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2017年1月23日 (月)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.3>

大二さん、読売新聞にご登場されてましたな…紙幅の関係もあり、記事の内容は四人囃子のプロフィールと『錯』の紹介にほぼとどまっているが、それほど『錯』の話題性が高いということ、あるいは四人囃子の音楽への再注目の兆しの表れであると信じたい。
こうした過去の素晴らしい音楽に耳目が集まりチョットした「社会現象」にまでなってくれるとうれしいのだが…。
そこまでが私の「野望」の第一章。
そうした社会現象で若い人たちがそうしたカッコいい昔のロックに興味を持ってもらうことが野望の第二章。
そして野望の最終章は、その若い人たちが過去のチャンとしたロックのエキスを吸収して、自分たちの感性で今のロックを作ってもらうことだ。
ま、マーブロに書いていることよ。
大二さんの言葉を借りれば「日本のオリジナルロック第一世代を知らない世代にも体感してほしい(読売新聞のインタビューより)」ということだ。
『錯』の発売まであと二日…25日の夜、または26日の朝のフェイスブックの投稿が「『錯』買いました!四人囃子最高!」という投稿で埋め尽くされることを期待している。

さて、『四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー』の第三回目の今日は『錯』の「Live Takes」を聴いてみよう。

9_今日も試聴に当たってはmarantzのCDデッキをMarshall HEADPHONESのWOBURNにつないだオーディオ・セットを使用した。

Wbさて、この「Live Takes」に収録されている内容は、『From the Vaults』と『Fullhouse Matinee』、さらに『'73四人囃子』から一曲が選ばれた音源であり、すでに世に出回っているもので、初出の音源は含まれてはいない。
「なんだよ、未発表の音源入ってないのかよ!」なんて文句を言うことなかれ。
だからはじめっから「ない」と言ってる。
その代わりに、それらの歴史的音源がデジタル・テクノロジーの進化を得てさらに良質な音源で楽しむことができる。
選曲や音質において、まさに大二さんがおっしゃるように、「四人囃子という名前しか知らない人にも楽しめるアルバム」ということが「Live Takes」でもいえるワケだ。
さて、収録曲は10曲のうち、9曲が『From the Vaults』からの選曲。
「一触即発」、「おまつり」、「泳ぐなネッシー」、「ピンポン玉の嘆き」、「機械しかけのラム」、「Nocto-Vision For You」と、四人囃子の活動を俯瞰して選ばれた代表曲が惜しげもなく収められている。
ちなみに「ピンポン玉の嘆き」は1973年7月21日、杉並公会堂における初演のもの。
私ごとながら…1978年か1979年に「Plumage」という民間のロック・サークルのコンサートがココで開かれ、サークルに参加していた高校生だった私もそこでギター弾かせてもらったのだが、ヘッドライナーで出演したBAD SCENEと同じ舞台に立ててうれしかったのを覚えている。
さて、四人囃子というと必ず「日本を代表するプログレッシブ・ロック・バンド」というキャッチが付いて回る。
話を戻して…私は大のプログレッシブ・ロック好きだが、四人囃子の音楽をプログレッシブ・ロックと感じて聴いたことがほとんどない。
大二さんは四人囃子の活動を「ポピュラー音楽でエポック・メイキングなことをする、というのが基本理念だった(読売新聞より)」とおっしゃっている。
まさにその通りのことをされたとは思うが、「プログレッシブ・ロックのバンド」という感覚が今でもないのだ。
ところが、この「ピンポン玉の嘆き」だけは別で、四人囃子を「プログレッシブ・ロックのバンド」たらしめているのは、この7/8拍子の一曲だけなのではないか?とまで思ったりするのだ。
「プログレッシブ・ロック」というカテゴリーの定義が極めて曖昧なので、コレはあくまで個人的な意見なんだけどね。

