Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

イギリス‐ロック名所めぐり Feed

2020年10月13日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.55~変わりゆくロンドン <その7:最終回>絶滅に瀕するロック名所

 
デンマーク・ストリートのことをイザ本格的に調べ始めたらやたらとオモシロくなっちゃって、予想をはるかに上回る長編になってしまった。
「ロンドンもドンドン変わっていくな~」と約20年にわたる定点観測の結果をテーマに据えたが内容がボケてしまった感もあるけど、ま、それも仕方がない。
わかる人、あるいは興味のある人には結構お楽しみ頂けたことと信じている。
そして、今日は「変わりゆくロンドン」の最終回。
 
昨年ロンドンに行った時、長きにわたってMarshall Blogで案内してきたチョットした「ロック名所」も次々と姿を消して行きそうなヤバイ雰囲気を感じましてね。
最終回はそんな絶滅の危機に瀕しているかもしれない「名所」をチェックしてみたいと思う。
同時に「名所」に限らず、一般的な街の変化についても感じたことを書き記しておきたい。
 
例えばこの風景。
コレは5年前にタワー・ブリッジの上の渡り廊下から撮った写真。
右下のお城みたいな建物は有名な「Tower of London(ロンドン塔)」。
ゴメンなさいね…「ロンドン塔」はリック・ウェイクマンの『ヘンリー八世と六人の妻』で詳しくやろうと思っていたんだけど、なかなか筆が進まん!
そのウチに再開するつもり。
で、この風景。
東京に比べれば笑っちゃうぐらい高層ビルが少ないけど、私が初めてロンドンに来た時にはこんな建物はほとんどなかった。
10撮影した場所は違うけど、去年のようすがコレ。
ジャンジャン高層ビルが増えて景観を壊し続けている。
東京みたいになるな!
でも、ロンドンは何百年経っても東京ほど殺風景には決してならないでしょう。
それは街中の緑の量が圧倒的に違うから。
220ロンドンの「忠犬ハチ公」、ピカデリー・サーカスの「エロスの像」。
ここは変わっていない感じがするけど、昔はこの像の後ろ側は車が走っていたような気がする。
イードゥンのベーシスト、おひとり様写っています。

20「ハチ公」といえば…Marshall?!
「V犬ハチ公」だって。
田川ヒロアキさんが送ってくれた写真。
渋谷の109に飾ってあるそうな。
S8kさっきの反対側から見たようす。
「TDK」に「SANYO」…私の中ではコレがピカデリー・サーカスのデフォルトの光景。

30SANYOは1984年、TDKは1990年からこの場所に広告を出し始めた。
かつては、パナソニック、富士フィルム、キャノンなんかも掲出していたとか。
ところがSANYOは2011年に、そしてTDKは2015年にそれぞれ撤退してしまった。
ま、SANYOは会社モロともなくなっちゃったんだから仕方ない。
TDKはカセット・テープの需要がなくなり、もはや一般大衆に向けて看板を掲出する意味がなくなったので撤退を決めたのだとか。Srimg0214TDKはカセット・テープ以外にフロッピー・ディスクも作っていたけど、最近フロッピーなんて見たことないもんね。
昔はワープロひとつ立ち上げるのに何枚もパソコンに突っ込んで読み込ませていたものだったけどね~。
そういえば、今は「ワープロ」なんて言葉も聞かなくなった。
「モノ」がなくなったから「言葉」がなくなったんだよ。
英語圏の人たちは日常の生活で20,000語を使っているといわれている。
多分、この数はドンドン増えているでしょう。
一方、日本人は50,000語使っているといわれていたが、コレはかなり減っていると思う。
そもそもこの5万語の中には擬態語とか擬音語も含まれているので、そうした表現が豊富な日本はどうしても語彙数が増えてしまう。
スゴイと思わない?…お年寄りのことを「ヨボヨボ」と表現するなんて…英語で言えないよ。
歩く表現ひとつ取っても「テクテク」、「スタスタ」、「ぴょこぴょこ」、「トコトコ」、きっとまだあるでしょう。
雨や雪や風の表現とかね。
本当に日本語は素晴らしい言葉なんだよ。
でも、そうした言葉は日常的に使われているので無くなる心配はない。
圧倒的にヤバイのは名詞。
例えば生地や和装のスタイルの名前。
色の名前なんか悲惨だよ。
落語を聞いていると、登場人物が身に着けている服装をすごく詳しく描写するでしょ?
もちろんアレは情景を描くためなんだけど、それだけではなくて、着ているものを詳しく描写することによって、着ている人の身分や家柄や性格を説明しているんだね。
素晴らしい芸当だと思う。
だからコレがわからないと本当に噺をわかったことにはならない。
 
日本人は衣食住からたくさんの「和」のアイテムを切り捨ててしまったため、膨大な数の語彙を失っていることに気付くべきだ。
着物の色を表現するのに、信じられないぐらいたくさんの言葉があるのね。
それらがゴッソリなくなってしまった。

40コレは2012年の同じ場所の夜景。Simg_7974夜でもこうした大道芸人が出て来てたくさんの人だかりができる。
コレ、渋谷のスクランブル交差点か、浅草の雷門の前みたいなもんだからね。
こんなの日本じゃ絶対に許されない。Simg_7967そして、例の広告はSANYOが撤退してTDKだけになった。
SANYOが広告を出していた場所に韓国の「HYUNDAI」が入り込んだ。
 
写真の右半分を見て。
街並みがすごく暗いでしょう?
コレってまだ宵の口ですからね。
Simg_7847コレは2015年。
とうとうTDKも撤退してしまった後。
「HYUNDAI」だけでなく、左には「SAMSUNG」のロゴも登場し出した。50そして、2019年のようす。
HYUNDAIがコカ・コーラを押しのけて最上階に移動して、横のSAMSUNGのスペースが大きくなった。

数年前にファンキー末吉さんがご自身のブログに記していたことを思いだす。
ご存じのようにファンキーさんはドラムスの普及活動で長きにわたって日本と中国との間を行き来している…というより、もう中国人にお成りになられたと言っても過言ではないぐらい中国に入り込んでいらっしゃる。
今はカンボジアに滞在してクメール語を熱心に学んでいらっしゃるようだ。
相変わらずのスゴいチャレンジ精神だ。
英語圏の人たちが日本語を学ぶように、アルファベットも漢字も使用しない言語をゼロから習得するのは並大抵のことではないであろう。
さて、ファンキーさんがブログでおっしゃっていたのは「かつては中国のどこへ行っても『日本人、日本人』と親切にしてくれたが、最近は全くそういう傾向が見られなくなった。その原因は『経済』である。かつて繁栄を極めた日本の経済が斜陽化し、国際経済力が鈍った途端、誰も日本人に興味を示さなくなり、態度が冷たくなった」
正確ではないが、大意に誤謬はないであろう。
私はこういうことこそ、つまりファンキーさんが肌や空気でお感じになったことこそが日本の「景気」や「世界の中の日本の地位」を正確に示しているのではないかと考えるのだ。
もちろんピカデリー・サーカスから日本企業の広告が消え失せたからといって現地の人にイジめられるなどということは全くないが、これらの韓国企業の広告を見るたびにこのファンキーさんのブログを思い出すのだ。60このリージェント・ストリートに沿って思いっきり湾曲しているビルね、何ていう名前だか知らないけど、初めて見たときは感動したナァ。
「ヨーロッパに来た~!」って感じ。

70夕方になるとこんな感じ。
何やらゴージャスな雰囲気でしょ?

Simg_7972もっと暗くなるとこんな感じ。
照明が当たっている部分は明るいけど、街全体が暗いと思わない?

Simg_7849_2チョット脱線。
ロンドンの街って街灯が少なくて、夜間の明かりといえば建物に当てた照明がメイン。

Img_7807ココはレスター・スクエア。

Img_7848銀座4丁目とか、新宿歌舞伎町とかいう一番の繁華街でコレだからね。
ネオンサインがないの。

Img_7812どこでも明るい東京の夜とは大違い。
マンハッタンだってあんなにネオンがギランギランなのはせいぜいタイムズ・スクエアぐらいなものだ。
東京は異常だよ。
アレで電力不足がどうのなんて…狂っているとしか言いようがない。

Img_7822さて、コチラはかなり前の写真。
1階のウインドウを見て…黄色い看板が出てるでしょう?
コレ、TOWER RECORDSの看板なの。
こんな街のど真ん中にまだレコード屋があったんですよ。

80『上流社会』、『回転木馬』、『アニーよ銃をとれ』…見たことがなかった廉価版のCDがあったのでこのTOWER RECORDSで買ってみた。
この頃はまだオックスフォードストリートにVirgin Mega StoreやHMVがあった。
当時日本では売っていなかった『This is Spinal Tap』をVirginで手に入れてうれしかったのを覚えている。
バーウィック・ストリートに行けば今でもまだ少し小さいレコード屋が残っているけど、大きい店は絶滅した。
変わりゆくな~。
90ちょっとコロナがらみで変わってしまったことを…。
もう1回ピカデリー・サーカスに戻りますよ。
 
SANYOとTDKの看板のビルと向かいのロンドン・パヴィリオンの間を走る道が「シャフツベリー・アヴェニュー」。
「street」、「road」、「avenue」、「boulevard」、「lane」、「alley」、「path」、「crescent」…全部「道路」関係のtン後。
も~、ホントにややこしいよね。
イギリスでは「avenue」ってのを見ないナァ。
パッと思いつくのはこの「Shuftesbury avenue」ぐらいか?
Simg_0225ロンドンで「boulevard」ってのは見たことがない。
でも、Marshallの本社があるミルトン・キーンズの駅前にいくつかあるのを知ってる。Simg_0615このまっすぐに伸びた広い通りの名前を「Midsummer Boulevard(ミッドサマー・ブールヴァード)」という。
青春映画のタイトルみたいでしょう?
やっぱりブールヴァードはロサンゼルスだよね。
ミルトン・キーンズは1960年代に人工的に作られたイギリスで一番新しい町(city)なのでアメリカのマネをしたのだろうか?(元々は「ミルトン・キーンズ村」だった)
そういうことは厳に慎んで頂きたいものである。Simg_0614 イギリスの「ブロードウェイ」、シャフツベリー・アヴェニュー。
たくさんの劇場が立ち並び、演劇やミュージカルで夜毎華やかな賑わいを見せるエリア。
この標識にあるように「Theatreland(シアターランド)」というニックネームが付けられている。
そんな世界に冠たる劇場街もブロードウェイ同様、年末までの公演をすべてキャンセルした。
100Marshall Recordsのヘッドで生粋のロンドンっ子のタネさんがロックダウンの時、電話で「シャフツベリーに誰もいない!」とショックを受けていたのがすごく印象に残っている。
こんな感じだったのであろうか?
コレはただ朝早いから(…といっても9時半ぐらい)人がいないだけなんだけどね。
イギリスでは約3割のミュージシャンが、もうこんな状況に凝りて職業を変えようとしているとか…。
ロンドンはロック・コンサートだけでなく、ミュージカル、芝居、バレエ、オペラを含むクラシック音楽等々…東京なんか足元にも及ばない程ショウビジネスが盛んで、それだけそうした現場で働くミュージシャンを抱えているワケ。
何せそうしたエンターテイメントがほぼ365日、ほぼ毎日上演されているんだからスゴイ。
今、それがいとも簡単にスッポ~ンとなくなっちゃったんだから大ゴトなワケよ。
コワいよね。
グレードを選びさえしなければそれだけチャンスがある反面、こうしたことが起こった時の競争も世界一なんだから。
 
…と思っていたら、2、3日前にブロードウェイは来年の5月末まで閉鎖するというニュースを目にした。
本当に大変なことになった。
尚、悪い状況が続くイギリスだからして、ウエスト・エンドも同じようなことになる可能性が非常に高いだろう。

110コヴェント・ガーデンにほど近い「St. Martin's Theatre(セント・マーティンズ劇場)」。

190ココではアガサ・クリスティ原作の『The Mousetrap(ねずみとり)』という芝居がかかっていた。
1952年から!
私は観たことないんだけど、オフブロードウェイの『Fantastics!』も有名だよね。
あっちは1960年に始まって2002年まで続いた。
確か定休日以外に上演を休んだのは、ケネディ大統領が暗殺された時と、ニューヨークの大停電の時、それと多分、同時多発テロの時だけ…みたいなタフなミュージカルだった。
でも『Mousetrap』は期間で言えば『Fantastics!』を寄せ付けない実績があった。
何せ68年間だからね。
200ところが!
その公演も今年止まってしまった。
コレもコロナにより大きな変化と言えるのはなかろうか?

210それと、チャーチル。
こっちはコロナではなくて、アメリカから端を発した人種差別排斥運動。
この国会議事堂のそばに立っている象がブッ壊されてしまうかもしれないからナニかで覆って保護しよう…という動きがあった。
結局、対応したのかどうかは知らないけど、マァ、ナント短絡的なことよ。
リバプールの「ペニー・レーン」の話もそう。
今更ナンダ?と
私はイギリスが大好きだけど、過去にナニをしでかしたかの勉強をなるべくするようにしている。
要するに大英帝国の悪事を。
産業革命が後押しした大西洋の「奴隷」とアジアの「麻薬」を主商品とした2つの三角貿易、中東の三枚舌外交、原子爆弾の開発、最近ではBREXIT、現在も続いている世界の紛争のほとんどの火種がイギリス・スタートだもんね。
それでいてアータ、イギリスへ行った人ならわかると思うけど、世界中荒らし回ったクセに自分の国の中は緑だらけであんなに美しくしちゃって…。
色々な問題はあるにしても、今のイギリスの人たちはその恩恵を受けて豊かな生活をしているワケでしょう。
奴隷貿易によって得た富が「美田」とはとても言い難いけど、ブリストルのエドワード・コルストンという17世紀の奴隷商人の銅像を破壊したりするような手の平を返したような態度もやりすぎではないか…と思うワケ。
でも、コレが連中の正義の表し方なんだろうな…日本人だったらどうしていただろう。

230vチャーチルついでに…。
コレはウインストン・チャーチルの生家、オックスフォード郊外のウッドストックというところにある「ブレナム宮殿」。
実家が「宮殿」で「世界遺産」ってどんなよ。
広大な庭園ではロック・フェスティバルが開催されるという。
でもね、駅からかなり遠いよ。
オックスフォード駅までバスで小一時間。
近くにコンビニもありません。
トイレの水が詰まってもすぐにはクラシアンが来てくれないようなところ。
もっとも公道からトイレまで歩けば何十分もかかるし。
不便なところだ。240そのブレナム宮殿で2015年に開催された『Grand Prix Ball』というイベントに出展したMarshall。
デッカ~!
仲良しのスティーヴ・ヒルが製作した。Gpb イヤイヤ、書きたかったのはデカいMarshallのことではない。
チャーチルのこと。
ご存じの通り、サー・ウインストン・チャーチルは「Never give in!(負けるもんか!)」のスローガンの下、名演説でイギリス国民を結束し、頭脳的な戦略と情報戦で第二次世界大戦で連合軍を勝利に導いた名宰相のひとりでしょう?
例のブレッチリーの暗号解読もチャーチルがいなかったら間違いなく実現しなかった。
もし、そうだったとしたら第二次世界大戦はまだ2年は続いていたであろう…と言われている。
他にもロンドンのはずれのコックフォスターズというところに「トレイシー」という極秘設備を作って話術で捕虜に自白させる技術の研究をしていたんだよ。
 
イギリス人と話をしていると、あたかも現役の総理大臣であるかのようにマーガレット・サッチャーの悪口を聞くことが今でもできるけど、サッチャーより時代が古いせいもあってか、今のところチャーチルの悪口は聞いたことがない。
そのチャーチルは大戦終結直前に首相の座をクレメント・アトレーに譲っている。
1945年7月に行われた総選挙でチャーチル率いる保守党が、福祉の充実を訴えるアトレーの労働党に敗れたのだ。
コレ、スゴいと思わない?
イギリスを戦争に勝たせた英雄をいとも簡単に退かせたんだから。
もっとヒドいのは一説によると、保守党の時代がしばらく続いたため、国民がそれに飽きてしまっただけ…っていうんだよね。
チャーチルの評判が悪くなったというワケではゼンゼンなかった。
ま、戦争も2か月ほど前に終わったことだし、国民が求めた変化の矛先が「これからは福祉」ということなんだろうけど、イギリス人のチャメっ気を象徴するような話だと思う。
こんなこと日本だったら絶対にあり得ないでしょう。
こういうところでイギリスの民主主義の成熟を感じるんだよね。
大人と子供だよ。
ま、歴史が違うということもあるけど、国民の政治への関心度合いが比べ物にならないぐらい違う。
日本の今の内閣の支持率はどうなったかな?
 
はい、マーブロには政治の話は持ち込まないようにしているのでチャーチルの話しは終わり。
ロンドンに行く機会があれば、ウェストミンスターにある『チャーチル博物館・内閣戦時執務室(Churchill Museum and Cabinet War Rooms)』に行くことをおススメします。
もうやってないかも知れないけど、入り口で案内をしているおジイさんの古式ゆかしい呼び込みの英語をお聞き逃しなく!
「Roll up, roll up!」とか「Say, say, say!」とかいう類のヤツね。
250シャフツベリー・アヴェニューからチョット入ったところが「Gerrard Street(ジェラード・ストリート)」。
いわゆる「チャイナタウン」。
ココはあんまり変わっている感じがしない。

Simg_0242ゲートをくぐってすぐ左のパン屋(だったかな?)もずっと同じ。
何しろココの地下でレッド・ツェッペリンの4人が初めてリハーサルをしたっていうんだからね。
「ホンマかいな?」感が拭えないのは周囲の中華環境ゆえか?

270v先回、楽器屋街の「デンマーク・ストリート」をご案内したでしょ?
Andy'sという楽器店の親分がこういうことを提案したことがあったそうだ。
「シャフツベリー・アヴェニューの劇場街が『Theatreland』、ジェラード・ストリートの中華街が『China Town』。
それなら楽器屋がズラリと並ぶ我がデンマーク・ストリートに『Music Land』というアダ名を付けて定着させようじゃないか!」
見事失敗。
誰かがデンマーク・ストリートのことを「ミュージックランド」と読んでいるのを聞いたことはただの一度もない。
日本の楽器屋さんならおなじみの名前だけど…。
 
ジェラード通りをずっと行くと…

Simg_0243「Gerrard Place(ジェラード・プレイス)」。S0r4a0163ちょっとした広場になっていて、ココにもローリング・ストーンズが初めてリハーサルをしたパブってのがあった…というか、今でもあるんだろうけど、お店が変わってしまってどこがそれかわからなくなってしまった。
かつては「Ku」というお店だったんだけど…。
やっぱり、街って変わっちゃうとわからないんだよね。
自慢じゃないけど、高校から大学の頃にあんなに通った新宿ロフトの場所が正確にわからなかったんだから。260ピカデリー・サーカス近くの「Savile Row(サヴィル・ロウ)」。
ビスポークの紳士服店がズラリと並ぶ「背広」の語源となった通り。
コレはまた数回後の「The Kinks特集」の時にやるので今日は軽く…。280サヴィル・ロウにあるビートルズの元Apple本社。
コレは2015年のようす。
今は洋服屋になってる。

290vこっちは2019年。
変わったでしょう?
「一体ナニ変わったの?」って感じ?

300vそう、プラークが付けられたのだ!
「1969年1月30日にビートルズがこの建物の屋上で最後の演奏をしました」
いわゆる「ルーフトップ・コンサート」ね。
50年前のロンドンの1月末…映画を観ていると、それほどでもないように見えるけど、寒かったろうナァ~。310v_3場所は替わってソーホーの「Old Compton Street(オールド・コンプトン・ストリート)」。

320vあ、店の看板に「BOULEVARD」って書いてある!
ココ「ブールヴァード・バー&ダイニング・ルーム」っていう名前だったのか!
今、気がついたわ。
でも、ココがどんな場所だったかは知ってる。330その昔、「2i's Coffee Bar」というバーというか、日本風に言えば「ライブハウス」で、ロンドンの、すなわちイギリスのスキッフルやロックロール・ブームのメッカだった。
言い換えれば「ブリティッシュ・ロック発祥の地」みたいなモノ。
この店で発掘されたアーティストがゴマンといるんだから…クリフ・リチャード、ハンク・マーヴィン、スクリーミング・ロード・サッチ、トニー・シェリダン、アルヴィン・リー、リッチー・ブラックモア、ミッキー・モスト、ビッグ・ジム・サリヴァン等々がそれとされている。
レッド・ツエッペリンのマネージャーとして知られるピーター・グラントは、それ以前にこの店で警備員をしていたという。340vそれが今コレ…去年のようす。
Poppies'sというフィッシュ&チップスのチェーン店になっちゃった。
2016年からだって。
前々回ロンドンに行ったのは2015年だったから知る由もなし。
プラークはそのままだけど…ナンカね~。
列に並んでいる若い人たちは上に挙げたアーティストの名前なんてひとりも知らないだろう。
イギリス人なら「クリフ・リチャード」ぐらいは知ってるか?
でもハンク・マーヴィンはムリだろうナァ。350カムデンで出くわしたPoppiesの宣伝カー。
この時はコレがフィッシュ&チップス屋だとは知らなかった。

S0r4a0016ソーホーに移動しました。
「Soho Sqare(ソーホー・スクエア)」という公園のとなり。
写真右の白い建物は「Dolby(ドルビー)」のイギリス支社。
ドルビーはアメリカ人のレイ・ドルビーがノイズ・リダクションの研究所をロンドンに設立したことから始まった。
だからかどうかは知らないが、世界で最初のドルビー技術を採用して撮られた映画がスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』なんだよ。
関係ないけど、この映画に何度も出てくるロッシーニの「どろぼうかささぎ 序曲」っていい曲だな。
最近、コレのパクリというのか、変奏曲とでもいうのか、ソックリな曲をTVCMかなんかで耳にした。
で、その手前の茶色っぽいビル。
360v「mpl」という看板が付いている。
370_2「mpl」は「McCartney Productions Ltd.」の略。
つまり、ポール・マッカートニーの会社。
1階は何にもないけど、外から2階を覗くとゴールドディスクの額が壁に並べて飾ってあるのが見えて、ポールがいやしないかと何度も行ってみたけど人の姿は一切見たことがない。
「mpl」は1969年に設立され、ビートルズ脱退後のポール自身の作品やバディ・ホリー、カール・パーキンス、フランク・レッサー、ハロルド・アーレンなどの作品の出版権を保有しており、また、数多くの同業者を傘下に収めていることで世界最大の非公開の音楽出版社とされていた。
「Mull of Kintyre」だけで一体いくら稼いだのかね?
この曲ってビートルズの「She Loves You」を抜いてイギリスでのシングル盤の売り上げ最多記録を打ち立てたとかいうんだよね。

380_2他にもアル・ジョルスンが取り上げてヒットした「Rock-a-Bye Your Baby (with a Dixie Melody)」の出版権もmplが持っているというのだから驚きだ。
私はサミー・デイヴィスJr.のレーザー・ディスクでこの名曲を知ったんだけど、ナンだってイギリスの会社が出版権を持ってるんだ?という感じ。
ま、フランク・レッサーやハロルド・アーレンの曲も同じことだけど。
「Blue Suede Shoes」や「That'll Be the Day」もそうなんだって。

Sdj上に「されていた」と書いたのは、もうココ何年かの間、いつ行ってもこうしてカーテンが閉められていて、どうも営業をしている雰囲気ではないのだ。
引っ越したのかな?
それとも廃業したのかな?
変わりゆくな~。385vmplをはさんでドルビーの反対側は『時計じかけのオレンジ』を制作したワーナーのライバル、20世紀フォックス社のロンドン事務所がある。Simg_0687 ところ変わってかつてのモッズのメッカ、カーナビ―・ストリート。
マリー・クアントもココからね。385ココは変わらないな…。

390と思ったらペットショップになっちゃった?!…ナンチャッテ。

400壁に取り付けられたプラーク。

インプレサリオ(興行師)/ドン・アーデンとモッド・バンド "Small Faces(スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガン、そしてジミー・ウィンストン)"らがココで働いていた。
1965-1967年
 
ココにSmall Facesの事務所があったんだね。
モッズの代表的存在なのでプラークが付けられたんでしょう。
410ドン・アーデンのアダ名は「Mr. Big」。
このプラークを見るたびにいつもFreeの曲と関係があるのかどうかが気になるんだけど、どうなんだろう…と、億劫がらずに歌詞を読んでみる。

「降っても晴れても仕事に精を出してんだ。

俺の女をどうこう言うんじゃネェ。
彼女はオレに首ったけ。
だからミスター・ビッグ、気をつけな。
デッカイ落とし穴掘っちゃうぞ。
アンタが誰だか知らねえし、聞きたくもネェ。
トットと消え失せて戻ってくるな。
アンタからは何も欲しくねぇし、何もやらネェ。
オレがキレる前に消え失せろ」

みたいな内容。
クレジットが4人になっているので誰の作詞か、また、浅学にしてアーデンとFreeの間に何がしかの関係があったのかどうかは知らないけど、アーデンがメンバーの彼女にチョッカイ出して起こっている歌だったのかしらん?
 
何しろアーデンは別のアダ名を「Yiddish Godfather(ユダヤのゴッドファザー)」とか「Meyer Lansky of Pop(ポップス界のメイヤー・ランスキー)」って呼ばれていたというんだから物騒な話だ。
ランスキーはかのラッキー・ルチアーノと親交が深かったニューヨークのユダヤ系のギャング。
アーデンのお嬢さんのシャロンは、皆さんもよくご存じの通り、オジー・オズボーンの奥さんだった人。
ジェリー・リー・ルイスもリトル・リチャードも、The MoveもBlack SabbathもELOもそんなコワいオッサンと仕事をしていたんだからスゴイ。
普通のことをしていてはスターになれないってことよ。
ドン・アーデンはバーミンガムの出身だからThe MoveやBlack Sabbathなんだね。FawThe Small Facesといえば『Ogden's Nut Gone Flake』。
そう来りゃ「Lazy Sunday Afternoon」。
スティーヴ・マリオットが思いっきりコックニー訛りで歌っちゃう。
あの「♪アフタヌーン、ナッ」の「ナッ」がタマらん!
歌や音楽を通じてアメリカの英語こそが「英語」だと思っている人が聞いたら「なんじゃコレ?」となること間違いなしの美しい(?)ロンドン英語。
コレが絶対にマネできない。
で、私、この曲で英単語をひとつ覚えました。
「lanbago」というのがそれ。
スティーヴがこう歌う。
 
Go blimey hello Mrs. Jones
How's old Bert's lumago?
(He musun't grumble)
 
いいね~。
「blimey」は「ブライミー」と読んで「ウワ!」とか「スゲエ!」みたいな意味。
ウチの社長が驚いた時、必ずコレを口にする。
ココでは挨拶のリズムみたいなもので多分意味はないでしょう。

 
「おやおや、こんにちはジョーンズさん
バートじいさんの腰の調子はいかが?
(彼は文句ばっかりよ)」
 
ぐらいの意味かな?
この「lumbago」、「ランベイゴウ」と読む。
「ルンベオゴウ」の方が近いかな?
医学用語はラテン語が元になっているモノが多くてすごく難しいよね。
意味は「腰痛」。
私は椎間板ヘルニア持ちなので、一発で覚えた。
ま、普通は「backache」で十分通じるけどね。
コレでイギリスで腰が痛くなっても安心、安心。
でも、どうか海外でこの単語を使うことがありませんように…。
あああああ、ロンドン行きたいな~!
 
名盤の誉れ高い『Ogden's Nut Gone Flake』、正直この「Lazy Sunday Afternoon」ぐらいしか聞かないんだけど、どうしてもこの缶カラの入れ物が欲しくて大分年か前にCDを買い直した。S0r4a0080また脱線。
facebookを眺めていたけど、レッド・ツェッペリンは「天国への階段」の裁判で勝訴したんですってね。
Spiritファンのお気持ちはいかがなモノか?
一方、「胸いっぱいの愛を」で知られる「Whole Lotta Love」。
こっちは負けていたんだね?
なんでココで出てくるのかというと、もちろんThe Small Faces。
デビュー・アルバムに収録されている「You Need Loving」。
もうロバート・プラントがマリオットのモノマネがいかに上手だったかがよくわかる…ほとんど完コピ!
実際によくThe Small Facesをよく観に行っていたとか…。
でもこの曲の元はブルースのヒットメイカー、ウィリー・ディクソンの「You Need Love」。
そしたら最近は「Whole Lotta Love」のクレジットに「Willie Dixon」の名前が入ってるのね!
不勉強ですみません。
 
この3つを聴き比べてみるに…。
①ディクソン⇒The Small Faces ②The Small Faces⇒Led Zeppelin
①の料理の仕方はもちろん最高なんだけど、②の方がスゴイのではないか?なんて思っちゃうのは私が現代っ子だから?
不思議なのは、②みたいなことができるんだったら、パクリではなくてゼロからスゴイものを作ることができそうなもんだけどネェ。
コレをしなかったからアタマがヨカッタんだよね。
人間って、丸っきり新しいモノを受け入れるのがスゴく苦手で、「どこか聞いたことがある」というパクリ・トリックを入れておかないとウケないもんね。

Sf あまり人の口には上らないけど、The Small FacesはThe Whoと並ぶ揺籃期のMarshallを発展させた功労者なんですよ。
下はノッティンガムの「The Dungeon Club」の時のようす。
スティーヴの向こうにAキャビが2つ積み上げられている。
右のロニー・レーンの後ろに見えるのは1965年当時出来立ての100Wモデル、JTM100か?
何しろThe Small FacesとThe Whoは、当時ジム・マーシャルが新しく作ったアンプの取り合いをしていたという。
だから、製品に付いているシリアル・ナンバーが交互に行ったり来たりしていたんだって。
そういう記録がハッキリ残っていればオモシロかったのにね。
それにしても1960年代中頃の出来立ての100WのMarshallと若かりしスティーヴ・マリオットの声のステージってどんなんだったろうか?
  
ちなみにノッティンガムというのはロビン・フッドの故郷。
ココの英語もかなりキツい。
「エイアプミ、ドック!」なんて言われてもモチロン全然わからなかった。
コレは「Ay up mi, duck!」と言っていて、意味は「こんにちは私のアヒルさん」。
要するにただの挨拶。
「duck」というのは親しい相手に愛情を込めて使う表現なのだそうだ。
そもそもコレを聞いた時、「dog」かと思ったからね。
「何でオレは犬なのよ?」と思ったよ。
だからイギリス英語はオモシロい!…苦労続きだけどよ。

Ssf1_2

Ss2f3_2
カーナビー・ストリートの一本裏の通りの「Kingly Street(キングリー・ストリート)」にあったのがコレ。
有名な「Bag O'Nails」というクラブ。4201. ポール・マッカートニーとリンダが出会った店。
2. 1966年11月25日にJimi Hendrix Experienceとして初めて演奏した場所。
そんなスゲエところ。
430v_2コレは2015年のようす。

440vそして、コレは去年に寄った時のようす。
イギリスは藤の花をよく飾るんだよね。

450イヤイヤ、藤なんてどうでもいい。
「Bag O'Nails」なくなっちゃったんだよ!

460この人たち「What a beautiful wisteria!」かなんか言ってるんだろうな…ナニも知らずによ。
藤が見たけりゃ亀戸天神にでも行ってくれ!

470去年のロンドンで一番ショックで悲しかったのがコレ。
そして、「ロック名所」絶滅の危機を一番感じさせられたのもコレ。
2009年はこんな状態だった。
12img_01952014年にはこんなにおめかしをしていた。Simg_02072015年はコレ。

480宿の窓から見えていたのによ~。

Simg_0007 そして、2019年はコレ。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」が更地になっちゃった。
初めて見た時はあんなに感動したっていうのによ~!
変わりすぎだろ~。

490アールズ・コート駅からの眺め。

500v今はコレ。
おいおい、丸っきり景色が変わっちまったじゃないの~!
ドンドン変わりゆくな~、ロンドン。

510v変わらないモノもある。
この街中に常備されているレンタル自転車。
向こうの人は「Bris Bike(ボリス・バイク)」って呼んでいる。
この「ボリス」は「ボリス・ジョンソン」のこと。
ボリスがロンドン市長時代に設置した自転車。
そのボリスが今では総理大臣に!
やっぱり変わりゆくわ~。Simg_0329コレは変わらない。
イギリスの朝ごはん。
そろそろ食べたくなってきたゾ。95それと変わらないのはウチの紅茶。
Sainsbury'sのレッド・ラベル。
要するに庶民が飲むスーパーの紅茶。
コレで十分。
おいしいのに信じられないぐらい安い。
なくなるとMarshallの友達にお願いして240個入りのヤツをいくつか送ってもらう。
イギリスの水で飲むと尚一層おいしいんだけどね。 

St_2

さて、いよいよ「変わりゆく」シリーズも終わりに近づいてきた。
ヨカッタね~。
最後はヒースロー空港の第2ターミナル。5152014年に大改装をしてこうなった。

520昔は、最初のセキュリティ・ゲイトでやたらと待たされてイライラすることがよくあったけれど、新しくなって2回、まったく行列がなかった。
コレはありがたい。
しかし、20年近く前はまだ若かったんだね。
日本に帰る便はたいてい夜の7時ぐらいだから、早めに空港に行って、一時預かり所にお金を払って荷物を預けて、またロンドンの中心に戻って、5時頃また空港に戻って来る…なんてことをしていた。
いつもそれほどロンドンが名残り惜しかった。
今も楽にそれができればやってもいいんだけど、もはや空港の様子がスッカリ変わってしまって、荷物の預かり所すらわからなくなっちゃった。
このWH Smithで超大好きなWalkersのポテチを買うのをルーティンとしていたけど、今年に入ってポテチを止めた。
ポテチだけでなく、イモ類の類は全部食べないようにしているの。
ナゼ?
イモ類を食べていると絶対に痩せないんだって。

530いつのまにかWH Smithも自動レジになっちゃった。

540コレは昔のヒースロー空港の待合スペース。
慣れていたせいもあるけど、やっぱりこっちの方がヨカッタな~。
スーザンというハロッズの店員さんを顔見知りになってね。
毎回会うのを楽しみにしていた。

545「ブリティッシュ・エールが飲める最終ポイント!」といううたい文句に誘われて1パイント頂くのも常だった。
実は今もそういう店があるんだけど、Fuller'sの直営店になってしまった。
しかも、Fuller'sはアサヒビールになっちゃったから。
今、一体どうなってるんだろう?
「イングランドで飲む最後のスーパードライ」なんて勘弁してくれよ!550空港にあった自動販売機。
コレも変わらないね~…「はらぺこあおむしくん」。
ナゼか今回の旅で2回お目にかかった。
もう1回はストックポートの図書館だった。

560v最後の最後…実はコレをやりたくてこの最終回を編んだのです。
 
新しくなった待合室へのアプローチ。

570ムービング・ウォークを歩いて行くと右側の壁にこの国の歳時記としていろんな写真が飾ってある。
 
1950年代。
フランク・シナトラ…ナゼかいきなりアメリカ人。
初めてロンドンに来た時かなんかの写真であろうか。
ロックが出てくる前、大衆音楽の王者はジャズだったからね。
シナトラやビング・クロスビーがアイドルだった。
580
調べてみると、やっぱりシナトラが初めてロンドンでコンサートを開いたのは今から70年前の1950年のこと。
会場はウエスト・エンドの「London Palladium(ロンドン・パラディウム)」。
ロンドン・パラディウムはロンドンでも最も重要とされている劇場。
下は2009年の写真。
ウーピーの『Sister Act』のミュージカルがかかっていた。
『天使にラブソングを』なんて題名は恥ずかしいね。
Simg_05061960年になるとスウィンギン・ロンドンに…590ブリティッシュ・インヴェイジョン。
当然ビートルズということになる。
「アメリカ制覇して来ます!」みたいな。

60070年代はデヴィッド・ボウイ。
ね~、デヴィッド・ボウイのイギリスでの威光はスゴイのよ。
日本にいる我々にはコレがわからない。
上っ面しか楽しめないのは仕方のないこと。
61080年代は「Live Aid」だって。
これはボブ・ゲルドフって人だっけ?620チャールズとダイアナが結婚して…

630チョット飛んで2000年代は景色。

6402010年代はオリンピックと…

6502012年のエリザベス女王の在位60周年を祝ったダイアモンド・ジュビリー。
 
ね、時代のシンボリックな出来事としてもう「音楽」は出てこないんだよ。
考えすぎかもしれないけど、世界中で音楽が斜陽化している気がしてならないんですよね。
アッという間に音楽は他の娯楽に駆逐されてしまった。
コレらの壁の写真を見て寂しく思ったね~。
やっぱり音楽をタダ同然にしたのはマズかった。
コロナ禍の今だって、CDやLPが売れていれば、音楽家たちはセッセと曲を作って録音して、そうした商品を販売していればライブハウスが営業できなくてもミュージシャンの生活はビクともしなかったかも知れない。
「イヤイヤ、音楽がタダになったおかげで色んなバンドが出てこれるようになった」…という指摘もあるかも知れない。
でもね、そんな簡単に出て来れるようなバンドが音楽をツマらなくしてしまったのではありませんか?
とにかく「売れているモノが良いモノ」という考えを捨てた上でリスナーがチト勉強しない限り音楽は斜陽の一途をたどるだろう…というのが45年間にわたって結構な時間とお金を費やしてきた私の音楽ビジネスに対する考え。
660しかし、スッカリ様変わりしちゃったな~。
ガラガラだわ。
あ、コレ、去年の写真ですから。
コロナは関係ありません。

670When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. ー Samuel Johnson
(ロンドンに飽きた時は人生に飽きた時だ。ロンドンには人生が与えるすべてのモノがある ー サミュエルジョンソン=イギリスの文学者)


どんなに変わりゆこうと、まだまだ行きたいロンドン。
またまた感染が広がってしまったもんね。
ボリスの支持率もガクンと下がってしまった。
ココ2、3日のニュースではウエスト・エンドのショウ・ビジネスの復活も先送りせざるを得ないとか。
たまたま上に出てきたノッティンガムの夜の様子がテレビで放映されているのを見たけど、若い連中がワイワイガヤガヤ、マスクもせずに肩を組んで…バカ者!
マスクぐらいしろ!
オマエらがちゃんとしないと、いつまでたってもイギリスに行けないじゃないか!
 
次回からはジミヘン特集。

680<おしまい> 

200



 

2020年10月 2日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.54~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)

 
いよいよ「デンマーク・ストリート」の最終回。
今日は歴史とアートとグロの盛りだくさんでいきまっせ~!
95前回「『名所めぐり』の人気が低い」と書いたところ、「いつも楽しみにしている」と励ましのお便りを頂いた。
うれしいね。
他にも、まず家内でしょ、〇〇さんでしょ、▽△さんでしょ、◇◇さんでしょ…と、サッと数えてみても最低10人ぐらいの方々がいつもご覧頂いていることはわかっているので、その方々にお喜び頂けるだけでも素晴らしいことではないか!
なんて書くとイヤらしいね、ゴメン。
完全に自分のワガママでやっていることにご支援を賜るなんて本当に幸せなことだと思っています。
 
さて、そのお便りを頂い方はFreeの音楽を追求していらっしゃる大のポール・コゾフ・ファン。
だからMarshallの愛好家でいらっしゃる。
FreeとMarshallは近しい関係で、創立40周年の記念パーティの時にはジム宛にポール・ロジャースから祝辞が届いていたし、50周年記念コンサートではアンディ・フレイザーも出演した。
私は知らなかったんだが、アンディの甥っ子がMarshallの工場に勤めているそうだ。
さて、その方からポール・コゾフがかつて「Selmer's」という楽器店に勤めていた…という情報を頂戴して私の好奇心が爆発してしまった!
 
元々「Selmer's」というお店があったことは知っていた。
下のジム・マーシャルの伝記本に登場するのね。
この本は何回も読んだ。
海外の本を原文で複数回読破したのは、卒論のテーマに選んで泣く泣く読んだJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』と、この『Jim Marshall:THE FATHER OF LOUD』、そしてあのMichael Doyle著の『The History of Marshall』ぐらいのモノよ。
一時期、Marshallに行くたびにジムがサインを入れてお土産に持たせてくれたもんだからウチにはこの本が4、5冊あるの。
ということで、Selmer'sがこの本にどんな具合に出て来るかを先にやっておくと…。
Fol場所はデンマーク・ストリートから遠く離れた地下鉄ピカデリー線のターミナル駅「Uxbridge(アクスブリッジ)」。
ココからは歩いていける距離ではないんだけど…

11_img_0463モンティ・パイソンにも出て来る「アクスブリッジ・ロード」の「76」番というところにジム・マーシャルの最初の楽器店があった。
下の写真の床屋のところね。
まだアンプを作る以前のこと、ロンドンの楽器店と異なる家庭的な雰囲気を持っていたジムの店は大層繁盛していて、「Selmer's」はギターやアンプの仕入れ先のひとつだった。
ある日、ジムは当時の金額で12,000ポンドほどのオーダーをSelmer'sにした。
1960年頃の12,000ポンドというと、それがどれぐらいの額かサッパリわからないんだけど、強引に割り出してみると…1967年までは固定相場制で1ポンドが1,008円だった。
だから12,000ポンドは当時の金額で約1200万円。
現在のイギリスの消費者物価指数はこの頃に比べて4~5倍になっているので、当時の「12,000ポンド」は5,000万円ほどになる。
この計算ではいくらなんでも高額すぎるような感じはするけど、尋常ではない額に店の番頭さんはビビってしまい、「チョ、チョット社長を呼んで来ます」なんてことになった。
やはり、Selmer'sの社長ベン・デイヴィスもこの額に驚き、ジムのことが信用できなかった。
そこで、「わかった、わかった。ところでマーシャルくん…こんなにたくさん仕入れたところで、オタクのお店に商品を陳列するスペースなんかあるのですかい?」とデイヴィスに訊かれ、ジムはこう答えた。
「フォッフォッフォッ、もうそのほとんどが売約済なんじゃよ」
それでもジムのことが信用できなかったデイヴィス社長は、分割で毎月1,000ポンド分の取引をすることを提案して手を打った。
ところが、ジムは翌月に額面11,000ポンドの小切手を振り出して一気に支払ってしまった。
デイヴィス社長は大層驚き、ヒックリ返ってジムにこう尋ねた。
「一体ナニをやったらそんなに楽器が売れるんですか?」
ジムの答えはこうだった。
「新しいタイプの音楽じゃよ…フォッフォッフォッ、『ロックンロール』というモノじゃ」
カッコいい~!
ま、この頃のはジムはまだ30歳台だったので「…じゃよ」とかは言わなかったろうけど、「フォッフォッフォッ」はよくやってた。

11_img_8108場面は変わってロンドン、ウエストエンド。
<前編>でチョット触れた今は無きこの「turnkey」というお店。
かつては防音室が2階にあってMarshallが比較的ズラリとそこに展示されていた。
ロケーションとしてはデンマーク・ストリートではなくて、チャリング・クロス・ロード沿いなので前回はチラっとしか触れなかった。
11_img_0343現在は「CHIPOTLE(チポトレ)」というメキシコ料理のチェーン店になっちゃった。
かつて「Selmer's」はココにあった。

11_ch「Selmer(セルマー)」といえば、サキソフォン。
1885年にフランスのアンリ・セルマーがクラリネットのリードとマウスピースを作り始めたのが事の起こり。
その後、クラリネット本体の製造を始め、弟のアレクサンドラが兄が作った楽器をアメリカで紹介すると大当たり。
その後サキソフォンの製造に乗り出し大成功を収めた。
サックスのギブソンかフェンダーだわね。
ギター・アンプで言えばMarshallだ。
「60年代のアメリカン・セルマー」が59年のレスポールみたいなモノらしい。
木で出来ているギターと異なり、サキソフォンは金属でできいるのでいくらでもその時代と同等の楽器が作れそうなモノだけど、現在のいかなるテクノロジーをもってしても再現は不可能なのだそうだ。
サキソフォンはご存知の通り真鍮で出来ているんだけど、今と昔とでは、その原材料となる銅とか亜鉛のクォリティ自体が違うんだろうね。
それと、その時代にあった空気かな?
音楽と同じよ。
昔のロックがカッコいいのは、ロックがカッコよかった時代の空気が閉じ込められているからなんだよ。

Ss 

セルマー社はサキソフォンやクラリネットだけでなく、マリオ・マキャフェリがデザインしたギターをジャンゴ・ラインハルトが使用したことにより、その方面でも大きな名声を得た。

11_mcf1928年、上のジムのところに出て来たベン・デイヴィスがアンリ・セルマーに商談を持ちかけ、イギリスで「Selmer Company」を設立した。
それが「Selmer's」。
1928年と言えば昭和3年だからね、古い話ヨ。
Selmer'sはアメリカからアンプを輸入し、イギリスで初めてアンプの類の商品を販売する会社となったが、1935年になると「Selmer」のブランドを冠して自分でアンプを製造し始めた。
そして、Selmer'sは第二次世界大戦の頃にはイギリスで最も大きな楽器商となった。
だからジムがベンと商売をしていた1960年代の初頭、まだSelmer'sは相当力を持っていたんだろうね。
下はSelmer'sの2代目店。
さっきのメキシコ料理店にも残っているように、入り口の2本の柱が目印だった。
Slココはスゴイよ。
ビートルズ、シャドウズ、The Who、The Tremeloes、ボブ・ディラン&The Band、グラハム・ボンド、Procol Harum、Pink FloydにThe Kinks…他に当時活躍していたミュージシャンがワンサカこの店に通っていた。
そりゃそうだ、他にはほとんど店がなかったんだもん。
Pink Floydなんかココへ寄って買い物をしてからチョット先のトッテナム・コート・ロードの「UFO Club」に出ていた…なんてことを想像すると楽しい。
下は、その「UFO Club(ユーフォ―・クラブ)」があったところ。
この辺りは「Fitzrovia(フィッツロヴィア)」という行政区になる。
ココもすごくいいエリアだ。
「UFO Club」は、かつてはPink Floydのホームで、彼らがビッグになってココを卒業して、後を引き継いだのがSoft Machineだった。
東京でいうと吉祥寺のシルバー・エレファントみたいな感じか。11_img_9555ジミー・ペイジとアルバート・リーってのは仲良しだったんだってね。
しょっちゅう2人でチャリング・クロスの楽器屋回りをしていたらしい。
ペイジはSelmer'sで初めてのレスポールとダンエレクトロを買ったんだって。
そして、レスポールとSuproの組み合わせはアルバート・リーのマネッコだったとか。
この2人、時期は違えどNeil Christian&The Crusadersというバンドにいたそうで…どんなもんかと思って聴いてみたら、アータ、The Kinksの「Dedicated Follower of Fashion」を取り上げているじゃないの!
かなり驚いたワイ。
レスポール・カスタムにSelmerアンプとジミー・ペイジ。
コレお店で撮影したのかしらん?
「買っちゃいました~!」みたいな。

11_js エリック・クラプトンはアクスブリッジのジムの店によく来ていたことが知られているけど、もちろん、チャリング・クロスのチェックも怠らなかった。
特にSelmer'sには頻繁に訪れていたらしい。
1965年、『Beano』アルバムで使ったレスポールはSelmer'sで買ったそうです。
アンプはご存知の通りMarshall 1962。
ローズ・モーリスがつけた「1962」というモデルナンバーに「Bluesbreaker」というアダ名がつけられたのはココから。
クラプトンは当時Selmer'sの店員だったジェリー・ドナヒューからES-335も買っているそうだ。
その時から1~2週間後にCreamのさよならコンサートを観にロイヤル・アルバート・ホールに行ったジェリーは、自分が売ったギターがそこで使われているのを目撃した。
うれしかっただろうな。
Benoちなみにジェリー・ドナヒューはスゴイよ。
私はカントリーがニガテで、Fairport ConventionとかPentangleとかのようなブリティッシュ・トラッド・フォークもどうしても受け付けることができない。
でも、教則ビデオの仕事をしていたのでジェリーのことは知っていた。
こういうヤツね。
なつかしいな、ロジャー・ハッチンソン。11_jd それで、2004年にウェンブリーで『London Guitar Show』が開催された時のこと。
名前は出さないけど、なかなかに貧相なブースでカントリー系のものスゴいギターを弾いている人がいた。
2弦をウネウネとベンドしまくって、もうナニをやっているのかサッパリわからなかった。
ところが、その人が誰だかわからなくて、「ただ今デモ中」の看板を見てビックリ。
ジェリー・ドナヒューだった。
まぁ、このベンド・テクニック…正真正銘の「超絶」。
楽器というモノはナニも速弾きだけが「超絶技巧」ではない。
この人、イギリス人かと思っていたらニューヨークの生まれなんだってね~。
しかも、ジェリー・マッギーにギターを教わっていたことがあるとか…。
カントリー・ギターのテクニックを引っ提げて、ニューヨークからロンドンに渡って来てSelmer'sでアルバイトしていたんだネェ。
それで、クラプトンにギターを売って…。
一時、身体がかなりヤバイと報じられていたけど、最近は大丈夫なのかしらん?

