」たる所以はこういうところにあると感じている。
それにしてもこの頃のPink Floydのコンサートなんて…ホンモノを観てみたかったナァ~。

4801974年10月、フランクフルトのThe Sweet。
全盛期のSweetって観てみたかったナァ。
私はSweetや再結成後のAerosmithみたいなやり方を導入するのは日本の音楽界をおもしろく手法のひとつだと前々から思っている。
The Sweetは自分たちでもいい曲を作ったが、プロのソングライティング・チーム、Mike ChapmanとNicky Chinnの力を借りてヒット曲を世に送り出した。
同様に若いバンドさんたちは、キチンとクラシックまで勉強した音楽の専門家に作曲家に任せてはどうか?ということだ。作詞も同様。
もちろん編曲については何をかいわんやだ。
もう完全に出尽くしてしまった曲や詞のアイデアを乗り越えるには、昨日今日ギターを手にして作った曲がタマタマ当たった程度のにわか音楽家じゃ無理なんですよ。
上の『狂気』じゃないけど、勉強していないんだから無理だって。コレもインディーズや音楽の無料化の弊害なのだろうが、ナ~ニ、また時代を巡らせればよい。
クラシックの作曲家を目指した才能ある音楽家たちが、夢破れて腕によりをかけてティンパンアレイでミュージカルのためのヒット曲を作ったような状況にするのが今の音楽界を変える方法のひとつだよ。
私はコレを「ポップ・ミュージックの大政奉還」と呼んでいるが、
それでまた煮詰まったら、またそれをブチ壊すためのパンクみたいなムーブメントを起こせばいいじゃない。

410v1986年、コレもオッフェンバッハのStevie Ray Vaughanのコンサート。
私はSRVを全く聴かなかったのだが、この人は生前日本に来たことがあるのかしらん?
「Vaughan」といえばSarah Vaughan。Robert Vaughnという俳優もいたけど、最初は読めないよね~。「ヴァウガン」?みたいな。
アイルランドの名前らしい。
私がSRVについて言えるのはこんなことぐらいです。

500v<後編>につづく
本当は1本に仕立てようと思ったんだけど、脱線しているウチに長くなってしまったので2本に分けさせてもらいました。
<後編>の方がオモシロイと思う。Queenも出るし。
 

200

(敬称略 2011年3月 Frankfurut Musik Messeにて撮影)

2018年12月17日 (月)

私のフランクフルト <vol.5:2011年>

 
2011年、コレが「最後のフランクフルト」になってしまったことを認識して臨んだかどうかは全く覚えていない。
MUSIK MESSEは今も毎年開催されているが、もうMarshallがブースを出していない以上、事実上この時が私にとって最後の「メッセ」となった。

05ロック楽器の展示棟に入ると有名ギター・メーカーとその向かって左に我がMarshallのブースがあるのがお定まりの光景だった。
当時、この展示会はピークを迎えていたんじゃないかな~。
このロック系楽器の展示棟は4階まであって、この入り口に入ったすぐのところが一番いい場所なのね。
Marshallはそのロケーションを長年にわたってキープしていたんだから大したもんです。
それで、以前はこの建屋の4階あたりまで行くと、展示の数も少なく、スッカンスッカンだった。
イヤ、ズッと以前は3階までだったような気もするな…。
でも、この年は全館パンパンとまではいかないまでも、今までに見たことがない数の展示ブースが設置されていて、実際に来場者の数も目に見えて多かった。
この後、数年して檜舞台は上海に移ってしまったんだネェ。
9img_0964この年のMarshallのブース。

10目を惹くClass5のユニオンジャック。

30_2少しずつ造作に変化はあるものの、以前のように2年に1回大幅に展示設備を変えるという方法を採らなくなった。

20変化がないのでブースの造作については書くことがないな…。
こうして何度も海外への出張をしたけど、おかげさまで旅先で寝込んだり、怪我をしたり…なんてことはなかったナァ。
でも、あの時は相当疲れていたのか、ココへ来て口の中を思いっきり噛んでしまったことがあった。
みるみるウチに口の中で血豆が大きくなって、それが破けて口の中が血だらけになり…もうしばらくの間、痛くて痛くて…なんてことはあった。

23そうして幸いなことに一度も病院やお医者さんのお世話になったことがなかったフランクフルトだったが、警察のお世話になったことが一度だけあった。
ドイツ語で警察は「Polizei(ポリツァイ)」。
この独単語は一発で覚えた。
勘違いしないでよ、犯罪を犯したワケじゃない。
このMarshallが入っている展示棟の4階のハジっこに目立たないドアがあって、そのドアをくぐるとビルの事務所エリアになっている。
その一角にあるんだな…ポリツァイが。
閉会の翌日にホテルからスーツケースを携えて空港に行くのが普通の段取りだったのだが、どういういきさつだったのか思い出せないのだが、この時は開催の最終日にMarshallのブースにスーツケースを持っていくことになった。
多分、フランクフルトの後にMarshallの本社に行くことになっていたので、陸路でイギリスに帰るスタッフに頼んで、そのスーツケースを車に乗せて本社まで運んでもらおうとしたのだと思う。
朝、ホテルの前でタクシーを拾い、トランクにスーツケースを入れた。
同僚と車に乗り込み、つい車中でおしゃべりに夢中になってしまった。
コレがいけなかった。
メッセ会場の前にタクシーが止まり、料金を支払い、車を降り、Marshallのブースに向かってスタスタと歩き出した。
そして、「アレ?今日は荷物を持って出て来たような…」としばらくしてから気がついた。
そう、まんまとスーツケースをタクシーのトランクに置き忘れて来たのだ!
もちろん「ヤッベ~!」とは思ったものの、幸いパスポートや財布は別のカバンに入れて身に着けていたし、スーツケースの中にはそれ以降の少量の着替えと汚れた下着ぐらいしか入っていなかったので、下着とバッグはロンドンで買えばいいや…ぐらいにまずは考えた。
とはいえ、もしそのタクシーを捕まえることができて、愛用のスーツケースが戻ってくるのであれば、それに越したことはない。
そこで、古い知り合いのドイツのディストリビューターに努めるウーヴァに相談してみた。
会議では絶対に自分の意見を曲げることのないドイツ感丸出しの強豪な論客だが、こういう時には極めてやさしい。
「そいつぁ大変だ!」と言って、すぐに4階のポリツァイに連れて行ってくれた。
コレが私の人生初のポリツァイ体験。
担当してくれたのはとても若いおまわりさんで、ほとんど英語が話せないのでウーヴァがドイツ語⇔英語の通訳をしてくれた。
同じゲルマン語系言語だからといってドイツ人が皆英語がうまいと思ったら大間違い。日本人ほどではないにしろ、英語ができないドイツ人って結構いるよ。
で、どうしたか?まずはタクシー会社を探すわね。
運転手からもらったレシートをその若いおまわりさんに渡すと、そこに書いてある会社にすぐに連絡してくれた。
電話を切った後の表情が冴えない。
ウーヴァが「どうしたんですか?」と状況を尋ねると、「どうもこんな会社はないようだ」と言うのだ!
一度は諦めようとしたスーツケースだったけど、わざわざポリツァイまで来たとなると、おめおめと手ぶらで帰るのもモッタイない気持ちになって来る。
しかし、その若いおまわりさんがまたとてもいい人で、何やら片っ端からタクシー会社に電話をかけてくれたようで、しばらくしてウーヴァの通訳を介して私にこう伝えてくれた。
「今、そのタクシーは近くにいないが、運賃さえ払ってくれれば4時にこのメッセ会場まで持ってきてくれるそうだ」
私のスーツケースを積んだまま走り回っているタクシーを見つけてくれたのだ!
「ダンケシェーン」しか言えない自分が実に悔しかったが、そのおまわりさんには盛大にお礼を伝えた。
「東南アジアだったら絶対にこうはいきませんよ。ココがドイツでヨカッタですね」って!
そして、4時になって会場の車両専用の出入り口でタクシーが来るのを待っていると、少し遅れて見覚えのあるドライバーが運転するタクシーがやって来たので、約束通りメッセ会場に来るまでの運賃を支払ってスーツケースを返してもらった。
大した金額ではなかった。
スーツケースをMarshallのブースに持って帰ってウーヴァに見せ、丁重にお礼を言った。
「おお!ヨカッタね~!」とウーヴァも一緒に喜んでくれて、私にこう訊いた。
「シゲ、ところで運賃を支払ったのか?」
「そりゃ払ったよ、ココまで持って来てくれたんだから」
「どうして支払っちゃったんだ!」…と、ウーヴァはにわかに不機嫌になった。
彼が言うには、「その運転手はシゲがタクシーを降りるときに『忘れ物がありませんか?』と確認したか?しなかったんだろ?だったらシゲがスーツケースを下ろし忘れたのはその運転手のせいじゃないか!だから断じてシゲが運賃を支払う必要はない!」っていうのよ。
「ス、スミマセン…」と、ま、ウーヴァに謝ったりはしなかったものの、「コレがドイツ流なのか!」と考え方の違いに驚いたのは確かだった。
今、コレを読んでいる日本人の皆さん、どう思いますか?
「お前が忘れ物を確認しなかったからヒドイ目に遭ったんだぞ!」と、仕事を中断してワザワザ会場まで戻って来てくれたタクシーの運転手に言えますか?ま、お金をもらったてスーツケースを運んだ以上、それは割りのいい仕事だったことには間違いないんだけど。
コレが私の唯一のポリツァイ体験。
1polizeiそういえばこの年、前年にロンドンで開催された『HIGH VOLTAGE』というお年寄りのためのロック・フェスティバルに感動した私はMarshallに頼んで、会場に来ていたそのフェスを主催する「CLASSIC ROCK」という出版社の人を紹介してもらったっけ。
その年の夏に再び開催されるそのフェスをMarshall Blogで取材させて欲しいと申し入れたのだ。
建物の中は大層うるさいので、外のベンチに座って打ち合わせをした。
なんでそんなことを覚えているのかというと、すごく温かい日で、ブースに来ていたバーニー・マースデンがアイスクリームをペロペロ舐めていたのが可愛かったからなの。
結局、そのフェスには行かなかったので影も形も残っていない。フェス自体も2回開催してなくなってしまった。
実際、初年度のいい出演者を集めすぎて、2回目のラインナップがあまりもショボくて評判を落としてしまったと聞いた。 
私が行ったHIGh VOLTAGEはホントにすごかった。Emerson, Lake & Palmerや亡くなる直前のGary MooreやArgentを見たのは一生の思い出だ。
そのレポートはコチラ;
HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その2>
HIGH VOLTAGEの思い出 <その3>
HIGH VOLTAGEの思い出 <最終回>

26しかし、この光景なつかしいナァ。

65まだまだシグネチャー・モデルが盛んだった。
ザック、ムスティン、ケリー…

40vレミー、ランディ、スラッシュ…「時の流れ」を感じ得ない。
80v前年に亡くなったロニー・ジェイムス・ディオへの追悼モデル。

50v1942-2010って、ロニーって享年68歳だったのか…。
戦中の生まれだったんだね。
それでも1976年に武道館で観た時は34歳か…。「34」なんて言うとエラく若い感じがするな。私は14歳だった。
歳取ったな~、オレも。

60おお、入り口にJMD:1!
私はこのモデルが好きで、一生懸命プロモーションをした。
発売してから間もない頃、ポール・ギルバートがソロで来日して、このモデルを薦めると気に入ってすぐに使ってくれた。
25
実際にこのモデルを使っていた田川ヒロアキさん等にお願いして、まだそれほど盛んでなかったデモ動画をウェブサイトに載せたりした。
もう知らない人の方が多いだろうから少しだけ話をさせてもらうと、デモンストレーターの皆さんには好きなチャンネルを3つ選んでそれを活用した短いオリジナルのデモ曲を3つずつ書き下ろして頂いた。
その3曲に私が「J」と「M」と「D」が最初に来る曲名を勝手に付けさせてもらった。こういうことをするのが好きなんですよ、私は。
残念ながらもうそのタイトルは忘れてしまったが、ひとつハッキリ覚えている題名がある。
それは「Denbigh Road Run Down」と題したヒロアキくんがクリーン・トーンを使って作ったバウンス・ナンバー。
実はコレはテナー・サックスの巨人、ソニー・ロリンズのImpulse時代の『East Broadway Run Down』というアルバムのパクリなのです。
で、この「East Broadway Run Down」という英語を「イースト・ブロードウェイを駆け降りる」と訳していたのが、かの植草甚一さん。
「Denbigh Road(デンビー・ロード)」というのは、Marshallの工場の前に通っている道路の名前。
お昼になると工員たちはこの道路を通って、みんなでおしゃべりをしながら近くのTESCOというスーパーに買い出しに出かけるワケ。
ヒロアキくんの作った明るい曲が、その楽しそうな姿にマッチすると思ってまさに「デンビー通りを駆け降りる」というイメージだったのね。
ところが、大分後になって気がついたのは、このロリンズのアルバム・タイトルにある「run down」というのはダブル・ミーニングになっていて、「rundown」に「概要報告」という意味があることを知った。
「デンビー・ロード概要報告」という意味で取ってもいいんだけど、ヒロアキくんにはチョット悪いことをしちゃったかな?と思って…。
ああ、スッキリした。
長い間このことをどこかで懺悔しようと思っていたのだ!

Ebrd そうした効果が少しはあったのかどうかは知らんが、日本ではJMD:1の売り上げが他の国より大きかったらしい。
それで会議の時に、世界から集まったディストリビューターの前で「どうやってJMD:1をPRしたか」を演説させられたことがあった。
何の前触れもなく会議中に急に振られてチョット困ったが、マァ笑いは取ったかな…と。
英語で笑いが取れれば上出来、上出来!

70v「SHRED ZONE」か…これからもその面積をキープ、あるいは拡大し続けて欲しいものだ。

75vサイン会の時間が近づくとワサワサと人が集まって来る。

90In Flamesのビヨルン・イエロッテ。
この人、いい人なんだよ~。
何回か一緒になっていて、来日時に滞在していた赤坂のホテルの部屋にお邪魔したこともあった。
このフランクフルトの数年後に幕張で再会した時も「ヤアヤア!」と私の方を抱き込んで挨拶してくれたっけ…私のことなど覚えていないのに。
110vこの年のデモ・ルームのようす。
ジャ~ン、NATAL登場!
この時はまだEDENはMarshall傘下には入っていなかった。

120バーニーがブルースを演ってたけど、ギターも歌もメチャクチャかっこよかったな~。
こんなにコロンコロンになっちゃったけど、ひと度ギターを弾き出したらもう大変。
やっぱり日本人のロック・ミュージシャンが演るブルースとは、トーンやアーティキュレーションが全く違うんだよね。
こういうチョコっとしたパフォーマンスにこそ、向こうの人たちと日本人の間の音楽の歴史や食べ物に大きな差があることを発見するね。
歌もうまいんだよな~。
私のバーニー・マースデンはBabe Ruthであって、Whitesnakeのバーニーは知らない。
どちらかというと、「いつもニコニコしながらアイスクリームを舐めているオジさん」というイメージだっただけに、この時すごく感動したのを覚えている。

130vこの年からMarshallのブースとは別棟にある打楽器エリアにNATALのブースが開設された。

140結局、翌年以降はフランクフルトに行かなかったので、コレが最初で最後の私が見たMESSEのNATALのブースということになる。
こうして見るとエラく立派だったんだナァ。

160vNATALの原点であるパーカッション類もズラリ。

170エルトン・ジョンのバンドでドラムを叩いているというスイス・クリスというドラマーがデモンストレーションをしていた。
なかなかのコワモテさんだったけど、クリスはある理由で大変な日本ビイキで、私にはやたら親しくしてくれた。

180v1965年創業のイギリスの名門パーカッション・ブランドはいえ、当時日本に入って来なかったため、この頃はNATALの名前を知る人といえば、私をはじめとしたMarshallの関係者と私の家内ぐらいだった。
それがおかげさまで、今となってはドラマーさんたにちはもちろんのこと、ドラムスを演奏しない一般のロック・ファンの間にもその名前が浸透してきて、本当にうれしい限りなのです。

150ビックリしたのはヴァイオリンの武藤さん。
当時、和佐田竜彦さん、そうる透さん、小川文明さん、田川ヒロアキさんらと組んでいたSPICE FIVEというセッション・バンドに参加していたのがヴァイオリニストの武藤祐生(ひろお)さんで、何の予告も情報もなく本当にいきなり会場でバッタリと出くわしたのだ。
武藤さんはお使いになられているエレクトリック・ヴァイオリンのデモンストレーターとしてメッセに参加されていた。
バッタリ出くわした武藤さん、すかさず「ドイツ人のお友達はいませんか?」とおっしゃる。
この時は東日本大震災の発生から2週間ほどしか経っていなかった。
武藤さんはその犠牲者や被災者に捧げる詩のドイツ語訳を持参していて、現地在住のネイティブのドイツ人にその詞を朗読してもらい、録音して自分のステージで流したい…ということだった。
ドイツで困ったらすぐウーヴァ…ということで、ポリツァイの所で登場したウーヴァに頼んでみた。
彼は話を聞くと即座にOKしてくれて、武藤さんが持って来たレコーダーにその詞を吹き込んだ。
そして、武藤さんのヴァイオリンとともにウーヴァの朗読が会場に響き渡った瞬間が下の写真。
コレがよくヒロアキくんが時々思い出したようにステージで歌っている「♪ドイツでバッタリ~!」の真相。
「♪ドイツでバッタリ~!」は大変感動的なシーンだったのだ。

190vこの時は珍しく夕方からフランクフルトの繁華街に出かけた。
Marshallではないメーカーのパーティがあって、その会場に出向いたのだ。
ホラ、またロッキー・ホラーをやってる。
ホントに向こうの人はロッキー・ホラー好きだよ。

200vミュージカルの『Tommy』もフランクフルトに来たんだね。
日本は演らなかったでしょ?

210v桜のような木が美しい薄暮のフランクフルトの繁華街。
でも、どこか冷たい感じがする街なんだよな~。

220パーティの会場はなかなかのモノだった。

230昔は食料品の貯蔵庫、戦時中は防空壕というところかね?

240なんかドイツ感満点?

