【イギリス-ロック名所めぐり】vol.66~リバプールに来た!
ビートルズに関連する文章を書いていて思い出した。
「そういえば、リバプールに行った時に書いた『名所めぐり』の記事が埋もれたままになってるな…」
その記事とは2011年9月14日に前のMarshall Blogに掲載した『リバプールに来た!』と題した簡単なもの。
リバプールを訪れたのは2005年のことでそれからもう19年も経っている。
ま、Marshall Blogは観光のガイドブックではないので新しい情報が載ってなくても何ら問題ないだろう…ということで半ば思い付きで内容を全く入れ替えてココに再録することにした。
だからタイトルの「来た!」はかなり過去のことであるので、最早タイトルは「19年前に行った!」が適当であろうが敢えてオリジナル通りとした。
そもそもこんな円安だからして今は行かれないよ。
行ってもお金が使えないようではオモシロくないからね。
今回記事を書き直すに当たっては、もちろん忘れていることもたくさんあろうがリバプールにはまだ数回しか渡英していなかった頃に訪れているので思ったより色んなことを覚えている。
まだMarshall Blogも始まっていない時分だったので、コマメに写真を撮っておかなかったことが悔やまれるものの、何しろfacebookも日本に入って来ていない時代の話なのでそれも仕方がない。
なので今回記事を作成するに当たってはチョコチョコとインターネットから写真を拝借した。
さて、当然この時もMarshallに用事があってイギリスに行ったんだけど、その前にリバプールの近くのサウスポートというところに行く必要があった。
そこで折角だから…リバプールにも寄ったというワケ。
というより、目指すサウスポートには鉄道路線がないので、その用事の相手にリバプールまで迎えに来てもらったのです。
その待ち合わせの時間まで町を見て歩くというプランだった。
ロンドンからリバプールに行くにはMarshallに行く時と同じ「EustonStation(ユーストン駅)」を使う。
Marshallのスタッフに頼んで駅から近いホテルを予約してもらったんだけど、20年前で1泊の値段が35,000円ぐらいだった。
クッソ高い。正直ギョっとした。
ホテルのフロントの係員は決してキレイとは言えないシャツとジーンズに身をくるんだ私のその様子を見て取って「お支払いできますか?」と訊いて来やがった!
失礼な!
「カードで払いますから」と答えたらニッコリしていた。
で、そのホテルに35,000円も払う価値があったかどうかというと…ないない。
あるワケないじゃん!
せいぜい「イギリスは3食のうち朝食が一番豪華」と云われている所以のフル・イングリッシュ・ブレックファストが料金に含まれているってだけよ。 それでもホテルからの眺望はなかなかのモノだった。
何せロンドンに泊まる時は大抵B&Bなのでせいぜい3階ぐらいからの眺めが精一杯だから。今、眼下にあるのは「The British Library(大英図書館)」。もうMarshall Blogで何度も触れて来たけど、この図書館の博物室にはビートルズ関連のお宝が展示されているのでロンドンに行くビートル・マニアは絶対に訪れるべし。
詳しくはコチラ⇒【Shige Blog】イギリス紀行2019 その11 ~ 大英図書館を楽しむ
その隣りは「ハリー・ポッター」でおなじみ(らしい)「St. Pancras Station(セント・パンクラス駅)」。
当時、イギリスとヨーロッパ大陸を結ぶ鉄道「Eurostar(ユーロスター)」はテムズ川南岸にあるThe Kinksの名曲で知られる「Waterloo Station(ウォータルー駅)」から発着していたが、それをセントパンクラスに持って来ようということで盛んに改修工事をしていた。
で、この2年後の2007年に工事が完了し、セントパンクラス駅はヨーロッパ大陸からの窓口となり名称も「St. Pancras International」になった。
Marshallのあるミルトン・キーンズを通過して、ジャギュア(Jaguar)の工場があるコヴェントリーを過ぎて、ラグビー校のあるラグビーを通過して、ブラック・サバスの故郷バーミンガムを後にして「Liverpool Lime Street Station(リバプール・ライム・ストリート駅)」に到着した時にはくたびれたよ~。(『黄金餅』古今亭志ん生バージョン風)
それも当然、乗りも乗ったり4時間チョット!
