Marshall Blogでは「vol.4」からレポートしている金属恵比須の『猟奇爛漫FEST』。 今回で「vol.6」を迎えた。 会場はシルバーエレファント…吉祥寺。 コイツぁしめた! チョット前から行ってみたかった所…イヤ、私にとっては必ず訪れるべき場所がそっち方面にあったのです。 それは今年の3月にオープンした『三鷹市吉村昭書斎』という展示施設。 私は子供の頃から特に夢中になった芸能人やも文化人がいなかった。 クラスのみんなが血道を上げていた真理ちゃんにも山口百恵にも何の興味も示さなかった。 今でも変わらず、どころか歳を取ってますますガンコになってしまったが、常時そうした流行のモノを追いかけて夢中になれる人たちのことをとても羨ましく思うようになった。 何よりも、そうした人たちこそが経済を回しているということに恐れ入る。 私みたいなヘソ曲がりの天邪鬼は自分の世界に入り込んで文句ばかり言っているだけで全く経済循環の足しにならん。 そんな私でも夢中になった人が3人いる。 まずは家内…これはかなり長くなった。 そして、フランク・ザッパと吉村昭。 フランク・ザッパは家内と知り合う前、中学3年生の時からの付き合いなのだが、死後31年が経過した現在でもリリースされ続けている未発表の音源を追いかけることは卒業した。 たとえ大枚をはたいてそれらのレコードやCDを買って聴いたところで若い時ならいざ知らず、感性も衰えまくってしまった今となってはそうした音源から新鮮味を感じ取ることが難しく、死ぬまでに2回聴くことはないであろう…という風に考えるようになったからだ。 一方の吉村昭(ココから先は「吉村先生」と呼ばせて頂く)。 私は22歳の時、当時就いていた仕事の関係で『高熱隧道』を初めて読んだ時以来の吉村先生ファン。 ブランクの時期が何度かあったにせよ、ごく一部の短編を除きほぼ全作品を読んだ。 先生が2006年に亡くなって18年が過ぎたが、ザッパと違って新しい作品を読むことができないのがとても寂しいが、この歳になって残された作品に新しい興味が沸いて来、今では作品の舞台となった場所を家内と訪ねて歩くことが無上の楽しみになった。 アニメの人たちがやっている「聖地巡礼」というヤツだ。 そんなだから「井の頭の終の棲家の吉村先生の書斎を移築した施設」と聞けば放っておくワケにはいくまい。 しかし、三鷹ってウチから遠くてネェ…ワザワザ出かけるのも億劫だったので『猟奇爛漫FEST』が千載一遇のチャンスちなったというワケ。 三鷹市のウェブサイトでチラリと「三鷹駅のそばにある」ということを確認して吉祥寺から三鷹へ移動した。 …と思ったら、私の確認ミスでゼンゼン違う場所に行ってしまいバスに乗って再移動するハメになった。 三鷹駅北口のバス・ターミナルでバスが来るのを待っている時に目に入ったのが豊かな緑の樹木に覆われた水路。 なかなかバスが来ないので水路の傍らに立っていた掲示板を読みに行ってみると…おお!コレが「玉川上水」か!と感動してしまった。 それまでにも目にしたことはあったのかもし知れないが、認識したのはコレが初めてのことだった。 なぜ「玉川上水」に感動できたのかというと、台東区にある下の「聖徳寺(しょうとくじ)」というて寺のおかげ。 この寺がいつ創建されたのかは不明だが「聖実」という人が聖徳太子の像を携えて建立したので「聖徳寺」としたとされるのだが、オリジナルは今の皇居の場所にあったらしい。 その入り口に立っているのがコレ…「玉川兄弟顕彰碑」。 昔からこの寺のことは知っていたが、恥ずかしながら「玉川兄弟」って「海老一染之介・染太郎」みたいな芸人の兄弟かと思っていた。 碑の上部に「水の恩人」とあるように玉川兄弟は「玉川上水」開削を指示した2人。 境内に入った左側に2人の墓所がある。 笠が付いているのが兄の庄右衛門の墓。 コチラは弟の清右衛門の墓。
