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2026年5月

2026年5月29日 (金)

犬神サアカス團:花、地獄に咲く花<前編>~私の谷中墓地(その20)

犬神サアカス團のホーム三軒茶屋「HEAVEN'S DOOR」での4月の単独公演。
『花、地獄に咲く花』という「首尾同語」の修辞を使ったタイトルがいい。10v客席は満員。
定刻をホンの少し過ぎて客電が落ち、凶子姉さんの影アナが流れる。
「アッハッハッハ!
本日はご来場頂きまして誠にありがとうございます。
開演に先立ちましてお客様にお願いとご案内を申し上げます。
開演中、カメラやスマートホンによる写真撮影、録画、録音、生配信は固くお断り申し上げます。
また、進行の妨げになりますので携帯電話やアラーム等、音の鳴る機器の電源は予めお切りくださいますようお願い申し上げます。
それでは、そろそろ開演です。
ウッフフフ…ア~ッハッハッハ!」20今回は久しぶりに冒頭から大脱線。
それは犬神サアカス團のステージではおなじみのこの幟について。
「女殺火箸地獄」は近松門左衛門の人形浄瑠璃「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」から借用した大正時代の日本初のSM殺人と云われる「小口末吉事件」を題材にしたロック・オペラのタイトルであることをかつて明兄さんから教わった。
小口末吉事件というのは、大正6年(1917年)、吉原に勤める「矢作ヨネ」が全身切り傷とヤケドを負って殺害された事件で、指も数本切断され欠損していた。
そして死体には「小口末吉妻」と焼け火箸で描かれたヤケドの痕があった。
犯人は夫の小口末吉の犯行と目されたが、実際はイネが「やらなければ別れる」と脅して迫り、イヤがる末吉に強引にそうした加害行為をさせてその苦痛の悦楽に浸っていた…という猟奇事件。
この事件のことも明兄さんから教わった。30v一方、タイトルの元ネタである近松の「女殺油地獄」は時に「女殺し油地獄」と送り仮名を加えて、1924年のサイレントの時代から2009年まで実に7回も映画化されている人気の題材だ。
80回以上映画化されているという『忠臣蔵』には遠く及ばないが、きっと日本人好みの素材のひとつなのであろう。
ということで堀川弘通監督の1957年度版の『女殺し火箸地獄』を観てみた。
最後には市中引き回しとなってしまう油問屋の大店のバカ息子の悪行を綴った話でSM殺人は関係ない。
その主演のバカ息子「与兵衛」を演じる「中村扇雀」の演技の拙さがどうにも気になったが、継父を演じる人間国宝にして扇雀の実のお父さんである2代目「中村鴈治郎」が相変わらず素晴らしい。
映画のクライマックスの油まみれになって与兵衛が凶行に及ぶシーンはなかなかの迫力だった。
コレを人形浄瑠璃でどういう風にして演ったのか実に興味がある。Ogajさて、ココは谷中の「三崎坂(さんさきざか)」。
1868年7月4日、薩摩チームは上野広小路から、そして長州チームはこの反対側の本郷の「団子坂」を降りて来て、この三崎坂を登って幕府チームの本拠地である「東叡山寛永寺」を目指した。
迎え撃つは「彰義隊」、いわゆる「上野戦争」だ。40その坂の下の方に「BISCUIT」という喫茶店がある。50ココはかつて「乱歩゜」というお店だった。
もちろん「乱歩゜」とは「江戸川乱歩」のこと。
というのは乱歩はひと月ほどではあるが、大正9年にこの辺りに住んでいたことがあったのだ。Rp「この辺り」というのは「団子坂」。70「明智小五郎」が初めて登場することで知られている大正14年に発表した『D坂の殺人事件』。
この「D坂」の「D」とはこの「団子坂」のイニシャルの「D」のことなのね。
下が団子坂。
コレを登っていくと左側に森鴎外の邸宅「観潮楼(現在は「森鴎外記念館」)」があって、そのほぼ向かいにはかつて「平塚らいてう」が興した日本で初めて女性でだけで作る文芸誌「青鞜」の本部があった。
後に「青鞜」の編集長に就いたのは著名なアナーキスト「大杉栄」の奥さんで、関東大震災の直後に憲兵大尉「甘粕正彦」に扼殺された「伊藤野枝」だ。60で、ナニが言いたいのかというと、この『D坂の殺人事件』のトリックは小口末吉事件同様の「SM殺人」なんですよ。
そして昭和6年に発表した『盲獣』。
後年「吐き気を催すほどのひどい変態もの」と乱歩自身が評したとされるキテレツな作品。80私は特に乱歩趣味がないので読んだことはないが映画は観た。
その理由は、「増村保造」が撮っていたから。
増村さんは旧制一高から法学部と哲学部、すなわち2回東京大学に進んだ秀才で、溝口健二の薫陶を仰いだ名監督。
増村さんの映画は結構観たが、どれもオモシロかった。
特に若尾文子と組んだ諸作には駄作がない。12_myその増村さんが『盲獣』を作った。
増村さんの作品だから最後まで飽きずに観せてくれるけど、ホントに気持ちの悪い話でネェ。
ウイリアム・ワイラーの『コレクター』みたいに、盲目の彫刻家がモデルの女性を誘拐して生涯の名作を作ろうとするストーリー…と言えば聞こえは良いがトンデモナイ。
当然女性は逃げようとするが、しだいにその彫刻家に恋心を抱くようになってしまう。
そして盲人特有だという「触感の魅力」に取りつかれ、被虐趣味がエスカレートして、しまいにはナゼか手足を切断してくれと頼む。
コレ、「おイネ」の指を鉈で切り落とした「小口末吉」と丸っきり同じなのだ。
おイネは吉原の遊女がヒイキの客をつなぎ留めておくためのひとつの方策をマネしたワケだが、もちろん遊女たちはそんなことは実際にはしなかったと云われている。
『盲獣』の方は吉原の「よ」の字も感じさせない絶望的な精神崩壊を描きながら鉈でドバっとやってしまうよ。
つまり、作品の時系列を考えても乱歩は「小口末吉事件」を熱心に研究していたのではないか?と勝手に考えているのである。90d
さて『花、地獄に咲く花』。
いつもの「アガス、アガス、アガス」から今日のオープニングは「スケ番ロック」。100犬神凶子110v犬神明120vONOCHIN008a0148犬神敦140v「♪暴走キメろスケ番ロック!」
コレ、いつ聴いてもホントにカッコいい曲だよな~。
疾走感溢れるパフォーマンス景気よくショウがスタートした!150続いては前回超久しぶりに取り上げて大ウケし、それに味をしめて今回もセットリストに組み入れたスカ・リズムを中心とした曲、「最新型アンドロイド」。160ドヴォルザークを引用するパートも実に魅力的だ。210v台に乗ってのギター・ソロ。170_2ONOCHINは今日ももちろんMarshall。
「JCM800 2203」と「1960A」を使用。180v加えてエフェクト音を出すための「ORIGIN20」。190真空管アンプならではヌケのよいギター・サウンドでバシバシとソロをキメていく。118a0095「どうもありがとう。
改めましてこんばんは、犬神サアカス團です。
これからMCをするので足腰に自信のない方は座ったりして体力を温存してください。
先月はライブがなかったので今日はかなり久々のワンマンライブです。
今日のタイトルは『花、地獄に咲く花』…明兄さん、どうしてこのタイトルを付けたんですか?」220v「やっぱりね、春は花の季節。オレたちが咲くところって言ったら『地獄』かな?
誰もこれは否定できない。
そんな思いで付けたよ」230ココでいつもの口上。
「今宵お目にかけますは犬神一座の大サアカス。
どうかひとつ最後まで…
(♪ジャン)
最後まで…
(♪ジャン)
最後まで…
(♪ジャン)」240「最後まで盛り上がっていくぜぇ~!」250「ワタシは犬神凶子。地獄から来た女」
3曲目は「メメントモリ」。
260_2「♪空!海!炎!宇宙!命!現在!SEX!ロックンロール!」270_2「♪生きてるヤツは手を上げろ!」
詞も曲もアレンジも演奏も、実にいい曲だと思うんだけどな~。
280vこのカッコよさ…世間の人はわかってるのかナァ~?
この良さがわからないと…290「天誅」が下るぞ!
ONOCHINのリフがソリッドに炸裂!300敦くんのドライビング・ベースと…310明兄さんのパワフルなドラムスのコンビネーションがどこまでもスッ飛んでいく!320v明兄さんは愛用のNATAL。330切れ味の鋭いアッシュ材のキットが明兄さんにベスト・マッチする。340「天誅ライト」に囲まれて…350凶子姉さんも盛大にシャウトをキメ込んだ。360続けざまに「カンフートーキョー」。370まさに「電光石火の一撃」で…380v大盛り上がりダァ!390「みんな、どうもありがとうございます。
これからいつもの全員MCをしますので疲れている方は座ってください。
『春』と言えば、新人とか新入生とか、なんか新しいじゃん?
なので、新しく始めたいことについてみんなに訊いてみたいと思います。
じゃあ、敦くんから…この春から新しくしようかな?とか、今年新しくしようかな?でもいいです。
このタイミングでナニか新しく始めることをお願いします」400「皆さん、こんばんは。
今日は涼しいようでチョット暑いようなナンだかわからないような…ボクは今生きてるんだろうか?っていうところですね。
ボクが新たに始めたいことは…それは『タコス作り』ですね。
ボクはヒマなのでよく料理をするんですが、『カルニタス』というブタのバラなのか肩ロースなのか、どっちかをメチャクチャ煮込んで、包丁でガァ~っとやってニョンニョンとなっているヤツ(豚肉のホロホロ煮)。
すごい美味しそうですよね…チョット伝わんないと思うんですけど…」410「そのお肉をオレンジ・ジュースとコーラとスパイスと何かでの味付けをする。
それをタコスに挟んで食べたいのですよ。
でも後片付けがすごい面倒くさそうでずっとやっていないんです。
なので新学期にはそれをやって生きていきたいと思います。
以上です」420v定番のバラ―ド・コーナー。430まずはいつも通り「カナリア」から。
凶子さんの美しい歌声から…440vレス・ポール・モデルに持ち替えたONOCHINのドラマティックなソロ。
犬神サアカス團の「静」もまた魅力的だ。450そして続けてはコチラもおなじみの「女囚のブルース」。460vいつも何の気なしに聴いているけど、コレは2001年のリリースされた年季の入った曲なんですネェ。470凶子さんのセリフもフィーチュアされるシアトリカルな仕上げはお手のモノだ。480v「次のメンバーMCはONOCHINさんに訊いてみたいと思います。
春ですし、ナニか新しく始めようというモノはありますか?」
490「はい、こんばんは、ONOCHINです。
ボク、ギタリストなんですけどインストのアルバムを作ろうかと思っています。
ギターのインスト・アルバム。
明さんにチョット聴いてもらったら『最初から最後まで歌ってるねぇ~』とか言われたんですよ。
この間、自分の誕生日ライブみたいなのがあってそこで1曲演ってみたんですが、なかなかイイ感じだったのでもう2曲くらい入れてCDを作ってみようかと思っているんですが…皆さん、出たら買ってくれますか?」500v「ジャケットとかも自分で作ったりとかして。
前のは夕日がバックのジャケットにして作ったったんですけど、今度はネコが部屋の中であったまっている感じみたいなモノが出来ればいいかなぁ~と思っています」510「ネコ?、
ニャンニャン。ニャンニャンニャン?」。
と、メンバーががネコ耳を頭に装着し出した。520ところが明兄さんの様子がおかしい。
どうも自分のネコ耳が見つからないらしいのだ。008a0218 するとONOCHINが「目の前にありますね」。
明兄さん、無事ネコ耳装着!530「こういうことが多いんだよね~、この年齢になると」540v「イヤ、明兄さんはずっとだよ。明兄さんは年齢じゃないと思う。
よく今まで、交通事故に遭わなかったね。人を轢いたりとかさ。
一緒に車に乗っていると恐いコトがすごいあるの。
暗がりだと見えないこともあるじゃん?
人がいるのにブレーキかけないから…ついこの間のことですよ。
そんな犬神サアカス團ですけれども、ネコが人気だというコトを聞きつけてネコになりたいと思います」550_2 ネコ耳を付けてなったネコは「化猫」。
演奏するのは「化猫遊女」。550メンバー各人のソロがフィーチャされる楽しい曲。560_2 570_2 590vそしてネコ関連の曲をもうひとつ…600「赤猫」を演奏して今だいたいショウの真ん中あたり。
 
犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒犬神サアカス團公式ウェブサイト
610<後編>につづく
 