9_img_0225そして、9曲のうち、5曲が1989年9月22日と23日にMZA有明で開催されたリユニオン・コンサート『Fullhouse Matinee』で収録されたものだ。
二日のうち23日は昼夜の二回公演。すなわち「マチネー」があったワケだ。
一応記しておくと、「matinee(アメリカじんは『マリニー』みたいに発音する)」というのは昼間興行のことで、ブロードウェイの人気ミュージカルでは週末と水曜日にマチネーがある。
ロンドンのウエスト・エンドは木曜日、あるいは水曜日と土曜日とショウによって異なる。ちなみにウエスト・エンドは日曜日はお休みだ。
当然のごとく、主役級の役者さんは一日にミュージカルを二回演ることは体力的に難しいのでマチネーは代役を立てることが結構ある。
当然代役となると人気も落ちる。
すると、当日売りのチケットがものスゴイ値引きをされて売り出される。
ショウの内容自体はまったく同じなので、安くショウを楽しむにはコレを利用するのも一興だ。
私はといえば、もうだいぶ前の話だが、ブロードウェイに行った時、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカルがかかっていて、マチネーで格安チケットが出ていた。
「ヨッシャ!」と思い、チケットを買いに行くと、案の定代役。で、やめた。
変にプライドの高い私としては「代役が演じたミュージカル」は後で自慢が効かないと計算したのだ。
ま、私なんかそんなもんですわ。
それで、四人囃子、ご存知の通り、このコンサートの音源はすでに二枚組のライブ・アルバムとして発表されている。
下の写真がそれ。
1989年といえば、私はロックから離れていたどころか、転勤で東京からも離れて信州で安穏としたサラリーマン生活を送っていた。当然ネクタイとスーツを着用していた。
したがって、このコンサートが開かれたことも知らなかったし、MZA有明なんて小屋も知らなかった。
そういう意味では「日清パワーステーション」も経験していないのです。
その時代のライブハウスいえば、東京に帰って来て辛うじて渋谷の「On Air East」でTower of Powerを観たぐらいか?(Galibardi氏の無事を祈る!)
それじゃダメじゃん!って?
ナンノナンノ!「それじゃダメだ」と笑わば笑え。
アタシャ後楽園ホールでロイ・ブキャナンやフランク・マリノを観た。後楽園ホールだぜ!ボクシングの試合じゃないぜ!ワイルドだろう?
浅草国際でキング・クリムゾンの初来日も観てるから!国際劇場だぜ!
ま、どうあがいてもこの後のインタビューに出てくる大二さんの話にはかなわないんだけどサ…。
さて、話を戻す。
『Wish You Were Here』を連想せずにはいられないヒプノシスっぽいジャケットがカッコいい。
9_img_0223_2
元の音源も何ら文句の付けようもない音質なのに、今回はそれに「迫力」というスパイスを存分に振りかけたイメージに仕上がった。
まぁ、この味を知っちゃうと、そうおいそれとは元には戻れないだろうナァ。
今回、『錯』の音質をチェックするために、『Fullhouse Matinee』と『From the Vaults』と、三枚の音を聴き比べていた。
すると、『Fulhouse Matinee』と『錯』では、一曲目の「Nocto-Vision For You」の満さんの歌いだしのピッチが異なることを発見した!…と喜び勇んでいた。
しかし、「待てよ…」と思い、ココに書く前に念のため確認をすることにした。
教えを乞うたのはMarshall GALAでの稲葉囃子のスタッフもお願いした四人囃子研究家である灘井氏だ。
ちなみに灘井さんは、四人囃子やCharさん、金子マリさんらが参加した、四人囃子の初代ベーシストである中村真一さんの追悼コンサートにご出演されギターの腕も披露されている。
そして、私の研究の結果は当然のごとく空振り。
私は『Fullhouse』→『Vaults』→『錯』と同じ音源を三段構えでリマスターしているものと思い込んでいたのだ。
今回の『錯』の音源は、『Vaults』にすでに収録されているコンサートの23日のマチネーの音源をリマスターしたものであって、『Fullhouse Matinee』のモノとは異なる音源だったのだ。
ああ、単なる私の勘違いでこんなに紙幅を割いてしまった!
お詫びに全公演をご覧になった灘井さんからの情報を付け足すことにしよう。
セットリストは基本的に全公演共通だったそうだ。
衣装も同じで森さんの髪型に少々変化があった程度。
そして、23日夜の最終の公演のみ二度アンコールに応えた。その時は出演者全員がお揃いのTシャツを召していたそうだ。
下は灘井さんからお借りしたその時のチケットの半券。
おもしろいのは、初めの二公演の席が「G列」と前の方であるのに対し、一番下の23日の夜の公演のみ「T列」と大分後ろの方になっている。
もちろん皆さん最終公演のみのダブル・アンコールを見越していたワケではないのであろうが…そうか、みんな最後の方を見たいんだな~…と、東京にすらいなかった私はそんなことしか分析できません。
灘井さん、どうもありがとうございます!

