マーシャル・ブログ博物館 第5回:工場ミュージアム<その5>
壁際に展示してあるアイテムの紹介をもう少し続ける。
下はジムの85歳を記念したモデル。
「還暦」から始まって「古希」、「喜寿」、「傘寿」、「米寿」、「卒寿」、「白寿」、100歳で「紀寿」と、日本には長寿のお祝いがいくつもある。
そしてコレはまだ続く…108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」と続き、120歳の2回目の還暦が「大還暦」、さらに250歳で「天寿」というのが用意されているそうだが、さすがにコレでお祝いをしてもらえるのは1人としてこの世にはいまい。
この名称、「喜、傘、米、卒、白」等の漢字を使って数字を表すところが実にオシャレではあるまいか?
「茶」や「皇」も同じ。
例えば「茶」という字を分解すると草かんむりは「十」が2つで「20」、その下のつくりは「八十八」と読めるので「20+88」で合計「108」になるワケだ。
オモシロいから「皇」もやっておくと、「白」は「白寿」と同じで「99」。その下の「王」は「十と一が2つ」に分解できるので「99+1+10+1」で合計「111」になる。
フフフ…こんなこと、英語には決してできまい?
では、その英語の故郷のイギリスの長寿祝いの状況はどうか?
もしかしたら「85歳」になるとナニか特別なお祝いをする慣習があるのであろうか?
調べてみると、そんなモノはおろか「敬老の日」すらありゃしない。
それではこのモデルの「85周年」は一体どういうことなのか?
2008年、1923年(大正12年)生まれのジムの85歳の誕生日を祝う社内のパーティが開かれ、その時に社員からサプライズでプレゼントされたのがこのコンボだった。
ジムは大層よろんだそうだ。
だから結局「85」という数字に意味はない。
1923年といえば、9月1日に関東大震災が起こった年。
ジムがもしご存命であれば103歳。
あと5年で「茶寿」だった。
最近、ジムがいた頃のMarshallが猛烈に懐かしく、そして恋しくて仕方がない。
そんなところから「JCM2000 DSL」を下地にしたこの50W、2x12"仕様のモデルは「1923C 85th Anniversary」と名付けられて限定販売された。
どうしてもジムのことに意識が行きがちだし、もちろんそれで正しいんだけど、実はこのコンボにはチョットとしたレアリティが付加されることになった。
それはJCM2000のDSLコンボには40Wと20Wのモデルしかラインナップされなかったので、コレが唯一の「JCM2000の50WのDSLコンボ」となったということだ。
コレは竹谷さんのコレクション。
ヘッドも同時発売された。
10W、2x10"のフルヴァルブ・コンボ「1930 POPULAR」。
名前のワリには売れ行きが悪かったのか、1972年から1973年までの短期間にしか生産されなかった。
このフル・フェイスのフレット・クロスってのはいかにもMarshallのコンボらしくていいよね。
いつか30W、1x12"コンボの新商品のアイデアをMarshallに出したことがあったが、外観については迷わず「ビンテージ・タイプのフレット・クロスのフル・フェイス」をリクエストした。
上の黒いのっぺらぼうは1986年から1990年まで生産していた「Integrated Bass System」シリーズのパワー・アンプ「6020」。
コレは見かけることがないナァ。
出力は200Wだった。
一方、時々見かけるこ下段の銀色のモデルはJubileeのベース・アンプ・シリーズのヘッド「3560」。
JubileeシリーズはMarshallの25周年を記念したシリーズなので発売されたのは1987年。
1992年頃まで生産されていた。
フロント・パネルにデカデカと表示してあるように「600W」の出力を誇るモデル。
壁際の左の方にはもうひとつショウ・ケースが設置してあって、歴代のペダル類を展示している。
たとえばこんなアイテム。
下も竹谷さんのコレクションから。
左が「SupaWah」、右が「Supa Fuzz」。
ちなみにSupa Wahのモデル・ナンバーは「2023」、 SupaFuzzは「1975」。
双方1967年から1972年頃まで生産されていた。
ということで「スパ」でつなげましょう。
壁際の一番端っこで固まっているグループ。
こんなん見たことないでしょ?
