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2020年10月 2日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.54~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)

 
いよいよ「デンマーク・ストリート」の最終回。
今日は歴史とアートとグロの盛りだくさんでいきまっせ~!
95前回「『名所めぐり』の人気が低い」と書いたところ、「いつも楽しみにしている」と励ましのお便りを頂いた。
うれしいね。
他にも、まず家内でしょ、〇〇さんでしょ、▽△さんでしょ、◇◇さんでしょ…と、サッと数えてみても最低10人ぐらいの方々がいつもご覧頂いていることはわかっているので、その方々にお喜び頂けるだけでも素晴らしいことではないか!
なんて書くとイヤらしいね、ゴメン。
完全に自分のワガママでやっていることにご支援を賜るなんて本当に幸せなことだと思っています。
 
さて、そのお便りを頂い方はFreeの音楽を追求していらっしゃる大のポール・コゾフ・ファン。
だからMarshallの愛好家でいらっしゃる。
FreeとMarshallは近しい関係で、創立40周年の記念パーティの時にはジム宛にポール・ロジャースから祝辞が届いていたし、50周年記念コンサートではアンディ・フレイザーも出演した。
私は知らなかったんだが、アンディの甥っ子がMarshallの工場に勤めているそうだ。
さて、その方からポール・コゾフがかつて「Selmer's」という楽器店に勤めていた…という情報を頂戴して私の好奇心が爆発してしまった!
 
元々「Selmer's」というお店があったことは知っていた。
下のジム・マーシャルの伝記本に登場するのね。
この本は何回も読んだ。
海外の本を原文で複数回読破したのは、卒論のテーマに選んで泣く泣く読んだJ.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて)』と、この『Jim Marshall:THE FATHER OF LOUD』、そしてあのMichael Doyle著の『The History of Marshall』ぐらいのモノよ。
一時期、Marshallに行くたびにジムがサインを入れてお土産に持たせてくれたもんだからウチにはこの本が4、5冊あるの。
ということで、Selmer'sがこの本にどんな具合に出て来るかを先にやっておくと…。
Fol場所はデンマーク・ストリートから遠く離れた地下鉄ピカデリー線のターミナル駅「Uxbridge(アクスブリッジ)」。
ココからは歩いていける距離ではないんだけど…

11_img_0463モンティ・パイソンにも出て来る「アクスブリッジ・ロード」の「76」番というところにジム・マーシャルの最初の楽器店があった。
下の写真の床屋のところね。
まだアンプを作る以前のこと、ロンドンの楽器店と異なる家庭的な雰囲気を持っていたジムの店は大層繁盛していて、「Selmer's」はギターやアンプの仕入れ先のひとつだった。
ある日、ジムは当時の金額で12,000ポンドほどのオーダーをSelmer'sにした。
1960年頃の12,000ポンドというと、それがどれぐらいの額かサッパリわからないんだけど、強引に割り出してみると…1967年までは固定相場制で1ポンドが1,008円だった。
だから12,000ポンドは当時の金額で約1200万円。
現在のイギリスの消費者物価指数はこの頃に比べて4~5倍になっているので、当時の「12,000ポンド」は5,000万円ほどになる。
この計算ではいくらなんでも高額すぎるような感じはするけど、尋常ではない額に店の番頭さんはビビってしまい、「チョ、チョット社長を呼んで来ます」なんてことになった。
やはり、Selmer'sの社長ベン・デイヴィスもこの額に驚き、ジムのことが信用できなかった。
そこで、「わかった、わかった。ところでマーシャルくん…こんなにたくさん仕入れたところで、オタクのお店に商品を陳列するスペースなんかあるのですかい?」とデイヴィスに訊かれ、ジムはこう答えた。
「フォッフォッフォッ、もうそのほとんどが売約済なんじゃよ」
それでもジムのことが信用できなかったデイヴィス社長は、分割で毎月1,000ポンド分の取引をすることを提案して手を打った。
ところが、ジムは翌月に額面11,000ポンドの小切手を振り出して一気に支払ってしまった。
デイヴィス社長は大層驚き、ヒックリ返ってジムにこう尋ねた。
「一体ナニをやったらそんなに楽器が売れるんですか?」
ジムの答えはこうだった。
「新しいタイプの音楽じゃよ…フォッフォッフォッ、『ロックンロール』というモノじゃ」
カッコいい~!
ま、この頃のはジムはまだ30歳台だったので「…じゃよ」とかは言わなかったろうけど、「フォッフォッフォッ」はよくやってた。

