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2019年7月11日 (木)

【号外!】Marshall GALA 2、世界へ!

 

6_marshall_gala_2_logo2 

先ほど、Marshall社の本国のウェブサイトに『Marshall GALA 2』を紹介する記事が掲載されました。
Marshallのイベントなので、ま、当然といえば当然なのですが、実は日本で開催されるMarshallのイベントの情報がこうしてドッカ~ン!と本国のウェブサイトに掲載されるのは史上初めてのことなのです。
『Marshall GALA』が世界に出て行くなんて…ハッキリ言ってうれしいです!
それもこれもGALAをご支援頂くアーティストやスタッフの皆さま、そしてお越し頂けるお客さまのおかげです。
この場をお借りして心から御礼申し上げます。
 
なんて、もうイベントが終わっちゃったみたいだけど、いよいよ明日、7月12日朝10時!
イープラスよりチケットが発売となります。
当日ガラガラだと困っちゃうんでよろしくお願いします!
コレがホントの「マーシャル・ガラ」…なんちゃって!
 
チケットのお申し込みはコチラ⇒イープラス Marshall GALA 2のチケット情報
 
そして、イギリス本国のウエブサイトは…
コチラ⇒Marshall.com 

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HOMEのページからは、MENU(三)のプルダウンで「Marshall Gala 2」をクリックしてください。

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2018年10月28日 (日)

【訃報】 原マサシさんのこと

 
昨日、ある書類の英訳作業に没頭しているとfacebookでメッセージが届いた。
メッセージの送り主は『Rock'n'Roll Research~Marshall編』や『Marshall Mania』というイベントを企画をして頂いたメリケン・バンドのシンガー、コヤマタケシ。
そのコヤマさんのメッセージを見て腰を抜かした。
ギタリストの原マサシが2日前に肺炎で亡くなった…というのだ。
にわかには信じることができなかった。
 
私がマサシさんに初めてお会いしたのは名古屋でのことだった。
伏見のライブハウス、HeartLand STUDIOで2006年の4月に上述の『Marshall Mania』の第1回目が開催された時のことだ。
05「ウッシー、ちょっと…」と、大谷令文に促されて楽屋について行くと、そこにいたのがマサシさんで、「ロンドン在住の」という風に令文さんがマサシさんを紹介してくれた。
マサシさんはものすごく無口で、すぐには仲良くなれそうにない独特な雰囲気が漂っていた。ともすれば「恐い」感じ。
お会いするなり「僕は『ミスター・トーン』を目指しているんです。『演奏』よりも『音』で勝負したいんです」みたいなことを言っていた。
続けて「Marshallはトロロのブルースブレイカーが好きなんです」と付け加えた。
「トロロのブルースブレイカー」とは、2代目1962の初期に使われていた、なるほど、トロロ昆布のようなルックスを装着したしたモデルのこと。

60_2 このイベントは昼間、マニアさんたちが持ち寄った自慢のMarshallが展示され、令文さんとマサシさんのMarshallを使ってのギター・クリニックも開催された。
令文さんがFleetwood Macのフレーズを紹介したりする、まさしく「マニア」のためのゴキゲンなクリニックだった。
以前にも書いたことがあるが、一番感動したのは令文さんが「それじゃ、アイルランドの民謡でも演りましょうか?」とつぶやいて、Thin Lizzyの「Roisin Dubh(Black Rose)」の後半のインスト・パートを2人で弾いた時だった。

10バッキング・トラックもナニもない完全にギター2本による演奏だったが、ホントにスゴいパフォーマンスだった。
ナニせ人間が生で弾くのを見たのはコレが初めてんだから感動もするわな。
もちろん、最後のスコット・ゴーハムが「こんなの弾けん!」とすべてゲイリー・ムーア(イギリスでは「ギィヤリー・モーア」)が弾いたという最後のパートも完璧に再現した。
ちなみにこのパートは、アルバムにクレジットされていないが、「Rakish Paddy」というアイルランドのトラディショナルだ。
もし、この曲のオリジナルの雰囲気が知りたければ、Fairport Conventionの『Liege & Lief』というアルバムで聴くことができる。
そういえば、マサシさん、Rory Garagherが大好きで、お墓参りしたって言ってたナァ。

Fc2人の完璧な演奏もさることながら、マサシさんのサウンドは「ミスター・トーン」の名に恥じない、素晴らしいモノだった。
後に置いてあるのはフル・フェイス・バージョンの1958かな?だとすると1969年あたりの製造か?

20vそして、夜はMarshallにちなんだギタリストが大集合しての豪華なロック・ショウになった。
超満員だったね~。

25向かって左はトーベンさん。
真ん中はマサシさん。
右は令文さんだ。

30コッチは左からマサシさん、イチローちゃん、令文さん、右端は中野のシゲさんだ。
こんなメンツが集まるものだから、ソロを弾き始めたら止まるワケがなく、ものすごく時間が押したんだよね。
で、シゲさんのところは出番が最後の方で、自分の出番を大幅に削って時間の調整をしたハズ。
立派な態度だと思ったのを覚えている。
プログラムが全部終わって、持参した機材を車に積み込んでホテルに帰る頃には夜中の1時を回っていた。

40夜の部でもマサシさんは抜群のパフォーマンスを披露した。
MarshallのTシャツを着てくれていたんだね~。

50それから3か月後。
楽器店の方々をMarshallの工場にご招待するツアーがあって、マサシさんがロンドンのパットニー(テムズ川の南岸。ウィンブルドンの近く)にお住まいということを思い出してお誘いしてみた。
当時はLINEだのSkypeなんてモノがなかったので国際電話でのやり取りだった。
お誘いすると、すごく喜んでくれて、ヒースロー空港で落ち合うことにした。
ヒースローでの悪名高い長時間の通関を済ませてゲートの外に出ると、ギターを持ったマサシさんがすぐに目に入った。
「私がバッキング・トラックを用意するので、工場でデモ演奏をして欲しい」とお願いしてギターをご持参頂いたのだ。
空港から工場に向かう車中でそのバッキング・トラックを聴いて2曲ほど選んで頂いた。
そのバッキング・トラックとはコレ。
Wilkinsonブリッジの社長から頂いたGeoff Whitehorn(現Procol Harumのギタリスト)のマイナス・ワンのCD。
マサシさんが選んだのはチョットした変形ブルースで車の中でコードをメモしていた。

80b_3そして、工場内のシアターで演奏。
バッキング・トラックに合わせた演奏はやはり素晴らしく、文字通り鬼気迫るモノだった。

70マサシさんも興が乗って来て身体をウネりながら「Rock me baby」なんかを弾いてくれた。
同行した楽器店の皆さんも「コレがさっきまでの原さんと同一人物か?!」とそのエキサイティングぶりに度肝を抜かれたようだった。

90vこの時、工場で我々の面倒をみてくれたのが、もうMarshallを離れてしまったが、以前にもMarshall Blogに登場しているSteve Dawsonだった。
Steveは自作の歪み系ペダルを取り出して、それをマサシさんが試す場面もあった。
マサシさんはそのペダルをスッカリ気に入ってしまい、冗談でこっそりとギターケースのポケットに入れようすると、それを見つけたSteveが「チョチョチョチョ!」と慌てていたのが面白かった。
昨晩Steveに連絡して今回の不幸を知らせたところ、この時のことをよく覚えていて、大変残念がり深い追悼の意(condolence)を表してくれた。

100工場見学が終わり、会食までの間ホテルで休憩していると、誰かが私の部屋のドアをノックした。
ノックの主はマサシさんだった。
ドアを遠慮がちに半分ほど開けて、「今回は本当にお世話になってしまって…。コレを受け取ってください」と私に差し出してくれたのが、マサシさんのバンド、Georgie Pieの『La Vida』という2枚組のCDだった。
旅の間、マサシさんの話を聞いていると、彼の実家が長野の善光寺の近くの神社だということを知った。
私も長野に7年半住んでいたこともあって、その周辺の「うまいソバ屋」の話なんかで(ソバだけに)盛り上がったな。
ウチの上の子と小学校が同じだったのかな?
将来は神主になって、家を継がなければならない…ということも言っていたように記憶している。

110cd夜になって楽器屋さんの方々と近くのパブ「The Cock」で会食と相成った。
この頃はまだジムもとても元気で、当時のパートナーやSteveも混ざってワイワイ楽しい時間を過ごした。
高校時代をニュージーランドで過ごし、英語が堪能だったマサシさんはSteveの隣に座り意気投合したようだった。
この次の日、みんなでバーミンガムの楽器店の見学に出かけた。
その後、マサシさんは「ギグがあるから」とみんなに別れを告げて先にロンドンに帰って行った。

120それからというもの、令文さんやその周辺の方々からマサシさんの動向を時折耳にしていたが、丸っきりの没交渉だった。
そして、再会を果たしたのは2013年の8月、高円寺のショウボートでのことだった。
令文さん、オガンちゃん、ロジャーさんによるトリオ、Trio the Collagensにゲスト出演したのだ。

130v髪の毛が短くなり、雰囲気は変わったが演奏は相変わらずだった。
「Little Wing」と…

140例の「Black Rose」を演奏。
その凄まじい演奏と、名古屋や工場のツアーの思い出でナミダが出てしまってね~。

150令文さんはマサシさんと演奏するのが本当に楽しそうだった。

160こうなると案外つながるもので、次にマサシさんとご一緒させて頂いたのは同じ年の暮のことだった。この時はマサシさんが自分のトリオを率いてTrio the Collagensとのダブル・ヘッドライナーで登場した。