「Supa Bass」というラインナップ。
いいえ「Super Bass」ではありません…1978年から1980年に生産されていた「Supa Bass」というシリーズ。
上から「2128 Horn PA4 Piezo」。
真ん中のホーン型スピーカーが2台搭載してあるのは「2127 Twin Drive」。
一番下のバスレフ・スピーカーが「2126 PA Supa Bass Reflex」とかいうらしい。
コレらについては資料がほとんどなくて調べようがなかった。
でもスピーカー・キャビネットの上にミキサーみたいなモノが乗っかっているでしょう?
コレは恐らく「2125」という8チャンネルのミキサーのハズ。
下がその「2125」。
100W、8チャンネルのパワード・ミキサーで表面にはそのまんま「Eight Channel Mixer」と記されている。
モデル・ナンバーがSupa Bassと連番になっているし、生産していた時期も同じなのでこのミキサーと組み合わせて販売していたのかも知れない。
だとすると「Supa Bass」という名前にはなっているが、ベース用の機材ということではないということか?…ハッキリとしたことはわかりません。
低音域が「スーパー」なPAシステムだったのかしらん?
それからこのいわゆる「ころがし」。
コレも日本ではまず見かけることがないでしょう?
コントロールはこんなレイアウトになっている。
このアイテムについては色々と手を尽くしたんだけど手がかりをつかむことができなかった。
ただ「Marshallのモニター・スピーカー」ということでひとつ書いておくと…まだ私がMarshallのディストリビューターに勤めていた1999年のことだったと思うが、ジェフ・ベックが来日してその公演の模様をテレビで放映したことがあった。
その中でジェフの足元にLCフレットをまとったMarshallロゴのモニター・スピーカーが映り込んだ。
すると翌朝、そのモニター・スピーカーに関する問い合わせが会社に殺到したのには驚いた。
みんな熱心だよ~。
でもその時は情報もなく「市販されていません」と返答するより他になかった…本当のことだから。
それから数年してジェフのギター・テクと仲良くなる機会を得、その時のモニター・スピーカーのことを尋ねてみた。
彼の答えはこうだった…「ジェフは自分のギターの音がどういう風に聞こえているかをとても気にするので、彼の背後にセットしてあるMarshallのスピーカー・キャビネットから出て来る音と同じ音が出るモニター・スピーカーを足元にセットする必要があったんだ。
その希望をMarshallに伝えて特別に作ってもらったんだよ」
2000年以降、来日するたびに私がジェフが使うMarshallを用意していたので都度現場を訪れていたが、そのモニターを見かけたのはテレビで目にしたのが最後だった。
今にして思うと、このナゾのモニター・スピーカーがあのジェフのモニターのアイデアの元になっていたのか知れないな。
ということで、このモニターに関してはナニもわからなかったが…アララ?
下は工場のリペア部門で修理をしてもらうのを待っている一般のお客さんから寄せられたMarshall製品。
オイオイ!この「ころがし」が送られて来ているじゃんか!
しかもこっちはスピーカーが1発のバージョン。
ということは、コレはシリーズでラインナップされてイギリスでは普通に流通していたということなのか?
ま、そうとしか思えん。
やっぱり本場は違うナ。
コレはどうよ?
1972年から1974年に生産されていたモジュール型ミキサー「2050」。
「2030」という8チャンネル・ミキサーの上位機種で9、12、15チャンネルのミキサーとして使用することができたとか。
この70年代のMarshallの音響機器への取り組みはかなり本格的で、今では見ることも聞くこともできないミキサーやパワー・アンプがゴロゴロしていた。
ジョー・コッカーもMarshallのPAシステムを愛用しているという記述を目にしこともある。
アンプやキャビネットだけではない、1971年には「3700」というマイクロフォン、1974年頃には「2066 Lifeguard」という電源タップまで作っていたんだよ。
それなのに70年代が終わる頃になるとまるで熱が冷めたようにこうした音響機器から手を引いてしまった。
売れなかったから?