11_0r4a0020_2 ジェフ・ベックも1966年に最初のレスポールをSelmer'sで買った。
クラプトンの『Beano』アルバムの影響とか…。
また、ジミー・ペイジのカスタムの音を聴いて、自分のバンドにも分厚いギターの音を持ち込みたいと思ったんだって。
ジェフの記憶によれば'59年製で175ポンドだったそうだ。
1959年製のレスポールが175ポンド?…いくらよ。
また例の為替の固定相場を適用すると、当時の値段で176,400円。
今と変わらないじゃん!
消費者物価が5倍になっているとすれば、今買えば882,000円。
高いな。
イヤ、この値段ならどんなムリをしてでも買うか?
だって'59年製のレスポール・スタンダードの相場って今いくらよ?
この辺りはヘタなことを書くとマニアの皆さんから怒られそうなので、インターネットに実際に出ていた値段だけで言えば…2,000万円台。
ジェフはこのSelmer'sで買ったレスポールで『Truth』を録音したのかな?
あ、コレもアンプはMarshallだわ。
悪いね、Seilmerアンプさん。
音楽のトレンドが変わるタイミングだったのよ。
コレをもってしてもギターの音はアンプが作っていることが窺われる。

11_tt 次、スティーヴ・ハウいってみよう!
あのトレードマークのES-175Dも1964年にSelmer'sが販売した。
スティーヴによれば、Selmer'sはギブソンの在庫が豊富で、何でも気軽に弾かせてくれたそうだ。
やっぱりよくアルバート・リーが来ていて、スティーヴのことを「Face」って呼んだらしい。
ナンで、「顔」?
私はロンドンの野外フェスの楽屋で一度だけスティーヴ・ハウに会ったことがあるんだけど、「一体どこの痩せたおジイさんだろう?」という感じだった。
確かにいつも写真で見ている通り、お顔のインパクトはなかなかのモノだった。
175はこういうヤツね。
私も持っているけど、ギブソンのフルアコ・ラインの廉価版。175ミック・テイラー、ピーター・グリーンもSelmer'sでレスポールを買っている。
 
従業員もスゴかった。
ポール・コゾフ、ジョン・マクラフリン、ジェリー・ドナヒュー等々。
楽器屋の店員がジョン・マクラフリンってスゴすぎない?
「ナニかお探しですか?」と訊かれたら思わず「ひ、ひ、ひ、『火の鳥』一羽ください」とか言っちゃうそうだ。
ちなみにジム・マーシャルはギターやアンプの他にPremierのドラムスを大量にSelmer'sから仕入れていた。
ジムはPremierドラムスの第1号エンドーサーで、ドラム教室の生徒さんにガンガンPremierドラムスを販売しちゃったんだね。

11_jim さて、イギリスのギター・アンプ・マーケットは、1960年代に入るまで、すなわち1962年にMarshallが出現するまでほぼSelmerとVOXの寡占状態だった。
もちろんみんなFenderが欲しかったんだけど、舶来品で高くて買えなかった。
他の記事にも書いたけど、イギリスは戦勝国でありながら、終戦から9年も経った1954年まで配給制度が続いた国だからね。
庶民の暮らしはかなりつつましかった。
最近知ったんだけど、「イギリスの食事がズイマ」というのは、産業革命のせいだけでなく、ドイツ軍のカール・デーニッツのせいもあったらしい。
この話はまた別の機会に…。
 
もう1軒、チャリング・クロスで寄り道ね。
Selmer'sのあった場所から少し通りを下った「100 Charing Cross Road」という住所にかつて「Jennings(ジェニングス)」という楽器屋があった。
その向かいにあるのが元Marqueeの第3号店だった「The Montagu Pyke」。
11_0r4a0177第二次世界大戦の後、トマス・ウォルター・ジェニングスがケントのダートフォードにオルガンを製造する会社を設立した。
ダートフォードはミックジャガーとキースリチャーズが出会い、The Rolling Stones発祥の地とされているところね。
UNIVOXはジェニングスのブランド。
そして、1956年にディック・デニーというエンジニアがギター・アンプのプロトタイプをジェニングスに見せた。
それから2年後にそのプロトタイプを商品化したのがVOXのAC15だ。
そのジェニングスのロンドンの楽器店が下の写真のお店。
つまりVOXのロンドンの本拠地だね。
Jn下はSelmer'sの数軒先の「Macari's(マカーリズ)」。
「VOX Main Dealers」なんて金看板を掲げている。
創設者のラリー・マカーリはかつてJenningsのお店に勤めていて、多分一種の「のれん分け」みたいな恰好だったんでしょうね。
「Macari's」をそのままVOXのショウルーム的店舗にした。
この時代、デンマーク・ストリートには例の音楽出版社とリハーサルスタジオがあるだけで、まだ楽器店はチャリング・クロス・ロードに集中していた。
 
こうしてみると、ナゼMarshallがローズ・モーリスと契約を交わして、販売の全権を渡したのかがわかるような気がするな。
Selmer、VOXより後発のMarshallは、ギター・アンプのマーケットに食い込むために、ロンドンで幅を利かせている販売会社と組む必要があったに違いない。
Mcナンダカンダで何回もMarshall Blogに登場しているMacari'sはTone Benderを開発したSola Soundという会社の兄弟会社。
だから店内には「Colorsound」のペダルがゾロリと並んでいた。

11_img_0344何度も使っているこの写真、チャリング・クロスの94番地にあった頃のようす。

11_img_0345_2このMacari'sがいつの頃からか、デンマーク・ストリートの真ん中あたりに引っ越していた。11_img_0232最近知ってチョットしたショックを受けたんだけど、この1958年からここウエストエンド地区で営業して来た老舗が最近店をたたんだというのだ。
正確に言うと、ロンドンの中心地から撤退してエセックス(ロンドンの北東)に移ったっていうんだよね。
何度も書くけど、Macari'sはかつてMarshallに勤めていた親友が若い頃にアルバイトをしていたということもあって、勝手に身近に感じていた。
そんなお店だけに、この話を聞いた時はナントも複雑な気分になってしまった。
変わりゆくな~…しかも、寂しい方に。
96fvナンカも~、順番がバラバラでスミマセン。
またデンマーク・ストリートの入り口に戻ってもらいます。
下は去年の光景。
11_0r4a0184コレは10年近く前かな?
何かパット見ても昔の方が賑やかな感じがするでしょ?
ナニ?大して変わらない?
じゃ、ズットさびれてるということか。
104また去年の様子に戻って…。
通りの入り口のこの角ッコのお店。
1980年代、ココには「Job Centre」と呼ばれる公共の職業安定所があった。
ココに勤めていた男がスコットランド出身のデニス・ニルセン。
愛称は「Des」。
「デニス・ニルセン」…この名前に聞き覚えがありますか?
普通はないよね。
同じことをイギリスのMarshall Recordsの若い2人に尋ねてみた。
2人とも「デニス…?」、「ニルセン…?」と全くピンと来ていなかったので、こう問い直してみた。
「じゃ『Muswell Hill Murderer』は知ってる?」
2人とも「ああ~、知ってる~!」
若いシャーロットは「知ってるも何も、事件が起こったのはウチのすぐ近くだったのよ!」なんて言っていた。
通称「Muswell Hill Murderer(マズウェルヒルの殺人鬼)」、それが「デニス・ニルセン」。

11_0r4a0189アリス・クーパーに「I Love the Dead」って曲があるでしょ?
「♪冷たくなる前の死体が大好きなのさ  青ざめていく肌にそそられる」ってヤツ。
デニス・ニルセンがコレだった。
いわゆる「ネクロフィリア(necrophilia)=死体愛好」。
あるいは精神医学的に言うと「死姦症」というらしい。Bdbニルセンは同性愛者で、盛り場で知り合った若い男性を家に連れ込んでは首を絞めて殺し、死体と一緒にテレビを見たり、添い寝をしてハッピーな時間を過ごした。
被害者の数は5年の間に15、16人にのぼったとされているが、今もって正確な数はわかっていないらしい。
5年もの間よく捕まらなかったと不思議に思ってしまうが、ホームレスに近いような連中や明日の行方も知れないバンクパッカーなどを狙ったため、捜索願いが出されず足がつきにくかった。
中には標的となった日本人もいたが、犠牲には至らなかったという。
昔、死体を硫酸で溶かして下水に流しちゃう…なんて実際にあった犯罪を描いたロミー・シュナイダーの『地獄の貴婦人』というフランス映画があった。
ちなみにこの映画の音楽は皆さんお好きのエンニオ・モリコーネだよ。

11_jk_2 このニルセンのソレは『地獄の貴婦人』に勝るとも劣らない。
肉屋に勤めてあったこともあって、死体をさばくテクを身に付けていて、腐乱してどうにもならなくなった死体を粉々にして庭で焼いて処分した。
死体を処分できる庭があるから殺人を繰り返してしまう…ということで、庭のない家に引っ越した。
そもそも、この思考からしておかしい。
その引っ越した先がThe Kinksの地元、マズウェル・ヒル。
Marshall Blogでも特集した閑静な住宅街だ。
ニルセンはそこでもやはり同じことをしてしまう。
今度は死体を燃やすスペースがないので、どうしたかというと死体を切り刻み、鍋で煮て肉を柔らかくしてそぎ落とし、下水に流したっていうんだよ。
頭蓋骨を煮た鍋を上の勤め先に持って来たこともあったとか…。
私の英文の読み違いがなければ、その頭蓋骨はクリスマスのプレゼント用だったっていうんだけど、どうするつもりだったんだろう?
そんなことをしているもんだから、いい加減下水が詰まってしまい、悪臭もヒドかったため近所の人がガマンしきれず下水道の業者を呼んだ。
業者が下水の中を調査したところ、あまりの悪臭に気を失いそうになってしまったという。
その原因を調べたらアータ、人肉が下水道の中にベッタリくっついていたそうな。
小さな骨も転がっていたらしい。
「な~んだ、人肉のせいで流れが悪かったのか~。こりゃクサイわけだわ」と、収まるワケはなく、ニルセンはコレで御用。
そして、マズウェル・ヒルで捕まったので、通称が「マズウェルヒルの殺人鬼」となった。
 
私はそうしたグロ系の趣味を持ち合わせていないので、ココにはこれ以上書かないが、ニルセンが何をしたのかをもっと詳しく記したサイトがいくらでもあるので、変わった趣味をお持ちの方は調べてみるといい。
この記事を書くために一応私もいくつか目を通したが、気分が悪くなったワイ。
特に死体を愛でるシーンね。
…という英国史上最悪の連続殺人事件が「マズウェルヒルの殺人鬼(Muswell Hill Murderer)」。
 
私もこんな事件は以前から知っていたワケではなくて、今回デンマーク・ストリートのことを調べていて初めて知った。
そもそも知っていたら去年マズウェルヒルに行った時、この事件現場を見にいってるわ。
 
そして、この話はココで終わるハズだったのよ。
ところが!
驚いたぜ~。
このデニス・ニルセンの事件がテレビ・ドラマ化されて、先月放映されたっていうんだよ~!
この記事を書き始めてからひと月近くかかっているからね。
タイトルはドンズバの『DES』。
制作はBBCと並んでドラマ作りに定評があるITV。

Des主演したのはシェイクスピア俳優のデヴィッド・テナントという人。
ニルセンと同じスコットランド出身…どころじゃない!
もうホンモノにソックリじゃん?
早速Marshallの仲良しにドラマを観たかどうか尋ねてみた。
そしたら答えは「Yes」。
重厚ですごくヨカッタって。
11_tennant私は日本のテレビドラマって、子供の頃から「絶対」と言ってもいいぐらい観ることはないんだけど、海外のは別。
イヤ、『池中玄太』の最初の頃と『ナースのお仕事』は観たか…。
海外のTVドラマといえば…例のThe Allman Brothers Bandの地元、アラバマはメイコンで起こった「タスキギー梅毒実験事件」を題材にした『Miss Ever's Boys』というのもなかなかヨカッタ。
Amazon Primeで観たんだけど、吹替え版なのが「タマに大キズ」だった。Meb それにしても観たいな~、『DES』。
YouTubeに予告編が上がっていたのでご参考に…。
コレを見たらよけいに作品を観たくなった。
やっぱりドラマは「ハンザワ」より「ハンザイ」だな。

しからば、本は?
ブライアン・マスターズという人が書いた『死体と暮らすひとりの部屋』というのがそれ。
ドラマの原作にもなっている。
またしてもどうしようもなくセンスのない邦題をつけるナァ…コレじゃ地方から東京に出て来て一人暮らしをする学生さんのための住まいのガイドブックみたいじゃないか。
原題は『Killing for Company: The Case of Dennis Nilsen』という。
Amazonで買って読もうかと思ったけど、高いし、400ページもあるのでヤメた。
とにかくテレビ・ドラマが観れるようになるのを待つことにする。
しかし、日本でもつい最近ドラマではない同じようなことがあったもんね。
座間で8人の若い女の子と1人の男性が殺された事件。
数日前から公判が始まったけど、犯人は反省の色がまったくなく、後悔していることといえば、自分のミスで足がついてしまったことだけ、だとか。
ヒデエ話しだよ。Photo チャリング・クロスから入ってチョット行った右側にある「music room」というお店。
コレは鍵盤とアクセサリーのお店。

110コレは通りの左側、デニスが勤めていた元職安の隣の隣にあるもうひとつの「music room」。
こっちは楽譜屋さん。
ナニかFrank Zappaのいい楽譜がないかと何回か入ったことがあるけど、買い物をしたことは残念ながら一度もない。
「music room」の下の赤い「ARGEN〇S」サインに注目。
〇の部分を埋めると「ARGENT'S」となる。
そう、この楽譜屋さん、Rod Argent(ロッド・アージェント)のお店なのだ。130ロッド・アージェントは「The Zombies」のオリジナル・メンバー。
「Time of the Season(ふたりのシーズン)」はおなじみでしょう。
他にサンタナで有名な「She's not There」もアージェントの作品。
カーナビーツの「♪好きさ、好きさ、オマエのすべ~て~」もThe Zombiesの曲。
1968年の『Odessey and Oracle』はロック史に残る名盤とされているけど、私はあんまりピンと来なかったナァ…という印象だった。
でも、聴き直してみると…いいね。
The Zombiesといえばコリン・ブランストーンなんかも有名だよね。
私は断然ロッド・アージェント。
ちなみにロッドはリック・ウェイクマンが抜けた後のYesに誘われたことがあったらしい。
歌もキーボードもうまいし、作曲能力に優れているからね…かどうかは知らない。
でも、The Zombies時代の「The Way I Feel Inside」なんて殺人的にいい曲だもんね~。
やっぱり「人の心を揺さぶるのはクロマチックである」という持論は間違いではないと思っている。
Or私はロッドがThe Zombiesの後に結成した、その名もズバリのArgentが好きなのね。
というか、高校生の時にRuss Ballardをよく聴いていたのだ。
2010年にArgentをロンドンで観る機会があってね、ラス・バラードがJMP期の1959を使っているのを目にしてうれしかった。
もちろんこの『All Together Now』収録の大ヒット曲「Hold Your Head Up」は大ウケだった。
Id_2Rainbowで知られる「Since You've Been Gone」も「I Surrender」もラス・バラードの作品だからね。
Three Dong Nightの「Liar」もラスの作曲でArgentでも演ってる。
で、その2010年のロンドンのライブの時、ある曲で会場にいたオジサン&オバサンがひとり残らず大合唱したのには驚いた。
それは下のArgentの『In Deep』に入っている「God Gave Rock'n'Roll to You」。
KISSがカバーして有名になったらしいんだけど、コレもラスの作曲だ。
この『In Deep』、ジャケットのデザインはヒプノシス。

Id_1ヒプノシスが出たところで…。
 
コレは去年の6月のようす。
通りの中間部あたりの右側で盛んに外装の工事をしていた。
なんか、デンマーク・ストリートがどういう所であるかを無視しているかのような遠慮のない養生シートの巨大な壁よ。

145その下で懸命に営業してるのよ、楽器屋さんたちが!

170コレは法律で定められているんだろうか?
現場の作業員さんたちはひとり残らず黄色い上着を着ている。
いや、考えてみると、お巡りさんもこういうのを着ているな。
調べてみると、コレは「Safty Waistcoat」というモノらしい。
いいね、「waistcoat」なんざ…イギリス英語ですな。
アメリカ英語でいうところの「vest」。
「waistcoat」の方が風情があって断然理知的に聞こえる。
ま、私もたぶんイザとなると「vest」って言っちゃうだろうけど。

180その工事現場の向かい。190壁に付いているプラークは「Augustus Siebe(オーギュスタス・シーべ)」という19世紀に潜水の機材の開発をした人。

200このヘルメットをかぶるタイプの潜水服はシーべが開発した。
下は10ccの『Deceptive Bends』。
このタイトルの解説はいつかどこかでしたことがある。
ジャケットのデザインは「Hipgnosis(ヒプノシス)」。
この「名所めぐり」をやっていて、「そういえばヒプノシスってロンドンのどこにあったんだろう?」と思うことが過去に何度かあった。

Dbそのヒプノシスの事務所が入っていたのがそのビルなのだ!
言い換えると、このビルにかつてヒプノシスの事務所があったのだ!

210今は誰でも「ヒプノシス」の名前を口にするけど、昔はシッカリと自力でロックを探求している人以外にはなじみのない名前だった。
1978年、高校1年年の時にナニかで下の本が上梓されたことを知って、ワザワザ取り扱っている青山の輸入書籍店まで買いに出かけた。
ウドー音楽事務所さんの昔の事務所ののチョット先だったような気がする。
 
ストーム・ソーガソンやオウブリー・パウエルのことを知っているというMarshall Recordsのヘッドにヒプノシスの事務所のことを訊いてみても「何か所かあったハズだ」ぐらいの返事で確固たる情報がなかった。
そして昨年、渡英する前にダメ元でこの本を開いてみたところ…「6 Denmark Street」という住所の表記を発見したのだ。

11_hp私がビルの写真を撮っていると、Safty Waistcoatを身にまとった工事の人たちが何人か寄って来た。
「おおい、一体ナニを撮ってるんだい」
「この向かいのビルだよ」
「なんだってこんなビルを撮っているんだい?」
「かつてヒプノシスの事務所がココにあったんだ」
「ヒプノシス~?」
「そう。ロックのレコードのジャケットのデザイナーだよ。ピンク・フロイドのプリズムのヤツとか知らない?『The Dark Side of the Moon』…」
「おおおおお!もちろん知ってるさ!へ~、ココにね~」
ってな会話をするとサッサと持ち場に帰って行った。
知ってはいるけど、興味なし…ってとこか?
でも、日本の工事現場よりは間違いなく「知っている人率」は高いだろう。2201992年には最後の大手の音楽出版社「Peer Music」がデンマーク・ストリートを離れ、この通りは完全に楽器屋街となった。
11_img_0339それではデンマーク・ストリートに最初に開いた楽器店はどこか?
調べてみると諸説あるようだが、「Musical Exchange」というギター・ショップが最初らしい。
場所は上に出て来た工事中のところ。144オープンは1965年の初頭。
チャリング・クロスにあった楽器店の開店は古いけど、デンマーク・ストリートのお店は、実はそうでもないのだ。
例のラリーとジョーのマカーリ兄弟が開いた。
この店の裏でセッセと「Tone Bender」を作っていたそうだ。
アクスブリッジのジムのお店と同じ。
みんな同じことをしていたんだね。11_0r4a0210そして、2番目に古い店はどこかいな?
 
それは1969年オープンの「Top Gear」という店らしい。
こっちを「デンマーク・ストリート初の楽器店」としている記述も見かけたが、マァどっちでもいいわ。
このTop Gearは中古品を扱っていた。
当時はビンテージ・ギターのコレクターなんて存在しておらず、買い取ったギターを右から左へと売りさばいて、かなり分のいい商売を展開していた。
そうだよね、多分、「ビンテージ、ビンテージ」と騒ぐようになったのは1970年代の中頃ぐらいからじゃないかしら?
当時は「オールド」という呼び名で、中学生だった私は「なんでそんな古くて汚いギターがもてはやされるんだろう?」と不思議に思ったモノである。
 
下がTop Gearがあった場所の現在のようす。
入り口のところにある「WUNJO」がココにもある。
私が最初にココに来た時には、この楽器屋はなかった。
多分、違う名前で営業していたのであろう。
というのは、ココでの商売にはチョットしたカラクリがあるようでね。
それはもうチョット後でお話しします。
 
で、Top Gearも当時の他の楽器店同様、当時のギタリストたちのたまり場になっていたようで、常連さんの名前を見てみると、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼンド、バーニー・マースデン、ミック・ラルフス、The Spooky Toothのルーサー・グロヴナー等々…しょっちゅう来ていたらしい。
ハンク・マーヴィンも常連のひとりだったが、ナニひとつ買い物をしたことがなかったそうだ。
 
ジミー・ペイジとクリス・スぺディングはレスポール・カスタム、Procol Harumの『Grand Hotel』の頃のギターのミック・グラハムは'59年のレスポ―ル・スタンダードを、マーク・ボランはレスポール・カスタム、フライングV、白のストラトを、キース・リチャーズはレゾネイターやリッケンバッカーやレスポール・カスタムをTop Gearで手に入れた。
225下のライブ盤のジャケットに写っているボブ・マーリーのレスポール・スペシャルもTop Gearが販売したそうだよ。
私はレゲエってカラっきしダメなんだけど、ロンドンを歩いているとボブ・マーリーの影響力が当時いかに凄まじかったかを感じるんだよね。
間違いなくひとつの音楽文化を確立させたワケでしょ?

Bmレゲエを全く聴かない私でもさすがにこのライブ盤は聴いてるのよ。
コレってウォータールー・ブリッジのこっちにある「Leyceum Theatre(レイセウム劇場)」で録音してるんだよね。
Led Zeppelin、Queen、Pink Floyd、The Who、ELP…み~んなココで演奏している。
Geneisは『Duke』の時にココでビデオを撮っていて、今はYouTubeで観ることができる。
 
そんなTop Gearだったが、1978年に廃業してしまった。

11_img_0476そろそろデンマーク・ストリートも終点に近くなって来た!
皆さん、もうチョットの辛抱ですよ!
 
チャリング・クロスの方から入ってズット行った左側に「Hank's」という店がある。
この「Hank」はハンク・ウィリアムスだろうね。
アコギの店だから。11_0r4a0660 風情があっていかにも昔からある感じでしょう?
エアコンがなくてね、夏になると汗ダクになってお客さんがギターを試している。
下はHank'sで掘り出し物を探すD_Driveの3人。

11_0r4a0654 私が初めて来た時には違う場所にあった。
ね、同じ「Hank's」でも全然違うでしょ?
コレ、おかしいと思わない?
同じ店が何軒もアッチへ行ったりコッチへ来たり…その理由は後でわかる。

96c 写真の左側、看板の「27」の下。
空き段ボールが置いてあって、お店の通用口みたいだけど、裏道に抜けられるようになっている。
以前は通り抜けができたんよ。
通り抜けると貸しリハーサル・スタジオがあった。
一度、開けっぱなしになっていたことがあって、中を覗いてみたら日本のスタジオと違って薄暗くて、マァお世辞にもキレイとは言えない代物だった。
今はもうなくなってる。260裏道はこんな感じだった。
ココは「デンマーク・プレイス」といって、昔はミュージシャン用の安ホテルが並んでいたが、1980年代には闇営業のナイトクラブがウジャウジャしていたらしい。
いかにもでしょ?
そのナイトクラブの中に1階が「Rodo's」という南米からの移民が集まるサルサ・クラブ、その2階にアイリッシュとジャマイカンがやって来る「The Spanish Rooms」というクラブが入っている建物があった。
1980年の8月16日のこと、ジョン・トンプソンという男がその2階のバーで勘定のことでイサコザを起こして店を追い出されてしまった。
ほどなくしてトンプソンは店に戻って来た。
そして手にしていたガソリンを1階にブチ撒け火を放った。
写真の通り、クラブは奥まったロケーションだったため、消防車が近づくことができず、速やかに鎮火することができなかった。
その結果、ナント、37人もの人が亡くなったそうだ。
中にいる女性を助けようと炎の中に飛び込み亡くなった勇敢な男性もいたとか。
コレは第二次世界大戦後にイギリスで起こった最悪の放火殺人事件となった。
殺人の廉で投獄されたトンプソンは2008年に獄中死したそうだ。
コレも似たような事件が京都であったもんね~。
Desの件といい、海の向こうの出来事を「コワい」なんて言っていられない。
日本も本当に物騒になったもんだよ。

11_2dplHamk'sの隣りはかつて「Jubilee Hair」という美容室だった。

280現在は「Sixty Sixty Sounds」という楽器屋になっている。
ココまでがデンマーク・ストリート。
短い通りだけど記事は長かったね。

270そろそろ締めくくりに取り掛かりたいんだけど、最後にクリフ・クーパーという人に登場して頂く。
クーパーは元々ソーホーで楽器店をやっていたが、その店を1978年に閉めると、今度は「22」というから…かつて「Music Exchane」があった所に新たに「Rhodes Music」という楽器店を開く。
その頃、まだこの周辺はほとんどすべてが音楽出版社だった。
それからクーパーは1989年にその隣に「Sutekina Shop」という店を開く。
店名は日本語の「素敵な」よ。
90年代に入るとクーパーはあたりの店を手当たり次第に手中に収めてしまう。
何でも、クーパーはデンマーク・ストリート全体を買い上げて「水平の楽器のデパート」を作ろうとしていたんだそうです。
11_0r4a0210デンマーク・ストリートに行ったことがある人ならわかると思うんだけど、ココってMarshallの展示が極端に少ないと思わない?
こんなに楽器屋が集中しているのにMarshallっぽい雰囲気が一切ない。
私は最初に来た時、すぐにコレに気がついた。
やや潤沢にMarshallを展示しているのはローズ・モーリスぐらい?
20年ぐらい前にはオックスフォード・ストリートのVirgin Mega Storeの地下に「Sound Control」という大きな楽器屋があって、そこはもうMarshallが壁になっていた。
でも、デンマーク・ストリートのお店は寂しい限り。
え?
Marshallの人気がないからだって?
トンデモナイよ!
Marshallのコピーが飛び交っているのは日本ぐらいなもんよ。
海外の人はみんなホンモノを好むからね。
じゃ、ナゼか?
営業力がないから?
イヤイヤ、確かにデンマーク・ストリートでの営業仕事は大変だ…と聞いたことがある。
でも違う。

11_img_1128 答えは下の写真にある。
このシリーズの一番最初に掲載した写真…もはや懐かしいね。
左下に描かれているギター・アンプのイラストね。
Orangeさんなの。

11_img_0242イギリスの楽器業界に詳しい人はコレでピンと来たと思うんだけど、さっき書いたデンマーク・ストリート中の楽器店を買い漁ったクリフ・クーパーという人はOrangeアンプの「Orange Music Electronic Company」 の創設者なの。
そうとなりゃ、自分の息のかかった店にMarshallなんか置きたくないわナァ。
コレがわかるとやたらとオレンジ色の四角い箱が目に付くんだわ~。
何しろ、下の写真の右側の楽器店…11_img_1421 下では左。
チャリング・クロスから見て左側ね。
こっちサイドにある店はほとんどクーパー傘下だったらしい。
そりゃデンマーク・ストリート全部を買っちゃおうとしていたんだから、それも不思議ではない。
左側のお店の売上げ金は毎日すべて入り口近くにあるさっきのArgentの「music room」に集める。
3つのバッグを用意しておいて、その中のひとつに売上金を入れる。
他の2つのバッグはダミーね。
その3つのバッグを持って近くの銀行に入金しに行くシステムだったのだそうだ。
当時はロックが盛んだったし、現金商売が当たり前だったので毎日モノスゴイ売上金だったらしい。
 
思い出して見ると、<中編>に出て来たロンが2003年か2004年にフランクフルトで一緒に食事をしていた時、「シゲ、デンマーク・ストリートの楽器屋はね、ほとんど1人の人が経営しているんだよ」と教えてくれたことがあった。
「ナニ言ってんだ?」とその時は思ったけど、こういうことだったのだ。
クーパーは2006年に持っていた店舗をすべて売りに出してしまった。
全部ではないが、ほとんどの物件を引き継いだ人がいて、現在に至っている。
だから、店の引っ越しも「部屋の模様替え」ぐらいに過ぎないワケよ。
同じ人がやってるんだから。
11_img_2825このデンマーク・ストリート、これからどうなっていくんだろう?…と思っていたら興味深いモノを見つけた。
2014年の12月、ピート・タウンゼンドが当時ロンドン市長だったボリス・ジョンソンに新聞紙上で送った公開書簡だ。
こんな内容。

「私は発展と変化の必要性について理解を示します。'Crossrail(デンマーク・ストリートのの近くを通ることになる鉄道路線)'がロンドンの繁栄にとても重要で、その工事がロンドン、特にソーホー地区にもたらす混乱も仕方がないと思っています。
ゆくゆくは人々がその鉄道を利用することにより、車の渋滞が減ることにもなるでしょう。
しかし、鉄道の敷設はソーホー地区の風情や魅力を悪い方向に変えてしまうのを隠すための口実にすぎないのではないでしょうか?
開発者はこう言います…デンマーク・ストリートを壊すのではなく、再開発するのだ…と。
しかし、店舗面積は極端に小さくなる半面、賃貸料は値上がりする。
再開発のために『ロンドンのティン・パン・アレイ』であるデンマーク・ストリートが無くなってしまうなんて考えただけで胸クソが悪くなります。
他に類を見ないこの『音楽の路』を高く評価し、その存在をCrossrailの目覚めから除外できればいいのに…。
60年代、私はデンマーク・ストリートのMacari'sでファズボックスや弦を買ったものです。1964年にはRegent Sound Studioでシェル・タルミーと一緒にバッキング・コーラスの録音をしたこともありました。
ソーホーのウォード―・ストリート(The Whoがレギュラー出演していたMarqueeの第2号店があった通り)の近くに住んでいた時には『Drum Shop』でよく買い物をしました。
ボリス・ジョンソン、そしてカムデン評議会(デンマーク・ストリートのエリアが属する地方自治体)の皆さん、どうかデンマーク・ストリートを保存地区に指定してください。
そうでもしないことには、膨大なロックの歴史を永遠に失いことになってしまうでしょう。
進化は大切です…しかし、我々の偉大な街に根差すそうしたランドマークも同様に大切なのです。
 
ピート・タウンゼンド」
 
みんなロンドンが大好きなんだよ。 
ボリスはこの手紙を読んでどう思っただろうか?
ボリスがロンドン市長だった時代とはいえ、2年後のBREXITでロックどころではなかったであろう。
返事が来ていなければ、ピートは「チッ、あの蜘蛛野郎!」と思ったに違いない。
アレはジョン・エントウィッスルの曲…ジミ・ヘンドリックスのお気に入りだったんだってね。
お、そういえば<中編>で出て来たようにこの「Boris the Spider」は入っている『A Quick One』はRegent Sound Studioで録音しているんだっけ!

Qo 私はどう思っているかって?
様々な保存運動をしているようだけど、この通りは近い将来、今の「楽器屋街」の風情がきれいサッパリなくなってしまうと私は見ている。
短い間とはいえ、20年の間定点観測をして来てヤッパリこの斜陽具合を痛烈に感じないワケにはいかないし、何よりも「音楽」そのものに力がなくなってしまったもん。
だから、この類まれなる「音楽の路」を見ておくなら今のウチだと思う。
ヤッパリ『『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』やるか?

11_0r4a0185 しかし、長くなっちゃったな~。
デンマーク・ストリートの探訪はいかがでしたでしょう?
このシリーズ、本当は冒頭のThe Kinksの「Denmark Street」のところをやりたいがタメの企画だったのよ。
それがMarshallのモデルナンバーから、他社の歴史から、変態から放火犯まで範囲が広がっちゃって!
どれだけ英文の資料に目を通したことか…。
エラい苦労したわ~。
でも、いつも通り書いていてとても楽しかった。
 
この『変わりゆくロンドン』のシリーズも次で最終回。
その後は、満を持して『ロンドンのジミ・ヘンドリックス』特集をやろうかと思っています。
その次はまた『キンクスのロンドン』特集。
好きな人だけ読んで頂ければうれしいです。
好きは人は乞うご期待!
 

200_2 
(Kさん、ポール・コゾフの情報をありがとうございました。そして、いつもMarshallをご愛用賜り御礼申し上げます)





2020年9月18日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.53~変わりゆくロンドン <その5>デンマーク・ストリート(中編)

   
前回、Marshallの1959や1960等のモデル・ナンバーがどのように生まれたのかを書いた。
過去、日本においてそんな記述が一度だってあったであろうか!…と、Marshallファンから快哉の声が寄せられるかと思っていたら……アラ?
見事にナンの反応もなかったワイ!
皆さん、こういうことに興味がおありでないということがよくわかった。
イヤ、こういうのも最早ビデオでやらないとダメなのか?
「ハイ、どうもMarashallのシゲどぅぇぇぇす!」とか言って。
 
イヤね、「何年製の1959はスイッチがどうした」とか「トランスがどっち向いてる」とかいうことを追いかけているよりよっぽどオモシロイし、大切なことだと思うんだけどな~。
そうした昔のマイナーな仕様の変更は、「パーツの在庫を切れていたからあり合わせのモノをくっ付けただけ」なんてことがほとんどなんよ。
Marshall社は中小企業だからして、そうしたマイナーな仕様の変更は避けられなかっただけの話。
 
そもそもこの『名所めぐり』自体が人気ないからな…でも、私は記事を作っていてコレが一番オモシロいし、時間をかけて広範囲にわたって色んなことを調べるので、とても自分自身の勉強になる。
「読んだ音楽ファンが得をするMarshall Blog」だぞ!…ナンチャッテ。
いつか、ロンドンで『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』のガイドをやりたいと思っているんだ。
この年じゃもう無理か…。
でもやっぱりミュージシャンの方はコレを読んで頂いている方が多くいらっしゃって、「いつかみんなでロンドンとMarshallの工場に行こう!」なんて話を時折しています。
  
さて、前回紹介した、1966年から1981年までMarshallの総販売元を務めたローズ・モーリスの隣のビルの壁についているプラーク。
赤い矢印のところね。11_tpapかかっているのはこんなプラーク。
 
この通りは『ティン・パン・アレイ』 1911-1992でした。
イギリス音楽出版社や作曲家の本拠地で、それらの関係者が集った『The Giaconda』はココにありました
Tpa_2ココで言う「ティン・パン・アレイ」は細野さんのバンドじゃありませんからね。
1890年代の後半から1950年代の半ばまで栄えた、ニューヨークはマンハッタンの西28丁目にあった音楽出版社が立ち並んでいた通りが「ティン・パン・アレイ」。
それのイギリス版がデンマーク・ストリートでした…ということを表している。
かつてはこの通りにドバ~っと音楽出版社が並んでいたというワケ。
104そして、このプラークがかかっている建物には「The Giaconda Cafe」というカフェがあった。
デヴィッド・ボウイがDavy Jonesの名で最初のバック・バンド、The Lower Thirdsのメンバーを集めたり、スモール・フェイセズのオリジナル・メンバーが会した場所だという。
Al Lee、すなわち今のAlbert Leeがこの店で働いていたという。
 
「David Robert Jones」というのはボウイの本名ね。
メッチャ平凡じゃね?

Lt話は一旦ニューヨークの「ティン・パン・アレイ」に飛ぶ。
 
昔は音楽を再生する装置が普及していなかったので、自分たちで演奏して音楽を楽しむのが普通だった。
お父さんの弾くピアノを囲んで、ブロードウェイのミュージカルの曲を家族みんなで歌って楽しんだんだネェ。
いわゆる日本にはない「シート・ミュージック」の文化ってヤツ。
音楽出版社が立ち並びティン・パン・アレイは、そうした曲をサンプルとしてピアノの生演奏で聴かせたり、自分の曲を売り込んだりと、まさにキンクスが「Denmark Street」で歌っているように一日中音楽に溢れかえっていた通りだったワケ。
当時のティン・パン・アレイでは、ジョージ・ガーシュインやら、コール・ポーターやら、オスカー・ハマースタインやら、ハロルド・アーレンやら、挙げだしたらキリがないほどたくさんのモノスゴイ作曲家たちがいて、腕によりをかけて作った多くの名曲がティン・パン・アレイからリリースされていった。
下のジョージ・ガーシュインの伝記映画『アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)』にはそうしたティン・パン・アレイの様子がよく描かれている。
スゴイよ。
まだまだ新しい音楽がドンドン出てきている時代なので、すべてをやり尽くしてしまった終末感漂う今の音楽業界とは活気が違う。
この作品、残念ながら「映画」としては大してオモシロくない。
この手の映画では何と言っても『グレン・ミラー物語』がナンバーワンだ。
でも、アル・ジョルソンや実際にガーシュインの親友だったというピアニスト、オスカー・レヴァント(『巴里のアメリカ人』のピアニストね)が実名で出演しているのがうれしい。
また、セルゲイ・ラフマニノフやヤッシャ・ハイフェッツ、モーリス・ラヴェルなんかも出て来る。
作曲の勉強をしようとガーシュインがパリのラヴェルを訪ねると、「二流のラヴェルになるよりも、一流のガーシュインでいた方がいい」とか言われて体よく弟子入りを断られた有名な話もチャンと出て来る。
ラストシーンのオスカー・レヴァントの大俯瞰にも注目。
野外のコンサート会場で「Rhapsody in Blue」を弾くレヴァントの手のクローズアップから、ドンドンカメラが引いて行き、ピアノ、オーケストラを見下ろし、果ては会場全体を俯瞰してしまう。
もちろんワンカット。
今から75年前の映画だからね。
当然ドローンなんかない時代。
専門家に言わせると、どこかでスチールに入れ替わっているんだとか…でもいくら見てもそのつなぎ目がわからないらしい。
結局、このシーンはでもどうやって撮ったのかが正確にはわかっていないのだそうだ…と言われていたのがかなり前の話なので、今では明らかになっているかも知れない。Ggチョットここで脱線。
以前にも書いたことがあったと思うが、ラヴェルとガーシュインの関係。
下は私が持っているジャン・ジャック・カントロフが弾くラヴェルの「ヴァイオリン・ソナタ」のCD。
24か25歳の時だから、もう30年以上前に梅田の新阪急ビルの地下のクラシック専門のレコード屋で買った。
コレの第2楽章の「Blues」を聴いた時の話。
「二流のラヴェル」云々の話は元から知っていたもんだから、「あ~あ~、やっちゃったよ、ラヴェル!」と結構ブったまげた。
ナゼなら、それがガーシュインの「Summertime(サマータイム)」にソックリだったのだ!
…と思ったら、ラヴェルは1927年、「Summertime」が挿入されているオペラ『Porgy abd Bess(ポーギーとベス)』は1935年。
ラヴェルの方が一流だった!
イエイエ、パクリかどうかはわかりませんけどね。
コレもロマン、ロマン。
とにかく、この「ヴァイオリン・ソナタ」はカッコいいです。

11_voucher5_0001

もうひとつ、ティン・パン・アレイの作曲家の伝記映画を…コール・ポーターの『夜も昼も(Night and Day)』。
まぁ、いくらなんでもホンモノのコール・ポーターはケーリー・グラントほどはカッコよくなかったろう。
でも、コール・ポーターの曲はどれもトコトン素晴らしい。
このあたりの作曲家はみんなクラシックくずれだからね。
クラシックじゃ食えないからブロードウェイ・ミュージカルの音楽を作っていた。
クルト・ワイルだとか、ちょっと後のバーンスタインなんかもそう。
だから曲のクォリティがベラボーに高い。
みんなユダヤの方。
だからこれらの音楽を題材にしたジャズは「黒人とユダヤ人が作った音楽」と説く人もいる。
私もそう思う。
なんたって「音楽」は「曲」だから。

そして、ポール・マッカートニーとか、レイ・デイヴィスとか、その辺りの人たちは間違いなくティン・パン・アレイの曲を勉強していると思う。
イヤ、きっと親が聴いていて、自然に耳に入って来たんだろうね。
ポールが15歳の時に造ったという「When I'm Sixty-Four」なんていい例でしょう。
Wings時代の「You gave me the Answer」とか。
The Kinksだって「Alcohol」とか、ロックンロールの曲でもチョット他とは違う感じがする…だからオモシロい。
ま、コレは私見だけど、ポピュラー音楽というものは、ティン・パン・アレイの時代にすべて完結していると思うんだよね。
後は異種配合と順列組み合わせとテクノロジーの進歩でココまで来たと考えている。
ま、エンターテイメントはそういうモノか?
 
ところで、この映画…正直言うと何度も挑戦したのだが最後まで観たことがない。
ナゼか?…ツマらないからだ!
でも、この作品の存在によって、アメリカ人にとってコール・ポーターが大切な音楽家であることが理解できる。
Nd
ハイ、話題は次にイギリスのテレビの話に移りますよ~。
2002年に私が初めてロンドンを訪れた時のこと。
オルドゲート・イーストというタワーブリッジの近くのインド人街の真ん中にあったホテルの部屋に入って、まずテレビのスイッチを入れた。
その瞬間に流れて来たのは10ccの「Life is a Minestrone」。
時間は7時ぐらい。
放送局はBBC。
他の記事にも書いている通り、私は大の10ccファンゆえとてもうれしかったし、初めて訪れたヨソの国での不安を一気に吹っ飛ばしてくれた。
もちろん、昔のビデオ・クリップを流しているだけなんだけど、そんなゴールデンタイムに国営放送が27年も前のロックのヒット曲をゴールデン・タイムに放映していることに驚き、そして感動した。
「コリャ、いいところへ来たワイ」って。
その10ccのビデオの元ネタはBBCの「The Old Whistle Grey Test」ではなかったか?(調べてみると、どうも違うようだが、ココではそういうことにして強引に話を進めることにする)

Lim「The Old Whistle Grey Test」は1971年から1988年までBBC2で放映された深夜枠の音楽番組。
今、YouTubeにそのビデオがウジャウジャ上がっているので、コアな音楽ファンであれば『THE OLD GREY WHISTLE TEST』というサインをバックに演奏しているロックの黄金時代に活躍したバンドの姿を見たことがあるだろう。
まぁ、その時代に活躍したバンドで出ていないバンドはないぐらいたくさんのバンドが出演している。
国営放送だもんね~。
『モンティ・パイソン』や『Mr.ビーン』の放送局だもんね~。
スゴイなぁ。
「BBCをぶっ壊す!」という人がイギリスにいないのも当然だ。
で、この『THE OLD GREY WHISTLE TEST』という番組名ね。
コレ、どういう意味か…。
「whisle」は「口笛」。
「test」は普通に「テスト」。
「old grey」というのは、灰色っぽい服を身にまとった警備員なんかをやっていそうな初老の人のこと。
ティン・パン・アレイに来たその初老の紳士に曲を聴かせる。
そして、その紳士がその曲のメロディを口笛で吹くことができれば、その曲はヒットの可能性大…というテスト。
要するにキャッチー度の調査をするワケですな。
もしかして、本場のティン・パン・アレイとゴッチャになっているかも知れないんだけど、コレは初老の紳士に限らず、ティン・パン・アレイのメッセンジャー・ボーイ、すなわち「使いっ走り」を対象にした、という記述をどこかで読んだ気がする。
それと、私よりズット年上の昔の仕事仲間で、ケントの「Gravesend(グレイヴスエンド)」というところに住むロンという人がいた。
スゲエ早口のイギリス英語で、聞き取るのにいつも四苦八苦したものだった。
そんな彼がティン・パン・アレイにいたのかどうかは知らないが、やはり子供の頃から音楽の業界にいてミュージシャンの使い走りの仕事をしていたそうだ。
よくミック・ジャガーなんかのお使いをした…なんて話をしていた。
そんな話からすると、口笛のテストを受けさせられたのは「old grey」は初老の紳士だけではなかったのではないかと想像するワケ。
11_ogwt
この番組には有名なホストがいた。
2代目として登板したBob Harris(ボブ・ハリス)という人。
ボブはホンニャラした優しい語り口が特徴で「Whispering Bob(ささやきのボブ)」とアダ名されていた。
でもね、物事を正直に言いすぎてしまい、時には若い人たちからヒンシュクを買うこともあったのだそうだ。
例えばRoxy Music。
初めて番組に出演した時に「Style over substance(中身より格好だけ)」と酷評してしまったらしい。
また、New York Dolesには「Mock rock(ロックもどき)」と…。
私はRoxy Musicが好きなので弁護すると、個性がそれだけ強烈でボブの感性が追いつかなかったのでは?なんて思いたい。
気に食わないなら出さなきゃいいと思うけど、それにしてもですよ、国の公共電波を使って平気で出演するバンドの批評をしてしまうなんてスゴイと思わない?
こんなこと日本のテレビじゃ絶対に考えられないでしょう。
もうどんなバンドでも「アーティスト、アーティスト」と崇め奉るだけだもんね…最もそうすることが正しいとも思うんだけど。
それでも、こういう話を聞くと、やはりエンターテイメントに対する民度が日本とはケタ違いに高いということを感じてしまう。
そんなボブが朝のワイドショーに出演している動画があったので貼り付けておいた。
ボブの優しい口調に注目。


番組はBBC Oneで朝6時から毎日放送している『Breakfast』。
玉川さんは出ないにしろ、私、この番組が大好きでイギリスにいる間は毎朝必ず見ている。
だって思いもよらない人がボッコリ出てきたりするんだもん。
 
例えばこの動物福祉活動家のメイさん。
「メイちゃ~ん」って、この人Queenだよ。
Queenのギタリスト。

11_img_0029グレン・ヒューズも!

11_img_0047コレ、この日は2012年の50周年コンサートの前日だったの。
「明日、Marshallの50周年記念のコンサートが開かれます!」というシーン。
ジムはBBCのラジオなんかにも出演しているし、この数年後にはBBCでMarshallのドキュメンタリーを制作したからね。
11_img_0045ウチの社長も当然出演。
8年前ともなると若いね。
BREAKFASTさん、ジョンの綴りが違ってますよ!
本名は「Jonathan」なので、正しいディミニュティヴは「Jon」です。

11_img_0080サラリと工場も紹介された。

11_img_0079そして、その工場に来てくれたのは…ボブ・ハリス!12bob1何年か前の話だけど、奥様後同伴でミルトン・キーンズを訪ねて来てくれた。
向かって右はMarshall Recordsのヘッド、スティーブ・タネット。
タネさんも業界では古い人なので、ボブが来たのはその関係だったのだろう。
数え切れないぐらいMarshallは「Old Grey Whistle Test」で活躍したからね。

12bob2ことの起こりは1911年にローレンス・ライトという人がデンマーク・ストリートに音楽出版社を開いたことだった。
このローレンス・ライトという人は1926年に「メロディ・メイカー」誌を発刊した人。
その後、デンマーク・ストリートにウジャウジャと音楽出版社が集まり出し、1950年代の終わりごろまでイギリスの「音楽のメッカ」として隆盛を極めた。
 
ハハハ、「私がナゼBSTを辞めたか」…デヴィッド・クレイトン・トーマスのインタビューなんて出ている。
「Sabbath、Floydのツアー日程」か…。
「フランクのホット・ギグ」…この1971年のイギリスのツアーはあのモントルーの火事の後だったので特別「hot」なワケ。
「Smoke on the Water」のアレね。
そして、このツアーのロンドン公演、レインボー・シアターでファンにステージから突き落とされて大ケガを負ってしまう。
1971年ザッパ受難の年のMelody Maker誌。

11_mm_2 その「Rainbow Theatre(レインボー・シアター)」。
これは去年撮った写真なんだけど、ココはいつ来てもゼンゼン変わらんな~。
今でも新興宗教団体の施設。

11_img_9625NME(New Music Express)も1952年にこの地で生まれている。

11_nmeさて、そんなデンマーク・ストリートの音楽出版社たちも1960年代に入ると急速に没落して行ってしまう。
ビートルズをはじめ、自分たちで作曲をするミュージシャンが時代の表舞台に立ち始めたのだ。
一方で、デンマーク・ストリートの音楽関係者は従来の感覚にしがみつき、そうした新しい才能を認めようとしなかった。
当時、ロンドンで創作活動をしていたポール・サイモンは「The Sound of Silence」や「Homeward Bound」すら「こんなもんは売れやしない」と認めてもらえなかったという。
エルトンジョンの最初のシングルにして、「名曲」としてロック史上にその名を残す「Your Song(僕の歌は君の歌)」がデンマーク・ストリートで生まれたことはよく知られている。
エルトン・ジョンは1963年当時、デンマーク・ストリートの音楽出版社に勤めていた。
ある朝、その出版社の屋上でエルトンが来るのを待っていたバーニー・トウピンが書いた詩が「Your Song」なのだそうだ。
「♪ I sat on the roof and kicked off the moss(屋上に座ってコケを蹴飛ばす)」というのがまさにそのパート。

Ysそして、1974年の『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』。
エルトン・ジョンとバーニー・トウピンのこのアルバムってビルボード200史上、「初登場で1位」を獲得した初めてのアルバムなんだって?
エルトンとバーニーの下積み時代を綴ったコンセプト・アルバム。
その中の「Bitter Fingers」という曲。
アルバムの中で私はこの曲が一番好き。
それにこういう歌詞が出て来る。
「bitter finger(苦い指)」というのがわからなかったんだけど、そのまま当てはめれば…
♪It's hard to write a song with bitter fingers(苦い指で曲を書くのは大変だ)
So much to prove, so few to tell you why(証明するのはたやすいけれど、説明するのは厄介だ)
Those old die-hards in Denmark street start laughing(奴ら、デンマーク・ストリートのガンコオヤジが笑いすことだろう」…みたいな?
やっぱりそうだったんだね。
 
このジャケットってクレジットはされていないけど、ヒプノシスが噛んでいるんですってネェ。

12cf音楽出版社の衰退をヨソにデンマーク・ストリートにはスタジオができ始めた。
有名な「Regent Sounds Studio」のオープンは1961年。
はじめは音楽出版社が権利を持つ曲をレコーディングして納めるためのモノだった。

11_img_0230The Rolling Stonesの1964年のファースト・アルバムとセカンド・アルバムの大半はRegent Sound Studioでレコーディングされた。
ストーンズのマネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムのお気に入りで、頻繁にこのスタジオを使っていた縁だった。Rs_2 ローリング・ストーンズのファースト・アルバムの成功により「Regent Sounds Studio」はその名を知られることになり、大繁盛!
レコーディングだけでなく、リハーサルやデモ音源制作の場として、ジミ・ヘンドリックスやエルトン・ジョン、デヴィッド・ボウイ等々、多くの人気アーティストに利用された。

230 Black Sabbathの最初の2枚もRegentで録音している。

Pn_2

Pn_1他にも、The Bee Gees、The Troggs、Slade、Tom Jones、The Yardbirds、Herman's Hermits、Brian Poole and the Tremolos、Mott The Hoople等々がこのスタジオでシングル盤をレコーディングした。
あ、The Who の『Quick One』の一部もココで録音されたらしい。

Qo Regent Studioは規模を拡大し、トッテナム・コートロードに最も大きなスタジオを建造。
一時はアビーロードやオリンピックやトライデントをしのぐ勢いだったらしい。
この頃はどこのスタジオも大繁盛だった。
オモシロいのは「Fixing a Hole」の一部はそのトッテナム・コートロードのRegentで録音したんだって。
ナゼかと言うと、アビィロード・スタジオがイッパイでどうしても予約できなかったらしい。
天下のビートルズでもかよッ?!
Fahジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズはスタジオ・ミュージシャンとして毎日いくつものレコーディングを掛け持ちして当時大忙しだったんだって。
キンクスの1966年のアルバム『Face to Face』にそんなセッション・ミュージシャンのことを歌った曲がある。
その名も「Session Man」。
「♪彼の考えには一銭も払われない、ただ弾くだけ
彼はセッションマン
コード進行家
トップ・ミュージシャン
毎日違うスタジオで演奏だ
と、多忙を極めた当時のスタジオ・ミュージシャンをからかって歌っている。
いい曲です。

11_ftfそんな強力なスタジオも80年代に入るとパタリと勢いが失せてスタジオを廃業してしまった。
Regent Sound Studioも今は楽器屋さん。

240地下が「Alley Cat」というバーになっている。

250変わりゆきますな~。
 
こんな自転車最近見ないね。
お巡りさんでもこんなの乗ってないでしょ?
昔は座布団を巻いた真ん中の横棒に乗せてもらってお父さんと2人乗りをしたよね。
しばらくして身体が大きくなってもサドルが高くて座れないもんだから、真ん中の三角ところに片足を入れて向こう側のペダルを踏んだものだ。
「三角乗り」と言ってね。235<後編>につづく
 

200

 

2020年9月 3日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.52~変わりゆくロンドン <その4>デンマーク・ストリート(前編)

 
前回紹介したトッテナム・コート・ロードの工事現場の迂回路にかけられていた標識。
「London's Legendary Music Street TIN PAN ALLEY(ロンドンの伝説の音楽通り ティン・パン・アレイ)」と銘打っているのは「Denmark Street(デンマーク・ストリート)」。
も~、この『名所めぐり』で一体何回やれば気が済むんだ?…という感じだけど、またやる。
ココも変化が激しくてね。
新しく仕入れた知識を交えて、今一度この「ロンドンの音楽の通り」を案内させて頂きたい。
 
この標識は5年前に撮ったモノ。
ココで注目して頂きたいのは赤い文字で書かれた「JUST AROUND THE CORNER」と左下のギターアンプのイラスト。
このアンプ、Marshallではない。11_img_0242前の記事で「トッテナム・コート・ロードとソーホーという名前は覚えておいて!」って書いたでしょ?
というのは、コレ。
こんなことを歌った曲がある。
 
Down the way from the Tottenham Court Road
Just round the corner from old Soho
There's a place where the publishers go
If you don't know which way to go
Just open your ears and follow your nose
Cos the street is shakin' from the tapping of toes
You can hear that music play anytime on any day
Every rhythm, every way

トッテナム・コート・ロードのすぐ近く
いつものソーホーから行ってチョット曲がったところ
出版社が並んでいるところ
どう行ったらいいのか分からなければ
耳を澄ませて 鼻をきかせてごらん
つま先を鳴らす音で通りが揺れているから
いつでも、いつの日も音楽を演っているところ
あらゆるリズムで、あらゆるスタイルで…
 
この「いつでも音楽に満ち溢れている通り」がデンマーク・ストリート。
曲はThe Kinksで、その名もズバリの「Denmark Street」。
ね、「トッテナム・コート・ロード」に「ソーホー」に「Just around the corner」。
この最初の4小節は、Ray Daviesが「トッテナム・コート・ロード」という固有名詞を使いたいがために作ったメロディなのではないか?と思いたくなるほどバッチリとマッチしている。
口にしてとても気持ちがいい。
それに「Just around the corner」だなんて、この標識を作った人は絶対にThe Kinksを知っているハズだ。
そして、この曲を知っている通行人は標識を見てニヤリ。
いいな~、ロンドン。
下は1971年にフランスでリリースされたThe Kinksのシングル。
A面の「Animals in the Zoo」よりナゼかカップリングされた「Denmark Street」の方がゼンゼンいいと思うんですけど…。11_2imagesアルバムでは1970年のThe Kinksの8枚目のスタジオ・アルバム『Laura Versus Powerman and the Moneygoround, Part One(ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦)』に収録されている。
大ヒット曲、「Laura」が収録されているアルバムね。
そういえば「Laura」でも「old Soho」という歌詞が出て来る。
前々回に「ソーホー」をまた取り上げたけど、ロンドンっ子にとってはソーホーがいいんだろうな~。
こうしてThe Kinksはロンドンの固有名詞を歌詞に取り込んでいる曲がいくつもあって、コレが実にうれしくも楽しい!
ロンドン好きにはどうにもタマらんのだ!
ナニせ曲がどれも最高にいいからね。
そんなキンクスの曲を集めた「ロンドンのガイド」を編む準備をしている。
楽しいけど、コレがまた大変!

