【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 57 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.1>
今から45年前、ビートルズを卒業して、いよいよロックに夢中なり始めた頃、世の中はThe Bay City Rollers、Queen、KISSの嵐が吹き荒れていた。
いつもマーブロに書いているようにアマノジャクの私はそういう人気グループには目もくれなかった。
私の場合、ビートルズに次に好きになったのはトッドだった。
特にベイシティは女の子だけのアイドルで、男子のロック好きの間では相手にされていなかった。
でも、そうした偏見が消え失せた今聴いてみると、実にいいんだよね。
コレが齢を重ねる…ということか。
当時は私も「男はダマってディープ・パープル」のクチだった。
ツェッペリンの『The Song Remains the Same(永遠の詩)』が封切りになって、『ウッドストック』を観に何度も映画館に足を運んで…も~寝ても覚めてもロック、ロック!
新しい音楽との出会いが楽しくて楽しくて仕方なかった。
当然ジミ・ヘンドリックスも聴いた。
「ロック・ギターのすべてを変えた」とか何とか、ロックの歴史に関係する本を読むと必ずそんなことが書いてあったからね。
『ウッドストック』のジミ・ヘンドリックスはそりゃカッコよかったけど、本当に彼の音楽やギターが好きになれたかと言うと、どうしてもシックリ来なかった。
ま、簡単に言えば、良さがわからなかったんだね。
それが、付きつ離れつ、時が経つにつれて段々その魅力がわかったような気がして、最終的には自家薬籠中のモノになった。
その後、Marshallの仕事をするようになり、またイギリスに頻繁に行くようになって、さらにジミ・ヘンドリックスに興味を持つようになったというワケ。
かつてあんなにツマらないと思っていた『Electric Lady Land』も今では存分に楽しむことができるのだ!
さて、私が初めてロンドンに行ってからかれこれ20年近くが経つんだけど、初めて「ジミ・ヘンドリックスが住んでいたフラット」を訪れた時にはそれはそれは感動したものだった。
「ハハ~、ココにジミヘンがネェ…」
でも当時は青いプラークが付いたその建物を外から見るだけで、中に入ることはできなかった。
それがロンドンの観光ポイントを増やそうという当局の動きなのか、2年前から中を公開するようになった。
そうと来れば、行きたいにキマってますわナァ。
で、チャンス到来、去年早速行ってみた…というワケ。
今回はそのジミ・ヘンドリックスがかつて住んでいたフラットのレポートを中心に、長年の間に撮りためたロンドンの写真からジミにまつわる場所をかき集めて記事を編んでみた。
記事を書くに当たり、ジミ・ヘンドリックスに関する本数冊からロンドン時代のページを拾い読みをしてみたが、多くは下のWilliam Saundersという人が書いた本の力を借りた。
タイトルもそのものズバリ『JIMI HENDRIX LONDON (ROARING FORTIES PRESS社刊)』。
ロンドン時代のジミ・ヘンドリックスに的を絞って綴ってある一冊。
コレが、インターネットの通販サイトでチェックしてみると、見るも無残なレビューが寄せられているんだけど、コチラの英語読解能力の問題もあるし、斜めに読む分には全く問題なし。
ウソかホントかは知らないけど、新たな知識を得ることができてロンドン好きの私には結構オモシロかった。
ジミヘンとなると詳しい人や研究している人も多いだろうから知ったかぶりはゼロ。
いつも通りのロンドンの観光ガイドとしてご覧頂きたい。ということで、オドロキなさんなよ…ヒースロー空港からスタートするよ。
つまりジミ・ヘンドリックスがイギリスに着いた日ね。
ジミがヒースロー空港に降り立ったのは1966年9月24日のこと。
ココは元々は「London Airport(ロンドン空港)」という名前だったが、この同じ年に「Heathrow Airport(ヒースロー空港)」に改名された。