250トイレに行く通路もこの通り。

260このシリーズの最初の方の回で…フランクフルトという街は、「世界でも最も多くの人種が交錯している危険な街なので、夜のひとり歩きは厳禁」とMarshallのベテラン・スタッフに諭された…と書いた。
そんなことがあったので、仲間が滞在するホテルから離れた繁華街を夜間にひとり歩きするようなことは一切しなかったが、この時はひとりではなかったので酔い覚ましに少し夜の街の散歩を楽しんだ。
私のような品行方正な人間にとって、明るいうちに見ておもしろくない街は、夜もおもしろくないワケで…。
でも、この建物は昼夜を問わず目を惹いたな~。
「旧オペラ座(Alte Oper Frankfurt)」は1880年だからそう古いモノではない。
…と言いたいところだが、元の建物は1944年の連合軍の空爆によって廃墟と化してしまい、一時は撤去されそうになったが、「ドイツ一美しい建物」の呼び声も高かったため、市民の抗議や寄付金によって外部を完全に復元する形で1981年に復活した。
その際、内部は従来の歌劇場の様式ではなく、多用途に使える普通のコンサート・ホールにしたそうだ。

2701880年のオープン時のコケラ落としはモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』で、時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世と皇太子(のちのフリードリヒ3世)らが客席にいたそうだ。
その後、ワーグナーの最新作や、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニなどの著名なオペラが次々に上演された。
カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』も1937年にココで初演されたんだって。
『カルミナ・ブラーナ』もサ、初めて聴いた時は「カッコいい!」と思ったけど、テレビのそこら中で安易に使われているもんだから、最も聴きたくないクラシックの曲の筆頭になっちゃったよ。
「それではお答えいただきます!」みたいな大決心のシーンでは必ず「カルミナ」じゃん?…ウンザリ。
ロックでは「B〇〇n」、ジャズ/フュージョンでは「S〇〇〇n」、クラシックでは「カルミナ」。
コレが私の「3大耳タコ曲」。家では絶対に自発的に聴かない。
世の中、他にもいい曲がいっくらでもあるんスけどね~。

280下は駅前にあった中華料理店でのひとコマ。
ホテルの近くにも中華料理屋があって、以前ニコ・マクブレインなんかと食べに行ったことがあったんだけど、マ~ズくて、マズくて…。
ある時駅前を歩いていて、ゼンゼン中華風ではない出で立ちのこのお店を見つけて入ってみた。
餃子が恋しかったんだね。
お店に入って早速餃子を注文すると、中国人のウエイトレスが「大丈夫ですか?」と訊いてくるんだよね。
「ハ?ナニが?」と尋ね返すと「量が多い」と言う。
こっちは腹ペコだったし、恋しい餃子がもうすぐ食べられるとあって「ゼンゼン大丈夫!」と答えたものの、出で来た餃子を見て驚いた。
直径5cmはあろうかという真ん丸でキツネ色の物体がすき間なく皿一杯に乗っかっている。
数えると19個!
それでも行けちゃうような餃子ラブ。
しからば醤油に、ラー油タップリとお酢少々…と。
ところが!ないのよ…それが。
テーブルの上に乗っていのは、大きめの醤油さしのようなガラス容器に入った黒酢のみ。
この黒酢だけで喰えっていうワケよ。
「エ~!酢は苦手なんですけど~!」と思ったけど、食べてみたらとてもおいしくて19個ペロリ。
 
…ということがあったので、この年も予定が空いていたので「世界中どこへ行ってもやっぱり餃子とビールでしょ」なんて言いながら、その中華料理店に行った。
予定通り、ビールで餃子を流し込んでいると、若い女性が「あの~、おひとりですか?」といきなり声をかけてきた。
流ちょうな日本語だったので「はい、そうですよ」と答えると、「ボク、日本語の勉強をしているんです。日本語の練習をさせてください」と、その女の子が勤め先の名刺の漢字表記の自分の名前にカタカナで読みがなを振って私に差し出してきた。
名刺を見ると、メッセに出展している台湾の会社の方々だった。
そして、「一緒に飲みませんか?」と誘ってくれるので、ホテルに帰っても寝るだけだし、ありがたくお誘いを受けることにした。
そしたら、盛り上がっちゃって、盛り上がちゃって!
ナニでそんなに盛り上がっちゃったのはサッパリ覚えていないけど、日本語と英語が飛び交って、メチャクチャ楽しかったナァ。

290もうとにかく飲め!飲め!とエライ騒ぎになっちゃって、最後にお勘定の一部を支払おうとしたら、ガンとして一銭も受け取らない。
押し引きしていても仕方ないので、お言葉に甘えてこの場はありがたくごちそうになった。
翌日、この方々のブースを探し出して、余分に持って来ていたお土産をお渡ししてお礼に代えさせてもらった。
下の写真以外にも全員とツーショットまで撮っちゃいましてね。あまりにも恥ずかしいのでココには載せない。

300コレで「私のフランクフルト」は終わり。
ま、酒席の写真で終わるのもナンなので、ゴメンナサイ、「スピンオフ」と称してもう1編だけ記事を上げさせてください。
それはオールド・ロックファンに、多分、楽しんで頂けるような内容になるハズ。

285<次の『スピンオフ』でおわり>
 

200 
(一部敬称略 2011年 Frankfurt Musik Messeにて撮影)

2018年12月 6日 (木)

居酒屋でぃ~どらいぶ <2018年10月の巻>:ちょっとだけ「私のパブ」

 
前回、ロンドンのハマースミスの記事でビールやらパブをフィーチュアしてお気に入りの記事が書けたことに気を良くして、もうチョットだけつなげておこう。
イヤイヤ、「つながり」と言えばそれどころじゃなかったんだ!
Marshall Blogがスタートして以来、毎回欠かさずご覧頂いているギタリストの三宅庸介さんが、そのハマースミスの記事の中にご登場頂いた私の思い出の人物を偶然ご存知でいらして、facebookでつないでくだすったのだ。
30年ぶりのサイバー再会!
Marshall Blogなんてやっている割に私は、ITテクノロジーの過剰にして無謀な進歩を快く思わない者のひとりだが、こういう使い方はいいね。
「OK、facebook、座布団1枚あげる」と言いたい。
あ、ウチはアレだけは絶対にやりません。アレが将来どういう風に使われるのかを考えたらコワくてとても手を出せません。
Marshall Blogはコレだけではなくて、もうひとつスゴイことへの橋渡しをしてくれて、今、その案件の実現に向けて着々と準備を進めているところなのだ。
なんだなんだ、素晴らしいじゃないかITテクノロジーは!…ナンチャッテ。こう時だけは味方にしておくことにしよう。
 
ということで今日は「パブ」ではなくて「居酒屋」。
ユックリ座ってイッパイやりながらD_Driveの演奏を楽しむ『居酒屋でぃ~どらいぶ』の2回目のレポート。

10_2その前にもう1回ロンドンのパブの様子を『居酒屋』につなげておこう。
だって大スキなんだもん!
下はソーホーのパブ。
渋谷のライヴハウスのように、ソーホーには数え切れないほどのパブがある。
昼間の店内は完全に隠居したとおぼしきおジイさん数人がボ~~~っとしているだけだが、夕方になると全てのパブがこういう光景になる。
「黒山の人だかり」だ。
ココは庶民的なオッサンが多いな。

20次はカーナビ―・ストリートの脇道に入ったところにある店。
元々車は入って来ない通りとはいえ、堂々と道路の真ん中まで店舗を広げちゃう。
日本ではとても考えられないが、ロンドンではコレが当たり前のやり方。
この人たち何も好き好んで外に出て飲んでいるワケではないのよ。
もちろん中にはそういう人もいるけど、店内がもうパンパンで立錐の余地がないの。
勘定は基本的に全て「キャッシュ・オン・デリバリー」。
つまり商品と現金の引き換えで単純明快…というか、こんな状態だと後払いなんてことは到底不可能。
チップが要らないのがありがたい。
でも、割り勘のやり方が厄介と言えばチョット厄介。
何人かで飲みに行くと、全員の分を誰かが代表して順番で払うことになる。
どういうことかと言うと、全員の飲み物がなくなったのを見計らって誰かが「じゃ、今度はオレが払うわ!」とそこにいる全員分の飲み物を買いに行く。
そして、その飲み物がなくなると、今度は「んじゃ、今度はオレね!」といって次の人がカウンターへ行って全員分の飲み物を買ってくる。
じゃ、10人で飲みに行ったらどうなるか?
順番が回って平等に支払が済むまで飲み続ける。10人なら10パイント。1人当たり5.7リットル。中ビンあるいは500mlのロング間で6本。ビールばっかりそうは飲めんよ。
まぁ、10人でパブに繰り出すなんてことはまずないからコレは心配ない。
パブに来ている人たちを見ていると、普通はたいてい1人か2人。せいぜい4人連れぐらいまでかしらん?
以前フランクフルトで3人のイギリス人とパブに行ったことがあった。
3杯飲んだところでいよいよ次の支払いは自分か…と覚悟を決めたところでお開きとなり、私の支払いはなかった。
普通だったら「じゃ次回は私が!」というこうことになるんだろうな…ごちそうそうさま、気の毒だが次回はない!

30この美しいこと極まりないレドンホール・マーケットでも夕方になると…

36ワイワイガヤガヤ。
世界の金融の中心地、シティが近いとあってココはスーツ姿のビジネスマンの姿が目立つ。
みんなカッコいいんだわ~。
さっきのソーホーの様子とはゼンゼンちがうでしょ?
こうしてエリアによってお客さんが異なるのを観察するのも面白い。

37そして、ひとしきり飲んだ後はこの通り。
平気でグラスを置いて帰っちゃう。
コレは男性3人に女性が4人のグループだな。
というのは、女性はあんまりビールを飲まない。
ジン・トニックだとかワインを好んで飲むようだ。
ウチの家内はイングリッシュ・エールが大好きなのでそんなことはお構いなしにパブでオーダーしちゃう。
ウマいもんはウマいのだ。
もちろんパブの人は女性がビターを飲もうが、スタウトを飲もうがゼンゼン気にしない。

50外壁にはたいていこういう細い板が取り付けてあって、コレをテーブル代わりに使う。
やっぱりみんな飲んだら飲みっぱなしなので、事後にはこのでっぱりに空のグラスがズラ~っと並ぶことになる。
しかし、パブもいい加減すごい数のグラスを保有しているよナァ。

35次…トラファルガー広場から少しこのあたりはいつもお巡りさんが厳重に警戒している。
この写真じゃわかりにくいと思うけど、門扉の向こうに黒い壁の建物が見えるでしょう?

70vよくイギリスの総理大臣が記者会見を開いている場所がココ。
つまり、イギリスの首相官邸。
「ダウニング街10番地(Number10)」と呼ばれ、この名前は官邸またはイギリス首相の代名詞として用いられる。

92mayね、ドアに「10」って表示があるでしょ?
それとこのネコちゃん。
ダウニング街では昔から多くのネズミが住み着いており、16世紀初頭からネズミ捕り兼ペットとしてネコを飼うことが多かった。
首相官邸もその例にもれず。
そして、1924年からは「首相官邸ネズミ捕獲長(Chief Mouser to the Cabinet Office)」として正式にネコちゃんを「雇用」している。
今の捕獲長は「ラリー」というネコらしい。
ナント、身分は「公務員」で年100ポンド(=15,000円)の給料が支給される。
ネズミをたくさん捕るとボーナスが出る…かどうかは知らない。
こういうシャレっ気がいいんだよな~、イギリス人って。
くだらないことをマジメにやる。

10dそのすぐ近くのパーラメント・ストリートというところにあるパブも夕方になるとコレ。

60コレはリヴァプール・ストリートの駅前にある古いパブの店内。
こういう古いパブは空いている時は大変静かで実に落ち着く。
我が家もロンドンのパブ並みに古いので、まるで家に帰って来たようにくつろぐことができる。
ユッタリとイングリッシュ・エールの香りとノド越し、そして独特の苦みを味わうのだ。
中には博物館かと思わせるような古式ゆかしく、貫禄のある造作のお店もあって実に興味深い。
サッカーやクリケットの試合をテレビで流している店だったり、Witherspoonのように大型のチェーン店だとこうはいかない。

80このパブの文化っていうのはいいよね。
イギリスの家はみんな小ぶりなので、普段は人を招き入れることをあまりしない。
会社の同僚とちゃっとイッパイやろうにも日本の居酒屋のように食事をしながらワイワイ騒いで飲むスペースもない。
かといってレストランに行ったら勘定に目を回すことになるし、そもそも大声で話したりすることは禁物だ。
そこで、勤め先からの帰りがけにパブへ寄って、気の合う仲間と会社や上司の悪口を楽しむ。
「そうなんだよ、会社の給料なんてサ、7割は『ガマン代』なんだよな!」
「そうそう、オレなんか9割だぜ!」…なんてやっておいて、1パイントだけエールを飲んでサッサと家に帰って家族と食事をする。今の為替レートなら700円ぐらいか?
ロンドンの中心街にあるパブでは食べ物は扱っていない。
ああいう生活を見ていると、働き方や酒の文化が日本とオッソロシク異なることを思い知らされる。
日本は永久にマネできまい。

90コレはアールズ・コートのパブ。
この赤い天井ね、他のパブでもよく見かけるんだよ。
パブの天井の定番素材なのかしらん?

100そしてやっぱりコレだよね。
せっかくなので写真はFuller'sのものにした。
イギリス人はコレじゃないと「ビール」って認めないから。
いつも100%以上冷静なウチの社長が、アメリカでレストランに入った時、瓶ビールしか置いてないことを知ってメッチャ不機嫌になってたからね。
あ、それと地方のホテルで開催した社長の結婚10周年記念パーティに出席した時、会場のビールサーバーにはラガー・ビール(日本で普通に出て来るヤツ)しかなかったのね。
それを飲んでいた私を見つけた社長は、私がイングリッシュ・エールが好きなのを知っていて「シゲ!ビターは下の階だ!」、「シゲ!下の階に行けばビターがあるぞ」、「シゲ、下のビターは飲んだか?」、「シゲ、ビターはうまいか?」…わかったから!と言うぐらいしつこく…イヤ、親切に面倒をみてくれた。
それぐらいイギリス人ってビールにマジなんですよ。
そんな本場で飲むビールがうまくないワケないよね~。
 
110コレを書いていてフト気が付いたんだけど、パブでビールを頼むと、そのビールの銘柄のロゴが入ったグラスに注いでくれる。
例えば、上のハンドパンプ(ポンプ)でLondon Prideを注文すると下の写真のようにLondon Prideのロゴが入ったパイント・グラスを使うワケ。
もちろんHob Goblinを頼めばHob Goblinのロゴが入ったグラスを使う。
それを見て、「ずいぶんシッカリやってるナァ」といつも思うんだけど、こういうことをするのは全部が全部ではないかも知れないけど、ビール会社が経営しているパブだからなんだね。
宣伝のためにビール会社が自分の会社の製品のロゴが入ったグラスをパブに支給してるんだ。
イケね、こんなにイギリスのビールのことを持ち上げちゃったんで、この後がやりにくくなってしまった。

710ビールといえば本八幡ですよね~!
今日もこの4人と「ドライビング・ロック」で盛り上がろう!

120Seiji

130vYuki

140v_2Toshiyuki

150vChiiko

160v宴会らしくアタマっからハデに行くぞ~!(「宴会」ではないか?)
まずはSeijiさんのリフから!

170v_4d「Attraction 4D」だ!

180そのまま続けて「M16」。

190_m16もちろん今日もリズム隊は絶好調。

200v濃密なコンビネーションが気持ちいい!

210「M16」の見せどころ。
SeijiさんとYukiちゃんの押したり、引いたり。

220智にはたらけば角が立つ…情にサオさせば流される…

230意地を通せばキュウクツだ…とかくこの世は生きにくい。
…なんてこと考えてんのかね?
なんでやねん?イヤ、押したり引いたりしてるからさ。

240もう1曲続けて「Cassis Orange」。

250_co来るね~、今日も。

260vノッケからMarshallサウンド全開!

S41a9206 「こんばんは~、D_Driveです!
『居酒屋でぃ~どらいぶ』にお越し頂きましてありがとうございます。
今日も後でセッション・コーナーがありますからね、ご参加になる方は緊張して待っていてくださいね!
フリー・タイムの後にはジャンケン・コーナーもあります。
今日楽しい1日を過ごしましょう!」

280v_2ギターを持ち替え。

290_gr曲はYukiちゃん作の「GEKIRINー逆鱗ー」。
300vこないだ、コレを1曲目に演奏してヨカッタよね。
アレは意外な発見だった。
175v次のMCではSeijiさんが新しく作ったギターを紹介した。
ポジション・ドットが光るヤツね。

90r4a9737 するとToshiくんが「イードゥン」と正確なネイティヴ発音を交えてEDENを紹介!

330コレがToshiくん愛用のイードゥン。
今日はWT-800とD410XSTのフル・スタック。

340vすると、私が目の前にいるもんだから「コイツァいかん!」と思ったのか、Seijiさんも愛用のMarshallを紹介。

345v今日のSeijiさんは、ヘッドはいつものDSL100EC。
でもスピーカー・キャビネットは1960BX。いつもは1960AXね。

346vこうなるとダマっていられないのがChiikoちゃん。
「そんだったらワタシだって!」とNATALを紹介してくれた。

350ウォルナットのキット。

360コンフィギュレーションは10"、12"、16"、22"。

370スネアもマッチドの14"×5.5"。
このキット、手に負えないぐらい音がいい!
叩き手がいいからなんだけどね。

380ありがたいバンドだな~、D_Driveは!
さて、今度はYukiちゃんがMarshllを紹介する番だな?…と思ったらアララ?280v_3しからば、私が。
Yukiちゃんはいつも通りのバックライン。

390vTSL100と1960Aのコンビネーションだ。

400vでは、新しいギターで「Gradation」を!

410曲はガラリと替わって「Mr. Rat Boots」。

420_rat軽快なスピード・チューンでますます盛り上がれ!

425v定番のToshiくんフィーチュア。

430ディストーション・サウンドで思いっきりブチかます!

440vいつも通り後の方でSeijiさんがワウペダルを踏んでいま~す。

450「Rat」で大騒ぎした後はYukiちゃんフィーチュアのバラード「Unkind Rain」。

460vスローな曲でもビシっとキメるところはキメてくれるChiikoちゃん。
このメリハリがいい。

461「さて、あと2曲でセッション・タイムに入ります。ご参加になる方は心の準備をお願いします!」
なんか、やたらとプレッシャーをかけるYukiちゃん。
「いいニオイがしてきて若干お腹が空いてきましたよ!」

9s41a9513 で、「Lost Block」。

462sv_lbD_Driveのワルツ。

463v重要なナンバーだ。

465セッションの前のもう1曲は「The last Revenge」。
しつこいようだけど「居酒屋甲子園」のテーマ。

670コレも人気曲だでね。
大いに盛り上がった。

270v「それではセッション・コーナーいきます!まずは'Runaway Boy'から」」

470v別名「Seijiさんの休憩コーナー」。
Seijiさんの曲が選ばれると、どうしてもメイン・パートを担当しているSeijiさん役で出演する確率が高くなる。
それにYukiちゃんとツイン・ギター演りたいよね。

480_rbトップバッターでご登場頂いたのは中村さん。

490vホント、このコーナーに出て来る方々はみんなバッチリなんだよね。
ま、そうでなきゃ出て来ないだろうけど…。
中村さんも完璧にSeijiさんのパートを弾きこなされていらした!

