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2023年3月 7日 (火)

【Marshall Blog Archive】森園勝敏インタビュー<前編>

 
つい先日ゲストとしてsimoのライブに合流し、Marshall Blogにご登場頂いた森園勝敏さん。
本当に久しぶりにお会いすることができて、また、相変わらずの素晴らしい演奏を目の当たりにすることができてとてもうれしかった。
110vお会いした際、今では読むことが出来なくなっている昔のMarshall Blogでのインタビュー再掲の許可を乞うたところその場でご快諾頂いた。
ということで、その2010年8月5日に行ったインタビューに思い出の写真をいくつか取り混ぜ、若干の加筆訂正を施して再掲することにした。
それでは早速タイム・スリップ!
Img_0421
<ココから13年前>
森園勝敏さんにはこれまでCounter Moon、Thlee of Us、四人囃子、と何度もMarshall Blogにご登場頂いており、マーブロではそのことをとても誇りに思っている。
森園さんというと四人囃子やご自身のソロ活動を通じて「日本のロックを作った」とか「日本を代表する」とかいう枕詞が付いて回るのが普通だ。

Img_0063もちろんそれらの表現が事実を曲げていることはまったくない。
しかし、幸運にもこうして森園さんとお付き合いをさせて頂くとそういった仰々しい枕詞が不釣り合いである感覚を覚えるのだ。
実際の森園さんはどうか…私の印象ではとにかく「永遠のギター・キッズ」。
もしくは「ギターが服を着て歩いている」…とでも言えばよかろうか?
そうでなければ「音楽の人」だ。
私も大概「音楽バカ」だが、森さんにはとても敵わない。
私より8歳年長の森さんは、ロックが一番魅力的でオモシロかった時代をリアルタイムで体験されて来たのだから土台敵うワケがないのだ。
マーブロで多くの紙幅を占めている…イエ、勝手ながら占めさせて頂いている私の知ったかぶりの音楽知識の源泉の多くは、文字や映像から吸収したものであって、実体験として記憶が残っているのはせいぜい1975~76年ぐらいからの出来事だ。
では、その当時森さんは何をしていたか…。
1974年に日本のロック史に残る作品『一触即発』発表。
さらに世紀の名盤『ゴールデン・ピクニックス』を発表して四人囃子を離れようとしていたタイミングなのだ。

Img_0311つまり、当時まだまだ揺籃期にあった日本のロックの一角をチョチョチョとまとめて、もう次のステップに歩み出していたのだ。
私もいい加減プログレッシブ・ロックが好きでしてね。
メインストリームからカンタベリー(何しろ現地まで2度も行っちゃったからね)、そして辺境まで若い頃は結構聴き漁った。
この辺りの分野においてはそれほど簡単に人後には落ちるつもりはない。
で、言わせてもらうと、四人囃子というと「日本のプログレッシブ・ロックの権化」のようなイメージとされているが、今聴くとそれほどでもないように思うのね。
『一触即発』に関してはピンク・フロイドの香りが強く、そう騒がれたのも無理もないような気もするが、海外のプログレッシブ・ロックとはかなりかけ離れた響きが私には感じられる。
どこかのインタビューで故佐久間正英さんが、「四人囃子は歌のバンドだった」とおっしゃっていたのを読んだことがあるが、「日本のプログレの元祖」みたいな表現よりも、むしろそっちの方が的を得ているような気がする。
現に名曲「一触即発」のリフはオールマンの「Wipping Post」からインスピレーションを受けたということだし、「Lady Violetta」のどこにプログレの要素があろうか?
「空と雲」も「パリ野郎」も同様。

Img_6155_4四人囃子の中心的存在だった森さんはブルース・マンなんですよ。
森さんの弾くブルースを聴いてごらん。
そこには無限の「歌」があるから…。

さて、森さんはMarshallを弾き抜いて来た人ではない。
したがって、今回のインタビューの中に出てくるMarshallの話しは、とっかえひっかえ買い替えて来たMarshallマニアのストーリーではない。
むしろロックの成長を間近で見続けて来たアーティストの記憶を借りた「日本のMarshall小史」のようなものだ。
これこそが私が森さんに聴きたかったポイントであり、ギタリスト・森園勝敏のルーツと併せて掘り下げてみたかった内容なのである。
ゴメン…意気込みすぎて前置きが長くなっちゃった。

 はじめて見たMarshall
マーシャル(以下M):四人囃子の『一触即発』が1974年、森さんが20歳の時ですよね?

