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2024年12月

2024年12月28日 (土)

目黒鹿鳴館物語<その5:最終回>


アイドルについて
S:ところで、アイドルの方はいつ頃からブッキングするようになったんですか?S41a0101_1
P
:14~15年前ぐらいですか。
S:ナニか特別なキッカケがあったんですか?
P:BABY METALですね。
それまではゼンゼン関係なかったんですが、彼女たちがデビューする時にプロデューサーの方から「イベントをやりたい」という連絡をもらったんです。
「BABY METALはXをモチーフにしているので、活動のスタートは鹿鳴館でなければダメだ」ということだったんです。
Xと同じ流れで鹿鳴館からスタートにして、武道館でやって、ドームでやって、それでウェンブリーをやったんですよ。
S:へぇ~、完コピしないと気が済まないというワケですね?
P:そうなんですよ。
で、連絡をもらった時には正直よくはわからなかったんですが、とにかく「主旨はわかりました」ということにしてイベントをやってもらった。
当日を迎えて、リハーサルを見て、並んでいるお客さんを見て、本番を見て…自分が考えていた「アイドル」というモノとはゼンゼン違うじゃないか!コリャ勉強不足だったな!と感じたんです。
そうしたら、アイドルの運営の人たちがBABY METALが鹿鳴館で演やったことを聞きつけて「鹿鳴館でアイドルが演ってもいいんだ?」ということになった。
S:「ナンダ~、ペペさんってアイドルに理解があるんだ~?ウ~ケ~るぅ~!」というワケですね?
P:そうそう!
それで問い合わせが増えて来て、その中で「BELLRING少女ハート」というアイドル・グループが自分たちのホームグラウンドを探しているんだけど紹介していいか?という話があったんです。
「それはもうゼヒ」ということで、出てもらったら「昭和のイメージでやっているので鹿鳴館の雰囲気は理想通りです!」とスッカリ気に入ってもらったんですね。
もう解散してしまったんですが、それからBELLRING少女ハートは結構大きなハコで演るようになって、今から10年位前ですけど「地下アイドルのひとつの到達点」と言われたんです。
だからBELLRING少女ハートは他のアイドル・グループの憧れの的で、対バン希望者もたくさんできて、結果「アイドルに鹿鳴館あり」みたいになっていったんです。
S:なるほど、そうやって始まったんですね。
 
シーンを作るのはライブハウスではない
P:コレは他の取材でも話したことがあるんですが、これまで鹿鳴館が「ジャパメタやるぞ」とか「ヴィジュアル系にするぞ」とか「アイドルで喰っていくぞ」みたいに舵取りをしたことって1回もないんですS41a0116_1よ。
S:時代がそうさせてきた?
P:そうなんですよ。だからカッコをつけて言うワケじゃありませんが、よく言う「ライブハウスが音楽シーンを作る」なんてのは絶対ウソですよ。
やっぱりシーンを作るのはライブハウスに出ているバンドのジャンルの勢いなんですよ。
S:ライブハウスは出てもらっているだけ?
P:そうなんです。でも、出てもらうからにはこっちも必ず出演者に向き合った仕事をします。
ヨソではアイドルを出すと恥ずかしいと思うようなところもあるようですが、ウチの場合は「鹿鳴館に出ている」ということがひとつのステイタスになっているようなんです。
だから「鹿鳴館がアイドルを取り扱うようになってくれて本当にヨカッタです」とよく言われますよ。
S:すると「鹿鳴館のアイドルの歴史」ということになると、BABY METALが一番最初だった…という風に考えていいんですね?
P:そうですね。ボクの気持ちが切り替わったのはBABY METALからです。
 
************<コラム21:鹿鳴館を記録する>************
コレは目黒鹿鳴館ではなくてチッタ川崎。
NATALドラムスが使われたのでMarshall Blogの取材にお邪魔した。
ステージに上がっているのは「RED-i」というアイドル・グループ。
『赤く塗りつぶせ』という、戦前・戦中だったら間違いなく大変なことになっていたであろうタイトルを冠した単独公演のようす。
以前、告知ポスターが目に入ってこのチームが目黒鹿鳴館に定期的に出演していることは知っていた。
426当日、会場内を歩いて回ったところ…おお!客席にペペさん発見!(こんなことなら写真を撮っておけばよかったな)
ちゃんと応援に駆けつけていらっしゃってスッカリ感心してしまった。
こういう気持ちが出演者に伝わるんだろうネ。480   
ロックの今後
S:しかし、はじめの方の話に戻るようですが、ペペさんってこのビルに37年いらっしゃるワケでしょS41a0144_1う?
今回そこから離れなければならないなんてどうしようもなく寂しいんじゃないですか?
P:まだ実感がないんですよ。次の計画もだいたいのところは決まっているんですけどね。
とにかく休みたくないとは思っているんです。
S:ペペさんはそうしてロックの現場の真っただ中に長い間いらっしゃるいわゆる「ロックのプロ」ですが、これからのロックってどうなって行くとお考えですか?
P:漠然とですけど、「個人個人の中にあるロック」で残っていけばそれでいいと思うんですよね。
その人が「ロック」だと思えば「ロック」なワケで…。
ま、日本のロックに関して言えば、少子化の問題もあってもうコレ以上繁栄はしないと思っています。
最近は現場に行かない連中がSNSで世の中の「ロック」という音楽に対してゴチャゴチャ文句をつけたりしているでしょ? S41a0114_1_2
もうロックの定義なんてナンセンスだと思うんです。
好きにやるのがロックであって、「あんなのロックじゃネェ」とか言っている連中がロックじゃないワケです。
そういう連中に限って「全ての音楽を聴いて来た」ぐらいのことを言いたがるんです。
でも多分そういう連中よりボクの方が断然音楽を聴いていますよ。
ボクはタワー・レコードより「No Music, No Life」ですから!
通勤の時に聴いて、鹿鳴館で聴いて、Pepe Trickで聴いて、家に帰って聴いて、寝る時にまた聴いていますから!
S:アッハハ!職場がロックだからどうしたって聴く時間が長くなりますよね。
P:ロックだけではありませんからね。あらゆる音楽を聴いています。
新しい発見があるんです。さっきのアイドルもそうです。S41a0147_1
で、気に入ればジャンルの分け隔てなくお金を出してCDを買います。
サンプル盤のような無料でもらったCDにはあんまり価値を感じないんですね。
もう一種の職業病みたいなものなのか、サンプル盤は「仕事」として聴かなきゃならない感じになってしまって純粋に楽しむことができない。
まだ知らない名盤とかがあってワクワクしますから!
S:うらやましいな…。
ところで、ロックの高齢化はどういう風にご覧になっていますか?
P:ウ~ン、やっている方が還暦を越えて絶滅危惧種みたいになって、お客さんもアラフィフになって来ましたよね。
でも若い人もタマにいるにはいるんですよ。
LAメタルが好きな若者が仙台にいて、「仙台にいてもどうにもならない」と思って東京に出てきたら、状況が仙台とまったく変わらなかった!…でも逆にそれで火がついてしまった。
結果として仙台にいるままだったら決してつくことのなかった火ですね。
ただ、そういう若い人たちは幻を見ているところもあって、ボクはドンズバでLAメタルを聴いていましたが、彼らが今想像しているのと当時の実際の状況は大きく違っていましたからね。
当時のロサンゼルスのことはわかりませんが、日本では彼らが想像しているより盛り上がっていなかったんだよ…みたいな。
S:一方ではデジタル技術が進歩して音楽制作の現場の様相が大きく変わってしまった。
P:今はAIを使うので曲を作るペースがものスゴク速いんですよね。
そんなんで「作曲」なんて言えるのかどうか…。
S:まったく。
目黒の鹿鳴館とはもうすぐさよならになってしまいますが、今後もペペさんの音楽に対する姿勢は変わることがなさそうですね?S41a0139_1
P:はい。
自分でも楽しみながら、新しい鹿鳴館から皆さんが楽しめる音楽を強力に送り出していきたいと思っています。
S:楽しみですね!今後ともMarshallとNATALをよろしくお願いします。
P:もちろんです!
S:本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。
P:こちらこそ!
S:最後にひとつ…ペペさんが一番好きなバンドは誰ですか?
P:そりゃもうKISSです。
S:絶対にそうだと思いましたよ!S41a0005_1 ペペさんも昔のことをとてもよく覚えていらっしゃってね~。
当初「1時間もあれば大丈夫ですよね?」なんておっしゃっていたが、ナニをナニを!
フタを開けてみたら3時間近く語って頂くことになってしまった。
約40年分の話がまるで昨日のことを話しているかのように次から次へと飛び出してくるのだ。
今では話に出て来る皆さんのほとんど全員を存じ上げているので聞いていてとてもオモシロかったし、驚きの連続だった。
3時間がアッという間だった。
 
************<コラム22:鹿鳴館の思い出>************
最後に私自身の「鹿鳴館の思い出」を添えて『目黒鹿鳴館物語』の幕を降ろしたいと思う。
 
まずは…食べ物。
ライブハウスの近所においしいモノを食べさせる店があるかどうかはとても肝要なことでしてね。
目黒はJRの線路に向こうにあるこの「こんぴら茶屋」という讃岐うどんのお店がお気に入りで、鹿鳴館に行く前、かなりの確率でココで腹ごしらえすることが多かった。10カレーうどんがウリのようなのだが、私はカツオ昆布だしの普通のおツユのうどんが好きだった。
下はお店の名前を冠した「こんぴらうどん」。
ナンだか知らないけど、ココはトッピングのお餅がすごっくおいしいのよ。
「そういえば、昔のお餅ってこうだったよな~」みたいな。
ココのうどんももう「思い出」になっちゃうだろうナァ。202さて、うどんの次はお詫びと訂正。
イヤ~、マイったわ。
このシリーズの冒頭で「初めて目黒鹿鳴館にお邪魔したのは2010年の『メガトン・クラブ』だった」と断言してしまったが、それが誤りであったことが判明した。
しからば、私が生まれて初めて目黒鹿鳴館に足を踏み入れたのは誰が出演した時だったか…答えは田川ヒロアキだった。
ヒロアキくんは<その1>を読んでくれて、私が誤りに気付いてソロソロ確認の連絡がある頃だろう…と思っていたって!
もちろんこの公演のことは覚えていたが、一番最初の鹿鳴館だったとは気が付かなかった!
もうこの時には「JVM210H」を使ってくれていたんだナァ。
まだJVMが「新商品」だった頃。
それから15年の間ズッ~と使ってくれている。
ヒロアキくんのギターの音の良さの秘密がココある。
30_2「覚えていないんじゃ『思い出』じゃないじゃん?」と言われそうだけど、とりあえずソレはほうっておけ。
2009年11月21日、『メガトン・クラブ』に先立つこと約1年、ヒロアキくんが『FLY AWAY』というリーダー・アルバムをリリースした時の記念ライブがそれだった。2tagawaヒロアキくんが上京して、初めて大きな単独公演を開催した場所がこの目黒鹿鳴館だった。
みんな目黒鹿鳴館から始まってるんだネェ。
イベンターの人に見込まれ、Summer Sonic、Loud Park、そしてこの目黒鹿鳴館の3本立ての企画で、
以前からアルバムのリリースを計画していたので、この鹿鳴館の公演を発売記念ライブにしたのだそうだ。
メンバーは和佐田達彦、長谷川浩二、はんだすなお。2tagawa2 私もこの時に初めて鹿鳴館でシャッターを切ったことになるワケだが、撮ったウチの1枚が制作サイドの方に気に入られ、しばらくの間(今でも時々)ヒロアキくんのオフィシャル・ポートレイトとして使用された。
それが下の写真。目黒鹿鳴館で撮影したのだ。40v次がその勘違いしていた2010年12月21日の『メガトン・クラブ』。
スゲ~人だったナァ。
既にこの時はイスがあることを知っていたので「座って観られるのは助かるナァ」なんて思ったのも束の間。
それはトンデモナイ間違いで、長丁場の最初から最後まで始終立ちっぱなしでクタクタになってしまった。50この時、白田さんが出演されていた。55この後、白田さんにはアチコチでご一緒させて頂いたが、最近は全くご無沙汰で、数年前にメールのやり取りを少ししただけだった。
お身体の調子が思わしくないということは耳にしていたが、去年、いきなり訃報が飛び込んで来て本当にビックリした。60v2013年3月20日に開催された女性シンガーを主役に据えた『QUEENS OF NOISE IN TOKYO』というイベント。
出演したのはTAKAEITA。63EITAちゃんは最も付き合いの古いギタリストのひとり。
このイベントとは別に『EITA PARK』という自らの名前を冠したイベントを鹿鳴館で何度か開催している。50v_5この時、TAKAEちゃんは元気イッパイに声を張り上げていた。64vイベントではKRUBERABLINKAが後に続いた。66一風変わった歌詞と独特な曲づくり、そして卓越した演奏で私はこのバンドがとても好きだった。
ゼヒまた活動して欲しいバンドのひとつ。67vそしてイベントのトリを務めたのはRAJAS。
何度も書いて来た通り、私はジャパメタを全く通っていないのでこのバンドを存じ上げなかった。68反対にRAJASの福村さんのことはEITAちゃんが属していた「時空海賊SEVEN SEASのマネ―ジャー」として古くから存じ上げていた。
ところが、ドラマーだったということは噂程度にしか耳にしていなくて、失敬ながら福村さんがココでスティックを握っている姿を初めて目にしてすごく驚いた。
69v鹿鳴館はタマにしかお目にかかることができない東京近郊以外に在住しているミュージシャンに会うことが出来る場所でもあった。
下は2013年6月14日の『EITA PARK』に出演したEBONY EYES。
69_1この時、久しぶりに金谷幸久さんにお会いした。
金谷さんは関西を中心に活発な活動を展開し、今でも熱心にMarshallをお使い頂いて素晴らしいギター・サウンドを出してもらっている。
ありがたいことである。69_3_2013_6_14鹿鳴館のステージをMarshallで埋め尽くしたこともあった。702013年11月、今はもうないバンドのビデオの収録だった。
100アレ?今と床の色が違っていたんだネェ。
ね?こういうことは案外覚えていないものなのよ。
80コレ、始まりの時間が遅くて、ひと通り終わったのが真夜中だった。
夜に滅法弱い私はヘロヘロになって帰宅したことを覚えている。
でもやっぱり「Marshallの壁」ってのはいいもんだな。
鹿鳴館のステージにピッタリだ。902013年12月1日。
コレは2回目の『様式美大作戦』。120この時から『様式美大作戦』の東京公演は目黒鹿鳴館がホームとなった。Ysb ゲストとして足立"YOU"祐二さんが出演した。
私はYOUさんの訃報をいち早く三宅庸介さんから受け取ったのだが、その時は本当に信じられなかった。
130PONさんのメッセージにあったようにBLIND BIRDの初の単独公演も目黒鹿鳴館だった。135私はこのバンドが好きだった。
メンバーの個性が際立っていて、歌詞も曲もアレンジも他の凡百のバンドとは異なる私好みのサウンドだったのだ。
PONさんのドラムスは言うに及ばず、優也くんのギターもカッコ良かったし、何と言ってもベースが河野さんだったから。
そしてあの独特な直志さんの歌声が曲にベストマッチしていた。
だからライブがあると欠かさずMarshall Blogの取材にお邪魔した。
136v直志さんはステージで数曲ギターを弾くのでギター・アンプを自ら持参していたが、それはMarshallではなかった。でも私はそれを気にすることは全くなかった。
ある時、渋谷のライブハウスの楽屋で直志さんが真顔で私にこう尋ねて来たことがあった。
「あの~…ナンでそんなに我々に親切にしてくれるんですか?」
直志さんは後に私が取材の請求書でも送り付けて来るのではないか?と心配していたのであろうか?
模範的な回答としては、「PONさんがNATAL、優也くんがMarshallを愛用してくれているので、ブログでライブのレポートをするとブランドの宣伝になるんですよ」となるのだが、私はそうは答えなかった。
本心からとっさに「BLIND BIRDが好きだからですよ!」と返答した。
事実だから仕方がない。
そして…その後のことだったように記憶しているが、直志さんのギター・アンプがMarshallの「JCM800 2203」に替わった。
直志さんはそんな人だった。
PONさんから訃報を耳にした時、あまりに突然すぎて意味がわからなかった。
137こんなショウにもお邪魔したことがあった。
『ALICE in The DEAD WORLD FINAL HALLOWEEN Party』というイベント。
実はコレは鹿鳴館のスタッフのしきちゃんからのリクエストだった。
「Satan」という2人組のチームのギタリストが「Marshallを使っているので取材をして欲しい」という話だ。
1402014年の10月31日だからハロウィンの日だね。
鹿鳴館の入り口の階段の壁に左右の目にそれぞれ異なる色のコンタクトレンズを入れた男が写っているポスターが貼ってあって、予てからそれがチョット気になっていた。
それがSatanだった。
そんなこともあったのでしきちゃんのご要望に応えるべくお邪魔した。
すると…コレが大変に楽しかったのだ!
170お客さんがみんなこんな格好をして来てフロアで大騒ぎ!150終演後には仮装を施したお客さんたちの記念撮影をさせてもらったことも今となっては楽しい思い出だ。160鹿鳴館の令文さんも何度か取材させて頂いた。
コレは2014年11月2日の『BATTLE OF FORCE』というイベントのひと幕。180令文さんはMARINOで出演。
私にとっては2008年に中野サンプラザで観た『JAPAN HEAVY METAL FANTASY 関西なぐり込みギグ』以来2回目のMARINOだった。190中間さんのHURRY SCUARYやMEDUSA他が出演し、会場はパンパンでホール下手の壁際に設置した脚立の上に乗ったきり最後まで一度も下に降りることが出来ない有様だった。
その位置からは2階席の一番前が丸見えで、大谷一門会の門弟であるノンちゃんがうれしそうな表情で師匠の演奏を見守っている姿がよく見えた。
200v令文さんはこんなことをやっているけど、実は開演前はゼンゼン「グ~!」じゃなかったんですよ!
何が起こったのかは、令文さんと仲のヨカッタ方ならだいたいの察しがつくことだろう。
しかし演奏はスゴかった!
その開演前のイメージもあって、まさに「ギターの鬼神」と呼べるかのようなパフォーマンスだった。
195vああ、令文さんが出すMarshallの音が聴きたい!
ロック・ギター界は今こそ令文さんが必要なのだ!
私もリアルタイムでMARINOを知っているワケではないのでエラそうなことは言えないが、これからはこの令文さんのMarshallの音を聴いたことがない世代の連中ばかりになってしまうことがとても心配だ。210vペペさんが鹿鳴館をホームにしているバンドのひとつとして「高橋ヨシロウ」さんのお名前も挙げていらしゃった。
下はヨシロウさんのバンドで出演した時の令文さん。
2014年12月21日、ACTIONのデビュー30周年を記念する公演。220この時、私は写真の仕事を頼まれて、撮影スペースを確保するために前柵を設置してもらった。
ド派手な演出で、我ながらとてもいい感じに撮れてうれしかったね。
こうしてCO2もブッ放したんだよ。230それだけではなくてこんな赤い花ビラも舞わせたりして、それはそれはゴージャスなショウだった。240モチロン令文さんの「アクショ~ン!」もバッチリだった!260ちょうどこの頃、私が監修を務めた『アンプ大名鑑[Marshall編](スペースシャワーネットワーク刊)』という本が上梓されて、令文さんからご注文を頂戴し、この時に鹿鳴館でお渡しした。
下の写真はその時に鹿鳴館の楽屋の廊下で撮ったもの。
ちなみにこの本、定価は4,500円だったが、現在はインターネットで12,000~21,000円ぐらいの値段が付いていてちょっとビックリ。
私の苦労代が今頃上乗せになったんだな?
270vやっぱりペペさんも「本当にうまいギタリスト」として、令文さん、YOUさん、白田さんのお名前を挙げ、そのご逝去を本当に残念がっていらっしゃった。
250SHOW-YAが目黒鹿鳴館のステージに帰って来たのは2015年8月30日のこと。
この時も当然パンパンで、客席の後ろに立てた脚立の上でできる身動きと言えばカメラを持ち替えることだけだった。
ま、そういうことは今でもタマにあるもので、10年前のこの頃はそんな環境にも耐えることができた。
一方、とても耐えられなかったのは場内の気温。
も~、殺人的に暑くて、開演直後から着ていたシャツがすぐさまビチョビチョになってしまった。
終演後、楽屋で私の汗ダクの姿を見たSHOW-YAのメンバーからも「チョット大丈夫?」と心配されてしまったぐらいだった。
286この時の様子がDVDに収められ、私が撮影した写真をジャケットにご採用頂いた。
DVDを観ると、1曲目の「限界LOVERS」を歌い終えた恵子さんが「ものすごく暑い!」みたいなことをおっしゃっている。
そう、本当に暑かったのだ!
この後ぐらいにホール内のエアコンが入れ替わったのではあるまいか?
280この後も、Concerto Moon、BLINDMAN、様式美大作戦を中心に様々なライブにお邪魔してMarshall Blogの取材をさせて頂いた。
そして、コロナがやって来た。
Marshall Blogの記録を調べてみると、上に挙げたように2013年と2014年に最も足繁く通っていたようだが、コロナ騒ぎが始まった2020年はナント「0回」!
この年、目黒鹿鳴館に行くことは一度もなかった。
その沈黙を破ったのはやはりConcerto Moonだった。
翌2021年の7月17日、『Rain Fire』のレコ発公演だ。210717_rf2021年は他に11月21日のREACTIONの『FAREWELL』にお邪魔した。
Marshall Blogに掲載された2021年の鹿鳴館でのライブのレポートはこの2回だけ。2111212022年になって…やはりConcerto Moon。
1997年にリリースしたデビュー作『Fragment of the Moon』のリリース25周年を記念したアルバム再現ライブを5月7日に開催。
ね、コロナの期間中はこうしてステージの前を開けてくれていた。
コレが我々写真班にとってどれだけありがたいか…。
私も40度の熱が1週間続いて死ぬかと思ったコロナを憎んだが、この「前柵(英語では"Press Pit")」というコロナがもたらした恩恵に喜びを隠し得ないことが何度かあった…というのは正直なところ。
ところで、私はコーヒー牛乳を片手にペペさんが担当する照明が好きだった。
ピンスポットの当て方がキメ細やかで、とてもキレイな写真を撮ることができたからだ。
やっぱりぺぺさんは昔から様々なコンサートをご覧になっていて、ステージの上で起こっていることをいかに奇を衒うことなくお客に上手に見せるか…ということを体得されていたでしょうナァ。
220507その1週間後のBLINDMAN。
アルバム『Expansion』のレコ発公演の2回目。
コレも前の柵の中から撮影している。2205158月6日にはNAKED MACHINEが『Vanity of the World』のレコ発を開催。22080611月には再びBLINDMANが登場し…221103この年の最後にConcerto Moonがファンからのリクエスト曲を演奏する『Request of the Moon』を開催した。
2022年は5回。
結果、Marshall Blogとしてはコロナの全盛期だった2020年~2022年までの3年の間に目黒鹿鳴館で開催されたライブはこれらの合計7回しかレポートすることができなかった。
3年間でたったの7回だよ!
もちろん、コレはMarshall Blogの取材に限った話で、実際にはその他のショウが目黒鹿鳴館で数多く開催されていたのであろうが、ペペさんもさぞかし大変なことだったろう。221217こうして軌跡をたどってみると目黒鹿鳴館はMarshall Blogにとっても大事な大事なホームグラウンドであったことを実感するナァ。302この連載も今日で最後。
来年1月19日の最終日まで行く用事はもうなさそうだ。
310_2となると、鹿鳴館がホントに遠くへ行ってしまったようでとても寂しい。320Marshallを使った数えきれない名演・激演が繰り広げられたステージ。
37年の間Marshallが、そして10年の間NATALがお世話になりました!
 
最後に手前ミソながら…今回、Marshall Blogをやっていて本当にヨカッタと思った。
こうして目黒鹿鳴館の歴史と姿を半永久的に残すことができたし、ココで繰り広げられたライブの様子をいつでも、そしていつまでも見返すことができるのだから。
そんなことができるのは恐らく世界でもMarshall Blogがある日本だけではなかろうか?…知らんけど。
新しいモノだけが良いモノと妄信しがちな日本人とは大きく異なり、伝統こそを重んじるイギリス人のやり方なんかを見ていると、「残す」ということは「創る」のと同じぐらい大切だということを思い知る。
目黒鹿鳴館はファンの皆さんの心とMarshall Blogの中で生き続けるのだ。
そんなつもりで展開しているMarshall Blogに全面的な協力をしてくださった目黒鹿鳴館には心から感謝申し上げる次第である。Stage 末筆ながら、いつでもご親切にしてくださったペペさん、小関さん、しきちゃん、スタッフの皆さんに心から御礼を申し上げます。
そして新しい「鹿鳴館」に移ってもMarshall、NATAL、Marshall Blogをよろしくお願い申し上げます。
ペペさん、お忙しい所全面的なご協力をどうもありがとうございました!
330v<おしまい>

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2024年12月27日 (金)

目黒鹿鳴館物語<その4>

 
鹿鳴館のアノ話
S:ところでこのホールだとか楽屋のフロアが地下にあると思っている人が多いですよね。
ココは地下ではない…廊下の窓を開けると地上ですもんね。
今は慣れましたけど、私も一番最初はココが地下だと思い込んでしまって、誰もいない時なんかはこの辺りが結構コワい感じがした。
お差し支えがなければそっち方面のお話を…噂では学生服を着た中学生の男の子が男子トイレに立っているとか…。S41a0141_1
P:そっちの話?ゼンゼン大丈夫ですよ!
その手の取材はこれまで何度も受けていますから。
S:あ、そうだったんですか?さすが!
P:ボクも3回ぐらい「不思議な体験」をしているんですよ。
実はボクも中学生を見ているんです。
S:ヒエ~!
P:2階で照明をやっていた時のことです。
2階席は関係者しか入れませんが、それを知らないでライブをやっている最中に勝手に上がって来ちゃう人がいるんですよ。
カメラマンとかだったら放っておきますが、そうではなくて一般のお客さんが上がって来た時にはピンスポの担当者の肩を叩いて「降りてもらえ」って合図をするワケ。
ある時、照明をやっていたボクの視界に見知らぬ中学生の男の子が入って来たんです。
ホントに白いシャツに白いズボン、メガネをかけたボウズ頭の子がしゃがんでいるんですよ。
最初はそういう衣装を着た出演者かと思ったんですが、そんなのいないし。
一般のお客さんが入ってきたのかとばかり思ってピンスポのヤツに合図をしたらソイツはキョトンとしているんです。
「しょうがね~な~、出て行ってもらえ」ってその子の方を指したらもう跡形もなく姿を消していたんです。その間、1秒ですよ!
S:やっぱり…。そりゃ間違いないな。
P:まぁ、期待を裏切るようで申し訳ないんですが、以前にもインターネットの取材の申し入れがあったんですが、鹿鳴館は女性のお客さんも多いし、アイドルも出ていますでしょ?
彼女たちをコワ怖がらせてはマズイということで取材を断ったんです。
でもオモシロ半分ではなくて真剣な取材だから…と何度も頼み込んでくるので事前に原稿をチェックさせてもらうことを条件にOKしたんです。
そして「霊能者」という方がやって来たんですが、来てすぐに「ココにはいない」って言うんです。
「以前はいたかもしれないけど、移動して行った」…って。
その場所のトップの人やスタッフが強力なパワーを持っていると霊が居づらくなって移動して行っちゃうんですって。S41a0113_1
S:「ペペさんパワー」ですね?
P:へへへ!
さっき3回経験したと言いましたが、他の2回も2階席だったんです。
でも全部コワくなかったんですよ。
よく聞く「ゾワゾワという感じ」が全くしなかった。
下からすごくキレイな手が上がって来て床をビチビチ叩くんですよ。
女の子が下から手を伸ばしたところで届く高さではないでしょ?

でも「ナンダ今のは?」という感じでゾッともナニもしませんでした。
S:私だったら飛び上がっちゃうナ。
P:でもね、スタジオをやっている時は終了時間を知らせるベルが勝手に鳴ったり、スタジオの中に誰かがいる気配がしたりで、予約が入っていない時の深夜ひとりの留守番はみんなイヤがっていましたよ。
さっき話したようにスタジオがあったところも地下ではないんですが、「地下だから」という思いこみでコワくなっちゃうということもあったようです。
S:私はココが地下ではないということが比較的すぐにわかりましたよ。
坂を下りて来る時に外の地形を見ていればわかる。
 
鹿鳴館の座敷わらし
S41a0101_1P:でもはじめの頃はコワく感じることもありましたよ。
一番コワかったのはトイレからホールに上がる階段。
S:トイレ自体ではなくて階段ですか?
P:そう。ナンカ人の気配を感じたんですよね。
それとステージに上がる階段。
ご存知の通り、鹿鳴館に出ていてメジャーに行ったバンドがいくつかありますよね?
メジャー・デビューして武道館で演りました、ドームで演奏りました、という大出世したバンド。
そういうバンドの人たちがみんなこういうんですよ…「他の会場でもそこそこ緊張するけど、鹿鳴館のステージに上がる階段が一番緊張します」って。
S:楽屋の向こうの細い階段?
P:はい。そういう風に言っていたバンドがひとつやふたつではなくて、何十組もいるんですよ。
理由はわからないんですけど、とにかく緊張するんですって。
でも別の言い方をすると「初心に帰ることができる」って言うんですよ。
あの階段が最初の頃の気持ちに戻してくれるというワケです。
S:まさか幽霊のせいとは思っていないから!
P:そう、ハハハ!
だから鹿鳴館にいるのは「霊」ではなくて「魔物」なんじゃないか…イヤ、魔物というか「座敷わらし」S41a0131_1みたいな?
それがいい意味の緊張をもたらして良い結果を生んでくれる。
S:座敷わらしを見ると幸運が訪れる…というヤツですね?
守護神がいるみたいな?
P:そうそうそうそう、そういう感じの方がつじつまが合う。
「悪霊」ではないと思えるのは、ウチでは事故が起きていないんですよ。
ま、イスがあったおかげで将棋倒しみたいな事故を防ぐことができた…ということもあるんですけどね。
「お祓いしてもらった方がいいよ」なんてことが全くなかったんです。
S:それはナニよりですよ!

