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イギリス‐ロック名所めぐり Feed

2020年8月 5日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 50 ~変わりゆくロンドン<その2>ソーホーあたり

 

昨年、ロンドンの街を歩いていてやたらと目についたのが工事現場。
も~、アッチコッチで立て直しの工事をやっていた。
変わりゆく~!

10古い建物を復元するワケでもなかろう。
きっと従前とはガラリと変わってモダンなビルが立ち、味も素っ気もない東京の街のように近づいていくのだろうか?
そういうことを考えると「Listed Building」という歴史的な建物の保存義務を規定した条例は実に意義深いことだと思う。
しかし、いくら古いモノを大切にすると言われているイギリス人でも上下水道や冷暖房の効率化、建物自体の利便性を考慮すれば近代的な建物の方がいいにキマってるわな。
大分前にMarshallの友達が家を買って、私を招待してくれたことがあった。
彼の家は、伝統的なイギリスの建造物に似せたレンガづくりの重厚な外観の集合住宅で、中は最新の設備が備え付けられたモダンな仕様になっていた。
そこで、私は彼に尋ねた。
「こういうモダンな住まいと歴史的な家とでは、どちらが人気があるの?」と。
彼の答えは…庭付きのクラシックな家に住むことはひとつのステイタスだから、できれば築100年、200年の家に住みたいとみんな思っている。
若い人ほどそういう傾向があるとも言った。
ところが、リフォームに莫大な費用がかかることに加え、いくら修繕を加えても次から次へと設備の不都合が出て来て、経済的に大変な負担を背負い込むことが少なくなく、敬遠せざるを得ないという。
何せそれまでテムズ川にタレ流していた下水を下流に流す工事に着手したのが1855年、すなわち165年も前のこと。
その下水道を今でもそのまま使っているとは思わないが、全般的にかなり老朽化が進んでいることは間違いないだろう。20しかしコレ、どの現場もオモシロイの。
自立できないワケではないんだろうけど、ピッタリと棟続きで建てちゃうもんだから、歯抜けになると心もとないのか、こうして支保工を入れて隣接の構造物の倒壊を防いでいる。
見事な「ご近所付き合い」だ。
この下は工事をしているワケではないんだろうけど。
30vココは18年前に初めて来た時から変わらない名門ジャズ・クラブ「Ronnie Scott's」。

40でも高齢化が進んで久しいジャズ界にあっては、出演者の面々は相当変化があってもおかしくない…と、去年の6月のスケジュールを見てみると、お~、シェップが出てる!
Archie Sheppは観たいな~。
Airto MoreiraとFlora Purim夫妻もご健在のようだ。
その昔、Retuen Foreverが来日した時、記者会見でブラジル人のAirto Moreira(アイアート・モレイラ)がファースト・ネームの読み方を訊かれて無言でこう答えた。
彼は慣れた手つきで自分の目、耳、そしてつま先を指した。
「Eye, ear toe」ということ。
ウマい!
きっと年がら年中尋ねられていたんだろうね。

11_img_9759_2 コレはウチにある最も古いRonnie Scott's の写真。
2009年に撮ったもの。
ゼンゼン今と変わらない感じ。

11_img_0036ハハハ、上の階では改装工事をしてら。

11_img_0037「Ronnie Scott」というと、今では結果的にライブハウスのオヤジ…ということになるが、元々は1950年代の後半に活動したジャズ・サキソフォニスト。
イギリスのテナーの巨匠、Tubby Hayesと組んで『The Couriers of Jazz』なんてコンボをやっていた。
そして、1959年に「Ronnie Scott's」を開店した。
確か最初は今とは違う場所にあったんじゃないかな?
Tubby Hayesはカッコいいよ~。
Alan Holdsworthと演っていたGordon BeckなんかはTubbyのコンボの出身だ。
ちなみに「courier」というのは本来「案内人」とか「添乗員」とかいう意味だけど、今では「宅急便」という意味でこの単語を使っている。
43cdこの時はロニー・スコッツを借り切ってのClass5の発表会だった。
私は期せずしてロニー・スコッツに入れるのがうれしくてね~。
ロンドンに行くたびに店の前で出演者を確認するんだけど、観たいアーティストが出演していた試しがなくて、それより以前にロニー・スコッツには入ったことがなかったのだ。
 
このClass5、やっぱりいいアンプでサ。
チョット前に発見したんだけど、フルアコをつないで歪まない程度にボリュームを上げて弾くと、もうタマらん!
もう「ベルベット・サウンド」っての?
「ビロード」のような音?
日暮里に行ってもなかなかコレほど上質なベルベットを見つけるのはムズかしい。
実際、全国的に有名な日暮里繊維街でもベルベットだのビロードってあんまり沢山扱ってないんだよね。
ちなみにジーパンのEDWINは日暮里の出身です。

で、このClass5、ギターのクォリティが2ランク上がったかのように鳴らしてくれる。
やっぱりギターの音はアンプだね。
そして、真空管だよ。
デジタル技術の隆盛でギター・アンプの勢力図がおかしなことになって久しいが、やっぱりね、いいモノは変わりゆかないよ。
最後まで残る。
 

C5 
この時、我々Marshallチームは工場から50人乗りぐらいの大型バスでロンドンに向かった。
そんな大きなバスを店の前につけることはできないので、最寄りの大通りであるシャフツベリー・アベニューに停めざるを得ない。
「大通り」と言ってもせまいロンドンの中心地だからして車線は2つしかない。
しかも世界の演劇の中心地でもある観光のメッカだからしてビジターがウジャウジャだ。
そんなところに大型車両を停めたりしたら大渋滞を誘発してしまうので、条例か何かで「停車は上限2分」と決められているのだそうだ。
30人はバスに乗っていたであろうか?
それだけの人数をたった2分でバスから下車させられるワケない。
この時の運転手さんがスゴかった。
バスが停車した途端、運転席から後ろを振り向いて「Get off!  Het Off!!  Hurry, hurry, hurry! Hurry up!! Get O~~ff!  ゲ~ットオ~フ!!」と絶叫し出したのだ。
もう形相が恐ろしくもあり、可笑しくもあり…とにかく大絶叫!
もちろん2分で全員がバスから出て来れるワケもなく、10分ぐらいは停車していたかな?
幸い、違反切符は切られていないようだった。Img_0045店の中はこんな感じ。

11_img_0042この時はJoe Bonamassaがヘッドライナーを務めた。

11_img_0078お土産で傘を買ったんだけどアレ、どうしたかナァ?

45真向いにあるビルにブルー・プラークが付いている。50v1764~65年までモーツァルトはココに住んでいたっていうんだよね。
ヴォルフガングが8歳の時のこと。
前年の4月にツアーに出たモーツァルト一家、1764年の4月にロンドンに到着するやいなやバッキンガム宮殿で時の国王ジョージ3世に謁見。
最初はココではなく、トラファルガー広場の近くの床屋に2階に部屋を借りていた。
ロンドンはすっかりモーツァルト・フィーバー(←なつかしい言葉!)!
そして、コンサートをすればヴォルフガングは3時間で100ギニーを稼ぎ出したという。
コレ、おとっつぁんのレオポルドの8年分の収入に等しい額だったという。
オヤジ、ウハウハだわな。
その後、オヤジが身体を悪くしてチェルシーに移動。
回復したところで、ココに移り住んだ。
ヴォルフィーはロンドンにいる間に『交響曲第1番』の他、43の『ロンドン小曲集』等を作ったとされている。
60sロニー・スコッツからすぐ近くの「Greek Street(グリーク・ストリート)」にある「The Coach and Horses(コーチ&ホーセズ)」というパブ。
「ウエスト・エンドで最も有名なパブ」と自ら謳っている。
18世紀からこの場所にパブがあって、今のこのビルは19世紀に建てられ「Grade II」に指定されている。

11_img_9770以前にも何度もこの前を通っていて珍しくもナントもないんだけど、そこに掲げられていた看板がフト目に入った。

70コレ。

80v「アサヒ」というのは「ウンコ」でおなじみの「アサヒビール」のことね。11_2ab「STOP FULLERS」の「FULLERS」とは…コレ。

11_img_1787イギリスに来ると恐らく最初に覚えるであろうエールの銘柄のひとつ「London Pride」を醸造している会社。
 

Lp
コレは以前ハマースミスのホテルを定宿にしている時、早朝に散歩をしていて出くわしたフラーズの醸造所。
11_img_1781コレが滅法クサイ。
ホップを蒸すんだか、煮るんだかする時のニオイなのだそうだ。
ホテルに帰って受付の若い女性に「Fuller'sの醸造所に行って来た」と伝え、「ナニあれ?激クサじゃん!」と言おうとすると彼女はすかさず、「アラ!とてもいい香りだったでしょ?あの香りはハマースミスに住んでいる私たちの自慢なのよ!」と言われ、とても「クサイ」だなんて言えなくなってしまった。
「クサイ」と言うか、とにかく人生で一度も経験したことがない得体の知れないニオイなのね。
ま、クサイわ。

11_img_1786この1845年創業の由緒あるエールのブランドが変わっちゃったのよ~!
2019年、アサヒビールがフラーズを買収しちゃった。
そこでさっきの看板をもう1回見てみる。

11_img_1785「STOP FULLERS」というのは「フラーズを止めて!」ということ。
フラーズはこの場所の借地権保有者で、「もう借地契約を更新しない」とパブの経営者を脅かしているというワケ。
それで、フラーズを買収したアサヒビールに「フラーズの愚行」を止めさせてこの歴史あるパブを助けて!…と訴えているワケ。
The Coarch and Horsesはヴィーガン向けのパブとして、またコックニー・スタイルのパブをリバイバルさせた店としてそれなりの成功を収めている。

80vそして、このパブの内装が『Jeffery Bernard is Unwell』という芝居のセットにそのまま再現されたということで有名なのだそうだ。
この芝居、オリジナル・キャストのひとりはピーター・オトゥールだったという。
『アラビアのロレンス』でT.E.ロレンスを演じた人ね。
イギリスを代表する名優。
Jbu『ロレンス』もいいんだけど、私はこの『マーフィの戦い(Murphy's War)』という作品が大好きだった。
もう小学校の時から観てないけど…。
11_2murphyその後、どうなったか確かなことはわからないが、フラーズのウェブサイトを見るとこのパブが載っているので、恐らくは元の鞘に収まって、変わりゆかなかったのだろう。
めでたし、めでたし。
今度ソーホーに行ったらエールを飲みに行ってみよう。

11_img_9769その近くで出くわした黒人のストリート・ミュージシャン。
もうホンモノのブルースのムード満点!
カッコいい!90ところが…メッチャ、ギターヘタでやがんの!
何しろ抑えたコードの音のいくつか出てないの。
ブチブチブチ!みたいな。

100vまた「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
この辺りにイタリア料理の惣菜屋があって一度買って食べてみたことがあったが、美味しかったな。
ケーキもスゴクおいしかった。

105せっかくすぐ近くまで来たので一応様子を見に来た。110v_2元Marqueeの2号店。
ココは何の変りもなし。
ヨカッタ。

120「Brewer Street(ブリュワー・ストリート)」はウォード―・ストリートから「Glasshouse Street(グラスハウス・ストリート)」までを結ぶソーホー地区を象徴する通りのひとつ。
「Brewer」なんて、昔ココに醸造所でもあったのだろうか?
調べたけどわからなかった。
色んな店が立ち並ぶが、一番目を惹くのは風俗方面の店舗だろう。
近くにはドアの入り口に露出度の高い服を身にまとったお姉さんが立っていて、「チョイとそこ行くお兄さん」と声をかけてくれる店もチラホラ。
かつて、その手の店の値段を現地の友人に尋ねたことがあるが、だいたい「座って30,000円」ぐらいの感覚ではないか?と言っていた。
コレはもう大分の話で、その頃は1ポンドが230円ぐらいだったので今では格段にお得になっているハズだ。350この緑色の本屋はチェーン店でこの辺りに何軒か店舗を構えている。
1階が新古本屋で、売れ残った新品の本を8~9割引きで販売している。
レジにいるのはいつも東欧系の人。
地下はポルノ・ショップ。
ま、地下の商品の売上げが屋台骨なんだろうな。
でも、うれしいことに1階は音楽や映画の本の在庫が充実していて、私も行く度にココを覗くのを楽しみにしている。
ロンドンにはそういう新古本屋がいくつかあって、すごくうらやましい。
オマケがゴチョゴチョ付いているThe Whoの本や色々な写真集、他にも辞書の類を結構買った。
それでも、私が知っているだけで、ここ数年の間にもう3、4店は廃業していて寂しい限りだ。
そういうところも「変わりゆく」なの。
この本屋の横の路地を抜けると…

360「Berwick Street(バーウィック・ストリート)」に入る。

365変わりゆく~!
ココはいつもこうしてチョットしたマーケットが立っている。
それは変わらないんだけど、左側の工事しているビルね。

370以前は中古レコード屋が何軒か入っていて、中を覗くのが楽しみだった。
いいモノはなかったけど、やっぱりうれしいじゃん?、ロンドンで中古レコードなんて。
400この写真の右側にあるビルぐらいだったのかナァ。
1階から5階ぐらいまで窓が開けっぱなしになっていて、中の様子が丸見えだったのね。
アレは何時ぐらいだったんだろう…調べてみよう。
ーーー間ーーー
よく知られている通り、イスラム教徒は1日に5回の礼拝の義務がある。
ファジュル(夜明け)、ズフル(正午過ぎ)、アスル(午後)、マグリブ(日没後)イシャー(夜)の5回。
だから、アレは「アスル」だったハズ。
ビルの中から数人の男性がゾロゾロっと通りに出て来て、マットを敷いてその上に座る。
何かの合図があったのだろうか、外のマットの上の人たちをはじめ、ビルの1階から5階の人たちまで全員が一斉に同じ方向を向いて一糸乱れぬ仕草で礼拝を始めたのだ。
アレは圧巻だった。
それを見て感動していたのは私だけだった。
ヒースロー空港には祈祷や礼拝のための部屋があるし、ニューヨークからロサンゼルスに向かった時には飛行機の中でそうした儀式を執り行う夫婦を見たこともある。
そんなシーンを日本で見た経験はない。
そういう時、日本ってのはホントに世界から遠いところにあるんだな~と思うワケ。

380この時、特に歌が聞こえてきた記憶はないが、いいんですよ…イスラム教の経典「コーラン」を歌うように読誦する「クルアーン」。
「微分音階」という半音を9つにまで細分して音程を取る超絶技巧がとにかくトリハダもの。
「クルアーン」とは「コーラン」のことね。
このCDはおススメです。

Photoこんな花屋のスタンドなんてのは雰囲気があっていいね。390どんな風に改装されるんだろう…変わりゆくな~。410バーウィック・ストリートをジャンジャン進むと出て来るのがこのピザ屋。
「JAZZ@PIZZA EXPRESS」という看板通り、地下がジャズのライブハウスになっている。
以前、元Soft MachineのJohn Etherridgeが出ていて、観れずに大変悔しい思いをした。
そして、ココで録音したライブ・アルバムがあるのを後から知って喜んでゲット。
期待して聴いてみたら大したことなくてエサ―リッジを見れなかった悔しさは消え失せた。

420階下から演奏している音が漏れ聞こえてくる。
日曜なのでマチネーがあるようだ。
おお~、メッチャうまいブルース・ギター!
誰かと思ってスケジュールを見てみると…Bernie Marsdenだった。

430vハイ、これで今来た道をもどる。
するとこういう景色になる。440例のコレね。

450cd_2ブリュワー通りに向かってドンドン戻る。

460「Reckless Records(レックレス・レコーズ)」は有名なレコード屋さん。
この辺りは以前まだもう少しレコード屋さんがあったんだけどな。
ArgentのCDを買った店はどこだったっけか?

470もう1軒。

480v「Sister Ray(シスター・レイ)」というお店。
ん?…この看板。
レコード盤のイラストかと思っていたら、コレ、それだけじゃなくて「Hit the mark」になっているんだ。
「標的に当たる」という意味。
つまり、「ウチの店なら探していたモノが見つかりますよ!」ということを表しているに違いない。

490何回か入ったことはあるけど、ナニか買ったことはないナァ。
実は今回、このお店の3階が大きく変わったのです。
それは…500vこんな感じ。510ココ、Marshall Recordsの新しい事務所なのだ!

7_mr

520vコレらはまだ引っ越し中の写真なんだけど、今はもうココで仕事をしている。

530vイヤ~、比較的ロンドンに来るたびに前を通りかかっていたおなじものビルに身内が引っ越して来るなんて実にうれしいナ。
次回ロンドンに行った時にお邪魔するのがすごく楽しみだ!
変わりゆくな~。

550<つづく> 
 
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200_3

2020年7月30日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.49~変わりゆくロンドン <その1>

毎度毎度、古臭い映画を引き合いに出して恐縮なんだけど、観たことある?
ジーン・ケリーの『踊る大紐育(On the Town)』。1949年のアメリカ映画。
「紐育」は「ニューヨーク」のことね。
24時間だけ上陸許可が与えられた水兵3人がニューヨーク見物をしたり、ステキな彼女を見つけようと奮闘するミュージカル・コメディ。
ま、実はどうもシックリ来なくてあんまり好きな作品ではないんだけど、見るたびに自分自身を思い出しちゃってね。
「ステキな彼女」を見つけるジーン・ケリーの方じゃないよ。
24時間でニューヨークの名所をすべて見て歩こうというフランク・シナトラ扮する「チップ」の方。
初めてロンドンに行った時のこと…まさに1日でロンドンをすべて見て歩こうと大いに欲張った。
まさかその後30回も行くことになろうなんて思いわないからね。
それで、「ココへ行った」、「アソコも行った」とMarshallの連中に話をしたら「足は大丈夫なのか?」とかなり驚かれたことがあった。
モモがパンパンになったけど、どうってことはなかった。
20年近く前の話…今ではもう出来んね。
10v『踊る大紐育』の音楽の一部はレナード・バーンスタイン。
その中に「Come up to my Place」という曲がある。
ニューヨークを観光したがっているチップ一目ぼれしてしまったタクシー・ドライバーのヒルディが、観光なんていいから「Come up to my place(ウチにおいでよ)」と逆ナンパをするコミカルな1曲。
チップはお父さんから「ニューヨークの必見」を吹き込まれていて、「水族館」や「ウールワース・タワー」等、行きたい先を告げるが、ヒルディがそれを聞くたびにビックリして何度も急ブレーキを踏んでしまう。
「そんなモノはとっくの昔になくなっちゃったわよ!そんなことよりウチにいらっしゃいよ、ウフン」というワケ。
すると、急ブレーキでガックリしながらシナトラは「Hey what did you stop for?(ちょっと!ナンで車を止めるの?)」とヒルディに尋ねる。
そして、急ブレーキを踏むたびに「Hey what for did you stop?」、「Did you stop for what, hey?」、「Did you stop for hey what?」と英語がドンドンおかしくなってくるところ最高におかしい。
そんなシーン。
「ウールワース・タワー」は1930年まで世界で最も高いビルだった。
施主の実業家フランク・ウールワースはその建設費用を現金で支払った話は有名。
ウールワース・タワーの高さを抜いたのは「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」のビル。
それに負けじとテッペンに尖塔を乗っけて高さ世界一の座を獲得したのがあの「クライスラー・ビル」。
そして、「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」ビルの現在の持ち主はドナルド・トランプだ。
 
さて、そんな「ニューヨークの必見」リストに出て来るひとつが「Hippodrome(ヒッポドローム)」。
ヒッポドロームというのは、「戦車レース」を開催する競技場のことなのね。、
映画『ベンハー』でジュダ・ベンハーとメッサラーがヤルかヤラれるかの手に汗握る戦いを展開するアレ。
何かインターネットから画像を借りようと思って検索したところ、すぐに目に飛び込んで来たのがコレ。
ビックリしたわ~。
この絵、去年マンチェスターの美術館でホンモノを見たのよ、偶然。
実物はすごく大きくて、音が聞こえてくるようなものスゴイ迫力だった。

11_cr もちろんニューヨークにそんな物騒なモノがあったワケがない。
ニューヨークの「Hippodrome」というのは5,000人を収容する大劇場の名前。
6番街の43丁目だから、グランド・セントラル駅とかクライスラー・ビルの辺りにこんなモノがあった。
1939年に解体したというから、この映画のたった10年前。
「ニューヨークの10年」は時の流れが早いということなのかな?
久しぶりにニューヨーク行きたいね。Hippo さて、ところ変わって我がロンドン。
このレスター・スクエアの端、チャリング・クロス・ロードに面した角にあるこの茶色い建物。

20「Hippodrome」という。
過去「ヒッポドローム」と名付けられた劇場やホールがたくさんあったが、『踊る大紐育』のようにみんな無くなってしまい、このヒッポドロームは今でも残っている数少ないウチのひとつ。
1900年の開業で元は劇場だった。
セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが、1919年に『白鳥の湖』をイギリスで初演したのがココだったという。
その後、1950年代にはナイトクラブになり、スゴイよ、もうありとあらゆるジャズ系の超ビッグネームが出演している。
やっぱりロンドンはスゴイ。
その後、紆余曲折があったが、2012年、ボリス・ジョンソンロンドン市長の下、カジノになって現在に至っている。
チャイコフスキーがしまいにはゲーセンになちゃった。

30…と、今回からこうして変わっていくロンドンを自分なりに観察したレポートを掲載する。
私なんか初めてロンドンに行ってからたった18年しか経っていないし、3週間以上滞在したこともない。
「そんなロンドンに住んだこともないヤツにナニがわかる?」と言われても仕方ない。
しかし、東京に住んでいてもスカイツリーの展望台に上がったことのない人はゴマンといるだろう。
私はロンドン・アイに乗ったよ。
タマに行くからこそ、色んなモノが見えてくる。
そして、見えてくるモノはいつでも興味深く、オモシロイものばかりだ。
住んでいたらこうはいかないだろう。
住めば「都」にはなるが、「都」には負の側面もたくさんあるハズなのだ。
そりゃ地下鉄でクレジットカードの入った財布をスラれたこともあるし、昨年は右膝の激痛に涙を流しながらヘコヘコ歩いたりもした。
でもいつもワクワク・ドキドキの旅になるのがロンドン。
そんな我が愛する街のチョットした移り変わりをお楽しみあれ。

11_0r4a0005まずはコレ。
もう何度もMarshall Blogに登場しているバタシー発電所。
バタシーがマーブロに出て来るたびに書いているけど、私は『The Wall』までのアルバムは全部持ってはいるんだけど、特段Pink Floydのファンではないのね。
ところで、Pink Floydの出身でどこだか知ってる?
ロンドンじゃないよ。
彼らはケンブリッジから出て来たバンドで、ケンブリッジの人にとってPink Floydは大学と並ぶ自慢のタネなんだって。
イギリス人とロックの話をする時は「あのバンドは〇〇出身」ということを頭に入れて臨んで置いた方がオモシロい。
日本人の力士か高校野球みたいなもんだね。
で、Pink Floudにお熱でなくても私はHipnosisの大ファンではあるからして、2005年に初めて電車の中から見た時は感動したね~。

55cdコレがその時の写真。
カンタベリーへ行く時に撮った。

Rimg0192ヴィクトリア駅を離れ、テムズ川を渡ってすぐにその姿が見えたので慌ててカメラを取り出してシャッターを切った。(この頃はまだ写真をやっていなかったのでこんな出来になっています)

Rimg0188「デケェ~!」と大興奮!

Rimg0182完全に廃墟。
85そして、いつかココに来て、直にその威容を目に入れようと決心した。

Rimg0179その4年後の2009年。
やって来た。
「Battersea Park(バタシー・パーク)」の駅に降り立ったところ。
さっそく煙突が見えた時はうれしかった。40建物のサイズが超デカいので、近くに見えても思っていたより歩く。
子供たちが書いたバタシー発電所の絵なんてのがズラリと壁に貼ってあったんだけど、写真を撮っておけばヨカッタな。50バタシー発電所は以前にもやっているので、今回は歴史だのナンダのは省略。
でもチョコっとだけ…このバタシー発電所を設計した人のことを。
コレはやってないでしょう?
前にも出してるかな?…Giles Gilbert Scott(ジャイルズ・ギルバート・スコット)という人。

65この人、ジギー・スターダストじゃないけど、皆さんにもおなじみであろう、ロンドンの赤い電話ボックスはこのスコットさんのデザインなのだ。
このデザインは見事に変わらないね。

66それとコレ。
コレはテムズ川沿い、ちょうどセント・ポール大聖堂の向かいにある、現在は「Tate Modern(テイト・モダン)」という近代美術をコレクションしている美術館。
元は「Bankside Power Station(バンクサイド)」という発電所だった。
こんな街中にバタシーとバンクサイドという2つの巨大な石炭火力発電所があったなんてあまりにもスゴイ。
しかも1981年まで稼働していたというんだから驚く。
コレもジャイルズ・ギルバート・スコットの設計。
この美術館、とてもいいですよ。
ロンドンに行ってテムズ川沿いウォーキングをするチャンスがあれば面倒がらずに寄ってみるといいです。67さらに、テイト・モダンを少しさかのぼったところに架かっている橋。
「Waterloo Bridge(ウォータールー橋)」は映画『哀愁』の舞台になったり、The Kinksの必殺の名曲「Waterloo Sunset」でRay Daviesが美しい夕日を歌っているとされている場所(この近くの「セント・トーマス病院」という説もあり)。

11_img_0440コレもスコットさんの設計だっていうんだよ。

11_img_0441さらに!
「イギリス三大大聖堂」ってナニか知ってる?
そもそも「三大」をキメたがるのは日本人のクセなので、イギリス本国には「三大」も「番台」もないと思うんだけど、ナニかの本で読んだところによると、一応その答えは、「カンタベリー、ヨーク、リバプール」だっていうのね。
そのリバプール大聖堂を設計したのもスコットさん。
私、偶然にもこの3つの大聖堂に行ったことがあるんだけど、このリバプールのヤツは新しいだけあってかなり異質だった。
もうリバプールへ行ったのも15年も前のことだわ。
リバプールの人をアダ名で「Scouser(スコ―サー)」という。
ジョンもポールもスコ―サーだ。
11_rimg0355このスコット家、ジャイルズのお父さんがまたスゴイときてる。
George Gilbert Scott Jr.(ジョージ・ギルバート・スコット・ジュニア)という人で、「St. Pancras Station(セント・パンクラス駅)」を設計している。68タマには上の方から…。
この写真どこから撮ったんだっけかナァ。
ズ~っと工事をしていたけど最近完成して、かつてはウォータールー駅だったユーロスターの発着駅が線とパンクラスに移動して来た。
変わりゆくな~。
電車でパリに行くには今はココから。

11_rimg0319それとロイヤル・アルバート・ホールの向かいにあるアルバート公(ヴィクトリア女王の旦那)をかたどった「Albert Memorial(アルバート記念碑)」もお父さんの作品。
69vさて、バタシー。
2009年に来た時はグルリと発電所の周りを歩いてみた。
中に入りたくて係のオジさんに頼んでみたけど、当然NG。
70
この辺り…実はクサイ。
生ゴミのニオイでかなりクサイ。
近くにゴミ処理の工場があるのだろう。
それと生コン屋。
生コン屋はもちろんクサくない。
奥のセメント・サイロがデカい。300t以上はあるかな?
その割にはミキサー棟がすごく低いのが気になる。
恐らく強制ミキサーが設置されているんだろうけど、この高さだと計量ビンを設置するスペースがないハズだ。
外で計量して材料をミキサーに送り込む方式なのだろうか?
イヤ、そんなことはどうでもよくて、ゴミ処理場に生コン屋…あのロンドン・タウンからテムズ川を隔てただけの場所にこうした設備があることが信じられない。
逆に言うと、ココがいかにロンドンの外れかということがわかる。
昔の島原とか吉原みたいなもんですな。
要するに人里から離れていた、ということ。80vこうして見ると確かにそんな雰囲気ではあるでしょ?

180今、煙突は4本立っているけど、そもそもは2本だった。
そして、同じ形のものを建て増しして4本体制になったんよ。86そして、6年後の2015年。
あ~、煙突が1本ない!90とうとう再開発の工事が始まり、煙突を取り外して修繕をしてまた取り付けるのだとか…この時はそんな話を聞いた。

110外装を残しつつの大改装工事。
100周囲も大掛かりな工事を実施してこんな感じになっていくらしい。
変わりゆくな~。120そしてしまいにはマンションが立ち並んでこうなるんだとか…。
コレは計画案のひとつなのだろうが、こんなことをしたら電車の中から発電所が見えなくなっちゃうね。
こんなんじゃブタも飛んで来れないね。

130vすぐ近くには「バタシー公園」といういい公園があるし、ロンドン・ヴィクトリア駅まではひと駅だし、住み心地はいいかも知れない。

135発電所建屋の中もこうなるんだとか…。
170そして煙突。
何と言ってもバタシーのアイコンですからね。

140vオイオイオイオイオイ、それがこんな展望台になるっていうじゃんよ!150なんかイヤだナァ。
コレは変わりゆきすぎだろ~!
残念ながら去年はバタシーに近寄る機会がなかったので、最近の状態はわからないが、工事も進んで大分様子が変わったことだろう。

160ヤッパリ、オールドなロック・ファンとしてはこういうイメージでいて欲しんだよね。
実際には煙突から煙が出ている所を見たワケじゃないけど…。
バタシーどころか、最近じゃ銭湯の煙突から煙が出ているのも見てないもんな~。
コレはみなさんご存知のThe Whoの『Quadrophenia』のブックレットの写真ね。 

163同じブックレットに載っているのは「Hammersmith Odeon」の写真。164ココは名前がガンガン変わって来たけど、外から見ている分にはそう変化はない。
ま、ここのところハマースミスには行ってないけど。
今は「Eventim Apollo」っていう名前になっているのかな?…変な名前。
Eventimというのは現在この会場を運営しているドイツのブレーメンに本拠地を置く「CTS Eventim AG & Co. KGaA」というイベント会社の名前から来ている。

165ほぼ原形を間近で見ておいてヨカッタわ~。
でも再開発工事が完成したら絶対見にいくけどね。
…ということで「変わりゆく」トップバッターはバタシー発電所でした。

60さて、場所はいきなりウエスト・エンドに飛ぶ。
ロンドンの街を歩いていると、よくこういう先生に引率された小学生の団体を見かけるんだよね。
日本では幼稚園とか保育園が多いけど、ロンドンは小学生。
みんなで美術館や博物館や大聖堂に出かけて自分の国がいかにスゴイかということを学ぶ。
スゴイよね、ロゼッタ・ストーンからゴッホの「ひまわり」からフェルメールからエジプトのミイラまで、子供の頃から無料で体験できるんだから。
同じ人間に生まれて不公平だっちゅーの。
日本もとても素晴らしい国…というより国民なんだけど、民主主義と戦争と芸術を学校でミッチリ教えないのが「タマに大キズ」だと思う。
225さて、街中がエラく変わったのよ。
恐らくイギリスの人は気が付かないかも知れない。
何が変わったのかというと、そこら中に日本関係の食べもの屋が増えたんだよね。
このシャフツベリーにもホラ…「SHIBUYA」だって。
ホーチミンで出くわした「ASAKUSA」にもマイったけど、ロンドンくんだりまで来て「渋谷」はイヤだな。

240店先にはこんなサインが…。

250寿司、うなぎ、うどん、カツカレー、海鮮丼…デパートの食堂みたいにナンでも揃ってる。
この食品サンプル、まさか合羽橋で揃えたのかな?
こういうタイプのお店は昔から何軒かあったけど、富に増えた。
私も以前は滞在中にどうしても日本の食事が恋しくなるとこういう所に食べに来ていたが、今は絶対にしないようにしている。
どんなに苦しくても現地の食べものを摂るように努めている。
理由は特にないんだけど、やっぱりどうしても割高だし、オモシロ味がないでしょ?

260コレは2015年にカーナビ―・ストリートに行った時の写真。
上野に餃子で有名な「昇龍」というお店があって、それと同じ名前だったので一瞬ギクっとしたが、コチラさんは豚骨ラーメン。
まだお店は開店の準備段階だった。270それがアータ、今回はソーホーやらマンチェスターでもやたらと昇龍を見かけてビックリ!
当たったね~。
私は豚骨ラーメンをほぼ全く食べない醤油アッサリ派なんだけど、この豚骨テイストはイギリス人の舌にマッチするんだネェ。
煮干しはダメかナァ?
290コチラはマンチェスターのお店。

130_2 シャフツベリーにもう1軒トンコツ。
博多勢強し!

320ココなんかその名もズバリ「ラーメンバー トンコツ」と来たもんだ!
いくらぐらいだと思う?
お店によって幅があるけど、調べてみると普通のラーメン1杯で今の為替レートで1,300円から1,800円ぐらい。
餃子は安くて560円、高くて1,200円ぐらいか。
Marshallの友達がテムズ川南岸にあるお好み焼き屋に行って「1枚3,000円ぐらいだった」と言っていたのを見るところラーメンはかなり割安か?
現地にお住まいの方々は安く日本の食材を手にいれる方法をご存知なんだろうけど、我々のようなビジターがソーホー当たりの日本食材店に入って値段を見た感じでは、だいたい日本の3倍。
高くて4倍といったイメージかな?

280「Hyotan(ひょうたん)」というお店。
コレは「Margaret Street(マーガレット・ストリート)」というオックスフォード・サーカスにほど近いお店。
看板には「Japanese Food Hall」なんて書いてある。
一軒はさんでその向かって右に「47-50」というサインが出ているところがあるでしょ?
ココがスゴイ。
今回はスキップするけど、トラディショナルなロックに詳しい人ならヨダレがでること間違いなし…のロック名所。
私はヨダレだらだらです。
近い将来、他の回でご紹介します。

11_img_9950これもウォード―・ストリートにあるうどん屋さん。
以前テレビで留学中のウエンツ瑛士さんが「行きつけの店」と紹介していた。325vコレはフォー屋。
日本料理ではないけど、フォーが好きなもんで出しておいた。
私の中では、フォーは食べても許されるルールになっています。
でも絶対にパクチーはゴメンだぜ。
「ノー・コリアンダー・プリーズ!」330v「KAPPA」という日本料理店。
コレはアールズ・コートで見かけた店。

300v何しろ今はMarshallのあるミルトン・キーンズの「Wolverton(ウルヴァ―トン)」というところにも「AKASAKA」という日本食のレストランがあるぐらいだからね。
安くておいしいらしい。
 
もうとにかくこのラーメン屋を含む日本食レストランの増殖ぶりには驚くばかりよ。
18年前と比べて…なんてもんじゃない。
4年前と比べて全く様相が違うんだからね。
変わりゆくね~。
今からやるとなるとナニ屋がいいかね?
ホルモンだけはダメだよ。

11_img_8892 さて、今日はその日本料理屋がらみでもうひとつ変わりゆく「ロック名所」をご案内して終わることにしましょう。
それはピカデリー・サーカスからオックスフォード・サーカスに向かってリージェント・ストリートをチョット行って左に入ったところの「Heddon Street(へドン・ストリート)」。

340昔はこんな感じ。
10年以上前の写真。
361イタリア料理店なんかが立ち並ぶオシャレな通り。
362v今はこんな感じ。

350ウワッ!
「酒蔵」だって。
こんなところにも日本料理店!

360なんで「ウワッ!」かと言うと、コレの真正面だから。
370ココって『ジギー・スターダスト』のジャケット写真を撮影した場所なの。363cdこんなのまでくっ付けちゃって!
変わりゆくな~。

390裏ジャケのこの電話ボックス…。

400以前はこんな感じでまだ据え付けられていた。410v今はこんな感じ。
チョット遠慮してる?
スコットさん、ゴメンね!

11_img_9729<つづく> 
 
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200



2020年7月27日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.49 ~<オールド・ロック・ファンに捧ぐ>トライデント・スタジオとC.ベヒシュタインとデヴィッド・ボウイ

11_jackets思い返してみるに、「最後に行ったライブ」って1月10日に神戸で開催されたD_Driveのイベントだわ。
その翌々日にNAMMに行って、日本に帰って来た次の日に人生が終わってしまうかのような大事件がプライベートで勃発してそのままコロナ入り。
多い時には年間で150回以上ライブハウスに足を運んでいたんだけどね…今年は年明け早々にお邪魔したヤッチンとD_Driveでまだ合計2回だわ。
こんな年がやってくるなんて一体誰が想像しようぞ。
…ということで、もうライブ・レポートのネタはありません。
ま、1本残ってるんだけど、それはナンカのお祝いの時のためにキープしておこう。
とっておきの酒だな、まるで。
そんなワケでMarshall Blogの更新もスッカリご無沙汰になっちゃった…ワケではなくて、他のことで忙しくてマーブロを書いている時間がほとんどなかったのですわ。
ビデオ、やってんの…ビデオ。
こないだ『Marshall GALA2』のビデオを作ったでしょう?
アクセス数は全然パッとせずにガッカリしちゃったけど、アレのおかげでひと通りビデオの編集作業のノウハウを身につけることができた。
そこで、Marshall製品のデモ・ビデオをシリーズで作ることになり、それにかかりっきりだったのです。
気分はスッカリ黒澤よ!(写真は黒澤明気取りの筆者)
しかし、凝り出したらキリがない私の性格もあるけど、このビデオの仕事ってのは撮影から編集までアホほど時間がかかるね~。
黒澤組はさぞかし大変だったろうナァ。

11_0r4a0382 しかし、世の中ビデオだね~。
取説でもナンでも全部ビデオ。
今は「ビデオ」って言わないのか…「動画」?
何でもかんでも「動画」…全くどうがしてるよ。
もっと人間は字を読まないと!
動画ばっかりで本を読まないとホントにバカになっちゃうよ。
この動画の隆盛で日本語は相当言葉を失っていると思うよ。
文章の方が語彙がはるかに豊かだからね。
ブログもかなり古臭くなって来た。
でも「文章でしか伝えられないこと」ってのは山ほどあるから。
例えば今日お送りするような内容ね。
文字の方がたくさん情報を詰め込むことができる場合もあるでしょ?
それでも時代の趨勢には抗えないのでMarshall blogも機を見てビデオ…じゃない、動画を取り入れて行こうかと思っております。
 
でも今回は動画がゼンゼン絡まない話題。
ライブ・レポートネタがないので、どうしても『名所めぐり』みたいな内容をやらざるを得ない。
コレが…滅法人気がない。
でも私としてはコレを書くのが最高に楽しいし、「Marshall Blogならでは」のコンテンツだと信じている。
もっとマスコミが食いついて来てもいいと思うんだけどね。
  
で、昨年の5~6月にイギリスに行った時のネタがまだいくらか残っているので、その記事を書くことにキメた。
そして、その時に撮った写真を眺めながら記事のアイデアを練っていたら「ロンドンもずいぶん変わったな~」と思ったのね。
ま、私なんか生まれて初めてロンドンに行ってからたかだか18年しか経っていないんだけど、それでもチョコチョコと変化があるワケ。
そこで「変わりゆくロンドン」と題してそんなことを書き留めておこうかとアイデアをまとめた次第。
でも、その前にほとんど変わっていないポイントをひとつご紹介。
記事に関する調べごとをしているウチに、色々と新しい情報を得て「変わりゆくロンドン」のシリーズから切り離して一本編みたくなってしまった。
私のように70年代のブリティッシュ・ロックを愛してやまないオジさま、オバさまに捧げる一編。
80年代以降のロックで育った若い人たちは読んだところでちっともオモシロくないだろうから今のウチにヤメときな。
コレは「ロックが大人のモノだった時代」を経験している人たちに向けた記事なのだ!…ナンチャッテ。
  
今日の「名所めぐり」の目的地はソーホーのディーン・ストリートからこの路地を入ったところにある。

120v今、向かっているのは「St. Anne's Court(セント・アンズ・コート)」というところにある「Trident Studio(トライデント・スタジオ)」。
以前にも取り扱っているので2回目の登場となる。

110v路地の反対側で突き当たるのは「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
下の写真を右に少し行くとあの有名なライブハウス「Marquee(マーキー)」があった場所がある。
この「Wardour」ね、「ウォルドー」とか「ワーダー」とか「ウォーダー」とか、どうも読み方が定まらないんだけど、私は「ウォードー」と読むことにした。
ナゼなら先日、Marshall Recordsのボスと電話で話をしていた時、彼が「ウォードー」と発音したのを聞き逃さなかったからだ。
何しろ彼はロンドン生まれのロンドン育ち。
生粋の「Londoner(ロンドナー)」なのだからその発音に間違いはないだろう。
「鳥越」の、地名は「とりごえ」、神社は「とりこえ」、みたいなもんよ。
地元の人に倣っておくのが賢明だ。
130コレが去年6月のトライデント・スタジオのようす。
10年以上前に来た時と大差ない。

140一番最初に来た時にはこの表札はなかった。

150チョット中を失礼。
結構狭そうだ。
Lou Reedの代表作『Transformer』が飾ってある。

160もちろんココで録音した1枚。
私はLou Reed とかJohn Caleとか、Velvet Underground 系はニガテなんだけど、それでも「Walk on the Wild Side」はいいナァ。
アルバムのプロデュースがDavid BowieとMick Ronsonだからココでレコーディングしたのかしらん?170cd裏ジャケのようす。
写真が小さくてわかりにくいけれど、男の人の股間が爆発している。
バナナを入れたんだって。

180cdもちろんコレのシャレでしょうな。

190cd脱線します。
『Transformer』の裏ジャケの写真を撮ったのはKarl Stoecker(カール・シュテッカー)というフォトグラファー。
この人はRoxy Musicの最初の3作のジャケット写真を撮った人なの。
4作目の『Country Life』も続く『Siren』も似たようなタッチなのにナゼかフォトグラファーが変わって別の人になってる。
ギャラの件でケンカでもしたのかしらん?

Rm1

Rm2

Rm3中学生の時、Roxy Musicが好きでね~。
こんなのを持ってる。
1974年のイギリス・ツアーのコンサート・プログラム。
サイズはA6。
まるで結婚披露宴のテーブルに上に置いてある献立みたいな作りになっている。
さすがロキシー…シャレオツでしょ?
前座はデビューしたてのJess Roden…ファースト・アルバムしか知らんけど、と思って他のも試しに聴いてみると、なかなかいいネェ。

11_pg2Eddie Jobson、この時19歳だって!
サポート・ベーシストはJohn Wettonだった。
Bryan FerryはGordie(ジョーディ)。
つまりニューカッスル出身。
 
中学2年の時にリリースされた『Viva!』を聴いてファンになった私。
何年かのインターバルを経て発表された『Manifesto』と武道館での来日公演。
そのあたりでキッパリとロキシー・ファンを止めた。
その後に『Avaron』でまた大成功を収めたようだが、私にとってのロキシーは「Re-Make/Re- Model」であり「Do the Strand」であり、「Out of the Blue」であり「She Sells」だったのだ。

11_pg3コレは10年チョット前のようす。
200v昼休みのビジネスマンかな?
この人たちはこのスタジオのことを知っているのだろうか?

220この頃はこんな看板がかけられていた。
映像関係のスタジオになっていたんだね。

210vトライデント・スタジオは1967年、Norman Shefieldという人がオープンさせた。
翌1968年にココで吹き込んだManfred Mannの「My Name is Jack」がイギリスのチャートの第1位を獲得したことによりその名が知れることになった。
Manfred Mannも長い歴史を持つ大変イギリス的なバンドだよね。
しかし、Manfred MannもEarth BandもChapter Threeも、「好きだ」という人にいまだかつて会ったことがない…どころか、誰かがManfred Mannのことを話しているところを聞いたことすらない。
私はGeoff Whitehornが一時Earth Bandのレコーディングに参加していたこともあって、超後追いでひと通り聴いてはいるんだけどね…それだけの話。
失礼だけど、このバンドの音楽にどういう意味があるのかが理解できないんだな。
でも、少なくとも「Blinded by the Light」はBruce Springsteenのオリジナルよりカッコいい。
230cd_2で、ですね、何でまた急にトライデント・スタジオのことに興味を持ったかと言うと…コレ。
最近リリースされたFrank Zappaの1970年の音源を集めたCD4枚組。
この時代のZappaは私の「Zappa道」の原点ですからね…予約して買った。
15歳の時に買った『Fillmore East-June 1971』が生まれて初めて買ったZappaのレコードだったの。
それから43年経ってリリースされた新譜のDisc1に収められているのが『Chunga's Revenge』レコーディング時の未発表音源なのね。

240cd_2コレがトライデント・スタジオで録音されているのだ~。11_1970 全編ではないにしろ、『Chunga's Revenge』はトライデントで録られているワケ。
気にしたことがなかっただけに知らなかった…盤自体は数限りなく聴いては来たけど。
「Transylvania Boogie」を初めて聴いた時は興奮したもんだ。
このAynsley Dunbarのドラムス!
それとナニかの本で植草甚一が「Twenty Small Cigars」のことを超ベタぼめしているのを読んで意外に思った。
実際にとてもいい曲だけど。
250cd_2で、ココから先の記事は「アレもトライデント」、「コレもトライデント」…という流れになっていくんだけど、やっぱり金字塔は「Hey Jude」かネェ?
ビートルズのスタジオといえば~?
そう、アビィ・ロード。
ところが、当時アビィ・ロードは4トラック・レコーディングにこだわっていた。
一方、トライデントは8トラックの機材を導入していたことよりお鉢が回って来たというワケ。

260cdそのレコーディングで使われたのが「ピアノのストラディヴァリウス」と呼ばれる1853年創業のドイツの「C. Bechstein(ベヒシュタイン)」のピアノ。
スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並ぶ世界3大ピアノ・ブランドの一角。
フランツ・リスト、クロード・ドビュッシー、ヴィルヘルム・ケンプが好んで使ったという。
ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」…なんて乱暴なことまで言ってのけている。
セシル・テイラーやチック・コリアも好んで使っていたということだ。
第二次世界大戦中はナチに協力し、ヒトラーが「第三帝国のピアノ」と称していたが、それがたたり戦後は栄光の座から転げ落ち、一時はアメリカのボルドウィンの傘下に入ったが、現在ではドイツ人に経営権が戻っている。

11__2グランド・ピアノで510万円~2,000万円、アップライト・ピアノで178万円~600万円ぐらい。
思ったより高くない。
私は要らないけど。
お金があったとしても、そもそも家に置くスペースがない。11_2cb下が実際のトライデント・スタジオにあったベヒシュタイン。
David Bowieの初期の諸作、Elton Johnの「Your Song」、Nilsson版の「Without You」、T.Rexの「Get it on」、Carly Simonの「You're so Vain」、Boomtown Ratsの「I Don't Like Mondays(どっかで聞いた名前だな)」…ゼ~ンブ、このピアノで録音した。
1968~1980年代の冒頭まで活躍した「20世紀で最も有名な楽器」のひとつとされている。
当時で100歳になっていたこのピアノは、現在ではロンドンのエッジウェア・ロードにあるJaques Samuel Pianoというピアノ店からのリースだった。
このピアノの音色があまりにも素晴らしいので、このピアノ目当てでトライデント・スタジオを採用するバンドも多かったという。
そして、トライデントでスタジオ・ミュージシャンとしてこのピアノを弾いていたのがRick Wakemanというワケよ。
 
このピアノがどういう風に素晴らしかったのかというと、とにかく音の粒立ちがよく、澄んでいたらしい。
作りが大変堅牢で、弦を叩くハンマーの力が他のピアノより強く、どんなに力を入れて鍵盤を叩いでもそれにバッチリ応えてくれたのだそうだ。
その結果、音抜けがバツグンによく、バンドの中で音が埋もれることがなかった。
昔のモノは本当によくできていたんだね。
 
トライデント・スタジオは1981年に売却されてしまうんだけど、その直前に補強の修繕をこのピアノに施したところ、音が変わってしまい、元に戻らなくなってしまった。
そして、スタジオを閉める時、ホイストで持ち上げたピアノが床に落下し大破。
その後、このピアノの行方は誰にもわからなかったが、2008年に「Hey Judeで使用されたピアノ」としてインターネットのオークションに出品されているのが発見された。
その値段は20万ポンド…当時のレートで4,300万円だったという。11_tp2ビートルズは「Hey Jude」だけでなく、「Honey Pie」や「Martha my Dear」、「Savoy Truffle」、「Dear Prudence」、そして「I Want You(She's so Heavy)」のベーシック・トラックもトライデントで録音している。
もちろん「Honey Pie」や「Martha my Dear」で聴かれるピアノは上のベヒシュタインの音色だ。
それとJohnの「Cold Turkey」もEric Claptonを迎えてココで録音された。

270cdEltong Johnの「Your Song」はデンマーク・ストリートで書かれたと言われているが、録音したのはトライデント・スタジオだった。
上で触れた通りもちろんあのピアノの音色もベヒシュタイン。

280cdRegiは初期の作品のほとんどをトライデント・スタジオで録音している。
『Madman Across the Water』の「Tiny Dancer」のピアノも当然ベヒシュタイン。
いい曲だよね~。
初期の作品では「Skylinbe Pegeon」が大好きなんだけど、この曲を収録している『Empty Sky』は残念ながらトライデント録音ではない。
『Empty Sky』の後に「Your Song」のレコーディングでベヒシュタインのことを知ってトライデントを使うようになったのかも知れないな。
この『Friends』という同名映画のサントラ盤って見ないよね。
映画自体は小学生の時に雑誌「スクリーン」や「ロードショー」でおなじみだったんだけど。
後年、『Rare Masters』という未発表音源集で初めてその音楽を聴いた。
コレ、映画へのクレジットは「Elton John、Paul Buckmaster、Bernie Taupin」の連名になっているんだネェ。

290cd

320cd

300cd
『17-11-70』はニューヨークのFMのスタジオ・ライブを収録したアルバムだけど、トライデント・スタジオでミキシングされている。
Dee Murrayのベースがアホほどカッコいい!
「Take me to the Pilot」なんてまるでJacoみたいに好き勝手に弾いて暴れまくってる。
8年ぐらい前にイギリスで観た時はNigel OlsonもDaveyJohnstonも元気だったのに…惜しい人を亡くしたものだ。
『Goodbye Yellow Brick Road』もフランスかどっかへ出かけて行って録ったベーシック・トラックをトライデントでミキシングした。

350cd

310cd

330cd『Honky Chateau』や『Rock of Westies』なんかもミキシングだけ。

Hc

335cd

340cd Freeの最高傑作の呼び声も高いセカンド・アルバム『Free』や定番の『Fire and Water』の2枚もトライデント録音。
しかし、この『Free』というアルバムはスゴイよね。
Paul Rogersなんかこの時まだ20歳だったてーんだから驚いちゃう。
私には少々渋すぎるんだけど、昔の人は本当に立派だった。
Paul Kossofのお父さんはDavid Kossofという俳優さんでお金持ち。
バラカンさんの本で読んだんだけど、その財力を活かして、「たいしてうまくもないのにいい楽器を持っているヤツ」というのがまだ未熟だった頃のPaul Kossofに対するイメージだったらしい。
しかし、トライデントから歩いて10分ぐらいの楽器屋街にそうしたミュージシャンが集まっていた…なんて光景を思い浮かべるとタマらんね。
ジム・マーシャルのお店に集まっていたピート・タウンゼンドやリッチー・ブラックモアしかり。
だからロンドンはオモシロい!
知れば知るほどオモシロい!

