Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

2020年11月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 60 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.3>

 
今日、11月27日はジミ・ヘンドリックスの誕生日だそうで…。
 
ところで今日国内盤が発売された1970年7月30日のハワイのマウイでの演奏を収録した『Live in Maui』聴いた?
ジミ・ヘンドリックス研究家でもあるギタリストの三宅庸介さんにススメられて早速聴いてみたけど…スゴイね。
なんといってもギターがスゴイ!
もう何回か聴いたんだけど、やっぱりジミの音楽はMarshall抜きには実現しなかったね。
この映画用の録音だけあってクォリティの高い音源を聴いて改めてそう思ったわ。
生前、他のギター・アンプを使って結局Marshallに戻って来たということがこのことを証明していると思うし、何よりこの音源を聴けば、そのことに何の疑いも持つことができないでしょう。
♪バシーン、ビシーン!
「1959というのはこうやって弾くもんですよ!」、「ロック・ギターのサウンドはこういうモノですよ」と、ジミの奏でる音のひとつひとつがそう説いているようだ。
若いミュージシャンの皆さんにまずは聴いてもらいたいもんです。
 
そして、話題は常夏の島から寒くて暗いイギリスに飛ぶよ!Lim ココはロンドンの中心中の中心、「Mayfair(メイフェア)地区」。
緑色のロゴ看板は「Fenwick」。
1882年に開業したニューキャッスルに本社を構える老舗デパート。
コレ、「Fenwick」と綴って「フェニック」と読むので要注意。
写真の通りは「Brook Street(ブルック・ストリート)」。

10この道を写真の奥方向にもう少し行くと左側に見えてくるのがこのブロック。20ブルー・プラークのついた棟続きの建物。40一時期、外装の工事をしていたけど、工事の後もあまり大差がないようだ。

30コレは大分前の写真。
1階のテナントが今とは異なっていた。50v音楽とシャボン玉をまき散らし、自らウグイス嬢を務める「HANDYMAN」という業者。
「♪I could be handy, mending a fuse when your lights have gone」の「handy」。
要するに便利屋さんですな。
「Handyman UK」で調べてみると、ゴロゴロ検索結果が出て来る。
35向かって右側の建物の壁にかかっているプラークは…
70v「ジョージ・フレデリック・ヘンデル」。
「ヘンデル」はあの学校の音楽の授業で習う「ヘンデル」ね。
ハンデルはドイツ人なので本当は「ゲオルグ・フリードリッヒ・へンデル」。
でも英語圏では「ハンデル」と発音する。
1723年からココに住んで、終の棲家となった。60vそうそうそうそう、「名前の発音」で思い出した!
いきなりの脱線で申し訳ないんだけど…「ヤン・アッカーマン」の話。
Marshall Blogで、英語圏の人は「Jan」を「ヤン」ではなく「ジャン」と発音する…と何回も書いてきたんだけど、先日Marshall Recordsの親分と「Sylvia」の話をしていたら、ナント彼は「ヤ・ナッカーマン」と発音するんですよ!
コレは「絶対に放っておけない!」と思い、「ジャンって読むんでしょ?ジャ・ナッカーマンじゃないの?」と問いただすと、「ヤンはヤンだよ。ジャンなんて読まないよ!」と来た。
ホントにヤンなっちゃう。
真偽のほどはわからなくなってしまったけど、私は「ジャン」でいきます。
しかし、この人も「粗製乱造」と言ったら失礼だけど、も~、ソロ作品の「玉石混交」ぶりたるや尋常じゃない。
「プロデュース」という役割の大切さをよ~く教えてくれる。
私も好きでずいぶん買って泣いた結果、結局はこの2枚だな。
『Live』とヨアヒム・キューンとのライブ盤。
いかし、速弾きだ、タッピングだと技術的なことを騒いでいても、ギタリストとしてのスゴさとか偉大さ決定づけるのは、ナンダカンダ言って、そのギタリストが奏でるメロディの創造性の高さだということだということをジャン・アッカーマンが上手に教えてくれる。
ジミはいわずもがな、ヴァン・ヘイレンだってそうでしょ?
マイルスだって、コルトレーンだって、エヴァンスだって、ショーターだって結局そうじゃん?
いかにカッコいいフレーズを作ったか…ということだもん。
今の音楽界って「売れれば勝ち」ばっかりで、ジャンルを問わずそうした創造性を完全に失ってしまったように見える。
ミュージシャンであろうが、リスナーであろうが、若い人たちはとにかく「売れている音楽」ではなくて、「いい音楽」を聴く努力をしないとダメだよ。
Ja3

