目黒鹿鳴館物語<その5:最終回>
アイドルについて
S:ところで、アイドルの方はいつ頃からブッキングするようになったんですか?
P:14~15年前ぐらいですか。
S:ナニか特別なキッカケがあったんですか?
P:BABY METALですね。
それまではゼンゼン関係なかったんですが、彼女たちがデビューする時にプロデューサーの方から「イベントをやりたい」という連絡をもらったんです。
「BABY METALはXをモチーフにしているので、活動のスタートは鹿鳴館でなければダメだ」ということだったんです。
Xと同じ流れで鹿鳴館からスタートにして、武道館でやって、ドームでやって、それでウェンブリーをやったんですよ。
S:へぇ~、完コピしないと気が済まないというワケですね?
P:そうなんですよ。
で、連絡をもらった時には正直よくはわからなかったんですが、とにかく「主旨はわかりました」ということにしてイベントをやってもらった。
当日を迎えて、リハーサルを見て、並んでいるお客さんを見て、本番を見て…自分が考えていた「アイドル」というモノとはゼンゼン違うじゃないか!コリャ勉強不足だったな!と感じたんです。
そうしたら、アイドルの運営の人たちがBABY METALが鹿鳴館で演やったことを聞きつけて「鹿鳴館でアイドルが演ってもいいんだ?」ということになった。
S:「ナンダ~、ペペさんってアイドルに理解があるんだ~?ウ~ケ~るぅ~!」というワケですね?
P:そうそう!
それで問い合わせが増えて来て、その中で「BELLRING少女ハート」というアイドル・グループが自分たちのホームグラウンドを探しているんだけど紹介していいか?という話があったんです。
「それはもうゼヒ」ということで、出てもらったら「昭和のイメージでやっているので鹿鳴館の雰囲気は理想通りです!」とスッカリ気に入ってもらったんですね。
もう解散してしまったんですが、それからBELLRING少女ハートは結構大きなハコで演るようになって、今から10年位前ですけど「地下アイドルのひとつの到達点」と言われたんです。
だからBELLRING少女ハートは他のアイドル・グループの憧れの的で、対バン希望者もたくさんできて、結果「アイドルに鹿鳴館あり」みたいになっていったんです。
S:なるほど、そうやって始まったんですね。
シーンを作るのはライブハウスではない
P:コレは他の取材でも話したことがあるんですが、これまで鹿鳴館が「ジャパメタやるぞ」とか「ヴィジュアル系にするぞ」とか「アイドルで喰っていくぞ」みたいに舵取りをしたことって1回もないんですよ。
S:時代がそうさせてきた?
P:そうなんですよ。だからカッコをつけて言うワケじゃありませんが、よく言う「ライブハウスが音楽シーンを作る」なんてのは絶対ウソですよ。
やっぱりシーンを作るのはライブハウスに出ているバンドのジャンルの勢いなんですよ。
S:ライブハウスは出てもらっているだけ?
P:そうなんです。でも、出てもらうからにはこっちも必ず出演者に向き合った仕事をします。
ヨソではアイドルを出すと恥ずかしいと思うようなところもあるようですが、ウチの場合は「鹿鳴館に出ている」ということがひとつのステイタスになっているようなんです。
だから「鹿鳴館がアイドルを取り扱うようになってくれて本当にヨカッタです」とよく言われますよ。
S:すると「鹿鳴館のアイドルの歴史」ということになると、BABY METALが一番最初だった…という風に考えていいんですね?
P:そうですね。ボクの気持ちが切り替わったのはBABY METALからです。
************<コラム21:鹿鳴館を記録する>************
コレは目黒鹿鳴館ではなくてチッタ川崎。
NATALドラムスが使われたのでMarshall Blogの取材にお邪魔した。
ステージに上がっているのは「RED-i」というアイドル・グループ。
『赤く塗りつぶせ』という、戦前・戦中だったら間違いなく大変なことになっていたであろうタイトルを冠した単独公演のようす。
以前、告知ポスターが目に入ってこのチームが目黒鹿鳴館に定期的に出演していることは知っていた。当日、会場内を歩いて回ったところ…おお!客席にペペさん発見!(こんなことなら写真を撮っておけばよかったな)
ちゃんと応援に駆けつけていらっしゃってスッカリ感心してしまった。
こういう気持ちが出演者に伝わるんだろうネ。
ロックの今後
S:しかし、はじめの方の話に戻るようですが、ペペさんってこのビルに37年いらっしゃるワケでしょう?