************<コラム16:鹿鳴館を記録する>************
鹿鳴館のチョット手前のところ。
まっすぐ権之助坂を降りればすぐに右側に鹿鳴館。
右に曲がると道はグ~っと下がって行くかなり勾配のキツイ坂だ。
Img_2209この辺りは昔どうなっていたのか?…と思って去年神田の「古本祭り」で買った自慢の古地図のソフトを引っ張り出してきて江戸時代後期のようすを調べてみた。
それが下の地図。
江戸の昔、鹿鳴館があった場所は「中下目黒村入会(いりあい)」というところだったようだ。
この坂の右側の今コンビニがある辺りから目黒駅寄りは「肥前島原藩 松平主殿頭忠精(まつだいらとのものかみただきよ)」の領地と記されている。
鹿鳴館とはゼンゼン関係ないけど、島原は元は天領で松倉家が入封したが、あまりにもキツい治世をして農民をイジメたせいで1637年、天草四郎時貞の元で暴動が発生した。
コレが有名な「島原の乱」。
「島原の乱」ってキリスト教を弾圧することによって発生した暴動だと思われる向きがあるけど、そうではなくて松倉の圧政に対する農民の反抗だったのよ。
「乱など起こさせおってこのバカが!」ということで松倉家は改易(平民に格下げ、武士への量刑としては切腹の手前)させられ、後に徳川スタッフの松平家が入封した(直系、ご三家、ご三卿以外の德川関係者はみんな「松平さん」)
さらに『江戸三百藩(人文社刊)』という本で調べてみると、島原藩は中屋敷を持っておらず、上屋敷は有楽町、下屋敷は三田にあった。
だからこの目黒はただの島原藩が所有している土地だけだったのだろう。
一方、「入会地(いりあいち)」というのは、まぐさや萱などの飼料の原料を作るための近隣の住民(農民)の共有スペース。
要するにこのあたり一面はスカ~ンと野ッ原と田圃だったのであろう。
浅草の観音様の背後ですら「僻地」と呼ばれていた時代だから、言っちゃ悪いけど「目黒村」ともなるともう江戸の西の地の果てだったに違いない。
下の地図で目黒駅のすぐ下に見えているJALのロゴのような家紋は播磨三日月藩、森家の上屋敷。
ロゴはカッコいいけど石高は1万5千石だから大したことはない…そんな地の果てに上屋敷があるぐらいだからね。
Oldmapチョット坂を降りて左側に目をやる。
真ん中の黄色い非常階段が付いているビルが目黒鹿鳴館が入っている「ヤマザキビル」。Img_2207表から見るよりズッと大きいと思わない?Img_2765鹿鳴館の中に入って…ココは楽屋のスペース。
壁に窓が付いているでしょう?Img_2252それを開けるとすぐにコンクリート壁が現れる。Img_2298廊下の窓も同じ。
そう、インタビューに会ったようにココは地下ではなくて地上なの。
だって地下に窓がある建物なんてあるワケないでしょ?…と言っても楽屋には入らない一般の皆さんにはピンと来ないか?
言い換えると、皆さんがアタマを振って腕を振り上げてライブを楽しんでいるあのホールは地上2階にあるのです。
つまり目黒鹿鳴館は地下では全くないし、地下は存在すらしない。
このビルがあの坂の下のレベルに建てられているからこうなるんだね。
裏から見るとこのビルが大きく感じるのもそのせい。
タメになるね~。
この楽屋スペースが1階だから、そこから数えると道路に面している入り口は4階ぐらいになるのかな?
いまだにココが地下だと思っている人が多いようなので最後にこのことを明らかにした次第。Img_2247廊下の入り口側。
ロビーから降りて来る階段の背面にトイレがある。
Img_1801_1_2せっかくだからトイレも記録しておこう。Img_1802_1ええい、ついでだ!コレが男子トイレ。
中学生の男の子をココで見たことがある…という噂はどうもデマだったようだ。
イヤ、「ペペさんパワー」が知らない間に退散させてしまったのであろう。
Img_1804_1そのトイレの横からホールへとつながっている階段。Img_1805_1ペペさんによると、ココに誰かがいるような感じがする…というのだ。
私も数えきれないぐらいこの階段を上り下りしたけど、サッパリわからなかったです。Img_1806_1その階段から上がって来てこのドアを通ってホールに入る。Img_2240廊下の反対側。
コレが楽屋スペースからステージに上がる階段。
前回KANちゃんも言っていたけど、出番直前のミュージシャンがココで大いに緊張するらしい。
ココも何度も行き来したけど、私は一度たりとも緊張したことがないわい。
Img_9842昔はこんなようすだった。S41a0157その階段を上がって、このドアを通ってステージに入る。Img_2233するとステージからはこんな景色が広がる…というワケだ。
2階席は結構な高さだからね、ペペさんが言っていた通り、女の人の手が上がって来るなんてことは絶対にあり得ない。
やっぱりペペさんは貴重なモノを目にしたな。Img_22242階席へ上がる階段。
関係者以外は立ち入り禁止だ。
Img_2222反対から見たところ。Img_2220昔はこんな感じだった。S41a0152_2照明のポジションから2階席を見る。
この辺りに中学生がしゃがんでいたんだネェ。Img_22172階からの舞台の風景。
こういう風に見える。
ステージは最後の目黒鹿鳴館の出番を待つばかりのCONCERTO MOONのセット。Img_2216ところで、この鹿鳴館の内装について本シリーズの<その1>にご登場頂いたREACTIONのユキさんからオモシロイお話を伺った。
ユキさんは、REACTION解散後に加入したDEVILSも解散し、「第二の人生」よろしく職人3人を擁する内装業の会社を立ち上げた。
そして、2010年に目黒鹿鳴館の前の社長から仕事の依頼があり、叙々苑の脇の入り口から一番奥の楽屋まで、電気設備や壁面の塗装、床貼り、ステージの補修等々ホール内を除くすべての箇所の改装を一括でユキさんの会社が請け負うことになった。
だからホール以外の今の鹿鳴館の内装はすべてユキさんたちの手によるものなのだそうだ。
だからこの真っ黒い黒い壁の塗装もそう。「漆黒にして欲しい」というリクエストがあったのだそうだ。Img_1807_1改装前、この奥の楽屋の床は土間コンクリートがムキ出になっていのだそうだ。それはヒドイな。
「キレイな部屋にして欲しい」というリクエストを受けてユキさんたちがコンクリートの上に床板を載せてこのような仕様になった。
Img_2249
ステージに上がる階段の壁の色にも当初は「漆黒」のリクエストが寄せられたが、本番で照明を落としてバンドがステージに上がる時、すべて黒い塗装にしてしまうと足元が見えず大変危険であるため、ユキさんのアドバイスでこの色が採用された。
実際に足を踏み外してひどい捻挫を負ってしまったバンドがあったのだ。
昔は底が高い靴を履いてステージに上がるバンドが多かったからね。Img_2248かつてはツーバスを擁するような特大のドラム・キットを使用する時は既成のドラム・ライザーに乗り切らないため舞台に直置きしていた。
そこでエキストラのライザーを製作して面積を広げ、大型のドラム・キットでも載せられるようにしたのもユキさん。
ずいぶん器用な人だ。
何でもおジイちゃんが大工さんで子供のころから大工仕事のお手伝いをしたそうだ。
ウチは父も祖父も大工で、学生時代は私も小遣い欲しさにずいぶん手伝った…けど、私は全然ダメ。
でも、下地の釘を打つ速さはそこらのヤツには負けないぜ。
結果、今、鹿鳴館でツーバスのドラマーがライザーに乗ることができるはユキさんのおかげなのだ。
このエキストラのライザーはユキさん個人で製作したもので鹿鳴館に寄贈された。S41a0447 それだけに<その1>のコメントにあるように、文字通り「鹿鳴館をともに作ってきた」という思いがあるそうだ。
下の写真は「ドヤ顔」のユキさん。S41a0541 
鹿鳴館伝説
S:(事務所内に飾ってあるポスターを指して)あの『鹿鳴館伝説』…アレは何年でしたっけ?
S41a0140_1_2
P:2010年と2012年…震災の年を挟んで2回やりました。
S:うれしかったでしょう?
P:そりゃうれしかったですよ!
S:出演者はどうやって決めたんですか?
P:純粋にボクが「鹿鳴館らしいイベントをやりたい」と言い出して、鹿鳴館に縁のあるジャパメタとヴィジュアル系の代表的なバンドを選んだんです。
普段だったら絶対に実現しない組み合わせもあって、ファンの間では「夢の共演」が実現したイベントだったんですよ。
S:それはイベントの醍醐味ですね。
P:JCBホール(現東京ドームシティホール)はスタンディングでキャパが3,000なんです。ま、初日のヴィジュアル系は入りがよくて1,500、2日目のジャパメタは1,000は入らないだろうな~、と読んでいたんです。
ところが、フタを開けてみると、初日が2,200、2日目は2,800ぐらい入ったんですよ。
ほぼほぼソールドアウトでした。
で、翌年にも開催しようと思ったんですが、結果的に震災でできなかったので、2年後の2012年に1日にまとめて開催したんです。
S:2回とも大成功してヨカッタですね!
P:まったく。
実は2020年には「40周年記念」のイベントをやろうと思ったんですが、コロナになっちゃったんです。
またメタル系とヴィジュアル系の2本立てという企画で、出演バンドにもオファーをして、会場も押さえてあったんですよ。
S:ウワァ、それは残念でしたね~。

************<コラム17:鹿鳴館を記録する>************
事務所内に飾られている『鹿鳴館伝説』のポスター。S41a0094_1JCBホールの満員のお客さんと出演者との記念撮影。
ぺぺさん、うれしかったろうナァ。11_0320

************<コラム18:鹿鳴館の思い出>************
来年30周年を迎えるBLINDMANを率いてきたギタリストの中村達也。
達也さんも鹿鳴館の古参のウチのひとりだ。
 
中村達也
S41a0747「初めて鹿鳴館のステージに立ったのは1987年。
それから37年の間ずっと継続的に出演していたわけではありませんが鹿鳴館はずっと大切な場所でした。
決して大きくはないけれど、ステージが高くてお客さんの顔が良く見える。
死ぬまで絶対に忘れない景色です。
そういえば、1989年の1月7日、昭和天皇が崩御された日にブッキングしていて、とにかく前例のないことだったので、当時のスタッフの方々がアチコチのライブハウスに連絡を取って営業するかしないかの検討していたのを思い出します(もちろんライブはキャンセルになりました)。
そして、新しい鹿鳴館にはボクらも出演したいし、若く新しい世代のバンドたちのためにも一日も早い再開を期待しています。
ペペさん、同じ齢どうしお互い身体に気を付けて頑張りましょうね!」
 
<BLINDMANは去る12月22日、目黒鹿鳴館の最後のステージを終えた。ショウのもようは後日Marshall Blogにてレポートします>0r4a0223

************<コラム19:鹿鳴館の思い出>************
PONさんも古い。
広島から上京してプロ・ドラマーとして初めて立ったステージが目黒鹿鳴館だったのだ。
 
山口PON昌人160v「かれこれ41年前、プロアーティストに憧れて上京した時、東京で初めて立ったステージが目黒鹿鳴館でした。
NOVELAやACTIONの曲を演奏するように頼まれてセッションに出ました。
慣れないメイクもされたりしてね!
それからはバンドを結成する度に必ずブッキングしてもらっていました。
そして遂に28歳の時にメジャーデビューしたのがFEEL SO BAD…その初ライブも鹿鳴館でした。
確かシークレットライブだった。
その後、活動の拠点を大阪に移して10年ほどご無沙汰だったんだけど、また東京に戻って2010年に結成したのがBLIND BIRDで、その初のワンマン・ライブも鹿鳴館で演りました。
様々なアーティストのサポートで数えきれないぐらい鹿鳴館の舞台に上がりました。その経験と仲間たちとの出会いで今の自分があると言っても過言じゃないと思います。
それと、常備のドラムスが現在エンドースしているNATALのメイプルのドラム・キットだったので常に安心して演奏できることがありがたかったですね。
機材を抱えて階段を上り下りしたこと、楽屋でバンド仲間や対バンの連中との大騒ぎ、SEが流れてドアを開けてステージへ入る瞬間などなどみんなと作った楽しいライブの思い出は一生忘れることがないでしょう。
新人スタッフで鹿鳴館に入って来た頃からペペさんには本当にお世話になりました。
目黒での鹿鳴館は一旦ピリオドになりますが、伝説はまだ終わらないはず。
楽しみにしてるし、これからもよろしく!
目黒鹿鳴館、本当にありがとう!そしてお疲れさまでした!」

<PONさんがメッセージの時に触れている2014年8月10日のBLIND BIRDの初のワンマンの時がコレ>Img_0046 <その時に撮ったPONさんの写真。NATALのスリー・バスドラム!>Img_0033_2 
************<コラム20:鹿鳴館の思い出>************
最後に目黒鹿鳴館に言葉を贈るのは島紀史。
ペペさんが「鹿鳴館ホーム」のバンドとして真っ先に頭に浮かべるというのがConcerto Moonだ。S41a0021「関西に住んでいたボクにとって目黒鹿鳴館は憧れのヘヴィメタル/ハードロックの殿堂でした。
そんなボクが初めて鹿鳴館で演奏したのはCRYSTAL CLEARの時代でしたが、それはレーベル主催のライブだったので、上京してConcerto Moonを結成して、やっと自分たちの看板で出演出来た時はメチャクチャうれしかったです。
目黒鹿鳴館は簡単に出演できるライブハウスではなかったし、そこに出演できるバンドをやっているということに誇りを感じていました。
それ以来、目黒鹿鳴館をホームグラウンドと言えるバンドでいたいと思っていました。
一度、演奏中に会場のすべての電源が落ちてしまったことがあるのですが、その時はトラブルにアセるどころか、「自分は鹿鳴館の電源を落とすぐらいラウドなバンドをやっているんだ!」と思い、興奮してそこから演奏のテンションが何段階も上がった記憶があります。
ペペちゃん、目黒鹿鳴館を守り続けてくれてありがとうございます!
アナタがいなければ鹿鳴館はなくなってしまっていたかも知れない…と思っています。
新天地での鹿鳴館で演奏するのが待ち遠しいです。
場所は変わってもアナタがいればそこは「鹿鳴館」です。
相変わらずマニアックなメタル話をしてテンションを上げてからステージを踏むことが出来るのを楽しみにしています!
鹿鳴館はいつまでもボクの憧れの場所であり、ホームグラウンドです。
また電源が落ちるぐらいのラウドな演奏をしてビックリさせてやるぜ、鹿鳴館!」
  
<通常、Concerto Moonはステージの背面にバンド・ロゴが入ったバナーを掲げていた>0r4a0039<下は去る12月14日の目黒鹿鳴館最後のConcerto Moonのステージ。
お気づきであろうか?
島さんはConcerto Moonのバナーを取り付けず、「鹿鳴館」のネオン・サインをあらわにして演奏したのだ。私はこのことに途中で気がついて、心を込めてシャッターを切ったわ>0r4a0015<最終回につづく>
 

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イギリス南西部のコーニッシュ出身のキング・クリーチャー。
本場のブリティッシュ・ハードロックを存分にお楽しみあれ!

<Lowlife>

<Can You Forgive Me>


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200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)

2024年12月26日 (木)

目黒鹿鳴館物語<その3>

  
大型トラブル発生!
S:それではヒドイ目に遭った話を聞かせてください。S41a0003_1P:ヒドかった話ネェ…。
S:何やらたくさんありそうですね?
P:いっぱいありますよ~!
そうね~、アレはスゴかったナァ。
あるヴィジュアル系のバンドが仕切ったイベントでした。
S:一体ナニが起こったんですか?
P:はい、ヴィジュアル系のバンドだけを集めてやればよかったんですが、ナニを考えたのかハードコアのバンドと組み合わせた企画だったんです。
ハードコアの連中ってのはちょっとコワいワケですよ。
それで8バンドぐらいが集まってやるにはやったんです。
「やった」まではヨカッタんですが、ハードコアの連中にしてみるとヴィジュアル系なんてどうでもいいワケですよ。
ハードコアとヴィジュアル系が交互に出演して行って、このままナニも起こらなければいいナァ…なんて思っていたんですが、最後の最後に両方のバンドが出るセッションがあったんです。
それに出たハードコアのバンド・メンバーはわずかで、ヴィジュアル系のバンド・メンバーばっかりだっS41a0035たんですね。
その時演奏したのはセックス・ピストルズの「Anarchy in the UK」かなんかだったかな?
そうしたら2階にいたハードコアのファンの連中が「お前らナンだってパンクの曲なんか演ってんだ!」って怒り出してステージに向かって空き缶をガンガン投げ出したんです!
S:ハードコアの人たちはパンクが気に喰わないというワケですね?
P:でも、ビジュアル系のバンドの子たちはハードコアのバンドを恐れていたので、空き缶を投げられても反抗もナニもできなかったんです。
ところが、今度は1階にいたヴィジュアル系のファンの連中が「自分たちがヒイキにしているバンドに向かってナニをしてくれるんだ!」と怒り出して、2階席と1階席でお客さん同士のケンカが始まっちゃったんです!
S:ギャハハ!分断だ!
P:そう!そのケンカを止めるでもなくステージではそのまま

演奏が続いていたんですが、2階の連中がその場にあった長椅子を下の階へ放り投げたんです。
S:そんなムチャな!
P:ナニかに引っかかってズドンと直接下に落ちることはなかったので幸いケガ人は出なかったんですが、お客さんの1人が救急車を呼んじゃいましてネェ。
結局、救急車は来るし、警官は来るし、ライブは中断するし、マァ~、アレにはマイりましたよ。
 
禍福は糾える縄の如し
S:それは大変でしたネェ。天災は?…浸水とか。
P:そりゃありましたよ!
下水ではなかったんですが、上の階から水が漏れ出したんです。
場所がステージの上だったんですが、ビニールを張ってポタポタ垂れてくるのを防いでいたんですね。
漏れて来る水の量は多くないにしても段々ビニールに溜まっていっちゃうじゃないですか。S41a0009_1_2
で、あるバンドのアンコールの時にシンガーが上向いた瞬間にビニールがハズれてジャッバ~とやっちゃった!
S:まるでドリフ状態じゃないですか!
P:まったく!
他にも上の階の配管工事がオソマツで、トイレのところから上に上がる階段の壁が全部崩れ落ちたなんてこともありましたよ。
この楽屋も隣の配管がおかしくなって水浸しになったことがありましたね。
その時は汚水だったのでクサくて大変でしたよ!
S:そういう意味では近所のお付き合いなんかもご苦労があったんじゃないですか?
P:さっきもチョット触れましたが、最初の頃は店の前のお客さんの行列でこの辺りの商店会の会長さんからら毎日クレームが入ったんですよ。
我々も菓子折りを持って近所のお店に挨拶をして回ったりしたんですが、ある時から鹿鳴館のロゴが入ったシャツやジャケットを着てこのあたりの清掃活動をするようにしたんです…毎日欠かさず。
見てくれている人はよく見てくれていて、そのうち商店会の会合で新しく店を出した人から鹿鳴館に対するクレームが出たりすると「アナタのお店の前を掃除してくれているのは鹿鳴館さんなんですよ!」と、かつて鹿鳴館にクレームを入れて来ていた皆さんが味方をしてくれるようになったんです。
S:やりましたね~!気持ちが通じた。
P:で、周辺のお店とはうまくいくようにはなったんですが、通行人からクレームが入ることもありましてネェ。
店の前の道も狭いので、通行人の邪魔にならないように気をつけてはいたんですが、一度お客さんとその筋の人がモメてしまったことがあって、その仲裁に入ったなんてこともありましたよ。
ズ~っと手首をつかんで話をするんですよ…コワかった。
ま、大人しく引き下がってくれましたけどね…。
 
**********<コラム11:鹿鳴館を記録する>**********
その問題のイベントの時、このような長椅子を下の階に向けてココから放り投げたのだという。
そんなことしちゃダメよ、ダメダメ。
しかし、ペペさんたちもビックリしただろうナァ。
「客どうしのケンカ」といえば、コレはこれまで何度も書いているけど、私は武道館のテッド・ニュージェントのコンサートの最中にアリーナ席で外国人の客と警備員が取っ組み合いのケンカをしたのを目にしたことがある。団体戦でスゴイ迫力だった。
でも、おかげさまでライブハウスで危険な目に遭ったことはなかったナァ。Img_2219コレはステージの天井スラヴ。
先日のJill's ProjectのMCでDio Kenちゃんが「鹿鳴館のステージの天井は黒くない」ということを言っていたけどホントだわ。
打ちっぱなしのコンクリート。
ココから水が漏れていてドッパ~ンとなった。
見てみたかったナァ。
Img_2227ステージ上に設置されている照明群。
第1回目のコメントでユキさんが触れていたが、この中にREACTONの時に設置された照明機材が残っているかな?Img_2236楽屋エリアのようす。Img_2252ノンちゃん、チョット失礼!
かつてはココにも汚水が入り込んでしまったことがあったという。Img_2250楽屋用の部屋は奥にもうひとつあって、男女別、または喫煙/禁煙別で使い分けているバンドが多かった。
Img_2249

困ったお客さん
S:お客さんの中にも厄介な人がいたのでは?ゲロ吐いちゃうヤツとか。
P:ウ~ン、結構いましたネェ。
切ない話なんですけど印象に残っているのは…「たこ八郎」を思い浮かべてもらえばよいと思うのですが、ああいうパンチドランカーみたいな感じの人が、油まみれの汗臭い作業服を着てやって来るんですよ…週一ぐらいで。
S:ライブを観にくるんですか?
P:そう。メタルだろうがヴィジュアル系だろうが、そういうことはお構いなしで、3バンドぐらい出るイベントになると現れるんです。
でもナゼかワンマンの時には来ない。
とにかく酒と汗と油のニオイがスゴくてまったくしゃべらない。
で、受付でポケットから小銭を取り出してトレイの上にジャラジャラ置くんです。
5円玉とかも混ざっていて、それで何とかチャージを支払ってくれるんですよ。
当時の鹿鳴館はドリンクをやっていなかったのでチャージだけ支払ってもらう。
それで一番前の席に座って、ツマらないと思うと寝ちゃうんです。
ところが、寝ると小便をしちゃうんですよ!…寝小便ね。
反対に楽しくなると他の人たちと一緒になって「ワ~!」って騒ぐんですが、今度は周りのお客さんからクレームが来ちゃうんですよ…「あのオジさんがクサイ!」って。
S41a0025_1_2まぁ、ナニかしちゃってからでは遅いということはわかっているんですが、痴漢をするワケでもないし、人のモノに手を出すワケでもないのでこちらからはどうすることもできない。
「あの人もライブハウスが好きで来てくれるみんなと同じお客さんなのでわかってあげて~」って周りのお客さんには納得してもらいました。
S:そのお客さんはその後どうなったんですか?
P:気がついたら来なくなっていましたね。
ナンカこっちも勝手にストーリーを作っちゃって…だって2,000円も出せば他でイッパイできるのに、仕事をしてクタクタになった後、ライブを見に来てくれるワケでしょ?
キレイごとを言うつもりはありませんが、鹿鳴館はそういう人の心の拠り所にもなっていたんだナァと思うんです。
あの人のことを思い出すととても切なくなるんですよ…今どうしてんのかナァ。

一番お客さんが入ったライブ 
S:切なくなってしまったところで今度は景気よく行きましょう。
今までで一番客が入ったライブは誰でした?
P:(即座に)「Dancer」だと思います。解散ライブでは400以上入れましたからね。S41a0092_1_2
S:エエエエエッ?400人もッ?! 一体どうやって?
藤本泰司さんがやっていたバンドですね?
P:そうです。420近く入れたのかな?
メジャーに行く前、インディーズ界隈ではかなり惜しまれつつ解散しちゃったんですよ。
アルバムもよく出来ていましたし、本当の正統派のメタルというか、ハードロックのバンドでした。
その解散ライブだったんです。
S:メタルに人が群がる時代だったんですね。
しかし、400って…。
P:前売りで300とか350とか出してソールドアウトしたんです。
もう入りきらないので今だったらもうそこで打ち切りにしますけど、ナンカ知らないけど当日券を出したんですね。
S:だってホールに入れなければお客さんだって観ることができないでしょう?
P:そうです。だからホールの扉を開けっぱなしにして、ロビーまで満員にしたんです。
S:ヒョエ~!
P:でもそれどころじゃなくて、階段にまで入ってもらって、お客さんは手すりの下からアタマを出して見てもらったんです…ま、見えませんけどね。
あの光景は忘れることができません。
S:その反対は?つまりお客さんがゼロとか。
P:ワンマンで20人以下とかいうバンドはありましたよ。
ボクはそのバンドがニガテでしてネェ。
ライブもムダに長くて、そのバンドが出る時には仕事に来るのがユーウツでしたね。
S:ペペさんでもそんなことがあるんですか?
それにしても鹿鳴館のワンマンで20人じゃいくらなんでも寂しいですね~!
 

**********<コラム12:鹿鳴館を記録する>**********
ホールの扉を開けてロビーを望む。Img_2241反対にロビーからホール内を望む。
今はホールに誰もいないので見通すことができるけど、お客さんが入ってしまったらココからはナニも見えやしないって!Img_2242 この階段に座って首を手すりの間から出して逆方向を向いてホールの中を覗いたっていうんだけど…ますます見えるワケがない!
音だけなら家でレコード(この頃はもうCDかな?)を聴いているほうがよっぽどよかろうに!
姿は見えなくても、音を聴いて、一緒にその場にいる…ということだけで満足だったんだろうね。
「ファン」ってのはそういうもんなのね?
Img_1812_1_2 かく言う私も実は似たようなことをしたことがある。
1981年、キング・クリムゾンが初めて日本に来た時のこと…『Discipline』のレコ発ツアーね。
コンサートに行きたいものの小遣いが足りない。
でもどうしても観たい!
そこで思い立ち、家から自転車で5分の浅草国際劇場まで行って、中から漏れ聞こえて来る音だけを聴きに行くことにした。
外からだから、Dancerのファンより条件が悪いハズだった。
劇場の前で開演を待っていると、若い男性が近寄って来て、「スイマセン、友達が急に来れなくなってしまったんです。チケットをお持ちでないのであれば2,000円でこの余ったチケットを買い取ってもらえませんか?
どうせ売るのであればあの人たちに売るより、キング・クリムゾンが好きな人に買ってもらいたいんです」と、その男性は見るからに風体のよろしくないオジさんたちの方を指さした。
もちろんダフ屋の皆さんである。
ズボンのポケットに手をいれると千円札が3枚ぐらい入っていたので勿怪の幸いとばかりに即座に2枚の千円札を渡した。
チケットはS席で2階席の1番前だった。「コレで2,000円はラッキーすぎる!」と思ったことはココに書くまでもなかろう。
中学生の時からキング・クリムゾンが大好きだったので、そのコンサートは人生の中で忘れ得ない感動的なモノとなった。
前回、ペペさんが鹿鳴館でもダフ屋が出た話をされていたが、インターネットでコンサートのチケットを買い求めるようになった昨今、今でも「ダフ屋」って商売はあるのかね?
今は「転売ヤー」か?
皆さんきっと「昔はヨカッタなぁ」と思っていることでしょうナァ。
何でも昔はヨカッタよ。
Skd2  
鹿鳴館とMarshall
S:ところで、ペペさんが記憶している範囲で…Marshallは昔からズッと鹿鳴館のステージにあったんですか?
P:イエ、昔は鹿鳴館のステージには機材が備え付けられていなかったんです。
鹿鳴館は「オーディションが厳しい」って言われていて、ボクが1987年に入社して、その翌年からそのオーディションを担当したんです。
LUNA SEAを落としたのもボクなんです。
S:ギャハハ!ビートルズを失格にしたデッカのディック・ロウみたいですね?(Marshall Blog「ビートルズに勝った男」参照)
P:最終的には店長が合否をキメるんですけど、彼はライブをあんまり見ないんですよ。
それで「あのLUNA SEAってのどうだった?」って後で訊かれて「イヤ~、ダメですよ」なんてやっちゃった。S41a0069_1
そんなんで「鹿鳴館は敷居が高い」なんて言われていたんです。
一方では、鹿鳴館には機材がないので自分たちの機材や機材車がないと出ることができない…ということもあったんですね。
今ではハコの機材を使ってライブをやることは普通になっていますが、鹿鳴館はそれを許さなかった…というか、機材を持っていなかったので許しようがなかったんです。
その内、ドラムスを持っていないバンドがだんだん増えて来てしまった。
あるいはドラム・キットは持っているけど、それを運搬する車がないというバンドですね。
それで「コリャ鹿鳴館も機材を置かないとダメだな…」ということになって来たんです。
S:そう言われてみると、あの頃って屋根裏でもロフトでも備え付けの機材を持っていたのかな?
少なくとも今みたいに「Marshallが常備してあった」というイメージは全くないな。
実際自分もMarshallを中古で買って持ち込んでいましたし…。
P:当時はほとんどなかったと思いますよ。
S:イギリスには機材を常備しているライブハウスもありましたけど、海外は基本的に機材は用意されていませんもんね。
P:そうですよね。
それで「鹿鳴館も機材を置こう」ということになって、誰が持ち主だかわからなかったドラム・キットをS41a0052_1_2使ったり、ピーヴィーのベース・アンプを買い足したりしたんです。
当然ギター・アンプは最初からMarshallのスタックを2セット用意しました。
S:ありがとうございます!
それはザっと何年頃の話ですか?
P:1994、95年位かな~?
S:結構後になってからだったんですね?
それじゃお買い上げ頂いたのは「JCM900」だったのかな?
P:多分。
昔はココ(事務所の場所)でスタジオをやっていたんですが、そのMarshallは最初、そのスタジオ向けだったんです。
 
鹿鳴館のスタジオ
ココでインタビューの場所を事務所の中に移した。
S
:今でも階段の壁に「ALL NIGHT STUDIO」という黒いサインが残っていますけど、アレはどういう風になっていたんですか?S41a0096_1
P:この部屋(事務所)だけがスタジオだったんです。
かつてこのビルのオーナーだった人が経営していたんですが、ビルを手放すことになって、「この地下のスタジオも鹿鳴館が借りてくれないか」と言われて引き継いだんです。
S:ん?…ということは、上は鹿鳴館で下は別の人がスタジオをやっていたということなんですね?
P:そうそう。中がつながっていたのでチケットが取れない人気のあるバンドが出る時は、スタジオを借りて中から鹿鳴館に入ってライブを見た…なんてこともあったようです。
「今だから話すけど」と、後から聞いた話なんですが…。
S:それでその誘いに乗ってスタジオを引き継いで経営されたワケですか?
P:実はそれには乗り気ではなかったんですよ。
ところが第三者がそのスタジオを運営するということになると、共有部分が自由に使えなくなってしまう…そこで渋々借りたんですね。
それで「深夜料金1万円」なんてやっていたんですけど、シンバルの補充だけでもかなりコストがかさんでしまって「コリャ元が取れね~な」ということになった。
で、上の事務所が手狭になって来たこともあって、スタジオの経営からは撤退してココを事務所として使うことにしたんです。

