Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【マー索くん(Marshall Blog の索引)】
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

« 居酒屋でぃ~どらいぶ <2019年2月の巻:その1 ヘンなの出て来るヨ> | メイン | ゲートシティ大崎BAND CONTEST~D_Drive編 »

2019年3月28日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.34~ヘンリー八世と六人の妻 <その2:アラゴンのキャサリン>


わかってるんですよ。
「バタバタしていたもんですから」…なんて時は大抵ロクな仕事をしていないもんでしてな。
反対に「あの時どうやってあんなに仕事をこなしていたんだろうナァ」と後で思い出すような時には「バタバタしている」なんてことは言ってなかったと思うワケ。
 
すいませんネェ…またチョットMarshall Blogの更新を休んでしまった。
バタバタしていたもんですから!
イヤイヤ、それよりも「ヘンリー八世と六人の妻」の記事…続編を書こう書こうと思ってはいたんだけど、バタバタしていてナント前回の掲載から1年以上も経ってしまった!
驚くべきことに今日はその続編をお届けしようという暴挙に挑みます。
そもそも前回ナニを書いたか、どこまで書いたかも覚えてないんでやんの。
…ということで、記事を読み返してみよう。
コレね   ↓     ↓    ↓   ↓

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.28~ヘンリー八世と六人の妻 <その1>

 
フムフム…派手に脱線してるな。
そうだ、前回は「リック・ウェイクマンのアルバム」と「ヘンリー八世周辺」のことについて書いたのだった。
そこで今回からはヘンリー八世を中心に6人のお妃さまのことを、アルバム収録曲を聴きながら書いていくよ。
皆さん、レコード、CD、ストリーミングの準備はよろしいか?
まずはアルバム『ヘンリー八世と六人の妻(The Six wives of Henry VIII)』の1曲目。
 
1. Catherine of Aragon
ヘンリー八世の最初の奥さまが「キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon)」。
私は『Yessongs』のリック・ウェイクマンのソロ・コーナーで初めて聴いたんだけど、シビれたナァ。
この曲をこのアルバムではなく、『Yessongs』で知ったという人も多いのではないかしら?
お、そういえばウェイクマンを紹介する前にジョン・アンダーソンがハミングしているメロディはストラヴィンスキーの「春の祭典(The Rite of Spring)」だね。
 
やっぱり何回聴いてもこの曲はカッコいい。
4分にも満たない曲にものすごい音のドラマが詰まっていて、どのパートもそれが立体的なんだよね。
では「キャサリン・オブ・アラゴン」とはどんな人だったのか…。

10cdこの女性が「キャサリン・オブ・アラゴン」。

30v最終的な輿入れ先は下のヘンリー八世…ヘンリー七世の次男坊。
ヘンリー七世は1455年から30年にわたった「バラ戦争」に終止符を打ったチューダー王朝の開祖。
「バラ戦争」ってのはランカスター家とヨーク家の権力闘争で、両家の紋章がバラだったので「バラ戦争」と呼ばれている。
ったく、戦争ひとつするにもロマンチックな話だぜ。日本は室町中期。
ちなみにイギリスの国花はバラだがね。
で、キャサリンはこの人のところにわざわざスペインから嫁いできた…ワケではない。
このホルバインが描いたヘンリー八世にソックリな人知ってるわ。

40vキャサリンはスペインのフェルディナンド王とイザベラ女王の娘さん。
ナント、家が「アルハンブラ宮殿」だったんだって!
コレが実家。世界遺産。

50オックスフォードにあるウィンストン・チャーチルの実家も「ブレナム宮殿」という世界遺産だ。
家が世界遺産ってどんなかね?
古さではウチも負けないんだけどね。
そして、スゴイよ…キャサリンは赤ちゃんの時にお母さんに抱かれてコロンブスが新大陸を発見しに行く、その出帆の様子を見ているっていうんだから。
それから6年後にはバスコ・ダ・ガマが喜望峰を経るインド航路を発見してポルトガルに富をもたらしたんですな。

60こうして当時はスペインとポルトガルがメッチャ力を持っていて世界の一等国だった。
そんなもんだから南米へ乗り込んで行って、現地人を1,500万人も殺して南米大陸を自分たちのモノにした。
だからポルトガル語を使うブラジルを除いて、南米はスペイン語が公用語なのね。言葉を奪ってしまった。
そして、南米には黒人がいるでしょ?
南米の原住民は体力に乏しく、奴隷としてこき使うとすぐに死んでしまうので、頑強な黒人をアフリカ大陸から取り寄せたっていうんだよ。
ヒデエ話だよ。
スペイン人の友達にこの辺りのことを知っているか?と尋ねると、チャンと自分たちの負の遺産を学校で教わるらしい。
以前にも紹介したことが何度かあるけど、興味のある人は岩波文庫からこういう本が出ているので読んでみるとよろしい。

