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2020年3月28日 (土)

【Marshall Blog Archive】三宅庸介インタビュー <前編>

 
「はじめに」の前に

以前に書いたことがあるかも知れないけど、ある本のインタビューで映画評論家の淀川長治さんがおっしゃっていたことを読んで少しばかりショックを受けたことがあった。
天文学的な数の映画を観て、評論し続けた淀川さんの偉業を褒めたえたインタビュアーのこう答えた。
「ハイ、私は確かにたくさんのたくさんの映画観ましたね。いい映画、感心しない映画ありました。
でもね、私エラクもなんともないの。
私ね、映画はたくさん観た観た観た…でも1本も映画を作っていないんですよ。
ということは、私が死んでも何も残らないんですよ。
映画観て、しゃべっただけだから。
コワいですね~」
だいたいこんな感じ。
謙遜なんかではなくて、私はこの言葉に淀川さんの後悔と、自分だけのモノを作り上げた人たちへの嫉妬と尊敬の念を感じ取った。
でもね、こんな本を読むと、そのバツグンな記憶力と今観て来て説明しているかのような語り口はひとつの立派なスタイルであり、頭がいくつもあるサメの映画を1本撮るよりよっぽどスゴイと思うけどね。
そうした作業を生涯にわたって何万本分かやったワケだから十分に尊敬に値する。

11_3es1そこへいくと、膨大な資金と時間を音楽やギターに投じたところで、たったひとつのオリジナル曲も作れなかった私…。
ヘタな写真を撮ってツマらん文章を書く、Marshall Blogが関の山だ。
それこそブログ屋との契約が切れればナニも残りゃしない。
レベルは極端にちがうにせよ、淀川さんの気持ちがよくわかるような気がするのだ。
私の立派なところは、「作る才能」がないのを自分で見て取って、ギタリストになる夢を早いウチにサッと捨て去ったところか。
ま、当時はそういう世の中だっただけなんだけどね。ロクに食えもしないのに30歳を過ぎてバンドなんかに夢中になっているなんてことは「普通の状態」とみなされなかった。
その代わりロック界はオリジナリティでしのぎを削り合う魅力的なバンドばかりで、コピーバンドはライブハウスに出してもらえないという音楽に厳しい時代だった。
 
とにかく、「何もないところから自分だけのナニかを作り出す」ということは本当に大変なことだと思う…「自分だけのスタイルを確立する」と言い換えてもいいだろう。
最近このことをすごく思うようになった。
そんな時に思い出す音楽のひとつが三宅庸介が取り組んでいることだ。
音楽に対してあまりにストイックなその姿勢は尊敬に値するどころか、「自分が好きなコトしかしない」ワガママの域に達していると言えなくもないような気もするが、芸術家はそれでよし。
それこそが「アーティスト」。「ミュージシャン」とは一線を画する存在なのだ。
そもそも人の言うことを聞いていたら「自分の世界」を作ることは到底できないからね。
そうして作り出されたオリジナルの創造物は作り手がこの世からいなくなっても生き永らえることができる。
コピーからは何も生まれないし、何も残らない。
 
で、他の調べごとをするために前のMarshall Blog(2008年4月~2011年12月)をチェックしていたら、三宅さんのインタビューが出て来てつい読み込んでしまった。
コレがすごくオモシロい。
インタビューは2011年のもの。
今となってはご覧になったことのない方も多いと思ったので、大幅に加筆訂正し、三宅さんのご協力のもと、秘蔵写真を交えて新しい読み物に作り替えてみた。
お楽しみ頂き、三宅さんの音楽をご存知ない方が興味を持ってくれれば幸いである。
次からのインタビューが当時の記事です。

Mblogo 

はじめに
Marshall Blogに多数回ご登場頂いている三宅庸介氏。
その独特のスタイルと魅力的なギター・サウンドで自己のユニット、Strange, Beautiful and Loudを率いて自らの音楽を奏でる姿は現在の音楽シーンでもズバ抜けて光り輝く存在であることは誰もが認めるところであろう。
今回は満を持して三宅庸介氏に『マーシャル・トーク』に登場して頂いた。
個人的な趣向もあって、インタビューの話題はMarshallの話よりも、三宅さんの音楽的な部分に触れることがつい多くなってしまった。
でも、いくら説明してもらっても、何を聞き出しても、あの三宅さんのギターのトーンを真似することは不可能であろうからこれでヨカッタと思っている。
また、ギターを弾いて、自分の音楽づくりに勤しんでいらっしゃる方々にとっては、かえって三宅さんの音楽的なバックグラウンドや音楽に対する姿勢を語って頂いた方が有効だとも思ったのだ。
稀代のスタイリストのトークを是非ご堪能あれ。

