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2026年4月

2026年4月13日 (月)

マーシャル・ブログ博物館  第5回:工場ミュージアム<その5>

壁際に展示してあるアイテムの紹介をもう少し続ける。160下はジムの85歳を記念したモデル。
「還暦」から始まって「古希」、「喜寿」、「傘寿」、「米寿」、「卒寿」、「白寿」、100歳で「紀寿」と、日本には長寿のお祝いがいくつもある。
そしてコレはまだ続く…108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」と続き、120歳の2回目の還暦が「大還暦」、さらに250歳で「天寿」というのが用意されているそうだが、さすがにコレでお祝いをしてもらえるのは1人としてこの世にはいまい。
この名称、「喜、傘、米、卒、白」等の漢字を使って数字を表すところが実にオシャレではあるまいか?
「茶」や「皇」も同じ。
例えば「茶」という字を分解すると草かんむりは「十」が2つで「20」、その下のつくりは「八十八」と読めるので「20+88」で合計「108」になるワケだ。
オモシロいから「皇」もやっておくと、「白」は「白寿」と同じで「99」。その下の「王」は「十と一が2つ」に分解できるので「99+1+10+1」で合計「111」になる。
フフフ…こんなこと、英語には決してできまい?
では、その英語の故郷のイギリスの長寿祝いの状況はどうか?
もしかしたら「85歳」になるとナニか特別なお祝いをする慣習があるのであろうか?
調べてみると、そんなモノはおろか「敬老の日」すらありゃしない。
それではこのモデルの「85周年」は一体どういうことなのか?
2008年、1923年(大正12年)生まれのジムの85歳の誕生日を祝う社内のパーティが開かれ、その時に社員からサプライズでプレゼントされたのがこのコンボだった。
ジムは大層よろんだそうだ。
だから結局「85」という数字に意味はない。
1923年といえば、9月1日に関東大震災が起こった年。
ジムがもしご存命であれば103歳。
あと5年で「茶寿」だった。
最近、ジムがいた頃のMarshallが猛烈に懐かしく、そして恋しくて仕方がない。
Img_0115そんなところから「JCM2000 DSL」を下地にしたこの50W、2x12"仕様のモデルは「1923C 85th Anniversary」と名付けられて限定販売された。
どうしてもジムのことに意識が行きがちだし、もちろんそれで正しいんだけど、実はこのコンボにはチョットとしたレアリティが付加されることになった。
それはJCM2000のDSLコンボには40Wと20Wのモデルしかラインナップされなかったので、コレが唯一の「JCM2000の50WのDSLコンボ」となったということだ。Img_00852コレは竹谷さんのコレクション。
ヘッドも同時発売された。Img_0427 10W、2x10"のフルヴァルブ・コンボ「1930 POPULAR」。
名前のワリには売れ行きが悪かったのか、1972年から1973年までの短期間にしか生産されなかった。
このフル・フェイスのフレット・クロスってのはいかにもMarshallのコンボらしくていいよね。
いつか30W、1x12"コンボの新商品のアイデアをMarshallに出したことがあったが、外観については迷わず「ビンテージ・タイプのフレット・クロスのフル・フェイス」をリクエストした。
140上の黒いのっぺらぼうは1986年から1990年まで生産していた「Integrated Bass System」シリーズのパワー・アンプ「6020」。
コレは見かけることがないナァ。
出力は200Wだった。
一方、時々見かけるこ下段の銀色のモデルはJubileeのベース・アンプ・シリーズのヘッド「3560」。
JubileeシリーズはMarshallの25周年を記念したシリーズなので発売されたのは1987年。
1992年頃まで生産されていた。
フロント・パネルにデカデカと表示してあるように「600W」の出力を誇るモデル。Img_0551壁際の左の方にはもうひとつショウ・ケースが設置してあって、歴代のペダル類を展示している。Img_0123 たとえばこんなアイテム。
下も竹谷さんのコレクションから。
左が「SupaWah」、右が「Supa Fuzz」。
ちなみにSupa Wahのモデル・ナンバーは「2023」、 SupaFuzzは「1975」。
双方1967年から1972年頃まで生産されていた。

