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2015年12月 1日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.20~Marquee物語 <後編>

それにしても爆音による振動で建て付けが狂っちゃうなんてネェ。

考えてみると今みたいにシッカリしたPAシステムなんてまったくなくてギターなんて生音だったに違いない。実際に当時のJimiやCreamの写真を見るとMarshallにはマイクが立てられていない。
230Vで鳴らした1959のボリュームをクランク・アップして思いっきり弾いていたハズだ。Marshallの真ん前に立っていたお客さんはどんなだっただろう?爆音浴の極致。
それと、空気…。
朝晩は夏でも寒いロンドンは今でもエアコンを取りつけていない建物がザラにある。しかも60~70年代ならなおさらだ。
防音のために強力に密封された狭い室内に700人も詰め込んだ阿鼻叫喚の爆音灼熱地獄。
で、当時はみんなタバコを吸うのが当たり前だったから空気は汚れ放題。
こんなんで行きたいかァ?
行きたいなァ~。
日本では見ることのできないバンドのパフォーマンスを観たかったということももちろんあるが、その当時の本場の雰囲気を味わってみたかった。
ナゼかというと、イギリスの連中と話しをしていると、アメリカのルーツ・ミュージックや一部のグループを除き、他国のロックを基本的に認めていないことがありありとわかるからだ。
ナゼか?
それはまず、イギリスは「ビートルズの国」で、今のロックを作ったという誇りを持っていて、自分たちの音楽で世界を制覇したバンドが山ほどいるからだ。
こうしたMarqueeの状況を見ればそれも無理からぬことだと思う。
そんだば、何で最近日本の若いバンドがイギリスの名だたるロック・フェスティバルに出演できるのか?
ま、大人的な色々な事情があるんだろうけど、ひとつにはやっぱり世代が変わって、こうしたMarqueeのような場所で育まれたブリティッシュ・ロックの財産の価値が下がったということだろう。栄光のブリティッシュ・ロックの進化と呼ぶのか、退化と嘆くのか?どちらが適当なのかはわからない。
とにかく、Marqueeは遠くになりにけり…だ。
50_2
ロンドンにはそれこそ「ロック名所めぐり」みたいな有料のプライベート・ツアーがあって、こうして足を止めて観光客にMarqueeの説明をしたりしている。
近くに寄ってガイドさんの話しに耳をそばだてると、「Jimi Hendrix」とか「The Who」とかいう名前がしきりに漏れ聞こえてくる…。一般の人にはそれで十分だろう。
この手のツアー、どんなもんかと思って内容を調べてみると…安心してください。Marshall Blogの方が断然内容が濃いですよ。
こんなガイドの仕事いいナァ。
どこかの旅行代理店で雇ってくれないかナァ。
『ロンドン・ロック名所めぐりとMarshall工場見学の旅』って企画。
おいしいフィッシュ&チップスつき。プログレ・ファンには「カンタベリー行き」の、メタル・ファンには「バーミンガム行き」のオプションも用意…ナンチャッテ。

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さて、そのMarquee。
我が日本からもLOUDNESSやVOW WOW等、栄光の二号店に出演したバンドがいくつかある。アニメもゲームもない時代だ。コレを「偉業」と呼ばずしてナント言おう?
SHOW-YAもそのうちのひとつだ。
…ということで、Marshall JVMをお使い頂いている五十嵐sun-go美貴さんにお時間を作って頂き、特別に当時のようすを語って頂いた。

4img_0259 Marshall(以下M):店内の写真が見たいですね~。
sun-go(以下s):当時は写メなんかなかったですからね~。とにかくLed Zeppelinと同じステージに立てるというのがすごくうれしかった。
M:でも、Marqueeは何度も移転していますからね…。Zeppelinが出たのと果たして同じ店舗だったのかしらん…?。
S:エ~!
M:表はこんな感じでした?(現在の様子の写真を見せる)
S:ん~、表は覚えてないですね。中だけしか覚えていません。
M:出演されたのはいつでしたっけ?
S:1985年11月25日!
M:じゃセーフですね。最も有名なMarquee二号店ですね。
S:ヨカッタ~!
M:コレはその時の公演告知ポスターですね。対バンがLAシークレッツっての。これはガールバンドだったんですか?  