640cd

650cd The Rolling Stonesもトライデントを使っている。
ストーンズはまったく受け付けないもんでコレでパス。

360cd

400cdT.Rexはこの2枚をトライデントで録音しているようだ。
…ということは、NATALのパーカッションもココで使われていたというワケよ。
そういうことにしておこう…うれしいから。

410cd

420cdコレは以前にも書いたけど、トライデントはベヒシュタインのおかげがあってか隆盛を極め、ポールを通じてアップル・レコードのアーティストの録音もたくさんこなした。
Billy Preston、James Tayor、Mary Hopkin…当然Bad Fingerもトライデントのお世話になった。
Bad Fingerいいな~。
タマに聴くとすごくいい。ナンダカンダでほとんど買ったな。
ジャケットもいいから。
このファースト・アルバムの最初の曲「Come and Get it」のピアノもベヒシュタインなんでしょうね。
ものすごく音が太い。
このジャケットはジョルジョ・デ・キリコなんだな?

Mcm

Nd_2そして、スタジオが空いている時にポールが…イヤ、サー・ポール・マッカートニーが、将来性が認められる新人バンドにスタジオを開放した。
その新人バンドのひとつがQueenだった。
Queenのファーストとセカンド、それと『Sheer Heart Attack』も一部はトライデントで録音された。

370cd

380cd_2

390cd_2するってーと、「Killer Queen」のピアノもベヒシュタインということか…。
いつも書いているように私はQueenはキライでなくても、ファンであったことは人生で一度もないんだけどシングル盤は何枚か買ってるんだよね。
「買ってる」と言っても石丸電気のサービス券と交換したんだけどサ。
で、「Killer Queen」のB面の「The Seven Seas of Rhye」のピアノはそのトライデントのベヒシュタインのサウンドの代表のひとつとなっている。
しかし、録音によってずいぶん音色が違うな。
さて、しからば「Bohemian Rhapsody」のピアノはどうか…。
この曲が収められている『A Night at the Opera』はトライデント・スタジオでの録音ではない。
しかし、あのピアノはトライデントのベヒシュタインなんだって。
このことは権威あるイギリスのNME(New Music Express)が「'Hey Jude'と同じピアノを使って録音した」ということを正式に発表している。
どうも、ピアノ・トラックだけトライデントで録音したようだ。

11_0r4a0389 何度も書いているようにQueenの代表作、『A Night at the Opea』とコレに続く『A Day at the Races』というタイトルはマルクス兄弟の映画からの借用ね。

Dr_2_2

Dr_1 Genesisもトライデントのお得意さんだった。
コレはうれしい。
『Selling England~』あたりは全部が全部ではないようだが、何らかの形でトライデント・スタジオが制作に携わっている。
430cd

440cd

450cdライブ盤の『Seconds Out』もトライデントでミキシングしているんだぜ。
ああ、あの新宿厚生年金の時のGenesisを今でこそ観たいナァ。

460cd

470cd

480cdGenesis自身もトライデントを気に入っていたんだろうけど、正確にはGenesisがお得意さんというワケではなくて、契約していたCharismaレーベルがお得意さまだった。
だからBrand Xもココでレコーディングしている。
ま、Phil Collinsも勝手知ったるところだったろうしね。

490cd

500cd

510cdもうひとつ、Van Der Graaf Generator。
このチームは元々トライデントを使っていたようで、セカンド・アルバムからChrismaに移籍して当然トライデントでレコーディングし続けた。
もう10年以上前の話になるけど、ある夏、Marshallの副社長を含む技術チームが3人来日したことがあってね、みんなで御茶の水のディスクユニオンに行ったの。
その時、タマタマVan Der Graafを聴いていて、どのアルバムだったかは覚えていないけど1枚中古CDを買ったワケ。
それを見ていた大のLed Zeppelinファンの副社長が、「シゲ、ナニを買ったの?」と訊いてくるので「Van Der Graaf Generatorだよ」と答えると、「ヴァヴァヴァヴァヴァン・ダー・グラ~~~フ????????」とかなり驚いた。
「ナニを驚いているんですか?アナタの国のバンドですよ」と言うと、「多分イギリスで今Van Der Graafなんて聴いている人間はひとりもいないよ」…だって。
ま、そうだろうな。
私も今は全く聴いてないし…。

520cd

530cd

525cdZeppelinといえば、コレ。
Peter Hamillの『Fool's Mate』。
1曲目のタイトルは「Imperial Zeppelin」だ。
Peter Hamillもソロ・アルバムをトライデントで録音した。
ま、正直…この声がね~。

540cd

550cd_2Yesもデビュー・アルバムはトライデントで録ってるんだよ。
Yesというと圧倒的に『Fragile』から、あるいはその前の『The Yes Album』からの扱いばっかりだけど、始めの2枚もとっても魅力的だよね。
コレに入ってるビートルズの「Every Little Thing」のカバーなんて意味もなく大仰でメッチャかっこいい。
でもヘソ曲がり的に言えば、私は『海洋地形学』のC&D面かな?

560cd_2トライデントはロックだけじゃないぜ!
John McLaughlinも使っていた。
名盤の誉れ高いMahavishunu Orchestraの『Birds of Fire』はトライデント録音だ。
ギター・アンプはMarshallなんじゃないかしら?
三宅さんならご存知のハズ。

570cd

6001973年の録音から26年の時を経て1999年にリリースされたMahavishunu Orchestraのアルバム。
チョット見ると未発表のライブ音源のように見えるし、私も実際そう思い込んで買った。
タイトルは『The Lost Trident Session』。
この「Trident」はトライデント・スタジオの「トライデント」。
スリーヴに使われている写真もライブのモノばかりで、誰がどう見てもトライデントでスタジオ・ライブでもやった時の音源かと思うじゃん?
ところがコレは完全にMahavishunuの未発表スタジオ音源で、ナント『Birds of Fire』に続く3枚目のアルバムになる予定だったモノ。
マクラフリンとしてはとても内容を気に入っていたが、メンバー間の関係がどうもシックリいっていない時期であったため、発表を見合わせてライブ盤『Between Nothingness and Eternity』をリリースすることになったのだそうだ。
それから26年もの間、この音源は闇に葬られていたというワケ。

590cdコブハムつながりで…。
みんな大好き『Spectrum』。
コレはトライデントでミキシングしている。
「Stratus」は、「ストレイタス」ではなくて「ストラトゥス」ですから。610cd上にNilssonの「Without You」のピアノもベヒシュタインと書いた。
このピアノの音は他の録音とゼンゼン違うな。
マライア・キャリーなんかもカバーしていたけど、「Without You」はNilssonの曲ではありませんからね。
Bad Fingerの曲。
Nilssonも何枚かトライデントでアルバムを作っている。
この左の『Son of Schmilson』ってのは中学生の頃ハンターでよく見かけたナァ。
ドラキュラ映画のサントラ盤かとばかり思っていた。

620cd

630cdJeff Beckだってトライデントを使ってる。

660cd

670cdThin Lizzyはもっとココで録音しているイメージがあったんだけど、意外にも『Night Life』だけだった。
でも名バラードの「Still in Love with You」がココで録られているなんでうれしいじゃん?

680cdJoe Cockerもトライデントからスタ―ト。
もうこの「Feelin' Alright」を聴くと、とにかく小川文明さんを思い出してしまう。
Carly Simonの『No Secrets』もトライデント。
なるほど、「You're so Vein」のベヒシュタインはまたゼンゼン別の表情をしていますな。
コレがNilssonの「Without You」のピアノと同じモノかとビックリするぐらい音色が太くて力強い。
アタシャこういうシンガーソングライター系の音楽は全くと言っていいほど聴かないので何も語る資格はないけど、こうして聴いてみるとなかなかいいもんですな。
月並みですがJoni MitchellとLaura Nyroは好きです。
このアルバムのジャケ写を指して「女性の正しいシャツの着方」って書いていた人が昔いたけど…いやん、エッチ。
実際にロンドンの街を歩いていると、ブラジャーをお召しにならない女性をよく見かけるけど、向こうの人のはゼンゼン自然なんだよね。
見ている方が恥ずかしくなる…あ、私は決して見たりはしませんよ。
じゃ、ナンで知ってるんだ?ってか?

690cd

700cdMottはね~、わからないんですよ~。
『黄金時代』もサッパリわからん。
このアルバムも持っているんだけど、全く内容を覚えていない…ということで聴いてみるか。
 
…間…
 
印象変わらず、でした。

でもね、20年近く前にIan HunterがMarshallのAVT100を使っている写真を発見した時はうれしかったんよ。
AVT、なつかしいな。
それから~、Mick Ralphsのレスポールの話はいつかしたから今回は止めておこう。

710cdトライデントはメタルだって「ドンと来い!」だぜ。
Judas Priestの『Staind Class』。
この辺りまでは私も聴いた。
ところが、ハルフォードさんのお声が段々オモシロく聴こえるようになって来ちゃって…。
初めてJudasを聴いたのはセカンド・アルバムの『Sad Wings of Destiny』がリリースされた時で、「The Ripper」なんか何てカッコいい曲なんだ!と思ったよね。中2の時。
Tigers of Pang Tangってのはもう全くわからない。
一昨日は家内特製のワンタンを頂いたけど…。
鶏ガラを買いに行ってね、化学調味料を全く使わないでスープを作ってくれる。
メッチャおいしいの。
あ、そんなことはどうでもいいか。
パン・タンはジャケットがいいね~。

720cd

740cd以上、もう1回書いておくけど、全部が全部トライデント・スタジオで録音したモノではないからね。
一部の曲だけであったり、ミキシングだけだったりするアルバムも含まれていいることは承知しておいてね。
それにココに挙げた以外にももっとたくさんの名盤がココで制作されているハズだ。
一体どれだけのMarshallやNATALのパーカッションがココに運び込まれてそんな名演名作の制作をサポートしたんだろうね。
ロマンだナァ。
そんなことを考えるとMArshall冥利に尽きるってもんだ。
下は昨年に訪れた時のようす。

300壁にブルー・プラークが取り付けられた。
大きな変化だ!

750v何のプラークかと言うと…
「デヴィッド・ボウイ
1947-2016
 
彼のアルバム、『ハンキ―・ドリー』、『ジギー・スターダスト』、代表作「スペース・オディティ」がここトライデント・スタジオで録音された。

BBCラジオ・ロンドンより贈呈」
 
そういうこと。
とにかくデヴィッド・ボウイなワケ。
760 初期の作品は全部トライデント録音。
『Hunky Dory』のピアノはRick Wakeman。

760cd

770cd

780cd やっぱり極めつけは『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』ということなんでしょうね。
私も中学生の時に夢中になって聴いたもんですよ。
『Aladdine Saine』もとても好きだった。
このアルバムはコーラスでLinda Lewisが参加しているのか…。
『Station to Station』までは聴いたの。
「TVC15」なんて大好きだった。
で、中3か高1の時に『Low』がリリースされてズルっとなった。
それからDavid Bowieは全く聴いていない。
高校の時に来日したけどNHKホールには行かなかった。
ギターがAdrian Belewだったので行っておけばヨカッタような気もするけど、ま、いいや。
初来日の時は、「飛行機がキライ」ということで船で日本に来たんだよね。
後で聞いたら、フィリピンだかシンガポールまで飛行機で来て、その後船に乗り換えたとか…。
 
それにしてもDavid Bowieのイギリスでの人気の高さはスゴいワケ。
日本みたいに亡くなった時点で急にファンが増えてすぐに忘れられてしまうようなのとはワケが違う。
Peter Greenが亡くなったでしょう?
facebookなんかを見ているとスゴイもんね。
どっからか急にFleetwood Macファンが押し寄せて来た。
普段はFleetwood Macの「フ」の字も出て来ないのに不思議だね。
ま、「故人を偲ぶ」という意味では一向に構わないんだけどね。
で、David Bowie、Pink Floyd、Status Quoあたりは日本では想像がつかないぐらい人気が高い。790cd

795cd …ということで、David Bowieの地元へ行ってみた。
「Brixton(ブリクストン)」というテムズ川南岸の町。
地区はLambethになるのか…。

800ヴィクトリア線でロンドンの中心からすぐのところ。
840「すぐのところ」なんだけど…
830もうね、駅から外へ出た瞬間に「あ、ココは違う」と感じたわ。

810とりあえずGREGGSは同じなんだけど…。

815vとにかく黒人だらけなんですわ。
別にコワいことはないけど、場合によってはコワい目に遭っても不思議はないような雰囲気。
すくなくともジギー・スターダストのイメージはナニひとつありはしない。

820駅からほど近いところにある「O2 Academy Brixton」。
ロンドンの重要なコンサート会場のひとつ。
1929年の開業で元は映画館だった。
こけら落としはAl Jolsonの「The Singing Fool」という作品。Al Jolsonはガーシュインの「Swanee」を歌った人ね。
後にコンサート・ホールとなり80年代のバンドの活躍の場となった。850キャパはスタンディングとイスで4,900だって。

870かなりデカいね。

880楽屋口。
Eric Clapton、Dire Straits、Policeなんかがリハーサルに使ったこともあるという。
Wham!はココでビデオを撮ったそうな。890v今度は線路の反対側へ歩いて来た。

900Lambeth Town Hallという建物。
そうか、コレはランベス地区の役所だったのね?

910vすぐ近くの「Ritzy(リッツィ)」という映画館。

920コレは立派だった。
1911年の開業で建物はGradeIIに指定されている。
ココは労働争議をやっているみたいだね。

930外壁にはズラリと往年の、イヤ古のハリウッド・スターのポートレイトが並んでいた。950ジギー・スターダストはこんなところで生まれ育ったのでした。363cd_2偶然の山本寛斎さんの訃報。
田川ヒロアキさんが出演したイベントで2、3度お見かけしたが、いつもニッコニコでとても感じのよい方だった。
ヒロアキくんの「Sea Scape」を合体させたイベントのオープニングの「君が代」のオリジナル・アレンジと演奏をとにかく褒めちぎっていらっしゃった。
この場をお借りして謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

11_img_3218_2 
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200

2020年7月 9日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 48 ~ 国立コンピューティング博物館<その2:真空管まつり>

 

前回の記事で例を示したように、初期のコンピューターにとって真空管は必要不可欠な重要パーツだった。
私が子供の頃のテレビはスイッチを入れてから画像が出て来るまで何分もかかるのが普通だった。
スイッチを消すと長い間白い点がブラウン管の中央に残っていた。
そもそも白黒の番組が当たり前だったなんて信じられないよね。
カラーの番組が放送されるようになると、新聞のテレビ番組欄ではカラーの番組に「カラー」という印が付されるようになったが、その後、カラーの番組が主流になると、今度は反対に白黒の番組にボーリングのスペアのような記号が付けられてカラー番組ではないことを示すようになった。
最近は「テレビっ子」なんて言葉もメッキリ聞かなくなったね。
今はどうなんだろう?
「ユチュバっ子」か?
子供の頃は「どうして大人はニュースを見たがるんだろう?」と不思議に思ったが、何のこたぁない、今では報道番組以外に定期的に見る番組がほとんどなくなっちゃったな。
「激レアさん」ぐらいか?
関係ないけど、あのボードに書く太マジックの文字ね。
アレはあの司会の女性が書いているのだろか?
ものすごい達筆だと思わない?
アレを真似て太いマジックを使ってみても、絶対にああはならない。
 
…ということで、真空管。
「国立コンピューティング博物館」の片隅にこんな展示を見つけた。
 
熱電子管
コレは国立コンピューティング博物館の会員が様々な電気機器から取り外して集めたコレクションの期間限定の展示です。
トランジスターやシリコン・チップスが出現する以前、真空管はアンプ、オシレーター、また国産のラジオやレコード・プレイヤーやテレビにも使われていた標準的な電気パーツだったのです」
 
わかってる、わかってる。
今、私は真空管なしでは成り立たない仕事に就いているけど、この日、向こう数年間分の真空管を見た気になったわ。

11_0r4a0239そして、ココのコーナーをジックリ見ていたのは私だけだった。

11_0r4a0234アレ…見覚えのあるKT66。
Vintage ModernかASTORIAから引っこ抜いて来たんじゃないの?

30特に解説もなかったので、お好きな人は写真だけ見て楽しんで下さいまし。

11_0r4a0236

50

11_0r4a0240

70

80私は真空管のマニアではまったくないけれど、人間が古いせいかこのデザインにすごく惹かれるよね。

100

110

120

130レトロなハコのデザインがまたいいんだよね~。
90こんな基板の類もゾロゾロと展示してあった。

150

11_0r4a0253イギリスFerranti(フェランティ)社のArgus 400。
工業用コンピューターで、元々は軍用に設計されたモノ。

11_0r4a0254コレもスゴイな。
前回やったEDSACの一部。160おお~、こんなモノも!
昔のコンピューター、計算尺。
コレってスゴいよね。
高校の数学の授業で使い方を教わって感動した。
もちろん今では使い方なんてナニも覚えていないけど…。
180気になって調べてみた。
英語の呼び名は「Slide rule」。
ナンダナンダ、コレもイギリス人の発明だってよ!
1622年、ウィリアム・オートレッドというバッキンガムシャーの人。
バッキンガムシャーはMarshallの本社やココがあるところと同じ行政区。

昔、Yesの曲の複雑さを表現するのに「彼らは計算尺を使って作曲している」なんてことが使われていたけど、そんなワケはない。
今なら「コンピューターを使って作曲している」という感じか?…イヤイヤ、本当にそうなっちゃってるじゃん!

190さて、ココからが本番!
シリーズの最後を飾る一大ロマン!
ブレッチリ―・パークの記事で、アラン・チューリングが「ボンベ」という機械を作り、エニグマ暗号の解読を容易にした…ということを述べたが、それもつかの間、ブレッチリ―・パークのスタッフはドイツ軍が発信する暗号に再び頭を抱え込むことになった。
ドイツ軍がエニグマ暗号より強力な暗号を使い出したのだ。
その暗号を作っていたのがこの「Lorentz SZ42(ロレンツ)」。
どうよ、悪そうな顔をしてるでしょ?
ギザギザが何ともズル賢そうな感じだ。
現存するロレンツの数は極めて少なく、超激レア。
コレはノルウェイの軍隊から長期間にわたって博物館が借り受けているモノだそうだ。

200ロレンツで作られた暗号文はこのテレプリンターで発信された。
このテレプリンターの値段は£10(今の為替レートで1,400円ぐらい)。
博物館の職員がebayで見つけ、専用ケース付きでこの値段で手に入れた。
元の持ち主はコレが何のための機械か皆目見当がつかず、70年もの間ほったらかしにされていてボロボロの状態になっていた。
その後、買い取った博物館のスタッフが綿密な分解掃除を施してこの状態に戻したそうです。
210で、ロレンツはヒトラーと将軍たちの通信専用に使用された暗号機だった。
ローターがついているところあたりはエニグマ機と似ているが、実際に仕組みも似通っていた。
しかし、その複雑さはエニグマの比ではなかったそうだ。
11_0r4a0271しかし、ブレッチリ―・パークのジョン・ティルトマンとビル・タットという2人がロレンツ暗号の解読に道筋をつけ、ヒトラーのメッセージを読むことに成功した。
しかし、ロレンツはあまりに強力で、ボンベが持つ能力では太刀打ちできず、人力で解読に努めたが、どうにも時間がかかってしまいラチが開かなくなってしまった。
11_0r4a0273しかし、マックス・ニューマンという人がチューリング・ボンべの概念を継承しつつ、ロレンツに対抗するプログラム可能なコンピューターの設計図を描き上げた。
当初、技術的に実現不可能と一旦はその設計図が棚上げになったが、トミー・フラワーズという人が10ヶ月の時間をかけてとうとうそのコンピューターを作り上げた。

11_0r4a0272_2 そのコンピューターがコレ。
デカッ!
名前は「Colossus(コロッサス)」。230「コロッサス」なんて聴くと、もうすぐに頭の中はコレになっちゃうんだけど、「colossus」というのは「巨像」とか「巨人」という意味。Sc使用されている真空管の数は1,500本。
ボンベとは比べ物にならない処理速度を誇っていたが、コロッサスの重要性は処理能力ではなくて、プログラミングが可能であることだった。
プログラミング能力を擁していないとロレンツの複雑な暗号に対応ができなかったというワケ。
「必要は発明の母」だったのね。
そして、その「プログラミング可能」という能力こそが「コンピューター」を意味するのだそうです。
例によってこの展示品もレプリカです。

2401996年に「His Royal Highness the Duke of Kent(ケント公爵エドワード王子)」がココへ来てコロッサスのレプリカの点灯式を行った。
エドワード王子は、エリザベス女王のお父さんのジョージ6世の弟のジョージ(ややこしいんじゃい!)の息子つまりエリザベス女王のイトコ。
やはりアタマが薄いというか、もうツルツルなのさ。
人のことは言えんが、ウインザーさんの家系の男子チームは髪の毛が気の毒だネェ。235ボンべ同様、終戦直後にチャーチルの命にしたがってコロッサスは設計図はもちろんのこと、本体も手のひらより小さなサイズに砕かれてこの世から消えてしまい、「世界初のコンピューター」の栄誉はトミー・フラワーズではなく、他の科学者のモノになってしまった。
260一方、1945年、ペンシルヴァニア大の研究者が18,000個の真空管を使用した「ENIAC」というコンピューターを開発。
それがその後何十年にもわたって「コンピューターの母」と言われるようになってしまった。
コロッサスを作り上げたフラワーズが、自分の栄誉を逃したことを悔しがって「あのブルドッグめ!」と言ったかどうかは知らない。
いずれにしても、20世紀後半の暗号の発展に道筋をつけ、現在のコンピューターの源になったのがこのコロッサスだった。270時間も比較的遅かったので、お客さんが極端に少ない中、目を引いたのはこの家族。
何だか知らないが、ココの家族はお母さんがやたらと積極的で、係りの人に矢継ぎ早に質問を浴びせかけていた。
係りの人もヒマなのか、それらの質問に嬉々として受け答えているように見えた。
お父さんは「いいぞ、カアちゃん!」と思っていたのだろう、そのシーンをスマホで撮影していた。
250また真空管のディスプレイ。

11_0r4a0294_2今度は真空管2,400本だ~!
320コロッサスのマークII。
325マークIの5倍の速度で仕事ができるそうだ。

310vこの真ん中のデカいヤツも「BY1144L」という三極管。
「PF Power Triode」というタイプで57kgもあるんだって。
一方、右側の小さいヤツは「EF36」という五極管で実際にMKIIに使用されているモノ。

11_0r4a0304しかし、実物も設計図も全くなかったのに一体どうやって復元したのか?
コロッサスMKIIに関して言うと、当時の技術者の膨大な量のノートが主にアメリカに現存していたのだそうだ。
不明の箇所もあったが、元々の設計者が生きていて再現した。
MKIIの組み立てはこの博物館で行われた。
330パソコンのコーナー。360結局はコレか。

370若い人たちがビンテージ・ゲームに夢中になっていた。

380後はジャンク品の展示コーナー。

390イヤ、「ジャンク品」なんて言ったらきっとバチが当たるようなレア・アイテムなんだろうね。
でも私には秋葉原の裏通りにしか見えなかった。

400ココもなんだかんだでオモシロかった~。
地元の人も、ブレッチリ―・パークには行ってもココには来ないらしいので、貴重な体験をしたわ。
さぁ、ホテルへ帰ろう。

405またブレッチリ―の駅まで戻って来た。

11_img_0668_2 駅前を通り抜けて…Img_0671 階段を下りたら左に曲がって電車の高架をくぐる。

Img_0673 そこにあるのがこの「THE PARK」というパブ。
ノドが乾いたのでココでエールを飲むことに…。
そしたらラガーしかないというので、アタマに来てテーブルをひっくり返して店を出て来た(ウソですよ~)。

420せっかくだからブレッチリ―の町をブラブラしておこう。

430ココにもGREGGSができたのか…。
残念ながら休み。
イヤ、この日は日曜日だったので空いている店は1軒もなし。

440恒例の「VOONG'S」詣で。

450ジムのお気に入りの中華料理店で、まだジムがいる頃はMarshallで会議があると1回はココで会食をするのが習わしだった。
ベトナム人が経営していて、我々が日本では経験でき得ないタイプの独特なお味の中華料理を出してくれた。460最近はメッキリ来なくなったので、なつかしいわ。
18年前に初めてMarshallの工場を訪れた時、ジムを除く重役とココに来て昼食をご馳走になった。
あの突き当たりとその手前のテーブルに座ったのをよく覚えている。
メッチャ緊張した。
私もまだまだ若かったからね。
その場で初めてお会いした方もいらしたので、一応自己紹介をした。
名前を言って、「1962年の生まれです」と振っておいてから、「Call me Bluesbreaker!」と言ったらドッカ~ンと受け…るハズだったんだけど、そこにいた人たち全員ポカーンとしてた。
私を含めて全部で6人だったかな?
もう今では私しか残っていない。470スーパーの入り口。
休みとはいえ汚いネェ。
日本の街の清潔さは素晴らしい。Img_0685 人っ子ひとり歩いていないし、たまに見かける若いヤツはいかにも物騒で、一度目を合わせたら後がないな…という感じだったので足早にこの場を去った。480あとはトコトコと歩いてホテルに帰るだけ。
ブレッチリ―・パークに行く時は雨に遭ったけど、結局天気のいい一日だった。

Img_0686 この高架の横に迂回路があってホントはそっちを歩かなきゃいけないんだけど、構わずまっすぐ進む。

490「THE ENIGMA TAVERN」…昔から「enigma」という言葉の意味は知っていたけど、暗号に関わる事だけは知らなんだ。
そして、今、こんなに興味を持つようになるなんて想像したことすらなかった。
いつか入ってみよう。

11_img_0584Marshallまで帰って来た。
誰かまだ残ってるな。

Img_0688 24時間オープンのASDAも日曜日の午後はお休みだ。
カートは外に置きっぱなし。500イギリスのATMってロンドンの街中でもそうなんだけど、平気でこうやって外に置いてあるんだよな。
CCTVが発達しているとはいえ、大丈夫かしら?といつも心配になっちゃう。
それに雨風にさらされて機械がダメにならないかね?510帰って来た~!
520Marshallアリーナは今度は『UKタトゥー・フェスト』だって!515まずはホテルのバーでエールを1パイント。

530今日はASDAがお休みなので買い食いも出来ないからホテルの横のレストラン街へ。
工場の周りも便利になったもんだ。
昔はホントに何にもなかったのよ。
コレはホテルの中にあるレストランの看板。
2週間チョット前に、Marshallのアジア・チーム(香港、ベトナム、日本)とD_Driveで会食をしたのがもう何年も前のことのようだ。Img_0696この日はチキンにした。
滅多にはいらないけど、実は「Nando's」好きなんどす。

540こんな感じの日曜日のディナーとなりましたとさ。
…ということでMarshall CODEにちなんだ「ブレッチリ―・パーク」の特集おしまい~!
 
まだまだこの時の旅のレポート・ネタが残っているのでお好きな人はどうぞお楽しみに!
ナニせライブがないもんだからサ、仕方ないでしょ!

550そして、近々CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!
現在、楽しみながら内容を制作中!

12code25

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 8日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 47 ~ 国立コンピューティング博物館<その1>

350…ということでブレッチリ―・パークの見学は完了。
とにかく一度来てみたかった場所を3時間半ほどかけてジックリ見ることができたので大満足…と、言いたいところなんだけど、どうも腑に落ちない。
何が気に食わないんだろう?…と自問自答して思い当たったのが例のアラン・チューリングが作った暗号解読機「The Bombe」。
コレのホンモノを見ていないから物足りなかったんだ!ということに気づき、パークの入り口の案内板がアタマに浮かんだ。

10_3コレね。
「COLOSSUS & BOMBE GALLERIES OPEN DAILY」と書いてあったのを思い出したのだ。
そこで、ワザワザこうして公園の入り口の看板がある所まで一旦戻って、展示してある場所を確認した。
アータ、第二次世界大戦の終結を2年早めたと言われている世にも偉大な機械ですよ~!
そんなスゴイものが残っていないワケがない。
ましてや古いモノを大切にするイギリス人のことだ。
エジプトのミイラが残っていてボンベが残っていないワケがない…せやろがい!

20_2それは「THE NATIONAL MUSEUM OF COMPUTING(国立コンピューティング博物館)」というところにあるらしい。
ロケーションはブレッチリ―・パークの裏というか、奥。
さっそく行ってみょう!
40_3エ……もしかしてコレ?
国立の博物館なのにまさかの平屋?
工事現場の仮事務所より貧弱だぞ。30_3間違いない。
コレが「国立コンピューティング博物館」だわ。
ナニナニ「現在でも可動する1940年から現在に至る歴史的コンピューターの世界一のコレクション」を誇っているらしい。

50_3入場料は£7.50だから千円とチョット。
イギリスの国立の博物館は入場料が無料なことが多いけど、ココはしょうがなさそうだな。
エントランス…といっても普通の入り口だけど…の壁に飾ってある2大暗号機とその解読機。
「エニグマ vs. ボンベ」と「ロレンツ vs. コロッサス」。
カッコいい~!

60_2入ってすぐのところにある「ボンベ・ギャラリー」。
いよいよホンモノにご対面かッ!
と期待を膨らませたが…。

0r4a0127 部屋の中央に鎮座ましましたるいかにもボンベのようなマシン。
大きな表示板に目をやると…「THE TURING BOMBE REBUILD PROJECT」とある。
は…?
「リビルト」?

80_2ちょうど係りのオジさんが出て来たので訊いてみた。
「スミマセン、あの、'REBUILD'ってなっていますけど、ココには第二次世界大戦中に実際に使われたホンモノはないんですか?」
「(キッパリと)ありません。
戦争が終わった時に、元の形がわからないほど細かく壊してしまったんです。ウィンストン・チャーチルの命令でした」
なんだよ~、ウィンストン!
実家まで行ってやったのに~。

90_3そう、大戦中のイギリス軍の行動を隠匿するために本体はもちろん、設計図にいたるまでボンベに関わるものをすべて処分してしまったのだ。
じゃ、ココにあるモノは?

100_3BCS(British Computer Society=英国コンピューター協会)のジョン・ハーパーという人が中心になって1994年から13年かけて作り上げた精巧なレプリカなのだ。

110_3係りの人が言っていたが、レプリカと言っても当時と全く同じ動作と働きをするように作られているのだとか。

120_3完成後、ブレッチリ―・パークに展示されたが、2018年にこっちの博物館に移設された。

130_3スゴいメカだわ。

14513年もかけて苦労して作り直すくらいなら、終戦後どこかに隠しておいて壊さなきゃヨカッタのにね。

140vプロジェクトで使われたパーツ。
「Letchworth Enigma Wiring Jig」とあるが、レッチワースというのはブレッチリ―から25kmのところにある町の名前。
当時のボンベはレッチワースで製造されていた。
私、行ったことがあるんですわ、レッチワース。
もちろんボンベなんでものはプロパンぐらいしか知らない時分だったけど。

150_3レッチワースで撮った適当な写真がないので、その隣の「ヒッチン」という小さな町にある楽器屋さんの前で撮った18年前の1枚を。
店名は「MACHINEHEAD」。
オーナーにその名前を尋ねると、もちろんDeep Purple大ファンだった。
Mh他にも使用、というか代用されたパーツがズラリと展示されていた。

0r4a0129

0r4a0130その傍らには、ハイ、エニグマ。
もう全然珍しくなくなっちゃった。70_3この博物館のエニグマはドイツ陸軍が使用していたモノで、5枚のローターが使用できるタイプ。
写真の2枚はお休み中のローター。

75古式ゆかしい電卓の類がゾロリ。
と言っても、私が学校を出て就職した時には右下にあるようなドデカイ電卓が普通に使われていたからね。

160_3揺籃期のコンピューターの展示。

170_3入り口の看板に書いてあった通り、この博物館に展示されているモノはすべて可動できる。
でもコイツは何やら不調らしい。

180_3デカ!
コレは磁気ディスクなのかしらん。

190_3ホントに実際に使っているみたいだった。

200_3このオジさん、すごく静かにしているもんだから置物かと思っていた。
するガバっと振り返って「Hello!」なんていうもんだからビックリして飛び上がっちゃった!210_3しかし、「博物館」にしてはあまりにも放ったらかしの展示だよね~。

220_2ほとんど説明もなかったので、コンピューターの好きな人は写真だけ見て楽しんでください。

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240_3

250_3

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280_3

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310

320_2コレは博物館が事務処理で使っている現行のコンピューターね。

330_2「EDSAC」のレプリカを製作するプロジェクト。
ココはレプリカ・プロジェクトが好きだナァ。

340_2EDSACは「Electronic Delay Storage Automatic Calculator」の略で、実用に供される世界で2番目のプログラム内蔵方式のデジタル・コンピューターだった。

350まったくコンピューターには見えないんですけど。

360_2見ての通り、これらは全部真空管。
いい音が出そう?
全部で3,000本使われている。
380_2EF54という五極管がEDSACでメインで使われている真空管。
この真空管は戦時中はレーダーに使われていたため、ケンブリッジの研究者にとってはなじみのあるパーツだったらしい。
1947年に軍がこの球を放出したため、EDSACに使われた。
こういう話を知ると、よく真空管マニアの間で「~の軍の放出品」とかやっている話の真実味が増すね。
EF54はもちろんもう製造されていないが、「New Old Stock」として今でも入手可能だそうです。

390_2裏の配線がまたスゴイ。
ホーチミンの街中の電線みたいだ。
1951年に79桁の素数を発見したのはEDSACのひとつの業績とされているらしい。
え、今?
最近では、2018年に24,862,048桁の素数が発見されている。

370_2こういうパーツは実に親しみを感じるね。

400_2しかし、…コレは1949年に世に出ているというから71年前のモノなんだけど、Marshallの真空管アンプのシャーシとパッと見変わらないじゃない?
ま、双方、真空管を設置する箇所なので見た目が似ているのは当たり前なんだけど、真空管アンプってすごくない?
コンピューターに比べたらシーラカンスみたいなモノだよ。
それだけ「音がいい」から姿を変える必要がないワケ。
もし真空管アンプよりいい音を出すアンプが出ていたらとっくの昔に姿を消しているハズでしょ?
それを使わないなんて全くバカげてるわナァ。

410_2まだまだ続く。

170 コレは「The HEC1」というコンピューター。
「HEC」というのは「Hollerith Electric Computer」の頭文字。
「Hollerith(ホレリス)」はハーマン・ホレリスというアメリカの発明家のこと。
パンチカードを読んで統計をデータ化する「タビュレーティング・マシン」をいう機械を作り、アメリカの国税調査などに使われ世界中に普及した。
ホレリスの会社が後のIBMに発展した。
このコンピュータ-はそのイギリスのタビュレーティング・マシンの会社が製造したもの。

420_3開発はアンドリュー・ブースというイギリス人で、1951年に発表して初めてのイギリス国内で広く使用されるコンピューターとなった。

430vしかし、スゲエ真空管の数だな。
いい加減熱かっただろうナァ。
このコンピューターが室内にあれば、暖房が要らなかったのではなかろうか?

440コレはECC81。

450_2コチラはKT66…とMarshallでもおなじみの真空管だ。
このままで爆音が出そうだな。

460_2背面はこの通り!

470手作り感満載のコンピューター!

480_2次…またまた仰々しいのが出て来た。
「Harwell Dekatron Conputer」は1952年の発表。
何でも電話交換機のパーツを利用して作られているらしい。

490_2コレもスゴイ数の真空管だな。
計算用に使われているんだって。

500_2このキーボードで操作するのかな?カワイイな。
2009年から2012年にかけて、この国立コンピューティング博物館で修復された。
修復後の2013年には「世界最古の稼働中のデジタル・コンピュータ」としてギネス認定された。

510_2…ということで今回はおしまい。
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25<最終回につづく>

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 7日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

 

「The Mansion(ザ・マンション)」と呼ばれるブレッチリ―・パークのシンボル。
1870年代の建物で、サー・ハーバート・レオンというとても裕福な株式仲買人の持ち物だった。
ルックスは大分異なるが、映画『イミテーション・ゲーム』の中にもジャンジャン登場していた。

420_2ココはMarshallのClass5の「Pin-Up」というシリーズの宣伝写真のロケ地。
かなりの曇天で、コレを撮ったマットもこれだけ色を出すのは大変だったろうナァ。

430私はこの撮影の時にちょうどMarshallに行っていて、撮影に誘われた。
一緒に行きたかったんだけど、他の用事があって泣く泣くお断りした。

440vこのモデルに興味のある人はコチラをどうぞ。
フレットクロスに描かれている女優さんについてチョコっと書いておいた。

450戦時中は後で紹介する「HUT」と呼ばれる設備が出来るまでの間、1階部分を暗号解読舞台の本部やレクリエーション施設として使用した。

460しかし、コレって建て増しを繰り返したのかナァ?

11_0r4a0984棟続きなんだけど色んなデザインが混ざっちゃてるんだよね。

11_0r4a0986早速中に入ってみる。

11_0r4a0987入り口に付いていた「Institute of Electrical Electrics Engineers(略称:IEEE)」から寄贈されたプラーク。
IEEEはアメリカに本拠地を置く世界最大の電気・情報分野の学術研究団体であり、技術標準化機関。
メッチャ権威が高い。
それが言うには…
「1939~1945年の世界大戦中、ココで12,000名の男女がドイツのロレンツやエニグマ、日本やイタリアの暗号解読に従事した。
彼らは革新的な数学的分析を用い、ココでアラン・チューリングがゴードン・ウェルチマンと主に開発した電気機械ボンベやトミー・フラワーズが設計したコロッサスの助けを得て解読に成功した。
この偉業は終戦を早め、多くの命を救った」
そういうこと…なんだけど、従業員の数が12,000人に増えてる。
オモシロいのは、ココに集められたスタッフの顔ぶれで、暗号の専門家だけでなく、数学者(アラン・チューリングは数学者)からチェスに強いヤツ、クロスワード・パズルの達人…と、様々なキャリアを持った人たちだった。

11_0r4a0988 現在は1階部分のみ見学できるようになっている。

470vお偉いさんの事務所だった部屋。480天井が低いね。

490どこもやたらとゴージャスな作りになっている。

500天井もこの通り!

510西洋の建築物の格付けをするには天井を見るのが一番早い…持論です。

520ひと通りMansionを見学してまた庭に出ると、さっきのジャズに合わせて…

539子供たちが盛り上がっていた。

540所員のためのテニスコート。
みんなモノスゴク頭を使うもんだから、空き時間には積極的に身体を動かして気分転換を図った。

550マンションの斜め裏手にある「Stableyard(厩舎)」と呼ばれているエリア。
純正ガイドブックを読むと、この奥に「Apple and Pear Storeがあった」って書いてある。
「リンゴと梨の店」?
そんなバカな…確かにイギリス人は食餌として小さなリンゴ(マッキントッシュ?)を食べるけど、それを売る店だったのかかな?
調べてみると「Apple and pear」というコックニー・スラングを発見した。
コレは「stair」のシャレだって。
「stair」は「階段」だから、コレもおかしい。
絶対に何かの隠喩だと思い、すぐにMarshallの友達に尋ねてみた。
彼女はこの表現を知らず、親切にインターネットで調べてくれた。
結果、本当に「リンゴと梨を売る店」だそうです。
ヘンなの~!