170この時もスゴい演奏だった。
しかし、結果的にマサシさんの演奏に接したのはコレが最後になってしまった。

180またこうして本当に素晴らしいトーンとフレーズでギターという楽器の魅力を伝える「音楽の権化」が姿を消してしまった。
この損失は大きい。
ひとり多くの若いギタリストたちや改造&機材マニアにマサシさんを観てもらいたかったナァ。

190こうして考えてみると、マサシさんには数回しかお会いしていないことになる。
でも、とても気になる存在だった。
やはり自らを「ミスター・トーン」と呼んだあの感動的なギターサウンドがそうさせるのであろう。
ブレッチリ―のホテルで頂いたこのCDはマサシさんの形見としてズッと大切に保管しておくことにする。
 
偉大なる音楽家の逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます

90r4a9454 コヤマさん、ご親切に連絡ありがとうございました。
 

200

2018年3月 5日 (月)

BLIND BIRD 桐嶋直志さん逝く

  
あまりの驚きにどうやって書き出していいのかわからない…。
いまだに信じられないのだが、BLIND BIRDのフロント・マン、桐嶋直志さんが去る2月22日に心不全で急逝された。
A40v私が初めて直志さんにお会いしたのは2014年4月のことだった。
場所は目黒の鹿鳴館。

A10Marshallを通じて昔からの知り合いの小松優也くんと…

320v_2 NATALをご愛用頂いている山口PON昌人さん、

A30更に三宅庸介さんとの共演を通じてお近づきになった河野充生さんが参加しているバンドということで近しい印象はあったのだが…。

340v 失敬ながら主役の直志さんだけは存知上げていなかった。
初めてお会いする直志さんはとても礼儀正しく、「すいません!ボク、Marshall使ってないんですよ!」なんてすまなそうにご挨拶してくれたっけ。

180v_2 事前にPONさんから聴かせてもらっていたサード・アルバム『仮想粒子』の出来も素晴らしく、私は一発でBLIND BIRDが気に入ってしまった。

A20cdそして、ちょくちょくライブの会場に足を運んではMarahall Blogにレポートを掲載させて頂いていた。
ある時、直志さんが私にこう言ったのを覚えている。
「あの~、ナンでボクらにそんなに親切にしてくれるんですか…?」
もう何度もお会いしているのにこんなことを訊いてくるなんて、驚くやら、おかしいやら。
「BLIND BIRDが好きだからですよ!」
と答えたと思う。
そして、何回かライブに通っているウチにステージに異変が起こった。

A60v直志さんのギター・アンプがMArshallになっていたのだ!
モデルは優也くんとおそろいのJCM800 2203 と1960Aだった。
この時も驚いたナァ。

A504枚目のアルバム『SPICY SWEET』もスゴクよかったんだよね。

10cd こんなイベントにもお邪魔したっけな~。
寒いし、時間は早いしで、かなりお客さんの入りはしょっぱかったけど、4人は曇り空に向けて爆音を轟かした。

A70「Keep the Tension」を演ったのをよく覚えてる。

A80その後、期せずして優也くんが脱退。
新しいギター、ONOCHINさんを迎えてからは、本当にタマタマ足が遠のいていて、実はPONさんに連絡をして「今度またカメラを持って遊びに行くよ!」なんて話をしたばかりだった。
携帯の通話記録を調べると、このPONさんとの電話は2月20日…直志さんが亡くなる2日前のことだった。

A90あの声といい、作る曲といい、そしてあの存在感といい、なかなか他に例を見ない音楽家だった。
また日本のロック界は大きな才能を失った。
 
直志さん、どうぞ安らかにお眠りください。

A110v<Marshall BlogのBLIND BIRD>
飛べ、BLIND BIRD!
在と無とのはざまで生きる髭 ツアー・ファイナル~BLIND BIRDニュー・アルバム発表!!
BLIND BIRD~TOUR FINAL 初ワンマン!!!!!!!!!
New Year, New Era Blind Bird Tour 2015 Final
Spicy Sweet Tour Final‼︎ 
Electric Killer Show!!のBlind Bird
Thunder Snake ATSUGI 14th Anniversary SPECIAL LIVE!!~BLIND BIRDの章
CHIMERA GAMES TOKYO Vol.2~BLIND BIRD とKeiji by ZERO
No sleep 'til Saitama STSN-9 <後編> Blind Bird番外編3とDisqualia

 

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2017年12月 1日 (金)

【号外】 メランコリック写楽解散

ももすチャンが脱退したため、本日紹介したメランコリック写楽は解散しました。
おしまい。

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2017年10月 2日 (月)

【号外/お知らせ】 記事最下部の「いいね!」ボタンについて

      
これまでMarshall Blogでは、それぞれの記事の最下部にfacebookの「いいね!」ボタンを表示しておりましたが、この度、そのボタンを削除させて頂きました。
長年にわたりましてそのボタンを押してMarshall Blogをお引き立て頂きました皆様には心から感謝申し上げます。
  
以前の記事内で、同じライブ・レポートを<前編>と<後編>に分けて掲載した時、<後編>で押されるその「いいね!」の数が必ず<前編>より少ない…ということを記しました。
テレビ・ドラマなどでは最終回の視聴率が際立って高い傾向がありますが、マァ、「SNSの場合はこんなものか?」と勝手に理解しておりました。
  
ところが今回、ある記事で<前編>と<後編>の「いいね!」の数に100倍以上の開きが出てしまい、さすがにコレはおかしいのではないか?と思い、私なりに調べてみました。
原始的ではありますが、「いいね!」を押してくだすった方の実際の数と記事に表示されている「いいね!」の数字を比べてみたのです。
するとどうでしょう…見事、実際に押して頂いた方の数が、記事の「いいね!」の数字より多かったのです。
つまり、何票かが「死に票」になっていたのです。
多少のタイムラグがあるのでしょうが、迅速性を身上とするIT関係のシステムにあっては、それも甚だ不都合なことではないか?と思うのです。
「不都合」であると私が思う理由は最後に記します。
さて、当方といたしましては、ブログを運営している会社にこの現象を報告し、相談してみました。
返答は「今のところ正常に機能しているのでしばらく様子を見て欲しい」ということでした。
  
ところが、とうとうこんなことが起こってしまいました。
自分が作ったものを自賛するのがイヤなので、私はこのボタンを一切押すことはありませんでした。
しかし、今回の問題の調査をするためにボタンを押したところ、驚くべことに目の前に表示されていた数字が減少してしまったのです。
同様の事象があったことは、ある方からもお聞きしていました。
もう「ダメだ、コリャ」と思いました。
  
また、ブログ自体のアクセス件数が極めて多いにも関わらず、この「いいね!」の数が信じられないほど少ないことも日常茶飯事でした。
すなわち、実際のMarshall Blogへのアクセス件数とこの「いいね!」の数が全く連動しないのです。
もうひとつ…10年近くMarhall Blogをご覧頂いている愛読者の皆様でもこのボタンの存在や意味についてご存知ない方が少なくないということもわかりました。
もうコレ、意味ないじゃん?
   
基本的に私はこういったデータにはなるべく拘泥しないように努めています。
こうした指標にこだわり出すと、際限なく、また手段を選ばず成績(と思われるもの)を伸長させることだけにノメリ込んでしまう恐れがあるからです。
コレは大企業の「売り上げ至上主義」に酷似しており、一時問題になった、無茶なことをする動画投稿者同様、ロクな結果をもたらさないことはわかりきっています。
私がやりたいことは、皆さんに興味を持って少しでも楽しく読んで頂けるような記事を書いて、長年培った経験を活かしてステキな音楽を紹介し、結果、Marshall、NATAL、EDENの宣伝に役立てることです。
コレに尽きます。
とは言え、こういった人気のバロメーターとなり得るデータは、にぎやかであった方が張り合いがあることも確かです。
しかしながら、そのデータが信用できないものであった場合は…?
謝ったデータを鵜呑みにして、「ああ、このブログはたった数人にしか読まれていないのか…」などという風評被害を被らないとも限りません。
よくある話ですが、この情報化時代、いかに適切な情報をつかみ取ることが肝要で、かつムズカシイかということを改めて思い知りました。
そこで、突然ではありますが、以上のことを勘案し今回の措置を取ることにしたワケです。
ご理解頂きますれば幸甚に存じます。
  
何やらシリアスな筆致になってしまいましたが、Marshall Blogは記事最下部の「いいね!」ボタンを廃止した以外にはナニも変わりません。
今後ともMarshall Blogをお引き立て頂きますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
  

Marshall_logo_square

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2017年9月30日 (土)

【号外】 CROSSWIND 『LIVE II』出来!

