【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 62 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.6>
ジミのレコード・コレクションの続きから…。
「え~、また~?」って感じなんでしょ?
ナニを言われようと止めませんよ。
ナゼか?…オモシロイから!ジミのコレクションにはビル・コスビーのアルバムが2枚入っている。
ビル・コスビーはアメリカを代表するコメディアンね。
日本での知名度はそう高くないけど、一時期は全米の長者番付の上位の常連だった。
何年か前に過去の性犯罪が明るみに出て、保持していたいくつかの名誉博士号を剝奪されるという事件が起こったが、最近のデータを調べてみると、それでも長者番付のランクは8位。
ジミが持っていたコスビーのレコードを聴くと、やはり「スタンダップ・コメディ」と呼ばれるひとり語りの漫談。
日本の漫談のスタイルといえばとにかく漫才だけど、欧米では2人が掛け合いで話を進める話芸はほとんど見かけない。
欧米はもっぱらスタンダップ・コメディ。
そんな日本の漫才のようなシーンをよく見かけるのは、デビッド・レダメン(本当は’Letterman’だけど、アメリカ人が発音すると'レダメン'に聞こえる)やジェイ・レノのような人気司会者がゲストと丁々発止のボケとツッコミを展開する『The Late Show』や『The Tonight Show』のようなバラエティ・ショウぐらいか?
そこへいくと日本のひとり話芸はスゴイよ。
まずは落語がある。
口頭で情景をつぶさに描き、全部の登場人物をひとりで演じ、時にはお客さんを笑わせ、時には泣かせる。
こんな芸はおそらく世界に他にないのではないか?
それと浪曲。
ま、浪曲は鳴り物が入るのが普通なので厳密には「ひとり」の話芸とは言えないのかも知れないが、こっちは完全に「ひとりミュージカル」だからね。
講談も素晴らしいが演技が入らないので上の2つとはまたチョット違う。
ビートルズやボブ・ディランの歌詞がダイレクトに理解できなくても、残念がることはない。
我々は日本語ができるおかげでこうした世界最高峰の素晴らしい話芸を楽しむことができる。
だから音楽ぐらいは洋楽を聴きましょう。
で、このスタンダップ・コメディって、そもそもナニがオモシロいんだかサッパリわからないことが多いんだよね。
「文化の違い」がそのまま「笑いの違い」に直結していることがよくわかる。
スタンダップ・コメディにはよく人種を扱ったネタが登場するが、コスビーの話芸はそうした人種に関する偏見や差別をテーマにすることはなく、反対に異人種の文化を尊重し、自分自身の人生における経験をネタにしたものが多いとされている。
こんなことが人気を集める要因なんだろうな。1975年に公開したボブ・フォッシー監督、ダスティン・ホフマン主演の映画『レニー・ブルース(Lenny)』。
ダスティン・ホフマンが好きだった私は中学1年の時に公開してすぐに(確か…)数寄屋橋のニュー東宝キネマ1に観に行った。
そしてこの後、45年経った現在まで一度も観返していない。
当時にしては珍しくモノクロで撮られていてね…内容はほとんど覚えていないけど、よくわからなかったことだけは覚えている。
それもそのハズ、この映画の題材になっている50~60年代に活躍したこのレニー・ブルースはコスビーとは正反対にアメリカ社会が抱える政治、宗教、人種差別、同性愛、中絶、セックス、麻薬、広告批判、貧困などを主題に据えて過激なトークを展開して人気を博した人だった。
13歳の子供にわかるワケがない。
映画でも描かれているが、こういう人に「すさんだ生活」は付き物だったがレニーには支援者も多く、1965年にはフランク・ザッパがトーク・ショウを主催したり、フィル・スペクターが葬儀の費用を出したりしたそうだ。
へ~、Lambert Hendricks & Rossのアニー・ロスと恋仲だったとは知らなんだ。
1966年、風呂場でモルヒネを過剰摂取して死亡した時、腕には注射針器が刺さったままだったらしい。
スゴイな、まるで黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』の三船敏郎みたいだ。
今となっては「死ぬまでにもう一度見ておかなくてはならない映画」の筆頭だわ。何でビル・コスビーに引っ掛けてレニー・ブルースを登場させたのかというと、下の写真。
まるで『Blonde on Blonde』の宣伝写真みたいだけど、その前にはマディ・ウォーターズの『The Real Folk Blues』も転がっている。
このフラットで撮られた写真ではなさそうだが、ジミが手にしているレコードはレニー・ブルースのアルバム。
ジミはこういうお笑いのレコードが好きだったのかね?