Nkikh で、当時はイギリスはヨーロッパ大陸のハジッコにある三流の島国にすぎなかった。
そこで、ヘンリー七世は自分の子供とスペインのお姫様をくっつけて世界の一等国であるスペインに可愛がってもらおうとしたワケだね。
コレがヘンリー七世。70vキャサリンのお相手はヘンリー八世ではなくて、お兄ちゃんのアーサー王子だった。
アーサー王子は、もう生まれた時からキャサリンと結婚することがキマっちゃってた。
そして、キャサリンが14歳の時に、アーサーに嫁いで来た。
持参金は今の貨幣価値で8億5千万円だってよ。
で、オヤジのヘンリー七世とアーサーはキャサリンがイギリスやって来た日に遠路はるばるロンドンから彼女が宿泊していたドグマーズフィールドというところまで顔を見に行ったそうだ。
昔は写真なんかないからね。
まさに「パンチDEデート」状態。
せいぜい宮廷画家と呼ばれる腕の立つ画家が描く肖像画ぐらいしかなかった。
で、オヤジもセガレもキャサリンがかなりのカワイコちゃんだったので安心した。
当のお2人さんもスゴくいい感じだったらしい。

80vハイ、ココで大脱線します。
コレはおなじみのウエストミンスター宮殿。
BREXITどうすんのよ!メイ首相が退陣案を出して来たね~。
しかし、アレはバカなことをしたもんだよ。
Marshallの経理の女性とメールでやり取りをしていたんだけど、「もう朝から晩までBREXITでウンザリ!」とか言ってた。
イヤ、Marshallだって大変だからね。
ミュージシャンもそう。

90コレはその対岸のようす。
向こうにロンドン・アイが見えるでしょ?
ウエストミンスター橋の東詰。

70そのままテムズ川沿いにチョット行く。
この遊歩道の左側の壁の中は病院なのね。
「St. Thomas' Hospital(セント・トーマス病院)」という。

110v「St. Thomas」と聞くと即座に思い出すのはコレだけど関係ない。

115元々は1215年(古!)にトーマス・ベケットというカンタベリー大司教の名にちなんで、ロンドン橋やバラ・マーケットがあるサザークというところに建てられたが、1871年に現在の場所に移転したイギリスで最も有名な病院なんだそうよ。

0_img_0257何しろナイチンゲールが所属していた病院だからして。
行ったことはないんだけど、「フローレンス・ナイチンゲール博物館」というのが院内にある。
このお方、おっそろしく優秀だったんだってね。
で、この病院のことを調べていて知ったんだけど、よく戦争映画なんかに出て来る200人ぐらい収容できる大型の病室にナース・ステーションが付いた状態の病棟のことを「ナイチンゲール病棟(Nightingale Ward)」というそうだ。
もちろんセント・トーマス病院の一角もナイチンゲール病棟になっている。

116vナンでこの病院を引っ張り出したのかと言うと…。
The Kinksのレイ・デイヴィス(Ray Davies)は子供の頃、このセント・トーマス病院に入院していて、レイが乗った車椅子を看護婦さんが押して、ウォータールー橋に沈む美しい夕日を見せてくれたのだそうだ。
その時の体験が「Waterloo Sunset」になってるらしい。
「毎日部屋の窓から世界を見ていた」
「ウォータールーの夕日さえあればボクはパラダイス」…なんて歌詞からすると「なるほど」と思うね。
「Waterloo Sunset」は「私が選ぶ生涯の名曲ベスト10」に入れる1曲。120cd病院の外壁には「BSE(牛海綿状脳症)」の犠牲者を悼むプラークが取り付けてあった。

130ハイ、ウェストミンスター橋がこんなに遠くなった。
ウエストミンスター橋のひとつ上流に架かっている橋は「ランベス橋(Lambeth Bridge)」。
写真で言うと後方向ね。

100その橋のたもとのすぐそばにあるのがこの「ランベス宮殿(Lambeth Palace)」。
一番古い建物は1435~1440年のモノだそうだ。
カンタベリー大司教がロンドンに来るとココに滞在する。今でもそうなんじゃないかな?

