マーシャル・ブログ博物館 第8回:マーシャル・タイムマシン<その2>
「Martial Law(マーシャル・ロウ)」という複合名詞が「戒厳令」という意味であることを知っている人は多いでしょう。
「martial」という単語は「軍の」とか「戦争の」という意味を表す。
あの格闘技の「マーシャル・アーツ」の「マーシャル」ね。
この単語の語源はローマ神話の「戦いの神、マールス(Mars)」。
まさにホルストの組曲『惑星』の第1曲「火星、戦争をもたらす者(Mars, the Bringer of War)」だ。
それに「法(Law)」という言葉がくっついて「非常時に軍隊が民政に優先して統治する法」という意味を発する。
日本では明治38年の「日比谷焼き討ち事件」、大正12年の「関東大震災」の時、そして昭和11年の「二・二六事件」の時に発布されたが、昭和22年、現憲法の施行に伴い廃止された。
チョット前にはお隣の国で発布されて大騒ぎになったが、できれば耳にしたくない言葉のひとつであろう。
それを逆手にとってシャレでタイトルを付けたのが「Marshall Law」というMarshallのPR誌。
Marshallの製品に関することはもちろん、関連のアーティストやイベントの情報を掲載していた。
どうも時期によってはイギリスのMarshall以外からも発行されていたようだが、「Marshall Law」は80年代から刊行されていた歴史のあるPR素材と言ってよかろう。
ただ、今にして思うと定期的に発行していたんだか不定期だったんだかサッパリわからない。
忘れた頃に送られて来るようなイメージだったが、フランクフルトの楽器展示会「Musik MESSE」の時には毎年配っていたので少なくとも年に1回は発行していたのであろうが、もうとっくの昔に見かけなくなってしまった。
そんなんでウチにもMarshall Lawがゴロゴロしているかと思ったら、下の2006年9月に発行されたモノしか残っていなかった。
表紙をめくるとまずはジム・マーシャルからの挨拶が寄せられている。
この頃ジムは第一線を退き、愛娘のヴィクトリア(「JVM」の「V」ね)が会社を切り回していて、そのことが述べられている。
登場するアーティストはザック・ワイルド、トリヴィアム、AC/DC、イングヴェイ・マルムスティーン、ブライアン・アダムス、ユーライア・ヒープ等々。
繰り返すが今からちょうど20年前に出された冊子だ。
今のMarshallを念頭に置くと、すでに「タイム・マシン」の雰囲気が漂っているか?
新製品としてはジミ・ヘンドリックスのシグネチャー。モデル「SUPER100JH」や…
100Wモデルの40周年を記念して限定生産した「JTM45/100」が大体的にフィーチュアされた。
とにかく超久しぶりに引っ張り出して、最後のページを見てビックリ仰天。
「世界のMarshall情報」みたいなコーナーに私の名前が出ていたのだ。
スッカリ忘れていたわ。
話題は「東京で開催された第2回目の『マーシャル祭り』」。
本当は3回目だったんだけどよ。
内容はその簡単なライブ・レポートで、今にして思うと一体誰がこの文章を書いたのかしらん?
会場にいたヴィクトリアが書いたワケはないし…。
ハッキリとは覚えていないが、きっと私が送ったテキストを誰かがリライトしてくれたんだろうな。
そして表4はスラッシュだった。
さて、話は変わって…Marshallの事務所で前回紹介した工場の古い写真を夢中になって撮影していたところ、誰だったかは忘れてしまったが「シゲ、こんモノもあるぞ!」と、下の古新聞のようなモノをドッサリ渡してくれた。
それらはMarshall Lawよりズッと前に発行されていたMarshallの情報紙だった。
面倒には思ったが、せっかくなので取りあえず渡されたモノの写真をすべて撮っておいた。
そして今回この「博物館」のシリーズを始めるに当たり、長~い間ほったらかしにしていたその古新聞の数々のことを思い出して少し読んでみた。
最も古いのは1971年5月に発行された「The Marshall World」という55年前のMarshall新聞。
コレがベラボーにオモシロいではあ~りませんか!