☆☆☆私の谷中墓地(その20)☆☆☆

今回は「乙地区5号」というエリアから。
まずは「箕作(みつくり)」家のお墓。
「みのさく」ではありませんよ。
「箕作さん」という名前は聞いたことがあるでしょ?10そう、多分高校の日本史の教科書に出て来るであろう津山藩出身の幕末の蘭学者「箕作阮甫(げんぽ)」ね。
ペリーが持って来たアメリカの国書の翻訳をした人。
一方、ペリーの通訳をしたのは「堀達之助」とか、「日本で最初の英会話の先生」と言われている「ラナルド・マクドナルド」に長崎で英語を教わった「森山栄之助」ね。
阮甫は「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」の首席教授で「お玉が池種痘所」の設立にも尽力した。
蕃書調所は今の東京大学の源流で、お玉が池種痘所も今の東大医学部の元となった機関。
要するにとんでもなく優秀な先生なワケだ。Photoでも阮甫のお墓は谷中ではなく、「多磨霊園」にあってココには阮甫以外の箕作家の皆さんが眠っている。4例えば阮甫の弟子で後に「菊池」家から阮甫の二女の婿養子となった「秋坪(しゅうへい)」。11vコレが秋坪。
チョット北大路欣也みたいな感じ?
秋坪も洋学者で蕃書調所の教授を務め、文久元年に福沢諭吉や福地源一郎(=福地櫻痴)らとヨーロッパに視察旅行をしている。
諭吉の「慶応義塾」の向こうを張る「三叉学舎」という私塾を開き、コレが後の「専修大学」になった。
そんなだから墓石にも「先生」と刻まれているね。Photo_2「箕作家」は稀に見る学問に秀でた血筋でみんな学者さんだ。1v_2秋坪の孫では「秋吉」という学者兼作曲家なんて人も輩出している。6とりわけ名を残しているの秋坪の二男「菊池大麓」。
秋坪とは逆に菊池家に婿養子に入ったので菊池姓になった。3vこの人は日本で初めてケンブリッジ大学に留学した数学者。
帰国後は東京大学理学部の教授となって近代数学を日本にもたらしたといわれ、明治年間の政治家としても活躍した。
この人もメチャクチャ優秀で、ケンブリッジ大学では数学で常に主席を取っていたため、イギリス人の生徒からネタまれていた。
こんな話があるそうだ。
ある時、大麓が風邪をこじらせて入院してしまった。
よろこんだのは大麓のことをオモシロく思わないイギリスの生徒たち。
「ヒヒヒ、ダイロクのヤツめ、ザマぁみろ!みんな、ダイロクに講義のノートを貸すんじゃねーぞ!」
とイジワルを決め込み、いつも大麓の後塵を拝していたブラウンという生徒を主席に押し上げようとたくらんだ。
ところが当のブラウンは毎日せっせと病院の大麓を見舞い、講義のノートを渡していた。
そのおかげで大麓は首位をキープすることができたという。
そして大麓はブラウンの高潔な英国人の気質に大いに感激したという。
いい話だ~。
他の連中はどうしようもね~な~。
ま、そういう意味では漱石なんかもさぞかしヒドイ目に遭ったんだろうナァ。
ちなみに江戸時代後期の発展した数学「和算」は世界でもトップのレベルだったんですよ。Photo_3次、「高松凌雲」のお墓が谷中にあるのはうれしいじゃないか。1ナンとならば吉村昭先生の2000年の作品『夜明けの雷鳴 医師高凌雲』の主人公だからだ。Img_5036凌雲は筑後(福岡)出身の幕末のお医者さん。
この次に出て来る「石川桜所」や「緒方洪庵」の薫陶を受け、「一橋家」の侍医を務めた。
「鳥羽伏見の戦い」から江戸に戻ると主君の慶喜は水戸で謹慎していたが、德川への恩義を強く感じた凌雲は「榎本武揚」や「土方歳三」らに合流して「箱館戦争」に医師として参加した。
この人がエライのは、戦地で敵味方の別なく負傷者の治療・看護に当たったところ。Photo_4今、「上白石萌音」ちゃんが「日本赤十字」のテレビCMで「1867年、パリ万博の時にひとりの日本人が赤十字に出会いました。『苦しみの中にある者は敵味方の区別なく救う』という使命に衝撃を受けて日本赤十字社を設立しました」とやっている。
この日本人とは「佐野常民」という人なんだけど、実はその時に一緒にいたのが高松凌雲だった。
凌雲は「同愛社」という貧民のための施療事業を立ち上げ、それが西南戦争の時に「博愛社」となり、改名して「日本赤十字社」が設立された。22v続いてはその凌雲の蘭学の師匠「石川桜所(おうしょ)」。3このシリーズの(その14)で紹介した「伊東玄朴」から西洋医学を学び、長崎に遊学してオランダ人から直接蘭学を学んだ。Io恐らくは長崎の時はココで勉強したんでしょうナァ。
かつてここに「小島養生所」という病院があって、「ポンぺ」をはじめとしたオランダから来た医者の元で「松本良順」他たくさんの蘭方医が育てられた。118a0192 桜所は38歳の時に「徳川慶喜」の侍医となり、医官としての最高位「法眼」を称号が叙された。
そして上で触れたように高松凌雲や山縣有朋がその薫陶を受けた。2vコレは「堀越角次郎」という人のお墓。
前列に並んでいるのは全部「堀越角次郎」さんのお墓。
どういうことかと言うと、「堀越角次郎」という名前が世襲になっていて、初代から4代目までのお墓がココに並んでいるというワケ。1_3真ん中が初代の堀越角次郎のお墓。3_2しからば堀越角次郎さんというのはどういう方か?
高崎出身の豪商。
日本橋で反物屋を開き、織物の輸入取引で財をなした。
銀行がまだなかった時代、その富で洋学者たちから預かった資金で利殖を図り、「福沢諭吉」もコレを利用したとか。Photo_5角次郎が興した「丸文」は創業時の反物屋とは大きく業態を変え、半導体やシステム機器を扱う商社「丸文株式会社」として創業180年を迎えている。
一体何代目になるんだろう?…現在の代表取締役社長も「堀越」さんだ。
スゴイね。

Mb_2<つづく>
 

200(一部敬称略 2026年4月26日 三軒茶屋HEAVEN'S DOORにて撮影)

2026年5月25日 (月)

金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.8 <後編>

第8回目を迎えた金属恵比須の『猟奇爛漫FEST』のレポート<後編>。10_400ヨシダさんが一旦ステージを離れてドラムスが後藤マスヒロにスイッチ。
マスヒロさんは金属恵比須の「終身名誉ドラマー」だ。
「こんばんは。よろしくお願いします。
ブラックだからね…時短営業させてもらっています」20v「実はさっき赤いシャツに着替えたんだけど、ステージを見たら思いっきり赤い人がいて、衣装が被ってしまうので慌ててコレに着替えたんですよ!」
マスヒロさんが着ようとしていた衣装が真っ赤だったということね。
この後、マスヒロさんがナニを着てステージに上がろうとしていたかはアンコールの時に自ら披露した。30「『新府城』~『武田家滅亡』~『天目山』と、今日初めてライブでツイン・ドラムで演奏しました。
ヴァイオリンを入れたのは香珀自らの提案でした。
若手も活かさなきゃね!」40v「若手にドンドン活躍してもらうといいですよね。
中年が疲れ気味になっていますから」50v「では次は後藤マスヒロ作曲の『Van Who』…」と高木さんが曲を紹介するとマスヒロさんが「バンカラ風来坊」と曲名の解釈を付け加えた。
すると高木さんが「そうなんですか?本当の意味は『#$%&`*+%$'#』ですよね?」とマスヒロさんのとは異なるタイトルの由来を口にしたところでマスヒロさんが慌ててストップをかけた。
「Van Who」の正しい解釈はまた別の機会に…。60高木さんがMarshallに向かってフィードバックさせるところから曲はスタート。70v高木さんの愛用のMarshallは「1959SLP」と「1960A」。80vそして右腕を高く上げ、ピート・タウンゼンドのように大きく旋回させて弦をハジいた。
「ウィンドミル奏法」と呼ばれているヤツ。
あ!なるほどネェ~。「Van Who」とはそういうことか!90胸のすくようなストレートなハード・ロック・ナンバー。100今日のところはまだ歌詞が出来ていないので稲益さんは再び「♪ラララ」。110その合間を縫ってマスヒロさんのフィルがシャープに切り込んで来る!120vマスヒロさんのドラム・キットはNATALの「Cafe Racer」。
シェルの素材は「チューリップ・ウッド」。13010"、12"、14"、18"という小ぶりのキット。
でもマスヒロさんが叩くと音はデカイわ、よくヌケるわの大迫力で何ともいい気持ち!140おお!なるほど、なるほど!
そう言われてみると音幅が広いロクロウくんのベースも「アレ」だわ。
150vギター・ソロも曲調にふさわしくバリバリと超ハードにまとめ上げた。160v曲の後半では香珀ちゃんのシンセサイザーが活躍。
コレは「ジャイアント〇〇」の「〇〇」の部分のイメージかな?←コレじゃナンのことかわかりませんよね?170さすがマスヒロさん、この曲ではハイハットを叩かなかった!
フ~、パンチの効いた1曲が会場の雰囲気をより一層盛り上げた。180ココでヒョンなことからマスヒロさんの「なんちゃってオジさん」の説明コーナーに。
「昭和のネタですね?」
稲益さんはご存知なかったそうだ。
チョット年配の人を指してよく「昭和の人だナァ」みたいなことを言うけど、「過ごした時間」ということになると実は多くの人が「平成の人」なんだよね。
例えば私は昭和37年の生まれなんだけど、昭和を過ごした時間は27年。
一方、平成を過ごした時間は31年…平成の方が長い。
私の場合、ポテトチップスの食べ過ぎが原因で令和31年まで生きている可能性は低いだろうから、一番長く付き合った元号は「平成」ということになるでしょう。
だから計算すれば「昭和の時代を一番長く生きた人」というのは昭和33年以前に生まれた今年で68歳以上になる皆さんなんだよ。
私が人生を終える時は、今厳重に控えているポテトチップスを棺桶に入れてもらおうと思っている。
パッケージの色は問わないが、化学調味料無添加のヤツをお願いします。190vココでヨシダさんがステージに戻って本格的なツイン・ドラムのフォーマットに。
曲は「八つ墓明神」。
映画『八つ墓村』に出て来る神社をモチーフに、2つのドラムスをフィーチュアするために高木さんが作ったインストゥルメンタル・ナンバーだ。
ホントにおスキですな~、八つ墓村…。2002人のスリリングなドラミングが壮大なイントロを引き継ぐ。
210そして分厚いオルガン・サウンドを中心にバンド・アンサンブルが展開する。
ピアノ、オルガン、メロトロン、シンセサイザー、ヴァイオリンを操った香珀ちゃん。
今回、どの曲においても彼女のプレイが金属恵比須の音楽に立体的な厚みを与える大変重要な要素であることを強く感じた。220稲益さんが入れるチャンチキの合いの手が大変にカッコいい!
ナゼかPFMの「Via Lumiere」という曲に出て来るヴァイオリンを思い出してしまった。230ボトルネックでテーマ・メロディを奏でる高木さん。240vそして期待通り2人のドラムスをフィーチュアするパートに突入!250v 
280v時にアンサンブルで、時にバトル・スタイルで…2652人のドラマーの魅力が爆発した!260 270曲は妖しくも美しいピアノの調べに引き継がれる。118a0052さらに高木さんが弾くアルペジオに導かれて…310爆発的なアンサンブルが展開し、曲はクライマックスを迎えた。
こうして「八つ墓明神」がその荘厳な全貌を明らかしたのであった。320「皆さん、今日はいいモノを観たでしょう?
みんなの厄払いも出来たんじゃないですか?」
ホント、ホント!330v「この曲も次のアルバムに収録する予定です。
ちゃんとツイン・ドラムでやろかと思っています」
ココでメンバーの皆さんの告知コーナーがあってショウは本編最後のセクションに突入する。340v『シン武田家滅亡』収録の「罪つくりなひと」。
高木さんのリフで組み立てるミディアム・テンポのヘヴィ・チューン。350vグバ~っと入って来るメロトロンのサウンドがタマりませんな。
人はナゼこの音色に魅せられるのだろう?370v稲益さんの「♪さよなら」の繰り返しが耳に残る。360そして本編最後は期待を裏切らない「猟奇爛漫」。380v「♪猟奇爛漫、猟奇爛漫!」390ロクロウくんの容赦ないブリブリ・ベースが迫りくる!400v香珀ちゃんのメロトロンとディレイを深くかけた高木さんのソロから2人で「ディシプリン・トリック」。410…か~ら~の~壮絶なバンド・アンサンブル!
コレがあるからプロッグ・ロックは止められない!420そしていつもの「猟奇爛漫体操」に移るんだけど、今日は演奏を一旦止めて高木さんからのアナウンスとなった。
「今日はどうもありがとうございました!
初めてのお客さんもいらっしゃいますので『猟奇爛漫体操』を説明しようかと思ったんですが、面倒なので生成AIに説明してもらうことにしましょう」という新企画。430一斉にお客さんが各自のスマホで「猟奇爛漫体操とはナンぞや?」を調べて高木さんがそのAIの回答を読み上げた。
珍回答もあるにはあったが、内容を正しくかつ詳細に説明したモノもあって無事解決。
驚いた…イヤ、その回答の内容に驚いたのではなくて、高木さんが「それは『Geminiですか?』とか『それともチャッピー?』」みたいなことを客さんに尋ねるワケ。
すると…
驚きの「その1」は、チャットGPTってヤツにいくつも種類があるとは全く知らなんだ。
驚きの「その2」はお客さんの多くがごく普通にそういうのモノを使っていらっしゃるということ。
しららば…私もイッパツ「Marshall Blogとはナンぞや?」とチャットGPTに尋ねてみた。
へへへ、照れるナァ。
若干の事実誤認はあるものの、どれを見てもすごくいいことを書いてくれているぜ。
チャットっていいヤツだったんだな。
というのは、ナンてことはない、チャットのヤツがMarshall Blogの意義を一番理解してくれているじゃないか!
ゼヒ皆さんも一度「Marshall Blogとはどういうモノですか?」とか「もしMarshall Blogが終わってしまったらどうなりますか?」とチャットに相談してみてください。
高木さん、ありがとう!おかげでまたヤル気が出て来ましたゾ。440v体操の仕方をチャットが詳しく教えてくれたところでイザ本番!
「♪猟奇爛漫、猟奇爛漫」
450「♪キミのおウチのお風呂のお湯になりたい」460v盛り上がりに盛り上がって…
猟奇爛漫ッ!008a0336 そして高木さんが〆のルーティンをこなして本編終了。490v本編終了と同時に大きなアンコールの声が客席から湧き上がる。
メンバーが登場するまでチョットひと言。
さっきのチャットGPTね。
Marshall Blogのことをどれで調べてもやたらとホメてくれていて、はじめのウチはとても気分をよくしていたのだが、コリャいくらなんでもホメ過ぎではないのか?と怪訝に思いこう尋ねてみた。
「このチャットGPTというのは尋ねられたことに対して批判的な回答はしないのですか?」
すると答えはこうだった。
「はい。いいことだけを書くようにしています」
だって。
道理でおかしいと思った。
調べてみると、予てよりこの「ホメ過ぎ」が問題になっていて、アメリカではコレがかなり危険視されていることをタイミングよくテレビのニュースで知った。
ちょっとガッカリ…。
でもMarshall Blogの説明に関しては結構私の意志を代弁してくれているとは思ったよ。
やっぱり基本は「物事は先哲が残してくれた書物で調べましょう」ということか。
ありがとう金田一!あ、コレは「耕助」じゃないくて「京助」の方ね。
さ、アンコール。
まずはロクロウくんと香珀ちゃんが登場。500「若者組がしゃべっていなさすぎるのでナニかしゃべって来なさいって。
ナニか私たちに質問はありませんか?」
ということで「好きなベーシストは?」と訊かれ「クリス・スクワイアとジョン・ウェットン」と答えたロクロウくん。
古いナァ~、いいナァ~。
私はスティーヴ・ハウと少ししゃべったことはあるけど、残念ながらクリス・スクワイアは観たことすらないんだよナァ。
ジョン・ウェットンはブライアン・フェリーのバックとUKの時に観たことが今となっては小さな自慢。
ロックが楽しくてどうしようもなかったお年頃の時の話。
また、ロクロウくんが好きな金属恵比須の曲を問われて「光の雪」と答えた。
まだ演奏したことはないそうだ。510v「私は去年ココで演った『阿修羅のごとく』が好きです」
「祟りじゃ~!」の時の香珀ちゃんの奏法に関する質問も飛び出した。520v次にドラマーの2人が加わる。
ヨシダさんは今日の感想を訊かれ「緊張して四肢がつってしまった」とか…。
ゼンゼンそうには見えませんな。530本当は本編の時に着ようと思っていた赤い服に身を包んだマスヒロさん。
「今日最後のチャンスだと思って…せっかく稲益が作ってくれたコレの着納めをしたいと思います」540と、稲益さんの力作を披露。550「調べてみると還暦の時はこの赤い装束を何回着てもよいということなのでまた着ました」
「お似合いですね」と香珀ちゃん。560v「今日は思い切ったことをしてみようと考えて、メチャクチャ小さいドラム・セットを使ってみました。
いつも使っているNATALなんですが、小さくてもすごくいい音をしていました」
マスヒロさん、ご紹介ありがとうございます!570そして稲益さんと高木さんもステージに上がった。580もう一度バンド・スコアをご紹介。
表紙のデザインは稲益さんが担当されたそうだ。590そしていよいよアンコールの演奏に取り掛かる。
取り上げた1曲は「イタコ」。6001人1人の個性を存分に発揮して新しい陣容による金属恵比須の音世界を創りあげた6人!610 620 630v 650v 655v 660v大歓声に包まれながら『猟奇爛漫 vol.8』終了!670「ありがとうございました!」
 
