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イギリス‐ロック名所めぐり Feed

2020年4月22日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.44 ~ 10ccに会いに行く <後編>~ストロベリー・スタジオ物語

ストックポートの駅を出る。
お、早速プラークを発見。

270 ナニナニ…「チャンネル諸島からの避難民」か…知らんな。
調べてみよう。
1940年6月、7月、そして8月、ストックポートは1,200人のチャンネル諸島からの避難民を受け入れました。
1945年5月に島が解放されるまで当地の数々の家庭で子供たちの面倒をみました
 
チェンネル諸島は英国海峡(British Channel:ドーヴァー海峡の西)に浮かぶ島々で、限りなくフランスに近いがイギリスが管理をしているエリア。
しかし、イギリス(United Kingdom)には含まれず、「王室属領(Crown Depedencies)」
呼ばれるイギリス国王の領土。
自治権を持っているが、外交と防衛はイギリスが面倒を見ているのだそう。
前回触れたマン島もこういうこと。
そのチャネル諸島をドイツ軍が1940年5月に占領。
9万7千の住民のうち、3万1千人が避難した。
そのウチの1,200人がストックポートで保護されたというワケ。
しかし、5年ものあいだ、縁も所縁もないヨソの家の子供を引き取って面倒をみるなんて大変なことだよな~。
コレもチャーチルの「Never give in(負けるもんか)」の号令一家下、国家が一丸となっていたことの証左か?
やっぱりリーダーがしっかりしていて魅力的な人だと国はこうなるんだろうナァ。

275 とりあえず街中を歩き出す。
駅から少し離れて大通りに出るとさっそく立派な建物が!
コレは市庁舎。

280街並みはイギリスの地方でよく見かける雰囲気。

290「ギャリック・シアター」ってのはどこにでもあるな。
この「ギャリック」というのは18世紀のイギリスの俳優、「David Garrick(デヴィッド・ギャリック)」のこと…でしょうね。
この人は、シェイクスピアの悲劇を演じると右に出るモノはいないと言われ、後年はコヴェント・ガーデンに今でもある「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の支配人を務めた。

300カンタベリー派のファンの皆さんには「シアター・ロイヤル・ドゥルーリー・レーン」の名前はロバート・ワイアットのライブ盤でおなじみだろう。

Rw 18世紀、ストックポートにはイギリス本土で最初の絹織物工場のひとつがあった。
19世紀になって主要産業が綿織物やその関連産業に移行し、ストックポートはイギリスの帽子産業の中心となった。
1884年頃には、年間600万個もの帽子を輸出していたという。
昔は帽子は洋服みたいなものだったからね。
時を経て身だしなみが変わり、帽子の需要も激減し、1997年を最後に工場は閉鎖された。
この「Hat Museum」、帰りに見ようと思っていたんだけど忘れちゃった!

310さて、マズウェル・ヒルの時もそうだったんだけど、ストックポートの街中にも地図がゼンゼン見当たらない。
目的地がある通りの名前はわかっているので地図さえあれば何とかなるのだが…。
と、ややイライラ、キョロキョロしながら歩いていると、図書館が目に入った。
そうだ!図書館に行けば何らかの手掛かりがつかめるかもしれない!

320「Stockport Central Library」に入ってみる。

330vクラシックな外観と異なり館内はかなりモダンなつくり。

340お!「はらぺこあおむし(The Very Hungry Caterpilar)」だ。
ウチの下の子が小さい時によく読んでいたので知ってる。

350本の整理をしていたおジイさんに「このあたりの地図はありませんか?」と尋ねると「どこへ行きたいのですか?目的地の住所はわっていますか?」とおっしゃる。
とても紳士的なレスポンス。
住所を伝えると「コチラにいらっしゃい」とパソコンのあるところまで私を呼んで住所をインプットして地図を見せてくれた。
「プリントして差し上げましょう」と言うので、遠慮して携帯で画面を撮影させてもらった。
親切だよ~。
本当にイヤな顔ひとつしないで自分の仕事を中断して対応してくれた。
おジイさんに丁寧にお礼を伝えて図書館を後にした。

360方向はさっき通りかかった市庁舎の方で合ってたんだ!
市庁舎の横の入り口にプラークを発見。

370

「ストックポート市庁舎 
1908年7月7日開業。新レン様式を取り入れたアルフレッド・ブラムウェル・トーマスの設計。TRH プリンス&プリンセス・オブ・ウェールズによって除幕された」
この「TRH」には苦労した。
「RH」は王室メンバーに対する敬称の「Royal Highness」の頭文字であることはすぐに思いつくが「T」がわからなかった。
「HRH」だったら「Her Royal Highness」とか「His Royal Highness」なんだけど。
インターネットで調べてもよくわからない。
そこでハッとして目を付けたのが「Prince and Princess」という複数のウェールズ公。
ひとりずつ省略せずに記せば「His Royal Highness」と「Her Royal Highness」になるハズ。
そうか…複数形になってるんだ!ということに気が付き、「TRH」は「Their Royal Highness」の頭文字ということで納得した。
イギリスに確認したところ…大正解!

380「レン」とは「Christopher Wren(クリストファー・レン)」という17世紀のイギリスの建築家。セントポール大聖堂を設計した人。
道理で荘厳なデザインなワケだ。

11_img_0198 セント・ポールはコレね。
メリー・ポピンズのヤツ。
コレの流れを汲んでいるというワケ。

122img_4947さて、図書館のおジイさんに検索してもらった地図を参照にWaterloo通り(ウォータールー)を進む。
しっかしキレイなところだな~。天気もいいし。

390そして、いよいよ見えて来たのが今回のマンチェスターへの旅の最初の目的地。
405写真の左側の建物が… 400「Strawberry Studio(ストロベリー・スタジオ)」だ!
<前編>でさんざっぱら騒いでいたヤツね。

420コレがあの「ストベリー・スタジオ」か~。
ココで10ccのアルバムが作られていたんだゼ!
夢に出て来たことはないけど、うれしいな~。
425お、プラークが取り付けられているぞ。

430ストロベリー・レコーディング・スタジオ
1967から1993年
10ccのホーム。ジョイ・ディヴィジョン、ポール・マッカートニー、マーティン・ハネット、ニール・セダカ、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、そしてザ・シド・ローレンス・オーケストラ他、たくさんのアーティストが忘難い音楽を作るためにこのスタジオを使用した

440 ココからストロベリー・スタジオと10ccの物語…。
ストロベリー・スタジオは最初からこの場所にあったワケではなく、1967年にストックポートの街の中心にあった「ニールド&ハーディ」というレコード店の上の「インナー・シティ・スタジオ」が母体となっている。
Billy J. Kramer with the Dakotas(ビリー・J・クレイマーとザ・ダコタズ)のマネージャーを務めたりしていたPeter Tattersall(ピーター・タッターソール)がそのスタジオと機材(2台のテープマシーンと数本のマイク)を買い入れることを決心。
約500ポンドを支払い、その後の数か月間、朝7時から午後2時まで地元のパン屋で働き、スタジオ建設のための資金を貯めた。
 
ちなみに…このビリー・J・クレイマーという人はリヴァプール出身の歌手で、その芸名はジョン・レノンからが与えられた。
「Do You Want to Know the Secret?」、「I Call You Name」、「Bad to me」等のビートルズ・ナンバー、あるいはレノン=マッカートニー・ナンバー他を歌って人気歌手となった。(もちろんアビィ・ロード・スタジオ録音)
イギリスから遠いところに住んでいる我々は、ビートルズというとやれ『Help!』だ、やれ『Let it Be』だと、ビートルズ本体のことしか頭にないし、それが当たり前のことだとは思うんだけど、その当時の周囲の状況を知れば知るほど、イギリスにおけるビートルズの影響というモノが巨大であったことに感心する。
「ダコタズ」だなんてね~。
ジョンが入り口で射殺されたセントラル・パーク・ウエストの自宅マンションの名前は「ダコタ・アパート」という。

Bjkロマン・ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』を撮影したのもダコタ・アパート。
「エイドリアン・マルカトー」とか「ローマン・キャスタベット」とかね…スキで良く観た。

Rmb1967年当時、ロンドン以外にはプロユースの本格的なスタジオが存在せず、そのインナー・シティ・スタジオはマインドベンダーズ(Waynne Fontana & The Mindbenders)やハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)といった地元マンチェスターのアーティストのPR素材やデモ音源を作ることを生業としていた。
一方、サイド・ビジネスとしてスタジオの仕事にかかわることを希望していたMindbendersのメンバーだったエリック・スチュアートは、この頃からこのスタジオに関わるようになった。
タッターソールはエリックをビジネス・パートナーとすることにし、エリックは機材のレベルを上げるために800ポンド(当時の為替レートで80万円ぐらい)を投資した。
エリックが合流すると、好きなビートルズの「Strawberry Fields Forever」にちなんで「Strawberry Recording Studios」と名前を変えた。
宣伝惹句はキャッチーに「Strawberry Studios Forever」だったらしい。
その後、「この建物は隣の古いビルが火事になったら逃げられないのではないか?」…ということに気づき、ビビッて引っ越しをすることにした。
そして、Waterloo通りに良い物件を見つけ、自分たちで内装工事に当たった。
それがコレというワケ。

11_0r4a0006 ストロベリー・スタジオは地の利を生かして愛用者を増やしていった。
マンチェスターといのは音楽が盛んな街ですからね。
何せ遠くて使用料も高いロンドンのスタジオまで行く必要がないんだから、こっちの人にとってはありがたいにキマってる。
マンチェスターからロンドンまでは290km。
今の速い電車2時間半ぐらいかな?
昔はそうとう時間がかかっただろうからね。
後援者も増え、その中には2,000ポンド(200万円近く!)を出資した地元出身のシンガーソングライター、グレアム・グールドマンがいた。
そうした資金援助を背景に機材を増強したストロベリー・スタジオは、地元のアーティストのために本格的にレコーディング業を開始した。
 
ところで、10ccでボーカルズとベースを担当したグレアムは、1969年までニューヨークで「バブルガム・ミュージック」の旗手カセネッツ・カッツ(ジェフ・カッツ)と仕事をしていた。
しかし、ストロベリー・スタジオができたものだから、イギリスに帰って地元で音楽制作の仕事がしたいと申し出た。
その際、ストロベリーにいたエリックとその友人のロルとケヴィンをスタジオ・ミュージシャンとして起用することも願い出た。
グールドマンは<前編>で少し触れた通り「For Your Love」や「Bus Stop」、「No Milk Today」らのヒットでもうその名を馳せていたからね。
下は1968年の最初のソロ・アルバム…コレはストロベリー録音ではなくてロンドンのオリンピック・スタジオでの録音。
関係ないけどグレアムって、昔私がいた会社の社宅の隣の人に似ていてね。ラクダ系のお顔。
すごくお世話になって、その会社を辞めて20年経った今でも年賀状のやり取りをしている。

Gg一方、エリック、ロル、ケヴィンの3人は様々な仮名でレコードをリリースし、人気バンドになれる可能性を秘めていたため、ストロベリーは4トラックのテープマシンを購入。
1970年に3人は「Hotlegs(ホットレッグス)」というバンド名でシングル盤をリリースした。
それが「Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)」。
ロルによると、この曲はただただ新しい機材の調子を試すために演奏したモノで、ケヴィンが延々と叩くドラムスに合わせて歌をギターを思い付き程度に被せただけのシロモノだったらしい。
それが全英第2位の大ヒット!

Nmナント、日本国内盤も出ていたというのだから驚く。
昔のレコード会社はスゴかったね…と思っていたんだけど、そうではなくて何にも知らないでリリースしていたらしい。
だって当時の日本のレコード会社には、ロックのことがわかる人がほとんどいなかったっていうんだから。
契約している海外のレーベルから「コレを国内盤でリリースしなさい。そうしないと契約は打ち切りますよ!」と揺さぶられ、押し付けられたモノを右から左へと出していただけだったらしい。
コレは古くから業界に関わる方から直接お聞きした話だからホントの話だろう。
だから久間正英さんが生前におっしゃった「日本のレコード会社は自分の商品を知らずに商売をしていた。そのツケが今回ってきている」というご指摘は的を得ているようだ。
今の「音楽シーンをオモシロい」と思っている人は「オモシロい音楽シーン」を知らない人だと私は思う。
今の日本の音楽シーンは、ドメスティックで凝り固まり、どこを切っても同じようなモノばかりを取り揃えた結果、聴き手や消費者の「音楽を聴く力」を奪ってしまい、突破口が見出せないでいるような状態に見える。
芸術というモノは作る方のレベルの高さがもちろん大切だが、本当は鑑賞する方の知性の高さが芸術の質の高低を決定させていると思うのだ。
だから芸術を鑑賞する側は、与えられるモノ以外のモノにも興味を示し、「いいモノ」を「いいモノ」として受け取る能力を高めないと芸術は死んでしまう。
決して「売れるモノ」だけが「いいモノ」ではないのよ。

JnmHotlegsは自分たちのアルバムをリリースする傍ら、幅広いアーティストをプロデュースし、時にバックバンドを担当した。
マンチェスター、リーズ・ユナイテッド、エバートン、ベリーのフットボール・クラブのチームの応援歌なども制作。
興味深いのは、ニール・セダカ。
「Happy Birthday Sweet Sixteen」、「Breaking up is Hard to Do」、「Littel Devil」、「The Diary」…いいんだよね~。
今の若い人たちはニール・セダカなんて全く知らないだろうナァ。
「エ、その人、そんなに大きいんですか?」なんてのが関の山だろう(「背高」ね)。
「Sedaka」なんてどこの名前かと思ったら、祖父母がトルコからの移民なんだね。
ゼヒ、若い人に聴いてもらいたいナァ。
こういう類のモノのいいところは下の写真のような安く売ってるベスト盤を1枚買っちゃえばコトが済んじゃうこと。
曲のクォリティに関して言えば、今のそこら辺の曲のCDを100枚合わせてもこの廉価ベスト盤1枚に到底かなわないだろう。
そりゃそうだ、「ポップ・ミュージック」という世界がまだ未開拓の荒野で、ほぼナニもなかった時代の音楽だもんね。
そういえばウチに来る24、25歳の若いNATALのドラマーに聴かせたら一発で気に入ってすぐにCDを買いに行ってたよ。
今の若い子にしたら「変わり者」か?
この子、The Shaggsも教えてあげたんだけど、メッチャクチャ気に入って、ウチで聴いたファースト・アルバムだけじゃなく、自主的にセカンド・アルバムも買ってた。
やっぱり普通じゃないってことか。

11_2sedaka ナンだって取り立ててニール・セダカを出して来るのかと言うと、ストロベリー・スタジオでレコーディングしているからだけではなくて、バックを丸々10ccが演っているから。
当時、世間では存在を忘れ去られつつあったニール・セダカだったが、マネージャーがグレアムと同じ人で、Hotlegsの3人にグレアムを加え、「Doctor Father」名義でバックを務めさせた。
要するにココで10ccの4人が一緒になった。
そして、ストロベリーで1972年に『Solitaire』を、翌年『The Tra-La Days Are Over』と、2枚のアルバムを制作したワケ。
チョット聴いてみるとさすがセダカ…いい曲揃いです。
そして10ccの演奏のウマいこと、ウマいこと!
ホントに器用な人たちだ。

St

Tralaこうしてグレアムが加わり、他のアーティストの音楽制作に打ち込む一方、4人のミュージシャンが自分たちの音楽を作ることを決心。
UKレコードのジョナサン・キングのバックアップの元、1972年にシングル「Donna」を10ccの名でリリース。
それがUKチャートの2位まで上昇するヒットとなった。
そして<前編>で紹介したファースト・アルバムにつながる。
<前編>でバンド名の由来について書いたけど、気になって後で調べてみた。
成人男性の射精量は2~5ccとされているんだって。
だから「10cc」というバンド名を決めたのは、夢の中で「世界で最も偉大なバンドが10cc」とお告げを受けたジョナサン・キングだけど、その「10cc」という言葉自体の意味はそういうことになるのかもしれない…ということにして逃げ道を作っておこう。

Donna1972~1976年に10ccが大成功を収め、ストロベリー・スタジオはメジャーなスタジオとなった。
彼らの4枚のアルバムと8枚のトップ10ヒットシングル(うち2枚はナンバー1)がストックポートで録音されたとあればスタジオの知名度も上がるにキマってる。
スタジオは経済的に余裕ができ、機材も充実して行った。
また、ストロベリー・スタジオは「10ccの本拠地」であるだけでなく、同時に相変わらず外部からのアーティストも受け入れ続けた。
例えば…Bay City Rollersの1975年の「Give a Little Love」というヒット・シングルはストロベリーで録ったそうだ。
アルバムはどうなんだろう…。

Gll…と思って調べてみたら驚いた!
私の世代なら間違いなくおなじみであろうコレらのBay City Rollersのアルバム…

Bcr1_1

Bcr1_2コレってチッピング・ノートンで録ってるんだね~。
興味のある方はコチラ
 ↓  ↓  ↓
【イギリスーロック名所めぐり vol.16】 コッツウォルズにロックの名所なんかあんの?!

440 それからポール・マッカートニーは弟のMile McGearのアルバム制作でストロベリー・スタジオを使った。
Mike McGear(マイク・マックギア)の1974年のその名も『Mcgear』というアルバム。
この方、本名をPeter Michael McCartneyとおっしゃる。
コレ、ジャケットがいいな。
今回初めて聴いたけど…ナカナカいいね。
Roxy Musicの「Sea Breezes」なんかを取り上げている。
バックはWingsなのね。

Mcgear1975年になるとストロベリー・スタジオは隆盛を極め、1976年の『How Dare You!』のレコーディングの時には10cc自身がスタジオを押さえることが出来なくなってしまった。
そこで予てからのアイデアであった、サーリーのドーキングという所に2番目のスタジオ「Strawbweey South」をオープンすることにした。
大当たりですな。
ところが好事魔多し。
「South」での初めての録音の時にはロルとケヴィンはいなくなっていた。
理由は<前編>で触れた通り、自分たちの実験的なプロジェクト『Consequences』に取り組んでいた2人は、エリックとグレアムが次のアルバムのために用意していた「The Things We Do For Love」を耳にして、その旧態依然としたスタイルをがバカバカしく感じてしまったのだそうだ。
ところがこの曲がアメリカ大ヒット。

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Csq<前編>で紹介した10ccの5枚目のアルバム『Deceptive Bends』のジャケットにクレジットされている「(South)」はそのサーリーの2番目のスタジオのこと。

0r4a0185_2しかし、ストロベリー・スタジオの快進撃はまだ続く。
オリジナルのスタジオのビルの向かいに「Strawberry 2」を開業。
古めの機材を持ち込む代わりに料金を安く設定して営業を始めた。
本体にはBerkley James Harvestやロル&ケヴィンなどの常連も通い続け、70年代後半にはマーティン・ハネットがストロベリーと手を組み、Joy Division, Durutti Column, Pauline Murray, The Names, Minny Pops, Stockholm Monsters等の音源を制作し、この関係はマーティンが死ぬ1991年まで続いた。
他にもThe Buzzcocks, New Order, Crispy Ambulance, Blitz, The Wake, James, The Smiths, Simply Red and Saint Winifred’s School Choirなどもストロベリー・スタジオの常連となった。
ゴメンなさい…この辺りになるとサッパリわからないし興味もないのでコメントなし。
でもこのデザインは知ってる。
よく見かけるよね。

Jd しかし!
1986年になると、デジタル・レコーディングや打ち込みの普及、それにともなう宅録ムーブメントがストロベリー・スタジオを襲う。
高い評判を維持していたにも関わらず、ストロベリー・スタジオは店を続けて行くのが困難となり、2年ほど前に「ストロベリー2」を買収していたライバル会社の「Yellow2」というところに本体も売却することになった。
Yellow2の社長、ニック・ターンブルは「『Strawberry』の名前は世界でもトップ・クラスのモノである。我々のエンジニアとプロデューサーを配置し、『Strawberry2』と併せてイギリスのレコーディング・シーンを牽引していくであろう」と豪語した。
ところが皮肉なことに、従来式レコーディング・システムの本体とフル・デジタル・レコーディング装備の「2」という相反する体制は、使用するアーティストに色々な面で「どちらのスタジオを使うべきか?」という難題を投げかけることになってしまった。
アナログ⇒デジタルの過渡期に当たっちゃったんだね。
結局、1988年には体制を本体のスタジオだけに戻し、一時は勢いを取り戻したものの、デジタル化の暴風が吹きすさぶ日進月歩の録音機材の変化について行くことが経済的に出来なくなってしまった。
この頃になると、そうした最新鋭の機材を導入する余裕があるレコード会社が運営するレコーディング・スタジオが存在感が放ち、そうではない一般の小さなスタジオは存続が難しくなっていった。
そうして、1990年代に入るとストロベリー・スタジオのオーナーはレコーディング事業から撤退し、ビデオ事業に専念することを決心する。
結局はそれもうまくいかず、1993年にストロベリー・スタジオは廃業してしまった。
  
ストロベリー・スタジオの昔のパンフレット。
スタジオで常備している機材がズラズラっと載っている。
レコーディング・スタジオってのはいかに「機材が勝負」か、ということを思わせるナァ。

525v以上がストロベリー・スタジオの物語。
感動した?
しないか。
私みたいな古い人間にとっては、デジタル・テクノロジーってのは、こと「音楽」に関して言うと全てをブッ壊してしまった感があるナァ。
便利な部分があることは認めるが、今にして思うと創造性についても、ビジネスについてもいいことはほとんどなかったんじゃないの?
「I'm not in Love」の話なんか素晴らしいじゃない。
アナログの頃は、人力でできないことを何とか達成しようとする知恵と努力と風情があった。
ギター・アンプなんかヒドイもんだよ。
でもね…私の場合、LPからCDになって転勤族の時の引っ越しがラクになったということがあったんよ。
建物の脇には路地があって、その奥に建て増ししたような建屋の入り口がある。
人が頻繁に出入りしていた。

426写真をバンバン撮っていたら、オジさん(と言っても私より若いにキマってる)が近寄ってきた。
「ヤバい!怒られる!」とビビっていたら「何をしているんだい?」と尋ねてくる。
「イヤ、日本から来たんスけど、その…10ccの大ファンでして…もうスゴくうれしくて…」とかやっていたら、
「そう、10ccが好きなの?じゃこっちにおいでよ」と私を中に招き入れてくれた。ウオ~!
もちろん、ココがもうスタジオではなくなっていることは承知していたが、予想外の展開に大興奮!
レセプションに入って「写真を撮っても大丈夫ですか?」と確認すると「もちろん!好きなだけ撮っていきなよ!」と快諾してくれた。

427ココが元々レセプションだったのかしらん?
だとするとココにキャシー・レッドファーンがいたのかしら?
エエイ、違ってたって構わない!

450壁に掛けられたシングル「I'm Not in Love」のヒットを記念したパネル。
スタジオに関するコメントが掲載されている。
レコードの左から時計回りに…
 
「Hotlegsの『Neanderthal Man(ネアンデルタール・マン)』を作ったそもそもの理由はストックポートでスタジオが成り立つかを試すためだったんだ--- ロル・クレーム 1970年」
 
「ストックポートにスタジオがあるということは、我々だけでなく、我々と仲のいい他のミュージシャンを助けることになったんだ。みんなわざわざロンドンまで出かけて行ってロンドン価格のスタジオ代を支払うことにウンザリしていたからね---- 10cc 1978年」
 
「ストックポートの健全な部分…というよりむしろ質素な環境からストロベリー・スタジオ内部の素晴らしい設備を想像することはできない---- インターナショナル・ミュージシャン&レコーディング・ワールド 1976年」
 
「ピーター・タッターソールがワームウッド・スクラブスの北にスタジオを作ると言った時、周囲の人は彼は頭がおかしくなったと思った。ストックポートは北の果てだよ。『一体ダレがそんな所へレコーディングをしに行くんだ?』と彼に訊いた。彼の答えは『我々だよ』だった---- スタジオ・サウンド 1974年」
※ワームウッド・スクラブス(Wormwood Scrubs)はジム・マーシャルの生家があるホワイト・シティのチョット北。全然ロンドンのウチ。
コレを聞くとジム・マーシャルが1962年にアクスブリッジに楽器店を作ったのはかなりの冒険だったことがわかる。
 
「モータウンのスタッフはとてもうまくコトを切り回した。今ならポップソングの幅を広げようとしているストックポートだ---- メロディ・メイカー 1974年」

460v「Mercury」が寄贈した記念のシングル盤。

480ホンモノのシングル盤のA面は「I'm not in Love」でB面は『Original Soundtrack』に収録されていないゴドレー&クレーム・チームの「Good News」という曲だった。
煮え切らない感じの曲だが私はキライではない…でもアルバムに入れなくてヨカッタね。

コレ自体はエリックに贈られている。
プレートには「マーキュリーのシングル盤『I'M NOT IN LOVE』がイギリス国内で25万枚以上販売されたことを認め、10ccのエリック・スチュアートにコレを贈呈する 1975年」とある。

490その下の写真。
左は打ち合わせ中のエリックとタッターソール。
真ん中が創設者のそのピーター・タッターソール。
右は談笑する10ccの4人。ロルとケヴィンもチョット我慢して仲良くやっていればヨカッタのにね~。

11_st1 私がエントランスの写真を撮り終わったのを見計らって、そのオジさんが「じゃ、中を見せてあげるからついて来るといい」と更に中へと誘ってくれる。
こっちはもうそこがスタジオではないことはわかっているし、建物の中に入れたことだけで大満足だったので遠慮していると、「イヤ、大丈夫、大丈夫、おいでおいで!」と熱心に勧めてくれるので「じゃ」とお言葉に甘えることにした。
ドアを開けたところが下の写真。
事務所のフロアが少し低くなっていて、そこにいた人たちから私が丸見え。
そのオジさんが私のことを指しながら、事務所の人たち全員に向かって「この人、日本から来たそうだよ!」と大声で言うと、全員が私を見て「ハ~イ!」と言うワケ。
ダマっているのもナンなので「Sorry to interrupt you!  Hello, I'm from Tokyo and a big fanatic of 10cc.  That's why I'm here.  I 'm really excited!  Finally my dream came true!」とサッと挨拶した。
また「イエ~イ!」と皆さん拍手をしてくれてすぐに仕事に戻られた。
エライ恥ずかしかったわ!
今は、地元の出版社の事務所になっている。
そのオジさんが「かつてはココにスタジオになっていたんだよ」と教えてくれた。
かなり胸がイッパイになった。

510イヤ~、マンゾク、マンゾク。
ヒザの痛みなんかスッカリ忘れちゃった!
記念に自撮り。

520中学生の頃から大好きだった10ccのホームに行って、東京に帰って来て興奮冷めやらぬうちにストロベリー・スタジオのことを調べていたらこんなCDボックスセットを発見した。
『Before, During, After 10cc 』というコンピレーション・セット。

11_0r4a0007「10ccの前と最中とその後」のストロベリー・スタジオの仕事の記録。
1枚目が10ccのベスト・アルバムになっているんだけど、選曲は超ベタという感じ。
他にストロベリー・スタジオ第1号音源である例のHotlegsの「Neanderthal Man」だのニール・セダカの「Solitare」だの、ポールの「Pretty Little Head」が収録されている。
気になったのはPeter Cowapという人。
やたらとこの人の演奏曲が収録されている。
このボックス・セットで初めて名前を知ったんだけど、マンチェスター出身の歌手でグレアムと活動を共にしていたらしい。

11_0r4a0012 帰りにさっきに市庁舎にチョット寄り道してみた。

530やっぱりいいね~、こういう古い建物は。

540ココは棟続きの別館みたいになっているんだけど、十分にステキ。
エントランスの吹き抜けの天井がゴージャス。

550ん?
エントランスに置いてあった白い手袋。
その横には「JUNE」と題して(ココを訪れたのは6月)、美しいカリグラフィで人名と生年月日、没年が記してあるかと思うと、マリー・ジョーンズという人の心理学の優秀な成績を称える一文が載っていたりする。
ココでナニかセレモニーを開いた人たちの記録かな?

560…というのは、看板に「Bespoke Weddings tailored to you」とあるようにココで結婚式ができるようになっている。
「bespoke(ビスポーク)」というのは「オーダーメイド」という意味のイギリス英語。
「お望みの結婚式をあなたに仕立てて差し上げます」って。

11_img_0230 ホラ、こんなに立派で美しいホールがあるのだ!

570コレでストックポートを後にした。
行けるかどうかわからなかったストロベリー・スタジオに行けたことでスッカリ満足して他に何も見てこなかったよ!
あの帽子の博物館も行かなかったし、街中には「The Plaza」という古くて立派な劇場や100年続いている「Robinson's Brewery」というビール工場もあることを後から知った。
失敗した!
もう行かないだろうナァ。
やっぱり旅は下調べが一番重要ですな。
580vということで、ストックポートの駅へ戻って…

600今度はローカル電車で2駅先のマンチェスター・ピカデリーへ!
マンチェスターのレポートはShige Blogに掲載します。

11_img_0236<つづく> 

200_3

(2019年6月14日 イギリスにて撮影)

2020年4月17日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.43 ~ 10ccに会いに行く <前編>

 
大ざっぱに言って人の音楽の聴き方には2つのタイプがあるのではなかろうか。
ひとつは好きなアーティストをトコトン掘り下げて徹底的に聴き続けるタイプ。
もうひとつは、何でもいいからとにかく色んな音楽を聴き漁っちゃうタイプ。
私は完全に後者なんだけど、好きでズ~ット聴いている中心的なアーティストがいないワケではない。
それはフランク・ザッパ。
長いブランクはあったにせよ、中学3年の時にジャケットがオモシロいという理由で『Fillmore East - June 1971』を買ってからだから…カレコレ43年ほどのキャリアになる。
2番目に好きなのは誰だ?
コレがキメにくい。
好きなアーティストが「いつでも帰りたくなるホーム的な存在」という定義だとすれば、ビートルズを除けば10ccということになりそうな気がする。
でも、それもファースト・アルバムから6枚目のライブ・アルバムまでなんだけどね。
 
今回の「名所めぐり」はその10ccにまつわるレポート。
日本に今、果たしてどれぐらいの10ccがいらっしゃるのかわからないが、どうせ自粛期間だし、コレをいい機会に公私混同的に色々と10ccについて調べて、いつも通りウンチクを固めて記事を書いてみることにした。
そしたら止まらなくなっちゃって…2本立ての長編になってしまった!
お好きな方には少しはお楽しみ頂けましょうし、10ccをご存知ない方は旅行気分で目を通して頂き、イギリスが生んだ最高のポップ・ミュージック・チームにご興味を持っていただければ幸いである。
特に若い人になんかが10ccを聴いてくれたらうれしいナァ。
結果、老いも若きも誰も読まないような気もするけど、書いて書いて私の気が済んだからよしとするわい。
一応、おさらい的に少なくとも4人のMancunian(マンキュニアン=マンチェスター出身者)の紹介をしておけば…。
Eric Stewart (エリック・スチュアート:vo、g、key)
Lol Creme (ロル・クレーム:vo、g、key)
Graham Gouldman (グレアム・グールドマン:vo、b、g)
Kevin Godley (ケヴィン・ゴドレー:vo、ds)
…という4人のシンガー/マルチプレイヤー/ソングライターのチームが10ccね。
  
さて、私が10ccの名前を知ったのは、中学校2年の時に秋葉原の石丸電気のレコード館で「10cc」と書かれたレコード展示台(通称「エサ箱」)にはさまっていたプラスチックの仕切り板によってだった。
「10cc?変な名前だな~」
と、石丸電気に行くたびに気になっていた。
中学3年の時に、猛烈にロック好きのお兄さんがいるクラスメイトの増田くんにカセット・テープを渡して、そのお兄さんにカッコいいロックのレコードを録音してもらうようにお願いした。
増田くんのお兄さんは、録音してくれただけでカセット・テープの中に入っている音楽の情報をシェアしてくれなかった。それでもゼンゼンありがたかった。
その中にライブ盤が1枚混ざっていて、聴いてみると、オープニングのMCで「10cc!」と言ってるではないか!
ほほう、コレが10ccか…どんなもんかいな…と大した期待もしないで聴き始めたところ、1曲目の「The Second Sitting for the Last Supper」で腰を抜かした。
「オイ、チョット待てよ!10ccってこんなカッコよかったのかよ!」
アルバムはリリースされたばかりの『Live and Let Live』。
マァ、ビックリしたわな。
あの衝撃はザッパの「Inca Roads」を聴いた時に匹敵してたな。
それでいっぺんに気に入ってしまって、すぐに石丸電気レコード館に通い、それまでリリースされていた10ccのレコードをすぐに買い揃えた。
 
コレが増田くんのお兄さんが録ってくれた、1977年にリリースされた10cc初のライブ・アルバム『Live and Let Live』。
ジャケットはツマらないけど、よく聴いたナァ。
録音はハマースミス・オデオンとマンチェスター・アポロ。 

Lallコレがハマースミス・オデオン。
ハマースミスの駅から歩いて3分。
LOUDNESSもSAXONと一緒に出演した。
イギリス大使館に勤めている女性はちょうどその時ロンドンにいて、その時のLOUDNESSを観たっておっしゃってたな。
今は「Eventim Apollo」という名前になっているが、現在はCOVID019で閉鎖中だ。

650 タイトルの「Live and Let live」はもちろん「ライブ(生)」に引っ掛けているワケだけど、意味としては文字通り「あなたはあなたで生きればいいし、人は人で放っておいてやれ」ということから「他人を大きな包容力で受け入れる」という意味のことわざになる。
ま、簡単に言えば「人は人」ということですな。
『007』の第8作目、1973年の『死ぬのは奴らだ』の原題は『Live and Let Die』。
こちらは「こっちは生きて、向こうは死なせてやれ」という意味。
ポール・マッカートニーの主題歌を使ったタイトル・バックは最高にカッコいい。
曲の中でポールは「♪You used to say 'live and let live'」と歌ってるでしょ?
アルバムのタイトルは、ビートルズ・ファンでポールとの親交が深いエリックのアイデアなのかも知れない。
ちなみに『死ぬのは奴らだ』と『黄金銃を持つ男』でジェイムズ・ボンドを演じたロジャー・ムーアって、我々日本人では想像できないぐらいにイギリスでは人気が高かった大スターだったらしい。

Lald1ミックスダウンはイギリス、ストックポートの『Strawberry Recording Studios (UK) Lyd』。
エンジニアは10ccのフロントマンのエリック・スチュアート。

0r4a0207以前にも書いたけど、内ジャケには機材車の運転手の名前までクレジットされている。
この細かいクレジットは、四人囃子の『ゴールデン・ピクニックス』のパクリと見ている。
ちなみに10ccのオリジナルメンバーのロル・クレームとケヴィン・ゴドレーの労作『Consequences』には四人囃子の『一触即発』の「ピンポン玉の嘆き」にソックリの曲が入っている。
このことを四人囃子の岡井大二さんに話したところ「まさか!」とご謙遜して信じて頂けなかったが、そうだとオモシロいナァ。
イヤ、絶対10ccは四人囃子を研究していたんだってば!

0r4a0211…と、こんな調子で10ccのアルバムをサラっと振り返ってみる
まずは1973年のデビュー・アルバム。
あ、その前に「cc」という体積を表す単位は「cubic centimetre」の略ですからね。

10ccこのレコード、裏ジャケが日本語まじりの歌詞カードになっていてね~。
中学生の時、その装丁がすごくイヤだった。
ライナー・ノーツは故今野雄二さんがご寄稿されている。
スゴイよ…「1970年代のロックの主流を支配するのはRoxy MusicとSparks、そして10ccである」と豪語していらっしゃる。
氏にとっては、どんな時でもRoxy Musicなのは理解できるが、Sparksも推していたのは忘れていた。
実際『Kimono my House』から『Big Beat』あたりまでは私も大好き。今でも時々聴いている。
そして、10cc。
その今野さん曰く「ビーチ・ボーイズとビートルズの精神に70年代の魂を吹き込んだ極上のロックバンド」と10ccのことを表現している。
そして、メンバーのひとりであるロル・クレームは「10ccはポップソングにナニができるかを試す『 研究室』のようだった」と言っている。
このアルバムから「Donna」がヒット。
ビートルズの「Oh! Darling」のパロディと言われているけど、私にはそうは聞こえないんだよナァ。
かつてMarshallに勤めていたスティーヴと10ccについて話した時、「10ccはスタジオ・ミュージシャンの集まりだったんだよ」と言って「Donna」を歌っていた。
「Donna」に続いて「Johnny Don't Do It」もヒット。
「♪Johnny was an angel, an angel dressed in black」なんて歌詞は完全にシェリー・フェブレの「Johnny Angel」からじゃんね。
更にゴキゲンな「Ruber Bullets」もすごく流行ったらしい。実際、スティーヴも歌っていた。
ホント、このアルバムは「The Dean and I」をはじめとしていい曲揃いなのだ。
そして、バンド名の下には「Produced at Strawberry Studio, Manchester」とクレジットされている。

0r4a0198翌1974年にリリースされたセカンド・アルバム『Sheet Music』。
ジャケット・デザインはHipgnosis。
コレ以降しはしばらくヒプノシスがジャケットを担当する。
このアルバム、どうして『Sheet Music』というタイトルなんだろうナァ。
「シート・ミュージック」というのは「楽譜」だよね。
日本では「楽譜」とか「音符」とか比較的言葉を混同しているようだけど、英語では「楽譜」という言葉がハッキリと使い分けられている。
まず「Score(スコア)」というのがあるね。
コレはオーケストラなんかに使われる、五線紙が何段にもなっている「総譜」というヤツ。
一方、歌とピアノだけの楽譜は「ミュージック・シート」といって、「スコア」と明確に区別される。
で、欧米にはこの「ミュージック・シートの文化」っているのがあるんですね。
どういうものかというと、例えば、そうだな…ガーシュインの「スワニー」にしようか。
お父さんが「スワニー」のミュージック・シートを楽器屋で買って帰って来る。
すると、家族は夕食を済ませた後、暖炉を囲んで、お父さんがそのシートを見ながら弾くピアノに合わせてみんなで歌う。
コレは家に蓄音機のような音楽を再生する機器がなかったころの名残りなんだね。
要するにミュージック・シートがレコードの代わりだったんだね。
そのミュージック・シートを管理しているのが「Music Publisher(音楽出版社)」というワケ。
日本で「音楽出版社」というと、「音楽の本を売っている会社」という感じがするでしょ?
それは日本にミュージック・シートの文化がないからなんだね。
もちろん今はそんなことをやっている温かい家庭はないかもしれないけど、いまだにミュージック・シートってのは欧米では盛んに販売している。
ジャズとかクラシックの歌曲だけじゃないからね。
ビートルズからAC/DCまでなんでもある。
そこで勝手に解釈すれば、この『Sheet Music』というのは、「みんなで楽しめる音楽」ということを標榜しているのではないか…と思うワケです。
私の妄想なので異論&反論は受け付けません。
 
グレアムは『Sheet Music』を10ccの縮図的作品と言っている。
絶好調だったんでしょうな。
2つのソングライティング・チームが競い合って曲を作った。
先にできた方がもうひとつのチームに作品を聴かせてアイデアを出した合ってブラッシュアップしたという。
曲を作った人以外がリード・ボーカルを取ることもあって、メンバーがひとつずつ交代で歌って他の3人がジャッジをするというオーディション形式で歌い手を決めたらしい。
そんなんだから曲も演奏もクォリティが高いにキマっている。
1曲目の「Wall Street Shuffle」からしてタマらん。
お金の歌。
歌詞に出て来る「Greenback(グリーンバック)」はドルのこと。
「Stering(スターリング)」は「Pound Stering」、つまりイギリス・ポンドのこと。
向こうの人はポンドのことをよく「Quid(クイッド)」って呼んでるね。
「円」も出て来る。
「ダウ・ジョーンズ(Wall Strett Journalの発行元)」、「ロスチャイルド」、「ハワード・ヒューズ」なんて名前も出て来る。
こういうところがメッチャおもしろい。
映画をテーマにした「Somewhere in Hollywood」もすごくうれしい。
「Hotel」の楽しさはどうだろう?
「Old Wild Men」の「♪Lord have a mercy upon to me」のパートはかなりグっと来る。
ファースト・アルバムに比べてロックンロール色をチョット潜めた渋めの曲が揃っているのがまたいいんだな。
世界的なスターになる前のバンドが何の制約もプレシャーもなく、楽しそうに好きなことに取り組んでいるという印象。

Smしかし、イギリス大変でね~、コロナ。
毎週、電話でMarshallとミーティングをしているんだけど、当然その話になるでしょ?
もう緊張感が日本と全く違う!
とにかくMarshallの連中が言って来ることは「シゲ、絶対に外へ出たらダメだぞ!」…コレの一点張り。
本当にこれからの日本が心配だよ。
イギリスに比べて、まだ意識的にスタートラインに立っていないように見える。
 
さて、お金の話が出たところで脱線。
昨年Marshallに行った時に、一部の貨幣が刷新されていて古いお札が使えなくなっていた。
もちろん銀行へ行けば新しいお札と交換してくれるんだけど、旅行者の我々はそうもいかない。
困っていたらMarshallの経理の女性にが親切に使えない紙幣を全部交換してくれて事なきを得た。
それが、またお札が変わるんだよね。
何回かに分けてるのかもしれないけど、今度は50ポンド札も対象になっている。
で、あたらしいお札のデザインがアラン・チューリングになるっていうワケよ。
チューリングはもう何度もMarshall Blogに出て来てるわね。
難攻不落のドイツの暗号「Enigma」を解読する機械を作って第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の終結を早めた…という人。
暗号のロジック自体はポーランドに人が先に解読していたんだけど。
「Enigma」関連は、今回ブレッチリ―・パークに行ってたくさん写真を撮って来たので、その内「Shige Blog」でトックリとやらせて頂きます…どうせ外へ行かれないし。
コレがアラン・チューリング。

Acそのチューリングの話を聞いて「エ~!じゃエリザベス女王はどうなっちゃうの?」と驚いたバカな私。
イギリスってEUに入ってもワガママを貫き通して自国の通貨を使ったでしょ?
何でもあの理由は「女王陛下のお顔が載っていない札なんて使えるかよ!」ということだったとか…。
それを知ってたから驚いた。
コレ…考えてみれば裏面の話ね?
表はやっぱりこうでしょう。
コレは今の50ポンド札。イギリスで最も額面の大きなお札。

11_heads で、裏面はコレ。
向かって右はジェイムズ・ワット。
「私はこの機械の他に何も考えることができない」というセリフが載っていて、2人のオジちゃんの間にあるのがその「機械」。
改良型の蒸気機関。
「それでは私がこの機械を売ってしんぜましょう。『力』を欲しがっている世界中の人たちに」
とワットに答えているのは実業家のマシュー・ボールトン。
この2人の働きにより、18世紀後半のイギリスの産業革命が飛躍的な発展を遂げた。
もちろんワットは、あの仕事量を表す「W」の元。

11_tails_2 コレはMarshallの本社があるミルトンキーンズだけで流通している50ポンド札(ウソですよ~)。

11_jmm 『Sheet Music』に戻って…裏ジャケには「Recorded at Strawberry Recording Studios (UK) Ltd.  Stockport, Cheshire, England」のクレジット。

11_0r4a0554 3作目からはマーキュリーに移籍。
ファースト・アルバム、『Sheet Music』と立て続けに好セールスを記録した10ccだったが、当時は無一文だったらしい(あるドキュメンタリーでエリックは'skint'と表現していたが、Marshallの友達に訊いてみると、コレはイギリスの俗語で「すっからかん」という意味ということがわかった)。
コレは10ccの取り分が4%というUK Recordsとの契約のせいで(もしコレがレコードの売り上げの利益だとしたらあまりにも分が悪い)、UKレコードの親分のジョナサン・キングに契約の改定を申し出たが、まったく聞き入れてもらえなかった。
そこへ救いの手を差し伸べたのが「Virgin(ヴァージン)」のリチャード・ブランソンだった。
メンバーは「Atlantic」と組んで本格的なアメリカ進出を狙うVirginに移籍する気満々であったが、マネージャーが勝手に「Mercury(マーキュリー)」と契約してしまった。
大金が動いたのだった。
今でこそ、レコード会社というよりも、航空、鉄道、金融と泣く子も黙るVirginだが、当時はまだマイク・オールドフィールドの『Tublar Bells』しかヒットがなかったので、マネージャーはマーキュリーという安全牌を採ったのだった。
ファースト・アルバムからのシングル「Johnny, Don't Do It」のB面はその契約のことを歌った「4% of Something」という曲が収録されている。

11_4pそのマーキュリーからの第1作。
架空の映画のサントラ盤がテーマの『The Original Soundtrack』。
上に書いた通り、ジャケットは引き続きヒプノシス。
Os 鉛筆による細密画はハンフリー・オーシャンという画家の手によるもの。
ロンドンの有名な『ナショナル・ギャラリー』の隣に、『ナショナル・ポートレイト・ギャラリー』という肖像画だけを集めた美術館がある。
以前『名所めぐり』で紹介したかな?
展示品はロイヤル・ファミリーや政治家、軍人などの肖像画ばかりなんだけど、ミュージシャンがないこともない。
例えばブライアン・イーノ、例えばBlur、そして、このポール。
このポートレイトはそのオーシャンの作品だ。

Pm2フィルム編集機の画面に写っているカウボーイは『サイコ』のノーマン・ベイツ役でおなじみのアンソニー・パーキンス。
映画は1957年の『胸に輝く星(The Tin Star)』。
観たことはありません。
監督がアンソニー・マンなのできっと悪いワケはないでしょう。
マンは私の大好きな『グレン・ミラー物語』を撮った人だから。
そう!
「マン」といえばイギリスの「マン島(Isle of Man)」ね。
ザッパに「Manx Needs Women」という曲もあるけど、驚いたことに厳密に言うとマン島というのはイギリスでもなかれば、イギリス連邦にも属していないんだってね~。

Tsaこのアルバムは「I'm not in Love」が収録されていることで知られているが、私は違うんだな。
まず10ccを好きになったキッカケとなった「The Second Sitting for the Last Supper」がB面の1曲目に鎮座ましましている。
そして、1曲目の「Une Nuit a Paris(パリの一夜)」、ヒット曲「Life is a Minestrone(人生は野菜スープ)」、「Brand New Day」等々、どれもじ~つ~に~素晴らしい。
私が初めてロンドンに行った時、タワー・ブリッジにほど近い、インド人だらけのAldgate Eastのホテルの部屋に入って一番最初にしたことは、テレビのスイッチを入れることだった。
ホテルの入り口で乞食に言い寄られたりして心細かったからね。
すると、テレビからいきなり飛び出してきたのが「Life is a Minestrone」だった。
それまでの不安な気持ちが一気に吹っ飛んだ。

11_lmそれにしたって10cc一番のヒット曲「I'm not in Love」についてもう少し触れておかねばなるまい。
レコード会社を移籍した最初のアルバムを成功させようと今までにない試みに挑んだ曲のひとつ。
メンバーはラブソングを作ろうと話し合い、エリックが100%詞を書いた。
最初はボサノヴァ調にしてみたが、曲が死んでいるようでまったくオモシロくなく、メンバー全員とても作業を続ける気にならなかった。
そこへ、ケヴィンが「楽器を使わないで津波のような分厚い声を入れたらどうだろう」というアイデアを提案した。
そのアイデアを基に「バッキングを考えられるだけ大きな合唱隊のようにしてみよう」ということになった。
当然、合唱隊などを雇う経済的な余裕はないので、テープループを使って取り組むことになった。
今となっては有名な話だけど、コレがやっぱりオモシロい。
まず、ケヴィンとロルとグレアムがスタジオに入って息が続かなくなるまでユニゾンで「アー」とやる。
当時のレコーディング機器は16チェンネルだったので、16のすべてのチェンネルのこの「アー」を録音する。
それをトラックダウンすれば3人のコーラス×16チャンネル分で48人が「アー」とコーラスしている音源ができる。
いいですか~、今、よくわかっていないヤツが説明していますからね~。お手柔らかにお願いしますよ~。
今度は同じく13の音程それぞれで「アー」と歌う。
ド、ド#、レ、レ#……とクロマチックにやっていって上のドまで録音する。
ココで48人のコーラスで13通りの音程を録るので、624人分の声を集めたことになる。
で、それぞれの音程の音源のテープを約7分のループにして、16のウチの13チャンネルにその音をそれぞれ割り当てる。
こうしておけば、ミキサーのフェーダーを上げ下げすることで和音を作ることができるようになるというワケ。
原理としてはメロトロンに近いということになるのかな?
そして、残りの3つのチャンネルのうちのひとつにガイドリズムと仮歌を入れておいて、それを聞きながら「せーの」であらかじめフェーダーの目盛りにつけておいた印に合わせて4人がフェーダーを上げ下げしてバッキングの和声を作ったという。
そして、そのコーラスを残った2つのチャンネルにステレオで録音したら、今度は13のチャンネルのコーラスをすべて消去して、残り楽器を録音したのだそうです。
あのバスドラムの音はムーグなんだって。
「♪アッア~、ア、ア~ア」って左右に振るところなんかは、パンポットを回すのにハラホロヒレハラだったらしい。
この作業だけで3週間も費やしたのだそうだ。
大変だったろうけどオモシロかったろうナァ~。
アナログ録音ならではストーリー。
結果、クリックひとつで何でもできるデジタルのモノより何倍もいいものができた。
やっぱり養殖モノより天然モノですな。
ま、そもそも曲がいいからね。
そしていよいよ完成か?次はどうする?…というところで、スタジオのレセプションのキャシー・レッドファーン(Cathy Redfern)嬢が電話がかかって来たことをスタジオ内にいたエリックに知らせに来た。
「エリック、あなたに電話ヨ!」と言われてピンと来た。
「コレだ!」
そうして曲の中間部にあの女性のささやきがダビングさされた。
「Be quiet, be quiet. Big boys don't cry」っていうヤツね。
最初、キャシーは恥ずかしがって固辞したが、「チョコっと囁くだけだからお願い!」とロルやケヴィンにせがまれてイヤイヤやったという。
あの囁きがなかったらまた曲は締まらないモノになっていたよね。
すごくいいアクセントだと私は思う。

Inilエエイ!やっぱり脱線だ!
この10ccの手法を丸々マネッコしたのがビリー・ジョエル(イギリス人は「Joel」を「ジョール」と発音します。「エ」は聞こえてきません)の「Just the Way You Are」。
「I'm not in Love」の方がゼンゼン豪華。
イヤ、この曲はコーラスよりもアルト・サックスのソロでしょう。
吹き手はアルトの巨人、フィル・ウッズ。
何せフィルは長年のジャズ界での活動よりも、このソロ一発で世間にその名前が知られてしまったという気の毒なんだかラッキーなんだかわからない人。
私はフィルのプレイを「アルト・サックス界のリッチー・ブラックモア」だと勝手におもっているんだけど、晩年のフィルをニューヨークのブルーノートで観る機会があった。
ナント、パット・マルティーノとのダブルヘッドライナーだった。
でももうかなりのご年齢で、往年の閃光ような鋭いフレーズを吹くことがほとんどなかった。

JwySteely Danの『Katy Lied』。
この中の「Doctor Wu」のサックスもフィル・ウッズなんだけど、コレもスゴいソロだ。
ジャケットはアメリカのキリギリス「Katydid」。
「Doctor Wu」に出て来る歌詞「Katy lied」とシャレになっている。
この人たちって案外こういうシャレがお好きのようで『Pretzel Logic』の「oarker's Mood」という曲の「Relaxin' at Camarillo」の仕掛けなんてのはスゴくオモシロい。
ジャズ好きににはタマらん!
コレは以前どこかに書きましたね?