11_rp…ということで、チョイとそこまで…デンマーク・ストリートまで!
コレはトッテナム・コート・ロードの交差点からチャリング・クロス・ロードをチョット行ったところ。
70_2歌詞にあるように、この真ん中のオレンジ色の看板のお店を左に曲がれば…

75その「いつでも音楽に溢れた」ところ。
え…コレが?
このサビれた何の変哲もない180mほどのチッポケな通りがイギリスのティン・パン・アレイ?
そうなの。
コレがデンマーク・ストリートなの。

60通りの名前は17世紀の終わり頃、「George of Denmark(ジョージ・オブ・デンマーク)」にちなんで名づけられた。
ジョージはデンマーク国王フレゼリク3世の次男坊。
アン女王の王配。
「王配」とは平たく言うと、「女王様のダンナ」のこと。
もうイギリスの歴史ってのは「アン」だの「メアリー」だのがいつの時代もゾロゾロ出て来てサッパリ覚えられん!
そもそもヘンリー八世の6人の奥さんだって、ウチ2人が「アン」、他の2人が「キャサリン」だからね。
ココのアン女王は、在位が1702~1707年で、最後のイングランド(ウェールズ含む)とスコットランドの女王にして、最初のグレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)の女王…言葉で説明するとこういうになるけど、ココは旗で説明した方がわかりやすい。
 
この赤いイングランドの国旗と…

11_england_j_2
こっちの青いスコットランドの国旗を合体させて…

11_scotland_j
こういう風になった時代の一番偉い人がアン女王、

11_union_j つまり、このアンが女王の時にイングランドとスコットランドがひっついて今のイギリスの基盤になったんだね。
その後、北アイルランドが併合されて今の国旗になったというワケ。11_uj コレは全く知らなかったんだけど、1930年代には日本人が経営する本屋やレストラン、美容室やホテルが出来て、デンマーク・ストリートは「リトル・トーキョー」の異名を取ったのだそうだ。

90_2コレは私が撮った一番古いデンマーク・ストリートの写真。
2002年、初めてロンドンを訪れた時のこと。
イギリス・ナンバーワンの楽器屋街。
日本で言えば御茶ノ水。
さっき通ったチャリングクロスは日本の神保町。
楽器屋街と古本屋街がくっついているなんて、日本とまったく同じじゃん?
 
この時は特に「さびれている」というイメージはなかったな。
仲良しだったMarshallのスティーブが連れて来てくれた。
スティーブはMarshallを退職した後、不幸にしてこの世を去ってしまったが、この時に私に紹介してくれた美しいガールフレンドとはfacebookで今でもつながっている。
3人でピザを食べに行ってね。
ココには出さないけど今でもその時に撮った写真を大切に保管している。96aこの頃はHANK'Sがこんな感じだった。
写真の右上に写っている青い看板の建物を見ておいてね。

96cこの頃はデンマーク・ストリートの外、つまりチャリング・クロス・ロードにもいくつかの楽器店が盛んに営業していた。
上に出て来たスティーブはその昔、この「Macari's」でアルバイトをしていたと言っていた。
スティーブがココへ連れて来てくれたのは、たまたまJohn Entwistleがなくなった翌日のことで、店内はその話で持ち切りだった。

96eこのturnkeyという店は1階がデジタル楽器売り場で2階が従来楽器の売り場で結構Marshallが並んでいたが、今はもうない。
ツブれた。
下の写真はツブれた後に撮った写真。
「TO LET」とは「貸室あり」という意味。
「トイレ」じゃないからね。96dまたデンマーク・ストリートに戻る。
チャリング・クロス・ロードから通りに入ってすぐの右側。
「Rose Morris(ローズ・モーリス)」というお店。
私が最初に来た時は確か1店舗だけしかなかった。

120今ではもう1店舗増えていて、お店によって取扱い商品を分けている。
このローズ・モーリス、コアなMarshallファンの方にはおなじみの名前だろう。
昔はチャリング・クロスにあった老舗の楽器店で、1964年にリッケンバッカーの輸入販売代理店となり、その他にも色々なブラントの楽器を取り扱っていた。
そして、1966年からMarshallの販売総代理店となった。
かつてジムは何かのインタビューで(BBCラジオだったかな?)、ジムは当時ピート・タウンゼンドがブッ壊したMarshallだけでなく、リッケンバッカーのギターも修理していたと言っていた。
なるほど、こういう関係があったのね?
 
「販売総代理店」…「総」だからね。
国内外を問わず、Marshallの作った商品はすべてこのローズ・モーリスを通して販売された。
その際、ローズ・モーリスは法外なマージンを乗せていた。
それでもバンバン売れたワケだから、Marshallのギター・アンプはメチャクチャ求心力のある商品だったのだ。
何せ時の音楽を変えた楽器だからね。
それなのに、Marshallの儲けはチョビっとだったの。
昔はMarshallの値段って高かったからね~。
でも日本の場合は、ローズ・モーリスの暴利だけが原因ではなく、円vs.ポンドの為替レートが不利であったことに加え、関税がガッツリかけられていたこともあったようだ。
自分が作った商品をMarshallが勝手に誰かに販売するなんてことはもっての他。
仕方ない、そういう契約をしちゃったんだから。
だから、「コレはMarshallじゃないけんね」と、「Park」や「NARB」や「KITCHEN-Marshall」というMarshallによる類似ブランドが誕生した。
今だからこそ「ナンだってジムはそんな契約をしてしまったんだ?」と思うけど、やはり当時は1920年創業の老舗だけに、ローズ・モーリスに強靭な営業力があったように見えたのではなかろうか?
Marshallは時代の音楽の変化に合わせて1959や1960等、JTM45に続くモデルを何としても世界的に販売したかったんでしょう。
そこでローズ・モーリスの力を借りたのではなかろうか?
ジャパネットより何十年も先に「良いモノをより安く」自分の商品を販売したかったジム・マーシャルはこのローズ・モーリスとの契約に大層後悔したそうだ。
100_2生前、ジムはよく「『スタック』という言葉を最初に使ったのは私なんだよ、フォッフォッフォッ」と言っていた。
ところが、ローズ・モーリスはこの「スタック」という表現を使いたがらず、アンプ・ヘッドとスピーカー・キャビネットが別々になっている仕様を「セットアップ」と呼んだ。
下は当時のローズ・モーリス制作のMarshallのカタログ。
「ウインター・コレクション」だなんて、まるでファッションだな。
コレ、「LEAD」という呼び方もローズ・モーリスによるものだったのかナァ?
「LEAD」というのは「ギター」のことね。
PAやオルガン用のアンプも当時は重要な商品群だった。
1959だの、2203だの4ケタのモデル・ナンバーもローズ・モーリスの仕事。
「UNIT〇〇」も同様だ。
Marshallはこのあたりに関与していない…というか、「ボク、売る人。キミ、作る人」という具合にMarshalは販売政策に全く関与できなかったのかも知れない。

12mae_roseところで、このMarshallのモデル・ナンバーね。
1959、1960、1974…一体この4桁の数字はどこから来たんだ?どうやって決めているんだ?…と不思議に思う人はきっと少なくないでしょう?
「19」始まりの番号なので、一瞬「そのモデルが発表された年」と思うのもムリはない。
ブ~!
違います。
1959や1962が発売になったのは1965年のこと。
発売年とモデル・ナンバーには一切関連性がない…ま、このことをご存知の人は多いハズ。
 
よくMarshall Blogでやるのは、例えば1959の定義は「100W、マスター・ボリュームなし、4インプット」で、そういう仕様のモデルは赤かろうが、三角だろうが、すべて「1959」と呼ぶことになっている…というヤツ。
同じように「100W、マスター・ボリュームつき、2インプット」仕様のモデルは「2203」ね。
コレはMarshall一番のベテラン社員から教わったので間違いではないだろう…というか、後追いでそう定義づけたのだろう。
 
しからば、ローズ・モーリスは1959等の4ケタの数字をどこから持ってきたか…。
 
ココで話はリッケンバッカーに飛ぶ。
私はビートルズは大好きなんだけど、リッケンバッカーというギターに興味を持ったことが一度もない人生だった。
実際、一度も触ったことがない。
キラっているワケでは全くないんですよ。
本当にそういう機会がなかっただけ。
なので、この年になるまでモデル・ナンバーなんて全く知らなかった。
リッケンバッカーは母国アメリカでは3ケタの数字を使ってモデルにナンバーを振っていたが、前述のようにイギリスで輸入代理店を務めていたローズ・モーリスは、特注でボディに「fホール」を付けて、独自に4ケタのモデル・ナンバーを割り振っていた。
今風に言えば「ローズ・モーリスのオリジナル・モデル」ね。
例えばコレ。
12弦のピート・タウンゼント・モデル。
本国アメリカでは「360」という型番なのかな?
しかし、ローズ・モーリスはこのモデルに「1993」というモデル・ナンバーを与えた。
「1993」、「いちきゅうきゅうさん」…なんかMarshallチームの皆さんには馴染みやすい数字じゃない?

1993じゃコレは?
下は何年か前に出たMotorheadのLemmyモデルなんだけど、元は「Super Bass」という名前でおなじみの100Wのベース・アンプでモデル・ナンバーは「1992」。
どうですか?
Marshallの「1992」、リッケンバッカーの「1993」。
もうピンと来たでしょ?
そう、ローズ・モーリスはブランドに関係なく、取り扱う商品に片っ端から順番に番号を割り振っていたのです。
だから、1959の周りと言えば…
1958:2x10"コンボ
1959:100Wヘッド
1960:4x12"キャビネット
1961:4x10"コンボ
1962:2x12"コンボ
…となんの脈略もないスペックのモデルが連番になっている。
で、私がザッと調べたところでは、1963、1964、1965というモデルがMarshallには見当たらない。
何か別のブランドの商品にそれらの番号が割り振られたのかもしれない。1992lemそして、1966はMarshall製品。
200WのMAJORシリーズがこの辺りの番号をもらっている。
1966はPA用のヘッド。

11_1966pa そして、その次の1967は「Pig」の名で知られるギター用のアンプヘッド。
このモデルは例外的に型番と発売年が同じで1967。
オモシロでしょう?
え、オモシロくない?
コレ、興味のない人にとっては最低の1本だな。
若い人はまず喜ぶまい。

11_21967恥ずかしながら、今回リッケンバッカーのイギリスでのモデル・ナンバーことを知って、このシステムに気づいた次第。
ま、この推測に確信はあったけれど、もし間違えていたら大変だと思い誰かに確認したくなった。
もうMarshallにはこの辺りのことを知っている古い人がいないので、さて一体誰に訊いたらよいのやら…。
そこで思い出したのがこの本。11_book1_2そして、この本。

11_0r4a0151さらにこの本。

11_0r4a0158上の日本語版を監修したのがワタシ。

11_0r4a0154このナンバリングの疑問を解いてくれるのは、これらの本を書いたマイケル・ドイルしかいない!と思いたち、すぐにアメリカにメールをしてみた。
下は今年のNAMMの時の写真。
向かって右はMarshall GALAでおなじみのジョナサン・エラリーMarshall社社長。
一番左は、昔一緒に仕事をしていたJC。
ウチに遊びに来てくれたこともある仲良し。
今ではそのJCとマイケルの職場が偶然同じで(誰もが知っているアメリカ最大の楽器屋さん)、「アナタの書いた本の日本語版を監修した日本人が私の友人で、Marshallのブースにいるよ」と、私に引き合わせるために、JCがマイケルを連れて来てくれた。
当然エラリー社長はマイケルのことをよく知っているので4人で記念撮影と相成った。
マイケルは丁寧に私の仕事にお礼を述べてくれた。
こんなことがあったので、マイケルに今回質問を投げかけることができた。11_img_2739マイケルにその質問を認めてメールを送ると、直ちに返信があった。
彼の答えは「まったくShigeの指摘通りです。ローズ・モーリスは自分たちが取り扱うオリジナル商品に片っ端から連続で番号を振っていたんです。
このことは生前のケン・ブランから直接聞いているので間違いありません。
以前、どこかに書いたことがあったんだけど…忘れちゃった!」という返事。
推測通りだった。
だから、ローズ・モーリスの事務所の中で…
「オイ、こないだのMarshallのベーアンって何番にしたっけ?」
「あの100Wのヤツか?アレは1992だったぞ」
「了解!それじゃ今度のピートのリッケンの12弦は1993でいいな?」
「いいんじゃん?」
…という会話があったのかも知れない。
ロックの歴史の一部を作った1959とか、1987とか、金科玉条に取り扱っているモデル・ナンバーがこんな風にして採番されていたなんて…正直チョット興ざめするナァ。
ちなみにJTM45はローズ・モーリスがMarshallを取り扱う以前のモデルだし、1912や1922のようなモデルはローズ・モーリスから離れた後にリリースした商品なのでMarshallがモデル名を付けている。
ただ、いくつかの疑問が残っていて…
①Marshallがローズ・モーリスと契約したのは1966年であるにもかかわらず、1959や1960等の1965年に発売されたモデルにローズ・モーリスがモデル・ナンバーを与えているのはナゼか?
②1959が発売された5年後の1967年にリリースされた20WのPA用ヘッド(通称「PA20」)に1917という1959より若い番号が振られていること。
欠番になっていたのを後から補ったのだろうか?
こうした順番の入り繰りは他にも例があるようだが…。
③ローズ・モーリス時代、2203のような2000番台のモデルの他、3000番台、最大で4000番台のモデル(JCM900とは当然無関係)が存在していた。
4000まで番号が連なっていたのだろうか?
多分、それはないでしょう。
とすると、ローズ・モーリスはどうやって1000の位の数字をカテゴライズしていたのだろうか?
 
ま、どうでもいいか。
チョット今名前が出たので…。
下は2012年に開催された『ジム・マーシャルの生涯を祝う会』でご一緒させて頂いた故ケン・ブラン氏と。
一度でいいからお会いしたかったのでこの時はとてもうれしかった。170 下はローズ・モーリスが発行していたフリー・ペーパー。
過去に一度、Marshall Blogでゾロゾロと紹介したことがあったが、今回、まだ表に出したことがないモノがいくつか出て来た。
それが結構オモシロくて…近々それをネタに1本編もうかと思っている。
ね、Jethro TullはMarshallなんだよ。

12img_7729
さて、ジムが後悔したローズ・モーリスとの15年契約。
Marshallは一計を案じた。
60年代の後半から70年代の前半にかけて、Marshallが生み出すパワフルなギター・サウンドがロックに大革命が起こす。
Led ZeppelinやDeep Purpleに代表されるハード・ロック時代=歪み天国の時代である。
Marshallはマスター・ボリュームというテクノロジーを導入し、従来のアンプよりより小さい音量でより歪むモデルを1975年に発表する。
100W、マスター・ボリュームつき、2インプット仕様の「2203」だ。
日本では2203のことを「はっぴゃく、はっぴゃく」と呼んでいるが、JCM800シリーズが登場する前から2203はあったのよ。
アレ、日本では不思議と「はっぴゃく」は2203、「きゅうひゃく」は4100、「にせん」はDSLが同義語になっているんだよね。時々…
「Marshallを使ってます!」
「ああ、どうもありがとう!で、どのモデルを使っているの?」
「『にせん』です!」
「DSL?TSL?」
「はあ?ナニ言ってんだかわかんない。『にせん』を使っているんですけど…」
「……(絶句)。やっぱマーシャルだよね~!」
なんてことがあるんですよ。

Jmp2_2そして、1981年、ローズ・モーリスとの契約が終了したのと同時にMarshallは2203を中心にした新しいラインナップ「JCM800」シリーズを発表する。
James Charles Marshall…ん~、思いっきりジムの名前をフィーチュアしちゃって!
ローズ・モーリスにはズッ~っと隠していたワケ。
フロント・パネルにジムのサインをあしらったのは「Marshallはオレの会社じゃけんね!」とアッピールしたかったかのように見える。
この端から端までガバチョと開いたフロント・パネルを擁するルックスは、当時のギタリストにとってインパクトが生半可じゃなかったらしい。
でも、ブラック、ゴールド、ホワイトの配色はキッチリ踏襲した。
この完璧なカラー・コーディネーションはジム・マーシャルの偉大な発明だよ。
悪いんだけど、コピーのメーカーさん、マネしないでくれますか?
あ、コレをマネしているからコピーなんだ。
 
1981年といえばマイルスが来日した年だな?
この時の新宿のコンサートは行っておけばヨカッタ…。
私は大学生だったけど、JCM800のことはゼンゼン知らなかった。
当時私はJMP時代の1959と1960AXを使っていた。

800_1アメリカでもこんな広告を作ってMarshallの新しい門出を祝った。
恐らくデンマーク・ストリートも「JCM800シリーズ」で大いに盛り上がったことだろう。Adそして、JCM800シリーズは世界中で大ヒットし、Marshallは莫大な外貨を獲得し、1984年にエリザベス女王から勲章を授かった。(写真のフル・スタックはJCM900だけどね)

11_0r4a0477チョット、もう疲れちゃったのでココでおしまい。
でも、デンマーク・ストリートのお話はまだ続く。
スゴい話を見つけちゃったのです。
お楽しみに。
コリャまだまだHipgnosisにたどり着けそうにないな。
 
<つづく> 

200



2020年8月10日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.51~変わりゆくロンドン <その3>トッテナム・コート・ロードとチャリング・クロス

 
『変わりゆくロンドン』の3回目。
さすがにひとりで10年以上やっていると何度も同じことを書くことになってしまうな…でも、いいの。
見てなかったり、覚えていない人の方が多いから。
何しろ書いた本人の記憶もおぼつかないんだから仕方ない。
ま、3,000本近く書いてるからね。
今回は何度も登場しているチャリング・クロス・ロードとデンマーク・ストリートの話題。
でもテーマは「変わりゆく」だから。
同じ内容にはならない。
それどころか、もう何度も「名所めぐり」に出てきているデンマーク・ストリートで新しい大発見をしてしまったのだ!
古き良きブリティッシュ・ロック・ファンの皆さん、乞うご期待!
 
さて、今私が立っているのはオックスフォード・ストリートとチャリング・クロス・ロードの交差点。

9_2背中はコレ…「Tottenham Court Road Station(トッテナム・コート・ロード駅)」。
私が初めてココに来た時、この駅舎がある場所には中国人が経営していたのであろうか、外の看板に漢字がズラ~っと並ぶ大きなフィッシュ&チップス屋があった。
一度だけ入ったことがあった。
フィッシュ&チップスの「フィッシュ」の具は何と言っても「Cod」や「Haddock」等のタラ系が主役だが、この店にはエビだのシャケだの色んなモノを揚げていた。
ナニをオーダーしたかは覚えていない。
店の写真を撮っておけばヨカッタ…。
105_2そうそう、タラで思い出した!
最近オモシロい話を聞いた。
あのグルメご用達の「ミシュラン・ガイド」っていうのあるでしょ?
アレの審査員ってタラとサバの区別も出来ないのが普通らしいよ。
全部「fish」…フランスだから「poisson(ポワソン)」か?
ちなみにフランスではエイプリール・フールのことを「Poisson d’Avril(ポワソン・ダヴリル)」という。
意味は「4月の魚」。
ココまでは知ってる。
でもこの魚が一般的に「サバ」を指すことは知らなかった。
サバはオツムが弱く、4月になると簡単に釣ることができるようになるかららしい。
で、ミシュランの審査員ね…コレは仕方ないと思うんですよ。
ナゼなら、西洋はフォークとナイフでしょ?
我々のように器用に箸を操って魚一匹を解体して食べるなんてことがない。
魚料理となると、いつでも切り身をソテーしたり、練ったり、揚げたり、魚の形のまま食べる機会がまずないので種類なんてわからないんだろう。
それじゃ、まるで「目黒のさんま」だ。
そもそも魚を焼くことを禁止しているアパートが多いと聞いた。
ニオイがイヤなんだって。
勇気のある人、大島のクサヤかなんかを持って行って焼いてみたら?
 
コレは「Marylebone(マリルボン)」にある魚屋。
こうして魚屋では魚の形のまま売ってるけどね。
ウインドウに写り込んでいるのは私。
6月なのにダウンジャケットを着ています。
今年の暑さはスゴイって!
ロンドンでも35℃だっていうからね。
でもエアコンがないのが普通なんだよ。
Marshallの事務所もエアコンが付いていないことは何度か書いた。

11_img_0712 トッテナム・コート・ロードの駅に戻って…。
滅多にこの駅を使うことはないんだけど、昨年、超久しぶりにホームに降り立った。
「スカル・シェーバー」いいナァ。
90秒でバッチリだぜ。
この写真を撮った時は父の日が間近だったのでボーナスで替え刃が付いていた。
買っておけばヨカッタな…。

Img_9529ホームの壁面にはこんなタイル細工が施してあって楽しい。

Img_9531デンマーク・ストリートが近いせいか楽器をモチーフにした図柄も見受けられる。

Img_9530シャーロック・ホームズの話を紹介しているベイカー・ストリート駅のように、ロンドンの地下鉄には近隣の名物や由来を展示している駅がいくつかあってとても興味深い。
最近は東京の地下鉄でもそういうのをチョクチョク見かけるね。

Img_9532いいね~、トンネル式のコンコース。
ホームのデコレーションだけでなく、駅の作りやこういうコンコースの作りを見て歩くのもロンドンの地下鉄の楽しみのひとつ。

Img_9535好きでしてね~、ロンドンの地下鉄…。
昨年もMarshall GALAの時、Marshallの人に頼んでわざわざイギリスからこの本を買って持って来てもらっちゃった。
忘れ去られてしまっているロンドンの地下鉄を探訪する…みたいな本。
11_0r4a0209さて、地下鉄だけにコンコースで脱線。
私はサッカーには何の興味もないんだけど、「アーセナル」という名前ぐらいは知ってる。
それで「Cockfoster(コックフォスター)」というピカデリー線の東の終点の駅に行った時の帰りに寄ってみた。
駅からすぐのところにこのバカでかいスタジアムがあったね。
隣はもう民家なのよ。
11_rimg0041 「アーセナル」のスタジアムがあるのはやっぱり「アーセナル駅」ですわな。

11_rimg0050 ココのコンコ―スが断然スゴイ!
もう『大脱走』か、松代の大本営跡か、というぐらいの長大トンネル!

11_rimg0052行けども行けどもホームにたどり着かない。
コレはもしかして施工ミスではないのか?
間違えて設計図と違う所にホームを造ったに違いない。
あるんですよ。
トンネルを両側から掘削していて、いつまで経ってもこっち側と反対側の切羽(穴を掘り進んでいる一番先端のところ)がハチ合わせにならない。
それもそのハズ、片方は上に、もう片方は下に掘り進んでしまっていた…なんてドリフのコントみたいな話を聞いたことがあった。
今はレーザー光線の直進性を利用したり、計測の技術が飛躍的にアップしてmm単位の誤差もなく設計通りにトンネルを掘り進めることができる。
それでも25年ぐらい前、私が長野自動車道のあるトンネルの現場を担当していた時に、他の現場で掘削中に進路のズレが発生してしまい、途中で軽微な設計変更をせざるを得なかった…なんて話をその現場のゼネコンの人から聞いたことがあった。
 
とにかくこのアーセナル駅はオモシロいよ~。
私は知っている限りでは、ココのコンコースが一番フザけているな。
フィンズベリー・パーク駅もいいコンコースだけど、アーセナルの比ではない。

11_rimg0053 はい、軌道に戻ってトッテナム・コート・ロード駅。

Img_9537トッテナム・コート・ロードの交差点にある「The Flying Horse」というパブ。
ココはいいですよ~。
オックスフォード・ストリートに面して営業している唯一のパブ。

Img_9545その並びにはかつて大きなVirgin Mega Storeがあった。
地下には、「Sound Control(サウンド・コントロール)」という恐らくはロンドンで一番大きかったであろう楽器屋があった。
Marshallの三段積みがズラリと並んでいてね~。
立派なお店だったけど洋服屋になっちゃった。
その楽器屋さん自体の経営が立ち行かなくなってしまったんだね。
チェーン店の楽器屋といしてもイギリスで一番大きかったんじゃないかな?

11_vmsoコレはそのヴァージン・メガ・ストアで買った『This Is Spinal Tap』のDVD。
当時、日本ではリリースされていなかった。
この数年後、日本で映画が初公開され、まさかそのお手伝いをするなんてコレを買った時には想像すらできなかったな。

その様子はコチラ⇒映画『スパイナル・タップ』を11倍楽しむ
 
14サウンド・コントロールが洋服屋になっても、ヴァージン・メガ・ストアはしばらくの間残っていた。でも、結局「hyper hyper」とかいう洋服屋になっちゃった。
変わりゆく~。

15vそして今は「Primark(プライマーク)」。
プライマークは許す。
イギリス版ユニクロね。
さすがロンドンの最中心地、変わりゆくスピードが他とは違う!

16ところがココのプライマークがヒッデエの!
そんなロケーションだけあってこの店舗はいつでも混んでるんだけど、日曜日の夕方にパジャマと下着を買いに行ったワケ。
大型店舗ゆえ、レジがズラ―っと並んでいるんだけど、そこで対応している店員は2人だけ。
当然、レジ待ちの列はアホほど長くなってみんなキューキューしてる(ココ、イギリスで「列」を意味する「queue(キュー)」のシャレになってます)。
他にも店員は大勢いるのに!
でも、列に並んでいるお客さんは誰ひとりイライラしている風ではない。
私だけカリカリ、イライラ、ムカムカ…。
今朝、テレビのニュースでやっていたけど最近は「レジハラ」っていうのがあるんだって?
客がレジの人に向かって狼藉を働くヤツ。
もう私なんかそれになっちゃいそうだった…でも、英語でそれをやったら返り討ちに合うのはわかりきっているので大人しくしていたけどよ。
軽く1時間は並んだゼ。11_img_9544 トッテナム・コート・ロードの交差点をチョット過ぎたあたりのチャリング・クロス・ロード沿い。
ライブハウスの「UFO Club」はどうもココにあったくさい。
色々と調べてきたんだけど、確かなことがわからない。
「UFO Club」といえば、Pink Floydのかつての本拠地ですからね。
その後を引き継いだのがSoft Machine。
「UFO」は「ユーフォ―」と読んでいたらしい。
「ユーエフオー」と読むのかとばっかり思っていた。Img_9555トッテナム・コート・ロード駅の地上に出たところ。
いきなりこんなストリート・パフォーマンスを演ってる。
こんな繁華街で考えられん!
演奏しているのはただの有名曲のコピー。
オジさんゴミ箱にもたれて爆睡してる。
そういえば、海外から来た誰かに言われたんだけど、Marshallの社長だったかな?…東京ってゴミ箱が全く無くなったよね?
いつかの「ナンジャラサミット」以来か?
それなのにこんなに街が清潔なのはスゴイ。
ロンドンだったら、もうゴミだらけになってるゼ。
バスの向こうに見えているのは「Dominiaon Theatre(ドミニオン劇場)」。

106_2ドミニオンの前にはこうして随分長いことフレディが「デ~オ」だった。
調べてみるとドミニオンでの『We Will Rock You』は2002年の3月に始まって2014年の3月まで、4,600回の堂々たるロングラン。
私が観た時は200回記念とか言ってブライアン・メイが出て来て「Bohemian Rhapsody」のソロをナマで弾いてたからね、大分前のことだった。
その時点で客の入りもそれほど良いワケではなくて、正直、アレがこんなロングランになるとは予想できなかった。

10vこうしてスコンとなくなってしまうと寂しいね。

11_2昨年6月のようす。

125_2これは上とは別の日に撮った写真。
『BIG』の看板が上がった。
この3か月後の9月から11月までドミニオンで上演されたそうだ。

12_2トム・ハンクスの映画『ビッグ』のミュージカル版。
私はブロードウェイのシュバート・シアターでオリジナル・キャストの公演を観たんだけど、すごくオモシロかったし、音楽もすごくヨカッタ。
あの床のピアノがある「FAOシュワルツ」がすぐ近くだからね。
『My Fair Lady』をコヴェント・ガーデンで観たり、UFOのPhil Moggが歌う「Lights Out」をロンドンで聴いた時と同じ種類の感動。
自慢に聞こえたらゴメン。

11_0r4a0218ロンドンの神保町「Charing Cross Road(チャリング・クロス・ロード)」。
この通りをテムズ川に向かって行き…

20トラファルガー広場を過ぎて左に曲がったところにロンドンで5番目に大きなターミナル駅、「チャリング・クロス駅」がある。
ケントの「Sevenoaks(セブンオークス)」という所に行く時に一度だけ利用した。

12img_0130このトッテナム・コート・ロードの交差点周辺は再開発の工事が盛んだ。
しかし…一体、コレ何年やってるんだ?
私が見ている限りでも、短く見積もっても8年は続いているのではなかろうか?
前回家内と来た時、ココで大きなターバンを巻いて休憩しているインド人の工事人夫を見かけた。
「こんなところでもターバンを巻いていなければならないの?」と、インド人より家内がビックリ。
今にして思うと、アレって絶対ヘルメットかぶれないよな。
どうしてるんだろう?アブないぞ。

30こんな状態の時もあった。
一時期はチャリング・クロス通りが直進できなかった。
左にチョコっと見えているビルはEMIのロンドン本社かな?
今はケンジントンの方に移っている。11_img_1827 去年の様子。
いつ工事が完了するのかは知らないが、この周辺は跡形もなく変わりゆくだろう。

40この辺りには「London Astoria(ロンドン・アストリア)」というコンサート会場があった。
2009年に廃業してしまった。
たくさんのロック・バンドがライブ・アルバムやライブ・ビデオをココで録っているが、割合新しめのが多く、私の心にグッと来るアイテムがなかったので例は挙げない、ゴメン。
開業が1976年と遅めだからだな。
この前を通ると「木曜日はゲイの日!」なんて看板がかかっていて、最初に見た時はチョット驚いたものだった。

50テムズ川方面に向かってチャリング・クロス・ロードを望む。
「FOYLES(フォイルズ)」はイギリスで一番の本屋なの。
この来歴がオモシロい。
1903年に公務員試験に失敗したウィリアムとギルバートのフォイル兄弟が大量に保有していた公務員試験用の教科書を売却。
その教科書がバカ売れし、持っていた点数以上の注文を受けてしまった。
一体、どれだけ持っていたの?…というか、それほど勉強していたにもかかわらず合格できないイギリスの公務員試験ってどこまでムズカシイのよ!
ハハン…私もそうだったけど、フォイル兄弟は試験前に資料をコピーしただけで勉強した気になるタイプだったんだな?
とにかく、「コイツぁ商売になるぞ」ってんで、自宅で古本屋をスタートさせ、1906年からチャリング・クロス・ロードに店舗を構えイギリスでNo.1の本屋さんになっちゃった!
ナニせ本棚の専有面積と書籍の数に関しては世界最大の書店としてギネス・ブックにも登録されていたらしいよ。

60v確かにいい本屋なのよ。
上の方の階にはクラシックを中心としたCDのコーナーもあって、音楽や美術関係の書籍の品揃えも豊富。
コレは去年の6月のショウ・ウインドウのようす。
英語の教科書のディスプレイ。
店内でもハデに宣伝していて危うく買いそうになっちまったが、グッとこらえた。
買って帰ってもどうせやらねーから。
東京駅の八重洲口の向かいにある「八重洲ブックセンター」は姉妹店なんだって。
そういえば「八重洲ブックセンター」にも他の書店ではまず見かけないオモシロそうな英語の参考書がズラリと並んでるのよ。
アイツらグルだったんだな~。
70私がFOYLESで買った本。
ま、どこにでも売っている本なんだろうけど、「フォイルズで買った」ということで。
一番右は「アナタのアクセントを取り除く」イギリス英語発音の本。
ゼンゼン取り除かれないよ。
もっとも熱心にやっているワケではないんだけど、イギリス発音に憧れて意地でアメリカ英語を忘れようとしているんだけど、そんなことをしているウチにすっかりワケがわからなくなってきた。
とにかくイギリス人と接する時には「r」で舌を巻かないこと、そして「t」だの「k」だのの子音はハッキリ発音すること、コレだけはナントカ励行できているつもり。
その代わりアメリカ人と話す時は犬神凶子さんよろしく、徹底的に舌を巻いている。
そうそう、よく日本人が「♪Happy birthday to you」を英語っぽく歌っているつもりで「♪ハッピボーッデイツーユー」ってやっているのを見かけるが、アレだけはマジでヤメて欲しい。
恥ずかしくてトリハダが立っちゃうのだ。
11_0r4a0224上にチャリング・クロス・ロードは「ロンドンの神保町」と書いたけど、そうなの。
本屋や古本屋がチョコチョコと並んでいてね、もう大好き。

11_img_8358下は「Cecil Court(セシル・コート)」という小さな古本屋が集まった路地。
どうせ買っても洋書は読まない…というか読む根気がないので滅多に買うことはないが、この雰囲気を味わうだけでシアワセ。
ちなみに「世界一の古本屋街」と謳われる神保町は、元々は新潟の長岡の方が古本屋を開店したことに始まり、同郷の人を誘ったことからあの辺りに古本屋でき始めた。
よって神保町の古本屋さんは長岡出身の方が多いらしい。

11_img_8338フォイルズのとなりにあるのがコレ。
「The Montagu Pyke(ザ・モンタギュー・パイク)」という大型パブ。
値段が安いことで人気の「Wetherspoon(ウェザースプーン)」系列の店。
いつも繁盛しているのは変わらない。

80ココが今のパブに変わる前はMarqueeの第3号店だった。90Marqueeに変わる前は「The Montagu Pyke」という1911年開業の映画館だった。11_img_0758だから店内がこんなに広いのね?

11_img_8344The Whoのバナーが飾ってあるけど、The Whoはこの3号店には出てなかったんじゃないかしらん?

11_img_8345入り口のところに飾ってある案内板。
見ている人は誰もいない。
いつも私だけだ。

11_img_0761チョットすいません。
色々書いていたらエラく長くなって来ちゃった。
この先、このまま「デンマーク・ストリート」をやろうと思っていたんだけど、次に出て来る話題があまりにも長くなってしまったので、それが終わった時点で1回区切って終わりにします。
100さて、そのモンタギュー・パイクを過ぎて次のブロックにあるのが「Palace Theatre(パレス・シアター)」。
「Royal English Opera House(王立オペラ劇場)」として開業したのが1891年。
オモシロい背景があってココに書きたいんだけど長くなるので止めておく。
「Listed Building」のGradeII*の指定がかかっている。
 
下は2012~13年にかけての様子。
『Singin' in the Rain(雨に唄えば)』を上演していた。
タマタマ公演が終了した時に通りかかったんだけど、地方から来ていたのかナァ?
おジイちゃん、おバアちゃんの団体さんが劇場の前の「Cambridge Circus(ケンブリッジ・サーカス)」を埋め尽くしていた。
ま、私もおジイちゃんとして、この演目には文句なし。
舞台に本当に大量の雨を降らすのが話題になったんじゃなかったっけ?
これだけ大量のおジイちゃん&おバアちゃんの団体さんなんだけど、日本のそうした方々とはゼンゼン雰囲気が違うんだよね。
お年寄りはお年寄りなんだけど、みんな背が高くて姿勢が良くて、当たり前なんだけど洋装が似合って、白髪で、色が白くて、目が青くて…いわゆる「年寄り臭く」ない。

Img_7941今は「Harry Potter」を上演している…イヤ、していない。
コロナ禍で今年の3月に一旦打ち切られている。
1度でいいからこの劇場に入ってみたいと思っているんだけど、ハリー・ポッターじゃナァ。
とにかく、パレスシアターはチャリング・クロスを歩いていて一番目立つ建造物であることは間違いない。

0r4a0681チャリング・クロス・ロードと交差するのシャフツベリー・アヴェニューをチョット入って行った右側に「FOPP」というCD屋がある。
写真の右側、ロールス・ロイスの後に写っている建物ね。
ココも何年か前に持ち主が変わったのか、店名が変わったな。
前は「Zaza」とか「Zizi」とか、「Vivi」とか、そんなような名前だった気がする。
そのCD屋は通常品の他に売れ残ったのであろうCDやDVD、それに本を扱っていて、結構色んなのを買ったな。
為替が有利な時にはそうしたアイテムをメチャクチャ安く買うことができる。
去年行った時にはいいのがなくてなんにも買わなんだ。

Img_0409その手前のマック。
何やらプラークが取り付けられている。

Mc『84 チャリング・クロス・ロード
ヘレーネ・ハンフが書いた本によって世界的に知られることになったMarks & Co.という本屋がかつてココにあった。』

Plaqueそう、チャリング・クロスといえば『チャリング・クロス街84番』…コレをやらないと!
 
下がその舞台の「Marks & Co.」という1920年代に開業した本屋。
チャップリンやジョージ・バーナード・ショウが客としてよく来ていた。
チャリング・クロス通りにはこういう古式ゆかしい本屋が今でもチョコチョコと残っている。

Marksコレがその本屋を世界的に有名にしたヘレーネ・ハンフの『84, Charing Cross Road』。
1950年代のはじめ、ニューヨークに住む女流作家が「Marks & Co.」に手紙で中古の本を注文する。
その注文を受けたマークスの主人であるフランクが真摯な対応で本を販売したことから、大西洋を挟んだ文通が始まり、その交流はフランクが死ぬまで20年も続いた。
しかし、最後まで2人は面会することはなかった…という、静かな大人のラブストーリー。
コレ実話で、実際のヘレーネとフランクが交わした手紙で構成した手紙文学。
下の本がどういうタイミングでの版なのかは知らないが、向かって右はアメリカのポスト。
左はイギリスのポスト。
実にカワイイじゃありませんか。
ま、私はこの本を読んだワケではござんせんが…。

11_2book でも、映画はDVDで観た。
邦題は『チャリング・クロス84番地』。
正式な原題は『A big love affair that began in a little bookstore at 84 CHARING CROSS ROAD A true story. (チャリング・クロス街84番地の小さな本屋ではじまった大きな愛のできごと 真実の話)』というようだ。

Filmこの作品、制作がメル・ブルックスなんだよね。
メル・ブルックスは『ヤング・フランケンシュタイン』などのヒットで知られるコメディ映画監督/俳優。
中学1年生の時に数寄屋橋の「ニュー東宝シネマ1」に観にいったな~。
ジーン・ワイルダーって苦手なんだけど、コレは最高にオモシロかった。Yfそれと、この『ブレージング・サドル』なんてのも私が中学2年ぐらいの時に封切りになって話題になっていた。
コレは観たかどうか覚えていない。Bsヘレーネを演じたのは『卒業(Graduate)』のミセス・ロビンソンを演じた名優アン・バンクロフト。
メル・ブルックスとアン・バンクロフトは2005年にアンが亡くなるまで夫婦だった。
Mr私はロビンソン夫人より「サリバン先生」の方が印象が深いかな?
ヘレン・ケラーの伝記映画『奇跡の人(The Miracle Worker)』ね。
アン・バンクロフトはコレで1962年のアカデミーで主演女優賞を獲得。
ヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークも助演女優賞を獲った。
私は45年ぐらい前に1度しか観たことがないんだけど、下は確かヘレンが初めて「水」という言葉を口に出そうとしているシーン。
「『ウォーター』って言ってごらん!言いなさい!」とサリバン先生。
ヘレンは懸命に「ウオーアー」と発音する…と、そんな感動的なシーンだった。
「水」はヘレン・ケラーが初めて口にした単語なのだ。
ヘレン偉い!
イギリスに行けば「water」を「ウォーアー」と発音している人は珍しくもナントもないんだけどね。

Hk_2本屋の主人、フランクを演じるのはハンニバル・レクター。
大丈夫、この映画ではカジッたりしないから。
物静かで、重厚で…実にいい演技だ。Hlフランクの奥さんを演っているのはジュディ・デンチ。
デンチといえば「エリザベス1世」。

有閑マダムに食人鬼に女王様…なんとスゴいキャスト!
もっとスゴいのはこの映画、ナント、日本未公開~!
ま、「名画」とは言わないけど、なんで公開しなかったんだろう?
こういうところに日本人のエンタテインメントに対するセンスの悪さというか民度の低さを感じざるを得ないんだよね。
『スパイナル・タップ』なんかも悪い方の良い例だ。Er1でも、公開しなかった理由がわからなくもないような気もするな。
というのは舞台となった1950年代のイギリスの社会的背景を知らないとオモシロくないかもしれない。
例えばヘレーネがポンドではなくてドルで送金するところ。
今は「ポンド」とその100分の1の補助貨幣「ペンス」の2種類しかないので何も難しいことはないが、1971年まではその間に「シリング」というもうひとつの補助貨幣が存在した。
コレがややこしい。
1ポンドは20シリング。
1シリングは12ペンス。
だから50年前までは1ポンドは240ペンスだった。
ヘレーネはコレがややこしくてわからない。
だからドルで払っちゃう。
Roxy Musicの「Three and Nine」はそのあたりのややこしさを歌った曲。

2s それからイギリスの配給制度。
イギリスは第二次世界大戦が終わった後、1954年まで配給制度が布かれていた。
戦争画終わってから9年ですよ!
食料や衣料など、徐々に制限は緩和していったんだけど、1954年の最後まで配給の対象になっていたのはバナナだったんだって。
コレ、この映画の中にちゃんと出て来る。
おかしな話でドイツやフランスの方がイギリスより早く配給制度が終了した。
コレは戦争に勝ったイギリスのカッコつけで、自分たちは配給制を続けて、そういった国々に優勢的に食料を回していたらしい。
一種のノブレス・オブリージュだったのだろうか?
庶民はタマったもんじゃない。
よく「イギリスの食事はマズイのは産業革命で忙しくて食事どころではなかった」という話を聞くが、「食えさえすればいい」という戦後のこうした食料事情もあったらしい。
それとジャガイモとパンは戦後の1947年に配給制になった。
この配給は50年代に入る前には解消したが、コレは戦争ではなく農作物の不作によるものだった。
そんなせいか、映画の中ではパンを丁寧に切り分けるシーンが出て来る。
下の写真の左下は戦時中の配給手帖。

11_0r4a0820エリザベス女王の戴冠式の様子をテレビで見ていて、女王が画面に映ると見ていた家族全員が思わずイスから立ち上がってしまうシーンとかね。
上で紹介したセシル・コートもチラリと登場する。
もうひとつ、コレは後で知ったことなんだけど、この本屋さんの創業者、Benjamin Marks(ベンジャミン・マークス)の息子のLeo Marks(レオ・マークス)は戦時中ブレッチリ―・パークで暗号解読の仕事をしていたんだって!
私はこの映画、メチャクチャよかったです。

Img_0405今日出て来た「トッテナム・コート・ロード」と前回やった「ソーホー」という名前だけはアタマに入れておいてくださいまし。
ああ、今日はロンドンではなく、記事の内容が変わってしまった!
 

200

2020年8月 5日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 50 ~変わりゆくロンドン<その2>ソーホーあたり

 

昨年、ロンドンの街を歩いていてやたらと目についたのが工事現場。
も~、アッチコッチで立て直しの工事をやっていた。
変わりゆく~!

10古い建物を復元するワケでもなかろう。
きっと従前とはガラリと変わってモダンなビルが立ち、味も素っ気もない東京の街のように近づいていくのだろうか?
そういうことを考えると「Listed Building」という歴史的な建物の保存義務を規定した条例は実に意義深いことだと思う。
しかし、いくら古いモノを大切にすると言われているイギリス人でも上下水道や冷暖房の効率化、建物自体の利便性を考慮すれば近代的な建物の方がいいにキマってるわな。
大分前にMarshallの友達が家を買って、私を招待してくれたことがあった。
彼の家は、伝統的なイギリスの建造物に似せたレンガづくりの重厚な外観の集合住宅で、中は最新の設備が備え付けられたモダンな仕様になっていた。
そこで、私は彼に尋ねた。
「こういうモダンな住まいと歴史的な家とでは、どちらが人気があるの?」と。
彼の答えは…庭付きのクラシックな家に住むことはひとつのステイタスだから、できれば築100年、200年の家に住みたいとみんな思っている。
若い人ほどそういう傾向があるとも言った。
ところが、リフォームに莫大な費用がかかることに加え、いくら修繕を加えても次から次へと設備の不都合が出て来て、経済的に大変な負担を背負い込むことが少なくなく、敬遠せざるを得ないという。
何せそれまでテムズ川にタレ流していた下水を下流に流す工事に着手したのが1855年、すなわち165年も前のこと。
その下水道を今でもそのまま使っているとは思わないが、全般的にかなり老朽化が進んでいることは間違いないだろう。20しかしコレ、どの現場もオモシロイの。
自立できないワケではないんだろうけど、ピッタリと棟続きで建てちゃうもんだから、歯抜けになると心もとないのか、こうして支保工を入れて隣接の構造物の倒壊を防いでいる。
見事な「ご近所付き合い」だ。
この下は工事をしているワケではないんだろうけど。
30vココは18年前に初めて来た時から変わらない名門ジャズ・クラブ「Ronnie Scott's」。

40でも高齢化が進んで久しいジャズ界にあっては、出演者の面々は相当変化があってもおかしくない…と、去年の6月のスケジュールを見てみると、お~、シェップが出てる!
Archie Sheppは観たいな~。
Airto MoreiraとFlora Purim夫妻もご健在のようだ。
その昔、Retuen Foreverが来日した時、記者会見でブラジル人のAirto Moreira(アイアート・モレイラ)がファースト・ネームの読み方を訊かれて無言でこう答えた。
彼は慣れた手つきで自分の目、耳、そしてつま先を指した。
「Eye, ear toe」ということ。
ウマい!
きっと年がら年中尋ねられていたんだろうね。

11_img_9759_2 コレはウチにある最も古いRonnie Scott's の写真。
2009年に撮ったもの。
ゼンゼン今と変わらない感じ。

11_img_0036ハハハ、上の階では改装工事をしてら。

11_img_0037「Ronnie Scott」というと、今では結果的にライブハウスのオヤジ…ということになるが、元々は1950年代の後半に活動したジャズ・サキソフォニスト。
イギリスのテナーの巨匠、Tubby Hayesと組んで『The Couriers of Jazz』なんてコンボをやっていた。
そして、1959年に「Ronnie Scott's」を開店した。
確か最初は今とは違う場所にあったんじゃないかな?
Tubby Hayesはカッコいいよ~。
Alan Holdsworthと演っていたGordon BeckなんかはTubbyのコンボの出身だ。
ちなみに「courier」というのは本来「案内人」とか「添乗員」とかいう意味だけど、今では「宅急便」という意味でこの単語を使っている。
43cdこの時はロニー・スコッツを借り切ってのClass5の発表会だった。
私は期せずしてロニー・スコッツに入れるのがうれしくてね~。
ロンドンに行くたびに店の前で出演者を確認するんだけど、観たいアーティストが出演していた試しがなくて、それより以前にロニー・スコッツには入ったことがなかったのだ。
 
このClass5、やっぱりいいアンプでサ。
チョット前に発見したんだけど、フルアコをつないで歪まない程度にボリュームを上げて弾くと、もうタマらん!
もう「ベルベット・サウンド」っての?
「ビロード」のような音?
日暮里に行ってもなかなかコレほど上質なベルベットを見つけるのはムズかしい。
実際、全国的に有名な日暮里繊維街でもベルベットだのビロードってあんまり沢山扱ってないんだよね。
ちなみにジーパンのEDWINは日暮里の出身です。

で、このClass5、ギターのクォリティが2ランク上がったかのように鳴らしてくれる。
やっぱりギターの音はアンプだね。
そして、真空管だよ。
デジタル技術の隆盛でギター・アンプの勢力図がおかしなことになって久しいが、やっぱりね、いいモノは変わりゆかないよ。
最後まで残る。
 

C5 
この時、我々Marshallチームは工場から50人乗りぐらいの大型バスでロンドンに向かった。
そんな大きなバスを店の前につけることはできないので、最寄りの大通りであるシャフツベリー・アベニューに停めざるを得ない。
「大通り」と言ってもせまいロンドンの中心地だからして車線は2つしかない。
しかも世界の演劇の中心地でもある観光のメッカだからしてビジターがウジャウジャだ。
そんなところに大型車両を停めたりしたら大渋滞を誘発してしまうので、条例か何かで「停車は上限2分」と決められているのだそうだ。
30人はバスに乗っていたであろうか?
それだけの人数をたった2分でバスから下車させられるワケない。
この時の運転手さんがスゴかった。
バスが停車した途端、運転席から後ろを振り向いて「Get off!  Het Off!!  Hurry, hurry, hurry! Hurry up!! Get O~~ff!  ゲ~ットオ~フ!!」と絶叫し出したのだ。
もう形相が恐ろしくもあり、可笑しくもあり…とにかく大絶叫!
もちろん2分で全員がバスから出て来れるワケもなく、10分ぐらいは停車していたかな?
幸い、違反切符は切られていないようだった。Img_0045店の中はこんな感じ。

11_img_0042この時はJoe Bonamassaがヘッドライナーを務めた。

11_img_0078お土産で傘を買ったんだけどアレ、どうしたかナァ?

