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2017年1月17日 (火)

四人囃子ニュー・アルバム発表記念 岡井大二スペシャル・インタビュー <vol.1>

2017年1月25日、四人囃子のニュー・アルバムがリリースされる。
タイトルは『四人囃子 ANTHOLOGY~錯~』。
「錯」…何かPink Floydのアルバムのタイトルみたいだね。
毎年、年末に京都の清水寺のお坊さんが「今年の漢字」なんてやっているけど、四人囃子の場合だと「錯」になるのか…。
レコード会社の解説によると、「多くのメンバーの変遷を経て、アメーバのごとくその音楽性を変容させていった四人囃子のバンド・カラーを代表するイメージ」を漢字一字で表現したのだそうだ。
私だったら「金」てつけるな。
値千金の「金」…奇しくも2016年の清水寺の漢字と重なった。
  
アルバムは『Studio Takes』と『Live Takes』からなるCDが2枚と、2008年のコンサートを中心に収録したDVDが1枚という構成だ。
ウ~ム、まずジャケットがいい。
そもそも四人囃子は『一触即発』、『ゴールデン・ピクニックス』、『包』等、ジャケットがとてもヨカッタもんね。
9_CDは2001年にリリースされた未発表音源集、『From the Vaults』と『From the Vaults 2』から選ばれた曲にリマスタリングを施したトラックと、『Studio Takes』の方には岡井大二監修のもと、「一触即発」や「おまつり」のオルタネイティブ・バージョンが今回初めてCDに収録される。
当時、Frank Zappaのように頻繁にアレンジを変えていた四人囃子のオルタネイティブ・バージョンは大歓迎だ。
下がその『From the Vaults』と『From the Vaults 2』。
左は特典のボーナスCD。1974年の中野公会堂での「Cymbaline」と1976年、渋谷公会堂でのZappaの「Overture to a Holiday in Berlin」が収録されている。
残念ながら現在は絶版になっていて入手困難なのだそうだ。
ダメよ~、ダメダメ、そういうことをしちゃ。

9_img_0467私が持っている『2』には2010年に日比谷野音で開催された「プログレッシブ・ロック・フェス」の時に頂いた大二さん、森さん、佐久間さん、坂下さんのサインが入っているのよ。

Img_00182 『2』はもう一部持っていて、大二さんから頂戴した「Thank You!! ウシさん!!」のサインが入ったバージョン。ウチの宝物だ。
自慢コーナー終わり。

9_img_0470_2もう少しこの『錯』について記す。
大二さんとレコード会社のインタビューによれば、年齢やバンドの状態を鑑みて、メンバーが直接関わって音源を出すという形はこれが最後になるのではないか…という。
そんな…寂しいこと言わないで~!
佐久間さんに対しての追悼ができていないことが、ずっと大二さんの心残りだったという。その気持ちを込めた作品でもあるのだそうだ。
そして、大二さんの気持ちとしては、「四人囃子という名前は聞いたことがあっても、実際の音楽を聴いたことがない」という人たちに手軽に聴いてもらいたい…ということを意識したそうだ。
私ですら現役当時の四人囃子は見たことがないため、昔からの熱心なファンの前では決して大きな声では言えないが、今回のこのアルバム、すごくよくできていると思った。
大二さんがこだわったという選曲や曲順への配慮が手に取るようにわかる。
その配慮が奏功して、まるで新録のニュー・アルバムのように聴こえるのだ。
まさに「anthorogy(選集、名曲集)」というタイトルに偽りのない良質なベスト・アルバムに仕上がっていると思う。
  