Klフィル・ウッズのことで孫脱線しようと思ったけどキリがないのでヤメておきます。
でもひとつだけ、ギター面でひ孫脱線。
フィルが68年代後半から70年代の初頭にかけて取り組んでいたのがEuropean Rhythm Machineというコンボ。
そこで一緒だったのがイギリスを代表するジャズ・ピアニスト、ゴードン・ベック。

11_erm

Gb1_3 ゴードン・ベックはアラン・ホールズワースと音源をいくつも残しているんだね~。
こういうのを聴くとホールズワースのスゴさ…つまり猛烈なオリジナリティを発見するよね。
どういうことかと言うと、例えばSoft MachineやGongでのソロをカットして、このゴードン・ベックのコンボにペーストしても音楽が成り立ってしまう。
もちろんその逆も可。
もちろん基本的にはジャズ寄りなんだけど、ジャズとかロックとかいうジャンルを本当に超えていたんだな…と感心しちゃうワケ。

Gb3_3

500x500

Gb2_2 もうひとつ…アルバムの最後に入っている「The Film of my Love」。
コレはカンツォーネだね。
「The Magnificent Seven(荒野の七人)」、「Orient Express(オリエント急行)」、「Pathe(パテ:フランスの映画会社)」なんて名前が出て来る。
コレもゴドレー&クレームの曲をグラハムが歌ってる。
バンド内オーディションで優勝したのだろう。
まぁロマンティックないい曲でしてね。
数年前、ある若い女性から結婚式の雰囲気にマッチするステキな曲を教えて欲しい、という相談を受けた。
その中に入れた1曲がこの「The Film of my Love」だったんだけど、彼女は本当にそれを自分の結婚式で使ってくれて、バッチリだったとすごく喜んでくれた…すぐに別居しちゃったみたいだけど。
しかし、こうして見ると、好きなのは圧倒的にゴドレー&クレーム組の曲だナァ。
『荒野の七人』も子供の頃は夢中になって観たけど『七人の侍』を観てしたってからはバカバカしくてとても観れなくなってしまった。
だから小学校の時から観ていない。

Ms このアルバムの内ジャケットには「Produced and Recorded by 10c.c. at Strawbweey Recording Studios…」とある。

0r4a0190ハイ、1976年の4枚目。
私はこのアルバムが一番好き。
スウェーデンの少女環境保護運動家、グレタ・トゥンベリさんのひと言で日本でもスッカリおなじみになった『How Dare You!』がタイトル。
意味はもう知ってるよね~。
どの曲も大好きなんだけど、一番は最後に入っている「Don't Hung Up」。
10cc全曲の中でもコレが一番好きかも知れない。
岡井大二さんもこの曲が一番好き…とおっしゃっていらしてうれしかった。
B面の1曲目の10ccの代表曲のひとつ「Art for Art's Sake」のMVには1959のフルスタックが登場する。
「I'm Monday Fly Me」はスチュアート&グールドマン組(+ゴドレー)の作品で一番好きな曲かも。
神保町のカレー屋に向かう車の中で、Marshallの社長夫人のエリーと一緒にこの曲を歌ったのは楽しかった。
ま、こっちはすぐに「♪フフフフン」になっちゃんだけどね…歌詞がわかんないから。
最高にラブリーな「Rock'n'Roll Lullaby」はグルールドマン&スチュアート組作だがケヴィンとエリックが歌っている。
「Iceberg」も「Headroom」も何となくシアトリカルで、コミカルですごく好き。
やっぱりゴドレー&クレーム組の作品がいいんだな。
上に挙げた10ccのすべて曲での中で一番好きかも知れない「Don't Hung Up」もゴドレー&クレーム組の作。

11_hdyハイハイ、ここにも「All tracks recorded at Strawberry Studios (UK) Ltd. England」。

0r4a01871977年の『Deceptive Bends』。
「Deceptive Bends」の意味はコチラでやっていうので興味のある方はどうぞ。
ゴドレー&クレームが脱退してこのアルバムからスチュアート&ゴールドマン組だけになった。
ゴドレー&クレーム組の曲の方が好きと書いたけど、このアルバムはスチュアート&グールドマンがとてもいい仕事をしてくれた。
「I Bought a Flat Guitar Tutor」なんて全くスゴイよね。

Dbある時、スチュアート&グールドマンがゴドレー&クレームにこのアルバムのリード・チューン「The Things We Do for Love」を聴かせると、「そんな曲は絶対に演りたくない!」と言ってゴドレー&クレームはバンドを辞めちゃったんだね。
2人はギズモに夢中になっていて、そのギズモをフィーチュアした実験的なアルバム『Consequences』のA面を制作していた時期だったものだから、ありきたりのポップ・ソングを演るのがバカバカしく感じてしまったのだ。
ま、『Consequences』にも甘々のポップ・ソングがいくつも入っているけどね。
でもロル・クレームは、「あと半年ズレていれば…」とバンドを辞めたことを後悔してるようだった。
というのも、シングル「The Things We Do for Love」がアメリカで大ヒットしてしまったから。
一方、『Consequences』は散々だったろう。
コレは豪華なブックレットがついたLP3枚組の高価なボックスセットだった。
中学3年の時にリリースされて、すぐになけなしのお小遣いでコレを買った私はクラスメイトから「アタマがおかしい」といわれたよ。よく覚えている…加藤な。
ああ、アタマがおかしくてヨカッタよ。おかげで今も音楽変態道を歩み続けてるわ。
ちなみに私はコレをLPとCD2種類の3セット持ってるわい。

Csq
ロルとケヴィンの2人が脱退した時、「10ccが5ccに!」なんて騒いでいた。
コレは「10cc」というバンド名の由来が「成人男性4人の1回分の射精量の合計」とされていたところがあったのだろう。
アノね…よくそういう話を聞いたし、本国イギリスでもそういうことになっている部分があるみたいなんだけど、違うから。
上に出て来たシンガーソングライターにして「UK Records」オーナーのジョナサン・キングに「Donna」を聴かせると、「コレはイケる!」と判断して自分のレーベルに囲い込んだ。
その時はまだバンド名はなく、キングが「昨晩、『10cc』 the greatest group in the world」といのが夢に出て来た!」と言って、それがそのまま10ccがグループ名となった。
どんな夢だよ。
ちなみにGenesisの名付け親もキング。
それと、『Rocky Horror Show』のオリジナル・ロンドン・キャスト盤はキングがプロデュースした。

11_2rhs_2 この『Deceptive Bends』には「Recorded at Strawberry Recording Studios (South)」と出ている。
「(South)」というクレジットが追加された。

0r4a0185上で紹介したライブ・アルバムを挟んでリリースしたのが1978年の『Bloody Tourist』。
「10ccの新譜が出る!」「今度は10ccの音楽の世界一周だ!」なんていうのでメチャクチャ楽しみにしていたんだけど…私はコレで10ccファンを卒業しました。
リード・チューンの「Deadlock Holiday」なんかは今聴くと歌詞がオモシロかったりもするんだけど、それこそ10ccにしては凡庸なポップ・チューンばっかりで、彼らの特長であった「シャレ」だとか「楽屋落ち」のような作り込みの部分が無くなってしまったようで私の心には全く響かなかった。
そもそも、この「0」の中が星になっているバンド・ロゴのデザインが小学生のやることみたいで好きでなかった。
だから私の10ccは『Deceptive Bends』の6枚。それで全部。

11_2btところで10ccを観たことがあるのか?ということになると、マァあるんです。
高校2年ぐらいの時に来日することが決まって中野サンプラザの前から2列目のチケットを取ったのね。
ところが直前になってエリック・スチュアートが交通事故で頭のケガをして来日が中止になってしまった。
その後も何回か来日したけど観るチャンスがなく…というより、地方に住んでいたり、興味がなかったりで観る機会がなかった。(去年も来ていたのね?)
そして、ついに数年前にオリジナル・メンバーがグラハム・グールドマンだけの10ccを観た。
会場は今はなき原宿のアストロ・ホールで、100人チョットぐらいのお客さんを前にしてのライブだった。
すごくヨカッタ。
何しろほぼ全曲を最初から最後まで一緒に歌えるコンサートってこの10ccとZappa Pays Zappaだけだったから。
考えてみればグレアム・グールドマンは10ccの名曲を作っただけでなく、「Bus Stop」、「For Your Love」、「No Milk Today」等のポップ・ミュージック・シーンに永遠に残るであろう曲を作った大作曲家ですからね。そういう意味ではエリックは「I'm not in Love」だけだからね。
目の前で歌っている姿を見ておいてヨカッタと思うよ。
ところで10曲目に「The Dean & I」が入ってるでしょ?
上でチョット触れた通り私はこの曲がすごく好きなんだけど、こんな古い歌、しかもゴドレー&クレーム組の曲を何で選んだのかな?とこの時思ったんだよね。
で、今回この記事を書くにあたって10ccのドキュメンタリーを観てその理由がわかった。
実はエリックはこの曲が「大キライ」だったのだそう。
そのドキュメンタリーの中で毅然と「hate」という言葉を使っていたところを見ると心底そうキライなんだろう。
「ミュージカルっぽい」ものが好きではないので、シーンがコロコロ変わるこの曲がすごくイヤだったのだそうだ。
一方、エリックの相棒のグレアムは「この曲に当時の10ccの全てが詰まっていた」と大絶賛しているんだよね。
要するにグレアムのお気に入りの曲…だからこの時に取り上げたというワケ。
単純な理由だけどウラがあってオモシロイ。
だからエリックがいた頃の後年リリースされたライブ・アルバム数枚にはこの曲はまったく収録されていない。

0r4a0203さて、驚いたことにここからが本題。
「ロックの名所を訪ねる旅」の始まりだよ~!
自粛中の皆さん、目だけで旅行を楽しんでくだされ!
 
旅の起点は滞在していたMarshallの工場の近くのホテル。

Img_0128朝食は丸っきりいつも通り。
スクランブルエッグにハッシュドポテト、焼きトマトにオリジナルのハムサンド。
もう「飽きた」のを通り越してだんだんありがたくなって来た!
しかし、卵の味が日本と違う。
スクランブルエッグではわからないけど、目玉焼きにすると風味が全く違うんだよね。
もちろん向こうの卵の方がおいしい。
ドイツでもベトナムでもそうだった。
ウチは長年ブロイラーの卵を食べずに、コッココッコと放し飼いにされている鶏の卵を取り寄せているんだけど、それでも味が違う。
Img_0127ハラごしらえが済んだら出発!
コレがベースキャンプ。
Marshallの工場のすぐそばのホテル、DOUBLE TREE。
すぐ横にMarshallアリーナがあって、去年の6月1日にD_Driveがそのステージに立ったことは既報の通り。

10このホテルができてからもう何回も泊まっているんだけど気が付かなかった。
玄関を出た時に木が2本。
「Double tree」になってた。
あんまり天気がよくないナァ。

20タクシーでミルトンキーンズ・セントラル駅に行く。

30広々とはしているものの、相変わらず殺風景な駅前。
この駅前にマットレスを敷いて寝泊まりしている人が何人かいるんだよね。
しかも、女性。
4年前に来た時にはそんな人たちを見かけることはなかった。
とにかく今回の旅で驚いたのはロンドンの街中で若いホームレスの女性を大勢見かけたことだが、こんなところにもそうした傾向が見られたのは結構大きなショックだった。

40さて、今回の旅の目的地は…

50マンチェスター。
産業革命発祥地として、かつてはロンドン、リバプール、バーミンガムと並んでイギリスの経済を支えた都市ですな。

55駅名のサイン。
「Home of」ってあるけどナンの「Home」か…。
「University of Bedfordshire」のMilton keynesキャンパスのホームなんだって。
ツマんね~。
「UCMK」とは「University Campus Milton Keynes」だそうです。

60お!
プラットフォームで発見。
ね、イギリスではホントにMarshallのヘッドホンを使っている人をよく見かけるのです。
毎度あり!

70来た来た、電車はVirgin。
Virginの10ccってのも見てみたかったナァ。

80車内はこんな感じ。結構混んでる。

100電車のスピードが速くてうまく撮れなかったけど、カナル(運河)がずっと線路に並走してる。
ときおりナロウボートがゆっくりと水面を進む光景を見かける。
いいナァ~。
イギリスの好きな風景のひとつ。
写真はナロウボートのマリーナ。
90お、「Stoke-on-Trent(ストーク・オン・トレント)」に停まった。
なんて言うといかにもよく知ってるみたいだけど、名前だけね。
というのは、ココは陶器産業が盛んで、あの「Wedgewood(ウェッジウッド)」の地元だから。
知らなかったのは、昔は製鉄産業も盛んで有名な戦闘機「スピットファイア」で使われた鉄はココで作っていたのだそうだ。

110昔、ヒースロー空港の免税店に小さなウェッジウッドの直営店が入っていてね、イギリスに行くたびにそこで家内へのお土産を買っていた。
陶器はメッチャ高いし、持ち帰るのも心配なので、いつも小さな陶磁が付いたペンダントにしていた。
家内がとても喜んでくれるので、訪れるたびにそこでの買い物を楽しみにしていたのだが、ある時それができなくなった。
ウェッジウッドの経営が立ち行かなくなり、その直営店を閉めてしまったのだ。
その後、ウェッジウッドはフィンランドの「フィスカース」という会社に買収されてしまった。
イギリスのシンボルのひとつのようなブランドだったのにね。
そのフィスカースという会社は2015年に「Royal Doulton(ロイヤル・ドルトン)」というロンドンの名門陶器会社も買収している。

12ww ココで取り出したるは『Mary Poppins Returns』。
この中にディズニーではおなじみのアニメと実写のシーンがあって、それが陶器(porcelain)の国という設定なのね。
そこでメアリーが子供たちを馬車に乗せると、馭者が「Where would you like to go on this fine day?(こんな天気のいい日はどちらへいらっしゃいますか?)」と訊く。
するとメリー・ポピンズが「The Royal Daulton Musc Hall please(ロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールにお願いね)」と答える。
そんなホールが実在したのかどうかはわからないが、イギリス人ならピンと来るんだろうね。
そして、メリーを演じたエミリー・ブラントが「The Royal Daulton music Hall」という曲を歌う。
コレが実にいいんだ~。
いつかこの映画を飛行機の中で観て、あまりいい感想をココに書かなかった。
最初の『メリーポピンズ』に使われていた曲があまりにもヨカッタからね。
でもこの『Returns』にも3曲だけメッチャいい曲があって、その中のひとつがこの曲なのです。Mpr マンチェスターへと向かう電車はグングンと進む。
しかし、キレイだナァ~。

120エエイ!
ココで降りてやれ!

130とホームに降り立った駅は「Stockport」。
フフフ、上に散々出て来たヤツです。
マンチェスター駅のまだ2つ手前の駅。

140降りようか、降りまいか、実は電車の中でズッと迷っていた。
ミルトンキーンズ・セントラル駅で「途中下車OK」ということを係員に訊いて確認していたんだけど、「行ったところで頭の中にある目的を果たせるのか?」という不安が大きかったのだ。

150イギリスの田舎の駅ってのはいいもんだ。
すごく懐かしさを感じさせてくれる。

160何だか知らないけど、ホームにギャラリーがある。
チョット覗こうとしたら年配のご夫婦がちょうど中から出て来て、そのオジさんが「ブックレットがあるから持って行くといいよ」と案内してくれた。

170『Mid Cheshire Line  Marvellous Days Out(ミッド・チェシャー線 ステキなお出かけ)』という展示。
ミッド・チェシャー線というのはチェスターからマンチェスター・ピカデリーまで15の駅を擁する鉄道。
この辺りは「Cheshire(チェシャ―)」という。
「-shire」というのはひとつの行政単位で「郡」みたいなイメージ。
「ランカシャー」とか「ヨークシャー」とか「なんとかシャー」の「シャー」はみんなコレ。
ちなみにMarshallの本社があるのは「バッキンガムシャー」。
さて、その路線は19世紀に3つの鉄道会社がくっついてできた鉄道で、最も古い路線は1862年の完成。
1862年がどれぐらいの時代かと言うと、私が生まれるちょうど100年前だ…コレじゃわかんないか。
十四代将軍徳川家茂と和宮親子内親王が結婚した年。
和宮様は道中の様々なトラブルを避けるために、京都から江戸に降嫁する際、東海道を使わずに中山道を下ったんだよね。
3万人の大行列。その長さは50kmにも及んだという。
その時、イギリスではこんな田舎でも列車が走っていたんだねぇ。
でも、実は18世紀後半のマンチェスターは、さっきのワットのように産業革命の中心地で、当時世界の最先端を歩んでいたんだね。
Shige Blogでやるけど、「世界で最初の鉄道の駅」なんてのもマンチェスターだよ。
ちなみに「marvellous」という綴りはイギリス式。私のミス・スぺリングではない。
アメリカ人は「l」をひとつ取っっぱらって「marvelous」と綴る。
イギリス人に言わせると、こういうところが「Americans ruined our language!(アメリカ人が我々の言葉をぶっ壊した!)」ということになる。

185チョット展示アイテムを見てみようか。
ミッド・チェシャ―線にある駅のそれぞれの名所を描いたポップアート。
起点は「チェスター」ね。
「Meander the Mid Cheshire Line」とあるけど「meander(ミアンダー)」というのは「蛇行」という意味。
ところでイギリスには「なんとかチェスター」という地名がいくつもあるでしょ?それと「なんとかカスター」とか「なんとかスター」。
たとえばマンチェスター、ウィンチェスター、ロチェスター、コルチェスター、ランカスター、ドンカスター、グロースター等々。
コレはローマ時代にその砦があったことに由来するそうです。わかりまスター?

210v「meander」には動詞で「アテもなくさまよう」という意味があって、チャーリー・パーカーの有名な『Savoy Session』に「Meandering」というバラードがある。

Ss 私は今いる「ストックポート」はこんな感じなのか…。

190v「Northwich(ノースウイッチ)」というところ。
アレ、ココはナロウボートのエレベーターがあるところか!
「Anderton Boat Lift」といううヤツ。
コレ乗ってみたいんだよな~。

200vこんな動画を見つけたので興味のある方は8:00~12:16のあたりをどうぞ。
標高の異なるカナルをつなぐための船のエレベーター。
観覧車みたいなダイナミックなヤツもあるようなんだけど、ここは純粋にエレベーター式に船を上限に運搬する方式。


「Knutsford(ナッツフォード)」は人口14,000人程度の小さな町。
そうえば、「なんとかフォード」というのも多いね。
オックスフォード、ベドフォード、ブラッドフォード、スタッフォード、ストラトフォード…。
コレは「浅瀬」という意味なんだって。

220vコレがオジさんが教えてくれたブックレットなんだけど、かなり上質のマット紙で製本してあって、表紙にはエンボス加工が施してある。
十分にお金を取れるクォリティだ。
左はその「Marvellous Days Days Out」のしおり。
もうひとつはチェスターからマンチェスターをつなぐミッド・チェシャ―線とリーズからマンチェスターをつなぐカルダ―・ヴァレー線にまつわる女性を紹介した「Discover Amazing Women by Rail」という小冊子。
作家、女優、スポーツ選手、女性活動家、女性参政権者、政治家までの分野を網羅しているが、勉強不足ゆえ私が知っていたのは『ジェーン・エア(Jane Eyne)』と『嵐が丘(Wuthering Heights)』を著したシャーロットとエミリーのブロンテ姉妹だけだった。
「キャシーにヒースクリフ」だけじゃなくて、私、両方とも読んでるんですわ。意外でしょ?

180ホームからコンコースへつながる階段。
イヤ、手すりの塗装がステキだな…と思って。

230_2コンコースも白に赤い線のデザイン。
ステキ!

240駅の入り口。
ここにも赤い線。
平日の午前中だったんだけど、閑散としていた。

250コレがStockport(ストックポート)の駅舎。
周辺の地図を探したんだけど全くなし。
イヤな予感。
もちろんコレから10cc発祥の地、「Strawberry Studios」に向かおうとしているのだ

260<後編>につづく 

200 
(2019年6月 イギリスにて撮影)

2020年3月27日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.42 ~ ココにディランが?ジミヘンが?&涙のアールズ・コート

この日はデザイン・ミュージアムに『スタンリー・キューブリック展』を観に行った日。
ホントに朝から晩まで雨がよく降った。
ロンドンっていくら昼間降っていても、たいてい夕方には青空になったりするんだけど、この日は一日中雨だった。
デザイン・ミュージアムからアールズ・コート駅へ向かう途中の道、アールズ・コート・ロードを少し右へ入る。
ブルー・プラークが付いている建物を発見。
ココは何度も通りかかっているんだけど気が付かなかった…か、興味がなかったのか…。

10_2「LAMDA」というのは「London Academy of Music & Dramatic Art」の頭文字。
LAMDAは1861年に創立されたイギリスで一番古い演劇学校だそう。
そのLAMDAが運営する劇場が2011年までココにあった「Michael MacOwan Theatre(マイケル・マコウワン劇場)」。
「Theater」じゃないよ「Teatre」だよ。ココはイギリスだから。
Michael MacOwanは1958~1966年までLAMDAの校長を務めた俳優。
写真ではわかりにくいけど、「こんなところに劇場があったの?」って感じ。
でも、さっき曲がって来た表のアールズ・コート・ロードは、かつては日本でいうところの「赤線地帯」だったらしい。

11_img_9812そのまま路地を進むとコレ。

20_2もう何度も出てきているフレディ・マーキュリーの終の棲家。
『ボヘミアン・ラプソディ』のヒット以降でナニか変化があったかな?と思ってまた見に来てみた。

30_24年前にはこんな注意書きはなかった。
やっぱり映画のヒットのおかげで来訪者が増えたのかな?

50_2かつてはウジャウジャしていたフレディへのメッセージも今ではずいぶん控えめだ。

40vいつも言っているように私はQueenファンであったことは人生で一度もないのだが、この辺りにくるとやっぱりチョット寄って行きたくなっちゃうんだよね。
何と言うか、とても便利な「ロック名所」なのです。

60vアールズ・コート駅に戻って来た。
しかし、雨がまったく止まないな~。

70_2休憩&遅めのお昼ゴハン。
またGREGGS。
大好きGREGGS。
現地の人に言わせると「お金持ちはPRET、貧乏人はGREGGS」らしい。
私にはちょうどいいわ。

80_4これで500円ぐらいかな?
このパイ(パスティ)が温かいのがうれしいの。
エクレアもそう甘くなくて好き。

90_2この時はイモトのWi-Fiを借りて行かなかったので、こういう所に入ってはフリーWi-Fiでメールをチェックしたり、東京やMarshallへ連絡したり、色んな情報を取り込んだりしていたのです。
こんなの数年前には考えられなかったのに…。
こんな私でも今となっては携帯電話が手放せなくなっているのが恐ろしい。
こんな私にダレがした?
ということで、次の目的地の確認。
あ~あ~、ヤダな~、こんな雨の中出て行くの。
100_2…と文句を言っている間にすぐ着いた。120_2アールズ・コート駅からそう遠くない「Old Brompton Road(オールド・ブロンプトン・ロード)」という通りにある「Troubadour(トルヴァドゥール)」というお店。

110_2「Troubadour」というのは中世のヨーロッパで活躍した詩人、作曲家、歌手のことらしい。
女性は「Trobairitz(トロバイリッツ)」。
だからナンだ?ですね。

130_2入り口の扉。
「幸せは買えないけどコーヒーは買えます」…エ、ココって喫茶店だったの?

135v老舗感が漂う、雰囲気のよさそうなお店でしょう?
ココがスゴイ。

140_2お店のウインドウにあるブループラークを模した説明書き。
 
THE TROUBADOUR 
1954年開店

トルバドゥールはたくさんの伝説的な音楽を迎えて来ました。
その顔触れは;
ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・プリティ・シングス、ジョニ・ミッチェル、チャーリー・ワッツ、サンディ・デニー、アデル、エルヴィス・コステロ、トム・ロビンソン、モリッシー、エド・シーラン、そしてフローレンス・ウェルチ等々

150_2でも、すぐ近くにコレ。
トルバドゥールが背景になってる!
コレを仕込んだ「けいおん!」の人、スゴイな。
お会いしてみたい。
170_2喫茶店の入り口とは別にドアがもう1枚ある。。
ディランやジミはココを通って地下にあるライブ・スぺ―スに降りていった。

160vせっかく来たので喫茶店の方に入ってみる。180_2天井にはたくさんのナベの類。

190_2壁には農工具かね、コレは?
中世の雰囲気かな?

200マグカップも…

210_2ワイングラスも吊り下がってる。
ブラ下げるのがスキなのかな?

220とてもいい感じ。
上のプラークもどきに書いてあった通り、トルバドゥールは1954年の開業。
今となっては、ロンドンに現存する最後のコーヒーハウスの中のひとつだ。
大分以前に隣の建物と合体して形を変えたが、元のこのコーヒー・ハウスのエリアは66年前の開店時の姿をそのまま保っているのだそうだ。

230_2ドアのところに書いたように地下のスペースは、ライブハウスになっていて、1950年代後期から60年初頭にかけては元祖ブリティッシュ・フォーク・ミュージックのハコだった。
当時のロンドンにはそうしたお店が他にもあって、ソーホーの「Les Cousins」、チャリング・クロス・ロードの「Bunjies」が有名であったが、閉店してしまった。
当時の雰囲気を経験できる店としては今ではトルバドゥールだけになってしまったそうな。

250_2どういういきさつでココがフォークのライブハウスのメッカになったかというと、かつてこのライブハウスのマネージャーだったAnthea Joseph(アンシア・ジョセフ)という人のおかげ。
アンシアはお店の名前である「トルバドゥール」の本来の仕事、すなわち中世盛期(High Middle Ages:ヨーロッパの11~13世紀)にはトルバドゥールは詩を吟じたり曲を作ったりするだけでなく、劇の進行役やストーリー・テラーを務めたことを知って、それに倣いフォークのイベントをココでたくさん開催した。
その活動が定着したんだね。

11_img_9889 よく知られている話で、ボブ・ディランが初めてロンドンに来た時、右も左もわからなかった。
ひとつだけ持って来た情報は、師匠のピート・シーガ―の言葉で、「ロンドンに行ったらトルバドゥールのアンシアを訪ねなさい」ということだった。
その結果、「ボブ・ディランがイギリスを訪れて最初に演奏した場所」としてトルゥバドールはイギリスのポピュラー音楽周辺史にその名を名を残すことになった。
スゴくね?

240また、50~60年代のトルバドゥールはミュージシャンだけでなく、知識人や芸術家のたまり場にもなった。
例えば、「Private Eye」という時事雑誌の最初の号は1961年にココで作られ販売された。
日本で言う「週刊誌」みたいなモノだけど「Private Eye」は「fortnightly magazine」だそう。
ハイ、ココで英語クイズ。
「fortnight」の意味が分かる方いらっしゃいますか?
私はMarshallの経理の女性とやり取りしているメールの中でこの単語を発見して、恥ずかしながら最近覚えた。
コレ「隔週」とか「2週間」という意味。
「Fourteen nights」ということらしい。
なんか詩的でカッコイイ単語だなと思って一発で覚えた。
「Private Eye」はその手の雑誌では長い間イギリスで一番売れているんだって。
また、68年のパリの暴動の後、ブラック・パンサーはココに集まったそうだ。320_2さらに、初期の「Ban the Bomb(爆弾禁止)」のミーティングはココで開かれていた。
「Ban the Bomb」はその後、1957年に「CND(=Campaign for Nuclear Disarmament:核軍縮キャンペーン」)に発展した。
1958年にジェラード・ホルトムという人がデザインしたCNDのシンボル・マークがナント…コレ。
 
Psまだある。
ケン・ラッセルはココで最初の短編映画のスタッフに雇われ、そこでオリバー・リードと親しくなった。(コレが1971年の『肉体の悪魔(The Devils)』につながる)
ケン・ラッセルはThe Who『トミー』とかリック・ウェイクマンの『リストマニア』とかを撮った人ね。

Na_2まだまだある。
リチャード・ハリスはココで皿洗いをしていたエリザベスと出会い、恋に落ちて結婚した。
リチャード・ハリスっていい役者だよね。
『ナバロンの要塞』、『テレマークの要塞』、『天地創造』、『ジャガーノート』なんて夢中になって観たな。
最近ではクリント・イーストウッドの『許されざる者』がスゴくよかったよね。
「イングリッシュ・ボブ」とかいう役どころでね。
でも、この人はアイルランド人だった。
かつての家はサウス・ケンジントンにあった。
下の写真がそう。
ジミー・ペイジは1972年にデヴィッド・ボウイと競って35万ポンド(当時の為替、貨幣価値で約2.6億円)でハリスからこの豪邸を手に入れた。
今はロビー・ウィリアムスが住んでいるのかな?

80v …と思ったらインターネットでこんな写真を見つけたのでチョット拝借。
この女性がアンシアかどうかはわからないが、レッド・ツェッペリンはその昔、アールズ・コート・エキシビジョン・センターのコンサートの後、トルバドゥールへ寄って演奏をして行ったそうだ。
反省会でもしていたのかしらん?

3page Marshall Blogのことを説明して、お店の許可を得て店内をジックリ見ちゃう。
隣の部屋の壁に飾ってあったトルバドゥール関連のレコード。
Paul McNeil、Martin Winsor & Redd Sullivan、Mike Silver、Chris Barber等の「ライブ・アット・トルバドゥール」っぽいアルバム。
どんなものかと音源をすべてチェックしてみたけど、Chris Barberを除いては間違いなく私は一生聴かない類のフォーク・ソング。
Chris Barberも同じか…ディキシーランドのトロンボニストね。
この人のマネージャーがあの有名なライブハウス「Marquee」を開いたことはMarshall Blogに以前書いた
ひとつ気になったのは右端に半分だけ見えているヤツと右下のヤツ。260_2コレなんだけど。
『Jazz Composers Workshop』ってチャールズ・ミンガスなんだよね。
ミンガスがココで演奏したのかいな?と思ったんだけど、どうやらジャケットが上で紹介したトルバドゥールの天井の写真ということのようだ。
でも、コレはオリジナル・ジャケットではない。

11_2jcwコーヒーハウスのトルバドゥールがレコード・レーベルを持っていた…という記述は特に見かけないんだけど、「Troubadour Records」というのがあったらしい。
写真の右側がそのレーベルの1枚で、「Colin Bates Trio」とかいう人の『Brew』というアルバム。

270_2このアルバム、自主制作で100枚ほどプレスしたそうで、オリジナル盤のレア度たるや、「メガトン級」や「ウルトラ級」を飛び越して「テラ級」に至るらしい。
それが今ではFontanaからリリースされた復刻盤の音源がクリック一発で聴くことができる。
ヘヴィ級のリズム隊に硬派なピアノで聴かせるオリジナル曲がなかなかにカッコいいぞ。

Cb右の赤いヤツはお店のポスター。10ポンド。
「256 オールド・ブロンプトン・ロードSW5のトルバドゥールではいつもナニかが起こってる」
こういうのこそ事務所へのお土産で持って帰りたいんだけどね~。
持って帰れないんだよね。
折りたたみたくはないし、筒をどこかで買って入れるのも面倒だし、考えてみれば、事務所の壁にコレを貼るスペースが全くないわ。

280_2ココが地下のライブ会場への入り口。
キャパは150人ぐらいとのこと。

290x奥の壁に飾ってあったストラトキャスター。
お店に人に訊いたところ、特別なモノではないそうだ。

300v地下にあるトイレ。
この洗面台がカッコいい…と思ってサ。

310vところで、ココって上にも書いた通り、パブではないのですよ。
いつもパブでやるようにカウンターで注文してエールがパイント・グラスに注がれるのを待っていると、「支払いは後で結構です、席までお持ちします」と言う。
「変だな…CODじゃないのか…」とは思ったんだけど、後で勘定を聞いてココがパブではないということがわかった。
1パイントが7ポンド以上するのだ。
この辺りだと高くても5ポンド、あるいはそれ以下が相場だろう。
ひとつ勉強になった。
でも、快く店内の写真を撮らせてくれたし、店員さんも感じがヨカッタのでよしとしましょう。
285お、こんなのあったんだ。
カウンターで勘定をした後に気が付いたのが「CLOCKWORK TANGERINE(時計じかけのミカン)」!
キューブリック展を観て来たばっかりだったので飲まなかったことをチョット後悔。
そうそう、ココでも当然フリーWi-Fiを使わせてもらったんだけど、パスワードが必要で、若い店員さんに尋ねた。
すると、チョット恥ずかしそうに「Bob Dylan!」と教えてくれた。
ディラン、来日キャンセルになっちゃったね。330_2あ~、オモシロかった。
トルバドゥールでオッサンのロマンを満喫した後は来た道とは反対の方向へ。
もちろん目的があってのこと。
コレは4年前に来た時に泊まったキッチン付きのホテル。

340_2そのホテルの隣の様子を見に来たのだ。
 
コレがそう…といってもこの写真はもう11年前に撮ったもの。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」。
「Center」じゃないよ、「Centre」だよ。
ココはイギリスだからね。
 
詳しくはコチラ ↓  ↓  ↓
イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ

350ブリティッシュ・ロック・ファンならきっとご存知のロックの聖地。
2014年のある時はこんな様子だった。
花柄のエキシビジョン・センター。

360キャパ20,000人の巨大施設。
今ではさいたまスーパーアリーナだの幕張メッセだの大きな設備があるけど、コレの会場は1937年だからね。
戦前からやってる。

11_img_0222左はエキシビジョン・センター。
写真の真ん中へんに見えているのが地下鉄「アールズ・コート駅」の入り口。
さっきのGREGGSのあった駅舎の反対側。

11_img_0223その1年後。
中にはもう入れなくなった。
取り壊しの準備に入ったのだ。

370_2そして、去年。
ハァ?…ココはどこ?
こんなんなっちゃった。
上の写真とほぼ同じ場所から撮った写真。

380_2ドワ~、ナンにもなくなっちゃったよ!
しかし、700万人もいる大都会のほぼ真ん中にこんな空地ができるなんてスゴイよな。
なんでこんなにユッタリしているんだろう。

390_2駅舎にナンの変化がないのがまた寂しさを誘う。

400_2伝説のコンサートも…

540ジャケットも、今は過去へのロマンと化したのだ。

Pc2こんな私でも20年近く前からエキシビジョン・センターは見てるからね。
帰りの地下鉄の駅から見た景色は寂しかった。410かつてはこうだった。430v今はコレ。
奥にあんな大きな建物があったのね?
嗚呼、変わりゆくロンドン…。420v_2<つづく>
 

200 
(一部敬称略 2019年6月10日 ロンドン、アールズ・コートにて撮影)

2019年9月19日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.41 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

こんなTシャツの展示も以前にはなかったゾ。
…と、写真だけ撮ってシレッと通り過ぎようとした瞬間に目に入って来たのが「ZAPPA」の5文字!

3001978年のネブワースのイベントTシャツ。
フランク・ザッパはヘッドライナーだったのかな?
「ZAPPA」とだけあるのがチョイと解せん。
1978年というと、ヴィニー・カリウタ以下あのスゴ腕メンバーが結集していて、「あのバンドはやろうと思えば出来ないことは何ひとつなかった」ぐらいのことをザッパに言わせしめたスーパー・テクニシャン集団の時期。
調べてみると、レパートリーは『Shiek Yerbouti』以降のヒットパレードといったところ。
観たかったナァ。
観客は45,000人ほどだったらしい。

0r4a0010私、17年前にネブワースに行ったことがあるんですよ。
後ろはネブワース城。
写真は撮らなかったけど、現地の人に「ココでレッド・ツェッペリンや10ccが演奏したんだよ」なんて聞かされて大興奮した。
この辺り、緑一色でものすごくキレイだった。もうね、到底この世のモノとは思えない。
移動の車の中から「ホントに美しい!ゴルフ場みたいですね!」とその連れて行ってくれた人に言うと、「ああ、そこゴルフ場だからね」だって。
ゴルフ場でなくても、日本のゴルフ場より自然で美しい。
イギリスの郊外は本当にキレイだ。

8_nw そして、The Tubesだもんね~。
更にピーター・ガブリエル。
Chrismaから最初のソロ・アルバムをリリースした翌年だったんだね。
この時のセットリストを見ると、「Moribund The Burgermeister」、「Here Comes The Flood」、「Waiting for the Big One」、「Solsbury Hill」等々そのファースト・アルバムの曲をバンバン演ったようだ。
私、あのアルバムが大好きだった。
2枚目が出てすぐに買って聴いたけど、まったくオモシロくなくて…以降ピーター・ガブリエルは一切聴いていない。
だから世間で「ゲイブリエル」と呼ばれていることもズット後になって知った。
私は「ガブリエル」でいい。
ファースト・アルバムの思い出を大切にしまっておきたいのだ。
それと、この時、ガブリエルはProcol Harumの「Whiter Shade Of Pale」やGenesisの「The Lamb Lies Down on Broadway」を演ってる。
やっぱり観たかったな~。

310フランス語って難しいよナァ。
全く素養のないアタシなんぞ下の「Champs・Eleysees」が読めませんでしたよ。
「チャンプス・エリシーズ」ってなんだ?みたいな。
コレ、「シャンゼリゼ」と読む。
読まないなら最後の「s」を付けるな!
「Theatre Des Champs・Elysees」だから「シャンゼリゼ劇場」ですな。
下を見ると「BALLETS RUSSES」とある。<前編>に登場したセルゲイ・ディアギレフの「バレエ・リュス」だ。
コレは1913年の告知ポスターで、ストラヴィンスキーの『春の祭典』が初演され、上へ下への大騒ぎとなった年。
『春の祭典』はシャンゼリゼ劇場の杮落し公演だった。
ポスターのデザインはジャン・コクトー。
モデルはニジンスキー。
出し物はミハイル・フォーキンという有名なバレエ・ダンサーの振り付けによる『薔薇の精(Le Spectre de la Rose)』という作品。
フォーキンは他に『シェヘラザード』、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』等のバレエ・リュス作品の振り付けを出がけた。
「薔薇の精」の音楽は、ウェーバーの元曲をヘクトール・ベルリオーズが管弦曲にアレンジした。
ニジンスキーが「薔薇の精」を演じ、バレエ・リュスの人気演目となったそうだ。

320vすっごいツマらない脱線をしてもいい?
私にとってはとても興味深い話だったもんで…。
これまでMarshall BlogやShige Blogで今回ヒザを痛めた話をしたでしょ?
あんな状態だったものだから、日本に帰って来てからというもの、日課のウォーキングができなんでいたのね。
だってあの激痛は二度とゴメンだからサ。
そしたらアッという間にプーランクが上がってしまい、困っていたのです。
「プーランク」というのは、尾篭な話ですが、オナラの回数のランクね。ニオイのランクに対しては使われない言葉。
運動不足で腸の働きが不完全になるのか、オナラがジャンジャン出てしまい、回数が上位にランクするようになった。
それが、ここのところヒザの調子もよくなったのでサポーターをして以前のように1日1万歩を目安に歩くようになった。
すると、アラ不思議!
プーランクが極端に下がり、オナラの回数は限りなくゼロになった。
すごいモンですな、運動の効果ってものは。
 
こんな話をしたのは、本人には大変失敬な話なんだけど、フランスの作曲家フランシス・プーランクの話をしたかったから。
以前は「プーランク」と「クープラン」の区別も怪しかったが今は違う…クープランも17世紀のフランスの作曲家ね。
ナゼ、プーランクの存在がそんな前面に押し出されてきたかというと、そのオナラのせい…じゃなくて、とにかくカッコいい曲がたくさんあるのよ!
「ピアノ協奏曲」とか「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」とか…。
それで調べてみると、プーランクもバレエ・リュスに関係していて、ストラヴィンスキーの『春の祭典』に心酔しきっていたそう。
そんな関係で、なんとストラヴィンスキーの「結婚」の初演でピアノを弾くことになっていたっていうのよ!
スゴクね?
残念ながら実現はしなかったが、実に興味深い話ではあるまいか!
Shige Blogに書いたように「結婚」って曲がメッチャ好きなんです、私。
記事はコチラ⇒【Shige Blog】ついに『結婚』!  
変な脱線しちゃってゴメンね~。でもバレエ・リュスつながり…ということで。
 
さて、V&Aはの『Theatre & Performance』の展示はこういうポスター群も見どころ満載。
アンナ・パヴロワか…まるで時代の空気を運んできてくれるようだ。
ま、ネタとしてはかなり取り扱いがラクな方だろう。
そのせいかどうかは知らないが、以前来た時とは総入れ替えになっていた。
ロックっぽいヤツを少々拾ってみると…

330まずはロバート・ジンマーマン。
ボブ・ディランね。
オーストリアのマーチン・シャープというポップ・アーティストが、1968年に『Oz』というアングラ誌のために制作したイメージ・ポスター。
同心円がディランの顔の周りをビッシリ囲っている。
コレは万華鏡のイメージで、当時のサイケデリック・アーチストが好んで使ったモチーフだった。
かけているサングラスの右レンズに入ってる文言は「Blowing in the Wind」。
幻覚剤で向こうの世界へ行っちゃってるイメージを視覚化しているのだそうです。

340v有名な『Isle of Wight Festival(ワイト島のフェスティバル)』のポスター。
なんかミュシャっぽくてよろしいな。
ちなみに外人に「ミュシャ」と言っても通じない。「ムーカ」だ。
「ゴッホ」は「ゴッ」ね。
ワイト島はMarshallを海外に輸出する時に使う港、サウザンプトンの南にある島。
ビートルズの「When I'm Sixty Four」で「そんなにお金がかからなかったら、毎年夏にワイト島にコテージを借りよう」って歌うヤツね。
「isle」と「island」の違いは、一般的に「island」は「島」を表すのに対し、「isle」は小さい島を指す。
で、このフェスは1968年が第1回目の開催。元々は『Great South Coast Bank Holiday Pop Festival』と呼ばれていた。
「Bank Holiday」というのは1871年に導入されたイギリス独特の国民の休日で、読んで字のごとく、銀行が営業を休んじゃう。
国民が働きすぎるので、銀行を休みにしちゃえば国民すべてが休まざるを得ない…ということで導入された国民の休日。
今年のバンク・ホリディは5月6日の「Early May Bank Holiday」、5月27日の「Spring Bank Holiday」、そして8月26日の「Summer Bank Holiday」。
全部月曜日なんだけど、あまりにも日本に関係ないせいか、いつがバンク・ホリディなのかがサッパリ覚えられん。
すると、Marshallにメールを打って返事が来ないとすぐに「なんだ、またバンク・ホリディか?」なんて勘ぐってしまうのだが、実は年に3日しかないの。
しかし『メリー・ポピンズ』じゃないけど、やっぱり銀行のステイタスが日本とはゼンゼン違うことを思い知るね。
だから、このワイト島のフェスも「バンクホリディを有効に使いましょう!」的な動きがあったのかも知れない。
あと「ボクシング・ディ」とかね。
で、このフェス、1968年から始まって3年ほど開催して終わっちゃった。
どんな人たちが出ていたのかは、羨ましすぎて悲しくなるので書かない。
そして、2002年に復活。
見た目はレトロ調だが、このポスターは2011年のモノ。
350vマルコ・ピローニ(Marco Pirroni)を従えた新しいバンド・メンバーで催行した1980年のAdam Antのコンサート告知ポスター。
「High Wycombe(ハイ・ウィカム)」というのはロンドンの北西、オックスフォードとのちょうど中間ぐらいにある郊外の都市。
「Town Hall(タウンホール)」というのは市庁舎。
イギリスの郊外にある町の市庁舎なんてところは間違いなく歴史があってステキな建物なんだけど、調べてみるとやっぱりここもスゴイ建物だった。
アダム・アントが出て来た頃って、私は大学生で、プロ・ミュージシャンになりたくて夢中になってバンドをやってた時分だった。
なんか「ジャングル・ビート」みたいな触れ込みで注目されていたように記憶しているが、私はどこがオモシロいのサッパリわからなかった。
今になって考えてみると、実はそうではなくて、彼らの音楽がわからないかったのではなくて、パンク/ニューウエイブに席巻されまくっていた当時のロックに与することができない「自分」がわかっていなかったのだと思う。
この辺りから急激にロックに対する情熱が失せ、そしてロックから離れて行った…自分にそんな変化をもたらしたミュージシャン、ということでアダム・アントって思い出深いんだよね。
みんな「なつかしの80年代」ってやってるけど、私は「80年代のロック」と今のロックは何も変わっていないと思っている。
しかしですね~、後でまた出て来るけど、このアダム・アントってのはイギリスではケタ違いに人気があったんですな~。

360ルー・リードも亡くなってしまったネェ。
1973年、代表作『Berlin』のレコ発ライブ。
会場はグラスゴーのアポロ・センター。
この時のコンサートはオールド・ファンの間では「悲劇」として認識されているそうだ。
今では『Berlin』はルー・リードの代表作とされているが、発売当時は大変な悪評をかった。
それでヘソを曲げたのか、ルーはこの時、スタッフに運ばれて来てステージに立ち…イヤ立たなかった!
ステージに仰向けになったまま全曲演奏し切ったのだ!
そして、演奏が終わるとまたスタッフが抱えてステージから降りた。
チョット見たかった気もするナァ。
でも私、ルー・リードとかヴェルベッツも苦手なのよ。

3701983年、15か国、96公演をこなしたデヴィッド・ボウイの『Let's Dance』のレコ発ツアーのポスター。
キャリア中最も長く規模の大きなツアーではあったが、それまでの「Ziggy Stardust」や「Diamond Dogs」等のツアーの時とは正反対に、セットはシンプル、衣裳替えもなしといった内容だった。
ナニ、デヴィッド・ボウイってこの『Let's Dance』が一番売れたんだってね~。
イラストの意匠はフレッド・アステアかな?

380v本家イギリスの博物館ゆえビートルズ関連の展示品ががたくさんあると思うでしょ?
そうでもないんだよね。
前回と展示が入れ替わっていて今回はこんなアイテムがディスプレイしてあった。
1964年のフィギュア。
もう「ビートルマニア」の皆さん垂涎のお品でございます。
メンバーひとりひとり別売りで、箱の中に取説が入っていた。
「簡単なパーツをくみ上げてチョット色を加えるだけでジョン(ポール/ジョージ/リンゴ)があなただけのモノに!」
誰のフィギュアが一番売れたんだろう?
リンゴか?
今と何ら変わらないんだろうけど、フィギュアのネタが人間っていうだけまだ時代が正常だったんじゃないかね?
そういえば昔、ドラムスのプラモデルってあったよね?
子供の頃は一体誰がこんなの買うんだろう?と思っていたけど、当時はドラムスなんてそう簡単に始めることができない高価で珍しいモノだったんろうね。

410もうイッチョ、ビートルズネタ。
イギリスのビートルズのファンクラブ、『The Beatles Offcial Fan Club』の1964年発行の会報。
こういうの「ファンジン」っていうの?
「Freda Kelly(フリーダ・ケリー)」という人が代表を務めたこのファンクラブはイギリス最大の規模を誇り、会員数は国内だけで5万人を優に超えていたという。

560ココでチョット映画ネタ。
この辺もアイテムも見たことがなくてかなり興奮した。
ヴィヴィアン・リーが1951年の『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』の撮影でかぶったカツラ。
ヴィヴィアンは役柄によって変化をつけるために頻繁にカツラを着用したそうだ。
そしてこの作品でブランチ・デュボアを演じる時、スタンリー・ホールという(偶然「スタリー」!)彼女のカツラ製作者に「グラマラスに見えないように!」とキツく指示を出したのだそうだ。
そこでホールはカツラの髪のボリュームを減らし、特に色もつけず、ブランチをみすぼらしく見せ、神経質で疲れ切ったそのキャラクターを作る手伝いをした。

430私はこのテネシー・ウィリアムズの戯曲にチョットした思い入れがありましてね。
大学の米文学の授業でこの作品をやったからなんだと思う。
といってもほとんど覚えていないけどね…ただひとつ、ブランチが妹のステラに向かって「あなたの名前はラテン語で『星』という意味だけど、私のブランチという名前は『蛾』という意味なのよ!」というセリフを吐くシーンがとても印象的だった。
イヤ、おそらく教授がココをドラマチックに説明したのだろう。
そもそも授業なんて聞いていないんだから。よっぽど受講者の耳目を惹いた説明だったに違いない。
下はV&Aとは関係がないんだけど、この映画の公開当時の宣伝ポスターを調べてみた。
いいね~、このコピー。
調べてヨカッタ。
こうある…「淫蕩の血と知性の相克!赤裸々な描破に依ってえぐり出された女性本能の姿!」
日活かッ?
ナンにも知らない人がこの惹句を耳にしたら間違いなくそっち方面の映画を想像することだろう。
「描破(びょうは)」なんて言葉は初めて見たよ。

12scndまぁ、とにかく映画はスゴかったね。
映画を見るといつでもニューオリンズの蒸し暑さを思い出すわ…行ったことないけど。
マーロン・ブランド扮するスタンリーと財産を巡って、精神を病んだお姉さんのブランチと妹のステラの確執が繰り広げられる。
監督はエリア・カザン。
カザンは舞台の演出をしてこの戯曲を大ヒットさせた。
舞台でもマーロン・ブランドがスタンリーを演じ、ブランチ・デュボア役はジェシカ・タンディが演じた。
観たかったな。
そして映画でブランチを演じたヴィヴィアン・リーは1952年、見事2度目のアカデミー主演女優賞をゲット。
もちろん最初のオスカーは1939年の『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役で、イギリス人女優初の快挙だった。
アメリカの男性たちは映画の中のスカーレットを見て「イギリスにはこんな美人がいるのか!」とビックリ仰天したという。
ところが、ヴィヴィアンはこの2度目のオスカーの授賞式を欠席した。
主演女優賞受賞者がアカデミー賞のセレモニーを欠席するなんて滅多にないことだ。
ヴィヴィアンは何をしていたのかというと、ブロードウェイでクレオパトラを演じていた。当時のご主人であったローレンス・オリヴィエと一緒にニューヨークにいたのだ。
彼女は楽屋で聞いていたラジオで受賞したことを知ったという。
下がその時のオスカー像。
スゲ~!
でもナンでココにあるの?
また、かわいそうなスタンリーの友人、ミッチに扮したデカ鼻のカール・マルデンは助演男優賞。
そして、ステラを演じたキム・ハンターも助演女優賞を獲得した。
ちなみにキム・ハンターはオリジナルの『猿の惑星』でチンパンジーのジーラを演じた人。
チャールトン・ヘストン演じるテイラー船長のキスを受けて恥じらうジーラはマシラながらとてもチャーミングだった。
日本での文学座の舞台では、そのヴィヴィアン・リーが扮したブランチの役を杉村春子が演じ当たり役となった。
私はお芝居にはほとんど興味がないが、杉村春子のブランチだけは観ておけばヨカッタとこういう機会に思い出しては臍を噛む思いをしている。
570vもうちょっと書かせてね。
それはエリア・カザンのこと。
カザンは共産主義者の疑いをかけられ、1950年代にレッドパージ(赤狩り)がハリウッドを襲った時、司法取引をしてダシール・ハメットとその奥さんのリリアン・ヘルマンを当局に売り渡してしまった。
ダシール・ハメットはサム・スペードの『マルタの鷹』を書いたハード・ボイルド作家。「血の収穫」は黒澤明の『用心棒』の下案として知られている。
一方、リリアン・ヘルマンは戯曲作家で、オペレッタ『キャンディード』を書いた人。
それに音楽をつけたのがレナード・バーンスタイン。
バーンスタインも共産主義者として知られている。
このあたりは【Shige Blog】レナード・バーンスタインの/とアメリカをご覧くだされ。
残念ながらこのオペレッタ/ミュージカルはヒットせず短命に終わった。
しかし、バーンスタインは何かのビデオで「舞台はダメだったが、音楽は残った」と言っていた。
そう、素晴らしいんですわ。
『ウエストサイド物語』に比肩するほどの名曲ぞろい。
コレは私の最近の超愛聴盤の『Candide』のオリジナルキャスト・レコーディング。
Candide
さて、エリア・カザン。
その後どうなったかというと、仲間を売ったことを非難され、業界で冷遇されてしまう。
しかし、1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」が授けられた。
私はこの授賞式の様子をテレビで見ていたが、プレゼンターはスコセッシとデ・ニーロで、その授与を賞賛する人たちがいる一方、一部からは徹底したブーイングが浴びせられていた。
カメラは客席のニック・ノルティを捉えたが、深く腕を組み、ものすごいしかめっ面をしていた。
「裏切りは絶対に許せない」ということだ。
スピルバーグやジム・キャリーらは拍手はしたものの起立はしなかった。
こういう時、向こうではスタンディング・オベーションが当たり前だからね。
反対に起立をしてカザンに拍手を送ったのはウォーレン・ビーティ(ロシア革命を題材にした『レッズ』なんて映画を撮ったぐらいだからね)やヘレン・ハントやメリル・ストリープらだったらしい。
リチャード・ドレイファスなんかは事前に反対の声明まで出していたそうだ。
 
今、駅のコンコースで500円(税別)ぐらいでDVDが買えるから観たことがない人は一度ぐらい観ておいても損はないよ。
消費税が10%なる前に急げ!

Scnd 『The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世の6人の妻たち)』というテレビドラマガあったとか。
コレはBBCの歴史に残る名作で、70年代のテレビ番組を代表するような出色の出来だったらしい。
み、観たい!…八っつぁんファンの私としては!
でもダメだ!DVDは出ているけど字幕版がない。こんな文芸作品を字幕なし観るなんてことはできんからな。

8_h8dそのドラマでヘンリー八世を演じたのはキース・ミッチェルというオーストラリア出身の俳優で、コレが当たり役となり1972年にテレビ番組の栄誉、アメリカのエミー賞を獲得し、その後も舞台でヘンリー八世を演じ好評を博した。
コレがその時のエミー賞のトロフィ。

580v1955年頃描かれたヘンリー五世を演じるリチャード・バートンの肖像画。
恥ずかしながらリチャード・バートンがイギリス人だとは知らなんだ…というか、気にしたこともなかった。
ウェールズの炭鉱夫であったジェンキンズ家に13人兄弟の12番目として生まれ、教師が養子にとり「バートン」と改姓した。
オックスフォード大学にも行かせてもらい俳優としてその才能を開花。
イギリスとアメリカの両方で大活躍した。
戦争映画や史劇、コメディやミュージカル等、様々なタイプの作品に出演し、7回アカデミー賞にノミネートされたが、生涯獲得することはできなかった。
マンガと怪獣ばかりの現在のハリウッド映画にあって、今のアカデミー賞なんて重みも威厳も意味もナニも感じられないけど、映画が最高の娯楽だったこの時代は大変だったからね。
グラミー賞もレコード大賞も同様。
演る方も観るほうもベテラン層と若者層の間が分断されちゃって、エンタテインメントの統一が図れなくなってしまい、こうした「賞」モノに意味がなくなって来たように思う。
年寄りはより凝り固まり(私です)、若者はより低きに流れて行ってることは否定できまい。

440vリチャード・バートンもヘンリー八世を演ってるんだよ。
『1000日のアン(Ann of the Thousand Days)』という映画。
「アン」とはもちろんヘンリー八世の2番目のお妃、アン・ブーリンのこと。
この役を演じたジュヌビエーヴ・ビジョルドがすごく可愛くて、気が強くて、いかにもアン・ブーリンっぽくてとてもヨカッタ(実際にアンに会ったことはありません。首を落とされた場所には行きました)。
バートンのヘンリー八世は大変クールでした。

Ann下はコヴェント・ガーデンに今でもある「Theatre Royal Drury Lane(シアター・ロイヤル・ドルゥリー・レーン)」の座席の価格表掲示板。
コレはナゼか6年前にも展示してあって、今でもこうして残っている。
なので、以前書いた文章を転用させて頂く。
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スゴイ。
真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ?
コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。
同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。

この補助通貨のシステムが異常に複雑で1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスと、20進法と12進法が組み合わさっていた。
さらによく映画なんかでも見かけるが、「ギニー」というのがあって、1ギニーが21シリングと同価値だったという。
このギニーというのは長い間価値が定まらず、18世紀の初めに1ギニーが21ポンドと決められたが、この辺りを主導したのはあのニュートンだったそうだ。
このポンドとギニーの1シリングの差はチップ込みか否かという表れだったらしい。

こんなんでどうやって買い物してたんだろうね?
今ではポンドとペンス(1の時はペニー。ペンスはペニーの複数形)しかないし、計算も100ペンスが1ポンドとごくごく簡単だが、1971年まではこのシリングを使ったシステムが通用していた。
Roxy Musicの「Three and Nine」という曲はこの複雑なシステムを題材にしていることは以前にも書いた。
この曲が収録されている『Country Life』は1974年の発表なので、そのチョット前まで、Bryan Ferryたちはこのシステムの中で生活していたことになる。
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そゆこと。
ちなみに我々にはなじみのない単位として、イギリス人は体重を表す時、「Stone(ストーン)」という単位を使う。
基本的にはメトリックの国ゆえ、重量は「t,g」を使うのに体重の単位だけは譲れないらしい。
先月、一緒になったイギリス人ドラマーに体重を尋ねると、ストーンでしか答えることができないのを発見して驚いた。
「じゃ、ポンドでいうとどうなの?」と質問を重ねたところ、「もっとわかんない」って。
1ストーンは6.35kg。

550vイヤだな~、自慢ばっかりになっちゃって!…そうじゃない。
「自慢」では決してなくて体験談だから。
そういえば、私が前の会社を辞める時に挨拶をすると「あ~あ、コレでシゲさんの自慢話も聞けなくなるのか~、寂しいな~」って言った若いギタリストがいたっけナァ。
私よりクチの悪いヤツだった。
でも、ナンだっていいけど、寂しがってくれてうれしかったよ。
彼、今ナニをやってるんだろうな…寂しいな~。
 
私の体験談とは、このドゥルリー・レーンで『My Fair Lady』を観たこと。
コレがその時のプログラム。「Programme」っていうイギリス式スペリングがいいでしょ?