45真向いにあるビルにブルー・プラークが付いている。50v1764~65年までモーツァルトはココに住んでいたっていうんだよね。
ヴォルフガングが8歳の時のこと。
前年の4月にツアーに出たモーツァルト一家、1764年の4月にロンドンに到着するやいなやバッキンガム宮殿で時の国王ジョージ3世に謁見。
最初はココではなく、トラファルガー広場の近くの床屋に2階に部屋を借りていた。
ロンドンはすっかりモーツァルト・フィーバー(←なつかしい言葉!)!
そして、コンサートをすればヴォルフガングは3時間で100ギニーを稼ぎ出したという。
コレ、おとっつぁんのレオポルドの8年分の収入に等しい額だったという。
オヤジ、ウハウハだわな。
その後、オヤジが身体を悪くしてチェルシーに移動。
回復したところで、ココに移り住んだ。
ヴォルフィーはロンドンにいる間に『交響曲第1番』の他、43の『ロンドン小曲集』等を作ったとされている。
60sロニー・スコッツからすぐ近くの「Greek Street(グリーク・ストリート)」にある「The Coach and Horses(コーチ&ホーセズ)」というパブ。
「ウエスト・エンドで最も有名なパブ」と自ら謳っている。
18世紀からこの場所にパブがあって、今のこのビルは19世紀に建てられ「Grade II」に指定されている。

11_img_9770以前にも何度もこの前を通っていて珍しくもナントもないんだけど、そこに掲げられていた看板がフト目に入った。

70コレ。

80v「アサヒ」というのは「ウンコ」でおなじみの「アサヒビール」のことね。11_2ab「STOP FULLERS」の「FULLERS」とは…コレ。

11_img_1787イギリスに来ると恐らく最初に覚えるであろうエールの銘柄のひとつ「London Pride」を醸造している会社。
 

Lp
コレは以前ハマースミスのホテルを定宿にしている時、早朝に散歩をしていて出くわしたフラーズの醸造所。
11_img_1781コレが滅法クサイ。
ホップを蒸すんだか、煮るんだかする時のニオイなのだそうだ。
ホテルに帰って受付の若い女性に「Fuller'sの醸造所に行って来た」と伝え、「ナニあれ?激クサじゃん!」と言おうとすると彼女はすかさず、「アラ!とてもいい香りだったでしょ?あの香りはハマースミスに住んでいる私たちの自慢なのよ!」と言われ、とても「クサイ」だなんて言えなくなってしまった。
「クサイ」と言うか、とにかく人生で一度も経験したことがない得体の知れないニオイなのね。
ま、クサイわ。

11_img_1786この1845年創業の由緒あるエールのブランドが変わっちゃったのよ~!
2019年、アサヒビールがフラーズを買収しちゃった。
そこでさっきの看板をもう1回見てみる。

11_img_1785「STOP FULLERS」というのは「フラーズを止めて!」ということ。
フラーズはこの場所の借地権保有者で、「もう借地契約を更新しない」とパブの経営者を脅かしているというワケ。
それで、フラーズを買収したアサヒビールに「フラーズの愚行」を止めさせてこの歴史あるパブを助けて!…と訴えているワケ。
The Coarch and Horsesはヴィーガン向けのパブとして、またコックニー・スタイルのパブをリバイバルさせた店としてそれなりの成功を収めている。

80vそして、このパブの内装が『Jeffery Bernard is Unwell』という芝居のセットにそのまま再現されたということで有名なのだそうだ。
この芝居、オリジナル・キャストのひとりはピーター・オトゥールだったという。
『アラビアのロレンス』でT.E.ロレンスを演じた人ね。
イギリスを代表する名優。
Jbu『ロレンス』もいいんだけど、私はこの『マーフィの戦い(Murphy's War)』という作品が大好きだった。
もう小学校の時から観てないけど…。
11_2murphyその後、どうなったか確かなことはわからないが、フラーズのウェブサイトを見るとこのパブが載っているので、恐らくは元の鞘に収まって、変わりゆかなかったのだろう。
めでたし、めでたし。
今度ソーホーに行ったらエールを飲みに行ってみよう。

11_img_9769その近くで出くわした黒人のストリート・ミュージシャン。
もうホンモノのブルースのムード満点!
カッコいい!90ところが…メッチャ、ギターヘタでやがんの!
何しろ抑えたコードの音のいくつか出てないの。
ブチブチブチ!みたいな。

100vまた「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
この辺りにイタリア料理の惣菜屋があって一度買って食べてみたことがあったが、美味しかったな。
ケーキもスゴクおいしかった。

105せっかくすぐ近くまで来たので一応様子を見に来た。110v_2元Marqueeの2号店。
ココは何の変りもなし。
ヨカッタ。

120「Brewer Street(ブリュワー・ストリート)」はウォード―・ストリートから「Glasshouse Street(グラスハウス・ストリート)」までを結ぶソーホー地区を象徴する通りのひとつ。
「Brewer」なんて、昔ココに醸造所でもあったのだろうか?
調べたけどわからなかった。
色んな店が立ち並ぶが、一番目を惹くのは風俗方面の店舗だろう。
近くにはドアの入り口に露出度の高い服を身にまとったお姉さんが立っていて、「チョイとそこ行くお兄さん」と声をかけてくれる店もチラホラ。
かつて、その手の店の値段を現地の友人に尋ねたことがあるが、だいたい「座って30,000円」ぐらいの感覚ではないか?と言っていた。
コレはもう大分の話で、その頃は1ポンドが230円ぐらいだったので今では格段にお得になっているハズだ。350この緑色の本屋はチェーン店でこの辺りに何軒か店舗を構えている。
1階が新古本屋で、売れ残った新品の本を8~9割引きで販売している。
レジにいるのはいつも東欧系の人。
地下はポルノ・ショップ。
ま、地下の商品の売上げが屋台骨なんだろうな。
でも、うれしいことに1階は音楽や映画の本の在庫が充実していて、私も行く度にココを覗くのを楽しみにしている。
ロンドンにはそういう新古本屋がいくつかあって、すごくうらやましい。
オマケがゴチョゴチョ付いているThe Whoの本や色々な写真集、他にも辞書の類を結構買った。
それでも、私が知っているだけで、ここ数年の間にもう3、4店は廃業していて寂しい限りだ。
そういうところも「変わりゆく」なの。
この本屋の横の路地を抜けると…

360「Berwick Street(バーウィック・ストリート)」に入る。

365変わりゆく~!
ココはいつもこうしてチョットしたマーケットが立っている。
それは変わらないんだけど、左側の工事しているビルね。

370以前は中古レコード屋が何軒か入っていて、中を覗くのが楽しみだった。
いいモノはなかったけど、やっぱりうれしいじゃん?、ロンドンで中古レコードなんて。
400この写真の右側にあるビルぐらいだったのかナァ。
1階から5階ぐらいまで窓が開けっぱなしになっていて、中の様子が丸見えだったのね。
アレは何時ぐらいだったんだろう…調べてみよう。
ーーー間ーーー
よく知られている通り、イスラム教徒は1日に5回の礼拝の義務がある。
ファジュル(夜明け)、ズフル(正午過ぎ)、アスル(午後)、マグリブ(日没後)イシャー(夜)の5回。
だから、アレは「アスル」だったハズ。
ビルの中から数人の男性がゾロゾロっと通りに出て来て、マットを敷いてその上に座る。
何かの合図があったのだろうか、外のマットの上の人たちをはじめ、ビルの1階から5階の人たちまで全員が一斉に同じ方向を向いて一糸乱れぬ仕草で礼拝を始めたのだ。
アレは圧巻だった。
それを見て感動していたのは私だけだった。
ヒースロー空港には祈祷や礼拝のための部屋があるし、ニューヨークからロサンゼルスに向かった時には飛行機の中でそうした儀式を執り行う夫婦を見たこともある。
そんなシーンを日本で見た経験はない。
そういう時、日本ってのはホントに世界から遠いところにあるんだな~と思うワケ。

380この時、特に歌が聞こえてきた記憶はないが、いいんですよ…イスラム教の経典「コーラン」を歌うように読誦する「クルアーン」。
「微分音階」という半音を9つにまで細分して音程を取る超絶技巧がとにかくトリハダもの。
「クルアーン」とは「コーラン」のことね。
このCDはおススメです。

Photoこんな花屋のスタンドなんてのは雰囲気があっていいね。390どんな風に改装されるんだろう…変わりゆくな~。410バーウィック・ストリートをジャンジャン進むと出て来るのがこのピザ屋。
「JAZZ@PIZZA EXPRESS」という看板通り、地下がジャズのライブハウスになっている。
以前、元Soft MachineのJohn Etherridgeが出ていて、観れずに大変悔しい思いをした。
そして、ココで録音したライブ・アルバムがあるのを後から知って喜んでゲット。
期待して聴いてみたら大したことなくてエサ―リッジを見れなかった悔しさは消え失せた。

420階下から演奏している音が漏れ聞こえてくる。
日曜なのでマチネーがあるようだ。
おお~、メッチャうまいブルース・ギター!
誰かと思ってスケジュールを見てみると…Bernie Marsdenだった。

430vハイ、これで今来た道をもどる。
するとこういう景色になる。440例のコレね。

450cd_2ブリュワー通りに向かってドンドン戻る。

460「Reckless Records(レックレス・レコーズ)」は有名なレコード屋さん。
この辺りは以前まだもう少しレコード屋さんがあったんだけどな。
ArgentのCDを買った店はどこだったっけか?

470もう1軒。

480v「Sister Ray(シスター・レイ)」というお店。
ん?…この看板。
レコード盤のイラストかと思っていたら、コレ、それだけじゃなくて「Hit the mark」になっているんだ。
「標的に当たる」という意味。
つまり、「ウチの店なら探していたモノが見つかりますよ!」ということを表しているに違いない。

490何回か入ったことはあるけど、ナニか買ったことはないナァ。
実は今回、このお店の3階が大きく変わったのです。
それは…500vこんな感じ。510ココ、Marshall Recordsの新しい事務所なのだ!

7_mr

520vコレらはまだ引っ越し中の写真なんだけど、今はもうココで仕事をしている。

530vイヤ~、比較的ロンドンに来るたびに前を通りかかっていたおなじものビルに身内が引っ越して来るなんて実にうれしいナ。
次回ロンドンに行った時にお邪魔するのがすごく楽しみだ!
変わりゆくな~。

550<つづく> 
 
「Marshall Japan」チャンネルの登録をお願いしま~す!⇒YouTube

 

200_3

2020年7月30日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.49~変わりゆくロンドン <その1>

毎度毎度、古臭い映画を引き合いに出して恐縮なんだけど、観たことある?
ジーン・ケリーの『踊る大紐育(On the Town)』。1949年のアメリカ映画。
「紐育」は「ニューヨーク」のことね。
24時間だけ上陸許可が与えられた水兵3人がニューヨーク見物をしたり、ステキな彼女を見つけようと奮闘するミュージカル・コメディ。
ま、実はどうもシックリ来なくてあんまり好きな作品ではないんだけど、見るたびに自分自身を思い出しちゃってね。
「ステキな彼女」を見つけるジーン・ケリーの方じゃないよ。
24時間でニューヨークの名所をすべて見て歩こうというフランク・シナトラ扮する「チップ」の方。
初めてロンドンに行った時のこと…まさに1日でロンドンをすべて見て歩こうと大いに欲張った。
まさかその後30回も行くことになろうなんて思いわないからね。
それで、「ココへ行った」、「アソコも行った」とMarshallの連中に話をしたら「足は大丈夫なのか?」とかなり驚かれたことがあった。
モモがパンパンになったけど、どうってことはなかった。
20年近く前の話…今ではもう出来んね。
10v『踊る大紐育』の音楽の一部はレナード・バーンスタイン。
その中に「Come up to my Place」という曲がある。
ニューヨークを観光したがっているチップ一目ぼれしてしまったタクシー・ドライバーのヒルディが、観光なんていいから「Come up to my place(ウチにおいでよ)」と逆ナンパをするコミカルな1曲。
チップはお父さんから「ニューヨークの必見」を吹き込まれていて、「水族館」や「ウールワース・タワー」等、行きたい先を告げるが、ヒルディがそれを聞くたびにビックリして何度も急ブレーキを踏んでしまう。
「そんなモノはとっくの昔になくなっちゃったわよ!そんなことよりウチにいらっしゃいよ、ウフン」というワケ。
すると、急ブレーキでガックリしながらシナトラは「Hey what did you stop for?(ちょっと!ナンで車を止めるの?)」とヒルディに尋ねる。
そして、急ブレーキを踏むたびに「Hey what for did you stop?」、「Did you stop for what, hey?」、「Did you stop for hey what?」と英語がドンドンおかしくなってくるところ最高におかしい。
そんなシーン。
「ウールワース・タワー」は1930年まで世界で最も高いビルだった。
施主の実業家フランク・ウールワースはその建設費用を現金で支払った話は有名。
ウールワース・タワーの高さを抜いたのは「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」のビル。
それに負けじとテッペンに尖塔を乗っけて高さ世界一の座を獲得したのがあの「クライスラー・ビル」。
そして、「バンク・オブ・マンハッタン・トラスト」ビルの現在の持ち主はドナルド・トランプだ。
 
さて、そんな「ニューヨークの必見」リストに出て来るひとつが「Hippodrome(ヒッポドローム)」。
ヒッポドロームというのは、「戦車レース」を開催する競技場のことなのね。、
映画『ベンハー』でジュダ・ベンハーとメッサラーがヤルかヤラれるかの手に汗握る戦いを展開するアレ。
何かインターネットから画像を借りようと思って検索したところ、すぐに目に飛び込んで来たのがコレ。
ビックリしたわ~。
この絵、去年マンチェスターの美術館でホンモノを見たのよ、偶然。
実物はすごく大きくて、音が聞こえてくるようなものスゴイ迫力だった。

11_cr もちろんニューヨークにそんな物騒なモノがあったワケがない。
ニューヨークの「Hippodrome」というのは5,000人を収容する大劇場の名前。
6番街の43丁目だから、グランド・セントラル駅とかクライスラー・ビルの辺りにこんなモノがあった。
1939年に解体したというから、この映画のたった10年前。
「ニューヨークの10年」は時の流れが早いということなのかな?
久しぶりにニューヨーク行きたいね。Hippo さて、ところ変わって我がロンドン。
このレスター・スクエアの端、チャリング・クロス・ロードに面した角にあるこの茶色い建物。

20「Hippodrome」という。
過去「ヒッポドローム」と名付けられた劇場やホールがたくさんあったが、『踊る大紐育』のようにみんな無くなってしまい、このヒッポドロームは今でも残っている数少ないウチのひとつ。
1900年の開業で元は劇場だった。
セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスが、1919年に『白鳥の湖』をイギリスで初演したのがココだったという。
その後、1950年代にはナイトクラブになり、スゴイよ、もうありとあらゆるジャズ系の超ビッグネームが出演している。
やっぱりロンドンはスゴイ。
その後、紆余曲折があったが、2012年、ボリス・ジョンソンロンドン市長の下、カジノになって現在に至っている。
チャイコフスキーがしまいにはゲーセンになちゃった。

30…と、今回からこうして変わっていくロンドンを自分なりに観察したレポートを掲載する。
私なんか初めてロンドンに行ってからたった18年しか経っていないし、3週間以上滞在したこともない。
「そんなロンドンに住んだこともないヤツにナニがわかる?」と言われても仕方ない。
しかし、東京に住んでいてもスカイツリーの展望台に上がったことのない人はゴマンといるだろう。
私はロンドン・アイに乗ったよ。
タマに行くからこそ、色んなモノが見えてくる。
そして、見えてくるモノはいつでも興味深く、オモシロイものばかりだ。
住んでいたらこうはいかないだろう。
住めば「都」にはなるが、「都」には負の側面もたくさんあるハズなのだ。
そりゃ地下鉄でクレジットカードの入った財布をスラれたこともあるし、昨年は右膝の激痛に涙を流しながらヘコヘコ歩いたりもした。
でもいつもワクワク・ドキドキの旅になるのがロンドン。
そんな我が愛する街のチョットした移り変わりをお楽しみあれ。

11_0r4a0005まずはコレ。
もう何度もMarshall Blogに登場しているバタシー発電所。
バタシーがマーブロに出て来るたびに書いているけど、私は『The Wall』までのアルバムは全部持ってはいるんだけど、特段Pink Floydのファンではないのね。
ところで、Pink Floydの出身でどこだか知ってる?
ロンドンじゃないよ。
彼らはケンブリッジから出て来たバンドで、ケンブリッジの人にとってPink Floydは大学と並ぶ自慢のタネなんだって。
イギリス人とロックの話をする時は「あのバンドは〇〇出身」ということを頭に入れて臨んで置いた方がオモシロい。
日本人の力士か高校野球みたいなもんだね。
で、Pink Floudにお熱でなくても私はHipnosisの大ファンではあるからして、2005年に初めて電車の中から見た時は感動したね~。

55cdコレがその時の写真。
カンタベリーへ行く時に撮った。

Rimg0192ヴィクトリア駅を離れ、テムズ川を渡ってすぐにその姿が見えたので慌ててカメラを取り出してシャッターを切った。(この頃はまだ写真をやっていなかったのでこんな出来になっています)

Rimg0188「デケェ~!」と大興奮!

Rimg0182完全に廃墟。
85そして、いつかココに来て、直にその威容を目に入れようと決心した。

Rimg0179その4年後の2009年。
やって来た。
「Battersea Park(バタシー・パーク)」の駅に降り立ったところ。
さっそく煙突が見えた時はうれしかった。40建物のサイズが超デカいので、近くに見えても思っていたより歩く。
子供たちが書いたバタシー発電所の絵なんてのがズラリと壁に貼ってあったんだけど、写真を撮っておけばヨカッタな。50バタシー発電所は以前にもやっているので、今回は歴史だのナンダのは省略。
でもチョコっとだけ…このバタシー発電所を設計した人のことを。
コレはやってないでしょう?
前にも出してるかな?…Giles Gilbert Scott(ジャイルズ・ギルバート・スコット)という人。

65この人、ジギー・スターダストじゃないけど、皆さんにもおなじみであろう、ロンドンの赤い電話ボックスはこのスコットさんのデザインなのだ。
このデザインは見事に変わらないね。

66それとコレ。
コレはテムズ川沿い、ちょうどセント・ポール大聖堂の向かいにある、現在は「Tate Modern(テイト・モダン)」という近代美術をコレクションしている美術館。
元は「Bankside Power Station(バンクサイド)」という発電所だった。
こんな街中にバタシーとバンクサイドという2つの巨大な石炭火力発電所があったなんてあまりにもスゴイ。
しかも1981年まで稼働していたというんだから驚く。
コレもジャイルズ・ギルバート・スコットの設計。
この美術館、とてもいいですよ。
ロンドンに行ってテムズ川沿いウォーキングをするチャンスがあれば面倒がらずに寄ってみるといいです。67さらに、テイト・モダンを少しさかのぼったところに架かっている橋。
「Waterloo Bridge(ウォータールー橋)」は映画『哀愁』の舞台になったり、The Kinksの必殺の名曲「Waterloo Sunset」でRay Daviesが美しい夕日を歌っているとされている場所(この近くの「セント・トーマス病院」という説もあり)。

11_img_0440コレもスコットさんの設計だっていうんだよ。

11_img_0441さらに!
「イギリス三大大聖堂」ってナニか知ってる?
そもそも「三大」をキメたがるのは日本人のクセなので、イギリス本国には「三大」も「番台」もないと思うんだけど、ナニかの本で読んだところによると、一応その答えは、「カンタベリー、ヨーク、リバプール」だっていうのね。
そのリバプール大聖堂を設計したのもスコットさん。
私、偶然にもこの3つの大聖堂に行ったことがあるんだけど、このリバプールのヤツは新しいだけあってかなり異質だった。
もうリバプールへ行ったのも15年も前のことだわ。
リバプールの人をアダ名で「Scouser(スコ―サー)」という。
ジョンもポールもスコ―サーだ。
11_rimg0355このスコット家、ジャイルズのお父さんがまたスゴイときてる。
George Gilbert Scott Jr.(ジョージ・ギルバート・スコット・ジュニア)という人で、「St. Pancras Station(セント・パンクラス駅)」を設計している。68タマには上の方から…。
この写真どこから撮ったんだっけかナァ。
ズ~っと工事をしていたけど最近完成して、かつてはウォータールー駅だったユーロスターの発着駅が線とパンクラスに移動して来た。
変わりゆくな~。
電車でパリに行くには今はココから。

11_rimg0319それとロイヤル・アルバート・ホールの向かいにあるアルバート公(ヴィクトリア女王の旦那)をかたどった「Albert Memorial(アルバート記念碑)」もお父さんの作品。
69vさて、バタシー。
2009年に来た時はグルリと発電所の周りを歩いてみた。
中に入りたくて係のオジさんに頼んでみたけど、当然NG。
70
この辺り…実はクサイ。
生ゴミのニオイでかなりクサイ。
近くにゴミ処理の工場があるのだろう。
それと生コン屋。
生コン屋はもちろんクサくない。
奥のセメント・サイロがデカい。300t以上はあるかな?
その割にはミキサー棟がすごく低いのが気になる。
恐らく強制ミキサーが設置されているんだろうけど、この高さだと計量ビンを設置するスペースがないハズだ。
外で計量して材料をミキサーに送り込む方式なのだろうか?
イヤ、そんなことはどうでもよくて、ゴミ処理場に生コン屋…あのロンドン・タウンからテムズ川を隔てただけの場所にこうした設備があることが信じられない。
逆に言うと、ココがいかにロンドンの外れかということがわかる。
昔の島原とか吉原みたいなもんですな。
要するに人里から離れていた、ということ。80vこうして見ると確かにそんな雰囲気ではあるでしょ?

180今、煙突は4本立っているけど、そもそもは2本だった。
そして、同じ形のものを建て増しして4本体制になったんよ。86そして、6年後の2015年。
あ~、煙突が1本ない!90とうとう再開発の工事が始まり、煙突を取り外して修繕をしてまた取り付けるのだとか…この時はそんな話を聞いた。

110外装を残しつつの大改装工事。
100周囲も大掛かりな工事を実施してこんな感じになっていくらしい。
変わりゆくな~。120そしてしまいにはマンションが立ち並んでこうなるんだとか…。
コレは計画案のひとつなのだろうが、こんなことをしたら電車の中から発電所が見えなくなっちゃうね。
こんなんじゃブタも飛んで来れないね。

130vすぐ近くには「バタシー公園」といういい公園があるし、ロンドン・ヴィクトリア駅まではひと駅だし、住み心地はいいかも知れない。

135発電所建屋の中もこうなるんだとか…。
170そして煙突。
何と言ってもバタシーのアイコンですからね。

140vオイオイオイオイオイ、それがこんな展望台になるっていうじゃんよ!150なんかイヤだナァ。
コレは変わりゆきすぎだろ~!
残念ながら去年はバタシーに近寄る機会がなかったので、最近の状態はわからないが、工事も進んで大分様子が変わったことだろう。

160ヤッパリ、オールドなロック・ファンとしてはこういうイメージでいて欲しんだよね。
実際には煙突から煙が出ている所を見たワケじゃないけど…。
バタシーどころか、最近じゃ銭湯の煙突から煙が出ているのも見てないもんな~。
コレはみなさんご存知のThe Whoの『Quadrophenia』のブックレットの写真ね。 

163同じブックレットに載っているのは「Hammersmith Odeon」の写真。164ココは名前がガンガン変わって来たけど、外から見ている分にはそう変化はない。
ま、ここのところハマースミスには行ってないけど。
今は「Eventim Apollo」っていう名前になっているのかな?…変な名前。
Eventimというのは現在この会場を運営しているドイツのブレーメンに本拠地を置く「CTS Eventim AG & Co. KGaA」というイベント会社の名前から来ている。

165ほぼ原形を間近で見ておいてヨカッタわ~。
でも再開発工事が完成したら絶対見にいくけどね。
…ということで「変わりゆく」トップバッターはバタシー発電所でした。

60さて、場所はいきなりウエスト・エンドに飛ぶ。
ロンドンの街を歩いていると、よくこういう先生に引率された小学生の団体を見かけるんだよね。
日本では幼稚園とか保育園が多いけど、ロンドンは小学生。
みんなで美術館や博物館や大聖堂に出かけて自分の国がいかにスゴイかということを学ぶ。
スゴイよね、ロゼッタ・ストーンからゴッホの「ひまわり」からフェルメールからエジプトのミイラまで、子供の頃から無料で体験できるんだから。
同じ人間に生まれて不公平だっちゅーの。
日本もとても素晴らしい国…というより国民なんだけど、民主主義と戦争と芸術を学校でミッチリ教えないのが「タマに大キズ」だと思う。
225さて、街中がエラく変わったのよ。
恐らくイギリスの人は気が付かないかも知れない。
何が変わったのかというと、そこら中に日本関係の食べもの屋が増えたんだよね。
このシャフツベリーにもホラ…「SHIBUYA」だって。
ホーチミンで出くわした「ASAKUSA」にもマイったけど、ロンドンくんだりまで来て「渋谷」はイヤだな。

240店先にはこんなサインが…。

250寿司、うなぎ、うどん、カツカレー、海鮮丼…デパートの食堂みたいにナンでも揃ってる。
この食品サンプル、まさか合羽橋で揃えたのかな?
こういうタイプのお店は昔から何軒かあったけど、富に増えた。
私も以前は滞在中にどうしても日本の食事が恋しくなるとこういう所に食べに来ていたが、今は絶対にしないようにしている。
どんなに苦しくても現地の食べものを摂るように努めている。
理由は特にないんだけど、やっぱりどうしても割高だし、オモシロ味がないでしょ?

260コレは2015年にカーナビ―・ストリートに行った時の写真。
上野に餃子で有名な「昇龍」というお店があって、それと同じ名前だったので一瞬ギクっとしたが、コチラさんは豚骨ラーメン。
まだお店は開店の準備段階だった。270それがアータ、今回はソーホーやらマンチェスターでもやたらと昇龍を見かけてビックリ!
当たったね~。
私は豚骨ラーメンをほぼ全く食べない醤油アッサリ派なんだけど、この豚骨テイストはイギリス人の舌にマッチするんだネェ。
煮干しはダメかナァ?
290コチラはマンチェスターのお店。

130_2 シャフツベリーにもう1軒トンコツ。
博多勢強し!

320ココなんかその名もズバリ「ラーメンバー トンコツ」と来たもんだ!
いくらぐらいだと思う?
お店によって幅があるけど、調べてみると普通のラーメン1杯で今の為替レートで1,300円から1,800円ぐらい。
餃子は安くて560円、高くて1,200円ぐらいか。
Marshallの友達がテムズ川南岸にあるお好み焼き屋に行って「1枚3,000円ぐらいだった」と言っていたのを見るところラーメンはかなり割安か?
現地にお住まいの方々は安く日本の食材を手にいれる方法をご存知なんだろうけど、我々のようなビジターがソーホー当たりの日本食材店に入って値段を見た感じでは、だいたい日本の3倍。
高くて4倍といったイメージかな?

280「Hyotan(ひょうたん)」というお店。
コレは「Margaret Street(マーガレット・ストリート)」というオックスフォード・サーカスにほど近いお店。
看板には「Japanese Food Hall」なんて書いてある。
一軒はさんでその向かって右に「47-50」というサインが出ているところがあるでしょ?
ココがスゴイ。
今回はスキップするけど、トラディショナルなロックに詳しい人ならヨダレがでること間違いなし…のロック名所。
私はヨダレだらだらです。
近い将来、他の回でご紹介します。

11_img_9950これもウォード―・ストリートにあるうどん屋さん。
以前テレビで留学中のウエンツ瑛士さんが「行きつけの店」と紹介していた。325vコレはフォー屋。
日本料理ではないけど、フォーが好きなもんで出しておいた。
私の中では、フォーは食べても許されるルールになっています。
でも絶対にパクチーはゴメンだぜ。
「ノー・コリアンダー・プリーズ!」330v「KAPPA」という日本料理店。
コレはアールズ・コートで見かけた店。

300v何しろ今はMarshallのあるミルトン・キーンズの「Wolverton(ウルヴァ―トン)」というところにも「AKASAKA」という日本食のレストランがあるぐらいだからね。
安くておいしいらしい。
 
もうとにかくこのラーメン屋を含む日本食レストランの増殖ぶりには驚くばかりよ。
18年前と比べて…なんてもんじゃない。
4年前と比べて全く様相が違うんだからね。
変わりゆくね~。
今からやるとなるとナニ屋がいいかね?
ホルモンだけはダメだよ。

11_img_8892 さて、今日はその日本料理屋がらみでもうひとつ変わりゆく「ロック名所」をご案内して終わることにしましょう。
それはピカデリー・サーカスからオックスフォード・サーカスに向かってリージェント・ストリートをチョット行って左に入ったところの「Heddon Street(へドン・ストリート)」。

340昔はこんな感じ。
10年以上前の写真。
361イタリア料理店なんかが立ち並ぶオシャレな通り。
362v今はこんな感じ。

350ウワッ!
「酒蔵」だって。
こんなところにも日本料理店!

360なんで「ウワッ!」かと言うと、コレの真正面だから。
370ココって『ジギー・スターダスト』のジャケット写真を撮影した場所なの。363cdこんなのまでくっ付けちゃって!
変わりゆくな~。

390裏ジャケのこの電話ボックス…。

400以前はこんな感じでまだ据え付けられていた。410v今はこんな感じ。
チョット遠慮してる?
スコットさん、ゴメンね!

11_img_9729<つづく> 
 
「Marshall Japan」チャンネルの登録をお願いします!⇒YouTube
 

200



2020年7月27日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.49 ~<オールド・ロック・ファンに捧ぐ>トライデント・スタジオとC.ベヒシュタインとデヴィッド・ボウイ

11_jackets思い返してみるに、「最後に行ったライブ」って1月10日に神戸で開催されたD_Driveのイベントだわ。
その翌々日にNAMMに行って、日本に帰って来た次の日に人生が終わってしまうかのような大事件がプライベートで勃発してそのままコロナ入り。
多い時には年間で150回以上ライブハウスに足を運んでいたんだけどね…今年は年明け早々にお邪魔したヤッチンとD_Driveでまだ合計2回だわ。
こんな年がやってくるなんて一体誰が想像しようぞ。
…ということで、もうライブ・レポートのネタはありません。
ま、1本残ってるんだけど、それはナンカのお祝いの時のためにキープしておこう。
とっておきの酒だな、まるで。
そんなワケでMarshall Blogの更新もスッカリご無沙汰になっちゃった…ワケではなくて、他のことで忙しくてマーブロを書いている時間がほとんどなかったのですわ。
ビデオ、やってんの…ビデオ。
こないだ『Marshall GALA2』のビデオを作ったでしょう?
アクセス数は全然パッとせずにガッカリしちゃったけど、アレのおかげでひと通りビデオの編集作業のノウハウを身につけることができた。
そこで、Marshall製品のデモ・ビデオをシリーズで作ることになり、それにかかりっきりだったのです。
気分はスッカリ黒澤よ!(写真は黒澤明気取りの筆者)
しかし、凝り出したらキリがない私の性格もあるけど、このビデオの仕事ってのは撮影から編集までアホほど時間がかかるね~。
黒澤組はさぞかし大変だったろうナァ。

11_0r4a0382 しかし、世の中ビデオだね~。
取説でもナンでも全部ビデオ。
今は「ビデオ」って言わないのか…「動画」?
何でもかんでも「動画」…全くどうがしてるよ。
もっと人間は字を読まないと!
動画ばっかりで本を読まないとホントにバカになっちゃうよ。
この動画の隆盛で日本語は相当言葉を失っていると思うよ。
文章の方が語彙がはるかに豊かだからね。
ブログもかなり古臭くなって来た。
でも「文章でしか伝えられないこと」ってのは山ほどあるから。
例えば今日お送りするような内容ね。
文字の方がたくさん情報を詰め込むことができる場合もあるでしょ?
それでも時代の趨勢には抗えないのでMarshall blogも機を見てビデオ…じゃない、動画を取り入れて行こうかと思っております。
 
でも今回は動画がゼンゼン絡まない話題。
ライブ・レポートネタがないので、どうしても『名所めぐり』みたいな内容をやらざるを得ない。
コレが…滅法人気がない。
でも私としてはコレを書くのが最高に楽しいし、「Marshall Blogならでは」のコンテンツだと信じている。
もっとマスコミが食いついて来てもいいと思うんだけどね。
  
で、昨年の5~6月にイギリスに行った時のネタがまだいくらか残っているので、その記事を書くことにキメた。
そして、その時に撮った写真を眺めながら記事のアイデアを練っていたら「ロンドンもずいぶん変わったな~」と思ったのね。
ま、私なんか生まれて初めてロンドンに行ってからたかだか18年しか経っていないんだけど、それでもチョコチョコと変化があるワケ。
そこで「変わりゆくロンドン」と題してそんなことを書き留めておこうかとアイデアをまとめた次第。
でも、その前にほとんど変わっていないポイントをひとつご紹介。
記事に関する調べごとをしているウチに、色々と新しい情報を得て「変わりゆくロンドン」のシリーズから切り離して一本編みたくなってしまった。
私のように70年代のブリティッシュ・ロックを愛してやまないオジさま、オバさまに捧げる一編。
80年代以降のロックで育った若い人たちは読んだところでちっともオモシロくないだろうから今のウチにヤメときな。
コレは「ロックが大人のモノだった時代」を経験している人たちに向けた記事なのだ!…ナンチャッテ。
  
今日の「名所めぐり」の目的地はソーホーのディーン・ストリートからこの路地を入ったところにある。

120v今、向かっているのは「St. Anne's Court(セント・アンズ・コート)」というところにある「Trident Studio(トライデント・スタジオ)」。
以前にも取り扱っているので2回目の登場となる。

110v路地の反対側で突き当たるのは「Wardour Street(ウォードー・ストリート)」。
下の写真を右に少し行くとあの有名なライブハウス「Marquee(マーキー)」があった場所がある。
この「Wardour」ね、「ウォルドー」とか「ワーダー」とか「ウォーダー」とか、どうも読み方が定まらないんだけど、私は「ウォードー」と読むことにした。
ナゼなら先日、Marshall Recordsのボスと電話で話をしていた時、彼が「ウォードー」と発音したのを聞き逃さなかったからだ。
何しろ彼はロンドン生まれのロンドン育ち。
生粋の「Londoner(ロンドナー)」なのだからその発音に間違いはないだろう。
「鳥越」の、地名は「とりごえ」、神社は「とりこえ」、みたいなもんよ。
地元の人に倣っておくのが賢明だ。
130コレが去年6月のトライデント・スタジオのようす。
10年以上前に来た時と大差ない。

140一番最初に来た時にはこの表札はなかった。

150チョット中を失礼。
結構狭そうだ。
Lou Reedの代表作『Transformer』が飾ってある。

160もちろんココで録音した1枚。
私はLou Reed とかJohn Caleとか、Velvet Underground 系はニガテなんだけど、それでも「Walk on the Wild Side」はいいナァ。
アルバムのプロデュースがDavid BowieとMick Ronsonだからココでレコーディングしたのかしらん?170cd裏ジャケのようす。
写真が小さくてわかりにくいけれど、男の人の股間が爆発している。
バナナを入れたんだって。

180cdもちろんコレのシャレでしょうな。

190cd脱線します。
『Transformer』の裏ジャケの写真を撮ったのはKarl Stoecker(カール・シュテッカー)というフォトグラファー。
この人はRoxy Musicの最初の3作のジャケット写真を撮った人なの。
4作目の『Country Life』も続く『Siren』も似たようなタッチなのにナゼかフォトグラファーが変わって別の人になってる。
ギャラの件でケンカでもしたのかしらん?

Rm1

Rm2

Rm3中学生の時、Roxy Musicが好きでね~。
こんなのを持ってる。
1974年のイギリス・ツアーのコンサート・プログラム。
サイズはA6。
まるで結婚披露宴のテーブルに上に置いてある献立みたいな作りになっている。
さすがロキシー…シャレオツでしょ?
前座はデビューしたてのJess Roden…ファースト・アルバムしか知らんけど、と思って他のも試しに聴いてみると、なかなかいいネェ。

11_pg2Eddie Jobson、この時19歳だって!
サポート・ベーシストはJohn Wettonだった。
Bryan FerryはGordie(ジョーディ)。
つまりニューカッスル出身。
 
中学2年の時にリリースされた『Viva!』を聴いてファンになった私。
何年かのインターバルを経て発表された『Manifesto』と武道館での来日公演。
そのあたりでキッパリとロキシー・ファンを止めた。
その後に『Avaron』でまた大成功を収めたようだが、私にとってのロキシーは「Re-Make/Re- Model」であり「Do the Strand」であり、「Out of the Blue」であり「She Sells」だったのだ。

11_pg3コレは10年チョット前のようす。
200v昼休みのビジネスマンかな?
この人たちはこのスタジオのことを知っているのだろうか?

220この頃はこんな看板がかけられていた。
映像関係のスタジオになっていたんだね。

210vトライデント・スタジオは1967年、Norman Shefieldという人がオープンさせた。
翌1968年にココで吹き込んだManfred Mannの「My Name is Jack」がイギリスのチャートの第1位を獲得したことによりその名が知れることになった。
Manfred Mannも長い歴史を持つ大変イギリス的なバンドだよね。
しかし、Manfred MannもEarth BandもChapter Threeも、「好きだ」という人にいまだかつて会ったことがない…どころか、誰かがManfred Mannのことを話しているところを聞いたことすらない。
私はGeoff Whitehornが一時Earth Bandのレコーディングに参加していたこともあって、超後追いでひと通り聴いてはいるんだけどね…それだけの話。
失礼だけど、このバンドの音楽にどういう意味があるのかが理解できないんだな。
でも、少なくとも「Blinded by the Light」はBruce Springsteenのオリジナルよりカッコいい。
230cd_2で、ですね、何でまた急にトライデント・スタジオのことに興味を持ったかと言うと…コレ。
最近リリースされたFrank Zappaの1970年の音源を集めたCD4枚組。
この時代のZappaは私の「Zappa道」の原点ですからね…予約して買った。
15歳の時に買った『Fillmore East-June 1971』が生まれて初めて買ったZappaのレコードだったの。
それから43年経ってリリースされた新譜のDisc1に収められているのが『Chunga's Revenge』レコーディング時の未発表音源なのね。

240cd_2コレがトライデント・スタジオで録音されているのだ~。11_1970 全編ではないにしろ、『Chunga's Revenge』はトライデントで録られているワケ。
気にしたことがなかっただけに知らなかった…盤自体は数限りなく聴いては来たけど。
「Transylvania Boogie」を初めて聴いた時は興奮したもんだ。
このAynsley Dunbarのドラムス!
それとナニかの本で植草甚一が「Twenty Small Cigars」のことを超ベタぼめしているのを読んで意外に思った。
実際にとてもいい曲だけど。
250cd_2で、ココから先の記事は「アレもトライデント」、「コレもトライデント」…という流れになっていくんだけど、やっぱり金字塔は「Hey Jude」かネェ?
ビートルズのスタジオといえば~?
そう、アビィ・ロード。
ところが、当時アビィ・ロードは4トラック・レコーディングにこだわっていた。
一方、トライデントは8トラックの機材を導入していたことよりお鉢が回って来たというワケ。

260cdそのレコーディングで使われたのが「ピアノのストラディヴァリウス」と呼ばれる1853年創業のドイツの「C. Bechstein(ベヒシュタイン)」のピアノ。
スタインウェイ、ベーゼンドルファーと並ぶ世界3大ピアノ・ブランドの一角。
フランツ・リスト、クロード・ドビュッシー、ヴィルヘルム・ケンプが好んで使ったという。
ドビュッシーは「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」…なんて乱暴なことまで言ってのけている。
セシル・テイラーやチック・コリアも好んで使っていたということだ。
第二次世界大戦中はナチに協力し、ヒトラーが「第三帝国のピアノ」と称していたが、それがたたり戦後は栄光の座から転げ落ち、一時はアメリカのボルドウィンの傘下に入ったが、現在ではドイツ人に経営権が戻っている。

11__2グランド・ピアノで510万円~2,000万円、アップライト・ピアノで178万円~600万円ぐらい。
思ったより高くない。
私は要らないけど。
お金があったとしても、そもそも家に置くスペースがない。11_2cb下が実際のトライデント・スタジオにあったベヒシュタイン。
David Bowieの初期の諸作、Elton Johnの「Your Song」、Nilsson版の「Without You」、T.Rexの「Get it on」、Carly Simonの「You're so Vain」、Boomtown Ratsの「I Don't Like Mondays(どっかで聞いた名前だな)」…ゼ~ンブ、このピアノで録音した。
1968~1980年代の冒頭まで活躍した「20世紀で最も有名な楽器」のひとつとされている。
当時で100歳になっていたこのピアノは、現在ではロンドンのエッジウェア・ロードにあるJaques Samuel Pianoというピアノ店からのリースだった。
このピアノの音色があまりにも素晴らしいので、このピアノ目当てでトライデント・スタジオを採用するバンドも多かったという。
そして、トライデントでスタジオ・ミュージシャンとしてこのピアノを弾いていたのがRick Wakemanというワケよ。
 
このピアノがどういう風に素晴らしかったのかというと、とにかく音の粒立ちがよく、澄んでいたらしい。
作りが大変堅牢で、弦を叩くハンマーの力が他のピアノより強く、どんなに力を入れて鍵盤を叩いでもそれにバッチリ応えてくれたのだそうだ。
その結果、音抜けがバツグンによく、バンドの中で音が埋もれることがなかった。
昔のモノは本当によくできていたんだね。
 
トライデント・スタジオは1981年に売却されてしまうんだけど、その直前に補強の修繕をこのピアノに施したところ、音が変わってしまい、元に戻らなくなってしまった。
そして、スタジオを閉める時、ホイストで持ち上げたピアノが床に落下し大破。
その後、このピアノの行方は誰にもわからなかったが、2008年に「Hey Judeで使用されたピアノ」としてインターネットのオークションに出品されているのが発見された。
その値段は20万ポンド…当時のレートで4,300万円だったという。11_tp2ビートルズは「Hey Jude」だけでなく、「Honey Pie」や「Martha my Dear」、「Savoy Truffle」、「Dear Prudence」、そして「I Want You(She's so Heavy)」のベーシック・トラックもトライデントで録音している。
もちろん「Honey Pie」や「Martha my Dear」で聴かれるピアノは上のベヒシュタインの音色だ。
それとJohnの「Cold Turkey」もEric Claptonを迎えてココで録音された。

270cdEltong Johnの「Your Song」はデンマーク・ストリートで書かれたと言われているが、録音したのはトライデント・スタジオだった。
上で触れた通りもちろんあのピアノの音色もベヒシュタイン。

280cdRegiは初期の作品のほとんどをトライデント・スタジオで録音している。
『Madman Across the Water』の「Tiny Dancer」のピアノも当然ベヒシュタイン。
いい曲だよね~。
初期の作品では「Skylinbe Pegeon」が大好きなんだけど、この曲を収録している『Empty Sky』は残念ながらトライデント録音ではない。
『Empty Sky』の後に「Your Song」のレコーディングでベヒシュタインのことを知ってトライデントを使うようになったのかも知れないな。
この『Friends』という同名映画のサントラ盤って見ないよね。
映画自体は小学生の時に雑誌「スクリーン」や「ロードショー」でおなじみだったんだけど。
後年、『Rare Masters』という未発表音源集で初めてその音楽を聴いた。
コレ、映画へのクレジットは「Elton John、Paul Buckmaster、Bernie Taupin」の連名になっているんだネェ。

290cd

320cd

300cd
『17-11-70』はニューヨークのFMのスタジオ・ライブを収録したアルバムだけど、トライデント・スタジオでミキシングされている。
Dee Murrayのベースがアホほどカッコいい!
「Take me to the Pilot」なんてまるでJacoみたいに好き勝手に弾いて暴れまくってる。
8年ぐらい前にイギリスで観た時はNigel OlsonもDaveyJohnstonも元気だったのに…惜しい人を亡くしたものだ。
『Goodbye Yellow Brick Road』もフランスかどっかへ出かけて行って録ったベーシック・トラックをトライデントでミキシングした。

350cd

310cd

330cd『Honky Chateau』や『Rock of Westies』なんかもミキシングだけ。

Hc

335cd

340cd Freeの最高傑作の呼び声も高いセカンド・アルバム『Free』や定番の『Fire and Water』の2枚もトライデント録音。
しかし、この『Free』というアルバムはスゴイよね。
Paul Rogersなんかこの時まだ20歳だったてーんだから驚いちゃう。
私には少々渋すぎるんだけど、昔の人は本当に立派だった。
Paul Kossofのお父さんはDavid Kossofという俳優さんでお金持ち。
バラカンさんの本で読んだんだけど、その財力を活かして、「たいしてうまくもないのにいい楽器を持っているヤツ」というのがまだ未熟だった頃のPaul Kossofに対するイメージだったらしい。
しかし、トライデントから歩いて10分ぐらいの楽器屋街にそうしたミュージシャンが集まっていた…なんて光景を思い浮かべるとタマらんね。
ジム・マーシャルのお店に集まっていたピート・タウンゼンドやリッチー・ブラックモアしかり。
だからロンドンはオモシロい!
知れば知るほどオモシロい!

640cd

650cd The Rolling Stonesもトライデントを使っている。
ストーンズはまったく受け付けないもんでコレでパス。

360cd

400cdT.Rexはこの2枚をトライデントで録音しているようだ。
…ということは、NATALのパーカッションもココで使われていたというワケよ。
そういうことにしておこう…うれしいから。

410cd

420cdコレは以前にも書いたけど、トライデントはベヒシュタインのおかげがあってか隆盛を極め、ポールを通じてアップル・レコードのアーティストの録音もたくさんこなした。
Billy Preston、James Tayor、Mary Hopkin…当然Bad Fingerもトライデントのお世話になった。
Bad Fingerいいな~。
タマに聴くとすごくいい。ナンダカンダでほとんど買ったな。
ジャケットもいいから。
このファースト・アルバムの最初の曲「Come and Get it」のピアノもベヒシュタインなんでしょうね。
ものすごく音が太い。
このジャケットはジョルジョ・デ・キリコなんだな?

Mcm

Nd_2そして、スタジオが空いている時にポールが…イヤ、サー・ポール・マッカートニーが、将来性が認められる新人バンドにスタジオを開放した。
その新人バンドのひとつがQueenだった。
Queenのファーストとセカンド、それと『Sheer Heart Attack』も一部はトライデントで録音された。

370cd

380cd_2

390cd_2するってーと、「Killer Queen」のピアノもベヒシュタインということか…。
いつも書いているように私はQueenはキライでなくても、ファンであったことは人生で一度もないんだけどシングル盤は何枚か買ってるんだよね。
「買ってる」と言っても石丸電気のサービス券と交換したんだけどサ。
で、「Killer Queen」のB面の「The Seven Seas of Rhye」のピアノはそのトライデントのベヒシュタインのサウンドの代表のひとつとなっている。
しかし、録音によってずいぶん音色が違うな。
さて、しからば「Bohemian Rhapsody」のピアノはどうか…。
この曲が収められている『A Night at the Opera』はトライデント・スタジオでの録音ではない。
しかし、あのピアノはトライデントのベヒシュタインなんだって。
このことは権威あるイギリスのNME(New Music Express)が「'Hey Jude'と同じピアノを使って録音した」ということを正式に発表している。
どうも、ピアノ・トラックだけトライデントで録音したようだ。

11_0r4a0389 何度も書いているようにQueenの代表作、『A Night at the Opea』とコレに続く『A Day at the Races』というタイトルはマルクス兄弟の映画からの借用ね。

Dr_2_2

Dr_1 Genesisもトライデントのお得意さんだった。
コレはうれしい。
『Selling England~』あたりは全部が全部ではないようだが、何らかの形でトライデント・スタジオが制作に携わっている。
430cd

440cd

450cdライブ盤の『Seconds Out』もトライデントでミキシングしているんだぜ。
ああ、あの新宿厚生年金の時のGenesisを今でこそ観たいナァ。

460cd

470cd

480cdGenesis自身もトライデントを気に入っていたんだろうけど、正確にはGenesisがお得意さんというワケではなくて、契約していたCharismaレーベルがお得意さまだった。
だからBrand Xもココでレコーディングしている。
ま、Phil Collinsも勝手知ったるところだったろうしね。

490cd

500cd

510cdもうひとつ、Van Der Graaf Generator。
このチームは元々トライデントを使っていたようで、セカンド・アルバムからChrismaに移籍して当然トライデントでレコーディングし続けた。
もう10年以上前の話になるけど、ある夏、Marshallの副社長を含む技術チームが3人来日したことがあってね、みんなで御茶の水のディスクユニオンに行ったの。
その時、タマタマVan Der Graafを聴いていて、どのアルバムだったかは覚えていないけど1枚中古CDを買ったワケ。
それを見ていた大のLed Zeppelinファンの副社長が、「シゲ、ナニを買ったの?」と訊いてくるので「Van Der Graaf Generatorだよ」と答えると、「ヴァヴァヴァヴァヴァン・ダー・グラ~~~フ????????」とかなり驚いた。
「ナニを驚いているんですか?アナタの国のバンドですよ」と言うと、「多分イギリスで今Van Der Graafなんて聴いている人間はひとりもいないよ」…だって。
ま、そうだろうな。
私も今は全く聴いてないし…。

520cd

530cd

525cdZeppelinといえば、コレ。
Peter Hamillの『Fool's Mate』。
1曲目のタイトルは「Imperial Zeppelin」だ。
Peter Hamillもソロ・アルバムをトライデントで録音した。
ま、正直…この声がね~。

540cd

550cd_2Yesもデビュー・アルバムはトライデントで録ってるんだよ。
Yesというと圧倒的に『Fragile』から、あるいはその前の『The Yes Album』からの扱いばっかりだけど、始めの2枚もとっても魅力的だよね。
コレに入ってるビートルズの「Every Little Thing」のカバーなんて意味もなく大仰でメッチャかっこいい。
でもヘソ曲がり的に言えば、私は『海洋地形学』のC&D面かな?

