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2020年12月24日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 61 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.5>

 
「ジミ・ヘンドリックスロンドン時代の最後の住処」として実際に使っていた部屋を公開しているのはこの4階だけ。
部屋は前回紹介したベッド・ルームと「セカンド・ルーム」と呼ばれている小さな部屋の2つ。
そのセカンド・ルームへの通路にビルの階段がある。
その踊り場に飾ってある白いストラトキャスター。
特にどうということはない。
リバースヘッドの普通のギター。
要するに「飾り」。
それよりもこっちの方がよっぽどスゴイ…10_3建物が造られた18世紀から使われ続けている階段。
エレベーターが取り付けられたのはずっと後のことだからね…実際にジミはこの階段を使って上り降りしていた。S0r4a0798 こちらはその階段の続き。
上の階にはキッチンやバスルームがあったが、この階段のルートは埋め殺してしまった。30v_1階段の壁はチョットしたフォト・ギャラリーになっていてこんな写真が飾ってある。
ベッド・ルームのジミとキャシー・エッチンガム。S0r4a0850_2それでは「セカンド・ルーム」と呼ばれているもうひとつの部屋を見てみましょう。
 この部屋は物置兼お客さんの宿泊のためのスペースとして使われ、ジミのギターもココで保管していた。
結局は2つの部屋を合わせてもかなり狭い。
それでもメイフェア地区だからね、今も家賃はバカ高でしょうな~。
40_2もちろんジミが住んでいた頃は上の写真のような状態ではなかった。
今、この部屋はジミのレコードのコレクションを展示するコーナーになっているというワケ。
あ、リアルにジミが所有していた盤ではありませんよ。
前回紹介したベッド・ルームに置いてあったようなジミが愛聴していたレコードをどっかから買って来てただ並べているだけなんだけど、私なんかは音楽リスナーとしてこの天才ギタリストが一体どういう音楽を聴き込んでいたのかに大きな興味があったんですわ。
ま、失礼ながら「他に公開できるアイテムがないので苦し紛れの展示」という感じがしないでもなかったが…。
S0r4a0822よく小説を書くにしても、芸術を極めるにしても、何かを創作する時は間違いなくインプットの量が肝心って言うでしょ?
「インプット7割」とか「9割」とか…それだけ色んなモノを吸収して、咀嚼して、ようやく1割のモノを吐き出す。
それが芸術家の仕事。
大変な作業じゃありませんか。
私なんか音楽に関するインプットの量はそこら辺の人に負けない自信はあるけど、ナニひとつ生み出すことができなかったもんね。
 
ジミのコレクションの枚数は100枚チョット…数だけは私の完勝!
ま、枚数じゃないか。
新譜や輸入盤は前々回に紹介した「One Stop Record」に赴いて購入したという。
コレクションには、このアパートに遊びに来たミュージシャン本人から直接受け渡されたレコードなんかも含まれているそうだ。
70_2セカンド・ルームの窓からの眺め。
メリー・ポピンズの「Step in Time」で煙突掃除人がフィーチュアされているように、煙突はロンドンの景色には欠かせない。
どれももう使っていないけどね。
冷蔵庫が上の階にあって、そこへ取りに行くのが面倒だったので、冬季にはジミとキャシーはマテウス・ロゼをこの窓の外に出しておいて冷やしたそうだ。
45その窓の手前にこんなモノが置いてある。
いわゆる「エサ箱」。
薄い板がアーティスト名のアルファベット順に並んでいて、そこに簡単な解説が記してある。
オイオイ、まさかこの板を1枚ずつココで解説してようっていうんじゃないだろうな~」って思うでしょ?
はい、その「まさか」ですわ。
もっと言うと…実はですね~、コレをやりたくて今回のシリーズを編んだ…と言っても過言ではないのです。
私にとっては今回がこのシリーズクライマックスなのです!
90_3イヤ、さすがに全部はやらないのでご安心を!
個人的に興味のあったアルバムだけ取り上げてみた。