500続いてはベース!
お、ベースでの参加者を初めて見た!
ハイ、Seijiさん戻って。Toshiくんは休憩。

510_hdh中野からお越しの沢さん。
Toshiくんのベースを拝借しての演奏。

520vコレまた完璧な演奏!
で、皆さん決まって「イヤ、練習して来なかったんですよ!」とおっしゃる。
どうせ完璧な演奏をされるんだから「バッチリやって来たぞ!お前ら少しでもミスったらブッとばすかんなッ!」とD_Driveにプレッシャーをかけちゃえばいいのに!
そんなファンはD_Driveにはいないか…。

530もうおひと方はまたSeijiさんパート。
ハイ、Seijiさんまた休憩。

540「Cassis Orange」を演奏されたのは「さいしょ」さん。
「最所」さんかな?「税所」さんかな?
いずれにしても「さいしょ」さんという方は九州に多くいらっしゃるようですな?
なかなか珍しいお名前でしょう。九州は珍名さんの宝庫だからね。
一番は「牛糞」さん。
この名字の方は戸籍上で改名してしまってもう「牛糞」姓は絶滅されたらしい。
私がお会いした中で九州最強は「上段」さんだ。字面はおとなしいが読み方でブッとんだ。その読み方は各自で調べてください。
最近では何と言っても富山からエントリーされた「瘧師(ぎゃくし)」さんだ。このお名前には本当に驚いた。
あ、ゴメンナサイ!珍名さんに目がなくて…。

550vさいしょさんも、何のよどみも引っ掛かりもなくスラスラと「Cassis Orange」のSeijiさんパートを披露してくれた。
しかし、皆さんホントにお上手ですよ。
このコーナー、他流試合をやったら絶対にオモシロイよ。
D_Driveで使われていない楽器の人が一緒に演奏するねん。
管楽器だとキーの問題があって実現はムズカシイかもしれないけど3管で「M16」のテーマなんかを吹いたらカッコいいんじゃん?
個人的にはマリンバとかで聴いてみたいナァ。
後は擦弦楽器。
ヴァイオリンもいいけど、チェロがいいな…ツイン・チェロ。
ええい!もうこうなったら2 CELLOSと一緒に演ったらどうなのよ!
エ?オマエ酔っぱらってるんじゃないのかって?いいえ、私は酔っていません。車ですから。

560お楽しみのフリー・タイム。570メンバーとファンの交流タイム!

580もちろん話題は政治経済と世界平和に関することだ。

590今回は盛りだくさんだな…。

600今度はじゃんけん大会だ!
640D_Driveのメンバーとジャンケンをして、勝ち残った人がそのメンバーが持参したグッズをもらえるよ。
620「最初はグー」
考えてみるとこの「最初はグー」って一体なんの意味があるの?
元はドリフなんだね。
いつの間にかやるようになったよね。私はやらないけど。
この後に続く文句があったが、今では「最初はグー」だけになったそうだ。
意味合いとしてはジャンケンのイントロみたいなもんらしい。
いきなり「ジャンケンポン!」とやるのではなくて、「さいしょはグー」と1小節加えることによって「ジャンケンポン」のタイミングをバッチリ合わせることができるんだと。
面倒じゃん?
そういえば「ジャイケンホイ」ってやる地方があるでしょ?
「ジャイケン」ってなんだろう?

610Toshiくんがスゴかった。
ジャイケンの勝者にストラップをプレゼントするのかと思ったら、ベース本体をあげちゃった!…ウソですよ~。

630最後にもう1曲。
「Champaign」を持ってきた。
私は最近この曲がお気に入り。

660_cpそしてアンコールで「Screw Driver」をプレイして演奏のコーナーを締めくくった。

0r4a9549

680v_2

690v_2

700v「Dの進撃」は続く…。
さて、今週のD_Driveはまた東京です。
明日7日のは今年も高田馬場DXでYukiちゃんのバースデイ・ライブ。
軽々と手にしているのはバースデイ・プレゼントではありません。

720v翌8日は西川口Heartsで真壁六郎太のところとダブル・ヘッドライナー+アルファ。
「ツーマン」でも「スリーマン」でもありません。
タイトルがいいよ!…「Valve Maniacs」だもん。「valve」はイギリス英語。
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive OFFICIAL WEBSITE

Nh あ~、イングリッシュ・エール飲みたい。
この色!この泡!この温かさ!
タマりまへん。
そういえばMarshallビールどこへ行った?710 

200

(一部敬称略 2018年10月12日 本八幡Route Fourteenにて撮影)

2018年11月15日 (木)

私の女王様

 
え~、「女房と畳は新しい方がよい」…なんてことが昔から云われておりまして…。
 
畳は間違いなく新しい方がいい。
ウチは残念ながら改装した時に畳の部屋がなくなってしまったが、あの青々としたイグサのいい香りを味わうことができるのは日本人の特権のひとつだと思っている。
子供の頃、家の畳が入れ替わるのがとてもうれしかった。
一方、女房は「古女房」なんて言葉もある通り、同じ世代の相手と長年連れ添うことはは、とてもいいことだと私は思う。
何が一番いいって、話題がピッタリじゃん。
ウチは夫婦が全く同じ年なもんだから、同じテレビ番組を見て、同じ流行歌を聴いて育っているワケ。
歳をとって来ると昔を懐かしんで「あ~、そんなのあったね!」なんてやるのも楽しいもんですよ。
さすがに前のオリンピックはまだ2歳だったので何も覚えていないが、万博とか、ダッコちゃん、三億円事件、ノストラダムス、あさま山荘、笠谷、佐藤栄作とニクソン、アポロ11号、光化学スモッグ、チクロ、PCB、横井さんや小野田さん、紅茶キノコ、ユリ・ゲラー、アメリカン・クラッカー、そして大量のヒットソングなどなど。
そんなことを話していると結構話題に上がるのがQueenなんだよね。
そう、このお方、ハーマジェスティ、エリザベス2世。
相当イギリスに通っている私でも実際にお会いしたことはない。
そのうちソーホー辺りのパブでバッタリ出くわすだろう…「ハイ、リジー!」なんてね。アホか!

20もしくはコチラ、1世さん。
ヘンリー8世と2番目の奥さん、アン・ブーリンとの間にできたお嬢ちゃん。
ウチ、「八っつあんモノ」好きだから。八五郎じゃないよ、8世ね。
1588年、「アルマダの海戦」でスペインの「無敵艦隊」を破ってイギリスを世界の一等国に引っ張り上げた女王。
「オレって最強?」よろしく、「無敵艦隊」なんてスペインもずいぶんと大仰な名前を付けたことよと思ったがさにあらず。
スペインを打ち破ったイギリスが、自分たちのスゴさを喧伝するために「スペイン無敵艦隊」と呼んだらしい。よ~やるわ。

30vでも同じエリザベス1世を演るならこっちのお方の方がいい。
デイㇺ・ジュディ・デンチ。「デイㇺ」は男性で言うところの「ナイト」。

40それと、やっぱりバンドのQueenね。
私たちの世代だと、「Killer Queen」の大ヒットの直後ぐらいからリアルタイムで意識するようになった感じかな?
Queenが出ていないミュージックライフの号はなかったし、「ぎんざNOW」ではしょっちゅうフィルムが流れていた。QueenとBay City Rollersば~っかりだった。
そもそもあの頃はヤングもまだ「銀座」だもんね。断じて渋谷ではない。
我々が大学ぐらいまでは「渋谷」ってのはとてもいい街だったんだよ。今はホントにウンザリさせられる。
だいたい「ヤング」なんて言葉も死んだもんね。今はなんて言うんだろう?
当時、つまり中学の頃、家内のクラスはKISS派(硬派)とQueen派(軟派)の対立が盛んだったというんだよね。
いい時代だナァ。
一方、私はといえば、Queenが好きではなかった。
「女の子たちのアイドル」というイメージが強くて、どうも苦手だった。
それといつもの調子で、人と同じことをするのがイヤで、そういう流行り物には一切近づかなかった。
だからKISSもダメだった。
ウチにはいまだにKISSの音源はレコードもCDも1枚もない。あるのは初来日の時のコンサート・プログラムだけ。あのコンサートは本当にヨカッタにゃ~。メッチャ感動したわ。でも全くファンではない。
その頃ってナニを聴いていたかな?Toddとか?とにかく「♪ドンドンパン」が出る前にはFrank Zappaに夢中になってたのは覚えている。
  
しかし、スゴイね~、facebookを見ていると、皆さん『ボヘミアン・ラプソディ』だらけじゃないの!
まぁ、私なんか上に書いた通りで、絶対に観に行くワケがないのよ。
しかも、今映画ってひとり1,800円もするのね!
数か月前に新宿の映画館で『スパイナル・タップ』を観たんだけど、関係者としてご招待頂いたのでチケットの値段は知らなんだ。
その前はロンドンの『ナショナル・ギャラリー』のドキュメンタリーを観に行ったけど、3年前のことだったので、入場料のことなんか忘れてたよ。
でもね、行っちゃったのよ……「ボヘラ」を観に!(「ボヘラ」はどなたからかのパクリ)
観に行った理由はね…「夫婦どちらかが50歳以上」という割引があるのを知ったから。
1,800円が1,100円になるの。
ああ~、自分がこんなサービスを受けられるようになるなんて「Killer Queen」が流行っていた頃には想像したことすらなかったよ。
でも、コレだけじゃない。
Marshallの連中が「アレ、すごくいいよ~!絶対に観た方がいい」と強力に薦めてくれたのだ。
イギリスの人が言うんだから間違いないだろう…と思って、「じゃ、行ってみっか!」と軽い気持ちで家内を誘って、ガラガラであろう平日に行ってみることにした。
そしたら、結構入ってた。
客層は予想通り年配の方々ばっかりだったね。

10…と、いうことで、今日は映画『ボヘミアン・ラプソディ』の私なりの感想とウンチクを少々書き記してみたいと思う。
 
その前にもう少し私のQueen遍歴を…。
上に書いた通り、アンチQueenの私だったが、大学に入って間もない時、軽音楽部に加わらせてもらい、どういういきさつだったのかは覚えていないが、Queenのコピーを演ることになった。
その時点で生まれて初めてQueenのLPレコードを買った。
アンチとはいえ、以前から密かにカッコいいと思っていた「Keep Yourself Alive」を演りたかったので、明治大学の生協でファースト・アルバムを買った。
大学の生協ってレコードが1割引きだったんだよね。
『The Game』の頃かな?そういえば、周囲のヤツらは『The Game』のことを「メンコ」って呼んでたわ。「銀メン」ってあったでしょ?アレのこと。
Queenのファンの連中って当時やたらと『Queen II』をススメるんだよね。「特にB面がいいんだよ!」って。
私にはどうもピンとこなかったナァ…今でもわからん。素直に『Sheer Heart Attack』の方が魅力的だと思う。
で、結局演ったのは「Death on Two Legs」だけだった。
確か私が部室で外道の「香り」のリフを弾いた時、先輩が「あ、ソレ知ってる!『外道のテーマ』だよね?」と言った瞬間にイヤになった。
「香り」というタイトルが出て来なかっただけで、私にとってはその先輩はロックに関しては無知に等しく、失格なワケ。
私はやっぱりもっとマニアックな音楽の方が性に合うし、人とは違う行動がしたくてすぐにクラブを離れてライブハウスの世界に戻った。
私はそれほどロックが真剣に好きだった。1980年の話ね。「80年代のロック」が出て来る前の話。
 
さて、もうそのファースト・アルバムはとっくの昔に処分してしまってウチのレコード棚には入っていないが、手元にいくつかQueenのアイテムが残っている。
まずはシングル盤。
デへへ、アンチ・クイーンの「Queen Killer」を気取っていながら、好きな曲のシングル盤を少し買っていたんだね。
でもね、この「Bicycle Race」にはビックリしたね。ラジオで聴いてすぐにこのシングル盤を買いに行った記憶がある。後年『Jazz』を買ったけど、この頃はまだLPを買うことに抵抗があったのか、お金がなかったのかは覚えていない。
ちなみに海外の人が「bicycle」という言葉を使うのをほとんど聞いたことがない。「bike」って言うんだよね。で、オートバイは普通「motor cycle」。
でもコレは当然のことで、冷蔵庫のことを「refrigerator」なんて言わずに「fridge」って言うでしょ?
アレと同じ。
「bicycle」の短縮形が「bike」。我々は「バイク」と言うとすぐにオートバイを思い浮かべてしまうけど、コレも和製英語の良くないところ。
「Killer Queen」は「Seven Seas of Rhye」とのカップリングで両A面だったんだね。この「Seven」を好きな人って多いよね。

70それとこのライブ盤。
当時はカラー・レコードが珍しくて、それに惹かれて買った。

80後はコレかナァ。

90ロンドンはトッテナム・コートロードにあるドミニオン・シアターで『We Will Rock You』を観た。
おもしろかった。
エンディングには出演者全員で「Bohemian Rhapsody」のオペラ・パートを実演して盛大に鳥肌が立って、感動で涙が止まらなかったね。
90r4a3281 バンド・メンバーがかつてMarshallのデモンストレーターをしていたフィル・ヒルボーンと元Wishbone Ashのローリー・ワイズフィールドのダブル・キャスト。
ベースはニール・マレイがクレジットされていた。
この時は200回目の記念公演とかで、ホンモノのブライアン・メイが出て来て「Bohemian Rhapsody」のソロを弾いてくれた。VOXでよ。
終演後、ブライアンは出口のところに立って、劇場を後にするお客さんたちにに礼儀正しくお礼を言っていた。
さすが天文学者。ペンギンになることはできなかったけど、キチンとしとる!
ま、この辺のことはもう何回もマーブロに書いたね。別に忘れているワケではござんせん。

9img_0334 私は「アンチ」と言っても、「何が何でもイヤだ」というワケではなくて、さっきの「Keep Yourself Alive」のように、いい曲はいいと思ってるワケ。
だから、こうして僅かとはいえ、シングル盤も買い込んだりしてたのね。
来日公演に行かなかったのは後悔してるね。
そこへチャンスが到来したのは2014年のSUMMER SONIC。
来ちゃったんだよね、Queen、チーバくんのところへ。
私も年を取って、頭も心もスッカリ丸くなっちゃっいましてね、正直、メッチャ楽しみましたよ
その時のことはコチラでレポートさせて頂きました。
  ↓    ↓    ↓
【Shige Blog】SUMMER SONIC 2014~QUEENを観たよ…の巻30_2あ~思う存分総括した。
「ネタバレ」になる部分もあるのでまだこれから映画をご覧になるおつもりの方は、映画を鑑賞してからこの先をお読みください。
ココでスッと辞められるところがインターネットのいいところ。
勝手に読み進めて「ナンダ!」なんて言うことになっても責任は持てません。
じゃ、なんで書くんだ?と問われると、一応私なりに映画を観て刺激を受けているので、その刺激が薄らぐ前に書いておこうと…。

Exit さて!
ココからは私の映画『ボヘミアン・ラプソディ』に関する感想とウンチク…というか、ま、気の付いたことを書かせてね。
な~んにも知らない、まっさらの状態で映画をご覧になりたいと思っていらっしゃる方は以下を読まない方がいいでしょう。
観た後に読んでも大したことはありませんけど。

Ver まず、「20世紀フォックス」のファンファーレはニヤリとさせられるよね。
こういうアイデアがウマいよね、向こうの人は。
 
最初の方で、バンドがマネージメント・オフィスと契約に関するミーティングをするシーンがあるでしょ?
アレはココ。
コレはハマースミスのテムズ川沿いにあるパブなの。
私は以前、ロンドンに行くとハマースミスにあるホテルを定宿にしていて、ある時、川沿いを散歩していてココを通りかかった。
ものすごくステキなところでね~、とても印象に残っていたので映画を観ていてすぐにわかった。

190あのシーンのバックに見えている橋がこのハマースミス橋。
スゴく立派な橋なのよ。
今回、これらの写真を見てなつかしくなっちゃって…『イギリス-ロック名所めぐり』で急遽「ハマースミス」の記事を書くことにした。
おスキな人はお楽しみに…おキライな人はお気の毒に。

200ハイ。
映画の中でEMIのプロデューサーとどの曲をシングル・カットするかモメるでしょ。
「ボヘミアン・ラプソディ」は6分近くあるから「ダメよダメダメ」って。
ヘヘヘ、ね、ゼンゼン平気なんだよ、6分。それで大ヒット。
アンチだった私だってこうしてシングル盤を持ってる。
だからケンカしなくてもヨカッタのよ。
昔はドン・アーデンとかシェル・タルミ―とか、スゴイ権力だったんだろね。

60フレディがムクれて部屋を出る時「Queenを捨てた男って言われるぞ!」みたいな捨てゼリフをプロデューサーに向かって吐くでしょう?
あれはデッカ・レコードのディック・ロウというプロデューサーのことを言ってるの。
詳しくはコレを読んでみて!
 ↓   ↓   ↓
【Marshall Blog】ビートルズに勝った男

240気になったのは、『オペラ座の夜』のタイトルを決めるシーン。
あの『A Night at the Opera』というのはマルクス兄弟の『オペラは踊る』から引用したと聞いたが、このことに一切触れていないのはどういうことか?
コレも何回も書いたけど、『オペラ座の夜』の次のアルバムは『華麗なるレース』という邦題が付けられているじゃない?
コレもマルクス兄弟の『マルクス一番乗り』の原題の『A Day at the Races』を拝借している。

110「night」と「day」で対が完成するのに、邦題の『華麗なるレース』はコレを台無しにしちゃってる。
そもそもナンでマルクス兄弟の映画からタイトルを引用したかというと、レコーディングの時にこの映画を観ていたっていうんでしょ?
この話が本当だとしたら…グルチョやチコやハーポからこの偉大なアルバムを作っちゃうところこそがオモシロイのにナァ。
私が脚本を書いていたら絶対にそうするのに~!

120ファンでない私が指摘するのもどうかと思うけど、もう少し丁寧に有名になっていく過程を描いて欲しいと思ったのが素直な感想。
例えば、Queenは日本で人気が出たこともあって、本国で名声を得たんでしょ?
チョット日本を素通りしすぎじゃないのかしらん?
そこのところ、もうチョット「手を取り合って」欲しかった。
「Bohemian Rhapsody」の創作過程のシーンなんかにももっと時間を費やして欲しいと思ったんだけど、観ていてこの辺りの感想は自分が間違っていることに気付いた。
つまり、この映画はQueenの映画ではなくて、Queenという場所で名声を掴み早逝した「フレディ・マーキュリー」という音楽家のプライベート・ストーリーなのね。
だからQueen単位で観るのは間違いだと思うワケ。ジョン・ディーコンのファンなんかがこの作品を見ると期待外れに終わっちゃうかもね。
で、プライベートといえば、コレ。
フレディの終の棲家。

130ココであのパーティをやったのね?
ジム・ハットンとアレのヤツ。
世界中から訪れるファンの手紙が入り口周辺の壁に貼られているが、最近ココに赴いたMarshallの友人の写真を見ると、キレイサッパリ取り除かれていた。

150ちなみにジム・ハットンも2010年にAIDSで亡くなったそうだ。

155場所はアールズ・コート。
すぐ近くにあの「クソテスコ」がある。
なんで「クソ」なのかはコチラをそうぞ。コレが本当の「クソ」だから!
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イギリス紀行 2015 その4~雨のウエストミンスターからの~

260さらに…マジソン・スクエア・ガーデンでのライブのシーンがあった。
アソコでフレディは「ビッグ・アップルを喰ってやった」みたいなことを言う。
もちろん、マンハッタン島が「Big Apple」と呼ばれていることは誰でも知ってる。
でも、わたしは下のロゴを思い出した。
年配のイギリス人なんかは即座にアラン・チューリングのことを連想するのではないか?
アップル・コンピューターの設立は1976年だというから、もしかしたらアラン・チューリングのことがバイセクシャルのフレディのアタマにあったのでは?…なんて考えるのは思い違いか?
何のことを言っているのか知りたい人はコチラ。
  ↓   ↓   ↓
【Marshall GALA レポート】 vol.7: LUKE Tries CODE!そしてスタッフの皆さんのご紹介!