でもレニーのレコードはリストには入っていなかった。 私も少しは英語の勉強の足しになるかと思ってCDを買ってみた。
1961年のカーネギー・ホールのライブ盤。
カーネギー・ホールですよ!
客席はもうとにかく爆笑の嵐。
志ん生じゃないけど、出て来ただけで笑いが起こる。
しかし、こっちはところどころ英語がわかっても、ナニがオモシロいのかが全くわからないの。やっぱり聴くなら「ス」を取ってレニー・ブルー(Lenny Breau)がいいわ。
このライブ盤ばかり有名だけど、そのカントリー・フレイバーをチョコっと混ぜ込んだスリリングでカッコいいプレイは比較的どのアルバムを聴いても味わい深い。
他に変わりモノのコレクションとしてはインド系か?
この時代、ナンだってこんなにインド、インドしていたんだろう?
やっぱりジョージの影響が大きかったのかしらん?
どっかにも書いたけど、『Sgt. Peppers~』のデラックス・エディションを聴いて驚いた。
「Within You Without You」のレコーディングでインド・チームにメロディを提示する時にちゃんと「サリガマパダニ」とインドの音名でやってるんだよね。
ジョージがホントにチャンとインド音楽を勉強していることを知って恐れ入りました。
カッワーリーでもこの「サリガマパダニ」って出て来るけど、コレは「音の名前」ではなくて「度数」を示しているのだそうだ。
つまり西洋音楽で「A」といえば「440Hz」の音のことを指すけど、インド式で「ダ」というとキーが何であろうと「6番目の音」を意味するのだそうです。
『Sgt. Peppers~』はジミが最も聴き込んでいたレコードのウチの1枚らしいからジョージの影響は否定できないんじゃないの?
ジミだって『Axis:Bold as Love』があるもんね。
内容は全然インドじゃないけど。
はじめ、ジミはロジャー・ロウという人が写真を元に描いた千手観音のようなインドの神様に扮した自分のイラストを見てビックリ仰天したそうだ。
何しろジミのアイデアとしては、自信のネイティブ・アメリカンの血脈を前面に出したモノになるハズだったからだ。
インドとインディアン…言葉は似ているけどね。
今さらこのことでコロンブスに文句を言うワケにもいかないし。
そのジミたちのイラストを宗教関連のポスターの上にポコッと乗っけて仕上がったのがこのアルバムのジャケット。
ジミは「オレたち3人はあのジャケットとは何の関係もないけんね」と言ったそうだ。
英米でジャケットのバージョンを違えた『Are You Experienced?』や『Electric Lady Land』とは異なり、双方共通して採用されたこのジャケットはヒンズー教徒の間で怒りを買ってしまった。
マレーシアなんか2014年にこのジャケットの使用を国で禁じたんだってよ!
発売して53年も経ってるのに!