今回そこから離れなければならないなんてどうしようもなく寂しいんじゃないですか?
P:まだ実感がないんですよ。次の計画もだいたいのところは決まっているんですけどね。
とにかく休みたくないとは思っているんです。
S:ペペさんはそうしてロックの現場の真っただ中に長い間いらっしゃるいわゆる「ロックのプロ」ですが、これからのロックってどうなって行くとお考えですか?
P:漠然とですけど、「個人個人の中にあるロック」で残っていけばそれでいいと思うんですよね。
その人が「ロック」だと思えば「ロック」なワケで…。
ま、日本のロックに関して言えば、少子化の問題もあってもうコレ以上繁栄はしないと思っています。
最近は現場に行かない連中がSNSで世の中の「ロック」という音楽に対してゴチャゴチャ文句をつけたりしているでしょ?
もうロックの定義なんてナンセンスだと思うんです。
好きにやるのがロックであって、「あんなのロックじゃネェ」とか言っている連中がロックじゃないワケです。
そういう連中に限って「全ての音楽を聴いて来た」ぐらいのことを言いたがるんです。
でも多分そういう連中よりボクの方が断然音楽を聴いていますよ。
ボクはタワー・レコードより「No Music, No Life」ですから!
通勤の時に聴いて、鹿鳴館で聴いて、Pepe Trickで聴いて、家に帰って聴いて、寝る時にまた聴いていますから!
S:アッハハ!職場がロックだからどうしたって聴く時間が長くなりますよね。
P:ロックだけではありませんからね。あらゆる音楽を聴いています。
新しい発見があるんです。さっきのアイドルもそうです。
で、気に入ればジャンルの分け隔てなくお金を出してCDを買います。
サンプル盤のような無料でもらったCDにはあんまり価値を感じないんですね。
もう一種の職業病みたいなものなのか、サンプル盤は「仕事」として聴かなきゃならない感じになってしまって純粋に楽しむことができない。
まだ知らない名盤とかがあってワクワクしますから!
S:うらやましいな…。
ところで、ロックの高齢化はどういう風にご覧になっていますか?
P:ウ~ン、やっている方が還暦を越えて絶滅危惧種みたいになって、お客さんもアラフィフになって来ましたよね。
でも若い人もタマにいるにはいるんですよ。
LAメタルが好きな若者が仙台にいて、「仙台にいてもどうにもならない」と思って東京に出てきたら、状況が仙台とまったく変わらなかった!…でも逆にそれで火がついてしまった。
結果として仙台にいるままだったら決してつくことのなかった火ですね。
ただ、そういう若い人たちは幻を見ているところもあって、ボクはドンズバでLAメタルを聴いていましたが、彼らが今想像しているのと当時の実際の状況は大きく違っていましたからね。
当時のロサンゼルスのことはわかりませんが、日本では彼らが想像しているより盛り上がっていなかったんだよ…みたいな。
S:一方ではデジタル技術が進歩して音楽制作の現場の様相が大きく変わってしまった。
P:今はAIを使うので曲を作るペースがものスゴク速いんですよね。
そんなんで「作曲」なんて言えるのかどうか…。
S:まったく。
目黒の鹿鳴館とはもうすぐさよならになってしまいますが、今後もペペさんの音楽に対する姿勢は変わることがなさそうですね?
P:はい。
自分でも楽しみながら、新しい鹿鳴館から皆さんが楽しめる音楽を強力に送り出していきたいと思っています。
S:楽しみですね!今後ともMarshallとNATALをよろしくお願いします。
P:もちろんです!
S:本日はお忙しいところ誠にありがとうございました。
P:こちらこそ!
S:最後にひとつ…ペペさんが一番好きなバンドは誰ですか?
P:そりゃもうKISSです。
S:絶対にそうだと思いましたよ! ペペさんも昔のことをとてもよく覚えていらっしゃってね~。
当初「1時間もあれば大丈夫ですよね?」なんておっしゃっていたが、ナニをナニを!
