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2018年12月 1日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>

  
しかし!
物事、何がどこでどうなるかわからないもんですナァ。
Queenのこと。
すごい騒ぎになっちゃったね~、「バヒーミアン・ゥラプソディ」。
特にfacebookが熱い。
私のお友達のことですから比較的Queenの音楽が当たり前に存在していた環境で育った世代の人が多いんでしょうけど、それにしても出~てくる出てくる!
あの映画を観て涙を流すような熱心なファンがこんなに沢山いらっしゃったとはツユ知らなんだ。
チョット前までQueenの「Q」の字も見かけなかったのに…時々キーボード・トリオの「Quattermass(クォーターマス)」を見かけることはあったが…。
でも「Quintessence(クインテッセンス)」に触れている人は見たことないが…。
たいてい誰かが亡くなると数日間だけ一気にファンが増えるのがfacebookの常だけど、映画が火を点けたこのQueenブームはどうやらホンモノっぽいね。
とても良いことだ。
未来に向かって過去のいいモノが見直されることは実に有意義なこと。
ましてや今の音楽界は、過去を無視したまま前進することはまず不可能であろうから。
 
ところで、私の年上の友人に長いキャリアを持った女性ピアニストがいらして、最近クラシック音楽のことでチョットだけメールのやり取りをさせてもらっている。
その方は、1976年に日本を離れて単身でオーストリアに乗り込み、「ウィーン国立音楽院」で世界レベルの音楽教育を受けた人。
言い換えれば、音楽といえばこれまでの人生で丸っきり「クラシック」しか知らないお方。
何しろジャズのことを「属七の音楽」と呼んでいらしたくらい。
「属七」というのは「ドミナント7th」のことね。
クラシックの人にはやっぱりあの音楽におけるドミナント・モーションの部分が相当強烈に聴こえるようだ。
ジャズはまさにそういう音楽だから何ら問題ないんだけど。
で、その人がウィーンに行った頃は、市内を走る路面電車にカール・ベームが乗っていたっていうんだよね。
スピードが緩そうな路面電車だ。
もし、アルトゥーロ・トスカニーニが乗っていたら超特急になっていただろうに。
また、最近私が騒いでいるレナード・バーンスタインは、当時のヨーロッパでは「猿」扱いされていたとか。
コレはわかる…一部のイギリス人はアメリカ人のことを完膚なきまでに蔑んでいるのを知っているから。
そして、その方が生まれて初めて、最近テレビでQueenを見てビックリしちゃったんだって。
それで私にメールが送られて来た。
そのメールの内容がすごく面白かったので、その方には無断でほぼ原文のまま転載してみようか;

「私は初めて知りました。
(Queenの)名前は聞いたことはありましたが、「ロック!?」…というだけで目を向けていませんでした。
毛嫌いはしていませんでしたが、それどころじゃない!…という(音楽の勉強に追われる)生活でしたから(笑)。

その映像は…イヤ、「音楽」は衝撃的でした。
「なんとかラプソディ」というタイトルでしたか?…「♪ママ~、ウ~ウ~」とかいう…。
まるでオペラの「レツィタティーヴォ」…そこからアリアが始まるような展開!
いや〜、残念ながら知らなかった!
もちろん大音響はノーサンキューですが、ロックの中にはこういう音楽があったのか…と、〇〇歳のオバさん、イヤ~、ホホホ、おバアさんですが、ビックリしました」
 