135v
S:イヤ~、全然覚えてないんです。  
M:そもそも「LAシークレッツ」ってバンドだったんですかね?調べたんだけどわからないかった。
S:バンドかな?
M:ゼンゼン覚えてないんですか?緊張してた?
S:それもあるけど、メチャクチャ忙しかったし…。マーキーにいるってこと自体だけでもう満足だったのかもしれません。
M:ま、とにかくこの「LA Secrets」のことは覚えてない…ということで。
S:ハイ。でもマラカスおじさんは覚えてる。
M:「マラカスおじさん」?

4img_0026_2S:マラカス持って踊っている名物おじさんがいたんですよ。
M:へ~、そんなの初めて聞いた。
この時の渡英の目的は?
S:SHOW-YAの2枚目のシングル、「しどけなくエモーション」のPVにライブ映像を使おうということになって、その撮影に行ったんです。
M:85年は二回イギリスにいらっしゃってますね? 7月にまず行ってる。こちらの用向きは?
S:ファースト・アルバムのミックスダウンですね。アビー・ロード・スタジオでした。それとコーラスの一部をそこで録音しました。
M:どうでしたアビー・ロード・スタジオは?当時は「EMIスタジオ」って言ってたのかな?
S:Paulの卓球台なんかが昔のまま置いてあってビックリしましたね。
M:その他には何をされたんですか?
S:ライブをしました。
M:どちらで?
S:ハーフムーンとディングウォールズというお店でした。 

★ハーフ・ムーン(The Half Moon)★
現在も営業しているThe Half Moonはテムズ川の南岸のパットニーというところに位置し、ロンドンでも最も息の長いライブ・ハウスとして知られている。キャパは250。
開店は1960年代初頭で、1963年から毎晩フォークのグループがブッキングされ、その後、John Mayall's Bluesbreakers, Alexis Korner, The Yardbirds等、ブルース系のバンドが取って代わり、The Half MoonはトゥイッケナムのThe Eel Pie ClubやリッチモンドのThe Crawdaddy Clubと並ぶ人気のブルースのハコとなった。
フォーク、ブルース系の店として他にもFairport ConventionやVan Morrisonも出演。次第にジャンルも広げThe Bonzo Dog Doo Dah Bandまで出ていたらしい。
他にもThe Pretty ThingsやNashville Teens、さらにDr. Feelgoodでパブ・ロックにも幅を広げた。
The Rolling StonesやThe Who、U2なども出演している。

Steve Marriottも常連で、Elvis Costelloは70年代の中頃レギュラーで月に二回出演していたというし、Kate Bushが初めて人前でパフォーマンスをしたのもここHalf Moonだったという。
コリャなんだかMarqueeどころじゃなくなってきた?
しかし、2010年頃になると客足もメッキリ減少、(ロンドンもいいバンドが少なくなったのだろう)経営が苦しくなりほとんど閉店状態になってしまった。
あわやそのままクローズしてしまうかと思いきや、何百人分もの署名を集め、facebookのキャンペーンでは6,500人もの賛同を得、経営を続けることになった。
今では食べ物も出している。今度ロンドンに行ったら絶対に寄ってみようと思う。

★ディングウォールズ(Dingwalls)★
カムデン・ロックにある1973年から生演奏をはじめたキャパ500のパンク、ロック系のライブハウ

11img_1674_3ス。70年代後半には当時イギリスでもっとも人気を博したThe Stranglersが出演していた。
Steve Marriottは1984年7月に出演し、『Live at Dingwalls』というライブ盤をリリースした。
80年代後期から90年代初頭にはジャズ・ダンス・クラブに体裁を変えたが、現在はライブ・ハウスとして営業している。
カムデン・ロックの「ロック」は「Lock」、すなわち「閘門」のこと。運河の高低差を調節して船の行き来を可能にするエレベーターみたいなもの。「Rock」ではありませ。