560今は動いていない時計塔。
前回紹介した「Dispatch Rider」たちは、1日に3,000ものメッセージを携え、この門をくぐって静か~にブレッチリ―・パークに入って来た。
11_0r4a0024 アラン・チューリングやディリー・ノックスらの暗号解読スタッフは、1939年からこのコテージで作業をしていた。

570そして、ディリーはココで初めてエニグマ暗号を解読した。
11_0r4a0043ココでの解読作業が、後の「Double Cross」作戦で大いに活躍し、それがノルマンディ上陸作戦につながり、ヨーロッパ戦線の早期終結に結び付いた。
「Double Cross」作戦というのは、「Double Cross System」とも呼ばれる、ニセの情報を流して相手をダマす作戦。
ココでエニグマの解読に成功していたことはブレッチリ―・パーク内でも極秘にされていた。
それだけ秘密の保持に厳しかったので、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルはブレッチリ―・パークの職員を「The geese that laid the golden eggs and never cackled(金の卵を産む決して泣かないガチョウたち)」と呼んだそう。
『イミテーション・ゲーム』にもチューリングが軍の上層部に直談判してチャーチルから研究予算を引き出すことに成功するシーンがあるが、実際にチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、ブレッチリ―・パークの仕事にとても協力的だった。
11_0r4a0045Stableyardの近くのガレージに展示してある当時のMI6の社用車。
こうした車はブレッチリ―からほど近い、ニューポート・パグネルにある「ティックフォード(Tickford)」という有名な車体屋(Coachbuilder=コーチビルダー)に送られ、元の塗装を剥がし、戦時下特有のカムフラージュ塗装を施した。

580私、ニューポート・パグネルに家内と1泊したことがあるの。
ココはアストン・マーチンの本拠地なんだよね。
その加減でその車体屋があるのかも知れない…イヤイヤ、おおよそ自動車産業とは結び付かない静かな田舎町なのよ。
下がニューポート・パグネルのアストン・マーチンのショウルーム。11_img_0978 これらのパッカードには強力な通信装置が搭載されていて、イギリスとドイツの間で起こっていることが随時把握できるようになっていた。

590

610コレは救急車。
カッコいい。
なんか看護婦さんみたいなイメージだな。

600Norton社製のオートバイ。
1937~1945年の間、ノートン社はイギリス軍が使用するオートバイの1/4に当たる10万台を供給した。
その代表機種がこの『WD 16H』だった。

11_0r4a0034公園の奥を見終わって、中心部に戻ってきた。
「HUT3」…上で紹介したマンションが手狭になり、スタッフはこの「HUT」と呼ばれる建屋に作業の場を移した。
「hut」というのは「小屋」という意味ね。
「ピザハット」の「ハット」。

10_2HUTごとに役割が決まっていて、隣のHUT6で解いた暗号がこのHUT3に運ばれて来て、翻訳作業が行われた。

20vココで翻訳された文章は厳格に軍隊特有の文体に定型化され、あたかも実際のスパイが書いたかのように仕立て上げ、暗号の受取人は、それら情報がブレッチリ―・パークから発信されたものであることを全く知らなかった。
ところで、我々ってよく…
「それじゃ11時にお願いします」
「11時…わかりました23時ですね」
…ってやるでしょ?
向こうの人は「おお!ミリタリータイム!」とか言ってコレにビックリしちゃう。
じゃどう云うかと言うと、「11pm」って言う。
午前の11時なら「11am」って言う。
「日付vs.曜日」の感覚とかも我々とは違うんだよね。

30_2HUT6で解読した文章はいつも不完全で、時には全く意味を成さないモノもあったが、ごくまれに簡単に訳すことができる完璧な解読分も含まれていたそうだ。

40_2この奥がHUT11Aと11。

50_2「The Bombe」が展示してあることを知らせる看板。
要するにココの展示のハイライトですな。

60vやっぱり人気があって多くの人が出入りしていた。
私もコレを見に来た。70_2ココに展示されているモノといえば…
ハイ、またエニグマ暗号機。

80vコレはずいぶん程度がいいね。90_2目盛りが数字になっているローター。

100_2エニグマのローターはしまいには5枚使いにグレードアップした。

110_2アルファベットを根こそぎ入れ替えてしまうプラグボード。
3枚のローターに比べ、組み合わせが多岐にわたるこのプラグボードこそ暗号の生成を複雑にしているのだが、ただの文字を入れ替えているだけの構造なので頻度分析で比較的簡単に解読できてしまうのだそうだ。
やはりエニグマの主役はローターなのだ。

120_2見ての通り真空管。
この時代、真空管は電気機器の大スターだった。

125ドイツ軍のエニグマの初期設定のコードブック。
ローターの番号と向き、初めにセットするアルファベット、プラグボードで入れ替える2つのアルファベットのペアが日替わりでひと月分明記されている。

130_2そして、いよいよ登場したのがコレ。
エニグマ暗号を解き明かした機械、「The Bombe(ザ・ボンベ)」。
初めて聞いた時「変な名前だな~、'ボム'の間違いじゃないの?」と思ったのだが、「ボンベ」でいいの。
最初にエニグマ解読の風穴を開けたのはポーランドのマリアン・レイェフスキという人なんだけど、そのポーランドで使われていたマシンを「The Bomba」といった。
それに敬意を表して「Bombe」という名前を付けたらしい。
160_2コレ、『イミテーション・ゲーム』の中でも盛んに出て来るでしょう?
どういう仕組みになっているのか、いくらその手の本を読んでもピンと来なかったんだけど、3段になっているひとつひとつがローターに対応していて、とにかく電気信号を利用して総当たりでエニグマのローターの初期設定を突き止める…みたいな働きのハズ。
だから「グーグル翻訳」みたいにコレ自体が暗号を解いて、普通の文章に変換してくれるワケではなくて、ジーコ、ジーコと動かしてエニグマの初期設定を格段に突き止めやすくしてくれる。
初期設定さえわかれば、さっき書いた通りプラグボードは頻度分析で解析できるので、手元に同じエニグマ機がありさえすれば暗号が解読できる。
 
ところで、この機械、すごくキレイでしょ?
コレが活躍したのは80年も前のことなのよ。
そんな昔のモノがこんなにピッカピカなワケがない。
そう、残念ながらコレはレプリカなの。
この辺りの話は次回やります。

140_2こういうモノにはつきもののシミュレーションの展示。

170_2アラン・チューリングのスゴイところは、暗号を解いたことではなくて(実際にはレイェフスキがすでに解読していた)、機械が作った暗号を機械に解読させたということなんだって。
コレが今のコンピューターにつながっているんですよ。

180_2コレは映画の中にも出て来るけど、当時イギリスが困っていたのは、ドイツの潜水艦司令長官カール・デーニッツが考え出した作戦によって大西洋航路のアメリカからの物資の補給路を完全に断たれていたことだった。
大西洋をマス目に区切って場所を特定し、複数の潜水艦で寄ってたかって輸送船をイジめちゃう。
エニグマ暗号を解読していれば潜水艦の位置を突き止めることができるので、輸送船はそれを避けて航海することができた。
ところが、先回りばかりをしていると、イギリスがエニグマの解読に成功したことがバレてしまい、ドイツ軍が暗号の難度を上げてしまう恐れがあったので時々故意にヤラれてやったらしい。
映画ではスタッフの1人のお兄さんが輸送船に乗っていて見殺しにしなければならないシーンが出て来るが、実際にチャーチルはドイツ軍の空爆の確かな情報をつかんでいながら、どこかの街をワザと空襲させたことがあったらしい。
多分住民にも知らせなかったんだろうナァ。
だって住民の中にスパイがいたら一発だもん。

190_2誠に勝手ながら、ボンベのホンモノが展示してあるものとばっかり思っていたのでナンカ狐につままれた感じでHUT11から出て来た。

200_2HUTの他にも「BLOCK」と呼ばれているエリアがあるけど、展示物はほとんどなかった。

11_0r4a0110 「D」のオブジェ。
イギリスでは6月6日になると「D」を祝う。
この「D」は「D-Day」、すなわちノルマンディ上陸作戦が決行された日。
私、偶然にも2012年以降の6月6日は3回ほどにロンドンに滞在しているんだけど、向こうではそこら中でこの日を祝っちゃう。
今年もfacebookでガンガンやってた。
ドイツ占領下のフランス。
連合軍がカレーに上陸すると見せかけておいて、ノルマンディに上陸したといういわゆる「史上最大の作戦」…要するにダマし討ち。
さっきの「Double Cross」ですな。
この作戦を成功に導いたのがブレッチリ―・パークが発した情報だった。
だから、アラン・チューリングは戦争の終結を少なくとも2年早めたと言われているワケ。
そして、今度イギリスの最高額紙幣の£50札の顔になる。
11_0r4a0112日本は渋沢栄一か…。
城山三郎が書いた渋沢の伝記『雄気堂々』っての…上下巻読むのにエラく苦労したっけナァ。Ud ビデオを上映している部屋もあった。
第一次世界大戦で活躍した伝書バトのビデオがかかっていた。

230_2最後に…HUT8。11_0r4a0120後のアラン・チューリングのオフィス。

250_2ドイツ軍はその後、さらに複雑な暗号を作り出す「ロレンツ」という機械を開発したが、イギリス軍はチューリングの技術をもってしてそれも解読に成功している。

240_2他の記事にも書いたが、チューリングの偉業はもっと称えられてしかるべきなのに、関わっていた仕事が戦後も長い間極秘扱いになっていたり、チューリングが当時法律で禁じられていた同性愛者であったりしたことから歴史に埋もれてしまった。
チューリングは1954年、青酸カリを塗布したリンゴをカジって服毒自殺を遂げた。
アップル・コンピューターのひとかじりしたリンゴのロゴはチューリングのリンゴだ…という説がある。
できればそうであって欲しい。

260_2ミュージアム・ショップはこんな感じ。

270_2やっぱりD-Dayの本が盛んに飾ってあった。

280_2例によって、下の写真の真ん中のスーヴェニア・ガイドブックを買っておいた。

290_2コレはMarshallの本社のエントランス。

11_img_4521 ココにこんなモノが飾ってある。
ブレッチリ―・パークに寄付をしたので、一般に公開している間は自由に出入りが許されるという入場許可証。
でも入れるのはDr. Jim Marshall OBEだけね。
ジムは生前見に行ったのかな?Img_0714<つづく>
 
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25  

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 6日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 45 ~ ブレッチリー・パーク <その1>

 
Marshallの国内輸入販売元のヤマハミュージックジャパンさんからのお声がけで、人気モデル「CODE」のPRをシリーズで始めることになった。
その企画は、ジム・マーシャルが来日した時に熱心に私のサポートをしてくれた人物の発案でしてね、めぐりめぐってまた一緒に仕事をしていることを今楽しんでいる。
初めて取り組む内容の企画ということで、それを記念して「code=暗号」の話題で「名所めぐり」をやらせて頂くことにした。

12code25 今回の舞台は直接的には「ロックの名所」ということではないんだけど、Marshallの本社/工場の町内の話題なので「当たらずとも遠からず」ということでお許し頂きたい。
しかし、大作を編む時は気持ちが張るね~。
ゴメンね、4本立てなの。
興味のある人にはタマらない、滅多に見れない…というか、日本では話題にも上らないモノをたくさんお見せしますからね。
興味のない人にはイヤでタマらない…ま、毎日アクセスだけしておいてくださいな。
それはドイツのエニグマ暗号機と暗号解読者の戦い。
「CODE」が発売される時にもやったんだけど、今回はその戦いの本丸、ブレッチリー・パークからのレポートなのだ。
そして、そこに隣接するコンピューターの博物館をめぐる4本立て企画。
ハイハイ、アクセス数が激減するのは十分承知の上です。
この『イギリス-ロック名所めぐり』を掲載すると、ただでさえガクっとアクセス数が落ちるんよ。
でも、コレこそMarshall Blogでしかお目にかかれない内容だと思うワケです。
私のライフワークなのだ。
 
「暗号解読者のホーム」、ブレッチリ―へようこそ!
ところでこの標識、小さくてもいいので、いつか「Home of the Loud Sound」って入れてくれないかしら…。
05ブレッチリ―はロンドンの北西66km…ココがミソ。
つまりロンドンからさほど遠くないロケーション。
今の電車でロンドン・ユーストン駅から40分ぐらいかしら。
実際にブレッチリ―からはロンドンへ通勤している人はたくさんいる。
東京だったら「40分なんて何の問題もないじゃないか!」と思うでしょう。
ところが、この辺に住んでいる人は5時に仕事が終わると、5時10分には家で家族とくつろいでいる人たちばかりなのだ。

410 駅から歩いて5分もかからないところにあるのが…

10この「ブレッチリ―・パーク」。

20美しい公園と暗号解読の博物館が一緒になった施設。

30ココへ来るのは3回目なんだけど、いつ見ても安普請に見えるんだよナァ。

120r4a0319 映画『イミテーション・ゲーム』の舞台となった場所ね。
このブレッチリ―・パークで第二次世界大戦中に難攻不落と言われたドイツの暗号「エニグマ」を解読した。35この記事を書くに当たってもう一度『イミテーション・ゲーム』を観直してみた。
最初に観た時は、『プロジェクトX~男たちはいかにしてドイツの暗号を解読したか』みたいな内容を期待していたものだから、まったくの期待外れだった。
今回は全く視点を変えて観たので、前回よりははるかにオモシロく観ることができたが、やっぱり伏線の張り方が甘いし、わかりにくい。
コッチはなまじ色んな本を読んで知識を蓄えているもんだから、細かいところも色々と気になってしまうんだな~。
でも、キーラ・ナイトレイはヨカッタ。

Igさて、ブレッチリ―・パーク。
展示室のエントランスのようす。
高いのよ…入場料が。
大人ひとり£21.0だから3,000円近く。
4年前に訪れた時は家内と一緒だったんだけど、2人分の値段にビビって断念。
ディズニーランドじゃあるまいし、公園くんだりに2人で6,000円も出せんよ。
家内には悪いが、今回は1人だったので代表して見学させてもらった。

120r4a0816 「OXFORD」、「CAMBRIDGE」の名前が入った標識。
実はコレには意味があって、このブレッチリーは比較的オックスフォードにもケンブリッジにも便利なロケーション。
その2つといえば、そう、世界の天才が集まる大学都市。
つまり、暗号解読のための優秀な人材を調達したり、研究機関と連絡を取り合うのに利便性が高いロケーションだったのだ。40第二次世界大戦が激化すると、ブレッチリ―・パークの役割が大きくなり、ココで働く暗号解読者の数は、初めはごく限られていたが最盛期には9,000人にまで膨れ上がった。(9,000人というデータが園内の場所によって11,000人になったり12,000人になったりしていた)
ブレッチリ―・パークが発する情報はイギリス軍と同盟軍に大きな成果をもたらし、今となっては「D-Day(ノルマンディー上陸作戦)」の成功もその情報によるところが大きいとされ、第二次世界大戦の終結を少なくとも2年早め、敵味方を問わず多くの命を救ったと言われている。
それほど「暗号解読」の仕事ってのは重要だった。
そんなスゴイ仕事をしていた場所なのに「ブレッチリ―」の名前を知っている人はそう多くない。
かく言う私もMarshallの住所としての「ブレッチリー」は知っていたけど、暗号解読の話は知らなかった。
ナゼ、そんなに無名だったのかというと…戦後も長い間極秘扱いになっていたからだ。

50暗がりのホールの壁に映し出されていたのは戦時中のニュース。
映像がオイルヒーターに思いっきり被っているところが安普請たる所以?80展示品を見てみよう!
「戦時下をいかに上手に過ごすか」なんてガイドブックや認識票等の戦時中のグッズ。
左下の「RATION BOOK」というのは「配給票」の綴りだろう。
アメリカの援助を得ていたとはいえ、イギリスの庶民も物資不足に苦しんでいたのだ。
ナゼかというと、大西洋の制海権をドイツ海軍のUボートに握られていたから。11_0r4a0820左のピンクの本、『MAKE DO AND MEND』というのは「新しいモノを買わないで、古いモノを修理して使う」ということ。
「ゼイタクは敵だ!」的なことをイギリスでもやっていた。11_0r4a0821「Dispatch Rider(ディスパッチ・ライダー)」と呼ばれる郵便配達人が使用したオートバイ。
「Don R's」と知られ、女性のライダーがたくさんいたという。
彼女らの使命は、「Y Station」と呼ばれるイギリス各地にある信号受信基地で傍受したドイツの通信内容を関係各部署に配達することだった。
ブレッチリ―・パークに配達に来る時には、バイクのエンジンの音が暗号解読者たちの思考の妨げにならないように裏口からソ~っと入ってきたとか。90まるで冷蔵庫のドアに貼ってある備忘メモみたいだけど、暗号解読のプロセスがごく簡単に記してある。
どれどれ…
STEP1:敵の通信を傍受する
敵の本部や戦地の陸軍、海軍、空軍から発せられたメッセージを傍受する。
STEP2:メッセージがどのように暗号化されているかを突き止める
知力や直感を使い、敵のメッセージを注意深く目を通し、新しく開発された機械を駆使してその日の暗号パターンを読み解く。
STEP3:解読
暗号パターンが解けたらチーム総出でその日傍受したメッセージをすべて解読する。

11_0r4a0833 STEP4:翻訳
軍事専門家がその情報の価値を評価できるように、言語のスペシャリストが解読された情報を英語に翻訳する。
STEP5:情報の分析
敵の動きをより詳しく突き止めるために入手した情報と保有している情報との関連性を分析する。
STEP6:突き止めた情報を上層部に送る
得た情報が適切な人々に到達するよう確認する。その情報が上層指揮官にとって有益か?総理大臣が知りたがっている情報か?

11_0r4a0834 ドーン!
そこで登場するのがコレ。
ドイツ軍自慢の「エニグマ暗号機」。

130この数日前に大英図書館で生まれて初めてホンモノのエニグマ暗号機を見て大興奮しちゃったんだけど、ココにはゴロゴロしていたわ。

110使い方はチョー簡単!
手前の丸いキーを打つと内部の電気回路を通過して、すぐ上のアルファベットのいずれかが点灯する。
その変換された文字を書き取って、通信士に渡してモールス信号で相手に暗号化されたメッセージを送るだけ。
メッセージを受け取る方も同じエニグマ機を持っていて、初めに送信者と同じ設定にしておけば、送り手と逆のプロセスを経て、送り側が打った元のアルファベットを知ることができる。
その文字を書き取って「フムフム…」となる。
ココで大切なのは、メッセージの送り手のエニグマと受け手のエニグマの設定を完璧に同じにしておかなければならないこと。
さもないと受け手はチンプンカンプンになってしまう。
それを防ぐために、ドイツ軍はその設定を記載したコードブックを各部署に配布して、毎日その初期設定を変えていた。
あの映画の中で、夜中の12時なると「クソったれ~!」と暗号解読者が癇癪を起して怒鳴るシーンがあったでしょ?
アレは、せっかく解読作業が進んでいたのに、夜中の12時になってエニグマの初期設定が変わってしまい、完全に振り出しに戻ってしまうから。

0r4a0842この暗号機の一番のセールスポイントは上の写真の左側に見えているギザギザ。
この中には「ローター(スクランブラー)」と呼ばれる下の写真のようなモノが入っていて、一文字キーを打つたびに一番右のヤツが回転して内部の電気信号系統を変更してしまう。
コレが26目盛り進むと、真ん中のスクランブラーがひと目盛り回転する。
今度は真ん中のローターが26目盛り進むと一番左のヤツがひと目盛り進む。
コレ、ナニをやっているのかと言うと、サイファー暗号(一文字を一文字に割り当てるタイプの暗号。彼らは文字を26個しか持っていないのでこの方式がメッチャ便利)の一番の弱点は、ある文字が常に同じ文字に変換されることなの。
「頻度分析」といって、暗号解読者がまず目をつけるのは同じ文字が続く部分なのね。
このエニグマはローターが回転して信号の経路に変化を持たせることによって「A」のキーを打つと、ある時は「H」に、またある時には「M」に変換しちゃうワケ。
そして、絶対に「A」自身には変換されない。
このローターの目盛りには数字が記されているけど、基本はAからZまでのアルファベット。

11_0r4a0071 それに加えて、手前にある昔のシンセサイザーのパッチみたいなヤツ。
コレは「プラグボード」と呼ばれていて、アルファベットが書かれているジャックをを結線して、はじめっからその2つのアルファベットを入れ替えちゃう。
イヤン、イジワル!
こうした回路を経て構成される順列組み合わせの数は…改行します…
159,000,000,000,000,000,000通りあるのだそうです。
コレ、1垓5900京通り。
一体それっていくつだ?…みたいな。
暗号解読の作業は地道に総当たりでやるしか方法がなく、もうこうなっちゃうと解読するには機械に頼るしか方法がなかったというワケね。
ちなみに、この「159,000,000,000,000,000,000」ね、英語でどう読むかと言うと…
「159 million million million」となるらしい。
「7月6日は右のローターは「H」、真ん中は「T」、左は「B」、プラグボードは「C」と「Q」、「I」と「S」…」とかいう風に決めておいて、メッセージの送り手を受けてはこの設定に従って信号のやり取りをするワケ。
解読者たちはこの初期設定を突き止めるのに苦労したワケだ。120エニグマ以外の暗号機も展示されていた。
たとえばコレ。
「Hagelin C38」というモノ。
まさか読み方は「ハゲリン」じゃないだろうな。
スウェーデンのボリス・ハーゲリン(かな?)という人の作品。
この人、写真を見るとハゲてなかった。

11_0r4a0848 イタリア軍が使用していたそうだ。140Yステーションで使われていた信号を傍受する機器。

150コレはドイツ軍の通信兵が使っていたモールス信号機。
モールス信号と言うのは、トンツー、トンツーやっているウチに打ち手のクセが出て来て、長いことやっていると傍受する側は誰が売っているのかがわかるようになるらしい。

160通信兵のためのマニュアル。
表紙の下に「His Majesty's Statinery Office」とある。
コレは「王室出版局」といって、日本で言う官報を出版する公的部署。
1996年に民営化されて「The Stationery Office Ltd.」となった。
それまでは当然「Her Majesty's Stationery Office」だった。
しからば、この「His Majesty」は誰か?
エリザベス女王のお父さんですね。11_0r4a0857つまり、ジョージ6世。
この映画の主人公。
コリン・ファースもジェフリー・ラッシュもとてもいいんだけど、映画としては私は全くオモシロイと思わなかった。
うるさくてゴメンね。
やっぱり脚本が雑で感情移入できないんだよね。

11_ksそれと、上の映画の副教材みたいな作品だったけど、このドキュメンタリーはとてもオモシロかった。

G6 それと、ジョージ6世とエリザベスということであれば、この『ロイヤル・ナイト』という『ローマの休日』の亜流みたいな作品もオモシロかったです。
11_eno「Siemens and Halske(ジーメンス&ハルスケ)」社製のテレプリンター、T52。
「テレプリンター」というのは日本では「テレタイプ端末」と呼ぶそうで、通信機能を持つ電機タイプライターのこと。180何やらモノスゴク仰々しいルックス。
エニグマは前線で使用されることが多かったが、T52は電話回線を利用したサイファー暗号機(前述の文字を置き換える暗号)としてドイツの海軍と空軍に使用された。
電話回線を使われると、信号を傍受するのが困難になってしまう。
ブレッチリ―はドイツのサイファー暗号機を「Fish」というコードネームで呼んでいたが、このT52だけを指して「Surgeon」と呼んでいた。
「suegeon」とは「チョウザメ」のこと。11_0r4a0862 お、コードとサイファーの違いを開設してるじゃん。
ナニナニ…。
CODE:単語、フレーズ、数字などを別の単語、フレーズ、数字に置き換える方式。
たとえば「YOU ATTACK AT DAWN(あなたは夜明けに攻撃する)」を「BUY SOME MILK(ミルクをいくらか買って)」のように完全に違う文章に変えてしまう。
メッセージの受け手はそれを読み解くコードブックが必要となる。
CIPHER(またはCYPHER):文字や小さな文字のカタマリをそのまま他の文字や数字に変換してしまう方式。
例えば「YOU ATTACK AT DAWN 」を「BPYFW WGZXG QSVRP」のように何らかの文字や数字の組み合わせにしてしまう。
メッセージの受け手は当然、何の文字がどう置き換わったのかを知っておかなければ読み解けない。
ブレッチリ―・パークの暗号解読者は主にこの仕事に携わっていた。

190ブレッチリ―・パークのスタッフは暗号解読のために利用できるものは何でも利用したという。
しかし、ほとんどのアイテムは終戦時に処分されてしまい、ほとんど残っていない。
 
この3本の細長い帯はエニグマのローターをシミュレートしたもの。

200この辺りのゴチャゴチャと数字やら記号が書いてある書類はいかに暗号解読が複雑怪奇なモノであったかを物語っている。

210上下の写真は後に上級暗号解読者となるオリバー・ローンという数学研究者の資料。
彼や彼の仲間は特別の言葉や意味のない言葉を用いて自分たちの暗号解読の方法を記していたという。
それじゃ、それ自体が暗号になっちゃうやんけ!11_0r4a0869昭和19年の「陸軍宛名略号書第5号」by 「参謀本部」。
戦線が極東にまで拡大すると、ブレッチリ―・パークの仕事は日本軍の暗号解読にまで及ぶようになった。

220v「Typex」というイギリスのサイファー暗号機。
エニグマとほとんど同じ動作をしたようだ。230Typexに使用されていたのであろうか、傍らに展示されていたローター。
ね、アルファベットが記されているでしょ?

240傍受したオリジナルの暗号文。
ゴメンね、見えないね。11_0r4a0882 「D-Day(ノルマンディ上陸作戦)」の直後に「Garbo(ガルボ)」というコードネームの二重スパイから送られてきたドイツ語の書類。
「ベルリンからマドリッドへ」のようなナマナマしい記述が掲載されている。
Garboはドイツ軍をダマし、連合軍がノルマンディに上陸するのを手伝ったひとり。

11_0r4a0888_2まぁ、この「Garbo」というコードネームはどう考えても『ニノチカ』でしょうな。
グレタ・ガルボが演じるソ連からパリにやって来た女スパイを主人公にしたコメディ。
コレ、ビリー・ワイルダーも脚本チームに名を連ねているんだよね。
しかし、こんなわかりやすいコードネームでいいのかしら?

Nino ブレッチリ―・パークでの仕事には翻訳の業務がつきものだった。
当時のイギリスでは全くなじみのない日本語を習得するのはかなり大変だったようだ。
日本が「適正言語使用禁止」として「いいタマ、打者ダメ!」とかやっている間にアメリカやイギリスでは日本語の猛勉強をしていたワケ。
270当時使用していた英和辞典。

260単語カードを作って漢字を覚えるぞ!

280日本語は英語から最も遠い言語のひとつと言われているからね。
漢字もあるし、大変だったと思うよ~。

290そもそも先生が少なかったんじゃないかしら?
夏目漱石がロンドンにいる頃だったらヨカッタのにね。
310vコレはドイツの略号辞典。
省略記号⇒正式名称⇒英訳という構成。
よく勉強してるわ~。
250数学者であり、12もの交響曲を作曲したダニエル・ジョーンズという暗号解読者の日本語の勉強のためのノート。
一体、ナニに使ったんだ?300解読者たちはどんなことでもカード形式にして情報を蓄えて行った。

11_0r4a0927やっぱ情報をキープするのはカード形式が最も効率がいいのかな?

11_0r4a0925 展示室を出る。

通路に展示されていた「G-110」というシリアル・ナンバーが付されたエニグマ。
このタイプは主にオランダとハンガリーに販売された。
この個体は1931年に製造されてハンガリーに出荷されたモノ。320「CREED MODEL 7B」というテレプリンター。
コレも傍受したドイツの暗号をブレッチリ―・パークに送信するために使われていた。330動作音が大きくてやかましいらしく、元々は鉄製のフタがついていた。

340コレもTypexのテレプリンター。

360廊下に展示されていたエニグマ。
最初はあんなに珍しがっていたのに、そこら中に置いてあるのでスッカリ慣れてしまった!
 
コレはドイツ空軍が使っていたエニグマ機。
エニグマ機は1918年にドイツのアルトゥール・シェルビウスという発明家が特許を取得した。
シェルビウスは重要な情報の秘密保持を実現する道具として企業と軍に売り込んだが、今の価値で300万円ちかい値段がついていたためウケが悪かった。
企業はたかが秘密の保持のためにそんなに大枚をはたくことは難しかったし、軍は情報戦が原因で第一次世界大戦に敗れていたことに気づいていなかった。
しかし、ドイツ軍がそのことを確信した20年後、エニグマを3万台買い上げたという。
そして、ドイツ軍は当時誰にも解読されることがない世界最強の暗号を手に入れた…というワケ。
ちなみにシェルビウスはその前に他界したため、エニグマの成功も、解読される失敗も見ることができなかったとさ。
11_0r4a0954 隣の部屋の展示。

60ん~、特に書くことなし。

370博物館の展示を見学し終えて外に出てみる。

380ウワ~、気持ちいい~!
さっき雨降ってたのにな~。

390広場ではバンドが古~いジャズを演奏していた。
しかし、キレイだな~。

400おお~、コレがあの有名な「マンション」か~!

410映画にも出て来た施設ね。
次回はココからお送りします。

420<つづく>
 

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年4月22日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.44 ~ 10ccに会いに行く <後編>~ストロベリー・スタジオ物語

ストックポートの駅を出る。
お、早速プラークを発見。

270 ナニナニ…「チャンネル諸島からの避難民」か…知らんな。
調べてみよう。
1940年6月、7月、そして8月、ストックポートは1,200人のチャンネル諸島からの避難民を受け入れました。
1945年5月に島が解放されるまで当地の数々の家庭で子供たちの面倒をみました
 
チェンネル諸島は英国海峡(British Channel:ドーヴァー海峡の西)に浮かぶ島々で、限りなくフランスに近いがイギリスが管理をしているエリア。
しかし、イギリス(United Kingdom)には含まれず、「王室属領(Crown Depedencies)」
呼ばれるイギリス国王の領土。
自治権を持っているが、外交と防衛はイギリスが面倒を見ているのだそう。
前回触れたマン島もこういうこと。
そのチャネル諸島をドイツ軍が1940年5月に占領。
9万7千の住民のうち、3万1千人が避難した。
そのウチの1,200人がストックポートで保護されたというワケ。
しかし、5年ものあいだ、縁も所縁もないヨソの家の子供を引き取って面倒をみるなんて大変なことだよな~。
コレもチャーチルの「Never give in(負けるもんか)」の号令一家下、国家が一丸となっていたことの証左か?
やっぱりリーダーがしっかりしていて魅力的な人だと国はこうなるんだろうナァ。

275 とりあえず街中を歩き出す。
駅から少し離れて大通りに出るとさっそく立派な建物が!
コレは市庁舎。

280街並みはイギリスの地方でよく見かける雰囲気。

290「ギャリック・シアター」ってのはどこにでもあるな。
この「ギャリック」というのは18世紀のイギリスの俳優、「David Garrick(デヴィッド・ギャリック)」のこと…でしょうね。
この人は、シェイクスピアの悲劇を演じると右に出るモノはいないと言われ、後年はコヴェント・ガーデンに今でもある「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の支配人を務めた。

300カンタベリー派のファンの皆さんには「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の名前はロバート・ワイアットのライブ盤でおなじみだろう。

Rw 18世紀、ストックポートにはイギリス本土で最初の絹織物工場のひとつがあった。
19世紀になって主要産業が綿織物やその関連産業に移行し、ストックポートはイギリスの帽子産業の中心となった。
1884年頃には、年間600万個もの帽子を輸出していたという。
昔は帽子は洋服みたいなものだったからね。
時を経て身だしなみが変わり、帽子の需要も激減し、1997年を最後に工場は閉鎖された。
この「Hat Museum」、帰りに見ようと思っていたんだけど忘れちゃった!

310さて、マズウェル・ヒルの時もそうだったんだけど、ストックポートの街中にも地図がゼンゼン見当たらない。
目的地がある通りの名前はわかっているので地図さえあれば何とかなるのだが…。
と、ややイライラ、キョロキョロしながら歩いていると、図書館が目に入った。
そうだ!図書館に行けば何らかの手掛かりがつかめるかもしれない!

320「Stockport Central Library」に入ってみる。

330vクラシックな外観と異なり館内はかなりモダンなつくり。

340お!「はらぺこあおむし(The Very Hungry Caterpilar)」だ。
ウチの下の子が小さい時によく読んでいたので知ってる。

350本の整理をしていたおジイさんに「このあたりの地図はありませんか?」と尋ねると「どこへ行きたいのですか?目的地の住所はわっていますか?」とおっしゃる。
とても紳士的なレスポンス。
住所を伝えると「コチラにいらっしゃい」とパソコンのあるところまで私を呼んで住所をインプットして地図を見せてくれた。
「プリントして差し上げましょう」と言うので、遠慮して携帯で画面を撮影させてもらった。
親切だよ~。
本当にイヤな顔ひとつしないで自分の仕事を中断して対応してくれた。
おジイさんに丁寧にお礼を伝えて図書館を後にした。

360方向はさっき通りかかった市庁舎の方で合ってたんだ!
市庁舎の横の入り口にプラークを発見。

370

「ストックポート市庁舎 
1908年7月7日開業。新レン様式を取り入れたアルフレッド・ブラムウェル・トーマスの設計。TRH プリンス&プリンセス・オブ・ウェールズによって除幕された」
この「TRH」には苦労した。
「RH」は王室メンバーに対する敬称の「Royal Highness」の頭文字であることはすぐに思いつくが「T」がわからなかった。
「HRH」だったら「Her Royal Highness」とか「His Royal Highness」なんだけど。
インターネットで調べてもよくわからない。
そこでハッとして目を付けたのが「Prince and Princess」という複数のウェールズ公。
ひとりずつ省略せずに記せば「His Royal Highness」と「Her Royal Highness」になるハズ。
そうか…複数形になってるんだ!ということに気が付き、「TRH」は「Their Royal Highness」の頭文字ということで納得した。
イギリスに確認したところ…大正解!

380「レン」とは「Christopher Wren(クリストファー・レン)」という17世紀のイギリスの建築家。セントポール大聖堂を設計した人。
道理で荘厳なデザインなワケだ。

11_img_0198 セント・ポールはコレね。
メリー・ポピンズのヤツ。
コレの流れを汲んでいるというワケ。

122img_4947さて、図書館のおジイさんに検索してもらった地図を参照にWaterloo通り(ウォータールー)を進む。
しっかしキレイなところだな~。天気もいいし。

390そして、いよいよ見えて来たのが今回のマンチェスターへの旅の最初の目的地。
405写真の左側の建物が… 400「Strawberry Studio(ストロベリー・スタジオ)」だ!
<前編>でさんざっぱら騒いでいたヤツね。

420コレがあの「ストベリー・スタジオ」か~。
ココで10ccのアルバムが作られていたんだゼ!
夢に出て来たことはないけど、うれしいな~。
425お、プラークが取り付けられているぞ。

430ストロベリー・レコーディング・スタジオ
1967から1993年
10ccのホーム。ジョイ・ディヴィジョン、ポール・マッカートニー、マーティン・ハネット、ニール・セダカ、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、そしてザ・シド・ローレンス・オーケストラ他、たくさんのアーティストが忘難い音楽を作るためにこのスタジオを使用した

440 ココからストロベリー・スタジオと10ccの物語…。
ストロベリー・スタジオは最初からこの場所にあったワケではなく、1967年にストックポートの街の中心にあった「ニールド&ハーディ」というレコード店の上の「インナー・シティ・スタジオ」が母体となっている。
Billy J. Kramer with the Dakotas(ビリー・J・クレイマーとザ・ダコタズ)のマネージャーを務めたりしていたPeter Tattersall(ピーター・タッターソール)がそのスタジオと機材(2台のテープマシーンと数本のマイク)を買い入れることを決心。
約500ポンドを支払い、その後の数か月間、朝7時から午後2時まで地元のパン屋で働き、スタジオ建設のための資金を貯めた。
 
ちなみに…このビリー・J・クレイマーという人はリヴァプール出身の歌手で、その芸名はジョン・レノンからが与えられた。
「Do You Want to Know the Secret?」、「I Call You Name」、「Bad to me」等のビートルズ・ナンバー、あるいはレノン=マッカートニー・ナンバー他を歌って人気歌手となった。(もちろんアビィ・ロード・スタジオ録音)
イギリスから遠いところに住んでいる我々は、ビートルズというとやれ『Help!』だ、やれ『Let it Be』だと、ビートルズ本体のことしか頭にないし、それが当たり前のことだとは思うんだけど、その当時の周囲の状況を知れば知るほど、イギリスにおけるビートルズの影響というモノが巨大であったことに感心する。
「ダコタズ」だなんてね~。
ジョンが入り口で射殺されたセントラル・パーク・ウエストの自宅マンションの名前は「ダコタ・アパート」という。

Bjkロマン・ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』を撮影したのもダコタ・アパート。
「エイドリアン・マルカトー」とか「ローマン・キャスタベット」とかね…スキで良く観た。

Rmb1967年当時、ロンドン以外にはプロユースの本格的なスタジオが存在せず、そのインナー・シティ・スタジオはマインドベンダーズ(Waynne Fontana & The Mindbenders)やハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)といった地元マンチェスターのアーティストのPR素材やデモ音源を作ることを生業としていた。
一方、サイド・ビジネスとしてスタジオの仕事にかかわることを希望していたMindbendersのメンバーだったエリック・スチュアートは、この頃からこのスタジオに関わるようになった。
タッターソールはエリックをビジネス・パートナーとすることにし、エリックは機材のレベルを上げるために800ポンド(当時の為替レートで80万円ぐらい)を投資した。
エリックが合流すると、好きなビートルズの「Strawberry Fields Forever」にちなんで「Strawberry Recording Studios」と名前を変えた。
宣伝惹句はキャッチーに「Strawberry Studios Forever」だったらしい。
その後、「この建物は隣の古いビルが火事になったら逃げられないのではないか?」…ということに気づき、ビビッて引っ越しをすることにした。
そして、Waterloo通りに良い物件を見つけ、自分たちで内装工事に当たった。
それがコレというワケ。

11_0r4a0006 ストロベリー・スタジオは地の利を生かして愛用者を増やしていった。
マンチェスターといのは音楽が盛んな街ですからね。
何せ遠くて使用料も高いロンドンのスタジオまで行く必要がないんだから、こっちの人にとってはありがたいにキマってる。
マンチェスターからロンドンまでは290km。
今の速い電車2時間半ぐらいかな?
昔はそうとう時間がかかっただろうからね。
後援者も増え、その中には2,000ポンド(200万円近く!)を出資した地元出身のシンガーソングライター、グレアム・グールドマンがいた。
そうした資金援助を背景に機材を増強したストロベリー・スタジオは、地元のアーティストのために本格的にレコーディング業を開始した。
 
ところで、10ccでボーカルズとベースを担当したグレアムは、1969年までニューヨークで「バブルガム・ミュージック」の旗手カセネッツ・カッツ(ジェフ・カッツ)と仕事をしていた。
しかし、ストロベリー・スタジオができたものだから、イギリスに帰って地元で音楽制作の仕事がしたいと申し出た。
その際、ストロベリーにいたエリックとその友人のロルとケヴィンをスタジオ・ミュージシャンとして起用することも願い出た。
グールドマンは<前編>で少し触れた通り「For Your Love」や「Bus Stop」、「No Milk Today」らのヒットでもうその名を馳せていたからね。
下は1968年の最初のソロ・アルバム…コレはストロベリー録音ではなくてロンドンのオリンピック・スタジオでの録音。
関係ないけどグレアムって、昔私がいた会社の社宅の隣の人に似ていてね。ラクダ系のお顔。
すごくお世話になって、その会社を辞めて20年経った今でも年賀状のやり取りをしている。

Gg一方、エリック、ロル、ケヴィンの3人は様々な仮名でレコードをリリースし、人気バンドになれる可能性を秘めていたため、ストロベリーは4トラックのテープマシンを購入。
1970年に3人は「Hotlegs(ホットレッグス)」というバンド名でシングル盤をリリースした。
それが「Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)」。
ロルによると、この曲はただただ新しい機材の調子を試すために演奏したモノで、ケヴィンが延々と叩くドラムスに合わせて歌をギターを思い付き程度に被せただけのシロモノだったらしい。
それが全英第2位の大ヒット!

Nmナント、日本国内盤も出ていたというのだから驚く。
昔のレコード会社はスゴかったね…と思っていたんだけど、そうではなくて何にも知らないでリリースしていたらしい。
だって当時の日本のレコード会社には、ロックのことがわかる人がほとんどいなかったっていうんだから。
契約している海外のレーベルから「コレを国内盤でリリースしなさい。そうしないと契約は打ち切りますよ!」と揺さぶられ、押し付けられたモノを右から左へと出していただけだったらしい。
コレは古くから業界に関わる方から直接お聞きした話だからホントの話だろう。
だから久間正英さんが生前におっしゃった「日本のレコード会社は自分の商品を知らずに商売をしていた。そのツケが今回ってきている」というご指摘は的を得ているようだ。
今の「音楽シーンをオモシロい」と思っている人は「オモシロい音楽シーン」を知らない人だと私は思う。
今の日本の音楽シーンは、ドメスティックで凝り固まり、どこを切っても同じようなモノばかりを取り揃えた結果、聴き手や消費者の「音楽を聴く力」を奪ってしまい、突破口が見出せないでいるような状態に見える。
芸術というモノは作る方のレベルの高さがもちろん大切だが、本当は鑑賞する方の知性の高さが芸術の質の高低を決定させていると思うのだ。
だから芸術を鑑賞する側は、与えられるモノ以外のモノにも興味を示し、「いいモノ」を「いいモノ」として受け取る能力を高めないと芸術は死んでしまう。
決して「売れるモノ」だけが「いいモノ」ではないのよ。

JnmHotlegsは自分たちのアルバムをリリースする傍ら、幅広いアーティストをプロデュースし、時にバックバンドを担当した。
マンチェスター、リーズ・ユナイテッド、エバートン、ベリーのフットボール・クラブのチームの応援歌なども制作。
興味深いのは、ニール・セダカ。
「Happy Birthday Sweet Sixteen」、「Breaking up is Hard to Do」、「Littel Devil」、「The Diary」…いいんだよね~。
今の若い人たちはニール・セダカなんて全く知らないだろうナァ。
「エ、その人、そんなに大きいんですか?」なんてのが関の山だろう(「背高」ね)。
「Sedaka」なんてどこの名前かと思ったら、祖父母がトルコからの移民なんだね。
ゼヒ、若い人に聴いてもらいたいナァ。
こういう類のモノのいいところは下の写真のような安く売ってるベスト盤を1枚買っちゃえばコトが済んじゃうこと。
曲のクォリティに関して言えば、今のそこら辺の曲のCDを100枚合わせてもこの廉価ベスト盤1枚に到底かなわないだろう。
そりゃそうだ、「ポップ・ミュージック」という世界がまだ未開拓の荒野で、ほぼナニもなかった時代の音楽だもんね。
そういえばウチに来る24、25歳の若いNATALのドラマーに聴かせたら一発で気に入ってすぐにCDを買いに行ってたよ。
今の若い子にしたら「変わり者」か?
この子、The Shaggsも教えてあげたんだけど、メッチャクチャ気に入って、ウチで聴いたファースト・アルバムだけじゃなく、自主的にセカンド・アルバムも買ってた。
やっぱり普通じゃないってことか。

11_2sedaka ナンだって取り立ててニール・セダカを出して来るのかと言うと、ストロベリー・スタジオでレコーディングしているからだけではなくて、バックを丸々10ccが演っているから。
当時、世間では存在を忘れ去られつつあったニール・セダカだったが、マネージャーがグレアムと同じ人で、Hotlegsの3人にグレアムを加え、「Doctor Father」名義でバックを務めさせた。
要するにココで10ccの4人が一緒になった。
そして、ストロベリーで1972年に『Solitaire』を、翌年『The Tra-La Days Are Over』と、2枚のアルバムを制作したワケ。
チョット聴いてみるとさすがセダカ…いい曲揃いです。
そして10ccの演奏のウマいこと、ウマいこと!
ホントに器用な人たちだ。

St

Tralaこうしてグレアムが加わり、他のアーティストの音楽制作に打ち込む一方、4人のミュージシャンが自分たちの音楽を作ることを決心。
UKレコードのジョナサン・キングのバックアップの元、1972年にシングル「Donna」を10ccの名でリリース。
それがUKチャートの2位まで上昇するヒットとなった。
そして<前編>で紹介したファースト・アルバムにつながる。
<前編>でバンド名の由来について書いたけど、気になって後で調べてみた。
成人男性の射精量は2~5ccとされているんだって。
だから「10cc」というバンド名を決めたのは、夢の中で「世界で最も偉大なバンドが10cc」とお告げを受けたジョナサン・キングだけど、その「10cc」という言葉自体の意味はそういうことになるのかもしれない…ということにして逃げ道を作っておこう。

Donna1972~1976年に10ccが大成功を収め、ストロベリー・スタジオはメジャーなスタジオとなった。
彼らの4枚のアルバムと8枚のトップ10ヒットシングル(うち2枚はナンバー1)がストックポートで録音されたとあればスタジオの知名度も上がるにキマってる。
スタジオは経済的に余裕ができ、機材も充実して行った。
また、ストロベリー・スタジオは「10ccの本拠地」であるだけでなく、同時に相変わらず外部からのアーティストも受け入れ続けた。
例えば…Bay City Rollersの1975年の「Give a Little Love」というヒット・シングルはストロベリーで録ったそうだ。
アルバムはどうなんだろう…。

Gll…と思って調べてみたら驚いた!
私の世代なら間違いなくおなじみであろうコレらのBay City Rollersのアルバム…

Bcr1_1

Bcr1_2コレってチッピング・ノートンで録ってるんだね~。
興味のある方はコチラ
 ↓  ↓  ↓
【イギリスーロック名所めぐり vol.16】 コッツウォルズにロックの名所なんかあんの?!

440 それからポール・マッカートニーは弟のMile McGearのアルバム制作でストロベリー・スタジオを使った。
Mike McGear(マイク・マックギア)の1974年のその名も『Mcgear』というアルバム。
この方、本名をPeter Michael McCartneyとおっしゃる。
コレ、ジャケットがいいな。
今回初めて聴いたけど…ナカナカいいね。
Roxy Musicの「Sea Breezes」なんかを取り上げている。
バックはWingsなのね。

Mcgear1975年になるとストロベリー・スタジオは隆盛を極め、1976年の『How Dare You!』のレコーディングの時には10cc自身がスタジオを押さえることが出来なくなってしまった。
そこで予てからのアイデアであった、サーリーのドーキングという所に2番目のスタジオ「Strawbweey South」をオープンすることにした。
大当たりですな。
ところが好事魔多し。
「South」での初めての録音の時にはロルとケヴィンはいなくなっていた。
理由は<前編>で触れた通り、自分たちの実験的なプロジェクト『Consequences』に取り組んでいた2人は、エリックとグレアムが次のアルバムのために用意していた「The Things We Do For Love」を耳にして、その旧態依然としたスタイルをがバカバカしく感じてしまったのだそうだ。
ところがこの曲がアメリカ大ヒット。

Twdfl

Csq<前編>で紹介した10ccの5枚目のアルバム『Deceptive Bends』のジャケットにクレジットされている「(South)」はそのサーリーの2番目のスタジオのこと。

0r4a0185_2しかし、ストロベリー・スタジオの快進撃はまだ続く。
オリジナルのスタジオのビルの向かいに「Strawberry 2」を開業。
古めの機材を持ち込む代わりに料金を安く設定して営業を始めた。
本体にはBerkley James Harvestやロル&ケヴィンなどの常連も通い続け、70年代後半にはマーティン・ハネットがストロベリーと手を組み、Joy Division, Durutti Column, Pauline Murray, The Names, Minny Pops, Stockholm Monsters等の音源を制作し、この関係はマーティンが死ぬ1991年まで続いた。
他にもThe Buzzcocks, New Order, Crispy Ambulance, Blitz, The Wake, James, The Smiths, Simply Red and Saint Winifred’s School Choirなどもストロベリー・スタジオの常連となった。
ゴメンなさい…この辺りになるとサッパリわからないし興味もないのでコメントなし。
でもこのデザインは知ってる。
よく見かけるよね。

Jd しかし!
1986年になると、デジタル・レコーディングや打ち込みの普及、それにともなう宅録ムーブメントがストロベリー・スタジオを襲う。
高い評判を維持していたにも関わらず、ストロベリー・スタジオは店を続けて行くのが困難となり、2年ほど前に「ストロベリー2」を買収していたライバル会社の「Yellow2」というところに本体も売却することになった。
Yellow2の社長、ニック・ターンブルは「『Strawberry』の名前は世界でもトップ・クラスのモノである。我々のエンジニアとプロデューサーを配置し、『Strawberry2』と併せてイギリスのレコーディング・シーンを牽引していくであろう」と豪語した。
ところが皮肉なことに、従来式レコーディング・システムの本体とフル・デジタル・レコーディング装備の「2」という相反する体制は、使用するアーティストに色々な面で「どちらのスタジオを使うべきか?」という難題を投げかけることになってしまった。
アナログ⇒デジタルの過渡期に当たっちゃったんだね。
結局、1988年には体制を本体のスタジオだけに戻し、一時は勢いを取り戻したものの、デジタル化の暴風が吹きすさぶ日進月歩の録音機材の変化について行くことが経済的に出来なくなってしまった。
この頃になると、そうした最新鋭の機材を導入する余裕があるレコード会社が運営するレコーディング・スタジオが存在感が放ち、そうではない一般の小さなスタジオは存続が難しくなっていった。
そうして、1990年代に入るとストロベリー・スタジオのオーナーはレコーディング事業から撤退し、ビデオ事業に専念することを決心する。
結局はそれもうまくいかず、1993年にストロベリー・スタジオは廃業してしまった。
  
ストロベリー・スタジオの昔のパンフレット。
スタジオで常備している機材がズラズラっと載っている。
レコーディング・スタジオってのはいかに「機材が勝負」か、ということを思わせるナァ。

525v以上がストロベリー・スタジオの物語。
感動した?
しないか。
私みたいな古い人間にとっては、デジタル・テクノロジーってのは、こと「音楽」に関して言うと全てをブッ壊してしまった感があるナァ。
便利な部分があることは認めるが、今にして思うと創造性についても、ビジネスについてもいいことはほとんどなかったんじゃないの?
「I'm not in Love」の話なんか素晴らしいじゃない。
アナログの頃は、人力でできないことを何とか達成しようとする知恵と努力と風情があった。
ギター・アンプなんかヒドイもんだよ。
でもね…私の場合、LPからCDになって転勤族の時の引っ越しがラクになったということがあったんよ。
建物の脇には路地があって、その奥に建て増ししたような建屋の入り口がある。
人が頻繁に出入りしていた。

426写真をバンバン撮っていたら、オジさん(と言っても私より若いにキマってる)が近寄ってきた。
「ヤバい!怒られる!」とビビっていたら「何をしているんだい?」と尋ねてくる。
「イヤ、日本から来たんスけど、その…10ccの大ファンでして…もうスゴくうれしくて…」とかやっていたら、
「そう、10ccが好きなの?じゃこっちにおいでよ」と私を中に招き入れてくれた。ウオ~!
もちろん、ココがもうスタジオではなくなっていることは承知していたが、予想外の展開に大興奮!
レセプションに入って「写真を撮っても大丈夫ですか?」と確認すると「もちろん!好きなだけ撮っていきなよ!」と快諾してくれた。

427ココが元々レセプションだったのかしらん?
だとするとココにキャシー・レッドファーンがいたのかしら?
エエイ、違ってたって構わない!

