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2013年4月20日 (土)

ありがとうジム・マーシャル!<中編>~I Remember Jim! 2

Shige Blog 2012年4月19日初出

最後にジムが日本に来てくれたのは2003年の楽器フェアのことだった。身体を悪くしてしまったジムはそれ以降来日していない。マーシャルのブースではジムのサインを求めて、連日サイン会の長い長い行列ができた。

何しろJCMシリーズの他、シグネイチャー・シリーズ等、イギリス製の主要モデルにのみ付されるDr. Jim Marshall O.B.E.のサインが直にゲットできるワケだからね。2003年以降、ジムからサインをもらった日本人は極端に少ないと思う。あの時にサインをもらった方は大切にされるといいかもしれない。

ジムは元々シンガーでドラマーでタップ・ダンサーで…レス・ポールようにステージの上に居続けてもいい人だったが、事業が成功したために、結果的に人生の大半を、いわば「裏方」に徹したことになった。

このあたりは日本で最初のマーシャルの本『Marshall Chronicle』をご参照いただきたい。

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しかし、このサイン会については並々ならぬ情熱を注ぎ、最後の最後までひとりでも多くのファンにサインを授けようとした。ジムは自分のサインをもらってよろこぶお客さんの顔を見るのが大好きだった。

この時、お役目で毎晩ジムと会食をすることになった。ジムと当時のパートナー、そしてマーシャル社の担当スティーヴと4人で…。

マァ、久しぶりにお会いすることもあって、はじめのうちはジャズの話しかなんかで盛り上がっちゃって、比較的話題に事欠かなかったのだが、さすがに毎晩となると状況が厳しくなってくる。何しろ相手は大正12年生まれで、私の父よりもはるかに年上だ。

当時、楽器フェアの期間中は毎晩どこもレストランが混んでいて、夕食の予約もできない状態が続いていた。ある晩、イチかバチかレストラン街に繰り出して、大衆的なイタリア料理店に空席を発見した!

ジムはステーキが好物で、その晩も「#$%&ステーキ」を注文した。そして、私は話題がなくなってハラハラしていた。かといって沈黙はもっとマズイ。そこで苦しまぎれにクイズを出すことにした。

「クイズを出してもいいですか?」と訊くとジムは「フォッ、フォッ、フォッ、何だね?やってごらん」なんて興味を示してくれる。クイズはよくあるスタンダードなお国柄問題だ。

「それではひとつ…アメリカの家に住んで、日本人のコックがいて、イギリス人の執事を雇う男が世界で一番幸せな男。では世界で一番不幸な男はどんな男でしょーかッ?」これが問題。よくあるでしょ?こういうヤツ。

するとジムは、「フォッ、フォッ、フォッ、面白いことを訊くじゃないか…答えは何だね?」と存外におもしろがっている!

よしゃいいのにやっちまった…「エヘン!答えはですね…世界一不幸な男は~…日本の家に住んで、アメリカ人の執事を持って、イギリス人のコックを雇う男ですよ!」

ここでドッカ~ン!ダイバクショ~となるはずだった。「フォッ、フォッ、フォッ、確かにイギリスの料理はマズイからね~」…と。

ところが、現実は予想と大きな隔たりを見せてしまったのだ。

笑うどころか、ジムの顔色はにわかに変わり、真剣な顔をして「オイオイ、ヘンなことを言わないでくれたまえ、シゲさんよ。イギリス人のコックのナニが悪いのかね?イギリスには料理自慢のテレビ番組だってあるのを知らんのかね!」…冷汗。雰囲気最悪!「な~に~?やっちまったな~!」なんてギャグはまだなかった。ましてや「シゲちゃん、ワイルドだゼィ~」なんてとても言えなかった。

そして、スティーヴが間に入ってくれて「マァ、マァ」となった。と、そこへジムがオーダーしたステーキが運ばれてきた。「オオ!これで助かる!ウマイものでも食えば機嫌もよくなるさ!」と胸をなでおろしたのもつかの間…「オイ、これはナンだね?」と皿の上の薄切りの肉を指して明らかにムっとしている。そう、ジムが食する「ステーキ」は最低でも厚さが3cm以上なくてはならないのだ!

「これでもステーキのつもりか?フン、史上最大の大惨事(Catastrophe)だな…そうだ、これは『タイタニック・ステーキ』っていうんだろう?フォッ、フォッ、フォッ!」…ガックシ…大量の冷汗。

雰囲気がさらに悪くなると思いきや、どうもこの自分の「タイタニック・ステーキ」の命名が気に入ったらしく、なんと上機嫌に戻ってる!皿の上の肉はたいらげなかったものの、笑いが戻って来た!

この後、ホテルのバーに移動し、18年もののマッカランを飲んで楽しく過ごすことが出来たのでした。翌朝、まだ「史上最大の惨事、タイタニック・ステーキ」って言ってはまだおかしそうに笑っていたっけ!

別の日には中華街へ繰り出した。マッカランの話し。ジムはとにかくこのスコットランドはスペイサイドで蒸留されるスコッチ・ウイスキーの猛烈な愛飲家なのだ。マッカランとハバナ産の葉巻は必須だった。

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さて、席に座る。「お飲み物は?」と当然なる。「マッカラン、いっちょ!」なんて言って簡単に出てくりゃ話しは早い。ここは中華料理店、出てくる道理がない。

…しまった!不覚!どっかの洋酒販売店で買ってくればヨカッタ!気が付かなかった~!オレとしたことがッ!…

すると私の優秀な部下がスックと立ち上がって「私、買ってきます!」と脱兎のごとく店の外へ飛び出して行った。30分も中華街中を走り回ってくれたであろうか?老酒はあってもマッカランなんてどう考えてもあるワケない。

その部下は汗だくで帰って来て…「スミマセンッ!見つかりませんでした!」と今にも責任をとって切腹しそうな勢いだ。ジムはそんな彼を見て「どうもありがとう、いいよいいよ、日本のウイスキーを試してみるよ…」とニコニコやさしく言葉をかけてくれたのであった。

かくして日本のウイスキー(黒くて丸っこいボトルのヤツね)の封は切られたが、私が観測した限りでは、ひとナメ程度したかしないか…。ああ、封開けちゃった…。

以上は以前にも公開した文章だが、生前のジムの片鱗を後世に伝えたいと思い加筆訂正のうえこのブログに再録した。

若かりし頃のジムにつきあった先輩達はビジネスの面で色々なことがあったことは想像に難くない。でも、私がおつきあいさせていただいたジムは、タイタニック・ステーキでハラハラさせられる程度で、本当に好々爺という趣きが強かった。当時のパートナーと楽しそうにじゃれていたのを思い出す。本当に楽しかった!

写真を入れたいのはヤマヤマだったのだが、案外残っておらず臍を噛む思いをした。その時は面倒だと思っても写真はこマメに撮っておくに限る。

<後編>は貴重な写真をちりばめてお送りする<海外編>です。