100

120

140

160

250

290

330

360私が1枚1枚板に書かれた解説を撮影したり、熱心に読んでいたりしたら、「サー、コレをどうぞ」とスタッフの方がコレクションのリストを持って来てくれた。
コレはありがたい!60そこでここで結果発表!
このリストを使ってジミのコレクションを音楽のジャンル別に集計してみた。
リストに挙がっているレコードは全部で108枚。
一番多かったのはなんだと思う?
……(Thinking time!)…… 
答えは、
44枚でロック/フォークが優勝。
次いでブルースの33枚。
そして、ジャズが15枚。
後はチョボチョボ。
一応全部記しておくと…
クラシックが6枚。
民族音楽が3枚。
ビル・コスビーのようなトークものも3枚。
そして、ソウル/R&Bとカントリーがそれぞれ2枚ずつ。

S0r4a0827まずはこのフラットの住人の先輩であるヘンデルの『メサイア』から。
コレは必須でしょう。
先輩に敬意を表してオックスフォード・ストリートのHMVまで出向いて行ってに買ったというんだからオモシロい。
ジミは2種類の『メサイア』を持っていた。
クラシック音楽を好んで聴き、その独特なムードとダイナミクスを自分の音楽に取り入れようとしていたという。
おかげで下の2枚の『メサイア』は聴き込んでボロボロになっていたそうだ。
実際、「ハレルヤ・コーラス」のパートはジミのアタマの中にコビり付いていたようで、1968年10月のサンフランシスコの「Winterland」の公演では「ハレルヤ」のメロディが数小節登場する(らしい=未確認)。
ジミはヘンデルの他、ホルストの『惑星』とバッハのハープシコード曲のレコードを持っていたが、こちらは反対にピッカピカピカの新品状態だった。
上の統計では仕分け上、1枚だけ挙がっていた現代音楽もクラシックに数えてしまった。
それはどんなモノかというと、「ミュージック・コンクレート」の先駆者とされるフランスの「ピエール・アンリ(Pierre Henry)」という人の『Le Voyage:D'Apres Le Livre Des Monts Tibetan』というアルバム。
私は現代音楽もチョコチョコと聴くんだけど知らなかった。
ブーランジェやメシアンのお弟子さんらしい。
早速どんなもんかと思って聴いてみると…あ、私はムリ。
コレ…ジミも絶対に聴いていなかったと思う。
誰かからもらったんじゃないかしら?
S0r4a0828…と思ったらこの人、69年にSpooky Toothと『Ceremony』という共演アルバムを作っちゃってる。
どうしちゃったんだろう?
またまた早速聴いてみる。
…(間)…
ん~、内容はスプーキー(薄気味悪い)だけど、悪くないぞ。
それどころか、コレってものすごいプログレッシブじゃん?
そりゃそうだ、「クラシックやジャズとの融合」どころじゃなくてバリバリの現代音楽作曲家とのコラボレーションなんだから。
私も一時期は辺境まで含めていい加減プログレッシブ・ロックに夢中になったけど(今は完全に卒業)、こんなの知らなかった。
ハハン、ジミはこのアルバムを聴いてピエール・アンリを知りたくなったんだな?
そうに違いない。
そして買って損した…図星でしょ?
(このアルバムはジミのコレクションに入っていません)
ミニ脱線で
…このピエール・アンリの先生だったナディア・ブーランジェという人は「20世紀で最高の音楽の指導者」と言われていて、その門人がスゴイ。
もちろんクラシックの人が主だけど、私関係の人を挙げてみると、ジジ・グライス、アーロン・コープランド、キース・ジャレット、エグベルト・ジスモンティ、クインシー・ジョーンズ、ドナルド・バード、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、ミシェル・ルグラン…等々。
今、ブーランジェの「ピアノ三重奏曲」を聴いているんだけど、作曲家としても素晴らしい…ようだ。St_2 続いてはロック/フォーク関連のコレクション。
 