ちょうど日曜日ということで急行電車が運行しておらず、も~とにかくチンタラチンタラ走り通した。
窓の外の景色を見ていれば飽きないといえば飽きないこともないんだけど、イスの背もたれの角度が完全に直角でテコでもリクライニングしない。
もう姿勢が直角の三角定規みたいになっちゃって…。
しかも折りたたみができない邪魔なだけのテーブルが壁から盛大に突き出ていて、持っていたデカいスーツケースをうまく席内に収納することができず苦闘の4時間だった。このリバープール・ライム・ストリート駅というのがまたヤケに立派なの。
この駅の開業が1836年で現役のターミナル駅としては世界最古なのだそうだ。
国土の北から南まで路線がつながりまくっている日本では感覚がつかみにくいけれど「ターミナル駅」というのはそこから先がない「終点の駅」ということね。
昔は総武本線の両国駅なんかがそうだった。
今では横須賀線の横須賀駅がターミナル駅だね。
長崎駅もそう。
そして、1836年と言えば「天保」年間でいわゆる「天保の大飢饉」のさなかだった。
そんな時代にこの駅ができた。
さて、駅でスーツケースを預けて待ち合わせの時間までひとりでリバプール見学。
まずはリバプールの観光地として名高い「Albert Dock(アルバート・ドック)」へ。古くから栄えた港だけあって立派!建物もスゴイのがゴロゴロしてる。この日は日曜日ということでナニかのイベントが開催されていてものすごい人出だった。港に隣接する建物の中に…「THE BEATLES Story」という「ビートルズ博物館」っぽいアトラクションがある。
折角来たので中に入ってみたが、もうコレはその名の通り完全にビートルズの貴種流離譚の展示館。
ビートルズがいかに成功を手にし、離れ離れになっていったのかを色んな設備のレプリカ…例えば初代キャバーン・クラブとかアビー・ロード・スタジオとか…を用いて説明してくれる。
内容としてはビートルズ好きなら誰でも知っているようなトピックスで構成されているのでスゴイ発見を期待してはいけません…と言ってしまっていいでしょう。
「ま、せっかくリバプールくんだりまで来たんだから見て行こうかな~」ぐらいのつもりで訪れるのがよい。
ただ、グッズコーナーは案外オモシロイかも。
それとも日本でも手に入るものなのかな?…チョット私には判別しかねた。
私はと言えば、家内へのお土産に「Love is all you need」というサインの入ったTシャツを買った。
コレ以外にはアルバート・ドックでビートルズっぽいものは何もなかった。
あ、コレがあるか。
ココもすごい人出。
人垣の向こうは「River Mersey(マージ―川)」。
だからリバプールの地籍は「Merseyside(マージ―サイド)」という。
そうだ!この時って「マージ―・フェスティバル」みたいなイベントをやっていたんだ。
ところでこの川の水源はマンチェスターのストックポートだという。
ココからストックポートまではそう遠くないのにこんなにデカい河口になっちゃうのは驚きだ。
ストックポートというのは10ccが出て来た町。
すごくいいところだった。
興味のある方はコチラをどうぞ。
↓ ↓ ↓
①【イギリス-ロック名所めぐり】vol.43 ~ 10ccに会いに行く <前編>
②【イギリス-ロック名所めぐり】vol.44 ~ 10ccに会いに行く <後編>
リバプールの町をブラブラしてみる。
通りの突き当りの建物は「市役所」。
よくビートルズの4人のことを「地方の港町出身の若者」みたいに紹介するでしょう?
我々がそんなことを耳にすると何となくアジやイカを天日干ししている海辺の寒村を想像しがちだけどトンデモナイ!