さて、Marshall Blogでは、このアルバムの発売を記念し、CDの紹介を交えながら、大二さんのスペシャル・ロング・インタビューを今日から4回にわたって掲載する。
実はこれから皆さんに読んで頂くロング・インタビューは、今回のアルバムとまったく関係のない環境で行われた。
平たく言えば、だいぶ前に実施したインタビューということ。
したがって、インタビュー中に『錯』の話題はツユほども出てこない。
では、何だってMarshall Blogでそんなインタビューをしたのかと言うと、チョー大ゲサに言えば、日本のロックの揺籃期から現在に至るまで、実際にその変遷を体験した方のお言葉を半永久的に記録しておきたかったのだ。
とは言ってもそこはMarshall Blogのこと、固っ苦しい話は抜きで、日ごろから私が知りたいと思っていた昔の日本ロックの状況を興味本位で大二さんから聞き出した…と思って読んで頂ければそれでOK。
ただ、若いミュージシャンを指導している立場にいらっしゃるような方々、また、お子さんがロックに興味を持っているようなロック好きのご両親には、内容に満足がいけばゼヒ若い人たちに読むようにご指導頂きたいと願っている。
実際に大二さんと同じ時代を体験した方が懐かしんで読んで頂くのももちろん大歓迎だが、若い人たちに読んで頂き、少しでも元来あったロックの姿を知っておいてもらいたいと思うのだ。
それで、もしこのインタビューを読んで昔のロックに興味を持ったなら、それこそ今回の四人囃子のアルバムを聴いてみるもよし、ビートルズに興味を持つもよし、あるいはデイヴ・クラーク・ファイブでもよし、そこから始まる音楽の無限のよろこびと楽しさ、そしてカッコよさを知ってもらいたい。
若い人たちはまだ何も知らない。
  
ところで、どうしてドラマーの大二さんがMarshall Blogかと言えば~、そう、大二さんはMarshallのドラム・ブランドNATALのエンドーサー(正確にはエンドーシー)なのであ~る!

Img_0415 インタビューに際しては大二さんに拙宅にご足労頂き、アルコールをチビチビ摂取しながら行われた。
肴は刺身。ワザワザちょいと足を延ばして買い出しに行ってきた。
マグロは天然。おいしかった~!
なんてことはどうでもいいか。
何しろ、後半ではインタビュアーの私もスッカリいい気分になっちゃって、後で録音した会話を聴いて恥ずかしくなってしまった!そもそも笑い声で言葉が聞き取れない箇所があったぐらいだった。
そんな雰囲気の中でのインタビュー、はじまりはじまり~。
養殖ではない、天然のロックの時代のお話をお楽しみあれ。

  

日本のロックの今

Marshall(以下「M」):大二さん、お忙しいところ本日はどうもありがとうございます。よろしくお願いします。
岡井大二(以下「O」):いいえ!こちらこそよろしくお願いします。
M:ではさっそく…日本におけるロックを取り巻く環境が我々の頃と大きく変わって久しいですよね。
O:日本だけでなく、海外でも状況は同じですね。
M:最近の日本の若い人たちは、「ビートルズを知らない」ということが普通になってきているみたいですね。

Img_0017O:アノですね、ロックとかポップスとかに興味を持って、そういうものを好んで聴いている以上、好きとか嫌いとかいうことは別にして、まさか「ビートルズを知らない人がいる」ということは日本ならではの現象なのではないでしょうか?
イギリスは母国ですから別にして、アメリカではあり得ないことだったはず…ところが日本ではあり得ているんですよね!しかも、とっくに!

M:そう「とっくに」です。
O:2000年以降、ビートルズを知らないポピュラーミュージック界の音楽人が確かにイッパイ出て来てしまっているらしい。
で、それは果たして「世代の違い」とかいうことだけで済む話なのかな?…と思っちゃいます。
M:私もまったくそう思います。
私はイギリスへ行く機会が比較的多く、現地ではいまだにビートルズのスゴさを肌で感じる部分があって…。
とにかく日本人の音楽に対する姿勢が欧米とはまったく違うということをいつも思い知らされます。向こうの人たちは子供から大人まで本当に音楽を日常的によく聴いていて、またよく知っている。
O:私はアメリカ人になりたい…とか、イギリス人になりたい…とか、そういう憧れはまったくないんです。日本人としての誇りも持っていますから。
ですけど、たまたま興味を持って好きになっちゃった「音楽」に関してだけは別ですね。

