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2015年11月30日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.19~Marquee物語 <前編>

安心してください。今日はツベコベ言いませんよ。
後でたくさん言います。
まずはコレをご覧くだされ!


コレを見て興奮しないベテランのロック・ファンは誰ひとりいまい。
もし、何も感じなかったら、自分が「ロック」だと思って聴いてきた、あるいは聴いている音楽は「ロック」でない…と思った方がよい。
若い人はコレを見てどう思うんだろう?ただ単に古臭く映るだけなのかナァ~?
「ロック」という音楽が一番カッコよく、そしてクリエイティブだった時代。
うれしいね、みんなMarshallだよ。

いつもは「ブラリ、シゲさんぽ」よろしく、地区ごとにイギリスのロックに関わる名所を紹介するこのシリーズだが、今日はちょっと取り組み方を変えてお送りする。
ブリティッシュ・ロックの黄金期を育んだ、世界に名だたるライブ・ハウス、Marquee Clubに焦点を絞るのだ。

下はロンドンでももっともにぎやかなエリアのひとつ、オックスフォード・ストリート。
東京で言えば銀座の中央通りか。
恥ずかしながら今まで気が付かなかったんだけど、こんな有名かつ重要な通りなのにコレ、ナントたったの二車線しかないんだよね。
車道と歩道がほぼ同じ幅だ。この狭い道をおびただしい数の二階建てバスが行き交う。
Marqueeは数回移転しており、第一号店はこの写真の左側あたりの場所にあった。
オックスフォード・サーカスとトッテナム・コート・ロードのほぼ中間。

10ここのどこがMarqueeなんだ?という感じで面影がまったくないが、住所からするとココしかない。
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Marqueeの第一号店がオープンしたのは1958年の4月。
記念すべき最初の出演者はKenny BakerとMichael Garrickという人たちのカルテットだった。「どんなもんかいな?」と思ってこの人たちの音源を探して聴いてみたら、二人ともごく普通のモダン・ジャズを演奏していた。
1950年代の中頃、ロンドンにはジャズ系のライブハウスが盛んに営業していた。同じくオックスフォード・ストリートに今もある「100 Club」、Georgie Fameで有名な「Flamingo」や「Ronnie Scott's」もこの時分に歴史をスタートさせている。

Marquee Clubはいきなりスタートしたワケではなく、Academy Cinemaという映画館の地下にあったMarquee Ballroomが前身となっている。
「ボールルーム」というくらいだから、そこはビッグ・バンドが入ってダンスを楽しむようなゆったりしたスペースだったはずだが、客の入りはあまり良くなかったようだ。
「marquee(マーキー)」というのはサーカスの会場などに使われるテントのことで、「キー」にアクセントを置いて発音する。
クラブの昔の写真や映像を見たことがある人はピンとくることと思うが、店内が赤と白のストライプでデコレイトされてるでしょう?アレは、サーカスのテントのイメージなワケ。
この店内のデザインを担当したのはAngus McBeanというデザイナー。この人はポートレイトの写真家として有名な人だ。
このAugus McBeanという名前を知っている人はビートルズ通と見て差し支えないだろう。
『Please Please Me』、『赤盤』、『青盤』のジャケット写真を撮った人なのだから。
撮影場所は、このMarqueeからほど近いマンチェスター・スクエアにあったEMIの社屋の中。(最近もチョイと寄って来たので興味のある方はコチラをご覧あれ)
適当なレンズを持ち合わせていなかったため、Angusは床に寝転がった状態で階段から見下ろす四人を撮影したという。


さて、前身のMarquee Ballroomは1957年に入ると、土日はジャズのライブ・ハウスも兼ねるようになり、先述のKenny Bakerらが出演するようになった。
要するにダンス・ホールでは商売が立ち行かなくなってきたのだ。