17世紀にチェスター港が泥の堆積で機能不全に陥ると、それに代わってリバプールはイングランド北西部の商業都市として台頭した。そして18世紀に港湾が整備されるといよいよ本領を発揮する。
有名な「大西洋三角貿易」だ。
リバプールから武器や雑貨をアフリカに運び勢力の強い部族に売りつけ、弱い部族を捕らえさせて奴隷として新大陸に送り込んだ。
そして、新大陸からはタバコ、綿花、砂糖、コーヒーをイギリスに持ち帰った。
コレは儲かるわナァ。
このムダのなさは長距離トラックの「往復荷」どころじゃない。
この話で驚いたのは、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』でクンタ・キンテは白人に捕まってアメリカに連れていかれていたが、実際の多くは黒人が黒人を捕獲していたらしい。
イギリス人は植民地であるインドで作らせていた「キャラコ綿」という繊維を勢力のある黒人種族に渡し、それをエサに弱い種族をおびき寄せて捕え、奴隷船に乗せたというのだ。
同族同士で戦わせて最終的に自分たちの思いのままにするという戦略はイギリスの常套手段で、考えて見れば明治維新も似たようなものじゃん?
そして、この手法はもしかしたら16世紀にスペインやポルトガルが南米大陸で行った1500万人ものインディオの大量虐殺を参考にしたのかも?
コレは1854年開業の「St. George's Hall」というコンサート・ホール。ちなみに今出て来たのは「大西洋」を舞台にした三角貿易で、イギリスは「アジア」でも同じようなことをした。
それはこうだ。
イギリスは綿織物を植民地のインドへ押し付け、インドで作ったアヘンを中国に密輸し、中国からイギリス本国に茶(当時は高級品だった)や絹を送った。
そのうち中国への支払いが増え銀の流出が過多になり、中国が「アヘン止めて!」と訴えると「そうはさせん!」と、「アヘン戦争」をしかけ、「アロー戦争」という続編まで引き起こし、香港をゲットした。
こうした動きの中、当然中国人を奴隷として売買しようとする動きもあったが、強靭な体力を誇る黒色人種に比べ黄色人種は体力に乏しく奴隷としての用途をなさなかったという話しを聞いたことがある。
江戸幕府は欧米列強のこうした悪さを全部知っていたんだね。
だから頑なに鎖国政策を守りたがった。
それをよ、ニセの「錦の御旗」をかかげて外国人から買い込んだ武器で強引に日本を変えてしまった連中がいたんだね。
ああ、その武器を都合したトマス・グラバーもイギリス人だってばよ。
そしてイギリスは論功行賞のひとつとして明治新政府から現在の皇居の隣の千代田区一番町のイギリス大使館の地所を永久に借り受ける権利を得た。
とにかく、そうして1750年以降、リバプールは奴隷貿易を支配して莫大な利潤を得た…というより国が潤った。
また19世紀に奴隷制度が廃止されると今度はリバプールは綿花の輸入港として機能し、マンチェスターへの玄関口として産業革命の一翼を担い19世紀にはロンドンに次ぐ「帝国第二の都市」とよばれるようになった。
マンチェスターとの関連はコチラ⇒【Shige Blog】イギリス紀行2019 その29 ~ マンチェスター vol.5:「世界最初のXXX」
下は「World Museum」という博物館。
だからこうしたこうした立派な建物がゾロゾロと揃っているし、ビートルズは地方の大都市出身の4人組だったんだね。
1925年開業の「Liverpool Enpire Theatre(リバープール帝国劇場)」。
エルトン・ジョンやレッド・ツェッペリンをはじめとした世界的なバンドやアーティストがココで演奏している。下町はこんな感じ。
人通りは極端に少ない。
そしてコレ。「Liverpool Cathedral(リバプール大聖堂)。
1904年から84年の歳月をかけて完成させたイギリス最大の教会建築。
「大聖堂」というとウェストミンスターやカンタベリーのようなゴシック様式を想像するがココは見るからに堅牢な石造り。
このスタイルは「ゴシック・リバイバル建築」というらしい。
中に入る…デ、デカイ!私もウェストミンスター、セント・ポール、ヨーク、カンタベリーと大聖堂やら寺院を見て来たけど、ココはちょっと違う感じがした。
やっぱり「新しい」という印象。
そりゃウエストミンスター寺院より700年も後に完成しているんだから当然のことだわな。窓ごとに嵌められている巨大なステンド・グラスがとても美しい。もちろんパイプ・オルガンも据え付けられている。ココで、ポール・マッカートニーの出番。
1991年にリリースした『Paul McCartney's Liverpool Oratorio(リヴァプール・オラトリオ)』は同年の6月28日にこのリバプール大聖堂で録音された。
『Ram』やら『Band on the Run』が大好きという人はたくさんいても、「『リヴァプール・オラトリオ』が好き!」という人には会ったことがないナァ。
かく言う私もCDを持っていないが、聴いてみるとなかなかいいもんですよ。
「オラトリオ」というのは聖書を題材にした管弦楽や合唱の音楽を指すんだけど、バルトークとかストラヴィンスキーのそれと比べたらコレはかなりわかりやすいし、親しみやすいよ。 さて、ポールからビートルズ本体へ。
有名な「マシュー・ストリート」。ビートルズ生誕の地と言われるだけあってビートルズの雰囲気にあふれて…いない。
そもそも日曜日の昼間だというのに人がいない。通りにはビートルズの土産物屋があるぐらいか?ココにも入ってみたけど、ん~、江ノ島の土産物屋で木刀とペナントを買うようなイメージと言ったらよかろうか?
