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2020年9月 3日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.52~変わりゆくロンドン <その4>デンマーク・ストリート(前編)

 
前回紹介したトッテナム・コート・ロードの工事現場の迂回路にかけられていた標識。
「London's Legendary Music Street TIN PAN ALLEY(ロンドンの伝説の音楽通り ティン・パン・アレイ)」と銘打っているのは「Denmark Street(デンマーク・ストリート)」。
も~、この『名所めぐり』で一体何回やれば気が済むんだ?…という感じだけど、またやる。
ココも変化が激しくてね。
新しく仕入れた知識を交えて、今一度この「ロンドンの音楽の通り」を案内させて頂きたい。
 
この標識は5年前に撮ったモノ。
ココで注目して頂きたいのは赤い文字で書かれた「JUST AROUND THE CORNER」と左下のギターアンプのイラスト。
このアンプ、Marshallではない。11_img_0242前の記事で「トッテナム・コート・ロードとソーホーという名前は覚えておいて!」って書いたでしょ?
というのは、コレ。
こんなことを歌った曲がある。
 
Down the way from the Tottenham Court Road
Just round the corner from old Soho
There's a place where the publishers go
If you don't know which way to go
Just open your ears and follow your nose
Cos the street is shakin' from the tapping of toes
You can hear that music play anytime on any day
Every rhythm, every way

トッテナム・コート・ロードのすぐ近く
いつものソーホーから行ってチョット曲がったところ
出版社が並んでいるところ
どう行ったらいいのか分からなければ
耳を澄ませて 鼻をきかせてごらん
つま先を鳴らす音で通りが揺れているから
いつでも、いつの日も音楽を演っているところ
あらゆるリズムで、あらゆるスタイルで…
 
この「いつでも音楽に満ち溢れている通り」がデンマーク・ストリート。
曲はThe Kinksで、その名もズバリの「Denmark Street」。
ね、「トッテナム・コート・ロード」に「ソーホー」に「Just around the corner」。
この最初の4小節は、Ray Daviesが「トッテナム・コート・ロード」という固有名詞を使いたいがために作ったメロディなのではないか?と思いたくなるほどバッチリとマッチしている。
口にしてとても気持ちがいい。
それに「Just around the corner」だなんて、この標識を作った人は絶対にThe Kinksを知っているハズだ。
そして、この曲を知っている通行人は標識を見てニヤリ。
いいな~、ロンドン。
下は1971年にフランスでリリースされたThe Kinksのシングル。
A面の「Animals in the Zoo」よりナゼかカップリングされた「Denmark Street」の方がゼンゼンいいと思うんですけど…。11_2imagesアルバムでは1970年のThe Kinksの8枚目のスタジオ・アルバム『Laura Versus Powerman and the Moneygoround, Part One(ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦)』に収録されている。
大ヒット曲、「Laura」が収録されているアルバムね。
そういえば「Laura」でも「old Soho」という歌詞が出て来る。
前々回に「ソーホー」をまた取り上げたけど、ロンドンっ子にとってはソーホーがいいんだろうな~。
こうしてThe Kinksはロンドンの固有名詞を歌詞に取り込んでいる曲がいくつもあって、コレが実にうれしくも楽しい!
ロンドン好きにはどうにもタマらんのだ!
ナニせ曲がどれも最高にいいからね。
そんなキンクスの曲を集めた「ロンドンのガイド」を編む準備をしている。
楽しいけど、コレがまた大変!

11_rp…ということで、チョイとそこまで…デンマーク・ストリートまで!
コレはトッテナム・コート・ロードの交差点からチャリング・クロス・ロードをチョット行ったところ。
70_2歌詞にあるように、この真ん中のオレンジ色の看板のお店を左に曲がれば…

75その「いつでも音楽に溢れた」ところ。
え…コレが?
このサビれた何の変哲もない180mほどのチッポケな通りがイギリスのティン・パン・アレイ?
そうなの。
コレがデンマーク・ストリートなの。