コレぞまさに「タイムマシン」!
私もいい加減長いコト音楽を聴いてきて、その知識においてはそう簡単に人後に落ちないと自負していたつもりだけど、イヤイヤ、世界は広い…広すぎる!
イギリスを中心にした世界の知らないバンドが山ほど紙面に登場して、ロックに関しては当時の(今も?)日本がいかに世界の離島だったかということを痛感せざるを得ない。
勉強になりましたわ~。
もちろんMarshallと関係が深かったディープ・パープルや他の世界的にメジャーなバンドの話題もテンコ盛り。
以前の記事で「どうしても早くやりたかった」と言っていたのはこのことなのです。
というワケで以降、Marshallに関するウンチクを絡めながらオモシロそうな記述を紹介していきたいと思う。
「ジュラ紀の世界」や「鹿鳴館の時代」に比べればつい最近のことだけど、それでも55年も前の情報ですからね。
それではタイムマシンMarshall号に乗ってタイム・スリップ!
最初は1971年5月に発行された『THE Marshall WORLD』という新聞。
この新聞はMarshallではなく、イギリス国内はもちろん、世界に向けてMarshallの製品を一手に販売していた「Rose-Morris(ローズ・モーリス)」が運営していた。
右端の花の中心には「Marshall is pretty powerful」と記されている。
昔から「パワー」が得意だった。
ローズ・モーリスはロンドンのウエスト・エンド地区の「デンマーク・ストリート」で小売店を展開する1920年開業の老舗楽器商社だ。
Marshallは1966年に同社と向こう15年にわたる独占販売契約を結んだ。
その間、Marshallには価格はおろか、シリーズ名や商品名、宣伝の方法を決める権利もほとんどなかった。
「1959」も「1962」も「UNIT3」や「UNIT17」等の名称もすべてローズ・モーリスが決めたものでMarshallはただただ商品の製造に徹する「私、つくる人」状態だった。
世界的に知る人が少ないこのローズ・モーリスの4ケタのモデル・ナンバーのロジックについてはコチラに書いておいたので興味のある方はどうぞ。
したがってココで紹介するPR新聞もローズ・モーリスのやりたい放題だったのであろう。
ジムはこの契約を結んだことを大きく後悔し、Marshallの伝記本にはコレを「魔の契約」と表現しているが、1981年にその契約が終了するとそれを待ち構えていたようにMarshallは「JCM800シリーズ」を発表し、「2203」を中心に世界的な大ヒットに昇華させた。
下はデンマーク・ストリートのローズ・モーリスの鍵盤の店舗。
それではローズ・モーリスはこのあたりのことをどう言っているか?
ウェブサイトを拝見すると…
「どこででも使用できる演奏用機材の必要性を感じ、そうした道具を設計し、作り始めた1人の顧客がいた。
言うまでもなくその顧客とはジム・マーシャルのことで、ほんの小さな家内手工業で作っていたギター・アンプを世界で知らない者はいないマーシャル・アンプへと成長させた男だ。
ジムはナニが必要とされていることを知っていてそれを作っていた。
ところがジムはセールスの経験に乏しく、特に卸売りや輸出の知識を持っていなかったので、彼のビジネスを拡大していくためにはそうしたノウハウがどうしても必要だった。
そこで弊社は友好的な契約をMarshall社と結び、工場から出荷されるすべての商品の国内外に向けた販売と宣伝を一手に引き受けたのだ。
こうして他のメーカーとも同様の相互の理解に基づく友好的な契約を交わし事業に邁進した」…みたいなことが書いてある。
Marshallの伝記本との間には大きな齟齬がある気がするな。
その「他のメーカー」にひとつがリッケンバッカーだった。
下は上の鍵盤専門店のチョット先にあるギター類とドラムスを扱う店舗。
もうずいぶん長いコト中を覗いていないが、昔に見た時にはMarshallに製品を豊富に展示していた。
さて、いよいよ『THE Marshall WORLD』の紙面を見ていくことにしよう。
まず1面のトップに上がっているのはこの新聞についての記述。
この1971年5月号は創刊第2号で、創刊号はナント5万部を発行し、それでは間に合わず増刷のリクエストを受けたらしい。
そしてこの第2号では、Marshallが流通している世界で137に及ぶ国々のアーティストを創刊号にも増して紹介したそうだ。
そして、その発行部数は創刊号の3倍の15万部!…ホントかな~?