いつかこの『名所めぐり』で取り上げたけど、リッチー・ブラックモアもココで働いていたことがあるんだよね。
よく知られている通り、The Animals(ジ・アニマルズ)のベーシスト、チャス・チャンドラーがジミをニューヨークから連れて来た。
チャスはこの6週間前にグリニッジ・ビレッジの「Cafe Wha?」というクラブでジミを発見した。
そして、ビックリ仰天したのはジミがどこのレコード会社とも契約をしていないことだった。
「話がうまくいきすぎる」とビビったらしい。
チャスはミュージシャンからプロデューサーに転身を図っていたので、さぞかしシメシメと思ったことだろう。
チャス28歳、ジミ23歳。
1966年当時、イギリスの人口は半分が30歳以下。
新しいモノがジャンジャン誕生していた。
マリー・クァントによって生み出されたミニ・スカート、パンティストッキングもこの時代にイギリスから出て来た商品だ。
やっぱり新しい文化の原動力は若者なんだネェ。
その頃、イギリスはブルースが流行っていたので、ロンドンはブルース・ギタリストだったジミー・ジェイムスが活躍するには恰好の場所だった。
「ジミー・ジェイムス」とはもちろんジミ・ヘンドリックスのこと。
「Jimi」という綴りは飛行機の中で考えた。
英語圏の人にとってはこの「J-i-m-i」という綴りがすごくエキゾチックに映るんだって。
ヒースローに着いた時、ジミがはいていたブーツは底が抜けていたそうな。
そのブーツにはイザという時とお守りの代わりに1ドル札が仕込まれていた。
ジミは世界最高のギャラを取るスターになった3年後もこの習慣を止めず、いつも帽子に1ドル札を忍び込ませていたそうだ。
過去のMarshall Blogに何回か書いているけど、ココの入国審査はモ~本当にウンザリするほど時間がかかる…イヤ、かかったモノだった。
それが、去年行ってみると、反対にこっちが心配になるぐらい簡単でスピーディだったので驚いてしまった。
1966年の時の様子はわからないけれど、ジミもやられてしまった。
通関まで3時間もかかったのだそうだ。
ジミの渡英に関する手続きをしていたのはチャスだったが、ワーキングビザを取得する時間がなかった。
何せジミを初めて見た時からたった6週間後の渡英だからね。
仕方なく観光ビザで入国しようとしたところ、ジミの膨大な荷物が税関係員の目に留まり不審者扱いとなってしまった。(註:着替えとギターしか持っていなかったという説もあり)
金がないので一旦アメリカに戻って出直すなんでことは到底できない。
困ったチャスはアニマルズの事務所に相談して一策を講じた。
当時はどこの国も外貨への両替の規制が厳しかった。
そこで、ジミをアメリカのソウル・シンガーということにして、イギリスで発生したポンド立てのギャラを現地で消費しに来た…という筋書きにした。
その頃はこういうことが本当に起こっていたらしい。
ちなみにこの時のジミの所持金は40ドルだったという。(註:コレも誰かから借りた40ドルだったという説あり)
無事に入国したチャス一行はヒースローからタクシーでハマースミスへで移動。
ハマースミスはあの「Hammersmith Odeon(ハマースミス・オデオン)」があるところね。
私は一時期ハマースミスにあるホテルを定宿にしていたので何度も滞在した。
ハマースミスのことは別のところで思い入れタップリに書いているので興味のある方はご覧あれ。
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.32~ハマースミスが好きだった <前編>
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>
さて、下の写真はその定宿から見て西の方角の景色。
わかりにくいけど、左側に見えるのはテムズ川。
国会議事堂からチョット上流にさかのぼっただけでこんなに細い川になっちゃう。
で、チャス一行が向かったのはこの写真の方角の反対側の「Gunterstone Road(ギュンターストーン・ロード)」というところ。