8_0r4a0192例によってハーフプライス・チケットだったので席は一番後ろ。
ココすごくデカくてね、甲子園で言ったらアルプススタンドの一番上。
もうイライザ・ドゥーリトルもヒギンズ教授も顔はまったく判別できない距離。
それでも実際の舞台のすぐ横で観た『My Fair Lady』は格別だった。
下はプログラムの表2。
今は観光客で一日中賑わっているコヴェント・ガーデンもちょっと前まではこうした本当の市場だった。
その様子はヒッチコックの『フレンジー』でも窺い知ることができる…ラヴリッ!

8_0r4a0195ね、「THEATRE ROYAL DRURY LANE」って入ってる。
ゴメン、結局コレ、自慢だったわ!
8_0r4a0197『Theatre and Performance』の展示とだけあって…

500実際に舞台で使われていた衣装がタップリと飾ってある。

510強引な部分もあるけど、ナンカ今回は色々とつながってオモシロいナァ。
この顔色の悪い黒装束のオバサンは『オズの魔法使い』の「西の魔女」か?または、ミュージカル『Wicked』か?…同じキャラクターだけど。
『オズの魔法使い』といえば「Good bye Yellow Brick Road」じゃんね。
「黄色いレンガ」の道をたどって「オズの魔法使い」に会いに行く。
その「オズの魔法使い」の裏話が『Wicked』
邪悪な(wicked)西の魔女エルファバと善良な南の魔女グリンダとの知られざる友情物語。
ミュージカルは観たことがないんだけど、オリジナル・キャスト・レコーディングのCDは持ってる。コレがなかなかいい。
ハイ、脱線。

520脱線しない地下鉄でやって来たのは「London Victoria Station(ロンドン・ヴィクトリア駅)」。
ロンドンのターミナル駅のひとつ。

8_img_0206電車に乗ってテムズ川を渡ると2、3分で左側にコレが見えて来る。
あ、こういう風には見えないよ。
こんな感じ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所
今、この辺りは再開発が進んでいて、ショッピング・センターを中心とした巨大な複合施設を作っているんだけど、ロンドンのひとつのアイコンとして、この4本の煙突は残しているらしい。
といっても、こんな重量物をそのままにしておくのは無駄なので、なんと、プラスティック製の煙突を乗っけるそうだ。
ああ、ホンモノをジックリ見ておいてヨカッタ!…コレは自慢。

Am そして、エルトン・ジョンつながりをもうひとつ。
ヴィクトリア駅の真ん前の「Victoria Palace Theatre(ヴィクトリア・パレス劇場)」でやっていたのがエルトン・ジョンが音楽を担当したミュージカル「Billy Elliot」。
コレは後でもう一回チラっと触れる。

8_img_0211その劇場を背にこんなモノが立っている。
これは「Little Ben(リトル・ベン)」と呼ばれていて、フランスの「Elf」という石油会社からイギリスとフランスの友好の証として寄贈された。
ロンドンを歩いていると街中でよく時計を見かける。
昔は腕時計なんかなかったので、公共の場所に時計を設置して時間を知らせていたんだね。
さすが「世界標準時」の国だけのことはある。
このビッグ・ベンのミニチュアはアチコチを移転したが、現在は元あったこの場所に戻ってきた。
で、この時計、実際のロンドンの時刻より1時間進んでいて、フランスと同じ時刻を示している。

8_img_0215プラークを見ると「リトル・ベンのサマータイムのお詫び」としてあって、その下に「Couplet(カップレット=対句)」が刻まれている。
リトル・ベンが何を謝っているのかと言うと…
「私の手(時計の針のこと)は進んでいたり、遅れていたりするかも知れません」
「私の心拍はイギリスとフランスの真実を示しています」
わからん…リトル・ベンはナニを言ってるのか?
調べてみた。
むかしむかし、イギリスは「サマータイム」という制度を知らなかった。
その後、サマータイム制を導入した。
リトル・ベンが刻む時間はフランスに合わせているため、夏季のみリトル・ベンが正しい時間を示すことになった。
秋になってサマータイムが終わると、リトル・ベンが示す時刻はまた1時間進んでしまうことになる。
でも、「それらの異なっている時間はイギリスにおいてもフランスにおいても真実なのです」として友好関係を表しているらしい。
ん~、よくわからんな…というのは、フランスもサマータイムをやってるんですけど。
でも、EU全体でこのサマータイムを廃止するかも知れないんだよね。
日本はどうなったんだろう?
経済効果がなく、国民の健康にも害を及ぼすと言われているこの制度…ま、日本の優秀な政府のことだから、みんなが止めた頃始めるんじゃないの?
サマータイムを導入してカジノでタップリ楽しもう!ってか?
おおっとっととっと…コレ以上は書かねーゼ。

8_img_0213そして、ヴィクトリア・パレス劇場の隣にある「Apollo Victoria(アポロ・ヴィクトリア)」と言う劇場で『Wicked』が上演されていた。
2014年に8年のロングランを経て終演した。
コレだけの話。
イヤ、この写真を撮ったの大分前なんだけど、こんな大きな駅前の真ん前に劇場がふたつもあるなんてビックリしたんだよね。
ソレだけの話。

8_img_0218色とりどりの舞台衣装の他…530こうした小道具の展示も充実している。

540芝居やミュージカルの衣装だけじゃないよ。
ロック・スターの衣装。
コレも結構入れ替わっていた。
 
まずはコレ…。
『ボヘラ』の次は『ロケットマン』ってか?
またぞろ「にわかエルトン・ジョン・ファン」が急増するんだろうな。
ま、映画ぐらいはいんだけどサ。
亡くなった時に爆発的にファンが増えるのはどうなのよ?
プリンスのことはサッパリわからなかったし、興味がなかったけど、どデヴィッド・ボウイのアレはないんじゃないの?
「あ~、デヴィッド・ボウイが逝ってしまって、もうショックで、ショックで…」
「エ~、アンタ今までボウイの『ボ』の字すら口にしたことなかったじゃんよ!」
「イヤ、『ジギー・スターダスト』好きだったんだよ。あの『グロリア』って曲が特に…」
「ダメだ、コリャ…」ってなところだろう。
ナゼ私がコレを言うかというと、イギリスに行くと感じるんだけど、デヴィッド・ボウイってイギリスの文化そのものなんだよね。
要するに世の中に与えた影響がオッソロシク大きかった。
Pink Floydなんかにしてもそうなんだけど、日本ではどうしてもKing CrimsonやYesやELPと同一線上でしか現れないけど、イギリスでは全く違う。
今、多分、一般人の口からPink Floydの名前は出てもKing Crimsonの名前がでることはまずないと思う。
要するにボウイにしてもフロイドにしても、「音楽」が作ったひとつの「文化」なんだね。
だから何も知らないにわかファンが、あたかも自分の青春を捧げたかのように上っ面だけ死を悼むのを見ているのが恥ずかしいんだな。
エルトン・ジョンは<前編>で登場した通りだ元気だけど、もしもの時に、『Goodbbye Yellow Brick Road』を引き合いに出すとすれば、「Staturday」や「Bennie」のことをどうこう言う人は怪しいな。
それより「Sweet Painted Lady」や「Harmony」や「Roy Rogers」のことに触れて欲しい。
ちなみに私は「Skyline Pigeon」が大好きです。
ということで、エルトン・ジョン。
 
1974~1975年のアメリカ・ツアーの時の衣装。
この時期のレジはというと、1974年に『Caribou』、75年に『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』と『Rock of the Westies』をリリースしている。
最後のいい時…レジもコレに続く1978年の『Blue Moves』までだな。
この後も『The Lion King』や『Billy Elliot』なんて世間的にいい仕事はしているものの、70年代初めのクリエイティビティに比べたら何をかいわんやでしょう。
『The Lion King』は「心配ないさ~」しか知らないけど、『Billy Elliot』はCDを買って来てみたけど
全くピンと来なかった。若い頃は10分ぐらいで作曲をしていたらしいね。
その才能たるやすさまじかったらしい。
夜中にバーニーが詩を書いてピアノの上に置いておく。
翌朝レジがそれを見ながらコードをつけて「♪フフフン」と歌って1曲仕上げる。
以上…その間10分。
10分以上取り組んでも良いメロディが出ない時は容赦なくその歌詞をボツにしたらしい。
こうして歌詞にメロディを付けるもんだからレジの曲はやたらと歌うのがムズカシイ。
コーラスによって歌詞の譜割りがマチマチなのだ。

400vこの「Bicycle John(バイシクル・ジョン)」と呼ばれる衣装はその名の通り、自転車をモチーフにしたデザインで、ベル、ハンドル、泥除け、反射板などの要素が詰め込まれている。
背中の「27」はこのツアーを行った時の年齢だろう。
調べてみるとレジは1947年。コレに27を足すとこのアメリカ・ツアーをやった年の「1974」になる。
しかし「歴史に『if』はない」とよく言うけど、ロックの歴史へは「if」の持ち込みOKとしよう。
エルトン・ジョンの髪の毛がフサフサだったらこの稀代の天才作曲家にしてスーパースターはこの世に存在していたか…。
『ロケットマン』、老人割引の日に観に行ってみようかな?

450v皆さん大好きのLed Zeppelin。
1975年のジミー・ペイジのステージ衣装。

460vモチーフは古代のヘブライとエジプト。
難解な宗教と神秘主義という個人的な趣向が反映されていたのだそうだ。
世界的な人を得、パフォーマンスが過激になるにつれてステージ・衣装もドンドン派手になっていった。
コレ、ジミー・ペイジのデザインで、ご本人から寄贈されたそうです。
歩いて持って来たのかな?
ジミー・ペイジの家ってココから近いからね。
『【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く』
で紹介した家ね、先日ロンドンに住む音楽業界のイギリス人の友達に聞いたら、まだココに住んでるんだって。

470vね~、またアダム・アント!
スゴイ人気だったことが窺えるでしょ?

480v1981年、この衣装を着て撮影されたのがこの「Prince Charming」という曲。
展示の解説によると、この曲がもっともよく知られているナンバーだとか。
全く知りませんし、理解もできませ~ん!

2008年のアルバム『Viva la Vida』のイメージに合わせて作ったColdplayのクリス・マーティンの衣装。
デザインはポールとリンダ(またリンダ!)の間の次女、ステラ・マッカートニー(また「ステラ」!)とサラ・ジョウェットという人。

490vウ~ム、コレがその『Viva la Vida』か…いいジャケットだな。
絵はドラクロワの「Liberty Leading the People(民衆を導く自由の女神)」。1830年。
衣装はこのフランス革命のフランス軍の軍服をモチーフにしているのだそうだ。
しかし、こういう絵に出て来るヒロインっぽい人たちってなんで乳だしてんだろうな?
「なりふり構わず!」ということなのだろうか?
ジャケに惹かれて音を聴いてみる…なかなかいいモンだね、2回は聴かないけど。
コチラさんはものスゴイ人気なんでしょ?
やっぱり日本のそういう人気のバンドさんとは全然趣きが違いますな~。大人だわ。
2番目に収録されている「Cemestries of London」という曲に「朝日のあたる家」のメロディの一部が出て来てドキっとしたわ。

8_vlv以上!
こんなに書くつもりはなかったんだけど脱線が脱線を読んでこういうことになってしまいました。

590最後までお付き合いくださってありがとうございます。
また何年後か、展示が入れ替わった頃を見計らって訪れてみたいと思う。
V&A大好き!
近くにあれば年会員になってもいいぐらいなんだけど…もっと近ければな~。
ということで、ココから先はオマケ。
V&Aの近場をご紹介。

600V&Aの近くにはヴィクトリア女王がロンドン万博で得た利益を元に造った世界的に有名な博物館が散在しているけど、それを通り抜けてハイド・パーク方面へ歩くと、辺り一面レンガづくりの建物のエリアとなる。
ココも見事だよ。

610こんなモノを発見。
イギリスの大指揮者、マルコム・サージェントが住んでいたフラット。
サージェントはロンドン・フィルの客演指揮者をよく務めたり、ロイヤル・リヴァプール・フィルやBBC交響楽団、BBCプロムスの常任指揮者を務めた。
そのリヴァプールの関係か、サージェントはアビィ・ロードでレコーディングしていたビートルズを表敬訪問したことがあったそうだ。
元々、アビイ・ロード・スタジオはクラシック音楽のための録音スタジオなワケで、当時はクラシックの有名な音楽家がたくさん出入りしていて、ビートルズの面々もジョージ・マーティンを介してそうした音楽家の薫陶を受け、音楽性を高めた…と見る人もいるようだ。

8_img_9519 で、見えて来るのが…

8_img_9513コレ。

8_img_9515ロイヤル・アルバート・ホール。
1回も入ったことがなくってね~。
Zappa Plays Zappaが出るっていうんで、大決心をしてMarahalllの知り合いにチケットを頼んだことがあった。
売り切れで見事撃沈!
いつもこうして外から眺めているだけ。
観たいモノがあればチケットを買ってもいいんだけど、好みのモノをやっていた試しがない。

8_img_9526 入り口の横に催し物の予定表があった。
ハハハ、ちょうどアルバート公の記念碑が反射して写ってら。
どれどれ、見てみようか…どうせ観たいのなんてやってるワケない。

630v17日…イギリスを離れる日にブライアン・フェリーか…。
高校の時に中野サンプラザで観たし、Roxy Musicの初来日公演も武道館で観たからいいや。
オイ、ちょっと待て!
その次の日から3日間、King Crimsonじゃねーかよ!
18日はもう日本にいるわ~!
ね、こうして絶対にいいのが当たらないのよ。
King Crimsonも浅草の国際劇場で初来日公演を観たけど…あ~あ、ナント言ってもハイド・パークの隣で観てみたかったな~。

640v

200_2 
(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)

2019年9月17日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.40 ~ V&A『Theatre & Performance』の最新展示

  

今回の旅では何度もサウス・ケンジントンに行ったナァ~、と思ったけど2日続けて2回行っただけだったわ。
Shige Blogで細かくやったし、今日のMarshall Blogもそうだから何回も行ったような錯覚をしているんだな。

06博物館エリアに向かうサウス・ケンジントン駅のコンコース。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの旧作のリバイバルの告知ポスター。
デザインは好き。

Img_9403コレもアンドリュー・ロイド・ウェバー。
残念ながら、何度音源を聴いても両方ともピンと来ない。
『Cats』とか『Sunset Boulevard』はあんなにいいのにナァ。
『Evita』も『Phantom』も『Jesus』だっていい。
しかし、この2つはどうも馴染めないんだよナァ。

Img_9406 そこへ行くとコレだよ、コレ。
チケットはもう9月まで売り切れだっていうんだけど、何とか観て来たんだ!
メチャクチャおもしろかった。
こういう類のモノでは人生で一番オモシロかったかも。
Marshallとはさすがに何の関係もないので、詳しくは後日Shige Blogでレポートする…イヤ、させてください!
10本立てぐらいになるかナァ…それはサスガにオーバーだけど、それぐらいジックリ鑑賞してきた。
で、日本に帰ってきてすぐに『オレンジ』をまた観てしまった!

07vまたV&A…ヴィクトリア&アルバート博物館。
V&AについてはShige Blogに書いておいたのでコチラでは詳しくやらない。
Marshall Blogでは、キープしてあったロック・ネタを披露する。
あ、ロックとクラシックと映画ネタか。10あと写真ネタ…。
というのは、ココへ来るのは6年ぶりになるのかな?
知らない間にこんなのが出来ていた。

20「Photography Centre」という写真関連アイテムの展示コーナー。
入り口にはゾロリと写真機が展示してある。

30v レアなヤツなのかな?
毎日のように写真を撮っているけど、私はカメラ自体には見事に何の興味もない。
カメラの知識がないために「アレが欲しい」とか「グレードアップしたい」とかいう欲望も湧いてこない。
使い慣れたデジタル一眼レフがあれば、もうそれだけで十分。

30でも写真には興味津々。
早速中に入る。

35ホ~ラあった。
大好きなセシル・ビートンの「memento mori」という作品。
「メメント・モリ」というのは犬神サアカス團の曲にもあるけど、「自分が必ず死ぬことを忘れないように!」、「死を忘れちゃダメよ!」という意味のラテン語の警句。
忘れなくなるね~、この年になってくると…というか、結構何ごとも「あと何年ぐらいか…」と意識するようになって来た。
人生でどうしてもやらなくてはならない大業がまだナニも進んでいないからね。
また、そういう時に思うのは「とにかく生きている間に少しでもいい音楽やオモシロい本を読んでおかなきゃ!」というチョットした焦りだ。
特にプライベートで聴く音楽は、もっともっと勉強したいと思ってる。
私のような欲張りなリスナーは、最後はやっぱりクラシックしかなさそうなことがわかってきた。
クラシックにはまだまだ知らないメロディやリズムやハーモニーがいくらでも詰まってるからね。
今、近代クラシック音楽と民族音楽が聴いていて一番オモシロい。
とにかく新鮮なのだ。
でもジッ~と集中して聴いていないと耳に入って来ない。
コレがツライ。疲れる。
そういう時には昔のロックを聴く。1975年までのロックね。
「やっぱり、いいな~」と感動するんだけどすぐ飽きる。
そしてジャズを経由してまたクラシックに戻る。
ナンカこれで最後まで行きそうだ。
そしてやっぱり死ぬまで聴き続けるのはビートルズとザッパか。キンクスもかな?
 
ちなみにクラシックって、そうやってチャンと聴いていないとヘビメタよりノイジーなんですよ。
ジャズやロックはそんなことない。
でも聴かないクラシックはベラボウにうるさい。
生来、クラシックを聴く素養が自分にないからか?

40この展示室の名前を見てビックリ!
「サー・エルトン・ジョン&デヴィッド・ファー二ッシュ・ギャラリー」という。
エルトン・ジョンとはあのエルトン・ジョン…レジナルド・ケネス・ドワイトね。
もうちょっと言うと「Elton John」ってのは、Soft MachineのElton DeanとSteampacketのLong John Baldryから取って付けた名前 。
Steampacketはロッド・スチュアート、ブライアン・オーガー、ジュリー・ドリスコルなんかがいたことでも有名だけど、ドラムスがミッキー・ウォーラー(ジェフ・ベックの『Truth』のドラマー)だった。
ミッキーがジム・マーシャルのお弟子さんだということに興味を持っているのは私だけで、もはやイギリスのMarshallにも誰もいるまい。
デヴィッド・ファー二ッシュというのは、どっちが「ネコ」でどっちが「タチ」だかは知らないが、エルトン・ジョンのご主人か奥さん。つまりパートナー。
しかし、「猫ひろし」という芸名を考えた人はスゴイ。

502018年10月にオープンしたそうだ。
道理でしらないワケだ。前回来たのは6年前だからね。
2人はスゴイ寄付をしたみたい。
世界に冠たるV&Aの中に自分の名前を冠したこんな立派な展示室を作るとあらば、生半可な額の寄付では実現できないだろう。

60ところが、コレ2022年にはまた拡張されるんだって。
残しておいたって仕方ないもんね、レジはエライ。
こうして自分の資産を文化のためにつぎ込むというのも一種の「ノブレス・オブリージュ」なんだろうね。
この精神が日本にも根付くといいんだけどね。
この辺りが世界の一等国と極東の五等国の違いだろう。
ヘンテコりんな絵を何億円で買ったり、月へ行こうとしたり…情けない。

70コレを皆さんにお見せしたかった。
大した内容ではないんだけど、存在がスゴい。
「ハイライツ・フロム・ザ・マッカートニー・コレクション」…もちろんこの「マッカートニー」とは、1967年5月15日、カーナビ―・ストリートの「Bag O'Nails」というライブハウスに出ていたジミ・ヘンドリックを観にやって来たポール・マッカートニーとソコで出会ったアメリカ人女性カメラマン、リンダ・イーストマンのこと。
その後、ポールと結婚したリンダはWingsに加入してヘタなコーラスと誰にでもすぐに弾けそうなキーボーズで観客の耳を苦しめた。
ウソウソ!
ゴメンナサイ!実はリンダ好きです。
カメラマンだっていうから、私はリンダってズッとイーストマン=コダックのお嬢さんかと思っていたけど全然関係ないんだってね。
中学生の時、ミュージック・ライフの夏の号にリンダがプールで水着になっている写真が載っててね、今でいう「お巨乳さん」で、ロック好きの男子生徒の間で大変な話題になったんだ~…といっても男子校だったんで男しかいなかったけど。
それが一番のリンダの思い出かな?
 
フーン、リンダってローリングストーン誌の表紙になった写真を撮った最初の女性なのか…1968年、被写体はクラプトンだって。

80こんな感じで展示してあった。
あんまりたくさんではない。

90まずは、八村塁選手。
あの2人、顔が似てるって言われているけど、それよりも声がソックリでしょう。
それは頭蓋骨の形が似ているからなんだよ。
レゾナンスが同じなの。
今回の取材では、以前は見ることの出来なかった八村選手の家の中までお邪魔したのです。
後日、例によって詳細なレポートを掲載するのでお楽しみに!

100ノエル・レディングとミッチ・ミッチェルも一応撮ってある。

110vいいよな~、ビートルズを撮れちゃうんだから!

130コレはポールのプライベート・ショット。

140コレはYardbirdsの最後の方か…。
でも、リンダの写真って私はいいと思わないんだよな~。
正直、まったく惹かれない。
だって、同じジミやジャニスでもジム・マーシャルの写真と比べてみてよ!
写真のストーリー性がゼンゼン違う。
撮っているのは普通の人間で、ミュージシャンであることが伝わって来ない。
ま、テメエの写真をタナに上げて言っておりますが…。

120v館内にはチラリチラリとロックに絡んだ展示を見かける。

150ただの飾りが多いけどね。

160でもココは違う。
V&Aで一番好きな場所。
「Theatre and Performance」というエンタテインメントのアイテムをフィーチュアしたコーナー。
6年ぶりでガラリと様子が変わっていて期待大!
さっそく入ってみよう!

170入り口に展示されているのはMadnessグッズ。
私は今でも全くの門外漢だけど、カムデンから出て来たMadnessも今年でデビュー40周年だって!
ホンダCityのコマーシャルは印象的ではあった。
スカなんてのがロンドンから出て来るところがオモシロい。
レゲエもそうだね。
いかに人と違ったことが尊重されるのかがわかる思いがする。
展示品はすべてMadnessから寄贈されたモノだそうだ。

180余計なお世話だけど、私の「Madness」はコッチ。
ジャズつながりで…

Nf1937年、映画『踊らん哉(Shall We Dance?)』のフレッド・アステアの衣装。
この映画の挿入歌「誰も奪えぬこの思い(They Can't Take That Away From Me)」はアカデミー主題歌賞を獲得し、後にジャズの大スタンダード曲になった。
アステアはサヴィル・ロウにあった「Anderson & Shepperd」という仕立て屋の熱心なファンでもちろんこの衣装も100%ビスポーク。
ダンスの時に自由に動ける服に仕上がるようにテイラーさんたちの仕事を注意深く監督したという。
そして服が出来上がると、その衣装の縫い目を確認するために、全身が映る鏡の前で実際に踊ってテストをするのが好きだったという。
こういう話は大好きだ。
また、色は黒に見えるが、実際は濃紺なのだそうだ。
それは、モノクロで撮影する時、黒よりも濃紺の方がキレイに撮れるから。

190vこの衣装を身にまとっている実際のシーンがコレ。
ボタンは付け替えているようだ。
Princeのクツ。
この写真だとわかりにくいんだけど、奥の横になっている方の靴底を見て。
Princeの激しいステージ・アクションに耐えられるようにヒールを金具で固定していたんだって。
コレもわかりにくいけど、ジッパーの金具(Zip puller)がPrinceのロゴになっている。

200さて、チョットここでツマらないことを書かせて頂くけどガマンしてチョーダイ。
「懐かしい!」と思う読者は過ぎ去りし若き日々を懐かしんでチョーダイ。
 
中学の時に比較的ナヨっとしたヤツがいて、クラスの不良がソイツのことを「パイソン、パイソン」って呼んでいた。
それにつられてクラスのみんなも自然に「パイソン」と呼んでいたが、なぜソイツが「パイソン」と呼ばれているのかその理由を知る者がいなかった。
私なんかは小学生の時にモデルガンが流行していたので、「パイソン」と聞いた時、すぐにコルト・パイソンを連想した。
それも6インチだ。

Cpナゼ6インチかというと、『ワイルド7』のオヤブンがコルト・パイソンの6インチを愛用していたからだ。
もう夢中になって読んだね、『ワイルド7』は。連載していた少年キングは1回も買ったことなかったけど。
飛葉がコルト・ウッズマンで、世界ってのがモーゼルだった。ルガーとか南部のヤツもいたな。
今、ワイルド7がいたら「あおり運転」なんて一発で撲滅できるだろうにナァ。
ちなみ私は「緑の墓」が好きで、飛葉が「オレは手錠がキライなんだ!」というセリフがとても印象的に残っている。
『秘密探偵JA』もすごく好きだった。

8_obで、そのナヨっとしているようなヤツのアダ名がピストルのような男性的なモノに由来しているワケはないでしょ?
しからばヘビのパイソンか?
まったくヘビっぽくない。
しかし、スゴいガラのデザインだな、パイソンって。
それで、どうしても気になるのである時、そのクラスの不良に「パイソン」の由来を尋ねてみた。

8_11181すると、ソイツは「だって、モンティ・パイソンは『オカマの恐竜』じゃん」と答えた。
理由はそれだけだった。
こっちはあまりにも内容のない理由にビックリしてしまって「あ、そう…。それだけ…?」以外に反応のしようがなかった。
そう、それだけみんな見てたのが「モンティ・パイソン」。
ナニ曜日だったかな?東京12チャンネルで夜10時から放映していた。
あんなにクダらないことをやっているのがイギリスの一流大学を出た人たちで、制作・放送しているのが国営テレビ局だって知ってビックリしたね。
まだ13、14歳の時だからね。
そでがサ、まさかエリック・アイドルの地元を訪ねることができるなんてあの時は夢にも思わなかったりなんかしちゃったりして!(もちろん広川太一郎風に)
まったくAlways look on the bright side of lifeなのです。
 
で、そのモンティ・パイソン、いくつもオモシロいエピソードがあったワケだけど、学校で特に話題になったのは「Sam Peckinpa's Salad Days(サム・ペキンパーのサラダ・デイズ)」というヤツ。
最近、ナニかの折りにMarshall Blogで「サム・ペキンパー」なんて名前を出したことがあったけど、今の若い人はサム・ペキンパーなんて名前を聞いてもピンとこないだろうナァ。
やたらと乱暴な描写が多い、男臭いダイナミックな作風で人気を呼んだアメリカの映画監督。
『ワイルドバンチ』、『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』 、『ゲッタウェイ』、 『ガルシアの首』…どれもヨカッタ。
ロバート・ライアン、アーネスト・ボーグナイン、エドモンド・オブライエン、ベン・ジョンソン、スティーヴ・マックイーン、そしてもちろんウォーレン・オーツ…出ている役者もよくてね~。
今のアメリカ映画、こういう役者さんはどこへ行ってしまったのかしら?
そして、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』はボブ・ディランが音楽を担当したんじゃなかったっけ?
私はとりわけ『わらの犬(Straw Dogs)』という作品が好きだった。
ダスティン・ホフマンが気弱な数学の大学教授かなんかの役で、セクシーな奥さんがスーザン・ジョージ。
研究に没頭するダンナに欲求不満を覚え、奥さんが家の修繕に来ていた荒くれの大工を奥さんが誘惑しちゃう。
するとそれに味を占めた大工たちが奥さんを襲いにくる。
それをダスティン・ホフマン扮する気弱な大学の先生があの手この手で1人でその大工たちを退治するんだな。
その暴力描写がすごくてね、家には武器がないので沸騰させた油をブっかけたりね。
時折使うスロー・モーションがトレードマークでね。
コレは黒澤明が『用心棒』で見せた手法を取り入れたと言われているんじゃなかったかな?
とにかく迫力ある暴力シーンがウリの監督だった。
そのペキンパーの作風をパロディにしたのがこの「Sam Peckinpa's Salad Days(サム・ペキンパーのサラダ・デイズ)」。
さわりだけYouTubeで見ることができる。


コレは次の日の学校で大きな話題になった。
では、このタイトルにある「Salad Days(サラダ・デイズ)」というのはナニか?
「Salad Days」というのはミュージカルの作品のタイトルだ。
1954年にブリストルで始まったこのクリスマス向けのミュージカルは大きな評判となり、すぐにロンドンのウエストエンドに移って来て、2,283回という記録的上演数を誇った。
最近までやっていたようだ。
この作品は1950年代、小難しくなったブロードウェイのミュージカルに対抗し、「清く明るく楽しく正しいミュージカル」を標榜した。
考えてみれば、ロンドン・パンクと同じよ。
確かにオリジナル・ロンドン・キャストの音源を聴くと、ピアノをバックに、毒のない、古式ゆかしい、やたらとまじめそうな曲がズラリと並んでいる。
ま、私なんかにはちっとも面白くない。
つまり、さっきのモンティ・パイソンはそんな「清く正しい」ミュージカルをサム・ペキンパーの名を借りて正反対の「血みどろのSalad Days」にしちゃったところがオモシロいわけ。
イギリス人なら誰でも「Salad Days」を知っているからそこをオモシロがるんだけど、我々はそんなミュージカルを知らないのが普通だから、血がドバ―っという大げさでスラップスティックなところを笑うしかない。
このコントの本当の狙いはそうではなかったのだ。
ブラックです。
そのロンドンでの超ロングラン公演で使われていたピアノがコレ。

210ココまで初めて見るものばかりだが、コレも初めて見た。
コレはブロニスラヴァ・ニジンスカという女性バレエ・ダンサーの衣装。
元々は他の男性バレエ・ダンサーが来ていたもので、スカートを足して女性用の衣装に仕立て直した。
ナゼか…劇団の経費節減のため。
その「他の男性バレエ・ダンサー」とはヴァスラフ・ニジンスキーのこと。
ブロニスラヴァはヴァスラフの4歳年下の妹なのだ。

220vその衣装を身につけたブロニスラヴァの1921年の写真。

230コレをニジンスキーが着ていたとはね~。
ホンモノですからね。

240もうイッチョ、ニジンスキー。
1898~1907年にニジンスキーが学んだ「帝国ロシア・バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)」の卒業証書。
この証書がバレエ団への推薦状になった。
コレはニジンスキーの母エレノアが1921年にロシアを離れるときに秘密で持ち出したもの。

250次…1921年にロンドンで撮られた写真。
向かって左から2人目が「Ballet Russes(バレエ・リュス)」の主宰者にしてディレクターの、天災興行師セルゲイ・ディアギレフ。
ディアギレフは同性愛者で、ニジンスキーと恋仲であったが、心変わりをしてしまい、ニジンスキーは発狂してしまう…というシーンがハーバード・ロス監督の映画『ニジンスキー』に出て来る。
その映画でディアギレフを演じたのがアラン・ベイツというイギリスの俳優でやはり同性愛者だったらしい。映画の中ではスゴイ存在感でとてもいい演技をしていた。
そのディアレフの左隣の小柄な男性はイゴール・ストラヴィンスキー。
ストラヴィンスキーはバイセクシャルだった。
そして向かって一番右の男性はセルゲイ・プロコフィエフ。
ディアギレフはストラヴィンスキーやプロコフィエフを「自分の息子」と称していたという。
プロコフィエフもそっち系の人だったのかな。
写真は初めて上演されたプロコフィエフのバレエ作品である『道化師(Le Chout)』公開時に撮影された。260vん~、観たことがないアイテムに入れ替わっていてうれしいな。
ココは本当にオモシロい。
でもね、真っ暗で照明に色が付いているため実に写真が撮りにくい!

270演劇のポスター色々。
お芝居に興味はないが、こういうもののデザインを見るのは楽しい。

280『We Will Rock You』の5周年を記念して2000部限定で発行されたプログラム。
しかし、Queenはこないだの『ボヘラ』といい実にウマいことやったよな。
やはり残した作品のクォリティがベラボウに高かったことと、それを平気で商売に使ってしまう大胆さや厚かましさのバランスが取れていたんだろうな。
別に放っておけばいいんだけど、やっぱりリアル・タイムでQueenを経験している私の周囲の人たちは、「アレはおかしい」と言う人が多いね。
私はQueenファンであったことは一度もないのでどうでもいいのだが、反対に映画の面白さとしては全くピンと来なかった。
それより私はこのミュージカルの方がヨカッタな。
Queenの曲が使われているけどQueenとは関係ない筋立て。

290『We Will Rock You』は2002年5月、トッテナムコートロードのドミニオン劇場で初演された。2005年8月には、それまでドミニオン劇場で上演されたミュージカルの中で最ロングランを誇った『Greese』を抜いて歴代1位になった…って、どれも短かかったんだな~。
この劇場のキャパは2,163席。
ウエスト・エンドでもかなり大きな劇場の1つなので、この記録は立派なモノらしい。
何年か前まではフレディのこの景色が当たり前だったんだけどね。
2014年5月に4600回に及ぶロングランで幕を閉じた。

8_img_0334私がこのドミニオン劇場に観に行った時のプログラム。
200回記念とか言っていたように記憶しているが、それを記念して、アンコールの『Bohemian Rhapsody』ではホンモノのブライアン・メイがステージに登場してギター・ソロを披露した。
そして、終演後はホールの出口に立ってお客さんを見送っていた。
この時のバンドは、Wishbone Ashのローリー・ワイズフィールド、もしくは(バンドの様子は客席から見えない)一時期Marshallのデモンストレーターをしていたフィル・ヒルボーンがギターを弾き、ニール・マレイがベースを弾いていた。
しかしね、客席の後の方はガラガラでカーテンで仕切ってスペースを縮小していたな。
あの日は特別に空いていたのかな~。
2004年とかそんなもんだっと思うんだけど、アソコから10年もロングランしたとは信じられないんだよね。
途中で客が増えたとしか考えられない。
2wwrp当然、今はもうフレディの姿はない。
『BIG』がかかっていた。
コレも何回目かのリバイバルだろう。
と言うのは、私はこのミュージカルが始まってすぐぐらいにブロードウェイで観たの。
それがもう20年以上前のことだもん。

8_0r4a0648コレがその時の「PLAY BILL」。
ブロードウェイでは作品解説や出演者の紹介、劇場の説明を載せたこうした簡単なプログラムを無料で配布している。席の上に置いてあるのね。
ま、ほとんど広告よ。
劇場が「Shubert Theatre(シュバート・シアター)」となってるでしょ?「Theatre」とイギリス綴りになってる。
ブロードウェイからチョット西に入った「シュバート・アレイ」にある。
ココへ入れたのがすごくうれしかったのを覚えている。

8_2big…というのは、メル・トーメがミュージカル・ナンバーを歌った『Mel Torme Swings Shubert Alley(メル・トーメ・スウィングス・シュバート・アレイ))』が私の愛聴盤だったから。
このアルバムでジャズのスタンダードになったミュージカル曲をたくさん覚えた。

Mtsa コレ、上の写真の5日後に撮った者なんだけど、『BIG』の看板が隠されてるの。
ナンでだろう?
もう終わっちゃったのかな?

8_img_9548<つづく>
 

200_2 
(一部敬称略 2019年6月7日 Victoria and Albert Museumにて撮影)

 

 

2019年9月11日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.39~キンクスに会いに行く!<後編>

05さて、困った!
何とかこのままイースト・フィンチリー駅までガマンしてトイレに駆け込もうと思っていたんだけど、バスが来ない~!
もうどうにも仕方がないので、クリソールド・アームスまで戻ってトイレを借りることにした。

10_3レイとデイヴの家まで行って…

20_3その前がクリソールド・アームスでしたね。
さっきのThe Kinks Roomには誰もいなかったのでシレっとトイレに直行。
仮に何か言われても「さっきココでエールを頂いたモノです」と言えば問題なかろう。

30_3尾籠な話で恐縮ですが…古いパブなんかに行くとこういうタイプの男性トイレがあるんだよね。
コレ、イヤなんだよな~。

40_2上のヤツはD_Driveがリハーサルをしたウルヴァ―トンというところにある「Craufurd Arms」というパブのトイレ。
ひとりの時はゼンゼンいいんだけど、隣に外人が入って来たりすると思いっきり委縮しちゃう。
でもどうしてもチラっと隣を見ちゃう。
「(え?腕かと思った)…」なんてね。
失礼しました。
で、トイレネタの本題。

50_2コレはクリソールド・アームスのトイレ。
何かズラズラと書いてある。
ナニナニ…
「私たちのリアル・エールの品質を保つために次のことにご協力をお願いします」
ハイヨ、ハイヨ。
「エールを飲んだ方は左側で、ラガーを飲んだ方は右側で、それ以外の方は真ん中で用を足してください。こうすることで樽に戻す時に種類が混ざるのを防ぐことができます」
あ~、やっぱり戻してるのか!
もちろん私は左側で用を足してお店に協力しました。
アホンダラ!
ナニが「クロス・コンタミネーション」だ!英語で言うとカッコいいじゃねーか!
ああイカン、格式高いMarshall Blogを自ら台無しにしてしまった。

60_2さ、気を取り直し……と。
またバス停に戻ってしばらく待っていると、地下鉄ノーザン線のイースト・フィンチリー駅行きのバスが来て10分もしないウチに到着。

70そして、南方面行きの電車に2駅ほど乗ると目的地の「Archway(アーチウェイ)」に着く。

80_3ホラ、またあった!
ソロソロ説明をすると…コレは迷路のように見えて…実は「迷路」なんだって。
マーク・ウォリンガーというアーティストの、その名もズバリ「Labyrinth(迷路)」という作品で、地下鉄の開通150周年を記念して2003年から展示が始まった。
全270駅にこういうのを取り付ける計画だそうだ。
電車が来るまでの間、コレで遊んでリラックス…とかいう意味合いがある、と何かの記述で読んだことがある。
私はもうずいぶん前からコレに気がついていて、4年前にロンドンに来た時より今回は確かに増えているような気はするが、誰かがコレを指先でツツツ~とナゾっている所など今の今まで一度も見たことがない。
各迷路には右下に「〇〇〇/270」とナンバリングが施されていて、このアーチウェイ駅のヤツには「170」が採番されている。
こんなことをされると気になるんだよね~、1番が!
どこの駅なんだろう。

90_3この「Labyrinth」についてはこんなビデオも制作されている。
アート云々より、ロンドンの地下鉄の様々な光景を見ることができてオモシロいよ。
興味のある人は見てみて!


アラ~、なんかキレイになっちゃったな~。

100_3駅前のようす。

120_3コレは2009年に行った時のようす。
花壇を取っ払っちゃったんだね。

125_2エラく広々としちゃって印象が変わったと思ったら…

130_3名前まで変わっちゃった。
「ナビゲーター・スクエア」…大層なお名前になりました。
かつては「アーチウェイ・クローズ」と言っていたのか。

135_2ココまで来た理由はコレ。

140_3ナビゲーター・スクエアの奥で威容を誇っている建物。

150_3コレが「Archway Tavern(アーチウェイ・タヴァーン)」。

160_31971年の『Muswell Hillbillies(マズウェル・ヒルビリーズ)』のジャケットとなったパプ。

180cd_210年前はこんな感じで1階はいかにもライブ・パブみたいな風情だった。
訪れた時にちょうどナニかをやっていたので、その時は店に入らなかった。
図々しく入っちゃえばヨカッタ。
また、中にはたくさんの人がいたので外から店内の写真を撮ることも控えた。
人がいないところをシレっと撮っちゃえばヨカッタ。
後悔。

170v…というのも、今、こんなんなっちゃったんだもん!
ジャケットの写真とは似ても似つかない。

191小ぎれいなレストランって感じ?
10年前はまだジャケットみたいな風情をしていたんだよ。

205_2これじゃ「Muswell City Boys」じゃん。
そもそも、ココはマズウェル・ヒルではないけどね。

206ジャケットを見開いてみるとこんな感じ。

207今、コレ。
ココで「Have a cappa tea」か?

190_3ハイ、またロンドンのロックの名所がひとつ消えました。

210_4お、裏にこんなの発見。
「Kolis」というのはカムデンでKing Creatureが出演していたクラブだ。

220_3この後、キングス・クロスまで帰って来て、あのカナル博物館に行って失敗した…と。
コレで私のマズウェル・ヒル探訪記はおしまい。
天気もよくて、道中も楽しかったし、マズウェル・ヒルは魅力的だし、最高の1日だった!
 
でも、キンクスのKonkスタジオも行っていないし、チーズ屋もフィッシュ&チップス屋も気になるし、訪れたい場所がまだまだマズウェル・ヒルには残っている。
だから今回はまだ小手調べってところかな?
Asakusa RedneckはまたMuswell Hillbiliesに会いに行くゼ!
230_3…その前に。
このシリーズの締めくくりにホンモノのマズウェル・ヒルビリーをご紹介しよう。
イヤ、「ヒルビリー」なんて言ったら怒られちゃうか!
それはToshiさんという日本の方…。

240vToshiさんに初めてお会いしたのは…というか、まだ1回しかお会いしてないんだけど…2015年11月のこと。
渋谷のO-EASTでのことだった。

250_3Toshiさんはこの時、Wildheartsのジンジャーのサイド・プロジェクト、Hey! Hello!のメンバーとして来日した。

260_2Hey! Hello!はジンジャーとギターのThe RevがMarshallを使用していることもあったが…

270_2ドラムのAiさんがNATALのプレイヤーで、そのサポートをさせて頂いたのだ。
もうイギリスではNATALは当たり前のドラム・ブランドですからね。

230v それでToshiさんに話を伺うと、マズウェル・ヒルの住人だっていうじゃない!
もうアタシャ興奮しちゃってサ。
いつかマズウェル・ヒルのToshiさんを訪ねようと思ってズッとチャンスを狙っていて、今年の6月に行った時にお邪魔しちゃおうと思ったんだけど、残念ながらToshiさんは仕事でフィンランドかなんかにご出張中だった。
ところが、ヒョンなことから先月また思いっきりつながってしまった。

280_3日本のバンドをイギリスに紹介する仕事をしているイギリス人と一緒になった時、その方のお住まいを尋ねるとマズウェル・ヒルだと言う。
「キンクスの大ファンなんですよ!それに日本人の友達がひとりマズウェル・ヒルに住んでいるんですよ!」と言うと、「チョット待って!その日本人ってなんていう方?」と訊き返してくる。
「Toshiさんって言うんですよ」と答えると、「ええ!Toshiを知ってるの?」とかなりのビックリもよう。
その人はToshiさんと何度も仕事をしたことがあるというのだ!
地球の裏側まで来て、自分の仕事仲間を知っているなんてヤツがいきなり現れたらそりゃ驚くわな。
こういうところはIT技術のいいところで、その場でマズウェル・ヒルと連絡を取りあってビックリする人をもう1人増やしたというワケ。
それがToshiさん。

290vToshiさんは今、Sex Pistolsのスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成したThe Professionalsのベーシストとして活躍している。
近い将来、私もまたお仕事でToshiさんとご一緒する機会が出て来そうだ。
 
そして、今回この記事を書くにあたって、Toshiさんにお願いししてマズウェル・ヒルの生活について語って頂いた。
Marshall Blogもナンダカンダで10年やってるけど、こういうやり方は初めてだよ。
Toshiさん、Marshall Blog2回目のご登場。
マズウェル・ヒルからの生のレポートをお楽しみアレ!

460s_2みなさま初めまして。
The Professionalsというバンドでベースを弾いております、Muswell HillbillyのToshiと申します。
シゲさんのご好意で拙いレポートをMarshall Blogに載せていただくことになりました。
 
皆さんの持つ「マズウェル・ヒル」という町のイメージというと何でしょうか?
ロンドン北部の住宅街?
役者やモデル、ミュージシャンの住む高級住宅地?…等があると思いますが、やっぱりThe Kinksでしょうかね?
でも、The Kinksについてはシゲさんが書かれるでしょうから、ココでは全く関係のない、私の普段の生活を書かせて頂きます!
 
この町に引っ越して来たのは約7年前のことですが、コレといって特別な思いがあったワケではなくて、「北ロンドン」、「値段」、「機材を収納するスペース」という条件くらい。
最後の「機材を収納するスペース」っていうのがいつも引越しする際に問題になってくるのです。
私達、イギリスで活動するミュージシャンは、自分の機材でライブをするっていうのが当たり前なので、自分のギターやベースは勿論、アンプ類も所有する事になるワケですが、ある程度の会場で出来るようになるとそれなりの物を揃えたいものですよね?
しかも結構大きなものになってしまう場合もあるわけで…。
ベース・プレイヤーの私は比較的大容量のアンプヘッド、それをでっかいキャビで鳴らすっていうのが大好きなので、それなりのスペースが必要になってくるわけです。
(…と、Toshiさんが例に挙げたのは8x10"のベース・キャビ。こういうヤツね…
300v
…それと大型のアンプヘッド)
 
そういう機材のセットをライブの度に会場に持って行って、ライブをやって、また家に持って帰ってくるワケです。
もちろんコレを持ってツアーにも出ます。
バンドのみんな、クルーの嫌われ者です!
  
話を街の方に戻します。
住んでみてまず思ったこと、今まで住んできた所に比べると静かだな…っていうことですかね。
もちろんロンドンなので、それなりに交通量もありますが、今までの所と比べると猥雑さがあまりないせいか、静かに感じるんでしょうね。
ちなみに家の前の道はこんな感じです。
310_3そして、この町の特徴として、「電車が走ってない」というのがあります。
コレが大きな魅力でもあるのですが、人々の足を遠ざける理由にもなっております。
毎日お仕事に通う人にとってはとっても不便だから…。
電車が走ってないということは「駅がない」ということ。
つまり目的地へは自転車、もしくは車で行くか、最寄りの駅まで電車で行くか、または最寄りの駅までバスに乗って行くか、等々の選択肢から交通手段を選ぶことになるのですが、ロンドンで車を持つ意味が感じられない私はもちろん車は所有してません。
したがって、歩くか、バスか、の選択肢になります。
歩くと時間がかかるので必然的にバスになるのですが、日本のようにそのバスが時間通りに来る…なんて考えで家を出ると、ほぼ確実に遅刻することになってしまうので、時間にゆとりを持たせて家を出ないといけません。
朝のラッシュアワーの時などは、乗客の数が定員に達するとバスは停留所を素通りしちゃいますからね。
なので「道がすっごい混んでてバスが…」って言うと、遅刻も意外と許されます。

ロンドンのどこに行くにもまず中心に向かって、電車を乗り換えて、さらに東、西へと向かいます。「マズウェル・ヒルから直接西へ!」なんていう考えは、車を持たない私には存在しない選択肢なのです。
するとどうするか…。
まずは、最寄の駅の「Highgate(ハイゲイト)」までバスで15分。
向かう道中、マズウェル・ヒルlの真ん中を通ります。その名も「Muswell Hill Broadway」。
320v_2下の写真の中でピンクの髪の毛の女性が道の真ん中を歩いていますが、これは道を渡ろうとしているところ。
もちろん信号はあるのですが、日本と違って歩行者用信号が赤でも自分の責任で安全を確認して渡りさえすれば、お巡りさんが目の前にいても何も言われません。
私はつい日本で同じことをして、何度か怒られました。
330_3この道沿いにToff’sというフィッシュ&チップスのレストランがあるのですが、このお店は「ロンドンナンバーワン」との呼び声が高いのでお越しの際は是非お試しを。
340_3レストランの壁にはお店宛に送られたIron Maidenのプラチナデイスクがいくつか飾られております。というのもIron Maidenのドラマー、ニコが常連客なのです。
うちのご近所さんで、ビーチサンダルでペタペタ歩いてる姿をよく見かけます。

8_ts 大通り沿いではなく、ひっそりと隠れてる様なHighgate駅の入り口。
ここから街の真ん中へ。
350v帰りもHighgateで降りて長ーいエスカレーターを上って…
360vHighgate Woodという森の入り口からバスに乗ってMuswell Hillへ。

370v元々ロンドンは涼しい街なので、エアコンというモノは家にはもちろん、バスにも地下鉄にも付いてません。
コレらの写真を撮った日のロンドンは暑そうには見えませんが、30℃を越えていまして、ロンドンの人間に30℃越えはとってもキツイです。
よく「その革ジャンを脱げ!」と言われますが、脱ぎません。
「お洒落は我慢」です!
(Shige:あ、コレコレ!写真右側。このSainsbury'sの地図で助かったの)
380_2お天気のいい日は外のテーブルについて、コーヒーを飲んだり、ご飯を食べたり、ビールを飲んだり。
教会を改装したステーキ・レストランとか、高級なお肉屋さんとか、魚屋さん、スーパーマーケット、カフェ、レストラン、パブ、銀行、郵便局など生活に必要なものは大体揃ってますので、わざわざ街に出なくても用は足りちゃいます。
390_2Fortis Green Roadの角にある映画館。ソファでくつろいで映画見れちゃいます。
Fortis Green Roadといえばあのバンドですね。この道をウロウロしてたんでしょう。
400_2「Muswell Hill」という地名の通り、高台に位置しているので、天気のいい日はロンドンを一望出来ます。
百万ドルの夜景とは程遠いですが、夜もそれなりのモノが見れますよ。
近所にAlexandra Palaceという建物があるのですがそこからの景色はなかなかのもんです。
昔はBBCのテレビ塔。ライブ会場としても使われております。
410_3家に向かう下り坂の様子。
430_3緑が増えてきたり、ゴチャゴチャ感が減ってきたり。
このどこかにIron Maidenのドラマーの家が…。
俳優の Mackenzie Crookが普通に歩いてるのに遭遇したことも。
450_3不便といえばとっても不便なマズウェル・ヒルですが、「住めば都」という言葉もあるように、私にとっては「都」になってきてるんでしょう。
お店の人達とも顔馴染みになって、ちょっとオマケしてもらったり、普通に世間話をしたり…。
420v治安が良いと言われているロンドンでも地域によっては危険な香りがする場所もあります。
でもココではそういったことを一切感じたことがないし、トラブルに見舞われたこともありません。
ライブを観に行って、アフター・パーティに参加すると間違いなく電車がなくなっちゃいますので、深夜バスを乗り継いで帰るか、タクシーで帰ることになる。
そうしてお出かけが高くついちゃうことが多々あるんですけどね…。
  
以前はもうちょっと町の真ん中近くに住んでいたので、どこに行くにも自転車だったのですが、家に帰る道中に恐ろしく長い、しかも結構急な坂道があったので自転車生活は諦めました。
「大雪が降るとバスが登れなくなっちゃうくらいの坂」と言ったら想像しやすいですかね?
実際、「もうこれ以上行けないから降りて歩け!」って言われて真夜中に大雪の中歩いて帰った経験もありました。
 
幸いな事に私のバンド The Professionalsはそんなに練習熱心ではないので、ベースを担いでバスに乗ったり、電車も乗ったりなんてことをしょっちゅうする必要がなくてホッとしております。
でも、ドラムのポール・クックはハマースミスの住人で、そんなに遠くまで行きたがらないから、彼の家の近くのシェパーズ・ブッシュにあるスタジオまで行かないとイケないのです。
うちから1時間20分…。
そんな The Professionalsは次のアルバムのために曲作りとレコーディングをしております。
秘密のスタジオで…。
10月にはUKでのライブ、ドイツのツアーが控えているのでお近くにお越しの際にはゼヒ!
470vその前に私はUgly Kid Joeのボーカル、Whitfield Craneのソロ・ツアーが9月4日 (これを書いてるのは9月3日です)から始まるのですが、そこでベース弾いてきます!
お近くの方はコレもゼヒ!
ロンドン公演は9月14日、会場はHighburyにあるGarageです。
475vご覧頂きました皆様、お時間ありがとうございました。
そしてシゲさん、素敵な機会をありがとうございます!
 
Big Love from London
Toshi x
460s_2

イエイエ、こちらこそどうもありがとうございました。
実際にマズウェル・ヒルに住んでいる方、しかもミュージシャンの方のお話をお聞きするなんて機会はそうあることではありませんからね。
貴重な情報として半永久的にMarshall Blogに記録させて頂きます。
Toshiさん、今日はニューキャッスルか…いいナァ。
ニューキャッスルもすごく好き。
今日はジョーディたちの前でひと暴れですな?
がんばって!