Photo
ということで「スパ」でつなげましょう。
壁際の一番端っこで固まっているグループ。
Img_7958こんなん見たことないでしょ?
「Supa Bass」というラインナップ。
いいえ「Super Bass」ではありません…1978年から1980年に生産されていた「Supa Bass」というシリーズ。
上から「2128 Horn PA4 Piezo」。
真ん中のホーン型スピーカーが2台搭載してあるのは「2127 Twin Drive」。
一番下のバスレフ・スピーカーが「2126 PA Supa Bass Reflex」とかいうらしい。
コレらについては資料がほとんどなくて調べようがなかった。
でもスピーカー・キャビネットの上にミキサーみたいなモノが乗っかっているでしょう?
コレは恐らく「2125」という8チャンネルのミキサーのハズ。
250v下がその「2125」。
100W、8チャンネルのパワード・ミキサーで表面にはそのまんま「Eight Channel Mixer」と記されている。 
モデル・ナンバーがSupa Bassと連番になっているし、生産していた時期も同じなのでこのミキサーと組み合わせて販売していたのかも知れない。
だとすると「Supa Bass」という名前にはなっているが、ベース用の機材ということではないということか?…ハッキリとしたことはわかりません。
低音域が「スーパー」なPAシステムだったのかしらん?Rimg0179それからこのいわゆる「ころがし」。
コレも日本ではまず見かけることがないでしょう?
260コントロールはこんなレイアウトになっている。
このアイテムについては色々と手を尽くしたんだけど手がかりをつかむことができなかった。
ただ「Marshallのモニター・スピーカー」ということでひとつ書いておくと…まだ私がMarshallのディストリビューターに勤めていた1999年のことだったと思うが、ジェフ・ベックが来日してその公演の模様をテレビで放映したことがあった。
その中でジェフの足元にLCフレットをまとったMarshallロゴのモニター・スピーカーが映り込んだ。
すると翌朝、そのモニター・スピーカーに関する問い合わせが会社に殺到したのには驚いた。
みんな熱心だよ~。
でもその時は情報もなく「市販されていません」と返答するより他になかった…本当のことだから。
それから数年してジェフのギター・テクと仲良くなる機会を得、その時のモニター・スピーカーのことを尋ねてみた。
彼の答えはこうだった…「ジェフは自分のギターの音がどういう風に聞こえているかをとても気にするので、彼の背後にセットしてあるMarshallのスピーカー・キャビネットから出て来る音と同じ音が出るモニター・スピーカーを足元にセットする必要があったんだ。
その希望をMarshallに伝えて特別に作ってもらったんだよ」
2000年以降、来日するたびに私がジェフが使うMarshallを用意していたので都度現場を訪れていたが、そのモニターを見かけたのはテレビで目にしたのが最後だった。
今にして思うと、このナゾのモニター・スピーカーがあのジェフのモニターのアイデアの元になっていたのか知れないな。
270vということで、このモニターに関してはナニもわからなかったが…アララ?
下は工場のリペア部門で修理をしてもらうのを待っている一般のお客さんから寄せられたMarshall製品。
オイオイ!この「ころがし」が送られて来ているじゃんか!
しかもこっちはスピーカーが1発のバージョン。
ということは、コレはシリーズでラインナップされてイギリスでは普通に流通していたということなのか?
ま、そうとしか思えん。
やっぱり本場は違うナ。310コレはどうよ?
1972年から1974年に生産されていたモジュール型ミキサー「2050」。
「2030」という8チャンネル・ミキサーの上位機種で9、12、15チャンネルのミキサーとして使用することができたとか。
Img_0546この70年代のMarshallの音響機器への取り組みはかなり本格的で、今では見ることも聞くこともできないミキサーやパワー・アンプがゴロゴロしていた。
ジョー・コッカーもMarshallのPAシステムを愛用しているという記述を目にしこともある。
アンプやキャビネットだけではない、1971年には「3700」というマイクロフォン、1974年頃には「2066 Lifeguard」という電源タップまで作っていたんだよ。
Img_0547それなのに70年代が終わる頃になるとまるで熱が冷めたようにこうした音響機器から手を引いてしまった。
売れなかったから?
いいや、ギター・アンプが爆発的に売れてきっとPA機材どころではなくなって来たのでしょう。
フィル・ウェルズがいなくなった今、この辺りのことを訊こうにもこうした歴史を肌感覚で知る人がもうMarshallにはいない。
だからMarshall Blogでやったフィルのインタビューは我ながら値千金だと思う。
その連続インタビュー記事はコチラ
   ↓   ↓   ↓
フィル・ウェルズ・インタビュー~その1(全8回)
Img_0549コレは懐かしいヤツ。
ピート・タウンゼンドのアイデアで作った8x12"スピーカー・キャビネットのレプリカ。
あまりにも重くて取り扱いができないことからピーターがジムに頼んで2台の4x12"キャビネットに分割してもらった結果誕生したのがいわゆる「3段積み」であることはつとに有名な話。
コレはMarshall初の100Wモデルの40周年を記念してリイシューした「JTM45/100」のPRのためのアイテム。
実際に発売した商品は上下半分で割って3段積みセットで発売された。
280多分このレプリカは2005年のフランクフルトの展示会でお披露目したハズ。
下はその展示の様子。
初めてコレを目にした時、「ウワ!コレは片付けるのが大変だぞ!」とビビったモノだったが、何てことはなかった。
スピーカーが入っていなかったのだ。
それより撤収の時にこのキャビネットを収納するための巨大な段ボール箱でMarshallの連中とかくれんぼをして遊んだ時はとても楽しかった…子供か!810もうコレは何度もMarshall Blogに書いて自慢して来たので古くからの読者の皆さんには迷惑千万な話かも知れないが、こうした記事を書くのも恐らくコレが最後になるであろうからもう1回書かせて頂く。
MarshallのR&Dチームがこの「JTM45/100」のリイシューを開発していた時、電源まわりの回路に不明な部分があったが当時のMarshallはその実機を持っていなかったので一計を案じることになった。
どこで調べたのか、竹谷さんがその実機を持っていることを突き止め、私から竹谷さんに頼んで当該の箇所の写真を撮ってもらい、それをイギリスに送って欲しいという依頼をしてきたのだ。
竹谷さんのことはそれ以前から存じ上げていたので、すぐに連絡を取ってお願いしたところご快諾頂き、しばらくして商品が出来上がった。
下はその取扱説明書。
本物はとても高価で手も足もでないので、当時Marshallで取説制作の担当をしていた故クリス・パーソンズにオネダリをして1部だけ頂いて来た。
どうしても欲しかったのだ。Img_5010そのどうしても欲しかった理由は、スペシャル・サンクスとして私の名前を入れてもらったから。
私の名字の頭文字は「U」なので、見事「T」のピート・タウンゼンドの隣にクレジットされることになった。
コレはうれしかったね~。
一方の竹谷さんは「Ta-」だから「Townshend」の前。
ただの偶然にしても日本人の名前がMarshall最初の100Wモデルの考案者の名前を両脇から固めたところがスゴイ。
今でも大切に保管してある。Img_5013_2ところでこのアンプ、ヘッドは残っているのに8x10"のスピーカー・キャビネットの実物は見たことがない。
せいぜい1965年当時のThe Whoの写真で見かけるぐらいなのだが、本当にこんなハンドルだったのであろうか?
こんな華奢な取っ手でこのキャビを持ち上げるのは絶対にムチャだ。290ハイ、これで壁側の展示品のほとんどの紹介が終了。300ココからはその向かい側、入り口に背を向けているアイテムを見ていくことにする。20「Bluesbreaker」の愛称でおなじみのMarshallの最初のコンボ・アンプ「1962」。
Marshallが保有しているこの「1962」は1965年3月製のかなりの初期型で「Series 1」と呼ばれているフロント・パネルと縁に段差が付いているタイプ。
今のフロント・パネルが平らになっているタイプは「Series 2」だ。
この「Series」という呼び方は『The History of Marshall』の著者のマイク・ドイルが1993年に唱え始めたモノでMarshallが名付けたものではない。
コレが「Bluesbreaker」と呼ばれるようになった経緯はもう書かないが、少しだけナニか書こうとするのであれば…「1961」が4x10"バージョン。
他に10インチのスピーカーを6台乗せたモデルもあったらしい。
「1962」専用のエクステンション・キャビネットを作っていたことも今回初めて知った。
それからクラプトンが車のトランクに乗せられるようにコンボ・アンプの制作をジムに依頼した…という話しは残念ながらウソ。
今ではクラプトンが使い始めるより前から「1962」が存在していたことがわかっている。30とにかくこんな本が出ているぐらい「1962」には色々な話があってチョットやソットでは解説しきれん。
採用パーツの違いや変遷はおろか、何しろ採用されているフレット・クロスの柄のパターンまで研究している人がいるのよ。
50この1965年製1962のコントロール・パネル。40この辺りはしょっちゅう場所が入れ替わっているようですでに紹介したMarshallが
ゾロゾロと並んでいる感じ。70_2コレは冒頭で紹介したジムの85歳の誕生日を祝って作られた「1923C」。
このおジイちゃんがどなたかおわかりか?
この方は「Bert Weedon(バート・ウィードン)」というギタリストで、1959年にザ・ヴェンチャーズもカバーした「Guitar Boogie Shuffle」という曲を世に出した人。
イギリスでは「最も影響力の大きいギタリスト」と言われていて、ポール・マッカートニー、クラプトン、ピート・タウンゼンド、ブライアン・メイ、スティング等々、みんな若い頃バートに感化されたという。
ナゼかマイク・オールドフィールドがとりわけ大きな影響を受けたらしい。802010年、このアンプはバートの90歳の誕生日を記念してジムがプレゼントしたモノだ。
Img_0085ジムとバートは大変な仲良しだった。
100バートは1920年(大正9年)の生まれでジムよりも3歳年上だったが、ジムが亡くなった2012年4月5日の15日後、ジムの後を追うようにして91歳でその天寿を全うした。
下の写真は向かって一番左がバートで真ん中がジム。
右端は「Brian Poole(ブライアン・プール)」。
ブライアンは「The Tremeloes(ザ・トレメローズ)」というバンドを率いて数々のカバー曲でヒットを飛ばしたイギリスの大歌手。
デッカのオーディションで「ビートルズに勝った男」としてよく知られている。
私は会ったことはないのだが、少しメールでやりとりをしたことがあって、とても親切な紳士だった。
110しかし、私がいかにもバートを知っている風なことを書いているように読者は思うかも知れない。
実は私はバートを知っているのだ。
というのは、バートは毎年フランクフルトの楽器展示会「Musik MESSE」に来ていて、いつも顔を合わせているウチにお近づきになったのだ。
奥さんがとてもチャーミングな方で、あんなところにたった1人東洋人がいるのが珍しかったのであろうか、私と目が合うといつでも例外なく熱烈なウインクを送ってくれた。
バートの家は裏道でヒースロー空港からMarshallの工場に行く途中の「Beaconsfield(ビーコンズフィールド)」という小さな町にあって、私とバートの関係を知っているMarshallの運転者はその前を通るたびに「ココがバートの家だよ」と教えてくれたものだった。
大きい家だった。
ところで、アンプのデモをするワケでもなく、毎年ウィードンご夫妻が何のためにドイツまで来ているのかというと、その理由はただひとつ…「ジムの友だち」という仕事をこなすためだった。
下はフランクフルトでのMarshallの定宿。
私も何度もMarshallの連中とこのホテルに滞在したがいつも最高に楽しかった。
Marshallに本当に可愛がってもらったことを心から感謝している。
その分、徹底的に一生懸命仕事をしたけどね。またそれが楽しかった。
このあたりのことを含め、30年近くにわたって私が経験したMarshallに関することをいつか「回顧録」のような形で文章に残すことができたらいいな~と真剣に思っている。
さて、フランクフルトにはそういう類の人が他にも来ていて、Marshallのスタッフに「あの方はダレ?」と尋ねると答えはキマって「Jim's friend」だった。
Rimg0276ココは脱線。
そのジムの親友の皆さんの中に顔見知りではあったものの、特に親しく接したことがないご夫妻がいらっしゃった。
そして、フランクフルトに最後に参加してから11年も経過したコロナ真っただ中の2020年のある日、その奥さんから突然メールが送られて来てビックリ仰天した。
正直、最初はそのメールの主が誰かはわからなかった。
用件はその方のお嬢さんが友だちから譲ってもらったフランク・ザッパのレコードを買わないか?というお誘いだった。
フランクフルトでその奥さんと特に話し込んだ記憶がないつもりだったが、どうやら私はその方にザッパの話を滔々としていたらしい。
コレには理由があって、イギリスの少しご年配の方々が若い頃にどんな音楽を聴いて、何のコンサートに通っていたという話しを聞くのが滅法オモシロイのだ。
「私は何と言ってもレジよ!(エルトン・ジョンのこと)」とか「私は断然ロッド!」…ロッド・スチュアートってったって「フェイセズ」の時代ですからね。
こういう話を聞くと生のブリティッシュ・ロックを感じて感動しちゃうワケ。
そんなおしゃべりをする時の私のルーティンは「その頃、フランク・ザッパをご覧になったことがありますか?」という質問をすることだったので、きっとそこからつながったのであろう。
ザッパはヨーロッパにツアーに行く時は必ずロンドンからスタートしていたので、「もしかしたら」という期待があったのだが、もちろんザッパのコンサートに行ったことがある淑女は皆無だった。
さてそのレコード、訊けばほとんどがイギリスのオリジナル・プレスで、リストの中には私が30年近く探しても手に入れることができなかった『Zappa in New York』があった。
喜んで11枚ほど買い込ませてもらった。
だからコレもジムのおかげなんです。
でもコレで完全に燃え尽きてザッパの音源を買い求めることを止めてしまった。
Img_5008さて、話をバートに戻して…。
レーザー・ディスクなんて懐かしいでしょ?
1991年頃にリリースされた『Guitar』という作品。
今となっては軍事評論家になってしまったらしい「ジェフ・バクスター」がホストになって「B.B.キング」や「レス・ポール」、「デイヴ・ギルモア」や「エリック・ジョンソン」等、錚々たるギタリストたちにインタビューをしてギターという楽器の魅力を探求する…みたいな内容だった。
120この作品に何とも奇妙なスタンスでバートが出演しているのだ。
もうレーザー・ディスクを再生する装置がないので記憶だけでそのシーンについて書かざるを得ないが、
バートの目の前でマーク・ノップラーがあるギターの教則本を指して「コレはウソだ!」と結構マジメに非難するシーンがあるのだ。
気の毒に…バートは少々顔を引きつらせながらも弁解していた。130このシーンでノップラーがナニを言っているのかというと、バートは1950年代の後半に『Bert Weedon's Guitar Guide  PLAY IN A DAY(バート・ウィードンのあなたも1日でギターが弾ける)』という教則本を著していて、ノップラーは「この本を読んでも1日で弾けるようになんかならない!」と文句をつけているワケだ。
当たり前じゃね~か!大人気ない…そんなことで怒るんじゃない!90bでも心配はご無用。
バートのこの著書は累計百万部以上を売り上げ、現在も流通しているこの類では大の名著とされているのだ。
かつてはマイク・オールドフィールドはテレビでこの本を紹介したこともあったという。
懐かしな、バート・ウィードン。
1枚ぐらい一緒に写真を撮っておけばヨカッタ。
Piadさて、この工場ミュージアムの紹介もいよいよ次で最終回です。
Thumbnail_img_0274<つづく>
 200

2026年4月10日 (金)

