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2021年5月12日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.64~ヘンリー八世と六人の妻 <その4:ジェーン・シーモアとアン・オブ・クレーヴズ>

 
ヘンリー八世の6人のお妃の内、最もドラマチックな生涯を送ったアン・ブーリンに続く4番目の奥様はジェーン・シーモア。
今回は曲から聴いてみましょう。
10cdB面の1曲目が「Jane Seymoure」。
ウチのレコード棚に40年以上居座っているLPのライナー・ノーツを見ると「ジェーン・シーモーア」となっているけど、ま、世間一般では「ジェーン・シーモア」で定着しているようなのでマーブロもコレに従うことにする。
また固有名詞の読み方がアーダコーダとやっていると間違いなくキリがなくなるでね。Shviii アルバム全6曲中、もっともキーボーズのア・カペラパートが多い曲。
途中少しだけドラムスが加わるが、ほとんどがパイプ・オルガンをフィーチュアした「ソロ・パフォーマンス」と言ってもよいでしょう。
この曲のオルガンのレコーディングはロンドンの「セント・ジャイルズ・ウィズアウト・クリップルゲイト(St. Giles-without-Cripplegate)」という長ったらしい名前の教会で行われた。
「セント・ジャイルス(ジャイルス聖人)」に捧げられた教会で、ロンドンに残された数少ない中世の教会のウチのひとつ。
1394年に造られ、1666年のロンドン大火や2度の大戦でも焼け残ったという「件」がいたとしか思えない生命力の強い教会。
Ssgc「ウィズアウト・クリップルゲイト」というのはローマ時代に作られたロンドン・ウォールの外側に位置するという意味。
「ロンドン観光」となると劇場街やコヴェント・ガーデンやソーホーがあるウエスト・エンドにどうしても人気が集中してしまうが、東から歴史が始まったロンドンは、ザ・シティ地区にたくさんの古跡が手中していて見て歩くと存外にオモシロイ。
近代的な建物に混ざってこうしたローマ時代の遺跡がボコボコ残っていたりする歴史好きにはタマらないエリアだ。
東京だったらこんなこと考えられないよ。Simg_7842 教会の場所は「ロンドン博物館(Museum of London)」のそばなので近くには行ったことがあるんだけど、その時は教会のことは知らなかった。
今度ロンドンに行く時に見て来るわ。Simg_7828 「聖人(Saint)」については過去にどこかでやっているけど、今日この後でもう1回出します。
リック・ウェイクマンはレコーディング・スタジオで色々と試してみたが納得のいくサウンドが得られなかったため、この教会のパイプオルガンを借用してレコーディングを行ったという。
このパイプ・オルガンは「Close to the Edge(危機)」にも使われたのよ。
あの後半の入り口の♪ビヤ~っとやるとこね。
Spo
「Jane Seymoure」という曲のアレンジとして、あんまりパイプ・オルガンだけにしてしまうと、宗教音楽みたいになってしまうので、ドラムスや後半にムーグを重ねたりしてロック・チューンっぽく仕上げたそうだ。
このムーグのパートはYesのライブ盤『Yessongs』のリックのソロのコーナーで出て来るね。
オリジナルより全然カッコいいんだよね。
というか、ライブの方だけ聴いていたら原曲がこんなに物悲しい雰囲気だということは想像がつくまい。
さて、3番目の奥様、ジェーン・シーモアはこの曲から受ける悲しい印象の人生を送ったのであろうか…。15この人がジェーン・シーモア。
元々はキャサリン・オブ・アラゴンとアン・ブーリンに仕えた女官だった。
アン・ブーリンが処刑される1年ぐらい前からヘンリー八世はジェーンのことを気にするようになり、最終的に恋人に浮上した。
そして、アンが処刑された日に婚約し、その10日後に挙式を執り行ったてぇんだからヒデエ話だ(この日程については異なる説もあるようだ)。

