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2020年11月18日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 58 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.2>

 
さて、天下のジミ・ヘンドリックスとはいえ、渡英当初は当然全くの無名。
チャスも「Hey Joe」を引っ提げて売り込みに奔走した。
その先のひとつが「DECCA RECORDS(デッカ・レコーズ)」だった。
でもデッカはチャスの申し出を断っちゃった。
前回もチラリと書いたように、ジミの4年前にビートルズで苦い経験をしたハズなのに…またやっちゃった!
どうしてもジミの才能を見抜けなかったんだろうナァ。
そこへ行くと、チャス・チャンドラーの慧眼たるや見上げたものである。
Ssimg_1864チャスはこのままじゃイカンと考え、プレスを集めてジミのショウ・ケース・ライブをすることにした。
そのために自分のベース・ギターを売り払って資金を工面したそうだ。
会場はカーナビー・ストリートの1本裏手の通りのクラブにある…Ssimg_0370「The Bag O'Nails(バッグ・オ・ネイルズ)」だ。
1966年にGeorgie Fame(ジョージー・フェイム)のマネージャーのJohn Gunnell(ジョン・ガネル)が開いた店。
60年代の後半の人気ミュージシャンのたまり場だった。
Ssimg_0368ジミのショウ・ケース・ライブはランチ・タイムの短いステージだったが、ジョンもポールも観に来てくれた。
このあたりはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスのつながりだったのだろうか?
Ssimg_0363入り口にかかっている2つのプラーク。
「Jimi Hendrix Experience」として演奏するのはこの時が初めてだった。 
また、ポールが別の日にGeorgie Fame and the Blue Flames(ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムス)を観に来た時にリンダを連れてきたのもチャスだったという。
ちなみに、Fleetwood Macのジョン・マクヴィーがクリスティン・パーフェクトにプロポーズしたのもこの場所だったとか。

S 失礼…チョット中を拝見。
 
演奏後、ジミは自分のパフォーマンスが果たして聴衆に受け入れられたのかとても心配だったらしい。
すると、楽屋にジョンとポールが訪ねて来て「よかったよ~!」と絶賛してくれて胸をなでおろしたそうな。
Ssimg_0372この店にはトム・ジョーンズやThe Who、The Animalsも頻繁に出演していた。Ssimg_0364そして、去年行ってみると…なくなってた。
今swは「The Court」というクラブになっちゃった。
写真の中の記念撮影している人たちはココが何たるかは知らないし、何の興味もないんだろうね。
それはそれでシアワセなことだ。
「藤がキレイ」ということで写真を撮っていた。
「知らない」ということは恐ろしいことだけど、最後まで知らなければそれは「幸福」と化すのだ。
Simg_9731「Bag O'Nails」という名前のクラブはもうないけれど、入り口のプラークはそのままなので、カーナビー・ストリートへ行くロック・ファンは要チェック!Simg_9735 さて、場所は変わってシャーロック・ホームズが住んでいたことで知られるベイカー・ストリート。
あ、シャーロック・ホームズもワトソンくんも空想の人物ですからね。
このベイカー・ストリートには思い出がありましてね。
地下鉄で財布をスラれて、東京にいる家内に国際電話をしてクレジットカードを止めてもらうため、ココにあるインターネット喫茶にすっ飛んで来たのだ。
よく家電量販店でクレジット機能付きのメンバーカードの勧誘をしているでしょう?
アレには要注意ですぜ。
イヤ、いつも使っていて請求のやり取りをしていたり、カードを紛失したりしなければ何ら問題はないんだけど、もし失くしてしまった場合、どこの信販会社がそのクレジット機能の面倒を見ているかを知っておかないと止めることができないのだ。
私の場合、まったくそのカードを使っていなかったので、関係している信販会社がわからず、家内が夜中に片っ端から関係のありそうな会社に電話をして突き止めてくれて事なきを得た。
あれからは絶対にああいうカードは作らないようにしている。
Img_0523シャーロック・ホームズの街だけあって駅の壁もこんな具合。

Simg_1888『宇宙戦争(The War of the Worlds)』や『透明人間(The Invisible Man)』で知られる「SF小説の父」、H.G.ウェルズはこの駅舎のビルに住んでいた。