Ja4 そのお隣の白い壁の方は「ジミ・ヘンドリックス」。
わずかな期間だったけどココに住んでいた。80v「イエイ」とか言いながらこのドアを通って出入りしていたのかと思うと結構興奮するぜ、イエイ。

85vその脇の路地に入る。90コレは路地からブルック・ストリートを振り返って見たところ。100vドワ!
こんなのができちゃった!
「Victoria's Secret Pink」…アメリカのファッション・ブランドだってか。120その真向いがコレ。

135かつてはこんなだった。
「Handel House Museum」…つまり、ジミ・ヘンドリックスのフラットに関するモノは一切公開していなかったの。105それが2年ぐらい前にヘンデルとヘンドリックスの2大「ヘン」をくっつけた博物館にしちゃったというワケ。

130さっそく中に入る…今回で3回目となるこのシリーズ、いよいよ本丸ですよ~!140エントランスに飾ってあるポートレート。
2人の間には250年近い時の隔たりがありますよ~。

150入館料は£10。
今の為替レートで1,400円とチョット。

160ヘア・スタイルは双方ロック・テイストか。170入館時にこんな案内のリーフレットを渡してくれる。

180館内の案内と…

200チョットした解説が記してある。

190リフト(=エレベーター)で4階に上がる。
元は普通のアパートの一室なので狭い。210廊下の壁にはジミ・ヘンドリックスに関するデータや業績、エピソードを説明するボードが掲げられている。
 
下はジミの生涯を簡潔に説明したボード。
「Chitlin' Circuit(チットリン・サーキット)」なんてのをコレで初めて知った。
勉強不足でお恥ずかしい…。
前回取り上げた通り、ジミとキャシー・エッチンガムは、チャス・チャンドラーのカップルとリンゴ・スターが又貸ししたモンタギュー・プレイスのフラットに住んでいたが、1968年の7月にこのブルック・ストリートに引っ越して来た。
そして、2人は1969年の初頭までをココで過ごした。
だからココに住んだのはホンの数か月のことなのね。
 
最後の段落の文章がイカしてる。
彼の3枚目のスタジオ・アルバム『Electric Lady Land』は1968年の暮れに発表され、'次は一体何が起こるんだ?’という質問を聞き手に抱かせた。
ファンは望むべきその答え(Experienceはもっと良くなるか、今のままでいるか)を知っていた。それは断じてヘンドリックスを消し去るということではなかった
 
キャシーによると、このフラットを探して来たのは彼女自身だったが、ココに決めるまで何軒かに入居を断られたそうだ。
ジミはすでに世間で名前を知られていて、当時は「ロック・スターはお断り」という風潮が強かったのだ。
もうこの頃には郊外の大きな一軒家に住む経済力はあったが、ジミがこうした街中に住むことを望んだそうだ。
260コレはディスコグラフィ。
1966年12月16日発売のシングル『Hey Joe/Stone Free』から1970年6月にリリースされた『Woodstock』のサントラ盤までジミが存命中に英米で発売されたすべての正規な音源がリストアップされている。(アメリカでは1970年8月26日に『Historic Performance Recorded at the Monterey Internattional Pop Festival』まで)