 
Marshallとの出会い

Marshall(以下「M」):Marshallを意識し出したのはいつ頃、どんな感じでした?
三宅(以下「Y」):記憶にあるのは、最初に買ったミュージックライフ誌にジェフ・ベックの

00a_2『There and Back』ツアーの来日公演のレポートが出ていたんです。
(ハンブル・パイの)マリオットから安い値段で買ったか、もらったかした54年か55年のストラトを弾 いていて、メンバーはサイモン・フィリップス、モ・フォスターとトニー・ハイマスでした。
その時の写真がすごくカッコよくて…昔ってよく透明の下敷きにアイドルの写真なんかを入れたりしましたでしょ?
M:ハイハイ。私の世代は天地真理ちゃんでした。私はそんなことは一切しませんでしたけど。
Y:ハハハ。ボクはそこにそのジェフ・ベックの写真を入れていたんです。
そのジェフの後ろに「Marshall」の文字が写っていたんだと思います。
ハッキリこの時に意識をし出した…というのではありませんが、そんなことでマーシャルというものを気にし出したんだと思います。
後はマイケル・シェンカーが好きだったし、リッチーですよね。

 
三宅庸介とマーク・ノップラー

M:では、好きなギタリストというと…。
Y:最初はマーク・ノップラー。
M:エエッ?!

00b_2Y:ホントです…というのはラジオでよくかかっていたんですね。「サルタン」とか。
リアルタイムに聴いたのは3枚目の『Making Movies』ですね。
それとポリスなんかが好きでズ~っと聴いていました。
M:あのファースト・アルバムがでたのは私の世代ですね。
私もアルバムは買いましたが、あのヤル気のなさそうな歌が苦手ですぐに手放しちゃいました。
しかし、三宅さんがノップラーなんてメチャクチャ意外です…ナンプラーならわかるんですけど。
Y:そんな!
でも、ギターとして最初に意識して聴いていたのはダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーなんです。
M:ギターが好きで?それとも曲?
Y:曲も好きだったし、ギターのトーンが好きでしたね。
M:でも私みたいに歌は受け付けなかったんじゃないんですか?
Y:イヤイヤ、歌も好きでしたよ。
ポリスも好きで、一番最初に観に行ったコンサートがポリスでしたから…。81年ぐらいかな?
ボクは最初ベーシストになりたかったんですよ。
M:スティングにあこがれて?
Y:そう。いまだに一番のアイドルはスティングなんです。
M:音楽家としてでしょ?
Y:そうです。存在とか…。
例えば自分でアルバムを作る時にスティングを連れてくるのは到底無理なので、反対に彼のアルバムでちょっとでもギターが弾けたらいいナァと思いますね。
M:んん~、ポリスか…。やっぱり私とは世代が少し違いますよね。私なんかはポリスより先に「頭脳警察」でしたから。

ブリティッシュ・ロック
Y:ボクはアメリカ系の音が全然ダメで、その後も聴いたものといえばシン・リジーであったりジューダス・プリーストであったり…ブリティッシュ・ハードばっかりでした。

00d_2ヴァン・ヘイレンすらピンと来なかった。
M:私はヴァン・ヘイレンが出てきた時のことをよく覚えていて、初来日公演も行きました。
あの頃ってツェッペリンも、パープルも、ピンク・フロイドも、もう活動していなくて、ブリティッシュ・ライオンズとかストラップスとかエアロスミスの弟分のスターズとかイギリスのミスター・ビッグとか(実は大好き)…ハードロック系のバンドといえば、せいぜいそんなのしかいなかった。
その時代に出て来たギター・ヒーローもいなかった。
そこへあんなに弾ける人が出てきちゃったからギター・キッズたちの間では上へ下への大騒ぎだったんです。
「あの右手でやるヤツ」なんて言ってね。
「ライトハンド」だとか「タッピング」なんて言葉はなかった。
Y:なるほど。
やっぱりマーシャルはそういう「ギター・ヒーローが使っている」という視覚的なインパクトが強かったんです。
Nhp_2それと、UFOの『No Heavy Petting』サウンドにかなり印象深いモノがありましたね。
やっぱりマイケル・シェンカー好きでしたから。
M:簡単に『Force It』とおっしゃらないところがいい!
私も『No Heavy Petting』が好きだった。
Y:やっぱり?
M:またジャケットがヨカッタ!この頃のヒプノシスのセンスって最高ですよね。
Y:同感です!