北海道の木彫りの熊とか大きな王将の置物とか。
ま、もしかしたらマニアにとっては垂涎のアイテムなんてのがあったのかも知れない。そして「The Cavern Club(キャバーン・クラブ)」。
私みたいなアマノジャクでもコレはハズせないでしょう。
日曜日ということで出入りが自由になっていたので入ってみた。
素人さんのバンドが交替でステージに上がってみんなでワイワイやっているような感じだった。
このキャバーンは3代目って言ってたかな?入り口にはキャバーンに出演した有名人の写真が飾ってあった。
スイマセン…ビートルズはコレだけです。さっきから「駅で待ち合わせる知り合い」なんてヨソヨソしい言い方をしているけど、その知り合いというのはエレクトリック・ギターを真剣にやっている人なら恐らく知らない人はいないのではないか…というぐらいの有名人で、リバプール見学の後はサウスポートにあるその人の家に向かったというワケ。
サウスポートのロケーションは保養地として有名な「Blackpool(ブラックプール)」の手前。
ブラックプールは社交ダンスの世界大会の決勝戦はブラックプールで開かれるんじゃなかったかな?リバプールから海岸線を北上すると、左に大きな島が見えた。
「あの島はナンですか?」と私が尋ねると「That's Isle of Man(マン島)」だという。
私は思わず「Isle of Man? Is that⁉」と車の助手席で叫んでしまった。ナンとならばフランク・ザッパの『Zappa in New York』というライブ盤に「Manx Needs Women」というインストルメンタル曲が収録されていて、国内盤ではその曲に「マン島は女不足」という邦題が付けられていた。
アルバムが日本で出てすぐに買った高校生の時から「ヘンな曲名だナァ」と思っていた。
「Manx」というのは「Man」の形容詞で「マン島の」とか、名詞で「マン島に住む人」を指すので「マン島は女不足」という妙な邦題は正しい。その知り合いにザッパのことは話したものの、本当に女性が少ないのかどうかは尋ねなかった。
マン島は淡路島とほぼ同じ面積に9万人が生活している(淡路島は12.3万人)。
コレは後に知ったことだが、マン島に興味を持った理由がもうひとつあった。
この島は上の地図にあるようにどう見てもイギリスの一部に見えるが、マン島は「グレート・ブリテンお呼び北アイルランド連合国」に属していないのだ。
つまり「イギリス」ではない。
したがって「イギリス連邦(コモンウェルス)」にも属していない。
大幅な自治権は認められているが、独立国家でもないためにかつてはEUにも加盟していなかった。
一方、治安の意地や流通貨幣についてはイギリスに面倒をみてもらっている。
コレ、どういうことかというと18世紀にイギリスの王室がこの島の支配権を購入し、「英王室の属領(Crown Dependency)」というポジションになっているそうなのだ。
だから今はチャールズ国王が島の領主だし、チャールズが亡くなればウィリアムがその地位を継ぐことになっているんだって。
土地は豊かとはいえず、一年中天気が悪いが観光で経済が成り立っているそうだ。
…というところまでわかった。
しからばナゼゆえマン島には女性が不足しているのか?
