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2020年12月28日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 63 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.6>

 

ジミのレコード・コレクションの続きから…。
「え~、また~?」って感じなんでしょ?
ナニを言われようと止めませんよ。
ナゼか?…オモシロイから!10_4ジミのコレクションにはビル・コスビーのアルバムが2枚入っている。
ビル・コスビーはアメリカを代表するコメディアンね。
日本での知名度はそう高くないけど、一時期は全米の長者番付の上位の常連だった。
何年か前に過去の性犯罪が明るみに出て、保持していたいくつかの名誉博士号を剝奪されるという事件が起こったが、最近のデータを調べてみると、それでも長者番付のランクは8位。
ジミが持っていたコスビーのレコードを聴くと、やはり「スタンダップ・コメディ」と呼ばれるひとり語りの漫談。
日本の漫談のスタイルといえばとにかく漫才だけど、欧米では2人が掛け合いで話を進める話芸はほとんど見かけない。
欧米はもっぱらスタンダップ・コメディ。
そんな日本の漫才のようなシーンをよく見かけるのは、デビッド・レダメン(本当は’Letterman’だけど、アメリカ人が発音すると'レダメン'に聞こえる)やジェイ・レノのような人気司会者がゲストと丁々発止のボケとツッコミを展開する『The Late Show』や『The Tonight Show』のようなバラエティ・ショウぐらいか?
そこへいくと日本のひとり話芸はスゴイよ。
まずは落語がある。
口頭で情景をつぶさに描き、全部の登場人物をひとりで演じ、時にはお客さんを笑わせ、時には泣かせる。
こんな芸はおそらく世界に他にないのではないか?
それと浪曲。
ま、浪曲は鳴り物が入るのが普通なので厳密には「ひとり」の話芸とは言えないのかも知れないが、こっちは完全に「ひとりミュージカル」だからね。
講談も素晴らしいが演技が入らないので上の2つとはまたチョット違う。
ビートルズやボブ・ディランの歌詞がダイレクトに理解できなくても、残念がることはない。
我々は日本語ができるおかげでこうした世界最高峰の素晴らしい話芸を楽しむことができる。
だから音楽ぐらいは洋楽を聴きましょう。
で、このスタンダップ・コメディって、そもそもナニがオモシロいんだかサッパリわからないことが多いんだよね。
「文化の違い」がそのまま「笑いの違い」に直結していることがよくわかる。
スタンダップ・コメディにはよく人種を扱ったネタが登場するが、コスビーの話芸はそうした人種に関する偏見や差別をテーマにすることはなく、反対に異人種の文化を尊重し、自分自身の人生における経験をネタにしたものが多いとされている。
こんなことが人気を集める要因なんだろうな。Bc1975年に公開したボブ・フォッシー監督、ダスティン・ホフマン主演の映画『レニー・ブルース(Lenny)』。
ダスティン・ホフマンが好きだった私は中学1年の時に公開してすぐに(確か…)数寄屋橋のニュー東宝キネマ1に観に行った。
そしてこの後、45年経った現在まで一度も観返していない。
当時にしては珍しくモノクロで撮られていてね…内容はほとんど覚えていないけど、よくわからなかったことだけは覚えている。
それもそのハズ、この映画の題材になっている50~60年代に活躍したこのレニー・ブルースはコスビーとは正反対にアメリカ社会が抱える政治、宗教、人種差別、同性愛、中絶、セックス、麻薬、広告批判、貧困などを主題に据えて過激なトークを展開して人気を博した人だった。
13歳の子供にわかるワケがない。
映画でも描かれているが、こういう人に「すさんだ生活」は付き物だったがレニーには支援者も多く、1965年にはフランク・ザッパがトーク・ショウを主催したり、フィル・スペクターが葬儀の費用を出したりしたそうだ。
へ~、Lambert Hendricks & Rossのアニー・ロスと恋仲だったとは知らなんだ。
1966年、風呂場でモルヒネを過剰摂取して死亡した時、腕には注射針器が刺さったままだったらしい。
スゴイな、まるで黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』の三船敏郎みたいだ。
今となっては「死ぬまでにもう一度見ておかなくてはならない映画」の筆頭だわ。Lbm何でビル・コスビーに引っ掛けてレニー・ブルースを登場させたのかというと、下の写真。
まるで『Blonde on Blonde』の宣伝写真みたいだけど、その前にはマディ・ウォーターズの『The Real Folk Blues』も転がっている。
このフラットで撮られた写真ではなさそうだが、ジミが手にしているレコードはレニー・ブルースのアルバム。
ジミはこういうお笑いのレコードが好きだったのかね?
でもレニーのレコードはリストには入っていなかった。Sjlb 私も少しは英語の勉強の足しになるかと思ってCDを買ってみた。
1961年のカーネギー・ホールのライブ盤。
カーネギー・ホールですよ!
客席はもうとにかく爆笑の嵐。
志ん生じゃないけど、出て来ただけで笑いが起こる。
しかし、こっちはところどころ英語がわかっても、ナニがオモシロいのかが全くわからないの。S0r4a0150_2やっぱり聴くなら「ス」を取ってレニー・ブルー(Lenny Breau)がいいわ。
このライブ盤ばかり有名だけど、そのカントリー・フレイバーをチョコっと混ぜ込んだスリリングでカッコいいプレイは比較的どのアルバムを聴いても味わい深い。
Lbg他に変わりモノのコレクションとしてはインド系か?
この時代、ナンだってこんなにインド、インドしていたんだろう?
やっぱりジョージの影響が大きかったのかしらん?
どっかにも書いたけど、『Sgt. Peppers~』のデラックス・エディションを聴いて驚いた。
「Within You Without You」のレコーディングでインド・チームにメロディを提示する時にちゃんと「サリガマパダニ」とインドの音名でやってるんだよね。
ジョージがホントにチャンとインド音楽を勉強していることを知って恐れ入りました。
カッワーリーでもこの「サリガマパダニ」って出て来るけど、コレは「音の名前」ではなくて「度数」を示しているのだそうだ。
つまり西洋音楽で「A」といえば「440Hz」の音のことを指すけど、インド式で「ダ」というとキーが何であろうと「6番目の音」を意味するのだそうです。
『Sgt. Peppers~』はジミが最も聴き込んでいたレコードのウチの1枚らしいからジョージの影響は否定できないんじゃないの?
Sgtジミだって『Axis:Bold as Love』があるもんね。
内容は全然インドじゃないけど。
はじめ、ジミはロジャー・ロウという人が写真を元に描いた千手観音のようなインドの神様に扮した自分のイラストを見てビックリ仰天したそうだ。
何しろジミのアイデアとしては、自信のネイティブ・アメリカンの血脈を前面に出したモノになるハズだったからだ。
インドとインディアン…言葉は似ているけどね。
今さらこのことでコロンブスに文句を言うワケにもいかないし。
そのジミたちのイラストを宗教関連のポスターの上にポコッと乗っけて仕上がったのがこのアルバムのジャケット。
ジミは「オレたち3人はあのジャケットとは何の関係もないけんね」と言ったそうだ。
英米でジャケットのバージョンを違えた『Are You Experienced?』や『Electric Lady Land』とは異なり、双方共通して採用されたこのジャケットはヒンズー教徒の間で怒りを買ってしまった。
マレーシアなんか2014年にこのジャケットの使用を国で禁じたんだってよ!
発売して53年も経ってるのに!
ジャケットとしてのデザインはとてもいいと思う。Ablリストにはラヴィ・シャンカールのアルバムが2枚リストアップされていた。
それらはジミの嗜好だったワケではなくて、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズにもらったモノだったそうです。
民族音楽を聴いていたブライアンはジミの大ファンで、ジミがインド音楽に興味を示すと思ったのだ。
コリャ、ジミは聴いてないな…。

400cd我々の世代はラヴィ・シャンカールと言えば、すぐに思い浮かぶのが『バングラデシュ』ね。
中学生の頃『ウッドストック』と併映されていることが多く、私はお目当てだった『バングラデシュ』よりも『ウッドストック』に惹かれて帰って来た。
ビデオすらなかった時代、それから『ウッドストック』を観に何度も映画館に足を運んだことはもうMarshall BlogやShige Biogに書いてきた。
だから『バングラデシュ』を観たのは後にも先にも1回限りなのだが、すごく印象に残っているシーンがあって、ピアノに座ったままで挨拶をしたレオン・ラッセルに向かって「Stand up, Leon!」と注意する場面と冒頭のラヴィ・シャンカールの挨拶。
皆さんの好きなミュージシャンが出て来るのが待ち遠しいでしょうが、その前に少しガマンしてください。私たちが演奏する音楽はとてもシリアスなモノです。演奏の間はタバコを吸わないようにしてください
…みたいなヤツ。
マジソン・スクエア・ガーデンの客席が喫煙可だったのも今となっては驚きだ。
もっとも33年前に私が新婚旅行で初めてアメリカに行った時、ユナイテッド航空機の後ろの方の座席は喫煙席だったもんね。
もちろん何の囲いもなくて、その席のオジさんたちはみんな盛大にスパスパやってたよ。
その後、バングラデシュは発展めざましく「世界最貧国」の地位を抜け出したものの、現在は経済発展が生み出した貧富の格差が大きな社会問題となっているようだ。Bdish_2マドゥライ・シャンムハバディブ・シュブラクシュミという「カルナティック」といわれる南インド伝統音楽の歌手。
使用している楽器やアレンジは違えどメロディとか歌い回し方はもうほとんどカッワーリーと同じ(に聞こえる)。
シュブラクシュミという人は世界で数々の音楽の表彰を受けた大変地位の高い人。
いいね、こういう音楽は。
ナゼか私はこの「シュブラクシュミ」という名前を知っていたのね。
ところが、音源を持っているワケでもなし、ナンで知っているのかが皆目わからない。
恐らく80年代のワールド・ミュージックのブームがあった時に中村東とうよう先生の文章で無意識のウチに入って来た名前をたまたま覚えていただけなんだろう。
コレもブライアン・ジョーンズにもらったのかな?
となると、この時代からこの手の音楽に興味を持っていたブライアン・ジョーンズもスゴイな。
でも『ジャジューカ(Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Jajouka)』なんてもがあるもんね。403cd前回も書いたが、ソウルとかR&B系のブラック・ミュージックのレコードが極端に少ないことは意外だった。
ジェイムズ・ブラウンとゴスペルものが1枚。
そしてこのオーティスのアルバム。
1963年、ジミはソロモン・バークのバンドでパッケージ・ツアーに参加した。
そのパッケージにはオーティス・レディングのバンドも含まれていた。
バークはジミのプレイが派手すぎて困っていたいう。
ジミのギターは、「5回まではとても素晴らしいだろう。でもその次のショウともなれば彼のプレイはワイルドすぎて音楽の一部ではなくなってしまい、私はもう我慢できないかも知れない」とバークに言わせしめた。
そしてバークはオーティスに頼んでツアーの途中でジミと2人のホーン・プレイヤーとトレードしてもらったという。
フラットにあった解説の板にそう描かれていた…ホンマかいな?
ま、キング・ソロモンのアノ歌のバックでギュイーンはマズイわね。
ソロモン・バークの名古屋のボトムラインでの話は以前どこかに書いた。Orジミ・ヘンドリックスがこのブルック・ストリートのフラットでコレクションしていた108枚のレコードのウチ、ロック/フォークに次いで枚数が多かったのはブルースのアルバムだった。
その数ザっと数えて33枚。
キャシー・エッチンガム曰く「ジミはジャズの人と演る時はジャズが好きになり、相手がフォーク・シンガーの時はフォークが好きになってしまう人だったの。でも彼が本当に好きで、家でいつも弾いていたのは…ブルースだったわ」。
ジミは真性のブルースマンだったということだ。
そこでリストを見てみると、一番枚数が多かったのはライトニン・ホプキンスの5枚。Mw_2次いでマディ・ウォーターズが3枚。
例えばこの1968年の『Electric Mud』。
このアルバムはタイトルが示す通りワウ・ペダルを使ったりして当時の流行のサウンドを持ち込み、モダンなテイストを狙った作品だった。
ジミがこのアルバムを初めて耳にしたのはフラットの1階にあったレストラン「Mr. Love」でのこと。
ジミはウエイターを読んで「今かかっているのは誰のレコードか?」と尋ねた。
「マディ・ウォーターズの最新作ですよ」とウエイターが答えるとジミはそれを信じることができず微笑みながらこう言ったという。
「今やオレのマネをしているのか…かつてはオレが彼のマネをしていたのにナァ」
カッコいい~。
マディ自身が「ブルースが子供を産んでロッンクンロールと名付けた」と歌っていたぐらいだからね。
ジミ・ヘンドリックスだって、レッド・ツェッペリンだってブルースをマネッコして大きくなった。
反対にオヤジだってタマにはセガレのマネぐらいしてもいいだろう。
私なんか最近の普段着は上の子のお下がりだよ。
しかし、このアルバム、1曲目の「I Just Want to Make Love to You」の出だしなんかマンマ「Manic Depression」だもんね。
若手はベテランの妙を盗んで、ベテランは若手のパワーを頂く。
日本のロック界は老若の間の溝が大きく深すぎてどうしてもコレができない。
「ブルース」というロックのルーツを幹に据えていないのがコレのひとつの大きな原因だと私は思っている。
ま、今の若い子たちが「ロック」のつもりでやっていることを「ブルース」が見たり聴いたりしたら「コレは私の子供ではありません」と言うだろう。Electric_mud上の方のジミの写真の中にあったチェスのコンピレーション・アルバム、『The Real Folk Blues』も当然リストの中に入っていた。Mw_1同じく3枚がリストに挙がっていたハウリン・ウルフ。
「Killing Floor」は初期のジミの重要なレパートリーだったからね。
このチェスの『Real Folk Blues』というのはシリーズものなのね?
ハウリン・ウルフにもマディと同じ『The Real Folk Blus』というアルバムがあって、ジミが持っていたのはその続編の『More Real Folk Blues』。
1曲目の「Just my Kind」って曲、マディの「Rollin' and Tumblin'」と全く同じじゃん?
ま、それが「ブルース」ってもんだ。
そもそもコード進行が全部同じなんだからそれも当然のことだ。
それにしてもこの声!
カッコいい。
アメ横に行くとこういう人いくらでもいるけどね。
Hwr 有名なハウリン・ウルフの『Moanin' in the Moonlight』もリストに入っていた。
ジミもヒューバート・サムリンをコピーしたりしたのかしらん?Hwソニー・ボーイ・ウィリアムソンも3枚挙がっていた。
次いで2枚だったのはジョン・リー・フッカーとエルモア・ジェイムス。
このエルモア・ジェイムスのアルバムに入っている「Bleeding Heart」はジミが1965年にライブでのレパートリーに取り上げて有名となった。
そして、ジミは69年2月24日のロイヤル・アルバート・ホールでもこの曲を演奏した。
私はブルースを聴かないので、今回の記事は書いていて大層勉強になった。
ジミにブルースを教わったような気がするわ。
ちなみに私はジミのブルースの演奏はとても好きです。
しかし、「エルモア・ジェイムス」なんてロイ・ブキャナンでしか知らなかったけど、ホントに全部「♪ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ~ン ザッカザッカザッカザッカ」だね~。
ま、それがブルースってもんだ。Ej 他にも『Blues Classics』とか『American Folk Blues Festival '66』のようなブルースのオムニバスが7枚ほどリストに組み込まれていた。
スキなのね~。
それと、ホワイト・ブルースのアルバムも多数。
ジョン・メイオールのアルバムは『Beano』、『A Hard Road』、『Crusade』と歴代のギタリストのアルバムが揃っていた。
ジミとクラプトンの会話…
  ジミ:アレって1962で弾いたんでしょ?
  クラプトン:そうだよ。思いっきりボリュームを上げた。
  ジミ:やっぱ?メッチャいい音だよね。
  クラプトン:Marshallだからね。
  ジミ:オレも今度Marshallのコンボ使ってみようかな。
  クラプトン:ギター・アンプは真空管に限るね。
もちろん空想。
まだデジタルどころかトランジスタアンプすらない、ギタリストが腕前だけで勝負していた古き良き時代の空想の会話。
「The things ain't what they used to be(昔はよかったね)」ってヤツ。

390cdCreamはファーストだけだった。391cdさて、ジミは自分のレコードを持っていたのであろうか?
「持っていなかった」という話を聞いたこともあるが、すべてではないにせよちゃんと持っていたようだ。
この『Are You Experienced』はフランス盤と…335ジャケットが異なるアメリカ盤を保有していた。
360°の魚眼レンズを使用して撮ったのはチャス・チャンドラーの知り合いの写真家カール・フェリス。
ジミはUK盤のジャケットが気に入らず、写真を入れ替えたバージョンを作ることになり、ジミは「サイケデリックっぽいヤツ」とリクエストしたそうだ。
フェリスはインスピレーションを得るためにExperienceの音楽を深く聴きたがった。
そこでジミは『Axis:Bold as Love』のリハーサルにフェリスを何回か招待した…いいナァ~。
フェリスはその演奏の音源を持ち帰り、『Are you~』と共に熱心に聴き込んだという。
その結果、「宇宙の彼方の音楽」という第一印象を得たフェリスは、Experienceを「この世のモノではない音楽を地球に届ける途中の宇宙を旅する一団」という設定にした。
大ゲサだな~。
お薬を頂いていたんじゃないかしらん?
そうしたインスピレーションを込めてシャッターを切ったのが有名なこの写真。
魚眼は当時のモッズアーシャ写でよく使われていたそうだ。
340cd撮影したのは「世界で最も有名な植物園」といわれているロンドン南西部にある「Kew Gardens(キュー・ガーデンズ)」。
行ったよ。
といってもココは地下鉄ディストリクト線の終点のひとつリッチモンドのひとつ手前なので、そのリッチモンドを訪ねるついでに寄ってみた。
「植物園」というガラではないんだけど、有名だからね…記念に見ておこうと思って。
入り口まで行ってビックリ!
植物園だっていうからせいぜい入場料が高くても500円ぐらいかと思っていたら、4,000円ぐらい取るっていうのよ!
で、止めた。
加えて、あんまりビックリして入り口の写真を撮り忘れた。
代わりに「行った証拠」的に「Kew Gardens」駅の写真を載せておきます。350_2そしたら、ジミたちはこの撮影の後に近くの「Flower & Firkin」というパブに寄ったんだって。
ナンダよ~、もっと前から知っていたらこの時に行っていたのにな~。SffこのUS盤のデザインにはチョットした思い入れがありましてね。
それはこのアメリカの「Hal Leonard(ハル・レナード)」社刊の教則ビデオ『Learn to Play the Songs from Are You Experienced』のこと。
今やなつかしいVHSバージョンね。
コレは2巻組ビデオゆえに背表紙の面積が広く、楽器屋さんの陳列棚に並べた時に目立つようにこのフェリスの写真を入れたらどうか?とハル・レナードの担当者に提案した。
その担当者というのはレッチリのチャド・スミスの実兄のブラッド・スミス。
「そりゃいいアイデアだ!」ということで、すんなりOKするのかと思ったら「ヘンドリックス家の許可を取らなくてはならない」と言うんだよね。
私はとても些細なことだと思っていたので。こんなことでも許可が必要なのかと驚いた。
許可されて、私のアイデアは見事採用となった。
そんなことがあったので、NAMMショウに行った時にブラッドがジミの妹さんのジェイニーを私に紹介してくれた。
私に会うなり「フジヤ~マ、テンプ~ラ、スキヤ~キ」と典型的な外人リアクションを取ってくれた。
ニコニコしていて最高にチャーミングな方だった。
今でも彼女の名刺は大切に保管してある。Svid_2『Smash Hits』もリストに入っている。 
380cdもう1枚は『Electric Ladyland』。
ジミはこのジャケットがキライだった。
というのも、ポールのカミさんだったリンダ・イーストマンが撮った写真を使うように明確に指示していたにも関わらず反故にされたからだ。370cdホラ、こんなに怒ってる!
Bitesジミが使いたがっていた写真とは、このセントラル・パークの「不思議の国のアリス像」でバンドが子供たちと遊んでいる写真。
それもどうかと思うけど…

Saw そして、『Electric Ladyland 50th Anniversary』でめでたくその写真が使われたとさ。
コレでいいのかね~?
慣れているせいもあるんだろうけど、裸の方がよっぽど雰囲気があると思うんだけど。
写真の露出がアンダーすぎるような気もするけど…ジミがいいなら構わない。
Eel 参考に…
コレはV&Aに展示されていたリンダが撮ったジミの写真。100_2 ジミ自身のレコードが出たところでコレで終わりだと思うでしょ。
インヤ、まだ終わらない。
このジミのコレクションを見て、ブルース並みの、イヤそれ以上の音楽的な影響を与えたのではないか?と思わざるを得ない人のレコードが出ていない。
それは誰かと問うならば…それはボブ・ディランなのだ!
何しろ全コレクションの中で最も多くのアルバムを揃えていたのはブルース・ミュージシャンではなくボブ・ディランだった。
その数7枚。
しかも、ヘンデルとディランのレコードが一番聴き込んでボロボロになっていたそうだ。
1965年、「ニューヨークの戦うミュージシャン」としてすでに大のディラン・ファンだったジミは、なけなしの金をはたいてこのアルバム『Highway 61 Revisited』を手に入れた。
ジミがフラットで聴いていたこのアルバムのジャケットにはジミの血がついていたそうだ。
割れたワイングラスで手を切ってしまい、そのままこのジャケットに触ってしまったから。
そのレコードを見つけて、その血からDNAを採取してジミのクローンを作ればいいじゃん。
でも今の世の中にジミが生きていたとしても、どうにもならなかったのではなかろうか?
アニメやゲームの世代にジミの音楽はムリだろう。
悲しいことにもう一般市民は本当にいい音楽を聴き分ける力や下地を持ち合わせていないんだよ。
流行りのモノであればナンでもいいのさ。
だから誰にも認められない「ジミ・ヘンドリックス」なんて誰も望まない。
ジミ・ヘンドリックスもジャニスもジム・モリソンも、彼らの音楽のカッコよさはもう永久に失われない。
マリリン・モンローが永久に美しいのと一緒。H61 ジミが持っていた他のディランのアルバムは…
★The Freewheelin' Bob Dylan
★Bring it All Back home
★Blonde on Blonde
★Greatest Hits
★John Wesley Harding
★Nashbille Skyline
…と『Highway 61 Revisited』を合わせた計7枚。
ナンだってこんなに好きなんだろうね。
私はディランとストーンズに関しては全くの門外漢なのでその良さが理解できないが、きっと「やっていること」がカッコいいと感じていたんだろうナァ。
 
やっぱり歌詞をダイレクトに理解できるということは歌モノの音楽の第一条件だわな。
ビートルズなんて素晴らしいもんね。
歌詞を理解して口ずさむ…ココまでやらないとビートルズの音楽を本当に楽しんだことにはならないと私は思うんだけど、そこまでできなくても十分に楽しめちゃうんだからスゴイ。
日本はかつて洋楽と邦楽の比率が、洋楽がピークの時で「50:50」だったらしい。
ロックが浸透し、カラオケが普及すると、「歌えるロック」が歌謡曲にうって代わり変わり、洋楽はもう絶滅寸前の瀕死の状態だ。
私が行っているのはマイナーな洋楽ということね。
ココでは流行りモノの音楽に用はない。
今では洋邦の比は「10:90」か、邦楽のシェアはそれ以上らしい。
私はもう20年チョットぐらいしかこの世にいないだろうけど、カッコいい海外のロックに満ち溢れていた時代に青春を過ごすことができて本当にヨカッタと思っている。
残された時間で私にできることは、こうした文章を残して、若い人を少しでも啓蒙し、骨のある音楽を演っている若いバンドを応援してやることぐらいか…大きなお世話か?

Fw

Bring

Blonde

Gh

Jwh_8

Jwh_2 Spotifyをやっている人は「Jimi Hendrix's Record Collection」で検索するとジミのレコード・コレクションの片鱗を実際の音源で楽しむことができるよ。

Spコレでコレクションの紹介はおしまい。

S0r4a0876このセカンド・ルームにはこんなアイテムも飾ってあった。
この赤いベルベットのジャケットは1967年1月15日の北ヨークシャーの「Yarm(ヤーム)」というところにあったライブハウス「Kirklevington Country Club(カークルヴィントン・カントリー・クラブ)」でまとったモノ。
ジャケットの左ポケットの下側が破れている。
コレはチャスと地元の若者のケンカを止めようとして時に引っ掛けて破いてしまったのだそうだ。
そのケンカの元は地元の若者のジミに対する人種差別だった。
この頃、ジミはイギリスに来てまだ4か月ぐらいだったので、ヨークシャーの北ではまだ全く無名だったのだろう。

20vヤームというのはヨークとニューキャッスルの中間ぐらいにある町。
要するに田舎だわね。
そんなロケーションにもかかわらず、「カークルヴィントン・カントリー・クラブ」は「The Kirk」と呼ばれ、当時のミュージシャンがこぞって出演していた。
誰が出ていたのがというと…
Cream、ジョー・コッカー、ロッド・スチュアート、Moody Blues、Spencer Davis Group、Traffic、John Mayall's Bluesbreakers、Brian Auger & the Trinity、Zoot Money & his Big Roll Band、The Animals、Graham Bond Organisation、アレックス・ハーヴェイ、アレクシス・コーナー、Thin Lizzy、The Nice、テリー・リード、Yes、Mott the Hoople、バディ・ガイ、Spooky Tooth、The Jeff Beck Group (『Truth』のメンバーと) 、ポール・ロジャース、デヴィッド・カバーデイル、Dire Straits等々。
スゲエな。
ちょうど場所がニッチでツアーで回りやすかったんだろうな。Kirkコレは1966年12月9日付けのThe Kirkのオーナー、ジョン・マッコイとチャスとの間で結ばれた契約書。
ライブハウスの出演でもこんな契約書を交わすんだね。
2日間、30分のステージを2セットずつでギャラは取っ払いで£50。
この額は今の貨幣価値で£800~900だそうだ。
つまり113~127千円程度。
チャスも含めてギャラを4人で均等に割ってひとり3万円ぐらいか…。
イヤ、経費も大分掛かったであろうし、ジミの取り分はノエルやミッチより多かったようだから単純な計算はできないな。30v「ダンナさんが次にロンドンに行く時に持参する」という段取りでThe Kirkのジョン・マッコイの奥さんが赤いジャケットのポケットの繕いを申し出てくれた。
ところが、次にマッコイがロンドンに行った時には、ジミは赤いベルベットのジャケットを新調してしまっていた。
ジミも「ありがとう」と礼を言って受け取ればいいのにどうもそうはしなかったようだ。
マッコイはマッコイで律儀にもずっと上のジャケットを保管していた。
2011年、ジミのロンドンでの死去から40周年が経ち、その機運が高まった時、「London Rock Tour」という観光客向けのガイドを主宰するAccess All Areaなるイベント会社がジミのメモラビリアとしてこのジャケットをコレクションに加えた。
ジャケットの製造から50年を経た2015年、ロンドン・ロック・ツアーは専門家にこのジャケット上着の修復を依頼したところ、ポケットの中から下の弦の空き袋が発見されたのそうだ。
40_3展示品は以上。
下の階にあるのがこのミュージアム・ショップ。
100_3イギリスの博物館や美術館はどんなところでも必ずこういうショップがあるね。60_2当然CDが各種取り揃えてあって…70_3オクタヴィアまで売ってる!
ロジャー・メイヤーのサイン入りか?80_3プラークのレプリカも。90_4コレでジミのブルック・ストリートのフラットのガイドは終わり。
展示に関しては「もうこれなら行かなくてもいいな」というぐらい具にレポートしたつもり。

110_3それでも実際に行ったのとでは臨場感がゼンゼン違うからね。
興味とチャンスのある方はゼヒ!
160vジミの家を見てオックスフォード・ストリート駅へ向かうならニュー・ボンド・ストリートを往くといい。
ナウい感じの商店が軒を連ねているから。
170_3チョットしたギャラリーも散見される。180_3こんなんとか…

190_3こんなんとか…。

200_4この日の夕方はオックスフォード・ストリート駅の入り口がひとつ閉鎖されていたのでこの有様!2201年半前の光景。
今ではとても考えられない。

210_3さて、場所は変わってロンドンの中心から少し西に行った「Ladbrole Grove(ラドブローク・グローヴ)」というハマースミス&シティ/サークル線の駅。Simg_0463この駅の近くにあるのがこの「SARM West Studio(サーム・ウエスト・スタジオ)」。
「Island Records(アイランド・レコード)」の創設者の1人であるクリス・ブラックウェルが教会の建物を利用して作った。
「SARM」とは「Sound and Recording Mobiles」の頭文字をつなげたモノ。
別名「Island Studio」。
Islandレーベルのアーティストたちに重用された。
挙げれば枚挙にいとまがないが、Free、Fairport Convention、Traffic、King Crimson、Roxy Music、The Sparks、Bad Company、スティーヴィー・ウインウッド、ボブ・マーリー、ブライアン・イーノ等々。
もちろんIslandレーベル以外のアーティストも盛んに使っていた。
Simg_0478例えばLed Zeppelinは『IV』、Jethro Tullは『Aqualung』をココでレコーディングしたそうだ(全部ではない)。
Queenは1977年にスタジオを借りて「We Are the Champions」を含む『News of the World』や(全部ではない)、それ以前には「Bohemian Rhapsody」や「The Prophet’s Song」の一部をココでレコーディングしている。
現在はトレバー・ホーンが所有するSPZという会社の持ち物になっているそうだ。
ちなみにこの写真はもう12年も前に撮ったモノなので今は様子が変わっているかも知れない。Simg_0472さて、SARMのある通りの1本となりにある通りは有名な「Portbello Road(ポートベロー・ロード)」。Simg_0465マーケットがたくさん立つロンドンにあって、「ポートベロー・マーケット」はひと際規模が大きい。

Simg_0466そのポートベロー・通りを南のノッティング・ヒル・ゲイト方面に向かってグングン降りていき、さっきのSARMがあったラドブローク・グローヴという通りに戻ると…120v「Lansdowne Crescent(ランズドーン・クレッセント)」という三日月状の通りがある。130_2そこに入って数件目にあるのが「Samarkand Hotel」。
1970年9月18日、ジミは吐瀉物をノドに詰まらせて窒息死した。
当時の恋人のモニカ・ダンネマンが呼んだ救急車が到着した時にはすでに手遅れだった。
140_4…ということになっているけど、ジミの死については未だに真相が明らかにされていないっていうんでしょ?
で、少し調べてみたけど、まことに色んな説があってとてもココではまとめ切れないのでその辺りには触れないでこのシリーズを締めくくることにする。150vコレにて『【イギリス-ロック名所めぐり】ジミ・ヘンドリックスのロンドン』はおしまい。
大変だったけど記事を作っていてとても楽しかった。
「知らなかったことを知る」というのはいくつになってもナンとうれしいことよ!
最後までご高覧頂きました皆様にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
 

200



2020年12月24日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 62 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.5>

 
「ジミ・ヘンドリックスロンドン時代の最後の住処」として実際に使っていた部屋を公開しているのはこの4階だけ。
部屋は前回紹介したベッド・ルームと「セカンド・ルーム」と呼ばれている小さな部屋の2つ。
そのセカンド・ルームへの通路にビルの階段がある。
その踊り場に飾ってある白いストラトキャスター。
特にどうということはない。
リバースヘッドの普通のギター。
要するに「飾り」。
それよりもこっちの方がよっぽどスゴイ…10_3建物が造られた18世紀から使われ続けている階段。
エレベーターが取り付けられたのはずっと後のことだからね…実際にジミはこの階段を使って上り降りしていた。S0r4a0798 こちらはその階段の続き。
上の階にはキッチンやバスルームがあったが、この階段のルートは埋め殺してしまった。30v_1階段の壁はチョットしたフォト・ギャラリーになっていてこんな写真が飾ってある。
ベッド・ルームのジミとキャシー・エッチンガム。S0r4a0850_2それでは「セカンド・ルーム」と呼ばれているもうひとつの部屋を見てみましょう。
 この部屋は物置兼お客さんの宿泊のためのスペースとして使われ、ジミのギターもココで保管していた。
結局は2つの部屋を合わせてもかなり狭い。
それでもメイフェア地区だからね、今も家賃はバカ高でしょうな~。
40_2もちろんジミが住んでいた頃は上の写真のような状態ではなかった。
今、この部屋はジミのレコードのコレクションを展示するコーナーになっているというワケ。
あ、リアルにジミが所有していた盤ではありませんよ。
前回紹介したベッド・ルームに置いてあったようなジミが愛聴していたレコードをどっかから買って来てただ並べているだけなんだけど、私なんかは音楽リスナーとしてこの天才ギタリストが一体どういう音楽を聴き込んでいたのかに大きな興味があったんですわ。
ま、失礼ながら「他に公開できるアイテムがないので苦し紛れの展示」という感じがしないでもなかったが…。
S0r4a0822よく小説を書くにしても、芸術を極めるにしても、何かを創作する時は間違いなくインプットの量が肝心って言うでしょ?
「インプット7割」とか「9割」とか…それだけ色んなモノを吸収して、咀嚼して、ようやく1割のモノを吐き出す。
それが芸術家の仕事。
大変な作業じゃありませんか。
私なんか音楽に関するインプットの量はそこら辺の人に負けない自信はあるけど、ナニひとつ生み出すことができなかったもんね。
 
ジミのコレクションの枚数は100枚チョット…数だけは私の完勝!
ま、枚数じゃないか。
新譜や輸入盤は前々回に紹介した「One Stop Record」に赴いて購入したという。
コレクションには、このアパートに遊びに来たミュージシャン本人から直接受け渡されたレコードなんかも含まれているそうだ。
70_2セカンド・ルームの窓からの眺め。
メリー・ポピンズの「Step in Time」で煙突掃除人がフィーチュアされているように、煙突はロンドンの景色には欠かせない。
どれももう使っていないけどね。
冷蔵庫が上の階にあって、そこへ取りに行くのが面倒だったので、冬季にはジミとキャシーはマテウス・ロゼをこの窓の外に出しておいて冷やしたそうだ。
45その窓の手前にこんなモノが置いてある。
いわゆる「エサ箱」。
薄い板がアーティスト名のアルファベット順に並んでいて、そこに簡単な解説が記してある。
オイオイ、まさかこの板を1枚ずつココで解説してようっていうんじゃないだろうな~」って思うでしょ?
はい、その「まさか」ですわ。
もっと言うと…実はですね~、コレをやりたくて今回のシリーズを編んだ…と言っても過言ではないのです。
私にとっては今回がこのシリーズクライマックスなのです!
90_3イヤ、さすがに全部はやらないのでご安心を!
個人的に興味のあったアルバムだけ取り上げてみた。

100

120

140

160

250

290

330

360私が1枚1枚板に書かれた解説を撮影したり、熱心に読んでいたりしたら、「サー、コレをどうぞ」とスタッフの方がコレクションのリストを持って来てくれた。
コレはありがたい!60そこでここで結果発表!
このリストを使ってジミのコレクションを音楽のジャンル別に集計してみた。
リストに挙がっているレコードは全部で108枚。
一番多かったのはなんだと思う?
……(Thinking time!)…… 
答えは、
44枚でロック/フォークが優勝。
次いでブルースの33枚。
そして、ジャズが15枚。
後はチョボチョボ。
一応全部記しておくと…
クラシックが6枚。
民族音楽が3枚。
ビル・コスビーのようなトークものも3枚。
そして、ソウル/R&Bとカントリーがそれぞれ2枚ずつ。

S0r4a0827まずはこのフラットの住人の先輩であるヘンデルの『メサイア』から。
コレは必須でしょう。
先輩に敬意を表してオックスフォード・ストリートのHMVまで出向いて行ってに買ったというんだからオモシロい。
ジミは2種類の『メサイア』を持っていた。
クラシック音楽を好んで聴き、その独特なムードとダイナミクスを自分の音楽に取り入れようとしていたという。
おかげで下の2枚の『メサイア』は聴き込んでボロボロになっていたそうだ。
実際、「ハレルヤ・コーラス」のパートはジミのアタマの中にコビり付いていたようで、1968年10月のサンフランシスコの「Winterland」の公演では「ハレルヤ」のメロディが数小節登場する(らしい=未確認)。
ジミはヘンデルの他、ホルストの『惑星』とバッハのハープシコード曲のレコードを持っていたが、こちらは反対にピッカピカピカの新品状態だった。
上の統計では仕分け上、1枚だけ挙がっていた現代音楽もクラシックに数えてしまった。
それはどんなモノかというと、「ミュージック・コンクレート」の先駆者とされるフランスの「ピエール・アンリ(Pierre Henry)」という人の『Le Voyage:D'Apres Le Livre Des Monts Tibetan』というアルバム。
私は現代音楽もチョコチョコと聴くんだけど知らなかった。
ブーランジェやメシアンのお弟子さんらしい。
早速どんなもんかと思って聴いてみると…あ、私はムリ。
コレ…ジミも絶対に聴いていなかったと思う。
誰かからもらったんじゃないかしら?
S0r4a0828…と思ったらこの人、69年にSpooky Toothと『Ceremony』という共演アルバムを作っちゃってる。
どうしちゃったんだろう?
またまた早速聴いてみる。
…(間)…
ん~、内容はスプーキー(薄気味悪い)だけど、悪くないぞ。
それどころか、コレってものすごいプログレッシブじゃん?
そりゃそうだ、「クラシックやジャズとの融合」どころじゃなくてバリバリの現代音楽作曲家とのコラボレーションなんだから。
私も一時期は辺境まで含めていい加減プログレッシブ・ロックに夢中になったけど(今は完全に卒業)、こんなの知らなかった。
ハハン、ジミはこのアルバムを聴いてピエール・アンリを知りたくなったんだな?
そうに違いない。
そして買って損した…図星でしょ?
(このアルバムはジミのコレクションに入っていません)
ミニ脱線で
…このピエール・アンリの先生だったナディア・ブーランジェという人は「20世紀で最高の音楽の指導者」と言われていて、その門人がスゴイ。
もちろんクラシックの人が主だけど、私関係の人を挙げてみると、ジジ・グライス、アーロン・コープランド、キース・ジャレット、エグベルト・ジスモンティ、クインシー・ジョーンズ、ドナルド・バード、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、ミシェル・ルグラン…等々。
今、ブーランジェの「ピアノ三重奏曲」を聴いているんだけど、作曲家としても素晴らしい…ようだ。St_2 続いてはロック/フォーク関連のコレクション。
 
The Bee Geesのファースト・アルバム。
キャシーの記憶によれば、コレがブルック・ストリートに来て一番最初に買ったレコードで、2人でよく聴いたとのこと。
ジミはギブ兄弟のコーラスがすごく気に入っていたらしい。
どのギブかは知らないが、確かメンバーの誰かがジミのフラットの近くに住んでいた、というような記述をどこかで読んだ記憶がある。
「♪ナイットフィーバー、ナイットフィーバーアアア~」とは似ても似つかないサウンド。Bgフランク・ザッパの『Freak Out!』。
さすがジミ、お目が高い!…と思ったらさにあらず。
ジミがオックスフォード・ストリートのポリドールの事務所を訪れた時、そこにいた当時のYardbirdsのマネージャーだったジョルジョ・ゴメルスキーがくれたモノだそう。
なんだ…ジミが自ら買ったワケでもザッパがプレゼントしたワケでもなかったんだ。
130cdBonzo Dogのセカンド・アルバム『The Doughnut in Granny's Greenhouse』。
キャシーの記憶によれば、コレはヴィヴィアン・スタンシャルからもらったということだ。
ジミはTrafficのメンバーの何人かを通してスタンシャルと友達の関係にあった。
ジミはこのアルバムの中の「Can Blue Men Sing the Whites?」という曲を聴いて笑っていたそうだ。
ん~、風刺的な内容だっていうんだけど、歌詞を読んでみてもナニがオモシロいんだかサッパリわかりませんナァ。
このアルバムのタイトル「The Doughnut in Granny's Greenhouse」はイギリスのスラングで「トイレ」を意味するらしい。
ボンゾの連中がこの言葉を知ったのはマイケル・ペイリンのジョークによってだった。
マイケル・ペイリンは『モンティ・パイソン』のメンバーね。150cdビートルズは意外にも2枚しかなかった。
ジョンやポールと仲良しだったワケだし、アルバムが出た数日後に「Sgt.Peppers…」をサヴィル・シアターの自分のコンサートのオープニングに演ったりしていたワリに2枚は少なすぎるのでは?
でも『Sgt.Peppers』はかなり聴き込んでボロボロなっていたらしい。
ちなみに以前の記事に書いたMarshallがスポンサーを務めたそのサヴィル・シアターの客席にいたポールは「私のキャリアの生でもっともスゴイ瞬間のひとつだった」とジミの演奏をホメちぎっている。
Sgt

Jwh_5 ビートルズのメンバーの作品でコレクションに入っていたのはジョン・レノンの『Two Virgins』。
以前の回で「しかし、このあたりのアルバムを聴いている人って世界にいるのかな?」なんて書いたけどココにいたわ。
それがまさかジミ・ヘンドリックスだったとは!
「自分が住んでいたフラットで録音されたアルバム」ということでコレクションに加えていたのでは?
…と想像していたら、ゼンゼン違った。
イギリスではこのレコードはジミが契約していた「Track Records」から配給されていた。
当時のEMIの首脳がこのスッポンポンのジャケットにビビってしまい取り扱いを断固拒否したからだ。
その関係でサンプル盤をもらってきた…というワケでもなかった。
ジミはコレを行きつけの例の「One Stop Records」で自分で買ったんだって!
理由はなんとジャケ買い!
下の写真のように素っ裸のジョンとヨーコを覆っている茶色い袋が気になったかららしい。
アッチャ~!
さしものジミも買って帰って聴いた瞬間にヒックリ返ったのではなかろうか?
「ジョンのヤロ~、金返せ!」って。
S2vポールが最初のソロ・アルバム『McCartney』をリリースしたのはジミの死の約半年前のこと。
だから、ジミが『McCartney』を持っていても不思議ではないように思うのだが、リストには見当たらなかった。
その代わり、リストに名を連ねていたもうひとりのビートルズ・メンバーはジョージだった。
それはビートルズのメンバー初のソロ・アルバム、1968年の『Wonderwall Music』。
いいね~、インドもの。
 
そういえば、最近ポールは『McCartney III』ってのをリリースしたのね?
聴いてみたけど…「声」ってのもずいぶん衰えるもんだナァ。
こっちの感性も相当衰えているせいもあって、「ああ、いい曲だナァ」なんてモノには出くわさないけど、出ない声を絞り切って「懐メロ」を歌うよりははるかにいいじゃないかしらん?と私は思う。

WwmSam Gopalというバンドの『Escalator』というサイゲ・バンドの1969年のアルバム。
このバンドはHawkwindに行く以前にLemmyがギター/ボーカルズで参加していた。
レミーはノエル・レディングやExperienceのロード・マネージャーをしていたネビル・チェスターズとフラットをシェアしていた関係でジミのロイヤル・アルバート・ホールの時にローディとして働いたんだってね~。Sg 調べてみるとレミーってのは「Stoke-on Trent(ストーク・オン・トレント)」の出身なのね?
ココはイギリスの「窯の町」。
日本で言えば伊万里とか信楽とかか…。
有名な「Wedgewood(ウェッジウッド)」もココ。
イギリスを代表するブランドのひとつであった「ウェッジウッド」は2009年に経営破綻し、今ではロイヤル・コペンハーゲンを所有する「Fiskers(フィスカース)」というフィンランドの会社の傘下に入ってしまった。Simg_0162コレはゼンゼン知らなかった。
The Red Crayolaなるヒューストンのバンドの『The Parable of Arable Land』という1967年のアルバム。
一応サイケの範疇らしいんだけど、ほとんどグチャグチャのドシャメシャ。
でもジャケットはバツグンに素晴らしい!
さっきの現代音楽のピエール・アンリもそうなんだけど、ジミはこうしたアヴァンギャルドな方向へ進もうとしていたのかな?
イヤ、キャシーの回想によるとそうではなく、音楽的なことを全く考えずに買い込んでいたレコードも中にはあって、コレはそんな1枚だったのだそうだ。
コレを買った理由は…またしてもジャケ買い。
何でもジミが趣味で描いていたイラストにタッチがよく似ていたそうだ。
ね、とにかくジャケットがいいんですよ、コレ。
LPで欲しいナァ。SparaDr. Johnの1969年の『Babylon』。
ジミがこのアルバムを持っていた理由は最後の「The Lonesome Guitar Strangler」という曲に自分の名前が出て来るからだった。
歌詞が見つからなくて内容の確認ができなかったんだけど、Dr.Johnがどうやってジミを殺そうとしていたかを歌っているらしい。
ジミだけでなく、「Clap you with Montgomery」とウェス・モンゴメリーの名前が出て来るとその後にCTI風のサウンドになったり、「ラヴィ・シャンカール」の時にはシタール風のギターが登場したり…一種の「ギター・ジャンボリー」状態。
そして「Dedicated, ready, Jimi Hendrix(と聞こえる)」の後に続くのはナゼかCreamの「Sunshine of Your Love」…ナンでやねん?
おいマック、確かにジミもこの曲を演奏していたけどおかしいじゃないの?
Dj2Teryje Ripdal(テリエ・リピダル)というノルウェイのギタリストがいる。
その人が1975年にECMからリリースした『Odyssey』というLP2枚組のアルバムが「入門者向けジャズ/フュージョンの必聴盤」の1枚に挙げられることが昔はよくあった。
若い時に買ってみたものの、どうしても受け付けなくて手放してしまい、大分後になってからCDで買い直した。
久しぶりに聴けばその良さがわかると思ったけど、やっぱりダメで完全にCDラックの肥やしになっとるわ。
十分にオリジナリティのある音楽をクリエイトしていることはわかっているんだけど、私はどうも合わん。
Trナンでいきなりテリエ・リピダルの話になるのかというと…。
The Dreamというノルウェイのバンドの『Get Dreamy』というアルバムがジミのコレクションのリストに入っているから。
ジミのコレクションの中では、世間的に最もレアなアイテムなのだそうだ。
そして、このバンドのギタリストがそのテリエ・リピダルというワケ。
この人、『Odyssey』を聴いている分には、その音楽の中にジミ・ヘンドリックスのカケラも感じないんだけど、メチャクチャ熱心なフォロワーだった。
ジミはこのアルバムを買ったワケではなく、ツアーの途中でテリエ・リピダルから貰い受けた。
そのジャケットに次のメッセージが書かれていたという…
「私が送れる最大限の畏敬の念を込めて。
我々は『Hey Jimi』という曲を貴方に捧げています。
どうかその曲をお気に召して頂き、その他の曲もお楽しみ頂けますように…
Dream を代表して...テリエ・リピダル」
 
早速にこの「Hey Jimi」という曲を聴いてみる。
ハハハ、なるほどコリャ「Hey Joe」だわ。
しかし、このアルバムがリリースされたのが1967年。
ジミの「Hey Joe」のリリースは1966年の12月。
こんな短期間でトリビュート曲が現れるほど、ジミが世界のギタリストに与えた影響が莫大なモノだった…ということがよくわかる。
後年、リピダルはインタビューで「あのアルバムはジミ本人に直接渡すことができず、ガールフレンドに渡したんだ。だから本人に行き渡ったかどうかはわからないんだ」と言っていたそうだ。
このインタビューを読んだ親切な人がインターネットでリピダルのマネージャーの連絡先を探して、アルバムがジミの手に確かに渡ったことを知らせた。
すると今度はリピダル本人から返信があり、大層喜んで「もし売りに出されることがあればイの一番で私に知らせて欲しい!」と頼んで来たそうだ。
リピダルはまだ熱烈なジミ・ファンだったのね?
いい話だナァ…さ、また『Odyssey』でも聴いてみるか!Dreamjフォークのリッチー・ヘイヴンス行ってみるか。
リストには2枚のリッチーのアルバムが載っていた。
1枚は1968年の当時の最新作『Electric Havens』。Rh2 そして、もう1枚は1966年のデビュー・アルバム『Mixed Rag』。
リッチーはグリニッチ・ヴィレッジ時代からのジミの古い友達で、ロンドンに来た際にブルック・ストリートのジミのフラットに立ち寄ってこの2枚のアルバムを置いて行ったそうだ。
その時、リッチーはジミのフラットで催された小さなパーティの最中にジミが持っていたエピフォンのアコースティック・ギターをかき鳴らし、ウッドストックでも歌ったヴェトナム戦争の反戦歌「Handsome Johnny」を歌ったそうだ。
「Hadsome Johnny」はこの『Mixed Bag』に収録されている。
この曲の中でリッチーは「ダンケルクの戦い」のことを「ダンカーク・ウォー」と発音していて、この言葉がすごく耳に残るんだよね。
「『ダンケルクの戦い』で何を見たんだい?
『朝鮮戦争』でナニを見たんだい?
ヴェトナムでナニを見たんだい?
『バーミンガムの戦争』でナニを見たんだい」…と歌う。
こんなのをパーティで歌っていた時代だったワケよ。
ヒゲナントカとはチョット違うね?Rh 私はリッチー・ヘイヴンスが結構好きでしてね。
もう完全に映画『ウッドストック』の影響。
それで14歳の時に晴海で開催された『ローリング・ココナッツ・レビュー』でホンモノを見た。
オイオイ、もう44年も前かよッ!
「ウッドストックのリッチー・ヘヴンス!」とMCが紹介したのが印象に残っている。
イルカのロゴがなつかしい。
このコンサートのことを口にしている人に会ったことがないな。
Marshall Blogで以前チョコっと触れた記憶があるが、今度Shige Blogにかろうじて頭に残っているいくつかの記憶を文章にしてキチっと残しておこうかな?Srollingcoconutボブ・ディランは相当好きだったみたい。
コレはまた後でやります。153cdさて、今度はジャズをやらせてもらいますね。
 
まずは「Chris Barber(クリス・バーバー)」。
バーバーはディキシーランド・スタイルのトロンボニスト。
1950年代のイギリスではすごい人気だったんだよね。
ん~、ジミがシデキを聴いていたとは思えないんだけど…。
私も勉強のために何枚か買って持っているけど、1回聴いたか、聴かないか程度。
クリス・バーバーがよくアメリカのブルースの大物をイギリスに招聘していたのでジミはその名前を認識していたらしい。
ココで登場するのが「Harold Pendleton(ハロルド・ペンドルトン)」というバーバーのマネージャー。
この人は有名な「Marquee Club(マーキー・クラブ)」を創業した人。
Marquee Clubに興味のある人はコチラをどうぞ。
この辺りのことが書いてあります。
  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.19~Marquee物語 <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.20~Marquee物語 <後編>

そして、ジミは1969年1月24日にマーキー(2号店)の舞台に立つ。
渡英してまだ4か月ほどしか経っていないのに、店に入り切れないほどの観客が集まった…と、そこに実際にいらっしゃったピーター・バラカンさんが証言されている。260cdジミはちゃんとジャンゴも聴いていたのね。
盤の解説には「速いフィンガー・ピッキング・スタイルをフィーチュアした独学のロマのギター・マスター」となっていた。
「フィンガー・ピッキング・スタイル」ではないわナァ。
それともイギリスでは意味が違うのかナァ。
左手の甲のヤケドの跡が生々しいこのジャンゴのパブリシティ・フォトは至る所で使われているナァ。
カッコいい写真だもんね。280cd…ってんで私も大学の時にこのジャケット欲しさにカットアウト盤を買ったことがあった。
ナンカ違うな…と思ったらタバコの煙。
上の写真は後から煙を足してるんだな?S0r4a0055 どうもジミが持っていたのはジャケット違いの盤のようでこんなヤツだったらしい。
ヒドいジャケットだな~。
「ジャンゴ」の「ジャ」の字も感じられないやんけ。
ジミの「Band of Gypsys」はジャンゴから付けられた名前だとか…。Dj 「Charles Lloyd(チャールズ・ロイド)」の1967年の『Journey Within』というアルバム。
特別な解説はついていなかった。
ホントにジミはこんなの聴いていたのかな?