560cd_2トライデントはロックだけじゃないぜ!
John McLaughlinも使っていた。
名盤の誉れ高いMahavishunu Orchestraの『Birds of Fire』はトライデント録音だ。
ギター・アンプはMarshallなんじゃないかしら?
三宅さんならご存知のハズ。

570cd

6001973年の録音から26年の時を経て1999年にリリースされたMahavishunu Orchestraのアルバム。
チョット見ると未発表のライブ音源のように見えるし、私も実際そう思い込んで買った。
タイトルは『The Lost Trident Session』。
この「Trident」はトライデント・スタジオの「トライデント」。
スリーヴに使われている写真もライブのモノばかりで、誰がどう見てもトライデントでスタジオ・ライブでもやった時の音源かと思うじゃん?
ところがコレは完全にMahavishunuの未発表スタジオ音源で、ナント『Birds of Fire』に続く3枚目のアルバムになる予定だったモノ。
マクラフリンとしてはとても内容を気に入っていたが、メンバー間の関係がどうもシックリいっていない時期であったため、発表を見合わせてライブ盤『Between Nothingness and Eternity』をリリースすることになったのだそうだ。
それから26年もの間、この音源は闇に葬られていたというワケ。

590cdコブハムつながりで…。
みんな大好き『Spectrum』。
コレはトライデントでミキシングしている。
「Stratus」は、「ストレイタス」ではなくて「ストラトゥス」ですから。610cd上にNilssonの「Without You」のピアノもベヒシュタインと書いた。
このピアノの音は他の録音とゼンゼン違うな。
マライア・キャリーなんかもカバーしていたけど、「Without You」はNilssonの曲ではありませんからね。
Bad Fingerの曲。
Nilssonも何枚かトライデントでアルバムを作っている。
この左の『Son of Schmilson』ってのは中学生の頃ハンターでよく見かけたナァ。
ドラキュラ映画のサントラ盤かとばかり思っていた。

620cd

630cdJeff Beckだってトライデントを使ってる。

660cd

670cdThin Lizzyはもっとココで録音しているイメージがあったんだけど、意外にも『Night Life』だけだった。
でも名バラードの「Still in Love with You」がココで録られているなんでうれしいじゃん?

680cdJoe Cockerもトライデントからスタ―ト。
もうこの「Feelin' Alright」を聴くと、とにかく小川文明さんを思い出してしまう。
Carly Simonの『No Secrets』もトライデント。
なるほど、「You're so Vein」のベヒシュタインはまたゼンゼン別の表情をしていますな。
コレがNilssonの「Without You」のピアノと同じモノかとビックリするぐらい音色が太くて力強い。
アタシャこういうシンガーソングライター系の音楽は全くと言っていいほど聴かないので何も語る資格はないけど、こうして聴いてみるとなかなかいいもんですな。
月並みですがJoni MitchellとLaura Nyroは好きです。
このアルバムのジャケ写を指して「女性の正しいシャツの着方」って書いていた人が昔いたけど…いやん、エッチ。
実際にロンドンの街を歩いていると、ブラジャーをお召しにならない女性をよく見かけるけど、向こうの人のはゼンゼン自然なんだよね。
見ている方が恥ずかしくなる…あ、私は決して見たりはしませんよ。
じゃ、ナンで知ってるんだ?ってか?

690cd

700cdMottはね~、わからないんですよ~。
『黄金時代』もサッパリわからん。
このアルバムも持っているんだけど、全く内容を覚えていない…ということで聴いてみるか。
 
…間…
 
印象変わらず、でした。

でもね、20年近く前にIan HunterがMarshallのAVT100を使っている写真を発見した時はうれしかったんよ。
AVT、なつかしいな。
それから~、Mick Ralphsのレスポールの話はいつかしたから今回は止めておこう。

710cdトライデントはメタルだって「ドンと来い!」だぜ。
Judas Priestの『Staind Class』。
この辺りまでは私も聴いた。
ところが、ハルフォードさんのお声が段々オモシロく聴こえるようになって来ちゃって…。
初めてJudasを聴いたのはセカンド・アルバムの『Sad Wings of Destiny』がリリースされた時で、「The Ripper」なんか何てカッコいい曲なんだ!と思ったよね。中2の時。
Tigers of Pang Tangってのはもう全くわからない。
一昨日は家内特製のワンタンを頂いたけど…。
鶏ガラを買いに行ってね、化学調味料を全く使わないでスープを作ってくれる。
メッチャおいしいの。
あ、そんなことはどうでもいいか。
パン・タンはジャケットがいいね~。

720cd

740cd以上、もう1回書いておくけど、全部が全部トライデント・スタジオで録音したモノではないからね。
一部の曲だけであったり、ミキシングだけだったりするアルバムも含まれていいることは承知しておいてね。
それにココに挙げた以外にももっとたくさんの名盤がココで制作されているハズだ。
一体どれだけのMarshallやNATALのパーカッションがココに運び込まれてそんな名演名作の制作をサポートしたんだろうね。
ロマンだナァ。
そんなことを考えるとMArshall冥利に尽きるってもんだ。
下は昨年に訪れた時のようす。

300壁にブルー・プラークが取り付けられた。
大きな変化だ!

750v何のプラークかと言うと…
「デヴィッド・ボウイ
1947-2016
 
彼のアルバム、『ハンキ―・ドリー』、『ジギー・スターダスト』、代表作「スペース・オディティ」がここトライデント・スタジオで録音された。

BBCラジオ・ロンドンより贈呈」
 
そういうこと。
とにかくデヴィッド・ボウイなワケ。
760 初期の作品は全部トライデント録音。
『Hunky Dory』のピアノはRick Wakeman。

760cd

770cd

780cd やっぱり極めつけは『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』ということなんでしょうね。
私も中学生の時に夢中になって聴いたもんですよ。
『Aladdine Saine』もとても好きだった。
このアルバムはコーラスでLinda Lewisが参加しているのか…。
『Station to Station』までは聴いたの。
「TVC15」なんて大好きだった。
で、中3か高1の時に『Low』がリリースされてズルっとなった。
それからDavid Bowieは全く聴いていない。
高校の時に来日したけどNHKホールには行かなかった。
ギターがAdrian Belewだったので行っておけばヨカッタような気もするけど、ま、いいや。
初来日の時は、「飛行機がキライ」ということで船で日本に来たんだよね。
後で聞いたら、フィリピンだかシンガポールまで飛行機で来て、その後船に乗り換えたとか…。
 
それにしてもDavid Bowieのイギリスでの人気の高さはスゴいワケ。
日本みたいに亡くなった時点で急にファンが増えてすぐに忘れられてしまうようなのとはワケが違う。
Peter Greenが亡くなったでしょう?
facebookなんかを見ているとスゴイもんね。
どっからか急にFleetwood Macファンが押し寄せて来た。
普段はFleetwood Macの「フ」の字も出て来ないのに不思議だね。
ま、「故人を偲ぶ」という意味では一向に構わないんだけどね。
で、David Bowie、Pink Floyd、Status Quoあたりは日本では想像がつかないぐらい人気が高い。790cd

795cd …ということで、David Bowieの地元へ行ってみた。
「Brixton(ブリクストン)」というテムズ川南岸の町。
地区はLambethになるのか…。

800ヴィクトリア線でロンドンの中心からすぐのところ。
840「すぐのところ」なんだけど…
830もうね、駅から外へ出た瞬間に「あ、ココは違う」と感じたわ。

810とりあえずGREGGSは同じなんだけど…。

815vとにかく黒人だらけなんですわ。
別にコワいことはないけど、場合によってはコワい目に遭っても不思議はないような雰囲気。
すくなくともジギー・スターダストのイメージはナニひとつありはしない。

820駅からほど近いところにある「O2 Academy Brixton」。
ロンドンの重要なコンサート会場のひとつ。
1929年の開業で元は映画館だった。
こけら落としはAl Jolsonの「The Singing Fool」という作品。Al Jolsonはガーシュインの「Swanee」を歌った人ね。
後にコンサート・ホールとなり80年代のバンドの活躍の場となった。850キャパはスタンディングとイスで4,900だって。

870かなりデカいね。

880楽屋口。
Eric Clapton、Dire Straits、Policeなんかがリハーサルに使ったこともあるという。
Wham!はココでビデオを撮ったそうな。890v今度は線路の反対側へ歩いて来た。

900Lambeth Town Hallという建物。
そうか、コレはランベス地区の役所だったのね?

910vすぐ近くの「Ritzy(リッツィ)」という映画館。

920コレは立派だった。
1911年の開業で建物はGradeIIに指定されている。
ココは労働争議をやっているみたいだね。

930外壁にはズラリと往年の、イヤ古のハリウッド・スターのポートレイトが並んでいた。950ジギー・スターダストはこんなところで生まれ育ったのでした。363cd_2偶然の山本寛斎さんの訃報。
田川ヒロアキさんが出演したイベントで2、3度お見かけしたが、いつもニッコニコでとても感じのよい方だった。
ヒロアキくんの「Sea Scape」を合体させたイベントのオープニングの「君が代」のオリジナル・アレンジと演奏をとにかく褒めちぎっていらっしゃった。
この場をお借りして謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 

11_img_3218_2 
「Marshall Japan」チャンネルの登録をお願いします!⇒YouTube

 

200

2020年7月 9日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 48 ~ 国立コンピューティング博物館<その2:真空管まつり>

 

前回の記事で例を示したように、初期のコンピューターにとって真空管は必要不可欠な重要パーツだった。
私が子供の頃のテレビはスイッチを入れてから画像が出て来るまで何分もかかるのが普通だった。
スイッチを消すと長い間白い点がブラウン管の中央に残っていた。
そもそも白黒の番組が当たり前だったなんて信じられないよね。
カラーの番組が放送されるようになると、新聞のテレビ番組欄ではカラーの番組に「カラー」という印が付されるようになったが、その後、カラーの番組が主流になると、今度は反対に白黒の番組にボーリングのスペアのような記号が付けられてカラー番組ではないことを示すようになった。
最近は「テレビっ子」なんて言葉もメッキリ聞かなくなったね。
今はどうなんだろう?
「ユチュバっ子」か?
子供の頃は「どうして大人はニュースを見たがるんだろう?」と不思議に思ったが、何のこたぁない、今では報道番組以外に定期的に見る番組がほとんどなくなっちゃったな。
「激レアさん」ぐらいか?
関係ないけど、あのボードに書く太マジックの文字ね。
アレはあの司会の女性が書いているのだろか?
ものすごい達筆だと思わない?
アレを真似て太いマジックを使ってみても、絶対にああはならない。
 
…ということで、真空管。
「国立コンピューティング博物館」の片隅にこんな展示を見つけた。
 
熱電子管
コレは国立コンピューティング博物館の会員が様々な電気機器から取り外して集めたコレクションの期間限定の展示です。
トランジスターやシリコン・チップスが出現する以前、真空管はアンプ、オシレーター、また国産のラジオやレコード・プレイヤーやテレビにも使われていた標準的な電気パーツだったのです」
 
わかってる、わかってる。
今、私は真空管なしでは成り立たない仕事に就いているけど、この日、向こう数年間分の真空管を見た気になったわ。

11_0r4a0239そして、ココのコーナーをジックリ見ていたのは私だけだった。

11_0r4a0234アレ…見覚えのあるKT66。
Vintage ModernかASTORIAから引っこ抜いて来たんじゃないの?

30特に解説もなかったので、お好きな人は写真だけ見て楽しんで下さいまし。

11_0r4a0236

50

11_0r4a0240

70

80私は真空管のマニアではまったくないけれど、人間が古いせいかこのデザインにすごく惹かれるよね。

100

110

120

130レトロなハコのデザインがまたいいんだよね~。
90こんな基板の類もゾロゾロと展示してあった。

150

11_0r4a0253イギリスFerranti(フェランティ)社のArgus 400。
工業用コンピューターで、元々は軍用に設計されたモノ。

11_0r4a0254コレもスゴイな。
前回やったEDSACの一部。160おお~、こんなモノも!
昔のコンピューター、計算尺。
コレってスゴいよね。
高校の数学の授業で使い方を教わって感動した。
もちろん今では使い方なんてナニも覚えていないけど…。
180気になって調べてみた。
英語の呼び名は「Slide rule」。
ナンダナンダ、コレもイギリス人の発明だってよ!
1622年、ウィリアム・オートレッドというバッキンガムシャーの人。
バッキンガムシャーはMarshallの本社やココがあるところと同じ行政区。

昔、Yesの曲の複雑さを表現するのに「彼らは計算尺を使って作曲している」なんてことが使われていたけど、そんなワケはない。
今なら「コンピューターを使って作曲している」という感じか?…イヤイヤ、本当にそうなっちゃってるじゃん!

190さて、ココからが本番!
シリーズの最後を飾る一大ロマン!
ブレッチリ―・パークの記事で、アラン・チューリングが「ボンベ」という機械を作り、エニグマ暗号の解読を容易にした…ということを述べたが、それもつかの間、ブレッチリ―・パークのスタッフはドイツ軍が発信する暗号に再び頭を抱え込むことになった。
ドイツ軍がエニグマ暗号より強力な暗号を使い出したのだ。
その暗号を作っていたのがこの「Lorentz SZ42(ロレンツ)」。
どうよ、悪そうな顔をしてるでしょ?
ギザギザが何ともズル賢そうな感じだ。
現存するロレンツの数は極めて少なく、超激レア。
コレはノルウェイの軍隊から長期間にわたって博物館が借り受けているモノだそうだ。

200ロレンツで作られた暗号文はこのテレプリンターで発信された。
このテレプリンターの値段は£10(今の為替レートで1,400円ぐらい)。
博物館の職員がebayで見つけ、専用ケース付きでこの値段で手に入れた。
元の持ち主はコレが何のための機械か皆目見当がつかず、70年もの間ほったらかしにされていてボロボロの状態になっていた。
その後、買い取った博物館のスタッフが綿密な分解掃除を施してこの状態に戻したそうです。
210で、ロレンツはヒトラーと将軍たちの通信専用に使用された暗号機だった。
ローターがついているところあたりはエニグマ機と似ているが、実際に仕組みも似通っていた。
しかし、その複雑さはエニグマの比ではなかったそうだ。
11_0r4a0271しかし、ブレッチリ―・パークのジョン・ティルトマンとビル・タットという2人がロレンツ暗号の解読に道筋をつけ、ヒトラーのメッセージを読むことに成功した。
しかし、ロレンツはあまりに強力で、ボンベが持つ能力では太刀打ちできず、人力で解読に努めたが、どうにも時間がかかってしまいラチが開かなくなってしまった。
11_0r4a0273しかし、マックス・ニューマンという人がチューリング・ボンべの概念を継承しつつ、ロレンツに対抗するプログラム可能なコンピューターの設計図を描き上げた。
当初、技術的に実現不可能と一旦はその設計図が棚上げになったが、トミー・フラワーズという人が10ヶ月の時間をかけてとうとうそのコンピューターを作り上げた。

11_0r4a0272_2 そのコンピューターがコレ。
デカッ!
名前は「Colossus(コロッサス)」。230「コロッサス」なんて聴くと、もうすぐに頭の中はコレになっちゃうんだけど、「colossus」というのは「巨像」とか「巨人」という意味。Sc使用されている真空管の数は1,500本。
ボンベとは比べ物にならない処理速度を誇っていたが、コロッサスの重要性は処理能力ではなくて、プログラミングが可能であることだった。
プログラミング能力を擁していないとロレンツの複雑な暗号に対応ができなかったというワケ。
「必要は発明の母」だったのね。
そして、その「プログラミング可能」という能力こそが「コンピューター」を意味するのだそうです。
例によってこの展示品もレプリカです。

2401996年に「His Royal Highness the Duke of Kent(ケント公爵エドワード王子)」がココへ来てコロッサスのレプリカの点灯式を行った。
エドワード王子は、エリザベス女王のお父さんのジョージ6世の弟のジョージ(ややこしいんじゃい!)の息子つまりエリザベス女王のイトコ。
やはりアタマが薄いというか、もうツルツルなのさ。
人のことは言えんが、ウインザーさんの家系の男子チームは髪の毛が気の毒だネェ。235ボンべ同様、終戦直後にチャーチルの命にしたがってコロッサスは設計図はもちろんのこと、本体も手のひらより小さなサイズに砕かれてこの世から消えてしまい、「世界初のコンピューター」の栄誉はトミー・フラワーズではなく、他の科学者のモノになってしまった。
260一方、1945年、ペンシルヴァニア大の研究者が18,000個の真空管を使用した「ENIAC」というコンピューターを開発。
それがその後何十年にもわたって「コンピューターの母」と言われるようになってしまった。
コロッサスを作り上げたフラワーズが、自分の栄誉を逃したことを悔しがって「あのブルドッグめ!」と言ったかどうかは知らない。
いずれにしても、20世紀後半の暗号の発展に道筋をつけ、現在のコンピューターの源になったのがこのコロッサスだった。270時間も比較的遅かったので、お客さんが極端に少ない中、目を引いたのはこの家族。
何だか知らないが、ココの家族はお母さんがやたらと積極的で、係りの人に矢継ぎ早に質問を浴びせかけていた。
係りの人もヒマなのか、それらの質問に嬉々として受け答えているように見えた。
お父さんは「いいぞ、カアちゃん!」と思っていたのだろう、そのシーンをスマホで撮影していた。
250また真空管のディスプレイ。

11_0r4a0294_2今度は真空管2,400本だ~!
320コロッサスのマークII。
325マークIの5倍の速度で仕事ができるそうだ。

310vこの真ん中のデカいヤツも「BY1144L」という三極管。
「PF Power Triode」というタイプで57kgもあるんだって。
一方、右側の小さいヤツは「EF36」という五極管で実際にMKIIに使用されているモノ。

11_0r4a0304しかし、実物も設計図も全くなかったのに一体どうやって復元したのか?
コロッサスMKIIに関して言うと、当時の技術者の膨大な量のノートが主にアメリカに現存していたのだそうだ。
不明の箇所もあったが、元々の設計者が生きていて再現した。
MKIIの組み立てはこの博物館で行われた。
330パソコンのコーナー。360結局はコレか。

370若い人たちがビンテージ・ゲームに夢中になっていた。

380後はジャンク品の展示コーナー。

390イヤ、「ジャンク品」なんて言ったらきっとバチが当たるようなレア・アイテムなんだろうね。
でも私には秋葉原の裏通りにしか見えなかった。

400ココもなんだかんだでオモシロかった~。
地元の人も、ブレッチリ―・パークには行ってもココには来ないらしいので、貴重な体験をしたわ。
さぁ、ホテルへ帰ろう。

405またブレッチリ―の駅まで戻って来た。

11_img_0668_2 駅前を通り抜けて…Img_0671 階段を下りたら左に曲がって電車の高架をくぐる。

Img_0673 そこにあるのがこの「THE PARK」というパブ。
ノドが乾いたのでココでエールを飲むことに…。
そしたらラガーしかないというので、アタマに来てテーブルをひっくり返して店を出て来た(ウソですよ~)。

420せっかくだからブレッチリ―の町をブラブラしておこう。

430ココにもGREGGSができたのか…。
残念ながら休み。
イヤ、この日は日曜日だったので空いている店は1軒もなし。

440恒例の「VOONG'S」詣で。

450ジムのお気に入りの中華料理店で、まだジムがいる頃はMarshallで会議があると1回はココで会食をするのが習わしだった。
ベトナム人が経営していて、我々が日本では経験でき得ないタイプの独特なお味の中華料理を出してくれた。460最近はメッキリ来なくなったので、なつかしいわ。
18年前に初めてMarshallの工場を訪れた時、ジムを除く重役とココに来て昼食をご馳走になった。
あの突き当たりとその手前のテーブルに座ったのをよく覚えている。
メッチャ緊張した。
私もまだまだ若かったからね。
その場で初めてお会いした方もいらしたので、一応自己紹介をした。
名前を言って、「1962年の生まれです」と振っておいてから、「Call me Bluesbreaker!」と言ったらドッカ~ンと受け…るハズだったんだけど、そこにいた人たち全員ポカーンとしてた。
私を含めて全部で6人だったかな?
もう今では私しか残っていない。470スーパーの入り口。
休みとはいえ汚いネェ。
日本の街の清潔さは素晴らしい。Img_0685 人っ子ひとり歩いていないし、たまに見かける若いヤツはいかにも物騒で、一度目を合わせたら後がないな…という感じだったので足早にこの場を去った。480あとはトコトコと歩いてホテルに帰るだけ。
ブレッチリ―・パークに行く時は雨に遭ったけど、結局天気のいい一日だった。

Img_0686 この高架の横に迂回路があってホントはそっちを歩かなきゃいけないんだけど、構わずまっすぐ進む。

490「THE ENIGMA TAVERN」…昔から「enigma」という言葉の意味は知っていたけど、暗号に関わる事だけは知らなんだ。
そして、今、こんなに興味を持つようになるなんて想像したことすらなかった。
いつか入ってみよう。

11_img_0584Marshallまで帰って来た。
誰かまだ残ってるな。

Img_0688 24時間オープンのASDAも日曜日の午後はお休みだ。
カートは外に置きっぱなし。500イギリスのATMってロンドンの街中でもそうなんだけど、平気でこうやって外に置いてあるんだよな。
CCTVが発達しているとはいえ、大丈夫かしら?といつも心配になっちゃう。
それに雨風にさらされて機械がダメにならないかね?510帰って来た~!
520Marshallアリーナは今度は『UKタトゥー・フェスト』だって!515まずはホテルのバーでエールを1パイント。

530今日はASDAがお休みなので買い食いも出来ないからホテルの横のレストラン街へ。
工場の周りも便利になったもんだ。
昔はホントに何にもなかったのよ。
コレはホテルの中にあるレストランの看板。
2週間チョット前に、Marshallのアジア・チーム(香港、ベトナム、日本)とD_Driveで会食をしたのがもう何年も前のことのようだ。Img_0696この日はチキンにした。
滅多にはいらないけど、実は「Nando's」好きなんどす。

540こんな感じの日曜日のディナーとなりましたとさ。
…ということでMarshall CODEにちなんだ「ブレッチリ―・パーク」の特集おしまい~!
 
まだまだこの時の旅のレポート・ネタが残っているのでお好きな人はどうぞお楽しみに!
ナニせライブがないもんだからサ、仕方ないでしょ!

550そして、近々CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!
現在、楽しみながら内容を制作中!

12code25

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 8日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 47 ~ 国立コンピューティング博物館<その1>

350…ということでブレッチリ―・パークの見学は完了。
とにかく一度来てみたかった場所を3時間半ほどかけてジックリ見ることができたので大満足…と、言いたいところなんだけど、どうも腑に落ちない。
何が気に食わないんだろう?…と自問自答して思い当たったのが例のアラン・チューリングが作った暗号解読機「The Bombe」。
コレのホンモノを見ていないから物足りなかったんだ!ということに気づき、パークの入り口の案内板がアタマに浮かんだ。

10_3コレね。
「COLOSSUS & BOMBE GALLERIES OPEN DAILY」と書いてあったのを思い出したのだ。
そこで、ワザワザこうして公園の入り口の看板がある所まで一旦戻って、展示してある場所を確認した。
アータ、第二次世界大戦の終結を2年早めたと言われている世にも偉大な機械ですよ~!
そんなスゴイものが残っていないワケがない。
ましてや古いモノを大切にするイギリス人のことだ。
エジプトのミイラが残っていてボンベが残っていないワケがない…せやろがい!

20_2それは「THE NATIONAL MUSEUM OF COMPUTING(国立コンピューティング博物館)」というところにあるらしい。
ロケーションはブレッチリ―・パークの裏というか、奥。
さっそく行ってみょう!
40_3エ……もしかしてコレ?
国立の博物館なのにまさかの平屋?
工事現場の仮事務所より貧弱だぞ。30_3間違いない。
コレが「国立コンピューティング博物館」だわ。
ナニナニ「現在でも可動する1940年から現在に至る歴史的コンピューターの世界一のコレクション」を誇っているらしい。

50_3入場料は£7.50だから千円とチョット。
イギリスの国立の博物館は入場料が無料なことが多いけど、ココはしょうがなさそうだな。
エントランス…といっても普通の入り口だけど…の壁に飾ってある2大暗号機とその解読機。
「エニグマ vs. ボンベ」と「ロレンツ vs. コロッサス」。
カッコいい~!

60_2入ってすぐのところにある「ボンベ・ギャラリー」。
いよいよホンモノにご対面かッ!
と期待を膨らませたが…。

0r4a0127 部屋の中央に鎮座ましましたるいかにもボンベのようなマシン。
大きな表示板に目をやると…「THE TURING BOMBE REBUILD PROJECT」とある。
は…?
「リビルト」?

80_2ちょうど係りのオジさんが出て来たので訊いてみた。
「スミマセン、あの、'REBUILD'ってなっていますけど、ココには第二次世界大戦中に実際に使われたホンモノはないんですか?」
「(キッパリと)ありません。
戦争が終わった時に、元の形がわからないほど細かく壊してしまったんです。ウィンストン・チャーチルの命令でした」
なんだよ~、ウィンストン!
実家まで行ってやったのに~。

90_3そう、大戦中のイギリス軍の行動を隠匿するために本体はもちろん、設計図にいたるまでボンベに関わるものをすべて処分してしまったのだ。
じゃ、ココにあるモノは?

100_3BCS(British Computer Society=英国コンピューター協会)のジョン・ハーパーという人が中心になって1994年から13年かけて作り上げた精巧なレプリカなのだ。

110_3係りの人が言っていたが、レプリカと言っても当時と全く同じ動作と働きをするように作られているのだとか。

120_3完成後、ブレッチリ―・パークに展示されたが、2018年にこっちの博物館に移設された。

130_3スゴいメカだわ。

14513年もかけて苦労して作り直すくらいなら、終戦後どこかに隠しておいて壊さなきゃヨカッタのにね。

140vプロジェクトで使われたパーツ。
「Letchworth Enigma Wiring Jig」とあるが、レッチワースというのはブレッチリ―から25kmのところにある町の名前。
当時のボンベはレッチワースで製造されていた。
私、行ったことがあるんですわ、レッチワース。
もちろんボンベなんでものはプロパンぐらいしか知らない時分だったけど。

150_3レッチワースで撮った適当な写真がないので、その隣の「ヒッチン」という小さな町にある楽器屋さんの前で撮った18年前の1枚を。
店名は「MACHINEHEAD」。
オーナーにその名前を尋ねると、もちろんDeep Purple大ファンだった。
Mh他にも使用、というか代用されたパーツがズラリと展示されていた。

0r4a0129

0r4a0130その傍らには、ハイ、エニグマ。
もう全然珍しくなくなっちゃった。70_3この博物館のエニグマはドイツ陸軍が使用していたモノで、5枚のローターが使用できるタイプ。
写真の2枚はお休み中のローター。

75古式ゆかしい電卓の類がゾロリ。
と言っても、私が学校を出て就職した時には右下にあるようなドデカイ電卓が普通に使われていたからね。

160_3揺籃期のコンピューターの展示。

170_3入り口の看板に書いてあった通り、この博物館に展示されているモノはすべて可動できる。
でもコイツは何やら不調らしい。

180_3デカ!
コレは磁気ディスクなのかしらん。

190_3ホントに実際に使っているみたいだった。

200_3このオジさん、すごく静かにしているもんだから置物かと思っていた。
するガバっと振り返って「Hello!」なんていうもんだからビックリして飛び上がっちゃった!210_3しかし、「博物館」にしてはあまりにも放ったらかしの展示だよね~。

220_2ほとんど説明もなかったので、コンピューターの好きな人は写真だけ見て楽しんでください。

230v

240_3

250_3

260_4

270_3

280_3

290_3

300_2

310

320_2コレは博物館が事務処理で使っている現行のコンピューターね。

330_2「EDSAC」のレプリカを製作するプロジェクト。
ココはレプリカ・プロジェクトが好きだナァ。

340_2EDSACは「Electronic Delay Storage Automatic Calculator」の略で、実用に供される世界で2番目のプログラム内蔵方式のデジタル・コンピューターだった。

350まったくコンピューターには見えないんですけど。

360_2見ての通り、これらは全部真空管。
いい音が出そう?
全部で3,000本使われている。
380_2EF54という五極管がEDSACでメインで使われている真空管。
この真空管は戦時中はレーダーに使われていたため、ケンブリッジの研究者にとってはなじみのあるパーツだったらしい。
1947年に軍がこの球を放出したため、EDSACに使われた。
こういう話を知ると、よく真空管マニアの間で「~の軍の放出品」とかやっている話の真実味が増すね。
EF54はもちろんもう製造されていないが、「New Old Stock」として今でも入手可能だそうです。

390_2裏の配線がまたスゴイ。
ホーチミンの街中の電線みたいだ。
1951年に79桁の素数を発見したのはEDSACのひとつの業績とされているらしい。
え、今?
最近では、2018年に24,862,048桁の素数が発見されている。

370_2こういうパーツは実に親しみを感じるね。

400_2しかし、…コレは1949年に世に出ているというから71年前のモノなんだけど、Marshallの真空管アンプのシャーシとパッと見変わらないじゃない?
ま、双方、真空管を設置する箇所なので見た目が似ているのは当たり前なんだけど、真空管アンプってすごくない?
コンピューターに比べたらシーラカンスみたいなモノだよ。
それだけ「音がいい」から姿を変える必要がないワケ。
もし真空管アンプよりいい音を出すアンプが出ていたらとっくの昔に姿を消しているハズでしょ?
それを使わないなんて全くバカげてるわナァ。

410_2まだまだ続く。

170 コレは「The HEC1」というコンピューター。
「HEC」というのは「Hollerith Electric Computer」の頭文字。
「Hollerith(ホレリス)」はハーマン・ホレリスというアメリカの発明家のこと。
パンチカードを読んで統計をデータ化する「タビュレーティング・マシン」をいう機械を作り、アメリカの国税調査などに使われ世界中に普及した。
ホレリスの会社が後のIBMに発展した。
このコンピュータ-はそのイギリスのタビュレーティング・マシンの会社が製造したもの。

420_3開発はアンドリュー・ブースというイギリス人で、1951年に発表して初めてのイギリス国内で広く使用されるコンピューターとなった。

430vしかし、スゲエ真空管の数だな。
いい加減熱かっただろうナァ。
このコンピューターが室内にあれば、暖房が要らなかったのではなかろうか?

440コレはECC81。

450_2コチラはKT66…とMarshallでもおなじみの真空管だ。
このままで爆音が出そうだな。

460_2背面はこの通り!

470手作り感満載のコンピューター!

480_2次…またまた仰々しいのが出て来た。
「Harwell Dekatron Conputer」は1952年の発表。
何でも電話交換機のパーツを利用して作られているらしい。

490_2コレもスゴイ数の真空管だな。
計算用に使われているんだって。

500_2このキーボードで操作するのかな?カワイイな。
2009年から2012年にかけて、この国立コンピューティング博物館で修復された。
修復後の2013年には「世界最古の稼働中のデジタル・コンピュータ」としてギネス認定された。

510_2…ということで今回はおしまい。
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25<最終回につづく>

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 7日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

 

「The Mansion(ザ・マンション)」と呼ばれるブレッチリ―・パークのシンボル。
1870年代の建物で、サー・ハーバート・レオンというとても裕福な株式仲買人の持ち物だった。
ルックスは大分異なるが、映画『イミテーション・ゲーム』の中にもジャンジャン登場していた。

420_2ココはMarshallのClass5の「Pin-Up」というシリーズの宣伝写真のロケ地。
かなりの曇天で、コレを撮ったマットもこれだけ色を出すのは大変だったろうナァ。

430私はこの撮影の時にちょうどMarshallに行っていて、撮影に誘われた。
一緒に行きたかったんだけど、他の用事があって泣く泣くお断りした。

440vこのモデルに興味のある人はコチラをどうぞ。
フレットクロスに描かれている女優さんについてチョコっと書いておいた。

450戦時中は後で紹介する「HUT」と呼ばれる設備が出来るまでの間、1階部分を暗号解読舞台の本部やレクリエーション施設として使用した。

460しかし、コレって建て増しを繰り返したのかナァ?

11_0r4a0984棟続きなんだけど色んなデザインが混ざっちゃてるんだよね。

11_0r4a0986早速中に入ってみる。

11_0r4a0987入り口に付いていた「Institute of Electrical Electrics Engineers(略称:IEEE)」から寄贈されたプラーク。
IEEEはアメリカに本拠地を置く世界最大の電気・情報分野の学術研究団体であり、技術標準化機関。
メッチャ権威が高い。
それが言うには…
「1939~1945年の世界大戦中、ココで12,000名の男女がドイツのロレンツやエニグマ、日本やイタリアの暗号解読に従事した。
彼らは革新的な数学的分析を用い、ココでアラン・チューリングがゴードン・ウェルチマンと主に開発した電気機械ボンベやトミー・フラワーズが設計したコロッサスの助けを得て解読に成功した。
この偉業は終戦を早め、多くの命を救った」
そういうこと…なんだけど、従業員の数が12,000人に増えてる。
オモシロいのは、ココに集められたスタッフの顔ぶれで、暗号の専門家だけでなく、数学者(アラン・チューリングは数学者)からチェスに強いヤツ、クロスワード・パズルの達人…と、様々なキャリアを持った人たちだった。

11_0r4a0988 現在は1階部分のみ見学できるようになっている。

470vお偉いさんの事務所だった部屋。480天井が低いね。

490どこもやたらとゴージャスな作りになっている。

500天井もこの通り!

510西洋の建築物の格付けをするには天井を見るのが一番早い…持論です。

520ひと通りMansionを見学してまた庭に出ると、さっきのジャズに合わせて…

539子供たちが盛り上がっていた。

540所員のためのテニスコート。
みんなモノスゴク頭を使うもんだから、空き時間には積極的に身体を動かして気分転換を図った。

550マンションの斜め裏手にある「Stableyard(厩舎)」と呼ばれているエリア。
純正ガイドブックを読むと、この奥に「Apple and Pear Storeがあった」って書いてある。
「リンゴと梨の店」?
そんなバカな…確かにイギリス人は食餌として小さなリンゴ(マッキントッシュ?)を食べるけど、それを売る店だったのかかな?
調べてみると「Apple and pear」というコックニー・スラングを発見した。
コレは「stair」のシャレだって。
「stair」は「階段」だから、コレもおかしい。
絶対に何かの隠喩だと思い、すぐにMarshallの友達に尋ねてみた。
彼女はこの表現を知らず、親切にインターネットで調べてくれた。
結果、本当に「リンゴと梨を売る店」だそうです。
ヘンなの~!

560今は動いていない時計塔。
前回紹介した「Dispatch Rider」たちは、1日に3,000ものメッセージを携え、この門をくぐって静か~にブレッチリ―・パークに入って来た。
11_0r4a0024 アラン・チューリングやディリー・ノックスらの暗号解読スタッフは、1939年からこのコテージで作業をしていた。

570そして、ディリーはココで初めてエニグマ暗号を解読した。
11_0r4a0043ココでの解読作業が、後の「Double Cross」作戦で大いに活躍し、それがノルマンディ上陸作戦につながり、ヨーロッパ戦線の早期終結に結び付いた。
「Double Cross」作戦というのは、「Double Cross System」とも呼ばれる、ニセの情報を流して相手をダマす作戦。
ココでエニグマの解読に成功していたことはブレッチリ―・パーク内でも極秘にされていた。
それだけ秘密の保持に厳しかったので、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルはブレッチリ―・パークの職員を「The geese that laid the golden eggs and never cackled(金の卵を産む決して泣かないガチョウたち)」と呼んだそう。
『イミテーション・ゲーム』にもチューリングが軍の上層部に直談判してチャーチルから研究予算を引き出すことに成功するシーンがあるが、実際にチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、ブレッチリ―・パークの仕事にとても協力的だった。
11_0r4a0045Stableyardの近くのガレージに展示してある当時のMI6の社用車。
こうした車はブレッチリ―からほど近い、ニューポート・パグネルにある「ティックフォード(Tickford)」という有名な車体屋(Coachbuilder=コーチビルダー)に送られ、元の塗装を剥がし、戦時下特有のカムフラージュ塗装を施した。

580私、ニューポート・パグネルに家内と1泊したことがあるの。
ココはアストン・マーチンの本拠地なんだよね。
その加減でその車体屋があるのかも知れない…イヤイヤ、おおよそ自動車産業とは結び付かない静かな田舎町なのよ。
下がニューポート・パグネルのアストン・マーチンのショウルーム。11_img_0978 これらのパッカードには強力な通信装置が搭載されていて、イギリスとドイツの間で起こっていることが随時把握できるようになっていた。

590

610コレは救急車。
カッコいい。
なんか看護婦さんみたいなイメージだな。

600Norton社製のオートバイ。
1937~1945年の間、ノートン社はイギリス軍が使用するオートバイの1/4に当たる10万台を供給した。
その代表機種がこの『WD 16H』だった。

11_0r4a0034公園の奥を見終わって、中心部に戻ってきた。
「HUT3」…上で紹介したマンションが手狭になり、スタッフはこの「HUT」と呼ばれる建屋に作業の場を移した。
「hut」というのは「小屋」という意味ね。
「ピザハット」の「ハット」。

10_2HUTごとに役割が決まっていて、隣のHUT6で解いた暗号がこのHUT3に運ばれて来て、翻訳作業が行われた。

20vココで翻訳された文章は厳格に軍隊特有の文体に定型化され、あたかも実際のスパイが書いたかのように仕立て上げ、暗号の受取人は、それら情報がブレッチリ―・パークから発信されたものであることを全く知らなかった。
ところで、我々ってよく…
「それじゃ11時にお願いします」
「11時…わかりました23時ですね」
…ってやるでしょ?
向こうの人は「おお!ミリタリータイム!」とか言ってコレにビックリしちゃう。
じゃどう云うかと言うと、「11pm」って言う。
午前の11時なら「11am」って言う。
「日付vs.曜日」の感覚とかも我々とは違うんだよね。

30_2HUT6で解読した文章はいつも不完全で、時には全く意味を成さないモノもあったが、ごくまれに簡単に訳すことができる完璧な解読分も含まれていたそうだ。

40_2この奥がHUT11Aと11。

50_2「The Bombe」が展示してあることを知らせる看板。
要するにココの展示のハイライトですな。

60vやっぱり人気があって多くの人が出入りしていた。
私もコレを見に来た。70_2ココに展示されているモノといえば…
ハイ、またエニグマ暗号機。

80vコレはずいぶん程度がいいね。90_2目盛りが数字になっているローター。

100_2エニグマのローターはしまいには5枚使いにグレードアップした。

110_2アルファベットを根こそぎ入れ替えてしまうプラグボード。
3枚のローターに比べ、組み合わせが多岐にわたるこのプラグボードこそ暗号の生成を複雑にしているのだが、ただの文字を入れ替えているだけの構造なので頻度分析で比較的簡単に解読できてしまうのだそうだ。
やはりエニグマの主役はローターなのだ。

120_2見ての通り真空管。
この時代、真空管は電気機器の大スターだった。

125ドイツ軍のエニグマの初期設定のコードブック。
ローターの番号と向き、初めにセットするアルファベット、プラグボードで入れ替える2つのアルファベットのペアが日替わりでひと月分明記されている。

130_2そして、いよいよ登場したのがコレ。
エニグマ暗号を解き明かした機械、「The Bombe(ザ・ボンベ)」。
初めて聞いた時「変な名前だな~、'ボム'の間違いじゃないの?」と思ったのだが、「ボンベ」でいいの。
最初にエニグマ解読の風穴を開けたのはポーランドのマリアン・レイェフスキという人なんだけど、そのポーランドで使われていたマシンを「The Bomba」といった。
それに敬意を表して「Bombe」という名前を付けたらしい。
160_2コレ、『イミテーション・ゲーム』の中でも盛んに出て来るでしょう?
どういう仕組みになっているのか、いくらその手の本を読んでもピンと来なかったんだけど、3段になっているひとつひとつがローターに対応していて、とにかく電気信号を利用して総当たりでエニグマのローターの初期設定を突き止める…みたいな働きのハズ。
だから「グーグル翻訳」みたいにコレ自体が暗号を解いて、普通の文章に変換してくれるワケではなくて、ジーコ、ジーコと動かしてエニグマの初期設定を格段に突き止めやすくしてくれる。
初期設定さえわかれば、さっき書いた通りプラグボードは頻度分析で解析できるので、手元に同じエニグマ機がありさえすれば暗号が解読できる。
 
ところで、この機械、すごくキレイでしょ?
コレが活躍したのは80年も前のことなのよ。
そんな昔のモノがこんなにピッカピカなワケがない。
そう、残念ながらコレはレプリカなの。
この辺りの話は次回やります。

140_2こういうモノにはつきもののシミュレーションの展示。

170_2アラン・チューリングのスゴイところは、暗号を解いたことではなくて(実際にはレイェフスキがすでに解読していた)、機械が作った暗号を機械に解読させたということなんだって。
コレが今のコンピューターにつながっているんですよ。

180_2コレは映画の中にも出て来るけど、当時イギリスが困っていたのは、ドイツの潜水艦司令長官カール・デーニッツが考え出した作戦によって大西洋航路のアメリカからの物資の補給路を完全に断たれていたことだった。
大西洋をマス目に区切って場所を特定し、複数の潜水艦で寄ってたかって輸送船をイジめちゃう。
エニグマ暗号を解読していれば潜水艦の位置を突き止めることができるので、輸送船はそれを避けて航海することができた。
ところが、先回りばかりをしていると、イギリスがエニグマの解読に成功したことがバレてしまい、ドイツ軍が暗号の難度を上げてしまう恐れがあったので時々故意にヤラれてやったらしい。
映画ではスタッフの1人のお兄さんが輸送船に乗っていて見殺しにしなければならないシーンが出て来るが、実際にチャーチルはドイツ軍の空爆の確かな情報をつかんでいながら、どこかの街をワザと空襲させたことがあったらしい。
多分住民にも知らせなかったんだろうナァ。
だって住民の中にスパイがいたら一発だもん。

190_2誠に勝手ながら、ボンベのホンモノが展示してあるものとばっかり思っていたのでナンカ狐につままれた感じでHUT11から出て来た。

200_2HUTの他にも「BLOCK」と呼ばれているエリアがあるけど、展示物はほとんどなかった。

11_0r4a0110 「D」のオブジェ。
イギリスでは6月6日になると「D」を祝う。
この「D」は「D-Day」、すなわちノルマンディ上陸作戦が決行された日。
私、偶然にも2012年以降の6月6日は3回ほどにロンドンに滞在しているんだけど、向こうではそこら中でこの日を祝っちゃう。
今年もfacebookでガンガンやってた。
ドイツ占領下のフランス。
連合軍がカレーに上陸すると見せかけておいて、ノルマンディに上陸したといういわゆる「史上最大の作戦」…要するにダマし討ち。
さっきの「Double Cross」ですな。
この作戦を成功に導いたのがブレッチリ―・パークが発した情報だった。
だから、アラン・チューリングは戦争の終結を少なくとも2年早めたと言われているワケ。
そして、今度イギリスの最高額紙幣の£50札の顔になる。
11_0r4a0112日本は渋沢栄一か…。
城山三郎が書いた渋沢の伝記『雄気堂々』っての…上下巻読むのにエラく苦労したっけナァ。Ud ビデオを上映している部屋もあった。
第一次世界大戦で活躍した伝書バトのビデオがかかっていた。

230_2最後に…HUT8。11_0r4a0120後のアラン・チューリングのオフィス。

250_2ドイツ軍はその後、さらに複雑な暗号を作り出す「ロレンツ」という機械を開発したが、イギリス軍はチューリングの技術をもってしてそれも解読に成功している。

240_2他の記事にも書いたが、チューリングの偉業はもっと称えられてしかるべきなのに、関わっていた仕事が戦後も長い間極秘扱いになっていたり、チューリングが当時法律で禁じられていた同性愛者であったりしたことから歴史に埋もれてしまった。
チューリングは1954年、青酸カリを塗布したリンゴをカジって服毒自殺を遂げた。
アップル・コンピューターのひとかじりしたリンゴのロゴはチューリングのリンゴだ…という説がある。
できればそうであって欲しい。

260_2ミュージアム・ショップはこんな感じ。

270_2やっぱりD-Dayの本が盛んに飾ってあった。

280_2例によって、下の写真の真ん中のスーヴェニア・ガイドブックを買っておいた。

290_2コレはMarshallの本社のエントランス。

11_img_4521 ココにこんなモノが飾ってある。
ブレッチリ―・パークに寄付をしたので、一般に公開している間は自由に出入りが許されるという入場許可証。
でも入れるのはDr. Jim Marshall OBEだけね。
ジムは生前見に行ったのかな?Img_0714<つづく>
 
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25  

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年7月 6日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 45 ~ ブレッチリー・パーク <その1>

 
Marshallの国内輸入販売元のヤマハミュージックジャパンさんからのお声がけで、人気モデル「CODE」のPRをシリーズで始めることになった。
その企画は、ジム・マーシャルが来日した時に熱心に私のサポートをしてくれた人物の発案でしてね、めぐりめぐってまた一緒に仕事をしていることを今楽しんでいる。
初めて取り組む内容の企画ということで、それを記念して「code=暗号」の話題で「名所めぐり」をやらせて頂くことにした。

12code25 今回の舞台は直接的には「ロックの名所」ということではないんだけど、Marshallの本社/工場の町内の話題なので「当たらずとも遠からず」ということでお許し頂きたい。
しかし、大作を編む時は気持ちが張るね~。
ゴメンね、4本立てなの。
興味のある人にはタマらない、滅多に見れない…というか、日本では話題にも上らないモノをたくさんお見せしますからね。
興味のない人にはイヤでタマらない…ま、毎日アクセスだけしておいてくださいな。
それはドイツのエニグマ暗号機と暗号解読者の戦い。
「CODE」が発売される時にもやったんだけど、今回はその戦いの本丸、ブレッチリー・パークからのレポートなのだ。
そして、そこに隣接するコンピューターの博物館をめぐる4本立て企画。
ハイハイ、アクセス数が激減するのは十分承知の上です。
この『イギリス-ロック名所めぐり』を掲載すると、ただでさえガクっとアクセス数が落ちるんよ。
でも、コレこそMarshall Blogでしかお目にかかれない内容だと思うワケです。
私のライフワークなのだ。
 
「暗号解読者のホーム」、ブレッチリ―へようこそ!
ところでこの標識、小さくてもいいので、いつか「Home of the Loud Sound」って入れてくれないかしら…。
05ブレッチリ―はロンドンの北西66km…ココがミソ。
つまりロンドンからさほど遠くないロケーション。
今の電車でロンドン・ユーストン駅から40分ぐらいかしら。
実際にブレッチリ―からはロンドンへ通勤している人はたくさんいる。
東京だったら「40分なんて何の問題もないじゃないか!」と思うでしょう。
ところが、この辺に住んでいる人は5時に仕事が終わると、5時10分には家で家族とくつろいでいる人たちばかりなのだ。

410 駅から歩いて5分もかからないところにあるのが…

10この「ブレッチリ―・パーク」。

20美しい公園と暗号解読の博物館が一緒になった施設。

30ココへ来るのは3回目なんだけど、いつ見ても安普請に見えるんだよナァ。

120r4a0319 映画『イミテーション・ゲーム』の舞台となった場所ね。
このブレッチリ―・パークで第二次世界大戦中に難攻不落と言われたドイツの暗号「エニグマ」を解読した。35この記事を書くに当たってもう一度『イミテーション・ゲーム』を観直してみた。
最初に観た時は、『プロジェクトX~男たちはいかにしてドイツの暗号を解読したか』みたいな内容を期待していたものだから、まったくの期待外れだった。
今回は全く視点を変えて観たので、前回よりははるかにオモシロく観ることができたが、やっぱり伏線の張り方が甘いし、わかりにくい。
コッチはなまじ色んな本を読んで知識を蓄えているもんだから、細かいところも色々と気になってしまうんだな~。
でも、キーラ・ナイトレイはヨカッタ。

Igさて、ブレッチリ―・パーク。
展示室のエントランスのようす。
高いのよ…入場料が。
大人ひとり£21.0だから3,000円近く。
4年前に訪れた時は家内と一緒だったんだけど、2人分の値段にビビって断念。
ディズニーランドじゃあるまいし、公園くんだりに2人で6,000円も出せんよ。
家内には悪いが、今回は1人だったので代表して見学させてもらった。

120r4a0816 「OXFORD」、「CAMBRIDGE」の名前が入った標識。
実はコレには意味があって、このブレッチリーは比較的オックスフォードにもケンブリッジにも便利なロケーション。
その2つといえば、そう、世界の天才が集まる大学都市。
つまり、暗号解読のための優秀な人材を調達したり、研究機関と連絡を取り合うのに利便性が高いロケーションだったのだ。40第二次世界大戦が激化すると、ブレッチリ―・パークの役割が大きくなり、ココで働く暗号解読者の数は、初めはごく限られていたが最盛期には9,000人にまで膨れ上がった。(9,000人というデータが園内の場所によって11,000人になったり12,000人になったりしていた)
ブレッチリ―・パークが発する情報はイギリス軍と同盟軍に大きな成果をもたらし、今となっては「D-Day(ノルマンディー上陸作戦)」の成功もその情報によるところが大きいとされ、第二次世界大戦の終結を少なくとも2年早め、敵味方を問わず多くの命を救ったと言われている。
それほど「暗号解読」の仕事ってのは重要だった。
そんなスゴイ仕事をしていた場所なのに「ブレッチリ―」の名前を知っている人はそう多くない。
かく言う私もMarshallの住所としての「ブレッチリー」は知っていたけど、暗号解読の話は知らなかった。
ナゼ、そんなに無名だったのかというと…戦後も長い間極秘扱いになっていたからだ。

50暗がりのホールの壁に映し出されていたのは戦時中のニュース。
映像がオイルヒーターに思いっきり被っているところが安普請たる所以?80展示品を見てみよう!
「戦時下をいかに上手に過ごすか」なんてガイドブックや認識票等の戦時中のグッズ。
左下の「RATION BOOK」というのは「配給票」の綴りだろう。
アメリカの援助を得ていたとはいえ、イギリスの庶民も物資不足に苦しんでいたのだ。
ナゼかというと、大西洋の制海権をドイツ海軍のUボートに握られていたから。11_0r4a0820左のピンクの本、『MAKE DO AND MEND』というのは「新しいモノを買わないで、古いモノを修理して使う」ということ。
「ゼイタクは敵だ!」的なことをイギリスでもやっていた。11_0r4a0821「Dispatch Rider(ディスパッチ・ライダー)」と呼ばれる郵便配達人が使用したオートバイ。
「Don R's」と知られ、女性のライダーがたくさんいたという。
彼女らの使命は、「Y Station」と呼ばれるイギリス各地にある信号受信基地で傍受したドイツの通信内容を関係各部署に配達することだった。
ブレッチリ―・パークに配達に来る時には、バイクのエンジンの音が暗号解読者たちの思考の妨げにならないように裏口からソ~っと入ってきたとか。90まるで冷蔵庫のドアに貼ってある備忘メモみたいだけど、暗号解読のプロセスがごく簡単に記してある。
どれどれ…
STEP1:敵の通信を傍受する
敵の本部や戦地の陸軍、海軍、空軍から発せられたメッセージを傍受する。
STEP2:メッセージがどのように暗号化されているかを突き止める
知力や直感を使い、敵のメッセージを注意深く目を通し、新しく開発された機械を駆使してその日の暗号パターンを読み解く。
STEP3:解読
暗号パターンが解けたらチーム総出でその日傍受したメッセージをすべて解読する。

11_0r4a0833 STEP4:翻訳
軍事専門家がその情報の価値を評価できるように、言語のスペシャリストが解読された情報を英語に翻訳する。
STEP5:情報の分析
敵の動きをより詳しく突き止めるために入手した情報と保有している情報との関連性を分析する。
STEP6:突き止めた情報を上層部に送る
得た情報が適切な人々に到達するよう確認する。その情報が上層指揮官にとって有益か?総理大臣が知りたがっている情報か?