フタを開けてみたら3時間近く語って頂くことになってしまった。
約40年分の話がまるで昨日のことを話しているかのように次から次へと飛び出してくるのだ。
今では話に出て来る皆さんのほとんど全員を存じ上げているので聞いていてとてもオモシロかったし、驚きの連続だった。
3時間がアッという間だった。
************<コラム22:鹿鳴館の思い出>************
最後に私自身の「鹿鳴館の思い出」を添えて『目黒鹿鳴館物語』の幕を降ろしたいと思う。
まずは…食べ物。
ライブハウスの近所においしいモノを食べさせる店があるかどうかはとても肝要なことでしてね。
目黒はJRの線路に向こうにあるこの「こんぴら茶屋」という讃岐うどんのお店がお気に入りで、鹿鳴館に行く前、かなりの確率でココで腹ごしらえすることが多かった。カレーうどんがウリのようなのだが、私はカツオ昆布だしの普通のおツユのうどんが好きだった。
下はお店の名前を冠した「こんぴらうどん」。
ナンだか知らないけど、ココはトッピングのお餅がすごっくおいしいのよ。
「そういえば、昔のお餅ってこうだったよな~」みたいな。
ココのうどんももう「思い出」になっちゃうだろうナァ。さて、うどんの次はお詫びと訂正。
イヤ~、マイったわ。
このシリーズの冒頭で「初めて目黒鹿鳴館にお邪魔したのは2010年の『メガトン・クラブ』だった」と断言してしまったが、それが誤りであったことが判明した。
しからば、私が生まれて初めて目黒鹿鳴館に足を踏み入れたのは誰が出演した時だったか…答えは田川ヒロアキだった。
ヒロアキくんは<その1>を読んでくれて、私が誤りに気付いてソロソロ確認の連絡がある頃だろう…と思っていたって!
もちろんこの公演のことは覚えていたが、一番最初の鹿鳴館だったとは気が付かなかった!
もうこの時には「JVM210H」を使ってくれていたんだナァ。
まだJVMが「新商品」だった頃。
それから15年の間ズッ~と使ってくれている。
ヒロアキくんのギターの音の良さの秘密がココある。「覚えていないんじゃ『思い出』じゃないじゃん?」と言われそうだけど、とりあえずソレはほうっておけ。
2009年11月21日、『メガトン・クラブ』に先立つこと約1年、ヒロアキくんが『FLY AWAY』というリーダー・アルバムをリリースした時の記念ライブがそれだった。ヒロアキくんが上京して、初めて大きな単独公演を開催した場所がこの目黒鹿鳴館だった。
みんな目黒鹿鳴館から始まってるんだネェ。
イベンターの人に見込まれ、Summer Sonic、Loud Park、そしてこの目黒鹿鳴館の3本立ての企画で、
以前からアルバムのリリースを計画していたので、この鹿鳴館の公演を発売記念ライブにしたのだそうだ。
メンバーは和佐田達彦、長谷川浩二、はんだすなお。 私もこの時に初めて鹿鳴館でシャッターを切ったことになるワケだが、撮ったウチの1枚が制作サイドの方に気に入られ、しばらくの間(今でも時々)ヒロアキくんのオフィシャル・ポートレイトとして使用された。
それが下の写真。目黒鹿鳴館で撮影したのだ。次がその勘違いしていた2010年12月21日の『メガトン・クラブ』。
スゲ~人だったナァ。
既にこの時はイスがあることを知っていたので「座って観られるのは助かるナァ」なんて思ったのも束の間。
それはトンデモナイ間違いで、長丁場の最初から最後まで始終立ちっぱなしでクタクタになってしまった。この時、白田さんが出演されていた。
この後、白田さんにはアチコチでご一緒させて頂いたが、最近は全くご無沙汰で、数年前にメールのやり取りを少ししただけだった。
お身体の調子が思わしくないということは耳にしていたが、去年、いきなり訃報が飛び込んで来て本当にビックリした。2013年3月20日に開催された女性シンガーを主役に据えた『QUEENS OF NOISE IN TOKYO』というイベント。
出演したのはTAKAEITA。EITAちゃんは最も付き合いの古いギタリストのひとり。
このイベントとは別に『EITA PARK』という自らの名前を冠したイベントを鹿鳴館で何度か開催している。この時、TAKAEちゃんは元気イッパイに声を張り上げていた。
イベントではKRUBERABLINKAが後に続いた。
一風変わった歌詞と独特な曲づくり、そして卓越した演奏で私はこのバンドがとても好きだった。