240cdチャールズ・ロイドといえばナンといってもこの『Forrest Flower』だからして!
コレも「ジャズ入門盤」の紹介に頻出する1枚。
名盤の誉れ高く、私も結構好きで、今でも時折引っ張り出しては聴いているんだけど、どっちかというとキース・ジャレットを聴くアルバム。
キースももう再起できないであろう聞いた…本当に残念なことだ。
あと、ジャック・ディジョネットも素晴らしい。
このジャケ写を撮影したのはジム・マーシャル。
ウチのジム爺ではござんせんよ。
写真家の方のジム・マーシャル。Clさぁて、今日の個人的ハイライト。
我ながらこの発見はスゴイ。
今までもSteely Danの『Pretzel Logic』に収録されている「Parker's Band」の歌詞の中に「Relaxin' at Camarillo」の苦しいダジャレを発見したりして我ながらいい仕事をして来たと思っていたりもするのだが、今日のコレも大変気に入っている大発見。
興味のない人には全くどうでもいい話。
それは、「Rahsaan Roland Kirk(ラサーン・ローランド・カーク。以下「ラサーン」)」周辺のこと。
コレクションのリストに挙がっていたのは1965年の『Rip, Rig and Panic』。
そんな名前のロック・バンドがかつていたことは知っているが、元はこのラサーンのアルバム。
ジャキ・バイアード(p)、リチャード・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という重戦車リズム隊に乗っかってのラサーンの快演&怪演はあまりにも素晴らしい。
私も愛聴しているので、コレをリストの中に見つけた時はうれしかった。
ジミはラサーンのサーキュレーション(サックスを吹きながら鼻から息を吸うことによって息継ぎをせずにずっと吹き続ける奏法)や3本の管楽器(テナー・サックス、ストリッチフォン、マンゼロフォン)を同時に吹いて1人でハーモニーを作る等の独自性に大いに刺激を受けたのだそうだ。
ジミがラサーンに初めて会ったのは1967年、ソーホーのロニー・スコッツでのこと。
その後のラサーンのロンドン公演の時、ジミがロニー・スコッツのラサーンのステージに飛び入り参加し、意気投合した2人はこのブルック・ストリートのジミのフラットに帰って来てまたジャム・セッションをしたという。
そんな解説を熱心に読んでいたら、さっきリストをくれたオジちゃんが私のところに寄って来て、「この部屋で2人は演奏したんですよ。その時のジミの演奏が生涯で一番ヨカッタとされているんです」と教えてくれた。
オイオイ、誰もそれを見ていないんだから「生涯最高」かどうかはわからないでしょうに?
キャシーの感想かな?
しかし、ナニを演奏したんだろうな~…ブルースにキマってるか。
聴いてみたかったな~!170cdそして、ものすごく意外だったのが次の2枚。
『Rip, Rig and Panic』でピアノを弾いていたジャキ・バイアードのリーダー・アルバム。
1枚は1966年の『Freedom Together!』という作品。
ジャキはソロ・アルバムもたくさんリリースしているけど、チャールズ・ミンガスとの活動がよく知られているのかな?
210cd後の1枚は『Sunshine of my Soul』。
コレもドラムスはエルヴィン・ジョーンズ。
ベースはアラま、珍しい…フリージャズの名盤、オーネット・コールマンの『Golden Circle』に参加しているデヴィッド・アイゼンソンだわ。
なんでジミはジャキのアルバムなんて持っていたんだろう?
ただ単にレコード屋で買ったのかも知れないけど、そうジャズを聴いていない人がジャキのアルバムを自発的にサラリと買い込むとは考えにくい。
どういうルートでコレクションに加えられたのであろうか?
やはり、ラサーンの関係らしい。
「お気に入りのローランド・カークのコンボのピアニスト」ということで好んで聴いていたようだ。
それにしてもラサーンが1枚でジャキが2枚というのは納得がイカン。
ま、私なんかこのジャキのアルバムは両方とも持っていないんだけどね。
でも1枚愛聴盤があるの。

190cdそれが下の1969年にリリースされたアルバム。
ラサーン-ジャキ-リチャード・デイヴィスという3人の『Rip,Rig & Panic』メンバーがレコーディングに参加している(ドラムスはアラン・ドーソン)。
このアルバムに94歳という長寿を全うした「ジャズ界の泉重千代」ことユービー・ブレイクという人が作った有名なバラードのスタンード「Momories of You」が収録されている。
たまたまソレがディスク・ユニオンの店内で流れていて、その演奏に感動しまくってその場で買ってしまったのです。
いつまでたっても快適なファスト・チューンが好きなオコチャマの私がバラードに感動するなんて相当珍しいことなのですよ。
ギンギンにスイングするバド・パウエルの「Parisian Thoroughfare(パリの散歩道。ゲイリー・ムーアじゃありませんよ~)」とかモンクの「Evidence」とかもゴキゲンなワケ。
やはりラサーンのプレイがカッコいいんだけど、ジャキのピアノも十分に個性的だ。
で、私の「スゴイ発見」というのはこのアルバムのタイトルなのです。
『The Jaki Byard Experience』という。
もう完全に「Jimi Hendrix Experience」の借用でしょう。
どこにも書いてないけど間違いない!
オリジナルのライナーノーツは、コルトレーンのスタイルと「Sheets of sound(音の敷布)」と表現した有名なジャズ評論家のアイラ・ギトラーが書いているんだけど、フフフ、ロックのことをバカにしているのか全く気がついていない。
ああ、長年ガマンして(!)ジャズを聴いてきてヨカッタ!…と思った発見なのであった。
 
この人、お気の毒に…殺されてるんだよ。
1999年2月11日、夜の10時頃、一発の銃弾で頭を撃ち抜かれて家で死んでいた。
一緒に住んでいた家族が生きているジャキの姿を見たのはその4時間前。
強盗行為をされた痕跡は全くなかったが、警察は殺人事件と断定。
しかし、周囲からは犯罪の痕跡が発見されず、今も事件は未解決のままでいる。
(このアルバムはジミのコレクションに入っていません)220cd ジミも人の子、やっぱりジャズでもギターがいいんだね…ウェス・モンゴメリーの登場です。
普通ウェスと言ったら、まず『The Incredible Jazz Guitar』か『Smokin' at Half Note』か『Full House』が出て来るでしょう?
そこはさすがジミ。
そうした代表作には目もくれず、ジミー・スミスとオリバー・ネルソンのオーケストラとの共演盤『Dynamic Duo』をコレクションしていた。
うれしいね~。
というのも、私もこのアルバムが大好きなのだ。
33年前に大阪駅前第二ビルの地下の中古レコード屋でこのアルバムのCDを買った。
1曲目の「Down by the Riverside」のソロ…ウェス・フレーズ満載の2コーラス目、特に9小節目からターンバックにかけてが鳥肌モノ。
コレと『Half Note』の「No Blues」と『Full House』の「Blue 'N' Boogie」が「私のウェスのブルースの三大ソロ」…思っていることはみんな一緒か?
300cdもう1枚はCTIの『A Day in the Life』。
ウェスはこのアルバムでタイトル曲のほかに「Eleanor Rigby」を取り上げている。
コレはジミ同様にウェスがビートルズの音楽に大きな興味を示していたかららしい。
他にもCTI時代のウェスは『Road Song』というアルバムで「Yesterday」と「I'll Be Back」を演奏している。
一方、ジミの「Third Stone from the Sun」のオクターブのプレイはウェスの影響だそうだ。
320cdジミのレコード・コレクションにはジャズのアイテムが15枚ほど数えられるが、クリス・バーバーのレコーとは持っていても、マイルスもコルトレーンも1枚もなかったというのはいかがなものか?
ジャズは好きじゃなかったということか?
普通『Kind of Blue』ぐらいは持っていても不思議じゃないでしょうに…。
ま、大きなお世話ですけど。
 

次回はジミ・コレクションの本丸、<ブルース編>をお送りして、このジミ・ヘンドリックスのシリーズを締めくくります。
つまり次が最終回。
  
<つづく>…
 

200

2020年12月 9日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 61 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.4>

 

10_21969月2月24日、ジミはロイヤル・アルバート・ホールの舞台に立つ。
日本のバンドで言えば日本武道館の舞台に立つようなもの…と言いたいところだけど、「ナントカアリーナ」のような武道館より大きな会場が林立していることと、ビートルズを知らないような若いバンドさんたちが頻繁に出ているので、「日本武道館」の凄みがあまりにもなくなっているように感じるのは私だけですかね?
そこへいくと、やっぱりイギリスの人たちにとってはいまだに「Royal Albert Hall」の威光たるや輝かしいのではなかろうか?
それはこの展示が如実に表していると思う。
「ロイヤル・アルバート・ホール出演!」のコーナー。
ジミはこのブルック・ストリートのフラットからロールス・ロイスに乗ってロイヤル・アルバート・ホールに向かったという。
このことをジミはすごく喜んだらしい。
そりゃそうだ、約2年半前にロンドンに初めて来たと時、たった40ドルしか持っていない全く無名の貧乏ミュージシャンだったんだから!S0r4a0759それじゃちょっとロイヤル・アルバート・ホールへ行ってみましょう。
いくら待ってみたところで迎えのロールス・ロイスが来ることはないから徒歩ね。
ロンドン・タウンは歩くに限るって!
ヴィクトリア& アルバート博物館やらロンドン自然史博物館やらがあるサウス・ケンジントン方面からハイド・パークに向かって歩くと、ご覧の通りのレンガ造りのビルに囲まれたエリアになる。
コレが実に美しいんだな~。
11_img_0618どこもかしこも全部オレンジ色!
100この辺りは見事ですよ。
11_img_9513 そして曲がりくねった道の突き当りに見えてくるのが…Simg_9514 ロイヤル・アルバート・ホール。
チョット前までコロナ禍で経営が危ないと騒いでいたけど、どうなったんだろう。
ロイヤル・アルバート・ホールはヴィクトリア女王が、夫のアルバート公に捧げて建設されたホール。
オープンは1871年。
その約100年後にジミはココのステージに立った。
120一度入ってみたいんだよね。
何年か前にZappa Plays Zappaが出演する時、意を決してMarshallの人にチケットを買ってもらうように頼んだんだけどソールドアウトで断念。
行くたびにチェックするんだけど観たいヤツをやっていた試しがない。
去年行った時にブライアン・フェリーとKing Crimsonがもうチョットだったんだけどタイミング合わず。
その昔、両方とも初来日を東京で観たんだけどね。
ま、なんでもいいから入ってみたいワケよ。11_img_9520 目下の私の夢は、ココの大みそかのコンサートで現地のおジイさん&おバアさんに混ざって、腰に手を当てて、体を上下させながらみんなと一緒に「Land of Hope and Glory」を歌うことなのだ!
要するにエルガーの「威風堂々」ね。140コレは建物の裏側。
ジェフ・ベック期にココで撮影したThe Yardbirdsのアーティスト写真があるでしょ?11_img_0609 コレはホールの裏にある「Royal College of Music(王立音楽大学)」。
卒業生がスゴイ。
ベンジャミン・ブリテン、レオポルド・ストコフスキー、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス(ギターの方ね)、アンドリュー・ロイド・ウェッバー等々。

160ココは映画『シャイン』に出て来るんじゃなかったっけかな?ロバート・ヘルフゴッドが親の反対を押し切って留学する先ね。
この建物のレッスン・ルームから外を見下ろすシーンがあった。11_img_0615 そうそう、Curved AirやWolfのヴァイオリンのダリル・ウェイもココの卒業生だそうです。

Ca_1

Ca_2この学内には楽器の博物館があって、ココも一度入ってみたいんだけど、火曜日から金曜日の午後2時間半しか開いていないのでなかなか来れない。
実際にはロンドンに行くと忘れちゃうだけなんだけどね。

Img_0614 BBCのPROMSが始まるとこんないでたちになる。
PROMSは毎年夏に8週間に渡って開催される、1895年から続いている世界最大のクラシック音楽のフェスティバル。170上のロイヤル・アルバート・ホールの正面玄関の真向かいにある「Albert Memorial(アルバート公記念碑)」。
コレもヴィクトリア女王がアルバート公の死を悼み、1851年に開催されたロンドン万博の剰余金で建てた。
ロンドン万博って世界で最初の国際博覧会でイギリスはエラク儲けたんだよ。
ヴィクトリア女王は今のエリザベス2世が抜かすまで最も在位期間が長かったイギリスの君主。
産業革命の時代だからね、大英帝国が一番反映した時代の女王で人気も高い。
もちろんThe Kinksの「Victoria」はヴィクトリア女王のこと。
あの歌はそのうちThe Kinks特集の時にやるけど、イギリスのことを知っているとすごくオモシロイ曲だからワザワザ上で「威風堂々」のことを書いたのです…「伏線」ってヤツね。
130v
下の写真、この時ステージに上がっちゃった子はチャーリー・ウェバーという。
コレだけ見ると、いかにもこの子が突然にステージに上がってしまったかのようだ。
しかし、ステージそでから出て来てジミに何か言づけをして去っていくシーンを捉えた動画があって、ジミが全く驚きもせず、いかにも「はい、了解、了解」みたいなリアクションをしている。
つまり、ジミはこの子のことを知っているように見える。
それもそのハズ、お父さんがトミー・ウェバーという60年代の音楽シーンの実力者だったのだそうだ。
驚くのはココから…といってもココまでで驚くべき箇所はないんだけど。
トミーはガール・フレンドを伴ってよくブルック・ストリートのジミのフラットに遊びに来ていたのだそうだ。
そして…ココが驚くところ!
そのガールフレンドってのが、ナ、ナント、女優のシャーロット・ランプリングだったというのだ!
つまり、シャーロット・ランプリングはジミ・ヘンドリックスのお友達だったワケ。S0r4a0766シャーロット・ランプリングは大変にキレイなイギリスの女優さん。
中学生の頃、シャーロットが主演を務めたルキノ・ビスコンティの『愛の嵐(The Night Porter)』というイタリア映画が公開されて、シャーロットがヌードになったということで大変な話題になっていた。
いつもMarshall Blogに書いている通り、その頃の私は映画少年で、夢中になってチラシを集めていたんだけど、この作品のチラシを持っているのが大変恥ずかしかったのを覚えている。
シャーロットは74歳になる現在も女優として活躍していて、2015年には『さざなみ(45 Years)』という作品の演技でたくさんの賞を獲得した。
この映画はヨカッタです。
…となると観てみたくなるのがこの『愛の嵐』。
結局中学生の時のことがトラウマになっていて今に至るまで観ていないのだ!
 
ちなみに1976年から1999年までのシャーロットのダンナさまはフランスのミュージシャン、ジャン・ミッシェル・ジャールだった。
コレも驚いた。
80年代にすごく人気があったよね。
ジャン・ミッシェル・ジャールは『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバゴ』他たくさんの名作映画の音楽を担当したモーリス・ジャールの息子さん。Snp私が持っているジミのロイヤル・アルバート・ホールのライブ盤。
今回の記事を書くに当たってひっさしぶりに聴いてみた。
「シンドイ内容」のようなイメージがあったけど、ゼンゼン問題なかった。
人間、酸いも甘いも経験すると、なんでも良く聞えるもんですな。
「Wild Thing」のチューニングはあんまりだけど…。180cdこの演奏に不完全燃焼だったのかどうかは知らないけど、この日、ジミはロイヤル・アルバート・ホールでの演奏を終えて、ナント「Speakeasy(スピークイージー)」に行ったらしい。
好きだね~!
ジミはSpeakeasyをすごく気に入っていて、こうしてロンドンにやって来たミュージシャンのステージによく飛び入りで演奏していた。
この時はThe Animalsのキーボーズのアランプライス、ジム・キャパルディとデイヴ・メイスンのTraffic勢が出演していた。
下はその時の写真。
コレ、デイヴ・メイスンには見えないような気がするんですけど…。
この日、デイヴ・メイスンもロイヤル・アルバート・ホールの客席でジミのステージを観ていたんだって!
20_2「The Speakeasy」はブリティッシュ・ロック・ファンなら誰でもその名を聞いたことがあるであろう有名なライブハウス。
オックスフォード・ストリートを背にトッテナム・コートロードをしばらく行って、マーガレット・ストリートという通りを右に曲がってチョット行ったところの右側にあるビルの地下にあった。
「スピークイージー」とはアメリカの米禁酒法時代の「もぐり酒場」を意味する言葉。
ロンドンっ子たちはココを単に「The Speak」と呼んでいたらしい。

30_2下は「Armenia City in the Sky」や「I can See for Miles」等の佳曲が収録された創作意欲あふれるThe Whoの1967年のアルバム『The Who Sell Out』。
アルバム全体を通じて架空のラジオ放送という仕立ての一種のコンセプト・アルバム。
ところどころ曲間にジングルというか、CMが入るのが楽しい。
そして、6曲目の「Our Love Was」の直後にホンの1、2秒だけど「♪Speakeasy, drink easy, pull easy」というこのSpeakeasyのジングルが出てくる。
「pull easy」は「グイっと飲む」という意味。
CDの翻訳を見ると、「speakeasy」に「もぐり酒場」という訳が当てられていて、単語の意味自体はそれに違いないんだけどココではこのライブハウスのことを指しているのね。
 
ついでにやっておくと、さらにこのSpeakeasyのコマーシャルに続いてはイギリスに現存する唯一の弦のブランド「Rotosound」のコマーシャルも出てくる。
「Hold your groove together, ROTOSOUND STRING!」と歌われる。
数年前、Mr.BIGの日本公演で、ロトサウンドのエンド―サーであるビリー・シーンに会った時、この話を知っているかどうか尋ねたところ、「もちろん知ってるサ!」といってこのCMのメロディを完璧に歌ってみせてくれた。サスガ!
 
ちなみに「Who Are You?」っていう曲があるでしょ?
アレは警官とひと悶着して「オマエは一体誰なんだ?」と怒っている歌。
ピートはある日、アラン・クレイン(ロック界のゴッドファザー的プロデューサー)と印税について13時間にも及ぶミーティングを終えてSpeakeasyにやって来た。
ステージに上がっていたのはJohn Otway。
そこで出くわしたのがSex Pistolsのスティーブ・ジョーンズとポール・クック(現在、ポールはNATALのドラマーです)。
ピートはかなり酔っていて、スティーブとポールが敬意を表す意味で「The Whoはパンクロックの先駆者だ」みたいな話をすると、ピートは激怒して言い争いになってしまった。
やーね、ヨッパライって。
ピートはThe Whoが時代の寵児だったSex Pistolsに食われてしまうことを恐れていたからだったというのが怒りの理由だったらしい。
アラン・クレインとのことでムシの居所も悪かったのだろう、ピートは怒り狂ってSpeakeasyを飛び出してソーホーの飲み屋に向かったところで警官に出くわした。
そして、出来上がった曲が「Who Are You?」なのだそうです。
60cdSpeakeasyの最初のマネージャーは後にYesのマネージャーとなるロイ・フリンという人。
その次がトニー・ハワードという人で、この人は後にマーク・ボランやT.Rexのマネージャーとなった。
オープンは1966年。
まぁ、出演者はどうにもスゴイよね。
ジミは当然のこととして、Pink Floyd、ジェフ・ベック、Yes、Thin Lizzy、エルトン・ジョン、Cockney Rebel、The Rolling Stones、The Crazy World Of Arthur Brown、The Mothers of Invention、デヴィッド・ボウイ、The Velvet Underground、ボブ・マーリー等々。
また、ココは1969年にKing Crimsonがデビューした場所としても知られている。
さらに、Deep Purpleは古くから出演していたが、第2期の披露目をした場所として知られている。
ビートルズやThe Bee Geesのメンバーもよく立ち寄ったそうだ。
コレが入り口。40vココから地下に降りる。
今は「BEAT」という会員制のクラブになっているが、生演奏は滅多にしていないそうだ。50Freddie BulsariもSpeakeasyの熱心なファンでしょっちゅう店に来ていたそうだ。
この人、デビュー前のフレディ・マーキュリー。
 
ああ、ここにも日本料理店ができてる。
「HYOTAN」はお寿司屋さんだそうです。70ココまで来たのでついでにオックスフォードストリートの「100 Club」に寄って行こう。
住所が100 OXford Streetだから「100 Club」。

Simg_0293 元々は「Feldman Swing Club」というジャズのクラブだった。
オープンはナント1942年だからして、ロックという音楽はこの世に存在していなかった頃。
ココもスゴくてね、ベニー・グッドマン、アート・ペッパー、ルイ・アームストロングまで出演したことがあるそうだ。
大洋を挟んで同じアメリカの隣国なのにどうしてこうもイギリスと日本は違うかね~。
それは向こうがイギリスだからなんですね。
77vそれがナゼか後年このお店はパンクの聖地みたいになっちゃって…。
78vさて、ココは脱線。
このお店の創始者のロバート・フェルドマンは売れっ子ピアニスト/パーカッショニスト(ヴァイブラフォン)のヴィクター・フェルドマンのお父さん。
何でもヴィクターはドラマーとして8歳の時にこのお店でデビューしたという。
下の『The Arrival of Victor Feldman』はベースがスコット・ラファロの人気盤。
カッコいいよ。
で、なんでヴィクター・フェルドマンをココで引っ張り出しているのかと言うと、ロック・ファンに一応知っておいてもらいたい名前だから。78cdヴィクター・フェルドマンは『Can't Buy a Thrill』から『Gaucho』までSteely Danのすべてのアルバムに参加しているのよ。
つまりものすごい腕利きということ。

79cd

80cdbそれとジョニ・ミッチェルの『The Hissing of Summer Lawns』や「Coyote」で有名な『Hejira』のレコーディングにも参加している。
つまりものすごい腕利きということ。
以上、この辺りのことが言いたかった。

81cda

82cdb1969年の1月に過酷なアメリカのツアーからロンドンに帰って来たジミ。
ジミはバンドの人数を増やし、インプロヴィゼーションをメインにした、よりフリーな音楽づくりをしたがったが皮肉なことに人気が高まるにつれ、その思いとは反対にジャム・セッション風なパフォーマンスをする機会が少なくなっていた。
そのジミの思いを晴らすフリーなジャム・セッションの機会を持てる場所が上のSpeakeasyと「The Flamingo Club(ザ・フラミンゴ・クラブ)」だった。
フラミンゴ・クラブはあの「Marquee」の2号店があったWardour Street(ウォードー・ストリート)をシャフツベリー通りを渡ってそのままレスター・スクエアに向かって降りて来た中華街の入り口の対面のビルの地下に入っていた。190_2レギュラーで出演していたのは『Rhythm and Blues at the Flamingo』というライブ盤を残しているGeorgie Fame & The Blue Flames(ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズ)が何と言っても有名だわね。
ポールもよくココにジョージー・フェイムを観に来ていたとか。
ジョージー・フェイムとジミの関わりといえば、ミッチ・ミッチェルね。
ミッチはジョージーのバンドでの仕事を失って、Experienceのオーディションに参加した。
そして、最後までエインズリー・ダンバーと競り合った結果、コイン・トスでJimi Hendrix Experienceのドラマーの座を手に入れたんだってでしょ?
オモシロイね~、イギリスは…狭いから全部つながって来る。
205cd
ちなみにその中華街に入った数軒先の左側のビルはLed Zeppelinが初めてリハーサルをやった場所と言われている。Simg_0373フラミンゴはジャズからリズム&ブルースまでバラエティに富んだジャンルのアーティストを出演させた。
ココもスゴくて、スティービー・ワンダー、ビル・ヘイリー、ジョン・リー・フッカー、ジェリー・リー・ルイス、ディジー・ガレスピー、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ズート・マネー、アレクシス・コーナー、The Rolling Stones、Moody Blues、The Animals、Cream、Atomic Rooster、Pink Floyd、Small Faces等々。
その後、店は「Pink Flamingo(ピンク・フラミンゴ)」と名前を変え、さらに1969年に「Temple(テンプル)」と改名し、1972年まで存続した。
テンプルの時代にはThin Lizzy、Slade、Wishbone Ash、Uriah Heepなども出演したという。
 
ご存知じの通り、私はこんなことに長いこと取り組んでいるでしょう?
フト思ったんだけど、Wishbone Ashの名前ってこういうのにゼンゼン出てこないんだよね。
「イギリスでは人気がなかった」ということは絶対ないので、話題になっている時代がズレているぐらいの理由なのであろうが、もしかしてコレが初めてかも知れない。
 
イギリスの本で「ファースト・フロア」と言っているので2階のことだと思うが、このビルには「Whisky-A-Go-Go」というクラブがあって、70年代にはジェイムス・ブラウンゃKool & the Gangらが出演したそうだ。195vさて、展示に戻って…。
当然のことながらMarshallもディスプレイされている。
210_2こっちのJTM45/100のフルスタックのボードは「ジミヘン・サウンド視聴コーナー」になっている。
このオバちゃん、初めてジミ・ヘンドリックスの音楽を耳にしたのであろうか、ドッカリと座り込んでしまってゼンゼン動こうとしない。
悪いこと言わないから下のミュージアム・ショップでCDを買って家でユックリとお聴きなさい。
お金を払っても決して損をすることのない音楽ですから。S0r4a0786_2 こちらは薄切りのJTM45/100フル・スタック。
S0r4a0791
Marshall Amplification社は『ロンドン・ヘンデル&ヘンドリックス・ハウス』の展示品として、このジミ・ヘンドリックス・スタックを寄贈することを誇りに思います240あ、空いた。
ヘッドホンはMarshallのヤツじゃなかったわ。「Hendrix's Sound」としてこんな解説が付けられている。
ヘンドリックスの独特なサウンドは、左利きの彼が右利き用のギターを用いることによって生み出されました。
そして、彼の大きな手がメロディとリズム・パートを同時に弾くことを可能にしたのです。
さらにトレモロ・バー(ワーミー・バーと言わないところがイギリス式でステキ)、フィードバック、エフェクト・ペダル等を利用して他のギタリストに比べギター演奏の表現の幅を広げました。
 
ココで聴くことができるのはこの時期のヘンドリックスのアーティストとしての幅広い音楽性、完璧性、そして自身を表出させる1969年のスタジオ・セッションの音源です
として、下記の曲の試聴ができるようになっている。
●Ezy Rider/Star Spangled Banner (2月14日録音)
●Message to Love (2月22日)
●Valleys of Neptune (2月22日)
●Stone Free (4月14日)
●Drone Blues (4月24日)
●Mannish Boy (4月22日)
●Machine Gun (4月29日)
音源としては『Valley of Neptune』とか『Hear my Music』で正式に発表されたモノかな?
S0r4a0793オクタヴィアの展示。
このサウンドが登場したのは1967年2月3日に録音された「Purple Haze」のソロが最初で、開発者のロジャー・メイヤーとジミが初めて会ってから3週間後のことだった…とある。S0r4a0783 ロジャーはしょっちゅうブルック・ストリートのジミのフラットに顔を出した。
時には2人でスタジオに入って2トラックのレコーダーでジミの演奏を録音し、フラットに急いで持って帰って来てはプレイバックを聴き、何時間も話し合ったという。
キャシー・エッチンガム曰く、「日がな一日ノブやスイッチをイジっていたわ」S0r4a0781さてと!
この博物館のハイライトに取り掛かりましょう!
それは当時のまま再現したジミのベッド・ルーム。
ベッド・ルームといっても、部屋はコレの他にひとつしかなく、実際はココがリビング・ルーム兼ベッド・ルームになっていたのだろう。
部屋の再現に当たっては1969年の1月から3月に撮られた写真をできる限り多くチェックして忠実性を高めたという。
ジミはこの部屋を世間から隔離された空間にするつもりで装飾し、自分が所有した初めての「家」と考えていた。
ジミとキャシーは、ギグを終えた後にごく少人数を招き、気心の知れた仲間と和気あいあいとした時間を楽しむための場ともしていたのだそうだ。
 
ベッドの枕元のろうけつ染めのタペストリーは1969年の1月から2月に飾られていたモノ。
ジミとキャシーは壁の飾りを変えるのが好きで、写真では何通りかのタペストリーが確認されたそうだ。
ジミはペルシャ絨毯が大好きで、何枚も買って来ては敷き方を色々と工夫していた。
 
暖炉の上の楕円の鏡はオリジナルで、実際にこの場所に置いてあった。260_21969年にこの部屋で撮影した写真。
なるほど鏡が暖炉の上に置いてある。
上の写真の右下のイスは改めて製作したモノ。
ココに来たらこのイスに座って下の写真のポーズをキメることになっているらしい…私はやりませんでした。

S0r4a0849_2キャシーによると、ベッドの上の房つきのショールは「ジミお気に入りのヴィクトリアン・ショール」。
しかし、向こうの人はこのベッドの天蓋が好きだよね~。
日本人はベッドで寝ることは普通でも、こんなモノを取り付けるのは普通じゃないもんね。340_2ジミとキャシーはオックスフォード・ストリートのデパート、「John Lewis(ジョン・ルイス)」でこうした調度品を購入していた。
ジョン・ルイスは1864年にこのオックスフォード店からスタートした老舗デパート。
ちなみに、日本で一番古い百貨店として知られているのは「三越」だけど、1904年の開業だ。
何回かココに入ったことがあるけど、トイレを拝借しただけ。
スーパーに比べると海外のデパートってちっとも面白くないんだよね。Sjl初めてロンドンに行った時にこの「ジョン・ルイス」っていう名前にビックリしたわ。
私の頭の中の「ジョン・ルイス」といったらMJQのピアニストしかなかったから。
ファンではないけどね。
Jlp

Djnちょっとデパートで脱線させて!
前回だったかな?
ジミのフラットのすぐ近くにある「Fenwick」という老舗デパートの読み方が「フェンウィック」ではなくて「フェニック」だったということを知って驚いた…ということを書いた。
実はあの時…
「イギリスにはもうひとつ読み方が難しい1778年開業の老舗デパートがあるのです…それは『Debenhams』。
コレは読み方が「デベンハムズ」ではなくて、「デベナムズ」って読むんですよ!
知らなかった~!」
…と書こうと思ったんだけど止めた。
そしたらアータ、数日前にツブれちゃったよ!
コレも驚いたわ~。
そんな老舗がいとも簡単にツブれちゃうんだもん!
下はそれのマンチェスター店。

Sdb_1ベッド・カバーはイズリントンの生地屋店「Wallace Sewell(ウォレス・セウェル)」製。
ジミは毎朝キチっとこうしてベッド・メイクをしていたという。
コレは軍隊時代の習慣で身につけたものだった。
ベッドの上のアコースティック・ギターはコピー。
ジミはこのギターでリフやアレンジを創作し、パーティの時にかき鳴らしてていた。
ギターはいつもベッドの上に置いてあるか、ベッドに立てかけてあった。
ジミがアイデアが浮かんだ時にすぐに音を出せるようにしていた。
このコピーのギターもちゃんと左利き用に弦を逆に張ってある。
エレクトリックとアンプは次回紹介するもうひとつの部屋に保管していた。280_2友達に囲まれてベッドの上でこのギターを弾く動画が残っている。
コレ、ロイヤル・アルバート・ホールの後に撮られたらしいんだけど、1日中ギターを弾いてきて、まだ弾いてる…の図。
ギャハハ!
笑うわ~、ギターうますぎでしょ~。
そう、ジミ・ヘンドリックスってギターがウマいよね。
「当たり前のこと」ととしてでなく、何の先入観も無しにジミのプレイを聴くとものすごく上手だと思う。
69年2月24日のロイヤル・アルバート・ホールの後はSpeakeasyに行っているワケで、コレは2月18日の方のロイヤル・アルバート・ホールの後か?
 
ホントだ…枕もとのタペストリーが展示のモノとは違うわ。


ジミはよく紅茶を飲みながらテレビを見てくつろいだ。
好きな紅茶は「イングリッシュ・ブレックファスト」だったそう…私と同じだ!
「ロック・スター」のイメージとおおよそかけ離れ、ジミは『Coronation Street(コロネーション・ストリート、「coronation」とは「戴冠」という意味)』というドラマを見るのが大好きだった。

320_2『Coronation Street』は1960年12月に初回を放送し、ナント現在まで続いているイギリスの超長寿ソープ・オペラ(昼の帯ドラマ)で、「世界最古のテレビドラマ」としてギネス認定されている。Cs ジミはとりわけヴァイオレット・カーソンという女優さんが演じる「Ena Sharples(エナ・シャープルズ)」という登場人物の服のチョイスが大好きだったそう。
フ~ン、コレで見る限りはゼンゼン普通なんだけどな。Es 電話機が2台…元々は1台だった。
ジミはたとえ相手がファンであっても自分の電話番号を教えてしまう習慣を持っていた。
そのおかげでこの電話は一日中鳴りっぱなしで、ジミとキャシーはいちいちそれに応えていた。
さすがにそれに耐えかねた2人は一切電話にでなくなり、そのおかげで重要な要件の電話もつながらなくなってしまった。
これではマズイということで、電話機をもう1台増設。
加えてジミは番号を人に教えることを止めた結果、電話がめでたく鳴り止みましたとさ。
今ならLINEか?
「BOAC」というロゴが入ったバッグは複製。
「BOAC」というのは「British Overseas Airways Corporation」の略。
今の「British Airways」の前身。
BAもコロナでヤバいんだってね~。
ジミはこのバッグの中にスペアの弦やピック、ギター調整用の工具を入れていつも持って歩いていた。
昔、「PANAM」の水色のバッグを自慢げに肩から下げていた人っていたよね?
アレと同じか?11_0r4a0817部屋からのブルック・ストリートの眺め。
ジミもこうして外の風景を眺めつつ、新しい曲の思索にふけったりしたのだろうか。
325その窓の前に置かれたテーブルの下には「モノポリー」。
他に「Risk」とか「Twister」というゲームを好んでやっていたという。300_2チョット待て。
「Twister」ってこういうヤツだぜ!
これで遊ぶジミ・ヘンドリックス…見てみたかったナァ。Tw ジミ愛用のステレオ・セット。
アンプはイギリスのブランド「LEAK」。
レコード・プレイヤーは「Beogram1000」。
周囲にはボブ・ディラン、ヘンデル、ラヴィ・シャンカール、ドクター・ジョン、ジョニー・キャッシュのレコードが並んでいる。
この辺りのことは次回タップリやらせて頂きます。290_2レコード・プレイヤーに注目。
Beogramはデンマークのオーディオ機器の名門「Bang &Olufsen(バング&オルフセン)」の製品。
トーン・アームの上に紙の包みみたいなモノが乗っかってるでしょう?
この中には「Halfpenny(ハーフペニー)」硬貨が入っていた。
トーンアームの針圧が少なく、どうしてもすぐに針が飛んでしまうのでコインを乗っけていたというワケ。S0r4a0814ハーフペニー硬貨というのは、もちろんその名のt通り、1ペニーの半分の価値の硬貨。
イギリスは「1ポンド=20シリング=240ペンス(つまり、1シリング=12ペンス)」という貨幣制度を採っていた。
このことはRoxy Musicが歌にしていることより何回かMarshall Blogで触れて来た。
そして、この貨幣制度があまりにもややこしいので、1971年、アメリカに倣い100進法が取り入れられ、「1ポンド=100ペンス」と改定した。(penceはpennyの複数形)
この時にデビューしたのが下のハーフペニー硬貨。
物価の上昇に伴いその存在価値を失い1984年に廃止された。

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ん?…ジミとキャシーがココにいたのは1971年以前のこと。
「それ以前にハーフペニー硬貨があったなんておかしいじゃん?」と、ココまで調べて気が付いた。
真相は簡単。
1971年以前の古い貨幣制度の時代にもハーフペニー硬貨があっただけの話。
それは特に「ha'penny(ハペニー)」と呼ばれ、1/480ポンドの価値を持っていた。
重量は5.67g。
適正な針圧は一般的に2.5gだというから、ジミのプレイヤーは相当針が飛びやすかったようだ。
ところでこのコインのテイルズ、つまり裏面の図柄にある帆船は「Golden Hinde号」。
サー・フランシス・ドレイクという人がイギリス人で初めて世界一周を成し遂げた時に乗っていた船だ。
コレも以前ココに書いた。


Shpnh

Shpntさすが、ジミ。
プレイヤーはそんなヤツでもスピーカーはチャンと大きなヤツを使っていた。
イギリスの「LOWTHER(ロウサー)」というスピーカー。
これで2人が起きている間中はずっと音楽を鳴らしていたそうだ。
 
ガウン(博物館の解説では「Kimono」と説明している)の後ろは作り付けの食器棚だが、ジミはココにすべての歌詞や曲のメモをしまい込んでいた。
棚に乗っているメモを取り出しては手を加え、また元に戻すということを繰り返した。
いくつはヒット曲になったが、いくつはゴミ箱行きとなった。310v私のオーディオの知識は中学1年生の時のレベルのままで止まっているので、このLOWTHERのスピーカーがいかなるものか存じ上げないんだけど、すごくいいモノなんでしょ?
何でもバロック音楽を鳴らしては、右に出るモノはなく、ソナタ、室内楽を聴かせるスピーカーとしては最適なスピーカー・キャビネットらしい。
でも、このスピーカーは6.5インチ・スピーカーが1発入っているだけのシンプルなスペック。
だからキャビはオモシロイ。
その音の良さの秘密のひとつは採用されている合板のクォリティらしい。
スピーカーだけが良くても意味をなさないのだ。
ところがこのスピーカーがとても飛びやすく、ジミとキャシーはしょっちゅう近くの電気店に持ち込んで修理をしてもらったのだそうだ。Sbspジミが愛飲していたマテウス・ロゼ。
1969年当時、ロンドンではレストランやバー以外でワインを手に入れることが難しかった。
その点、前回触れた通りこの部屋の1階はジミのファンが働いている「Mr. Love」というレストランだったから、そこでワインを分けてもらって部屋で飲んで楽しんだという。330_2ジミはビールはレーベンブロイを好んで飲んだそうです。

Br もちろん、この部屋に展示してあるのはほとんどすべてがレプリカであることはわかっているんだけど、「ここにジミ・ヘンドリックスがいたのか…」と想像すると、やっぱり興奮するよね。
そのフィーリングを味わうことこそがこのMarshall Blogの『イギリス-ロック名所めぐり』のだいご味なのです。

350<つづく>
 

200

2020年11月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 60 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.3>

 
今日、11月27日はジミ・ヘンドリックスの誕生日だそうで…。
 
ところで今日国内盤が発売された1970年7月30日のハワイのマウイでの演奏を収録した『Live in Maui』聴いた?
ジミ・ヘンドリックス研究家でもあるギタリストの三宅庸介さんにススメられて早速聴いてみたけど…スゴイね。
なんといってもギターがスゴイ!
もう何回か聴いたんだけど、やっぱりジミの音楽はMarshall抜きには実現しなかったね。
この映画用の録音だけあってクォリティの高い音源を聴いて改めてそう思ったわ。
生前、他のギター・アンプを使って結局Marshallに戻って来たということがこのことを証明していると思うし、何よりこの音源を聴けば、そのことに何の疑いも持つことができないでしょう。
♪バシーン、ビシーン!
「1959というのはこうやって弾くもんですよ!」、「ロック・ギターのサウンドはこういうモノですよ」と、ジミの奏でる音のひとつひとつがそう説いているようだ。
若いミュージシャンの皆さんにまずは聴いてもらいたいもんです。
 
そして、話題は常夏の島から寒くて暗いイギリスに飛ぶよ!Lim ココはロンドンの中心中の中心、「Mayfair(メイフェア)地区」。
緑色のロゴ看板は「Fenwick」。
1882年に開業したニューキャッスルに本社を構える老舗デパート。
コレ、「Fenwick」と綴って「フェニック」と読むので要注意。
写真の通りは「Brook Street(ブルック・ストリート)」。

10この道を写真の奥方向にもう少し行くと左側に見えてくるのがこのブロック。20ブルー・プラークのついた棟続きの建物。40一時期、外装の工事をしていたけど、工事の後もあまり大差がないようだ。

30コレは大分前の写真。
1階のテナントが今とは異なっていた。50v音楽とシャボン玉をまき散らし、自らウグイス嬢を務める「HANDYMAN」という業者。
「♪I could be handy, mending a fuse when your lights have gone」の「handy」。
要するに便利屋さんですな。
「Handyman UK」で調べてみると、ゴロゴロ検索結果が出て来る。
35向かって右側の建物の壁にかかっているプラークは…
70v「ジョージ・フレデリック・ヘンデル」。
「ヘンデル」はあの学校の音楽の授業で習う「ヘンデル」ね。
ハンデルはドイツ人なので本当は「ゲオルグ・フリードリッヒ・へンデル」。
でも英語圏では「ハンデル」と発音する。
1723年からココに住んで、終の棲家となった。60vそうそうそうそう、「名前の発音」で思い出した!
いきなりの脱線で申し訳ないんだけど…「ヤン・アッカーマン」の話。
Marshall Blogで、英語圏の人は「Jan」を「ヤン」ではなく「ジャン」と発音する…と何回も書いてきたんだけど、先日Marshall Recordsの親分と「Sylvia」の話をしていたら、ナント彼は「ヤ・ナッカーマン」と発音するんですよ!
コレは「絶対に放っておけない!」と思い、「ジャンって読むんでしょ?ジャ・ナッカーマンじゃないの?」と問いただすと、「ヤンはヤンだよ。ジャンなんて読まないよ!」と来た。
ホントにヤンなっちゃう。
真偽のほどはわからなくなってしまったけど、私は「ジャン」でいきます。
しかし、この人も「粗製乱造」と言ったら失礼だけど、も~、ソロ作品の「玉石混交」ぶりたるや尋常じゃない。
「プロデュース」という役割の大切さをよ~く教えてくれる。
私も好きでずいぶん買って泣いた結果、結局はこの2枚だな。
『Live』とヨアヒム・キューンとのライブ盤。
いかし、速弾きだ、タッピングだと技術的なことを騒いでいても、ギタリストとしてのスゴさとか偉大さ決定づけるのは、ナンダカンダ言って、そのギタリストが奏でるメロディの創造性の高さだということだということをジャン・アッカーマンが上手に教えてくれる。
ジミはいわずもがな、ヴァン・ヘイレンだってそうでしょ?
マイルスだって、コルトレーンだって、エヴァンスだって、ショーターだって結局そうじゃん?
いかにカッコいいフレーズを作ったか…ということだもん。
今の音楽界って「売れれば勝ち」ばっかりで、ジャンルを問わずそうした創造性を完全に失ってしまったように見える。
ミュージシャンであろうが、リスナーであろうが、若い人たちはとにかく「売れている音楽」ではなくて、「いい音楽」を聴く努力をしないとダメだよ。
Ja3

Ja4 そのお隣の白い壁の方は「ジミ・ヘンドリックス」。
わずかな期間だったけどココに住んでいた。80v「イエイ」とか言いながらこのドアを通って出入りしていたのかと思うと結構興奮するぜ、イエイ。

85vその脇の路地に入る。90コレは路地からブルック・ストリートを振り返って見たところ。100vドワ!
こんなのができちゃった!
「Victoria's Secret Pink」…アメリカのファッション・ブランドだってか。120その真向いがコレ。

135かつてはこんなだった。
「Handel House Museum」…つまり、ジミ・ヘンドリックスのフラットに関するモノは一切公開していなかったの。105それが2年ぐらい前にヘンデルとヘンドリックスの2大「ヘン」をくっつけた博物館にしちゃったというワケ。

130さっそく中に入る…今回で3回目となるこのシリーズ、いよいよ本丸ですよ~!140エントランスに飾ってあるポートレート。
2人の間には250年近い時の隔たりがありますよ~。

150入館料は£10。
今の為替レートで1,400円とチョット。

160ヘア・スタイルは双方ロック・テイストか。170入館時にこんな案内のリーフレットを渡してくれる。

180館内の案内と…

200チョットした解説が記してある。

190リフト(=エレベーター)で4階に上がる。
元は普通のアパートの一室なので狭い。210廊下の壁にはジミ・ヘンドリックスに関するデータや業績、エピソードを説明するボードが掲げられている。
 
下はジミの生涯を簡潔に説明したボード。
「Chitlin' Circuit(チットリン・サーキット)」なんてのをコレで初めて知った。
勉強不足でお恥ずかしい…。
前回取り上げた通り、ジミとキャシー・エッチンガムは、チャス・チャンドラーのカップルとリンゴ・スターが又貸ししたモンタギュー・プレイスのフラットに住んでいたが、1968年の7月にこのブルック・ストリートに引っ越して来た。
そして、2人は1969年の初頭までをココで過ごした。
だからココに住んだのはホンの数か月のことなのね。
 
最後の段落の文章がイカしてる。
彼の3枚目のスタジオ・アルバム『Electric Lady Land』は1968年の暮れに発表され、'次は一体何が起こるんだ?’という質問を聞き手に抱かせた。
ファンは望むべきその答え(Experienceはもっと良くなるか、今のままでいるか)を知っていた。それは断じてヘンドリックスを消し去るということではなかった
 
キャシーによると、このフラットを探して来たのは彼女自身だったが、ココに決めるまで何軒かに入居を断られたそうだ。
ジミはすでに世間で名前を知られていて、当時は「ロック・スターはお断り」という風潮が強かったのだ。
もうこの頃には郊外の大きな一軒家に住む経済力はあったが、ジミがこうした街中に住むことを望んだそうだ。
260コレはディスコグラフィ。
1966年12月16日発売のシングル『Hey Joe/Stone Free』から1970年6月にリリースされた『Woodstock』のサントラ盤までジミが存命中に英米で発売されたすべての正規な音源がリストアップされている。(アメリカでは1970年8月26日に『Historic Performance Recorded at the Monterey Internattional Pop Festival』まで)

220vジミの訃報。
ジミが亡くなったのは4年前に初めてロンドンに来た日の4日前だった。
このシリーズの「Vol.1」に書いたように、この4年前、イギリスでこのアーティストを知る人はひとりもいなかったんだからスゴイ。
わかっちゃいるけど、たった4年!230v1969年、アメリカをツアー中のジミはキャシーをニューヨークに呼び寄せる。
アメリカに行ってキャシーが見たものはコカインに溺れるジミの姿で周囲に犯罪のニオイを嗅ぎ取ったらしい。
すぐにロンドンに戻って来たキャシーは2度とフラットに戻らなかったという。(註:下のレストランの経営者によると、キャシーは1970年の6月までココに住んでいたとか)
240vこの展示は、トリクシー・サリヴァンという人を代理人として、すべての自分の持ち物をブルック・ストリートのフラットから持ち去るということをキャシーに通告した手紙のコピー。
手紙を書いたのは当時のジミのマネージャーのマイケル・ジェフリー。

コレはトリクシー・サリバンさんに23 Brook Street, London, W.1の私のフラットにある所有物を、彼女の判断で移動または処分することを委任した証である    ジミ・ヘンドリックス
 
このジェフリーと言う人はチャス時代からいた人だけど、相当ヤバイ系の人だったらしいね。
何冊かの本を読んでみると、やっぱりジミにはチャスしかいなかったんじゃないかね?
ジミを見つけたのも、作ったのもチャス以外にあり得ない…と思った。250ブルック・ストリートでのジミの行動を紹介するコーナー。270ドイツ語、イタリア語、中国語、フランス語、ポルトガル語に翻訳された案内書。
こういうのを見ると悲しくなるね。
中国語はあっても日本語はないんだよ。
次には韓国語がコレに加わるんじゃないの?
275vフラットの近所のジミの行動範囲を示した地図。
こういうのは恰好の「名所めぐりネタ」だ。
表示されているポイントは…
●Scotch of St. James:コレは前回紹介した。
●Speakeasy:後にやります。
他に…
280●Marquee Club
もうコレはマーブロの常連だからしてもう説明はしないけど、ウチにあるMarqueeの本によると、ジミは2回しか出ていないことがわかり、前回紹介した。
ピーター・バラカンさんはそのウチの1回に行っているそうだ。
レコードコレクター誌の増刊のインタビューによると、テレビ番組の『Ready Steady Go』で「Hey Joe」と「Stone Free」を演奏するのを見てブッ飛んで、レコードを買いに行き、マーキーでライブがあることを知って押しかけたのだそう。
まだジミは新人だったので大したことないだろうと思ってノンビリとウォードー・ストリートのマーキーに出かけると、500人のキャパにも関わらずもう1,400人ぐらい並んでいたんだって!
冬でみんなコートを着ていたが、場内がパンパンで脱ぐことも全くできず死ぬほど暑かったとか。
演奏はスゴかったって。
そりゃそんな狭いところでMarshall直で、230Vで、弾き手は「ジミ・ヘンドリックス」だぜ!
うらやましいナァ。
こういう不公平というのはどこでキメられるんだろうネェ…やっぱり前世の行いなんだろうナァ。
バラカンさんは前回紹介したサヴィル・シアターのジミ(Marshallスポンサーのヤツね)もご覧になったそうだ。290●One Stop Records
ジミのフラットのすぐ近くのレコード屋。
しょっちゅうココに来ては新しいレコードを漁っていたとか。
ヘンデルの「水上の音楽」と「メサイヤ」は前々回紹介したOne Stop Recordsで買ったそうだ。

300●HMV
オックスフォード・ストリートのHMVにもよくレコードを買いに行った。
ココ、以前は「Foot Locker」というアメリカ資本の靴屋になっていたんだよね。

310柱についているプラークには…
 
1921年7月から2000年4月、ココにオリジナルのHMVのお店がありました。

1921年7月のオープニング・セレモニーにはエドワード・エルガーが参列した。
1962年にはココのスタジオでビートルズが78回転のデモ・ディスクを制作し、コレがキッカケでビートルズはEMIとの契約にこぎつけた。
このプラークは2000年4月26日、ジョージ・マーチンが除幕した。

という説明がされている。
320これが去年行ってみると、またHMVになっていたのですわ。
しかも、昔の風合いのデザインで!