一方、Harold Pendletonという若い会計士がマージーサイド(リバプールがある地域)からロンドンに出て来る。
Pendletonはジャズが大好きで、ジャズ盛んなりし都会で次第にそちら方面の仕事に加わるようになる。
そうしてジャズ・トロンボニストのChris Barberと親交を深め、しまいには会計士の仕事を辞め、Chrisのマネージャーになってしまった。日本でも時々耳にする話しですな。

「好きこそモノの上手なれ」で、Pendletonはジャズ団体に加わり数多くのアイデアを提供し、1958年にはアメリカからMuddy Watersを招聘し、Chris Barberと共演させたりした。
チョット脱線するけど、1958年の日本の流行歌といえば「無法松の一生」、「嵐を呼ぶ男」、「からたち日記」、「星はなんでも知っている」、「だから云ったじゃないの」等々。
日本のジャズの黎明期を記録したレコード、『銀巴里セッション』の「銀巴里」が銀座にオープンしたのもこの年だ。
同じ頃、地球の反対側ではジャズ人気の傍ら、一部の音楽愛好家がMuddy Watersの訪英に熱狂していた。つまり、ロンドンはブルースにも夢中だった。
このあたりが「ロックにしかロックのルーツを持たない」日本のロック・シーンとの決定的な違いがある。

さて、その頃になるとMarquee Ballroomはいよいよ経営が立ち行かなくなってしまい、店はPendletonに経営についての協力を乞い、店を借りてもらうことになった。
彼はたちまちその手腕を見せ、優秀なジャズの新人を出演させて1958年の末には店の経営を盛り返すことに成功した。
その出演バンドのひとつがAlexis KornerのBlues Incorporatedだった。
Blues Incorporatedはハーモニカ&12弦ギター・プレイヤーのCyril DaviesとギタリストのAlexis Kornerが組んだバンドで、スキッフル~ブリティッシュ・ロックの黎明期を支えた。
このグループにはかつて、Jack Bruce、Ginger Baker、Charlie Watts、Graham Bond、Long John Baldry(Elton Johnの「John」はこの人のJohn)、Dick Heckstall-Smith(ColoseumやGraham Bond Organizationのテナー・サックス)らが在籍していた。
そしてMarqueeは徐々にR&B色を濃くして行き、1962年にはロンドンを代表するR&Bのクラブになった。
Jim Marshallが50年代の終わり頃にはジャズに見切りをつけ、ロック(実際にはスキッフル)のドラム教室を開いて成功したのと時を同じくしていると見てよいだろう。
ジャズは急速に「古い音楽」になっていったのだ。

ところで、Pendletonが加わっていたジャズの組織は「The National Federation of Jazz Organisations of Great Britain」といい、1961年に「National Jazz Festival」というイギリスで最古の音楽フェスティバルを開催した。
コレはいわば大型のMarquee Clubといった企画で、第一回目のフェスティバルの会場にはMarquee Clubの店内とお揃いの装いが施された。
このNational Jazz Festivalが後に「Reading Festival(レディング・フェスティバル)」に発展する。

1963年になると、Manfred Mann、Graham Bond、Brian Auger、John Mayallらが顔をそろえ、The Rolling Stonesも他のR&Bバンドの前座としてMarqueeに出演するようになり、「ロンドンで一番のR&Bライブハウス」の名を欲しいままにしていった。

しかし、好事魔多し。
1964年に目玉の出演者の一人Cyril Daviesが白血病で急逝する。
巷間では「Marqueeはつぶれてしまうのではないか?」との噂まで出始め、ほぼその通りになってしまった。
正確には、Academy Cinemaが映画館を増設することになり、Marquee Clubに立ち退きを要請してきたのだ。
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Pendletonはせっかく軌道に乗り始めたR&Bのライブ・ハウス・ビジネスを放り出すワケにはいかず代替地を探した。
すると、ノッている時は運も味方してくれるようで、ソーホーにほど近いウォード―・ストリートという場所に適当な物件を見つけたのだ。
その界隈にはフラミンゴやロニー・スコッツ、ラ・ディスコティックといったライブハウスが林立しており、まさにロンドンのナイト・ライフの中心地だった。