230_2映画の中ではフレディとマネージメント・サイドのイザコザのシーンが何回か出て来るが、面白い話を入手したのでココにひとつ付け加えよう。
いつかもMarshall Blogで紹介したロンドンはソーホーのトライデント・スタジオ。
このスタジオがどんなにスゴイかは下にリンクした記事をご覧になって頂くとして…。
Queenはポールの計らいでこのスタジオを自由に使うことができたらしい。
そこからスタートしたのかどうかは知らないが、このスタジオのオーナーのノーマン・シェフィールドという人はQueenの初代マネージャーだった。
やっぱり、ノーマンとバンドはケンカをして離れ離れになってしまったが、数年後ノーマンはQueenの新しいアルバムの1曲目を耳にして、驚いてイスから飛び上がったという。
そのアルバムは『A Night at the Opera』といい、1曲目は「Death on Two Legs」といった。
さっき出て来たヤツね。
この曲、フレディとノーマンのケンカのことを歌っていて、ノーマンは訴訟沙汰にするつもりだったが、取りやめたとのことだ。
も~、ケンかばっかりよ。
で、映画にも出て来る「Bohemian Rhapsody」のブライアンのギター・ソロね。
アレはやっぱりロック史に残る名ソロだよね。
映画の中でもブライアンが気合いを入れてレコーディングをしていたけど、あのメロディはフレディが作ったんですってね。
トライデント・スタジオに興味のある人はコチラをどうぞ。
  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり vol.7】 ソーホー周辺 その2

140v そして最後の『LIVE AID』のウェンブリー。
『LIVE AID』のリハーサルをしていて、終わろうとするとジョン・ディーコンが「let's call it a day!」って言うシーンはチョットうれしかったな。
コレ、英会話の教科書によく出て来るけど、外人が実際言うのほとんど聞いたことがないんだよね。
ちなみにイギリスからの情報によると、ジョンは絶対にブライアンとロジャーと合わないし、口もきかないようにしてるんだって。
あのシーン、フレディが座っているピアノ椅子の下をくぐってカメラごと移動してブライアンをクローズ・アップしてるでしょう?
アレ、どうやって撮った?
ちょっとカメラの動きが不自然だった感じがあったので、CGなんだろうナァ。

210下はスタジアムの隣にあるウェンブリー・アリーナ。Marshallの50周年記念コンサートを開いたところね。

220なんて、ここまでいかにも淡々と書いて来たけど、感動した…かというと、感動はしませんでした。
またヘソ曲がり&アマノジャク風を吹かせてしまっているようだけど、私は映画を前にすると本来の姿である「映画小僧」に戻ってしまうのです。
2時間チョット、飽きることは全くないんだけど。映画として観た時チョット厳しいんですよ。フレディやQueenのファンなら感動必死なんでしょうけど、感激するには伏線の張り方が浅すぎる。
同じ音楽家の伝記モノということになると『グレンミラー物語』とか『ジョルソン物語』とか『アメリカ交響楽』とかと比べて残念ながら脚本のレベルが違う。
また、「アンチ」ということと、上に書いたような役に立たない付帯知識があったせいもあるでしょう。
でもね、私は「Bohemian Rhapsody」という曲は人類の宝のひとつだと思ってる。
私は死ぬまでに順不同で「自分のベスト・ソング10」をキメようと思っていて、ビートルズの「Hey Jude」、The Kinksの「Waterloo Sunset」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」と並んで「Bohemian Rhapsody」は既に10曲のうちにランクインさせてるの。
残りの6曲はどうなるか?
何か奇跡でも起こらない限り、こういう曲はもう未来からは出て来ないでしょう。
過去から選ぶしかない。
映画館に行ったのが平日の昼間ということもあって、お客さんの年齢層はかなり高かった。
週末はどうなるのか知らないが、こういう映画こそ若い人たちに観てもらいたいと心底思うよね。
誰もやっていないこと、誰も聞いたことのない音を夢中になって探求するQueenの4人の姿を見てもらいたい。
コレが私の一番の感想かな?

しかし、考えようによってはこの種の映画、これからジャンジャン出来てくるかもしれないね。
クラプトン、エルトン・ジョン、The Who、フィル・コリンズ…一番観たいのはThe Kinksかな?
レイとデイヴのケンカとダニー・クェイフをイジめているシーンばかりで1本終わっちゃいそうだけど。
でも、『Sunny Afternoon』というクロニクル的なミュージカルもあったことだし、The Kinksが一番可能性があるんじゃん?涙を流すシーンはなさそうだ。
でも、エンドロールで「Waterloo Sunset」が流れたら号泣間違いなし!
その点、この作品はどうしたことか?それがイキというモノなのか?

10 

200_2

2018年11月 6日 (火)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.5(最終回)~私の明治村 <後編>

 
ようやく5丁目の見学を終わらせて4丁目に降りて来た。
しかし、暑いナァ~。
さっき犬山で雨が盛大に降っていた時はうすら寒かったのに。
 
このエリアは今までとはガラッと雰囲気が変わって庶民的な木造の建物が並んでいるぞ。

10コレは大阪の池田にあった「呉服座(くれはざ)」という芝居小屋。
明治25年の建造だそうだ。
池田ネェ…私はしばらく箕面に住んでいたことがあったので、あのあたりの土地勘はある程度持っているつもりだが、池田に芝居小屋ネェ…。

20歌舞伎の地方公演や演芸に使われていたそうだ。
なるほど。
それだけに回り舞台になってるんだって。
さらに、政治の講演会の場としても使われていたのだそうだ。
よく映画やテレビドラマのロケで使われているらしいよ。
そうそう、アチコチの展示物に「NHK朝のドラマ〇〇のロケで使われました」とか「NHKの大河ドラマの撮影をココでしました」みたいな表示が付いてたナァ。
ウチは両方とも絶対に見ないので面白くもうれしくもなかったけどよ。

30焼津から移築してきた小泉八雲の避暑の家。
別荘というワケではなくて、夏になると八雲は東京を離れて、この山口乙吉という魚屋さんの家に身を寄せていたのだそうだ。
今は駄菓子屋になっちゃってる。
しかし暑いな…と外でボーっとしていると、「ハイ」と家内が声をかけて何かを差し出してきた。

40何かと思ったら凍らせた「あんずボー」。
ウチはコレに目がなくてね~。
普段、アミノ酸だの人工甘味料だのと騒いでいるけど、コレだけは許す。
ナニを含有しているのかは今でも知らないんだけどね。
子供の頃から大好きで、昔は5円で売ってた。
今でも夏になるとアメ横の「二木の菓子」へ行ってまとめて買って来る。

Abコレね、浅草にある「港常(みなつね)」という会社が生産してるんだよ。
下がその本社社屋。
立派でしょう?「あんずひと筋」だよ。ステイタス・クォーの「ブギ」みたいなもんだ。
この「あんずボー」ね、かなり古い歴史があるよ。
港常は大正4年の創業のあんず加工メーカーで、戦前に干あんずが輸入された。
すると、長野の更埴出身の、時の2代目社長の奥さんが「チョイとオマイさん、このままじゃ安い輸入あんずにヤラれてオマンマの喰い上げになっちまうよ!アタシが口を効いてやるから、あんずの木が生えている山を丸ごと買っておしまいよ」と杉村春子っぽく言ったかどうかは知らないが、山ごと買っちゃった。
更埴というのは更科と埴科が合体したところで、「森」というエリアに「ひと目百万本」といわれるほどのあんずの木が生えている。
ちなみにこのすぐ近くには長野自動車の「森トンネル」という長い隧道があるが、ここの現場プラントに納入するセメントを担当したのは私です。
で、あんずの木って、桜を思いっきり低くしたような感じなのね。
だから、桜のように見上げることなく、目の高さで可愛らしいピンクの花を目にすることができる。
そんなだから、開花の時期はスゴイよ、観光客でゴッタ返しちゃって。
でも、この時に売っているあんずの実はすべて前年に収穫されたモノです。
で、その後港常はどうなったか?
その2代目社長の弟さんが独立して「あんず水」というあんずボーの前身のようなお菓子を開発。
コレがアホほどヒットして、とても生産が追い付かず、弟さんは権利を港常に譲渡したのだそうだ。
あんずって長持ちしないんだって。
だから賞味期限内に配送できる範囲でしか「あんずボー」が販売できないため、関東近郊でしか売っていなかった。
今でも東京からの遠隔地では販売していないようだけど、どうなんだろう?
名古屋では売ってる?
その後、「あんずボーを凍らせるとおいしさ倍増!」という評判が立ち、冷蔵庫の普及とともにガンガン売れたんだって。
ただし、長野のあんずではとても生産に追いつかず、また原価も嵩むことより昭和20年代から中国のあんずを使っているそうだ。
今、駄菓子屋なんてないじゃない?
「あんずボー」も売り場を失ったかのように思えたけど、どころがドッコイ、スーパーでまとめ売りしたところ、コレがまた大当たりしたんだって。
さもなきゃ東京のど真ん中でこんなビルを構えてないわな。
あんず恐るべし!

92mt2「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて 蟹とたはむる」…石川啄木ね。
この下の家は文京区の本郷にあった「喜之床(きのとこ)」という床屋さんで、石川啄木がこの2階に住んでいたのだそうだ。

50v伊勢にあった郵便局舎。
明治42年の建築。
シナゴーグみたいでカッコいいデザインだ。

60中には歴代のポストが展示されている。

70日本テレビが移転して来て再開発が進み、スッカリ賑やかになってしまった汐留だけど、明治の末期には火力発電所があったそうだ。
もっとも一般の家庭に供給する電気ではなくて、近くの新橋停車場のために発電をしていた。
それにしても、あんなところに火力発電所があっただなんてネェ。
マァ、小津安二郎の『東京物語』にも出てくる「オバケ煙突」で有名な東京電力の千住火力発電所を考えれば大したことないか?
ロンドンのバタシーしかり。

80上の煙突の跡のとなりにあったコレが面白かった。
日本の鉄道の先生ってイギリスでしょ?
下は新橋にあった「鉄道寮新橋工場」なる明治5年に建てられた今で言うプレハブの建物。
柱、サッシ、壁板、すべてイギリスから持って来たんだって。
柱には「Hamilton Windsor Ironworks Ltd」という銘が入っている。
リバプールの会社だそう。
リバプールというのは18世紀は世界有数の港町だったからね。
ナニで栄えたか知ってる?
そう、奴隷貿易。
でも面白いのこの建物のガワタではなくて中身。
中身が面白かったので、この建屋の全景の写真を撮り忘れたよ。

90r4a2733 鉄道とは全く関係ないんだけど、紡績をはじめとした古式ゆかしい機械がズラリと並んでる。

100コレはドイツのMiehleという会社の印刷機。

110

120このPlatt Brothersというのはイギリスの紡績機械を作る会社。
なんと創業は1770年だって!
今でもあって、従業員15,000人を抱える大手企業だ。

150日本経済の礎はナント言っても生糸と紡績だからね。
特に生糸に関しては、ダントツで世界一のクォリティを誇っていたのだそうだ。

160こういう古い機械ってのはカッコいいね。
重々しくて、頑固そうだけど、いい仕事をします…みたいな。
何しろウチの製品もいまだに真空管を使ってますもんで!

180_2コレは名古屋の「衛戍(えいじゅ)病院」の中の展示。
こういう古い看板とか広告ってのも実にいいよね。
「衛戍病院」というのは、旧陸軍が衛戍地に設けていた病院のこと。
しからば「衛戍」とはナニか?
大日本帝国陸軍の軍隊が永久に駐屯することを「衛戍」という。その場所が「衛戍地」。
この…といっても外観の写真がまたしてもないんだけど…衛戍病院は終戦後に連合軍に接収され、「国立名古屋病院」になった。
当然、軍隊とともに「衛戍」というシステムも言葉も無くなった。

190v他にもナニやら怪しげな医療器具が展示されているのよ。

200vコレはレントゲン関連の機械。
ちょっとカル・シェンケルっぽくてカッコいいじゃん?

210コレは「無声堂」という名の金沢の第四高等学校の武道場。
大正6年の建築。

220ちょうど何かのイベントをやっていて、「無声堂」どころかワイワイ若い人で賑わっていた。
『おれは鉄兵』に出て来るような、いかにも「道場」らしい道場だ。

230ブラジルはサンパウロから移設した日本人移民の住宅。
ウチにはとても仲良しの日系ブラジル人の女性がいてね、興味深く見学させてもらった。
チョット日本家屋っぽいのは、現地の日本人大工が作ったから。

240明治41年、781人でスタートしたブラジルへの移民渡航者は最盛期に年間20,000人にも上ったという。
コレらはコーヒーを栽培する道具。
辛抱強い日本人は想像を絶する過酷な生活に耐えたのだ。

250外観は日本家屋っぽくても、風土に合ったブラジル式の構造が取り入れられている。
この半分開放しているような屋根もそうなんだって。

260v最初に日本人を運んだ「笠戸丸」の資料も展示されている。

270「橋」にちなんだ人情話を集めた藤沢周平の『橋ものがたり』。
井上ひさしがこのアイデアを耳にして「やられた!」と大変悔しがったという。
いいよね~、藤沢周平って。
時々、無性に読みたくなる。
…ということで、マーブロの「橋ものがたり」を<前編>の新大橋に続いてひとつ。
イヤ、大したことはありません。

Hm コレは大田区の蒲田と川崎を結ぶ多摩川に架かっていた「六郷橋」。
明治5年に日本で初めて鉄道が開業した時、新橋・横浜間に架かっていた橋はすべて木造だった。
本当は鉄橋にしたかったんだけど、日本にはまだその製造技術がなかった。
さりとて、イギリスから輸入していたのでは間に合わない。そこで木造で架橋することに踏み切ったんだって。
そして鉄道が開通して、複線にする時に日本で初めての鉄橋が導入された。
コレがその日本で初めての鉄橋。

280ホラ!
またHamilton Windsor Ironworks。
日本にとってリバプールはビートルズだけじゃないんよ!え!マージ―で?…ナンチャッテ。コレが言いたかった。
橋ものがたり、終わり。

290この灯台は古いよ。
明治3年(1870年)の建設。
1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスらの列強5か国と結ばれた条約によって各地に港が開かれたが、ヤイノヤイノと関税他についてうるさいことを言い出したもんだから、1866年に新しい条約を交わすことになった。
その新しい条約に「外国船のために灯台を作る」という文言が入っていた。
で、作った灯台のウチのひとつがコレ。
当時、日本には灯台建設の技術がなかったため、フランス人技師の指導を受けた。
だから風見鶏の方位を示す記号がN(north)S(south)E(east)W(west)ではなくN(nord)S(sud)E(est)O(ouest)とフランス式になっている…へんなの。

300この辺りでようやく3丁目。
このエリアで目を惹くのは西園寺公望(さいおんじきんもち)の別邸、「坐漁荘」。
ボランティアの人が色々と説明してくれて面白かったな。
実に細かいところまで公望の希望が組み込まれていて、建築の際にも監督が厳しかったらしい。
大工さんはイヤだったろうナァ。明治時代、最後の総理大臣だからね~。

320こちらは墨田区の東向島にあった幸田露伴の住まい「蝸牛庵」。
「蝸牛」ってのは「かたつむり」のことね。
はい、幸田露伴といえば、尾崎紅葉と並ぶ明治の文豪ですね。で、代表作は「五重塔」。
ココまでは誰でも知ってる。
でも、幸田露伴について、我々はそれ以上ナニを知っているというのだ?
「五重塔」すら読んだことがない私が言えた義理ではないが、ほとんどの人は「五重塔」で終わっちゃうのではないか?
それなのにナンでこんなに有名なんだ?…なんてことを、ココのボランティアの係りに人に話したら、「……ホントですね~」とのお答え。

310港区にあった「北里研究所」を通りすぎていよいよ2丁目へ。
しかし、こんな建物が東京にもゴロゴロしていたんだもんね~。
ステキだったろうな~。

330ココもなかなかに見応えのある建物が並んでいた。

340明治31年建設の札幌電話交換局。
北の電話交換局といえば樺太の「真岡事件」。
コレは近々詳しくMarshall Blogで取り扱います。

350安田銀行会津支店。
安田銀行を創設した安田善次郎はオノヨーコの母方のひいジイちゃんだ。
ヨーコさんの父方のおジイちゃんは著名な銀行家の小野英二郎、ダディは東京銀行の常務。
手がつけられないほどのお金持ちのお嬢さんなのだ。
ちなみに凶弾に斃れたヨーコさんのダンナさんは元ビートルズのジョン・レノンさん…コレは誰でも知ってるか。
その前の旦那さんは誰だか知ってる?
先頃文化勲章を叙勲した作曲家の一柳慧(とし)。
もう好きにすれば良いじゃないか。
でもね、今の若い人…どころか若いミュージシャンもビートルズのメンバーの名前が言えない子が多いんだよ。

360コレも立派だったナァ。
東山梨郡役所だって。明治18年の建設。

380もうこの頃にはヘロヘロ。
朝、あの喫茶店でホットドッグを食べてから水以外何も口にしていないし、ズッ~ト歩きっぱなし、立ちっぱなしなんだもん!

390ほとんどウンザリしながら最後の1丁目へ。
しかし、コレもスゴイな。
昔の三重県庁舎。

400やった!
正門に到着!
ゴォォォォール!

410コレが明治村の正門なのよ。
一応、全部見た…ということで。
オイ、チョット待てよ~!
「全部見た」はいいけど、これからあの駐車場まで歩いて戻れっていうのか?
ずっと上りなんだぞ!
あ~、ムリムリ。無理です。
誰か車を持って来て!…というワケにもいかず…。

420有料とは知っていながら例のシャトルバスにご厄介になることにした。
チケットを買って…と。

430オイ、チョット待てよ~!
500円も取るのかよ~!タッケェな~。
と思ったら、1日何度でも乗り降りし放題なんだって。
バスの中ではかなりの名調子で運転手さんが建物の解説をしてくれる。
お年寄りなんかはコレを利用して見て回るんだね。
ナンのこたぁない、自分が「お年寄り」なんじゃねーか!

440ハイ、駐車場に到着。クタクタだ~。
オイ、ちょっと待てよ~!
これから東京まで運転して帰るんだぜ~!
 
ということで、今回の「私の〇〇」はライブ・レポートよりお先に終了させて頂きます。
最後までご高覧頂きありがとうございました!

450さて、ELLの方もいよいよ大詰め!
SNIPERを終えたトシさん、「みんな大丈夫?まだ元気ありますか?」
「オオ~!」客席からは元気な反応。

460vさっきからACEさんに代わってMCを務めているKAZUさん。
「今日のイベントにもいよいよリーチがかかったね。長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
トシと増井と赤松は同世代で、赤松が生前に作ったCDが3枚あります。
奥さまが『お聴き頂けるのであれば持って行ってください』ということで預かっています。
死ぬ間際までいい音を作っていました。
どうか皆さん、聴いてやってください」

465v12番目はDYNAGON!
待ってました!

