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2023年7月19日 (水)

伊藤ショボン太一インタビュー~松田聖子コンサート・ツアー『Parade』日本武道館公演から

 
6月10日のさいたまスーパーアリーナを皮切りに全国主要都市で展開している松田聖子さんのコンサートツアー『Parade』。
全ての公演でNATALドラムスが活躍しているのは既報の通り。
そこで7月7日、日本武道館へお邪魔して来た。
10NATALの叩き手は伊藤ショボン太一。110大きなステージ後方の一段低くなっているバンド・ピットがショボンちゃんとNATALの仕事場だ。25ショボンちゃんのポジションから見た日本武道館の風景。26メインのドラム・キットはNATALウォルナット。
正式な名称は「NATAL WALNUT ORIGINAL」。30コンフィギュレーションは10"、12"、16"、22"。35スネア・ドラムもキットとセットの14"×5.5"。
アルミ・シェル他のスネア・ドラムも用意されている。40ハードウェアも全てNATAL。
実はこの日の直前の公演までペダルはシングルだった。
どうしてもドカドカやる必要が出て来たため、この武道館からツイン・ペダルが導入された。50スローンもNATALで完璧な「NATALゾッキ」(「ゾッキ」が群馬地方の方言で「お揃い」という意味です。女性の服飾関係の方には「ゾッキ編み」という言葉でおなじみかも知れません)60元々はブビンガのキットを導入する計画で準備していたのだが、演奏曲目が決定した時点で急遽このウォルナットのキットに変更した。
ショボンちゃんはアッシュ、メイプル、バーチ等、NATALの全ての素材のキットを実戦で使って来ているので、音の違いがカッキリと耳に刻まれている。
そこで、選ばれた曲たちのイメージがブビンガではなく、ウォルナットだったというワケ。65ステージに上がっているもうひとつの小ぶりのNATALがコレ。70Cafe Racerシリーズの10"、14"、18"というキット。
スネアは14"×5.5"のメイプル。80コチラはドカドカやらないのでペダルはシングルのスムース・カム。
100vアコースティック・コーナーで使用されている。90これらのキットで「青い珊瑚礁」や「赤いスイートピー」とかを演っちゃってるワケ。
スゲな!0r4a0032…と、ひと通り大事な商売道具を拝見した後は楽屋へGo!
ココからはそのショボンちゃんのインタビュー。

ナゼNATALなの?
NATAL(以下「N」=「シゲ」):本日は松田聖子さんのコンサート・ツアー『Parade』の日本武道館公演の初日ですね。
お忙しいところお時間を割いて頂き誠にありがとうございます。
伊藤ショボン太一(以下「S」):イエイエ、こちらこそありがとうございます。NATALさんにはいつもお世話になっていますから!
0r4a0067N:どういたしまして!
しかし、ショボンちゃんともナンダカンダで長くなったね。
NATALドラムスが日本に入って来たのが2012年の暮れ近く。
その翌年ぐらいから使い始めてもらったのでカレコレ約10年!
でも、こんなインタビューなんてしたことなかったね。
S:ね~、早いものです。
N:一体NATALドラムスのどこがそんなに気に入ったんですか?
S:まずは音がいいこと…コレは大前提ですね。
昔からシェルが薄くて軽いタイコが好きなんですよ。
固くないタイコが好き。
N:固くないタイコ?
S:はい、作りが固くないヤツ…シェルが固すぎるのは苦手なんです。
N:使われているシェルの素材が硬いという意味ではなくて?
S:違います。
素材じゃなくて作り。作りが緩いのが好きなんです。
叩いた時に手に伝わって来る感じが固いドラムスってあるんですよ。
反対に柔らかい感じがするドラムスもあるワケです。
N:それがNATALなワケ?
S:そう。10年前に高田馬場のバズーカ・スタジオで初めて叩いて、『ナンですか~、このドラムスは!?』となって…。
それで、「Stave(ステイヴ)」スネアを使わせてもらったら、アレが良すぎて大感動してしまいました。
アレがそれまで求めていた本当に出したかった音だったんですね。
N:すごく気に入ってたもんね。
S:はい、それから色々なキットを試させてもらいましたね…アッシュ、メイプル、ウォルナット。
で、その中でバーチがすごく気に入ってすぐに購入しました。
N:ありがとうございます。
S:あのキットは東京アクティブNEETsのスタジオに常設してあって、東京に出て来た時はアレを使います。
今でも大好きです。

下はそのバーチのキットを入手した頃のショボンちゃん。
スゴイ貫禄。とてもドラマーには見えん!95v_2そのバーチのキットとステイヴ・スネア。100S:一方、ウォルナットのキットは秋田の実家のスタジオに設置してあってレコーディングの仕事を受注したり、放送したりする時に大活躍しています。
音がモチッとしていて、すごく太いので大好きなんです。
  
ウォルナットのキットを叩くショボンちゃん。
まだまだスゴイ貫禄だ。
60vウォルナットのキットは木目が飛びっきり美しいのもひとつの特長だ。702

NATALの特徴
N:チョット一般的なことをお訊きします。
ショボンちゃんの感覚で…サウンドを決定するヘッドとキットが占める割合ってどれぐらいだと思います

0r4a0073か?
S:ヘッドが7~6割かな?…あとはシェルの材質と作り。
やっぱりヘッドは影響はがデカいと思います。
スネアは特にヘッドとスナッピー。
もちろん材質とかハンマリングとか、音を左右する要素は色々とありますが、でも、やっぱりヘッドですね。
例えば値段の安いスネア・ドラムでもちゃんとしたヘッドを張れば格段に音は良くなります。
N:それは叩き手の腕が良いということが大前提なんでしょうけどね。
それでもやっぱりギターの弦やサックスのリードに似てますよね。
その「音がモチッとしている」というのは?
S:ネバりっ気のある音って言うんですかね。
NATALはもちろんドラムス単体で叩いててもとても気持ちがいいんですけど、他の楽器が入った時にすごくキレイに混ざる感じがするんです。
私は他の楽器とのバランスをすごく気にしちゃう方なのでその辺りもすごく気に入っています。
N:まだNATALをご存知ないライブハウスに持って行くと、PAの方に褒められることがそう珍しくないんですよ。
あの天王洲アイルの時もそうだった。
叩いてる側の人はわからないかも知れないけど、その辺りのことはどう感じますか?

0r4a0052S:よく言われるんですが、「作り」というか、シェルが薄くてカチッとしてない分、余計な音の成分が出ていないのではないでしょうか?
だから、PAさんは特定の音の帯域をEQでカットするとかあんましなくていいのではないかと思います…勝手なイメージですけど。
中には「アレ~?ココまでココまで叩いていないんだけどな~」みたいなドラム・キットってあるんですよ。
音が出すぎちゃうんですよね。
ココまで鳴らすつもりはないんだけど、音がやたらとデカいな~みたいな感じ。
そうかと思うとバス・ドラムだけ音が軽くて自分に返って来なかったりする。
まぁ、叩き方が合わないということもあるんでしょうね。
叩き方は個人差が激しいですからね…その点、やっぱりNATALは完璧に自分に合うんです。
 
松田聖子さんのお仕事
N:ショボンちゃんとの長いお付き合いの中で、今回の松田聖子さんのツアーが最も大規模なお仕事だと思うのですが、どこも巨大な会場で、「NATALでヨカッタ」みたいなことを感じることはありますか?
S:音の評判は大変いいです。
N:ナニか特別言われたことってある?
S:こう言うとアレですけど…良いことを言われても覚えてないんですよね。
特にプレイに関してなんですが、「このパート、もうちょっと重くした方がいいよ」とか、「そっちの方がいいかも知れないね」なんて言われたことはすごく覚えてますけど。
「良かったよ~」はあんまり覚えてなくて…課題の方が覚えてる。。
N:音は良くて当たり前…ということにしておきましょう!
S:ハイ…でも、音の評判は本当にすごく良いですよ。
自分でプレイバックを聴いてもメチャメチャ良くて…。
キックとスネアは自分の目標の音があって、ヴィニー・カリウタみたいな音を出したいみたいな。
その点、結構海外ドラマーみたいな音が出せてるな~、みたいな感じ?
N:それはヨカッタ!でも、ショボンちゃんのドラミングはホント、あんまり日本人っぽくないもんね。
 
NATALのカホン
N:ゴメン…話題を飛ばします。カホンについて。

0r4a0079_2S:NATALのカホンってすごくいいですよ。
単純に低音がすごく出る。
サイズがちょっと大きめな感じなのかな?
N:で、ブラシで叩くでしょ?
S:そう、単純に、手が痛くなっちゃうから。
タマにしか演らないので手で叩くと腫れちゃうんですよね。
で、手が腫れちゃうとスティックを持つ手が変わっちゃうんです
だからカホンはスティックで演るようにしているんです。
先日、シゲさんがプレイを聞いてくれて、ホメて頂いたのは良かったナァ~って思っています。
N:イヤ、ホントにスゴかった。カホンとブラシだけであんなにスウィングできるなんて思っていなかった!
S:確かにドラムを叩く時と全く同じ感じで演っているんですよ。
N:やっぱりアレも作りが緩いとかあるのかしらん?
S:緩いと思いますよ。
柔らかくて軽めで…それがすごくいいんだと思います。
 
NATALのカホンをプレイするショボンちゃん。530v手で直接叩かず必ずカホン用のブラシを使用する。
コレが凄まじいスウィング・ビートを生み出す。520v

好きなドラム・キット
N:さて、ドラム・キットの話に戻って…。
これまで色々なメーカーのモノを使ってきて、やっぱり国産と輸入ブランドに違いってあると思う?
S:かなりあると思いますよ。

0r4a0077日本の楽器はほぼ全部試しましたが、どれも海外ブランドのモノよりカッチリ作られているんですよね。
でも作りがとっても良い分、暴れる要素が少ない。
そういう意味で私は作りがチョット粗いぐらいの方が好きなんです。
つまり、カッチリしてるヤツって鳴りすぎちゃうんですよ。
私の場合はそうでない方が叩いてて気持ちいいんです。
N:コンフィギュレーションのこだわりってありますか?
今回のメインのキットは10"、12"、16"、22"だけど、それじゃないとダメとか…。
S:イエイエ、でもタムだったら10"&12"か、10”&13"がいいかな?
12”&13"はあんまり好きじゃないんです。
セッティングの問題もあって、私はイスをチョット低めにセットするのでタムが高くなると叩きにくくなっちゃう。
N:グリップの違いもありますよね?
S:あります、あります。大いに違いあります。
マッチドだとタムに結構角度を付けても大丈夫なんですよ。
でもレギュラーの場合、タムに角度を付けると力が伝わらない。
チョット角度を浅めにしておかないと上から行くときに叩きにくい。
あ、それと好きなドラマーが全部10"&12"っていうのもあります!
N:深さは?
S:浅い方が好きですね、個人的には。
ウチで使ってるバーチとウォルナットは10"の6.5"と12"の7"かな?
N:あ、思い出した!
あのバーチのキットが入って来た時、タムが薄くかったからショボンちゃん即決したんだよ!
三茶のスタジオでそんな話をしたような記憶がある。
そんな話をしている間もショボンちゃんはズ~っとスティックとパッドを手放さないでポコポコやってた。
S:そうでしたかね?でも確かに自分のNATALがすぐに欲しくて即断したのは覚えています。
 
キットとヘッド
N:たとえば「NATALは10"がいいんですよ~」みたいな特定の良さが出ているところってありますか?
S:まずは10"はすごくいいですよ。
でも、こういうのはヘッドとか使う環境によるところが大きいんですよ。
例を挙げれば、ウチのスタジオにあるウォルナットの場合、ウチの部屋だとツープライのヘッドにすると12"より10"の方が鳴りやすい…とか。

0r4a0061_2私はワンプライも結構好きなんですが、ワンプライを張ると10"より12"の方がよく鳴ったりするんです。
マァ、まだ研究しなくてはイケないんですが、またそういうことを試すものとてもオモシロいんです、NATALAは。
N:簡単に言ってワンプライとツープライの違いって…?
S:ツープライの方がアタックが出て、中音域が下がるロック系のサウンドかな。
一方、ジャズを演る時はワンプライです。
実は今のウォルナットのキットにはワンプライなんですが、どちらかというと好き。
でもツープライより耐久力がないんですよね。
叩いた感じも音の伸びが軽いところが好きで今の聖子さん用のキットもワンプライなんですよ。
N:じゃ、10"より12"の方がよく鳴るんだ?
S:イエイエ、両方とてもよく鳴っていますよ~!
このツアーをやっていて、ツープライも合いそうな感じがするのでまたチョット色々試そうかと思っています。0r4a0065もちろんキットは常にNATALで不動です。
N:私は根っからの「ギター属」の人間でドラムスのことは通りいっぺんのことしか知りませんが、これだけ皆さんの演奏をお聴きしていて、NATALってクリアよりコーテッド・ヘッドの方が楽器の良さが出るような印象があります。 
S:ウン、確かにクリアを張ると音がスッキリしすぎる感じがあります。
自分のイメージだとツープライのヘッドを張ると音量が下がる感じ。
ツープライは剛性が高いシェルの方が合うと思う。
私も個人的にはNATALにはワンプライを張った音の方が好き…すごく合います。
でもワンプライって難しくって、パワーヒッターだとどうしても打面が結構ヘコんじゃう。
自分はあまり強く叩かない方なんですけど、それでも毎日使っているとひと月はとてももたない。
N:木原塁さんのオーケストラで小さいキットを使ってもらったでしょ?
アレ、音良かったですよね?…ま、叩き手がいいんでしょうけど。
今回のツアーでも使ってもらっていますが…。
S:イエイエ。
ハイ、あのCafe Racer、ものすごく音がいいです。
特に小規模のセッションの時とか最高ですよ!
アレはメープルでしたっけ?
N:イイエ、Cafe Racerシリーズはチューリップ・ウッドという材を使っているんですよ。
S:チューリップ?へぇ~。
N:だから富山産です…ウソです。
横浜のHey-Joeで「鴨のナントカ」を食べながらドラム・ソロを演ったあの緑のキットもCafe Racer。
 
今はなきHey-Joeでのショボンちゃん。400v S:ハイ、Cafe Racerでしたね。
イヤ~、アレも鳴りが軽い分、音が明るい素晴らしいキットですよ。
音ヌケはいいし、とにかく音が明るいですからね、Cafe Racerは。
N:ウン、おかげさまでどこへもっていってもすごく評判良いです。
S:そうだと思いますよ。Cafe Racerもホントに良い。
音量も出そうと思えばチャンと出るし。
今日のあの小さいキットを使う時ってどうしても抑えめの演奏の時が多いんですけど、それでもやっぱりバスドラもドン!って出るし。
N:いつも信じられないぐらい軽く叩いてるもんね。
S:あの塁さんの時ね…ホントに軽く叩いたんです。だいたい30%か40%の力。
撫でるように軽く叩いてあの音です。
 
木原塁さんのオーケストラのショボンちゃん。
90vN:ナニかNATALにリクエストってあります?
S:イイエ、品質的には大満足していますので…でも、シゲさんにひとつあります。
N:エ、ナニ?
S:24"バスのブビンガのキットがあったでしょ?
タムがメッチャ深胴の…アレもものスゴク音がいいんですよ。
また今度チョット試させてもらえませんか?
N:ナンダ、そんなことか…いつでも大歓迎ですよ!0r4a0084こうしてショボンちゃんはこの日もNATALとともに日本武道館のステージに上がったのであった。
8月18&19日には武道館での追加公演も決定した!
スゲな。
20_2

 
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200 (一部敬称略 2023年7月7日 日本武道館にて撮影)

 

2023年3月 8日 (水)

【Marshall Blog Archive】森園勝敏インタビュー<後編>

 
「森園ブランド」のギター・プレイを文字で表す場合、どうしても使いたくなるのは 「いぶし銀」という表現だろう。

Img_0108「いぶし銀」というのは「銀」を「燻し」たモノかと思っていたらさにあらず。
シャケじゃない。
銀などの金属に硫黄のススを擦りつけて故意に曇らせる加工のことを「いぶしをかける」というらしい。
時間が経つとやがて黒ずんできてそれが実にいい風合いを出すようになる。
そこから「見た目が派手ではないが、本当に実力を持っていて高い評価を得る人やモノ」を指す表現としてこの言葉が使われるようになったのよ。
森さんが弾くブルースがまさに「いぶし銀」だ。
森さんが奏でる一音一音に重い意味と物語があるのだ。

Img_0401その演奏に耳を傾けていると、ギターを速く弾いたりする必要性が一体どこにあろうか?…と感じ入ってしまう。
一方では、50年の長きにわたり音楽づくりの現場から進化を見続けてきた「ロック楽器の歴史」の生き証人でもある。
森さんと話しをしていると「エ~ト、アレなんだっけナァ~」などという場面がほとんど出て来ない。
どんなに時間の経った事がらでも森園コンピュータが瞬時にして必要なデータを引き出しれてくるのだ。
その記憶力を駆使した語り口がまた実に巧妙でしてね。
「話し上手は聴き上手」…森さんは話す時だけでなく、人の話しを聴く時も恐ろしく真剣。
このインタビューではいちいち文字にしなかったが、間に挟まって私が解説するMarshallの歴史やこぼれ話しにジックリと耳をそばだてていらっしゃった。
こうした好奇心がまた森さんの音楽家としての厚みを倍増させているのであろう。
『森園勝敏インタビュー』の<後編>をどうぞお楽しみあれ!


フランク・ザッパ
M:またぞろ私的昔話しで…。
岡井大二さんからお聞きしたんですが、浅草国際劇場でフランク・ザッパとエレベーターでふたりきりになっちゃって…とてもコワかったって。
恐ろしいまでのオーラだったっておっしゃっていました。
K:アイツも?イヤ~、そうですよ。
楽屋が隣でね(これだけでもうスゴイ!)、ボクらの演奏が終わって戻って来ると、ちょうどザッパが部屋から出て来たんです。
その時、目と目が合ってボクはそのまま石になってしまって…それでボーっとしちゃって彼らの演奏を観ないでそのまま家に帰っちゃったんです。
Img_0414
M:エエ~ッ?! ナンで?! ナニも帰ることはないでしょうに!
K:イヤー、もうヤラれちゃって!
「ウワ~、ホンモノだ!」って思って…だってザッパですよ!
M:じゃ、本当に演奏を観ていないんですか?
K:本当に観ていない! 
ベースのロイ・エストラーダといっしょに部屋から出てきたの。
ボクはそれで夢遊病者のように家に帰ったんですよ!
M:モッタイない!
K:モッタイないと言えばモッタイないけど、もうそれで充分だったといえば充分だった。
それから何年か経ってLAのあるスタジオで自分のアルバムをレコーディングをしていた時に一番離れた部屋でザッパがレコーディングしていたんですよ。
M:エエ?! ナニを録っていたんでしょうかね?
K:『Joe's Garage』ですね。
その時も本人に会って目が合ったらホテルへ帰っていたかもしれないけど、いつスタジオへくるかわからないって感じだった。
M:助かりましたね。
K:ウン。ナンカね、『いつ来て、いつ帰ったか』なんて誰も知らない…みたいな感じでしたよ。
しかもスタジオに出入り口がやたらいっぱいあってね。

<コラム:森さんと大二さんとザッパさん>
この記事の推敲をしていて思い出した。
それはギターマガジン(リットーミュージック社刊)の2008年4月号に掲載された「フランク・ザッパ特集」。
私もMarshallとは関係なく、いちファンとして「おススメアルバム」のページを寄稿させて頂いた。
特集の扉に使われた写真のザッパのレコードは私のコレクションからお貸出しした。Gm 特集の中に古今のミュージシャンにお気に入りのアルバムを3つ挙げてもらう企画があって、森さんが登場された。

Km 森さんが選んだのはVERB時代のベスト・アルバム『Mothermania』、『Weasels Ripped my Flesh(いたち野郎)』と『One Size Fits All』だった。
で、後に大二さんにお聞きしたところ、その『Mothermania』は大二さんの所有物だったとか…。
イヤ、天下の四人囃子の創設メンバー2人といえども、高校時代からの友達同士だから起こり得る話だナァと思ったのだった。
しかもお気に入りの1位に選んだのが借り物というのも何となく森さんらしい感じがしてオモシロイ。
あ、私ももちろんオリジナル盤の『Motherania』を持っています。Mm  

レディ・ヴィオレッタ
M:コレも極めて「私的」に…。
あの時代の私の日本のロックのアルバムのベスト5を挙げるとすれば…『ゴールデン・ピクニックス /四人囃子』と『黒船 / サディスティック・ミカ・バンド』と『悪たれ小僧 / 頭脳警察』と『マラッカ / PANTA & HAL』、そして「外道」なんですけど、とりわけ『ゴールデン・ピクニックス』が好きでした。
すごく洋楽の香りがする。
名曲「レディ・ヴァイオレッタ」も入っているし…あの曲はまたどういうアイデアで出来上がったんです

Img_2568か?
K:イヤ、アイデアもクソもありません。
でも色々逸話があることはあります。
”逸話”真弓なんちゃって…。
M:それカットしときますか?
K:はい、お願いします(笑)。
あの頃マックスフィールド・パリッシュ(Maxfield Parrish 1870 - 1966)という絵描きさんの作品が大好きだったんです。
It's a Beautiful Day(1967年デビューのサンフランシスコのバンド)のジャケットに使われているような絵ですね

Ibd_2※このジャケットにはケント・ホリスターという画家がパリッシュの作品を模倣して描かれた絵が採用されている。「ジャケット・デザイン・ベスト〇〇」みたいな企画には必ずと言っていいほどランクインするとても美しいジャケット。B面1曲目の「Bombay Calling」という曲がDeep Purpleの「Child in Time」の元ネタになっていることはつとに有名。

M:はい。とてもステキなデザインですよね。
K:それで誰かに彼の画集をもらったんだけど、その中でたまたま見つけた絵のタイトルが「Lady Violetta(レディ・ヴィオレッタ)」なんです。
いくつかヴィオレッタが登場している作品があるんだけど…「Knave of Hearts」という物語に出てくるんですね。
ちょっとモナリザっぽい不思議なスマイルでね、とてもいい感じだったのでそれをイメージして曲にしたんです。

Lv_3※「Knave of Hearts」はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス(Alice’s Adventures in Wonderland)』の登場人物、ハートのジャック。
森さんがおっしゃるように「Lady Violettaもの」はひとつではなく複数の作品が存在していて、そのウチのひとつが『Lady Violetta and Knave of Hearts』という作品。
もうひとつが『The Lady Violetta about to Make the Tarts』で、モナリザ的なスマイルを見せているのはコチラの方だろう。
ちなみに『アリス』に出てくる「トカゲのビル(Bill the Lizard)」という名前はこのインタビューの<前編>の『カラフル・クリーム』のところで登場した19世紀のイギリスの政治家、ベンジャミン・ディスレイリをもじったといわれているらしい。

K:その絵を見ながら友達のウチでポロポロやっているうちにできちゃったんですけど、後で気がついたらボズ・スキャッグスの「Here to Stay」という曲と丸っきりコード進行が同じだったんだよね!
M:サビも?

Boz_2K:サビも同じ。
M:そんなことってあるんですかね?
K:あったんですよ~。できてから10年ぐらい経って気がついたんです。
ボズだから歌ものでメロディは全然違いますけどね。
※この曲はボズの1971年発表のソロ4作目『Boz Scaggs & Band』に収録されているが、森さんおっしゃる通りサイズは違えどコード進行は本当にほとんど同じ…ドキッとするくらい同じ。
IIm7 – IM7の繰り返しに加え、サブドミナント・マイナー(IVm7)という印象的な展開がますます「同じ感」を引き立てている感じ。
でも、私は『ゴールデン・ピクニックス』の最後に収録されているこの曲の方が断然美しいと思う。
森さんはアドリブ・ソロの時にIIm7の時にG/Aを弾くことが多い。

K:四人囃子は大作主義だったので、A-B-Cみたいな単純な構成の曲が少ないんですが、珍しく『Lady Violetta』はそのうちのひとつ(笑)…A-Bだけだもんね。
でもアドリブはしやすい!(笑)
M:ところで、あの曲は「ヴァイオレッタ」ではなくて「ヴィオレッタ」と発音するのが正しいんですね?
K:そうです。
M:Marshall Blogが責任を持って訂正しておきましょう。
K:お願いします!私も最近一生懸命訂正して歩いているんですよ!
 
一触即発IsM:話しは戻って『一触即発』。
K:ウン、アレは本当に面白いレコーディングだった。
その前に『二十の原点』ていうのがあって、バーターだったんだよね。
「これをやれば、そっちをやらしてあげる」みたいなね。
当時はFM局もあまりなくて…イヤ、FMなんてなかったのかな?
AMでしか流れなかった。

Img_6029で、「一触即発」をかけてもらってもイントロだけで、歌が始まるはるか前に終わっちゃうんだよね。
M:知らない人は「ナンダ、この曲は歌が入ってたんだ?」みたいな?
K:そうそう!それで「円盤(空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ)」を出したんですよ。
で、「円盤」も最初は歌が始まるまでイントロがかなり長かったんですけど、ムリヤリ短くしたんですよ。
M:あのB面の「ブエンディア」という曲がまた不思議。
K:そう。あの頃大二はもうあんまりロックを演る気がなくて、本人はもうCTIとかばっか聴いちゃって…。
今で言うフュージョンみたいなことをやりたがっていたんだよね。
M:確かにそんな感じの曲調ですよね。
K:ちなみに「レディ・ヴィオレッタ」はNHKの「明るい農村」で何回かかかりましたよ。
M:ホントに?! スゲェ~!
K:何がスゴイんだかわかりませんけどね!(爆笑)
M:普通かかりませんよ!
K:山岸(潤史さん)の曲で「モーニング・ブライト」ってあるんですけど、プリズムは「モーニング・ライト」で…ま、それをモジっているんですが、その曲と「ヴィオレッタ」が使われてた。
フュージョン・ブームの前でインストものが少ない時代だったんですよ。

Gbc_2※CTI(Creed Taylor Incorporated Records)は1967 年にA&R傘下に創設されたジャズ・レーベルで後に独立。ジョージ・ベンソン、ボブ・ジェイムス、ヒューバート・ロウズなどが在籍し、ストリングスを多用したドン・セベスキーの甘いアレンジが時代にマッチして人気を博した。
今聴くとどれもかなりアマアマ。いわゆるイージー・リスニング・ジャズ。
でも、フレディ・ハバードの『Red Clay』やジム・ホールの『Concierto(アランフェス協奏曲)』などのジャズ・スピリット旺盛な名作も多数残されている。
そういえばアラン・ホールズワースの『Velvet Darkness』もCTIだったね。
余計なことだけど、個人的にはケニー・バレルの『God Bless the Child』が好き…というのはあくまでも後からCTIを体験した人間のコメント。
大二さんのようにほぼリアルタイムでCTIを聴いた方々には、当時このテイストがどういう風に受け取られたのか大変興味がある。

 
ゴールデンピクニックス

71cpz3amj0l_ac_sl1500_ M:「Flying」ってどなたのアイデアだったんですか?