印刷代だけでも大変だよ。
ココには特に書いていないけど、いくらなんでもコレは世界に向けての数字だろうナァ。
1971年当時のイギリスの人口を調べてみると5千6百万人だというから、国内で15万部というと373人にひとりがこの新聞を手にしたことになってしまう…まさかそんなことはあるまい。
ギター・アンプなんて極端に普遍性の低い商品だったハズだから。
テン・イヤーズ・アフターが1面でガツンとフィーチュアされている。
ステージにズラリと並んだ「1959」のフル・スタック。
数回目の記事に書いたが、アルヴィン・リーは根っからのMarshallプレイヤーで、この記事でもハッキリと「Marshallのアーティスト」と触れている。
「テン・イヤーズ・アフターは『Jaybirds』というバンドが発展して出来たバンドで、ロンドンのマーキーで注目され、1967年8月に開催された『Seventh National Jazz and Blues Festival』というイベントで評判を高め、1969年になるとニューポートやモントルー等の大きなフェスティバルに出演し、ツアーを重ねて成功を手にした」とある。
『ウッドストック』のことには触れていない。
で、この『Seventh National Jazz and Blues Festival』というのを調べてみたんだけど…スゴイよ。
スモール・フェイセズ、ピンク・フロイド、クリーム、ジェフ・ベックやアーサー・ブラウンらの大御所に混ざって、よく見ると確かにテン・イヤーズ・アフターは「10 years After」と赤い小さめの文字で記されている。
その赤い文字で表記されているバンドにはエインズリー・ダンバー・リタリエーションやらチッキン・シャックやら、ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マックやら、オモシロそうなグループがたくさん載っている。
しかし、「ジャズ」についてはズート・シムズとアル・コーンの「Al &Zoot」とユゼーフ・ラティーフしか名だたるいミュージシャンが出ていないのは寂しいね。
うれしいね、「ソフト・マシーン」が一面で紹介されている。
ニューポートでマイルス・デイヴィスやファラオ・サンダースと同じ日にステージに上がって好評を博したそうだ。
ニューポートのプロデューサー「ジョージ・ウェイン」がベルリンのフェスティバルでソフト・マシーンを見て気に入り、その時にバンドがウェインに最新アルバムをプレゼントしたことからニューポート・ジャズフェスティバルへの出演が決まったそうだ。
1971年のことだから、ウェインに贈られたのは『3』か『4』なんだろうナァ。
紙面ではソフト・マシーンがMarshallのユーザーと書いてあるんだけど、このバンドってギタリストがいないのよ。
だから「ヒュー・ホッパー」のベース・アンプか「マイク・ラトリッジ」のキーボード・アンプということになるんだろうナァ。
「ベックが帰ってきた」
新しいグループでメジャーのレコード会社との契約を画策中だっていうんだけど、コレは第2期ジェフ・ベック・グループのことかな?
アルバムは『Rough and Ready』ということになるか?