20v「下衆の後知恵」で恐縮だが、ちょっとアン・ブーリン時代に戻らせて頂く。
しかも以前に少し触れたことがある内容なんだけど「聖人」が出て来たところでもう一度やりたいと思うのです。
下は世界的に有名なロンドンの美術館「ナショナル・ギャラリー」のとなりにある「ナショナル・ポートレート・ギャラリー」に飾ってある肖像画。
「ナショナル・ポートレイト・ギャラリー」はこのように王室のメンバーの肖像画を中心に人物がだけを展示している美術館だ。
左上は「征服王」の別名で有名な初代イングランド王のウィリアム一世(William the Conquror)。
1027年の生まれだっていうから古いよ。
そのとなりが「碩学王」の第3代イングランド王「ヘンリー一世(Henry Beauclerc)」。
その隣が…とやっているとみんなイヤがっちゃうのでココで止める。
世界史は同じ名前のヤツが何回も出て来てややこしいから嫌われるっていうんでしょ?
まったくその通りだよね。
こうしてズラリと歴代のイングランドの君主の肖像画が並べられている中、最下段の真ん中にいるのが…

Simg_1697ヘンリー八世と、その隣がアン・ブーリン。
アン・ブーリンの向かって右隣りは、ヘンリー八世の最初の奥さんのキャサリン・オブ・アラゴンの一粒種のメアリー一世。
オヤジを恨んでプロテスタントを弾圧しまくって「ブラディ・メアリー」の異名を取ったメアリーは女王様。
つまり、ココに掲げられているのはゼ~ンブ王様か女王様なワケ。
なんでアン・ブーリンだけ王妃の身分。
何で出してるんだろうね?
理由は…わからない!
しかも、処刑までしちゃった仲なのに仲良く並んでいる。
イギリスの「離婚第1号」というスペシャルな関係だからか?
Simg_1698その離婚について、もうチョットだけやらせてね。
下はトマス・モア。
有名な『ユートピア』を著した人ね。
ヘンリー八世の信頼を得て「大法官」というメッチャ高い地位まで上りつめた法律家。
すごくマジメなの。

30vで、この人の生涯を描いたフレッド・ジンネマンの『わが命つきるとも(A Man for All Seasons)』という作品があって、1967年のアカデミー賞に8部門でノミネートされて作品賞・監督賞・主演男優賞を含む6部門を受賞した。
怪獣とマンガと安っぽいヒューマニティだらけの今の映画界のアカデミー賞なんかとは価値が全く違う時代だからね、途轍もなく格調が高い名作なワケだ。
史実に基づいて作られていてもちろん私も観たけど、どこで感動していいのかサッパリわからなかった。
どんな話かと言うと、例の最初の奥さんであるキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚がローマ教皇から認められなかったでしょう?
そこで、困り果てたヘンリー八世は大変に人望厚く、教養豊かで全幅の信頼を置いていたトマス・モアに「チョット、バチカンへ行ってポープ(ローマ教皇のこと)ちゃんを説得してくんない?お願い!」と頼むんだけど、敬虔なカトリック信者だったトマス・モアは断っちゃうのね。
そして、ヘンリー八世がローマから離反してイギリス国教会の親分に就任すると、その「大法官」という官位を返上しちゃう。
するとどうなるか…話は簡単。
そんなの即、処刑よ、処刑。
ヘンリー八世の側近だったトマス・クロムウェルが推し進める、国王をイギリス国教会の首長とする「国王至上法」ってのに反対した廉で「反逆罪」に仕立てあげられちゃった。
このトマス・クロムウェルは後でまた出て来るから名前は覚えておいてね。
 
そして、トマス・モアは死後400年経って「聖人」になった。
詳しくは知らないんだけど、この「聖人」に選ばれるのはモノスゴく厳しい審査があって、どんなに早くても認定までに10年を要すのだそうだ。
トマス・モアは400年、ジャンヌ・ダルクなんて死んでから489年後だってよ。
コレって一体どうやって審査の引継ぎをしてるんだろう?
40dv
 