Img_0126_3K:アレはね、「何かビートルズを1曲入れよう」ということになったんです。
あのバンドのメンバーは全員音楽の好みが違っていて、唯一話しがまとまるのがビートルズだったんですね。
M:ピンク・フロイドもダメなんですか?
K:ん~、でもボクがピンク・フロイドに興味を持ったのは「Echoes」からですからね。
大二と知り合った頃よくアイツのウチへ遊びに行くと『神秘(A Saucerful of Secrets:ピンク・フロイドの2作目。ヒプノシスが初めて手がけたレコードジャケット)』とかをかけながらひとりでドラムを叩いてましたよ。
ボクは気が付くと寝てて、「ア~、こんなのどこが面白いんだよ…」って。
インチキな感じがするナァ~って思っていたんです。
M:そういえば「Cymbaline」とかも演られてましたよね。

Img_0420ザッパでは「Holiday in Berlin」…。
K:野音の「Holiday in Berlin」ね。でも、アレはギターはボクじゃないんですよ。
M:エ?どなた?
K:小林克己。ちょっとあの時具合が悪くてね…デヘヘ。
M:そうなんですか~。
で、「フライング」…アレってビートルズのオリジナル曲の中で唯一の純粋なブルースですよね?
「ブルース形式」って言った方がいいのかな。
K:あ~、そうかもね。
でもおおよそブルースには聴こえない。
レスリーを使ったギターがすごくよくてね。
深いトレモロがまたいいんだ。今でも聴きますよ。
※エコーズ Echoes: ピンク・フロイド6枚目のスタジオ作品『おせっかい(Meddle)』のB面すべてを占める23分の大作。当時、四人囃子はこの「エコーズ」を完璧に演奏できるバンドとして有名だった。
「スリット・スキャン」と呼ばれる手法を駆使して撮影したキューブリックの『2001年宇宙の旅』の最後の前衛的なシーンと「Echoes」がシンクロしていることはよく知られている。実際の映画ではリゲティの音楽が使われている。
※ビートルズのブルース:後年気が付いたのだが、もう1曲ビートルズのブルース形式の曲を発見した。それがナンだったかは忘れた。
確かナンカあるハズ。

 …と、結局は自分の訊きたいことばかり訊いてしまう公私混同のワガママなインタビューとなったが、個人的には大満足。
こうした記録をドンドン残しておかないと日本のロックは後でヒドイ目に遭うことになるのだ。
ひとつ、今でも気になっていることがあって、今度森さんにお会いした時に直にお訊きしてみようと思うのだが、四人囃子の初代ベーシストの中村真一さんの追悼コンサートの時…だったと思ったが、森さんはCharさんと演奏した。
その時Charさんがこうおっしゃった。
「ああいうストラトの使い方をしたのは日本では森が初めてなんだよ」
その時、誰も何も反応しなかったのだが、私にはこのCharさんの言葉がとても印象的だった。
一体どういう使い方なんだろう?
なるほど森さんが弾くストラトキャスターの音は素晴らしく美しい。
そのCharさんの言葉の意味を確かめるためにナマの森さんのプレイを体験しに行って頂きたい。
もちろん森さんがMarshallをお使いになる時に!
それにしても驚異的な記憶力の持ち主だ。
ココには書けない、もしくは書かないほうがいいような話しも実はたくさん披歴して頂いたのだが、それらのどれもがあたかも先月に起こった出来事のようにお話しになられていた。
できることなら、ギターだけでなく、お話しもいつまでも聴いていたかった!
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200 (一部敬称略)

2023年3月 7日 (火)

【Marshall Blog Archive】森園勝敏インタビュー<前編>

 
つい先日ゲストとしてsimoのライブに合流し、Marshall Blogにご登場頂いた森園勝敏さん。
本当に久しぶりにお会いすることができて、また、相変わらずの素晴らしい演奏を目の当たりにすることができてとてもうれしかった。
110vお会いした際、今では読むことが出来なくなっている昔のMarshall Blogでのインタビュー再掲の許可を乞うたところその場でご快諾頂いた。
ということで、その2010年8月5日に行ったインタビューに思い出の写真をいくつか取り混ぜ、若干の加筆訂正を施して再掲することにした。
それでは早速タイム・スリップ!
Img_0421
<ココから13年前>
森園勝敏さんにはこれまでCounter Moon、Thlee of Us、四人囃子、と何度もMarshall Blogにご登場頂いており、マーブロではそのことをとても誇りに思っている。
森園さんというと四人囃子やご自身のソロ活動を通じて「日本のロックを作った」とか「日本を代表する」とかいう枕詞が付いて回るのが普通だ。

Img_0063もちろんそれらの表現が事実を曲げていることはまったくない。
しかし、幸運にもこうして森園さんとお付き合いをさせて頂くとそういった仰々しい枕詞が不釣り合いである感覚を覚えるのだ。
実際の森園さんはどうか…私の印象ではとにかく「永遠のギター・キッズ」。
もしくは「ギターが服を着て歩いている」…とでも言えばよかろうか?
そうでなければ「音楽の人」だ。
私も大概「音楽バカ」だが、森さんにはとても敵わない。
私より8歳年長の森さんは、ロックが一番魅力的でオモシロかった時代をリアルタイムで体験されて来たのだから土台敵うワケがないのだ。
マーブロで多くの紙幅を占めている…イエ、勝手ながら占めさせて頂いている私の知ったかぶりの音楽知識の源泉の多くは、文字や映像から吸収したものであって、実体験として記憶が残っているのはせいぜい1975~76年ぐらいからの出来事だ。
では、その当時森さんは何をしていたか…。
1974年に日本のロック史に残る作品『一触即発』発表。
さらに世紀の名盤『ゴールデン・ピクニックス』を発表して四人囃子を離れようとしていたタイミングなのだ。

Img_0311つまり、当時まだまだ揺籃期にあった日本のロックの一角をチョチョチョとまとめて、もう次のステップに歩み出していたのだ。
私もいい加減プログレッシブ・ロックが好きでしてね。
メインストリームからカンタベリー(何しろ現地まで2度も行っちゃったからね)、そして辺境まで若い頃は結構聴き漁った。
この辺りの分野においてはそれほど簡単に人後には落ちるつもりはない。
で、言わせてもらうと、四人囃子というと「日本のプログレッシブ・ロックの権化」のようなイメージとされているが、今聴くとそれほどでもないように思うのね。
『一触即発』に関してはピンク・フロイドの香りが強く、そう騒がれたのも無理もないような気もするが、海外のプログレッシブ・ロックとはかなりかけ離れた響きが私には感じられる。
どこかのインタビューで故佐久間正英さんが、「四人囃子は歌のバンドだった」とおっしゃっていたのを読んだことがあるが、「日本のプログレの元祖」みたいな表現よりも、むしろそっちの方が的を得ているような気がする。
現に名曲「一触即発」のリフはオールマンの「Wipping Post」からインスピレーションを受けたということだし、「Lady Violetta」のどこにプログレの要素があろうか?
「空と雲」も「パリ野郎」も同様。

Img_6155_4四人囃子の中心的存在だった森さんはブルース・マンなんですよ。
森さんの弾くブルースを聴いてごらん。
そこには無限の「歌」があるから…。

さて、森さんはMarshallを弾き抜いて来た人ではない。
したがって、今回のインタビューの中に出てくるMarshallの話しは、とっかえひっかえ買い替えて来たMarshallマニアのストーリーではない。
むしろロックの成長を間近で見続けて来たアーティストの記憶を借りた「日本のMarshall小史」のようなものだ。
これこそが私が森さんに聴きたかったポイントであり、ギタリスト・森園勝敏のルーツと併せて掘り下げてみたかった内容なのである。
ゴメン…意気込みすぎて前置きが長くなっちゃった。

 はじめて見たMarshall
マーシャル(以下M):四人囃子の『一触即発』が1974年、森さんが20歳の時ですよね?

Img_0415森園勝敏(以下K):はい。で、『二十歳の原点』が19歳の時ですね。
M:この頃の日本のMarshallの状況ってどんなでした?
K:銀座のヤマハではじめて見まして、ウォ~、デカイなぁ~って思いましたね。
コレがいつも写真で見てるMarshallかァ!…って。
当時で60万円とか70万円とか…眺めていただけです。
M:写真とは誰の写真ですか?
K:ボクがはじめて見たのはね、プロコル・ハルムに「これが真実だ(Quite Rightly So:セカンド・アルバム『Shine on Brightly』収録)」というシングル盤があったんですけど、そのジャケットでロビン・トロワーの後ろに置いてあったのがMarshallだった。

Qrsそれとクリームですよね。
意識したのはいつ頃からかな…ハッキリ覚えていないけど、それまでF社のアンプしかなかった。
見慣れたアンプの形というと、もうF社のスタイルなワケ。
日本製のアンプは結構独自のデザインが多いんですけど、それでも似ているものが多くてね。
ギター・アンプというものはああいう形のモノだって思っていましたよね。
M:そこへMarshallが現れて…
K:一体コレはなんだろう?!って。
レコードで音を聴いてビックリして、形を見てもっとビックリした。
M:「これがあの音を出すアンプなのか~」って感じですか?
K:ま、形か音か、どっちが先かは忘れちゃったけど、少なくとも今までFで聴いていたサウンドではまったくなかった。
いわゆるニュー・ロックとかアート・ロックとか云われ始めた時代ですよね。
クリームとかヘンドリックスのサウンドっていうのがそれまで聴いていたのと全然違っていてね、それと同時にMarshallの形も目に入ってきたから、このアンプだからこういう音が出るのかナァ?…みたいなね。
M:森さんはジミヘンの『Are You Experienced?』の出現に立ち会っているんですよね?
あれは1967年?
K:そう、ボクが中学3年の時だった。まだ輸入盤しかなかったですよ。
それまで聴いていたギターの音がすべてチャチに聴こえましたね。
これは一体どういうことなんだッ?って結構ショックでしたよ。

Aye1Aye2_2
M:「ザ・サンニン」の頃?
K:イヤ、まだ…その前ですね。
先輩と「グループ・サウンズ」っていうバンドをやっていました。
ベンチャーズが終わって、ビートルズからアンディ・ウィリアムズ、PPM、セルジオ・メンデス…何でも聴いていましたね。
中学2年の時にビートルズの『ホワイト・アルバム』が出て…あの頃から世の中が変わってきた感じがしますね。
それと同時にMarshallが現れた感じがしたな。
M:やっぱりその頃のMarshallの代表選手はジミ・ヘンドリックスとクリームですか?
K:そうね。
クリームは『Disraeli Gears』の頃ね。
とにかく、当時こんなアンプは他にはなかったよね。Dg ※Disraeli Grars(カラフル・クリーム):自転車の変速機のチェーンを切り替える装置は英語で「Derailleur Gear(ディレイラー・ギア)」という。
当時変速機つきの自転車を買おうと考えていたクラプトンが、ジンジャー・ベイカーとローディにそのことを相談したところ(ジンジャー・ベイカーは元自転車競技の選手だった)、そのローディがフザけて「え?Disraeli Gear?(ディスレイリ・ギア)を買うんですか?」と訊いた。
「Disraeli」とは19世紀のイギリスの総理大臣、Benjamin Disraeli(ベンジャミン・ディスレイリ)のこと。
で、そのクリームのメンバーはそのシャレをオモシロがって、そのままこのクリームのセカンド・アルバムのタイトルに付けてしまったというワケ。
もし、ローディがその時フザけていなかったら『カラフル・クリーム』はただの『Cream』というタイトルになるところだったそうだ。

Img_2309_2K:そういえば、オーティス・レディングが生きていた頃のブッカーT&MG’sって、アメリカのバンドにもかかわらずMarshallを使っていたんだよね。
だからスティーヴ・クロッパーもドナルド“ダック”ダンもMarshallだった。
M:へ~、知らなかった!
そのMarshallを一番最初にアメリカに持っていったのはロイ・オービソンなんですって。
K:へ~、知らなかった!
 
はじめて弾いたMarshall
M:というワケで銀座でMarshallを発見されて、その後は?
K:音を出したのはもう随分後ですよね。
ボクら四人囃子がフラワー・トラヴェリン・バンドの前座をやることになってね、石間(秀機)さんがMarshallを使っていて、それを弾かせてもらったんです。
ゴールド・トップのレス・ポールを使ってて、ボクらのリハが終わってフラワーの番になる時に「ちょっとストラト貸してくんない?」なんて言われてサ(笑)。
それでツアーの途中なのにストラトに変わっちゃったんだよね。
あの時が初めてのMarshallだったな…イヤ、それが実にいい音でね~。

Img_0415_5M:その当時、日本のバンドでMarshallを使っていたバンドってあったんですか?
K:クリエイションなんか使っていたね。
後、国産のMarshallのマネっこアンプってのは結構あったよね。
あ、初めてMrshallを弾いたのは新宿の御苑スタジオにあった18Wのコンボだ。
M:1974ですね?
K:ウン、でもあれじゃやっぱりパワーが足りなくてね、バンドで使うと…。
音はものすごくよかったのを覚えています。
だから結局Marshallは高嶺の花でしたよね。
M:やっぱり思っていたより歪まないというイメージ?
K:ボクもそう思った。
それとチャンネルであんなに音が違っちゃうなんて知らなかった(4 Inputモデルのこと)。
とにかく歪まなかった。
エ~?!、こんな感じなんだ?と思った。
それと、ボリューム・ノブがすごく小さいのが印象的だった。
「ぽらりてぃ」ってなんだろうナァ~とかね。


四人囃子の活躍
M:「ワンステップ・フェスティバル」とか「ワールド・ロック・フェスティバル」とか…しかし、四人

Img_0207囃子って色々な記録を調べると途轍もないほどの場数をこなしていらっしゃいますよね。
箱根の「アフロディーテ」も?
K:イヤ、アフロディーテはやってません。
M:それでも出てない有名なコンサートはない?
K:それほどでもないですよ。
大きいフェスティバルには結構出させてもらいましたけど…でも仕事といえば、秋の学祭ぐらい?
だってライブハウスなんてほとんどなかったからね。
後はアマチュアの人たちがやっているサークルのコンサートに呼ばれるとか?
杉並公会堂とかホールばっかりでしたよね。
(内田)裕也さんのコンサートにはよく出してもらいましたね。
M:四人囃子が裕也さんのお気に入りだった?

Img_0073K:なんでしょうね?ま、言うことをきくバンドだったから…(笑)。
M:そうか、そのつながりでフランク・ザッパの前座をされた?
K:そうですよ。
まあ、だいたいボクらとクリエイションとハルヲフォンと…その3つはどこへ行くのもセットだったですね。
M:クリエイションもすごいキャリアですよね。
K:そう。
でも、フラワー・トラヴェリン・バンドはそう簡単に出てこないんだナァ。
ジョー(山中さん)は出るんだけど、バンド自体は半ば外タレ扱いでしたね。
M:そうだったんだ~。
K:フラワー・トラヴェリン・バンドが日本に帰って来て東京体育館で凱旋コンサートをやったことがあったんです。
で、裕也さんに「ちょっと東京体育館まで来てくれる?」って言われたんです。
「やった、観せてもらえるんだ!」って思って四人囃子のメンバー全員行ったワケですよ。
行ったらサ…「ちょっと悪いけど警備やってくれる?」って!(大爆笑)
でもそれをやったおかげでツアーの前座を全部やらせてもらったんです。


Marshallの魅力
M:なんか印象に残っているMarshallってあります?
K:ワリと最近の話なんですが、北千住にあったライブハウスのMarshallはものすごくよかった。
普段は誰にも触らせないんですけどね。
ボクらがジミ・ヘンドリックスのトリビュートをやる時に貸してもらってたんだけど、アレは本当にスゴ

Img_0054かった。
いい音のMarshallっていうのはケタ違いに音がいいんですよね。
M:Marshallの好きな音って?
歪みではなかったりするでしょ?
K:クリーンがいいよね。
ヘンドリックスもよく聞くとすごくクリーンだもんね。
で、ストラトとMarshallっていうのは独特のいいマッチングなんですよね。
特に巻き弦の音が素晴らしい。
張りたての弦の音っていうか…。
ギターのボディに耳をつけて聴いた音っていうかね…あの音が他のアンプじゃなかなか出ないんです。
M:その辺りのサウンドを確立したのがやっぱりジミ・ヘンドリックスということになってくるんですかね?
K:ン~、とにかくいい音ですよね。クリーンも。
ポール・コゾフの音もそうなんですけど、「歪んでる」ってとこまで行かないんですよね。
すごく「ナマ」の感じ。
ブシュッて潰れていなくてちゃんと「ゴツン!」っていってる。

Img_0486_2それでいてサスティンがすごい。
Marshallはやっぱりワン・アンド・オンリーだな~。
M:ま、これとて初めはコピーですからね。
K:そうね、そこにベースマンが絡んでいるところがおもしろい。


好きなギタリスト
M:ところで、森さんの一番好きなギタリストってジミ・ヘンドリックスなんですか?
K:ヘンドリックスがいなかったら今こうしてここにいないでしょうね。
ギターを始めるキッカケはノーキー・エドワーズです。
もちろん好きなギタリストはいっぱいいますけど、ヘンドリックス、ブルースブレイカーズの頃のエリック・クラプトンがすごく好き。


 
森園勝敏とマーシャル
M:また同じような話しになりますが、こうしてお話しをうかがっていると四人囃子も森園勝敏もあんま

Img_2234りMarshallと深い関係だったワケでなないんですよね。
K:そうですね。
M:すると、当時Marshallをバンバン使ってたバンドというと?
K:クリエーションでしょう。
スタックを3つ並べていましたからね。
M:ものすごい投資になりますよね、当時だと。
K:アレはロンドンで買って来たのかな?
彼らロンドンへ行く前はマウンテンみたいな音楽を演っていたんだけど、帰ってきたら完全にハンブル・パイになってたっけ。
歌なんかもう完全にスティーヴ・マリオットになってた。
M:周りは猫も杓子もMarshallというイメージはありましたか?
K:イエイエ、「みんなMarshall」っていうことはあの当時確かなかったですよ。
M:するとやっぱりディープ・パープルだのレッド・ツェッペリンだのが完全に行き渡ってからMarshallが広まったって感じですか?
K:そうだね。気がつくともうみんなMarshallになってたっていう気がする。
 
<後編>につづく
 

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120

200(一部敬称略)



2020年3月29日 (日)

【Marshall Blog Archive】三宅庸介インタビュー <後編>

      
Marshallを手放す
M:ところで、その73年製のラッキーMarshallはその後どうなったんですか?

DY:手放してしまったんです…ホント、後悔してる。
M:アジャジャジャ!
Y:そういう人ってたくさんいると思いますが…。
M:はい、本当によくそういうお話を耳にしますね。でも、その時はどうしても他のモノが欲しくなって後先考えないで…というか、後悔するなんて夢にも思わずやっちゃうんですよね。
で、その後は?
Y:ラック・システムに興味がありましてね。
マイケル・ランドウの影響を受けました。
M:流行りましたもんね~。
Y:それで2年ほど経ってまたMarshallに戻ったんです。
その時手に入れたのが78年製の2203。
それをしばらく使っていました。

<庸介写真館4>
1978年製というからJMP期の2203ということになる。

11_jmp2203_2 現在のようなフル・フェイスのコントロール・パネルになるのはJCM800シリーズがスタートした1981年から。
当時の人たちはこのルックスの変わりように度肝を抜かれた…私はサッパリ覚えていない。

11_jcm800 写真には写っていないがその2203を使用していた時代の三宅さん。
難波の「ロケッツ」というライブハウスでのステージ。
右に写っているのは今NATALの山口PON昌人さんがサポートしているMOMO & THE SHOCKERSのMOMOさん。

9_2203_2_930907 

その後のMarshall
M:それから?
Y:東京に出てくる時にサポートの話しとかもあって、洗練された音作りをする必要が出てきて、気に

Marshall6100なっていた6100を入手したんです。
そしたらあのクランチがすごくよくて、今のMarshallでもこんな音が出るのかって…。
M:6100の頃もあったんですか~。
Y:今でも手放さないで持っていますよ。好きで結構使いました。
ゲイリー・ムーアも出た頃使ってましたもんね。
で、大分使いこんだところでDSLが出て来たんです。
M:なるほど…。
(写真の6100はパワーアンプに5881を搭載した通常版。三宅さん所有の6100はMarshallの30周年をを記念する青いカバリングのモデルです)
 
<庸介写真館5>
右端が三宅さんの6100。
Marshallの30周年を記念してリリースしたモデル。
サトリアーニも愛用者だった。
後ろの赤いジャケットを着ているのは藤本朗さん。
そしてドラムスは金光健司さん!

11_6100_akiraご存知、金光さんは今の三宅さんのバンド、Strange,Beautiful and Loudの相棒。

11_0r4a0149 約30年経ってもこうして一緒に音楽を作ってる。
いいね、音楽ってモノは!

11_0r4a0115 こっちは約30年前。
当たり前のことだけど、やっぱりアクションってのは人間そう変わるもんじゃないね。10_6100_akira  
1959が基本
Y:でも、最初の73年製の1959の音が基本にあって、どのMarshallのモデルを使っても、また

11_21959slp_frontMarshall以外のアンプを使っても、結局その音を求めてしまうんです。
色々と試してみてそういう音が出ればOKですし、出なければ使いません。
その頃からもう色んなものを求めずにその基本のクランチの音で勝負しようと決めたんです。
M:今(2011年当時)、三宅さんはJCM2000 DSL100をお使い頂いていますが、DSLというとCLASSIC GAINのツルンツルンのクリーンかULTRA GAINの歪みを使っている人が圧倒的に多いようです。
DSLが発売された時、セールス・ポイントはクリーン・サウンドだったんですから。
でも 三宅さんはCLASSIC GAINのCRUNCHだけを使ってすべてをコントロールしている。
いつかも確か三宅さんとウリの音の話しをしていて、「ウリの音は1959の一番いいところが出ていて、その音を表現すると『パシーン』とか『ビシッ』とかいう感じ」って言ったことがありました。
三宅さんのサウンドはそれに近くて、たとえDSLを使っていても根底にあるサウンドが1959であるということを感じ取れると思いますよ。
Y:そうおっしゃっていただけると大変うれしいです!
 
<庸介写真館6>
再び手にした1959も1978年製。いわゆるJMP期の1959。
旧バナナ・ホールにて。

三宅さんはいつもMarshallをクランチにセットしてTube Screamerで歪みを加える…と昨日書いた。
このJMP時代の1959、大学の時に私も持っていたけど、Marshall自体がクランチで鳴ったことはただの一度もなかった。

徹頭徹尾クリーン・サウンドしか出せなかった。
私は当時どこでも手に入ったBOSSのオリジナルOD-1をつないでいたが、元のMarshallのクリーンの音が図太いので、最高のサウンドが出た。
してみると、クランチが出るほどのこの頃の三宅さんのギターの音のラウドさが想像できる。
今でもだけど。

でも、ラウドだからこそ音がいいのだ。

8_93_1959_9302私が三宅さんの演奏を初めて拝見したのは2009年3月かな?
その時はハコの4100をお使いになったたように記憶しているが、そういえば、当時はJCM2000 DSL100をご愛用頂いていたんだわ。
もうJVMのイメージが強くてスッカリ忘れてた。
三宅さんのDSLって1997年製の初期型で、チャンと手入れをしているせいもあってものスゴくいいんだよね。
これはまだコレはDSLを使っていた頃のStrange, Beautiful and Loud。
2012年12月のGRAPE FRUIT MOONでのシリーズ企画『Sound Experience』…まだ「6」の時。
今、「31」
まで来ている。210v_2 三宅さんにもご登場頂いたMarshallの本『Marshall Chronicle』が出来した頃で、「大人のエロ本」としてこの時ステージで紹介してくれた。
この本は作っていてホントに楽しかったナ。夢中になって取り組んだ。

190v_2_2 

セッティング
M:アンプのセッティングで何かこだわっている部分ってありますか?
リハやステージであんまりアンプをイジくり回している印象がないんですけど。

AY:昔のMarshallって0か10かってところがありましたよね。
それでボクは全部10だったんですね。
プレゼンスも10。リンクしてボリュームも両方10。それで最高の音が出ていたんです。
ですから今のモデルを使う時、覚えているその時の音に近づけようとしているだけですね。
弾き方がそういう音を覚えているというか…。後はその音が出るようにセットしていく。
そうしてようやくここ5~6年で核心に近づいていっている気がします。
M:ようやく核心?もう到達しているのかと思っていましたが…。
Y:ずっとギターを弾いていると少しずつ少しずつうまくなっていきますよね…あまり気が付かない程度に。
その中で、ギターとのやり取りとか、アンプとのやり取りとかも弾けば弾くほど上達していくんですよね。
そういう部分で音の出し方とか、音の早さとかがより詳細にわかるようになってきたんです。
ベースは0。上げても2とかね。ミドルは8から10。トレブルは3とか4とか。プレゼンスは上げない。
 

ドリーム・マーシャル
M:弾いてみたいMarshall、いわゆる「ドリーム・マーシャル」ってあります?
Y:ジミ・ヘンドリックスの1969年の春先のアメリカツアーで使っていたマーシャルですね。
それと同じく69年のロイヤル・アルバート・ホールのマーシャル。
ヨーロッパでのトーンってすごく濁りがなくてクリアなんです。懐が深くて澄み切っている。
その点ではすごく参考になる。
M:電圧の加減?全然音が違いますからね。
Y:そうだと思います。
一方、アメリカのツアーの場合、その電圧の加減か、ペダルの影響か、もう少しハード・ロック的ないわゆるキメの細かいオーバードライブ・サウンドになるんですね。それもすごく好きです。

Bof_2M:ホンモノのジミヘンの音、聴いてみたかったですよね~!
Y:ホント。
それか、マハビシュヌ・オーケストラの『Birds of Fire』や『Between Nothingness and Eternity』でマクラフリンが使った…多分SUPER TREMOLO 100ですね。
そんなにマクラフリンの音って好みではないんですけど、この頃の音はすごく好きなんです。
M:あの音っていかにも出なさそうですよね?
アレは弾き方によるところがメチャクチャ大きい気がします。

Bne_4でも、マクラフリンの一番はマイルスの『ジャック・ジョンソン』でしょう。特にあのイントロ。
Y:(笑)アレはナンなんでしょうね?!
M:アレは奇跡でしょう。他には?
Y:それから、やっぱりエディかな?
M:アメリカ勢はダメなんじゃ?
Y:イエ、「ドリーム・マーシャル」ということだったら話しは別です。
エディの68年の「Baby Marshall」は弾いてみたい!
アレ、本人は'67年製と言っていますが、先日リペアした人から'68年製だったと聞いてます。
 
マクラフリンが使っていたとされるトレモロ回路搭載の1959、「Super Lead T1959」。
1966年から1972まで製造されていたところを見ると、それなりの需要があったのだろう。
真空管で揺らしたトレモロ・サウンドは本当に美しいからね。

St100 

ジミ・ヘンドリックスの録音
M:Marshallの工場に行った時に撮って来た実際に彼が使っていた1959の写真なんてありますけど…。
Y:ウワッ!見たい!