「レツィタティーヴォ(recitativo)」とは、オペラ、オラトリオ、カンタータなどで歌われれる叙述的な独唱曲のこと。
「アリア」が旋律の美しさを重視した叙情的なものであるのに対し、レツィタティーヴォは「叙唱」とも呼ばれ、言葉の抑揚に忠実で叙述的であるのが特徴。
まさに「なんとかラプソディ」。
私がその「ノーサンキューの大音響」を生み出す装置の会社に勤めているのをご存知かどうかはわからないが、Queenのスゴさを妙な形で思い知らされた。
テレビのレポートでも若い人たちがインタビューで「とても感動した!」という感想をたくさん寄せていた。
他のところにも書いているように私はQueenのファンではなかったし、皆さんが感銘を受けていらっしゃるシーンの『Live Aid』が開催された時にはもうジャズに夢中になっていたので思い入れが全くなく、また、アメリカが一番ヨカッタ時代の古いハリウッド映画にドップリ浸かって育った私のようなジジイには映画自体の作り方が薄っぺらくて、残念ながら感動も感涙もなかった。
特段ファンでもナンでもない私なんかがアレを「映画」として観るとに、伏線の張り方がユルくて感情移入ができないのね。
要するに私が歳を取りすぎているってことなんでしょう。
でも、そんな感想を持っているのは私だけでなく、年長のミュージシャンの方々も同様に感じていることを後に知った。
繰り返しになるが、こうしてQueenのことを何も知らない人や、その全盛期を知らない若い人たちに当時の「ロックのクリエイティビティ」が伝播するのはとてもいいことだと思っていて、この映画がそうした「温故知新」のムーブメントにキッカケになってくれればうれしい。
私はその時にこそナミダを流すよ!
ところで、ジョン・ディーコンって昔は「ディーコン・ジョン」っていってなかった?
 
さて、さっきも出た他の記事にあの映画の最初の方のシーンがロンドンのハマースミスでロケされていることについて触れた。
ハマースミスのことなんかスッカリ忘れていたのに、アレを見たら懐かしくなっちゃって!
…なんて言うと、いかにもしばらく住んでいたような風に聞こえるけど、出張の時の定宿がハマースミスにあったというだけのこと。
でも何回も行ったナァ…ということで、強引に『イギリス-ロック名所めぐり』として1本仕立ててみた。
ほとんど「私のハマースミス」状態ですわ…。
でもロンドン好きの方は必読。
ロンドンの旅ガイドなんかには載っていない情報満載!…だと思うよ。
 
まずは、ドローンでハマースミスの街並みを見下ろしてみる…ウソですよ~。
定宿にしていたホテルの上の方の階でエレベーターを待っている時に撮影した写真。

10緑が多く、高い建物がほとんどなくていいよね~。
ロケーションとしてはロンドンの中心地、ウエストエンドから地下鉄で20分ぐらいの所。
何十回訪れても思うんだけど、イギリスは国土が日本の2/3、人口が半分。
東京の人口1300万、ロンドン700万…なんでこんなに街の混雑状態が違うかね~。
断然ユッタリしてる。
やっぱり人口が倍半分も違えば当然か?
でも、面積的には東京の方が格段に広いだろうにナァ。
最近は時々見かけるようになったけど、このホテルのエレベーターって、1階(現地ではG階)でエレベーターに乗る時、いちいちルームキーを操作盤にかざす必要があって、荷物が多い時など、それが異常に煩わしく感じたっけ。20この空!
倫敦の空だ。これでも雨はとりあえず降らないんだよね。
わかりにくいけど、写真の真ん中からチョット下に尖塔が見えるでしょ?それと左側の端にほんの少し堤防が見えてる。
後でそこらまで降りて行きますからね。30vハマースミスはウエストエンドの中心の駅、ピカデリー・サーカスから地下鉄ピカデリー線で9つ目のところ。
以前紹介したアールズ・コートから2駅ほどヒースロー空港寄りの駅。
ピカデリー線、サークル線、ディストリクト線、そしてハマースミス&シティ線の4線が乗り入れる重要な駅だ。
ヒースロー空港へのアクセスがラクなのと、比較的安価なホテルがあったので、ロンドンに来るとよくココに泊まったというワケ。
メインの駅舎はすごく近代的よ。
チョットしたアーケードがあって、2階がバスターミナルになってる。
こんな建物は面白くもなんともない。