330プラークもキレイになってた。

Hmv ●Lord John
ココは毎度おなじみモッズのふるさと、カーナビー・ストリート。

340その真ん中あたりに「Lord John」というブティックがあった。
「ジョン・ロード」じゃないよ。
ジミはココの常連だった。

350vジミ以外にもモッズらしく、The Small FacesやThe Whoのメンバーやブライアン・ジョーンズもこの店の常連だった。360●Mr. Fish
コレもMichael Fishという人のブティック。
ココはスゴイ。
こないだ亡くなったショーン・コネリーが『Dr. No』で着ていたシャツを作った。
他に、サミー・デイヴィスJr.、ロック・ハドソン、デューク・エリントン、ママ・キャス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ他、たくさんの芸能人がMr. Fishの服を好んで着たそうだ。

370vストーンズの1969年のハイド・パークでミック・ジャガーが来ていた白い衣装もMr. Fishのデザインだそう。
コレってKing Crimsonが前座をやったヤツだっけ?Mj 『The Man Who Sold the World』のジャケットでデヴィッド・ボウイが着ているワンピースもMr. Fish。
Dbこのブランドは「PECULIAR」というのがキャッチフレーズなのかしらん?
「PECULIAR TO Mr. Fish」というタグ。
「peculiar」というのは「風変わりな」という意味で「to」をつけて「peculiar to ~」にすると「~独特の」という意味になる。380ん?
チョット待てよ…。
ボウイの「Space Oddity」に「♪I'm floating in a most peculiar way」という一節が出て来るでしょ?
もしかして、ボウイはMr. Fishにスペシャル・サンクスの意味を込めて「peculiar」という単語を選んだのではないか?
ココは「strange」でも「eccentric」でもいいワケじゃん?…というのは私の妄想だな。So ジミとキャシーが移り住む1年前に開店した「Mr. Love」という階下のレストラン。
経営者の弟はジミの大ファンで、ジミが上に住んでいてこの店に来ることを知って大層よろこんだ。
ビージーズの連中なんかも常連だった。390ヘンデルのプラークはジミがココへやって来た1968年以前にとりつけられていた。
410このプラークが大いに刺激になってジミはヘンデルの音楽に興味を持ち、上のHMVにレコードを買いに行ったという。

400ヘンデルはこの人ね。
最初の方に書いた通り、以前ココは「ヘンデルの住んでいた家」としてだけ公開されていた。5年前に見学したんだけど、アレはボランティアなんだろうね、親切この上ないおジイさんがつきっきりで説明してくれましてね。
私もクラシック音楽は好きだけど、ヘンデルは全く聴いていなかったので質問のひとつもできずに申し訳ないことをしたよ。
405v
その「ヘンデル・ハウス」にはこんなコスプレ・コーナーもあったんよ。
コレがまたどれもすごくサイズが小ぶりなのよ。
今にして思うと子供向けだったのかも。
406vジミは飛ぶ鳥を落とす勢いのJimi Hendrix Experienceのリーダーとして、ファッション面でもスタイルを確立しようと努め、オーダーメイドの服を身にまとった。
コレは1967年に「Dandie Fashion(ダンディ・ファッション)」というブランドで作ったジャケット。

430vジミ曰く…「なぜヘンテコな服を着るのかって?軍隊じゃないんだからサ。
グループにいる時はみんなに合わせなきゃならなかった。
オレはアイズレー・ブラザーズにいた頃、白のモヘアのスーツ、決まった革靴に髪型…カジュアルな格好は許されなかった。
もし靴ヒモが左右違ってみな、5ドルの罰金だよ。
もうそういうのにはウンザリなワケよ
だったそうです。

440v<つづく> 

200

2020年11月18日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 59 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.2>

 
さて、天下のジミ・ヘンドリックスとはいえ、渡英当初は当然全くの無名。
チャスも「Hey Joe」を引っ提げて売り込みに奔走した。
その先のひとつが「DECCA RECORDS(デッカ・レコーズ)」。
でも断っちゃった。
前回もチラリと書いたように、ジミの4年前にビートルズを断っているのに…。
またやっちゃった!
どうしてもジミの才能を見抜けなかったのかナァ。
そこへ行くと、チャス・チャンドラーの慧眼たるや見上げたものである。
Ssimg_1864チャスはこのままじゃイカンと考え、プレスを集めてジミのショウ・ケース・ライブをすることにした。
そのために自分のベースを売り払って資金を工面したそうだ。
会場はカーナビー・ストリートの1本裏手の通りのクラブにある…Ssimg_0370「The Bag O'Nails(バッグ・オ・ネイルズ)」。
1966年にGeorgie Fame(ジョージー・フェイム)のマネージャーのJohn Gunnell(ジョン・ガネル)が開いた店。
60年代の後半の人気ミュージシャンのたまり場だった。

Ssimg_0368ジミのショウ・ケース・ライブはランチ・タイムの短いステージだったが、ジョンもポールも観に来てくれた。
このあたりはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスのつながりだったのだろうか?
Ssimg_0363入り口にかかっている2つのプラーク。
「Jimi Hendrix Experience」として演奏するのはこの時が初めてだった。
 
また、ポールが別の日にGeorgie Fame and the Blue Flames(ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムス)を観に来た時にリンダを連れてきたのもチャスだったという。
ちなみに、Fleetwood MacのJohn McVeeがChiristian Perfectにプロポーズしたのもこの場所だったとか。

S 失礼…チョット中を拝見。
 
演奏後、ジミは自分のパフォーマンスが果たして聴衆に受け入れられたのかとても心配だったらしい。
すると、楽屋にジョンとポールが訪ねて来て「よかったよ~!」と絶賛してくれて胸をなでおろしたそうな。
Ssimg_0372この店にはTom JonesやThe Who、The Animalsも頻繁に出演していた。Ssimg_0364そして、去年行ってみると…なくなってた。
今は「The Court」というクラブになっちゃった。
写真の中の記念撮影している人たちはココが何たるかは知らないし、何の興味もないんだろうね。
それはそれでシアワセなことだ。
「知らない」ということは恐ろしいことだけど、最後まで知らなければそれは「幸福」と化すのだ。
Simg_9731「Bag O'Nails」という名前のクラブはもうないけれど、入り口のプラークはそのままなので、カーナビー・ストリートへ行くロック・ファンは要チェック!Simg_9735 さて、場所は変わってシャーロック・ホームズが住んでいたことで知られるベイカー・ストリート。
あ、シャーロック・ホームズもワトソンくんも空想の人物ですからね。
このベイカー・ストリートには思い出がありましてね。
地下鉄で財布をスラれて、東京にいる家内に国際電話をしてクレジットカードを止めてもらうため、ココにあるインターネット喫茶にすっ飛んで来たのだ。
よく家電量販店でクレジット機能付きのメンバーカードの勧誘をしているでしょう?
アレには要注意ですぜ。
イヤ、いつも使っていて請求のやり取りをしていたり、カードを紛失したりしなければ何ら問題はないんだけど、もし失くしてしまった場合、どこの信販会社がそのクレジット機能の面倒を見ているかを知っておかないと止めることができないのだ。
私の場合、まったくそのカードを使っていなかったので、家内が夜中に片っ端から関係のありそうな審判会社に電話をして突き止めてくれて事なきを得た。
あれからは絶対にああいうカードは作らないようにしている。
Img_0523シャーロック・ホームズの街だけあって駅の壁もこんな具合。

Simg_1888『宇宙戦争(The War of the Worlds)』や『透明人間(The Invisible Man)』で知られる「SF小説の父」、H.G.ウェルズはこの駅舎のビルに住んでいた。

Simg_1891駅の並びには有名なマダム・タッソーの蝋人形館。Simg_0474もうだいぶ前の話だけど、このあたりを歩いていたらこのお嬢さん方に声をかけられた。
私が首から下げていた大きなカメラが目に入ったのだ。
「このカメラの使い方を教えて頂けませんか?」と自分のカメラを私に差し出して来た。
見るとそれは私が以前使っていた一眼レフと同型で、マニュアル・セッティングにしているのはいいが、設定がメチャクチャだった。
多分、「マニュアル」も「絞り優先」も「シャッター速度優先」もわかっていないだろうから、フルオートにしてあげた。
それで数枚撮って見せてあげると、「直った、直った」と大喜び。
すると私が首から提げているカメラを指して「それで私たちを撮ってくれませんか?」というのよ。、減るものといえばバッテリーぐらいなものだし、美人だし、こうして何枚か撮ってあげた。
スゴイのよ。
撮られ慣れているのか、コチラが何も言わなくてもこうしてスッスといくつものポーズを決めるワケ。
その間、ずっと歯を見せて笑顔を絶やさない。
向こうの人はホントに写真を撮られるのが上手だよ。Simg_1909撮った写真を見せるともう「キャーキャー」大騒ぎ!
「プロフェッショナルの方なんですか?」とかおだてられて、「後でゼヒ送ってください!」とメール・アドレスを渡されたので日本に帰ってから送ってあげた。
美人は得だね。
UAEから来たお嬢さんで、すぐにキチっとしたお礼の返信があった。
アリャ絶対金持ちだよ。
私ももっと若ければオイルマネーの逆玉に乗れたかも?
んなこたァないか。
ロンドンは楽しい。Simg_1913ハイ、脱線終わり。
そのベイカー・ストリート駅の近くのこのビル。
Simg_1926「REED」という職業紹介所が 入っている何の変哲もないビル。Simg_1901ココはかつて「Apple Boutique(アップル・ブティック)」というビートルズのお店だった。
ポール曰く、「美しい人々が美しいものを買うことができる美しい場所」。
美しく万引きが横行。
「Love and peace」の時代にあってその万引きをとがめることもせず、結果、8か月で倒産。
決して美くはない結末となった。
最後は在庫品を無料で開放した。
何を売っていたのか知らないが、コレは美しい。Sbeatlesそれでも、1967年12月のオープニングにはジョン、ジョージ、クラプトン、ジャック・ブルース、シーラ・ブラックらが参席してりんごジュースをすすって大いに盛り上がったという。
そのりんごジュースのせいかどうかはわからないが、今ではナゼかジョンだけの名前を記したプラークが取り付けられている。Simg_1897さて、ジミ。
ジミとキャシーはハイド・パーク・タワーズ・ホテルから、ベイカー・ストリートに移動する。
この辺りは結構高級なエリアなんだろうナァ。
「Montagu Place(モンタギュ・プレイス)というところ。
ジミがココの番地標識と撮った有名な写真があるので、コアなファンにはおなじみの名前かも知れない。
地区名で言うと「Marylebone」。
コレ、「メリルボーン」とか日本語で表記されるけど、向こうのお方の発音はハッキリと「マリルボン」でした。Img_0518チャスと一緒にジミとキャシーはこのフラットに移ってきた。
2人は地下に居を構えたらしい。
プラークが付いてるしょ?12img_0513「1968年、ジョン・レノンがココに住んでいました」…なんだけど、このフラットを借りていたのはリンゴ・スターだった。
キャシーがリンゴに頼んで又貸ししてもらったのだそうだ。12img_0510天下のビートルズのメンバーが借りているフラットだけあって、中はとてもゴージャスでジミとキャシーは大変よろこんだそうだ。
ウン、私もロンドンの真ん中に住めるならマリルボン周辺がいいナァ。12img_0512ちなみにあのジョンとヨーコの『Two Virgins』のジャケットはこのフラットで撮影したそうです。
あのマッパのヤツね。
しかし、このあたりのアルバムを聴いている人って世界にいるのかな?
いるんだろうネェ。2v さて、先日ジミのことを語るジム・マーシャルのインタビューをお届けした。
コレね。


ミッチがジムのお店にMarshallを買いに行った…というクダリね。
まぁ、誰かの車で行ったんだろうけど、電車で行ったことを想像するとまた楽しいんだよね。
パディントン駅からヒースロー方面に行く電車にのって「Hanwell(ハンウェル)」駅で降りて歩いて20分ぐらいかな?Simg_8048ココをジミが歩いていたのかと思うとオモシロイ。
写真の黄色い車はロンドンの救急車ね。Simg_8080 ジムの店はがあった通りは「Uxbridge Road(アクスブリッジ・ロード)」。
ピカデリー線のターミナルに「Uxbridge」という駅があるけど、そこからはとても歩いては行けないので、いつか行ってみようというコアはMarshallファンの方は要注意。Simg_0465アクスブリッジ・ロード沿いのこの青い看板のところがMarshallの第2号店があったところ。
ココにジミとミッチがMarshallを買いに来た。
ま、ジムは一切触れないけど、その時チャスもいたのであろうか?
この時、JTM45/100のフルスタックを3セット買った…というんだけど、あんなにデカいモノを3つもどこで保管していたんだろうか?
宅急便なんてない時代、運ぶにもトラックが必要だったろうに。
などと、どうでもいいことを考えるのが楽しい。Simg_8094コレはその時のモノかどうかはわからないけど、正真正銘ジミが使っていたJTM45/100。
もうだいぶ前だけど、ある時工場で「シゲ、シゲ!来てみな!オモシロイものが入って来たぞ!」と当時の副社長のグラハムがワザワザ別のところにいた私を呼びに来てくれて見せてくれた。
私がマニアだと思っているらしくて、この時だけではなくて、私が工場にいる間にレアなアイテムが修理に持ち込まれると都度教えてくれるんだよね。Srimg0181コレは確かスウェーデンのコレクターの持ち物と聞いた。

Srimg0182「J.H. EXP」のステンシルがタマらんね。Srimg0183側面のカバリングが剥がれ落ちて下地が見えている。
ちゃんとこの頃から下地を黒く塗っていたんだね。Srimg0186リアパネルのようす。

Srimg0184製造元は「JIM MARSHALL ORODUCTS LTD」。

Srimg0185ジミはアメリカからやって来て、イギリスの英語に大層驚いたそうだ。
というのは、こんなに小さい島なのに、驚くべき数の英語のバリエーションがあるからだ。
また、スラングの移り変わりが早いのも驚異の的だったらしい。
何しろ標準的な英語であるはずのBBCで使われている英語に全く聞きなじみのない表現が含まれていることがあって、それを楽しんでいたというのだ。
私の乏しい経験から言ってもコレはとてもよくわかる。
「イギリスでは村がひとつ違えば言葉が違う」というぐらい色んな発音があるんだよね~。
だから『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授みたいなことが成り立つ。
それと表現の多彩さね。
アメリカ人に米語の独特な表現を教わって、それをイギリス人に試すと通じないことはまずほとんどない。
アメリカのスラングの本を手に実際に試したことがあったんだけど、使わないけど、意味はわかると言っていた。
映画の影響なんかも大きいんだろうね。
コレの反対をやると、アメリカ人はイギリス英語に全く歯が立たない。
 
それで、ジミはイギリスの英語をオモシロがり、色々な英語を身に着けようと、まずは身近なチャスのジョーディ訛りをマネして楽しんだらしい。
「ジョーディ(Geordie)」というのは「ニューキャッスル出身者」のこと。
StingもBryan Ferry もBrian Johnsonもみんなジョーディだ。
ちなみにリバプール出身の人のことを「Scouser(スコウサー)」、マンチェスター出身者は「Mancunian(マンキュニアン)」という。
あ、前にもコレを書いたことは覚えていますのでご心配なく…まだそこまでボケてませんから。
結局ね、Marshall Blogを毎回読んでいる人なんてかなり少ないので、同じことを何回書いても大丈夫だということに気がついたのだ!
毎回熱心に読んでくださっている方にはゴメンなさい。
 
ちょっとロンドンから離れます。
Simg_6373ニューキャッスルは正式名称を「Newcastle upon Tyne(タイン川沿いのニューキャッスル)」という。
ココはすごくオモシロかったな。
Simg_6827もちろジミはニューキャッスルでも演奏している。
例えば「Newcastle City Hall」。
1927年開業の伝統のコンサート・ホール。
キャパは2,100。

Simg_6833_2Emerson Lake and Palmerの『Pictures at an Exhibition』は1971年の3月にココで録音された。
「Promenade」でキース・エマーソンが弾いているオルガンはこのホールのモノだそうだ。

ElpWishbone Ashの『Live Dates』の一部の音源もココで収録。Wa 中学生の時、Roxy Musicが好きでコレが出てすぐ買って、一時期よ~く聴いた。
1973年はグラスゴー、74年の音源はニューキャッスル・シティ・ホール、75年がウェンブリーのエンパイア・プール(現在のウェンブリー・アリーナ)で録音している。
75年の国内ツアーの時の前座はサディスティック・ミカ・バンド。Svv_2 Sladeの『Slade on Stage』は1981年12月の録音。 SosMotorheadのコレ、タイトルは『No Sleep 'till Hammersmith』なのにハマースミス・オデオン関係なし。
一部がニューキャッスルで録音された。Smhチャスはかなりドサを回らせたようで、おそらくニューキャッスルの後にそのまま回ったのであろう、イングランドさいはての港町「South Shields(サウス・シールズ)」でも演奏している。
 
こんなサビれた町よ。
コレ夕方の4時ぐらいだったかな?
とにかく町で人を見かけない。
でも、あの映画監督のリドリー・スコットや「モンティ・パイソン」のエリック・アイドルもこの町の出身だというんだから大したもんだよ、サウス・シールズは。

Simg_6934でもサウス・シールズの名誉のために言っておくけど、この町はかつて炭鉱、造船、鉄鋼で栄華を極めていた。
しかし、サッチャーが現れ、その強硬な政策によりそれらの産業が根こそぎ壊滅状態になってしまった。
だから今でも現地の年配の人はサッチャーのことを憎んでいるようだ。
ウィンストン・チャーチルのことを悪く言う人はいるけど、憎んでいる感じはしない。
でも、ことマーガレット・サッチャーになると憎悪をむき出しにする人がいるんだよね。
ジミが来た頃はサッチャーが首相に就任する13年も前の話なので、この町もまだ相当にぎやかだったに違いない。
 
さっきの英語の話。
私がこの時宿泊したB&Bのお姉さんがすさまじいジョーディ訛りだったらしく、現地の友達が「オイオイ、そんなにジョーディ弁でまくしたてたらシゲが何を言っているのかわからないよ!」なんて助け舟を出してくれたんだけど、私はそれほどでもなかったな。
チンプンカンプンということはなかった。
ま、通り一遍の施設の説明だったからだろう。
ただ、信じられないぐらい早口だったことは確か。
発音的にはバーミンガムとかノッティンガムとかの英語の方がシンドイと思う。Simg_6994この町の博物館。
コレがなかなかオモシロかったんよ。Ssmやっぱり最も目を惹いたのはこの展示。
「ロックのスーパースター、ジミ・ヘンドリックスはサウス・シールズで演奏しました」

Simg_7073コレをペラっと裏返すと…
「1967年2月9日、ジミ・ヘンドリックスは一度だけシールズの『Cellar Club(セラー・クラブ)』で演奏しました。チャートの5位まで上った'Hey Joe'と共に一度だけ北部を回り演奏したのです。
 
観客は忘れることのできない経験をしました。みんなの人気者が歯でギターを弾き、会場中にトレードマークのサウンドが響き渡ったのです」
そのサウンド、Marshallが出していますから!

Simg_7074コレがその「Cellar Club」が入っていた建物。
繁華街でも何でもないところにボコっと立っている。
ココにジミ・ヘンドリックが来たとはね~。Simg_6982元々はチョット離れた町の中心の建物にあった地下のジャズのクラブが「Cellar Club」だった。

Simg_7175それが移転してNew「Cellar Club」になった。
そこにジミがやって来たのだ。
ジミだけじゃない…Paul Jones、Long John Baldry、Soft Machine、Alexis Korner、Cream、Family、The Niceもココで演奏した。
天下のCreamもドサ回りをしていたんだネェ。
写真を見ると3人も乗ればイッパイになってしまうような小さなステージで場末感タップリ!
チケットのバンド名を見ると「The Cream」とか「The Soft Machine」とか、「The Family」とか、どこかの百円均一みたいになんでも「the」を付けちゃう。
田舎では「the」が付けるとカッコよく見えたのかな?
Simg_6989また脱線。
サウス・シールズにある「イギリスで一番おいしい」という「Colman's」なるフィッシュ&チップス屋。
イギリスには「UKで一番おいしい」というフィッシュ&チップス屋がゴマンとあるらしい。Simg_7130一番かどうかはわからないが、確かにメチャクチャおいしかった!
こんな脂っこいモノ…と思うでしょうけど、店内はお年寄りでイッパイ。
そんなお年寄りでもペロっと平らげてしまうほど軽いのよ。
サラダはドレッシングが目にしみるほど酸っぱすぎて私はNGだった。Simg_7135サウス・シ―ルズに滞在したのは土曜日で、友人が生演奏をやっているパブに連れて行ってくれた。
イヤ、この時は女王陛下の在位60周年記念が当たってしまい、ロンドンに帰る電車代がベラボーに高くなっちゃって、ひと晩だけじゃなくサウス・シールズに何日か滞在せざるを得なくなっちゃったんだけどね。
Simg_7043金曜日と土曜日はこうして生バンドが入る。
いい年のオジさんとオバさんでイッパイよ!
Simg_7036「♪ランブロ~ン」とみんなで歌う。
Led Zeppelinの「Rumble on」よ。
The Who の「The Seeker」とかみんなで合唱しちゃう。
どれもこれもみんなこの人たちの国の歌だからね。
使っているギター・アンプは当然Marshall!
ああ、イギリスっていいナァ~。Simg_7034それでも土曜日なので少しは町に人が出ていたな。Simg_7054私が写真を撮っているのを見つけて親切にお尻を出してくれる若者も…。
ありがとう!Simg_7050ハイ、ロンドンに帰って来ました。
ニューキャッスル方面からの電車はキングスクロス駅に到着する。S0r4a0011となりはいつものコレ…セント・パンクラス駅。

S0r4a0003そんなイングランドさいはての町にまで出かけているぐらいだから、当然ジミはロンドン中のホールやライブハウスに出演している。
こう言っちゃナンだけど、ロンドンに行くと「ココでジミヘンが演奏したんだよ」というのは結構「あ、そう」で済む出来事なんだよね。
その点、ジミとプレスリーは日本に来なかったからね~。
そして、チャスの猛烈なプロモーションぶりを知る思いがする。

例えばコレ。
今は「ODEON Covent Garden(オデオン・コヴェント・ガーデン)」という名前になっているが、かつては「Saville Theatre(サヴィル・シアター)」といった。
コヴェント・ガーデンというよりもデンマーク・ストリートの奥というか、チャリング・クロスを過ぎてシャフツベリーを左にチョット入ったところ…なんだけど、ナゼか名前が「サヴィル」。
あの「サヴィル・ロウ」からは大分離れているよ。

Img_1853元々は1931年にオープンした映画館で、自身も学生時代に演劇を学んでいたビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが1965年に施設を借り受け、芝居とコンサートができるホールとした。
70年代にはまた映画館になって現在に至っている。
コンサート・ホール時代は、The Move、The Bee Gees、The Who、Pink Floyd、Fats Domino、 Gerry and the Pacemakers、Chuck Berry、Elton John、Procol harum、Cream、Fairport Convention、Incredible String Bandといった連中がゴロゴロ出演していた。
Img_1845外壁はオープン当時からあったレリーフがそのまま残されている。
コレはイギリスの彫刻家、ギルバート・ベイエスの「Drama Through the Ages」という作品。Img_1849ベイエスの彫刻は「V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)」の外装にも採用されているそうだ。
どこか上の方らしくて、それっぽいのは直下から確認することができない。
そういえば、ココにはピート・タウンゼンドが壊したレスポールは展示してあっても、ジミのアイテムって見た記憶がないな。Simg_8120ジミは何回かサヴィル・シアターに出演しているようだが、そのウチの1回が1967年6月4日。
オープニングに持って来た曲はビートルズの「Sgt. Peppers Lonly Hearts Club Band」。
9日前に発表されたこの曲がいきなり飛び出して、客席にいたポールはビックリ仰天したとか。
ポールはジミのことが大好きだったらしいよ。
1,200の客席は満員。
コンサートは大いに盛り上がった。
Img_1852この時の映像が残っているんだね~。
うれしいじゃないか!
ナニがって、ステージにくっついているオレンジ色の垂れ幕。
「The sound of success - MARSHALL」ですよ。
なるほどドラムスをはさんでフル・スタックがズラリ。
ボーカルズ用のコラム・スピーカーまで並んでいる。
この時の話を聞きたいナァ…もうMarshallにはそんな古い人が残っていないからネェ。
 
ステージにはモニターもPAもなし。
会場の人たちはMarshallが出す生のジミ・ヘンドリックスの音を聴いたんだよ。
なんて贅沢なことだろう!
今のデジタルまみれの優等生の音ではなく、ノイズ乗りまくりの「楽器」のナマの音だもん!
かつてウリが私に教えてくれたんだけど、彼は2度ジミの演奏を見ていて、「とにかく音がクリーンだった」と言っていた。
「クリーン」が「歪んでいない」ということか、「澄んでいる」ということなのかは正確にはわからないが、おそらくその両方だろう。
音楽がドンドン変わってしまい、パチーン、ビシーン!…こういう音でMarshallを鳴らす人がいなくなっちゃったもんナァ。
Marshallの元来のスゴさはこの辺りのサウンドにあると思うんだよね。
やっぱり1959だと思う。
1959が飛ぶように売れる時代がまた来るといいんだけど、今のシーンを見ているとそれは儚いジジイの夢にすぎないことを思い知らされる。
ジミはこの後アメリカに戻り、約2週間後にモンタレーに出演した。
 
「モンタレー」のフィルムも何回か観たけど、40年以上前、各所で催されていたフィルム・コンサートに行くと大抵上映されたのがこの「Hello Goodbye」だった。
この映像はここサヴィル・シアターで撮影したのです。
リンゴのドラム・キット、ちっちゃえナァ~!
バスドラムは16"か?

ジミはこんなところでも演奏している。
「Forrest Gate(フォレスト・ゲイト)」というロンドンの中心から北西に行ったところ。
チョット遠いので行ったことはないんだけど、オリンピックのスタジアムがある「Stratford(ストラトフォード)」の近く。
ストラトフォードまでは行ったことがある。
その時泊まったホテルがアホだった。
「ストラトフォーズ・カーズがホテルまで迎えに行く」という伝言が「朝7時にストラトフォードまで来てくれ」という伝言になっていて、それを鵜呑みにした私は朝早く、大きな荷物を持って満員電車に乗ってストラトフォードに向かった。
ストラトフォードはロンドンのベッドタウンらしく、朝のラッシュアワー時の駅前はすさまじい混雑ぶり。
待てど暮らせど迎えの車が来ないのでさすがにおかしいと思い、ストラトフォーズ・カーズに公衆電話から連絡してみた。
その頃はまだ携帯電話なんてなかったので公衆電話を使うにも大騒ぎよ。
電話がかかると、「シゲ、ゴメンなさい!」と問答無用でいきなりお詫び。
かくかくしかじか言い訳を聞いて、結局その大きな荷物を携えて自力でロンドン・ユーストン駅まで行って、電車でMarshallへ行った。
すると工場で、「シゲ、何で今朝ストラトフォードにいたんだ?」と事情を知るはずのない何人かの人が私に尋ねて来た。
朝のワイドナショーかなんかで私がテレビ映っていたっていうのよ。
特段うれしくはなかった。

ということで、写真はインターネットから拝借。
郊外にありがちな普通の街並みですな。Succ2駅から近いこの路地の奥にかつて「Upper Cut Club」というライブハウスがあった。
ビリー・ウォーカーというヘヴィ級のボクサーが始めた店なんだって。
だから「アッパー・カット」なんていう力石徹みたいな名前が付いている。
ココもスゴくてね~、The Who(いい加減The Whoも色んな所に出てるわ)、The Small Faces、Jeff beck、The Animals等の本国勢に加えて、ココにはナゼかアメリカのR&Bの連中が多数出演していた。
たとえばOtis Redding、Booker T and the MG's、Sam and Dave、Stevie Wonder、Nina Simone等々。
スゴイね。

S2uccジミが出演したのは1966年の12月26日のボクシングデー。
いくら店主がボクサーだからといって、ボクシングをやる日ではないよ。
12月26日はクリスマスの翌日でしょ?
中世の時代、屋敷の使用人たちはクリスマスの間も当然ご主人様のために働かねばならない。
そして、休ませてもらえるのはクリスマスの後の平日。
その時に使用人たちは屋敷の主人から 「クリスマス・ボックス」というお金や贈り物が入った箱をもらって、家族が待つ家に帰った。
そこから「ボクシングデー」となったという説。
か…
教会が寄付で集めた貧しい人たちへのクリスマス・プレゼントの「箱(box)」を開ける日だった…という説があるらしい。
とにかく「休み」なワケ。
日曜日に当たると振り替えになるぐらい重要度の高い休日なんだけど、連中は12月20日すぎるとクリスマスの準備でみんな休んじゃうんだよね。
だから関係ないんじゃないかねェ?
そして、1月2日から普通に仕事をする。
私は日英の両方に合わせて年末は大晦日でも仕事があれば仕事をして、2日から仕事を始めます。
だってイギリスからメールが来ちゃうんだもん。
この期に及んでまた脱線でゴメンなさい。
今、クリスマスが近いでしょう?
連中は本気で心配してるんだよ。
コロナで自由にふるまえないでしょ?
戦争の時だってクリスマスは何らかの形で盛大に祝っていたハズで、こんなクリスマスは初めてなワケ。
商売も絡んでいるけど、それほど連中に撮ってクリスマスが重要なイベントだということがわかる。
 
そんな重要な日の翌日のジミは昼の部に出演。
夜の部はThe Pretty Thingsだった。
熱心なジミのファンにはアッパー・カット・クラブはハズせない存在だ。
ナゼなら、ジミはココの楽屋で「Purple Haze」のリフを作ったとされているからだ。
現地へ行くとそんなプラークがかかっている…らしい。

ある人が指摘していたけど、確かに「Purple Haze」のリフって「Taxman」に似ているな。
『Revolver』のリリースが66年の8月5日。
ジミのアッパー・カットはその約5か月後。
#9もメロディの具合も、頃合いもちょうどいい。

Php_2「Purple Haze」という曲自体はこの『Night of Light』というアメリカのSF小説にヒントを得ているんですってねェ。
中に「Kiss the sky」なんて場面があるのかな?Nol1966年末にはトッテナム・コート・ロードの「UFO」クラブに出てSoft Machineとジャム・セッション。
なんて言うと、ジャズ・ロックでギンギンに演ったのか?なんて期待する人もいるかも知れないけど、Soft Machineはまだアルバム・デビューもリリースしていないサイケの時代の話よ。Simg_0250ジミはロニー・スコッツや「Speakeasy(スピークイージー)」が大のお気に入りだったそうだ。
1967年、ジミはココでRahsaan Roland Kirk(ラサーン・ローランド・カーク)と出会う。

Simg_97611967年というとラサーンはアトランティック時代の代表作『The Inflated Tears』をリリースした年だね。
私は大学の時に数寄屋橋のハンターで800円でコレを買って当時よく聴いた。
ラサーンはまた別の回で登場するのでお楽しみに。Itしからば、「Marquee(マーキー)」はどうだったんだろう?
ウチにあるマーキーの本で出演記録をたどってみると、意外に少なくて、たったの2回。
初回は1967年1月24日。
前座なのか、ダブル・ヘッドライナーなのか、はたまた昔の屋根裏みたいに昼と夜の回が分かれていたのか知らないが、共演は「The Syn」というバンド。
コレはYesのクリス・スクワイアがいたチーム。
音源を聴いてみるとフォーキーだけど、なかなかよろしいな。
このマーキーの出演記録を見ていると、「Jimmy James and the Vagabonds」というバンドが毎月出ていることに気づく。
音源を聴いてみると、モロにソウル…ディスコっていうのかな?
「Jimmy James」って渡英前のアメリカでのジミの芸名だよね?
特にどこの記述にもみかけなかったけど、もしかして、この人と名前がダブっちゃうから本名の「Hendrics」を「Hendrix」に、同じく「James」を「Jimmy」⇒「Jimi」にしたのかね?
 
2回目の出演は1967年10月24日のThe Niceとの共演。
この時、キース・エマーソンとセッションをしてすさまじい演奏を繰り広げたそうだ。
チャスは録音をすすめられたが「『Axis:Bold as Love』の制作で忙しいから」と何もしなかった。
何でやねん!
聴きたかった!
ナニを演ったんだろうね?S0r4a0147<つづく>

200

2020年11月16日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 58 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.1>

 
今から45年前、ビートルズを卒業して、いよいよロックに夢中なり始めた頃、世の中はThe Bay City Rollers、Queen、KISSの嵐が吹き荒れていた。
いつもマーブロに書いているようにアマノジャクの私はそういう人気グループには目もくれなかった。
私の場合、ビートルズに次に好きになったのはトッドだった。
特にベイシティは女の子だけのアイドルで、男子のロック好きの間では相手にされていなかった。
でも、そうした偏見が消え失せた今聴いてみると、実にいいんだよね。
コレが齢を重ねる…ということか。
当時は私も「男はダマってディープ・パープル」のクチだった。
ツェッペリンの『The Song Remains the Same(永遠の詩)』が封切りになって、『ウッドストック』を観に何度も映画館に足を運んで…も~寝ても覚めてもロック、ロック!
新しい音楽との出会いが楽しくて楽しくて仕方なかった。
当然ジミ・ヘンドリックスも聴いた。
「ロック・ギターのすべてを変えた」とか何とか、ロックの歴史に関係する本を読むと必ずそんなことが書いてあったからね。
『ウッドストック』のジミ・ヘンドリックスはそりゃカッコよかったけど、本当に彼の音楽やギターが好きになれたかと言うと、どうしてもシックリ来なかった。
ま、簡単に言えば、良さがわからなかったんだね。
それが、付きつ離れつ、時が経つにつれて段々その魅力がわかったような気がして、最終的には自家薬籠中のモノになった。
その後、Marshallの仕事をするようになり、またイギリスに頻繁に行くようになって、さらにジミ・ヘンドリックスに興味を持つようになったというワケ。
かつてあんなにツマらないと思っていた『Electric Lady Land』も今では存分に楽しむことができるのだ!
さて、私が初めてロンドンに行ってからかれこれ20年近くが経つんだけど、初めて「ジミ・ヘンドリックスが住んでいたフラット」を訪れた時にはそれはそれは感動したものだった。
「ハハ~、ココにジミヘンがネェ…」

11_img_7617でも当時は青いプラークが付いたその建物を外から見るだけで、中に入ることはできなかった。

Img_9931_2それがロンドンの観光ポイントを増やそうという当局の動きなのか、2年前から中を公開するようになった。
そうと来れば、行きたいにキマってますわナァ。
で、チャンス到来、去年早速行ってみた…というワケ。
今回はそのジミ・ヘンドリックスがかつて住んでいたフラットのレポートを中心に、長年の間に撮りためたロンドンの写真からジミにまつわる場所をかき集めて記事を編んでみた。
記事を書くに当たり、ジミ・ヘンドリックスに関する本数冊からロンドン時代のページを拾い読みをしてみたが、多くは下のWilliam Saundersという人が書いた本の力を借りた。
タイトルもそのものズバリ『JIMI HENDRIX LONDON (ROARING FORTIES PRESS社刊)』。
ロンドン時代のジミ・ヘンドリックスに的を絞って綴ってある一冊。
コレが、インターネットの通販サイトでチェックしてみると、見るも無残なレビューが寄せられているんだけど、コチラの英語読解能力の問題もあるし、斜めに読む分には全く問題なし。
ウソかホントかは知らないけど、新たな知識を得ることができてロンドン好きの私には結構オモシロかった。
ジミヘンとなると詳しい人や研究している人も多いだろうから知ったかぶりはゼロ。
いつも通りのロンドンの観光ガイドとしてご覧頂きたい。S0r4a1361_2ということで、オドロキなさんなよ…ヒースロー空港からスタートするよ。
つまりジミ・ヘンドリックスがイギリスに着いた日ね。
 
ジミがヒースロー空港に降り立ったのは1966年9月24日のこと。
ココは元々は「London Airport(ロンドン空港)」という名前だったが、この同じ年に「Heathrow Airport(ヒースロー空港)」に改名された。
リッチー・ブラックモアもココで働いていたことがあるんだよね。
よく知られている通り、The Animals(ジ・アニマルズ)のベーシスト、チャス・チャンドラーがジミをニューヨークから連れて来た。
チャスはこの6週間前にグリニッジ・ビレッジの「Cafe Wha?」というクラブでジミを発見した。
そして、ビックリ仰天したのはジミがどこのレコード会社とも契約をしていないことだった。
「話がうまくいきすぎる」とビビったらしい。
チャスはミュージシャンからプロデューサーに転身を図っていたので、さぞかしシメシメと思ったことだろう。
チャス28歳、ジミ23歳。

Simg_01681966年当時、イギリスの人口は半分が30歳以下。
新しいモノがジャンジャン誕生していた。
マリー・クァントによって生み出されたミニ・スカート、パンティストッキングもこの時代にイギリスから出て来た商品だ。
やっぱり新しい文化の原動力は若者なんだネェ。 
その頃、イギリスはブルースが流行っていたので、ロンドンはブルース・ギタリストだったジミー・ジェイムスが活躍するには恰好の場所だった。
「ジミー・ジェイムス」とはもちろんジミ・ヘンドリックスのこと。
「Jimi」という綴りは飛行機の中で考えた。
英語圏の人にとってはこの「J-i-m-i」という綴りがすごくエキゾチックに映るんだって。

09_img_0001ヒースローに着いた時、ジミがはいていたブーツは底が抜けていたそうな。
そのブーツにはイザという時とお守りの代わりに1ドル札が仕込まれていた。
ジミは世界最高のギャラを取るスターになった3年後もこの習慣を止めず、いつも帽子に1ドル札を忍び込ませていたそうだ。
過去のMarshall Blogに何回か書いているけど、ココの入国審査はモ~本当にウンザリするほど時間がかかる…イヤ、かかったモノだった。
それが、去年行ってみると、反対にこっちが心配になるぐらい簡単でスピーディだったので驚いてしまった。
1966年の時の様子はわからないけれど、ジミもやられてしまった。
通関まで3時間もかかったのだそうだ。

Simg_8836ジミの渡英に関する手続きをしていたのはチャスだったが、ワーキングビザを取得する時間がなかった。
何せジミを初めて見た時からたった6週間後の渡英だからね。
仕方なく観光ビザで入国しようとしたところ、ジミの膨大な荷物が税関係員の目に留まり不審者扱いとなってしまった。(註:着替えとギターしか持っていなかったという説もあり)
金がないので一旦アメリカに戻って出直すなんでことは到底できない。
困ったチャスはアニマルズの事務所に相談して一策を講じた。
当時はどこの国も外貨への両替の規制が厳しかった。
そこで、ジミをアメリカのソウル・シンガーということにして、イギリスで発生したポンド立てのギャラを現地で消費しに来た…という筋書きにした。
その頃はこういうことが本当に起こっていたらしい。
ちなみにこの時のジミの所持金は40ドルだったという。(註:コレも誰かから借りた40ドルだったという説あり)

Simg_8837無事に入国したチャス一行はヒースローからタクシーでハマースミスへで移動。
ハマースミスはあの「Hammersmith Odeon(ハマースミス・オデオン)」があるところね。
私は一時期ハマースミスにあるホテルを定宿にしていたので何度も滞在した。
ハマースミスのことは別のところで思い入れタップリに書いているので興味のある方はご覧あれ。
 

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>
 
さて、下の写真はその定宿から見て西の方角の景色。
わかりにくいけど、左側に見えるのはテムズ川。
国会議事堂からチョット上流にさかのぼっただけでこんなに細い川になっちゃう。
で、チャス一行が向かったのはこの写真の方角の反対側の「Gunterstone Road(ギュンターストーン・ロード)」というところ。
そこにZoot Money(ズート・マニー)の家があったからだ。
チャスは少しでも早くジミの顔をイギリスの音楽シーンで広めようと、ロンドンに到着し次第ズートの家に連れて行ったのだ。
ズートは60年代のイギリスでソウル、R&B系のスタイルで人気を博したシンガー/キーボード・プレイヤー。
この日、ズートのバンド、Big Roll Bandはライブの予定が入っていて、メンバーが勢ぞろいしていた。
ジミが訪ねるとさっそくバンドのみんなとジャム・セッションと相成った。
スキだね~。

Simg_1988そっち方面の音楽を聴かない私の場合「Zoot」というと、Zoot SimsかFrank Zappaの『Zoot Allures』にすぐつながっちゃうんだけどね。

Zs

Zaそこで早速Zoot Moneyを聴いてみる。
この『Zoot!』というタイトルのライブ盤はつとに有名だけど、コレが実にカッコいいではあ~りませんか!Zmこのライブ盤を収録したのは「West Hampstead(ウエスト・ハムステッド)」駅からすぐのところにある「Klooks Kleek(クルックス・クリーク)」というジャズ系のライブハウス。
ココはすごいよ。
The Nice、The Sensational Alex Harvey Band、Stevie Wonder、Jethro Tull、Led Zeppelin、Georgie Fameから、新しいところではPretenders、U2、Cure、Joy Divisionまで大物がゾロゾロと出演していた。

Simg_1871数件先には昔、Deccaのスタジオがあった。
今はバレエ団のスタジオになっているが、ココはビートルズがオーディションを受けに来て失格となった場所としてよく知られている。
ビートルズに勝ったのはBrian Poole & The Tremeloes。
このあたりのことはコチラをどうぞ。
  ↓  ↓  ↓
【Marshall Blog】 ビートルズに勝った男

Simg_1860さて、今回ズートのことを調べていて驚いた。
ジミ・ヘンドリックスの研究家でもあるギタリストの三宅さんと話をしていると「ジミってロンドンに着いた日にアンディ・サマーズとセッションしているんですよね」とおっしゃる。
私は知らなかったんだけど、なるほどなるほど、The Policeのアンディ・サマーズはズートのこのBig Roll Bandのメンバーだったのね。
要するにチャスとジミがズートの家に行った時、後のPoliceのギタリストがそこにいた…というワケ。
イヤ、それよりも驚いたのは、このBig Roll Bandのベーシストだよ!
なんとポール・ウィリアムスだったっていうんだよね。
あの『ファントム・オブ・パラダイス』の「スワン」とか「An Old Fashioned Love Song」の方じゃないよ。Pop 後にアラン・ホールズワースと組んだTempestとか、Juicy Lucyのシンガーの方ね。
やっぱりあの声だからね、R&B系の音楽がルーツであったとしても何の不思議もない。
どちらかというとアランと一緒に演っていた方が不思議だわ。

Io_2

Io_1ジョン・メイオールの関係なんだろうけど、この人、Aynsley Dunberのところにいたんだよね。
ご存じの通り、エインズレーはザッパとかJourneyとかジェフ・ベックのところで叩いていたイギリスを代表する名ドラマー。
下のアルバムでザッパの「Willie the Pimp」を演ってるの。
声を変えているので歌っているのがポールかどうかはわからないんだけど、まったく聴きどころのない演奏を14分半の間聴いているのはかなりの苦行で、買った時以来ウチのCD棚から出たことが一度もないアルバム。
そういうのがゴマンとあるんですけどね。Bw_2ちなみにJimi Hendrix Experienceのドラムスの座は、オーディションをした時にMitch Mitchel(ミッチ・ミッチェル)にしようか、もうひとりのドラマーにしようか甲乙付けがたく、コイン・トスの結果でミッチに決まったというのは有名な話。
そのもう1人のドラマーがエインズレー・ダンバーだった。
正解だったのではないでしょうか?
それよりも、投げたコインはどの硬貨だったんだろう?
下はチョット前のデザインのイギリスの硬貨なんだけど、上段左から右に…1ポンド、50ペンス、20ペンス、10ペンス、下段左から5ペンス、2ペンス、1ペニー、Marshallのプレクトラム。
他に2ポンド硬貨ってのもあるんだけど、重いのでどうしても現地で使っちゃうので家には1枚もなかった。
「ペンス」は「ペニー」の複数形ね。
イギリスではピックのことを時として「Plectrum(プレクトラム)」と言うのよ。
と、見ての通りコインの大きさがすごくまちまちなの。
投げるには5ペンスコインは小さすぎるし。
1ポンドコインなんかは厚みがあるので、立っちゃったりしてね。
66年当時だと、シリング硬貨というのもあったし。
1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンス…ヤダね~。
でもコレはあまりにもややこしいので1971年に廃止された。
一体どれを投げたのか非常に興味があるワケです。
今度イギリスではコイン・トスをする時に普通どの硬貨を使うのか現地の人に訊いてみよう。S0r4a1356コレは紅茶で有名な「Fortnum and Mason(フォートナム&メイスン)」の階段。
外観の写真が見つからなかった。
近くを歩いていてトイレに困った時、おススメです。
男子は6階。Simg_0415_3一方、コレは「St. James Palace(セント・ジェイムス宮殿)」。
ロンドンにある最も古い宮殿のひとつで、アン王女の住まい。
かつてはチャールズ皇太子やウィリアム王子、ヘンリー王子もココに住んでいた。Simg_7486_2アン王女はエリザベス女王の長女ね。
かつてMarshallの工場に来てくれたことがあった。Hrh_hrh_the_princess_royal_vist__20 そのフォートナム&メイスンとセント・ジェイムス宮殿のちょうど真ん中ぐらいの「Mason's Yard(メイソンズ・ヤード)」というところに「White Cube」という美術館がある。
実は行ったことはなくて、このあたりはインターネットからの借りものなんだけど…S2ss_2この横にあるクラブがスゴイ。
外装の工事をしているところね。
ココは「Scotch of St.James(スコッチ・オブ・セント・ジェイムス)」というラブができる高級クラブで、60年代のトップ・ミュージシャンが集う社交場だった。
オープンは1965年の7月。
オープニングに当たってはビートルズのメンバーが3人、ストーンズからはチャーリー・ワッツが列席した。
他にもThe Who、The Kinks、The Animals、The Holliesのメンバーがいたという。
ポールがスティーヴィー・ワンダーに初めて会ったのもこの店…「Ebony and Ivory」の17年前のこと。
隣の白い壁のお店は「Indica Gallery(インディカ・ギャラリー)」。
ここにアート作品を出展していた日本人は、おじい様が元日本興業銀行総裁、お母様が安田財閥の祖の孫、というスーパー良家のお嬢さんで、後に「ジョン・レノン夫人」となる小野洋子だった。
フランク・ザッパとも共演してるからナァ。
そういうえば、「サディスティック・ミカ・バンド」というバンド名は「プラスティック・オノ・バンド」のパロディだということをつい最近知った。
ちなみにミカ・バンドはRoxy Musicの前座でイギリスをツアーした時、ロンドンの会場はウェンブリー・アリーナ(当時は「ウェンブリー・エンパイア・プール」)だったんだゼ…ノーギャラだったらしいけど。
で、そのインディカ・ギャラリーに展示を見に来たジョンが、アフター・パーティを開いたこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスでヨーコさんと知り合ったっていうんだよ。Ss2sg_2Sonny and Cher(ソニー&シェール)が「I Got You Babe」という曲のビデオをココで撮影した…とある。
シェールは70年代にグレッグ・オールマンの奥さんだった人ね。
結婚後、わずか9日で離婚訴訟を起こしたとか…。
理由はグレッグが薬物とアルコールの依存症だったからというんだけど、オイオイ、そんなの結婚する前に知っとけよ!という話ではあるまいか?
結局4年間その婚姻生活は続いた。
「シェールとグレッグ・オールマンが離婚!」という記事を当時の音楽雑誌で読んだ記憶がある。

さて、わざわざアメリカから来て撮影するぐらいなんからよっぽどこのクラブが有名だったんだろう。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの効果か?
と、早速YouTubeで検索すると、出てきたのがコレ。
アップが多くて周りの様子がわかりにくいが、とても「高級クラブ」には見えないナァ。
それともこのビデオじゃないのかな?
他にもThe Whoはココで「Tommy」を初披露。
トム・ジョーンズも、ロッド・スチュアートもエルトン・ジョンも常連さんだった。
 
で、ジミ。
ヒースローからズートのところを経て、ジミはココで初めてロンドンの人前で演奏した。
何しろ、チャスが「Track Records(トラック・レコーズ)」と交わした契約書はこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスの紙ナプキンだったという。
ノンビリしてたんだネェ。
1980年に閉店し、2012年に再開して現在に至っているが、このお店の60年代の威光を知る人はもう少ないらしい。Ssosj ジミはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスで知り合ったキャシー・エッチンガムといい仲になり、ハイド・パークの北側の「Bayswater」というところにある「Hyde Park Towers Hotel」というところに滞在する。
今は「Hyde Park Inn」という名前のホテルになっている。
ロンドンにはこの手のホテルがウジャウジャあってどれも格式が高そうでいい感じなの。
中はきれいにリノベーションされているんだけど、たいていは19世紀に建てられたモノだけあってオンボロはオンボロだわね。
このハイド・パーク・タワーズ・ホテルも例外ではなく、19世紀の初めの建物でキャシーによると、ベットの上で飛び跳ねようものならベッドの足が床を突き破りそうだった…という。
ま、コレは54年も前の話だからして、今はもうそんなことないでしょう。

Img_7316ジミはココで「Stone Free」と「Love or Confusion」を作曲したという。

Img_7312場所は変わってマーブロにやたらとよく出て来る「Saville Row(サヴィル・ロウ)」。
『名所めぐり』をご愛読頂いている方には「またかよ!」ということになるかもしれないけど、この後にやるThe Kinks特集にも出て来るから!
この通りに入って少し行った右側にあるのが…

Simg_0408ビートルズのAppleの本社だったビルがある。
ルーフトップ・コンサートをやったところね。

Simg_4796それをもう少し行くと同じ右側に『Poole & Co.』という洋服の仕立て屋さんがある。
ご存じの通り、「Saville Row」は「背広」の語源にもなった通り、「Bespoke tailors(ビスポーク・テーラーズ)」、すなわちオーダーメイドの洋服屋さんが並んでいる通り。
紳士の国だからして、世界でも第一級のテーラーが揃っている。
その中で、この「Poole & Co.」というのはサヴィル・ロウで最も歴史のあるテーラーなのだそうだ。

Simg_4799こんな本も出ているぐらい。
てっきり通りの入り口にある有名な「Boosey and Hawks(ブージー&ホークス)」が一番古いのかと思っていたらさにあらず。
しかも、今日期せずして2人目の「Mr. Poole」!Hpbで、このお店の隣にかつてThe Animalsの音楽出版社で「Clarins('クレアリンズ'っていうのかな?)」という会社があった。
ジミたちはその事務所を借りてデビューに向けてリハをしていたのだそうだ。
課題曲の1つはWilson Picketの「In the Midnight Hour」。
ミッチはドラムスの先生であるジム・マーシャルの影響か、ジャズの影響を受けていて、Elvin Jones(エルヴィン・ジョーンズ)風に演奏したがったという。
ジミは「やってみよう」と積極的だったが、チャスはそのプレイを快く思わなかったらしい。
もう1曲はチャスが予めExperienceの最初のシングルにしようともくろんでいた「Hey Joe」だった。
 
オモシロイ話があって、当然リハーサルは爆音でしょう。
この辺りはそんな洋服屋が集まっているところなので、とても静かなエリアだ。
ある日、その爆音に耐えかねて、「もっと静かにしてくれませんか?」とクレームを申し入れに来た人がいた。
後でわかったことらしいんだけど、ナント、この人ヘンリー・マンシーニだったんだって!
ホンマかいな?
 