金属恵比須の詳しい情報はコチラ⇒金属恵比須Official Web680終演後の物販は「超」がいくつも付く大盛況だった!690<おしまい> 
 200(一部敬称略 2026年4月18日 吉祥寺シルバーエレファントにて撮影)

2026年5月22日 (金)

金属恵比須~猟奇爛漫FEST vol.8 <前編>

金属恵比須が吉祥寺の「シルバーエレファント」で第8回目の『猟奇爛漫FEST』を開催した。
マー索くん」を使って調べてみると、Marshall Blogがこのイベントをはじめて取材したのが2022年4月30日開催の第4回目のことで、それが金属恵比須のMarshall Blog初登場の機会となった。
その時の会場は今回とは異なるが、超満員で場内の最後方に据えた脚立に乗って写真を撮った。
ちょうどその頭上には大きな通気口が開いていて、ナニかの加減にそのフタに触ってしまったところ、留め金がハズれてそのフタが私にのしかかってきてしまった。
コレが結構な重さでとても写真撮影どころではなく、落下させないように四苦八苦しながらフタを押さえていると、背の高いお店の方がその異変に気付き、手を伸ばしてフタを元の状態に戻してくれた。
まさに「九死に一生を得た」感じではあったが、自分が懸命にフタを押さえていたその様は落語の「口入屋」の箪笥と全く同じで、後で思い出して我ながらおかしくなってしまった。
しかし…この時からもう4年も経ったとは!10v_2毎年1回催される『猟奇爛漫FEST』。
今回のステージのようす。
ナンといっても目につくのは2つのドラム・キット。20チケットは売り切れ。
超満員の客席を前に、いつも通り高木さんが前説を務める。
「お久しぶりでございます」30「東京でライブをやるのは去年の8月以来で、その後大阪でライブをしました。
今日は完売御礼でございます。
どうもありがとうございます!
金属恵比須を今日初めてご覧になる方はいらっしゃいますか?
メンバー自らが前説をやるバンドは世界でもウチぐらいしかいないんじゃないですかね?」
と、配信アーカイブや物販の案内をした。40v「今回、新商品が出ました!
『邪神覚醒』と『魔少女A』のCD-Rつきバンド・スコアです。
最初のバージョンの楽譜で、その後アレンジを加えてしまうので出来上がった音源のバージョンとは異なりますが、実際に使っているモノです。
解説や私の日記も載っています。
ヤバイ内容ですので家で笑いながらヒソヒソと読んでください」 50「写真撮影とフルでなければ動画の撮影もOKです…が、条件があります。
個人で楽しんではイケません…ドンドンSNSに投稿して金属恵比須を広めてください。
では開演までもうしばらくお待ちください」
と前説を締めくくって高木さんは一旦ステージから離れた。60今回も芥川也寸志関連の演奏会のチラシが配られていたようなので、開演までの間、以前もチョットやったけどその「芥川也寸志」で脱線してみましょう。
下は「上野恩賜公園」にある「奏楽堂」。
「東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)」のために1890年に建てられた日本で最初の本格的な西洋式音楽ホール。Img_0112入り口の脇には偉大な卒業生たちを代表するかのように「滝廉太郎」の塑像が立っている。
「朝倉文夫」の作品。Img_0106ナニかの素材を彫って創りあげるのが「彫刻」で出来上がったモノが「彫像」。
反対にナニの芯材に肉付けをして製作するのが「彫塑」でその完成品を「塑像」という。
朝倉先生は日本を代表する塑像家で、早稲田大学のキャンパスに立っている「大隈重信像」が先生の作であることはつとに有名。
谷中にある元の先生の自宅が「朝倉彫塑館」として公開されている。
ココはとても見応えがある。Img_4244さてその奏楽堂、やはり一番の見どころは数々の名曲の日本初演が演じられた2階のホールということになろうか。
このホールは今でも実際に使われていて、一度知り合いのピアニストのリサイタルを見に来たことがあった。
ステージにドンと据え付けられているのは、これまた日本最古級のパイプ・オルガン。
イギリスはリーズの「アボット&スミス社」の製品で、紀州徳川家16代当主だった「徳川頼貞」から寄贈されたモノ。
頼貞は「音楽の殿様」の異名を取る音楽家だった。
でもね、それにやや近い方が他にもいらっしゃって、徳川宗家の第18代当主「德川恒孝」さんは会津松平家のご出身で、弟の「恒和」さんがプロのジャズ・クラリネット奏者。
つまりお2人とも京都守護職を務めた会津藩最後の藩主「松平容保(かたもり)」のひ孫さん。
恒和さんにはこのMarshall Blogにご登場頂いたこともあった。
周囲の人からは「殿」と呼ばれていた。Img_0100ホールも感動的だけど、1階も見逃せない。
奏楽堂の歴史や藝大に学んだ偉大な音楽家に関するアイテムが展示されているのだ。Img_0105例えばこんな写真。
コレは左のヴァイオリニストが安藤(幸田)幸、右が幸田延。
名字から察せられるように2人は明治の文豪「幸田露伴」のお姉さんで、ウィーンに留学し、「滝廉太郎」や「本居長世(次掲)」、悲劇のピアニスト「久野久」らを育成した。
延が作曲した「ヴァイオリン・ソナタ」は日本人が最初に書いた器楽曲と言われている。
ちなみに露伴は向島にあった「蝸牛庵」と呼んだ家に住んでいたことがよく知られているが(現在は「明治村」に保存されている)、一時期は上野公園の裏の谷中墓地に隣接する朝倉先生の家(前掲)の並びの家に住んでいた。
今はナンでもないアパートになっている。
その頃に谷中墓地にあった五重塔を題材にしたのが露伴の代表作『五重塔』だ。
しかし…露伴の家は娘さんが「幸田文」だし、文化的な才能に富んだ家柄ですな。Img_0082_21階の展示の中で特にフィーチュアしているのが唱歌の作曲家たち。
いいですよ~、唱歌は。
その中でもとりわけ重点を置いている作曲家が「本居長世(もとおりながよ)」だ。
「七つの子」、「青い眼の人形」、「赤い靴」、「汽車ぽっぽ」、「十五夜お月さん」、「通りゃんせ」等々の名曲を作った人。
名字を見れば一目瞭然、「本居宣長」の子孫だ。
本居家というのは大変な学問一家で、その墓は谷中墓地にある。
「赤とんぼ」、「砂山」、「ペチカ」、「あわて床屋」などを作った山田耕作は長世の東京音楽学校の同期だったそうだ。
しかし、山田耕作の一番の作品は「明治大学」の校歌だと私は思っている。
少なくとも六大学の中では「都の西北」にも「陸の王者」にも勝っていると確信している。
校歌だけよ。3vと、そんな中に「黛敏郎」と並んで「芥川也寸志」のアイテムが展示されている。Img_0094奏楽堂は老朽化のために藝大音楽学部のキャンパスから岐阜県犬山の「明治村」に移築されそうになったが、建築学会や音楽家グループの反対運動によって昭和58年、台東区に譲渡された。
奏楽堂は永遠である
芥川也寸志や黛敏郎はその運動に参加していた。
ありがとう也寸志!Img_0093少し藝大でサブ脱線。
1955年の「衣笠川貞之助」の映画に『薔薇いくたびか』という作品がある。
残念ながら芥川也寸志は関わっておらず、「溝口健二」の『西鶴一代女』や「成瀬巳喜男」の『おかあさん』に音楽を付けた「斎藤一郎」という人が担当している。
大映創立以来の大壮挙!東西オールスタアが激しく争う恋愛巨編!」という惹句通り、「若尾文子、京マチ子、山本富士子、長谷川一夫(この人のお墓も谷中墓地)、市川雷蔵、勝新太郎」等々、当時の大映の看板俳優がドバ~っと出演している。
イヤ、そんなことはどうでもいい。Biこの映画、「藝大の音校(=音楽学部)」が主要な舞台のひとつになっていて、下の校門や周辺はもちろん、奏楽堂のホールまでガンガン出て来るのだ。Img_0116映画の冒頭には奏楽堂のホールの下の写真の辺りに、器楽科の入学試験の実技の順番を待つ「若尾文子」と「南田洋子」が座って話をするシーンが出て来る。
この頃の若尾文子と南田洋子の可愛さ&美しさにはもはや手の打ちようがない。
昔の女優は本当に美しかった。
映画自体は大映が嘯くほどの出来ではないが、その他にも71年前の東京の様子を窺うことができて観ていて実にオモシロかった。
Img_0102定時になり『猟奇爛漫 vol.8』の幕が上がった!
まずはいつも通り高木さんの指揮で映画『八つ墓村』の「呪われた血の終焉」とバンドの共演。
もちろん『八つ墓村』の音楽は芥川也寸志。
ココで冒頭の脱線が効いてくるのだ。70高木さんが弾くリフから「魔少女A」。80稲益宏美90v高木大地100v香珀(こはく)110v埜咲ロクロウ120v今回から参加のドラマー、ヨシダシンゴ。130v続いて高木さんがワウワウ・ペダルを踏みながらリフを奏でていく「鏡の中の女」。
まだ正式に録音されてはいないがYouTubeで公開している1曲。140v香珀ちゃんのが弾くスウイング・ビートのピアノのバックで…150稲益さんがネチっと歌う様はそれこそ1950年代の銀座モノの映画を観ているよう?
銀座ネェ…またココで成瀬巳喜男の『銀座化粧』や吉村公三郎の『銀座の女』、あるいは川島雄三の『銀座二十四帖』の話なんかをしたら全くキリがなくなってしまうのでそれらには近寄らない。
ただね、『銀座化粧』に出て来る昔の銀座の光景はスゴイですよ。
そういう意味では『君の名は』なんかもスゴイね。160v甘いトーンからドライなトーンまでを巧みに使い分ける高木さん。170その豊かなギター・サウンドを出しているのはもちろんMarshall。
今日も愛用の「1959SLP」と「1960A」が高木さんをサポートしている。175この曲、意表をつくエンディングが実にカッコいい!180「こんにちは金属恵比須で~す!
皆さんお元気~!
たくさんお越し頂いてありがとうございます。
デデン!ヨシダシンゴが入りましたよ!」190楽屋でプロテインを飲んでヤル気満々だったというドラムスのヨシダさんからご挨拶。
高木さんや稲益さんと年齢がほぼ同じなのでバンド内の中間管理職が増えたとか。
「まさかこんな普通じゃないバンドに入るとは思っていなかったんですよ!」
金属恵比須がリハーサルで休憩をしないブラック系バンドだということをご存知なかったとか…冗談ですよ!
ヨシダさんのYouTubeチャンネルを拝見すると、「My Man's Gone Now」やら「Stablemates」やら「A Night in Tunisia」やらジャズのスタンダードがいくつも上がっていてうれしいなったらうれしいな。200v今回で4回目となる香珀ちゃん。
初めての金属恵比須のライブが1年前の今日と同じシルバーエレファントだった。
大学院進学おめでとうございます。
にもかかわらず100%金属恵比須をやるそうです。
高木さんからのお祝いの言葉は「馬車馬のように働いてもらいます!」。210ロクロウくんは加入して早や2年半。
あの横浜の時が初舞台だったのか…。
もう主任ぐらいにはなれるという。
ブラック・バンドは昇格が早いのだそうだ。220v冒頭に書いた通り私が金属恵比須に出入りさせてもらうようになってから丸4年になるんだけど、その頃のメンバーはもう高木さんと稲益さんの2人しか残っていないことに驚いちゃうよ。008a01842曲目に取り上げた「鏡の中の女」について高木さんが解説する。
出典は「横溝正史」。
「銀座で起きた殺人事件の遺体が三鷹で発見される」という筋立て。
高木さんが三鷹在住であるため「ご当地ソング」ということでこの曲を作ったそうだ。
なんともステキなご当地ソングではあるまいか?230v続いては2000年12月26日以来演奏していないというヘヴィ・チューン「病院坂の首縊りの家」。240ヨシダさんの「和」テイストのドラムスに…300v稲益さんがこれまた独特の雰囲気のメロディを乗せる。260v香珀ちゃんのメロトロンの効果絶大!250v中間部の不気味な器楽パートが聴く者の耳を惹きつける。270v深めにディレイをかけてボトルネックをスライドさせるギターが実に怪しいゾ!
ロバート・フリップを彷彿とさせるソロが続く。280vそこへ今度は香珀ちゃんの狂気のヴァイオリンが切り込んで来た!
こりゃタマらんな~。290続けて高木さんのギターから…310おなじみ「ハリガネムシ」!320「♪キ~ミは~ボク~の中にいて~」
しかし、さっきの三鷹のご当地ソングじゃないけど、声高に「寄生虫の歌」を歌っている女性って世界で稲益さん以外に他にいるんかいな?
まずいないだろう。330vロクロウくんの爆裂ソロ!360イケイケ~!
ガッツリと歪ませて思う存分弾きまくった!350vそのロクロウくんの熱血ソロに呼応するかのように高木さんも暴れ出した!
まずはスライドバーを使って…370そしてステージ中央まで歩み出て来た!390香珀ちゃんがシンセサイザーで高木さんを迎え撃つ!410ものすごいテンション!118a0217 このインストゥルメンタル・パートだけを聴いてコレが寄生虫のことを歌った曲だなんて一体誰が想像できよう?
まるでフランク・ザッパの曲のようではあるまいか!118a0297「♪ハリガネムシ!ハリガネムシ!ハリガネムシ!ハリガネムシ!」
最後までハリガネムシの魅力を発散させるこの曲は間違いなく金属恵比須のキラー・チューンのひとつだ!Vvvv「みんな、楽しいね~!
今日は新曲が多いんですよ」118a0329「ナゼなら4年ぶりのフル・アルバムを今年出したいと思っているんです。
ウチはオリンピックと同じで4年に1回なんですよ。
曲が生まれてきましたので…今日は初披露が多いんです。
まだタイトルも決まっていませんが、12月には出したいと思っています」420v「今日演る新しい曲はそのアルバムに入れる予定にしています。
それとは別に本日販売している『おとみやげ』は音源として誰よりも早くそれらの曲を聴くことができるようになっています」430コレがロクロウくんがミックスを担当したという当日販売された「おとみやげ」。440「『病院坂の首縊りの家』は高校3年生の時に作った曲なんですが、高校のバンドコンテストの全国大会に南関東代表で出たことがあったんですよ。
それで宮前のガストに入る時に母からポケベルに連絡が入って、審査結果を知らせてくれたんですが、よい結果でうれしくてその場で泣きました」
そのコンテストでは顔は白塗り。
柔道着や剣道着を着て、口に含んだトマトジュースやケチャップを吐き出すパフォーマンスをしたそうだ。
出場した他のバンドは派手に化粧を施したビジュアル系ばかりだったとか。ギャハハ!450v続いて演奏したのはその新曲のウチのひとつ「祟りじゃあ!」。
「祟りじゃあ!」はショーケンが「金田一耕助」を演じた松竹の『八つ墓村』に出て来るセリフで1977年の流行語になった。
そういえばずいぶんテレビで宣伝してた記憶があるナァ。
中学校の時に横溝ブームが吹き荒れて私も『八つ墓村』をはじめ『獄門島』やら『三つ首塔』やらいくつか角川文庫の文庫本を読んだ。
おどろおどろしい表紙のイラストだけでなく、黒字に緑色のフォントを使った意匠がすごく魅力的だった。
『八つ墓村』の映画は安藤くんに誘われて試写会で観たんだっけかな?
『女王蜂』も試写会で観たが、その時は「中井貴恵」が舞台挨拶をしたのを覚えている。
ちなみに中井貴恵&貴一のお父さんは超ハンサムの「佐田啓二」。
カンちゃんというあだ名だった。
お母さんは松竹大船撮影所の入り口の近くにあった小津安二郎が好んで通った「月ヶ瀬」という食堂の「ますこ」さんというお嬢さん。
佐田さんは運転手の居眠り運転が原因で起きた交通事故で37歳で亡くなった。
中井家のお墓は小津安二郎も眠る鎌倉の「円覚寺」にあって、「田中絹代」さんのお墓と背中合わせになっている。0r4a0088こちらは墓石に「無」と刻まれている有名な小津安二郎のお墓。0r4a0133 さて、新曲。
いかにも祟りがありそうな雰囲気の香珀ちゃんが6/4拍子で弾くピアノ。
460vそのままのリズムでハードなバンド・アンサンブルに突入!470荒れ狂うピアノ!118a0059 まだ歌詞が出来ていないということで今回は稲益さんが「ラララ」とスキャットで歌メロを乗せた。490v曲は雰囲気を一変。500ココでもヴァイオリンが大活躍!510v高木さんの情感豊かなソロを経て…520vドラマティックに締めくくられる…と思ったら。008a0215「♪祟りじゃあ~!」530職場では課長に昇進したという高木さん。
おめでとうございます!
「最近は昭和生まれがもう少数派みたいな感じになってきました。
大正生まれの人の気持ちがわかるような気がします」
私が子供の頃は明治や大正の人がゴロゴロしていたもんでしたよ。
実際祖父母は明治生まれ、叔父さん叔母さんにも大正生まれが多かった。
当時の日本の最高齢者は江戸時代生まれの人だった。
明治生まれの男性は既に絶滅して、今の日本の最高齢者は明治44年生まれの114歳の女性だそうだ。
男性は大正3年生まれで今年112歳になる方。
そして、昭和ヒトケタ生まれの人たちが90歳台に乗った。
私なんかも考えてみれば敗戦からたった17年後に生まれているんだもんね。
古い人間だわ。540「次は時代をさかのぼりまして天正…1582年の曲です。
12月に『シン・新武田家滅亡』を出しました。
それを記念しまして『武田家滅亡メドレー』を演りたいと思います」550vコレがその『シン・武田家滅亡』。
ロクロウくんや香珀ちゃんもレコーディングに参加した文芸プログレ・アルバム。Img_5035まずは高木さんがダブルネックの12弦をかき鳴らす(写真は6弦を弾いているところ)。560vそこに香珀ちゃんのヴァイオリンが加わって「新府城」。570そしてそのまま「武田家滅亡」へ!580金属恵比須レパートリーの一、二を争うタフ・チューン。118a0637 新しいリズム・コンビネーションが猛々しい!600v 「♪武田家滅亡!」610v「♪かいがいしくも!」620v曲の後半でソロになったヨシダさんがマーチのようなリズムをスネア・ドラムで刻み出す。
メドレーの最終曲「天目山」だ。118a0655その間に後藤マスヒロ登場!630vこうしてツイン・ドラム体制となった金属恵比須が「武田家滅亡」の壮大なドラマを完結させた。 640<後編>につづく
 