470中野重夫

480v加藤剛

490v宮田叔侑

500v増井康博の4人がDYNAGON。

510vドヘヴィなサウンドはまさに「中京の重戦車」!

530ナニを演るのかと思ったら「Dynagon」。

520この曲はシゲさんと剛さんのバトルが見所なんだ。

540今日も組んずほぐれつ2人で暴れております!

550剛さん、会心の一撃!

560vMarshallとSGのコンビネーションでシゲさんも負けじと応戦。
もう最近は長いこと「ギターを欲しい」なんて思わなかったんだけど、近ごろメチャクチャSGが欲しいと思ってるのです。
理由は特にない。
だけど、ナンカ惹かれているんだよね~。
あ、アンプは大丈夫です。

570ヤスさんもタフだな~。
この巨岩がゴロゴロと転がり落ちていくような激しい曲でも涼しげにスティックをさばいてる。
これで10バンド目だからね。

580トシさんはひとつ少なくて9バンド目。
やっぱり元気だわ~。
見て、ステージの上下でシゲさんとギンギンに角を付け合わせてる。

590剛さん、渾身のソロ~!

600v1曲だよ。
15分で1曲。
コレで言いたいこと、演りたいことをすべて吐き出した。
カッコいいじゃあ~りませんか!

610さぁ、さぁさぁさぁさぁさぁ、もうカレコレどれぐらい押してるんだ?
んなことはどうでもいいか!
泣いても笑ってもいよいよ『Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル"生涯現役でいこみゃ~か"』の最後!
皆さん、一番最初に誰が出たか覚えていますか~?
覚えていない人はコチラを読んで復習してからこの先に進みましょう。
色々あったな~。コレで終わっちゃうの寂しいな~。

620v演奏前に主役の2人からひと言。
「最後まで本当にありがとう!リハからアクセル全開で演ってます。最後はGONZで〆たいと思います」

S41a2258 「みんなが還暦になった時に思い出してね…コレぐらいのことはできるって。赤松他、先に逝った人たちにも感謝の気持ちを込めて演ります」
S41a2259トリを飾ったのはキーボーズ・トリオのGONZ。

630Talkey Sakamoto

640Tosh

650Yasu

660v曲はアルバㇺ『Instrumental Trance Phenomena』のクローザー、トシさん作の「Circle of Mind」。
このアルバム、いいんだぜ~。
キーボーズのトリオというとThe Nice、Egg、ELP、Refugee、UK、Quatermas、Trace等々、歴史的にはそんなに珍しいモノではないけど、GONZはどれにも近くない独特の存在なんだよね。
トシさんとも話したんだけど、このアルバム、仕上がりがエラくワイルドで粗削りなのね。それがすごくカッコいいのよ。

670cdTalkeyさんの部厚いキーボーズサウンドに乗って…

690vトシさんが美しいテーマを奏でる。

730vそしてドラムが加わる。

710v曲はメジャーのミディアム・スロー。
コレを最後の最後に1曲勝負で持ってくるなんでズルくない?
感動してまうでにゃ~か!

680トシさんのソロが華やかに展開する。

700vTalkeyさんのピアノがどこまでも可憐で愛らしい。

720そして表情豊かなヤスさんのドラミング。
なんかギターがいないのにパット・メセニーの音楽を聴いているような幸福感に包まれる。
もしくはZappaの「Watermelon in Eastwr Hay」みたいな感動だ。

740vそのGONZ、今新しいアルバムをレコーディング中なんだって!
トシさんはEDENのTerra Novaをガンガン使ってくれているし、

750ヤスさんはもちろん愛用のNATALメイプルを使用。

760Talkeyさんもオルガン様に1987Xを使ってくれているようだ。

7703人の熱演が心を揺さぶる!

780終わった~!終わっちゃった~。

790トシさん、ヤスさん、お疲れさまでした~!

800最後はステージ全員集合。
ジャムセッションなんてなくていい。
もうコレでいいんだってば。
「おめでとう」を連発するワケでもなく、主役が挨拶を考えて来ないような実にリラックスしたお祝いのコンサートだった。
ま、確かに予定をはるかに超過してかなりの長尺となったが、イベントはある程度仕方ない。
ヘタをするとここから、「ハイ、じゃ、そっちから全員ひとことずつ…」なんてイベントもあるからね。
もう音楽で十分語ったハズなんだからそんなことしなくていいの!
810トシさんとヤスさんは色んな音楽を演ってきたんだね~。

815しかし、うらやましいね。
昔からの仲間がこうして集まって音楽で友達を祝福するなんて。

820コレも名古屋だからなせるワザでしょう。
東京や大阪ではなかなかこうはいかない。東京や大阪は集まって来る場所だから、いつかみんないなくなっちゃう。
それに規模が大きすぎる。
その点、名古屋は丁度いいサイズなんじゃないかしら?
才能ある人材も確保できるし、規模が大きくないゆえに横のつながりが強固になる。
カッコよく言えば、60年代のロンドンのロックシーンみたいなモノか?アメリカの都市だと広すぎちゃう。
ケンカしちゃうとやりにくいだろうけどね。
さらに「尾張名古屋は芸どころ」だから!
名古屋はある種、音楽の都なのかも知れないよ。
そもそもいいライブハウスが多いもんね。
コレが今シリーズ最後の脱線になるけど、歴史をひも解くとその理由がわかる。
享保年間、江戸では8代将軍吉宗(「暴れん坊将軍」ね)が前代未聞の緊縮財政をひき、爪に火を灯すような倹約を強要していた頃、尾張徳川家7代藩主の徳川宗春は、祭りや芸能を奨励し、ジャンジャン消費を推進したんだね。
遊郭や芝居小屋も公認して名古屋に芸能ブームを巻き起こした。(江戸では風紀を乱すとして、歴史的に芝居小屋の規制も厳しかった)
この伝統が息づいているに違いない。
でも、コレは宗春のヤキモチによるモノで、吉宗への当てつけでこんなことをしたのかも知れないよ。
吉宗は徳川宗家の出身ではなくて、宗春と同じ徳川御三家のうちの紀伊の出身だから。
 
そして、名古屋にはうまいもんがたくさんある。
今回も白川で「ひつまぶし」を頂きました!

830もうひとつ。
仲間がいるから続けているからか、それとも続けているから仲間がいるのか、どちらかわからないけど…両方かな?…とにかくみんな音楽から離れていないところがスゴい。
何事も続けなければ何にもならないもんね。
それにはやっぱり健康第一ですわ。
どんなにいいギターを持っていても、健康でなくては弾くこともできやしない。
  
13ものバンドを見ていて、私も久しぶりにバンドやりたくなっちゃったよ。
私とバンドを組むとMarshall GALAに出れるよ…こういうのを「職権乱用」とか「公私混同」とかいうんだけどね。

840最後に主役の2人から本当に「ひと言」。
「チョット疲れ切っています!みんな、どうもありがとう…最高!」

860v「みんな、覚えておけよ!みんなもコレをやるんだぞ!」

850vハイ、記念撮影。
きっと赤松さんもどこかにいらっしゃると思うよ。
みなさん、最後までお疲れさまでした!

870超末筆になってしまいましたが…
トシさん、ヤスさん、還暦おめでとうございます!
これからも名古屋においてのギンギンの音楽活動を楽しみにしています。
とにかく健康第一!
GONZのニュー・アルバム楽しみに待っています!

880<おしまい>
 

200_3
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 5日 (月)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.4~私の明治村 <前編>

 
ナンダ、ナンダ?
犬山城を出た後はグイグイと天気が良くなってきたぞ!
この日は完全に「雨」の予報だったんですけど…。
もちろん文句は言うまい。
今回の観光で一番楽しみにしていた「明治村」が晴れているんだからこの上なし!
案内板に導かれるまま山道を登って駐車場に直行し、その最寄り入り口から入村した。
正門ははるか下の方になる。
この駐車場のロケーションがね~…この時は知らなかったよ。

10明治村に来たのはコレが初めてのことではなくて、前回書いた、例の社員旅行の時に訪れたことがあるの。
つまり34年ぶりの再訪。
だから犬山城同様、ゼンゼン覚えていない…というワケではない。
ところどころ覚えていて、長い間「また来たい」と思っていたんだ。

20ウワ~!地下通路を抜けるとこの景色。
気持ちいい~!

30そして、すぐ左手には旧帝国ホテル。

40カッコいいな~。

90r4a2444 コレがこうして日比谷公園の向かいにあったなんてね~。
この建物がフランク・ロイド・ライトの設計であることはつとに有名だ。
1923年の竣工。つまりジム・マーシャルが生まれた年(大正12年)に工事が終わった。
コレすなわち関東大震災の年。
オープンの準備に大あらわだった時に地震が発生した。
植草甚一の本を読むと、植草さんは当時中学生で、都電(当時は市電かな?)に乗っていた。
地震の瞬間に電車が転覆したそうで、何が起こったのか全くわからなかったらしい。
そんな地震でも出来上がったばかりの帝国ホテルはビクともしなかった。
アメリカに戻っていたライトは、地震の2週間後に手紙でそれを知り、狂喜したそうだ。
しかし、見ての通りこの東京の貴重な土地のど真ん中を陣取っていた割には部屋数が270しかないために採算性が悪く、老朽化が著しく進んだことより1968年(昭和43年)に解体され、一部がこうして明治村に移築されて保管されている。

110中に入る。
やっぱり覚えてないな。

60アールデコ調の装飾がそこら中に施してあってステキなことこの上ない。

70v

80v

90見て!この天井のデザイン。

100コレがロイド翁。

120v中には帝国ホテルで使っていた食器なども飾られている。
このお皿のデザインはライトによるもの。
あくまでも「シンプル」だね。

130コレは銀のスプーン。

140ハイ、ココで脱線。
この脱線のために上のスプーンの写真を撮って来た。
「銀のスプーン」は英語で「silver spoon」。
出て来るでしょ、「アビィ・ロード」のアレに。
「♪She came in through the bathroom window, protected by the silver spoon」ってヤツね。
この曲はポールの実体験に基づいていて、風呂の窓から入ってきた女性の「空き巣」の歌なんでしょ?
だけど、それはリンダだという説もあるとか…。
「銀のスプーンに守られて」いるんだから相当な金持ちの女性のはず。
しからば旧姓イーストマンのリンダに違いない…と思ったことがあったけど、リンダはイーストマン・コダックのイーストマン家とは無関係なんだってね?
そう、「silver spoon」は金持ちの家を象徴していて「be born with a silver spoon in one's mouth(銀のスプーンを咥えて生まれる)」という風に使い、リッチな家庭の出身を意味する。
向こうの曲を聴いていると時々この表現に出くわす。
そして、この反対をやったのがThe Whoの「Substitue」…「恋のピンチヒッター」ね。
「♪I was born with a plastic spoon in my mouth」っていうところ。
ウチのことだわ。
銀なんてムリムリ!ウチはプラスティックのスプーンです。
そういえば最近が「プラッチック」っていう人を見かけなくなったね。

Subコレはチョコレ―トでできたスプーン。
トルコ製。
ホット・ミルクをコレでかき混ぜると、スプーンが溶けてホット・チョコレートになるんだって。
ホンマかいな?
アメ横で見つけて、この記事のために買って来た。

9sp2 戻ってコレですよ。
ビリヤード台でも帝国ホテルの大浴場のそばにあったピンポン台でもないよ。
コレ、ポーツマス条約の時に実際に使われたテーブルだっていうんだよね。
ポーツマス条約というのは1905年(明治38年)にアメリカのセオドア・ルーズベルトの仲介で結ばれた日露戦争終結のための講和条約だよね。

150交渉を全権委任されたのが、日本側は時の外務大臣、小村寿太郎。
ロシア側は調印直後にロシアの首相となるセルゲイ・ウィッテ。
下の絵がその調印式のようすで、ン~、絵の方が何となくテーブルが短いように見える感じはするけど、確かには似てはいる。
ホンモノかナァ?興奮するな~。
なんだって、こんなモノに興奮するかというと、ウチのひい爺ちゃんがこの席にいたとかいうワケではまったくなくて…

9160 この吉村昭の小説を読んだからなのね。
ハッキリ言いましょうか?
ヤケクソに面白い。
もうチョット言うと、今の政治家は全員読むべき。
昔の政治家が大変に立派だったということがわかる。
この講和条約に臨んだ小村外務大臣は、途方もない苦労をして調印にこぎつける。
普通、日露戦争というと、「アジアの小国がヨーロッパの列強に勝利した誇るべき戦い」みたいなイメージが我々にはあるでしょ?
とんでもない。
ロシアはバルチック艦隊の到着が遅れて、チョット劣勢になってしまっただけで、「何なら2回戦をやってもいい」ぐらいのつもりだったらしい。
そうなったら間違いなく日本は滅亡していたらしい。
コレに先立つことたった14年、1891年に「大津事件」という滋賀の大津で津田三蔵という警官が来日中の時のロシアの皇太子ニコライを突然斬りつけるという暗殺未遂事件が発生した。
この時、日本政府はマジでロシアが仕返しで日本を滅亡させると心配したらしい。
そんな状態での交渉なもんだから当然小村は苦労しますわな。
でもとにかくガンバル。
結果、樺太の北部はゲットできず、かつ一銭もロシアから賠償金をふんだくることができなかった。
国内はマスコミがいいように掻き立てて、国民はスッカリ大勝だと思っているもんだから、小村は国賊扱いされてしまうんだな。
ヒドイ話よ。
この「勝ったつもり」になった戦争が、結果的に太平洋戦争に発展しちゃったんだから恐ろしい。
とにかくご一読をオススメします。

9ph そして、そのバルチック艦隊の顛末を小説にしたのがコレ。
あ、私は戦争マニアとかいうワケではゼンゼンありませんよ。
ただ、戦争まわりのことは、機会があれば少しでも多くを学ぶように努めているつもりなのです。
Us「大津事件」はコレに詳しい。
コレも面白いよ。
今日は徹底して吉村昭を出しちゃう。
私のウンチクの多くは吉村昭の小説から拝借しているのです。

Ns 話を戻して…
ココに「このテーブルがポーツマス条約の調印に使用された」ことを証明する銘板が取り付けてあった。170その銘板がコレ。
ようするにホンモノなのね。

180コレはその時の写真。
上の絵の反対側から撮影してるね。
手前側の左から3人目が小村寿太郎。
190村内をシャトル運行する乗り合いバス。
無料かと思ったら有料。まあ乗らないわね。
ところが、このバスにトリックがあることを最後の最後に知った。

200コレ、何だと思う?
日本の司法制度確立期の明治19年に京都の宮津に建てられた裁判所の一部。

210内部には人形を用いて当時の裁判の様子が描かれている。
裁判所なんてどこにでもあるわけじゃなく、明治9年には全国で23か所しか地方裁判所がなかったらしい。
私はですね、今から30年ぐらい前、関西電力の「宮津エネルギー研究所」という火力発電所の建設現場によく行ったんですよ。
宮津といえば舞鶴から天橋立を経て西進したロケーションでとても寂しいところだった。

にもかかわらず何で宮津に裁判所なんかあったんだろう?

220トトロの「さつきちゃん」の家?
新潟の上越市に明治41年(1908年)に建てられたという写真館。
明治時代は正式な理化学の知識を持ち、それなりの修行を積んだ人でなければ写真館など開くことはできなかったらしい。
今のデジカメで猫も杓子も「にわかカメラマン」というのとはワケが違う、花形職業だった。
ま、私も猫や杓子の一部ですが…。

2302階がスタジオになっている。
当時はストロボ等の人工の光源がなかったため、太陽の光がスタジオに入り込むように大きな天窓を設けたのだそうだ。
わかるワァ、この気持ち。
しかし、低感度のフィルムじゃ、冬の上越ではコレでもキツかっただろうナァ。

240「明治五大監獄」っていうのがあるの知ってる?
私は知らなかった。
入ったこともないし。
千葉、金沢、奈良、長崎、鹿児島の5つ。
下はそのウチの金沢監獄の正門で明治40年に作られた。

420コレがその中央看守所という設備。
アータ、調べてビックリよ。
この金沢監獄はおろか、上の五大監獄はすべて山下啓次郎という人の設計。
山下啓次郎…知ってる?
なんと、ピアニストの山下洋輔の実のおジイさんだって!
そういえば以前テレビでそんなことをやってたような記憶がなきにしもあらずだわ。
そして、まだコレが金沢にあった頃、五木寛之がこの監獄の裏に住んでいたそうだ。(この設備が解体されたのは昭和46年)

250中央看守所から5つの収監棟が伸びていて、下のような八角形の監視室から全てが見渡せるようになっている。
この監視室は網走刑務所のモノだそうだ。

260網走刑務所か…開拓作業に従事する明治時代の北海道の刑務所を描いた小説も吉村昭は書いている。
コレはどちらかというと集治監が主役の話。
正直あんまり面白くなかったナ。
9ah_2 吉村昭の監獄モノの白眉といえば、実際に4度刑務所を脱走し「昭和の脱獄王」といわれた白鳥由栄を主人公にした『破獄』。
私は33年ぐらい前に『高熱隧道』についでこの『破獄』を読んで吉村昭のファンになった。

9hg他にも吉村の刑務所モノにはコレ。

9kshそれから巣鴨プリズンを舞台にしたコレ。
もし吉村昭に興味を持った人がいても、ま、この2つは後にしましょう。

9pm先に読んでもらいたいのはコレ。
シーボルトに師事した蘭医、高野長英の悲劇的な半生を描いた長編小説。
天保の改革の水野忠邦の部下、悪名高い鳥居耀蔵の「蛮社の獄」で伝馬町の牢獄に入れられた長英が脱獄して逃げに逃げる話。
コレは私の「吉村昭ベスト5」に入るね。

9sim_2 話は戻って金沢監獄。
コレが監獄棟。

270v官房はこんな感じだったそうだ。

280v食事はコレ。
身体にいいよ~。
しかし考えてみると、牛丼やコンビニの弁当で格安に済ませてしまう現在の食生活と大差はないかもね。
イヤイヤ、摂取カロリーは低いし、MSGやトランス脂肪酸、化学保存料、合成着色料、人工甘味料などが含まれていないこの囚人の食事の方がはるかに身体にはヨカッタのかも知れないよ。

290さ、我々も脱獄して外へ出よう。
この荘厳な洋館は明治40年に皇居の大手門内に建てられた「内閣文庫」の本館。
今の国公文書館の前身。

300手前の電灯は皇居前の石橋に明治21年に設置されたモノ。
明治21年にガス燈として設置されたが、時代は電気に移行するタイミングで、最終的には電灯になったが、その安全性が確認されるまで5年も使われなかったんだって。
デザインがすごくイカしてる。

310vしかし、昔の建物ってのは立派だよな~。

320中にはこんなモノが展示されている。
全国の歴史的な建物の紙でできた模型。
ココのアトラクションはさっきのポーツマスみたいに、例え建物とは何の関係ないモノでも色んな展示をして見るものを飽きさせないようにしているところがエライね。

330村内を見渡す。
ホントに気持ちいい~!
この辺りは「5丁目」というエリアでまだ見学コースが始まったばかりの地点。
お~、向こうの方に良さそうな建物が!