ゼヒまた活動して欲しいバンドのひとつ。そしてイベントのトリを務めたのはRAJAS。
何度も書いて来た通り、私はジャパメタを全く通っていないのでこのバンドを存じ上げなかった。反対にRAJASの福村さんのことはEITAちゃんが属していた「時空海賊SEVEN SEASのマネ―ジャー」として古くから存じ上げていた。
ところが、ドラマーだったということは噂程度にしか耳にしていなくて、失敬ながら福村さんがココでスティックを握っている姿を初めて目にしてすごく驚いた。鹿鳴館はタマにしかお目にかかることができない東京近郊以外に在住しているミュージシャンに会うことが出来る場所でもあった。
下は2013年6月14日の『EITA PARK』に出演したEBONY EYES。この時、久しぶりに金谷幸久さんにお会いした。
金谷さんは関西を中心に活発な活動を展開し、今でも熱心にMarshallをお使い頂いて素晴らしいギター・サウンドを出してもらっている。
ありがたいことである。鹿鳴館のステージをMarshallで埋め尽くしたこともあった。
2013年11月、今はもうないバンドのビデオの収録だった。
アレ?今と床の色が違っていたんだネェ。
ね?こういうことは案外覚えていないものなのよ。コレ、始まりの時間が遅くて、ひと通り終わったのが真夜中だった。
夜に滅法弱い私はヘロヘロになって帰宅したことを覚えている。
でもやっぱり「Marshallの壁」ってのはいいもんだな。
鹿鳴館のステージにピッタリだ。2013年12月1日。
コレは2回目の『様式美大作戦』。この時から『様式美大作戦』の東京公演は目黒鹿鳴館がホームとなった。
ゲストとして足立"YOU"祐二さんが出演した。
私はYOUさんの訃報をいち早く三宅庸介さんから受け取ったのだが、その時は本当に信じられなかった。PONさんのメッセージにあったようにBLIND BIRDの初の単独公演も目黒鹿鳴館だった。
私はこのバンドが好きだった。
メンバーの個性が際立っていて、歌詞も曲もアレンジも他の凡百のバンドとは異なる私好みのサウンドだったのだ。
PONさんのドラムスは言うに及ばず、優也くんのギターもカッコ良かったし、何と言ってもベースが河野さんだったから。
そしてあの独特な直志さんの歌声が曲にベストマッチしていた。
だからライブがあると欠かさずMarshall Blogの取材にお邪魔した。直志さんはステージで数曲ギターを弾くのでギター・アンプを自ら持参していたが、それはMarshallではなかった。でも私はそれを気にすることは全くなかった。
ある時、渋谷のライブハウスの楽屋で直志さんが真顔で私にこう尋ねて来たことがあった。
「あの~…ナンでそんなに我々に親切にしてくれるんですか?」
直志さんは後に私が取材の請求書でも送り付けて来るのではないか?と心配していたのであろうか?
模範的な回答としては、「PONさんがNATAL、優也くんがMarshallを愛用してくれているので、ブログでライブのレポートをするとブランドの宣伝になるんですよ」となるのだが、私はそうは答えなかった。
本心からとっさに「BLIND BIRDが好きだからですよ!」と返答した。
事実だから仕方がない。
そして…その後のことだったように記憶しているが、直志さんのギター・アンプがMarshallの「JCM800 2203」に替わった。
直志さんはそんな人だった。
PONさんから訃報を耳にした時、あまりに突然すぎて意味がわからなかった。こんなショウにもお邪魔したことがあった。
『ALICE in The DEAD WORLD FINAL HALLOWEEN Party』というイベント。
実はコレは鹿鳴館のスタッフのしきちゃんからのリクエストだった。
「Satan」という2人組のチームのギタリストが「Marshallを使っているので取材をして欲しい」という話だ。2014年の10月31日だからハロウィンの日だね。
鹿鳴館の入り口の階段の壁に左右の目にそれぞれ異なる色のコンタクトレンズを入れた男が写っているポスターが貼ってあって、予てからそれがチョット気になっていた。
それがSatanだった。
そんなこともあったのでしきちゃんのご要望に応えるべくお邪魔した。
すると…コレが大変に楽しかったのだ!お客さんがみんなこんな格好をして来てフロアで大騒ぎ!
