【イギリス-ロック名所めぐり】vol.42 ~ ココにディランが?ジミヘンが?&涙のアールズ・コート
この日はデザイン・ミュージアムに『スタンリー・キューブリック展』を観に行った日。
ホントに朝から晩まで雨がよく降った。
ロンドンっていくら昼間降っていても、たいてい夕方には青空になったりするんだけど、この日は一日中雨だった。
デザイン・ミュージアムからアールズ・コート駅へ向かう途中の道、アールズ・コート・ロードを少し右へ入る。
ブルー・プラークが付いている建物を発見。
ココは何度も通りかかっているんだけど気が付かなかった…か、興味がなかったのか…。
「LAMDA」というのは「London Academy of Music & Dramatic Art」の頭文字。
LAMDAは1861年に創立されたイギリスで一番古い演劇学校だそう。
そのLAMDAが運営する劇場が2011年までココにあった「Michael MacOwan Theatre(マイケル・マコウワン劇場)」。
「Theater」じゃないよ「Teatre」だよ。ココはイギリスだから。
Michael MacOwanは1958~1966年までLAMDAの校長を務めた俳優。
写真ではわかりにくいけど、「こんなところに劇場があったの?」って感じ。
でも、さっき曲がって来た表のアールズ・コート・ロードは、かつては日本でいうところの「赤線地帯」だったらしい。
もう何度も出てきているフレディ・マーキュリーの終の棲家。
『ボヘミアン・ラプソディ』のヒット以降でナニか変化があったかな?と思ってまた見に来てみた。
4年前にはこんな注意書きはなかった。
やっぱり映画のヒットのおかげで来訪者が増えたのかな?
かつてはウジャウジャしていたフレディへのメッセージも今ではずいぶん控えめだ。
いつも言っているように私はQueenファンであったことは人生で一度もないのだが、この辺りにくるとやっぱりチョット寄って行きたくなっちゃうんだよね。
何と言うか、とても便利な「ロック名所」なのです。
アールズ・コート駅に戻って来た。
しかし、雨がまったく止まないな~。
休憩&遅めのお昼ゴハン。
またGREGGS。
大好きGREGGS。
現地の人に言わせると「お金持ちはPRET、貧乏人はGREGGS」らしい。
私にはちょうどいいわ。
これで500円ぐらいかな?
このパイ(パスティ)が温かいのがうれしいの。
エクレアもそう甘くなくて好き。
この時はイモトのWi-Fiを借りて行かなかったので、こういう所に入ってはフリーWi-Fiでメールをチェックしたり、東京やMarshallへ連絡したり、色んな情報を取り込んだりしていたのです。
こんなの数年前には考えられなかったのに…。
こんな私でも今となっては携帯電話が手放せなくなっているのが恐ろしい。
こんな私にダレがした?
ということで、次の目的地の確認。
あ~あ~、ヤダな~、こんな雨の中出て行くの。
…と文句を言っている間にすぐ着いた。アールズ・コート駅からそう遠くない「Old Brompton Road(オールド・ブロンプトン・ロード)」という通りにある「Troubadour(トルヴァドゥール)」というお店。
「Troubadour」というのは中世のヨーロッパで活躍した詩人、作曲家、歌手のことらしい。
女性は「Trobairitz(トロバイリッツ)」。
だからナンだ?ですね。
入り口の扉。
「幸せは買えないけどコーヒーは買えます」…エ、ココって喫茶店だったの?
老舗感が漂う、雰囲気のよさそうなお店でしょう?
ココがスゴイ。
お店のウインドウにあるブループラークを模した説明書き。
「THE TROUBADOUR
1954年開店
トルバドゥールはたくさんの伝説的な音楽を迎えて来ました。
その顔触れは;
ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ジミ・ヘンドリックス、ザ・プリティ・シングス、ジョニ・ミッチェル、チャーリー・ワッツ、サンディ・デニー、アデル、エルヴィス・コステロ、トム・ロビンソン、モリッシー、エド・シーラン、そしてフローレンス・ウェルチ等々」
でも、すぐ近くにコレ。
トルバドゥールが背景になってる!