でもレコード会社は「Epic」で変わりがないハズなんだけどな。
「スター・ギタリストのジェフはヤードバーズ時代からライブやレコーディングでMarshallを使っています」
ココが一番大事ね。
そして、その『Rough and Ready』のレコーディングで使用したのが先日『開運!なんでも鑑定団』に出品された竹谷さん所有の1959年製のストラトキャスターだそう。
カタログ請求の案内。
1971年当時、この表紙のカタログにはナニが載っていたか…見てみるとコレがオモシロくて、1ページ目にド~ンと200W、100W、50Wの順にそれぞれギター用、ベース用、オルガン用のアンプ・ヘッドが紹介されている。
ルックスはすべていわゆる「1959」スタイル。
それをまとめてみると…
200W : LEAD MODEL「1967」、BASS MODEL「1978」
100W:LEAD MODEL「1959」、BASS MODEL「1992」
50W :LEAD MODEL「1987」、BASS MODEL「1986」、ORGAN MODEL「1989」
ちなみに200Wモデルについては「MAJOR」という表記は一切見当たらない。
そして次ページにそれぞれのアンプ・ヘッドに対応したしたスピーカー・キャビネットということで3種類に分けて紹介している。
コレもオモシロイので簡単にやっておこう。
4x12":LEAD or BASS「1882」、LEAD, BASS or ORGAN「1960」、BASS「1935」
それぞれにA/Bの別あり。
8x10":LEAD or ORGAN「1990」
1x18":BASS or ORGAN「1988」
もうチョットやると、3ページ以降は3段積みの紹介になっていて、「SET-UP」という表現が使われている。
「Stack」という言葉を使ったのはジムが最初、とジム自身が私に言っていたが、ローズ・モーリスは基本的に「セット・アップ」と呼ぶのを習わしとしていた。
2ページ目ではMarshallを使用しているイギリス国外のアーティストを紹介している。
冒頭に書いた通り、ハッキリ言って海のモノとも山のモノともつかないような初めて名前を耳にするようなバンドがウジャウジャと出て来る。
それじゃ、この新聞が発行された1971年のロックはどうなっていたのかチラリと見ておくことにしよう。
「チラリ」で「ド~ン!」だよ。
私の好みでブリティッシュ勢が多く挙がっているが、下はすべて1971年に発表されたアルバム。
プロッグ・ロックの活躍が目立つかな?
コレ、ゼ~ンブ1971年に出ているんだよ。
その時はさして気がつかなかっただろうけど、ボ~っとしていてもこんな名盤が次から次へと世に送り出されていた時代。
まだまだ他にもたくさんあるけど、キリがないのでコレぐらいにしておいた。
翻って日本のロックの状況はどうだったか?
1971年あたりはGSブームが収まった頃で、『風街ろまん』や『SATORI』などの好盤はあれど、フォークが幅をきかせていた時代と言ってよいだろう。
イヤイヤ、ナント言ってもこの頃は歌謡曲だな。
ちなみに1971年にレコード大賞を獲得したのは「また逢う日まで」。
それから「おふくろさん」、「私の城下町」、「よこはま・たそがれ」、「知床旅情」、「傷だらけの人生」、「さらば恋人」、「17才」、「雨の御堂筋」等々、どの曲がレコード大賞を獲得してもおかしくないような粒ぞろいの曲が揃っていて、その様子はまさに海外のロックさながらの百花繚乱ぶりだった。
私は小学校3年生で、歌謡曲に興味などまったくなかったが、上に挙げた曲はどれも歌えるもんね。
そう、隣の幼稚園生から横丁のご隠居さんまでが歌える曲が巷にゴロゴロしていた時代。
私は小学校3年生。いい時代だった。
そういう時代。
で、こんなの知ってる?
アイルランドの「PETER BOY and the TRENDS」。
19~24歳のメンバーで1969年前に結成され、盛んに周辺国を回っていたらしい。
音を聴いてみると、一体どこにMarshallの必要性があるのかサッパリわからないような全く普通のポップ・ミュージックを演奏している。
左上の枠内の人がピーター・ボーイなのかな?