Img_0054野球で言えば、頂点を目指したい人がいれば、今の段階ではメジャーリーグを目指すしかないでしょ?
それと同じで、ポップ・ミュージックに関して言えば、質の高さ、レンジの広さ、ディープさ…いろんな点において、日本は海外の音楽事情にいまだに多くの事柄で追いついていないと正直思うんです。
そんな状態にもかかわらず、世間全体で音楽に集まる興味が年々薄れているのは、ナンダかなあと思いますね。
M:興味が薄れているというより、ロック系の音楽に関して言えば、「J-POP」という新しいカテゴリーを作り、すべてそこに押し込んでしまって、みんな黙ってそれだけ聴いているような…。「洋楽なんかもう要らない!」という「鎖国状態」と言うと大ゲサですけど…そんな感じ?
それは島国特有のキャラクターなのかな~?
イギリスも島国ですが、ゼンゼン違う感じがする。
アソコではどんな田舎のパブでも金曜日と土曜日の夜には地元のバンドが登場して、レッド・ツェッペリンやザ・フーの名曲をお客さんと一緒に歌う。
それを見ていて、同じ島国でも音楽のあり方が日本とすごく違うのを実感しました。
連中は英語で歌えるから…というのは抜きにしてです。
だってツェッペリンの曲にしたって「Rock and Roll」みたいなスタンダードなんかじゃなくて、「Rumble On」とかを演っちゃうんですよ!
本物だってライブでほとんど演らなかったのに!
レッド・ツェッペリンが一般の人の日ごろの生活の中にある感じがしましたね。
ザ・フーにしても「The Seeker」とかを演っておじさん、おばさんが大合唱してる。

S41a9546O:いいなあ~。
M;土台、あの音楽は連中のモノですからね。
加えて、ロックが大人のためのものという部分が残っているように感じます。イヤ、残されている…というのかな?
そこへ行くと、今この国の「ロック」と呼ばれているモノはあまりにもお子様向けになってしまっていると思います。
O:「売上」ということだけでなく…、世間の「評判指数」とでも言いましょうか…。
いわゆる評価っていうモノが売上の高いアーティストの所に何でもかんでも集まり過ぎちゃって、「たまには音楽でも」という感じの人達から見たミュージック・シーンのイメージを作っているんですよね。
M:はい。それで更にみんなそれのマネをして終わっちゃう。
O:実際、世界的にはインディーズとか自主制作でワールド・ワイドに活動している人もいるじゃないですか。それも新世代、かつディープでなかなかいいものを作っている人もいるんです。
で、日本にもそういう人たちはいて、まったくいなくなったワケでは決してない。
でも、さっきの「評判指数」の高い人の音楽は「大人向けでない」というか、面と向かってジックリ相対して楽しむための音楽とは思えないものが多いのは確かですよね。

 