40こっち、こっち!
チョット横に入ると、もうひとつの駅舎がある。
下の写真もハマースミス駅。
今でも使われている旧駅舎なんだけど、古くていい感じでしょう?
それもそのハズ、ハマースミス駅に停車する、その名も「ハマースミス&シティ線」の内、パディントン駅とファリントン駅の区間は1863年に開業した世界最古の地下鉄なのだ。
確かにハマースミス&シティ線の駅はどこへ行ってもホームが古く、地上から浅いところにあることが多い。
つまり他の路線が推進工法だったのに対し、東京でいう銀座線のような開削工法だったから。
ちなみに私が生まれて初めて泊まったロンドンのホテルの最寄り駅は、ハマースミス&シティ線の「オルドゲイト・イースト」というタワーブリッジからすぐのところで、街全体が完全にナマステ状態でかなり驚いた。
その近くには夏でも黒いコートと帽子を身に付けて、もみ上げと後ろの髪を編み混んでいる人たちばかりが集まるエリアがあって、あれにもビックリした。
ロンドンにはこういうコミュニティによる街の様子の違いがないと思っていたから。
ところがその様はニューヨークのそれよりはるかにあからさまだった。
その後、東ヨーロッパ人の街やイスラム系の街のB&Bに投宿したこともあったが、おかげでその時はもう驚くことはなかった。
さて、そのインド人街の真ん中にある「City Hotel」という安宿(今は信じられないぐらい高価なホテルになっている)はレセプションにまで物乞いが入り込んでくるようなところだった。
その物乞いの英語がサッパリわからなくて、ホテルの人に普通の英語への通訳を頼んだら「金くれってサ!」と言われた…ということは以前にも書いた。
話を地下鉄に戻して…あ!
そうそう、先日Marshallとメールのやり取りをしていてすごくうれしい言葉を発見した。
地下鉄の話をしているのでココに書いてしまうが、孫脱線させて頂く。
辞書で「脱線」に相応する英単語を調べると「digression(ディグレッション)」とある。
この言葉は固いな~、と思っていたら、そのメールの相手の文章の中に「derail(ディレイル)」という単語を見つけた。
「コレだ!」と思った。
「de+rail」ね。「rail」はもちろん線路のこと。
だからリアルで「脱線」という意味。
このメールの相手のおかげでこの「derail」という言葉が「列車の脱線」だけでなく、「話の筋道の脱線」にも使えるということがわかった。
コレが生きた英語~!
ハイ、ディレイル終わり。
 
話を地下鉄に戻して…しからば、1863年が日本ではどういう年だったのか調べて見ると…。
14代将軍徳川家茂が「公武合体」を目的に229年ぶりに上洛した年。
関係ないけど、家茂は歯が全部虫歯だったらしい。
尊王だ、攘夷だ、公武合体だ、と激動する国情の治世に大きなストレスを感じ、第二次長州征伐の際、家茂は脚気が原因で21歳の若さで大阪に客死した。
その亡骸はイギリスから買った長鯨丸で江戸に移送された。
山口県の人には悪いけど、長州征伐が成就していたら今の日本はどうなっていたかね?
歴代の総理大臣や内閣の重職はほとんど薩長土以外の人になっていただろうからね。
この年、さらに長州が馬関戦争を引き起こしてる。
そして薩英戦争…イギリスは極東のチョロい小国を相手に戦争をしている時に、ロンドンの地面の下に汽車を走らせていたのだ。
この駅舎はその頃からあるのだから恐れ入る。
50あ!もうひとつディレイル(脱線)させて!
日本初の地下鉄は1927年の銀座線浅草ー上野間だけど、アレって世界で13番目に古いアルゼンチンの地下鉄、すなわち1913年にブエノスアイレスの地下に開通した鉄道がお手本になっているんだって。
そん私はてっきりイギリスのマネをしているのかと思っていた。
地上の鉄道は間違いなくイギリスが先生。
キングス・クロス駅にソックリの上野駅の駅舎のデザインなんかを見るとそれは一目瞭然だわね。
東京駅やかつての万世橋駅の立派な駅舎もセントパンクラス駅やヴィクトリア駅を連想させる。
駅舎の中はこんな感じ。
ステキでしょう?