220vジミの訃報。
ジミが亡くなったのは4年前に初めてロンドンに来た日の4日前だった。
このシリーズの「Vol.1」に書いたように、この4年前、イギリスでこのアーティストを知る人はひとりもいなかったんだからスゴイ。
わかっちゃいるけど、たった4年!230v1969年、アメリカをツアー中のジミはキャシーをニューヨークに呼び寄せる。
アメリカに行ってキャシーが見たものはコカインに溺れるジミの姿で周囲に犯罪のニオイを嗅ぎ取ったらしい。
すぐにロンドンに戻って来たキャシーは2度とフラットに戻らなかったという。(註:下のレストランの経営者によると、キャシーは1970年の6月までココに住んでいたとか)
240vこの展示は、トリクシー・サリヴァンという人を代理人として、すべての自分の持ち物をブルック・ストリートのフラットから持ち去るということをキャシーに通告した手紙のコピー。
手紙を書いたのは当時のジミのマネージャーのマイケル・ジェフリー。

コレはトリクシー・サリバンさんに23 Brook Street, London, W.1の私のフラットにある所有物を、彼女の判断で移動または処分することを委任した証である    ジミ・ヘンドリックス
 
このジェフリーと言う人はチャス時代からいた人だけど、相当ヤバイ系の人だったらしいね。
何冊かの本を読んでみると、やっぱりジミにはチャスしかいなかったんじゃないかね?
ジミを見つけたのも、作ったのもチャス以外にあり得ない…と思った。250ブルック・ストリートでのジミの行動を紹介するコーナー。270ドイツ語、イタリア語、中国語、フランス語、ポルトガル語に翻訳された案内書。
こういうのを見ると悲しくなるね。
中国語はあっても日本語はないんだよ。
次には韓国語がコレに加わるんじゃないの?
275vフラットの近所のジミの行動範囲を示した地図。
こういうのは恰好の「名所めぐりネタ」だ。
表示されているポイントは…
●Scotch of St. James:コレは前回紹介した。
●Speakeasy:後にやります。
他に…
280●Marquee Club
もうコレはマーブロの常連だからしてもう説明はしないけど、ウチにあるMarqueeの本によると、ジミは2回しか出ていないことがわかり、前回紹介した。
ピーター・バラカンさんはそのウチの1回に行っているそうだ。
レコードコレクター誌の増刊のインタビューによると、テレビ番組の『Ready Steady Go』で「Hey Joe」と「Stone Free」を演奏するのを見てブッ飛んで、レコードを買いに行き、マーキーでライブがあることを知って押しかけたのだそう。
まだジミは新人だったので大したことないだろうと思ってノンビリとウォードー・ストリートのマーキーに出かけると、500人のキャパにも関わらずもう1,400人ぐらい並んでいたんだって!
冬でみんなコートを着ていたが、場内がパンパンで脱ぐことも全くできず死ぬほど暑かったとか。
演奏はスゴかったって。
そりゃそんな狭いところでMarshall直で、230Vで、弾き手は「ジミ・ヘンドリックス」だぜ!
うらやましいナァ。
こういう不公平というのはどこでキメられるんだろうネェ…やっぱり前世の行いなんだろうナァ。
バラカンさんは前回紹介したサヴィル・シアターのジミ(Marshallスポンサーのヤツね)もご覧になったそうだ。290●One Stop Records
ジミのフラットのすぐ近くのレコード屋。
しょっちゅうココに来ては新しいレコードを漁っていたとか。
ヘンデルの「水上の音楽」と「メサイヤ」は前々回紹介したOne Stop Recordsで買ったそうだ。

300●HMV
オックスフォード・ストリートのHMVにもよくレコードを買いに行った。
ココ、以前は「Foot Locker」というアメリカ資本の靴屋になっていたんだよね。

310柱についているプラークには…
 
1921年7月から2000年4月、ココにオリジナルのHMVのお店がありました。

1921年7月のオープニング・セレモニーにはエドワード・エルガーが参列した。
1962年にはココのスタジオでビートルズが78回転のデモ・ディスクを制作し、コレがキッカケでビートルズはEMIとの契約にこぎつけた。
このプラークは2000年4月26日、ジョージ・マーチンが除幕した。

という説明がされている。
320これが去年行ってみると、またHMVになっていたのですわ。
しかも、昔の風合いのデザインで!