どう見ても24歳には見えんな。
じゃ、コレは?
1965~1973年に活動していたイスラエルの「THE CHURCILLS(ザ・チャーチルズ)」。
ヘブライ語ではなく英語で歌うファズ・サウンドが飛び交うサイケデリック・ロック。
なかなかいいですよ。
大のMarshallユーザーで5台使用していたそうだ。
興味深いのはアメリカの様子をまとめた記事。
この頃アメリカでは「Marson Musical Products」という会社がMarshallの代理店をしていたようで、「同社がアメリカのトップ・ミュージシャンとMarshallのよい関係を構築している」…とした上でその活動を紹介。
例えば、前年にはブロードウェイ・ミュージカル『Hair』でMarshallが使用され、そのギタリストの「チャーリー・ブラウン」が自身のツアーで引き続きMarshallを愛用している…だの。
最近、「マウンテン」の「フェリックス・パッパラルディ」がMarshallを使い出した…だの。
60年代後半に人気を博したサイケデリック・ソウル・バンドの「ザ・チェンバー・ブラザーズ」がMarshallを使ってツアーをしている…だの
。
ジャニス・ジョプリンが在籍していた「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」がMarshallを西海岸に送り出した…だの。
Marshall支持者ののママス&パパスの「ママ・キャス・エリオット」と先頃亡くなった「デイヴ・メイスン」が新しいグループを結成した…だの。
強力な支持者のひとりであるデュアン・オールマンがアメリカ国内ツアー中…だの。
ヒット・アルバム「Sweet Baby James」やヒット・シングル「Fire and Rain」を放ったアメリカのヒット・チャート上位の常連のジェイムス・テイラーがMarshallとともに国内ツアー中…だの。
アメリカの大ドラマー、バディ・マイルスのそばにはいつもMarshallがある…だの。
アメリカのシーンに大きな衝撃を与えた「Illusion」はMarshallとともにツアー中…だの。
他に聞いたことのないバンドがMarshallとともに盛んに活動していることについて触れている。
3ページ目もイギリス国外のMarshallを愛用しているバンドの紹介。
上のアメリカの音楽シーンのところでチラリと出て来た「Illusion(イリュージョン)」というバンドの活動を詳しく紹介している。
このバンドはアンプ類はすべてMarshallを使っていたようだ。
「Whisky a Go Go」でのパフォーマンスが評判を呼び、アルバムとシングルを2つずつヒットさせた人気バンドらしいが、メンバーを見ても知る人は1人もいなかった。
ベルギーの「Wallace Collection」というバンド。
知っているのかって?イヤ、ゼンゼン知らん。
ただ、記事のタイトルが気になって取り上げてみた。
「Wallace fine Collection」とは、ロンドン人ならすぐにわかるチョットしたシャレになっているのだ。
それはコレ。
マリルボン地区にあるのがこの「Wallace Collection」という博物館。
絵画から武具甲冑から食器から鉄砲からゴージャスなアイテムが所狭しと展示してある見応え充分の博物館。
もちろん無料。
ホントに偶然にそこで発見したのが「ジャン・オノレ・フラゴナール」というフランスの画家が1767年に描いたこの「ぶらんこ(The Swing)」という作品。
見た瞬間にピンときた!