いいや、ギター・アンプが爆発的に売れてきっとPA機材どころではなくなって来たのでしょう。
フィル・ウェルズがいなくなった今、この辺りのことを訊こうにもこうした歴史を肌感覚で知る人がもうMarshallにはいない。
だからMarshall Blogでやったフィルのインタビューは我ながら値千金だと思う。
その連続インタビュー記事はコチラ
↓ ↓ ↓
フィル・ウェルズ・インタビュー~その1(全8回)
コレは懐かしいヤツ。
ピート・タウンゼンドのアイデアで作った8x12"スピーカー・キャビネットのレプリカ。
あまりにも重くて取り扱いができないことからピーターがジムに頼んで2台の4x12"キャビネットに分割してもらった結果誕生したのがいわゆる「3段積み」であることはつとに有名な話。
コレはMarshall初の100Wモデルの40周年を記念してリイシューした「JTM45/100」のPRのためのアイテム。
実際に発売した商品は上下半分で割って3段積みセットで発売された。
多分このレプリカは2005年のフランクフルトの展示会でお披露目したハズ。
下はその展示の様子。
初めてコレを目にした時、「ウワ!コレは片付けるのが大変だぞ!」とビビったモノだったが、何てことはなかった。
スピーカーが入っていなかったのだ。
それより撤収の時にこのキャビネットを収納するための巨大な段ボール箱でMarshallの連中とかくれんぼをして遊んだ時はとても楽しかった…子供か!
もうコレは何度もMarshall Blogに書いて自慢して来たので古くからの読者の皆さんには迷惑千万な話かも知れないが、こうした記事を書くのも恐らくコレが最後になるであろうからもう1回書かせて頂く。
MarshallのR&Dチームがこの「JTM45/100」のリイシューを開発していた時、電源まわりの回路に不明な部分があったが当時のMarshallはその実機を持っていなかったので一計を案じることになった。
どこで調べたのか、竹谷さんがその実機を持っていることを突き止め、私から竹谷さんに頼んで当該の箇所の写真を撮ってもらい、それをイギリスに送って欲しいという依頼をしてきたのだ。
竹谷さんのことはそれ以前から存じ上げていたので、すぐに連絡を取ってお願いしたところご快諾頂き、しばらくして商品が出来上がった。
下はその取扱説明書。
本物はとても高価で手も足もでないので、当時Marshallで取説制作の担当をしていた故クリス・パーソンズにオネダリをして1部だけ頂いて来た。
どうしても欲しかったのだ。
そのどうしても欲しかった理由は、スペシャル・サンクスとして私の名前を入れてもらったから。
私の名字の頭文字は「U」なので、見事「T」のピート・タウンゼンドの隣にクレジットされることになった。
コレはうれしかったね~。
一方の竹谷さんは「Ta-」だから「Townshend」の前。
ただの偶然にしても日本人の名前がMarshall最初の100Wモデルの考案者の名前を両脇から固めたところがスゴイ。
今でも大切に保管してある。
ところでこのアンプ、ヘッドは残っているのに8x10"のスピーカー・キャビネットの実物は見たことがない。
せいぜい1965年当時のThe Whoの写真で見かけるぐらいなのだが、本当にこんなハンドルだったのであろうか?