450壁に掛けられたシングル「I'm Not in Love」のヒットを記念したパネル。
スタジオに関するコメントが掲載されている。
レコードの左から時計回りに…
 
「Hotlegsの『Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)』を作ったそもそもの理由はストックポートでスタジオが成り立つかを試すためだったんだ--- ロル・クレーム 1970年」
 
「ストックポートにスタジオがあるということは、我々だけでなく、我々と仲のいい他のミュージシャンを助けることになったんだ。みんなわざわざロンドンまで出かけて行ってロンドン価格のスタジオ代を支払うことにウンザリしていたからね---- 10cc 1978年」
 
「ストックポートの健全な部分…というよりむしろ質素な環境からストロベリー・スタジオ内部の素晴らしい設備を想像することはできない---- インターナショナル・ミュージシャン&レコーディング・ワールド 1976年」
 
「ピーター・タッターソールがワームウッド・スクラブスの北にスタジオを作ると言った時、周囲の人は彼は頭がおかしくなったと思った。ストックポートは北の果てだよ。『一体ダレがそんな所へレコーディングをしに行くんだ?』と彼に訊いた。彼の答えは『我々だよ』だった---- スタジオ・サウンド 1974年」
※ワームウッド・スクラブス(Wormwood Scrubs)はジム・マーシャルの生家があるホワイト・シティのチョット北。全然ロンドンのウチ。
コレを聞くとジム・マーシャルが1962年にアクスブリッジに楽器店を作ったのはかなりの冒険だったことがわかる。
 
「モータウンのスタッフはとてもうまくコトを切り回した。今ならポップソングの幅を広げようとしているストックポートだ---- メロディ・メイカー 1974年」

460v「Mercury」が寄贈した記念のシングル盤。

480ホンモノのシングル盤のA面は「I'm not in Love」でB面は『Original Soundtrack』に収録されていないゴドレー&クレーム・チームの「Good News」という曲だった。
煮え切らない感じの曲だが私はキライではない…でもアルバムに入れなくてヨカッタね。

コレ自体はエリックに贈られている。
プレートには「マーキュリーのシングル盤『I'M NOT IN LOVE』がイギリス国内で25万枚以上販売されたことを認め、10ccのエリック・スチュアートにコレを贈呈する 1975年」とある。

490その下の写真。
左は打ち合わせ中のエリックとタッターソール。
真ん中が創設者のそのピーター・タッターソール。
右は談笑する10ccの4人。ロルとケヴィンもチョット我慢して仲良くやっていればヨカッタのにね~。

11_st1 私がエントランスの写真を撮り終わったのを見計らって、そのオジさんが「じゃ、中を見せてあげるからついて来るといい」と更に中へと誘ってくれる。
こっちはもうそこがスタジオではないことはわかっているし、建物の中に入れたことだけで大満足だったので遠慮していると、「イヤ、大丈夫、大丈夫、おいでおいで!」と熱心に勧めてくれるので「じゃ」とお言葉に甘えることにした。
ドアを開けたところが下の写真。
事務所のフロアが少し低くなっていて、そこにいた人たちから私が丸見え。
そのオジさんが私のことを指しながら、事務所の人たち全員に向かって「この人、日本から来たそうだよ!」と大声で言うと、全員が私を見て「ハ~イ!」と言うワケ。
ダマっているのもナンなので「Sorry to interrupt you!  Hello, I'm from Tokyo and a big fanatic of 10cc.  That's why I'm here.  I 'm really excited!  Finally my dream came true!」とサッと挨拶した。
また「イエ~イ!」と皆さん拍手をしてくれてすぐに仕事に戻られた。
エライ恥ずかしかったわ!
今は、地元の出版社の事務所になっている。
そのオジさんが「かつてはココにスタジオになっていたんだよ」と教えてくれた。
かなり胸がイッパイになった。

510イヤ~、マンゾク、マンゾク。
ヒザの痛みなんかスッカリ忘れちゃった!
記念に自撮り。

520中学生の頃から大好きだった10ccのホームに行って、東京に帰って来て興奮冷めやらぬうちにストロベリー・スタジオのことを調べていたらこんなCDボックスセットを発見した。
『Before, During, After 10cc 』というコンピレーション・セット。

11_0r4a0007「10ccの前と最中とその後」のストロベリー・スタジオの仕事の記録。
1枚目が10ccのベスト・アルバムになっているんだけど、選曲は超ベタという感じ。
他にストロベリー・スタジオ第1号音源である例のHotlegsの「Neanderthal Man」だのニール・セダカの「Solitare」だの、ポールの「Pretty Little Head」が収録されている。
気になったのはPeter Cowapという人。
やたらとこの人の演奏曲が収録されている。
このボックス・セットで初めて名前を知ったんだけど、マンチェスター出身の歌手でグレアムと活動を共にしていたらしい。

11_0r4a0012 帰りにさっきに市庁舎にチョット寄り道してみた。

530やっぱりいいね~、こういう古い建物は。

540ココは棟続きの別館みたいになっているんだけど、十分にステキ。
エントランスの吹き抜けの天井がゴージャス。

550ん?
エントランスに置いてあった白い手袋。
その横には「JUNE」と題して(ココを訪れたのは6月)、美しいカリグラフィで人名と生年月日、没年が記してあるかと思うと、マリー・ジョーンズという人の心理学の優秀な成績を称える一文が載っていたりする。
ココでナニかセレモニーを開いた人たちの記録かな?

560…というのは、看板に「Bespoke Weddings tailored to you」とあるようにココで結婚式ができるようになっている。
「bespoke(ビスポーク)」というのは「オーダーメイド」という意味のイギリス英語。
「お望みの結婚式をあなたに仕立てて差し上げます」って。

11_img_0230 ホラ、こんなに立派で美しいホールがあるのだ!

570コレでストックポートを後にした。
行けるかどうかわからなかったストロベリー・スタジオに行けたことでスッカリ満足して他に何も見てこなかったよ!
あの帽子の博物館も行かなかったし、街中には「The Plaza」という古くて立派な劇場や100年続いている「Robinson's Brewery」というビール工場もあることを後から知った。
失敗した!
もう行かないだろうナァ。
やっぱり旅は下調べが一番重要ですな。
580vということで、ストックポートの駅へ戻って…

600今度はローカル電車で2駅先のマンチェスター・ピカデリーへ!
マンチェスターのレポートはShige Blogに掲載します。

11_img_0236<つづく> 

200_3

(2019年6月14日 イギリスにて撮影)

2020年4月17日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.43 ~ 10ccに会いに行く <前編>

 
大ざっぱに言って人の音楽の聴き方には2つのタイプがあるのではなかろうか。
ひとつは好きなアーティストをトコトン掘り下げて徹底的に聴き続けるタイプ。
もうひとつは、何でもいいからとにかく色んな音楽を聴き漁っちゃうタイプ。
私は完全に後者なんだけど、好きでズ~ット聴いている中心的なアーティストがいないワケではない。
それはフランク・ザッパ。
長いブランクはあったにせよ、中学3年の時にジャケットがオモシロいという理由で『Fillmore East - June 1971』を買ってからだから…カレコレ43年ほどのキャリアになる。
2番目に好きなのは誰だ?
コレがキメにくい。
好きなアーティストが「いつでも帰りたくなるホーム的な存在」という定義だとすれば、ビートルズを除けば10ccということになりそうな気がする。
でも、それもファースト・アルバムから6枚目のライブ・アルバムまでなんだけどね。
 
今回の「名所めぐり」はその10ccにまつわるレポート。
日本に今、果たしてどれぐらいの10ccがいらっしゃるのかわからないが、どうせ自粛期間だし、コレをいい機会に公私混同的に色々と10ccについて調べて、いつも通りウンチクを固めて記事を書いてみることにした。
そしたら止まらなくなっちゃって…2本立ての長編になってしまった!
お好きな方には少しはお楽しみ頂けましょうし、10ccをご存知ない方は旅行気分で目を通して頂き、イギリスが生んだ最高のポップ・ミュージック・チームにご興味を持っていただければ幸いである。
特に若い人になんかが10ccを聴いてくれたらうれしいナァ。
結果、老いも若きも誰も読まないような気もするけど、書いて書いて私の気が済んだからよしとするわい。
一応、おさらい的に少なくとも4人のMancunian(マンキュニアン=マンチェスター出身者)の紹介をしておけば…。
Eric Stewart (エリック・スチュアート:vo、g、key)
Lol Creme (ロル・クレーム:vo、g、key)
Graham Gouldman (グレアム・グールドマン:vo、b、g)
Kevin Godley (ケヴィン・ゴドレー:vo、ds)
…という4人のシンガー/マルチプレイヤー/ソングライターのチームが10ccね。
  
さて、私が10ccの名前を知ったのは、中学校2年の時に秋葉原の石丸電気のレコード館で「10cc」と書かれたレコード展示台(通称「エサ箱」)にはさまっていたプラスチックの仕切り板によってだった。
「10cc?変な名前だな~」
と、石丸電気に行くたびに気になっていた。
中学3年の時に、猛烈にロック好きのお兄さんがいるクラスメイトの増田くんにカセット・テープを渡して、そのお兄さんにカッコいいロックのレコードを録音してもらうようにお願いした。
増田くんのお兄さんは、録音してくれただけでカセット・テープの中に入っている音楽の情報をシェアしてくれなかった。それでもゼンゼンありがたかった。
その中にライブ盤が1枚混ざっていて、聴いてみると、オープニングのMCで「10cc!」と言ってるではないか!
ほほう、コレが10ccか…どんなもんかいな…と大した期待もしないで聴き始めたところ、1曲目の「The Second Sitting for the Last Supper」で腰を抜かした。
「オイ、チョット待てよ!10ccってこんなカッコよかったのかよ!」
アルバムはリリースされたばかりの『Live and Let Live』。
マァ、ビックリしたわな。
あの衝撃はザッパの「Inca Roads」を聴いた時に匹敵してたな。
それでいっぺんに気に入ってしまって、すぐに石丸電気レコード館に通い、それまでリリースされていた10ccのレコードをすぐに買い揃えた。
 
コレが増田くんのお兄さんが録ってくれた、1977年にリリースされた10cc初のライブ・アルバム『Live and Let Live』。
ジャケットはツマらないけど、よく聴いたナァ。
録音はハマースミス・オデオンとマンチェスター・アポロ。 

Lallコレがハマースミス・オデオン。
ハマースミスの駅から歩いて3分。
LOUDNESSもSAXONと一緒に出演した。
イギリス大使館に勤めている女性はちょうどその時ロンドンにいて、その時のLOUDNESSを観たっておっしゃってたな。
今は「Eventim Apollo」という名前になっているが、現在はCOVID019で閉鎖中だ。

650 タイトルの「Live and Let live」はもちろん「ライブ(生)」に引っ掛けているワケだけど、意味としては文字通り「あなたはあなたで生きればいいし、人は人で放っておいてやれ」ということから「他人を大きな包容力で受け入れる」という意味のことわざになる。
ま、簡単に言えば「人は人」ということですな。
『007』の第8作目、1973年の『死ぬのは奴らだ』の原題は『Live and Let Die』。
こちらは「こっちは生きて、向こうは死なせてやれ」という意味。
ポール・マッカートニーの主題歌を使ったタイトル・バックは最高にカッコいい。
曲の中でポールは「♪You used to say 'live and let live'」と歌ってるでしょ?
アルバムのタイトルは、ビートルズ・ファンでポールとの親交が深いエリックのアイデアなのかも知れない。
ちなみに『死ぬのは奴らだ』と『黄金銃を持つ男』でジェイムズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアって、我々日本人では想像できないぐらいにイギリスでは人気が高かった大スターだったらしい。

Lald1ミックスダウンはイギリス、ストックポートの『Strawberry Recording Studios (UK) Lyd』。
エンジニアは10ccのフロントマンのエリック・スチュアート。

0r4a0207以前にも書いたけど、内ジャケには機材車の運転手の名前までクレジットされている。
この細かいクレジットは、四人囃子の『ゴールデン・ピクニックス』のパクリと見ている。
ちなみに10ccのオリジナルメンバーのロル・クレームとケヴィン・ゴドレーの労作『Consequences』には四人囃子の『一触即発』の「ピンポン玉の嘆き」にソックリの曲が入っている。
このことを四人囃子の岡井大二さんに話したところ「まさか!」とご謙遜して信じて頂けなかったが、そうだとオモシロいナァ。
イヤ、絶対10ccは四人囃子を研究していたんだってば!

0r4a0211…と、こんな調子で10ccのアルバムをサラっと振り返ってみる
まずは1973年のデビュー・アルバム。
あ、その前に「cc」という体積を表す単位は「cubic centimetre」の略ですからね。

10ccこのレコード、裏ジャケが日本語まじりの歌詞カードになっていてね~。
中学生の時、その装丁がすごくイヤだった。
ライナー・ノーツは故今野雄二さんがご寄稿されている。
スゴイよ…「1970年代のロックの主流を支配するのはRoxy MusicとSparks、そして10ccである」と豪語していらっしゃる。
氏にとっては、どんな時でもRoxy Musicなのは理解できるが、Sparksも推していたのは忘れていた。
実際『Kimono my House』から『Big Beat』あたりまでは私も大好き。今でも時々聴いている。
そして、10cc。
その今野さん曰く「ビーチ・ボーイズとビートルズの精神に70年代の魂を吹き込んだ極上のロックバンド」と10ccのことを表現している。
そして、メンバーのひとりであるロル・クレームは「10ccはポップソングにナニができるかを試す『 研究室』のようだった」と言っている。
このアルバムから「Donna」がヒット。
ビートルズの「Oh! Darling」のパロディと言われているけど、私にはそうは聞こえないんだよナァ。
かつてMarshallに勤めていたスティーヴと10ccについて話した時、「10ccはスタジオ・ミュージシャンの集まりだったんだよ」と言って「Donna」を歌っていた。
「Donna」に続いて「Johnny Don't Do It」もヒット。
「♪Johnny was an angel, an angel dressed in black」なんて歌詞は完全にシェリー・フェブレの「Johnny Angel」からじゃんね。
更にゴキゲンな「Ruber Bullets」もすごく流行ったらしい。実際、スティーヴも歌っていた。
ホント、このアルバムは「The Dean and I」をはじめとしていい曲揃いなのだ。
そして、バンド名の下には「Produced at Strawberry Studio, Manchester」とクレジットされている。

0r4a0198翌1974年にリリースされたセカンド・アルバム『Sheet Music』。
ジャケット・デザインはHipgnosis。
コレ以降しはしばらくヒプノシスがジャケットを担当する。
このアルバム、どうして『Sheet Music』というタイトルなんだろうナァ。
「シート・ミュージック」というのは「楽譜」だよね。
日本では「楽譜」とか「音符」とか比較的言葉を混同しているようだけど、英語では「楽譜」という言葉がハッキリと使い分けられている。
まず「Score(スコア)」というのがあるね。
コレはオーケストラなんかに使われる、五線紙が何段にもなっている「総譜」というヤツ。
一方、歌とピアノだけの楽譜は「ミュージック・シート」といって、「スコア」と明確に区別される。
で、欧米にはこの「ミュージック・シートの文化」っているのがあるんですね。
どういうものかというと、例えば、そうだな…ガーシュインの「スワニー」にしようか。
お父さんが「スワニー」のミュージック・シートを楽器屋で買って帰って来る。
すると、家族は夕食を済ませた後、暖炉を囲んで、お父さんがそのシートを見ながら弾くピアノに合わせてみんなで歌う。
コレは家に蓄音機のような音楽を再生する機器がなかったころの名残りなんだね。
要するにミュージック・シートがレコードの代わりだったんだね。
そのミュージック・シートを管理しているのが「Music Publisher(音楽出版社)」というワケ。
日本で「音楽出版社」というと、「音楽の本を売っている会社」という感じがするでしょ?
それは日本にミュージック・シートの文化がないからなんだね。
もちろん今はそんなことをやっている温かい家庭はないかもしれないけど、いまだにミュージック・シートってのは欧米では盛んに販売している。
ジャズとかクラシックの歌曲だけじゃないからね。
ビートルズからAC/DCまでなんでもある。
そこで勝手に解釈すれば、この『Sheet Music』というのは、「みんなで楽しめる音楽」ということを標榜しているのではないか…と思うワケです。
私の妄想なので異論&反論は受け付けません。
 
グレアムは『Sheet Music』を10ccの縮図的作品と言っている。
絶好調だったんでしょうな。
2つのソングライティング・チームが競い合って曲を作った。
先にできた方がもうひとつのチームに作品を聴かせてアイデアを出した合ってブラッシュアップしたという。
曲を作った人以外がリード・ボーカルを取ることもあって、メンバーがひとつずつ交代で歌って他の3人がジャッジをするというオーディション形式で歌い手を決めたらしい。
そんなんだから曲も演奏もクォリティが高いにキマっている。
1曲目の「Wall Street Shuffle」からしてタマらん。
お金の歌。
歌詞に出て来る「Greenback(グリーンバック)」はドルのこと。
「Stering(スターリング)」は「Pound Stering」、つまりイギリス・ポンドのこと。
向こうの人はポンドのことをよく「Quid(クイッド)」って呼んでるね。
「円」も出て来る。
「ダウ・ジョーンズ(Wall Strett Journalの発行元)」、「ロスチャイルド」、「ハワード・ヒューズ」なんて名前も出て来る。
こういうところがメッチャおもしろい。
映画をテーマにした「Somewhere in Hollywood」もすごくうれしい。
「Hotel」の楽しさはどうだろう?
「Old Wild Men」の「♪Lord have a mercy upon to me」のパートはかなりグっと来る。
ファースト・アルバムに比べてロックンロール色をチョット潜めた渋めの曲が揃っているのがまたいいんだな。
世界的なスターになる前のバンドが何の制約もプレシャーもなく、楽しそうに好きなことに取り組んでいるという印象。

Smしかし、イギリス大変でね~、コロナ。
毎週、電話でMarshallとミーティングをしているんだけど、当然その話になるでしょ?
もう緊張感が日本と全く違う!
とにかくMarshallの連中が言って来ることは「シゲ、絶対に外へ出たらダメだぞ!」…コレの一点張り。
本当にこれからの日本が心配だよ。
イギリスに比べて、まだ意識的にスタートラインに立っていないように見える。
 
さて、お金の話が出たところで脱線。
昨年Marshallに行った時に、一部の貨幣が刷新されていて古いお札が使えなくなっていた。
もちろん銀行へ行けば新しいお札と交換してくれるんだけど、旅行者の我々はそうもいかない。
困っていたらMarshallの経理の女性にが親切に使えない紙幣を全部交換してくれて事なきを得た。
それが、またお札が変わるんだよね。
何回かに分けてるのかもしれないけど、今度は50ポンド札も対象になっている。
で、あたらしいお札のデザインがアラン・チューリングになるっていうワケよ。
チューリングはもう何度もMarshall Blogに出て来てるわね。
難攻不落のドイツの暗号「Enigma」を解読する機械を作って第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の終結を早めた…という人。
暗号のロジック自体はポーランドに人が先に解読していたんだけど。
「Enigma」関連は、今回ブレッチリ―・パークに行ってたくさん写真を撮って来たので、その内「Shige Blog」でトックリとやらせて頂きます…どうせ外へ行かれないし。
コレがアラン・チューリング。

Acそのチューリングの話を聞いて「エ~!じゃエリザベス女王はどうなっちゃうの?」と驚いたバカな私。
イギリスってEUに入ってもワガママを貫き通して自国の通貨を使ったでしょ?
何でもあの理由は「女王陛下のお顔が載っていない札なんて使えるかよ!」ということだったとか…。
それを知ってたから驚いた。
コレ…考えてみれば裏面の話ね?
表はやっぱりこうでしょう。
コレは今の50ポンド札。イギリスで最も額面の大きなお札。

11_heads で、裏面はコレ。
向かって右はジェイムズ・ワット。
「私はこの機械の他に何も考えることができない」というセリフが載っていて、2人のオジちゃんの間にあるのがその「機械」。
改良型の蒸気機関。
「それでは私がこの機械を売ってしんぜましょう。『力』を欲しがっている世界中の人たちに」
とワットに答えているのは実業家のマシュー・ボールトン。
この2人の働きにより、18世紀後半のイギリスの産業革命が飛躍的な発展を遂げた。
もちろんワットは、あの仕事量を表す「W」の元。

11_tails_2 コレはMarshallの本社があるミルトンキーンズだけで流通している50ポンド札(ウソですよ~)。

11_jmm 『Sheet Music』に戻って…裏ジャケには「Recorded at Strawberry Recording Studios (UK) Ltd.  Stockport, Cheshire, England」のクレジット。

11_0r4a0554 3作目からはマーキュリーに移籍。
ファースト・アルバム、『Sheet Music』と立て続けに好セールスを記録した10ccだったが、当時は無一文だったらしい(あるドキュメンタリーでエリックは'skint'と表現していたが、Marshallの友達に訊いてみると、コレはイギリスの俗語で「すっからかん」という意味ということがわかった)。
コレは10ccの取り分が4%というUK Recordsとの契約のせいで(もしコレがレコードの売り上げの利益だとしたらあまりにも分が悪い)、UKレコードの親分のジョナサン・キングに契約の改定を申し出たが、まったく聞き入れてもらえなかった。
そこへ救いの手を差し伸べたのが「Virgin(ヴァージン)」のリチャード・ブランソンだった。
メンバーは「Atlantic」と組んで本格的なアメリカ進出を狙うVirginに移籍する気満々であったが、マネージャーが勝手に「Mercury(マーキュリー)」と契約してしまった。
大金が動いたのだった。
今でこそ、レコード会社というよりも、航空、鉄道、金融と泣く子も黙るVirginだが、当時はまだマイク・オールドフィールドの『Tublar Bells』しかヒットがなかったので、マネージャーはマーキュリーという安全牌を採ったのだった。
ファースト・アルバムからのシングル「Johnny, Don't Do It」のB面はその契約のことを歌った「4% of Something」という曲が収録されている。

11_4pそのマーキュリーからの第1作。
架空の映画のサントラ盤がテーマの『The Original Soundtrack』。
上に書いた通り、ジャケットは引き続きヒプノシス。
Os 鉛筆による細密画はハンフリー・オーシャンという画家の手によるもの。
ロンドンの有名な『ナショナル・ギャラリー』の隣に、『ナショナル・ポートレイト・ギャラリー』という肖像画だけを集めた美術館がある。
以前『名所めぐり』で紹介したかな?
展示品はロイヤル・ファミリーや政治家、軍人などの肖像画ばかりなんだけど、ミュージシャンがないこともない。
例えばブライアン・イーノ、例えばBlur、そして、このポール。
このポートレイトはそのオーシャンの作品だ。

Pm2フィルム編集機の画面に写っているカウボーイは『サイコ』のノーマン・ベイツ役でおなじみのアンソニー・パーキンス。
映画は1957年の『胸に輝く星(The Tin Star)』。
観たことはありません。
監督がアンソニー・マンなのできっと悪いワケはないでしょう。
マンは私の大好きな『グレン・ミラー物語』を撮った人だから。
そう!
「マン」といえばイギリスの「マン島(Isle of Man)」ね。
ザッパに「Manx Needs Women」という曲もあるけど、驚いたことに厳密に言うとマン島というのはイギリスでもなかれば、イギリス連邦にも属していないんだってね~。

Tsaこのアルバムは「I'm not in Love」が収録されていることで知られているが、私は違うんだな。
まず10ccを好きになったキッカケとなった「The Second Sitting for the Last Supper」がB面の1曲目に鎮座ましましている。
そして、1曲目の「Une Nuit a Paris(パリの一夜)」、ヒット曲「Life is a Minestrone(人生は野菜スープ)」、「Brand New Day」等々、どれもじ~つ~に~素晴らしい。
私が初めてロンドンに行った時、タワー・ブリッジにほど近い、インド人だらけのAldgate Eastのホテルの部屋に入って一番最初にしたことは、テレビのスイッチを入れることだった。
ホテルの入り口で乞食に言い寄られたりして心細かったからね。
すると、テレビからいきなり飛び出してきたのが「Life is a Minestrone」だった。
それまでの不安な気持ちが一気に吹っ飛んだ。

11_lmそれにしたって10cc一番のヒット曲「I'm not in Love」についてもう少し触れておかねばなるまい。
レコード会社を移籍した最初のアルバムを成功させようと今までにない試みに挑んだ曲のひとつ。
メンバーはラブソングを作ろうと話し合い、エリックが100%詞を書いた。
最初はボサノヴァ調にしてみたが、曲が死んでいるようでまったくオモシロくなく、メンバー全員とても作業を続ける気にならなかった。
そこへ、ケヴィンが「楽器を使わないで津波のような分厚い声を入れたらどうだろう」というアイデアを提案した。
そのアイデアを基に「バッキングを考えられるだけ大きな合唱隊のようにしてみよう」ということになった。
当然、合唱隊などを雇う経済的な余裕はないので、テープループを使って取り組むことになった。
今となっては有名な話だけど、コレがやっぱりオモシロい。
まず、ケヴィンとロルとグレアムがスタジオに入って息が続かなくなるまでユニゾンで「アー」とやる。
当時のレコーディング機器は16チェンネルだったので、16のすべてのチェンネルのこの「アー」を録音する。
それをトラックダウンすれば3人のコーラス×16チャンネル分で48人が「アー」とコーラスしている音源ができる。
いいですか~、今、よくわかっていないヤツが説明していますからね~。お手柔らかにお願いしますよ~。
今度は同じく13の音程それぞれで「アー」と歌う。
ド、ド#、レ、レ#……とクロマチックにやっていって上のドまで録音する。
ココで48人のコーラスで13通りの音程を録るので、624人分の声を集めたことになる。
で、それぞれの音程の音源のテープを約7分のループにして、16のウチの13チャンネルにその音をそれぞれ割り当てる。
こうしておけば、ミキサーのフェーダーを上げ下げすることで和音を作ることができるようになるというワケ。
原理としてはメロトロンに近いということになるのかな?
そして、残りの3つのチャンネルのうちのひとつにガイドリズムと仮歌を入れておいて、それを聞きながら「せーの」であらかじめフェーダーの目盛りにつけておいた印に合わせて4人がフェーダーを上げ下げしてバッキングの和声を作ったという。
そして、そのコーラスを残った2つのチャンネルにステレオで録音したら、今度は13のチャンネルのコーラスをすべて消去して、残り楽器を録音したのだそうです。
あのバスドラムの音はムーグなんだって。
「♪アッア~、ア、ア~ア」って左右に振るところなんかは、パンポットを回すのにハラホロヒレハラだったらしい。
この作業だけで3週間も費やしたのだそうだ。
大変だったろうけどオモシロかったろうナァ~。
アナログ録音ならではストーリー。
結果、クリックひとつで何でもできるデジタルのモノより何倍もいいものができた。
やっぱり養殖モノより天然モノですな。
ま、そもそも曲がいいからね。
そしていよいよ完成か?次はどうする?…というところで、スタジオのレセプションのキャシー・レッドファーン(Cathy Redfern)嬢が電話がかかって来たことをスタジオ内にいたエリックに知らせに来た。
「エリック、あなたに電話ヨ!」と言われてピンと来た。
「コレだ!」
そうして曲の中間部にあの女性のささやきがダビングさされた。
「Be quiet, be quiet. Big boys don't cry」っていうヤツね。
最初、キャシーは恥ずかしがって固辞したが、「チョコっと囁くだけだからお願い!」とロルやケヴィンにせがまれてイヤイヤやったという。
あの囁きがなかったらまた曲は締まらないモノになっていたよね。
すごくいいアクセントだと私は思う。

Inilエエイ!やっぱり脱線だ!
この10ccの手法を丸々マネッコしたのがビリー・ジョエル(イギリス人は「Joel」を「ジョール」と発音します。「エ」は聞こえてきません)の「Just the Way You Are」。
「I'm not in Love」の方がゼンゼン豪華。
イヤ、この曲はコーラスよりもアルト・サックスのソロでしょう。
吹き手はアルトの巨人、フィル・ウッズ。
何せフィルは長年のジャズ界での活動よりも、このソロ一発で世間にその名前が知られてしまったという気の毒なんだかラッキーなんだかわからない人。
私はフィルのプレイを「アルト・サックス界のリッチー・ブラックモア」だと勝手におもっているんだけど、晩年のフィルをニューヨークのブルーノートで観る機会があった。
ナント、パット・マルティーノとのダブルヘッドライナーだった。
でももうかなりのご年齢で、往年の閃光ような鋭いフレーズを吹くことがほとんどなかった。

JwySteely Danの『Katy Lied』。
この中の「Doctor Wu」のサックスもフィル・ウッズなんだけど、コレもスゴいソロだ。
ジャケットはアメリカのキリギリス「Katydid」。
「Doctor Wu」に出て来る歌詞「Katy lied」とシャレになっている。
この人たちって案外こういうシャレがお好きのようで『Pretzel Logic』の「oarker's Mood」という曲の「Relaxin' at Camarillo」の仕掛けなんてのはスゴくオモシロい。
ジャズ好きににはタマらん!
コレは以前どこかに書きましたね?

Klフィル・ウッズのことで孫脱線しようと思ったけどキリがないのでヤメておきます。
でもひとつだけ、ギター面でひ孫脱線。
フィルが68年代後半から70年代の初頭にかけて取り組んでいたのがEuropean Rhythm Machineというコンボ。
そこで一緒だったのがイギリスを代表するジャズ・ピアニスト、ゴードン・ベック。

11_erm

Gb1_3 ゴードン・ベックはアラン・ホールズワースと音源をいくつも残しているんだね~。
こういうのを聴くとホールズワースのスゴさ…つまり猛烈なオリジナリティを発見するよね。
どういうことかと言うと、例えばSoft MachineやGongでのソロをカットして、このゴードン・ベックのコンボにペーストしても音楽が成り立ってしまう。
もちろんその逆も可。
もちろん基本的にはジャズ寄りなんだけど、ジャズとかロックとかいうジャンルを本当に超えていたんだな…と感心しちゃうワケ。

Gb3_3

500x500

Gb2_2 もうひとつ…アルバムの最後に入っている「The Film of my Love」。
コレはカンツォーネだね。
「The Magnificent Seven(荒野の七人)」、「Orient Express(オリエント急行)」、「Pathe(パテ:フランスの映画会社)」なんて名前が出て来る。
コレもゴドレー&クレームの曲をグラハムが歌ってる。
バンド内オーディションで優勝したのだろう。
まぁロマンティックないい曲でしてね。
数年前、ある若い女性から結婚式の雰囲気にマッチするステキな曲を教えて欲しい、という相談を受けた。
その中に入れた1曲がこの「The Film of my Love」だったんだけど、彼女は本当にそれを自分の結婚式で使ってくれて、バッチリだったとすごく喜んでくれた…すぐに別居しちゃったみたいだけど。
しかし、こうして見ると、好きなのは圧倒的にゴドレー&クレーム組の曲だナァ。
『荒野の七人』も子供の頃は夢中になって観たけど『七人の侍』を観てしたってからはバカバカしくてとても観れなくなってしまった。
だから小学校の時から観ていない。

Ms このアルバムの内ジャケットには「Produced and Recorded by 10c.c. at Strawbweey Recording Studios…」とある。

0r4a0190ハイ、1976年の4枚目。
私はこのアルバムが一番好き。
スウェーデンの少女環境保護運動家、グレタ・トゥンベリさんのひと言で日本でもスッカリおなじみになった『How Dare You!』がタイトル。
意味はもう知ってるよね~。
どの曲も大好きなんだけど、一番は最後に入っている「Don't Hung Up」。
10cc全曲の中でもコレが一番好きかも知れない。
岡井大二さんもこの曲が一番好き…とおっしゃっていらしてうれしかった。
B面の1曲目の10ccの代表曲のひとつ「Art for Art's Sake」のMVには1959のフルスタックが登場する。
「I'm Monday Fly Me」はスチュアート&グールドマン組(+ゴドレー)の作品で一番好きな曲かも。
神保町のカレー屋に向かう車の中で、Marshallの社長夫人のエリーと一緒にこの曲を歌ったのは楽しかった。
ま、こっちはすぐに「♪フフフフン」になっちゃんだけどね…歌詞がわかんないから。
最高にラブリーな「Rock'n'Roll Lullaby」はグルールドマン&スチュアート組作だがケヴィンとエリックが歌っている。
「Iceberg」も「Headroom」も何となくシアトリカルで、コミカルですごく好き。
やっぱりゴドレー&クレーム組の作品がいいんだな。
上に挙げた10ccのすべて曲での中で一番好きかも知れない「Don't Hung Up」もゴドレー&クレーム組の作。

11_hdyハイハイ、ここにも「All tracks recorded at Strawberry Studios (UK) Ltd. England」。

0r4a01871977年の『Deceptive Bends』。
「Deceptive Bends」の意味はコチラでやっていうので興味のある方はどうぞ。
ゴドレー&クレームが脱退してこのアルバムからスチュアート&ゴールドマン組だけになった。
ゴドレー&クレーム組の曲の方が好きと書いたけど、このアルバムはスチュアート&グールドマンがとてもいい仕事をしてくれた。
「I Bought a Flat Guitar Tutor」なんて全くスゴイよね。

Dbある時、スチュアート&グールドマンがゴドレー&クレームにこのアルバムのリード・チューン「The Things We Do for Love」を聴かせると、「そんな曲は絶対に演りたくない!」と言ってゴドレー&クレームはバンドを辞めちゃったんだね。
2人はギズモに夢中になっていて、そのギズモをフィーチュアした実験的なアルバム『Consequences』のA面を制作していた時期だったものだから、ありきたりのポップ・ソングを演るのがバカバカしく感じてしまったのだ。
ま、『Consequences』にも甘々のポップ・ソングがいくつも入っているけどね。
でもロル・クレームは、「あと半年ズレていれば…」とバンドを辞めたことを後悔してるようだった。
というのも、シングル「The Things We Do for Love」がアメリカで大ヒットしてしまったから。
一方、『Consequences』は散々だったろう。
コレは豪華なブックレットがついたLP3枚組の高価なボックスセットだった。
中学3年の時にリリースされて、すぐになけなしのお小遣いでコレを買った私はクラスメイトから「アタマがおかしい」といわれたよ。よく覚えている…加藤な。
ああ、アタマがおかしくてヨカッタよ。おかげで今も音楽変態道を歩み続けてるわ。
ちなみに私はコレをLPとCD2種類の3セット持ってるわい。

Csq
ロルとケヴィンの2人が脱退した時、「10ccが5ccに!」なんて騒いでいた。
コレは「10cc」というバンド名の由来が「成人男性4人の1回分の射精量の合計」とされていたところがあったのだろう。
アノね…よくそういう話を聞いたし、本国イギリスでもそういうことになっている部分があるみたいなんだけど、違うから。
上に出て来たシンガーソングライターにして「UK Records」オーナーのジョナサン・キングに「Donna」を聴かせると、「コレはイケる!」と判断して自分のレーベルに囲い込んだ。
その時はまだバンド名はなく、キングが「昨晩、『10cc』 the greatest group in the world」といのが夢に出て来た!」と言って、それがそのまま10ccがグループ名となった。
どんな夢だよ。
ちなみにGenesisの名付け親もキング。
それと、『Rocky Horror Show』のオリジナル・ロンドン・キャスト盤はキングがプロデュースした。

11_2rhs_2 この『Deceptive Bends』には「Recorded at Strawberry Recording Studios (South)」と出ている。
「(South)」というクレジットが追加された。

0r4a0185上で紹介したライブ・アルバムを挟んでリリースしたのが1978年の『Bloody Tourist』。
「10ccの新譜が出る!」「今度は10ccの音楽の世界一周だ!」なんていうのでメチャクチャ楽しみにしていたんだけど…私はコレで10ccファンを卒業しました。
リード・チューンの「Deadlock Holiday」なんかは今聴くと歌詞がオモシロかったりもするんだけど、それこそ10ccにしては凡庸なポップ・チューンばっかりで、彼らの特長であった「シャレ」だとか「楽屋落ち」のような作り込みの部分が無くなってしまったようで私の心には全く響かなかった。
そもそも、この「0」の中が星になっているバンド・ロゴのデザインが小学生のやることみたいで好きでなかった。
だから私の10ccは『Deceptive Bends』の6枚。それで全部。

11_2btところで10ccを観たことがあるのか?ということになると、マァあるんです。
高校2年ぐらいの時に来日することが決まって中野サンプラザの前から2列目のチケットを取ったのね。
ところが直前になってエリック・スチュアートが交通事故で頭のケガをして来日が中止になってしまった。
その後も何回か来日したけど観るチャンスがなく…というより、地方に住んでいたり、興味がなかったりで観る機会がなかった。(去年も来ていたのね?)
そして、ついに数年前にオリジナル・メンバーがグラハム・グールドマンだけの10ccを観た。
会場は今はなき原宿のアストロ・ホールで、100人チョットぐらいのお客さんを前にしてのライブだった。
すごくヨカッタ。
何しろほぼ全曲を最初から最後まで一緒に歌えるコンサートってこの10ccとZappa Pays Zappaだけだったから。
考えてみればグレアム・グールドマンは10ccの名曲を作っただけでなく、「Bus Stop」、「For Your Love」、「No Milk Today」等のポップ・ミュージック・シーンに永遠に残るであろう曲を作った大作曲家ですからね。そういう意味ではエリックは「I'm not in Love」だけだからね。
目の前で歌っている姿を見ておいてヨカッタと思うよ。
ところで10曲目に「The Dean & I」が入ってるでしょ?
上でチョット触れた通り私はこの曲がすごく好きなんだけど、こんな古い歌、しかもゴドレー&クレーム組の曲を何で選んだのかな?とこの時思ったんだよね。
で、今回この記事を書くにあたって10ccのドキュメンタリーを観てその理由がわかった。
実はエリックはこの曲が「大キライ」だったのだそう。
そのドキュメンタリーの中で毅然と「hate」という言葉を使っていたところを見ると心底そうキライなんだろう。
「ミュージカルっぽい」ものが好きではないので、シーンがコロコロ変わるこの曲がすごくイヤだったのだそうだ。
一方、エリックの相棒のグレアムは「この曲に当時の10ccの全てが詰まっていた」と大絶賛しているんだよね。
要するにグレアムのお気に入りの曲…だからこの時に取り上げたというワケ。
単純な理由だけどウラがあってオモシロイ。
だからエリックがいた頃の後年リリースされたライブ・アルバム数枚にはこの曲はまったく収録されていない。

0r4a0203さて、驚いたことにここからが本題。
「ロックの名所を訪ねる旅」の始まりだよ~!
自粛中の皆さん、目だけで旅行を楽しんでくだされ!
 
旅の起点は滞在していたMarshallの工場の近くのホテル。

Img_0128朝食は丸っきりいつも通り。
スクランブルエッグにハッシュドポテト、焼きトマトにオリジナルのハムサンド。
もう「飽きた」のを通り越してだんだんありがたくなって来た!
しかし、卵の味が日本と違う。
スクランブルエッグではわからないけど、目玉焼きにすると風味が全く違うんだよね。
もちろん向こうの卵の方がおいしい。
ドイツでもベトナムでもそうだった。
ウチは長年ブロイラーの卵を食べずに、コッココッコと放し飼いにされている鶏の卵を取り寄せているんだけど、それでも味が違う。
Img_0127ハラごしらえが済んだら出発!
コレがベースキャンプ。
Marshallの工場のすぐそばのホテル、DOUBLE TREE。
すぐ横にMarshallアリーナがあって、去年の6月1日にD_Driveがそのステージに立ったことは既報の通り。

10このホテルができてからもう何回も泊まっているんだけど気が付かなかった。
玄関を出た時に木が2本。
「Double tree」になってた。
あんまり天気がよくないナァ。

20タクシーでミルトンキーンズ・セントラル駅に行く。

30広々とはしているものの、相変わらず殺風景な駅前。
この駅前にマットレスを敷いて寝泊まりしている人が何人かいるんだよね。
しかも、女性。
4年前に来た時にはそんな人たちを見かけることはなかった。
とにかく今回の旅で驚いたのはロンドンの街中で若いホームレスの女性を大勢見かけたことだが、こんなところにもそうした傾向が見られたのは結構大きなショックだった。

40さて、今回の旅の目的地は…

50マンチェスター。
産業革命発祥地として、かつてはロンドン、リバプール、バーミンガムと並んでイギリスの経済を支えた都市ですな。

55駅名のサイン。
「Home of」ってあるけどナンの「Home」か…。
「University of Bedfordshire」のMilton keynesキャンパスのホームなんだって。
ツマんね~。
「UCMK」とは「University Campus Milton Keynes」だそうです。

60お!
プラットフォームで発見。
ね、イギリスではホントにMarshallのヘッドホンを使っている人をよく見かけるのです。
毎度あり!

70来た来た、電車はVirgin。
Virginの10ccってのも見てみたかったナァ。

80車内はこんな感じ。結構混んでる。

100電車のスピードが速くてうまく撮れなかったけど、カナル(運河)がずっと線路に並走してる。
ときおりナロウボートがゆっくりと水面を進む光景を見かける。
いいナァ~。
イギリスの好きな風景のひとつ。
写真はナロウボートのマリーナ。
90お、「Stoke-on-Trent(ストーク・オン・トレント)」に停まった。
なんて言うといかにもよく知ってるみたいだけど、名前だけね。
というのは、ココは陶器産業が盛んで、あの「Wedgewood(ウェッジウッド)」の地元だから。
知らなかったのは、昔は製鉄産業も盛んで有名な戦闘機「スピットファイア」で使われた鉄はココで作っていたのだそうだ。

110昔、ヒースロー空港の免税店に小さなウェッジウッドの直営店が入っていてね、イギリスに行くたびにそこで家内へのお土産を買っていた。
陶器はメッチャ高いし、持ち帰るのも心配なので、いつも小さな陶磁が付いたペンダントにしていた。
家内がとても喜んでくれるので、訪れるたびにそこでの買い物を楽しみにしていたのだが、ある時それができなくなった。
ウェッジウッドの経営が立ち行かなくなり、その直営店を閉めてしまったのだ。
その後、ウェッジウッドはフィンランドの「フィスカース」という会社に買収されてしまった。
イギリスのシンボルのひとつのようなブランドだったのにね。
そのフィスカースという会社は2015年に「Royal Doulton(ロイヤル・ドルトン)」というロンドンの名門陶器会社も買収している。

12ww ココで取り出したるは『Mary Poppins Returns』。
この中にディズニーではおなじみのアニメと実写のシーンがあって、それが陶器(porcelain)の国という設定なのね。
そこでメアリーが子供たちを馬車に乗せると、馭者が「Where would you like to go on this fine day?(こんな天気のいい日はどちらへいらっしゃいますか?)」と訊く。
するとメリー・ポピンズが「The Royal Daulton Musc Hall please(ロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールにお願いね)」と答える。
そんなホールが実在したのかどうかはわからないが、イギリス人ならピンと来るんだろうね。
そして、メリーを演じたエミリー・ブラントが「The Royal Daulton music Hall」という曲を歌う。
コレが実にいいんだ~。
いつかこの映画を飛行機の中で観て、あまりいい感想をココに書かなかった。
最初の『メリーポピンズ』に使われていた曲があまりにもヨカッタからね。
でもこの『Returns』にも3曲だけメッチャいい曲があって、その中のひとつがこの曲なのです。Mpr マンチェスターへと向かう電車はグングンと進む。
しかし、キレイだナァ~。

120エエイ!
ココで降りてやれ!

130とホームに降り立った駅は「Stockport」。
フフフ、上に散々出て来たヤツです。
マンチェスター駅のまだ2つ手前の駅。

140降りようか、降りまいか、実は電車の中でズッと迷っていた。
ミルトンキーンズ・セントラル駅で「途中下車OK」ということを係員に訊いて確認していたんだけど、「行ったところで頭の中にある目的を果たせるのか?」という不安が大きかったのだ。

150イギリスの田舎の駅ってのはいいもんだ。
すごく懐かしさを感じさせてくれる。

160何だか知らないけど、ホームにギャラリーがある。
チョット覗こうとしたら年配のご夫婦がちょうど中から出て来て、そのオジさんが「ブックレットがあるから持って行くといいよ」と案内してくれた。

170『Mid Cheshire Line  Marvellous Days Out(ミッド・チェシャー線 ステキなお出かけ)』という展示。
ミッド・チェシャー線というのはチェスターからマンチェスター・ピカデリーまで15の駅を擁する鉄道。
この辺りは「Cheshire(チェシャ―)」という。
「-shire」というのはひとつの行政単位で「郡」みたいなイメージ。
「ランカシャー」とか「ヨークシャー」とか「なんとかシャー」の「シャー」はみんなコレ。
ちなみにMarshallの本社があるのは「バッキンガムシャー」。
さて、その路線は19世紀に3つの鉄道会社がくっついてできた鉄道で、最も古い路線は1862年の完成。
1862年がどれぐらいの時代かと言うと、私が生まれるちょうど100年前だ…コレじゃわかんないか。
十四代将軍徳川家茂と和宮親子内親王が結婚した年。
和宮様は道中の様々なトラブルを避けるために、京都から江戸に降嫁する際、東海道を使わずに中山道を下ったんだよね。
3万人の大行列。その長さは50kmにも及んだという。
その時、イギリスではこんな田舎でも列車が走っていたんだねぇ。
でも、実は18世紀後半のマンチェスターは、さっきのワットのように産業革命の中心地で、当時世界の最先端を歩んでいたんだね。
Shige Blogでやるけど、「世界で最初の鉄道の駅」なんてのもマンチェスターだよ。
ちなみに「marvellous」という綴りはイギリス式。私のミス・スぺリングではない。
アメリカ人は「l」をひとつ取っっぱらって「marvelous」と綴る。
イギリス人に言わせると、こういうところが「Americans ruined our language!(アメリカ人が我々の言葉をぶっ壊した!)」ということになる。

185チョット展示アイテムを見てみようか。
ミッド・チェシャ―線にある駅のそれぞれの名所を描いたポップアート。
起点は「チェスター」ね。
「Meander the Mid Cheshire Line」とあるけど「meander(ミアンダー)」というのは「蛇行」という意味。
ところでイギリスには「なんとかチェスター」という地名がいくつもあるでしょ?それと「なんとかカスター」とか「なんとかスター」。
たとえばマンチェスター、ウィンチェスター、ロチェスター、コルチェスター、ランカスター、ドンカスター、グロースター等々。
コレはローマ時代にその砦があったことに由来するそうです。わかりまスター?

210v「meander」には動詞で「アテもなくさまよう」という意味があって、チャーリー・パーカーの有名な『Savoy Session』に「Meandering」というバラードがある。

Ss 私は今いる「ストックポート」はこんな感じなのか…。

190v「Northwich(ノースウイッチ)」というところ。
アレ、ココはナロウボートのエレベーターがあるところか!
「Anderton Boat Lift」といううヤツ。
コレ乗ってみたいんだよな~。

200vこんな動画を見つけたので興味のある方は8:00~12:16のあたりをどうぞ。
標高の異なるカナルをつなぐための船のエレベーター。
観覧車みたいなダイナミックなヤツもあるようなんだけど、ここは純粋にエレベーター式に船を上限に運搬する方式。


「Knutsford(ナッツフォード)」は人口14,000人程度の小さな町。
そうえば、「なんとかフォード」というのも多いね。
オックスフォード、ベドフォード、ブラッドフォード、スタッフォード、ストラトフォード…。
コレは「浅瀬」という意味なんだって。

220vコレがオジさんが教えてくれたブックレットなんだけど、かなり上質のマット紙で製本してあって、表紙にはエンボス加工が施してある。
十分にお金を取れるクォリティだ。
左はその「Marvellous Days Days Out」のしおり。
もうひとつはチェスターからマンチェスターをつなぐミッド・チェシャ―線とリーズからマンチェスターをつなぐカルダ―・ヴァレー線にまつわる女性を紹介した「Discover Amazing Women by Rail」という小冊子。
作家、女優、スポーツ選手、女性活動家、女性参政権者、政治家までの分野を網羅しているが、勉強不足ゆえ私が知っていたのは『ジェーン・エア(Jane Eyne)』と『嵐が丘(Wuthering Heights)』を著したシャーロットとエミリーのブロンテ姉妹だけだった。
「キャシーにヒースクリフ」だけじゃなくて、私、両方とも読んでるんですわ。意外でしょ?

180ホームからコンコースへつながる階段。
イヤ、手すりの塗装がステキだな…と思って。

230_2コンコースも白に赤い線のデザイン。
ステキ!