ジャケットとしてのデザインはとてもいいと思う。リストにはラヴィ・シャンカールのアルバムが2枚リストアップされていた。
それらはジミの嗜好だったワケではなくて、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズにもらったモノだったそうです。
民族音楽を聴いていたブライアンはジミの大ファンで、ジミがインド音楽に興味を示すと思ったのだ。
コリャ、ジミは聴いてないな…。
我々の世代はラヴィ・シャンカールと言えば、すぐに思い浮かぶのが『バングラデシュ』ね。
中学生の頃『ウッドストック』と併映されていることが多く、私はお目当てだった『バングラデシュ』よりも『ウッドストック』に惹かれて帰って来た。
ビデオすらなかった時代、それから『ウッドストック』を観に何度も映画館に足を運んだことはもうMarshall BlogやShige Biogに書いてきた。
だから『バングラデシュ』を観たのは後にも先にも1回限りなのだが、すごく印象に残っているシーンがあって、ピアノに座ったままで挨拶をしたレオン・ラッセルに向かって「Stand up, Leon!」と注意する場面と冒頭のラヴィ・シャンカールの挨拶。
「皆さんの好きなミュージシャンが出て来るのが待ち遠しいでしょうが、その前に少しガマンしてください。私たちが演奏する音楽はとてもシリアスなモノです。演奏の間はタバコを吸わないようにしてください」
…みたいなヤツ。
マジソン・スクエア・ガーデンの客席が喫煙可だったのも今となっては驚きだ。
もっとも33年前に私が新婚旅行で初めてアメリカに行った時、ユナイテッド航空機の後ろの方の座席は喫煙席だったもんね。
もちろん何の囲いもなくて、その席のオジさんたちはみんな盛大にスパスパやってたよ。
その後、バングラデシュは発展めざましく「世界最貧国」の地位を抜け出したものの、現在は経済発展が生み出した貧富の格差が大きな社会問題となっているようだ。マドゥライ・シャンムハバディブ・シュブラクシュミという「カルナティック」といわれる南インド伝統音楽の歌手。
使用している楽器やアレンジは違えどメロディとか歌い回し方はもうほとんどカッワーリーと同じ(に聞こえる)。
シュブラクシュミという人は世界で数々の音楽の表彰を受けた大変地位の高い人。
いいね、こういう音楽は。
ナゼか私はこの「シュブラクシュミ」という名前を知っていたのね。
ところが、音源を持っているワケでもなし、ナンで知っているのかが皆目わからない。
恐らく80年代のワールド・ミュージックのブームがあった時に中村東とうよう先生の文章で無意識のウチに入って来た名前をたまたま覚えていただけなんだろう。
コレもブライアン・ジョーンズにもらったのかな?
となると、この時代からこの手の音楽に興味を持っていたブライアン・ジョーンズもスゴイな。
でも『ジャジューカ(Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Jajouka)』なんてもがあるもんね。前回も書いたが、ソウルとかR&B系のブラック・ミュージックのレコードが極端に少ないことは意外だった。
ジェイムズ・ブラウンとゴスペルものが1枚。
そしてこのオーティスのアルバム。
1963年、ジミはソロモン・バークのバンドでパッケージ・ツアーに参加した。
そのパッケージにはオーティス・レディングのバンドも含まれていた。
バークはジミのプレイが派手すぎて困っていたいう。
ジミのギターは、「5回まではとても素晴らしいだろう。でもその次のショウともなれば彼のプレイはワイルドすぎて音楽の一部ではなくなってしまい、私はもう我慢できないかも知れない」とバークに言わせしめた。
そしてバークはオーティスに頼んでツアーの途中でジミと2人のホーン・プレイヤーとトレードしてもらったという。
フラットにあった解説の板にそう描かれていた…ホンマかいな?