 

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

 

480_3

2019年9月10日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.38~キンクスに会いに行く!<中編>

ようやっとのことで着いた「The Clissold Arms(ザ・クリソールド・アームズ)」。
10_2コレがThe Kinksファンの聖地か!
30_2見た目は普通の「郊外型パブ」といったところ。

20_2入り口のドアの横には「Campaign for Real Ale(キャンペーン・フォー・リアル・エール)」のプラークが掲げられている。
「1960年12月、The Kinksの創始者であるレイとデイヴ・デイヴィスが初めて公衆の場で演奏をした場所。The Kinksは最も影響力の強いイギリスのロック・バンドのひとつで、バンドが解散するまで各々のメンバーはその後に世に現れた音楽ジャンルの父とみなされた」

40いつか書いたようにイギリスのパブは大抵どこかの大手ビール会社が運営していて、自社の商品を卸すのが当たり前の図式になっている。
この「Campaign for Real Ale」というのは、そんな事情を憂いインディーズで経営している伝統的なパブを大手ビール会社への系列化から守る運動をしている団体。
いい人たちだ。
1971年から活動していて、その会員数は19万3千人にも上る。
私も入っちゃおうかな~。
様々なビールのフェスティバルなども企画しているっていうし。
で、気になるのはこのプラーク。
他にどんなパブに付いているのか調べてみたのだが、その範囲は音楽関係にとどまらず、歴史的な場所から、食べ物に関する場所…たとえば「スティルトン・チーズ発祥の地」なんてのもあった。
イギリスはかなりのチーズ文化国で、日本に来たイギリス人に言わせると、日本の食べ物は何でもおいしいけどチーズだけはダメだそうである。
私は特にチーズが好きなワケではないのでこんなことを言われてもゼンゼン平気。
このスティルトン・チーズというのは世界三大ブルー・チーズの一角なのだそうだ。
そして、有名なチーズ専門店がこのマズウェル・ヒルにもあることは前回書いた。
 
他にリバプールに行けば「ジャカランダ・クラブ」といって、ビートルズの最初のマネージャー、アラン・ウィリアムスが開いたパブにもこのプラークが付けられているそうだ。
ウィリアムスは地下室をリハーサルの場所としてはジョンやスチュアート・サトクリフらに貸し、ビートルズ、正しくは前身のシルバー・ビートルズがその店で演奏したのだそう。

8_camralogo

そして、フォーティス・グリーン・ロードを挟んだクリソールド・アームスの向かい。

60コレがレイとデイヴィスの生家なのだそうだ。
お世辞にも「結構なお住まいで…」などとは言えない庶民向けデタッチト・ハウス。
いわゆるイギリス式棟割り長屋。
私も友人が住むこの手の家に何度かお邪魔したことがあるが、チョット狭いけど建物の向こう側にはバックヤードがあったりして、棟続きとはいえ「戸建て感」が十分にあって結構いい感じ。

50迷わず店の中に入ってみる。

80_2お昼時だったが店内はガラガラ。

85と思っていたら奥に広いテラスがあって結構にぎわっていた。
エールを頼んで、写真撮影の可否を問うと「ご自由にどうぞ~!」ということだったので、遠慮なくやらせてもらった。

90_2まずはソファに座ってひと休み。
結構歩いたからね、ノドが乾いた。
しかし、「Real ale云々」なんてことはナニも言ってなかったな。
ま、こっちはハンド・パンプで注がれるエールなら何でもいいんだけどね。100_2このテーブル!
「K」だらK!
120_2「God Save the Kinks」か…、

125「God Save the Kinks」は伝記本のタイトルにもなっている。

Gsk私はこっちを読んでみた…『ひねくれ者たちの肖像(原題:The Kinks  The sound and the Fury)』というもうひとつの伝記本。
ハードカバーで500ページを超す大著なんだけど、読み切るのにかなりの忍耐を要した。
何度途中で放り出そうと思ったことか…。
レイとデイヴの不仲話を中心に、メンバー間の不調やイジメが延々と書いてあるだけという印象。
何かこう、もう少しレイの天才的な作曲能力の秘密に迫るような内容が含まれていたらヨカッタんだけどな~。

8_kb2 「ひねくれ者」か…。
そもそも「kink」というのは「よじれ」とか「もつれ」とか「ひねり」という意味だからね。
Marshallが1962年に発売した記念すべき第1号モデルのJTM45に搭載されていたパワー管ははじめ5881だったが、後にKT66となった。
KT管はイギリスが開発した真空管で、「KT」とは「Kinkless Tetrode」、つまり「よじれのない四極管」の頭文字だ。

Kt66 さて、店内の壁のメモラビリアを見てみると…。
 表のプラークと同じことが書かれている飾り。

130_2「Lola」のシングル盤。

140_2デイヴのポートレイト。

150_2店内には色んな写真が飾ってある。

160_2コレは「Waterloo Sunset」。170_2ドデカイ「K」。
舞台装置かなんかだったのかしらん?

180_2その後ろの壁面にはアルバム『Word of Mouse』のジャケットをモチーフにした「The Kinks ROOM」のサイン。
ね、「キンクス部屋」なの。

190_2店内に入って左側の壁面。

200_2やっぱり「Dedicated Followers of Fashhion」はロンドンっ子テーマ・ソングみたいなものなのかね?

210_2流行のファッションに血道を上げてカーナビ―・ストリートに集まって来るミーハーの若者を歌った1966年2月のシングル・ヒット曲。

240_2こっちの壁面にも写真がズラリ。

220_2パブリシティ・フォトから…

235チョットしたライブ写真まで色々。
300_2コレも「Waterloo Sunset」。
やっぱりロック史に残る必殺の名曲だからね。
ホントにこの曲好き。
ローリング・ストーン誌が選ぶ「500 Greatest Songs of All Time」というリストの42位にランクインしている。
もっと上でもいいんじゃないのか?もっとも日本ならランク外だろう。
ちなみにこのリストの上位を見てみると…
10位がレイ・チャールズの「Waht's I say」。
9位がNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」…知らんがな。
8位以上は「Hey Jude」、「Johnny B. Goode」、「Good Vibrations」、「Respected」、「What's Going On」と続く。
で、3位が「Imagine」。
2位が「(I Can't Get no)Satisfaction」。
そして栄えある第1位は「Like a Rolling Stone」だってサ。
英語圏と日本のロックの鑑賞の仕方の違いが如実に表れていると思う。
ところで、やっぱAreaの「Luglio, Agosto, Settembre (nero)」は入ってねーな。

230_2キンクスの名曲で構成したショウ『Sunny Afternoon』の告知ポスター。
4年前、ロンドンに来た時に演っていたんだけど観にいかなかった!
エラく後悔している。
代わりにこのショウの音源を聴いたんだけど、その臍を噛む思いはチョット晴れたね。
コレはまたもうチョット後で。
250_2コレはファンが作ってくれたのかネェ?
キンクスのゆかりのある建物の紙細工。
時計回りにいくと、左上は上の写真にあったデイヴィス兄弟の生家。
その隣はこのクリソールド・アームズ。
右の下はココのほぼ向かいにあった「The Alexandra」という、レイとデイヴが若い頃に入り浸っていたというお店らしい。パブか?今はもう無くなっていた。
最後は1981年のアルバム『Give the People What They Want』のジャケット撮影現場。

270熱心なファンを装っていても、『Preservation』以前の旧作ばかりを聴いているウワベだけのファンなんですよ、私は。
Aristaに移籍したあたりから、パンク/ニューウェイブの煽りを受けて「何とかバンドのサウンドを変えないと!」とレイが焦っているような感じがして聴くのがツライ。
ムリして80年代の商業ロックの仲間入りなんかすることなかったのに!
でもこのパブリシティ・フォトにある1982年の『State of Confusion』は好き。
ナント言っても「Come Dancing」とか「Don't Forget to Dance」といった名曲が入ってるからね。

280_2でもジャケが!
この時期の2枚は一体どうしちゃっただろうね。
色目は変えてあるけど、写真の撮影現場も上の紙細工のところで一緒だもんね。
一種の連作になってるのかな?
「民衆が望むモノを与えよ(Give the People What They Want)」…でも与えられないから「混乱状態(State of Confusion)」になってる?

2

1 同じ壁の奥。

310_2コレは楽譜だね。

320v「DAVRAY MUSIC LIMITED」というのはレイがやっていた音楽出版社。
今もあるのかも知れません。
「DAVRAY」は「Davies」と「Ray」をくっつけたモノだろう。

330_2住所を見ると「17, Savile Row」とある。
調べてみると、ビートルのアップル本社が入っていたビル、言い換えると「Roof Top Concert」と呼ばれている、1969年1月にビートルズが屋上で開いたビルから100mぐらい行ったところ。
この「Poole & Co.」というテイラーの隣。
クソ!コレを先に知っていたらドンズバで写真を撮ってきたのに!

8_img_4799コレは入り口のある壁に飾ってあるポートレイト。ファンからのプレゼントなんでしょうね。
「空想の男とデイヴ」となっている。

340_2下の写真の額縁に入っているのは、テキサスに住む熱心なキンクス・ファンからクリソールド・アームスのソニアという人に宛てられたお礼の手紙。
店内が暗かったので奥の方にピントが送れておらず、書いてある全部の単語を解読することはできないが、読めるところだけ拾い出すと…
「ソニア
The Kinks Roomの一員になる機会が持てたことに心から感謝申し上げます。
(中略)
レイとお話することができたのはとても光栄なことでした(2010年に彼は私のTaylorギターのバックにサインを入れてくれたんですよ)。レイは私の永遠の音楽ヒーローです。
 
以前にもお伝えした通り、写真はテキサス・オースチンのもうひとりのキンクスの大ファンあるリンダ・キャロルトンが『Schoolboys in Disgrace』ツアーの時に撮影したものです。(考えてみれば41年も経ったんですね。いまだによく覚えています)
 
とにかくありがとうございます。展示は、ロンドンに戻って来れる大幸運に恵まれた時に「またクリソールド・アームスに来なさい」という私とメアリーに対する指令ですね(寄付と写真に関する名前のクレジットもありがとうございます)。
もしよろしかったら、それが展示された時に携帯で私のPCに写真をメールして頂けませんでしょうか?
 
本当にありがとうございます。GOD SAVE THE KINKS!!!
 

                  スコットとメアリー・シェンケル
                      キャロルトン、テキサス」

シェンケルさんがクリソールド・アームスにキンクスの何かを贈呈して、お店がそれを飾って、そのことを知ったスコットが直筆で礼状を書いたんだね。
エラく感動しておりますな~。
私みたいのがアメリカにもいるのね。
ま、私はこうしてMarshall Blogでお店にお邪魔した感動を綴らせて頂きます。
まさかシェンケルさんって「Cal Schenkel」の親戚かなんかじゃないだろうな。そっちの方がうれしかったりして!

350_2スコットの手紙に出て来たキンクスの『Schoolboys in Disgrace』というアルバムはコレ。1975年の作品だから、今からだと44年前のリリース。
私がThe Kinksの名前を知ったのはこの辺りかな?
音楽雑誌でこのジャケットをよく目にした。
しかし、このイラストがミッキー・フィンの作品とはね~。
器用だな~。

Sbdミッキー・フィンはT.Rexのパーカッショニスト。
要するにマーク・ボランの相棒だ。
ミッキーはずっとNATALのパーカッションを愛用していたんだよ。 

Mf_3コレは「Sunny Afternoon」のシングル盤。
「およげ!たいやきくん」の元の曲ね。

360_2今度は店に入って右側の壁。

370_2こっちの壁には主にスクラップが飾ってある。380vスゴイね、コレ。
ブリティッシュ・インヴェイジョンがまだ盛んなりし頃のアメリカのコンサート告知ポスター。
Herman's HermitsにThe Dave Clark 5、The KinksとMoody Bluesはコレが初めてのアメリカ公演だった。
キンクスはこの前に、カーディフのステージ上でデイヴとドラマーのミック・エイヴォリーが殺人事件寸前のヒドイ乱闘騒ぎを起こし、物騒なバンドとしてアメリカへの入国が禁止されていた。
以上はすべてニューヨークの「The Academy of Music」という会場。
The Academy of Musicはユニオン・スクエアにほど近い場所にあるオペラ・ハウスで今は「Palladium」という名前になっている。
言っておきますけど、こういう劇場の名前なんかはみんな元はロンドンですからね。
「London Palladium」というのはウエストエンドでも最も有名な劇場。
そして、さすがビートルズ!
コンサート会場はあのシェイ・スタジアムですよ。
その下に出ている「The First New York Folk Festival」もオモシロい。
出演はフィル・オクス、チャック・ベリー、ジョニー・キャッシュにバフィ・セイント・マリーだって。

390vシングル盤のジャケットいろいろ。
420_2コレは2010年にクリソールド・アームスでライブを演った時のスクラップ。

400v真ん中の名刺みたいなヤツがチケットだったようだ。

410_2コチラの壁にはこんなデコレーションが。
「♪Fortis green preservation society」とつい口ずさんでみたくなる。
残念ながら「Village Green」は「Fortis Green」のことではない。

430_2ソファ用のテーブルとして使われていたユニオン・ジャック柄の箱。
なんかいい。

440_2『Sunny Afternoon』ショウの告知看板。
上に書いた通り、4年前にロンドンに来た時に見逃した。
それで、後にこの音源を聴いたんだけどちっともオモシロくなかった。
もちろん収録されている曲、あるいは上演されていた曲はキンクスの珠玉のヒットソングたちで文句のつけようがないんだけど、やっぱりレイやデイヴの声じゃないとダメなの。
ビートルズってそんなことないじゃない?
もちろんビートルズの音楽はジョンやポールの声があって初めて完成するものだけど、曲のパワーがあまりにも強いので、あの声がなくても何とかなる。
キンクスはあのレイのあのチョット鼻にかかった声やちょっとガナリ気味なデイヴの声でないと曲の魅力が半減しちゃう…ということに気がついた。
他の人が違う声で歌う「Waterloo Sunset」を聴いても全然グッと来ないのです。
歌は「声」ですな~。

450_2店内をすべて見終わった頃、老若男女の団体が入って来た。
聞き耳を立てていると、どうやら子供さんの誕生祝いの席だったようだが、「♪ハッピーバースデイ」を歌うワケでもなし、それぞれに運ばれて来た料理をボソボソ食べているだけの静かなお誕生会だった。

110_2以上。
全部見た!
満足した!

460vもう一度レイとデイヴ・デイヴィスの生家を見て、近くのバス停までフォーティス・グリーン・ロードを歩く。

470_2お、葬儀屋だ!

480_2日本だとほとんどが白い瀬戸物の入れ物だけど、向こうは骨壺が自由に選べるらしい。
今、チョット見てみたらAmazonって骨壺も売ってるのね。

490_2おお、この「Leverton & Sons」という葬儀社はこの地域の2018年の「ベスト葬式プランナー」の最終選考まで残ってるよ。

500最寄りのバス停に来た。
コレで「East Finchley(イースト・フィンチリー)」まで行って、地下鉄に乗って次の目的地に向かいます。

510v653番は「School Journeys」か…。
ロンドンでは学校が当局に登録を申し出ると、生徒が何人かのグループになっていれば、ピーク時を除いて無料でバスが乗れるシステムがある…ようだ。
要するに路線バスのスクールバス化だね。
653番の「School Journey」がそれに該当しているかどうかわからないが、いいシステムだ。
ただし登録しようとする学校は、当局が指定しているカリキュラムを導入していなければならない。
ホントに向こうは教育に熱心だよ。
 
なんて感心している場合じゃなくなって来た!
スタバで飲んだアイス・コーヒーとさっきのエールでスッカリもよおして来ちゃったぞ!
こんなところに公衆トイレなんかないし…どうするシゲさん?
という場面で<後編>に続く。

520 

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

2019年9月 9日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.37~キンクスに会いに行く! <前編>

 
先日、Shige Blogでレポートした通り、今回はロンドン滞在中、家内が先に帰国した後安宿へ引っ越しをした。
規格外の重量のスーツケースを注意深く押しながら、ほうほうの体でブルームズベリーからキングス・クロスへやって来た。
「European Hotel」というロンドンでよく見るタイプの「ホテル」とは名ばかりのB&B。
どうぜ寝るだけなんだからそれで充分。
荷物を置いたらすぐに出発。
今日の予定は今回の旅のハイライトのひとつなのだ!

08ホテルからキングスクロス駅までは歩いて1分。
ロケーション最高!

20天気も最高!

10まずは地下鉄ピカデリー線で「Finsbury Park(フィンズベリー・パーク)」へ。

30もうコレは何回もやってるけど、もう1回。
フィンズベリー・パーク駅といえば、グラハム・ボンド。
60年代にはGraham Bond Organisationというバンドを率いてロンドンのブルース・ロック/ジャズ・シーンを牽引したブリティッシュ・ロックのパイオニアのひとりだ。
見るからにアブなそう…。

40vGraham Bond Organisationはジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーを輩出したことでよく知られている。
いわばCreamの母体…もっと言うとロックの1ページを飾ったトリオの産みの親がグラハム・ボンドだ。

50s代表作の『Solid Bond』ではジョン・マクラフリンも参加して、ナゼかロリンズの「Doxy」なんか演っちゃってる。
しかし、スゴイよね、Creamのリズム隊に、マクラフリン、ディック・ヘクトール・スミス、ジョン・ハイズマンまで参加してるんだもん。夢のようなメンツじゃん?
ちなみにマクラフリンは向こうでは「マクラッグリン」と発音します。

60sそして、最近Spotifyで出くわしたBBCの発掘音源。
マクラッグリンがチャンとしたトラディッショナルなジャズを弾いているのがおかしい。
このプレイが後に「ミクロネシアン・マイナー」とか「ナポリタン・マイナー」とか言う人と同一人物とはとても思えん。
レパートリーを見ると、「Bluesology」、「Kelly Blue」、「Oleo」、「Sack O' Woe」といったジャズ・チューンから「Hallerujah I Love her so」、「I Saw Her Stadning There」等のポップチューンまでゴッチャゴッチャ。
ジャズがリスナーの身近にあった。そして、コレらが国営放送の電波に乗って一般家庭に入り込んでいた。
ブリティッシュ・ロックってのはこういうシーンが礎になっているんだもん、そりゃ日本のリスナーなんて赤ちゃん同様だわな~…今でもね。

70sそして、このグラハム・ボンド、後にアレイスター・クロウリーにのめり込んで、精神を病んで自殺してしまう。
このフィンズベリー・パーク駅のホームで、入線して来る電車に飛び込んだのだ。
その飛び込む直前、ホームに手ブラで立っていた初めて会う男の子の名前とその子がギターをやっていることを言い当てたという。
このフィンズベリー・パーク駅はピカデリー線とヴィクトリア線の2つの路線が乗り入れているのね。
そうなると気になるのはグラハム・ボンドがどっちの線に飛び込んだのか?…ということになる。
ちなみにこの駅は、新宿駅の総武線と山手線のように同じホームにその異なる2路線が乗り入れているロンドンの地下鉄でも珍しい駅。
荷物が多い時など乗り換えに大変重宝する。

80写真はピカデリー線のようす。
ココに飛び込んだのか…、それとも反対側のヴィクトリア線か…。
そこで、ロンドンに住んでいる音楽業界で働くイギリス人の友人にこのことを相談してみた。
するとすぐに答えが返って来た。
「それは間違いなくヴィクトリア線だよ、シゲ」
「ナンでわかんのよ」
「アノね、ヴィクトリア線っていうのは、ピカデリー線に比べて電車がホームに入って来る時のスピードが断然速いんだ。
だから自殺をしようとするヤツは間違いなくヴィクトリア線を選ぶのさ。そっちの方が確実だろ?」
エ~、ココってそんな物騒な駅なのッ?
それにナンでそんなこと知ってんの?
コレにはビックリしたけど、ロンドンの豆知識が増えたわ。
ところが、後になってわかったのだが、グラハム・ボンドはピカデリー線に飛び込んだのだそうだ。
ナンのこたぁない、ウィキペディアの英語版に出ていやがんの。

90ホラ、この駅にもコレ!

100ロンドンの地下鉄には時折このように長いトンネルを経て昇降する駅があるんだよね。
サッカーで有名な隣のアーセナル駅も確かそう。

110コレが存外にオモシロい。
設計ミスでこんなんなっちゃったのかね?
「アレ、こんなとこホジっちゃったよ!」みたいな。

120長いトンネルを経て地上に出た!
駅前には比較的大きなバス・ターミナル。

130ね、となりがアーセナルだから、こんなショップが駅舎に入っている。

135駅のすぐ横を走る「Seven Sisters Road(セブン・シスターズ・ロード)」。
この先の右側にある「Queens Hotel」というところに数日滞在したことがあった。
部屋のポットの湯気を利用して、レトルトのお粥を温めようとしたら水蒸気が盛大に上がってしまい、それに火災報知機が反応して大騒ぎになってしまった。
ホテルのお姉さんにこっぴどく叱られたわ。
お世辞にもお上品なエリアとは言い難く、この駅前のエリアだけでフライドチキン屋が7軒もあった。
どういうことか大体わかるでしょ?
吸殻を拾って、それを直接口にくわえていたヤツも見かけた。
ところが、そのホテルの前にある「フィンズベリー・パーク」の美しさと言ったら!

140その反対側。

150国鉄(オーバーグラウンド)のガードの下にはこんな広告。
「教会をお探しですか?日曜日の10時にそれが見つかります」
…というミサへの勧誘。
年配の洋楽ファンには左側の建物のイラストに馴染みがあるだろう。

160そう、「Rainbow Theatre(レインボー・シアター)」。

170レインボー・シアターを背に今来た駅方面を振り返るとこんな光景。
初めて来た10年以上前と基本的には変わらないが、こんな高層ビルは影も形もなかった。
あ、右側には古い、日本で言うアパート風の建物が立ち並んでいたけど取り壊しちゃったんだな。
ロンドンはドンドン変わっている。

180レインボー・シアターはもう何度も来ているし、何度もMarshall Blogに出てきているので、ごく簡単にもう一度書いておくにとどめるが、1930年映画館としてオープンし、その後コンサート・ホールとして60~80年代のブリティッシュ・ロックの黄金時代に活躍した。
重要な歴史を持つ建造物として、一応「Grade II」というカテゴリーに分類されて保護されているが、確か「Grade II」は「ナニがナンでも壊しちゃイカン」というほどの強制力はなかったように記憶している。
それゆえこうして時々ココに来ては定点観測をしているのだ。
現在はさっきガード下の広告にあったようにブラジルのエジル・マセドという教祖が1977年に開宗した「Universal Church」という宗教団体の施設になっている。
サンパウロに「ソロモン寺院」という本拠地を構える「Universal Church」は128か国に7,000以上の教会を持つ強大な力を持つ宗教団体なのだそうだ。
そばまで寄ると、中から2人の黒人の信者が仲睦まじく手をつなぎながら歩み出て来た。

190エエイ、折角だたかもう一回やっとくか…。
ご存知Deep Purpleの『Live in Japan』の海外バージョン『Made in Japan』ね。
このジャケットに使われている写真はココ、レインボウ・シアターで撮られたモノ。
そしてイアン・ギランが叩いているコンガはNATAL製だ。
ちなみにこの『Made in Japan』というのは「粗悪なモノ」という意味。
かつて、欧米において日本製の商品は「安かろう悪かろう」の同意語で、「Made in Japan」というサインが入っていると「ダメだ、コリャ」ということを暗示させた。
で、このアルバム、当初はメンバーがライブ録音に乗り気でなかったが、思ったより演奏がうまくいって発売となった経緯があるそう…つまり「Made in Japan」ってみんなバカにするけど、実はいいモノなんだぜ…なんてことが言いたかったのかね?知らんけど。
しかし、どうしてレインボー・シアターの写真を使っちゃったのかね~?「Made in England」の意地かね?

Mijレインボー・シアターの建物が確認できてホッとしたところで駅に戻る。

200今度は反対側のガード。

210歩道にはお休みの方々がゴロゴロ。
今回、街にホームレスが激増していてビックリしたな~。
しかも20代と思われる若い女性のホームレスがたくさんいたのだ。
私が初めてロンドンに来た17年ぐらい前は誓ってそんな輩はいなかった。
ホームレスといえばオッサン、そしてホントにタマにオバサンを見かけるぐらいだった。
それが今では若い女性だよ!
そして、ロンドンだけではなくて、ホームレスはミルトン・キーンズ駅にもゾロゾロいたし、マンチェスターでもたくさん見かけた。
このことをスコットランド出身の友人に話すと、イングランドはそうしたホームレスへの対応が手薄なのだそうだ。一方、スコットランドはホームレスが少ないらしい。
それはスコットランド政府がキチンとしたホームレス対策を打ち出しているからなんだと…。
そんな話を聞くと、「ホームレス云々」よりも「イングランド vs. スコットランド」の根強いライバル意識の方が気になるわい。
とにかく、日本にいるとあまりわからないけど、こうした変化を目の当たりにすると驚異的なスピードで世の中が悪くなっていることを実感するね。
日本は消費税が上がった10月以降、一体どうなっちゃうんだろう?
もう日本は一般庶民が政治家や大企業の果てしない欲望にソロソロ付き合えきれない段階に達しているのではなかろうか?
それに日本で言っている「軽減税率」っての?…イギリスに行って、もう一度言葉の意味を含めて税金のあるべき姿を勉強して来た方がいい…と、イギリスに行くとこんな経済オンチの私ですら思うのだ。

220が―トをくぐるともうひとつのバス・ターミナルがある。
そして、そこからこの「W7」のバスに乗る。

230ヨッシャ~、まんまと2階の一番前の席をゲット。
行き先は「Muswell Hill(マズウェル・ヒル)」。
The Kinksの地元だゼイ!250そういえばIron Maidenのニコ・マクブレインってこの辺りの出身じゃないかな?
フィンズベリー・パークの街を抜けると…

370景色がガラリと変わる。

280住宅街を抜け…

290また街…イヤ、「町」か。

300それがまたどこもステキなのよ。
ああ、2階席の一番前でヨカッタ。シアワセ~!

310興奮してなりふり構わず、夢中になって写真を撮っちゃったんだけど、私、一体どんな風になっていたんだろうか?
そうか、コレが「旅の恥はかき捨て」というヤツか!

320おお、坂だ!
ま、「Hill」ってぐらいだから坂はあって当然なんだけど、ロンドンってどこもかしこもほとんど真っ平だからね、すごく新鮮。
結構アップダウンがあってね、すごくオモシロかった。

330そしてやって来たのが…

340「Muswell Hill(マズウェル・ヒル)」!

350そうか~、ココがキンクスの故郷か~。
レイ・デイヴィスもデイヴ・デイヴィスもここから出て来たのか~。

360「マズウェル・ヒル」…ああ、なんてステキな響きなんだろう!
380マズウェル・ヒルのハイ・ストリート、「Muswell Hill Broadway」をまずは歩いてみる。

0r4a0038ロンドンの都会から少し離れて、町がとてもユッタリしていていい感じ。

400ホラ、「ヒル」だけあってロンドンの街がこうして見下ろせるのだ!
この景色は感動するよ~。
しばらく見とれちゃった。

410…なんて感心している場合じゃない。
ココからどこへ行けばいいのか。
いくら何でも町並みを見てるだけじゃツマらない…ということでデイヴィス兄弟の生家の向かいにある「The Clissord Arms(ザ・クリソールド・アームズ)」というパブへ行くべし。
そこはキンクスの聖地。
私設キンクス博物館になっていることは知っている。

390でもスッカリ困ってしまった。
別の回に書いたように、時間がなくて事前の準備が不十分で「クリソールド・アームズ」の情報を持って来なかったのだ。
しかも、私のスマホは海外で使えないときてる。
420「そうだ、こんな時こそPRETだ!」と、得意のプレタマンジェに入ってWi-Fiを使おうと思ったが、近くに見当たらなかったので、今回はスターバックスのWi-Fiを使うことにした。
イギリス人のお好みではないのか、飽きられたのか、アメリカがキライなのか、こっちのスターバックスは日本みたいに混んでいるのを滅多に見かけない。入ってすぐに座ることができる。
でも、ナンカおいしくないんだよね、コーヒーが。
味が薄いというか、コクがないというか…。
でもキンクス関連のウェブサイトで「クリソールド・アームズ」が「Fortis Green(フォーティス・グリーン)」という通りにあることを難なく突き止めることができた。
「Fortis Green」なんて「Village Green」みたいでカッコいいじゃんよ!

Vgp通りの名前さえわかれば後はこっちのもの。
町角に立っている地図で場所をチェックすればチョチョイのチョイ。
こうしちゃいられない!と薄いアイスコーヒーを飲み残して外へ飛び出した。
 
「チ~ズ~、チ~ズ~…さてさて地図はどこかいな~?」
実際マズウェル・ヒルにはとてもおいしいチーズがあるということを、後に地元に住んでいるイギリス人から教わった。
そんなことより!ないのよ地図が!
ロンドンの中心部なら通りの角々にあるこういう地図がない!440本屋に行って25万分の1の地図でも買って来ようかとも思ったが、それもモッタイないし、本屋を探すのも面倒だ。
仕方なしに「ロンドン野生の勘」を頼りに歩いていたら、下の写真の交差点に「Sainsbury's(セインズベリー=イギリスの大手スーパー)」があるのを見つけた。
もしや店内にこの辺りの地図でも貼ってあるのではないかと寄ってみると…あった、あった!

430でもこんなヤツ!
オイオイ、ココから「Fortis Green」を探すんかいな~。
「You are here」の表示すらない!
仕方がないので地図の左上からジワリジワリと通りの名前を1本ずつチェックしていった。

450すると程なくして「Fortis Green」という文字が目に入り、その場からさほど遠くないということがわかった。
ルートも簡単、今いる道がそもそもフォーティス・グリーン・ロードで、コレを写真左の方向に進み、1回左折するだけだ。

460「♪フォ~ティ~ス・グリ~ン、プリ~ザベ~ションソサエティ~」なんて適当な鼻歌を歌っちゃったりなんかして歩いて行く。
Fairport Conventionのサイモン・ニコルもマズウェル・ヒルの出身。
このFortis Greenと「Tetherdown(テザーダウン)」という通りが交わるところにあった「Fairport」と呼ばれるニコルの実家でFairport Conventionはそのキャリアをスタートさせたのだそうだ。
え、そっちは行ってみたのかって?
イヤ、私、Fairport Convention チト苦手なんですわ。
それにBonzo Dog Doo-Dah Bandのヴィヴィアン・スタンシャルも晩年はマズウェル・ヒルの「Hillfield Park(ヒルフィールド・パーク)」というところで過ごしたそうだ。12img_9697しかし、いい加減遠いな…。
歩けど歩けどそれらしき建物が見えて来ない。470「コリャ、道を間違えたかな?」
ヒザがいつ痛くなってくるかも心配だ。
もう少し歩いてダメならバスに乗って近くの地下鉄の駅にでも行こうか、と考えているウチに…

480着いた~!
まさか壁にこんな絵が描いてあるなんて思っていなかったので、看板の文字がハッキリ見えて来るまでわからなかったのだ!
コレが「クリソールド・アームズ」か!
ということは、その通りの反対側は~?490<中編>につづく

200 
(2019年6月9日 ロンドン、マズウェル・ヒルにて撮影)

2019年6月29日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.36~The Beatles was here! <後編>


さて、宿舎の紹介も終わったところでビートルズ・ネタはお定まりのココへ。
地下鉄ジュビリー線の「St. John's Wood Station(セント・ジョンズ・ウッド駅)」
他の駅のステンレスのエスカレーターと異なり、ココのは茶色くて素敵なの。

370この駅だけではないけれど、ココは上下のエスカレーターの間に階段がついている。
「一体誰が階段なんか使うんじゃい?」と思うけど、結構コレを使って上り下りしている人を見かけるよ。

380v_2上から見るとこんな感じ。
ね、なんかステキじゃない?
でもエスカレーターと階段の間に付いている照明具は滑り台防止のためのモノなんだろうね。
実際、タマに他の駅でツルツル~っとやってる若いヤツをみかけるからね。
当然そういうのは下で友達が動画を撮っていて、YouTube行きとなる。
バカは洋の東西を問わない。

390どうでもいい話なんだけど、ロンドンの地下鉄構内に貼り出してある広告ってどれもオモシロくって電車を待っている間も退屈しないで過ごすことができる。
芸能人なんかゼンゼン出て来ないけど、どれもおシャレでカッコいい。
コレはケンジントン宮殿で開催していた『ヴィクトリア朝特別展』の広告。
カラーで目の部分を提供している美女は誰か知らないが、モノクロの部分は今のエリザベスII世が2015年に記録を破るまで、イギリス建国史上最も長期にわたってその地位に就いていた国家君主。Img_9088 多分コレが上のヴィクトリア女王の元の写真だろう。
実にうまく作ってある。
それにしても、人間ってのは「目」のデザインがモノを言いますな~。Qv で、このイベントの会場となっているケンジントン宮殿。
今はケンブリッジ公のお住まい。
「ケンブリッジ公」とはウィリアム王子のことね。
ジミー・ペイジの家を訪ねた時に寄ったんだけど、ブッたまげるぐらいキレイだった。
ココ、入場料が高い割には内部の写真撮影がNGなの…だから入らないで帰って来ちゃった。
この時ウィリアム王子はまだ結婚していなかった。
キャサリン妃にお目にかかれるなら…デヘヘ、入場料払ってもいいナァ。

5_2140 こんなのはどう?
コレも地下鉄の広告。
「父の日」が近かったので「スカル・シェイバー」の広告。
 
90秒で完了!ー父の日スペシャルで替刃プレゼント
キズの心配ご無用 | ムリなく届く」
 
見ながら「ああ、オレもそろそろスカル・シェイバー買おうかな…」なんて思ったわ!
しかし…確かにイギリス人とかドイツ人ってハゲが多いけど、こんな広告が成り立つほどスキン・ヘッドの人が多いのか?
実際スキン・ヘッドにすると手入れがメッチャ大変だろうな~、イヤ「スカル・シェイバー」があれば大丈夫か!
外人は頭蓋骨の形がカッコいいからね~。ハゲてもうらやましいわ。
今、絶賛脱毛中…イヤ脱線中!
Img_9529こんな広告も楽しい。
コレは以前Shige Blogで紹介したヤクルトの広告。
日本のお家芸の折り紙で作ったネコのドテっ腹の部分。
「Which 2 underground stations contain no letters from the word "CATLIKE"? (「CATLIKEーネコっぽい」という言葉に使われている文字が出て来ない地下鉄の駅名を2つ答えてね)
 
コレが滅法ムズかしい。
Marshallの社長のジョンやスタッフと考えたんだけど、なかなか出て来ない。
私が提案したのがそれこそ「St. Johns Wood」だったんだけど、「t」で引っ掛かった。
やっとのことでジョンがBorough(バラ=有名なバラ・マーケットがあるところ)はどうだ?」…と、ひとつ見つけただけで終わった。

5_2450この「St. Johns Wood」という名前に関しては「鯖クイズ」というのがあるんだって。
「『鯖』の綴りに使われいる文字がひとつも入っていないロンドンの地下鉄の駅はど~こだ?」というモノ。
「鯖」は英語で「Mackerel」。
「St. Johns Wood」という名前にはこの「Mackerel」に使われている「a, c, e, k, l, m, r」の文字が使われていないというワケ。
コレね、結構スゴイんですよ。
英単語で最も使用頻度の高いアルファベットは「e」で12.7%。続いて「t」で9.1%。さらに「a」で8.2%。
「c」と「k」はたいしたことない(この2つの文字は同じ発音を担当することが多いのでどうしても使用頻度がバラけてしまう)けど、「l」が4.0%、「r」が6.0%とくる。
コレらのポイントを全部足すと実に46%。
日常使われている英語に出て来る約半数の単語に含まれている文字がひとつも使われていないのが「St. Johns Wood」という名前なんですわ。
ナンでこんなことを知っているのかと言うと、今また「暗号」の本を読み返しているの。
伝統的に、暗号を解読するには「頻度分析」という手法が最も頻繁に用いられるんだけど、こうしたデータがないとそれができないというワケ。
こういうことが大好きなんだよね、オレ。

360改札口はこんな感じ。

400外に出てすぐ左にある売店。
我々にとってはナンと言ってもこの場所は「アビィ・ロード・スタジオ」なんだけど、実はココってクリケットの聖地でもあるんだよね。
4年前の同時期に家内とココに来た時、平日の真っ昼間からモノスゴイ数のオジサンの大群に出くわしてビックリしたことがあった。
Marshallで運転手を務める仲良しのディアンにその理由を尋ねたところ「クリケットじゃないかしら」との答え。
好きな人は仕事を休んで平気で試合を見に行っちゃうんだって。
5~6月はクリケットのシーズンだからね。それが終わるとウィンブルドンが始まってテニスの季節になる。
なるほど、今回バスの2階から確認したんだけど、この近くに「Lord's Cricket Ground(ローズ・クリケット・グラウンド)」というのがあったわ。
この「Lord」というのは、主に18世紀後半から19世紀の初めぐらいまで活躍したThomas Lord(トマス・ロード)という人にちなんでいる。グラウンドの創設者。
もう「Lord's」と言うだけでこのグラウンドを指すらしい。
そして、駅構内にはこのロードさんの姿を彫り込んだタイルがハメこまれている…ということが書いてある。

410その横ではビートルズの4人が「ひょっこりはん」をキメてくれている。
そういえばヘアスタイルが同じだわ。
今からアビィ・ロード・スタジオに向かうよ。

415vコレも以前取り上げているネタ。でも、また様子が大きく変わっていたので喜んでレポートさせて頂く。
門柱や壁面の落書きはいつも通り。

420スタジオの建屋もその通り。
オーケストラがスッポリ入る大きなレコーディング・スタジオをロンドンに作る目的でアビィ・ロード・スタジオは作られた。
そもそもココは「EMI Abbey Recording Studios」という名前だった。
ビートルズの面々はココのことを「アビィ・ロード」と呼んでいたから「Abbey Road Studios」の方が通りが良くなり、EMIが名前を変えた…ということは全くなかった。
ビートルズは200曲を超える作品をココの「第2スタジオ」で録音していて、連中にとってのアビィ・ロード・スタジオはただの「Studio Number 2」だったらしい。
彼らにしてみれば、自分たちの普通の仕事場だからね。
ココが「Abbey Road Studios」として定着し、その名を変えるまでに至ったのはやっぱりアルバム『Abbey Road』によるものだったそうだ。
こけら落しはエルガー。
そのことが入り口の横の緑のプラークに書いてある。
元々はHMV、Columbia、Parlophoneという3つのレーベルのための録音施設だったのだが、レコーディングのノウハウが盗まれはしないか…とお互いに心配し合っていたらしい。

425私はもう数え切れないぐらいココへ来てるんだけど、今回はチョット気分が違う。
D_Driveの4人と一緒だったからだ。

490以前から何度も触れて来た通り、D_Driveの世界デビュー盤『Maximum Impact』はここアビィ・ロード・スタジオでマスタリングしたのだ。
Marshall Recordsを通じてマスタリングを担当してくれたクリスチャン・ライトと面会したかったのだが、クリスチャンはあいにく遠方に出ていたため断念!
外から写真だけ撮ったよ。
でも「データのやりとり」とはいえ、この中で作業してくれていたなんて感無量ですわ。
ま、私は演奏したワケではないけれど、「間を取り持った」ということで…ハイ。
イヤ、それでもそこに行きつくまで色々と大変だったんだから!
今年の前半は人生で一番忙しかったかも。

Maximumimpact4人だからね…当然コレをやるわな。
ビートルズの『Abbey Road』のジャケット写真は道路の真ん中に脚立を立てて、イアン・マクミランというフリーのカメラマンが、3往復するビートルズのメンバーに向けて6回シャッターを切った。
そのウチ、3回目の往路の写真がジャケット写真に採用された。
カメラはハッセルブラッド。レンズは50mmの広角。カメラの設定はf=22、1/500だった。
 
対してD_Drive。
私が交差点の真ん中にある島に立って、横断歩道を渡るメンバーに向けてやはり6回シャッターを切った。片道1回だけ。
カメラはキャノンの5D MKIII。レンズは24-70mmのズーム。カメラの設定はISO125、f=4.5、1/125だった。
激曇りだったからね~。ホントはもっと絞りたかったサ。

450やり直しはなし。
ナゼか知らんが、そこにいた観光客から拍手や歓声を浴びていた。
Marshall LiveCamden Rocks Festivalで早くもイギリスの誰もが知る存在になったのかしらん?
んなワケない。
そもそもこのあたりは外国からの観光客ばかりでイギリス人なんていないんじゃないかしら?
ところで、ビートルズのあの写真はスタジオにバイバイして去って行くところなんだってね~。
知らなかった。

460ということでD_Driveの次回のアルバムのジャケットはコレに決定しました。
そうそう、ビートルズの『Abbey Road』ってフロント・ジャケットに文字が入っていないのね。
上の方に「Abbey Road      The Beatles」って入っていたような気がしたんだけど…。
今回コレを作っていて参考に久しぶりにレコードを取り出して初めて気が付いた。

440cd_2有名な塀の落書き。

470何ヶ月かに一回上から白いペンキで上塗りすると聞いたが、スタジオ・サイドでもコレを楽しんでいて、アッと驚くようなアート感あふれる作品を期待しているようなのだ。

480すぐ近くの「Abbey Road Baptist Church」。
そもそも「Abbey」というのは「大修道院」という意味。
この道路は19世紀に整備された新しい道路で、元あった小道がKilburn(キルバーン)にある中世の小修道院に続いていたことよりその名がつけられたのだそうだ。
キルバーンはいつか行ったね~。
そこで人生で一番マズいラーメンを食べた。

493さて、今回この記事を編もうと思ったのはコレを紹介したかったから。
スタジオのすぐ隣のこの真っ白い建物。

495vコッチも落書きだらけになっちゃってる。
4年前にはこんなお店なかったんよ!

500ブッパン、ブッパン!
もう何でもグッズやら、ショップやらですな。

510お店の入り口に続く廊下にはスタジオの歴史が綴られている。
細々書こうかと思ったけど、どれも重要な出来事ばかりで長くなるから止めた。

520店内のようす。

530こんなデコレーションや…

540古今の写真。

550vこの入り口で撮る写真はこのスタジオを利用するアーティストにとってひとつのステイタスとされているそうだ。

435vだからこんな写真も…スティーヴィー・ワンダーだのガガ様だの。

560vこんなメモラビリアも飾ってある。
コレはEMI HB-1EというスタジオやBBCで活躍したマイクロフォン。
戦前~戦中のレコーディング機器の大家、アラン・ブルームラインが設計し、EMIのハーバート・ホルマンが製作した。
あのね、Marshallもダッドリー・クレイヴンというEMIのエンジニアをヘッドハンティングして第1号機を作ったんだよ。

570限定生産されたポールのヴァイオリン・ベースと同型のヘフナー。

580v500部限定で発売されたジョージ・マーチンによる「Yesterday」の弦カル・パートのスコアのレプリカ。

610書き込みや汚れ、紅茶のシミまで再現しているとか。
£250.00だって。額装込みで37,500円ぐらい。

620コチラはホンモノ。

590もちろん非売品。

600もちろんビートルズ関連グッズだけでなく、Pink Floydや他のアーティストにちなんだグッズも多数販売している。

630やっぱりドラマーはスティックが気になるね?

635私もナニか記念に買っておこうと選んだのが…

636図録…こういうのを英語で「Souvenir Guidebook」と言います。
ココでしか手に入らないっていうからサ。
帰って来てウェブサイトを調べたらスッカリ通販してやがる。
でも、欲しいモノと言えばコレぐらいなんだもん。

640£12としてはボリュームが小さいけど、興味深いことがたくさん書いてあってオモシロかった。

650ということで楽しいショッピング・タイムは終わり。
ロンドンの新しい「ロック名所」のひとつということで…。

660駅に戻る途中、ポール・マッカートニーのお宅を訪問。
他の3人のメンバーが喧噪から離れるべく郊外に移り住んだが、ポールだけはロンドンを離れようとせず、エライお医者さまから£40,000で購入したのが65年3月だというから、改装工事が終わるのを待って、昨日紹介したプレジデント・ホテルを出てココに引っ越したんだろうね。
「Penny Lane」、「Gettin' Better」、「Hey Jude」はココで作られたのだそうだ。
それと、ホワイトアルバムのオマケのポートレイトもココで撮影したんだって。
当時の4万ポンドっていくらぐらいかしらん?…と思って調べてみると、当時は固定相場制で、ドルが360円、ポンドは何と1,008円だった。オイオイ、今140円切ってるからね。
40,000に1,008をカケると…約4,000万円。
今から54年前の4,000万円だからね~。
まだ「She Loves You」の頃だよ。
何でも「Hey Jude」1曲で孫子の代まで遊んで暮らせるだけ稼いだと聞いたことがあるけど、しかし…ポールって人生で一体いくら稼いだんだろう。
ポールは70年代の後半までココに住んでいたそうだ。
で、今でも保有してるんだって…また儲かっちゃうやんけ。
そうでもないか、多分地所はどこかの貴族が所有しているのだろうから。
上物だけなら大したことないだろう。

5_img_4886 ポールにあやかろう!ということでD_Driveも記念撮影。
『Maximum Impact』ヒット祈願!

670すぐ近くにあるのがBilly Fury(ビリー・フューリー)が住んでいた邸宅があった。
フューリーはクリフ・リチャードと肩を並べて1950年代後半から1960前半に人気を博したイギリスの歌手。

0r4a0093…ということで『Abbey Road 2019』はおしまい。
 
ところで今回の記事のタイトルね、コレも前にやったことがあるんだけど、「Kilroy was here」から頂戴した。
興味のある方はコチラをどうぞ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>

Kwh_2この曲を作ったロイ・ウッドね。
Rennaissanceのシンガー、アニー・ハズラムの元ダンナ様。
夫婦デュエットの「I never Believed in Love」なんてあまりにも素晴らしい。ナニせ出だしのコードがディミニッシュだからね。
初期のELOのメンバーでもあったワケだけど、私はジェフ・リンよりロイ・ウッドの方が断然好き。
この1975年のソロ・アルバム『Mustard』なんてメッチャいいと思うし、当時の日本のポップ・ロック系のミュージシャンって結構コレを研究したと思うよ。

Mt 

200_2

(2019年6月 ロンドンにて撮影)

2019年6月28日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.35~The Beatles was here! <前編>


ま、生来こういうことをするのがとても好きなものだから、ずいぶん長いことこの『名所めぐり』ってやらせてもらっている。
訪れたのはいいけど、時間が経ってしまって「コレのどこが『名所』なんだっけ?」なんてのもいくつかあったり、もう名所自体がきれいサッパリ無くなっちゃったモノもある。
で、このフィールドワークをする時、現地に行くのは造作ないことなのね。
ロンドンの場合、住所さえわかればいとも簡単に目的地に行くことができる。
大変なのは情報収集なんですわ。
その手の本がいくつか出ていて、もちろんそういう本に出ている情報を元に行動しているんだけど、コレも付焼刃的にパラパラっと本に目を通して「レッツゴー!」なんてやっても大していい記事にはならない。
かといって、そうした本をまるごと持って行くのは重くてシンドイからと、かなり前から入念に調べて「建物の名前と住所を一覧表にして…」なんてやってると、今度はイザ行った時にそれが何の名所か忘れちゃったりなんかして…。
 
今回3週間ほどイギリスに行って来た。
仕事ですよ…。
当然、Marshall Blogのために「ロックの名所」をめぐる時間もタップリ設けたんだけど、下調べをする時間が全くなく、ホントに国内外の情報を簡単にツラツラっとかき集めて旅に臨んだワケ。
「ってやんでェ!こっちはもうイギリスには20回以上行ってるんでェ、べらぼうめ!ロンドンなんかナァ、浅草みたいなもんよ!」とは言わなかったけど、ま、ちょっとナメていた格好になったナ。
やっぱりキチンと下調べをしておかないとダメだわ。
それでもそれなりのネタは集めて来たので今後の展開に乞うご期待。

今日の記事はその反対の例。
何の下調べもして行かなかったのに偶然「名所」に出くわしたケースをます最初に…。
下は私の情報源のひとつ…と言っても熱心に目を通したことはほとんどないんだけど、ビートルズにゆかりのあるロンドンの場所や設備を紹介する『ビートルズを歩こう!(プロデュース・センター出版局刊)』という本。
ビートルズがあったころのロンドンったって一番最近でももう49年も前のことだからね~。
それでもビートルズがキッカケで音楽の世界に入った私なんかは、大のロンドン好きも手伝ってパラパラ読んでいるとすこぶるオモシロイ。
10そして、チョット他の記事とダブって申し訳ないんだけど、今回のロンドンで滞在した場所のひとつが大英博物館にほど近いラッセル・スクエア。

20コレがそのラッセル・スクエア。

30ロンドンで「パーク」というと、「ハイド・パーク」や「リージェンツ・パーク」や「ヴィクトリア・パーク」のような広大な緑地を指すが、他にも我々の感覚で「パーク」と思っているいわゆる「公園」のようなモノがいたるところに存在する。
それらは「スクエア」と名付けられていて、都会の息苦しさを大いに和らげてくれる。
コレも大分前に書いたことがあるけど、元Manfred Mann's Earth BandのJohn Lingwoodというドラマーが東京に初めて来た時、私にこう訊いた…「シゲ、東京には公園っていうものがあるのかい?」
私は「あるよ!」とその時答えたが、私の答えが間違っていたことを知ったのは初めてロンドンに行った時のことだった。
ロンドンを知った後は「東京に公園がある」だなんて恥ずかしくてとても言えない。

40宿泊したホテルのすぐ近くの「Southampton Row(サウザンプトン通り)」。
ココは今回初めて来た。

50…ということでオモシロいモノは何かないかしら?と注意深く歩く。

56ん…発見。
柱に何か額がかかっている。

60ナニナニ…「1917年9月24日、ロンドンが受けた初の夜間空爆において、ドイツの重爆撃機GOTHA(ゴータ)がこの地点のすぐそばの旧ベッドフォード・ホテルの階段に112ポンドの爆弾を落とし13名の命を奪い、22人に怪我を負わせた」
スゴイ…こんなことを街中にいまだに貼り出しているなんて。
戦争を風化させない努力をしているということか?
戦争自慢の常勝国ですらこうだからね。
イギリスでは学校でチャンと戦争について学ぶそうだ。310万人もの戦死者を出した日本はどうなってるのかしらん?

70お!ブルー・プラーク見っけ!

80vイギリスを代表する指揮者、サー・ジョン・バルビローリの生家。
マーラー作品を得意とし、マンチェスターに拠点を置くイギリスで最も伝統あるオーケストラ、ハレ管弦楽団の常任指揮者を務めた。90ホテルのすぐそばの歩道に埋め込まれていた敷石。
「ターキッシュ・バスズ・アーケード」…気になる。
それは「トルコ風呂」だからではなくて、アーケードだから。
イギリスで「アーケード」というと大抵見事な装飾を凝らしてあったり、気品のある老舗が集う見応えのある伝統的な商店街を普通指すから。
ところがいくら周辺を探し歩いてもそんなところが見当たらない。
そこで、ホテルのコンシェルジュに尋ねたところもう1960年代になくなったそうなのだが、とても豪壮で美しい風呂があったらしい。

55コレはサウザンプトン通りからチョット入ったところにある馬の病院。
「馬の病院」?…なんてものはなく、チョットしたアート展示スペースのようだ。

95これもオブジェの一種なのだろうか?
壁に埋め込まれていた。
「場所を選んでビザを挿入してください。そしてボタンを押せは数分のうちに瞬間移動できます」…アホか!

96その奥には「Handel Stereet(ハンデル通り)」。
97「ハンデル」とは音楽家の「ヘンデル」のこと。
またしばらくしたら「名所めぐり」でヘンデルを取り上げます。

98コレが今回ロンドン滞在中に宿泊した「President Hotel(プレジデント・ホテル)」。
Marshallのスタッフがブックしてくれた。

100古いね、このホテルは。
調べてみると、中核の隣接するImperial Hotelの創業が1837年。
グループで7つのホテルを経営し3,251部屋を稼働させているのだそうだ。

110地下鉄の駅は近いし、すぐ近くに「Bruwnswick(ブラウンズウィック)」という大きなショッピングセンターがあるし、ホテルのスタッフも親切でとても快適な滞在だった。
そして見て、お値段。
このロケーションと設備にしてシングルで£105は安い。ま、古いからね。
ロンドンでこういう「ホテルの形をしているホテル」に泊まるのは本当にお金のかかることだからして。

120エレベーター・ホールもややゴージャス。

130すぐに目についたのがコレ。

140vそして、コレ…ビートルズのポートレイト。

150v1階(Ground Floor)のレストランの入り口脇には…

155コレ。
一瞬、『Live at the BBC』のジャケ写かと思ったが、すぐに違うことがわかった。

160実はこの写真はココ…すなわちこのプレジデント・ホテルの前のチョット手前で撮られたモノなの。
通りの名前は「Guilford Street(ギルフォード通り)」。
上の写真はさっきの『ビートルズを歩こう!』で見た記憶があった。
ホテルを見ただけではわからなかったが、上の写真を見て頭の中で結びついた。
ビートルズは1963年の春から秋までロンドンの住居が定まる前、ココに部屋を借りてホテル住まいをしていたのだ。

240早速コンシェルジュに訊いてみると「さようでございます。コチラをご覧ください」とその時のことを記した文章を見せてくれた。
フフフ…つまりビートルズと同じホテルに泊まったということよ。
グレン・ミラー楽団に「Pensylvania 65000」という代表曲がある。
かつてニューヨークに行った時、西34丁目のペンシルヴァニア駅の前にあるグレン・ミラーと同じホテルに泊まり、「電話番号が65000だ!」なんて喜んでいたまではよいが、あまりに古いホテルで、ベッドのマットレスが小便臭くて眠れない…なんてことがあったんだけどね…。
ココはゼンゼン大丈夫だった。
で、早速滞在した部屋を見に行くことに。
階は2階。ヨーロッパ式に言えば「First Floor」。地上から上がった最初の階だから「first」。いまだにコレに慣れない。

170廊下をズンズン進む。

180一番奥の左側が…

190v115号室。
1963年の春~秋といえば、4月にファースト・アルバム『Please Pleaase Me』を発表。コレが発売4日目に15万枚のセールスを記録。
ドンドン人気が高まって、8月に「She Loves You」を発表。予約だけでミリオン・セラーになった。
ココに滞在してロンドン中でライブを演っていたのだろう。
「行って来ま~す!」とか言ってアビィロード・スタジオやライブ会場へ向かったのかと想像すると楽しい。

200その向かい側が116号室。
 
ジョン・レノンがエリザベス女王やロイヤル・ファミリーを前にしてピカデリーの「The Prince of Wales Theatre(ザ・プリンス・オフ・ウェールズ(=イギリス皇太子のこと)・シアター)」で言った有名なセリフ;
「Would those of you in the cheaper seats clap your hands? And the rest of you, if you'll just rattle your jewelry.(安い席の人は手を叩いてくれませんか?その他の方は宝石をジャラジャラいわせてください)」
コレをやったのも1963年の11月のこと。
わかるんだよね~、コレ。
格差社会のイギリスのこと、ロンドンの劇場はチケットの値段によって席の場所の良し悪しにすさまじい差が生じるんですわ。
チョット出し渋ると遠慮なく思いっきり後ろの方の席になっちゃう。
ヘタをすると入り口も違うんだから!
ロンドンの劇場はブロードウェイと違ってバカでかいので、そうんるともう完全に見えないわね。
でも、どうせナニ言ってんだかほとんどわからねーし、「記念」として行く分には大いに価値があります。
立派な劇場の内部を体験するだけでも楽しいよ。
 
下がその「ザ・プリンス・オフ・ウェールズ・シアター」。
私はココで『Let It Be』というショウを観て感激したが、今は『The Book of Mormon』というブロードウェイ・ミュージカルがかかっていた。

5_0r4a0061 どっちの部屋にどのメンバーが滞在していたかという記録は残っていないそうだ。

210いずれにしても相部屋だったのね?

220この写真は1963年7月2日に、当時のビートルズのお付きのカメラマン、デゾ・ホフマンがタマタマたった1枚だけ撮った写真なのだそうだ。
得てしてそうなんですよ。
ところが私なんかだと、そうしてとてもいい瞬間をとらえたのにピントが甘い!なんてことになりがちなんだよね。
 
そして私はこんなのがあるとは知らなかったんだけど、こうして『Live at the BBC Volume2』のジャケ写になったとサ。

230cdビートルズの連中もホテルの部屋からコレに似た景色を見たのだろうか(コレは6階からの眺め)。

250そして、ビートルズは上の写真と同じ日にラッセル・スクエアでも撮影を行った。

251デゾ・ホフマンは噴水の周りで6回シャッターを切ったそうだ。
しかし、ラッセル・スクエアは2000年に大幅な改装工事を実施し、当時の形を残していないそうだ…残念!