240駅の入り口。
ここにも赤い線。
平日の午前中だったんだけど、閑散としていた。

250コレがStockport(ストックポート)の駅舎。
周辺の地図を探したんだけど全くなし。
イヤな予感。
もちろんコレから10cc発祥の地、「Strawberry Studios」に向かおうとしているのだ

260<後編>につづく 

200 
(2019年6月 イギリスにて撮影)

2020年3月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.42 ~ ココにディランが?ジミヘンが?&涙のアールズ・コート

この日はデザイン・ミュージアムに『スタンリー・キューブリック展』を観に行った日。
ホントに朝から晩まで雨がよく降った。
ロンドンっていくら昼間降っていても、たいてい夕方には青空になったりするんだけど、この日は一日中雨だった。
デザイン・ミュージアムからアールズ・コート駅へ向かう途中の道、アールズ・コート・ロードを少し右へ入る。
ブルー・プラークが付いている建物を発見。
ココは何度も通りかかっているんだけど気が付かなかった…か、興味がなかったのか…。

10_2「LAMDA」というのは「London Academy of Music & Dramatic Art」の頭文字。
LAMDAは1861年に創立されたイギリスで一番古い演劇学校だそう。
そのLAMDAが運営する劇場が2011年までココにあった「Michael MacOwan Theatre(マイケル・マコウワン劇場)」。
「Theater」じゃないよ「Teatre」だよ。ココはイギリスだから。
Michael MacOwanは1958~1966年までLAMDAの校長を務めた俳優。
写真ではわかりにくいけど、「こんなところに劇場があったの?」って感じ。
でも、さっき曲がって来た表のアールズ・コート・ロードは、かつては日本でいうところの「赤線地帯」だったらしい。

11_img_9812そのまま路地を進むとコレ。

20_2もう何度も出てきているフレディ・マーキュリーの終の棲家。
『ボヘミアン・ラプソディ』のヒット以降でナニか変化があったかな?と思ってまた見に来てみた。

30_24年前にはこんな注意書きはなかった。
やっぱり映画のヒットのおかげで来訪者が増えたのかな?

50_2かつてはウジャウジャしていたフレディへのメッセージも今ではずいぶん控えめだ。

40vいつも言っているように私はQueenファンであったことは人生で一度もないのだが、この辺りにくるとやっぱりチョット寄って行きたくなっちゃうんだよね。
何と言うか、とても便利な「ロック名所」なのです。

60vアールズ・コート駅に戻って来た。
しかし、雨がまったく止まないな~。

70_2休憩&遅めのお昼ゴハン。
またGREGGS。
大好きGREGGS。
現地の人に言わせると「お金持ちはPRET、貧乏人はGREGGS」らしい。
私にはちょうどいいわ。

80_4これで500円ぐらいかな?
このパイ(パスティ)が温かいのがうれしいの。
エクレアもそう甘くなくて好き。

90_2この時はイモトのWi-Fiを借りて行かなかったので、こういう所に入ってはフリーWi-Fiでメールをチェックしたり、東京やMarshallへ連絡したり、色んな情報を取り込んだりしていたのです。
こんなの数年前には考えられなかったのに…。
こんな私でも今となっては携帯電話が手放せなくなっているのが恐ろしい。
こんな私にダレがした?
ということで、次の目的地の確認。
あ~あ~、ヤダな~、こんな雨の中出て行くの。
100_2…と文句を言っている間にすぐ着いた。120_2アールズ・コート駅からそう遠くない「Old Brompton Road(オールド・ブロンプトン・ロード)」という通りにある「Troubadour(トルヴァドゥール)」というお店。

110_2「Troubadour」というのは中世のヨーロッパで活躍した詩人、作曲家、歌手のことらしい。
女性は「Trobairitz(トロバイリッツ)」。
だからナンだ?ですね。

130_2入り口の扉。
「幸せは買えないけどコーヒーは買えます」…エ、ココって喫茶店だったの?

135v老舗感が漂う、雰囲気のよさそうなお店でしょう?
ココがスゴイ。

140_2お店のウインドウにあるブループラークを模した説明書き。
 
THE TROUBADOUR 
1954年開店

トルバドゥールはたくさんの伝説的な音楽を迎えて来ました。
その顔触れは;
ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・プリティ・シングス、ジョニ・ミッチェル、チャーリー・ワッツ、サンディ・デニー、アデル、エルヴィス・コステロ、トム・ロビンソン、モリッシー、エド・シーラン、そしてフローレンス・ウェルチ等々

150_2でも、すぐ近くにコレ。
トルバドゥールが背景になってる!
コレを仕込んだ「けいおん!」の人、スゴイな。
お会いしてみたい。
170_2喫茶店の入り口とは別にドアがもう1枚ある。。
ディランやジミはココを通って地下にあるライブ・スぺ―スに降りていった。

160vせっかく来たので喫茶店の方に入ってみる。180_2天井にはたくさんのナベの類。

190_2壁には農工具かね、コレは?
中世の雰囲気かな?

200マグカップも…

210_2ワイングラスも吊り下がってる。
ブラ下げるのがスキなのかな?

220とてもいい感じ。
上のプラークもどきに書いてあった通り、トルバドゥールは1954年の開業。
今となっては、ロンドンに現存する最後のコーヒーハウスの中のひとつだ。
大分以前に隣の建物と合体して形を変えたが、元のこのコーヒー・ハウスのエリアは66年前の開店時の姿をそのまま保っているのだそうだ。

230_2ドアのところに書いたように地下のスペースは、ライブハウスになっていて、1950年代後期から60年初頭にかけては元祖ブリティッシュ・フォーク・ミュージックのハコだった。
当時のロンドンにはそうしたお店が他にもあって、ソーホーの「Les Cousins」、チャリング・クロス・ロードの「Bunjies」が有名であったが、閉店してしまった。
当時の雰囲気を経験できる店としては今ではトルバドゥールだけになってしまったそうな。

250_2どういういきさつでココがフォークのライブハウスのメッカになったかというと、かつてこのライブハウスのマネージャーだったAnthea Joseph(アンシア・ジョセフ)という人のおかげ。
アンシアはお店の名前である「トルバドゥール」の本来の仕事、すなわち中世盛期(High Middle Ages:ヨーロッパの11~13世紀)にはトルバドゥールは詩を吟じたり曲を作ったりするだけでなく、劇の進行役やストーリー・テラーを務めたことを知って、それに倣いフォークのイベントをココでたくさん開催した。
その活動が定着したんだね。

11_img_9889 よく知られている話で、ボブ・ディランが初めてロンドンに来た時、右も左もわからなかった。
ひとつだけ持って来た情報は、師匠のピート・シーガ―の言葉で、「ロンドンに行ったらトルバドゥールのアンシアを訪ねなさい」ということだった。
その結果、「ボブ・ディランがイギリスを訪れて最初に演奏した場所」としてトルゥバドールはイギリスのポピュラー音楽周辺史にその名を名を残すことになった。
スゴくね?

240また、50~60年代のトルバドゥールはミュージシャンだけでなく、知識人や芸術家のたまり場にもなった。
例えば、「Private Eye」という時事雑誌の最初の号は1961年にココで作られ販売された。
日本で言う「週刊誌」みたいなモノだけど「Private Eye」は「fortnightly magazine」だそう。
ハイ、ココで英語クイズ。
「fortnight」の意味が分かる方いらっしゃいますか?
私はMarshallの経理の女性とやり取りしているメールの中でこの単語を発見して、恥ずかしながら最近覚えた。
コレ「隔週」とか「2週間」という意味。
「Fourteen nights」ということらしい。
なんか詩的でカッコイイ単語だなと思って一発で覚えた。
「Private Eye」はその手の雑誌では長い間イギリスで一番売れているんだって。
また、68年のパリの暴動の後、ブラック・パンサーはココに集まったそうだ。320_2さらに、初期の「Ban the Bomb(爆弾禁止)」のミーティングはココで開かれていた。
「Ban the Bomb」はその後、1957年に「CND(=Campaign for Nuclear Disarmament:核軍縮キャンペーン」)に発展した。
1958年にジェラード・ホルトムという人がデザインしたCNDのシンボル・マークがナント…コレ。
 
Psまだある。
ケン・ラッセルはココで最初の短編映画のスタッフに雇われ、そこでオリバー・リードと親しくなった。(コレが1971年の『肉体の悪魔(The Devils)』につながる)
ケン・ラッセルはThe Who『トミー』とかリック・ウェイクマンの『リストマニア』とかを撮った人ね。

Na_2まだまだある。
リチャード・ハリスはココで皿洗いをしていたエリザベスと出会い、恋に落ちて結婚した。
リチャード・ハリスっていい役者だよね。
『ナバロンの要塞』、『テレマークの要塞』、『天地創造』、『ジャガーノート』なんて夢中になって観たな。
最近ではクリント・イーストウッドの『許されざる者』がスゴくよかったよね。
「イングリッシュ・ボブ」とかいう役どころでね。
でも、この人はアイルランド人だった。
かつての家はサウス・ケンジントンにあった。
下の写真がそう。
ジミー・ペイジは1972年にデヴィッド・ボウイと競って35万ポンド(当時の為替、貨幣価値で約2.6億円)でハリスからこの豪邸を手に入れた。
今はロビー・ウィリアムスが住んでいるのかな?

80v …と思ったらインターネットでこんな写真を見つけたのでチョット拝借。
この女性がアンシアかどうかはわからないが、レッド・ツェッペリンはその昔、アールズ・コート・エキシビジョン・センターのコンサートの後、トルバドゥールへ寄って演奏をして行ったそうだ。
反省会でもしていたのかしらん?

3page Marshall Blogのことを説明して、お店の許可を得て店内をジックリ見ちゃう。
隣の部屋の壁に飾ってあったトルバドゥール関連のレコード。
Paul McNeil、Martin Winsor & Redd Sullivan、Mike Silver、Chris Barber等の「ライブ・アット・トルバドゥール」っぽいアルバム。
どんなものかと音源をすべてチェックしてみたけど、Chris Barberを除いては間違いなく私は一生聴かない類のフォーク・ソング。
Chris Barberも同じか…ディキシーランドのトロンボニストね。
この人のマネージャーがあの有名なライブハウス「Marquee」を開いたことはMarshall Blogに以前書いた
ひとつ気になったのは右端に半分だけ見えているヤツと右下のヤツ。260_2コレなんだけど。
『Jazz Composers Workshop』ってチャールズ・ミンガスなんだよね。
ミンガスがココで演奏したのかいな?と思ったんだけど、どうやらジャケットが上で紹介したトルバドゥールの天井の写真ということのようだ。
でも、コレはオリジナル・ジャケットではない。

11_2jcwコーヒーハウスのトルバドゥールがレコード・レーベルを持っていた…という記述は特に見かけないんだけど、「Troubadour Records」というのがあったらしい。
写真の右側がそのレーベルの1枚で、「Colin Bates Trio」とかいう人の『Brew』というアルバム。

270_2このアルバム、自主制作で100枚ほどプレスしたそうで、オリジナル盤のレア度たるや、「メガトン級」や「ウルトラ級」を飛び越して「テラ級」に至るらしい。
それが今ではFontanaからリリースされた復刻盤の音源がクリック一発で聴くことができる。
ヘヴィ級のリズム隊に硬派なピアノで聴かせるオリジナル曲がなかなかにカッコいいぞ。

Cb右の赤いヤツはお店のポスター。10ポンド。
「256 オールド・ブロンプトン・ロードSW5のトルバドゥールではいつもナニかが起こってる」
こういうのこそ事務所へのお土産で持って帰りたいんだけどね~。
持って帰れないんだよね。
折りたたみたくはないし、筒をどこかで買って入れるのも面倒だし、考えてみれば、事務所の壁にコレを貼るスペースが全くないわ。

280_2ココが地下のライブ会場への入り口。
キャパは150人ぐらいとのこと。

290x奥の壁に飾ってあったストラトキャスター。
お店に人に訊いたところ、特別なモノではないそうだ。

300v地下にあるトイレ。
この洗面台がカッコいい…と思ってサ。

310vところで、ココって上にも書いた通り、パブではないのですよ。
いつもパブでやるようにカウンターで注文してエールがパイント・グラスに注がれるのを待っていると、「支払いは後で結構です、席までお持ちします」と言う。
「変だな…CODじゃないのか…」とは思ったんだけど、後で勘定を聞いてココがパブではないということがわかった。
1パイントが7ポンド以上するのだ。
この辺りだと高くても5ポンド、あるいはそれ以下が相場だろう。
ひとつ勉強になった。
でも、快く店内の写真を撮らせてくれたし、店員さんも感じがヨカッタのでよしとしましょう。
285お、こんなのあったんだ。
カウンターで勘定をした後に気が付いたのが「CLOCKWORK TANGERINE(時計じかけのミカン)」!
キューブリック展を観て来たばっかりだったので飲まなかったことをチョット後悔。
そうそう、ココでも当然フリーWi-Fiを使わせてもらったんだけど、パスワードが必要で、若い店員さんに尋ねた。
すると、チョット恥ずかしそうに「Bob Dylan!」と教えてくれた。
ディラン、来日キャンセルになっちゃったね。330_2あ~、オモシロかった。
トルバドゥールでオッサンのロマンを満喫した後は来た道とは反対の方向へ。
もちろん目的があってのこと。
コレは4年前に来た時に泊まったキッチン付きのホテル。

340_2そのホテルの隣の様子を見に来たのだ。
 
コレがそう…といってもこの写真はもう11年前に撮ったもの。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」。
「Center」じゃないよ、「Centre」だよ。
ココはイギリスだからね。
 
詳しくはコチラ ↓  ↓  ↓
イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ

350ブリティッシュ・ロック・ファンならきっとご存知のロックの聖地。
2014年のある時はこんな様子だった。
花柄のエキシビジョン・センター。

360キャパ20,000人の巨大施設。
今ではさいたまスーパーアリーナだの幕張メッセだの大きな設備があるけど、コレの会場は1937年だからね。
戦前からやってる。

11_img_0222左はエキシビジョン・センター。
写真の真ん中へんに見えているのが地下鉄「アールズ・コート駅」の入り口。
さっきのGREGGSのあった駅舎の反対側。

11_img_0223その1年後。
中にはもう入れなくなった。
取り壊しの準備に入ったのだ。

370_2そして、去年。
ハァ?…ココはどこ?
こんなんなっちゃった。
上の写真とほぼ同じ場所から撮った写真。

380_2ドワ~、ナンにもなくなっちゃったよ!
しかし、700万人もいる大都会のほぼ真ん中にこんな空地ができるなんてスゴイよな。
なんでこんなにユッタリしているんだろう。

390_2駅舎にナンの変化がないのがまた寂しさを誘う。

400_2伝説のコンサートも…

540ジャケットも、今は過去へのロマンと化したのだ。

Pc2こんな私でも20年近く前からエキシビジョン・センターは見てるからね。
帰りの地下鉄の駅から見た景色は寂しかった。410かつてはこうだった。430v今はコレ。
奥にあんな大きな建物があったのね?
嗚呼、変わりゆくロンドン…。420v_2<つづく>
 

200 
(一部敬称略 2019年6月10日 ロンドン、アールズ・コートにて撮影)

2019年9月19日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.41 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

こんなTシャツの展示も以前にはなかったゾ。
…と、写真だけ撮ってシレッと通り過ぎようとした瞬間に目に入って来たのが「ZAPPA」の5文字!

3001978年のネブワースのイベントTシャツ。
フランク・ザッパはヘッドライナーだったのかな?
「ZAPPA」とだけあるのがチョイと解せん。
1978年というと、ヴィニー・カリウタ以下あのスゴ腕メンバーが結集していて、「あのバンドはやろうと思えば出来ないことは何ひとつなかった」ぐらいのことをザッパに言わせしめたスーパー・テクニシャン集団の時期。
調べてみると、レパートリーは『Shiek Yerbouti』以降のヒットパレードといったところ。
観たかったナァ。
観客は45,000人ほどだったらしい。

0r4a0010私、17年前にネブワースに行ったことがあるんですよ。
後ろはネブワース城。
写真は撮らなかったけど、現地の人に「ココでレッド・ツェッペリンや10ccが演奏したんだよ」なんて聞かされて大興奮した。
この辺り、緑一色でものすごくキレイだった。もうね、到底この世のモノとは思えない。
移動の車の中から「ホントに美しい!ゴルフ場みたいですね!」とその連れて行ってくれた人に言うと、「ああ、そこゴルフ場だからね」だって。
ゴルフ場でなくても、日本のゴルフ場より自然で美しい。
イギリスの郊外は本当にキレイだ。

8_nw そして、The Tubesだもんね~。
更にピーター・ガブリエル。
Chrismaから最初のソロ・アルバムをリリースした翌年だったんだね。
この時のセットリストを見ると、「Moribund The Burgermeister」、「Here Comes The Flood」、「Waiting for the Big One」、「Solsbury Hill」等々そのファースト・アルバムの曲をバンバン演ったようだ。
私、あのアルバムが大好きだった。
2枚目が出てすぐに買って聴いたけど、まったくオモシロくなくて…以降ピーター・ガブリエルは一切聴いていない。
だから世間で「ゲイブリエル」と呼ばれていることもズット後になって知った。
私は「ガブリエル」でいい。
ファースト・アルバムの思い出を大切にしまっておきたいのだ。
それと、この時、ガブリエルはProcol Harumの「Whiter Shade Of Pale」やGenesisの「The Lamb Lies Down on Broadway」を演ってる。
やっぱり観たかったな~。

310フランス語って難しいよナァ。
全く素養のないアタシなんぞ下の「Champs・Eleysees」が読めませんでしたよ。
「チャンプス・エリシーズ」ってなんだ?みたいな。
コレ、「シャンゼリゼ」と読む。
読まないなら最後の「s」を付けるな!
「Theatre Des Champs・Elysees」だから「シャンゼリゼ劇場」ですな。
下を見ると「BALLETS RUSSES」とある。<前編>に登場したセルゲイ・ディアギレフの「バレエ・リュス」だ。
コレは1913年の告知ポスターで、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演され、上へ下への大騒ぎとなった年。
『春の祭典』はシャンゼリゼ劇場の杮落し公演だった。
ポスターのデザインはジャン・コクトー。
モデルはニジンスキー。
出し物はミハイル・フォーキンという有名なバレエ・ダンサーの振り付けによる『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』という作品。
フォーキンは他に『シェヘラザード』、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』等のバレエ・リュス作品の振り付けを出がけた。
「薔薇の精」の音楽は、ウェーバーの元曲をヘクトール・ベルリオーズが管弦曲にアレンジした。
ニジンスキーが「薔薇の精」を演じ、バレエ・リュスの人気演目となったそうだ。

320vすっごいツマらない脱線をしてもいい?
私にとってはとても興味深い話だったもんで…。
これまでMarshall BlogやShige Blogで今回ヒザを痛めた話をしたでしょ?
あんな状態だったものだから、日本に帰って来てからというもの、日課のウォーキングができなんでいたのね。
だってあの激痛は二度とゴメンだからサ。
そしたらアッという間にプーランクが上がってしまい、困っていたのです。
「プーランク」というのは、尾篭な話ですが、オナラの回数のランクね。ニオイのランクに対しては使われない言葉。
運動不足で腸の働きが不完全になるのか、オナラがジャンジャン出てしまい、回数が上位にランクするようになった。
それが、ここのところヒザの調子もよくなったのでサポーターをして以前のように1日1万歩を目安に歩くようになった。
すると、アラ不思議!
プーランクが極端に下がり、オナラの回数は限りなくゼロになった。
すごいモンですな、運動の効果ってものは。
 
こんな話をしたのは、本人には大変失敬な話なんだけど、フランスの作曲家フランシス・プーランクの話をしたかったから。
以前は「プーランク」と「クープラン」の区別も怪しかったが今は違う…クープランも17世紀のフランスの作曲家ね。
ナゼ、プーランクの存在がそんな前面に押し出されてきたかというと、そのオナラのせい…じゃなくて、とにかくカッコいい曲がたくさんあるのよ!
「ピアノ協奏曲」とか「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」とか…。
それで調べてみると、プーランクもバレエ・リュスに関係していて、ストラヴィンスキーの『春の祭典』に心酔しきっていたそう。
そんな関係で、なんとストラヴィンスキーの「結婚」の初演でピアノを弾くことになっていたっていうのよ!
スゴクね?
残念ながら実現はしなかったが、実に興味深い話ではあるまいか!
Shige Blogに書いたように「結婚」って曲がメッチャ好きなんです、私。
記事はコチラ⇒【Shige Blog】ついに『結婚』!  
変な脱線しちゃってゴメンね~。でもバレエ・リュスつながり…ということで。
 
さて、V&Aはの『Theatre & Performance』の展示はこういうポスター群も見どころ満載。
アンナ・パヴロワか…まるで時代の空気を運んできてくれるようだ。
ま、ネタとしてはかなり取り扱いがラクな方だろう。
そのせいかどうかは知らないが、以前来た時とは総入れ替えになっていた。
ロックっぽいヤツを少々拾ってみると…

330まずはロバート・ジンマーマン。
ボブ・ディランね。
オーストリアのマーチン・シャープというポップ・アーティストが、1968年に『Oz』というアングラ誌のために制作したイメージ・ポスター。
同心円がディランの顔の周りをビッシリ囲っている。
コレは万華鏡のイメージで、当時のサイケデリック・アーチストが好んで使ったモチーフだった。
かけているサングラスの右レンズに入ってる文言は「Blowing in the Wind」。
幻覚剤で向こうの世界へ行っちゃってるイメージを視覚化しているのだそうです。

340v有名な『Isle of Wight Festival(ワイト島のフェスティバル)』のポスター。
なんかミュシャっぽくてよろしいな。
ちなみに外人に「ミュシャ」と言っても通じない。「ムーカ」だ。
「ゴッホ」は「ゴッ」ね。
ワイト島はMarshallを海外に輸出する時に使う港、サウザンプトンの南にある島。
ビートルズの「When I'm Sixty Four」で「そんなにお金がかからなかったら、毎年夏にワイト島にコテージを借りよう」って歌うヤツね。
「isle」と「island」の違いは、一般的に「island」は「島」を表すのに対し、「isle」は小さい島を指す。
で、このフェスは1968年が第1回目の開催。元々は『Great South Coast Bank Holiday Pop Festival』と呼ばれていた。
「Bank Holiday」というのは1871年に導入されたイギリス独特の国民の休日で、読んで字のごとく、銀行が営業を休んじゃう。
国民が働きすぎるので、銀行を休みにしちゃえば国民すべてが休まざるを得ない…ということで導入された国民の休日。
今年のバンク・ホリディは5月6日の「Early May Bank Holiday」、5月27日の「Spring Bank Holiday」、そして8月26日の「Summer Bank Holiday」。
全部月曜日なんだけど、あまりにも日本に関係ないせいか、いつがバンク・ホリディなのかがサッパリ覚えられん。
すると、Marshallにメールを打って返事が来ないとすぐに「なんだ、またバンク・ホリディか?」なんて勘ぐってしまうのだが、実は年に3日しかないの。
しかし『メリー・ポピンズ』じゃないけど、やっぱり銀行のステイタスが日本とはゼンゼン違うことを思い知るね。
だから、このワイト島のフェスも「バンクホリディを有効に使いましょう!」的な動きがあったのかも知れない。
あと「ボクシング・ディ」とかね。
で、このフェス、1968年から始まって3年ほど開催して終わっちゃった。
どんな人たちが出ていたのかは、羨ましすぎて悲しくなるので書かない。
そして、2002年に復活。
見た目はレトロ調だが、このポスターは2011年のモノ。
350vマルコ・ピローニ(Marco Pirroni)を従えた新しいバンド・メンバーで催行した1980年のAdam Antのコンサート告知ポスター。
「High Wycombe(ハイ・ウィカム)」というのはロンドンの北西、オックスフォードとのちょうど中間ぐらいにある郊外の都市。
「Town Hall(タウンホール)」というのは市庁舎。
イギリスの郊外にある町の市庁舎なんてところは間違いなく歴史があってステキな建物なんだけど、調べてみるとやっぱりここもスゴイ建物だった。
アダム・アントが出て来た頃って、私は大学生で、プロ・ミュージシャンになりたくて夢中になってバンドをやってた時分だった。
なんか「ジャングル・ビート」みたいな触れ込みで注目されていたように記憶しているが、私はどこがオモシロいのサッパリわからなかった。
今になって考えてみると、実はそうではなくて、彼らの音楽がわからないかったのではなくて、パンク/ニューウエイブに席巻されまくっていた当時のロックに与することができない「自分」がわかっていなかったのだと思う。
この辺りから急激にロックに対する情熱が失せ、そしてロックから離れて行った…自分にそんな変化をもたらしたミュージシャン、ということでアダム・アントって思い出深いんだよね。
みんな「なつかしの80年代」ってやってるけど、私は「80年代のロック」と今のロックは何も変わっていないと思っている。
しかしですね~、後でまた出て来るけど、このアダム・アントってのはイギリスではケタ違いに人気があったんですな~。

360ルー・リードも亡くなってしまったネェ。
1973年、代表作『Berlin』のレコ発ライブ。
会場はグラスゴーのアポロ・センター。
この時のコンサートはオールド・ファンの間では「悲劇」として認識されているそうだ。
今では『Berlin』はルー・リードの代表作とされているが、発売当時は大変な悪評をかった。
それでヘソを曲げたのか、ルーはこの時、スタッフに運ばれて来てステージに立ち…イヤ立たなかった!
ステージに仰向けになったまま全曲演奏し切ったのだ!
そして、演奏が終わるとまたスタッフが抱えてステージから降りた。
チョット見たかった気もするナァ。
でも私、ルー・リードとかヴェルベッツも苦手なのよ。

3701983年、15か国、96公演をこなしたデヴィッド・ボウイの『Let's Dance』のレコ発ツアーのポスター。
キャリア中最も長く規模の大きなツアーではあったが、それまでの「Ziggy Stardust」や「Diamond Dogs」等のツアーの時とは正反対に、セットはシンプル、衣裳替えもなしといった内容だった。
ナニ、デヴィッド・ボウイってこの『Let's Dance』が一番売れたんだってね~。
イラストの意匠はフレッド・アステアかな?

380v本家イギリスの博物館ゆえビートルズ関連の展示品ががたくさんあると思うでしょ?
そうでもないんだよね。
前回と展示が入れ替わっていて今回はこんなアイテムがディスプレイしてあった。
1964年のフィギュア。
もう「ビートルマニア」の皆さん垂涎のお品でございます。
メンバーひとりひとり別売りで、箱の中に取説が入っていた。
「簡単なパーツをくみ上げてチョット色を加えるだけでジョン(ポール/ジョージ/リンゴ)があなただけのモノに!」
誰のフィギュアが一番売れたんだろう?
リンゴか?
今と何ら変わらないんだろうけど、フィギュアのネタが人間っていうだけまだ時代が正常だったんじゃないかね?
そういえば昔、ドラムスのプラモデルってあったよね?
子供の頃は一体誰がこんなの買うんだろう?と思っていたけど、当時はドラムスなんてそう簡単に始めることができない高価で珍しいモノだったんろうね。

410もうイッチョ、ビートルズネタ。
イギリスのビートルズのファンクラブ、『The Beatles Offcial Fan Club』の1964年発行の会報。
こういうの「ファンジン」っていうの?
「Freda Kelly(フリーダ・ケリー)」という人が代表を務めたこのファンクラブはイギリス最大の規模を誇り、会員数は国内だけで5万人を優に超えていたという。

560ココでチョット映画ネタ。
この辺もアイテムも見たことがなくてかなり興奮した。
ヴィヴィアン・リーが1951年の『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』の撮影でかぶったカツラ。
ヴィヴィアンは役柄によって変化をつけるために頻繁にカツラを着用したそうだ。
そしてこの作品でブランチ・デュボアを演じる時、スタンリー・ホールという(偶然「スタリー」!)彼女のカツラ製作者に「グラマラスに見えないように!」とキツく指示を出したのだそうだ。
そこでホールはカツラの髪のボリュームを減らし、特に色もつけず、ブランチをみすぼらしく見せ、神経質で疲れ切ったそのキャラクターを作る手伝いをした。

430私はこのテネシー・ウィリアムズの戯曲にチョットした思い入れがありましてね。
大学の米文学の授業でこの作品をやったからなんだと思う。
といってもほとんど覚えていないけどね…ただひとつ、ブランチが妹のステラに向かって「あなたの名前はラテン語で『星』という意味だけど、私のブランチという名前は『蛾』という意味なのよ!」というセリフを吐くシーンがとても印象的だった。
イヤ、おそらく教授がココをドラマチックに説明したのだろう。
そもそも授業なんて聞いていないんだから。よっぽど受講者の耳目を惹いた説明だったに違いない。
下はV&Aとは関係がないんだけど、この映画の公開当時の宣伝ポスターを調べてみた。
いいね~、このコピー。
調べてヨカッタ。
こうある…「淫蕩の血と知性の相克!赤裸々な描破に依ってえぐり出された女性本能の姿!」
日活かッ?
ナンにも知らない人がこの惹句を耳にしたら間違いなくそっち方面の映画を想像することだろう。
「描破(びょうは)」なんて言葉は初めて見たよ。

12scndまぁ、とにかく映画はスゴかったね。
映画を見るといつでもニューオリンズの蒸し暑さを思い出すわ…行ったことないけど。
マーロン・ブランド扮するスタンリーと財産を巡って、精神を病んだお姉さんのブランチと妹のステラの確執が繰り広げられる。
監督はエリア・カザン。
カザンは舞台の演出をしてこの戯曲を大ヒットさせた。
舞台でもマーロン・ブランドがスタンリーを演じ、ブランチ・デュボア役はジェシカ・タンディが演じた。
観たかったな。
そして映画でブランチを演じたヴィヴィアン・リーは1952年、見事2度目のアカデミー主演女優賞をゲット。
もちろん最初のオスカーは1939年の『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で、イギリス人女優初の快挙だった。
アメリカの男性たちは映画の中のスカーレットを見て「イギリスにはこんな美人がいるのか!」とビックリ仰天したという。
ところが、ヴィヴィアンはこの2度目のオスカーの授賞式を欠席した。
主演女優賞受賞者がアカデミー賞のセレモニーを欠席するなんて滅多にないことだ。
ヴィヴィアンは何をしていたのかというと、ブロードウェイでクレオパトラを演じていた。当時のご主人であったローレンス・オリヴィエと一緒にニューヨークにいたのだ。
彼女は楽屋で聞いていたラジオで受賞したことを知ったという。
下がその時のオスカー像。
スゲ~!
でもナンでココにあるの?
また、かわいそうなスタンリーの友人、ミッチに扮したデカ鼻のカール・マルデンは助演男優賞。
そして、ステラを演じたキム・ハンターも助演女優賞を獲得した。
ちなみにキム・ハンターはオリジナルの『猿の惑星』でチンパンジーのジーラを演じた人。
チャールトン・ヘストン演じるテイラー船長のキスを受けて恥じらうジーラはマシラながらとてもチャーミングだった。
日本での文学座の舞台では、そのヴィヴィアン・リーが扮したブランチの役を杉村春子が演じ当たり役となった。
私はお芝居にはほとんど興味がないが、杉村春子のブランチだけは観ておけばヨカッタとこういう機会に思い出しては臍を噛む思いをしている。
570vもうちょっと書かせてね。
それはエリア・カザンのこと。
カザンは共産主義者の疑いをかけられ、1950年代にレッドパージ(赤狩り)がハリウッドを襲った時、司法取引をしてダシール・ハメットとその奥さんのリリアン・ヘルマンを当局に売り渡してしまった。
ダシール・ハメットはサム・スペードの『マルタの鷹』を書いたハード・ボイルド作家。「血の収穫」は黒澤明の『用心棒』の下案として知られている。
一方、リリアン・ヘルマンは戯曲作家で、オペレッタ『キャンディード』を書いた人。
それに音楽をつけたのがレナード・バーンスタイン。
バーンスタインも共産主義者として知られている。
このあたりは【Shige Blog】レナード・バーンスタインの/とアメリカをご覧くだされ。
残念ながらこのオペレッタ/ミュージカルはヒットせず短命に終わった。
しかし、バーンスタインは何かのビデオで「舞台はダメだったが、音楽は残った」と言っていた。
そう、素晴らしいんですわ。
『ウエストサイド物語』に比肩するほどの名曲ぞろい。
コレは私の最近の超愛聴盤の『Candide』のオリジナルキャスト・レコーディング。
Candide
さて、エリア・カザン。
その後どうなったかというと、仲間を売ったことを非難され、業界で冷遇されてしまう。
しかし、1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」が授けられた。
私はこの授賞式の様子をテレビで見ていたが、プレゼンターはスコセッシとデ・ニーロで、その授与を賞賛する人たちがいる一方、一部からは徹底したブーイングが浴びせられていた。
カメラは客席のニック・ノルティを捉えたが、深く腕を組み、ものすごいしかめっ面をしていた。
「裏切りは絶対に許せない」ということだ。
スピルバーグやジム・キャリーらは拍手はしたものの起立はしなかった。
こういう時、向こうではスタンディング・オベーションが当たり前だからね。
反対に起立をしてカザンに拍手を送ったのはウォーレン・ビーティ(ロシア革命を題材にした『レッズ』なんて映画を撮ったぐらいだからね)やヘレン・ハントやメリル・ストリープらだったらしい。
リチャード・ドレイファスなんかは事前に反対の声明まで出していたそうだ。
 
今、駅のコンコースで500円(税別)ぐらいでDVDが買えるから観たことがない人は一度ぐらい観ておいても損はないよ。
消費税が10%なる前に急げ!

Scnd 『The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世の6人の妻たち)』というテレビドラマガあったとか。
コレはBBCの歴史に残る名作で、70年代のテレビ番組を代表するような出色の出来だったらしい。
み、観たい!…八っつぁんファンの私としては!
でもダメだ!DVDは出ているけど字幕版がない。こんな文芸作品を字幕なし観るなんてことはできんからな。

8_h8dそのドラマでヘンリー八世を演じたのはキース・ミッチェルというオーストラリア出身の俳優で、コレが当たり役となり1972年にテレビ番組の栄誉、アメリカのエミー賞を獲得し、その後も舞台でヘンリー八世を演じ好評を博した。
コレがその時のエミー賞のトロフィ。

580v1955年頃描かれたヘンリー五世を演じるリチャード・バートンの肖像画。
恥ずかしながらリチャード・バートンがイギリス人だとは知らなんだ…というか、気にしたこともなかった。
ウェールズの炭鉱夫であったジェンキンズ家に13人兄弟の12番目として生まれ、教師が養子にとり「バートン」と改姓した。
オックスフォード大学にも行かせてもらい俳優としてその才能を開花。
イギリスとアメリカの両方で大活躍した。
戦争映画や史劇、コメディやミュージカル等、様々なタイプの作品に出演し、7回アカデミー賞にノミネートされたが、生涯獲得することはできなかった。
マンガと怪獣ばかりの現在のハリウッド映画にあって、今のアカデミー賞なんて重みも威厳も意味もナニも感じられないけど、映画が最高の娯楽だったこの時代は大変だったからね。
グラミー賞もレコード大賞も同様。
演る方も観るほうもベテラン層と若者層の間が分断されちゃって、エンタテインメントの統一が図れなくなってしまい、こうした「賞」モノに意味がなくなって来たように思う。
年寄りはより凝り固まり(私です)、若者はより低きに流れて行ってることは否定できまい。

440vリチャード・バートンもヘンリー八世を演ってるんだよ。
『1000日のアン(Ann of the Thousand Days)』という映画。
「アン」とはもちろんヘンリー八世の2番目のお妃、アン・ブーリンのこと。
この役を演じたジュヌビエーヴ・ビジョルドがすごく可愛くて、気が強くて、いかにもアン・ブーリンっぽくてとてもヨカッタ(実際にアンに会ったことはありません。首を落とされた場所には行きました)。
バートンのヘンリー八世は大変クールでした。

Ann下はコヴェント・ガーデンに今でもある「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドルゥリー・レーン)」の座席の価格表掲示板。
コレはナゼか6年前にも展示してあって、今でもこうして残っている。
なので、以前書いた文章を転用させて頂く。
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スゴイ。
真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ?
コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。
同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。

この補助通貨のシステムが異常に複雑で1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスと、20進法と12進法が組み合わさっていた。
さらによく映画なんかでも見かけるが、「ギニー」というのがあって、1ギニーが21シリングと同価値だったという。
このギニーというのは長い間価値が定まらず、18世紀の初めに1ギニーが21ポンドと決められたが、この辺りを主導したのはあのニュートンだったそうだ。
このポンドとギニーの1シリングの差はチップ込みか否かという表れだったらしい。

こんなんでどうやって買い物してたんだろうね?
今ではポンドとペンス(1の時はペニー。ペンスはペニーの複数形)しかないし、計算も100ペンスが1ポンドとごくごく簡単だが、1971年まではこのシリングを使ったシステムが通用していた。
Roxy Musicの「Three and Nine」という曲はこの複雑なシステムを題材にしていることは以前にも書いた。
この曲が収録されている『Country Life』は1974年の発表なので、そのチョット前まで、Bryan Ferryたちはこのシステムの中で生活していたことになる。
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そゆこと。
ちなみに我々にはなじみのない単位として、イギリス人は体重を表す時、「Stone(ストーン)」という単位を使う。
基本的にはメトリックの国ゆえ、重量は「t,g」を使うのに体重の単位だけは譲れないらしい。
先月、一緒になったイギリス人ドラマーに体重を尋ねると、ストーンでしか答えることができないのを発見して驚いた。
「じゃ、ポンドでいうとどうなの?」と質問を重ねたところ、「もっとわかんない」って。
1ストーンは6.35kg。

550vイヤだな~、自慢ばっかりになっちゃって!…そうじゃない。
「自慢」では決してなくて体験談だから。
そういえば、私が前の会社を辞める時に挨拶をすると「あ~あ、コレでシゲさんの自慢話も聞けなくなるのか~、寂しいな~」って言った若いギタリストがいたっけナァ。
私よりクチの悪いヤツだった。
でも、ナンだっていいけど、寂しがってくれてうれしかったよ。
彼、今ナニをやってるんだろうな…寂しいな~。
 
私の体験談とは、このドゥルリー・レーンで『My Fair Lady』を観たこと。
コレがその時のプログラム。「Programme」っていうイギリス式スペリングがいいでしょ?

8_0r4a0192例によってハーフプライス・チケットだったので席は一番後ろ。
ココすごくデカくてね、甲子園で言ったらアルプススタンドの一番上。
もうイライザ・ドゥーリトルもヒギンズ教授も顔はまったく判別できない距離。
それでも実際の舞台のすぐ横で観た『My Fair Lady』は格別だった。
下はプログラムの表2。
今は観光客で一日中賑わっているコヴェント・ガーデンもちょっと前まではこうした本当の市場だった。
その様子はヒッチコックの『フレンジー』でも窺い知ることができる…ラヴリッ!

8_0r4a0195ね、「THEATRE ROYAL DRURY LANE」って入ってる。
ゴメン、結局コレ、自慢だったわ!
8_0r4a0197『Theatre and Performance』の展示とだけあって…

500実際に舞台で使われていた衣装がタップリと飾ってある。

510強引な部分もあるけど、ナンカ今回は色々とつながってオモシロいナァ。
この顔色の悪い黒装束のオバサンは『オズの魔法使い』の「西の魔女」か?または、ミュージカル『Wicked』か?…同じキャラクターだけど。
『オズの魔法使い』といえば「Good bye Yellow Brick Road」じゃんね。
「黄色いレンガ」の道をたどって「オズの魔法使い」に会いに行く。
その「オズの魔法使い」の裏話が『Wicked』
邪悪な(wicked)西の魔女エルファバと善良な南の魔女グリンダとの知られざる友情物語。
ミュージカルは観たことがないんだけど、オリジナル・キャスト・レコーディングのCDは持ってる。コレがなかなかいい。
ハイ、脱線。

520脱線しない地下鉄でやって来たのは「London Victoria Station(ロンドン・ヴィクトリア駅)」。
ロンドンのターミナル駅のひとつ。

8_img_0206電車に乗ってテムズ川を渡ると2、3分で左側にコレが見えて来る。
あ、こういう風には見えないよ。
こんな感じ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所
今、この辺りは再開発が進んでいて、ショッピング・センターを中心とした巨大な複合施設を作っているんだけど、ロンドンのひとつのアイコンとして、この4本の煙突は残しているらしい。
といっても、こんな重量物をそのままにしておくのは無駄なので、なんと、プラスティック製の煙突を乗っけるそうだ。
ああ、ホンモノをジックリ見ておいてヨカッタ!…コレは自慢。

Am そして、エルトン・ジョンつながりをもうひとつ。
ヴィクトリア駅の真ん前の「Victoria Palace Theatre(ヴィクトリア・パレス劇場)」でやっていたのがエルトン・ジョンが音楽を担当したミュージカル「Billy Elliot」。
コレは後でもう一回チラっと触れる。

8_img_0211その劇場を背にこんなモノが立っている。
これは「Little Ben(リトル・ベン)」と呼ばれていて、フランスの「Elf」という石油会社からイギリスとフランスの友好の証として寄贈された。
ロンドンを歩いていると街中でよく時計を見かける。
昔は腕時計なんかなかったので、公共の場所に時計を設置して時間を知らせていたんだね。
さすが「世界標準時」の国だけのことはある。
このビッグ・ベンのミニチュアはアチコチを移転したが、現在は元あったこの場所に戻ってきた。
で、この時計、実際のロンドンの時刻より1時間進んでいて、フランスと同じ時刻を示している。

8_img_0215プラークを見ると「リトル・ベンのサマータイムのお詫び」としてあって、その下に「Couplet(カップレット=対句)」が刻まれている。
リトル・ベンが何を謝っているのかと言うと…
「私の手(時計の針のこと)は進んでいたり、遅れていたりするかも知れません」
「私の心拍はイギリスとフランスの真実を示しています」
わからん…リトル・ベンはナニを言ってるのか?
調べてみた。
むかしむかし、イギリスは「サマータイム」という制度を知らなかった。
その後、サマータイム制を導入した。
リトル・ベンが刻む時間はフランスに合わせているため、夏季のみリトル・ベンが正しい時間を示すことになった。
秋になってサマータイムが終わると、リトル・ベンが示す時刻はまた1時間進んでしまうことになる。
でも、「それらの異なっている時間はイギリスにおいてもフランスにおいても真実なのです」として友好関係を表しているらしい。
ん~、よくわからんな…というのは、フランスもサマータイムをやってるんですけど。
でも、EU全体でこのサマータイムを廃止するかも知れないんだよね。
日本はどうなったんだろう?
経済効果がなく、国民の健康にも害を及ぼすと言われているこの制度…ま、日本の優秀な政府のことだから、みんなが止めた頃始めるんじゃないの?
サマータイムを導入してカジノでタップリ楽しもう!ってか?
おおっとっととっと…コレ以上は書かねーゼ。

8_img_0213そして、ヴィクトリア・パレス劇場の隣にある「Apollo Victoria(アポロ・ヴィクトリア)」と言う劇場で『Wicked』が上演されていた。
2014年に8年のロングランを経て終演した。
コレだけの話。
イヤ、この写真を撮ったの大分前なんだけど、こんな大きな駅前の真ん前に劇場がふたつもあるなんてビックリしたんだよね。
ソレだけの話。

8_img_0218色とりどりの舞台衣装の他…530こうした小道具の展示も充実している。

540芝居やミュージカルの衣装だけじゃないよ。
ロック・スターの衣装。
コレも結構入れ替わっていた。
 
まずはコレ…。
『ボヘラ』の次は『ロケットマン』ってか?
またぞろ「にわかエルトン・ジョン・ファン」が急増するんだろうな。
ま、映画ぐらいはいんだけどサ。
亡くなった時に爆発的にファンが増えるのはどうなのよ?
プリンスのことはサッパリわからなかったし、興味がなかったけど、どデヴィッド・ボウイのアレはないんじゃないの?
「あ~、デヴィッド・ボウイが逝ってしまって、もうショックで、ショックで…」
「エ~、アンタ今までボウイの『ボ』の字すら口にしたことなかったじゃんよ!」
「イヤ、『ジギー・スターダスト』好きだったんだよ。あの『グロリア』って曲が特に…」
「ダメだ、コリャ…」ってなところだろう。
ナゼ私がコレを言うかというと、イギリスに行くと感じるんだけど、デヴィッド・ボウイってイギリスの文化そのものなんだよね。
要するに世の中に与えた影響がオッソロシク大きかった。
Pink Floydなんかにしてもそうなんだけど、日本ではどうしてもKing CrimsonやYesやELPと同一線上でしか現れないけど、イギリスでは全く違う。
今、多分、一般人の口からPink Floydの名前は出てもKing Crimsonの名前がでることはまずないと思う。
要するにボウイにしてもフロイドにしても、「音楽」が作ったひとつの「文化」なんだね。
だから何も知らないにわかファンが、あたかも自分の青春を捧げたかのように上っ面だけ死を悼むのを見ているのが恥ずかしいんだな。
エルトン・ジョンは<前編>で登場した通りだ元気だけど、もしもの時に、『Goodbbye Yellow Brick Road』を引き合いに出すとすれば、「Staturday」や「Bennie」のことをどうこう言う人は怪しいな。
それより「Sweet Painted Lady」や「Harmony」や「Roy Rogers」のことに触れて欲しい。
ちなみに私は「Skyline Pigeon」が大好きです。
ということで、エルトン・ジョン。
 
1974~1975年のアメリカ・ツアーの時の衣装。
この時期のレジはというと、1974年に『Caribou』、75年に『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』と『Rock of the Westies』をリリースしている。
最後のいい時…レジもコレに続く1978年の『Blue Moves』までだな。
この後も『The Lion King』や『Billy Elliot』なんて世間的にいい仕事はしているものの、70年代初めのクリエイティビティに比べたら何をかいわんやでしょう。
『The Lion King』は「心配ないさ~」しか知らないけど、『Billy Elliot』はCDを買って来てみたけど
全くピンと来なかった。若い頃は10分ぐらいで作曲をしていたらしいね。
その才能たるやすさまじかったらしい。
夜中にバーニーが詩を書いてピアノの上に置いておく。
翌朝レジがそれを見ながらコードをつけて「♪フフフン」と歌って1曲仕上げる。
以上…その間10分。
10分以上取り組んでも良いメロディが出ない時は容赦なくその歌詞をボツにしたらしい。
こうして歌詞にメロディを付けるもんだからレジの曲はやたらと歌うのがムズカシイ。
コーラスによって歌詞の譜割りがマチマチなのだ。

400vこの「Bicycle John(バイシクル・ジョン)」と呼ばれる衣装はその名の通り、自転車をモチーフにしたデザインで、ベル、ハンドル、泥除け、反射板などの要素が詰め込まれている。
背中の「27」はこのツアーを行った時の年齢だろう。
調べてみるとレジは1947年。コレに27を足すとこのアメリカ・ツアーをやった年の「1974」になる。
しかし「歴史に『if』はない」とよく言うけど、ロックの歴史へは「if」の持ち込みOKとしよう。
エルトン・ジョンの髪の毛がフサフサだったらこの稀代の天才作曲家にしてスーパースターはこの世に存在していたか…。
『ロケットマン』、老人割引の日に観に行ってみようかな?

450v皆さん大好きのLed Zeppelin。
1975年のジミー・ペイジのステージ衣装。

460vモチーフは古代のヘブライとエジプト。
難解な宗教と神秘主義という個人的な趣向が反映されていたのだそうだ。
世界的な人を得、パフォーマンスが過激になるにつれてステージ・衣装もドンドン派手になっていった。
コレ、ジミー・ペイジのデザインで、ご本人から寄贈されたそうです。
歩いて持って来たのかな?
ジミー・ペイジの家ってココから近いからね。
『【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く』
で紹介した家ね、先日ロンドンに住む音楽業界のイギリス人の友達に聞いたら、まだココに住んでるんだって。

470vね~、またアダム・アント!
スゴイ人気だったことが窺えるでしょ?