Mza_tick1_3

Mza_tick2

Mza_tick3 もうひとつ。
『From the Vaults』以外の音源は『'73四人囃子』の「円盤」だ。
『錯』には「(Full Length Version)」と記されているが、『'73』と内容は同じ。
何をもって「Full Length」なのかを灘井さんと話したのだが、我々の間では「シングルの短いバージョンとは異なり、丸々一曲全部を演奏しているという意味で『Full』なのではないか?」という結果に落ち着いた。
再三書いている通り、音質はオリジナルに比べて格段に良くなっている。
まるで見慣れたモノクロの映画が総天然色になったかのようだ。
そして、若さあふれるパワフルな演奏!
こうして「ロックがロックだった時代」の素晴らしい音源の質が向上することも若く、新しいリスナーがひとりでも増やしてくれるキッカケになることを願ってやまないい。
黙ってりゃいいんだけど、知ってることは言わないと気が済まない性質なので書いてしまうが…このジャケットに写っている1959のフルスタック(UNIT3)は四人囃子のものではなく、対バンの安全バンドのものだったとか…あ~書かなきゃヨカッタ。

73さて、大二さんのインタビューの三回目。
今回はまたビートルズの話に始まって、大二さんの音楽論について語って頂いた。

S41a9563

さらにビートルズ

O(岡井大二、以下「O」):もう一度、ビートルズについて言うと、彼らが日本に来たのは1966年の6月です。
あの時に飛行機から降りてきた彼らの格好はご存知ですよね?
M(Marshall、つまり私、以下「M」):マッシュルーム・カットに日本航空の法被。
O:そうです。
そしてあのツアーの後に「もうレコーディングしかやらない」と宣言しますでしょ?
M:フィリピンで散々な目に遭ってしまってツアーにウンザリ…。
O:それでスタジオに引きこもって1966年中に『リボルバー』を出してるんですよ。
M:はい。

SffO:さらに引きこもって、年が明けて1967年になった途端「ストロベリー・フィールズ」のシングル盤を出してるんですね。
そして、その年の夏に、つまり、日本に来た1年後に『サージェント・ペパーズ』を出してるんですよ!
1枚のアルバムを挟んで(『リボルバー』のこと)、曲からファッションから全部変わっちゃった!
M:そういうことだったんですね。
O:日本に来た時の新曲が「ペイパーバック・ライター」です。
サウンドはハードになって何かを予感させるものあっても、ビート・バンドの域は出ていない。
それが『リボルバー』から変わっていって『サージェント・ペパーズ』ですよ。
それで、ケンカしたりしても最後には『アビィ・ロード』を作ってしまったワケですよね。
M:大二さんたちの世代の方はナマでそれを見続けたんですもんね~!

Img_0019_3O:ビートルズのこの変化の順番を目の前で同時期に見ていたという「幸福感」は、申し訳ないんですが、後の世代の方々にはわからないでしょうね。
M:私の世代になりますと、『ラバー・ソウル』が65年、『リヴォルバー』が66年、そして『サージェント・ペパーズ』が67年ということは後で教わって知っていても、その間の「一年」に起きた変化にまったく実感が湧かない。
生まれてはいたんですが…。

言ってみれば、本能寺の変が1582年、関ケ原が1600年、それから徳川幕府ができたということを知っているのとまったく同じなんですよ。
こんなことに実感が湧くワケはありません。

それと同じこと…うらやましすぎます。
マァ、最近は「いい国作ろう江戸幕府」なんて言っている若い人もいるようだから「実感」も何もありませんが…。
でも大二さん!私だってダテに年を喰ってはいませんよ!
O:ほう?!
Mもう大分前の話になりますけど、イギリスに行って、若い楽器店の連中と大勢で食事をする機会がありましてね…話題はもう自然と音楽の話になる。
私が「生でレインボウを観た」、「ライブ・イン・ジャパンの時に客席にいた」なんて話をするとそのイギリス人の若い子たちが「スゲエ!握手してください!」って言うんですよ!