252夜のサウザンプトン通り。

Img_4843ホテルの裏にあるカジノ。
中が見たかったんだけど、入り口にドデカイ黒人のガードマンがいたのでビビッて止めた。

Img_4844カジノの前のホテルの中庭的なスペース。
なかなかの雰囲気だ。

Img_4845『ビートルズを歩く!』によると、このプレジデント・ホテルは1961年から1962年にかけて建設されたそうだ。
さっきから「古い、古い」と書いてきたけど、ナンのことはない、Marshallや私と同じ年齢やんけ!
当時は最新式のホテルだった。
何しろ各部屋にバスルームとテレビが装備されていたのだから!…ビックリ。
でも、いまだにエアコンと冷蔵庫はありませんから。
そんなホテルだったからして、ホテルの支配人が朝食を摂る4人にネクタイをするように注意をしたことがあったそうだ。
するとホテルのスタッフが「支配人、ダメですよ、注意なんかしちゃ!アレはザ・ビートルズなんですよ!」
もうその時「神」扱いされていたのだ。
もっとも滅多に早起きなどしない4人はほとんど朝食をルームサービスで済ませていたそうだ。
上掲の本ではビートルズが滞在したのは114号室となっているが、4人も入れるワケがなく、ホテルの記録に残っている通り、115と116号室の2部屋に滞在していたというのが正しいと私は思う。
だってホテルが自分で言ってるんだから!

255ちなみにコチラは『Live at BBC』の1作目。
チョット似てるでしょ?
コレはリージェント・ストリートのハズ。
あ、ビートルズは好きだけど、マニアでは決してありません。

260cdハイ、移動してピカデリー・サーカスに近いリージェント・ストリートをチョット入ったところ。
通りの名前は「Savile Row(サヴィル・ロウ」」。
ちなみにサウザンプトン・ロウって上にあったけど。「row」も通りという意味。
ロンドンはストリート、ロード、ロウ、クレッセント等を使って通りの名前を表す。
アヴェニューってのはないかな?
絶対にないのは「ブールヴァ―ド(Boulevard)」…メッチャLA的ですな。
で、このセヴィル・ロウ、前にもやったけど、様子が変わっていたのでもう1回。

270サヴィル・ロウの入り口にある有名な洋服店「Gieves & Hawkes(ギーヴス&ホークス)」。
この店にスポットを当てたドキュメンタリーをたまたまテレビで見たことがあった。
老舗だけあって「ビスポーク(Bespoke)」しか取り扱わずに来たが、時代の趨勢に押され、既製品も取り扱うことになってしまったが、伝統を重んじるイギリス紳士はチャンとこの店でビスポークのスーツを仕立てる…みたいな内容だった。
「ビスポーク」というのはイギリス英語ですな?結構街中の看板で見かけるんだけど、「オーダーメイド」という意味。
イギリスに興味のある人は覚えておこう!

280この通りはこうした仕立服屋さんが軒を連ねていることで有名。
いわゆる「テーラー」街ね。
1階が店舗で…

290地下が作業室になっている。

300どの店も同じスタイル。
みんな紳士服を作っている。
ご存知の人も多いと思うけど、この「サヴィル・ロウ」を早く読んでみると不思議な現象が起きる。
サヴィル・ロウ⇒サヴィロウ⇒セヴィロー⇒セビロ⇒背広…ね、日本語の「背広」の語源になった通りの名前なのです。

310そのサヴィル・ロウに入って数軒先の右のこのビル。
ココにビートルズのApple本社が入っていた。
ま、前にもやったけどね。

330vナンでまた引っ張り出して来たのかというと…このブループラークがついたからなの。
以前はなかった。
「1969年2月30日、ザ・ビートルズはこのビルの屋上で最後のライブ・パフォーマンスをしました」って。

340D_Driveの3人も入ってパチリ!

5_0r4a0736   

200_2

(2019年6月 ロンドンにて撮影)

2019年3月28日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.34~ヘンリー八世と六人の妻 <その2:アラゴンのキャサリン>


わかってるんですよ。
「バタバタしていたもんですから」…なんて時は大抵ロクな仕事をしていないもんでしてな。
反対に「あの時どうやってあんなに仕事をこなしていたんだろうナァ」と後で思い出すような時には「バタバタしている」なんてことは言ってなかったと思うワケ。
 
すいませんネェ…またチョットMarshall Blogの更新を休んでしまった。
バタバタしていたもんですから!
イヤイヤ、それよりも「ヘンリー八世と六人の妻」の記事…続編を書こう書こうと思ってはいたんだけど、バタバタしていてナント前回の掲載から1年以上も経ってしまった!
驚くべきことに今日はその続編をお届けしようという暴挙に挑みます。
そもそも前回ナニを書いたか、どこまで書いたかも覚えてないんでやんの。
…ということで、記事を読み返してみよう。
コレね   ↓     ↓    ↓   ↓

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.28~ヘンリー八世と六人の妻 <その1>

 
フムフム…派手に脱線してるな。
そうだ、前回は「リック・ウェイクマンのアルバム」と「ヘンリー八世周辺」のことについて書いたのだった。
そこで今回からはヘンリー八世を中心に6人のお妃さまのことを、アルバム収録曲を聴きながら書いていくよ。
皆さん、レコード、CD、ストリーミングの準備はよろしいか?
まずはアルバム『ヘンリー八世と六人の妻(The Six wives of Henry VIII)』の1曲目。
 
1. Catherine of Aragon
ヘンリー八世の最初の奥さまが「キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon)」。
私は『Yessongs』のリック・ウェイクマンのソロ・コーナーで初めて聴いたんだけど、シビれたナァ。
この曲をこのアルバムではなく、『Yessongs』で知ったという人も多いのではないかしら?
お、そういえばウェイクマンを紹介する前にジョン・アンダーソンがハミングしているメロディはストラヴィンスキーの「春の祭典(The Rite of Spring)」だね。
 
やっぱり何回聴いてもこの曲はカッコいい。
4分にも満たない曲にものすごい音のドラマが詰まっていて、どのパートもそれが立体的なんだよね。
では「キャサリン・オブ・アラゴン」とはどんな人だったのか…。

10cdこの女性が「キャサリン・オブ・アラゴン」。

30v最終的な輿入れ先は下のヘンリー八世…ヘンリー七世の次男坊。
ヘンリー七世は1455年から30年にわたった「バラ戦争」に終止符を打ったチューダー王朝の開祖。
「バラ戦争」ってのはランカスター家とヨーク家の権力闘争で、両家の紋章がバラだったので「バラ戦争」と呼ばれている。
ったく、戦争ひとつするにもロマンチックな話だぜ。日本は室町中期。
ちなみにイギリスの国花はバラだがね。
で、キャサリンはこの人のところにわざわざスペインから嫁いできた…ワケではない。
このホルバインが描いたヘンリー八世にソックリな人知ってるわ。

40vキャサリンはスペインのフェルディナンド王とイザベラ女王の娘さん。
ナント、家が「アルハンブラ宮殿」だったんだって!
コレが実家。世界遺産。

50オックスフォードにあるウィンストン・チャーチルの実家も「ブレナム宮殿」という世界遺産だ。
家が世界遺産ってどんなかね?
古さではウチも負けないんだけどね。
そして、スゴイよ…キャサリンは赤ちゃんの時にお母さんに抱かれてコロンブスが新大陸を発見しに行く、その出帆の様子を見ているっていうんだから。
それから6年後にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰を経るインド航路を発見してポルトガルに富をもたらしたんですな。

60こうして当時はスペインとポルトガルがメッチャ力を持っていて世界の一等国だった。
そんなもんだから南米へ乗り込んで行って、現地人を1,500万人も殺して南米大陸を自分たちのモノにした。
だからポルトガル語を使うブラジルを除いて、南米はスペイン語が公用語なのね。言葉を奪ってしまった。
そして、南米には黒人がいるでしょ?
南米の原住民は体力に乏しく、奴隷としてこき使うとすぐに死んでしまうので、頑強な黒人をアフリカ大陸から取り寄せたっていうんだよ。
ヒデエ話だよ。
スペイン人の友達にこの辺りのことを知っているか?と尋ねると、チャンと自分たちの負の遺産を学校で教わるらしい。
以前にも紹介したことが何度かあるけど、興味のある人は岩波文庫からこういう本が出ているので読んでみるとよろしい。

Nkikh で、当時はイギリスはヨーロッパ大陸のハジッコにある三流の島国にすぎなかった。
そこで、ヘンリー七世は自分の子供とスペインのお姫様をくっつけて世界の一等国であるスペインに可愛がってもらおうとしたワケだね。
コレがヘンリー七世。70vキャサリンのお相手はヘンリー八世ではなくて、お兄ちゃんのアーサー王子だった。
アーサー王子は、もう生まれた時からキャサリンと結婚することがキマっちゃってた。
そして、キャサリンが14歳の時に、アーサーに嫁いで来た。
持参金は今の貨幣価値で8億5千万円だってよ。
で、オヤジのヘンリー七世とアーサーはキャサリンがイギリスやって来た日に遠路はるばるロンドンから彼女が宿泊していたドグマーズフィールドというところまで顔を見に行ったそうだ。
昔は写真なんかないからね。
まさに「パンチDEデート」状態。
せいぜい宮廷画家と呼ばれる腕の立つ画家が描く肖像画ぐらいしかなかった。
で、オヤジもセガレもキャサリンがかなりのカワイコちゃんだったので安心した。
当のお2人さんもスゴくいい感じだったらしい。

80vハイ、ココで大脱線します。
コレはおなじみのウエストミンスター宮殿。
BREXITどうすんのよ!メイ首相が退陣案を出して来たね~。
しかし、アレはバカなことをしたもんだよ。
Marshallの経理の女性とメールでやり取りをしていたんだけど、「もう朝から晩までBREXITでウンザリ!」とか言ってた。
イヤ、Marshallだって大変だからね。
ミュージシャンもそう。

90コレはその対岸のようす。
向こうにロンドン・アイが見えるでしょ?
ウエストミンスター橋の東詰。

70そのままテムズ川沿いにチョット行く。
この遊歩道の左側の壁の中は病院なのね。
「St. Thomas' Hospital(セント・トーマス病院)」という。

110v「St. Thomas」と聞くと即座に思い出すのはコレだけど関係ない。

115元々は1215年(古!)にトーマス・ベケットというカンタベリー大司教の名にちなんで、ロンドン橋やバラ・マーケットがあるサザークというところに建てられたが、1871年に現在の場所に移転したイギリスで最も有名な病院なんだそうよ。

0_img_0257何しろナイチンゲールが所属していた病院だからして。
行ったことはないんだけど、「フローレンス・ナイチンゲール博物館」というのが院内にある。
このお方、おっそろしく優秀だったんだってね。
で、この病院のことを調べていて知ったんだけど、よく戦争映画なんかに出て来る200人ぐらい収容できる大型の病室にナース・ステーションが付いた状態の病棟のことを「ナイチンゲール病棟(Nightingale Ward)」というそうだ。
もちろんセント・トーマス病院の一角もナイチンゲール病棟になっている。

116vナンでこの病院を引っ張り出したのかと言うと…。
The Kinksのレイ・デイヴィス(Ray Davies)は子供の頃、このセント・トーマス病院に入院していて、レイが乗った車椅子を看護婦さんが押して、ウォータールー橋に沈む美しい夕日を見せてくれたのだそうだ。
その時の体験が「Waterloo Sunset」になってるらしい。
「毎日部屋の窓から世界を見ていた」
「ウォータールーの夕日さえあればボクはパラダイス」…なんて歌詞からすると「なるほど」と思うね。
「Waterloo Sunset」は「私が選ぶ生涯の名曲ベスト10」に入れる1曲。120cd病院の外壁には「BSE(牛海綿状脳症)」の犠牲者を悼むプラークが取り付けてあった。

130ハイ、ウェストミンスター橋がこんなに遠くなった。
ウエストミンスター橋のひとつ上流に架かっている橋は「ランベス橋(Lambeth Bridge)」。
写真で言うと後方向ね。

100その橋のたもとのすぐそばにあるのがこの「ランベス宮殿(Lambeth Palace)」。
一番古い建物は1435~1440年のモノだそうだ。
カンタベリー大司教がロンドンに来るとココに滞在する。今でもそうなんじゃないかな?

140v辺りには騎馬警官もいたりするよ。
この通りを左に行くとウォータールー駅。
この辺りは19世紀の終わりぐらいまでは滅法治安の悪いエリアだったらしい。

150で、キャサリン一行のスペイン・チームはこのランベス宮殿までやって来て、アーサーの弟、ヘンリー八世に会うんだな。

160アーサー王子とキャサリン姫の結婚式は、かのセント・ポール大聖堂で執り行われた。
ダイアナとチャールズが結婚式をしたところね。
また、映画『メリー・ポピンズ』の中で「Feed the Birds」という必殺の名曲のシーンに出て来るところね。

1742人はリッチモンド宮殿等で仲睦まじく暮らすが、その結婚のたった5か月後にアーサー王子は肺炎で死んでしまう。
アーサーは弟のヘンリーとは異なり生まれつき病弱だった。
昔は医学が発達していなかったので、一旦大病にかかるとすぐに命の危険にさらされた。
衛生状態も極めて悪く、ロンドンの街中でも平気で汚物を窓から放り投げて捨てていたらしい。
そのため伝染病の流行は大きな恐怖で、感染を避けるために王族たちはアチコチに城を作って引っ越して歩いたんだね。
また、「瀉血」といって、何でもかんでも血を出せば病気が治っちゃう…なんて野蛮な治療法が当たり前だった。
最近何かの本で読んだんだけど、昔は男性が尿管結石に罹ると細い棒を竿に突っ込んで、それを外部から叩いて石を割って排出させたらしい。
もちろん麻酔なんてない時代だ。
そんな時代は私はイヤだ。
そうした医療環境の中で命がけの行為のひとつは出産だった。
赤ちゃんを産むことは死と隣り合わせの女性の大業だったのだ。
180
チョットまた脱線して…。
このアーサーたちが一時期暮らした城があったリッチモンドはロンドンの中心から地下鉄ディストリクト線で20分ぐらい西へ行ったところ。
となりの駅が有名な「キュー・ガーデン(Kew Garden)」。
この川が本当にあのウェストミンスターにつながっているのか?とにわかには信じられないほど美しい景色が広がるのよ。

Nkimg_7524天気がこんなで残念。
どうしても晴れの日の写真が撮りたくて別の機会に再訪したんだけど、その時の写真がどうしても見つからん!
ま、景色がいい以外には古い映画館があったりするぐらいのところなんだけど、とても雰囲気のいい町だ。
イヤ、あった…。

Nkimg_74981963年にオープンしてThe Rolling Stonesが初めてギグをし、ハウス・バンドを務めた「Crawdaddy Club(クロウダディ・クラブ)」というライブハウス。
それもそのハズ、このクラブは3年前に亡くなったジョルジョ・ゴメルスキーのお店だった。
「crawdaddy」というのは「ザリガニ」という意味だけど、ストーンズが初期にレパートリーにしていたボ・ディドリーの「Doing the Craw-Daddy」から採ったそうだ。
このクラブの最初のハウスバンドは、ピカデリーにあった前身のクラブからの付き合いで「The Dave Hunt Rhythm & Blues Band」というグループが務めた。
ドラマーはチャーリー・ワッツだった。
そして1963年の1~2月にかけての6週間にわたってそのバンドのギターを務めたのは後にThe Kinksを結成するレイ・ディヴィスだったという。
ロンドンは狭いからね~、こういうおとぎ話のような逸話がゴロゴロしてる。
そして、こんなに小さいクラブにヤードバーズやレッド・ツェッペリンやエルトン・ジョンやロッド・スチュアートが出ていたんだからスゴイ。
ザ・フーの『さらば青春の光(Quadrophenia)』の最初の方にもこのクラブのことが出て来るんじゃなかったっけか?

Nkcrawdaddy さて、異国の地で16歳にして未亡人となったキャサリン。
その後、義理のオヤジのヘンリー七世も肺炎で亡くなるが、今際の際に次男坊のヘンリーと結婚するように言うんだね。
ところが聖書では「兄弟」と再婚することは御法度とされていたので、当時カソリックだったイングランド王家はわざわざローマ教皇に頼んで「ね、いいでしょ?」と許可をもらって次男坊のヘンリーとキャサリンを一緒にさせた←ココ大事です。
何せ、キャサリンがスペインへ帰っちゃったら持参金の8億5千万円を返さなきゃならないからオヤジも必死だよ。
かくしてヘンリー七世を継いで次男坊が「ヘンリー八世」として王位に就き、あんちゃんの元の奥さんを妻に娶った。
ヘンリー八世がランベス宮殿でキャサリンに初めて会ったのは10歳の時のことで、「憧れのお姉さま」と憧憬の念を抱いていたので結婚相手としてはバッチリだった。
ヘンリー八世が17歳、キャサリン23歳…あとは早いとこ世継ぎが出来れば万々歳。

170vところが生まれないんだな…男の子が。
イギリスは「サリカ法」という「男子しか王位継承権を認めない」法律を採用していないので、女性が王位を継いで「女王」となっても大丈夫なのだが当時はまだ前例がなかったし、やっぱ王位は男に継がせたいという強硬な希望がヘンリーにはあった。
「男の子が欲しい」、「王子が欲しい」と切望する2人についに男子が生まれる!…と思ったのもつかの間、生後50日で亡くなってしまう。
「やっぱり聖書に書いてあったことはホントなんだ。兄弟と再婚しちゃイケないんだ」とビビりつつもキャサリンは6回妊娠したのだそうだ。

そして、最終的に成長したのは5回目の妊娠で生まれた女の子、メアリーだけだった。
下がメアリー。
恐いね。すごいストレスなんだよ。
何せ後で付いたアダ名が「ブラッディ・マリー」だもんね。この話はまた別の回で。

190v徳川でもチューダーでも洋の東西を問わず、こういう歴史ものはだいたい「お世継ぎ物語」だからね。
はじめのウチは「まだダイジョブ、ダイジョブ」とやさしかったヘンリー八世も世継ぎが産めないキャサリンにいい顔をしなくなってくる。
しかも年上で、何度も妊娠をしているので老け込み方が激しい。
男なんて勝手なもんで次第にキャサリンが疎ましくなっちゃう。
一方、身長が190cmもあるバイタリティのカタマリのようなヘンリー。
もちろんアッチの方もギンギンだぜ。 
だいたいこの肩幅はどういうことだ、ホルバイン?(ドイツ人宮廷画家、ハンス・ホルバインはそのウチまた出て来ます)200vそこへ現れたのがキャサリン王妃付きの女官アン・ブーリン!
おフランス帰りのソフィスティケイトされた美しいお嬢さまにイチコロだ。
ところが利口なアンはヘンリーの女グセの悪さを聞いて知っていたので、相手が王様とはいえ、そうおいそれと手籠めにされたりはしない。
「アンと結婚したい~!若い奥さんと一緒になって男の子を産ませたい~!」…苦悶するヘンリー八世。
でもローマ教皇かわワザワザ特赦をもらってまで結婚したお兄さんのお嫁さんがいる…そうおいそれと事がうまく運ぶワケがない。
そもそも離婚が認められないカソリックだからね。
そこで、ヘンリー・チームは「離婚」ではなくて、「そもそもキャサリンとの結婚は無効なんですよ。だって兄弟との再婚は聖書で認められていないんじゃん?」と、うすらトボけた作戦にでた。
オイオイ、自分で「兄貴の元の嫁さんと結婚させろ」って言ったの忘れたのか?
さて、2人の将来はいかに?

240v可哀想なのはアラゴンのキャサリン。
もう事実上夫婦ではなくなってしまい、ただの前王子の未亡人となってしまったキャサリンはケンブリッジの方のバックデンという方田舎に追いやられそこで一生を終えた。
でもキャサリン・オブ・アラゴンは民衆の間ではとても人気が高く、ロンドンを離れる時にみんなで無事を祈ったという。

230vもちろんメッチャ端折ってはいるけど、以上が『ヘンリー八世と六人の妻』の1曲目の主人公の物語。
ハイ、ココでもう一回この曲を聴いてみましょう!
 

<Catherine of Arragon>

250どう?
キャサリンの不幸な人生がシンクロした?
リックはジャケットに「このアルバムの曲はヘンリー八世の六人の妻たちのキャラクターを私の音楽的な解釈で表現したものです。それらは必ずしもその歴史と合致しているモノではなく、キーボーズを使って表現した私なりの印象なのです」と謳っているけど、こうして歴史を知っておいて聴いた方が面白いにキマってる。
 
次回はこの6人のお妃の中でも最も波乱に満ちた人生を送り、人気のある2番目の奥さん、アン・ブーリンをやります。
LPで言うとB面の2曲目。
お楽しみに!

200_2

2018年12月 4日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>

 
今回の記事は、<前編>が我ながら納得の出来でスッカリ気を良くしている。
書いていてとても楽しかった。
こうして「うまく書けた!」とスカッとするのは、本編の内容がうまく書けた時はもちろんなんだけど、特に脱線がうまくいった時なんだよね。
そして「脱線がうまくできた!」と合点がいくのは、自然に本題から離れて、行き先の内容に意味があって、何やらタメになって、スムースに本題に戻れた時かな?
タマにコレがあるから止められない。
「誰かのタメになるか」なんてのは知ったこっちゃない。自分が興味を持って、楽しく調べることができる事柄ならなんでもいい。
ナンダカンダでこのMarshall Blogを10年やっているけど、文章を書くのがキライではない私でもサスガにウンザリしてしまうことがあるんですわ。
そういう時はどうするかと言うと…文章を書くに限る。
つまり書きたいことを自由に書いてウサを晴らす。
読まされる方はタマったもんじゃないでしょうけど、コレが最良のカタルシスなんですな。
だから脱線は許してね。
ところで、この「カタルシス」という言葉は「瀉血(しゃけつ)」を意味するんですってね。
瀉血というのは、中世ヨーロッパで流行した病気の万能治療法のひとつ。
とにかく血をジャンジャン流して、血液と一緒に病気の悪い成分を体内から放出しちゃおうぜ!…という、原始的かつ乱暴極まりない治療法のこと。
この施術を受けて出血多量で死んでしまった患者も少なくなかったとか…。
そりゃそうでしょう!
ハラ痛でトイレに駆け込むじゃあるまいし、「出せばいい」というもんじゃない。
瀉血については下の『代替医療のトリック』という本に詳しい。
この本、以前CODEの時に紹介した『暗号解読』というヤケクソに面白い本を書いたサイモン・シンというイギリス人が共著していたので買って読んでみた。
でも途中で挫折した。
読んでいるうちにムズかしくなってきてイヤになっちゃったの。
Ss_2昔はどんな本でも一旦読みだしたら、どんなに難しくても、内容がわからなくても、辛抱強く最後まで読んだものだけど、今はそんなことはしない。
読んでいてイヤになったら、なんのためらいもなくスパっと止めて他の本にとりかかる。
自分のプラスになるところまで読んで、マイナスになる部分は切り捨てた…と考えて潔く諦めちゃう。
内容の難度だけでなく、文章のリズムが気に喰わないとか、言葉遣いが性に合わないとか、字が小さいのに耐えられないとか、何でもいい。
イヤならサッサと止める。
もう人生の残された時間に余裕がないからね。
自分が買った本ぐらいは好きなように読ませて頂くさ。
しかし本というのは、思い浮かんだ本がいつでも即座に取り出せるようにしておかないと意味がないね。
1回で読んだ内容をすべて頭の中に入れることができるのであれば問題ないけど、そんなことは不可能にキマってる。
だから、調べごとをする時にかつて読んだ本の中から情報を引っ張り出さなければならないワケなんだけど、本を段ボールなんかに入れてしまい込んだりしたらもうダメね。
調べるのがイヤになっちゃう。
よく学者先生が書斎にドバーっと本を並べているでしょう?
アレは蔵書を自慢しているワケではなくて、ああしておいてお目当ての本がいつでも取り出せるようにしておかないと仕事にならないんだよね。
それじゃ、検索に便利であろう電子書籍を活用したらどうか?という意見も出てくるだろう。
ダメダメ。
本はどんなことがあっても紙で読むものです。
そんなコンピューターのディスプレイで文字を追ったところで内容が頭に入らないのよ…少なくとも私のようなジジイは。
紙とインクのニオイを味わいながら、指先でページを繰る作業をすることによって情報が頭に刻み込まれる。
…てな具合に好きなことを書いて気分を開放するというワケ。
でも今回はチョットやりすぎたわ!
 
それではハマースミスの<後編>を始めますよ~! 
<前編>の最後に記した通り、<後編>は川からスタート。
 
この川…ナニ川だと思う?
もう一度書きますが、このハマースミスはロンドンの中心から地下鉄でたった20分ぐらい西へ来たところだからね。
それでこの景色。決して千曲川や犀川ではない。
この川は…
440この川の上流。
あるいは…

450この川の上流なのだ!
つまりテムズ川。

460まぁ、東京でも神田川や荒川をチョットさかのぼれば「え、コレが?」なんてことがあるけど、この差はスゴイ。
言っておきますが、下の写真にあるような船は漁船ではありませんからね。
イギリス全土に張り巡らされた水路(canal)を行き交うための船、つまり「ナロウ・ボート(Narrow Boat:細い船)」というヤツ。
下の写真の船はわからないけど、イギリスにはこのナロウ・ボートで生活している人がたくさんいる。
ヴァージン・グループの創設者、リチャード・ブランソンもヴァージン・レコードのマイク・オールドフィールドでひと山当てる前はナロウ・ボートで暮らしていたことがあったと自伝に書いてあった。490vそれでも川岸の景色は日本と全く雰囲気が違ってとてもステキなの。

470このTHE DOVEというパブは17世紀からココにあったという。
看板にあるように<前編>で紹介したビール会社のFuller'sが1792年にそれを買い取ったのだそうだ。
ロンドンにはこうしたパブがゴロゴロしているので、これぐらいでビックリしていては身体がもたないが、ココはFuller'sのお膝元ということで感心しておいてよいのかもしれない。
ちなみに1792年はロシアからアダム・ラクスマンが通商の交渉に日本にやって来た年。
アダムのお父さん、キリルはいつかやった大黒屋光太夫の面倒をみてくれた人。
アダムは1792年より前に光太夫が日本に帰って来る時にも来日している。

480写真の奥が下流。
向こうに立派な橋が見える。

500その橋のすぐ近くの川岸にはこれまたステキなパブが軒を連ねている。

510v下は「The Rutland Arms」というお店。
また「arms」。
「Rutland(ラトランド)」というのは、イギリスの中東部にある本土で最も小さい群の名前。
このパブは実際にそこから名づけられ、1849年頃にオープンした。
1849年は日本では嘉永2年…ペリーが黒船でやって来る4年前だぜ。
2階がはホテルになっているそうだ。
見た目も雰囲気もいいんだけど、ココもやっぱり運営母体は「FTSE 250 Index」というロンドン証券取引所の株価指数の算出対象となっている「Greene King」という大企業で、さらに調べてみると、このGreene Kingはサフォークに拠点を置くイギリス最大のパブ屋ということだ。
…とかいうと、金にあかして地元のパブを片っ端から買収する成り上がりの悪徳企業のようなイメージが付きまとうが、このGreene King、設立は1799年!
由緒あるパブ屋なのだ。
エエイ、またやっちゃえ。
大英博物館の展示品の目玉のひとつに「ロゼッタ・ストーン」ってあるでしょ?
あのヒエログラフとかいう。
アレが発見されたのって1799年なんだって!
つまり200年以上前に人様のところから持ち出したものを大事に保管して、ああして博物館に展示しているワケよ。
すごくない?
エジプトが自分のところから持ち出されたそうした貴重な文化遺産を返してくれ!とイギリスに頼んだら「ナニ言っちゃってんの?我々が持ち出したからこうして現在もキチンとした形で残ってるんじゃないの~。アンタらに任せておいたら全部オジャンだよ、オジャン!」と返還をキッパリ断ったとかいう話があるけど、パブひとつ取っても、コレはイギリスが正しいと思わざるを得ない。
520vそしてこのお店、Fuller's のお膝元にあって、あの赤い「Fuller's」や「London Pride」のロゴがついていない。
それもそのはず、このGreene Kingというのはパブ屋というわけでなく、普通のパブでよく見かける「Abbot Ale」とか「Old Golden Hen」を作っている大ブリュワリーなのだ。
コレは冗談なのかもしれないけど、このAbbot Ale、階級社会のイギリスの労働者階級において、「ビターを飲むヤツが上、マイルドを飲むヤツが中、アボット・エールを飲むヤツが下」…とか言われるそうである。
アボット・エールだけ名指し。
このエールはアルコール度数が強く、「ただ飲んで酔っちゃおう」という類のモノとされているようだ。
ま、おいしければ何でもいいんだけど、こうした裏パブ事情を知っていると「パブめぐり」をする時に楽しさが増すだろう。
パブめぐりはトイレに行く回数も盛大に増すけどね。
トイレに行くために次のパブに入って、またトイレに行くために次のパブへ…キドニーがフル回転である。

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下の写真の中の右手の白と青のパブは「Blue Anchor」。
このお店の開業はさらにさかのぼって1722年!
さすがにコレはロンドンでも最も古いパブのウチに入るらしい。
日本で言えば享保年間。
紀伊徳川家から偶発的に8代目の将軍の座についた吉宗が「贅沢はダメよ」と享保の改革に勤しんでいた頃だからいい加減古い。
財政を少しでも切り詰めるために、将軍になった吉宗が大奥の美女50人を集めてヒマを出したって話知ってる?
「お前たちは器量が良いのでどこへ行っても困ることはなかろう」…というワケ。
立派である…しかし、残された方もあんまりいい気分はしなかっただろうな。
吉宗はかなりの「デカ耳」だったらしい。
さてこのBlue Anchor、「惑星」で有名なグスタフ・ホルストがよく来ていたのだそうだ。
ホルストはこの辺の住民だったのかな?
というのもホルストは「Hammersmith」という作品を残している…聴いてみたけど、それほど面白くはなかった。
イギリスの作曲家というと、エルガー、ブリテン、ホルストぐらいしか名前が浮かばないな。
ロンドンのジミ・ヘンドリックスのフラットの隣に住んでいたヘンデルはドイツ人だし(当然時代はゼンゼン違うよ!)。
で、ホルストって完全に「惑星」ぐらいしか知られていないでしょう。それだって「火星」と「木星」以外の曲を最初っから最後まで歌える人なんてほとんどいないのではないかしら?
ところがこのホルストってものスゴイ数の歌曲を作っているんだよね。
それに「Hammersmith」の他に「St.Paul's Suite」なんて曲もあるし、「惑星」の創作活動を一時中断して、日本の民謡を取り入れた「Japanese Suite」なんていうバレエ組曲もあるのよ。
コレはね、なかなかにいい曲だよ。
「Dance under the Cherry Tree」という曲では「ねんねんころりよ」のメロディがそのまんま出て来る。
この他にも日本の民謡のメロディがふんだんに盛り込まれているんだけど、この辺りのメロディは作曲を依頼した伊藤道郎という日本舞踊家が、実際にホルストに歌って聴かせ、ホルストが耳コピして採譜したのだそうだ。
この伊藤道郎という人がスゴい人で、お父さんが伊藤為吉という三重の松阪出身の建築家で幸田露伴のご学友。そして、銀座4丁目の服部時計店のビルを設計した人。
1886年にサンフランシスコに留学し、帰国後、日本で最初のドライクリーニング店を開いたとされる。
ココのウチの家系がまたスゴイ。
長女は古荘幹郎という陸軍大将に嫁ぎ、長男は上に出て来た世界的舞踏家の道郎。道郎の奥さんがアメリカ人のヘイゼルという人で、その間に生まれたのがトワエモアで有名な「誰もいない海」を歌ったジェリー伊藤。資生堂の初代男性モデルを務めた人…ハーフだからね。
で、ココから伊藤家の親戚関係を書こうかと思ったけど、それだけで1本終わっちゃいそうなのでココで止める。
ひとつ言えることは、良家は良家とのみ交わり、金は金を呼ぶ、ということだね。
トランプの大富豪(大貧民)って、ゲームの初めに大富豪は一番弱いカードを選び、大貧民は一番強いカードを選んで互いに交換するでしょ?
アレに似ているような感覚がある。
今、世の中にゾウだかサイだかで大儲けしたようなIT長者がゴロゴロしているけど、こういう伊藤家とかヨーコ・オノの小野家とか、同じ金持ちでもゼンゼン違うんだよね…。
家柄と血だけはどんなに金を積んだところで手に入らない…と毒づいてみたところで我が家の財政は改善されんわな。

530vただひとつ解せないのが「ドライクリーニング」のこと。
日本で最初にドライクリーニングを始めたのは、五十嵐健治という人で、白洋舎を創設した人…と聞いていた。
でも、この伊藤為吉の来歴には必ず「日本で最初にドライクリーニングを始めた人」とある。
そこで、まだ読んでいない本を引き合いに出すののもナンだが、『夕あり 朝あり』という三浦綾子が著した五十嵐さんの自伝。
大分前に買ったんだけど、コレで読む楽しみが増えた。
松阪出身の伊藤為吉と同じ松阪が発祥の三越。五十嵐さんは三越の従業員。そして、2人とも敬虔なクリスチャン(三浦綾子も)。
この辺りでつながっているんだろうな。
何かわかったらまた報告します。

90r4a3291_2パブに戻る。
こうした古いパブには大抵店の外に沿革が記してある。
あんまり大したことは書いていなくて、「ウチはメッチャ古いんよ!」とか「ダレダレが常連だった」ってなことばっかりなのが普通。
しかし、日本では考えられないもんね。
こんなのを引っ付けてる居酒屋なんて見たことない。
せいぜい「当店は『美味しかったより楽しかった!』をモットーにしています」なんてのが関の山だろう。

9img_2016

9img_2014

ね?映画を観た人ならピンと来るでしょう?
この辺りが映画『ボヘミアン・ラプソディ』の最初の方、Queenがマネージメント契約をするための打ち合わせをするシーンで出てきた場所。

540あのシーンで背景にこの橋が見えたのですぐにわかった。

550というのも、この橋がすごくカッコよくて、その姿が頭にこびりついていたからだ。
この緑の橋はその名も「Hammersmith Bridge」。
朝の通勤ラッシュ時間だったこともあるけど、見ての通りの凄まじい交通量。560v橋の入り口には「橋弱し」としてm g w7.5tと車両の重量規制を設けている。
「m g w」は「Maximum Gross Weight」の略。

570vテムズ川に架かる初めてのつり橋として、初代のHammersmith Bridgeは1827年に有料で開通したが、増加する交通量の荷重に耐えきれなくなり、仮設の橋を経て1887年に現在の橋に架け替えられた。

580_2橋とは思えない素晴らしく荘厳なつくり。
この橋も<前編>で紹介したThe Mawson's Armsと同じく「Gread II」の建造物で、当局の許可なくして壊したり、改造したりすることは固く禁止されている。
この金と緑の色合いがいいんだよね~。

590照明装置もカッコいい。
昔はガスだったんだろうな。

600vハマースミス駅へ歩いて向かう通勤する人たちも多い。
1919年の12月、チャールズ・キャンベル・ウッドという空軍の中尉が溺れる女性を助けるために橋から飛び込んだ。
12月のロンドンですよ!
ウッド中尉は女性を助けたものの、ケガを負ってしまい、それが原因で破傷風を罹患して亡くなってしまった。
そのウッド中尉の勇気を称えるプラークが手すりについているのだそうだ。
見て来ればヨカッタ。

610見て!このメイン・ケーブル!

615vケーブルと言っても鋼鉄の板が9枚束ねてある。620メイン・ケーブルの中央部。
左右から伸びて降りてきたメインケーブルを連結させている。
この部分がどういう風に働くのかは知らないけど、とりあえずカッコいい!
630ハマースミス橋は1939年、IRA(アイルランド解放軍)の破壊工作にあっている。
モーリス・チャイルズという美容師が夜中の1時に帰宅するために橋を歩いていると、歩道に煙と火花を出しているスーツケースを発見した。
チャイルズは、そのスーツケースを開けて中に爆弾が入っていることを確認するとそのケースを川に投げ捨てた。
川面からは18mもの水柱が立ったという。
その直後、橋の西側で橋ゲタを破壊するためのもうひとつの爆弾が炸裂し、近隣の家の窓が大いに震えたという。
後にチャイルズはこの時の咄嗟の行動が橋を救ったとしてMBE勲章を叙勲した。
MBE(Members of British Empire)はビートルズがもらった勲章ね。
時代は下って1996年、IRAが南側の土手にプラスチック爆弾を仕掛けた。爆弾は作動したが着火せず不発に終わった。
さらに2000年にもIRAが破壊工作を行ったそうだ。
かわいそうなハマちゃん…イジめられやすい橋なのね。

640v映画『ボヘミアン・ラプソディ』のロケ地を紹介したということで、薄いながらも強引に「ロック名所」にしておいて…と、通勤客よろしくハマースミス駅へ戻る。
ココから徒歩1分ぐらいのところにかつて「Hammersmith Palais」というライブハウスがあった。

1img_0086The Clashが伝説的なコンサートを開いたとか…。
しかし、2007年に閉店。
The Clashはココで開かれたレゲエのオールナイト・コンサートのことを歌った「(White Man)In Hammersmith Palais」というシングルをリリースしている…んだってね。
ゴメンね、ゼンゼン知らなくて。パンクは全くの門外漢なもんスから。
でもチョット調べて見ると、面白い歌詞だね。コレ、40年前か!
「音楽」としてとらえた時、私はパンクに与しないけど、こういうミュージシャンが今こそ出て来るべきだと思うんだけど…。
昔と違って、今はデジタル・テクノロジーを通じてレコード会社に頼らないで制作から宣伝、販売まで様々な好きなことができるようになったにもかかわらず「ありがとロック」が主流になってしまったことは皮肉以外のナニモノでもない。
やっぱりテクノロジーの進歩は人間を幼稚にすることは間違いない。

White_2コレは<前編>で紹介したハマースミスのメインストリート(イギリスでは「ハイ・ストリート」という)、キングス・ストリート。
駅を背にしてこの道に入る時に横切る道路の左を見る…。

1img_0085こういう景色。
今、突き当りに見えているのがロック・ファンの間に知らぬ者はいないであろう、「ハマースミス・オデオン」。
今はHMV Hammersmith Apollo…と思っていたら、また名前が変わったのか!
現在の名前は「Eventim Apollo」というのだそうだ。
でも、「CCレモンホール」ではなくて我々にはずっと「渋谷公会堂」だったように、やっぱり心の中では「ハマースミス・オデオン」でしょう。
以下、話の通りをよくするために「ハマースミス・オデオン」の呼称で統一して記事を書き進めるよ。

1img_0084ハマースミス・オデオンは数あるイギリスの古い劇場にあって、キャパが3,632席、スタンディングで5,039名と最も大きな部類に入り、オリジナルの形をよく保存している稀有な施設なのだそうだ。
このスタンディングの39名をどうやって割り出したのかが気になるな…ま、客席エリアの面積を立った時の人ひとり当たりの専有面積で割っただけか?
まさか、実際に人を5,000人以上連れて来て客席に詰め込んでみたワケではあるまい。
「ダメです!5,040人はどうやっても入りません!」
「チッ!しゃーねーな~。じゃスタンディングのキャパはハンパだけど5,039人にしとくか」みたいな?
650オープンしたは1932年。
キルバーンの回で紹介した「Gaumont State Cinema」と同じ、フランスの映画興行会社Gaumont(ゴーモン)が「Gaumont Palace Cinema」としてスタートした。
1932年…またやってみると、日本では五一五事件で犬養首相が暗殺された年。
細かい話だけど、総武線が両国から御茶の水まで延伸して、中央線に乗り入れたのがこの年だって。
総武線っていうのは両国が起点だったからね。
私が子供の頃は房総方面の急行や特急は両国が始発駅だった。
なんか、イギリスの時間に合わせていると、日本では「享保」とか「嘉永」とか、ゼンゼン時間の感覚が合わないんだけど、コレぐらいになるともう「最近」だね。
ハマースミス・オデオンなんて新しい、新しい!
だって1932年というのは「昭和7年」だもん。
イヤ、そんなことないわ!3年前に死んだウチの父の生まれる1年前だもん。

180v_2コケラ落としはイギリスのコメディ映画「A Night Like This (1932年)」と「Bad Company」という1931年のアメリカ映画。
この辺りはさすがにわからないな。
そうか…「Bad Company」という名前はポール・ロジャースやらミック・ラルフスが考えたバンド名かと思っていたら同名の映画があったのか…。
偶然かな?
イヤ、調べてみるとそれどころじゃない!「Bad Company」という映画はザっと見積もって古今で15本近くあるじゃんけ!
知らなかった。
 
ハマースミス・オデオンの建物を設計したのはロバート・クロミーという人。
この人は『Let It Be』のところで出て来たピカデリー・サーカスにほど近いPrice Wales Theatreを設計した人。

6a0163044657d3970d017d3cbb61fb97_2やっぱり今回はいい機会なので、ハマースミス・オデオンの名前がどういう風に変わって来たのか調べてみよう。
まず、最初は…
1932~1962年までGaumont Palace 。
1962~1992年までの30年間がHammersmith Odeon…やっぱりコレでしょうな。
1992~1996年がLabatt's Apollo。Labattというのはカナダのビール会社。
1996~2002年がHammersmith Apollo。
2002~2006年がCarling Apollo Hammersmith。Carlingもカナダのビール会社。
2006~2009年は、またHammersmith Apolloに戻る。
2009~2012年はHMV Hammersmith Apollo。この記事に出ている写真はこの時期とひとつ前の時期に撮られたもの。
2013年に改装工事が入って、その後は現在に至るまでEventim Apolloとして営業している。
 
このEventimというのはドイツのブレーメンが本拠地のヨーロッパ最大のチケット販売会社。
またドイツ!…というのは、イギリスは由緒あるスーパーマーケットなんかもドイツ資本の「ALDI」や「LiDL」ってのに軒並み席巻されていて、ウチの社長も「みんなドイツにやられちゃう」なんて言ってた。
しかし、コレはナニかね?
スポンサーがつかない時は「Hammersmith Apollo」に戻るってことなのかね?
 
ハマースミス・オデオンを横から見たところ。
この建物もGrade IIに指定されている。

66060年代にはルイ・アームストロング、エラ、エリントン、ベイシー、ウディ・ハーマン等、アメリカのジャズの大スターがこぞってステージに上がった。
ビートルズは1964の終盤から1965年の初めにかけて21夜の公演を通じて38回出演している。エルキー・ブルックスや、エリック・クラプトンを擁したThe Yardbirdsがゲストで登場したこともあったそうだ。
エルキー・ブルックスはイギリスのジャニス?Vinegar Joeのシンガー。
メッチャかっこいいよね。
私はかつてMarshallのデモンストレーターを務めていたジェフ・ホワイトホーンがエルキーのサポートを長年やっていることでその存在を知った。
ムムム!コレはスゴイ…1972年の10月28日にはガレスピー、モンク、ブレイキー、スティット、カイ・ウィンディング、アル・マッキボンだってよ!
日本人で出演したことのあるバンドって知ってる?
そう、1980年のYMOと1986年の我らがLOUDNESS!
アニメも何にもない時代、音楽だけでイギリスに乗り込んだんだからスゴイ。
今ではイギリス人も世代が代わってすっかりヤキが回っちゃったけど、「ビートルズを生んだ国イギリス」の人は自分の国とアメリカのロックしか聴かなかったんだから!
一番町のイギリス大使館に勤めている私の知人の女性はちょうどこの頃イギリスに滞在していて、ハマースミス・オデオンのLOUDNESSを観たそうだ。
音がバカでかくてメッチャかっこよかった!と言っていた。観たかったな~。
コレが入り口ね。670オールド・ファンならコレはご存知でしょう?
The Whoの『四重人格(Quadrophenia)』のブックレット。
上の写真のと同じ場所。
コレはかなり高いところから撮ってるね。

110r4a0705ハマースミス・オデオンが使われるのはコンサートや演劇のためだけじゃないよ。
Marshallも撮影でお借りしたことがある。
その時の写真がコレ。
コレ、合成でもCGでもないからね。

Jmho1992年、まだCGなんてない時代、創立30周年を記念して、ハマースミス・オデオンのステージに175個の1960Bを実際に積み上げて撮影した。

90r4a3284さてさて、「ロックの国イギリス」を代表するコンサート会場とだけあって、当然数え切れない程のライブ・アルバムが残されている。
独断と偏見でチョットだけ紹介してお別れしましょうか?
今回書いてて面白かったけど、エラく疲れたわ~。でも、この先まだ結構続くんだわ…。
 
まず、何はなくともFrank Zappa。
その名も『Hammersmith Odeon』。
ザッパは、1978年は1月24、25、26、27日と2月28日の5回、ハマースミス・オデオンの舞台に立った。
この3枚組CDには24日を除く演奏が収められている。
「下町のひとりヒプノシス」にしてザッパ研究家のデザイナー、梅村昇史氏によると、1978年と1979年のヨーロッパ・ツアーはロンドンでリハーサルをして、ハマースミス・オデオンに出演し、ツアーに出かけたという。
その後のツアーはドイツかオランダからスタートすることが多くなったとのことだ。
私的好みによれば、Roxyの頃に次ぐ黄金メンバー。
あまりにも素晴らしい演奏だ。

Aその演奏のスゴさは24日を除くハマースミス・オデオンでの音源が、ロック史に残る超名盤『Sheik Yerbouti』収録の多くの曲のベーシック・トラックに採用されていることが証明している。
となると、24日の初日にハマースミス・オデオンに行ったお客さんはかなり気の毒だな。
イヤ、それでもゼンゼンいいからこのメンバーの生の演奏を観てみたかったナァ。
ところで、奇しくも今日はフランクの命日なんだよ。
早いな~…25年前私は大阪に住んでいて、アノ朝、新聞の死亡欄を見て死ぬほど驚いたのを覚えてる。もちろんその記事もスクラップしてどこかにしまってある。
その日、いつもザッパのアイテムを買っていた梅田EST1のワルツ堂というレコード屋さんへ行って、仲のよい店員さんに会った。
「エライことになりましたな~!」っておっしゃっていたっけ。
アラ?ワルツ堂さんって倒産したの?
いいお店だったのに…エライことだ。

Bクラプトンの『E.C. Was Here』には1974年12月のハマースミス・オデオンでの演奏が収録されている。
ちなみに「I(アイ)」という調子は音楽にはない。

Cこのアルバムのタイトル『E.C. Was Here』って意味知ってる?
もちろん「E.C.がいたよ」という意味なんだけど、コレはパロディになってる。
何のパロディかというと、「Kilroy was here」という第二次世界大戦の頃にアメリカで流行した落書き。
色々な説や意味があるようなので、ここに詳しくは書かないが、映画『ショーシャンクの空に(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』にも出て来るでしょ?
長い間刑務所にいて、出所したのはいいけど、服役中に大きく変化してしまった社会について行けないブルックスというオジイちゃんが、首を吊るためのロープをかけた梁にナイフでこう刻んで死んでいく…「Brooks was here」って。
アレがコレなの。

112kilroy私がナンでコレを知ったかと言うと、The Moveなの。
他のバンドにもたくさん「Kilroy was Here」という曲があるんだけど、私がThe Moveが好きでね。
Roy Woodが大好きなもんだから…。
それで「コレ、いい曲だナァ」と思って「Kilroy was Here」ってのはどういう意味か調べたのね。
Marshallにいた年配の友人が「The Moveはロックではなくてポップだ」って言っていたのを思い出す。

Move2004年にリリースされた『461 Ocean Boulevard』のデラックス盤にはハマースミス・オデオンでのライブ音源がタップリ収録されているんでしょ?
「でしょ?」というのは、私、子供の頃からナゼかクラプトンって全く聴かないものですから…。

Dコレはよく聴いたよ。
Brand Xの1977年の『Live Stock』。
でも、ハマースミス・オデオンでの収録は2曲だけであとはソーホーの「Ronnie Scott's」とウォルド―・ストリートの「Marquee」の音源なんだよね。
なんでもいいわ!この頃にロンドンにいたかったわ!
しかし、最近は命日ということもあって、facebookでは乾物屋のように「ジャコ、ジャコ」とにぎやかだったけど、パーシー・ジョーンズもいいのにね。
でもね、やっぱりこの人はBrand Xどまりだったんだよな。
Tunnels(トンネルズ)なんて信じられないような名前のバンドのCDも買って聴いてるけど、やっぱ曲が…。
どんなに演奏が個性的でも曲がツマらないのは致命的であることのいい例。それでもCDを買ってしまう私は、「懲りないバカ」のいい例。

Eこのアルバムはスゴイ。
The Tubesっていいよな~!
映画を観てQueenが好きになったような新しいファンの神経を逆撫でするようことを言うけど、フレディ・マーキュリーを見逃したのは特段悔しくはない。
が、1979年のThe Tubesの来日公演を見逃したのは私の音楽人生におけるかなり大きな汚点だよ。
グヤジイ~!
来日するのは知っていたし、前座が話題のYMOだってのも聞いていた。
きっと、お金がなくて行けなかったんだろうな?
1978年リリースのThe Tubesのライブ盤もハマースミス・オデオン録音。
で、このライブのミキサーを現場で担当したがLOUDNESSの『Thunder in the East』のプロデューサー、マックス・ノーマンなんだよ。

FこのThe Tubesのライブ・アルバムにも収録されている「God Bird Change」というインスト曲ね。
アル・ディ・メオラが1982年『Electric Randzvous』の1曲目に取り上げている。
このアルバムにも参加しているディ・メオラのところのパーカッションのミンゴ・ルイスはThe Tubesのドラマーだったから。
さすが、「ディ・メオラ!カッコよく演ってるな~!」と言ってあげたいんだけど、The Tubesバージョンの方がカッコいい。

Erコレもハマースミス・オデオンだったんだ…イヤ、私も持ってるんだけどサ。
ああ、天ぷら食べたいけど、ハンバーグもステーキも食べたいナァ。唐揚げも食べたいし、トンカツもいいナァ。
炊きたての白いご飯は最高だけど、チャーハンや中華丼も久しく食べてないからナァ。
おお~!一口ずつ食べたいモノがセットになっている夢のような定食があるじゃんか!…というのがこのアルバム。
私にはそういう印象。
結局コレを聴いた後には『Brain Salad』やら『In the Court of 』やら『Back in the』やらを引っ張り出して来て「ああ、やっぱりコッチだな」とオリジナルの良さを再認識する
私にはそういう印象。
でも、グレッグ・レイクっていい声だよな~。
ホント、一度だけだったけど、ELPを観ることができて幸せだった。
もうアレで思い残すことはない…そうはいかない。

Gあ、そう。
Mottのライブ盤もハマースミス・オデオンなのか…もっともな話だ。
ゴメン!…Mott the Hoopleは苦手なの。
でも、いつかイアン・ハンターがAVTを使っているのを見てうれしかった。
イヤ、何枚か持ってますよ、もしかしたらこのライブアルバも持ってるかも知れないな…チョット探してくる。
-----ガサガサガサガサガサガサ------
CDがあったわ。
でも聴いた記憶が一切ない。
いっちょ聴いてみるか…Spotifyで。CDをプレイヤーに入れるのが面倒だから。
-----アクセス、検索、▶------
なんだよ、タイミングよくオープニングSEがホルストじゃないの!
フーン、クレジットは「The Odeon Theatre」になってる。「シアター」がイギリス綴りなのがうれしいな。
-----しばし聴く------
はい、次いきます。

HThe Sensational Alex Harvey band、1975年のライブ。
観たかったな~。
生でアレックス・ハーヴェイの声を聴いてみたかった。
このアルバムは「Justly, Skillfully, Magnaminously」とかいうファンファーレで始まるんだけど、コレを作ったデレク・ワズワースというイギリス人のトンロンボニストらしんだけど、この人がスゴイ。
コレ、ホントかな?
キャリアを見ると、アレンジを担当したミュージシャンの名前に… Judy Garland, Nina Simone, Kate Bush, Dusty Springfield, Shirley Bassey, Georgie Fame, Cat Stevens, Rod Stewart, The Rolling Stones, Manfred Mann, The Small Faces…その他ゾロゾロになってる。スゴすぎるでしょ、コレ?
そのファンファーレの後にアレックスのスコティッシュ英語が炸裂!
ホントにこのバンドが好きだ。
ギターはもう長年欲しいと思わなかったんだけど、今、SGが欲しいと思っているぐらい。
Hard Offで安くていいのを探すのがチョットした趣味になってる。

Iハイ、コレもハマースミス・オデオン。
『Bad Reputation』の成功に気をよくしたThin Lizzyは、再度プロデューサーにトニー・ヴィスコンティを起用して1978年の初頭に新しいスタジオ・アルバムをリリースしようとする。
ところが、売れっ子ヴィスコンティがあまりにも忙しくて制作に付き合っている時間がなく、しからばということで、現存していた音源を使ってアルバㇺを制作することになった。
ってんで、Thin Lizzyのメンバーとヴィスコンティは、アルバムに収録すべき良質のパフォーマンスを探すために30時間以上、録り貯めた過去のライブ音源を聴き漁った。
このアルバムのジャケットには、1976年11月14日のハマースミス・オデオンでの演奏(『Johnny the Fox』のレコ発ツアーの一部)、1977年10月28日のカナダはトロントでの演奏(『Bad Reputation』のレコ発ツアー)の録音がクレジットされているが、ほとんどの演奏の元はハマースミス・オデオンでの音源なのだそうだ。
「元」というのは、ヴィスコンティによれば、このアルバムの演奏って75%がダビングなんだって。
そう言われて聴いてみると「Are You Ready」あたりのフィルのボーカルズなんてショート・ディレイがすごく不自然にかかっているように聞こえるもんね。
ナニせオリジナルの音源はブライアン・ダウニーのドラムスと観客の歓声ぐらいらしいよ。
ちょっとガッカリ?
また、「Southbound」はトロントの1週間前のフィラデルフィアで録音していたサウンドチェックの時の音源なんだと。
ま、そんなもんですよ。
UFOのライブ・アルバムだってねェ、収録されている2曲がスタジオ録音だっていうんでしょ。
でも、「Cowboy Song」から「The Boys~」へのメドレー式につなげる手法や「Still in Love with You」のテンポ設定はこのアルバムで始まって、最後まで踏襲したというからThin Lizzyの最も良い時期を記録したアルバムであることは間違いない。

Jスゴイのはブライアン・ダウニーよ。
前からスゴいドラマーだと思ってたんだよね。
ブライアンはどこのドラムを使っているか知ってる?
そう!
NATALなんです。うれしいな~。

Bd1そして、今ブライアンは「Brian Downey's ALIVE AND DANGEROUS」というThin Lizzyのトリビュート・バンドをやっている。
こういうのこそトリビュート・バンドっていうんじゃない?
ホンモノのメンバーがいるんだからコレは決して「コピー・バンド」ではない。
反対に第三者が演るのは「トリビュート・バンド」という言う前に「コピー・バンド」という言葉が適用されるのが正しいと言葉の使い方だ思う。
もちろんブライアンはNATAL!
観たいな~!
なんかThin LizzyもWhishbone AshみたいにScott Gorhamの方と分派活動を展開しているけど、このブライアンのはすごくいいらしいよ。ブライアンはオリジナル・メンバーだし。
ドラマーの金光K健司の推薦だから間違いない!
そして、そのKKが使用しているドラム・キットがNATAL。
NATAL、近い将来きっと来るよ、コレ。
音の評判がものスゴくいいもん。

Bd21983年のThin Lizzyの「さよならツアー」を記録したのもハマースミス・オデオンだった。

K1985年のアイアン・メイデンのライブ盤もハマースミス・オデオンなのね?最後の5曲がそうなのか。
いつかMarshallからフィンズベリー・パークまで送ってもらった時、仲のいい運転手が、到着するチョット前ぐらいに「確かニコの家はこの辺りだったハズだよ」なんて言ったことがあった。
もちろん日本も同じなんだけど、アイアン・メイデンのドラマーが電車に乗ってハマースミスに行けるところに住んでいるというのがものスゴく面白く感じるんだよね。
かつてサウス・ケンジントンに住んでいたジミー・ペイジにしてもそう。
だからミック・ジャガーがダブルデッカーに乗って、「おつりが1p足りない!」と騒いだ…なんて話も信憑性があるね。

自慢のSpotifyで聴いてみると、このアルバム、カッコいいね。
「Never surrender!」というウィンストン・チャーチルの演説を使ったオープニングSEもいい。
チャーチルの演説では「Never give in!(負けるもんか!)」というスローガンが有名。
2曲目の「Aces High」…テンポがヨレて聴こえるのは私の耳のせいか、ニコのせいか…。

Lビデオの収録も大作ぞろいだ。
大コンサートを開いてるんだから当たり前か。
映画になったデビボの『Ziggy Stardust and the Spider from Mars』は1973年のハマースミス・オデオンでのステージを収録。

Zs 1994年にリリースされたケイト・ブッシュの『Libe at Hammersmith Odeon』は1979年3月のコンサートを収録した。

Mそして今回初めて知ったんだけど、アータ、今年The Darknessもハマースミス・オデオンでのライブ盤を出したのね?
自慢のSpotifyで聴いて楽しみました…こんな私でも一旦コレをやってしまうともうCDは買えないよ!
本当に音楽ってタダ同然になってしまったことを実感するわ。

NでもThe Darkness好きでね。
2006年に来日した時、Dan Hawkinsに一緒に写真に収まってもらった。
背の高さは違うけど、やっぱりファンだけあって、体つきとか、顔の大きさとか、足の長さとかがソックリだね!