昔のロック・シーン

M: 公私混同かも知れませんが、今日、大二さんから正式に歴史的なお話をうかがうのをとても楽しみにしていました。
まず、四人囃子がデビューした頃の日本のロック界とかその周辺のお話を聞かせていただけますか?
O:まず、自論かもしれないけど、知っておいて欲しい「時代の背景」というものがあるんですね。
それは、当時、アメリカやイギリスと日本では音楽シーンの状況にキッパリ10年の時差があったということです。
M:10年も?
O:例えば、1955年がロックンロールの始まりと言うことになっていますよね?
M:「Rock Around the Clock」。
O:そうです。
そのあたりからビートルズが出て来るまでの10年間…ビートルズがアメリカに進出を果たしたのは1964年ですから…それまでのその約10年は「評判指数」のトップが エルヴィス・プレスリー の時代だったんです。彼の人生を総括した場合、最終的には「偉大なキング・オブ・芸能人」として殿堂入りしているワケです。
Img_0014その後、ブリティッシュ・インヴェイジョンでビートルズの時代が来ますよね。
プレスリーと何が違ったかと言うと、「オリジナル曲」の存在の有無なんですね。
プレスリーは職業作曲家が作った曲を歌う「芸能人」としての歌手でした。
それが、ブリティッシュ・インヴェイジョンをキッカケに自分たちの「創作物」を売る時代になった。
ビートルズの世代というのはストーンズにしても、ジミ・ヘンドリックスにしても、レッド・ツェッペリンにしても、1940年代生まれの人たちなんです。
それで、ボクは昭和28年ですから1953年の生まれで、ポスト団塊世代のアタマの世代なんですね。
日本のポップスとロック音楽シーンにおいて、ボクらの前の世代はグループ・サウンズの方々なんです。
先輩達は人気者となり、レコードやTV出演などの場では世間の「評判指数」の高い音楽を演った。
でもその裏では自分達が本当にやりたい音楽スタイルを色々と見せてくれたんです。
M:なるほど。
O:それとGS旋風の前のソロ歌手時代は、主にアメリカのポップスの焼き直しが若い世代向けのヒット・ソングスだったんです。
そういうソロ歌手からウエスタン・カーニバルを経て、グループ・サウンズへとつながっていった。
まず、そういう流れがあって、そこまでは「芸能界」の時代だったんです。
M:日劇何周の頃ですね?
O:そう。
そして、その後が僕らの世代なんですよ…ボクらの世代からオリジナル曲が中心になる時代に入るんです。
自分たちで曲を作って、それをどう演奏して、どう発表するか…ということをやるようになった。
そして、それがレコード・デビューする時の「カギ」になってきた。
M:大きな変化ですよね?
O:はい。
また聴く側にも変化が表れて、「この人、この連中はどういう音楽を演っているのか?」ということが興味の対象になっていったんですね。
顔を知らなくても、「聴こえてくるモノ」で興味の対象を選ぶというように変わってきた。
M:演る方も聴く方も独自性が出てきた時代?
O:そういうことですね。
で、ボクらは大方1950年代生まれのミュージシャンですよね?
そうすると…ホラ、ね?
向こうとキッチリ10年違っているんです。
M:ホントだ…。ビートルズと10年のズレ。
O:でしょ?

Img_0232そして、この図式がそのままズレて続いて行くんです。
我々の先輩たちは「本当はこういう音楽をやりたい」とか「本当はこういう音楽が得意なんだけど」という自分たちの理想の音楽を表立ってはできないので、ライブハウスなどの比較的裏のシチュエーションで演っていた。
当時は「ゴーゴー・クラブ」って呼んでいたりしたんですが…。
M:たとえば?どんな曲が取り上げられていたんでしょうか?
O:ストーンズをやったり、アニマルズをやったり…。
で、ボクらはそういう先輩たちの演奏にあこがれていたんですが、どんどん音楽の状況が変わっていく中で、ボクらは「次世代」というような強い意識もあったんです。
M:その当時の「次世代」ね。
O:もちろん。
要するに、洋楽をマネたにしても、それを更に発展させたものを作りたいと思ったんです。
批判されようが、「ダサい!」と言われようが、とにかく「オリジナル曲」という自分たちの「創作物」を世に出したかった。
ボクらがそういう志向の始まり世代に当たるんですね。
結果、日本の音楽シーンもポップスやロックの本場の国から10年ズレていることになるんです。M:確かにそういうことになりますね~。
O:そこから始まったんですね。
まあ、大ゲサに言うと、世界的に見れば「ビートルズ世代」っていうのが「次世代」の人で、日本においては、ジャンルを問わずに物作り・曲作り・スタイル作りが活動の前提になってくる「ボクらの世代」がそれにあたるんですね。