  
今年5月に故小川銀次さんが率いたCORSSWINDの未発表ライブ音源の制作に関するクラウドファンディングの案内をした。
ただただ「クラウドファンディングやりま~す!」なんていう記事はMarshall Blogらしくないので、そのライブ音源を収録した会場、すなわち有楽町にあった「Lo-Dプラザ」の個人的な思い出を詰め込ませて頂いた。
その記事がコレ⇒CROSSWINDの未発表ライブ音源とLo-Dプラザの思い出
  
そして、そのファンディングは見事に目標を達成し、この度、そのライブアルバムが出来した。
タイトルは『LIVE II』。
ん~、シンプル~。
CROSSWINDは、同じLo-Dプラザでの演奏を収録した『LIVE』というアルバムを過去に発表しているので、音源としては直系の「続編」というワケだ。
しかし、内容はそのタイトルとは正反対で、CROSSWINDらしいたくさんの複雑な仕掛け含んだ、入り組んだ超絶な演奏が77分にもわたって収録されている。
録音はアナログ。
いいね…やっぱりあたたかい。
  
それにしても銀次さんのギターが素晴らしい。
音といい、フレーズといい、これほど「一聴して誰」とわかるギタリストもそう多くはあるまい。特に日本ではそうだ。
既成のフレーズにとらわれずに、さりとて、やたらと奇をてらうことなく、自分だけの歌を歌い上げている。
銀次さんと音楽の話をしていて、「ジョン・コルトレーン」の名前が出たことが幾度かあったが、確かに『Live at Village Vanguard』あたりのコルトレーンを標榜していたのかもしれないナァ…私には長尺のソロがそんな風に聴こえたよ。
録音は1982年。
時代はイングヴェイ前夜。
こういうギターこそ、イングヴェイ以降の若いギタリストたちに聴いてもらいたい。
こんなにバリバリ弾いているのに最後まで飽きさせない。
ナゼなら、ココに収録されているのは「ギターのための音楽」ではなく、「音楽のためのギター」だからだ。
それとね、そうる透のスゴイこと!
透さんはもちろん今でもキレッキレなんだけど、このキメだらけの音楽を微塵の狂いもなく、しかも至極音楽的に処理して見せてくれる。
まぁ、カッコいいことこの上ない。
このCDは不世出のインスト・ロック・バンドの貴重な音楽を35年ぶりによみがえらせ、後世に伝える重要な役割を果たしたと言えるだろう。
若い人が聴きなさい!

1_0r4a3705_2ライナー・ノーツには透さん他のCROSSWINDの元メンバーからのメッセージの他に、クラウドファンディングに参加された方々のお名前が掲載されている。
私が言うのもナンだけど…ご協力ありがとうございました。
クラウドファンディング期間終了後も「参加したい」という方々が多数いらっしゃったそうだ。
コリャ『LIVE III』も期待できるかな?

1_0r4a3707さて、この『LIVE II』の発表を記念してイベントが開催されることになった。
『CROSSWIND未発表音源追悼CD、『LIVEⅡ』爆音再生会』というタイトルのイベント。
内容はそう…そういうことです。
開催は10月29日(日曜日)。開演は13:00。
場所は新橋のライブバーZZ
CROSSWINDの元メンバーも参加して、にぎやかかつ豪華なイベントになるようだ。
  
そうそう、このアルバム、演奏だけでなくて、ところどころMCも収録されていて、若かりし銀次さんの肉声を聴くことができるの。
銀次さんがディスク・ジョッキーを務めた、あの不愛想なFMの番組を思い出してしまったよ!
私はまだ銀次さんの声を覚えているけど、こういうのはすごく貴重だと思うワケ。
幸いにもこうして銀次さんのギターのサウンドは半永久的に耳にすることはできるけど、「声」となるとそうはいかない。
人の声って、覚えているようでも、時間が経つと忘れてしまうものなんだ。

2017年2月21日 (火)

【号外】 ラリー・コリエルのこと

Larry Coryellが逝った。
コレはちょっとショックだナァ。
果たして彼がMarshallを使っていた、あるいは使ったことがあるかどうかサッパリわからないし、かつてSuper400を愛用していたことを知っている以外、どんな機材を使っているのか気にしたこともなかった。
よって、Marshall BlogにLarryの話題を挙げるのはふさわしくないかもしれないが、ジャズ・ロックの全盛期を彩った偉大なギター・イノベーターに公私混同的に一文寄せることをお許し願いたい。
  

ところで、この人何ですか?…「フュージョンのゴッドファーザー」って呼ばれていたんですか?
そんなことゼンゼン知らなかった。
この通り、私は熱心なファンではないのだが、昔は「ラリー・コーイエル」と表記されていたのは覚えている。
特にファンでなくても、ジャズやフュージョンの道を通ると、彼が参加した作品を数多く保有してしまうのは自然のことではなかろうか?
コレは恐らく私だけに起こっている現象ではないだろう。
今、この記事を書くに当たって、LPとCDの棚をサラっとチェックしてもコレだけ出て来た。

1_img_34272 『Standing Ovation』やクラシックものは遠い昔に処分してしまったし、この他にもラリーが参加した作品がゴチョゴチョあるのだが、棚から出すのが面倒だったのでパスさせてもらった。
どんなアルバムかというと…
例えばGary Burtonとの『Dustar』や『Lofty Fake Anagram』、『A Genuine Tomg Funeral(葬送)』…

Gb Steve Marcusとの『Count's Rock Band』『Tomorrow Never Knows』、『The Lord's Prayer』…

Sm
Charles Mingusとの『Three or Four Shades of Blues』や『Me Myself an Eye』…

34 それと、私はPhilip Catherineが大好きだったので、最初の写真にあるように、共演盤を買い込んで来ては聴き入っていた。
こうして書いてみると、イヤ~、ものすごいキャリアだよね。
一応、ジャス史的にはジャズ・ロックの中心人物みたいな扱い、言い換えるとジャズにロックのエキスを注ぎ込んだ人として知られているけど、果たして本当のストレート・アヘッドなジャズができるんかいな?とジャズを聴き出したころ訝しんでいた。
だってなんかフルアコを使って強引にロックを演っている人…というイメージが強かったんだもん。
そこに現れたのが故Emily Remlerとのデュエット盤『Together(1985年)』だった。
この中でLarryはClifford Brownの「Joy Spring」を取り上げ、Emilyとバリバリのジャズを聴かせてくれた。
ウォーキング・ベースのバッキングがすごくカッコよくて「なんだよ、ジャズできるんじゃん!」と驚きつつ感動したことがあった。

Tg 一方、自信のアルバムは私の感覚では粗製乱造というイメージが強くて昔は避けて通っていた感があったな。
その中で名盤の誉高い『Spaces』はアタマひとつ抜けていた。
その2曲目に収録されているのがベルギーのジャズ・ギタリスト、Rene Thomas(ルネ・トーマ)の『Rene's Theme』。John McLaughlinとのギター・デュオだ。
緻密なMcLaughlinと大胆なCoryell、昔はMcLaughlinの方が好きだったが、色んな作品を聴いているウチにLarryの奔放なプレイの方に惹かれるようになった。
四角い部屋を丸く掃いて掃除するような感覚でなんか、乱暴なんだよね。
でも、その丸く掃いた部分の密度がものすごく濃いのだ。
それと髪の毛の量がスゴイ。
うらやましい。
  
考えてみると、一回もステージでチャンと弾くLarry を見たことがなかったな。
一度、NAMMショウで某ギター・メーカーのデモンストレーションをしているのを見たことがあった。
「Oleo」をサラっと弾いた後、「ハイハイ、CDはコッチで売っています。買ってチョーダイ!」みたいな感じでチョット幻滅してしまったのを覚えている。
  
しかしね~、もうこの世にいないとは…74歳だったそうだ。
最後にややヘソ曲がり的に、好きなLarryの演奏を3枚ほどピックアップしたいと思う。
   
まず、コレ。
コレは誰も挙げないでしょう。
Sonny Rollinsの1979年の『Don't Ask』。
大学の頃、上野にあった「イトウ」というジャズ喫茶で初めて聴いた。
たまたまB面をリクエストした人がいて、最後の「And Then My Love I Found You」という曲にヤラれた。
あの時A面がかかっていたらこのアルバムを買うことはなかったと思う。
Rollinsはギター好きと言われていて、全編にわたってかなりLarryのプレイがフィーチュアされている。
今でも時々引っ張り出しては聴いている。

Srフランスのジャズ・ヴァイオリニスト、Stephane Grappelli名義の『Young Django』。
コレはホントに好きだった~。
「Young Django」とは、Charles Mingusがこのアルバムに参加しているPhilip Catherineに向かって言った言葉。
Django Reinhardtの代表曲がベテラン+若手(当時)でフレッシュによみがえるといったところか?
やはりここでもLarryのプレイはダイナミック。
センシティヴなCatherineのギターとの対比がおもしろい。

Sg 最後にLarryのリーダー・アルバムを…。
やっぱコレか…『Spaces』。
今また聴いてるけど…いいナァ。

Lc さようならLarry Coryell…素晴らしい音楽をありがとう。

2017年2月 4日 (土)

【号外】 星牧人さんのこと

また訃報だ。
ジャズ・ピアニストの星牧人さんが2月1日、虚血性心不全のためこの世を去った。
まだ44歳の若さだった。
星さんのお名前はロック・ファンの方にはなじみが薄いことであろうが、Marshall Blogには杉本篤彦さんの記事で数回ご登場頂いていた。
星さんは国立音楽大学を卒業後、ピアニスト、キーボード・プレイヤーとして和田アキ子、平井堅、ダイヤモンドユカイ等のサポートを務めるかたわら作編曲家として活躍していた。
多数の杉本さんのアルバムに参加し、まさに「片腕ピアニスト」的存在だった。
  