200(一部敬称略 2026年4月18日 吉祥寺シルバーエレファントにて撮影)

2026年5月21日 (木)

【追悼】高橋ロジャー和久さんを偲んで

高橋ロジャー和久さんの訃報に接しとても驚いた。
以前よりご闘病されていたことはもちろん存じ上げていたが、必ずお元気になってステージに復帰されると信じ切っていたからだ。
全く残念なことでとても悲しい。
 
思い返すに、ロジャーさんとお近づきになったキッカケは「THE SONS」だったように記憶している。
よくichroちゃんがショウのクライマックスで「最高のロック・ドラマー!」とロジャーさんを紹介していたのがすごく印象に残っている。
以降、今のMarshall Blogになってロジャーさんには何度も何度もご登場頂いた。
最初は大谷令文さんとオガンちゃんとのトリオ、TRIO the COLLAGENSのライブ・レポートだった。
下はその時の様子。2013_2_11_12013年2月11日、新宿「Crawdaddy Club」にて。
コレを皮切りに頻繁にコラーゲンズのライブにカメラを持ってお邪魔させてもらった。
スキだったの。
特に3人のメンバーがそれぞれ持ち寄るオリジナル曲が私の好みだった。
コレより以前、まだロジャーさんに顔だけ覚えて頂いていた頃の話。
Marshall Blogの取材でどこかのライブハウスにお邪魔した時、楽屋でそこにいらっしゃったバンド・メンバーの皆さんにロジャーさんが私のことを指してこうおっしゃったのを覚えている。
「ナァナァ、この人…この人!見てみぃ、熱心やで~。ホンマに熱心にやってはる!」
私のナニをご覧になってそうおっしゃたのかはいまだにわからないが、その時は「見ている人は見てくれている」とうれしい気持ちになった。2013_2_11_2ロジャーさんのお言葉通り「熱心」に名古屋で取材をしたこともあった。
2013年8月6日の「ell. SIZE」でのライブ。2013_8_6_1Marshall Blogの写真にしては珍しくモノクロなのは、この時スモークが濃すぎてカラーで現像することができなかったから。
コレもいい思い出だ。2013_8_6_22013年8月9日の「高円寺SHOW BOAT」。
令文さんの隣はゲストで登場した「Mr. Tone」の故「原まさし」さん。2013_8_9「Little Wing」と「Black Rose」を演奏しているところ。170vこの日は「X-RAY」の盟友「藤本朗」さんもゲスト出演された。465 2013年12月6日、代々木「Zher the Zoo」。
この時も対バンで主演したまさしさんと共演した。
この4人のうち、オガンちゃんを除く3人が鬼籍に入ってしまったなんてとても信じられない。2013_12_6_2時折NATALドラムスを叩いてもらったこともあった。
この時もスゴイ演奏だった。
オガンちゃんが歌って「21世紀の精神異常者」を取り上げていた。2013_12_6_12014年7月26日の高円寺SHOW BOAT。2014_7_26_1ちょうどMarshallの連中が来ていて、終演後に記念撮影をした。
楽しかったナァ~。2014_7_26_2こうした活発な活動を下敷きにしてコラーゲンズは『ROUGH & DANGEROUS!』というライブ・アルバムを発表した。
音源は仙台で収録されたが、ジャケットには私が東京の現場で撮った写真をご採用頂いた。
コレもとてもうれしかった。
私の宝物のひとつである。Cd2014年8月1日の『GENKI SESSION』。
私は令文さんに誘われて、恵比須の『LIQUID ROOM』で開催されていた頃より『GENKI SESSION』にお邪魔しているが、ココ『東京キネマ倶楽部』にホームを移してから本格的にMarshall Blogの取材をさせてもらうようになった。2014_8_1ロジャーさんのドラムスと水野雅章さんによるリズム隊は無敵だった。2014_8_2 一方こちらは珍しいイベント。
名古屋の「メリケン・バンド」のシンガー、「ジョーペリー小山」さんが企画した『ROCK'N'ROLL RESEARCH(Marshall編)』。
2015年1月10日、会場は吉祥寺の「ROCK JOINT GB」。
この時はコラーゲンズではなく、トーベンさんをベースに迎えたワンオフのトリオ。
トリで登場して思いっきり盛り上げてくれた。2015_1_10_12015年6月28の「The MANJI」。
新宿「SPACE ZERO」で開催された『伝説のロッカーたちの祭典』というイベントで「めんたんぴん」や「頭脳警察」、「外道」と共演。2015_6_28「エ、なんて?」
ロジャーさんのオハコ「組曲難聴」が大ウケだった。2015_6_28manji2015年8月22日の「GENKI SESSION」。170 この時も「難聴」炸裂!
真ん中のセリフのところでロジャーさんがこうやる。
「ナァ…ナァて!頼むからMarshallの音量を少し下げてくれや!」
「音が大きすぎる」だなんて今ではとても考えられない。
でも我々が若い頃はそれが当たり前だった。
そんなことで私、「難聴」好きだったんだよね。260コレは2016年1月9日の『ROCK'N'ROLL RESEARCH(Marshall編)』の2回目。
再び「令文、トーベン、ロジャー」のトリオでの出演で…2016_1_9この時もNATALを叩いて頂いた。2016_1_9_2中野重夫さんとオガンちゃんとのトリオ「KISS THE SKY」。
2017年2月13日の「下北沢GARDEN」。Snロジャーさんはザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」を熱唱した。
この頃ロジャーさんがご結婚されて、開演前にお祝いの言葉を伝えると「あ、どうも…」と小声でお応えくだり、とても照れ臭そうにされていたのが印象的だった。310v 2019年8月23日の『GENKI SESSION』。
この後コロナ期に入り、GENKi SESSIONがしばらくの間開催されなかったので、令文さんにとってはこの時が最後のGENKI SESSIONとなった。2019_8_23ロジャーさんステッカーもとてもヨカッタよね。270時は下って…BURNYに何度か誘われていたのだが、いつもスケジュールが合わずになかなかお邪魔できなかった念願の「ASIAN BLACK」をとうとう観たのは2024年7月1日の吉祥寺「CRESCENDO」でのこと。2024_7_21_1ロジャーさんが叩いているのはNATALの24インチのツーバスのキット。2024_7_21_2この頃に至ってもいつも通りパワー全開の胸のすくようなドラミングを見せてくれた。2024_7_21_3そのひと月後。
8月24日、東京キネマ倶楽部での『GENKI SESSION』。2024_8_24_1コレがロジャーさんの最後のGENKI SESSIONであり、私が最後に目にしたロジャーさんの雄姿になってしまった。2024_8_24_2上に挙げた以外にもロジャーさんには色々とMarshall Blogにご協力頂いた。
この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
ところで、ロジャーさんがfacebookのプロフィールでお使いになられていた下の写真。
コレは私が撮影した写真で、アチコチでお使い頂いていたことを誇りに思う。
併せて御礼申し上げます。
ロジャーさん、お疲れさまでした。
 
「最高のロック・ドラマー」の早すぎるご逝去を悼み心よりお悔やみ申し上げます2013_12_6_3 

200

2026年5月20日 (水)