The Bee Geesのファースト・アルバム。
キャシーの記憶によれば、コレがブルック・ストリートに来て一番最初に買ったレコードで、2人でよく聴いたとのこと。
ジミはギブ兄弟のコーラスがすごく気に入っていたらしい。
どのギブかは知らないが、確かメンバーの誰かがジミのフラットの近くに住んでいた、というような記述をどこかで読んだ記憶がある。
「♪ナイットフィーバー、ナイットフィーバーアアア~」とは似ても似つかないサウンド。Bgフランク・ザッパの『Freak Out!』。
さすがジミ、お目が高い!…と思ったらさにあらず。
ジミがオックスフォード・ストリートのポリドールの事務所を訪れた時、そこにいた当時のYardbirdsのマネージャーだったジョルジョ・ゴメルスキーがくれたモノだそう。
なんだ…ジミが自ら買ったワケでもザッパがプレゼントしたワケでもなかったんだ。
130cdBonzo Dogのセカンド・アルバム『The Doughnut in Granny's Greenhouse』。
キャシーの記憶によれば、コレはヴィヴィアン・スタンシャルからもらったということだ。
ジミはTrafficのメンバーの何人かを通してスタンシャルと友達の関係にあった。
ジミはこのアルバムの中の「Can Blue Men Sing the Whites?」という曲を聴いて笑っていたそうだ。
ん~、風刺的な内容だっていうんだけど、歌詞を読んでみてもナニがオモシロいんだかサッパリわかりませんナァ。
このアルバムのタイトル「The Doughnut in Granny's Greenhouse」はイギリスのスラングで「トイレ」を意味するらしい。
ボンゾの連中がこの言葉を知ったのはマイケル・ペイリンのジョークによってだった。
マイケル・ペイリンは『モンティ・パイソン』のメンバーね。150cdビートルズは意外にも2枚しかなかった。
ジョンやポールと仲良しだったワケだし、アルバムが出た数日後に「Sgt.Peppers…」をサヴィル・シアターの自分のコンサートのオープニングに演ったりしていたワリに2枚は少なすぎるのでは?
でも『Sgt.Peppers』はかなり聴き込んでボロボロなっていたらしい。
ちなみに以前の記事に書いたMarshallがスポンサーを務めたそのサヴィル・シアターの客席にいたポールは「私のキャリアの生でもっともスゴイ瞬間のひとつだった」とジミの演奏をホメちぎっている。
Sgt

Jwh_5 ビートルズのメンバーの作品でコレクションに入っていたのはジョン・レノンの『Two Virgins』。
以前の回で「しかし、このあたりのアルバムを聴いている人って世界にいるのかな?」なんて書いたけどココにいたわ。
それがまさかジミ・ヘンドリックスだったとは!
「自分が住んでいたフラットで録音されたアルバム」ということでコレクションに加えていたのでは?
…と想像していたら、ゼンゼン違った。
イギリスではこのレコードはジミが契約していた「Track Records」から配給されていた。
当時のEMIの首脳がこのスッポンポンのジャケットにビビってしまい取り扱いを断固拒否したからだ。
その関係でサンプル盤をもらってきた…というワケでもなかった。
ジミはコレを行きつけの例の「One Stop Records」で自分で買ったんだって!
理由はなんとジャケ買い!
下の写真のように素っ裸のジョンとヨーコを覆っている茶色い袋が気になったかららしい。
アッチャ~!
さしものジミも買って帰って聴いた瞬間にヒックリ返ったのではなかろうか?
「ジョンのヤロ~、金返せ!」って。
S2vポールが最初のソロ・アルバム『McCartney』をリリースしたのはジミの死の約半年前のこと。
だから、ジミが『McCartney』を持っていても不思議ではないように思うのだが、リストには見当たらなかった。
その代わり、リストに名を連ねていたもうひとりのビートルズ・メンバーはジョージだった。
それはビートルズのメンバー初のソロ・アルバム、1968年の『Wonderwall Music』。
いいね~、インドもの。
 
そういえば、最近ポールは『McCartney III』ってのをリリースしたのね?
聴いてみたけど…「声」ってのもずいぶん衰えるもんだナァ。
こっちの感性も相当衰えているせいもあって、「ああ、いい曲だナァ」なんてモノには出くわさないけど、出ない声を絞り切って「懐メロ」を歌うよりははるかにいいじゃないかしらん?と私は思う。