そこにZoot Money(ズート・マニー)の家があったからだ。
チャスは少しでも早くジミの顔をイギリスの音楽シーンで広めようと、ロンドンに到着し次第ズートの家に連れて行ったのだ。
ズートは60年代のイギリスでソウル、R&B系のスタイルで人気を博したシンガー/キーボード・プレイヤー。
この日、ズートのバンド、Big Roll Bandはライブの予定が入っていて、メンバーが勢ぞろいしていた。
ジミが訪ねるとさっそくバンドのみんなとジャム・セッションと相成った。
スキだね~。
そっち方面の音楽を聴かない私の場合「Zoot」というと、Zoot SimsかFrank Zappaの『Zoot Allures』にすぐつながっちゃうんだけどね。
そこで早速Zoot Moneyを聴いてみる。
この『Zoot!』というタイトルのライブ盤はつとに有名だけど、コレが実にカッコいいではあ~りませんか!このライブ盤を収録したのは「West Hampstead(ウエスト・ハムステッド)」駅からすぐのところにある「Klooks Kleek(クルックス・クリーク)」というジャズ系のライブハウス。
ココはすごいよ。
The Nice、The Sensational Alex Harvey Band、Stevie Wonder、Jethro Tull、Led Zeppelin、Georgie Fameから、新しいところではPretenders、U2、Cure、Joy Divisionまで大物がゾロゾロと出演していた。
数件先には昔、Deccaのスタジオがあった。
今はバレエ団のスタジオになっているが、ココはビートルズがオーディションを受けに来て失格となった場所としてよく知られている。
ビートルズに勝ったのはBrian Poole & The Tremeloes。
このあたりのことはコチラをどうぞ。
↓ ↓ ↓
【Marshall Blog】 ビートルズに勝った男
さて、今回ズートのことを調べていて驚いた。
ジミ・ヘンドリックスの研究家でもあるギタリストの三宅さんと話をしていると「ジミってロンドンに着いた日にアンディ・サマーズとセッションしているんですよね」とおっしゃる。
私は知らなかったんだけど、なるほどなるほど、The Policeのアンディ・サマーズはズートのこのBig Roll Bandのメンバーだったのね。
要するにチャスとジミがズートの家に行った時、後のPoliceのギタリストがそこにいた…というワケ。
イヤ、それよりも驚いたのは、このBig Roll Bandのベーシストだよ!
なんとポール・ウィリアムスだったっていうんだよね。
あの『ファントム・オブ・パラダイス』の「スワン」とか「An Old Fashioned Love Song」の方じゃないよ。 後にアラン・ホールズワースと組んだTempestとか、Juicy Lucyのシンガーの方ね。
やっぱりあの声だからね、R&B系の音楽がルーツであったとしても何の不思議もない。
どちらかというとアランと一緒に演っていた方が不思議だわ。
ジョン・メイオールの関係なんだろうけど、この人、Aynsley Dunberのところにいたんだよね。
ご存じの通り、エインズレーはザッパとかJourneyとかジェフ・ベックのところで叩いていたイギリスを代表する名ドラマー。
下のアルバムでザッパの「Willie the Pimp」を演ってるの。
声を変えているので歌っているのがポールかどうかはわからないんだけど、まったく聴きどころのない演奏を14分半の間聴いているのはかなりの苦行で、買った時以来ウチのCD棚から出たことが一度もないアルバム。
そういうのがゴマンとあるんですけどね。ちなみにJimi Hendrix Experienceのドラムスの座は、オーディションをした時にMitch Mitchel(ミッチ・ミッチェル)にしようか、もうひとりのドラマーにしようか甲乙付けがたく、コイン・トスの結果でミッチに決まったというのは有名な話。
そのもう1人のドラマーがエインズレー・ダンバーだった。
正解だったのではないでしょうか?
それよりも、投げたコインはどの硬貨だったんだろう?