M:アンプはMarshall?
S:はい。音があまりにも良くてビックリしましたね。100Vと230Vの電圧の違いを身体で感じた。

4img_0019音がすごく澄んでいて、JCM800だったんですけど歪まなかったですね。
M:鳴り方がまったく違いますよね。
S:昔のマーシャルはミッドを上げるとハイもつられて上がっちゃって…。どうやってもローが上がらず困りました。自分の弾き方のせいか耳が痛かった。なんか無意識のうちにピッキングハーモニクスで弾いているみたいな感じって言うのかな?
M:よくわかります。私なんかとても弾けない!
それはハコのMarshallだったんですかね?
S:イヤ、どこからか借りてくれたんだと思います。
あと、日本語と英語の違いもビックリした。機材の名前なんかでもちょっとした単語が通じなかったんです。そういう意味では本当に色んなことを勉強しましたね。
M:なるほど。私なんか今でもそうですよ!「え~、シールドって日本語なの?」みたいな…。イヤ、コレは昔から知っていましたけど、とにかく知らないことがいまだにたくさんある!「プレクトラム」とか…「ピック」って言って欲しい。
その他には何をされたんですか?

4img_0025_2S:7月の時にはウェンブリー・アリーナで「Live Aid」をみんなで観に行ったのが印象に残っています。
M:それヘッドライナーは誰だったんですか?
S:「Let It Be」が最後に演っていたんでPaulだったんだと思います。最後のQueenを観ました。Led Zeppelinが出るかと思ったら出なかった。それはアメリカだった!
Phil (Collins)が自家用ジェットでアメリカへ行ったんですよ。私も連れてって~!って思った!
M:それはムリでしょ。11月の時のメインの業務は?
S:なんだったんだろう?多分ミックス。それとさっき言ったセカンドシングルのPV撮りですね。
M:それでどうでした、マーキーは?うなぎの寝床?昔のELLみたいなイメージがある…。
S:やっぱり楽屋の印象しか覚えてないナァ~。
M:キャパは?
S:そんなに大きくないですよ。ステージも小さかったけど、天井は高かったですね。
スマホが当時あればネェ。とにかくマラカスおじさんが踊っているのがよく見えた。

4img_0023M:客席の雰囲気はどんな感じだったんですか?
S:みんな好き勝手にノッテるって感じかな。 なんか『ウッドストック』に出て来るお客さんみたいでしたね。
M:反応はいかがでした?
S:「オリエンタルの女性のバンド」というだけでかなりインパクトはあったようです。一回目の時もそうでしたけど、終わった後には何人もの男性から「ヨカッタ!」と言われました。
M:みんなどうやって知って来たんだと思いますか?何かで「東洋の魔女が来るぞ!」って告知された?
S:チョッ~ト!それは古すぎでしょ!「女性」の、しかも「日本から来ている」のがとにかく珍しいということだったんでしょうね。
あ、ひとつ思い出した。

4img_0011_2M:え、ナニ?
S:前の晩、ホテルのバーで飲んだ時、ホワイトソースみたいの食べたんだけど、それでお腹をコワしちゃって…。翌日モドしちゃったんです。そしたら、「妊娠疑惑」が起こっちゃって!
M:ハハハ!昔からイジられ上手だったんですね?しかし、向こうは何でもかんでも食べ物には思いっきり火を通すから何かに当たるというのは珍しい。
S:作り置きして相当時間が経ってたんじゃないですかね?
M:ショウの上演時間は?
S:40~50分ぐらいかしら?
M:当時はロンドンに飛ぶのも大変だったでしょう?
S:ロシアの上を飛べませんでしたから、南回りで24時間。カラチ経由とかでしたね。
直行便がなくて、ドゴールを経由した時にはマスターテープを通関するのに時間がかかってしまって飛行機を遅らせたこともありました。
M:しかし、うらやましいですね。一度でいいからMarqueeの中に入ってみたかった!
S:私はもうそこにいられるだけで幸せでしたね。それと楽屋や通路とかに感動。
M:わかるわかる!
S:匂いが残ってるような気がする。
M:一番うれしい残り香はLed Zeppelin?
S:そうですね。
M:1968年にYardbirds名義で初めて出演してますね。その三日後ぐらいにFreeですよ。いい時代。
S:私はとにかくLed Zeppelinですね。
M:我々、もうチョット早く生まれていれば見ることが出来たのにね。(sun-goさんと私は同級生で、誕生日は一日違いなのです)
S:2~3年早ければ私は観てたな…。
M:私も…。ありがとうございました!