11_rimg0181_3M:コレですね…。
Y:おお~!
ジミ・ヘンドリックスでもそうなんですが、我々が耳にする音ってCDでも何でもレコーディングというプロセスを通ったものですよね。
それがどういうミックスをされたか…もっと言うとリマスターされたかによってすごくトーンの聴こえ方が変わってきますよね。
そういうことにすごく興味があって、リマスター盤が出ると買って聴いてみるようにしているんですね。

11_rimg0183_2M:「リマスター盤」が欲しいなんて思ったことがありませんが、なるほどそういうことを意識して聴くのであればオモシロいでしょうね。
Y:はい。自分がアルバムを出すようになって余計に神経質になりました。
M:なるほど。そうかもしれませんね。
Y:そういう意味で色々聴いていると、ジミってウッドストックにしても、ワイト島にしても、モントレーにしても、意外にオープンエアが多いんですね。
で、オープンエアの会場で録った方が「Marshallらしさ」って映えると思うんです。
ホールの影響がありませんよね。だから生々しく彼が出していたトーンが残っていると思いますね。
つまりアンプ以外の音の要素が少ないので参考にしやすい気がするんです。
そういう風な思いで聴いています。
M:そんなこと考えたことありませんでした。
 

三宅庸介の音楽
M:ところで、Marshall Blogに何回も書いている通り、私個人は三宅さんの音楽がとても好きで、「ロック」という範疇にあってはかなりユニークなものと捉えています。
はじめに聴いてすぐに思い浮かんだのがマイケル・ランドウ。

CY:マイケル・ランドウが世間ではどういう立ち位置にいるかはわかりませんが、自身確かに影響を受けてはいます。
でも、いわゆるフュージョンからの影響というのはまったくないんですね。
アルバムを作る前はもっとフリーフォームで、テーマをひとつふたつ決めて延々とソロをやるようなユニットの時期もあったんですが、アルバムを作るときに「本当にやりたいことだけをやろう!」って取り組んだんです。
M:なるほど…。
Y:それと、とにかく弾き方は自分にしか出来ない方法を採るようにして、音にも徹底的にこだわりました。
ストラトキャスターとMarshallがあったからできたんです。
曲に関しては、やっぱり素に戻ってずっと好きだったものを演ろうと…つまりロックですね。
コード進行やヴォイシングが変わっているというのはわかっているんですが、それをロックのサウンドにしたかった。
ボクの中では結構「ハード・ロック」なんですけどネェ…。
M:はい。少なくともジャズには聴こえないし、フュージョンでもない。
ロックなんですけど、他のロックとは単語も文法も違うんですね。
メロディについても極力ロックの定番フレーズを避けていることがすぐにわかる。
自然にそうなっているのかな?ローランド・カークみたいな。
結局ジャズの巨人達、パーカーもマイルスもエヴァンスもショーターも、今までにないようなカッコいいフレーズを発明することに心血を注いだワケですよね?
三宅さんのやっていることはそれに似ている感じがするんです。すごくステキなことだと思います。
Y:それはあんまり意識していないな…。
今のユニットはそうかも知れませんが、前にやっていたバンドでは典型的なフレーズも使っていたし、スティーヴ・ヴァイが好きだった頃のボクをご覧になっているお客さんはいまだにボクをそういう風に捉えているとは思います。
M:今の三宅さんだったら、自分の音楽を「三宅庸介です」と言って許される思うんです。すごいスタイリストですよね。
Y:ワァ、うれしい!
ジミ・ヘンドリックスにしても、ロビン・トロワーにしても、ウリにしてもいまだにコピーします。
好きですしね。
でも、コピーしたものをそのまま弾いても意味がないんですね。人がやっていない…自分にしかできないことをいかに最善の形で音にするかということをやっていかないとしょうがない。
M:コピーからはナニも生まれてきませんからね。何も残らないし。
 

ジャズ
M:こないだのライブでは冒頭にコルトレーンの『至上の愛』の一節を弾かれていましたね。

Lspジャズはよくお聴きになるんですか?
Y:イエイエ、全然!ウワベだけです。
学校で教えていると、「BOφWYからギター始めました」とか「昔メタリカやってました」という子がちょっとギター弾けるようになって学校へ来る。
それで、上手になってくると途端にやれ「モード」だとか「何とかジャズ」の方へ行ってしまう。
で、「君が好きだったBOφWYから受けた衝動はどこへ行っちゃったの?」っていう子がすごく多くて、そういう子は決まってロックをバカにするんですね。
そんなことを目の当たりにしていたので、むしろボクはジャズをキライなのかもしれない…。
そんなに興味もないし、居心地がよくない。
でも、アーティスト単位では好きな人はいます。
ウェス・モンゴメリーは大好き。それでも彼の音楽的な手法がどうとかではなくて、トーンが好きだったり、歌わせ方が好きだったり…。
後はマイルス。そのふたりぐらい。マイルスなら少しは偉そうに語れるかな(笑)?
M:ジャズの話は私が止まらなくなってしまうので、コレで終わりにしましょう(笑)。
 

『Lotus and Visceral Songs』
M:それではご自身の音楽を総括すると…。
Y:ボクは自分の音楽をプログレの一種だと思っているんです。
プログレが大好きでいまだにフォーカスが一番好きなんです。
で、あのアルバム(『Lotus and Visceral Songs』)って『Focus Ⅲ』のサウンドをすごく参考にし

Lvsているんです。
M:録音ってこと?
Y:そうです。
レコーディングの時、『Focus Ⅲ』をエンジニアに持っていって聴いてもらった。
あのレコードって残響がほとんどないんですね。
M:「Anonymous Ⅱ」とか完全にデッドですよね。
Y:そう。聴いていてレコーディングしている部屋にいっしょにいるような感じにしたかったんです。「音がボヤけるようなことは一切しないでくれ!」と

F3エンジニアに頼みました。
特にドラム。
ドラムの音が全体を決めますからね。
ギターは自分が出している音をそのまま録ってもらえればいい音になることがわかっていたんで、ドラムにはこだわりました。
あれはピエール・ヴァン・ダー・リンデン(Focusのドラマー。現在も活躍中)のドラム・サウンドをかなり参考にしたんですよ。
レコーディングの期間中ズーッとあのアルバムを流していました。
M:私、去年ロンドンでピエール見ましたよ。
Y:HIGH VOLTAGEですね?
M:はい。
そう、マーブロにも何回も書いたとおり、今のCDの音ってドンシャリすぎるんですよ。
ナニを演っているのかさっぱり聞き取れないし、疲れちゃって長い時間聴いていられない。

E_2すぐ飽きちゃう。味が濃すぎるんです。コンビニのお弁当みたい。
そういう点で『Lotus and Visceral Songs』は違うな…って初めて聴いた時に思いましたよ。
結局、お母さんの味付けの方が美味しいし飽きないんです。
Y:でしょ~?
結局、エンジニアの方にものすごく試行錯誤してもらって、納得のいく素晴らしい音で仕上げてもらいました。
それがホントに嬉しかったし、とても良い経験をさせてもらったと思っています!(笑)
M:本当にCDの音質は業界をあげて考え直した方がいい。
切ったり貼ったりは全然構わないと思うけど、昔みたいに自然な音で吹き込むべきだと思う。
何しろ若い子にはレッド・ツェッペリンがスカスカに聴こえるらしい。
ジョン・ボーナムのドラミングがスカスカなんですって!
Y:MP3プレイヤー用の音質になっているんですね。
雑踏に負けないように鼓膜にくっついてすべての音が聴こえてくる。
「ああ、これ聴きたいな」と思って家でターンテーブルに乗せて聴くようなレコードの音では外では雑踏の音に消されて聴こえないんですよ。
 

マーシャルを弾くということ
Y:今の若い子はマMarshallを弾かせると、あんまり知らない子は雑誌の影響か何かわかりま せんが、コントロールをすべて5にするんですね。
ま、それでもいいけど、それじゃ面白くないやろ…自分の音を作ってみろって!言うようにしているん

L12です。
自宅はLEAD12(5005、12Wの小型コンボ)を使っているんです。
ベースは少々。トレブルも少し。ミドルはそこそこ。
こうすると鳴らし方がわかってくる。
M:今の若い子が好む音楽からすると、彼らから低音を奪うことはムズカシイでしょうね。

11_bY:ギタリストがギターを弾いているのを見た時に、マーシャルを弾いてきた人ってその弾き方でわかるんですよね。ピッキングとかね。
で、そういう人が出す音って大抵ボクの好きなタイプの音なんですね。
逆にMarshallに育てられた弾き方っていうものがあるんですね。ボクもそうだけど…。
ピッキングを見たら生音でもわかる。
現行品で全然構わない…1959に戻りたいなって思っているんです。アンプのよさを引き出す弾き方が果たして出来ているかどうか真剣に向き合いたいと考えているから…。

 

<あとがき>
見た目の通り落ち着いて思慮深く、ひとつひとつ言葉を選びながらお話しになる三宅さんの姿は先生、それも生活指導の先生のようでもあり、ひとつの道を極めんとする修行僧のようでもある。
もちろんその実体は己の真のスタイルや音楽を追及するアーティストだ。
それだけに三宅さんの発する言葉には計り知れない重みを感じた。

楽器に限らず最近市場に出回るあらゆる商品は「売上至上」を象徴しているかのような、お店で手をかけずにすぐに売れるものしか置かなくなってしまった。
商品のハードルが低くなってしまっているのだ。
コレは決して品質が良いとか悪いとかいうことではない。ギター・アンプでいえば初心者でもスイッチを入れればその場でいい音が出てしまうというシロモノ。
もちろん、ギター・アンプはいい音を出すことによって商品の価値が決まるワケだからそれらは商品としての使命を立派に果たしているのだが、本当にこれだけでいいのだろうか?
いい音が出ることによってそれ以上の音を求める必要がなくなってしまうだろうし、いい音を出すために悪戦苦闘をして弾き方の研究する機会もなくなってしまう。
マーシャルで言えば1959の例を出せばわかりやすいだろうか?
初めてギターを弾く人にとってよもや1959がユーザー・フレンドリーということはあり得ないだろう。
でも、我々がギター始めたころはコレが当たり前のギター・アンプだった。
もしロックが「ロック」という形と精神で将来も生き残ることができるとすれば、CDの音質も先祖返りを果たし、ギター・アンプも1959のようなノン・マスター・ボリュームの頑固なモデルに収斂していくような気がする。
そしてそういった傾向こそがシリアスなロックをよみがえらせるのではないか?とさえ思えるのである。
「1959にもどりたい」という三宅さんの言葉が実に印象的であった。

Mblogo 

<あとがき>の後で
2011年のインタビューは以上。
この時から9年の時が経った。
その間も三宅さんは自分の音楽を追求し続け、2014年にはStrane,Beautiful and Loudのセカンド・アルバム『Orchestral Supreme』を発表。OspMarshallはJVM210Hをメインに据え、相変わらずの美しい爆音を発散させ続けてくれている。

0r4a0427一方、インタビューの中で「1959が基本」とおっしゃっているように、最近では1959をお使いになってのステージも展開している。
この1959がいつ出番となるかは事前にチェックするより仕方がないが、ゼヒ、生のサウンドをご体験頂きたい。
特に「自分はロック・ギタリスト」だと勘違いしている若い世代のプレイヤーは必ず観に行くべし。
そして、デジタル・アンプが跋扈している昨今、「真空管のギター・アンプの音がどういう風にいいか」ということを言葉抜きに、ギターの音だけで実感させてくれるハズだ。
11_0r4a0566一方では「Marshall」と聞けば、新しいモデルのチェックにも余念がない。
最近ではSTUDIO VINTAGEでノックアウトさせて頂いた。
とにかくどんなに時代が変わっても「三宅庸介=シリアスなギター・サウンド=Marshall」という図式が変わることはないのだ。

0r4a0336 動く三宅庸介はコチラ⇒【公式YouTubeチャンネル】Yosuke Miyake Strange,Beautiful and Loud

三宅さんが愛用のLEAD12 5005を使って自宅でギターを弾いている様子などを見ることができる!

11_0r4a0058

200_2 
(一部敬称略 ※このインタビューは三宅さんご本人の監修の元、2011年10月の記事に大幅に加筆&訂正を加えたモノです)

2020年3月28日 (土)

【Marshall Blog Archive】三宅庸介インタビュー <前編>

 
「はじめに」の前に

以前に書いたことがあるかも知れないけど、ある本のインタビューで映画評論家の淀川長治さんがおっしゃっていたことを読んで少しばかりショックを受けたことがあった。
天文学的な数の映画を観て、評論し続けた淀川さんの偉業を褒めたえたインタビュアーのこう答えた。
「ハイ、私は確かにたくさんのたくさんの映画観ましたね。いい映画、感心しない映画ありました。
でもね、私エラクもなんともないの。
私ね、映画はたくさん観た観た観た…でも1本も映画を作っていないんですよ。
ということは、私が死んでも何も残らないんですよ。
映画観て、しゃべっただけだから。
コワいですね~」
だいたいこんな感じ。
謙遜なんかではなくて、私はこの言葉に淀川さんの後悔と、自分だけのモノを作り上げた人たちへの嫉妬と尊敬の念を感じ取った。
でもね、こんな本を読むと、そのバツグンな記憶力と今観て来て説明しているかのような語り口はひとつの立派なスタイルであり、頭がいくつもあるサメの映画を1本撮るよりよっぽどスゴイと思うけどね。
そうした作業を生涯にわたって何万本分かやったワケだから十分に尊敬に値する。

11_3es1そこへいくと、膨大な資金と時間を音楽やギターに投じたところで、たったひとつのオリジナル曲も作れなかった私…。
ヘタな写真を撮ってツマらん文章を書く、Marshall Blogが関の山だ。
それこそブログ屋との契約が切れればナニも残りゃしない。
レベルは極端にちがうにせよ、淀川さんの気持ちがよくわかるような気がするのだ。
私の立派なところは、「作る才能」がないのを自分で見て取って、ギタリストになる夢を早いウチにサッと捨て去ったところか。
ま、当時はそういう世の中だっただけなんだけどね。ロクに食えもしないのに30歳を過ぎてバンドなんかに夢中になっているなんてことは「普通の状態」とみなされなかった。
その代わりロック界はオリジナリティでしのぎを削り合う魅力的なバンドばかりで、コピーバンドはライブハウスに出してもらえないという音楽に厳しい時代だった。
 
とにかく、「何もないところから自分だけのナニかを作り出す」ということは本当に大変なことだと思う…「自分だけのスタイルを確立する」と言い換えてもいいだろう。
最近このことをすごく思うようになった。
そんな時に思い出す音楽のひとつが三宅庸介が取り組んでいることだ。
音楽に対してあまりにストイックなその姿勢は尊敬に値するどころか、「自分が好きなコトしかしない」ワガママの域に達していると言えなくもないような気もするが、芸術家はそれでよし。
それこそが「アーティスト」。「ミュージシャン」とは一線を画する存在なのだ。
そもそも人の言うことを聞いていたら「自分の世界」を作ることは到底できないからね。
そうして作り出されたオリジナルの創造物は作り手がこの世からいなくなっても生き永らえることができる。
コピーからは何も生まれないし、何も残らない。
 
で、他の調べごとをするために前のMarshall Blog(2008年4月~2011年12月)をチェックしていたら、三宅さんのインタビューが出て来てつい読み込んでしまった。
コレがすごくオモシロい。
インタビューは2011年のもの。
今となってはご覧になったことのない方も多いと思ったので、大幅に加筆訂正し、三宅さんのご協力のもと、秘蔵写真を交えて新しい読み物に作り替えてみた。
お楽しみ頂き、三宅さんの音楽をご存知ない方が興味を持ってくれれば幸いである。
次からのインタビューが当時の記事です。

Mblogo 

はじめに
Marshall Blogに多数回ご登場頂いている三宅庸介氏。
その独特のスタイルと魅力的なギター・サウンドで自己のユニット、Strange, Beautiful and Loudを率いて自らの音楽を奏でる姿は現在の音楽シーンでもズバ抜けて光り輝く存在であることは誰もが認めるところであろう。
今回は満を持して三宅庸介氏に『マーシャル・トーク』に登場して頂いた。
個人的な趣向もあって、インタビューの話題はMarshallの話よりも、三宅さんの音楽的な部分に触れることがつい多くなってしまった。
でも、いくら説明してもらっても、何を聞き出しても、あの三宅さんのギターのトーンを真似することは不可能であろうからこれでヨカッタと思っている。
また、ギターを弾いて、自分の音楽づくりに勤しんでいらっしゃる方々にとっては、かえって三宅さんの音楽的なバックグラウンドや音楽に対する姿勢を語って頂いた方が有効だとも思ったのだ。
稀代のスタイリストのトークを是非ご堪能あれ。

 
Marshallとの出会い

Marshall(以下「M」):Marshallを意識し出したのはいつ頃、どんな感じでした?
三宅(以下「Y」):記憶にあるのは、最初に買ったミュージックライフ誌にジェフ・ベックの

00a_2『There and Back』ツアーの来日公演のレポートが出ていたんです。
(ハンブル・パイの)マリオットから安い値段で買ったか、もらったかした54年か55年のストラトを弾 いていて、メンバーはサイモン・フィリップス、モ・フォスターとトニー・ハイマスでした。
その時の写真がすごくカッコよくて…昔ってよく透明の下敷きにアイドルの写真なんかを入れたりしましたでしょ?
M:ハイハイ。私の世代は天地真理ちゃんでした。私はそんなことは一切しませんでしたけど。
Y:ハハハ。ボクはそこにそのジェフ・ベックの写真を入れていたんです。
そのジェフの後ろに「Marshall」の文字が写っていたんだと思います。
ハッキリこの時に意識をし出した…というのではありませんが、そんなことでマーシャルというものを気にし出したんだと思います。
後はマイケル・シェンカーが好きだったし、リッチーですよね。

 
三宅庸介とマーク・ノップラー

M:では、好きなギタリストというと…。
Y:最初はマーク・ノップラー。
M:エエッ?!

00b_2Y:ホントです…というのはラジオでよくかかっていたんですね。「サルタン」とか。
リアルタイムに聴いたのは3枚目の『Making Movies』ですね。
それとポリスなんかが好きでズ~っと聴いていました。
M:あのファースト・アルバムがでたのは私の世代ですね。
私もアルバムは買いましたが、あのヤル気のなさそうな歌が苦手ですぐに手放しちゃいました。
しかし、三宅さんがノップラーなんてメチャクチャ意外です…ナンプラーならわかるんですけど。
Y:そんな!
でも、ギターとして最初に意識して聴いていたのはダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーなんです。
M:ギターが好きで?それとも曲?
Y:曲も好きだったし、ギターのトーンが好きでしたね。
M:でも私みたいに歌は受け付けなかったんじゃないんですか?
Y:イヤイヤ、歌も好きでしたよ。
ポリスも好きで、一番最初に観に行ったコンサートがポリスでしたから…。81年ぐらいかな?
ボクは最初ベーシストになりたかったんですよ。
M:スティングにあこがれて?
Y:そう。いまだに一番のアイドルはスティングなんです。
M:音楽家としてでしょ?
Y:そうです。存在とか…。
例えば自分でアルバムを作る時にスティングを連れてくるのは到底無理なので、反対に彼のアルバムでちょっとでもギターが弾けたらいいナァと思いますね。
M:んん~、ポリスか…。やっぱり私とは世代が少し違いますよね。私なんかはポリスより先に「頭脳警察」でしたから。

ブリティッシュ・ロック
Y:ボクはアメリカ系の音が全然ダメで、その後も聴いたものといえばシン・リジーであったりジューダス・プリーストであったり…ブリティッシュ・ハードばっかりでした。

00d_2ヴァン・ヘイレンすらピンと来なかった。
M:私はヴァン・ヘイレンが出てきた時のことをよく覚えていて、初来日公演も行きました。
あの頃ってツェッペリンも、パープルも、ピンク・フロイドも、もう活動していなくて、ブリティッシュ・ライオンズとかストラップスとかエアロスミスの弟分のスターズとかイギリスのミスター・ビッグとか(実は大好き)…ハードロック系のバンドといえば、せいぜいそんなのしかいなかった。
その時代に出て来たギター・ヒーローもいなかった。
そこへあんなに弾ける人が出てきちゃったからギター・キッズたちの間では上へ下への大騒ぎだったんです。
「あの右手でやるヤツ」なんて言ってね。
「ライトハンド」だとか「タッピング」なんて言葉はなかった。
Y:なるほど。
やっぱりマーシャルはそういう「ギター・ヒーローが使っている」という視覚的なインパクトが強かったんです。
Nhp_2それと、UFOの『No Heavy Petting』サウンドにかなり印象深いモノがありましたね。
やっぱりマイケル・シェンカー好きでしたから。
M:簡単に『Force It』とおっしゃらないところがいい!
私も『No Heavy Petting』が好きだった。
Y:やっぱり?
M:またジャケットがヨカッタ!この頃のヒプノシスのセンスって最高ですよね。
Y:同感です!

ストラトキャスター
M:ところで三宅さんは担当楽器のところにいつも「ストラトキャスター」と記されていますよね。

00eいわば職業がストラト…。
役所の書類の職業欄にもそうお書きだとか…そんなことはないか。 
ストラトキャスターと言えば、シェンカーは違うにしても、それはやっぱりジェフ・ベックとかマーク・ノップラーとかの影響が強いんですかね?それともジミヘン?
Y:ストラトは…(間)…ストラトは…ウリかナァ。
M:なるほど!
Y:マイケル・シェンカーのUFOとか、シン・リジーとか、ブリティッシュ・ハードロック…もっと広く言えばブリティッシュ・ロックにハマって、プログレッシブ・ロックに傾いたり…でも「ギター」中心の音楽ということになると、その頃からズーっとウルリッヒ・ロートですよね。
M:ウリがその時代の日本人ギタリストに与えた影響には計り知れないものがありますね。
令文さん、中間さん、ノンちゃん(島紀史)、ルークさん、Syuちゃん…みんなウリが大好き。
Y:『Tokyo Tapes』はレコードもCDも何回買ったかわからないし、ジャケットも部屋に飾っていました。

Ttそれも複数枚買って表と見開きの内側の両方を飾ったりしていました。それぐらい好きでした。
M:そんなに!
三宅さんにもそんな時代があったのか…。
私もずいぶん聴きました。「All Night Long」が載っているバンド・スコアも買った。
でも、このコンサートは行かなかった。2回目の来日公演は言ったんですけど。
私のロック人生で最も大きな後悔のひとつです。
 

大谷令文
Y:ストラトっていうと、高校2年ぐらい、そこそこギターが弾けるようになった時に見たんですよ…令文さんを京都で。
それより以前に先輩が録音してきたテープなんかで聴いてはいたんです。
「これは外国人だ」って思いましたね。
こんなギターを弾く人がいることに驚きました。
「こりゃ観に行かないといけない!」って京都の磔磔に行ったんです。
最前列でね…もう令文さんの足が目の前にある。
当然真ん前はMarshallですよ。もうギターの音しか聴こえない!
それもボクが聴いてきた大好きなブリティッシュ・ロックのすごいギタリスト達が出している音と同じだったんです。
令文さんが23~24歳の頃なのかな?
日本人でコレをやる人がいるんだったら、自分も本気でやってみようかな?って思いました。
それぐらい令文さんにはインパクトを受けましたね。
ホント、あの時の令文さんを見ていなかったらギタリストにはならなかったかも知れない。
M:へェ~。マリノの頃?
Y:マリノのデビューの直前ですかね。
 
<庸介写真館1>
憧れの令文さんとの共演。1988年の大阪バーボンハウス。
ギタリストを集めたイベントでこの時のベースは現Kruberablinka鎌田さん、ドラムスは板倉淳さん。
三宅さんのリクエストで「Raven Eyes」をご一緒して頂いた
写真の右端に3段積んであるMarshallの真ん中のステッカーが貼ってあるのが三宅さんの1973年製のハンドワイアード仕様の1959(後出)。

3_tr_raven_880331
  
ギターを始める
M:ところでギターを始めたのは?
Y:14~15歳ぐらいかな?
でもあんまり弾いていなかったんです。
本当にあの1983年11月13日の令文さんのライブがなかったらこうはならなかった。

00c_2M:では、はじめてのアンプといえば?
Y:最初にギターを買った時に小さな30Wぐらいの国産のコンボもいっしょに買って改造とかしたんですよ。
M:本当にお好きなんですねェ!
Y:ええ。
父がそういう関係だったもので電気に強かったんです。
で、最初にギターとイタリア製のJenのワウワウ・ペダルとその小さいアンプを買ったんです。
歪みペダルを使わないであの憧れの音を出そうとしていました。
M:ギターをはじめた頃って「あの音を出そう」なんて思ったりしませんよ!
「音」に対する意識なんか普通ありませんよ。
Y:ボクの場合はそうでしたね。
M:サスガだナァ。

 
はじめてのMarshall

M:で、はじめてのMarshallはいつ頃どうやって、何を入手しましたか?
Y:19歳の時にバンドもやってなかったので、このままじゃいけないと思い「Marshallを買おう」と決心したんです。
Marshallを買えばバンドをやれると思ったんです。
とりあえずMarshallを持たないことには大人になれないな…みたいな。
で、オールドのMarshallが欲しくて、色々調べたら大阪にそういうお店があったんですよ。
で、行ってみたら5台くらいオールドのMarshallがありました。
その時の店員さんが住友(俊洋)くんだったんです。
M:エエ~ッ!あの住友さん?
Y:はい。バイトでね。
彼も「ティンカーベル」っていうバンドをやっていて、そこそこ有名でしたからね。
後で調べてみたら令文さんをはじめ大阪のスゴ腕ギタリストはみんなそこへ行っていたようです。
で、住友くんに色々訊いたりして、その中で一番気に入ったのが1973年製の1959だったんです。
今にして思うとまだハンドワイアードでね。
M:1974年ぐらいまではまだハンドワイアードがありましたからね。
 
<庸介写真館2>
1987年、京都スポーツ・バレーのTerra Rosa。
写真の左下に見えるのがインタビューで触れている1973年製の1959。
三宅さんはこの時初めて京都北白川の「天下一品」の本店のラーメンを召し上がったそうだ。
私は東京人なので、醤油あっさりが一番好きなのだが、この本店の味は何でも他の店とはゼンゼン違うと聞く。格段にウマい…というのだ。
そうなると一度試してみたくなるというモノだ。
もうひとつはギネス。スタウトのギネスね。
あれをダブリンの本拠地で飲むともうウマすぎちゃって、二度と他のギネスは飲めなくなるとか…コレ、実際に飲んだ人が全員言うのよ。
試してみたい。

01_1959_tr_1 
同じく1987年10月のTerra Rosa。

奈良芸術大学の学園祭より。
そういえば「学際」という言葉をトンと聞かなくなったな。そういうのまだやってるのかな?
Terra Rosaの他に中間英明さんのHurry ScuaryとWolfというバンドが出演したそうだ。
この時はちょうど『Endless Basis』のレコーディング中で、リズム録りを終えてから機材をこのステージに持ち込んで演奏し、終了後またスタジオに帰って機材をセットしたそうだ。
そして、その翌日からギター録りに入った。

02_2向かって右側が三宅さんの73年製1959と1960A。
写真ではわかりにくいが、1959の上、右端にチョビっとだけ見えているグレイの箱が乗っているが、コレはスライ・ダック。
この頃は会場の様子に合わせてMarshallに送る電圧を調整していた。
良い子の皆さんはこんなことしないでくださいね。
そして、三宅さんの背後の1960は中間さんの機材だそうだ。

Nara

Terra RosaとMarshall
Y:ハイ。
それをスタックで買ったワケです。
でも持って帰れないので、お金だけ払って少しの間取り置きしてもらうように頼んだのです。
で、家に帰ったら電話がかかってきたんです。
Terra Rosaのキーボーズがさっきの先輩の紹介で電話をかけてきてくれたんです。
「ギタリストを探しているのでオーディションを受けないか?」って。
M:ちょうどMarshallを買った日に電話がかかってきたんですか?!
Y:そうです。スゴイと思いませんか?
M:メッチャすごいですよ!Marshallはお守り?
Y:ね!それで早速Marshallの話をして、さっきの楽器屋さんで待ち合わせして、買ったスタックを車に積んで、オーディション会場に持っていってもらったんです。
だから、オーディションの時にはじめてその買ったMarshallを本格的に弾いたというワケです。
M:へェ~。
Y:それでそのままバンドに入れてもらったので、結局そのMarshallは家に持って帰らなかったんですね。
M:ハハハ!スゴイ話しですね~。
Y:Marshallを取り入れた日にたちまちバンドに入ることができたワケです。
しかもよく観に行っていた好きなバンドです。
だから本当にMarshallが守り神というかラッキー・アイテムというか…Marshallが人まで連れて来てくれた…そういう感じなんです。
 
<庸介写真館3>
1988年、大阪バーボンハウスにて。
もちろん1959。
三宅さんは1959をクランチでセットしておいて、Tube Screamerを歪ませるスタイルだった。
JVMをお使いの今でも同じ。

04_1959_tr_3_880124 コレは時が経ってどんなにモデルが変わろうとも「Marshall」のサウンドがブレていないことのひとつ証ではなかろうか?

06_tr3 動く三宅庸介はコチラ⇒【公式YouTubeチャンネル】Yosuke Miyake Strange,Beautiful and Loud

三宅さんが愛用のLEAD12 5005を使って自宅でギターを弾いている様子などを見ることができる!

05_tr_3_88_01_24 そのTerra Rosa…昨年11月に12枚組のボックスセットをリリース。12terrabox5月~6月に『The Endless Basis Tour 2020』と銘打ったツアーも予定されている。
観たい!
私は三宅さんのTerra Rosaを見たことがないのだ。
観せて~!

Trt <後編>につづく
 

200_2 
(一部敬称略 ※このインタビューは三宅さんご本人の監修の元、2011年10月の記事に大幅に加筆&訂正を加えたモノです)

2018年8月31日 (金)

若手Marshallギタリストの集い <後編>

 
<後編>いきま~す!

  
Marshall(以下「M」):それでは寒河江くんお願いします。例によってギター歴から。
寒河江(以下「S」):ボクは中3からギターを始めたので、ギター歴は15年ぐらいになりますね。
Marshallを意識したのは…ボクは父の影響でクラシック・ロックが好きなんです。3大ギタリスト…クラ

Img_0783プトン、ベック、ジミー・ペイジ…チャー、みたいな。
M:初めからそういうロック?
S:いえ、一番最初は「ゆず」なんです。「ゆず」のアコースティックからクラプトンのアンプラグドに行ったんですね。
M:そういうこともあるのか…。でも絶対にマレだよね。
S:そうだと思います。それで、お兄ちゃんが家で「Tears from Heaven」を弾いていて、「すごくいい曲だな…」と思って。
M:やっぱり新しいよね。私がクラプトンの名前を知ったのは『No Reasonn to Cry』をリリースした時かな?いつだ…(調べる)…1976年か。クラプトン、31歳だって!
S:だいぶ昔ですね。それから、この人が作っている曲ならもっといい曲があるんじゃないかな?という感じで興味を持って、クラプトンのCDを手当たり次第にブックオフで買ったんです。
M:ブックオフ?
S:それで最初のウチは「Change the World」とか最近の曲にハマったんですけど、段々とクリーム

0r4a8759_2とかに移っていったんですね。
M:それはいいことだ!
S:さらに、3大ギタリストを通って、ジミヘンに行って…。
M:我々と同じですよ、そのコースは。私は違うけど。
S:やっぱりその年代のギタリストって1回はMarshallを使ってるじゃないですか?
M:そう。つまり、Marshallがなかったら実現しなかった音楽をクリエイトしていた。
S:それで、高校の時にエレキギターを買ってもらって、今はもうないんですけど、Fuzzy ControlというバンドがBSで1時間ぐらいのライブ番組をやっていたんですね。
それでJuonという人にノックアウトされちゃったんです。
その人がやっぱりMarshallとストラトキャスターだったんです。
M:ハハハ!ファジコンか!当時、私はずいぶん一緒に仕事させてもらったんですよ。何回もイベントをやったし、今もやってるハンドワイアードシリーズの発表会を今はなき原宿のアストロホールでやった時にも出演してもらったの。MGシリーズの広告にも出てもらったっけ

Img_0789ナァ。
じゃ、寒河江くんの中でMarshallというえばJuonくんということになるワケですか?
S:極論を言えばそうなりますね。
M:ナンカうれしいナァ。
S:その流れもあってアンプはMarshallですね。王道が好きですし、どこに行っても置いてある。
そして、どのMarshallを使っても自分の音を出すように努めています。
M:それは素晴らしい!
 