下はチョット前のデザインのイギリスの硬貨なんだけど、上段左から右に…1ポンド、50ペンス、20ペンス、10ペンス、下段左から5ペンス、2ペンス、1ペニー、Marshallのプレクトラム。
他に2ポンド硬貨ってのもあるんだけど、重いのでどうしても現地で使っちゃうので家には1枚もなかった。
「ペンス」は「ペニー」の複数形ね。
イギリスではピックのことを時として「Plectrum(プレクトラム)」と言うのよ。
と、見ての通りコインの大きさがすごくまちまちなの。
投げるには5ペンスコインは小さすぎるし。
1ポンドコインなんかは厚みがあるので、立っちゃったりしてね。
66年当時だと、シリング硬貨というのもあったし。
1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンス…ヤダね~。
でもコレはあまりにもややこしいので1971年に廃止された。
一体どれを投げたのか非常に興味があるワケです。
今度イギリスではコイン・トスをする時に普通どの硬貨を使うのか現地の人に訊いてみよう。コレは紅茶で有名な「Fortnum and Mason(フォートナム&メイスン)」の階段。
外観の写真が見つからなかった。
近くを歩いていてトイレに困った時、おススメです。
男子は6階。一方、コレは「St. James Palace(セント・ジェイムス宮殿)」。
ロンドンにある最も古い宮殿のひとつで、アン王女の住まい。
かつてはチャールズ皇太子やウィリアム王子、ヘンリー王子もココに住んでいた。アン王女はエリザベス女王の長女ね。
かつてMarshallの工場に来てくれたことがあった。 そのフォートナム&メイスンとセント・ジェイムス宮殿のちょうど真ん中ぐらいの「Mason's Yard(メイソンズ・ヤード)」というところに「White Cube」という美術館がある。
実は行ったことはなくて、このあたりはインターネットからの借りものなんだけど…この横にあるクラブがスゴイ。
外装の工事をしているところね。
ココは「Scotch of St.James(スコッチ・オブ・セント・ジェイムス)」というラブができる高級クラブで、60年代のトップ・ミュージシャンが集う社交場だった。
オープンは1965年の7月。
オープニングに当たってはビートルズのメンバーが3人、ストーンズからはチャーリー・ワッツが列席した。
他にもThe Who、The Kinks、The Animals、The Holliesのメンバーがいたという。
ポールがスティーヴィー・ワンダーに初めて会ったのもこの店…「Ebony and Ivory」の17年前のこと。
隣の白い壁のお店は「Indica Gallery(インディカ・ギャラリー)」。
ここにアート作品を出展していた日本人は、おじい様が元日本興業銀行総裁、お母様が安田財閥の祖の孫、というスーパー良家のお嬢さんで、後に「ジョン・レノン夫人」となる小野洋子だった。
フランク・ザッパとも共演してるからナァ。
そういうえば、「サディスティック・ミカ・バンド」というバンド名は「プラスティック・オノ・バンド」のパロディだということをつい最近知った。
ちなみにミカ・バンドはRoxy Musicの前座でイギリスをツアーした時、ロンドンの会場はウェンブリー・アリーナ(当時は「ウェンブリー・エンパイア・プール」)だったんだゼ…ノーギャラだったらしいけど。
で、そのインディカ・ギャラリーに展示を見に来たジョンが、アフター・パーティを開いたこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスでヨーコさんと知り合ったっていうんだよ。Sonny and Cher(ソニー&シェール)が「I Got You Babe」という曲のビデオをココで撮影した…とある。
シェールは70年代にグレッグ・オールマンの奥さんだった人ね。
結婚後、わずか9日で離婚訴訟を起こしたとか…。
理由はグレッグが薬物とアルコールの依存症だったからというんだけど、オイオイ、そんなの結婚する前に知っとけよ!という話ではあるまいか?
結局4年間その婚姻生活は続いた。
「シェールとグレッグ・オールマンが離婚!」という記事を当時の音楽雑誌で読んだ記憶がある。
さて、わざわざアメリカから来て撮影するぐらいなんからよっぽどこのクラブが有名だったんだろう。
ブリティッシュ・インヴェイジョンの効果か?