ストラトキャスター
M:ところで三宅さんは担当楽器のところにいつも「ストラトキャスター」と記されていますよね。

00eいわば職業がストラト…。
役所の書類の職業欄にもそうお書きだとか…そんなことはないか。 
ストラトキャスターと言えば、シェンカーは違うにしても、それはやっぱりジェフ・ベックとかマーク・ノップラーとかの影響が強いんですかね?それともジミヘン?
Y:ストラトは…(間)…ストラトは…ウリかナァ。
M:なるほど!
Y:マイケル・シェンカーのUFOとか、シン・リジーとか、ブリティッシュ・ハードロック…もっと広く言えばブリティッシュ・ロックにハマって、プログレッシブ・ロックに傾いたり…でも「ギター」中心の音楽ということになると、その頃からズーっとウルリッヒ・ロートですよね。
M:ウリがその時代の日本人ギタリストに与えた影響には計り知れないものがありますね。
令文さん、中間さん、ノンちゃん(島紀史)、ルークさん、Syuちゃん…みんなウリが大好き。
Y:『Tokyo Tapes』はレコードもCDも何回買ったかわからないし、ジャケットも部屋に飾っていました。

Ttそれも複数枚買って表と見開きの内側の両方を飾ったりしていました。それぐらい好きでした。
M:そんなに!
三宅さんにもそんな時代があったのか…。
私もずいぶん聴きました。「All Night Long」が載っているバンド・スコアも買った。
でも、このコンサートは行かなかった。2回目の来日公演は言ったんですけど。
私のロック人生で最も大きな後悔のひとつです。
 

大谷令文
Y:ストラトっていうと、高校2年ぐらい、そこそこギターが弾けるようになった時に見たんですよ…令文さんを京都で。
それより以前に先輩が録音してきたテープなんかで聴いてはいたんです。
「これは外国人だ」って思いましたね。
こんなギターを弾く人がいることに驚きました。
「こりゃ観に行かないといけない!」って京都の磔磔に行ったんです。
最前列でね…もう令文さんの足が目の前にある。
当然真ん前はMarshallですよ。もうギターの音しか聴こえない!
それもボクが聴いてきた大好きなブリティッシュ・ロックのすごいギタリスト達が出している音と同じだったんです。
令文さんが23~24歳の頃なのかな?
日本人でコレをやる人がいるんだったら、自分も本気でやってみようかな?って思いました。
それぐらい令文さんにはインパクトを受けましたね。
ホント、あの時の令文さんを見ていなかったらギタリストにはならなかったかも知れない。
M:へェ~。マリノの頃?
Y:マリノのデビューの直前ですかね。
 
<庸介写真館1>
憧れの令文さんとの共演。1988年の大阪バーボンハウス。
ギタリストを集めたイベントでこの時のベースは現Kruberablinka鎌田さん、ドラムスは板倉淳さん。
三宅さんのリクエストで「Raven Eyes」をご一緒して頂いた
写真の右端に3段積んであるMarshallの真ん中のステッカーが貼ってあるのが三宅さんの1973年製のハンドワイアード仕様の1959(後出)。

3_tr_raven_880331
  
ギターを始める
M:ところでギターを始めたのは?
Y:14~15歳ぐらいかな?
でもあんまり弾いていなかったんです。
本当にあの1983年11月13日の令文さんのライブがなかったらこうはならなかった。

00c_2M:では、はじめてのアンプといえば?
Y:最初にギターを買った時に小さな30Wぐらいの国産のコンボもいっしょに買って改造とかしたんですよ。
M:本当にお好きなんですねェ!
Y:ええ。
父がそういう関係だったもので電気に強かったんです。
で、最初にギターとイタリア製のJenのワウワウ・ペダルとその小さいアンプを買ったんです。
歪みペダルを使わないであの憧れの音を出そうとしていました。
M:ギターをはじめた頃って「あの音を出そう」なんて思ったりしませんよ!
「音」に対する意識なんか普通ありませんよ。
Y:ボクの場合はそうでしたね。
M:サスガだナァ。

 
はじめてのMarshall

M:で、はじめてのMarshallはいつ頃どうやって、何を入手しましたか?
Y:19歳の時にバンドもやってなかったので、このままじゃいけないと思い「Marshallを買おう」と決心したんです。
Marshallを買えばバンドをやれると思ったんです。
とりあえずMarshallを持たないことには大人になれないな…みたいな。
で、オールドのMarshallが欲しくて、色々調べたら大阪にそういうお店があったんですよ。
で、行ってみたら5台くらいオールドのMarshallがありました。
その時の店員さんが住友(俊洋)くんだったんです。
M:エエ~ッ!あの住友さん?
Y:はい。バイトでね。
彼も「ティンカーベル」っていうバンドをやっていて、そこそこ有名でしたからね。
後で調べてみたら令文さんをはじめ大阪のスゴ腕ギタリストはみんなそこへ行っていたようです。
で、住友くんに色々訊いたりして、その中で一番気に入ったのが1973年製の1959だったんです。
今にして思うとまだハンドワイアードでね。
M:1974年ぐらいまではまだハンドワイアードがありましたからね。
 