480v1981年、この衣装を着て撮影されたのがこの「Prince Charming」という曲。
展示の解説によると、この曲がもっともよく知られているナンバーだとか。
全く知りませんし、理解もできませ~ん!

2008年のアルバム『Viva la Vida』のイメージに合わせて作ったColdplayのクリス・マーティンの衣装。
デザインはポールとリンダ(またリンダ!)の間の次女、ステラ・マッカートニー(また「ステラ」!)とサラ・ジョウェットという人。

490vウ~ム、コレがその『Viva la Vida』か…いいジャケットだな。
絵はドラクロワの「Liberty Leading the People(民衆を導く自由の女神)」。1830年。
衣装はこのフランス革命のフランス軍の軍服をモチーフにしているのだそうだ。
しかし、こういう絵に出て来るヒロインっぽい人たちってなんで乳だしてんだろうな?
「なりふり構わず!」ということなのだろうか?
ジャケに惹かれて音を聴いてみる…なかなかいいモンだね、2回は聴かないけど。
コチラさんはものスゴイ人気なんでしょ?
やっぱり日本のそういう人気のバンドさんとは全然趣きが違いますな~。大人だわ。
2番目に収録されている「Cemestries of London」という曲に「朝日のあたる家」のメロディの一部が出て来てドキっとしたわ。

8_vlv以上!
こんなに書くつもりはなかったんだけど脱線が脱線を読んでこういうことになってしまいました。

590最後までお付き合いくださってありがとうございます。
また何年後か、展示が入れ替わった頃を見計らって訪れてみたいと思う。
V&A大好き!
近くにあれば年会員になってもいいぐらいなんだけど…もっと近ければな~。
ということで、ココから先はオマケ。
V&Aの近場をご紹介。

600V&Aの近くにはヴィクトリア女王がロンドン万博で得た利益を元に造った世界的に有名な博物館が散在しているけど、それを通り抜けてハイド・パーク方面へ歩くと、辺り一面レンガづくりの建物のエリアとなる。
ココも見事だよ。

610こんなモノを発見。
イギリスの大指揮者、マルコム・サージェントが住んでいたフラット。
サージェントはロンドン・フィルの客演指揮者をよく務めたり、ロイヤル・リヴァプール・フィルやBBC交響楽団、BBCプロムスの常任指揮者を務めた。
そのリヴァプールの関係か、サージェントはアビィ・ロードでレコーディングしていたビートルズを表敬訪問したことがあったそうだ。
元々、アビイ・ロード・スタジオはクラシック音楽のための録音スタジオなワケで、当時はクラシックの有名な音楽家がたくさん出入りしていて、ビートルズの面々もジョージ・マーティンを介してそうした音楽家の薫陶を受け、音楽性を高めた…と見る人もいるようだ。

8_img_9519 で、見えて来るのが…

8_img_9513コレ。

8_img_9515ロイヤル・アルバート・ホール。
1回も入ったことがなくってね~。
Zappa Plays Zappaが出るっていうんで、大決心をしてMarahalllの知り合いにチケットを頼んだことがあった。
売り切れで見事撃沈!
いつもこうして外から眺めているだけ。
観たいモノがあればチケットを買ってもいいんだけど、好みのモノをやっていた試しがない。

8_img_9526 入り口の横に催し物の予定表があった。
ハハハ、ちょうどアルバート公の記念碑が反射して写ってら。
どれどれ、見てみようか…どうせ観たいのなんてやってるワケない。

630v17日…イギリスを離れる日にブライアン・フェリーか…。
高校の時に中野サンプラザで観たし、Roxy Musicの初来日公演も武道館で観たからいいや。
オイ、ちょっと待て!
その次の日から3日間、King Crimsonじゃねーかよ!
18日はもう日本にいるわ~!
ね、こうして絶対にいいのが当たらないのよ。
King Crimsonも浅草の国際劇場で初来日公演を観たけど…あ~あ、ナント言ってもハイド・パークの隣で観てみたかったな~。

640v

200_2 
(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)

2019年9月17日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.40 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

  

今回の旅では何度もサウス・ケンジントンに行ったナァ~、と思ったけど2日続けて2回行っただけだったわ。
Shige Blogで細かくやったし、今日のMarshall Blogもそうだから何回も行ったような錯覚をしているんだな。

06博物館エリアに向かうサウス・ケンジントン駅のコンコース。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの旧作のリバイバルの告知ポスター。
デザインは好き。

Img_9403コレもアンドリュー・ロイド・ウェバー。
残念ながら、何度音源を聴いても両方ともピンと来ない。
『Cats』とか『Sunset Boulevard』はあんなにいいのにナァ。
『Evita』も『Phantom』も『Jesus』だっていい。
しかし、この2つはどうも馴染めないんだよナァ。

Img_9406 そこへ行くとコレだよ、コレ。
チケットはもう9月まで売り切れだっていうんだけど、何とか観て来たんだ!
メチャクチャおもしろかった。
こういう類のモノでは人生で一番オモシロかったかも。
Marshallとはさすがに何の関係もないので、詳しくは後日Shige Blogでレポートする…イヤ、させてください!
10本立てぐらいになるかナァ…それはサスガにオーバーだけど、それぐらいジックリ鑑賞してきた。
で、日本に帰ってきてすぐに『オレンジ』をまた観てしまった!

07vまたV&A…ヴィクトリア&アルバート博物館。
V&AについてはShige Blogに書いておいたのでコチラでは詳しくやらない。
Marshall Blogでは、キープしてあったロック・ネタを披露する。
あ、ロックとクラシックと映画ネタか。10あと写真ネタ…。
というのは、ココへ来るのは6年ぶりになるのかな?
知らない間にこんなのが出来ていた。

20「Photography Centre」という写真関連アイテムの展示コーナー。
入り口にはゾロリと写真機が展示してある。

30v レアなヤツなのかな?
毎日のように写真を撮っているけど、私はカメラ自体には見事に何の興味もない。
カメラの知識がないために「アレが欲しい」とか「グレードアップしたい」とかいう欲望も湧いてこない。
使い慣れたデジタル一眼レフがあれば、もうそれだけで十分。

30でも写真には興味津々。
早速中に入る。

35ホ~ラあった。
大好きなセシル・ビートンの「memento mori」という作品。
「メメント・モリ」というのは犬神サアカス團の曲にもあるけど、「自分が必ず死ぬことを忘れないように!」、「死を忘れちゃダメよ!」という意味のラテン語の警句。
忘れなくなるね~、この年になってくると…というか、結構何ごとも「あと何年ぐらいか…」と意識するようになって来た。
人生でどうしてもやらなくてはならない大業がまだナニも進んでいないからね。
また、そういう時に思うのは「とにかく生きている間に少しでもいい音楽やオモシロい本を読んでおかなきゃ!」というチョットした焦りだ。
特にプライベートで聴く音楽は、もっともっと勉強したいと思ってる。
私のような欲張りなリスナーは、最後はやっぱりクラシックしかなさそうなことがわかってきた。
クラシックにはまだまだ知らないメロディやリズムやハーモニーがいくらでも詰まってるからね。
今、近代クラシック音楽と民族音楽が聴いていて一番オモシロい。
とにかく新鮮なのだ。
でもジッ~と集中して聴いていないと耳に入って来ない。
コレがツライ。疲れる。
そういう時には昔のロックを聴く。1975年までのロックね。
「やっぱり、いいな~」と感動するんだけどすぐ飽きる。
そしてジャズを経由してまたクラシックに戻る。
ナンカこれで最後まで行きそうだ。
そしてやっぱり死ぬまで聴き続けるのはビートルズとザッパか。キンクスもかな?
 
ちなみにクラシックって、そうやってチャンと聴いていないとヘビメタよりノイジーなんですよ。
ジャズやロックはそんなことない。
でも聴かないクラシックはベラボウにうるさい。
生来、クラシックを聴く素養が自分にないからか?

40この展示室の名前を見てビックリ!
「サー・エルトン・ジョン&デヴィッド・ファー二ッシュ・ギャラリー」という。
エルトン・ジョンとはあのエルトン・ジョン…レジナルド・ケネス・ドワイトね。
もうちょっと言うと「Elton John」ってのは、Soft MachineのElton DeanとSteampacketのLong John Baldryから取って付けた名前 。
Steampacketはロッド・スチュアート、ブライアン・オーガー、ジュリー・ドリスコルなんかがいたことでも有名だけど、ドラムスがミッキー・ウォーラー(ジェフ・ベックの『Truth』のドラマー)だった。
ミッキーがジム・マーシャルのお弟子さんだということに興味を持っているのは私だけで、もはやイギリスのMarshallにも誰もいるまい。
デヴィッド・ファー二ッシュというのは、どっちが「ネコ」でどっちが「タチ」だかは知らないが、エルトン・ジョンのご主人か奥さん。つまりパートナー。
しかし、「猫ひろし」という芸名を考えた人はスゴイ。

502018年10月にオープンしたそうだ。
道理でしらないワケだ。前回来たのは6年前だからね。
2人はスゴイ寄付をしたみたい。
世界に冠たるV&Aの中に自分の名前を冠したこんな立派な展示室を作るとあらば、生半可な額の寄付では実現できないだろう。

60ところが、コレ2022年にはまた拡張されるんだって。
残しておいたって仕方ないもんね、レジはエライ。
こうして自分の資産を文化のためにつぎ込むというのも一種の「ノブレス・オブリージュ」なんだろうね。
この精神が日本にも根付くといいんだけどね。
この辺りが世界の一等国と極東の五等国の違いだろう。
ヘンテコりんな絵を何億円で買ったり、月へ行こうとしたり…情けない。

70コレを皆さんにお見せしたかった。
大した内容ではないんだけど、存在がスゴい。
「ハイライツ・フロム・ザ・マッカートニー・コレクション」…もちろんこの「マッカートニー」とは、1967年5月15日、カーナビ―・ストリートの「Bag O'Nails」というライブハウスに出ていたジミ・ヘンドリックを観にやって来たポール・マッカートニーとソコで出会ったアメリカ人女性カメラマン、リンダ・イーストマンのこと。
その後、ポールと結婚したリンダはWingsに加入してヘタなコーラスと誰にでもすぐに弾けそうなキーボーズで観客の耳を苦しめた。
ウソウソ!
ゴメンナサイ!実はリンダ好きです。
カメラマンだっていうから、私はリンダってズッとイーストマン=コダックのお嬢さんかと思っていたけど全然関係ないんだってね。
中学生の時、ミュージック・ライフの夏の号にリンダがプールで水着になっている写真が載っててね、今でいう「お巨乳さん」で、ロック好きの男子生徒の間で大変な話題になったんだ~…といっても男子校だったんで男しかいなかったけど。
それが一番のリンダの思い出かな?
 
フーン、リンダってローリングストーン誌の表紙になった写真を撮った最初の女性なのか…1968年、被写体はクラプトンだって。

80こんな感じで展示してあった。
あんまりたくさんではない。

90まずは、八村塁選手。
あの2人、顔が似てるって言われているけど、それよりも声がソックリでしょう。
それは頭蓋骨の形が似ているからなんだよ。
レゾナンスが同じなの。
今回の取材では、以前は見ることの出来なかった八村選手の家の中までお邪魔したのです。
後日、例によって詳細なレポートを掲載するのでお楽しみに!

100ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルも一応撮ってある。

110vいいよな~、ビートルズを撮れちゃうんだから!

130コレはポールのプライベート・ショット。

140コレはYardbirdsの最後の方か…。
でも、リンダの写真って私はいいと思わないんだよな~。
正直、まったく惹かれない。
だって、同じジミやジャニスでもジム・マーシャルの写真と比べてみてよ!
写真のストーリー性がゼンゼン違う。
撮っているのは普通の人間で、ミュージシャンであることが伝わって来ない。
ま、テメエの写真をタナに上げて言っておりますが…。

120v館内にはチラリチラリとロックに絡んだ展示を見かける。

150ただの飾りが多いけどね。

160でもココは違う。
V&Aで一番好きな場所。
「Theatre and Performance」というエンタテインメントのアイテムをフィーチュアしたコーナー。
6年ぶりでガラリと様子が変わっていて期待大!
さっそく入ってみよう!

170入り口に展示されているのはMadnessグッズ。
私は今でも全くの門外漢だけど、カムデンから出て来たMadnessも今年でデビュー40周年だって!
ホンダCityのコマーシャルは印象的ではあった。
スカなんてのがロンドンから出て来るところがオモシロい。
レゲエもそうだね。
いかに人と違ったことが尊重されるのかがわかる思いがする。
展示品はすべてMadnessから寄贈されたモノだそうだ。

180余計なお世話だけど、私の「Madness」はコッチ。
ジャズつながりで…

Nf1937年、映画『踊らん哉(Shall We Dance?)』のフレッド・アステアの衣装。
この映画の挿入歌「誰も奪えぬこの思い(They Can't Take That Away From Me)」はアカデミー主題歌賞を獲得し、後にジャズの大スタンダード曲になった。
アステアはサヴィル・ロウにあった「Anderson & Shepperd」という仕立て屋の熱心なファンでもちろんこの衣装も100%ビスポーク。
ダンスの時に自由に動ける服に仕上がるようにテイラーさんたちの仕事を注意深く監督したという。
そして服が出来上がると、その衣装の縫い目を確認するために、全身が映る鏡の前で実際に踊ってテストをするのが好きだったという。
こういう話は大好きだ。
また、色は黒に見えるが、実際は濃紺なのだそうだ。
それは、モノクロで撮影する時、黒よりも濃紺の方がキレイに撮れるから。

190vこの衣装を身にまとっている実際のシーンがコレ。
ボタンは付け替えているようだ。
Princeのクツ。
この写真だとわかりにくいんだけど、奥の横になっている方の靴底を見て。
Princeの激しいステージ・アクションに耐えられるようにヒールを金具で固定していたんだって。
コレもわかりにくいけど、ジッパーの金具(Zip puller)がPrinceのロゴになっている。

200さて、チョットここでツマらないことを書かせて頂くけどガマンしてチョーダイ。
「懐かしい!」と思う読者は過ぎ去りし若き日々を懐かしんでチョーダイ。
 
中学の時に比較的ナヨっとしたヤツがいて、クラスの不良がソイツのことを「パイソン、パイソン」って呼んでいた。
それにつられてクラスのみんなも自然に「パイソン」と呼んでいたが、なぜソイツが「パイソン」と呼ばれているのかその理由を知る者がいなかった。
私なんかは小学生の時にモデルガンが流行していたので、「パイソン」と聞いた時、すぐにコルト・パイソンを連想した。
それも6インチだ。

Cpナゼ6インチかというと、『ワイルド7』のオヤブンがコルト・パイソンの6インチを愛用していたからだ。
もう夢中になって読んだね、『ワイルド7』は。連載していた少年キングは1回も買ったことなかったけど。
飛葉がコルト・ウッズマンで、世界ってのがモーゼルだった。ルガーとか南部のヤツもいたな。
今、ワイルド7がいたら「あおり運転」なんて一発で撲滅できるだろうにナァ。
ちなみ私は「緑の墓」が好きで、飛葉が「オレは手錠がキライなんだ!」というセリフがとても印象的に残っている。
『秘密探偵JA』もすごく好きだった。

8_obで、そのナヨっとしているようなヤツのアダ名がピストルのような男性的なモノに由来しているワケはないでしょ?
しからばヘビのパイソンか?
まったくヘビっぽくない。
しかし、スゴいガラのデザインだな、パイソンって。
それで、どうしても気になるのである時、そのクラスの不良に「パイソン」の由来を尋ねてみた。

8_11181すると、ソイツは「だって、モンティ・パイソンは『オカマの恐竜』じゃん」と答えた。
理由はそれだけだった。
こっちはあまりにも内容のない理由にビックリしてしまって「あ、そう…。それだけ…?」以外に反応のしようがなかった。
そう、それだけみんな見てたのが「モンティ・パイソン」。
ナニ曜日だったかな?東京12チャンネルで夜10時から放映していた。
あんなにクダらないことをやっているのがイギリスの一流大学を出た人たちで、制作・放送しているのが国営テレビ局だって知ってビックリしたね。
まだ13、14歳の時だからね。
そでがサ、まさかエリック・アイドルの地元を訪ねることができるなんてあの時は夢にも思わなかったりなんかしちゃったりして!(もちろん広川太一郎風に)
まったくAlways look on the bright side of lifeなのです。
 
で、そのモンティ・パイソン、いくつもオモシロいエピソードがあったワケだけど、学校で特に話題になったのは「Sam Peckinpa's Salad Days(サム・ペキンパーのサラダ・デイズ)」というヤツ。
最近、ナニかの折りにMarshall Blogで「サム・ペキンパー」なんて名前を出したことがあったけど、今の若い人はサム・ペキンパーなんて名前を聞いてもピンとこないだろうナァ。
やたらと乱暴な描写が多い、男臭いダイナミックな作風で人気を呼んだアメリカの映画監督。
『ワイルドバンチ』、『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』 、『ゲッタウェイ』、 『ガルシアの首』…どれもヨカッタ。
ロバート・ライアン、アーネスト・ボーグナイン、エドモンド・オブライエン、ベン・ジョンソン、スティーヴ・マックイーン、そしてもちろんウォーレン・オーツ…出ている役者もよくてね~。
今のアメリカ映画、こういう役者さんはどこへ行ってしまったのかしら?
そして、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』はボブ・ディランが音楽を担当したんじゃなかったっけ?
私はとりわけ『わらの犬(Straw Dogs)』という作品が好きだった。
ダスティン・ホフマンが気弱な数学の大学教授かなんかの役で、セクシーな奥さんがスーザン・ジョージ。
研究に没頭するダンナに欲求不満を覚え、奥さんが家の修繕に来ていた荒くれの大工を奥さんが誘惑しちゃう。
するとそれに味を占めた大工たちが奥さんを襲いにくる。
それをダスティン・ホフマン扮する気弱な大学の先生があの手この手で1人でその大工たちを退治するんだな。
その暴力描写がすごくてね、家には武器がないので沸騰させた油をブっかけたりね。
時折使うスロー・モーションがトレードマークでね。
コレは黒澤明が『用心棒』で見せた手法を取り入れたと言われているんじゃなかったかな?
とにかく迫力ある暴力シーンがウリの監督だった。
そのペキンパーの作風をパロディにしたのがこの「Sam Peckinpa's Salad Days(サム・ペキンパーのサラダ・デイズ)」。
さわりだけYouTubeで見ることができる。


コレは次の日の学校で大きな話題になった。
では、このタイトルにある「Salad Days(サラダ・デイズ)」というのはナニか?
「Salad Days」というのはミュージカルの作品のタイトルだ。
1954年にブリストルで始まったこのクリスマス向けのミュージカルは大きな評判となり、すぐにロンドンのウエストエンドに移って来て、2,283回という記録的上演数を誇った。
最近までやっていたようだ。
この作品は1950年代、小難しくなったブロードウェイのミュージカルに対抗し、「清く明るく楽しく正しいミュージカル」を標榜した。
考えてみれば、ロンドン・パンクと同じよ。
確かにオリジナル・ロンドン・キャストの音源を聴くと、ピアノをバックに、毒のない、古式ゆかしい、やたらとまじめそうな曲がズラリと並んでいる。
ま、私なんかにはちっとも面白くない。
つまり、さっきのモンティ・パイソンはそんな「清く正しい」ミュージカルをサム・ペキンパーの名を借りて正反対の「血みどろのSalad Days」にしちゃったところがオモシロいわけ。
イギリス人なら誰でも「Salad Days」を知っているからそこをオモシロがるんだけど、我々はそんなミュージカルを知らないのが普通だから、血がドバ―っという大げさでスラップスティックなところを笑うしかない。
このコントの本当の狙いはそうではなかったのだ。
ブラックです。
そのロンドンでの超ロングラン公演で使われていたピアノがコレ。

210ココまで初めて見るものばかりだが、コレも初めて見た。
コレはブロニスラヴァ・ニジンスカという女性バレエ・ダンサーの衣装。
元々は他の男性バレエ・ダンサーが来ていたもので、スカートを足して女性用の衣装に仕立て直した。
ナゼか…劇団の経費節減のため。
その「他の男性バレエ・ダンサー」とはヴァスラフ・ニジンスキーのこと。
ブロニスラヴァはヴァスラフの4歳年下の妹なのだ。

220vその衣装を身につけたブロニスラヴァの1921年の写真。

230コレをニジンスキーが着ていたとはね~。
ホンモノですからね。

240もうイッチョ、ニジンスキー。
1898~1907年にニジンスキーが学んだ「帝国ロシア・バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)」の卒業証書。
この証書がバレエ団への推薦状になった。
コレはニジンスキーの母エレノアが1921年にロシアを離れるときに秘密で持ち出したもの。

250次…1921年にロンドンで撮られた写真。
向かって左から2人目が「Ballet Russes(バレエ・リュス)」の主宰者にしてディレクターの、天災興行師セルゲイ・ディアギレフ。
ディアギレフは同性愛者で、ニジンスキーと恋仲であったが、心変わりをしてしまい、ニジンスキーは発狂してしまう…というシーンがハーバード・ロス監督の映画『ニジンスキー』に出て来る。
その映画でディアギレフを演じたのがアラン・ベイツというイギリスの俳優でやはり同性愛者だったらしい。映画の中ではスゴイ存在感でとてもいい演技をしていた。
そのディアレフの左隣の小柄な男性はイゴール・ストラヴィンスキー。
ストラヴィンスキーはバイセクシャルだった。
そして向かって一番右の男性はセルゲイ・プロコフィエフ。
ディアギレフはストラヴィンスキーやプロコフィエフを「自分の息子」と称していたという。
プロコフィエフもそっち系の人だったのかな。
写真は初めて上演されたプロコフィエフのバレエ作品である『道化師(Le Chout)』公開時に撮影された。260vん~、観たことがないアイテムに入れ替わっていてうれしいな。
ココは本当にオモシロい。
でもね、真っ暗で照明に色が付いているため実に写真が撮りにくい!

270演劇のポスター色々。
お芝居に興味はないが、こういうもののデザインを見るのは楽しい。

280『We Will Rock You』の5周年を記念して2000部限定で発行されたプログラム。
しかし、Queenはこないだの『ボヘラ』といい実にウマいことやったよな。
やはり残した作品のクォリティがベラボウに高かったことと、それを平気で商売に使ってしまう大胆さや厚かましさのバランスが取れていたんだろうな。
別に放っておけばいいんだけど、やっぱりリアル・タイムでQueenを経験している私の周囲の人たちは、「アレはおかしい」と言う人が多いね。
私はQueenファンであったことは一度もないのでどうでもいいのだが、反対に映画の面白さとしては全くピンと来なかった。
それより私はこのミュージカルの方がヨカッタな。
Queenの曲が使われているけどQueenとは関係ない筋立て。

290『We Will Rock You』は2002年5月、トッテナムコートロードのドミニオン劇場で初演された。2005年8月には、それまでドミニオン劇場で上演されたミュージカルの中で最ロングランを誇った『Greese』を抜いて歴代1位になった…って、どれも短かかったんだな~。
この劇場のキャパは2,163席。
ウエスト・エンドでもかなり大きな劇場の1つなので、この記録は立派なモノらしい。
何年か前まではフレディのこの景色が当たり前だったんだけどね。
2014年5月に4600回に及ぶロングランで幕を閉じた。

8_img_0334私がこのドミニオン劇場に観に行った時のプログラム。
200回記念とか言っていたように記憶しているが、それを記念して、アンコールの『Bohemian Rhapsody』ではホンモノのブライアン・メイがステージに登場してギター・ソロを披露した。
そして、終演後はホールの出口に立ってお客さんを見送っていた。
この時のバンドは、Wishbone Ashのローリー・ワイズフィールド、もしくは(バンドの様子は客席から見えない)一時期Marshallのデモンストレーターをしていたフィル・ヒルボーンがギターを弾き、ニール・マレイがベースを弾いていた。
しかしね、客席の後の方はガラガラでカーテンで仕切ってスペースを縮小していたな。
あの日は特別に空いていたのかな~。
2004年とかそんなもんだっと思うんだけど、アソコから10年もロングランしたとは信じられないんだよね。
途中で客が増えたとしか考えられない。
2wwrp当然、今はもうフレディの姿はない。
『BIG』がかかっていた。
コレも何回目かのリバイバルだろう。
と言うのは、私はこのミュージカルが始まってすぐぐらいにブロードウェイで観たの。
それがもう20年以上前のことだもん。

8_0r4a0648コレがその時の「PLAY BILL」。
ブロードウェイでは作品解説や出演者の紹介、劇場の説明を載せたこうした簡単なプログラムを無料で配布している。席の上に置いてあるのね。
ま、ほとんど広告よ。
劇場が「Shubert Theatre(シュバート・シアター)」となってるでしょ?「Theatre」とイギリス綴りになってる。
ブロードウェイからチョット西に入った「シュバート・アレイ」にある。
ココへ入れたのがすごくうれしかったのを覚えている。

8_2big…というのは、メル・トーメがミュージカル・ナンバーを歌った『Mel Torme Swings Shubert Alley(メル・トーメ・スウィングス・シュバート・アレイ))』が私の愛聴盤だったから。
このアルバムでジャズのスタンダードになったミュージカル曲をたくさん覚えた。

Mtsa コレ、上の写真の5日後に撮った者なんだけど、『BIG』の看板が隠されてるの。
ナンでだろう?
もう終わっちゃったのかな?

8_img_9548<つづく>
 

200_2 
(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)

 

 

2019年9月11日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.39~キンクスに会いに行く!<後編>

05さて、困った!
何とかこのままイースト・フィンチリー駅までガマンしてトイレに駆け込もうと思っていたんだけど、バスが来ない~!
もうどうにも仕方がないので、クリソールド・アームスまで戻ってトイレを借りることにした。

10_3レイとデイヴの家まで行って…

20_3その前がクリソールド・アームスでしたね。
さっきのThe Kinks Roomには誰もいなかったのでシレっとトイレに直行。
仮に何か言われても「さっきココでエールを頂いたモノです」と言えば問題なかろう。

30_3尾籠な話で恐縮ですが…古いパブなんかに行くとこういうタイプの男性トイレがあるんだよね。
コレ、イヤなんだよな~。

40_2上のヤツはD_Driveがリハーサルをしたウルヴァ―トンというところにある「Craufurd Arms」というパブのトイレ。
ひとりの時はゼンゼンいいんだけど、隣に外人が入って来たりすると思いっきり委縮しちゃう。
でもどうしてもチラっと隣を見ちゃう。
「(え?腕かと思った)…」なんてね。
失礼しました。
で、トイレネタの本題。

50_2コレはクリソールド・アームスのトイレ。
何かズラズラと書いてある。
ナニナニ…
「私たちのリアル・エールの品質を保つために次のことにご協力をお願いします」
ハイヨ、ハイヨ。
「エールを飲んだ方は左側で、ラガーを飲んだ方は右側で、それ以外の方は真ん中で用を足してください。こうすることで樽に戻す時に種類が混ざるのを防ぐことができます」
あ~、やっぱり戻してるのか!
もちろん私は左側で用を足してお店に協力しました。
アホンダラ!
ナニが「クロス・コンタミネーション」だ!英語で言うとカッコいいじゃねーか!
ああイカン、格式高いMarshall Blogを自ら台無しにしてしまった。

60_2さ、気を取り直し……と。
またバス停に戻ってしばらく待っていると、地下鉄ノーザン線のイースト・フィンチリー駅行きのバスが来て10分もしないウチに到着。

70そして、南方面行きの電車に2駅ほど乗ると目的地の「Archway(アーチウェイ)」に着く。

80_3ホラ、またあった!
ソロソロ説明をすると…コレは迷路のように見えて…実は「迷路」なんだって。
マーク・ウォリンガーというアーティストの、その名もズバリ「Labyrinth(迷路)」という作品で、地下鉄の開通150周年を記念して2003年から展示が始まった。
全270駅にこういうのを取り付ける計画だそうだ。
電車が来るまでの間、コレで遊んでリラックス…とかいう意味合いがある、と何かの記述で読んだことがある。
私はもうずいぶん前からコレに気がついていて、4年前にロンドンに来た時より今回は確かに増えているような気はするが、誰かがコレを指先でツツツ~とナゾっている所など今の今まで一度も見たことがない。
各迷路には右下に「〇〇〇/270」とナンバリングが施されていて、このアーチウェイ駅のヤツには「170」が採番されている。
こんなことをされると気になるんだよね~、1番が!
どこの駅なんだろう。

90_3この「Labyrinth」についてはこんなビデオも制作されている。
アート云々より、ロンドンの地下鉄の様々な光景を見ることができてオモシロいよ。
興味のある人は見てみて!


アラ~、なんかキレイになっちゃったな~。

100_3駅前のようす。

120_3コレは2009年に行った時のようす。
花壇を取っ払っちゃったんだね。

125_2エラく広々としちゃって印象が変わったと思ったら…

130_3名前まで変わっちゃった。
「ナビゲーター・スクエア」…大層なお名前になりました。
かつては「アーチウェイ・クローズ」と言っていたのか。

135_2ココまで来た理由はコレ。

140_3ナビゲーター・スクエアの奥で威容を誇っている建物。

150_3コレが「Archway Tavern(アーチウェイ・タヴァーン)」。

160_31971年の『Muswell Hillbillies(マズウェル・ヒルビリーズ)』のジャケットとなったパプ。

180cd_210年前はこんな感じで1階はいかにもライブ・パブみたいな風情だった。
訪れた時にちょうどナニかをやっていたので、その時は店に入らなかった。
図々しく入っちゃえばヨカッタ。
また、中にはたくさんの人がいたので外から店内の写真を撮ることも控えた。
人がいないところをシレっと撮っちゃえばヨカッタ。
後悔。

170v…というのも、今、こんなんなっちゃったんだもん!
ジャケットの写真とは似ても似つかない。

191小ぎれいなレストランって感じ?
10年前はまだジャケットみたいな風情をしていたんだよ。

205_2これじゃ「Muswell City Boys」じゃん。
そもそも、ココはマズウェル・ヒルではないけどね。

206ジャケットを見開いてみるとこんな感じ。

207今、コレ。
ココで「Have a cappa tea」か?

190_3ハイ、またロンドンのロックの名所がひとつ消えました。

210_4お、裏にこんなの発見。
「Kolis」というのはカムデンでKing Creatureが出演していたクラブだ。

220_3この後、キングス・クロスまで帰って来て、あのカナル博物館に行って失敗した…と。
コレで私のマズウェル・ヒル探訪記はおしまい。
天気もよくて、道中も楽しかったし、マズウェル・ヒルは魅力的だし、最高の1日だった!
 
でも、キンクスのKonkスタジオも行っていないし、チーズ屋もフィッシュ&チップス屋も気になるし、訪れたい場所がまだまだマズウェル・ヒルには残っている。
だから今回はまだ小手調べってところかな?
Asakusa RedneckはまたMuswell Hillbiliesに会いに行くゼ!
230_3…その前に。
このシリーズの締めくくりにホンモノのマズウェル・ヒルビリーをご紹介しよう。
イヤ、「ヒルビリー」なんて言ったら怒られちゃうか!
それはToshiさんという日本の方…。

240vToshiさんに初めてお会いしたのは…というか、まだ1回しかお会いしてないんだけど…2015年11月のこと。
渋谷のO-EASTでのことだった。

250_3Toshiさんはこの時、Wildheartsのジンジャーのサイド・プロジェクト、Hey! Hello!のメンバーとして来日した。

260_2Hey! Hello!はジンジャーとギターのThe RevがMarshallを使用していることもあったが…

270_2ドラムのAiさんがNATALのプレイヤーで、そのサポートをさせて頂いたのだ。
もうイギリスではNATALは当たり前のドラム・ブランドですからね。

230v それでToshiさんに話を伺うと、マズウェル・ヒルの住人だっていうじゃない!
もうアタシャ興奮しちゃってサ。
いつかマズウェル・ヒルのToshiさんを訪ねようと思ってズッとチャンスを狙っていて、今年の6月に行った時にお邪魔しちゃおうと思ったんだけど、残念ながらToshiさんは仕事でフィンランドかなんかにご出張中だった。
ところが、ヒョンなことから先月また思いっきりつながってしまった。

280_3日本のバンドをイギリスに紹介する仕事をしているイギリス人と一緒になった時、その方のお住まいを尋ねるとマズウェル・ヒルだと言う。
「キンクスの大ファンなんですよ!それに日本人の友達がひとりマズウェル・ヒルに住んでいるんですよ!」と言うと、「チョット待って!その日本人ってなんていう方?」と訊き返してくる。
「Toshiさんって言うんですよ」と答えると、「ええ!Toshiを知ってるの?」とかなりのビックリもよう。
その人はToshiさんと何度も仕事をしたことがあるというのだ!
地球の裏側まで来て、自分の仕事仲間を知っているなんてヤツがいきなり現れたらそりゃ驚くわな。
こういうところはIT技術のいいところで、その場でマズウェル・ヒルと連絡を取りあってビックリする人をもう1人増やしたというワケ。
それがToshiさん。

290vToshiさんは今、Sex Pistolsのスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成したThe Professionalsのベーシストとして活躍している。
近い将来、私もまたお仕事でToshiさんとご一緒する機会が出て来そうだ。
 
そして、今回この記事を書くにあたって、Toshiさんにお願いししてマズウェル・ヒルの生活について語って頂いた。
Marshall Blogもナンダカンダで10年やってるけど、こういうやり方は初めてだよ。
Toshiさん、Marshall Blog2回目のご登場。
マズウェル・ヒルからの生のレポートをお楽しみアレ!

460s_2みなさま初めまして。
The Professionalsというバンドでベースを弾いております、Muswell HillbillyのToshiと申します。
シゲさんのご好意で拙いレポートをMarshall Blogに載せていただくことになりました。
 
皆さんの持つ「マズウェル・ヒル」という町のイメージというと何でしょうか?
ロンドン北部の住宅街?
役者やモデル、ミュージシャンの住む高級住宅地?…等があると思いますが、やっぱりThe Kinksでしょうかね?
でも、The Kinksについてはシゲさんが書かれるでしょうから、ココでは全く関係のない、私の普段の生活を書かせて頂きます!
 
この町に引っ越して来たのは約7年前のことですが、コレといって特別な思いがあったワケではなくて、「北ロンドン」、「値段」、「機材を収納するスペース」という条件くらい。
最後の「機材を収納するスペース」っていうのがいつも引越しする際に問題になってくるのです。
私達、イギリスで活動するミュージシャンは、自分の機材でライブをするっていうのが当たり前なので、自分のギターやベースは勿論、アンプ類も所有する事になるワケですが、ある程度の会場で出来るようになるとそれなりの物を揃えたいものですよね?
しかも結構大きなものになってしまう場合もあるわけで…。
ベース・プレイヤーの私は比較的大容量のアンプヘッド、それをでっかいキャビで鳴らすっていうのが大好きなので、それなりのスペースが必要になってくるわけです。
(…と、Toshiさんが例に挙げたのは8x10"のベース・キャビ。こういうヤツね…
300v
…それと大型のアンプヘッド)
 
そういう機材のセットをライブの度に会場に持って行って、ライブをやって、また家に持って帰ってくるワケです。
もちろんコレを持ってツアーにも出ます。
バンドのみんな、クルーの嫌われ者です!
  
話を街の方に戻します。
住んでみてまず思ったこと、今まで住んできた所に比べると静かだな…っていうことですかね。
もちろんロンドンなので、それなりに交通量もありますが、今までの所と比べると猥雑さがあまりないせいか、静かに感じるんでしょうね。
ちなみに家の前の道はこんな感じです。
310_3そして、この町の特徴として、「電車が走ってない」というのがあります。
コレが大きな魅力でもあるのですが、人々の足を遠ざける理由にもなっております。
毎日お仕事に通う人にとってはとっても不便だから…。
電車が走ってないということは「駅がない」ということ。
つまり目的地へは自転車、もしくは車で行くか、最寄りの駅まで電車で行くか、または最寄りの駅までバスに乗って行くか、等々の選択肢から交通手段を選ぶことになるのですが、ロンドンで車を持つ意味が感じられない私はもちろん車は所有してません。
したがって、歩くか、バスか、の選択肢になります。
歩くと時間がかかるので必然的にバスになるのですが、日本のようにそのバスが時間通りに来る…なんて考えで家を出ると、ほぼ確実に遅刻することになってしまうので、時間にゆとりを持たせて家を出ないといけません。
朝のラッシュアワーの時などは、乗客の数が定員に達するとバスは停留所を素通りしちゃいますからね。
なので「道がすっごい混んでてバスが…」って言うと、遅刻も意外と許されます。

ロンドンのどこに行くにもまず中心に向かって、電車を乗り換えて、さらに東、西へと向かいます。「マズウェル・ヒルから直接西へ!」なんていう考えは、車を持たない私には存在しない選択肢なのです。
するとどうするか…。
まずは、最寄の駅の「Highgate(ハイゲイト)」までバスで15分。
向かう道中、マズウェル・ヒルlの真ん中を通ります。その名も「Muswell Hill Broadway」。
320v_2下の写真の中でピンクの髪の毛の女性が道の真ん中を歩いていますが、これは道を渡ろうとしているところ。
もちろん信号はあるのですが、日本と違って歩行者用信号が赤でも自分の責任で安全を確認して渡りさえすれば、お巡りさんが目の前にいても何も言われません。
私はつい日本で同じことをして、何度か怒られました。
330_3この道沿いにToff’sというフィッシュ&チップスのレストランがあるのですが、このお店は「ロンドンナンバーワン」との呼び声が高いのでお越しの際は是非お試しを。
340_3レストランの壁にはお店宛に送られたIron Maidenのプラチナデイスクがいくつか飾られております。というのもIron Maidenのドラマー、ニコが常連客なのです。
うちのご近所さんで、ビーチサンダルでペタペタ歩いてる姿をよく見かけます。

8_ts 大通り沿いではなく、ひっそりと隠れてる様なHighgate駅の入り口。
ここから街の真ん中へ。
350v帰りもHighgateで降りて長ーいエスカレーターを上って…
360vHighgate Woodという森の入り口からバスに乗ってMuswell Hillへ。

370v元々ロンドンは涼しい街なので、エアコンというモノは家にはもちろん、バスにも地下鉄にも付いてません。
コレらの写真を撮った日のロンドンは暑そうには見えませんが、30℃を越えていまして、ロンドンの人間に30℃越えはとってもキツイです。
よく「その革ジャンを脱げ!」と言われますが、脱ぎません。
「お洒落は我慢」です!
(Shige:あ、コレコレ!写真右側。このSainsbury'sの地図で助かったの)
380_2お天気のいい日は外のテーブルについて、コーヒーを飲んだり、ご飯を食べたり、ビールを飲んだり。
教会を改装したステーキ・レストランとか、高級なお肉屋さんとか、魚屋さん、スーパーマーケット、カフェ、レストラン、パブ、銀行、郵便局など生活に必要なものは大体揃ってますので、わざわざ街に出なくても用は足りちゃいます。
390_2Fortis Green Roadの角にある映画館。ソファでくつろいで映画見れちゃいます。
Fortis Green Roadといえばあのバンドですね。この道をウロウロしてたんでしょう。
400_2「Muswell Hill」という地名の通り、高台に位置しているので、天気のいい日はロンドンを一望出来ます。
百万ドルの夜景とは程遠いですが、夜もそれなりのモノが見れますよ。
近所にAlexandra Palaceという建物があるのですがそこからの景色はなかなかのもんです。
昔はBBCのテレビ塔。ライブ会場としても使われております。
410_3家に向かう下り坂の様子。
430_3緑が増えてきたり、ゴチャゴチャ感が減ってきたり。
このどこかにIron Maidenのドラマーの家が…。
俳優の Mackenzie Crookが普通に歩いてるのに遭遇したことも。
450_3不便といえばとっても不便なマズウェル・ヒルですが、「住めば都」という言葉もあるように、私にとっては「都」になってきてるんでしょう。
お店の人達とも顔馴染みになって、ちょっとオマケしてもらったり、普通に世間話をしたり…。
420v治安が良いと言われているロンドンでも地域によっては危険な香りがする場所もあります。
でもココではそういったことを一切感じたことがないし、トラブルに見舞われたこともありません。
ライブを観に行って、アフター・パーティに参加すると間違いなく電車がなくなっちゃいますので、深夜バスを乗り継いで帰るか、タクシーで帰ることになる。
そうしてお出かけが高くついちゃうことが多々あるんですけどね…。
  
以前はもうちょっと町の真ん中近くに住んでいたので、どこに行くにも自転車だったのですが、家に帰る道中に恐ろしく長い、しかも結構急な坂道があったので自転車生活は諦めました。
「大雪が降るとバスが登れなくなっちゃうくらいの坂」と言ったら想像しやすいですかね?
実際、「もうこれ以上行けないから降りて歩け!」って言われて真夜中に大雪の中歩いて帰った経験もありました。
 
幸いな事に私のバンド The Professionalsはそんなに練習熱心ではないので、ベースを担いでバスに乗ったり、電車も乗ったりなんてことをしょっちゅうする必要がなくてホッとしております。
でも、ドラムのポール・クックはハマースミスの住人で、そんなに遠くまで行きたがらないから、彼の家の近くのシェパーズ・ブッシュにあるスタジオまで行かないとイケないのです。
うちから1時間20分…。
そんな The Professionalsは次のアルバムのために曲作りとレコーディングをしております。
秘密のスタジオで…。
10月にはUKでのライブ、ドイツのツアーが控えているのでお近くにお越しの際にはゼヒ!
470vその前に私はUgly Kid Joeのボーカル、Whitfield Craneのソロ・ツアーが9月4日 (これを書いてるのは9月3日です)から始まるのですが、そこでベース弾いてきます!
お近くの方はコレもゼヒ!
ロンドン公演は9月14日、会場はHighburyにあるGarageです。
475vご覧頂きました皆様、お時間ありがとうございました。
そしてシゲさん、素敵な機会をありがとうございます!
 
Big Love from London
Toshi x
460s_2

イエイエ、こちらこそどうもありがとうございました。
実際にマズウェル・ヒルに住んでいる方、しかもミュージシャンの方のお話をお聞きするなんて機会はそうあることではありませんからね。
貴重な情報として半永久的にMarshall Blogに記録させて頂きます。
Toshiさん、今日はニューキャッスルか…いいナァ。
ニューキャッスルもすごく好き。
今日はジョーディたちの前でひと暴れですな?
がんばって!

 

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

 

480_3

2019年9月10日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.38~キンクスに会いに行く!<中編>

ようやっとのことで着いた「The Clissold Arms(ザ・クリソールド・アームズ)」。
10_2コレがThe Kinksファンの聖地か!
30_2見た目は普通の「郊外型パブ」といったところ。

20_2入り口のドアの横には「Campaign for Real Ale(キャンペーン・フォー・リアル・エール)」のプラークが掲げられている。
「1960年12月、The Kinksの創始者であるレイとデイヴ・デイヴィスが初めて公衆の場で演奏をした場所。The Kinksは最も影響力の強いイギリスのロック・バンドのひとつで、バンドが解散するまで各々のメンバーはその後に世に現れた音楽ジャンルの父とみなされた」

40いつか書いたようにイギリスのパブは大抵どこかの大手ビール会社が運営していて、自社の商品を卸すのが当たり前の図式になっている。
この「Campaign for Real Ale」というのは、そんな事情を憂いインディーズで経営している伝統的なパブを大手ビール会社への系列化から守る運動をしている団体。
いい人たちだ。
1971年から活動していて、その会員数は19万3千人にも上る。
私も入っちゃおうかな~。
様々なビールのフェスティバルなども企画しているっていうし。
で、気になるのはこのプラーク。
他にどんなパブに付いているのか調べてみたのだが、その範囲は音楽関係にとどまらず、歴史的な場所から、食べ物に関する場所…たとえば「スティルトン・チーズ発祥の地」なんてのもあった。
イギリスはかなりのチーズ文化国で、日本に来たイギリス人に言わせると、日本の食べ物は何でもおいしいけどチーズだけはダメだそうである。
私は特にチーズが好きなワケではないのでこんなことを言われてもゼンゼン平気。
このスティルトン・チーズというのは世界三大ブルー・チーズの一角なのだそうだ。
そして、有名なチーズ専門店がこのマズウェル・ヒルにもあることは前回書いた。
 
他にリバプールに行けば「ジャカランダ・クラブ」といって、ビートルズの最初のマネージャー、アラン・ウィリアムスが開いたパブにもこのプラークが付けられているそうだ。
ウィリアムスは地下室をリハーサルの場所としてはジョンやスチュアート・サトクリフらに貸し、ビートルズ、正しくは前身のシルバー・ビートルズがその店で演奏したのだそう。

8_camralogo

そして、フォーティス・グリーン・ロードを挟んだクリソールド・アームスの向かい。

60コレがレイとデイヴィスの生家なのだそうだ。
お世辞にも「結構なお住まいで…」などとは言えない庶民向けデタッチト・ハウス。
いわゆるイギリス式棟割り長屋。
私も友人が住むこの手の家に何度かお邪魔したことがあるが、チョット狭いけど建物の向こう側にはバックヤードがあったりして、棟続きとはいえ「戸建て感」が十分にあって結構いい感じ。

50迷わず店の中に入ってみる。

80_2お昼時だったが店内はガラガラ。

85と思っていたら奥に広いテラスがあって結構にぎわっていた。
エールを頼んで、写真撮影の可否を問うと「ご自由にどうぞ~!」ということだったので、遠慮なくやらせてもらった。

90_2まずはソファに座ってひと休み。
結構歩いたからね、ノドが乾いた。
しかし、「Real ale云々」なんてことはナニも言ってなかったな。
ま、こっちはハンド・パンプで注がれるエールなら何でもいいんだけどね。100_2このテーブル!
「K」だらK!
120_2「God Save the Kinks」か…、

125「God Save the Kinks」は伝記本のタイトルにもなっている。

Gsk私はこっちを読んでみた…『ひねくれ者たちの肖像(原題:The Kinks  The sound and the Fury)』というもうひとつの伝記本。
ハードカバーで500ページを超す大著なんだけど、読み切るのにかなりの忍耐を要した。
何度途中で放り出そうと思ったことか…。
レイとデイヴの不仲話を中心に、メンバー間の不調やイジメが延々と書いてあるだけという印象。
何かこう、もう少しレイの天才的な作曲能力の秘密に迫るような内容が含まれていたらヨカッタんだけどな~。

8_kb2 「ひねくれ者」か…。
そもそも「kink」というのは「よじれ」とか「もつれ」とか「ひねり」という意味だからね。
Marshallが1962年に発売した記念すべき第1号モデルのJTM45に搭載されていたパワー管ははじめ5881だったが、後にKT66となった。
KT管はイギリスが開発した真空管で、「KT」とは「Kinkless Tetrode」、つまり「よじれのない四極管」の頭文字だ。

Kt66 さて、店内の壁のメモラビリアを見てみると…。
 表のプラークと同じことが書かれている飾り。

130_2「Lola」のシングル盤。

140_2デイヴのポートレイト。

150_2店内には色んな写真が飾ってある。

160_2コレは「Waterloo Sunset」。170_2ドデカイ「K」。
舞台装置かなんかだったのかしらん?

180_2その後ろの壁面にはアルバム『Word of Mouse』のジャケットをモチーフにした「The Kinks ROOM」のサイン。
ね、「キンクス部屋」なの。

190_2店内に入って左側の壁面。

200_2やっぱり「Dedicated Followers of Fashhion」はロンドンっ子テーマ・ソングみたいなものなのかね?