…といっても、東京とゼンゼン違うせまいせまいロンドンのこと、第二号店の候補は一号店から歩いて15分かからないぐらいのロケーションなのよ。
下の写真がウォード―・ストリート。第一号店があったオックスフォード・ストリートから入って来たところ。
このウォードー、Wardourと綴る。ずっと「ウォルドア」と発音するのかと思っていたら、どうも「ウォードー」らしい。
写真の中央の茶色いレンガ造りのビルが第二号店が入っていたビルだ。

I_img_7363この建物にMarquee Clubの第二号店があった。
90 Wardour Street, London…ロック史で最も有名な住所のひとつだろう。
前の使用者はナント、あのバーバリーだった。
オープンは1964年3月13日の金曜日。日取りは縁起でもなかったが、そんなことはツユ知らず、Marqueeの二号店はブリティッシュ・ロックの本拠地のひとつとして歴史に名を残して余りある大活躍を見せるのであった。
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また話しは反れるが、一号店の最後の日、1964年の3月5日にStan Getzが出演してR&Bを演奏し、大ウケしたことになっている。
他の記録ではLong John BauldryとThe Yardbirdsになっているのだが…。
どっちなんだ?
Stan Getzと言えばテナー・サックスの巨匠にして大スターだ。ボサノヴァで大人気を博したことを考えればジャズ以外の音楽をやっても不思議はないかもしれない。
もっと言うと、1972年にはChick CoreaとReturn to Foreverのレパートリーを演奏した『Captain Marvel』を録音している。案外なんでもやっちゃう人…という捉え方もできるかもしれない。(『Captain Marvel』のドラムはTony Wililamsでメッチャかっこいい。『Return to Forever』しか聴いたことがない人はゼヒお試しあれ。ロック・ファンにもおススメ)

それで、この辺りのことをチョット調べてみると、Getzは1964年の録音で『Live in London』というアルバムを残している。残念ながら聴いたことはないのだが、内容を調べてみると、「Here's That Rainy Day」とか普通のジャズを演ってるじゃんよ。
で、録音場所をチェックすると…なんだよ、ソーホーのロニー・スコッツじゃん!ロニー・スコッツでジャズ、マーキーでR&Bをプレイしたのか…。
とにかく1964年にはロンドンをうろついていたことは確かだった。
しかしね~、あのナイーヴな音色でR&Bを演るとはどうも思えん。
ついでに、Getzでもうひとつ。
この人、顔のどちらかの写真を撮られるのを極端にキラっていて、それを知らずにシャッターを切ったカメラマンを問答無用でブン殴っちゃったとか…。
クワバラ、クワバラ…人の写真は勝手に撮ってはイケませんな。

さて、第二号店。
お店が移転したということを常連のお客さんに感じさせないために、極力内装を第一号店に近づけた。
そして、Pendletonはこの二号店をロンドンの「ロックのメッカ」に育てあげることを決心するのだが、それには大きな悩みがあった。
つまり「爆音」のことだ。
ジャズのライブであれば数10ワットの何ら問題ない音量が、ここでは数千ワットにまでハネ上がることが予想され、かなり頑丈に防音工事をしなければならなかった。
その工事のためにステージを狭くせざるを得なかったそうだ。
記念すべき最初の舞台に上がったのはSony Boy WilliamsonとLong John BaldryとThe Yardbirds。
ちなみにこの時のLong John BaldryのバンドにはRod Stewartがいた。
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有名なThe Yardbirdsのデビュー・アルバム、『Five Live Yardbirds』はその日の録音だ。