60v駅のそばにはこんな立派な教会が。
Marshallの本社・工場があるブレッチリ―から車でハマースミスへ来るとこの教会の横を通るんだよね。65v駅前の目抜き通り、キング・ストリート。
ロンドン・パンク発祥の地とされる「キングス・ロード」はもっとロンドンの真ん中、スローン・スクエアの方。
一度行ったけど、パンクに縁遠い私は偶然見つけた国立陸軍博物館というのを見学して帰って来た。アレは存外に面白かった。
写真の右手には駅からすぐのショッピングモールがあって、バーガー・キングだの、セインズベリーズだの、H&Mだの、PRIMARKだの、当たり前の店舗が軒を連ねている。
仕方なしにそこのバーガー・キングに何回か入ったことがあるが、旅の後半に食べるチェーン店のハンバーガーほどツラいモノなはい。
どんなに好きなロンドンでも早く日本に帰りたくなる瞬間だ。
1img_0085_3駅を背中にズンズン進む。
この通り沿いにある某フライド・チキン屋に一度入ったことがあった。
先客で若い黒人の女性が買い物をしていた。
するとその女性がカウンターの奥にネズミが走っているのを発見。
私もハッキリと見た。
その女性は「Rat!  A rat was running!!」とスティーヴン・タイラーもビックリの大声で叫び(「Rats in the cellar」ね)、まだ買い物が終わっていないのに激怒しながら外へ出て行ってしまった。
順番が繰り上がった私はそのままチキンを買ってホテルで食べた。
ネズミをフライしているワケじゃなし、気にしない、気にしない!
それと、この通りには新古本屋さんがあってね。
売れ残った本をかき集めて安く売ってる、いわゆる「ゾッキ本屋」ね。
もう無くなっちゃったけど、大英博物館の隣にもそれの支店があって、この店に行って本を見るのが大きな楽しみだった。
今でも英語の調べものをする時にはそこで買った辞書の類をよく使っている。
90さらに通り沿いにHoliday Inn Expressというホテルがあって、かつてはココを定宿にしていたのだが、他に安くて程度のいいホテルが見つかってからというもの、利用しなくなってしまった。
でもこのホテルはと~ても親切で、私が部屋に忘れたカメラをキープしておいてくれたり、Marshallから誤って持ち出してしまったカメラの三脚の部品を私に代わって送り出してくれたりした。
でも、このホテルの魅力は何といっても1階にあった「WHITHERSPOON」だったね。

100WHITHERSPOONというのはイギリス国内で広範囲に展開しているパブのチェーン。
安いのよ。
イギリスは日本と違ってどこへ行ってもビールの値段が同じということはなく、同じ銘柄のビールでも店によって結構値段が異なる。
下はロンドンの神保町、チャリングクロス・ロードにあるWHITHERSPOONが経営するパブなんだけど、やっぱり他の店より明らかに安い。
コレが地方へ行こうものなら、ロンドンで£5ぐらいする1パイントのギネスが£1.80ぐらいで飲めちゃう。ま、6年ぐらい前の話だけど。
110vさらにキング・ストリートを進むと左手に出て来る教会。
どんな街でもこういうのが必ずあるんだな。120このビルが「Premier Inn」というホテルで私の定宿だった。

130vホテルの前はこんな感じ。140同じキング・ストリートでもここまで来るとかなり静かになる。
どれぐらい「ここまで」かというと、地下鉄の駅ひとつ分。
どうしてそんなことが言えるのかと言うと、実際にディストリクト線の駅がホテルから歩いて数10秒ぐらいの所にあるの。150コレがその駅。
駅の名前が他人事ではない。
「Ravenscourt Park Station」という。
「レイヴン」さんだ。
実際、線路の向こうが「レイヴンズコート」という公園になっているのだ。

160さて、ある朝。
珍しく散歩に出てみた。
コレが冒頭の写真に見えていた教会。

170「ご注意あれ 近所の人は見てますよ~」
コレはイタチかね?カワウソかね?180vコレだ!ミーア・キャット。
でもなんでミーア・キャットなんだろう?
「見てみいや!」ってこと?そんなバカな!
やたらとキョロキョロしてるってことか。

Photo ホテルの周辺は本当に閑静な住宅街…なんだけど、何やら変なニオイがするの。

190ロンドンはこんな小道がまたステキなのよ。

200vナンて名前かは知らないけど、こういう細い道にもひとつひとつチャンと名前がついているのです。

210vどうしてドアノブを真ん中につけちゃうの!?