下はPoole Co.の作業室の様子。
この辺りのテーラーは皆、半地下に作業場を設けていて、こうして中が丸見えになっている。
皆さん、とても忙しそうにしていた。

Simg_4800そして、デンマーク・ストリートのリージェント・サウンズ・スタジオで「Hey Joe」のデモ音源を制作した。

Simg_1130Jimi Hendrix Experienceの最初のシングル盤「Hey Joe」。
「Little Wing」とセットでジミのバラード曲のように思っている人が多いようだけど、コレはジミの曲ではありませんからね~。
基本的には1962年に著作権登録をしたBilly Roberts(ビリー・ロバーツ)というカリフォルニアのミュージシャンの作品ということになっているが、 このあたりのことは相当ゴタゴタしているようだ。
オリジナルを聴いてみると、ジミのバージョンがおっそろしくデッド・コピーだったということに驚かざるを得ない。
チャスのオーダーだったんだろうね。
そしてひとつ気がついたんだけど、間奏でE7#9が出て来る。
コレ、「ジミヘン・コード」とか呼ぶ向きもあるらしいんだけど、ジミは「Purple Haze」のイントロ
はこのビリー・ロバーツのアレンジにヒントを得たのではないだろうか?
「イエイ、このコードをガツンと使ってGからAに持っていってやれ、イエイ」みたいな。
そういえばGもAも#9で弾いているバージョンもあるよね。
それとこのイントロのピックアップの2拍って、Yesの「Sinerian Khatru('サイベリアン・カートゥル'。’シベリアン’は誤り)」とまんま同じだと思っているのは私だけでろうか。
 
調べてみると、「Hey Joe」ってものすごくたくさんの人にカバーされているのね。
失礼ながら、どこがそんなにいいんだろう?
「おいジョーよ、銃なんか持って、オマエさん一体どこへ行きなさるつもりデェ?」
という幡随院長兵衛風の歌詞がいいのかしらん?
「お若ェの、チョットお待ちなさい」というのは遊女に惚れ込んで、吉原行きたさに130人も辻斬りした平井権八に長兵衛がかけたとされるセリフ。
ジョーの方も「オレの女をブッ殺しに行くところだぜ!あのアマ、浮気してやがったんデェ!」と穏やかではない。
コレを4小節のメロディを延々と繰り返す「歌謡一部形式」の権化のようなスタイルで歌い込む。
スゴイね、昔の曲は。
今の「ありがとう」、「がんばって」とはとても地続きだと思えない。
B面の「Stone Free」は上に書いた通り、渡英直後に「Hyde Park Towers Hotel」で書いた曲。

Hj録音は「De Lane Lea Studio(デ・レーン・レア・スタジオ)」。
場所はピカデリー線ホルボーン駅の向かいぐらい。
ごめんなさい…写真はないの。
前回この近くに数日滞在してこの辺りを何回も歩いたんだけど気がつかなかった。
というのは、移転してしまって影も形もないし、そもそも頭の中になかったわい。
吉原の記事みたいに「チョット行って撮ってくらぁ!」というワケにはいかないし…と言うよりイギリスに行くことすらできなくなっちゃった!
他にも写真を撮っていなくて臍を噛む場面がいくつも出て来ます。
いつかまとめて写真を撮ってきます!

2holbかわりに、DeLane Leaスタジオを出て左に行った角を曲がったところにある「Princess Louise(プリンセス・ルイーズ)」というパブを紹介しておこう。
オープンした1891年当時の内装がそのまま残っている素晴らしいお店。
ロンドンでパブ・クロウリングをするなら絶対にココは落とせない。
でも、今は閉まってんだろうナァ。
興味のある人はコチラをどうぞ。
 ↓  ↓  ↓
【Shige Blog】イギリス紀行2019 その5 ~ パブがスキ!<後編>
 
今真っ只中のイギリスの2回目のロックダウンは12月2日まで!

Simg_8023チョット短いけど、今回はコレでおしまい。
 
<つづく>
 

200

2020年10月13日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.57~変わりゆくロンドン <その7:最終回>絶滅に瀕するロック名所

 
デンマーク・ストリートのことをイザ本格的に調べ始めたらやたらとオモシロくなっちゃって、予想をはるかに上回る長編になってしまった。
「ロンドンもドンドン変わっていくな~」と約20年にわたる定点観測の結果をテーマに据えたが内容がボケてしまった感もあるけど、ま、それも仕方がない。
わかる人、あるいは興味のある人には結構お楽しみ頂けたことと信じている。
そして、今日は「変わりゆくロンドン」の最終回。
 
昨年ロンドンに行った時、長きにわたってMarshall Blogで案内してきたチョットした「ロック名所」も次々と姿を消して行きそうなヤバイ雰囲気を感じましてね。
最終回はそんな絶滅の危機に瀕しているかもしれない「名所」をチェックしてみたいと思う。
同時に「名所」に限らず、一般的な街の変化についても感じたことを書き記しておきたい。
 
例えばこの風景。
コレは5年前にタワー・ブリッジの上の渡り廊下から撮った写真。
右下のお城みたいな建物は有名な「Tower of London(ロンドン塔)」。
ゴメンなさいね…「ロンドン塔」はリック・ウェイクマンの『ヘンリー八世と六人の妻』で詳しくやろうと思っていたんだけど、なかなか筆が進まん!
そのウチに再開するつもり。
で、この風景。
東京に比べれば笑っちゃうぐらい高層ビルが少ないけど、私が初めてロンドンに来た時にはこんな建物はほとんどなかった。
10撮影した場所は違うけど、去年のようすがコレ。
ジャンジャン高層ビルが増えて景観を壊し続けている。
東京みたいになるな!
でも、ロンドンは何百年経っても東京ほど殺風景には決してならないでしょう。
それは街中の緑の量が圧倒的に違うから。
220ロンドンの「忠犬ハチ公」、ピカデリー・サーカスの「エロスの像」。
ここは変わっていない感じがするけど、昔はこの像の後ろ側は車が走っていたような気がする。
イードゥンのベーシスト、おひとり様写っています。

20「ハチ公」といえば…Marshall?!
「V犬ハチ公」だって。
田川ヒロアキさんが送ってくれた写真。
渋谷の109に飾ってあるそうな。
S8kさっきの反対側から見たようす。
「TDK」に「SANYO」…私の中ではコレがピカデリー・サーカスのデフォルトの光景。

30SANYOは1984年、TDKは1990年からこの場所に広告を出し始めた。
かつては、パナソニック、富士フィルム、キャノンなんかも掲出していたとか。
ところがSANYOは2011年に、そしてTDKは2015年にそれぞれ撤退してしまった。
ま、SANYOは会社モロともなくなっちゃったんだから仕方ない。
TDKはカセット・テープの需要がなくなり、もはや一般大衆に向けて看板を掲出する意味がなくなったので撤退を決めたのだとか。Srimg0214TDKはカセット・テープ以外にフロッピー・ディスクも作っていたけど、最近フロッピーなんて見たことないもんね。
昔はワープロひとつ立ち上げるのに何枚もパソコンに突っ込んで読み込ませていたものだったけどね~。
そういえば、今は「ワープロ」なんて言葉も聞かなくなった。
「モノ」がなくなったから「言葉」がなくなったんだよ。
英語圏の人たちは日常の生活で20,000語を使っているといわれている。
多分、この数はドンドン増えているでしょう。
一方、日本人は50,000語使っているといわれていたが、コレはかなり減っていると思う。
そもそもこの5万語の中には擬態語とか擬音語も含まれているので、そうした表現が豊富な日本はどうしても語彙数が増えてしまう。
スゴイと思わない?…お年寄りのことを「ヨボヨボ」と表現するなんて…英語で言えないよ。
歩く表現ひとつ取っても「テクテク」、「スタスタ」、「ぴょこぴょこ」、「トコトコ」、きっとまだあるでしょう。
雨や雪や風の表現とかね。
本当に日本語は素晴らしい言葉なんだよ。
でも、そうした言葉は日常的に使われているので無くなる心配はない。
圧倒的にヤバイのは名詞。
例えば生地や和装のスタイルの名前。
色の名前なんか悲惨だよ。
落語を聞いていると、登場人物が身に着けている服装をすごく詳しく描写するでしょ?
もちろんアレは情景を描くためなんだけど、それだけではなくて、着ているものを詳しく描写することによって、着ている人の身分や家柄や性格を説明しているんだね。
素晴らしい芸当だと思う。
だからコレがわからないと本当に噺をわかったことにはならない。
 
日本人は衣食住からたくさんの「和」のアイテムを切り捨ててしまったため、膨大な数の語彙を失っていることに気付くべきだ。
着物の色を表現するのに、信じられないぐらいたくさんの言葉があるのね。
それらがゴッソリなくなってしまった。

40コレは2012年の同じ場所の夜景。Simg_7974夜でもこうした大道芸人が出て来てたくさんの人だかりができる。
コレ、渋谷のスクランブル交差点か、浅草の雷門の前みたいなもんだからね。
こんなの日本じゃ絶対に許されない。Simg_7967そして、例の広告はSANYOが撤退してTDKだけになった。
SANYOが広告を出していた場所に韓国の「HYUNDAI」が入り込んだ。
 
写真の右半分を見て。
街並みがすごく暗いでしょう?
コレってまだ宵の口ですからね。
Simg_7847コレは2015年。
とうとうTDKも撤退してしまった後。
「HYUNDAI」だけでなく、左には「SAMSUNG」のロゴも登場し出した。50そして、2019年のようす。
HYUNDAIがコカ・コーラを押しのけて最上階に移動して、横のSAMSUNGのスペースが大きくなった。

数年前にファンキー末吉さんがご自身のブログに記していたことを思いだす。
ご存じのようにファンキーさんはドラムスの普及活動で長きにわたって日本と中国との間を行き来している…というより、もう中国人にお成りになられたと言っても過言ではないぐらい中国に入り込んでいらっしゃる。
今はカンボジアに滞在してクメール語を熱心に学んでいらっしゃるようだ。
相変わらずのスゴいチャレンジ精神だ。
英語圏の人たちが日本語を学ぶように、アルファベットも漢字も使用しない言語をゼロから習得するのは並大抵のことではないであろう。
さて、ファンキーさんがブログでおっしゃっていたのは「かつては中国のどこへ行っても『日本人、日本人』と親切にしてくれたが、最近は全くそういう傾向が見られなくなった。その原因は『経済』である。かつて繁栄を極めた日本の経済が斜陽化し、国際経済力が鈍った途端、誰も日本人に興味を示さなくなり、態度が冷たくなった」
正確ではないが、大意に誤謬はないであろう。
私はこういうことこそ、つまりファンキーさんが肌や空気でお感じになったことこそが日本の「景気」や「世界の中の日本の地位」を正確に示しているのではないかと考えるのだ。
もちろんピカデリー・サーカスから日本企業の広告が消え失せたからといって現地の人にイジめられるなどということは全くないが、これらの韓国企業の広告を見るたびにこのファンキーさんのブログを思い出すのだ。60このリージェント・ストリートに沿って思いっきり湾曲しているビルね、何ていう名前だか知らないけど、初めて見たときは感動したナァ。
「ヨーロッパに来た~!」って感じ。

70夕方になるとこんな感じ。
何やらゴージャスな雰囲気でしょ?

Simg_7972もっと暗くなるとこんな感じ。
照明が当たっている部分は明るいけど、街全体が暗いと思わない?

Simg_7849_2チョット脱線。
ロンドンの街って街灯が少なくて、夜間の明かりといえば建物に当てた照明がメイン。

Img_7807ココはレスター・スクエア。

Img_7848銀座4丁目とか、新宿歌舞伎町とかいう一番の繁華街でコレだからね。
ネオンサインがないの。

Img_7812どこでも明るい東京の夜とは大違い。
マンハッタンだってあんなにネオンがギランギランなのはせいぜいタイムズ・スクエアぐらいなものだ。
東京は異常だよ。
アレで電力不足がどうのなんて…狂っているとしか言いようがない。

Img_7822さて、コチラはかなり前の写真。
1階のウインドウを見て…黄色い看板が出てるでしょう?
コレ、TOWER RECORDSの看板なの。
こんな街のど真ん中にまだレコード屋があったんですよ。

80『上流社会』、『回転木馬』、『アニーよ銃をとれ』…見たことがなかった廉価版のCDがあったのでこのTOWER RECORDSで買ってみた。
この頃はまだオックスフォードストリートにVirgin Mega StoreやHMVがあった。
当時日本では売っていなかった『This is Spinal Tap』をVirginで手に入れてうれしかったのを覚えている。
バーウィック・ストリートに行けば今でもまだ少し小さいレコード屋が残っているけど、大きい店は絶滅した。
変わりゆくな~。
90ちょっとコロナがらみで変わってしまったことを…。
もう1回ピカデリー・サーカスに戻りますよ。
 
SANYOとTDKの看板のビルと向かいのロンドン・パヴィリオンの間を走る道が「シャフツベリー・アヴェニュー」。
「street」、「road」、「avenue」、「boulevard」、「lane」、「alley」、「path」、「crescent」…全部「道路」関係のtン後。
も~、ホントにややこしいよね。
イギリスでは「avenue」ってのを見ないナァ。
パッと思いつくのはこの「Shuftesbury avenue」ぐらいか?
Simg_0225ロンドンで「boulevard」ってのは見たことがない。
でも、Marshallの本社があるミルトン・キーンズの駅前にいくつかあるのを知ってる。Simg_0615このまっすぐに伸びた広い通りの名前を「Midsummer Boulevard(ミッドサマー・ブールヴァード)」という。
青春映画のタイトルみたいでしょう?
やっぱりブールヴァードはロサンゼルスだよね。
ミルトン・キーンズは1960年代に人工的に作られたイギリスで一番新しい町(city)なのでアメリカのマネをしたのだろうか?(元々は「ミルトン・キーンズ村」だった)
そういうことは厳に慎んで頂きたいものである。Simg_0614 イギリスの「ブロードウェイ」、シャフツベリー・アヴェニュー。
たくさんの劇場が立ち並び、演劇やミュージカルで夜毎華やかな賑わいを見せるエリア。
この標識にあるように「Theatreland(シアターランド)」というニックネームが付けられている。
そんな世界に冠たる劇場街もブロードウェイ同様、年末までの公演をすべてキャンセルした。
100Marshall Recordsのヘッドで生粋のロンドンっ子のタネさんがロックダウンの時、電話で「シャフツベリーに誰もいない!」とショックを受けていたのがすごく印象に残っている。
こんな感じだったのであろうか?
コレはただ朝早いから(…といっても9時半ぐらい)人がいないだけなんだけどね。
イギリスでは約3割のミュージシャンが、もうこんな状況に凝りて職業を変えようとしているとか…。
ロンドンはロック・コンサートだけでなく、ミュージカル、芝居、バレエ、オペラを含むクラシック音楽等々…東京なんか足元にも及ばない程ショウビジネスが盛んで、それだけそうした現場で働くミュージシャンを抱えているワケ。
何せそうしたエンターテイメントがほぼ365日、ほぼ毎日上演されているんだからスゴイ。
今、それがいとも簡単にスッポ~ンとなくなっちゃったんだから大ゴトなワケよ。
コワいよね。
グレードを選びさえしなければそれだけチャンスがある反面、こうしたことが起こった時の競争も世界一なんだから。
 
…と思っていたら、2、3日前にブロードウェイは来年の5月末まで閉鎖するというニュースを目にした。
本当に大変なことになった。
尚、悪い状況が続くイギリスだからして、ウエスト・エンドも同じようなことになる可能性が非常に高いだろう。

110コヴェント・ガーデンにほど近い「St. Martin's Theatre(セント・マーティンズ劇場)」。

190ココではアガサ・クリスティ原作の『The Mousetrap(ねずみとり)』という芝居がかかっていた。
1952年から!
私は観たことないんだけど、オフブロードウェイの『Fantastics!』も有名だよね。
あっちは1960年に始まって2002年まで続いた。
確か定休日以外に上演を休んだのは、ケネディ大統領が暗殺された時と、ニューヨークの大停電の時、それと多分、同時多発テロの時だけ…みたいなタフなミュージカルだった。
でも『Mousetrap』は期間で言えば『Fantastics!』を寄せ付けない実績があった。
何せ68年間だからね。
200ところが!
その公演も今年止まってしまった。
コレもコロナにより大きな変化と言えるのはなかろうか?

210それと、チャーチル。
こっちはコロナではなくて、アメリカから端を発した人種差別排斥運動。
この国会議事堂のそばに立っている象がブッ壊されてしまうかもしれないからナニかで覆って保護しよう…という動きがあった。
結局、対応したのかどうかは知らないけど、マァ、ナント短絡的なことよ。
リバプールの「ペニー・レーン」の話もそう。
今更ナンダ?と
私はイギリスが大好きだけど、過去にナニをしでかしたかの勉強をなるべくするようにしている。
要するに大英帝国の悪事を。
産業革命が後押しした大西洋の「奴隷」とアジアの「麻薬」を主商品とした2つの三角貿易、中東の三枚舌外交、原子爆弾の開発、最近ではBREXIT、現在も続いている世界の紛争のほとんどの火種がイギリス・スタートだもんね。
それでいてアータ、イギリスへ行った人ならわかると思うけど、世界中荒らし回ったクセに自分の国の中は緑だらけであんなに美しくしちゃって…。
色々な問題はあるにしても、今のイギリスの人たちはその恩恵を受けて豊かな生活をしているワケでしょう。
奴隷貿易によって得た富が「美田」とはとても言い難いけど、ブリストルのエドワード・コルストンという17世紀の奴隷商人の銅像を破壊したりするような手の平を返したような態度もやりすぎではないか…と思うワケ。
でも、コレが連中の正義の表し方なんだろうな…日本人だったらどうしていただろう。

230vチャーチルついでに…。
コレはウインストン・チャーチルの生家、オックスフォード郊外のウッドストックというところにある「ブレナム宮殿」。
実家が「宮殿」で「世界遺産」ってどんなよ。
広大な庭園ではロック・フェスティバルが開催されるという。
でもね、駅からかなり遠いよ。
オックスフォード駅までバスで小一時間。
近くにコンビニもありません。
トイレの水が詰まってもすぐにはクラシアンが来てくれないようなところ。
もっとも公道からトイレまで歩けば何十分もかかるし。
不便なところだ。240そのブレナム宮殿で2015年に開催された『Grand Prix Ball』というイベントに出展したMarshall。
デッカ~!
仲良しのスティーヴ・ヒルが製作した。Gpb イヤイヤ、書きたかったのはデカいMarshallのことではない。
チャーチルのこと。
ご存じの通り、サー・ウインストン・チャーチルは「Never give in!(負けるもんか!)」のスローガンの下、名演説でイギリス国民を結束し、頭脳的な戦略と情報戦で第二次世界大戦で連合軍を勝利に導いた名宰相のひとりでしょう?
例のブレッチリーの暗号解読もチャーチルがいなかったら間違いなく実現しなかった。
もし、そうだったとしたら第二次世界大戦はまだ2年は続いていたであろう…と言われている。
他にもロンドンのはずれのコックフォスターズというところに「トレイシー」という極秘設備を作って話術で捕虜に自白させる技術の研究をしていたんだよ。
 
イギリス人と話をしていると、あたかも現役の総理大臣であるかのようにマーガレット・サッチャーの悪口を聞くことが今でもできるけど、サッチャーより時代が古いせいもあってか、今のところチャーチルの悪口は聞いたことがない。
そのチャーチルは大戦終結直前に首相の座をクレメント・アトレーに譲っている。
1945年7月に行われた総選挙でチャーチル率いる保守党が、福祉の充実を訴えるアトレーの労働党に敗れたのだ。
コレ、スゴいと思わない?
イギリスを戦争に勝たせた英雄をいとも簡単に退かせたんだから。
もっとヒドいのは一説によると、保守党の時代がしばらく続いたため、国民がそれに飽きてしまっただけ…っていうんだよね。
チャーチルの評判が悪くなったというワケではゼンゼンなかった。
ま、戦争も2か月ほど前に終わったことだし、国民が求めた変化の矛先が「これからは福祉」ということなんだろうけど、イギリス人のチャメっ気を象徴するような話だと思う。
こんなこと日本だったら絶対にあり得ないでしょう。
こういうところでイギリスの民主主義の成熟を感じるんだよね。
大人と子供だよ。
ま、歴史が違うということもあるけど、国民の政治への関心度合いが比べ物にならないぐらい違う。
日本の今の内閣の支持率はどうなったかな?
 
はい、マーブロには政治の話は持ち込まないようにしているのでチャーチルの話しは終わり。
ロンドンに行く機会があれば、ウェストミンスターにある『チャーチル博物館・内閣戦時執務室(Churchill Museum and Cabinet War Rooms)』に行くことをおススメします。
もうやってないかも知れないけど、入り口で案内をしているおジイさんの古式ゆかしい呼び込みの英語をお聞き逃しなく!
「Roll up, roll up!」とか「Say, say, say!」とかいう類のヤツね。
250シャフツベリー・アヴェニューからチョット入ったところが「Gerrard Street(ジェラード・ストリート)」。
いわゆる「チャイナタウン」。
ココはあんまり変わっている感じがしない。

Simg_0242ゲートをくぐってすぐ左のパン屋(だったかな?)もずっと同じ。
何しろココの地下でレッド・ツェッペリンの4人が初めてリハーサルをしたっていうんだからね。
「ホンマかいな?」感が拭えないのは周囲の中華環境ゆえか?

270v先回、楽器屋街の「デンマーク・ストリート」をご案内したでしょ?
Andy'sという楽器店の親分がこういうことを提案したことがあったそうだ。
「シャフツベリー・アヴェニューの劇場街が『Theatreland』、ジェラード・ストリートの中華街が『China Town』。
それなら楽器屋がズラリと並ぶ我がデンマーク・ストリートに『Music Land』というアダ名を付けて定着させようじゃないか!」
見事失敗。
誰かがデンマーク・ストリートのことを「ミュージックランド」と読んでいるのを聞いたことはただの一度もない。
日本の楽器屋さんならおなじみの名前だけど…。
 
ジェラード通りをずっと行くと…

Simg_0243「Gerrard Place(ジェラード・プレイス)」。S0r4a0163ちょっとした広場になっていて、ココにもローリング・ストーンズが初めてリハーサルをしたパブってのがあった…というか、今でもあるんだろうけど、お店が変わってしまってどこがそれかわからなくなってしまった。
かつては「Ku」というお店だったんだけど…。
やっぱり、街って変わっちゃうとわからないんだよね。
自慢じゃないけど、高校から大学の頃にあんなに通った新宿ロフトの場所が正確にわからなかったんだから。260ピカデリー・サーカス近くの「Savile Row(サヴィル・ロウ)」。
ビスポークの紳士服店がズラリと並ぶ「背広」の語源となった通り。
コレはまた数回後の「The Kinks特集」の時にやるので今日は軽く…。280サヴィル・ロウにあるビートルズの元Apple本社。
コレは2015年のようす。
今は洋服屋になってる。

290vこっちは2019年。
変わったでしょう?
「一体ナニ変わったの?」って感じ?

300vそう、プラークが付けられたのだ!
「1969年1月30日にビートルズがこの建物の屋上で最後の演奏をしました」
いわゆる「ルーフトップ・コンサート」ね。
50年前のロンドンの1月末…映画を観ていると、それほどでもないように見えるけど、寒かったろうナァ~。310v_3場所は替わってソーホーの「Old Compton Street(オールド・コンプトン・ストリート)」。

320vあ、店の看板に「BOULEVARD」って書いてある!
ココ「ブールヴァード・バー&ダイニング・ルーム」っていう名前だったのか!
今、気がついたわ。
でも、ココがどんな場所だったかは知ってる。330その昔、「2i's Coffee Bar」というバーというか、日本風に言えば「ライブハウス」で、ロンドンの、すなわちイギリスのスキッフルやロックロール・ブームのメッカだった。
言い換えれば「ブリティッシュ・ロック発祥の地」みたいなモノ。
この店で発掘されたアーティストがゴマンといるんだから…クリフ・リチャード、ハンク・マーヴィン、スクリーミング・ロード・サッチ、トニー・シェリダン、アルヴィン・リー、リッチー・ブラックモア、ミッキー・モスト、ビッグ・ジム・サリヴァン等々がそれとされている。
レッド・ツエッペリンのマネージャーとして知られるピーター・グラントは、それ以前にこの店で警備員をしていたという。340vそれが今コレ…去年のようす。
Poppies'sというフィッシュ&チップスのチェーン店になっちゃった。
2016年からだって。
前々回ロンドンに行ったのは2015年だったから知る由もなし。
プラークはそのままだけど…ナンカね~。
列に並んでいる若い人たちは上に挙げたアーティストの名前なんてひとりも知らないだろう。
イギリス人なら「クリフ・リチャード」ぐらいは知ってるか?
でもハンク・マーヴィンはムリだろうナァ。350カムデンで出くわしたPoppiesの宣伝カー。
この時はコレがフィッシュ&チップス屋だとは知らなかった。

S0r4a0016ソーホーに移動しました。
「Soho Sqare(ソーホー・スクエア)」という公園のとなり。
写真右の白い建物は「Dolby(ドルビー)」のイギリス支社。
ドルビーはアメリカ人のレイ・ドルビーがノイズ・リダクションの研究所をロンドンに設立したことから始まった。
だからかどうかは知らないが、世界で最初のドルビー技術を採用して撮られた映画がスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』なんだよ。
関係ないけど、この映画に何度も出てくるロッシーニの「どろぼうかささぎ 序曲」っていい曲だな。
最近、コレのパクリというのか、変奏曲とでもいうのか、ソックリな曲をTVCMかなんかで耳にした。
で、その手前の茶色っぽいビル。
360v「mpl」という看板が付いている。
370_2「mpl」は「McCartney Productions Ltd.」の略。
つまり、ポール・マッカートニーの会社。
1階は何にもないけど、外から2階を覗くとゴールドディスクの額が壁に並べて飾ってあるのが見えて、ポールがいやしないかと何度も行ってみたけど人の姿は一切見たことがない。
「mpl」は1969年に設立され、ビートルズ脱退後のポール自身の作品やバディ・ホリー、カール・パーキンス、フランク・レッサー、ハロルド・アーレンなどの作品の出版権を保有しており、また、数多くの同業者を傘下に収めていることで世界最大の非公開の音楽出版社とされていた。
「Mull of Kintyre」だけで一体いくら稼いだのかね?
この曲ってビートルズの「She Loves You」を抜いてイギリスでのシングル盤の売り上げ最多記録を打ち立てたとかいうんだよね。

380_2他にもアル・ジョルスンが取り上げてヒットした「Rock-a-Bye Your Baby (with a Dixie Melody)」の出版権もmplが持っているというのだから驚きだ。
私はサミー・デイヴィスJr.のレーザー・ディスクでこの名曲を知ったんだけど、ナンだってイギリスの会社が出版権を持ってるんだ?という感じ。
ま、フランク・レッサーやハロルド・アーレンの曲も同じことだけど。
「Blue Suede Shoes」や「That'll Be the Day」もそうなんだって。

Sdj上に「されていた」と書いたのは、もうココ何年かの間、いつ行ってもこうしてカーテンが閉められていて、どうも営業をしている雰囲気ではないのだ。
引っ越したのかな?
それとも廃業したのかな?
変わりゆくな~。385vmplをはさんでドルビーの反対側は『時計じかけのオレンジ』を制作したワーナーのライバル、20世紀フォックス社のロンドン事務所がある。Simg_0687 ところ変わってかつてのモッズのメッカ、カーナビ―・ストリート。
マリー・クアントもココからね。385ココは変わらないな…。

390と思ったらペットショップになっちゃった?!…ナンチャッテ。

400壁に取り付けられたプラーク。

インプレサリオ(興行師)/ドン・アーデンとモッド・バンド "Small Faces(スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガン、そしてジミー・ウィンストン)"らがココで働いていた。
1965-1967年
 
ココにSmall Facesの事務所があったんだね。
モッズの代表的存在なのでプラークが付けられたんでしょう。
410ドン・アーデンのアダ名は「Mr. Big」。
このプラークを見るたびにいつもFreeの曲と関係があるのかどうかが気になるんだけど、どうなんだろう…と、億劫がらずに歌詞を読んでみる。

「降っても晴れても仕事に精を出してんだ。

俺の女をどうこう言うんじゃネェ。
彼女はオレに首ったけ。
だからミスター・ビッグ、気をつけな。
デッカイ落とし穴掘っちゃうぞ。
アンタが誰だか知らねえし、聞きたくもネェ。
トットと消え失せて戻ってくるな。
アンタからは何も欲しくねぇし、何もやらネェ。
オレがキレる前に消え失せろ」

みたいな内容。
クレジットが4人になっているので誰の作詞か、また、浅学にしてアーデンとFreeの間に何がしかの関係があったのかどうかは知らないけど、アーデンがメンバーの彼女にチョッカイ出して起こっている歌だったのかしらん?
 
何しろアーデンは別のアダ名を「Yiddish Godfather(ユダヤのゴッドファザー)」とか「Meyer Lansky of Pop(ポップス界のメイヤー・ランスキー)」って呼ばれていたというんだから物騒な話だ。
ランスキーはかのラッキー・ルチアーノと親交が深かったニューヨークのユダヤ系のギャング。
アーデンのお嬢さんのシャロンは、皆さんもよくご存じの通り、オジー・オズボーンの奥さんだった人。
ジェリー・リー・ルイスもリトル・リチャードも、The MoveもBlack SabbathもELOもそんなコワいオッサンと仕事をしていたんだからスゴイ。
普通のことをしていてはスターになれないってことよ。
ドン・アーデンはバーミンガムの出身だからThe MoveやBlack Sabbathなんだね。FawThe Small Facesといえば『Ogden's Nut Gone Flake』。
そう来りゃ「Lazy Sunday Afternoon」。
スティーヴ・マリオットが思いっきりコックニー訛りで歌っちゃう。
あの「♪アフタヌーン、ナッ」の「ナッ」がタマらん!
歌や音楽を通じてアメリカの英語こそが「英語」だと思っている人が聞いたら「なんじゃコレ?」となること間違いなしの美しい(?)ロンドン英語。
コレが絶対にマネできない。
で、私、この曲で英単語をひとつ覚えました。
「lanbago」というのがそれ。
スティーヴがこう歌う。
 
Go blimey hello Mrs. Jones
How's old Bert's lumago?
(He musun't grumble)
 
いいね~。
「blimey」は「ブライミー」と読んで「ウワ!」とか「スゲエ!」みたいな意味。
ウチの社長が驚いた時、必ずコレを口にする。
ココでは挨拶のリズムみたいなもので多分意味はないでしょう。

 
「おやおや、こんにちはジョーンズさん
バートじいさんの腰の調子はいかが?
(彼は文句ばっかりよ)」
 
ぐらいの意味かな?
この「lumbago」、「ランベイゴウ」と読む。
「ルンベオゴウ」の方が近いかな?
医学用語はラテン語が元になっているモノが多くてすごく難しいよね。
意味は「腰痛」。
私は椎間板ヘルニア持ちなので、一発で覚えた。
ま、普通は「backache」で十分通じるけどね。
コレでイギリスで腰が痛くなっても安心、安心。
でも、どうか海外でこの単語を使うことがありませんように…。
あああああ、ロンドン行きたいな~!
 
名盤の誉れ高い『Ogden's Nut Gone Flake』、正直この「Lazy Sunday Afternoon」ぐらいしか聞かないんだけど、どうしてもこの缶カラの入れ物が欲しくて大分年か前にCDを買い直した。S0r4a0080また脱線。
facebookを眺めていたけど、レッド・ツェッペリンは「天国への階段」の裁判で勝訴したんですってね。
Spiritファンのお気持ちはいかがなモノか?
一方、「胸いっぱいの愛を」で知られる「Whole Lotta Love」。
こっちは負けていたんだね?
なんでココで出てくるのかというと、もちろんThe Small Faces。
デビュー・アルバムに収録されている「You Need Loving」。
もうロバート・プラントがマリオットのモノマネがいかに上手だったかがよくわかる…ほとんど完コピ!
実際によくThe Small Facesをよく観に行っていたとか…。
でもこの曲の元はブルースのヒットメイカー、ウィリー・ディクソンの「You Need Love」。
そしたら最近は「Whole Lotta Love」のクレジットに「Willie Dixon」の名前が入ってるのね!
不勉強ですみません。
 
この3つを聴き比べてみるに…。
①ディクソン⇒The Small Faces ②The Small Faces⇒Led Zeppelin
①の料理の仕方はもちろん最高なんだけど、②の方がスゴイのではないか?なんて思っちゃうのは私が現代っ子だから?
不思議なのは、②みたいなことができるんだったら、パクリではなくてゼロからスゴイものを作ることができそうなもんだけどネェ。
コレをしなかったからアタマがヨカッタんだよね。
人間って、丸っきり新しいモノを受け入れるのがスゴく苦手で、「どこか聞いたことがある」というパクリ・トリックを入れておかないとウケないもんね。

Sf あまり人の口には上らないけど、The Small FacesはThe Whoと並ぶ揺籃期のMarshallを発展させた功労者なんですよ。
下はノッティンガムの「The Dungeon Club」の時のようす。
スティーヴの向こうにAキャビが2つ積み上げられている。
右のロニー・レーンの後ろに見えるのは1965年当時出来立ての100Wモデル、JTM100か?
何しろThe Small FacesとThe Whoは、当時ジム・マーシャルが新しく作ったアンプの取り合いをしていたという。
だから、製品に付いているシリアル・ナンバーが交互に行ったり来たりしていたんだって。
そういう記録がハッキリ残っていればオモシロかったのにね。
それにしても1960年代中頃の出来立ての100WのMarshallと若かりしスティーヴ・マリオットの声のステージってどんなんだったろうか?
  
ちなみにノッティンガムというのはロビン・フッドの故郷。
ココの英語もかなりキツい。
「エイアプミ、ドック!」なんて言われてもモチロン全然わからなかった。
コレは「Ay up mi, duck!」と言っていて、意味は「こんにちは私のアヒルさん」。
要するにただの挨拶。
「duck」というのは親しい相手に愛情を込めて使う表現なのだそうだ。
そもそもコレを聞いた時、「dog」かと思ったからね。
「何でオレは犬なのよ?」と思ったよ。
だからイギリス英語はオモシロい!…苦労続きだけどよ。

Ssf1_2

Ss2f3_2
カーナビー・ストリートの一本裏の通りの「Kingly Street(キングリー・ストリート)」にあったのがコレ。
有名な「Bag O'Nails」というクラブ。4201. ポール・マッカートニーとリンダが出会った店。
2. 1966年11月25日にJimi Hendrix Experienceとして初めて演奏した場所。
そんなスゲエところ。
430v_2コレは2015年のようす。

440vそして、コレは去年に寄った時のようす。
イギリスは藤の花をよく飾るんだよね。

450イヤイヤ、藤なんてどうでもいい。
「Bag O'Nails」なくなっちゃったんだよ!

460この人たち「What a beautiful wisteria!」かなんか言ってるんだろうな…ナニも知らずによ。
藤が見たけりゃ亀戸天神にでも行ってくれ!

470去年のロンドンで一番ショックで悲しかったのがコレ。
そして、「ロック名所」絶滅の危機を一番感じさせられたのもコレ。
2009年はこんな状態だった。
12img_01952014年にはこんなにおめかしをしていた。Simg_02072015年はコレ。

480宿の窓から見えていたのによ~。

Simg_0007 そして、2019年はコレ。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」が更地になっちゃった。
初めて見た時はあんなに感動したっていうのによ~!
変わりすぎだろ~。

490アールズ・コート駅からの眺め。

500v今はコレ。
おいおい、丸っきり景色が変わっちまったじゃないの~!
ドンドン変わりゆくな~、ロンドン。

510v変わらないモノもある。
この街中に常備されているレンタル自転車。
向こうの人は「Bris Bike(ボリス・バイク)」って呼んでいる。
この「ボリス」は「ボリス・ジョンソン」のこと。
ボリスがロンドン市長時代に設置した自転車。
そのボリスが今では総理大臣に!
やっぱり変わりゆくわ~。Simg_0329コレは変わらない。
イギリスの朝ごはん。
そろそろ食べたくなってきたゾ。95それと変わらないのはウチの紅茶。
Sainsbury'sのレッド・ラベル。
要するに庶民が飲むスーパーの紅茶。
コレで十分。
おいしいのに信じられないぐらい安い。
なくなるとMarshallの友達にお願いして240個入りのヤツをいくつか送ってもらう。
イギリスの水で飲むと尚一層おいしいんだけどね。 

St_2

さて、いよいよ「変わりゆく」シリーズも終わりに近づいてきた。
ヨカッタね~。
最後はヒースロー空港の第2ターミナル。5152014年に大改装をしてこうなった。

520昔は、最初のセキュリティ・ゲイトでやたらと待たされてイライラすることがよくあったけれど、新しくなって2回、まったく行列がなかった。
コレはありがたい。
しかし、20年近く前はまだ若かったんだね。
日本に帰る便はたいてい夜の7時ぐらいだから、早めに空港に行って、一時預かり所にお金を払って荷物を預けて、またロンドンの中心に戻って、5時頃また空港に戻って来る…なんてことをしていた。
いつもそれほどロンドンが名残り惜しかった。
今も楽にそれができればやってもいいんだけど、もはや空港の様子がスッカリ変わってしまって、荷物の預かり所すらわからなくなっちゃった。
このWH Smithで超大好きなWalkersのポテチを買うのをルーティンとしていたけど、今年に入ってポテチを止めた。
ポテチだけでなく、イモ類の類は全部食べないようにしているの。
ナゼ?
イモ類を食べていると絶対に痩せないんだって。

530いつのまにかWH Smithも自動レジになっちゃった。

540コレは昔のヒースロー空港の待合スペース。
慣れていたせいもあるけど、やっぱりこっちの方がヨカッタな~。
スーザンというハロッズの店員さんを顔見知りになってね。
毎回会うのを楽しみにしていた。

545「ブリティッシュ・エールが飲める最終ポイント!」といううたい文句に誘われて1パイント頂くのも常だった。
実は今もそういう店があるんだけど、Fuller'sの直営店になってしまった。
しかも、Fuller'sはアサヒビールになっちゃったから。
今、一体どうなってるんだろう?
「イングランドで飲む最後のスーパードライ」なんて勘弁してくれよ!550空港にあった自動販売機。
コレも変わらないね~…「はらぺこあおむしくん」。
ナゼか今回の旅で2回お目にかかった。
もう1回はストックポートの図書館だった。

560v最後の最後…実はコレをやりたくてこの最終回を編んだのです。
 
新しくなった待合室へのアプローチ。

570ムービング・ウォークを歩いて行くと右側の壁にこの国の歳時記としていろんな写真が飾ってある。
 
1950年代。
フランク・シナトラ…ナゼかいきなりアメリカ人。
初めてロンドンに来た時かなんかの写真であろうか。
ロックが出てくる前、大衆音楽の王者はジャズだったからね。
シナトラやビング・クロスビーがアイドルだった。
580
調べてみると、やっぱりシナトラが初めてロンドンでコンサートを開いたのは今から70年前の1950年のこと。
会場はウエスト・エンドの「London Palladium(ロンドン・パラディウム)」。
ロンドン・パラディウムはロンドンでも最も重要とされている劇場。
下は2009年の写真。
ウーピーの『Sister Act』のミュージカルがかかっていた。
『天使にラブソングを』なんて題名は恥ずかしいね。
Simg_05061960年になるとスウィンギン・ロンドンに…590ブリティッシュ・インヴェイジョン。
当然ビートルズということになる。
「アメリカ制覇して来ます!」みたいな。

60070年代はデヴィッド・ボウイ。
ね~、デヴィッド・ボウイのイギリスでの威光はスゴイのよ。
日本にいる我々にはコレがわからない。
上っ面しか楽しめないのは仕方のないこと。
61080年代は「Live Aid」だって。
これはボブ・ゲルドフって人だっけ?620チャールズとダイアナが結婚して…

630チョット飛んで2000年代は景色。

6402010年代はオリンピックと…

6502012年のエリザベス女王の在位60周年を祝ったダイアモンド・ジュビリー。
 
ね、時代のシンボリックな出来事としてもう「音楽」は出てこないんだよ。
考えすぎかもしれないけど、世界中で音楽が斜陽化している気がしてならないんですよね。
アッという間に音楽は他の娯楽に駆逐されてしまった。
コレらの壁の写真を見て寂しく思ったね~。
やっぱり音楽をタダ同然にしたのはマズかった。
コロナ禍の今だって、CDやLPが売れていれば、音楽家たちはセッセと曲を作って録音して、そうした商品を販売していればライブハウスが営業できなくてもミュージシャンの生活はビクともしなかったかも知れない。
「イヤイヤ、音楽がタダになったおかげで色んなバンドが出てこれるようになった」…という指摘もあるかも知れない。
でもね、そんな簡単に出て来れるようなバンドが音楽をツマらなくしてしまったのではありませんか?
とにかく「売れているモノが良いモノ」という考えを捨てた上でリスナーがチト勉強しない限り音楽は斜陽の一途をたどるだろう…というのが45年間にわたって結構な時間とお金を費やしてきた私の音楽ビジネスに対する考え。
660しかし、スッカリ様変わりしちゃったな~。
ガラガラだわ。
あ、コレ、去年の写真ですから。
コロナは関係ありません。

670When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. ー Samuel Johnson
(ロンドンに飽きた時は人生に飽きた時だ。ロンドンには人生が与えるすべてのモノがある ー サミュエルジョンソン=イギリスの文学者)


どんなに変わりゆこうと、まだまだ行きたいロンドン。
またまた感染が広がってしまったもんね。
ボリスの支持率もガクンと下がってしまった。
ココ2、3日のニュースではウエスト・エンドのショウ・ビジネスの復活も先送りせざるを得ないとか。
たまたま上に出てきたノッティンガムの夜の様子がテレビで放映されているのを見たけど、若い連中がワイワイガヤガヤ、マスクもせずに肩を組んで…バカ者!
マスクぐらいしろ!
オマエらがちゃんとしないと、いつまでたってもイギリスに行けないじゃないか!
 
次回からはジミヘン特集。

680<おしまい> 

200



 

2020年10月 2日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.56~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)

 
いよいよ「デンマーク・ストリート」の最終回。
今日は歴史とアートとグロの盛りだくさんでいきまっせ~!
95前回「『名所めぐり』の人気が低い」と書いたところ、「いつも楽しみにしている」と励ましのお便りを頂いた。
うれしいね。
他にも、まず家内でしょ、〇〇さんでしょ、▽△さんでしょ、◇◇さんでしょ…と、サッと数えてみても最低10人ぐらいの方々がいつもご覧頂いていることはわかっているので、その方々にお喜び頂けるだけでも素晴らしいことではないか!
なんて書くとイヤらしいね、ゴメン。
完全に自分のワガママでやっていることにご支援を賜るなんて本当に幸せなことだと思っています。
 
さて、そのお便りを頂い方はFreeの音楽を追求していらっしゃる大のポール・コゾフ・ファン。
だからMarshallの愛好家でいらっしゃる。
FreeとMarshallは近しい関係で、創立40周年の記念パーティの時にはジム宛にポール・ロジャースから祝辞が届いていたし、50周年記念コンサートではアンディ・フレイザーも出演した。
私は知らなかったんだが、アンディの甥っ子がMarshallの工場に勤めているそうだ。
さて、その方からポール・コゾフがかつて「Selmer's」という楽器店に勤めていた…という情報を頂戴して私の好奇心が爆発してしまった!
 
元々「Selmer's」というお店があったことは知っていた。
下のジム・マーシャルの伝記本に登場するのね。
この本は何回も読んだ。
海外の本を原文で複数回読破したのは、卒論のテーマに選んで泣く泣く読んだJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』と、この『Jim Marshall:THE FATHER OF LOUD』、そしてあのMichael Doyle著の『The History of Marshall』ぐらいのモノよ。
一時期、Marshallに行くたびにジムがサインを入れてお土産に持たせてくれたもんだからウチにはこの本が4、5冊あるの。
ということで、Selmer'sがこの本にどんな具合に出て来るかを先にやっておくと…。
Fol場所はデンマーク・ストリートから遠く離れた地下鉄ピカデリー線のターミナル駅「Uxbridge(アクスブリッジ)」。
ココからは歩いていける距離ではないんだけど…

11_img_0463モンティ・パイソンにも出て来る「アクスブリッジ・ロード」の「76」番というところにジム・マーシャルの最初の楽器店があった。
下の写真の床屋のところね。
まだアンプを作る以前のこと、ロンドンの楽器店と異なる家庭的な雰囲気を持っていたジムの店は大層繁盛していて、「Selmer's」はギターやアンプの仕入れ先のひとつだった。
ある日、ジムは当時の金額で12,000ポンドほどのオーダーをSelmer'sにした。
1960年頃の12,000ポンドというと、それがどれぐらいの額かサッパリわからないんだけど、強引に割り出してみると…1967年までは固定相場制で1ポンドが1,008円だった。
だから12,000ポンドは当時の金額で約1200万円。
現在のイギリスの消費者物価指数はこの頃に比べて4~5倍になっているので、当時の「12,000ポンド」は5,000万円ほどになる。
この計算ではいくらなんでも高額すぎるような感じはするけど、尋常ではない額に店の番頭さんはビビってしまい、「チョ、チョット社長を呼んで来ます」なんてことになった。
やはり、Selmer'sの社長ベン・デイヴィスもこの額に驚き、ジムのことが信用できなかった。
そこで、「わかった、わかった。ところでマーシャルくん…こんなにたくさん仕入れたところで、オタクのお店に商品を陳列するスペースなんかあるのですかい?」とデイヴィスに訊かれ、ジムはこう答えた。
「フォッフォッフォッ、もうそのほとんどが売約済なんじゃよ」
それでもジムのことが信用できなかったデイヴィス社長は、分割で毎月1,000ポンド分の取引をすることを提案して手を打った。
ところが、ジムは翌月に額面11,000ポンドの小切手を振り出して一気に支払ってしまった。
デイヴィス社長は大層驚き、ヒックリ返ってジムにこう尋ねた。
「一体ナニをやったらそんなに楽器が売れるんですか?」
ジムの答えはこうだった。
「新しいタイプの音楽じゃよ…フォッフォッフォッ、『ロックンロール』というモノじゃ」
カッコいい~!
ま、この頃のはジムはまだ30歳台だったので「…じゃよ」とかは言わなかったろうけど、「フォッフォッフォッ」はよくやってた。

11_img_8108場面は変わってロンドン、ウエストエンド。
<前編>でチョット触れた今は無きこの「turnkey」というお店。
かつては防音室が2階にあってMarshallが比較的ズラリとそこに展示されていた。
ロケーションとしてはデンマーク・ストリートではなくて、チャリング・クロス・ロード沿いなので前回はチラっとしか触れなかった。
11_img_0343現在は「CHIPOTLE(チポトレ)」というメキシコ料理のチェーン店になっちゃった。
かつて「Selmer's」はココにあった。

11_ch「Selmer(セルマー)」といえば、サキソフォン。
1885年にフランスのアンリ・セルマーがクラリネットのリードとマウスピースを作り始めたのが事の起こり。
その後、クラリネット本体の製造を始め、弟のアレクサンドラが兄が作った楽器をアメリカで紹介すると大当たり。
その後サキソフォンの製造に乗り出し大成功を収めた。
サックスのギブソンかフェンダーだわね。
ギター・アンプで言えばMarshallだ。
「60年代のアメリカン・セルマー」が59年のレスポールみたいなモノらしい。
木で出来ているギターと異なり、サキソフォンは金属でできいるのでいくらでもその時代と同等の楽器が作れそうなモノだけど、現在のいかなるテクノロジーをもってしても再現は不可能なのだそうだ。
サキソフォンはご存知の通り真鍮で出来ているんだけど、今と昔とでは、その原材料となる銅とか亜鉛のクォリティ自体が違うんだろうね。
それと、その時代にあった空気かな?
音楽と同じよ。
昔のロックがカッコいいのは、ロックがカッコよかった時代の空気が閉じ込められているからなんだよ。

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セルマー社はサキソフォンやクラリネットだけでなく、マリオ・マキャフェリがデザインしたギターをジャンゴ・ラインハルトが使用したことにより、その方面でも大きな名声を得た。

11_mcf1928年、上のジムのところに出て来たベン・デイヴィスがアンリ・セルマーに商談を持ちかけ、イギリスで「Selmer Company」を設立した。
それが「Selmer's」。
1928年と言えば昭和3年だからね、古い話ヨ。
Selmer'sはアメリカからアンプを輸入し、イギリスで初めてアンプの類の商品を販売する会社となったが、1935年になると「Selmer」のブランドを冠して自分でアンプを製造し始めた。
そして、Selmer'sは第二次世界大戦の頃にはイギリスで最も大きな楽器商となった。
だからジムがベンと商売をしていた1960年代の初頭、まだSelmer'sは相当力を持っていたんだろうね。
下はSelmer'sの2代目店。
さっきのメキシコ料理店にも残っているように、入り口の2本の柱が目印だった。
Slココはスゴイよ。
ビートルズ、シャドウズ、The Who、The Tremeloes、ボブ・ディラン&The Band、グラハム・ボンド、Procol Harum、Pink FloydにThe Kinks…他に当時活躍していたミュージシャンがワンサカこの店に通っていた。
そりゃそうだ、他にはほとんど店がなかったんだもん。
Pink Floydなんかココへ寄って買い物をしてからチョット先のトッテナム・コート・ロードの「UFO Club」に出ていた…なんてことを想像すると楽しい。
下は、その「UFO Club(ユーフォ―・クラブ)」があったところ。
この辺りは「Fitzrovia(フィッツロヴィア)」という行政区になる。
ココもすごくいいエリアだ。
「UFO Club」は、かつてはPink Floydのホームで、彼らがビッグになってココを卒業して、後を引き継いだのがSoft Machineだった。
東京でいうと吉祥寺のシルバー・エレファントみたいな感じか。11_img_9555ジミー・ペイジとアルバート・リーってのは仲良しだったんだってね。
しょっちゅう2人でチャリング・クロスの楽器屋回りをしていたらしい。
ペイジはSelmer'sで初めてのレスポールとダンエレクトロを買ったんだって。
そして、レスポールとSuproの組み合わせはアルバート・リーのマネッコだったとか。
この2人、時期は違えどNeil Christian&The Crusadersというバンドにいたそうで…どんなもんかと思って聴いてみたら、アータ、The Kinksの「Dedicated Follower of Fashion」を取り上げているじゃないの!
かなり驚いたワイ。
レスポール・カスタムにSelmerアンプとジミー・ペイジ。
コレお店で撮影したのかしらん?
「買っちゃいました~!」みたいな。

11_js エリック・クラプトンはアクスブリッジのジムの店によく来ていたことが知られているけど、もちろん、チャリング・クロスのチェックも怠らなかった。
特にSelmer'sには頻繁に訪れていたらしい。
1965年、『Beano』アルバムで使ったレスポールはSelmer'sで買ったそうです。
アンプはご存知の通りMarshall 1962。
ローズ・モーリスがつけた「1962」というモデルナンバーに「Bluesbreaker」というアダ名がつけられたのはココから。
クラプトンは当時Selmer'sの店員だったジェリー・ドナヒューからES-335も買っているそうだ。
その時から1~2週間後にCreamのさよならコンサートを観にロイヤル・アルバート・ホールに行ったジェリーは、自分が売ったギターがそこで使われているのを目撃した。
うれしかっただろうな。
Benoちなみにジェリー・ドナヒューはスゴイよ。
私はカントリーがニガテで、Fairport ConventionとかPentangleとかのようなブリティッシュ・トラッド・フォークもどうしても受け付けることができない。
でも、教則ビデオの仕事をしていたのでジェリーのことは知っていた。
こういうヤツね。
なつかしいな、ロジャー・ハッチンソン。11_jd それで、2004年にウェンブリーで『London Guitar Show』が開催された時のこと。
名前は出さないけど、なかなかに貧相なブースでカントリー系のものスゴいギターを弾いている人がいた。
2弦をウネウネとベンドしまくって、もうナニをやっているのかサッパリわからなかった。
ところが、その人が誰だかわからなくて、「ただ今デモ中」の看板を見てビックリ。
ジェリー・ドナヒューだった。
まぁ、このベンド・テクニック…正真正銘の「超絶」。
楽器というモノはナニも速弾きだけが「超絶技巧」ではない。
この人、イギリス人かと思っていたらニューヨークの生まれなんだってね~。
しかも、ジェリー・マッギーにギターを教わっていたことがあるとか…。
カントリー・ギターのテクニックを引っ提げて、ニューヨークからロンドンに渡って来てSelmer'sでアルバイトしていたんだネェ。
それで、クラプトンにギターを売って…。
一時、身体がかなりヤバイと報じられていたけど、最近は大丈夫なのかしらん?