マーシャル・ブログ博物館  第4回:工場ミュージアム<その4>

Marshallの「工場ミュージアム」の紹介はまだ続く。
今回はエントランス正面2階の下手側。10下手側にもショウ・ウインドウが設置されていてギターが展示されている。
ギターの下にポコっと置いてあるのは「"DE LUXE" OUTPUT TRANSFORMER」の箱。
古いイギリス製のトランスだ。
ナンでコレだけこんなところに置いてあったのかね?
2img_0122このウインドウは異動が頻繁で、ある時はこんな感じだった。
左の赤いVシェイプはケリー・キングからのモノでサインの傍らには「Marshall Rocks!」と入っている。
青と黒いVはともにデイヴ・ムスティンから。
「50」と入っているエクスプローラー・シェイプは既に紹介した創立50周年記念コンサートの時に先日亡くなったフィル・キャンベルが使っていたギター。
右端のレスポール・シェイプのギターはMarshall製…こんなのあったっけかナァ?
マルコ・メンドーサ他のサインが入っている。30ギターの下にはハンドワイアード他の基板を展示している。50下は2012年9月、50周年記念コンサートを直前に控えてBBCが取材に来た時のもよう。
大変カンタンである。
インタビューを受けているのは長年にわたってリペア・サービスを担当していた「フィル・ウェルズ」。
Marshall Blogでロング・インタビューを掲載したことがあるので古くからの読者はこの名前に聞き覚えがあるかも知れない。
翌朝、さっそくこのインタビューが放映されていた。
60それではひとつずつ展示品を見ていこう。
まずはポール・ウェラーのシグネチャー・モデル「1987X-PW」。
ポールやジムのサイン入り。
このモデルは「1987」と謳っているが、元は1973年から1976年までの間に通信販売されたギターとベース兼用の50W、2x12"コンボの「2100」だ。
ポールの50歳を記念して世界で50台だけ生産し、その売り上げのすべては「Childline」という恵まれない子供のためのチャリティ団体に寄付された。
70ポールは長い間「2100」を愛用していて、2009年に来日した時も持参していた。
下の写真でポールの背後に見えているのがソレ。
この時、私の方からはNATALを貸し出した。
そこでMarshall Blogの取材をさせてもらったのだが、この時は本当に驚いた。
会場はZepp Diver Cityでリハーサルの最中にお邪魔すると、マネージャーが私が到着したことをポールに伝えてくれた。
するとポールは曲の途中で演奏を止め、ステージから降りてホールの後方にいた私のところに歩み寄り、自分が使うワケでもないのに丁寧にNATALの貸し出しに対するお礼を述べてくれたのだ。
コレには本当にビックリした。
洋の東西を問わずそんなことをしてくれる人はまずいないからね。1202下はその時にもらったピック。
そういえば、開演前に私に話しかけて来た比較的ご年配の白人ご夫婦がいた。
オジさんは会場の設備についてしきりに私に尋ねていたが、そのウチ聞くとはなしに自分たちのことを語り出した。
何でもその2人はポール・ウェラーの大ファンで、ポールが行くところ世界中どこでもくっついて回っているというのだ。
グレイトフル・デッドの「デッド・ヘッズ」みたいなもんね。
一体何の仕事をしているのか気になったが訊かなかった。
とにかく世界には色んな人がいるもんだ…と思った。12_pwpその隣りの白い「1962」。
なつかしい…。
2003年、Marshallの40周年を記念して自動車の「ジャガー」とコラボレイトした完全手作りの逸品。
世界で30台だけ作られた
Marshallの工場である段階まで組み立て、コヴェントリーにあるジャガーの工場に移送し、そこで車のシートに使われる本革を用いてカバリングが施された。
80この記念モデルは発表となる前、Marshallの創業40周年を記念するパーティが開かれた際に関係者にお披露目された。
下はその時に撮った写真。
スピーカーには「JTM45 Offset」の時のCelestion製アルニコ・スピーカーを搭載。12_img_4957_1シャシやパーツはギンギラギンのゴールド・ミラー仕上げ。
当然のごとくかなりのお値段で£5,000の値(今の為替レートで107万円)で売り出された。12_img_4960_1Marshallはこの30台をインターネット上の世界規模の抽選を通じて販売した。
あくまでもファンの間の公平を期すためだ。
クジを引いているところを見ることはできなかったが、日本の方が当選した場合にはMarshallから応募者と私に連絡が来ることになっていた。
そして、その当選者が購入の意思を表示した場合には私がMarshallの代理人として当選者と連絡を取り合い、販売を担当する楽器店の間を調整するという段取りだった。
そしてある日、「シゲ、日本人が当たったゾ!」という連絡がMarshallから入った。
しかし、その当選者は経済的な理由で購入を辞退してしまった。
なんせあのお値段だからネ。
12_img_4956_1それからほどなくして、また「日本人に当選した」という知らせが来た。
ご当選されたのは中京地区の方で「ま、こんなことは滅多にないでしょうから頂いておきますわ~」とスパっとご購入を決意されてワザワザ東京までお越し頂いてご購入頂いた。
だからもしそのお客さんが手放して海外に流出していなければ、また誰かが海外から持ち込んでいなければこの「40周年記念Bluesbreaker」はたった1台だけ日本に存在していることになる。
ちなみにイギリス人は「Jaguar」を「ジャガー」とは発音しない。
綴り通りハッキリと「ジャギュア」と発音する。12_img_4963_1ところでこのMarshallの創業40周年を記念した式典については、Marshall Blogにも詳しく書いたことがなかったように記憶している。
私はラッキーなことにその40周年記念の式典と50周年記念コンサートの両方に出席した唯一の日本人なのだが、恐らく今のMarshallにも同じ経験をした人はほとんどいないのではなかろうか?
2012年の「ウェンブリー・アリーナ」での50周年のコンサートに参加した人は今でも何人か工場に残っているが、40周年の式典の時にはMarshallの社員でもごく限られた人しか出席できなかったからだ。
その点、2002年当時私はディストリビューターだったので「来賓扱い」で出席することができたというワケ。
下がその時にジムと撮った写真。
テーブルの散らかり具合でかなり盛り上がったことが想像できよう。
12_img_4973「40周年を記念する式典」と聞いて、そこは「世界のMarshall」…Marshallを愛用するブリティッシュ・ロックの大物が大挙してやって来ることを想像して臨んだ。
が、その期待は大きくハズれた。
会場は下の写真にある「Wilton Hall」という本社の近くの貸しホールで(写真は10年後の2012年の撮影)、そこに世界中のMarshallの関係者が集まって食事をし、創業40周年を祝う…という簡素な内容だった。
日本のこういった行事となると、ヤレ社長の挨拶だ、ヤレ来賓の挨拶だ、ヤレ祝電の披露だ…となるのが式次第の相場だ。
向こうの人はコレを指して「So mamy speeches!」とイヤがるのが普通なんだけど、この時は……やっぱりそういう儀式が一切なかった。
司会もなし、どころか確かジムの挨拶もなかった。
食事はビュッフェ形式で、「カンパ~イ!」も「いただきます!」もなく、何となく食べ始めちゃう。
それでも気になるミュージシャンのゲストは、「アイアン・メイデン」のメンバーが来ていたぐらいだったかな?
確かブルース・ディッキンソンは来ていなかったと思う。
それから「ポール・ロジャース」からお祝いのビデオ・メッセージが届いていた。
会場内にはステージがあって、Marshallのデモンストレーターや社員によるバンドの演奏が繰り広げられた。
リチャードというベラボーに歌のウマい社員がいて「Smoke on the Water」を歌っていたっけ。Img_5849_2 こうした西洋の正式な式典の場ではタキシードやイブニング・ドレスで着飾った映画に出て来るような紳士淑女に囲まれて、日本人はどうしても強いコンプレックスを感じてしまうのが普通だろう。
私も何度か経験があるが、アレだけは本当にイヤだね。
しかしこの時はジムがそういうかしこまった雰囲気を好まなかったため、参席者はみな平服で参加していた。
それでも、同じテーブルに着席した当時のフランスのディストリビューターの社長夫人のいでたちにはド肝を抜かれた。
巨大にして華美な帽子を頭に乗せたその夫人の姿はまるでセシル・ビートンがデザインしたドレスに身をくるんで「ロイヤル・アスコット」にやって来た「イライザ・ドゥーリトル(=オードリー・ヘップバーン)」そのものだった。
でも、まったくおかしくないんだよね。
日本人があんな帽子をかぶったらハロウィンのコスプレとしか思えないだろうけど、本物のマドモアゼルにはとてもお似合いだった。
ま、そうして見てくれに関しては一切肩身の狭い思いをすることはなかったのだが、好事魔多し、意外なところで恥をかくことになった。
それは宴もたけなわになった頃のこと。
誰かがある歌を歌い出した。
それは英語の歌の中で「Happy birthday to you」に次いで世界で2番目に頻繁に歌われている曲で、誕生日や誰かを祝福する時に歌われる。
この場合の「誰か」とはもちろんジム・マーシャルのことだ。
やがてそこにいた人たち全員が立ち上がってその歌を大声で歌い、前の人の肩に両手を置き輪を作って長蛇の列を組み上げて「ジェンカ」のように会場内をグルグルと回り出した。
もちろん私もその曲をよ~く知っていた。
だから私もその輪に入って声高らかにジムを称えたかったのだが……歌えない。
歌詞がわからないのだ。
そして恥ずかしいことにその場で歌うことができないのはどうやら自分ひとりだけなのだ!(同行した日本人は対象外)
かといってニコニコと口パクで歌っているフリをしながら輪に加わるのも大きな屈辱ではないか。
仕方なくみんなが盛り上がっているのを横目で見ながらワインをチビチビと口にしてその場をやり過ごしたという次第。
情けないったらありゃしない。
みんなが楽しそうに歌っていたのは「For He's Jolly Good Fellow(彼はいいヤツだ)」という曲だった。
For he's a jolly good fellow
For he's a jolly good fellow
And so say all of us
(彼はすごくいいヤツだってみんなそう言っている)」
知ってるでしょ?これだけの歌なのに手も足も出ないなんて…。
「郷に入れば郷にしたがえ」で、先方の文化を知って海外の人と付き合うべきとエラそうに日頃から思っていた私にとっては思いがけずこの宴席が針のムシロになった。
下もこの時に撮ったジムとデイヴ ’バケット’ コルウェルの写真。
バケットはかつてバッド・カンパニーのメンバーだった。
2人の後ろにいるのは24年前の私。
しかしこの写真、一体誰が撮ったんだろうナァ?Mr_marshall2元に戻って…
コレ、私が思うにMarshall史上最もMarshallの製品に見えないモデルだと思うんだけどどうだろう?
「SRXシリーズ」というPA用の150Wアンプ・ヘッド/6チャンネル・ミキサー。
名前は妙だわ、色合いはおかしいわ、パーツのデザインも変だわ。90 
「Marshall」のロゴだってまるで隠すようにして小さく入っている。
本当にMarshallの工場で作っていたのかしらん?
Srxリア・パネルのようす。
これは試作機なのかな?100販売していたのは1987年から1991年の間で、こんな感じでスピーカーを組み合わせていたようだ。Srxsこのスピーカーがまた全くMarshallらしくない…ように思える。
100Wの1x12"が「6121H」、 150Wで 1x15"が「6151H」という型番だった。
型番もヘンだわ。
12_6121hまるで戦時中の無線機のようなルックスのPA用アンプ。
このモデルは100Wが「2009」、50Wが「2010」、20Wが「2011」とされていた。
販売していたのは1968年から1971年まで。110「KITCHEN」バージョンも生産していた。
「KITCHENS」は北イングランドを主に商売をしていた楽器店で、1966年頃、ジムやローズ・モーリスに依頼して自社のブランド名を冠した製品の生産してもらっていた。
そこでPA用のアンプを主体にブランド展開したのが「KITCHEN-MARSHALL」だ。
しかし、KITCHENSが本業で販売していたのがMarshallやPARKの商品だったので、たとえ自社の名称が使われていてもほぼ同じ商品を売ることに意味が見出せず、結局短期間のうちに消滅してしまった。
それゆえ「KITCHEN Marshallは」レア度が高く、下の工場に展示しているアンプは最後に作られたモノであるらしい。1201967年に発表した100WのPA用アンプヘッド「Master P.A. 2003」と4x12"のコラム・スピーカー「1969」の組み合わせは「100-WATT SET-UP」と呼ばれた。
「Set Up」というのはローズ・モーリス流の「Stack」呼び方だ。
当時、この辺りのPA用のアンプはワッテージ違い、インプット違いでたくさんのラインナップを備えていた。
それだけPAシステムの需要が高かったということであろう。
130「KITCHEN」が出たところで「Park」を見てみよう。
「Park」はローズ・モーリスとの契約から離れてバーミンガムの「ジョニー・ジョーンズ」という友人のためにジムが生産したMarshallの傍系ブランド。
「ジョーンズ」という名前ではパンチが効かないのでジョニーの細君の「パーク」という名前を冠した。
コレも75WのPA用アンプ「1001」。
2x12"のコラム・スピーカーは「1017」。
この青いフレット・クロスもいいネェ。
実に涼しげだ。170v「コンビネーション・アンプリファイヤー」という宣伝惹句で売り出した1x15"コンボ「1018」。
出力は25W。
そこで「大音量を必要としないギタリストであれば、コレ1台で必要な機能がすべて手に入ります」と謳った。
ナニが「コンビネーション」でナニが「必要な機能」かというと、トレモロとリバーヴが搭載されているのだ。
この時代の人が今の巷間のデジタル・アンプの多機能を知ったら一体ナンて言うだろう?
「へへん、それがどうした?音の良さなら負けないよ!」って言うんじゃない?
230vロゴがハズれてしまっているが、ヘッドは「Park45」と呼ばれる「JTM45」のシャシを90度回転させてキャビネットに収めたPAアンプ。
だから出力は30Wということになろうか。
極めて珍しいモデルで、このアンプが製造されたのは1968~1969年ぐらいのようだ。
組み合わされたコラム・スピーカーには 12"のスピーカーが2台搭載されている。
背面はハーフ・オープン。
このフレット・クロスも実にいいね。
ケン・ブランは「Marshallの余剰パーツを使ってParkを作っていた」なんて言っているけど、イヤイヤ、ルックスに関して言えばParkもゼンゼン素晴らしいんじゃないですか?180v6インプット、100Wのミキサー・アンプ「1220」。
しかし色んなことをやっていたんだナァ~、感心しちゃうわい。
19050W、1x12"のギター用フルヴァルブ・コンボ「1239」。
1970年代後半に流通していたモデルで、ベース用が「1238」というモデル・ナンバーだった。
2008W、1x8"のトランジスタ・アンプ「1230」。
もうコレなんかは「Marshall感」がゼロだね。
少年マンガ雑誌の表3の通信販売の広告に出ていそうな見た目だ。
「ギュイィィィィン!キミも1日でギターが弾ける!」みたいなヤツ。
210お揃いでベース用も用意されていた。220ところで…。
もう今の若いギタリストの皆さんは「Park(パーク)」なんてご存知ないでしょう?
下の写真みたいなヤツ。
え?MarshallのMGシリーズのニセモノじゃないかって?
イヤイヤ、チャンとしたMarshallの商品だったんですよ。
かつてあった「Park」とは丸っきり無関係にMarshallが1993年に立ち上げた海外生産の汎用モデルのラインナップだった。