340コレコレ。

345愛知の刈谷から移築された「菊の世酒造」の酒蔵。
1868年の建造だというから、明治元年だね。
デザインがカッコいい。

350内部には様々な酒造りのツールが展示されている。

370ハイ、今度は手前。
左下の鉄橋。

380ナント、隅田川にかかる「明治五大橋」の一角、新大橋。
五大橋は他に上流から吾妻橋(ウンコビルのところね)、厩(うまや)、両国、新大橋、そして永代橋を指す。
ウエストミンスター、ウォータールー、ブラックフライアーズ、ロンドン、タワー…ロンドンに行くとテムズ川にかかる橋にいつも魅了されてしまうが、ナンノナンノ、隅田川も負けてない。
テムズ川の橋もそうなんだけど、デザインがそれぞれ全く異なるところが実にカッコいい。
また、それぞれの橋は大正末期から昭和の初頭に集中して建造あるいは改築されていて、関東大震災の惨劇の教訓を生かして設計された。
もうひとつ、その頃にこれらの橋の建造が集中しているのには理由があって、関東大震災の前年、大正11年のワシントン軍縮会議で列強より押し付けられた条項により、軍艦建造用の鉄が余ってしまった。
「ワリィ、軍艦作れねーわ。ココはひとつ我慢しちゃって!」というワケにもいかず、政府は鉄鋼会社から購買を約束した鉄を買って、それを消費するために隅田川の橋を造ったんだね。
これまた上流からいくと、白髭、言問、吾妻、駒形、厩、蔵前、両国、清洲橋、永代…要するに今隅田川に架かっている主要な橋は全部この時に作られた。
この新大橋と勝鬨橋は対象外。
昨日も吾妻橋と駒形橋を車で渡った。アホみたいに金をかけて作った大和や信濃は海の藻屑と化したが、橋はこうして今でも大活躍してるぞ!

390もう少し新大橋と吉村昭の話を…。
ジム・マーシャルが生まれた1923年、つまり大正12年の9月1日の昼に関東大震災は発生した。
死者は10万とも14万人とも言われているが、吉村先生の本によると、そのうち3万人が両国の横網にあった陸軍被服廠(軍服を作る工場)で焼死したという。
多くの人が逃げ込んだ工場の敷地内に火が燃え移り、そこに強風が入り込んで、避難者もろともアッという間に全焼したという。
当時、女性は髪の毛に大量を整髪油を塗布していて、そこに火がついて頭が丸焼けになった女性が多かったらしい。
また、災害の被害を食い止めるには、携行する荷物をできる限り少なくするのが鉄則なのだそうだ。
何も持たないで逃げるのが一番。
コレは吉村昭の本によるところではないが、それでも東京大空襲の時にはアップライト・ピアノを運んで逃げた人もいたらしい。
さて、そうした被害が甚大になるのは橋の周りに多かった。
結局、荷物を多く持っていると、それだけ避難者の体積が大きくなり、動きも鈍く、橋上のスムースな通過を妨げることになり、実際に関東大震災の時にも橋で亡くなった人が多かった。9kd ところが!
この新大橋ではひとりの死者も出すことがなかったのだそうだ。
ナゼか?
この橋が架かる新大橋通りにある所管の久松警察署の職員がこのことを知ってか、橋の両端に待機して、荷物を持っている避難者の通行を一切遮断したのだそうだ。
そうして、隅田川の東詰めを目指す避難者をスムースに通過させて多くの命を救った。
後日、久松警察署は東京府かどこかから表彰されたのだそう。

400新大橋の手前の池の反対側に移動したよ。
それでもまだ5丁目。
コレ、今日中に見終わるのかね?
この後東京まで帰らなきゃならないのよ!

410京都の河原町三条にあった聖ザビエル天主堂。
名前の通り、フランシスコ・ザビエルを記念して明治23年に建造されたもの。

430イギリスのドデカイ聖堂に慣れているせいか、マァ、正直それほど「ドワ~!」という感じにはならないけど…

450それでもなかなかのモノ。
470vかつて取り付けてあったバラ窓も立派だ。

460吉村先生には隠れキリシタンの長崎での処刑を描いた「磔」という短編もあるよ。

9ht 以上で『私の明治村』の<前編>は終わり。
 
さあ、コンサートもいよいよ後半。
ココから各バンドの持ち時間が5分ずつ伸びて20分になる。
まずはLOVE HUNTER。490千田忠彦

500vTora

510v松井博樹

520vTosh

530vそして、Yasu。

540v千田さん、ステージの上から私を見つけてビックリしてたナァ。
彼は広島の人だけど、確か前回会ったのも名古屋でのことで、BOTTOM LINEだったような気がするぞ。

550vLOVE HUNTERは広島のWhitesnakeのコピー・バンド。
今日はその名古屋バージョンだ。
だから「nagoya LOVE HUNTER」。

560曲は「Crying in the Rain」。
BLINDMANの松井さん、名古屋からご苦労さま…ってココ名古屋だった!
イヤ、東京で一緒になると、どうしてもそういうご挨拶をするもんだからつい!

570私はWhitesnakeってゼンゼン接点を持たずにココまで来ちゃったんだけど、ピリリとしまったとてもいい演奏!

580vしかし、後半になってもこんなに濃い~チームが出て来て…トシさんもヤスさんも、ずいぶん音楽的に濃い60年を送って来られたのね~。

585「どうですか?もうお一方…僕の大好きなアニキを!もうスッカリ出来上がっちゃってますけど…ミスター・アメリカ・タケ!」
600v曲は同じくWhitesnakeから「Walking in the Shadow of the Blues」。

590タケさんがまたスゴい破壊力!
もうステージ狭しと縦横無尽に暴れまくる!

610負けていられない伴奏陣。

630Toraさんのギターもガッツリとフィーチュア。

640vこの辺りからドップリとハード・ロック・ゾーンに突入。
650全く疲れを見せない還暦リズム隊…

645vと言いたいところだが、リハーサルからだからね~…大変ですよ!
あと4バンド!ガンバレ!

620vいよいよ大台の10バンドめ!
「やっと出番が来ました!」とさっきからステージを離れていた…

660ACEさんがボーカルズで登場!

670v柴田博章

680v引き続いて松井博樹。

690vベースはトシさんで…

700vドラムスはヤスさんが休んで、藤生善三にスイッチ。

710vバンドはGypsies Heap。
コチラはユーライア・ヒープのコピー・バンド。
曲はまずは「July Morning」。
なつかしいナァ。

720vACEさんが今までのトークでの仕事と区切りをつけるようにシンガーとしての凄まじいテンションを見せつける!730このACEさんのステージさばき。
さすが!

740トシさんとは二人羽織を披露。
ACEさんはギタリストでもあるからね。

750そして、もう1曲は「Look at Yourself」。

760「対自核」!
一体何年ぶりに聴いたことか!
やっぱり盛り上がるね。

770vもう会場は総立ち!

800…と言ってはおりますが、ワタクシ、ヒープもチョイと苦手で、加えてヘソ曲がりなもんだから『Firefly』が一番好きだったりするのです。
790vしかし、ACEさんの声はデヴィッド・バイロンのように伸びやかで聴いていてすごく気持ちがいいね。

780v藤生さんを得たヘヴィなリズム隊もバッチリ!

810v20分で2曲。
70年代ハードロックの、つまりロックが一番カッコよかった時代のロックを堪能させてくれた。
ところで、Gypsies Heapは「Heep」じゃないのね。
以前Soft HeapというSoft MachineとNational Healthの元メンバーが集まったバンドがあったね。
「heap」というのは「堆積」とか「山」いう意味。

890v11番目に登場したのは今日のこのイベントの目玉のひとつSNIPER MKII。

900金子光則

910v日下部正則

920v加藤剛

930v宮田叔侑

9s41a2063 板倉淳

950v事前に頂いた資料ではこのチームの表記が「SNIPER(BAD SCEME)」となっていた。
浅学にして存じ上げなかったのだが、「マーク2」と呼ばれているこの面々でのSNIPERの演奏は大変珍しいそうで、ココだけ枠が30分に拡大された。

960vまずはSNIPERで「Open the Attack」。

970正統派ジャパメタ・サウンドにBurneyの純潔ロック・ギター・サウンドがベストマッチする。
気を衒うことのないBurneyのギターはいつ聴いても折り目が正しくて気持ちがいい。

980vヘヴィにドライブするリズム隊も爽快感に満ち溢れたもの。

985じゅんぺーさんは久しぶりのMarshall Blog登場だ。

990v金子さんのMarshall Blogへのご登場はコレが2回目。
そういえば、前回のご登場もBAD SCENEのギタリスト、杉山勝彦さんの還暦記念コンサートの時のことだった。
「35年前にBAD SCENEが名古屋に来たことを知っていますか?BAD SCENEで音源になっていない曲をトシと演ってみたくて…楽しみにしていてください!」

1030v2曲目は1曲目同様SNIPERで「Turning Point」。

1000ココはヤスさんも加わってのツイン・ドラム体制。

1010vこの曲でも金子さんのド迫力の歌いっぷりが炸裂!
その姿を目の当たりにすることができた喜んだお客さんも多いハズだ。
S41a2071剛さんのキーボーズがバンド・サウンドを分厚くするのだ。

1040そして、3曲は金子さんがさっきMCで触れたBAD SCENEのナンバー。
1020「No where」という曲。
私の知らない曲だった。

1050ココでのドラムスは増井康博。

106011番目のパフォーマンスもまったくダレることなく終了。
演者も観客も集中力を欠かさずこの記念イベントの行く末を見守っている。

1070金子さんが前に置いていた譜面台。
最後に向きを変えてお客さんにお見せしたページ。

1080 汗ダクのトシさん。
MCマイクを握ってひとこと…「生きててヨカッタ!」

90r4a2093 <次は最終回!>
 

200_3
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 2日 (金)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.3~私の犬山城

 
コンサートのレポートはまだ前半が終わったところだけど、『私の〇〇』の方はひと足先にコンサートの翌日にコマを進めるよ。
初日の宿を名古屋市内に取ることができず、桑名の温泉宿に投宿したことは既報の通り。
その翌日のコンサート当夜もダメだったの。
本当はELLの近くに泊まって打ち上げにも参加したかったんだけど、宿が取れないんじゃ仕方がない。
そこで翌日の行程を考慮して小牧に宿を取った。
終演後、大須から高速に乗って急いで向かったんだけど、ホテルに着いたのは12時チョット前。
普通のビジネス・ホテルに素泊まりしたんだけど、驚異的に安かった。
風呂に入ってホテルがサービスで提供してくれたビールを飲んでバタンキュー!
で、翌朝のごはんは家内が予め調べておいてくれた、目的地に行く途中の「グリーンハウス」という喫茶店のモーニングを摂った。

01なんだ?
朝から駐車場は満杯だよ。
お店もほぼ満席。

02最近は「コメダ珈琲店」が東京に進出して来て、東京に住む我々も音に聞こえた名古屋独特の「喫茶店文化」に触れるようになったけど、ココにはビックリ!
このメニュー見て。
トーストは当然のこととして、ホットドッグ、パフェ、あんみつ、たい焼き…これらからひとつオーダーすればコーヒーや紅茶が付いてくる。
…と思ったら違うんだよ!
いいですか?
話は反対で、コーヒーや紅茶を頼むとコレらのフードが付いてくるっていうワケ。
おかしいでしょう~、それは!
弦を買ったらギターやベースが、マイクを買ったらイアン・ギランが無料で付いてくるようなもんですよ!
イヤ、どうでもいいことなんだけど、この感覚が実にオモシロイ。
飽くまで「ウチはコーヒー店」ということか?

03ホットドッグを頂いて目的地へ向かう。
すると…。
またこれは朝からナンダ?
若い人が大勢集まってる。
ライブハウスか…と思って一旦は通り過ぎたんだけど、どうしても気になって、ワザワザUターンをして様子を見に行った。

04ハハン、アイドル系のライブがあるので朝から整理券か物販をゲットするのに並んでるんだな?
しかし「maruman」なんてライブハウス聞いたことないな…。
06…と思ったらこの若い人たちパチンコ屋の開店を待ってるのよ!
コレもビックリだった。
朝から東京では見かけないモノを見て新鮮な気持ちで向かった先は…
05ココ…犬山城。

10_2お城観光もいいけど、どこも結構上り下りが大変なんだよね~。

0r4a2232ま、戦の時の防御を考えてのことだから仕方がない。

20v_233年前、当時赴任していた富山から社内旅行でココまで来たことがあるんだけど、見事にナニひとつ覚えていなかったわ。
社内旅行がイヤでね~。
反対に普段大人しいくせに、社内旅行となるとやたらと燃えちゃうヤツがいるんだよね。
今でもああいうのやってるのかな?
そういえば、あの朝食の時のビール。
若い頃はアレがキライだった。
ところが、数年前郡山で開催された『スウィンギン・ロンドン展』の講演会に登壇するために行って泊まった温泉。
電車だったので、何の気なしに朝風呂浴びた後の朝食の時のビール。
コレが信じられないぐらいおいしくて「コレがあのオッサンたちが社内旅行の時に飲んでいたビールか!」と、感動とともにジジイ度が増したことを自覚したのであった。

30v_2国宝ですよ。
江戸時代までに建造された現存する12の天守のうちのひとつで、国宝に指定されている5つの天守のうちのひとつでもある。
他の4つはと言えば、姫路、松本、彦根、松江だそうだ。
繰り返すが、私は城に関してはマニアでも何でもないのだが、このうち行ったことがないのは松江城だけだわ。
ナゼか他は行ってる。
松本城はすごく好きです。

40_2天守へ上がると、おお~絶景かな、絶景かな…ただし天気がヒドイ!
眼下の木曽川までは高さ88mもあるんだって。

50_2下の写真…屋根の先っちょには桃。
桃が乗っかっているのは亀の甲羅。「固く守る」という意味。
ではナゼ桃か?
桃は大好きよ。
桃は太古の昔から「魔除けの力」があるとされていたのね。
なるほど、だから桃が引っ付いているか…で終わっちゃダメなワケ。
どうして桃に魔除けの効果があるのか?というところまで興味を持つ。コレがMarshall Blogを書くコツ。
コレね、2回前の「猿田彦神社」のところに書いてあったでしょ?…「古事記」の話。
マーブロってのはホントによくできてるナァ。
チョット省略するけど、イザナギとイザナミの「国生み儀式(凸と凹を合わせるヤツ)」を営んででイザナミが火の神様を生んだ時、自分も焼け死んじゃうんだな。
するとイザナギは寂しくて、イザナミに会いたくて黄泉の国に会いに行く。
いいですか~、「ファンタジー」ですからね。
イザナギは黄泉の国でイザナミを見つけて現世に連れ戻したいのだが、イザナミは黄泉の国の食べ物を口にしてしまっているので、ルールとして現世に帰ることができない。
でも、イザナギの元へ帰りたい一心で黄泉の国の親分に相談するのでその間イザナギに待っているようにお願いする。
その待っている間、「絶対に私を見ちゃダメよ」と厳重に戒める。
ところがあまりにも時間がかかるので我慢できないイザナギがイザナミを見に行ってしまうんだな~。
すると!
イザナミは腐った身体にウジ虫が湧く化け物になっていたのよ。
ま、キューブリックの『シャイニング』に出て来る237号室の幽霊のもっとスゴいヤツと思えばいいでしょう。
ちなみにあの辺りに使われている音楽はバルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」の第2楽章です。第2楽章はあの通り薄気味悪いけど、第1楽章はすこぶるカッコいいよ。
で、「おのれイザナギ!アレほど見てはならぬと言ったのに!」と怒り狂ってイザナギに襲いかかる。
イザナギだって元のままのイザナミならいいけど、腐った化け物に追いかけられてはタマらんので、そりゃ逃げだすわね。
這う這うの体で黄泉の国と現世の間まで逃げて来た時、イザナギの目に入ったのはそこに生えていた桃の木!
その木から桃の実をもぎ取って追いかけて来るイザナミの化け物に「エイッ!」っと投げつけるとイザナミは退散したという。
ま、私はその場にいなかったのでホントかどうかは知りませんよ。
そんなことから「桃には魔除けの力がある」と信じられているのだそうですよ。
ま~、とにかくこの「古事記」とか「日本書紀」に出て来るストーリーはスゴイよ。「なんでやねん?」のカタマリです。60_2さっきまで晴れていたのにもうこんな曇り空。
晴れてればキレイだったろうにナァ。

70_2城の中はどこも一緒だわね。
コレ、上の階ってトイレはどうしてたのかネェ。
桶に溜めて家来が捨てに降りたんだろうナァ。
日本家屋というのは2階以上にトイレがないのが普通なのね。
ま、お城を「日本家屋」として扱っていいのかどうかは知らんけど。
ところが江戸時代、2階にトイレがあるのが当たりまえの建物が並んでいるエリアがあった。
それはどこかというと、吉原。
だから当時は「2階で用をたして来た」と言うのは「吉原へ行って来た」という意味の符牒だった。

80_2犬山城は元々は織田信長の叔父さんの織田信康が1537年に築城して、1617年に尾張徳川家のお偉いさん、成瀬正成が拝領して今の天守の姿にしたのだそう。
前にも書いたけど、この御三家、御三卿のシステムってのはよく考えたよね。

90_2初代から数えて12代目が昭和の名横綱千代の富士。
チガウカ。

100_2そして昭和27年に国宝に指定されたのだそうだ。
どうよ家が「国宝」って。
でもね、上には上がいくらでもいましてね…

105例えば「Never give in!(負けるもんか!)」の名演説で有名なウィンストン・チャーチル。
頭文字は「WC」。
下はイギリスのオックスフォードにある世界遺産の「ブレナム宮殿」。
なんと、コレがウィンストン・チャーチルの実家。
実家が「世界遺産」って一体どういうことだっつーの!

106私のCD棚にはチャーチルの名演説を収録した下のBBC制作のアルバムが収まっているが、最後まで聞いたことがない貴重なCDの筆頭に君臨している。

Wc 城から出てきた頃には雨が降り出しちゃった!

120_2それでも近くの「犬山城下町」と呼ばれているエリアを散策。

130_2ココもなかなかに面白いね~。
雨さえ降ってなきゃもっといいのにな~。

140vなんて言ってたらウワ~!
土砂降りだよ!
「すぐ止むだろう」と読んではいたけど、さすがにこの時ばかりはお土産物屋さんで雨宿りさせてもらったよ。

90r4a2334 ね、すぐ止んだ。
早速、散策。
この建物は2004年に「犬山市都市景観賞」というのを獲っている。
あんまりそうは見えないんだけどナァ。

150_2カッコイイ雨樋。
コレは銅だね?
何十年かするといい感じの緑になるんじゃない?