Dan ところで、こんなに何回もハマースミス・オデオンに行ってて、ナニかショウを観たことがあるのか?と訊かれると…情けないことに答えは「No」なんですよ。
私だって入ってナニか観たいよ。
でも、ホントに一度たりとも観たいアーティストが出ているタイミングにロンドンにいたことがないのよ!
一度、トッドがかすったけど、やっぱり2、3日違いで観れなかった。
じゃ、今パッと行って見たらどうかな?と行く気になったつもりで予定を調べて見ると、やっぱりいいのがない!
2月にBlue Oyster Cultが出るようだけど、それは観たいナ…40年ぶりに!

9img_1020前掲の写真同じく、数年後に横から撮ったもの。
もうお店が出来て様子が変わってる。
「El Paso」?「Tex Mex」?メキシコ料理屋か?…いいね。

860この時はホラ…ポール・サイモンだった。
コレを観に行くガラじゃないもんな~。
TOTOも何回か観たからいいや…。

9img_1025_2おおおおおおお~!
コレなら行く行く行く行く行く、イヤ、来る来る来る来る来る!
…と思ったら残念でした~。
この時もタイミングがゼンゼン合わなかったの。

820vスティーヴ・マーチン、こんなところに出てるんだね。
この人も苦手なの。
でも『アウト・オブ・タウナーズ』というゴールディ・ホーンと演った、ニール・サイモン脚本の『おかしな夫婦(Out of Towners)』のリメイクはヨカッタ。
「モンティ・パイソン」や「Faulty Towers」のジョン・クリースがオカマの役で出てるところがまたヨカッタ。

830vハマースミス・オデオンを覗いてみる。
ロビーはこんな感じ。
「programmes」という綴りにイギリス感があってうれしい。
お、何やらプラークが付いているぞ。

840バディ・ホリーだ。
1958年3月25日、バディ・ホリーは2回ココのステージに立った。
そしてコレがイギリスにおける最後の公演となった。
約1年後の1959年2月3日、バディ・ホリーは飛行機事故でたった23年の生涯を閉じたのだ。

850イヤ~、今回の記事は書いていてとても楽しかったけど、かなり疲れたわ!
2回の記事で5本分以上書くぐらいの時間と労力を費やした。
いつもより格段に多く英語の文献に当たったからだ。
最後に…
Queenで始まったので、Queenで〆よう。
フレディの家があるアールズ・コートからココまでは、ウエスト・ケンジントン、ハマースミスと、地下鉄でたった2駅ということもあるからね。
重要なハマースミス・オデオンでのライブ・アルバムをもうひとつ。
2015年にリリースされ、往年のファンを狂喜させた1975年のQueenの音源。
私はファンでないので買わなかったけど、自慢のSpotifyで聴いた。
この音源はとてもいい。『Live Killers』よりゼンゼンいいんじゃない?
誰も作れない、イヤ作らなかったオリジナリティあふれる自分たちの音楽を若き日の4人がハジけるように演奏しているところが捉えられている。

Qno次回ロンドンに行くときにはいいのが出ていますように…。
もうスッカリ暗くなっちゃった。

9img_1962

 

200

2018年12月 1日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>

  
しかし!
物事、何がどこでどうなるかわからないもんですナァ。
イヤね、Queenのことなの。
すごい騒ぎになっちゃったね~、「バヒーミアン・ゥラプソディ」。
特にfacebookが熱い。
私のお友達のことですから比較的Queen世代の人が多いんでしょうけど、それにしても出て~くる出てくる!
あの映画を観て涙を流すような熱心なファンがこんなに沢山いらっしゃったとはツユ知らなんだ。
チョット前までQueenの「Q」の字も見かけなかったのに…時々Quattermassを見かけることはあったが…。Quintessenceに触れている人は見たことない。
たいてい誰かが亡くなると数日間だけ一気にファンが増えるのが常だけど、映画が火を点けたこのQueenブームはどうやらホンモノっぽいね。
とても良いことだ。
未来に向かって過去のいいモノが見直されることは実に有意義だ。
ましてや今の音楽界は、過去を無視したまま前進することはまず不可能であろうから。
 
ところで、私の年上の友人に長いキャリアを持った女性ピアニストがいらして、最近クラシック音楽のことでチョットだけメールのやり取りをさせてもらっている。
その方は、1976年に日本を離れて単身オーストリアに乗り込み、「ウィーン国立音楽院」で世界レベルの音楽教育を受けた人。
言い換えれば、音楽といえばこれまでの人生で丸っきり「クラシック」しか知らないお方。
何しろジャズのことを「属七の音楽」と呼んでいらしたくらい。
「属七」というのは「ドミナント7th」のことね。
クラシックの人にはやっぱりあの音楽におけるドミナント・モーションの部分が相当強烈に聴こえるようだ。まさにそういう音楽だからいいんだけど。
で、その人がウィーンに行った頃は、市内を走る路面電車にカール・ベームが乗っていたっていうんだよね。
スピードが緩そうな路面電車だ。アルトゥーロ・トスカニーニが乗っていたら超特急だろうに。
また、最近私が騒いでいるレナード・バーンスタインは、当時は「猿」扱いされていたとか。
コレはわかる…一部のイギリス人はアメリカ人のことを完膚なきまでに蔑んでいるのを知っているから。
そして、その方が生まれて初めて最近テレビでQueenを見てビックリしちゃったんだって。
それで私にメールが送られて来た。
そのメールの内容がすごく面白かったので、その方には無断でほぼ原文のまま転載してみようか;

私は初めて知りました。
(Queenの)名前は聞いたことはありましたが、「ロック!?」…というだけで目を向けていませんでした。
毛嫌いはしていませんでしたが、それどころじゃない!…という(音楽の勉強に追われる)生活でしたから(笑)。

その映像は…イヤ、「音楽」は衝撃的でした。
「なんとかラプソディ」というタイトルでしたか?…「♪ママ~、ウ~ウ~」とかいう…。
まるでオペラの「レツィタティーヴォ」…そこからアリアが始まるような展開!
いや〜、残念ながら知らなかった!
もちろん大音響はノーサンキューですが、ロックの中にはこういう音楽があったのか…と、〇〇歳のオバさん、イヤ~、ホホホ、おバアさんですが、ビックリしました。
 
「レチタティーヴォ(recitativo)」とは、オペラ、オラトリオ、カンタータなどで歌われれる叙述的な独唱曲のこと。
「アリア」が旋律の美しさを重視した叙情的なものであるのに対し、レチタティーヴォは「叙唱」とも呼ばれ、言葉の抑揚に忠実で叙述的であるのが特徴。
まさに「なんとかラプソディ」。
私がその「ノーサンキューの大音響」を生み出す装置の会社に勤めているのをご存知かどうかはわからないが、Queenのスゴさを妙な形で思い知らされた。
テレビのレポートでも若い人たちがインタビューで「とても感動した!」という感想をたくさん寄せていた。
他のところにも書いたように私はQueenのファンではなかったし、皆さんが感銘を受けていらっしゃるシーンの『Live Aid』が開催された時にはもうジャズに夢中になっていたので思い入れが全くなく、また、アメリカが一番ヨカッタ時代の古いハリウッド映画にドップリ浸かって育った私のようなジジイには映画自体の作り方が薄っぺらくて、残念ながら感動も感涙もなかった。特段ファンでない私なんかが「映画」として観た時に、伏線の張り方が甘くて感情移入できないのね。
私が歳を取りすぎているってことなんでしょう。
でも、やはりQueenのことを出て来てきた時から見ている私より年長のミュージシャンの方々の感想も同様であることが多いようだ。
繰り返しになるが、こうしてQueenのことを何も知らない人や全盛期を知らない若い人たちに当時のロックのクリエイティビティが伝播するのはとてもいいことだと思っていて、この映画がそうした「温故知新」のムーブメントにキッカケになってくれればうれしい。
私はその時にこそナミダを流すよ!
ねぇ、ジョン・ディーコンって、昔は「ディーコン・ジョン」っていってなかった?
 
さて、さっきも出た他の記事にあの映画の最初の方のシーンがロンドンのハマースミスでロケされていることについて触れた。
ハマースミスのことなんかスッカリ忘れていたのに、アレを見たら懐かしくなっちゃって!
…なんて言うと、いかにもしばらく住んでいたような風に聞こえるけど、出張の時の定宿がハマースミスにあったというだけのこと。
でも何回行ったかナァ…ということで、強引に『イギリス-ロック名所めぐり』として1本仕立ててみた。
ほとんど「私のハマースミス」状態ですわ…。
でもロンドン好きは必読。
ロンドンの旅ガイドなんかには載っていない情報満載!…だと思うよ。
 
まずは、ドローンでハマースミスの街並みを見下ろしてみる…ウソですよ~。
定宿にしていたホテルの上の方の階でエレベーターを待っている時に撮影した写真。

10緑が多く、高い建物がほとんどなくていいよね~。
ロケーションとしてはロンドンの中心地、ウエストエンドから地下鉄で20分ぐらいの所。
何十回訪れても思うんだけど、イギリスは国土が日本の2/3、人口が半分。
東京の人口1300万、ロンドン700万…なんでこんなに街の混雑状態が違うかね~。
断然ユッタリしてる。
やっぱり人口が倍半分も違えば当然か?
でも、面積的には東京の方が格段に広いだろうにナァ。
最近は時々見かけるようになったけど、このホテルのエレベーターって、1階(現地ではG階)でエレベーターに乗る時、いちいちルームキーを操作盤にかざす必要があって、荷物が多いる時など、それが異常に煩わしく感じたっけ。

20この空!
倫敦の空だ。これでも雨はとりあえず降らないんだよね。
わかりにくいけど、写真の真ん中からチョット下に尖塔が見えるでしょ?それと左側にほんの少し堤防が見えてる。
後でそこらへ降りて行きますからね。

30vハマースミスはウエストエンドの中心の駅、ピカデリー・サーカスから地下鉄ピカデリー線で9つ目のところ。
以前紹介したアールズ・コートから2駅ほどヒースロー空港寄りの駅。
ピカデリー線、サークル線、ディストリクト線、そしてハマースミス&シティ線の4線が乗り入れる重要な駅だ。
ヒースロー空港へのアクセスがラクなのと、比較的安価なホテルがあったので、ロンドンに来るとよくココに泊まったというワケ。
メインの駅舎はすごく近代的よ。
チョットしたアーケードがあって、2階がバスターミナルになってる。
こんな建物は面白くもなんともない。

40こっち、こっち!
チョット横に入ると、もうひとつの駅舎がある。
コレもハマースミス駅。
今でも使われている旧駅舎なんだけど、古くていい感じでしょう?
それもそのハズ、ハマースミス駅に停車する、その名も「ハマースミス&シティ線」の内、パディントン駅とファリントン駅の区間は1863年に開業した世界最古の地下鉄なのだ。
確かにハマースミス&シティ線の駅はどこへ行ってもホームが古く、地上から浅いところにあることが多い。
つまり他の路線が推進工法だったのに対し、東京でいう銀座線のような開削工法だったんだろうな。
ちなみに私が生まれて初めて泊まったロンドンのホテルの最寄り駅は、ハマースミス&シティ線の「オルドゲイト・イースト」というタワーブリッジからすぐのところで、街全体が完全にナマステ状態でかなり驚いた。
その近くには夏でも黒いコートと帽子を身に付けて、もみ上げと後ろの髪を編み混んでいる人たちばかりの街で、あれもかなり驚いた。
ロンドンはこういうコミュニティによる街の違いがないと思っていたのに、ニューヨークよりはるかにあからさまだったから。
その後、東ヨーロッパ人の街やイスラム系の街のB&Bに投宿したこともあったが、おかげでその時はもう驚かなかった。
さて、そのインド人街の真ん中にある「City Hotel」という安宿(今は信じられないぐらい高くなっている)はレセプションにまで物乞いが入り込んでくるようなところだった。
その物乞いの英語がサッパリわからなくて、ホテルの人に普通の英語への通訳を頼んだら「金くれってサ!」と言われた…ということは以前にも書いた。
話を地下鉄に戻して…あ!
そうそう、先日Marshallとメールのやり取りをしていてすごくうれしい言葉を発見した。
地下鉄の話をしているのでココに書いてしまうが、この話の脱線ね。
辞書で相応の英単語を調べると「digression(ディグレッション)」と出ている。
この言葉は固いな~、と思っていたら、そのメールの相手の文章に「derail(ディレイル)」という単語を見つけた。
コレだ!と思った。
「de+rail」ね。「rail」はもちろん線路のこと。だからリアルで「脱線」という意味。
メールの相手のおかげでこの言葉が「列車の脱線」だけでなく、「話の筋道の脱線」にも使えるということがわかった。
コレが生きた英語~!
ハイ、ディレイル終わり。
話を地下鉄に戻して…しからば、1863年が日本ではどういう年だったのか調べて見ると…。
そうか、14代将軍徳川家茂が「公武合体」を目的に229年ぶりに上洛した年。家茂は歯が全部虫歯だったらしい。尊王だ、攘夷だ、公武合体だ、と激動する国情の治世に大きなストレスを感じ、第二次長州征伐の際、脚気が原因で21歳の若さで大阪に客死した。
その亡骸はイギリスから買った長鯨丸で江戸に移送された。山口県の人には悪いけど、長州征伐が成就していたら今の日本はどうなていたかね?歴代の総理大臣や内閣の重職はほとんど薩長土以外の人になっていただろうからね。
この年、さらに長州が馬関戦争を引き起こしてる。
そして薩英戦争…イギリスは極東のチョロい小国を相手に戦争をしている時に、ロンドンの地面の下に汽車を走らせていたのだ。
この駅舎はその頃からあるのだから恐れ入る。
50あ!もうひとつディレイルさせて!
日本初の地下鉄は1927年の銀座線浅草ー上野間だけど、アレって世界で13番目に古いアルゼンチンの地下鉄、すなわち1913年にブエノスアイレスの地下に開通した鉄道がお手本になっているんだって。そん私はてっきりイギリスのマネをしているのかと思っていた。
地上の鉄道は間違いなくイギリスが先生。キングスクロス駅にソックリの上野駅の駅舎のデザインなんかを見るとそれは一目瞭然だわね。東京駅やかつての万世橋駅の立派な駅舎もセントパンクラス駅やヴィクトリア駅を連想させる。
駅舎の中はこんな感じ。
ステキでしょう?

60v駅のそばにはこんな立派な教会が。
Marshallの本社・工場があるブレッチリ―から車でハマースミスへ来るとこの教会の横を通るんだよね。

65v駅前の目抜き通り、キング・ストリート。
ロンドン・パンク発祥の地とされる「キングス・ロード」はもっとロンドンの真ん中、スローン・スクエアの方。
一度行ったけど、パンクに縁遠い私は偶然見つけた国立陸軍博物館というのを見学して帰って来た。アレは存外に面白かった。
写真の右手には駅からすぐのショッピングモールがあって、バーガー・キングだの、セインズベリーだの、H&Mだの、PRIMARKだの、当たり前の店舗が軒を連ねている。
仕方なしにバーガー・キングの何回か入ったことがあるが、旅の後半に食べるチェーン店のハンバーガーのツラさには筆舌しがたいものがある。
どんなに好きなロンドンでも早く日本に帰りたくなる瞬間だ。
1img_0085_3駅を背中にズンズン進む。
この通り沿いにある某フライド・チキン屋に一度入ったことがあった。
先客で若い黒人の女性が買い物をしていた。
するとその女性がカウンターの奥にネズミが走っているのを発見。私もハッキリと見た。
その女性は「Rat!  A rat was running!!」とスティーヴン・タイラーもビックリの大声で叫び、まだ買い物が終わっていないのに、激怒しながら外へ出て行ってしまった。
順番が繰り上がった私はそのままチキンを買ってホテルで食べた。
ラッキーだった?!
それと、新古本屋さんがあってね。
売れ残った本をかき集めて安く売ってるお店ね。
もう無くなっちゃったけど、大英博物館の隣にも支店があって、この店に行って本を見るのが大きな楽しみだった。
今でも英語の調べものをする時にはそこで買った本が重宝している。
90さらに通り沿いにHoliday Inn Expressというホテルがあって、かつてはココを定宿にしていたのだが、他に安くて程度のいいホテルが見つかってからというもの、利用しなくなってしまった。
でもこのホテルはと~ても親切で、私が部屋に忘れたカメラをキープしておいてくれたり、Marshallから誤って持ち出してしまったカメラの三脚の部品を私に代わって送り出してくれたりした。
でも、このホテルの魅力は何といっても1階にあった「WHITHERSPOON」だったね。

100WHITHERSPOONというのはイギリス国内で広範囲に展開しているパブのチェーン。
安いのよ。
イギリスは日本と違ってどこへ行ってもビールの値段が同じということはなく、同じ銘柄のビールでも店によって結構値段が異なる。
下はロンドンの神保町、チャリングクロス・ロードにあるWHITHERSPOONが経営するパブなんだけど、やっぱり他の店より明らかに安い。
コレが地方へ行こうものなら、ロンドンで£5ぐらいする1パイントのギネスが£1.80ぐらいで飲めちゃう。ま、6年ぐらい前の話だけど。
110vさらにキング・ストリートを進むと左手に出て来る教会。
どんな街でもこういうのが必ずあるんだな。

120このビルが「Premier Inn」というホテルで私の定宿だった。

130vホテルの前はこんな感じ。

140同じキング・ストリートでもここまで来るとかなり静かになる。
どれぐらい「ここまで」かというと、地下鉄の駅ひとつ分。
どうしてそんなことが言えるのかと言うと、実際にディストリクト線の駅がホテルから歩いて数10秒ぐらいの所にあるの。

150コレがその駅。
駅の名前が他人事ではない。
「Ravenscourt Park Station」という。
「レイヴン」さんだ。
実際、線路の向こうが「レイヴンズコート」という公園になっている。

160さて、ある朝。
珍しく散歩に出てみた。
コレが冒頭の写真に見えていた教会。

170「ご注意あれ 近所の人は見てますよ~」
コレはイタチかね?カワウソかね?180vコレだ!ミーア・キャット。
でもなんでミーア・キャットなんだろう?
「見てみいや!」ってこと?そんなバカな!
やたらとキョロキョロしてるってことか。

Photo ホテルの周辺は本当に閑静な住宅街…なんだけど、何やら変なニオイがするの。

190ロンドンはこんな小道がまたステキなのよ。

200vナンて名前かは知らないけど、こういう細い道にもひとつひとつチャンと名前がついているのです。

210vどうしてドアノブを真ん中につけるの!?

220vエリアによっては金持ち感丸出しの家がゴロゴロしてる。
9img_1775ロンドンの高級住宅街というと、サウス・ケンジントンとかスイス・コテージとかが代表らしいんだけど、ハマースミスも割合ポッシュな方なのかな?
9img_1774ひと目で暮らし向きがわかる家が立ち並ぶ。

230vでもね、クサイのよ。
今まで嗅いだことのない、ナントも言えない妙なニオイ。
何のニオイか、何系のニオイか…それすら見当がつかないの。
「オイニーがサイク~」ってヤツ。9img_1777 上の写真の家々は見るからにリッチだけど、この辺りが住宅地として程度が低くないことを示しているモノがある。
ま、コレは私の思い込みということもあるけど。
私にそう思わせるのは、こうしてブルー・プラークがついている建物が散見されるからだ。
例えばコレ。

260v「サー・エメリー・ウォーカー」という人が住んでいた家。
ウォーカーさんは、このプラークでは活版印刷工にして「antiquary」…すなわち骨董品愛好家となっているが、彫刻家や写真家として大活躍した人。
1880~1920年にイギリスに端を発して、北米までをも巻き込んだ芸術のムーブメント、「アート・アンド・クラフト運動(Arts and Crafts Movement)」で重要な働きをした団体の中心人物だった。
そのアート・ムーブメントは日本にも伝播し、1920年ごろ「民芸」という形でブームが起きたのだそうだ。
朝早い散歩で扉を閉ざしていて気が付かなかったが、このウォーカーさんの家は「Emery Walker's House」というチョットした博物館になっていて一般公開されているようだ。
270すぐ近くにもうひとつ。
280vサー・アラン・ハーバートという人の家。
この人は作家、ユーモリスト、政治家。
要するに、こういう人たちが住んでいた所なので住宅地としては悪くないのでは?と思ったワケ。
でも、有名な国会議事堂の近くにカンタベリーの大司教がロンドンに来ると投宿するお城があって、その辺りをランベスというんだけど、19世紀の終わり頃でも殺人事件が頻発するようなモノスゴく治安の悪いエリアだったらしい。
そんなだから一概には言えないけどね。

290もうひとつ見っけ!
コレが飛びっきり私好みのネタと来てる!…と言っても後で知ったんだけどね。
この白い家にはかつてエドワード・ジョンストンというカリグラファー…日本風に言うと「書道家」になってしまうんだけど、「活字のデザイナー」っていう感じ?…が住んでいた。
日本にも勘亭流だとか、寄席文字とか、相撲文字とか筆文字にも色んな流派があるでしょ?
アレみたいなもんで、アルファベットは形が26個しかないので、欧米ではこのカリグラフィとかタイポグラフィという文字の装飾が昔から大変発達していた。

240vエドワード・ジョンストンというのは、「Jonston Sans」というフォントのデザインを作り上げた人。
上で触れた「アート・アンド・クラフト運動」でも活躍したそうだ。
チョットここで他の人のプラークを出すよ。
せっかくだからキース・ムーンにしよう。

9img_0275 今度は2枚上の写真に写っているエドワード・ジョンストンのプラーク。
見て…ね?
フォントのようすが違うでしょう?
ロンドンのブルー・プラークでこのフォントが使われているのはこの1枚だけ。
このフォントが「Johnston Sans」。
一般的にこういうサラっとしたフォントを「サンセリフ」と言うのだそうだ。
「サンセリフ(Sans-serif)」とはフランス語で、「ヒゲ(Serif)が無い(sans)」という意味。
ココでキース・ムーンの文字をチェックすると、文字のハジッコに全部チョロっとした棒がついているでしょ?
これが「セルフ」。
一方、ジョンストンのはツルッツル。日本で「ブロック体」と呼ばれるスタイルに似ている。
ジョンストン・サンズは文字は幅が少し広めで、大きな特徴としては小文字の「i」や「j」の点が●ではなくて、◆になっていること。
このフォントははナニに使われているか…?
ロンドンに行ったことのある人はピンと来るかも知れない。

250そう!
地下鉄のサインに用いられているあの文字なのです。2mg_2と、言いたいところなんだけど、今の地下鉄に使われているのは「New Jonston」といって、ナント、1979年から1980年にかけて河野英一という日本人がオリジナルのジョンストンのサンセリフ書体に倣ってデザインし直したモノなのだそうだ。
オリジナルのジョンストン・サンセリフはこんな感じ。

2jsで、どうもそのニュー・ジョンストンも2016年にまたデザインし直されたようだ。
今度ロンドンに行ったらよくチェックしてこよう。
ナゼそんなことをワザワザやるかというと、それらのフォントを使った媒体がドンドン変化していくからなんだって。
例えば技術が進歩して小さい文字がクリアに印刷されるようになると、そういう技術に耐えられるように文字形や線の太さに改良を施さなければならないというワケ。
だから、2016年にもフォントの改訂が必要だった。
理由はデジタル媒体の普及で、紙ではなく、パソコンや携帯電話のディスプレイを見る機会が圧倒的に増えたからだそう。
こんなところにもデジタル化の魔の手が!…ナンチャッテ。
で、このエドワード・ジョンストンの偉業はフォントだけでなく、おなじみの地下鉄のロゴマークも手掛けている。
この丸いデザインはBullseye(ブルズアイ:標的)と呼ばれているが、コレに四角を組み合わせるデザインは元からあって、それに手を加えて今の形にしたのがジョンストンなのだそうだ。

1be結局はこのデザインにジョンストン・サンセリフが組み合わっているからカッコいいデザインなんだよね。

9img_8352この文字がセリフ体だったらまた完全に別のモノのなっていたことだろう。

9img_8393 コレは?
「ロンドン・パディントン駅」のサイン。
「i」の点が◆でなくて●になっているでしょう?
それに文字が肉太で若干スリムだ。「o」なんかを比べれば一目瞭然だ。
そう、コレは実は地下鉄ではなく、国鉄の駅のサインなのです。

9img_8045コレも国鉄のサイン。
全然オシャレじゃない。
「Hanwell」というのはジム・マーシャルが最初に楽器店を出したMarshall発祥の地の最寄り駅。

9img_8051 …コレに興味を持ってしまって、3,000円(税抜き)も出してこんな本を買ってしまった!
CD1枚に3,000円を出すことは滅多にないが、本には寛容な私。
ナゼかと言うと、私が買おうとするような変な本は中古で安くゲットできる確率が少ないから、どうしても読みたい本は思い切って買っちゃう。
今、ワクワクしながら読んでる中。

90r4a3288コレは古い家なんじゃないかな~。
こうして入り口が小さい建物は概して長い歴史を持っていることが多いらしい。
小柄だった昔の人が使っていたことを示すからだ。
田舎へ行くと、モノスゴイ小さい入り口の古い家を見かけるからね。でも、コレはきっと冬の寒さ対策いうのもあったんでしょう。
それにしてもクサイ~。300v歩いていて偶然出くわしたのがコレ!

310FULLER'Sのビール工場。
いわゆるブリュワリー。

315vFULLER'Sといえば、ロンドンに行ってお酒を飲む人なら大抵一度は口にする「LONDON PRIDE」を作っているビール・メーカー。
今ではヒースロー空港にレストランを出店している。
以前空港にあったパブには「ホンモノのイングリッシュ・エールが飲める最後のポイント!」みたいな看板が付いていて、言われた通りそこでフライド・ポテトとエールを飲んで飛行機に乗り込むのがスキだった。
ヒースロー空港は行き慣れた昔の設備の方が愛着があって断然好きだけど、今のFULLER'Sのレストランに関してはそう悪くない。

3304人ぐらい集まると工場見学をさせてくれるようだ。
いつかは行ってみたいな~…といいたところだけど。

340くっさ~!
あのニオイの元はココだったのよ!

350ホテルに帰って受付のお嬢ちゃんに「あのニオイ、何かと思ったらFULLER'Sの工場のニオイなのね?」と言うと…「そうなの。ホップのニオイよ。いい香りでしょう?私はあの香りを嗅いで育ったの。あのホップの香りはハマースミスの住民の誇りなのよ」
「うん!そうだね!とてもいい香りだよね。ボクもLONDON PRIDEが大スキなんだ」…と答えおいた。
オレってワルだろ~?
360工場にはブリュワリー・ショップが併設されている。

370そこでビールを出しているワケではないが、看板はパブ風。
イギリスは「Licensed」といって、アルコール類を出すお店は特別な許可を得なければならない…日本も同じか?

380v中はこんな感じ。

390いい感じでしょう?

400昔の日本の酒屋さんもこんな感じだった。
実家の近くのセブンイレブンはかつて幼稚園の同級生のゆかりちゃんの家で、古い酒屋さんだった。
まさにこんな感じだった。
毎日夕方近くになると、汚なめのオジさんが大勢店先に集まって来て、タバコの煙の中で真っ赤な顔をしながらワイワイ騒いでいた。小さな子供にはその様子がコワかった。
そうだよ、昔は酒を飲ませる酒屋ってのがそこら中にあったよね。アレはLicensedだったのかな?

410工場のすぐ近くにあった「The Mawson Arms」というパブ。
「FULLER'S」の看板が付いている。
420vこの写真に並行して走っている通りが「Chiswick Lane Sounth」。
左の方へ行くとさっきの工場に当たる。
この辺りのエリアを「Chiswick」というが、コレ「チズウィック」と読みがちだけど、ほとんど「チズィック」と発音する。
よくパブの名前で「Arms」って付いている店を見かけるが、この「arms」は「腕」でも「武器」でもなくて「紋章」という意味。
だからこの店の名前は「モーソン(Mawson)の紋章」ということになる。
では、このモーソンとは一体誰か?
ホラ、ココにもブルー・プラークが付いている。

9img_1793_2Alexander Popeという詩人がココに住んでいたそうだ。
この人、1744年に没している…ということは、このビルは相当古いということになる。
この通りには他に5つの古い建物が立っていて、それらはイギリスの貴重な建物リストの2番目のグレード(Grade II)にリストアップされている。
それらの建物を1715年に作ったのがパブの店名になっているトーマス・モーソンさん。
そして、このモーソンさんこそがFULLER'Sの創設者なのだそうだ。
ココ、実際に入ってエールを飲んだんだけど、この辺りのことを知っていればもっと味わって飲んだのにな~。
もうひとつ…。

9img_1792ココに住んでいたというアレクサンダー・ポープという詩人。
この人、「世界で最初の辞書」とされている「Oxford English Dictionary(通称:OED)」で2番目に多くこの人の文章が引用されているのだそうだ。
どういうことかというと、この辞書を編纂する時、「掲載する言葉には実際に使われている証拠となる引用文を示すこと」をルールとして一般公募をしたのね。
「この言葉はこの本でこうやって使われていますよ!」と引用文献を示すことによって、使われていない古い単語や実用的でない言葉が載ってしまうことを避けたというワケ。
何でこんなことを知ったのかというと、前にも紹介したことがある下の写真の本を読んだから。
で、OEDにはこのポープさんの文章がたくさん引用され、その量が2番目に多いんだって。
ハイ、クイズ。
それでは、誰の文章がOEDで一番多く引用されているでしょう?
コレは簡単でしょ?それが問題か?
答えは…その通り。
ウィリアム・シェイクスピアだそうだ。
90r4a3278 散歩して出くわしたのがこののどかな風景。
繰り返しますが、ココ、ピカデリー・サーカスから地下鉄で20分ぐらいのところだからね。
次回はこの川から始めます。
今回はエドワード・ジョンストンの話で予想外に紙幅を費やしてしまったのでコレで終わり。
ゴメン…ゼンゼン「ロック名所」じゃなかった!
<後編>はハマースミスでバッチリとロックするぜ!

430<後編>につづく 
 
200

2018年9月 6日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.31~『Let It Be』を観たよ

 

皆さん、こんにちは。
私、Marshall Blogといいます。覚えていらっしゃいますか?
なんて…中断している期間はあったものの、「毎日更新」を標榜して10年。
決して挫折したワケでも、ネタがないワケでも、アイデアに枯渇したワケでも、関係者の皆さんから嫌われたワケでも、読者の皆さんから愛想をつかれたワケでもないんだけど、ダメだ!
あまりにも他にやることが多すぎてMarshall Blogを書いている時間が取れない!
「徹夜してでもやれ!」って?
そんなことおっしゃって頂けるのはとてもうれしんだけど、絶対にやらない。
11時以降は絶対に仕事をしない。
もうこのことだけは守ってるの。
ナゼか?
年老いているから。
チョットでも無理をしたり、生活のリズムが崩れるとすぐに身体の調子が悪くなっちゃうんよ。
ま、決して自分が完全な健康体だとは思わないけど、取り敢えず寝込んだりしないで済んでいるのは、この「生活のリズム」をキープしているのと、化学薬品の入った食品を極力摂取しないように努めているからだと思ってるのです。
音楽のリズムはボロボロだけど、寝起きのリズムはバッチリよ。
それと、晩酌を止めてる。
いいね~、グッスリ眠れる。
コレぞまさにジジイの会話…こんなどうでもいい事を書いている間に新しい記事を書けばいいんだけどサ。
それにもリズムが要るんですわ。
今、Marshall Blogは変拍子のパートをやってるの。19/16拍子ぐらいかな(Keep it Greasy)?22/8拍子か(First Circle)?
 
さて、それでも今日筆を執った!
その理由と内容がまたけしからん。
ナントShige Blogの記事をMarshall Blogに引っ越ししただけ!
どうだ?
ズルいだろう?
いい加減だろう?
でも、どうしても急にコレがやりたくなっちゃったの。
…というのは、当該の記事をある読者に紹介したくてMarshal Blog内を探したんだけど見つからない。
記憶をたどってありとあらゆるキーワードを使って検索をかけても出て来ない。
それで、もしかしたらShige Blogに書いたのかも…ということにようやく思い至って、探してみたらあったじゃないの~。
そして、内容を読み返してみたら、「コレ『ロック名所めぐり』に組み入れてもいいんじゃん?」と思ったワケ。
内容はビートルズ。
2012年の10月16日のShige Blogに掲載した記事だけど、加筆訂正してお送りする。
未読の方には是非ご覧頂きたい。
舞台はピカデリー・サーカスとレスター・スクエアのちょうど間ぐらいにある劇場、Prince of Wales Theatre。
おお~っと!
「Theatre」で思い出した!
以前、Marshall Blogで三宅坂(皇居のとなり)にある国立劇場の看板の英語表記がイギリス式の
「National Theatre」になっているのに対し、その目の前にある信号についている標識の英語表記が「National Theater」とアメリカ式になっていることを指摘した。
そして、「国がこんなことをやっているから日本の英語教育はいつまで経ってもダメなんだ!」と息巻いて見せた。
だってそうじゃん?

Theatre3そしたら…。
つい先日、車で国立劇場の前を通りかかって驚いた。
見てるんだよ、国の連中も…Marshall Blogを…。
ナント、信号機の方の英語表記がイギリス式の「Theatre」になってたのよ!
スゲエな、Marshall Blog!
コレ、同じ英語でもどうしてイギリスとアメリカで「-re」と「-er」という違いがあるのかということは他の記事に書いたことがあるので興味のある人は検索してみてください。
ちなみに、この通りの先にはイギリス大使館があるでね。
大使館の誰かが指摘したのかも知れないね。
イヤ、Marshall Blogのおかけだろう。

660_theatre それでは本題をどうぞ…。
 

貧乏旅行…私の場合、食費を削ることよりも、音楽グッズを買い控えたり、観劇をガマンしたりすることの方がツライ。
誰かに渡すお土産は別にして、洋服ときたら自分にはTシャツ一枚買ったことすらない。

その代わりCDやら、本やら、大好きなミュージカルには惜しみなくお金を使う!…と行きたいところだが、当然そうもいかない。
両替したポンド紙幣の減り具合を確認しながら、恐る恐るCDや本を少しずつ買い込まざるを得ない。CDや本はいつかまたどこかで再会できることが期待できるので(ま、私が欲しいモノなんて大したアイテムじゃないから…)、ちょっとした努力で買い控えることもできよう。
 
いつかオレゴンの「ベンド」だか「ベント」だか、ジェリー・ドナヒューのようなチョーキング名人がORIGINが集まっていそうな町に行った時のこと。
小さな小さな町だったが、そこに中古レコード店を見つけた。
すぐに店内に入りROCKの「Z」コーナーへ。
当然のごとく、ナニかFrank Zappaの珍しいアイテムがないかとチェックしたワケだ。
エサ箱に入っていたのは十把一絡げののありきたりのモノばかりだったが、最後に『Apostrophe(')』と『Over Nite Sensation』の4チャンネル盤というのを見つけた。
$10チョット程度だったかな?
 
普段なら絶対「買い」なんだけど、こういうに悪魔が囁く。
イヤ、時差による疲れのせいか思考が妙な具合にブレるのだ。
自分「欲しいナ、問答無用で買いだろ?」
悪魔「イヤ、待てよ、こんなもの持ち帰ってどうするんだよ?4チャンネルのステレオなんか持ってないじゃんか!」
自分「でも日本でこんなの見たことないゼ」
悪魔「そうかも知れないけど荷物になるゾ~。LPがどれだけ重いか、おまえならよ~くわかってるだろう?」
自分「コレクションのためだ、それぐらいガマンするさ!」
悪魔「それもよかろう。しかしだぞ、このLPをスーツケースの底に入れてだな、持って帰った時にヒン曲がっていたら苦労して持って帰った甲斐がねーゾ!」
自分「それもそうだな…やめようかな?」
悪魔「やめとけ!やめとけ!」
…で、結果、悪魔が勝利して買うのを止める。
そのまた結果が「後悔」である。
こういうの普通は買っちゃう方が「悪魔」の役回りなんだけどね。
それらのアイテムに後日出会ったことがない。だから、ほんのちょっとの犠牲で済むのであれば、「欲」を貫いた方が後々ラクである。
これが私の「海外買い物人生訓」なのだ…ま、しょっちゅうブレてるしセコい買い物なんだけどね。
 
でだ!チョットどころの犠牲で済まなくても自分に「Goサイン」を出すべきは、ミュージカルやコンサートなどのエンターテインメントである。理由は単純。他の場所では経験できないからね。

私が考えるに、実は日本は驚異的なエンターテインメント後進国である。
正確に言うと経済先進国の中にあっては、西洋エンターテインメントを国内で経験できない、その方面においては最も遅れた国だと思うのです。

言葉の問題もあるし、落語やその他のオリジナルの古典芸能も豊富にあるので、ミュージカルなんて観ちゃいられんよ…ということもあるのかもしれないが、まぁ、寂しいもんです。
かといってお能観にいかないでしょ?!
それもこれも「観劇」という習慣がないから仕方ないのでしょう。
でも、江戸時代は盛んだったのよ。
その結果、現地で観るということが必須になってくる。これは現地で見逃すと他では経験できないことが多いので、もしくは「劇団○×」の焼き直しなど観たくはないので、多少の犠牲を払ってでも経験しておくようにしている。
たとえ大枚はたいて観たショウがその時少しぐらい気に入らなくても、後年「お、オレ、それブロードウェイで観たよ。メチャよかったよ~!おまえも観た方がいいよ~。ま、オレはミンスコフ劇場で観たけどね…」とかいうことになる。
おのぼりさん根性と笑わば笑え。どうせショウ・ビジネスにおいては、日本人は絶対に永久に向こうの連中にはかなわないんだから…。
さて、ロンドンの地下鉄の広告で見つけたのがビートルズのミュージカル『Let It Be』。
コレか~。日本でもテレビで盛んに宣伝してたな…。どうせ日本公演のキャストは2軍、3軍だろう。コイツぁ、本場で本物観てやろうかと…。
財布の中身を確認しつつ、ハーフプライス・チケットのオフィスに行くが、9月下旬に始まったばかりの興行なので、この晩のチケットはソールドアウト。
「クソ!もっと早くチケット買っておけばよかった!」と思いつつ、「フ~、金使わないで済んだ~」と安心したりして。
ボックスオフィスで興行日を確認すると、あくる日にマチネーがあることを発見。
マチネーというのは昼間の興行のことね。補欠のキャストでシレっとやっちゃう。
 
ここで、このあたりのシステムになじみのない方に簡単に説明しておくと、日本では「劇団ナントカが何年ぶりに『ドッグス』の公演をします!」とかにぎにぎしくやってるでしょ?期間を決めて興行しますよね?
ところが、NYCのブロードウェイとかロンドンのウエストエンドでは毎日興行がかけられているのね。ウエストエンドの場合は、日曜日には全興行がパタリとお休みになってしまうけど、その他の日は決まった劇場で毎日同じ出し物が上演されている。
で、人気のあるショウは(ウエストエンドの場合)、木曜日と土曜日には昼間にも上演される。これがマチネー。(マティニーと発音する)ブロードウェイは月曜休みで、水&土曜日にマチネーだったかな?
公演当日の夕方近くになると、同じ公演をかけるのに席を余らせておいてもモッタイないから、一斉にチケットの安売りが始まる。
これを待ってチケットをゲットしてもいいのだが、ソールドアウトと変な席しか残っていないという危険性があるワケ。合理的です。
コレを20年とか続けるワケですよ。
当然ヒット作ともなると延べ観客動員数は凄まじい数になる。
もちろんこれはイギリスに住んでいる人だけが観てるワケではなく、大半が私のような海外からのおのぼりさんだ。そこへ行くと東京のショウは日本の人しか観ないからね、動員数がケタ違いに小さくなる。
さて、人気の興行も時間が経てば動員力が徐々に減って集客が鈍くなる。
それでも終わらせるには惜しい。
すると今度は、ウエストエンドの場合、キャパの小さい劇場に引っ越して行って、しまいにフェイドアウトする。
私が10年ウエストエンドを見て来て、『レ・ミゼラブル』は2回引っ越してるハズ。
今3か所目の劇場になるけどまだやってるもんね。
『オペラ』はいまだに「ハー・マジェスティ」で演ってる。それにいまだにハーフプライスが出ない。人気のほどがうかがえるというワケ。
 
だからね~、東京なんかはいかに海外からの観光客が少ないかって思うんですよね~。
もっともっと海外の人が興味を持って来るような魅力的な街になってもらいたい。
今もね、年末にイギリスの友人が来るっていうんで観光のプランを練っているところなんだけど、観せるとこないよね~。
二重橋?お台場?スカイツリー?そんなんでよろこぶかな?それよりあまりにも混沌とした渋谷の駅前とか歌舞伎町の方がよろこびそうだな…。
それと、東京の観光地ってそれぞれがエラク離れてるんだよね。世界一の大都市だから仕方ないんだけど、ロンドンとかニューヨークはせま~い中に見どころがギューギュー詰めになってる、博物館だとか美術館が充実しているので1週間いてもまだまだ見きれやしない。という地理的ハンディも東京にはあるのかもしれない。

話し戻って、チケットオフィスの人によれば翌日のマチネーのチケットはあるということで明日チケットを買うことにした。コレが失敗だった…。

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マチネーは3時から。
午前中に西ロンドンでマーシャル関連の取材を済ませ(これがまた面白かった!)、ウエストエンドに戻りマチネーのチケットを買おうとすると、ヤッチマッタ!
昨日聞いた値段よりガバッと上がってやがる!
ニューキャッスルからの電車の時にあれほど失敗したのに!…というのはギリギリまで待てば安くなるかと期待していたのよ~!ああ、バカな私。

ま、それでも5,000円ぐらいで始まったばかりのショウが観れるなら…とチケットを買った。
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コレがプログラム。£4だったかな?こういうものはよほど高くない限り必ず買うことにしている。
劇場の名前がガツンと入っているところがうれしい。
ま、思い出というよりも「観た」という証拠みたいなもんですな。
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そしてコレが「Prince of Wales Theatre」。現在の建物は1937年に再建されたものだが、オープンは1884年という由緒ある劇場だ。
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ロンドンやニューヨークで観劇する際のもうひとつの楽しみは、劇場そのものを味わう…ということ。日本の劇場はジャンジャン壊してしまうので歴史も風情もスっ飛んでしまうが、こちらは長い間に上演された数々の名作のポスターや写真が飾ってあったりして実に味わい深い。
NYCのリンカーンセンターにあるエイヴリー・フィッシャー・ホールに飾ってあるボールペン画によるカラヤンやベームらの名指揮者たちのポートレイトなんて実に面白かった。
それと、その名館に入ったという満足感ね。
ロイヤル・アルバートにもパレス・シアターにも入ったことがない若輩が言うのもなんですが…。(オペラ座とかスカラ座とかとは別の次元で話してます)

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オワ~!ジミー・スチュアートが1975年にここの舞台に立っているのね!大感激!!
コレは『Harvey』ですな。
1944年にブロードウェイで初演。
1950年にはこの人が主演して映画化もされた。
主人公にしか見えない大きなウサギの話し。ジェイムス・スチュアートはオスカーの主演男優賞にノミネートされた。
でも、映画自体はあんまりピンと来なかったナァ。
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コチラはメル・トーメ。
「The Man with the "Velvet Fog Voice" from the U.S.A.」ってのがいい。
「ベルベット」はわかるけど「霧」は解せん。そうかな~、そんな霞がかってるかしら?
「Mel Torme」のドデカイ表記の下の「Mountain Greenery」というのはロジャース=ハート・コンビのペンによる1920年代のミュージカルの挿入歌で、イギリスではメルのレコーディングが大ヒットした。
だからガツンとフィーチュアされている。舟木一夫の「高校三年生」的な?
メルは2週間もここで歌ったんだネェ。聴きたかったナァ、若き日のメルの声!

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ちなみにメルはCONCORDにこんなデュエット・アルバムを残している。
デュエットのお相手はデイㇺ・クレオ・レーン。
デイㇺは男性の称号でいえば「ナイト(Knight)」。「Sir=Lady」の上だからエライよね。
先日The Kinksのレイ・デイヴィスがナイトを叙勲したのは記憶に新しいい。
で、このクレオ、ジム・マーシャルの幼友達だったらしい。
ジムのお別れの会にも出席して、ひとことご挨拶されていた。

Ml 彼女の『Shalespeare and All That Jazz』というアルバムが結構好きで時折聴いている。
イギリス人らしくていいじゃん?
ディック・モリッシーとかジョン・サーマンとか、マイク・ウエストブルックとか、イギリスのジャズ・ミュージシャンって結構スキ。

Sj さて、肝心の『Let it Be』。
どうもシックリ来なかったんだけど、道理で…。
日本で盛んに宣伝しているビートルズのショウは『Rain』っていうヤツなのね。
こっちに帰って来てから気が付いた。まったくの勘違いだった!
ビートルズデビュー50周年ということで盛り上がってるんでしょう。
それにしても2012年はイギリスにとって本当にスゴイ年回りだよね。私もそうなんだけど。
考えてみると、ビートルズもMarshallも私も、みんな同じ年なんだよね。
 
この作品は特にミュージカル仕立てでもなんでもなく、ビートルズの曲を演奏するだけの、ごく普通のコンサートなの。
ただ、デビュー当時から順に衣装を換えてその時代のレパートリーを演奏するので、無理して言えばチョットしたビートルズ物語にもなってる。
それよりも、皆さんの前にビートルが再び現れたんですよ!50年前にロンドンで演奏した時と同じなんですよ!という疑似ビートルズ体験ができるというワケ。これには弱い!

「なんだよ、そんなら六本木でも観れるやんけ~」なんてことは思っては絶対にイケません。演奏がウマイとかヘタとか、似てるとか似てないとか、こんなことを考えるのもヤボです。
何しろ、この「ロンドンで観ている!」というロマン。
そして大枚はたいているという意地があるからです!

でも本当に楽しめましたよ。
写真は撮れないので劇場の外観だけしか掲載できないのが残念。
ステージ左右にはビデオスクリーンがハメ込まれた大きなクラシック・ラジオの造作が設置され、「ビートルズ・クイズ」が放映されている。
開演を待つ観客のビートルズ度を鼓舞しようというたくらみ。
みんなそれを読んではドヤ顔で小声で答えている。
BGMはニール・セダカやコニー・フランシスらのオールディーズがガンガンに流れていて、お客さんがもうしっかりとそれに合わせて歌っちゃってる。
そう、かなり年齢層が高いのだ。
オイオイ、ヘタをすると私が一番若いんじゃねーの?というぐらい。
もう完全に「あなた方本物のビートルズを見てるんでしょ?」という感じ。
実際にイギリスへ行くと、「ビートルズを観た」というお年寄りがウジャウジャいるからね。
 
「She Loves You」でショウはスタートして「From Me to You」だの「Please Please Me」だの初期の定番が連なる。

曲間にはジョン役の人が「高い席のお客さんは宝石を鳴らしてください。安い席の方は拍手してください」だっけ?有名なMC。
怒られちゃったヤツ。
ジョンはこのセリフをこの劇場で言ったんだよね。また感激!
そういうことをして、あたかも本物が演奏しているような演出をするんですよ。
入り口の看板に「Experience the Beatles Live in London」と謳ってあるのはダテじゃない。
 
ところで、本当にこのジョンのMCを実感している日本人ってあんまりいないんじゃないか?って思った。
イギリスは今でも「差別社会」といわれるが、この劇場の座席の別なんてまさにその表れで、実に細かく値段によって席が分かれている。
舞台に一番近い、つまり高い席を「ストールズ」といい、2階席が「ドレス・サークル」とか「ロイヤル・サークル」とかいうエリアになっている。
社会の授業で習ったカーストでいえば、ここまでが「バラモン」。士農工商なら「士」だね。
私なんかがいつも利用するのは一番安い「バルコニー」というエリア。4階席ですよ、4階席。
カーストならスードラであり、「商」に属する。
安いぶん仕方ないんだけど、このバルコニーともなると、他の高い席の方々と出入口も異なるのですよ。
ま、言いたかないけど、「貧乏人様はコチラへ」みたいな…。
で、ロンドンの劇場はみな100年ぐらいは軽く経っている古い建物なのでエレベーターなんかついていない。
エッチラオッチラ階段を上がって行かなければならない。
別に悔しくも何ともないんだけど、ジョンが言ってたのはこれか~、最初にロンドンでミュージカルを観た時思いましたよ。
ブロードウェイは劇場がウエストエンドに比べて小さいせいか、こういうケースは少ない。
 
ショウはつづく。
ナゼか「Day Tripper」で総立ち大合唱!
でもすぐ座っちゃうよ~、ご年輩だから、手拍子も1&3拍。ああ落ち着くなァ~。
衣装替えの時にはステージ両側のビデオスクリーンに60年代のロンドンの風俗が映し出される。
トゥイッギー、マリー・クワント、Vespaなどなど、みんな「なつかし~」とか「あった、あった」とか言って騒いでる。

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第2部ではサージェント・ペパーズの衣装で登場。
ドラムの人が「With a Little Help」を歌ったんだけど、これが何ともよくてね~。泣けたな~。
最近ようやくビートルズの歌詞がダイレクトに頭に入って来るようになりましてね。
やっぱスゴイです、「ファブフォー」は。一番泣けるのは「She's Leaving Home」なんです。「With a Little」には会場も大合唱。隣の隣のおじさんも目頭を押さえてた。
『サージェント』からは他に「When I'm Sixty-four」も演った。
お客さんの平均年齢がどう見ても64歳以上なんですよ。
みなさんの膝の上にヴィラだのチャックだのデイヴが乗ってるかはわからないけど、これも完全に大合唱。
私も『ガープの世界』好きだったからね~、大感動。
ちょっとポール役の人が時々自分風にアレンジするところが気になるナァ~。
 
何しろお客さん全員が全曲を完璧に英語で歌えるところがスゴイ。案外感動モンですよ。海外へ来た感があふれてる!
「A Day in the Life」とか「Love is All You Need」とかも披露。
ポールは今でも自分のステージでビートルズのレパートリーを演奏しているけど、ジョンはもうできないからね。コピーだとはわかっていても、そういう意味ではすごく新鮮に感じる部分もあった。「Strawberry Fields」とか「Lucy in the Sky」とかヨカッタな。
「♪Lucy in the sky with diamonds」の前のキメのところなんかお客さん全員膝叩いて合わせちゃうんだから。
 
となりにいたご夫婦ももう70歳近くにお見受けしたが、そういう年齢の方がビートルズの曲をソラで歌っちゃうんだよね、もちろん英語で。
初期の曲ならわかるんだけど、ちゃんと『Revolver』以降の曲もちゃんとマスターしてる。
本当にお茶の間にビートルズがいたんだなって感じがするワケですよね。日本だったらどうなんだろう?GSとかかな?この差はかなりデカイ。
 
アコースティック・セットでは3人が同時に「Blackbird」を弾いたりして…。
「Here Comes the Sun」や「In my Life」と続く。
ん~、ここは確かにお日様がありがたいところだからね~。この名曲もここでは余計に心にしみますよ。
ジョージ関連では残念だったのは「While my Guitar gently Weeps」を勝手にアレンジして演ってたこと。ソロは完全コピーだったけどね。ジョージの人、スゲエギターうまかった。
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最終のセットは映画『レット・イット・ビー』のイメージだよね。最後にビートルズが演奏したアップルの社屋があるセヴィル・ロウはここから歩いて5分ぐらいのところなんだから臨場感が違う。『Abbey Road』のジャケットがバックドロップに映し出されるところがあるんだけど、これにしてもアビィ・ロード・スタジオがある「St. John's Wood」まで地下鉄ですぐだもんね。
家でホンモノさんのCD聴いていてもいいんだけどね、でもせっかくロンドンにいるんだし…こうした何とも言えない本場感を味わうようなもんですよ。
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アンコールの最後に「Let it Be」を演奏。
コレで終わりかと思うとみんなが「Hey Jude!」とリクエストするの。私なんかは
「Hey Bulldog」の方が好きだったりっするんだけど。
この「Hey Jude」は今年のイギリスの大イベントたちのおかげでビートルズのNo.1曲になった感じがするね。当然大合唱よ。
手をつないでいっしょに歌っている老夫婦の姿なんか感動的だった。
客出しのBGMが「I Wanna Hold Your Hand」でさ、みんな大声で歌いながら帰ってった。
ナンダカンダ言っても、ビートルズはやっぱりこの国の人たちの誇りであり、この国の人たちのモノなんだなって思った。

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※『名所めぐり』は現在「ヘンリー八世と六人の妻」の<前編>で止まっちゃってるけど、必ず続きを書きますから待っててね!