11_0r4a0834 ドーン!
そこで登場するのがコレ。
ドイツ軍自慢の「エニグマ暗号機」。

130この数日前に大英図書館で生まれて初めてホンモノのエニグマ暗号機を見て大興奮しちゃったんだけど、ココにはゴロゴロしていたわ。

110使い方はチョー簡単!
手前の丸いキーを打つと内部の電気回路を通過して、すぐ上のアルファベットのいずれかが点灯する。
その変換された文字を書き取って、通信士に渡してモールス信号で相手に暗号化されたメッセージを送るだけ。
メッセージを受け取る方も同じエニグマ機を持っていて、初めに送信者と同じ設定にしておけば、送り手と逆のプロセスを経て、送り側が打った元のアルファベットを知ることができる。
その文字を書き取って「フムフム…」となる。
ココで大切なのは、メッセージの送り手のエニグマと受け手のエニグマの設定を完璧に同じにしておかなければならないこと。
さもないと受け手はチンプンカンプンになってしまう。
それを防ぐために、ドイツ軍はその設定を記載したコードブックを各部署に配布して、毎日その初期設定を変えていた。
あの映画の中で、夜中の12時なると「クソったれ~!」と暗号解読者が癇癪を起して怒鳴るシーンがあったでしょ?
アレは、せっかく解読作業が進んでいたのに、夜中の12時になってエニグマの初期設定が変わってしまい、完全に振り出しに戻ってしまうから。

0r4a0842この暗号機の一番のセールスポイントは上の写真の左側に見えているギザギザ。
この中には「ローター(スクランブラー)」と呼ばれる下の写真のようなモノが入っていて、一文字キーを打つたびに一番右のヤツが回転して内部の電気信号系統を変更してしまう。
コレが26目盛り進むと、真ん中のスクランブラーがひと目盛り回転する。
今度は真ん中のローターが26目盛り進むと一番左のヤツがひと目盛り進む。
コレ、ナニをやっているのかと言うと、サイファー暗号(一文字を一文字に割り当てるタイプの暗号。彼らは文字を26個しか持っていないのでこの方式がメッチャ便利)の一番の弱点は、ある文字が常に同じ文字に変換されることなの。
「頻度分析」といって、暗号解読者がまず目をつけるのは同じ文字が続く部分なのね。
このエニグマはローターが回転して信号の経路に変化を持たせることによって「A」のキーを打つと、ある時は「H」に、またある時には「M」に変換しちゃうワケ。
そして、絶対に「A」自身には変換されない。
このローターの目盛りには数字が記されているけど、基本はAからZまでのアルファベット。

11_0r4a0071 それに加えて、手前にある昔のシンセサイザーのパッチみたいなヤツ。
コレは「プラグボード」と呼ばれていて、アルファベットが書かれているジャックをを結線して、はじめっからその2つのアルファベットを入れ替えちゃう。
イヤン、イジワル!
こうした回路を経て構成される順列組み合わせの数は…改行します…
159,000,000,000,000,000,000通りあるのだそうです。
コレ、1垓5900京通り。
一体それっていくつだ?…みたいな。
暗号解読の作業は地道に総当たりでやるしか方法がなく、もうこうなっちゃうと解読するには機械に頼るしか方法がなかったというワケね。
ちなみに、この「159,000,000,000,000,000,000」ね、英語でどう読むかと言うと…
「159 million million million」となるらしい。
「7月6日は右のローターは「H」、真ん中は「T」、左は「B」、プラグボードは「C」と「Q」、「I」と「S」…」とかいう風に決めておいて、メッセージの送り手を受けてはこの設定に従って信号のやり取りをするワケ。
解読者たちはこの初期設定を突き止めるのに苦労したワケだ。120エニグマ以外の暗号機も展示されていた。
たとえばコレ。
「Hagelin C38」というモノ。
まさか読み方は「ハゲリン」じゃないだろうな。
スウェーデンのボリス・ハーゲリン(かな?)という人の作品。
この人、写真を見るとハゲてなかった。

11_0r4a0848 イタリア軍が使用していたそうだ。140Yステーションで使われていた信号を傍受する機器。

150コレはドイツ軍の通信兵が使っていたモールス信号機。
モールス信号と言うのは、トンツー、トンツーやっているウチに打ち手のクセが出て来て、長いことやっていると傍受する側は誰が売っているのかがわかるようになるらしい。

160通信兵のためのマニュアル。
表紙の下に「His Majesty's Statinery Office」とある。
コレは「王室出版局」といって、日本で言う官報を出版する公的部署。
1996年に民営化されて「The Stationery Office Ltd.」となった。
それまでは当然「Her Majesty's Stationery Office」だった。
しからば、この「His Majesty」は誰か?
エリザベス女王のお父さんですね。11_0r4a0857つまり、ジョージ6世。
この映画の主人公。
コリン・ファースもジェフリー・ラッシュもとてもいいんだけど、映画としては私は全くオモシロイと思わなかった。
うるさくてゴメンね。
やっぱり脚本が雑で感情移入できないんだよね。

11_ksそれと、上の映画の副教材みたいな作品だったけど、このドキュメンタリーはとてもオモシロかった。

G6 それと、ジョージ6世とエリザベスということであれば、この『ロイヤル・ナイト』という『ローマの休日』の亜流みたいな作品もオモシロかったです。
11_eno「Siemens and Halske(ジーメンス&ハルスケ)」社製のテレプリンター、T52。
「テレプリンター」というのは日本では「テレタイプ端末」と呼ぶそうで、通信機能を持つ電機タイプライターのこと。180何やらモノスゴク仰々しいルックス。
エニグマは前線で使用されることが多かったが、T52は電話回線を利用したサイファー暗号機(前述の文字を置き換える暗号)としてドイツの海軍と空軍に使用された。
電話回線を使われると、信号を傍受するのが困難になってしまう。
ブレッチリ―はドイツのサイファー暗号機を「Fish」というコードネームで呼んでいたが、このT52だけを指して「Surgeon」と呼んでいた。
「suegeon」とは「チョウザメ」のこと。11_0r4a0862 お、コードとサイファーの違いを開設してるじゃん。
ナニナニ…。
CODE:単語、フレーズ、数字などを別の単語、フレーズ、数字に置き換える方式。
たとえば「YOU ATTACK AT DAWN(あなたは夜明けに攻撃する)」を「BUY SOME MILK(ミルクをいくらか買って)」のように完全に違う文章に変えてしまう。
メッセージの受け手はそれを読み解くコードブックが必要となる。
CIPHER(またはCYPHER):文字や小さな文字のカタマリをそのまま他の文字や数字に変換してしまう方式。
例えば「YOU ATTACK AT DAWN 」を「BPYFW WGZXG QSVRP」のように何らかの文字や数字の組み合わせにしてしまう。
メッセージの受け手は当然、何の文字がどう置き換わったのかを知っておかなければ読み解けない。
ブレッチリ―・パークの暗号解読者は主にこの仕事に携わっていた。

190ブレッチリ―・パークのスタッフは暗号解読のために利用できるものは何でも利用したという。
しかし、ほとんどのアイテムは終戦時に処分されてしまい、ほとんど残っていない。
 
この3本の細長い帯はエニグマのローターをシミュレートしたもの。

200この辺りのゴチャゴチャと数字やら記号が書いてある書類はいかに暗号解読が複雑怪奇なモノであったかを物語っている。

210上下の写真は後に上級暗号解読者となるオリバー・ローンという数学研究者の資料。
彼や彼の仲間は特別の言葉や意味のない言葉を用いて自分たちの暗号解読の方法を記していたという。
それじゃ、それ自体が暗号になっちゃうやんけ!11_0r4a0869昭和19年の「陸軍宛名略号書第5号」by 「参謀本部」。
戦線が極東にまで拡大すると、ブレッチリ―・パークの仕事は日本軍の暗号解読にまで及ぶようになった。

220v「Typex」というイギリスのサイファー暗号機。
エニグマとほとんど同じ動作をしたようだ。230Typexに使用されていたのであろうか、傍らに展示されていたローター。
ね、アルファベットが記されているでしょ?

240傍受したオリジナルの暗号文。
ゴメンね、見えないね。11_0r4a0882 「D-Day(ノルマンディ上陸作戦)」の直後に「Garbo(ガルボ)」というコードネームの二重スパイから送られてきたドイツ語の書類。
「ベルリンからマドリッドへ」のようなナマナマしい記述が掲載されている。
Garboはドイツ軍をダマし、連合軍がノルマンディに上陸するのを手伝ったひとり。

11_0r4a0888_2まぁ、この「Garbo」というコードネームはどう考えても『ニノチカ』でしょうな。
グレタ・ガルボが演じるソ連からパリにやって来た女スパイを主人公にしたコメディ。
コレ、ビリー・ワイルダーも脚本チームに名を連ねているんだよね。
しかし、こんなわかりやすいコードネームでいいのかしら?

Nino ブレッチリ―・パークでの仕事には翻訳の業務がつきものだった。
当時のイギリスでは全くなじみのない日本語を習得するのはかなり大変だったようだ。
日本が「適正言語使用禁止」として「いいタマ、打者ダメ!」とかやっている間にアメリカやイギリスでは日本語の猛勉強をしていたワケ。
270当時使用していた英和辞典。

260単語カードを作って漢字を覚えるぞ!

280日本語は英語から最も遠い言語のひとつと言われているからね。
漢字もあるし、大変だったと思うよ~。

290そもそも先生が少なかったんじゃないかしら?
夏目漱石がロンドンにいる頃だったらヨカッタのにね。
310vコレはドイツの略号辞典。
省略記号⇒正式名称⇒英訳という構成。
よく勉強してるわ~。
250数学者であり、12もの交響曲を作曲したダニエル・ジョーンズという暗号解読者の日本語の勉強のためのノート。
一体、ナニに使ったんだ?300解読者たちはどんなことでもカード形式にして情報を蓄えて行った。

11_0r4a0927やっぱ情報をキープするのはカード形式が最も効率がいいのかな?

11_0r4a0925 展示室を出る。

通路に展示されていた「G-110」というシリアル・ナンバーが付されたエニグマ。
このタイプは主にオランダとハンガリーに販売された。
この個体は1931年に製造されてハンガリーに出荷されたモノ。320「CREED MODEL 7B」というテレプリンター。
コレも傍受したドイツの暗号をブレッチリ―・パークに送信するために使われていた。330動作音が大きくてやかましいらしく、元々は鉄製のフタがついていた。

340コレもTypexのテレプリンター。

360廊下に展示されていたエニグマ。
最初はあんなに珍しがっていたのに、そこら中に置いてあるのでスッカリ慣れてしまった!
 
コレはドイツ空軍が使っていたエニグマ機。
エニグマ機は1918年にドイツのアルトゥール・シェルビウスという発明家が特許を取得した。
シェルビウスは重要な情報の秘密保持を実現する道具として企業と軍に売り込んだが、今の価値で300万円ちかい値段がついていたためウケが悪かった。
企業はたかが秘密の保持のためにそんなに大枚をはたくことは難しかったし、軍は情報戦が原因で第一次世界大戦に敗れていたことに気づいていなかった。
しかし、ドイツ軍がそのことを確信した20年後、エニグマを3万台買い上げたという。
そして、ドイツ軍は当時誰にも解読されることがない世界最強の暗号を手に入れた…というワケ。
ちなみにシェルビウスはその前に他界したため、エニグマの成功も、解読される失敗も見ることができなかったとさ。
11_0r4a0954 隣の部屋の展示。

60ん~、特に書くことなし。

370博物館の展示を見学し終えて外に出てみる。

380ウワ~、気持ちいい~!
さっき雨降ってたのにな~。

390広場ではバンドが古~いジャズを演奏していた。
しかし、キレイだな~。

400おお~、コレがあの有名な「マンション」か~!

410映画にも出て来た施設ね。
次回はココからお送りします。

420<つづく>
 

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)

2020年4月22日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.44 ~ 10ccに会いに行く <後編>~ストロベリー・スタジオ物語

ストックポートの駅を出る。
お、早速プラークを発見。

270 ナニナニ…「チャンネル諸島からの避難民」か…知らんな。
調べてみよう。
1940年6月、7月、そして8月、ストックポートは1,200人のチャンネル諸島からの避難民を受け入れました。
1945年5月に島が解放されるまで当地の数々の家庭で子供たちの面倒をみました
 
チェンネル諸島は英国海峡(British Channel:ドーヴァー海峡の西)に浮かぶ島々で、限りなくフランスに近いがイギリスが管理をしているエリア。
しかし、イギリス(United Kingdom)には含まれず、「王室属領(Crown Depedencies)」
呼ばれるイギリス国王の領土。
自治権を持っているが、外交と防衛はイギリスが面倒を見ているのだそう。
前回触れたマン島もこういうこと。
そのチャネル諸島をドイツ軍が1940年5月に占領。
9万7千の住民のうち、3万1千人が避難した。
そのウチの1,200人がストックポートで保護されたというワケ。
しかし、5年ものあいだ、縁も所縁もないヨソの家の子供を引き取って面倒をみるなんて大変なことだよな~。
コレもチャーチルの「Never give in(負けるもんか)」の号令一家下、国家が一丸となっていたことの証左か?
やっぱりリーダーがしっかりしていて魅力的な人だと国はこうなるんだろうナァ。

275 とりあえず街中を歩き出す。
駅から少し離れて大通りに出るとさっそく立派な建物が!
コレは市庁舎。

280街並みはイギリスの地方でよく見かける雰囲気。

290「ギャリック・シアター」ってのはどこにでもあるな。
この「ギャリック」というのは18世紀のイギリスの俳優、「David Garrick(デヴィッド・ギャリック)」のこと…でしょうね。
この人は、シェイクスピアの悲劇を演じると右に出るモノはいないと言われ、後年はコヴェント・ガーデンに今でもある「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の支配人を務めた。

300カンタベリー派のファンの皆さんには「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の名前はロバート・ワイアットのライブ盤でおなじみだろう。

Rw 18世紀、ストックポートにはイギリス本土で最初の絹織物工場のひとつがあった。
19世紀になって主要産業が綿織物やその関連産業に移行し、ストックポートはイギリスの帽子産業の中心となった。
1884年頃には、年間600万個もの帽子を輸出していたという。
昔は帽子は洋服みたいなものだったからね。
時を経て身だしなみが変わり、帽子の需要も激減し、1997年を最後に工場は閉鎖された。
この「Hat Museum」、帰りに見ようと思っていたんだけど忘れちゃった!

310さて、マズウェル・ヒルの時もそうだったんだけど、ストックポートの街中にも地図がゼンゼン見当たらない。
目的地がある通りの名前はわかっているので地図さえあれば何とかなるのだが…。
と、ややイライラ、キョロキョロしながら歩いていると、図書館が目に入った。
そうだ!図書館に行けば何らかの手掛かりがつかめるかもしれない!

320「Stockport Central Library」に入ってみる。

330vクラシックな外観と異なり館内はかなりモダンなつくり。

340お!「はらぺこあおむし(The Very Hungry Caterpilar)」だ。
ウチの下の子が小さい時によく読んでいたので知ってる。

350本の整理をしていたおジイさんに「このあたりの地図はありませんか?」と尋ねると「どこへ行きたいのですか?目的地の住所はわっていますか?」とおっしゃる。
とても紳士的なレスポンス。
住所を伝えると「コチラにいらっしゃい」とパソコンのあるところまで私を呼んで住所をインプットして地図を見せてくれた。
「プリントして差し上げましょう」と言うので、遠慮して携帯で画面を撮影させてもらった。
親切だよ~。
本当にイヤな顔ひとつしないで自分の仕事を中断して対応してくれた。
おジイさんに丁寧にお礼を伝えて図書館を後にした。

360方向はさっき通りかかった市庁舎の方で合ってたんだ!
市庁舎の横の入り口にプラークを発見。

370

「ストックポート市庁舎 
1908年7月7日開業。新レン様式を取り入れたアルフレッド・ブラムウェル・トーマスの設計。TRH プリンス&プリンセス・オブ・ウェールズによって除幕された」
この「TRH」には苦労した。
「RH」は王室メンバーに対する敬称の「Royal Highness」の頭文字であることはすぐに思いつくが「T」がわからなかった。
「HRH」だったら「Her Royal Highness」とか「His Royal Highness」なんだけど。
インターネットで調べてもよくわからない。
そこでハッとして目を付けたのが「Prince and Princess」という複数のウェールズ公。
ひとりずつ省略せずに記せば「His Royal Highness」と「Her Royal Highness」になるハズ。
そうか…複数形になってるんだ!ということに気が付き、「TRH」は「Their Royal Highness」の頭文字ということで納得した。
イギリスに確認したところ…大正解!

380「レン」とは「Christopher Wren(クリストファー・レン)」という17世紀のイギリスの建築家。セントポール大聖堂を設計した人。
道理で荘厳なデザインなワケだ。

11_img_0198 セント・ポールはコレね。
メリー・ポピンズのヤツ。
コレの流れを汲んでいるというワケ。

122img_4947さて、図書館のおジイさんに検索してもらった地図を参照にWaterloo通り(ウォータールー)を進む。
しっかしキレイなところだな~。天気もいいし。

390そして、いよいよ見えて来たのが今回のマンチェスターへの旅の最初の目的地。
405写真の左側の建物が… 400「Strawberry Studio(ストロベリー・スタジオ)」だ!
<前編>でさんざっぱら騒いでいたヤツね。

420コレがあの「ストベリー・スタジオ」か~。
ココで10ccのアルバムが作られていたんだゼ!
夢に出て来たことはないけど、うれしいな~。
425お、プラークが取り付けられているぞ。

430ストロベリー・レコーディング・スタジオ
1967から1993年
10ccのホーム。ジョイ・ディヴィジョン、ポール・マッカートニー、マーティン・ハネット、ニール・セダカ、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、そしてザ・シド・ローレンス・オーケストラ他、たくさんのアーティストが忘難い音楽を作るためにこのスタジオを使用した

440 ココからストロベリー・スタジオと10ccの物語…。
ストロベリー・スタジオは最初からこの場所にあったワケではなく、1967年にストックポートの街の中心にあった「ニールド&ハーディ」というレコード店の上の「インナー・シティ・スタジオ」が母体となっている。
Billy J. Kramer with the Dakotas(ビリー・J・クレイマーとザ・ダコタズ)のマネージャーを務めたりしていたPeter Tattersall(ピーター・タッターソール)がそのスタジオと機材(2台のテープマシーンと数本のマイク)を買い入れることを決心。
約500ポンドを支払い、その後の数か月間、朝7時から午後2時まで地元のパン屋で働き、スタジオ建設のための資金を貯めた。
 
ちなみに…このビリー・J・クレイマーという人はリヴァプール出身の歌手で、その芸名はジョン・レノンからが与えられた。
「Do You Want to Know the Secret?」、「I Call You Name」、「Bad to me」等のビートルズ・ナンバー、あるいはレノン=マッカートニー・ナンバー他を歌って人気歌手となった。(もちろんアビィ・ロード・スタジオ録音)
イギリスから遠いところに住んでいる我々は、ビートルズというとやれ『Help!』だ、やれ『Let it Be』だと、ビートルズ本体のことしか頭にないし、それが当たり前のことだとは思うんだけど、その当時の周囲の状況を知れば知るほど、イギリスにおけるビートルズの影響というモノが巨大であったことに感心する。
「ダコタズ」だなんてね~。
ジョンが入り口で射殺されたセントラル・パーク・ウエストの自宅マンションの名前は「ダコタ・アパート」という。

Bjkロマン・ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』を撮影したのもダコタ・アパート。
「エイドリアン・マルカトー」とか「ローマン・キャスタベット」とかね…スキで良く観た。

Rmb1967年当時、ロンドン以外にはプロユースの本格的なスタジオが存在せず、そのインナー・シティ・スタジオはマインドベンダーズ(Waynne Fontana & The Mindbenders)やハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)といった地元マンチェスターのアーティストのPR素材やデモ音源を作ることを生業としていた。
一方、サイド・ビジネスとしてスタジオの仕事にかかわることを希望していたMindbendersのメンバーだったエリック・スチュアートは、この頃からこのスタジオに関わるようになった。
タッターソールはエリックをビジネス・パートナーとすることにし、エリックは機材のレベルを上げるために800ポンド(当時の為替レートで80万円ぐらい)を投資した。
エリックが合流すると、好きなビートルズの「Strawberry Fields Forever」にちなんで「Strawberry Recording Studios」と名前を変えた。
宣伝惹句はキャッチーに「Strawberry Studios Forever」だったらしい。
その後、「この建物は隣の古いビルが火事になったら逃げられないのではないか?」…ということに気づき、ビビッて引っ越しをすることにした。
そして、Waterloo通りに良い物件を見つけ、自分たちで内装工事に当たった。
それがコレというワケ。

11_0r4a0006 ストロベリー・スタジオは地の利を生かして愛用者を増やしていった。
マンチェスターといのは音楽が盛んな街ですからね。
何せ遠くて使用料も高いロンドンのスタジオまで行く必要がないんだから、こっちの人にとってはありがたいにキマってる。
マンチェスターからロンドンまでは290km。
今の速い電車2時間半ぐらいかな?
昔はそうとう時間がかかっただろうからね。
後援者も増え、その中には2,000ポンド(200万円近く!)を出資した地元出身のシンガーソングライター、グレアム・グールドマンがいた。
そうした資金援助を背景に機材を増強したストロベリー・スタジオは、地元のアーティストのために本格的にレコーディング業を開始した。
 
ところで、10ccでボーカルズとベースを担当したグレアムは、1969年までニューヨークで「バブルガム・ミュージック」の旗手カセネッツ・カッツ(ジェフ・カッツ)と仕事をしていた。
しかし、ストロベリー・スタジオができたものだから、イギリスに帰って地元で音楽制作の仕事がしたいと申し出た。
その際、ストロベリーにいたエリックとその友人のロルとケヴィンをスタジオ・ミュージシャンとして起用することも願い出た。
グールドマンは<前編>で少し触れた通り「For Your Love」や「Bus Stop」、「No Milk Today」らのヒットでもうその名を馳せていたからね。
下は1968年の最初のソロ・アルバム…コレはストロベリー録音ではなくてロンドンのオリンピック・スタジオでの録音。
関係ないけどグレアムって、昔私がいた会社の社宅の隣の人に似ていてね。ラクダ系のお顔。
すごくお世話になって、その会社を辞めて20年経った今でも年賀状のやり取りをしている。

Gg一方、エリック、ロル、ケヴィンの3人は様々な仮名でレコードをリリースし、人気バンドになれる可能性を秘めていたため、ストロベリーは4トラックのテープマシンを購入。
1970年に3人は「Hotlegs(ホットレッグス)」というバンド名でシングル盤をリリースした。
それが「Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)」。
ロルによると、この曲はただただ新しい機材の調子を試すために演奏したモノで、ケヴィンが延々と叩くドラムスに合わせて歌をギターを思い付き程度に被せただけのシロモノだったらしい。
それが全英第2位の大ヒット!

Nmナント、日本国内盤も出ていたというのだから驚く。
昔のレコード会社はスゴかったね…と思っていたんだけど、そうではなくて何にも知らないでリリースしていたらしい。
だって当時の日本のレコード会社には、ロックのことがわかる人がほとんどいなかったっていうんだから。
契約している海外のレーベルから「コレを国内盤でリリースしなさい。そうしないと契約は打ち切りますよ!」と揺さぶられ、押し付けられたモノを右から左へと出していただけだったらしい。
コレは古くから業界に関わる方から直接お聞きした話だからホントの話だろう。
だから久間正英さんが生前におっしゃった「日本のレコード会社は自分の商品を知らずに商売をしていた。そのツケが今回ってきている」というご指摘は的を得ているようだ。
今の「音楽シーンをオモシロい」と思っている人は「オモシロい音楽シーン」を知らない人だと私は思う。
今の日本の音楽シーンは、ドメスティックで凝り固まり、どこを切っても同じようなモノばかりを取り揃えた結果、聴き手や消費者の「音楽を聴く力」を奪ってしまい、突破口が見出せないでいるような状態に見える。
芸術というモノは作る方のレベルの高さがもちろん大切だが、本当は鑑賞する方の知性の高さが芸術の質の高低を決定させていると思うのだ。
だから芸術を鑑賞する側は、与えられるモノ以外のモノにも興味を示し、「いいモノ」を「いいモノ」として受け取る能力を高めないと芸術は死んでしまう。
決して「売れるモノ」だけが「いいモノ」ではないのよ。

JnmHotlegsは自分たちのアルバムをリリースする傍ら、幅広いアーティストをプロデュースし、時にバックバンドを担当した。
マンチェスター、リーズ・ユナイテッド、エバートン、ベリーのフットボール・クラブのチームの応援歌なども制作。
興味深いのは、ニール・セダカ。
「Happy Birthday Sweet Sixteen」、「Breaking up is Hard to Do」、「Littel Devil」、「The Diary」…いいんだよね~。
今の若い人たちはニール・セダカなんて全く知らないだろうナァ。
「エ、その人、そんなに大きいんですか?」なんてのが関の山だろう(「背高」ね)。
「Sedaka」なんてどこの名前かと思ったら、祖父母がトルコからの移民なんだね。
ゼヒ、若い人に聴いてもらいたいナァ。
こういう類のモノのいいところは下の写真のような安く売ってるベスト盤を1枚買っちゃえばコトが済んじゃうこと。
曲のクォリティに関して言えば、今のそこら辺の曲のCDを100枚合わせてもこの廉価ベスト盤1枚に到底かなわないだろう。
そりゃそうだ、「ポップ・ミュージック」という世界がまだ未開拓の荒野で、ほぼナニもなかった時代の音楽だもんね。
そういえばウチに来る24、25歳の若いNATALのドラマーに聴かせたら一発で気に入ってすぐにCDを買いに行ってたよ。
今の若い子にしたら「変わり者」か?
この子、The Shaggsも教えてあげたんだけど、メッチャクチャ気に入って、ウチで聴いたファースト・アルバムだけじゃなく、自主的にセカンド・アルバムも買ってた。
やっぱり普通じゃないってことか。

11_2sedaka ナンだって取り立ててニール・セダカを出して来るのかと言うと、ストロベリー・スタジオでレコーディングしているからだけではなくて、バックを丸々10ccが演っているから。
当時、世間では存在を忘れ去られつつあったニール・セダカだったが、マネージャーがグレアムと同じ人で、Hotlegsの3人にグレアムを加え、「Doctor Father」名義でバックを務めさせた。
要するにココで10ccの4人が一緒になった。
そして、ストロベリーで1972年に『Solitaire』を、翌年『The Tra-La Days Are Over』と、2枚のアルバムを制作したワケ。
チョット聴いてみるとさすがセダカ…いい曲揃いです。
そして10ccの演奏のウマいこと、ウマいこと!
ホントに器用な人たちだ。

St

Tralaこうしてグレアムが加わり、他のアーティストの音楽制作に打ち込む一方、4人のミュージシャンが自分たちの音楽を作ることを決心。
UKレコードのジョナサン・キングのバックアップの元、1972年にシングル「Donna」を10ccの名でリリース。
それがUKチャートの2位まで上昇するヒットとなった。
そして<前編>で紹介したファースト・アルバムにつながる。
<前編>でバンド名の由来について書いたけど、気になって後で調べてみた。
成人男性の射精量は2~5ccとされているんだって。
だから「10cc」というバンド名を決めたのは、夢の中で「世界で最も偉大なバンドが10cc」とお告げを受けたジョナサン・キングだけど、その「10cc」という言葉自体の意味はそういうことになるのかもしれない…ということにして逃げ道を作っておこう。

Donna1972~1976年に10ccが大成功を収め、ストロベリー・スタジオはメジャーなスタジオとなった。
彼らの4枚のアルバムと8枚のトップ10ヒットシングル(うち2枚はナンバー1)がストックポートで録音されたとあればスタジオの知名度も上がるにキマってる。
スタジオは経済的に余裕ができ、機材も充実して行った。
また、ストロベリー・スタジオは「10ccの本拠地」であるだけでなく、同時に相変わらず外部からのアーティストも受け入れ続けた。
例えば…Bay City Rollersの1975年の「Give a Little Love」というヒット・シングルはストロベリーで録ったそうだ。
アルバムはどうなんだろう…。

Gll…と思って調べてみたら驚いた!
私の世代なら間違いなくおなじみであろうコレらのBay City Rollersのアルバム…

Bcr1_1

Bcr1_2コレってチッピング・ノートンで録ってるんだね~。
興味のある方はコチラ
 ↓  ↓  ↓
【イギリスーロック名所めぐり vol.16】 コッツウォルズにロックの名所なんかあんの?!

440 それからポール・マッカートニーは弟のMile McGearのアルバム制作でストロベリー・スタジオを使った。
Mike McGear(マイク・マックギア)の1974年のその名も『Mcgear』というアルバム。
この方、本名をPeter Michael McCartneyとおっしゃる。
コレ、ジャケットがいいな。
今回初めて聴いたけど…ナカナカいいね。
Roxy Musicの「Sea Breezes」なんかを取り上げている。
バックはWingsなのね。

Mcgear1975年になるとストロベリー・スタジオは隆盛を極め、1976年の『How Dare You!』のレコーディングの時には10cc自身がスタジオを押さえることが出来なくなってしまった。
そこで予てからのアイデアであった、サーリーのドーキングという所に2番目のスタジオ「Strawbweey South」をオープンすることにした。
大当たりですな。
ところが好事魔多し。
「South」での初めての録音の時にはロルとケヴィンはいなくなっていた。
理由は<前編>で触れた通り、自分たちの実験的なプロジェクト『Consequences』に取り組んでいた2人は、エリックとグレアムが次のアルバムのために用意していた「The Things We Do For Love」を耳にして、その旧態依然としたスタイルをがバカバカしく感じてしまったのだそうだ。
ところがこの曲がアメリカ大ヒット。

Twdfl

Csq<前編>で紹介した10ccの5枚目のアルバム『Deceptive Bends』のジャケットにクレジットされている「(South)」はそのサーリーの2番目のスタジオのこと。

0r4a0185_2しかし、ストロベリー・スタジオの快進撃はまだ続く。
オリジナルのスタジオのビルの向かいに「Strawberry 2」を開業。
古めの機材を持ち込む代わりに料金を安く設定して営業を始めた。
本体にはBerkley James Harvestやロル&ケヴィンなどの常連も通い続け、70年代後半にはマーティン・ハネットがストロベリーと手を組み、Joy Division, Durutti Column, Pauline Murray, The Names, Minny Pops, Stockholm Monsters等の音源を制作し、この関係はマーティンが死ぬ1991年まで続いた。
他にもThe Buzzcocks, New Order, Crispy Ambulance, Blitz, The Wake, James, The Smiths, Simply Red and Saint Winifred’s School Choirなどもストロベリー・スタジオの常連となった。
ゴメンなさい…この辺りになるとサッパリわからないし興味もないのでコメントなし。
でもこのデザインは知ってる。
よく見かけるよね。

Jd しかし!
1986年になると、デジタル・レコーディングや打ち込みの普及、それにともなう宅録ムーブメントがストロベリー・スタジオを襲う。
高い評判を維持していたにも関わらず、ストロベリー・スタジオは店を続けて行くのが困難となり、2年ほど前に「ストロベリー2」を買収していたライバル会社の「Yellow2」というところに本体も売却することになった。
Yellow2の社長、ニック・ターンブルは「『Strawberry』の名前は世界でもトップ・クラスのモノである。我々のエンジニアとプロデューサーを配置し、『Strawberry2』と併せてイギリスのレコーディング・シーンを牽引していくであろう」と豪語した。
ところが皮肉なことに、従来式レコーディング・システムの本体とフル・デジタル・レコーディング装備の「2」という相反する体制は、使用するアーティストに色々な面で「どちらのスタジオを使うべきか?」という難題を投げかけることになってしまった。
アナログ⇒デジタルの過渡期に当たっちゃったんだね。
結局、1988年には体制を本体のスタジオだけに戻し、一時は勢いを取り戻したものの、デジタル化の暴風が吹きすさぶ日進月歩の録音機材の変化について行くことが経済的に出来なくなってしまった。
この頃になると、そうした最新鋭の機材を導入する余裕があるレコード会社が運営するレコーディング・スタジオが存在感が放ち、そうではない一般の小さなスタジオは存続が難しくなっていった。
そうして、1990年代に入るとストロベリー・スタジオのオーナーはレコーディング事業から撤退し、ビデオ事業に専念することを決心する。
結局はそれもうまくいかず、1993年にストロベリー・スタジオは廃業してしまった。
  
ストロベリー・スタジオの昔のパンフレット。
スタジオで常備している機材がズラズラっと載っている。
レコーディング・スタジオってのはいかに「機材が勝負」か、ということを思わせるナァ。

525v以上がストロベリー・スタジオの物語。
感動した?
しないか。
私みたいな古い人間にとっては、デジタル・テクノロジーってのは、こと「音楽」に関して言うと全てをブッ壊してしまった感があるナァ。
便利な部分があることは認めるが、今にして思うと創造性についても、ビジネスについてもいいことはほとんどなかったんじゃないの?
「I'm not in Love」の話なんか素晴らしいじゃない。
アナログの頃は、人力でできないことを何とか達成しようとする知恵と努力と風情があった。
ギター・アンプなんかヒドイもんだよ。
でもね…私の場合、LPからCDになって転勤族の時の引っ越しがラクになったということがあったんよ。
建物の脇には路地があって、その奥に建て増ししたような建屋の入り口がある。
人が頻繁に出入りしていた。

426写真をバンバン撮っていたら、オジさん(と言っても私より若いにキマってる)が近寄ってきた。
「ヤバい!怒られる!」とビビっていたら「何をしているんだい?」と尋ねてくる。
「イヤ、日本から来たんスけど、その…10ccの大ファンでして…もうスゴくうれしくて…」とかやっていたら、
「そう、10ccが好きなの?じゃこっちにおいでよ」と私を中に招き入れてくれた。ウオ~!
もちろん、ココがもうスタジオではなくなっていることは承知していたが、予想外の展開に大興奮!
レセプションに入って「写真を撮っても大丈夫ですか?」と確認すると「もちろん!好きなだけ撮っていきなよ!」と快諾してくれた。

427ココが元々レセプションだったのかしらん?
だとするとココにキャシー・レッドファーンがいたのかしら?
エエイ、違ってたって構わない!

450壁に掛けられたシングル「I'm Not in Love」のヒットを記念したパネル。
スタジオに関するコメントが掲載されている。
レコードの左から時計回りに…
 
「Hotlegsの『Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)』を作ったそもそもの理由はストックポートでスタジオが成り立つかを試すためだったんだ--- ロル・クレーム 1970年」
 
「ストックポートにスタジオがあるということは、我々だけでなく、我々と仲のいい他のミュージシャンを助けることになったんだ。みんなわざわざロンドンまで出かけて行ってロンドン価格のスタジオ代を支払うことにウンザリしていたからね---- 10cc 1978年」
 
「ストックポートの健全な部分…というよりむしろ質素な環境からストロベリー・スタジオ内部の素晴らしい設備を想像することはできない---- インターナショナル・ミュージシャン&レコーディング・ワールド 1976年」
 
「ピーター・タッターソールがワームウッド・スクラブスの北にスタジオを作ると言った時、周囲の人は彼は頭がおかしくなったと思った。ストックポートは北の果てだよ。『一体ダレがそんな所へレコーディングをしに行くんだ?』と彼に訊いた。彼の答えは『我々だよ』だった---- スタジオ・サウンド 1974年」
※ワームウッド・スクラブス(Wormwood Scrubs)はジム・マーシャルの生家があるホワイト・シティのチョット北。全然ロンドンのウチ。
コレを聞くとジム・マーシャルが1962年にアクスブリッジに楽器店を作ったのはかなりの冒険だったことがわかる。
 
「モータウンのスタッフはとてもうまくコトを切り回した。今ならポップソングの幅を広げようとしているストックポートだ---- メロディ・メイカー 1974年」

460v「Mercury」が寄贈した記念のシングル盤。

480ホンモノのシングル盤のA面は「I'm not in Love」でB面は『Original Soundtrack』に収録されていないゴドレー&クレーム・チームの「Good News」という曲だった。
煮え切らない感じの曲だが私はキライではない…でもアルバムに入れなくてヨカッタね。

コレ自体はエリックに贈られている。
プレートには「マーキュリーのシングル盤『I'M NOT IN LOVE』がイギリス国内で25万枚以上販売されたことを認め、10ccのエリック・スチュアートにコレを贈呈する 1975年」とある。

490その下の写真。
左は打ち合わせ中のエリックとタッターソール。
真ん中が創設者のそのピーター・タッターソール。
右は談笑する10ccの4人。ロルとケヴィンもチョット我慢して仲良くやっていればヨカッタのにね~。

11_st1 私がエントランスの写真を撮り終わったのを見計らって、そのオジさんが「じゃ、中を見せてあげるからついて来るといい」と更に中へと誘ってくれる。
こっちはもうそこがスタジオではないことはわかっているし、建物の中に入れたことだけで大満足だったので遠慮していると、「イヤ、大丈夫、大丈夫、おいでおいで!」と熱心に勧めてくれるので「じゃ」とお言葉に甘えることにした。
ドアを開けたところが下の写真。
事務所のフロアが少し低くなっていて、そこにいた人たちから私が丸見え。
そのオジさんが私のことを指しながら、事務所の人たち全員に向かって「この人、日本から来たそうだよ!」と大声で言うと、全員が私を見て「ハ~イ!」と言うワケ。
ダマっているのもナンなので「Sorry to interrupt you!  Hello, I'm from Tokyo and a big fanatic of 10cc.  That's why I'm here.  I 'm really excited!  Finally my dream came true!」とサッと挨拶した。
また「イエ~イ!」と皆さん拍手をしてくれてすぐに仕事に戻られた。
エライ恥ずかしかったわ!
今は、地元の出版社の事務所になっている。
そのオジさんが「かつてはココにスタジオになっていたんだよ」と教えてくれた。
かなり胸がイッパイになった。

510イヤ~、マンゾク、マンゾク。
ヒザの痛みなんかスッカリ忘れちゃった!
記念に自撮り。

520中学生の頃から大好きだった10ccのホームに行って、東京に帰って来て興奮冷めやらぬうちにストロベリー・スタジオのことを調べていたらこんなCDボックスセットを発見した。
『Before, During, After 10cc 』というコンピレーション・セット。

11_0r4a0007「10ccの前と最中とその後」のストロベリー・スタジオの仕事の記録。
1枚目が10ccのベスト・アルバムになっているんだけど、選曲は超ベタという感じ。
他にストロベリー・スタジオ第1号音源である例のHotlegsの「Neanderthal Man」だのニール・セダカの「Solitare」だの、ポールの「Pretty Little Head」が収録されている。
気になったのはPeter Cowapという人。
やたらとこの人の演奏曲が収録されている。
このボックス・セットで初めて名前を知ったんだけど、マンチェスター出身の歌手でグレアムと活動を共にしていたらしい。

11_0r4a0012 帰りにさっきに市庁舎にチョット寄り道してみた。

530やっぱりいいね~、こういう古い建物は。

540ココは棟続きの別館みたいになっているんだけど、十分にステキ。
エントランスの吹き抜けの天井がゴージャス。

550ん?
エントランスに置いてあった白い手袋。
その横には「JUNE」と題して(ココを訪れたのは6月)、美しいカリグラフィで人名と生年月日、没年が記してあるかと思うと、マリー・ジョーンズという人の心理学の優秀な成績を称える一文が載っていたりする。
ココでナニかセレモニーを開いた人たちの記録かな?

560…というのは、看板に「Bespoke Weddings tailored to you」とあるようにココで結婚式ができるようになっている。
「bespoke(ビスポーク)」というのは「オーダーメイド」という意味のイギリス英語。
「お望みの結婚式をあなたに仕立てて差し上げます」って。

11_img_0230 ホラ、こんなに立派で美しいホールがあるのだ!

570コレでストックポートを後にした。
行けるかどうかわからなかったストロベリー・スタジオに行けたことでスッカリ満足して他に何も見てこなかったよ!
あの帽子の博物館も行かなかったし、街中には「The Plaza」という古くて立派な劇場や100年続いている「Robinson's Brewery」というビール工場もあることを後から知った。
失敗した!
もう行かないだろうナァ。
やっぱり旅は下調べが一番重要ですな。
580vということで、ストックポートの駅へ戻って…

600今度はローカル電車で2駅先のマンチェスター・ピカデリーへ!
マンチェスターのレポートはShige Blogに掲載します。

11_img_0236<つづく> 

200_3

(2019年6月14日 イギリスにて撮影)

2020年4月17日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.43 ~ 10ccに会いに行く <前編>

 
大ざっぱに言って人の音楽の聴き方には2つのタイプがあるのではなかろうか。
ひとつは好きなアーティストをトコトン掘り下げて徹底的に聴き続けるタイプ。
もうひとつは、何でもいいからとにかく色んな音楽を聴き漁っちゃうタイプ。
私は完全に後者なんだけど、好きでズ~ット聴いている中心的なアーティストがいないワケではない。
それはフランク・ザッパ。
長いブランクはあったにせよ、中学3年の時にジャケットがオモシロいという理由で『Fillmore East - June 1971』を買ってからだから…カレコレ43年ほどのキャリアになる。
2番目に好きなのは誰だ?
コレがキメにくい。
好きなアーティストが「いつでも帰りたくなるホーム的な存在」という定義だとすれば、ビートルズを除けば10ccということになりそうな気がする。
でも、それもファースト・アルバムから6枚目のライブ・アルバムまでなんだけどね。
 
今回の「名所めぐり」はその10ccにまつわるレポート。
日本に今、果たしてどれぐらいの10ccがいらっしゃるのかわからないが、どうせ自粛期間だし、コレをいい機会に公私混同的に色々と10ccについて調べて、いつも通りウンチクを固めて記事を書いてみることにした。
そしたら止まらなくなっちゃって…2本立ての長編になってしまった!
お好きな方には少しはお楽しみ頂けましょうし、10ccをご存知ない方は旅行気分で目を通して頂き、イギリスが生んだ最高のポップ・ミュージック・チームにご興味を持っていただければ幸いである。
特に若い人になんかが10ccを聴いてくれたらうれしいナァ。
結果、老いも若きも誰も読まないような気もするけど、書いて書いて私の気が済んだからよしとするわい。
一応、おさらい的に少なくとも4人のMancunian(マンキュニアン=マンチェスター出身者)の紹介をしておけば…。
Eric Stewart (エリック・スチュアート:vo、g、key)
Lol Creme (ロル・クレーム:vo、g、key)
Graham Gouldman (グレアム・グールドマン:vo、b、g)
Kevin Godley (ケヴィン・ゴドレー:vo、ds)
…という4人のシンガー/マルチプレイヤー/ソングライターのチームが10ccね。
  
さて、私が10ccの名前を知ったのは、中学校2年の時に秋葉原の石丸電気のレコード館で「10cc」と書かれたレコード展示台(通称「エサ箱」)にはさまっていたプラスチックの仕切り板によってだった。
「10cc?変な名前だな~」
と、石丸電気に行くたびに気になっていた。
中学3年の時に、猛烈にロック好きのお兄さんがいるクラスメイトの増田くんにカセット・テープを渡して、そのお兄さんにカッコいいロックのレコードを録音してもらうようにお願いした。
増田くんのお兄さんは、録音してくれただけでカセット・テープの中に入っている音楽の情報をシェアしてくれなかった。それでもゼンゼンありがたかった。
その中にライブ盤が1枚混ざっていて、聴いてみると、オープニングのMCで「10cc!」と言ってるではないか!
ほほう、コレが10ccか…どんなもんかいな…と大した期待もしないで聴き始めたところ、1曲目の「The Second Sitting for the Last Supper」で腰を抜かした。
「オイ、チョット待てよ!10ccってこんなカッコよかったのかよ!」
アルバムはリリースされたばかりの『Live and Let Live』。
マァ、ビックリしたわな。
あの衝撃はザッパの「Inca Roads」を聴いた時に匹敵してたな。
それでいっぺんに気に入ってしまって、すぐに石丸電気レコード館に通い、それまでリリースされていた10ccのレコードをすぐに買い揃えた。
 
コレが増田くんのお兄さんが録ってくれた、1977年にリリースされた10cc初のライブ・アルバム『Live and Let Live』。
ジャケットはツマらないけど、よく聴いたナァ。
録音はハマースミス・オデオンとマンチェスター・アポロ。 

Lallコレがハマースミス・オデオン。
ハマースミスの駅から歩いて3分。
LOUDNESSもSAXONと一緒に出演した。
イギリス大使館に勤めている女性はちょうどその時ロンドンにいて、その時のLOUDNESSを観たっておっしゃってたな。
今は「Eventim Apollo」という名前になっているが、現在はCOVID019で閉鎖中だ。

650 タイトルの「Live and Let live」はもちろん「ライブ(生)」に引っ掛けているワケだけど、意味としては文字通り「あなたはあなたで生きればいいし、人は人で放っておいてやれ」ということから「他人を大きな包容力で受け入れる」という意味のことわざになる。
ま、簡単に言えば「人は人」ということですな。
『007』の第8作目、1973年の『死ぬのは奴らだ』の原題は『Live and Let Die』。
こちらは「こっちは生きて、向こうは死なせてやれ」という意味。
ポール・マッカートニーの主題歌を使ったタイトル・バックは最高にカッコいい。
曲の中でポールは「♪You used to say 'live and let live'」と歌ってるでしょ?
アルバムのタイトルは、ビートルズ・ファンでポールとの親交が深いエリックのアイデアなのかも知れない。
ちなみに『死ぬのは奴らだ』と『黄金銃を持つ男』でジェイムズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアって、我々日本人では想像できないぐらいにイギリスでは人気が高かった大スターだったらしい。

Lald1ミックスダウンはイギリス、ストックポートの『Strawberry Recording Studios (UK) Lyd』。
エンジニアは10ccのフロントマンのエリック・スチュアート。

0r4a0207以前にも書いたけど、内ジャケには機材車の運転手の名前までクレジットされている。
この細かいクレジットは、四人囃子の『ゴールデン・ピクニックス』のパクリと見ている。
ちなみに10ccのオリジナルメンバーのロル・クレームとケヴィン・ゴドレーの労作『Consequences』には四人囃子の『一触即発』の「ピンポン玉の嘆き」にソックリの曲が入っている。
このことを四人囃子の岡井大二さんに話したところ「まさか!」とご謙遜して信じて頂けなかったが、そうだとオモシロいナァ。
イヤ、絶対10ccは四人囃子を研究していたんだってば!