銀幕一楼とTIMECAFEの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト


M:ではお待たせしました。Toruくん、お願いします。
Toru(以下「To」):ハイ。ジョン・フルシアンテとかジミ・ヘンドリックスとか、Marshallとストラトキャスターの組み合わせのサウンドが好きだったんです。

Img_0797自分の好きなタイプの音楽をさかのぼっていったら結局そこに突き当たったんですね。
M:ギターを始めたのは?
To:ギター歴は20年か…21年ですか。
M:今日の中では一番のベテランさん。
To:中一の時にムリヤリ始めました。
M:ムリヤリってどういうことですか?
T:親戚のお兄さんがギターをやっていて、「ギター教えてやるよ」としつこく言うもんですから、「わかった教わってやるよ!」って!
M:ハハハ!サラリーマンのゴルフみたい。
T:ですから「オレはギターをやるぞ!」って決心して始めたワケではないんです。
M:そんなキッカケでよく続きましたな。
To:ハイ。父もギターを弾いたり、ピアノを弾いたり…「夢破れた」系ではあるんですけどね。
M:そういう環境だったから続いたんだ?
To:他の親戚にもギターをやっている人が何人かいて、あまりにも多いのでベースにしようかと思ったんです。でも、その親戚があまりにもしつこいので…。
M:その親戚の方もガッツがあるね~。何をそんなに教えたがったのかしら?
To:それなんですよ。で、何を教わったのかというと「ドレミファソラシド」とかそんなのでした。

0r4a8218_2M:それがやりたかんですか?
Marshallに関しては?
To:ボクはみんなみたいに若くして機材に詳しいとかいうことはなかったんですね。腕さえよければ機材は何でもいい…なんて思っていました。
それでMarshallはどこへ行ってもあるじゃないですか。なのでマルチ・エフェクターをクリーン・チャンネルにつないでズット使っていたんです。
M:昔風の使い方ですな?でもマルチかどうかは別にして、今もそういう使い方をしている人が多いでしょう?
To:何がキッカケだったのかは覚えていないんですが、ある時Marshallのアンプの歪みを使ってライブをやったら「ものすごく音がヨカッタね!」とやたらみんなからホメられたんです。
それから、やっぱりバンドで弾く時はアンプの歪みじゃないとダメなんだな…と思ったんです。
M:きたきた!
To:でもさすがに「直」は厳しいので、そこから初めてコンパクト・エフェクターというものを使い始めたんですよ。
M:へ~。それは珍しい。我々の時ははじめはマルチ・エフェクターなんてなかったので、自動的にまずはコンパクト・エフェクターから始まりましたからね。そのウチいくつかのエフェクターがひとつにいまとまっちゃたヤツが出てきて驚いた。
で、JCM800にしたのは?
To:ボクの師匠がJCM800だったのでボクも2203を使い出しました。でも音作りは結構苦労しましたね。
家で小さい音で「コレだ!」と思っても、音を大きくすると全く変わってしまう。
M:大きいから「いい音」っていうのはありますからね。反対にその大きな音を何らかの方法で小さくしたとして、「いい音」のままキープすることは物理的に無理。
To:それでも一旦アンプの歪みで音作りが固まれば、後はJCM900が来てもJCM2000が来ても平気になりましたね。
M:なるほどね。
To:よく雑誌なんかで「おススメのセッティング」みたいのを見かけますが、やっぱり自分の耳で作らないとダメだと思います。どんなに変なセッティングでも自分が納得できる音であればそれでいいと思います。

Img_0805_2M:その通りだと思います。で、憧れのギタリストは?
To:憧れのギタリストですか…パッと思い浮かびませんが、Slashの音はやっぱり素晴らしいと思いま

す。
M:アラ?Marshallとレスポール?
ところでTears of Tragedyのサウンドは誰の影響があると思いますか?
To:「誰の」ということはないんですが、我々の世代でバンドをやっている人たちは、たいていラルクと…
一同:ああ~!(と同意)
To:あとシャム・シェイドの影響は受けていると思います。
一同:おお~!(とさらに激しく同意)
To:あと、メタルに行ったキッカケはボクの場合はセックス・マシンガンズで、コレをやろう!と思ったのはイングヴェイでした。
イングヴェイには雷に打たれたような衝撃を受けました。
M:イングヴェイ強し!

Tears of Tragedyの詳しい情報はコチラ⇒Official web site
THOUSAND EYESの詳しい情報はコチラ⇒Official web site

 
ココで遅れてKaeDeくんが到着。

Img_0821だいぶ出来合ってしまった時点での合流だったので温度差が大きい!
M:お待ちしてました!早速、みんなと同じ質問をさせてくださいね。
まずはギター歴はどれぐらいになりますか?
KaeDe(以下「K」):ギター歴は15年以上になります。
M:Marshallを使い出したキッカケは何でした?
K:Marshallを使い出しだのは…イングヴェイです。
M:ウワッ!またイングヴェイか!今日のこのメンバーで最もイングヴェイ、イングヴェイしているのは雄太くんかな?
でも、みんな「イングヴェイ・マルムスティーン」の名前を口にするもんね。スゴイ影響力!
心配なのは、その後の世代でイングヴェイのような幹のようなギタリストが出てこないことだよね。枝や葉っぱはウンザリするほど出てくるけど。
やっぱりこれだけイングヴェイの影響力が根強く残っているのは、あのギター・プレイもさることながら、あのギター・プレイで自分だけの音楽を作ったということなんだろうとつくづく思います。

Img_0042その後の世代の人たちはイングヴェイがゴールなのではなくて、イングヴェイがスタートなワケだから大変ですよ。
K:なるほど。でも、ボクの場合はイングヴェイ自体を好んで聴いていたワケではないんです。
M:アラ何よ!じゃなんでイングヴェイ?
K:雑誌に出ていた写真で、イングヴェイの後にガーンとMarshallが並んでいるのを見たんです。
それで『Marshallカッケ~!』と思って…それからですね。
M:ハハハ!アレは強烈だからね。何も知らない頃は「ホントに全部鳴らしているんですか?」となる。大変なんですよ、アレを用意するのは!
でも、いつの時代もそういう見た目で人を惹きつけるというのは大切なことですね。
K:ハイ。で、その時はイングヴェイよりもポール・ギルバートの方が好きだったんですよ。
M:ウン、わかるような気がします。
K:でも、もうMarshall見た目がとにかくカッコよくて…。
M:ポールは以前Marshallじゃなかったもんえ。
K:そうなんです。とにかくイングヴェイがカッコよかった…イングヴェイの音楽はよくわからなかったんですけど…。
M:大丈夫、大丈夫!Marshallのカッコよささえわかっていれば!
 
ひと通り個人のギター経験やMarshall初体験などをうかがった後、ランダムに色んなことについて意見を伺った。
ところがね~、<前編>にも書いた通り、あまりにも盛り上がりすぎちゃって、叫び声や笑い声で文字起こしができないところがたくさんありましてね~。
何とかまとめた部分に私の感想や考察を交えたモノを以下にお送りする。
わかっちゃいるけど「時代は変わったな~」と目からウロコの座談会だった。
その前に上掲以外のパネラーの皆さんを今一度ご紹介させて頂く。

 
IOSISの真壁雄太。以下「Y」。

660_img_0751CASPAのNatusmi。

660_img_0778Fate for Blue BulletのTakuya。以下「T」。

1_img_0757   

<楽器の購入について>
まだインターネットが普及する前、1990年代の中頃、立花隆先生が盛んに「インターネットが世の中をガラリと変えてしまう」と主張していたが、その予見は見事に的中し、良くも悪くもすべてのことが大きく変わってしまった。
音楽の世界なんてスゴイよね。アメリカなんてCDのような物質的な音楽の記録媒体が本当になくなっちゃいそうなんだもん。
私は断固反対。配信なんてのは一度もやったことがない。もし大好きなミュージシャンが配信でしか音楽を発表しなくなったとしたら、「もういいや」って諦めちゃう。
だってそんなの「音楽」じゃないもん。
本もそう。インクのニオイを嗅ぎながら紙のページを繰るから「本」なんだよ。
それを「いまだにCDを作っているのが考えられない」とか「電子書籍化を望む」なんてのはホントに勘弁して欲しい。
アメリカがすべて正しい…なんてことは絶対ないし、日本には「日本人のメンタリティ」というモノがあるんじゃい!
とはいえ、楽器の購入に関しても通販、いわゆる「ググる」とか「ポチる」とかいう買い方が主流になって来た感もあって、その辺りのことをみんなに尋ねてみた。
すると…やはり利用していることは事実。
しかし、こんな意見も飛び出してきた。


T:楽器屋さんの方がネットよりチョット高いじゃないですか?

1_img_0765M:そうりゃそうだよね。人件費、光熱費、設備費、広告宣伝費、消耗品費、かかる経費が全く違いますから。
T:でもボクは、その「チョット高い値段」というのは、「行きつけの楽器屋さんの店員さんとの関係」込みの値段だと思っているんですよね。
M:サービス料みたいなもんですな?昔はインターネットがなかったし、私は楽器屋さんに入り浸るということを一切しなかったけど、間違いなく楽器屋の店員さんから得る知識は多かった。
Y:行きつけの店があるとそうなるよね。
M:今はインターネットや雑誌に何でも書いてあって、楽器屋さんに行って得られる情報はかなり少なくなってしまっただろうね。
でも、実際のモノを目の前にして、「あーでもない、こーでもない」と商品についての話を聞くことはとても有益でしょう。
そこで「ありがとうございます。よ~くわかりました。チョット出直してきます!」と家に帰って「ヘヘヘ、ポチッ…と」。コレじゃね~。
実はこの「ネットvs.楽器屋」の問題は長い通販の歴史を持つアメリカでも問題になっていてね、そのあたりのことをMarshall Blogの姉妹ブログShige Blogでレポートしているのでゼヒ一度読んでみてください。
一同:ハ~イ!
 
記事はコチラ⇒【Shige Blog】楽器業界 vs. Amazon

<Marshallの魅力>
M:皆さんはMarshallのどこが、あるいはナニがいいと思っていますが?
To:自分の色が出せるっていうことですね。ロックにおいてはMarshallのサウンドというのは確固たるスタンダードだと思うんですよ。
エフェクターもそうなんですけど、あまりにも個性の強いアンプなんかですと、それを使う意味がなく

1_img_0809なってしまう。
一同:賛成!
M:それじゃ反対にあまりにも「個性の強いアンプ」って?
一同:〇△◆□、%$#&*+、ГДЖИ…。
M:なるほど、一時期やたらとステージで見かけたヤツばっかりですな。今はあまり見かけない。
To:ハイ。でもオレは「何でもいい派」なんで、「コレで弾け!」って言われたらソレで弾いちゃうんですけど…。
M:あのね~、コレはMarshallの座談会ですから!そういうのはヤメて!
一同:大爆笑!
S:とにかくMarshallは音がデカいですよね。デカいというか…速い?
一同:そう!速い!
S:1960って12インチスピーカーが4発じゃないですか。そのスピーカーを鳴らすというより、側の板を鳴らすにはある程度の音量が必要だと思うんです。
M:物理的にそうでしょうね。スゴイ力ですからね。テレビの番組で「Marshallの爆音でガラスが割れるか?」というのをやったこともあります。
S:で、そういう風にキャビネット全体を鳴らすと、とにかく音が飛ぶんですよね。ボクのイメージでは会場の後の壁に音が当たる感じなんです。
M:ジム・マーシャルと同じことを言ってる!
S:他のアンプだと音が散ってしまって「抜ける」とか「飛ぶ」という感じにはならないんです。Marshallは圧倒的に飛びます。
Y:音が飛び過ぎてしまって、ライブハウス以外の場所で困ったりしませんか?

1_img_0790一同:どこで使うの?
Y:イヤ、こないだ友達の結婚式で…。
一同:結婚式でMarshall!?ダメだよ!(爆笑)
M:田川ヒロアキは結婚式でJVMをギンギンに鳴らしたけどね。二井原さんが歌って…。
S:PAの音って、Marshallから出ている音そのものよりもはるかに大きいハズなのに、同じレベルで鳴ってくれる。
M:音を聞く場所によってはPAの音を突き抜けてくるもんね。最近はどんなに大きなステージでも小さなアンプ1台で済ませちゃうでしょ?後はPAで大きくするみたいな。
コレじゃロック・コンサートの音にならないんですよね。
先日の外道の記念コンサートでイヤっていうほどそれがわかった。アンプをMarshallに換えて中音が大きくなった瞬間、モノスゴくパワーが増大した。
それはただ単に音が大きくなった…というモノとは違うんですよね。
AC/DCもそう。
PAから出すギターの音とは別に、後においてある10台のキャビを全部鳴らしてる。
やっぱり日本人は西洋の人とは「ロック」に対する感覚が根本的に違うと思うんです。PA技術の進歩とは話が別。
もっとも今の日本にそういうことをするような音楽があるか?と言われれば、ほとんどないですよね。言い換えると日本は「コンボ・アンプ1台のロック」ばっかりになっちゃった。
 
<夢のMarshall>

1_img_0749_2M:弾いてみたいMarshallってナニかありますか?

Y:オリジナルのJubileeが弾きたいです。時々見かけるんですがメッチャ高いです。
※コレは皆さんほとんど出て来なかった。今のMarshallで大満足…という風に捉えさせて頂くことにしよう。

  
<Marshallに期待する商品>
このエリアは話を聞いていて実に面白く興味深かった。
一種の企業秘密になるので会話の内容をつまびらかにすることが出来ないのが残念だが、後に会話の音源を聴いてみると、2時間近くもこの話題に取り組んでいたのにはビックリ!その時はアッという間だったのに。
しかし、時代は変わりましたな~。
今の若い人はDTMだのDAMだのと呼ばれていている類のモノに何の抵抗もないのね…というか、完全にギターとセットになっちゃった。
考えてみれば、そういう分野に忙しくて、昔のロックを聴いてコピーして勉強するどころじゃないわな~。
話を聞いていて、ナンカ自分が安土桃山時代ぐらいの人間のような感じがしました。
でも時代の流れには抗えない。
そういう観点では、ナンノこたぁない。私の勉強会みたいになっちゃった。
うれしかったのは、皆さん、やっぱりギターは真空管のアンプで鳴らしたいって!
さすがMarshall Boys & Girl!オジサンはうれしい。
それと携帯。
もう何でも携帯。
「携帯に入れることができないモノはすべて切り捨てる」という感じ?
いずれその携帯も古くなって何か他のものに取って替わる時が来るでしょう。
その時、一体世の中には何が出てきているんだろう…コワイわ。
 
そして、最後は雄太くんの音頭でMarshall三本締め。

1_img_0824 イヤ、そんなことしなかったか?
もう楽しくて、酔っ払っちゃって覚えてないわ!

1_img_0826 とにかく後半は「それいいね~!」とか「あ~、それ欲しい!」とか、スッカリ夢の中にいる気分になっちゃった。でも、どのアイデアも決して実現不可能なモノではなかったし、「夢」は大歓迎。
ただの大きな黒いハコなのに 並んだMarshallがカッコよく見えるのは、あの中に「夢」が詰まっているからなんだよ。
みんなもMarshallで「夢」をつかめ!
Go Over Big with Marshall

1_img_0833<おしまい>

200 
(一部敬称略 2018年2月 Marshallオフィスにて)

2018年8月30日 (木)

若手Marshallギタリストの集い <前編>

  
Marshallも1962年の創立以来56年の長い月日が過ぎ去って行った。
ついこの間「50周年」の記念コンサートを開催したと思ったら、もう「60周年」が目の前に迫って来ているから驚きだ。
私はMarshallと同じ年でしてね。14歳の時からだから知り合って42年にもなる。
こっちはと言えば、朝は必要以上に早く目が覚めるわ、30秒前にやったコンピューターの操作を覚えていないわ、階段の下りではヒザが怪しいわ、老眼鏡がありがたいわ、耳毛がボーボーだわ、で年老いて行く一方だけど、Marshallはいつまでも若々しいナァ。
それもこれも生き馬の目を抜くような音楽業界や楽器業界の中に合って、世代を超えて若いミュージシャンたちに愛されてきていることが大きいと思う。
そこで、いつもは「70年代だ!」、「真空管だ!」と騒いでいるMarshall Blogだが、今回はMarshallが大好きな若手のギタリストに集まってもらって、Marshallの魅力や商品のアイデア等、色んな話を聞かせて頂いた。
チョット盛り上がり過ぎちゃって、後半はほとんど文字起こしができないような騒ぎになってしまったが、私には若い人たちの考えていることや望んでいることがよくわかって、とても貴重な時間を過ごすことができた。
病気や保険の話も出ないし…。
その「座談会」と称した「プチMarshallパーティ」の様子の一部をお届けします。

1_img_0830まずはパネラーのご紹介。
 
この会をオーガナイズしてくれた、おなじみIOSISの真壁雄太。別名、真壁六郎太。
1_img_0751 Tears of Tragedy/THOUSAND EYESのToru。

1_img_0797 銀幕一楼とTIMECAFEの寒河江宏樹。

1_img_0793 Fate for Blue BulletのTakuya。 

1_img_0757 CASPAのNatsumi。

1_img_0770 元OZ RAM INDIOのKaeDe。

1_img_0812 それでは、素面状態ではじまり、はじまり~。
 

Marshall(以下「M」):それでは手初めに真壁くんから…。まずギター歴を教えてください。
真壁雄太(以下「Y」):ギター歴は10年です。

660_img_0753M:今、Jubileeのハーフ・スタックを使ってもらっていますが、Marshallとの出会いは?
Y:初めてMarshallと出会ったのは楽器店のスタジオですね。
M:まずはよくあるパターンですな?
Y:ハイ。で、どうしてMarshallを所有しているかと言いますと、以前はJCM900ぐらいしか使ったことがなかったんですね。
それで、タマタマ専門学校の先生が持っていたJCM800 2210を弾かせてもらったんですよ。そしたらゼンゼン印象が違うじゃありませんか!
M:JCM900とJCM800じゃ印象がゼンゼン違って当然だよね。
Y:ハイ。で、こんなに歪みが細かくて、アンプ直でも十分イケちゃうじゃん!と感動したんです。そこからMarshallのイメージがガラリと変わって欲しくなっちゃったんです。
でも、2210なんて普通は手に入らないじゃないですか?
M:国内に流通した量も2203に比べたら圧倒的に少なかったので中古も出にくいだろうからね。
Y:やっぱり…。じゃ、ジュビリーはどうかな?と思ったんです。でも、それも売っていない…。

1_img_0204_2M:雄太くんのケースとは違うけど、消費者はそのモノが無くなると欲しくなるんだよね。普通に流通している時に買っていれば何でもないのに…いつもそうなの。

Y:そうですよね~。でも、その時は何かしらのギター・アンプを買わなければいけならない事情があったものですから、ローンでもっと高い別のブランドのアンプを買ったんですね。
M:アチャ~…知ってるけど。で、どうだったの、そのお高いアンプは?
Y:「スゲエいいな~」と思って使っていたんですが、Jubileeが復刻すると聞いて、「エ、じゃもうこのアンプいいや!」と思って、売っちゃいました。その打ったお金でJubileeを買いました。
M:ヨカッタね~、高いアンプを買っておいて。Marshallは安いから余裕だったでしょう。
Y:ハイ。それでキャビネットも揃えちゃいました!
M:どうもありがとう。
それで、雄太くんの憧れのギタリストというと誰ですか?
Y:憧れのギタリストはポール・ギルバートとマティアス・クピアイネンとイングヴェイ・マルムスティーンです。

1_img_0750_4M:ストラディヴァリウス?
Y:ハイ。マティアスがJubileeを使っているというのもあったんですね。

M:我々の世代で「マティアス(Matthias)」というとScorpionsになるかナァ。マティアスって結構いるよね。Freak Kitchenというバンドにマティアス・エクルンドってのもいた…ザッパ好きの。あの人はとても感じのいい人だった。
マティアスってのはドイツ語圏の名前だよね。英語圏では「マシュー(Matthew)」になる。元は「マタイ」だったかな?

 

 
M:はい、続いてはTakuyaくん。Takuyaくんが初めてですね。ようこそMarshallファミリーへ!まずはどれぐらいギターを弾いていますか?

660_2nc3_3Takuya(以下「T」):ギター歴は10年弱です。
M:Takuyaくんはこの名刺を見れば一目瞭然、Marshallが大好きなんだよね?
T:JCM800 2203と1960BXを使っています。Marshallとの出会いが自分の中で「ああ、コレがMarshallの音なんだ」とわかったのは、高校の時、入ったスタジオにVintage Modernが置いてあって、いわゆる「オールドのMarshall」ってこんな感じなのかな?」って自分の中に残ったんです。
M:Vintage ModernはMarshallの第1号機のJTM45に使われていたKT66をパワー・アンプに採用して、現代のテクノロジーを導入した上で原点回帰を図ったモデルですからね。今はもうMarshallを辞めてしまいましたが、今でも仲良くしているVintage Modernの

1_img_0764_2設計者がTakuyaくんの言葉を聞いたらきっと喜ぶと思いますよ。
T:そうですか!で、それ以降はライブハウスやスタジオのJCM900とかJCM2000を使っていたっていう感じですね。
M:Vintage Modernが入っているスタジオなんてそうはないですもんね。
T:ハイ、残念ながら…。それから、どうしてMarshallを使うようになったのか…偶然が重なったんですね。
M:いいね~「偶然」!偶然っていうのはスゴいパワーを持っているからね。
T:どうしてJCM800が欲しかったかと言うと、正直「何となく…」だったんです。
M:「何となく」も理由のひとつ!
T:さっき言ったオールドっぽいVintage Modernの音が自分の中で「好きな音」という印象として残っていたんですね。その後、色んなMarshallを弾いて、耳が肥えて来た時にたまたまオリジナルのJCM800を弾く機会があったんです。で、そのJCM800の音がボクが好きなその音に近いと思ったんです。
M:偶然自分が好きな音がわかった。それでリイシュー・モデルをゲットした…と。
キャビネットは?1960BXっていうチョイスは珍しいよね?
T:キャビネットに関してもBXを狙っていたワケではなかったんです。ボクのギターの師匠が「Marshallのキャビネットの掘り出し物があるぞ!」って教えてくれて…。
現物を見に行ったら、すごくキレイで、音もバッチリで自分の2203とつないで弾いてみたらホントーーーに自分の好きな音が出たんです。
M:なるほど偶然見つけて、偶然つないだら偶然自分の好きな音がドンズバで出てしまった!
T:ハイ、そんな感じです。そういう偶然が重なって自分の手元にMarshallのスタックがやって来たんですね。
M:Marshallを「理想の音ありき」で手に入れる、というのは今の人たちならではの話です。
我々が若い頃は、とにかく「Marshall」というだけでもう何のリクエストもなかった。スタジオに置いてあるなんてことはほとんどなかったし、私が中学生の頃は楽器屋さんでもウインドウの中に飾って合ってMarshallのニオイをかぐこともできなかったんですよ!

1_img_0756_2T:ハハハ!で、そんな自分の好きな音が出たところで自分のルーツを探そうとしたんです。
M:それはとてもいいことです。
T:ボクはメタルの出身ではなくて、ELLEGARDENやBUMP OF CHICKENやRADWIMPSが好きでギターを始めたんですが、ELLEGARDENの生方真一さんの音が好きだったんです。
M:Nothing's Curved in Stone?
T:ハイ、その生方さんがJCM800と1960BXを使っていたんです。
M:ウン、確かにこないだも2203と1960BXだった。
T:やっぱり?それで「自分のルーツはここか!」ってなったんです。その後、セミアコも自分のところに回って来て…。
M:うらやましい偶然だね~。
T:メチャクチャ追いかけた人はいないんですが、最初に好きな音を作ってくれた人ということで生方さんが好きかな?
 
Fate for Blue Bulletの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site

 
M:では、次にNatsumiちゃんお願いします。またギター歴から。
Natsumi(以下「N」):ギター歴は4、5年で経験が浅くて多くは語れないんですけど…。

1_img_0772M:4、5年ッ?!
N:ハイ。
M:で、どういういきさつでMarshallを…?
N:Marshallを使用し始めたキッカケは通っていたスタジオのJCM900ですね。
M:やっぱり…。
N;近所にお父さんが使っていたスタジオがあったんです。お父さんも趣味でギターをやっているんですね。
M:お父さんは私よりお若いんだろうナァ…。
N:私のルーツはポルノグラフィティとかBUMP OF CHICKENとかなんですけど、そういう音がMarshallの音だと思って…ギターってそういう音だと思っていたんですね。
M:いいんじゃないですか?
N:それで、スタジオによくあるトランジスタ・アンプにつないでみたら、そういう音とゼンゼン違ったんです!で、Marshallにつないだら「アッ!あの音だ!」ってなって…。この音がカッコいいギターの音だ!と思ったんです。
M:うれしいことをおっしゃいますな~!
N:それから専門学校に進んで、色んなアンプを試したんですけど、やっぱりMarshallの音が一番好きです。
知識のない私みたいなモノでも音作りがしやすいと思うんです。エフェクターも色々と試しているんですが、最後はプレキシ系かな?みたいな。
M:昔の話ばかりして申し訳ないんですが、我々が若い頃はMarshallというものはとても扱いにくいモノでした。
あ、コレはもちろんギターを弾き始めのアマチュアにとっての話ね。

1_img_0781でも、今はギターを始めて間もない人がMarshallでギターを弾いて「音作りがしやすい」…なんて、まさに隔世の感があるよね。
でも、今あなたが挙げたようなバンドさんの音楽を聴いて、「曲がいい」ということならわかりますが、「ギターの音がいい」なんて思うものなんですか?
N:やっぱり最初は曲でした。で、ギターを始めてからやっぱりギターの音そのものに注目をするようになってMarshallを使っているということを知りました。
M:やっぱりね。曲が良くなければいくらギターの音が魅力的も聴くに堪えないですものね。実はこの話は私が「アーティスト」として尊敬している仲良しのギタリストとよくフザけながら討論をするんですが、彼は「まず音がよくなければダメ」っておっしゃるんですね。
「イヤ、曲だ!」、「いいえ音です!」なんてやるワケなんだけど、ウン、最近は「音」っていう感じがして来たんですよ。
ツマらない曲は音さえ普通であれば何とかガマンして聴くことはできるけど、聴くに堪えない音だと、どんなにいい曲でも聴いていられませんもんね。苦痛か公害以外のナニモノでもない。
<この話を聞いていて雄太くんが乱入>
Y:チョットいいですか?ボクが一番最初にギターの音が気になったのはイングヴェイ・マルムスティーンでした。
「曲」ではなくて、「音」がカッコいいな~と思ったんです。
<ココでトマトソースのパスタが登場>

1_img_0787Y:おお~!やった~!おいしそう!「おいしそう!シリーズ」が始まった!
M:あ、そのトマトソースはオレが作ったんだから。
あ、Natsumiちゃん、ゴメンナサイ。それで?
N:自分のギターとの相性もあって…今、レスポール・カスタムを弾いているんですが、JCM900との組み合わせがいいな…と。
M:やっぱり最初の感動が大きかったのかな?
N:時々JCM800をススメられます。でJCM900が好きなんです。
M:ゼンゼン問題ありませんから。憧れのギタリストは?