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2018年3月10日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.28~ヘンリー八世と六人の妻 <その1>

    
Marshall Blogで何度か触れているように生前の父は大工職人で、私は中学に入る頃になると、小遣い欲しさによく父の仕事を手伝った。
コワし専門。
ハンマーで古い家の壁をブチ壊すのが面白そうだったので志願したのが最初だった。
アレは見た目ほど面白くもなければ楽チンでもなくて、マァ土壁のホコリの凄まじいこと。
それよりも私はあのニオイがキライだった。
他にも色々やったな。
例えば下地の釘打ち。
見えないところの釘だから私に出番が回って来る。
今みたいな電動の釘打ち器なんてないから玄翁(ゲンノウ=カナヅチのこと)で1本ずつ打ち込んでいくんだけど、何百本を打っていると、玄翁を握っていた右手がバカになっちゃってね…そういう日はギターの練習ができなかった。
アレってトントン打ってるだけじゃ釘は入って行かないんよ。
打つごとにグッと釘を押し込んでいかないと余計疲れちゃう。
さすが父はそれこそ子供の頃から私の祖父にやらされていたので、速さが違う。
私が10回以上叩くところを3打でキメちゃう。
カナヅチの打面は左右で異なるなんてことも教わった。
1日働いて5,000円もらっていたかな?
そこは親子なので、シンドい時もラクな時も5,000円。
当時はまだ土曜日は学校があって、日曜日しか休みがないので、手伝いを頼まれてすごくイヤな時もあったが、今こうしてみるとそういう機会はどれも亡き父との実に楽しい思い出で、イヤイヤながらも付き合っておいて本当にヨカッタと思う。
 
あの日は大西さんの事務所の床を張り替える仕事だった。
「リノリューム」ってあるでしょ?あのゴムのジュータンみたいの。
床板にボンドをまんべんなく塗ってリノリュームの巻筒を乗せて、筒を開きながらクルクルと回して貼り付けていく。
アレが重いのなんのって!
ヘロヘロになって作業を終えると「ハイ、お疲れさん」と5,000円を渡してくれる。
いわゆる「とっぱらい」だ。
それで5,000円を握りしめて、その足で秋葉原の石丸電気へ行った。
行先は当然レコード館ね。
それで買ったのが『Yessongs』。
中学校3年生の時だから1977年、41年前の話。
私の人生、13歳の時から、手にした小遣いはほとんどレコードか楽器になった。
その前は映画だった。
洋服も欲しくなければ、車にも興味がなかった。
最近でも月に30~40枚のCDを買い込んでいたけど、チョット熱が冷めてきたかな…かといってお金が残らないのはどういうことか?

10LP3枚組で5,700円。
消費税なんて悪法が無い時代だから5,700円は5,700円。
700円自分で足したんだね。
「ウォ~!本みたいになってんじゃん!」…同じLP3枚組でも『ウッドストック』や『Wings Over America』などと違って豪華な装丁に興奮したものだ。
ポールのライブ・アルバムは世界的な紙不足の影響で3枚組にもかかわらず普通のゲイトフォールド仕様になったんだよね。
Toddの2枚組『Todd』がシングルジャケットになっているのも同じ理由。
このYesのライブ・アルバム、リリースされたのは1973年かな?
当時のレコード会社の担当者が、予想に反するあまりの売れ行きの良さにブッたまげて、笑いが止まらなかったそうだ。
エエッ、皆さんどうよ?
プログレッシブ・ロックの3枚組のライブ・レコードが売れて売れて仕方ない時代があったんですよ。
エエッ、どう思いますかね?
ミュージック・ライフ誌の人気投票でELPが1位だった時代があったんですよ。
エエッ、信じられないでしょう?

20そして、聴いた。
まず「長い!」と思った。
ナニがって、今で言うオープニングSEね。
ストラヴィンスキーの『火の鳥』。
誰のアイデアだか知らないけど、ナンでストラヴィンスキーにしたんだろうね。
「火の鳥」はセルゲイ・ディアギレフの委嘱によるバレエ組曲で、1910年にパリのオペラ座で初演を迎えた。
ディアギレフのことはニジンスキーのことを絡めて以前にMarshall Blogで書いたことがあるが、少し付け足すと、ディアギレフは「天才を見つける天才」と言われ、「バレエ・リュス(Ballets Russes=ロシア・バレエ団 )」という団体を主宰し、多くのバレエ音楽を作曲家に依頼した。
ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフ、サティ、レスピーギ、プーランク(クープランではない)、そしてストラヴィンスキー。
音楽の教科書に出て来るような人たちがディアギレフの依頼でたくさん曲を残したんだね~。
ストラヴィンスキーについては、『火の鳥』だけでなく、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』、『結婚(後出)』なども「バレエ・リュス」のための作品だった。
ディアギレフは踊りや音楽だけでなく、バレエを「総合芸術」と捉え、美術にも力を注いだ。
こっちもスゴイよ。
ピカソ、マティス、ローランサン、ミロなどが舞台美術を担当し、ココ・シャネルも金銭的にバレエ・リュスの活動を支援したのだそうだ。
すごい時代ですよ。
でもね、ヴァイオリニストの前橋汀子が旧ソ連に修行に行っていた時、まだショスタコーヴィチが新曲を発表して、ストラヴィンスキーやムラヴィンスキーが自作の曲の指揮をしていたらしい。
前橋さんがこんなことを言っている。
あの誰でも歌うことができるであろう有名なチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を指して…「あの曲を本当にチャンと弾くには、チャイコフスキーのオペラが理解できなければムリ」
カッコいい…でも、なんでだろ~。
前橋さんは1943年の生まれで斎藤秀雄(桐朋学園の創設者のひとり。「サイトウ・キネン・オーケストラ」の人ね)のお弟子さんだ。
中学生の時から独学(!)でロシア語を勉強して、17歳の時にレニングラード音楽院に留学したのだそうだ。
スゴイなぁ。
チャイコフスキーが大スキだったんだろうね~。
   
もうちょっとストラヴィンスキーのことを書かせてもらう。
ナゼなら、最近いっちばん好きなアーティストだから。
ここのところMarshall Blogで「ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バルトークが好き」なんてことを書いているけど、ここへ来て、イゴール・ストラヴィンスキーがアタマいくつも抜きん出たね。
とにかく、聴いててメッチャおもしろい。
コレでMarshallを使ってくれていれば言うことないんだどね~。
もうね、本当にオモチャ箱をひっくり返したような騒ぎで、散らかったオモチャは絶対片付けない…みたいな。
プログレッシブ・ロック・ファンなら絶対楽しめると思うよ。
Yesだの、クリムゾンだの王道を聴いて、ブリティッシュの泡沫プログレ・バンドを聴いて、イタリアンやフレンチやジャーマンを聴いて、さらに東欧の辺境を聴いて、それでもまだプログレが聴きたい人はもうストラヴィンスキーに行っちゃうのが手っ取り早いと思う。
私なんか真剣に「ロック」として聴いています。
だってさ、「春の祭典」にしたってあの最初の方のチャンク(♪ゾンゾンゾンゾン)のパートなんて完全にロックじゃん。
他にもスゴイのがいくらでもあって、この人、もしかしたらプログレ・ファン?と思いたくもなっちゃう。
例えば、さっきも挙げたこの1923年の『結婚(Les Noches)』。
この曲は以前にも紹介したことがあるけど、まずインストゥルメンタリゼーションが狂ってる。
ピアノx4、ティンパニ×4、クロテイル×2(チーンとなる真鍮のカタマリ)、その他パーカッションがゴチョゴチョ。
加えて4声の混声合唱に4人の独唱者。
これで一体ナニをしようというの?
それはね、私を含めたロック・ファンの皆さんにわかりやすく言うのであれば、フランスのMagmaですよ。
クリスチャン・バンデとかヤニク・トップのアレね。
『Kohntarkosz』とか『M.D.K.』とか、あの辺。
ヘタをすると「コバイア語」で歌ってんじゃねーの?みたいな。
熱心なファンの方には失礼だけど、『結婚』を聴いてしまったら最後、もうMagmaには戻れない。
とにかくカッコいい。
こんな楽器編成だし、内容は変態だし…というのでこの曲は滅多に演奏されることがないらしい。
それで数年前、国内最大級のクラシックのフェスティバル『ラ・フォル・ジュルネTOKYO』で演奏されるというので話題になっていた。
メッチャ聴きに行きたかったんだけど行かれなかった。
下のNAXOS盤が私が持っていr「結婚」。カップリングされているのは「Oedipus Rex(オイディプス)」、つまり「エディプス王」をテーマにしたオペラ。
コレもいいよ。
とにかく、ストラヴィンスキーの作品はオーケストラのバレエ音楽を中心に協奏曲、室内楽、器楽曲までどれでも楽しめる…ロックとしてね。
宗教音楽と歌曲はゴメン…ツライ。
Nocesさて、『Yessongs』に戻って「火の鳥」。
「火の鳥」って「全曲版」と「組曲版」、さらに何回か改訂が施されているため、複数のバージョンがある。
私も「全曲版」と「組曲版」の両方を持っているけど、そんなに気にならないナァ。いつも途中で寝ちゃうから。
もっとも演奏される頻度が高いのは「組曲版」の「1919年版」なのだそうだ。
『Yessongs』に使われているのは「組曲版」の最後の「Final」という曲。
で、久しぶりに『Yessongs』を聴いて思い出した。
コレ、原曲は一番最後にB→C→Db→F→Db→C→Bというカッコいいメロディが来て、そのままBで終わるのね。
ところがYesはあたかも曲がつながっているように、リック・ウェイクマンがメロトロンでタイミングよくBmの和音を弾いてオープニングの「Siberian Khatru」につなげる。
こんなの忘れてたわ。
ストラヴィンスキーがコレを聴いていたら頭から湯気を出して怒るでしょうな。
この「Siberian Khatru」という曲も初めて聴いた時はブッたまげた。
なんで「アルプス一万尺」?…みたいな。
私は『Yessongs』よりもスタジオ・バージョンの方が好きだった。
ちなみに「Siberian」の正しい読み方は「サイベリアン」ね。
「シベリアン」では外人には通じない。
「Khatru」というのは意味のない言葉だったらしい。
ジョン・アンダーソンがレコーディングの時に仮歌で「♪カートゥル、カートゥル」と歌っていたそうだ。
後年、やっぱり私みたいなモノ好きがいて、「Khatru」という言葉が中東のイエメンにあることを突き止めた。
意味は「あなたが望むように」ということだそうです。

下はジャケットがカッコいいと思って載せた「火の鳥」のブーレーズ盤。グラモフォンのブーレーズのジャケットはどれもカッコいいね。
「火の鳥」っていつも「ペトルーシュカ」と抱き合わせになっていることが多いんだけど、さすがピエール・ブーレーズはひと味違う。
「4 Etudes」と「Fireworks」という曲を組み合わさっている。
私はこの盤は持っていないが、両曲とも他の人の演奏のCDを持っている。
もちろん、いい曲です。

Fbそういえばあのカステラに羊羹が挟まっているヤツ、なんで「シベリア」っていうんだろうね?
昔のパン屋には必ず置いてあったけど、最近は滅多に見ないね。
カステラに羊羹を挟むなんてスゲエ発想だよな。
調べてみると、シベリアは明治時代からある古いお菓子で、名前の由来がたくさんあるそうだ。
その中で最も有力とされているのは、「カステラと羊羹の層が、シベリアの永久凍土の層に見える」なんだって…ウソだろ~。
シベリアか…今また吉村昭を読んでるのね。
『大黒屋光太夫』という得意の漂流もの。
どうも有名な話らしい。
江戸時代の伊勢白子浦の漁師が江戸に航海する途中、時化にあって漂流の末、ロシアに行ってしまう話。(剛さん、ありがとうございます)
スゴイね~、このシベリアの寒さっていうのは。
日本人なんかはそういう本当に寒い場所で暮らすDNAを持っていないので、「寒さ」で死んじゃうらしい。
吉村昭の小説はホントに素晴らしい。もう何冊読んだかな~。

Cbソロソロ本題に入りますよ。
 
『Yessongs』はYesの絶頂期を捉えたハイライトのカタマリのようなライブ・アルバムだけど、あの中でリック・ウェイクマンのキーボーズ・ソロにハマった人は相当多いのではないかしらん?
そして、あの演奏の元ネタが『ヘンリー八世と六人の妻』なるソロ作品に収録されていることを知って、当該のアルバムを買い込んだ人も少なくないハズだ。
もちろん私もそのひとり。
私が持っているLPの帯にはこうある。
「天空を舞い、地を裂く圧巻のキーボード・プレイにインストルメンタル・ロックは一つの完成を見た!」
大ゲサだな~。
そうか~?
確かにカッコいいし、何の文句もないんだけどね。
そもそも、『ヘンリー八世と六人の妻』という題材がいい。
リック・ウェイクマンは他にも「アーサー王と円卓の騎士」をテーマにしたアルバムもあるけど、こうしたテーマは日本でいえば「赤穂浪士」みたいなもんでね。
やっぱりイギリスはカッコいいな~、なんて思っちゃうワケ。
そして、このアルバムと『Yessongs』の演奏を聴き比べてみると、ライブの方はおっそろしくウマくダイジェストにしているな~、とまたまた感心しちゃうんだよね。

1_img_5775 で、今回はこのアルバムを掘り下げてみたいと思ってる。
大した名所が出て来なくて申し訳ないんだけど、読んだ後はこのアルバムが以前にも増して興味深く聴くことができるハズ。
イギリスの歴史に詳しい人は読まなくてもいいです。
では…脱線過多で16世紀のイギリスにゴーゴゴー!
 
1973年に発表したリック・ウェイクマン初のソロ・アルバム『ヘンリー八世と六人の妻(The Six Wives of Henry VIII)』。
まずはジャケット。
この写真はBruce Raeという人が有名な「マダム・タッソーろう人形館」で撮ったもの。
だからリックの後に写っているのはヘンリー八世と3人の妻のろう人形。
リックはホンモノだ。
恐らくリックを何度も歩かせて自然な姿を撮ろうとしたんだろうね。
でも奥さんが3人しか映っていない。私だったら絶対にNG。もっと引きで撮ってリックと7つのろう人形が入るようにするな。
でもネ、この写真の中にはもっとヒドイことが起こっている。
気がついていた人はいるかな?。
CDじゃ小さくてチョットわかりづらいかも。
LPを持っている人は引っ張り出して来てよく見てみて。
向かって一番左の女性(最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンだと思う)の上。
男の人が写っちゃってるでしょう?
コレ、心霊写真ではなくて、後ろのカーテンをキチッと閉めなかったので隣の展示ルームの人形が見えちゃってるの。
スタッフもヒドイど、このフォトグラファー、ファインダーを覗いていてわからなかったのかな~?
それともよっぽど慌てていたのか?
出来上がってから気が付いたリックはこの写真に大層ガッカリしたそうだ。

30cdこの男性の人形…ナニかというと、元アメリカ合衆国大統領のリチャード・ミルハウス・ニクソン。
だからザッパに「Dickie's such an Asshole(リチャードはそんなクソ野郎)」なんて歌われちゃうんじゃん?…イヤ、この写真についてはニクソンに何の落ち度もない。
懐かしいね、この顔。
私なんかは「アメリカの大統領」といえばこの顔だ。

Rmn_2 ついでに紹介しておくと、これがベイカー・ストリートにある「Madam Tussauds(マダム・タッソーろう人形館)」。
ココでこのジャケットの写真が撮影された。

36_3とにかく入場料が高いもんで1回も入ったことがない。
それでもロンドンの観光名所としていつもたくさんの人でにぎわっている。
この周辺のことは【イギリス-ロック名所めぐり】vol.21~メリルボーン周辺に書いておいたのでご覧になられていない方はゼヒ!

35ところで、ジム・マーシャルはリック・ウェイクマンと仲がヨカッタらしい。
ある時、ジムの夕食にお供させて頂いた帰りの車の中でのことだったように記憶しているが、ジムが私にこう訊いた。
「シゲはいつ日本に帰るんだい」
「明日の夕方の便に乗ります」
「そうか、じゃダメだな。明後日、リック・ウェイクマンが工場に来るんだよ」
「ああ!残念です!(チッ、なんだよ~!)」
ということがあった。
メッチャ会ってみたかった。
ウェンブリーのMarshallの50周年記念コンサートで息子さんには会ったけど。
さて、下のポートレイトを見てください。
1962年に作られたこの世で最初のMarshall、JTM45を手にしてご満悦のジム。
これは1998年ぐらいに制作したポスター。
胸に金色のペンダントが見えるでしょ?

1_32n1 なつかしいナァ。
DSLとTSL。
一体誰がこんな写真を撮ろうって言ったんだろうね?
やっぱり胸には金のペンダント。

1_2dtゲイリーとのツーショットでも金色のペンダント。
ジムはネクタイが好きではない…って言ってた。

1_2gm2005年、JTM45/100のリイシューの前で。
このモデルの取説に私の名前を載せてもらったのは私の一生の記念。
写真のジムの格好はナンのことはない、今の私のライブ会場で着ているユニフォームと丸っきり同じじゃんね。

1_2j45コレは2008年ぐらいの写真だろう。
ジムがサインをしているのはVintage Modernのポスター。
このポスターの写真撮影のホンの数日前にジムは倒れた。
それでも何とか予定通りに撮影の仕事をこなした…と聞いた。
片手でサインをしている。
以前より調子が悪かった左手が悪化し、自由に動かせなかったからだ。
それゆえ、会食の時に私はジムのお皿にスペアリブを乗せる係り何度かさせてもらった。
やっぱり金のペンダント。

1_2poそして、最晩年のジム。
やはり金の丸いペンダントをしているでしょう?

1_2an1このジムがいつも身に付けていたペンダントは「Grand Order of Water Rats」という音楽業界の社交クラブの会員の証なのね。
このクラブは1989年にロンドンで発足された由緒正しいモノ。
いわゆるイギリス人得意の「ノブレス・オブリージュ」に則ったものなのだろう、このクラブはショウ・ビジネスで稼いだお金を社会に還元するチャリティの団体でもある。
この「ノブレス・オブリージュ」だけは日本の富裕層や政治家にガンガン勉強してマネしてもらいたい素晴らしいヨーロッパの文化だよね。
いいですか、昔は戦争があるとイギリスの貴族は競って自分から戦地に赴いたのだそうだ。
それはひとつの「ノブレス・オブリージュ」だったワケ。
優位な地位にあるものが下位の者を思いやる慈悲の心や行動ね。
実はコレにはもうひとつ理由があって、貴族たちは戦争をスポーツとして楽しんでいた側面もあったらしい。
いかん、変なところで脱線した。イヤ、しょっちゅうイギリスに関する本を読んでいるもんで…。
で、このWater Rats、簡単に会員になれるものではなくて、定数が決まっており、メンバーが死んだりして誰かが脱会しな限り新しい会員を迎えない。
それで、ジムが金のペンダントをしているのは、このペンダントが写真に写り込むたびに、1回数ペンスの寄付が発生する…みたいなことをジムが言っていた。
どういうシステムになっているのかジムの説明ではよくわからなかったけど、とにかくこのペンダントをして写真に写るとチャリティになるらしい。だからジムはいつもこの金のペンダントを首から下げていた。
で、このクラブのメンバーがスゴイ。
ジムがWater Ratsのことを話してくれた時の会長はボブ・ホープだって言ってた。
ロック界のメンバーはブライアン・メイ、ロイ・ウッド、ニコ・マクブレイン、ジムの親友のバート・ウィードン(故人)、ジムの息子のテリー等が名を連ねている。
ああ、そういうことか!
今気がついた。
ジムはニコをすごくよく可愛がっていたし、ジムが亡くなった時のお別れ会に丁寧な弔辞がブライアン・メイから届いたのは、このWater Ratsのつながりだったのか!
そんなことで、ジムはリックとすごく仲がヨカッタそうだ。

Logoそして、もうひとつ。
リックは若い頃、ロンドンの西のはずれ(Uxbridge)にあったジムの楽器店でSaturday Boy、つまりバイトをしていたのだそうだ。
「ジムの店でバイト」というとミッチ・ミッチェルばかりが有名だけど、リックもそうだったんだって。
どっちの店かな?
今は床屋になっている第1号店か?

38その向かいの第2号店か?
ジムの店でバイトしていた有名ミュージシャンなんて掘り起こせばまだ出て来そうだね。
 
ジムの楽器店、すなわちMarshall誕生の地についてのレポートはコチラ。
この取材をした時は本当におもしろかった!
【イギリス‐ロック名所めぐり vol.1】 マーシャルの生まれ故郷<前編>
【イギリス‐ロック名所めぐり vol.2】 マーシャルの生まれ故郷<後編>

352今日はリック・ウェイクマン初のソロ・アルバム『ヘンリー八世の六人の妻』の話をしていますからね~。
コレですよ~!
30cdさて、トニー・ケイの後任として1971年にYesに加入した年の末、リックはA&Mとアルバムを5枚リリースの契約を交わす。
A&Mはよっぽどリックが欲しかったのかね~。ナント、リックが欲しいと言っていた、かつてクラーク・ゲーブルが所有していたという1957年のキャデラックをプレゼントしたという。(ギャラのウチだったみたいだけど)
コレが同型のキャデラック。
カッコいい~…けど、要らない。
ウチの車庫の全く入らないし、MarahallもNATALも積めないもん。
私の「良い車」の基準は1960がタテに積めるかどうか…だ!
そもそも燃費が相当悪いだろからね。ウチではムリだ。
1_1957そして、リックはソロ・アルバムの制作に着手する。
Yesのメンバーとして『Fragile(こわれもの)』のツアーで全米を回っている時、ヴァージニアの空港の売店で4冊の本を買った。
その中に『The Private Life of Henry VIII 』というヘンリー八世と六人の妻に関する本があり、その中のアン・ブーリン(2番目の妻)の箇所を読んでビビビと来ちゃったらしい。
今風に言えば、「降りて来た」ってヤツよ。
すると、以前録音した自作曲のテーマのメロディが移動中の飛行機の中で頭をよぎり、あちこちのコンサートのサウンドチェックで弾いてみるととてもいい感じだった。
それで、飛行機の中、ステージの上、あるいは家のピアノの前で浮かぶメロディを書き留め、6人の妻たちを表現する音楽を摸索していった。
そして、それをひとつにまとめたのがこのアルバムというワケ。
ジャケットを見開いた右下にこんなことが書いてある。
リック曰く、「このアルバムはヘンリー八世の六人の妻の解釈を音楽的に表現している。音楽の内容はそれぞれのキャラクターの人生とはリンクしていないかもしれないが、私はキーボーズという楽器を通じて自分のコンセプトを表現した」…みたいな。

しかしサ、音楽配信のせいでこういうアルバムはなくなるね~。
モッタイないよな~、ドンドン世の中がツマらなくなってる。
まさに「何でもあるけど、何にもない」というヤツ。
30cdレコーディングは1972年、Yesのツアーの合間を縫ってロンドンのモーガン・スタジオとトライデント・スタジオで行われた。
リックはトライデント・スタジオのハウス・ピアニストをしていたのね。
デヴィッド・ボウイの録音にちょくちょく参加しているのはこれが理由。
まさにホームでの録音だった。
下がソーホーにほど近いところにあるトライデント・スタジオ。
 
トライデント・スタジオのスゴさについてはコチラをご覧あれ⇒【イギリス-ロック名所めぐり vol.7】 ソーホー周辺 その2
38vアルバムに収録されているのは6曲。
すなわちヘンリー八世の6人のお妃の曲だけだが、実はヘンリー八世自身をテーマにした曲も用意していた。
レコーディングは奥さま方の曲から取り組んだが、作業が進むにつれレコードの収録可能時間の限界が見えて来て、最終的にヘンリー八世の曲をカットせざるを得なくなってしまった。
ダンナはツライね。
そのため、アルバムのタイトルは最初『Henry VIII and His Six Wives(ヘンリー八世と六人の妻)』とされたが、ヘンリー八世の曲が入らないので『The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー八世の六人の妻)』と変更したんだって!
  
それではこのアルバムの主人公たちについて見て行ってみましょう。
まずは、ヘンリー八世。
1491年に生まれ、幼くして亡くなった兄アーサーの後を継いで1509年にイングランド国王に即位した。
スゲエ肩幅!
身長は190cm近くあっそうだ。
白人で190cmなんて珍しくなかろうに…と思うでしょ?
ところが、白人でも昔の人はすごく小さかったんだってよ。
田舎で見かける築200年ぐらいの古い住居の入り口なんか、身長172mの私でも思いっきりかがまないと入ることができない。
そういうサイズだったらしい。
だから190cmなんていったら完全に巨人よ!
脚に注目…このムキっとしたふくらはぎが自慢で、コレを見せたいがためにタイツ姿の肖像がが多かった。
身体も丈夫で頭も大層ヨカッタんだって。
この医学が発達していなかった時代、「身体が丈夫」ということはとてつもない長所で何しろ天然痘を自力で治したとか…。
一方、オツムの方といえば、8歳の時にラテン語で手紙を書き、フランス語とスペイン語も堪能で、天文にも興味を持ち、グリニッジでトマス・モア(『ユートピア』の著者。後出)と天体の観測に努めた。
これがグリニッジ天文台の元なんだと。
しかし、どんなに丈夫で頭がいいか知れないけど、性格悪そうだにゃ~。
でも、やっぱりイギリス人の間では人気のある君主なんだよね。
日本でいうと徳川家康級かな?
で、やっぱり徳川家の15人の将軍と同じで、イギリスの学校では「ヘンリー八世の六人の妻」を覚えさせられるんだって。
先日もNAMMでマーシャルの連中とこんな話になって(自分が振ったんだけど…)、みんな言えなかったな~。
「じゃシゲ、言えんの?」と来るからサラサラっと6人の名前を挙げてやった。
みんなビックリしてた。
徳川15は言えないけど、ヘンリーと七福神は頭に入ってる。
ま、こんなことをして人脈を作ってるワケ。
だって、外人がいきなり「イエヤース、ヒデターダ、イエミーツ…」って15人の徳川将軍家の名前をそらんじたらかなり面白いでしょ?
こんなことを思いついたのもこのリック・ウェイクマンの作品のおかげなのさ。

40v後はほぼ脱線。
ぜんぜん『名所めぐり』じゃなくてスミマセン。
 
やはりこれだけ有名な歴史上の人物たちとなると関連する映画もたくさんあるワケで…あの手、この手でいまだに映画化やドラマ化されてる。
その中でとりわけクラシックなのはコレでしょう。
1933年のイギリス映画、『ヘンリー八世の私生活』。
コレ、リック・ウェイクマンが読んでヒントを得たという『The Private Life of Henry VIII』と原題が同じなんだけど、別物。
ヘンリー八世の人生を超駆け足で描いていて、いきなり2番目の奥さんの処刑のあたりから話がスタートする。
でも、「八っつあん」の粗野でダイナミックなイメージが実にうまく描かれていると思う。
この作品は第6回のアカデミー賞で作品賞と主演男優賞にノミネートされた。
アメリカ制作以外の映画が作品賞や主演男優賞にノミネートされるのはこの作品が初めてのことで、作品賞は逃したものの、ヘンリー八世を演じたイギリスの大名優、チャールズ・ロートンは見事主演男優賞を獲得した。
ちなみに先週やってたアカデミー賞は第90回だからね。古い話よ。
この映画の中で、どうしてもトランプで勝つことができない4人目の妻、「アン・オブ・クレーブス」を演じているのはロートンの私生活での本当の奥さん、エルザ・ランチェスター。
アン・オブ・クレーブスって、肖像画と実物が全然違うということでヘンリーは結婚をイヤがったっていうんだよね。「クレーブス」ってぐらいだから。
要するに美しくなかったらしい。
それを奥さんに演じさせちゃうところが面白い。

50dvd_2コレは何度も引き合いに出していて恐縮なんだけど、また紹介しちゃう。
ナゼなら、このウィリアム・ワイラーの名サスペンス『情婦』を観ないで死んでいく気の毒な人を1人でも減らしたいから…大きなお世話だけど。
この中で病み上がりの辣腕弁護士を演じているのがチャールズ・ロートン。
そして、その看護婦を演じているのが、またまた本当の奥さん、エルザ・ランチェスター。
まぁ、この映画だけはとにかく観て頂くしかない。
昔の映画がいかに面白かったかを痛感すること間違いない。
ディートリッヒのカッコよさとロートンの名演に注目。

60dvd_2もうひとつ、ロートンの古いイギリス映画を…。
マンチェスターを舞台にした『ホブソンの婿選び』という1954年制作のホーム・コメディ。
ココではチャールズ・ロートンは3人の娘を持つガンコバカ親父を演じている。
伏線がキチ~っと張られた脚本が何しろよくできていて、テンポも速く、映画の出来として非の打ち所が全くない。
それもそのはず、監督は『アラビアのロレンス』や『戦場にかける橋』で知られるデヴィッド・リーン。
おもしろくない映画を作るワケがないじゃんね。
チャンスがあったら観てみてください。
ちなみに『戦場にかける橋』でデヴィッド・ニーブン率いるイギリス軍がクワイ河にかけた橋のモデルはエジンバラの「Firth of Forth」という河にかかる「Forth Bridge」。
Genesisの名盤、『Selling England by a Pound』に収録されている「Firth of Fifth」はコレが元ネタ。
もひとつオマケに、この『Selling England by a Pound』はCLASSIC ROCk MAGAZINEが選ぶ、「プログレッシブ・ロック名盤」で第1位を獲得している。
ま、確かに名盤だけど、日本人にはわからないグッと来るものがイギリス人にはあるんだろうね。
『アラビアのロレンス』、また観たいナァ。
ロレンスって同性愛者だったでしょ?
あの時代、イギリスでは同性愛は犯罪だった。だから自分が同性愛者ということを知ったロレンスはあんなに悩んだ。以前はそんな背景もは知らずに観ていたナァ。70dvd_2さて、ヘンリー八世にもどってもうひとつ…。
それは映画『ゴースト』のワン・シーン。
幽霊になったサムを演じるパトリック・スウェイジが、ウーピー・ゴールドバーグ扮するイタコのオダ・メイに霊媒を依頼する場面。
ややインチキだし、ゴタゴタに巻き込まれるのをイヤがるオダ・メイが寝られないように枕もとでサムが歌を歌い続ける。
その曲がハーマンズ・ハーミッツの「ヘンリー8世君」。原題は「I'm Henery the VIII, I am」
とても可愛い曲だよね。
この曲のオリジナルはハリー・チャンピオンという人の持ち歌で、ハーマンズのバージョンは歌詞がひとつしかない。
そして、ピーター・ヌーンが間奏でこう言う。
「Second verse, same as the first(2番を歌うよ~、1番と同じだよ)」
つまり、終わりがないということ。
サムは「霊媒の仕事を受けてくれないなら永久に枕元で歌い続けるぞ!」という意味を込めてこの曲を選んだんじゃないかね…なんて思うんですよ。
この映画では「Unchained Melody」が話題になったけど、私はこの「I'm Henery VIII, I am」の方が全然印象深かった。

80dvd_2ハリー・チャンピオンという人は、1910年頃に活躍したコックニーの歌手でコメディアンだそう。
1911年の録音を聴くと、ドでかいバースが付いていてまるで違う曲のようだ。
そして、コックニー訛りがスゴイ!メッチャかっこいい。
ところでこの曲、ナンでヘンリー八世なのかというと、結婚した隣の未亡人には前夫が7人もいて、その誰もが「ヘンリー(エンリー)」という名前。
「ウィリー」ってヤツも「サム」っていうヤツもいなかった。
この歌の主人公もヘンリー。
だから、8人目のダンナとなる自分は「ヘンリー八世君」だというワケ。
ナニがおもしろいんじゃいッ?
ま、6人もの奥さんを娶ったヘンリー八世のパロディということなのかね?
でもヘンリー八世の奥さんって6人のうち「キャサリン」と「アン」が2人ずついるんだよね。
  
ハーマンズはマンチェスターか…。
月並みだけど、「ミセス・ブラウン」とか、「見つめあう恋」とか、「この世の果て」とか、ハーマンズ・ハーミッツっていい曲演ってるよね。
ちなみに「見つめ合う恋(There's a Kind of Hush)」のアレンジはジョン・ポール・ジョーンズ。
イヤ~、昔の曲はいいな~。
オールディーズ聴きたくなってきた!
コニー・フランシスでも引っ張り出して来ようかな。
最近は「ヒット曲」というものが全くなくなったでしょ。
そりゃ若い人の間だけとか局地戦ではハヤっている曲もあるかもしれないけど、天地真理やジュリーや百恵ちゃんやピンクレディの歌のように、年寄りから子供までが、日本国民の全員がソラで歌えるような曲が完全に絶滅してしまった。
IT化とか何とかいって、簡単に音楽が無料で手に入るようになった反面、音楽が民衆から遠いところへ行ってしまったのはまったくもって皮肉な話だ。
あの時代はもう二度と戻って来ないよ。
ナゼならもう作り手にそういう時代を知っている人がいないから。

90cd_2コレでヘンリー八世のことがよくわかって頂けたと思う…どこがじゃい?
イヤ、一辺に説明できないので、追々やっていきますから。
 
さて、ココで外へ出てみますよ。
コレはシェイクスピアの家、ストラトフォード・アポン・エイヴォンに近いところにあるウォリック城。
「upon〇〇」というのは「川沿いの」という意味だってことはいつか書いた。
だからシェイクスピアのところは「エイヴォン川沿いのストラトフォード」ということになる。
ニューキャッスルもそう。「Newcastle upon Tyne」すなわち「タイン川沿いのニューキャッスル」というのが正式な地名。
この「upon〇〇」は川が大きく蛇行しているところに付けられる地名らしい。

100「Warwick」って綴るんだけど、コレは「ワーウィック」ではなく「ウォリック」と読む。
この辺りは「ウォリックシャー」という地籍なのね。
1068年、「征服王」の異名を取るウィリアム一世が建築し、1088年にはウォリック伯が所有した。
「ウォリック伯」というのは人の名前ではなくて、イングランドの貴族の伯爵位の中で最古の爵位。
だから日本で言えばどうなんのかな?
「ナニナニの守」とかの「国司」みたいなモノかな?
日本のアレは結構いい加減なようだけど、この「ウォリック伯」はかなりチャンとしてるみたい。

120…というような固っ苦しい話はヤメて城の屋上に出てみる。

130曇っているけど絶景かな~!
150かなりの段数の階段を上って屋上に出るんだけど、建物が全部つながっていて回廊みたいになっているのね。
見物客は一方通行で進まなければならず、途中で引き返すことができない。
そんなもんだから、入り口には係りのお姉さんが立っていて、「大丈夫ですか?入ったら最後、引き返すことはできませんよ。かなりシンドイですよ」と見物客に説明する。
足腰に自信のない人はそこで止めておくというワケ。

140vま、ホントに結構シンドかったけど、この眺めには代えられまい。

160まるでレゴで作ったような家が連なってる。
コレはアトラクションでもなんでもなくて、実際に人が普通に住んでるのよ。

170屋内に入る。
マァ、豪華絢爛だこと…

180vってイギリスの古い城の中はどこもこうだけどね。

190vお定まりの天蓋付きベッド。
こんなの落ち着かないゼ~。

185城内を歩いて見て回ると…お!
1、2、3、4、5、6…

186やっぱり…ヘンリー八世と六人の妻!

210やっぱり観光客に人気がある。
有名だからね。
「キャサリン・オブ・アラゴン、アン・ブーリン…ああ、学校でやったわね~。なつかしいわ~」とこのお婆さんが言っているかどうかは知らない。

200v立派なポートレイトも飾ってあって…。

220vところが、どこをどう調べても、ココは歴史的にヘンリー八世は関係ないみたいなんだよね~。
240v要するに、飾りなの。
観光地に行くと、由来しているアイテムってどこにでもあるじゃない。
たとば上田に行くと真田幸村だの六文銭だの。
甲府に行けば武田信玄だの風林火山だの。
ま、ソレらはその観光地に根差しているモノだけど、「定番中の定番」という意味でココと同じ。
このウォリック城とヘンリー八世は関係ないながら、イングランド全体の観光地として、イギリスの歴史で最も有名なこの人の人形を飾っている…ということみたい。
 
というのも、このウォリック城って、観光業者がガッツリと入り込んで、中世をテーマにしたアミューズメント・スポットとして仕立てられているのですよ。
やっぱやることが徹底しているわ。
こんなこと日本じゃ絶対考えられない。
どこかの不動屋さんが彦根城を買い上げて「井伊直弼の大冒険」なんてのはやらないでしょ?
どういうことかというと、コノお城、1978年に民間に払い下げちゃってるんだよね。
それを買ったのが、さっき出て来たマダム・タッソーろう人形館の「タッソー・グループ」。
知らなかったんだけど、このタッソー・グループって、ディズニーに次ぐ世界で2番目に大きいレジャー会社だったそうだ。
「だった」というのは2007年にアメリカの大手投資運用会社ブラック・ストーンに買収されたから。

230v城の後を流れているのがエイヴォン川。

250ほとんどまっ平でまるで堀のように流れは穏やかだ。

260川には段差があって、水の落下地点のそばに大きな水車を設置している。
多分、元々の流れがゆるいせいだろう、段差によって強引に加速させた水流で水車を回しているのだ…と思う。
それでも日本の山岳水力発電で回すタービンの速さに比べると、この水車の回転速度はギャグにしか思えない。

270vところがですね、コレはイギリスで最初の水力発電プラントで、1894年から稼働をスタートさせ城内の電力を賄い、余った電力はバッテリーに蓄電することにより電気自動車や電気ボートに利用された。
しからば日本の水力発電はどうかというと…。
これが!
1891年にもう稼働を開始してるんですよ。勝った!
山の多い日本のこと、北部を除いてほとんど平坦な地形のイギリスより水力発電が進歩していたのかと思うとさにあらず。
日本の最初の発電所は京都の蹴上発電所で、琵琶湖疎水を利用したというのだから、やってることはウォッリック城と同じなのよ。
何でもイギリスから教わった日本だからね、コレには結構ビックリ。

280こういう古い機械を見るのはおもしろい。
まだ実際に使っているんでしょうナァ、古時計のようにノ~ンビリと動く100年以上も前に作られた発電機器を見ていると何ともいえない感覚になるのよ。

290v城の隣には「ピーコック・ガーデン」というのがあって、コレがまたアホほど美しい。

300名前の通りクジャクがそこら中をほっつき歩いてんのよ。
ドバっと羽を広げているところは観れなかったけど、アチコチで「グエッ、グエッ」って啼てる。

310v次回からはヘンリー八世の六人の奥さんたちひとりひとりにスポットを当ててアルバムと聴き比べてみましょうね。
LPやCDを持っている人は用意しておいて!
6人の皆さん、結構悲惨です。

<その2>につづく
 

200

2017年3月16日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.27~Marshallが「Milton Keynes Business Achievement Award 2017」を受賞!

今日の記事はチト強引だ。
「名所めぐり」で取り上げるのもどうかと思うが、無理やりやってしまおう。
Marshallの本社と工場があるMilton Keynesを「ロックの名所」として紹介しちゃう。
コレその本社工場。
こうして見ると結構デカイな。

20日本語の地図なんかでMilton Keynesを時々「ミルトン・ケアンズ」と表記しているのに出くわすが、アレは間違い。
「ミルトン・キーンズ」と発音するのが正解。
「ケインズ経済学」のケインズと綴りが同じなので混同されることがあるようだ。
ミルトン・キーンズは「バッキンガムシャー」の地籍で、工場の住所は「Denbigh Road, Bletchley, Milton Keynes」。
この前の通りが「Denbigh Road」…コレは「デンビー・ロード」と発音する。
住所が示す通り、Marshallの工場から一番近い町はブレッチリーというところ。以前に「Marshallだより」として案内したこともあるので聞き覚えのある方も少なくないであろう。

30そして、ミルトン・キーンズは、というと、コレが結構工場から遠い。
車で行けば15分ぐらいなんだけど、ミルトン・キーンズは駅の周辺以外に信号がまったくないのでかなり走れることになる。とても工場から歩ける距離ではない。
信号がなくて交差点がどうなっているのかというと、全部ラウンドアバウト。
恥ずかしながら今でもラウンドアバウトを通過する時、「♪I'll be the roundabout」と口ずさんでしまう私はやっぱりプログレ好き。

40で、ですね~、そのミルトン・キーンズの様子を紹介したかったんだけど、ビックリするほど写真がないのよ。
もちろん相当な回数行っているんだけど…というのは、要するに面白くないのですよ。
下の写真はミルトン・キーンズの駅の近くのホテルに泊まった時に飛行機雲と夕日に映えるカテドラルがきれいだったからたまたま撮っただけ。

50ナゼ面白くないのかと言うと、どこへ行っても100年前、200年前の歴史的な建造物がひしめき合うイギリスにあって、ミルトン・キーンズの街の中心地にはそうした古い建物が皆無なのだ。
あ、ちなみに「街」と「町」という言葉を使い分けていることをご認識くださいませ。
イギリスでは規模に合わせて「City」、「Town」、「Village」と言葉を厳格に使い分けているから。それに倣っているつもりなのですわ。
で、このミルトン・キーンズはどうかというと、「City」らしい。
でも、PaulやRay Davisじゃないけど、ミルトン・キーンズとは比べ物ならない大都市のロンドンは「London Town」と呼ばれている。
恐らくロンドンが「town」だった時代からのしきたりなのではなかろうか?実にいい響きだよな~「ロンドン・タウン」なんて。
で、下の写真はミルトン・キーンズの全景。
ロンドンとは全く異なり、マンハッタンのように碁盤の目のようにキレイに整っているでしょう?
それはミルトン・キーンズという街が人工的に作られたから。
その歴史はたった50年しかない。
もちろん太古の昔から人は住んでいて、かつては「ミルトン・キーンズ村」だった。
それを1960年代にロンドンの衛星都市に作り替えたんだね。
ちなみに写真の中央のある三角形っぽい建造物は人工のスキー場だ。
人口は25万人程度。東京で言うと墨田区、または長野の松本市と同じぐらいの人口を擁している。

60街には巨大なショッピング・センターやオフィス・ビルがあるだけ。
ショッピング・センターは確かにメッチャ大きくてにぎやかなんだけど、入っているのはどこにでもあるようなチェーン店ばっかりなの。65コレはある時宿泊したホテルの一室から撮影した外の風景。
ビルの合間から見えるのは広大に広がる田園風景だ。
そう、ブレッチリーをはじめとしたウルヴァートンやニューポート・パグネル等の周辺のエリアは、長い歴史を感じさせる魅力的な町だ。

70「ミルトン・キーンズ・セントラル」は急行も停まる近隣で最も大きな国鉄の駅。
もう少し北に行くと「ラグビー」や「コヴェントリー」という駅を通過してメタルの聖地バーミンガムに到達する。
もちろん「ラグビー」にはラグビー発祥の「ラグビー校」があり、「コヴェントリー」にはJaguar(ジャギュア)の工場がある。

Mks 駅の近くのバー。
こんなところでも結構高いんよ。値段はロンドンとそう変わらない。
「変わらない」というのは、イギリスは都会と地方の物価が劇的に異なるのが普通だから。
ブレッチリーなんかではロンドンで£4~5するエールが£2台で飲めたりする。

80その近くのレストランで頂いたひと皿。
触れ込みは「チキンの胸肉のソテーとシーザーサラダ」ぐらいだったんだけど、魚が混ざちゃう。
一瞬、煮干しかと思ったよ!
何で入れるかな~?こういう食べ物の感覚だけは馴染めないな~。

90コレがショッピングセンター。
こんなにデカイのに日曜日にはほとんどの店が休んじゃうんだよ。
そうなると周辺はかなり閑散としてしまい、変な奴らがうろついていて結構用心が必要だ。

100ミルトン・キーンズの名物はショッピング・センターだけではなくて、例えばこの「ミルトン・キーンズ・ボウル」。

110中に入ったことはないんだけど、いつか前を通りかかった時、Green Dayのコンサートをやっていて大騒ぎになっていた。

120有名なのはコレかな?『Queen ON FIRE』。
1982年6月5日のミルトン・キーンズ・ボウルのコンサートを収録したQueenのライブ盤。

130cdさらに最近ではコレ。
ウィンブルドンのフランチャイズ・チームと合流してできたサッカーのクラブ・チーム、MK DONSのスタジアム。

140sこのスタジアムにはホテルが併設されていて、完成して間もない頃、VIPルームに泊めてもらったことがあった。

150部屋からはプライベートでピッチが見下ろせるようになっていた。

160オープン当初はMarshallがチームのスポンサーの一角を務めていた関係で、観客席にはMarshallの広告がセットしてあった、

170得点ボードはJCM800 2203のフル・スタックだったんだから!

180さて、驚くべきことに、今日はここからが本題。
最初の方に書いた通り、ミルトン・キーンズは人工的に新しく造られた街で、1967年にオープンしたとされている。
したがって、今年で50周年を迎えたのだ。

190_2Marshallは1962年に創業を開始し、ビジネスが急成長したため、ロンドンを離れてどこかに工場の代替の立地を探さなくてはならなかった。
その時に白羽の矢を立てたのがミルトン・キーンズだった。
1967年のこと。
Marshallは最初からのミルトン・キーンズの住人なのだ。

200_2工場ができれば当然そこで働く工員が必要なワケで、Marshallは50年前からミルトン・キーンズの多くの住人を従業員として飲み込んで来た。
つまり、この街の発展に計り知れない貢献をしてきたのだ。

210そして、先週の木曜日。
古くから開催されている「Milton Keynes Business Achievemt Awards」という、地元の発展に貢献した企業を表彰する賞のひとつをMarshallが獲得した。
受賞したのは「Design & Creativity」というカテゴリーで、音楽業界、とりわけイギリスの大きな輸出産業のひとつであるブリティッシュ・ロックの発展に活躍したMarshallにふさわしい賞だった。
社長のジョナサン・エラリーをはじめ、受賞を喜ぶMarshallの役員たち。
真ん中に立っているマーティンが手にしているのがトロフィー。
マーティンは工場の「環境管理」の仕事をしている。
Marshallはかなりコンプライアンスに厳しく、環境汚染物質の管理などに相当うるさい。そうした社会的な仕事に取り組んでいるのがマーティンで、この部門を受賞することになった立役者のひとり。
だから真ん中でフィーチュアされているそうだ。

220この表彰式のプログラムを見ると、それがまたすさまじいもので、夕方の6時半にスタートしたセレモニーが夜中の1時半まで続くというのだ。
そうなのよ。
向こうのパーティって異常に長いのよ~。
その間、みんなしゃべりっぱなし。とにかくしゃべる。そして飲んで食べる。
まぁ、とにかく体力の差を感じるよね。私なんか途中でヘロヘロになっちゃうもんね。
でも本当に大きな差を感じるのは、このルックス。
これだけはどうあがいても日本人はかなわない…イヤだよ~、こういう人たちの中に入って行くのは。
みんな背は高いし、頭は小さいし、足は長いし、英語うまいし、何しろタキシード姿がバッチリキマっている。
こういうパーティの場でしばらくこういう人達に囲まれているでしょ?それで、トイレに行った時に鏡に映った自分の姿を見るワケですよ。「同じ人間でこうも違うか!」と愕然としちゃう。
ドレス・コードが着物なら何とかなるんだけどね。
もちろんタキシードはすべて自前。皆さん常識的に何着か持っているそうだ。
そして、この蝶ネクタイ。英語では「bow tie」と言うけど、皆さんチャンと結ぶことができる。
七五三の時のように予め形になっているモノをゴム紐で首に巻くのとはまったく違う。
それでも形よく結ぶのはすごく難しいらしくて、ベッドの支柱を自分の首に見立てて結ぶ練習をするのだそうだ。

230その長尺のセレモニー。
多くの同様のイベントがそうであるように、セレモニーの最後の最後に一番重要な賞であるところの「BUSINESS ACHIEVEMNT AWARDS」の受賞者が発表された。
Marshallの連中はすでに「Design & Creativity」部門で受賞したので、「もうこれで出番なし」と大リラックス。そして、しまいにはベロンベロンになっていた。
そしたら、その大賞が我がMarshall Amplification plcへ!(他もう1社が受賞)
参加したMarshallの連中は事前にそのことを本当に知らされておらず、大慌てで受賞に臨んだのだそう。
下の写真はその時のようす。
あ~あ~、スッカリ蝶ネクタイをほどいちゃって折角のタキシード姿も台無しじゃんか!
でも、とてもうれしそうだ。
Jimがいたらすごく喜んでいただろうね。
向かって一番右の人は有名なバドミントン選手だって。ミルトン・キーンズはバドミントンでも有名なのだそうだ。

240Marshallみたいな最初からミルトン・キーンズにいる企業がナゼ今年受賞したのかと言うと、今までエントリーしていなかったかららしい。
ま、ナニはともあれ、おめでたいことで…。
コレを機に我が社の益々の発展を祈念する次第である。
  
え、何でミルトン・キーンズが「ロック名所」かって?
そりゃ、アータ、Marshallがある街だからですよ!
250

2017年2月23日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.26~ハイド・パークのカドッコで

今日はヘンな内容と強引な展開。
「強引な展開」はいつものことか…じゃ、こじつけかな?
しかも前半は自分の営業を目的とした自慢話。
上の三行を読んでイヤな予感がする人はここで切り上げたほうがいい。
でも、ネタがないのでそうしたワケではないよ。
いつでも豊富なネタと写真で心を込めて書いているのがMarshall Blogなのだ。
で、その写真。
ご存知の通り、Marshall Blogで使っている写真はほぼ100%私が撮ったモノなんだけど、実はオソマツながら私が撮った写真はすでに世界デビューを果たしているのです。
それは、Chris Duate Groupのライブ・アルバムのジャケットに私の写真が採用されたことで達成された。
ある日突然、Shrapnel RecordsのMike Varneyからメールが届き、「今度のChris Duarteのライブ・アルバムのジャケットにあなたの写真を使わせて欲しい」という。
ま~、ビックリしたわ。
もちろん即OK。
「英語はわかりますね?」という確認があって、契約書が送られて来、サインしてスキャンしたものをメールで送り返して契約終了。
ギャラの支払いも実にスムーズだった。
コレは、Chrisのバンドのベーシスト、EDENプレイヤーのオガンちゃんこと小笠原義弘さんのご紹介のおかげ。
本当にうれしかった。オガンちゃん、どうもありがとう。
このライブ盤、1枚は封を開けずにウチの家宝として大切に保管してある。

10cdところで話題は変わって六本木…みんな知ってるHard Rock Cafe。

20

Hard Rock Cafeは、アーティストとのコラボレーションで時折オリジナルTシャツを制作していて、ある時、新作のTシャツの発表会が六本木のお店で開催された。
その時のコラボレーションの相手はJimi Hendrixだった。

50v発表会はファッション・ショーから始まり、フレア・バーテンダーのショウ等、盛りだくさんの内容で…

60vヘッドライナーは中野重夫の演奏だった。
この時、私はすでに前職を辞してはいたが、シゲさんからお誘いを頂戴し、今のMarshall Blogの前身であるShige Blogの取材をさせて頂くことにした。
もうチョット言うとシゲさんに会いに行ったっていう感じかな?
この時はバンド・スタイルではなく、バッキング・トラックを使ったものではあったが、いつものシゲさんらしく、激演に次ぐ激演で大喝采が浴びせられた。
私も必死でシャッターを切った!

70vそして、その時の写真がHard Rock Cafeのスタッフの方の目に留まったのだ。

80vありがたいことに、それ以降、Hard Rock Cafeで何度も写真のお仕事をさせて頂いた。
シゲさんがライブやってからしばらくして、ちょうどお店が改装され、店舗の内外の写真や料理の写真を撮らせて頂き、それらがパンフレットに採用されたり、地下鉄の六本木駅の広告に使用されたりした。

1_img_0293

こういう風に自分の写真が何かの形になるのは何度して頂いてもうれしいもんでしてね。
その他、新装開店のセレモニー、メモラビリアの展示会、各種ライブ・パーティ、新しいメニュー、Hard Rock Cafeが主催している「Rising」というバンド・コンテストの撮影や審査員、Linkin ParkのTシャツ・コラボ等々、もうずいぶん色んなことをさせて頂いた。
そういえば、お店で結婚披露宴を撮影したこともあった。
コレがまた本当の偶然で、新郎が私の大学のクラブの後輩だったには驚いたよ。

1_img_0297六本木のお店だけでなく、「上野駅店」もちょうど改装の時期に重なり、その撮影もお任せ頂いた。

110v店舗内外の撮影はもちろんのこと…

120vHard Rock Cafeの主役のひとつ、メモラビリアの撮影のご依頼も頂戴したのだが、このお店は下の写真のように高い位置に飾ってあるものが多い。

150

そこでこんな脚立によじ登ってシャッターを切った。
子供の頃はこんなの何でもなかったんだけど、今やるとコワイコワイ!
よくあるでしょ?しばらくファインダーを覗いて、パッとカメラを離すといきなり視界が広がって目がピントを合わせるのに難儀するせいか、軽いめまいがするんだよね。
コワイコワイ!掴まるところが何もないからね。
お店の方々もとてもフレンドリーでどの撮影も最高に楽しかった。

140vそれでですね、そうして苦労して撮った写真が一体何に使われているんだろう…と常々思っていた。
誰しもそう思うでしょう。
上に挙げたパンフレットや駅の広告、それに下のようなお店の公式ウェブサイトにご使用頂いていたことはもちろんわかっていた。
コレは六本木のHard Rock Cafe Tokyo (ハードロックカフェ東京店)

170コチラはHard Rock Cafe Uyeno-Eki Tokyo (ハードロックカフェ上野駅店)
アルファベット表記の「上野」に「y」が入っているところがうれしい。
コレらは日本人向けの公式ウェブサイト。
私の写真が登場するのはコレだけかと思っていたら…

180ナント、昔からHard Rock Cafeの世界の公式ウェブサイトにご採用頂いていたのだ!
イヤ、ホントにこのことを知らなくて、実は今月知った次第。
世界の「Hard Rock Cafeの公式ウェブサイト」ということは、私の写真がずっと以前から世界の人の目に触れていたというワケ。
するってーと、冒頭のChris Duarte Groupより前に世界デビューを果たしていたことになる…ということが言いたかっただけです、ハイ。
  
コレが六本木のお店のサイト。
世界的にはHard Rock Cafe Tokyo Roppongiという名前になっている。
「Home」のバナーで次々に現れる店舗内外の撮影を担当させて頂いた。

160

コチラはHard Rock Cafe Tokyo Uyno Eki
  
やっぱり私はライブ撮影が一番好きだし、得意だと思っているけど、こういうこともやっとります…ということをお知らせしたかった。
自慢話というよりは、要するに営業、あるいは広告。
  
さて、私事だけでMarshall Blogの記事をひとつ編むワケには当然いかない。
ココでお見せしましょう、Marshall Blogのトリプル・アクセル+トリプル・ルッツ!…ってほどのモンでもないか。

190ハイ、いきなりロンドン!
ここはハイド・パークの入り口のひとつ。

200ハイド・パークについてはいつかこの「名所めぐり」で触れたいとおもっているんだけど、何しろ写真がほとんどなくて書くに書けない。
もちろん何度も通りかかってはいるのだが、奥深く入って写真を撮って来る気力がない。
何しろ広くて、ロンドン中をほっつき歩いているクタクタの身体にはとても手ごわい相手なのだ。
だからこのあたりの写真はホンの入り口。
代々木公園で言ったらNHKホールのあたりか?