ま、キング・ソロモンのアノ歌のバックでギュイーンはマズイわね。
ソロモン・バークの名古屋のボトムラインでの話は以前どこかに書いた。ジミ・ヘンドリックスがこのブルック・ストリートのフラットでコレクションしていた108枚のレコードのウチ、ロック/フォークに次いで枚数が多かったのはブルースのアルバムだった。
その数ザっと数えて33枚。
キャシー・エッチンガム曰く「ジミはジャズの人と演る時はジャズが好きになり、相手がフォーク・シンガーの時はフォークが好きになってしまう人だったの。でも彼が本当に好きで、家でいつも弾いていたのは…ブルースだったわ」。
ジミは真性のブルースマンだったということだ。
そこでリストを見てみると、一番枚数が多かったのはライトニン・ホプキンスの5枚。次いでマディ・ウォーターズが3枚。
例えばこの1968年の『Electric Mud』。
このアルバムはタイトルが示す通りワウ・ペダルを使ったりして当時の流行のサウンドを持ち込み、モダンなテイストを狙った作品だった。
ジミがこのアルバムを初めて耳にしたのはフラットの1階にあったレストラン「Mr. Love」でのこと。
ジミはウエイターを読んで「今かかっているのは誰のレコードか?」と尋ねた。
「マディ・ウォーターズの最新作ですよ」とウエイターが答えるとジミはそれを信じることができず微笑みながらこう言ったという。
「今やオレのマネをしているのか…かつてはオレが彼のマネをしていたのにナァ」
カッコいい~。
マディ自身が「ブルースが子供を産んでロッンクンロールと名付けた」と歌っていたぐらいだからね。
ジミ・ヘンドリックスだって、レッド・ツェッペリンだってブルースをマネッコして大きくなった。
反対にオヤジだってタマにはセガレのマネぐらいしてもいいだろう。
私なんか最近の普段着は上の子のお下がりだよ。
しかし、このアルバム、1曲目の「I Just Want to Make Love to You」の出だしなんかマンマ「Manic Depression」だもんね。
若手はベテランの妙を盗んで、ベテランは若手のパワーを頂く。
日本のロック界は老若の間の溝が大きく深すぎてどうしてもコレができない。
「ブルース」というロックのルーツを幹に据えていないのがコレのひとつの大きな原因だと私は思っている。
ま、今の若い子たちが「ロック」のつもりでやっていることを「ブルース」が見たり聴いたりしたら「コレは私の子供ではありません」と言うだろう。上の方のジミの写真の中にあったチェスのコンピレーション・アルバム、『The Real Folk Blues』も当然リストの中に入っていた。同じく3枚がリストに挙がっていたハウリン・ウルフ。
「Killing Floor」は初期のジミの重要なレパートリーだったからね。
このチェスの『Real Folk Blues』というのはシリーズものなのね?
ハウリン・ウルフにもマディと同じ『The Real Folk Blus』というアルバムがあって、ジミが持っていたのはその続編の『More Real Folk Blues』。
1曲目の「Just my Kind」って曲、マディの「Rollin' and Tumblin'」と全く同じじゃん?
ま、それが「ブルース」ってもんだ。
そもそもコード進行が全部同じなんだからそれも当然のことだ。
それにしてもこの声!
カッコいい。
アメ横に行くとこういう人いくらでもいるけどね。
有名なハウリン・ウルフの『Moanin' in the Moonlight』もリストに入っていた。
ジミもヒューバート・サムリンをコピーしたりしたのかしらん?ソニー・ボーイ・ウィリアムソンも3枚挙がっていた。
次いで2枚だったのはジョン・リー・フッカーとエルモア・ジェイムス。
このエルモア・ジェイムスのアルバムに入っている「Bleeding Heart」はジミが1965年にライブでのレパートリーに取り上げて有名となった。
そして、ジミは69年2月24日のロイヤル・アルバート・ホールでもこの曲を演奏した。
私はブルースを聴かないので、今回の記事は書いていて大層勉強になった。
ジミにブルースを教わったような気がするわ。
ちなみに私はジミのブルースの演奏はとても好きです。
しかし、「エルモア・ジェイムス」なんてロイ・ブキャナンでしか知らなかったけど、ホントに全部「♪ジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャジャ~ン ザッカザッカザッカザッカ」だね~。
ま、それがブルースってもんだ。 他にも『Blues Classics』とか『American Folk Blues Festival '66』のようなブルースのオムニバスが7枚ほどリストに組み込まれていた。
スキなのね~。
それと、ホワイト・ブルースのアルバムも多数。
ジョン・メイオールのアルバムは『Beano』、『A Hard Road』、『Crusade』と歴代のギタリストのアルバムが揃っていた。
ジミとクラプトンの会話…
ジミ:アレって1962で弾いたんでしょ?