220vエリアによっては金持ち感丸出しの家がゴロゴロしてる。
9img_1775ロンドンの高級住宅街というと、サウス・ケンジントンとかスイス・コテージが代表らしいんだけど、ハマースミスも割合ポッシュな方なのかな?
9img_1774ひと目で暮らし向きがわかる家が立ち並ぶ。

230vでもね、クサイのよ。
今まで嗅いだことのない、ナントも言えない妙なニオイ。
何のニオイか、何系のニオイか…それすら見当がつかない。
「オイニーがサイク~」ってヤツ。9img_1777 上の写真の家々は見るからにリッチだけど、やはりこの辺りが住宅地として程度が低くないことを示しているモノがある。
ま、コレは私の思い込みということもあるけど。
私にそう思わせるのは、こうしてブルー・プラークがついている建物が散見されるからだ。
例えばコレ。

260v「サー・エメリー・ウォーカー」という人が住んでいた家。
ウォーカーさんは、このプラークでは活版印刷工にして「antiquary」…すなわち骨董品愛好家となっているが、彫刻家や写真家として大活躍した人。
1880~1920年にイギリスに端を発して、北米までをも巻き込んだ芸術のムーブメント、「アート・アンド・クラフト運動(Arts and Crafts Movement)」で重要な働きをした団体の中心人物だった。
そのアート・ムーブメントは日本にも伝播し、1920年ごろ「民芸」という形でブームが起きたのだそうだ。
朝早い散歩で扉を閉ざしていて気が付かなかったが、このウォーカーさんの家は「Emery Walker's House」というチョットした博物館になっていて一般公開されているようだ。
270すぐ近くにもうひとつ。
280vサー・アラン・ハーバートという人の家。
この人は作家、ユーモリスト、政治家。
要するに、こういう人たちが住んでいた所なので住宅地としては悪くないのでは?と思ったワケ。
でも、有名な国会議事堂の近くにカンタベリーの大司教がロンドンに来ると投宿するお城があって、その辺りをランベスというんだけど、19世紀の終わり頃でも殺人事件が頻発するようなモノスゴく治安の悪いエリアだったらしい。
そんなだから一概には言えないけどね。

290もうひとつ見っけ!
コレが飛びっきり私好みのネタと来てる!…と言っても後で知ったんだけどね。
この白い家にはかつてエドワード・ジョンストンというカリグラファー…日本風に言うと「書道家」になってしまうんだけど、「活字のデザイナー」っていう感じ?…が住んでいた。
日本にも勘亭流だとか、寄席文字とか、相撲文字とか筆文字にも色んな流派があるでしょ?
アレみたいなもんで、アルファベットは形が26個しかないので、欧米ではこのカリグラフィとかタイポグラフィという文字の装飾が昔から大変発達していた。

240vエドワード・ジョンストンというのは、「Jonston Sans」というフォントのデザインを作り上げた人。
上で触れた「アート・アンド・クラフト運動」でも活躍したそうだ。
チョットここで他の人のプラークを出すよ。
せっかくだからキース・ムーンにしよう。

9img_0275 今度は2枚上の写真に写っているエドワード・ジョンストンのプラーク。
見て…ね?
フォントのようすが違うでしょう?
ロンドンのブルー・プラークでこのフォントが使われているのはこの1枚だけ。
このフォントが「Johnston Sans」。
一般的にこういうサラっとしたフォントを「サンセリフ」と言うのだそうだ。
「サンセリフ(Sans-serif)」とはフランス語で、「ヒゲ(Serif)が無い(sans)」という意味。
ココでキース・ムーンの文字をチェックすると、文字のハジッコに全部チョロっとした棒がついているでしょ?
これが「セルフ」。
一方、ジョンストンのはツルッツル。日本で「ブロック体」と呼ばれるスタイルに似ている。
ジョンストン・サンズは文字は幅が少し広めで、大きな特徴としては小文字の「i」や「j」の点が●ではなくて、◆になっていること。
このフォントははナニに使われているか…?
ロンドンに行ったことのある人はピンと来るかも知れない。