この映画でヘンリー八世を演じるのはロバート・ショウ。
コレがまた適役なのよ。45ロバート・ショウはクイント船長を演じた人ね。
黒板をキ゚~ってやる所なんかは実にヨカッタ。
おわかりね?
『ジョーズ』の話。
こうして見ると、スウェーデンのベースの名手、ニールス・エルステッド・ぺデルセンみたいだな。50vそして、古くはコレ。
カッコいい~!
『ロシアより愛をこめて』でスペクターの刺客、グラントを演った。
列車の中の壮絶な取っ組み合いのシーンね。
あの映画はローバート・ショウのおかげでキリっと引き締まった。60vジェーン・シーモアは6人の妻の内、唯一ヘンリー八世と一緒に埋葬することを許された王妃だった。
アン・ブーリン同様、家族が宮廷内での地位向上を画策してジェーンを操作していたこともあったらしいが、アンとは異なり大人しく、一度もヘンリーと言い争うことはなかった。
下は別の肖像画。
ルックスとしては特に「美人」というほどでもなかったようだ(私の主観ではありません。史実です)。Js下はヘンリー八世の半生を描いたテレビドラマ『THE TUDORS~背徳の王冠』でジェーン・シーモアを演じたアナベル・ウォリスというイギリスの女優さん。
ま、こんなに可愛くはなかったでしょう。
09_js2
このアナベル・ウォリスという人、チョット気になって調べてみたら、ナント名優リチャード・ハリスの姪っ子さんなのだそうだ。
クリント・イーストウッドの『許されざる者』で「イングリッシュ・ボブ」を演った人ね。
我々世代だと『ジャガーノート』という映画でおなじみか?…なつかしいナァ。

09_ebMarshall Blog的にリチャード・ハリスを紹介するならば、ジミー・ペイジが住んでいる(住んでいた?)サウス・ケンジントンの「タワーハウス」という豪邸の前の持ち主。
ジミー・ペイジはデヴィッド・ボウイと競って、今の貨幣価値にして7億円でコレを買い取った。
サウス・ケンジントンはロンドンの中でも指折りの高級住宅地なのです。

80v「聖人」の話を引っ張ったのはコレやりたかったから。
ジョン・コルトレーンは無くなる1年前に来日し、記者会見で「10年後はどうなっていたいですか?」と訊かれ「I want to be a saint(聖人になりたい)」と答えた。
練習に明け暮れ壮絶な演奏技術を身に付けて自分だけの音楽を想像したコルトレーンは「私の人生にレジャーはなかった」とも言った。
なるほど、記者会見でのコルトレーンの答えは、人生を犠牲にして芸術の道を歩んだジャズの巨人として「聖人」という地位の崇高さを認識してのモノだったんだな…と感心した。
カッコいいじゃん?
そしたら…どうもこのコルトレーンは発言は半分冗談だったということを最近知った。
文字だけだとなるほど含蓄に富んだ発言に見えるけど、残されたインタビューの音源ではどうも笑って答えているらしい。
「ナンチャッテ!」含みということのようだ。
この来日は7月でもう日本は暑い盛りだった。
翌年、肝臓ガンでなくなるコルトレーンはこの時病魔に侵されていて、一日中アイスキャンディを食べていたらしい。
 