クラプトン:そうだよ。思いっきりボリュームを上げた。
ジミ:やっぱ?メッチャいい音だよね。
クラプトン:Marshallだからね。
ジミ:オレも今度Marshallのコンボ使ってみようかな。
クラプトン:ギター・アンプは真空管に限るね。
もちろん空想。
まだデジタルどころかトランジスタアンプすらない、ギタリストが腕前だけで勝負していた古き良き時代の空想の会話。
「The things ain't what they used to be(昔はよかったね)」ってヤツ。
Creamはファーストだけだった。さて、ジミは自分のレコードを持っていたのであろうか?
「持っていなかった」という話を聞いたこともあるが、すべてではないにせよちゃんと持っていたようだ。
この『Are You Experienced』はフランス盤と…ジャケットが異なるアメリカ盤を保有していた。
360°の魚眼レンズを使用して撮ったのはチャス・チャンドラーの知り合いの写真家カール・フェリス。
ジミはUK盤のジャケットが気に入らず、写真を入れ替えたバージョンを作ることになり、ジミは「サイケデリックっぽいヤツ」とリクエストしたそうだ。
フェリスはインスピレーションを得るためにExperienceの音楽を深く聴きたがった。
そこでジミは『Axis:Bold as Love』のリハーサルにフェリスを何回か招待した…いいナァ~。
フェリスはその演奏の音源を持ち帰り、『Are you~』と共に熱心に聴き込んだという。
その結果、「宇宙の彼方の音楽」という第一印象を得たフェリスは、Experienceを「この世のモノではない音楽を地球に届ける途中の宇宙を旅する一団」という設定にした。
大ゲサだな~。
お薬を頂いていたんじゃないかしらん?
そうしたインスピレーションを込めてシャッターを切ったのが有名なこの写真。
魚眼は当時のモッズアーシャ写でよく使われていたそうだ。
撮影したのは「世界で最も有名な植物園」といわれているロンドン南西部にある「Kew Gardens(キュー・ガーデンズ)」。
行ったよ。
といってもココは地下鉄ディストリクト線の終点のひとつリッチモンドのひとつ手前なので、そのリッチモンドを訪ねるついでに寄ってみた。
「植物園」というガラではないんだけど、有名だからね…記念に見ておこうと思って。
入り口まで行ってビックリ!
植物園だっていうからせいぜい入場料が高くても500円ぐらいかと思っていたら、4,000円ぐらい取るっていうのよ!
で、止めた。
加えて、あんまりビックリして入り口の写真を撮り忘れた。
代わりに「行った証拠」的に「Kew Gardens」駅の写真を載せておきます。そしたら、ジミたちはこの撮影の後に近くの「Flower & Firkin」というパブに寄ったんだって。
ナンダよ~、もっと前から知っていたらこの時に行っていたのにな~。このUS盤のデザインにはチョットした思い入れがありましてね。
それはこのアメリカの「Hal Leonard(ハル・レナード)」社刊の教則ビデオ『Learn to Play the Songs from Are You Experienced』のこと。
今やなつかしいVHSバージョンね。
コレは2巻組ビデオゆえに背表紙の面積が広く、楽器屋さんの陳列棚に並べた時に目立つようにこのフェリスの写真を入れたらどうか?とハル・レナードの担当者に提案した。
その担当者というのはレッチリのチャド・スミスの実兄のブラッド・スミス。
「そりゃいいアイデアだ!」ということで、すんなりOKするのかと思ったら「ヘンドリックス家の許可を取らなくてはならない」と言うんだよね。
私はとても些細なことだと思っていたので。こんなことでも許可が必要なのかと驚いた。
許可されて、私のアイデアは見事採用となった。
そんなことがあったので、NAMMショウに行った時にブラッドがジミの妹さんのジェイニーを私に紹介してくれた。
私に会うなり「フジヤ~マ、テンプ~ラ、スキヤ~キ」と典型的な外人リアクションを取ってくれた。
ニコニコしていて最高にチャーミングな方だった。
今でも彼女の名刺は大切に保管してある。『Smash Hits』もリストに入っている。
もう1枚は『Electric Ladyland』。
ジミはこのジャケットがキライだった。
というのも、ポールのカミさんだったリンダ・イーストマンが撮った写真を使うように明確に指示していたにも関わらず反故にされたからだ。ホラ、こんなに怒ってる!