140v辺りには騎馬警官もいたりするよ。
この通りを左に行くとウォータールー駅。
この辺りは19世紀の終わりぐらいまでは滅法治安の悪いエリアだったらしい。

150で、キャサリン一行のスペイン・チームはこのランベス宮殿までやって来て、アーサーの弟、ヘンリー八世に会うんだな。

160アーサー王子とキャサリン姫の結婚式は、かのセント・ポール大聖堂で執り行われた。
ダイアナとチャールズが結婚式をしたところね。
また、映画『メリー・ポピンズ』の中で「Feed the Birds」という必殺の名曲のシーンに出て来るところね。

1742人はリッチモンド宮殿等で仲睦まじく暮らすが、その結婚のたった5か月後にアーサー王子は肺炎で死んでしまう。
アーサーは弟のヘンリーとは異なり生まれつき病弱だった。
昔は医学が発達していなかったので、一旦大病にかかるとすぐに命の危険にさらされた。
衛生状態も極めて悪く、ロンドンの街中でも平気で汚物を窓から放り投げて捨てていたらしい。
そのため伝染病の流行は大きな恐怖で、感染を避けるために王族たちはアチコチに城を作って引っ越して歩いたんだね。
また、「瀉血」といって、何でもかんでも血を出せば病気が治っちゃう…なんて野蛮な治療法が当たり前だった。
最近何かの本で読んだんだけど、昔は男性が尿管結石に罹ると細い棒を竿に突っ込んで、それを外部から叩いて石を割って排出させたらしい。
もちろん麻酔なんてない時代だ。
そんな時代は私はイヤだ。
そうした医療環境の中で命がけの行為のひとつは出産だった。
赤ちゃんを産むことは死と隣り合わせの女性の大業だったのだ。
180
チョットまた脱線して…。
このアーサーたちが一時期暮らした城があったリッチモンドはロンドンの中心から地下鉄ディストリクト線で20分ぐらい西へ行ったところ。
となりの駅が有名な「キュー・ガーデン(Kew Garden)」。
この川が本当にあのウェストミンスターにつながっているのか?とにわかには信じられないほど美しい景色が広がるのよ。

Nkimg_7524天気がこんなで残念。
どうしても晴れの日の写真が撮りたくて別の機会に再訪したんだけど、その時の写真がどうしても見つからん!
ま、景色がいい以外には古い映画館があったりするぐらいのところなんだけど、とても雰囲気のいい町だ。
イヤ、あった…。

Nkimg_74981963年にオープンしてThe Rolling Stonesが初めてギグをし、ハウス・バンドを務めた「Crawdaddy Club(クロウダディ・クラブ)」というライブハウス。
それもそのハズ、このクラブは3年前に亡くなったジョルジョ・ゴメルスキーのお店だった。
「crawdaddy」というのは「ザリガニ」という意味だけど、ストーンズが初期にレパートリーにしていたボ・ディドリーの「Doing the Craw-Daddy」から採ったそうだ。
このクラブの最初のハウスバンドは、ピカデリーにあった前身のクラブからの付き合いで「The Dave Hunt Rhythm & Blues Band」というグループが務めた。
ドラマーはチャーリー・ワッツだった。
そして1963年の1~2月にかけての6週間にわたってそのバンドのギターを務めたのは後にThe Kinksを結成するレイ・ディヴィスだったという。
ロンドンは狭いからね~、こういうおとぎ話のような逸話がゴロゴロしてる。
そして、こんなに小さいクラブにヤードバーズやレッド・ツェッペリンやエルトン・ジョンやロッド・スチュアートが出ていたんだからスゴイ。
ザ・フーの『さらば青春の光(Quadrophenia)』の最初の方にもこのクラブのことが出て来るんじゃなかったっけか?