Img_0679_3O:ワハハ!
M:大分スケールが小さいですね、こっちは!もう5年早く生まれていればナァ。
O:そうか~。
もうちょっとビートルズの話をすると、人気に乗じて初めて4チャンネルを駆使して「コレがマルチ・チャンネル・レコーディングの極致」というサウンドを作ったのが『ラバー・ソウル』ですよね。
M:はい。
Oで、『サージェント』は4チャンネルのテレコを2台用意して、1チャンネルをシンク信号に使って7チャンネルで録音した。
でも今、7チャンネル渡されて「サージェントと同じ音づくりしてみろ」と言われても誰もできない。
M:そうでしょうね~。
O:で、なんでそんなことができたのかというと、時代の空気みたいなものもあったと思いますが、とにかく発想がブっ飛んでいた。
ビートルズだけじゃなくて、ストーンズも色々やっていたし、ザ・フーは『トミー』を作る、『ラバー・ソウル』のエンジニアだったノーマン・スミスが『サージェント』を作っているとなりのスタジオでプロデューサーとしてピンク・フロイドのファースト・アルバムを作る。
あの1枚目の衝撃たるやスゴかったですからね。
宇宙みたいな、夢みたいな、コワイような、気持ちいいような…またまたナンダこりゃ?となったワケです。
M:今では「ピンク・フロイドのファースト・アルバム」以外のモノではないかもしれませんが、当時はあの音楽が相当新しく響いて本当に『夜明けの口笛吹き』だったんでしょうねェ。
O:音楽雑誌を見れば、アメリカではフランク・ザッパみたいのが出て来る…。

Pfボブ・ディランがどうして変わっちゃったのか?
グレイトフル・デッドも出て来た。
デッドの2枚目(註:Anthem of the Sun、1968年)なんかも少年にはスゴイと興奮しても、どうなっているのか分析なんかできないんです。生活も健康的だったし…(笑)。
M:わかってます、わかってます!
Oとにかく英米で何が起こっているかわからない。
無知な少年だったから、元よりビートニクの文学のことも、ティモシー・リリーの精神世界のことも知らない、ヒッピーってなに?
ベトナム戦争は泥沼化してる、世界が混沌の極み…こうしたことが1960年代の終わりにいっぺんに起こちゃったワケです。
それで、ビートルズはアメリカで名声を得てからたった3年でそういうムーブメントの中心になっちゃったんですね。
このあたりは世界の音楽界の明治維新みたいなものだったんです。
M:私は幼稚園で、パーマをかけたら、それを見た親戚のオバさんが「ビートルズか?」と言ったのを覚えています。
そうした世の中の文化的な大きな変化は英米のお話しでしょ?
O:そうですね。日本にはそれに関するハンパなデータしか入ってこなかったですね。
レコードは一応手には入りました。どんな人たちかは雑誌の写真で何となくでわかるんですが、どんなことが起こっているのかがわからないワケです、少年からすると…。

S41a9510M:そういう感覚がピンと来ないですね。
O:そのあたりのことがわかってきたのはようやく90年代に入ってからですね。
さすがにインターネット以前に本や映画を通じてわかってきたんです。
M:90年代?
O:そんなもんです。
60年代の歴史上の人たちの本当の姿や、何が行われていたのかを広く日本人が知ったのは90年代に入ってからでしょうね。
M:時差が10年どころじゃない!

オリジナル曲で勝負!

M:オリジナルで勝負しよう…ということになった時、「何をどうしよう」ということはご自分たちなりのお考えというものはあったんですか?
O:何をしていいかということはわからなかったけど、何となく勘が働いたんでしょうね。
M:たとえば「ブエンディア」なんていきなりボサノバだったりしますでしょ?
あの時代にああいうアイデアはどこから出て来たんですか?
O:「一触即発」、「おまつり」、坂下(秀実さん)による「泳ぐなネッシー」なんかは『一触即発』を作る前からのレパートリーなんです。
M:「ネッシー」のコード進行のアイデアなんかはI-I7-IV-IVm-I、いわゆるターンバックっていえばいいのかな?
基本的なコード進行。アレをすごくゆっくり弾いていたりしますよね?
でも、「ブエンディア」のボサノバのアイデアは不思議。

Se_2O:まぁ、あれは「こういうの好き~」ってだけでやった感じですよ。
ジョビンの「Wave」あたりがようやくピンときて、「こんな気持ちいい音楽があったか~。こういうの演りて~な~」っていう感じでしたからね…なんて時に、「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」をシングルで出すことによってバーターで移籍ができることになったんです。
M:お、またバーター。
O:「円盤」をシングルで出すのは忍びなかったんですけど…。
M:え、いいじゃないですか。
O:でも、出すことになって…ところがイザとなると今度はカップリング曲がない!
それで、「四人囃子用の曲じゃないけど、オレ、インストが一曲あるよ」ってB面に入れたのが「ブエンディア」だったんです。
だからアレは四人囃子向けの曲ではなかった。個人的な趣味です。
M:へぇ~。