インターネットからお借りしたこのモノクロのポートレイトは写真家の方のジム・マーシャルが撮影したモノ。
スゴイね。
カラー以上に色彩が豊かな印象を受ける。
最近デジカメで撮って「雰囲気が出る」とモノクロで現像しているのを見かけるけど、アレはゴマカシが効いてしまうので見ていてちっともオモシロくない。
私もホンの一時期やってみたけど、腕が落ちると思って止めた。
チャンと色を出して撮る方が格段にムズカシイ。Jc さて、ヘンリー八世がジェーンを自分の隣に埋葬する許可を出したのは、ジェーンが男の子を生んだからなのね。
そのご褒美というワケ。
1537年、三日三晩の大難産の挙句、ジェーンが生んだのが後のエドワード6世。
その難産がジェーンの体力を奪い、衰弱してそれから12日後に息を引き取った。
下はハンプトン・コート宮殿に飾ってある当時のチューダー家の肖像画。
向かって左の立っている女性がキャサリン・オブ・アラゴンとの間に生まれたメアリー。
右がアン・ブーリンとの間に生まれたエリザベス。
ヘンリー八世の前の向かって左の子供がエドワード。
傍らの女性はジェーン・シーモア。
ヘンリー八世が人生で一番幸福な時期を描いているそうだ。
ところが…この絵はおかしいでしょ?
だって、エドワードを生んで12日後にジェーンが死んでいるワケだからジェーンが幽霊でない限りこんな瞬間はあり得ない。
コレは6番目の奥さん、キャサリン・パーが年老いて心身ともに弱っていたヘンリー八世を元気づけようと「人生で一番幸せだった時」を想像で描かせたモノなのだそうだ。
つまり、世継ぎを生んだジェーンが一番ヨカッタということらしい。
ああ、憐れなジェーン。
アン・ブーリンとは異なり、一般大衆からの支持も得ていたジェーンは、もし生きていればチューダー王朝最強の王妃になってヘンリーと共に国を差配したかもしれない…と言われている。
その無念さがリック・ウェイクマンの曲に表されていると思わない?
80そのエドワードは父の死に伴い、9歳で王に即位するが、15歳の若さで死去。
長くなるので詳しくはかかないけど、この辺りの王室の醜い政争はスゴイよ。
下がエドワード六世。
色、白いナァ~。ケンカ弱そうだナァ~。
しかし、お父さんが「ヘンリー八世」ってのはどうなのよ?70v先日、アン・ブーリンの記事をご高覧頂いた方から、アン・ブーリンの首なしの幽霊の動画なるモノがあることを教えて頂いたが、このジェーン・シーモアも出るそうだ。
毎年10月12日になると、出産用の白いドレスを着て、細いローソクを手にした女性がハンプトン・コート宮殿の廊下を歩き回るのだそうだ。
この10月12日とは、ジェーン・シーモアがエドワードを生んだ日なのです。
下は家内が撮ったハンプトン・コート宮殿の廊下の写真。
ココを歩き回るのかどうかわかりません。
このシリーズ、まだもうひとり出る奥さんがいるのでお楽しみに。
90v続いて4番目。
4番目の奥様はアン・オブ・クレーヴズ。
また「アン」だよ。
ヘンリー八世の奥様たちは「キャサリン」が3人、「アン」が2人、「ジェーン」が1日と半分キャサリンなんだよね。
もっとも2人のアンはスペイン人とドイツ人なので「アナ」と「アンナ」になるのかな?
もしかしてヘンリーにはこれらの名前にこだわりがあったのかしらん?なんて思っちゃう。
アンはその名の通り、神聖ローマ帝国領の「クレーフェ公国(現在のドイツとオランダの間)」から輿入れして来た。
当時は写真なんてないので、相手がどんなルックスかは絵に頼るしかない。
ヘンリーはホルバインを現地まで派遣して描かせたアンの肖像画を見て、初対面の時にはどんな服を着て行こうかと色めきだったらしい。
もう結構な歳になっていたからね、若いお嫁さんに少しでもカッコよく見せたかったワケ。
ところが!
ホンモノに会った時に口にしたのは…「お、おのれホルバインめッ!」だったとか。
要するに肖像画とはかけ離れたブスだったというワケ。
何しろ名前が「クレーヴズ」だからね。
100vこの結婚を計画したのはヘンリーの側近のトマス・クロムウェル。
上に出て来た人ね。
結果的にこの人が「王様メッチャエラい!」という法律を推し進めたものだからトマス・モアは処刑されちゃった。
クロムウェルがプロテスタントのお嫁さんということと、クレーフェ公国との関係強化を考えてアンをヘンリーのお嫁さんにセットしたのだが、どうしてもヘンリー八世がアンのことが気に入らない。
イヤでイヤで仕方ない。
結果…処刑。
アン・ブーリンの時にはフランスから死刑執行のプロ中のプロを呼び、普通は斧を使うところアンが少しでも苦しまないように、と飛びっきり切れ味の良い刀をこれ又おフランスから取り寄せたという話を前回書いた。
よっぽどハラが立ったんだろう、クロムウェルの時はその反対に普通の斧で死刑執行業務見習い中の研修生に首を落とさせた。
「あ、イカン!手元が狂っちゃった!耳無くなっちゃいました?」なんてことをヘンリーは期待していたらしいよ。
一方、ホルバインも「もはやコレまでか?!」と覚悟をキメたが、ギリギリセーフ。
「宮廷画家」の資格を剥奪され、追放されるだけでナントカ収まった。