250そう!
地下鉄のサインに用いられているあの文字なのです。2mg_2と、言いたいところなんだけど、今の地下鉄に使われているのは「New Jonston」といって、ナント、1979年から1980年にかけて河野英一という日本人がオリジナルのジョンストンのサンセリフ書体に倣ってデザインし直したモノなのだそうだ。
オリジナルのジョンストン・サンセリフはこんな感じ。

2jsで、どうもそのニュー・ジョンストンも2016年にまたデザインし直されたようだ。
今度ロンドンに行ったらよくチェックしてこよう。
ナゼそんなことをワザワザやるかというと、それらのフォントを使った媒体がドンドン変化していくからなんだって。
例えば技術が進歩して小さい文字がクリアに印刷されるようになると、そういう技術に耐えられるように文字形や線の太さに改良を施さなければならないというワケ。
だから、2016年にもフォントの改訂が必要だった。
理由はデジタル媒体の普及で、紙ではなく、パソコンや携帯電話のディスプレイを見る機会が圧倒的に増えたからだそう。
こんなところにもデジタル化の魔の手が!…ナンチャッテ。
で、このエドワード・ジョンストンの偉業はフォントだけでなく、おなじみの地下鉄のロゴマークも手掛けている。
この丸いデザインはBullseye(ブルズアイ:標的)と呼ばれているが、コレに四角を組み合わせるデザインは元からあって、それに手を加えて今の形にしたのがジョンストンなのだそうだ。1be結局はこのデザインにジョンストン・サンセリフが組み合わっているからカッコいいデザインなんだよね。9img_8352この文字がセリフ体だったらまた完全に別のモノのなっていたことだろう。9img_8393 コレは?
「ロンドン・パディントン駅」のサイン。
「i」の点が◆でなくて●になっているでしょう?
それに文字が肉太で若干スリムだ。「o」なんかを比べれば一目瞭然だ。
そう、コレは実は地下鉄ではなく、国鉄の駅のサインなのです。9img_8045コレも国鉄のサイン。
全然オシャレじゃない。
「Hanwell」というのはジム・マーシャルが最初に楽器店を出したMarshall発祥の地の最寄り駅。

9img_8051 …コレに興味を持ってしまって、3,000円(税抜き)も出してこんな本を買ってしまった!
CD1枚に3,000円を出すことは滅多にないが、本には寛容な私。
ナゼかと言うと、私が買おうとするような変な本は中古で安くゲットできる確率が少ないから、どうしても読みたい本は思い切って買っちゃう。
今、ワクワクしながら読んでる中。

90r4a3288コレは古い家なんじゃないかな~。
こうして入り口が小さい建物は概して長い歴史を持っていることが多いらしい。
小柄だった昔の人が使っていたことを示すからだ。
田舎へ行くと、モノスゴイ小さい入り口の古い家を見かけるからね。でも、コレはきっと冬の寒さ対策いうのもあったんでしょう。
それにしてもクサイ~。300v歩いていて偶然出くわしたのがコレ!

310FULLER'Sのビール工場。
いわゆるブリュワリー。

315vFULLER'Sといえば、ロンドンに行ってお酒を飲む人なら大抵一度は口にする「LONDON PRIDE」を作っているビール・メーカー。
今ではヒースロー空港にレストランを出店している。
以前空港にあったパブには「ホンモノのイングリッシュ・エールが飲める最後のポイント!」みたいな看板が付いていて、言われた通りそこでチップス(フライド・ポテト)とエールを飲んで飛行機に乗り込むのがスキだった。
ヒースロー空港は行き慣れた昔の設備の方が愛着があって断然好きだけど、今のFULLER'Sのレストランに関してはそう悪くない。

3304人ぐらい集まると工場見学をさせてくれるようだ。
いつかは行ってみたいな~…といいたところだけど。

340くっさ~!
あのニオイの元はココだったのよ!