************<コラム13:鹿鳴館の思い出>************
今回、目黒鹿鳴館の思い出を語って頂くのはNAKED MACHINEチームのふたり。
思い出してみるに、源ちゃんのことはかなり前から存じ上げていたが、2016年の4月に私が初めて5人組のNAKED MACHINEに接したのは目黒鹿鳴館だった。
下はその時のようす。
10 その後、メンバー・チェンジを経て、ペペさんおっしゃるところの「ホームにしているチームのひとつ」として鹿鳴館とは切っても切れない関係のバンドがNAKED MACHINE。
008a3950 まずはリーダーでギタリストの源ちゃんから。
 
里村源多朗S41a0005 「僕が初めて鹿鳴館に出演したのは割と遅く、1993年頃だったと思います。
その時、楽屋の横の事務所を覗くと、元Xのベーシスト沢田泰司さんが打ち合わせにいらしていて、Xファンだった当時のバンドのボーカルが驚いていた記憶があります。
それから10年後、まさか泰司さんと『音風』というバンドを結成するとはその時には夢にも思いませんでした。
2003年、鹿鳴館での音風の初ライブは超満員のソールドアウト。
フロアの扉は開きっぱなしでお客さんが溢れてた記憶があります。
現在NAKED MACHINEでは鹿鳴館RECORDSからCDをリリースさせて頂き大変お世話になっております。
そんな鹿鳴館ももうすぐ閉館、沢山の思い出をありがとうございました。
オーナーのぺぺさん、デンさん、シキちゃん、大変お世話になりました。
今後新たな地で『鹿鳴館』の歴史が始まることを期待しております」
  
************<コラム14:鹿鳴館の思い出>************
続いてはボーカルズのKANちゃん。
ペペさんと並ぶ「鹿鳴館の華」だけあって思い出は尽きないことでしょう。
 
KANS41a0626 「『目黒鹿鳴館』といえば!…私は小学生の頃からハードロックが好きで、中学時代は「将来バンドを始めたら絶対に毎月鹿鳴館で演奏するバンドマンになるんだ!」と思っていた憧れの聖地でした。
それから18歳位になってやっと鹿鳴館に出られるようになったのです。
その頃は今の楽屋と事務所の辺りはスタジオだったのですよ~!
で、階段の踊り場の横が事務所だったのですが、常連のバンドマンの先輩たちはその事務所から小さな窓をくぐり抜けて2階席に行くのです。
それがカッコよくて、いつかそれをするのが許される人になりたくて、初めてその窓から行き来できた時はうれしかったな~。
ペペちゃんがこれまで目黒鹿鳴館を支え、発展させ、そして動かしてきた功績はみんなの希望の証です。本当にスゴい!
ペペちゃんがアルバイトで鹿鳴館に来た時からアッあっという間に時が経ちましたが、今でも一緒に日々笑い、励まし合っている私の人生には無くてはならない大切な存在です。
そして忘れてはいけないのは、スタッフのデンさんとしきちゃん!
各バンドのステージ上での諸々を記憶していてくれて、毎回完璧な対応を施してくれました。
しきちゃんが、Marshallアンプをヒョイッと持ち上げた時は驚いた!
本当に安心して身をゆだねることができたことに感謝しています。
ところで、楽屋裏から舞台に上がる細い階段があるのですが、ライブが終わって高いブーツを履いたままその階段を降りる時、何回か落ちたことがありましたが、反対にあの階段を上がる時の緊張感はいつも変わらない「聖なる瞬間」でしたね。
長い間ずっと鹿鳴館に居ることができて本当にうれしかったです…『憧れていた場所』が『いつも居られる場所』になったのですから。
私の人生に目黒鹿鳴館が現れてくれたことに心から感謝します!
今はない歩道橋、打ち上げ後の蕎麦屋『与一』、エレベーターが無い搬出入、折り畳みのイス席…全部覚えておくよ~!
私はあのステージからの景色を忘れないでこれからも生きていきます。
ひとます、目黒の地でお疲れさまでした。
そして、次の鹿鳴館でもお世話になりますね!
そう、新たな『鹿鳴館』も楽しみでしかありません。
またずっとホームとして出られるようにNAKED MACHINEもがんばります。
これからも健康で一緒にワクワクして行こうね!
ありがとうペペちゃん、ありがとうスタッフのみんな!
これからもお支えします!」
 
<NAKED MACHINEは去る12月21日に最後の鹿鳴館での単独の公演を予定していたが、ドラマーの本間大嗣さんの椎間板ヘルニアが悪化し、やむなく内容を変更しての上演となった。
私も椎間板ヘルニアで塗炭の苦しみを味わった。本間さんが「稲妻のような激痛」と表現していたけど、ホント、アレは「苦痛のチャンピオン」としか思えないような苦しみだから!
最後にもう1度目黒鹿鳴館のステージに上がったNAKED MACHINEの姿を見てみたかったが、この判断は仕方のないところであろう。
代りに源ちゃんのソロ演奏と…>0r4a0095 <メンバー3人によるトーク・ショウが上演された。
滅多に目にすることのできない出し物を観ようと大勢のファンが駆けつけて大いに盛り上がった(詳細は後日Marshall Blogでレポートします)。
新しい鹿鳴館のステージ上がったNAKED MACHINEの雄姿が待ち遠しい!>
0r4a0150  
************<コラム15:鹿鳴館を記録する>************
ロビーから…Img_1815_1楽屋の階に降りる階段。
Img_1810_1その壁にペペさんやkANちゃんが述べていたスタジオがあった痕跡が残っている。Img_1809 廊下の突き当りの左、楽屋スペースの隣にある今は事務所として使っている部屋がかつてはそのスタジオだった。
部屋はこのひとつだけ。
Img_1799_1スタジオを始めた時に導入したMarshallのハーフ・スタック2セットがコレ。
やはり「JCM900 4100」と「1960A」だった。S41a0167 ちなみにペペさんが語っている「手狭になった上の事務所」とは踊り場の受付の右のところにある小部屋。
あ、しきちゃんが写ってる。
KANちゃんのメッセージにあったように、しきちゃんはいつもステージ周りの面倒をみている鹿鳴館の重要なスタッフのひとり。
新しいところへ行ってもよろしくね!Img_2243今、そのかつての事務所はこんな具合。
そうだ!コレを見て思い出した。
鹿鳴館にはバーがなくて、昔はドリンクをやっていなかったわ。
この小部屋から…Img_22452階席のPA卓の後ろあたりにつながっていた。
コレがKANちゃんが憧れていたという2階席への抜け道。
実は、前のMarshallの社長を鹿鳴館に連れて来たことがあった。
その時、ちょうど音響設備を入れ替えたばかりで、今はなき鹿鳴館の前の社長が英語で直々にその新しい設備をウチの社長に説明してくれた。
その音響設備を操っているのがデンさん。
Img_2244オマケ的に…。
PA卓と照明卓の配線。
2階席に上がって写真を撮る時にいつもコレが気になっていた。
ナゼかというと…Img_2305 このベトナムの街で目にした電線のようすを思わせてくれたから!320v_2 <つづく>
 

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<Nowhere>

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200 (一部敬称略 写真提供:ぺぺさん)

2024年12月25日 (水)

目黒鹿鳴館物語<その2>

 
目黒鹿鳴館入社

S:ナニはともあれ念願の音楽関係の仕事に就けてヨカッタですね。
S41a0005_1_2P:ハイ。でもマァ、色々とこき使われましたよ。
今で言うパワハラみたいなことも普通にありましたし。
でも、そうして一生懸命やっていたのでバイトから社員に格上げしてくれたんです。
それで「音響をやってもらう」って…。
S:社員になるとPA担当になるんですか?
P:そう。でも仕事の最初はピンスポの担当から始まるんです。
アルバイトは照明までしか担当させてもらえなかったんですよ。
ところが、「PA」と言われてもボクは音響の学校を出ているワケでもないのでどうやっていいのかサッパリわからない。
すると店長が「ああ~大丈夫、大丈夫!後ろで見てオレのを盗めばいいんだから」と言われて1、2週間やったんです。
ナニひとつ教わらないで「ハイ、後はその人のセンスだから。最初は後ろに付いていてあげる」で終わり。
結局ナニも盗めなかったんですよ!
S:アレは見ているだけは絶対わからないと思いますよ。
慣れている人は作業も速いし。
P:そうなんですよ!どれぐらいの音を出せばよいのかなんて全然わからない。
しかもボクは19歳ぐらいで、出演者はみんな年上じゃないですか?
もうコワかったんですが、昔はボクも長髪で痩せていて皆さんに可愛がってもらいましてね…特にガーS41a0020_1ル・バンドの皆さんとか「ペペちゃん、ペペちゃん」なんて言ってもらっちゃって…で、そのガールズ・バンドの人がミュージシャンの彼氏に「ペペちゃんを可愛がってあげて!」なんてやってくれるワケです。
S:実際、ペペさんはカワイイですからね、目が。
P:アハハハハ!
S:しかし、それからはズッ~~~と鹿鳴館?
P:そうです…1987年からズッと。
S:スゴイですね。私なんかMarshall社は3つめの勤め先ですからね。
P:ナンカあんまり働いているという感覚がないんですよ。
そりゃ仕事に対して悔しい思いや辛い経験もしましたが、好きなことなので…というか、コレをやりに田舎から出て来たので今までアっという間でしたよ。
S:以前はよくペペさんがデカい紙パックのコーヒー牛乳を片手にピンスポを動かしているのを目にしましたが、アレにはそんな職歴が背後にあったんですね?私はペペさんの照明が大好きでしたよ!
だって「コンサート」というモノをよくご存知だもん。
P:アハハハハハハハ!
 
***********<コラム4:鹿鳴館を記録する>************
真ん中が昔のぺぺさん。
ピントが合ってないこともあるが、この写真を見て私は真剣に「アレ?西田敏行が来たんですか?」とペペさんに訊いてしまった。
「イヤ、それがオレです」って。S41a0165昔の鹿鳴館の入り口。
マリーンのポスターが時代を感じさせるナァ。
え?もしかして鹿鳴館に出演していたの?
コレは『サマー・ナイト』というアルバムのポスターでリリースは1982年だそうです。
そんな時分に撮った写真だとしたらコレは鹿鳴館がオープンしてから2年後のモノだ。
S41a0151 
ペペさんの下積み時代
S:そんな状態で一番最初に音響を担当したバンドって誰だったんですか?
P:「Magician’s Birthday」という当時30歳ぐらいのハードロックのバンドでした。
S:ユーライア・ヒープが好きだったのかな?
P:それが時間を守らないバンドでしてネェ。持ち時間が40分とか45分なのに平気で1時間を越したりするんですよ!
S41a0009_1当時は音出しが9時までだったんです。
6時から始めて、転換も含めて1時間ずつ3バンド演奏して終わりが9時。
ところがそのバンドが時間をオーバーするもんだから9時に終わらずに大騒ぎ。
すると先輩たちが「山口!オマエがチャンと言わないからダメなんだよ!」って言うんですよ。
相手はかなり年上でしたからね、「エエエエ?オレが言うんスか?」ってなもんです。
こういうことはブッキングの担当者の仕事なんですけど、しょうがないから「あの~、時間を守ってもらいたいんですけど」って言いに行ったんですよ。
そしたら「へへへ、迷惑をかけるつもりはないんだけどね~…ノッちゃうとね~、止まらないんだよね~」とか言われて困ったことがありました。S41a0047_1_2
でも当時はそういうバンドがたくさんいましたよ。「自由」と言えば自由な時代だった。
S:ルールを無視するのがロックだゼ!みたいな?
好きな仕事とはいえ、そういうご苦労は絶えなかった?
P:まぁ、色々ありましたネェ。
当時は今と違って「出待ち、入り待ち」がスゴくて、店の前なんかもうグッチャグチャになっていたんですよ。
すると近所のゲームセンターの人とかがもう怒鳴り込んで来ましてね。
こっちは隣近所に迷惑をかけるワケにはいきませんから、店の前にいる女の子たちに「移動してくれ」って頼むんですが、彼女たちも意地になっちゃってテコでも動いてくれない。
困りましてね…で、考えたのがその日のライブが終わってから、出演したミュージシャンがステージに落としたピックをかき集めてその子たちに「コレをあげるからどっかヨソへ行って!」ってやったんです。
そんなことをしているウチに向こうもボクに親しくしてくれるようになって、「ペペちゃんが怒られちゃうからアッチへ行こう!」なんて協力してくれるようになったんです。アレはアレでいい経験でしたよ。
S:それはウマいことを考えましたね~。

***********<コラム5:鹿鳴館を記録する>************
鹿鳴館が入っているヤマザキビル。Img_2753お店の前の歩道の幅員は普通で特に狭いワケではないが、ココに若いヤツらがひしめき合って通行の邪魔をしていれば近隣の人はハラが立って当然だわナァ。
ペペさんも大変だったと思う。
Img_2211 
ジャパメタについて
P:ボクが鹿鳴館に入った1987年は、時代的にはジャパメタ・ブームのピークだったです…まだ「X」が出て来る前ね。
S:ペペさん、途中でちょっとゴメンなさい。
私は1980年に入った頃からロックとはゼンゼン異なる音楽に夢中になっていたものですから、「ジャパメタ」なるモノを全く通っていないんですよ…それでMarshallか?って怒られちゃいそうですけど、70年代の洋楽なら人後に落ちることはまずありませんから!
で、「Xが出て来る前」ということになると、「ジャパメタ・ブーム」というのは一体ダレが火をつけたということになるんですか?EARTHSHAKERとかの世代?S41a0013_1_2
P:イヤイヤ、シェイカーは「第2世代」ですよね。
言ってみればBOW WOWとか、LOUDNESSが「第1世代」。
それからEARTH SHAKER、ANTHEM、44MAGNUM、ACTION、BLIZARDとかの「第2世代」につながるワケです。
で、「第3世代」がREACTIONとか、PRESENCEとかDEAD ENDとかの世代になるんだと思います。
それが1987年ぐらいになると、そうしたバンドが次々にメジャー・デビューをして大きな会場でライブをやるようになった。
その後にもバンドは出て来ましたが、ブームは段々終焉に向かい出した。
その頃にXが出て来たんですよ。
S:へぇ~、そういう感じだったんですか?
P:はい。正確に言うとXは「出て来た」のではなくて元々別のメンバーで存在していてチョット他のバンドとは違う感じだったんです。
当時のジャパメタよりもスラッシュ・メタルみたいにもっと激しい感じって言えばいいのかな?…すごくハデでね。
で、メンバーの何人かはすでに別のバンドで鹿鳴館に出ていたこともあってXも出るようになった。
S:なるほど…。
 
ライブハウスは危ない?
P:当時はライブハウスも黎明期というか、今とは違って親に「ライブハウス行ってきます!」って言えないような怪しい場所だったんですよね。
S:そうだったと思います。
私は高校生だった70年代の後半から屋根裏とかロフトに通っていましたが、確かにライブハウスはコワいイメージでしたよ。当時は店内でタバコもゼンゼンOKでしたしね。
P:そうそう、ヴィジュアル系も市民権を得るようになって、Xの頃から「ライブハウスというモノはそういう怪しい場所ではない」という風に変わったんですね。
テレビなんかにもライブハウスが出て来るようになったし。
で、その時代にライブハウスに通っていた人たちが親になっていますからね。
今ではライブハウスもそんなに煙たがられることがなくなったワケです。
S:ライブハウス周辺でブラブラしているお兄さん、お姉さんがまたコワかった。
いつ行ってもそこにいる人たちが何人かいた。
P:はい。この辺の高校なんて「鹿鳴館の前を通ってはいけません」という校則があったぐらいなんですよ!マジで。
目黒駅に行くのに鹿鳴館のところはワザワザ道路の反対側へ渡って通過するという規則なんですよ!S41a0019_1
P&S:ギャハハハハ!(大爆笑!)
P:それでも「行ってみたいナァ」って子がいるので先生がこのあたりをパトロールしていましたよ。
だから制服なんかでは絶対に行かれない。
埼玉とかからは制服で来ている子がいましたけどね…この辺の学校の生徒はムリ。
S:昔はライブハウスに高校生なんてまずいないのが普通でした。
そもそもロックを聴いている子が少数派でしたから。
だから私はどこへ行っても必ず一番年下でした。
それがいつの間にかどこへ行っても最年長になっちゃいましたよ!
P:そうでしょ?ボクも鹿鳴館に入った頃は一番年下でした。
お客さんに年下がホンの少しいたかな?
S:そうして若い子が鹿鳴館にも来るようになってなんかトラブルがあったりしました?
P:忘れもしませんよ。見るからに中学生の子が近所の居酒屋で酔いつぶれていたことがあったんですよ。
あの頃は居酒屋もかなりいい加減でしたけど、打ち上げの時なんかバンドもファンも居酒屋へ行って一緒になってメチャクチャやっちゃうんですよ。
おかげでバンドマンはこの辺りの居酒屋に出入り禁止になっていましたからね。
長髪にしているだけで出入りが許されない。
S:ま、ご苦労はあってもそのジャパメタの第3世代が来て、ものすごく盛り上がったというのは「とても良い思い出」ということですよね?
P:そうですね。

***********<コラム6:鹿鳴館を記録する>************
近くの高校生たちは道路の反対側に渡り、こんな景色を見て目黒駅へ向かっていたのであろうか?
そういえば昔、ココに歩道橋があったよね?Img_2751 「あ~あ、学校帰りに入ってみたいナァ、鹿鳴館」Img_2760_2 この高校生の話って実は他人ごとではなくて、今から約30年前、初めてニューヨークへ行った時、あまり治安がよくないと聞かされていた「バワリー・ストリート」というところをビクビクしながら歩いていると、「ドォォォォン、ドォォォォン」という不吉な低音が聞こえて来た。
何事かと思ったらそこにニューヨーク・パンクの殿堂の「CBGB」があった。
もうコワくてね、目黒の高校生のように店の前を通らずにワザワザ通りを渡ってCBGBを遠巻きにしながら通過した。
ペペさんの話をお聞きしてこの時のことを思い出してしまった。Cbgb2 で、こうして通りの反対側に来て初めて気がついたんだけど、コレ以前は「筑前屋」とかいう焼きとん屋が上に入っていたんですかね?
いつのことかナァ。かすかに覚えているような…覚えていないような。
その後に叙々苑が入ったのかな?
Img_2759  
Xの思い出
S:いわゆる「鹿鳴館が育てた」的な代表的なバンドというと?
P:「育てた」というワケではありませんが、鹿鳴館をホームグランドにしていてテレビに出るようになったバンドということで言えば、X、LUNA SEA、GLAY。S41a0066_1
Xは違いますが、他は鹿鳴館のオーディションから入っていますのでね。
S:私が高校生の頃はライブハウスに出るだけでも大変だった。
P:そうです。Xはベースの沢田泰司さんがボクが入る前の鹿鳴館の店長の高校の後輩だったんです。
その店長がXのツアー・マネージャー兼PAをやっていたので鹿鳴館がホームグランドになったんです。
で、1988年にメジャー・デビューして「紅白歌合戦」にも出るようになったんですが、当時、鹿鳴館では大みそかに「オールナイト・メタル・パーティ」というのをやっていたんです。
それでXの連中がNHKホールの後、必ず鹿鳴館に来てくれていたんです。
お客さんもそれを知っているもんだからNHKホールから全部流れて来ちゃう!
だって、こんな小さなライブハウスなのにダフ屋が出ていたんですよ!S41a0089_1S:ヒエエエエ!ダフ屋が?! 実際に演奏もするんですか?
P:タマにメンバーがステージに上がることはあっても演奏はしませんでした。
紅白も終わったし、後輩のバンドがたくさん出ているし、朝までやっているしで、自分たちも混ざってワイワイ楽しみに来ていたんです。
メチャクチャになっていましたけどオモシロかった!
アレには「ライブハウスの本質」を見たような気がしましたよ。
バンドのメンバーが楽しんでいるところを見てお客さんが楽しむ…みたいな。
S:そのイベントに出て今でも活動しているバンドはいますか?
P:東京ヤンキースとMUCCぐらいかな?
GLAYは出ませんでしたけど、LUNA SEAは一度出たことがありました。
S:しからば、今、鹿鳴館をホームグラウンドにしてくれている現役のロックのバンドとなると誰が思い浮かびますか?
P:CONCERTO MOON、BLINDMAN、岡垣さんのイベント…ズッ~と現役で「鹿鳴館がホーム」ということになると、一番最初に名前が出て来るのはやっぱりCONCERTO MOONかな?
あと高橋ヨシロウさんのバンドもそうですね。
S:それほど古くないにしてもNAKED MACHINEも?
P:もちろんです。
 
***********<コラム7:鹿鳴館の思い出>***********
「鹿鳴館の思い出」の第2回目はまず、ペペさんが「鹿鳴館をホームにしているバンド」のひとつに挙げていた岡垣さんの登場。
 
岡垣"JILL"正志0r4a0603「1984年にTERRA ROSAで初めて東京に遠征した時の会場が目黒鹿鳴館でした。
権之助坂に機材車を停車してその看板を目にした時『これがあの有名な目黒鹿鳴館か!東京進出頑張ろう!』と意気込んだのが40年前。
それ以来、初の全国ツアー、メジャー・デビューライブ、レコ発ライブ、そして解散ライブと、関東ではTERRA ROSAの節目の時には目黒鹿鳴館でライブを行うのが慣例となりました。
TERRA ROSAが解散した後も梅ちゃん祭、マンドレ祭、パープディープル、レインボー伝説などのセッション・イベントに出演したり、Metal総進撃、様式美大作戦といった自主企画イベントを目黒鹿鳴館で開催させて頂いてきました。
その慣れ親しんだステージの上から今年の11月に見た景色は40年前と変わらずとても素敵で、その時『この風景を見るのもコレで最後なんだな…』と思ってちょっとセンチメンタルになりましたね。
そして、鹿鳴館といえば本当に温かいスタッフの皆さん!
特別な安堵感があって、毎回『いつもの感じでお願いしま~す』で伝わる空気感の素晴らしさ。
ライブ中にブレーカーが落ちて停電状態になっても1度も不安になったことがありませんでした。
自分にとってそんな特別なホーム感がある目黒鹿鳴館が大好きでした。
エレベーターがない鹿鳴館では道路から2階分の階段を下りて人力でホールに機材を運ぶ必要があって、キーボードやアンプやスピーカー等、重くて大きな機材が多い私にとってはそれがかなりの力仕事で体力的にも精神的にも鍛えられた気がします。
1991年のTERRA ROSAのライブ・レコーディングでは48chオープンリール・レコーダーを持ち込んだのですが、人力ではその長い階段を降ろすことができなかったので電動昇降装置で搬入してもらい『こういう方法もあるのか!』と感動したのを覚えています。
派手さを求めて照明を追加したり、特効のCO2ボンベを複数持ち込んで会場を煙まみれにしたり、好き勝手をやらせてもらって舞台裏の面白さも知ることができました。
本当にタメになった『目黒鹿鳴館の日々』でした。
このライブハウスがなければ関西人である私にとって恐らく『目黒』という場所を頻繁に訪れる機会はなかったハズです。
関東でのライブの拠点として活動させて頂けたこと、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
最後になりますが、ぺぺさん、長きに渡り本当にお世話になりました!
思えば自分と同じく『Deep Purple好き』、『Rainbow好き』ということもあって、様式美イベントをいつも気持ちよく開催させて頂き感謝しております!
また新天地でも同じスタッフの皆さんと一緒にステージを作っていきたいと心から思っております。
今後もお世話になるつもりですので引き続きよろしくお願いいたします!」
 
<昔の鹿鳴館の入り口には出演バンドの情報が張り出されていた。
いいね~、すべて手書き!

その真ん中…TERRA ROSAの出演を告知している。
よく見ると「Final Concert」と題されていて「解散」の文字が見えるではないか。
コレは文字通り1991年の12月に開かれた解散コンサートの告知。
岡垣さんのコメントにある48チャンネルのレコーディング機材が持ち込まれたのはこの時>

S41a0154_2<そしてこのライブアルバム『Live・・・Final Class Day』が誕生した。
ジャケットに使われている写真を見ると、すべて2階席から撮ったモノだね?
きっと1階はパンパンで撮影するスペースがまったくなかったのであろう>
91_12_21<2024年11月9日、『様式美大作戦2024』のこのJill's Projectのステージが岡垣さんの最後の目黒鹿鳴館での演奏となった>0r4a0727 
***********<コラム8:鹿鳴館を記録する>************
では、鹿鳴館の入り口の様子を記録しておこう。
歩道に向かってつけられている電飾の看板。Img_2213かつて入り口の右側には焼肉の「叙々苑」が入っていた。Img_9829このネオンサインが上の岡垣さんのところに掲載した写真と同じモノだとすると…もう33年は使っていることになる。
Img_2214鹿鳴館に入る。
岡垣さんがオルガンやレスリー・スピーカーの搬入に苦労した箇所の始まりがココ。Img_9832 踊り場に受け付けがあって…Img_9834 更に階段を降りる。Img_1814_1_2昔はこんな感じだった。S41a0158そして、ロビーに降りてくる。S41a0161コレは今のようす。Img_1811_1 踊り場のショウ・ケースには目黒鹿鳴館のステージに立った皆さんのサイン入り色紙やドラム・ヘッドが所狭しと飾られている。
鹿鳴館の財産のひとつだ。Img_1813_1 
***********<コラム9:鹿鳴館の思い出>************
岡垣さんのTERRA ROSAでデビューを果たした三宅庸介さんからもメッセージを頂戴した。
三宅さんにもまた並みならぬ鹿鳴館への思い入れがおありなのだ。
 
三宅庸介
S41a0066「初めての鹿鳴館に出演したのはTERRA ROSA加入後の1987年6月のことだったと思います。
それは初めての東京でのライブでもありました。
TERRA ROSA在籍時は、イベントが開催されるホール以外で東京で演奏する場所は鹿鳴館ばかりで、あの音や景色は今でも特別な思い出になっています。
その後、他のバンドでも出演させてもらいとても感謝しています。
一度、2000年頃だったかな?…あるイベントに大谷令文さんと一緒に出演させてもらったことがあって、彼がデヴィッド・ボウイの『Lady Stardust』をギターで見事にカヴァーされていたことをよく覚えています。
それから、いつだったか打ち上げの後、ナゼか令文さんと”CRAZY"COOL-JOEさんと3人で話し込んでいい感じになってしまったことがありました。
するとぺぺちゃんが『朝まで鹿鳴館で飲んでていいですよ!』と、お店を開けておいてくれたんです。
ビックリするぐらいの量のお酒を買い込んで、3人で鹿鳴館のフロアの真ん中に寝そべったりしながら翌日の昼まで飲み明かしたこともありました…懐かしいですね。
初めて出演した時は20歳…そして先日、57歳で自身のバンドであるStrange,Beautiful and Loudで出演させてもらったのが最後の鹿鳴館のステージとなりました。
それもTERRA ROSAゆかりのイベントで。
個人的に色々なことがあった1年だったこともあって、たくさんの記憶と想いが交錯してしまいサウンドチェックの時に涙が溢れて止まらなかった。
音がとても良いあのステージ上で本番でも涙を流しながら自作曲の『petal』を弾いたことはきっと忘れることはないでしょう。
そういえば、TERRA ROSAで初めて出演したとき、ちょうどぺぺちゃんも鹿鳴館に入ったばかりの新人さんだったことを記憶してます。
歳も近いこともあってずっとよくしてもらいました。
ありがとうございました。ひとまずお疲れさまでした…感謝。
鹿鳴館は関西出身の者にとっては最後まである種の『緊張感』のある場所でした。
加えて、ステージ上でも、客席フロアでも、2階席でも音がとても良い見栄えのする特別な場所でもありました。
ステージからの景色は決して忘れません。
『鹿鳴館』というハコ、ぺぺちゃん、そして長年にわたってお世話になったスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします」

<2024年7月14日、三宅さんはTERRA ROSAのメンバーとして、鹿鳴館では最後となる岡垣さんとの共演を果たした>008a0391 <そしてコレが三宅さんの最後の鹿鳴館のステージの姿。
バンドは自信のStrange,Beautiful and Loud。
2024年11月9日、岡垣さんが主催した『様式美大作戦2024』のひと幕だった>

0r4a0168 
***********<コラム10:鹿鳴館の思い出>************
Jill's Projectで岡垣さんの、そしてStrange,Beautiful and Loudで三宅さんの最後の鹿鳴館をサポートしたのが金光さん。
金光さんも古くからの鹿鳴館のステージの常連だ。
「鹿鳴館の金光健司」というと、個人的には声優シンガーのバックを務めたステージもとても印象に残っている。
 
金光健司S41a0618「上京する前、関西で在籍していたJERUSALEM (エルサレム) というバンドのステージが個人的には初めての鹿鳴館でした。
おそらく1985年頃...ジャパメタシーンのド真ん中にあるその聖地にいつも勇気と刺激をもらい、ヘコまされ、励まされ、そして『お客さんの前で演奏する』ということがいかなる意味を持つのか…その全てを教わった場所が鹿鳴館です。

昔はどのバンドも自分のドラム・キットをフルで持ち込んでごっそりと転換するのが普通のやり方でした。
自分の楽器は自分の『武器』ですからね。
近年ではライブハウスに常設してあるキットを使い回しするのが一般的になったため、どんな状態のキットが常設されているのかはドラマーにとって非常に重要なポイントになります。
それゆえ後年、鹿鳴館にNATALのキットが常備されたことはとても嬉しく思いましたね。
これから新たに鹿鳴館でステージに立つドラマーにとっても武器になること間違いなしです。

鹿鳴館の思い出に話を戻します。
自分としてはペペちゃんの成長を昔から見守ってきたようでいたんですが、実はその何倍もこちらが見守ってもらって来たんだな…と感じることが多々あります。
これからもたくさんのアーティストを見守ってあげてくださいね。
鹿鳴館からは人生の宝物をたくさん与えてもらいました。
どんなに時が経っても憧れの場所であり、帰ると心が落ち着く場所でもありました。
もちろん寂しさはありますが、それ以上に今後の期待が大きい…そんな鹿鳴館の新たな門出を祝いたいと思います」11_0r4a1063 <つづく>

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200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)

2024年12月24日 (火)