60通りの名前は17世紀の終わり頃、「George of Denmark(ジョージ・オブ・デンマーク)」にちなんで名づけられた。
ジョージはデンマーク国王フレゼリク3世の次男坊。
アン女王の王配。
「王配」とは平たく言うと、「女王様のダンナ」のこと。
もうイギリスの歴史ってのは「アン」だの「メアリー」だのがいつの時代もゾロゾロ出て来てサッパリ覚えられん!
そもそもヘンリー八世の6人の奥さんだって、ウチ2人が「アン」、他の2人が「キャサリン」だからね。
ココのアン女王は、在位が1702~1707年で、最後のイングランド(ウェールズ含む)とスコットランドの女王にして、最初のグレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)の女王…言葉で説明するとこういうになるけど、ココは旗で説明した方がわかりやすい。
 
この赤いイングランドの国旗と…

11_england_j_2
こっちの青いスコットランドの国旗を合体させて…

11_scotland_j
こういう風になった時代の一番偉い人がアン女王、

11_union_j つまり、このアンが女王の時にイングランドとスコットランドがひっついて今のイギリスの基盤になったんだね。
その後、北アイルランドが併合されて今の国旗になったというワケ。11_uj コレは全く知らなかったんだけど、1930年代には日本人が経営する本屋やレストラン、美容室やホテルが出来て、デンマーク・ストリートは「リトル・トーキョー」の異名を取ったのだそうだ。

90_2コレは私が撮った一番古いデンマーク・ストリートの写真。
2002年、初めてロンドンを訪れた時のこと。
イギリス・ナンバーワンの楽器屋街。
日本で言えば御茶ノ水。
さっき通ったチャリングクロスは日本の神保町。
楽器屋街と古本屋街がくっついているなんて、日本とまったく同じじゃん?
 
この時は特に「さびれている」というイメージはなかったな。
仲良しだったMarshallのスティーブが連れて来てくれた。
スティーブはMarshallを退職した後、不幸にしてこの世を去ってしまったが、この時に私に紹介してくれた美しいガールフレンドとはfacebookで今でもつながっている。
3人でピザを食べに行ってね。
ココには出さないけど今でもその時に撮った写真を大切に保管している。96aこの頃はHANK'Sがこんな感じだった。
写真の右上に写っている青い看板の建物を見ておいてね。

96cこの頃はデンマーク・ストリートの外、つまりチャリング・クロス・ロードにもいくつかの楽器店が盛んに営業していた。
上に出て来たスティーブはその昔、この「Macari's」でアルバイトをしていたと言っていた。
スティーブがココへ連れて来てくれたのは、たまたまJohn Entwistleがなくなった翌日のことで、店内はその話で持ち切りだった。

96eこのturnkeyという店は1階がデジタル楽器売り場で2階が従来楽器の売り場で結構Marshallが並んでいたが、今はもうない。
ツブれた。
下の写真はツブれた後に撮った写真。
「TO LET」とは「貸室あり」という意味。
「トイレ」じゃないからね。96dまたデンマーク・ストリートに戻る。
チャリング・クロス・ロードから通りに入ってすぐの右側。
「Rose Morris(ローズ・モーリス)」というお店。
私が最初に来た時は確か1店舗だけしかなかった。

120今ではもう1店舗増えていて、お店によって取扱い商品を分けている。
このローズ・モーリス、コアなMarshallファンの方にはおなじみの名前だろう。
昔はチャリング・クロスにあった老舗の楽器店で、1964年にリッケンバッカーの輸入販売代理店となり、その他にも色々なブラントの楽器を取り扱っていた。
そして、1966年からMarshallの販売総代理店となった。
かつてジムは何かのインタビューで(BBCラジオだったかな?)、ジムは当時ピート・タウンゼンドがブッ壊したMarshallだけでなく、リッケンバッカーのギターも修理していたと言っていた。
なるほど、こういう関係があったのね?
 