G10
Parkシリーズが始まった1993年当時の広告、「PARK SON OF MARSHALL」。
マッド・サイエンティストのJCM900が息子を創造した…それが「Park」。
コレには『ロッキー・ホラー・ショウ』の「ドクター・フランクンフルター」のイメージがあるのかも知れないね。
ところが、Parkの購買者層はいくらMarshallの息子とはいえ「Park」などという見知らぬブランドに興味を示さず、商売はあまりいかなかったらしい。
Som2コチラは当時のParkがデビューした1993年の雑誌広告。
「見た目はチョイと違うけどParkはMarshallですよ~!」と懸命に主張している。
最早、完全にMarshallのコバンザメとして、商品の良さよりも手っ取り早く「Marshallの血脈ですよ」ということを押し出した。
12_img_4947_1下は1997年からスタートした第2世代のParkシリーズの一番小さい10Wモデル「G10 MKII」。
もう自らが「Park by Marshall」と「Marshall」の名前を謳い出しちゃった。
その甲斐があってか、日本では「ジーテン」と呼ばれ、大ヒット商品となった。
「Marshall」というとステージでスポットライトを浴びる大型アンプにどうしても注目が集まりがちだが、実はギター初心者のキッズの皆さんが手始めに手に入れるこうした練習用の小型アンプはMarshallの重要な商品なのだ。G10mk2そしてParkシリーズは2002年になると再びフル・モデル・チェンジをする。
Marshall社内では「MGIII」と呼ばれていたこのPark第3世代ではいよいよ「Park」の名を取り除き、「Marshall」のロゴ・サインをまとうことになった。
「ParkがMarshallになる?!」…発表に先駆けてMarshallからこの知らせを受け取った時はかなり驚いた。
もちろんMarshallファンの間でも大きな衝撃となったハズだ。
ナゼ初めからこうしなかったのか?…実はジムはイギリスで生産していない製品に「Marshall」という名前をつけることをイヤがっていたからだった。
12_img_4940_1この「MGシリーズ」の売り上げはビックリするほど好調だった。
オモシロイほど売れに売れた。
いい時代だった。
実際、「FDD回路(Frequency Dependent Damping)」という真空管アンプのサウンドを模すための新機能を搭載した商品自体もとても良い出来だったと思う。
12_img_4943_1「Park」つながりで「CMI」。
30Wの「Master Lead Tremolo」は「1070」。
このアンプ、珍しく10"のスピーカーを3台搭載している。
CMIは「Cleartone Music Instruments」の略称でParkの販売をしていた会社。
MarshallはそのCMI向けのOEM商品を生産していたが、ラインナップはParkと大差なく、同じ会社が異なる名前の同じ商品を販売するという妙な形態となってしまったため、KICHEN Marshallと同様にCMIのアンプも1976年~1977年と短命に終わった。240<つづく>
 200

 

2026年4月 8日 (水)

MICHAEL VESCERA PROJECT~DAY OF THE “SEVENTH SIGN”<第2部>

今回のマイク・ヴェセーラの東京公演2日目の第1部は前回レポートしたように、マイクが参加したイングヴェイ・マルムスティーンの1994年のアルバム『The Seventh Sign』の曲の数々を再現した。
そして第2部ではMichael Vescera Project(以下「MVP」)のニュー・アルバム『Rebirth』からの曲の他、バラエティに富んだセットリストが組まれ、第1部で最高潮に達したかのように見えた会場の熱気はさらにそれを上回ることになった。10v_2当日の屋台村のようす。
バッチリ揃ったTシャツ類。20_2もちろんニューアルバム『Rebirth』も陳列。
このアルバムには『リバース~転生の一撃~』という邦題が付けられている。
つまりマイクが自国から遠く離れた日本の若者たちとタッグを組んで22年ぶりに発表した作品ゆえ「転生」という山田風太郎が耳にしたら喜びそうな表現が使われているのだ。
そのドンズバのレコーディング・メンバーがこれから『Rebirth』の曲を演奏しようてェんだから会場を埋め尽くしたファンの皆さんの期待は並大抵なモノではないワケよ。30_2さて、その第2部はまずYAMATOさんの切れ味の鋭いドラミングでスタートした。40vこの胸のすくこのドライビング・チューンはさっそく『Rebirth』からの1曲、「Innocent Man」。50ド迫力のリズムに乗って…008a0127 第2部でもノッケから快調にシャウトしまくるマイク!70v_2それに続くジエンくんのソロにもますます拍車がかかる。80vジエンくんはMarshall。
使用したのはJVMのジョー・サトリアーニ・シグネチャー「JVM410HJS」。
下は予備の「JVM210H」。90そしてスピーカー・キャビネットは自慢のMODE FOURキャビ「MF400A」と「MF400B」だ。
100v2曲目はMAJUSTICEのナンバー「Infinite Visions」。110_2耳ざわりのよいサビのメロディを携えてひたすらストレートにドライブ!
120ジエンくんは自らのMAJUSTICEナンバーとだけあってとりわけ密度の濃いソロを披露した。130曲の後半で入ってくるYAMATOさんの3連のバスドラムが耳を惹く。118a0187 そして早速第2部でもお客さんの大合唱が炸裂した!
<第1部>でさんざん書いたけど、このお客さんの合唱ってのは生のステージでしか味わうことができないライブの真骨頂だよね。
皆さん、英語バリバリよ。
それだけよく聴いている…だから雰囲気も上々ということなんでしょうな。
私もこの50年の間に数えきれないほどコンサートに通ったけど、演奏する曲をすべて知っていて、かつそれらをほぼ一緒に歌えることができたのはたった2回…「10cc」と「Zappa Plays Zappa」の時だけだったナァ。
合唱ではなく私だけの独唱でしたが…だから今日のお客さんがうらやましい。
幼い時に映画館でみんなと一緒に「ガメラ」を大声で歌ったことはあった。
140v「さぁナニを演ろうか…次の曲はみんな知っているだろう?
我々は違う曲名で呼んでいるんだけど…」118a0373 …と触れて次に取り上げた曲は「One Third Emotion」。
Siam Shadeの「1/3の純情な感情」。160この曲が好きだというマイク。
それだけにバッチリとキメて見せてお客さんをよろこばせた。118a0079 ジエンくんも楽しそうにソロを弾いていたナァ。180_3「ン、オレ?」
「イヤ、呼んでない、呼んでない!」190v_2「元気ですかァ~!」
と、マイクがMarshallのおジジに大サービスをしてくれた。
でもね、実はマイクは寅年で私と同じ年なんだよね。
5か月違いでマイクがお兄さん。
私なんぞはとてもRebirthなんでできないナァ。200v「楽しいね!」と短いMCをはさんで次の曲を紹介。210曲は「Butter-Fly」。
『デジモンアドベンチャー』のオープニング・テーマ。220_2コンパクトにまとめたギター・ソロは効果満点。210v_2ココでもお客さんが大活躍だった!250_2「ありがとう!ばたふら~い。 
それじゃ次はMVPのニュー・アルバムの中の曲をお届けしよう!」260v_2『Rebirth』から「Face Your Demons」。
悪魔に面と向かった時には、きっとこうして猛ダッシュすることになるんだろうな…という感じのドライビング・ナンバー。280vギターを替えたジエンくん。
ソロの中間部のメロディアスな展開はお見事!
290そして極めて音ヌケのよい図太いギター・サウンドが素晴らしいぞッ!
「それな」300vアニメタルUSAのレパートリーで「Pegasus Fantasy」。
今頃ナンですが「アニメタルUSA」といえば…私は「SOLDIER OF FORTUNE」名義で「LOUD PARK 15」に出演したマイクを見ているんだけど、それより前の2011年、アニメタルUSAでLOUD PARKに出演したマイクも見ていたことを思い出した。
「♪ゆ~けゆ~け~飛雄馬」と歌っていたのがとても印象的だった。
この時、クリス・インペリテリに普通の黒い「1960」を貸し出したんだけど、ステージに上がっていた1960がすべてが白かったのを目にして仰天した。
何やら白い素材のモノを器用に貼り付けていたんだね。
310vしかし、コレは本当に人気のある曲ですナァ。
320_21960年代にアメリカで放映された日本のアニメといえば「鉄腕アトム」や「鉄人28号」や「エイトマン」。
そんな世代のマイクがこの人気アニメ曲をきらびやかに歌ってみせた。320v再びYAMATOさんのバスドラムが迫りくる~!330ジエンくんもソロを華麗に弾き切った!350「♪センセイヤ~ッ!」
イヤ~、コレもお客さんの合唱がスゴかった!360 「ワオ!チョット訊きたいことがあるんだ。
ココにLOUDNESSファンはいるか~い?」
もちろん客席の反応は特大。
370v_2ジエンくんが弾くリフから期待通りの…118a0520 「Soldier of Fortune」だ!390v_2「♪ソ~ルジャオブフォーチュ~ン」
コレばっかり書いてで恐縮なんだけど、ホントにお客さんの歌声がスゴイんだもん!
マイクも相当気持ちヨカッタと思うよ。
見ている私もとても楽しかった!
400ジエンくんのソロにも大きな歓声が浴びせられた。410_2次は第2部の大きな見どころのひとつだった。
リズム隊2人をフィーチュアするコーナー。
まずはオリーがYAMATOさんが繰り出すゴキゲンなロック・ビートに乗って…430vゴリンゴリンと弾き出した。
420v弾きながら1人だけとなったステージを闊歩するオリー。440_2コレがガチャガチャと細かいフレーズを弾くのではなく、ピックを用いて延々とひとつの音を弾いていくリズム・スタイルのソロ。
コレが実にベースという楽器らしくてベラボーにカッコよかった!450v_2続いてはYAMATOさんのソロ。460v_2途中でお定まりのお客さんとのコール&レスポンスを挟みながら…470_2パワフルにしてテクニカルなスティックさばきを存分に披露してくれた。480v_2マイクとジエンくんがステージに戻って『Rebirth』から「Misunderstood」。490ますます力のこもった声をブチかますマイク!500v_2ココでもオリーがカッコいいソロを聴かせてくれた。510v_2オリーからジエンくんへソロがリレーされる。
ココは手短にズバっと言いたいことをギターで言い切った。520v続くMCでは『Rebirth』を作った新しいMVPのメンバー」としてバンドの3人を紹介。530そしてアルバムのオープナーの「The Chosen」を披露。ジエンくんのギター・リフからスタートするパワフルなナンバー。
容赦ないマイクの激唱!008a0464ジエンくんはタッピングを駆使したアクロバティックなソロ。
560さらにもう1曲『Rebirth』から「Utopia」を演奏した。580v最後まで気合の入ったメンバーたちの演奏に…590vマイクが最高のシャウトを被せてくれた。118a0074_2 こうして『Rebirth』からの2曲で本編の最後を締めくくった。600アンコール。
「もう1曲演っちゃうよ!」
実は予定外だったというが、演らなきゃこのノリにノッたお客さんを到底納得させられないでしょう。
008a0515…ということで急遽演奏したのはイングヴェイの「Vengence」。
610想定外の展開に大喜びするお客さんに最強のパフォーマンスをブツけたMVP!
620v 630v 640v 118a0114 イヤ~、なんかロック・コンサートの醍醐味がギンギンに詰まったショウだったね。
とにかくお客さんの大合唱にはホントに驚いた。
楽しかったわ~。