マーシャル・ブログ博物館  第8回:マーシャル・タイムマシン<その2>

「Martial Law(マーシャル・ロウ)」という複合名詞が「戒厳令」という意味であることを知っている人は多いでしょう。
「martial」という単語は「軍の」とか「戦争の」という意味を表す。
あの格闘技の「マーシャル・アーツ」の「マーシャル」ね。
この単語の語源はローマ神話の「戦いの神、マールス(Mars)」。
まさにホルストの組曲『惑星』の第1曲「火星、戦争をもたらす者(Mars, the Bringer of War)」だ。
それに「法(Law)」という言葉がくっついて「非常時に軍隊が民政に優先して統治する法」という意味を発する。
日本では明治38年の「日比谷焼き討ち事件」、大正12年の「関東大震災」の時、そして昭和11年の「二・二六事件」の時に発布されたが、昭和22年、現憲法の施行に伴い廃止された。
チョット前にはお隣の国で発布されて大騒ぎになったが、できれば耳にしたくない言葉のひとつであろう。
それを逆手にとってシャレでタイトルを付けたのが「Marshall Law」というMarshallのPR誌。
Marshallの製品に関することはもちろん、関連のアーティストやイベントの情報を掲載していた。
どうも時期によってはイギリスのMarshall以外からも発行されていたようだが、「Marshall Law」は80年代から刊行されていた歴史のあるPR素材と言ってよかろう。
ただ、今にして思うと定期的に発行していたんだか不定期だったんだかサッパリわからない。
忘れた頃に送られて来るようなイメージだったが、フランクフルトの楽器展示会「Musik MESSE」の時には毎年配っていたので少なくとも年に1回は発行していたのであろうが、もうとっくの昔に見かけなくなってしまった。Ml4そんなんでウチにもMarshall Lawがゴロゴロしているかと思ったら、下の2006年9月に発行されたモノしか残っていなかった。10表紙をめくるとまずはジム・マーシャルからの挨拶が寄せられている。
この頃ジムは第一線を退き、愛娘のヴィクトリア(「JVM」の「V」ね)が会社を切り回していて、そのことが述べられている。Img_5021登場するアーティストはザック・ワイルド、トリヴィアム、AC/DC、イングヴェイ・マルムスティーン、ブライアン・アダムス、ユーライア・ヒープ等々。
繰り返すが今からちょうど20年前に出された冊子だ。
今のMarshallを念頭に置くと、すでに「タイム・マシン」の雰囲気が漂っているか?Img_5030新製品としてはジミ・ヘンドリックスのシグネチャー。モデル「SUPER100JH」や…Img_5023100Wモデルの40周年を記念して限定生産した「JTM45/100」が大体的にフィーチュアされた。Img_5025とにかく超久しぶりに引っ張り出して、最後のページを見てビックリ仰天。
「世界のMarshall情報」みたいなコーナーに私の名前が出ていたのだ。
スッカリ忘れていたわ。
話題は「東京で開催された第2回目の『マーシャル祭り』」。
本当は3回目だったんだけどよ。
内容はその簡単なライブ・レポートで、今にして思うと一体誰がこの文章を書いたのかしらん?
会場にいたヴィクトリアが書いたワケはないし…。
ハッキリとは覚えていないが、きっと私が送ったテキストを誰かがリライトしてくれたんだろうな。
20そして表4はスラッシュだった。Img_5028さて、話は変わって…Marshallの事務所で前回紹介した工場の古い写真を夢中になって撮影していたところ、誰だったかは忘れてしまったが「シゲ、こんモノもあるぞ!」と、下の古新聞のようなモノをドッサリ渡してくれた。
それらはMarshall Lawよりズッと前に発行されていたMarshallの情報紙だった。
面倒には思ったが、せっかくなので取りあえず渡されたモノの写真をすべて撮っておいた。
そして今回この「博物館」のシリーズを始めるに当たり、長~い間ほったらかしにしていたその古新聞の数々のことを思い出して少し読んでみた。
最も古いのは1971年5月に発行された「The Marshall World」という55年前のMarshall新聞。
コレがベラボーにオモシロいではあ~りませんか!
コレぞまさに「タイムマシン」!
私もいい加減長いコト音楽を聴いてきて、その知識においてはそう簡単に人後に落ちないと自負していたつもりだけど、イヤイヤ、世界は広い…広すぎる!
イギリスを中心にした世界の知らないバンドが山ほど紙面に登場して、ロックに関しては当時の(今も?)日本がいかに世界の離島だったかということを痛感せざるを得ない。
勉強になりましたわ~。
もちろんMarshallと関係が深かったディープ・パープルや他の世界的にメジャーなバンドの話題もテンコ盛り。
以前の記事で「どうしても早くやりたかった」と言っていたのはこのことなのです。
というワケで以降、Marshallに関するウンチクを絡めながらオモシロそうな記述を紹介していきたいと思う。
「ジュラ紀の世界」や「鹿鳴館の時代」に比べればつい最近のことだけど、それでも55年も前の情報ですからね。
それではタイムマシンMarshall号に乗ってタイム・スリップ!30最初は1971年5月に発行された『THE Marshall WORLD』という新聞。
この新聞はMarshallではなく、イギリス国内はもちろん、世界に向けてMarshallの製品を一手に販売していた「Rose-Morris(ローズ・モーリス)」が運営していた。
右端の花の中心には「Marshall is pretty powerful」と記されている。
昔から「パワー」が得意だった。40_1971_5_1_sローズ・モーリスはロンドンのウエスト・エンド地区の「デンマーク・ストリート」で小売店を展開する1920年開業の老舗楽器商社だ。
Marshallは1966年に同社と向こう15年にわたる独占販売契約を結んだ。
その間、Marshallには価格はおろか、シリーズ名や商品名、宣伝の方法を決める権利もほとんどなかった。
「1959」も「1962」も「UNIT3」や「UNIT17」等の名称もすべてローズ・モーリスが決めたものでMarshallはただただ商品の製造に徹する「私、つくる人」状態だった。
世界的に知る人が少ないこのローズ・モーリスの4ケタのモデル・ナンバーのロジックについてはコチラに書いておいたので興味のある方はどうぞ。
したがってココで紹介するPR新聞もローズ・モーリスのやりたい放題だったのであろう。
ジムはこの契約を結んだことを大きく後悔し、Marshallの伝記本にはコレを「魔の契約」と表現しているが、1981年にその契約が終了するとそれを待ち構えていたようにMarshallは「JCM800シリーズ」を発表し、「2203」を中心に世界的な大ヒットに昇華させた。
下はデンマーク・ストリートのローズ・モーリスの鍵盤の店舗。Img_1147それではローズ・モーリスはこのあたりのことをどう言っているか?
ウェブサイトを拝見すると…
「どこででも使用できる演奏用機材の必要性を感じ、そうした道具を設計し、作り始めた1人の顧客がいた。
言うまでもなくその顧客とはジム・マーシャルのことで、ほんの小さな家内手工業で作っていたギター・アンプを世界で知らない者はいないマーシャル・アンプへと成長させた男だ。
ジムはナニが必要とされていることを知っていてそれを作っていた。
ところがジムはセールスの経験に乏しく、特に卸売りや輸出の知識を持っていなかったので、彼のビジネスを拡大していくためにはそうしたノウハウがどうしても必要だった。
そこで弊社は友好的な契約をMarshall社と結び、工場から出荷されるすべての商品の国内外に向けた販売と宣伝を一手に引き受けたのだ。
こうして他のメーカーとも同様の相互の理解に基づく友好的な契約を交わし事業に邁進した」…みたいなことが書いてある。
Marshallの伝記本との間には大きな齟齬がある気がするな。
その「他のメーカー」にひとつがリッケンバッカーだった。
下は上の鍵盤専門店のチョット先にあるギター類とドラムスを扱う店舗。
もうずいぶん長いコト中を覗いていないが、昔に見た時にはMarshallに製品を豊富に展示していた。120さて、いよいよ『THE Marshall WORLD』の紙面を見ていくことにしよう。
まず1面のトップに上がっているのはこの新聞についての記述。
この1971年5月号は創刊第2号で、創刊号はナント5万部を発行し、それでは間に合わず増刷のリクエストを受けたらしい。
そしてこの第2号では、Marshallが流通している世界で137に及ぶ国々のアーティストを創刊号にも増して紹介したそうだ。
そして、その発行部数は創刊号の3倍の15万部!…ホントかな~?
印刷代だけでも大変だよ。
ココには特に書いていないけど、いくらなんでもコレは世界に向けての数字だろうナァ。
1971年当時のイギリスの人口を調べてみると5千6百万人だというから、国内で15万部というと373人にひとりがこの新聞を手にしたことになってしまう…まさかそんなことはあるまい。
ギター・アンプなんて極端に普遍性の低い商品だったハズだから。50テン・イヤーズ・アフターが1面でガツンとフィーチュアされている。
ステージにズラリと並んだ「1959」のフル・スタック。
数回目の記事に書いたが、アルヴィン・リーは根っからのMarshallプレイヤーで、この記事でもハッキリと「Marshallのアーティスト」と触れている。
「テン・イヤーズ・アフターは『Jaybirds』というバンドが発展して出来たバンドで、ロンドンのマーキーで注目され、1967年8月に開催された『Seventh National Jazz and Blues Festival』というイベントで評判を高め、1969年になるとニューポートやモントルー等の大きなフェスティバルに出演し、ツアーを重ねて成功を手にした」とある。
『ウッドストック』のことには触れていない。60で、この『Seventh National Jazz and Blues Festival』というのを調べてみたんだけど…スゴイよ。
スモール・フェイセズ、ピンク・フロイド、クリーム、ジェフ・ベックやアーサー・ブラウンらの大御所に混ざって、よく見ると確かにテン・イヤーズ・アフターは「10 years After」と赤い小さめの文字で記されている。
その赤い文字で表記されているバンドにはエインズリー・ダンバー・リタリエーションやらチッキン・シャックやら、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックやら、オモシロそうなグループがたくさん載っている。
しかし、「ジャズ」についてはズート・シムズとアル・コーンの「Al &Zoot」とユゼーフ・ラティーフしか名だたるいミュージシャンが出ていないのは寂しいね。Jbwうれしいね、「ソフト・マシーン」が一面で紹介されている。
ニューポートでマイルス・デイヴィスやファラオ・サンダースと同じ日にステージに上がって好評を博したそうだ。
ニューポートのプロデューサー「ジョージ・ウェイン」がベルリンのフェスティバルでソフト・マシーンを見て気に入り、その時にバンドがウェインに最新アルバムをプレゼントしたことからニューポート・ジャズフェスティバルへの出演が決まったそうだ。
1971年のことだから、ウェインに贈られたのは『3』か『4』なんだろうナァ。
紙面ではソフト・マシーンがMarshallのユーザーと書いてあるんだけど、このバンドってギタリストがいないのよ。
だから「ヒュー・ホッパー」のベース・アンプか「マイク・ラトリッジ」のキーボード・アンプということになるんだろうナァ。70v「ベックが帰ってきた」
新しいグループでメジャーのレコード会社との契約を画策中だっていうんだけど、コレは第2期ジェフ・ベック・グループのことかな?
アルバムは『Rough and Ready』ということになるか?
でもレコード会社は「Epic」で変わりがないハズなんだけどな。
「スター・ギタリストのジェフはヤードバーズ時代からライブやレコーディングでMarshallを使っています」
ココが一番大事ね。80そして、その『Rough and Ready』のレコーディングで使用したのが先日『開運!なんでも鑑定団』に出品された竹谷さん所有の1959年製のストラトキャスターだそう。Img_2012カタログ請求の案内。
1971年当時、この表紙のカタログにはナニが載っていたか…見てみるとコレがオモシロくて、1ページ目にド~ンと200W、100W、50Wの順にそれぞれギター用、ベース用、オルガン用のアンプ・ヘッドが紹介されている。
ルックスはすべていわゆる「1959」スタイル。
それをまとめてみると…
 200W : LEAD MODEL「1967」、BASS MODEL「1978」
 100W:LEAD MODEL「1959」、BASS MODEL「1992」
 50W  :LEAD MODEL「1987」、BASS MODEL「1986」、ORGAN MODEL「1989」
ちなみに200Wモデルについては「MAJOR」という表記は一切見当たらない。
そして次ページにそれぞれのアンプ・ヘッドに対応したスピーカー・キャビネットということで3種類に分けて紹介している。
コレもオモシロイので簡単にやっておこう。
   4x12":LEAD or BASS「1882」、LEAD, BASS or ORGAN「1960」、BASS「1935」
              それぞれにA/Bの別あり。
   8x10":LEAD or ORGAN「1990」
   1x18":BASS or ORGAN「1988」
もうチョットやると、3ページ以降は3段積みの紹介になっていて、「SET-UP」という表現が使われている。
「Stack」という言葉を使ったのはジムが最初、とジム自身が私に言っていたが、ローズ・モーリスは基本的に「セット・アップ」と呼ぶのを習わしとしていた。902ページ目ではMarshallを使用しているイギリス国外のアーティストを紹介している。
冒頭に書いた通り、ハッキリ言って海のモノとも山のモノともつかないような初めて名前を耳にするようなバンドがウジャウジャと出て来る。100それじゃ、この新聞が発行された1971年のロックはどうなっていたのかチラリと見ておくことにしよう。
「チラリ」で「ド~ン!」だよ。
私の好みでブリティッシュ勢が多く挙がっているが、下はすべて1971年に発表されたアルバム。
プロッグ・ロックの活躍が目立つかな?
コレ、ゼ~ンブ1971年に出ているんだよ。
その時はさして気がつかなかっただろうけど、ボ~っとしていてもこんな名盤が次から次へと世に送り出されていた時代。
まだまだ他にもたくさんあるけど、キリがないのでコレぐらいにしておいた。12_1971album翻って日本のロックの状況はどうだったか?
1971年あたりはGSブームが収まった頃で、『風街ろまん』や『SATORI』などの好盤はあれど、フォークが幅をきかせていた時代と言ってよいだろう。
イヤイヤ、ナント言ってもこの頃は歌謡曲だな。
ちなみに1971年にレコード大賞を獲得したのは「また逢う日まで」。
それから「おふくろさん」、「私の城下町」、「よこはま・たそがれ」、「知床旅情」、「傷だらけの人生」、「さらば恋人」、「17才」、「雨の御堂筋」等々、どの曲がレコード大賞を獲得してもおかしくないような粒ぞろいの曲が揃っていて、その様子はまさに海外のロックさながらの百花繚乱ぶりだった。
私は小学校3年生で、歌謡曲に興味などまったくなかったが、上に挙げた曲はどれも歌えるもんね。
そう、隣の幼稚園生から横丁のご隠居さんまでが歌える曲が巷にゴロゴロしていた時代。
私は小学校3年生。いい時代だった。1971jそういう時代。
で、こんなの知ってる?
アイルランドの「PETER BOY and the TRENDS」。
19~24歳のメンバーで1969年前に結成され、盛んに周辺国を回っていたらしい。
音を聴いてみると、一体どこにMarshallの必要性があるのかサッパリわからないような全く普通のポップ・ミュージックを演奏している。
左上の枠内の人がピーター・ボーイなのかな?
どう見ても24歳には見えんな。110vじゃ、コレは?
1965~1973年に活動していたイスラエルの「THE CHURCILLS(ザ・チャーチルズ)」。
ヘブライ語ではなく英語で歌うファズ・サウンドが飛び交うサイケデリック・ロック。
なかなかいいですよ。
大のMarshallユーザーで5台使用していたそうだ。120v 
興味深いのはアメリカの様子をまとめた記事。

100v_l_2この頃アメリカでは「Marson Musical Products」という会社がMarshallの代理店をしていたようで、「同社がアメリカのトップ・ミュージシャンとMarshallのよい関係を構築している」…とした上でその活動を紹介。
例えば、前年にはブロードウェイ・ミュージカル『Hair』でMarshallが使用され、そのギタリストの「チャーリー・ブラウン」が自身のツアーで引き続きMarshallを愛用している…だの。
最近、「マウンテン」の「フェリックス・パッパラルディ」がMarshallを使い出した…だの。
60年代後半に人気だったサイケデリック・ソウル・バンドの「ザ・チェンバー・ブラザーズ」がMarshallを使ってツアー…だの。
ジャニス・ジョプリンが在籍していた「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」がMarshallを西海岸に送り出した…だの。
Marshall支持者ののママス&パパスの「ママ・キャス・エリオット」と先頃亡くなった「デイヴ・メイスン」が新しいグループを結成した…だの。
強力な支持者のひとりであるデュアン・オールマンがアメリカ国内ツアー中…だの。 
ヒット・アルバム「Sweet Baby James」やヒット・シングル「Fire and Rain」を放ったアメリカのヒット・チャート上位の常連のジェイムス・テイラーがMarshallとともに国内ツアー中…だの。 
アメリカの大ドラマー、バディ・マイルスのそばにはいつもMarshallがある…だの。
アメリカのシーンに大きな衝撃を与えた「Illusion」はMarshallとともにツアー中…だの。 
他に聞いたことのないバンドがMarshallとともに盛んに活動していることについて触れている。






3ページ目もイギリス国外のMarshallを愛用しているバンドの紹介。

130上のアメリカの音楽シーンのところでチラリと出て来た「Illusion(イリュージョン)」というバンドの活動を詳しく紹介している。
このバンドはアンプ類はすべてMarshallを使っていたようだ。
「Whisky a Go Go」でのパフォーマンスが評判を呼び、アルバムとシングルを2つずつヒットさせた人気バンドらしいが、メンバーを見ても知る人は1人もいなかった。140ベルギーの「Wallace Collection」というバンド。
知っているのかって?イヤ、ゼンゼン知らん。
ただ、記事のタイトルが気になって取り上げてみた。
「Wallace fine Collection」とは、ロンドン人ならすぐにわかるチョットしたシャレになっているのだ。150それはコレ。Img_7562マリルボン地区にあるのがこの「Wallace Collection」という博物館。Img_7560絵画から武具甲冑から食器から鉄砲からゴージャスなアイテムが所狭しと展示してある見応え充分の博物館。
もちろん無料。Img_7600ホントに偶然にそこで発見したのが「ジャン・オノレ・フラゴナール」というフランスの画家が1767年に描いたこの「ぶらんこ(The Swing)」という作品。
見た瞬間にピンときた!Img_0290_2それは「ネオン・パーク」が描いたリトル・フィートの『Sailin' Shoes』のジャケット。
他のフィートの作品やザッパの『いたち野郎(Weasels Ripped My Flesh)』のように元ネタをパロディ化した作品がネオン・パークには多いが、この「ぶらんこ」はフザけ度満点の秀作だと思う。Ssちなみにウォレス・コレクションの向かって左どなりの建物は元はEMIの本社社屋だった。Img_7571この建物の入り口のロビーでビートルズの赤盤と青盤のジャケット写真が撮影された。Img_5019EMIつながりで…。
傘下のコロンビア・レーベルから『Something for You』なるアルバムをリリースしたフィンランドはヘルシンキの「エルキ・エルタマ」というオルガニスト。
写真はそのジャケット。
バッチリMarshallが写っているので、コリャ、ジョン・ロードもビックリのハードなプレイが期待できるか?…なんてことは全く思わなかったけど一応このアルバムを聴いてみた。
エルタマさん、『第三の男』の「ハリー・ライムのテーマ」や「2人でお茶を」みたいな曲をノンキに弾いていた。
時代だね~、こんなんでもMarshallを使ってくれていたのか!と驚かざるを得ない。160新商品の紹介。
「ギター、ベース、オルガン用の高品質50W出力アンプを新たなロープライスで。
加えて入力が75Wの4x10"、のスピーカー・キャビネットを発売します」
みたいなことを謳っているんだけど、ヘッドはどうみても「1987」だろうネェ。
ロー・プライスだなんて言っているんだけど、1987は1972年に値上げしているようなんだよね。
それと4x12"がお家芸のMarshallのキャビネットだけど、4x10"も何度か発売していて確かに1972年に「2038」という4x10"キャビネットを発売しているんだけど、それは入力が60W。
よくわからん。1971_5_3ギター用とベース用100Wフル・スタックの広告。
上では「Set-Up」と言っていて、ココでは「Stack」という言葉を使っている。
厳格な言葉の使い分けはしていなかったのか?
コレでビックリしたのは、赤、オレンジ、黄色、紫、黒、白…お好みの色で提供します…って言っていること。
エエエエエエエッ!
今でこそ「デザイン・ストア」という部署でMarshallはお客さんのリクエスト通りの外観のアンプを作っているけど、昔はとにかく黒一本鎗でそんなこと到底出来なかった。
ところが、この頃は受け付けていたんだね~。
驚いたわ。Stこの新聞が通常は何ページで構成されているのかわからないけど、この1971年の5月号の最後は4ページ目。180チョット破けてしまっていて全文を読むことができないんだけど、「ジンジャー・ベイカー」について書いている。
まずジンジャー・ベイカーが「マデリン・ベル」という女性歌手のバックを務めるということが書いてあるのだが、そのバックバンドには「フィル・シーマン」という正式なドラマーがいるので、ツアーに出ることはなく、恐らくはレコーディングのみの参加になるとか。
マデリン・ベルというのはアメリカのソウル・シンガーだそうだ。
それでドラマーのジンジャー・ベイカーがナゼここに登場しているのかというと…笑っちゃうよ。
「ジンジャーはMarshallの支持者で自身の新しいバンドでもMarshallを使ってくれるだろう」と希望的観測を述べているだけの記事。
そんなんでいいのかよッ!?190_2「トニー・バロウズ」というポップ・シンガーを擁したイギリスのソフト・ロックバンド「White Plains(ホワイト・プレインズ)」。
知らないな~。
1970年にUKチャートの9位まで上がった「My Baby Loves Lovin'」という曲が代表作というので聴いてみたが…日本のアイドル歌手が歌ってもまったく違和感を感じさせないようなヒット狙いのアマアマなポップ・チューンだった。
他の曲も同様で、ココでもMarshallの必要性を感じない。
しかし、一方ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルがMarshallを使って大活躍していた時分であり、改めてMarshallのすそ野の広さを思い知らされれるというモノだ。Wp_350年にわたってローズ・モーリスでビジネスの手腕を振るい、Marshallを商品担当をしていた「ハリー・ウィリアムス」がこの年の4月に引退したというニュース。
Marshallブランドを世界に広めたのはハリー指揮下のローズ・モーリスであり、「1959」や「1987」等のナンバリング・システムを考案したのもこの人かも知れないね。
左がハリー。
右はMarshall創設者メンバーのひとり「ケン・ブラン」。
ケンがジムの名代だったのかしらん?
なぜジムではなかったのか?…と勘ぐってしまうのは私だけではなかろう。210v<つづく>
 