Marqueeのsun-goさん、見てみたかったな~。そして写真撮りたかった!
SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA オフィシャルサイト

4img_0193さて、その後Marqueeはいずこへ…。
長年住み慣れたウォードー・ストリートを離れ、Marqueeはチャリング・クロス・ロードへと引っ越したのであった。
といっても、歩いて10分ぐらいのところよ。
チャリング・クロスは本屋さんが集まる私にとっては魅力的なエリアでしてな…。

11img_8358下の写真にある「FOYLES(フォイルズ)」というのは1903年創業の老舗の本屋さん。7つの店舗を運営していて、ここはその本店。かつては「世界で最も広い店舗面積と品揃えの数の多さ」でギネス・ブックに出ていた。
知らなかったんだけど、八重洲のブックセンターはこのFOYLESの姉妹店なんだって!
CDなんかも売っているよ。
ここの音楽関係のコーナーなんて行くと書棚には見たことのない本がたくさん並んでいて実に楽しい。
ロンドンには古い本屋さんがそこら中にゴロゴロしていて、店の中を見るだけでも十分におもしろい。
あの楽器屋街、デンマーク・ストリートもこの道につながっている。

11img_2824 チョット小道に入ると古本屋さんがイッパイある。
カレー激戦区ではないけど、神保町の風情だ。

11img_8329古本もね~、ゆっくり見て、買って持って帰って来たいんだけど重くて!
こんなのインテリアにいいんじゃない?
ウチはダメダメ。読んでる本だけでも収まり切れなくて困ってるからさ。

11img_8339神保町もそうだが、車、音楽、ファッション、地理、古文書…等々このあたりの古本屋さんは取り扱いの本のジャンルをキッパリ分けて商品を取りそろえている。
脱線。
昔、井上ひさしがタヌキに関する小説を書くことになり、行きつけの神保町の古書店の主人に「タヌキに関する本を集めて欲しい」と依頼した。するとその主人は自分のネットワークを駆使してその類の本を集めた。その結果、神保町からタヌキに関する本が一冊もなくなってしまったという話しを聞いたことがある。
何冊集まったのかは知らないが、もちろん井上さんは全部ゲットして、読破し、そうして一編の小説を仕上げたのだという。
ボリュームにもよるが、本を書く人は一作編むのに最低でも書架二台分の本を読むとかいうからね。
私も『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』やこの『名所めぐり』を書く時にはかなりの量の英文の資料に目を通すが、チャンチャラおかしいね。
だから『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』や『名所めぐり』はアクセス数が伸びないのかな?
Marshall Blogの中で一番面白いと思っているのは私だけか~?

そして、その井上さんのエッセイで読んだ話し。
同じような話しで、司馬遼太郎が何かの本が必要で探したがどうしても見つからない。そうこうしているうちに井上さんが蔵書していることを知り、それを見るために井上宅を訪ねた。
その本を手にして、ツラツラと目を通しながら井上さんと雑談をする。
そのうち井上さんは「どうぞお貸ししますのでお持ち帰り下さい」と司馬さんにすすめると、「イヤ、もう内容は全部覚えましたので結構です」とその申し出を断ったという。
これにはさすがの井上さんも驚いたらしい。
井上さんの『江戸の夕立』という短編はおススメ。

11img_8330 で、Marqueeがチャリング・クロスに引っ越したことは知っていたんだけど、どうも正確な場所がわからないでいた。
おかしいな…この辺のハズなんだけど。

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チヤリング・クロス・ロードをブラついているとある時この看板が目に入った。
このおじチャンじゃないよ。
下にある「WETHERSPOON」の文字。
WETHERSPOONというのはイギリスのパブの大手チェーン。安いのよ。
日本だと田舎へ行って安くなるのはせいぜい生鮮食品ぐらいだけど、イギリスはそれだけじゃなくて電池だとか以前は必需品のひとつだったカメラのフイルムなんかもロンドンより田舎の方が格段に安い。
ビールも同様。
ロンドンのWETHERSPOONは残念ながら他店とそれほど変わらないけど、コレが田舎の店舗に行くとロンドンの半額近くで飲めちゃう。
元Marshallの友人が住むニューキャッスル近くのサウスシールズという町にもWETHERSPOONの店があって、あの時は円も強かったせいもあって、ギネスの1パイントが400円以下で飲めた。
ロンドンで飲むなら、今では東京の方が安いぐらいだよ。
ロンドンの物価は何でも日本の倍。ホテルは3~4倍。バカバカしくて何にも買えない。
でもウチは円安の方がありがたい。皆さんゴメンね。