Jien Takahashiの詳しい情報はコチラ⇒VIOLET ETERNAL OFFICIAL WEBSITE660<おしまい>

200_2(一部敬称略 2026年3月21日 新宿HOLIDAYにて撮影 ※協力:ルビコン・ミュージック)



2026年4月 6日 (月)

MICHAEL VESCERA PROJECT~DAY OF THE “SEVENTH SIGN”<第1部>

昨年に引き続いての来日を果たしたマイク・ヴェセーラ。
今回は自身の「Michel Vescera Project(以下「MVP」)」の22年ぶりの新作を携えての公演となった。
Marshall Blogはマイクが参加したイングヴェイ・マルムスティーンの1994年のアルバム『The Seventh Sign』の収録曲を中心にセットリストが組まれた東京公演の2日目にお邪魔して来たのでその模様を2回にわたってレポートする。10v「Thrill of it All」からバッハの「トッカータとフーガ」へ。
この壮大なオープニングSEに包まれてステージに姿を現したバンド・メンバーが演奏をスタート。008a0001そして、大きな歓声に包まれてMichael Vescera(以下「マイク」)登場!30まず手始めに取り上げたのはアルバムの1曲目でもある「Never Die」。
20Jien Takahashi(以下「ジエンくん」)008a0159 オリー・バーンスティン50vYAMATO60vノッケから猛然とシュレッドするジエンくん。70vジエンくんのギター・アンプは今日も当然Marshall。
ヘッドは愛用の「JVM410HJS」だ。80スピーカー・キャビネットはMODE FOURシリーズの「MF400A」と「MF400B」。
MODE FOURについてはコチラをご覧あれ⇒I REMEMBER MODE FOUR90vこのMarshallの爆音が送り出す風を背中で感じながら全編を通じて徹底的に弾きまくってくれた。1001曲目から客席の熱気がスゴイ!
でもコレがまだまだ序の口だったのを後になって知ることになる。110ギターからスタートした2曲目は「I Don't Know」。120vジエンくんのハードなギターに呼応するように猛シャウトするマイク。130vロック・フレーズを弾き詰めて堂々としたソロを聴かせたジエンくん。140続けて、オリーの図太い低音と…150vYAMATOさんのヘヴィなドラムスがミディアム・スローのドッシリとしたリズムを刻む「Meant to Be」。
160vマイクとジエンくんのイキもピッタリだ!170マイクが客席にマイクを向けると…ビックリ!
お客さんがバッチリと歌い返してくれるのだ。
スゲエ!まさに大合唱!180_2「調子はどうだい!
今日は『イングヴェイ・ナイト』だ。
イングヴェイの曲とMVPのニューアルバムからの曲、そしてもちろん他の曲も用意しているので大いに楽しんでいってくれよ!」190vジエンくんがアコースティック・ギターを奏でる。200そしてマイクがジックリと歌い込むのは「Forever One」。
210v感情と感情が真っ向からぶつかり合う濃厚なパフォーマンスが展開する。220ジエンくんは時折アコギのプレイを挟み込みながら…230v思い入れタップリの泣きのソロを展開した。240v「ココまでのところはどうだい?いい感じかい?
それじゃイエ~を聞かせてくれい!Say Yeah!」250…とアオっておいてジエンくんのリフから「Hairtrigger」。
260vYAMATOさんのドラムスがグイグイ押し迫ってくるドライビング・チューン!
270お客さんの「Hairtrigger!」の合唱がスゴイ!280オリーの締まりに締まったゴリゴリのベースを得て…290vジエンくんがココでも縦横無尽に暴れ回った!300マイクの歌いっぷりも壮絶!
なるほど「hairtrigger」というのは触れただけで弾丸が飛び出してしまうようなフェザータッチの引き金のことで、転じて「一触即発」という意味があるのか…知らなかった。
まさに「空が破けて声も聞こえない」ような一触即発のパフォーマンス。
310マイクがステージを離れて3人で演奏するインストゥルメンタル・ナンバーは「Brothers」。320ココはシットリと。
オリーと…330vYAMATOさんのハートフルな伴奏をしたがえて…340vジエンくんのギターが大いに泣いた!350vするとマイクがステージに戻ってきて「Seventh Sign」。360『The Seventh Sign』収録の曲を再現するショウだけあって、そのタイトル・チューンが出て来てお客さんはまたまたマイクと大合唱!
370vイヤイヤ、この合唱がホントにスゴイ!
まさにステージと客席が一体になっちゃうヤツ。
いいナァ、一緒に歌えた人は楽しかっただろうナァ。
マイクも「キミたちなかなかヤルね~!」という感じ?380スウィープ・ピッキングを駆使したクラシカルなフレーズを交えて、ココはジエンくんだけに華麗なソロを弾ききった!
390vYAMATOさんのフィルから…400v3連ナンバーの「Bad Blood」が続く。
ちょっとディープ・パープルの「Owed to 'G'」を連想させるこの曲…カッコいいな。410マイクが気合を入れて歌う「♪バッバッバッ」のパートがタマらん!420オブリガードもソロもブルージーにキメたジエンくんのギターも派手に魅力を放っていた。430インド風のSEが流れて来て「Pyramid of Cheops」。
ピラミッドとなると普通エジプトなんだけどな。440曲はオモシロイぐらいエキゾチックに展開していく。
こういうの好きよ。450vギターを持ち替えたジエンくんは猛シュレッディング!460vそして第1部を締めくくったのは「Crash and Burn」。470まるで昔からこの4人でこのレパートリーに取り組んで来たかのようなスキが全くない演奏。
そして、それを強力に迎え撃つお客さん。
実に雰囲気の良いショウだった!
480v 008a0149  500vこうして『The Seventh Sign』の収録曲を演奏した第1部は終了。
さぁ、第2部はどんな曲が飛び出してくるのかな?
楽しみだ~!510v<第2部>につづく

200_2(一部敬称略 2026年3月21日 新宿HOLIDAYにて撮影 ※協力:ルビコン・ミュージック)

2026年4月 3日 (金)

石川達也『Unwritten Tomorrows…』と局所性ジストニアを語る

去る2月、我がNATALドラマーの石川達也がクラウド・ファンディングを使って初めてのオリジナル・アルバム『Unwritten Tomorrows…』を発表した。
達也くんは「局所性ジストニア」という厄介な病気に罹患しながらもドラマーとしての活動を継続。
自分が創る音楽が同じ病いで苦しむ人やその周囲の人々、そして前進を試みようと努力している皆さんの心に響くように…という達也くんの願いに賛同した仲間が大勢集まってCDは制作された。0r4a0126 下がその『Unwritten Tomorrows…』。
収録された7曲はどれも粒ぞろい。
それらの曲を通して間違いなく達也くんの願いは叶うことであろう。
今日は達也くん自身にそのアルバムと局所性ジストニアについて語ってもらう。
Img_4994 
ジストニアとアルバム制作

Marshall Blog(以下「M」):達也くんとはQuorumの最初の頃からだからカレコレ13年ぐらい?
結構長い付き合いになってきたね。
石川達也(以下「T」):はい。いつもお世話になっております。
70v2_3Mイエイエ、こちらこそいつもNATALとMarshall Blogへのご協力に感謝しております。
さて、達也くんはある時「ジストニアという手足が不随意に動いてしまう病気に罹った」…という話しを打ち明けてくれました。
まだその時は失礼ながら「ジストニア」というと「どこかの国の名前か?」という程度の認識でした。
ところがその後、ドラマーで罹患している人が多いということを知って驚いたワケです。

チョットその辺りのことを話して頂けますか?
T:局所性ジストニアというのは簡潔に言えばひとつの職業病です。
同じ動作の反復をし過ぎることで脳の電気信号にエラーが発生し、筋肉の硬直やネジれが起きると言われているんですね。
同じようなことをしていても人によって発病したりしなかったりするので、ストレスやプレッシャーなんかも大きく関係してくるのではないかと個人的には思っています。
M達也くんが私のところに来て「ホラ、コレです」と何度かジストニアの症状を見せてくれたけど、アレには本当にビックリした。
T:私が「局所性ジストニア」と診断されたのは2023年のことでした。
当初、ジストニアは「治らない病気」という認識で、もう引退する他ないのではないか?と思っていたほどでした。
実際にその時は頭の中が真っ白になってしまって、今でも当時の状況をよく思い出すことができません。
ただ、その時点でこれ以上悪化させてしまい、請け負ったライブやセッションに出演できなくなることを考慮して出演をお断りさせて頂いていた案件もありました。
143v_2の当時の方々には多大なご迷惑をおかけしました。
Mそれは大きなショックだったことでしょうね。
T:はい。
後日、専門医から話を伺うと『薬で回復した人も、完治した人もいる』と告げられてわずかな希望が見えました。
ところが今にして思うとそこから1年の間に症状は少しずつ悪化していきました。
Mうん、よく電話で状況を説明してくれたことを覚えていますよ。
でもナニもしてあげられなかった。