Simg_1891駅の並びには有名なマダム・タッソーの蝋人形館。Simg_0474もうだいぶ前の話だけど、このあたりを歩いていたらこのお嬢さん方に声をかけられた。
私が首から下げていた大きなカメラが目に入ったのだ。
「このカメラの使い方を教えて頂けませんか?」と自分のカメラを私に差し出して来た。
見るとそれは私が以前使っていた一眼レフと同型で、マニュアル・セッティングにしているのはいいが、設定がメチャクチャだった。
多分、「マニュアル」も「絞り優先」も「シャッター速度優先」もわかっていないだろうから、フルオートにしてあげた。
それで数枚撮って見せてあげると、「直った、直った」と大喜び。
すると私が首から提げているカメラを指して「それで私たちを撮ってくれませんか?」というのよ。、減るものといえばバッテリーぐらいなものだし、美人だし、こうして何枚か撮ってあげた。
スゴイのよ。
撮られ慣れているのか、コチラが何も言わなくてもこうしてスッスといくつものポーズを決めるワケ。
その間、ずっと歯を見せて笑顔を絶やさない。
向こうの人はホントに写真を撮られるのが上手だよ。Simg_1909撮った写真を見せるともう「キャーキャー」大騒ぎ!
「プロフェッショナルの方なんですか?」とかおだてられて、「後でゼヒ送ってください!」とメール・アドレスを渡されたので日本に帰ってから送ってあげた。
美人は得だね。
UAEから来たお嬢さんで、すぐにキチっとしたお礼の返信があった。
アリャ絶対金持ちだよ。
私ももっと若ければオイルマネーの逆玉に乗れたかも?
んなこたァないか。
ロンドンは楽しい。Simg_1913ハイ、脱線終わり。
そのベイカー・ストリート駅の近くのこのビル。
Simg_1926「REED」という職業紹介所が 入っている何の変哲もないビル。Simg_1901ココはかつて「Apple Boutique(アップル・ブティック)」というビートルズのお店だった。
ポール曰く、「美しい人々が美しいものを買うことができる美しい場所」。
美しく万引きが横行。
「Love and peace」の時代にあってその万引きをとがめることもせず、結果、8か月で倒産。
決して美くはない結末となった。
最後は在庫品を無料で開放した。
何を売っていたのか知らないが、コレは美しい。Sbeatlesそれでも、1967年12月のオープニングにはジョン、ジョージ、クラプトン、ジャック・ブルース、シーラ・ブラックらが参席してりんごジュースをすすって大いに盛り上がったという。
そのりんごジュースのせいかどうかはわからないが、今ではナゼかジョンだけの名前を記したプラークが取り付けられている。Simg_1897さて、ジミ。
ジミとキャシーはハイド・パーク・タワーズ・ホテルから、ベイカー・ストリートに移動する。
この辺りは結構高級なエリアなんだろうナァ。
「Montagu Place(モンタギュー・プレイス)というところ。
ジミがココの番地標識と撮った有名な写真があるので、コアなファンにはおなじみの名前かも知れない。
地区名で言うと「Marylebone」。
コレ、「メリルボーン」とか日本語で表記されるけど、向こうのお方の発音はハッキリと「マリルボン」でした。Img_0518チャスと一緒にジミとキャシーはこのフラットに移ってきた。
2人は地下に居を構えたらしい。
プラークが付いてるしょ?12img_0513「1968年、ジョン・レノンがココに住んでいました」…なんだけど、このフラットを借りていたのはリンゴ・スターだった。
キャシーがリンゴに頼んで又貸ししてもらったのだそうだ。12img_0510天下のビートルズのメンバーが借りているフラットだけあって、中はとてもゴージャスでジミとキャシーは大変よろこんだらしい。
ウン、私もロンドンの真ん中に住めるならマリルボン周辺がいいナァ。12img_0512ちなみにあのジョンとヨーコの『Two Virgins』のジャケットはこのフラットで撮影したそうです。
あのマッパのヤツね。
しかし、このあたりのアルバムを聴いている人って世界にいるのかな?
いるんだろうネェ。2v さて、先日ジミのことを語るジム・マーシャルのインタビューをお届けした。
コレね。