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この頃の出演者の顔触れを見てみると…
John Mayall、Mandred Mann、The Moody Blues…日本で名の知れたバンドはコレぐらい。
他は全然知らん。地元のR&Bバンドだろう。
しかし、様子が変わり出したのは1964年の11月24日のことだ。
The WhoがMarqueeのステージに上がったのだ。今から丸51年前のことだ。64年であれば当然Marshallといっしょだろう。
この日は雨が降ってしまい、とても寒かったため客足は最悪だったが、The Whoがブレイクするまでそう時間がかからなかった。
この日のステージを観た人の思い出話がおもしろい。
その人はDick Charlesworthというジャズ・クラリネット奏者を観に行ったのだが、都合により出演がキャンセルとなり、代わりにシェファード・ブッシュからやって来たワケのわからないロック・バンドを観なければならないハメになった…という。
このワケのわからないバンドこそThe Whoだ。
デビュー間もないThe Whoをイヤイヤ観たというワケ。オイオイ。
それは「I Can't Explain」の大ヒットまであと数週間のことだった。
この人はChris Barberを観にMarqueeへよく通ったのだが、時折Steve Winwoodを客席で見かけたそうだ…スゴイね。

この後、The Whoは長期にわたり木曜日のレギュラーを務めることになる。
モノクロでピートがリッケンをしょって右手を上げたポスターを見たことがあるでしょう。キャッチコピーが「The Mazimum R&B」。
アレは「The Whoが毎週木曜日にMarqueeに出てますよ」という告知ポスターだ。

いよいよブリティッシュ・ロックが大きく動き始めた。
一方、Pendletonは最後まで爆音に悩まされていたようだ。時が経つにつれて、出演するバンドの音量がドンドン大きくなっていったのだ。
その立役者がThe WhoとMarshallだったことはMarshall Blog読者の皆さんならよくご存知のことだろう。
この時代はJimとPeteがMarshallの開発でアレコレとやり取りをしていた頃だ。
フル・スタック、100W…PendletonもさぞかしMarshallには頭を悩ましたのではなかろうか?
Peteが初めてギターを壊したのもMarqueeでのことだった。Peteが壊したリッケンバッカーをJim Marshallがセッセと修理した話しは良く知られている。
1968年のMarquee十周年の記念イベントでもThe Whoは主役を務めたそうだ。

コレは現在のMarquee二号店跡の入り口に飾ってあるプルー・プラーク。
Keith Moonがフィーチュアされている。

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1964年にはこのビルの二階に4トラック(たった!)のミキサーを擁したレコーディング・スタジオもオープンさせていて、Marquee Audio ltd.という名称で現在も別の場所で営業している。
そして、Maqueeの出演者でこのスタジオで録音したある曲がメロディ・メーカーのチャートで見事に一位をゲットする。
それはバーミンガム出身のバンド、The Moody Bluesの「Go Now!」だった。
この曲はDanny Laineの大フィーチュアでPaulの『Wings Over America』に収録されているのでご存知の方も多いことと思う。

I_img_0266でもこの曲、残念ながらThe Moody Bluesのオリジナル曲ではなくて、Bessie Banksというアメリカのソウル・シンガーの作品。
この曲のヒットに一役買ったこのプロモーション・ビデオはQueenの「Bohemian Phapsody」のそれの元のアイデアといわれている。なるほどね~。
チョット見てみようか?
The MoodysはこのビデオをMarqueeのウラで撮影したとか…。

さて、1965年に入るとMarqueeは新たなスターを迎える。メロディ・メーカーの読者投票でブライテスト・ホープに選ばれたDavid BowieとSpencer Davis GroupのSteve Winwoodだ。
才気あふれていた頃のBowieをこんな小さいお店で観ることができたらどんなにか幸せだろうか?