T:足が思う様に動いてくれなかったり、タムを叩こうとしても腕が前に出なかったり、手首が急にひっくり返ったり…。
ドラムを演奏する時だけでなく、日常の生活にまで影響が出だしたんです。
例えば右脚が前に出しにくくなったり、一時期は右脚を引きずるようにして歩き、階段も一段ずつしか上り下りできないほどでした。
M身体的だけでなく、精神的にもさぞかし苦しかったことでしょう。
T:大変でした。
そんな状況の時に「もしこのままでは本当にドラムスを叩けなくなった時に後悔する」…と考えた挙句に出た答えが「制作をする」ということでした。
 
CD制作時の苦労
Mそんな肉体的精神的逆境の中で「ナニかを作る」?
相当な労苦を伴ったでしょう?
T:はい。見切り発車で始めた企画だったので想像以上に大変なことが多かったです。
170_3性格的な問題もあるのかも知れませんが、誰に何を連絡したのかわからなくなってしまったり、もらったデータを整理するのも私にとっては大変な作業でした。
それに加えて著作権のことに関しても無知だったので、お世話になっている方から力をお借りして、よくわからないながらも曲の登録などをしました。
M「ナニがわからないのかがわからない」ってヤツでしょ?
T:そうそう!
この制作作業とリハビリが同時進行だったこともあり、レコーディング曲によっては睡眠導入剤(リハビリ用の薬)を飲んで録音に臨んだこともありました。
Mそういえば一時期、「睡眠薬に効果があるんですよ」って言っていましたもんね。
あの時はチョット心配しました。
 
レコーディング・メンバー
160vMどのようにしてレコーディング・メンバーを決めましたか?
T:本当はもっともっと大勢のミュージシャンに声を掛けたかったのですが、特に自分の人生においてターニング・ポイントになった人、お世話になった人、憧れた人たちに絞ってお誘いしました。
この企画で初めて出会った人もいます。
自分が高校の頃から好きでその人の音楽を聴いていたんですが、落ち込んでいる時に聴いて元気を取り戻すことも多く、学祭でコピーを演ったこともあったんです。
それで企画を思いついた時期にちょうどSNSでその人を発見して「参加してもらえたらうれしい!」と、これも見切り発車で声を掛けたんです。
その他にも数年振りの連絡にもかかわらず親身になって話を聞いてくれて、ふたつ返事で参加をOKしてくれた方などとにかく皆さんには参加をご快諾頂いて感謝しかありません。
Mそんな憧れの人に参加してもらえるなんてさぞかしヤル気が倍増したことでしょうね。
 
収録曲について
Mアルバムを聴かせてもらってひと言…とてもカッコよかった。
参加メンバーが私もよく知っている人たちばかりなのでニヤニヤしながら聴いちゃった!
各曲について簡単に解説をしてもらえますか?
T:まずは「Driving Me Crazy」
参加メンバーはQUORUMのファースト・アルバムの時のメンバーです。
私が脱退してから10年という月日が流れ、メンバーもそれぞれの道で活躍して忙しい中、企画に参加してくれました。
本当にありがとう!
このバンド、そしてメンバーがいなければ今の私は存在していないとハッキリ言える程の経験をさせてもらいました。
再びこのメンバーで音源を収録できたことを本当に嬉しく思ってます!
MQuorumはMarshall Blogでもよく取材させてもらったもんね~。20 T:2曲目の「Where you are」は、これも私の中では欠かせないメンバーであるSilexのMashaさんに参加してもらいました。
『Marshall GALA』、『Marshall GALA2』と2回のステージを共にしてSilexへ加入…。
Mあ、そうか…Silexには2回のMarshall GALAがキッカケで加入したのか…。15 T:はい。
『Marshall GALA2』のすぐ後にコロナ禍に入ってしまったものの、共に乗り越えた仲間として、やっぱり今回も一緒に音を出したかったんです。
また、その周りで10年以上仲良くしてくれていた和亦(松浦カズマ)とリョータ(寺沢リョータ)。
スタジオでのリハーサルもいつものメンバーでワイワイ楽しく出来たのがうれしかったです。
そして久世さん…あまり世間的にはカラミがなかったものの、実は私が上京した当初からの知り合いなんです。
もちろん久世さんは大先輩で、顔を合わせる度に挨拶させてもらって今日に至るんですが、Mashaさんの作った曲を歌ってもらえたらカッコいいだろうな…というドリーム・チーム的な感じのレコーディングでした。590 MMashaくんとカズマくんのギターの違いもオモシロかった。
それと、久しぶりに久世ちゃんの歌を耳にしたけど、やっぱりカッコよかったわ。130 M次の「Proud To Be Myself」は?
T:さっき触れた高校の時に憧れていたギター/ボーカルの人が今やっているバンドとの共演です。
本当にこの企画を思いつく直前くらいでその方のアカウントを見つけてフォローしたら、なんとフォローバックがあったんです。
普段はこんなことはしないんですが、「いちファン」としてDMを送ってみたら返事をしてくれたんです!
そのDMのやり取りから数ヶ月後、訊くだけならタダと思ってDMで声をお掛けしたら良い反応で、とうとう参加して頂くことが決まりました。
何度も聴いた「あのバンドのあの人」に曲を書いてもらい、歌ってもらえるなんて今後の人生の力になるだろうと思い、もうデモ音源を頂いた時から勇気をもらいました。
レコーディングの様子はAmazonプライムビデオの「MAYKIDZ The Melodymatic Punchlines Tour in Asia」の映像の中で一部観ることが出来ますのでゼヒご覧ください。
Mフーム、それはうれしかったでしょうね~。
インターネットがなければ到底実現しない話ですな。S41a5352 M:次の「Life Is Chain Choices」はBLACO…BLACKCOFFEEですね?
高円寺に観にいったのはもう14年も前のことだよ。
だからZinくんやアキさんとも長くなりました。
T:最近はBLACOの活動ができていませんが3ピースでやっているバンドです。
実は2人との付き合いも上京したての時からで、東京で初めて加入したバンドにBLACOの2人がいたんです。
だから私は18年ほどのお付き合い?
Mナンダ、私とあんまり変わんないのね?
T:そうなんですよ。
2人と演るサウンドに川井さんの音が入ると面白いだろう思って今回のメンバーになりました。202 T:またZINくんの「たっつんのアルバムなんだから1曲くらい自分で詩を書きなよ」というひと言からこの曲では歌詞の原案も担当してます。
Mほんとだ。コレはMiwaさんが補作されているんですね?
となると沢木さんを除いてのLINX総出だ。
で、その歌詞はどんなコンセプトで書き上げたんですか?
T:アルバムのタイトルにもつながる話なんですが、同じ時期にプライベートでも落ち込むことがあって人生真っ暗みたいな状況だったんです。
そんな中で自分の気持ちの置き場所を模索するために色々と考えたり、本を読んでみたりする日々の中、クラウド・ファンディングで「こんなにも大勢の方から気にかけてもらえているんだ!」ということがわかって本当に心の支えになりました。
そうした絶望の淵にいる人に「前を向いて行こうぜ!」って曲ではなく、「状況をどう捉えるかは自分次第だよ!」という感じで原詩は書いたつもりでなんです。440_olc M:いいことを言うね~。「ガンバれ」って言ったってそうはガンバれないもんね。
5曲目の「ふるさと」ではガラリと雰囲気が変わる…。
T:そうなんです。
このアルバムの中では意外な1曲だったのではないでしょうか?
ピアノの史門さんやベースの山口さんは若い頃からとてもお世話になっている大好きなミュージシャンの先輩たちなのでやっぱり今回の企画にはハズせませんでした。
M:それと史門さんは久しぶり!
T:ですよね?
そしてボーカルの小田一葉さんも私の人生のターニング・ポイントとなった1人でもあり、拠点をアメリカに置かれているんですが、今も連絡を定期的に取っている大切な仲間の一人です。
この曲はもともと一葉さんの曲で今回のアルバムではカバー曲扱いになるんですが、バンド・アレンジされた音源がなく、一葉さんに送ってもらった音源を下地にアレンジを考えてメンバーと共有し、みんなの協力を得ながら最終的に今回のような形になりました。
M:アレ?この一葉さんはアメリカで「Kazha」というバンドをやっている方?
そのバンドのドラムスはRAZOR HIGHWAYにいたMASAYAさんですよね?
T:そうです、そうです!
Mそんな関係だったとは知らなんだ!210 Mそしてまたハードな路線に戻って6曲目は「Northernmost」
コレ、ベースは庄太郎ちゃんなんだね。
そういえばJekyll Ronove一緒にやったもんね。
T:この曲は大先輩ばかりに演って頂きとても光栄でした。
特にNOVさんは高校の頃にこれでもか!というくらいCDを聴き、VHSを見ていました。
もちろん小林さんも以前から存じ上げていてCDもよく聴いていました。
満園さんとは上京してから知り合ったのですが、それ以降本当によくして頂いていて。
メンバーがメンバーだけにこの曲自体も自身のルーツを存分に発揮できた楽曲になっているのではないかなと思っています。
M「Northernmost」は「最北の」という意味だからして、アナタのふるさとのことをタイトルにしたのかな?
いわば「ふるさと」の連ちゃんじゃん?
T:その通りなんです。
NOVさんが「歌詞はどんなんがええ?稚内(故郷)について書こう!そうするわ!」と言ってくれて、完成した歌詞をもらったら確かに稚内について歌っている歌詞でした!80_ghh M:そして最後の曲…コレは焼肉としゃぶしゃぶとスキヤキを一緒にしたような…。
T:ハハハ!はい、「My Story」ですね。
私が大好きなプレイヤーたちを集めた+もともとギタリストが大好きだった…ということ。
それとこれだけ色々なジャンルで活躍し、若手から大先輩までが参加しているアルバムなのだからギター・ソロのリレーが聴きたいということで、私のワガママが詰まった一曲なんです。
7分弱の大作となりましたが、個性豊かなプレイヤーたちのおかげで個人的には全く長く感じることなく聴くことができる1曲に仕上がったと思っています!70 
レコーディングこぼれ話

M音楽的な面ではどんなことが大変でしたか?
T:今回、半分位の曲はセルフ・ジャッジだったんですね。
過去のレコーディングはコンポーザーがしっかりいる中でOKかどうかの判断をしてもらっていたことが多かったんですが、今回は自分で良いかどうかを判断しなければならないのが大変でした。
自分の体調と時間をしっかり確認しながらその中に納めるということにも思っていたより神経を使いました。
620vMオモシロかったことは?
T:今となっては笑い話になりますが、1曲完全に録り終えたタイミングでトラブルがあったことが判明し、録り直しになった曲がひとつだけありました。
結果的には録り直したテイクの方がよかったのでOKだとは思っています。
時間はすごくギリギリになってしまいましたけど…。
M:CDを聴いていて特にドラムスの音がとてもアコースティック感に富んでいると感じましたが、レコーディングで音質的に特に目指した仕上がりはありましたか?
またそれは満足のいくものになりました?
T:僕はレコーディング経験が豊富な人間ではないので、「こんな音を作ればこう仕上がる」とイメージすることが少しムズカシイんですね。
そこで、少ないながらも過去の経験で学んだことを反映させながらとにかく「生の音」をうまく録りたいと思って音作りに臨みました。
また、それは回を重ねるごとに録り音もよくなって行ったので、個人的には満足したサウンドで録ってもらえたと思っています。
また、MIXエンジニアにも意図が伝わっていたか定かではありませんが、ご指摘の通り自然な生音が生きるようにとは思っていました。
ラフミックスを聴いた時点で作り込んだ感じのサウンドではなかったので、ミックスに関しても自身の意図とズレることはなく、そういったストレスを感じずにやり取りをさせてもらいました。
本当にそのミックスも細かいところのみの調整だけでスムーズに進められたと思っています。
 
タイトルとジャケット
M:タイトルに込めた思いは?「筋書きなき明日」って感じ?
「明日」は現時点では常にひとつしかないのに「Tomorrow」に「s」がついています。
ナニかこの辺りに思いが込められているのでは?