Nkcrawdaddy さて、異国の地で16歳にして未亡人となったキャサリン。
その後、義理のオヤジのヘンリー七世も肺炎で亡くなるが、今際の際に次男坊のヘンリーと結婚するように言うんだね。
ところが聖書では「兄弟」と再婚することは御法度とされていたので、当時カソリックだったイングランド王家はわざわざローマ教皇に頼んで「ね、いいでしょ?」と許可をもらって次男坊のヘンリーとキャサリンを一緒にさせた←ココ大事です。
何せ、キャサリンがスペインへ帰っちゃったら持参金の8億5千万円を返さなきゃならないからオヤジも必死だよ。
かくしてヘンリー七世を継いで次男坊が「ヘンリー八世」として王位に就き、あんちゃんの元の奥さんを妻に娶った。
ヘンリー八世がランベス宮殿でキャサリンに初めて会ったのは10歳の時のことで、「憧れのお姉さま」と憧憬の念を抱いていたので結婚相手としてはバッチリだった。
ヘンリー八世が17歳、キャサリン23歳…あとは早いとこ世継ぎが出来れば万々歳。

170vところが生まれないんだな…男の子が。
イギリスは「サリカ法」という「男子しか王位継承権を認めない」法律を採用していないので、女性が王位を継いで「女王」となっても大丈夫なのだが当時はまだ前例がなかったし、やっぱ王位は男に継がせたいという強硬な希望がヘンリーにはあった。
「男の子が欲しい」、「王子が欲しい」と切望する2人についに男子が生まれる!…と思ったのもつかの間、生後50日で亡くなってしまう。
「やっぱり聖書に書いてあったことはホントなんだ。兄弟と再婚しちゃイケないんだ」とビビりつつもキャサリンは6回妊娠したのだそうだ。

そして、最終的に成長したのは5回目の妊娠で生まれた女の子、メアリーだけだった。
下がメアリー。
恐いね。すごいストレスなんだよ。
何せ後で付いたアダ名が「ブラッディ・マリー」だもんね。この話はまた別の回で。

190v徳川でもチューダーでも洋の東西を問わず、こういう歴史ものはだいたい「お世継ぎ物語」だからね。
はじめのウチは「まだダイジョブ、ダイジョブ」とやさしかったヘンリー八世も世継ぎが産めないキャサリンにいい顔をしなくなってくる。
しかも年上で、何度も妊娠をしているので老け込み方が激しい。
男なんて勝手なもんで次第にキャサリンが疎ましくなっちゃう。
一方、身長が190cmもあるバイタリティのカタマリのようなヘンリー。
もちろんアッチの方もギンギンだぜ。 
だいたいこの肩幅はどういうことだ、ホルバイン?(ドイツ人宮廷画家、ハンス・ホルバインはそのウチまた出て来ます)200vそこへ現れたのがキャサリン王妃付きの女官アン・ブーリン!
おフランス帰りのソフィスティケイトされた美しいお嬢さまにイチコロだ。
ところが利口なアンはヘンリーの女グセの悪さを聞いて知っていたので、相手が王様とはいえ、そうおいそれと手籠めにされたりはしない。
「アンと結婚したい~!若い奥さんと一緒になって男の子を産ませたい~!」…苦悶するヘンリー八世。
でもローマ教皇かわワザワザ特赦をもらってまで結婚したお兄さんのお嫁さんがいる…そうおいそれと事がうまく運ぶワケがない。
そもそも離婚が認められないカソリックだからね。
そこで、ヘンリー・チームは「離婚」ではなくて、「そもそもキャサリンとの結婚は無効なんですよ。だって兄弟との再婚は聖書で認められていないんじゃん?」と、うすらトボけた作戦にでた。
オイオイ、自分で「兄貴の元の嫁さんと結婚させろ」って言ったの忘れたのか?
さて、2人の将来はいかに?

240v可哀想なのはアラゴンのキャサリン。
もう事実上夫婦ではなくなってしまい、ただの前王子の未亡人となってしまったキャサリンはケンブリッジシャーのキンボルトン城というところに追いやられ、そこで一生を終えた。
キャサリン・オブ・アラゴンは民衆の間ではとても人気が高く、ロンドンを離れる時にみんなで無事を祈ったという。

230vもちろんメッチャ端折ってはいるけど、以上が『ヘンリー八世と六人の妻』の1曲目の主人公の物語。
ハイ、ココでもう一回この曲を聴いてみましょう!
 

<Catherine of Arragon>

250どう?
キャサリンの不幸な人生がシンクロした?
リックはジャケットに「このアルバムの曲はヘンリー八世の六人の妻たちのキャラクターを私の音楽的な解釈で表現したものです。それらは必ずしもその歴史と合致しているモノではなく、キーボーズを使って表現した私なりの印象なのです」と謳っているけど、こうして歴史を知っておいて聴いた方が面白いにキマってる。
 
次回はこの6人のお妃の中でも最も波乱に満ちた人生を送り、人気のある2番目の奥さん、アン・ブーリンをやります。
LPで言うとB面の2曲目。
お楽しみに!

200_2