私が初めて星さんにお会いしたのは、2015年の『真夏のJazz葉山』に二回目にお邪魔した時のことだ。

160

真夏のイベントゆえ、外はうだるような暑さ。
ところが、この会場の楽屋は携帯電話の電波が入らないため、用を足すにはいちいち熱暑の屋外へ出ねばならない。
この時、星さんとはその出入りでスレ違う程度で、最初のご挨拶の時以外はほとんどおしゃべりをする機会がなかった。
何しろスゴイ暑さだった。
ミュージシャンの皆さんもオフ・ステージではラフな格好をしていて、星さんも例外ではなかった。
確か白いジャージを来ていらっしゃったような気がする。
そして、杉本グループの出番になった。
ステージ上のメンバーを見てビックリした。
さっきまでのラフなジャージ姿はどこへやら、ビシッと黒いスーツに身を包み、中折れ帽をかぶった星さんがピアノの前に座っていたのだ。

140v

身幅は異なるにしろ、その姿は私の大好きなピアニスト、ウィントン・ケリーを思わせた。
終演後に「ウィントン・ケリーみたいでしたよ!」と伝えるとニコッとしてくれた。

9_wyntonkellybw もちろん颯爽としたプレイもウィントン・ケリーのようで、杉本グループの演奏の大きな見どころのひとつだった。
330v

その次にお会いしたのは杉本さんの公開レコーディングの時のことだ。

20 コレがその時の杉本さんのアルバム、『Tomorrow Land』。
星さんはこのアルバム以外に『Magic』、『Cheer!』、『Black & Blue』、『Blue Moment』といった杉本さんのアルバムに参加している。
星さんはまさに杉本さんの相棒の鍵盤奏者だったのだ。
10cd
実はこの時、はじめて星さんと言葉を交わし、すぐにfacebookで友達の申請をしてくれた。
私は、星さんとお近づきになりジャズ・ピアノの話をする機会を楽しみにしていた。
Marshallの仕事だと、ジャズ・ピアニストと接する機会なんか滅多にないからね。

140v_2
そして、昨年の夏。
また葉山の季節がやって来た。

150 この時、星さんはピアノだけではなく、「今日はコレも使うんですよ!」と赤い小さなキーボードを見せてくれた。
その姿がとても印象的だった。
この時もリーダーの杉本さんの音楽を完全に咀嚼したプレイで、ソロにコンピングにと素晴らしい演奏を聞かせてくれた。

330

この時、あいにく私は日比谷野音でもうひとつ仕事が入ってしまい、トップ・バッターの杉本さんのグループの演奏が終わった後、挨拶もソコソコに葉山を後にしなければならず、星さんとおしゃべりする時間など全くなかった。
つまり、星さんとジャズの話をする機会を永久に失ってしまったのだ。
そして、あのピアノがもう聴けないことがとても寂しい。
今年もごく普通に葉山でご一緒できると思っていたのに…。
  
才能あふれる若きピアニストのご逝去に際し、心より哀悼の意を表します。

240v2

<星さん関連の記事>
● 15th 真夏のJazz葉山 <前編>
● 杉本篤彦のニューアルバムはJVM!~公開レコーディングの現場から
● 16th 真夏のJazz葉山~杉本篤彦グループ

  

(一部敬称略)

 

2017年1月29日 (日)

【号外!】 四人囃子『錯』、桜咲く!サクサクとサクセス!!

岡井大二さんのロング・インタビューを交えて紹介した四人囃子の新譜『錯』が去る25日にリリースされ、大好評を頂戴しているそうです!

9_ 過去のバンドの古い音源で編まれたアルバムとして異例の売れ行きだとか。
Marshall Blogをご覧になってお買い求め頂きましたお客様には心から御礼申し上げます。
ご存知の方にはなつかしく、初めての方には新鮮にこの日本のロックの最高峰のサウンドをお楽しみ頂いていることと存じます。
これを機に…というほど甘いものではないことはわかっていますが、流行や話題以外のいい音楽が復権できることを願って止みません。
ありがとう四人囃子!

Img_01042 <岡井大二さんのインタビューはコチラ>
Vol.1
Vol.2
Vol.3
Vol.4

おかげさまで大二さんのインタビューは毎回ものすごい件数のアクセスを頂戴しました。
やはり、いい音楽を求めている人がたくさんいらっしゃることを確信した次第です。
末筆ながら、すでにご覧頂きました皆様にこの場をお借りして併せて厚く御礼申し上げます。

2016年11月27日 (日)

【号外】ドローイング・レコード2016(梅春スケッチフェス)

今、一部では「ゴールド免許のあり方」についてモメているようですな。
何でも「ゴールド免許」保有者の21%はペーパードライバーだそうで…。
「運転しないヤツこそ講習を受けるべき」という論理も立派に成り立つような気がしますな。
かく言う私もしばらくゴールド免許だった。
地方から東京に帰って来て車に乗る必要がなくなったからだ。
今、Marshallに勤めるようになって、MarshallやNATALを運ぶ仕事が多く、車に乗る必要が出て来た。
そしたら一発よ、一発!
一日に二回切符を切られてアッサリ「違反野郎」の大悪人に転落。
それで、先日30年ぶりぐらいに鮫洲の試験場に免許の書き換えに行ってきた。
そして、そのサマ変わりにビックリ仰天。
私が免許をゲットした昭和56年頃は、鮫洲駅前の細い道には数え切れないほどの代書屋が立ち並び、まるで「海の家」のようににぎやかに客の呼び込みをやっていたものだった。
今は一軒だけになっていた。

9_2img_2825 他の代書屋さんはこの通り全部閉まっていた。
ところで、昔は何であんなに代書屋ってのがにぎわっていたのかしらん?…とベースの山本征史さんと話をしていたら、「イヤ、昔は字を書ける人が少なかったんじゃないですかね?」などとおっしゃる。
「そんなバカな…」と受け答えたのだが、調べてみるとどうもコレはまんざらでもないようだ。
一応日本は「識字率100%、文盲ゼロ」の国だからして、字が書けないとまではいかなくても、チョット複雑な書類が作れない人が昔は多かったようなのだ。
そこで活躍していたのが「あなたの代わりに免許更新に必要な書類をお作りします」という代書屋だったようだ。

9_2img_2826 試験場もスッカリきれいになって、コンピュータのおかげか、手続きもアッという間だった。(講習は長かった~)
昔は、教習所を卒業して「さぁ、思いっきり暴走するゾォ~!」という血気盛んな若者でゴッタ返していてね。何をやるにもものスゴク時間がかかってウンザリだったんよ。

9_2img_2827 …なんて話を友人としていたら、「ところで、何で鮫洲なんて行ったの?東陽町の方がゼンゼン近いじゃん?」と言うじゃない?
「へっ…?! トーヨーチョー?」
何のことかと思って尋ねると、今、東陽町に試験場があるんだってね~!知らなかった。
80年代半ばからしばらく東京を離れていたことと、ゴールド免許のおかげで近隣の警察署で用を済ますことができていたので、そういう設備が出来たことを本当に知らなかったのだ!

で、今日の舞台はその東陽町のdowntown records(ダウンタウン・レコーズ)というレコード屋さんだ。

10永代通りからチョイと入ると目に飛び込んで来るアートのカタマリ。
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そこがダウンタウンレコード。
「CD屋さん」ではない。
「レコード屋さん」だ。
以前にもMarshall Blogに登場して頂いたことがあるのでご記憶のある方も多かろう。

15今、ダウンタウンレコードで開催しているのが梅村昇史+渡辺千春(パンプロ・ファクトリー=梅村家)による「絵」のイベント。
お二人のドローイングやスケッチ等のイラスト作品の展示のほかに、それらの作品をジャケットにした中古シングル盤を販売するという企画。
「作品展」と「産地直売会」が混ざり合ったアートイベントだ。
名付けて『ドローイング・レコード2016(梅春スケッチフェス)』。

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主宰の梅村昇史さん。
「下町のひとりヒプノシス」として、もう何回もMarshall Blogにご登場頂いている。
先日の『1000のMarshall Blog』にもメッセージを寄せて頂いた。

50一応、チラリとウチ系のポートフォリオをご紹介しておくと…
これまたおなじみ田川ヒロアキの『Ave Maria』のジャケット・デザイン。
帯のデザインも梅村さんの手によるもの
写真はワタシ。

55_2梅村さんとの初仕事は2010年度版のMarshallのカタログの表紙だった。
何回も書くが、コレは古今東西で最もカッコいい楽器カタログの表紙だと信じている。

56さて、今回の『ドローイング・レコード2016(梅春スケッチフェス)』の作品を見てみよう。

60こちらはLPサイズの丸い盤に描かれたイラスト。

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80レコードとしてちゃんとクレジットも入っている。
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コレは梅村さんの奥方の渡辺千春さんの作品。
また、千春さんがやさしくて可愛いイラストを描くんだ~。

90コレも千春さんの作品。

110入り口に貼ってあった江東区の子育て関連のイベントの告知ポスター。
コレも千春さんの仕事。

120お店の一面を占めているのは梅村さんの作品群。

130Marshall Blogでも紹介している通り、梅村さんは実際のCDジャケットのデザインを種々手がけているが、以前から「架空のレコード・ジャケット」というコンセプトの作品に取り組んでいる。

140この30cmの真四角のスペースをキャンバスに見立てた美術作品だ。

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160コレはSoft Machineを思い出させるな…。

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180レーベルに刷り込まれたクレジットとコピーライト表示。
こういう細かい配慮がうれしい。

190背面もちゃんと作り込んである。

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240とにかくどの作品も可愛くて、見ているとついついニコニコしてしまう。

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270コレは実際に商品になっている。

280Frank Zappaの代表曲のひとつ「Peached en Regalia」のオルゴール付きCDだ。
右上のクレジットは上で紹介したモノとは異なり、コチラは「ROCK & ROLL MUSIC BOX SOUNDS」となっている。

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310コレはEPサイズ。
モチーフはもちろんZappaだ。

330コチラは千春さんの作品。
いいナァ。
「RECORD PEOPLE ARE FLOWER PEOPLE」だって!