11_0r4a0020_2 ジェフ・ベックも1966年に最初のレスポールをSelmer'sで買った。
クラプトンの『Beano』アルバムの影響とか…。
また、ジミー・ペイジのカスタムの音を聴いて、自分のバンドにも分厚いギターの音を持ち込みたいと思ったんだって。
ジェフの記憶によれば'59年製で175ポンドだったそうだ。
1959年製のレスポールが175ポンド?…いくらよ。
また例の為替の固定相場を適用すると、当時の値段で176,400円。
今と変わらないじゃん!
消費者物価が5倍になっているとすれば、今買えば882,000円。
高いな。
イヤ、この値段ならどんなムリをしてでも買うか?
だって'59年製のレスポール・スタンダードの相場って今いくらよ?
この辺りはヘタなことを書くとマニアの皆さんから怒られそうなので、インターネットに実際に出ていた値段だけで言えば…2,000万円台。
ジェフはこのSelmer'sで買ったレスポールで『Truth』を録音したのかな?
あ、コレもアンプはMarshallだわ。
悪いね、Seilmerアンプさん。
音楽のトレンドが変わるタイミングだったのよ。
コレをもってしてもギターの音はアンプが作っていることが窺われる。

11_tt 次、スティーヴ・ハウいってみよう!
あのトレードマークのES-175Dも1964年にSelmer'sが販売した。
スティーヴによれば、Selmer'sはギブソンの在庫が豊富で、何でも気軽に弾かせてくれたそうだ。
やっぱりよくアルバート・リーが来ていて、スティーヴのことを「Face」って呼んだらしい。
ナンで、「顔」?
私はロンドンの野外フェスの楽屋で一度だけスティーヴ・ハウに会ったことがあるんだけど、「一体どこの痩せたおジイさんだろう?」という感じだった。
確かにいつも写真で見ている通り、お顔のインパクトはなかなかのモノだった。
175はこういうヤツね。
私も持っているけど、ギブソンのフルアコ・ラインの廉価版。175ミック・テイラー、ピーター・グリーンもSelmer'sでレスポールを買っている。
 
従業員もスゴかった。
ポール・コゾフ、ジョン・マクラフリン、ジェリー・ドナヒュー等々。
楽器屋の店員がジョン・マクラフリンってスゴすぎない?
「ナニかお探しですか?」と訊かれたら思わず「ひ、ひ、ひ、『火の鳥』一羽ください」とか言っちゃうそうだ。
ちなみにジム・マーシャルはギターやアンプの他にPremierのドラムスを大量にSelmer'sから仕入れていた。
ジムはPremierドラムスの第1号エンドーサーで、ドラム教室の生徒さんにガンガンPremierドラムスを販売しちゃったんだね。

11_jim さて、イギリスのギター・アンプ・マーケットは、1960年代に入るまで、すなわち1962年にMarshallが出現するまでほぼSelmerとVOXの寡占状態だった。
もちろんみんなFenderが欲しかったんだけど、舶来品で高くて買えなかった。
他の記事にも書いたけど、イギリスは戦勝国でありながら、終戦から9年も経った1954年まで配給制度が続いた国だからね。
庶民の暮らしはかなりつつましかった。
最近知ったんだけど、「イギリスの食事がズイマ」というのは、産業革命のせいだけでなく、ドイツ軍のカール・デーニッツのせいもあったらしい。
この話はまた別の機会に…。
 
もう1軒、チャリング・クロスで寄り道ね。
Selmer'sのあった場所から少し通りを下った「100 Charing Cross Road」という住所にかつて「Jennings(ジェニングス)」という楽器屋があった。
その向かいにあるのが元Marqueeの第3号店だった「The Montagu Pyke」。
11_0r4a0177第二次世界大戦の後、トマス・ウォルター・ジェニングスがケントのダートフォードにオルガンを製造する会社を設立した。
ダートフォードはミックジャガーとキースリチャーズが出会い、The Rolling Stones発祥の地とされているところね。
UNIVOXはジェニングスのブランド。
そして、1956年にディック・デニーというエンジニアがギター・アンプのプロトタイプをジェニングスに見せた。
それから2年後にそのプロトタイプを商品化したのがVOXのAC15だ。
そのジェニングスのロンドンの楽器店が下の写真のお店。
つまりVOXのロンドンの本拠地だね。
Jn下はSelmer'sの数軒先の「Macari's(マカーリズ)」。
「VOX Main Dealers」なんて金看板を掲げている。
創設者のラリー・マカーリはかつてJenningsのお店に勤めていて、多分一種の「のれん分け」みたいな恰好だったんでしょうね。
「Macari's」をそのままVOXのショウルーム的店舗にした。
この時代、デンマーク・ストリートには例の音楽出版社とリハーサルスタジオがあるだけで、まだ楽器店はチャリング・クロス・ロードに集中していた。
 
こうしてみると、ナゼMarshallがローズ・モーリスと契約を交わして、販売の全権を渡したのかがわかるような気がするな。
Selmer、VOXより後発のMarshallは、ギター・アンプのマーケットに食い込むために、ロンドンで幅を利かせている販売会社と組む必要があったに違いない。
Mcナンダカンダで何回もMarshall Blogに登場しているMacari'sはTone Benderを開発したSola Soundという会社の兄弟会社。
だから店内には「Colorsound」のペダルがゾロリと並んでいた。

11_img_0344何度も使っているこの写真、チャリング・クロスの94番地にあった頃のようす。

11_img_0345_2このMacari'sがいつの頃からか、デンマーク・ストリートの真ん中あたりに引っ越していた。11_img_0232最近知ってチョットしたショックを受けたんだけど、この1958年からここウエストエンド地区で営業して来た老舗が最近店をたたんだというのだ。
正確に言うと、ロンドンの中心地から撤退してエセックス(ロンドンの北東)に移ったっていうんだよね。
何度も書くけど、Macari'sはかつてMarshallに勤めていた親友が若い頃にアルバイトをしていたということもあって、勝手に身近に感じていた。
そんなお店だけに、この話を聞いた時はナントも複雑な気分になってしまった。
変わりゆくな~…しかも、寂しい方に。
96fvナンカも~、順番がバラバラでスミマセン。
またデンマーク・ストリートの入り口に戻ってもらいます。
下は去年の光景。
11_0r4a0184コレは10年近く前かな?
何かパット見ても昔の方が賑やかな感じがするでしょ?
ナニ?大して変わらない?
じゃ、ズットさびれてるということか。
104また去年の様子に戻って…。
通りの入り口のこの角ッコのお店。
1980年代、ココには「Job Centre」と呼ばれる公共の職業安定所があった。
ココに勤めていた男がスコットランド出身のデニス・ニルセン。
愛称は「Des」。
「デニス・ニルセン」…この名前に聞き覚えがありますか?
普通はないよね。
同じことをイギリスのMarshall Recordsの若い2人に尋ねてみた。
2人とも「デニス…?」、「ニルセン…?」と全くピンと来ていなかったので、こう問い直してみた。
「じゃ『Muswell Hill Murderer』は知ってる?」
2人とも「ああ~、知ってる~!」
若いシャーロットは「知ってるも何も、事件が起こったのはウチのすぐ近くだったのよ!」なんて言っていた。
通称「Muswell Hill Murderer(マズウェルヒルの殺人鬼)」、それが「デニス・ニルセン」。

11_0r4a0189アリス・クーパーに「I Love the Dead」って曲があるでしょ?
「♪冷たくなる前の死体が大好きなのさ  青ざめていく肌にそそられる」ってヤツ。
デニス・ニルセンがコレだった。
いわゆる「ネクロフィリア(necrophilia)=死体愛好」。
あるいは精神医学的に言うと「死姦症」というらしい。Bdbニルセンは同性愛者で、盛り場で知り合った若い男性を家に連れ込んでは首を絞めて殺し、死体と一緒にテレビを見たり、添い寝をしてハッピーな時間を過ごした。
被害者の数は5年の間に15、16人にのぼったとされているが、今もって正確な数はわかっていないらしい。
5年もの間よく捕まらなかったと不思議に思ってしまうが、ホームレスに近いような連中や明日の行方も知れないバンクパッカーなどを狙ったため、捜索願いが出されず足がつきにくかった。
中には標的となった日本人もいたが、犠牲には至らなかったという。
昔、死体を硫酸で溶かして下水に流しちゃう…なんて実際にあった犯罪を描いたロミー・シュナイダーの『地獄の貴婦人』というフランス映画があった。
ちなみにこの映画の音楽は皆さんお好きのエンニオ・モリコーネだよ。

11_jk_2 このニルセンのソレは『地獄の貴婦人』に勝るとも劣らない。
肉屋に勤めてあったこともあって、死体をさばくテクを身に付けていて、腐乱してどうにもならなくなった死体を粉々にして庭で焼いて処分した。
死体を処分できる庭があるから殺人を繰り返してしまう…ということで、庭のない家に引っ越した。
そもそも、この思考からしておかしい。
その引っ越した先がThe Kinksの地元、マズウェル・ヒル。
Marshall Blogでも特集した閑静な住宅街だ。
ニルセンはそこでもやはり同じことをしてしまう。
今度は死体を燃やすスペースがないので、どうしたかというと死体を切り刻み、鍋で煮て肉を柔らかくしてそぎ落とし、下水に流したっていうんだよ。
頭蓋骨を煮た鍋を上の勤め先に持って来たこともあったとか…。
私の英文の読み違いがなければ、その頭蓋骨はクリスマスのプレゼント用だったっていうんだけど、どうするつもりだったんだろう?
そんなことをしているもんだから、いい加減下水が詰まってしまい、悪臭もヒドかったため近所の人がガマンしきれず下水道の業者を呼んだ。
業者が下水の中を調査したところ、あまりの悪臭に気を失いそうになってしまったという。
その原因を調べたらアータ、人肉が下水道の中にベッタリくっついていたそうな。
小さな骨も転がっていたらしい。
「な~んだ、人肉のせいで流れが悪かったのか~。こりゃクサイわけだわ」と、収まるワケはなく、ニルセンはコレで御用。
そして、マズウェル・ヒルで捕まったので、通称が「マズウェルヒルの殺人鬼」となった。
 
私はそうしたグロ系の趣味を持ち合わせていないので、ココにはこれ以上書かないが、ニルセンが何をしたのかをもっと詳しく記したサイトがいくらでもあるので、変わった趣味をお持ちの方は調べてみるといい。
この記事を書くために一応私もいくつか目を通したが、気分が悪くなったワイ。
特に死体を愛でるシーンね。
…という英国史上最悪の連続殺人事件が「マズウェルヒルの殺人鬼(Muswell Hill Murderer)」。
 
私もこんな事件は以前から知っていたワケではなくて、今回デンマーク・ストリートのことを調べていて初めて知った。
そもそも知っていたら去年マズウェルヒルに行った時、この事件現場を見にいってるわ。
 
そして、この話はココで終わるハズだったのよ。
ところが!
驚いたぜ~。
このデニス・ニルセンの事件がテレビ・ドラマ化されて、先月放映されたっていうんだよ~!
この記事を書き始めてからひと月近くかかっているからね。
タイトルはドンズバの『DES』。
制作はBBCと並んでドラマ作りに定評があるITV。

Des主演したのはシェイクスピア俳優のデヴィッド・テナントという人。
ニルセンと同じスコットランド出身…どころじゃない!
もうホンモノにソックリじゃん?
早速Marshallの仲良しにドラマを観たかどうか尋ねてみた。
そしたら答えは「Yes」。
重厚ですごくヨカッタって。
11_tennant私は日本のテレビドラマって、子供の頃から「絶対」と言ってもいいぐらい観ることはないんだけど、海外のは別。
イヤ、『池中玄太』の最初の頃と『ナースのお仕事』は観たか…。
海外のTVドラマといえば…例のThe Allman Brothers Bandの地元、アラバマはメイコンで起こった「タスキギー梅毒実験事件」を題材にした『Miss Ever's Boys』というのもなかなかヨカッタ。
Amazon Primeで観たんだけど、吹替え版なのが「タマに大キズ」だった。Meb それにしても観たいな~、『DES』。
YouTubeに予告編が上がっていたのでご参考に…。
コレを見たらよけいに作品を観たくなった。
やっぱりドラマは「ハンザワ」より「ハンザイ」だな。

しからば、本は?
ブライアン・マスターズという人が書いた『死体と暮らすひとりの部屋』というのがそれ。
ドラマの原作にもなっている。
またしてもどうしようもなくセンスのない邦題をつけるナァ…コレじゃ地方から東京に出て来て一人暮らしをする学生さんのための住まいのガイドブックみたいじゃないか。
原題は『Killing for Company: The Case of Dennis Nilsen』という。
Amazonで買って読もうかと思ったけど、高いし、400ページもあるのでヤメた。
とにかくテレビ・ドラマが観れるようになるのを待つことにする。
しかし、日本でもつい最近ドラマではない同じようなことがあったもんね。
座間で8人の若い女の子と1人の男性が殺された事件。
数日前から公判が始まったけど、犯人は反省の色がまったくなく、後悔していることといえば、自分のミスで足がついてしまったことだけ、だとか。
ヒデエ話しだよ。Photo チャリング・クロスから入ってチョット行った右側にある「music room」というお店。
コレは鍵盤とアクセサリーのお店。

110コレは通りの左側、デニスが勤めていた元職安の隣の隣にあるもうひとつの「music room」。
こっちは楽譜屋さん。
ナニかFrank Zappaのいい楽譜がないかと何回か入ったことがあるけど、買い物をしたことは残念ながら一度もない。
「music room」の下の赤い「ARGEN〇S」サインに注目。
〇の部分を埋めると「ARGENT'S」となる。
そう、この楽譜屋さん、Rod Argent(ロッド・アージェント)のお店なのだ。130ロッド・アージェントは「The Zombies」のオリジナル・メンバー。
「Time of the Season(ふたりのシーズン)」はおなじみでしょう。
他にサンタナで有名な「She's not There」もアージェントの作品。
カーナビーツの「♪好きさ、好きさ、オマエのすべ~て~」もThe Zombiesの曲。
1968年の『Odessey and Oracle』はロック史に残る名盤とされているけど、私はあんまりピンと来なかったナァ…という印象だった。
でも、聴き直してみると…いいね。
The Zombiesといえばコリン・ブランストーンなんかも有名だよね。
私は断然ロッド・アージェント。
ちなみにロッドはリック・ウェイクマンが抜けた後のYesに誘われたことがあったらしい。
歌もキーボードもうまいし、作曲能力に優れているからね…かどうかは知らない。
でも、The Zombies時代の「The Way I Feel Inside」なんて殺人的にいい曲だもんね~。
やっぱり「人の心を揺さぶるのはクロマチックである」という持論は間違いではないと思っている。
Or私はロッドがThe Zombiesの後に結成した、その名もズバリのArgentが好きなのね。
というか、高校生の時にRuss Ballardをよく聴いていたのだ。
2010年にArgentをロンドンで観る機会があってね、ラス・バラードがJMP期の1959を使っているのを目にしてうれしかった。
もちろんこの『All Together Now』収録の大ヒット曲「Hold Your Head Up」は大ウケだった。
Id_2Rainbowで知られる「Since You've Been Gone」も「I Surrender」もラス・バラードの作品だからね。
Three Dong Nightの「Liar」もラスの作曲でArgentでも演ってる。
で、その2010年のロンドンのライブの時、ある曲で会場にいたオジサン&オバサンがひとり残らず大合唱したのには驚いた。
それは下のArgentの『In Deep』に入っている「God Gave Rock'n'Roll to You」。
KISSがカバーして有名になったらしいんだけど、コレもラスの作曲だ。
この『In Deep』、ジャケットのデザインはヒプノシス。

Id_1ヒプノシスが出たところで…。
 
コレは去年の6月のようす。
通りの中間部あたりの右側で盛んに外装の工事をしていた。
なんか、デンマーク・ストリートがどういう所であるかを無視しているかのような遠慮のない養生シートの巨大な壁よ。

145その下で懸命に営業してるのよ、楽器屋さんたちが!

170コレは法律で定められているんだろうか?
現場の作業員さんたちはひとり残らず黄色い上着を着ている。
いや、考えてみると、お巡りさんもこういうのを着ているな。
調べてみると、コレは「Safty Waistcoat」というモノらしい。
いいね、「waistcoat」なんざ…イギリス英語ですな。
アメリカ英語でいうところの「vest」。
「waistcoat」の方が風情があって断然理知的に聞こえる。
ま、私もたぶんイザとなると「vest」って言っちゃうだろうけど。

180その工事現場の向かい。190壁に付いているプラークは「Augustus Siebe(オーギュスタス・シーべ)」という19世紀に潜水の機材の開発をした人。

200このヘルメットをかぶるタイプの潜水服はシーべが開発した。
下は10ccの『Deceptive Bends』。
このタイトルの解説はいつかどこかでしたことがある。
ジャケットのデザインは「Hipgnosis(ヒプノシス)」。
この「名所めぐり」をやっていて、「そういえばヒプノシスってロンドンのどこにあったんだろう?」と思うことが過去に何度かあった。

Dbそのヒプノシスの事務所が入っていたのがそのビルなのだ!
言い換えると、このビルにかつてヒプノシスの事務所があったのだ!

210今は誰でも「ヒプノシス」の名前を口にするけど、昔はシッカリと自力でロックを探求している人以外にはなじみのない名前だった。
1978年、高校1年年の時にナニかで下の本が上梓されたことを知って、ワザワザ取り扱っている青山の輸入書籍店まで買いに出かけた。
ウドー音楽事務所さんの昔の事務所ののチョット先だったような気がする。
 
ストーム・ソーガソンやオウブリー・パウエルのことを知っているというMarshall Recordsのヘッドにヒプノシスの事務所のことを訊いてみても「何か所かあったハズだ」ぐらいの返事で確固たる情報がなかった。
そして昨年、渡英する前にダメ元でこの本を開いてみたところ…「6 Denmark Street」という住所の表記を発見したのだ。

11_hp私がビルの写真を撮っていると、Safty Waistcoatを身にまとった工事の人たちが何人か寄って来た。
「おおい、一体ナニを撮ってるんだい」
「この向かいのビルだよ」
「なんだってこんなビルを撮っているんだい?」
「かつてヒプノシスの事務所がココにあったんだ」
「ヒプノシス~?」
「そう。ロックのレコードのジャケットのデザイナーだよ。ピンク・フロイドのプリズムのヤツとか知らない?『The Dark Side of the Moon』…」
「おおおおお!もちろん知ってるさ!へ~、ココにね~」
ってな会話をするとサッサと持ち場に帰って行った。
知ってはいるけど、興味なし…ってとこか?
でも、日本の工事現場よりは間違いなく「知っている人率」は高いだろう。2201992年には最後の大手の音楽出版社「Peer Music」がデンマーク・ストリートを離れ、この通りは完全に楽器屋街となった。
11_img_0339それではデンマーク・ストリートに最初に開いた楽器店はどこか?
調べてみると諸説あるようだが、「Musical Exchange」というギター・ショップが最初らしい。
場所は上に出て来た工事中のところ。144オープンは1965年の初頭。
チャリング・クロスにあった楽器店の開店は古いけど、デンマーク・ストリートのお店は、実はそうでもないのだ。
例のラリーとジョーのマカーリ兄弟が開いた。
この店の裏でセッセと「Tone Bender」を作っていたそうだ。
アクスブリッジのジムのお店と同じ。
みんな同じことをしていたんだね。11_0r4a0210そして、2番目に古い店はどこかいな?
 
それは1969年オープンの「Top Gear」という店らしい。
こっちを「デンマーク・ストリート初の楽器店」としている記述も見かけたが、マァどっちでもいいわ。
このTop Gearは中古品を扱っていた。
当時はビンテージ・ギターのコレクターなんて存在しておらず、買い取ったギターを右から左へと売りさばいて、かなり分のいい商売を展開していた。
そうだよね、多分、「ビンテージ、ビンテージ」と騒ぐようになったのは1970年代の中頃ぐらいからじゃないかしら?
当時は「オールド」という呼び名で、中学生だった私は「なんでそんな古くて汚いギターがもてはやされるんだろう?」と不思議に思ったモノである。
 
下がTop Gearがあった場所の現在のようす。
入り口のところにある「WUNJO」がココにもある。
私が最初にココに来た時には、この楽器屋はなかった。
多分、違う名前で営業していたのであろう。
というのは、ココでの商売にはチョットしたカラクリがあるようでね。
それはもうチョット後でお話しします。
 
で、Top Gearも当時の他の楽器店同様、当時のギタリストたちのたまり場になっていたようで、常連さんの名前を見てみると、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼンド、バーニー・マースデン、ミック・ラルフス、The Spooky Toothのルーサー・グロヴナー等々…しょっちゅう来ていたらしい。
ハンク・マーヴィンも常連のひとりだったが、ナニひとつ買い物をしたことがなかったそうだ。
 
ジミー・ペイジとクリス・スぺディングはレスポール・カスタム、Procol Harumの『Grand Hotel』の頃のギターのミック・グラハムは'59年のレスポ―ル・スタンダードを、マーク・ボランはレスポール・カスタム、フライングV、白のストラトを、キース・リチャーズはレゾネイターやリッケンバッカーやレスポール・カスタムをTop Gearで手に入れた。
225下のライブ盤のジャケットに写っているボブ・マーリーのレスポール・スペシャルもTop Gearが販売したそうだよ。
私はレゲエってカラっきしダメなんだけど、ロンドンを歩いているとボブ・マーリーの影響力が当時いかに凄まじかったかを感じるんだよね。
間違いなくひとつの音楽文化を確立させたワケでしょ?

Bmレゲエを全く聴かない私でもさすがにこのライブ盤は聴いてるのよ。
コレってウォータールー・ブリッジのこっちにある「Leyceum Theatre(レイセウム劇場)」で録音してるんだよね。
Led Zeppelin、Queen、Pink Floyd、The Who、ELP…み~んなココで演奏している。
Geneisは『Duke』の時にココでビデオを撮っていて、今はYouTubeで観ることができる。
 
そんなTop Gearだったが、1978年に廃業してしまった。

11_img_0476そろそろデンマーク・ストリートも終点に近くなって来た!
皆さん、もうチョットの辛抱ですよ!
 
チャリング・クロスの方から入ってズット行った左側に「Hank's」という店がある。
この「Hank」はハンク・ウィリアムスだろうね。
アコギの店だから。11_0r4a0660 風情があっていかにも昔からある感じでしょう?
エアコンがなくてね、夏になると汗ダクになってお客さんがギターを試している。
下はHank'sで掘り出し物を探すD_Driveの3人。

11_0r4a0654 私が初めて来た時には違う場所にあった。
ね、同じ「Hank's」でも全然違うでしょ?
コレ、おかしいと思わない?
同じ店が何軒もアッチへ行ったりコッチへ来たり…その理由は後でわかる。

96c 写真の左側、看板の「27」の下。
空き段ボールが置いてあって、お店の通用口みたいだけど、裏道に抜けられるようになっている。
以前は通り抜けができたんよ。
通り抜けると貸しリハーサル・スタジオがあった。
一度、開けっぱなしになっていたことがあって、中を覗いてみたら日本のスタジオと違って薄暗くて、マァお世辞にもキレイとは言えない代物だった。
今はもうなくなってる。260裏道はこんな感じだった。
ココは「デンマーク・プレイス」といって、昔はミュージシャン用の安ホテルが並んでいたが、1980年代には闇営業のナイトクラブがウジャウジャしていたらしい。
いかにもでしょ?
そのナイトクラブの中に1階が「Rodo's」という南米からの移民が集まるサルサ・クラブ、その2階にアイリッシュとジャマイカンがやって来る「The Spanish Rooms」というクラブが入っている建物があった。
1980年の8月16日のこと、ジョン・トンプソンという男がその2階のバーで勘定のことでイサコザを起こして店を追い出されてしまった。
ほどなくしてトンプソンは店に戻って来た。
そして手にしていたガソリンを1階にブチ撒け火を放った。
写真の通り、クラブは奥まったロケーションだったため、消防車が近づくことができず、速やかに鎮火することができなかった。
その結果、ナント、37人もの人が亡くなったそうだ。
中にいる女性を助けようと炎の中に飛び込み亡くなった勇敢な男性もいたとか。
コレは第二次世界大戦後にイギリスで起こった最悪の放火殺人事件となった。
殺人の廉で投獄されたトンプソンは2008年に獄中死したそうだ。
コレも似たような事件が京都であったもんね~。
Desの件といい、海の向こうの出来事を「コワい」なんて言っていられない。
日本も本当に物騒になったもんだよ。

11_2dplHamk'sの隣りはかつて「Jubilee Hair」という美容室だった。

280現在は「Sixty Sixty Sounds」という楽器屋になっている。
ココまでがデンマーク・ストリート。
短い通りだけど記事は長かったね。

270そろそろ締めくくりに取り掛かりたいんだけど、最後にクリフ・クーパーという人に登場して頂く。
クーパーは元々ソーホーで楽器店をやっていたが、その店を1978年に閉めると、今度は「22」というから…かつて「Music Exchane」があった所に新たに「Rhodes Music」という楽器店を開く。
その頃、まだこの周辺はほとんどすべてが音楽出版社だった。
それからクーパーは1989年にその隣に「Sutekina Shop」という店を開く。
店名は日本語の「素敵な」よ。
90年代に入るとクーパーはあたりの店を手当たり次第に手中に収めてしまう。
何でも、クーパーはデンマーク・ストリート全体を買い上げて「水平の楽器のデパート」を作ろうとしていたんだそうです。
11_0r4a0210デンマーク・ストリートに行ったことがある人ならわかると思うんだけど、ココってMarshallの展示が極端に少ないと思わない?
こんなに楽器屋が集中しているのにMarshallっぽい雰囲気が一切ない。
私は最初に来た時、すぐにコレに気がついた。
やや潤沢にMarshallを展示しているのはローズ・モーリスぐらい?
20年ぐらい前にはオックスフォード・ストリートのVirgin Mega Storeの地下に「Sound Control」という大きな楽器屋があって、そこはもうMarshallが壁になっていた。
でも、デンマーク・ストリートのお店は寂しい限り。
え?
Marshallの人気がないからだって?
トンデモナイよ!
Marshallのコピーが飛び交っているのは日本ぐらいなもんよ。
海外の人はみんなホンモノを好むからね。
じゃ、ナゼか?
営業力がないから?
イヤイヤ、確かにデンマーク・ストリートでの営業仕事は大変だ…と聞いたことがある。
でも違う。

11_img_1128 答えは下の写真にある。
このシリーズの一番最初に掲載した写真…もはや懐かしいね。
左下に描かれているギター・アンプのイラストね。
Orangeさんなの。

11_img_0242イギリスの楽器業界に詳しい人はコレでピンと来たと思うんだけど、さっき書いたデンマーク・ストリート中の楽器店を買い漁ったクリフ・クーパーという人はOrangeアンプの「Orange Music Electronic Company」 の創設者なの。
そうとなりゃ、自分の息のかかった店にMarshallなんか置きたくないわナァ。
コレがわかるとやたらとオレンジ色の四角い箱が目に付くんだわ~。
何しろ、下の写真の右側の楽器店…11_img_1421 下では左。
チャリング・クロスから見て左側ね。
こっちサイドにある店はほとんどクーパー傘下だったらしい。
そりゃデンマーク・ストリート全部を買っちゃおうとしていたんだから、それも不思議ではない。
左側のお店の売上げ金は毎日すべて入り口近くにあるさっきのArgentの「music room」に集める。
3つのバッグを用意しておいて、その中のひとつに売上金を入れる。
他の2つのバッグはダミーね。
その3つのバッグを持って近くの銀行に入金しに行くシステムだったのだそうだ。
当時はロックが盛んだったし、現金商売が当たり前だったので毎日モノスゴイ売上金だったらしい。
 
思い出して見ると、<中編>に出て来たロンが2003年か2004年にフランクフルトで一緒に食事をしていた時、「シゲ、デンマーク・ストリートの楽器屋はね、ほとんど1人の人が経営しているんだよ」と教えてくれたことがあった。
「ナニ言ってんだ?」とその時は思ったけど、こういうことだったのだ。
クーパーは2006年に持っていた店舗をすべて売りに出してしまった。
全部ではないが、ほとんどの物件を引き継いだ人がいて、現在に至っている。
だから、店の引っ越しも「部屋の模様替え」ぐらいに過ぎないワケよ。
同じ人がやってるんだから。
11_img_2825このデンマーク・ストリート、これからどうなっていくんだろう?…と思っていたら興味深いモノを見つけた。
2014年の12月、ピート・タウンゼンドが当時ロンドン市長だったボリス・ジョンソンに新聞紙上で送った公開書簡だ。
こんな内容。

「私は発展と変化の必要性について理解を示します。'Crossrail(デンマーク・ストリートのの近くを通ることになる鉄道路線)'がロンドンの繁栄にとても重要で、その工事がロンドン、特にソーホー地区にもたらす混乱も仕方がないと思っています。
ゆくゆくは人々がその鉄道を利用することにより、車の渋滞が減ることにもなるでしょう。
しかし、鉄道の敷設はソーホー地区の風情や魅力を悪い方向に変えてしまうのを隠すための口実にすぎないのではないでしょうか?
開発者はこう言います…デンマーク・ストリートを壊すのではなく、再開発するのだ…と。
しかし、店舗面積は極端に小さくなる半面、賃貸料は値上がりする。
再開発のために『ロンドンのティン・パン・アレイ』であるデンマーク・ストリートが無くなってしまうなんて考えただけで胸クソが悪くなります。
他に類を見ないこの『音楽の路』を高く評価し、その存在をCrossrailの目覚めから除外できればいいのに…。
60年代、私はデンマーク・ストリートのMacari'sでファズボックスや弦を買ったものです。1964年にはRegent Sound Studioでシェル・タルミーと一緒にバッキング・コーラスの録音をしたこともありました。
ソーホーのウォード―・ストリート(The Whoがレギュラー出演していたMarqueeの第2号店があった通り)の近くに住んでいた時には『Drum Shop』でよく買い物をしました。
ボリス・ジョンソン、そしてカムデン評議会(デンマーク・ストリートのエリアが属する地方自治体)の皆さん、どうかデンマーク・ストリートを保存地区に指定してください。
そうでもしないことには、膨大なロックの歴史を永遠に失いことになってしまうでしょう。
進化は大切です…しかし、我々の偉大な街に根差すそうしたランドマークも同様に大切なのです。
 
ピート・タウンゼンド」
 
みんなロンドンが大好きなんだよ。 
ボリスはこの手紙を読んでどう思っただろうか?
ボリスがロンドン市長だった時代とはいえ、2年後のBREXITでロックどころではなかったであろう。
返事が来ていなければ、ピートは「チッ、あの蜘蛛野郎!」と思ったに違いない。
アレはジョン・エントウィッスルの曲…ジミ・ヘンドリックスのお気に入りだったんだってね。
お、そういえば<中編>で出て来たようにこの「Boris the Spider」は入っている『A Quick One』はRegent Sound Studioで録音しているんだっけ!

Qo 私はどう思っているかって?
様々な保存運動をしているようだけど、この通りは近い将来、今の「楽器屋街」の風情がきれいサッパリなくなってしまうと私は見ている。
短い間とはいえ、20年の間定点観測をして来てヤッパリこの斜陽具合を痛烈に感じないワケにはいかないし、何よりも「音楽」そのものに力がなくなってしまったもん。
だから、この類まれなる「音楽の路」を見ておくなら今のウチだと思う。
ヤッパリ『『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』やるか?

11_0r4a0185 しかし、長くなっちゃったな~。
デンマーク・ストリートの探訪はいかがでしたでしょう?
このシリーズ、本当は冒頭のThe Kinksの「Denmark Street」のところをやりたいがタメの企画だったのよ。
それがMarshallのモデルナンバーから、他社の歴史から、変態から放火犯まで範囲が広がっちゃって!
どれだけ英文の資料に目を通したことか…。
エラい苦労したわ~。
でも、いつも通り書いていてとても楽しかった。
 
この『変わりゆくロンドン』のシリーズも次で最終回。
その後は、満を持して『ロンドンのジミ・ヘンドリックス』特集をやろうかと思っています。
その次はまた『キンクスのロンドン』特集。
好きな人だけ読んで頂ければうれしいです。
好きは人は乞うご期待!
 

200_2 
(Kさん、ポール・コゾフの情報をありがとうございました。そして、いつもMarshallをご愛用賜り御礼申し上げます)





2020年9月18日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.55~変わりゆくロンドン <その5>デンマーク・ストリート(中編)

   
前回、Marshallの1959や1960等のモデル・ナンバーがどのように生まれたのかを書いた。
過去、日本においてそんな記述が一度だってあったであろうか!…と、Marshallファンから快哉の声が寄せられるかと思っていたら……アラ?
見事にナンの反応もなかったワイ!
皆さん、こういうことに興味がおありでないということがよくわかった。
イヤ、こういうのも最早ビデオでやらないとダメなのか?
「ハイ、どうもMarashallのシゲどぅぇぇぇす!」とか言って。
 
イヤね、「何年製の1959はスイッチがどうした」とか「トランスがどっち向いてる」とかいうことを追いかけているよりよっぽどオモシロイし、大切なことだと思うんだけどな~。
そうした昔のマイナーな仕様の変更は、「パーツの在庫を切れていたからあり合わせのモノをくっ付けただけ」なんてことがほとんどなんよ。
Marshall社は中小企業だからして、そうしたマイナーな仕様の変更は避けられなかっただけの話。
 
そもそもこの『名所めぐり』自体が人気ないからな…でも、私は記事を作っていてコレが一番オモシロいし、時間をかけて広範囲にわたって色んなことを調べるので、とても自分自身の勉強になる。
「読んだ音楽ファンが得をするMarshall Blog」だぞ!…ナンチャッテ。
いつか、ロンドンで『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』のガイドをやりたいと思っているんだ。
この年じゃもう無理か…。
でもやっぱりミュージシャンの方はコレを読んで頂いている方が多くいらっしゃって、「いつかみんなでロンドンとMarshallの工場に行こう!」なんて話を時折しています。
  
さて、前回紹介した、1966年から1981年までMarshallの総販売元を務めたローズ・モーリスの隣のビルの壁についているプラーク。
赤い矢印のところね。11_tpapかかっているのはこんなプラーク。
 
この通りは『ティン・パン・アレイ』 1911-1992でした。
イギリス音楽出版社や作曲家の本拠地で、それらの関係者が集った『The Giaconda』はココにありました
Tpa_2ココで言う「ティン・パン・アレイ」は細野さんのバンドじゃありませんからね。
1890年代の後半から1950年代の半ばまで栄えた、ニューヨークはマンハッタンの西28丁目にあった音楽出版社が立ち並んでいた通りが「ティン・パン・アレイ」。
それのイギリス版がデンマーク・ストリートでした…ということを表している。
かつてはこの通りにドバ~っと音楽出版社が並んでいたというワケ。
104そして、このプラークがかかっている建物には「The Giaconda Cafe」というカフェがあった。
デヴィッド・ボウイがDavy Jonesの名で最初のバック・バンド、The Lower Thirdsのメンバーを集めたり、スモール・フェイセズのオリジナル・メンバーが会した場所だという。
Al Lee、すなわち今のAlbert Leeがこの店で働いていたという。
 
「David Robert Jones」というのはボウイの本名ね。
メッチャ平凡じゃね?

Lt話は一旦ニューヨークの「ティン・パン・アレイ」に飛ぶ。
 
昔は音楽を再生する装置が普及していなかったので、自分たちで演奏して音楽を楽しむのが普通だった。
お父さんの弾くピアノを囲んで、ブロードウェイのミュージカルの曲を家族みんなで歌って楽しんだんだネェ。
いわゆる日本にはない「シート・ミュージック」の文化ってヤツ。
音楽出版社が立ち並びティン・パン・アレイは、そうした曲をサンプルとしてピアノの生演奏で聴かせたり、自分の曲を売り込んだりと、まさにキンクスが「Denmark Street」で歌っているように一日中音楽に溢れかえっていた通りだったワケ。
当時のティン・パン・アレイでは、ジョージ・ガーシュインやら、コール・ポーターやら、オスカー・ハマースタインやら、ハロルド・アーレンやら、挙げだしたらキリがないほどたくさんのモノスゴイ作曲家たちがいて、腕によりをかけて作った多くの名曲がティン・パン・アレイからリリースされていった。
下のジョージ・ガーシュインの伝記映画『アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)』にはそうしたティン・パン・アレイの様子がよく描かれている。
スゴイよ。
まだまだ新しい音楽がドンドン出てきている時代なので、すべてをやり尽くしてしまった終末感漂う今の音楽業界とは活気が違う。
この作品、残念ながら「映画」としては大してオモシロくない。
この手の映画では何と言っても『グレン・ミラー物語』がナンバーワンだ。
でも、アル・ジョルソンや実際にガーシュインの親友だったというピアニスト、オスカー・レヴァント(『巴里のアメリカ人』のピアニストね)が実名で出演しているのがうれしい。
また、セルゲイ・ラフマニノフやヤッシャ・ハイフェッツ、モーリス・ラヴェルなんかも出て来る。
作曲の勉強をしようとガーシュインがパリのラヴェルを訪ねると、「二流のラヴェルになるよりも、一流のガーシュインでいた方がいい」とか言われて体よく弟子入りを断られた有名な話もチャンと出て来る。
ラストシーンのオスカー・レヴァントの大俯瞰にも注目。
野外のコンサート会場で「Rhapsody in Blue」を弾くレヴァントの手のクローズアップから、ドンドンカメラが引いて行き、ピアノ、オーケストラを見下ろし、果ては会場全体を俯瞰してしまう。
もちろんワンカット。
今から75年前の映画だからね。
当然ドローンなんかない時代。
専門家に言わせると、どこかでスチールに入れ替わっているんだとか…でもいくら見てもそのつなぎ目がわからないらしい。
結局、このシーンはでもどうやって撮ったのかが正確にはわかっていないのだそうだ…と言われていたのがかなり前の話なので、今では明らかになっているかも知れない。Ggチョットここで脱線。
以前にも書いたことがあったと思うが、ラヴェルとガーシュインの関係。
下は私が持っているジャン・ジャック・カントロフが弾くラヴェルの「ヴァイオリン・ソナタ」のCD。
24か25歳の時だから、もう30年以上前に梅田の新阪急ビルの地下のクラシック専門のレコード屋で買った。
コレの第2楽章の「Blues」を聴いた時の話。
「二流のラヴェル」云々の話は元から知っていたもんだから、「あ~あ~、やっちゃったよ、ラヴェル!」と結構ブったまげた。
ナゼなら、それがガーシュインの「Summertime(サマータイム)」にソックリだったのだ!
…と思ったら、ラヴェルは1927年、「Summertime」が挿入されているオペラ『Porgy abd Bess(ポーギーとベス)』は1935年。
ラヴェルの方が一流だった!
イエイエ、パクリかどうかはわかりませんけどね。
コレもロマン、ロマン。
とにかく、この「ヴァイオリン・ソナタ」はカッコいいです。

11_voucher5_0001

もうひとつ、ティン・パン・アレイの作曲家の伝記映画を…コール・ポーターの『夜も昼も(Night and Day)』。
まぁ、いくらなんでもホンモノのコール・ポーターはケーリー・グラントほどはカッコよくなかったろう。
でも、コール・ポーターの曲はどれもトコトン素晴らしい。
このあたりの作曲家はみんなクラシックくずれだからね。
クラシックじゃ食えないからブロードウェイ・ミュージカルの音楽を作っていた。
クルト・ワイルだとか、ちょっと後のバーンスタインなんかもそう。
だから曲のクォリティがベラボーに高い。
みんなユダヤの方。
だからこれらの音楽を題材にしたジャズは「黒人とユダヤ人が作った音楽」と説く人もいる。
私もそう思う。
なんたって「音楽」は「曲」だから。

そして、ポール・マッカートニーとか、レイ・デイヴィスとか、その辺りの人たちは間違いなくティン・パン・アレイの曲を勉強していると思う。
イヤ、きっと親が聴いていて、自然に耳に入って来たんだろうね。
ポールが15歳の時に造ったという「When I'm Sixty-Four」なんていい例でしょう。
Wings時代の「You gave me the Answer」とか。
The Kinksだって「Alcohol」とか、ロックンロールの曲でもチョット他とは違う感じがする…だからオモシロい。
ま、コレは私見だけど、ポピュラー音楽というものは、ティン・パン・アレイの時代にすべて完結していると思うんだよね。
後は異種配合と順列組み合わせとテクノロジーの進歩でココまで来たと考えている。
ま、エンターテイメントはそういうモノか?
 
ところで、この映画…正直言うと何度も挑戦したのだが最後まで観たことがない。
ナゼか?…ツマらないからだ!
でも、この作品の存在によって、アメリカ人にとってコール・ポーターが大切な音楽家であることが理解できる。
Nd
ハイ、話題は次にイギリスのテレビの話に移りますよ~。
2002年に私が初めてロンドンを訪れた時のこと。
オルドゲート・イーストというタワーブリッジの近くのインド人街の真ん中にあったホテルの部屋に入って、まずテレビのスイッチを入れた。
その瞬間に流れて来たのは10ccの「Life is a Minestrone」。
時間は7時ぐらい。
放送局はBBC。
他の記事にも書いている通り、私は大の10ccファンゆえとてもうれしかったし、初めて訪れたヨソの国での不安を一気に吹っ飛ばしてくれた。
もちろん、昔のビデオ・クリップを流しているだけなんだけど、そんなゴールデンタイムに国営放送が27年も前のロックのヒット曲をゴールデン・タイムに放映していることに驚き、そして感動した。
「コリャ、いいところへ来たワイ」って。
その10ccのビデオの元ネタはBBCの「The Old Whistle Grey Test」ではなかったか?(調べてみると、どうも違うようだが、ココではそういうことにして強引に話を進めることにする)

Lim「The Old Whistle Grey Test」は1971年から1988年までBBC2で放映された深夜枠の音楽番組。
今、YouTubeにそのビデオがウジャウジャ上がっているので、コアな音楽ファンであれば『THE OLD GREY WHISTLE TEST』というサインをバックに演奏しているロックの黄金時代に活躍したバンドの姿を見たことがあるだろう。
まぁ、その時代に活躍したバンドで出ていないバンドはないぐらいたくさんのバンドが出演している。
国営放送だもんね~。
『モンティ・パイソン』や『Mr.ビーン』の放送局だもんね~。
スゴイなぁ。
「BBCをぶっ壊す!」という人がイギリスにいないのも当然だ。
で、この『THE OLD GREY WHISTLE TEST』という番組名ね。
コレ、どういう意味か…。
「whisle」は「口笛」。
「test」は普通に「テスト」。
「old grey」というのは、灰色っぽい服を身にまとった警備員なんかをやっていそうな初老の人のこと。
ティン・パン・アレイに来たその初老の紳士に曲を聴かせる。
そして、その紳士がその曲のメロディを口笛で吹くことができれば、その曲はヒットの可能性大…というテスト。
要するにキャッチー度の調査をするワケですな。
もしかして、本場のティン・パン・アレイとゴッチャになっているかも知れないんだけど、コレは初老の紳士に限らず、ティン・パン・アレイのメッセンジャー・ボーイ、すなわち「使いっ走り」を対象にした、という記述をどこかで読んだ気がする。
それと、私よりズット年上の昔の仕事仲間で、ケントの「Gravesend(グレイヴスエンド)」というところに住むロンという人がいた。
スゲエ早口のイギリス英語で、聞き取るのにいつも四苦八苦したものだった。
そんな彼がティン・パン・アレイにいたのかどうかは知らないが、やはり子供の頃から音楽の業界にいてミュージシャンの使い走りの仕事をしていたそうだ。
よくミック・ジャガーなんかのお使いをした…なんて話をしていた。
そんな話からすると、口笛のテストを受けさせられたのは「old grey」は初老の紳士だけではなかったのではないかと想像するワケ。
11_ogwt
この番組には有名なホストがいた。
2代目として登板したBob Harris(ボブ・ハリス)という人。
ボブはホンニャラした優しい語り口が特徴で「Whispering Bob(ささやきのボブ)」とアダ名されていた。
でもね、物事を正直に言いすぎてしまい、時には若い人たちからヒンシュクを買うこともあったのだそうだ。
例えばRoxy Music。
初めて番組に出演した時に「Style over substance(中身より格好だけ)」と酷評してしまったらしい。
また、New York Dolesには「Mock rock(ロックもどき)」と…。
私はRoxy Musicが好きなので弁護すると、個性がそれだけ強烈でボブの感性が追いつかなかったのでは?なんて思いたい。
気に食わないなら出さなきゃいいと思うけど、それにしてもですよ、国の公共電波を使って平気で出演するバンドの批評をしてしまうなんてスゴイと思わない?
こんなこと日本のテレビじゃ絶対に考えられないでしょう。
もうどんなバンドでも「アーティスト、アーティスト」と崇め奉るだけだもんね…最もそうすることが正しいとも思うんだけど。
それでも、こういう話を聞くと、やはりエンターテイメントに対する民度が日本とはケタ違いに高いということを感じてしまう。
そんなボブが朝のワイドショーに出演している動画があったので貼り付けておいた。
ボブの優しい口調に注目。


番組はBBC Oneで朝6時から毎日放送している『Breakfast』。
玉川さんは出ないにしろ、私、この番組が大好きでイギリスにいる間は毎朝必ず見ている。
だって思いもよらない人がボッコリ出てきたりするんだもん。
 
例えばこの動物福祉活動家のメイさん。
「メイちゃ~ん」って、この人Queenだよ。
Queenのギタリスト。

11_img_0029グレン・ヒューズも!

11_img_0047コレ、この日は2012年の50周年コンサートの前日だったの。
「明日、Marshallの50周年記念のコンサートが開かれます!」というシーン。
ジムはBBCのラジオなんかにも出演しているし、この数年後にはBBCでMarshallのドキュメンタリーを制作したからね。
11_img_0045ウチの社長も当然出演。
8年前ともなると若いね。
BREAKFASTさん、ジョンの綴りが違ってますよ!
本名は「Jonathan」なので、正しいディミニュティヴは「Jon」です。

11_img_0080サラリと工場も紹介された。

11_img_0079そして、その工場に来てくれたのは…ボブ・ハリス!12bob1何年か前の話だけど、奥様後同伴でミルトン・キーンズを訪ねて来てくれた。
向かって右はMarshall Recordsのヘッド、スティーブ・タネット。
タネさんも業界では古い人なので、ボブが来たのはその関係だったのだろう。
数え切れないぐらいMarshallは「Old Grey Whistle Test」で活躍したからね。

12bob2ことの起こりは1911年にローレンス・ライトという人がデンマーク・ストリートに音楽出版社を開いたことだった。
このローレンス・ライトという人は1926年に「メロディ・メイカー」誌を発刊した人。
その後、デンマーク・ストリートにウジャウジャと音楽出版社が集まり出し、1950年代の終わりごろまでイギリスの「音楽のメッカ」として隆盛を極めた。
 
ハハハ、「私がナゼBSTを辞めたか」…デヴィッド・クレイトン・トーマスのインタビューなんて出ている。
「Sabbath、Floydのツアー日程」か…。
「フランクのホット・ギグ」…この1971年のイギリスのツアーはあのモントルーの火事の後だったので特別「hot」なワケ。
「Smoke on the Water」のアレね。
そして、このツアーのロンドン公演、レインボー・シアターでファンにステージから突き落とされて大ケガを負ってしまう。
1971年ザッパ受難の年のMelody Maker誌。

11_mm_2 その「Rainbow Theatre(レインボー・シアター)」。
これは去年撮った写真なんだけど、ココはいつ来てもゼンゼン変わらんな~。
今でも新興宗教団体の施設。

11_img_9625NME(New Music Express)も1952年にこの地で生まれている。

11_nmeさて、そんなデンマーク・ストリートの音楽出版社たちも1960年代に入ると急速に没落して行ってしまう。
ビートルズをはじめ、自分たちで作曲をするミュージシャンが時代の表舞台に立ち始めたのだ。
一方で、デンマーク・ストリートの音楽関係者は従来の感覚にしがみつき、そうした新しい才能を認めようとしなかった。
当時、ロンドンで創作活動をしていたポール・サイモンは「The Sound of Silence」や「Homeward Bound」すら「こんなもんは売れやしない」と認めてもらえなかったという。
エルトンジョンの最初のシングルにして、「名曲」としてロック史上にその名を残す「Your Song(僕の歌は君の歌)」がデンマーク・ストリートで生まれたことはよく知られている。
エルトン・ジョンは1963年当時、デンマーク・ストリートの音楽出版社に勤めていた。
ある朝、その出版社の屋上でエルトンが来るのを待っていたバーニー・トウピンが書いた詩が「Your Song」なのだそうだ。
「♪ I sat on the roof and kicked off the moss(屋上に座ってコケを蹴飛ばす)」というのがまさにそのパート。

Ysそして、1974年の『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』。
エルトン・ジョンとバーニー・トウピンのこのアルバムってビルボード200史上、「初登場で1位」を獲得した初めてのアルバムなんだって?
エルトンとバーニーの下積み時代を綴ったコンセプト・アルバム。
その中の「Bitter Fingers」という曲。
アルバムの中で私はこの曲が一番好き。
それにこういう歌詞が出て来る。
「bitter finger(苦い指)」というのがわからなかったんだけど、そのまま当てはめれば…
♪It's hard to write a song with bitter fingers(苦い指で曲を書くのは大変だ)
So much to prove, so few to tell you why(証明するのはたやすいけれど、説明するのは厄介だ)
Those old die-hards in Denmark street start laughing(奴ら、デンマーク・ストリートのガンコオヤジが笑いすことだろう」…みたいな?
やっぱりそうだったんだね。
 
このジャケットってクレジットはされていないけど、ヒプノシスが噛んでいるんですってネェ。

12cf音楽出版社の衰退をヨソにデンマーク・ストリートにはスタジオができ始めた。
有名な「Regent Sounds Studio」のオープンは1961年。
はじめは音楽出版社が権利を持つ曲をレコーディングして納めるためのモノだった。

11_img_0230The Rolling Stonesの1964年のファースト・アルバムとセカンド・アルバムの大半はRegent Sound Studioでレコーディングされた。
ストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムのお気に入りで、頻繁にこのスタジオを使っていた縁だった。Rs_2 ローリング・ストーンズのファースト・アルバムの成功により「Regent Sounds Studio」はその名を知られることになり、大繁盛!
レコーディングだけでなく、リハーサルやデモ音源制作の場として、ジミ・ヘンドリックスやエルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ等々、多くの人気アーティストに利用された。

230 Black Sabbathの最初の2枚もRegentで録音している。

Pn_2

Pn_1他にも、The Bee Gees、The Troggs、Slade、Tom Jones、The Yardbirds、Herman's Hermits、Brian Poole and the Tremolos、Mott The Hoople等々がこのスタジオでシングル盤をレコーディングした。
あ、The Who の『Quick One』の一部もココで録音されたらしい。

Qo Regent Studioは規模を拡大し、トッテナム・コートロードに最も大きなスタジオを建造。
一時はアビーロードやオリンピックやトライデントをしのぐ勢いだったらしい。
この頃はどこのスタジオも大繁盛だった。
オモシロいのは「Fixing a Hole」の一部はそのトッテナム・コートロードのRegentで録音したんだって。
ナゼかと言うと、アビィロード・スタジオがイッパイでどうしても予約できなかったらしい。
天下のビートルズでもかよッ?!
Fahジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズはスタジオ・ミュージシャンとして毎日いくつものレコーディングを掛け持ちして当時大忙しだったんだって。
キンクスの1966年のアルバム『Face to Face』にそんなセッション・ミュージシャンのことを歌った曲がある。
その名も「Session Man」。
「♪彼の考えには一銭も払われない、ただ弾くだけ
彼はセッションマン
コード進行家
トップ・ミュージシャン
毎日違うスタジオで演奏だ
と、多忙を極めた当時のスタジオ・ミュージシャンをからかって歌っている。
いい曲です。

11_ftfそんな強力なスタジオも80年代に入るとパタリと勢いが失せてスタジオを廃業してしまった。
Regent Sound Studioも今は楽器屋さん。

240地下が「Alley Cat」というバーになっている。

250変わりゆきますな~。
 
こんな自転車最近見ないね。
お巡りさんでもこんなの乗ってないでしょ?
昔は座布団を巻いた真ん中の横棒に乗せてもらってお父さんと2人乗りをしたよね。
しばらくして身体が大きくなってもサドルが高くて座れないもんだから、真ん中の三角ところに片足を入れて向こう側のペダルを踏んだものだ。
「三角乗り」と言ってね。235<後編>につづく
 

200

 

2020年9月 3日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.54~変わりゆくロンドン <その4>デンマーク・ストリート(前編)

 
前回紹介したトッテナム・コート・ロードの工事現場の迂回路にかけられていた標識。
「London's Legendary Music Street TIN PAN ALLEY(ロンドンの伝説の音楽通り ティン・パン・アレイ)」と銘打っているのは「Denmark Street(デンマーク・ストリート)」。
も~、この『名所めぐり』で一体何回やれば気が済むんだ?…という感じだけど、またやる。
ココも変化が激しくてね。
新しく仕入れた知識を交えて、今一度この「ロンドンの音楽の通り」を案内させて頂きたい。
 
この標識は5年前に撮ったモノ。
ココで注目して頂きたいのは赤い文字で書かれた「JUST AROUND THE CORNER」と左下のギターアンプのイラスト。
このアンプ、Marshallではない。11_img_0242前の記事で「トッテナム・コート・ロードとソーホーという名前は覚えておいて!」って書いたでしょ?
というのは、コレ。
こんなことを歌った曲がある。
 
Down the way from the Tottenham Court Road
Just round the corner from old Soho
There's a place where the publishers go
If you don't know which way to go
Just open your ears and follow your nose
Cos the street is shakin' from the tapping of toes
You can hear that music play anytime on any day
Every rhythm, every way

トッテナム・コート・ロードのすぐ近く
いつものソーホーから行ってチョット曲がったところ
出版社が並んでいるところ
どう行ったらいいのか分からなければ
耳を澄ませて 鼻をきかせてごらん
つま先を鳴らす音で通りが揺れているから
いつでも、いつの日も音楽を演っているところ
あらゆるリズムで、あらゆるスタイルで…
 
この「いつでも音楽に満ち溢れている通り」がデンマーク・ストリート。
曲はThe Kinksで、その名もズバリの「Denmark Street」。
ね、「トッテナム・コート・ロード」に「ソーホー」に「Just around the corner」。
この最初の4小節は、Ray Daviesが「トッテナム・コート・ロード」という固有名詞を使いたいがために作ったメロディなのではないか?と思いたくなるほどバッチリとマッチしている。
口にしてとても気持ちがいい。
それに「Just around the corner」だなんて、この標識を作った人は絶対にThe Kinksを知っているハズだ。
そして、この曲を知っている通行人は標識を見てニヤリ。
いいな~、ロンドン。
下は1971年にフランスでリリースされたThe Kinksのシングル。
A面の「Animals in the Zoo」よりナゼかカップリングされた「Denmark Street」の方がゼンゼンいいと思うんですけど…。11_2imagesアルバムでは1970年のThe Kinksの8枚目のスタジオ・アルバム『Laura Versus Powerman and the Moneygoround, Part One(ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦)』に収録されている。
大ヒット曲、「Laura」が収録されているアルバムね。
そういえば「Laura」でも「old Soho」という歌詞が出て来る。
前々回に「ソーホー」をまた取り上げたけど、ロンドンっ子にとってはソーホーがいいんだろうな~。
こうしてThe Kinksはロンドンの固有名詞を歌詞に取り込んでいる曲がいくつもあって、コレが実にうれしくも楽しい!
ロンドン好きにはどうにもタマらんのだ!
ナニせ曲がどれも最高にいいからね。
そんなキンクスの曲を集めた「ロンドンのガイド」を編む準備をしている。
楽しいけど、コレがまた大変!

11_rp…ということで、チョイとそこまで…デンマーク・ストリートまで!
コレはトッテナム・コート・ロードの交差点からチャリング・クロス・ロードをチョット行ったところ。
70_2歌詞にあるように、この真ん中のオレンジ色の看板のお店を左に曲がれば…

75その「いつでも音楽に溢れた」ところ。
え…コレが?
このサビれた何の変哲もない180mほどのチッポケな通りがイギリスのティン・パン・アレイ?
そうなの。
コレがデンマーク・ストリートなの。

60通りの名前は17世紀の終わり頃、「George of Denmark(ジョージ・オブ・デンマーク)」にちなんで名づけられた。
ジョージはデンマーク国王フレゼリク3世の次男坊。
アン女王の王配。
「王配」とは平たく言うと、「女王様のダンナ」のこと。
もうイギリスの歴史ってのは「アン」だの「メアリー」だのがいつの時代もゾロゾロ出て来てサッパリ覚えられん!
そもそもヘンリー八世の6人の奥さんだって、ウチ2人が「アン」、他の2人が「キャサリン」だからね。
ココのアン女王は、在位が1702~1707年で、最後のイングランド(ウェールズ含む)とスコットランドの女王にして、最初のグレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)の女王…言葉で説明するとこういうになるけど、ココは旗で説明した方がわかりやすい。
 
この赤いイングランドの国旗と…

11_england_j_2
こっちの青いスコットランドの国旗を合体させて…

11_scotland_j
こういう風になった時代の一番偉い人がアン女王、

11_union_j つまり、このアンが女王の時にイングランドとスコットランドがひっついて今のイギリスの基盤になったんだね。
その後、北アイルランドが併合されて今の国旗になったというワケ。11_uj コレは全く知らなかったんだけど、1930年代には日本人が経営する本屋やレストラン、美容室やホテルが出来て、デンマーク・ストリートは「リトル・トーキョー」の異名を取ったのだそうだ。

90_2コレは私が撮った一番古いデンマーク・ストリートの写真。
2002年、初めてロンドンを訪れた時のこと。
イギリス・ナンバーワンの楽器屋街。
日本で言えば御茶ノ水。
さっき通ったチャリングクロスは日本の神保町。
楽器屋街と古本屋街がくっついているなんて、日本とまったく同じじゃん?
 
この時は特に「さびれている」というイメージはなかったな。
仲良しだったMarshallのスティーブが連れて来てくれた。
スティーブはMarshallを退職した後、不幸にしてこの世を去ってしまったが、この時に私に紹介してくれた美しいガールフレンドとはfacebookで今でもつながっている。
3人でピザを食べに行ってね。
ココには出さないけど今でもその時に撮った写真を大切に保管している。96aこの頃はHANK'Sがこんな感じだった。
写真の右上に写っている青い看板の建物を見ておいてね。

96cこの頃はデンマーク・ストリートの外、つまりチャリング・クロス・ロードにもいくつかの楽器店が盛んに営業していた。
上に出て来たスティーブはその昔、この「Macari's」でアルバイトをしていたと言っていた。
スティーブがココへ連れて来てくれたのは、たまたまJohn Entwistleがなくなった翌日のことで、店内はその話で持ち切りだった。

96eこのturnkeyという店は1階がデジタル楽器売り場で2階が従来楽器の売り場で結構Marshallが並んでいたが、今はもうない。
ツブれた。
下の写真はツブれた後に撮った写真。
「TO LET」とは「貸室あり」という意味。
「トイレ」じゃないからね。96dまたデンマーク・ストリートに戻る。
チャリング・クロス・ロードから通りに入ってすぐの右側。
「Rose Morris(ローズ・モーリス)」というお店。
私が最初に来た時は確か1店舗だけしかなかった。

120今ではもう1店舗増えていて、お店によって取扱い商品を分けている。
このローズ・モーリス、コアなMarshallファンの方にはおなじみの名前だろう。
昔はチャリング・クロスにあった老舗の楽器店で、1964年にリッケンバッカーの輸入販売代理店となり、その他にも色々なブラントの楽器を取り扱っていた。
そして、1966年からMarshallの販売総代理店となった。
かつてジムは何かのインタビューで(BBCラジオだったかな?)、ジムは当時ピート・タウンゼンドがブッ壊したMarshallだけでなく、リッケンバッカーのギターも修理していたと言っていた。
なるほど、こういう関係があったのね?
 
「販売総代理店」…「総」だからね。
国内外を問わず、Marshallの作った商品はすべてこのローズ・モーリスを通して販売された。
その際、ローズ・モーリスは法外なマージンを乗せていた。
それでもバンバン売れたワケだから、Marshallのギター・アンプはメチャクチャ求心力のある商品だったのだ。
何せ時の音楽を変えた楽器だからね。
それなのに、Marshallの儲けはチョビっとだったの。
昔はMarshallの値段って高かったからね~。
でも日本の場合は、ローズ・モーリスの暴利だけが原因ではなく、円vs.ポンドの為替レートが不利であったことに加え、関税がガッツリかけられていたこともあったようだ。
自分が作った商品をMarshallが勝手に誰かに販売するなんてことはもっての他。
仕方ない、そういう契約をしちゃったんだから。
だから、「コレはMarshallじゃないけんね」と、「Park」や「NARB」や「KITCHEN-Marshall」というMarshallによる類似ブランドが誕生した。
今だからこそ「ナンだってジムはそんな契約をしてしまったんだ?」と思うけど、やはり当時は1920年創業の老舗だけに、ローズ・モーリスに強靭な営業力があったように見えたのではなかろうか?
Marshallは時代の音楽の変化に合わせて1959や1960等、JTM45に続くモデルを何としても世界的に販売したかったんでしょう。
そこでローズ・モーリスの力を借りたのではなかろうか?
ジャパネットより何十年も先に「良いモノをより安く」自分の商品を販売したかったジム・マーシャルはこのローズ・モーリスとの契約に大層後悔したそうだ。
100_2生前、ジムはよく「『スタック』という言葉を最初に使ったのは私なんだよ、フォッフォッフォッ」と言っていた。
ところが、ローズ・モーリスはこの「スタック」という表現を使いたがらず、アンプ・ヘッドとスピーカー・キャビネットが別々になっている仕様を「セットアップ」と呼んだ。
下は当時のローズ・モーリス制作のMarshallのカタログ。
「ウインター・コレクション」だなんて、まるでファッションだな。
コレ、「LEAD」という呼び方もローズ・モーリスによるものだったのかナァ?
「LEAD」というのは「ギター」のことね。
PAやオルガン用のアンプも当時は重要な商品群だった。
1959だの、2203だの4ケタのモデル・ナンバーもローズ・モーリスの仕事。
「UNIT〇〇」も同様だ。
Marshallはこのあたりに関与していない…というか、「ボク、売る人。キミ、作る人」という具合にMarshalは販売政策に全く関与できなかったのかも知れない。

12mae_roseところで、このMarshallのモデル・ナンバーね。
1959、1960、1974…一体この4桁の数字はどこから来たんだ?どうやって決めているんだ?…と不思議に思う人はきっと少なくないでしょう?
「19」始まりの番号なので、一瞬「そのモデルが発表された年」と思うのもムリはない。
ブ~!
違います。
1959や1962が発売になったのは1965年のこと。
発売年とモデル・ナンバーには一切関連性がない…ま、このことをご存知の人は多いハズ。
 
よくMarshall Blogでやるのは、例えば1959の定義は「100W、マスター・ボリュームなし、4インプット」で、そういう仕様のモデルは赤かろうが、三角だろうが、すべて「1959」と呼ぶことになっている…というヤツ。
同じように「100W、マスター・ボリュームつき、2インプット」仕様のモデルは「2203」ね。
コレはMarshall一番のベテラン社員から教わったので間違いではないだろう…というか、後追いでそう定義づけたのだろう。
 
しからば、ローズ・モーリスは1959等の4ケタの数字をどこから持ってきたか…。
 
ココで話はリッケンバッカーに飛ぶ。
私はビートルズは大好きなんだけど、リッケンバッカーというギターに興味を持ったことが一度もない人生だった。
実際、一度も触ったことがない。
キラっているワケでは全くないんですよ。
本当にそういう機会がなかっただけ。
なので、この年になるまでモデル・ナンバーなんて全く知らなかった。
リッケンバッカーは母国アメリカでは3ケタの数字を使ってモデルにナンバーを振っていたが、前述のようにイギリスで輸入代理店を務めていたローズ・モーリスは、特注でボディに「fホール」を付けて、独自に4ケタのモデル・ナンバーを割り振っていた。
今風に言えば「ローズ・モーリスのオリジナル・モデル」ね。
例えばコレ。
12弦のピート・タウンゼント・モデル。
本国アメリカでは「360」という型番なのかな?
しかし、ローズ・モーリスはこのモデルに「1993」というモデル・ナンバーを与えた。
「1993」、「いちきゅうきゅうさん」…なんかMarshallチームの皆さんには馴染みやすい数字じゃない?

1993じゃコレは?
下は何年か前に出たMotorheadのLemmyモデルなんだけど、元は「Super Bass」という名前でおなじみの100Wのベース・アンプでモデル・ナンバーは「1992」。
どうですか?
Marshallの「1992」、リッケンバッカーの「1993」。
もうピンと来たでしょ?
そう、ローズ・モーリスはブランドに関係なく、取り扱う商品に片っ端から順番に番号を割り振っていたのです。
だから、1959の周りと言えば…
1958:2x10"コンボ
1959:100Wヘッド
1960:4x12"キャビネット
1961:4x10"コンボ
1962:2x12"コンボ
…となんの脈略もないスペックのモデルが連番になっている。
で、私がザッと調べたところでは、1963、1964、1965というモデルがMarshallには見当たらない。
何か別のブランドの商品にそれらの番号が割り振られたのかもしれない。1992lemそして、1966はMarshall製品。
200WのMAJORシリーズがこの辺りの番号をもらっている。
1966はPA用のヘッド。

11_1966pa そして、その次の1967は「Pig」の名で知られるギター用のアンプヘッド。
このモデルは例外的に型番と発売年が同じで1967。
オモシロでしょう?
え、オモシロくない?
コレ、興味のない人にとっては最低の1本だな。
若い人はまず喜ぶまい。

11_21967恥ずかしながら、今回リッケンバッカーのイギリスでのモデル・ナンバーことを知って、このシステムに気づいた次第。
ま、この推測に確信はあったけれど、もし間違えていたら大変だと思い誰かに確認したくなった。
もうMarshallにはこの辺りのことを知っている古い人がいないので、さて一体誰に訊いたらよいのやら…。
そこで思い出したのがこの本。11_book1_2そして、この本。

11_0r4a0151さらにこの本。

11_0r4a0158上の日本語版を監修したのがワタシ。

11_0r4a0154このナンバリングの疑問を解いてくれるのは、これらの本を書いたマイケル・ドイルしかいない!と思いたち、すぐにアメリカにメールをしてみた。
下は今年のNAMMの時の写真。
向かって右はMarshall GALAでおなじみのジョナサン・エラリーMarshall社社長。
一番左は、昔一緒に仕事をしていたJC。
ウチに遊びに来てくれたこともある仲良し。
今ではそのJCとマイケルの職場が偶然同じで(誰もが知っているアメリカ最大の楽器屋さん)、「アナタの書いた本の日本語版を監修した日本人が私の友人で、Marshallのブースにいるよ」と、私に引き合わせるために、JCがマイケルを連れて来てくれた。
当然エラリー社長はマイケルのことをよく知っているので4人で記念撮影と相成った。
マイケルは丁寧に私の仕事にお礼を述べてくれた。
こんなことがあったので、マイケルに今回質問を投げかけることができた。11_img_2739マイケルにその質問を認めてメールを送ると、直ちに返信があった。
彼の答えは「まったくShigeの指摘通りです。ローズ・モーリスは自分たちが取り扱うオリジナル商品に片っ端から連続で番号を振っていたんです。
このことは生前のケン・ブランから直接聞いているので間違いありません。
以前、どこかに書いたことがあったんだけど…忘れちゃった!」という返事。
推測通りだった。
だから、ローズ・モーリスの事務所の中で…
「オイ、こないだのMarshallのベーアンって何番にしたっけ?」
「あの100Wのヤツか?アレは1992だったぞ」
「了解!それじゃ今度のピートのリッケンの12弦は1993でいいな?」
「いいんじゃん?」
…という会話があったのかも知れない。
ロックの歴史の一部を作った1959とか、1987とか、金科玉条に取り扱っているモデル・ナンバーがこんな風にして採番されていたなんて…正直チョット興ざめするナァ。
ちなみにJTM45はローズ・モーリスがMarshallを取り扱う以前のモデルだし、1912や1922のようなモデルはローズ・モーリスから離れた後にリリースした商品なのでMarshallがモデル名を付けている。
ただ、いくつかの疑問が残っていて…
①Marshallがローズ・モーリスと契約したのは1966年であるにもかかわらず、1959や1960等の1965年に発売されたモデルにローズ・モーリスがモデル・ナンバーを与えているのはナゼか?
②1959が発売された5年後の1967年にリリースされた20WのPA用ヘッド(通称「PA20」)に1917という1959より若い番号が振られていること。
欠番になっていたのを後から補ったのだろうか?
こうした順番の入り繰りは他にも例があるようだが…。
③ローズ・モーリス時代、2203のような2000番台のモデルの他、3000番台、最大で4000番台のモデル(JCM900とは当然無関係)が存在していた。
4000まで番号が連なっていたのだろうか?
多分、それはないでしょう。
とすると、ローズ・モーリスはどうやって1000の位の数字をカテゴライズしていたのだろうか?
 
ま、どうでもいいか。
チョット今名前が出たので…。
下は2012年に開催された『ジム・マーシャルの生涯を祝う会』でご一緒させて頂いた故ケン・ブラン氏と。
一度でいいからお会いしたかったのでこの時はとてもうれしかった。170 下はローズ・モーリスが発行していたフリー・ペーパー。
過去に一度、Marshall Blogでゾロゾロと紹介したことがあったが、今回、まだ表に出したことがないモノがいくつか出て来た。
それが結構オモシロくて…近々それをネタに1本編もうかと思っている。
ね、Jethro TullはMarshallなんだよ。

12img_7729
さて、ジムが後悔したローズ・モーリスとの15年契約。
Marshallは一計を案じた。
60年代の後半から70年代の前半にかけて、Marshallが生み出すパワフルなギター・サウンドがロックに大革命が起こす。
Led ZeppelinやDeep Purpleに代表されるハード・ロック時代=歪み天国の時代である。
Marshallはマスター・ボリュームというテクノロジーを導入し、従来のアンプよりより小さい音量でより歪むモデルを1975年に発表する。
100W、マスター・ボリュームつき、2インプット仕様の「2203」だ。
日本では2203のことを「はっぴゃく、はっぴゃく」と呼んでいるが、JCM800シリーズが登場する前から2203はあったのよ。
アレ、日本では不思議と「はっぴゃく」は2203、「きゅうひゃく」は4100、「にせん」はDSLが同義語になっているんだよね。時々…
「Marshallを使ってます!」
「ああ、どうもありがとう!で、どのモデルを使っているの?」
「『にせん』です!」
「DSL?TSL?」
「はあ?ナニ言ってんだかわかんない。『にせん』を使っているんですけど…」
「……(絶句)。やっぱマーシャルだよね~!」
なんてことがあるんですよ。

Jmp2_2そして、1981年、ローズ・モーリスとの契約が終了したのと同時にMarshallは2203を中心にした新しいラインナップ「JCM800」シリーズを発表する。
James Charles Marshall…ん~、思いっきりジムの名前をフィーチュアしちゃって!
ローズ・モーリスにはズッ~っと隠していたワケ。
フロント・パネルにジムのサインをあしらったのは「Marshallはオレの会社じゃけんね!」とアッピールしたかったかのように見える。
この端から端までガバチョと開いたフロント・パネルを擁するルックスは、当時のギタリストにとってインパクトが生半可じゃなかったらしい。
でも、ブラック、ゴールド、ホワイトの配色はキッチリ踏襲した。
この完璧なカラー・コーディネーションはジム・マーシャルの偉大な発明だよ。
悪いんだけど、コピーのメーカーさん、マネしないでくれますか?
あ、コレをマネしているからコピーなんだ。
 
1981年といえばマイルスが来日した年だな?
この時の新宿のコンサートは行っておけばヨカッタ…。
私は大学生だったけど、JCM800のことはゼンゼン知らなかった。
当時私はJMP時代の1959と1960AXを使っていた。

800_1アメリカでもこんな広告を作ってMarshallの新しい門出を祝った。
恐らくデンマーク・ストリートも「JCM800シリーズ」で大いに盛り上がったことだろう。Adそして、JCM800シリーズは世界中で大ヒットし、Marshallは莫大な外貨を獲得し、1984年にエリザベス女王から勲章を授かった。(写真のフル・スタックはJCM900だけどね)

11_0r4a0477チョット、もう疲れちゃったのでココでおしまい。
でも、デンマーク・ストリートのお話はまだ続く。
スゴい話を見つけちゃったのです。
お楽しみに。
コリャまだまだHipgnosisにたどり着けそうにないな。
 
<つづく> 

200



2020年8月10日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.53~変わりゆくロンドン <その3>トッテナム・コート・ロードとチャリング・クロス

 
『変わりゆくロンドン』の3回目。
さすがにひとりで10年以上やっていると何度も同じことを書くことになってしまうな…でも、いいの。
見てなかったり、覚えていない人の方が多いから。
何しろ書いた本人の記憶もおぼつかないんだから仕方ない。
ま、3,000本近く書いてるからね。
今回は何度も登場しているチャリング・クロス・ロードとデンマーク・ストリートの話題。
でもテーマは「変わりゆく」だから。
同じ内容にはならない。
それどころか、もう何度も「名所めぐり」に出てきているデンマーク・ストリートで新しい大発見をしてしまったのだ!
古き良きブリティッシュ・ロック・ファンの皆さん、乞うご期待!
 
さて、今私が立っているのはオックスフォード・ストリートとチャリング・クロス・ロードの交差点。

9_2背中はコレ…「Tottenham Court Road Station(トッテナム・コート・ロード駅)」。
私が初めてココに来た時、この駅舎がある場所には中国人が経営していたのであろうか、外の看板に漢字がズラ~っと並ぶ大きなフィッシュ&チップス屋があった。
一度だけ入ったことがあった。
フィッシュ&チップスの「フィッシュ」の具は何と言っても「Cod」や「Haddock」等のタラ系が主役だが、この店にはエビだのシャケだの色んなモノを揚げていた。
ナニをオーダーしたかは覚えていない。
店の写真を撮っておけばヨカッタ…。
105_2そうそう、タラで思い出した!
最近オモシロい話を聞いた。
あのグルメご用達の「ミシュラン・ガイド」っていうのあるでしょ?
アレの審査員ってタラとサバの区別も出来ないのが普通らしいよ。
全部「fish」…フランスだから「poisson(ポワソン)」か?
ちなみにフランスではエイプリール・フールのことを「Poisson d’Avril(ポワソン・ダヴリル)」という。
意味は「4月の魚」。
ココまでは知ってる。
でもこの魚が一般的に「サバ」を指すことは知らなかった。
サバはオツムが弱く、4月になると簡単に釣ることができるようになるかららしい。
で、ミシュランの審査員ね…コレは仕方ないと思うんですよ。
ナゼなら、西洋はフォークとナイフでしょ?
我々のように器用に箸を操って魚一匹を解体して食べるなんてことがない。
魚料理となると、いつでも切り身をソテーしたり、練ったり、揚げたり、魚の形のまま食べる機会がまずないので種類なんてわからないんだろう。
それじゃ、まるで「目黒のさんま」だ。
そもそも魚を焼くことを禁止しているアパートが多いと聞いた。
ニオイがイヤなんだって。
勇気のある人、大島のクサヤかなんかを持って行って焼いてみたら?
 
コレは「Marylebone(マリルボン)」にある魚屋。
こうして魚屋では魚の形のまま売ってるけどね。
ウインドウに写り込んでいるのは私。
6月なのにダウンジャケットを着ています。
今年の暑さはスゴイって!
ロンドンでも35℃だっていうからね。
でもエアコンがないのが普通なんだよ。
Marshallの事務所もエアコンが付いていないことは何度か書いた。

11_img_0712 トッテナム・コート・ロードの駅に戻って…。
滅多にこの駅を使うことはないんだけど、昨年、超久しぶりにホームに降り立った。
「スカル・シェーバー」いいナァ。
90秒でバッチリだぜ。
この写真を撮った時は父の日が間近だったのでボーナスで替え刃が付いていた。
買っておけばヨカッタな…。

Img_9529ホームの壁面にはこんなタイル細工が施してあって楽しい。

Img_9531デンマーク・ストリートが近いせいか楽器をモチーフにした図柄も見受けられる。

Img_9530シャーロック・ホームズの話を紹介しているベイカー・ストリート駅のように、ロンドンの地下鉄には近隣の名物や由来を展示している駅がいくつかあってとても興味深い。
最近は東京の地下鉄でもそういうのをチョクチョク見かけるね。

Img_9532いいね~、トンネル式のコンコース。
ホームのデコレーションだけでなく、駅の作りやこういうコンコースの作りを見て歩くのもロンドンの地下鉄の楽しみのひとつ。

Img_9535好きでしてね~、ロンドンの地下鉄…。
昨年もMarshall GALAの時、Marshallの人に頼んでわざわざイギリスからこの本を買って持って来てもらっちゃった。
忘れ去られてしまっているロンドンの地下鉄を探訪する…みたいな本。
11_0r4a0209さて、地下鉄だけにコンコースで脱線。
私はサッカーには何の興味もないんだけど、「アーセナル」という名前ぐらいは知ってる。
それで「Cockfoster(コックフォスター)」というピカデリー線の東の終点の駅に行った時の帰りに寄ってみた。
駅からすぐのところにこのバカでかいスタジアムがあったね。
隣はもう民家なのよ。
11_rimg0041 「アーセナル」のスタジアムがあるのはやっぱり「アーセナル駅」ですわな。

11_rimg0050 ココのコンコ―スが断然スゴイ!
もう『大脱走』か、松代の大本営跡か、というぐらいの長大トンネル!

11_rimg0052行けども行けどもホームにたどり着かない。
コレはもしかして施工ミスではないのか?
間違えて設計図と違う所にホームを造ったに違いない。
あるんですよ。
トンネルを両側から掘削していて、いつまで経ってもこっち側と反対側の切羽(穴を掘り進んでいる一番先端のところ)がハチ合わせにならない。
それもそのハズ、片方は上に、もう片方は下に掘り進んでしまっていた…なんてドリフのコントみたいな話を聞いたことがあった。
今はレーザー光線の直進性を利用したり、計測の技術が飛躍的にアップしてmm単位の誤差もなく設計通りにトンネルを掘り進めることができる。
それでも25年ぐらい前、私が長野自動車道のあるトンネルの現場を担当していた時に、他の現場で掘削中に進路のズレが発生してしまい、途中で軽微な設計変更をせざるを得なかった…なんて話をその現場のゼネコンの人から聞いたことがあった。
 
とにかくこのアーセナル駅はオモシロいよ~。
私は知っている限りでは、ココのコンコースが一番フザけているな。
フィンズベリー・パーク駅もいいコンコースだけど、アーセナルの比ではない。

11_rimg0053 はい、軌道に戻ってトッテナム・コート・ロード駅。

Img_9537トッテナム・コート・ロードの交差点にある「The Flying Horse」というパブ。
ココはいいですよ~。
オックスフォード・ストリートに面して営業している唯一のパブ。

Img_9545その並びにはかつて大きなVirgin Mega Storeがあった。
地下には、「Sound Control(サウンド・コントロール)」という恐らくはロンドンで一番大きかったであろう楽器屋があった。
Marshallの三段積みがズラリと並んでいてね~。
立派なお店だったけど洋服屋になっちゃった。
その楽器屋さん自体の経営が立ち行かなくなってしまったんだね。
チェーン店の楽器屋といしてもイギリスで一番大きかったんじゃないかな?

11_vmsoコレはそのヴァージン・メガ・ストアで買った『This Is Spinal Tap』のDVD。
当時、日本ではリリースされていなかった。
この数年後、日本で映画が初公開され、まさかそのお手伝いをするなんてコレを買った時には想像すらできなかったな。

その様子はコチラ⇒映画『スパイナル・タップ』を11倍楽しむ
 
14サウンド・コントロールが洋服屋になっても、ヴァージン・メガ・ストアはしばらくの間残っていた。でも、結局「hyper hyper」とかいう洋服屋になっちゃった。
変わりゆく~。

15vそして今は「Primark(プライマーク)」。
プライマークは許す。
イギリス版ユニクロね。
さすがロンドンの最中心地、変わりゆくスピードが他とは違う!

16ところがココのプライマークがヒッデエの!
そんなロケーションだけあってこの店舗はいつでも混んでるんだけど、日曜日の夕方にパジャマと下着を買いに行ったワケ。
大型店舗ゆえ、レジがズラ―っと並んでいるんだけど、そこで対応している店員は2人だけ。
当然、レジ待ちの列はアホほど長くなってみんなキューキューしてる(ココ、イギリスで「列」を意味する「queue(キュー)」のシャレになってます)。
他にも店員は大勢いるのに!
でも、列に並んでいるお客さんは誰ひとりイライラしている風ではない。
私だけカリカリ、イライラ、ムカムカ…。
今朝、テレビのニュースでやっていたけど最近は「レジハラ」っていうのがあるんだって?
客がレジの人に向かって狼藉を働くヤツ。
もう私なんかそれになっちゃいそうだった…でも、英語でそれをやったら返り討ちに合うのはわかりきっているので大人しくしていたけどよ。
軽く1時間は並んだゼ。11_img_9544 トッテナム・コート・ロードの交差点をチョット過ぎたあたりのチャリング・クロス・ロード沿い。
ライブハウスの「UFO Club」はどうもココにあったくさい。
色々と調べてきたんだけど、確かなことがわからない。
「UFO Club」といえば、Pink Floydのかつての本拠地ですからね。
その後を引き継いだのがSoft Machine。
「UFO」は「ユーフォ―」と読んでいたらしい。
「ユーエフオー」と読むのかとばっかり思っていた。Img_9555トッテナム・コート・ロード駅の地上に出たところ。
いきなりこんなストリート・パフォーマンスを演ってる。
こんな繁華街で考えられん!
演奏しているのはただの有名曲のコピー。
オジさんゴミ箱にもたれて爆睡してる。
そういえば、海外から来た誰かに言われたんだけど、Marshallの社長だったかな?…東京ってゴミ箱が全く無くなったよね?
いつかの「ナンジャラサミット」以来か?
それなのにこんなに街が清潔なのはスゴイ。
ロンドンだったら、もうゴミだらけになってるゼ。
バスの向こうに見えているのは「Dominiaon Theatre(ドミニオン劇場)」。

106_2ドミニオンの前にはこうして随分長いことフレディが「デ~オ」だった。
調べてみるとドミニオンでの『We Will Rock You』は2002年の3月に始まって2014年の3月まで、4,600回の堂々たるロングラン。
私が観た時は200回記念とか言ってブライアン・メイが出て来て「Bohemian Rhapsody」のソロをナマで弾いてたからね、大分前のことだった。
その時点で客の入りもそれほど良いワケではなくて、正直、アレがこんなロングランになるとは予想できなかった。

10vこうしてスコンとなくなってしまうと寂しいね。

11_2昨年6月のようす。

125_2これは上とは別の日に撮った写真。
『BIG』の看板が上がった。
この3か月後の9月から11月までドミニオンで上演されたそうだ。

12_2トム・ハンクスの映画『ビッグ』のミュージカル版。
私はブロードウェイのシュバート・シアターでオリジナル・キャストの公演を観たんだけど、すごくオモシロかったし、音楽もすごくヨカッタ。
あの床のピアノがある「FAOシュワルツ」がすぐ近くだからね。
『My Fair Lady』をコヴェント・ガーデンで観たり、UFOのPhil Moggが歌う「Lights Out」をロンドンで聴いた時と同じ種類の感動。
自慢に聞こえたらゴメン。

11_0r4a0218ロンドンの神保町「Charing Cross Road(チャリング・クロス・ロード)」。
この通りをテムズ川に向かって行き…

20トラファルガー広場を過ぎて左に曲がったところにロンドンで5番目に大きなターミナル駅、「チャリング・クロス駅」がある。
ケントの「Sevenoaks(セブンオークス)」という所に行く時に一度だけ利用した。

12img_0130このトッテナム・コート・ロードの交差点周辺は再開発の工事が盛んだ。
しかし…一体、コレ何年やってるんだ?
私が見ている限りでも、短く見積もっても8年は続いているのではなかろうか?
前回家内と来た時、ココで大きなターバンを巻いて休憩しているインド人の工事人夫を見かけた。
「こんなところでもターバンを巻いていなければならないの?」と、インド人より家内がビックリ。
今にして思うと、アレって絶対ヘルメットかぶれないよな。
どうしてるんだろう?アブないぞ。

30こんな状態の時もあった。
一時期はチャリング・クロス通りが直進できなかった。
左にチョコっと見えているビルはEMIのロンドン本社かな?
今はケンジントンの方に移っている。11_img_1827 去年の様子。
いつ工事が完了するのかは知らないが、この周辺は跡形もなく変わりゆくだろう。

40この辺りには「London Astoria(ロンドン・アストリア)」というコンサート会場があった。
2009年に廃業してしまった。
たくさんのロック・バンドがライブ・アルバムやライブ・ビデオをココで録っているが、割合新しめのが多く、私の心にグッと来るアイテムがなかったので例は挙げない、ゴメン。
開業が1976年と遅めだからだな。
この前を通ると「木曜日はゲイの日!」なんて看板がかかっていて、最初に見た時はチョット驚いたものだった。

50テムズ川方面に向かってチャリング・クロス・ロードを望む。
「FOYLES(フォイルズ)」はイギリスで一番の本屋なの。
この来歴がオモシロい。
1903年に公務員試験に失敗したウィリアムとギルバートのフォイル兄弟が大量に保有していた公務員試験用の教科書を売却。
その教科書がバカ売れし、持っていた点数以上の注文を受けてしまった。
一体、どれだけ持っていたの?…というか、それほど勉強していたにもかかわらず合格できないイギリスの公務員試験ってどこまでムズカシイのよ!
ハハン…私もそうだったけど、フォイル兄弟は試験前に資料をコピーしただけで勉強した気になるタイプだったんだな?
とにかく、「コイツぁ商売になるぞ」ってんで、自宅で古本屋をスタートさせ、1906年からチャリング・クロス・ロードに店舗を構えイギリスでNo.1の本屋さんになっちゃった!
ナニせ本棚の専有面積と書籍の数に関しては世界最大の書店としてギネス・ブックにも登録されていたらしいよ。

60v確かにいい本屋なのよ。
上の方の階にはクラシックを中心としたCDのコーナーもあって、音楽や美術関係の書籍の品揃えも豊富。
コレは去年の6月のショウ・ウインドウのようす。
英語の教科書のディスプレイ。
店内でもハデに宣伝していて危うく買いそうになっちまったが、グッとこらえた。
買って帰ってもどうせやらねーから。
東京駅の八重洲口の向かいにある「八重洲ブックセンター」は姉妹店なんだって。
そういえば「八重洲ブックセンター」にも他の書店ではまず見かけないオモシロそうな英語の参考書がズラリと並んでるのよ。
アイツらグルだったんだな~。
70私がFOYLESで買った本。
ま、どこにでも売っている本なんだろうけど、「フォイルズで買った」ということで。
一番右は「アナタのアクセントを取り除く」イギリス英語発音の本。
ゼンゼン取り除かれないよ。
もっとも熱心にやっているワケではないんだけど、イギリス発音に憧れて意地でアメリカ英語を忘れようとしているんだけど、そんなことをしているウチにすっかりワケがわからなくなってきた。
とにかくイギリス人と接する時には「r」で舌を巻かないこと、そして「t」だの「k」だのの子音はハッキリ発音すること、コレだけはナントカ励行できているつもり。
その代わりアメリカ人と話す時は犬神凶子さんよろしく、徹底的に舌を巻いている。
そうそう、よく日本人が「♪Happy birthday to you」を英語っぽく歌っているつもりで「♪ハッピボーッデイツーユー」ってやっているのを見かけるが、アレだけはマジでヤメて欲しい。
恥ずかしくてトリハダが立っちゃうのだ。
11_0r4a0224上にチャリング・クロス・ロードは「ロンドンの神保町」と書いたけど、そうなの。
本屋や古本屋がチョコチョコと並んでいてね、もう大好き。

11_img_8358下は「Cecil Court(セシル・コート)」という小さな古本屋が集まった路地。
どうせ買っても洋書は読まない…というか読む根気がないので滅多に買うことはないが、この雰囲気を味わうだけでシアワセ。
ちなみに「世界一の古本屋街」と謳われる神保町は、元々は新潟の長岡の方が古本屋を開店したことに始まり、同郷の人を誘ったことからあの辺りに古本屋でき始めた。
よって神保町の古本屋さんは長岡出身の方が多いらしい。

11_img_8338フォイルズのとなりにあるのがコレ。
「The Montagu Pyke(ザ・モンタギュー・パイク)」という大型パブ。
値段が安いことで人気の「Wetherspoon(ウェザースプーン)」系列の店。
いつも繁盛しているのは変わらない。

80ココが今のパブに変わる前はMarqueeの第3号店だった。90Marqueeに変わる前は「The Montagu Pyke」という1911年開業の映画館だった。11_img_0758だから店内がこんなに広いのね?

11_img_8344The Whoのバナーが飾ってあるけど、The Whoはこの3号店には出てなかったんじゃないかしらん?

11_img_8345入り口のところに飾ってある案内板。
見ている人は誰もいない。
いつも私だけだ。

11_img_0761チョットすいません。
色々書いていたらエラく長くなって来ちゃった。
この先、このまま「デンマーク・ストリート」をやろうと思っていたんだけど、次に出て来る話題があまりにも長くなってしまったので、それが終わった時点で1回区切って終わりにします。
100さて、そのモンタギュー・パイクを過ぎて次のブロックにあるのが「Palace Theatre(パレス・シアター)」。
「Royal English Opera House(王立オペラ劇場)」として開業したのが1891年。
オモシロい背景があってココに書きたいんだけど長くなるので止めておく。
「Listed Building」のGradeII*の指定がかかっている。
 
下は2012~13年にかけての様子。
『Singin' in the Rain(雨に唄えば)』を上演していた。
タマタマ公演が終了した時に通りかかったんだけど、地方から来ていたのかナァ?
おジイちゃん、おバアちゃんの団体さんが劇場の前の「Cambridge Circus(ケンブリッジ・サーカス)」を埋め尽くしていた。
ま、私もおジイちゃんとして、この演目には文句なし。
舞台に本当に大量の雨を降らすのが話題になったんじゃなかったっけ?
これだけ大量のおジイちゃん&おバアちゃんの団体さんなんだけど、日本のそうした方々とはゼンゼン雰囲気が違うんだよね。
お年寄りはお年寄りなんだけど、みんな背が高くて姿勢が良くて、当たり前なんだけど洋装が似合って、白髪で、色が白くて、目が青くて…いわゆる「年寄り臭く」ない。

Img_7941今は「Harry Potter」を上演している…イヤ、していない。
コロナ禍で今年の3月に一旦打ち切られている。
1度でいいからこの劇場に入ってみたいと思っているんだけど、ハリー・ポッターじゃナァ。
とにかく、パレスシアターはチャリング・クロスを歩いていて一番目立つ建造物であることは間違いない。

0r4a0681チャリング・クロス・ロードと交差するのシャフツベリー・アヴェニューをチョット入って行った右側に「FOPP」というCD屋がある。
写真の右側、ロールス・ロイスの後に写っている建物ね。
ココも何年か前に持ち主が変わったのか、店名が変わったな。
前は「Zaza」とか「Zizi」とか、「Vivi」とか、そんなような名前だった気がする。
そのCD屋は通常品の他に売れ残ったのであろうCDやDVD、それに本を扱っていて、結構色んなのを買ったな。
為替が有利な時にはそうしたアイテムをメチャクチャ安く買うことができる。
去年行った時にはいいのがなくてなんにも買わなんだ。

Img_0409その手前のマック。
何やらプラークが取り付けられている。

Mc『84 チャリング・クロス・ロード
ヘレーネ・ハンフが書いた本によって世界的に知られることになったMarks & Co.という本屋がかつてココにあった。』

Plaqueそう、チャリング・クロスといえば『チャリング・クロス街84番』…コレをやらないと!
 
下がその舞台の「Marks & Co.」という1920年代に開業した本屋。
チャップリンやジョージ・バーナード・ショウが客としてよく来ていた。
チャリング・クロス通りにはこういう古式ゆかしい本屋が今でもチョコチョコと残っている。

Marksコレがその本屋を世界的に有名にしたヘレーネ・ハンフの『84, Charing Cross Road』。
1950年代のはじめ、ニューヨークに住む女流作家が「Marks & Co.」に手紙で中古の本を注文する。
その注文を受けたマークスの主人であるフランクが真摯な対応で本を販売したことから、大西洋を挟んだ文通が始まり、その交流はフランクが死ぬまで20年も続いた。
しかし、最後まで2人は面会することはなかった…という、静かな大人のラブストーリー。
コレ実話で、実際のヘレーネとフランクが交わした手紙で構成した手紙文学。
下の本がどういうタイミングでの版なのかは知らないが、向かって右はアメリカのポスト。
左はイギリスのポスト。
実にカワイイじゃありませんか。
ま、私はこの本を読んだワケではござんせんが…。

11_2book でも、映画はDVDで観た。
邦題は『チャリング・クロス84番地』。
正式な原題は『A big love affair that began in a little bookstore at 84 CHARING CROSS ROAD A true story. (チャリング・クロス街84番地の小さな本屋ではじまった大きな愛のできごと 真実の話)』というようだ。

Filmこの作品、制作がメル・ブルックスなんだよね。
メル・ブルックスは『ヤング・フランケンシュタイン』などのヒットで知られるコメディ映画監督/俳優。
中学1年生の時に数寄屋橋の「ニュー東宝シネマ1」に観にいったな~。
ジーン・ワイルダーって苦手なんだけど、コレは最高にオモシロかった。Yfそれと、この『ブレージング・サドル』なんてのも私が中学2年ぐらいの時に封切りになって話題になっていた。
コレは観たかどうか覚えていない。Bsヘレーネを演じたのは『卒業(Graduate)』のミセス・ロビンソンを演じた名優アン・バンクロフト。
メル・ブルックスとアン・バンクロフトは2005年にアンが亡くなるまで夫婦だった。
Mr私はロビンソン夫人より「サリバン先生」の方が印象が深いかな?
ヘレン・ケラーの伝記映画『奇跡の人(The Miracle Worker)』ね。
アン・バンクロフトはコレで1962年のアカデミーで主演女優賞を獲得。
ヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークも助演女優賞を獲った。
私は45年ぐらい前に1度しか観たことがないんだけど、下は確かヘレンが初めて「水」という言葉を口に出そうとしているシーン。
「『ウォーター』って言ってごらん!言いなさい!」とサリバン先生。
ヘレンは懸命に「ウオーアー」と発音する…と、そんな感動的なシーンだった。
「水」はヘレン・ケラーが初めて口にした単語なのだ。
ヘレン偉い!
イギリスに行けば「water」を「ウォーアー」と発音している人は珍しくもナントもないんだけどね。

Hk_2本屋の主人、フランクを演じるのはハンニバル・レクター。
大丈夫、この映画ではカジッたりしないから。
物静かで、重厚で…実にいい演技だ。Hlフランクの奥さんを演っているのはジュディ・デンチ。
デンチといえば「エリザベス1世」。

有閑マダムに食人鬼に女王様…なんとスゴいキャスト!
もっとスゴいのはこの映画、ナント、日本未公開~!
ま、「名画」とは言わないけど、なんで公開しなかったんだろう?
こういうところに日本人のエンタテインメントに対するセンスの悪さというか民度の低さを感じざるを得ないんだよね。
『スパイナル・タップ』なんかも悪い方の良い例だ。Er1でも、公開しなかった理由がわからなくもないような気もするな。
というのは舞台となった1950年代のイギリスの社会的背景を知らないとオモシロくないかもしれない。
例えばヘレーネがポンドではなくてドルで送金するところ。
今は「ポンド」とその100分の1の補助貨幣「ペンス」の2種類しかないので何も難しいことはないが、1971年まではその間に「シリング」というもうひとつの補助貨幣が存在した。
コレがややこしい。
1ポンドは20シリング。
1シリングは12ペンス。
だから50年前までは1ポンドは240ペンスだった。
ヘレーネはコレがややこしくてわからない。
だからドルで払っちゃう。
Roxy Musicの「Three and Nine」はそのあたりのややこしさを歌った曲。

2s それからイギリスの配給制度。
イギリスは第二次世界大戦が終わった後、1954年まで配給制度が布かれていた。
戦争画終わってから9年ですよ!
食料や衣料など、徐々に制限は緩和していったんだけど、1954年の最後まで配給の対象になっていたのはバナナだったんだって。
コレ、この映画の中にちゃんと出て来る。
おかしな話でドイツやフランスの方がイギリスより早く配給制度が終了した。
コレは戦争に勝ったイギリスのカッコつけで、自分たちは配給制を続けて、そういった国々に優勢的に食料を回していたらしい。
一種のノブレス・オブリージュだったのだろうか?
庶民はタマったもんじゃない。
よく「イギリスの食事はマズイのは産業革命で忙しくて食事どころではなかった」という話を聞くが、「食えさえすればいい」という戦後のこうした食料事情もあったらしい。
それとジャガイモとパンは戦後の1947年に配給制になった。
この配給は50年代に入る前には解消したが、コレは戦争ではなく農作物の不作によるものだった。
そんなせいか、映画の中ではパンを丁寧に切り分けるシーンが出て来る。
下の写真の左下は戦時中の配給手帖。

11_0r4a0820エリザベス女王の戴冠式の様子をテレビで見ていて、女王が画面に映ると見ていた家族全員が思わずイスから立ち上がってしまうシーンとかね。
上で紹介したセシル・コートもチラリと登場する。
もうひとつ、コレは後で知ったことなんだけど、この本屋さんの創業者、Benjamin Marks(ベンジャミン・マークス)の息子のLeo Marks(レオ・マークス)は戦時中ブレッチリ―・パークで暗号解読の仕事をしていたんだって!
私はこの映画、メチャクチャよかったです。

Img_0405今日出て来た「トッテナム・コート・ロード」と前回やった「ソーホー」という名前だけはアタマに入れておいてくださいまし。
ああ、今日はロンドンではなく、記事の内容が変わってしまった!
 

200

2020年8月 5日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 52 ~変わりゆくロンドン<その2>ソーホーあたり

 

昨年、ロンドンの街を歩いていてやたらと目についたのが工事現場。
も~、アッチコッチで立て直しの工事をやっていた。
変わりゆく~!

10古い建物を復元するワケでもなかろう。
きっと従前とはガラリと変わってモダンなビルが立ち、味も素っ気もない東京の街のように近づいていくのだろうか?
そういうことを考えると「Listed Building」という歴史的な建物の保存義務を規定した条例は実に意義深いことだと思う。
しかし、いくら古いモノを大切にすると言われているイギリス人でも上下水道や冷暖房の効率化、建物自体の利便性を考慮すれば近代的な建物の方がいいにキマってるわな。
大分前にMarshallの友達が家を買って、私を招待してくれたことがあった。
彼の家は、伝統的なイギリスの建造物に似せたレンガづくりの重厚な外観の集合住宅で、中は最新の設備が備え付けられたモダンな仕様になっていた。
そこで、私は彼に尋ねた。
「こういうモダンな住まいと歴史的な家とでは、どちらが人気があるの?」と。
彼の答えは…庭付きのクラシックな家に住むことはひとつのステイタスだから、できれば築100年、200年の家に住みたいとみんな思っている。
若い人ほどそういう傾向があるとも言った。
ところが、リフォームに莫大な費用がかかることに加え、いくら修繕を加えても次から次へと設備の不都合が出て来て、経済的に大変な負担を背負い込むことが少なくなく、敬遠せざるを得ないという。
何せそれまでテムズ川にタレ流していた下水を下流に流す工事に着手したのが1855年、すなわち165年も前のこと。
その下水道を今でもそのまま使っているとは思わないが、全般的にかなり老朽化が進んでいることは間違いないだろう。20しかしコレ、どの現場もオモシロイの。
自立できないワケではないんだろうけど、ピッタリと棟続きで建てちゃうもんだから、歯抜けになると心もとないのか、こうして支保工を入れて隣接の構造物の倒壊を防いでいる。
見事な「ご近所付き合い」だ。
この下は工事をしているワケではないんだろうけど。
30vココは18年前に初めて来た時から変わらない名門ジャズ・クラブ「Ronnie Scott's」。

40でも高齢化が進んで久しいジャズ界にあっては、出演者の面々は相当変化があってもおかしくない…と、去年の6月のスケジュールを見てみると、お~、シェップが出てる!
Archie Sheppは観たいな~。
Airto MoreiraとFlora Purim夫妻もご健在のようだ。
その昔、Retuen Foreverが来日した時、記者会見でブラジル人のAirto Moreira(アイアート・モレイラ)がファースト・ネームの読み方を訊かれて無言でこう答えた。
彼は慣れた手つきで自分の目、耳、そしてつま先を指した。
「Eye, ear toe」ということ。
ウマい!
きっと年がら年中尋ねられていたんだろうね。

11_img_9759_2 コレはウチにある最も古いRonnie Scott's の写真。
2009年に撮ったもの。
ゼンゼン今と変わらない感じ。

11_img_0036ハハハ、上の階では改装工事をしてら。

11_img_0037「Ronnie Scott」というと、今では結果的にライブハウスのオヤジ…ということになるが、元々は1950年代の後半に活動したジャズ・サキソフォニスト。
イギリスのテナーの巨匠、Tubby Hayesと組んで『The Couriers of Jazz』なんてコンボをやっていた。
そして、1959年に「Ronnie Scott's」を開店した。
確か最初は今とは違う場所にあったんじゃないかな?
Tubby Hayesはカッコいいよ~。
Alan Holdsworthと演っていたGordon BeckなんかはTubbyのコンボの出身だ。
ちなみに「courier」というのは本来「案内人」とか「添乗員」とかいう意味だけど、今では「宅急便」という意味でこの単語を使っている。
43cdこの時はロニー・スコッツを借り切ってのClass5の発表会だった。
私は期せずしてロニー・スコッツに入れるのがうれしくてね~。
ロンドンに行くたびに店の前で出演者を確認するんだけど、観たいアーティストが出演していた試しがなくて、それより以前にロニー・スコッツには入ったことがなかったのだ。
 
このClass5、やっぱりいいアンプでサ。
チョット前に発見したんだけど、フルアコをつないで歪まない程度にボリュームを上げて弾くと、もうタマらん!
もう「ベルベット・サウンド」っての?
「ビロード」のような音?
日暮里に行ってもなかなかコレほど上質なベルベットを見つけるのはムズかしい。
実際、全国的に有名な日暮里繊維街でもベルベットだのビロードってあんまり沢山扱ってないんだよね。
ちなみにジーパンのEDWINは日暮里の出身です。

で、このClass5、ギターのクォリティが2ランク上がったかのように鳴らしてくれる。
やっぱりギターの音はアンプだね。
そして、真空管だよ。
デジタル技術の隆盛でギター・アンプの勢力図がおかしなことになって久しいが、やっぱりね、いいモノは変わりゆかないよ。
最後まで残る。
 

C5 
この時、我々Marshallチームは工場から50人乗りぐらいの大型バスでロンドンに向かった。
そんな大きなバスを店の前につけることはできないので、最寄りの大通りであるシャフツベリー・アベニューに停めざるを得ない。
「大通り」と言ってもせまいロンドンの中心地だからして車線は2つしかない。
しかも世界の演劇の中心地でもある観光のメッカだからしてビジターがウジャウジャだ。
そんなところに大型車両を停めたりしたら大渋滞を誘発してしまうので、条例か何かで「停車は上限2分」と決められているのだそうだ。
30人はバスに乗っていたであろうか?
それだけの人数をたった2分でバスから下車させられるワケない。
この時の運転手さんがスゴかった。
バスが停車した途端、運転席から後ろを振り向いて「Get off!  Het Off!!  Hurry, hurry, hurry! Hurry up!! Get O~~ff!  ゲ~ットオ~フ!!」と絶叫し出したのだ。
もう形相が恐ろしくもあり、可笑しくもあり…とにかく大絶叫!
もちろん2分で全員がバスから出て来れるワケもなく、10分ぐらいは停車していたかな?
幸い、違反切符は切られていないようだった。Img_0045店の中はこんな感じ。

11_img_0042この時はJoe Bonamassaがヘッドライナーを務めた。

11_img_0078お土産で傘を買ったんだけどアレ、どうしたかナァ?

45真向いにあるビルにブルー・プラークが付いている。50v1764~65年までモーツァルトはココに住んでいたっていうんだよね。
ヴォルフガングが8歳の時のこと。
前年の4月にツアーに出たモーツァルト一家、1764年の4月にロンドンに到着するやいなやバッキンガム宮殿で時の国王ジョージ3世に謁見。
最初はココではなく、トラファルガー広場の近くの床屋に2階に部屋を借りていた。
ロンドンはすっかりモーツァルト・フィーバー(←なつかしい言葉!)!
そして、コンサートをすればヴォルフガングは3時間で100ギニーを稼ぎ出したという。
コレ、おとっつぁんのレオポルドの8年分の収入に等しい額だったという。
オヤジ、ウハウハだわな。
その後、オヤジが身体を悪くしてチェルシーに移動。
回復したところで、ココに移り住んだ。
ヴォルフィーはロンドンにいる間に『交響曲第1番』の他、43の『ロンドン小曲集』等を作ったとされている。
60sロニー・スコッツからすぐ近くの「Greek Street(グリーク・ストリート)」にある「The Coach and Horses(コーチ&ホーセズ)」というパブ。
「ウエスト・エンドで最も有名なパブ」と自ら謳っている。
18世紀からこの場所にパブがあって、今のこのビルは19世紀に建てられ「Grade II」に指定されている。

11_img_9770以前にも何度もこの前を通っていて珍しくもナントもないんだけど、そこに掲げられていた看板がフト目に入った。

70コレ。

80v「アサヒ」というのは「ウンコ」でおなじみの「アサヒビール」のことね。11_2ab「STOP FULLERS」の「FULLERS」とは…コレ。

11_img_1787イギリスに来ると恐らく最初に覚えるであろうエールの銘柄のひとつ「London Pride」を醸造している会社。
 

Lp
コレは以前ハマースミスのホテルを定宿にしている時、早朝に散歩をしていて出くわしたフラーズの醸造所。
11_img_1781コレが滅法クサイ。
ホップを蒸すんだか、煮るんだかする時のニオイなのだそうだ。
ホテルに帰って受付の若い女性に「Fuller'sの醸造所に行って来た」と伝え、「ナニあれ?激クサじゃん!」と言おうとすると彼女はすかさず、「アラ!とてもいい香りだったでしょ?あの香りはハマースミスに住んでいる私たちの自慢なのよ!」と言われ、とても「クサイ」だなんて言えなくなってしまった。
「クサイ」と言うか、とにかく人生で一度も経験したことがない得体の知れないニオイなのね。
ま、クサイわ。

11_img_1786この1845年創業の由緒あるエールのブランドが変わっちゃったのよ~!
2019年、アサヒビールがフラーズを買収しちゃった。
そこでさっきの看板をもう1回見てみる。

11_img_1785「STOP FULLERS」というのは「フラーズを止めて!」ということ。
フラーズはこの場所の借地権保有者で、「もう借地契約を更新しない」とパブの経営者を脅かしているというワケ。
それで、フラーズを買収したアサヒビールに「フラーズの愚行」を止めさせてこの歴史あるパブを助けて!…と訴えているワケ。
The Coarch and Horsesはヴィーガン向けのパブとして、またコックニー・スタイルのパブをリバイバルさせた店としてそれなりの成功を収めている。

80vそして、このパブの内装が『Jeffery Bernard is Unwell』という芝居のセットにそのまま再現されたということで有名なのだそうだ。
この芝居、オリジナル・キャストのひとりはピーター・オトゥールだったという。
『アラビアのロレンス』でT.E.ロレンスを演じた人ね。
イギリスを代表する名優。
Jbu『ロレンス』もいいんだけど、私はこの『マーフィの戦い(Murphy's War)』という作品が大好きだった。
もう小学校の時から観てないけど…。
11_2murphyその後、どうなったか確かなことはわからないが、フラーズのウェブサイトを見るとこのパブが載っているので、恐らくは元の鞘に収まって、変わりゆかなかったのだろう。
めでたし、めでたし。
今度ソーホーに行ったらエールを飲みに行ってみよう。

11_img_9769その近くで出くわした黒人のストリート・ミュージシャン。
もうホンモノのブルースのムード満点!
カッコいい!90ところが…メッチャ、ギターヘタでやがんの!
何しろ抑えたコードの音のいくつか出てないの。
ブチブチブチ!みたいな。

100vまた「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
この辺りにイタリア料理の惣菜屋があって一度買って食べてみたことがあったが、美味しかったな。
ケーキもスゴクおいしかった。

105せっかくすぐ近くまで来たので一応様子を見に来た。110v_2元Marqueeの2号店。
ココは何の変りもなし。
ヨカッタ。

120「Brewer Street(ブリュワー・ストリート)」はウォード―・ストリートから「Glasshouse Street(グラスハウス・ストリート)」までを結ぶソーホー地区を象徴する通りのひとつ。
「Brewer」なんて、昔ココに醸造所でもあったのだろうか?
調べたけどわからなかった。
色んな店が立ち並ぶが、一番目を惹くのは風俗方面の店舗だろう。
近くにはドアの入り口に露出度の高い服を身にまとったお姉さんが立っていて、「チョイとそこ行くお兄さん」と声をかけてくれる店もチラホラ。
かつて、その手の店の値段を現地の友人に尋ねたことがあるが、だいたい「座って30,000円」ぐらいの感覚ではないか?と言っていた。
コレはもう大分の話で、その頃は1ポンドが230円ぐらいだったので今では格段にお得になっているハズだ。350この緑色の本屋はチェーン店でこの辺りに何軒か店舗を構えている。
1階が新古本屋で、売れ残った新品の本を8~9割引きで販売している。
レジにいるのはいつも東欧系の人。
地下はポルノ・ショップ。
ま、地下の商品の売上げが屋台骨なんだろうな。
でも、うれしいことに1階は音楽や映画の本の在庫が充実していて、私も行く度にココを覗くのを楽しみにしている。
ロンドンにはそういう新古本屋がいくつかあって、すごくうらやましい。
オマケがゴチョゴチョ付いているThe Whoの本や色々な写真集、他にも辞書の類を結構買った。
それでも、私が知っているだけで、ここ数年の間にもう3、4店は廃業していて寂しい限りだ。
そういうところも「変わりゆく」なの。
この本屋の横の路地を抜けると…

360「Berwick Street(バーウィック・ストリート)」に入る。

365変わりゆく~!
ココはいつもこうしてチョットしたマーケットが立っている。
それは変わらないんだけど、左側の工事しているビルね。

370以前は中古レコード屋が何軒か入っていて、中を覗くのが楽しみだった。
いいモノはなかったけど、やっぱりうれしいじゃん?、ロンドンで中古レコードなんて。
400この写真の右側にあるビルぐらいだったのかナァ。
1階から5階ぐらいまで窓が開けっぱなしになっていて、中の様子が丸見えだったのね。
アレは何時ぐらいだったんだろう…調べてみよう。
ーーー間ーーー
よく知られている通り、イスラム教徒は1日に5回の礼拝の義務がある。
ファジュル(夜明け)、ズフル(正午過ぎ)、アスル(午後)、マグリブ(日没後)イシャー(夜)の5回。
だから、アレは「アスル」だったハズ。
ビルの中から数人の男性がゾロゾロっと通りに出て来て、マットを敷いてその上に座る。
何かの合図があったのだろうか、外のマットの上の人たちをはじめ、ビルの1階から5階の人たちまで全員が一斉に同じ方向を向いて一糸乱れぬ仕草で礼拝を始めたのだ。
アレは圧巻だった。
それを見て感動していたのは私だけだった。
ヒースロー空港には祈祷や礼拝のための部屋があるし、ニューヨークからロサンゼルスに向かった時には飛行機の中でそうした儀式を執り行う夫婦を見たこともある。
そんなシーンを日本で見た経験はない。
そういう時、日本ってのはホントに世界から遠いところにあるんだな~と思うワケ。

380この時、特に歌が聞こえてきた記憶はないが、いいんですよ…イスラム教の経典「コーラン」を歌うように読誦する「クルアーン」。
「微分音階」という半音を9つにまで細分して音程を取る超絶技巧がとにかくトリハダもの。
「クルアーン」とは「コーラン」のことね。
このCDはおススメです。

Photoこんな花屋のスタンドなんてのは雰囲気があっていいね。390どんな風に改装されるんだろう…変わりゆくな~。410バーウィック・ストリートをジャンジャン進むと出て来るのがこのピザ屋。
「JAZZ@PIZZA EXPRESS」という看板通り、地下がジャズのライブハウスになっている。
以前、元Soft MachineのJohn Etherridgeが出ていて、観れずに大変悔しい思いをした。
そして、ココで録音したライブ・アルバムがあるのを後から知って喜んでゲット。
期待して聴いてみたら大したことなくてエサ―リッジを見れなかった悔しさは消え失せた。

420階下から演奏している音が漏れ聞こえてくる。
日曜なのでマチネーがあるようだ。
おお~、メッチャうまいブルース・ギター!
誰かと思ってスケジュールを見てみると…Bernie Marsdenだった。

430vハイ、これで今来た道をもどる。
するとこういう景色になる。440例のコレね。

450cd_2ブリュワー通りに向かってドンドン戻る。

460「Reckless Records(レックレス・レコーズ)」は有名なレコード屋さん。
この辺りは以前まだもう少しレコード屋さんがあったんだけどな。
ArgentのCDを買った店はどこだったっけか?

470もう1軒。

480v「Sister Ray(シスター・レイ)」というお店。
ん?…この看板。
レコード盤のイラストかと思っていたら、コレ、それだけじゃなくて「Hit the mark」になっているんだ。
「標的に当たる」という意味。
つまり、「ウチの店なら探していたモノが見つかりますよ!」ということを表しているに違いない。

490何回か入ったことはあるけど、ナニか買ったことはないナァ。
実は今回、このお店の3階が大きく変わったのです。
それは…500vこんな感じ。510ココ、Marshall Recordsの新しい事務所なのだ!

7_mr

520vコレらはまだ引っ越し中の写真なんだけど、今はもうココで仕事をしている。

530vイヤ~、比較的ロンドンに来るたびに前を通りかかっていたおなじものビルに身内が引っ越して来るなんて実にうれしいナ。
次回ロンドンに行った時にお邪魔するのがすごく楽しみだ!
変わりゆくな~。

550<つづく> 
 
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200_3

2020年7月30日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.51~変わりゆくロンドン <その1>

毎度毎度、古臭い映画を引き合いに出して恐縮なんだけど、観たことある?
ジーン・ケリーの『踊る大紐育(On the Town)』。1949年のアメリカ映画。
「紐育」は「ニューヨーク」のことね。
24時間だけ上陸許可が与えられた水兵3人がニューヨーク見物をしたり、ステキな彼女を見つけようと奮闘するミュージカル・コメディ。
ま、実はどうもシックリ来なくてあんまり好きな作品ではないんだけど、見るたびに自分自身を思い出しちゃってね。
「ステキな彼女」を見つけるジーン・ケリーの方じゃないよ。
24時間でニューヨークの名所をすべて見て歩こうというフランク・シナトラ扮する「チップ」の方。
初めてロンドンに行った時のこと…まさに1日でロンドンをすべて見て歩こうと大いに欲張った。
まさかその後30回も行くことになろうなんて思いわないからね。
それで、「ココへ行った」、「アソコも行った」とMarshallの連中に話をしたら「足は大丈夫なのか?」とかなり驚かれたことがあった。
モモがパンパンになったけど、どうってことはなかった。
20年近く前の話…今ではもう出来んね。
10v『踊る大紐育』の音楽の一部はレナード・バーンスタイン。
その中に「Come up to my Place」という曲がある。
ニューヨークを観光したがっているチップ一目ぼれしてしまったタクシー・ドライバーのヒルディが、観光なんていいから「Come up to my place(ウチにおいでよ)」と逆ナンパをするコミカルな1曲。
チップはお父さんから「ニューヨークの必見」を吹き込まれていて、「水族館」や「ウールワース・タワー」等、行きたい先を告げるが、ヒルディがそれを聞くたびにビックリして何度も急ブレーキを踏んでしまう。
「そんなモノはとっくの昔になくなっちゃったわよ!そんなことよりウチにいらっしゃいよ、ウフン」というワケ。
すると、急ブレーキでガックリしながらシナトラは「Hey what did you stop for?(ちょっと!ナンで車を止めるの?)」とヒルディに尋ねる。
そして、急ブレーキを踏むたびに「Hey what for did you stop?」、「Did you stop for what, hey?」、「Did you stop for hey what?」と英語がドンドンおかしくなってくるところ最高におかしい。
そんなシーン。
「ウールワース・タワー」は1930年まで世界で最も高いビルだった。
施主の実業家フランク・ウールワースはその建設費用を現金で支払った話は有名。
ウールワース・タワーの高さを抜いたのは「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」のビル。
それに負けじとテッペンに尖塔を乗っけて高さ世界一の座を獲得したのがあの「クライスラー・ビル」。
そして、「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」ビルの現在の持ち主はドナルド・トランプだ。
 
さて、そんな「ニューヨークの必見」リストに出て来るひとつが「Hippodrome(ヒッポドローム)」。
ヒッポドロームというのは、「戦車レース」を開催する競技場のことなのね。、
映画『ベンハー』でジュダ・ベンハーとメッサラーがヤルかヤラれるかの手に汗握る戦いを展開するアレ。
何かインターネットから画像を借りようと思って検索したところ、すぐに目に飛び込んで来たのがコレ。
ビックリしたわ~。
この絵、去年マンチェスターの美術館でホンモノを見たのよ、偶然。
実物はすごく大きくて、音が聞こえてくるようなものスゴイ迫力だった。

11_cr もちろんニューヨークにそんな物騒なモノがあったワケがない。
ニューヨークの「Hippodrome」というのは5,000人を収容する大劇場の名前。
6番街の43丁目だから、グランド・セントラル駅とかクライスラー・ビルの辺りにこんなモノがあった。
1939年に解体したというから、この映画のたった10年前。
「ニューヨークの10年」は時の流れが早いということなのかな?
久しぶりにニューヨーク行きたいね。Hippo さて、ところ変わって我がロンドン。
このレスター・スクエアの端、チャリング・クロス・ロードに面した角にあるこの茶色い建物。

20「Hippodrome」という。
過去「ヒッポドローム」と名付けられた劇場やホールがたくさんあったが、『踊る大紐育』のようにみんな無くなってしまい、このヒッポドロームは今でも残っている数少ないウチのひとつ。
1900年の開業で元は劇場だった。
セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが、1919年に『白鳥の湖』をイギリスで初演したのがココだったという。
その後、1950年代にはナイトクラブになり、スゴイよ、もうありとあらゆるジャズ系の超ビッグネームが出演している。
やっぱりロンドンはスゴイ。
その後、紆余曲折があったが、2012年、ボリス・ジョンソンロンドン市長の下、カジノになって現在に至っている。
チャイコフスキーがしまいにはゲーセンになちゃった。

30…と、今回からこうして変わっていくロンドンを自分なりに観察したレポートを掲載する。
私なんか初めてロンドンに行ってからたった18年しか経っていないし、3週間以上滞在したこともない。
「そんなロンドンに住んだこともないヤツにナニがわかる?」と言われても仕方ない。
しかし、東京に住んでいてもスカイツリーの展望台に上がったことのない人はゴマンといるだろう。
私はロンドン・アイに乗ったよ。
タマに行くからこそ、色んなモノが見えてくる。
そして、見えてくるモノはいつでも興味深く、オモシロイものばかりだ。
住んでいたらこうはいかないだろう。
住めば「都」にはなるが、「都」には負の側面もたくさんあるハズなのだ。
そりゃ地下鉄でクレジットカードの入った財布をスラれたこともあるし、昨年は右膝の激痛に涙を流しながらヘコヘコ歩いたりもした。
でもいつもワクワク・ドキドキの旅になるのがロンドン。
そんな我が愛する街のチョットした移り変わりをお楽しみあれ。

11_0r4a0005まずはコレ。
もう何度もMarshall Blogに登場しているバタシー発電所。
バタシーがマーブロに出て来るたびに書いているけど、私は『The Wall』までのアルバムは全部持ってはいるんだけど、特段Pink Floydのファンではないのね。
ところで、Pink Floydの出身でどこだか知ってる?
ロンドンじゃないよ。
彼らはケンブリッジから出て来たバンドで、ケンブリッジの人にとってPink Floydは大学と並ぶ自慢のタネなんだって。
イギリス人とロックの話をする時は「あのバンドは〇〇出身」ということを頭に入れて臨んで置いた方がオモシロい。
日本人の力士か高校野球みたいなもんだね。
で、Pink Floudにお熱でなくても私はHipnosisの大ファンではあるからして、2005年に初めて電車の中から見た時は感動したね~。

55cdコレがその時の写真。
カンタベリーへ行く時に撮った。

Rimg0192ヴィクトリア駅を離れ、テムズ川を渡ってすぐにその姿が見えたので慌ててカメラを取り出してシャッターを切った。(この頃はまだ写真をやっていなかったのでこんな出来になっています)

Rimg0188「デケェ~!」と大興奮!

Rimg0182完全に廃墟。
85そして、いつかココに来て、直にその威容を目に入れようと決心した。

Rimg0179その4年後の2009年。
やって来た。
「Battersea Park(バタシー・パーク)」の駅に降り立ったところ。
さっそく煙突が見えた時はうれしかった。40建物のサイズが超デカいので、近くに見えても思っていたより歩く。
子供たちが書いたバタシー発電所の絵なんてのがズラリと壁に貼ってあったんだけど、写真を撮っておけばヨカッタな。50バタシー発電所は以前にもやっているので、今回は歴史だのナンダのは省略。
でもチョコっとだけ…このバタシー発電所を設計した人のことを。
コレはやってないでしょう?
前にも出してるかな?…Giles Gilbert Scott(ジャイルズ・ギルバート・スコット)という人。

65この人、ジギー・スターダストじゃないけど、皆さんにもおなじみであろう、ロンドンの赤い電話ボックスはこのスコットさんのデザインなのだ。
このデザインは見事に変わらないね。

66それとコレ。
コレはテムズ川沿い、ちょうどセント・ポール大聖堂の向かいにある、現在は「Tate Modern(テイト・モダン)」という近代美術をコレクションしている美術館。
元は「Bankside Power Station(バンクサイド)」という発電所だった。
こんな街中にバタシーとバンクサイドという2つの巨大な石炭火力発電所があったなんてあまりにもスゴイ。
しかも1981年まで稼働していたというんだから驚く。
コレもジャイルズ・ギルバート・スコットの設計。
この美術館、とてもいいですよ。
ロンドンに行ってテムズ川沿いウォーキングをするチャンスがあれば面倒がらずに寄ってみるといいです。67さらに、テイト・モダンを少しさかのぼったところに架かっている橋。
「Waterloo Bridge(ウォータールー橋)」は映画『哀愁』の舞台になったり、The Kinksの必殺の名曲「Waterloo Sunset」でRay Daviesが美しい夕日を歌っているとされている場所(この近くの「セント・トーマス病院」という説もあり)。

11_img_0440コレもスコットさんの設計だっていうんだよ。

11_img_0441さらに!
「イギリス三大大聖堂」ってナニか知ってる?
そもそも「三大」をキメたがるのは日本人のクセなので、イギリス本国には「三大」も「番台」もないと思うんだけど、ナニかの本で読んだところによると、一応その答えは、「カンタベリー、ヨーク、リバプール」だっていうのね。
そのリバプール大聖堂を設計したのもスコットさん。
私、偶然にもこの3つの大聖堂に行ったことがあるんだけど、このリバプールのヤツは新しいだけあってかなり異質だった。
もうリバプールへ行ったのも15年も前のことだわ。
リバプールの人をアダ名で「Scouser(スコ―サー)」という。
ジョンもポールもスコ―サーだ。
11_rimg0355このスコット家、ジャイルズのお父さんがまたスゴイときてる。
George Gilbert Scott Jr.(ジョージ・ギルバート・スコット・ジュニア)という人で、「St. Pancras Station(セント・パンクラス駅)」を設計している。68タマには上の方から…。
この写真どこから撮ったんだっけかナァ。
ズ~っと工事をしていたけど最近完成して、かつてはウォータールー駅だったユーロスターの発着駅が線とパンクラスに移動して来た。
変わりゆくな~。
電車でパリに行くには今はココから。

11_rimg0319それとロイヤル・アルバート・ホールの向かいにあるアルバート公(ヴィクトリア女王の旦那)をかたどった「Albert Memorial(アルバート記念碑)」もお父さんの作品。
69vさて、バタシー。
2009年に来た時はグルリと発電所の周りを歩いてみた。
中に入りたくて係のオジさんに頼んでみたけど、当然NG。
70
この辺り…実はクサイ。
生ゴミのニオイでかなりクサイ。
近くにゴミ処理の工場があるのだろう。
それと生コン屋。
生コン屋はもちろんクサくない。
奥のセメント・サイロがデカい。300t以上はあるかな?
その割にはミキサー棟がすごく低いのが気になる。
恐らく強制ミキサーが設置されているんだろうけど、この高さだと計量ビンを設置するスペースがないハズだ。
外で計量して材料をミキサーに送り込む方式なのだろうか?
イヤ、そんなことはどうでもよくて、ゴミ処理場に生コン屋…あのロンドン・タウンからテムズ川を隔てただけの場所にこうした設備があることが信じられない。
逆に言うと、ココがいかにロンドンの外れかということがわかる。
昔の島原とか吉原みたいなもんですな。
要するに人里から離れていた、ということ。80vこうして見ると確かにそんな雰囲気ではあるでしょ?

180今、煙突は4本立っているけど、そもそもは2本だった。
そして、同じ形のものを建て増しして4本体制になったんよ。86そして、6年後の2015年。
あ~、煙突が1本ない!90とうとう再開発の工事が始まり、煙突を取り外して修繕をしてまた取り付けるのだとか…この時はそんな話を聞いた。

110外装を残しつつの大改装工事。
100周囲も大掛かりな工事を実施してこんな感じになっていくらしい。
変わりゆくな~。120そしてしまいにはマンションが立ち並んでこうなるんだとか…。
コレは計画案のひとつなのだろうが、こんなことをしたら電車の中から発電所が見えなくなっちゃうね。
こんなんじゃブタも飛んで来れないね。

130vすぐ近くには「バタシー公園」といういい公園があるし、ロンドン・ヴィクトリア駅まではひと駅だし、住み心地はいいかも知れない。

135発電所建屋の中もこうなるんだとか…。
170そして煙突。
何と言ってもバタシーのアイコンですからね。

140vオイオイオイオイオイ、それがこんな展望台になるっていうじゃんよ!150なんかイヤだナァ。
コレは変わりゆきすぎだろ~!
残念ながら去年はバタシーに近寄る機会がなかったので、最近の状態はわからないが、工事も進んで大分様子が変わったことだろう。

160ヤッパリ、オールドなロック・ファンとしてはこういうイメージでいて欲しんだよね。
実際には煙突から煙が出ている所を見たワケじゃないけど…。
バタシーどころか、最近じゃ銭湯の煙突から煙が出ているのも見てないもんな~。
コレはみなさんご存知のThe Whoの『Quadrophenia』のブックレットの写真ね。 

163同じブックレットに載っているのは「Hammersmith Odeon」の写真。164ココは名前がガンガン変わって来たけど、外から見ている分にはそう変化はない。
ま、ここのところハマースミスには行ってないけど。
今は「Eventim Apollo」っていう名前になっているのかな?…変な名前。
Eventimというのは現在この会場を運営しているドイツのブレーメンに本拠地を置く「CTS Eventim AG & Co. KGaA」というイベント会社の名前から来ている。

165ほぼ原形を間近で見ておいてヨカッタわ~。
でも再開発工事が完成したら絶対見にいくけどね。
…ということで「変わりゆく」トップバッターはバタシー発電所でした。

60さて、場所はいきなりウエスト・エンドに飛ぶ。
ロンドンの街を歩いていると、よくこういう先生に引率された小学生の団体を見かけるんだよね。
日本では幼稚園とか保育園が多いけど、ロンドンは小学生。
みんなで美術館や博物館や大聖堂に出かけて自分の国がいかにスゴイかということを学ぶ。
スゴイよね、ロゼッタ・ストーンからゴッホの「ひまわり」からフェルメールからエジプトのミイラまで、子供の頃から無料で体験できるんだから。
同じ人間に生まれて不公平だっちゅーの。
日本もとても素晴らしい国…というより国民なんだけど、民主主義と戦争と芸術を学校でミッチリ教えないのが「タマに大キズ」だと思う。
225さて、街中がエラく変わったのよ。
恐らくイギリスの人は気が付かないかも知れない。
何が変わったのかというと、そこら中に日本関係の食べもの屋が増えたんだよね。
このシャフツベリーにもホラ…「SHIBUYA」だって。
ホーチミンで出くわした「ASAKUSA」にもマイったけど、ロンドンくんだりまで来て「渋谷」はイヤだな。

240店先にはこんなサインが…。

250寿司、うなぎ、うどん、カツカレー、海鮮丼…デパートの食堂みたいにナンでも揃ってる。
この食品サンプル、まさか合羽橋で揃えたのかな?
こういうタイプのお店は昔から何軒かあったけど、富に増えた。
私も以前は滞在中にどうしても日本の食事が恋しくなるとこういう所に食べに来ていたが、今は絶対にしないようにしている。
どんなに苦しくても現地の食べものを摂るように努めている。
理由は特にないんだけど、やっぱりどうしても割高だし、オモシロ味がないでしょ?

260コレは2015年にカーナビ―・ストリートに行った時の写真。
上野に餃子で有名な「昇龍」というお店があって、それと同じ名前だったので一瞬ギクっとしたが、コチラさんは豚骨ラーメン。
まだお店は開店の準備段階だった。270それがアータ、今回はソーホーやらマンチェスターでもやたらと昇龍を見かけてビックリ!
当たったね~。
私は豚骨ラーメンをほぼ全く食べない醤油アッサリ派なんだけど、この豚骨テイストはイギリス人の舌にマッチするんだネェ。
煮干しはダメかナァ?
290コチラはマンチェスターのお店。

130_2 シャフツベリーにもう1軒トンコツ。
博多勢強し!

320ココなんかその名もズバリ「ラーメンバー トンコツ」と来たもんだ!
いくらぐらいだと思う?
お店によって幅があるけど、調べてみると普通のラーメン1杯で今の為替レートで1,300円から1,800円ぐらい。
餃子は安くて560円、高くて1,200円ぐらいか。
Marshallの友達がテムズ川南岸にあるお好み焼き屋に行って「1枚3,000円ぐらいだった」と言っていたのを見るところラーメンはかなり割安か?
現地にお住まいの方々は安く日本の食材を手にいれる方法をご存知なんだろうけど、我々のようなビジターがソーホー当たりの日本食材店に入って値段を見た感じでは、だいたい日本の3倍。
高くて4倍といったイメージかな?

280「Hyotan(ひょうたん)」というお店。
コレは「Margaret Street(マーガレット・ストリート)」というオックスフォード・サーカスにほど近いお店。
看板には「Japanese Food Hall」なんて書いてある。
一軒はさんでその向かって右に「47-50」というサインが出ているところがあるでしょ?
ココがスゴイ。
今回はスキップするけど、トラディショナルなロックに詳しい人ならヨダレがでること間違いなし…のロック名所。
私はヨダレだらだらです。
近い将来、他の回でご紹介します。

11_img_9950これもウォード―・ストリートにあるうどん屋さん。
以前テレビで留学中のウエンツ瑛士さんが「行きつけの店」と紹介していた。325vコレはフォー屋。
日本料理ではないけど、フォーが好きなもんで出しておいた。
私の中では、フォーは食べても許されるルールになっています。
でも絶対にパクチーはゴメンだぜ。
「ノー・コリアンダー・プリーズ!」330v「KAPPA」という日本料理店。
コレはアールズ・コートで見かけた店。

300v何しろ今はMarshallのあるミルトン・キーンズの「Wolverton(ウルヴァ―トン)」というところにも「AKASAKA」という日本食のレストランがあるぐらいだからね。
安くておいしいらしい。
 
もうとにかくこのラーメン屋を含む日本食レストランの増殖ぶりには驚くばかりよ。
18年前と比べて…なんてもんじゃない。
4年前と比べて全く様相が違うんだからね。
変わりゆくね~。
今からやるとなるとナニ屋がいいかね?
ホルモンだけはダメだよ。

11_img_8892 さて、今日はその日本料理屋がらみでもうひとつ変わりゆく「ロック名所」をご案内して終わることにしましょう。
それはピカデリー・サーカスからオックスフォード・サーカスに向かってリージェント・ストリートをチョット行って左に入ったところの「Heddon Street(へドン・ストリート)」。

340昔はこんな感じ。
10年以上前の写真。
361イタリア料理店なんかが立ち並ぶオシャレな通り。
362v今はこんな感じ。

350ウワッ!
「酒蔵」だって。
こんなところにも日本料理店!

360なんで「ウワッ!」かと言うと、コレの真正面だから。
370ココって『ジギー・スターダスト』のジャケット写真を撮影した場所なの。363cdこんなのまでくっ付けちゃって!
変わりゆくな~。

390裏ジャケのこの電話ボックス…。

400以前はこんな感じでまだ据え付けられていた。410v今はこんな感じ。
チョット遠慮してる?
スコットさん、ゴメンね!

11_img_9729<つづく> 
 
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200



2020年7月27日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.50 ~<オールド・ロック・ファンに捧ぐ>トライデント・スタジオとC.ベヒシュタインとデヴィッド・ボウイ

11_jackets思い返してみるに、「最後に行ったライブ」って1月10日に神戸で開催されたD_Driveのイベントだわ。
その翌々日にNAMMに行って、日本に帰って来た次の日に人生が終わってしまうかのような大事件がプライベートで勃発してそのままコロナ入り。
多い時には年間で150回以上ライブハウスに足を運んでいたんだけどね…今年は年明け早々にお邪魔したヤッチンとD_Driveでまだ合計2回だわ。
こんな年がやってくるなんて一体誰が想像しようぞ。
…ということで、もうライブ・レポートのネタはありません。
ま、1本残ってるんだけど、それはナンカのお祝いの時のためにキープしておこう。
とっておきの酒だな、まるで。
そんなワケでMarshall Blogの更新もスッカリご無沙汰になっちゃった…ワケではなくて、他のことで忙しくてマーブロを書いている時間がほとんどなかったのですわ。
ビデオ、やってんの…ビデオ。
こないだ『Marshall GALA2』のビデオを作ったでしょう?
アクセス数は全然パッとせずにガッカリしちゃったけど、アレのおかげでひと通りビデオの編集作業のノウハウを身につけることができた。
そこで、Marshall製品のデモ・ビデオをシリーズで作ることになり、それにかかりっきりだったのです。
気分はスッカリ黒澤よ!(写真は黒澤明気取りの筆者)
しかし、凝り出したらキリがない私の性格もあるけど、このビデオの仕事ってのは撮影から編集までアホほど時間がかかるね~。
黒澤組はさぞかし大変だったろうナァ。

11_0r4a0382 しかし、世の中ビデオだね~。
取説でもナンでも全部ビデオ。
今は「ビデオ」って言わないのか…「動画」?
何でもかんでも「動画」…全くどうがしてるよ。
もっと人間は字を読まないと!
動画ばっかりで本を読まないとホントにバカになっちゃうよ。
この動画の隆盛で日本語は相当言葉を失っていると思うよ。
文章の方が語彙がはるかに豊かだからね。
ブログもかなり古臭くなって来た。
でも「文章でしか伝えられないこと」ってのは山ほどあるから。
例えば今日お送りするような内容ね。
文字の方がたくさん情報を詰め込むことができる場合もあるでしょ?
それでも時代の趨勢には抗えないのでMarshall blogも機を見てビデオ…じゃない、動画を取り入れて行こうかと思っております。
 
でも今回は動画がゼンゼン絡まない話題。
ライブ・レポートネタがないので、どうしても『名所めぐり』みたいな内容をやらざるを得ない。
コレが…滅法人気がない。
でも私としてはコレを書くのが最高に楽しいし、「Marshall Blogならでは」のコンテンツだと信じている。
もっとマスコミが食いついて来てもいいと思うんだけどね。
  
で、昨年の5~6月にイギリスに行った時のネタがまだいくらか残っているので、その記事を書くことにキメた。
そして、その時に撮った写真を眺めながら記事のアイデアを練っていたら「ロンドンもずいぶん変わったな~」と思ったのね。
ま、私なんか生まれて初めてロンドンに行ってからたかだか18年しか経っていないんだけど、それでもチョコチョコと変化があるワケ。
そこで「変わりゆくロンドン」と題してそんなことを書き留めておこうかとアイデアをまとめた次第。
でも、その前にほとんど変わっていないポイントをひとつご紹介。
記事に関する調べごとをしているウチに、色々と新しい情報を得て「変わりゆくロンドン」のシリーズから切り離して一本編みたくなってしまった。
私のように70年代のブリティッシュ・ロックを愛してやまないオジさま、オバさまに捧げる一編。
80年代以降のロックで育った若い人たちは読んだところでちっともオモシロくないだろうから今のウチにヤメときな。
コレは「ロックが大人のモノだった時代」を経験している人たちに向けた記事なのだ!…ナンチャッテ。
  
今日の「名所めぐり」の目的地はソーホーのディーン・ストリートからこの路地を入ったところにある。

120v今、向かっているのは「St. Anne's Court(セント・アンズ・コート)」というところにある「Trident Studio(トライデント・スタジオ)」。
以前にも取り扱っているので2回目の登場となる。

110v路地の反対側で突き当たるのは「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
下の写真を右に少し行くとあの有名なライブハウス「Marquee(マーキー)」があった場所がある。
この「Wardour」ね、「ウォルドー」とか「ワーダー」とか「ウォーダー」とか、どうも読み方が定まらないんだけど、私は「ウォードー」と読むことにした。
ナゼなら先日、Marshall Recordsのボスと電話で話をしていた時、彼が「ウォードー」と発音したのを聞き逃さなかったからだ。
何しろ彼はロンドン生まれのロンドン育ち。
生粋の「Londoner(ロンドナー)」なのだからその発音に間違いはないだろう。
「鳥越」の、地名は「とりごえ」、神社は「とりこえ」、みたいなもんよ。
地元の人に倣っておくのが賢明だ。
130コレが去年6月のトライデント・スタジオのようす。
10年以上前に来た時と大差ない。

140一番最初に来た時にはこの表札はなかった。

150チョット中を失礼。
結構狭そうだ。
Lou Reedの代表作『Transformer』が飾ってある。

160もちろんココで録音した1枚。
私はLou Reed とかJohn Caleとか、Velvet Underground 系はニガテなんだけど、それでも「Walk on the Wild Side」はいいナァ。
アルバムのプロデュースがDavid BowieとMick Ronsonだからココでレコーディングしたのかしらん?170cd裏ジャケのようす。
写真が小さくてわかりにくいけれど、男の人の股間が爆発している。
バナナを入れたんだって。

180cdもちろんコレのシャレでしょうな。

190cd脱線します。
『Transformer』の裏ジャケの写真を撮ったのはKarl Stoecker(カール・シュテッカー)というフォトグラファー。
この人はRoxy Musicの最初の3作のジャケット写真を撮った人なの。
4作目の『Country Life』も続く『Siren』も似たようなタッチなのにナゼかフォトグラファーが変わって別の人になってる。
ギャラの件でケンカでもしたのかしらん?

Rm1

Rm2

Rm3中学生の時、Roxy Musicが好きでね~。
こんなのを持ってる。
1974年のイギリス・ツアーのコンサート・プログラム。
サイズはA6。
まるで結婚披露宴のテーブルに上に置いてある献立みたいな作りになっている。
さすがロキシー…シャレオツでしょ?
前座はデビューしたてのJess Roden…ファースト・アルバムしか知らんけど、と思って他のも試しに聴いてみると、なかなかいいネェ。

11_pg2Eddie Jobson、この時19歳だって!
サポート・ベーシストはJohn Wettonだった。
Bryan FerryはGordie(ジョーディ)。
つまりニューカッスル出身。
 
中学2年の時にリリースされた『Viva!』を聴いてファンになった私。
何年かのインターバルを経て発表された『Manifesto』と武道館での来日公演。
そのあたりでキッパリとロキシー・ファンを止めた。
その後に『Avaron』でまた大成功を収めたようだが、私にとってのロキシーは「Re-Make/Re- Model」であり「Do the Strand」であり、「Out of the Blue」であり「She Sells」だったのだ。

11_pg3コレは10年チョット前のようす。
200v昼休みのビジネスマンかな?
この人たちはこのスタジオのことを知っているのだろうか?

220この頃はこんな看板がかけられていた。
映像関係のスタジオになっていたんだね。

210vトライデント・スタジオは1967年、Norman Shefieldという人がオープンさせた。
翌1968年にココで吹き込んだManfred Mannの「My Name is Jack」がイギリスのチャートの第1位を獲得したことによりその名が知れることになった。
Manfred Mannも長い歴史を持つ大変イギリス的なバンドだよね。
しかし、Manfred MannもEarth BandもChapter Threeも、「好きだ」という人にいまだかつて会ったことがない…どころか、誰かがManfred Mannのことを話しているところを聞いたことすらない。
私はGeoff Whitehornが一時Earth Bandのレコーディングに参加していたこともあって、超後追いでひと通り聴いてはいるんだけどね…それだけの話。
失礼だけど、このバンドの音楽にどういう意味があるのかが理解できないんだな。
でも、少なくとも「Blinded by the Light」はBruce Springsteenのオリジナルよりカッコいい。
230cd_2で、ですね、何でまた急にトライデント・スタジオのことに興味を持ったかと言うと…コレ。
最近リリースされたFrank Zappaの1970年の音源を集めたCD4枚組。
この時代のZappaは私の「Zappa道」の原点ですからね…予約して買った。
15歳の時に買った『Fillmore East-June 1971』が生まれて初めて買ったZappaのレコードだったの。
それから43年経ってリリースされた新譜のDisc1に収められているのが『Chunga's Revenge』レコーディング時の未発表音源なのね。

240cd_2コレがトライデント・スタジオで録音されているのだ~。11_1970 全編ではないにしろ、『Chunga's Revenge』はトライデントで録られているワケ。
気にしたことがなかっただけに知らなかった…盤自体は数限りなく聴いては来たけど。
「Transylvania Boogie」を初めて聴いた時は興奮したもんだ。
このAynsley Dunbarのドラムス!
それとナニかの本で植草甚一が「Twenty Small Cigars」のことを超ベタぼめしているのを読んで意外に思った。
実際にとてもいい曲だけど。
250cd_2で、ココから先の記事は「アレもトライデント」、「コレもトライデント」…という流れになっていくんだけど、やっぱり金字塔は「Hey Jude」かネェ?
ビートルズのスタジオといえば~?
そう、アビィ・ロード。
ところが、当時アビィ・ロードは4トラック・レコーディングにこだわっていた。
一方、トライデントは8トラックの機材を導入していたことよりお鉢が回って来たというワケ。

260cdそのレコーディングで使われたのが「ピアノのストラディヴァリウス」と呼ばれる1853年創業のドイツの「C. Bechstein(ベヒシュタイン)」のピアノ。
スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並ぶ世界3大ピアノ・ブランドの一角。
フランツ・リスト、クロード・ドビュッシー、ヴィルヘルム・ケンプが好んで使ったという。
ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」…なんて乱暴なことまで言ってのけている。
セシル・テイラーやチック・コリアも好んで使っていたということだ。
第二次世界大戦中はナチに協力し、ヒトラーが「第三帝国のピアノ」と称していたが、それがたたり戦後は栄光の座から転げ落ち、一時はアメリカのボルドウィンの傘下に入ったが、現在ではドイツ人に経営権が戻っている。

11__2グランド・ピアノで510万円~2,000万円、アップライト・ピアノで178万円~600万円ぐらい。
思ったより高くない。
私は要らないけど。
お金があったとしても、そもそも家に置くスペースがない。11_2cb下が実際のトライデント・スタジオにあったベヒシュタイン。
David Bowieの初期の諸作、Elton Johnの「Your Song」、Nilsson版の「Without You」、T.Rexの「Get it on」、Carly Simonの「You're so Vain」、Boomtown Ratsの「I Don't Like Mondays(どっかで聞いた名前だな)」…ゼ~ンブ、このピアノで録音した。
1968~1980年代の冒頭まで活躍した「20世紀で最も有名な楽器」のひとつとされている。
当時で100歳になっていたこのピアノは、現在ではロンドンのエッジウェア・ロードにあるJaques Samuel Pianoというピアノ店からのリースだった。
このピアノの音色があまりにも素晴らしいので、このピアノ目当てでトライデント・スタジオを採用するバンドも多かったという。
そして、トライデントでスタジオ・ミュージシャンとしてこのピアノを弾いていたのがRick Wakemanというワケよ。
 
このピアノがどういう風に素晴らしかったのかというと、とにかく音の粒立ちがよく、澄んでいたらしい。
作りが大変堅牢で、弦を叩くハンマーの力が他のピアノより強く、どんなに力を入れて鍵盤を叩いでもそれにバッチリ応えてくれたのだそうだ。
その結果、音抜けがバツグンによく、バンドの中で音が埋もれることがなかった。
昔のモノは本当によくできていたんだね。
 
トライデント・スタジオは1981年に売却されてしまうんだけど、その直前に補強の修繕をこのピアノに施したところ、音が変わってしまい、元に戻らなくなってしまった。
そして、スタジオを閉める時、ホイストで持ち上げたピアノが床に落下し大破。
その後、このピアノの行方は誰にもわからなかったが、2008年に「Hey Judeで使用されたピアノ」としてインターネットのオークションに出品されているのが発見された。
その値段は20万ポンド…当時のレートで4,300万円だったという。11_tp2ビートルズは「Hey Jude」だけでなく、「Honey Pie」や「Martha my Dear」、「Savoy Truffle」、「Dear Prudence」、そして「I Want You(She's so Heavy)」のベーシック・トラックもトライデントで録音している。
もちろん「Honey Pie」や「Martha my Dear」で聴かれるピアノは上のベヒシュタインの音色だ。
それとJohnの「Cold Turkey」もEric Claptonを迎えてココで録音された。

270cdEltong Johnの「Your Song」はデンマーク・ストリートで書かれたと言われているが、録音したのはトライデント・スタジオだった。
上で触れた通りもちろんあのピアノの音色もベヒシュタイン。

280cdRegiは初期の作品のほとんどをトライデント・スタジオで録音している。
『Madman Across the Water』の「Tiny Dancer」のピアノも当然ベヒシュタイン。
いい曲だよね~。
初期の作品では「Skylinbe Pegeon」が大好きなんだけど、この曲を収録している『Empty Sky』は残念ながらトライデント録音ではない。
『Empty Sky』の後に「Your Song」のレコーディングでベヒシュタインのことを知ってトライデントを使うようになったのかも知れないな。
この『Friends』という同名映画のサントラ盤って見ないよね。
映画自体は小学生の時に雑誌「スクリーン」や「ロードショー」でおなじみだったんだけど。
後年、『Rare Masters』という未発表音源集で初めてその音楽を聴いた。
コレ、映画へのクレジットは「Elton John、Paul Buckmaster、Bernie Taupin」の連名になっているんだネェ。

290cd

320cd

300cd
『17-11-70』はニューヨークのFMのスタジオ・ライブを収録したアルバムだけど、トライデント・スタジオでミキシングされている。
Dee Murrayのベースがアホほどカッコいい!
「Take me to the Pilot」なんてまるでJacoみたいに好き勝手に弾いて暴れまくってる。
8年ぐらい前にイギリスで観た時はNigel OlsonもDaveyJohnstonも元気だったのに…惜しい人を亡くしたものだ。
『Goodbye Yellow Brick Road』もフランスかどっかへ出かけて行って録ったベーシック・トラックをトライデントでミキシングした。

350cd

310cd

330cd『Honky Chateau』や『Rock of Westies』なんかもミキシングだけ。

Hc

335cd

340cd Freeの最高傑作の呼び声も高いセカンド・アルバム『Free』や定番の『Fire and Water』の2枚もトライデント録音。
しかし、この『Free』というアルバムはスゴイよね。
Paul Rogersなんかこの時まだ20歳だったてーんだから驚いちゃう。
私には少々渋すぎるんだけど、昔の人は本当に立派だった。
Paul Kossofのお父さんはDavid Kossofという俳優さんでお金持ち。
バラカンさんの本で読んだんだけど、その財力を活かして、「たいしてうまくもないのにいい楽器を持っているヤツ」というのがまだ未熟だった頃のPaul Kossofに対するイメージだったらしい。
しかし、トライデントから歩いて10分ぐらいの楽器屋街にそうしたミュージシャンが集まっていた…なんて光景を思い浮かべるとタマらんね。
ジム・マーシャルのお店に集まっていたピート・タウンゼンドやリッチー・ブラックモアしかり。
だからロンドンはオモシロい!
知れば知るほどオモシロい!