1_img_0780M:憧れのギタリストは、最初はそうやってバンド単位で聴いていたので特にいなかったんですが、今、色んな人のプレイを聴くようになって「あ、好きだな」と思うMarshallのギタリストはジョー・サトリアー二です。
M:ジョーのマネージャーさんはかなりご年配の方でしてね、初めて付いたバンドがハンブル・パイだったっんですって。そんな話を聞いて感動しちゃった!
一同:シーン。(誰もハンブル・パイを知らない)
M:あ、スミマセン。ジョーもズッとギター1本でスゴイよね。ギタリスト中のギタリストだと思う。私も長い間にずいぶんたくさんのギタリストのプレイを見て来たけど、ジョーのギターのうまさは別格だと思いました。まるで歌を歌っているかのよう。あのウマさは目の前で弾かれたらやっぱりビビります。
ああいうギターを聴くと「速弾き」だけが超絶ではないと思うし、派手なヴィブラートやベンドを使ってやたらとエモーショナルに弾く必要もないということがよくわかります。ま、それはそれでショウの一部としては欠かせないモノだとは思いますが…。
 
CASPAの詳しい情報はコチラ⇒CASPA Offcial Website
 

<つづく>

200

(一部敬称略 2018年2月 Marshallオフィスにて)

2017年8月10日 (木)

イングヴェイ・マルムスティーンかく語りき

  
もうMarshallのオフィシャルfacebookでご覧になられたかも多いと思うが、ロンドンでMarshallの壁を前にしたイングヴェイ・マルムスティーンのショート・インタビュー。
チョットばかりジョンの力を借りて訳出してみた。

(ギターを弾く)
最初のMarshallは10歳の時だったと思う。お気に入りでずっと使っていた。4インプットのヤツだ。
すごくお気に入りでね。いつもバッチリだったよ。
こういうヤツ(指さした先はたまたまJCM800 2203)もスキだよ。Marshallってだけでゴキゲンなんだよ。
サウンドは最高!
見た目も最高!
最もクールで、最もラウドだ。
他のアンプなんかに邪魔されたくないね。
それから、「Marshallみたい」というのが決まり文句になってるよね。
他のアンプについて言う時も「Marshallみたい!いい感じじゃん」とかなんとか。
オレはもう既にそういうヤツを持ってる。
(ギターを弾く)
こういうサウンドだ(笑)。

 
 
さすが、御大、よくわかってらっしゃる。
ナンだっけ?…「万里の長城とオレのMarshallの壁は宇宙からでも見える」…だっけ?
ま~、やっぱりホンモノはスゴイよ。
イングヴェイのシグネチャー・モデル「YJM100」の最初のプロト・タイプを本人に見せに東京フォーラムに行った時、このビデオのインタビュアーのようにホンの数10cmの距離で、チャンとしたバックラインでギターを弾いて見せてくれたのね。

7_2yjm  
ま、私も商売柄イングヴェイを崇拝している人たちのプレイをゴマンと見たり聞いたりしているけど、当たり前のことながらやっぱりゼンゼン違う。
その「違い」はテクニックのことを言っているのではない。
もはやソックリに弾くことのできるハイ・テクニックの人は世界中に数え切れないぐらい存在することだろう。
そういうことではなくて、このプレイング・スタイルとそれを用いた自分の音楽を確立したアーティストの迫力みたいなものに大きな「違い」を感じるんだな。
オリジナルだけが持つパワーと言ってもいいかもしれない。
  
専門家に言わせれば、イングヴェイのやっていることは、リッチー・ブラックモアの血統を受け継いだそれ以前のロックの焼き直しだということになるのだろうか?
私はもうその手の話はどうでもよくて、フォロワーたちの演奏を一聴した時、「あ、コレってイングヴェイじゃん?!」と思わせるロックを世界的に普及させたところを尊敬するのね。
  
今どうなんだろう?…イングヴェイが出て来て、その影響を受けてロックを演っているプロ・ギタリストがたくさんいて、またその人たちの影響を受けた次世代の若者がいて…流行りのキッズ・ミュージシャンまで入れると第4世代ぐらいまで来たのかな?
そう考えてもスゴイことですよ、イングヴェイのやったことは。
タテにもヨコにも自分の音楽を広げた。
「速弾き」より、世代を超えて愛される音楽を作ることに成功したのだ。
イングヴェイに憧憬の念を抱き、演奏技術を身に付けた立派なフォロワーさんたちには、そのテクニックを使って自分たちだけの音楽を作っていってくれることに大いに期待したいな。
イングヴェイと同じことをやっていてもしょうがないでしょ?
もうイングヴェイがさんざんやっちゃったんだから。

  
そして、そのイングヴェイの音楽を支えている必須アイテムのひとつがMarshallだ。
このインタビューでイングヴェイが言いたいのは、「つべこべ言ってないでMarshallでロックしやがれ!」ということなんだと思うわ。
例え重かろうが、デカかろうが、メンテに手間がかかろうが、やっぱりホンモノのロックはホンモノで演ろうよ…真空管のアナログ・アンプでさ!
コレでイングヴェイがデジタル・アンプやモノマネ・アンプをメインに使い出したらヒックリ返っちゃうけどね…ま、そんなことはあり得ないだろう。
彼はホンモノを知っているから!
  
アノね、ま、自分で言うのもナンだけど、実は私が撮ったイングヴェイの来日公演の時のいい写真がたくさんあるのよ。
イングヴェイがストラトキャスターを天高く飛ばしているところとか…。
出来ればココでド~ンとお見せしたいところなんだけど、色々ありましてね~。
写真の良し悪しではなく、タイミングの問題でお蔵入りになってしまい、結局Marshall Blogでレポートすることもできなかったことはファンの皆さんもご存知の通り。
ってんで、代わりにMarshallの「50周年記念コンサート」のイングヴェイをお楽しみくだされ。

コチラ⇒【50 YEARS OF LOUD LIVE】vol.6~Yngwie Malmsteen

しつこく書くけど、大分前の来日時、バックステージで、私が「インギー」って呼んでいいですか?と尋ねると、「ダメだ。オレの名前は『イングヴェイ』だ。『イングヴェイ』って呼んでくれ!」とかなり真剣におっしゃっていましたよ。
その時だけなのかどうかは知らないけど、「インギー」と呼ばれるのをスゴくイヤがっていた。

100v_2   

※先週3日も休んでしまって心苦しかったりもするけど、Marshall Blogは明日より夏休みに入ります。17日に再開する予定ですのでよろしくお願いします。
皆さま、よい夏休みをお過ごしください。


(Marshall Offcial facebookより引用 ※協力:Jonathan Ellery)

2017年1月24日 (火)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.4:最終回>

さて、発売がいよいよ明日に迫った四人囃子のニュー・アルバム、『四人囃子 ANTHOLOGY~錯~』。
大二さんのスペシャル・インタビューを交えてここまで三回にわたり、ヘタな文章で熱弁を振るってきたが、もうオールド・ファンだの若者だの言ってはいられない。
四人囃子の名前しか知らない人、ゼンゼン知らない人…エエイ!とにかくこれを機にひとりでも多くの人に四人囃子が作った音楽を聴いてもらうことを願っている。
決戦前夜の戦国武将みたいなことを言っているが、それもこれも、大二さんのセリフのせいだ。
「メンバーが直接制作に関わった作品を世に出すのはこれが最後になるかも知れない」…なんて寂しいことをおっしゃるから!
  
大二さんの狙い通り、今回初めて四人囃子の音楽に接する人もいるだろう。
もちろん誰にでも、何事にも、「好み」というものがあるだろう。
しかし、四人囃子の音楽がつまらないと思ったら、その人はもうロックを楽しむことができないのでないだろうか?
イギリスの文学者、サミュエル・ジャクソンの名言と同じだ。
「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ」
もちろん「ロンドン」のところに「四人囃子」を代入してもらうワケだが、この名言には続きがあって…
「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから」
後半の「ロンドン」には「四人囃子」を、「人生」のところを「ロック」という言葉に置き換えて読んで頂きたい。
チョット大上段に構えてみたが、とにかく!明日このアルバムをゲットして、永久に日本のロックの歴史に残り続けるであろう、40年の風雪に耐えた名曲の数々でロックが持つクリエイティヴィティを存分に味わって頂きたいと思う。
しかも高音質で!

9_さて、『錯』紹介の最終回はDVD。
収録されているのは、まず『ROCK LEGEND』の名のもと、2008年4月19日にJCBホール(現東京ドームシティホール)で開催されたクリエイションとのダブル・ヘッドライナー・ショウ。「ツーマン」ではない…そんな言葉はない。
ショウとしてはCSですでに放送されたものだが、今回はその際にカットされた「おまつり」を収録。
アンコールで演奏したピンク・フロイドの「Cymbaline」を除いたその日の公演のすべてが収録されている。
この公演では「オレの犬」と「SAKUMA#1」という新曲が披露され、ここにDVDの形で収録されることになった。
さらにもう一曲の新曲「Rumble」も収録。
コチラは2003年11月1日の、同じく『ROCK LEGEND』の追加公演であるCLUB CITTA'でのもよう。
すなわち、プロコル・ハルムとのダブル・ヘッドライナー。「ツーマン」ではない…そんな言葉はない。
私もこの公演を厚生年金会館で観たことは大二さんとのインタビューの中で触れた。
そして、DVDは「眠い月(Nemui-Tsuki)」で締めくくられる。
コレは2002年10月25日に同じく新宿厚生年金会館で収録されたものだ。
頭脳警察とのダブル・ヘッドライナーだった。「ツーマン」ではない…そんな言葉はない。
コレも観たな。二階席まで超満員だったよ。
頭脳警察のオープニングSEが「Who Are the Brain Police?」だったけな~。
CD同様、DVDも高画質&高音質で、いつでも四人囃子のコンサートを体験できることになったワケだ。
  
さて、大二さんに『錯』のサンプル盤を送って頂いてからの約三週間、この記事を書くために、ほぼ毎日四人囃子の音楽を聴いて来た。
『錯』だけではなく、聴き比べのために、他のアルバムのほとんどをCD棚から引っ張り出してきて改めて聴き直したのだ。
私もこれほど集中的に四人囃子の音楽を聴くことは、この先もうないかも知れない。
元より大好きなグループなのでとても楽しかった。
四人囃子というと、必ず「プログレッシブ・ロック」、それから「高い演奏能力」という枕詞がついて回る。
私は四人囃子に「プログレッシブ・ロック・バンド」のレッテルを貼ることを良しとしない事はすでに書いたし、同じ意見をお持ちの方も多いようだ。
しかし、演奏能力の高さについては何人(なんぴと)も否定できまい。
『一触即発』を21歳(大二さん基準)で、『ゴールデン・ピクニックス』をたった23歳で作り上げた能力は「奇跡」としかいいようがない。
そして、今回根を詰めて四人囃子の音楽を聴いて、その奇跡を実現させた要因のひとつに「歌詞」があると思った。
初期の歌詞を書いているのは末松康生さんではあるが、その内容の独創性については今更ココに書くまでもないだろう。
興味を引いたのはその言葉の選び方だ。
「おまつり」の「♪文句を忘れてフシだけで歌ったのさ」の「文句」なんて和風でいいな。そういえば、歌詞のことを昔は「文句」と言っていたよ。
「空と雲」の「♪長く細い坂の途中に お前の黄色いウチがあったよ」の「ウチ」。「ウチ」というのは江戸っ子の言葉だ。江戸っ子は「イエ」とは言わない。
そう、四人囃子は東京のバンドなのさ!
「ネッシー」だって「♪水はやさしい」だなんて…最近は恐ろしい水が多くなってしまったが、なんて素敵な言葉の連なりだろう。
どれもこの歌詞あっての曲、そしてこの曲あっての歌詞…に仕上がっていると思うのだ。
とにかく音楽は曲のクォリティがすべてだということを教えてくれる。
四日間ホメ続けたのでさすがにもう言葉がないが、「いまさら四人囃子」だの「たかが四人囃子」だのと間違えても言ってくれなさんなよ!
    

お待ちかねの大二さんのスペシャル・インタビューの最終回は、日本の音楽マーケットの話やNATALについて語っていただいた。

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日本のマーケット

 M:(Marshall、以下「M」)こと音楽に関して言えば、日本はやっぱり昔から独特のマーケットということになるとお思いですか?
O:(岡井大二、以下「O」)数字だけで見れば日本の音楽マーケットは世界二位の国ですよね。
でも、残念ながらとにかくファー・イーストで「東洋の島国」。
で、90年代の後半あたりから、ポピュラリティを持つ音楽の傾向が圧倒的にドメスティックになってしまいました。
要するに海外の情報がたいして重要ではなくなっちゃった。
国内で何でも手に入るようになって、元の発想ネタが海外のナニから来ているかとかは、興味の

Img_0012先ではなくなってしまったみたい。
M:まったくそうですよね。
自分と考え方の方向性が同じで安心しました!
O:今の音楽業界を憂えているか?憂えていないか?と訊かれたら「憂えている」と答えますね。
M:とにかく売れればいい…という感じしかして来ない。
O:制作する側に「制作マインド」みたいなものがあるとしたら、「いいものが売れるようになっていって欲しい」と思うのが「制作マインド」なんじゃないかなと思います。
M:そうあって欲しい!
O:そう思いたいんだけど現実は違っていて、制作する側の人たちがチャンと対峙して自分にとっても大切な「いい音楽」を聴くのは、家に帰ってからのプライベートだけ…仕事とは別なのかな。
仕事で徹底的に叩き込まれるのは、売れたものが「いい音楽」ということ。
M:苦痛だろうな~。でも今の世の中にあっては、それこそが仕事ですから。
O:売れたもん勝ち…ということです。
M:まったく。
若いバンドさんたちの会話を聞いていてすごくそう思います。
小さいライブハウスをやって、中型のライブハウスに出るようになって、ホールでコンサートができるようになって、次は武道館でハイ上がり!…と、まるで双六のよう。
そこに音楽が存在していないような感じがします。
ステージのMCで「いい音楽」とか「音楽が好き」とやたらと「音楽」という言葉を口にするのがまた変な感じがする。


  
名盤の秘密

  
M:私もいい加減色んな音楽を聴いてきましたが、どのジャンルでもやっぱり「いいモノ」と呼ばれ

Img_01042_2ているものは良いですよね。
駄盤の類も好きで、いろいろ買い込んで来ては聴いていますが、やっぱり「名盤」と呼ばれているものには最終的にどう転んでもかなわない。
一般の人なら死ぬまで知らないような無名のプログレ・バンドのアルバムなんかもおもしろいんですが、それらはどうやっても『宮殿』を駆逐することはできません。結局何回も聴くことはない。
「名盤」といわれているジャズのアルバムもそうです。
O:その曲とか、そのテイクに行きつくまでにナニがあったかということなんです。
やはり名盤というものはその「ナニか」がふんだんに詰め込まれているから名盤になるんです。
M:なるほど!そんなこと考えてみたことなかった。
O:コレは100m走で例えれば、コンマ何秒早かったから名盤になったのではなくて、誰もやらない走り方で100m走ったから名盤になったんです。
M:とってもよくわかります。言い得て妙ですね!

    

☆この辺りでふたりとも大分アルコールが回ってきて完全に雑談タイムとなった。ナニせ笑い声で言葉が聞き取れない箇所も少なくなかったのです。

 

外タレの思い出
 
O:昔、高校生の時にバンド・コンテストに出ましてね、高中くんが出ていたんですよ。
ボクらよりひとつ年上でね。
M:何を弾かれていたですか?
O:テン・イヤーズ・アフターの「ウッド・チョッパーズ・ボール」…すごくウマかった。
その時に半ズボンはいてジェスロ・タルを演奏した小学生ドラマーがいたんですよ。

Img_0015「This Was」かなんかを演ったんですけど、すごく上手だった。
M:どなただったんですか?
O:古田たかしだったんです。
M:しーたかさん?!
O:そう。こっちは高校生で、負けまいとシャカリキになりましたね。
M:天下の大二さんでも!?
当然タルはご覧になっていますよね?
O:もちろん!
伝説の厚生年金。「あの素晴らしさを語れ」と言われたら今でも30分は余裕で語れます。
M:いいな~!うらやましい。
ご覧になった方はみんな「アレはよかった!」っておっしゃいますもんね。
私は何年か前に「『アクララング』全曲演ります」の時にようやく観ることができました。
O:音楽もライブ・パフォーマンスも「時代の違う音楽」として完成したものを見せられて、スゴイな!って思うわけです。
それまでにない音楽ですから。
M:そんな感覚に浸ってみたい…。
O:同じように、すごくそう感じたのはピンク・フロイドが最初に来た時、それからデヴィッド・ボウイの初来日…。
M:サンフランシスコから船で来たってヤツですね?オルセイア号。
帰りはウラジオストックまで船で行って、シベリア鉄道でイギリスまで行ったとか…。
O:アレ、本当にそうなの?
M:噂ではフィリピンあたりまで飛行機で来てそこから船で日本に来たとか…。
O:やっぱり?
あと正統派ロックスタイルの外タレで理屈抜きに「やっぱり外タレすごい!」、「気持ちいい!」…と思ったのはハンブル・パイとロリー・ギャラガーですかね。
M:ああ!スティーヴ・マリオットの肉声って聴いてみたかったな~!
  

コーラスの妙

  
M:外タレの話で思い出すのは、野音で楽屋のモニターで四人囃子の皆さんとルネッサンスを観ていた時、「コーラスがうまいね~」と騒いでいたら、大二さんが「向こうの連中ってコーラスする時って声を似せれんるんだよ」っておっしゃった。
O:そう。あのサウンドの音楽をやるにはこの声…みたいな発声の仕方っていうのがごく自然にあるんですよ。特に白人。
我々も民謡とか演歌って特に習わなくても何となくわかる部分があるでしょ?アレと同じなんです

Img_0103よ。
ホリーズなんかを聴いているとよくわかる。
M:「バス・ストップ」の?
O:そう。
マージー・ビートの発声の仕方とハモリ方なんですよ。
そのマッチングの具合がいいんです。ビートルズも最初の頃はそうだった。
で、そのコツを覚えた元がカリフォルニアのコーラスなんですね。喉の絞り方っていうのかな?
M:ビーチ・ボーイズみたいな?
O:そんな感じ。アレは日本でいったら例えば関西弁の発声で全部歌う感じ。
M:エエ~?
O:だからあの発声でコーラスをやっているバンドってアメリカの東海岸にはほとんどいないんですよ…(間)…ウン、確かに出ていない。
M:ハモリ方も教わらなくてもわかっている。
DNA的にそういう能力を持っているようですよね。
O:そう!我々にはそういうDNAはない。
ところが「間」には滅法強い!
M:ハハハ!リズムではなくて「間」!
O:そう。
「間」なの。イヨ~、ポン!の「ポン」を入れるところが自然にわかるでしょ?外人にはそれがケッコー苦手。

 

フランク・ザッパの思い出

M:フランク・ザッパのお話を…。
O:コワかった~。
M:エレベーターで二人きりになっちゃったんですよね?
O:そう!でもリハも本番も全部見ることができました。
M:小川銀次さんもリハをご覧になったとおっしゃっていた。
「一体リハなんかどうやって入ったんですか?」と尋ねたら「エ、円谷英二の息子って言ったら入れてくれたよ」って。

S41a1399今となっては本当かどうかはわかりませんが、まったく銀次さんらしい。
O:ハハハ!
M:で、サウンド・チェックの時にザッパがPAミキサーの人に向かって「○○HzをXXだけ上げて…」とかいちいち細かい指示を出していたそうです。
すると外の音が劇的に変わったとか。
O:そうでしょうね~。
ボクはあの時、テリー・ボジオのドラム・キットに座ったんですよ。
で、あんなかわいい顔をしていて、身体がデカいの知らなかったもんだからキットが大きいんでビックリしました。
ツーバスなんか思いっきり足を広げないと届かなかった。
M:私も15年ぐらい前にバーミンガムのドラム・ショップで実物を見ました。
テリーがイギリスに行くとそのキットが出動するんだとか。
今の冗談みたいなキットになる前でしたけど、点数は多かった。やっぱりデカいと思いました。
O:そうでしょ?
M:その時の実際の演奏はいかがでした?
今はその時のツアーのオーストラリア公演の音源が公式にCDになっています。
日本公演といえば、私は西部講堂と大阪の音源も聴いているんですが、マァ、「手抜き感」は拭えないかと…。
O:手抜と言えば手抜きなのでしょう、リラックスしてて。
でも、存在も、曲も、演奏も、世界中のどこにコレと同じものがあるんだ?というぐらいスゴイものでしたよ。
M:やっぱり?いいな~。
しかも会場は国際劇場。記者会見は吉原。裕也さんも実にイキなことをされた!
それで、若かりし日のテリーをご覧になってどう思われました?
私は高校生の時、すなわちその3年後の1979年にUKの来日公演でテリーを初めて観たんですが、ドラム・ソロに腰を抜かしました。
O:それはもうスゴかった!それしか言えない!

 

NATALについて

 

M:ちょっとドラムの話をしますと、大二さんぐらいの大御所になられると…。

S41a0198O:ゼンゼン、大御所じゃないですよ!
M:イエイエ、大の大御所でいらっしゃる!
で、ゼンゼン道具なんてお気にされないのかと勝手に思い込んでいたんです。
ところが、NATALをお試しになられた時、すごくシビアで、実は結構驚いたんです。
「ああ、なんでもいいよ!」っておっしゃるかと思ったらすごく真剣だった。
決して変に「細かい」という印象はありませんでしたが…。
O:イヤ、こちらもNATALが思った以上にいい楽器だったので、チャンと試してみようと思ったんです。
M:それで、大二さんがバスドラムにミュートを入れていないのを発見して、いつか向山テツさんがすごくビックリされていましたよね?
アレはどういうことなんですか?
O:だって、バスドラムにミュートを入れるとか入れないのは、趣味とか意地では済まない問題ですからね。
もはや入れるのが当たり前。でもNATALのバスドラはそれが不要。
アレはNATALだからできるんですよ!
M:お、うれしい予感!
O:なんでミュートを入れるかと言ったら、スッピンだとペダルを踏んだ時に「バイ~ン」とヘッドのうねりが鳴ってしまうのがうるさいから入れるワケです。
ミュートを入れなくて済むのはそうならないからで、あのNATALの作りだからこそ、そういうことができるんです。

Img_0017M:なるほど。
O:NATALのドラムは胴の鳴りがチャンと出るから、あとは何を好きにやっても出てくる音がすごくいいんですね。
M:NATALが要因ということは言うつもりはありませんが、とにかく大二さんのドラムは音もプレイも外人っぽい。
O:もしウシさんがそう思ってくれているのならとてもうれしいですし、本当にそうであったとすれば、それには自分なりの理由があるんです。
かなり持論なんだろうな…と思う。
M:え?どんな?
O:あのね、チョットこれは書いて欲しくないんですけど…

<筆者注:…と。ここでカット。

大二さんドラミングの秘密をご自身でご説明頂いた。なるほど~。テクニックというよりもリズムに関すること。
ちなみにこれは「企業秘密」とかいう理由で大二さんが文字お越しをご希望されなかったのではない。大二さんはそんなケチな人ではない。

ご考察が個人的なものであり、普遍性が低いという大二さんの謙虚な態度によるものであることをご了解頂きたい>

M:なるほど。そういう意味では森さんもそうだし、チャーさんなんかも同じような外国の空気を感じますよね。
モノマネではないオリジナルのロックをダイレクトに体験できた世代。
O:その通り。
あと、山岸(潤史)も昔からそうだよね。
M:よくわかります。
NATALが大二さんのおメガネにかなって心底ヨカッタと思っています。
O:イエイエ…「おメガネ」だなんて!

 

ドラムの音

 M:それで、いつも思うんですが。大二さんのドラミングはかなり音が大きいですよね?
すごく軽く叩いているように見えても大きい。
ところが、ゼンゼン耳障りではない。いわゆる「遠鳴り」っていうヤツ。

Img_0556エルヴィンとかポール・モチアンなんかもそうでした。
手をチョットしか動かしていないのに出てくる音がすごくクリアで大きい。
何より音が美しく、音楽的です。
で、反対に最近の若いドラマーってシャカリキになって叩いているのに音がすごく小さいように思えます。
それと、手足がすごく早く動いてテクニカルなんだけど、バッチンバッチンいってるだけで、まったく音楽的ではないように聞こえる若いドラマーをよく見かけます。
このあたりどうお思いになりますか?
O:アレは相当小さい音ですよ。
ウシさんは90年代のイギリスのバンド…例えばブラーとかオアシスとかのドラムを聴いてどう思いますか?
M:ゴメンナサイ。双方Marshallなんですが…印象にまったくありません。
O:そうか…。
あのね、いわゆる「ハード・ショット」とか「ストロング・ショット」のドラミングというのは、アメリカではなくて、実はイギリスから出てきたモノなんですね。
ボーナムとか、コージーとか…。イアン・ペイスはこんなに太いスティックで、あのスピードでアレをやったんです。
それで、正統派のハードロックを見渡した時に、そういうドラマーって、80年代になるまでアメリカから出てこなかったんですよ。アピスくらいか…。
正統派なハードロックはあってもそういうドラマーはいないんです。
M:確かにそうですね。
70年代のアメリカのドラム・ヒーローって聞いたことがない。まさかのドン・ブリューワー?
O:そう、ヒーローはそれほどいないんですよ。
コレは注目すべきことだと思うんですが、「個性的なドラム」っていうのは圧倒的にイギリスのバンド・ドラマーになるんです。
ボーカルとギター以外のパートで個性的なサウンドを作った…つまり、個人的なスタイルがサウンドを作って注目されたのは圧倒的にブリティッシュ・ドラマーなんです。
ボーナムもペイスもアメリカにはいなかった。
M:なるほど。考えたことなかった。それだけマーシャルがうるさかったってことかな?
O:ハハハ!
それで、その「ハード・ショット」なんですが、90年代になって、PAとモニターの技術が発達して、その出元のイギリスのバンドからドラムの音がちっちゃくなっちゃったんです。
M:ギター・アンプと同じですね。
O:イギリス勢から率先して音が小さくなっちゃった!
ボクはブラーが大好きだけど、あの時代からハード・ヒッターがいなくなって、ガックンと音が小さくなったんです。

Img_0053_2M:そういうハード・ショットを必要とする音楽がなくなってしまったということですよね。
O:もちろんそれもありますし、ステージの上で大きい音を出す必要が一切なくなってしまったんです。
結果、ハード・ヒッターが残ったのはアメリカを中心としたヘヴィ・メタルとデス・メタルぐらいでしょう。
M:ギターというか、ギター・アンプと同じ流れですね。
O:後はメタリカ系?
そういうバンドはとことんやり続けると思ったら、そのメタリカですら最近はキレイに音を出していますよね。
M:しかし、大二さん、ブラーとかオアシスとかそういう新しいものまでご熱心によくカバーされますよね。
私はMarshall Blogなんてのをやっていて、本当はすべてのロックに対して全方位外交をしなければならない立場だと思うんですが、その前に、もうリスナーに徹して思いっきりワガママにやらせてもらおうと思って…。
O:うん。
でも、これはボクが作る側の人間だから「勉強」のためにそういう若い世代のロックを聴いている…とかいうことではないんです。
ボクは手足をもがれようと、何をされようと一生オープンな音楽ファンでいるつもりなんです。
    

…と、大二さんが音楽への尽きぬ興味と愛情を宣言されたところでこの三時間半に及んだインタビューの幕を降ろすことにする。
途中の私の無駄話や笑い声で聞き取れない箇所、書いても第三者には通じないような話題もあって、内容はだいぶスリムになった。
大二さんのお話をお聞きしていてとにかく思ったのは、「いいミュージシャンはいいリスナーたれ」ということだ。
かつて井上ひさしが言っていたが、何かの本を書く時、最低でも書架二つ分の関連書籍を読むと言っていた。彼がタヌキかなんかの本を書くことになった時、神保町からタヌキに関する本が無くなったという話も聞いたことがある。
こうして何かをクリエイトする人というものは、常にアウトプットをはるかに上回るインプットの蓄積があるのもだ。
大二さんはロックの日本上陸とともに、当時のオリジナリティあふれる音楽を浴びるようにインプットし続けた傍ら、自分たちの音楽を創造した稀有な存在である。
そんなアーティストの話が面白くなかろうハズがない。
ここまで三回のインタビューへの反応はすこぶる良好であった。
今日でこのシリーズは完結するが、大二さんの狙い同様、老若男女を問わずひとりでも多くに方にこのインタビューを読んで頂くことを切望する。
って最後に書いてもしょうがないじゃんね!
インタビューを読んで「おもしろい」と思った人はゼヒ拡散して頂きたい。
そして、これが少しでもロックの延命対策に役立てばうれしく思う。
大好きなバンドの、最も好きなドラマーを三時間半にわたって独り占めし、自分の好きな話をうかがうことができたのは最高の幸せだった。
大二さん、ご協力ありがとうございました。