 

昔のライブハウス

M:その頃、ライブハウスの状況というのはどんな感じだったんですか?
O:「グループ・サウンズの先輩達が出ているところ」ということになりますね。
M:さっきの話ですね?
O:で、伴奏を聴かせるスペースと音楽に合わせて踊るスペースに分かれているところが多く、そういうところでは踊るスペースの方が圧倒的に広いんです。
M:昔のジャズみたいに、要するに踊るためのバンド演奏だったワケですよね?

Img_0003O:そういうことです。ゴーゴー・バンドです。
それで、人気の出たグループ・サウンズの歌や演奏だけを聴かせるスペースとしてできたのが、ACB(アシベ)でいえば、「ニューACB」というところだったんです。踊る方は「ゴーゴーACB」。
で、そういう演奏だけを聴かせるスペースが増えていったんですが、あくまでも女の子たちがあこがれのグループを観に行くところでしたね。
M:なるほど。
O:だから、今の感覚で言う「ライブハウス」というのはロック・ポップ系にはなかったですね、当時は。
で、やっとそれらしいものが出て来た…。
M:え、どこですか?
O:…というのが、実は渋谷で言えば「ジァンジァン」だったんですね。
M:へ~。子供の頃、アレは芝居小屋だと思っていました。
O:そうそう。
だから「ありとあらゆるパフォーマンスに開放する」という意味合いがあるスペースだったんです。
M:色んなのが出てましたもんね。他には?
O:「ロック・バンドのためのスペース」ということであれば、吉祥寺のOZ(筆者注:1972年6月から翌年の9月という短期間に渡り営業していたライブハウス。久保田麻琴と夕焼け楽団、裸のラリーズ、南正人、タージ・マハル旅行団、カルメン・マキ&OZ、安全バンド、四人囃子、クリエイション、頭脳警察、ウエスト・ロード・ブルース・バンド等が出演した)なんてのもそう。
あとは屋根裏、そしてロフトですよね。
M:当時は吉祥寺なんてまだ閑散としていたんじゃないですか?
O:かなりさびしかったですね。
M:あとはホール・コンサートですか?
杉並公会堂なんかよく使われていましたよね?アレは何か特別な意味があったんですか?
O:ゼンゼンなかったです。ひとこと「地元」だから。
当時は各町の公会堂がグループ・サウンズのTV収録の場だったりもしたんですよ。
M:それと昔は学園祭が盛んでしたよネェ?「学園祭の女王」なんてね。
今はもうゼンゼンですよね?
O:今は実行委員会とかイベントのサークルとかの人たちが、「企画を立ててビジネスが成立するか?」みたいなシミュレーションの勉強の場になってしまったんですよ。
昔は、「ロックの息吹」なんて時代ですから、「学園祭」というイベントで晴れて自分たちの好きなバンドを呼んで演奏してもらうことができる場だったんですね。
そんな機会ですから呼ばれる方も張り切って演った。

 

音楽を作るということ

M:いつもMarshall Blogで騒いでいるんですが、今の若い人たちのロック界を見渡すと、「ロック」という言葉は残っていても、我々が持っている感覚で言うところの「ロック・バンド」というものはほとんど存在しない。
かといって歌謡曲もなくなってしまった。