人口が増え続ける江戸の町では良質な飲料水を得ることが難しく、徳川家康は「小石川上水」を開削し、これが井の頭池を水源とする「神田上水」へと発展した。 そして、さらに安定した上水を獲得するために開削されたのが「玉川上水」なのね。 水源の羽村市の多摩川から43kmも離れた四ツ谷まで水路で水を運ぶテェんだからスゴイ。 当然高低差を利用するワケだけど、羽村と四ツ谷の高低差はの92m。 コレは100m間でたった21cmの高低差しか付けられない計算で、となるとほぼフラットだわね。 で、玉川さんたちは水路に勾配を付けるために「水盛台」という水平を測る器具を利用した。 水の高さは常に水平を保つからね。 コレで思い出したのが私の父親。 今ではレーザーを使うんだけど、父はよく家の床の水平を出すために水を使った。 そのやり方はこうだ。 透明の長いホースの一方を壁なり柱なりに取り付けてその反対側にもう一方の端を固定する。 そのホースに水を注げば両端の水の高さは必ず等しくなるので容易に水平が採れるというワケ。 いつも私は反対側のホースの片方を押さえる役だったが、子供ながらに「お父さんってアタマいいな…」と思ったものだった。 生まれも育ちも聖徳寺のすぐ近くだったので玉川兄弟が乗り移っていたのかも知れない。 場所は替わって下は四谷三丁目にある『新宿歴史博物館』。 ココに玉川上水の水路の跡や… 樋が展示されている。 今から371年間の1653年に開削した水路やこうした樋を用いて43kmの水路をたった4ヶ月で作り上げたことは驚異的なことで、現在の土木技術を以ってしてもコレは不可能と云われているらしい。 この突貫工事のことを聞いて終戦直後のダグラス・マッカーサーの話を思い出した。 マッカーサーは横浜港から厚木飛行場まで約40kmの油送管を敷設するように日本に要求したが「3年はかかる」というのでビックリ仰天。 「そんなチンタラやってられません!アメリカ人が取り組めば4日で仕上げることができます!」と豪語して実施したところ、4日どころか27時間で完成させたしまったという。 日本はそういう国とケンカしてしまったことをこの時改めて思い知ったに違いない。 さて、水路の工事は半ばで資金が底をついてしまい兄弟は屋敷を売って費用を工面した。 幕府は2人はその偉業を称え、報奨金と「玉川」という姓を授けたそうな。 「玉川上水」という名前は「玉川兄弟」が造ったからそういう名前になったのかと思ったら、「玉川上水」を造ったから庄右衛門と清右衛門の兄弟は「玉川さん」になったのね。 しかし、どうしてこの2人はそんな優秀な土木技術を持っていたんだろうネェ。 工事に関しては不明なことも多いらしいが、こんな本を見つけたので早速アマゾンにオーダーしておいた。 「ゲスの後知恵」のそしりは免れないけど、何か面白いことがわかれば『猟奇爛漫FEST vol.8』ぐらいの時にレポートさせて頂きましょう。 さて、その吉村先生の書斎。 場所は井の頭線の「井の頭公園駅」から歩いてすぐのところだった。 下の写真の突き当りの建屋が先生の書斎。 先生は母屋からこの離れの書斎に毎日通勤されていた。 コレが先生が執務をされた書斎。 初めて来たんだけど、実はこの部屋にお邪魔したのは初めてのことではない。 コレはどういうことか…? 所替わってココは荒川区が運営している「ゆいの森」という図書館の2階にある「吉村昭記念文学館」。 先生は昭和2年(1927年)に荒川区日暮里のお生まれになったことからココに文学記念館が開設された。 私はもう長いことこの文学館の「友の会」に入っている。 人生最初で最後の正式に加入したファンクラブだ。 この記念館に入ると…ホラ、ココにも先生の書斎。 コチラはレプリカ。 もう何回ココに足を踏み入れたことか…。 書斎内の書架。 作家の蔵書量というと「汗牛充棟」というヤツで、万単位でもおかしくないハズ。 先生は本当にコレだけの蔵書で切り回していたのであろうか? にわかには信じられないが、史実や事実だけを小説の題材にされた先生は、取材先の図書館がご自分の書庫だったのであろう。 落語がお好きだった先生だけあって五代目古今亭志ん生のレコードのボックスセットが棚に収まっている。 先生は学習院大学在学中に志ん生師匠をお呼びしたことがあるのだ。 