WwmSam Gopalというバンドの『Escalator』というサイゲ・バンドの1969年のアルバム。
このバンドはHawkwindに行く以前にLemmyがギター/ボーカルズで参加していた。
レミーはノエル・レディングやExperienceのロード・マネージャーをしていたネビル・チェスターズとフラットをシェアしていた関係でジミのロイヤル・アルバート・ホールの時にローディとして働いたんだってね~。Sg 調べてみるとレミーってのは「Stoke-on Trent(ストーク・オン・トレント)」の出身なのね?
ココはイギリスの「窯の町」。
日本で言えば伊万里とか信楽とかか…。
有名な「Wedgewood(ウェッジウッド)」もココ。
イギリスを代表するブランドのひとつであった「ウェッジウッド」は2009年に経営破綻し、今ではロイヤル・コペンハーゲンを所有する「Fiskers(フィスカース)」というフィンランドの会社の傘下に入ってしまった。Simg_0162コレはゼンゼン知らなかった。
The Red Crayolaなるヒューストンのバンドの『The Parable of Arable Land』という1967年のアルバム。
一応サイケの範疇らしいんだけど、ほとんどグチャグチャのドシャメシャ。
でもジャケットはバツグンに素晴らしい!
さっきの現代音楽のピエール・アンリもそうなんだけど、ジミはこうしたアヴァンギャルドな方向へ進もうとしていたのかな?
イヤ、キャシーの回想によるとそうではなく、音楽的なことを全く考えずに買い込んでいたレコードも中にはあって、コレはそんな1枚だったのだそうだ。
コレを買った理由は…またしてもジャケ買い。
何でもジミが趣味で描いていたイラストにタッチがよく似ていたそうだ。
ね、とにかくジャケットがいいんですよ、コレ。
LPで欲しいナァ。SparaDr. Johnの1969年の『Babylon』。
ジミがこのアルバムを持っていた理由は最後の「The Lonesome Guitar Strangler」という曲に自分の名前が出て来るからだった。
歌詞が見つからなくて内容の確認ができなかったんだけど、Dr.Johnがどうやってジミを殺そうとしていたかを歌っているらしい。
ジミだけでなく、「Clap you with Montgomery」とウェス・モンゴメリーの名前が出て来るとその後にCTI風のサウンドになったり、「ラヴィ・シャンカール」の時にはシタール風のギターが登場したり…一種の「ギター・ジャンボリー」状態。
そして「Dedicated, ready, Jimi Hendrix(と聞こえる)」の後に続くのはナゼかCreamの「Sunshine of Your Love」…ナンでやねん?
おいマック、確かにジミもこの曲を演奏していたけどおかしいじゃないの?
Dj2Teryje Ripdal(テリエ・リピダル)というノルウェイのギタリストがいる。
その人が1975年にECMからリリースした『Odyssey』というLP2枚組のアルバムが「入門者向けジャズ/フュージョンの必聴盤」の1枚に挙げられることが昔はよくあった。
若い時に買ってみたものの、どうしても受け付けなくて手放してしまい、大分後になってからCDで買い直した。
久しぶりに聴けばその良さがわかると思ったけど、やっぱりダメで完全にCDラックの肥やしになっとるわ。
十分にオリジナリティのある音楽をクリエイトしていることはわかっているんだけど、私はどうも合わん。
Trナンでいきなりテリエ・リピダルの話になるのかというと…。
The Dreamというノルウェイのバンドの『Get Dreamy』というアルバムがジミのコレクションのリストに入っているから。
ジミのコレクションの中では、世間的に最もレアなアイテムなのだそうだ。
そして、このバンドのギタリストがそのテリエ・リピダルというワケ。
この人、『Odyssey』を聴いている分には、その音楽の中にジミ・ヘンドリックスのカケラも感じないんだけど、メチャクチャ熱心なフォロワーだった。
ジミはこのアルバムを買ったワケではなく、ツアーの途中でテリエ・リピダルから貰い受けた。
そのジャケットに次のメッセージが書かれていたという…
「私が送れる最大限の畏敬の念を込めて。
我々は『Hey Jimi』という曲を貴方に捧げています。
どうかその曲をお気に召して頂き、その他の曲もお楽しみ頂けますように…
Dream を代表して...テリエ・リピダル」
 