と、早速YouTubeで検索すると、出てきたのがコレ。
アップが多くて周りの様子がわかりにくいが、とても「高級クラブ」には見えないナァ。
それともこのビデオじゃないのかな?
他にもThe Whoはココで「Tommy」を初披露。
トム・ジョーンズも、ロッド・スチュアートもエルトン・ジョンも常連さんだった。
で、ジミ。
ヒースローからズートのところを経て、ジミはココで初めてロンドンの人前で演奏した。
何しろ、チャスが「Track Records(トラック・レコーズ)」と交わした契約書はこのスコッチ・オブ・セント・ジェイムスの紙ナプキンだったという。
ノンビリしてたんだネェ。
1980年に閉店し、2012年に再開して現在に至っているが、このお店の60年代の威光を知る人はもう少ないらしい。 ジミはスコッチ・オブ・セント・ジェイムスで知り合ったキャシー・エッチンガムといい仲になり、ハイド・パークの北側の「Bayswater」というところにある「Hyde Park Towers Hotel」というところに滞在する。
今は「Hyde Park Inn」という名前のホテルになっている。
ロンドンにはこの手のホテルがウジャウジャあってどれも格式が高そうでいい感じなの。
中はきれいにリノベーションされているんだけど、たいていは19世紀に建てられたモノだけあってオンボロはオンボロだわね。
このハイド・パーク・タワーズ・ホテルも例外ではなく、19世紀の初めの建物でキャシーによると、ベットの上で飛び跳ねようものならベッドの足が床を突き破りそうだった…という。
ま、コレは54年も前の話だからして、今はもうそんなことないでしょう。
ジミはココで「Stone Free」と「Love or Confusion」を作曲したという。
場所は変わってマーブロにやたらとよく出て来る「Saville Row(サヴィル・ロウ)」。
『名所めぐり』をご愛読頂いている方には「またかよ!」ということになるかもしれないけど、この後にやるThe Kinks特集にも出て来るから!
この通りに入って少し行った右側にあるのが…
ビートルズのAppleの本社だったビルがある。
ルーフトップ・コンサートをやったところね。
それをもう少し行くと同じ右側に『Poole & Co.』という洋服の仕立て屋さんがある。
ご存じの通り、「Saville Row」は「背広」の語源にもなった通り、「Bespoke tailors(ビスポーク・テーラーズ)」、すなわちオーダーメイドの洋服屋さんが並んでいる通り。
紳士の国だからして、世界でも第一級のテーラーが揃っている。
その中で、この「Poole & Co.」というのはサヴィル・ロウで最も歴史のあるテーラーなのだそうだ。
こんな本も出ているぐらい。
てっきり通りの入り口にある有名な「Boosey and Hawks(ブージー&ホークス)」が一番古いのかと思っていたらさにあらず。
しかも、今日期せずして2人目の「Mr. Poole」!で、このお店の隣にかつてThe Animalsの音楽出版社で「Clarins('クレアリンズ'っていうのかな?)」という会社があった。
ジミたちはその事務所を借りてデビューに向けてリハをしていたのだそうだ。
課題曲の1つはWilson Picketの「In the Midnight Hour」。
ミッチはドラムスの先生であるジム・マーシャルの影響か、ジャズの影響を受けていて、Elvin Jones(エルヴィン・ジョーンズ)風に演奏したがったという。
ジミは「やってみよう」と積極的だったが、チャスはそのプレイを快く思わなかったらしい。
もう1曲はチャスが予めExperienceの最初のシングルにしようともくろんでいた「Hey Joe」だった。
オモシロイ話があって、当然リハーサルは爆音でしょう。
この辺りはそんな洋服屋が集まっているところなので、とても静かなエリアだ。
ある日、その爆音に耐えかねて、「もっと静かにしてくれませんか?」とクレームを申し入れに来た人がいた。
後でわかったことらしいんだけど、ナント、この人ヘンリー・マンシーニだったんだって!