後に奥様となる津村節子先生が目白駅まで迎えにあがるとすでにベロンベロンだったらしい。 ちなみに五代目古今亭志ん生の別名は「日暮里の師匠」だった。 へへへ、偶然私も同じのを持っているのよ。 うれしかったね。 蔵書の大半が「〇〇史」のような郷土史や歴史関連の類。 まるで広辞苑がズラリと並んでいる風情なのだが、そうでない書籍も散見される。 この真ん中の2冊の『アメリカ彦蔵自伝』ね。 へへへ、私も同じのを持っているのよ。 うれしかったね。 もちろん先生の『アメリカ彦蔵』という作品を読んで感動して高田馬場のブックオフで発見して買ったモノ。 コレは上の写真にあるように、先生の書架で知って買った。 昭和54年(1979年)から『週刊朝日』に連載していたコラムをまとめたモノ。 タイトルが示すように、明治から最近まであらゆるモノの値段の変遷を提示し、各界の名士がその「モノ」について述べる。 「最近のモノの値段」といっても私が高校生だった40年以上前の話ですからね。 物価のデータなんて全く実感が湧かないのだが、とにかく執筆陣がスゴイ。 沢村貞子、水上勉、山本夏彦、松本清張、永井路子、高峰秀子、小沢昭一、永六輔…挙げ出したらキリがない。 そうした多士済々な執筆者がテーマになっているモノに関する思い出を綴り、昔の暮らし向きについて健筆を揮う。 とてもオモシロイですよ。 パスコンやスマホなんかなくても、ペイペイで買い物ができなくても困ることはナニひとつないシアワセ時代だった。 吉村先生は「相撲」についてご寄稿されているので送られて来た見本が書架に収まっているという寸法だろう。 荒川の方はこうして机に向かって座った写真を撮ることができ、先生が実際に愛用していた浅草の「満寿屋」の原稿用紙を1枚お土産に持って帰ることができる。 今回はやらないけど、またこの「満寿屋」がスゴイんだ。 またいつか…。 写真はMarshall Blogの脱線の構想を練っている最中の私。 「気が散るので話しかけないでください」…まるで「ジャック・トーランス(Jack Torrance)」気分。 下は『シャイニング』の撮影で使われた実物のタイプライター。 ジャック・ニコルソンはコレで何千回も「All work and no play makes Jack a dull boy」を打った。 さて、金属恵比須『猟奇爛漫FEST』の「vol.6」。 ようやく本題に入り〼! ステージにはMarshallとNATAL。 開演10分前の高木さんのルーティン。 「金属恵比須です。 ドリンクの方ユックリ並んでください。ただの前説でございます。 どうやって発表するかは、まだ考えていなんですが今日はライブ収録します。 今回は埜咲ロクロウが正式加入して初めての公演、ゲストでプロビデンス、那由他計画の塚田円…ということでとりあえず素材を記録させて頂きます。 UKが初来日した時に、確か『今日はライブ・レコーディングがあります』って言って、『UK! UK!』とUKコールの練習をしたんですよね? やってみます?…UK! UK! UK!」 手を叩いてUKコール。 お客さんのノリよし。 「ありがとうございます…そんな感じで過剰に盛り上がって頂ければうれしいです。 今日は一日楽しんでください。 よろしくお願いします!」 とご挨拶して高木さんが一旦ステージを降りる。 開演定刻になりレギュラー・メンバーの4人がステージに姿を現し、早くもシャツを脱ぎ捨てた高木さんの指揮の下『八つ墓村』の「呪われた血の終焉」に各々音を被せる。 そして『猟奇FEST vol.6』の最初の曲に突入した。 高木大地 高木さんはMarshall。 いつも通り「1959SLP」と「1960A」の組み合わせ。 稲益宏美 埜咲ロクロウ 後藤マスヒロ マスヒロさんはNATAL。 10"、12"、14"、16"、22"のバーチ。 マスヒロさんのおかげで、コレが大変ことができるということがわかった。 1曲目は「イタコ」。 稲益さんが一心不乱に木魚を打って歌い… 高木さんがワウ・ペダルを踏んで暴れまくるオープニングに持って来いのハード・チューン。 