早速にこの「Hey Jimi」という曲を聴いてみる。
ハハハ、なるほどコリャ「Hey Joe」だわ。
しかし、このアルバムがリリースされたのが1967年。
ジミの「Hey Joe」のリリースは1966年の12月。
こんな短期間でトリビュート曲が現れるほど、ジミが世界のギタリストに与えた影響が莫大なモノだった…ということがよくわかる。
後年、リピダルはインタビューで「あのアルバムはジミ本人に直接渡すことができず、ガールフレンドに渡したんだ。だから本人に行き渡ったかどうかはわからないんだ」と言っていたそうだ。
このインタビューを読んだ親切な人がインターネットでリピダルのマネージャーの連絡先を探して、アルバムがジミの手に確かに渡ったことを知らせた。
すると今度はリピダル本人から返信があり、大層喜んで「もし売りに出されることがあればイの一番で私に知らせて欲しい!」と頼んで来たそうだ。
リピダルはまだ熱烈なジミ・ファンだったのね?
いい話だナァ…さ、また『Odyssey』でも聴いてみるか!Dreamjフォークのリッチー・ヘイヴンス行ってみるか。
リストには2枚のリッチーのアルバムが載っていた。
1枚は1968年の当時の最新作『Electric Havens』。Rh2 そして、もう1枚は1966年のデビュー・アルバム『Mixed Rag』。
リッチーはグリニッチ・ヴィレッジ時代からのジミの古い友達で、ロンドンに来た際にブルック・ストリートのジミのフラットに立ち寄ってこの2枚のアルバムを置いて行ったそうだ。
その時、リッチーはジミのフラットで催された小さなパーティの最中にジミが持っていたエピフォンのアコースティック・ギターをかき鳴らし、ウッドストックでも歌ったヴェトナム戦争の反戦歌「Handsome Johnny」を歌ったそうだ。
「Hadsome Johnny」はこの『Mixed Bag』に収録されている。
この曲の中でリッチーは「ダンケルクの戦い」のことを「ダンカーク・ウォー」と発音していて、この言葉がすごく耳に残るんだよね。
「『ダンケルクの戦い』で何を見たんだい?
『朝鮮戦争』でナニを見たんだい?
ヴェトナムでナニを見たんだい?
『バーミンガムの戦争』でナニを見たんだい」…と歌う。
こんなのをパーティで歌っていた時代だったワケよ。
ヒゲナントカとはチョット違うね?Rh 私はリッチー・ヘイヴンスが結構好きでしてね。
もう完全に映画『ウッドストック』の影響。
それで14歳の時に晴海で開催された『ローリング・ココナッツ・レビュー』でホンモノを見た。
オイオイ、もう44年も前かよッ!
「ウッドストックのリッチー・ヘヴンス!」とMCが紹介したのが印象に残っている。
イルカのロゴがなつかしい。
このコンサートのことを口にしている人に会ったことがないな。
Marshall Blogで以前チョコっと触れた記憶があるが、今度Shige Blogにかろうじて頭に残っているいくつかの記憶を文章にしてキチっと残しておこうかな?Srollingcoconutボブ・ディランは相当好きだったみたい。
コレはまた後でやります。153cdさて、今度はジャズをやらせてもらいますね。
 
まずは「Chris Barber(クリス・バーバー)」。
バーバーはディキシーランド・スタイルのトロンボニスト。
1950年代のイギリスではすごい人気だったんだよね。
ん~、ジミがシデキを聴いていたとは思えないんだけど…。
私も勉強のために何枚か買って持っているけど、1回聴いたか、聴かないか程度。
クリス・バーバーがよくアメリカのブルースの大物をイギリスに招聘していたのでジミはその名前を認識していたらしい。
ココで登場するのが「Harold Pendleton(ハロルド・ペンドルトン)」というバーバーのマネージャー。
この人は有名な「Marquee Club(マーキー・クラブ)」を創業した人。
Marquee Clubに興味のある人はコチラをどうぞ。
この辺りのことが書いてあります。
  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.19~Marquee物語 <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.20~Marquee物語 <後編>

そして、ジミは1969年1月24日にマーキー(2号店)の舞台に立つ。
渡英してまだ4か月ほどしか経っていないのに、店に入り切れないほどの観客が集まった…と、そこに実際にいらっしゃったピーター・バラカンさんが証言されている。260cdジミはちゃんとジャンゴも聴いていたのね。
盤の解説には「速いフィンガー・ピッキング・スタイルをフィーチュアした独学のロマのギター・マスター」となっていた。
「フィンガー・ピッキング・スタイル」ではないわナァ。
それともイギリスでは意味が違うのかナァ。
左手の甲のヤケドの跡が生々しいこのジャンゴのパブリシティ・フォトは至る所で使われているナァ。
カッコいい写真だもんね。280cd…ってんで私も大学の時にこのジャケット欲しさにカットアウト盤を買ったことがあった。
ナンカ違うな…と思ったらタバコの煙。
上の写真は後から煙を足してるんだな?S0r4a0055 どうもジミが持っていたのはジャケット違いの盤のようでこんなヤツだったらしい。
ヒドいジャケットだな~。
「ジャンゴ」の「ジャ」の字も感じられないやんけ。
ジミの「Band of Gypsys」はジャンゴから付けられた名前だとか…。Dj 「Charles Lloyd(チャールズ・ロイド)」の1967年の『Journey Within』というアルバム。
特別な解説はついていなかった。
ホントにジミはこんなの聴いていたのかな?