330プラークもキレイになってた。

Hmv ●Lord John
ココは毎度おなじみモッズのふるさと、カーナビー・ストリート。

340その真ん中あたりに「Lord John」というブティックがあった。
「ジョン・ロード」じゃないよ。
ジミはココの常連だった。

350vジミ以外にもモッズらしく、The Small FacesやThe Whoのメンバーやブライアン・ジョーンズもこの店の常連だった。360●Mr. Fish
コレもMichael Fishという人のブティック。
ココはスゴイ。
こないだ亡くなったショーン・コネリーが『Dr. No』で着ていたシャツを作った。
他に、サミー・デイヴィスJr.、ロック・ハドソン、デューク・エリントン、ママ・キャス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ他、たくさんの芸能人がMr. Fishの服を好んで着たそうだ。

370vストーンズの1969年のハイド・パークでミック・ジャガーが来ていた白い衣装もMr. Fishのデザインだそう。
コレってKing Crimsonが前座をやったヤツだっけ?Mj 『The Man Who Sold the World』のジャケットでデヴィッド・ボウイが着ているワンピースもMr. Fish。
Dbこのブランドは「PECULIAR」というのがキャッチフレーズなのかしらん?
「PECULIAR TO Mr. Fish」というタグ。
「peculiar」というのは「風変わりな」という意味で「to」をつけて「peculiar to ~」にすると「~独特の」という意味になる。380ん?
チョット待てよ…。
ボウイの「Space Oddity」に「♪I'm floating in a most peculiar way」という一節が出て来るでしょ?
もしかして、ボウイはMr. Fishにスペシャル・サンクスの意味を込めて「peculiar」という単語を選んだのではないか?
ココは「strange」でも「eccentric」でもいいワケじゃん?…というのは私の妄想だな。So ジミとキャシーが移り住む1年前に開店した「Mr. Love」という階下のレストラン。
経営者の弟はジミの大ファンで、ジミが上に住んでいてこの店に来ることを知って大層よろこんだ。
ビージーズの連中なんかも常連だった。390ヘンデルのプラークはジミがココへやって来た1968年以前にとりつけられていた。
410このプラークが大いに刺激になってジミはヘンデルの音楽に興味を持ち、上のHMVにレコードを買いに行ったという。

400ヘンデルはこの人ね。
最初の方に書いた通り、以前ココは「ヘンデルの住んでいた家」としてだけ公開されていた。5年前に見学したんだけど、アレはボランティアなんだろうね、親切この上ないおジイさんがつきっきりで説明してくれましてね。
私もクラシック音楽は好きだけど、ヘンデルは全く聴いていなかったので質問のひとつもできずに申し訳ないことをしたよ。
405v
その「ヘンデル・ハウス」にはこんなコスプレ・コーナーもあったんよ。
コレがまたどれもすごくサイズが小ぶりなのよ。
今にして思うと子供向けだったのかも。
406vジミは飛ぶ鳥を落とす勢いのJimi Hendrix Experienceのリーダーとして、ファッション面でもスタイルを確立しようと努め、オーダーメイドの服を身にまとった。
コレは1967年に「Dandie Fashion(ダンディ・ファッション)」というブランドで作ったジャケット。

430vジミ曰く…「なぜヘンテコな服を着るのかって?軍隊じゃないんだからサ。
グループにいる時はみんなに合わせなきゃならなかった。
オレはアイズレー・ブラザーズにいた頃、白のモヘアのスーツ、決まった革靴に髪型…カジュアルな格好は許されなかった。
もし靴ヒモが左右違ってみな、5ドルの罰金だよ。
もうそういうのにはウンザリなワケよ
だったそうです。

440v<つづく> 

200