Img_0273  

四人囃子よ永遠に…。

<アウトロ>
昨日登場していただいた四人囃子研究家の灘井さんから『Fullhouse Matinee』に関する資料を追加して頂いた。
コンサートのプログラムだ。
コレは欲しいな~!尚、灘井さんには『Fullhouse Matinee』周りの情報以外にもたくさんの貴重なご助言を頂戴しました。
この場をお借り致しまして厚く御礼申し上げます。

9_pg1_4 大二さん若ッ!
念のため記しておきますが、右端が1989年ごろの岡井大二さんです。

9_pg2_2 四人囃子フェイスブックはコチラ⇒Official facebook   
      スマートホンをご利用の方はコチラ
四人囃子のウェブサイトはコチラ⇒四人囃子ウェッブ・サイト


(一部敬称略 ※協力:灘井敏彦氏)

1965年創業のNATAL(ナタール)はMarshallのドラム・ブランドです。

M_natal_square
★NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL Drums Official Web Site(英語版)
★NATAL製品は全国有名楽器店にてお求めください。
★NATALドラムは高田馬場バズーカスタジオでお試しになれます。バーチ、メイプル、そしてアッシュのキットの他、各種スネアドラムも用意しています。ドラマーの方、「NATALの部屋」ご指名でお出かけください。 詳しくはコチラ⇒バズーカスタジオ公式ウェブサイト

(一部敬称略 2016年10月20日 下北沢楽園にて撮影)

2017年1月23日 (月)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.3>

大二さん、読売新聞にご登場されてましたな…紙幅の関係もあり、記事の内容は四人囃子のプロフィールと『錯』の紹介にほぼとどまっているが、それほど『錯』の話題性が高いということ、あるいは四人囃子の音楽への再注目の兆しの表れであると信じたい。
こうした過去の素晴らしい音楽に耳目が集まりチョットした「社会現象」にまでなってくれるとうれしいのだが…。
そこまでが私の「野望」の第一章。
そうした社会現象で若い人たちがそうしたカッコいい昔のロックに興味を持ってもらうことが野望の第二章。
そして野望の最終章は、その若い人たちが過去のチャンとしたロックのエキスを吸収して、自分たちの感性で今のロックを作ってもらうことだ。
ま、マーブロに書いていることよ。
大二さんの言葉を借りれば「日本のオリジナルロック第一世代を知らない世代にも体感してほしい(読売新聞のインタビューより)」ということだ。
『錯』の発売まであと二日…25日の夜、または26日の朝のフェイスブックの投稿が「『錯』買いました!四人囃子最高!」という投稿で埋め尽くされることを期待している。

さて、『四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー』の第三回目の今日は『錯』の「Live Takes」を聴いてみよう。

9_今日も試聴に当たってはmarantzのCDデッキをMarshall HEADPHONESのWOBURNにつないだオーディオ・セットを使用した。

Wbさて、この「Live Takes」に収録されている内容は、『From the Vaults』と『Fullhouse Matinee』、さらに『'73四人囃子』から一曲が選ばれた音源であり、すでに世に出回っているもので、初出の音源は含まれてはいない。
「なんだよ、未発表の音源入ってないのかよ!」なんて文句を言うことなかれ。
だからはじめっから「ない」と言ってる。
その代わりに、それらの歴史的音源がデジタル・テクノロジーの進化を得てさらに良質な音源で楽しむことができる。
選曲や音質において、まさに大二さんがおっしゃるように、「四人囃子という名前しか知らない人にも楽しめるアルバム」ということが「Live Takes」でもいえるワケだ。
さて、収録曲は10曲のうち、9曲が『From the Vaults』からの選曲。
「一触即発」、「おまつり」、「泳ぐなネッシー」、「ピンポン玉の嘆き」、「機械しかけのラム」、「Nocto-Vision For You」と、四人囃子の活動を俯瞰して選ばれた代表曲が惜しげもなく収められている。
ちなみに「ピンポン玉の嘆き」は1973年7月21日、杉並公会堂における初演のもの。
私ごとながら…1978年か1979年に「Plumage」という民間のロック・サークルのコンサートがココで開かれ、サークルに参加していた高校生だった私もそこでギター弾かせてもらったのだが、ヘッドライナーで出演したBAD SCENEと同じ舞台に立ててうれしかったのを覚えている。
さて、四人囃子というと必ず「日本を代表するプログレッシブ・ロック・バンド」というキャッチが付いて回る。
話を戻して…私は大のプログレッシブ・ロック好きだが、四人囃子の音楽をプログレッシブ・ロックと感じて聴いたことがほとんどない。
大二さんは四人囃子の活動を「ポピュラー音楽でエポック・メイキングなことをする、というのが基本理念だった(読売新聞より)」とおっしゃっている。
まさにその通りのことをされたとは思うが、「プログレッシブ・ロックのバンド」という感覚が今でもないのだ。
ところが、この「ピンポン玉の嘆き」だけは別で、四人囃子を「プログレッシブ・ロックのバンド」たらしめているのは、この7/8拍子の一曲だけなのではないか?とまで思ったりするのだ。
「プログレッシブ・ロック」というカテゴリーの定義が極めて曖昧なので、コレはあくまで個人的な意見なんだけどね。

9_img_0225そして、9曲のうち、5曲が1989年9月22日と23日にMZA有明で開催されたリユニオン・コンサート『Fullhouse Matinee』で収録されたものだ。
二日のうち23日は昼夜の二回公演。すなわち「マチネー」があったワケだ。
一応記しておくと、「matinee(アメリカじんは『マリニー』みたいに発音する)」というのは昼間興行のことで、ブロードウェイの人気ミュージカルでは週末と水曜日にマチネーがある。
ロンドンのウエスト・エンドは木曜日、あるいは水曜日と土曜日とショウによって異なる。ちなみにウエスト・エンドは日曜日はお休みだ。
当然のごとく、主役級の役者さんは一日にミュージカルを二回演ることは体力的に難しいのでマチネーは代役を立てることが結構ある。
当然代役となると人気も落ちる。
すると、当日売りのチケットがものスゴイ値引きをされて売り出される。
ショウの内容自体はまったく同じなので、安くショウを楽しむにはコレを利用するのも一興だ。
私はといえば、もうだいぶ前の話だが、ブロードウェイに行った時、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカルがかかっていて、マチネーで格安チケットが出ていた。
「ヨッシャ!」と思い、チケットを買いに行くと、案の定代役。で、やめた。
変にプライドの高い私としては「代役が演じたミュージカル」は後で自慢が効かないと計算したのだ。
ま、私なんかそんなもんですわ。
それで、四人囃子、ご存知の通り、このコンサートの音源はすでに二枚組のライブ・アルバムとして発表されている。
下の写真がそれ。
1989年といえば、私はロックから離れていたどころか、転勤で東京からも離れて信州で安穏としたサラリーマン生活を送っていた。当然ネクタイとスーツを着用していた。
したがって、このコンサートが開かれたことも知らなかったし、MZA有明なんて小屋も知らなかった。
そういう意味では「日清パワーステーション」も経験していないのです。
その時代のライブハウスいえば、東京に帰って来て辛うじて渋谷の「On Air East」でTower of Powerを観たぐらいか?(Galibardi氏の無事を祈る!)
それじゃダメじゃん!って?
ナンノナンノ!「それじゃダメだ」と笑わば笑え。
アタシャ後楽園ホールでロイ・ブキャナンやフランク・マリノを観た。後楽園ホールだぜ!ボクシングの試合じゃないぜ!ワイルドだろう?
浅草国際でキング・クリムゾンの初来日も観てるから!国際劇場だぜ!
ま、どうあがいてもこの後のインタビューに出てくる大二さんの話にはかなわないんだけどサ…。
さて、話を戻す。
『Wish You Were Here』を連想せずにはいられないヒプノシスっぽいジャケットがカッコいい。
9_img_0223_2
元の音源も何ら文句の付けようもない音質なのに、今回はそれに「迫力」というスパイスを存分に振りかけたイメージに仕上がった。
まぁ、この味を知っちゃうと、そうおいそれとは元には戻れないだろうナァ。
今回、『錯』の音質をチェックするために、『Fullhouse Matinee』と『From the Vaults』と、三枚の音を聴き比べていた。
すると、『Fulhouse Matinee』と『錯』では、一曲目の「Nocto-Vision For You」の満さんの歌いだしのピッチが異なることを発見した!…と喜び勇んでいた。
しかし、「待てよ…」と思い、ココに書く前に念のため確認をすることにした。
教えを乞うたのはMarshall GALAでの稲葉囃子のスタッフもお願いした四人囃子研究家である灘井氏だ。
ちなみに灘井さんは、四人囃子やCharさん、金子マリさんらが参加した、四人囃子の初代ベーシストである中村真一さんの追悼コンサートにご出演されギターの腕も披露されている。
そして、私の研究の結果は当然のごとく空振り。
私は『Fullhouse』→『Vaults』→『錯』と同じ音源を三段構えでリマスターしているものと思い込んでいたのだ。
今回の『錯』の音源は、『Vaults』にすでに収録されているコンサートの23日のマチネーの音源をリマスターしたものであって、『Fullhouse Matinee』のモノとは異なる音源だったのだ。
ああ、単なる私の勘違いでこんなに紙幅を割いてしまった!
お詫びに全公演をご覧になった灘井さんからの情報を付け足すことにしよう。
セットリストは基本的に全公演共通だったそうだ。
衣装も同じで森さんの髪型に少々変化があった程度。
そして、23日夜の最終の公演のみ二度アンコールに応えた。その時は出演者全員がお揃いのTシャツを召していたそうだ。
下は灘井さんからお借りしたその時のチケットの半券。
おもしろいのは、初めの二公演の席が「G列」と前の方であるのに対し、一番下の23日の夜の公演のみ「T列」と大分後ろの方になっている。
もちろん皆さん最終公演のみのダブル・アンコールを見越していたワケではないのであろうが…そうか、みんな最後の方を見たいんだな~…と、東京にすらいなかった私はそんなことしか分析できません。
灘井さん、どうもありがとうございます!

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Mza_tick2

Mza_tick3 もうひとつ。
『From the Vaults』以外の音源は『'73四人囃子』の「円盤」だ。
『錯』には「(Full Length Version)」と記されているが、『'73』と内容は同じ。
何をもって「Full Length」なのかを灘井さんと話したのだが、我々の間では「シングルの短いバージョンとは異なり、丸々一曲全部を演奏しているという意味で『Full』なのではないか?」という結果に落ち着いた。
再三書いている通り、音質はオリジナルに比べて格段に良くなっている。
まるで見慣れたモノクロの映画が総天然色になったかのようだ。
そして、若さあふれるパワフルな演奏!
こうして「ロックがロックだった時代」の素晴らしい音源の質が向上することも若く、新しいリスナーがひとりでも増やしてくれるキッカケになることを願ってやまないい。
黙ってりゃいいんだけど、知ってることは言わないと気が済まない性質なので書いてしまうが…このジャケットに写っている1959のフルスタック(UNIT3)は四人囃子のものではなく、対バンの安全バンドのものだったとか…あ~書かなきゃヨカッタ。

73さて、大二さんのインタビューの三回目。
今回はまたビートルズの話に始まって、大二さんの音楽論について語って頂いた。

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さらにビートルズ

O(岡井大二、以下「O」):もう一度、ビートルズについて言うと、彼らが日本に来たのは1966年の6月です。
あの時に飛行機から降りてきた彼らの格好はご存知ですよね?
M(Marshall、つまり私、以下「M」):マッシュルーム・カットに日本航空の法被。
O:そうです。
そしてあのツアーの後に「もうレコーディングしかやらない」と宣言しますでしょ?
M:フィリピンで散々な目に遭ってしまってツアーにウンザリ…。
O:それでスタジオに引きこもって1966年中に『リボルバー』を出してるんですよ。
M:はい。

SffO:さらに引きこもって、年が明けて1967年になった途端「ストロベリー・フィールズ」のシングル盤を出してるんですね。
そして、その年の夏に、つまり、日本に来た1年後に『サージェント・ペパーズ』を出してるんですよ!
1枚のアルバムを挟んで(『リボルバー』のこと)、曲からファッションから全部変わっちゃった!
M:そういうことだったんですね。
O:日本に来た時の新曲が「ペイパーバック・ライター」です。
サウンドはハードになって何かを予感させるものあっても、ビート・バンドの域は出ていない。
それが『リボルバー』から変わっていって『サージェント・ペパーズ』ですよ。
それで、ケンカしたりしても最後には『アビィ・ロード』を作ってしまったワケですよね。
M:大二さんたちの世代の方はナマでそれを見続けたんですもんね~!

Img_0019_3O:ビートルズのこの変化の順番を目の前で同時期に見ていたという「幸福感」は、申し訳ないんですが、後の世代の方々にはわからないでしょうね。
M:私の世代になりますと、『ラバー・ソウル』が65年、『リヴォルバー』が66年、そして『サージェント・ペパーズ』が67年ということは後で教わって知っていても、その間の「一年」に起きた変化にまったく実感が湧かない。
生まれてはいたんですが…。

言ってみれば、本能寺の変が1582年、関ケ原が1600年、それから徳川幕府ができたということを知っているのとまったく同じなんですよ。
こんなことに実感が湧くワケはありません。

それと同じこと…うらやましすぎます。
マァ、最近は「いい国作ろう江戸幕府」なんて言っている若い人もいるようだから「実感」も何もありませんが…。
でも大二さん!私だってダテに年を喰ってはいませんよ!
O:ほう?!
Mもう大分前の話になりますけど、イギリスに行って、若い楽器店の連中と大勢で食事をする機会がありましてね…話題はもう自然と音楽の話になる。
私が「生でレインボウを観た」、「ライブ・イン・ジャパンの時に客席にいた」なんて話をするとそのイギリス人の若い子たちが「スゲエ!握手してください!」って言うんですよ!

Img_0679_3O:ワハハ!
M:大分スケールが小さいですね、こっちは!もう5年早く生まれていればナァ。
O:そうか~。
もうちょっとビートルズの話をすると、人気に乗じて初めて4チャンネルを駆使して「コレがマルチ・チャンネル・レコーディングの極致」というサウンドを作ったのが『ラバー・ソウル』ですよね。
M:はい。
Oで、『サージェント』は4チャンネルのテレコを2台用意して、1チャンネルをシンク信号に使って7チャンネルで録音した。
でも今、7チャンネル渡されて「サージェントと同じ音づくりしてみろ」と言われても誰もできない。
M:そうでしょうね~。
O:で、なんでそんなことができたのかというと、時代の空気みたいなものもあったと思いますが、とにかく発想がブっ飛んでいた。
ビートルズだけじゃなくて、ストーンズも色々やっていたし、ザ・フーは『トミー』を作る、『ラバー・ソウル』のエンジニアだったノーマン・スミスが『サージェント』を作っているとなりのスタジオでプロデューサーとしてピンク・フロイドのファースト・アルバムを作る。
あの1枚目の衝撃たるやスゴかったですからね。
宇宙みたいな、夢みたいな、コワイような、気持ちいいような…またまたナンダこりゃ?となったワケです。
M:今では「ピンク・フロイドのファースト・アルバム」以外のモノではないかもしれませんが、当時はあの音楽が相当新しく響いて本当に『夜明けの口笛吹き』だったんでしょうねェ。
O:音楽雑誌を見れば、アメリカではフランク・ザッパみたいのが出て来る…。

Pfボブ・ディランがどうして変わっちゃったのか?
グレイトフル・デッドも出て来た。
デッドの2枚目(註:Anthem of the Sun、1968年)なんかも少年にはスゴイと興奮しても、どうなっているのか分析なんかできないんです。生活も健康的だったし…(笑)。
M:わかってます、わかってます!
Oとにかく英米で何が起こっているかわからない。
無知な少年だったから、元よりビートニクの文学のことも、ティモシー・リリーの精神世界のことも知らない、ヒッピーってなに?
ベトナム戦争は泥沼化してる、世界が混沌の極み…こうしたことが1960年代の終わりにいっぺんに起こちゃったワケです。
それで、ビートルズはアメリカで名声を得てからたった3年でそういうムーブメントの中心になっちゃったんですね。
このあたりは世界の音楽界の明治維新みたいなものだったんです。
M:私は幼稚園で、パーマをかけたら、それを見た親戚のオバさんが「ビートルズか?」と言ったのを覚えています。
そうした世の中の文化的な大きな変化は英米のお話しでしょ?
O:そうですね。日本にはそれに関するハンパなデータしか入ってこなかったですね。
レコードは一応手には入りました。どんな人たちかは雑誌の写真で何となくでわかるんですが、どんなことが起こっているのかがわからないワケです、少年からすると…。

S41a9510M:そういう感覚がピンと来ないですね。
O:そのあたりのことがわかってきたのはようやく90年代に入ってからですね。
さすがにインターネット以前に本や映画を通じてわかってきたんです。
M:90年代?
O:そんなもんです。
60年代の歴史上の人たちの本当の姿や、何が行われていたのかを広く日本人が知ったのは90年代に入ってからでしょうね。
M:時差が10年どころじゃない!

 

オリジナル曲で勝負!

M:オリジナルで勝負しよう…ということになった時、「何をどうしよう」ということはご自分たちなりのお考えというものはあったんですか?
O:何をしていいかということはわからなかったけど、何となく勘が働いたんでしょうね。
M:たとえば「ブエンディア」なんていきなりボサノバだったりしますでしょ?
あの時代にああいうアイデアはどこから出て来たんですか?
O:「一触即発」、「おまつり」、坂下(秀実さん)による「泳ぐなネッシー」なんかは『一触即発』を作る前からのレパートリーなんです。
M:「ネッシー」のコード進行のアイデアなんかはI-I7-IV-IVm-I、いわゆるターンバックっていえばいいのかな?
基本的なコード進行。アレをすごくゆっくり弾いていたりしますよね?
でも、「ブエンディア」のボサノバのアイデアは不思議。

Se_2O:まぁ、あれは「こういうの好き~」ってだけでやった感じですよ。
ジョビンの「Wave」あたりがようやくピンときて、「こんな気持ちいい音楽があったか~。こういうの演りて~な~」っていう感じでしたからね…なんて時に、「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」をシングルで出すことによってバーターで移籍ができることになったんです。
M:お、またバーター。
O:「円盤」をシングルで出すのは忍びなかったんですけど…。
M:え、いいじゃないですか。
O:でも、出すことになって…ところがイザとなると今度はカップリング曲がない!
それで、「四人囃子用の曲じゃないけど、オレ、インストが一曲あるよ」ってB面に入れたのが「ブエンディア」だったんです。
だからアレは四人囃子向けの曲ではなかった。個人的な趣味です。
M:へぇ~。

 

昔のライブハウス

M:その頃、ライブハウスの状況というのはどんな感じだったんですか?
O:「グループ・サウンズの先輩達が出ているところ」ということになりますね。
M:さっきの話ですね?
O:で、伴奏を聴かせるスペースと音楽に合わせて踊るスペースに分かれているところが多く、そういうところでは踊るスペースの方が圧倒的に広いんです。
M:昔のジャズみたいに、要するに踊るためのバンド演奏だったワケですよね?

Img_0003O:そういうことです。ゴーゴー・バンドです。
それで、人気の出たグループ・サウンズの歌や演奏だけを聴かせるスペースとしてできたのが、ACB(アシベ)でいえば、「ニューACB」というところだったんです。踊る方は「ゴーゴーACB」。
で、そういう演奏だけを聴かせるスペースが増えていったんですが、あくまでも女の子たちがあこがれのグループを観に行くところでしたね。
M:なるほど。
O:だから、今の感覚で言う「ライブハウス」というのはロック・ポップ系にはなかったですね、当時は。
で、やっとそれらしいものが出て来た…。
M:え、どこですか?
O:…というのが、実は渋谷で言えば「ジァンジァン」だったんですね。
M:へ~。子供の頃、アレは芝居小屋だと思っていました。
O:そうそう。
だから「ありとあらゆるパフォーマンスに開放する」という意味合いがあるスペースだったんです。
M:色んなのが出てましたもんね。他には?
O:「ロック・バンドのためのスペース」ということであれば、吉祥寺のOZ(筆者注:1972年6月から翌年の9月という短期間に渡り営業していたライブハウス。久保田麻琴と夕焼け楽団、裸のラリーズ、南正人、タージ・マハル旅行団、カルメン・マキ&OZ、安全バンド、四人囃子、クリエイション、頭脳警察、ウエスト・ロード・ブルース・バンド等が出演した)なんてのもそう。
あとは屋根裏、そしてロフトですよね。
M:当時は吉祥寺なんてまだ閑散としていたんじゃないですか?
O:かなりさびしかったですね。
M:あとはホール・コンサートですか?
杉並公会堂なんかよく使われていましたよね?アレは何か特別な意味があったんですか?
O:ゼンゼンなかったです。ひとこと「地元」だから。
当時は各町の公会堂がグループ・サウンズのTV収録の場だったりもしたんですよ。
M:それと昔は学園祭が盛んでしたよネェ?「学園祭の女王」なんてね。
今はもうゼンゼンですよね?
O:今は実行委員会とかイベントのサークルとかの人たちが、「企画を立ててビジネスが成立するか?」みたいなシミュレーションの勉強の場になってしまったんですよ。
昔は、「ロックの息吹」なんて時代ですから、「学園祭」というイベントで晴れて自分たちの好きなバンドを呼んで演奏してもらうことができる場だったんですね。
そんな機会ですから呼ばれる方も張り切って演った。

 

音楽を作るということ

M:いつもMarshall Blogで騒いでいるんですが、今の若い人たちのロック界を見渡すと、「ロック」という言葉は残っていても、我々が持っている感覚で言うところの「ロック・バンド」というものはほとんど存在しない。
かといって歌謡曲もなくなってしまった。

Img_0524O:そうですね。
我々の世代が言う「正統派ロック・バンド」というのはいないですね。
それで言うと、最近の傾向として、デスクトップだけで音楽を作る人も多いですよね?
ウシさんはそういう人をミュージシャンとして認めていますか?
M:それなら「作曲家」ということになって、「ミュージシャン」っていう感じがしないかも。
O:「作曲家」は「ミュージシャン」ではない?
M:ミュージシャンは生の楽器を演奏する人のことを指すようなイメージがありますね。
O:そういうことね。「演奏」ということを重視するワケですね?
ボクはチョット考え方が変わっていて、絵に例えましょうか?
M:お願いします。
O:「匠」とか「道」の世界で考えれば、まずデッサン2,000枚描けということになるんですね。(筆者注:大二さんのお父上は、武蔵野美術大学の教授や同美術学園の学園長を務めたデザイナーの岡井睦明さん)
でも「絵を描く」ということになった時、最初からペンキを壁に投げつけたいヤツもいるんですよ。
M:ジャクソン・ポラックみたいな?
O:ダリのように細密な絵を描く人もいれば、谷岡ヤスジみたいに(筆者注:古すぎて鼻血ブー!)ドヘタ風味の四コマ漫画でいい味を出しちゃう人もいるんですね。
M:確かに。
O:要するに「出来上がり」なんですよ。
「何を生み出すか?」が一番だと思うんです。
家づくりに例えて言うと、大工さんにあたるのが 「プレーヤー」で、腕・技術を通してセンスを発揮するスタンスだと思うんです。
でもボクは設計の具合に一番興味があって、アホなものでも独創的なものにワクワクするんです。音楽の場合は発想に具体的な規制は無く自由ですから、例えば半分フランス庭園で半分日本庭園なんてことをしてもいいし、フランス庭園のド真ん中に鳥居を建てちゃうことだってできる。
出来ることなら月までハシゴ立てたい…みたいな。
M:できません!
Oだから自分の感覚で言葉を使い分けると、大工として名工を目指すのが「プレーヤー」の世界、設計図を提出して未完の想像物を世に問うのが「ミュージシャン」の世界、と考えています。
もちろん、ひとりの音楽家においてくっきり境目がある訳ではないのですが…。

S41a0872_2「プレーヤーとして」と話題にする時と、「ミュージシャンとして」と話題にする時とボクにとっては違うんです。
M:なるほど。
そういう言葉の使い分けであれば、私の感覚は作曲する人が「アーティスト」、それを演奏する人が「ミュージシャン」っていうのはあります。
もっともコレは私が考えたワケではなく、西欧人の受け売りです。横文字だけあって彼らはそれらの言葉を使い分けているように見えます。
O:で、一番大切なのは設計することからなんじゃないかということなんです。
M:はい!
O:「音楽」で言うと、「曲を創造する」ということになる。
コピーして演奏するより、どんなにボロクソに言われようと、落ち込んでしまおうと、自分はオリジナル曲を作るということの方が「ものづくり」ということにおいては、はるかに尊いと考えちゃうし、個性的な発想の人を尊敬するし、憧れてしまう。
「創作物」の積み重ねがあっての音楽の歴史だと思うんですよ。
M:私は何も作ることができませんが…まったく同感です。
O:「創作」や「ものづくり」に制約はありません。
例えばコンピュータしかイジれない人が何か曲を作る。
それに対して聴く側には賛否両論があったとしても、また、実際に上手に演奏できたとしても、コピー・バンドをやっている人達よりは、ボクはそのデスクトップ・ミュージックで画期的な作品を生み出す方の人を評価したいんですね。
M:よくわかりますが、実際そういう人はいるんですか?
O:ん~(笑)ま、そうは滅多にいませんね、確かに。
絵心・筆心のようなことが、奏でるという場には重要ですもんね。
M:それでは、スイートやエアロスミスのように職業作曲家に曲を作ってもらうというスタイルはどうお思いになりますか?
例えば、スイートはニッキー・チンとマイク・チャップマンというソングライティング・チームの曲を演奏して、たて続けにヒットを飛ばしました。(註:このふたりはスージー・クアトロやスモーキーなどにも曲を提供した大ヒット・メーカー。スージーの「Wild One」なんていいもんね~。チョット郁恵ちゃ

S41a5215_3んの「夏のお嬢さん」みたいだけど…)
エアロスミスも復活後は曲の提供を受けていますよね?
ロックはもうチャンとした音楽教育を受けたプロの作詞家や作曲家に「創作」の主導権を渡したらどうかと思うんですが…。
他の人が同じ曲を演らない限りは「持ち歌」ということでオリジナル・ソングになるワケですから。
O:それはまったくその通りですね。
M:曲は職業作曲が作って、あとはバンドがピロピロしようが、ドカドカやろうがそれは自由。
そこで腕自慢をすればいい。
O:わかります。
M:しかし、あのピロピロ系の方々というのは大変だと思いますよ。
「様式」にとらわれて他のことをするのが罪悪となってしまっているように見えます。
それこそが個性でもあるのかもしれませんが…。
O:最初にアレから入っちゃうとね~。抜け出すのがムズカシイのかも…。

<vol.4:最終回>につづく。

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(一部敬称略 ※協力:灘井敏彦氏)

2017年1月18日 (水)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.2>

昨日から岡井大二のインタビューつきで紹介している1月25日発売の四人囃子の新作『錯』。
「シンサクサク」というぐらいベテラン・ファンも初心者もサクサク聴けちゃうベスト盤。
四人囃子の世界には誰が入ってきてもいいし、誰でもそばにくれば、その素晴らしさを教えてくれる…そんなアルバムだ。

9_ 今日は2枚のCDのうち、『Studio Takes』を聴いてみよう。
鑑賞に当たっては、一昨日紹介したMarshall HEADHONESのBluetoothスピーカー、WOBURNに…

400 marantzのCDデッキをRCAで接続したセットを使用した。

Ncd_2

Bo『Studio Takes』の一曲目は、1978年の『包』収録の「Mongoloid-Trek」。
市ヶ谷の一口坂スタジオでのテスト・テイク。
いきなり脱線になってしまうが…いつも混んでる角ッコの小諸そばの交差点を降りて行った左側が一口坂スタジオだった。
私は、高崎晃さんが菅沼考三さんの『Convergence』というソロ・アルバムのレコーディングに客演した時、MarshallのJMD-1のお伴で丸一日お邪魔させて頂いたことがある。
その時、「あ~四人囃子もココでレコーディングしたのか!」と感慨にふけったのを覚えている。
レコーディングは昼頃から始まって、プレイバックをチェックする時以外、ほとんどスタジオから出てくることもなく、夜中までブっ続けで取り組んでいたにはビックリした。ものすごい集中力!(ベースはMASAKIさんだった)
その一口坂スタジオも5年前になくなってしまった。

さて、せっかくなので、このアルバムに託した大二さんの狙いにまんまと引っかかったことにして、「バンド名は知っているけど四人囃子の音楽を聴いたことがない人物」に成りきって聴いてみることにしよう。
  
ふ~ん、コレが四人囃子ってヤツか…まず普通にバンド名がいいんだよね~。でも普通に一回も曲を聴いたことがないからな…普通に楽しみだ。
ん~、ジャケットが普通にいいな~。
この曲は普通に歌がないな。四人囃子ってのは普通にインストのバンドだったのか?
なかなか普通に変わったメロディだな…普通にドラムがスゴイな。
ウワ!なんだこのキメ!普通にカッコいい!
なんだ、普通にメッチャかっこいいじゃねーの!もっと普通に聴いておけばよかったよ!
次の曲はナンダ?「カーニバルが普通にやってくるぞ」ってか?お、普通に歌入りだな?
  