ミッチがジムのお店にMarshallを買いに行った…というクダリね。
まぁ、誰かの車で行ったんだろうけど、電車で行ったことを想像するとまた楽しいんだよね。
パディントン駅からヒースロー方面に行く電車にのって「Hanwell(ハンウェル)」駅で降りて歩いて20分ぐらいかな?Simg_8048ココをジミが歩いていたのかと思うとオモシロイ。
写真の黄色い車はロンドンの救急車ね。Simg_8080 ジムの店はがあった通りは「Uxbridge Road(アクスブリッジ・ロード)」。
ピカデリー線のターミナルに「Uxbridge」という駅があるけど、そこからはとても歩いては行けないので、いつか行ってみようというコアはMarshallファンの方は要注意。Simg_0465アクスブリッジ・ロード沿いのこの青い看板のところがMarshallの第2号店があったところ。
ココにジミとミッチがMarshallを買いに来た。
ま、ジムは一切触れないけど、その時チャスもいたのであろうか?
この時、JTM45/100のフルスタックを3セット買った…というんだけど、あんなにデカいモノを3つもどこで保管していたんだろうか?
宅急便なんてない時代、運ぶにもトラックが必要だったろうに。
などと、どうでもいいことを考えるのが楽しい。Simg_8094コレはその時のモノかどうかはわからないけど、正真正銘ジミが使っていたJTM45/100。
もうだいぶ前だけど、ある時工場で「シゲ、シゲ!来てみな!オモシロイものが入って来たぞ!」と当時の副社長のグラハムがワザワザ別のところにいた私を呼びに来てくれて見せてくれた。
当時はまだMarshall Blogをやっていなかったけど、私がこういうことが好きなことを知っていて、この時だけではなくて、私が工場にいる間にレアなアイテムが修理に持ち込まれると都度教えてくれるんだよね。Srimg0181コレは確かスウェーデンのコレクターの持ち物と聞いた。

Srimg0182「J.H. EXP」のステンシルがタマらんね。Srimg0183側面のカバリングが剥がれ落ちて下地が見えている。
ちゃんとこの頃から下地を黒く塗っていたんだね。Srimg0186リアパネルのようす。

Srimg0184製造元は「JIM MARSHALL ORODUCTS LTD」。

Srimg0185ジミはアメリカからやって来て、イギリスの英語に大層驚いたそうだ。
というのは、こんなに小さい島なのに、驚くべき数の英語のバリエーションがあるからだ。
また、スラングの移り変わりが早いのも驚異の的だったらしい。
何しろ標準的な英語であるはずのBBCで使われている英語に全く聞きなじみのない表現が含まれていることがあって、それを楽しんでいたというのだ。
私の乏しい経験から言ってもコレはとてもよくわかる。
「イギリスでは村がひとつ違えば言葉が違う」というぐらい色んな発音があるんだよね~。
だから『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授みたいなことが成り立つ。
それと表現の多彩さね。
アメリカ人に米語の独特な表現を教わって、それをイギリス人に試すと通じないことはまずほとんどない。
アメリカのスラングの本を手に実際に試したことがあったんだけど、使わないけど、意味はわかると言っていた。
映画の影響なんかも大きいんだろうね。
コレの反対をやると、アメリカ人はイギリス英語に全く歯が立たない。
 
それで、ジミはイギリスの英語をオモシロがり、色々な英語を身に着けようと、まずは身近なチャスのジョーディ訛りをマネして楽しんだらしい。
「ジョーディ(Geordie)」というのは「ニューキャッスル出身者」のこと。
StingもBryan Ferry もBrian Johnsonもみんなジョーディだ。
ちなみにリバプール出身の人のことを「Scouser(スコウサー)」、マンチェスター出身者は「Mancunian(マンキュニアン)」という。
あ、前にもコレを書いたことは覚えていますのでご心配なく…まだそこまでボケてませんから。
結局ね、Marshall Blogを毎回読んでいる人なんてかなり少ないので、同じことを何回書いても大丈夫だということに気がついたのだ!
毎回熱心に読んでくださっている方にはゴメンなさい。
 
ちょっとロンドンから離れます。
Simg_6373ニューキャッスルは正式名称を「Newcastle upon Tyne(タイン川沿いのニューキャッスル)」という。
ココはすごくオモシロかったな。
Simg_6827もちろジミはニューキャッスルでも演奏している。
例えば「Newcastle City Hall」。
1927年開業の伝統のコンサート・ホール。
キャパは2,100。

Simg_6833_2Emerson Lake and Palmerの『Pictures at an Exhibition』は1971年の3月にココで録音された。
「Promenade」でキース・エマーソンが弾いているオルガンはこのホールのモノだそうだ。