それは「ネオン・パーク」が描いたリトル・フィートの『Sailin' Shoes』のジャケット。
他のフィートの作品やザッパの『いたち野郎(Weasels Ripped My Flesh)』のように元ネタをパロディ化した作品がネオン・パークには多いが、この「ぶらんこ」はフザけ度満点の秀作だと思う。
ちなみにウォレス・コレクションの向かって左どなりの建物は元はEMIの本社社屋だった。
この建物の入り口のロビーでビートルズの赤盤と青盤のジャケット写真が撮影された。
EMIつながりで…。
傘下のコロンビア・レーベルから『Something for You』なるアルバムをリリースしたフィンランドはヘルシンキの「エルキ・エルタマ」というオルガニスト。
写真はそのジャケット。
バッチリMarshallが写っているので、コリャ、ジョン・ロードもビックリのハードなプレイが期待できるか?…なんてことは全く思わなかったけど一応このアルバムを聴いてみた。
エルタマさん、『第三の男』の「ハリー・ライムのテーマ」や「2人でお茶を」みたいな曲をノンキに弾いていた。
時代だね~、こんなんでもMarshallを使ってくれていたのか!と驚かざるを得ない。
新商品の紹介。
「ギター、ベース、オルガン用の高品質50W出力アンプを新たなロープライスで。
加えて入力が75Wの4x10"、のスピーカー・キャビネットを発売します」
みたいなことを謳っているんだけど、ヘッドはどうみても「1987」だろうネェ。
ロー・プライスだなんて言っているんだけど、1987は1972年に値上げしているようなんだよね。
それと4x12"がお家芸のMarshallのキャビネットだけど、4x10"も何度か発売していて確かに1972年に「2038」という4x10"キャビネットを発売しているんだけど、それは入力が60W。
よくわからん。
ギター用とベース用100Wフル・スタックの広告。
上では「Set-Up」と言っていて、ココでは「Stack」という言葉を使っている。
厳格な言葉の使い分けはしていなかったのか?
コレでビックリしたのは、赤、オレンジ、黄色、紫、黒、白…お好みの色で提供します…って言っていること。
エエエエエエエッ!
今でこそ「デザイン・ストア」という部署でMarshallはお客さんのリクエスト通りの外観のアンプを作っているけど、昔はとにかく黒一本鎗でそんなこと到底出来なかった。
ところが、この頃は受け付けていたんだね~。
驚いたわ。
この新聞が通常は何ページで構成されているのかわからないけど、この1971年の5月号の最後は4ページ目。
チョット破けてしまっていて全文を読むことができないんだけど、「ジンジャー・ベイカー」について書いている。
まずジンジャー・ベイカーが「マデリン・ベル」という女性歌手のバックを務めるということが書いてあるのだが、そのバックバンドには「フィル・シーマン」という正式なドラマーがいるので、ツアーに出ることはなく、恐らくはレコーディングのみの参加になるとか。
マデリン・ベルというのはアメリカのソウル・シンガーだそうだ。
それでドラマーのジンジャー・ベイカーがナゼここに登場しているのかというと…笑っちゃうよ。
「ジンジャーはMarshallの支持者で自身の新しいバンドでもMarshallを使ってくれるだろう」と希望的観測を述べているだけの記事。
そんなんでいいのかよッ!?
「トニー・バロウズ」というポップ・シンガーを擁したイギリスのソフト・ロックバンド「White Plains(ホワイト・プレインズ)」。
知らないな~。
1970年にUKチャートの9位まで上がった「My Baby Loves Lovin'」という曲が代表作というので聴いてみたが…日本のアイドル歌手が歌ってもまったく違和感を感じさせないようなヒット狙いのアマアマなポップ・チューンだった。
他の曲も同様で、ココでもMarshallの必要性を感じない。
しかし、一方ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルがMarshallを使って大活躍していた時分であり、改めてMarshallのすそ野の広さを思い知らされれるというモノだ。
50年にわたってローズ・モーリスでビジネスの手腕を振るい、Marshallを商品担当をしていた「ハリー・ウィリアムス」がこの年の4月に引退したというニュース。
Marshallブランドを世界に広めたのはハリー指揮下のローズ・モーリスであり、「1959」や「1987」等のナンバリング・システムを考案したのもこの人かも知れないね。
左がハリー。
右はMarshall創設者メンバーのひとり「ケン・ブラン」。
ケンがジムの名代だったのかしらん?
なぜジムではなかったのか?…と勘ぐってしまうのは私だけではなかろう。
<つづく>