コレを仕込んだ「けいおん!」の人、スゴイな。
お会いしてみたい。
喫茶店の入り口とは別にドアがもう1枚ある。。
ディランやジミはココを通って地下にあるライブ・スぺ―スに降りていった。
せっかく来たので喫茶店の方に入ってみる。天井にはたくさんのナベの類。
とてもいい感じ。
上のプラークもどきに書いてあった通り、トルバドゥールは1954年の開業。
今となっては、ロンドンに現存する最後のコーヒーハウスの中のひとつだ。
大分以前に隣の建物と合体して形を変えたが、元のこのコーヒー・ハウスのエリアは66年前の開店時の姿をそのまま保っているのだそうだ。
ドアのところに書いたように地下のスペースは、ライブハウスになっていて、1950年代後期から60年初頭にかけては元祖ブリティッシュ・フォーク・ミュージックのハコだった。
当時のロンドンにはそうしたお店が他にもあって、ソーホーの「Les Cousins」、チャリング・クロス・ロードの「Bunjies」が有名であったが、閉店してしまった。
当時の雰囲気を経験できる店としては今ではトルバドゥールだけになってしまったそうな。
どういういきさつでココがフォークのライブハウスのメッカになったかというと、かつてこのライブハウスのマネージャーだったAnthea Joseph(アンシア・ジョセフ)という人のおかげ。
アンシアはお店の名前である「トルバドゥール」の本来の仕事、すなわち中世盛期(High Middle Ages:ヨーロッパの11~13世紀)にはトルバドゥールは詩を吟じたり曲を作ったりするだけでなく、劇の進行役やストーリー・テラーを務めたことを知って、それに倣いフォークのイベントをココでたくさん開催した。
その活動が定着したんだね。
よく知られている話で、ボブ・ディランが初めてロンドンに来た時、右も左もわからなかった。
ひとつだけ持って来た情報は、師匠のピート・シーガ―の言葉で、「ロンドンに行ったらトルバドゥールのアンシアを訪ねなさい」ということだった。
その結果、「ボブ・ディランがイギリスを訪れて最初に演奏した場所」としてトルゥバドールはイギリスのポピュラー音楽周辺史にその名を名を残すことになった。
スゴくね?
また、50~60年代のトルバドゥールはミュージシャンだけでなく、知識人や芸術家のたまり場にもなった。
例えば、「Private Eye」という時事雑誌の最初の号は1961年にココで作られ販売された。
日本で言う「週刊誌」みたいなモノだけど「Private Eye」は「fortnightly magazine」だそう。
ハイ、ココで英語クイズ。
「fortnight」の意味が分かる方いらっしゃいますか?
私はMarshallの経理の女性とやり取りしているメールの中でこの単語を発見して、恥ずかしながら最近覚えた。
コレ「隔週」とか「2週間」という意味。
「Fourteen nights」ということらしい。
なんか詩的でカッコイイ単語だなと思って一発で覚えた。
「Private Eye」はその手の雑誌では長い間イギリスで一番売れているんだって。
また、68年のパリの暴動の後、ブラック・パンサーはココに集まったそうだ。さらに、初期の「Ban the Bomb(爆弾禁止)」のミーティングはココで開かれていた。
「Ban the Bomb」はその後、1957年に「CND(=Campaign for Nuclear Disarmament:核軍縮キャンペーン」)に発展した。
1958年にジェラード・ホルトムという人がデザインしたCNDのシンボル・マークがナント…コレ。
まだある。
ケン・ラッセルはココで最初の短編映画のスタッフに雇われ、そこでオリバー・リードと親しくなった。(コレが1971年の『肉体の悪魔(The Devils)』につながる)
ケン・ラッセルはThe Who『トミー』とかリック・ウェイクマンの『リストマニア』とかを撮った人ね。
まだまだある。
リチャード・ハリスはココで皿洗いをしていたエリザベスと出会い、恋に落ちて結婚した。
リチャード・ハリスっていい役者だよね。
『ナバロンの要塞』、『テレマークの要塞』、『天地創造』、『ジャガーノート』なんて夢中になって観たな。
最近ではクリント・イーストウッドの『許されざる者』がスゴくよかったよね。
「イングリッシュ・ボブ」とかいう役どころでね。
でも、この人はアイルランド人だった。
かつての家はサウス・ケンジントンにあった。
下の写真がそう。
ジミー・ペイジは1972年にデヴィッド・ボウイと競って35万ポンド(当時の為替、貨幣価値で約2.6億円)でハリスからこの豪邸を手に入れた。
今はロビー・ウィリアムスが住んでいるのかな?
…と思ったらインターネットでこんな写真を見つけたのでチョット拝借。
この女性がアンシアかどうかはわからないが、レッド・ツェッペリンはその昔、アールズ・コート・エキシビジョン・センターのコンサートの後、トルバドゥールへ寄って演奏をして行ったそうだ。
反省会でもしていたのかしらん?