ElpWishbone Ashの『Live Dates』の一部の音源もココで収録。Wa 中学生の時、Roxy Musicが好きでコレが出てすぐ買って、一時期よ~く聴いた。
1973年はグラスゴー、74年の音源はニューキャッスル・シティ・ホール、75年がウェンブリーのエンパイア・プール(現在のウェンブリー・アリーナ)で録音している。
75年の国内ツアーの時の前座はサディスティック・ミカ・バンド。
アルバムのハイライトである「Do the Strand」はニューキャッスルでの録音。
『For Your Pleasure』収録のオリジナルでは「Chinese」と歌っているところをブライアン・フェリーが「Geordies!」と演る。
観客が大騒ぎするのはそのため。
Svv_2 Sladeの『Slade on Stage』は1981年12月の録音。 SosMotorheadのコレ、タイトルは『No Sleep 'till Hammersmith』なのにハマースミス・オデオン関係なし。
一部がニューキャッスルで録音された。Smhチャスはかなりドサを回らせたようで、おそらくニューキャッスルの後にそのまま回ったのであろう、イングランドさいはての港町「South Shields(サウス・シールズ)」でも演奏している。
 
こんなサビれた町よ。
コレ夕方の4時ぐらいだったかな?
とにかく町で人を見かけない。
でも、あの映画監督のリドリー・スコットや「モンティ・パイソン」のエリック・アイドルもこの町の出身だというんだから大したもんだよ、サウス・シールズは。

Simg_6934でもサウス・シールズの名誉のために言っておくけど、この町はかつて炭鉱、造船、鉄鋼で栄華を極めていた。
しかし、サッチャーが現れ、その強硬な政策によりそれらの産業が根こそぎ壊滅状態になってしまった。
だから今でも現地の年配の人はサッチャーのことを憎んでいるようだ。
ウィンストン・チャーチルのことを悪く言う人はいるけど、憎んでいる感じはしない。
でも、ことマーガレット・サッチャーになると憎悪をむき出しにする人がいるんだよね。
ジミが来た頃はサッチャーが首相に就任する13年も前の話なので、この町もまだ相当にぎやかだったに違いない。
 
さっきの英語の話。
私がこの時宿泊したB&Bのお姉さんがすさまじいジョーディ訛りだったらしく、現地の友達が「オイオイ、そんなにジョーディ弁でまくしたてたらシゲが何を言っているのかわからないよ!」なんて助け舟を出してくれたんだけど、私はそれほどでもなかったな。
チンプンカンプンということはなかった。
ま、通り一遍の施設の説明だったからだろう。
ただ、信じられないぐらい早口だったことは確か。
発音的にはバーミンガムとかノッティンガムとかの英語の方がシンドイと思う。Simg_6994この町の博物館。
コレがなかなかオモシロかったんよ。Ssmやっぱり最も目を惹いたのはこの展示。
「ロックのスーパースター、ジミ・ヘンドリックスはサウス・シールズで演奏しました」

Simg_7073コレをペラっと裏返すと…
「1967年2月9日、ジミ・ヘンドリックスは一度だけシールズの『Cellar Club(セラー・クラブ)』で演奏しました。チャートの5位まで上った'Hey Joe'と共に一度だけ北部を回り演奏したのです。
 
観客は忘れることのできない経験をしました。みんなの人気者が歯でギターを弾き、会場中にトレードマークのサウンドが響き渡ったのです」
そのサウンド、Marshallが出していますから!

Simg_7074コレがその「Cellar Club」が入っていた建物。
繁華街でも何でもないところにボコっと立っている。
ココにジミ・ヘンドリックが来たとはね~。Simg_6982元々はチョット離れた町の中心の建物にあった地下のジャズのクラブが「Cellar Club」だった。