目黒鹿鳴館物語<その1>

 
今日から向こう数回にわたって「鹿鳴館」の話題をお送りする。
…とくればまずは歴史から。
鹿鳴館のオープンは明治16年(1883年)。
江戸幕府を倒し、開国をして列強各国との付き合いを始めたものの、不平等な条約に苦しんでいた新政府は海外から賓客を招き、上げ膳据え膳でご機嫌を取りながら「ネェ?日本だってナウでしょ~。これから仲良くしてくださいよ~」と近代化が進んだことをアピールして国際的な立場を向上させようとした。
そのために作られた宿泊所を兼ねた施設が鹿鳴館だった。
設計はイギリスからやってきた「御雇外国人」のひとりジョサイア・コンドル。
東京駅や万世橋駅(関東大震災で壊滅)を設計したことでその名がよく知られている辰野金吾の師匠。
御雇外国人というのは、一刻も早く西洋の文化を取り入れようとした明治政府が目玉がいくつも飛び出すほどの高給を出して雇い入れた外国人学者や技術者のこと。
施工に関係したのは大倉喜八郎の大倉財閥。
その建設部門が今の大成建設の源流となった。Rmk「外国人との交流の場を設ける」というアイデアは良かったが、そのアイデアを出した人の素行は決してホメられたものではなかった。
その人とは当時の外務大臣を務めていた井上馨(かおる)。
井上聞多(もんた←名前がカッコいい)として高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文らとともに1863年の「英国公使館焼き討ち事件」に参画したり(川島雄三の『幕末太陽傳』という映画では二谷英明が演じている)、「長州ファイブ」とか言って伊藤博文らとイギリス留学を果たしたりして、時として「維新の立役者」のひとりとされるようだが、新政府設立後はその立場を利用して徹底的に私服を肥やした大悪党でもあった。
ココには詳しく書かないけど、「尾去沢事件(おさりざわ)」という民間の鉱山を強引に我が物にしたり、ニセ札を作ったり、「川上冬崖(とうがい)」という日本で最初の洋画家を清国への地図密売事件の犯人に仕立て上げるために自殺に見せかけて箱根で暗殺したり(井出孫六著の直木賞受賞作『アトラス伝説(冬樹社刊)』より)、まさにやりたい放題だった。
まぁ、その時代にそういうことをしていたのはこの人だけじゃないだろうし、似たような悪事は現在でもごく当たり前のように横行しているけどね。
ちなみにその「尾去沢事件」で得た鉱山は後に三井物産の礎になった。
そうして井上と三井は濃密な関係を築き上げたのだそうだ。いいな。Ki鹿鳴館は日比谷の今の帝国ホテルの隣にあったが、元は薩摩藩の装束屋敷(藩主が江戸城に登る時に身支度をするための屋敷)が立っていた。
井上馨の政治的失脚とともに明治23年に「華族会館」として使用されるようになった。
その後、昭和2年に華族会館は大和生命保険に売却され、昭和15年に解体された。
一方、その外国人との交流の場は芝の高級料亭「紅葉館」に移されたが、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失。
今、その同じ場所には東京タワーが立っている。
ちなみに「金色夜叉」の「尾崎紅葉」はこの料亭の名前をペンネームに引用した。
Hhy私は浅学にして全く詳しくはないが、鹿鳴館を題材にした創作物はこれまでたくさん生み出されて来ていて、三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」もそのウチのひとつ。
私が大阪に住んでいた1987年頃、この三島の戯曲が有馬稲子の主演で梅田コマ劇場で上演され、知り合いが出演していた関係で家内が観に行った。
下はその時のプログラム。
だから私は観ていない。
ネコちゃん、見てみたかったナァ(92歳でご存命です)。
小津さんの『東京暮色』なんてすごくヨカッタ。
Img_2709私の鹿鳴館はもっぱらロックの方。
サディスティック・ミカ・バンドは「タイムマシンにお願い」で「♪鹿鳴館では夜ごとのワルツのテンポに今宵も…」と演ったし、パンタさんは頭脳警察の「鹿鳴館のセレナーデ」という曲で「♪ほのかにともるシャンデリア 夜の鹿鳴館のセレナーデ」と歌った。11_albumこれらの歌のように、さぞかし毎晩華やかだったんでしょうネェ。
華美な洋装に身を包んだ貴族やら華族やらが一同に会し、金髪碧眼の紳士淑女と手を取り合って生バンドの演奏に合わせてステップを踏んだワケよ、多分。
私にピッタリだな。Btkその中には「鹿鳴館の華」と謳われたひと際見目麗しい淑女たちがいた。
下の写真、向かって左は時の外務大臣・陸奥宗光の奥さん「陸奥亮子」。
陸奥宗光、小村寿太郎なんてのは日露戦争の後始末で大活躍した人だからネェ。
一時、鶯谷に住んでいたんだけど、息子をイギリスに留学させるための資金を得るためにその家を売り払ってしまった(現存しています)。
そして、亮子さんはその美貌で特に人気があって「ワシントン社交界の華」とも称された。
真ん中が岩倉具視の令嬢、戸田極子(きわこ)。
そして右端が同じく岩倉具視の長男の奥さんで、後に佐賀藩の最後の藩主であった鍋島直大(なおひろ)と結婚した鍋島榮子(ながこ)。
皆さん、140年前の女性とは思えないカワイさよのう。11_rmhそして、ようやく記事の内容が目黒へ飛ぶ。
ロック・ファンの皆さんの多くが既にご存知であろうが、「目黒鹿鳴館」は来年1月19日の「東京一家」の興行を最後に閉館し、移転することになっている。
Img_9828今、東京にライブハウスがいくつあるのかおおよその見当もつかないが、目黒鹿鳴館はその中でもとりわけ長い歴史を持つお店だ。
「私もずいぶん通ってネェ。決して鹿鳴館のことを忘れないよ!」などと今はおっしゃる皆さんも、時間が経てば必ずその記憶は薄れて行き、「アレ?鹿鳴館って確かココにあったような気がするな…」となるのが関の山だ。
私もあんなに熱心に通ったにもかかわらず、周囲の様子が変わってしまったために昔の新宿ロフトの場所を正確に指摘することができないんだから!
しからば…ということでMarshall Blogはこの栄えある歴史を誇る「日本のロックの殿堂」を半永久的に保存しておくためにいくつかの記事を編むことを思い立った。
そこでご登場頂くのが「目黒鹿鳴館の華」。
「ペペさん」の愛称でおなじみの目黒鹿鳴館社長、山口高明さんだ。
「鹿鳴館の華」でつなげたいがために冒頭で井上馨やら陸奥亮子やらまで引っ張り出したというワケ。
こんな調子でペペさんへのインタビューを中心に立体的に、そしてできるだけ具(つぶさ)に目黒鹿鳴館の姿をココに記録しようとするのが今回のシリーズだ。
それではさっそく…ペペさんよろしくお願いします!S41a0140_1 
目黒鹿鳴館事始め
Marshallシゲ(以下「S」):鹿鳴館のオープンは1980年ですよね?
それ以前は映画館だったと思っている人も多いようですが、鹿鳴館になる前は1960年代から続く寄席だったんですよね?
山口”Pepe”高明(以下「P」):はい、そうなんです。『目黒名人会』という立川談志がやっていた寄席でした。
: 私は談志のファンということもあるものですからチョット調べてみたんですが、どうやら談志も誰からか引き継いだらしいんですよね。
S41a0084_1:そうだったんですか?
:その寄席からすぐに鹿鳴館になったんですか?
:前の社長の言い方だと、「目黒にあるライブハウスが経営者を探している」という話があって、元々「鹿鳴館」というライブハウスがあったようなんですよね。
:それでは前の社長が誰かから鹿鳴館を引き継いだ…ということになるんですね?
:そう、だから前の社長は鹿鳴館の最初の社長ではないんです。
:前の社長は確か映画会社にいらっしゃったんですよね?
:はい。
で、その会社の人から「目黒でこういう話があるけどやってみないか?」という話を聞いて「オモシロそうだからやってみるか…」ということになったらしいんです。
当時はライブハウスが今みたいにたくさんなかったですからね。
新宿のロフト、渋谷のジアンジアンと屋根裏…。
:有名なところではヘッドパワー、ルイ―ド、クロコダイル、下北沢のロフト、それと1978年に吉祥寺のシルバーエレファントがオープンしたぐらい?
:そうですね。
それで、当時はどこもあんまり爆音が出せなかったので、それじゃ「鹿鳴館はデカイ音を出そうじゃないか!」という方針にしたらしいんです。
すると、「どうも目黒には爆音が出せるライブハウスがあるらしいぞ!」ということでジャパメタの流れにつながったようなんですね。
 
********<コラム1:立川談志と目黒名人会に関する話>********
上に書いたように私は立川談志が大好きで、昔勤めていた会社の関係で信州に住んでいた頃、長野市の一番の夜の繁華街「権藤」でナントご本人にバッタリと出くわしてビックリ仰天したことがあった。
平成2年1月25日のことだった。
この年の2月に衆議院議員選挙があったので、恐らく談志は小坂憲次の応援に来信していたのだと思う。
私はとてもうれしくて、酔っぱらっていたこともあって目の前で「地べたを掘ったって一文だって出て来やしねえ!」とご本人のモノマネをやってしまった。
すると談志は「おお?『ねずみ穴』だね?いいネェ!」と大変よろこんでくれて、「今夜はオモシロい人に会ったよ!オイ、アレを出してやんな」とお付きの人に命ずると、その人が下の名刺を渡してくれた。
私の大切な大切な宝物である。
ちなみに私がモノマネをしたのは、談志が指摘した通り、彼のオハコの人情話「ねずみ穴」の一節である。
この名刺の住所を見ると談志の事務所が「目黒区」になっているので、ナニか鹿鳴館と関係があるのでは?と場所を調べてみたがゼンゼン別のロケーションだった。
11_img_2714 そんなこともあって「目黒名人会」のことをペペさんに根ほり葉ほり伺っていたら「何かの参考になりますかね?」と倉庫の奥から木製のハコ2点を持ち出して来てくれた。
何でも「目黒名人会」の頃から存在するアイテムなのだそうだ。
ひとつがコレ。
S41a0180さすがにコレはごく普通の化粧箱でしょうな。S41a0177興味を持ったのはもうひとつの箱。
何だかわかりますか?S41a0169コレは「謄写器」…つまりガリ版印刷をする装置の簡易バージョン。
ガリ板印刷の正式名称は「謄写印刷」だ。
まだプリントゴッコすらなかった頃のシロモノ。
今、コレを読んでいる方の多くは「ガリ版印刷」をご存知であろう。
しかし、そうでない若い皆さんにピンと来ることは恐らくあるまい。
「ロウ原紙」と呼ばれるパラフィン紙に鉄のペン(鉄筆)でキズを付けるようにして文字や絵を描き(ガリ切り)、そのキズにインクを刷り込んで印刷する極めて原始的な印刷手法がガリ版印刷。
一旦鉄筆で何かを描いてしまうと訂正するのがとても厄介で、ガリ切りは大変に集中力を要する作業だった。
我々が小学校に通っていた時分の校内の印刷物はほぼ100%が藁半紙にこのガリ版印刷で白い紙にクッキリとした印字などにはほとんどお目にかからなかった。
コピーすることを「ゼロックスする」と言っていた時代はまだ後のことかな?
S41a0170「萬古(読み方に注意)」というのは大正14年に大阪で創業したこの謄写器の大手メーカーで、現在は「バンコ株式会社」としてプラスチック素材の文房具を製造している。
現在の社長のお名前が「萬(よろず)」さんとおっしゃるところとを見ると、創業家の苗字を冠して「萬古」としたのであろうか。
S41a0174この謄写器、試しにメルカリに出ているかと思って調べて見るとゾロゾロと出品されていてビックリ!
それらには5,000円内外の値段が付けられていて、何台も「SOLD OUT」になっていた。
一体誰が使っているのだろう?
どうしてこの謄写器にこれだけ紙幅を割いたのかというと、ひとつには「滅んでしまったモノ」とか「滅びゆくモノ」だけが持っている美しさとか寂寥感のようなモノを感じてしまってね。
そもそも見た目がカッコいいじゃん?
Marshallの観点から言えば「真空管」に通じるモノがある。
S41a0172
もうひとつの理由は下の手紙。
この印刷機で刷ったと思われる書状をペペさんが引っ張り出して来てくれた。
こんなことが書いてある。

立春とはいいながら寒い日が続いています。
貴芸能会の皆様にはご壮健に御活躍のこと御喜び申し上げます。
ご愛顧を受けました目黒名人劇場に従来の落語定席を改めまして
今後皆々様方の貸席として御利用いただきますのでご案内申し上げます。

下部椅子並補助席  180   舞台間口  4.30米
上部椅子席      80    奥行          3.10米
立見         60    舞台高さ   1.5米

 平日 午前 五阡円  午後 壱万円   夜 壱万五阡円
 土日 午前 五阡円  午後 壱万三阡円 夜 壱万八阡円
 全日 平日 二万円  土日 二万五阡円

狭いが音響の良いこぎれな小劇場でございます出来る限り御希望に添いたいと考へています 一度ぜひ御来館の上御利用いただきたくお待ち申し上げています

お連絡先  <電話番号>    目黒名人会劇場
(文中の表記は算用数字の部分を除いてすべて完全にママ)
 
「定席」というのは定期的に公演を行っている寄席のことを指すので「従来の落語定席を改めまして」というのはもう寄席を止めて「貸しホール」の商売に徹することをお知らせした書状ということになろうか?
言い換えると、鹿鳴館、あるいはその前身のライブハウスになる前にこのホールは貸しホールを生業として存在していた期間があったということか。
日付が表記されていないのが残念!
舞台の高さが1.5mとあるが、ペペさんによれば、現在のステージの高さは約70cmとのこと。
あのステージ、かつては倍以上の高さだったのか?
2階も合わせてイス席で260とはずいぶん詰め込んでいたんだナァ。
S41a0184 目黒名人会のポスターの切れ端。
当時の木戸銭は400円。
1970年頃のラーメンの値段は100円ぐらいだったようなので、今のラーメンを800円だとすると3,200円ぐらい?
ナニ?ラーメン一杯800円は安い見積もりだって?
ミシュランだかナンだか知らんが、ラーメンなんて元々は金がない時の食べ物なんだよ。
私はそれを知っている古い人間ゆえ、850円以上のラーメンは敬遠するようにしているのでこの計算でいいのだ。
今、浅草演芸場の木戸銭が2,800円なので目黒名人会の値段設定はチョット高めだったのかな?
S41a0187インタビューにあるように目黒名人会のオープンは1960年代後半のこと。
下は先頃亡くなった「柳家小三治」の1969年に披露した真打昇進時公演のポスター。
縁に魚のイラストが入っているところがオシャレ…もちろん「目黒のさんま」だ。
私は小三治がニガテなんだけど、フーム、後に人間国宝となる噺家の真打披露が目黒名人会で開催されていたとは…。
しかし、目黒名人会の経営は苦しく不振続きで廃業する予定になっていたが、1971年12月に救世主が現れる。
それが七代目立川談志だった。
その年の参議院議員選挙に立候補した談志の公約のひとつが「寄席の復活」だったのだ。
その後、談志ならではの色々な企画を打ち出して目黒名人会をプロデュースし続けてはみたものの、やはり経営状態は好転せず、数年で閉鎖してしまった。
もしかしたら上のガリ版刷りの案内状はその頃に送付されたモノかも知れない。
「ゲスト無数?」…ウワァ、この三平のリサイタルは見てみたかったナァ!
死ぬほどオモシロかったに違いないよ。
Mmkjpg談志はその後、寄席文化に見切りをつけて立川流を設立して自ら家元に収まり、「落語協会」にも「芸術協会」にも属さなかったため寄席に出ることがなくなった。
1983年、目黒名人会を引き継いだ12年後のことである。
 
下はウチにある談志のCD。
チョット前にこのウチのどれかを聞いていたら、枕で「寄席文化の復活」を提唱して三遊亭円楽が1985年に東陽町で「若竹」という寄席を開業した話をしていた。
円楽が好きではない私の父が「円楽にしては立派なことをするナ」と珍しくホメそやしていたのでこのことは私も覚えている。
ところが、残念ながらその若竹も4年ほどで閉鎖に追い込まれてしまう。
すると談志がその時のことを茶化して指してこう言う。
「円楽が寄席で失敗しやがったろう?ま、オレも目黒で失敗しちゃったんで他人のことは言えないんだがね!」
コレがまさに「目黒名人会」、すなわち今の「目黒鹿鳴館」のことなのだ。
Img_2711  
ペペさん上京
:ジャパメタ関係のライブハウスといえば当時神楽坂に「エクスプロージョン」というお店がありましたよね?
アレは鹿鳴館とどっちが古いんですか?
S41a0047_1:多分、鹿鳴館の方が古いと思います。
ボクは栃木の鹿沼の出身なんですが、高校の時にそのエクスプロージョンが出したインディーズのソノシートを買いにワザワザ東京に出て来たりしていたんですよ。
それが1984とか1985年ぐらいのことで、鹿鳴館はそのズッと前からありましたからね(後に調べたところ、エクスプロージョンのオープンは1982年だった)。
それでボクは1987年に鹿鳴館に入ったんです。
:ペペさんってもしかしたらその時からズ~っと鹿鳴館だけにお勤めなんですか?
:はい。
ボクはどうしても音楽の仕事がしたかったんです。
でも田舎には音楽の仕事なんて全くありませんからね。
上京すればナニかしら音楽の仕事があると思ったんですよ…出版社のアルバイトでも、スタジオの仕事でも音楽関係の仕事ならナンでもよかった。
で、訛り丸出しで電話をすると「いつから来られますか?すぐに来てくれる人を探しているんです」って言われる。
でもボクは田舎にいるでしょ?交通費のこともあるし、ボクとしてはもう採用の確約をもらっている状態で東京に来たいワケなんです。
S:ワザワザ東京に出て来て「ハイ、不採用」じゃタマッタもんじゃありませんもんね?
P:まったくその通り!
でもそうは問屋が卸さない…「それじゃ上京したら連絡ください」なんて言われちゃう。
仕方がないのでとりあえず東京に出て来て、先輩がやっていたラーメン屋で半年ぐらいアルバイトをしたんです。
S41a0016_1_6その先輩は後に「BAD MESSIAH」いうバンドでメジャーへ行くんですが、当時「SHOCK」というバンドでドラムスを叩いていたんですね。
で、そのSHOCKが北陸ツアーに出ることになったんですが機材車の運転手がいない。
「ダレかいないか?」ということでボクが手伝うことになった。
それで、そのSHOCKが鹿鳴館に出演していたのでボクも鹿鳴館に出入りするようになったんです。
打ち上げの時に「コイツ音楽の仕事がしたいんだってよ」という話が出て、「それじゃウチに来ないか?」と鹿鳴館でアルバイトをするようになったんです。
でも、そのラーメン屋さんの女将さんに気に入られちゃって、「アンタ、調理師免許を取らせてあげるから音楽の仕事なんか諦めてラーメン屋をやりなさいよ!手に職をつけなきゃダメよ!」って言われていたんです。
:ペペさんならラーメン屋もバッチリこなせそうですけどね…つけ麺専門店とか。
:イヤイヤイヤイヤ…そのバイトも楽しかったんですけど、女将さんのその誘いがちょっとストレスになってしまって一刻も早くラーメン屋を辞めたかった。

 
鹿鳴館のアルバイト
S:鹿鳴館でアルバイトを始めた時はどんな感じでした?
P:鹿鳴館の最初のアルバイトは、1987年のゴールデンウイークに「REACTION 5Days」というのがあって、それの1、3、5日目の警備の仕事をしたんです。
S41a0053_1REACTIONの人気はスゴかったですからネェ。
その時はもうメジャーに行っていて、それ以前に『INSANE』という人気アルバムを出していて警備なしではとてもライブができなかったんですよ。
そこから始まってその年の8月からアルバイトに来るようになったんです。
当時、REACTIONは備え付けのPAじゃ音量が足りないと言って、その時の鹿鳴館の社長に「Turbosound(ターボサウンド)」という音響設備を買わせたんですよ。
当時、そんな設備を備えているライブハウスなんてどこにもありませんでしたからね。
それまでは古臭い音響設備だったんですけど、Tourbosoundが入って音がガラっと変わったのをよく覚えています。
S:まずは爆音…いい時代でしたね~。
P:そのREACTIONの5Daysは連日超満員でしてネェ…鹿鳴館ってステージが高いので一番前のお客さんが後ろから圧迫されないようにするのが大変でした。
S:当然、あのイスがあった頃ですよネェ?
P:そうです。あのイスも満杯でない時には「座ってユックリ観られるからいい」という意見もあったんですよ。
S:今となっては特に同感です。
P:ボクからしてみると、あのイスのおかげで事故がなかったんだと思っています。
今はもうお客さんがおとなしいですけど、昔は本当にスゴかった。
あのイスがお客さんが将棋倒しになるのを防いでくれたんです。
S:イスを撤去したのは?
P:2012年ですね。
Xとかの時もそうでしたが、2階席なんか揺れていましたからね。
S:エ?2階にお客さんを入れていたんですか?
P:ボクが入った時にはもう止めていたんですが、それ以前はお客さんに開放していたんですよ。
ただご存知の通り、前の人が立っちゃうと2階の後ろからは何も見えませんでしたけどね。

***********<コラム2>鹿鳴館を記録する***********

イス席があった頃の鹿鳴館。
私が初めて鹿鳴館にお邪魔した時はこんな様子だった。
S41a0148…とは言ってもそれは最近のことで、2010年12月4日の「メガトン・クラブ」の時のことだった。
出演したバーニーに誘われてお邪魔したような気がする。
その様子は2011年末に終了した前のMarshall Blogでレポートした。Maga 私なんかは武道館や厚生年金での公演中にイスからチョットでも立ち上がっただけで警備員がスッ飛んで来る時代に頻繁にコンサートに通っていたので、正直こうしてイス席でショウを観る方がシックリ来る。
写真でザっと数えて固定のイスは90席弱という感じか?
だから目黒名人会は補助席を使っていたにせよものスゴイ詰め込み状態だったのではなかろうか?
S41a01632012年、撤去する前のイスで記念撮影をするペペさん。
後方のエアコンは昔のヤツ。
お客さんがたくさん入ってしまうと効きが悪くなってホール内が大変に暑くなることがあった。
11_2isu2コレが今のエアコン。
スゴイ強力で、脚立に乗って写真を撮る時など、風が直接当たらないように注意しないと凍えてしまう。Img_9841エエッ?!
こんなところに荷物を置く人がいるの?Img_2306_2 ステージから見た2階の風景。
昔はココにお客さんを入れていたそうだ。
今は関係者以外は立ち入り禁止になっている。
2階席の前面に取り付けられている扇風機は暑さ対策。
エアコンの入れ替えと同時ぐらいに取り付けられたような記憶がある。3img_22242階席のようす。
後に陣取ってしまうとステージは見えない。
Img_2219 
***********<コラム3>鹿鳴館の思い出***********
目黒鹿鳴館にゆかりのあるミュージシャンの皆さんから頂戴した贈る言葉を毎回紹介していく。
第1回目はペペさんのインタビューに登場したREACTIONのベーシストのYukiさん。
反町"Yuki"哲之S41a0650 「目黒鹿鳴館閉館…。
多くのミュージシャンがSNSやブログに悲しみのコメントを書いていますね。
『メタル、ビジュアル系の聖地』という表現をよく見聞きしますが、私にはその認識がありません。
というのは、鹿鳴館がその聖地化する前から出ていたからなんです。
つまり、私が出始めた頃はまだ『聖地』ではなかったワケです。
『今はなき前のオーナーやスタッフと共に鹿鳴館を作って来た』というような気持ちがあるんです…おこがましいですがね。
初めて鹿鳴館に出演させてもらったのは、REACTION 以前の1982年だったかな?
音楽のジャンルを問わず、それ以前にはTHE MODS、米米CLUB、NOVELAなどを観に行った覚えもあります。
『音楽のジャンル』どころか、鹿鳴館となる前、アソコが劇場だった頃はアングラ演劇とか落語がブッキングされていましたねえ。
REACTION 結成後、1986年ぐらいからホール・コンサートでの演奏が主になりましたが、それまでの間鹿鳴館をREACTIONのホームとして出演させてもらっていました。
84〜85年の年越しイベント、鹿鳴館初の5Days、ライブ作品シューティング等、多くの思い出があります」 
<Yukiさんご本人によると1985年頃の写真>
S41a0166 
「その5Daysの時が現オーナーのペペちゃんの鹿鳴館での初めてのバイトだったんですよ。
だからいまだにペペちゃんから『小僧』のイメージが抜けないんだよナァ。
ちなみにこのシューティングのためにイントレを組んで照明の施設を増強したり、当時は最新だった『Turbosound』というスピーカーを導入して音響も補強、さらにステージのセリ出しも造作しました。バブリーだったナァ~!」
 
<そうして制作されたビデオがこの『TOKYO GIG'S DEAD & LIVE』>Dvd  
「シューティングの後、イントレの一部とTurbosoundはそのままで、現在も使われています。
また、その時に作った木製バンド・ロゴは、REACTIONの解散後もしばらくの間、記念品として楽屋からステージに上がる階段右の梁の上に置かれていました。
ああ、思い出を書き出すと止めどがないナァ!
さて、故初代オーナー、歴代店長及びスタッフ、そして現オーナー店長のペペちゃん、本当にお世話になりました!
『鹿鳴館あってのREACTION』だったことは間違いありません。
どうもありがとう!
移転後をとても楽しみにしています…とりあえずお疲れさま!」 0r4a0060_2 <つづく>

 

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200 (一部敬称略 ※写真提供:ぺぺさん)





2024年12月23日 (月)

金属恵比須のキンゾク万博2024

 
新たなキーボード・プレイヤーを獲得してますます意気の揚がる日本のプロッグ・ロック界の最重鎮「金属恵比須」。
結成33年を迎える金属恵比須は去る12月11日に待望のライヴ・アルバムを発表し、それに合わせる形で今年もポップアップ・ストア「キンゾク万博」を開設した。
そこでさっそく会場の新宿のディスクユニオンにお邪魔して来た。
と思ったら…
05v新宿に着いて気が付いた…会場は渋谷だった!
完全に思い込み。絶対に新宿だと勝手に思っていた。
トホホ、ただでさえ人出の多い繁華街へ赴くのが大きな苦痛だというのに、よりによって日曜日の新宿と渋谷を訪れるなんて何たる悲劇!
よっぽど渋谷へ行かないで帰っちゃっおいかと思ったけど、どうしても「キンゾク万博」が見てみたかったので歯を食いしばって人ごみに我が身を投じた。
しっかし、渋谷ってヒドイね。
私が大学生頃はとても魅力的な街だったのにナァ…と言っても40年前の話だけどね。
あの頃は銀座も浅草も今よりステキだった。新宿は知らん。10_2 会場は渋谷のディスク・ユニオン「ロックイントーキョー」。
こんなのができたのか…。
私の「渋谷のディスクユニオン」といえばパルコの筋向いにあった間口が1間半ぐらいの店舗だからね。
当時はもう少し公園通りを上がったの右側に「ハンター」もあったんだよ。
さて、店舗のある地下へ降りる階段の壁一面には古今東西のロックの名盤のジャケットが展示されていて壮観!
でも、近い将来はこんなこともできなくなるんだろうナァ。
サブスクにはジャケットがないからネェ。20到着!
コレが「キンゾク万博」の会場。30vニューアルバムを中心に金属恵比須のありとあらゆるアイテムが展示されている。
40この日の警備員を務めていた高木大地さんと後藤マスヒロさん。35やっぱり「万博」となるとコレだよね~。
そう、長時間並んで「太陽の塔」に入ったわ。
せっかくの機会なのでココで「万博」で大きく脱線させてもらいましょう。
あの「日本万国博覧会」が開催されたのは1970年(昭和45年)の3月から9月。
今から54年前。
私は小学校2年生で、も~行きたくて行きたくて仕方がなかった。
そこで出不精の父が珍しく連れて行ってくれることとなり、平日に大阪へ行くことになった。
母は事前に学校へ行って担任の先生に休みの許可を願い出た。
すると先生は「一生に一度あるかないかのことでしょうから、休みを取ってよ~く見せてあげて来てください」と言ってくれたそうだ。
50vコレがその時の入場券。
小人は400円だったので、大人でも800円程度のものであったろう。
裏面に開場時間が書いてあって、それを見ると4月末から最後までは朝の9:00からナント夜の10:30まで開けていたそうだ。
60コレは万博を訪れる人たちのための記念周遊券。
東は草津、西は明石までの区間が乗り降り自由だった。
私はこの時に生まれて初めて新幹線に乗った。
万博終了後に取り払ってしまった新大阪駅から千里丘の会場に向かう電車の中から太陽の塔が見えた時には気絶しそうなぐらいうれしかったのを覚えている。
何しろ日帰りだったからね~。
アメリカ館だのソ連館だの、行列に長い時間を要する人気の展示館は避け、タンザニア館とかガーナ館とか並ばなくても入れるマイナーな展示館ばかり見て回った。
しかし、太陽の塔だけは「記念に見ておこう」ということで長い行列に加わったのだった。
こんな訪問でも大満足だったし、あの感動は一生忘れまい。70とにかくスゴイ人出でね。
以前にも何度かやっているんだけど、万博のそんな様子を垣間見ることができる映画を紹介しましょう。
それは1970年、山田洋次監督の『家族』という作品。
長崎の伊王島の炭鉱夫の家族が、斜陽化する石炭産業に見切りをつけ、酪農家になるために先行して入植した友人がいる北海道を陸路で目指すロード・ムービー。
何も知らない田舎の人たちなので、大阪を通過する時、「万博でもチョット見て行こうか」と軽い気持ちで会場を訪れると殺人的な人出にスッカリまいってしまう。
映画は全編ロケーション撮影であることに加え、万博のシーンなどは演出をしていないのでその混沌ぶりが実によく表現されている。Av話は飛んで…柴又の「寅さんミュージアム」のすぐ隣に「山田洋次ミュージアム」が併設されている。
みんな簡単に「寅さん、寅さん」と気安く呼んでいるけど、最終的には寅さんひとりで「松竹」という大きな映画会社を支えていたワケですからね(歌舞伎は別)、井上ひさし先生に言わせると「車寅次郎は世界最強の架空の人物」だというワケ。Bそれを作ったのが山田洋次。
コレも井上先生の受け売りだが、「男はつらいよ」というのは「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」といって、世間知らずの高貴な身分の人が旅に出て、社会の荒波にもまれて成長する…という古代ギリシアやローマの時代からあるような作劇の基本のその逆をやっているのだそうだ。
寅さんは失恋していつもガックシになるでしょ?
それだけに話の基盤が強固で、新しいアイデアを肉付けするだけでいくらでも作ることができるというのだ。
ま、戯曲作家のプロ中のプロが言うのだから間違いないでしょう。
さすが山田さん、東大出だけのことはある。Cvそんな山田さんの業績を結構キメ細かく展示しているのがこのミュージアムなんだけど、この『家族』にはほとんど触れていない…残念!
というのも、数ある山田作品の中にあって、興行成績がすぐれなかった作品のウチの1本に数えられているのだそうだ。
でも内容はとてもいいですよ。
泣けます。008a0138さらに脱線させてもらうと…。
コレは「大波止(おおはと)」という長崎港にある桟橋。
映画の中で伊王島から船で出て来た家族はまずココへ到着するのね。
ちなみにこの大波止はオランダに帰ってしまったシーボルトが戻って来やしないかと、日本人妻のお滝さんが幼い娘の楠本イネを抱きながら入港してくる船を毎日眺めていたとされる場所。
稲本イネは成長して日本で最初の女性産婦人科医になった。Dそして『家族』の家族は桟橋からこの交差点に出て右に曲がって長崎駅を目指す。E家族は福山や大阪を経て何とか東京までたどりつくが、疲労が重なり家族の一員である乳飲み子が死んでしまう。
クリスチャンである一家がその弔いをしようと探し出した旅先の教会が上野の駅前、浅草通り沿いにある「下谷教会」。
映画では下の写真の以前の建物が出て来る。
そして、家族は艱難辛苦に耐えながら何とか北海道にたどり着く…というお話。
私は父の推薦でこの映画を小学生の時に初めて観たんだけど、万博会場が出て来ることもあってエラク感動してしまいましてね。
みんなにおススメしているのです。
多分、日本で一番スケールの大きなロード・ムービーなんじゃないかな?Img_2787それと…こういうお店が谷中にある。
アンティーク・ショップということなんだろうけど、親しみを込めて呼ばせて頂くならば「ガラクタ屋」。
私はこういうお店が大好きなのだ。
ありとあらゆるヘンなものが置いてあって、私はアルテュール・オネゲルというフランスの作曲家の交響曲全集2枚組CDを100円で見つけてよろこんだことがある。
オネゲルはプロッグ・ロックとして聴くと大変にカッコよろしい。
高木さんなんかもお好きなんじゃないかしらん?
で、店名が示すように、大阪万博に関するグッズもたくさん取り扱っている。Ex さて、「認知して!プログレ。」のキャッチ・コピーが目を惹くキンゾク万博。
ハイハイ、もう認知してからカレコレ50年近く経ちますからご安心あれ。
既に書いたように展示の中心は…
11012月11日に発表したライブアルバム『金属恵比須 邪神<ライヴ>覚醒』。
丸っきり個性が異なる「塚田円」と「大和田千弘」からなる2人のキーボード・プレーヤーをそれぞれゲストで迎えた時の演奏が収録されている。
2通りの金属恵比須が平面的に並んでいると言えばいいのかな?
こういう作りのアルバムってのは結構珍しいのではなかろうか?
他に同じ趣向のアルバムがなかろうか?と考えてみたのだが、ひとつしか出て来なかった。
それは、1977年のマッコイ・タイナーの2枚組の『Supertrios』というピアノ・トリオ・アルバムで1枚目と2枚目でリズム隊が丸ごと変わる…というモノ。
もうコレしか思い浮かばなかった。Mt もちろん『金属恵比須 邪神<ライヴ>覚醒』には「武田家滅亡」、「う・ら・め・し・や」、「紅葉狩」、「邪神覚醒」といった人気曲がド迫力な演奏でタップリと収録されている。
 