240cdチャールズ・ロイドといえばナンといってもこの『Forrest Flower』だからして!
コレも「ジャズ入門盤」の紹介に頻出する1枚。
名盤の誉れ高く、私も結構好きで、今でも時折引っ張り出しては聴いているんだけど、どっちかというとキース・ジャレットを聴くアルバム。
キースももう再起できないであろう聞いた…本当に残念なことだ。
あと、ジャック・ディジョネットも素晴らしい。
このジャケ写を撮影したのはジム・マーシャル。
ウチのジム爺ではござんせんよ。
写真家の方のジム・マーシャル。Clさぁて、今日の個人的ハイライト。
我ながらこの発見はスゴイ。
今までもSteely Danの『Pretzel Logic』に収録されている「Parker's Band」の歌詞の中に「Relaxin' at Camarillo」の苦しいダジャレを発見したりして我ながらいい仕事をして来たと思っていたりもするのだが、今日のコレも大変気に入っている大発見。
興味のない人には全くどうでもいい話。
それは、「Rahsaan Roland Kirk(ラサーン・ローランド・カーク。以下「ラサーン」)」周辺のこと。
コレクションのリストに挙がっていたのは1965年の『Rip, Rig and Panic』。
そんな名前のロック・バンドがかつていたことは知っているが、元はこのラサーンのアルバム。
ジャキ・バイアード(p)、リチャード・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という重戦車リズム隊に乗っかってのラサーンの快演&怪演はあまりにも素晴らしい。
私も愛聴しているので、コレをリストの中に見つけた時はうれしかった。
ジミはラサーンのサーキュレーション(サックスを吹きながら鼻から息を吸うことによって息継ぎをせずにずっと吹き続ける奏法)や3本の管楽器(テナー・サックス、ストリッチフォン、マンゼロフォン)を同時に吹いて1人でハーモニーを作る等の独自性に大いに刺激を受けたのだそうだ。
ジミがラサーンに初めて会ったのは1967年、ソーホーのロニー・スコッツでのこと。
その後のラサーンのロンドン公演の時、ジミがロニー・スコッツのラサーンのステージに飛び入り参加し、意気投合した2人はこのブルック・ストリートのジミのフラットに帰って来てまたジャム・セッションをしたという。
そんな解説を熱心に読んでいたら、さっきリストをくれたオジちゃんが私のところに寄って来て、「この部屋で2人は演奏したんですよ。その時のジミの演奏が生涯で一番ヨカッタとされているんです」と教えてくれた。
オイオイ、誰もそれを見ていないんだから「生涯最高」かどうかはわからないでしょうに?
キャシーの感想かな?
しかし、ナニを演奏したんだろうな~…ブルースにキマってるか。
聴いてみたかったな~!170cdそして、ものすごく意外だったのが次の2枚。
『Rip, Rig and Panic』でピアノを弾いていたジャキ・バイアードのリーダー・アルバム。
1枚は1966年の『Freedom Together!』という作品。
ジャキはソロ・アルバムもたくさんリリースしているけど、チャールズ・ミンガスとの活動がよく知られているのかな?
210cd後の1枚は『Sunshine of my Soul』。
コレもドラムスはエルヴィン・ジョーンズ。
ベースはアラま、珍しい…フリージャズの名盤、オーネット・コールマンの『Golden Circle』に参加しているデヴィッド・アイゼンソンだわ。
なんでジミはジャキのアルバムなんて持っていたんだろう?
ただ単にレコード屋で買ったのかも知れないけど、そうジャズを聴いていない人がジャキのアルバムを自発的にサラリと買い込むとは考えにくい。
どういうルートでコレクションに加えられたのであろうか?
やはり、ラサーンの関係らしい。
「お気に入りのローランド・カークのコンボのピアニスト」ということで好んで聴いていたようだ。
それにしてもラサーンが1枚でジャキが2枚というのは納得がイカン。
ま、私なんかこのジャキのアルバムは両方とも持っていないんだけどね。
でも1枚愛聴盤があるの。

