【訃報】 原マサシさんのこと
昨日、ある書類の英訳作業に没頭しているとfacebookでメッセージが届いた。
メッセージの送り主は『Rock'n'Roll Research~Marshall編』や『Marshall Mania』というイベントを企画をして頂いたメリケン・バンドのシンガー、コヤマタケシ。
そのコヤマさんのメッセージを見て腰を抜かした。
ギタリストの原マサシが2日前に肺炎で亡くなった…というのだ。
にわかには信じることができなかった。
私がマサシさんに初めてお会いしたのは名古屋でのことだった。
伏見のライブハウス、HeartLand STUDIOで2006年の4月に上述の『Marshall Mania』の第1回目が開催された時のことだ。
「ウッシー、ちょっと…」と、大谷令文に促されて楽屋について行くと、そこにいたのがマサシさんで、「ロンドン在住の」という風に令文さんがマサシさんを紹介してくれた。
マサシさんはものすごく無口で、すぐには仲良くなれそうにない独特な雰囲気が漂っていた。ともすれば「恐い」感じ。
お会いするなり「僕は『ミスター・トーン』を目指しているんです。『演奏』よりも『音』で勝負したいんです」みたいなことを言っていた。
続けて「Marshallはトロロのブルースブレイカーが好きなんです」と付け加えた。
「トロロのブルースブレイカー」とは、2代目1962の初期に使われていた、なるほど、トロロ昆布のようなルックスを装着したしたモデルのこと。
このイベントは昼間、マニアさんたちが持ち寄った自慢のMarshallが展示され、令文さんとマサシさんのMarshallを使ってのギター・クリニックも開催された。
令文さんがFleetwood Macのフレーズを紹介したりする、まさしく「マニア」のためのゴキゲンなクリニックだった。
以前にも書いたことがあるが、一番感動したのは令文さんが「それじゃ、アイルランドの民謡でも演りましょうか?」とつぶやいて、Thin Lizzyの「Roisin Dubh(Black Rose)」の後半のインスト・パートを2人で弾いた時だった。
バッキング・トラックもナニもない完全にギター2本による演奏だったが、ホントにスゴいパフォーマンスだった。
ナニせ人間が生で弾くのを見たのはコレが初めてんだから感動もするわな。
もちろん、最後のスコット・ゴーハムが「こんなの弾けん!」とすべてゲイリー・ムーア(イギリスでは「ギィヤリー・モーア」)が弾いたという最後のパートも完璧に再現した。
ちなみにこのパートは、アルバムにクレジットされていないが、「Rakish Paddy」というアイルランドのトラディショナルだ。
もし、この曲のオリジナルの雰囲気が知りたければ、Fairport Conventionの『Liege & Lief』というアルバムで聴くことができる。
そういえば、マサシさん、Rory Garagherが大好きで、お墓参りしたって言ってたナァ。
2人の完璧な演奏もさることながら、マサシさんのサウンドは「ミスター・トーン」の名に恥じない、素晴らしいモノだった。
後に置いてあるのはフル・フェイス・バージョンの1958かな?だとすると1969年あたりの製造か?
そして、夜はMarshallにちなんだギタリストが大集合しての豪華なロック・ショウになった。
超満員だったね~。
向かって左はトーベンさん。
真ん中はマサシさん。
右は令文さんだ。
コッチは左からマサシさん、イチローちゃん、令文さん、右端は中野のシゲさんだ。
こんなメンツが集まるものだから、ソロを弾き始めたら止まるワケがなく、ものすごく時間が押したんだよね。
で、シゲさんのところは出番が最後の方で、自分の出番を大幅に削って時間の調整をしたハズ。
立派な態度だと思ったのを覚えている。
プログラムが全部終わって、持参した機材を車に積み込んでホテルに帰る頃には夜中の1時を回っていた。
夜の部でもマサシさんは抜群のパフォーマンスを披露した。
MarshallのTシャツを着てくれていたんだね~。
それから3か月後。
楽器店の方々をMarshallの工場にご招待するツアーがあって、マサシさんがロンドンのパットニー(テムズ川の南岸。ウィンブルドンの近く)にお住まいということを思い出してお誘いしてみた。
当時はLINEだのSkypeなんてモノがなかったので国際電話でのやり取りだった。
お誘いすると、すごく喜んでくれて、ヒースロー空港で落ち合うことにした。
ヒースローでの悪名高い長時間の通関を済ませてゲートの外に出ると、ギターを持ったマサシさんがすぐに目に入った。