160_2コレもイイ感じ。

170_2昭和10年頃まで酒を造っていた高木さんの家。
大正初年の建築だというから築106年。

90r4a2345 ココは立派だったナァ。
屋根にRがついているのがわかる?180_2「柏屋孫兵衛」の屋号で呉服商を営んでいた磯部さんの家。

185慶応年間の建築だ。

186「慶応」というと、スゴイ昔の感じがするけど明治のすぐ前で、期間はたった4年だったんだよ。
だからこの家が慶応年間の最も古い時期に建てられたとしてせいぜい築155年ぐらい。
スゴイ古いか!

190_2でもイギリスなんかへ行くと築100年はまず当たり前。
築400年の家とかあるからね~。
「石」にはかなわないし、向こうは地震がないからね。

200_3この吹き抜けは立派ですよ。
しかし冬は寒かったろうね~。

210_2ホラ、シャチホコ。

220_3ね、屋根の真ん中あたりが膨らんで少し丸くなってるでしょ?
こういうのを「起り屋根(むくりやね)」というのだそうだ。
どうしてこういうデザインになっているのかというと、勾配がゆるい屋根でも軒先にキツイ勾配がつけられることより、雨水を流し易くなるというメリットがあるんだって。
そういえば、昔の奥行きのある家の屋根の勾配はゆるかやになってるもんね。
この「起り屋根」は海外には存在しない日本のオリジナル・デザイン。
かつ寺社仏閣や武家屋敷なんかには見ることができず、もっぱら商人、庶民の家に用いられたんだな。
なんかチョット曲線になっただけでずいぶん感じが変わるモノですな。
となりの家の屋根と比べてみて!

230_2さて、コンサート。
ELLに戻る前にチョイとコレを見て頂こう。
コレは私の手元にある3枚組のLPレコード。
今は「ヴァイナル」っていうのか?
Marshall RECORDSの連中も「ヴァイナル」って言ってるけど、アレはどうもシックリ来ないね。
レコードは「レコード」だよ。
「日本全国俺達スターだ!!」というキャッチが付いた当時ヤマハが運営していた各地のバンド・コンテストの優勝者が雌雄を決するアマチュア・バンドの一大イベントの実況録音盤。

240日本の「ロック」が一番ヨカッタ時代かもね。
この数年前まで「ロック」という音楽はまだマイノリティだった。
そして、全国で大規模なコンテストがこんなに開催されていたんですよ。
「East West」は有名だよね。私も高校の時、予選の予選ぐらいは何度か出させてもらった。
中京地区の「Mid Land」や関西の「8.8 Rock Day」や九州の「L-Motion」は東京にいてもよく耳にした。
「Rock Fusion」とか「West Wave」なんてのは知らなかったナァ。
楽器を売るためとはいえ、ヤマハさんは大手にしか絶対にできない立派な仕事をされた。
こうした企画は日本でのロックの普及に計り知れない功績を残したが、マァ結果的に功罪はあったことも否めまい…飽くまでも結果論ですよ。
学校の先生が軽音楽部の生徒を引率してバンド・コンテストに出場するなんてことをこの頃誰が予想できたであろうか?
つまり、一般化しすぎて本来「ロック」という音楽が持つ、不良の香りや、クリエイティビティの追求という魅力が消失してしまい、誰もが同じことをやる健全な「童謡」になってしまった。
このLPに音源が収録されているバンドさんたちは「日本のロックの第2世代」的な存在で、「いかに人とは違う『自分たちのロック』をクリエイトするか」ということに腐心していた猛者たちだ。

250ライナーを見てビックリ。
知ってる人がイッパイ出てるんだもん!
まずはSHOW-YA。
まだ恵子さんとキャプテンだけだったんだね。
でもさすがSHOW-YA!レディース部門で「優秀賞」を獲得している。

260_2X-Rayも。
朗さんはいるけど、まだオズマさんもロジャーさんもメンバーになる前か?
ドラムはババちゃんだったのね?後列の左がそうかな?
他に八重ちゃんの「十二単」なんかも収録されている。

270そして…今日のトップ・バッターはこの方々。
スゴイ、全員ご健在!
さぁ、原形のままELLのステージに登場だ!

2806番目にステージあがったのはSPRITZ!

290もうメンバーを紹介しちゃったようなもんだけど…
KAZU

300v中野重夫

310v加藤剛

485vTosh

500vそしてYasu。

510vSPIRITZはシゲさんの還暦記念コンサートでも演奏したので、1982年以来36年ぶりの再集結というワケではない。

520このチームは「Midnight Train」1曲のみを演奏。

530Marshall Blogには久しぶりの登場となるシゲさん。
シングル・ピックアップのSGがよく似う!

540v剛さんも久しぶりのマーブロ登場で見事な鍵盤さばきを見せてくれた。

550vしかし、考えてみるとこのチームはDYNAGONにKAZUさんが加わった格好なんだね。
610でもシゲさんは「KAZUちゃんは元気にココで歌っていますけど、このステージにいられるのは奇跡なんです」とMCで告げた。

560このチームは1曲だけだったので演奏のパートがタップリ!

580中京の重戦車、DYNAGONチームのパフォーマンスだけあって聴きごたえ満点!
600vちなみにこの曲は演奏時間を超過してどこかのコンテストで失格になった曲だそうです。
だから今日は1曲にしたのかな?
今日はお時間ちょうどでございました!合格!
590続いてステージに現れたのは…アレ?
今日、女性ボーカルズはひとりだけだ!
記事を書いていて今気が付いた。

620オトミさん!

640vそしてバンドは剛さんがステージから降りて、SPIRITZII。
カッコいいな「II」。
そんなね、名前に「II」が入ったバンドなんてそうないよ。
パっと思い浮かぶのは「Colosseum II」ぐらいだもんね。

630曲は、まずは「Wishing well」。

690出るべくして出たロックの名曲。
やっぱり名曲はいつ聴いても名曲だ。

680v2曲目は「Good Times」。
この曲はシゲさんの還暦記念コンサートでも演った曲。
私はフィービ・スノウのバージョンでこの曲を知ったが元はサム・クック。
収録されているのはまたしても『サンフランシスコ・ベイ・ブルース/ブルースの妖精フィービ・スノウ』とかいうマヌケな邦題が付けられた1974年の『Phoebe Snow』というドンズバのタイトルのフィービのデビュー・アルバム。
私はジャズ以外の女性ボーカルズものは聴かないんだけど、コレはズート・シムズやテディ・ウィルソン、チャック・ドマニコやチャック・イスラエルズとったベテランのジャズメンが参加していることで興味を持った(ナゼかデイヴ・メイスンも参加している)。
つまり、大分後になって聴いたワケなんだけど、実にいいアルバムだよね。
このフィービの声と歌い回しはナニモノにも替えがたいぐらい素晴らしい。
そしてこの「Good Times」。
これがですね~、「ナニが悲しくてフィービはこのクックの曲を選んだんだろう」と首をかしげるぐらい原曲と違う。
歌詞の一部が同じというだけで、完全に別の曲と言っていい。コレなら自分で1曲作っちゃえばよかったのに…。
つまりフィービの方がダンゼンいいワケ。
このアルバムに感動して他のフィービのアルバムを色々買って聴いてみたけど、このアルバムがダントツでお気に入り。
それとドナルド・フェイゲンの『New York Rock & Soul Revue』での活躍もすこぶるカッコよかったが、フィービも残念ながら7年ほど前に亡くなってしまった。
650cdチャック・ドマニコなんて名前、Marshall Blogで出る機会がないし、女性ボーカルズつながりということで一応脱線しておくけど、カーメン・マクレエの代表作、『The Great American Songbook』の「Satin Doll」のチャック・ドマニコによるベースのイントロ…トリハダです。
このアルバムはギターがジョー・パスで、バリッバリ弾いているので、「ジャズでも聴いてみようかな?」なんて思っているロック・ギター・ファンにもおススメです。

Cm勝手にフィービ・バージョンでオトミさんが歌ったかのような筆致になってしまったが、少なくともサム・バージョンには料理されていない(←ココ、シャレになってます)。
でもフィービ式でもない。
つまりオトミさん流なのだ。

660vというのもバックがこのメンツだからして、それはそれはガッツのある演奏だった。

670この日、唯一の女性シンガーのステージ、ものすごく良いショウ運びのアクセントになった。

700おなかが空いてきたので、私はこのあたりで栄で買ってきた天むすをコッソリ頂いたよ。
ひと口で食べられるし、おいしいし、とてもいい感じ!
記録を紐解いてみると、この時点で30分押し。
演奏も転換も順調だけど、イベントってのはだいたいこんなもんよ。
でも、早くももう後半だよ。
出てこいや8番手!
 
で、出てきたバンドはBlues Deluxe。
いい名前だ。

710コレ。
このアルバムってモノの本によると、Marshallとレスポールのコンビネーションが最もいい音で録られたアルバムなんだって。
そのアルバムに収録されているのが「Blues De Luxe」。
私がこのアルバムを友達の家で初めて聴いたのは中学2年ぐらいの時のことだったが、全然ピンと来るものがなかった。
わからなかったんだろうね。
アルバムは持っていても、実は今でもほぼ聴くことはないのだが、初めからこの曲だけはすごく印象に残っている。
それはジェフ・ベックのギターというよりも、あのロッド・スチュアートの「♪ッスッテディ~アッ、ッスッテディ~アッ」っていうところ。

720cd曲はJeffrey Rodのオリジナル。
この「ジェフリー・ロッド」ってだ~れだ?
答え…下の写真の左から2人と一番の右、2人1組でジェフリー・ロッド。
つまり、ジェフ・ベックとロッド・スチュアートですな。
藤子不二雄か!?
『Truth』にはこの名義で3曲ほどオリジナル曲が吹き込まれている。
右から2人目のメガネのアンちゃんはミッキー・ウォーラー。
ジム・マーシャルのドラム教室の生徒さんだった。
自分が通うドラム教室の先生が作ったギター・アンプを弾くヤードバーズのOBと一緒にバンドをやるなんてのはどんな気分だったんだろうね?
ミッキーはロング・ジョン・ボールドリー、ロッド、ジュリー・ドリスコル、ブライアン・オーガーらが在籍したThe Steampacketやジョン・メイオールのBluesbreakersといったイギリスのブルース/ロック・シーンで輝かしいキャリアを積んだが、自分のドラム・キットを持っていないことで有名だった。
ちょっと~、ジム・マーシャル、つまりあなたのドラムの先生はドラム・キットを生徒に売りつけるためにドラム教室を開いたんですよ!
ココでもうチョット付け加えると、エルトン・ジョンの「ジョン」はロング・ジョン・ボールドリーの「ジョン」、「エルトン」はSoft Machineのサキソフォン奏者、エルトン・ディーンの「エルトン」からとられている。
本名は「レジナルド・ドワイト」というので、イギリスの年配のファンはエルトン・ジョンのことを「レジ」と呼ぶ。
コレも何回も書いたか…。

725ミッキーがドラム・キットを持たなかった代わりにヤスさんがNATALを所有してくれている。
ジムも喜んでくれているハズだ。

726vBlues DeluxeのボーカルズはKAZU。

730vギターは2人。
ひとりは平井チカ哉房。

740もうひとりは松村英利…エイリさん。
800vベースはトシさん。

760vそしてヤスさん。
トシさんもヤスさんはこのバンドでも赤松さんと一緒だった。

780v曲はZETT時代に演っていたという「Maybe Tonite」。

790ボトルネックのエイリさん。
いかにも「ギタリスト」のたたずまいがカッコいい。エイリさんも赤松さんを敬愛するギタリストのひとりだ。
ヒヌカムブロウ、また東京に来ないかな~。

750ワイルドなチカさん!
チカさんも赤松さんのフォロワーだ。

810ピックアップセレクターに付いている50円玉が気になるんですけど!
ん…もしかして、パチンとセレクト・バーをリアにしたときに自動的にセンターとリアのハーフ・ポジションに止まるようになってるのかな?

8202曲目もオリジナルの「Sweet Home」。
ココでもパワフルなKAZUさんの歌声が爆発!

830v徹底して暴れっぱなしのチカさん。

860エイリさんをして、「素晴らしい後輩」と演奏後にトシさんがおっしゃっていたが、いいねこういうのは!
今の若いJ-POP世代の子はこういうことができないだろうからね。
先輩との音楽的な接点が全くない。
まず「ブルース」なんて音楽を知っている子が少ないだろう。そりゃ学校へ行けばコード進行ぐらいは教わるだろうけど、それぐらいで身に付いたり習得したりできるほど音楽は甘くない。
加えてブギやシャッフルの3連のリズム。
若い人の間にコレがなくなって日本人のリズム貧乏に拍車がかかった。
考えてみると我々の世代は中学とか高校の時にステイタス・クォーとか聴いていたんだもんナァ。
今、ITのおかげでいかにもロックが盛んになっているように見えるが、実は本来「ロック」と呼ばれていた音楽はトキよりも深刻な絶滅の危機に瀕しているのだ。
マディ・ウォーターズが歌ったように「ブルース」から生まれた子供が「ロック」なんだから…親を尊敬しなければバチが当たるというものだ。
コレは今音楽をやっている子供たちのせいではなくて、作り手の大人の責任だ。

840だからこうした新旧が入り混じっている光景を見るとうれしくなってしまう。

870そんな社会的な意義も含めて2人の還暦の記念は進む。

880v

890vココからMCはKAZUさんに交代。
するとトシさんから「このコンサートはKAZUの快気祝いでもあるだでナァ」のひと言。
さっきSPIRITZの時、シゲさんが「KAZUがココに立っているのは奇跡」という発言をしたが、KAZUさんは深刻な大病を患って、それを見事に克服しての出演だったのだ。
するとKAZUさん、「そんなこと言われると泣いちゃうよ~!60歳にもなるとナミダもろくなるね!」
感動のシーン。
KAZUさん、ご回復おめでとうございます!
Kz<連日の大作続きでちょっと疲れてきたぞ!でもまだつづく>
 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年11月 1日 (木)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.2~私の名古屋城

 

特段「城マニア」とかいうワケではないのだが、ELLにお邪魔する前に名古屋城に行ってみた。
山岡荘八の『徳川家康』全26巻を見事読破した家内のリクエストでもあり、5月に来た時にどうしても時間がなくて来れなかったリベンジ的意味合いもあった。

10メッチャ曇り!よくもマァこんなに曇ったもんだ。
これだけ曇っていると最早気持ちがいい…ワケないか。
でもEvery cloud has a silver lining…きっといいことあるよ。
そして、工事中の雰囲気満点。

20v名古屋城と言えば「金のシャチホコ」。
家内と「そもそもシャチホコってなんだ?シャチか?」という話になった。
シャチってのはこういうヤツじゃんね。
あんな屋根に乗っかっているようなシャツはオルカ?ってな具合。
ちなみに、「オルカ」がシャチを指すことは映画を通じで日本人の間にも知れ渡ったが、英語では「Killer Whale」、すなわち「殺し屋クジラ」という物騒な名前が付いている。

Shachi_2シャチというのは漢字で「鯱」と書く。
コレは頭が虎で身体が魚のルックスをした想像上の魚で、Killer Whaleとは別のモノ。
鯱は水を吐く能力を持ているため、火除けのおまじないとして織田信長が安土城の天守閣に乗せたことにより広まったそうだ。
コレがあのシャチホコか…。
案外ユーモラスな顔してるな。

30v空模様は回復する見込みは全くないけど、家内と「徳川将軍15人のウチ、誰が好き?」なんて話をしながら奥へ進む。
ウチでは14代の家茂が人気者なのです。

40今回、名古屋城については何の下調べもしないで訪れたんだけど、何やら新規オープンでにぎわいを見せているアトラクションがあったので寄ってみることにした。

50名古屋市内の地下鉄の駅にも盛んにポスターを見かけたんだけど「名古屋城本丸御殿」ってのが公開されているというワケ。

60「名古屋城本丸御殿」というのは徳川家康のオーダーで1615年に建てられた尾張藩主の住居かつ藩の政務を司る役所だった。
それがですよ、昭和20年にアメリカのバカったれが爆弾を落として全部焼き尽くしてしまった。
名古屋もかわいそうに…。
そして、長い間望まれていた復元が完了して今年6月から見学できるようになった。
折角だから中に入ってきたんだけど、コレがスゴかったのですよ。

70本丸御殿は世界に誇る近世書院造の建造物として、昭和5年に城郭建築における国宝の第1号に指定されていたんだって。
コレが玄関。
ウチとは大分違うナァ。

80どこもかしこもキンキラキンでスゴイのよ。
100釘隠しもこの通り。

90「表書院」と呼ばれる正式な謁見に用いられた場所。
ま、応接間ですな。110ね?
「ホントにこんなんなってたのかいな?」と疑いたくなるような完全に不必要なまでの豪華さ!
ボランティアの案内係が説明していたけど、エライ人が使う部屋になればなるほど天井がゴージャスさに差が出てくるのだそうだ。

120ココは「対面所」。
藩主が身内や家臣とプライベートで会ったり宴を開くためのスペース。
プライベートならもっと質素にイケや。

130名古屋城には江戸時代の文献や実測図や戦前の写真等の史料が豊富に保管されていたため、かなり忠実な復元に成功しているのだそうだ。
廊下だってこの通り。

170釘隠しもドンドン豪華になっていく。

160欄間がスゴイわな~。
「透かし彫り」っていうヤツ?

180コレは1634年に3代将軍家光がココへやって来るってんで造っちゃった建物「上洛殿」。
「上洛」っていうのは都へ行くことね。
ちなみにさっき名前が出た14代将軍は229年ぶりに上洛、すなわち天皇陛下に合いに京都に行った将軍で、攘夷を約束して江戸に帰ってきた。
幕府もエンディングに向かっていた家茂の頃は色々と大変だったんですよ。そのストレスもあり、家茂は21歳で脚気で死んだ。甘いものには目がなくて、全部虫歯だったらしい。
 
家光のために作った部屋はいくつもあって、下の写真は「一之間」。

250こんなの落ち着かないだろうにな~。

220すぐ隣に続いているのは…

230「上段の間」。

190コレ、スゴイよね~。
A面とB面でデザインが違うんだもんね。

200こっちが「二之間」だって。

270そして「三之間」。
一体コレらの部屋をどうやって使い分けていたのかしら?

290最後は釘隠しもこうなっちゃう。

240しまいには目がチカチカしてきた。
やっぱりどんなにボロでも我が家が一番ということよ!

300で、結局工事中で城の中には入れず。

310でも、この工事もスゴイよ。

330通路にはいくつものテントが…。

340「堂主」?
「看守」?
何かと思ったらコレは楽屋だね。
屋外ステージかなんかでプッチーニの「トスカ」を上演するイベントがあるんだね。

350「名古屋城へ行って来た」と言ったら「じゃ、アソコも見て来た?」と地元に人に訊かれたのがココ。
名古屋城のすぐ隣にある昔風のアーケード「金シャチ横丁」。

370こっちで言えば「伝法院通り」ってとこか?
スミマセン、時間が押していたので素通り。

380結局、名古屋城の中には入れなかった。
でも「本丸御殿」が見応えタップリだったので「入場料損した感」は全くなし。これが「Silver lining」だったのね。
また、名古屋来るぞ!
ということで今回のレポートはコレで終了!