こんな華奢な取っ手でこのキャビを持ち上げるのは絶対にムチャだ。
ハイ、これで壁側の展示品のほとんどの紹介が終了。
ココからはその向かい側、入り口に背を向けているアイテムを見ていくことにする。
「Bluesbreaker」の愛称でおなじみのMarshallの最初のコンボ・アンプ「1962」。
Marshallが保有しているこの「1962」は1965年3月製のかなりの初期型で「Series 1」と呼ばれているフロント・パネルと縁に段差が付いているタイプ。
今のフロント・パネルが平らになっているタイプは「Series 2」だ。
この「Series」という呼び方は『The History of Marshall』の著者のマイク・ドイルが1993年に唱え始めたモノでMarshallが名付けたものではない。
コレが「Bluesbreaker」と呼ばれるようになった経緯はもう書かないが、少しだけナニか書こうとするのであれば…「1961」が4x10"バージョン。
他に10インチのスピーカーを6台乗せたモデルもあったらしい。
「1962」専用のエクステンション・キャビネットを作っていたことも今回初めて知った。
それからクラプトンが車のトランクに乗せられるようにコンボ・アンプの制作をジムに依頼した…という話しは残念ながらウソ。
今ではクラプトンが使い始めるより前から「1962」が存在していたことがわかっている。
とにかくこんな本が出ているぐらい「1962」には色々な話があってチョットやソットでは解説しきれん。
採用パーツの違いや変遷はおろか、何しろ採用されているフレット・クロスの柄のパターンまで研究している人がいるのよ。
この1965年製1962のコントロール・パネル。
この辺りはしょっちゅう場所が入れ替わっているようですでに紹介したMarshallが
ゾロゾロと並んでいる感じ。
コレは冒頭で紹介したジムの85歳の誕生日を祝って作られた「1923C」。
このおジイちゃんがどなたかおわかりか?
この方は「Bert Weedon(バート・ウィードン)」というギタリストで、1959年にザ・ヴェンチャーズもカバーした「Guitar Boogie Shuffle」という曲を世に出した人。
イギリスでは「最も影響力の大きいギタリスト」と言われていて、ポール・マッカートニー、クラプトン、ピート・タウンゼンド、ブライアン・メイ、スティング等々、みんな若い頃バートに感化されたという。
ナゼかマイク・オールドフィールドがとりわけ大きな影響を受けたらしい。
2010年、このアンプはバートの90歳の誕生日を記念してジムがプレゼントしたモノだ。
ジムとバートは大変な仲良しだった。
バートは1920年(大正9年)の生まれでジムよりも3歳年上だったが、ジムが亡くなった2012年4月5日の15日後、ジムの後を追うようにして91歳でその天寿を全うした。
下の写真は向かって一番左がバートで真ん中がジム。
右端は「Brian Poole(ブライアン・プール)」。
ブライアンは「The Tremeloes(ザ・トレメローズ)」というバンドを率いて数々のカバー曲でヒットを飛ばしたイギリスの大歌手。
デッカのオーディションで「ビートルズに勝った男」としてよく知られている。
私は会ったことはないのだが、少しメールでやりとりをしたことがあって、とても親切な紳士だった。
しかし、私がいかにもバートを知っている風なことを書いているように読者は思うかも知れない。
実は私はバートを知っているのだ。
というのは、バートは毎年フランクフルトの楽器展示会「Musik MESSE」に来ていて、いつも顔を合わせているウチにお近づきになったのだ。
奥さんがとてもチャーミングな方で、あんなところにたった1人東洋人がいるのが珍しかったのであろうか、私と目が合うといつでも例外なく熱烈なウインクを送ってくれた。
バートの家は裏道でヒースロー空港からMarshallの工場に行く途中の「Beaconsfield(ビーコンズフィールド)」という小さな町にあって、私とバートの関係を知っているMarshallの運転者はその前を通るたびに「ココがバートの家だよ」と教えてくれたものだった。
大きい家だった。
ところで、アンプのデモをするワケでもなく、毎年ウィードンご夫妻が何のためにドイツまで来ているのかというと、その理由はただひとつ…「ジムの友だち」という仕事をこなすためだった。