210_2流行のファッションに血道を上げてカーナビ―・ストリートに集まって来るミーハーの若者を歌った1966年2月のシングル・ヒット曲。

240_2こっちの壁面にも写真がズラリ。

220_2パブリシティ・フォトから…

235チョットしたライブ写真まで色々。
300_2コレも「Waterloo Sunset」。
やっぱりロック史に残る必殺の名曲だからね。
ホントにこの曲好き。
ローリング・ストーン誌が選ぶ「500 Greatest Songs of All Time」というリストの42位にランクインしている。
もっと上でもいいんじゃないのか?もっとも日本ならランク外だろう。
ちなみにこのリストの上位を見てみると…
10位がレイ・チャールズの「Waht's I say」。
9位がNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」…知らんがな。
8位以上は「Hey Jude」、「Johnny B. Goode」、「Good Vibrations」、「Respected」、「What's Going On」と続く。
で、3位が「Imagine」。
2位が「(I Can't Get no)Satisfaction」。
そして栄えある第1位は「Like a Rolling Stone」だってサ。
英語圏と日本のロックの鑑賞の仕方の違いが如実に表れていると思う。
ところで、やっぱAreaの「Luglio, Agosto, Settembre (nero)」は入ってねーな。

230_2キンクスの名曲で構成したショウ『Sunny Afternoon』の告知ポスター。
4年前、ロンドンに来た時に演っていたんだけど観にいかなかった!
エラく後悔している。
代わりにこのショウの音源を聴いたんだけど、その臍を噛む思いはチョット晴れたね。
コレはまたもうチョット後で。
250_2コレはファンが作ってくれたのかネェ?
キンクスのゆかりのある建物の紙細工。
時計回りにいくと、左上は上の写真にあったデイヴィス兄弟の生家。
その隣はこのクリソールド・アームズ。
右の下はココのほぼ向かいにあった「The Alexandra」という、レイとデイヴが若い頃に入り浸っていたというお店らしい。パブか?今はもう無くなっていた。
最後は1981年のアルバム『Give the People What They Want』のジャケット撮影現場。

270熱心なファンを装っていても、『Preservation』以前の旧作ばかりを聴いているウワベだけのファンなんですよ、私は。
Aristaに移籍したあたりから、パンク/ニューウェイブの煽りを受けて「何とかバンドのサウンドを変えないと!」とレイが焦っているような感じがして聴くのがツライ。
ムリして80年代の商業ロックの仲間入りなんかすることなかったのに!
でもこのパブリシティ・フォトにある1982年の『State of Confusion』は好き。
ナント言っても「Come Dancing」とか「Don't Forget to Dance」といった名曲が入ってるからね。

280_2でもジャケが!
この時期の2枚は一体どうしちゃっただろうね。
色目は変えてあるけど、写真の撮影現場も上の紙細工のところで一緒だもんね。
一種の連作になってるのかな?
「民衆が望むモノを与えよ(Give the People What They Want)」…でも与えられないから「混乱状態(State of Confusion)」になってる?

2

1 同じ壁の奥。

310_2コレは楽譜だね。

320v「DAVRAY MUSIC LIMITED」というのはレイがやっていた音楽出版社。
今もあるのかも知れません。
「DAVRAY」は「Davies」と「Ray」をくっつけたモノだろう。

330_2住所を見ると「17, Savile Row」とある。
調べてみると、ビートルのアップル本社が入っていたビル、言い換えると「Roof Top Concert」と呼ばれている、1969年1月にビートルズが屋上で開いたビルから100mぐらい行ったところ。
この「Poole & Co.」というテイラーの隣。
クソ!コレを先に知っていたらドンズバで写真を撮ってきたのに!

8_img_4799コレは入り口のある壁に飾ってあるポートレイト。ファンからのプレゼントなんでしょうね。
「空想の男とデイヴ」となっている。

340_2下の写真の額縁に入っているのは、テキサスに住む熱心なキンクス・ファンからクリソールド・アームスのソニアという人に宛てられたお礼の手紙。
店内が暗かったので奥の方にピントが送れておらず、書いてある全部の単語を解読することはできないが、読めるところだけ拾い出すと…
「ソニア
The Kinks Roomの一員になる機会が持てたことに心から感謝申し上げます。
(中略)
レイとお話することができたのはとても光栄なことでした(2010年に彼は私のTaylorギターのバックにサインを入れてくれたんですよ)。レイは私の永遠の音楽ヒーローです。
 
以前にもお伝えした通り、写真はテキサス・オースチンのもうひとりのキンクスの大ファンあるリンダ・キャロルトンが『Schoolboys in Disgrace』ツアーの時に撮影したものです。(考えてみれば41年も経ったんですね。いまだによく覚えています)
 
とにかくありがとうございます。展示は、ロンドンに戻って来れる大幸運に恵まれた時に「またクリソールド・アームスに来なさい」という私とメアリーに対する指令ですね(寄付と写真に関する名前のクレジットもありがとうございます)。
もしよろしかったら、それが展示された時に携帯で私のPCに写真をメールして頂けませんでしょうか?
 
本当にありがとうございます。GOD SAVE THE KINKS!!!
 

                  スコットとメアリー・シェンケル
                      キャロルトン、テキサス」

シェンケルさんがクリソールド・アームスにキンクスの何かを贈呈して、お店がそれを飾って、そのことを知ったスコットが直筆で礼状を書いたんだね。
エラく感動しておりますな~。
私みたいのがアメリカにもいるのね。
ま、私はこうしてMarshall Blogでお店にお邪魔した感動を綴らせて頂きます。
まさかシェンケルさんって「Cal Schenkel」の親戚かなんかじゃないだろうな。そっちの方がうれしかったりして!

350_2スコットの手紙に出て来たキンクスの『Schoolboys in Disgrace』というアルバムはコレ。1975年の作品だから、今からだと44年前のリリース。
私がThe Kinksの名前を知ったのはこの辺りかな?
音楽雑誌でこのジャケットをよく目にした。
しかし、このイラストがミッキー・フィンの作品とはね~。
器用だな~。

Sbdミッキー・フィンはT.Rexのパーカッショニスト。
要するにマーク・ボランの相棒だ。
ミッキーはずっとNATALのパーカッションを愛用していたんだよ。 

Mf_3コレは「Sunny Afternoon」のシングル盤。
「およげ!たいやきくん」の元の曲ね。

360_2今度は店に入って右側の壁。

370_2こっちの壁には主にスクラップが飾ってある。380vスゴイね、コレ。
ブリティッシュ・インヴェイジョンがまだ盛んなりし頃のアメリカのコンサート告知ポスター。
Herman's HermitsにThe Dave Clark 5、The KinksとMoody Bluesはコレが初めてのアメリカ公演だった。
キンクスはこの前に、カーディフのステージ上でデイヴとドラマーのミック・エイヴォリーが殺人事件寸前のヒドイ乱闘騒ぎを起こし、物騒なバンドとしてアメリカへの入国が禁止されていた。
以上はすべてニューヨークの「The Academy of Music」という会場。
The Academy of Musicはユニオン・スクエアにほど近い場所にあるオペラ・ハウスで今は「Palladium」という名前になっている。
言っておきますけど、こういう劇場の名前なんかはみんな元はロンドンですからね。
「London Palladium」というのはウエストエンドでも最も有名な劇場。
そして、さすがビートルズ!
コンサート会場はあのシェイ・スタジアムですよ。
その下に出ている「The First New York Folk Festival」もオモシロい。
出演はフィル・オクス、チャック・ベリー、ジョニー・キャッシュにバフィ・セイント・マリーだって。

390vシングル盤のジャケットいろいろ。
420_2コレは2010年にクリソールド・アームスでライブを演った時のスクラップ。

400v真ん中の名刺みたいなヤツがチケットだったようだ。

410_2コチラの壁にはこんなデコレーションが。
「♪Fortis green preservation society」とつい口ずさんでみたくなる。
残念ながら「Village Green」は「Fortis Green」のことではない。

430_2ソファ用のテーブルとして使われていたユニオン・ジャック柄の箱。
なんかいい。

440_2『Sunny Afternoon』ショウの告知看板。
上に書いた通り、4年前にロンドンに来た時に見逃した。
それで、後にこの音源を聴いたんだけどちっともオモシロくなかった。
もちろん収録されている曲、あるいは上演されていた曲はキンクスの珠玉のヒットソングたちで文句のつけようがないんだけど、やっぱりレイやデイヴの声じゃないとダメなの。
ビートルズってそんなことないじゃない?
もちろんビートルズの音楽はジョンやポールの声があって初めて完成するものだけど、曲のパワーがあまりにも強いので、あの声がなくても何とかなる。
キンクスはあのレイのあのチョット鼻にかかった声やちょっとガナリ気味なデイヴの声でないと曲の魅力が半減しちゃう…ということに気がついた。
他の人が違う声で歌う「Waterloo Sunset」を聴いても全然グッと来ないのです。
歌は「声」ですな~。

450_2店内をすべて見終わった頃、老若男女の団体が入って来た。
聞き耳を立てていると、どうやら子供さんの誕生祝いの席だったようだが、「♪ハッピーバースデイ」を歌うワケでもなし、それぞれに運ばれて来た料理をボソボソ食べているだけの静かなお誕生会だった。

110_2以上。
全部見た!
満足した!

460vもう一度レイとデイヴ・デイヴィスの生家を見て、近くのバス停までフォーティス・グリーン・ロードを歩く。

470_2お、葬儀屋だ!

480_2日本だとほとんどが白い瀬戸物の入れ物だけど、向こうは骨壺が自由に選べるらしい。
今、チョット見てみたらAmazonって骨壺も売ってるのね。

490_2おお、この「Leverton & Sons」という葬儀社はこの地域の2018年の「ベスト葬式プランナー」の最終選考まで残ってるよ。

500最寄りのバス停に来た。
コレで「East Finchley(イースト・フィンチリー)」まで行って、地下鉄に乗って次の目的地に向かいます。

510v653番は「School Journeys」か…。
ロンドンでは学校が当局に登録を申し出ると、生徒が何人かのグループになっていれば、ピーク時を除いて無料でバスが乗れるシステムがある…ようだ。
要するに路線バスのスクールバス化だね。
653番の「School Journey」がそれに該当しているかどうかわからないが、いいシステムだ。
ただし登録しようとする学校は、当局が指定しているカリキュラムを導入していなければならない。
ホントに向こうは教育に熱心だよ。
 
なんて感心している場合じゃなくなって来た!
スタバで飲んだアイス・コーヒーとさっきのエールでスッカリもよおして来ちゃったぞ!
こんなところに公衆トイレなんかないし…どうするシゲさん?
という場面で<後編>に続く。

520 

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

2019年9月 9日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.37~キンクスに会いに行く! <前編>

 
先日、Shige Blogでレポートした通り、今回はロンドン滞在中、家内が先に帰国した後安宿へ引っ越しをした。
規格外の重量のスーツケースを注意深く押しながら、ほうほうの体でブルームズベリーからキングス・クロスへやって来た。
「European Hotel」というロンドンでよく見るタイプの「ホテル」とは名ばかりのB&B。
どうぜ寝るだけなんだからそれで充分。
荷物を置いたらすぐに出発。
今日の予定は今回の旅のハイライトのひとつなのだ!

08ホテルからキングスクロス駅までは歩いて1分。
ロケーション最高!

20天気も最高!

10まずは地下鉄ピカデリー線で「Finsbury Park(フィンズベリー・パーク)」へ。

30もうコレは何回もやってるけど、もう1回。
フィンズベリー・パーク駅といえば、グラハム・ボンド。
60年代にはGraham Bond Organisationというバンドを率いてロンドンのブルース・ロック/ジャズ・シーンを牽引したブリティッシュ・ロックのパイオニアのひとりだ。
見るからにアブなそう…。

40vGraham Bond Organisationはジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーを輩出したことでよく知られている。
いわばCreamの母体…もっと言うとロックの1ページを飾ったトリオの産みの親がグラハム・ボンドだ。

50s代表作の『Solid Bond』ではジョン・マクラフリンも参加して、ナゼかロリンズの「Doxy」なんか演っちゃってる。
しかし、スゴイよね、Creamのリズム隊に、マクラフリン、ディック・ヘクトール・スミス、ジョン・ハイズマンまで参加してるんだもん。夢のようなメンツじゃん?
ちなみにマクラフリンは向こうでは「マクラッグリン」と発音します。

60sそして、最近Spotifyで出くわしたBBCの発掘音源。
マクラッグリンがチャンとしたトラディッショナルなジャズを弾いているのがおかしい。
このプレイが後に「ミクロネシアン・マイナー」とか「ナポリタン・マイナー」とか言う人と同一人物とはとても思えん。
レパートリーを見ると、「Bluesology」、「Kelly Blue」、「Oleo」、「Sack O' Woe」といったジャズ・チューンから「Hallerujah I Love her so」、「I Saw Her Stadning There」等のポップチューンまでゴッチャゴッチャ。
ジャズがリスナーの身近にあった。そして、コレらが国営放送の電波に乗って一般家庭に入り込んでいた。
ブリティッシュ・ロックってのはこういうシーンが礎になっているんだもん、そりゃ日本のリスナーなんて赤ちゃん同様だわな~…今でもね。

70sそして、このグラハム・ボンド、後にアレイスター・クロウリーにのめり込んで、精神を病んで自殺してしまう。
このフィンズベリー・パーク駅のホームで、入線して来る電車に飛び込んだのだ。
その飛び込む直前、ホームに手ブラで立っていた初めて会う男の子の名前とその子がギターをやっていることを言い当てたという。
このフィンズベリー・パーク駅はピカデリー線とヴィクトリア線の2つの路線が乗り入れているのね。
そうなると気になるのはグラハム・ボンドがどっちの線に飛び込んだのか?…ということになる。
ちなみにこの駅は、新宿駅の総武線と山手線のように同じホームにその異なる2路線が乗り入れているロンドンの地下鉄でも珍しい駅。
荷物が多い時など乗り換えに大変重宝する。

80写真はピカデリー線のようす。
ココに飛び込んだのか…、それとも反対側のヴィクトリア線か…。
そこで、ロンドンに住んでいる音楽業界で働くイギリス人の友人にこのことを相談してみた。
するとすぐに答えが返って来た。
「それは間違いなくヴィクトリア線だよ、シゲ」
「ナンでわかんのよ」
「アノね、ヴィクトリア線っていうのは、ピカデリー線に比べて電車がホームに入って来る時のスピードが断然速いんだ。
だから自殺をしようとするヤツは間違いなくヴィクトリア線を選ぶのさ。そっちの方が確実だろ?」
エ~、ココってそんな物騒な駅なのッ?
それにナンでそんなこと知ってんの?
コレにはビックリしたけど、ロンドンの豆知識が増えたわ。
ところが、後になってわかったのだが、グラハム・ボンドはピカデリー線に飛び込んだのだそうだ。
ナンのこたぁない、ウィキペディアの英語版に出ていやがんの。

90ホラ、この駅にもコレ!

100ロンドンの地下鉄には時折このように長いトンネルを経て昇降する駅があるんだよね。
サッカーで有名な隣のアーセナル駅も確かそう。

110コレが存外にオモシロい。
設計ミスでこんなんなっちゃったのかね?
「アレ、こんなとこホジっちゃったよ!」みたいな。

120長いトンネルを経て地上に出た!
駅前には比較的大きなバス・ターミナル。

130ね、となりがアーセナルだから、こんなショップが駅舎に入っている。

135駅のすぐ横を走る「Seven Sisters Road(セブン・シスターズ・ロード)」。
この先の右側にある「Queens Hotel」というところに数日滞在したことがあった。
部屋のポットの湯気を利用して、レトルトのお粥を温めようとしたら水蒸気が盛大に上がってしまい、それに火災報知機が反応して大騒ぎになってしまった。
ホテルのお姉さんにこっぴどく叱られたわ。
お世辞にもお上品なエリアとは言い難く、この駅前のエリアだけでフライドチキン屋が7軒もあった。
どういうことか大体わかるでしょ?
吸殻を拾って、それを直接口にくわえていたヤツも見かけた。
ところが、そのホテルの前にある「フィンズベリー・パーク」の美しさと言ったら!

140その反対側。

150国鉄(オーバーグラウンド)のガードの下にはこんな広告。
「教会をお探しですか?日曜日の10時にそれが見つかります」
…というミサへの勧誘。
年配の洋楽ファンには左側の建物のイラストに馴染みがあるだろう。

160そう、「Rainbow Theatre(レインボー・シアター)」。

170レインボー・シアターを背に今来た駅方面を振り返るとこんな光景。
初めて来た10年以上前と基本的には変わらないが、こんな高層ビルは影も形もなかった。
あ、右側には古い、日本で言うアパート風の建物が立ち並んでいたけど取り壊しちゃったんだな。
ロンドンはドンドン変わっている。

180レインボー・シアターはもう何度も来ているし、何度もMarshall Blogに出てきているので、ごく簡単にもう一度書いておくにとどめるが、1930年映画館としてオープンし、その後コンサート・ホールとして60~80年代のブリティッシュ・ロックの黄金時代に活躍した。
重要な歴史を持つ建造物として、一応「Grade II」というカテゴリーに分類されて保護されているが、確か「Grade II」は「ナニがナンでも壊しちゃイカン」というほどの強制力はなかったように記憶している。
それゆえこうして時々ココに来ては定点観測をしているのだ。
現在はさっきガード下の広告にあったようにブラジルのエジル・マセドという教祖が1977年に開宗した「Universal Church」という宗教団体の施設になっている。
サンパウロに「ソロモン寺院」という本拠地を構える「Universal Church」は128か国に7,000以上の教会を持つ強大な力を持つ宗教団体なのだそうだ。
そばまで寄ると、中から2人の黒人の信者が仲睦まじく手をつなぎながら歩み出て来た。

190エエイ、折角だたかもう一回やっとくか…。
ご存知Deep Purpleの『Live in Japan』の海外バージョン『Made in Japan』ね。
このジャケットに使われている写真はココ、レインボウ・シアターで撮られたモノ。
そしてイアン・ギランが叩いているコンガはNATAL製だ。
ちなみにこの『Made in Japan』というのは「粗悪なモノ」という意味。
かつて、欧米において日本製の商品は「安かろう悪かろう」の同意語で、「Made in Japan」というサインが入っていると「ダメだ、コリャ」ということを暗示させた。
で、このアルバム、当初はメンバーがライブ録音に乗り気でなかったが、思ったより演奏がうまくいって発売となった経緯があるそう…つまり「Made in Japan」ってみんなバカにするけど、実はいいモノなんだぜ…なんてことが言いたかったのかね?知らんけど。
しかし、どうしてレインボー・シアターの写真を使っちゃったのかね~?「Made in England」の意地かね?

Mijレインボー・シアターの建物が確認できてホッとしたところで駅に戻る。

200今度は反対側のガード。

210歩道にはお休みの方々がゴロゴロ。
今回、街にホームレスが激増していてビックリしたな~。
しかも20代と思われる若い女性のホームレスがたくさんいたのだ。
私が初めてロンドンに来た17年ぐらい前は誓ってそんな輩はいなかった。
ホームレスといえばオッサン、そしてホントにタマにオバサンを見かけるぐらいだった。
それが今では若い女性だよ!
そして、ロンドンだけではなくて、ホームレスはミルトン・キーンズ駅にもゾロゾロいたし、マンチェスターでもたくさん見かけた。
このことをスコットランド出身の友人に話すと、イングランドはそうしたホームレスへの対応が手薄なのだそうだ。一方、スコットランドはホームレスが少ないらしい。
それはスコットランド政府がキチンとしたホームレス対策を打ち出しているからなんだと…。
そんな話を聞くと、「ホームレス云々」よりも「イングランド vs. スコットランド」の根強いライバル意識の方が気になるわい。
とにかく、日本にいるとあまりわからないけど、こうした変化を目の当たりにすると驚異的なスピードで世の中が悪くなっていることを実感するね。
日本は消費税が上がった10月以降、一体どうなっちゃうんだろう?
もう日本は一般庶民が政治家や大企業の果てしない欲望にソロソロ付き合えきれない段階に達しているのではなかろうか?
それに日本で言っている「軽減税率」っての?…イギリスに行って、もう一度言葉の意味を含めて税金のあるべき姿を勉強して来た方がいい…と、イギリスに行くとこんな経済オンチの私ですら思うのだ。

220が―トをくぐるともうひとつのバス・ターミナルがある。
そして、そこからこの「W7」のバスに乗る。

230ヨッシャ~、まんまと2階の一番前の席をゲット。
行き先は「Muswell Hill(マズウェル・ヒル)」。
The Kinksの地元だゼイ!250そういえばIron Maidenのニコ・マクブレインってこの辺りの出身じゃないかな?
フィンズベリー・パークの街を抜けると…

370景色がガラリと変わる。

280住宅街を抜け…

290また街…イヤ、「町」か。

300それがまたどこもステキなのよ。
ああ、2階席の一番前でヨカッタ。シアワセ~!

310興奮してなりふり構わず、夢中になって写真を撮っちゃったんだけど、私、一体どんな風になっていたんだろうか?
そうか、コレが「旅の恥はかき捨て」というヤツか!

320おお、坂だ!
ま、「Hill」ってぐらいだから坂はあって当然なんだけど、ロンドンってどこもかしこもほとんど真っ平だからね、すごく新鮮。
結構アップダウンがあってね、すごくオモシロかった。

330そしてやって来たのが…

340「Muswell Hill(マズウェル・ヒル)」!

350そうか~、ココがキンクスの故郷か~。
レイ・デイヴィスもデイヴ・デイヴィスもここから出て来たのか~。

360「マズウェル・ヒル」…ああ、なんてステキな響きなんだろう!
380マズウェル・ヒルのハイ・ストリート、「Muswell Hill Broadway」をまずは歩いてみる。

0r4a0038ロンドンの都会から少し離れて、町がとてもユッタリしていていい感じ。

400ホラ、「ヒル」だけあってロンドンの街がこうして見下ろせるのだ!
この景色は感動するよ~。
しばらく見とれちゃった。

410…なんて感心している場合じゃない。
ココからどこへ行けばいいのか。
いくら何でも町並みを見てるだけじゃツマらない…ということでデイヴィス兄弟の生家の向かいにある「The Clissord Arms(ザ・クリソールド・アームズ)」というパブへ行くべし。
そこはキンクスの聖地。
私設キンクス博物館になっていることは知っている。

390でもスッカリ困ってしまった。
別の回に書いたように、時間がなくて事前の準備が不十分で「クリソールド・アームズ」の情報を持って来なかったのだ。
しかも、私のスマホは海外で使えないときてる。
420「そうだ、こんな時こそPRETだ!」と、得意のプレタマンジェに入ってWi-Fiを使おうと思ったが、近くに見当たらなかったので、今回はスターバックスのWi-Fiを使うことにした。
イギリス人のお好みではないのか、飽きられたのか、アメリカがキライなのか、こっちのスターバックスは日本みたいに混んでいるのを滅多に見かけない。入ってすぐに座ることができる。
でも、ナンカおいしくないんだよね、コーヒーが。
味が薄いというか、コクがないというか…。
でもキンクス関連のウェブサイトで「クリソールド・アームズ」が「Fortis Green(フォーティス・グリーン)」という通りにあることを難なく突き止めることができた。
「Fortis Green」なんて「Village Green」みたいでカッコいいじゃんよ!

Vgp通りの名前さえわかれば後はこっちのもの。
町角に立っている地図で場所をチェックすればチョチョイのチョイ。
こうしちゃいられない!と薄いアイスコーヒーを飲み残して外へ飛び出した。
 
「チ~ズ~、チ~ズ~…さてさて地図はどこかいな~?」
実際マズウェル・ヒルにはとてもおいしいチーズがあるということを、後に地元に住んでいるイギリス人から教わった。
そんなことより!ないのよ地図が!
ロンドンの中心部なら通りの角々にあるこういう地図がない!440本屋に行って25万分の1の地図でも買って来ようかとも思ったが、それもモッタイないし、本屋を探すのも面倒だ。
仕方なしに「ロンドン野生の勘」を頼りに歩いていたら、下の写真の交差点に「Sainsbury's(セインズベリー=イギリスの大手スーパー)」があるのを見つけた。
もしや店内にこの辺りの地図でも貼ってあるのではないかと寄ってみると…あった、あった!

430でもこんなヤツ!
オイオイ、ココから「Fortis Green」を探すんかいな~。
「You are here」の表示すらない!
仕方がないので地図の左上からジワリジワリと通りの名前を1本ずつチェックしていった。

450すると程なくして「Fortis Green」という文字が目に入り、その場からさほど遠くないということがわかった。
ルートも簡単、今いる道がそもそもフォーティス・グリーン・ロードで、コレを写真左の方向に進み、1回左折するだけだ。

460「♪フォ~ティ~ス・グリ~ン、プリ~ザベ~ションソサエティ~」なんて適当な鼻歌を歌っちゃったりなんかして歩いて行く。
Fairport Conventionのサイモン・ニコルもマズウェル・ヒルの出身。
このFortis Greenと「Tetherdown(テザーダウン)」という通りが交わるところにあった「Fairport」と呼ばれるニコルの実家でFairport Conventionはそのキャリアをスタートさせたのだそうだ。
え、そっちは行ってみたのかって?
イヤ、私、Fairport Convention チト苦手なんですわ。
それにBonzo Dog Doo-Dah Bandのヴィヴィアン・スタンシャルも晩年はマズウェル・ヒルの「Hillfield Park(ヒルフィールド・パーク)」というところで過ごしたそうだ。12img_9697しかし、いい加減遠いな…。
歩けど歩けどそれらしき建物が見えて来ない。470「コリャ、道を間違えたかな?」
ヒザがいつ痛くなってくるかも心配だ。
もう少し歩いてダメならバスに乗って近くの地下鉄の駅にでも行こうか、と考えているウチに…

480着いた~!
まさか壁にこんな絵が描いてあるなんて思っていなかったので、看板の文字がハッキリ見えて来るまでわからなかったのだ!
コレが「クリソールド・アームズ」か!
ということは、その通りの反対側は~?490<中編>につづく

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

2019年6月29日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.36~The Beatles was here! <後編>


さて、宿舎の紹介も終わったところでビートルズ・ネタはお定まりのココへ。
地下鉄ジュビリー線の「St. John's Wood Station(セント・ジョンズ・ウッド駅)」
他の駅のステンレスのエスカレーターと異なり、ココのは茶色くて素敵なの。

370この駅だけではないけれど、ココは上下のエスカレーターの間に階段がついている。
「一体誰が階段なんか使うんじゃい?」と思うけど、結構コレを使って上り下りしている人を見かけるよ。

380v_2上から見るとこんな感じ。
ね、なんかステキじゃない?
でもエスカレーターと階段の間に付いている照明具は滑り台防止のためのモノなんだろうね。
実際、タマに他の駅でツルツル~っとやってる若いヤツをみかけるからね。
当然そういうのは下で友達が動画を撮っていて、YouTube行きとなる。
バカは洋の東西を問わない。

390どうでもいい話なんだけど、ロンドンの地下鉄構内に貼り出してある広告ってどれもオモシロくって電車を待っている間も退屈しないで過ごすことができる。
芸能人なんかゼンゼン出て来ないけど、どれもおシャレでカッコいい。
コレはケンジントン宮殿で開催していた『ヴィクトリア朝特別展』の広告。
カラーで目の部分を提供している美女は誰か知らないが、モノクロの部分は今のエリザベスII世が2015年に記録を破るまで、イギリス建国史上最も長期にわたってその地位に就いていた国家君主。Img_9088 多分コレが上のヴィクトリア女王の元の写真だろう。
実にうまく作ってある。
それにしても、人間ってのは「目」のデザインがモノを言いますな~。Qv で、このイベントの会場となっているケンジントン宮殿。
今はケンブリッジ公のお住まい。
「ケンブリッジ公」とはウィリアム王子のことね。
ジミー・ペイジの家を訪ねた時に寄ったんだけど、ブッたまげるぐらいキレイだった。
ココ、入場料が高い割には内部の写真撮影がNGなの…だから入らないで帰って来ちゃった。
この時ウィリアム王子はまだ結婚していなかった。
キャサリン妃にお目にかかれるなら…デヘヘ、入場料払ってもいいナァ。

5_2140 こんなのはどう?
コレも地下鉄の広告。
「父の日」が近かったので「スカル・シェイバー」の広告。
 
90秒で完了!ー父の日スペシャルで替刃プレゼント
キズの心配ご無用 | ムリなく届く」
 
見ながら「ああ、オレもそろそろスカル・シェイバー買おうかな…」なんて思ったわ!
しかし…確かにイギリス人とかドイツ人ってハゲが多いけど、こんな広告が成り立つほどスキン・ヘッドの人が多いのか?
実際スキン・ヘッドにすると手入れがメッチャ大変だろうな~、イヤ「スカル・シェイバー」があれば大丈夫か!
外人は頭蓋骨の形がカッコいいからね~。ハゲてもうらやましいわ。
今、絶賛脱毛中…イヤ脱線中!
Img_9529こんな広告も楽しい。
コレは以前Shige Blogで紹介したヤクルトの広告。
日本のお家芸の折り紙で作ったネコのドテっ腹の部分。
「Which 2 underground stations contain no letters from the word "CATLIKE"? (「CATLIKEーネコっぽい」という言葉に使われている文字が出て来ない地下鉄の駅名を2つ答えてね)
 
コレが滅法ムズかしい。
Marshallの社長のジョンやスタッフと考えたんだけど、なかなか出て来ない。
私が提案したのがそれこそ「St. Johns Wood」だったんだけど、「t」で引っ掛かった。
やっとのことでジョンがBorough(バラ=有名なバラ・マーケットがあるところ)はどうだ?」…と、ひとつ見つけただけで終わった。

5_2450この「St. Johns Wood」という名前に関しては「鯖クイズ」というのがあるんだって。
「『鯖』の綴りに使われいる文字がひとつも入っていないロンドンの地下鉄の駅はど~こだ?」というモノ。
「鯖」は英語で「Mackerel」。
「St. Johns Wood」という名前にはこの「Mackerel」に使われている「a, c, e, k, l, m, r」の文字が使われていないというワケ。
コレね、結構スゴイんですよ。
英単語で最も使用頻度の高いアルファベットは「e」で12.7%。続いて「t」で9.1%。さらに「a」で8.2%。
「c」と「k」はたいしたことない(この2つの文字は同じ発音を担当することが多いのでどうしても使用頻度がバラけてしまう)けど、「l」が4.0%、「r」が6.0%とくる。
コレらのポイントを全部足すと実に46%。
日常使われている英語に出て来る約半数の単語に含まれている文字がひとつも使われていないのが「St. Johns Wood」という名前なんですわ。
ナンでこんなことを知っているのかと言うと、今また「暗号」の本を読み返しているの。
伝統的に、暗号を解読するには「頻度分析」という手法が最も頻繁に用いられるんだけど、こうしたデータがないとそれができないというワケ。
こういうことが大好きなんだよね、オレ。

360改札口はこんな感じ。

400外に出てすぐ左にある売店。
我々にとってはナンと言ってもこの場所は「アビィ・ロード・スタジオ」なんだけど、実はココってクリケットの聖地でもあるんだよね。
4年前の同時期に家内とココに来た時、平日の真っ昼間からモノスゴイ数のオジサンの大群に出くわしてビックリしたことがあった。
Marshallで運転手を務める仲良しのディアンにその理由を尋ねたところ「クリケットじゃないかしら」との答え。
好きな人は仕事を休んで平気で試合を見に行っちゃうんだって。
5~6月はクリケットのシーズンだからね。それが終わるとウィンブルドンが始まってテニスの季節になる。
なるほど、今回バスの2階から確認したんだけど、この近くに「Lord's Cricket Ground(ローズ・クリケット・グラウンド)」というのがあったわ。
この「Lord」というのは、主に18世紀後半から19世紀の初めぐらいまで活躍したThomas Lord(トマス・ロード)という人にちなんでいる。グラウンドの創設者。
もう「Lord's」と言うだけでこのグラウンドを指すらしい。
そして、駅構内にはこのロードさんの姿を彫り込んだタイルがハメこまれている…ということが書いてある。

410その横ではビートルズの4人が「ひょっこりはん」をキメてくれている。
そういえばヘアスタイルが同じだわ。
今からアビィ・ロード・スタジオに向かうよ。

415vコレも以前取り上げているネタ。でも、また様子が大きく変わっていたので喜んでレポートさせて頂く。
門柱や壁面の落書きはいつも通り。

420スタジオの建屋もその通り。
オーケストラがスッポリ入る大きなレコーディング・スタジオをロンドンに作る目的でアビィ・ロード・スタジオは作られた。
そもそもココは「EMI Abbey Recording Studios」という名前だった。
ビートルズの面々はココのことを「アビィ・ロード」と呼んでいたから「Abbey Road Studios」の方が通りが良くなり、EMIが名前を変えた…ということは全くなかった。
ビートルズは200曲を超える作品をココの「第2スタジオ」で録音していて、連中にとってのアビィ・ロード・スタジオはただの「Studio Number 2」だったらしい。
彼らにしてみれば、自分たちの普通の仕事場だからね。
ココが「Abbey Road Studios」として定着し、その名を変えるまでに至ったのはやっぱりアルバム『Abbey Road』によるものだったそうだ。
こけら落しはエルガー。
そのことが入り口の横の緑のプラークに書いてある。
元々はHMV、Columbia、Parlophoneという3つのレーベルのための録音施設だったのだが、レコーディングのノウハウが盗まれはしないか…とお互いに心配し合っていたらしい。

425私はもう数え切れないぐらいココへ来てるんだけど、今回はチョット気分が違う。
D_Driveの4人と一緒だったからだ。

490以前から何度も触れて来た通り、D_Driveの世界デビュー盤『Maximum Impact』はここアビィ・ロード・スタジオでマスタリングしたのだ。
Marshall Recordsを通じてマスタリングを担当してくれたクリスチャン・ライトと面会したかったのだが、クリスチャンはあいにく遠方に出ていたため断念!
外から写真だけ撮ったよ。
でも「データのやりとり」とはいえ、この中で作業してくれていたなんて感無量ですわ。
ま、私は演奏したワケではないけれど、「間を取り持った」ということで…ハイ。
イヤ、それでもそこに行きつくまで色々と大変だったんだから!
今年の前半は人生で一番忙しかったかも。

Maximumimpact4人だからね…当然コレをやるわな。
ビートルズの『Abbey Road』のジャケット写真は道路の真ん中に脚立を立てて、イアン・マクミランというフリーのカメラマンが、3往復するビートルズのメンバーに向けて6回シャッターを切った。
そのウチ、3回目の往路の写真がジャケット写真に採用された。
カメラはハッセルブラッド。レンズは50mmの広角。カメラの設定はf=22、1/500だった。
 
対してD_Drive。
私が交差点の真ん中にある島に立って、横断歩道を渡るメンバーに向けてやはり6回シャッターを切った。片道1回だけ。
カメラはキャノンの5D MKIII。レンズは24-70mmのズーム。カメラの設定はISO125、f=4.5、1/125だった。
激曇りだったからね~。ホントはもっと絞りたかったサ。

450やり直しはなし。
ナゼか知らんが、そこにいた観光客から拍手や歓声を浴びていた。
Marshall LiveCamden Rocks Festivalで早くもイギリスの誰もが知る存在になったのかしらん?
んなワケない。
そもそもこのあたりは外国からの観光客ばかりでイギリス人なんていないんじゃないかしら?
ところで、ビートルズのあの写真はスタジオにバイバイして去って行くところなんだってね~。
知らなかった。

460ということでD_Driveの次回のアルバムのジャケットはコレに決定しました。
そうそう、ビートルズの『Abbey Road』ってフロント・ジャケットに文字が入っていないのね。
上の方に「Abbey Road      The Beatles」って入っていたような気がしたんだけど…。
今回コレを作っていて参考に久しぶりにレコードを取り出して初めて気が付いた。

440cd_2有名な塀の落書き。

470何ヶ月かに一回上から白いペンキで上塗りすると聞いたが、スタジオ・サイドでもコレを楽しんでいて、アッと驚くようなアート感あふれる作品を期待しているようなのだ。

480すぐ近くの「Abbey Road Baptist Church」。
そもそも「Abbey」というのは「大修道院」という意味。
この道路は19世紀に整備された新しい道路で、元あった小道がKilburn(キルバーン)にある中世の小修道院に続いていたことよりその名がつけられたのだそうだ。
キルバーンはいつか行ったね~。
そこで人生で一番マズいラーメンを食べた。

493さて、今回この記事を編もうと思ったのはコレを紹介したかったから。
スタジオのすぐ隣のこの真っ白い建物。

495vコッチも落書きだらけになっちゃってる。
4年前にはこんなお店なかったんよ!

500ブッパン、ブッパン!
もう何でもグッズやら、ショップやらですな。

510お店の入り口に続く廊下にはスタジオの歴史が綴られている。
細々書こうかと思ったけど、どれも重要な出来事ばかりで長くなるから止めた。

520店内のようす。

530こんなデコレーションや…

540古今の写真。

550vこの入り口で撮る写真はこのスタジオを利用するアーティストにとってひとつのステイタスとされているそうだ。

435vだからこんな写真も…スティーヴィー・ワンダーだのガガ様だの。

560vこんなメモラビリアも飾ってある。
コレはEMI HB-1EというスタジオやBBCで活躍したマイクロフォン。
戦前~戦中のレコーディング機器の大家、アラン・ブルームラインが設計し、EMIのハーバート・ホルマンが製作した。
あのね、Marshallもダッドリー・クレイヴンというEMIのエンジニアをヘッドハンティングして第1号機を作ったんだよ。

570限定生産されたポールのヴァイオリン・ベースと同型のヘフナー。

580v500部限定で発売されたジョージ・マーチンによる「Yesterday」の弦カル・パートのスコアのレプリカ。

610書き込みや汚れ、紅茶のシミまで再現しているとか。
£250.00だって。額装込みで37,500円ぐらい。

620コチラはホンモノ。

590もちろん非売品。

600もちろんビートルズ関連グッズだけでなく、Pink Floydや他のアーティストにちなんだグッズも多数販売している。

630やっぱりドラマーはスティックが気になるね?

635私もナニか記念に買っておこうと選んだのが…

636図録…こういうのを英語で「Souvenir Guidebook」と言います。
ココでしか手に入らないっていうからサ。
帰って来てウェブサイトを調べたらスッカリ通販してやがる。
でも、欲しいモノと言えばコレぐらいなんだもん。

640£12としてはボリュームが小さいけど、興味深いことがたくさん書いてあってオモシロかった。

650ということで楽しいショッピング・タイムは終わり。
ロンドンの新しい「ロック名所」のひとつということで…。

660駅に戻る途中、ポール・マッカートニーのお宅を訪問。
他の3人のメンバーが喧噪から離れるべく郊外に移り住んだが、ポールだけはロンドンを離れようとせず、エライお医者さまから£40,000で購入したのが65年3月だというから、改装工事が終わるのを待って、昨日紹介したプレジデント・ホテルを出てココに引っ越したんだろうね。
「Penny Lane」、「Gettin' Better」、「Hey Jude」はココで作られたのだそうだ。
それと、ホワイトアルバムのオマケのポートレイトもココで撮影したんだって。
当時の4万ポンドっていくらぐらいかしらん?…と思って調べてみると、当時は固定相場制で、ドルが360円、ポンドは何と1,008円だった。オイオイ、今140円切ってるからね。
40,000に1,008をカケると…約4,000万円。
今から54年前の4,000万円だからね~。
まだ「She Loves You」の頃だよ。
何でも「Hey Jude」1曲で孫子の代まで遊んで暮らせるだけ稼いだと聞いたことがあるけど、しかし…ポールって人生で一体いくら稼いだんだろう。
ポールは70年代の後半までココに住んでいたそうだ。
で、今でも保有してるんだって…また儲かっちゃうやんけ。
そうでもないか、多分地所はどこかの貴族が所有しているのだろうから。
上物だけなら大したことないだろう。

5_img_4886 ポールにあやかろう!ということでD_Driveも記念撮影。
『Maximum Impact』ヒット祈願!

670すぐ近くにあるのがBilly Fury(ビリー・フューリー)が住んでいた邸宅があった。
フューリーはクリフ・リチャードと肩を並べて1950年代後半から1960前半に人気を博したイギリスの歌手。

0r4a0093…ということで『Abbey Road 2019』はおしまい。
 
ところで今回の記事のタイトルね、コレも前にやったことがあるんだけど、「Kilroy was here」から頂戴した。
興味のある方はコチラをどうぞ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>

Kwh_2この曲を作ったロイ・ウッドね。
Rennaissanceのシンガー、アニー・ハズラムの元ダンナ様。
夫婦デュエットの「I never Believed in Love」なんてあまりにも素晴らしい。ナニせ出だしのコードがディミニッシュだからね。
初期のELOのメンバーでもあったワケだけど、私はジェフ・リンよりロイ・ウッドの方が断然好き。
この1975年のソロ・アルバム『Mustard』なんてメッチャいいと思うし、当時の日本のポップ・ロック系のミュージシャンって結構コレを研究したと思うよ。

Mt 

200_2

(2019年6月 ロンドンにて撮影)

2019年6月28日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.35~The Beatles was here! <前編>


ま、生来こういうことをするのがとても好きなものだから、ずいぶん長いことこの『名所めぐり』ってやらせてもらっている。
訪れたのはいいけど、時間が経ってしまって「コレのどこが『名所』なんだっけ?」なんてのもいくつかあったり、もう名所自体がきれいサッパリ無くなっちゃったモノもある。
で、このフィールドワークをする時、現地に行くのは造作ないことなのね。
ロンドンの場合、住所さえわかればいとも簡単に目的地に行くことができる。
大変なのは情報収集なんですわ。
その手の本がいくつか出ていて、もちろんそういう本に出ている情報を元に行動しているんだけど、コレも付焼刃的にパラパラっと本に目を通して「レッツゴー!」なんてやっても大していい記事にはならない。
かといって、そうした本をまるごと持って行くのは重くてシンドイからと、かなり前から入念に調べて「建物の名前と住所を一覧表にして…」なんてやってると、今度はイザ行った時にそれが何の名所か忘れちゃったりなんかして…。
 
今回3週間ほどイギリスに行って来た。
仕事ですよ…。
当然、Marshall Blogのために「ロックの名所」をめぐる時間もタップリ設けたんだけど、下調べをする時間が全くなく、ホントに国内外の情報を簡単にツラツラっとかき集めて旅に臨んだワケ。
「ってやんでェ!こっちはもうイギリスには20回以上行ってるんでェ、べらぼうめ!ロンドンなんかナァ、浅草みたいなもんよ!」とは言わなかったけど、ま、ちょっとナメていた格好になったナ。
やっぱりキチンと下調べをしておかないとダメだわ。
それでもそれなりのネタは集めて来たので今後の展開に乞うご期待。

今日の記事はその反対の例。
何の下調べもして行かなかったのに偶然「名所」に出くわしたケースをます最初に…。
下は私の情報源のひとつ…と言っても熱心に目を通したことはほとんどないんだけど、ビートルズにゆかりのあるロンドンの場所や設備を紹介する『ビートルズを歩こう!(プロデュース・センター出版局刊)』という本。
ビートルズがあったころのロンドンったって一番最近でももう49年も前のことだからね~。
それでもビートルズがキッカケで音楽の世界に入った私なんかは、大のロンドン好きも手伝ってパラパラ読んでいるとすこぶるオモシロイ。
10そして、チョット他の記事とダブって申し訳ないんだけど、今回のロンドンで滞在した場所のひとつが大英博物館にほど近いラッセル・スクエア。

20コレがそのラッセル・スクエア。

30ロンドンで「パーク」というと、「ハイド・パーク」や「リージェンツ・パーク」や「ヴィクトリア・パーク」のような広大な緑地を指すが、他にも我々の感覚で「パーク」と思っているいわゆる「公園」のようなモノがいたるところに存在する。
それらは「スクエア」と名付けられていて、都会の息苦しさを大いに和らげてくれる。
コレも大分前に書いたことがあるけど、元Manfred Mann's Earth BandのJohn Lingwoodというドラマーが東京に初めて来た時、私にこう訊いた…「シゲ、東京には公園っていうものがあるのかい?」
私は「あるよ!」とその時答えたが、私の答えが間違っていたことを知ったのは初めてロンドンに行った時のことだった。
ロンドンを知った後は「東京に公園がある」だなんて恥ずかしくてとても言えない。

40宿泊したホテルのすぐ近くの「Southampton Row(サウザンプトン通り)」。
ココは今回初めて来た。

50…ということでオモシロいモノは何かないかしら?と注意深く歩く。

56ん…発見。
柱に何か額がかかっている。

60ナニナニ…「1917年9月24日、ロンドンが受けた初の夜間空爆において、ドイツの重爆撃機GOTHA(ゴータ)がこの地点のすぐそばの旧ベッドフォード・ホテルの階段に112ポンドの爆弾を落とし13名の命を奪い、22人に怪我を負わせた」
スゴイ…こんなことを街中にいまだに貼り出しているなんて。
戦争を風化させない努力をしているということか?
戦争自慢の常勝国ですらこうだからね。
イギリスでは学校でチャンと戦争について学ぶそうだ。310万人もの戦死者を出した日本はどうなってるのかしらん?

70お!ブルー・プラーク見っけ!

80vイギリスを代表する指揮者、サー・ジョン・バルビローリの生家。
マーラー作品を得意とし、マンチェスターに拠点を置くイギリスで最も伝統あるオーケストラ、ハレ管弦楽団の常任指揮者を務めた。90ホテルのすぐそばの歩道に埋め込まれていた敷石。
「ターキッシュ・バスズ・アーケード」…気になる。
それは「トルコ風呂」だからではなくて、アーケードだから。
イギリスで「アーケード」というと大抵見事な装飾を凝らしてあったり、気品のある老舗が集う見応えのある伝統的な商店街を普通指すから。
ところがいくら周辺を探し歩いてもそんなところが見当たらない。
そこで、ホテルのコンシェルジュに尋ねたところもう1960年代になくなったそうなのだが、とても豪壮で美しい風呂があったらしい。

55コレはサウザンプトン通りからチョット入ったところにある馬の病院。
「馬の病院」?…なんてものはなく、チョットしたアート展示スペースのようだ。

95これもオブジェの一種なのだろうか?
壁に埋め込まれていた。
「場所を選んでビザを挿入してください。そしてボタンを押せは数分のうちに瞬間移動できます」…アホか!