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千春さんは豆本の製作家でもある。

335コレがレコード入り、ジャケット。
ホントは反対なんだけど…。

336ココでの主役は梅村さんと千春さんのイラストだからね!
中身は何が入っているかはわからない。

337ウチはポスト・カードを数枚ゲット。
「WHAT'S NEW IN CANTERBURY?」はZappaの「WHAT'S NEW IN BALTIMORE」のもじり。
メリーランド州ボルチモアは全米でも治安の悪いことで有名なところ。
NFLのフランチャイズ・チームは、昔は「コルツ」だったのだが、今は「レイヴンズ」になっている。ギターがうまそうなチームだ。
コルツはインディアナポリスに行ったそうだ。インディアナポリスは「インディアナ/ポリス」ではなくて「インディ/アナーポリス」と発音する、なったってWes Montgomeryの故郷だからね。

340なぜ「カンタベリー」なのかというと、このデザインはSoft Machineの『フローティング・ワールド・ライブ』の国内盤のジャケットのイラストなのだ。
このアルバム、輸入盤より梅村さん盤のジャケットの方がゼンゼンよかった。
ちなみに去年久しぶりにカンタベリーに行ったけどナニも変わっていなかった。

Smしかし、可愛いイラストだな~。
ココにある「Flogs With Pretty Little Eyes」もZappaネタ。
オリジナルはZappaの息子アーメット作詞による「Flogs with Dirty Little Lips」(『Them or Us』収録)。

350コレは『Just Another Band from L.A.』。
Zappaの同乗者が胴部ってところが手塚治虫の『W3』みたいで可愛いナァ。
主題歌の最後の「♪ワンダースリ~」という部分を覚えいるんだよね。
でも、テレビで『W3』を放映していたのが1965年。私が3歳の時だからして、さすが覚えているワケがない…とういことは再放送で見ていたのか。
なつかしくなってこの主題歌の動画見てみたら、バーバーショップ・ハーモニーだよ。
昔の人は本当にスゴかった。

360コレが元の『Just Another Band from L.A.』。
梅村さんのポストカードに載っている「GOING TO  EL MONTE LEGION STADIUM」というのはこのアルバムにも収録されている「Dog Breath」の歌詞の一部。(初出は1969年の『Uncle Meat』)
1963年、ZappaはThe Mother of Inventionを結成する前にRay Collinsと「Memories of El Monte」というドゥーワップの曲を作り、The Penguinsというグループが歌ってチョットしたヒットとなった。
ちなみにこの「El Monte Legion Stadium」はキャパ7,000のインドアの大ホールでビートルズも演奏したことがあるという。
今は駐車場になっているらしい。
ところで、この1972年のZappaのアルバムの聴きどころは何と言ってもLPのA面を占める「Billy the Montain」だろう。
私よりチョット年上で、とても仲のよくしている生粋のLA生まれのアメリカの友達が、1969年あたりからZappaのコンサートに何回も行っていて、「Billy the Mountain」も生で観たというのを聴いてとてもうらやましかった。
この人、Duane Allmanもホンモノを見たそうだ。
人間はゼッタイに平等ではない!

365_2千春さん作のクリスマス・カードもゲット。

380さて、この展示会は11月24歩から12月5日まで開催しているが、12月2日には『ドローイング・レコードのパーティー〜でも、おむすびとお茶しかないけど!(仮)』なる企画が予定されている。
梅村家の夜食である「顔つきおむすび」を食べる会だそうだ。
12月2日金曜日18:00から。合い言葉は「夜食 in 夕方」。
「顔つきおむすび」とはこういうモノ。

Rbそれと、今回併催されていたのがコレ。

390プラスチックの薄い板に何かを描いてオーブンで焼き固めるヤツがあるでしょ?

395アレで80~90年代のロックのレコード・ジャケットや写真を再現したそうだ。

400製作者は中学生だ。

410ところで、コチラのダウンタウンレコードさん、はじめの方に「レコード屋さん」って書いたでしょう?

420この通り…本当のレコード屋さんなのだ。
つまり、CDを一枚も置いていない。
若い人が見たらどう思うのかな?
私なんかはこういう光景が当たり前の時代に育ったので何の違和感もないが…。

430お店は非の打ちどころがまったくないまでに、いつ来ても清潔感にあふれ返っている。
でも、キレイなのはそれだけじゃなくて、展示している商品がどれも驚くほど美品なのだ。
それでいてお値段もすこぶる良心的だ。

440「マニアック」という言葉はあまり好きではなくて、自分から使うことはないが、ま、こういうのを「マニアック」って言うんだろうな~。
何しろ、まずエサ箱の仕訳がスゴイ。
「60年ロック」、「70年代ロック」なんて表示はどこでも見かけるが、ダウンタウンさんときたら細かいところでは「'64~'66」とか「67'~69'」みたいに2年区切り!
要するに、それほどこの時代はロックの変化が激しく、リスナーの嗜好も別れるところ…ということか。
こんなことお店の人がよほどのマニアでない限り絶対にできない。
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この「映画音楽」のコーナーがまたスゴイときてる。
私も40年以上中古レコード屋に通っているが、そもそも映画音楽だけに一列まるごとスペースを与えているなんてお店は他に知らん。
Neal Hefti、John Barry、Jerry Goldsmith、Armando Trovajoliなんて仕訳ラベルは他ではまずお目にかかることはあるまい。
『モン・パリ』なんて、どうにもなつかしいね。
それとね、うれしいのはこの展示品の分量。
スキスキでしょ?
こうしておけば、盤を持ち上げないでペラペラとめくるようにしてアイテムをチェックすることができる。
盤がパンパンに詰まっているとそうはいかない。
まだ血気盛んな頃、私はあのLPレコードを持ち上げては落とす作業の速さにかけては誰にも負けなかった。
でも、もうそんなことをする元気もないし、ガツガツしてまで欲しいと思うアイテムも多くなくなった。
今では、ジャズとかクラシックを中心に、一枚一枚ゆっくりチェックして、知らないアイテムとの出会いを楽しんでいる。
すると、ダウンタウンさんのディスプレイはとてもありがたい。
そもそも静かだし、ジャケットの痛みも防ぐことができる。
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前回は、超美品でが格安だったThe Whoの『Quadphenia』とウエスト・ロード・ブルースバンドのライブ盤を頂いてきた。
今回はコレ。
『冒険者たち』の主題歌…「Laetitia(レティシア)」っていうのか?
私はこの映画を父のススメで小学生の時に初めて観た記憶があるが、モノスゴイ感動したな。
以前にもどこかに書いたことがあったと思うが、ジョアンナ・シムカスが最高にチャーミングだった。この人、「シムカス」なんていうsurnameなので、てっきりギリシア系アメリカ人かと思っていたら、リトアニア系のカナダ人だった。
そのジョアンナ・シムカスの役名が「レティシア」。
映画の中には印象的なシーンがいくつがあるが、凶弾に斃れたレティシアを潜水服にくるみ、深海に沈めるシーンは子供ながらに美しいと思った。
そして、全編に流れるテーマ・ソング。
このシングル盤はアラン・ドロンの歌が入っているが、映画の中では悲しげな口笛がメロディを奏でるインスト・バージョンが使われる。
もうこのメロディがタメらなくてね~。映画を観て、その場で覚えた。
作曲はフランスの映画音楽の大家、「フランソワ・ド・ルーベ(François de Roubaix)」という人。詳しくは知らないが、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』なんかもこの人の作品だ。アレもカッコいい曲だった。
ハリウッドは別して、フランスもイタリアも映画に使われるオリジナル・スコアっていいものが多いよね…あ、もちろん昔の話。

465もう一枚は加藤登紀子と長谷川きよしの1978年の二枚組ライブ・アルバム。
私にしては珍しいジャンル。
最近、長谷川さんの声が聴きたくなっていたこと、去年野音で加藤さんを撮らせて頂いたこと、バックに中野督夫さんが参加していること…等の理由でゲット。もちろんお値打ち価格。
メモが貼ってあるでしょ?
ダウンタウンさんでは、LP一枚一枚にこうして簡単な解説を記したメモを付けている。
コレは破天荒に大変な作業ですよ。
何が大変かって、聴かなきゃならないもん。つまり、時間がかかるということ。
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最近「~に愛を感じる」みたいな言い方が流行っているけど、このお店のレコードや音楽に対する愛情にこそ、その表現を使って欲しい。
下の写真では見えないが、正面後ろのラックに一週間前に亡くなったMose AllisonのLPを飾り、追悼の意を表していた。
私はMose Allisonのホワホワした声が苦手で決してファンではないが、facebookで訃報を投稿したがほとんど反応がなかった。
つまり日本人の多くがMose Allisonを知らないようだった。だからダウンタウンさん「サスガ!」と思った。
ジャズのシンガー/ピアニストだが、ロック・ファンにはThe Whoの「A Young Man's Blues」を作曲した人と説明すればよいだろう。
 
ダウンタウンレコードの詳しい情報はコチラ⇒オフィシャル・ウェブサイト

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『ドローイング・レコード2016(梅春スケッチフェス)』の開催は12月5日まで。
  
パンプロファクトリーの詳しい情報はコチラ⇒ハルタンタハルタンチ

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(2016年11月26日 東陽町ダウンタウンレコードにて撮影)

2016年9月 2日 (金)

【号外】 大好評のIRODORISAI!