S41a0142M:「ボクら」の「ら」とおっしゃいますと?
O:バンド・スタイルのアーティストだけで言っても、はっぴいえんど、フラワー・トラベリン・バンド等の先輩バンドを始め、ミカ・バンド、クリエーション、OZ、シュガー・ベイブ、ムーン・ライダース…とにかく続々と出てきました。
キャロルはあのロックンロールのスタイルで出て来たし、一方ではウエスト・ロード・ブルース・バンドみたいなのもいました。
ホントのブルースのマニアですからねね。
M:「マディ・ウォーターズ命」みたいな。
O:「好き」だけでは済まない。
追求度がハンパない。もう洋楽に聴こえてましたもんね。
素晴らしかった。
M:ホトケさんの声と歌、メッチャかっこいいですもんね!
O:でもね、ウエストの連中と話をすると、「お前らは好きにオリジナルを作っ分だけ自由に演れたんだよ」…なんて話してくれたこともありました。
M:それは「ブルース・スタイル」…という枠の制限という意味ですか?
O:だと思います。
その他にもスモーキー・メディスンが出て来て、その後バックス・バニーでしょ。
センチメンタル・シティ・ロマンスもそうだし、そんな中でボクらもオリジナル曲でデビュー・アルバムを出したワケです。

  

ロックのレコード・ビジネス

M:で、四人囃子は「自由が利きそうだ」ということで東宝レコードを選んで『二十歳の原点』とバーターで『一触即発』を制作した…という話は以前にもうかがっていますが、果たしてその時代、レコード会社は『一触即発』のような作品が世間で受け入れられると思っていたのでしょうか?
O:そこはまず…聞いてビックリするかもしれませんが、そもそもビートルズとヴェンチャーズこそ日本でも枚数が出て、レコード会社としてのビジネスが成立していましたが、その他はですね…「まさか!」というぐらいに、まだその頃は日本国内では枚数が出ていないという時代なんですよ。
M:なるほど…。

S41a5219O:ローリング・ストーンズにおいては、かわいそうに…キング・レコードはロンドン・レーベル時代のストーンズのアルバムでは、それほど商売になっていないと思います。
M:初期の全盛期なのに!
O:ワーナーに移って『山羊の頭のスープ』の「アンジー」でやっと日本でもストーンズが商売になり出したんです。
そういう意味ではツェッペリンの方が全然ビジネスになっていたんじゃないかな?
M:レコード業界に深い関係をお持ちになる、日本を代表するレコード・コレクターの方からお聞きしたのですが、当時レコード会社の稼ぎ頭は、圧倒的にヴェンチャーズだったそうです。
ビートルズももちろん強かったけど、ヴェンチャーズの比ではなかったらしい。
O:そうでしょうね。全国津々浦々ということでいえばヴェンチャーズの方が全然上だったに違いない。
M:ストーンズですら「アンジー」までは商売にならなかった…というのはやはりそれが「ロック」だったから?つまり歌謡曲とは全然違うということ?
O:まあ、そういうことになると思います。「ロック」というものがまだ定着していなかった。
M:まだロックと歌謡曲がまったく分かれていた時代ですよね?
O:そうなんですが、実は、70年代に入ると、日本の音楽市場に歌謡曲に分類されない新しい息吹が既に生まれているんです。
M:え、それは何ですか?
O:それは日本のフォークなんです。
M:あ、フォークか!
O:ボクは本当はフォークかロックかは、サウンドのスタイルで分かれるようなものではないと思っています。
でも、とりあえず日本では「フォーク系」とか「ロック系」のジャンル分けがあって、日本中の若者に日本のフォークが届き始めていて、レコード会社は既に大きな手応えを感じていたんですね。
M:社会的な背景もありましたもんね。
O:そうです。
そして、そこへ更に加わりそうなものとして 「日本のロック」 が登場してきました。
だから最初のウシさんの質問に答えると、四人囃子がレコード会社にどう受け止められていたかというのは、「新たな市場とジャンルが作られつつある、だったらそこは早めに手を出しておこう!」…ということだったのだと思います。
そしてレコード会社のスタッフもフォーク、ロックの息吹真っ只中の人達がこぞって入社している時代になっていたんですね。
M:実体験を経た方のお言葉をこうしてお聞きすると本当に「日本のロックが動き出してきた!」という感じがしてきますよ!