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で、さっそく入った。

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この日のランチ。
スタウトを一杯とB&Bから持ち出した朝食のパンの残り。まるでハトのエサだ。
それでもビールがウマい!
疲れた身体にジトーっと沁み込んで行く。
イギリスのビールが大好きなのだ。
ホッとして店の壁に目をやると…。

11img_0756…「Welcome to the last home of the Marquee Club 1988 - 1996」ってアンタ…。
おいナンダ!ここがMarqueeの三号店だったんじゃないの!…なんて『猿の惑星』のテイラー船長みたいなことになった。この店の前はもう何十回も通っていたんだから!

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1988年Marqueeはこの地に移転。
ロック・ビジネスがますます大衆化を進め、隆盛を極める中、この三号店も大変な賑わいを見せ、ブリティッシュ・ロックの歴史にその名を深く刻んだ。
こけら落しは8月16日、KISSがその重責を担った。
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店内のデコレーションは意図的に一新されたが、入り口はクラシックな劇場の雰囲気をフィーチュアし、ステージの突き当たりには伝統の「Marquee」ロゴが据え付けられた。

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コレは今の内装。エントランスの部分。

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店内はこんな感じ。

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かなり広い。
スクリーンが下がっている奥がステージだった。

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ところどころソレっぽいデコレーションが施されてはいるものの、天井の高い巨大な飲み屋といった感じ。
これが夕方になると足の踏み場が全くないほど混みやがる。土日は昼間っから酔っ払いであふれかえっちゃう。1,000人ぐらい入ってるんじゃないかな?
あ、トイレは二階です。
この三号店は1995年にクローズした。
出演したバンドを調べてもほとんど知らない名前ばかりだった。
日本からはGargoyleがこのステージに立っている。

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「The last home of the Marquee Club」なんて言ってるぐらいなので、ここでMarqueeの歴史が閉じられるのか…と思うとさにあらず。

この後、2002年にEurythmicsのDave Stewartを迎えてイズリントンに復活。しかし、たった4か月でボツ。
さらに2004年にはレスター・スクエアに開店。900ものキャパの大店舗だったが2005年にはクローズ。
みんなMarqueeの名前だけで商売できると思っていやがる。
まだ続く。
2007年、レスター・スクエアとコヴェント・ガーデンの間ぐらいのロケーションで復活。
これは小ぶりな作りで、第一号店並びに二号店の雰囲気を踏襲してみたが翌年には閉店と相成った。
してみると100Clubとかロニー・スコッツなんてのはスゴイもんだ。やっぱりこういう商売は場所を変えるとシンドイようだ。

こうしてこのブリティッシュ・ロックのアイコンともいうべき大看板の歴史は閉じられた。
また復活する日が来るかも知れない。
しかし、例え復活したとしてもうまくいかないのであろう。
BPI(イギリスレコード協会)によれば、アメリカのヒットチャートの上位の曲の半分近くはイギリスのアーティストによるものだ…豪語してと息巻いているが、こと「ロック」という言葉を投影してみると…虚しい。
私の感覚ではは世界の若者を魅了するようなオリジナリティにあふれたロック・バンドがイギリスにいない…ということでもなく、最早「ロック」という音楽そのものが往年のパワーを持ち合わせていないと思うからだ。
そして、あれほどブリティッシュ・ロックを支持した日本はその衰退と交替するかのようにJ-POPが隆盛を極めロックを失い、「世界のロック後進国」になってしまった。
ロックは遠くなりにけり…か。

11img_0369_m (参考文献:The Marquee Clubオフィシャル・ウェブサイト、Tony Bacon LONDON LIVE BALAFON他)