190cdそれが下の1969年にリリースされたアルバム。
ラサーン-ジャキ-リチャード・デイヴィスという3人の『Rip,Rig & Panic』メンバーがレコーディングに参加している(ドラムスはアラン・ドーソン)。
このアルバムに94歳という長寿を全うした「ジャズ界の泉重千代」ことユービー・ブレイクという人が作った有名なバラードのスタンード「Momories of You」が収録されている。
たまたまソレがディスク・ユニオンの店内で流れていて、その演奏に感動しまくってその場で買ってしまったのです。
いつまでたっても快適なファスト・チューンが好きなオコチャマの私がバラードに感動するなんて相当珍しいことなのですよ。
ギンギンにスイングするバド・パウエルの「Parisian Thoroughfare(パリの散歩道。ゲイリー・ムーアじゃありませんよ~)」とかモンクの「Evidence」とかもゴキゲンなワケ。
やはりラサーンのプレイがカッコいいんだけど、ジャキのピアノも十分に個性的だ。
で、私の「スゴイ発見」というのはこのアルバムのタイトルなのです。
『The Jaki Byard Experience』という。
もう完全に「Jimi Hendrix Experience」の借用でしょう。
どこにも書いてないけど間違いない!
オリジナルのライナーノーツは、コルトレーンのスタイルと「Sheets of sound(音の敷布)」と表現した有名なジャズ評論家のアイラ・ギトラーが書いているんだけど、フフフ、ロックのことをバカにしているのか全く気がついていない。
ああ、長年ガマンして(!)ジャズを聴いてきてヨカッタ!…と思った発見なのであった。
 
この人、お気の毒に…殺されてるんだよ。
1999年2月11日、夜の10時頃、一発の銃弾で頭を撃ち抜かれて家で死んでいた。
一緒に住んでいた家族が生きているジャキの姿を見たのはその4時間前。
強盗行為をされた痕跡は全くなかったが、警察は殺人事件と断定。
しかし、周囲からは犯罪の痕跡が発見されず、今も事件は未解決のままでいる。
(このアルバムはジミのコレクションに入っていません)220cd ジミも人の子、やっぱりジャズでもギターがいいんだね…ウェス・モンゴメリーの登場です。
普通ウェスと言ったら、まず『The Incredible Jazz Guitar』か『Smokin' at Half Note』か『Full House』が出て来るでしょう?
そこはさすがジミ。
そうした代表作には目もくれず、ジミー・スミスとオリバー・ネルソンのオーケストラとの共演盤『Dynamic Duo』をコレクションしていた。
うれしいね~。
というのも、私もこのアルバムが大好きなのだ。
33年前に大阪駅前第二ビルの地下の中古レコード屋でこのアルバムのCDを買った。
1曲目の「Down by the Riverside」のソロ…ウェス・フレーズ満載の2コーラス目、特に9小節目からターンバックにかけてが鳥肌モノ。
コレと『Half Note』の「No Blues」と『Full House』の「Blue 'N' Boogie」が「私のウェスのブルースの三大ソロ」…思っていることはみんな一緒か?
300cdもう1枚はCTIの『A Day in the Life』。
ウェスはこのアルバムでタイトル曲のほかに「Eleanor Rigby」を取り上げている。
コレはジミ同様にウェスがビートルズの音楽に大きな興味を示していたかららしい。
他にもCTI時代のウェスは『Road Song』というアルバムで「Yesterday」と「I'll Be Back」を演奏している。
一方、ジミの「Third Stone from the Sun」のオクターブのプレイはウェスの影響だそうだ。
320cdジミのレコード・コレクションにはジャズのアイテムが15枚ほど数えられるが、クリス・バーバーのレコーとは持っていても、マイルスもコルトレーンも1枚もなかったというのはいかがなものか?
ジャズは好きじゃなかったということか?
普通『Kind of Blue』ぐらいは持っていても不思議じゃないでしょうに…。
ま、大きなお世話ですけど。
 

次回はジミ・コレクションの本丸、<ブルース編>をお送りして、このジミ・ヘンドリックスのシリーズを締めくくります。
つまり次が最終回。
  
<つづく>…
 

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