Simg_7175それが移転してNew「Cellar Club」になった。
そこにジミがやって来たのだ。
ジミだけじゃない…Paul Jones、Long John Baldry、Soft Machine、Alexis Korner、Cream、Family、The Niceもココで演奏した。
天下のCreamもドサ回りをしていたんだネェ。
写真を見ると3人も乗ればイッパイになってしまうような小さなステージで場末感タップリ!
チケットのバンド名を見ると「The Cream」とか「The Soft Machine」とか、「The Family」とか、どこかの百円均一みたいになんでも「the」を付けちゃう。
田舎では「the」が付けるとカッコよく見えたのかな?
Simg_6989また脱線。
サウス・シールズにある「イギリスで一番おいしい」という「Colman's」なるフィッシュ&チップス屋。
イギリスには「UKで一番おいしい」というフィッシュ&チップス屋がゴマンとあるらしい。Simg_7130一番かどうかはわからないが、確かにメチャクチャおいしかった!
こんな脂っこいモノ…と思うでしょうけど、店内はお年寄りでイッパイ。
そんなお年寄りでもペロっと平らげてしまうほど軽いのよ。
サラダはドレッシングが目にしみるほど酸っぱすぎて私はNGだった。Simg_7135サウス・シ―ルズに滞在したのは土曜日で、友人が生演奏をやっているパブに連れて行ってくれた。
イヤ、この時は女王陛下の在位60周年記念が当たってしまい、ロンドンに帰る電車代がベラボーに高くなっちゃって、ひと晩だけじゃなくサウス・シールズに何日か滞在せざるを得なくなっちゃったんだけどね。
Simg_7043金曜日と土曜日はこうして生バンドが入る。
いい年のオジさんとオバさんでイッパイよ!
Simg_7036「♪ランブロ~ン」とみんなで歌う。
Led Zeppelinの「Rumble on」よ。
The Who の「The Seeker」とかみんなで合唱しちゃう。
どれもこれもみんなこの人たちの国の歌だからね。
使っているギター・アンプは当然Marshall!
ああ、イギリスっていいナァ~。Simg_7034それでも土曜日なので少しは町に人が出ていたな。Simg_7054私が写真を撮っているのを見つけて親切にお尻を出してくれる若者も…。
ありがとう!Simg_7050ハイ、ロンドンに帰って来ました。
ニューキャッスル方面からの電車はキングスクロス駅に到着する。S0r4a0011となりはいつものコレ…セント・パンクラス駅。

S0r4a0003そんなイングランドさいはての町にまで出かけているぐらいだから、当然ジミはロンドン中のホールやライブハウスに出演している。
こう言っちゃナンだけど、ロンドンに行くと「ココでジミヘンが演奏したんだよ」というのは結構「あ、そう」で済む出来事なんだよね。
その点、ジミとプレスリーは日本に来なかったからね~。
そして、チャスの猛烈なプロモーションぶりを知る思いがする。

例えばコレ。
今は「ODEON Covent Garden(オデオン・コヴェント・ガーデン)」という名前になっているが、かつては「Saville Theatre(サヴィル・シアター)」といった。
コヴェント・ガーデンというよりもデンマーク・ストリートの奥というか、チャリング・クロスを過ぎてシャフツベリーを左にチョット入ったところ…なんだけど、ナゼか名前が「サヴィル」。
あの「サヴィル・ロウ」からは大分離れているよ。

Img_1853元々は1931年にオープンした映画館で、自身も学生時代に演劇を学んでいたビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが1965年に施設を借り受け、芝居とコンサートができるホールとした。
70年代にはまた映画館になって現在に至っている。
コンサート・ホール時代は、The Move、The Bee Gees、The Who、Pink Floyd、Fats Domino、 Gerry and the Pacemakers、Chuck Berry、Elton John、Procol harum、Cream、Fairport Convention、Incredible String Bandといった連中がゴロゴロ出演していた。
Img_1845外壁はオープン当時からあったレリーフがそのまま残されている。
コレはイギリスの彫刻家、ギルバート・ベイエスの「Drama Through the Ages」という作品。Img_1849ベイエスの彫刻は「V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)」の外装にも採用されているそうだ。
どこか上の方らしくて、それっぽいのは直下から確認することができない。
そういえば、ココにはピート・タウンゼンドが壊したレスポールは展示してあっても、ジミのアイテムって見た記憶がないな。Simg_8120ジミは何回かサヴィル・シアターに出演しているようだが、そのウチの1回が1967年6月4日。
オープニングに持って来た曲はビートルズの「Sgt. Peppers Lonly Hearts Club Band」。
9日前に発表されたこの曲がいきなり飛び出して、客席にいたポールはビックリ仰天したとか。
ポールはジミのことが大好きだったらしいよ。
キャパ1,200の客席は満員。
コンサートは大いに盛り上がった。
Img_1852この時の映像が残っているんだね~。
うれしいじゃないか!
ナニがって、ステージにくっついているオレンジ色の垂れ幕。
「The sound of success - MARSHALL」ですよ。
なるほどドラムスをはさんでフル・スタックがズラリ。
ボーカルズ用のコラム・スピーカーまで並んでいる。
この時の話を聞きたいナァ…もうMarshallにはそんな古い人が残っていないからネェ。
 