ジミが使いたがっていた写真とは、このセントラル・パークの「不思議の国のアリス像」でバンドが子供たちと遊んでいる写真。
それもどうかと思うけど…
そして、『Electric Ladyland 50th Anniversary』でめでたくその写真が使われたとさ。
コレでいいのかね~?
慣れているせいもあるんだろうけど、裸の方がよっぽど雰囲気があると思うんだけど。
写真の露出がアンダーすぎるような気もするけど…ジミがいいなら構わない。
参考に…
コレはV&Aに展示されていたリンダが撮ったジミの写真。 ジミ自身のレコードが出たところでコレで終わりだと思うでしょ。
インヤ、まだ終わらない。
このジミのコレクションを見て、ブルース並みの、イヤそれ以上の音楽的な影響を与えたのではないか?と思わざるを得ない人のレコードが出ていない。
それは誰かと問うならば…それはボブ・ディランなのだ!
何しろ全コレクションの中で最も多くのアルバムを揃えていたのはブルース・ミュージシャンではなくボブ・ディランだった。
その数7枚。
しかも、ヘンデルとディランのレコードが一番聴き込んでボロボロになっていたそうだ。
1965年、「ニューヨークの戦うミュージシャン」としてすでに大のディラン・ファンだったジミは、なけなしの金をはたいてこのアルバム『Highway 61 Revisited』を手に入れた。
ジミがフラットで聴いていたこのアルバムのジャケットにはジミの血がついていたそうだ。
割れたワイングラスで手を切ってしまい、そのままこのジャケットに触ってしまったから。
そのレコードを見つけて、その血からDNAを採取してジミのクローンを作ればいいじゃん。
でも今の世の中にジミが生きていたとしても、どうにもならなかったのではなかろうか?
アニメやゲームの世代にジミの音楽はムリだろう。
悲しいことにもう一般市民は本当にいい音楽を聴き分ける力や下地を持ち合わせていないんだよ。
流行りのモノであればナンでもいいのさ。
だから誰にも認められない「ジミ・ヘンドリックス」なんて誰も望まない。
ジミ・ヘンドリックスもジャニスもジム・モリソンも、彼らの音楽のカッコよさはもう永久に失われない。
マリリン・モンローが永久に美しいのと一緒。 ジミが持っていた他のディランのアルバムは…
★The Freewheelin' Bob Dylan
★Bring it All Back home
★Blonde on Blonde
★Greatest Hits
★John Wesley Harding
★Nashbille Skyline
…と『Highway 61 Revisited』を合わせた計7枚。
ナンだってこんなに好きなんだろうね。
私はディランとストーンズに関しては全くの門外漢なのでその良さが理解できないが、きっと「やっていること」がカッコいいと感じていたんだろうナァ。
やっぱり歌詞をダイレクトに理解できるということは歌モノの音楽の第一条件だわな。
ビートルズなんて素晴らしいもんね。
歌詞を理解して口ずさむ…ココまでやらないとビートルズの音楽を本当に楽しんだことにはならないと私は思うんだけど、そこまでできなくても十分に楽しめちゃうんだからスゴイ。
日本はかつて洋楽と邦楽の比率が、洋楽がピークの時で「50:50」だったらしい。
ロックが浸透し、カラオケが普及すると、「歌えるロック」が歌謡曲にうって代わり変わり、洋楽はもう絶滅寸前の瀕死の状態だ。
私が行っているのはマイナーな洋楽ということね。
ココでは流行りモノの音楽に用はない。
今では洋邦の比は「10:90」か、邦楽のシェアはそれ以上らしい。
私はもう20年チョットぐらいしかこの世にいないだろうけど、カッコいい海外のロックに満ち溢れていた時代に青春を過ごすことができて本当にヨカッタと思っている。
残された時間で私にできることは、こうした文章を残して、若い人を少しでも啓蒙し、骨のある音楽を演っている若いバンドを応援してやることぐらいか…大きなお世話か?