110v処刑で思い出したんだけど、『侍はこわい』という司馬遼太郎の短編小説に切腹を命じられる侍の話があった。
もうだいぶ前に読んだ本なので、その短編のタイトルも覚えていないのだが、とても印象に残った箇所があった。
とてもマジメで気位の高い侍が、何かのミスで切腹を命じられ、文句ひとつ言わずその命に殉ずるんだけど、介錯ってあるでしょ。
腹を掻っ捌く苦痛から解放するために首を切り落とす「武士の情け」というヤツ。
やったことはないけど、あの切腹というのはメチャクチャ痛いらしい。
で、膝をついて前かがみになった姿勢で首を落とされると、その瞬間、人間の身体というものは反動でピョーンと後ろにハネ返ってしまうのだそうだ。
コレが武士として大変みっともないことらしい。
そこでその気高い武士は、腹を切る直前に両足の親指の骨を手で反り返らせてボキっと折ったっていうんだよね。
こうしておくと、首を落とされた時に踏ん張りが効かないので身体が後ろに反り返らないですむというワケ。
ホンマかいな?って思うでしょ?
その侍は腹を掻っ捌いて、前かがみになって首を伸ばして介錯を促す。
すると一瞬首の後ろに刀の冷たさを感じですべて終わった…みたいなことが書いてあったように記憶している。
こういうところがね~、「司馬さんの小説はファンタジー」と言われる所以なのではないかと思ってしまうのです。
吉村さんだったら絶対ココまで書かないと思うワケよ。
だから私は「吉村昭」。
首に冷たさを感じるかどうかを知っている人はこの世にいないんだもん。
でもオモシロかったけどね。

Sk
ホルバインは私情を入れずにモデルを忠実に描く画家という評判だった。
なので、そんなにヘンリーに見せるアンの肖像画を盛っていたのだろうか?と思って他の人の作品に目をやると…そんなでもない感じじゃん?
大して変わらない。
ところがヘンリーは顔面以外のことも気に入らなかったそうで、例えば以前の3人の奥さんに比べて背が高すぎたとか、英語がほとんど話せなかったとか、音楽や文学の素養がなくヘンリーの趣味に合わせることが出来なかったとか…。
加えて、アンは大層体臭がキツかったらしい。
それを隠すために大量に香水をかけていたのもマズかった。
結局、夫婦としての関係はないまま、1年も経たずして離婚。
アンも素直に離婚の提案を受け入れた。

120v下はヘンリー八世の半生をサラリと描いた1933年のイギリス/アメリカ合作映画『ヘンリー八世の私生活(The Private Life of Henry Ⅷ)』。
映画の中で2人はトランプかなんかやっちゃって、アンとの生活がすごく楽しそうに描写されている。
この作品も以前にココで紹介しているけど、ヘンリー八世を演じたのはイギリスの名優、チャールズ・ロートン。
そして、アン・オブ・クレーヴズを演ったのは、実生活でロートンの本当の奥さんだったエルザ・ランチェスター。
ちなみにこの作品は第6回(古い!)のアカデミー賞で作品賞と主演男優賞を獲得し、その年のアメリカでの興行成績が12位となるヒット作となった。
日本も同じだけど、この頃のアメリカの一般人はまだ知性が高かった。
今じゃキメツだもんな~。アメリカの映画界はもうハメツして久しい。古いハリウッド映画が大好きな私は今のアメリカに本当にゲンメツしている。

130dvこうして、アン・オブ・クレーヴズはブスが幸いして何の危害も被害も受けずにヘンリー八世の元を離れることができた。
しかも、ヘンリーも世間体を考えてかアンに「ヘンリー八世の妹」という称号を与え、膨大な不動産を賜り、富豪女性として幸せな生涯を送ったそうです。
人間、ナニがどう幸いするかわかりませんな。
 