すると「箱男」がステージに駆け上がる。 「♪血の池地獄へ行くぞ!」 予想だにしない展開に客席の興奮が倍増! 「充分満足しました。これチョット外して頂いてよろしいですか? この黒いのはナンカ気に入っちゃった。 なかなか秘密があって楽しいですね」 「塚田円でございます。 経緯と致しましては『ウチを好きでいて頂いた』という…ただそれだけでございます。 スタジオでの初回からもうバッチリ決めてくれて、曲をよく覚えているのにビックリしました」 「ホント仕上がってたもんね。ビックリ!」 キーボーズのゲスト、塚田円。 塚田さんがお気に召した司教や司祭が身にまとう黒い装束はローマ・カトリックでは「ストラ(Stola)」と呼ばれている。 いわゆる「ストール」だよね。 下の写真は「プロッグ・ロックの聖地」カンタベリーに行った時の写真。 カンタベリー大聖堂でストール(イギリスはプロテスタントなので「ストール」)を来た軍団に遭遇。 「軍団」と言っても子供たち。 ナゼかものスゴク恥ずかしそうにしていて、皆うつむき加減で足早に去ってしまった。 塚田さんは「那由多計画」というプロッグ・バンドを率いている。 寡聞にしてそのバンド名の由来は存じ上げないが、「那由多」…ナンカ謎めいていていいな。 「恒河沙、阿僧祇、那由多」なんて昔学校で習ったけど使ったことありゃせんわ。 この辺りは仏教から来ている言葉で「那由多」というのは「きわめて大きな数量」という意味。 一方…学校で習った記憶がないんだけど、コレって反対もあるの知ってる? つまり小さくなっちゃう方。 「分、厘、毛、糸」これぐらいまでは聞いたことがあるでしょう? この下にまだまだ小さな数を表す単位があって「忽、微、繊、沙、塵、埃(あい)、渺(びょう)、漠」と続く。 ココから先がオモシロイ…「模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬足(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那、六徳(りっとく)、虚空、清浄(しょうじょう)、阿頼耶(あらや)、阿摩羅(あまら)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と続く。 涅槃寂静が「10のマイナス24乗」でコレが最小のようだ。 だから小さい方には那由多の「10の60乗」に匹敵する単位はないようだ。 コレ、「模糊、逡巡、刹那、虚空、清浄」のようにごく普通の単語が当てはめられているところがオモシロい。 コレらもきっと元は仏教でそれだけ私たちの生活が仏教に根差している…ということか? チョット「大きな数」で脱線。 先日、何の気なしに日本銀行が運営している日本橋の「貨幣博物館」に行って来た。 笑ったわ~! 世界の貨幣のコーナーに展示してある「100,000,000,000,000ジンバブエ・ドル」札。 「0」が14個だぜ! 那由多には遠く及ばないがコレで「100兆」、日本円に換算するとナントッ…「0.3円」だって! ベトナムに行った時、ドンの位取りの計算でかなり手こずったけどジンバブエ・ドルの比じゃなかったナ。 でも、もっとスゴイのがあった!
コレは博物館に飾ってなかったように記憶しているが、それはハンガリー。 世界で一番ケタの多い紙幣があったそうだ。 ハンガリーの通貨は「ペンゲー」というらしいんだけど、下の写真がそれ。 その額面ナント「10垓ペンゲー」! ゼロを並べると「1,000,000,000,000,000,000,000」となるそうです。 「垓」はうれしいけどやはり「那由多」にはほど遠いな。 殺人的なインフレに陥ったハンガリーが1946年に造幣したものの、実際には流通されずひと回り小さな「1垓ペンゲー」が使われたそうだ。 この1垓ペンゲー、その価値は0.2USドルで1946年のドルの為替レートからすると3円に相当した。 そして、今の価値にすると45,000円ぐらいになるらしい。 こうなると見てみたかったナァ「1那由多ペンゲー札」!