ステージにはモニターもPAもなし。
会場の人たちはMarshallが出す生のジミ・ヘンドリックスの音を聴いたんだよ。
なんて贅沢なことだろう!
今のデジタルまみれの優等生の音ではなく、ノイズ乗りまくりの「楽器」のナマの音だもん!
かつてウリが私に教えてくれたんだけど、彼は2度ジミの演奏を見ていて、「とにかく音がクリーンだった」と言っていた。
「クリーン」が「歪んでいない」ということか、「澄んでいる」ということなのかは正確にはわからないが、おそらくその両方だろう。
音楽がドンドン変わってしまい、パチーン、ビシーン!…こういう音でMarshallを鳴らす人がいなくなっちゃったもんナァ。
Marshallの元来のスゴさはこの辺りのサウンドにあると思うんだよね。
やっぱり1959だと思う。
1959が飛ぶように売れる時代がまた来るといいんだけど、今のシーンを見ているとそれは儚いジジイの夢にすぎないことを思い知らされる。
ジミはこの後アメリカに戻り、約2週間後にモンタレーに出演した。
 
「モンタレー」のフィルムも何回か観たけど、40年以上前、各所で催されていたフィルム・コンサートに行くと大抵上映されたのがこの「Hello Goodbye」だった。
この映像はここサヴィル・シアターで撮影したのです。
リンゴのドラム・キット、ちっちゃえナァ~!
バスドラムは16"か?

ジミはこんなところでも演奏している。
「Forrest Gate(フォレスト・ゲイト)」というロンドンの中心から北西に行ったところ。
チョット遠いので行ったことはないんだけど、オリンピックのスタジアムがある「Stratford(ストラトフォード)」の近く。
ストラトフォードまでは行ったことがある。
その時泊まったホテルがアホだった。
「ストラトフォーズ・カーズがホテルまで迎えに行く」という伝言が「朝7時にストラトフォードまで来てくれ」という伝言になっていて、それを鵜呑みにした私は朝早く、大きな荷物を持って満員電車に乗ってストラトフォードに向かった。
ストラトフォードはロンドンのベッドタウンらしく、朝のラッシュアワー時の駅前はすさまじい混雑ぶり。
待てど暮らせど迎えの車が来ないのでさすがにおかしいと思い、ストラトフォーズ・カーズに公衆電話から連絡してみた。
その頃はまだ携帯電話なんてなかったので公衆電話を使うにも大騒ぎよ。
電話がかかると、「シゲ、ゴメンなさい!」と問答無用でいきなりお詫び。
かくかくしかじか言い訳を聞いて、結局その大きな荷物を携えて自力でロンドン・ユーストン駅まで行って、電車でMarshallへ行った。
すると工場で、「シゲ、何で今朝ストラトフォードにいたんだ?」と事情を知るはずのない何人かの人が私に尋ねて来た。
朝のワイドナショーかなんかで私がテレビ映っていたっていうのよ。
特段うれしくはなかった。

ということで、写真はインターネットから拝借。
郊外にありがちな普通の街並みですな。Succ2駅から近いこの路地の奥にかつて「Upper Cut Club」というライブハウスがあった。
ビリー・ウォーカーというヘヴィ級のボクサーが始めた店なんだって。
だから「アッパー・カット」なんていう力石徹みたいな名前が付いている。
ココもスゴくてね~、The Who(いい加減The Whoも色んな所に出てるわ)、The Small Faces、Jeff beck、The Animals等の本国勢に加えて、ココにはナゼかアメリカのR&Bの連中が多数出演していた。
たとえばOtis Redding、Booker T and the MG's、Sam and Dave、Stevie Wonder、Nina Simone等々。
スゴイね。