「販売総代理店」…「総」だからね。
国内外を問わず、Marshallの作った商品はすべてこのローズ・モーリスを通して販売された。
その際、ローズ・モーリスは法外なマージンを乗せていた。
それでもバンバン売れたワケだから、Marshallのギター・アンプはメチャクチャ求心力のある商品だったのだ。
何せ時の音楽を変えた楽器だからね。
それなのに、Marshallの儲けはチョビっとだったの。
昔はMarshallの値段って高かったからね~。
でも日本の場合は、ローズ・モーリスの暴利だけが原因ではなく、円vs.ポンドの為替レートが不利であったことに加え、関税がガッツリかけられていたこともあったようだ。
自分が作った商品をMarshallが勝手に誰かに販売するなんてことはもっての他。
仕方ない、そういう契約をしちゃったんだから。
だから、「コレはMarshallじゃないけんね」と、「Park」や「NARB」や「KITCHEN-Marshall」というMarshallによる類似ブランドが誕生した。
今だからこそ「ナンだってジムはそんな契約をしてしまったんだ?」と思うけど、やはり当時は1920年創業の老舗だけに、ローズ・モーリスに強靭な営業力があったように見えたのではなかろうか?
Marshallは時代の音楽の変化に合わせて1959や1960等、JTM45に続くモデルを何としても世界的に販売したかったんでしょう。
そこでローズ・モーリスの力を借りたのではなかろうか?
ジャパネットより何十年も先に「良いモノをより安く」自分の商品を販売したかったジム・マーシャルはこのローズ・モーリスとの契約に大層後悔したそうだ。
100_2生前、ジムはよく「『スタック』という言葉を最初に使ったのは私なんだよ、フォッフォッフォッ」と言っていた。
ところが、ローズ・モーリスはこの「スタック」という表現を使いたがらず、アンプ・ヘッドとスピーカー・キャビネットが別々になっている仕様を「セットアップ」と呼んだ。
下は当時のローズ・モーリス制作のMarshallのカタログ。
「ウインター・コレクション」だなんて、まるでファッションだな。
コレ、「LEAD」という呼び方もローズ・モーリスによるものだったのかナァ?
「LEAD」というのは「ギター」のことね。
PAやオルガン用のアンプも当時は重要な商品群だった。
1959だの、2203だの4ケタのモデル・ナンバーもローズ・モーリスの仕事。
「UNIT〇〇」も同様だ。
Marshallはこのあたりに関与していない…というか、「ボク、売る人。キミ、作る人」という具合にMarshalは販売政策に全く関与できなかったのかも知れない。

12mae_roseところで、このMarshallのモデル・ナンバーね。
1959、1960、1974…一体この4桁の数字はどこから来たんだ?どうやって決めているんだ?…と不思議に思う人はきっと少なくないでしょう?
「19」始まりの番号なので、一瞬「そのモデルが発表された年」と思うのもムリはない。
ブ~!
違います。
1959や1962が発売になったのは1965年のこと。
発売年とモデル・ナンバーには一切関連性がない…ま、このことをご存知の人は多いハズ。
 
よくMarshall Blogでやるのは、例えば1959の定義は「100W、マスター・ボリュームなし、4インプット」で、そういう仕様のモデルは赤かろうが、三角だろうが、すべて「1959」と呼ぶことになっている…というヤツ。
同じように「100W、マスター・ボリュームつき、2インプット」仕様のモデルは「2203」ね。
コレはMarshall一番のベテラン社員から教わったので間違いではないだろう…というか、後追いでそう定義づけたのだろう。
 
しからば、ローズ・モーリスは1959等の4ケタの数字をどこから持ってきたか…。
 
ココで話はリッケンバッカーに飛ぶ。
私はビートルズは大好きなんだけど、リッケンバッカーというギターに興味を持ったことが一度もない人生だった。
実際、一度も触ったことがない。
キラっているワケでは全くないんですよ。
本当にそういう機会がなかっただけ。
なので、この年になるまでモデル・ナンバーなんて全く知らなかった。
リッケンバッカーは母国アメリカでは3ケタの数字を使ってモデルにナンバーを振っていたが、前述のようにイギリスで輸入代理店を務めていたローズ・モーリスは、特注でボディに「fホール」を付けて、独自に4ケタのモデル・ナンバーを割り振っていた。
今風に言えば「ローズ・モーリスのオリジナル・モデル」ね。
例えばコレ。
12弦のピート・タウンゼント・モデル。
本国アメリカでは「360」という型番なのかな?
しかし、ローズ・モーリスはこのモデルに「1993」というモデル・ナンバーを与えた。
「1993」、「いちきゅうきゅうさん」…なんかMarshallチームの皆さんには馴染みやすい数字じゃない?