それぞれの演奏はMarshall Blogでレポートしているので未読の方はゼヒ!
 ↓  ↓  ↓
<塚田さん編>
金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.6 <前編>&私のチョット井の頭
金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.6 <後編>
<大和田さん編>
金属恵比須~邪神"大和田千弘"覚醒 <前編>~私の「日本映画と音楽」
金属恵比須~邪神"大和田千弘"覚醒 <後編>
90個人的にジャケットもうれしかったね。
NATALドラムスが2台も登場している。
これまで1台というのは何回かあったんだけど、2台は多分「世界初」だと思います。
どうもありがとうございます!100v高木さんと来たら、ヒマさえあればPOPを手づくりしているようで、まぁ、展示のナント賑やかなことよ!80会場でメンバーがお迎えできる予定は…
12月28日:18:00~20:00 稲益宏美
12月29日:14:00~16:00 後藤マスヒロ&埜崎ロクロウ
万博の会期は12月31日まで。
 
金属恵比須の詳しい情報はコチラ⇒金属恵比須Offician Web
130(一部敬称略 2024年12月22日 ディスクユニオン ロックイントーキョーにて撮影)

2024年12月21日 (土)

D_Drive 15th Anniversary Live in YOKOHAMA<後編>

 
D_Driveの15周年を記念するコンサートのレポート。
<後編>では本編に入る前にMarshall Blogからも15周年に向けての「記念企画」をお送りします。
135「私とSeijiさんはD_Driveがデビューする前からの古い付き合いである」なんてことを公然と口にする機会がこれまでに何度かあった。
それは紛れもない事実ではあるんだけど、しからば、デビューする1年前からスタートしたMarshall BlogにD_Driveが初めて登場したのはいつのことか…。
いい機会なので調べてみた。
というのは、先日Seijiさんのソロ・ライブにゲストでお招き頂いた時にこの頃の話になって、Seijiさんが私の記憶と異なることを延べていたからなのだ。
2012年に始めた今のMarshall Blogは、おかげさまで来年早々には2,400本目の記事を掲載するところまで来たが、その前には2008年から2011年末まで運営していたMarshall Blogがあって、そこには930本ほどの記事を掲載した。
もちろんD_Driveはその頃からMarshall Blogに出て頂いているのでそれを見れば一目瞭然なのだが、もうそれを見ることはできない。
そこで、私が私的に保管しているその昔のMarshall Blogをヒモ解いてみた。Marshall_blog2結果…Seijiさんの記憶が正しかった。
私は最初からバンド単位でD_DriveがMarshall Blogに登場していたのかと思ったらそうではなかった。
Seijiさんの指摘通り、Yukiちゃんが単独で登場したのがD_Drive関連の記事の始まりだったのだ。
その時のようすがコレ。10_32011年3月7日に掲載した『スゴ腕ガールズ~Valentine Special』と題した記事。
教則ビデオの先生方が集まったショウ・ケース的なライブだった。
開催されたのは2011年2月13日、場所は今はもうない六本木の「morph Tokyo」。
もちろんYukiちゃんはMarshall。
この頃は「JCM2000 TSL100」を使っていた。20v百花繚乱、出演した先生方は全員女性で、何しろ記事の書き出しが「マーブロ史上もっともかしましい記事がコレだ!」なんて言っていた。
この時、Yukiちゃんは「わたしの速さについてこれる?」なんて光ファイバーみたいなキャッチ・フレーズを掲げていた。
この惹句はもちろんYukiちゃんが考えたモノではなかろうが、誤用である。
いわゆる「ら抜き言葉」。
正しくは「わたしの速さについてこれる?」です。
ま、今は「ら抜き言葉」の方が当たり前になってしまったので気にする人は少なかろうが、今度テレビを注意して見てみてください。
街角のインタビューで一般市民が「ら抜き言葉」を使うと、そこにつけられた字幕には必ずと言っていいほど「ら」を足して訂正しているから。
コレは放送用の基準の日本語を定めているNHKだけではなく、民放も同様の対応をしています。
そういえばこんなギターを使っていたね。
Yukiちゃんは昔から青が好みだったのね?30v_2そして、このイベントの2週間後にD_Driveが東京にやって来た。
2011年2月25日、今でもある大塚Deepaで開催されたナニかのイベント。
この時のレポートを2011年5月6日に掲載したのが一番最初のD_DriveのMarshall Blogの記事となった。
タイトルは『ドライブしまくるD_Driveライブ~魅惑のへヴィ・インスト・ロック』。
いかにも力がこもっている感じではあるまいか?
40_2だから13年半前…「Seijiさんとは古い付き合い」と言っておきながら、D_Driveがデビューして2年も経ってからはじめてMarshall Blogに登場頂いたことになる。
ゼンゼン大したことなかったな…ゴメン、D_Drive!50v当時のMarshall Blogは今みたいに微に入り細を穿つような記事の書き方をしておらず、演奏した曲すら不明なのだが、読んでいると何しろ一発で筆者が気に入ったことが窺える。
70vこの頃はこうしたインストゥルメンタルのバンドってRa:INぐらいしかなかったからね。
特にギターのパートがよく目立つ音楽だったので余計にD_Driveのことを気に入ったのであろう。
もちろんギターの2人がMarshallということもあった…もっともMarshallを使っていなければお邪魔することもなかったんだけど…。
60vメンバーについてのテキストがヨソヨソしくてオモシロい。
Seijiさんは「D_Driveの頭脳にして司令塔。バンド・アンサンブルをグイグイとけん引しつつ、ソロ・パートでは惜しげもなく超絶技巧を見せてくれた」だって。90vSeijiが『ウチの看板娘』と呼ぶYUKIちゃんはこんなに笑っちゃってるけど抜群のギタリストだ。
教則DVDのキャッチ・コピーだって『私の速さについてこれる?』だかんね。
イヤイヤ、速さやテクニックだけでなないですゾ、歌心も満点の笑い事では済まされない「看板娘」なのだ!
ナニをこんなに笑っていたんでしょうネェ。
120v_2ニコニコしている写真だけを見て『最近はガール・ドラマーが多くなったナ…』なんて思っているとヤラれるゾ!
Chiikoのドラミングは恐ろしくへヴィだから!その重量にしてこの疾走感
D_Driveの『ドライブ』は彼女のことを指しているのではないか?と思われるほどだ

当時のChiikoちゃんはバンドの「オモシロ担当」も務めていた。110そして最後に「5月6日には神戸チキンジョージでのワンマン・ライブが決定している!行きたいナァ~。
また東京へ帰って来てくれるのを楽しみにしている!」と締めくくっている。
100v_2この時はこの人たちと一緒にロンドンやLAや上海へ行くことになるなんて夢にも思わなかった。
130ということで今!
New Side Beachに戻るよ~!
2つのドヘヴィな曲でデロンデロンに盛り上がった後はChiikoちゃんの出番。Img_4619 <前編>でやった「15にまつわる話」の中で「もうひとつネタがある」と言っていたChiikoちゃん。
その「もうひとつ」をココで発表した。
「私は一昨日気付きました…申し訳ありません!
私がお詫びをしなければならないもうひとつの『15にまつわる話』です!」
ナンだ、ナンだ?
135v「今日は11月の16日ですよネェ…。
私、あんまり『15』を気にしすぎてシャツに入れる日にちを間違えてしまったんですよ!
東京公演の日にちが11月15日になっているんです~!」S41a0572ナ~ニ~?やっちまったナァ~!
なるほど、見事に「15日」になってるわ。
ま、ナント言っても誰よりも強力な「15にまつわる話」になったって!
正しい開催日はMarshall Blogに記録しておくのでご心配なく。
ところで、以前も後見頃(うしろみごろ)に入れるツアー日程かなんか間違えてなかった?
カレンダーは印刷されていない日があったし…。
まさかグッズで笑いを取ろうと思っているんじゃないだろうな…ぐらいに考えておこう!S41a0570「今日は、こんなに楽しいライブをさせて頂いております。
本当にありがとうございます。
なんか早いもので、あと3曲となりました。
(客席:エエエエ~!)
でも、もう結構たくさん演っているんですよ!」
150v_2「なんかインストってアッという間なんですよね。
歌モノだと10曲ぐらいでも結構演ってくれたぁ~みたいな感じになるんですけど、インストって17、8曲演っても短いって言われるんですよね」S41a0589 「皆さん、今日も全部で15曲演りますから!
15曲ですよ!
とりあえず気を取り直して、あと3曲なんですが…皆さんまだ元気残ってますかぁ!」
170_2そう、次は元気がなければとてもじゃないけど演れない1曲。
Chiikoちゃんのはじけ飛ぶようなドラムスから「1,000,000 hp」。180_hpいつかこの曲を評して「音楽の運動会」と書いたことがあったが、ウ~ム、我ながら「言い得て妙」だと思うね。190v各人が力の限り走り回って…210v_2ソロのバトンを渡していく。S41a0508 第4コーナーを回ると弾き手たちの走る速度が更に増して後はひたすらゴールを目指すのみ!
オリャ~、行ったらんかい~!
215 216 220_2 
270_2そして、無事完走~!
今日も新記録が出ました~!
こんな曲、世界に2つとないぞ。230そして繰り出されるSeijiテイスト満点のリフは「Russian Roulette」。280D_Driveのハードな面が思いっきりアッピールされる人気ナンバー。Img_4370 Seijiさんが弾くリフをバックに…
240v_rr♪シャンシャンシャ、シャンシャンシャ
Yukiちゃんとお客さんによる賑やかなパルマ!260Chiikoちゃんも激烈極まりないドラミングを見せてくれた!
S41a0033「さぁ~皆さん、今からメンバー紹介をしたいと思います!
初めての方もいらっしゃるのでコール&レスポンスで名前をしっかり覚えてもらおうと思います!
いきますよ~!」
290_2「Yuki、Yuki、Yuki、Yuki、セイ!」
そういえば、こういうのやってたね~!
スッカリ忘れていたわ!
なつかしいナァ。S41a0729まずは自分以外のメンバーを紹介して、最後に自分のことも自分で紹介した。
「Seiji、Seiji、Seiji、Seiji」
そりゃ、恥ずかしいよねェ。
300vそして、締めくくりとして大切なD_DriveRさんとNew Side Beachにエールを送った。295_2「さぁ、みなさん、もう名前もバッチリ覚えたことだし、もっと大きな声で手拍子お願いします!
最後までD_Driveに付いて来てくださいね!いきますよ~!」S41a0742_2 そうして本編の最後を「Screw Driver」で締めくくった。Img_4672D_Drive、15年目の「Screw Driver」…4人のパフォーマンスはひと際ダイナミックで、そしてドラマチックなモノだった。320v_2 330_2 

S41a0079_2   350そして呼び戻し。
「アンコールありがとうございます!
例の『15Tシャツ』を着て来ました。
皆さん、本当にありがとうございます。
今日も素晴らしいライブになりました!」
ココで年末のファンクラブ会員限定のライブのお知らせ。
360_2続いてバンド形態で人前で演奏するのが今日で2回目となるという新曲の「Tsurugi」の話に。
まずは曲名について。
「コレにはイントネーション問題があるんですよ。
つるぎ⤴か、ツルギ⤵か、剣→か…どれがいいんかな?
関西は何でも3文字にしたがるんですよ。
「ファマ」、「ロホ」、「マド」…3文字にすると真ん中の文字に強勢が置かれます。
「剣」も3文字なので関西ですと「つぎ」
S41a0833「なるほど…ただ、私がタイトル・コールする時にはどうすればいいんですかね?」
全部に強勢を置けとか、英語で言えとか、スッタモンダした挙句、特に話はまとまらず。
今後のYukiちゃんの処理の仕方に要注目。S41a0914「ところで、剣は西洋の刃物で突いて使うモノなんですね。
日本の刀は突かないで斬って使う。
そういう違いがあるんです。
古い武士のような時代に西洋の剣と日本の刀が戦ってるシーンを描こうと思って作った曲です。
最初はタイトルを『刀』にしようと思ったんですが、インターネットで検索するとスズキのバイクばっかり出て来てコリャ負けるナと思って『剣』にしました」370v_2先日Seijiさんのソロ・ライブで一度聴かせてもらったがバンド形態でこの曲を耳にするのは初めてのこと。
385Seijiさんのリフに次いで入って来る2人のリズムはひたすらストレート!
410v_2問答無用のロック・ビートがウネりまくる。420そのリズムに乗ってこれまたいかにもSeijiさんらしいテーマ・メロディが飛び交う。390_2ダルタニアンと千葉周作?コレが剣と刀のせめぎ合いか!
曲の半ばから展開していくギター2人のアンサンブルはまさに圧巻!
途中で意外な転調を挟んだのはグッド・アイデア。
しかし、D_Driveのこの手の曲としては短いね?…そんなシンプリシティも魅力の1曲だ。
400v_2
「結構シリアスな雰囲気の曲ですよね?」とYukiちゃん。
「そう、結構フレーズも凝っていて、刀ってこうやるじゃないですか?
この動作だと斬れるのがチョット後なんですよ。
だからフレーズも少し遅らしている感じで演ってるんですよ。
シャキーン!シャキーン!みたいな感じ」S41a0829「シャキーン、シャキーン、シャキーン だったんですね。なるほど」
絶対にわかっていないようすのYukiちゃん。S41a0915 「では皆さま、ラスト1曲になりました。
今日も本当にありがとうございました。
15周年を記念するライブでこうして皆さんと一緒に楽しく過ごすことが出来て本当に幸せです。
ファンクラブ・イベントもガンバりつつ、また来年も皆さんと元気にお会いしたい。
さっきToshiくんが言ってたように、15年後も元気にお会いしましょうね!
これからもD_Driveをゼヒゼヒよろしくお願いします。
最後まで本当にありがとうございました!」
380v_215周年記念の最後の最後に選んだ曲は「The Last Revenge」。
4人の最後の熱演がステージと客席を完全にひとつのモノにした!440v_2 450v_2 460v 470v「皆さん、15周年もありがとうございました!」
♪ジャン、ジャン、ジャン、ジャン…締めくくりは15回のアクセント。
すべてのお客さんの腕が上がり客席の興奮が頂点に達した。470_2全15曲。
気が付いて見ると「アレ?あの曲を演らなかったナ…」とか「ああ、あの曲が聴きたかったナ」いう感想をお持ちのお客さんもいらっしゃったかも知れない。
実は私もそれ。
でも、それはD_Driveのレパートリーがそれだけ豊富ということなんでしょうね。
そして、それは「D_Driveが自分たちの音楽を築き上げた」ことに他ならないと思う。
バンドの運営方針を変更してライブの数は減ってしまったが、とにかくせっかく築き上げた他では決して聴くことのできない「D_Driveの音楽世界」を絶やすことのないように、20周年、25周年と創作活動を続けて行ってもらいたい。
そのためには絶対にMarshallをチャンと使うことが必要でしょう。
悲しいことに今はおかしなモノが流行ってしまって老いも若きも「良いギターの音」の基準を失ってしまった。
SeijiさんとYukiちゃんに限ってはそんな愚行をおかさないと信じている。
  
最後は記念撮影。480「ありがとうございました~!」490 500_2ヨコアリくんを手にした4人。
D_DriveRさんたちとともに…。510大きな大きな喝采に包まれて4人は舞台を後にした。520_2終演後の物販は大行列!530公演日の記載にミスのあるイベントTシャツも大人気!
ヨカッタね、Chiikoちゃん!540YukiちゃんがMCで触れていたように今年のD_Driveは最後の最後にファンクラブ会員限定のライブが開催される。
D_DriveRの皆さん、楽しんできてね!
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive official website
Ye最後に…
MCで自分でも触れていたが、確かにこの日のSeijiさんはあまり元気がなかった。
自身のSNSへの投稿でファンの皆さんはご存知であろうが、その心配が的中してSeijiさんは少し前に手術を受けることになってしまった。
現在は退院して年末のライブに備えているところだが、とにかくくれぐれもお体を大事にして頂きたい。
健康第一でジャンジャン新しい曲を作って音楽ファンをもっともっと楽しませて欲しいと思うのだ。
ガンバれSeijiさん!ガンバれD_Drive!Img_4410 <おしまい>
 
 

☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆

日本が世界に誇るインストゥルメンタル・バンド、D_Drive。

<だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)>

<Wings>

<Thmbs Up>

<Begin Again>


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200 (一部敬称略 2024年11月16日 新横浜New Side Beachにて撮影)

2024年12月20日 (金)

FATE GEAR~最新アルバム『Kill the Shadow King』出来!

 
2025年もワールド・ツアーが決定しているFATE GEARがニューアルバム『Kill the Shadow King』を発表。
そしてリード・チューンの「Kill the Shadow King」のミュージック・ビデオを公開した。
 
コレが通常盤。
20cdそして「Kill the Shadow King」のミュージック・ビデオの本編とメンバー別のソロ・ショットの計6本を収録したDVDが同梱されている豪華盤付属バージョンがコレ。
両CDには2024年のワールド・ツアーの際のベルギー公演のライブ音源が収録されている。
11_10cd最新作のプロジェクト・メンバーは…

Mina隊長30Haruka40vゲスト参加しているのは…
 
NANA50v橋村姫70v2そしてビデオに登場しているのはErika。60v冥界の王と対峙する、数奇な天使と悪魔の運命は?…ということでFATE GEARならではの世界が展開する。80さて、その「Kill the Shadow King」のビデオ。100今回もMarshallと…90NATALドラムスが登場!110今回も「日本を代表するスチーム・メタル楽団」の名に恥じない独特の世界を構築した。120vやっぱりこうやってコンセプトを確立した上で作り込んだモノってのはいいですな。130v隊長によるとRainbowの「Kill the King」へのオマージュを詰め込んだ1曲なんですって。140vそんなだからHarukaちゃんもNATALドラムスで大デンジャー!150そのビデオがコレ。
FATE GEARの飛行をお楽しみあれ!
 
FATE GEARの詳しい情報はコチラ⇒FATE GEAR official site


 
(一部敬称略 写真提供:Mina隊長 撮影:Toshio Kawabata)

2024年12月19日 (木)

D_Drive 15th Anniversary Live in YOKOHAMA<前編>

 
D_Driveの活動15周年を記念するコンサートが9月の大阪に続いて新横浜で開催された。
10_2ロビーに飾られた祝い花。
ひとつはD_DriveRの皆さん。
そして、もう1基はYukiちゃんのお姉さん、ENTERARTのゆかりさんから。
両方ともお見事!20この日の屋台村のようす。30v当然15周年を記念するグッズがゾロリ。40このデザインによもやものスゴイ秘密が隠されていようとは、この時は全く気がつかなんだ。
その真相は本レポートの<後編>で。50衣料だけでなくアクセサリー類も人気を呼んでいた。60東京で4人揃ってステージに立つのは今日と同じ場所で開催された2月25日のライブ以来。
9か月ぶりか…。
そりゃノッケからテンション上がるってばよ!70_2 Seiji80vSeijiさんの背後にはMarshallのハーフ・スタックが2セット。90もちろん音を出しているのは愛用の「JVM410H」と「19060B」。100vYuki110vYukiちゃんもトレード・マークのBlue Roseが描かれた「JVM410H」と「1960B」。120vToshi130vToshiくんも変わらずEDENのWT800とワン・ハーフのキャビネットで轟低音を繰り出した。140vChiiko150vChiikoちゃんもNATALフルセットを持ち込んだ。
4人とも万全の態勢だ!
160待ちに待ったコンサートのオープニングを飾ったのは「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。
Img_4296_2Seijiさんが奏でるスリリングなメロディを堪能してそのまま…170「Begin Again」!
定番の展開がショウのテンションを更にアップさせる。180v_baステージ前に出て弾くYukiちゃんに何やら青いモノを突き出す客席の皆さん。Img_4329もう1曲続けたのは「Cassis Orange」。
15年もの間D_Driveのキラー・チューンとして君臨し続ける重要な「D_スタンダード」のひとつ。200_co各人のピックアップ・ソロが今日も冴えわたった!210vドドド!と3曲連続で演奏。
コレで盛り上がらないワケがなかろうて!Img_4354 「皆さん、こんばんは、D_Driveです!
お久しぶりでございます。
9月にD_Driveの15周年記念ライブを大阪で開催しました。
今回は横浜編。ご来場ありがとうございます!
いいっスねぇ~、久しぶりのこの客席からの響き。
しかも今日は皆さん『青』でキメて来て頂いて…ナンでしたっけ、ソレ?」
230v「ヨコアリくんで~す!」
横浜アリーナに住んでいるマスコットだそうです。
イベント開催中や設営時など人が集まる時に出て来るそうだ。
変身や分身の術を使うことができるんだって。
忍者なのか?
240v「あ、横アリくんかぁ…横のコンビニで売ってるんちゃいます?
皆さん、今日は1日よろしくお願いします!
ではさっそく次の曲へいっちゃいますか?」S41a0298続いては「Attraction 4D」。
Seijiさんが弾き放つソリッドなリフから…260v_atdヘヴィなリズムと…270きらめくバンド・アンサンブルが広がり…2904人の「Attraction」が爆発した!280v「みんな、手拍子お願いします!
次の曲はもうナニかわかっていると思いますけど、皆さん、ついてきてくれてますか~!」295Yukiちゃんが手拍子を誘ったのは「M16」。300_m16_2ズズイとステージ前に歩み出るサオ・チーム3人。305人気の銃撃戦のパートがいつも通りとてもスリリングだった!310「ありがとうございます!
私たち今年で15周年ということですが、我こそはこの中で1番長くD_Driveのライブに来ているよ!という方はいらっしゃいますか?」
「最初のワンマン公演から」という声が客席から上がった。
時は2010年、場所は大阪の「ヒルズパン工場」だったそうだ。
その時はYukiちゃんがアンコールで歌ったそうな。
S41a0301「そうね…確かに。
『ワンマン』と言っていたけど曲が足らなかったんですよね。
そんなこともありましたね…なつかしい!」S41a0181 ココで大阪ではやらなかった東京公演だけの企画。
「15周年」を記念して各メンバーが「15」にまつわる話を披露した。
まずはCjiikoちゃんから。
 「あまり期待しないで欲しいんですけど…『ショートケーキの日』というのが毎月あるの知ってます?
毎月22日なんですよ。
理由はカレンダーを見るとわかります。
22日って一週間前が必ず15日でしょ?
つまり『イチゴ』…22日の上にはイチゴが載っているのでショートケーキの日。
明日から役に立つ雑学をお届けしました!
実はもうひとつ15にまつわる話があるんです。
コレはその時が来たら発表しますね!お楽しみに!」
知らなかった!コレはオシャレだね~。気に入りました。
340v続いてToshiくん。
「この『15にまつわる話』、昨日来る時の車の中で言われたんですがチョット無理。
で、この場に立って色々と思い付いたんですけど…ひと言。
コレだけは伝えたい…皆さん、15年後も健康でお会いしましょう!」
350v「それラストで言うヤツじゃん!
今日はまだまだ長いですから…このあたりで次の曲へいきましょう」
330東京公演だけのスペシャル企画の前半に続いては「U_Me」。
聴けば聴くほど甘くなっていくこの世にひとつしかない「音楽の梅」。370_umこの日もなめらかな梅の実の表面を傷つけることのないような慎重なプレイと、頑丈な種をカチ割るような力強いドラミングをこの曲で見せてくれたChiikoちゃん。370vそして、起伏に富む各パートに適合した当意即妙のギターを披露したSeijiさん。380v雰囲気を変えてのバラードは「Unkind Rain」。Vv タッピングを使ったToshiくんのソロ・パートがこの曲の情景をさらに色濃くしていく。400vタップリと情感を込めたYukiちゃんのソロ。
NAMMを思い出すナァ。
あれからもう丸5年になろうとしている。410vまたガラリと雰囲気を変えてYukiちゃんのファンク・ストラミングから「Wings」。420v_wg久しぶりのインコたち!
ゴキゲンなグルーブが会場を揺さぶった!430「ありがとうございました。
バラードやインコの曲も聴いて頂きました。
『レモンちゃん元気かなぁ~』と思いながら弾いていました。
では、さっきの『15の話』の続きを…」
440vSeijiさんの「15」。
「2015年、D_Driveはナニをしていたかご存知の方いらっしゃいますか?
残念ながらお亡くなりになりましたが、寺内タケシさんのイベントに出演した年なんですよ。
五反田のゆうぽうとホール。
それとか、昔から知っているアメリカのニール・ザザというギタリストから『アジア・ツアーをするんだけど日本で演奏したことがないのでブッキングしてくれ』と頼まれて大阪と東京で共演したんです。
他にも色々あるんですけど…例えば昔は金魚すくいで15匹採れました。
それから実は今も調子が良くないんですけど、昨日、胃腸がおかしくなってYukiちゃんがくれた錠剤をくれたんですが、その数が15個やったんですよ!」
ニール・ザザとはアジア方面も一緒に回ることになっていたが、イベンターのブッキング・ミスで実現しなかったのだそうだ。S41a0451 寺内さんのイベントはMarshall Blogでレポートしている。
  ↓    ↓    ↓
D_Drive in 平成26年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業

902「15と私」の最後はYukiちゃん。
「15歳、中3の時の話をしようかと思います。
その頃はまだギターを始めていなくていわゆる『バレエ少女』だったんですよ。
重度なアトピーで顔も腫れまくって大変な時期やった。
そしてその頃から太って来たんですね。
それが私のターニング・ポイントやったんですね。
通っていたバレエ学園の高校を卒業したら、そのままバレエ団に入れる資格みたいなモノもあったんです。
4つ上の姉も同じ学校に通っていて、お姉ちゃんはそのバレエ団に入ったんです。
それでバレエ団の内情を知ったんですね。
ミュージシャンって食べて行くのは大変じゃないですか。
多分ダンサーって、もっともっと大変だと思うんですよ。
で、お姉ちゃんの話と太っていく15歳の私が重なってバレエを止めることになりました。
それでギターを始めたのが15歳。
その時バレエを止めていなかったらD_Driveにも入っていないし、皆さんにお会いすることも絶対になかったワケです。
それがすごくオモシロいナァ~と思って…」
S41a04667弦ギターのコーナー。
まずは「Be Yourself」。
Yukiちゃんの物悲しいメロディから…490_by重苦しく邪悪なテーマ・リフが続きこの曲の独特の世界が広がる。500どこまでもダークでハードな演奏が素晴らしい!500vアレ?このギターにも「Blue Rose」が入っていたのね?
気がつかなかった!520もうひとつの7弦ギター・ナンバーは「Breakout」。
Chiikoちゃんの攻撃的なドラムスからスタートして…
S41a0203Seijiさんが弾くナチュラル・ハーモニクスを効果的に使ったギター・リフへ。530v_bo地鳴りを上げるToshiくんのベース!S41a0440_2 トリッキーなテーマ・メロディを経て…S41a0534_2 メンバー全員が一丸となって弾き上げる壮絶なバンド・アンサンブルへ。
これが「Breakout」。
D_Driveの15周年を記念するコンサートは終盤に向かってますますエキサイトしていった!
550D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive official website
Img_4249 <後編>もお見逃しなく!
 