S2uccジミが出演したのは1966年の12月26日のボクシングデー。
いくら店主がボクサーだからといって、ボクシングをやる日ではないよ。
12月26日はクリスマスの翌日でしょ?
中世の時代、屋敷の使用人たちはクリスマスの間も当然ご主人様のために働かねばならない。
そして、休ませてもらえるのはクリスマスの後の平日。
その時に使用人たちは屋敷の主人から 「クリスマス・ボックス」というお金や贈り物が入った箱をもらって、家族が待つ家に帰った。
そこから「ボクシングデー」となったという説。
か…
教会が寄付で集めた貧しい人たちへのクリスマス・プレゼントの「箱(box)」を開ける日だった…という説があるらしい。
とにかく「休み」なワケ。
日曜日に当たると振り替えになるぐらい重要度の高い休日なんだけど、連中は12月20日すぎるとクリスマスの準備でみんな休んじゃうんだよね。
だから関係ないんじゃないかねェ?
そして、1月2日から普通に仕事をする。
私は日英の両方に合わせて年末は大晦日でも仕事があれば仕事をして、2日から仕事を始めます。
だってイギリスからメールが来ちゃうんだもん。
この期に及んでまた脱線でゴメンなさい。
今、クリスマスが近いでしょう?
連中は本気で心配してるんだよ。
コロナで自由にふるまえないでしょ?
戦争の時だってクリスマスは何らかの形で盛大に祝っていたハズで、こんなクリスマスは初めてなワケ。
商売も絡んでいるけど、それほど連中に撮ってクリスマスが重要なイベントだということがわかる。
 
そんな重要な日の翌日のジミは昼の部に出演。
夜の部はThe Pretty Thingsだった。
熱心なジミのファンにはアッパー・カット・クラブはハズせない存在だ。
ナゼなら、ジミはココの楽屋で「Purple Haze」のリフを作ったとされているからだ。
現地へ行くとそんなプラークがかかっている…らしい。

ある人が指摘していたけど、確かに「Purple Haze」のリフって「Taxman」に似ているな。
『Revolver』のリリースが66年の8月5日。
ジミのアッパー・カットはその約5か月後。
#9もメロディの具合も、頃合いもちょうどいい。

Php_2「Purple Haze」という曲自体はこの『Night of Light』というアメリカのSF小説にヒントを得ているんですってねェ。
中に「Kiss the sky」なんて場面があるのかな?Nol1966年末にはトッテナム・コート・ロードの「UFO」クラブに出てSoft Machineとジャム・セッション。
なんて言うと、ジャズ・ロックでギンギンに演ったのか?なんて期待する人もいるかも知れないけど、Soft Machineはまだアルバム・デビューもリリースしていないサイケの時代の話よ。Simg_0250ジミはロニー・スコッツや「Speakeasy(スピークイージー)」が大のお気に入りだったそうだ。
1967年、ジミはココでRahsaan Roland Kirk(ラサーン・ローランド・カーク)と出会う。

Simg_97611967年というとラサーンはアトランティック時代の代表作『The Inflated Tears』をリリースした年だね。
私は大学の時に数寄屋橋のハンターで800円でコレを買って当時よく聴いた。
ラサーンはまた別の回で登場するのでお楽しみに。Itしからば、「Marquee(マーキー)」はどうだったんだろう?
ウチにあるマーキーの本で出演記録をたどってみると、意外に少なくて、たったの2回。
初回は1967年1月24日。
前座なのか、ダブル・ヘッドライナーなのか、はたまた昔の屋根裏みたいに昼と夜の回が分かれていたのか知らないが、共演は「The Syn」というバンド。
コレはYesのクリス・スクワイアがいたチーム。
音源を聴いてみるとフォーキーだけど、なかなかよろしいな。
このマーキーの出演記録を見ていると、「Jimmy James and the Vagabonds」というバンドが毎月出ていることに気づく。
音源を聴いてみると、モロにソウル…ディスコっていうのかな?
「Jimmy James」って渡英前のアメリカでのジミの芸名だよね?
特にどこの記述にもみかけなかったけど、もしかして、この人と名前がダブっちゃうから本名の「Hendrics」を「Hendrix」に、同じく「James」を「Jimmy」⇒「Jimi」にしたのかね?
 
2回目の出演は1967年10月24日のThe Niceとの共演。
この時、キース・エマーソンとセッションをしてすさまじい演奏を繰り広げたそうだ。
チャスは録音をすすめられたが「『Axis:Bold as Love』の制作で忙しいから」と何もしなかった。
何でやねん!
聴きたかった!
ナニを演ったんだろうね?S0r4a0147<つづく>

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