Img_0415森園勝敏(以下K):はい。で、『二十歳の原点』が19歳の時ですね。
M:この頃の日本のMarshallの状況ってどんなでした?
K:銀座のヤマハではじめて見まして、ウォ~、デカイなぁ~って思いましたね。
コレがいつも写真で見てるMarshallかァ!…って。
当時で60万円とか70万円とか…眺めていただけです。
M:写真とは誰の写真ですか?
K:ボクがはじめて見たのはね、プロコル・ハルムに「これが真実だ(Quite Rightly So:セカンド・アルバム『Shine on Brightly』収録)」というシングル盤があったんですけど、そのジャケットでロビン・トロワーの後ろに置いてあったのがMarshallだった。

Qrsそれとクリームですよね。
意識したのはいつ頃からかな…ハッキリ覚えていないけど、それまでF社のアンプしかなかった。
見慣れたアンプの形というと、もうF社のスタイルなワケ。
日本製のアンプは結構独自のデザインが多いんですけど、それでも似ているものが多くてね。
ギター・アンプというものはああいう形のモノだって思っていましたよね。
M:そこへMarshallが現れて…
K:一体コレはなんだろう?!って。
レコードで音を聴いてビックリして、形を見てもっとビックリした。
M:「これがあの音を出すアンプなのか~」って感じですか?
K:ま、形か音か、どっちが先かは忘れちゃったけど、少なくとも今までFで聴いていたサウンドではまったくなかった。
いわゆるニュー・ロックとかアート・ロックとか云われ始めた時代ですよね。
クリームとかヘンドリックスのサウンドっていうのがそれまで聴いていたのと全然違っていてね、それと同時にMarshallの形も目に入ってきたから、このアンプだからこういう音が出るのかナァ?…みたいなね。
M:森さんはジミヘンの『Are You Experienced?』の出現に立ち会っているんですよね?
あれは1967年?
K:そう、ボクが中学3年の時だった。まだ輸入盤しかなかったですよ。
それまで聴いていたギターの音がすべてチャチに聴こえましたね。
これは一体どういうことなんだッ?って結構ショックでしたよ。

Aye1Aye2_2
M:「ザ・サンニン」の頃?
K:イヤ、まだ…その前ですね。
先輩と「グループ・サウンズ」っていうバンドをやっていました。
ベンチャーズが終わって、ビートルズからアンディ・ウィリアムズ、PPM、セルジオ・メンデス…何でも聴いていましたね。
中学2年の時にビートルズの『ホワイト・アルバム』が出て…あの頃から世の中が変わってきた感じがしますね。
それと同時にMarshallが現れた感じがしたな。
M:やっぱりその頃のMarshallの代表選手はジミ・ヘンドリックスとクリームですか?
K:そうね。
クリームは『Disraeli Gears』の頃ね。
とにかく、当時こんなアンプは他にはなかったよね。Dg ※Disraeli Grars(カラフル・クリーム):自転車の変速機のチェーンを切り替える装置は英語で「Derailleur Gear(ディレイラー・ギア)」という。
当時変速機つきの自転車を買おうと考えていたクラプトンが、ジンジャー・ベイカーとローディにそのことを相談したところ(ジンジャー・ベイカーは元自転車競技の選手だった)、そのローディがフザけて「え?Disraeli Gear?(ディスレイリ・ギア)を買うんですか?」と訊いた。
「Disraeli」とは19世紀のイギリスの総理大臣、Benjamin Disraeli(ベンジャミン・ディスレイリ)のこと。
で、そのクリームのメンバーはそのシャレをオモシロがって、そのままこのクリームのセカンド・アルバムのタイトルに付けてしまったというワケ。
もし、ローディがその時フザけていなかったら『カラフル・クリーム』はただの『Cream』というタイトルになるところだったそうだ。

Img_2309_2K:そういえば、オーティス・レディングが生きていた頃のブッカーT&MG’sって、アメリカのバンドにもかかわらずMarshallを使っていたんだよね。
だからスティーヴ・クロッパーもドナルド“ダック”ダンもMarshallだった。
M:へ~、知らなかった!
そのMarshallを一番最初にアメリカに持っていったのはロイ・オービソンなんですって。
K:へ~、知らなかった!
 
はじめて弾いたMarshall
M:というワケで銀座でMarshallを発見されて、その後は?
K:音を出したのはもう随分後ですよね。
ボクら四人囃子がフラワー・トラヴェリン・バンドの前座をやることになってね、石間(秀機)さんがMarshallを使っていて、それを弾かせてもらったんです。
ゴールド・トップのレス・ポールを使ってて、ボクらのリハが終わってフラワーの番になる時に「ちょっとストラト貸してくんない?」なんて言われてサ(笑)。
それでツアーの途中なのにストラトに変わっちゃったんだよね。
あの時が初めてのMarshallだったな…イヤ、それが実にいい音でね~。

Img_0415_5M:その当時、日本のバンドでMarshallを使っていたバンドってあったんですか?
K:クリエイションなんか使っていたね。
後、国産のMarshallのマネっこアンプってのは結構あったよね。
あ、初めてMrshallを弾いたのは新宿の御苑スタジオにあった18Wのコンボだ。
M:1974ですね?
K:ウン、でもあれじゃやっぱりパワーが足りなくてね、バンドで使うと…。
音はものすごくよかったのを覚えています。
だから結局Marshallは高嶺の花でしたよね。
M:やっぱり思っていたより歪まないというイメージ?
K:ボクもそう思った。
それとチャンネルであんなに音が違っちゃうなんて知らなかった(4 Inputモデルのこと)。
とにかく歪まなかった。
エ~?!、こんな感じなんだ?と思った。
それと、ボリューム・ノブがすごく小さいのが印象的だった。
「ぽらりてぃ」ってなんだろうナァ~とかね。