0r4a0211…と、こんな調子で10ccのアルバムをサラっと振り返ってみる
まずは1973年のデビュー・アルバム。
あ、その前に「cc」という体積を表す単位は「cubic centimetre」の略ですからね。

10ccこのレコード、裏ジャケが日本語まじりの歌詞カードになっていてね~。
中学生の時、その装丁がすごくイヤだった。
ライナー・ノーツは故今野雄二さんがご寄稿されている。
スゴイよ…「1970年代のロックの主流を支配するのはRoxy MusicとSparks、そして10ccである」と豪語していらっしゃる。
氏にとっては、どんな時でもRoxy Musicなのは理解できるが、Sparksも推していたのは忘れていた。
実際『Kimono my House』から『Big Beat』あたりまでは私も大好き。今でも時々聴いている。
そして、10cc。
その今野さん曰く「ビーチ・ボーイズとビートルズの精神に70年代の魂を吹き込んだ極上のロックバンド」と10ccのことを表現している。
そして、メンバーのひとりであるロル・クレームは「10ccはポップソングにナニができるかを試す『 研究室』のようだった」と言っている。
このアルバムから「Donna」がヒット。
ビートルズの「Oh! Darling」のパロディと言われているけど、私にはそうは聞こえないんだよナァ。
かつてMarshallに勤めていたスティーヴと10ccについて話した時、「10ccはスタジオ・ミュージシャンの集まりだったんだよ」と言って「Donna」を歌っていた。
「Donna」に続いて「Johnny Don't Do It」もヒット。
「♪Johnny was an angel, an angel dressed in black」なんて歌詞は完全にシェリー・フェブレの「Johnny Angel」からじゃんね。
更にゴキゲンな「Ruber Bullets」もすごく流行ったらしい。実際、スティーヴも歌っていた。
ホント、このアルバムは「The Dean and I」をはじめとしていい曲揃いなのだ。
そして、バンド名の下には「Produced at Strawberry Studio, Manchester」とクレジットされている。

0r4a0198翌1974年にリリースされたセカンド・アルバム『Sheet Music』。
ジャケット・デザインはHipgnosis。
コレ以降しはしばらくヒプノシスがジャケットを担当する。
このアルバム、どうして『Sheet Music』というタイトルなんだろうナァ。
「シート・ミュージック」というのは「楽譜」だよね。
日本では「楽譜」とか「音符」とか比較的言葉を混同しているようだけど、英語では「楽譜」という言葉がハッキリと使い分けられている。
まず「Score(スコア)」というのがあるね。
コレはオーケストラなんかに使われる、五線紙が何段にもなっている「総譜」というヤツ。
一方、歌とピアノだけの楽譜は「ミュージック・シート」といって、「スコア」と明確に区別される。
で、欧米にはこの「ミュージック・シートの文化」っているのがあるんですね。
どういうものかというと、例えば、そうだな…ガーシュインの「スワニー」にしようか。
お父さんが「スワニー」のミュージック・シートを楽器屋で買って帰って来る。
すると、家族は夕食を済ませた後、暖炉を囲んで、お父さんがそのシートを見ながら弾くピアノに合わせてみんなで歌う。
コレは家に蓄音機のような音楽を再生する機器がなかったころの名残りなんだね。
要するにミュージック・シートがレコードの代わりだったんだね。
そのミュージック・シートを管理しているのが「Music Publisher(音楽出版社)」というワケ。
日本で「音楽出版社」というと、「音楽の本を売っている会社」という感じがするでしょ?
それは日本にミュージック・シートの文化がないからなんだね。
もちろん今はそんなことをやっている温かい家庭はないかもしれないけど、いまだにミュージック・シートってのは欧米では盛んに販売している。
ジャズとかクラシックの歌曲だけじゃないからね。
ビートルズからAC/DCまでなんでもある。
そこで勝手に解釈すれば、この『Sheet Music』というのは、「みんなで楽しめる音楽」ということを標榜しているのではないか…と思うワケです。
私の妄想なので異論&反論は受け付けません。
 
グレアムは『Sheet Music』を10ccの縮図的作品と言っている。
絶好調だったんでしょうな。
2つのソングライティング・チームが競い合って曲を作った。
先にできた方がもうひとつのチームに作品を聴かせてアイデアを出した合ってブラッシュアップしたという。
曲を作った人以外がリード・ボーカルを取ることもあって、メンバーがひとつずつ交代で歌って他の3人がジャッジをするというオーディション形式で歌い手を決めたらしい。
そんなんだから曲も演奏もクォリティが高いにキマっている。
1曲目の「Wall Street Shuffle」からしてタマらん。
お金の歌。
歌詞に出て来る「Greenback(グリーンバック)」はドルのこと。
「Stering(スターリング)」は「Pound Stering」、つまりイギリス・ポンドのこと。
向こうの人はポンドのことをよく「Quid(クイッド)」って呼んでるね。
「円」も出て来る。
「ダウ・ジョーンズ(Wall Strett Journalの発行元)」、「ロスチャイルド」、「ハワード・ヒューズ」なんて名前も出て来る。
こういうところがメッチャおもしろい。
映画をテーマにした「Somewhere in Hollywood」もすごくうれしい。
「Hotel」の楽しさはどうだろう?
「Old Wild Men」の「♪Lord have a mercy upon to me」のパートはかなりグっと来る。
ファースト・アルバムに比べてロックンロール色をチョット潜めた渋めの曲が揃っているのがまたいいんだな。
世界的なスターになる前のバンドが何の制約もプレシャーもなく、楽しそうに好きなことに取り組んでいるという印象。

Smしかし、イギリス大変でね~、コロナ。
毎週、電話でMarshallとミーティングをしているんだけど、当然その話になるでしょ?
もう緊張感が日本と全く違う!
とにかくMarshallの連中が言って来ることは「シゲ、絶対に外へ出たらダメだぞ!」…コレの一点張り。
本当にこれからの日本が心配だよ。
イギリスに比べて、まだ意識的にスタートラインに立っていないように見える。
 
さて、お金の話が出たところで脱線。
昨年Marshallに行った時に、一部の貨幣が刷新されていて古いお札が使えなくなっていた。
もちろん銀行へ行けば新しいお札と交換してくれるんだけど、旅行者の我々はそうもいかない。
困っていたらMarshallの経理の女性にが親切に使えない紙幣を全部交換してくれて事なきを得た。
それが、またお札が変わるんだよね。
何回かに分けてるのかもしれないけど、今度は50ポンド札も対象になっている。
で、あたらしいお札のデザインがアラン・チューリングになるっていうワケよ。
チューリングはもう何度もMarshall Blogに出て来てるわね。
難攻不落のドイツの暗号「Enigma」を解読する機械を作って第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の終結を早めた…という人。
暗号のロジック自体はポーランドに人が先に解読していたんだけど。
「Enigma」関連は、今回ブレッチリ―・パークに行ってたくさん写真を撮って来たので、その内「Shige Blog」でトックリとやらせて頂きます…どうせ外へ行かれないし。
コレがアラン・チューリング。

Acそのチューリングの話を聞いて「エ~!じゃエリザベス女王はどうなっちゃうの?」と驚いたバカな私。
イギリスってEUに入ってもワガママを貫き通して自国の通貨を使ったでしょ?
何でもあの理由は「女王陛下のお顔が載っていない札なんて使えるかよ!」ということだったとか…。
それを知ってたから驚いた。
コレ…考えてみれば裏面の話ね?
表はやっぱりこうでしょう。
コレは今の50ポンド札。イギリスで最も額面の大きなお札。

11_heads で、裏面はコレ。
向かって右はジェイムズ・ワット。
「私はこの機械の他に何も考えることができない」というセリフが載っていて、2人のオジちゃんの間にあるのがその「機械」。
改良型の蒸気機関。
「それでは私がこの機械を売ってしんぜましょう。『力』を欲しがっている世界中の人たちに」
とワットに答えているのは実業家のマシュー・ボールトン。
この2人の働きにより、18世紀後半のイギリスの産業革命が飛躍的な発展を遂げた。
もちろんワットは、あの仕事量を表す「W」の元。

11_tails_2 コレはMarshallの本社があるミルトンキーンズだけで流通している50ポンド札(ウソですよ~)。

11_jmm 『Sheet Music』に戻って…裏ジャケには「Recorded at Strawberry Recording Studios (UK) Ltd.  Stockport, Cheshire, England」のクレジット。

11_0r4a0554 3作目からはマーキュリーに移籍。
ファースト・アルバム、『Sheet Music』と立て続けに好セールスを記録した10ccだったが、当時は無一文だったらしい(あるドキュメンタリーでエリックは'skint'と表現していたが、Marshallの友達に訊いてみると、コレはイギリスの俗語で「すっからかん」という意味ということがわかった)。
コレは10ccの取り分が4%というUK Recordsとの契約のせいで(もしコレがレコードの売り上げの利益だとしたらあまりにも分が悪い)、UKレコードの親分のジョナサン・キングに契約の改定を申し出たが、まったく聞き入れてもらえなかった。
そこへ救いの手を差し伸べたのが「Virgin(ヴァージン)」のリチャード・ブランソンだった。
メンバーは「Atlantic」と組んで本格的なアメリカ進出を狙うVirginに移籍する気満々であったが、マネージャーが勝手に「Mercury(マーキュリー)」と契約してしまった。
大金が動いたのだった。
今でこそ、レコード会社というよりも、航空、鉄道、金融と泣く子も黙るVirginだが、当時はまだマイク・オールドフィールドの『Tublar Bells』しかヒットがなかったので、マネージャーはマーキュリーという安全牌を採ったのだった。
ファースト・アルバムからのシングル「Johnny, Don't Do It」のB面はその契約のことを歌った「4% of Something」という曲が収録されている。

11_4pそのマーキュリーからの第1作。
架空の映画のサントラ盤がテーマの『The Original Soundtrack』。
上に書いた通り、ジャケットは引き続きヒプノシス。
Os 鉛筆による細密画はハンフリー・オーシャンという画家の手によるもの。
ロンドンの有名な『ナショナル・ギャラリー』の隣に、『ナショナル・ポートレイト・ギャラリー』という肖像画だけを集めた美術館がある。
以前『名所めぐり』で紹介したかな?
展示品はロイヤル・ファミリーや政治家、軍人などの肖像画ばかりなんだけど、ミュージシャンがないこともない。
例えばブライアン・イーノ、例えばBlur、そして、このポール。
このポートレイトはそのオーシャンの作品だ。

Pm2フィルム編集機の画面に写っているカウボーイは『サイコ』のノーマン・ベイツ役でおなじみのアンソニー・パーキンス。
映画は1957年の『胸に輝く星(The Tin Star)』。
観たことはありません。
監督がアンソニー・マンなのできっと悪いワケはないでしょう。
マンは私の大好きな『グレン・ミラー物語』を撮った人だから。
そう!
「マン」といえばイギリスの「マン島(Isle of Man)」ね。
ザッパに「Manx Needs Women」という曲もあるけど、驚いたことに厳密に言うとマン島というのはイギリスでもなかれば、イギリス連邦にも属していないんだってね~。

Tsaこのアルバムは「I'm not in Love」が収録されていることで知られているが、私は違うんだな。
まず10ccを好きになったキッカケとなった「The Second Sitting for the Last Supper」がB面の1曲目に鎮座ましましている。
そして、1曲目の「Une Nuit a Paris(パリの一夜)」、ヒット曲「Life is a Minestrone(人生は野菜スープ)」、「Brand New Day」等々、どれもじ~つ~に~素晴らしい。
私が初めてロンドンに行った時、タワー・ブリッジにほど近い、インド人だらけのAldgate Eastのホテルの部屋に入って一番最初にしたことは、テレビのスイッチを入れることだった。
ホテルの入り口で乞食に言い寄られたりして心細かったからね。
すると、テレビからいきなり飛び出してきたのが「Life is a Minestrone」だった。
それまでの不安な気持ちが一気に吹っ飛んだ。

11_lmそれにしたって10cc一番のヒット曲「I'm not in Love」についてもう少し触れておかねばなるまい。
レコード会社を移籍した最初のアルバムを成功させようと今までにない試みに挑んだ曲のひとつ。
メンバーはラブソングを作ろうと話し合い、エリックが100%詞を書いた。
最初はボサノヴァ調にしてみたが、曲が死んでいるようでまったくオモシロくなく、メンバー全員とても作業を続ける気にならなかった。
そこへ、ケヴィンが「楽器を使わないで津波のような分厚い声を入れたらどうだろう」というアイデアを提案した。
そのアイデアを基に「バッキングを考えられるだけ大きな合唱隊のようにしてみよう」ということになった。
当然、合唱隊などを雇う経済的な余裕はないので、テープループを使って取り組むことになった。
今となっては有名な話だけど、コレがやっぱりオモシロい。
まず、ケヴィンとロルとグレアムがスタジオに入って息が続かなくなるまでユニゾンで「アー」とやる。
当時のレコーディング機器は16チェンネルだったので、16のすべてのチェンネルのこの「アー」を録音する。
それをトラックダウンすれば3人のコーラス×16チャンネル分で48人が「アー」とコーラスしている音源ができる。
いいですか~、今、よくわかっていないヤツが説明していますからね~。お手柔らかにお願いしますよ~。
今度は同じく13の音程それぞれで「アー」と歌う。
ド、ド#、レ、レ#……とクロマチックにやっていって上のドまで録音する。
ココで48人のコーラスで13通りの音程を録るので、624人分の声を集めたことになる。
で、それぞれの音程の音源のテープを約7分のループにして、16のウチの13チャンネルにその音をそれぞれ割り当てる。
こうしておけば、ミキサーのフェーダーを上げ下げすることで和音を作ることができるようになるというワケ。
原理としてはメロトロンに近いということになるのかな?
そして、残りの3つのチャンネルのうちのひとつにガイドリズムと仮歌を入れておいて、それを聞きながら「せーの」であらかじめフェーダーの目盛りにつけておいた印に合わせて4人がフェーダーを上げ下げしてバッキングの和声を作ったという。
そして、そのコーラスを残った2つのチャンネルにステレオで録音したら、今度は13のチャンネルのコーラスをすべて消去して、残り楽器を録音したのだそうです。
あのバスドラムの音はムーグなんだって。
「♪アッア~、ア、ア~ア」って左右に振るところなんかは、パンポットを回すのにハラホロヒレハラだったらしい。
この作業だけで3週間も費やしたのだそうだ。
大変だったろうけどオモシロかったろうナァ~。
アナログ録音ならではストーリー。
結果、クリックひとつで何でもできるデジタルのモノより何倍もいいものができた。
やっぱり養殖モノより天然モノですな。
ま、そもそも曲がいいからね。
そしていよいよ完成か?次はどうする?…というところで、スタジオのレセプションのキャシー・レッドファーン(Cathy Redfern)嬢が電話がかかって来たことをスタジオ内にいたエリックに知らせに来た。
「エリック、あなたに電話ヨ!」と言われてピンと来た。
「コレだ!」
そうして曲の中間部にあの女性のささやきがダビングさされた。
「Be quiet, be quiet. Big boys don't cry」っていうヤツね。
最初、キャシーは恥ずかしがって固辞したが、「チョコっと囁くだけだからお願い!」とロルやケヴィンにせがまれてイヤイヤやったという。
あの囁きがなかったらまた曲は締まらないモノになっていたよね。
すごくいいアクセントだと私は思う。

Inilエエイ!やっぱり脱線だ!
この10ccの手法を丸々マネッコしたのがビリー・ジョエル(イギリス人は「Joel」を「ジョール」と発音します。「エ」は聞こえてきません)の「Just the Way You Are」。
「I'm not in Love」の方がゼンゼン豪華。
イヤ、この曲はコーラスよりもアルト・サックスのソロでしょう。
吹き手はアルトの巨人、フィル・ウッズ。
何せフィルは長年のジャズ界での活動よりも、このソロ一発で世間にその名前が知られてしまったという気の毒なんだかラッキーなんだかわからない人。
私はフィルのプレイを「アルト・サックス界のリッチー・ブラックモア」だと勝手におもっているんだけど、晩年のフィルをニューヨークのブルーノートで観る機会があった。
ナント、パット・マルティーノとのダブルヘッドライナーだった。
でももうかなりのご年齢で、往年の閃光ような鋭いフレーズを吹くことがほとんどなかった。

JwySteely Danの『Katy Lied』。
この中の「Doctor Wu」のサックスもフィル・ウッズなんだけど、コレもスゴいソロだ。
ジャケットはアメリカのキリギリス「Katydid」。
「Doctor Wu」に出て来る歌詞「Katy lied」とシャレになっている。
この人たちって案外こういうシャレがお好きのようで『Pretzel Logic』の「oarker's Mood」という曲の「Relaxin' at Camarillo」の仕掛けなんてのはスゴくオモシロい。
ジャズ好きににはタマらん!
コレは以前どこかに書きましたね?

Klフィル・ウッズのことで孫脱線しようと思ったけどキリがないのでヤメておきます。
でもひとつだけ、ギター面でひ孫脱線。
フィルが68年代後半から70年代の初頭にかけて取り組んでいたのがEuropean Rhythm Machineというコンボ。
そこで一緒だったのがイギリスを代表するジャズ・ピアニスト、ゴードン・ベック。

11_erm

Gb1_3 ゴードン・ベックはアラン・ホールズワースと音源をいくつも残しているんだね~。
こういうのを聴くとホールズワースのスゴさ…つまり猛烈なオリジナリティを発見するよね。
どういうことかと言うと、例えばSoft MachineやGongでのソロをカットして、このゴードン・ベックのコンボにペーストしても音楽が成り立ってしまう。
もちろんその逆も可。
もちろん基本的にはジャズ寄りなんだけど、ジャズとかロックとかいうジャンルを本当に超えていたんだな…と感心しちゃうワケ。

Gb3_3

500x500

Gb2_2 もうひとつ…アルバムの最後に入っている「The Film of my Love」。
コレはカンツォーネだね。
「The Magnificent Seven(荒野の七人)」、「Orient Express(オリエント急行)」、「Pathe(パテ:フランスの映画会社)」なんて名前が出て来る。
コレもゴドレー&クレームの曲をグラハムが歌ってる。
バンド内オーディションで優勝したのだろう。
まぁロマンティックないい曲でしてね。
数年前、ある若い女性から結婚式の雰囲気にマッチするステキな曲を教えて欲しい、という相談を受けた。
その中に入れた1曲がこの「The Film of my Love」だったんだけど、彼女は本当にそれを自分の結婚式で使ってくれて、バッチリだったとすごく喜んでくれた…すぐに別居しちゃったみたいだけど。
しかし、こうして見ると、好きなのは圧倒的にゴドレー&クレーム組の曲だナァ。
『荒野の七人』も子供の頃は夢中になって観たけど『七人の侍』を観てしたってからはバカバカしくてとても観れなくなってしまった。
だから小学校の時から観ていない。

Ms このアルバムの内ジャケットには「Produced and Recorded by 10c.c. at Strawbweey Recording Studios…」とある。

0r4a0190ハイ、1976年の4枚目。
私はこのアルバムが一番好き。
スウェーデンの少女環境保護運動家、グレタ・トゥンベリさんのひと言で日本でもスッカリおなじみになった『How Dare You!』がタイトル。
意味はもう知ってるよね~。
どの曲も大好きなんだけど、一番は最後に入っている「Don't Hung Up」。
10cc全曲の中でもコレが一番好きかも知れない。
岡井大二さんもこの曲が一番好き…とおっしゃっていらしてうれしかった。
B面の1曲目の10ccの代表曲のひとつ「Art for Art's Sake」のMVには1959のフルスタックが登場する。
「I'm Monday Fly Me」はスチュアート&グールドマン組(+ゴドレー)の作品で一番好きな曲かも。
神保町のカレー屋に向かう車の中で、Marshallの社長夫人のエリーと一緒にこの曲を歌ったのは楽しかった。
ま、こっちはすぐに「♪フフフフン」になっちゃんだけどね…歌詞がわかんないから。
最高にラブリーな「Rock'n'Roll Lullaby」はグルールドマン&スチュアート組作だがケヴィンとエリックが歌っている。
「Iceberg」も「Headroom」も何となくシアトリカルで、コミカルですごく好き。
やっぱりゴドレー&クレーム組の作品がいいんだな。
上に挙げた10ccのすべて曲での中で一番好きかも知れない「Don't Hung Up」もゴドレー&クレーム組の作。

11_hdyハイハイ、ここにも「All tracks recorded at Strawberry Studios (UK) Ltd. England」。

0r4a01871977年の『Deceptive Bends』。
「Deceptive Bends」の意味はコチラでやっていうので興味のある方はどうぞ。
ゴドレー&クレームが脱退してこのアルバムからスチュアート&ゴールドマン組だけになった。
ゴドレー&クレーム組の曲の方が好きと書いたけど、このアルバムはスチュアート&グールドマンがとてもいい仕事をしてくれた。
「I Bought a Flat Guitar Tutor」なんて全くスゴイよね。

Dbある時、スチュアート&グールドマンがゴドレー&クレームにこのアルバムのリード・チューン「The Things We Do for Love」を聴かせると、「そんな曲は絶対に演りたくない!」と言ってゴドレー&クレームはバンドを辞めちゃったんだね。
2人はギズモに夢中になっていて、そのギズモをフィーチュアした実験的なアルバム『Consequences』のA面を制作していた時期だったものだから、ありきたりのポップ・ソングを演るのがバカバカしく感じてしまったのだ。
ま、『Consequences』にも甘々のポップ・ソングがいくつも入っているけどね。
でもロル・クレームは、「あと半年ズレていれば…」とバンドを辞めたことを後悔してるようだった。
というのも、シングル「The Things We Do for Love」がアメリカで大ヒットしてしまったから。
一方、『Consequences』は散々だったろう。
コレは豪華なブックレットがついたLP3枚組の高価なボックスセットだった。
中学3年の時にリリースされて、すぐになけなしのお小遣いでコレを買った私はクラスメイトから「アタマがおかしい」といわれたよ。よく覚えている…加藤な。
ああ、アタマがおかしくてヨカッタよ。おかげで今も音楽変態道を歩み続けてるわ。
ちなみに私はコレをLPとCD2種類の3セット持ってるわい。

Csq
ロルとケヴィンの2人が脱退した時、「10ccが5ccに!」なんて騒いでいた。
コレは「10cc」というバンド名の由来が「成人男性4人の1回分の射精量の合計」とされていたところがあったのだろう。
アノね…よくそういう話を聞いたし、本国イギリスでもそういうことになっている部分があるみたいなんだけど、違うから。
上に出て来たシンガーソングライターにして「UK Records」オーナーのジョナサン・キングに「Donna」を聴かせると、「コレはイケる!」と判断して自分のレーベルに囲い込んだ。
その時はまだバンド名はなく、キングが「昨晩、『10cc』 the greatest group in the world」といのが夢に出て来た!」と言って、それがそのまま10ccがグループ名となった。
どんな夢だよ。
ちなみにGenesisの名付け親もキング。
それと、『Rocky Horror Show』のオリジナル・ロンドン・キャスト盤はキングがプロデュースした。

11_2rhs_2 この『Deceptive Bends』には「Recorded at Strawberry Recording Studios (South)」と出ている。
「(South)」というクレジットが追加された。

0r4a0185上で紹介したライブ・アルバムを挟んでリリースしたのが1978年の『Bloody Tourist』。
「10ccの新譜が出る!」「今度は10ccの音楽の世界一周だ!」なんていうのでメチャクチャ楽しみにしていたんだけど…私はコレで10ccファンを卒業しました。
リード・チューンの「Deadlock Holiday」なんかは今聴くと歌詞がオモシロかったりもするんだけど、それこそ10ccにしては凡庸なポップ・チューンばっかりで、彼らの特長であった「シャレ」だとか「楽屋落ち」のような作り込みの部分が無くなってしまったようで私の心には全く響かなかった。
そもそも、この「0」の中が星になっているバンド・ロゴのデザインが小学生のやることみたいで好きでなかった。
だから私の10ccは『Deceptive Bends』の6枚。それで全部。

11_2btところで10ccを観たことがあるのか?ということになると、マァあるんです。
高校2年ぐらいの時に来日することが決まって中野サンプラザの前から2列目のチケットを取ったのね。
ところが直前になってエリック・スチュアートが交通事故で頭のケガをして来日が中止になってしまった。
その後も何回か来日したけど観るチャンスがなく…というより、地方に住んでいたり、興味がなかったりで観る機会がなかった。(去年も来ていたのね?)
そして、ついに数年前にオリジナル・メンバーがグラハム・グールドマンだけの10ccを観た。
会場は今はなき原宿のアストロ・ホールで、100人チョットぐらいのお客さんを前にしてのライブだった。
すごくヨカッタ。
何しろほぼ全曲を最初から最後まで一緒に歌えるコンサートってこの10ccとZappa Pays Zappaだけだったから。
考えてみればグレアム・グールドマンは10ccの名曲を作っただけでなく、「Bus Stop」、「For Your Love」、「No Milk Today」等のポップ・ミュージック・シーンに永遠に残るであろう曲を作った大作曲家ですからね。そういう意味ではエリックは「I'm not in Love」だけだからね。
目の前で歌っている姿を見ておいてヨカッタと思うよ。
ところで10曲目に「The Dean & I」が入ってるでしょ?
上でチョット触れた通り私はこの曲がすごく好きなんだけど、こんな古い歌、しかもゴドレー&クレーム組の曲を何で選んだのかな?とこの時思ったんだよね。
で、今回この記事を書くにあたって10ccのドキュメンタリーを観てその理由がわかった。
実はエリックはこの曲が「大キライ」だったのだそう。
そのドキュメンタリーの中で毅然と「hate」という言葉を使っていたところを見ると心底そうキライなんだろう。
「ミュージカルっぽい」ものが好きではないので、シーンがコロコロ変わるこの曲がすごくイヤだったのだそうだ。
一方、エリックの相棒のグレアムは「この曲に当時の10ccの全てが詰まっていた」と大絶賛しているんだよね。
要するにグレアムのお気に入りの曲…だからこの時に取り上げたというワケ。
単純な理由だけどウラがあってオモシロイ。
だからエリックがいた頃の後年リリースされたライブ・アルバム数枚にはこの曲はまったく収録されていない。

0r4a0203さて、驚いたことにここからが本題。
「ロックの名所を訪ねる旅」の始まりだよ~!
自粛中の皆さん、目だけで旅行を楽しんでくだされ!
 
旅の起点は滞在していたMarshallの工場の近くのホテル。

Img_0128朝食は丸っきりいつも通り。
スクランブルエッグにハッシュドポテト、焼きトマトにオリジナルのハムサンド。
もう「飽きた」のを通り越してだんだんありがたくなって来た!
しかし、卵の味が日本と違う。
スクランブルエッグではわからないけど、目玉焼きにすると風味が全く違うんだよね。
もちろん向こうの卵の方がおいしい。
ドイツでもベトナムでもそうだった。
ウチは長年ブロイラーの卵を食べずに、コッココッコと放し飼いにされている鶏の卵を取り寄せているんだけど、それでも味が違う。
Img_0127ハラごしらえが済んだら出発!
コレがベースキャンプ。
Marshallの工場のすぐそばのホテル、DOUBLE TREE。
すぐ横にMarshallアリーナがあって、去年の6月1日にD_Driveがそのステージに立ったことは既報の通り。

10このホテルができてからもう何回も泊まっているんだけど気が付かなかった。
玄関を出た時に木が2本。
「Double tree」になってた。
あんまり天気がよくないナァ。

20タクシーでミルトンキーンズ・セントラル駅に行く。

30広々とはしているものの、相変わらず殺風景な駅前。
この駅前にマットレスを敷いて寝泊まりしている人が何人かいるんだよね。
しかも、女性。
4年前に来た時にはそんな人たちを見かけることはなかった。
とにかく今回の旅で驚いたのはロンドンの街中で若いホームレスの女性を大勢見かけたことだが、こんなところにもそうした傾向が見られたのは結構大きなショックだった。

40さて、今回の旅の目的地は…

50マンチェスター。
産業革命発祥地として、かつてはロンドン、リバプール、バーミンガムと並んでイギリスの経済を支えた都市ですな。

55駅名のサイン。
「Home of」ってあるけどナンの「Home」か…。
「University of Bedfordshire」のMilton keynesキャンパスのホームなんだって。
ツマんね~。
「UCMK」とは「University Campus Milton Keynes」だそうです。

60お!
プラットフォームで発見。
ね、イギリスではホントにMarshallのヘッドホンを使っている人をよく見かけるのです。
毎度あり!

70来た来た、電車はVirgin。
Virginの10ccってのも見てみたかったナァ。

80車内はこんな感じ。結構混んでる。

100電車のスピードが速くてうまく撮れなかったけど、カナル(運河)がずっと線路に並走してる。
ときおりナロウボートがゆっくりと水面を進む光景を見かける。
いいナァ~。
イギリスの好きな風景のひとつ。
写真はナロウボートのマリーナ。
90お、「Stoke-on-Trent(ストーク・オン・トレント)」に停まった。
なんて言うといかにもよく知ってるみたいだけど、名前だけね。
というのは、ココは陶器産業が盛んで、あの「Wedgewood(ウェッジウッド)」の地元だから。
知らなかったのは、昔は製鉄産業も盛んで有名な戦闘機「スピットファイア」で使われた鉄はココで作っていたのだそうだ。

110昔、ヒースロー空港の免税店に小さなウェッジウッドの直営店が入っていてね、イギリスに行くたびにそこで家内へのお土産を買っていた。
陶器はメッチャ高いし、持ち帰るのも心配なので、いつも小さな陶磁が付いたペンダントにしていた。
家内がとても喜んでくれるので、訪れるたびにそこでの買い物を楽しみにしていたのだが、ある時それができなくなった。
ウェッジウッドの経営が立ち行かなくなり、その直営店を閉めてしまったのだ。
その後、ウェッジウッドはフィンランドの「フィスカース」という会社に買収されてしまった。
イギリスのシンボルのひとつのようなブランドだったのにね。
そのフィスカースという会社は2015年に「Royal Doulton(ロイヤル・ドルトン)」というロンドンの名門陶器会社も買収している。

12ww ココで取り出したるは『Mary Poppins Returns』。
この中にディズニーではおなじみのアニメと実写のシーンがあって、それが陶器(porcelain)の国という設定なのね。
そこでメアリーが子供たちを馬車に乗せると、馭者が「Where would you like to go on this fine day?(こんな天気のいい日はどちらへいらっしゃいますか?)」と訊く。
するとメリー・ポピンズが「The Royal Daulton Musc Hall please(ロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールにお願いね)」と答える。
そんなホールが実在したのかどうかはわからないが、イギリス人ならピンと来るんだろうね。
そして、メリーを演じたエミリー・ブラントが「The Royal Daulton music Hall」という曲を歌う。
コレが実にいいんだ~。
いつかこの映画を飛行機の中で観て、あまりいい感想をココに書かなかった。
最初の『メリーポピンズ』に使われていた曲があまりにもヨカッタからね。
でもこの『Returns』にも3曲だけメッチャいい曲があって、その中のひとつがこの曲なのです。Mpr マンチェスターへと向かう電車はグングンと進む。
しかし、キレイだナァ~。

120エエイ!
ココで降りてやれ!

130とホームに降り立った駅は「Stockport」。
フフフ、上に散々出て来たヤツです。
マンチェスター駅のまだ2つ手前の駅。

140降りようか、降りまいか、実は電車の中でズッと迷っていた。
ミルトンキーンズ・セントラル駅で「途中下車OK」ということを係員に訊いて確認していたんだけど、「行ったところで頭の中にある目的を果たせるのか?」という不安が大きかったのだ。

150イギリスの田舎の駅ってのはいいもんだ。
すごく懐かしさを感じさせてくれる。

160何だか知らないけど、ホームにギャラリーがある。
チョット覗こうとしたら年配のご夫婦がちょうど中から出て来て、そのオジさんが「ブックレットがあるから持って行くといいよ」と案内してくれた。

170『Mid Cheshire Line  Marvellous Days Out(ミッド・チェシャー線 ステキなお出かけ)』という展示。
ミッド・チェシャー線というのはチェスターからマンチェスター・ピカデリーまで15の駅を擁する鉄道。
この辺りは「Cheshire(チェシャ―)」という。
「-shire」というのはひとつの行政単位で「郡」みたいなイメージ。
「ランカシャー」とか「ヨークシャー」とか「なんとかシャー」の「シャー」はみんなコレ。
ちなみにMarshallの本社があるのは「バッキンガムシャー」。
さて、その路線は19世紀に3つの鉄道会社がくっついてできた鉄道で、最も古い路線は1862年の完成。
1862年がどれぐらいの時代かと言うと、私が生まれるちょうど100年前だ…コレじゃわかんないか。
十四代将軍徳川家茂と和宮親子内親王が結婚した年。
和宮様は道中の様々なトラブルを避けるために、京都から江戸に降嫁する際、東海道を使わずに中山道を下ったんだよね。
3万人の大行列。その長さは50kmにも及んだという。
その時、イギリスではこんな田舎でも列車が走っていたんだねぇ。
でも、実は18世紀後半のマンチェスターは、さっきのワットのように産業革命の中心地で、当時世界の最先端を歩んでいたんだね。
Shige Blogでやるけど、「世界で最初の鉄道の駅」なんてのもマンチェスターだよ。
ちなみに「marvellous」という綴りはイギリス式。私のミス・スぺリングではない。
アメリカ人は「l」をひとつ取っっぱらって「marvelous」と綴る。
イギリス人に言わせると、こういうところが「Americans ruined our language!(アメリカ人が我々の言葉をぶっ壊した!)」ということになる。

185チョット展示アイテムを見てみようか。
ミッド・チェシャ―線にある駅のそれぞれの名所を描いたポップアート。
起点は「チェスター」ね。
「Meander the Mid Cheshire Line」とあるけど「meander(ミアンダー)」というのは「蛇行」という意味。
ところでイギリスには「なんとかチェスター」という地名がいくつもあるでしょ?それと「なんとかカスター」とか「なんとかスター」。
たとえばマンチェスター、ウィンチェスター、ロチェスター、コルチェスター、ランカスター、ドンカスター、グロースター等々。
コレはローマ時代にその砦があったことに由来するそうです。わかりまスター?

210v「meander」には動詞で「アテもなくさまよう」という意味があって、チャーリー・パーカーの有名な『Savoy Session』に「Meandering」というバラードがある。

Ss 私は今いる「ストックポート」はこんな感じなのか…。

190v「Northwich(ノースウイッチ)」というところ。
アレ、ココはナロウボートのエレベーターがあるところか!
「Anderton Boat Lift」といううヤツ。
コレ乗ってみたいんだよな~。

200vこんな動画を見つけたので興味のある方は8:00~12:16のあたりをどうぞ。
標高の異なるカナルをつなぐための船のエレベーター。
観覧車みたいなダイナミックなヤツもあるようなんだけど、ここは純粋にエレベーター式に船を上限に運搬する方式。


「Knutsford(ナッツフォード)」は人口14,000人程度の小さな町。
そうえば、「なんとかフォード」というのも多いね。
オックスフォード、ベドフォード、ブラッドフォード、スタッフォード、ストラトフォード…。
コレは「浅瀬」という意味なんだって。

220vコレがオジさんが教えてくれたブックレットなんだけど、かなり上質のマット紙で製本してあって、表紙にはエンボス加工が施してある。
十分にお金を取れるクォリティだ。
左はその「Marvellous Days Days Out」のしおり。
もうひとつはチェスターからマンチェスターをつなぐミッド・チェシャ―線とリーズからマンチェスターをつなぐカルダ―・ヴァレー線にまつわる女性を紹介した「Discover Amazing Women by Rail」という小冊子。
作家、女優、スポーツ選手、女性活動家、女性参政権者、政治家までの分野を網羅しているが、勉強不足ゆえ私が知っていたのは『ジェーン・エア(Jane Eyne)』と『嵐が丘(Wuthering Heights)』を著したシャーロットとエミリーのブロンテ姉妹だけだった。
「キャシーにヒースクリフ」だけじゃなくて、私、両方とも読んでるんですわ。意外でしょ?

180ホームからコンコースへつながる階段。
イヤ、手すりの塗装がステキだな…と思って。

230_2コンコースも白に赤い線のデザイン。
ステキ!

240駅の入り口。
ここにも赤い線。
平日の午前中だったんだけど、閑散としていた。

250コレがStockport(ストックポート)の駅舎。
周辺の地図を探したんだけど全くなし。
イヤな予感。
もちろんコレから10cc発祥の地、「Strawberry Studios」に向かおうとしているのだ

260<後編>につづく 

200 
(2019年6月 イギリスにて撮影)

2020年3月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.42 ~ ココにディランが?ジミヘンが?&涙のアールズ・コート

この日はデザイン・ミュージアムに『スタンリー・キューブリック展』を観に行った日。
ホントに朝から晩まで雨がよく降った。
ロンドンっていくら昼間降っていても、たいてい夕方には青空になったりするんだけど、この日は一日中雨だった。
デザイン・ミュージアムからアールズ・コート駅へ向かう途中の道、アールズ・コート・ロードを少し右へ入る。
ブルー・プラークが付いている建物を発見。
ココは何度も通りかかっているんだけど気が付かなかった…か、興味がなかったのか…。

10_2「LAMDA」というのは「London Academy of Music & Dramatic Art」の頭文字。
LAMDAは1861年に創立されたイギリスで一番古い演劇学校だそう。
そのLAMDAが運営する劇場が2011年までココにあった「Michael MacOwan Theatre(マイケル・マコウワン劇場)」。
「Theater」じゃないよ「Teatre」だよ。ココはイギリスだから。
Michael MacOwanは1958~1966年までLAMDAの校長を務めた俳優。
写真ではわかりにくいけど、「こんなところに劇場があったの?」って感じ。
でも、さっき曲がって来た表のアールズ・コート・ロードは、かつては日本でいうところの「赤線地帯」だったらしい。

11_img_9812そのまま路地を進むとコレ。

20_2もう何度も出てきているフレディ・マーキュリーの終の棲家。
『ボヘミアン・ラプソディ』のヒット以降でナニか変化があったかな?と思ってまた見に来てみた。

30_24年前にはこんな注意書きはなかった。
やっぱり映画のヒットのおかげで来訪者が増えたのかな?

50_2かつてはウジャウジャしていたフレディへのメッセージも今ではずいぶん控えめだ。

40vいつも言っているように私はQueenファンであったことは人生で一度もないのだが、この辺りにくるとやっぱりチョット寄って行きたくなっちゃうんだよね。
何と言うか、とても便利な「ロック名所」なのです。

60vアールズ・コート駅に戻って来た。
しかし、雨がまったく止まないな~。

70_2休憩&遅めのお昼ゴハン。
またGREGGS。
大好きGREGGS。
現地の人に言わせると「お金持ちはPRET、貧乏人はGREGGS」らしい。
私にはちょうどいいわ。

80_4これで500円ぐらいかな?
このパイ(パスティ)が温かいのがうれしいの。
エクレアもそう甘くなくて好き。

90_2この時はイモトのWi-Fiを借りて行かなかったので、こういう所に入ってはフリーWi-Fiでメールをチェックしたり、東京やMarshallへ連絡したり、色んな情報を取り込んだりしていたのです。
こんなの数年前には考えられなかったのに…。
こんな私でも今となっては携帯電話が手放せなくなっているのが恐ろしい。
こんな私にダレがした?
ということで、次の目的地の確認。
あ~あ~、ヤダな~、こんな雨の中出て行くの。
100_2…と文句を言っている間にすぐ着いた。120_2アールズ・コート駅からそう遠くない「Old Brompton Road(オールド・ブロンプトン・ロード)」という通りにある「Troubadour(トルヴァドゥール)」というお店。

110_2「Troubadour」というのは中世のヨーロッパで活躍した詩人、作曲家、歌手のことらしい。
女性は「Trobairitz(トロバイリッツ)」。
だからナンだ?ですね。

130_2入り口の扉。
「幸せは買えないけどコーヒーは買えます」…エ、ココって喫茶店だったの?

135v老舗感が漂う、雰囲気のよさそうなお店でしょう?
ココがスゴイ。

140_2お店のウインドウにあるブループラークを模した説明書き。
 
THE TROUBADOUR 
1954年開店

トルバドゥールはたくさんの伝説的な音楽を迎えて来ました。
その顔触れは;
ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・プリティ・シングス、ジョニ・ミッチェル、チャーリー・ワッツ、サンディ・デニー、アデル、エルヴィス・コステロ、トム・ロビンソン、モリッシー、エド・シーラン、そしてフローレンス・ウェルチ等々

150_2でも、すぐ近くにコレ。
トルバドゥールが背景になってる!
コレを仕込んだ「けいおん!」の人、スゴイな。
お会いしてみたい。
170_2喫茶店の入り口とは別にドアがもう1枚ある。。
ディランやジミはココを通って地下にあるライブ・スぺ―スに降りていった。

160vせっかく来たので喫茶店の方に入ってみる。180_2天井にはたくさんのナベの類。

190_2壁には農工具かね、コレは?
中世の雰囲気かな?

200マグカップも…

210_2ワイングラスも吊り下がってる。
ブラ下げるのがスキなのかな?

220とてもいい感じ。
上のプラークもどきに書いてあった通り、トルバドゥールは1954年の開業。
今となっては、ロンドンに現存する最後のコーヒーハウスの中のひとつだ。
大分以前に隣の建物と合体して形を変えたが、元のこのコーヒー・ハウスのエリアは66年前の開店時の姿をそのまま保っているのだそうだ。

230_2ドアのところに書いたように地下のスペースは、ライブハウスになっていて、1950年代後期から60年初頭にかけては元祖ブリティッシュ・フォーク・ミュージックのハコだった。
当時のロンドンにはそうしたお店が他にもあって、ソーホーの「Les Cousins」、チャリング・クロス・ロードの「Bunjies」が有名であったが、閉店してしまった。
当時の雰囲気を経験できる店としては今ではトルバドゥールだけになってしまったそうな。

250_2どういういきさつでココがフォークのライブハウスのメッカになったかというと、かつてこのライブハウスのマネージャーだったAnthea Joseph(アンシア・ジョセフ)という人のおかげ。
アンシアはお店の名前である「トルバドゥール」の本来の仕事、すなわち中世盛期(High Middle Ages:ヨーロッパの11~13世紀)にはトルバドゥールは詩を吟じたり曲を作ったりするだけでなく、劇の進行役やストーリー・テラーを務めたことを知って、それに倣いフォークのイベントをココでたくさん開催した。
その活動が定着したんだね。

11_img_9889 よく知られている話で、ボブ・ディランが初めてロンドンに来た時、右も左もわからなかった。
ひとつだけ持って来た情報は、師匠のピート・シーガ―の言葉で、「ロンドンに行ったらトルバドゥールのアンシアを訪ねなさい」ということだった。
その結果、「ボブ・ディランがイギリスを訪れて最初に演奏した場所」としてトルゥバドールはイギリスのポピュラー音楽周辺史にその名を名を残すことになった。
スゴくね?

240また、50~60年代のトルバドゥールはミュージシャンだけでなく、知識人や芸術家のたまり場にもなった。
例えば、「Private Eye」という時事雑誌の最初の号は1961年にココで作られ販売された。
日本で言う「週刊誌」みたいなモノだけど「Private Eye」は「fortnightly magazine」だそう。
ハイ、ココで英語クイズ。
「fortnight」の意味が分かる方いらっしゃいますか?
私はMarshallの経理の女性とやり取りしているメールの中でこの単語を発見して、恥ずかしながら最近覚えた。
コレ「隔週」とか「2週間」という意味。
「Fourteen nights」ということらしい。
なんか詩的でカッコイイ単語だなと思って一発で覚えた。
「Private Eye」はその手の雑誌では長い間イギリスで一番売れているんだって。
また、68年のパリの暴動の後、ブラック・パンサーはココに集まったそうだ。320_2さらに、初期の「Ban the Bomb(爆弾禁止)」のミーティングはココで開かれていた。
「Ban the Bomb」はその後、1957年に「CND(=Campaign for Nuclear Disarmament:核軍縮キャンペーン」)に発展した。
1958年にジェラード・ホルトムという人がデザインしたCNDのシンボル・マークがナント…コレ。
 
Psまだある。
ケン・ラッセルはココで最初の短編映画のスタッフに雇われ、そこでオリバー・リードと親しくなった。(コレが1971年の『肉体の悪魔(The Devils)』につながる)
ケン・ラッセルはThe Who『トミー』とかリック・ウェイクマンの『リストマニア』とかを撮った人ね。

Na_2まだまだある。
リチャード・ハリスはココで皿洗いをしていたエリザベスと出会い、恋に落ちて結婚した。
リチャード・ハリスっていい役者だよね。
『ナバロンの要塞』、『テレマークの要塞』、『天地創造』、『ジャガーノート』なんて夢中になって観たな。
最近ではクリント・イーストウッドの『許されざる者』がスゴくよかったよね。
「イングリッシュ・ボブ」とかいう役どころでね。
でも、この人はアイルランド人だった。
かつての家はサウス・ケンジントンにあった。
下の写真がそう。
ジミー・ペイジは1972年にデヴィッド・ボウイと競って35万ポンド(当時の為替、貨幣価値で約2.6億円)でハリスからこの豪邸を手に入れた。
今はロビー・ウィリアムスが住んでいるのかな?

80v …と思ったらインターネットでこんな写真を見つけたのでチョット拝借。
この女性がアンシアかどうかはわからないが、レッド・ツェッペリンはその昔、アールズ・コート・エキシビジョン・センターのコンサートの後、トルバドゥールへ寄って演奏をして行ったそうだ。
反省会でもしていたのかしらん?

3page Marshall Blogのことを説明して、お店の許可を得て店内をジックリ見ちゃう。
隣の部屋の壁に飾ってあったトルバドゥール関連のレコード。
Paul McNeil、Martin Winsor & Redd Sullivan、Mike Silver、Chris Barber等の「ライブ・アット・トルバドゥール」っぽいアルバム。
どんなものかと音源をすべてチェックしてみたけど、Chris Barberを除いては間違いなく私は一生聴かない類のフォーク・ソング。
Chris Barberも同じか…ディキシーランドのトロンボニストね。
この人のマネージャーがあの有名なライブハウス「Marquee」を開いたことはMarshall Blogに以前書いた
ひとつ気になったのは右端に半分だけ見えているヤツと右下のヤツ。260_2コレなんだけど。
『Jazz Composers Workshop』ってチャールズ・ミンガスなんだよね。
ミンガスがココで演奏したのかいな?と思ったんだけど、どうやらジャケットが上で紹介したトルバドゥールの天井の写真ということのようだ。
でも、コレはオリジナル・ジャケットではない。

11_2jcwコーヒーハウスのトルバドゥールがレコード・レーベルを持っていた…という記述は特に見かけないんだけど、「Troubadour Records」というのがあったらしい。
写真の右側がそのレーベルの1枚で、「Colin Bates Trio」とかいう人の『Brew』というアルバム。

270_2このアルバム、自主制作で100枚ほどプレスしたそうで、オリジナル盤のレア度たるや、「メガトン級」や「ウルトラ級」を飛び越して「テラ級」に至るらしい。
それが今ではFontanaからリリースされた復刻盤の音源がクリック一発で聴くことができる。
ヘヴィ級のリズム隊に硬派なピアノで聴かせるオリジナル曲がなかなかにカッコいいぞ。

Cb右の赤いヤツはお店のポスター。10ポンド。
「256 オールド・ブロンプトン・ロードSW5のトルバドゥールではいつもナニかが起こってる」
こういうのこそ事務所へのお土産で持って帰りたいんだけどね~。
持って帰れないんだよね。
折りたたみたくはないし、筒をどこかで買って入れるのも面倒だし、考えてみれば、事務所の壁にコレを貼るスペースが全くないわ。

280_2ココが地下のライブ会場への入り口。
キャパは150人ぐらいとのこと。

290x奥の壁に飾ってあったストラトキャスター。
お店に人に訊いたところ、特別なモノではないそうだ。

300v地下にあるトイレ。
この洗面台がカッコいい…と思ってサ。

310vところで、ココって上にも書いた通り、パブではないのですよ。
いつもパブでやるようにカウンターで注文してエールがパイント・グラスに注がれるのを待っていると、「支払いは後で結構です、席までお持ちします」と言う。
「変だな…CODじゃないのか…」とは思ったんだけど、後で勘定を聞いてココがパブではないということがわかった。
1パイントが7ポンド以上するのだ。
この辺りだと高くても5ポンド、あるいはそれ以下が相場だろう。
ひとつ勉強になった。
でも、快く店内の写真を撮らせてくれたし、店員さんも感じがヨカッタのでよしとしましょう。
285お、こんなのあったんだ。
カウンターで勘定をした後に気が付いたのが「CLOCKWORK TANGERINE(時計じかけのミカン)」!
キューブリック展を観て来たばっかりだったので飲まなかったことをチョット後悔。
そうそう、ココでも当然フリーWi-Fiを使わせてもらったんだけど、パスワードが必要で、若い店員さんに尋ねた。
すると、チョット恥ずかしそうに「Bob Dylan!」と教えてくれた。
ディラン、来日キャンセルになっちゃったね。330_2あ~、オモシロかった。
トルバドゥールでオッサンのロマンを満喫した後は来た道とは反対の方向へ。
もちろん目的があってのこと。
コレは4年前に来た時に泊まったキッチン付きのホテル。

340_2そのホテルの隣の様子を見に来たのだ。
 
コレがそう…といってもこの写真はもう11年前に撮ったもの。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」。
「Center」じゃないよ、「Centre」だよ。
ココはイギリスだからね。
 
詳しくはコチラ ↓  ↓  ↓
イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ

350ブリティッシュ・ロック・ファンならきっとご存知のロックの聖地。
2014年のある時はこんな様子だった。
花柄のエキシビジョン・センター。

360キャパ20,000人の巨大施設。
今ではさいたまスーパーアリーナだの幕張メッセだの大きな設備があるけど、コレの会場は1937年だからね。
戦前からやってる。

11_img_0222左はエキシビジョン・センター。
写真の真ん中へんに見えているのが地下鉄「アールズ・コート駅」の入り口。
さっきのGREGGSのあった駅舎の反対側。

11_img_0223その1年後。
中にはもう入れなくなった。
取り壊しの準備に入ったのだ。

370_2そして、去年。
ハァ?…ココはどこ?
こんなんなっちゃった。
上の写真とほぼ同じ場所から撮った写真。

380_2ドワ~、ナンにもなくなっちゃったよ!
しかし、700万人もいる大都会のほぼ真ん中にこんな空地ができるなんてスゴイよな。
なんでこんなにユッタリしているんだろう。

390_2駅舎にナンの変化がないのがまた寂しさを誘う。

400_2伝説のコンサートも…

540ジャケットも、今は過去へのロマンと化したのだ。

Pc2こんな私でも20年近く前からエキシビジョン・センターは見てるからね。
帰りの地下鉄の駅から見た景色は寂しかった。410かつてはこうだった。430v今はコレ。
奥にあんな大きな建物があったのね?
嗚呼、変わりゆくロンドン…。420v_2<つづく>
 

200 
(一部敬称略 2019年6月10日 ロンドン、アールズ・コートにて撮影)

2019年9月19日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.41 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

こんなTシャツの展示も以前にはなかったゾ。
…と、写真だけ撮ってシレッと通り過ぎようとした瞬間に目に入って来たのが「ZAPPA」の5文字!