終演後には仮装を施したお客さんたちの記念撮影をさせてもらったことも今となっては楽しい思い出だ。
鹿鳴館の令文さんも何度か取材させて頂いた。
コレは2014年11月2日の『BATTLE OF FORCE』というイベントのひと幕。令文さんはMARINOで出演。
私にとっては2008年に中野サンプラザで観た『JAPAN HEAVY METAL FANTASY 関西なぐり込みギグ』以来2回目のMARINOだった。中間さんのHURRY SCUARYやMEDUSA他が出演し、会場はパンパンでホール下手の壁際に設置した脚立の上に乗ったきり最後まで一度も下に降りることが出来ない有様だった。
その位置からは2階席の一番前が丸見えで、大谷一門会の門弟であるノンちゃんがうれしそうな表情で師匠の演奏を見守っている姿がよく見えた。令文さんはこんなことをやっているけど、実は開演前はゼンゼン「グ~!」じゃなかったんですよ!
何が起こったのかは、令文さんと仲のヨカッタ方ならだいたいの察しがつくことだろう。
しかし演奏はスゴかった!
その開演前のイメージもあって、まさに「ギターの鬼神」と呼べるかのようなパフォーマンスだった。ああ、令文さんが出すMarshallの音が聴きたい!
ロック・ギター界は今こそ令文さんが必要なのだ!
私もリアルタイムでMARINOを知っているワケではないのでエラそうなことは言えないが、これからはこの令文さんのMarshallの音を聴いたことがない世代の連中ばかりになってしまうことがとても心配だ。ペペさんが鹿鳴館をホームにしているバンドのひとつとして「高橋ヨシロウ」さんのお名前も挙げていらしゃった。
下はヨシロウさんのバンドで出演した時の令文さん。
2014年12月21日、ACTIONのデビュー30周年を記念する公演。この時、私は写真の仕事を頼まれて、撮影スペースを確保するために前柵を設置してもらった。
ド派手な演出で、我ながらとてもいい感じに撮れてうれしかったね。
こうしてCO2もブッ放したんだよ。それだけではなくてこんな赤い花ビラも舞わせたりして、それはそれはゴージャスなショウだった。
モチロン令文さんの「アクショ~ン!」もバッチリだった!
ちょうどこの頃、私が監修を務めた『アンプ大名鑑[Marshall編](スペースシャワーネットワーク刊)』という本が上梓されて、令文さんからご注文を頂戴し、この時に鹿鳴館でお渡しした。
下の写真はその時に鹿鳴館の楽屋の廊下で撮ったもの。
ちなみにこの本、定価は4,500円だったが、現在はインターネットで12,000~21,000円ぐらいの値段が付いていてちょっとビックリ。
私の苦労代が今頃上乗せになったんだな?やっぱりペペさんも「本当にうまいギタリスト」として、令文さん、YOUさん、白田さんのお名前を挙げ、そのご逝去を本当に残念がっていらっしゃった。
SHOW-YAが目黒鹿鳴館のステージに帰って来たのは2015年8月30日のこと。
この時も当然パンパンで、客席の後ろに立てた脚立の上でできる身動きと言えばカメラを持ち替えることだけだった。
ま、そういうことは今でもタマにあるもので、10年前のこの頃はそんな環境にも耐えることができた。
一方、とても耐えられなかったのは場内の気温。
も~、殺人的に暑くて、開演直後から着ていたシャツがすぐさまビチョビチョになってしまった。
終演後、楽屋で私の汗ダクの姿を見たSHOW-YAのメンバーからも「チョット大丈夫?」と心配されてしまったぐらいだった。この時の様子がDVDに収められ、私が撮影した写真をジャケットにご採用頂いた。
DVDを観ると、1曲目の「限界LOVERS」を歌い終えた恵子さんが「ものすごく暑い!」みたいなことをおっしゃっている。
そう、本当に暑かったのだ!