210しかし、こんなだよ。
こんなモノが700万人を擁する大都市の真ん中にあるんだぜ。
代々木公園みたいに端っこにあるのとはワケが違う。
ロケーションとしてはバッキンガム宮殿のすぐ裏手なので、東京でいえば飯田橋から四谷一帯がこうなっている感じか?
我々、東京に住む人間にはとても考えられん。
イギリスはロンドンから電車で20分も離れれば、牛や羊がノンビリ草をはむ放牧地だ。
ロンドンの街中にも大小の数えきれない数の公園が散在している。
コレも以前に何回か書いたことだが、約20年前、初めて日本にやって来たJohn Lingwoodという元Manfredman's Earth Bandのドラマーが「シゲ、東京って公園がいくつあるんだい?」と真剣な面持ちで尋ねて来た。
その時は、どうしてそんなことを訊くのか意味がサッパリわからなかったが、私がロンドンに初めて行った時、その質問の意味が一発でわかった。
そこら中公園だらけだったのだ。
イギリス人は、日本人に比べれば、はるかに緑の濃い中で暮らしているのだ。
私なんか生まれた時から東京ばっかりなので何とも思わないが、Johnが見た最初の東京は何て殺風景なところだろうと思ったに違いない。

220さて、そのハイド・パークとバッキンガム宮殿のちょうど間に「ハイドパーク・コーナー」という地下鉄ピカデリー線の駅がある。
駅から地上に上がってピカデリー・ストリートをピカデリー・サーカスに向かってチョット行った日本大使館の手前ににコレがある…Hard Rock Cafe。
コレで今日の記事の前半と見事に連結する。

230世界中に百を軽く超える拠点を擁するHard Rock Cafeだからして何が珍しくて今頃ココで取り上げるんだ?…とお思いになる方もいらっしゃるかもしれない。
取り上げる理由はココが第一号店だから。
1971年、Isaac TigrettとPeter Mortonというアメリカの若者が創業した。
第二号店はカナダのトロント。
第三号店はロサンゼルス。
そして、第四号店は、ジャジャ~ン、六本木なのだ!
2006年にLAの店がクローズしたので、Hard Rock Cafe Tokyoは現存するお店の中で第三番目の古参ということになる。
そして、Hard Rock Cafe名物の壁のメモラビリア…この展示は1979年にこの第一号店からスタートしたのだそうだ。
やっぱりね~、いいのがイッパイあるんだよ、一号店は。量もスゴイ。地下のトイレの廊下の壁にまで色々なアイテムが展示されている。
ロック・ファンがロンドンを訪れた際には一度は訪れておくことをおススメする。

240vで、ですね、見逃せないのはコレ。
レストランに併設されている売店。いつもスゴイ人気だ。
でも、見逃せないのはそうしたグッズではなく、「Vault(ヴォールト:「地下貯蔵室」という意味)」と呼ばれているメモラビリアの博物館。
レストランとは別に貴重なアイテムが多数展示されている。
Jimi Hendrixが使っていたというFlying V、Keith Moonが着用していたジャケット等々…今もOKかどうかは知らないが、私が昔訪れた時にはそれらが触り放題だった。
メッチャいかついメタル装束のお兄さんがアイテムの紹介をしてくれる。
彼、確かFallen Angelとかいうバンドをやっているとか言ってたな。一度メールでコンタクトしたけど返事がなかった。
入場料は無料。チェックされるワケではないが、エチケットとしてレストランで食事をしてから行くべきだろう。
ただ、ものすごく狭いので、10分間隔ぐらいでお客さんの入れ替えを行っている。
混んでいると結構待つことになるかもしれない。

250vHard Rock Cafeの裏手へ少し入ったところにあるアパートがこの「Death Flat(死のフラット)」。
ご存知の通り、イギリスではアパートのことをApartmentではなくてFlatという。(以降「アパート」を「フラット」と表記する)
コレがね~、まったく豪華なマンションでもflatって言うんだよね。
「マンション」はアメリカでは「プール付きの豪邸」を指すことを皆さんもご存知だろう。
そういえばイギリス人って「マンション」って言葉を使わないような気がするな。
イギリスにもあるよ。アホほど広い庭とスカーレット・オハラが出てきそうなドデカイお屋敷が。
でもそれらはたいていは「マナー・ハウス」とか「カントリー・ハウス」とかいう貴族の持ち物であって、アメリカのようにひと山当てた成金が住んでいるワケではない。
ま、Jimの家もかなりデカかったけどね。
ちなみにManorとMansionは同じ語源を持ち、「滞在する」という意味なのだそうだ。
  
さて、Death Flatに話を戻す。
1974年7月29日、Mamas & Papasのシンガー、Cass Elliotがこのフラットで亡くなった。
世間一般ではハム・サンドをノドに詰まらせて窒息死したと言われている。
少しベテランのロック・ファンならだれもが知っているロック史に残る悲劇のひとつだ。
コレは、最初に検死を行った医者が、Cassのベッドの傍らにサンドイッチとコカ・コーラが置いてあったことよりそういう話になった。
ところが、その医者はそれらのサンドイッチやコーラが開封されていなかったことを見落としてしまった。
Cassは寝ている間に心臓マヒを起こしてしまったのだそうだ。
あれだけ太っていればそんな噂も立ちやすいだろうし、心臓発作が起きてもおかしくないだろう。
この時彼女はロンドン・パラディアムに二週間の公演で渡英していた。
公演が大成功して、「Mama Cass」ではなくソロ・シンガーとして、成功の第一歩を踏み出せたことを報告するために、千秋楽の夜、かつてのバンド・メイトに電話をした。
電話口でその成功に感激したCassはうれし泣きをしていたそうだ。
その後、彼女は息を引き取った。
33歳だった。

260vそれから4年後の1978年9月7日、The WhoのKeith Moonもこのフラットで命を落とした。
この日、朝七時半に目を覚ましたKeithはガールフレンドにステーキを焼くように頼んだ。(朝からステーキは喰えんな~)
Keithがもうひと皿何かを作るように言うと、彼女がKeithに向かって文句を言った。
するとKeithは「やりたくないなら消え失せやがれ!」と悪態をついた。
コレがKeithの生前最後の言葉となった。
テレビを見ながらステーキをたいらげると、ヘミネヴリン(クロメチアゾール)という精神抑制剤を摂取してまた眠りについた。
アルコールを過剰に摂取して、その量を減らしたり止めたりすると、「アルコール離脱症候群(Alcohol Withdrawal Syndrome)」という不安感、震え、発汗、嘔吐などえお伴う症状が発生することがある。
要するにアル中の禁断症状ですな。
Keithの主治医はどうしてもアルコールが欲しくなった時にと、一日3錠まで…という注意を厳重に与えてヘミネヴリンを処方していた。
6錠飲めば命にかかわるという薬らしい。
その後、眠りについたKeithが意識を取り戻すことは永久になかった。
Keithはその錠剤を32個も摂取したのだ。
そして、Keithが亡くなったベッドは奇しくもCass Elliotが息を引き取ったのと同じベッドだった。
享年32歳。
ブリティッシュ・ロックを代表するバンド、The Whoのドラマーの最後だった。
死体は彼女が発見し、一週間後に荼毘にふされた。
  
「いつも朝6時に起きるんだ。まずソーセージと卵を食べる。
それにドンペリニョンを一本空けて、ブランデーをボトルの半分ほど飲む。
それから鎮静剤を二、三粒服用するんだ。
するとだいたい10時ぐらいになって、それから5時まで昼寝をする。
起きたらBlack Beauties(Black BirdsまたはBlack Bombersと呼ばれるアンフェタミンとデキストロアンフェタミンのコンビネーション。要するに覚せい剤)をキメこむ。
それとブランデーとシャンペンを少々飲んで街に出かけるんだ。
それからはブギだ!朝の4時まで暴れるのさ」
これがKeith Moonの日常だったらしい。
何だか知らないけど、そりゃ薬飲みすぎなくても早死にするわ!

270v このフラットのかつてのオーナーはHarry Nilssonだった。
Nilssonはビートルズと仲がよく、サヴィル・ロウのアップル本社にほど近いロケーションが気に入って手に入れたそうだ…というのは表向きの理由で、実際には近くにプレイボーイ・クラブとトランプスというナイトクラブがあったかららしい。
このトランプス(Tramp:アメリカの大統領とは無関係)というのはピーター・セラーズ(『博士の異常な愛情』や『ピンク・パンサー』のオジさんね)、ライザ・ミネリ、リンゴ・スターらが結婚披露宴を開催したドハデなクラブ。
シャーリー・マクレーンが一晩中テーブルで寝て過ごしたとか、Keith Moonが裸でダンスを踊ったとかの逸話が残っている。
Nilssonの親友だったRingo Starrとデザイナーが経営する会社が最上階の設計を担当した。
彼はロンドンを離れることが多く、その間、そのスペースを親しいミュージシャンによろこんで貸したらしい。
そして、Nilssonは二人の友人を自分のフラットで失ったことを何かの「呪い」と思い込み、Keithの死後、すぐにPete Townshendにフラットを売却し、自分はLAへ一時的に帰ったそうだ。
よっぽどショックだったのだろう。
それもそのはず、このフラットではドラッグ混じりの乱痴気騒ぎが夜な夜な行われ、楽しい思い出がたくさん詰まっていたようなのだ。

280v

つづく

(一部敬称略)

2017年2月16日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.25~カーナビー・ストリート <後編> The Lovely Linda

昨日の記事はかなび、じゃない、かなりマッシブになってしまったので今日はサラサラと巡りたい思う。
スゴイのは一ケ所だけ。
他の部分はロックの名所でも何でもないのに記事を一本に仕立てるために強引に盛った…。しかも、Shige Blogとダブってるところもあるし…なんて言ってるのはダレよ?
あ、オレか。
マァ、そんなところも正直ありますが、どれもこれも思い出深い写真ばかりでございます。
今日も最後までお付き合いのほどよろしくお願いします!
  
さて、今日はリージェント・ストリートの方から入ってオックスフォード・ストリート方面に向かってカーナビー・ストリート近辺をほっつき歩く。
コレがリージェント・ストリート。
世界の高級ファッション・ブランドの店が軒を連ねるロンドンでも指折りのショッピング・ストリート。コレをチョット行って左に曲がると、ビートルズがルーフ・トップ・コンサートを演った旧アップル本社屋。
さらにもうチョット行って左に入れば、ボウイの『ジギー・スターダスト』のジャケットを撮影したヘドン・ストリートがある。
下は2012年の6月の写真。
この時は、女王陛下の即位60周年記念で街中が大騒ぎだった。
あのタイミングでロンドンにいれたのはラッキーだったけど、雨ばっかりで寒かったな~。
このリージェント・ストリートが昨日紹介したThe Kinksがカーナビー狂いのことを歌った名曲「Dedicated Follower of Fashion」に出てくることについて触れた。

1_img_7379
リージェント・ストリートだけ紹介するのは不公平だから、同じくその曲に出てくるレスター・スクエアも紹介しておこう。
13_2
レスター・スクエアは有名なピカデリー・サーカスに連なるウエスト・エンドの中心地。
映画館がいくつもあって、いつも大勢の人でゴッタ返している。
この時は特にすごい人出だった。
なぜなら、『ミッション・インポッシブル』のプレミア・ショウかなんかでトム・クルーズが来ていたのだ。
私、確か歳が同じなんだよね。

15

もうひとつこんな写真が出て来たので載せておく。ワケがわからない人は昨日の記事を読んでください。
熊も気の毒だけど、仕事とはいえこの人も気の毒だよ~。
とにかく動かない。
時々血液の循環をよくするためか、銃を上げ下げしたり、小さく行進をしたりするだけ。
この仕事って家に帰って「今日はどうだった?」なんて奥さんに訊かれた時どう答えるのだろうか?
「立ってた」…とだけ答えるか?
それでも、動かないのをいいことに、この人たちをからかう連中がいるんだよね。実に不愉快だし、みっともない。
16
コレは一昨年のようす。
ココにもカーナビーへの標識が…。
今日はこっちから入る。

10どうして一番最初にカーナビーへ行ったか…これには理由があったの。
アレはまだロンドンに一回ぐらいしか行ったことがなかった時だった。
当時のMarshallのスタッフにロンドンの中古レコードがどこにあるかを訊いたんだよね。
Marshallの連中のほとんどすべてがロンドンの住人ではないので、ジャンルによっては何の情報も持っていないこともある。
私が訊いた彼は「カーナビーに行けばあると思うよ」と教えてくれたのであった。
そしてよろこび勇んで行った!
一軒もなかった!
要するに、ココは音楽のエリアではなくてファッションのエリアなんだよね。

20ちなみに、中古レコード屋は、カーナビーよりもっとソーホー寄りのバーウィック・ストリートという所に何軒かかたまっていることを自力で発見。
それでもArgentのCDを数枚買っただけだな。
だって、タッケェんだもん。
コレがバーウィック・ストリート。

1_mg 上の赤い標識に従ってリージェント・ストリートを曲がるとこのビーク・ストリートに入る。

30v今日はまずココに入る。
「The Old Coffee House」というパブ。
「コーヒー・ハウス」というのは17世紀に現れた女人禁制の男のたまり場で、文字通りのコーヒー・ショップでアルコールも食事も出さなかった。
コーヒー代のほかに入場料が徴収され、今の巷間の安いコーヒーを飲ませるといった類のものではなかったらしい。
店内では賭博も禁止され、コーヒー・ハウスに集まった男たちの会話から株式会社や保険、新聞、広告等のアイデアが生じ、産業革命の発端にもなったそうだ。
その「コーヒー・ハウス」がそのまま店名になっているパブ。
…とShige Blogですでに紹介している。
ゴメンねダブっちゃって。

40_2中はこんな感じ。

50トラディショナルなスタイル。
70
店内には古い軍のポスターなどが飾ってある。

60ココのオジさんがコワかったこともShige Blogに書いた。
結構同じこと書いてるナァ。
それでもよければコチラをどうぞ。

80しかし、このリアル・エールってのはおいしかったな~。

90このパブの向かって右の横の通り。

100マーシャル・ストリートなのです。

110少しこの通りを歩く。

120どこもかしこもMarshallで実に気分がいいですな。
122

コレなんかMarshallのクリーニング屋さんだぜ!

121くじ、文房具、お菓子、グリーティング・カード。
いわゆる「コーナー・ショップ」っていうヤツですな。

130ホント、ここはいつ来ても気分がいいわ。
考えてみると、日本は通りに名前をつける文化がないせいか、こうして地元の小さいエリアの地名を活用することをしないね。
「日本ナントカ」とか「東京ナントカ」ばっかりだ。
国が小さいので名前ぐらいスケールを大きくしようということか?
イヤイヤ、イギリスの国土は日本の2/3だってば。
「イギリス連邦(Commonwealth of Nations、旧名 British Commonwealth of Nations)」を足せばトンデモナイことになるけど。
あの国旗にユニオン・ジャックが入っている国があるでしょ?
オーストラリアとかニュージーランドとか…ああいう国は、イギリスが戦争になったら問答無用でイギリスのために戦争に参加しなきゃならんのよ。
しかし、政治、経済、文化、色んなことを知れば知るほど、良きにつけ悪しきにつけ世界ってのはいまだにイギリスで回っている感じがするナァ。

140_2マーシャル・ストリート沿いのビルについていたカーナビー・ストリートの広告。
シャワーではありませんよ。
コレはイギリスのコンセント。
イギリスの電源のプラグは分厚いブレードが三つついたタイプ。
電圧が高くて危険なので、すべてのコンセントにON/OFFのスイッチがついている。

150コンセントで思い出したのがコレ。
Marshallはかつて毎年マーシャル先進国のディストリビューターを集めて会議をしていた。
昔は会議に持参するものといえば、洋の東西を問わず、書類資料とペンとノートぐらいだったんだけど、ある頃からみんなノートPCを持ってくるようになった。
そうなると、当然各自、各国の電源コードを持って来るとこういうことになる。

1_img_0017阿鼻叫喚のアダプター地獄!
バラエティに富んだ規格がおもしろい。

1_img_0018この「BF」とかいてあるのは日本代表。すなわち私のモノ。
日本のモノはコンセントまでどこか奥ゆかしいね。おとなしい。
隣のヤツなんか拷問の道具みたいじゃん?

1_img_0019 さて、昨日はカーナビーのメインの通りを歩いたので、今日はその一本リージェント・ストリート寄りのキングリー・ストリート(Kingly Street)を往こう。

160通りが一本違うだけで大分殺風景になる。
360
まず見つけたプラークはコレ。
1950年代、スキッフルやロックンロールの全盛期、ココにThe Cat's Whiskerというコーヒー・バーがあった。
「Cat Whisker」とは「猫のヒゲ」という意味。

350
The Cat's WhiskerはPeter Evansという起業家が開業した。
この人はロンドンで最初にジュークボックスを入手した人のウチのひとりだったという。
要するに金持ちだ。
また、「Hand Jiving」というダンス・スタイルはこの店が発祥とされている。
店のスペースが狭かったたため、ジェスチャーの小さなダンスが必要だったのだ。

340v

Hand Jivingというのはこういうダンス。
楽しそ~。
でも私は踊りません。
そういえばMiles Davisの『Nefertiti』に「Hand Jive」って曲があったな。
このダンスとは似ても似つかない曲。

もう少し行くと今日のハイライトが右側に見えてくる。

170v
コレ。

190v「BAG O' NAILS」というクラブ。

180v
知っている人もたくさんいると思うけど、ロック史に名を残す、ロンドンでも有名なライブハウスのうちのひとつだ。

200Georgie Fameのマネージャーが1966年に開いたお店。

210ビートルズやストーンズ、アニマルズの連中がよく遊びに来ていたという。
入り口には二つのプラークが掛けられている。
このオジさんは私。

230vブルー・プラークを模して勝手に作ったものだが、ひとつは…
「1967年5月15日、ポール・マッカートニーとリンダ・イーストマンがここで出会った」とある。
ジョージ―・フェイムを観に来ていたポールと、チャス・チャンドラーが連れて来たリンダがここで出くわして恋に落ちたんだとさ。
ポールはこの時三年越しでジェーン・アッシャーと付き合っていたが、一年後にポールはリンダと結婚しましたとさ。
今日のサブ・タイトルはポールの最初のソロ・アルバム『McCartney』の一曲目に入っているリンダへの歯の浮くようなラブ・ソングのタイトルなんだけど、こういうのを聴いて、前の恋人、ジェーンはどう思うんだろうね~。
ポール・マッカートニーが名指しで作ってくれたラブ・ソングですぞ!
絶対に聴かないか?
そんなもん聴いた日にはムカッ腹が立ってしょがないもんね。
   
他にも…フリートウッド・マックのクリスティン・マクヴィーは元の名をクリスティン・パーフェクトっていうんだけど、マックのベーシストだったジョン・マクヴィ―がこの店でクリスティンにプロポーズしてクリスティン・マクヴィ―になったんだとさ。
クリスティンの声大好き。

240vそしてその半年前にはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがココで初めて演奏している。

250vチョット失礼して中を盗撮。
今は会員制のクラブになっているそうだ。
高そうだにゃ~。

260しかしね~、ココにジミヘンがいたワケですよ。
ミッチやノエルやチャスらと一緒に!
私はこういうことにものすごくロマンを感じるワケ。
でなきゃこんなことやってない。

270…ということで記念撮影。
あ~、地味だし変だわ。

220

お隣さんにもカーナビーのプラークがかかっている。
ココはかつてトミー・ロバーツという人が開いた「Kleptomania(クレプトマニア)」というモッド・ムーブメントを代表する洋品店だった。

290vThe Whoやテレンス・スタンプ(俳優。『コレクター』大好きだった!)、ジュリー・クリスティ(女優)、それにヤードバーズ時代のジミー・ペイジが常連客だった。
そして、ジミ・ヘンドリックスはこの店で売っていた「Sam Pig in Love」というレーベルのフリルの付いたシャツのファンだったそうだ。
その服を着て1967年にサヴィル・シアターに主演したこともあった。
サヴィル・シアターはビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが経営していたシャフツベリーにあった劇場…っていうか、名前は違うけど今もある。
そのうちMarshall Blogでご案内します。

300vキングリー・ストリートを進む。

165v
また見つけた。

310vココは1960年代、キース・アルバーンとヘイゼル・アルバーンという人が中心になって運営していた「Artists' Own Gallery」というギャラリーがあった。
アートの展示だけでなく、各種のイベント、さらにはライブなども催された。
カーナービー盛んなりし頃のひとつのランドマークだったようだ。
さぞかし、クリエイティブでエキサイティングな時代だったんだろうね~。

320今では「Red Onion」というレストランになっている。

330もう夕方。
皆さんお待ちかねのパブ・タ~イム!

370六時ぐらいになると、ロンドン中のパブの前がこうなる。

380v5時ピッタリに会社を出て、帰りに同僚とエールを1パイントだけ引っかける。
肴はまったくなし。
ひたすらしゃべってチビチビ飲んでウサを晴らしたら、その場にグラスを外に置いてそれぞれ家族の待つ家に帰って食事をする。そして家でアルコールは飲まない。
飲んでもワインをほんのチョット。
5~6月は夜の10時を過ぎても明るいので家に帰ってからも時間がタップリある感じがする。
昼は「仕事の日」、夕方から寝るまでは「休みの日」とまるで一日が二回ある感じなんだよね。
コレはいいですよ~。
その分、冬は昼が滅法短くて寒いけど。

390そばに行くとしゃべり声とエールのニオイがスゴイよ!
熱気もスゴイ!
ああ、イングリッシュ・エール飲みたい。

395そして、ピカデリー・サーカスに戻って来たよ。

400ロンドンの夜の街ってさぞかしキレイだと思うでしょう?
ところがさにあらず。
スゴク暗い。
このピカデリー・サーカスは別よ。
大きな建物には自らを照らす照明はあっても、ネオンサインがないんだよね。
日本の都会の夜は明るすぎるよ。

410シリーズはつづく

2017年2月15日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.24~カーナビー・ストリート <前編> Dedicated Follower of Fashion

先日、あるライブ会場でカメラをブラ提げて客席を横切っていると、私を見かけた二人のお客さんからお声をかけて頂いた。
Marshall Blogをいつも楽しみにして頂いている…という励ましのお言葉を頂戴し、とてもうれしかった!ホメられると伸びるタイプなものですから。
でも、うれしかったのはその励ましのお言葉だけではなかった。
そのお二人もイギリスが大好きで、この『イギリス-ロック名所めぐり』をいつも心待ちにして頂いているとおっしゃるのだ。
Marshall Blogだけではなく、Shige Blogの『イギリス紀行』までご愛読頂いているとおっしゃる。
うれしいやら、恥ずかしいやら…。
こうしたイギリス系の記事は特に思い入れがあるカテゴリーなので、あんなことをおっしゃって頂けると俄然ヤル気が出ちゃうね。
そこで、更新がスロー・ダウンしがちな『名所めぐり』を一発お見舞いしちゃうよ。
くらえカーナビー・ストリートを!
あ、旅行会社の方、『イギリスのロック名所とMarshallをめぐる旅』、企画しますので現地ガイドやらせて!
  
さあ、今日はまずオックスフォード・ストリートから。
ロンドンの中心の通りだけあって何度も登場するね。
交通量も多いこんなにぎやかな通りなのに二車線しかない。

10建ち並ぶビルディングも立派で何度ほっつき歩いても飽きることがない。
こんなカッコいいビルなのに一階のテナントさんには興ざめするナァ。

20そのオックスフォードをオックスフォード・サーカスに向かって左に曲がる。
ラミリエス・ストリートという道。
こんな細っこい通りにも名前がついているところがスゴイ。そして楽しい。
日本では絶対に考えられない。

30vするとグレート・マールボロ・ストリートに当たる。
この辺りは何やらフィッシュ&チップス屋が多い。

40そろそろフィッシュ&チップスが食べたくなってきたな…。
あ、おいしいヤツね。

50vこんなもん、魚と油が新しくて良質でありさえすれば誰でも簡単においしいのが出来上がると思うんだけど、腕なんだってサ。
「揚げテク」ってヤツ。
タラに衣をひっつけて、適温の油に放り込めばいいというものでは断固としてないそうだよ。

60…と、その通りに「ハロルド・ムーア」なる中古レコード屋さんを発見!

70カッコいいナァ~。
HUNTERとはだいぶ違うな~。
このお店はクラシックとジャズの新品&中古を扱っている。
店先のエサ箱をチョット漁ってみたが、クラシックばっかりだった。
私は海外で中古レコードは買わないようにしているのでサラリとパス。
だってサ、ボロだし、高いし、持って帰るの大変だし…私はジャンルを問わず死ぬまでにひとつでもいい曲が聴きたいと思っているので、タテには掘らない。ひたすら横。
したがって海外でオリジナル盤探しなんてことには興味がないのです。
でも、「Punky's Whips」が入っている『Zappa in New York』のイギリス盤のオリジナルは欲しいな~。
いつか、イングランド中部の田舎町を訪れた時、マーケットが開かれていて、そこに出店していたレコード屋をチラリとのぞいた。
店員がえらくガラッパチのオッサンで、コリャ何か買わないとこの場を去れないな…と思っていたら「ナニか探してるか?」と訊いて来た。
「しめた!」と思い伝家の宝刀をヒラリと抜いた。
「Oh, yes!  I'm looking for the original UK press of Zappa in New York for a log time」
と言ってやった。
すると間髪入れず「あ~、そんなのないない!」で終わり。セーフ。
この手はサウス・シールズのレコード屋でも使ったことがある
そのレコード屋さんのおじいさんはとても感じのいい人で「それはないな~」といってかなりすまなそうにしていたのでその時は恐縮してしまった。

80そこら中にあるレンタル自転車。
コレも色々と問題があるらしい。
人気の観光スポットはたいてい決まっているので、借りたい場所は空っぽで、返したい場所は満員で返せない…なんてことが多いとか。
ココはずいぶんとヒマそうだな。

90vグレート・マールボロ・ストリートをリージェント・ストリートに向かって歩くと出てくるのがコレ。
昔は裁判所だったが、今は「Court House Hotel Kempinski」というホテルになっている。
ケンピンスキーというのはドイツのチェーンのホテル。
フランクフルトに行った時に何度かケンピンスキーに泊まったことがあったんだけど、イヤだったな~。
この話はまたいつか「Marshall Blog Archive」で語らせて!
私はストーンズはやっていないのでサラリと書いておくが、1967年、ココでMick Jagger、Brian Jones、Keith Richardsの麻薬不法所持の裁判が開かれたとか。

Chhkその向かいは有名な「リバティ」。

1101875年創業の高級デパート。

120その恐るべき高級ぶりはShige Blogの記事でご確認頂きたい。

130vそのすぐ裏手の公衆トイレの傍らで目に入るのが「Carnaby」の赤い標識。

140vココがモッズの故郷、「カーナビー・ストリート」のオックスフォード・ストリート側からの入り口だ。
1960年代のロンドン・ファッションとロックのメッカ。

150_2この通りの名の由来は17世紀の後半に「Karnaby House」という建物がそばにあったことに由来しているが、「カーナビー」自体の由来は、人の苗字か、ヨークシャーにある地名を持って来たのかが不明とされている。
商店街は1820年代に形成され、1845年にはベンジャミン・ディスラエリという人の「Sybil」という小説で「カーナビー・マーケットの有名な肉屋」というくだりが出ているそうだ。
ハイ、ココでなぜコレに触れたか?
わかる人?
そう、答えはクリームね。
クリームったって食べるクリームじゃないよ。
Eric Claptonの方ね。
このベンジャミン・ディスラエリは1800年代の後半、二期にわたってイギリスの総理大臣を務めた政治家であり、小説家であった人。
もちろん貴族で爵位は「伯爵」。いいナァ、伯爵。やってみたいナァ。
あ、今、脱線中です。
で、話はCreamに飛んで、彼らのセカンド・アルバム。日本ではナゼか『カラフル・クリーム』というタイトルが付けられているが、原題は『Disraeli Gears』という。
この「Disraeli」は「ベンジャミン・ディスラエリ」のこと。
サイクリング自転車についている五段変速とかのギアがあるでしょ?アレ、英語で「ディレイラー・ギアズ(Derailleur Gears)」っていうんだけど、当時サイクリング車を買おうとしていたGinger Bakerがローディと自転車の話をしていて、そのローディが「ディレイラー・ギア」を「ディスラエリ・ギア」と聞き違えてしまった。
すると、Gingerが「ソレ、おもしれーじゃねーか!次のアルバムのタイトルにしようぜ!」となった。
………ゼンゼンおもしろくないんですけど。
こういう聞き間違えをそのまま適用しちゃうことを「Malapropism(マラプロピズム)」といって、日本語では「誤用語法」なんていうらしい。動詞は「malaplop」。
ウチの家内はコレの天才なんですよ。
天才マラプロッパ―。
いつも触れているように、Marshall Blogライブのレポートは家内が記録してくれるメモを頼りに記事を書いているのね。特にMC。
ま~、そのメモに出てくる、出てくる。
彼女は音楽の専門家では全くないので、曲名とか人名については、とにかく何の知識もなしに、話し手の言葉を「音」としてそのまま文字で書き取らざるを得ない。
そこでマラプロピズムが発生する。
コレがおもしろいのなんのって!
チョットすぐには例を引けないんだけど、簡単なヤツで言うと、犬神サアカス團に放火魔のことを歌った「赤犬」という曲がある。
メモには「バカ犬」と書いてあった。
そりゃ、曲も知らなければ「赤犬」という裏の意味も知らないのでそれも無理はない。
中には思い出しては何回でも笑える大傑作があるのよ。
それでも、そのメモに書いてあることは、後で私が見ればすぐにわかるので、本当に重宝しているのです。
そして、今となってはひとつの楽しみでもある。
あ~あ、どうすんだよ、まだ先が長いのにもうこんなに脱線しちゃって…。
Dg2
1960年代にイギリスのモッドとヒッピー文化の中心地として隆盛を極め、マリー・クワントをはじめとした多くのファッション・ブランドを輩出したカーナビー・ストリート。
現在は見る影もないが、かつてはライブ・ハウスも多数存在し、The WhoやThe Small Faces、The Rolling Stones等がココで仕事をこなした。
最新のファッションと音楽…カーナビー・ストリートはいわゆる60年代の「スウィンギン・ロンドン」の中心地で、その名をアメリカまで轟かせたという。
GSのザ・カーナビーツは当然この通りの名前から来ている。
海外旅行なんて簡単には行けない当時、やっぱりみんなロンドンに憧れて「好きさ、好きさ、好きさ」だったんだろうね。ちなみにこの曲のオリジナルはThe Zombies。
チョット調べてみると、1960年代、1ドルは当然360円だったでしょ?
しからば1ポンドはいくらだったか…。
ナント、1,008円だって!
コレを今の貨幣価値に引き直すと、4,000~5,000円なのだそうだ。
だとするとだよ、今ロンドンの地下鉄の初乗りって£4.70だから、もしこの昔の為替レートで
、かつ今の貨幣価値で計算すると、地下鉄一駅乗るのに…ギャハハ!
18,800~23,500円だって!
ま、実際は今145円ぐらいだから680円ぐらい。
それでもスゴイでしょ?渋谷から表参道、あるいは梅田から中津に行くのに680円かかるんだぜ!
しかし、「円」っていうのはホントにスゴイ。

160皆さん、The Kinksはお好き?
私は超大スキ!
若い頃はほとんど聴かなかった。比較的年を取ってから聴くようになって、ロンドンに行くようになってからはどうしようもなく好きになった。
彼らの1966年のシングルに「Dedicated Follower of Fashion」という曲がある。
オリジナル・アルバムに収録されてはいないが、ベスト盤などで聴くことができる名曲。
歌詞に「リージェント・ストリート」とか「レスター・スクエア」とかいう名前が出て来てうれしくなる。
そして、「the Carnabetian」という言葉が出てくる。もちろんカーナビー・ストリート・マニアのこと。
「♪Everywhere  the Carnabetian marches on」とRay Davisが歌う。
「そこのけ、そこのけカーナビー狂いのお通りだ」ぐらいの意味になろうか?
いかに当時の若者が、猫も杓子もカーナビー・ファッションに狂っていたかがわかる。
しかし、こういう諧謔精神にあふれた歌が日本はスッカリ姿を消したね。
本当につまらない歌ばかりだ。

Single さて、カーナビー・ストリートといえば、必ずついて回るのが「Mod」。
日本では「モッズ」と言っているが、英語では「モッド」だ。
語源は「modeninsts(モダニスツ)」。
コレ、何かと思ったら50年のモダン・ジャズ・プレイヤーやファンの連中のことをそう呼んだらしい。Modern Jazzのモダンだって。
当然焼きそば入りのお好み焼きでもない。
だから、反対は「traditionalist(トラディショナリスト)」、すなわち「トラッド」だ。
スイングとかディキシーを聴いていたのかね?
Modの好物はファッション、音楽、そしてスクーター。
初期には一晩中踊り続けるため、覚せい剤の一種とされる「アンフェタミン」が付き物だったらしい。
音楽にはスカやレゲエなど好まれたが、主にR&B系のロックが標準だった。
Modは60年代のイギリスにおける最大のサブ・カルチャー・ムーブメントであり、ココで詳述していると紙幅がいくらあっても足りないので、やり方が乱暴で申し訳ないんだけど、興味のある人は映画『さらば青春の光』あたりを観て「フフン、こんなんか…」と雰囲気を実感してみてはいかがだろうか?
映画のストーリーとしては、まったく大したことはないかも知れないが、その時代の若者がやり場のないエネルギーをどう噴出していたのかがうまく描かれていると思う。

Qp_2 この映画の原作がThe Whoの『Quardrophenia(四重人格)』。
架空の映画のサウンドトラックをモチーフにするという手法はFrank Zappaのアイデアをマネたという。『Uncle Meat』のことかしら?
この『Quadrophenia』は付録のブックレットの写真がいいんだよね~。
あのバタシー発電所をバックにVespaに乗っているジミーの写真は合成だということを知ってチョットがっかりしたが、コレはゼヒLPで持っていたいアルバム。

Qpところで、2007年に『Quadrophenia』の特別展示がコッツウォルズのボートン・オン・ザ・ウォーターの「Motor Museum」であったそうな。
一昨年行ったんだよな~、そこ。
車にはまったく興味がないもんだから前を素通りしたけど、危なかった。
もしあの時、その展示をしていたら悔しくて怒り狂っていたかも知れんわ。
クワバラ、クワバラ。

1_img_07862上の『Quadphenia』はテーマはModでも、収録されている曲、「Real Me」にしても「5:15」にしても、Mod的な雰囲気は感じあれないよね。「何しろカッコいいロック」ということだけだ。

私なんかの勝手な「Mod」の音楽のイメージというと、The Whoよりも圧倒的にThe Small Facesなんだな。
先述の通り、Modムーブメントにおける音楽というものはスカやレゲエも含まれるらしいが、上述したようにR&Bがかったロックが主体だった。
そういう意味ではThe Whoのファースト・アルバムなんかはモロにそうなんだけど…でもThe Small Facesなの。
やっぱり、Steve Marriottがメチャクチャかっこいい。
The Small Facesは無理にしても、Humble Pieは観たかったナァ。来日公演をご覧になった大二さん曰く、それはそれはスゴいコンサートだったらしい。
下のファースト・アルバムに収録されている「You Need Loving」って曲知ってる?
ご存じない方はLed Zeppelinのセカンド・アルバムの一曲目と聴き比べてみてください。

Sm2

さて、まだ前置きは続く。
The WhoとThe Small Facesが出そろったから。
1965年頃、ロックはドンドン過激になり、爆音を必要していた。
そこでPete TownshendのリクエストでMarshallが作ったのが世界で最初の100Wのギター・アンプ。
それがこのJTM45/100。
Peteが「12インチのスピーカーが八個入ったキャビネット」の製作をJimに頼んだ。
作ったはいいけど、重くて持ち運びができず、結果半分に切ったことから出来上がったのがFull Stack、すなわり「三段積み」であることはMarshallファンならだれでも知っている話だ。
JTM45/100のリイシューに当たっては下の写真のようにキャビネットをはじめから切り離して製作された。
だって大きいし、重すぎるしで出荷できないもん。

J45_2 下の写真は当時のキャビネットを正確に再現したもの。
で、このJTM45/100、そうした実用性の低さから、ごく少量しか生産されなかったが、そのほとんどを買ったのがThe WhoのPete TownshendとJohn Entwhistle。
ところが、The Whoの二人が買ったいくつかのJTM45/100に打たれていたシリアルナンバーは連番ではなかった。
Marshallは当然シリアル・ナンバーを続けて打ってはいたが、誰かがJTM45/100を買っていたため番号が飛んでいたのだ。
他にJTM45/100を買っていた者こそThe Small Facesだったという。
これは、これらのModを代表するバンドが当時、大爆音合戦に明け暮れていたことを示していることに他ならない。
また、Modの音楽とはそういう音楽だったということが一発でわかる話だ。
しかし、こうしたことを知るにつけ、Marshallって本当に音楽の発展に寄与してきたんだな~と我ながら感心するね。
この後にはハード・ロックの時代がやって来るワケだから。
Mod時代からのMarshallの積み重ねがなければ、ブリティッシュは違うモノになっていたことは間違いない。
こうして歴史を知るにつけて思うのは、デジタル・テクノロジーの力を借りて、努力と時間を重ねて人様がクリエイトした偉大なサウンドをチョコチョコとマネッコして商売するなんて音楽をバカにしているとしか思えない。

1_jc もうチョット…Modムーブメントのロゴとして有名なのが下の「ターゲット・マーク」ってやつ。
これはRAF、すなわちRoyal Air Force、イギリス空軍のマークですな。
なんでModの連中がこのマークをシンボルにしたか…確かなことはわかっていないようだが、1960年、Modムーブメントと時をほぼ同じくしてイギリスは徴兵制を廃止した。
そのパロディというか、イヤミではないかという説が有力のようだ。
徴兵制の廃止と同時にイギリスの若者の文化は急速に力をつけ、様々なムーブメントを生み出した。
「ブリティッシュ・インヴェイジョン」が起こったのはアメリカの徴兵制廃止がイギリスより遅くなったからと言われている。
この徴兵制でんでん、じゃない、云々もブリティッシュ・ロックの隆盛を助長したことになるワケ。
このマーク、当時イギリス空軍は著作権を登録していなかった。
後年、申請をしたが、「このシンボル・マークはModの連中が有名したもの」としてその申請は受け容れられなかったそうだ。
イキだな~。
最近のPPAPの騒ぎとは大違いだ。

Mods

ハイ、前置き終わり!
マーブロ史上最長だったかな?
  
さて、それではカーナビー・ストリートをブラっとひと歩きしてみましょかね。
掲載している写真は10年がかりぐらいで撮り溜めたものなので、現在と様子が異なっているものもあることを予めお伝えしておく。
ま、それでもだいたいココ3年以内ぐらいのモノばかりかな?170残念ながら今はモッズの「モ」の字も感じさせないただの洋服屋がたくさん軒を連ねる商店街になっている。

180それでもやはりディスプレイはチョットしゃれてるな。
あ、そうだ。
このイギリスの兵隊さんがかぶっているモコモコのデカイ帽子ってなんていうか知ってる?
その前に、この帽子を被っているのはただの兵隊さんではなくて、女王陛下を警護する「近衛兵」っていうヤツ。
で、この帽子は「Bearskin(熊の皮)」といい、本当にカナダの熊で作られている。
熊一頭で一個しか帽子が作れないのだそうだ。
なので、動物愛護という面では色々と問題があるのだとか…。
それでも、古いものを大切にする国民性もあって、代々引き継がれている帽子の中には100年以上使っているものもあるんだって。
クセエぞ~。

190ま、ロンドンまで来れば、こんなお店のディスプレイを眺めなくても昼前にバッキンガム宮殿に行けば本物の近衛兵の交代式を毎日見ることができる。
たかが兵隊の引継ぎなのに♪ブンガチャブンガチャとそれこそ鳴り物入りでにぎやかったらありゃしない。
何しろ世界からロンドンに来た観光客がこの時間に一斉に宮殿に集まるもんだからものすごい人出なのよ。三社か!?みたいな。
それでもロンドンに行ったら一度は見ておいた方がいいでしょう。
このあたりのことはココに書いておいた。
ところで、この帽子、オリジナルはフランスのもの。
1815年、ベルギーのワーテルローでナポレオン戦争に勝利したことを記念し、それ以来この帽子を採用しているんだって。
ワーテルロー(Waterloo)は英語読みすればウォータールーね。
何だってこんな形をしているのかと思ったら、デカく見せようとしているのだそうだ。要するに敵を威嚇するため。
こんな長い頭しているヤツがいるワケない。そっちの方がよっぽどコワイわ!

300カーナビーに戻る。
これはもうずいぶん前の写真だけど、ホラ、1960Bが洋服屋のショウ・ウインドウの中に!

1_rimg0056やっぱりロックとMarshallは切り離せないからね…と言いたいところだけど、オイオイ、アコギはおかしいんじゃねーの?

1_rimg0057 こんなのもおもしろいね。

215巨大なレリーフも見事。

220コレは脇道なんだけど、こうした凝った装飾に惜しむことをしない。

230v2015年に行った時は『ひつじのショーン』って映画のキャンペーンをやっていて、カーナビーには二体のショーンがディスプレイされていた。

225コレなんかもおもしろい。

240下から見るとこう。
ま、どうなるかは想像つくね。

250リバティ側からカーナビーに入ってすぐの右側にある立派なパブ。
1735年に作られた建物だ。

270v窓から顔を出しているのはウィリアム・シェイクスピア。
最近、ウチの家族が私が「シェイクスピアに似てる」って言うんだよね。
Marshall Blogを2,000回も書いているんだもん、私もいよいよ「文豪」の仲間入りか?…って思ったら、似てるのはアタマだってよ!
このパブ、「シェイクスピアズ・ヘッド」という…イヤな名前だ。
なんでもトーマスとジョンというウィリアム・シェイクスピアの遠い親戚が始めたのだそうだ。

280シェイクスピアといえばコレ…なワケはないんだけど、Cleo Laneの『Shakeare and All That Jazz』。コレ、メッチャかっこいいんだゼ。
Dame Cleo Lane、Jim Marshallの幼なじみらしい。

Clホンの少しだけモッズの香りも残っている。

290ホ~ンの少しだけね。

300vやっぱりしゃれているディスプレイ。

310vココをくぐって中に入ると「Kingly Court」という有名な中庭があってチョットしたアーケードになっている。
そして、わかりにくいけど、入り口の左についている小さなプラークに注目。

320プラークには「The Roaring Twenties」とある。
今回と次回の名所めぐりは、このプラークを辿る。

330現在はBen Shermanという用品店になっているが、かつてココの地下にはThe Roaring Twentiesという名のロンドンで最初の(今でいう)クラブがあった。
それ以前は、11人の創始者によって1948~50年まで開業していたClub Elevenというジャズ・クラブで、ロンドンのビバップ・ムーブメントの重要拠点だった。
もしかしたらJim Marshallもココでドラムを叩いていたかも知れないね。
1961年、Count Suckleという人がイギリスで初めてココでDJを務めた。
「The Roaring Twenties(狂騒の20年代)」というのは1920年代のアメリカのアダ名。
このクラブには夜な夜なGeorgie FameやThe AnimalsやStonesのメンバーが遊びに来ていたらしい。

340チョットKingly Courtに入ってみる。
コレももう三年前の写真かな?
この時はまだ改装工事をしていたが、二年前に行った時には完成していた。

350ロンドンの中心街では日本食のレストランもそう珍しくはないが、こんな本格的な博多ラーメンが出てくるとはビックリ!
チョットしたラーメン・ブームと聞いてはいたが…。

360しかも、同じ字で同じ名前のお店が上野にあるでね。
とてもロンドンに来たとは思えない。
でもゼンゼン違うのはそのお値段。
このお店のことではないが、チョット前にロンドンでラーメン屋に行った人に聞いたのだが、ラーメン、餃子、ウーロン茶で5,000円を超えたってサ。
為替の都合もあるけど、すさまじい。わかっちゃいるけど恐ろしい。
それと、連中のお気に入りはお好み焼きね。
どうもあの甘さが口に合うらしく、Marshall GALAにも来てくれたGraceが先日テムズ川の南岸のヴォクソールにできたお好み焼き専門店に行って来たと言っていた。
値段を聞いたら、普通のお好み焼き一枚で3,000円近くって言ってたかな?
ま、それぐらいは当然でしょう。
だいたい「日本の三倍」と考えておけばイザという時に気を失わないで済む。

370この黄色いビル。

400vココにはかつて「Load John」というブティックがあった。
Lord Johnは1960年代のカーナビー・ストリートを代表する洋品店、すなわち当時のロンドンのファッションを代表するファッション店だった。
つまりロックとは切っても切れない間柄のお店だった。
410さっきのディスプレイは遠くから見ると…ハイ、この通り。
どうもこのユニオン・ジャックのディスプレイはカーナビー・ストリートの伝統の飾りつけのようだ。
ない時もあるけどね。

260

また、プラークを発見!

420ココは1976~1986年までNMEの本社があったところ。
NMEはNew Musical Expressの略。1952年創刊のイギリスの音楽専門誌、かつては専門紙だ。
イギリスで初めてヒット・チャートを掲載したことで知られている。
現在はサザークに引っ越している。

430このPumaが入っている赤いビルなんだけど…

440ココにはSmash Hitsという音楽雑誌の出版社が入っていた。
1980年代の話なのでスルーしよう。

450同じビルの正面の左端のは「City of Westminster」の緑のプラークが掛かっている。
今日一番見せたかったのはコレ。
この水平を採っている職人さん。女性だよ。カッコいいね~!
イヤ、違う、違う!
このプラークに書いてあること。

460「プロデューサー、ドン・アーデンとモッド・バンド、「スモール・フェイセズ」(スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガン、そしてジミー・ウインストン)がココで働いていた。1965-1967年」…と書かれている。
ドン・アーデンは手段を選ばない強引なビジネスで有名な音楽プロデューサーだった。
The Small Facesを始め、The MoveやBlack Sabbathの面倒を見たことで有名。
ギャラの支払いも悪く、業界では「悪徳プロデューサー」としてその名を届かせたが、The Small Faceのドラマー、Kenny Johnesは「ドンがいなければThe Small Facesが世に出ることはなかった」とドンへの感謝の意を表し、このプラークを大変よころび、Steve MarriottとRonnie Laneと一緒にコレを目の当たりにすることができなかったことをすごく残念がったという。
この人、いい人なんだねェ。The WhoのKeith Moonの後任ね。
皆さんはよくご存じでしょうが、ちなみにこのDon ArdenはOzzy Osbourneの義理のお父さん。
お嬢さんのSharonはOzzyの愛妻だ。
そうそう、Donのアダ名は「Mr. Big」。
Freeの「Mr. Big」の「you」はDonのことか?
歌詞を読むと「オイ、ミスター・ビッグ!ひとりでオレに近づく時は気を付けたほうがいいぞ!お前のために地面にデッカイ穴を掘ってやるからな!」なんて物騒な内容だ。
Freeの連中はDonにヒドイ目に遭ったことがあるとか?
いずれにしても、Donがいくら悪かろうと、The Small Facesがどれだけ爆音であろうと、こうして街から正式に認められてプラークをつけられるということは、彼らが街にもたらした利益と業績がいかに大きかったかを物語っている。

470コレがカーナビー・ストリートの反対側。
右のビルの柱にも緑のプラークが掛けられている。

480John Stephan…「ジョン・ステファン 1934-2004  1960年代、世界のメンズファッションの中心であったカーナビーストリートの創設者」
1958年、一番最初に「His Clothes」というブティックをココでオープンし、時流に乗って次々にブッティックを出店していった。
1960年代、「100万ポンドのモッド」とか「カーナビー・ストリートの王様」と呼ばれたのだそうだ。
金持ってそうだな~。
The Who、The Kinks、The Rolling Stones、The Small Faces等のメンバーがJohn Stephanが扱う洋服を愛着したというワケ。
「カーナビーは私の発明だ。ミケランジェロがあの美しい像を作るのと同じ感覚だと思っている」言ってみたいね。

490明日はこのお隣のKingly Streetをブラつくよ。

つづく

2016年10月14日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.23~BrightonでRock!

ソロソロまたカメラを持ってイギリスへ行きたくなって来たな~…ということで久しぶりの「名所めぐり」。
今回は旅だよ。
スタートはまたしてもヴィクトリア駅。カンタベリーへの旅の時もココが起点だった。
今日はココから南へ向かうのだ。
行先はブライトン!

9_rimg0131 ヴィクトリア駅発の電車のお楽しみは何と言ってもコレ。

20何回も登場させて申し訳ありませんが…好きなものは好き。
バタシー発電所ね。
駅を出て5分も経たないウチに左側に見えてくる。
だから必ず進行方向左側に席を取る。

30少し前に再開発工事により煙突が一本取り除かれている姿をインターネットで見た。
手入れをしてまた取り付けるような話を聞いたが、その頃には周囲にバカでかいビルディングが立ち並んでしまい、この光景は二度と見ることができないであろう。
この写真はもうだいぶ前に撮影したものだ。

バタシー発電所の詳しいレポートはコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所

40しばらくしてロンドンの南で停車した駅。
オ~!クロイドン!
こんなところだったのか!
数年前の黒人の暴動が発生し、日本のテレビでも盛んにこの名前が叫ばれていた。
でも私は違う理由で感動したのね。

50その理由とはこのCD…ここクロイドンにある「Fairfield Hall」というところで1965年に録音されたオーネット・コールマンの二枚組のライブ・アルバム。
正式なタイトルは『An Evening with Ornette Coleman』だけど、通称は『コロイドン・コンサート』…と思っていたら『Croydon Concert』というタイトルで発売してみたり、ジャケットにやたらと種類があったりでワケがわからない盤。
私が持っているCDはかなり質素なでき。本当はオーネットがヴァイオリンを弾いているジャケットのヤツが欲しかったんだけど…。
内容は、我ながらよくもこんなキテレツな音楽を好んで聴いてるな…と自分で自分をホメてあげたくなるようなシロモノ。
オーネットはフリージャズ・アーティストだけど、このアルバムにはクラシックの現代音楽に近いパフォーマンスが収められている。
電車で通過しただけだったけど、とりあえず来れてうれしかった。

60ついた~!ブライトン駅。
何か熱海みたいだな。
ま、ここもイギリスきっての保養地だからして…。

70熱海ほど急峻ではないにしろ、海に向かって坂になっている地形が余計にそう感じさせるのかもしれない。
80v
駅を背にして駅前の目抜き通りを下る。
90v
天気がいいな~。
110
海辺が近いせいかなんか、景色がやたらとキラキラして見える。

100v海に出た~!

120ココは熱海とは全然違うな~。
干物屋とかないもんね。
そういえばウチの家内のご両親の新婚旅行は熱海だったとか…。近すぎる!
ウチの両親は京都。
我々はアメリカ西海岸。
調べてみると、ある旅行会社のデータによると、今の人気ベスト5は;
1位 : ハワイ
2位 : イタリア
3位 : フランス
4位 : スペイン
5位 : モルディヴ
なのだそうだ。

130コレは6月の風景。
別にまだ暑いワケでもないのに結構な人出だ。

140何かいいよね。
日本の浜では拝めない光景。

160向こうの方に見えるが有名なパレス桟橋(Palace Pier)。

170_2ブライトンは、モッズ少年たちの青春を描いた『さらば青春の光』の舞台の一部となったところ。
皆さんよくご存じの通り、The Whoの『四重人格(Quadrophenia)』が原作ですな。
『さらば青春の光』だなんてあまりにもヒドイ邦題!
Vespaに乗ってモッズのあんチャンたちがブライトンに集まってケンカするヤツね。
私にしてはツッコミが浅いでしょ?
Can you see real me?
そう、実はこの映画があんまり好きじゃなくて一回しか観たことないの。『トミー』の方がケタ違いに好き。
あ、もちろんThe Whoの『Quadrophenia』は好きよ。
下はそのサントラ盤。

180cd裏ジャケにはパレス桟橋が写っている。
『トミー』にもブライトンが出てくるの知ってる?
それは映画ではElton Johnが歌った「ピンボールの魔術師」。
「♪I've played the silver ball from Soho down to Brighton」とある。
ピートはプライトンが好きだったのかね?

190cd桟橋の先端がチョットした遊園地になっている。
潮の加減か、深さの関係か、防波堤はあっても日本の浜にはこういう桟橋はないね。
先っチョまで行きたかったんだけど、もう足が言うことを聞かなくて断念。
すごく後悔している。
無理をしてでも、這ってでも行けばヨカッタ。
そして海の側から大