下はフランクフルトでのMarshallの定宿。
私も何度もMarshallの連中とこのホテルに滞在したがいつも最高に楽しかった。
Marshallに本当に可愛がってもらったことを心から感謝している。
その分、徹底的に一生懸命仕事をしたけどね。またそれが楽しかった。
このあたりのことを含め、30年近くにわたって私が経験したMarshallに関することをいつか「回顧録」のような形で文章に残すことができたらいいな~と真剣に思っている。
さて、フランクフルトにはそういう類の人が他にも来ていて、Marshallのスタッフに「あの方はダレ?」と尋ねると答えはキマって「Jim's friend」だった。
ココは脱線。
そのジムの親友の皆さんの中に顔見知りではあったものの、特に親しく接したことがないご夫妻がいらっしゃった。
そして、フランクフルトに最後に参加してから11年も経過したコロナ真っただ中の2020年のある日、その奥さんから突然メールが送られて来てビックリ仰天した。
正直、最初はそのメールの主が誰かはわからなかった。
用件はその方のお嬢さんが友だちから譲ってもらったフランク・ザッパのレコードを買わないか?というお誘いだった。
フランクフルトでその奥さんと特に話し込んだ記憶がないつもりだったが、どうやら私はその方にザッパの話を滔々としていたらしい。
コレには理由があって、イギリスの少しご年配の方々が若い頃にどんな音楽を聴いて、何のコンサートに通っていたという話しを聞くのが滅法オモシロイのだ。
「私は何と言ってもレジよ!(エルトン・ジョンのこと)」とか「私は断然ロッド!」…ロッド・スチュアートってったって「フェイセズ」の時代ですからね。
こういう話を聞くと生のブリティッシュ・ロックを感じて感動しちゃうワケ。
そんなおしゃべりをする時の私のルーティンは「その頃、フランク・ザッパをご覧になったことがありますか?」という質問をすることだったので、きっとそこからつながったのであろう。
ザッパはヨーロッパにツアーに行く時は必ずロンドンからスタートしていたので、「もしかしたら」という期待があったのだが、もちろんザッパのコンサートに行ったことがある淑女は皆無だった。
さてそのレコード、訊けばほとんどがイギリスのオリジナル・プレスで、リストの中には私が30年近く探しても手に入れることができなかった『Zappa in New York』があった。
喜んで11枚ほど買い込ませてもらった。
だからコレもジムのおかげなんです。
でもコレで完全に燃え尽きてザッパの音源を買い求めることを止めてしまった。
さて、話をバートに戻して…。
レーザー・ディスクなんて懐かしいでしょ?
1991年頃にリリースされた『Guitar』という作品。
今となっては軍事評論家になってしまったらしい「ジェフ・バクスター」がホストになって「B.B.キング」や「レス・ポール」、「デイヴ・ギルモア」や「エリック・ジョンソン」等、錚々たるギタリストたちにインタビューをしてギターという楽器の魅力を探求する…みたいな内容だった。
この作品に何とも奇妙なスタンスでバートが出演しているのだ。
もうレーザー・ディスクを再生する装置がないので記憶だけでそのシーンについて書かざるを得ないが、
バートの目の前でマーク・ノップラーがあるギターの教則本を指して「コレはウソだ!」と結構マジメに非難するシーンがあるのだ。
気の毒に…バートは少々顔を引きつらせながらも弁解していた。
このシーンでノップラーがナニを言っているのかというと、バートは1950年代の後半に『Bert Weedon's Guitar Guide PLAY IN A DAY(バート・ウィードンのあなたも1日でギターが弾ける)』という教則本を著していて、ノップラーは「この本を読んでも1日で弾けるようになんかならない!」と文句をつけているワケだ。
当たり前じゃね~か!大人気ない…そんなことで怒るんじゃない!
でも心配はご無用。
バートのこの著書は累計百万部以上を売り上げ、現在も流通しているこの類では大の名著とされているのだ。
かつてはマイク・オールドフィールドはテレビでこの本を紹介したこともあったという。
懐かしな、バート・ウィードン。
1枚ぐらい一緒に写真を撮っておけばヨカッタ。
さて、この工場ミュージアムの紹介もいよいよ次で最終回です。
<つづく>