塚田さんのキーボーズから「新府城」。 マスヒロさんのドラムスと… ロクロウくんのベースが完璧に溶け合って気持ちよく樫身入る。 そのまま金属恵比須のキラーチューンのひとつ「武田家滅亡」へ。 「プロッグ・ロックのラップ」とも形容したくなるような息もつかず武田一族終焉の物語を熱唱する稲益さん。 ディレイを効果的に使った甲斐甲斐しい高木さんのバッキングがとても効果的だ。 オルガン、ピアノ、シンセサイザーといくつもの音色を使って曲を劇的に演出する塚田さんも甲斐甲斐しい! しかし、いつ聴いても猛々しい曲だ! 前曲の最後のシーケンサーの音と重ねて高木さんが弾くギター・リフから始まる曲は「彼岸過迄」。 リード・ボーカルズも高木さん。 幾種類ものハンド・パーカッションを操る稲益さん。 この曲ではコーラスを付けながらタンバリンをフリフリ。 ボコーダーで「♪彼岸過ぎまで歩き続ける」。 すごく効果的! 2人のコーラスとボコーダーの掛け合いが楽しい! 聴く者のアキレス腱を狙ってくるかのような高木さんのソロ。 タムタムを多用したマスヒロさんのドラムス。 キーボーズとギターのアンサンブルをはさんでロクロウくんのソロ。 ココでもマスヒロさんのタムタムがスゴイ! …と思ったら、スネアのヘッドがヤバいことになっている! だからタムタムのフィルをタップリ放り込んでいたのね? さらにキーボーズのソロ。 こんな時に限って曲が長い! ナンノまだまだ! また高木さんのギターが行った~! 冒頭で「NATALが大変ことをしてくれた」というのはこのシーンのこと。 マスヒロさんのプレイで出て来た音がチェスター・トンプソンが叩くタムタムと丸っきり同じだったのだ! 緊急避難せざるを得なかったマスヒロさんには申し訳ないけど私はスッカリNATALに惚れ直してしまった。 具体的に言うと、フランク・ザッパの『Roxy & Elsewhere』の「More Trouble Everyday」のイントロでチェスター・トンプソンが叩くフィルね。アレです。 この変拍子のフィルがあまりにもカッコいいので同じドラマーのフィル・コリンズが「アレをやって欲しい」と頼んでチェスターにプレイしてもらったのが名ライブ盤の誉れ高い『Seconds Out』の「Afterglow」。 このドラム・フィルが今回のマスヒロさんのプレイとサウンドにウリふたつだったというワケ。 ちなみに、私はチェスター在籍時のジェネシスを新宿厚生年金会館で観た。 1978年のことだった。 数年前、アナハイムのNAMMショウでチェスター・トンプソンにバッタリ出くわした。 とてもうれしくて、写真を撮らせてもらい、そのジェネシスの日本公演のことを本人に伝えた。 「お~!」とよろこんでくれるかと思ったら…「あ、そう」だって。 それだけだった。
「災い転じて福をなす」か、「瓢箪から駒」か、私にとっては大興奮の1曲だった! 「アッ!塚田さん、脱いでるんですか?」 ロクロウくんに手伝ってもらってストールを脱ぐ塚田さん。 気には入ったものの、やっぱり弾きづらかったのだそうだ。 「塚田さんがすごく楽しそうでヨカッタです。 今日演奏する曲はすべて塚田さんが選んでいます」 「ボクのワガママを聞き入れてくれてありがとうございます。 すごく聴いていましたからね。 そして予習した甲斐があったな…と。 完全に色物枠なのでできるだけ変わったことをしようかと思っています。 さっきのボコーダーもメチャクチャ気分いいんですが自分のバンドでは、怖くて使えない!」 また脱線…今度のテーマは「色物」。 一応また触れておきますが、「色物」というのは寄席用語で、漫才とか紙切りとか講談とか手妻とか、落語以外の芸を意味する言葉で「変わったモノ」とか「ゲテモノ」といった類の意味ではありません。 下の浅草演芸ホールの写真のように、ただ落語と区別するために寄席ではそうした芸人を香盤表に赤字で記したので「色物」と呼ばれているのね。 