 

日本人とブルース

M:日本の場合、イギリスのようにブルースのムーブメントみたいなものがありませんでした。
イギリスのロックの動きを俯瞰して日本と照らし合わせると、そのブルース体験の欠落が今の日本のロックをある意味、四面楚歌にしてしまっていると私は思っているんです。
イギリスはそういう歴史的な下地があるので、いつでも先祖返りしてマーケットに熱湯を注ぐことができる。
ま、どうも今ではそれがすぐにぬるくなっちゃうようですけど…。
O:ウン。
ブルースって、例えばロバート・ジョンソンなんかは1930年代の人ですよね。30年代の音楽。
でも、アメリカにおいてですらブルースがポピュラーなシーンに根付いたのは50年代なんですよね。
今で言う有名な人たちの大半が50年代以降に名前が知れ渡った。チャック・ベリーやファッツ・ドミノとかと一緒のムーヴメントで出てきた…というのも、1955年にやっとアメリカで黒人の音楽が放送されるようになったから。
それまでは生粋の黒人の音楽と言えるものは公共の電波に乗せてもらえなかった。

M:40年代は、シナトラとかビング・クロスビーがアイドルだったワケですからね。

Img_0294_2O:そう。
ではロバート・ジョンソンの30年代のアメリカがどうだったかと言うと、グレン・ミラー楽団のようなスウィング・ジャズ・オーケストラによる高度なダンス・ミュージックの時代ですよね。
M:エリントンでもベイシーでも踊るためのジャズでしたからね。観賞用の音楽ではなかった。

O:ですよね。
で、いま我々が話しをしようとしているタイプのブルースはどうだったかというと、ジャズでも「ブルース」という形式はあったにしても、根っこの「ブルース」という音楽自体は、ローカルにそれぞれのエリアで恵まれない黒人が演っていたというレベルで、国全土に響き渡るような一般的なものでは決してなかった。
M:グレン・ミラーの「In the Mood」とか「Pennsylvania 65000」とかの大ヒット曲は普通のブルース形式でできているのに!
O:一方では近代クラシックや映画音楽なんかも含めて、1900年代に入ってから更に音楽はもうとんでもなく進化しちゃった。
その後、やっと黒人音楽が表に出て来てブルースも耳にするようになるんですけど、第二次世界大戦の間に米軍兵の手によってアメリカのレコードがイギリスに渡った。
それがイギリスの新たなミュージシャンを生んで、そこでブルースが根付いた。
R&Bなんかもそう。なぜイギリスにそういうブルース系の音楽の下地があるかというと、アメリカ軍が駐留したせいなんですよね。
M:そうだ!
O:そこで、日本のことを考えてみると「日本は10年ズレ状態」ですよね?
日本にとって多くの場合のブルースはエリック・クラプトンに代表されるような「ブルー・アイド・ブルース」なんです。
M:いわゆる「ブルース・ロック」ですよね?
少なくともイギリスにおけるロニー・ドネガンの「Rock Island Line」のような現象とは違う。英米の大分後追いの現象。
O:そうそう。
「ブルース・ロック」なんです。日本の若者が60年代、70年代にロックムーブメントと同時に好きになったスタイルのブルースは「ブルース・ロック」だったんです。
M:すごくよくわかる。

Img_0065O:それで、その頃ブリティッシュ・インヴェイジョンを成し遂げた以後のイギリスはどうなったかというと、独自で独特の進化を急速に遂げていったワケ。
で更に、クラプトンはアメリカの土臭い音楽に心頭していって、ジェフ・ベックはブルース・スタイルかどうかよりもエレクトリック・ギターの可能性を追求したし、ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンという音楽を作った。
ボクはレッド・ツェッペリンってのは究極のプログレッシブ・ロック・バンドなんじゃないかな…って考えてたりするんです。ある意味で、プロコル・ハルムやジェスロ・タルなんかもそう。
だから、イギリスでブルースが本当に若者の人気の的とされていたのは60年代のある時期だけなんだと思うんですよね。
M:でも、「ブルース」が「ブルース」として入ってきたところが日本とゼンゼン違う。
O:うん、キッカケが本当のブルースだったんですね、イギリスの場合は。日本は「ブルースの二世」から始まっている。
M:モノマネのモノマネから始まった。
O:そうなると思います。
M:モノマネのモノマネはくみしやすいですからね。

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<vol.2>につづく