200

2026年5月18日 (月)

WENDY~YOUR FAITH MY FIRE

2024年8月、恵比寿のLIQUID ROOMで初めて観て衝撃を受けたバンドが「WENDY」。
すこぶるカッコよくて一発で気に入ってしまった。
そこで去る4月25日、渋谷のVEATS SHIBUYAで開催した『YOUR FAITH MY FIRE』と題した単独公演にお邪魔して来た。10定刻となりステージに姿を現したWENDY。
オープニングは2025年に「Deluxe Edition」がリリースされたフル・アルバム『Don't waste my YOUTH』から「Pretty in pink」。
コレよ、コレコレ!
「ロック」という音楽の魅力がほとばしる!20_2照明が真っ赤に転じ、続けて同アルバムからパワフルなキメがとても印象的な「SCREAM」をつなげた。WENDYは…
Skye McKenzie40vPaul50v_2Sena…の3人。60vベースはサポート参加のshizupiだ。653曲目は「Pull me in」。
ミディアム・ファストのヘヴィ・チューン。
Skyeくんのシャウトが冴えわたる!70_2Paulくんのギター・ソロは「ロック・ギターかくあるべし!」とも言うべき伝統のスタイル。
そういうギター・ソロはやっぱりMarshllで弾かないと!80_2ということでPaulくんはガッツリとMarshallだ。100v特注生産の「JCM800 2203」と「1960A」と「B」。90_2カバリングは赤の「エレファント・グレイン」。
フレット・クロスは「バスケット・ウィーヴ」。
きっと誰もの眼を惹くであろう美しいMarshallだ。110曲はまだまだ続く。
Paulくんが奏でるアメリカンなリフから「Can't stop being BAD」 。120ジャケットを脱いだSkyeくん。
Skyeくんの「♪Can't stop!」に合いの手のコーラスが実にいい感じで絡まってくる。140もう1曲続けてシングル・リリース曲の「Take your time」。150v静かに幕を上げた曲はグイグイと加熱していって転調。
そしてPaulくんのギター・ソロが曲をドラマティックに彩った。160vまだイっちゃうよ~。
パワー全開で6曲連続!
Skyeくんが「テリー」を手にして「Sweet Temptation」。
405他のロンクンロール然としたナンバーとはテイストがチョット異なる1曲。
曲の雰囲気に呼応してギター・ソロもひとヒネリしたフレーズで組み立てた。180「渋谷!皆さん楽しんでますか!
WENDYのワンマン・ライブへようこそ!久しぶりのワンマン楽しいわ~!
今日は来てくれて本当にありがとうございます。
このワンマンは『YOUR FAITH MY FAIRE』っていうタイトルで、信用とか、信頼とかがオレらの火になるっていう意味なんです。
オレら16歳からバンドを演ってきて、18、19歳でデビューして…その時から世田谷から世界を目指すバンドってずっと言って来たんですが、でもオレらだけじゃできないし、こうやってみんながライブに来てくれることによってその夢に1歩でも近づけたらと思っていますのでこれからも応援よろしくお願いします!
そしてこういう日に特別な少年がいて…少年じゃないか?もう。
バースデイ・ボーイSena!
誕生日おめでとう!」200「ありがとう!
23歳になっちゃたよぉ。
誕生日にワンマンできてメッチャ楽しいわ!」
ク~、にじゅうさんさい?!
私が23歳の時といえば…バブル経済前夜で、総理大臣が中曽根康弘でアメリカの大統領はロナルド・レーガンだったよ。
210v「Skyeくんにドラム・ソロを演っちゃえば?」と花を向けられて「どうしようかな~」と言いつつ…濃い~ヤツをやってくれた!130vお誕生日にふさわしい華麗なスティックさばきに客席から大きな歓声が上がった!230この日の4日後にリリースされた新しい曲「Tattoo」。
ハードさとポップさのサジ加減が実に巧みで耳馴染みの良いメロディがすごく魅力的だ。240vジャケットを脱いだPaulくんが弾くソロもコンパクトながらフレーズがイカしてる!250続く「Addicted」では小粋にヒョイとギターを背中に回してシャウトしたSkyeくん。
チョットしたアクションがまた自然でカッコいいのよ。
260Paulくんがピックを口にくわえ、アルペジオでジックリとSkyeくんのバックを固め…270v泣きのギターをタップリと聴かせてくれたのは「2 beautiful 4luv」。280v「ありがとう!どうだった?今のポールのソロ。
結構ゾーンに入ってたね。
ポールに拍手お願いします」
とココでSkyeくんがメンバーを紹介。
「すでにリリースしている『Born to run』っていう曲について少し話したいんだけど、オレら世田谷から出て来ていて『メッチャ世界を目指すロックバンド』という感じでずっとやってきました。
去年『ウイスキー・ア・ゴーゴー』というオレらが16の時から夢に見ていたライブハウスでライブすることが出来ました!
それもスタートにしかすぎないし、こっからのオレらの旅を皆さんにも見届けて欲しいと思っていますのでよろしくお願いします!」290Skyeくんは赤、Paulくんは白。
2人ともストラトキャスターを提げて演奏したのは「Hollywood」。
そして、今MCに出て来た「Born to run」を続けた。300CDではアコースティック・ギターを使用している「Pledge of Love」。
PaulくんはMarshallとストラトキャスターのシャープなサウンドでソロをキメた。310vココでもSkyeくんが次に取り上げる曲の説明。
16歳でバンドを結成した頃、初期中の初期に作った曲が「Rock my heart」。
この曲は『Don't waste my YOUTH 』のオープナーとして収録され、アルバムのリード・チューンとなった。
本当はメンバーの間では「もう出さなくてもいいのではないか?」という意見もあったそうだ。
イヤイヤ、出して大成果。とてもいい曲だ!320ギター・ソロがクライマックスで入り込んで来て曲を締めくくる。
音数が多くないフレーズの連なりが効果的に曲のドラマ性を高める。330爽快感バツグンの「When U Played Me」から…350シングル・リリースのドライビング・ナンバー「WILD」につなげる。
お客さんもSkyeくんに合わせて大絶叫!340v「WILD」を仕上げてSkyeくんがステージを離れる。
Paulくんのギター・ソロだ。360というよりPaulくんフィーチュアのインストゥルメンタル・ナンバーと言った方が適切か。
ロック・ギターの伝統的なフレーズを巧みに織り込りんでカッコよく仕上げた。
Marshallが出すサウンドも超ゴキゲンだ! 365Skyeくんがステージに戻って、Paulくんが弾くリフから「Devil's Kiss」。
CDよりもテンポ・アンプさせたパフォーマンスは爽快そのもの。
客席も大いに盛り上がる!370「思いっきり飛び跳ねますか!」
Skyeくんの音頭でみんなでジャンプ!
380「この曲も盛大に暴れて欲しい」と前置きして続けた曲は「Rock’n roll is Back」…とはまさにWENDYのことよ!390ひざまずいて熱のこもったソロを聴かせるPaulくん。
確かにWENDYとともにロンクンロールは帰って来た!400「イヤァ~暴れすぎたね。ヤバイよコレ。飲み物こぼしちゃったんだよね。
ポール、せっかくのワンマンだからナンかしゃべる?」410v「じゃあ、しゃべろうかな。
VEATS Shibuya!
とりあえずセナ誕生日おめでとう」
あんまりしゃべらない。420v「10代の頃にバンドを結成して5年経って、今、21、22、23になって、正直10代の時に願っていたような20代にはまだなれてなくて…。
すごい最初からWENDYを応援してくれている方もコノ会場の中にもいるし、今日初めて観た方もいると思うんだけど、今年こそは絶対に世界のロックバンドという道を1歩でも進めるようにするのでこれからもみんなライブを観に来てね!
これからもWENDYを愛してください!よろしくお願いします!」
とSkyeくんが最後の挨拶をしていよいよ『YOUR FAITH MY FIRE』を締めくくる。
最後はアルバムの締めくくりでもある「Runaway」を持って来た。
170vアンコールはなし。
それがまたカッコいいではあるまいか!
全20曲、最大のパワーで疾走したWENDYの3人!440v 430v 220v「ありがとうございました!」450そしてWENDYの3人でご挨拶。
イヤ~、今日もWENDYの「若さみなぎるロックの魅力」が「Light my rock fire」してくれたゼイ!460最後はSkyeくんがこの日のお誕生日の主役をかついで搬出。
「バイバ~イ!」
「仲も良き事は美しき哉」…武者小路実篤。
 
WENDYの詳しい情報はコチラ⇒WENDY Official Website
WENDYのInstagrmはコチラ⇒WENDY Offcial Instagram470 200(一部敬称略 2026年4月25日 VEATS SHIBUYAにて撮影)

2026年5月14日 (木)

Marshall×ジミ・ヘンドリックス=60周年

各種SNSを通じてすでにご存知の方も多くいらっしゃるだろうが、Marshallが新しいジミ・ヘンドリックスの記念モデルを発表した。
普通であればココでチョコっと背景と商品の仕様を説明して終わるところであろうが、Marshall Blogとなると当然そうはいかない。
歴史からスタートしないと気が収まらない…と言いたいところだが、過去にロンドンのジミの家に遊びに行った時のレポートなども詳しく書いているので、今日のところは歴史部門には深く入り込まず、「一体ナンの記念なのか?」という流れだけをつかんでおきたいと思う。10v6週間前に知り合ったチャス・チャンドラーに連れられて、1966年にニューヨークからロンドンにやって来た時、ジミ・ヘンドリックスは23歳だった。
どこのレコード会社とも契約していないダイヤモンドの原石を発見したチャスはウハウハでさっそくオーディションを開きバンドを結成させた。
ドラム・パートに関しては後にザッパやジェフ・ベックのバンド、ジャーニーなどでスゴ腕を揮ったエインズリー・ダンバーにコイントスで勝ったミッチ・ミッチェルがその座を獲得。
生前のジム・マーシャルが「サタデイ・ボーイ」という言葉を使って私に説明してくれたことがあったが、当時ミッチは西ロンドンのアクスブリッジにあったジムの楽器店(第2号店)でアルバイトをしていた。
下はかつてその店があった場所。
そのツテで自分と名前の2/3が同じジムと顔を合わせ、ヨソでその存在を知ってブッ飛んだMarshallのギター・アンプを手に入れることになった。
フル・スタックを3セット購入したそうだ。
ジミ・ヘンドリックスのことをジムに尋ねると、細身で背が高く、とても礼儀正しかったと私に教えてくれた。40この時、すなわち1966年から今年で60年。
このことを記念して企画されたのが今回発表されたモデルなのだ。190sチャスは何とかしてこの天才ギタリストの名前を早いところ世間に知らしめようとショウ・ケース・ライブを企画する。
1966年9月25日、場所はロンドンの若者のたまり場だった「カーナビ―・ストリート」の1本となりの「キングスリー・ロード」というところにあった「バッグ・オネイルズ(Back O'Nails)」というクラブ。
そのランチ・タイムにジミが姿を現して演奏を披露した。
事前にウワサを聞きつけて客席にはジョンやポールの他、何人もの人気ミュージシャンの顔があった。20入り口に取り付けられている2枚のプラーク。
ココはその翌年にポールとリンダ・イーストマンが出会った場所としても知られている。30それが今では…違う店になってしまった!
でもまだ上のプラークは残っている。Img_9734その後、チャスの思惑通りジミはロンドンで名声を高め、1968年に下のブルック・ストリートのフラット(アパート)に住むようになった。Img_9928フラットの壁に掲げられたプラーク。80v2_2昔は外からこのプラークを眺めるのが関の山だったが、現在は内部を見学できるようになっている。200vこの辺りのことは『イギリスーロック名所めぐり』で詳しくレポートしているのでお好きな方はゼヒご覧あれ。  ↓   ↓   ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 57 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.1>(全6回シリーズ)190さて、ジミ・ヘンドリックスのMarshall。
下は実際にジミが使っていたMarshall。50Marshallの工場にいた時、「ちょうど到着した」とかで見せてもらったスウェーデンのコレクターの所有物。60チョット前に「1億円」の値段が付けられてビックリ仰天!Srimg0185Marshallのジミ・ヘンドリックス関連の製品といえば…。
私が認識している限りではコレが一番最初だと思う。
1994年に世界200セット限定で発売された「1959LTD」と「1982ALTD」並びに「1982BLTD」。
アメリカの子供向けテレビ番組に登場する恐竜の名前から「Barney(バーニー)」とアダ名されたモデル。
コレは「ジミ・ヘンドリックスのシグネチャー・モデル」とされていたワケでは全くないが、Bキャビのサイズから「The Hendrix Stack」と云われていた。70vそして2004年…すなわちジミがMarshallと出会って40年を記念して発表したのが「SUPER100JH」と「1982AJH」並びに「1982BJH」。
日本では25セット限定で発売された。80vゲイトフォールドのレコード・ジャケットを模した解説書が付属していたのも懐かしい!90sそして、その20年後の60周年を記念して発表したのが今回のモデル。
2006年の時と同様、EXPERIENCE HENDRIXとのコラボレーションだ。
やっぱり紫だよね~。
黒と紫のコーディネーションというのはカッコいいもんだ。100sヘッドは「1959HW」。110おなじみのコントロール。
特に説明は不要でしょう。120左上にはプラークが取り付けられている。130今回はスピーカー・キャビネットが「A」のみのハーフ・スタック。
CELSTIONの「G12H-30」というスピーカーを4台搭載。
だから入力は120W。中域が気持ちいいヤツ。135sそれと、同じスタイルの「JMH-1」という「FUZZ FACE」がついて来るのだ!
コレ、オモシロイのがコントロール。
「VOLUME」が「LOUD」で目盛りが「JIM MARSHALL」、「FUZZ」は「FOXEY」で目盛りが「JIMI HENDRIX」になっているの。140s同時に発売されるBluetoothスピーカーが「ACTONIII」。160カバリングがベルベットでモフモフ。
いいナァ、コレ。触りたい!170しかし考えてみると、ジミは1970年の9月に亡くなってしまったのでMarshallとの付き合いはたったの4年間だったんだよね。
それにも関わらずこの結びつきの強さはナンだ?
それだけジミ・ヘンドリックスの音楽がMarshallが出すサウンドを必要としていたということなのだろう。
 