Gpあ~、ダメだダメだ!ヤメヤメ!
今の若い人になったつもりでやってみたけど、満さんの「♪こわれかかった真っ赤な車に乗って」の声が聴こえた途端に顔が普通に浮かんじゃって!
とても四人囃子を初めて聴いている体の小芝居なんて普通にできない!…あ、「普通」が伝染っちゃった。
ということで「普通モード」に戻ることにする。(この「普通」は正しい使い方だ)
  

「円盤」みたいな言い回しになるが、佐藤満さんは2000年に開催した「マーシャル祭り」にご出演して頂いたことがあるのだ。
そう、この新しい四人囃子のベスト・アルバムは満さん時代のレパートリーから始まる。
ココからして今までの編集盤とは違う雰囲気満点。
『ゴールデン・ピクニックス』収録の「カーニバル」にしても満さんバージョンを持ってきたところがおもしろい。
この「カーニバル」と続く「ハレソラ」は1977年のFMの番組のスタジオ・ライブ。
アタマ3曲を満囃子で構成したのはものすごく新鮮な感じがするね。

Pjこうしたアンソロジー系のアルバムとなると、どうしても時系列を重視した曲順にすることが多いが、思いっきりタブーを破ったところがいかにも四人囃子らしくていい。
大二さんがよく口にする「エポック・メイキング」だ。
私は森園囃子も満囃子も両方大好きなので、抵抗があるどころか、むしろ大歓迎。
ところでこの音!…ナンダこれ?
昨日の記事で説明した通り、今回のアルバムは、既発の『From the Vaults』とその続編の音源をリマスターしたものが中心になっている。
リマスターのやりようでこんなに音が変わっちゃうのか~?
『From the Vaults』の発売からそう時間は経っていないのにもう技術が進歩しちゃったのかしらん?
どうして最初からこうしなかったんじゃ?!…という感じ。
私は貧乏性なのか、「音質が良くなったので同じCDを買い直す」なんてことにはほとんど興味がなくて、その分の資金があれば、一枚でも聴いたことのないCDを買いたいのね。
別に余命を宣告されているワケでは決してないんだけど、死ぬまでに一枚でも多くのいい音楽を聴きたいと思ってるの。
でも、コレはチョットそれを考え直した方がいいかも!って思っちゃったよ。
写真で言うと、以前の音はjpeg。今回の音質はRAWで撮って、明暗や彩度等を最良の手を加えて補正した感じ。
「デジタル処理」ということではまったく作業は同じか!
そうだナァ、わかりやすく言うと、メンバーが10歳ぐらい若返って演奏している感じがする。
大二さんのドラムの暴れ方が激しくなっているのもスゴイが、満さんのギターが以前のものとはゼンゼン違う!ピッキングのひとつひとつが「必殺」という感じ?

Is今回のCDの目玉のひとつでもある「おまつり」と「一触即発」は『From the Vaults 2』に収録されていた、小分けのパーツをガッツリとひとつにまとめ上げて微調整を加えたもの。
すなわち、小分けにされていたパーツを組み合わせて作ったオリジナル・バージョンの元、すなわち小分けされたパーツを聴かせてくれたのが『Vaults 2』。
今回は、また別の手法でそのパーツをつなぎ直して一編にしたということ。
あのハエ人間の映画があったじゃない?瞬間移動装置のヤツ。
人間の体を細胞まで分解して、それを別の場所に電送して組成し直すとかいう。
アレに似ていると言っていいのかな?
映画では移動中にハエが入ってしまってハラホロヒレハラになってしまう。
一方、『錯』では移動中に「岡井大二」という音楽を知り尽くした最高プロデューサーに入って頂いて、『Vaults 2』の音源より尚一層聴きやすい二編が出来上がった。
コレにも「四人囃子の音楽を普通に知らない人」にも聴いてもらいたい…という例の目論見がカラんでいる。

その他、「なすのちゃわんやき」、「泳ぐなネッシー」、Marshall GALAでも演奏してくれた(私が頼んだんだけど)「機械じかけのラム」等、各アルバムの人気曲がガチッと収録されている。
個人的には「昼下がりの熱い日」を入れてくれたのがうれしいな。この曲の満さんのソロは「ロック・ギターかくあるべし」を聴かせてくれる。
『Studio Takes』に収録された曲をアルバム別に分類すると、12曲中、森園期の曲が7曲、満期の曲が5曲。
そして、パフォーマンスというくくりで数えれば、双方6曲ずつのちょうど半々となった。
いいバランスじゃないか!
四人囃子に関する文物には、まるで枕詞のように「20歳そこそこでこんなスゴイ音楽を作っていた」という一節がいつも出てくる。
なのでMarshall Blogでは今回それを避けようと思っていたんだけれど、ここ数日この音源を聴いていて、また新しい刺激を受けちゃうとやっぱりそれに触れざるを得ないね。
今の同年齢の若い人達がやっていることを九九だとすれば、四人囃子がやったことは微積分ぐらいになるのではなかろうか?
こんなことを書いたら若いミュージシャンは「ほんとに普通にそうなのかよ!」ということになるだろう。
そう思うったら、このアルバムを聴いてみればいい。作戦は成功だ!
  
さて、大二さんのロング・インタビューの第二回目。
おかげさまで昨日の第一回目のインタビューは各方面から大好評を頂戴した。
ありがとうございました!
今日はまず、大二さんの大好きなプロコル・ハルムの話からスタートだよ!

Img_00312

プロコル・ハルムの魅力

 
M:ところで、四人囃子の皆さんはプロコル・ハルムがお好きですよね~?
結果、共演もされましたし。
O:ウン。

Img_0013M:どういうところこにシビれちゃってるんですか?
O:たぶん、ジェスロ・タルなんかも同じ理由で好きということになると思うんですけど、ボクは、一般にクラシックとかジャズのテンション・コードなんかを必死に取り入れて作ったイギリスのロックミュージックって、かえってダサく感じちゃうんです。
で、人によっては、ツェッペリンのこのフレーズだったら許せるけど、こっちはベタでイヤだとかいう部分が分かれている。
やっていることは近くてスレスレなんですよ。
イギリス特有の産物であるプログレ系とかのフレーズなんていうのは、アメリカ人からしたらベタで聴いていられないか、えらくカッコいいかのどっちかしかない。
ジェネシスなんかがまさにそうですよね。
M:童謡か~?みたいな。
O:そう。
それで話を戻すと、ボクなんかにすると、プロコル・ハルムみたいにクラシックのエレガンスさを作曲の段階でごく自然に取り入れている部分なんかがすこくカッコよく感じるんです。
M:へ~!
O:ディープ・パープルをはじめ、色んなバンドが実験的に取り組んだ、「オーケストラとの共演」とかとは違って感じた。
M:「エドモントン・シンフォニー・オーケストラ(筆者注:1972年のライブ・アルバムでプロコル・ハルムが共演したカナダのオーケストラ)」?
O:というか、オーケストラと共演するかどうかというのではなくて、曲作りなんですね。アメリカ人と

Ghは感覚が違う…当たり前だけど。
その典型例であり最高傑作が『グランド・ホテル』ですよね。
M:同感です。
『グランド・ホテル』についてはROLLYさんも先日新宿のライブハウスの楽屋で熱弁を奮っていらっしゃいましたね。
O:ああ~、そうだったね~。
それと『Thick as a Brick(ジェラルドの汚れなき世界←この邦題こそ「thick as a brick」だ!)』もそう。

M:アレのA面の最後なんか童謡ですもんね。
O:でもね、アレも和声を色々勉強した人なんかが聴くとベタで聴いていられないんですよ。

Tab

♪ダカダカダッ、ダカダカダッ、ダダダダ…。
M:(続けて歌う)チキチキチッ、チキチキチッ、チチチチ、ビョ~ン…。
O:ベタでしょ?
M:最高です。一生聴き続けるレコード。

<ここでプロコル・ハルムの「コンキスタドール」がBGMにかかる>
O:これ(「コンキスタドール」のこと)は当時、最高にカッコいいと思ったけど、今ではベタすぎちゃうな…好きだったけど。
M:で、そのプロコル・ハルムとのご共演はいかがでした?
O:アレね、最初の話しはキング・クリムゾンだったんですよ。
M:えッ!!
アレはKさんの企画ですよね?
O:そう、で、企画を持ちかけて下さった時に「観に来るお客さんがクリムゾンと囃子じゃ同じ気持ちで楽しめないような気がするんですが…」と言ったんです。
M:私はゼンゼンOKですけど!
それでどうなったんですか?

Img_0234O:「それじゃ、誰だったら一緒に演れる感じなんですか?」とKさんが訊くので、「ん~、プロコル・ハルムだったらシャレになるかな?」と答えたんです。
「じゃ、呼んじゃおうか?」となった。
M:ギャハハ、「シャレ」?!
O:そう!
それでしばらくしてKさんから連絡があって、「岡井さん、プロコル・ハルム呼んだからね!ちゃんとやってくださいよ!」って。
M:え~!それでキマったんですか?! いかにもKさんらしい!
Kさんって私の大学の先輩なんですよ。
それで、あの時、ギターでジェフ・ホワイトホーンもやって来た!
日本酒を持って会いに行きました。
2003年か…もうずいぶん昔の話になりましたね。
今は無き厚生年金の楽屋の廊下で恐る恐る大二さんとお話させて頂いたのをハッキリと覚えていますよ!
O;そんな!ウシさんがボクに恐る恐る話していたことなんてあったっけ?!
M:今でこそこんな感じですけど、最初の頃はビビってましたよ!
O:そうだったかな~?
M:だって相手は「岡井大二」ですからね!
イカン!案の定、話が大分脱線してしまいました!

 

大二さんのロック体験

M:その頃の洋楽はどういう感じだったんですか?
O:はい、それでボクらの当時の状況をもう少し詳しく話すと、やっぱり我々もずいぶん音楽の雑誌を読みましたが、今にして思うとその情報って正直、全然アテにならなかったんです。
ファー・イーストの国に入ってくるのは抜粋して限られた情報で、それが記事になっていたんですね。
M:そうだったらしいですね。
O:さっき、「日本の音楽の状況は10年遅れている」と言いましたが、ボクらが中学、高校の時は1960年代の後半になるんですね。
M:よさそうな時代!
O:1960年代の後半と言うのは…一番わかりやすく言うと、1967年のビートルズの『サージェン

Sgtト・ペパーズ』の前後という時期なんです。
大ゲサに言うと、ポップ・ミュージック・シーンにおいては世界的に明治維新よりゼンゼン大きな出来事が起こってしまったワケ。
時代背景がまずあるのですが、世界の世相。そこから哲学も文学も急進していて、あらゆるものが変わりました。
M:私、5歳でした。「サージェント前後論」というのはよく耳にしますが、本当にそうだったんですか?
O:当然音楽もまったくそこから変わるんです。
例えば曲作り、アレンジ、録音技術、ファッション…そもそもラブソングではない曲がヒットするということはそれ以前には、ほぼあり得なかったんです。
M:ある時に気が付いたんですが、ロック史に燦然と輝く『サージェント』って意外に8ビートの曲って少ないんですよね。
O:うん、意外にハネてるのが多い。
M:矛盾していませんかね?4ビートの曲が多いアルバムがロックの歴史を変えたなんて…。
O:近田(春夫)君もそれを言っていましたね。
近田君は「みんなスゴイって言っているけど、オレはいまいち好きじゃない。♪ツッチャツッチャが多いんだよね~」って言い方でしたけど。
M:ハハハ!「♪ツッチャ、ツッチャ」っていうのがいいな!
O:ま、それは曲のタイプの話ですよね。そういう曲が多いということ。
で、『サージェント』というアルバムが総合的な仕上がりと結果的に成し得てしまったことは前人未到で、どうしようもないぐらい大きなことだったんです。
M:やっぱりお兄さんがレコードを買って帰ってきたとか?
O:イヤ、『サージェント』の頃はもう自分で買っていましたね。
M:『サージェント・ペパーズ』がある日新譜として発売されて、それをレコード屋に買いに行くっていうことにどうも実感がわきません!
O:友達と分担して別のレコードを買って貸し借りしたものです。
今でも同窓会ではそんな話で盛り上がりますよ!

 

ビートルズのすごさ

M:ビートルズの曲って、歌詞の意味がダイレクトでわかって、そして歌ってみるところに大きな楽しみがあると思っているんです。実際に歌詞を口にしてあのメロディに乗っけるとすごく気持ちがいい。
そういうところも受けたんだろうなって思います。あ、日本の話じゃないですよ。
O:それもあるでしょうね。
ボクはね、少年時代は少なくともビートルズ派じゃなかったんですよ!男の子だから。
キャーキャー言われているモノよりも、「やっぱりサ~、ストーンズ、ヤードバーズ、スペンサー・デイヴィス・グループだよね~!」って感じ…シャドウズ、デイヴ・クラーク・ファイブから入ったクセに!
M:大二さんってヴェンチャーズじゃなくて、シャドウズ派なんですよね。いつかクロコダイルで

Img_0559Charさんとそんなお話をされていた。
O:そうなんです。
で、あの頃は男の子と女の子の好みがハッキリ分かれていた。
ビートルズは海外から入って来たとびっきりのアイドルでしたからね。
M:我々の世代はクイーンが女の子、キッスが男の子かな?いずれにしても古くなりましたね!

O:ボクはビートルズに命をかけてきた熱心なマニアではまったくないんです。
でも、ビートルズについて考えてみると、録音技術にしても、ポップスでこんな曲が作れちゃうんだ!という曲作りにしても、まわりのスタッフも含めて、ビートルズというのはファウンダー的作業のとんでもない重なりでできているんですね。
まさしくエポックメイキングで。

Img_0019M:「史上初の…」づくしですね?
O:そういうことです。
曲作りについてはあらゆる作曲家が、感覚オンリーで作曲しているジョン・レノンとポール・マッカートニーって何てスゴイんだって言っていますよね?
それからほんのチョット後のエルトン・ジョンとかの世代になると音楽の知識やクオリティも上がって、ピアノから曲を作ったりするワケですが、ビートルズは本当にほぼ「感覚」だけで作曲してるワケです。
リバプールの田舎の青年たちがですよ!
元はただの「あこがれ」だったのに。
M:『ビートルズ・アンソロジー』かな?ポールが「From me to you」だったと思いますが、サビのコードを発見して時はうれしかった…なんて言っていますもんね。
「発見」ですから!
O:たった何年かの間にあれだけのメロディを作ったことは、誰がどう考えても彼らは異常なまでの天才なんですよ。
で、彼らが目指した曲も演奏も、彼らにとっては「コレが画期的というもんだ!」なんてことはなかったんですね。
ただただ、やりたいことをやっただけ。
それなのに世界中で色んなもののパロディの対象になるほど行き渡ってしまったのは、ファウンダーとしてのオリジナリティがあまりにも詰め込まれ過ぎてるんです。
M:そうか…。
そうやって指摘されないと、当たり前すぎてただただ「いいな~」で終わっちゃいます。
O:トータル・アルバムなんてモノを考えたり、演奏不可能なアレンジで曲を作ったり、そういうことをするためのプロデューサーやエンジニアとの関係までも作った。
で、『リボルバー』あたりからドンドンおかしくなっていった…ホントは『ラバー・ソウル』あたりからなんですが…。
M:『ラバー・ソウル』は本当に素晴らしい!
O:『リボルバー』と『サージェント・ペパーズ』の前に「ストロベリー・フィールズ/ペニー・レイン」のシングル盤があって…。
ココで一番最初のボクの話に戻ると、当時の日本の少年からすると、やれビートルズがヒゲを生やしてトータル・アルバムなんてのを作るは、やれジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスなんてバンドが出て来るわ…あのヤードバーズにいたギターのウマいエリック・クラプトンが始めたバンドは「ブルース・ロック」とか言うらしい。…さらにアート・ロックなんてのも出て来るし…。
そういうのがいきなり1966~1967年のたった2年の間に出て来ちゃったんです。
M:すごい時代ですよね!まさに百花繚乱!いいな~!
O:そこでビートルズ以外のアイドルのバンドは、わがデイヴ・クラーク・ファイブを含めてみんないきなり消えていっちゃうんです。

S41a0871ホンの1~2年の間にガラッと入れ替わっちゃった。
M:私はデイヴ・クラーク・ファイブって聴いて来なかったんですが、大二さんがお好きなのを知っていて、このインタビューのために色々と聴いてみたんですが、メッチャかっこいいですよね!
O:そうでしょ?!
ちょっとデイヴ・クラーク・ファイブのことをしゃべらせてもらうと…彼らのスゴイところは、当時イギリスではビートルズ全盛だったでしょ?
だからビートルズの先輩でも後輩でもみんなマージー・ビートっぽいものを強制的に演らされたんですね。
でも、デイヴ・クラーク・ファイブだけは一切ビートルズ・サウンドに関係しなかったんです。
M:へ~。チョット黒っぽくて…声もすごくカッコいいですもんね。
O:歌もうまいし、とにかくアカ抜けてた。
M:ロンドンのバンドですよね?
O:そうです。無理です…当時ああいうサウンドが作れるのはロンドンのバンドじゃないと無理だった…無理だったはずです。
M:それにしてもですよ、私がロックを聴き始めたのはビートルズが解散して5年後ぐらいの時分からだったんですが、それでも、「ストロベリー・フィールズ」なんかも先に「名曲」と刷り込まれて「フムフム、これが名曲か…」となるワケです。ゼンゼン後追いの状態。
そこへ行くと大二さんの世代の方々は「今度のビートルズの新曲って『ストロベリーなんとか』だってよ!食べ物の歌かな?」なんて言ってレコードを買いにいらしたワケでしょ?
O:そうですね。
M:それで、買って帰って来てさっそく聴くと、あのメロトロンの「♪ホエ、ホエ、ホエ」って今まで耳にしたことがないような妙に元気がない音が飛び出して来る。
こういうのってどうだったんですか?
O:まったくわかんないですよ!「なんじゃこれ!?」です。でもとにかくワクワクする。

<vol.3>につづく。明日はインタビューお休み。<vol.3>は来週の掲載となる予定です。

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(一部敬称略)

2017年1月17日 (火)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.1>

2017年1月25日、四人囃子のニュー・アルバムがリリースされる。
タイトルは『四人囃子 ANTHOLOGY~錯~』。
「錯」…何かPink Floydのアルバムのタイトルみたいだね。
毎年、年末に京都の清水寺のお坊さんが「今年の漢字」なんてやっているけど、四人囃子の場合だと「錯」になるのか…。
レコード会社の解説によると、「多くのメンバーの変遷を経て、アメーバのごとくその音楽性を変容させていった四人囃子のバンド・カラーを代表するイメージ」を漢字一字で表現したのだそうだ。
私だったら「金」てつけるな。
値千金の「金」…奇しくも2016年の清水寺の漢字と重なった。
  
アルバムは『Studio Takes』と『Live Takes』からなるCDが2枚と、2008年のコンサートを中心に収録したDVDが1枚という構成だ。
ウ~ム、まずジャケットがいい。
そもそも四人囃子は『一触即発』、『ゴールデン・ピクニックス』、『包』等、ジャケットがとてもヨカッタもんね。
9_CDは2001年にリリースされた未発表音源集、『From the Vaults』と『From the Vaults 2』から選ばれた曲にリマスタリングを施したトラックと、『Studio Takes』の方には岡井大二監修のもと、「一触即発」や「おまつり」のオルタネイティブ・バージョンが今回初めてCDに収録される。
当時、Frank Zappaのように頻繁にアレンジを変えていた四人囃子のオルタネイティブ・バージョンは大歓迎だ。
下がその『From the Vaults』と『From the Vaults 2』。
左は特典のボーナスCD。1974年の中野公会堂での「Cymbaline」と1976年、渋谷公会堂でのZappaの「Overture to a Holiday in Berlin」が収録されている。
残念ながら現在は絶版になっていて入手困難なのだそうだ。
ダメよ~、ダメダメ、そういうことをしちゃ。

9_img_0467私が持っている『2』には2010年に日比谷野音で開催された「プログレッシブ・ロック・フェス」の時に頂いた大二さん、森さん、佐久間さん、坂下さんのサインが入っているのよ。

Img_00182 『2』はもう一部持っていて、大二さんから頂戴した「Thank You!! ウシさん!!」のサインが入ったバージョン。ウチの宝物だ。
自慢コーナー終わり。

9_img_0470_2もう少しこの『錯』について記す。
大二さんとレコード会社のインタビューによれば、年齢やバンドの状態を鑑みて、メンバーが直接関わって音源を出すという形はこれが最後になるのではないか…という。
そんな…寂しいこと言わないで~!
佐久間さんに対しての追悼ができていないことが、ずっと大二さんの心残りだったという。その気持ちを込めた作品でもあるのだそうだ。
そして、大二さんの気持ちとしては、「四人囃子という名前は聞いたことがあっても、実際の音楽を聴いたことがない」という人たちに手軽に聴いてもらいたい…ということを意識したそうだ。
私ですら現役当時の四人囃子は見たことがないため、昔からの熱心なファンの前では決して大きな声では言えないが、今回のこのアルバム、すごくよくできていると思った。
大二さんがこだわったという選曲や曲順への配慮が手に取るようにわかる。
その配慮が奏功して、まるで新録のニュー・アルバムのように聴こえるのだ。
まさに「anthorogy(選集、名曲集)」というタイトルに偽りのない良質なベスト・アルバムに仕上がっていると思う。
  
さて、Marshall Blogでは、このアルバムの発売を記念し、CDの紹介を交えながら、大二さんのスペシャル・ロング・インタビューを今日から4回にわたって掲載する。
実はこれから皆さんに読んで頂くロング・インタビューは、今回のアルバムとまったく関係のない環境で行われた。
平たく言えば、だいぶ前に実施したインタビューということ。
したがって、インタビュー中に『錯』の話題はツユほども出てこない。
では、何だってMarshall Blogでそんなインタビューをしたのかと言うと、チョー大ゲサに言えば、日本のロックの揺籃期から現在に至るまで、実際にその変遷を体験した方のお言葉を半永久的に記録しておきたかったのだ。
とは言ってもそこはMarshall Blogのこと、固っ苦しい話は抜きで、日ごろから私が知りたいと思っていた昔の日本ロックの状況を興味本位で大二さんから聞き出した…と思って読んで頂ければそれでOK。
ただ、若いミュージシャンを指導している立場にいらっしゃるような方々、また、お子さんがロックに興味を持っているようなロック好きのご両親には、内容に満足がいけばゼヒ若い人たちに読むようにご指導頂きたいと願っている。
実際に大二さんと同じ時代を体験した方が懐かしんで読んで頂くのももちろん大歓迎だが、若い人たちに読んで頂き、少しでも元来あったロックの姿を知っておいてもらいたいと思うのだ。
それで、もしこのインタビューを読んで昔のロックに興味を持ったなら、それこそ今回の四人囃子のアルバムを聴いてみるもよし、ビートルズに興味を持つもよし、あるいはデイヴ・クラーク・ファイブでもよし、そこから始まる音楽の無限のよろこびと楽しさ、そしてカッコよさを知ってもらいたい。
若い人たちはまだ何も知らない。
  
ところで、どうしてドラマーの大二さんがMarshall Blogかと言えば~、そう、大二さんはMarshallのドラム・ブランドNATALのエンドーサー(正確にはエンドーシー)なのであ~る!

Img_0415 インタビューに際しては大二さんに拙宅にご足労頂き、アルコールをチビチビ摂取しながら行われた。
肴は刺身。ワザワザちょいと足を延ばして買い出しに行ってきた。
マグロは天然。おいしかった~!
なんてことはどうでもいいか。
何しろ、後半ではインタビュアーの私もスッカリいい気分になっちゃって、後で録音した会話を聴いて恥ずかしくなってしまった!そもそも笑い声で言葉が聞き取れない箇所があったぐらいだった。
そんな雰囲気の中でのインタビュー、はじまりはじまり~。
養殖ではない、天然のロックの時代のお話をお楽しみあれ。

  

日本のロックの今

Marshall(以下「M」):大二さん、お忙しいところ本日はどうもありがとうございます。よろしくお願いします。
岡井大二(以下「O」):いいえ!こちらこそよろしくお願いします。
M:ではさっそく…日本におけるロックを取り巻く環境が我々の頃と大きく変わって久しいですよね。
O:日本だけでなく、海外でも状況は同じですね。
M:最近の日本の若い人たちは、「ビートルズを知らない」ということが普通になってきているみたいですね。

Img_0017O:アノですね、ロックとかポップスとかに興味を持って、そういうものを好んで聴いている以上、好きとか嫌いとかいうことは別にして、まさか「ビートルズを知らない人がいる」ということは日本ならではの現象なのではないでしょうか?
イギリスは母国ですから別にして、アメリカではあり得ないことだったはず…ところが日本ではあり得ているんですよね!しかも、とっくに!