Img_0524O:そうですね。
我々の世代が言う「正統派ロック・バンド」というのはいないですね。
それで言うと、最近の傾向として、デスクトップだけで音楽を作る人も多いですよね?
ウシさんはそういう人をミュージシャンとして認めていますか?
M:それなら「作曲家」ということになって、「ミュージシャン」っていう感じがしないかも。
O:「作曲家」は「ミュージシャン」ではない?
M:ミュージシャンは生の楽器を演奏する人のことを指すようなイメージがありますね。
O:そういうことね。「演奏」ということを重視するワケですね?
ボクはチョット考え方が変わっていて、絵に例えましょうか?
M:お願いします。
O:「匠」とか「道」の世界で考えれば、まずデッサン2,000枚描けということになるんですね。(筆者注:大二さんのお父上は、武蔵野美術大学の教授や同美術学園の学園長を務めたデザイナーの岡井睦明さん)
でも「絵を描く」ということになった時、最初からペンキを壁に投げつけたいヤツもいるんですよ。
M:ジャクソン・ポラックみたいな?
O:ダリのように細密な絵を描く人もいれば、谷岡ヤスジみたいに(筆者注:古すぎて鼻血ブー!)ドヘタ風味の四コマ漫画でいい味を出しちゃう人もいるんですね。
M:確かに。
O:要するに「出来上がり」なんですよ。
「何を生み出すか?」が一番だと思うんです。
家づくりに例えて言うと、大工さんにあたるのが 「プレーヤー」で、腕・技術を通してセンスを発揮するスタンスだと思うんです。
でもボクは設計の具合に一番興味があって、アホなものでも独創的なものにワクワクするんです。音楽の場合は発想に具体的な規制は無く自由ですから、例えば半分フランス庭園で半分日本庭園なんてことをしてもいいし、フランス庭園のド真ん中に鳥居を建てちゃうことだってできる。
出来ることなら月までハシゴ立てたい…みたいな。
M:できません!
Oだから自分の感覚で言葉を使い分けると、大工として名工を目指すのが「プレーヤー」の世界、設計図を提出して未完の想像物を世に問うのが「ミュージシャン」の世界、と考えています。
もちろん、ひとりの音楽家においてくっきり境目がある訳ではないのですが…。

S41a0872_2「プレーヤーとして」と話題にする時と、「ミュージシャンとして」と話題にする時とボクにとっては違うんです。
M:なるほど。
そういう言葉の使い分けであれば、私の感覚は作曲する人が「アーティスト」、それを演奏する人が「ミュージシャン」っていうのはあります。
もっともコレは私が考えたワケではなく、西欧人の受け売りです。横文字だけあって彼らはそれらの言葉を使い分けているように見えます。
O:で、一番大切なのは設計することからなんじゃないかということなんです。
M:はい!
O:「音楽」で言うと、「曲を創造する」ということになる。
コピーして演奏するより、どんなにボロクソに言われようと、落ち込んでしまおうと、自分はオリジナル曲を作るということの方が「ものづくり」ということにおいては、はるかに尊いと考えちゃうし、個性的な発想の人を尊敬するし、憧れてしまう。
「創作物」の積み重ねがあっての音楽の歴史だと思うんですよ。
M:私は何も作ることができませんが…まったく同感です。
O:「創作」や「ものづくり」に制約はありません。
例えばコンピュータしかイジれない人が何か曲を作る。
それに対して聴く側には賛否両論があったとしても、また、実際に上手に演奏できたとしても、コピー・バンドをやっている人達よりは、ボクはそのデスクトップ・ミュージックで画期的な作品を生み出す方の人を評価したいんですね。
M:よくわかりますが、実際そういう人はいるんですか?
O:ん~(笑)ま、そうは滅多にいませんね、確かに。
絵心・筆心のようなことが、奏でるという場には重要ですもんね。
M:それでは、スイートやエアロスミスのように職業作曲家に曲を作ってもらうというスタイルはどうお思いになりますか?
例えば、スイートはニッキー・チンとマイク・チャップマンというソングライティング・チームの曲を演奏して、たて続けにヒットを飛ばしました。(註:このふたりはスージー・クアトロやスモーキーなどにも曲を提供した大ヒット・メーカー。スージーの「Wild One」なんていいもんね~。チョット郁恵ちゃ

S41a5215_3んの「夏のお嬢さん」みたいだけど…)
エアロスミスも復活後は曲の提供を受けていますよね?
ロックはもうチャンとした音楽教育を受けたプロの作詞家や作曲家に「創作」の主導権を渡したらどうかと思うんですが…。
他の人が同じ曲を演らない限りは「持ち歌」ということでオリジナル・ソングになるワケですから。
O:それはまったくその通りですね。
M:曲は職業作曲が作って、あとはバンドがピロピロしようが、ドカドカやろうがそれは自由。
そこで腕自慢をすればいい。
O:わかります。
M:しかし、あのピロピロ系の方々というのは大変だと思いますよ。
「様式」にとらわれて他のことをするのが罪悪となってしまっているように見えます。
それこそが個性でもあるのかもしれませんが…。
O:最初にアレから入っちゃうとね~。抜け出すのがムズカシイのかも…。

<vol.4:最終回>につづく。

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(一部敬称略 ※協力:灘井敏彦氏)