Img_9301 

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋城にて撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘヘヘ、知らない読者もソロソロ増えて来たのではないかと思って久しぶりにまたやってみた。
前回コレをやったら真剣に注意してくれた人がいてサ…「ホントに終わったのかと思いました。あんなことをしたら読むのを途中で止めてしまう人がいてモッタイないですよ!」って!
なので今回はブランクを短めにしてみた。
フェイク・エンディングね。
音楽的に言えば「偽終止」。英語では「Deceptive cadence」。
「Decptive」とくれば10ccの『Deceptive Bends』。
イタズラの上に脱線で恐縮だけど、チョットこれについてやらせてくだされ!
今コレを読んでいる人の中に10ccファンはいらっしゃるかな?
このアルバム、『愛ゆえに』というクソ以下の邦題がついているけど、原題はすぐ上に書いたように「Decptive Bends」という。
下のジャケットがそれ。
なんで潜水服の男が溺れてしまったステキな女性を抱えているのか?
さすが10ccというより、さすがヒプノシス。
このデザインの意味合いが超面白い。
まず、「Deceptive Bends」というのは、ロンドンの南西のサーリー(クラプトンとかジェフ・ベックの地元)に実際にあった道路標識のことね。
「bend」だから曲がっているモノを指す。要するに「見通しの悪い曲り道に注意」という意味ね。
ジャケットを見る。
ひとコマ漫画のようにストーリーになっている。
どういう展開かというと…潜水服の男は助けた美人に惚れこんでしまうかも知れない。
もしかしたらそれがうわべだけの(deceptive)危険な恋かも知れない。そうだとしたら問題だ。
こうして、あたかも人間は海から上がって、世界に出て来て、たくさんの問題に直面していくというワケ。だから曲がり角(bend)を運転する時のように注意をしなければならない。
後ろに2人の男が海から上がって来てるでしょ?この人たちも同様に色んな目に遭うことでしょう。
さて、ココがわからないとこの話は面白くもなんともないんだけど、コレはガッチリしたシャレになっていて、実は「bends」というのは「減圧症」という潜水病の俗称なんですな。
気圧が急に大きく変わると耳が痛くなったりするでしょ?…アレ。
すべてがシャレでつながってる。

Db そしてジャケットをひっくり返すと…エリック・スチュアートとグレアム・グールドマン。
あの後ろの潜水夫はメンバーの2人だったんですね~。
そして、真ん中の潜水夫は誰?…と、潜水服を脱ぎだすところで話が終わる。
こういうジャケットをまとっていたロックを聴いて育った私はシアワセだ。
そういえば、ロンドンのどこかにこの潜水服を発明した人のプラークがかかっていたな。
Rc さて、話を戻さみゃ~か。
ELLでご挨拶を済ませてからチョイとお出かけ。
本城未沙子さんのサポートでMashaくんが名古屋に来ているというのでSPADE BOXというライブハウスに顔を出してみた。雄太くんも来てた。
ココ、ダイヤモンド・ホールの下なのね?
いつかダイヤモンド・ホールってChildren's Bodomのアレキシ・ライホの写真を撮りに来たことがあったわ。
それと、BOTTOM LINEに曾我ヤッチンも来ていたのでサプライズして来た。慌てていて写真を撮るのを忘れちゃった!

385vそして、ELL。
この芳名表がいいね。
「♡おかえりなさい♡」って。
コレはELLに「おかえりなさい」ということなのか、演奏を終えて楽屋に「おかえりなさい」とうことなのか…両方だね?
やっぱりライブハウスを知り尽くした人が作っただけあって、荷物の搬入スペースから、照明から、楽屋の導線から、何から何まで気が行き届いている。

390このパスもうれしいね。
「FREE PASS」の吹き出しのデザイン。

400だって『FREAK OUT!』なんだもん!
Help, I'm a Rock!

410cdさて、『いこみゃ~か』の3番手はヤスさん参加のチーム。

415vKing Cool

420「赤松一郎くんとヤスとボクの3人でやった」とバンドを紹介したのはさっきThe Wizzで登場したJack。

430vギターはかまいたち才蔵。

440そしてヤスさん。
このバンドでは下手のキットに引っ越し。

450v曲はまず「Spoonful」。
Willie Dixonね。
この曲の歌詞ってオシャレなんだよね。
「スプーン一杯のコーヒー
スプーン一杯のお茶…でもスプーン一杯のお前の愛があれば俺には十分だ」
キザでしょう?
もうチョットやると…
「その一杯のスプーンのために人はウソをつき
涙を流し、死んだりもする
誰もがソイツのために戦うんだ」って。
コレはお薬のことを言ってるのかな?
私は知りません。
『Mary Poppins』の薬を飲みやすくする「スプーンフルの砂糖」とは大分違う。
 
このギター!
460vもう完全にCream。

470Jackさんは「Bruce」の「Jack」だったのね。
SGベースでブイブイとジャック・ブルース・トーンを炸裂させた。

480vもう1曲は「I'm so Glad」。

0r4a1289 かまいたち才蔵さんは大学の時から存知上げています。
遠藤豆千代さんとか、敷島パン助さんとか、紫狂乱さんとか、もちろん平野茂平さんとか…なぞなぞ商会大スキだったから。
私が観た渋谷の屋根裏は初めての東京へのツアーの時のことで、他にロフトとクロコダイルに出演したのを今回調べて初めて知った。
その次に上京した際の新宿ロフトにも一度観に行ったことがあった。
棺桶を持って来てお客さんを中に入れちゃうヤツ。
で、そのお客さんにマヨネーズに浸した白滝(だったかな?)を食べさせるんだけど、自分には絶対にできないと思った。
私、マヨネーズ苦手なんです。
なぞなぞ商会のことはもう何度もMarshall Blogに書いているけど、フランク・ザッパとロッキー・ホラー・ショウの曲をレパートリーにしていたのだが、今の「トリビュート・バンド」と称しているコピー・バンドとは異なり、原曲によく練られた日本語の歌詞を乗せていた。
要するに「替え歌」ということになるのだが、その歌詞が王様の手法とは全く異なり、完全にオリジナルでその内容が秀逸だった。
Zappaでは「Carolina Hard Core Ecstasy」とか「Penguin in Bondage」とか「Trying to Grow a Chin」とか、どれも最高によかったし、ロッキー・ホラーでは「Time Warp」とか「Sweet Transvetite」とかをカッコよくキメていた。
屋根裏の時に、悪乗りした客がステージ上がって来てしまい、見るに見かねて「ルールに従ってあんじょうよ~乗らんかい!お前らノリ方も知らんのかい!」と茂さんが怒鳴ったのがカッコよかった。
まだ書きたいことはあるんだけど、今日はココまで。

490ヤスさんのジンジャーぶりもゴキゲン!
私はCreamに夢中になったことはないけど、ロックにインプロヴィゼーションを大体的に持ち込んだ功績というのは偉大なものがあるね…とつくづく最近思うようになった。
私もようやくCremeの偉大さを理解したというのかな?
「偉大」といえば、Creamは音も特大だったらしいね。
そりゃ1959のフル・スタックをズラリと並べていたんだから。
時代が時代だけに恐らく全部鳴らしていたの出はないか?
ニューヨークでCreamを観た横尾忠則が「あまりにも音が大きすぎて途中で気分が悪くなった」と何かにインタビューに答えていた。
それが「ロック」というものですよ。

500v「赤松一郎…名古屋のスーパー・ギタリストやったね。
ボクも何回か一緒に演らせてもらいました。速く弾くとかじゃなくてね、彼のギターは『間』がいいんだよね」

9s41a1079 続いては…ギターの人が自分のポジションに向かう前にその赤松さんのストラトキャスターにキス。

510the Sharman Cultの出番だ。

520KAZU

530vKuma

540v山森洋之

550v野々部俊秀

555vそしてNATALのキットに戻ったヤスさん。
580曲は「Road Racing Crazy Riding」。

570胸のすくようなドライビング・ロック!
生前の赤松さんがKUMAさんを可愛がっていたということで、KAZUさんが今回ギターに起用したのだそうだ。
SPADE VOXで会った満園の庄太郎ちゃんに名古屋に来た理由を尋ねられ。「トシさんとヤスさんの還暦祝い」と伝えると、「あ、KUMAちゃんが出るヤツだ!」とおっしゃっていました。

590昔の日本の「ハード・ロック」ってこうだった。
コレでいいのだ!

600v 2曲目は「Tragedy」。

610v残念ながら現役時代のことは存じ上げないが、きっとこうしたロック感満点の空気感だったのだろう。

620当時のパワーをそのままよみがえらせたであろうエネルギッシュなステージ!
KAZUさんの暴れようがまたスゴイ!

630このあたりで気が付いたんだけど、ヤスさんは登場するたびに着替えて来てる!

560v「疲れるわ~!そんなん横で見ててオレが疲れたわ~!」とACEさん。
お2人は昭和29年生まれで、誕生月も11月で同じなのだそうだ…ということで仲良しトークが盛り上がる!

6404つめはZETT!

650ベースにはトシさん!
トシさんも着替えてる!

660vそしてドラムスはヤスさん。
今日初めてのTYコンビネーションだゼ~ット。

670v奥嵜明

690v日下部正則

700vボーカルズは引き続いてKAZU。

730v曲はまずオリジナルの「Rock'n Roll All of You」。

740Burnyスッカリ細くなっちゃって!
今日は珍しくVで登場。
コレには理由が…。

750ZETTは故赤松氏とトシさんと野獣を脱退した杉田サニー裕の3人で結成された。
その後、サニーさんが脱退してヤスさんが加入した。
そういう歴史。
その赤松さんがZETT時代に愛用していたのがフライングVで、Burnyは赤松さんへの敬意を表してこの日はVを使ったのであった。

710vトシさんと在りし日の赤松さん。
トシさんの後ろには1959のハーフスタックが見える。赤松さんが使ってたのかな?

720vBurnyとのコンビネーションもバッチリ!

765ココでSunnyさんが登場してNATALのキットに向かった!

790v_2「SunnyはZETTと野獣を作った。Sunnyはみんなと遊んでくれるんだよね。『平和』と『愛すること』と『友達』…この3つがSunnyのテーマ」とKAZUさんがSunnyさんを紹介して2曲目の「Natural High」がスタートした。

780v新旧ドラマーの共演!

800vこういうのは歴史があって、メンバーさんが元気でいないと実現しない。
S41a1470奥嵜さんとBurnyのギター・バトル!

0r4a1522トシさんもベース・ソロ!
ドラムスがヤスさんに交代して、ZETTは1981年のヤマハ・バンド・コンテストのMIDLANDにてグランプリを受賞。
トシさんは見事ベスト・ベーシスト賞を獲得し、同年の合歓の郷のLight Music Contest(LMC)に出場した。
トシさん、楽しそうだナァ~!

760「さぁ、皆さん!恐怖の時間がやってまいりました!
日本全国、そして世界がひとつになるように手拍子をお願いします!」というKAZUさんのアオリに合わせて手拍子。

0r4a1557ジャケットを脱ぎ去ったKAZUさんが客席をアオりまくる!
「ボツボツいってみようか~!」

830「♪どんな時でもナチュラル・ハイ!」が大須の街に鳴り響いて5つ目のバンドが終了。
まだ8バンドも残っているのにすでに完全に「ハイ状態」だ!

840<つづく>

200_3 
(一部敬称略 2018年9月8日 名古屋Electric Lady Landにて撮影)

2018年10月31日 (水)

Yasu&Tosh 生誕60周年ライヴクロニクル『生涯現役でいこみゃ~か』 vol.1~私の猿田彦様2

 
ミュージシャンの還暦を祝うコンサートのレポート。
めでたいね~!
今回還暦を迎えて赤ちゃんに戻ったのは、名古屋が誇るリズム・セクション、ベースの宮田叔侑とドラムスの増井康博…「トシ&ヤス」のコンビだ。
ありがたいことに大分前にトシさんから撮影のお仕事の依頼を頂戴した。
まだスケージュールを確定することができない時期であったので、失礼ながらその時は流動的なお返事をさせて頂いた。
何もなければもちろんお請けするつもりでいた。
そして開催日が迫り、プログラムが決まって再度オファーを頂戴して驚いた。
だって、聞けば13ものバンドが出演するっていうじゃない!?
2マンだの3マンだのどころじゃない…13マンだよ!
「13マン」だなんて30年チョット前の大卒の初任給じゃん?
タイトルに「生誕60周年ライヴクロニクル」とあるように2人の音楽活動の遍歴を俯瞰するという内容だからしてそれも仕方ないだけろう。
しかし、13ものバンドが出るとあっては、想像を絶するほどの長尺になるハズだ。
ひとバンド短く見積もったとして、持ち時間は20分。13バンドが出れば合計260分…すなわち4時間20分。
転換に早くても15分ぐらいはかかるだろうから、15分×12回で180分。
コレに前後のセレモニーをチャッチャと済ませたとしても30分…しめて470分。
エ、8時間弱ってこと?! 
ウッドストックじゃないっつーの!
私がレギュラーでやらせてもらっているお仕事の中では、SHOW-YAさんの『NAONのYAON』よりはるかに長い。
さすがにコレには怖気づいてしまって、一度はトシさんにお断りしたの。
還暦を祝うったって、こっちもチャンチャンコがピンク色になってきた年回りだからね。どっちが還暦だかわかない。
東京から機材を持参して、8時間ブッ通しでシャッターを切って、翌日帰京…イヤ、コレだけならいいんだけど、この歳になるとね~、1回ムチャをしちゃうとホントに後がツラくて、他の仕事に差し支えがでてしまう恐れがあるのです。
するとトシさんが説明するには「夕方の6時半に始めて10時前には終わる」っていうワケ。
私も「Marshall祭り」や「Marshall GALA」やら色々なイベントを企画してきている経験上、「そんなワケがない!」と思ったものの、人の一生に一度しかないおめでたい機会でもありトシさんの言葉を信じることにした。
それにロケーションは5月に『スピンオフ四人囃子』で楽しませてもらった名古屋のこと。
結果、喜んで請けさせて頂くことにした。
…と来れば、ただ行ってもモッタイないので、社長から許可を取って2泊の行程を組んで、「私の〇〇」の取材も兼ねることにした…要するに観光だわね。

10vまずは、思い切って伊勢神宮を再訪することにした。
つまり、おめでたいのは還暦を迎えた2人だけではなくて、私たちもめでたかったのです。
ナントならば、以前に中野シゲさんの還暦祝いのイベントで松阪に赴いた時にも伊勢神宮に来ているから。

20コレはどういうことかというと、昔は「生きているウチに一度でもお詣りすることができれば最高の幸せ!」と言われていた伊勢神宮にわずか2年チョットの間に2回も来ることができたのだ。
こんなの江戸時代の人が聞いたら腰を抜かして驚くよ。

30vお伊勢さんのことは前回の2016年に訪れた時のレポートに詳しいので今回は割愛する。

40前回5月に名古屋へ来た時、最後の日は東京に着くまで豪雨だった。
今回の旅程は、天気予報によれば、ノッケから「雨」ということだったのよ。
ガッカリじゃんね~。せっかくの遠出なんかだから…と、心配していたんだけど、ナントカ首の皮一枚でつながっているような曇り空。

50やっぱり気が引き締まるというか、スガスガしいというか、太陽神、天照大御神を祀った伊勢神宮のたたずまいというのは他の神社とは勝手が違いますな。
ナニせ一番格式の高い神社だから。
ジャズで言えばデューク・エリントン。モダン・ジャズに限って言えばマイルス・デイヴィス。
ロックならザ・ビートルズ。
ギター・アンプで言えばMarshall…あ、コレが一番わかりやすかったな。
そのせいか、鳥居をくぐるたびに低頭している参拝者が目につく。

60原生林の参詣道を抜けると…

70内宮の拝殿だ。
ココから上は撮影禁止。
ナニをお詣りしたのかは秘密。
私は特に熱心にナニかを信心しているワケでは全くないのだが、歳を取ってからというもの、色々と古いモノに興味が湧くようになりましてな。
ムズカシイので本当に上っ面だけなんだけど、『古事記』や『日本書紀』に関する本なんかを読むと実に面白いね。
洋の東西を問わず、神話というのはおそろしくダイナミックかつアクロバチックな内容が多い。
日本神話の元、「イザナギ&イザナミ」の「国生み」話に思わず赤面してしまったりしてね。
こういう勉強をしていると、古来より我々の周囲にあるモノすべてには意味があることを学ぶのです。

90場所は替わって…。
実は、今回伊勢へ赴いたのは伊勢神宮が目的ではなかったのね。
ココに来るためだった。

100内宮の近所にある「猿田彦神社」。

110v5月に名古屋へ出張した時にお詣りした鈴鹿市にある「椿大神社(つばき おおかみやしろ)」も猿田彦大神を祀った一之宮の神社だけど、コチラは名前が「猿田彦神社」だから。

120全国に2,000はあると言われている「猿田彦神社」の総元締め…かどうかを「椿大神社」と争って来た神社。

130猿田彦大神は天照大御神のお孫さんの瓊瓊杵尊(絶対に読めん!「ににぎのみこと」と読みます)を宮崎の高千穂まで道案内したことから「道開き」の神様と言われている。
だからかなりの「ラッキー・カムカム」なワケ。
右下に参拝者が集まっているでしょう?
135皆さんこうして「方位石」と呼ばれている八角形の石柱に触っている。
ココは昔の神殿があったところで、強力なパワースポットなのだそうだ。
八角形は「方位」を表し、ココは鳥居の支柱も八角形になっている。

140v見ていると全員触って行くね。
私はやらないけど。150船のような形を「宝船」に見立て「たから石」と呼ばれている石。
白い蛇が乗っかってるところなんだって。
敏捷かつ獰猛なところから「蛇」というのは日本では縄文時代から崇め奉られていた。
蛇って脱皮を繰り返すでしょう?
アレが強靭な生命力の表れということになっているのだそう。
神社や神棚に飾る「しめ縄」あるでしょ?ネジネジのヤツ。
アレは2匹の蛇が絡み合って交尾をしているところなんだって。
さっきチョット触れたように『古事記』も『日本書紀』もスゴイよ、エロ度が。
つまり、子孫繁栄ということなんだよね。

160コチラは同じ境内にある猿田彦様の奥様、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)を祀った佐瑠女神社(さるめ)。
「椿大神社」でも対になっていたでしょう?いつも一緒。

170もう1回書くよ。
天照大御神が天岩戸に引きこもって、世の中が夜だけになってしまった。
そして、夜陰に乗じて悪がはびこった時、天宇受賣命は天岩戸の前で裸になって天照大御神をおびき出したという日本最古のストリッパー。
ハダカになったと言ったって、アータ、ロック座のソレよろしくチラリチラリと美しい肢体を出し惜しみするワケでもなく、一番大事な部分までキッパリとご開帳したというのだから根性が座っていらっしゃる。
そこに集まっていた神様たちがそれを見て大笑い。その声に「アララ、外では何が起こっているんだろう?」とチラリと岩戸を開けたのが天照大御神の運の尽き。
その隙にサッと岩戸のスキ間に鏡を挟み込まれて、天照大御神は岩戸の中に戻れなくなってしまった。
そして天手力男命(たじからをのみこと)というバカ力の神様がその岩戸を「ウオリャァァァ!」とブン投げた。