M:そう「とっくに」です。
O:2000年以降、ビートルズを知らないポピュラーミュージック界の音楽人が確かにイッパイ出て来てしまっているらしい。
で、それは果たして「世代の違い」とかいうことだけで済む話なのかな?…と思っちゃいます。
M:私もまったくそう思います。
私はイギリスへ行く機会が比較的多く、現地ではいまだにビートルズのスゴさを肌で感じる部分があって…。
とにかく日本人の音楽に対する姿勢が欧米とはまったく違うということをいつも思い知らされます。向こうの人たちは子供から大人まで本当に音楽を日常的によく聴いていて、またよく知っている。
O:私はアメリカ人になりたい…とか、イギリス人になりたい…とか、そういう憧れはまったくないんです。日本人としての誇りも持っていますから。
ですけど、たまたま興味を持って好きになっちゃった「音楽」に関してだけは別ですね。

Img_0054野球で言えば、頂点を目指したい人がいれば、今の段階ではメジャーリーグを目指すしかないでしょ?
それと同じで、ポップ・ミュージックに関して言えば、質の高さ、レンジの広さ、ディープさ…いろんな点において、日本は海外の音楽事情にいまだに多くの事柄で追いついていないと正直思うんです。
そんな状態にもかかわらず、世間全体で音楽に集まる興味が年々薄れているのは、ナンダかなあと思いますね。
M:興味が薄れているというより、ロック系の音楽に関して言えば、「J-POP」という新しいカテゴリーを作り、すべてそこに押し込んでしまって、みんな黙ってそれだけ聴いているような…。「洋楽なんかもう要らない!」という「鎖国状態」と言うと大ゲサですけど…そんな感じ?
それは島国特有のキャラクターなのかな~?
イギリスも島国ですが、ゼンゼン違う感じがする。
アソコではどんな田舎のパブでも金曜日と土曜日の夜には地元のバンドが登場して、レッド・ツェッペリンやザ・フーの名曲をお客さんと一緒に歌う。
それを見ていて、同じ島国でも音楽のあり方が日本とすごく違うのを実感しました。
連中は英語で歌えるから…というのは抜きにしてです。
だってツェッペリンの曲にしたって「Rock and Roll」みたいなスタンダードなんかじゃなくて、「Rumble On」とかを演っちゃうんですよ!
本物だってライブでほとんど演らなかったのに!
レッド・ツェッペリンが一般の人の日ごろの生活の中にある感じがしましたね。
ザ・フーにしても「The Seeker」とかを演っておじさん、おばさんが大合唱してる。

S41a9546O:いいなあ~。
M;土台、あの音楽は連中のモノですからね。
加えて、ロックが大人のためのものという部分が残っているように感じます。イヤ、残されている…というのかな?
そこへ行くと、今この国の「ロック」と呼ばれているモノはあまりにもお子様向けになってしまっていると思います。
O:「売上」ということだけでなく…、世間の「評判指数」とでも言いましょうか…。
いわゆる評価っていうモノが売上の高いアーティストの所に何でもかんでも集まり過ぎちゃって、「たまには音楽でも」という感じの人達から見たミュージック・シーンのイメージを作っているんですよね。
M:はい。それで更にみんなそれのマネをして終わっちゃう。
O:実際、世界的にはインディーズとか自主制作でワールド・ワイドに活動している人もいるじゃないですか。それも新世代、かつディープでなかなかいいものを作っている人もいるんです。
で、日本にもそういう人たちはいて、まったくいなくなったワケでは決してない。
でも、さっきの「評判指数」の高い人の音楽は「大人向けでない」というか、面と向かってジックリ相対して楽しむための音楽とは思えないものが多いのは確かですよね。

 

昔のロック・シーン

M: 公私混同かも知れませんが、今日、大二さんから正式に歴史的なお話をうかがうのをとても楽しみにしていました。
まず、四人囃子がデビューした頃の日本のロック界とかその周辺のお話を聞かせていただけますか?
O:まず、自論かもしれないけど、知っておいて欲しい「時代の背景」というものがあるんですね。
それは、当時、アメリカやイギリスと日本では音楽シーンの状況にキッパリ10年の時差があったということです。
M:10年も?
O:例えば、1955年がロックンロールの始まりと言うことになっていますよね?
M:「Rock Around the Clock」。
O:そうです。
そのあたりからビートルズが出て来るまでの10年間…ビートルズがアメリカに進出を果たしたのは1964年ですから…それまでのその約10年は「評判指数」のトップが エルヴィス・プレスリー の時代だったんです。彼の人生を総括した場合、最終的には「偉大なキング・オブ・芸能人」として殿堂入りしているワケです。
Img_0014その後、ブリティッシュ・インヴェイジョンでビートルズの時代が来ますよね。
プレスリーと何が違ったかと言うと、「オリジナル曲」の存在の有無なんですね。
プレスリーは職業作曲家が作った曲を歌う「芸能人」としての歌手でした。
それが、ブリティッシュ・インヴェイジョンをキッカケに自分たちの「創作物」を売る時代になった。
ビートルズの世代というのはストーンズにしても、ジミ・ヘンドリックスにしても、レッド・ツェッペリンにしても、1940年代生まれの人たちなんです。
それで、ボクは昭和28年ですから1953年の生まれで、ポスト団塊世代のアタマの世代なんですね。
日本のポップスとロック音楽シーンにおいて、ボクらの前の世代はグループ・サウンズの方々なんです。
先輩達は人気者となり、レコードやTV出演などの場では世間の「評判指数」の高い音楽を演った。
でもその裏では自分達が本当にやりたい音楽スタイルを色々と見せてくれたんです。
M:なるほど。
O:それとGS旋風の前のソロ歌手時代は、主にアメリカのポップスの焼き直しが若い世代向けのヒット・ソングスだったんです。
そういうソロ歌手からウエスタン・カーニバルを経て、グループ・サウンズへとつながっていった。
まず、そういう流れがあって、そこまでは「芸能界」の時代だったんです。
M:日劇何周の頃ですね?
O:そう。
そして、その後が僕らの世代なんですよ…ボクらの世代からオリジナル曲が中心になる時代に入るんです。
自分たちで曲を作って、それをどう演奏して、どう発表するか…ということをやるようになった。
そして、それがレコード・デビューする時の「カギ」になってきた。
M:大きな変化ですよね?
O:はい。
また聴く側にも変化が表れて、「この人、この連中はどういう音楽を演っているのか?」ということが興味の対象になっていったんですね。
顔を知らなくても、「聴こえてくるモノ」で興味の対象を選ぶというように変わってきた。
M:演る方も聴く方も独自性が出てきた時代?
O:そういうことですね。
で、ボクらは大方1950年代生まれのミュージシャンですよね?
そうすると…ホラ、ね?
向こうとキッチリ10年違っているんです。
M:ホントだ…。ビートルズと10年のズレ。
O:でしょ?

Img_0232そして、この図式がそのままズレて続いて行くんです。
我々の先輩たちは「本当はこういう音楽をやりたい」とか「本当はこういう音楽が得意なんだけど」という自分たちの理想の音楽を表立ってはできないので、ライブハウスなどの比較的裏のシチュエーションで演っていた。
当時は「ゴーゴー・クラブ」って呼んでいたりしたんですが…。
M:たとえば?どんな曲が取り上げられていたんでしょうか?
O:ストーンズをやったり、アニマルズをやったり…。
で、ボクらはそういう先輩たちの演奏にあこがれていたんですが、どんどん音楽の状況が変わっていく中で、ボクらは「次世代」というような強い意識もあったんです。
M:その当時の「次世代」ね。
O:もちろん。
要するに、洋楽をマネたにしても、それを更に発展させたものを作りたいと思ったんです。
批判されようが、「ダサい!」と言われようが、とにかく「オリジナル曲」という自分たちの「創作物」を世に出したかった。
ボクらがそういう志向の始まり世代に当たるんですね。
結果、日本の音楽シーンもポップスやロックの本場の国から10年ズレていることになるんです。M:確かにそういうことになりますね~。
O:そこから始まったんですね。
まあ、大ゲサに言うと、世界的に見れば「ビートルズ世代」っていうのが「次世代」の人で、日本においては、ジャンルを問わずに物作り・曲作り・スタイル作りが活動の前提になってくる「ボクらの世代」がそれにあたるんですね。

S41a0142M:「ボクら」の「ら」とおっしゃいますと?
O:バンド・スタイルのアーティストだけで言っても、はっぴいえんど、フラワー・トラベリン・バンド等の先輩バンドを始め、ミカ・バンド、クリエーション、OZ、シュガー・ベイブ、ムーン・ライダース…とにかく続々と出てきました。
キャロルはあのロックンロールのスタイルで出て来たし、一方ではウエスト・ロード・ブルース・バンドみたいなのもいました。
ホントのブルースのマニアですからねね。
M:「マディ・ウォーターズ命」みたいな。
O:「好き」だけでは済まない。
追求度がハンパない。もう洋楽に聴こえてましたもんね。
素晴らしかった。
M:ホトケさんの声と歌、メッチャかっこいいですもんね!
O:でもね、ウエストの連中と話をすると、「お前らは好きにオリジナルを作っ分だけ自由に演れたんだよ」…なんて話してくれたこともありました。
M:それは「ブルース・スタイル」…という枠の制限という意味ですか?
O:だと思います。
その他にもスモーキー・メディスンが出て来て、その後バックス・バニーでしょ。
センチメンタル・シティ・ロマンスもそうだし、そんな中でボクらもオリジナル曲でデビュー・アルバムを出したワケです。

  

ロックのレコード・ビジネス

M:で、四人囃子は「自由が利きそうだ」ということで東宝レコードを選んで『二十歳の原点』とバーターで『一触即発』を制作した…という話は以前にもうかがっていますが、果たしてその時代、レコード会社は『一触即発』のような作品が世間で受け入れられると思っていたのでしょうか?
O:そこはまず…聞いてビックリするかもしれませんが、そもそもビートルズとヴェンチャーズこそ日本でも枚数が出て、レコード会社としてのビジネスが成立していましたが、その他はですね…「まさか!」というぐらいに、まだその頃は日本国内では枚数が出ていないという時代なんですよ。
M:なるほど…。

S41a5219O:ローリング・ストーンズにおいては、かわいそうに…キング・レコードはロンドン・レーベル時代のストーンズのアルバムでは、それほど商売になっていないと思います。
M:初期の全盛期なのに!
O:ワーナーに移って『山羊の頭のスープ』の「アンジー」でやっと日本でもストーンズが商売になり出したんです。
そういう意味ではツェッペリンの方が全然ビジネスになっていたんじゃないかな?
M:レコード業界に深い関係をお持ちになる、日本を代表するレコード・コレクターの方からお聞きしたのですが、当時レコード会社の稼ぎ頭は、圧倒的にヴェンチャーズだったそうです。
ビートルズももちろん強かったけど、ヴェンチャーズの比ではなかったらしい。
O:そうでしょうね。全国津々浦々ということでいえばヴェンチャーズの方が全然上だったに違いない。
M:ストーンズですら「アンジー」までは商売にならなかった…というのはやはりそれが「ロック」だったから?つまり歌謡曲とは全然違うということ?
O:まあ、そういうことになると思います。「ロック」というものがまだ定着していなかった。
M:まだロックと歌謡曲がまったく分かれていた時代ですよね?
O:そうなんですが、実は、70年代に入ると、日本の音楽市場に歌謡曲に分類されない新しい息吹が既に生まれているんです。
M:え、それは何ですか?
O:それは日本のフォークなんです。
M:あ、フォークか!
O:ボクは本当はフォークかロックかは、サウンドのスタイルで分かれるようなものではないと思っています。
でも、とりあえず日本では「フォーク系」とか「ロック系」のジャンル分けがあって、日本中の若者に日本のフォークが届き始めていて、レコード会社は既に大きな手応えを感じていたんですね。
M:社会的な背景もありましたもんね。
O:そうです。
そして、そこへ更に加わりそうなものとして 「日本のロック」 が登場してきました。
だから最初のウシさんの質問に答えると、四人囃子がレコード会社にどう受け止められていたかというのは、「新たな市場とジャンルが作られつつある、だったらそこは早めに手を出しておこう!」…ということだったのだと思います。
そしてレコード会社のスタッフもフォーク、ロックの息吹真っ只中の人達がこぞって入社している時代になっていたんですね。
M:実体験を経た方のお言葉をこうしてお聞きすると本当に「日本のロックが動き出してきた!」という感じがしてきますよ!

 

日本人とブルース

M:日本の場合、イギリスのようにブルースのムーブメントみたいなものがありませんでした。
イギリスのロックの動きを俯瞰して日本と照らし合わせると、そのブルース体験の欠落が今の日本のロックをある意味、四面楚歌にしてしまっていると私は思っているんです。
イギリスはそういう歴史的な下地があるので、いつでも先祖返りしてマーケットに熱湯を注ぐことができる。
ま、どうも今ではそれがすぐにぬるくなっちゃうようですけど…。
O:ウン。
ブルースって、例えばロバート・ジョンソンなんかは1930年代の人ですよね。30年代の音楽。
でも、アメリカにおいてですらブルースがポピュラーなシーンに根付いたのは50年代なんですよね。
今で言う有名な人たちの大半が50年代以降に名前が知れ渡った。チャック・ベリーやファッツ・ドミノとかと一緒のムーヴメントで出てきた…というのも、1955年にやっとアメリカで黒人の音楽が放送されるようになったから。
それまでは生粋の黒人の音楽と言えるものは公共の電波に乗せてもらえなかった。

M:40年代は、シナトラとかビング・クロスビーがアイドルだったワケですからね。

Img_0294_2O:そう。
ではロバート・ジョンソンの30年代のアメリカがどうだったかと言うと、グレン・ミラー楽団のようなスウィング・ジャズ・オーケストラによる高度なダンス・ミュージックの時代ですよね。
M:エリントンでもベイシーでも踊るためのジャズでしたからね。観賞用の音楽ではなかった。

O:ですよね。
で、いま我々が話しをしようとしているタイプのブルースはどうだったかというと、ジャズでも「ブルース」という形式はあったにしても、根っこの「ブルース」という音楽自体は、ローカルにそれぞれのエリアで恵まれない黒人が演っていたというレベルで、国全土に響き渡るような一般的なものでは決してなかった。
M:グレン・ミラーの「In the Mood」とか「Pennsylvania 65000」とかの大ヒット曲は普通のブルース形式でできているのに!
O:一方では近代クラシックや映画音楽なんかも含めて、1900年代に入ってから更に音楽はもうとんでもなく進化しちゃった。
その後、やっと黒人音楽が表に出て来てブルースも耳にするようになるんですけど、第二次世界大戦の間に米軍兵の手によってアメリカのレコードがイギリスに渡った。
それがイギリスの新たなミュージシャンを生んで、そこでブルースが根付いた。
R&Bなんかもそう。なぜイギリスにそういうブルース系の音楽の下地があるかというと、アメリカ軍が駐留したせいなんですよね。
M:そうだ!
O:そこで、日本のことを考えてみると「日本は10年ズレ状態」ですよね?
日本にとって多くの場合のブルースはエリック・クラプトンに代表されるような「ブルー・アイド・ブルース」なんです。
M:いわゆる「ブルース・ロック」ですよね?
少なくともイギリスにおけるロニー・ドネガンの「Rock Island Line」のような現象とは違う。英米の大分後追いの現象。
O:そうそう。
「ブルース・ロック」なんです。日本の若者が60年代、70年代にロックムーブメントと同時に好きになったスタイルのブルースは「ブルース・ロック」だったんです。
M:すごくよくわかる。

Img_0065O:それで、その頃ブリティッシュ・インヴェイジョンを成し遂げた以後のイギリスはどうなったかというと、独自で独特の進化を急速に遂げていったワケ。
で更に、クラプトンはアメリカの土臭い音楽に心頭していって、ジェフ・ベックはブルース・スタイルかどうかよりもエレクトリック・ギターの可能性を追求したし、ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンという音楽を作った。
ボクはレッド・ツェッペリンってのは究極のプログレッシブ・ロック・バンドなんじゃないかな…って考えてたりするんです。ある意味で、プロコル・ハルムやジェスロ・タルなんかもそう。
だから、イギリスでブルースが本当に若者の人気の的とされていたのは60年代のある時期だけなんだと思うんですよね。
M:でも、「ブルース」が「ブルース」として入ってきたところが日本とゼンゼン違う。
O:うん、キッカケが本当のブルースだったんですね、イギリスの場合は。日本は「ブルースの二世」から始まっている。
M:モノマネのモノマネから始まった。
O:そうなると思います。
M:モノマネのモノマネはくみしやすいですからね。

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<vol.2>につづく

2012年11月 9日 (金)

【マーシャル・ギタリスト対談】マーシャル・ブログを語る <後編>

<後編>いきます!

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まずは三宅さんのマーシャル・ブログの印象から…。

三宅: 僕は皆さんとちょっと違うかもしれない。もっとキッズ的な立場で見るようになったんですよ。「相変わらず島くんは1959使ってるのかぁ」とか「シャラさんはJVMに変えたんだナ」とか「ルークさんもJVM」か…とか。そういうことをチェックするためにも見ていたんですが、僕もズーっとマーシャルを使って来ていたので、心のどこか で「オレのこと書いてくれよ!」って思いがあったんです。それでしばらくして出ることができた…うれしかったですね。

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で、色々とアップされる記事を見てると「まずマーシャルありき」という感じじゃないじゃないですか。「こういう音楽があるよ!」と か「こういうミュージシャンがいるよ!」とか「みんな素晴らしいことをしているよ!」って紹介しておいて、読み終わった時に、「この人たちはマーシャルなんだ よ」というようなそういう説得力がすごくあったと思うんですね。
本当に楽しみにしていました。
機材のこととか、マーシャルにまつわる逸話だったりとかも楽しかったですし、実際にマーシャルの工場にいらっしゃって、シゲさんがジムと関わったりとか、とてもおもしろかった。それと、僕はあの「イギリス紀行(『ロック名所めぐり』のこと)」が大好きなんですよ。

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MB: ありがとうございます。いつも感想を聴かせていただいてとても大きな励みになりましたよ!
三宅: あれは本当にすごく大好きで、ああいう風に、マーシャルを起点にいろんなことに広がっていくのが好きでした。今もShige Blogで「イギリス紀行」書かれていらっしゃいますが、すごく楽しんでいます。
MB: すごくうれしいです。アレ、実はものすごく時間がかかって、ひとつ書くのにも結構大変なんですよ!でも色々と調べているうちにとても勉強になるんです。イギリス好きだから…。
三宅: でしょうね。大変な作業だと思います。
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三宅: 僕は皆さんと違って表に出てくるようなミュージシャンではなかったので、マーシャル・ブログに出ている皆さんの機材なんかを見ていろんなことを発見したり、刺激を受けたり…ようするにキッズ視線です。そうして夢を見るというか、あこがれるというか…。
ウルリッヒやジェフ・ベックの機材見て憧れますよね?!

全員: 憧れる、憧れる~!
三宅: そういう点ではいつまでたってもキッズなんです。キッズにはキッズの見方があるし、大人には大人の見方がある。
それだから若い人にもっと広めていって、いろんな意味で見てもらいたいと思いますよ。
MB: ありがとうございます。ルークさん、いかがですか?

ルーク: 印象に残った記事ということで言うと、あの中で知ったことを自分に反映させたことがいくつかあって、たとえば、三宅さんの「ミッドを上げる」っていうのがあって、アレ実際にやってみたんですよ!

三宅: エ?

ルーク: ウン、で、今はもうそういうセッティングになっていますからね。

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ルーク: 古 いマーシャルとか1959RR(ランディ・ローズ・モデル)とかってちょっと違うじゃないですか(EQがインタラクティヴと言う意味)?だからまずは 「(EQを)5」にしてみる。で、そこから足したり引いたりして音を作っていた時期が結構あって…。でもそれは違うなってことを三宅さんの記事から知った んですよ。「そうかミッドか!」って。それでやってみたら「これでOKじゃん!」となってそこからチョコチョコと調整するやり方。それが今の音の作 り方になってる。
で、ノンちゃん…って呼んじゃうけど(いつも記事で私が島さんのことを「ノンちゃん」と呼んでいるから。ルークさんにも本当によく読んでいただいている!)…

島: 光栄です!
全員: 大爆笑!

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ルーク: ノンちゃんが座って弾く時に足がこうなるっていうのがあったでしょ?僕もアレなんですよ!

全員:どうなるの?どうなるの?(ルークさんやって見せる。下の写真は実際の島氏の演奏中の足のようす)

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ルーク: その位置がいいんですよ!
シャラ: ウソ?! 靴、汚れるやん!

全員: 爆笑!

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ルーク: それぐらいはしょうがない!
シャラ: ギターはどっちの足に乗ってんの?(シャラさん、興味津々!)
島: これやるとイスに座った時にちょうどいんですよ!

<証拠画像>

集中し出すと、ノンちゃんの足は必ずこのように重なります。

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ホラ、この時も…。

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ところが、イスが低くなると膝の一が高くなってとても弾きにくくなってしまうのでこの通りとなる。あって七クセってヤツですな?これはクセではないけれど、昔、ギターを始めて夢中になって練習していた頃、よく弾いてるときにヨダレ垂らさなかった?

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三宅: 授業中に生徒の足がそうなっているのを見つけて、「カッコ悪いで!」って注意したら、「先生もそうなってますよ!」って言われて「エ~!」。

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全員: 大爆笑!
シャラ: (大笑いしながら…)ホンマ、3人ともそうなん?!
三宅: シャラさんもなってるんじゃないですか?
シャラ: なってない、なってない!

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ルーク: それと、マーシャル・ブログに載るということが、テレフォン・ショッキングみたいなもので、「あそこに出れたらプロ」っていう感覚がありましたよね。

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MB: ありがとうございます!
ルーク: だから、三宅さんも「オレも載せてくれ!」的なところがあったのではないでしょうか…。僕も実際そう思ったし。取材に来てくれてメチャクチャうれしかった!
それは「マーシャルのブログ」だからなんですよね。いろんな音楽があって、いろんなバンドも載っていましたが、実はみんなマーシャルを使っている。ただのひ とつのギター・アンプ・ブランドなのに、あれほどのネタが詰め込まれて、いろんなアーティストを扱えるというところがマーシャルのスゴごさなんですよね。それをすごく感じました。

結果、自分もそこに出たいと思ったし、記事の中からエッセンスを抽出して、自分の音楽活動に反映できる…つまりマーシャル・ブログには勉強できることがたくさん詰まってましたよね。だから、これからまたあれをやって頂けるんであれば、も~大歓迎ですよね!とてもうれしいです!!

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MB: ありがとうございます。ウォシュレットの話しばっかりでしたけどね!
ルーク: ホント!僕の回はなぜかウォシュレットの話しに終始してましたからね!

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全員: 大爆笑!
MB: ウォシュレットは身体によくない…という。
シャラ: 何で悪いん?
ルーク: きれいにしすぎて抵抗力を弱めてしまうおそれがある。で、僕はあれで「反ウォシュレット派」に分類されたかもしれませんが、ウォシュレット派ですからね!
MB: 一度使ったら離せません。経験から言うと、どうもあのあたりの皮がうすくなって耐久性が極端になくなってしまう。で、紙で拭けなくなっちゃうんですよ。ウォシュレットのない海外へ行くともう一発で血が出ちゃう。
島: それで最近血がでるのかナァ?

MB: またウォシュレットの話し?!みんな好きだナァ~!
全員: 大爆笑!

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期せずしてまたしてもウォシュレット話し(一昨日も登場した!)になってしまったが、最高に楽しい対談だった。たくさんのお褒めの言葉も頂戴できたし…。

おかげさまをもちまして、再開後のマーシャル・ブログにつきましては、各方面にてありがたいご評価を頂戴し、たくさんのアクセス件数を寄せていただいております。読者の皆様にこの場をお借りしまして心から感謝申し上げます。

また、このブログ、アーティストの皆様のご協力なくしては何もできません。これからもご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

今回から英マーシャル社の直営となり、マーシャル・ブログならではのマーシャルの情報をお送りしていきたいと思いますし、マーシャルの所有する他のブランド、つまりドラムのNATALとベース・アンプのEDENについてもいろいろな情報を発信していきたいと思っております。

そういった商品に絡んだ情報の他に、対談の中にもあったように「ロックの楽しさ」のようなものを若い人たちに伝えることをマーシャル・ブログの大切な役割ととらえております。

「ビートルズのメンバーの名前を知らない」、「レッド・ツェッペリンってバンドの音はスカスカだ」、「『タマホーム』のCMソングをパクってるバンドがある」とか…そういう話しを聞くととても悲しくなります。モッタイないでしょ、それじゃ!

大きなお世話かもしれませんが、若い人たちにロックの黄金時代を知っておいてもらいたい。ギターが花形でカッコよかった時代のクリエイティヴなロックを聴いてもらいたい。これは決してオヤジの懐古主義などというものではなく、また、ステージ上のアンプがすべてマーシャルだった時代の過去の栄光を追い求めているワケでもありません。ただ単に若い人たちにいいものを体験してもらいたい!と願っているだけです。

音楽学校で講師を務める友人の有名ギタリストから聞いた話です。授業でフランク・ザッパの「Inca Roads」を生徒に聴かせたらみんな夢中になって聴き入り、すぐにCDを買いに行ったそうです。単純にカッコいいと感じたからです。

若い人たちだって「Burn」や「Heartbreaker」のリフはカッコいいと思うハズです。「Schidzoid Man」にも「Roundabout」にも感動するハズです。人間であれば絶対にカッコいいと思うハズなんですよ。知らないだけなんです。商売にならないから誰も教えないんですね。

微力ながらそこをナントカしたいとマーシャル・ブログは思っています。

そして、3~4年後には、新世代の若者がステージで新鮮でカッコいいギター・リフとソロを聴かせてくれる…彼/彼女の背後にはマーシャルのフル・スタックがズラリ!アレ?やっぱマーシャルかって?いいじゃないの、マーシャル・ブログなんだから!ね~、パネラーのみなさん!

これからも楽しく有益な記事づくりに励んでまいります。今後ともマーシャル他、お引き立てのほど何卒よろしくお願い申し上げます。

シャラさん、ルークさん、三宅さん、ノンちゃん、どうもありがとうございました!

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パネラーの皆さんの詳しい情報はコチラ↓ この4人のライブを体験したことのない方は、下のリンクから活動状況をゲットして、是非会場を訪ねてください!みなさんすさまじいマーシャル・サウンドを聴かせてくれるハズです!

JVMの石原SHARA慎一郎

1959RR他のルーク篁

DSLの三宅庸介

1967MAJORの島紀史

(一部敬称略 協力:YOUNG GUITAR東京キネマ倶楽部) 11

2012年11月 8日 (木)

【マーシャル・ギタリスト対談】マーシャル・ブログを語る <前編>

マーシャル・ブログに多大なるご協力を頂戴していた4人のギタリストに、マーシャル・ブログの再開に際してお話しをうかがった。みなさん、いずれ劣らぬ最高のマーシャル弾きであり、光栄にもマーシャル・ブログのファンでいただいているのはうれしい限り。まったく気取らない雰囲気の中でとても楽しくお話しをお聞きすることができた。
パネラーのみなさんは;

石原SHARA慎一郎氏

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ルーク篁氏

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三宅庸介氏

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島紀史氏

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それでは、みなさんお願いします!

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Marshall Blog(以下、MB):前回のブログでは大変お世話になりました。改めまして心から深く御礼申し上げます!

ルーク篁(以下、ルーク):以前のブログが見れなくなってしまたのはとても残念ですね。

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島紀史(以下、島):うん、ホント残念ですね。すごいデータベースになっていましたからね。
石原SHARA慎一郎(以下、シャラ):出るバンドのジャンルは問わないし、写真がみるみるうちによくなっていったよね。マーシャル・オタクの感じがそこら中からプンプンしてたよね。それが読んでいて楽しかったし、ていねいにリンクが貼ってあったのもわかりやすかったよね。アレ、面倒くさい作業なんよね~。見てて楽しくて、しかも僕らでも勉強になった。人気があったのがよくわかる。復活してくれて本当にありがとう!

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島:プロの機材がわりと詳細に見れたじゃないですか。
シャラ:エフェクターまでね!

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MB:何とかマーシャルやロックの辞書的な役割が担えればいいなと思ったんですよ。
島:「ああこの人はこういうセッティングにしてるんだ」とか個人的にも参考になったし…。そういう掘り下げ方ってしないでしょ?普通はアンプ・メーカーだったらアンプしか出てこなかったりしてね。どういうコンサートがこういう機材で行われているんだということがすごくわかるんですよ。個人的にはホントものすごく参考になった。
だから自分の出番の時なんかは、「(アンプの)裏も撮っておいてください」なんてお願いしたりしましたもん。

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全員:フムフム。
島:あとね、「あの時自分はどうしてたっけ?」なんて自分のことを調べたりもしてましたよ。
全員:フムフム。

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島:だから、これからも以前のように詳細に機材を紹介していただけるとうれしいですね。楽しいし、機材を見るのが好きなんですよ。
MB:ちょっとリッチー・ブラックモアの記事が少なかったのがノンちゃんには申し訳なかったですね!
島:仕方ないですよ、マーシャル使ってないもん!ロックじゃないし…。

全員:爆笑!

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MB:海外アーティストをもっとやりたかったかな?やっぱりゲイリー・ムーアやジェフ・ベックの回はものすごいアクセス数でした。あとアイドル系のバンドはやっぱり強かった。
島:かわいらしさではゲイリー負けますもんね!
全員:爆笑!
三宅庸介(以下、三宅):ゲイリー・ムーアの時なんて、ゲイリーの1959の調子が悪くて、会場に取りに行って、修理して…なんていう裏話なんかすごくおもしろかった。ああいうことって雑誌なんかでは絶対に出てきませんからね!内部からの情報はおもしろかった!

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島:僕は何といってもウルリッヒの記事ですね!
ルーク:あ~!
島:機材があれだけ詳しく見れて、電圧がどうだとか…。あの記事見てウルリッヒと同じアタッチメント買に行きましたからね。詳細なのでエフェクターの並べ方なんかを見ていてウルリッヒ・ロートの性格までわかるような気がした。電圧の話しなんか普通は出てこないし、(アンプの)裏側まで切り込んでいったでしょ、マーシャル・ブログは?そういう記事を期待しますね。僕もそういうところに混ぜてもらえれば光栄ですし…。

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MB:ウリのインタビューなんかはいかがでした?
島:いいですよ。あれでずいぶん色んなことを知りましたもん。
三宅:結構謎に包まれていましたからね。
島:ウリにあれだけ突っ込んだことってなかったと思う。だから、僕の記事を見た人がそれを参考にしてくれるようになったらすごく光栄ですね。取材に来てもらえるようにがんばります!
シャラ:ずいぶんといろんなこと一緒にやったよね!ホントに「音楽が好きなんやナァ」ということがわかるブログだったもんね!熱さが伝わりやすいし、読んでる人に親近感がわくんよ。
これからもドンドンいいバンドを紹介していって欲しいし、あのきれいな写真もジャンジャン載せて欲しい。男前に撮って欲しい!

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全員:爆笑!
MB:より若く?
シャラ:そう、美しく!

<話しが妖しくなってきたところで後編につづく!明日も見てね!>

パネラーの皆さんの詳しい情報はコチラ↓

石原SHARA慎一郎

ルーク篁

三宅庸介

島紀史

(一部敬称略 協力:YOUNG GUITAR東京キネマ倶楽部) 10