1993じゃコレは?
下は何年か前に出たMotorheadのLemmyモデルなんだけど、元は「Super Bass」という名前でおなじみの100Wのベース・アンプでモデル・ナンバーは「1992」。
どうですか?
Marshallの「1992」、リッケンバッカーの「1993」。
もうピンと来たでしょ?
そう、ローズ・モーリスはブランドに関係なく、取り扱う商品に片っ端から順番に番号を割り振っていたのです。
だから、1959の周りと言えば…
1958:2x10"コンボ
1959:100Wヘッド
1960:4x12"キャビネット
1961:4x10"コンボ
1962:2x12"コンボ
…となんの脈略もないスペックのモデルが連番になっている。
で、私がザッと調べたところでは、1963、1964、1965というモデルがMarshallには見当たらない。
何か別のブランドの商品にそれらの番号が割り振られたのかもしれない。1992lemそして、1966はMarshall製品。
200WのMAJORシリーズがこの辺りの番号をもらっている。
1966はPA用のヘッド。

11_1966pa そして、その次の1967は「Pig」の名で知られるギター用のアンプヘッド。
このモデルは例外的に型番と発売年が同じで1967。
オモシロでしょう?
え、オモシロくない?
コレ、興味のない人にとっては最低の1本だな。
若い人はまず喜ぶまい。

11_21967恥ずかしながら、今回リッケンバッカーのイギリスでのモデル・ナンバーことを知って、このシステムに気づいた次第。
ま、この推測に確信はあったけれど、もし間違えていたら大変だと思い誰かに確認したくなった。
もうMarshallにはこの辺りのことを知っている古い人がいないので、さて一体誰に訊いたらよいのやら…。
そこで思い出したのがこの本。11_book1_2そして、この本。

11_0r4a0151さらにこの本。

11_0r4a0158上の日本語版を監修したのがワタシ。

11_0r4a0154このナンバリングの疑問を解いてくれるのは、これらの本を書いたマイケル・ドイルしかいない!と思いたち、すぐにアメリカにメールをしてみた。
下は今年のNAMMの時の写真。
向かって右はMarshall GALAでおなじみのジョナサン・エラリーMarshall社社長。
一番左は、昔一緒に仕事をしていたJC。
ウチに遊びに来てくれたこともある仲良し。
今ではそのJCとマイケルの職場が偶然同じで(誰もが知っているアメリカ最大の楽器屋さん)、「アナタの書いた本の日本語版を監修した日本人が私の友人で、Marshallのブースにいるよ」と、私に引き合わせるために、JCがマイケルを連れて来てくれた。
当然エラリー社長はマイケルのことをよく知っているので4人で記念撮影と相成った。
マイケルは丁寧に私の仕事にお礼を述べてくれた。
こんなことがあったので、マイケルに今回質問を投げかけることができた。11_img_2739マイケルにその質問を認めてメールを送ると、直ちに返信があった。
彼の答えは「まったくShigeの指摘通りです。ローズ・モーリスは自分たちが取り扱うオリジナル商品に片っ端から連続で番号を振っていたんです。
このことは生前のケン・ブランから直接聞いているので間違いありません。
以前、どこかに書いたことがあったんだけど…忘れちゃった!」という返事。
推測通りだった。
だから、ローズ・モーリスの事務所の中で…
「オイ、こないだのMarshallのベーアンって何番にしたっけ?」
「あの100Wのヤツか?アレは1992だったぞ」
「了解!それじゃ今度のピートのリッケンの12弦は1993でいいな?」
「いいんじゃん?」
…という会話があったのかも知れない。
ロックの歴史の一部を作った1959とか、1987とか、金科玉条に取り扱っているモデル・ナンバーがこんな風にして採番されていたなんて…正直チョット興ざめするナァ。
ちなみにJTM45はローズ・モーリスがMarshallを取り扱う以前のモデルだし、1912や1922のようなモデルはローズ・モーリスから離れた後にリリースした商品なのでMarshallがモデル名を付けている。
ただ、いくつかの疑問が残っていて…
①Marshallがローズ・モーリスと契約したのは1966年であるにもかかわらず、1959や1960等の1965年に発売されたモデルにローズ・モーリスがモデル・ナンバーを与えているのはナゼか?
②1959が発売された5年後の1967年にリリースされた20WのPA用ヘッド(通称「PA20」)に1917という1959より若い番号が振られていること。
欠番になっていたのを後から補ったのだろうか?
こうした順番の入り繰りは他にも例があるようだが…。
③ローズ・モーリス時代、2203のような2000番台のモデルの他、3000番台、最大で4000番台のモデル(JCM900とは当然無関係)が存在していた。
4000まで番号が連なっていたのだろうか?
多分、それはないでしょう。
とすると、ローズ・モーリスはどうやって1000の位の数字をカテゴライズしていたのだろうか?
 