「私がバッキング・トラックを用意するので、工場でデモ演奏をして欲しい」とお願いしてギターをご持参頂いたのだ。
空港から工場に向かう車中でそのバッキング・トラックを聴いて2曲ほど選んで頂いた。
そのバッキング・トラックとはコレ。
Wilkinsonブリッジの社長から頂いたGeoff Whitehorn(現Procol Harumのギタリスト)のマイナス・ワンのCD。
マサシさんが選んだのはチョットした変形ブルースで車の中でコードをメモしていた。
そして、工場内のシアターで演奏。
バッキング・トラックに合わせた演奏はやはり素晴らしく、文字通り鬼気迫るモノだった。
マサシさんも興が乗って来て身体をウネりながら「Rock me baby」なんかを弾いてくれた。
同行した楽器店の皆さんも「コレがさっきまでの原さんと同一人物か?!」とそのエキサイティングぶりに度肝を抜かれたようだった。
この時、工場で我々の面倒をみてくれたのが、もうMarshallを離れてしまったが、以前にもMarshall Blogに登場しているSteve Dawsonだった。
Steveは自作の歪み系ペダルを取り出して、それをマサシさんが試す場面もあった。
マサシさんはそのペダルをスッカリ気に入ってしまい、冗談でこっそりとギターケースのポケットに入れようすると、それを見つけたSteveが「チョチョチョチョ!」と慌てていたのが面白かった。
昨晩Steveに連絡して今回の不幸を知らせたところ、この時のことをよく覚えていて、大変残念がり深い追悼の意(condolence)を表してくれた。
工場見学が終わり、会食までの間ホテルで休憩していると、誰かが私の部屋のドアをノックした。
ノックの主はマサシさんだった。
ドアを遠慮がちに半分ほど開けて、「今回は本当にお世話になってしまって…。コレを受け取ってください」と私に差し出してくれたのが、マサシさんのバンド、Georgie Pieの『La Vida』という2枚組のCDだった。
旅の間、マサシさんの話を聞いていると、彼の実家が長野の善光寺の近くの神社だということを知った。
私も長野に7年半住んでいたこともあって、その周辺の「うまいソバ屋」の話なんかで(ソバだけに)盛り上がったな。
ウチの上の子と小学校が同じだったのかな?
将来は神主になって、家を継がなければならない…ということも言っていたように記憶している。
夜になって楽器屋さんの方々と近くのパブ「The Cock」で会食と相成った。
この頃はまだジムもとても元気で、当時のパートナーやSteveも混ざってワイワイ楽しい時間を過ごした。
高校時代をニュージーランドで過ごし、英語が堪能だったマサシさんはSteveの隣に座り意気投合したようだった。
この次の日、みんなでバーミンガムの楽器店の見学に出かけた。
その後、マサシさんは「ギグがあるから」とみんなに別れを告げて先にロンドンに帰って行った。
それからというもの、令文さんやその周辺の方々からマサシさんの動向を時折耳にしていたが、丸っきりの没交渉だった。
そして、再会を果たしたのは2013年の8月、高円寺のショウボートでのことだった。
令文さん、オガンちゃん、ロジャーさんによるトリオ、Trio the Collagensにゲスト出演したのだ。
髪の毛が短くなり、雰囲気は変わったが演奏は相変わらずだった。
「Little Wing」と…
例の「Black Rose」を演奏。
その凄まじい演奏と、名古屋や工場のツアーの思い出でナミダが出てしまってね~。
こうなると案外つながるもので、次にマサシさんとご一緒させて頂いたのは同じ年の暮のことだった。この時はマサシさんが自分のトリオを率いてTrio the Collagensとのダブル・ヘッドライナーで登場した。
この時もスゴい演奏だった。
しかし、結果的にマサシさんの演奏に接したのはコレが最後になってしまった。
またこうして本当に素晴らしいトーンとフレーズでギターという楽器の魅力を伝える「音楽の権化」が姿を消してしまった。
この損失は大きい。
ひとり多くの若いギタリストたちや改造&機材マニアにマサシさんを観てもらいたかったナァ。
こうして考えてみると、マサシさんには数回しかお会いしていないことになる。
でも、とても気になる存在だった。
やはり自らを「ミスター・トーン」と呼んだあの感動的なギターサウンドがそうさせるのであろう。
ブレッチリ―のホテルで頂いたこのCDはマサシさんの形見としてズッと大切に保管しておくことにする。
偉大なる音楽家の逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます