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2013年2月22日 (金)

【イギリス‐ロック名所めぐり vol.3】 ピカデリー・サーカス周辺

昨年のイギリスはエリザベス女王の在位60周年を祝う「Diamond Junilee」やロンドン・オリンピック、マーシャル創業50周年記念(コレは我々だけか…)等ビッグな行事が目白押しだった。

私はちょうど「Diamond Junilee」のさなかにイギリスにいて、ヒドイ目にもいい目にもあったことはシゲ・ブログでレポートした通り。

で、そうした行事にからんで日本のテレビでもやたらと露出の多かったロンドン。そして、「ロンドン」というと決まって画面に映し出されるのがここピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)だ。

「Coca Cola」のネオンサインに交じって「SANYO」や「TDK」等の日本企業のロゴがデカデカと喧伝されている光景はおなじみだろう。最近は韓国の企業のネオンサインが富に増え、世界の経済勢力図が激しく変化したことを痛感する。(下の写真は数年前のもの。1988年から居座り続けたSANYOロゴは2011年に韓国Hyundai Motorsにとって代られた)

この「Coca Cola」の場所に2002年、「Imagine all the people living life in peace」というサインが掲げられた。これは今年80歳のなられたヨーコ・オノのアイデアによるもので、3,500万円(当時)の費用が投じられたらしい。

さて、このピカデリー、現地の人は「ピキャディリ」と発音するのだが、「ピ」と「ディ」に強くアクセントを置く。「山谷山谷」とアップダウンの激しい単語で初めて聞いた時には思わず吹き出してしまったことを覚えている。

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ピカデリー・サーカスのシンボル、「エロスの像」…と言われているがこの像は正しくはアフロディーテ(ヴァンゲリスが在籍したギリシャのアフロディテス・チャイルドのアルバム『666』は名盤)の子供、エロスさんの弟のアンテロースなんだそうだ。アンテロースは「返愛の神」で相互愛や同士愛の象徴だって。

ま、何しろ観光客が一日中群がってパチパチ写真を撮ってにぎわっている。

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ピカデリー・サーカスはロンドンいちの繁華街ウエスト・エンド(West End of London)のパブリック・スペースで、いくつもの大きな通りが結集するジャンクションでもある。ウエスト・エンドのオフィス賃貸料は世界で2番目に高いそうだ。1番は我々のところ?それともニューヨークかな?

「サーカス(circus)」というのはラテン語で「円(circle)」という意味。それでは「ピカデリー」というケッタイな名前の由来は?

17世紀に仕立て屋のロバート・ベイカーというおじちゃんが「ピカディルス(Piccadills)」とか「ピカディリス(Piccadillies)」というバラエティに富んだ襟の付いた服で一山当て、その儲けたお金でこのあたりに「Pickadel Hall」やら「Pickadilly Hall」という劇場を造った。それがそのままこのエリアの地名として残ったのだ…って。

エロスからリージェント通りとピカデリー通りを望む。はじめてここに来た時はタワー・レコードもヴァージンもあったけど、もう跡形もない

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この二股の向かって左の通りがシャフツベリー・アヴェニュー(Shaftesbury Avenue)。多くの劇場が密集しているエリアだ。この辺りは東京でいえば渋谷の駅前のようで、何しろ交通量が多い。以前大型の観光バス2台で、マーシャルの社員全員でこのあたりに繰り出したことがあったが、道端にバスを止めた途端、運転手が気が狂ったように「早く降りろ!早く降りろ!」と絶叫していたっけ。ちょっと停車しているだけでトンデモないことになってしまうのだ。

昔は「○○ピカデリー」という映画館があった。たとえば「丸の内ピカデリー」。今の有楽町のマリオンの場所にあった日劇の裏の松竹系の大型封切館で「エクソシスト」から「ET」までずいぶん通った。ちなみにその向かいは朝日新聞の本社で、あんな場所に印刷所があって、日劇の裏はいつもインクのにおいがプンプンしていた。私は新しい本の匂いが好きで、クンクン嗅いで回ったワケではないが、映画館もあり、カントリー・ラーメンもあり、好きなエリアだった。

この映画館「ピカデリー」の名前はこの劇場街の集まるロンドンのピカデリーから名づけられたのだろう。で、ちょっと調べてみると、この「丸の内ピカデリー」の「ピカデリー」は戦後、進駐軍が「ピカデリー劇場」と命名したことの名残なのだそうだ。

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現在でも続く「Les Miserables」の公演。10年以上前はチャリング・クロスのパレス劇場でかかっていたが、さすがに人気も衰え、それよりも小ぶりなQueens Theatreで上演されている。

私は17~18年近く前にこれをブロードウエイで観た。ビクトル・ユーゴーなんて子供のころに読んでいるワケもなく、ジャン・バルジャンの名前と「民衆の歌 - Do You Hear the People Sing?」以外、何の予備知識も持たず観たのね。当時こっちゃ英語なんかまったくわかりゃせんから(今も?)、曲だけを聞いて楽しむつもりだったワケだが、何しろまわりの女性が観ながらやたらとシクシク泣いていて、ヤケに湿っぽい印象が強い。他方、何しろ曲が素晴らしくて、その足でCDを買いに行った。

開演前に横に座っていた小さい子供たちがテナルディエの「The Master of the House」を合唱していたには驚いたな。やっぱり日本とはケタ違いに子供のころから聴く音楽の幅が広いと思った。

このミュージカル、作曲はクロード・ミッシェル・シェーンベルクといって、この人のおじいちゃんのお兄さんにあたる人が「浄められた夜」でおなじみのアルノルト・シェーンベルクだ。

映画が盛り上がってるからミュージカルもリバイバル・ヒットするかもね。

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さて、このピカデリー・サーカスから歩いて2~3分ほどのところにある通りがこれ、「サヴィル・ロウ」。サヴィル・ロウ→サヴィロウ→セヴィロウ→背広になったのは有名な話。要するに我々がスーツを指すときに使う言葉「背広」の語源となった通りの名前だ。

このSavileというのは第三バーリントン伯爵の奥さん、ドロシー・サヴィルにちなんで名づけられた。

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(下の写真の通りはSavile Rowの突き当りの建物で、違う通りに立っているのだが、あまりにも立派な出で立ちなので撮影した)この通りは、昔は服の仕立て屋さんがずらりと並んでいた。外から見た限りではそう多くのテイラーが存在しているようには見えないが、「ギーヴス&ホウクス(Gieves & Hawkes)」という超老舗が残っている。

昔はオーダー・メイドの服しか扱っていなかったが、時代も変わり、現在は既製品も多く販売している。しかし、こうした服屋の真骨頂は何といっても採寸からすべて手作りで仕立ててもらう「ビスポーク(Bespoke)」と呼ばれる完全オーダーメイドなのだ…なんてエラそうに言っていると、「おまえ、ビスポークで作ったことあんのかよ?!」なんて叱られそうだが、私はマーシャルのシャツとストレッチのGパンで満足です。だって、こんなところでスーツなんか仕立てたら40万円ぐらいになるでしょ。っていうので、実際には半オーダーメイドのものに人気が集まっているそう。

この「ビスポーク」という言葉は「Be」と「Spoke」からなる造語で、「話しかけられる」という意味。つまり、スーツを作るときに「あーでもない」、「こーでもない」とジャンジャン注文を聞く職業…というわけね。イギリスの英語はおもしろい。

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これはSavile Row。この通りにスゴイものがある。

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それがコレ。ビートルズのAppleの元本社社屋だ。

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ここの屋上で1969年1月30日、有名な「Roof Top Concert」が開かれ、「Get Back」、「Don't Let me Down」、「I've Got a Feeling」、「One After 909」、「Dig a Pony」などが演奏され、一部がアルバム『Let It Be』に収録され、ほかの一部も『Anthology 3』に収められている。

この企画はそもそもバンドを元の状態に戻そうとして「原点回帰」、つまりライブ演奏をするというポールの提案から始まったらしいが、その演奏場所の候補として、Chalk Farmにある有名なRoundhouse(そのうちこのコーナーに出てきます)の名が挙がっていたらしい。それ見たかったナァ。

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映画『Let It Be』では、ジョージ・ハリソンが車から降りてファンの目を避けるようにして急ぎ足で降りていく階段。地階にはレコーディング・スタジオがあった。

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この写真はごく最近撮ったものだが、入口を工事していた。

演奏が行われたのは極寒の1月。気温は2℃だったという。映画の中では「ただでビートルズの演奏が聴けて得した!」なんていうおじさんもいたけど、確かにこんな街中でバンドの演奏されたら周りはビックリするわね。

コンサートは警官が割り込んできてコンサートを中止させて終了となるが、この警官の乱入も予め決められていた演出だった…という説もあるようだ。ジョンの有名な「I hope we passed the audituon」なんてギャグも決められていたのかね?

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そして、ピカデリー・サーカスからウェストミンスターに向かってリージェント・ストリートを下ると(写真では奥がピカデリー・サーカス)…

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この建物に出くわす。これは元BBC Paris StudioまたはParis Theatreがあった建物。

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ビートルズの『Live at the BBC』のスリーヴの4人の後ろに見える建物がそれだ。

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4人はここを歩いたワケね。

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この劇場は元来は映画館であったが、BBCがRadio 2 やRadio 4用のコメディ番組の収録のために劇場に改造した。同時に数えきれないほどの名バンドもこのステージに立ち、BBC Radio 1の看板DJ、ジョン・ピールの番組でそのすさまじい演奏がオンエアされ、また、少なからずの音源がStrange Fruitという自身のレーベルから『Peel Session』としてCDになった。ツェッペリンの『BBC Session』の音源もここで収録されている。

キャパは400にも満たず、ステージの高さも30cmほどしかなかったために、出演者と観客の距離感が非常に短く、それも功を奏し多くの名演を生んだ。そして、このParis Theatreは1995年まで使用され、Peel Sessionはジョン・ピールが亡くなる2004年まで続いた。

The Beatles、 Pink Floyd、Jeff Beck、King Crimson、Genesis、Slade、Deep Purple、Queen、Fleetwood Mac、Status Quo、Hawkwind、AC/DC等、挙げだしたらまったくキリがないが、イギリスの新進気鋭(当時)のバンドを中心に世界中の優れたアーティストが出演した。

ここで今日触れておきたいのはSoft Machice。このカンタベリーの雄も『The Peel Sessions』名義のライブアルバムを発表している。このライブ・アルバムには参加していないが、ロバート・ワイアットらとバンドを結成したケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers)が18日に亡くなった。私は特にケヴィンのファンではないが、案外アルバムは揃っている…というのはケヴィンのお抱えのギタリスト、ピーター”オリー”ハルソール(Peter "Ollie" Halsall)が大好きだからだ。ピーターも大分前に鬼籍に入ってしまった。こうなると、九段会館のコンサートは是が非でも行くべきだった…。この場をお借りして哀悼の意を表します。

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ピカデリー・サーカスからチャリング・クロス・ロード(Charing Cross Road)に出てテムズ川方面に下るとトラファルガー広場(Trafalgar Square)に出る。サッカー・ファンの方は、ワールドカップのパブリック・ヴューイングの会場としておなじみであろう。

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広場に面しているのはナショナル・ギャラリー(National Gallery)。やモネやルノアール、ドガ、セザンヌ等の印象派のから、ゴッホ(ちなみにゴッホの英語発音は「ゴッ」で「ホ」は発音しない)やゴーギャン、スーラ等の新印象派の見ごたえのある作品がズラリと並ぶ。宗教画も豊富にてロハ。

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この広場は1805年のトラファルガー海戦の勝利を記念して造られた。広場の中央にあるモニュメントの先っチョに乗っかっているのはこの海戦を勝利に導いたホレイショ・ネルソン提督だ。ナポレオン率いるフランス軍をやっつけちゃったのね。

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ロック・ファンで「提督(admiral)」といえばSir. Paul McCartney MBEの「Uncle Albert/Admiral Halsey」と相場が決まってら。ホンマかッ?! 

で、ナショナル・ギャラリーの隣りにはナショナル・ポートレイト・ギャラリー(National Portrait Gallery)という肖像画だけを展示している美術館がある。

ここにはポール・マッカートニーのポートレイトが飾ってある。ロック大国のイギリスだけにミュージシャンの肖像画がたくさんあるかと思うと期待外れで、ポールのほかにはBlurのポップアートのポートレイトがあるだけ。チョットここは強引ですな。

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さて、また場所を変えて… ピカデリー・サーカスを背にリージェント通り(Regent Street) を西にちょっと行ったところ。

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リージェント通り沿いの表のビルをくぐるとこんなところに出る。ここはロック・ファンならだれでも見たことのある場所のハズなんだが、言われなければまずここがどこかはわかるまい。

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David Bowieの『Zigy Stardust』のジャケットを撮影した場所なのだ。

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こっちの方がわかりやすいかな?こちらは最近撮影したもの。

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裏ジャケは電話ボックスのボウイ。

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その電話ボックスもまだある。

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こちらは最近撮った写真。残念ながら電話ボックスが見えなくなってる。

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この通りは今は高級そうなイタリア料理のレストランが何軒か並んでいる。

ここで世紀の名盤のジャケットが撮影されたことなど誰も知らずに今日もたくさんの人たちがスパゲッティをすすっている。

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つづく

(一部敬称略)