640cd

650cd The Rolling Stonesもトライデントを使っている。
ストーンズはまったく受け付けないもんでコレでパス。

360cd

400cdT.Rexはこの2枚をトライデントで録音しているようだ。
…ということは、NATALのパーカッションもココで使われていたというワケよ。
そういうことにしておこう…うれしいから。

410cd

420cdコレは以前にも書いたけど、トライデントはベヒシュタインのおかげがあってか隆盛を極め、ポールを通じてアップル・レコードのアーティストの録音もたくさんこなした。
Billy Preston、James Tayor、Mary Hopkin…当然Bad Fingerもトライデントのお世話になった。
Bad Fingerいいな~。
タマに聴くとすごくいい。ナンダカンダでほとんど買ったな。
ジャケットもいいから。
このファースト・アルバムの最初の曲「Come and Get it」のピアノもベヒシュタインなんでしょうね。
ものすごく音が太い。
このジャケットはジョルジョ・デ・キリコなんだな?

Mcm

Nd_2そして、スタジオが空いている時にポールが…イヤ、サー・ポール・マッカートニーが、将来性が認められる新人バンドにスタジオを開放した。
その新人バンドのひとつがQueenだった。
Queenのファーストとセカンド、それと『Sheer Heart Attack』も一部はトライデントで録音された。

370cd

380cd_2

390cd_2するってーと、「Killer Queen」のピアノもベヒシュタインということか…。
いつも書いているように私はQueenはキライでなくても、ファンであったことは人生で一度もないんだけどシングル盤は何枚か買ってるんだよね。
「買ってる」と言っても石丸電気のサービス券と交換したんだけどサ。
で、「Killer Queen」のB面の「The Seven Seas of Rhye」のピアノはそのトライデントのベヒシュタインのサウンドの代表のひとつとなっている。
しかし、録音によってずいぶん音色が違うな。
さて、しからば「Bohemian Rhapsody」のピアノはどうか…。
この曲が収められている『A Night at the Opera』はトライデント・スタジオでの録音ではない。
しかし、あのピアノはトライデントのベヒシュタインなんだって。
このことは権威あるイギリスのNME(New Music Express)が「'Hey Jude'と同じピアノを使って録音した」ということを正式に発表している。
どうも、ピアノ・トラックだけトライデントで録音したようだ。

11_0r4a0389 何度も書いているようにQueenの代表作、『A Night at the Opea』とコレに続く『A Day at the Races』というタイトルはマルクス兄弟の映画からの借用ね。

Dr_2_2

Dr_1 Genesisもトライデントのお得意さんだった。
コレはうれしい。
『Selling England~』あたりは全部が全部ではないようだが、何らかの形でトライデント・スタジオが制作に携わっている。
430cd

440cd

450cdライブ盤の『Seconds Out』もトライデントでミキシングしているんだぜ。
ああ、あの新宿厚生年金の時のGenesisを今でこそ観たいナァ。

460cd

470cd

480cdGenesis自身もトライデントを気に入っていたんだろうけど、正確にはGenesisがお得意さんというワケではなくて、契約していたCharismaレーベルがお得意さまだった。
だからBrand Xもココでレコーディングしている。
ま、Phil Collinsも勝手知ったるところだったろうしね。

490cd

500cd

510cdもうひとつ、Van Der Graaf Generator。
このチームは元々トライデントを使っていたようで、セカンド・アルバムからChrismaに移籍して当然トライデントでレコーディングし続けた。
もう10年以上前の話になるけど、ある夏、Marshallの副社長を含む技術チームが3人来日したことがあってね、みんなで御茶の水のディスクユニオンに行ったの。
その時、タマタマVan Der Graafを聴いていて、どのアルバムだったかは覚えていないけど1枚中古CDを買ったワケ。
それを見ていた大のLed Zeppelinファンの副社長が、「シゲ、ナニを買ったの?」と訊いてくるので「Van Der Graaf Generatorだよ」と答えると、「ヴァヴァヴァヴァヴァン・ダー・グラ~~~フ????????」とかなり驚いた。
「ナニを驚いているんですか?アナタの国のバンドですよ」と言うと、「多分イギリスで今Van Der Graafなんて聴いている人間はひとりもいないよ」…だって。
ま、そうだろうな。
私も今は全く聴いてないし…。

520cd

530cd

525cdZeppelinといえば、コレ。
Peter Hamillの『Fool's Mate』。
1曲目のタイトルは「Imperial Zeppelin」だ。
Peter Hamillもソロ・アルバムをトライデントで録音した。
ま、正直…この声がね~。

540cd

550cd_2Yesもデビュー・アルバムはトライデントで録ってるんだよ。
Yesというと圧倒的に『Fragile』から、あるいはその前の『The Yes Album』からの扱いばっかりだけど、始めの2枚もとっても魅力的だよね。
コレに入ってるビートルズの「Every Little Thing」のカバーなんて意味もなく大仰でメッチャかっこいい。
でもヘソ曲がり的に言えば、私は『海洋地形学』のC&D面かな?

560cd_2トライデントはロックだけじゃないぜ!
John McLaughlinも使っていた。
名盤の誉れ高いMahavishunu Orchestraの『Birds of Fire』はトライデント録音だ。
ギター・アンプはMarshallなんじゃないかしら?
三宅さんならご存知のハズ。

570cd

6001973年の録音から26年の時を経て1999年にリリースされたMahavishunu Orchestraのアルバム。
チョット見ると未発表のライブ音源のように見えるし、私も実際そう思い込んで買った。
タイトルは『The Lost Trident Session』。
この「Trident」はトライデント・スタジオの「トライデント」。
スリーヴに使われている写真もライブのモノばかりで、誰がどう見てもトライデントでスタジオ・ライブでもやった時の音源かと思うじゃん?
ところがコレは完全にMahavishunuの未発表スタジオ音源で、ナント『Birds of Fire』に続く3枚目のアルバムになる予定だったモノ。
マクラフリンとしてはとても内容を気に入っていたが、メンバー間の関係がどうもシックリいっていない時期であったため、発表を見合わせてライブ盤『Between Nothingness and Eternity』をリリースすることになったのだそうだ。
それから26年もの間、この音源は闇に葬られていたというワケ。

590cdコブハムつながりで…。
みんな大好き『Spectrum』。
コレはトライデントでミキシングしている。
「Stratus」は、「ストレイタス」ではなくて「ストラトゥス」ですから。610cd上にNilssonの「Without You」のピアノもベヒシュタインと書いた。
このピアノの音は他の録音とゼンゼン違うな。
マライア・キャリーなんかもカバーしていたけど、「Without You」はNilssonの曲ではありませんからね。
Bad Fingerの曲。
Nilssonも何枚かトライデントでアルバムを作っている。
この左の『Son of Schmilson』ってのは中学生の頃ハンターでよく見かけたナァ。
ドラキュラ映画のサントラ盤かとばかり思っていた。

620cd

630cdJeff Beckだってトライデントを使ってる。

660cd

670cdThin Lizzyはもっとココで録音しているイメージがあったんだけど、意外にも『Night Life』だけだった。
でも名バラードの「Still in Love with You」がココで録られているなんでうれしいじゃん?

680cdJoe Cockerもトライデントからスタ―ト。
もうこの「Feelin' Alright」を聴くと、とにかく小川文明さんを思い出してしまう。
Carly Simonの『No Secrets』もトライデント。
なるほど、「You're so Vein」のベヒシュタインはまたゼンゼン別の表情をしていますな。
コレがNilssonの「Without You」のピアノと同じモノかとビックリするぐらい音色が太くて力強い。
アタシャこういうシンガーソングライター系の音楽は全くと言っていいほど聴かないので何も語る資格はないけど、こうして聴いてみるとなかなかいいもんですな。
月並みですがJoni MitchellとLaura Nyroは好きです。
このアルバムのジャケ写を指して「女性の正しいシャツの着方」って書いていた人が昔いたけど…いやん、エッチ。
実際にロンドンの街を歩いていると、ブラジャーをお召しにならない女性をよく見かけるけど、向こうの人のはゼンゼン自然なんだよね。
見ている方が恥ずかしくなる…あ、私は決して見たりはしませんよ。
じゃ、ナンで知ってるんだ?ってか?

690cd

700cdMottはね~、わからないんですよ~。
『黄金時代』もサッパリわからん。
このアルバムも持っているんだけど、全く内容を覚えていない…ということで聴いてみるか。
 
…間…
 
印象変わらず、でした。

でもね、20年近く前にIan HunterがMarshallのAVT100を使っている写真を発見した時はうれしかったんよ。
AVT、なつかしいな。
それから~、Mick Ralphsのレスポールの話はいつかしたから今回は止めておこう。

710cdトライデントはメタルだって「ドンと来い!」だぜ。
Judas Priestの『Staind Class』。
この辺りまでは私も聴いた。
ところが、ハルフォードさんのお声が段々オモシロく聴こえるようになって来ちゃって…。
初めてJudasを聴いたのはセカンド・アルバムの『Sad Wings of Destiny』がリリースされた時で、「The Ripper」なんか何てカッコいい曲なんだ!と思ったよね。中2の時。
Tigers of Pang Tangってのはもう全くわからない。
一昨日は家内特製のワンタンを頂いたけど…。
鶏ガラを買いに行ってね、化学調味料を全く使わないでスープを作ってくれる。
メッチャおいしいの。
あ、そんなことはどうでもいいか。
パン・タンはジャケットがいいね~。

720cd

740cd以上、もう1回書いておくけど、全部が全部トライデント・スタジオで録音したモノではないからね。
一部の曲だけであったり、ミキシングだけだったりするアルバムも含まれていいることは承知しておいてね。
それにココに挙げた以外にももっとたくさんの名盤がココで制作されているハズだ。
一体どれだけのMarshallやNATALのパーカッションがココに運び込まれてそんな名演名作の制作をサポートしたんだろうね。
ロマンだナァ。
そんなことを考えるとMArshall冥利に尽きるってもんだ。
下は昨年に訪れた時のようす。

300壁にブルー・プラークが取り付けられた。
大きな変化だ!

750v何のプラークかと言うと…
「デヴィッド・ボウイ
1947-2016
 
彼のアルバム、『ハンキ―・ドリー』、『ジギー・スターダスト』、代表作「スペース・オディティ」がここトライデント・スタジオで録音された。

BBCラジオ・ロンドンより贈呈」
 
そういうこと。
とにかくデヴィッド・ボウイなワケ。
760 初期の作品は全部トライデント録音。
『Hunky Dory』のピアノはRick Wakeman。

760cd

770cd

780cd やっぱり極めつけは『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』ということなんでしょうね。
私も中学生の時に夢中になって聴いたもんですよ。
『Aladdine Saine』もとても好きだった。
このアルバムはコーラスでLinda Lewisが参加しているのか…。
『Station to Station』までは聴いたの。
「TVC15」なんて大好きだった。
で、中3か高1の時に『Low』がリリースされてズルっとなった。
それからDavid Bowieは全く聴いていない。
高校の時に来日したけどNHKホールには行かなかった。
ギターがAdrian Belewだったので行っておけばヨカッタような気もするけど、ま、いいや。
初来日の時は、「飛行機がキライ」ということで船で日本に来たんだよね。
後で聞いたら、フィリピンだかシンガポールまで飛行機で来て、その後船に乗り換えたとか…。
 
それにしてもDavid Bowieのイギリスでの人気の高さはスゴいワケ。
日本みたいに亡くなった時点で急にファンが増えてすぐに忘れられてしまうようなのとはワケが違う。
Peter Greenが亡くなったでしょう?
facebookなんかを見ているとスゴイもんね。
どっからか急にFleetwood Macファンが押し寄せて来た。
普段はFleetwood Macの「フ」の字も出て来ないのに不思議だね。
ま、「故人を偲ぶ」という意味では一向に構わないんだけどね。
で、David Bowie、Pink Floyd、Status Quoあたりは日本では想像がつかないぐらい人気が高い。790cd

795cd …ということで、David Bowieの地元へ行ってみた。
「Brixton(ブリクストン)」というテムズ川南岸の町。
地区はLambethになるのか…。

800ヴィクトリア線でロンドンの中心からすぐのところ。
840「すぐのところ」なんだけど…
830もうね、駅から外へ出た瞬間に「あ、ココは違う」と感じたわ。

810とりあえずGREGGSは同じなんだけど…。

815vとにかく黒人だらけなんですわ。
別にコワいことはないけど、場合によってはコワい目に遭っても不思議はないような雰囲気。
すくなくともジギー・スターダストのイメージはナニひとつありはしない。

820駅からほど近いところにある「O2 Academy Brixton」。
ロンドンの重要なコンサート会場のひとつ。
1929年の開業で元は映画館だった。
こけら落としはAl Jolsonの「The Singing Fool」という作品。Al Jolsonはガーシュインの「Swanee」を歌った人ね。
後にコンサート・ホールとなり80年代のバンドの活躍の場となった。850キャパはスタンディングとイスで4,900だって。

870かなりデカいね。

880楽屋口。
Eric Clapton、Dire Straits、Policeなんかがリハーサルに使ったこともあるという。
Wham!はココでビデオを撮ったそうな。890v今度は線路の反対側へ歩いて来た。

900Lambeth Town Hallという建物。
そうか、コレはランベス地区の役所だったのね?

910vすぐ近くの「Ritzy(リッツィ)」という映画館。

920コレは立派だった。
1911年の開業で建物はGradeIIに指定されている。
ココは労働争議をやっているみたいだね。

930外壁にはズラリと往年の、イヤ古のハリウッド・スターのポートレイトが並んでいた。950ジギー・スターダストはこんなところで生まれ育ったのでした。363cd_2偶然の山本寛斎さんの訃報。
田川ヒロアキさんが出演したイベントで2、3度お見かけしたが、いつもニッコニコでとても感じのよい方だった。
ヒロアキくんの「Sea Scape」を合体させたイベントのオープニングの「君が代」のオリジナル・アレンジと演奏をとにかく褒めちぎっていらっしゃった。
この場をお借りして謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

11_img_3218_2 
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200

2020年7月 9日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 49 ~ 国立コンピューティング博物館<その2:真空管まつり>

 

前回の記事で例を示したように、初期のコンピューターにとって真空管は必要不可欠な重要パーツだった。
私が子供の頃のテレビはスイッチを入れてから画像が出て来るまで何分もかかるのが普通だった。
スイッチを消すと長い間白い点がブラウン管の中央に残っていた。
そもそも白黒の番組が当たり前だったなんて信じられないよね。
カラーの番組が放送されるようになると、新聞のテレビ番組欄ではカラーの番組に「カラー」という印が付されるようになったが、その後、カラーの番組が主流になると、今度は反対に白黒の番組にボーリングのスペアのような記号が付けられてカラー番組ではないことを示すようになった。
最近は「テレビっ子」なんて言葉もメッキリ聞かなくなったね。
今はどうなんだろう?
「ユチュバっ子」か?
子供の頃は「どうして大人はニュースを見たがるんだろう?」と不思議に思ったが、何のこたぁない、今では報道番組以外に定期的に見る番組がほとんどなくなっちゃったな。
「激レアさん」ぐらいか?
関係ないけど、あのボードに書く太マジックの文字ね。
アレはあの司会の女性が書いているのだろか?
ものすごい達筆だと思わない?
アレを真似て太いマジックを使ってみても、絶対にああはならない。
 
…ということで、真空管。
「国立コンピューティング博物館」の片隅にこんな展示を見つけた。
 
熱電子管
コレは国立コンピューティング博物館の会員が様々な電気機器から取り外して集めたコレクションの期間限定の展示です。
トランジスターやシリコン・チップスが出現する以前、真空管はアンプ、オシレーター、また国産のラジオやレコード・プレイヤーやテレビにも使われていた標準的な電気パーツだったのです」
 
わかってる、わかってる。
今、私は真空管なしでは成り立たない仕事に就いているけど、この日、向こう数年間分の真空管を見た気になったわ。

11_0r4a0239そして、ココのコーナーをジックリ見ていたのは私だけだった。

11_0r4a0234アレ…見覚えのあるKT66。
Vintage ModernかASTORIAから引っこ抜いて来たんじゃないの?

30特に解説もなかったので、お好きな人は写真だけ見て楽しんで下さいまし。

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80私は真空管のマニアではまったくないけれど、人間が古いせいかこのデザインにすごく惹かれるよね。

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130レトロなハコのデザインがまたいいんだよね~。
90こんな基板の類もゾロゾロと展示してあった。

150

11_0r4a0253イギリスFerranti(フェランティ)社のArgus 400。
工業用コンピューターで、元々は軍用に設計されたモノ。

11_0r4a0254コレもスゴイな。
前回やったEDSACの一部。160おお~、こんなモノも!
昔のコンピューター、計算尺。
コレってスゴいよね。
高校の数学の授業で使い方を教わって感動した。
もちろん今では使い方なんてナニも覚えていないけど…。
180気になって調べてみた。
英語の呼び名は「Slide rule」。
ナンダナンダ、コレもイギリス人の発明だってよ!
1622年、ウィリアム・オートレッドというバッキンガムシャーの人。
バッキンガムシャーはMarshallの本社やココがあるところと同じ行政区。

昔、Yesの曲の複雑さを表現するのに「彼らは計算尺を使って作曲している」なんてことが使われていたけど、そんなワケはない。
今なら「コンピューターを使って作曲している」という感じか?…イヤイヤ、本当にそうなっちゃってるじゃん!

190さて、ココからが本番!
シリーズの最後を飾る一大ロマン!
ブレッチリ―・パークの記事で、アラン・チューリングが「ボンベ」という機械を作り、エニグマ暗号の解読を容易にした…ということを述べたが、それもつかの間、ブレッチリ―・パークのスタッフはドイツ軍が発信する暗号に再び頭を抱え込むことになった。
ドイツ軍がエニグマ暗号より強力な暗号を使い出したのだ。
その暗号を作っていたのがこの「Lorentz SZ42(ロレンツ)」。
どうよ、悪そうな顔をしてるでしょ?
ギザギザが何ともズル賢そうな感じだ。
現存するロレンツの数は極めて少なく、超激レア。
コレはノルウェイの軍隊から長期間にわたって博物館が借り受けているモノだそうだ。

200ロレンツで作られた暗号文はこのテレプリンターで発信された。
このテレプリンターの値段は£10(今の為替レートで1,400円ぐらい)。
博物館の職員がebayで見つけ、専用ケース付きでこの値段で手に入れた。
元の持ち主はコレが何のための機械か皆目見当がつかず、70年もの間ほったらかしにされていてボロボロの状態になっていた。
その後、買い取った博物館のスタッフが綿密な分解掃除を施してこの状態に戻したそうです。
210で、ロレンツはヒトラーと将軍たちの通信専用に使用された暗号機だった。
ローターがついているところあたりはエニグマ機と似ているが、実際に仕組みも似通っていた。
しかし、その複雑さはエニグマの比ではなかったそうだ。
11_0r4a0271しかし、ブレッチリ―・パークのジョン・ティルトマンとビル・タットという2人がロレンツ暗号の解読に道筋をつけ、ヒトラーのメッセージを読むことに成功した。
しかし、ロレンツはあまりに強力で、ボンベが持つ能力では太刀打ちできず、人力で解読に努めたが、どうにも時間がかかってしまいラチが開かなくなってしまった。
11_0r4a0273しかし、マックス・ニューマンという人がチューリング・ボンべの概念を継承しつつ、ロレンツに対抗するプログラム可能なコンピューターの設計図を描き上げた。
当初、技術的に実現不可能と一旦はその設計図が棚上げになったが、トミー・フラワーズという人が10ヶ月の時間をかけてとうとうそのコンピューターを作り上げた。

11_0r4a0272_2 そのコンピューターがコレ。
デカッ!
名前は「Colossus(コロッサス)」。230「コロッサス」なんて聴くと、もうすぐに頭の中はコレになっちゃうんだけど、「colossus」というのは「巨像」とか「巨人」という意味。Sc使用されている真空管の数は1,500本。
ボンベとは比べ物にならない処理速度を誇っていたが、コロッサスの重要性は処理能力ではなくて、プログラミングが可能であることだった。
プログラミング能力を擁していないとロレンツの複雑な暗号に対応ができなかったというワケ。
「必要は発明の母」だったのね。
そして、その「プログラミング可能」という能力こそが「コンピューター」を意味するのだそうです。
例によってこの展示品もレプリカです。

2401996年に「His Royal Highness the Duke of Kent(ケント公爵エドワード王子)」がココへ来てコロッサスのレプリカの点灯式を行った。
エドワード王子は、エリザベス女王のお父さんのジョージ6世の弟のジョージ(ややこしいんじゃい!)の息子つまりエリザベス女王のイトコ。
やはりアタマが薄いというか、もうツルツルなのさ。
人のことは言えんが、ウインザーさんの家系の男子チームは髪の毛が気の毒だネェ。235ボンべ同様、終戦直後にチャーチルの命にしたがってコロッサスは設計図はもちろんのこと、本体も手のひらより小さなサイズに砕かれてこの世から消えてしまい、「世界初のコンピューター」の栄誉はトミー・フラワーズではなく、他の科学者のモノになってしまった。
260一方、1945年、ペンシルヴァニア大の研究者が18,000個の真空管を使用した「ENIAC」というコンピューターを開発。
それがその後何十年にもわたって「コンピューターの母」と言われるようになってしまった。
コロッサスを作り上げたフラワーズが、自分の栄誉を逃したことを悔しがって「あのブルドッグめ!」と言ったかどうかは知らない。
いずれにしても、20世紀後半の暗号の発展に道筋をつけ、現在のコンピューターの源になったのがこのコロッサスだった。270時間も比較的遅かったので、お客さんが極端に少ない中、目を引いたのはこの家族。
何だか知らないが、ココの家族はお母さんがやたらと積極的で、係りの人に矢継ぎ早に質問を浴びせかけていた。
係りの人もヒマなのか、それらの質問に嬉々として受け答えているように見えた。
お父さんは「いいぞ、カアちゃん!」と思っていたのだろう、そのシーンをスマホで撮影していた。
250また真空管のディスプレイ。

11_0r4a0294_2今度は真空管2,400本だ~!
320コロッサスのマークII。
325マークIの5倍の速度で仕事ができるそうだ。

310vこの真ん中のデカいヤツも「BY1144L」という三極管。
「PF Power Triode」というタイプで57kgもあるんだって。
一方、右側の小さいヤツは「EF36」という五極管で実際にMKIIに使用されているモノ。

11_0r4a0304しかし、実物も設計図も全くなかったのに一体どうやって復元したのか?
コロッサスMKIIに関して言うと、当時の技術者の膨大な量のノートが主にアメリカに現存していたのだそうだ。
不明の箇所もあったが、元々の設計者が生きていて再現した。
MKIIの組み立てはこの博物館で行われた。
330パソコンのコーナー。360結局はコレか。

370若い人たちがビンテージ・ゲームに夢中になっていた。

380後はジャンク品の展示コーナー。

390イヤ、「ジャンク品」なんて言ったらきっとバチが当たるようなレア・アイテムなんだろうね。
でも私には秋葉原の裏通りにしか見えなかった。

400ココもなんだかんだでオモシロかった~。
地元の人も、ブレッチリ―・パークには行ってもココには来ないらしいので、貴重な体験をしたわ。
さぁ、ホテルへ帰ろう。

405またブレッチリ―の駅まで戻って来た。

11_img_0668_2 駅前を通り抜けて…Img_0671 階段を下りたら左に曲がって電車の高架をくぐる。

Img_0673 そこにあるのがこの「THE PARK」というパブ。
ノドが乾いたのでココでエールを飲むことに…。
そしたらラガーしかないというので、アタマに来てテーブルをひっくり返して店を出て来た(ウソですよ~)。

420せっかくだからブレッチリ―の町をブラブラしておこう。

430ココにもGREGGSができたのか…。
残念ながら休み。
イヤ、この日は日曜日だったので空いている店は1軒もなし。

440恒例の「VOONG'S」詣で。

450ジムのお気に入りの中華料理店で、まだジムがいる頃はMarshallで会議があると1回はココで会食をするのが習わしだった。
ベトナム人が経営していて、我々が日本では経験でき得ないタイプの独特なお味の中華料理を出してくれた。460最近はメッキリ来なくなったので、なつかしいわ。
18年前に初めてMarshallの工場を訪れた時、ジムを除く重役とココに来て昼食をご馳走になった。
あの突き当たりとその手前のテーブルに座ったのをよく覚えている。
メッチャ緊張した。
私もまだまだ若かったからね。
その場で初めてお会いした方もいらしたので、一応自己紹介をした。
名前を言って、「1962年の生まれです」と振っておいてから、「Call me Bluesbreaker!」と言ったらドッカ~ンと受け…るハズだったんだけど、そこにいた人たち全員ポカーンとしてた。
私を含めて全部で6人だったかな?
もう今では私しか残っていない。470スーパーの入り口。
休みとはいえ汚いネェ。
日本の街の清潔さは素晴らしい。Img_0685 人っ子ひとり歩いていないし、たまに見かける若いヤツはいかにも物騒で、一度目を合わせたら後がないな…という感じだったので足早にこの場を去った。480あとはトコトコと歩いてホテルに帰るだけ。
ブレッチリ―・パークに行く時は雨に遭ったけど、結局天気のいい一日だった。

Img_0686 この高架の横に迂回路があってホントはそっちを歩かなきゃいけないんだけど、構わずまっすぐ進む。

490「THE ENIGMA TAVERN」…昔から「enigma」という言葉の意味は知っていたけど、暗号に関わる事だけは知らなんだ。
そして、今、こんなに興味を持つようになるなんて想像したことすらなかった。
いつか入ってみよう。

11_img_0584Marshallまで帰って来た。
誰かまだ残ってるな。

Img_0688 24時間オープンのASDAも日曜日の午後はお休みだ。
カートは外に置きっぱなし。500イギリスのATMってロンドンの街中でもそうなんだけど、平気でこうやって外に置いてあるんだよな。
CCTVが発達しているとはいえ、大丈夫かしら?といつも心配になっちゃう。
それに雨風にさらされて機械がダメにならないかね?510帰って来た~!
520Marshallアリーナは今度は『UKタトゥー・フェスト』だって!515まずはホテルのバーでエールを1パイント。

530今日はASDAがお休みなので買い食いも出来ないからホテルの横のレストラン街へ。
工場の周りも便利になったもんだ。
昔はホントに何にもなかったのよ。
コレはホテルの中にあるレストランの看板。
2週間チョット前に、Marshallのアジア・チーム(香港、ベトナム、日本)とD_Driveで会食をしたのがもう何年も前のことのようだ。Img_0696この日はチキンにした。
滅多にはいらないけど、実は「Nando's」好きなんどす。

540こんな感じの日曜日のディナーとなりましたとさ。
…ということでMarshall CODEにちなんだ「ブレッチリ―・パーク」の特集おしまい~!
 
まだまだこの時の旅のレポート・ネタが残っているのでお好きな人はどうぞお楽しみに!
ナニせライブがないもんだからサ、仕方ないでしょ!

550そして、近々CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!
現在、楽しみながら内容を制作中!

12code25

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 8日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 48 ~ 国立コンピューティング博物館<その1>

350…ということでブレッチリ―・パークの見学は完了。
とにかく一度来てみたかった場所を3時間半ほどかけてジックリ見ることができたので大満足…と、言いたいところなんだけど、どうも腑に落ちない。
何が気に食わないんだろう?…と自問自答して思い当たったのが例のアラン・チューリングが作った暗号解読機「The Bombe」。
コレのホンモノを見ていないから物足りなかったんだ!ということに気づき、パークの入り口の案内板がアタマに浮かんだ。

10_3コレね。
「COLOSSUS & BOMBE GALLERIES OPEN DAILY」と書いてあったのを思い出したのだ。
そこで、ワザワザこうして公園の入り口の看板がある所まで一旦戻って、展示してある場所を確認した。
アータ、第二次世界大戦の終結を2年早めたと言われている世にも偉大な機械ですよ~!
そんなスゴイものが残っていないワケがない。
ましてや古いモノを大切にするイギリス人のことだ。
エジプトのミイラが残っていてボンベが残っていないワケがない…せやろがい!

20_2それは「THE NATIONAL MUSEUM OF COMPUTING(国立コンピューティング博物館)」というところにあるらしい。
ロケーションはブレッチリ―・パークの裏というか、奥。
さっそく行ってみょう!
40_3エ……もしかしてコレ?
国立の博物館なのにまさかの平屋?
工事現場の仮事務所より貧弱だぞ。30_3間違いない。
コレが「国立コンピューティング博物館」だわ。
ナニナニ「現在でも可動する1940年から現在に至る歴史的コンピューターの世界一のコレクション」を誇っているらしい。

50_3入場料は£7.50だから千円とチョット。
イギリスの国立の博物館は入場料が無料なことが多いけど、ココはしょうがなさそうだな。
エントランス…といっても普通の入り口だけど…の壁に飾ってある2大暗号機とその解読機。
「エニグマ vs. ボンベ」と「ロレンツ vs. コロッサス」。
カッコいい~!

60_2入ってすぐのところにある「ボンベ・ギャラリー」。
いよいよホンモノにご対面かッ!
と期待を膨らませたが…。

0r4a0127 部屋の中央に鎮座ましましたるいかにもボンベのようなマシン。
大きな表示板に目をやると…「THE TURING BOMBE REBUILD PROJECT」とある。
は…?
「リビルト」?

80_2ちょうど係りのオジさんが出て来たので訊いてみた。
「スミマセン、あの、'REBUILD'ってなっていますけど、ココには第二次世界大戦中に実際に使われたホンモノはないんですか?」
「(キッパリと)ありません。
戦争が終わった時に、元の形がわからないほど細かく壊してしまったんです。ウィンストン・チャーチルの命令でした」
なんだよ~、ウィンストン!
実家まで行ってやったのに~。

90_3そう、大戦中のイギリス軍の行動を隠匿するために本体はもちろん、設計図にいたるまでボンベに関わるものをすべて処分してしまったのだ。
じゃ、ココにあるモノは?

100_3BCS(British Computer Society=英国コンピューター協会)のジョン・ハーパーという人が中心になって1994年から13年かけて作り上げた精巧なレプリカなのだ。

110_3係りの人が言っていたが、レプリカと言っても当時と全く同じ動作と働きをするように作られているのだとか。

120_3完成後、ブレッチリ―・パークに展示されたが、2018年にこっちの博物館に移設された。

130_3スゴいメカだわ。

14513年もかけて苦労して作り直すくらいなら、終戦後どこかに隠しておいて壊さなきゃヨカッタのにね。

140vプロジェクトで使われたパーツ。
「Letchworth Enigma Wiring Jig」とあるが、レッチワースというのはブレッチリ―から25kmのところにある町の名前。
当時のボンベはレッチワースで製造されていた。
私、行ったことがあるんですわ、レッチワース。
もちろんボンベなんでものはプロパンぐらいしか知らない時分だったけど。

150_3レッチワースで撮った適当な写真がないので、その隣の「ヒッチン」という小さな町にある楽器屋さんの前で撮った18年前の1枚を。
店名は「MACHINEHEAD」。
オーナーにその名前を尋ねると、もちろんDeep Purple大ファンだった。
Mh他にも使用、というか代用されたパーツがズラリと展示されていた。

0r4a0129

0r4a0130その傍らには、ハイ、エニグマ。
もう全然珍しくなくなっちゃった。70_3この博物館のエニグマはドイツ陸軍が使用していたモノで、5枚のローターが使用できるタイプ。
写真の2枚はお休み中のローター。

75古式ゆかしい電卓の類がゾロリ。
と言っても、私が学校を出て就職した時には右下にあるようなドデカイ電卓が普通に使われていたからね。

160_3揺籃期のコンピューターの展示。

170_3入り口の看板に書いてあった通り、この博物館に展示されているモノはすべて可動できる。
でもコイツは何やら不調らしい。

180_3デカ!
コレは磁気ディスクなのかしらん。

190_3ホントに実際に使っているみたいだった。

200_3このオジさん、すごく静かにしているもんだから置物かと思っていた。
するガバっと振り返って「Hello!」なんていうもんだからビックリして飛び上がっちゃった!210_3しかし、「博物館」にしてはあまりにも放ったらかしの展示だよね~。

220_2ほとんど説明もなかったので、コンピューターの好きな人は写真だけ見て楽しんでください。

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320_2コレは博物館が事務処理で使っている現行のコンピューターね。

330_2「EDSAC」のレプリカを製作するプロジェクト。
ココはレプリカ・プロジェクトが好きだナァ。

340_2EDSACは「Electronic Delay Storage Automatic Calculator」の略で、実用に供される世界で2番目のプログラム内蔵方式のデジタル・コンピューターだった。

350まったくコンピューターには見えないんですけど。

360_2見ての通り、これらは全部真空管。
いい音が出そう?
全部で3,000本使われている。
380_2EF54という五極管がEDSACでメインで使われている真空管。
この真空管は戦時中はレーダーに使われていたため、ケンブリッジの研究者にとってはなじみのあるパーツだったらしい。
1947年に軍がこの球を放出したため、EDSACに使われた。
こういう話を知ると、よく真空管マニアの間で「~の軍の放出品」とかやっている話の真実味が増すね。
EF54はもちろんもう製造されていないが、「New Old Stock」として今でも入手可能だそうです。

390_2裏の配線がまたスゴイ。
ホーチミンの街中の電線みたいだ。
1951年に79桁の素数を発見したのはEDSACのひとつの業績とされているらしい。
え、今?
最近では、2018年に24,862,048桁の素数が発見されている。

370_2こういうパーツは実に親しみを感じるね。

400_2しかし、…コレは1949年に世に出ているというから71年前のモノなんだけど、Marshallの真空管アンプのシャーシとパッと見変わらないじゃない?
ま、双方、真空管を設置する箇所なので見た目が似ているのは当たり前なんだけど、真空管アンプってすごくない?
コンピューターに比べたらシーラカンスみたいなモノだよ。
それだけ「音がいい」から姿を変える必要がないワケ。
もし真空管アンプよりいい音を出すアンプが出ていたらとっくの昔に姿を消しているハズでしょ?
それを使わないなんて全くバカげてるわナァ。

410_2まだまだ続く。

170 コレは「The HEC1」というコンピューター。
「HEC」というのは「Hollerith Electric Computer」の頭文字。
「Hollerith(ホレリス)」はハーマン・ホレリスというアメリカの発明家のこと。
パンチカードを読んで統計をデータ化する「タビュレーティング・マシン」をいう機械を作り、アメリカの国税調査などに使われ世界中に普及した。
ホレリスの会社が後のIBMに発展した。
このコンピュータ-はそのイギリスのタビュレーティング・マシンの会社が製造したもの。

420_3開発はアンドリュー・ブースというイギリス人で、1951年に発表して初めてのイギリス国内で広く使用されるコンピューターとなった。

430vしかし、スゲエ真空管の数だな。
いい加減熱かっただろうナァ。
このコンピューターが室内にあれば、暖房が要らなかったのではなかろうか?

440コレはECC81。

450_2コチラはKT66…とMarshallでもおなじみの真空管だ。
このままで爆音が出そうだな。

460_2背面はこの通り!

470手作り感満載のコンピューター!

480_2次…またまた仰々しいのが出て来た。
「Harwell Dekatron Conputer」は1952年の発表。
何でも電話交換機のパーツを利用して作られているらしい。

490_2コレもスゴイ数の真空管だな。
計算用に使われているんだって。

500_2このキーボードで操作するのかな?カワイイな。
2009年から2012年にかけて、この国立コンピューティング博物館で修復された。
修復後の2013年には「世界最古の稼働中のデジタル・コンピュータ」としてギネス認定された。

510_2…ということで今回はおしまい。
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25<最終回につづく>

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 7日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 47 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

 

「The Mansion(ザ・マンション)」と呼ばれるブレッチリ―・パークのシンボル。
1870年代の建物で、サー・ハーバート・レオンというとても裕福な株式仲買人の持ち物だった。
ルックスは大分異なるが、映画『イミテーション・ゲーム』の中にもジャンジャン登場していた。

420_2ココはMarshallのClass5の「Pin-Up」というシリーズの宣伝写真のロケ地。
かなりの曇天で、コレを撮ったマットもこれだけ色を出すのは大変だったろうナァ。

430私はこの撮影の時にちょうどMarshallに行っていて、撮影に誘われた。
一緒に行きたかったんだけど、他の用事があって泣く泣くお断りした。

440vこのモデルに興味のある人はコチラをどうぞ。
フレットクロスに描かれている女優さんについてチョコっと書いておいた。

450戦時中は後で紹介する「HUT」と呼ばれる設備が出来るまでの間、1階部分を暗号解読舞台の本部やレクリエーション施設として使用した。

460しかし、コレって建て増しを繰り返したのかナァ?

11_0r4a0984棟続きなんだけど色んなデザインが混ざっちゃてるんだよね。

11_0r4a0986早速中に入ってみる。

11_0r4a0987入り口に付いていた「Institute of Electrical Electrics Engineers(略称:IEEE)」から寄贈されたプラーク。
IEEEはアメリカに本拠地を置く世界最大の電気・情報分野の学術研究団体であり、技術標準化機関。
メッチャ権威が高い。
それが言うには…
「1939~1945年の世界大戦中、ココで12,000名の男女がドイツのロレンツやエニグマ、日本やイタリアの暗号解読に従事した。
彼らは革新的な数学的分析を用い、ココでアラン・チューリングがゴードン・ウェルチマンと主に開発した電気機械ボンベやトミー・フラワーズが設計したコロッサスの助けを得て解読に成功した。
この偉業は終戦を早め、多くの命を救った」
そういうこと…なんだけど、従業員の数が12,000人に増えてる。
オモシロいのは、ココに集められたスタッフの顔ぶれで、暗号の専門家だけでなく、数学者(アラン・チューリングは数学者)からチェスに強いヤツ、クロスワード・パズルの達人…と、様々なキャリアを持った人たちだった。

11_0r4a0988 現在は1階部分のみ見学できるようになっている。

470vお偉いさんの事務所だった部屋。480天井が低いね。

490どこもやたらとゴージャスな作りになっている。

500天井もこの通り!

510西洋の建築物の格付けをするには天井を見るのが一番早い…持論です。

520ひと通りMansionを見学してまた庭に出ると、さっきのジャズに合わせて…

539子供たちが盛り上がっていた。

540所員のためのテニスコート。
みんなモノスゴク頭を使うもんだから、空き時間には積極的に身体を動かして気分転換を図った。

550マンションの斜め裏手にある「Stableyard(厩舎)」と呼ばれているエリア。
純正ガイドブックを読むと、この奥に「Apple and Pear Storeがあった」って書いてある。
「リンゴと梨の店」?
そんなバカな…確かにイギリス人は食餌として小さなリンゴ(マッキントッシュ?)を食べるけど、それを売る店だったのかかな?
調べてみると「Apple and pear」というコックニー・スラングを発見した。
コレは「stair」のシャレだって。
「stair」は「階段」だから、コレもおかしい。
絶対に何かの隠喩だと思い、すぐにMarshallの友達に尋ねてみた。
彼女はこの表現を知らず、親切にインターネットで調べてくれた。
結果、本当に「リンゴと梨を売る店」だそうです。
ヘンなの~!

560今は動いていない時計塔。
前回紹介した「Dispatch Rider」たちは、1日に3,000ものメッセージを携え、この門をくぐって静か~にブレッチリ―・パークに入って来た。
11_0r4a0024 アラン・チューリングやディリー・ノックスらの暗号解読スタッフは、1939年からこのコテージで作業をしていた。

570そして、ディリーはココで初めてエニグマ暗号を解読した。
11_0r4a0043ココでの解読作業が、後の「Double Cross」作戦で大いに活躍し、それがノルマンディ上陸作戦につながり、ヨーロッパ戦線の早期終結に結び付いた。
「Double Cross」作戦というのは、「Double Cross System」とも呼ばれる、ニセの情報を流して相手をダマす作戦。
ココでエニグマの解読に成功していたことはブレッチリ―・パーク内でも極秘にされていた。
それだけ秘密の保持に厳しかったので、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルはブレッチリ―・パークの職員を「The geese that laid the golden eggs and never cackled(金の卵を産む決して泣かないガチョウたち)」と呼んだそう。
『イミテーション・ゲーム』にもチューリングが軍の上層部に直談判してチャーチルから研究予算を引き出すことに成功するシーンがあるが、実際にチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、ブレッチリ―・パークの仕事にとても協力的だった。
11_0r4a0045Stableyardの近くのガレージに展示してある当時のMI6の社用車。
こうした車はブレッチリ―からほど近い、ニューポート・パグネルにある「ティックフォード(Tickford)」という有名な車体屋(Coachbuilder=コーチビルダー)に送られ、元の塗装を剥がし、戦時下特有のカムフラージュ塗装を施した。

580私、ニューポート・パグネルに家内と1泊したことがあるの。
ココはアストン・マーチンの本拠地なんだよね。
その加減でその車体屋があるのかも知れない…イヤイヤ、おおよそ自動車産業とは結び付かない静かな田舎町なのよ。
下がニューポート・パグネルのアストン・マーチンのショウルーム。11_img_0978 これらのパッカードには強力な通信装置が搭載されていて、イギリスとドイツの間で起こっていることが随時把握できるようになっていた。

590

610コレは救急車。
カッコいい。
なんか看護婦さんみたいなイメージだな。

600Norton社製のオートバイ。
1937~1945年の間、ノートン社はイギリス軍が使用するオートバイの1/4に当たる10万台を供給した。
その代表機種がこの『WD 16H』だった。

11_0r4a0034公園の奥を見終わって、中心部に戻ってきた。
「HUT3」…上で紹介したマンションが手狭になり、スタッフはこの「HUT」と呼ばれる建屋に作業の場を移した。
「hut」というのは「小屋」という意味ね。
「ピザハット」の「ハット」。

10_2HUTごとに役割が決まっていて、隣のHUT6で解いた暗号がこのHUT3に運ばれて来て、翻訳作業が行われた。

20vココで翻訳された文章は厳格に軍隊特有の文体に定型化され、あたかも実際のスパイが書いたかのように仕立て上げ、暗号の受取人は、それら情報がブレッチリ―・パークから発信されたものであることを全く知らなかった。
ところで、我々ってよく…
「それじゃ11時にお願いします」
「11時…わかりました23時ですね」
…ってやるでしょ?
向こうの人は「おお!ミリタリータイム!」とか言ってコレにビックリしちゃう。
じゃどう云うかと言うと、「11pm」って言う。
午前の11時なら「11am」って言う。
「日付vs.曜日」の感覚とかも我々とは違うんだよね。

30_2HUT6で解読した文章はいつも不完全で、時には全く意味を成さないモノもあったが、ごくまれに簡単に訳すことができる完璧な解読分も含まれていたそうだ。

40_2この奥がHUT11Aと11。

50_2「The Bombe」が展示してあることを知らせる看板。
要するにココの展示のハイライトですな。

60vやっぱり人気があって多くの人が出入りしていた。
私もコレを見に来た。70_2ココに展示されているモノといえば…
ハイ、またエニグマ暗号機。

80vコレはずいぶん程度がいいね。90_2目盛りが数字になっているローター。

100_2エニグマのローターはしまいには5枚使いにグレードアップした。

110_2アルファベットを根こそぎ入れ替えてしまうプラグボード。
3枚のローターに比べ、組み合わせが多岐にわたるこのプラグボードこそ暗号の生成を複雑にしているのだが、ただの文字を入れ替えているだけの構造なので頻度分析で比較的簡単に解読できてしまうのだそうだ。
やはりエニグマの主役はローターなのだ。

120_2見ての通り真空管。
この時代、真空管は電気機器の大スターだった。

125ドイツ軍のエニグマの初期設定のコードブック。
ローターの番号と向き、初めにセットするアルファベット、プラグボードで入れ替える2つのアルファベットのペアが日替わりでひと月分明記されている。

130_2そして、いよいよ登場したのがコレ。
エニグマ暗号を解き明かした機械、「The Bombe(ザ・ボンベ)」。
初めて聞いた時「変な名前だな~、'ボム'の間違いじゃないの?」と思ったのだが、「ボンベ」でいいの。
最初にエニグマ解読の風穴を開けたのはポーランドのマリアン・レイェフスキという人なんだけど、そのポーランドで使われていたマシンを「The Bomba」といった。
それに敬意を表して「Bombe」という名前を付けたらしい。
160_2コレ、『イミテーション・ゲーム』の中でも盛んに出て来るでしょう?
どういう仕組みになっているのか、いくらその手の本を読んでもピンと来なかったんだけど、3段になっているひとつひとつがローターに対応していて、とにかく電気信号を利用して総当たりでエニグマのローターの初期設定を突き止める…みたいな働きのハズ。
だから「グーグル翻訳」みたいにコレ自体が暗号を解いて、普通の文章に変換してくれるワケではなくて、ジーコ、ジーコと動かしてエニグマの初期設定を格段に突き止めやすくしてくれる。
初期設定さえわかれば、さっき書いた通りプラグボードは頻度分析で解析できるので、手元に同じエニグマ機がありさえすれば暗号が解読できる。
 
ところで、この機械、すごくキレイでしょ?
コレが活躍したのは80年も前のことなのよ。
そんな昔のモノがこんなにピッカピカなワケがない。
そう、残念ながらコレはレプリカなの。
この辺りの話は次回やります。

140_2こういうモノにはつきもののシミュレーションの展示。

170_2アラン・チューリングのスゴイところは、暗号を解いたことではなくて(実際にはレイェフスキがすでに解読していた)、機械が作った暗号を機械に解読させたということなんだって。
コレが今のコンピューターにつながっているんですよ。

180_2コレは映画の中にも出て来るけど、当時イギリスが困っていたのは、ドイツの潜水艦司令長官カール・デーニッツが考え出した作戦によって大西洋航路のアメリカからの物資の補給路を完全に断たれていたことだった。
大西洋をマス目に区切って場所を特定し、複数の潜水艦で寄ってたかって輸送船をイジめちゃう。
エニグマ暗号を解読していれば潜水艦の位置を突き止めることができるので、輸送船はそれを避けて航海することができた。
ところが、先回りばかりをしていると、イギリスがエニグマの解読に成功したことがバレてしまい、ドイツ軍が暗号の難度を上げてしまう恐れがあったので時々故意にヤラれてやったらしい。
映画ではスタッフの1人のお兄さんが輸送船に乗っていて見殺しにしなければならないシーンが出て来るが、実際にチャーチルはドイツ軍の空爆の確かな情報をつかんでいながら、どこかの街をワザと空襲させたことがあったらしい。
多分住民にも知らせなかったんだろうナァ。
だって住民の中にスパイがいたら一発だもん。

190_2誠に勝手ながら、ボンベのホンモノが展示してあるものとばっかり思っていたのでナンカ狐につままれた感じでHUT11から出て来た。

200_2HUTの他にも「BLOCK」と呼ばれているエリアがあるけど、展示物はほとんどなかった。

11_0r4a0110 「D」のオブジェ。
イギリスでは6月6日になると「D」を祝う。
この「D」は「D-Day」、すなわちノルマンディ上陸作戦が決行された日。
私、偶然にも2012年以降の6月6日は3回ほどにロンドンに滞在しているんだけど、向こうではそこら中でこの日を祝っちゃう。
今年もfacebookでガンガンやってた。
ドイツ占領下のフランス。
連合軍がカレーに上陸すると見せかけておいて、ノルマンディに上陸したといういわゆる「史上最大の作戦」…要するにダマし討ち。
さっきの「Double Cross」ですな。
この作戦を成功に導いたのがブレッチリ―・パークが発した情報だった。
だから、アラン・チューリングは戦争の終結を少なくとも2年早めたと言われているワケ。
そして、今度イギリスの最高額紙幣の£50札の顔になる。
11_0r4a0112日本は渋沢栄一か…。
城山三郎が書いた渋沢の伝記『雄気堂々』っての…上下巻読むのにエラく苦労したっけナァ。Ud ビデオを上映している部屋もあった。
第一次世界大戦で活躍した伝書バトのビデオがかかっていた。

230_2最後に…HUT8。11_0r4a0120後のアラン・チューリングのオフィス。

250_2ドイツ軍はその後、さらに複雑な暗号を作り出す「ロレンツ」という機械を開発したが、イギリス軍はチューリングの技術をもってしてそれも解読に成功している。