コレはね、ただの駄ジャレなの。
ザッパは『Roxy & Elsewhere』というライブアルバムのMCで自分の「B級怪獣映画愛」を語っているが、1968年、アメリカでインディーズのプロダクションが制作したB級サイファイ(Sci-fi=SF)テレビ映画があってザッパもその番組のファンだったのであろう。
この作品のタイトルが『Mars Needs Women』だったというワケ。
ザッパは「Mars」と「Manx」をかけたんだね。
どんな噺家というと、ある時NASAが「火星…女性…必要」というメッセージを宇宙空間から受信する。
火星では男の子しか生まれて来ないので地球から女性を調達して種を残したいというワケ。
そして火星人は移住する女性を引き取りに地球にやって来るが、アメリカ軍はそれが地球侵略の野望であることを見抜いたうえで4人の女性を用意する。
そして火星人が地球にやって来て…みたいな話らしい。
ま、いわゆるおバカ映画なんだろうけど、観てみたいナ。
サウスポートの町に到着。
静かでいいところだった。
私はその知り合いのお嬢さんの結婚を祝うホームパーティに招かれ、庭に用意されたバーベキュー・セットで焼いたハンバーグを頂いた。
とてもおいしかった。
日本人が珍しいらしく、集まって来ていた近所の人から日本に関する色んなことを訊かれた。
皆さん、鯉にすごく興味をお持ちだった。
ナゼ、鯉のことを知りたがるのか尋ねてみると、テレビで放映されていたドラマ『Shogun』の影響だという。
「もう日本には将軍はいないんでしょ?」なんて訊かれたりもした。
まさか「オタクの国のせいで最後の将軍が幕府をクローズしちゃんたんですよ!」…なんてことは言いませんでした。町自体はどこにでもあるイギリスの郊外の光景。
まぁ、天気は悪いわ。
イヤ、悪いというか様子がコロコロ変わるんだよね。
晴れていたかと思うとたちまち雨。
その雨もテキトーではなくて気合を入れたヤツが降って来る。時間が全くなくて見て歩くことはできなかったんだけど、このサウスポートは1898年に開業した「Wayfarers Arcade(ウェイフェアーズ・アーケイド)」という美しいショッピング・モールがあることで有名だ。
見たかった!その知り合いは私がオリー・ハルソールが好きなことを知っていて、オリーの名演を綴った自家製コンピレーション・アルバムを作ってプレゼントしてくれた。
それとブルースを題材にしたジェフ・ホワイトホーンのマイナス・ワンCDを頂戴した。
コレは存在自体知らなかったのですごくビックリした。
今でも両方とも大切に保管している。 ところでサウスポートのお宿は「Royal Clifton Hotel(ロイヤル・クリフトン・ホテル)」というクラシックなホテル。「古い」ということだけが取り柄のイギリスでよく見かける観光ホテル。
でもこういうのは好き。
なかなかにデカいホテルでプールも付属していた。部屋はこんな感じ。
窓の外の光景はこう。
アイリッシュ海がすぐそこ。
それを渡ればアイルランド。…と、建物はカッコいいし、景色はいいしで取り敢えず何の不自由もなかった。
ところが、このホテルは「Britania Hotels(ブリタニア・ホテルズ)」というホテル・チェーンが運営していて、その「ブリタニア・ホテルズ」というのはナント「英国最悪のホテル・チェーン」としてその悪名を轟かせているらしい。
このクリフトン・ホテルのように古くて良さげな建造物を買い取ってはホテルに改装するのがブリタニア・ホテルズの戦略のひとつなのだそうだ。
APAとはエライ違いだな。
チョット待てよ。
2019年にマンチェスターに行った時に2泊したのは「ブリタニア・ホテル」だった。
そう言われてみると、やっぱり建物が荘厳で確かにそれはうれしかったんだけど部屋はヒドいものだったわ。
興味のある人はコチラをどうぞ!
↓ ↓ ↓
【Shige Blog】イギリス紀行2019 その25 ~ マンチェスターへの旅 vol.1:歴史的ではないホテル
翌月曜日は急行の電車が運行していて、リバプールからMarshallの本社があるミルトン・キーンズまでアっという間だった! <おしまい>