T:歌詞を考えるウチに自身の中でさっき触れた「与えられた今をどう見るかは結局は自分次第」というひとつの結論を出しました。
0r4a0151それを歌詞やタイトルにも反映させたいと思い、デザイナーにも相談して今回のタイトル『Unwritten Tomorrows…』になったんですね。
今日や現在を軸に考えて未来(明日以降)はまだ描かれてないと言う意味で、真っ黒な絵を描くのも色鮮やかな絵を描くのも本人次第なんだと。
今回私は局所性ジストニアを患った。
この事実を変えることはできませんが、幸いなことに全くドラムスを叩けない状態でもなかったワケです。
その状況でどういう行動を取るかは結局本人の現実の捉え方次第なのかな?と、自分の体験も含めて考えたタイトルです。
Mなるほど。
ジャケット・デザインは?
どういう意図が含まれているんでしょう?
T:実はデザイナーとの打ち合わせの時に今回のアルバムへの気持ちや伝えたいこと、思っていることを伝えただけなんですよ。
それでこのジャケット・デザインなんですが、私が帰省した時に撮った写真なんです。
このジャケットになる前にもいくつか案をもらっていたんですが、最終的にコレに落ち着きました。
完全に意味は後付けになりますが、「明日に向かって仲間たちと飛び立つ雰囲気」になっていて気に入っています。
きっとデザイナーもそういう意図を持って選んでくれたと思っています。
Mアレ?今気が付いたんだけど、このCDには「All Drum is Tatsuya Ishikawa」とあるだけで「石川達也のアルバム」というようなクレジット、つまり達也くんの名前が記載されていないんだね?
するとコレは「石川達也のソロ・アルバムではない」ということ?
T:あ、よくお気づきになってくれましたね!
そうなんですよ。
私の作品であって私だけの作品ではない…つまりみんなで作ったアルバムだと思って故意にアーティスト名をクレジットしなかったんです。
Mなるほどね~。「オレがオレが」ではないところがいかにも達也くんらしい。
納得しました。
Img_5003 
NATALドラムスについて

M:NATALの写真もありがとうございます。
T:どういたしまして。
大好きな楽器ですから!Img_4996 Mそれではその NATALについてひと言お願いします。
T:以前から持っていた印象として、NATALは生音のダイナミクスの表現がすごく素敵です。
小さな音から大きな音の表現の豊かさがレコーディングの時にも発揮されました。
生音だけではなくレコーディングされた音もその豊かさが全面に出ていたんです。
自分の頭の中で鳴っている音と限りなく近い録り音になってくれました。
Mそれはヨカッタ!
50_2 
レコ―ディング時のジストニア

M:ところでレコーディングの最中時にもジストニアの症状に苦しめられることがあったのでは?
240_2T:すでに申しました通り発症してからしばらくの間は悪化の一途でした。
一番ヒドい時には、左手でフロアタムを叩こうと思っても手首が上がらなかったり、手首をネジってしまったり、うまく腕が前に出なかったり、足首が固まったりすることで演奏に大きな支障が出ていました。
それに他の症状も出て来てしまって私生活にも支障が出るほどだったんです。
まだ完治したとは言えませんが、現在は私生活にはほぼ影響もなく、ドラミングについては制限がかかっているプレイ…例えばツーバスをドコドコやったりすることを避けて、時折多少の違和感は感じるにしても以前ほど全面的に不自由を感じることはなくなりました。
Mずいぶん色々と苦労して来たもんね。完治することを心から祈っています
 
リスナーへのメッセージ
Mそれでは最後にCDを聴いてくれた人、またこれからCDを聴く人へのメッセージをお願いします。300vT:まず純粋に曲やサウンドを楽しんでもらえたら幸せに思います。
局所性ジストニアや私自身に興味を持ってくださる方々にこのCDがこうしたバックグラウンドで制作されたことを知って頂き、それが誰かの希望や光になることができたらとても光栄です。
M私の知り合いのドラマーは、まだわからない部分が多いこの局所性ジストニアという疾患の存在を知って自分なりに勉強をして、「コレが原因ではないか?」と言われていることには断固として取り組まないようにして予防に努めています。
そういう自分が避けていることをしなければならないような仕事はお断りしているそうです。

そうした行動を取ることができるのも達也くんのようにジストニアに関する情報を広めてくれている皆さんがいらっしゃるからこそですよね。
だから達也くんが尽力していることは大変に意義があると思います。
T:ありがとうございます。
でもその方は賢明な対応をされていると思いますよ。
罹ってしまったら取り返しがつきませんから。
 
レコーディング・メンバーへのメッセージ
Mそれでは「この場をお借りして」というヤツでレコーディング・メンバーへのお礼のメッセージを伝えちゃいましょう
T:はい!
「石川達也」という無名のドラマーの企画にも関わらず、ふたつ返事で制作にご参加頂き、いくら感謝しても感謝しきれません。
本当にたくさんの方々にお力添え頂きました。
すべて見切り発車から始まってしまったため、至らない部分や不手際も多く、問題も多々あったかと思います。
ですが、皆さんのお力と2年という制作期間を経て、「石川達也復活の1枚」と呼べる作品が完成しました。
この場をお借りして改めまして深く御礼申し上げます。
そして、クラウドファンディングのご参加頂きました皆さん、本当にありがとうございました!
M達也くん、今日はどうもありがとうございました。
T:いいえ、こちらこそ!
Img_4897 去る3月29日深夜、日本テレビの『NNNドキュメント「局所性ジストニアという病~つながらない脳と体~」』という番組で達也くんがスポットライトを浴びた。
短い時間ではあったが局所性ジストニアの実態や、達也くんが奮闘する姿を通じて彼の苦悩と希望が浮き彫りにされたとても重厚な内容の番組だった。
並大抵のことではないとは思うが、これからもこの病気に負けずイキなドラミングで音楽ファンを楽しませて欲しい。
ガンバレ、石川達也!
でもムチャは絶対にダメだぞ!
  
200


 

2026年4月 1日 (水)

D_Drive~フロア・ライブ vol.10 [DAY2]<第2部>

10回目を迎えたD_Driveの「フロア・ライブ」…をフロアで観るライブの2日目。10休憩をはさんでの第2部はギター・チームが7弦ギターに持ち替えてヘヴィな幕開けとなった。20まずはYukiちゃんが奏でるもの悲しいメロディが突き刺さる「Be Yourself」。30v今日、Yukiちゃんのギターを鳴らしているのは愛用のアレ…Marshall「JVM410H」と「1960B」。
118a0011ドロドロとした重苦しいリフがこの曲を強く印象付ける。40v不吉なリフにドッシリとしたリズム。
あの時、コロナにまつわる曲がアチコチで作られて少なからずそれらを耳にしたが、今になって振り返ってみるとナンカこの曲が一番あの時のことを巧みに描写しているような気がして来た。50みんな「がんばろう!」とか「負けるな!」やっていたけど、結論はもっぱら「コロナのバカヤロ~!」だよ。
最近では「ただの風邪と変わらない」ぐらいのことを言ってるじゃん?
ザけんなよ。
私は今でも心底コロナを憎んでいる。
そういう意味ではコレは私にとってとても重要な曲なのだ。
作った本人はこうして笑ろてはるけど。55v続いてはSeijiさんがブチかます電光石火のリフ!60Seijiさんもいつもの愛用のアレ…Marshall「JVM410H」と「1960B」。118a0003そのリフに「♪ジャッ、ジャッジャジャ」と強烈なアクセントを被せていくのは「Breakout」。80vやっぱりどこまでもハードに音を埋め尽くす!
ココは「ヘヴィなコーナー」だからね。
思う存分やって頂きます。100v迷宮に迷い混んだかのような複雑なギター・スタント・パートを一糸乱れず完璧に弾き上げた。(フランク・ザッパのバンドにいた時、スティーヴ・ヴァイは「Stunt Guitar」というパートを担当していた。もちろん「stunt」というのは「スタントマン」の「スタント」のことで「離れ業」という意味ね
90このパートの締めくくりのフレーズが好き。95vこうして破壊力の強い2曲で第2部がスタートした。110「ありがとうございます!
先ほどチョット触れましたがD_Driveの次のライブは5月の大阪の『TAKE FIVE』での『フラット・ライブ』というライブになります」120v「会場のTAKE FIVEにはステージがなくて客席と同じくフラットになっているんですよ。
それで『フラット・ライブ』。
それと『フラッと寄ってくださいね!』という意味だったハズ。
お酒もソフトドリンクだけでなくフードの種類も豊富でとてもオシャレなお店です。
トイレもすごくキレイなんですよ」
会場から笑い声が上がっていたが、コレ、Seijiさんは真剣なの。
時々Seijiさんと話すことがあるんだけど、トイレの状態はライブの会場選びの重要なポイントで、要するに女性客が敬遠するようなトイレのお店はうまくない…というワケ。
確かにその通りだと思います。
やっぱり汲み取り式のトイレのライブハウスはイヤだよね…さすがにそれはないな。
130v「そして、5月下旬には東京地区でのライブもあります。
久しぶりの対バンイベントで冠さんも出演されるんですよ!
冠さんとはすごく久しぶりになります。
D_Driveの初めての東京でのワンマンの時以来ですかね?」140v先日タマタマ冠さんとご一緒する機会があって、D_Driveを引き合いに出してご挨拶したところ、そのワンマン・ライブを指して「あの時は楽しかったね~!」とおっしゃっていた。
「マー索くん」で調べてみると、それは2012年8月5日のことだった。
 