先日、伊勢丹で開催されているMarshall HEASPHONESとMarshall EYEWEARの特別展示をMarshall Blogで紹介したところ、モノスゴイ反響を頂戴した。
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Marshall Blogをご覧になってたくさんの方が新宿に足を運んでくれたのだ。

皆さん、どうもありがとうございました!

5_img_0607 見に行って頂けるだけでもうれしいのに、多くの方にヘッドホンやBluetoothスピーカー…

30サングラスやメガネフレームをご購入頂いた。

40 皆さん、本当にありがとうございました!!
展示は9月6日まで。
明日&明後日が最後の週末になりまする。
新宿におでかけの際にはゼヒ覗いてやってくださいまし。
伊勢丹本館の5階です。
いらっしゃった時に「Marshall Blogを見て来ました!」と係の方に申し出てもオマケは付きませんが、私の鼻が高くなります!

50既出の記事にも書いてあるけど、Marshall HEADPHONES関連商品は9月1日から値下げして一層お求め安くなったござる!(展示会場では開催初日から先行値下げ販売を実施)

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ヘッドホン類…

60 Bluetoothスピーカー類…

70そしてメガネ類…ごゆるりとお試しあれ!

80ディスプレイが大好評なのもうれしいが、正直、こんなにMarshall Blogが影響力を持っているとは思わなんだ。
コリャ、ますますヘタなこと書けなくなってきたな…。

既出の記事はコチラ⇒Marshall in 2016 IRODORISAI

…といいつつ、せっかく【号外】をご覧になって頂いた方々を手ブラでお帰しするワケにもいかないので、ふたつほどためになるお話しを…ご存知だったらゴメンなさい。

<その1:ヘッドホンという言葉について>
Marshallのヘッドホン等を取り扱っている部門は「Marshall HEADPHONES」といいます。
英語に「ヘッドホン」という言葉はない…イヤ、あるのかもしれないけど、普通は使わない。
「scissors(ハサミ)」、「glasses(メガネ)」、「trausers(ズボン)」と同様に、この言葉はいつでも「headphones(ヘッドホンズ)」と語尾に「-s」を付けて複数形で使う。
組みになっているからね。
では複数形、「ヘッドホンふたつ」の時はどう表現するか…アレ?これ以前書いたか!
エエイ、もう一回書いちゃえ!
複数形にするときは「XXX pair of headphones」という。
例えば「ヘッドホン三つ」は「three pair of headpnones」になる。この場合、「pair」でも「pairs」でもよいが、今では「pair」の方が自然らしい。
ひとつの場合も正しくは「a pair of headphones」と表現する。

90 <その2:伊勢丹について>
今、Marshall Blogではシリーズで中野重夫さんの還暦記念コンサートのレポートをしているでしょ?
ドップリ伊勢や松阪の観光案内も併載させてもらっている。
それで気がついた!
アレ?「伊勢丹」?
「もしかして『伊勢丹』って伊勢のナントカ丹治さんが始めたのかしらん?」という疑問が猛烈に沸き上がった!
こうしちゃいられないと、早速調べてみると…。
残念!
深川生まれの小菅丹治(「丹治」は合ってた!」)なる人が、明治十九年に神田の旅籠町(今の外神田)に開業した「伊勢屋丹治呉服店」が元になっているそうだ。
しかし、今日の記事に記したように、江戸時代は「「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬のクソ」。
しかも丹治のとことも呉服屋。
コレは何かの符合に間違いない。
でも、伊勢丹は今は三越とくっついちゃったんで、結局は「伊勢」がらみになってしまった。
三越の前身、「越後屋」は松阪出身の三井高利が興した木綿問屋が元になっていることも今日の記事に書いた。

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2016年7月19日 (火)

Marshallがレコード・レーベル始めました!

おもしろいことになった!
冷やし中華がウマい季節になったが、18日付でイギリスの音楽情報紙『MUSIC WEEK』で発表になったのは…

Marshallがレコード・レーベル始めました!

その名も「Marshall Records」。

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「Marshall」というブランドがアンプだけに留まっていないことは皆さんもご存知の通り。
「Marshall」の「M」は「MUSIC」の「M」。
もはや「音楽」のひとつのブランドなのだ。
Jim Marshallの業績は彼の音楽に対する情熱が成した業であり、Marshall社としても常に音楽に敬意を払ってきた。
わが社はこの精神に則って、ギタリストたちが自分たちを芸術的に表現するための製品を製造してきた。
その一方で、彼らが作った音楽を耳にするための製品もプロデュースしてきた。
Bluetoothミュージック・スピーカーやヘッドホンたちがそれだ。

わが社はギタリストが自分たちの音楽をつくるためのアンプを製造し、バンドのファンや音楽ファンがその音楽を楽しむための製品をプロデュースしているワケだから、それらのふたつを組み合わせ、バンドやミュージシャンの活動を記録し、さらにそれをプロモートし、そして上演することに大きな意味を見出だしたのだ。
それこそがMarshall Recordsを発進させる目的なのだ。

Mr4 MUSIC WEEKを手にして微笑んでいるのはMarshall GALAにも来てくれたMarshallのGrace Pantony。
見出しは「Marshallの掟:アンプ会社はロックのレーベルをブッ放す」

Gp しかし、ここへ来てこんなことになるとはナァ~。
私は大賛成です。
Music Jacket Galleryでガチャガチャやっていることからわかるように、私はズ~っと昔からレコード、あるいは音楽ソフト制作の仕事がしたかった。
しかし、個人的には極度の音楽変態で、ひと様が聴いているような音楽を一切好んで聴かないので、「私なんかが関わったらすぐにレーベルがつぶれちゃうわ」、あるいは「上司とすぐに大ゲンカして辞めちゃうな」…と思い、仕事ととして携わるのはとても不可能だと諦めていた。
まだどうなるかはわからないけど、自分が努めている会社がそれを始めるということであれば、何らかの形で事業に携わりたいナァ。
Marshallならではの音楽の制作に…だ。
実はチョット前にもレコード会社のベテランの方たちとイッパイやって、そんな話になった時、「Marshallでレコード作っちゃえばいいんですよ!」なんてアドバイスを頂いたばかりだったので、またしても大きな偶然で驚いてもいる。

フフフ、Marshall Recordsか…ゴロもバッチリじゃないの!
また楽しみが増えた。
続報はMarshall Blogで!
ちなみに私は冷やし中華を一切食べません。

2016年4月29日 (金)

【号外!】 ペギのスペシャル・ドラム・セミナー

昨年11月に栄光の日本武道館公演を遂行したグッドモーニングアメリカ。
先週末の新木場STUDIO COASTでのツアー最終日も大興奮のうちに終了した。

300_2「ペギ」といえば「NATAL」。
ペギちゃんが操る愛用のブビンガが日本中をドライブさせている。

120今にして思うと、ペギちゃんとの出会いは2013年5月に赤坂BLITZで開催されたイベントの時だった。
その頃はまだNATALが日本に上陸していなかったが、ペギちゃんが色々と興味を持ってくれたのが大層うれしかった。
何せ当然のことながら当時は日本でNATALを使っているドラマーがただの一人もいなかったからね。
そしてその年、2013年の夏のツアーからNATALがグッドモーニングアメリカのステージに上がり、それ以降ずっとペギちゃんはNATALと一緒だ。

80v Marshall Blogへの初登場は7月14日に開催されたMURO Festivalのレポートだった。暑かったんだよな~、この時。
「NATAL」のアルファベット5文字が野外の広い客席に向かっているのを見て、うれし涙を流したのは私だけだろうな…。

400vその後は大学祭でも…

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海辺のフェスティバルでも…

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屋内のフェスティバルでも…
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バンドの地元への凱旋公演でも…

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テレビでも(ペギちゃんのTシャツに注目!)…
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大ライブハウスでも…

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今は無きライブ・ハウスでも…

210v_5 できたてのライブハウスでも…

100v_1 そして、日本武道館でも…

510 ずっとペギちゃんはNATALと一緒なのだ!

360_2 そんなペギちゃんが満を持してドラムのクリニックを開催する!
開催は明日、4月30日、開場15:30、開演16:00。
場所は、秋葉原Player's Club IkeBECK 1階ホール。

詳しくはコチラ⇒イケベ楽器ドラムステーション

楽しみだ~、私も勉強させてもらっちゃおっと!
ペギちゃん、よろしくね!