製品の詳しい情報はコチラ⇒Marshall公式ウェブサイト(日本語版)10v_2 

200

2026年5月11日 (月)

マーシャル・ブログ博物館  第7回:マーシャル・タイムマシン<その1>

これまで『マーシャル・ブログ博物館』はイギリスのMarshallの工場のミュージアムに展示してあるアイテムを紹介してきたが、前回予告した通り、今回からは趣向を変えて「マーシャル・タイム・マシン」と題して私の手元にあるMarshall関連の昔の資料を紹介していく。
ツマらなさそうでしょ~?ゾっとするでしょ~?
私もはじめはどうしようかな?…と思ったんだけど、手をつけてみるとコレがオモシロイことこの上ない!
誰も乗った経験はないであろうが、タイム・マシンに乗ったつもりで昔のMarshallや当時のロック界の雰囲気に浸って頂ければ幸いである…という企画。
そこで手始めに今回は古~い写真をサラリと紹介したい。
もう大分前の話になってしまうが、2012年にMarshall Blogを再開した直後、ウェンブリー・アリーナで「50周年記念コンサート」が開催され、その時にユックリと工場に寄る機会があった。
その時に「Marshall Blogのネタのひとつにしたいので古い写真があればゼヒ見せて欲しい」とリクエストして書庫から出して来てもらった写真たちだ。
それらを1枚1枚撮影して来たというワケ。
時折ヨソで見かける写真も含まれているので、それらをただ載せるだけではMarshall Blogの名がすたると思ってひと工夫してみた。
巻末でもう一度触れるが、実はこの企画でやりたいと騒いでいたのは今回お見せする写真についてではない。
ただその写真がキッカケでその本当に「やりたいこと」につながったので、順序立てて今回はそのビンテージ写真たちでお楽しみ頂きたい。 Fact2 まずは現在のMarshallの工場の姿…と言ってもこの写真を撮ったのはもう14年前のこと。
でもマァ、変わりようがないのでご安心あれ。
ここは以前建物の真ん中あたりの場所に道が通っていて、Marshallがその道路の土地を買い上げ、両側の地所をつなげて一区画に統合した。20Marshallがこの「ブレッチリー」に引っ越して来たのは1966年のこと。
下は昔の社屋。
看板には「MARSHALL AMPLIFICATION」と掲げてあって、その下には「JIM MARSHALL PRODUCTS」という掲示が入っている。
何年ぐらいに撮った写真だろう?と思ってナニか手がかりを探すと…入り口のドアにステッカーが貼ってあるのが見える。10拡大してみると、ステッカーは下のお姉さんが着ているTシャツの柄と同じように見える。
しからば、今度はこのTシャツがいつ頃販売されていたのかを調べると…1974年のカタログに商品として登場している。
一方、1972年のカタログには出ていないので、少なくとも1974年以降に撮った写真ではないかと思われる。30vs_2ウワ~、忙しそう~!
電気部門のようす。
皆さん、ハンダごてを手にして一心不乱に基板にパーツをくっつけている。
Marshallがハンド・ワイアードからPCB基板に移行したのは1974年あたりなので、それより少し前ぐらいに撮った写真ではなかろうか?
比較的若い人が多いようだ。
それにしてもギッチギチだな~。
40同じような作業をしているセクションの現在はこの通り。50ハンダごてを使っていた時代とは異なり、パーツを基盤に乗せて…60v「Solder Bath(ソルダー・バス)」と呼ばれている自動ハンダ付けの機械に乗せる。
すると自動的にパーツが基板にハンダで固定される仕組み。70ココで思い出すのが2004年にスタートした「ハンドワイアード・シリーズ」。
下は発売に先駆けてMarshallが制作したブロシュア(カタログ)。
こんなの見たことがある人は日本では少ないんじゃないかしらん?
いいネェ~紙は!
今の動画なんかとは異なり、昔やっていたことはナニもかも格式が高かった。
80このシリーズははじめ1x12"コンボの「1974X」と20Wのヘッド「2061X」とそのスピーカー・キャビネット「2061CX」の3種類でスタートした。
確か2004年のフランクフルトで初めて関係者に披露したハズ。
90「シゲも試してみろよ!」と仲良しだった当時のR&Dのスタッフがしきりに勧めてくれたんだけど、その時は上司が横にいたので恥ずかしくて弾かなかったことを覚えている。100せっかくの「タイム・マシン」だから表4も載せておこう。110日本では発売に際し、土方隆行さんと北島健二さんのお2人に加えて東京ではFuzzy Controlに、そして大阪ではThe Savoy Truffleの皆さんにお願いしてデモンストレーション・ショウを開催した。
22年前の話。120vpナゼこの「ハンドワイアード・シリーズ」を思い出すのか?と言うと…。
当時、工場にはハンドワイアリングの技術を持っている工員がほとんど残っておらず、製造が思ったようにはかどらなかった。
PCB基板に移行して30年も経っていたからね。
その状況を打破するために昔Marshallに勤めていた経験者を呼び戻し、若い工員に手取り足取りハンドワイアリングの方法を伝授したのだ。
その部隊のリーダーが「キャシー」といって、ナゼか私ととても仲良くしてくれた。
キャシーも随分若かったが、高校を出たばかりぐらいの若い男女の工員をテキパキと指導している姿を思い出す。
この頃、私は知らなくてもMarshall社内の多くの人が私のことを知っていて、工場の中を歩くとアチコチから「ハイ、シゲ!」と声をかけてもらったものだった。
ずいぶん足繁く工場に行ったからナァ。130「ん?クソッ、うまくいかんな」と悪戦苦闘しているのは2x10"バージョンの「1974」かな?
だとするとコレは1968年頃のかなり古い写真ということになる。45sコレはR&Dチームかな?
何かはわからないが左の人の前にはモノモノしい試作機のようなモノが置いてある。140この時に見せてもらった写真はキャビネットの製造工程を写したモノが多かった。155木工の工程。
サンダーをかけているところ。200現在はこう。
しかし、服装がゼンゼン違うな~。205大分ユッタリとした空間。
1960年代の後半ぐらいかな?
皆さんネクタイを締めて作業に勤しんでいらっしゃる。160現在はコレ。
昔に比べると大分ゴチャゴチャしているか?Img_8273昔の人は将来こんな風にベルトコンベアで作業をするようになるなんて夢にも思わなかったであろう。Img_8274カバリングの貼り方の指導を受けている女性。
170コレ、不思議なのはキャビネットの両側をはじめに貼っているんだよね~。
今とは作業の進め方が異なるのだ。180現在はまずグルっと筐体全体にカバリングを巻き付けておいて、それから余分な部分を切り落としてキレイに貼り合わせて仕上げている。Img_8249アレ?…たった今気がついたんだけど、昔は下地に黒い塗装を施していなかったんだね。
下は筐体を黒く塗る現在の一工程。
コレはステージで強い照明が当たった時に下地の白い木材が透けて見えてしまうのを防ぐためだ。
だからもしかしたらフレット・クロスと同じように昔のカバリングには現在とは異なる素材が使用されていたのかも知れない。Img_8258カバリングを切ったり貼ったりする作業。
コレが全工程の中で最も技術を要するパートなのだそうだ。
真剣な面持ちで作業に取り組んでいるでしょ?210カバリングの仕上げが最も専門性を要する作業であることは現在も変わらない。
接着剤が乾かないウチにチャッチャとカバリングを貼り付けていかなければならないので、作業が速いこと速いこと!
この手さばきを見ているとホレボレする。220この人、名前は存じ上げないが顔見知りではあるので、作業中にお願いしてカバリング作業における「三種の神器」を問うてみた。
それはハサミ、カッターナイフ、そして今彼が手にしているモノ。
この動物の骨みたいな小さめの棒でガシガシと内側の角を突っついてカバリングを密着させていく。
当然コレの名前が気になるので尋ねてみると…
「エエッ?コレかぁ?コレの名前?そうだなァ『ボーン』かな?」
だそうです。
やっぱり「骨」だった。
モノの両側に付いているモノを「耳(ear)」、下に付いているモノを「足(feet)」、洋の東西は変わっても物事の感覚に大きな違いはないものだ。
この手で一番驚いたのは、展示会などでシリーズ別に場所を離して陳列しているそれぞれのグループを「島(island)」と呼んでいたことだな。230カバリングを貼り終わってこれからシャシやスピーカーを搭載するってところか?
一番手前で「1987」かなんかをイジっている人が若き日の「ケン・ブラン」に見えて仕方ないんだけどどうだろう?
昔はジムも工場に入ってカバリングの貼り付け作業なんかを手伝っていたからね。
だから時々キャビネットの内部に製作担当者として「Jim Marshall」のサインが発見されることがある。
それにしてもスゴイ人数だ。
185今はこんな感じ。
コーナー・ガード他のパーツを取り付けているところ。Img_8271下はリア・パネルを閉じる最終工程。
この段階になるとスピーカーを載せ終わったキャビネットは爆発的に重量を増して取り回しが一気に大変になる。
しかも最終の工程だけに商品にキズを付けたりすることのないように取り扱いには細心の注意を払わなければならない。
若い人にこの工程の担当させるとあまりのシンドさにすぐ辞めちゃうんだって。190そうして精魂込めて作った商品を積み出しているところ。
コレはあんまり変わりようがないね。240v …と、昔と今の工場の写真を対比させて記事を構成してみたのだがいかがだったであろう。
場内の様子と従業員の服装の違いには目を見張るものがあるが、とにかく50年前と変わらない手作業の工程が多いことに驚かされる。
 
工場の事務所で上に掲載した写真を夢中になって撮影していると、後ろから誰かが「シゲ、こんなのもあるぞ」とドバっと持って来てくれたモノが下の写真。
コレらは様々な歴史的な「マーシャル新聞」の数々で、一番古くて1971年に刊行されたモノ。
結構な量で、その時はとりあえず写真だけは撮っておいたものの、長い間ほったらかしにしていた。
それで今回の『マーシャル・ブログ博物館』を開始する当たってコレらの新聞のことを思い出し、いくつか目を通してみた。
冒頭に書いたようにコレがベラボーにオモシロイではないのッ!
Marshallの歴史や古いロックが好きな人にはきっとタマらない内容であるハズ。
だって1970年代、すなわちロックが最もクリエイティブだった時代のリアルタイムの情報が掲載されているんだから!
しかもブリティッシュ・ロックの地元からの情報だから!
でも「さすがMarshall!」なのは、イギリスだけではなくて世界中のロックの情報を取り扱っているということだ。
チラリと斜め読みをしただけでも、日本のMarshallに関して驚くべき発見をすることもできた。
恐らくこれまで日本で紹介されたことのない事実ではなかろうか。
そこで貴重な「Marshallの遺産」としてこれらの新聞を誰かが残しておくべきだろうと考え、次回からオモシロそうな箇所を抜粋して皆さんにご覧頂く予定。
コレが本当に私がやりたかったこと。
すなわち「タイム・マシンMarshall号」なのだ!250<つづく>

200_2

2026年5月 8日 (金)