この後ぐらいにホール内のエアコンが入れ替わったのではあるまいか?この後も、Concerto Moon、BLINDMAN、様式美大作戦を中心に様々なライブにお邪魔してMarshall Blogの取材をさせて頂いた。
そして、コロナがやって来た。
Marshall Blogの記録を調べてみると、上に挙げたように2013年と2014年に最も足繁く通っていたようだが、コロナ騒ぎが始まった2020年はナント「0回」!
この年、目黒鹿鳴館に行くことは一度もなかった。
その沈黙を破ったのはやはりConcerto Moonだった。
翌2021年の7月17日、『Rain Fire』のレコ発公演だ。2021年は他に11月21日のREACTIONの『FAREWELL』にお邪魔した。
Marshall Blogに掲載された2021年の鹿鳴館でのライブのレポートはこの2回だけ。2022年になって…やはりConcerto Moon。
1997年にリリースしたデビュー作『Fragment of the Moon』のリリース25周年を記念したアルバム再現ライブを5月7日に開催。
ね、コロナの期間中はこうしてステージの前を開けてくれていた。
コレが我々写真班にとってどれだけありがたいか…。
私も40度の熱が1週間続いて死ぬかと思ったコロナを憎んだが、この「前柵(英語では"Press Pit")」というコロナがもたらした恩恵に喜びを隠し得ないことが何度かあった…というのは正直なところ。
ところで、私はコーヒー牛乳を片手にペペさんが担当する照明が好きだった。
ピンスポットの当て方がキメ細やかで、とてもキレイな写真を撮ることができたからだ。
やっぱりぺぺさんは昔から様々なコンサートをご覧になっていて、ステージの上で起こっていることをいかに奇を衒うことなくお客に上手に見せるか…ということを体得されていたでしょうナァ。その1週間後のBLINDMAN。
アルバム『Expansion』のレコ発公演の2回目。
コレも前の柵の中から撮影している。8月6日にはNAKED MACHINEが『Vanity of the World』のレコ発を開催。
11月には再びBLINDMANが登場し…
この年の最後にConcerto Moonがファンからのリクエスト曲を演奏する『Request of the Moon』を開催した。
2022年は5回。
結果、Marshall Blogとしてはコロナの全盛期だった2020年~2022年までの3年の間に目黒鹿鳴館で開催されたライブはこれらの合計7回しかレポートすることができなかった。
3年間でたったの7回だよ!
もちろん、コレはMarshall Blogの取材に限った話で、実際にはその他のショウが目黒鹿鳴館で数多く開催されていたのであろうが、ペペさんもさぞかし大変なことだったろう。こうして軌跡をたどってみると目黒鹿鳴館はMarshall Blogにとっても大事な大事なホームグラウンドであったことを実感するナァ。
この連載も今日で最後。
来年1月19日の最終日まで行く用事はもうなさそうだ。となると、鹿鳴館がホントに遠くへ行ってしまったようでとても寂しい。
Marshallを使った数えきれない名演・激演が繰り広げられたステージ。
37年の間Marshallが、そして10年の間NATALがお世話になりました!
最後に手前ミソながら…今回、Marshall Blogをやっていて本当にヨカッタと思った。
こうして目黒鹿鳴館の歴史と姿を半永久的に残すことができたし、ココで繰り広げられたライブの様子をいつでも、そしていつまでも見返すことができるのだから。
そんなことができるのは恐らく世界でもMarshall Blogがある日本だけではなかろうか?…知らんけど。
新しいモノだけが良いモノと妄信しがちな日本人とは大きく異なり、伝統こそを重んじるイギリス人のやり方なんかを見ていると、「残す」ということは「創る」のと同じぐらい大切だということを思い知る。
目黒鹿鳴館はファンの皆さんの心とMarshall Blogの中で生き続けるのだ。
そんなつもりで展開しているMarshall Blogに全面的な協力をしてくださった目黒鹿鳴館には心から感謝申し上げる次第である。 末筆ながら、いつでもご親切にしてくださったペペさん、小関さん、しきちゃん、スタッフの皆さんに心から御礼を申し上げます。
そして新しい「鹿鳴館」に移ってもMarshall、NATAL、Marshall Blogをよろしくお願い申し上げます。
ペペさん、お忙しい所全面的なご協力をどうもありがとうございました!<おしまい>
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