96その奥には「Handel Stereet(ハンデル通り)」。
97「ハンデル」とは音楽家の「ヘンデル」のこと。
またしばらくしたら「名所めぐり」でヘンデルを取り上げます。

98コレが今回ロンドン滞在中に宿泊した「President Hotel(プレジデント・ホテル)」。
Marshallのスタッフがブックしてくれた。

100古いね、このホテルは。
調べてみると、中核の隣接するImperial Hotelの創業が1837年。
グループで7つのホテルを経営し3,251部屋を稼働させているのだそうだ。

110地下鉄の駅は近いし、すぐ近くに「Bruwnswick(ブラウンズウィック)」という大きなショッピングセンターがあるし、ホテルのスタッフも親切でとても快適な滞在だった。
そして見て、お値段。
このロケーションと設備にしてシングルで£105は安い。ま、古いからね。
ロンドンでこういう「ホテルの形をしているホテル」に泊まるのは本当にお金のかかることだからして。

120エレベーター・ホールもややゴージャス。

130すぐに目についたのがコレ。

140vそして、コレ…ビートルズのポートレイト。

150v1階(Ground Floor)のレストランの入り口脇には…

155コレ。
一瞬、『Live at the BBC』のジャケ写かと思ったが、すぐに違うことがわかった。

160実はこの写真はココ…すなわちこのプレジデント・ホテルの前のチョット手前で撮られたモノなの。
通りの名前は「Guilford Street(ギルフォード通り)」。
上の写真はさっきの『ビートルズを歩こう!』で見た記憶があった。
ホテルを見ただけではわからなかったが、上の写真を見て頭の中で結びついた。
ビートルズは1963年の春から秋までロンドンの住居が定まる前、ココに部屋を借りてホテル住まいをしていたのだ。

240早速コンシェルジュに訊いてみると「さようでございます。コチラをご覧ください」とその時のことを記した文章を見せてくれた。
フフフ…つまりビートルズと同じホテルに泊まったということよ。
グレン・ミラー楽団に「Pensylvania 65000」という代表曲がある。
かつてニューヨークに行った時、西34丁目のペンシルヴァニア駅の前にあるグレン・ミラーと同じホテルに泊まり、「電話番号が65000だ!」なんて喜んでいたまではよいが、あまりに古いホテルで、ベッドのマットレスが小便臭くて眠れない…なんてことがあったんだけどね…。
ココはゼンゼン大丈夫だった。
で、早速滞在した部屋を見に行くことに。
階は2階。ヨーロッパ式に言えば「First Floor」。地上から上がった最初の階だから「first」。いまだにコレに慣れない。

170廊下をズンズン進む。

180一番奥の左側が…

190v115号室。
1963年の春~秋といえば、4月にファースト・アルバム『Please Pleaase Me』を発表。コレが発売4日目に15万枚のセールスを記録。
ドンドン人気が高まって、8月に「She Loves You」を発表。予約だけでミリオン・セラーになった。
ココに滞在してロンドン中でライブを演っていたのだろう。
「行って来ま~す!」とか言ってアビィロード・スタジオやライブ会場へ向かったのかと想像すると楽しい。

200その向かい側が116号室。
 
ジョン・レノンがエリザベス女王やロイヤル・ファミリーを前にしてピカデリーの「The Prince of Wales Theatre(ザ・プリンス・オフ・ウェールズ(=イギリス皇太子のこと)・シアター)」で言った有名なセリフ;
「Would those of you in the cheaper seats clap your hands? And the rest of you, if you'll just rattle your jewelry.(安い席の人は手を叩いてくれませんか?その他の方は宝石をジャラジャラいわせてください)」
コレをやったのも1963年の11月のこと。
わかるんだよね~、コレ。
格差社会のイギリスのこと、ロンドンの劇場はチケットの値段によって席の場所の良し悪しにすさまじい差が生じるんですわ。
チョット出し渋ると遠慮なく思いっきり後ろの方の席になっちゃう。
ヘタをすると入り口も違うんだから!
ロンドンの劇場はブロードウェイと違ってバカでかいので、そうんるともう完全に見えないわね。
でも、どうせナニ言ってんだかほとんどわからねーし、「記念」として行く分には大いに価値があります。
立派な劇場の内部を体験するだけでも楽しいよ。
 
下がその「ザ・プリンス・オフ・ウェールズ・シアター」。
私はココで『Let It Be』というショウを観て感激したが、今は『The Book of Mormon』というブロードウェイ・ミュージカルがかかっていた。

5_0r4a0061 どっちの部屋にどのメンバーが滞在していたかという記録は残っていないそうだ。

210いずれにしても相部屋だったのね?

220この写真は1963年7月2日に、当時のビートルズのお付きのカメラマン、デゾ・ホフマンがタマタマたった1枚だけ撮った写真なのだそうだ。
得てしてそうなんですよ。
ところが私なんかだと、そうしてとてもいい瞬間をとらえたのにピントが甘い!なんてことになりがちなんだよね。
 
そして私はこんなのがあるとは知らなかったんだけど、こうして『Live at the BBC Volume2』のジャケ写になったとサ。

230cdビートルズの連中もホテルの部屋からコレに似た景色を見たのだろうか(コレは6階からの眺め)。

250そして、ビートルズは上の写真と同じ日にラッセル・スクエアでも撮影を行った。

251デゾ・ホフマンは噴水の周りで6回シャッターを切ったそうだ。
しかし、ラッセル・スクエアは2000年に大幅な改装工事を実施し、当時の形を残していないそうだ…残念!

252夜のサウザンプトン通り。

Img_4843ホテルの裏にあるカジノ。
中が見たかったんだけど、入り口にドデカイ黒人のガードマンがいたのでビビッて止めた。

Img_4844カジノの前のホテルの中庭的なスペース。
なかなかの雰囲気だ。

Img_4845『ビートルズを歩く!』によると、このプレジデント・ホテルは1961年から1962年にかけて建設されたそうだ。
さっきから「古い、古い」と書いてきたけど、ナンのことはない、Marshallや私と同じ年齢やんけ!
当時は最新式のホテルだった。
何しろ各部屋にバスルームとテレビが装備されていたのだから!…ビックリ。
でも、いまだにエアコンと冷蔵庫はありませんから。
そんなホテルだったからして、ホテルの支配人が朝食を摂る4人にネクタイをするように注意をしたことがあったそうだ。
するとホテルのスタッフが「支配人、ダメですよ、注意なんかしちゃ!アレはザ・ビートルズなんですよ!」
もうその時「神」扱いされていたのだ。
もっとも滅多に早起きなどしない4人はほとんど朝食をルームサービスで済ませていたそうだ。
上掲の本ではビートルズが滞在したのは114号室となっているが、4人も入れるワケがなく、ホテルの記録に残っている通り、115と116号室の2部屋に滞在していたというのが正しいと私は思う。
だってホテルが自分で言ってるんだから!

255ちなみにコチラは『Live at BBC』の1作目。
チョット似てるでしょ?
コレはリージェント・ストリートのハズ。
あ、ビートルズは好きだけど、マニアでは決してありません。

260cdハイ、移動してピカデリー・サーカスに近いリージェント・ストリートをチョット入ったところ。
通りの名前は「Savile Row(サヴィル・ロウ」」。
ちなみにサウザンプトン・ロウって上にあったけど。「row」も通りという意味。
ロンドンはストリート、ロード、ロウ、クレッセント等を使って通りの名前を表す。
アヴェニューってのはないかな?
絶対にないのは「ブールヴァ―ド(Boulevard)」…メッチャLA的ですな。
で、このセヴィル・ロウ、前にもやったけど、様子が変わっていたのでもう1回。

270サヴィル・ロウの入り口にある有名な洋服店「Gieves & Hawkes(ギーヴス&ホークス)」。
この店にスポットを当てたドキュメンタリーをたまたまテレビで見たことがあった。
老舗だけあって「ビスポーク(Bespoke)」しか取り扱わずに来たが、時代の趨勢に押され、既製品も取り扱うことになってしまったが、伝統を重んじるイギリス紳士はチャンとこの店でビスポークのスーツを仕立てる…みたいな内容だった。
「ビスポーク」というのはイギリス英語ですな?結構街中の看板で見かけるんだけど、「オーダーメイド」という意味。
イギリスに興味のある人は覚えておこう!

280この通りはこうした仕立服屋さんが軒を連ねていることで有名。
いわゆる「テーラー」街ね。
1階が店舗で…

290地下が作業室になっている。

300どの店も同じスタイル。
みんな紳士服を作っている。
ご存知の人も多いと思うけど、この「サヴィル・ロウ」を早く読んでみると不思議な現象が起きる。
サヴィル・ロウ⇒サヴィロウ⇒セヴィロー⇒セビロ⇒背広…ね、日本語の「背広」の語源になった通りの名前なのです。

310そのサヴィル・ロウに入って数軒先の右のこのビル。
ココにビートルズのApple本社が入っていた。
ま、前にもやったけどね。

330vナンでまた引っ張り出して来たのかというと…このブループラークがついたからなの。
以前はなかった。
「1969年2月30日、ザ・ビートルズはこのビルの屋上で最後のライブ・パフォーマンスをしました」って。

340D_Driveの3人も入ってパチリ!

5_0r4a0736   

200_2

(2019年6月 ロンドンにて撮影)

2019年3月28日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.34~ヘンリー八世と六人の妻 <その2:アラゴンのキャサリン>


わかってるんですよ。
「バタバタしていたもんですから」…なんて時は大抵ロクな仕事をしていないもんでしてな。
反対に「あの時どうやってあんなに仕事をこなしていたんだろうナァ」と後で思い出すような時には「バタバタしている」なんてことは言ってなかったと思うワケ。
 
すいませんネェ…またチョットMarshall Blogの更新を休んでしまった。
バタバタしていたもんですから!
イヤイヤ、それよりも「ヘンリー八世と六人の妻」の記事…続編を書こう書こうと思ってはいたんだけど、バタバタしていてナント前回の掲載から1年以上も経ってしまった!
驚くべきことに今日はその続編をお届けしようという暴挙に挑みます。
そもそも前回ナニを書いたか、どこまで書いたかも覚えてないんでやんの。
…ということで、記事を読み返してみよう。
コレね   ↓     ↓    ↓   ↓

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.28~ヘンリー八世と六人の妻 <その1>

 
フムフム…派手に脱線してるな。
そうだ、前回は「リック・ウェイクマンのアルバム」と「ヘンリー八世周辺」のことについて書いたのだった。
そこで今回からはヘンリー八世を中心に6人のお妃さまのことを、アルバム収録曲を聴きながら書いていくよ。
皆さん、レコード、CD、ストリーミングの準備はよろしいか?
まずはアルバム『ヘンリー八世と六人の妻(The Six wives of Henry VIII)』の1曲目。
 
1. Catherine of Aragon
ヘンリー八世の最初の奥さまが「キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon)」。
私は『Yessongs』のリック・ウェイクマンのソロ・コーナーで初めて聴いたんだけど、シビれたナァ。
この曲をこのアルバムではなく、『Yessongs』で知ったという人も多いのではないかしら?
お、そういえばウェイクマンを紹介する前にジョン・アンダーソンがハミングしているメロディはストラヴィンスキーの「春の祭典(The Rite of Spring)」だね。
 
やっぱり何回聴いてもこの曲はカッコいい。
4分にも満たない曲にものすごい音のドラマが詰まっていて、どのパートもそれが立体的なんだよね。
では「キャサリン・オブ・アラゴン」とはどんな人だったのか…。

10cdこの女性が「キャサリン・オブ・アラゴン」。

30v最終的な輿入れ先は下のヘンリー八世…ヘンリー七世の次男坊。
ヘンリー七世は1455年から30年にわたった「バラ戦争」に終止符を打ったチューダー王朝の開祖。
「バラ戦争」ってのはランカスター家とヨーク家の権力闘争で、両家の紋章がバラだったので「バラ戦争」と呼ばれている。
ったく、戦争ひとつするにもロマンチックな話だぜ。日本は室町中期。
ちなみにイギリスの国花はバラだがね。
で、キャサリンはこの人のところにわざわざスペインから嫁いできた…ワケではない。
このホルバインが描いたヘンリー八世にソックリな人知ってるわ。

40vキャサリンはスペインのフェルディナンド王とイザベラ女王の娘さん。
ナント、家が「アルハンブラ宮殿」だったんだって!
コレが実家。世界遺産。

50オックスフォードにあるウィンストン・チャーチルの実家も「ブレナム宮殿」という世界遺産だ。
家が世界遺産ってどんなかね?
古さではウチも負けないんだけどね。
そして、スゴイよ…キャサリンは赤ちゃんの時にお母さんに抱かれてコロンブスが新大陸を発見しに行く、その出帆の様子を見ているっていうんだから。
それから6年後にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰を経るインド航路を発見してポルトガルに富をもたらしたんですな。

60こうして当時はスペインとポルトガルがメッチャ力を持っていて世界の一等国だった。
そんなもんだから南米へ乗り込んで行って、現地人を1,500万人も殺して南米大陸を自分たちのモノにした。
だからポルトガル語を使うブラジルを除いて、南米はスペイン語が公用語なのね。言葉を奪ってしまった。
そして、南米には黒人がいるでしょ?
南米の原住民は体力に乏しく、奴隷としてこき使うとすぐに死んでしまうので、頑強な黒人をアフリカ大陸から取り寄せたっていうんだよ。
ヒデエ話だよ。
スペイン人の友達にこの辺りのことを知っているか?と尋ねると、チャンと自分たちの負の遺産を学校で教わるらしい。
以前にも紹介したことが何度かあるけど、興味のある人は岩波文庫からこういう本が出ているので読んでみるとよろしい。

Nkikh で、当時はイギリスはヨーロッパ大陸のハジッコにある三流の島国にすぎなかった。
そこで、ヘンリー七世は自分の子供とスペインのお姫様をくっつけて世界の一等国であるスペインに可愛がってもらおうとしたワケだね。
コレがヘンリー七世。70vキャサリンのお相手はヘンリー八世ではなくて、お兄ちゃんのアーサー王子だった。
アーサー王子は、もう生まれた時からキャサリンと結婚することがキマっちゃってた。
そして、キャサリンが14歳の時に、アーサーに嫁いで来た。
持参金は今の貨幣価値で8億5千万円だってよ。
で、オヤジのヘンリー七世とアーサーはキャサリンがイギリスやって来た日に遠路はるばるロンドンから彼女が宿泊していたドグマーズフィールドというところまで顔を見に行ったそうだ。
昔は写真なんかないからね。
まさに「パンチDEデート」状態。
せいぜい宮廷画家と呼ばれる腕の立つ画家が描く肖像画ぐらいしかなかった。
で、オヤジもセガレもキャサリンがかなりのカワイコちゃんだったので安心した。
当のお2人さんもスゴくいい感じだったらしい。

80vハイ、ココで大脱線します。
コレはおなじみのウエストミンスター宮殿。
BREXITどうすんのよ!メイ首相が退陣案を出して来たね~。
しかし、アレはバカなことをしたもんだよ。
Marshallの経理の女性とメールでやり取りをしていたんだけど、「もう朝から晩までBREXITでウンザリ!」とか言ってた。
イヤ、Marshallだって大変だからね。
ミュージシャンもそう。

90コレはその対岸のようす。
向こうにロンドン・アイが見えるでしょ?
ウエストミンスター橋の東詰。

70そのままテムズ川沿いにチョット行く。
この遊歩道の左側の壁の中は病院なのね。
「St. Thomas' Hospital(セント・トーマス病院)」という。

110v「St. Thomas」と聞くと即座に思い出すのはコレだけど関係ない。

115元々は1215年(古!)にトーマス・ベケットというカンタベリー大司教の名にちなんで、ロンドン橋やバラ・マーケットがあるサザークというところに建てられたが、1871年に現在の場所に移転したイギリスで最も有名な病院なんだそうよ。

0_img_0257何しろナイチンゲールが所属していた病院だからして。
行ったことはないんだけど、「フローレンス・ナイチンゲール博物館」というのが院内にある。
このお方、おっそろしく優秀だったんだってね。
で、この病院のことを調べていて知ったんだけど、よく戦争映画なんかに出て来る200人ぐらい収容できる大型の病室にナース・ステーションが付いた状態の病棟のことを「ナイチンゲール病棟(Nightingale Ward)」というそうだ。
もちろんセント・トーマス病院の一角もナイチンゲール病棟になっている。

116vナンでこの病院を引っ張り出したのかと言うと…。
The Kinksのレイ・デイヴィス(Ray Davies)は子供の頃、このセント・トーマス病院に入院していて、レイが乗った車椅子を看護婦さんが押して、ウォータールー橋に沈む美しい夕日を見せてくれたのだそうだ。
その時の体験が「Waterloo Sunset」になってるらしい。
「毎日部屋の窓から世界を見ていた」
「ウォータールーの夕日さえあればボクはパラダイス」…なんて歌詞からすると「なるほど」と思うね。
「Waterloo Sunset」は「私が選ぶ生涯の名曲ベスト10」に入れる1曲。120cd病院の外壁には「BSE(牛海綿状脳症)」の犠牲者を悼むプラークが取り付けてあった。

130ハイ、ウェストミンスター橋がこんなに遠くなった。
ウエストミンスター橋のひとつ上流に架かっている橋は「ランベス橋(Lambeth Bridge)」。
写真で言うと後方向ね。

100その橋のたもとのすぐそばにあるのがこの「ランベス宮殿(Lambeth Palace)」。
一番古い建物は1435~1440年のモノだそうだ。
カンタベリー大司教がロンドンに来るとココに滞在する。今でもそうなんじゃないかな?

140v辺りには騎馬警官もいたりするよ。
この通りを左に行くとウォータールー駅。
この辺りは19世紀の終わりぐらいまでは滅法治安の悪いエリアだったらしい。

150で、キャサリン一行のスペイン・チームはこのランベス宮殿までやって来て、アーサーの弟、ヘンリー八世に会うんだな。

160アーサー王子とキャサリン姫の結婚式は、かのセント・ポール大聖堂で執り行われた。
ダイアナとチャールズが結婚式をしたところね。
また、映画『メリー・ポピンズ』の中で「Feed the Birds」という必殺の名曲のシーンに出て来るところね。

1742人はリッチモンド宮殿等で仲睦まじく暮らすが、その結婚のたった5か月後にアーサー王子は肺炎で死んでしまう。
アーサーは弟のヘンリーとは異なり生まれつき病弱だった。
昔は医学が発達していなかったので、一旦大病にかかるとすぐに命の危険にさらされた。
衛生状態も極めて悪く、ロンドンの街中でも平気で汚物を窓から放り投げて捨てていたらしい。
そのため伝染病の流行は大きな恐怖で、感染を避けるために王族たちはアチコチに城を作って引っ越して歩いたんだね。
また、「瀉血」といって、何でもかんでも血を出せば病気が治っちゃう…なんて野蛮な治療法が当たり前だった。
最近何かの本で読んだんだけど、昔は男性が尿管結石に罹ると細い棒を竿に突っ込んで、それを外部から叩いて石を割って排出させたらしい。
もちろん麻酔なんてない時代だ。
そんな時代は私はイヤだ。
そうした医療環境の中で命がけの行為のひとつは出産だった。
赤ちゃんを産むことは死と隣り合わせの女性の大業だったのだ。
180
チョットまた脱線して…。
このアーサーたちが一時期暮らした城があったリッチモンドはロンドンの中心から地下鉄ディストリクト線で20分ぐらい西へ行ったところ。
となりの駅が有名な「キュー・ガーデン(Kew Garden)」。
この川が本当にあのウェストミンスターにつながっているのか?とにわかには信じられないほど美しい景色が広がるのよ。

Nkimg_7524天気がこんなで残念。
どうしても晴れの日の写真が撮りたくて別の機会に再訪したんだけど、その時の写真がどうしても見つからん!
ま、景色がいい以外には古い映画館があったりするぐらいのところなんだけど、とても雰囲気のいい町だ。
イヤ、あった…。

Nkimg_74981963年にオープンしてThe Rolling Stonesが初めてギグをし、ハウス・バンドを務めた「Crawdaddy Club(クロウダディ・クラブ)」というライブハウス。
それもそのハズ、このクラブは3年前に亡くなったジョルジョ・ゴメルスキーのお店だった。
「crawdaddy」というのは「ザリガニ」という意味だけど、ストーンズが初期にレパートリーにしていたボ・ディドリーの「Doing the Craw-Daddy」から採ったそうだ。
このクラブの最初のハウスバンドは、ピカデリーにあった前身のクラブからの付き合いで「The Dave Hunt Rhythm & Blues Band」というグループが務めた。
ドラマーはチャーリー・ワッツだった。
そして1963年の1~2月にかけての6週間にわたってそのバンドのギターを務めたのは後にThe Kinksを結成するレイ・ディヴィスだったという。
ロンドンは狭いからね~、こういうおとぎ話のような逸話がゴロゴロしてる。
そして、こんなに小さいクラブにヤードバーズやレッド・ツェッペリンやエルトン・ジョンやロッド・スチュアートが出ていたんだからスゴイ。
ザ・フーの『さらば青春の光(Quadrophenia)』の最初の方にもこのクラブのことが出て来るんじゃなかったっけか?

Nkcrawdaddy さて、異国の地で16歳にして未亡人となったキャサリン。
その後、義理のオヤジのヘンリー七世も肺炎で亡くなるが、今際の際に次男坊のヘンリーと結婚するように言うんだね。
ところが聖書では「兄弟」と再婚することは御法度とされていたので、当時カソリックだったイングランド王家はわざわざローマ教皇に頼んで「ね、いいでしょ?」と許可をもらって次男坊のヘンリーとキャサリンを一緒にさせた←ココ大事です。
何せ、キャサリンがスペインへ帰っちゃったら持参金の8億5千万円を返さなきゃならないからオヤジも必死だよ。
かくしてヘンリー七世を継いで次男坊が「ヘンリー八世」として王位に就き、あんちゃんの元の奥さんを妻に娶った。
ヘンリー八世がランベス宮殿でキャサリンに初めて会ったのは10歳の時のことで、「憧れのお姉さま」と憧憬の念を抱いていたので結婚相手としてはバッチリだった。
ヘンリー八世が17歳、キャサリン23歳…あとは早いとこ世継ぎが出来れば万々歳。

170vところが生まれないんだな…男の子が。
イギリスは「サリカ法」という「男子しか王位継承権を認めない」法律を採用していないので、女性が王位を継いで「女王」となっても大丈夫なのだが当時はまだ前例がなかったし、やっぱ王位は男に継がせたいという強硬な希望がヘンリーにはあった。
「男の子が欲しい」、「王子が欲しい」と切望する2人についに男子が生まれる!…と思ったのもつかの間、生後50日で亡くなってしまう。
「やっぱり聖書に書いてあったことはホントなんだ。兄弟と再婚しちゃイケないんだ」とビビりつつもキャサリンは6回妊娠したのだそうだ。

そして、最終的に成長したのは5回目の妊娠で生まれた女の子、メアリーだけだった。
下がメアリー。
恐いね。すごいストレスなんだよ。
何せ後で付いたアダ名が「ブラッディ・マリー」だもんね。この話はまた別の回で。

190v徳川でもチューダーでも洋の東西を問わず、こういう歴史ものはだいたい「お世継ぎ物語」だからね。
はじめのウチは「まだダイジョブ、ダイジョブ」とやさしかったヘンリー八世も世継ぎが産めないキャサリンにいい顔をしなくなってくる。
しかも年上で、何度も妊娠をしているので老け込み方が激しい。
男なんて勝手なもんで次第にキャサリンが疎ましくなっちゃう。
一方、身長が190cmもあるバイタリティのカタマリのようなヘンリー。
もちろんアッチの方もギンギンだぜ。 
だいたいこの肩幅はどういうことだ、ホルバイン?(ドイツ人宮廷画家、ハンス・ホルバインはそのウチまた出て来ます)200vそこへ現れたのがキャサリン王妃付きの女官アン・ブーリン!
おフランス帰りのソフィスティケイトされた美しいお嬢さまにイチコロだ。
ところが利口なアンはヘンリーの女グセの悪さを聞いて知っていたので、相手が王様とはいえ、そうおいそれと手籠めにされたりはしない。
「アンと結婚したい~!若い奥さんと一緒になって男の子を産ませたい~!」…苦悶するヘンリー八世。
でもローマ教皇かわワザワザ特赦をもらってまで結婚したお兄さんのお嫁さんがいる…そうおいそれと事がうまく運ぶワケがない。
そもそも離婚が認められないカソリックだからね。
そこで、ヘンリー・チームは「離婚」ではなくて、「そもそもキャサリンとの結婚は無効なんですよ。だって兄弟との再婚は聖書で認められていないんじゃん?」と、うすらトボけた作戦にでた。
オイオイ、自分で「兄貴の元の嫁さんと結婚させろ」って言ったの忘れたのか?
さて、2人の将来はいかに?

240v可哀想なのはアラゴンのキャサリン。
もう事実上夫婦ではなくなってしまい、ただの前王子の未亡人となってしまったキャサリンはケンブリッジの方のバックデンという方田舎に追いやられそこで一生を終えた。
でもキャサリン・オブ・アラゴンは民衆の間ではとても人気が高く、ロンドンを離れる時にみんなで無事を祈ったという。

230vもちろんメッチャ端折ってはいるけど、以上が『ヘンリー八世と六人の妻』の1曲目の主人公の物語。
ハイ、ココでもう一回この曲を聴いてみましょう!
 

<Catherine of Arragon>

250どう?
キャサリンの不幸な人生がシンクロした?
リックはジャケットに「このアルバムの曲はヘンリー八世の六人の妻たちのキャラクターを私の音楽的な解釈で表現したものです。それらは必ずしもその歴史と合致しているモノではなく、キーボーズを使って表現した私なりの印象なのです」と謳っているけど、こうして歴史を知っておいて聴いた方が面白いにキマってる。
 
次回はこの6人のお妃の中でも最も波乱に満ちた人生を送り、人気のある2番目の奥さん、アン・ブーリンをやります。
LPで言うとB面の2曲目。
お楽しみに!

200_2

2018年12月 4日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>

 
今回の記事は、<前編>が我ながら納得の出来でスッカリ気を良くしている。
書いていてとても楽しかった。
こうして「うまく書けた!」とスカッとするのは、本編の内容がうまく書けた時はもちろんなんだけど、特に脱線がうまくいった時なんだよね。
そして「脱線がうまくできた!」と合点がいくのは、自然に本題から離れて、行き先の内容に意味があって、何やらタメになって、スムースに本題に戻れた時かな?
タマにコレがあるから止められない。
「誰かのタメになるか」なんてのは知ったこっちゃない。自分が興味を持って、楽しく調べることができる事柄ならなんでもいい。
ナンダカンダでこのMarshall Blogを10年やっているけど、文章を書くのがキライではない私でもサスガにウンザリしてしまうことがあるんですわ。
そういう時はどうするかと言うと…文章を書くに限る。
つまり書きたいことを自由に書いてウサを晴らす。
読まされる方はタマったもんじゃないでしょうけど、コレが最良のカタルシスなんですな。
だから脱線は許してね。
ところで、この「カタルシス」という言葉は「瀉血(しゃけつ)」を意味するんですってね。
瀉血というのは、中世ヨーロッパで流行した病気の万能治療法のひとつ。
とにかく血をジャンジャン流して、血液と一緒に病気の悪い成分を体内から放出しちゃおうぜ!…という、原始的かつ乱暴極まりない治療法のこと。
この施術を受けて出血多量で死んでしまった患者も少なくなかったとか…。
そりゃそうでしょう!
ハラ痛でトイレに駆け込むじゃあるまいし、「出せばいい」というもんじゃない。
瀉血については下の『代替医療のトリック』という本に詳しい。
この本、以前CODEの時に紹介した『暗号解読』というヤケクソに面白い本を書いたサイモン・シンというイギリス人が共著していたので買って読んでみた。
でも途中で挫折した。
読んでいるうちにムズかしくなってきてイヤになっちゃったの。
Ss_2昔はどんな本でも一旦読みだしたら、どんなに難しくても、内容がわからなくても、辛抱強く最後まで読んだものだけど、今はそんなことはしない。
読んでいてイヤになったら、なんのためらいもなくスパっと止めて他の本にとりかかる。
自分のプラスになるところまで読んで、マイナスになる部分は切り捨てた…と考えて潔く諦めちゃう。
内容の難度だけでなく、文章のリズムが気に喰わないとか、言葉遣いが性に合わないとか、字が小さいのに耐えられないとか、何でもいい。
イヤならサッサと止める。
もう人生の残された時間に余裕がないからね。
自分が買った本ぐらいは好きなように読ませて頂くさ。
しかし本というのは、思い浮かんだ本がいつでも即座に取り出せるようにしておかないと意味がないね。
1回で読んだ内容をすべて頭の中に入れることができるのであれば問題ないけど、そんなことは不可能にキマってる。
だから、調べごとをする時にかつて読んだ本の中から情報を引っ張り出さなければならないワケなんだけど、本を段ボールなんかに入れてしまい込んだりしたらもうダメね。
調べるのがイヤになっちゃう。
よく学者先生が書斎にドバーっと本を並べているでしょう?
アレは蔵書を自慢しているワケではなくて、ああしておいてお目当ての本がいつでも取り出せるようにしておかないと仕事にならないんだよね。
それじゃ、検索に便利であろう電子書籍を活用したらどうか?という意見も出てくるだろう。
ダメダメ。
本はどんなことがあっても紙で読むものです。
そんなコンピューターのディスプレイで文字を追ったところで内容が頭に入らないのよ…少なくとも私のようなジジイは。
紙とインクのニオイを味わいながら、指先でページを繰る作業をすることによって情報が頭に刻み込まれる。
…てな具合に好きなことを書いて気分を開放するというワケ。
でも今回はチョットやりすぎたわ!
 
それではハマースミスの<後編>を始めますよ~! 
<前編>の最後に記した通り、<後編>は川からスタート。
 
この川…ナニ川だと思う?
もう一度書きますが、このハマースミスはロンドンの中心から地下鉄でたった20分ぐらい西へ来たところだからね。
それでこの景色。決して千曲川や犀川ではない。
この川は…
440この川の上流。
あるいは…

450この川の上流なのだ!
つまりテムズ川。

460まぁ、東京でも神田川や荒川をチョットさかのぼれば「え、コレが?」なんてことがあるけど、この差はスゴイ。
言っておきますが、下の写真にあるような船は漁船ではありませんからね。
イギリス全土に張り巡らされた水路(canal)を行き交うための船、つまり「ナロウ・ボート(Narrow Boat:細い船)」というヤツ。
下の写真の船はわからないけど、イギリスにはこのナロウ・ボートで生活している人がたくさんいる。
ヴァージン・グループの創設者、リチャード・ブランソンもヴァージン・レコードのマイク・オールドフィールドでひと山当てる前はナロウ・ボートで暮らしていたことがあったと自伝に書いてあった。490vそれでも川岸の景色は日本と全く雰囲気が違ってとてもステキなの。

470このTHE DOVEというパブは17世紀からココにあったという。
看板にあるように<前編>で紹介したビール会社のFuller'sが1792年にそれを買い取ったのだそうだ。
ロンドンにはこうしたパブがゴロゴロしているので、これぐらいでビックリしていては身体がもたないが、ココはFuller'sのお膝元ということで感心しておいてよいのかもしれない。
ちなみに1792年はロシアからアダム・ラクスマンが通商の交渉に日本にやって来た年。
アダムのお父さん、キリルはいつかやった大黒屋光太夫の面倒をみてくれた人。
アダムは1792年より前に光太夫が日本に帰って来る時にも来日している。

480写真の奥が下流。
向こうに立派な橋が見える。

500その橋のすぐ近くの川岸にはこれまたステキなパブが軒を連ねている。

510v下は「The Rutland Arms」というお店。
また「arms」。
「Rutland(ラトランド)」というのは、イギリスの中東部にある本土で最も小さい群の名前。
このパブは実際にそこから名づけられ、1849年頃にオープンした。
1849年は日本では嘉永2年…ペリーが黒船でやって来る4年前だぜ。
2階がはホテルになっているそうだ。
見た目も雰囲気もいいんだけど、ココもやっぱり運営母体は「FTSE 250 Index」というロンドン証券取引所の株価指数の算出対象となっている「Greene King」という大企業で、さらに調べてみると、このGreene Kingはサフォークに拠点を置くイギリス最大のパブ屋ということだ。
…とかいうと、金にあかして地元のパブを片っ端から買収する成り上がりの悪徳企業のようなイメージが付きまとうが、このGreene King、設立は1799年!
由緒あるパブ屋なのだ。
エエイ、またやっちゃえ。
大英博物館の展示品の目玉のひとつに「ロゼッタ・ストーン」ってあるでしょ?
あのヒエログラフとかいう。
アレが発見されたのって1799年なんだって!
つまり200年以上前に人様のところから持ち出したものを大事に保管して、ああして博物館に展示しているワケよ。
すごくない?
エジプトが自分のところから持ち出されたそうした貴重な文化遺産を返してくれ!とイギリスに頼んだら「ナニ言っちゃってんの?我々が持ち出したからこうして現在もキチンとした形で残ってるんじゃないの~。アンタらに任せておいたら全部オジャンだよ、オジャン!」と返還をキッパリ断ったとかいう話があるけど、パブひとつ取っても、コレはイギリスが正しいと思わざるを得ない。
520vそしてこのお店、Fuller's のお膝元にあって、あの赤い「Fuller's」や「London Pride」のロゴがついていない。
それもそのはず、このGreene Kingというのはパブ屋というわけでなく、普通のパブでよく見かける「Abbot Ale」とか「Old Golden Hen」を作っている大ブリュワリーなのだ。
コレは冗談なのかもしれないけど、このAbbot Ale、階級社会のイギリスの労働者階級において、「ビターを飲むヤツが上、マイルドを飲むヤツが中、アボット・エールを飲むヤツが下」…とか言われるそうである。
アボット・エールだけ名指し。
このエールはアルコール度数が強く、「ただ飲んで酔っちゃおう」という類のモノとされているようだ。
ま、おいしければ何でもいいんだけど、こうした裏パブ事情を知っていると「パブめぐり」をする時に楽しさが増すだろう。
パブめぐりはトイレに行く回数も盛大に増すけどね。
トイレに行くために次のパブに入って、またトイレに行くために次のパブへ…キドニーがフル回転である。

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下の写真の中の右手の白と青のパブは「Blue Anchor」。
このお店の開業はさらにさかのぼって1722年!
さすがにコレはロンドンでも最も古いパブのウチに入るらしい。
日本で言えば享保年間。
紀伊徳川家から偶発的に8代目の将軍の座についた吉宗が「贅沢はダメよ」と享保の改革に勤しんでいた頃だからいい加減古い。
財政を少しでも切り詰めるために、将軍になった吉宗が大奥の美女50人を集めてヒマを出したって話知ってる?
「お前たちは器量が良いのでどこへ行っても困ることはなかろう」…というワケ。
立派である…しかし、残された方もあんまりいい気分はしなかっただろうな。
吉宗はかなりの「デカ耳」だったらしい。
さてこのBlue Anchor、「惑星」で有名なグスタフ・ホルストがよく来ていたのだそうだ。
ホルストはこの辺の住民だったのかな?
というのもホルストは「Hammersmith」という作品を残している…聴いてみたけど、それほど面白くはなかった。
イギリスの作曲家というと、エルガー、ブリテン、ホルストぐらいしか名前が浮かばないな。
ロンドンのジミ・ヘンドリックスのフラットの隣に住んでいたヘンデルはドイツ人だし(当然時代はゼンゼン違うよ!)。
で、ホルストって完全に「惑星」ぐらいしか知られていないでしょう。それだって「火星」と「木星」以外の曲を最初っから最後まで歌える人なんてほとんどいないのではないかしら?
ところがこのホルストってものスゴイ数の歌曲を作っているんだよね。
それに「Hammersmith」の他に「St.Paul's Suite」なんて曲もあるし、「惑星」の創作活動を一時中断して、日本の民謡を取り入れた「Japanese Suite」なんていうバレエ組曲もあるのよ。
コレはね、なかなかにいい曲だよ。
「Dance under the Cherry Tree」という曲では「ねんねんころりよ」のメロディがそのまんま出て来る。
この他にも日本の民謡のメロディがふんだんに盛り込まれているんだけど、この辺りのメロディは作曲を依頼した伊藤道郎という日本舞踊家が、実際にホルストに歌って聴かせ、ホルストが耳コピして採譜したのだそうだ。
この伊藤道郎という人がスゴい人で、お父さんが伊藤為吉という三重の松阪出身の建築家で幸田露伴のご学友。そして、銀座4丁目の服部時計店のビルを設計した人。
1886年にサンフランシスコに留学し、帰国後、日本で最初のドライクリーニング店を開いたとされる。
ココのウチの家系がまたスゴイ。
長女は古荘幹郎という陸軍大将に嫁ぎ、長男は上に出て来た世界的舞踏家の道郎。道郎の奥さんがアメリカ人のヘイゼルという人で、その間に生まれたのがトワエモアで有名な「誰もいない海」を歌ったジェリー伊藤。資生堂の初代男性モデルを務めた人…ハーフだからね。
で、ココから伊藤家の親戚関係を書こうかと思ったけど、それだけで1本終わっちゃいそうなのでココで止める。
ひとつ言えることは、良家は良家とのみ交わり、金は金を呼ぶ、ということだね。
トランプの大富豪(大貧民)って、ゲームの初めに大富豪は一番弱いカードを選び、大貧民は一番強いカードを選んで互いに交換するでしょ?
アレに似ているような感覚がある。
今、世の中にゾウだかサイだかで大儲けしたようなIT長者がゴロゴロしているけど、こういう伊藤家とかヨーコ・オノの小野家とか、同じ金持ちでもゼンゼン違うんだよね…。
家柄と血だけはどんなに金を積んだところで手に入らない…と毒づいてみたところで我が家の財政は改善されんわな。

530vただひとつ解せないのが「ドライクリーニング」のこと。
日本で最初にドライクリーニングを始めたのは、五十嵐健治という人で、白洋舎を創設した人…と聞いていた。
でも、この伊藤為吉の来歴には必ず「日本で最初にドライクリーニングを始めた人」とある。
そこで、まだ読んでいない本を引き合いに出すののもナンだが、『夕あり 朝あり』という三浦綾子が著した五十嵐さんの自伝。
大分前に買ったんだけど、コレで読む楽しみが増えた。
松阪出身の伊藤為吉と同じ松阪が発祥の三越。五十嵐さんは三越の従業員。そして、2人とも敬虔なクリスチャン(三浦綾子も)。
この辺りでつながっているんだろうな。
何かわかったらまた報告します。

90r4a3291_2パブに戻る。
こうした古いパブには大抵店の外に沿革が記してある。
あんまり大したことは書いていなくて、「ウチはメッチャ古いんよ!」とか「ダレダレが常連だった」ってなことばっかりなのが普通。
しかし、日本では考えられないもんね。
こんなのを引っ付けてる居酒屋なんて見たことない。
せいぜい「当店は『美味しかったより楽しかった!』をモットーにしています」なんてのが関の山だろう。

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ね?映画を観た人ならピンと来るでしょう?
この辺りが映画『ボヘミアン・ラプソディ』の最初の方、Queenがマネージメント契約をするための打ち合わせをするシーンで出てきた場所。

540あのシーンで背景にこの橋が見えたのですぐにわかった。

550というのも、この橋がすごくカッコよくて、その姿が頭にこびりついていたからだ。
この緑の橋はその名も「Hammersmith Bridge」。
朝の通勤ラッシュ時間だったこともあるけど、見ての通りの凄まじい交通量。560v橋の入り口には「橋弱し」としてm g w7.5tと車両の重量規制を設けている。
「m g w」は「Maximum Gross Weight」の略。

570vテムズ川に架かる初めてのつり橋として、初代のHammersmith Bridgeは1827年に有料で開通したが、増加する交通量の荷重に耐えきれなくなり、仮設の橋を経て1887年に現在の橋に架け替えられた。

580_2橋とは思えない素晴らしく荘厳なつくり。
この橋も<前編>で紹介したThe Mawson's Armsと同じく「Gread II」の建造物で、当局の許可なくして壊したり、改造したりすることは固く禁止されている。
この金と緑の色合いがいいんだよね~。

590照明装置もカッコいい。
昔はガスだったんだろうな。

600vハマースミス駅へ歩いて向かう通勤する人たちも多い。
1919年の12月、チャールズ・キャンベル・ウッドという空軍の中尉が溺れる女性を助けるために橋から飛び込んだ。
12月のロンドンですよ!
ウッド中尉は女性を助けたものの、ケガを負ってしまい、それが原因で破傷風を罹患して亡くなってしまった。
そのウッド中尉の勇気を称えるプラークが手すりについているのだそうだ。
見て来ればヨカッタ。

610見て!このメイン・ケーブル!

615vケーブルと言っても鋼鉄の板が9枚束ねてある。620メイン・ケーブルの中央部。
左右から伸びて降りてきたメインケーブルを連結させている。
この部分がどういう風に働くのかは知らないけど、とりあえずカッコいい!
630ハマースミス橋は1939年、IRA(アイルランド解放軍)の破壊工作にあっている。
モーリス・チャイルズという美容師が夜中の1時に帰宅するために橋を歩いていると、歩道に煙と火花を出しているスーツケースを発見した。
チャイルズは、そのスーツケースを開けて中に爆弾が入っていることを確認するとそのケースを川に投げ捨てた。
川面からは18mもの水柱が立ったという。
その直後、橋の西側で橋ゲタを破壊するためのもうひとつの爆弾が炸裂し、近隣の家の窓が大いに震えたという。
後にチャイルズはこの時の咄嗟の行動が橋を救ったとしてMBE勲章を叙勲した。
MBE(Members of British Empire)はビートルズがもらった勲章ね。
時代は下って1996年、IRAが南側の土手にプラスチック爆弾を仕掛けた。爆弾は作動したが着火せず不発に終わった。
さらに2000年にもIRAが破壊工作を行ったそうだ。
かわいそうなハマちゃん…イジめられやすい橋なのね。

640v映画『ボヘミアン・ラプソディ』のロケ地を紹介したということで、薄いながらも強引に「ロック名所」にしておいて…と、通勤客よろしくハマースミス駅へ戻る。
ココから徒歩1分ぐらいのところにかつて「Hammersmith Palais」というライブハウスがあった。

1img_0086The Clashが伝説的なコンサートを開いたとか…。
しかし、2007年に閉店。
The Clashはココで開かれたレゲエのオールナイト・コンサートのことを歌った「(White Man)In Hammersmith Palais」というシングルをリリースしている…んだってね。
ゴメンね、ゼンゼン知らなくて。パンクは全くの門外漢なもんスから。
でもチョット調べて見ると、面白い歌詞だね。コレ、40年前か!
「音楽」としてとらえた時、私はパンクに与しないけど、こういうミュージシャンが今こそ出て来るべきだと思うんだけど…。
昔と違って、今はデジタル・テクノロジーを通じてレコード会社に頼らないで制作から宣伝、販売まで様々な好きなことができるようになったにもかかわらず「ありがとロック」が主流になってしまったことは皮肉以外のナニモノでもない。
やっぱりテクノロジーの進歩は人間を幼稚にすることは間違いない。

White_2コレは<前編>で紹介したハマースミスのメインストリート(イギリスでは「ハイ・ストリート」という)、キングス・ストリート。
駅を背にしてこの道に入る時に横切る道路の左を見る…。

1img_0085こういう景色。
今、突き当りに見えているのがロック・ファンの間に知らぬ者はいないであろう、「ハマースミス・オデオン」。
今はHMV Hammersmith Apollo…と思っていたら、また名前が変わったのか!
現在の名前は「Eventim Apollo」というのだそうだ。
でも、「CCレモンホール」ではなくて我々にはずっと「渋谷公会堂」だったように、やっぱり心の中では「ハマースミス・オデオン」でしょう。
以下、話の通りをよくするために「ハマースミス・オデオン」の呼称で統一して記事を書き進めるよ。

1img_0084ハマースミス・オデオンは数あるイギリスの古い劇場にあって、キャパが3,632席、スタンディングで5,039名と最も大きな部類に入り、オリジナルの形をよく保存している稀有な施設なのだそうだ。
このスタンディングの39名をどうやって割り出したのかが気になるな…ま、客席エリアの面積を立った時の人ひとり当たりの専有面積で割っただけか?
まさか、実際に人を5,000人以上連れて来て客席に詰め込んでみたワケではあるまい。
「ダメです!5,040人はどうやっても入りません!」
「チッ!しゃーねーな~。じゃスタンディングのキャパはハンパだけど5,039人にしとくか」みたいな?
650オープンしたは1932年。
キルバーンの回で紹介した「Gaumont State Cinema」と同じ、フランスの映画興行会社Gaumont(ゴーモン)が「Gaumont Palace Cinema」としてスタートした。
1932年…またやってみると、日本では五一五事件で犬養首相が暗殺された年。
細かい話だけど、総武線が両国から御茶の水まで延伸して、中央線に乗り入れたのがこの年だって。
総武線っていうのは両国が起点だったからね。
私が子供の頃は房総方面の急行や特急は両国が始発駅だった。
なんか、イギリスの時間に合わせていると、日本では「享保」とか「嘉永」とか、ゼンゼン時間の感覚が合わないんだけど、コレぐらいになるともう「最近」だね。
ハマースミス・オデオンなんて新しい、新しい!
だって1932年というのは「昭和7年」だもん。
イヤ、そんなことないわ!3年前に死んだウチの父の生まれる1年前だもん。

180v_2コケラ落としはイギリスのコメディ映画「A Night Like This (1932年)」と「Bad Company」という1931年のアメリカ映画。
この辺りはさすがにわからないな。
そうか…「Bad Company」という名前はポール・ロジャースやらミック・ラルフスが考えたバンド名かと思っていたら同名の映画があったのか…。
偶然かな?
イヤ、調べてみるとそれどころじゃない!「Bad Company」という映画はザっと見積もって古今で15本近くあるじゃんけ!
知らなかった。
 
ハマースミス・オデオンの建物を設計したのはロバート・クロミーという人。
この人は『Let It Be』のところで出て来たピカデリー・サーカスにほど近いPrice Wales Theatreを設計した人。

6a0163044657d3970d017d3cbb61fb97_2やっぱり今回はいい機会なので、ハマースミス・オデオンの名前がどういう風に変わって来たのか調べてみよう。
まず、最初は…
1932~1962年までGaumont Palace 。
1962~1992年までの30年間がHammersmith Odeon…やっぱりコレでしょうな。
1992~1996年がLabatt's Apollo。Labattというのはカナダのビール会社。
1996~2002年がHammersmith Apollo。
2002~2006年がCarling Apollo Hammersmith。Carlingもカナダのビール会社。
2006~2009年は、またHammersmith Apolloに戻る。
2009~2012年はHMV Hammersmith Apollo。この記事に出ている写真はこの時期とひとつ前の時期に撮られたもの。
2013年に改装工事が入って、その後は現在に至るまでEventim Apolloとして営業している。
 
このEventimというのはドイツのブレーメンが本拠地のヨーロッパ最大のチケット販売会社。
またドイツ!…というのは、イギリスは由緒あるスーパーマーケットなんかもドイツ資本の「ALDI」や「LiDL」ってのに軒並み席巻されていて、ウチの社長も「みんなドイツにやられちゃう」なんて言ってた。
しかし、コレはナニかね?
スポンサーがつかない時は「Hammersmith Apollo」に戻るってことなのかね?
 
ハマースミス・オデオンを横から見たところ。
この建物もGrade IIに指定されている。

66060年代にはルイ・アームストロング、エラ、エリントン、ベイシー、ウディ・ハーマン等、アメリカのジャズの大スターがこぞってステージに上がった。
ビートルズは1964の終盤から1965年の初めにかけて21夜の公演を通じて38回出演している。エルキー・ブルックスや、エリック・クラプトンを擁したThe Yardbirdsがゲストで登場したこともあったそうだ。
エルキー・ブルックスはイギリスのジャニス?Vinegar Joeのシンガー。
メッチャかっこいいよね。
私はかつてMarshallのデモンストレーターを務めていたジェフ・ホワイトホーンがエルキーのサポートを長年やっていることでその存在を知った。
ムムム!コレはスゴイ…1972年の10月28日にはガレスピー、モンク、ブレイキー、スティット、カイ・ウィンディング、アル・マッキボンだってよ!
日本人で出演したことのあるバンドって知ってる?
そう、1980年のYMOと1986年の我らがLOUDNESS!
アニメも何にもない時代、音楽だけでイギリスに乗り込んだんだからスゴイ。
今ではイギリス人も世代が代わってすっかりヤキが回っちゃったけど、「ビートルズを生んだ国イギリス」の人は自分の国とアメリカのロックしか聴かなかったんだから!
一番町のイギリス大使館に勤めている私の知人の女性はちょうどこの頃イギリスに滞在していて、ハマースミス・オデオンのLOUDNESSを観たそうだ。
音がバカでかくてメッチャかっこよかった!と言っていた。観たかったな~。
コレが入り口ね。670オールド・ファンならコレはご存知でしょう?
The Whoの『四重人格(Quadrophenia)』のブックレット。
上の写真のと同じ場所。
コレはかなり高いところから撮ってるね。