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日本が世界に誇るインストゥルメンタル・バンド、D_Drive。

<The Lat Revenge in Marshall GALA2>

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200 (一部敬称略 2024年11月16日 新横浜New Side Beachにて撮影)

2024年12月18日 (水)

amber lumber~8周年記念ライブ<後編>

 
時の経つのはやっぱり早い。
早くもamber lumberの8周年を記念するライブのレポートも<後編>だもん。05v第2部ではバンド・メンバー全員がいつも通りの衣装を身につけて登場。
「さっき歌ってる間に2部では山本さんにコレを貼ってやろうと思ったの。
それを想像しただけで笑いがこみあげてきて…危うく歌えなくなりそうだった!」
「コレ」とはこの日、アキラさんが「ハリウッド・セレブみたい」とご満悦だった眉間に貼っていたキラキラの飾りのこと。
10コレを征史さんの額にも貼り付けてみた。
230v「なんか私たち…『正義の味方amber lumber』?
♪インドの山奥で~修行をして~。レインボーマンってどういうヤツだっけ?
コレが丸じゃなくて三日月だったら『月光仮面』だわ!」
30「ココでのワンマン・ライブはいつもMarshall Blogに取材をしてもらっているんですが、その中身ね…筆者の博識ぶりからすごい枝葉が伸びて、まるで雑談みたいな感じになっていていつもオモシロいんですよ。
で、そのライブのレポートを見ていると割とおんなじ曲ばっかり演ってんなぁ~と思って…。
今日はチョット違う曲を多めに演ろう思っています」
普段演っていない曲の中の中から演りたい曲をお互いに1曲ずつリクエストしてみよう…という企画。40_2ところで征史さん、「博識」とはありがとうございます。
もちろん博覧強記でありたいといつも思ってはいるんですけど知っていることしか知らないのが情けない。
「博識」かどうかをキメるのはひとえに若い頃の読書量によるでしょうね。
中学を卒業するぐらいまでにいかにチャンとした文学作品を読んでいるかどうか…それも大量に。
だいたいコレで将来東京大学に行けるかどうかが決定する。
私なんか筒井康隆とか横溝正史とかだったからナァ。
東大へ行きたかったナァ…なんて言っているのがアホの証拠か?
さて、アキラさんの口から「レインボーマン」という名前が出たので、<後編>はコレで「雑談」させて頂きましょう。
『愛の戦士 レインボーマン』は私が小学校4年生の時にテレビで放映されて私も夢中になって見たクチです。
コレ、原作が川内康範だったんだね。
だからアキラさんが「月光仮面」と言ったのもあながち遠くない。
で、主人公がレインボーマンに変身する時(だったと思う)に呪文を唱えるでしょう?
「アノクタラサンミャクサンボダイ、アノクタラサンミャクサンボダイ…」
この呪文がカッコよくて、今でも頭に残っている。
果たしてこの「アノクタラサンミャクサンボダイ」に意味があるのかどうか試しに調べてみたことがあった。
こんなことができるのはインターネットの恩恵ですな。
そうでなければ、こんなこと調べようがない…ま、知らなきゃ知らないで一向に構わないんだけど。
結果はこうだ。
テッキリ適当にこしらえた呪文っぽい文句だと思っていたらとんでもなかった!
「アノクタラサンミャクサンボダイ」はれっきとしたサンスクリット語で、漢字では「阿耨多羅三藐三菩提」と当てる。
意味は、「仏の悟りや真理を悟った境地」、さらに「この上なくすぐれ、正しく平等である悟りの境地」ということを表しているのだそうだ。
コレでひとつ「博識」に近づきましたとさ。
11_rmいつもやっていない曲…まずは『運命のわっか』から「それでいいんだよ」。
ウン、確かにこの字面は打った記憶がない。
アルペジオの優しい歌い出しから…60_sid「♪大空へ飛んでいけるよ」
いつしかギターをストラミングしながら力強く歌うアキラさん。70v征史さんのベースはまるで遠雷の音を聴いているようだ。S41a0124 「もうハズしていいよ。なんか笑っちゃって!」とアキラさん。
一方、「なぜ?せっかくスイッチが入ったのに」と額のキラキラが気に入った様子の征史さん。S41a0126 ココで今日のペダル・ボードの話に。
コレがこの日ステージにセットされたボード。
夜叉のステージで使うボードを試す機会がないので、この日持参して実戦で試してみたそうです。
だから2セット床に置いてある。
160そして、夜叉の話。
「去年はボーカリストが心筋梗塞になって…ホントに歳が歳やからね。
でも、だからこそやれるウチにやっておきたいなと思うワケです」90v 「本当にそう…私なんかメッチャ健康優良児だけど、こんな私ですら色んなところにガタが来ていて、アチコチ痛かったりするんですよ。
私も死ぬまで歌っていけたらいいと思っていて、120歳くらいまで演ったら歴史に残るんじゃねぇ?とか思ってたんだけど…実際にはできなくなってくるワケじゃんね。
私の場合は、マァ90歳ぐらいなったらそういうコトもあるのかと思う。
だからライブ1本1本の大事さを実感しますよね」S41a0160「120歳」か…。
現在、我々が話したり書いたりしている日本語の基礎を作った上田萬年(かずとし)という日本で最初の言語学者に関する本を読んでいて「物集高見(もずめたかみ)」という人を知った。
物集さんは、世界で最初の辞書と言われているイギリスのOED(Oxford English Dictionary)の日本語版のような『広文庫』という全20冊組の辞典をたったひとりで編纂した学者。
高見さんの「和子」さんというお譲さんは「平塚らいてう」と日本初の女性だけの文芸誌「青鞜(せいとう)」を興した人。
後の青鞜の編集長は「大杉栄」の奥さんで「甘粕正彦」に扼殺された「伊藤野枝」だったことは有名。
一方、息子のひとりが「高量(たかかず)」という作家/編集者で、この人のダイナミックな人生に俄然興味が湧いて3冊ほど著書を読んでみた。
とてもオモシロかった。
何しろ二葉亭四迷や幸田露伴が知り合いだったっていうんだよネェ。
その他にも明治時代のスゴイ人の名前がゾロゾロ出て来る。
高量さんは「200歳まで生きる」と豪語したが1985年に106歳で没した。
その長寿のエネルギーの源泉は「女性」。
105歳で入院した時、看護婦さんのスカートに手を突っ込んで大層怒られたという。
やっぱり長生きの秘訣はストレスのない生活とナニかの目標に向かって前進し続けることだそうです。
高量さんには知りたいことが山ほどあって、200歳になる頃までには全てそれらを知り尽くしているだろうという計算を真剣にしたらしい。
そうなるとアキラさんにも120歳まで歌い続けてもらいたいね。
スゴイんじゃん?…歌に味が出まくっちゃって!
聴いてみたいけど、私はとても生きていられないナァ…残念!
今回の脱線は以上で終わり。Img_2724 第2部の2曲目は『Hermits』から「ボクの場所」。130_2テーブルの上に砂が1粒あって、ナゼこんなところに砂粒があるんだろうと思いながら出来た曲だそう…って、そういうことで曲ができちゃうの?
サビの展開がすごくステキ。100v_bbアルバムではバンド・フォーマットのアレンジとなっているが、このデュオ形態での演奏も実に味わい深い。
以上の2曲が「いつも演っていない曲」かな?
120v続いて「冗談じゃない」。
第2部では鉄弦のギターに徹したアキラさん。
この曲も心地よいストラミングとハリのある歌声のコラボレーションが素晴らしい。150v_jdnガツンとディストーションをかけた征史さんのソロは超アグレッシブ!160vamber lumberのステージの頻出曲のひとつだけあって、冗談では済ますことのできない熱演が繰り広げられた。170「よし!続けていくぞ!」
この2日前、ハンドマイクで歌ったという「Eしか弾けない」。
「E」も久しぶりなんじゃない?
昔は毎回取り上げていたものです。S41a0249_2 征史さんからCDを預かって一番最初に聴いたamber lumberの曲がコレ。
ファースト・アルバムの1曲目。
だから「amber lumberのイメージ」というと真っ先にこの曲が頭に浮かぶ私の「ひよこナンバー」。190「♪Eっていい!カッコいい!」
お客さんの大合唱も得てバッチリと締めくくられた。200_2「スゴイね。カッコいいです、山本征史さん。
しかもアコべで良い音だったわ…Marshallの良さが出てる」
240v「古い真空管のアンプなんですね。
こういう古いヤツってダイナミクスとかがスゴいんですよ。
専門的なコトになると、電圧が違うとか色々あるんですが、今ハヤリのデジタルのアンプではこうはならない」
その通り!
S41a0205 征史さんのMarshallは完全真空管駆動の「1992 SUPER BASS」というモデル。
150v「メチャおたくっぽい!
ところで意外と私も引きこもりみたいに家にいるんですけど、時間が経つのがすごく早いんだよね。
やたらと半月じゃない?
新月と満月は1ヶ月に1回ずつしかないけど半月って2回あるからね。
しかも今日あたりは半月じゃない?
昨日ももうチョットで半月だと思って見ていました」220となるとamber lumberファンはもう次に演る曲は見通しですな?
予想通りの「半分の月」。250v_ht征史さんのどこまでも深い低音に支えられて…S41a0224 アキラさんは心行くまで情感を込めてこの曲を歌いあげたのであった。S41a0240「やっぱり2人で演る方がいいよね。
もう、絶好調ですよ。今年1番の絶好調ですよ。
「惚れ込んでね。一緒に演らせてくださいってね。オレの目に狂いはなかったな」
「私、なんかお断りしてたんだよね…でも断らなくて良かったな。
なんか一緒に出来てよかったね!
好きか嫌いかと言われると好きではないですけど…」
ハハハ!まさに「音楽が取り持つ縁」ですな!280_2「仲のいい人たちがケンカしたらケンカ別れになるじゃん。
でも仲良くないとケンカしても別れない。
コレ本当なの。
少しぐらいケンカしたくらいじゃ解散する理由にならないのよ!。
本当はこのまま2曲続けようかと思ったんだけど、どうしても言いたいことがあって…。
また変なことを言ってると思ってもらってもいいんだけど、前世の記憶を持ってる子がいるとか言うじゃん?
その子たちって全員雲の上にいたって言うんだよね。
やっぱり水じゃネェ?って思った。
雲の上にいたというのは水の上にいたということ」
290「で、言葉はアレですけど死んだら天に行くのは水なんだよ。
それで雨になったり、海になったりするワケよ。
そんな中で水のひとつが精子になっちゃうから子供が生まれてくるんだよ。
これスゴくねぇ?この話わかった?
もし、わかんない人は後で教えるから」
80v_2「人間は6、7割、水で出来てますやん。だからほとんど水なんですよ、ボクら。
ボクもトイレとか行くだびにオッ、オレの体内の水が意思を持ってオレの身体から出ていこうとしている…なんかそういう風に感じる。
オマエとはお別れや!って言って出ていく。
そんな風に感じていました。
だから、また戻って来いよ!とか言いながら用を足しています」300話題が「水」になったところで征史さんが作詞を担当した「水の循環」を歌った曲。
曲をつけた本人が改めていい曲だなと思ったという「ウートートゥ」。0r4a0231 歌詞も曲も味わい深いね。
この曲が願っているようにずっと平和が続けばいいけど、そうもいきそうにないのが残念だ。320v_2ホント、いい曲だと思います。
『Hundred Suns』を出した頃のライブの時、この曲を聴いていた若い男の人が2人の演奏に感銘を受けてオンオン泣いていたのを思い出す。330「ちなみにさっきハッピーとかすごい間違えたの俺の中の水だから。
今日は本当にありがとうございました。
次が今日のラストソング。
オヤジのために作った歌です。
一生懸命歌ってみたいと思います」340v_2アキラさんがドラムスに回って征史さんが歌う曲といえば…350_iwbもちろん「I Wanna Be Your Blood」!360v_2「♪ドクドク、ドクドク」370v_2コレが征史さんのお父さんのために作った曲だったとは知らなんだ。
そのお父さんを亡くした征史さん。
いつにも増したその熱演は観客の心を揺さぶった。380vこの曲のルーティンのエンディングでのジャンプも無事完了。
そして…
390v「サンキュー、赤血球!」
猛烈にエキサイトしてamber lumberの8周年を記念するショウは本編の幕を降ろした。
400_2さっそくアンコール。
ステージで2人はナニやらコソコソ会議。
「アンコールの曲でモメていました。
2曲演ります。
やっぱり今日は周年の記念ですからね。
8年前に初めて一緒に演った曲を年に1回くらいは演らなぁ~ってコトで。
あとやっぱり『宇宙』とかもやらないとということで2曲演ります。
コレ、メッチャ久しぶり演るんだよ…1年ぶりか?」410_21年ぶりぐらいに取り上げるという「少しずつ」。
アキラさんのソロ・アルバム『Arms』収録のバラード。S41a0133「年に1回」しか聴いていないかな?
それにしては「♪少しずつ」のパートが深くアタマに刻まれている。
「Old Grey Whistle Test」ではないけど、「いい曲」ってのはそういうものなのだ。430v「すごい。もうおしまいって言う歌で始まったんだもんね。
なんか寂しい歌すぎてあんまり歌わなかったんだけど、その曲を演りたいって最初に言ったんだよね。
それと、どうやら進化している『宇宙』。
今日はペダル・ボードもいつもと違うみたいなのでチョット怖いですがグワッ!と演って終わろうと思います」…と、先のMC内での宣言通り2曲目の演奏に入った。
440amber lumberの8周年を記念するショウの本編最後を締めくくったのは「そこにある宇宙」。450_kkuアキラさんの声だけが作り得るこの音楽宇宙!460vもちろん曲の後半では征史さんがグワッとやった!470vアキラさんもギターで迎え撃つ!475猛り狂ったように愛器を振り回す征史さん!480v足も忙しい!0r4a0181思う存分暴れまくって本編終了!490v予定ではココまでだったのだが熱烈なアンコールに応えてもう1曲演ることになった。
「最近家にいると、どうしても政治経済とか外国のことばっか見ちゃうんだわ。
ほんと若い子たちが行きたくもない戦争に行って命を落としたりしている。
私たちはこの平和な日本で暮らしていますけど、いつ何がどうなるかわかんないじゃん?
だから1人でも命を落とす人がいなくなるといいなって思うんだよね。
でも自分ではナンにも出来ないんだけど隣のアイツは気に入らないの。
遠くの国のことには優しく出来ても、隣のアイツは気に入らないんですよ。
そんな私です…ウフフフ」
コレはよくわかります。
アキラさんの考察はとても含蓄に富んでいてね、前回は「子孫はその家の集大成」というご講話があったが、コレ本当にその通りだと思っていてアチコチで使わせて頂いております。
505vそんな前置きをして最後の最後に演奏したのは「毒を吐く」だった。0r4a0210 amber lumber、8周年おめでとうございます。
アキラさん、征史さん、これからも他では聴くことが出来ないamber lumnerだけの音楽を創り続けてください。
応援しています!
 
amber lumberの詳しい情報はコチラ⇒amber lumber Official web site
500「メッチャありがとうございます!
amber lumber でした~」
客席から「もう1曲!」の掛け声が上がる。
「もう出来ない!」
520v「できないですね」510vアキラさんのギターをサポートしたのはMarshallのアコースティック楽器用アンプ「AS100D」でした。530<おしまい>
 

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<Birdsong>

<Today We're Warriors>

<Monsters>

<Heart is on Fire>


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200 (一部敬称略 2024年11月10日 神田SHOJIMARUにて撮影)

2024年12月17日 (火)

amber lumber~8周年記念ライブ<前編>

 
amber lumberの8周年…ということは、このチームがスタートしたのは2016年ということか。
Marshall Blogに初めてご登場頂いたのは2017年5月26日のライブのレポートなので、比較的最初期からお付き合いさせて頂いていると思っても叱られることはないだろう。
おめでとうございます!
8周年を記念する場所はもちろん東京のホームの神田「SHOJIMARU」。
この日も定刻にショウが始まった。10v「amber lumberです。
今日はヤバイTシャツ屋さんみたいで…モデルも兼ねて。
あの日から8年…8年だよ!早すぎてビックリする。
あの時にいた人たちが1、2、3、4人くらいは今ココにいるんじゃない?
すごくない!8年?
しばらく連絡していなくて時間ができたら連絡しよう…とか思ってる人っているじゃんね?
それがさ、気がついたら何か月会っていなかったどころじゃなくて、『10年会っていない!』なんてことがあるようになってきてしまいました」
まったく!何でもかんでもアッという間。
そもそもamber lumberの7周年を祝ったのがつい先月ぐらいの感覚なんだから。
とにもかくにも「1日」が早くてしょうがない。
20「モデルを兼ねて」というのはコレ。
お召しになっているのはamber lumberの8周年記念Tシャツ。0r4a0005開演前に屋台村の横で見ていたら、商品に羽が生えたかのような売れっぷり!
デザインもさることながらモデルがヨカッタからだな?40もちろん屋台村には他のamber lumberグッズもゾロリと並んだ。50今日はこの歌から始めようと思います。
夏のワンマンの時に『今日出来た!』と言って披露しましたけど、いまだにタイトルも決まっていません。
『ウッカリ八兵衛』の歌です。
ウッカリしてると大事なものがなくなるよ。免許もなくなるよ!…そういう歌です」
60v森永JUDYアキラ80v山本征史90vこの曲は、前回の初披露時には本編とアンコールで2度演奏したが、今回はその時より各段に曲の貫禄が増してショウのオープナーを務めるに十分であった。
ソロソロ題名が決まるのかな?
今日もアキラさんのお供をさせて頂くのはMarshall。100アコースティック楽器用アンプ「AS100D」。110アキラさん、「ウッカリ八兵衛」なんてまだ運転免許証のことを言っていたけど、私は先月無事に書き換えを終了しました。
アキラさんのおかげでウッカリすることが全くなかったわ、
ところが…あ、今回はこの後脱線がほとんどないのでココでチョットやらせて頂きます。
アキラさんより先に毒を吐きます。
免許の書き換えの時、私は最寄りの神田の「運転免許更新センター」というところに行くんだけど、最近は完全予約制で何でもかんでもインターネット。
コレ、本当にお年寄りは困るだろうナァ。
一方、インターネットを通じての予約制ゆえ「待たない」という利点があるにはある。
ところがコレが猛烈にアタマに来たのだ。
私は11時に予約をして、少々早めに会場に着いた。
すぐに申請の手続きを始めて、11時を5分すぎた頃にはもう終わっちゃう。
好事魔多し。
「コリャいいや、後は講習か…」と喜んだのも束の間、ナント、その講習の開始時間が12時だって言うんだよ!
つまり1時間、ひたすら講習の開始までムダに時間をつぶさなければならない。
1時間待って、そこからまた1時間の講習だからね。
も~ハラが立って、ハラが立って!
「I'm Your Blood」じゃないけど、大分血圧が上がったわ。
そこでそんなに待たされるんじゃ予約の意味がねーじゃねーか!
このシステムは一体どういう感覚の持ち主が考えたのか…人の1時間をナンとも思わないヒマなヤツなんだろうナァ。
講習も昔に比べるとナンカ変なんだよね。
ヨソヨソしいというか、他人事というか。
講師の言うことなすこと、すべて「受講者からクレームが来ませんように…」ということだけを考えている感じ。
脱線終わり。
Kmc_2 ほぼそのまま続けての2曲目はおなじみ「ランデブー」。120_ldv力強いアキラさんの歌声でグッと盛り上がる。
今日の第1部ではアキラさんはお気に入りのナイロン・ギターのみを使用。
だからいつもとはチョット雰囲気が異なる「ランデブー」になった。
130早速バッキングに、ソロに、とさっそく抜群の存在感を主張する征史さん。140もちろん征史さんもMarshall。
1970年代に製造されたベース・アンプ「1992 SUPER BASS」を使用。
150vもう1曲続けたのは「呼吸とテレパシー」。
ワンマンでは毎回取り上げられてきたamber lumberの愛奏曲。
180vまずはココで征史さん爆発!
このベースの音は他では決して聴くことのできないモノだ。
amber lumberだけが持つサウンドのひとつ。190v「『呼吸とテレパシー』は唯一アルバムに入っていない曲。
なんかいろいろ決めごとをしたのに全部私がスっ飛ばしてしまって…」
「昨日、間宮さんアレンジでコレを録ったんですよ。
違うアレンジで演ったばかりだからなんかすごく脳が言い訳しています。
聴いたことのないようなブリティッシュロック感があって80年代と70年代がうまく混ざってる感じになっていました」とは征史さんからの情報。
200SHOJIMARUでのamber lumberは8月のアキラさんのお誕生日ライブ以来。
「やっぱ、一緒に演るといいなぁ~。
なんか、ズッと1人で演ってきて、お客さん全員が私を見ているということにチョット快感も覚えていたんですが、最近はそれもシンドくなってきて…。
今日も最初はみんな歌っている私を見ていてコノヤローとか思ってたけど、こうして2人だと安心できるなって思った。
やっぱりボトムを支えてもらっているというのがスゴい!」
210v8周年記念Tシャツの話になって…
「今日は2人でコレを着て出る?という『どうしよう状態』。
やっぱり普段着で演るとスイッチが入りにくいですね」
220v「私、ゼンゼン平気。どんな普段着でも大丈夫。
この間、衣装を忘れて普段着で演りましたけど…今流行りのカーゴパンツっていうんですか?
ワークマンとかで売ってるようなズボンで演りました。
最近はもう女捨てまくり!ダハハハ!
じゃあ、せっかくの8周年ですからね。
8年前に山本さんから歌詞が送られてきて、私が曲を付けたこの歌を今演ったらどんなかな?という感じで…」0r4a0159「この歌」というのはファースト・アルバムに収められた「青い月夜」のこと。
そうした背景を持つ曲だけあってamber lumberのステージでは必ず演奏される曲のひとつ。0r4a0078 そして、何度聴いてもアキラさんの歌声と征史さんの伴奏にホロっとさせられてしまう1曲でもある。歌詞と曲と歌声と演奏の4つがうまい組み合わさった時に生まれる名曲の見本だ。
250続いても『運命のわっか』から「あたし待ってんの」。
アキラさんのシャープなストラミングと「♪あたし待ってんの!」の熱唱が実にクール!
人を待たせてはイケません。260v_amtnそのアキラさんのパフォーマンスを上質のグルーブで色づけする征史さんのベース。
そして、スリリングなソロ。
270vそうか…コレを初めて聴いてからもう8年も経ったのか!280大好評のTシャツに加えてスウェット・シャツや征史さんが着ていたフーディを作るまいか?という話。
その値段の話からチョイと政治っぽい話に…。
そういえばココのところスッカリ相撲の話が出なくなったナ。300vフーディを脱いで8周年記念Tシャツ姿になった征史さんが歌うのは。330v_knカニ…「カニはエライ」。
以前はカニの被り物をつけて演奏したりしたっけね。340amber lumberのメルヘン・チューン(「メルヘンは」 "Märchen"というドイツ語です)のひとつ。
同時にamber lumberの曲の特徴でもある「なりたいチューン」のひとつでもある。
「舟」になったり、「猫」になりたかったり、来世は「カニ」になりたかったり…ロマンチックでよろしいな。
この歳になってみると「なりたいモノ」なんてありゃしない。
あ、あった…お金持ちになりたいわ。360v「皆さんご一緒に!…ありがとう!」
この盛り上がり方もamber lumberのライブならでは!350「実は9月にamber lumberのワンマンが入っていたんですが、その当日に山本さんのお父さんが亡くなられて私ひとりで演ったんです。
ソロ・ライブなんて結構演って来たのに、amber lumberのソロってなるとスゴく緊張しちゃって…。『カニ』とかドラムスだけで『赤血球』とか、山本さんの歌もひとりで歌いました。
来てくれた人達が優しくてさ…ほんと私たち幸せだよね。
今日もこんなに来てくれるなんてね。
8年も本当にありがとうございます。
でも何10年とか演っているバンドがたくさんあるもんね…そんなの気が遠くなるね」380次は「呼吸とテレパシー」と一緒に録音した曲「とりあえずハッピー」。
これまでアンコールで取り上げられることが多かった曲。
アキラさんによるとポンキッキみたいな感じになったという。
それはきっと楽しい仕上がりに違いない!
390_tah今日はいつも通りの2人の演奏。400タイトル通り第1部をハッピーに仕上げた!410amber lumberの詳しい情報はコチラ⇒amber lumber Official web site420<後編>につづく

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<Your Tears>

 <Miss You in the Dark>

 <Shake Shake>

 
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200 (一部敬称略 2024年11月10日 神田SHOJIMARUにて撮影)

2024年12月13日 (金)

様式美大作戦2024<後編>~JILL'S PROJECT

 
目黒鹿鳴館で開催される最後の『様式美大作戦』もいよいよトリの登場を迎える。
様式美党総裁・岡垣"Jill"正志率いる「Jill's Project」のお出ましだ!10v_3この日の岡垣さんの屋台村の様子。
スゴいアイテム数!20_3APHRODITEのフーディやJill's ProjectのTシャツも目を惹いた。
「パーカー」は日本の方言で、欧米では「フーディ(foodie)」と呼ぶ。
フードがついているから「フーディ」。
雨の多いイギリスでは、少しぐらいの雨量だったらフーディを傘とレインコート替わりに着用する。
中には傘がキライなのか、はたまたナニかの意地なのか、ドシャ降りの中でビッチョビチョになりながらフィーディで耐え忍んでいるヤツもいるからね。
30_2
ステージの背面に「Jill's Project」のロゴが映し出され、ホルストの「火星」にアドルフ・ヒトラーの演説を組み合わせた強烈なSEが流れる。
もしJill's Projectがドイツで演奏するような機会があった時にはお気をつけあそばせ。
何しろドイツでは5本すべての指を伸ばした状態で手を挙げることすら大変なタブーとされているぐらいですから。
法律で禁止されているんじゃなかったかな?
そうとは知らずに私はフランクフルトで似たようなことをやってしまい、Marshallの連中から厳重に注意を受けたことがある。
だから我々がよくやる遠くにいる人に向かって手を挙げて「こっち、こっち!」と手のひらを上下させる仕草ね…アレもドイツでは絶対にやってはイケない。
指を1本だけ立てていればOK。40_2♪グワァァァァァァァァン!
ギターの轟音一発で緞帳が上がる。0r4a0911 姿を現したJill's Project!
この場所でこの雄姿を目にするのもコレが最後。50_2岡垣"Jill"正志。60v_2Dio Ken70v島紀史80v_2関勝美90v_3金光健司100v_3金光さんはNATALツーバスのキットに衣替え。1051曲目は「Reach Out for Something」。120高速で猛然と突き進む正統派メタル・チューン。
250転調、そして一気に飛び出してくる島さんのギター・ソロ!110迎え撃つ岡垣さん。0r4a0843 そしてキーボーズとギターの一糸乱れぬアンサンブルがスリリングなメロディを繰り出す。
1曲目から凄まじいまでのハイ・ボルテージ!130_2ガラっと変わって2曲目はまるでベートーベンの「月光」のような悲し気な岡垣さんのピアノから。150v_ihsそこに島さんのクリーン・トーンのギターが絡む。
極太のクリーン・サウンド。
いい音だナァ~。200v_3島さんはもちろんMarshall。
いつも使用している「MAJOR1967」と「1960B」。210v_3そして左腕にはMarshallのリスト・バンド!
Marshallは島さんのパワー・ギターの源なのだ!220ミディアム・テンポのヘヴィ・ナンバー「I Have the Shakes 」。
情感を込めてジックリと歌いこんでいくKenちゃん。
0r4a0850島さんはエキゾチックなフレーズを散りばめて独特なソロを展開した。260v_2一方、リズム担当陣は金光さんがツーバスを効果的に使って…270ANI-Katsuさんと完璧なタッグを組む!280_3やがてリズム隊が動きを止めると無伴奏のギター・ソロに。
島さんはワーミー・バーを大胆に上下させてダイナミックなソロを聴かせてくれた。0r4a0907ダルセーニョして再び岡垣さんのピアノの調べが流れて…S41a0745再びギターが雄叫びを上げて曲は頂点に達した。
イヤ~、すごい密度のギター・ソロだったわ。0r4a0965_2「サンキュー!Jill’s Projectです。お待たせしました!
今日は島さんを除いてのメンバーは『最後の目黒鹿鳴館』なんです。
最後だと思うと普段見ていなかった所に目をやったりして…舞台の天井って黒くなかったんだぁ~とか。
気持ちがチョット熱くなってるところです。
ボクにとっては本当に最後の目黒鹿鳴館。
皆さん、最後まで声を出していきましょう!」300v次の曲も冒頭から島さんのギターがモノを言うミディアム・テンポのドヘヴィ曲「Heavy Rain Sheds Blood」。
310v_neKenちゃんの絶唱がド迫力!320v_2この手の曲には風琴のサウンドがピッタリですな。
曲が本来持っている重量感が増長されるのだ。330ココでも中近東風のエキゾチックなメロディを弾いた後、伸びやかなフレーズをつないでから必殺のスレッディングをリレーする構成でギター・ソロを組み上げた。350v金光さんのカウントから「Naked Blood」。360v_hrsbギターが奏でるリフが魅力的なミディアム・ファストの3連ナンバー。0r4a0045 こういう曲にKenちゃんの歌はピッタリだね。0r4a0036 この曲でも岡垣さんはオルガンでバッキングにソロにと大活躍!380v_3再び「転調⇒ギター・ソロ」のパターン。
しかし…いい音だな。
まさに真空管アンプにしか出せない音、すなわち「ホンモノのロック・ギター」のサウンドだ。400vブレイクを挟みながら曲の最後まで轟然たるソロを聴かせた島さん。
やっぱり金光さんとのコンビは快適ですな。
楽器も「NATAL=Marshall」でバッチリ!
390_2岡垣さんが背中のムーグに指を重ねる。
キーボーズのソロだ!
いいね~、この音色も。
オルガン、メロトロン、ムーグ、この3つの電気鍵盤楽器がなければロックはできない!…という世代の私はこの音色がとても好きです。
「三つ子の魂百まで」で、この音が好きなのは「Tarot Woman」で刷り込まれたのかも知れない。
こうしたシチュエーションでこの音に接すると今でも「何かが始まりそう」という気分になっちゃうんだよね。410_kbs定位置に戻ってオルガン。S41a0639 当然、右足が鍵盤に上に乗ってグバ~っとなる。
ギターでコレをやることはできませんからね。
まさにコレぞ「鍵盤楽器ソロ」の醍醐味なのだ!430そして、そのまま次の曲のイントロのメロディを奏でる。420v_35曲目は「Crazy Me」。
Marshall Blogの『様式美大作戦2023』を見ればわかることなので書いてしまうが、実はセットリストは昨年と全く同じ。
安定のレパートリー。
ところが、今回はナゼかミディアム・テンポの曲が目立ったような印象を受けるのはナゼだろう。440_cmそんな曲調にあってはKenちゃんの激情型の歌が実にシックリ来る。
グイグイとその熱唱に引き込まれて行ってしまう。
470v_2岡垣さんのオルガンのソロ…490_2Ani-Katsuさんのソロ…500と、曲は様々な表情を見せながら進んでいく。
Jill's Projectの中では最も伝統的なプロッグ・ロックよりの1曲と言えよう。460_2そして圧巻のギター・ソロ。
やっぱりスゴい音だな。
この日は、三宅庸介と島紀史という「大谷一門会」の門弟2人が顔を合わせる機会となったが、令文さんなき今、この国においては間違いなくその2人が令文さんの「正統派のロック・ギター・サウンド」を引き継いでいることを証明したと思う。
要するに「Marshallで出すロック・ギター」のサウンドだ。
やっぱり「ああいうヤツ」で出す音は細くて聞いていてツマらんよ。
こうしてチャンとMarshallを使った方がはるかにいい音がする。
まったく奇天烈なことがハヤってしまったものだ。510_2その向こうを張ったのがKenちゃん。
この曲の絶唱っぷりも見事だった!
真空管で動かしているノドに間違いない。520_2この日ももちろんメロイック連発!
0r4a0009 ココで岡垣さんがマイクを握ってメンバーを紹介した。
「お疲れのところ申し訳ないんですが、すっごい長い曲を連発してしまいました。
演っている方も辛いんですよ。もうチョット頑張ってくださいね。
もう後半戦…残すところ本当にあと少しです!
最後の曲はDio Kenから紹介してください」530v_2「はい。大きな声で皆さん…愛をください!
それでは目黒鹿鳴館での最後の曲を…最後の曲になります。
でもね鹿鳴館はなくなりませんから!
目黒じゃなくなっちゃうかも知れないけど、どこかでまた始まるということです。
鹿鳴館が復活した際にはまた集まって頂けたらうれしいです。
ありがとうございました。
また会いましょう!」0r4a0776 島さんが弾くシャープなリフで曲はスタート。550v_usuKenちゃんが紹介した本編最後の曲は「Upsurge Unconcious」。0r4a0827Jill's Projectリズム隊が独特のウネリを発する。570v心地よいテンポのドライビング・チューン。580v_2本編最後でも島さんのシュレッディングが冴えに冴えて…590vピック投げもキマった~!600_2そして、3人が見守る中…605楽器を前に後ろに揺さぶる岡垣さん。
付き合いが長く深いだけあって、ANI-Katsuさんは岡垣さんが楽器を押したり引いたりするタイミングを知り尽くしているのだ。
今は岡垣さんは引いているところ。
610_2
目黒鹿鳴館最後のソロにエキサイトする岡垣さん!615また右足が鍵盤に乗った~!620_2この日、ココまでかなりの長尺だったが、無事に本編を終了した。
で、早速のアンコール。
0r4a0777 「ソレって心の底からのアンコール?
ホンマに演りますよ。
目黒鹿鳴館最後のJill‘s Project…本当のラスト・ナンバーになります。
皆さん、よろしいでしょうか?
もう1回訊きますよ…心の底からアンコールを望んでいますか?
(大歓声)OK!」630v絶大なるアンコールのリクエストを受けて演奏したのは「The Sword」。0r4a0723 最後の最後はもちろん景気の良いドライビング・チューン。
メンバーの4/5人がコレで最後となる目黒鹿鳴館。
そんな機会を心の底から楽しんでいるような大熱演だった!670 680   0r4a0062   700v「サンキュー、鹿鳴館!」
0r4a1091最後は島さんおなじみの…
0r4a0108エンディングのルーティンがバッチリとキマって…0r4a0103目黒鹿鳴館における『様式美大作戦2024』の全ての演目を終えた。710_2「ありがとうございました。
これにて『様式美2024』終了とします。
ありがとうございました。
ナニより最後まで残って頂いたお客様、本当にありがとうございました」0r4a0127 「そして目黒鹿鳴館、ありがとうございました。
24の時からね…今、64になりましたが、40年間本当にお世話になりました。
また別の場所に移転してもお世話になっていきたいな~と思っています。
お気を付けてお帰りください。
そして良いお年を迎えてください。
ありがとうございました!」0r4a0134 Jill's Projectの詳しい情報はコチラ⇒Masashi "Jill" Okagaki Official Website

730v

島紀史さんがMarshallのデジタル・アンプ「CODE」のデモンストレーションをしたビデオはコチラ!

<おしまい>

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イギリス南西部のコーニッシュ出身のキング・クリーチャー。
本場のブリティッシュ・ハードロックを存分にお楽しみあれ!

<Desolation>

<Captives>


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200(一部敬称略 2024年11月9日 目黒鹿鳴館にて撮影)

 

2024年12月11日 (水)

様式美大作戦2024<中編>~AYA PROJECT & APHRODITE

 
目黒鹿鳴館での開催が今回で最後となる『様式美大作戦』。
10v_2 パイプオルガンの荘厳な音に包まれて2番手で登場したのはAya Project。
最近、チョット思うところが合って調べてみたんだけど、オルガンって楽器はパイプオルガンのように笛の原理で鳴らすタイプと、リードを使って音を出すタイプがあるんだってね?
言葉としては前者を「オルガン」、後者を「ハルモニウム」というのだとか…。
日本語では「風琴」。
誰が名付けたのかは知らないが、「風で鳴らす琴」なんて趣があっていいね~。
ちなみにハーモニカは「口風琴」なんて呼ばれていたことがあった。
ハーモニカもリード使って鳴らす楽器なので、日本人にとってのオルガンは「リード・オルガン」を指すのかも知れないな。
もうチョット言うと、「手風琴」はアコーディオン。
一方、パイプオルガンは日本語で「管製風琴」という。
Aps2_2さて、Aya ProjectがMarshall Blogにご登場頂くのは昨年に続いてこれで2度目。 70_2Aya80_2v鈴木広美90v_2水元まりお100v_2堀江睦男120v_21曲目は「Brug Eltz」。
早速「城塞」が出て来た!
ドイツの3大美城のひとつ「エルツ城」をテーマに据えたハード・ドライビングな1曲。
Ayaさんのキーボーズと…130広美さんのギターのソロが次々と現れ出て来る場面をドラマチックに彩っていく。170vツカミはバッチリ!
1曲目でさっそくAya Projectの世界を組み上げた。150_2矢継ぎ早にAyaさんの独奏。
まるでフル・オーケストラのようなスケールの大きなキーボーズが会場に鳴り響く。160v_nao広美さんが奏でるテーマ・メロディはエキゾチック。
曲は「Night at Oakley」。
ステージに上がっているMarshallは「JCM2000 DSL100」と「1960A」。140vザックザクと切り込んで来るリズムが心地よいミディアム・テンポのヘヴィ・ナンバー。180v_2かと思うと場面が変わってテンポ・アンプ。
Ayaさんのピアノ・ソロが飛び出す。
様々な楽器を駆使する「鍵盤をフィーチュアしたロック」の権化のような1曲だ。
タイトルにある「Oakley」とは、テムズ川の上流ウィンザーにある「Oakley Court(オークレイ・コート)」という19世紀の中頃に建てられた貴族の館のこと。
今はそれが高級ホテルになっていて、Ayaさんはそこの滞在した経験をお持ちだ。
190
そういえば私もテムズ川上流について記事を書いたことがある。
興味のある方はコチラをご覧アレ。
  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>

440 「こんばんは、Aya Projectでございます。
今日は『様式美組合』の一大イベントにお越し頂きましてありがとうございます!
目黒鹿鳴館では最後となる『様式美大作戦』でございます。
Aya Projectは中世ヨーロッパのお城、魔物、そしてドラゴンなどイギリスの伝説をテーマにした曲を作っている様式美インスト・メタルのバンドです。
大丈夫ですか~?」
210v_2「今日はこの歴史ある鹿鳴館をイギリスの古城の地下だと思って、ドラゴンや魔物、そういう物を感じつつ映画を観ているような気分で映像を思い浮かべながら聴いて頂きたいと思います。
Aya Projectはバンド・メンバーの皆さんに応援して頂いて今年で活動5周年となりました。
ありがとうございます!」
とココでそのバンド・メンバーを紹介した。200v_2続いての曲は女性の亡霊をテーマにしたという「Silky」。
♪グバ~っと音が広がるAyaさんの深遠なキーボーズに…230v広美さんのソロが重なる。
途中からボトルネックを使って独特な場面を作り上げた。220_slk情景が次々と入れ替わる中、曲は2人のテーマ提示やソロを繰り返しながら進んでいく。240Ayaさん、早くもエキサイト!245次はドラゴンいってみよう!
堀江さんのフィルがバシッと決まって…250v_od曲は「Ominous Dragon」へ。
「ominous=不吉な、演技の悪い」というタイトルからは想像しにくい、鍵盤の上のAyaさんの指も軽やかな爆走ナンバー。260ギター・ソロだけでなく、メイン・テーマのバッキングがまたカッコいい。270v_2サオ・チームもノリノリだ!
290私的にはナントなくアーロン・コープランドの「Rodeo」を連想させてくれてゴキゲンなの。
快調、快適極まりない爆走ぶりに会場ももちろん大盛り上がり。280_2ガラリと替わって重々しくスタートするのは「Faireis on the Eastern Green」。
コレまた「fairy=妖精」っぽくないな…と思ったらやっぱり「東の野原からやって来る魔物」というイメージなのだそうだ。
490vカッチリとした3連のグルーブが心地よい!
310v_2ココでも広美さんと…320vAyaさんの丁々発止としたソロが展開した。S41a0201 「今年で5年目となるAya Projectなんですが、なんとサード・アルバムを発売します!
5年間で3枚目のフルアルバム…ライブ盤を入れて通算8枚目でございます。
ありがとうございます!」
アルバムの予約のご案内。
今度のアルバムにはクラシックとロックを融合させた感じの曲やロック調にアレンジしたクリスマス・キャロルの曲も収録されていて今までとはチョット違う感じに仕上がっているそうだ。
さらにCDには着物姿他、Ayaさんの色んな写真も拝見できるとのこと。
こりゃスクルージもビックリだ!340かつてAyaさんがいたウェールズの湖水地方にある湖の物語を「Ayaサウンド」にした「Legend of the Lake」。
まずは堀江さんのドラム・フィルから。350v_lotlこれまた手に汗握るドライビング・チューンで広美さんのギターが冴えわたる!360v_2Ayaさんがシンセサイザーで奏でるテーマ・メロディが宙を舞う。
380v_2寸分のスキもないヘヴィなバンド・アンサンブル!370Ayaさんは再び鍵盤に右足を乗せて感情を爆発させた。390曲が終わると背後のムーグに手を乗せ、Ayaさんのソロが始まる。
コレでタップリと幻想的な空間を作り出しておいて…400_ot元の体制に戻りオルガン他の音色を複合させた壮大なソロを披露した。410そのまま切れ目なしに次の曲「Overturn」へと続く。
これがまた凄まじくハードなアンサンブル!420v_2その中でAyaさんは音色をとっかえひっかえしながらバラエティに富んだパーフォーマンスを見せてくれた。440_2もの悲し気なピアノの独奏ではじまる「The Chaos」。460v_chaまったく「ケイオス」にならないクリアでシャープな演奏がスリリング!470広美さんと…450まりおさんの高速のキメも完璧!0r4a0307Ayaさんのムーグのソロから…0r4a0389再びボトルネックを装着した広美さんが異国情緒を感じさせるメロディを奏でる。
何ともパノラミックな1曲だ。495「3曲続けてお送りいたしました。
『Overturn』と『The Chaos』はセカンド・アルバムの最後に収録されているんですが、そのストーリーが今度のサード・アルバムに続くという展開になっています。
つまり、ファースト、セカンド、そしてサードと3部作となっております」
500v_2…とアルバムの内容を説明。
また昨年の鹿鳴館でのライブの音源をCD化した『Live Ominous Dragon』を含むアイテムが今回の屋台村に並んでいることを案内した。504「それでは次の曲で最後です。
『歌って~!』と言われたのですが歌えないので、ウフフ。
今日はベースのまりお先生に次の曲の振り付けを考えてきてもらいました。
どんな感じなんでしょうか?」
330v「エクササイズだと思ってやってください!」506両手を高くあげて左右に大きく動かすまりおさん。
「まりお先生が曲の中でコレをされましたら皆さんご一緒にお願いします!」
505「もう最後の曲ですからね、盛り上がっていきますよ!」460vAya Projectのステージの締めくくりは堀江さんと…510v_dlまりおさんのコンビネーションが煙を出してしまいそうなハード・ブギ「Dule」!520vシンプルでカワイらしいテーマ・メロディがステキ!530キーボーズとギターのスリリングな掛け合い!570「さぁ、皆さん準備はいいですか~?
私がカウントしたら右から行ってください!」550まりおさんが予行演習通りに両手を上げて右へ左へ。
もちろんお客さんもそれに合わせて手を上げながら右へ行ったり左へ行ったり。
大変盛り上がりました。560お客さん参加の楽しみもあってAya Projectのステージは最高に賑やかなモノなった。580「来年も東京に来れるように頑張りますので応援よろしくお願い致します!
今日はどうもありがとうございました」580v最後はみんなで並んでご挨拶。
「ありがとうございました!」5903番目に登場したのはAPHRODITE。600『様式美大作戦』のメイン・アクトのひとつだけあって貫禄十分!610様式美党総統・岡垣"Jill"正志620荒木真為630藤本泰司640v関勝美650v堀江睦男660vオープニングは「Before the Dawn」。670v続けて「Worship」。680vハードでスリリングな2曲を冒頭にブチかました!690そして、おなじみ「人形愛」。700岡垣さんのキーボーズの独奏からあのフレーズが出て来て…
0r4a0646「Long Live the Dead」を次に持って来た。710最近は「詩人シャロウ」が出て来ないナァ。
「難解過ぎてわからない」からかな?…イヤ、コレは決してふざけているワケではなくて、一番最初にAPHRODITEを観た時にすごく印象残ったからなのです。
730リズミカルに「Holy Unholy」。
「くそっ、マジかよ、しまった、ヤバい、マズい、ちくしょう、なんてこった」なんて時に向こうの人は「Holy shit!」ってよく言うけど、日本人はそんな言葉を使ってはイケません…使ってないか。
740v総統も最後の鹿鳴館とあって気合が入りまくる!720その2人をグイグイと押し出すリズム隊の2人。750vキャリアと経験を備え合わせた様式美党の鉄壁のメンバー。
そういえばAyaさんは「様式美組合」って言っていたな。
S41a0232 泰司さんのギター・ソロを経て…S41a0310真為さんが「Heal Your Heart」を激唱。
MCで真為さんがウマいこと言っていたな。
このイベントを指して「盆と暮れを足しっぱなし」って。
要するに「両方を足して2で割らない」というワケ。
終演後、真為さんにお願いしてこの表現をどこかで使ってもよいというお許しを頂いたので、そのウチまたMarshall Blogに出て来ることがあると思います。
760そんなエキサイティングな内容だからして岡垣さんの足が鍵盤に上がらないワケがない!770そして最後に「Nauseous」を演奏。
「nauseous」というのは形容詞で「ムカつく」とか「吐き気を催させるような」という意味。
曲はその正反対!780「キーボーズ!」790ガッツ・ポーズをキメるJill総統!800v一方、真為さんは観客をアオる傍ら、何度も上がった目黒鹿鳴館の舞台に心の中で別れを告げているようだった。S41a0411 こうしてAPHRODITEの目黒鹿鳴館最後のステージを締めくくった。
 
APHRODITEの詳しい情報はコチラ⇒Masashi "Jill" Okagaki Official Website

0r4a0540<つづく>
 

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<K.B.B.>

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200 (一部敬称略 2024年11月9日 目黒鹿鳴館にて撮影)

2024年12月 9日 (月)

様式美大作戦2024<前編>~Strange,Beautiful and Loud

 
目黒鹿鳴館の名物イベントのひとつ『様式美大作戦』が今年もやって来た!10vこのイベントを主宰するのは「様式美党」の総裁・岡垣'Jill'正志。
何しろ目黒鹿鳴館で開催する『様式美大作戦』は今回で最後…そんな機会を飾るにふさわしい濃い~メンツを集めてシキビってくれた。15v今回はせっかくの機会なので『様式美大作戦』を振り返っておこう。
スタートは2012年。
第1回目は同じ目黒でもJRの線路の向こう側の「LIVE STATION」で開催された。
出演はJill's ProjectとAPHRODITE。
そしてゲストは赤尾和重さんと三宅庸介さん。
三宅さんは一番最初から参加していたんだね。Ysb2012明けて2013年。
第2回目から『様式美大作戦』はココ目黒鹿鳴館で開催されるようになった。
この時の出演はJill's Project EXとAPHRODITE。
ゲストはYOU(足立祐二)さん、西川茂さん、そして再びCazさんと三宅さんだった。
総統によると、この「作戦」はJill's ProjectとAPHRODITEをレギュラーに据え、加えてTerra Rosaの面々をゲストで迎えるのを基本としているとのこと。Ysb201310年以上の歴史を持つこのイベント、 ほんじゃMarshall Blogはどういう風に取り扱って来たか…。
最初のレポートは2013年の『様式美大作戦』だった。
エヘン!第2回目、すなわち初めて鹿鳴館で開催された時から取材してるんだよ。
そのレポートはコチラ 
  ↓  ↓  ↓
JILL岡垣~様式美大作戦2013 <前編> 
JILL岡垣~様式美大作戦2013 <後編> 
250_3 で、その1年前の2012年9月7日に『「様式美」でいこう!』という題名でShige Blogにライブ・レポートを掲載している。
この記事は2013年7月8日にMarshall Blogに引っ越して来たのだが、コレはとりもなおさず2012年8月4日にLIVE STATIONで開催した一番最初の『様式美大作戦』なのよ!
つまりMarshall Blogはこのイベントを一番最初からレポートしていたんだね。
そのレポートはコチラ 
  ↓  ↓  ↓
「様式美」でいこう!6a0163044657d3970d017d3bd2df1497_4 さて、今年の『様式美大作戦』、目黒鹿鳴館での最後の開催とあって、絶対にMarshall Blogに記録しておきたいと意気込んで参加させて頂いた。20まずステージに上がったのはStrange,Beautiful and Loud(以下「SBL」)。
Marshall Blogへの登場は2023年4月以来。30緞帳の向こうから漏れ聞こえて来るギターの音が耳に入った瞬間からSBLの世界が広がる。Zz 三宅庸介100v河野充生0r4a0185 金光KK健司
S41a01371曲目は「virtue」。
エキサイティングなミディアム・ファストのワルツ。80三宅さんは当然Marshall。
使い慣れた「JVM210H」と「1960A」のコンビネーションだ。
もちろん三宅さんは今ハヤリの外部のプリアンプを使ってワザワザ最上の神戸牛をハンバーグにするようなことは絶対にしない。
ギターという楽器をどういう音で鳴らすべきか、そしてそのためにはMarshallを正当な方法で用いなければならないことを熟知しているからだ。
プリアンプが違えば、何をどうやってもそれはMarshallのサウンドではないから。
Marshallの音はケタ違いに図太いのだ。
90vノッケから出るわ出るわ、凡百のロックギタリストとは一線を画する三宅さんだけのフレーズの数々。40手を合わせる三宅さん。
心の中で仰いでいるのはジミ・ヘンドリックスか?マイルス・デイヴィスか?110_dv続いては「devil」。
音程差の激しいハードなリフはいかにも三宅チック。0r4a0083 縦に横に張りめぐらされる河野さんの低音。
最高にカッコいいベースだ。130vその低音と緻密に絡み合う金光さんのドラムス。
金光さんはNATAL(ナタール)。材質はメイプル。
今日も「金光ビート」がウネる!140いつも通り12"のタムタムをひとつだけ擁するコンフィギュレーション。
タムタムってのは1つにするとキット全体の鳴りが良くなるんだってネェ。
150焼けつくような激しいフレーズ回しと印象的なテーマのメロディが見事なコントラストを示す1曲。
コレはまだSBLの既出の2枚のアルバムにはまだ収録されていない。
次のアルバムに期待。
0r4a0229 「ありがとうございます…なんかうれしいナァ。
『様式美大作戦2024』ということで…様式美じゃないですけど。
そこは『かつて様式美を演っていました』ということで…」
イヤイヤ、SBLの音楽は「三宅ミュージック」というひとつの「様式」なんですよ。
日本語の「様式美」という言葉の意味からすれば、十分にそれに当てはまると思うのだ。
早い話、「確固たるスタイルがガッチリと成立している美しさ」ということです。
170「鹿鳴館でこのトリオで演奏することはもうないだろうと思っていたら、移転する前の最後の最後に呼んでもらうことができてとてもうれしいです。
まさか、またこの光景が見られると思っていませんでした。
ボクが東京で初めてライブを演らせてもらった場所でもありますし、自分の『ミュージシャン』としての歴史の最初からずっと印象深かった大事な場所なので、ココで自分の音楽を演奏できる機会に心から感謝します。
聴いて頂いているみなさん、どうもありがとうございます」
三宅さんの記憶によると、初めて東京で演奏したのは1987年6月のTerra Rosaの鹿鳴館でのステージだったそうだ。180vSBLのメンバーを紹介して…
「インストだし、曲も内容がチョット多すぎる感じのモノもあるかも知れませんが最後までお付き合いください。
よろしくお願いします」S41a0096熱情的なイントロは「bloom」。0r4a0113静謐なテーマに「バチン!」とはじけ飛ぶローEの音!190_blかさぶたが剥がれたばかりの傷口をやさしくやさしく撫でるようなサトルな金光さんのドラミング。
こういうナイーヴなプレイも金光ドラミングの魅力のひとつだ。200v一転してガツンと出て来るのは他に類を見ない、三宅さんのレパートリーの中でもひときわ印象的なテーマ・メロディ。0r4a0106 慎重に選んだ音をつなぎ合わせてソロを構築する河野さん。
やがて4分音符を規則的に置いて…
70リズムがジャズ・ワルツにになったところで三宅さんのソロ。
はじめはクランチ直前ぐらいのサウンドで舞台を整えておいて…210v図太いディストーション・サウンドで暴れまくった!
Marshallの持てる能力をすべて引き出すかのような演奏だ。
「ああいうヤツ」でこういう音を出すことは不可能です。240v続けては「murt ’n akush 」。0r4a0045 金光さんがシャープに打ち出す5/4拍子。
260vポール・デズモンドの「Take Five」のように奇数拍子でも全く違和感がない名リフ。
私は三宅さんがこの曲を初めて人前で演奏した時から耳にしているが、今でも新しい曲を聴いているような新鮮な感覚がある。270v題名が示す通りのエキゾティックな雰囲気。280河野さんが容赦なくグルーヴを放出すると…290v三宅さんのソロ炸裂。
アータ、こんなギター・ソロを弾く人いる?
今の日本にはいないでしょう?
これが「三宅様式」なのだ!310vテンポをスローにしてそれまでとは表情を変えたパートで締めくくるアイデアもシブい!S41a0115 フィードバック・サウンドがグワァ~っと巻き起こる。330_if♪ズダダダダダダダダ…この形相!
金光さんが魂を込めて叩くスネア・ドラムが入って来る。340v_if曲はSBLのキラー・チューン「if」。360vSBLのレパートリーの中で最もポップ(?)な1曲。
「ポップ」というのは「キャッチ―」という意味では全くない。
険しく厳しい三宅ミュージックの中にあっては比較的受け止めやすい…という意味だ。
380vココでも河野さんのスケールの大きなベース・ラインが曲に厚みと深みを与える。370vまさに「身を削るような演奏」…2016年の「Marshall GALA」の時の熱演を思い出す。390vそのままつなげて出番の最後を飾ったのは三宅さんの愛奏曲「petal」。400_ptl長いブレイク、ギターのアルペジオ…
470vそしてギター・ソロで構成するセットを…410v3人でユックリと、慎重に、しかし大胆に繰り返していく。490すると熱くない炎のようなモノが知らないウチに燃え盛っていて、曲が終わるころにはすさまじいパワーを生み出している。
そんな3人の演奏でSBLは出番を終了した。460  
420v_4 500v床に放り出されたストラトキャスター。
モノ言わない三宅さんの愛器がこの日の充実した演奏を物語っているようだ。
しかし…こうしてみるとSBLが毎月ライブをやっていた頃が夢のようですな。
本当にこういうオリジナリティに溢れた音楽をスゴいギターの音で聴かせてくれるライブがもっと頻繁にあってもいいハズなのよ。
ああいうのを使っている連中に三宅さんの演奏を聴かせてやりたいのだ。
510「ありがとうございます。
やぁ~うれしいな…本当にありがとうございます。
この後、AYA PROJECT、APHRODITE、Jill’s Project”と続きますので最後まで楽しんでいってください。
ありがとうございました!」520今日演奏した曲…
「virtue」と「bloom」はSBLのファースト・アルバム『Lotus and Visceral Songs』に、そして「murt ’n akush」、「if」、「 petal」はセカンド・アルバムの『Orchestral Supreme』に収録されています。
どちらも三宅さんが奏でる素晴らしいMarshallサウンドを味わうことが出来るアルバム。
セカンドは金光さんが叩くNATALの極上サウンドも楽しめます。0r4a0251さて、三宅さんがMarshallのデジタル・アンプ「CODE25」をデモンストレーションするビデオ『BREAK the CODE』はコチラ。
世界の人が三宅さんの音楽を楽しむことができるように英語字幕を入れたのです。

一方、金光さんがNATALのビンテージ・モデル・キット「ZENITH(ゼニス)」を解説するビデオはコチラ。
ビデオのオープニングで金光さんが叩いているパターンは今日演奏した「if」です。
私がリクエストしてプレイしてもらったの。

<つづく>
 

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<Anywhere With Me>

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200 (一部敬称略 2024年11月9日 目黒鹿鳴館にて撮影)

2024年12月 6日 (金)