でもね、モノの本を読むと落語というのは結構気位が高い芸ではありますな。 少なくとも大道芸に端を発した「浪曲」よりは格上という意識があったらしい。 でもその浪曲だって戦後ぐらいまでは今のロックやアニメあたりより断然人気の高い強力なエンターテインメントだったんですよ。 何しろ「ひとりミュージカル(実際には「曲師」と呼ばれる三味線を奏でて合いの手を入れる相棒がいる)」ですからね。 落語もそうだけど、たぶんこんな芸は世界に2つとないでしょう。 ココでサブ脱線。 落語といえば中尾彬さんがお亡くなりになりましたね。 …と言うのは、ご存知の通り奥さんの池波志乃さんは上に出て来た五代目古今亭志ん生の孫娘、十代目金原亭馬生のお嬢さん、そして三代目古今亭志ん朝の姪御さん。 芸名は池波正太郎ファンだったお父さんの馬生がちゃんとご本人から許可を得てお借りしたそうだ。 中尾さんといえばあの野太い声で「フクチャンだね」なんてテレビCMが毎朝流れていたのでお元気なのかとばかり思っていた。 その「フクチャン」。 この寄席のすぐ近くに「フクチャン」というとても「色物」の枠には収まらない強力なゲテモノ料理店がかつてあった。 アレはいつ頃まであったのかナァ。 私が覚えているのは、1986年に解体された「仁丹塔」がまだ上にあった時分のことだ。 私はそういうモノは全く受け付けないので、前を通る時はいつも急ぎ足だった。 下はその広告。 ハハハ…「老ひらくの恋も何んのその」ってか! こっちはゲテモノ料理ではなく漢方になるんだろうな。 コレも浅草に近い蔵前一丁目の交差点近くに「蛇善」というお店がある。 ココの取り扱い商品がすさまじい。 猿の頭からサンショウウオまでバラエティに富んでいる。 「ハリガネムシ」は扱っていないようだ。 ま、カラッカラに焼いてあるので細かくすれば口に入れられてもきっとわからないでしょう。 「孫太郎虫」というのは「ヘビトンボ」の幼虫で、茹でて乾燥させたモノを子供に飲ませると疳の虫が治まるのだそう。 明治になるまでは人間の臓器を薬代わりに珍重していたワケだから「まむし」ぐらいなんでもなかろうて。 私はパスですけどね。
蔵前橋通りを挟んだ蛇善の向かいには江戸の昔「浅草司天台」という今でいう天文台があった。 ここに高橋至時(よしとき)という天文学者がいて、暦学や天文学を学ぶために弟子入りをしたのが伊能忠敬だった。 当時深川に住んでいた忠敬は毎日歩数を数えて浅草司天台へ通った。 それゆえ19歳年下の至時は忠敬のことを「推歩先生」と呼んだ。 忠敬は師匠の至時を尊敬し、「自分が死んだら至時のお墓にとなりに埋めて欲しい」と遺言した。 その遺言は果たされ、台東区の「源空寺」の墓所に2人の墓石が隣り合って並んでいる。 写真の右側のデカいのが伊能忠敬勘解由のお墓。 灯籠を挟んで左端に見えるのが高橋至時のお墓。 至時のお墓にはいつも花が供されている。 その至時のお墓のさらに隣にあるのが息子の高橋景保の墓。 通称「高橋作左衛門」。 そう、「シーボルト事件」の当事者。 左後ろにある板碑にはシーボルトの言葉が刻まれている。
コレは長崎の鳴滝にあるシーボルトの住居跡に立てられているフォン・シーボルトの胸像。 勉強熱心だった作左衛門はシーボルトが持っていた『世界周遊記』という本が見たくて見たくて、ガマンできずにシーボルトのリクエストに応えてお父さんが作った日本地図の縮図をシーボルトに渡してしまったんだね。 まだ鎖国をしていた日本では地図を海外に持ち出させるなどは国禁中の国禁。 作左衛門は小伝馬町の牢屋敷に送られて獄死。 しかし、その時はまだ量刑が出ていなかったので遺体を一旦塩漬けにして死体を保存した。 そして「斬首」のお沙汰が決定した後、その塩漬けの亡骸を引っ張り出して首を落としたという。
作左衛門の後ろのシーボルトの板碑には滞在中にお世話になった日本人へのお礼の言葉が刻まれていて、スペシャル・サンクスで作左衛門には特に篤いお礼の言葉が述べられている。 いい気なもんじゃない?