Spotifyをやっている人は「Jimi Hendrix's Record Collection」で検索するとジミのレコード・コレクションの片鱗を実際の音源で楽しむことができるよ。
このセカンド・ルームにはこんなアイテムも飾ってあった。
この赤いベルベットのジャケットは1967年1月15日の北ヨークシャーの「Yarm(ヤーム)」というところにあったライブハウス「Kirklevington Country Club(カークルヴィントン・カントリー・クラブ)」でまとったモノ。
ジャケットの左ポケットの下側が破れている。
コレはチャスと地元の若者のケンカを止めようとして時に引っ掛けて破いてしまったのだそうだ。
そのケンカの元は地元の若者のジミに対する人種差別だった。
この頃、ジミはイギリスに来てまだ4か月ぐらいだったので、ヨークシャーの北ではまだ全く無名だったのだろう。
ヤームというのはヨークとニューキャッスルの中間ぐらいにある町。
要するに田舎だわね。
そんなロケーションにもかかわらず、「カークルヴィントン・カントリー・クラブ」は「The Kirk」と呼ばれ、当時のミュージシャンがこぞって出演していた。
誰が出ていたのがというと…
Cream、ジョー・コッカー、ロッド・スチュアート、Moody Blues、Spencer Davis Group、Traffic、John Mayall's Bluesbreakers、Brian Auger & the Trinity、Zoot Money & his Big Roll Band、The Animals、Graham Bond Organisation、アレックス・ハーヴェイ、アレクシス・コーナー、Thin Lizzy、The Nice、テリー・リード、Yes、Mott the Hoople、バディ・ガイ、Spooky Tooth、The Jeff Beck Group (『Truth』のメンバーと) 、ポール・ロジャース、デヴィッド・カバーデイル、Dire Straits等々。
スゲエな。
ちょうど場所がニッチでツアーで回りやすかったんだろうな。コレは1966年12月9日付けのThe Kirkのオーナー、ジョン・マッコイとチャスとの間で結ばれた契約書。
ライブハウスの出演でもこんな契約書を交わすんだね。
2日間、30分のステージを2セットずつでギャラは取っ払いで£50。
この額は今の貨幣価値で£800~900だそうだ。
つまり113~127千円程度。
チャスも含めてギャラを4人で均等に割ってひとり3万円ぐらいか…。
イヤ、経費も大分掛かったであろうし、ジミの取り分はノエルやミッチより多かったようだから単純な計算はできないな。「ダンナさんが次にロンドンに行く時に持参する」という段取りでThe Kirkのジョン・マッコイの奥さんが赤いジャケットのポケットの繕いを申し出てくれた。
ところが、次にマッコイがロンドンに行った時には、ジミは赤いベルベットのジャケットを新調してしまっていた。
ジミも「ありがとう」と礼を言って受け取ればいいのにどうもそうはしなかったようだ。
マッコイはマッコイで律儀にもずっと上のジャケットを保管していた。
2011年、ジミのロンドンでの死去から40周年が経ち、その機運が高まった時、「London Rock Tour」という観光客向けのガイドを主宰するAccess All Areaなるイベント会社がジミのメモラビリアとしてこのジャケットをコレクションに加えた。
ジャケットの製造から50年を経た2015年、ロンドン・ロック・ツアーは専門家にこのジャケット上着の修復を依頼したところ、ポケットの中から下の弦の空き袋が発見されたのそうだ。
展示品は以上。
下の階にあるのがこのミュージアム・ショップ。
イギリスの博物館や美術館はどんなところでも必ずこういうショップがあるね。当然CDが各種取り揃えてあって…オクタヴィアまで売ってる!