その時のもようはコチラ⇒祝!D_Drive初の東京ワンマンライブ<後編> 
  
会場はいまはなき六本木の「morph」というところ。
ココはステージに前にプレス・ピットがあって、写真を撮るためにそこに入ったのはいいけど、途中で猛烈にお腹が痛くなっちゃって、満員のお客さんをかき分けてトイレに行くのもどうかと思い脂汗を浮かばせながらシャッターを切り続けたことがあった。
あの時は本当にマイったわ。
その後次第に痛みがやわらいでいって何とか完走することができた。
150「冠さん」が出て来たところで大きく脱線してみましょう。
下は荒川区の日暮里にある「ネコの町」で人気の「谷中商店街」を見下ろしたところ。
いつも大勢の観光客でにぎわっている。
この階段は…160夕方になるとパノラマ状態で西の空に広がる美しい夕焼けを眺めることができることから「夕やけだんだん」と名付けられている。
昔、この辺りからは富士山もよく見えたらしい。
008a0086この「夕やけだんだん」の名付け親は地元出身の「森まゆみ」だ。
「元始、女性は太陽であった」とか「若いツバメ」という言葉で知られる「平塚らいてう」が明治44年に女性だけで創刊した『青鞜』という文芸誌に倣い、女性3人だけで作る『谷根千』というタウン誌を立ち上げた人。
森さんは「森鴎外」や「三遊亭圓朝」他の文人や地元の歴史を題材にしたたくさんの本を上梓しているが、学術色が濃くてどれもすこぶるオモシロい。
Ynsコレが今の夕やけだんだんの景色。
上の写真と見比べてみて!
左側にこんなツマらんマンションなんか建てやがって視界が大幅に狭くなってしまった。
ナンでこういうことをするかネェ。
ココがロンドンだったらこんなことは絶対に許されないと思う。
森さんはこの光景を指して「『夕やけが見えないだんだん』になっちゃった」と落胆されていた。
008a0082その夕やけだんだんから商店街とは反対の方向に少し行った左側に「経王寺(きょうおうじ)」という日蓮宗の古刹がある。170ココの山門には直径1cmほどの穴がいくつも空いている。
これらは全て弾痕。
1986年5月15日、徳川家の菩提寺のひとつである「東叡山寛永寺」を中心として、幕府軍の「彰義隊」と岩倉具視が考案したというニセの「錦の御旗」を振りかざす薩長による自称「官軍」との間で熾烈な戦闘が繰り広げられた。
いわゆる「上野戦争」だ。
押され気味の彰義隊の数名がこの経王寺に逃げ込んだ。
そこへ追いかけて来た長州の連中が山門に向かって銃をブッ放した時にできた弾痕がコレらの穴。180経王寺の前の通りの今。
手前側は夕やけだんだん、向こう側はJR日暮里駅。
チョット脇道に入ると「パティシェ イナムラショウゾウ」という私が思うに世界で一番おいしいケーキ屋がある。
その上野戦争、グラバーやマセソンたちが準備したイギリスから取り寄せた最新式の武器の前に彰義隊はなす術もなく半日でカタが付いてしまった。
惨敗!
その時、この写真の道は死屍累々となっていたそうだ。
長州の連中はその亡骸に手を出すことを一切禁じた。
まったくヒドイことをしたんですよ。
この辺りのことをもっと書きたいのだが、その機会は別に見つけることにする。
008a0079さて、ココからが本題。
この脱線でナニが言いたいのかというと、この経王寺のご住職のこと。
お名前をナント「冠賢一」さんとおっしゃって、日蓮宗系の教育機関である立正大学の名誉教授でいらっしゃるのだ。
この「冠」さんという名字は「かもり」さんと読むパターンもあるようなのだが、摂津地方が起源とされていて全国で630人いらっしゃるらしい。
かなりの珍名さんかと思っていたんだけど、それほどでもないようだ。
ナンとならば人数としては私の名字の方が「冠さん」より断然少ないのだ。
コレが言いたかったの。
脱線終わり。12_190_2 「昨日もノリでやったんですが、『カシス!⇒オレンジ!』みたいな掛け声をですね、チョット恥ずかしさもあるんですが次の曲で今日もやってみたいと思います」。
Yukiちゃんが「赤いきつねと~」と上の句を読んでお客さんが「緑のたぬき!」と答えるいわゆるコール&レスポンス。
軽い練習の後、何をやったのかと言うと…200「Red Light~!」008a0094「Green Light!」
客席から力強いレスポンスが返って来た!008a0031 そこへChiikoちゃんがシャープなフィルをブっ込む。
もう皆さん忘れているかも知れませんが「Red Light, Green Light」は「だるまさんがころんだ」という意味ですからね。210vChiikoちゃんもいつもの愛用のアレ…NATAL(ナタール)のドラム・キット。
今日はスペースの加減でバスドラムはひとつ。118a0008Seijiさんが弾くソリッドなテーマ・メロディはサスペンス・ドラマの主題曲のようにいつ聴いてもスリリング!220Yukiちゃんとハモるパートでスリル度倍増だ!230ワウワウ・ペダルを大胆に踏み込んだソロも大きな聴きどころ。
そういえば「イカゲーム」の音楽のオファーの方はどうなったのかな?240v曲はカット・アウトしてそのまま「Begin Again」へ。250v荒々しくも滑らかにつなげる展開はおなじみのパターンだが何度聴いても興奮度は120%!260v極限までハードなパフォーマンスを見せておいて…270Seijiさんの親指が立った~。280vToshiくんのベースがブイブイと唸りまくる傍らで…290vYukiちゃんも両手の親指を見せて…300v「Thumbs Up」!
ちなみにフランク・ザッパに「♪Let me see your thumb」と連呼する「Wind up Workin' in a Gas Station(ガソリン・スタンドで働くのはもうヤメだ)」という曲があるのを急に思い出したわ。
ライブ・バージョンでは4/4拍子から5/4拍子に変わるところがすこぶるカッコいい1曲。
何度も「Thumbs Up」のことをココに書いてきたのにナゼか一度もザッパのこの曲に触れたことがなかったね。008a0254ホールトーン、ディミニッシュ、ミクソリディアンというスケールのレールを疾走する音楽のジェット・コースター。
こんな曲は他にないよ。320「ありがとうございます。
皆さんソロソロお尻が痛くなって来たのではないでしょうか?
本当に座布団が要るかも知れませんね。
あと3曲なんですが物販の紹介をさせてください。
昨日もたくさんの方にお買い上げ頂きまして感謝しております」330v担当のChiikoちゃんから物販の説明。
「今回はロシアンルーレットくじ引きというのを持ってきました!」
関西では以前からやっていたのだが、関東では初めての試みなのだそうだ。
要するに空クジなしで手作りのセットリストやらチェキやらナニかグッズが当たるお祭りの露店で見かけるのと同じヤツ。340vコレはそれだったのね?
345クジの景品のひとつのセットリストの紙について。
「セットリストはボクのが一番キレイですからね」
Seijiさんは几帳面だからね~。
いつもA4の紙2枚にその日に演奏する曲目を省略したりなどせずキチ~っとワープロで打って来はる。
Yukiちゃんは手書き。
いつも割と小さめに書き記している。
360vChiikoちゃんが自ら自分の手作りセットリストを手にしてそれがどんなモノかを解説した。
Seijiさんによると、曲名の傍らに「ダカダン」とか「ドコドン」とかドラムスのフレーズらしきモノが書いてあってほとんど暗号なのだそうだ。350で、昔のMarshall Blogの記事を見ていて偶然目に留まったのがコレ。
2012年10月14日、今はなき代々木の「Zher the Zoo」でのライブの時のChiikoちゃんの手書きのセットリスト。
ホントだ。
「M16」のところに「タカドンパー」って書いてある。
コレはあの曲のどこのパートを指していたんだろう?Bang 第2部最後の3曲はまずSeijiさんのアグレッシブなリフから。360クジじゃないホンモノの「Russian Roulette」。370猛烈なハードさがウリの人気曲。380「♪シャンシャンシャ、シャンシャンシャ」390vYukiちゃんに合わせて客席から大きな手拍子が沸き上がる。400そしてSeijiさんは例の独特のリフで曲をさらに盛り上げた。410v続けてChiikoちゃんの爆裂イントロ・ドラムス!420一層激しく畳みかけて来たのは「GEKIRIN-逆鱗-」だ!430vベースのピックアップ・ソロから…440vエキサイティングに展開していくギターの競演。450こんな密度の濃いギター・パフォーマンスを見せてくれるのはD_Driveだけ!450v 460vそして本編の最後を締めくくったのは「Screw Driver」だった。
460アンコールで取り上げることが多いこの曲を本編に繰り上げたのにはナニか理由があるに違いない。
それはナンでしょう?470 480 490vいつも通りのエキサイティングな演奏で本編を締めくくった。500vさっきYukiちゃんが言っていた次の大阪のライブがコレ。505vそしてアンコール。
「皆さんアンコールありがとうございます!
もう1曲、Seijiさんが作った新しい曲で『パズル(仮)』を演ります」
ね、新曲を披露するのでいつもアンコールで演っている「Screw Driver」を本編の最後に繰り上げたんだよ。
510「ナンで『パズル』かと言うと、曲の進行だけでメロディもキマっていないんです。
対バンとセッションすることもイメージしたんですが、演奏する人によって内容が異なる。
つまりパズルを埋めていくような感覚ということです。
だからタイトルは『何とかパズル』にしようと思っています」520「タイトルはXで公募しましょう。
『D_Drive Puzzle』とか…でも、コレ前にありましたよね?」530v「ん~、あったかな?
曲をもらった覚えがないな~」540「Yukiちゃんからは『タイトルは口にしやすいのにしてくれ』といつも言われているんですよ。
『パズルでポン!』にしようかと思っていたんですけどね」550「それではD_DriveRさんに今日のこの後の打ち上げの時に考えてもらいましょう!
『パズルでポン』と言ってたけどカッコいい曲なのでビシっとしたタイトルにしたいですね」560vChiikoちゃんのドラムスからスタートするシンプルなリフを携えたミディアム・テンポ・ナンバーが「パズルでポン(仮)」。
テーマ・パートを通過すると…ナント、ナント!
12小節のブルースだよ!
以前Seijiさんは「ブルースを取り入れない」とキッパリ言っていたので私はかなりビックリした。590ギター2人のソロから…600テーマを挟んでベース・ソロへ。610そしてドラム・ソロ。620最後はギンギンにテーマを演奏して曲は終わる。
いいじゃないの~。
だからロンドンのスタジオでの待ち時間の時に「ブルースとかラテン・リズムを取り入れたら?」って言ったのサ。
今度は「Dのルンバ」なんていいんじゃない?
昔、オランダのFocusというグループに「Pのマーチ」なんて曲があったな。
もうラテン・リズムを知っている日本人なんてかなり少ないからきっと新鮮に聞こえると思いますよ。630「ありがとうございました~!」640vこうしてフロアで観る『フロア・ライブ』の10回目は2日間とも大入り&大盛り上がりで幕を下ろしたのであった。
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive official website650<おしまい>
 
200(一部敬称略 2026年3月15日 新横浜Strageにて撮影)