ま、どうでもいいか。
チョット今名前が出たので…。
下は2012年に開催された『ジム・マーシャルの生涯を祝う会』でご一緒させて頂いた故ケン・ブラン氏と。
一度でいいからお会いしたかったのでこの時はとてもうれしかった。170 下はローズ・モーリスが発行していたフリー・ペーパー。
過去に一度、Marshall Blogでゾロゾロと紹介したことがあったが、今回、まだ表に出したことがないモノがいくつか出て来た。
それが結構オモシロくて…近々それをネタに1本編もうかと思っている。
ね、Jethro TullはMarshallなんだよ。

12img_7729
さて、ジムが後悔したローズ・モーリスとの15年契約。
Marshallは一計を案じた。
60年代の後半から70年代の前半にかけて、Marshallが生み出すパワフルなギター・サウンドがロックに大革命が起こす。
Led ZeppelinやDeep Purpleに代表されるハード・ロック時代=歪み天国の時代である。
Marshallはマスター・ボリュームというテクノロジーを導入し、従来のアンプよりより小さい音量でより歪むモデルを1975年に発表する。
100W、マスター・ボリュームつき、2インプット仕様の「2203」だ。
日本では2203のことを「はっぴゃく、はっぴゃく」と呼んでいるが、JCM800シリーズが登場する前から2203はあったのよ。
アレ、日本では不思議と「はっぴゃく」は2203、「きゅうひゃく」は4100、「にせん」はDSLが同義語になっているんだよね。時々…
「Marshallを使ってます!」
「ああ、どうもありがとう!で、どのモデルを使っているの?」
「『にせん』です!」
「DSL?TSL?」
「はあ?ナニ言ってんだかわかんない。『にせん』を使っているんですけど…」
「……(絶句)。やっぱマーシャルだよね~!」
なんてことがあるんですよ。

Jmp2_2そして、1981年、ローズ・モーリスとの契約が終了したのと同時にMarshallは2203を中心にした新しいラインナップ「JCM800」シリーズを発表する。
James Charles Marshall…ん~、思いっきりジムの名前をフィーチュアしちゃって!
ローズ・モーリスにはズッ~っと隠していたワケ。
フロント・パネルにジムのサインをあしらったのは「Marshallはオレの会社じゃけんね!」とアッピールしたかったかのように見える。
この端から端までガバチョと開いたフロント・パネルを擁するルックスは、当時のギタリストにとってインパクトが生半可じゃなかったらしい。
でも、ブラック、ゴールド、ホワイトの配色はキッチリ踏襲した。
この完璧なカラー・コーディネーションはジム・マーシャルの偉大な発明だよ。
悪いんだけど、コピーのメーカーさん、マネしないでくれますか?
あ、コレをマネしているからコピーなんだ。
 
1981年といえばマイルスが来日した年だな?
この時の新宿のコンサートは行っておけばヨカッタ…。
私は大学生だったけど、JCM800のことはゼンゼン知らなかった。
当時私はJMP時代の1959と1960AXを使っていた。

800_1アメリカでもこんな広告を作ってMarshallの新しい門出を祝った。
恐らくデンマーク・ストリートも「JCM800シリーズ」で大いに盛り上がったことだろう。Adそして、JCM800シリーズは世界中で大ヒットし、Marshallは莫大な外貨を獲得し、1984年にエリザベス女王から勲章を授かった。(写真のフル・スタックはJCM900だけどね)

11_0r4a0477チョット、もう疲れちゃったのでココでおしまい。
でも、デンマーク・ストリートのお話はまだ続く。
スゴい話を見つけちゃったのです。
お楽しみに。
コリャまだまだHipgnosisにたどり着けそうにないな。
 
<つづく> 

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