また、ジャズ好きのPendletonのアイデアだったのだろうか、ロニー・スコッツと共同でジャズ・スクールまで開講している。
先生のひとりはナ、ナントTubby Hayesだったっていうのだからスゴイ!Tubby Hayes好きなんだ~。
この頃になるとサイケデリックの流行が始まり、The Move、Pink Floyd、Soft MachineらもMarqueeを通過していった。
1966年8月16日、Cream初出演。その後は月一のペースで登場。
1967年1月24日、Jimi Hendrix出演。Jimiはドイツのテレビ番組『Beat Club』の収録を含めて合計3回Marqueeに登場した。
1968年10月18日、The New Yardbirds名義でLed Zeppelin出演。
Robert PlantとJohn BonhamはBand of Joyで、Jimmy PageはThe Yardbirdsで、John Paul Jonesは色々な機会ですでにMarqueeのステージに立っていた。
一部ではこれがLed Zeppelinとして最初のギグとされているようだが、この12日前、四人はニューキャッスルのThe Mayfairというハコで既にステージに立ちZeppelinナンバーを演奏している。
とにかくヤケクソに音がデカかったらしく、当時のクラブのマネージャーも「会場の大きさを考慮しない音の大きさでマイッた。お客さんからはウケるにはウケていたが、それほど熱狂的なものではなかった」と回想している。

ブルースやサイケから発展し、ハード、プログレッシブとロックが多様化を進めると同時に、書き出せばまったくキリがないぐらいスゴいバンドが毎日のようにMarqueeに出演することになる。
チョット触れると、Ten Years After、FreeT、raffic、Slade、Procol Harum、Taste、Family、Queen、The Nice、Jethro Tull、King Crimson、Genesis、Van Der Graaf Generator…。
Yesなんか、水曜日のレギュラーだったんだから。
地球上にかつてこんな場所があったなんて全く考えられん!
こういうメジャーなバンドの出演もいいんだけど、日本では一般的にあまり知られていないバンドの出演も実に興味深い。
Timebox、The Spirit of John Morgan、Titus Groan、Cressida、East of Eden、Patto…こういうのはなかなか見る機会がないでネェ。動員はどうだったんだろう?
他にロンドンと言えば、レインボーだとかハマースミス・オデオンという有名なコンサート会場があったが、それらは規模が大きく、自然とビッグ・ネームの出演が多くなるため、Marqueeのようにひと山当てる前のエグいバンドが登場することことは少なかった。
それだけにMarqueeは歴史的な価値を持っているといえるだろう。

1970年代後半に入るとパンク/ニューウェイブの嵐がMarqueeにも吹きすさぶ。
Clash、The Jam、Ultravox、The Pretenders、The Police、The Cure、Adam and the Ants、The Dammed、Generation X、The Sex Pistols…みんなMarqueeの卒業生だ。

傍ら80年代に入るとハード・ロックやプログレッシブ・ロックのリバイバルのムーブメントも加わりMarqueeはますますその存在価値を高めた。

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1987年、建築の専門家の測定により、このMarqueeの入り口が微妙に歩道側にセリ出していることがわかった。
開店以来、毎日爆音の連続で、その振動が建物を変形させてしまったというのだ。
「そんなバカな!」と思うかも知れないが、元々古い建物だし、Led Zeppelinあたりは前述の通りシャレにならないぐらい音がデカかったというからね。
結果、安全性を考慮してMarqueeは再び移転することとなったのであった。
Marquee第二号店、1988年7月18日閉鎖。
最後の出演者はJoe Satorianiだった。


ちなみにこの二号店のキャパは500~700人で、バンドによっては1000人ほど詰め込むこともあったという。
床はガムとコーラでベトベトだったらしい。
また、換気も悪く、窒息しそうなほどの高い室温がギターのチューニングを始終狂わせ、Jimi Hendrixも当惑したらしい。ま、Jimiにはあんまり関係ないような気もするが…。

当時Led Zeppelinを見た人の回想…「The New Yardbirdsを観に行ったのを覚えているわ。Jimmy Pageがお目当てだったの。その日のMarqueeはスシ詰めでもうホントに暑かった。
Robert Plantはkeith Relfに比べるともっとソウル・シンガーっぽかったわ(KeithはThe Yardbirdsのボーカリスト。つまりその時Led ZeppelinはThe New Yardbirds名義で出ていたからこのお客さんは素直にPlantをRelfを比較しているのだ)。
とにもかくにも音が大きかった!でも、「Dazed and Confused」は最高だったわ。あの時、一番よかった」
一体どれだけの爆音だったんだろうね?

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<後編>につづく