この作左衛門を公儀に密告したのが下のオジさん…間宮林蔵だと云われている。 林蔵もすごくて、当時「世界の7大不思議」のひとつとされていた「果たして中国大陸と樺太の間は海か陸地か?」という謎を干潮時に樺太から中国大陸に歩いて渡って見せた。 満潮時はそんなことはできない…結果、樺太が島であることを明らかにし、その中国大陸と樺太の間は「間宮海峡」と名付けられた。 が、欧米では「Strait of Tartary」、すなわち「タタール海峡」と呼ばれているらしい。 ナンだよ。 このシンプルな古民家は茨城県つくばみらい市にある林蔵の生家。 お墓もすぐ近くにあった。 「色物」から「世界の七不思議」まで完全に「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開。 ご覧の皆さんはスッカリ呆れていらっしゃることでしょう。 コレがMarshall Blogなんでわ。 でも、この脱線も相手を見てやっているんですよ。 インテリな金属恵比須だからこそココまで脱線させて頂きました。 続く「道連れ」も塚田さんのチョイス。 オルガン、クラビネット、メロトロン…塚田さんから次から次へとバラエティに富んだサウンドが飛び出してくる。 特にこの曲でのオルガンのハマりようはまるで海外のバンドの音を聴いているみたいだわ~。 極上のバンド・アンサンブルにノビノビとメロディを乗せる稲益さん。 「Marshall+レス・ポール・モデル」でロック・フィーリング満点の高木さんのギター・ソロ。 やっぱりロック・ギターのサウンドはこうでなきゃいけネェ。 ドラミングの冴えは言うに及ばず、マスヒロさんのペンも冴えた1曲。 ヘヴィなギター・リフでスタートする「トイレの花子さん」は高木さんが歌う。 ロクロウくんのベースがリフをどこまでも重く彩り… 塚田さんがハードにオルガン・ソロをキメる。 「♪結界霊場!弥勒降臨!」 ココでも存分にギター・ソロを聴かせて… 読経のパートに入って曲はクライマックスを迎えた。 「『邪神覚醒』に入っている『トイレの花子さん』は私が高校3年生の夏に作った曲です。 あの頃はマスヒロさんに憧れていて、全部マスヒロさんのプレイを想像してドラム・パートを打ち込んで曲を作っていたりしたんです。 それが今では実際にマスヒロさんにドラムスを叩いてもらっているという…。 ハイ、そんな18歳の曲でございました。 18歳って大分昔のことで、この中で一番18歳に近いのが埜咲ロクロウでございます。 今回から正式メンバーになりました。 2000年生まれの弱冠24歳! チョットMCをやってみますか?」 「埜咲ロクロウと申します。 今回から正式メンバーとして活動させて頂く運びとなりました。 よろしくお願いします! 好きな食べ物は『ラーメン次郎』です。 あとオニギリに入ってるひじきです」 ヤイノヤイノと周りから突っ込まれつつ無事MCを終了して次の曲へ。 <後編>につづく
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(一部敬称略 2024年4月27日 吉祥寺シルバーエレファントにて撮影)