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グッドモーニングアメリカの詳しい情報はコチラ⇒Official Site

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2016年4月10日 (日)

【号外エッセイ】 CANTAにて~二十歳の原点

昨日はCANTAの春のツアーの初日。赤坂BLITZへお邪魔してきた。
折しもTBSの季節の看板生特番、『ナントカ感謝祭』と重なって赤坂サカスはすごい人だった。
昨日はおもしろかったナァ~。ルークさんが猛烈にキレッキレで、最高のCANTAを見せてくれた。
外で芸能人がアゴを上げて走ろうが何をしようが、昨日のCANTAの演奏には到底かなうまい。
もちろん、後日Marshall Blogでレポートをさせて頂くので乞うご期待。

さて、ファンの方々が持つトレンドというのはバンドごとに異なるのが当たり前で、CANTAの場合、皆さんが私にまで気軽にお声をかけてくれる傾向がある…ということは以前にも触れた。
「Marshall Blog見てますよ!」
「記事が楽しみです!」
「体脂肪率、高すぎませんか?」
「耳毛が長いですね!」
…とかいう類のヤツね。
マ、後のふたつは冗談だけど、声をかけてくれるのはすごくうれしいし、Marshall Blogに関するお褒めの言葉を頂戴すれば、それがとても大きな励みになってヤル気にもつながってくる。
3_img_0011昨日も多くの方にお声をかけて頂いた。
だからCANTAファンは好きだ。
特に皆さん、ありがたくもMarshall GALAにお出かけ頂いていて、「とても楽しかった!」とか「次回も絶対に行きます!」と笑顔でうれしいご感想を添えて頂いた。
この笑顔が最高にたうれしい。
しかも、すでにレポートしているようにルークさんのチームはメチャクチャ盛り上がったからね!

お声をかけて頂いた中で、おひとり、20歳の女性からこんなお話しを頂戴した。
その方はもちろんルークさんのファンだからして、BLITZにもおいでになっているワケだし、キネマにもお越し頂いたワケ。
「Marshall GALAは本当に楽しかった!」という感想に続けて、こうおっしゃったのだ…
「ルークさんはもちろん最高でしたが、あれだけいろんなタイプの音楽が聴けてすごく面白かった」
この時点でかなりうれしいわね。
そして、ルークさんのチーム以外に「とても感動したグループがあった」とおっしゃる。
あれだけギター三昧のコンサートだ。
音楽離れが著しい世代の若い女性がお目当てのバンド以外に一体何に感銘を受けたのだろうと思い、尋ねてみると…

K_marshall_gala_emblem稲葉囃子がものすごくカッコよかったんです!」
…と我が耳を疑うような答えが飛び出してきたのだ。
そりゃ、我々の世代のリスナーにとってはカッコいいにキマっている。
何しろ四人囃子の音楽なんだから!
ところが、「一触即発」も「なすのちゃわんやき」も今から40年も前の音楽、彼女にとっては自分が生まれる20年も前の音楽だ。
しかし、現在のロックを聴く年代の人がそれらの音楽に魅力を感じるということが証明されたのだ。
「そうこなくちゃ!」…こっちが彼女の言葉に感動した。
いい音楽はやっぱり世代を超えるんだ。
そして、Marshall GALAの目的のひとつが達成されたような気がした。
大きなお世話なのは百も承知だが、ロックも歌謡曲も知らない今の若者たちが不憫でならない。
大人は「売上げ至上主義」でヒドイことばかりする。
つまり、いつもMarshall Blogに書いているように、若い人たちはいいモノを知らされていないだけなのだ。
そのお客さんは稲葉囃子から四人囃子を知って、「プログレッシブ・ロック」というキーワードを得るかもしれない。
その分野の音楽に興味を持って、YesやKing Crimsonに感銘を受けるかも知れない。
すると、「ロックはイギリスなのね?」とブリティッシュ・ロック全般に興味が広がるかも知れない。
今、ビートルズといえば名前しか聞いたことがないけど、このことがキッカケで全213曲を聴くことになるかも知れない。
ハード・ロックにも興味が拡大してLed ZeppelinやDeep Purpleだって好きになっちゃうかも知れない。
反対にテレビで流れているようなロックだけだったら、どうなる?
「ありがとう」と「がんばれ」だけで終わっちゃう。ま、彼女にはCANTAが付いているのでその心配はないが…。
かたやビートルズやLed Zeppelin、かたやどこを切っても「ありがとう」か「負けないで」…人生どっちが豊かになるか考えなくてもわかる。
「古いモノがいい」ということでは決してなくて、「いいモノはいい」ということだ。私の持論ではロックのいいものは1975年までですべて出そろってしまっている。
でもね、我々の時代でもBay City Rollersしか聴かない子は他のモノを絶対に聴かなかった。それもわかってんの。
興味を持つ子は貪欲にいろんな音楽を聴くし、そうでない子は与えられた流行りのものだけで大人しくしている。後者が経済を支えていることも十分にわかってる。
ただ、今、色々な意味であまりにも音楽文化が衰退している風潮が見て取れるので、本気で「温故知新」を考えてみたらどうか?と【号外】を利用して提案しているワケ。

A_dsc_7369 彼女にとってはMarshall GALAを起点のひとつとして素敵な音楽人生を送ってもらいたいと思う。
これがホントの『二十歳の原点』…なんちゃって。
お後がよろしいようで…。

20g
若者よ!
ちゃんとお金を出していい音楽を聴こうではないか!
君たちはまだ何も知らされてはいない。何も知らない。
そして、知らなくていいことばかり教えられている。
いい音楽は、かけがえのない人生の宝物になるぞ!


しかし、これからビートルズやLed ZeppelinやYesを知るなんて、うらやましいよな~。

2016年4月 5日 (火)

【号外】 Remembering the Guv'nor!

4月5日はMarshallの創始者、Jim Marshallの命日だ。
あれからもう丸4年…本当に月日が経つのが早い。
ジム、先月のMarshall GALA大盛況でしたよ!
あなたにも観て頂きたかった…。

Jcm 4月5日にはジムに関するMarshall Blogの記事を読み返すことにしている。
どれも拙文でお恥ずかしい限りだが、こういうのを残しておくのはいいことですな。
その時は覚えていても、次第に忘れていってしまうから…。

<Marshall Blog : Jim Marshall関連の記事>

ありがとうジム・マーシャル!<前編>~I Remember Jim!

ありがとうジム・マーシャル!<中編>~I Remember Jim! 2

ありがとうジム・マーシャル!<後編>~I Remember Jim! 3

ジム・マーシャルの生涯を祝う会

【イギリス‐ロック名所めぐり vol.1】 マーシャルの生まれ故郷<前編>

【イギリス‐ロック名所めぐり vol.2】 マーシャルの生まれ故郷<後編>

2016年1月27日 (水)

【号外】 Marshall GALAのチケットはお早めに!

先般より大騒ぎしておりますMarshall GALAですが、いよいよチケットが残りわずかとなりました!
お越しくださる予定にしているけど、まだチケッをお求めでない方はどうぞお急ぎください!

L_yg_img_0292_2 Marshall GALAチケットのお申し込みはコチラ⇒イープラス

Marshall GALAの詳しい情報はコチラ⇒Marshall Blog

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2016年1月11日 (月)

【訃報】ピエール・ブーレーズとデヴィッド・ボウイ逝く

昨年末、Lemmyが急逝してしまい驚いたばかりだが、年明け早々音楽家の訃報が二件飛び込んで来た。
ひとりはフランスの作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)。2016年1月5日死去。享年91歳。
…と言っても、指揮者としてのブーレーズの名前は昔から知っていたものの、作品に親しんでいたというワケではない。
それでもここで取り上げているのは、ブーレーズが『Boulez Conducts Zappa: The Perfect Stranger』というFrank Zappaの作品集を残しているから。
それとて愛聴しているワケではないのだが、やはりジャンルを問わず世界的に名の知られた芸術家を失うのはとても寂しことだし、哀悼の意を表したかった。

下の写真でZappaのCDジャケットの下にあるのは、にフランクフルトで毎年開催される世界最大の楽器の展示会「Frankfurt Musik MESSE」に十年前ぐらいに行った時、ドイツの楽譜出版社のブースにいきなり飛び込んで、「現代音楽の作曲家の写真集があれば売ってください!」とお願いしてみたところ、「こんなのでよければ…」と無料で頂戴した本。
バルトーク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、コダーイ、メシアン、シュトックハウゼン、リゲティ、ワイル等々、興味深い人達がズラリと網羅されていて、ガツンとブーレーズが1ページ割かれている…のはいいんだけど、ドイツ語で読めん。でも私の宝物で大切にしている。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

M_img_0538 そして、とうとう入って来てしまったイヤなニュース。
10日、18か月間に及ぶ癌との闘病生活を経てDavid Bowieが亡くなった。
Marshall的には、直接はほぼ関係ないかも知れないが、全盛期を共にした相棒、Mick RonsonはMarshall MAJORの愛用者だった。

中学生の時に『Ziggy Stardust』を初めて聴いた時は感動したナァ。冒頭の「Five Years」でまずヤラれた。「こんなにいい曲がこの世にあっていいものか?」と思った。
リアル・タイムで聴いた彼のアルバムは『Station to Station』からだったが、次の『Low』でもう聴かなくなっちゃった。スミマセン。
でも、『Station to Station』以前のアルバムはほとんどすべて持っていて、最近もよく「Life on Mars」を聴いていたところだった。
Bowieの生まれ故郷にも行った。
テムズ川の南岸のブリクストンという街である。