…という人生を送ったアン・オブ・クーブズはどんな曲に仕上がっているのだろうか?
早速、A面の2曲目「Anne of Claves」を聴く。
不吉な音列のイントロに導かれて飛び出してくる変拍子のカッコいいリフ。
コレは11/8拍子と10/8拍子のコンビネーションか。

7:52を要するアルバム中最長の大作。
次から次へと場面がコロコロ変わってカッコいいことこの上なし。
ヘタをするとこの曲がアルバム中一番いいかも。
しかし!
私にはひとつ気に入らないパートがあるのだ。
それはキーボーズのソロの部分。
どうして「エル・クンバンチェロ」のメロディなんか入れちゃったのよ~!
日本でコレを演ると一気に運動会かマジックのイメージになっちゃうじゃんか。
リックはジャケットに予め「それぞれの王妃の人生のイメージを音にしているワケではない」と断ってはいるけど、コレはもっとも題名の本人とイメージがかけ離れているように思います。

140cdところで、そのメイン・リフね。
リックが使いまわしているの知ってる?
それはYesの『海洋地形学の物語(The Tales of Topographic Ocean)』のC面の「The Ancient」。
コチラは4/4といえば4/4拍子なんだけど、3/4と5/4をグルーピングしているのとインストゥルメンタリゼーションが異なるので、聞いた感じは「Anne of Claves」とはチョット違うんだけど、マァ同じと言って何ら差支えはないでしょう。
リックはこのアルバムの制作に反対で、コレを最後にYesを去ってしまうでしょ?
果たしてこのアルバム制作の中心だったアンダーソン=ハウのチームがリックが作ったこのフレーズを使いたがったのか、それともリックが「The Ancient」のフレーズを持って来ちゃったのか…はたまた仲良く協議の上、チョイとリズムを変えてシェアしたのか…どうなんだろう。
『ヘンリー』のジャケットのクレジットを確認するとレコーディングは「1972年10月」とある。
一方、『海洋地形学』のジャケットを見てみると、「1973年夏から初秋」となっていた。
ウェイクマン製のフレーズと考えてマァ間違いないでしょうな。
 
Yesが好きという人はゴマンといるけど、「『海洋地形学の物語』が好き」と言う人に会ったことない。
みんな『The Third Album』、『Fragile』、『Close to the Edge』、『Yessongs』、せいぜい後は『Relayer』の5枚しか相手にしていない感じがする。
かく言う私もそうだった。
コレね、A面で損しているんじゃないかナァと思うんだよね…フォーキーでおとなしいでしょ?
B面も前半が結構ツライ。
ところが、B面の後半を経てC面に入ると俄然調子を上げてカッコよくなるんだよね。
中学生の時に盤を買ったんだけど、恥ずかしながらコレに気が付いたのはココ数年のことなのです。
最初の2枚も結構いいんだよな~…「大いなる西部」とか「Something's coming」とか演っちゃってるヤツ。
私は『Going for the One』からリアルタイムなんだけど、アレには盛大にガッカリしたナァ。
もうあの頃、プログレは完全に死に体と化していた。
この『海洋地形学』はイギリスでは2週間にわたってチャートの1位を飾った。
日本だってこの頃は『Yessongs』がバカ売れしてワーナーの人が腰を抜かしたっていうからね。
昔は洋の東西を問わず、音楽の聴き手の方の知性高かった。耳が肥えていたということね。
だからスゴい音楽がイッパイ出て来た。
 
ところで、先日facebookで「アナタは原題派?邦題派?」というアンケートをやらせてもらった。
ご協力頂きました皆様、どうもありがとうございました。
原題派の方が多いのはチョット意外だった。
実はこのアルバムもお題に入れようかと思ったんだけど、ヤメて『危機』にしたのです。
このアルバムを「ざ・ているず・おぶ・とぽぐらふぃっく・おーしゃん」と呼んでいる人が日本にいると思えないから。
超厳格原題派の私ですら「海洋地形学」って呼んでます。
口にする機会は一切ないけど…。

150cdロックっぽくなったところで今日はおしまい。
ヘンリー八世の奥さんはあと2人残っていますので次回もお楽しみに!

<つづく>
 

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