<庸介写真館2>
1987年、京都スポーツ・バレーのTerra Rosa。
写真の左下に見えるのがインタビューで触れている1973年製の1959。
三宅さんはこの時初めて京都北白川の「天下一品」の本店のラーメンを召し上がったそうだ。
私は東京人なので、醤油あっさりが一番好きなのだが、この本店の味は何でも他の店とはゼンゼン違うと聞く。格段にウマい…というのだ。
そうなると一度試してみたくなるというモノだ。
もうひとつはギネス。スタウトのギネスね。
あれをダブリンの本拠地で飲むともうウマすぎちゃって、二度と他のギネスは飲めなくなるとか…コレ、実際に飲んだ人が全員言うのよ。
試してみたい。

01_1959_tr_1 
同じく1987年10月のTerra Rosa。

奈良芸術大学の学園祭より。
そういえば「学際」という言葉をトンと聞かなくなったな。そういうのまだやってるのかな?
Terra Rosaの他に中間英明さんのHurry ScuaryとWolfというバンドが出演したそうだ。
この時はちょうど『Endless Basis』のレコーディング中で、リズム録りを終えてから機材をこのステージに持ち込んで演奏し、終了後またスタジオに帰って機材をセットしたそうだ。
そして、その翌日からギター録りに入った。

02_2向かって右側が三宅さんの73年製1959と1960A。
写真ではわかりにくいが、1959の上、右端にチョビっとだけ見えているグレイの箱が乗っているが、コレはスライ・ダック。
この頃は会場の様子に合わせてMarshallに送る電圧を調整していた。
良い子の皆さんはこんなことしないでくださいね。
そして、三宅さんの背後の1960は中間さんの機材だそうだ。

Nara

Terra RosaとMarshall
Y:ハイ。
それをスタックで買ったワケです。
でも持って帰れないので、お金だけ払って少しの間取り置きしてもらうように頼んだのです。
で、家に帰ったら電話がかかってきたんです。
Terra Rosaのキーボーズがさっきの先輩の紹介で電話をかけてきてくれたんです。
「ギタリストを探しているのでオーディションを受けないか?」って。
M:ちょうどMarshallを買った日に電話がかかってきたんですか?!
Y:そうです。スゴイと思いませんか?
M:メッチャすごいですよ!Marshallはお守り?
Y:ね!それで早速Marshallの話をして、さっきの楽器屋さんで待ち合わせして、買ったスタックを車に積んで、オーディション会場に持っていってもらったんです。
だから、オーディションの時にはじめてその買ったMarshallを本格的に弾いたというワケです。
M:へェ~。
Y:それでそのままバンドに入れてもらったので、結局そのMarshallは家に持って帰らなかったんですね。
M:ハハハ!スゴイ話しですね~。
Y:Marshallを取り入れた日にたちまちバンドに入ることができたワケです。
しかもよく観に行っていた好きなバンドです。
だから本当にMarshallが守り神というかラッキー・アイテムというか…Marshallが人まで連れて来てくれた…そういう感じなんです。
 
<庸介写真館3>
1988年、大阪バーボンハウスにて。
もちろん1959。
三宅さんは1959をクランチでセットしておいて、Tube Screamerを歪ませるスタイルだった。
JVMをお使いの今でも同じ。

04_1959_tr_3_880124 コレは時が経ってどんなにモデルが変わろうとも「Marshall」のサウンドがブレていないことのひとつ証ではなかろうか?

06_tr3 動く三宅庸介はコチラ⇒【公式YouTubeチャンネル】Yosuke Miyake Strange,Beautiful and Loud

三宅さんが愛用のLEAD12 5005を使って自宅でギターを弾いている様子などを見ることができる!

05_tr_3_88_01_24 そのTerra Rosa…昨年11月に12枚組のボックスセットをリリース。12terrabox5月~6月に『The Endless Basis Tour 2020』と銘打ったツアーも予定されている。
観たい!
私は三宅さんのTerra Rosaを見たことがないのだ。
観せて~!

Trt <後編>につづく
 

200_2 
(一部敬称略 ※このインタビューは三宅さんご本人の監修の元、2011年10月の記事に大幅に加筆&訂正を加えたモノです)