DEALS~SOUL OF ROCK vol.158

超久しぶりの『SOUL OF ROCK』。
調べてみると、前回の記事は2022年6月25日に開催された「vol.78」のことで、奇しくも会場は今回と同じ東高円寺の「Los Angels Club」だった。
スゲエ偶然!
今回もDEALSが出演するということで4年ぶりにお邪魔してきた。10vDEALSの出番はトリ。20雨宮敬義30v吉永'GOKI'訓春40v横山壮五50vshu-yaS41a0200 今回のオープニングは「Bad Temptation」。
DEALSの新しめの硬派なレパートリーでノッケからテンションの高いソロをブチかますGOKIさん。 80もちろんGOKIさんはMarshall。
「JVM210H」と「1960A」を使用。90v続けて「Candy Color Maker」。140「♪カワイイあの娘にサヨナラ」
冒頭のTAKAさんのシャウト一発で「コレぞロック!」という空気が広がる。100v脇目も振らずひたすらストレートにドライブするリズム隊の2人。110DEALS ROCKを創造する要だ。120そしてGOKIさんの「ロック・ギターかくあるべし」のソロ。0r4a0054 アクションもバッチリとキマって「ロックンロールの神様」が降りて来た!70v_2GOKIさんがスライド・バーを手にしてアーシーな雰囲気を醸し出すのは…130v「Dance with the Devil」!150全員でシャウトするコーラスは実にエキサイティング!160TAKAさんがドラゴン柄のエクスプローラー・モデルを鳴らしているのは…0r4a0184もちろんMarshall。 
GOKIさんと同じ「JVM210H」にお気に入りの2x12"キャビネット「1936」だ。180vソロにバッキングにTAKAさんの背中でもMarshallは今日も大活躍だ。170v「どうも、こんばんは。
雨の中をありがとう!
いっぱい演ろうかと思ったんだけど…ナニ気に曲も間違えるけど、曲順も間違えるからサ。
ロックン・ロールなんて適当でいいんだよ!」
…と言い切るところがカッコいい。
そうそう、この日は夜遅くまでスゴい雨だった。190MCに続いては「Rescue me」。0r4a0113 ポップ度が高めの楽しい1曲。
DEALSの曲はこの「ポップ度」と「ロック度」のサジ加減が大変に巧みだ。
その結果、ポップさを大いに感じたとしても、どの曲も間違いようのない「ロック」に仕上がっているところが素晴らしい。S41a0016 随所に登場する横山さんのコーラスがサウンドを分厚く演出する。S41a0046 魅惑のギター・アンサンブル!230それをshu-yaさんが力強くバックアップする。
60v「シン・リジー・スタイル」というかナンというか、この手のツインリード・サウンドを出すバンドもメッキリ見なくなった。
でもDEALSのライブに来ればまだそのツイン・リード・ギターの魅力を味わうことが出来るゾ。0r4a0024 そういえばここのところ「ウィッシュボーン・アッシュ」なんて名前はついぞ耳にしないナァ。
余計な話だけど、私は東京とロンドンでナゼか全てのパターンのウィッシュボーン・アッシュを見ているんだよね。
でも一番ヨカッタのは1978年、高校1年生の時に中野サンプラザで観た、後にライブ盤になったコンサート。240v「♪会いに行くよ~」
TAKAさんが自らのギターで歌い始める「サヨナラ」。0r4a0064この曲も実に耳馴染みのよい優れたロックンロール・ナンバーだ。0r4a0074 GOKIさんのソロ・パートのメロディが最高!280vDEALSはインスト・パートも実にいいんだよね~。290チョイとファンキー風味の「Wasted」。300vTAKAさんの歌声があまりにも素晴らしい!S41a0153 横山さんが入れる合いの手がまた実にクール。320短いながらもグイグイとハードに攻め入って来るGOKIさんのソロ。330他の曲とは違った魅力を持つ人気の1曲だ。350TAKAさん特有のMC。
TAKAさんのMCは少々アクロバティックで文字に起こすことがムズかしいのだが、コレもDEALSのライブの味わいのひとつだ。360v「次は激しい曲なんだからガンバっていこう!」
とそのTAKAさんのMCを横山さんがまとめてくれた。390vその横山さんのベースからスタートするのが「Flash Back」。380非の打ちどころがない鉄壁のハード・ドライビング・チューン。
DEALSのレパートリーにあってはどちらかというと珍しいブリティッシュ・スタイルの1曲だ。370そんなテイストにTAKAさんの力みを効かせたシャウトがベストマッチする!
400レスポールに持ち替えたGOKIさんのソロが大爆発。410shu-yaさんが遠慮なくパワフルにバンドをプッシュする。Vvv 続けて「Hard Working Man」。430v横山さんが上手に移動してきてサオ・チーム合体。440「♪エヴィデ~ハ~ドウォ~キメ~ン(Everyday hard workin' man)」。
もうこのメロディが完全に頭にコビりついてしまって、私は普段ナンでもない時に無意識にコレを口ずさんでしまう。
特に健康のためのウォーキングをしている時。
家内に「ナンでいつもそればっかり歌ってるの?」と不思議がられたこともあるぐらいなのです。S41a0123「ハイ、みんなで~!」
「♪エヴィデ~ハ~ドウォ~キメ~ン」
450さぁ、早くも最後の曲!
今日は「Are You Ready」をもってきた!460vメンバーもノリノリ!
何せ「親しみやすい、覚えやい、歌いやすい」の3拍子が揃ったDEALSミュージックの真骨頂なのだから!470だからコレもみんなで一緒に歌うぞ~!
「♪ア~ア~アア~ア~ユ~レディ!」
ハイッ!480「♪ア~ア~アア~ア~ユ~レディ!」
shu-yaさんも立ち上がって客席をアオる!490そして締めくくりには曲の途中で再びサングラスをかけたTAKAさんが猛シャウト!500今回も「ロックってのはこういうもんだ!」を伝道するかのような楽しいパフォーマンスで本編を締めくくった!0r4a0310 ところで…上の「Hard Working Man」のコーラスについて故意に「♪…ワ~キメン…」ではなくて「♪…ウォ~キメン…」と書いた。
DEALSの皆さんがそうやって歌っているから。
もちろん「workin'」の発音をカタカナで表記すれば「ウォーキン」ではなく「ワーキン」になる。
この辺りのことを一度TAKAさんに伝えたことがあったんだけど「いいんスよ、ウォーキンで!さーせん!」とお答えになっていた。
ココがまたDEALSらしくていいサね。
そこで思い出した。
この「Walkin'」と「Workin'」の両方をバッチリと押さえていたアーティストがいる…それはマイルス・デイヴィス。
1954年録音の『Walkin'』と1956年の『Workin'』がソレ。
双方1950年代のジャズを代表する名盤だ。12_ww本編を終えるとすぐさまアンコールの声が上がった。
まずは人気のバラード「傷と裏切り恋焦がれ」をプレイ。520TAKAさんは曲の途中でギターをハズして…530v精魂を込めて歌に専念した。550vその歌に応えるかのような情感タップリのGOKIさんのソロ。S41a0164そしてもう1曲…「Please」を演奏。
4人の熱演で158回目の『SOUL OF ROCK』は、こうしてDEALSの激演で賑やかに締めくくられた!560v 570v 0r4a0363 600v今日も問答無用で「ロックって楽しいな!」と感じさせてくれるDEALSらしいステージだった!

DEALSの詳しい情報はコチラ⇒DEALS Official X620 

200_2(一部敬称略 2026年4月4日 東高円寺Los Angels Clubにて撮影)

2026年5月 1日 (金)

激突vol.9 Hot Melty Hard Rock~SUPERBLOOD

さて、OZMAさんが前説で「5バンド耐久」と謳った『激突vol.9』も早くも最後のバンドの登場となる。
10vその前に…4番目にステージに上がった「RAILROAD」について個人的に触れておきたいことがある。
前から書きたくてその機会を窺っていたのだが、いよいよチャンス到来。
それはリーダーでギタリストの鬼塚健次さんのこと。
カレコレ30年近いお付き合いをさせてもらっている。
氏は以前大手楽器店にお勤めで、その職場に「Marshall Land」という名称で恐らくは日本で最初にMarshall専門の展示コーナーを設置してくださった方なのだ。
そして鬼塚さんにはどうしても忘れられないことがある。
コレこそが以前から書きたいと思っていたことなのだが…アレは2008年か2009年のことだったと思う。
有名な音楽専門学校を卒業して音楽に関する業界に就職する大勢の生徒たちを前に「楽器業界の先輩がアドバイスする」というような講演会が催された時のことだ。
S41a0696その時私は楽器輸入商社でMarshallの担当をしていてそれなりの経験を積んではいたが、アドバイスなどできるような身分ではないと考え、エラそうなことを口にすることを厳に慎み「音楽に関する仕事で生計を立ていく以上、ロックやポピュラーな音楽に限らず世界の様々な音楽を徹底的にお聴きすることをおススメします」ぐらいのことを述べたように記憶している。
そうして何人かの楽器業界の方が1人ずつしゃべった後、鬼塚さんの番になり、その中で氏はこうおっしゃった。
「皆さん、マーシャル・ブログを読んでいますか?
もし読んでいなかったら必ず読んでくださいね。
あの人が書いているんですが、これから音楽の業界に進もうとしている皆さんにとって絶対にタメになります」
…と、何の前触れもなしに私を指してそうおっしゃってくださったのだ。
アタしゃビックリ仰天してしまってネェ。
うれしいやら恥ずかしいやら…イヤ、メチャクチャうれしかったナ。
鬼塚さんにはそんな恩義があるのだが、自身のご商売の関係もあって現在はMarshallのアンプをお使い頂いていない。
それゆえ残念ながらMarshall BlogでRAILROADをお取り扱いできないのだが、この日も『激突』の主旨にふさわしい魅力的なハードロックのステージを展開していたことを申し添えておく。
そして鬼塚さんにはこの場をお借りして改めてあの時のことについて御礼申し上げる次第である。13vさて、いよいよ『激突 vol.9』のトリ、SUPERBLOODの登場!20坂本英三0r4a0685 OKAHIRO40vAXL50vMAD大内60vオープニングは「Enter a New Phase」。
既存曲「Runaway Train #14」がバリバリのメタル・テイストを蓄えて戻って来た!
70初っ端から飛び出したOKAHIROちゃんのハードにしてメロディアスなソロ。80vもちろんOKAHIROちゃんはMarshall。
「JMP2203」と「1960A」。90v「2203」というと、「はっぴゃく、はっぴゃく」と1981年にスタートした「JCM800シリーズ」のイメージが固定しているが、「2203」はMarshall初のマスター・ボリューム搭載モデルとして1975年から生産されており、OKAHIROちゃんの「2203」は今ではレアな1976年製の初期型だ。100この「2203」が海を渡って日本に入って来たのは1976~1977年のことになろうか。
リア・パネルを見ると、この頃には既に日本国内総輸入販売元になっていた「日本楽器製造株式会社=現ヤマハ株式会社」の消費電力表示のステッカーが貼ってある。
最近この辺りの歴史でオモシロいことを発見したので、連載中の『マーシャル・ブログ博物館』で近くそのことを書こうと思っている。
「日本で最初にMarshallを輸入販売したのはダレか?」ということね。Img_6472Rescue me~!!!!!!!!!
英三さんの気合が入りまくった絶叫に続いて…110vOKAHIROちゃんのギターでスタートした2曲目はその絶叫通り「Rescue Me」。
Marshall Blogではこの曲のビデオ撮影の様子を以前レポートした。120vコレも既存の曲だが、AXLさんと…130vMADさんがクリエイトするストレートなロックビートに一段と磨きがかかってよみがえった!
140vマイナーのパートでのOKAHIROちゃんのソロも実にシャープ。150昔から思っていたんだけど、コレってとてもいい曲だよね。
英三さんの激烈なシャウトがあまりにも素晴らしい。0r4a0690 「楽屋でOZMAさんに『我々の前に前説はないんですか?』と訊きましたら『カンベンしてくださいよ!』って言われました。
長時間にわたる中、残ってくれたお客さん、イベントを盛り上げてくれた我々の前に出てくれたバンドの皆さん、ステキな音を作ってくれたハコの皆さん、ありがとうございます!
今夜は短い時間ですが我々の魅力を皆さんにお伝えできるようガンバっていきたいと思いますのでよろしくお願いします!」S41a0976「今日はボクが入ってから12本目のライブなんですが、昨日はワンマン・ライブだったんですよ。
18曲、すべての曲を演ったんですが、体調が良かったので3回ぐらいハイキックをしたんです。
自分としては田原俊彦ぐらい足を上げていたつもりだったんですが、お客さんにはサザエさんのエンディングにしか見えなかった…というね。
今朝は今日に備えて朝からウォーキングをしようと思ったんですが…歩けないんですよ!
なのでハイキックはできませんが最後までよろしくお願いします!
ところでゴキゲンですねアニキ!」S41a1145「超うれしいよ!
昨日も今日もライブができてゴキゲンだよ!
毎日ライブをやったらみんな付いて来てくれるかい!」
「イエ~!」
S41a0997英三さんが加入してから約1年。
水面下で既存曲の歌詞を書き直したり、個人的にレコーディングをしたりして「スパブラ度」を自主的にアップしてきたそうだ。
そしてこの日、ついに新曲をお披露目した!320タイトルは「The Last Man Standing」。330SUPERBLOODのレパートリーらしい混じり気のないロックの魅力に満ち溢れた1曲。
しかし、やっぱり真空管のギター・アンプが出す音ってのはいいナァ。340vこの時に初めて聴いたファンも多かったろうが、大ウケだった。350OKAHIROちゃんが弾くリフから「Have a Blast」。290vこの曲も「Ride the Tide」という既存曲が元になってはいるが、お色直しを経て完全に現在のSUPERBLOODの自家薬籠中のモノになっている。300わかっちゃいるけど、楽しいね~。
聴いた途端にすぐノレる…やっぱり「ロック」という音楽はこうであって欲しいわ。0r4a0642_2 「今日初めてSUPERBLOODを観る方はいらっしゃいますか…今日のこの出会いを忘れないようにね、一緒に生きて行きましょう!
去年の4月にオファーをもらって、OKAHIROがどうしても年内にライブをやりたいというので11月に2本演った後、香港やタイでも演りました」170v「で、アマチュア・バンドみたいにココでメンバー紹介してもいいですかね?
まずはマッド~!」190v「イェェェェェェイッ!ただ今ご紹介にあずかりました坂本英三の親友、MAD大内です。
みんな最高だ!
これからもっともっと楽しむゼ~!」
英三さんとは41年のお付き合いで、その間一度もいさかいがなかったというほどの大の仲良しなのだそうだ。200v「これからはメタルだゼ~!
メタル道を…メタル道をエ~メタル道をまっしぐらに…。
とにかくズッとメタルが演りたかった時にこの人が来てくれたんだよ!
バッチリだよ!」S41a1002 ちょうど英三さんもメタルを演りたいと思っていたところにオファーしたのがAXLさん。
「英三さんをクドいてしまいました…ファンの皆さん、ゴメンなさい!
こんなSUPERBLOODでいいですかッ?
SUPERBLOODで世界を目指すぜ~!」220vアルバムの紹介の他、今後の予定を発表した。
エキサイティングな企画が目白押しだ!230楽しい時間は過ぎるのが早いものでございまして…SUPERBLOODのステージも最終セクションに突入する。
英三さんがコールした曲名は「Innocent Killer」。240ハードな中の耳馴染みの良さが際立つコレもSUPERBLOODの魅力あふれる1曲。250v勇ましい「♪ウォウォウォウォ」の合いの手がとても気持ちよい!260vワウワウ・ペダルを踏んでロックのギター・ソロのお手本のようなプレイを聴かせてくれたOKAHIROちゃん。270vMADさんのブッ放すロック・グルーヴも特Aランクだ!280v続けて「RUNNING WILD」。
OKAHIROちゃんがMarshallの出す分厚いディストーション・サウンドでリフをキメた!360vリズム隊の2人が鉄壁のコンビネーションで猛然と疾駆する。370vまさに極上のドライビング・ナンバー!380v「running wild」とは「自由奔放に振る舞う」とか「制御がきかない」という意味。
まさにソレ!
昔、『お熱いのがお好き(Some Like it Hot)』という映画でマリリン・モンローが同名の曲を歌っていたが、そっちも激烈にスウィングするドライビング・チューンだった。400vそして4人が一丸となって本編を締めくくったのは「Blazing Love Storm」。
まさに盛り上がりの頂点!410v 420v 430v 390v大きな大きな歓声を浴びて本編を締めくくった!440SUPERBLOODの屋台村はこんな様子。15そしてアンコール。
「アンコールありがとうございます。
縁があって、こうやって7曲だろうが、18曲だろうが終わりまでたどり着くことができるんだろうか?というぐらい自分を出し切るライブができるバンドに巡り合えたことをうれしく思っています。
ブッ倒れるぐらいまでやり続けて行こうと思います。
皆さんも身体に気を付けて、オレたちと一緒に令和という時代、昔話で終わるミュージシャンではなくて  常に夢を語り合えるバンドとファンとしてつながっていければと思いますのでこれからもよろしくお願い致します!」450vそして「このバンドの要、精神的な柱、そして地雷」とOKAHIROちゃんを紹介すると…。
OZMAさんがケーキを手にして登場!4603日前がOKAHIROちゃんの誕生日だったのだ。
みんなで「♪ハッピーバースディトゥユ―」を歌って…470フウ~。480うれしそうなOKAHIROちゃん。490v「ありがとうございます!
昨日だけだと思っていたのでビックリ!
この2日間のことは一生忘れません。
みんなも一生忘れないでくださいよ、ボクのこと!」S41a1101 そしてMADさんがアル・ジョルソンの名セリフ「お楽しみはこれからだ~!(You ain't heard nothin' yet!)」と叫んでアンコールに応えた。510v取り上げた曲は「You Mean So Much To Me」。520v演っている方も観ている方も最高に楽しそうなゴキゲン極まりないなステージだった。530vそう、ロックはこうあるべきなのだ!540v「ありがうございました!」
こうして『激突 vol.9』がにぎやかに幕を下ろした。
あ~、楽しかった!
  
SUPERBLOODの詳しい情報はコチラ⇒SUPERBLOOD Official Web Site
560 <おしまい>
 200(一部敬称略 2026年3月29日 上野音横丁にて撮影)