ホンマかいな?
下はPoole Co.の作業室の様子。
この辺りのテーラーは皆、半地下に作業場を設けていて、こうして中が丸見えになっている。
皆さん、とても忙しそうにしていた。
そして、デンマーク・ストリートのリージェント・サウンズ・スタジオで「Hey Joe」のデモ音源を制作した。
Jimi Hendrix Experienceの最初のシングル盤「Hey Joe」。
「Little Wing」とセットでジミのバラード曲のように思っている人が多いようだけど、コレはジミの曲ではありませんからね~。
基本的には1962年に著作権登録をしたBilly Roberts(ビリー・ロバーツ)というカリフォルニアのミュージシャンの作品ということになっているが、 このあたりのことは相当ゴタゴタしているようだ。
オリジナルを聴いてみると、ジミのバージョンがおっそろしくデッド・コピーだったということに驚かざるを得ない。
チャスのオーダーだったんだろうね。
そしてひとつ気がついたんだけど、間奏でE7#9が出て来る。
コレ、「ジミヘン・コード」とか呼ぶ向きもあるらしいんだけど、ジミは「Purple Haze」のイントロ
はこのビリー・ロバーツのアレンジにヒントを得たのではないだろうか?
「イエイ、このコードをガツンと使ってGからAに持っていってやれ、イエイ」みたいな。
そういえばGもAも#9で弾いているバージョンもあるよね。
それとこのイントロのピックアップの2拍って、Yesの「Sinerian Khatru('サイベリアン・カートゥル'。’シベリアン’は誤り)」とまんま同じだと思っているのは私だけでろうか。
調べてみると、「Hey Joe」ってものすごくたくさんの人にカバーされているのね。
失礼ながら、どこがそんなにいいんだろう?
「おいジョーよ、銃なんか持って、オマエさん一体どこへ行きなさるつもりデェ?」
という幡随院長兵衛風の歌詞がいいのかしらん?
「お若ェの、チョットお待ちなさい」というのは遊女に惚れ込んで、吉原行きたさに130人も辻斬りした平井権八に長兵衛がかけたとされるセリフ。
ジョーの方も「オレの女をブッ殺しに行くところだぜ!あのアマ、浮気してやがったんデェ!」と穏やかではない。
コレを4小節のメロディを延々と繰り返す「歌謡一部形式」の権化のようなスタイルで歌い込む。
スゴイね、昔の曲は。
今の「ありがとう」、「がんばって」とはとても地続きだと思えない。
B面の「Stone Free」は上に書いた通り、渡英直後に「Hyde Park Towers Hotel」で書いた曲。
録音は「De Lane Lea Studio(デ・レーン・レア・スタジオ)」。
場所はピカデリー線ホルボーン駅の向かいぐらい。
ごめんなさい…写真はないの。
前回この近くに数日滞在してこの辺りを何回も歩いたんだけど気がつかなかった。
というのは、移転してしまって影も形もないし、そもそも頭の中になかったわい。
吉原の記事みたいに「チョット行って撮ってくらぁ!」というワケにはいかないし…と言うよりイギリスに行くことすらできなくなっちゃった!
他にも写真を撮っていなくて臍を噛む場面がいくつも出て来ます。
いつかまとめて写真を撮ってきます!
かわりに、DeLane Leaスタジオを出て左に行った角を曲がったところにある「Princess Louise(プリンセス・ルイーズ)」というパブを紹介しておこう。
オープンした1891年当時の内装がそのまま残っている素晴らしいお店。
ロンドンでパブ・クロウリングをするなら絶対にココは落とせない。
でも、今は閉まってんだろうナァ。
興味のある人はコチラをどうぞ。
↓ ↓ ↓
【Shige Blog】イギリス紀行2019 その5 ~ パブがスキ!<後編>
今真っ只中のイギリスの2回目のロックダウンは12月2日まで!