ロジャー・メイヤーのサイン入りか?プラークのレプリカも。コレでジミのブルック・ストリートのフラットのガイドは終わり。
展示に関しては「もうこれなら行かなくてもいいな」というぐらい具にレポートしたつもり。
それでも実際に行ったのとでは臨場感がゼンゼン違うからね。
興味とチャンスのある方はゼヒ!
ジミの家を見てオックスフォード・ストリート駅へ向かうならニュー・ボンド・ストリートを往くといい。
ナウい感じの商店が軒を連ねているから。
チョットしたギャラリーも散見される。こんなんとか…
この日の夕方はオックスフォード・ストリート駅の入り口がひとつ閉鎖されていたのでこの有様!1年半前の光景。
今ではとても考えられない。
さて、場所は変わってロンドンの中心から少し西に行った「Ladbroke Grove(ラドブローク・グローヴ)」というハマースミス&シティ/サークル線の駅。この駅の近くにあるのがこの「SARM West Studio(サーム・ウエスト・スタジオ)」。
「Island Records(アイランド・レコード)」の創設者の1人であるクリス・ブラックウェルが教会の建物を利用して作った。
「SARM」とは「Sound and Recording Mobiles」の頭文字をつなげたモノ。
別名「Island Studio」。
Islandレーベルのアーティストたちに重用された。
挙げれば枚挙にいとまがないが、Free、Fairport Convention、Traffic、King Crimson、Roxy Music、The Sparks、Bad Company、スティーヴィー・ウインウッド、ボブ・マーリー、ブライアン・イーノ等々。
もちろんIslandレーベル以外のアーティストも盛んに使っていた。
例えばLed Zeppelinは『IV』、Jethro Tullは『Aqualung』をココでレコーディングしたそうだ(全部ではない)。
Queenは1977年にスタジオを借りて「We Are the Champions」を含む『News of the World』や(全部ではない)、それ以前には「Bohemian Rhapsody」や「The Prophet’s Song」の一部をココでレコーディングしている。
現在はトレバー・ホーンが所有するSPZという会社の持ち物になっているそうだ。
ちなみにこの写真はもう12年も前に撮ったモノなので今は様子が変わっているかも知れない。さて、SARMのある通りの1本となりにある通りは有名な「Portbello Road(ポートベロー・ロード)」。マーケットがたくさん立つロンドンにあって、「ポートベロー・マーケット」はひと際規模が大きい。
そのポートベロー・通りを南のノッティング・ヒル・ゲイト方面に向かってグングン降りていき、さっきのSARMがあったラドブローク・グローヴという通りに戻ると…「Lansdowne Crescent(ランズドーン・クレッセント)」という三日月状の通りがある。そこに入って数件目にあるのが「Samarkand Hotel」。
1970年9月18日、ジミは吐瀉物をノドに詰まらせて窒息死した。
当時の恋人のモニカ・ダンネマンが呼んだ救急車が到着した時にはすでに手遅れだった。
…ということになっているけど、ジミの死については未だに真相が明らかにされていないっていうんでしょ?
で、少し調べてみたけど、まことに色んな説があってとてもココではまとめ切れないのでその辺りには触れないでこのシリーズを締めくくることにする。コレにて『【イギリス-ロック名所めぐり】ジミ・ヘンドリックスのロンドン』はおしまい。
大変だったけど記事を作っていてとても楽しかった。
「知らなかったことを知る」というのはいくつになってもナンとうれしいことよ!
最後までご高覧頂きました皆様にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。