M_img_7212「Bowieの生まれた街」ということ以外の大した予備知識なして訪れたのだが、地下鉄の駅から出た瞬間、「アレ、ここはヤバい系?」とピンときた。
何しろ黒人ばかりなのだ。
それでも「ロック名所めぐり」のネタになりそうな所だけ写真を撮って街を離れたのだが、後で調べてみたら案の定、昔このエリアはギャングの巣窟だったそうだ。
The Whoの『さらば青春の光(Quadrophenia)』の冒頭ではこんなシーンが出てくる。
若者が麻薬のやり取りをしているところで、一人が「オイ、このヤク、どこで手に入れたんだよ」と言うと相手が「ブリクストンにキマってんだろ」みたいな場面だ。
Bowieはそんなところで生まれたのだ。

M_img_7230 私が高校の時に来日したが観に行かなかった。その模様がライブ・アルバムにもなった。
ナゼか興味がわかなかった…というのはやはり『Low』以降の作品に全く惹かれず当時いい印象を持っていなかったからだと思う。
同時に、80年代のロックのポップ化をどうしても受け入れることができなかったのだろう。
何度も書いているように、私にとっては、やはり80年代は「ロックの暗黒時代」なのだ。
「Let's Dance」とかナニがいいのがサッパリわからなかったナァ。
私にとってのBowieは「Rock 'n' Roll Suicide」であったし、「Time」であったから。


反対に初来日は観たかったナァ。
1973年の4月。
Bowieは「オロンセイ号」という豪華客船で横浜港にやって来た…ということを知ったのはミュージック・ライフ誌のバック・ナンバーでだった。
極度の飛行機嫌いだったBowieはアメリカ・ツアーに行く時もクイーン・エリザベスを使ったとか…。
時期的には『Ziggy』の翌年の来日で、レパートリーも最高。
山本寛斎がデザインした「出火吐暴威」と書かれた衣装に包まれたステージのBowieの姿はすこぶるカッコよかったらしい。当たり前か。
名古屋、広島、神戸、大阪と回り、東京の会場は渋谷公会堂と新宿厚生年金だった。
すべての公演を終了し、また横浜港からウラジオストクへ渡り、シベリア鉄道で陸路ユーラシアを横断したという。優雅な時代である。

なんだかんだで結局Bowieを追いかけることは全くしなかった。
もしかしたら一番好きになったのは最近なのかもしれない。
頻繁にイギリスに行くようになってからだ。
私の感覚ではイギリスにおけるDavid Bowieの音楽は、日本でのそれより比べものにならないぐらい偉大なもので、イギリス人の生活の中にDavid Bowieの歌があるようなイメージがあるのだ。
今でも地下鉄のコンコースのストリート・ミュージシャンは、最新のヒット曲のように「Space Oddity」を歌うし、街に流れる「Changes」のイントロや、「Diamond Dogs」や「Young Americans」をロンドンで耳にするとメチャクチャ刺激的に響くのだ。
イギリス人にとってはビートルズやストーンズに比肩するホンモノの「"Heroes"」のうちの一人だったのだ。

『Ziggy』のジャケットを撮影した場所には何回も訪れている。
もちろんMarshall Blogでレポートしているので是非ご覧頂きたい。

Marshall Blog:【イギリス‐ロック名所めぐり vol.3】 ピカデリー・サーカス周辺

本当のスター・マンになってしまったDavid Bowie。また、ロックは偉大な財産を失ってしまった。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2016年1月 9日 (土)

【Marshall GALA号外】 チケットの発売について他

Marshall GALAのエンブレムがイギリスから送られて来た~!
安心してください。パクってませんから!
これからしばらくの間、イヤってほどお目にする機会があるかと思いますが、可愛がってやってくださいまし。

Marshall_gala_emblem さて、予てよりお知らせしておりました通り、Marshall GALAのチケットが1月12日より発売となります。

L_img_0327 発売につき、下記の通りご連絡申し上げます。
●イベント名称: Marshall Gala (マーシャル・ガラ)
●開催日 : 2016年3月6日(日)
●会場  : 東京キネマ倶楽部
●開場/開演 : 開場16:15/開演17:00
●入場料 : 前売3,500円 当日4,000円(税込/イス席/全席自由/1ドリンク別)
●発売 : イープラスより。窓口はコチラ

※客席は一階のイス席のみです。会場内イッパイにイスをご用意致しますが、後方の席の場所によっては若干見辛いこともありますこと予めご了承ください。
※入場方法は、発売するチケットに先着順で付された番号に従って入場し、お好きな席に座って頂く方式となります。

Marshall GALAの詳しい情報はコチラ⇒Marshall GALA

以降、Marshall GALAの最新情報はここMarshall Blogで公開してまいりますのでご留意のほどお願い申し上げます。

さて、本公演につきさっそくYOUNG GUITAR誌の公式ウェブサイトでご案内を頂きました。

Ygl2 是非ご覧下さいませ~!
YOUNG GUITAR公式ウェブサイトはコチラ

2015年12月29日 (火)

【訃報】 Lemmy逝く

Lemmyの訃報が報じられた。
24日に誕生日を迎えたばかりだった。死因はガン。享年70歳。

Lemmy逝去のニュースは長年にわたる友人でラジオ&TVのホスト、エディ・トランクという人が報じ、その後それが事実と確認させれると各界から弔辞が寄せられた。
OzzyのTwitterへの投稿…
「今日、レミーという最愛の友を失った。みんなが悲しく、そして寂しがることだろう。彼は戦士であり伝説だった。そっち側でまた君と会おう!」

Motorheadの公式facebookでは…
「これを伝えるのはたやすいことではありませんが…強靭にして神聖な我々の友、レミーが極度の急襲性ガンのため、ごく短い闘病期間を経て今日亡くなりました。彼が病気のことを知ったのは12月26日、自宅でレインボーから持ってきたお気に入りのコンピューター・ゲームの前で家族と一緒に過ごしていた時のことでした。
我々はこのショックと悲しみを表わすことができません。言葉が見つからないのです。
これ以上のことを言うにはまだ少し時間がかかるでしょう。今はムリです。
今はMotorheadを爆音で聴くかありません。」

G_lemmy4_2 Lemmy Kilmisterも真のMarshallプレイヤーだった。
その長年の功績に対し、2008年、MarshallはLemmyのシグネチャー・モデル、1992LEMを発表した。
私の認識に誤りがなければ、Marshallからベース・アンプのシグネチャー・モデルをリリースしたのはLemmyだけだし、もう今後も現れないであろう。
このモデルは、「Murder One」と愛称が授けられていたLemmy愛用の1976年製の1992 Super Bassのクローンで、1959 Super Leadとハイブリッド仕様にされた改造もオリジナルに忠実に再現されていた。
Marshallベース・アンプ最後期の傑作だった。

G_1992lem 実は、私はHawkwindが苦手で、かつMotorhead世代ではないので彼の音楽に大きな思い入れがあるワケでは全くないが、2010年にLoud Parkで観た時は問答無用でカッコよかったナァ。
写真で見るとかなりデカイ印象だったが、ステージそででお会いした時、私と大差なかったのが意外だった。

そして、この『極悪レミー』という映画が封切られた時、配給のレコード会社からのリクエストで映画館に1992LEMをディスプレイした。
関係者向け試写会にお呼ばれで拝見したこの映画、メッチャクチャおもしろかったナァ。
いっぺんにLemmyが好きになった。
G_lemmy3_2 ロック界はまた「スペードのエース」を失ってしまった。
本当にこの先ロックはどうなっていくのだろうか?
このことばかり心配している。

Ian Fraser Kilmister…安らかにお眠りください。

 

2015年10月17日 (土)

【訃報】 TAKAEさんのこと

Marshall Blogを書いていて最もツライこのとのひとつは才能あるミュージシャンを失い、訃報をアップすることだ。
最近は立て続けにベテランのミュージシャンが物故し、日本のロック界の憂う機会が多くなっていたが、今回、若く、美しく、才能あるシンガーが天に召してしまった。
TAKAEITAのTAKAEちゃんである。

7_img_0102 TAKAEちゃんのことはTAKAEITAの前に所属していたバンドの頃に何度かステージを拝見して一方的に知っていて、Marshallを通じて長い付き合いがあるEITAちゃんを通じてお近づきにさせて頂いていた。
そんな関係からMarshall Blogに何度かご登場頂き、その素晴らしい歌いっぷりをレポートしてきた。
個人的には気安く連絡を取り合ったりするような関係ではなく、facebookでお友達になっている程度の間柄であったが、一度どこかの会場で陰陽座さんのコンサートの話しになって、「大スキなんです!!え~、あの時お写真撮られていたんですか~!」とすごくうれしそうに語っていたのを思い出す。
聞けばTAKAEITAのワンマン・ライブが目前に控え、来年には新しいプロジェクトが決定していたという。
また、日本のロック界は将来が楽しみな若い才能を失った。

TAKAEさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。


以下はTAKAEさんが登場するMarshall Blogの記事です。
<2013年3月20日 目黒鹿鳴館>
QUEENS OF NOISE IN TOKYO その1~TAKAEITA

<2013年6月14日 目黒鹿鳴館>
EITA PARK 2013 <前編>

<2014年1月12日 初台Doors>
EITA PARK 2014

<2014年10 月4日 大塚Hear+s>
EITA PARK 2014・秋 ~時空海賊&TAKAEITA!食欲酒欲の秋~