吉永GOKI訓春生誕祭<後編>~DEALS


さて、高円寺のロックバー「Magic V」主催の『吉永GOKI訓春生誕祭』もいよいよトリのDEALSの出番を迎える。Gvb客電が落ちて会場に流れたのはエアロスミスの「Sweet Emotion」。
このテンション!イヤ~、思い出すナァ、47年前の初来日の武道館!
その時私は中学校2年生だったワ。
エアロスミスに重なる「Please welcome!  Tokyo!  We are DEALS!」の叫び声は雨宮敬義。20vすかさずベースの轟音が入り込んで来る!
ベースは横山壮五。30v_2shu-yaのドラムスが加わり…
S41a0762本日の主役、吉永GOKI訓春のギターが唸る!50v_2コレがDEALS。
さぁ、今日もゴキゲンなロックで…Let's make a deal!!
1曲目は全員のコーラスがド迫力のストレートなナンバー「Flash Back」。60以前触れたように今回は記事の構成を考慮し、順番を入れ替えてVAXPOPのステージを<前編>でレポートした。
つまり、実際にはDEALSは居抜きでVAXPOPの出番の直後にステージに上がった。
だからGOKIさんのMarshallもVAXPOPの時と同じ。
「JCM900 4100」と「1960A」のハーフ・スタック。110vshu-yaさんも全く同じ流れで…70_wastNATALのブビンガのキットを使用。80_22曲目は「Wasted」。
なるほど、「Sight for Sore Eyes」とか「Three Mile Smile」とかを想起させるエアロスミス・テイストのファンキーなヘヴィ・チューン。
コレはいいわ~。
まさにこのチームにピッタリじゃん?
80vTAKAさんの壮絶なシャウト。
しかし、TAKAさんってのはホントに「ロックの人」だと思うよ。
ロックを演るために生まれて来ているとしか思えん。
TAKAさんがステージに上がっただけでロックの空気がグッと濃密になるのだ。
落語で言えばまさに五代目古今亭志ん生だ…もちろん実際の高座を観たことはなかったが。90v2人のギター・プレイもタ~ップリ。
120_2まずはこうして最新の音源『The Signs of DEALS』からの2曲を演奏して一気に盛り上げた。0r4a0765 「吉永さんの誕生日…こういうの『生誕祭』って言うんだって?
ありがとうございます。
すいませんネェ…あ、今日の合言葉は『さーせん』だから。
とびきり今日主役に来てるんだけど。
『さーせん』とか言って。うまいこと…」
あれほど説得力のある歌を聴かせてくれる一方、TAKAさんのMCをこうして文字に起こししてみると、その話の内容を正確に理解することはかなり難しい。
しかし…リハーサルの時の話。
今回のイベントの主催者であるロックバー「Magic V」の「V」をTAKAさんは「ファイヴ」ではなくて「ヴイ」だと思っていた…なんて話をしてメンバーにしてヤイノヤイノ言われていたが、実は私はコレの正反対をやったことがある。
というのは、松戸に「Stage V」というライブハウスがあって、私はそれを「ステージ・ファイヴ」かとばっかり思っていた。
ところが、そっちの「V」は「ファイヴ」ではなくて「ヴイ」だったのだ!
「?」と思ったら「すぐ確認!」ですな。
130v_2TAKAさんが機材の調子を確認している間にshu-yaさんがMCを引き継ぐ。
「さっきVAXPOPを叩いて感動しちゃった!楽しかったです!
DEALSも突っ走っていきますので皆さんよろしくお願いします!」140vTAKAさんがボトルネックを指にハメたのは「アタシの悲しいブルース」。
150_akbDEALSのステージではおなじみのシャッフル・ナンバー。0r4a1054 「♪Boogie woogie, baby boogie woogie」のコーラスが曲を盛り上げて…170ディレイを深めにかけたサウンドでGOKIさんのギターが暴れ回る。180_2TAKAさんのボトルネック・プレイも実にアーシーだ!Tt サングラスをハズしたTAKAさんが次の曲のタイトルを叫ぶ。
「The next song is Candy Color Maker!」0r4a0928_22人のギター・アンサンブルでスタートする問答無用のドライビング・ナンバー!200_ccm信頼のおける「ロックンロールの神様」が手厚くサポートしているとしか思えないTAKAさんの歌声。0r4a0927_2シンプルなメロディでバツグンのノリを発揮するツインリード・パートから…230_2GOKIさんはウーファー・スピーカに飛び乗ってソロをブチかました。240v無念無想で突っ走るロックンロールのカタマリのような1曲。250_2横山さんと…S41a0826 shu-yaさんのロック・グルーヴも最高だ!260vそしてTAKAさんがジャン~プ!
フィニッシュもバッチリだった。270「今日は色んな人が集まって来て、もうこの世に思い残すことはないだろう?
ゴキだけにしぶといんだよな。
もう何百年もギター弾いてるんだからよ!」とGOKIさんに話しかける。
300v_2「オレは普段はチャラいよ…イヤ、チャラいを通り越してるかも知れんな。
でも、ギターに関してだけはマジメやね」
GOKIさん、カッコいい~!
305「あ、そうなんですよ!
コレを言わなきゃイケないんだった!
今日はニュー・アルバムを販売しています。
以前はお買い上げ頂く時に『ロッケンロール』って言ってくれたらステッカーをプレゼントしていたんだけど、今日は『さーせん』って言ってくださいね。
アッハハハ!」0r4a0874コレがTAKAさんがMCで紹介した新しい3曲入りCD『THE SIGN OF DEALS』。11_img_2698 当日、会場内のDEALSの屋台村でいずれかのアイテムを購入する時に「さーせん」と言うとDELASのロゴ・ステッカーがもらえるというワケ。540その新しいアルバムに収録されている「Rescue Me」を次に演奏した。
ちなみに既に触れた通り、このアルバムには今日の冒頭に取り上げた「Flash Back」と「Wasted」も収録されている。
310_rm「Rescue Me」は陽気でストレートなロックンロール。320v_2TAKAさんはキックもかまして大いにノリノリ!
345華麗なツイン・リード・パ―トも大きな魅力の1曲。330v次の「Dance with the Devil」では、今度はGOKIさんがボトルネックを披露。380_2アルバム『Kick Ass Rock'n Roll』のオープナー。350v_dc何人も否定し得ぬ正真正銘のロック・チューンだ!360vコレを聴くと私の場合、テッド・ニュージェントを思い出す。
1978年、当時テッド・ニュージェントは「世界で一番大きな音を出すコンサート」という触れ込みだった。
高校1年生で若かった私は期待に胸を膨らませて日本武道館に観に行った。
でも、大したことなかったな。
それよりもアリーナ席の私の眼の前で発生した外国人客と警備員の大乱闘の方が迫力があった。
私のこれまでの人生の中で「最も音がデカイ」と感じたのは、KISSでもAC/DCでもなく、ダントツでブルース・セットのゲイリー・ムーアのギターだった。
アンプはもちろんMarshallで、「1959SLP」のハーフ・スタックを2セット鳴らしていただけなのだが、ほとんど歪ませていないので音ヌケの鋭さが尋常ではなかった。
職権濫用で一番前まで行ってそのギター・サウンドを浴びたところ、こっちの頭蓋骨が共鳴してしまって実際には弾いていない音まで聞こえて来る始末だった。
スゴすぎちゃって決してうるさくは感じなかったよ。
今巷でハヤっている機材の子供ダマシの音では到底実現できない素晴らしいサウンドだった。
アレは一生忘れない。
ま、音の大きさは別にして、テッド・ニュージェントのステージもワイルドでとてもカッコよかったよ。
そのワイルドさが共通しているからこの曲でテッド・ニュージェントを連想してしまうのかも知れない。370TAKAさん、再びジャ~ンプ!
ほら、ワイルドだろう?390_2「オイ、ちょっと主役、タマにはしゃべってちょうだい。
チューニングをしながらでもしゃべれるんだっていうのを見せてやって!」
400v「それは無理だよ。
今日は足元の悪い中、たくさん集まって頂いてどうもありがとう!
DEALSは今日が今年最後のライブです。
だから盛り上がってチョーダイ!」
今日はGOKIさんの64回目ぐらいの生誕を祝う祭。
それにもかかわらずこのライブ、ケーキも出て来なければ「♪ハッピーバースディ」を歌う気配もない。
この恬淡(てんたん=アッサリしていて名誉や利益に執着していないこと)ぶりは素晴らしい!
いつからコンサートの最中にケーキを出して来たり、プレゼントを渡したりするようになったんだ?
アレをダラダラとやるのは勘弁して欲しい。
昔はあんなことしなかったよネェ?(70年代からロック・コンサートに通っている皆さんに尋ねています)
ロックは不良や反逆者のモノ…そんな連中が♪ハッピバ~スデイなんてノンキに歌うワケがない。
答えは…80年代に入ってロックではない音楽が「ロック」と呼ばれ出した時からだと思います。
その点、DEALSも私は今でも「ロック」のままなのだ!420続いては同じ『Kick Ass Rock'n Roll』から「Are You Ready」。430v_21970年代、イギリスのBBCテレビで『Old Grey Whistle Test』という当時の人気のバンドがゾロゾロ登場する音楽番組があった。
最近YouTubeでチョクチョク見かけるのでご存知の方も多いことと思う。
このタイトルの意味ね…ビルの警備員をやっているような白髪アタマのオジさん(old grey)に向かって新しく作った曲を口笛で吹いて聞かせる(whistle)。
そのオジさんが口笛のメロディに対して良い反応を示すかどうか?
反応が良ければヒットの可能性大。
そうでなければヒットの可能性なし…を見極めるテストが「Old Grey Whistle Test」。
要するに一発で一般の人の心をつかめるかどうか?ということ。420_ayrDEALSがこのテストを受けたら、多くの曲で白髪のオジさんは良い結果を示すと思うんですよ。
この「Are You Ready」なんかはとても良い例だと思う。
つまり1回聴けば耳にコビりついちゃう。
440だから「♪アー、アー、アア、アーユーレディ」とお客さん参加して歌うコーナーも大盛り上がり!
TAKAさんも客席に降りてエキサイト!
450世が世ならDEALSはBBCの番組に出ていたかもね?!460出番の最後を飾ったのは「サ・ヨ・ナ・ラ」。0r4a0959 TAKAさんのギターと歌にGOKIさんのディレイ・トリックを使ったバッキングが重なる。
510vタイトルからはシットリとしたムードの曲が連想されるが、イヤイヤとんでもない!…490v_2全員参加のコーラスで華やかムードを演出するアンプ・テンポ・ナンバー。500v2人のギターもタップリとフィーチュアして…520DEALSのおいしいところをゼ~ンブ見せてくれた!525「サンキュー!
また呼んでね…長生きすっから!」S41a0860 こうして『吉岡GOKI訓春生誕祭』の本編が終了した。10そしてアンコール。
まずは盛山さんがDEALSに合流して1曲。
キーボーズの入ったDEALSは初の試みだそう。
550v曲は「傷と裏切り恋焦がれ」。560v盛山さんの分厚いオルガン・サウンドがバンドを覆い尽くすと…580このロマンチックなロッカ・バラードが一段と華やかな色どりを見せた。
TAKAさんの歌声にピッタリだね。570そこへGOKIさんの泣きのギター・ソロが絡んでくる。
とても感動的な場面だった。
こうなってみると、盛山さんに弾いてもらうロックンロール・ピアノを加えた他のナンバーも聴いてみたくなるのは人情というものであろう。
590v
更に演者が加わってもう1曲。600VAXPOPの小栗さん…610MOONSHINEの藤井さんが参加して…620これまたDEALSのキラー・チューン「Please」を演奏。630ギター・チームは左右のスピーカーの上に乗って大暴れ!0r4a0928 イヤ~、盛り上がりましたな~!650「ありがとうございました!また来年ね~!」
最後に記念撮影。
主役であるハズのGOKIさんが一番ハジッコ?
まったく花を持たせる気配がない!
コレがまたサッパリしていていいじゃないか!660しからばMarshall Blogが…
GOKIさん、お誕生日おめでとうございました!670v<おしまい>
 

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<Gone Are the Days>

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200 (一部敬称略 2024年11月2日 高円寺Show Boatにて撮影 ※協力:ロックバーMagic V)

2024年12月 4日 (水)

吉永GOKI訓春生誕祭<中編>~MOONSHINE

 
高円寺の大人のロックバー「Magic V」が主催する『吉永GOKI訓春生誕祭』のレポートの<中編>は、MOONSHINE。
ん?チョットちょっと待てよ…MOONSHINEに登場してもらうのは久しぶりなのは百も承知、二百も合点なんだけど、前回Marshall Blogがレポートしたのは去年の9月17日、場所は同じShow Boatでのライブだってよ!
おッかしいナァ、そんなに時間が経っているワケがないんだけどナァ。
でも、そんなもんか?
MOONSHINEはそんなに頻繁にステージに上がっているワケでもないし、コチラもいつもナニかと被ってしまってなかなかお邪魔できなかったからね。
毎週末、取材に行きたいライブが幾重にも重なってしまってホントに困っちゃうんですよ。
1日ズレてくれていればナンでもないんだけどネェ。
そんなワケで楽しみにしていた久しぶりのMOONSHINE。Gvb_2 さて、MOONSHINEはこれまで『DEMO』と銘打った音源を3枚発表してきた。
1曲目はその2枚目『-SECOND DEMO-』から「残像」。
会場にアコースティック・ギターをストラミングするCDの音源が流れて…
Img_2684ド~ン!
そのまま滑らかにリアルの演奏につなげた。
20藤井重樹30vCarlie Tanakla(以下「チャーリー」)40v河野充生50v金光健司60vNATALエンドーサーの金光さんは当然NATAL。
ブビンガのキット。
下の写真はダブル・タムの状態だが金光さんはシングル・タムのドラマ―なので…8012"のタムタムのみを使用。
90そのNATALドラムスを操り、この曲の作者である河野さんのベースと絡み合って生み出すグルーヴは天下一品だ。100ノッケから大激唱の藤井さん。110それにチャーリーのソロが続く。130vチャーリーのMarshallは「JCM2000 DSL100EC」。
何度も書いて恐縮だが、このモデルは、その昔私がMarshallに頼んで50台限定で作ってもらったビンテージ・ルックスのDSL100。
今とは違ってその当時は簡単に特別仕様のモデルを作るなんてことはできなかった。
「ま、シゲのリクエストならば」ということで作ってくれた。
発表したその日に売り切れになった。
キャビネットは普通の「1960A」。1202曲目はまだ音源になっていない「引き裂かれた絆」。
ミディアム・テンポのヘヴィ・チューン。
140v_hbwチャーリーのバッキングがエラくカッコいい!0r4a0556 そしてギター・ソロに差し掛かると…
180リズムが3連に変わる。
トリハダもの。160v_tripそしてまた戻る。
この辺りのカチっとしたイキの合い方が何とも気持ちがいい。170vしかし…藤井さんの声がスゴすぎる~!190_sgi「改めましてMOONSHINEです…よろしくどうぞ。
今日はDEALSのギタリスト、吉永GOKI訓春さんのバースデイ・イベントということで、たくさんお集まり頂きましてありがとうございます。
今日はお祭りですよ。
ワッショイ、ワッショイみたいな曲は演りませんけど…ゴメンなさいね」S41a0349 3曲目にムーンシャイナーたちが演奏したのはまだ音源化されていない「Snow」。
この後の金光さんの暴露MCによると…本当はこのステージまでに正式なタイトルが付くハズだったのだが、どうしてもシックリくるモノが出て来なかったので、この場はデモ時代から使っている「Snow」という曲名にした…のだそうだ。
チャーリーが目撃したところによれば、藤井さんが楽屋で「もうダメだ~!」と観念していたシーンがあったとか…見たかった!
だから音源になる時には納得のいくタイトルのアイデアを得て今日とは異なる曲名になることだろう。220_sn心地よい河野さんの3連のベースに乗って…0r4a0275 このチームならではのメロディと演奏があふれ出す。
230vコーラスの最後に登場するリズム・トリックがオモシロイ。S41a0321 チャーリーの指からしか出て来ない独特なフレーズをつなげてのギター・ソロが続く。
250全員参加のコーラス・パートで締めくくる展開も意外だ。0r4a0568 続けて「夜と朝」。
いいね~、このタイトル。
チョット美川憲一みたいだけど、このチームは「このチームだけのもの」をたくさん抱えている。
この日本語の曲名もそのひとつ。私は大賛成。
歌詞が日本語にもかかわらず曲名だけ英語という様態は昔からどうにも認めがたく思っている。
どうせ一般人が新渡戸稲造や岡倉天心や幣原喜重郎のような英語の達人になることは不可能なのだから、もう英語はあきらめて徹底的に日本語を極めた方がカッコよくはないか?
また、そっちの方がはるかにムズカシイように思う。
日本語って本当にカッコいい言葉だと思うよ。
英語は必要とする人が必要となった時に徹底的に勉強すればいいのだ。
だから小学校の低学年の授業に英語を取り入れるなんてことはせずに、その分子供たちに徹底的に日本語の本を読ませるべきなのだ。
 
で、その「夜と朝」はスローなワルツ。
270vチャーリーのアルペジオをバックにスケールの大きい歌を藤井さんが聴かせてくれる。
この曲もまだ音源になっていない。
260_yaa河野さんがアルペジオにまわると…240チャーリーのソロが炸裂。
既成の概念にとらわれることのない奔放なギター・ソロもMOONSHINEの大きな魅力のひとつ。280vそして藤井さんの歌とチャーリーのギターが絡み合って曲はクライマックスを迎えた。 300vココでさっき演った「Snow」のタイトルに関しての大ゲンカがあって(←ウソですよ!)、年内のライブ告知。
そして、前掲のコレまでの3枚の音源を紹介。0r4a0377 この3枚ね。Img_2684_2 コレまでは「DEMO」と銘打って音源を3曲ずつ発表してきたが、MOONSHINEは正式なアルバムのレコーディング作業を進めているのだが、なかなか出て来ない。
私なんかはその仕上がりをとても楽しみにしているものだから、いささか「東海さんの墓普請」の感じがしないでもない。
そのレコーディングの様子はアルバムがリリースされる時にMarshall Blogでレポートする予定。
※筆者註:「東海さんの墓普請」が意味するところは長崎出身の方にお尋ねください。
2155曲目は『THIRD DEMO』のオープナー、チャーリー作の「咆哮ーShoutー」。
このギターのフレーズはすごい。
ま、言ってみればたった1音(正確には2音ぐらい)でジョワ~っと印象的な雰囲気を作り出しちゃう。
またこの音がいい。
ハヤリにとらわれて変なことをせず、ちゃんと真空管のアンプを使って出した自分の音楽を大切にしている人のサウンドだ。
330_shtそれに合流するのはタイトル通りの藤井さんの咆哮。
これまた「すさまじい」のひと言に尽きる!350vギター・ソロを経て…370v曲はクルクルと表情を変えていく。360「♪シャララララ」
藤井さんは最後までシャウトに徹して…380みんなで大暴れしてフィニッシュ!
ちなみにこの曲が入っている『THIRD DEMO』には藤井さんが故藤岡幹大氏とやっていたNight Buzzの曲「がんじがらめ」も収録されている。
私、幹大ちゃんとは昔ずいぶん一緒に仕事をしたんですよ。
なのでうれしかった。
390金光さんのシンバルからスタートするのは「ひび割れた記憶」。
オラオラまた日本語の曲名だ!
400_kokMOONSHINEのステージでは取り上げられてきた『SECOND』の中の1曲。
この日、MOONSHINEが演奏した7曲中、CDに入っている曲は4曲。
まだ音源になっていない曲を3曲も取り上げた。
商売っ気がないのか、出し惜しみしているのか、それとも何かの意地か?
普通のバンドであればCDに入っている曲をゾロリと演奏して「CD買ってチョーダイ」とやるところなんだけど、MOONSHINEはそれを良しとしないのだ。
CDは家で聴け、オレたちはライブでしか聴けない曲を演るぜ!…ということか?
カッコいいぞMOONSHINE!それでいいのだ!
410この曲もリズムがコロコロと変わって…450vMOONSHINEの魅力がギッシリと詰まっている。
460vそしてこのコーラスのメロディ!
一度聴いたら耳にコビりつくこと間違いなし。440vもちろんチャーリーのギター・ソロも飛び出してくる
ナンカとっても不思議な魅力があるんだよね、このチーム。
「ありそうでなかった」というのとはまた違うオリジナリティがある…とでも言えばわかるかな?
わっかんねェだろうな。
メンバーの皆さんは百戦錬磨の腕の立つ楽器名人ばかり。
各人の個性と技術を持ち寄り、お互いの良い所を打ち消さないようにして、極めて均等に引っ張り合いながらひとつのモノを作り上げている…という感じがするんだけどどうだろうか?480「どうもありがとうございました!
この後もVAXPOPが十分に盛り上げてくれると思います。
皆さん、最後まで楽しんでいってください!」S41a0351 最後に演奏したのは河野さん作のMOONSHINEのキラー・チューン。
『FIRST DEMO』に収録されたその名も「MOONSHINE」。
コレで最後か…もっと聴きたいんですけど。0r4a0244いつも締めくくりに演奏するこの曲。
「♪Dancin' in the moonlight, You're always on my mind」…今日も全員参加のコーラスがドラマチックに響いて感動的な幕引きを演出した。510 0r4a0572  530v 540v「どうもありがとう!」
550<つづく>
 
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<I Get High>

<Strut>

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200 (一部敬称略 2024年11月2日 高円寺Show Boatにて撮影)

2024年12月 2日 (月)

吉永GOKI訓春生誕祭<前編>~BRAVESTAKERとVAXPOP

 
今日は高円寺のShowBoatから。
お店の前の通りは「セントラルロード」っていうのね?…知らなかった。
なかなかに大ゲサな名前でよろしいな。
そして、この辺りはお店がチョクチョク入れ替わるのが興味深い。
頻繁には来ないせいか、訪れるたびに少しずつ様子が変化していることに気づく。
昔、紳士服の「三峰」が今でいうアウトレット店をこの通りに構えていて、売れ残り品や身につけるのには何の支障もない程度のB級品に格安の値段を付けて処分販売をしていた。
私、コレでも四半世紀以上前には毎日スーツを着て、ネクタイを締めて通うような会社に勤めていたんですわ。
その頃は必ずココの三峰へ来てそのお買い得の紳士服やネクタイをまとめ買いしていた。Cr2この通りには以前から古本屋が1、2店軒並んではいたものの、今回久しぶりに来て、3、4軒もの同業者が新たに軒を連ねていたのには驚いた。
うれしいね~…「高円寺の神保町」、イヤ「高円寺のチャリング・クロス・ロード」か?
私は古本屋が大好きなのだ。
さっそく3軒ほどにお邪魔してみた。
そのウチの1店の方に事情を伺ってみると、それらの新しいお店の正体はどれも1人の方が運営する「シェア型書店」と呼ばれる店舗だった。
「シェア型書店」というのは店のオーナーが書棚のスペースを有料で開放して、本を売りたい人や同業者から商品を預かって販売するシステムのこと。
要するに楽器屋さんでもよく見かける「委託販売」というヤツ。
簡単に言うと「本のフリー・マーケット」が店に中に収まった感じ…とでも言えばもっとわかりやすいか?
Cr3お店は書棚の貸し出し料と取扱手数料を出品者から徴収して運営する。
よく世間で喧伝されているように「町の本屋」が激減してしまい、今や書店が存在しない市町村は全国で26.2%にもなるそうだ。
ワーストは沖縄で56.1%。
驚くのは2番目…長野県の51.9%!
オイオイ、長野ってのは教育県として名高いハズではなかったか?
このザマじゃ藤村や新田次郎が泣くぞ!
イヤ、考えて見ると、私も長野市に7年半住んでいたが、確かに個人経営の書店は少なかった。
善光寺の参道に前時代的な書店が1軒あったのは覚えている。
あとは平安堂ばかりだった…「平安堂」は長野県南部の飯田が発祥だからね。
そんな中、この「シェア型書店」というのは、救いがたいまでの書籍文化の衰退を食い止めるひとつの有力な手段になっているのだそうだ。
…と述べているのが下にある去年の8月の東京新聞の記事。
既に閉店したものの、谷中でこのシェア型書店を営んでいた「安藤哲也」さんという方が紙面に登場している。
この人、実は私の中学から大学までの同級生で席を並べたこともあった。
安藤くんもロックが大好きで、お兄さんの影響でギターをやっていて家に遊びに行ったこともあった。
私とは正反対で大人しくて几帳面でマジメでね~、勉強もよくできた。
でもロックの知識とギターの腕前では一度も負けたことはなかったわ。

11_bs
そんな高円寺のシェア型書店のひとつで見つけたのがコレ。
特に珍しいアイテムではなかろうが、長いこと探していたんよ~!
川端康成の『淺草紅團(日本近代文学館刊)』という作品。
昭和5年の初版を忠実に復刻していて、「大正ロマン」っぽい装丁がとても気に入った。
ホンモノの初版本は45,000円ぐらいの値がついているようだが、私が買った復刻本の値段はその1/90。Img_2673中身も初版の時のまま。
漢字という漢字にルビが振ってあって読みにくいことこの上なし。
戦前までは新聞をはじめ、あらゆる出版物でコレをやっていたんだよね。
一般庶民の知的民度を上げようとしていたワケ。
当時はまだ活版の時代だったから、版組みに際しては印刷工の皆さんが大変な苦労された思う。
こんな紙面を見ると、またコレも「積ん読」の1冊になりそうだな…。
でも持っておくだけでもハッピーな1冊…浅草だし。Img_2680
…ってんで、この小説が1952年に映画化されていることを知り、DVDを買って本より先に観てみた。
監督が『安宅家の人々』や『警察日記』の久松静児なのでマァ大丈夫だろうと期待したが、映画自体の作りはかなりドイヒ。
でも、私は主演している京マチ子も乙羽信子の大好きなので、その点では十分に満足できた。
言い換えると、大正13年生まれコンビ(ジム・マーシャルのひとつ年下)の京さんと乙羽ちゃんでなければとても観てはいられなかったろう。
京さんのカッコよさに加えて「百万ドルのエクボ」で宝塚の娘役のトップを務めた乙羽ちゃんのカワイイ
ことカワイイこと!
それに敗戦から7年ほどしか経っていない浅草や上野の風景が結構捉えられているのも大きな魅力。
埋め立てられる直前の六区の瓢箪池でロケをしているところなんて超レアだぞ。
ヘンな風に楽しめた1本。Img_2687 それから下の写真の右。
その乙羽信子のご主人だった新藤兼人の『ある映画監督の生涯(映人社刊)』という1冊。
コレはチョット高かった。
というか、前の古本屋にあった時の値札が貼ってあって、今次はその倍の値段が付けられていたのだ。
交渉したけど当然値下げにはならず。
ま、見たことがない本だったので買っておくことにした。
コレは新藤さんの師匠の「世界の溝口健二」に関わった人たちへのインタビュー集で、新藤さんはそれを書籍を上梓した1975年に同じタイトルの映画を公開しているんだよね。
で、私はその作品がすごく好きでDVD(左)を買って何度も観ているのよ。
こういう好きなモノはたとえ読むことがなくても座右に置いておくだけでハッピーなのよ。
でも、不思議なことに興味や愛着を感じて手に入れる本って必ず必要になる時が来るんだよ。
私はコレを古本屋の書棚から救ってあげた本からの恩返しだと思っている。
そうでも考えないと読みもしない本を何百冊積み上げてなんかいられないってばよ。
Img_2676さて、今日のShowBoatはコレ…「吉永GOKI訓春生誕祭」。
高円寺にあるロック・バー「Magic V」の主催。
ひとクセもふたクセもあるバンドが4つ集まってGOKIさんの誕生日をにぎやかにお祝いしたのだ。10まずステージに上がったのはBRAVESTAKER。
いきなり密度の濃いツイン・リードギターが大噴火!20井崎修二30v佐藤嘉哉40v安野昭次60vイタバシミノル90v宮尾誠100v今日のドラム・キットはNATAL(ナタール)。
12"、13"、16"、22"のブビンガのキットだ。1101曲目は「Rising Sun」。
この日が初対面だったんだけど…うれしいネェ、こういうサウンドは!
まさにMarshallなくしては成立し得なかった音楽なのだ!1202曲目もバリッバリのギター・アンサンブルを聴かせる。130_btwひたすらドライブするこの曲は「Break the Wall」。
当然井崎さんが発するのは張り裂けんばかりのハイトーン・ヴォイス。140vその歌声をサポートする安野さんの背後には…160vMarshall。
「JCM2000 DSL100」と「1960A」のハーフ・スタック。70安野さんの足元。
チャンネル切り替え用のMarshall純正のフットスイッチがうれしい。80一方の佐藤さんの背後にももちろんMarshall。150コチラは「JCM900 4100」と「1960B」のハーフ・スタック。
ね~、妙なモノを使わないで、お2人のようにチャンとマーシャルのインプットジャックにケーブルをつないで真空管駆動のプリ・アンプとパワー・アンプを使えばこうやって図太くて自然なギターのサウンドが得られるんですよ。
いくら流行とはいえ、まったくおかしなものが広まったものですよ…アレの話ね。
ワザワザお金をかけて音を細くして「音がいい」とか「悪い」とか。
おかしな世の中になった。50vそんな2人のファットなギターサウンドによるソロやアンサンブルがこの曲でもたっぷり楽しむことができた。170「元気ですか~?こんばんは!
多分、『はじめまして』の方が多いかと思うんですが…『BRAVESTAKER知ってるよ~!』っていう方いますか?
(客席から手が上がる)
エッ!ウソ!ありがとうございます!
BRAVE STAKERは2000年に結成してナニ気に24年やっているんですが、今年の初めにやっとファースト・アルバムが出来上がってリリースしました。
今日、物販の方にも持って来ていますので、もし演奏を聴いて気に入ったらお声をかけてください。
結成24年でやっと1枚…エヘヘ。渾身の1枚なのでゼヒよろしくお願いします。
そんなわけでアルバムの中の曲をバンバン演っていきます!」180vこれがこの日の屋台村で販売していたそのファースト・アルバム。1903曲目は「Take the Brave Heart」。
宮尾さんのドラムスと…200v_tbhイタバシさんのベースがガップリと組み合って疾駆する1曲。210vサビでメジャーに転じるドラマチックな構成。220そして、もちろんツイン・リードからソロへとつなげる定番の展開に納得。230テンポを落として「In Our Mind」。240_iomミディアム・ファストのヘヴィ・ナンバー。
サビのハイトーンのパートが圧倒的。250この曲はイタバシさんが弾くベース・ラインがすこぶる強力だ。
しかしイタバシさん、デカい!
ヘッドレスとはいえもうベースがウクレレ・サイズだ。
そんな巨体を活かしての重量感溢れるベース・ソロ。260v情感あふれるギター・ソロも聴きごたえ満点!270さらに続けて「Paradise」。
ホント、ギター・好きにとってはこのツイン・リードはパラダイスだろうよ。280_pdsこれまた直球勝負のドライビング・チューン。290NATALのブビンガを豪快に叩き鳴らす宮尾さん。S41a0113 ツイン・リードにギター・ソロ、どこを切っても伝統のロック・サウンドしか出て来ない!
まるで「福砂屋」か「松翁軒」のカステラだ!
310「あと2曲なんですが、最後の曲はサビでみんなで歌うところがあります。
『Under the Flag of Steel』という曲なんですが、このタイトルを叫んで頂ければ間違いありません。
ゼヒ一緒に歌ってください!よろしくお願いします!」320最後のセクション。
まずは「We Are the One」、これまた煙が出るような猛進タイプのナンバー!330v井崎さんとコーラスの掛け合い。
そう、このチームはコーラスも盛んでそれがバンド・サウンドをとても豊かなものにしている。
やっぱりイタバシさん、背が高い!
昔、とても身体の大きな方がボーカルズ/ギターをしているバンドがあって、ツアー先のライブハウスの天井がとても低く頭が当たってしまうため、仕方なくステージを取り除いて頭上に空間を作った…という話をご本人から聞いたことがあったっけナ。
いずれにしても背が高いのはうらやましいに尽きますね。
000r4a0017ベース・ソロからギター・ソロへ。S41a0090 スリリングな器楽パートが続いて…S41a0019 最後の曲に突入!
井崎さんが直前のMCで紹介した通り曲は「Under the Flag of Steel」。380_ufsお客さん参加で盛り上がる5人!
最後の最後まで魅惑の「伝統のロック・サウンド」をブチかましてくれた!
390v 400v 410v 420v 430vBRAVESTAKERの詳しい情報はコチラ⇒BREAVESTAKER Official X
440場面は替わって…
「こんばんは、VAXPOPです!イキます!」
当日、実際に二番手でステージに上がったのはMOONSHINEだったのだが、記事の構成の都合で3番目に登場したVAXPOPのステージを先にレポートさせて頂くことにする。450VAXPOPは…
 
まずは今日の主賓、吉永GOKI訓春。
0r4a0656小栗昌彦470v菅沼行蔵480vshu-ya490v盛山こういち500vGOKIさんももちろんMarshall。
「JCM900 4100」と「1960A」のハーフ・スタック。
ね~、チャンとアンプ全体を使っている。
0r4a0660_2 こういう人たちはああいうアンプやその類が出て来る前の「本当に良いギターの音」を知り尽くしているのだ。
今日は「本当に良いギターの音」を知っているギタリストばかりでうれしいわい。
460v1曲目は「World in Motion」。
キャッチ―なメロディをハードな演奏で聴かせるポップ・ロック。
私は寡聞にしてVAXPOPを存じ上げなかったが結成は1980年。
1992年に解散してしまったが、もし活動を続けていたら今年で44周年を迎えていた大ベテランなのだ。
550早速GOKIさんのソロが飛び出した。
伸びやかなトーンで奏でる的を得たソロ・メロディ。540v_da小栗さんとのイキもバッチリだ!560「♪Tonight, tonight, tonight」
コーラスもふんだんに取り入れたバンド・サウンド。575GOKIさんのギターから始まる続いての曲は1989年リリースのシングル「DRIVE AWAY」。Aaa これまたサビのメロディが印象的なポップロック・チューンが展開。570vこの曲でも菅沼さんと…580vGOKIさんのコーラスが大活躍!590v「ありがとうございます。VAXPOPです。
今日は『Rock’n Freedom Bash GOKIやんの生誕祭』ということで、VAXPOPを演れと言われて駆けつけました。
この後にはDEALSが待ってますんでオレ達はサクッと…一瞬で終わりますんで乗り遅れないように!
皆さん、最後まで楽しんでください!
VAXPOPがこの間演ったのはいつだっけ?…数年前?」600v「エ~ッとね、コロナになる前の年か?」S41a0612 再結成の時から参加している盛山さんのキーボーズで次の曲がスタート。
ストリングスとピアノによる美しくも壮大なサウンド。620_th曲は1992年のシングル「TWO HEARTS」。630vGOKIさんのディレイ・トリックを使ってバッキングを固めた。S41a0546 shu-yaさんのドラムスがゴキゲンなビートを打ち出すと…680v_2「もう後半戦です!手拍子お願いします!」とタンバリンを手にした小栗さんが客席をアオる。0r4a0669 手拍子をするお客さんを前に小栗さんがシャウト!0r4a0666 そして、GOKIさんのソロから…0r4a0653 小栗さんがメンバーをひとりずつ紹介してソロを披露した。
「今夜のために必死に曲を覚えてくれました…タイトなビート、shu-ya!」S41a0601「もうVAXPOPには欠かせないメンバーとなりました…せいやん!」690v「そして…もう40年の付き合いです!…こうぞう!」700v菅沼さんが小栗さんを紹介。
「すべてはこの男から始まりました!…小栗昌彦!」S41a0502 「そして、本日の主役…吉永訓春、ゴ~キ~!」710盛り上がりに盛り上がって最後の曲、「六月の空」。
1990年のシングル。
720_6sストレートにドライブするポップ・チューンで賑やかに出番を終えた。730v 740_3 750 0r4a0694  780v「どうもありがとう!最後まで楽しんでいってください!」790<つづく>
 

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骨太なロックがスキ!という方におススメなのはBAD TOUCH!
筋金入りのブリティッシュ・ハード・ロックをお楽しみアレ! 
 
<Lift Your Head Up>

<Skyman>


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200 (一部敬称略 2024年11月2日 高円寺SHow Boatにて撮影)