四人囃子の活躍
M:「ワンステップ・フェスティバル」とか「ワールド・ロック・フェスティバル」とか…しかし、四人

Img_0207囃子って色々な記録を調べると途轍もないほどの場数をこなしていらっしゃいますよね。
箱根の「アフロディーテ」も?
K:イヤ、アフロディーテはやってません。
M:それでも出てない有名なコンサートはない?
K:それほどでもないですよ。
大きいフェスティバルには結構出させてもらいましたけど…でも仕事といえば、秋の学祭ぐらい?
だってライブハウスなんてほとんどなかったからね。
後はアマチュアの人たちがやっているサークルのコンサートに呼ばれるとか?
杉並公会堂とかホールばっかりでしたよね。
(内田)裕也さんのコンサートにはよく出してもらいましたね。
M:四人囃子が裕也さんのお気に入りだった?

Img_0073K:なんでしょうね?ま、言うことをきくバンドだったから…(笑)。
M:そうか、そのつながりでフランク・ザッパの前座をされた?
K:そうですよ。
まあ、だいたいボクらとクリエイションとハルヲフォンと…その3つはどこへ行くのもセットだったですね。
M:クリエイションもすごいキャリアですよね。
K:そう。
でも、フラワー・トラヴェリン・バンドはそう簡単に出てこないんだナァ。
ジョー(山中さん)は出るんだけど、バンド自体は半ば外タレ扱いでしたね。
M:そうだったんだ~。
K:フラワー・トラヴェリン・バンドが日本に帰って来て東京体育館で凱旋コンサートをやったことがあったんです。
で、裕也さんに「ちょっと東京体育館まで来てくれる?」って言われたんです。
「やった、観せてもらえるんだ!」って思って四人囃子のメンバー全員行ったワケですよ。
行ったらサ…「ちょっと悪いけど警備やってくれる?」って!(大爆笑)
でもそれをやったおかげでツアーの前座を全部やらせてもらったんです。


Marshallの魅力
M:なんか印象に残っているMarshallってあります?
K:ワリと最近の話なんですが、北千住にあったライブハウスのMarshallはものすごくよかった。
普段は誰にも触らせないんですけどね。
ボクらがジミ・ヘンドリックスのトリビュートをやる時に貸してもらってたんだけど、アレは本当にスゴ

Img_0054かった。
いい音のMarshallっていうのはケタ違いに音がいいんですよね。
M:Marshallの好きな音って?
歪みではなかったりするでしょ?
K:クリーンがいいよね。
ヘンドリックスもよく聞くとすごくクリーンだもんね。
で、ストラトとMarshallっていうのは独特のいいマッチングなんですよね。
特に巻き弦の音が素晴らしい。
張りたての弦の音っていうか…。
ギターのボディに耳をつけて聴いた音っていうかね…あの音が他のアンプじゃなかなか出ないんです。
M:その辺りのサウンドを確立したのがやっぱりジミ・ヘンドリックスということになってくるんですかね?
K:ン~、とにかくいい音ですよね。クリーンも。
ポール・コゾフの音もそうなんですけど、「歪んでる」ってとこまで行かないんですよね。
すごく「ナマ」の感じ。
ブシュッて潰れていなくてちゃんと「ゴツン!」っていってる。

Img_0486_2それでいてサスティンがすごい。
Marshallはやっぱりワン・アンド・オンリーだな~。
M:ま、これとて初めはコピーですからね。
K:そうね、そこにベースマンが絡んでいるところがおもしろい。


好きなギタリスト
M:ところで、森さんの一番好きなギタリストってジミ・ヘンドリックスなんですか?
K:ヘンドリックスがいなかったら今こうしてここにいないでしょうね。
ギターを始めるキッカケはノーキー・エドワーズです。
もちろん好きなギタリストはいっぱいいますけど、ヘンドリックス、ブルースブレイカーズの頃のエリック・クラプトンがすごく好き。


 
森園勝敏とマーシャル
M:また同じような話しになりますが、こうしてお話しをうかがっていると四人囃子も森園勝敏もあんま

Img_2234りMarshallと深い関係だったワケでなないんですよね。
K:そうですね。
M:すると、当時Marshallをバンバン使ってたバンドというと?
K:クリエーションでしょう。
スタックを3つ並べていましたからね。
M:ものすごい投資になりますよね、当時だと。
K:アレはロンドンで買って来たのかな?
彼らロンドンへ行く前はマウンテンみたいな音楽を演っていたんだけど、帰ってきたら完全にハンブル・パイになってたっけ。
歌なんかもう完全にスティーヴ・マリオットになってた。
M:周りは猫も杓子もMarshallというイメージはありましたか?
K:イエイエ、「みんなMarshall」っていうことはあの当時確かなかったですよ。
M:するとやっぱりディープ・パープルだのレッド・ツェッペリンだのが完全に行き渡ってからMarshallが広まったって感じですか?
K:そうだね。気がつくともうみんなMarshallになってたっていう気がする。
 
<後編>につづく
 

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