3001978年のネブワースのイベントTシャツ。
フランク・ザッパはヘッドライナーだったのかな?
「ZAPPA」とだけあるのがチョイと解せん。
1978年というと、ヴィニー・カリウタ以下あのスゴ腕メンバーが結集していて、「あのバンドはやろうと思えば出来ないことは何ひとつなかった」ぐらいのことをザッパに言わせしめたスーパー・テクニシャン集団の時期。
調べてみると、レパートリーは『Shiek Yerbouti』以降のヒットパレードといったところ。
観たかったナァ。
観客は45,000人ほどだったらしい。

0r4a0010私、17年前にネブワースに行ったことがあるんですよ。
後ろはネブワース城。
写真は撮らなかったけど、現地の人に「ココでレッド・ツェッペリンや10ccが演奏したんだよ」なんて聞かされて大興奮した。
この辺り、緑一色でものすごくキレイだった。もうね、到底この世のモノとは思えない。
移動の車の中から「ホントに美しい!ゴルフ場みたいですね!」とその連れて行ってくれた人に言うと、「ああ、そこゴルフ場だからね」だって。
ゴルフ場でなくても、日本のゴルフ場より自然で美しい。
イギリスの郊外は本当にキレイだ。

8_nw そして、The Tubesだもんね~。
更にピーター・ガブリエル。
Chrismaから最初のソロ・アルバムをリリースした翌年だったんだね。
この時のセットリストを見ると、「Moribund The Burgermeister」、「Here Comes The Flood」、「Waiting for the Big One」、「Solsbury Hill」等々そのファースト・アルバムの曲をバンバン演ったようだ。
私、あのアルバムが大好きだった。
2枚目が出てすぐに買って聴いたけど、まったくオモシロくなくて…以降ピーター・ガブリエルは一切聴いていない。
だから世間で「ゲイブリエル」と呼ばれていることもズット後になって知った。
私は「ガブリエル」でいい。
ファースト・アルバムの思い出を大切にしまっておきたいのだ。
それと、この時、ガブリエルはProcol Harumの「Whiter Shade Of Pale」やGenesisの「The Lamb Lies Down on Broadway」を演ってる。
やっぱり観たかったな~。

310フランス語って難しいよナァ。
全く素養のないアタシなんぞ下の「Champs・Eleysees」が読めませんでしたよ。
「チャンプス・エリシーズ」ってなんだ?みたいな。
コレ、「シャンゼリゼ」と読む。
読まないなら最後の「s」を付けるな!
「Theatre Des Champs・Elysees」だから「シャンゼリゼ劇場」ですな。
下を見ると「BALLETS RUSSES」とある。<前編>に登場したセルゲイ・ディアギレフの「バレエ・リュス」だ。
コレは1913年の告知ポスターで、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演され、上へ下への大騒ぎとなった年。
『春の祭典』はシャンゼリゼ劇場の杮落し公演だった。
ポスターのデザインはジャン・コクトー。
モデルはニジンスキー。
出し物はミハイル・フォーキンという有名なバレエ・ダンサーの振り付けによる『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』という作品。
フォーキンは他に『シェヘラザード』、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』等のバレエ・リュス作品の振り付けを出がけた。
「薔薇の精」の音楽は、ウェーバーの元曲をヘクトール・ベルリオーズが管弦曲にアレンジした。
ニジンスキーが「薔薇の精」を演じ、バレエ・リュスの人気演目となったそうだ。

320vすっごいツマらない脱線をしてもいい?
私にとってはとても興味深い話だったもんで…。
これまでMarshall BlogやShige Blogで今回ヒザを痛めた話をしたでしょ?
あんな状態だったものだから、日本に帰って来てからというもの、日課のウォーキングができなんでいたのね。
だってあの激痛は二度とゴメンだからサ。
そしたらアッという間にプーランクが上がってしまい、困っていたのです。
「プーランク」というのは、尾篭な話ですが、オナラの回数のランクね。ニオイのランクに対しては使われない言葉。
運動不足で腸の働きが不完全になるのか、オナラがジャンジャン出てしまい、回数が上位にランクするようになった。
それが、ここのところヒザの調子もよくなったのでサポーターをして以前のように1日1万歩を目安に歩くようになった。
すると、アラ不思議!
プーランクが極端に下がり、オナラの回数は限りなくゼロになった。
すごいモンですな、運動の効果ってものは。
 
こんな話をしたのは、本人には大変失敬な話なんだけど、フランスの作曲家フランシス・プーランクの話をしたかったから。
以前は「プーランク」と「クープラン」の区別も怪しかったが今は違う…クープランも17世紀のフランスの作曲家ね。
ナゼ、プーランクの存在がそんな前面に押し出されてきたかというと、そのオナラのせい…じゃなくて、とにかくカッコいい曲がたくさんあるのよ!
「ピアノ協奏曲」とか「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」とか…。
それで調べてみると、プーランクもバレエ・リュスに関係していて、ストラヴィンスキーの『春の祭典』に心酔しきっていたそう。
そんな関係で、なんとストラヴィンスキーの「結婚」の初演でピアノを弾くことになっていたっていうのよ!
スゴクね?
残念ながら実現はしなかったが、実に興味深い話ではあるまいか!
Shige Blogに書いたように「結婚」って曲がメッチャ好きなんです、私。
記事はコチラ⇒【Shige Blog】ついに『結婚』!  
変な脱線しちゃってゴメンね~。でもバレエ・リュスつながり…ということで。
 
さて、V&Aはの『Theatre & Performance』の展示はこういうポスター群も見どころ満載。
アンナ・パヴロワか…まるで時代の空気を運んできてくれるようだ。
ま、ネタとしてはかなり取り扱いがラクな方だろう。
そのせいかどうかは知らないが、以前来た時とは総入れ替えになっていた。
ロックっぽいヤツを少々拾ってみると…

330まずはロバート・ジンマーマン。
ボブ・ディランね。
オーストリアのマーチン・シャープというポップ・アーティストが、1968年に『Oz』というアングラ誌のために制作したイメージ・ポスター。
同心円がディランの顔の周りをビッシリ囲っている。
コレは万華鏡のイメージで、当時のサイケデリック・アーチストが好んで使ったモチーフだった。
かけているサングラスの右レンズに入ってる文言は「Blowing in the Wind」。
幻覚剤で向こうの世界へ行っちゃってるイメージを視覚化しているのだそうです。

340v有名な『Isle of Wight Festival(ワイト島のフェスティバル)』のポスター。
なんかミュシャっぽくてよろしいな。
ちなみに外人に「ミュシャ」と言っても通じない。「ムーカ」だ。
「ゴッホ」は「ゴッ」ね。
ワイト島はMarshallを海外に輸出する時に使う港、サウザンプトンの南にある島。
ビートルズの「When I'm Sixty Four」で「そんなにお金がかからなかったら、毎年夏にワイト島にコテージを借りよう」って歌うヤツね。
「isle」と「island」の違いは、一般的に「island」は「島」を表すのに対し、「isle」は小さい島を指す。
で、このフェスは1968年が第1回目の開催。元々は『Great South Coast Bank Holiday Pop Festival』と呼ばれていた。
「Bank Holiday」というのは1871年に導入されたイギリス独特の国民の休日で、読んで字のごとく、銀行が営業を休んじゃう。
国民が働きすぎるので、銀行を休みにしちゃえば国民すべてが休まざるを得ない…ということで導入された国民の休日。
今年のバンク・ホリディは5月6日の「Early May Bank Holiday」、5月27日の「Spring Bank Holiday」、そして8月26日の「Summer Bank Holiday」。
全部月曜日なんだけど、あまりにも日本に関係ないせいか、いつがバンク・ホリディなのかがサッパリ覚えられん。
すると、Marshallにメールを打って返事が来ないとすぐに「なんだ、またバンク・ホリディか?」なんて勘ぐってしまうのだが、実は年に3日しかないの。
しかし『メリー・ポピンズ』じゃないけど、やっぱり銀行のステイタスが日本とはゼンゼン違うことを思い知るね。
だから、このワイト島のフェスも「バンクホリディを有効に使いましょう!」的な動きがあったのかも知れない。
あと「ボクシング・ディ」とかね。
で、このフェス、1968年から始まって3年ほど開催して終わっちゃった。
どんな人たちが出ていたのかは、羨ましすぎて悲しくなるので書かない。
そして、2002年に復活。
見た目はレトロ調だが、このポスターは2011年のモノ。
350vマルコ・ピローニ(Marco Pirroni)を従えた新しいバンド・メンバーで催行した1980年のAdam Antのコンサート告知ポスター。
「High Wycombe(ハイ・ウィカム)」というのはロンドンの北西、オックスフォードとのちょうど中間ぐらいにある郊外の都市。
「Town Hall(タウンホール)」というのは市庁舎。
イギリスの郊外にある町の市庁舎なんてところは間違いなく歴史があってステキな建物なんだけど、調べてみるとやっぱりここもスゴイ建物だった。
アダム・アントが出て来た頃って、私は大学生で、プロ・ミュージシャンになりたくて夢中になってバンドをやってた時分だった。
なんか「ジャングル・ビート」みたいな触れ込みで注目されていたように記憶しているが、私はどこがオモシロいのサッパリわからなかった。
今になって考えてみると、実はそうではなくて、彼らの音楽がわからないかったのではなくて、パンク/ニューウエイブに席巻されまくっていた当時のロックに与することができない「自分」がわかっていなかったのだと思う。
この辺りから急激にロックに対する情熱が失せ、そしてロックから離れて行った…自分にそんな変化をもたらしたミュージシャン、ということでアダム・アントって思い出深いんだよね。
みんな「なつかしの80年代」ってやってるけど、私は「80年代のロック」と今のロックは何も変わっていないと思っている。
しかしですね~、後でまた出て来るけど、このアダム・アントってのはイギリスではケタ違いに人気があったんですな~。

360ルー・リードも亡くなってしまったネェ。
1973年、代表作『Berlin』のレコ発ライブ。
会場はグラスゴーのアポロ・センター。
この時のコンサートはオールド・ファンの間では「悲劇」として認識されているそうだ。
今では『Berlin』はルー・リードの代表作とされているが、発売当時は大変な悪評をかった。
それでヘソを曲げたのか、ルーはこの時、スタッフに運ばれて来てステージに立ち…イヤ立たなかった!
ステージに仰向けになったまま全曲演奏し切ったのだ!
そして、演奏が終わるとまたスタッフが抱えてステージから降りた。
チョット見たかった気もするナァ。
でも私、ルー・リードとかヴェルベッツも苦手なのよ。

3701983年、15か国、96公演をこなしたデヴィッド・ボウイの『Let's Dance』のレコ発ツアーのポスター。
キャリア中最も長く規模の大きなツアーではあったが、それまでの「Ziggy Stardust」や「Diamond Dogs」等のツアーの時とは正反対に、セットはシンプル、衣裳替えもなしといった内容だった。
ナニ、デヴィッド・ボウイってこの『Let's Dance』が一番売れたんだってね~。
イラストの意匠はフレッド・アステアかな?

380v本家イギリスの博物館ゆえビートルズ関連の展示品ががたくさんあると思うでしょ?
そうでもないんだよね。
前回と展示が入れ替わっていて今回はこんなアイテムがディスプレイしてあった。
1964年のフィギュア。
もう「ビートルマニア」の皆さん垂涎のお品でございます。
メンバーひとりひとり別売りで、箱の中に取説が入っていた。
「簡単なパーツをくみ上げてチョット色を加えるだけでジョン(ポール/ジョージ/リンゴ)があなただけのモノに!」
誰のフィギュアが一番売れたんだろう?
リンゴか?
今と何ら変わらないんだろうけど、フィギュアのネタが人間っていうだけまだ時代が正常だったんじゃないかね?
そういえば昔、ドラムスのプラモデルってあったよね?
子供の頃は一体誰がこんなの買うんだろう?と思っていたけど、当時はドラムスなんてそう簡単に始めることができない高価で珍しいモノだったんろうね。

410もうイッチョ、ビートルズネタ。
イギリスのビートルズのファンクラブ、『The Beatles Offcial Fan Club』の1964年発行の会報。
こういうの「ファンジン」っていうの?
「Freda Kelly(フリーダ・ケリー)」という人が代表を務めたこのファンクラブはイギリス最大の規模を誇り、会員数は国内だけで5万人を優に超えていたという。

560ココでチョット映画ネタ。
この辺もアイテムも見たことがなくてかなり興奮した。
ヴィヴィアン・リーが1951年の『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』の撮影でかぶったカツラ。
ヴィヴィアンは役柄によって変化をつけるために頻繁にカツラを着用したそうだ。
そしてこの作品でブランチ・デュボアを演じる時、スタンリー・ホールという(偶然「スタリー」!)彼女のカツラ製作者に「グラマラスに見えないように!」とキツく指示を出したのだそうだ。
そこでホールはカツラの髪のボリュームを減らし、特に色もつけず、ブランチをみすぼらしく見せ、神経質で疲れ切ったそのキャラクターを作る手伝いをした。

430私はこのテネシー・ウィリアムズの戯曲にチョットした思い入れがありましてね。
大学の米文学の授業でこの作品をやったからなんだと思う。
といってもほとんど覚えていないけどね…ただひとつ、ブランチが妹のステラに向かって「あなたの名前はラテン語で『星』という意味だけど、私のブランチという名前は『蛾』という意味なのよ!」というセリフを吐くシーンがとても印象的だった。
イヤ、おそらく教授がココをドラマチックに説明したのだろう。
そもそも授業なんて聞いていないんだから。よっぽど受講者の耳目を惹いた説明だったに違いない。
下はV&Aとは関係がないんだけど、この映画の公開当時の宣伝ポスターを調べてみた。
いいね~、このコピー。
調べてヨカッタ。
こうある…「淫蕩の血と知性の相克!赤裸々な描破に依ってえぐり出された女性本能の姿!」
日活かッ?
ナンにも知らない人がこの惹句を耳にしたら間違いなくそっち方面の映画を想像することだろう。
「描破(びょうは)」なんて言葉は初めて見たよ。

12scndまぁ、とにかく映画はスゴかったね。
映画を見るといつでもニューオリンズの蒸し暑さを思い出すわ…行ったことないけど。
マーロン・ブランド扮するスタンリーと財産を巡って、精神を病んだお姉さんのブランチと妹のステラの確執が繰り広げられる。
監督はエリア・カザン。
カザンは舞台の演出をしてこの戯曲を大ヒットさせた。
舞台でもマーロン・ブランドがスタンリーを演じ、ブランチ・デュボア役はジェシカ・タンディが演じた。
観たかったな。
そして映画でブランチを演じたヴィヴィアン・リーは1952年、見事2度目のアカデミー主演女優賞をゲット。
もちろん最初のオスカーは1939年の『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で、イギリス人女優初の快挙だった。
アメリカの男性たちは映画の中のスカーレットを見て「イギリスにはこんな美人がいるのか!」とビックリ仰天したという。
ところが、ヴィヴィアンはこの2度目のオスカーの授賞式を欠席した。
主演女優賞受賞者がアカデミー賞のセレモニーを欠席するなんて滅多にないことだ。
ヴィヴィアンは何をしていたのかというと、ブロードウェイでクレオパトラを演じていた。当時のご主人であったローレンス・オリヴィエと一緒にニューヨークにいたのだ。
彼女は楽屋で聞いていたラジオで受賞したことを知ったという。
下がその時のオスカー像。
スゲ~!
でもナンでココにあるの?
また、かわいそうなスタンリーの友人、ミッチに扮したデカ鼻のカール・マルデンは助演男優賞。
そして、ステラを演じたキム・ハンターも助演女優賞を獲得した。
ちなみにキム・ハンターはオリジナルの『猿の惑星』でチンパンジーのジーラを演じた人。
チャールトン・ヘストン演じるテイラー船長のキスを受けて恥じらうジーラはマシラながらとてもチャーミングだった。
日本での文学座の舞台では、そのヴィヴィアン・リーが扮したブランチの役を杉村春子が演じ当たり役となった。
私はお芝居にはほとんど興味がないが、杉村春子のブランチだけは観ておけばヨカッタとこういう機会に思い出しては臍を噛む思いをしている。
570vもうちょっと書かせてね。
それはエリア・カザンのこと。
カザンは共産主義者の疑いをかけられ、1950年代にレッドパージ(赤狩り)がハリウッドを襲った時、司法取引をしてダシール・ハメットとその奥さんのリリアン・ヘルマンを当局に売り渡してしまった。
ダシール・ハメットはサム・スペードの『マルタの鷹』を書いたハード・ボイルド作家。「血の収穫」は黒澤明の『用心棒』の下案として知られている。
一方、リリアン・ヘルマンは戯曲作家で、オペレッタ『キャンディード』を書いた人。
それに音楽をつけたのがレナード・バーンスタイン。
バーンスタインも共産主義者として知られている。
このあたりは【Shige Blog】レナード・バーンスタインの/とアメリカをご覧くだされ。
残念ながらこのオペレッタ/ミュージカルはヒットせず短命に終わった。
しかし、バーンスタインは何かのビデオで「舞台はダメだったが、音楽は残った」と言っていた。
そう、素晴らしいんですわ。
『ウエストサイド物語』に比肩するほどの名曲ぞろい。
コレは私の最近の超愛聴盤の『Candide』のオリジナルキャスト・レコーディング。
Candide
さて、エリア・カザン。
その後どうなったかというと、仲間を売ったことを非難され、業界で冷遇されてしまう。
しかし、1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」が授けられた。
私はこの授賞式の様子をテレビで見ていたが、プレゼンターはスコセッシとデ・ニーロで、その授与を賞賛する人たちがいる一方、一部からは徹底したブーイングが浴びせられていた。
カメラは客席のニック・ノルティを捉えたが、深く腕を組み、ものすごいしかめっ面をしていた。
「裏切りは絶対に許せない」ということだ。
スピルバーグやジム・キャリーらは拍手はしたものの起立はしなかった。
こういう時、向こうではスタンディング・オベーションが当たり前だからね。
反対に起立をしてカザンに拍手を送ったのはウォーレン・ビーティ(ロシア革命を題材にした『レッズ』なんて映画を撮ったぐらいだからね)やヘレン・ハントやメリル・ストリープらだったらしい。
リチャード・ドレイファスなんかは事前に反対の声明まで出していたそうだ。
 
今、駅のコンコースで500円(税別)ぐらいでDVDが買えるから観たことがない人は一度ぐらい観ておいても損はないよ。
消費税が10%なる前に急げ!

Scnd 『The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世の6人の妻たち)』というテレビドラマガあったとか。
コレはBBCの歴史に残る名作で、70年代のテレビ番組を代表するような出色の出来だったらしい。
み、観たい!…八っつぁんファンの私としては!
でもダメだ!DVDは出ているけど字幕版がない。こんな文芸作品を字幕なし観るなんてことはできんからな。

8_h8dそのドラマでヘンリー八世を演じたのはキース・ミッチェルというオーストラリア出身の俳優で、コレが当たり役となり1972年にテレビ番組の栄誉、アメリカのエミー賞を獲得し、その後も舞台でヘンリー八世を演じ好評を博した。
コレがその時のエミー賞のトロフィ。

580v1955年頃描かれたヘンリー五世を演じるリチャード・バートンの肖像画。
恥ずかしながらリチャード・バートンがイギリス人だとは知らなんだ…というか、気にしたこともなかった。
ウェールズの炭鉱夫であったジェンキンズ家に13人兄弟の12番目として生まれ、教師が養子にとり「バートン」と改姓した。
オックスフォード大学にも行かせてもらい俳優としてその才能を開花。
イギリスとアメリカの両方で大活躍した。
戦争映画や史劇、コメディやミュージカル等、様々なタイプの作品に出演し、7回アカデミー賞にノミネートされたが、生涯獲得することはできなかった。
マンガと怪獣ばかりの現在のハリウッド映画にあって、今のアカデミー賞なんて重みも威厳も意味もナニも感じられないけど、映画が最高の娯楽だったこの時代は大変だったからね。
グラミー賞もレコード大賞も同様。
演る方も観るほうもベテラン層と若者層の間が分断されちゃって、エンタテインメントの統一が図れなくなってしまい、こうした「賞」モノに意味がなくなって来たように思う。
年寄りはより凝り固まり(私です)、若者はより低きに流れて行ってることは否定できまい。

440vリチャード・バートンもヘンリー八世を演ってるんだよ。
『1000日のアン(Ann of the Thousand Days)』という映画。
「アン」とはもちろんヘンリー八世の2番目のお妃、アン・ブーリンのこと。
この役を演じたジュヌビエーヴ・ビジョルドがすごく可愛くて、気が強くて、いかにもアン・ブーリンっぽくてとてもヨカッタ(実際にアンに会ったことはありません。首を落とされた場所には行きました)。
バートンのヘンリー八世は大変クールでした。

Ann下はコヴェント・ガーデンに今でもある「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドルゥリー・レーン)」の座席の価格表掲示板。
コレはナゼか6年前にも展示してあって、今でもこうして残っている。
なので、以前書いた文章を転用させて頂く。
---------------------------------------------------------------

スゴイ。
真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ?
コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。
同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。

この補助通貨のシステムが異常に複雑で1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスと、20進法と12進法が組み合わさっていた。
さらによく映画なんかでも見かけるが、「ギニー」というのがあって、1ギニーが21シリングと同価値だったという。
このギニーというのは長い間価値が定まらず、18世紀の初めに1ギニーが21ポンドと決められたが、この辺りを主導したのはあのニュートンだったそうだ。
このポンドとギニーの1シリングの差はチップ込みか否かという表れだったらしい。

こんなんでどうやって買い物してたんだろうね?
今ではポンドとペンス(1の時はペニー。ペンスはペニーの複数形)しかないし、計算も100ペンスが1ポンドとごくごく簡単だが、1971年まではこのシリングを使ったシステムが通用していた。
Roxy Musicの「Three and Nine」という曲はこの複雑なシステムを題材にしていることは以前にも書いた。
この曲が収録されている『Country Life』は1974年の発表なので、そのチョット前まで、Bryan Ferryたちはこのシステムの中で生活していたことになる。
---------------------------------------------------------------
そゆこと。
ちなみに我々にはなじみのない単位として、イギリス人は体重を表す時、「Stone(ストーン)」という単位を使う。
基本的にはメトリックの国ゆえ、重量は「t,g」を使うのに体重の単位だけは譲れないらしい。
先月、一緒になったイギリス人ドラマーに体重を尋ねると、ストーンでしか答えることができないのを発見して驚いた。
「じゃ、ポンドでいうとどうなの?」と質問を重ねたところ、「もっとわかんない」って。
1ストーンは6.35kg。

550vイヤだな~、自慢ばっかりになっちゃって!…そうじゃない。
「自慢」では決してなくて体験談だから。
そういえば、私が前の会社を辞める時に挨拶をすると「あ~あ、コレでシゲさんの自慢話も聞けなくなるのか~、寂しいな~」って言った若いギタリストがいたっけナァ。
私よりクチの悪いヤツだった。
でも、ナンだっていいけど、寂しがってくれてうれしかったよ。
彼、今ナニをやってるんだろうな…寂しいな~。
 
私の体験談とは、このドゥルリー・レーンで『My Fair Lady』を観たこと。
コレがその時のプログラム。「Programme」っていうイギリス式スペリングがいいでしょ?

8_0r4a0192例によってハーフプライス・チケットだったので席は一番後ろ。
ココすごくデカくてね、甲子園で言ったらアルプススタンドの一番上。
もうイライザ・ドゥーリトルもヒギンズ教授も顔はまったく判別できない距離。
それでも実際の舞台のすぐ横で観た『My Fair Lady』は格別だった。
下はプログラムの表2。
今は観光客で一日中賑わっているコヴェント・ガーデンもちょっと前まではこうした本当の市場だった。
その様子はヒッチコックの『フレンジー』でも窺い知ることができる…ラヴリッ!

8_0r4a0195ね、「THEATRE ROYAL DRURY LANE」って入ってる。
ゴメン、結局コレ、自慢だったわ!
8_0r4a0197『Theatre and Performance』の展示とだけあって…

500実際に舞台で使われていた衣装がタップリと飾ってある。

510強引な部分もあるけど、ナンカ今回は色々とつながってオモシロいナァ。
この顔色の悪い黒装束のオバサンは『オズの魔法使い』の「西の魔女」か?または、ミュージカル『Wicked』か?…同じキャラクターだけど。
『オズの魔法使い』といえば「Good bye Yellow Brick Road」じゃんね。
「黄色いレンガ」の道をたどって「オズの魔法使い」に会いに行く。
その「オズの魔法使い」の裏話が『Wicked』
邪悪な(wicked)西の魔女エルファバと善良な南の魔女グリンダとの知られざる友情物語。
ミュージカルは観たことがないんだけど、オリジナル・キャスト・レコーディングのCDは持ってる。コレがなかなかいい。
ハイ、脱線。

520脱線しない地下鉄でやって来たのは「London Victoria Station(ロンドン・ヴィクトリア駅)」。
ロンドンのターミナル駅のひとつ。

8_img_0206電車に乗ってテムズ川を渡ると2、3分で左側にコレが見えて来る。
あ、こういう風には見えないよ。
こんな感じ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所
今、この辺りは再開発が進んでいて、ショッピング・センターを中心とした巨大な複合施設を作っているんだけど、ロンドンのひとつのアイコンとして、この4本の煙突は残しているらしい。
といっても、こんな重量物をそのままにしておくのは無駄なので、なんと、プラスティック製の煙突を乗っけるそうだ。
ああ、ホンモノをジックリ見ておいてヨカッタ!…コレは自慢。

Am そして、エルトン・ジョンつながりをもうひとつ。
ヴィクトリア駅の真ん前の「Victoria Palace Theatre(ヴィクトリア・パレス劇場)」でやっていたのがエルトン・ジョンが音楽を担当したミュージカル「Billy Elliot」。
コレは後でもう一回チラっと触れる。

8_img_0211その劇場を背にこんなモノが立っている。
これは「Little Ben(リトル・ベン)」と呼ばれていて、フランスの「Elf」という石油会社からイギリスとフランスの友好の証として寄贈された。
ロンドンを歩いていると街中でよく時計を見かける。
昔は腕時計なんかなかったので、公共の場所に時計を設置して時間を知らせていたんだね。
さすが「世界標準時」の国だけのことはある。
このビッグ・ベンのミニチュアはアチコチを移転したが、現在は元あったこの場所に戻ってきた。
で、この時計、実際のロンドンの時刻より1時間進んでいて、フランスと同じ時刻を示している。

8_img_0215プラークを見ると「リトル・ベンのサマータイムのお詫び」としてあって、その下に「Couplet(カップレット=対句)」が刻まれている。
リトル・ベンが何を謝っているのかと言うと…
「私の手(時計の針のこと)は進んでいたり、遅れていたりするかも知れません」
「私の心拍はイギリスとフランスの真実を示しています」
わからん…リトル・ベンはナニを言ってるのか?
調べてみた。
むかしむかし、イギリスは「サマータイム」という制度を知らなかった。
その後、サマータイム制を導入した。
リトル・ベンが刻む時間はフランスに合わせているため、夏季のみリトル・ベンが正しい時間を示すことになった。
秋になってサマータイムが終わると、リトル・ベンが示す時刻はまた1時間進んでしまうことになる。
でも、「それらの異なっている時間はイギリスにおいてもフランスにおいても真実なのです」として友好関係を表しているらしい。
ん~、よくわからんな…というのは、フランスもサマータイムをやってるんですけど。
でも、EU全体でこのサマータイムを廃止するかも知れないんだよね。
日本はどうなったんだろう?
経済効果がなく、国民の健康にも害を及ぼすと言われているこの制度…ま、日本の優秀な政府のことだから、みんなが止めた頃始めるんじゃないの?
サマータイムを導入してカジノでタップリ楽しもう!ってか?
おおっとっととっと…コレ以上は書かねーゼ。

8_img_0213そして、ヴィクトリア・パレス劇場の隣にある「Apollo Victoria(アポロ・ヴィクトリア)」と言う劇場で『Wicked』が上演されていた。
2014年に8年のロングランを経て終演した。
コレだけの話。
イヤ、この写真を撮ったの大分前なんだけど、こんな大きな駅前の真ん前に劇場がふたつもあるなんてビックリしたんだよね。
ソレだけの話。

8_img_0218色とりどりの舞台衣装の他…530こうした小道具の展示も充実している。

540芝居やミュージカルの衣装だけじゃないよ。
ロック・スターの衣装。
コレも結構入れ替わっていた。
 
まずはコレ…。
『ボヘラ』の次は『ロケットマン』ってか?
またぞろ「にわかエルトン・ジョン・ファン」が急増するんだろうな。
ま、映画ぐらいはいんだけどサ。
亡くなった時に爆発的にファンが増えるのはどうなのよ?
プリンスのことはサッパリわからなかったし、興味がなかったけど、どデヴィッド・ボウイのアレはないんじゃないの?
「あ~、デヴィッド・ボウイが逝ってしまって、もうショックで、ショックで…」
「エ~、アンタ今までボウイの『ボ』の字すら口にしたことなかったじゃんよ!」
「イヤ、『ジギー・スターダスト』好きだったんだよ。あの『グロリア』って曲が特に…」
「ダメだ、コリャ…」ってなところだろう。
ナゼ私がコレを言うかというと、イギリスに行くと感じるんだけど、デヴィッド・ボウイってイギリスの文化そのものなんだよね。
要するに世の中に与えた影響がオッソロシク大きかった。
Pink Floydなんかにしてもそうなんだけど、日本ではどうしてもKing CrimsonやYesやELPと同一線上でしか現れないけど、イギリスでは全く違う。
今、多分、一般人の口からPink Floydの名前は出てもKing Crimsonの名前がでることはまずないと思う。
要するにボウイにしてもフロイドにしても、「音楽」が作ったひとつの「文化」なんだね。
だから何も知らないにわかファンが、あたかも自分の青春を捧げたかのように上っ面だけ死を悼むのを見ているのが恥ずかしいんだな。
エルトン・ジョンは<前編>で登場した通りだ元気だけど、もしもの時に、『Goodbbye Yellow Brick Road』を引き合いに出すとすれば、「Staturday」や「Bennie」のことをどうこう言う人は怪しいな。
それより「Sweet Painted Lady」や「Harmony」や「Roy Rogers」のことに触れて欲しい。
ちなみに私は「Skyline Pigeon」が大好きです。
ということで、エルトン・ジョン。
 
1974~1975年のアメリカ・ツアーの時の衣装。
この時期のレジはというと、1974年に『Caribou』、75年に『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』と『Rock of the Westies』をリリースしている。
最後のいい時…レジもコレに続く1978年の『Blue Moves』までだな。
この後も『The Lion King』や『Billy Elliot』なんて世間的にいい仕事はしているものの、70年代初めのクリエイティビティに比べたら何をかいわんやでしょう。
『The Lion King』は「心配ないさ~」しか知らないけど、『Billy Elliot』はCDを買って来てみたけど
全くピンと来なかった。若い頃は10分ぐらいで作曲をしていたらしいね。
その才能たるやすさまじかったらしい。
夜中にバーニーが詩を書いてピアノの上に置いておく。
翌朝レジがそれを見ながらコードをつけて「♪フフフン」と歌って1曲仕上げる。
以上…その間10分。
10分以上取り組んでも良いメロディが出ない時は容赦なくその歌詞をボツにしたらしい。
こうして歌詞にメロディを付けるもんだからレジの曲はやたらと歌うのがムズカシイ。
コーラスによって歌詞の譜割りがマチマチなのだ。

400vこの「Bicycle John(バイシクル・ジョン)」と呼ばれる衣装はその名の通り、自転車をモチーフにしたデザインで、ベル、ハンドル、泥除け、反射板などの要素が詰め込まれている。
背中の「27」はこのツアーを行った時の年齢だろう。
調べてみるとレジは1947年。コレに27を足すとこのアメリカ・ツアーをやった年の「1974」になる。
しかし「歴史に『if』はない」とよく言うけど、ロックの歴史へは「if」の持ち込みOKとしよう。
エルトン・ジョンの髪の毛がフサフサだったらこの稀代の天才作曲家にしてスーパースターはこの世に存在していたか…。
『ロケットマン』、老人割引の日に観に行ってみようかな?

450v皆さん大好きのLed Zeppelin。
1975年のジミー・ペイジのステージ衣装。

460vモチーフは古代のヘブライとエジプト。
難解な宗教と神秘主義という個人的な趣向が反映されていたのだそうだ。
世界的な人を得、パフォーマンスが過激になるにつれてステージ・衣装もドンドン派手になっていった。
コレ、ジミー・ペイジのデザインで、ご本人から寄贈されたそうです。
歩いて持って来たのかな?
ジミー・ペイジの家ってココから近いからね。
『【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く』
で紹介した家ね、先日ロンドンに住む音楽業界のイギリス人の友達に聞いたら、まだココに住んでるんだって。

470vね~、またアダム・アント!
スゴイ人気だったことが窺えるでしょ?

480v1981年、この衣装を着て撮影されたのがこの「Prince Charming」という曲。
展示の解説によると、この曲がもっともよく知られているナンバーだとか。
全く知りませんし、理解もできませ~ん!

2008年のアルバム『Viva la Vida』のイメージに合わせて作ったColdplayのクリス・マーティンの衣装。
デザインはポールとリンダ(またリンダ!)の間の次女、ステラ・マッカートニー(また「ステラ」!)とサラ・ジョウェットという人。

490vウ~ム、コレがその『Viva la Vida』か…いいジャケットだな。
絵はドラクロワの「Liberty Leading the People(民衆を導く自由の女神)」。1830年。
衣装はこのフランス革命のフランス軍の軍服をモチーフにしているのだそうだ。
しかし、こういう絵に出て来るヒロインっぽい人たちってなんで乳だしてんだろうな?
「なりふり構わず!」ということなのだろうか?
ジャケに惹かれて音を聴いてみる…なかなかいいモンだね、2回は聴かないけど。
コチラさんはものスゴイ人気なんでしょ?
やっぱり日本のそういう人気のバンドさんとは全然趣きが違いますな~。大人だわ。
2番目に収録されている「Cemestries of London」という曲に「朝日のあたる家」のメロディの一部が出て来てドキっとしたわ。

8_vlv以上!
こんなに書くつもりはなかったんだけど脱線が脱線を読んでこういうことになってしまいました。

590最後までお付き合いくださってありがとうございます。
また何年後か、展示が入れ替わった頃を見計らって訪れてみたいと思う。
V&A大好き!
近くにあれば年会員になってもいいぐらいなんだけど…もっと近ければな~。
ということで、ココから先はオマケ。
V&Aの近場をご紹介。

600V&Aの近くにはヴィクトリア女王がロンドン万博で得た利益を元に造った世界的に有名な博物館が散在しているけど、それを通り抜けてハイド・パーク方面へ歩くと、辺り一面レンガづくりの建物のエリアとなる。
ココも見事だよ。

610こんなモノを発見。
イギリスの大指揮者、マルコム・サージェントが住んでいたフラット。
サージェントはロンドン・フィルの客演指揮者をよく務めたり、ロイヤル・リヴァプール・フィルやBBC交響楽団、BBCプロムスの常任指揮者を務めた。
そのリヴァプールの関係か、サージェントはアビィ・ロードでレコーディングしていたビートルズを表敬訪問したことがあったそうだ。
元々、アビイ・ロード・スタジオはクラシック音楽のための録音スタジオなワケで、当時はクラシックの有名な音楽家がたくさん出入りしていて、ビートルズの面々もジョージ・マーティンを介してそうした音楽家の薫陶を受け、音楽性を高めた…と見る人もいるようだ。

8_img_9519 で、見えて来るのが…

8_img_9513コレ。

8_img_9515ロイヤル・アルバート・ホール。
1回も入ったことがなくってね~。
Zappa Plays Zappaが出るっていうんで、大決心をしてMarahalllの知り合いにチケットを頼んだことがあった。
売り切れで見事撃沈!
いつもこうして外から眺めているだけ。
観たいモノがあればチケットを買ってもいいんだけど、好みのモノをやっていた試しがない。

8_img_9526 入り口の横に催し物の予定表があった。
ハハハ、ちょうどアルバート公の記念碑が反射して写ってら。
どれどれ、見てみようか…どうせ観たいのなんてやってるワケない。

630v17日…イギリスを離れる日にブライアン・フェリーか…。
高校の時に中野サンプラザで観たし、Roxy Musicの初来日公演も武道館で観たからいいや。
オイ、ちょっと待て!
その次の日から3日間、King Crimsonじゃねーかよ!
18日はもう日本にいるわ~!
ね、こうして絶対にいいのが当たらないのよ。
King Crimsonも浅草の国際劇場で初来日公演を観たけど…あ~あ、ナント言ってもハイド・パークの隣で観てみたかったな~。

640v

200_2 
(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)

2019年9月17日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.40 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

  

今回の旅では何度もサウス・ケンジントンに行ったナァ~、と思ったけど2日続けて2回行っただけだったわ。
Shige Blogで細かくやったし、今日のMarshall Blogもそうだから何回も行ったような錯覚をしているんだな。

06博物館エリアに向かうサウス・ケンジントン駅のコンコース。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの旧作のリバイバルの告知ポスター。
デザインは好き。

Img_9403コレもアンドリュー・ロイド・ウェバー。
残念ながら、何度音源を聴いても両方ともピンと来ない。
『Cats』とか『Sunset Boulevard』はあんなにいいのにナァ。
『Evita』も『Phantom』も『Jesus』だっていい。
しかし、この2つはどうも馴染めないんだよナァ。

Img_9406 そこへ行くとコレだよ、コレ。
チケットはもう9月まで売り切れだっていうんだけど、何とか観て来たんだ!
メチャクチャおもしろかった。
こういう類のモノでは人生で一番オモシロかったかも。
Marshallとはさすがに何の関係もないので、詳しくは後日Shige Blogでレポートする…イヤ、させてください!
10本立てぐらいになるかナァ…それはサスガにオーバーだけど、それぐらいジックリ鑑賞してきた。
で、日本に帰ってきてすぐに『オレンジ』をまた観てしまった!

07vまたV&A…ヴィクトリア&アルバート博物館。
V&AについてはShige Blogに書いておいたのでコチラでは詳しくやらない。
Marshall Blogでは、キープしてあったロック・ネタを披露する。
あ、ロックとクラシックと映画ネタか。10あと写真ネタ…。
というのは、ココへ来るのは6年ぶりになるのかな?
知らない間にこんなのが出来ていた。

20「Photography Centre」という写真関連アイテムの展示コーナー。
入り口にはゾロリと写真機が展示してある。

30v レアなヤツなのかな?
毎日のように写真を撮っているけど、私はカメラ自体には見事に何の興味もない。
カメラの知識がないために「アレが欲しい」とか「グレードアップしたい」とかいう欲望も湧いてこない。
使い慣れたデジタル一眼レフがあれば、もうそれだけで十分。

30でも写真には興味津々。
早速中に入る。

35ホ~ラあった。
大好きなセシル・ビートンの「memento mori」という作品。
「メメント・モリ」というのは犬神サアカス團の曲にもあるけど、「自分が必ず死ぬことを忘れないように!」、「死を忘れちゃダメよ!」という意味のラテン語の警句。
忘れなくなるね~、この年になってくると…というか、結構何ごとも「あと何年ぐらいか…」と意識するようになって来た。
人生でどうしてもやらなくてはならない大業がまだナニも進んでいないからね。
また、そういう時に思うのは「とにかく生きている間に少しでもいい音楽やオモシロい本を読んでおかなきゃ!」というチョットした焦りだ。
特にプライベートで聴く音楽は、もっともっと勉強したいと思ってる。
私のような欲張りなリスナーは、最後はやっぱりクラシックしかなさそうなことがわかってきた。
クラシックにはまだまだ知らないメロディやリズムやハーモニーがいくらでも詰まってるからね。
今、近代クラシック音楽と民族音楽が聴いていて一番オモシロい。
とにかく新鮮なのだ。
でもジッ~と集中して聴いていないと耳に入って来ない。
コレがツライ。疲れる。
そういう時には昔のロックを聴く。1975年までのロックね。
「やっぱり、いいな~」と感動するんだけどすぐ飽きる。
そしてジャズを経由してまたクラシックに戻る。
ナンカこれで最後まで行きそうだ。
そしてやっぱり死ぬまで聴き続けるのはビートルズとザッパか。キンクスもかな?
 
ちなみにクラシックって、そうやってチャンと聴いていないとヘビメタよりノイジーなんですよ。
ジャズやロックはそんなことない。
でも聴かないクラシックはベラボウにうるさい。
生来、クラシックを聴く素養が自分にないからか?

40この展示室の名前を見てビックリ!
「サー・エルトン・ジョン&デヴィッド・ファー二ッシュ・ギャラリー」という。
エルトン・ジョンとはあのエルトン・ジョン…レジナルド・ケネス・ドワイトね。
もうちょっと言うと「Elton John」ってのは、Soft MachineのElton DeanとSteampacketのLong John Baldryから取って付けた名前 。
Steampacketはロッド・スチュアート、ブライアン・オーガー、ジュリー・ドリスコルなんかがいたことでも有名だけど、ドラムスがミッキー・ウォーラー(ジェフ・ベックの『Truth』のドラマー)だった。
ミッキーがジム・マーシャルのお弟子さんだということに興味を持っているのは私だけで、もはやイギリスのMarshallにも誰もいるまい。
デヴィッド・ファー二ッシュというのは、どっちが「ネコ」でどっちが「タチ」だかは知らないが、エルトン・ジョンのご主人か奥さん。つまりパートナー。
しかし、「猫ひろし」という芸名を考えた人はスゴイ。

502018年10月にオープンしたそうだ。
道理でしらないワケだ。前回来たのは6年前だからね。
2人はスゴイ寄付をしたみたい。
世界に冠たるV&Aの中に自分の名前を冠したこんな立派な展示室を作るとあらば、生半可な額の寄付では実現できないだろう。

60ところが、コレ2022年にはまた拡張されるんだって。
残しておいたって仕方ないもんね、レジはエライ。
こうして自分の資産を文化のためにつぎ込むというのも一種の「ノブレス・オブリージュ」なんだろうね。
この精神が日本にも根付くといいんだけどね。
この辺りが世界の一等国と極東の五等国の違いだろう。
ヘンテコりんな絵を何億円で買ったり、月へ行こうとしたり…情けない。

70コレを皆さんにお見せしたかった。
大した内容ではないんだけど、存在がスゴい。
「ハイライツ・フロム・ザ・マッカートニー・コレクション」…もちろんこの「マッカートニー」とは、1967年5月15日、カーナビ―・ストリートの「Bag O'Nails」というライブハウスに出ていたジミ・ヘンドリックを観にやって来たポール・マッカートニーとソコで出会ったアメリカ人女性カメラマン、リンダ・イーストマンのこと。
その後、ポールと結婚したリンダはWingsに加入してヘタなコーラスと誰にでもすぐに弾けそうなキーボーズで観客の耳を苦しめた。
ウソウソ!
ゴメンナサイ!実はリンダ好きです。
カメラマンだっていうから、私はリンダってズッとイーストマン=コダックのお嬢さんかと思っていたけど全然関係ないんだってね。
中学生の時、ミュージック・ライフの夏の号にリンダがプールで水着になっている写真が載っててね、今でいう「お巨乳さん」で、ロック好きの男子生徒の間で大変な話題になったんだ~…といっても男子校だったんで男しかいなかったけど。
それが一番のリンダの思い出かな?
 
フーン、リンダってローリングストーン誌の表紙になった写真を撮った最初の女性なのか…1968年、被写体はクラプトンだって。

80こんな感じで展示してあった。
あんまりたくさんではない。

90まずは、八村塁選手。
あの2人、顔が似てるって言われているけど、それよりも声がソックリでしょう。
それは頭蓋骨の形が似ているからなんだよ。
レゾナンスが同じなの。
今回の取材では、以前は見ることの出来なかった八村選手の家の中までお邪魔したのです。
後日、例によって詳細なレポートを掲載するのでお楽しみに!

100ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルも一応撮ってある。

110vいいよな~、ビートルズを撮れちゃうんだから!

130コレはポールのプライベート・ショット。

140コレはYardbirdsの最後の方か…。
でも、リンダの写真って私はいいと思わないんだよな~。
正直、まったく惹かれない。
だって、同じジミやジャニスでもジム・マーシャルの写真と比べてみてよ!
写真のストーリー性がゼンゼン違う。
撮っているのは普通の人間で、ミュージシャンであることが伝わって来ない。
ま、テメエの写真をタナに上げて言っておりますが…。

120v館内にはチラリチラリとロックに絡んだ展示を見かける。

150ただの飾りが多いけどね。

160でもココは違う。
V&Aで一番好きな場所。
「Theatre and Performance」というエンタテインメントのアイテムをフィーチュアしたコーナー。
6年ぶりでガラリと様子が変わっていて期待大!
さっそく入ってみよう!

170入り口に展示されているのはMadnessグッズ。
私は今でも全くの門外漢だけど、カムデンから出て来たMadnessも今年でデビュー40周年だって!
ホンダCityのコマーシャルは印象的ではあった。
スカなんてのがロンドンから出て来るところがオモシロい。
レゲエもそうだね。
いかに人と違ったことが尊重されるのかがわかる思いがする。
展示品はすべてMadnessから寄贈されたモノだそうだ。

180余計なお世話だけど、私の「Madness」はコッチ。
ジャズつながりで…

Nf1937年、映画『踊らん哉(Shall We Dance?)』のフレッド・アステアの衣装。
この映画の挿入歌「誰も奪えぬこの思い(They Can't Take That Away From Me)」はアカデミー主題歌賞を獲得し、後にジャズの大スタンダード曲になった。
アステアはサヴィル・ロウにあった「Anderson & Shepperd」という仕立て屋の熱心なファンでもちろんこの衣装も100%ビスポーク。
ダンスの時に自由に動ける服に仕上がるようにテイラーさんたちの仕事を注意深く監督したという。
そして服が出来上がると、その衣装の縫い目を確認するために、全身が映る鏡の前で実際に踊ってテストをするのが好きだったという。
こういう話は大好きだ。
また、色は黒に見えるが、実際は濃紺なのだそうだ。
それは、モノクロで撮影する時、黒よりも濃紺の方がキレイに撮れるから。

190vこの衣装を身にまとっている実際のシーンがコレ。
ボタンは付け替えているようだ。
Princeのクツ。
この写真だとわかりにくいんだけど、奥の横になっている方の靴底を見て。
Princeの激しいステージ・アクションに耐えられるようにヒールを金具で固定していたんだって。
コレもわかりにくいけど、ジッパーの金具(Zip puller)がPrinceのロゴになっている。

200さて、チョットここでツマらないことを書かせて頂くけどガマンしてチョーダイ。
「懐かしい!」と思う読者は過ぎ去りし若き日々を懐かしんでチョーダイ。
 
中学の時に比較的ナヨっとしたヤツがいて、クラスの不良がソイツのことを「パイソン、パイソン」って呼んでいた。
それにつられてクラスのみんなも自然に「パイソン」と呼んでいたが、なぜソイツが「パイソン」と呼ばれているのかその理由を知る者がいなかった。
私なんかは小学生の時にモデルガンが流行していたので、「パイソン」と聞いた時、すぐにコルト・パイソンを連想した。
それも6インチだ。

Cpナゼ6インチかというと、『ワイルド7』のオヤブンがコルト・パイソンの6インチを愛用していたからだ。
もう夢中になって読んだね、『ワイルド7』は。連載していた少年キングは1回も買ったことなかったけど。
飛葉がコルト・ウッズマンで、世界ってのがモーゼルだった。ルガーとか南部のヤツもいたな。
今、ワイルド7がいたら「あおり運転」なんて一発で撲滅できるだろうにナァ。
ちなみ私は「緑の墓」が好きで、飛葉が「オレは手錠がキライなんだ!」というセリフがとても印象的に残っている。
『秘密探偵JA』もすごく好きだった。

8_obで、そのナヨっとしているようなヤツのアダ名がピストルのような男性的なモノに由来しているワケはないでしょ?
しからばヘビのパイソンか?
まったくヘビっぽくない。
しかし、スゴいガラのデザインだな、パイソンって。
それで、どうしても気になるのである時、そのクラスの不良に「パイソン」の由来を尋ねてみた。

8_11181すると、ソイツは「だって、モンティ・パイソンは『オカマの恐竜』じゃん」と答えた。
理由はそれだけだった。
こっちはあまりにも内容のない理由にビックリしてしまって「あ、そう…。それだけ…?」以外に反応のしようがなかった。
そう、それだけみんな見てたのが「モンティ・パイソン」。
ナニ曜日だったかな?東京12チャンネルで夜10時から放映していた。
あんなにクダらないことをやっているのがイギリスの一流大学を出た人たちで、制作・放送しているのが国営テレビ局だって知ってビックリしたね。
まだ13、14歳の時だからね。
そでがサ、まさかエリック・アイドルの地元を訪ねることができるなんてあの時は夢にも思わなかったりなんかしちゃったりして!(もちろん広川太一郎風に)
まったくAlways look on the bright side of lifeなのです。
 
で、そのモンティ・パイソン、いくつもオモシロいエピソードがあったワケだけど、学校で特に話題になったのは「Sam Peckinpa's Salad Days(サム・ペキンパーのサラダ・デイズ)」というヤツ。
最近、ナニかの折りにMarshall Blogで「サム・ペキンパー」なんて名前を出したことがあったけど、今の若い人はサム・ペキンパーなんて名前を聞いてもピンとこないだろうナァ。
やたらと乱暴な描写が多い、男臭いダイナミックな作風で人気を呼んだアメリカの映画監督。
『ワイルドバンチ』、『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』 、『ゲッタウェイ』、 『ガルシアの首』…どれもヨカッタ。
ロバート・ライアン、アーネスト・ボーグナイン、エドモンド・オブライエン、ベン・ジョンソン、スティーヴ・マックイーン、そしてもちろんウォーレン・オーツ…出ている役者もよくてね~。
今のアメリカ映画、こういう役者さんはどこへ行ってしまったのかしら?
そして、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』はボブ・ディランが音楽を担当したんじゃなかったっけ?
私はとりわけ『わらの犬(Straw Dogs)』という作品が好きだった。
ダスティン・ホフマンが気弱な数学の大学教授かなんかの役で、セクシーな奥さんがスーザン・ジョージ。
研究に没頭するダンナに欲求不満を覚え、奥さんが家の修繕に来ていた荒くれの大工を奥さんが誘惑しちゃう。
するとそれに味を占めた大工たちが奥さんを襲いにくる。
それをダスティン・ホフマン扮する気弱な大学の先生があの手この手で1人でその大工たちを退治するんだな。
その暴力描写がすごくてね、家には武器がないので沸騰させた油をブっかけたりね。
時折使うスロー・モーションがトレードマークでね。
コレは黒澤明が『用心棒』で見せた手法を取り入れたと言われているんじゃなかったかな?
とにかく迫力ある暴力シーンがウリの監督だっ