350ホテルに帰って受付のお嬢ちゃんに「あのニオイ、何かと思ったらFULLER'Sの工場のニオイなのね?」と言うと…「そうなの。ホップのニオイよ。いい香りでしょう?私はあの香りを嗅いで育ったの。あのホップの香りはハマースミスの住民の誇りなのよ」
「うん!そうだね!とてもいい香りだよね。ボクもLONDON PRIDEが大スキなんだ」…と答えておいた。
オレってワルだろ~?
360工場にはブリュワリー・ショップが併設されている。

370そこでビールを出しているワケではないが、看板はパブ風。
イギリスは「Licensed」といって、アルコール類を出すお店は特別な許可を得なければならない。

380v中はこんな感じ。390いい感じでしょう?400昔の日本の酒屋さんもこんな感じだった。
実家の近くのセブンイレブンはかつて幼稚園の同級生のゆかりちゃんの家で、古い酒屋さんだった。
まさにこんな感じだった。
毎日夕方近くになると、汚なめのオジさんが大勢店先に集まって来て、タバコの煙の中で真っ赤な顔をしながらワイワイ騒いでいた。小さな子供にはその様子がコワかった。
そうだよ、昔は酒を飲ませる酒屋ってのがそこら中にあったよね。アレはLicensedだったのかな?410工場のすぐ近くにあった「The Mawson Arms」というパブ。
「FULLER'S」の看板が付いている。
420vこの写真に並行して走っている通りが「Chiswick Lane Sounth」。
左の方へ行くとさっきの工場に当たる。
この辺りのエリアを「Chiswick」というが、コレ「チズウィック」と読みがちだけど、ほとんど「チズィック」と発音する。
よくパブの名前で「Arms」って付いている店を見かけるが、この「arms」は「腕」でも「武器」でもなくて「紋章」という意味。
だからこの店の名前は「モーソン(Mawson)の紋章」ということになる。
では、このモーソンとは一体誰か?
ホラ、ココにもブルー・プラークが付いている。

9img_1793_2Alexander Popeという詩人がココに住んでいたそうだ。
この人、1744年に没している…ということは、このビルは相当古いということになる。
この通りには他に5つの古い建物が立っていて、それらはイギリスの貴重な建物リストの2番目のグレード(Grade II)にリストアップされている。
それらの建物を1715年に作ったのがパブの店名になっているトーマス・モーソンさん。
そして、このモーソンさんこそがFULLER'Sの創設者なのだそうだ。
ココ、実際に入ってエールを飲んだんだけど、この辺りのことを知っていればもっと味わって飲んだのにな~。
もうひとつ…。

9img_1792ココに住んでいたというアレクサンダー・ポープという詩人。
この人、「世界で最初の辞書」とされている「Oxford English Dictionary(通称:OED)」で2番目に多くこの人の文章が引用されているのだそうだ。
どういうことかというと、この辞書を編纂する時、「掲載する言葉には実際に使われている証拠となる引用文を示すこと」をルールとして一般公募をしたのね。
「この言葉はこの本でこうやって使われていますよ!」と引用文献を示すことによって、使われていない古い単語や実用的でない言葉が載ってしまうことを避けたというワケ。
何でこんなことを知ったのかというと、前にも紹介したことがある下の写真の本を読んだから。
で、OEDにはこのポープさんの文章がたくさん引用され、その量が2番目に多いんだって。
ハイ、クイズ。
それでは、誰の文章がOEDで一番多く引用されているでしょう?
コレは簡単でしょ?それが問題か?
答えは…その通り。
ウィリアム・シェイクスピアだそうだ。
90r4a3278 散歩して出くわしたのがこののどかな風景。
繰り返しますが、ココ、ピカデリー・サーカスから地下鉄で20分ぐらいのところだからね。
次回はこの川から始めます。
今回はエドワード・ジョンストンの話で予想外に紙幅を費やしてしまったのでコレで終わり。
ゴメン…ゼンゼン「ロック名所」じゃなかった!
<後編>はハマースミスでバッチリとロックするぜ!

430<後編>につづく 
 
200