Marshall Blogのことを説明して、お店の許可を得て店内をジックリ見ちゃう。
隣の部屋の壁に飾ってあったトルバドゥール関連のレコード。
Paul McNeil、Martin Winsor & Redd Sullivan、Mike Silver、Chris Barber等の「ライブ・アット・トルバドゥール」っぽいアルバム。
どんなものかと音源をすべてチェックしてみたけど、Chris Barberを除いては間違いなく私は一生聴かない類のフォーク・ソング。
Chris Barberも同じか…ディキシーランドのトロンボニストね。
この人のマネージャーがあの有名なライブハウス「Marquee」を開いたことはMarshall Blogに以前書いた。
ひとつ気になったのは右端に半分だけ見えているヤツと右下のヤツ。コレなんだけど。
『Jazz Composers Workshop』ってチャールズ・ミンガスなんだよね。
ミンガスがココで演奏したのかいな?と思ったんだけど、どうやらジャケットが上で紹介したトルバドゥールの天井の写真ということのようだ。
でも、コレはオリジナル・ジャケットではない。
コーヒーハウスのトルバドゥールがレコード・レーベルを持っていた…という記述は特に見かけないんだけど、「Troubadour Records」というのがあったらしい。
写真の右側がそのレーベルの1枚で、「Colin Bates Trio」とかいう人の『Brew』というアルバム。
このアルバム、自主制作で100枚ほどプレスしたそうで、オリジナル盤のレア度たるや、「メガトン級」や「ウルトラ級」を飛び越して「テラ級」に至るらしい。
それが今ではFontanaからリリースされた復刻盤の音源がクリック一発で聴くことができる。
ヘヴィ級のリズム隊に硬派なピアノで聴かせるオリジナル曲がなかなかにカッコいいぞ。
右の赤いヤツはお店のポスター。10ポンド。
「256 オールド・ブロンプトン・ロードSW5のトルバドゥールではいつもナニかが起こってる」
こういうのこそ事務所へのお土産で持って帰りたいんだけどね~。
持って帰れないんだよね。
折りたたみたくはないし、筒をどこかで買って入れるのも面倒だし、考えてみれば、事務所の壁にコレを貼るスペースが全くないわ。
ココが地下のライブ会場への入り口。
キャパは150人ぐらいとのこと。
奥の壁に飾ってあったストラトキャスター。
お店に人に訊いたところ、特別なモノではないそうだ。
ところで、ココって上にも書いた通り、パブではないのですよ。
いつもパブでやるようにカウンターで注文してエールがパイント・グラスに注がれるのを待っていると、「支払いは後で結構です、席までお持ちします」と言う。
「変だな…CODじゃないのか…」とは思ったんだけど、後で勘定を聞いてココがパブではないということがわかった。
1パイントが7ポンド以上するのだ。
この辺りだと高くても5ポンド、あるいはそれ以下が相場だろう。
ひとつ勉強になった。
でも、快く店内の写真を撮らせてくれたし、店員さんも感じがヨカッタのでよしとしましょう。
お、こんなのあったんだ。
カウンターで勘定をした後に気が付いたのが「CLOCKWORK TANGERINE(時計じかけのミカン)」!
キューブリック展を観て来たばっかりだったので飲まなかったことをチョット後悔。
そうそう、ココでも当然フリーWi-Fiを使わせてもらったんだけど、パスワードが必要で、若い店員さんに尋ねた。
すると、チョット恥ずかしそうに「Bob Dylan!」と教えてくれた。
ディラン、来日キャンセルになっちゃったね。あ~、オモシロかった。
トルバドゥールでオッサンのロマンを満喫した後は来た道とは反対の方向へ。
もちろん目的があってのこと。
コレは4年前に来た時に泊まったキッチン付きのホテル。
そのホテルの隣の様子を見に来たのだ。
コレがそう…といってもこの写真はもう11年前に撮ったもの。
「Earl's Court Exhibition Centre(アールズ・コート・エキシビジョン・センター)」。
「Center」じゃないよ、「Centre」だよ。
ココはイギリスだからね。
詳しくはコチラ ↓ ↓ ↓
イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ
ブリティッシュ・ロック・ファンならきっとご存知のロックの聖地。
2014年のある時はこんな様子だった。
花柄のエキシビジョン・センター。
キャパ20,000人の巨大施設。
今ではさいたまスーパーアリーナだの幕張メッセだの大きな設備があるけど、コレの会場は1937年だからね。
戦前からやってる。
左はエキシビジョン・センター。
写真の真ん中へんに見えているのが地下鉄「アールズ・コート駅」の入り口。
さっきのGREGGSのあった駅舎の反対側。
その1年後。
中にはもう入れなくなった。
取り壊しの準備に入ったのだ。
そして、去年。
ハァ?…ココはどこ?
こんなんなっちゃった。
上の写真とほぼ同じ場所から撮った写真。
ドワ~、ナンにもなくなっちゃったよ!
しかし、700万人もいる大都会のほぼ真ん中にこんな空地ができるなんてスゴイよな。
なんでこんなにユッタリしているんだろう。
こんな私でも20年近く前からエキシビジョン・センターは見てるからね。
帰りの地下鉄の駅から見た景色は寂しかった。かつてはこうだった。今はコレ。
奥にあんな大きな建物があったのね?
嗚呼、変わりゆくロンドン…。<つづく>