11_img_8108場面は変わってロンドン、ウエストエンド。
<前編>でチョット触れた今は無きこの「turnkey」というお店。
かつては防音室が2階にあってMarshallが比較的ズラリとそこに展示されていた。
ロケーションとしてはデンマーク・ストリートではなくて、チャリング・クロス・ロード沿いなので前回はチラっとしか触れなかった。
11_img_0343現在は「CHIPOTLE(チポトレ)」というメキシコ料理のチェーン店になっちゃった。
かつて「Selmer's」はココにあった。

11_ch「Selmer(セルマー)」といえば、サキソフォン。
1885年にフランスのアンリ・セルマーがクラリネットのリードとマウスピースを作り始めたのが事の起こり。
その後、クラリネット本体の製造を始め、弟のアレクサンドラが兄が作った楽器をアメリカで紹介すると大当たり。
その後サキソフォンの製造に乗り出し大成功を収めた。
サックスのギブソンかフェンダーだわね。
ギター・アンプで言えばMarshallだ。
「60年代のアメリカン・セルマー」が59年のレスポールみたいなモノらしい。
木で出来ているギターと異なり、サキソフォンは金属でできいるのでいくらでもその時代と同等の楽器が作れそうなモノだけど、現在のいかなるテクノロジーをもってしても再現は不可能なのだそうだ。
サキソフォンはご存知の通り真鍮で出来ているんだけど、今と昔とでは、その原材料となる銅とか亜鉛のクォリティ自体が違うんだろうね。
それと、その時代にあった空気かな?
音楽と同じよ。
昔のロックがカッコいいのは、ロックがカッコよかった時代の空気が閉じ込められているからなんだよ。

Ss 

セルマー社はサキソフォンやクラリネットだけでなく、マリオ・マキャフェリがデザインしたギターをジャンゴ・ラインハルトが使用したことにより、その方面でも大きな名声を得た。

11_mcf1928年、上のジムのところに出て来たベン・デイヴィスがアンリ・セルマーに商談を持ちかけ、イギリスで「Selmer Company」を設立した。
それが「Selmer's」。
1928年と言えば昭和3年だからね、古い話ヨ。
Selmer'sはアメリカからアンプを輸入し、イギリスで初めてアンプの類の商品を販売する会社となったが、1935年になると「Selmer」のブランドを冠して自分でアンプを製造し始めた。
そして、Selmer'sは第二次世界大戦の頃にはイギリスで最も大きな楽器商となった。
だからジムがベンと商売をしていた1960年代の初頭、まだSelmer'sは相当力を持っていたんだろうね。
下はSelmer'sの2代目店。
さっきのメキシコ料理店にも残っているように、入り口の2本の柱が目印だった。
Slココはスゴイよ。
ビートルズ、シャドウズ、The Who、The Tremeloes、ボブ・ディラン&The Band、グラハム・ボンド、Procol Harum、Pink FloydにThe Kinks…他に当時活躍していたミュージシャンがワンサカこの店に通っていた。
そりゃそうだ、他にはほとんど店がなかったんだもん。
Pink Floydなんかココへ寄って買い物をしてからチョット先のトッテナム・コート・ロードの「UFO Club」に出ていた…なんてことを想像すると楽しい。
下は、その「UFO Club(ユーフォ―・クラブ)」があったところ。
この辺りは「Fitzrovia(フィッツロヴィア)」という行政区になる。
ココもすごくいいエリアだ。
「UFO Club」は、かつてはPink Floydのホームで、彼らがビッグになってココを卒業して、後を引き継いだのがSoft Machineだった。
東京でいうと吉祥寺のシルバー・エレファントみたいな感じか。11_img_9555ジミー・ペイジとアルバート・リーってのは仲良しだったんだってね。
しょっちゅう2人でチャリング・クロスの楽器屋回りをしていたらしい。
ペイジはSelmer'sで初めてのレスポールとダンエレクトロを買ったんだって。
そして、レスポールとSuproの組み合わせはアルバート・リーのマネッコだったとか。
この2人、時期は違えどNeil Christian&The Crusadersというバンドにいたそうで…どんなもんかと思って聴いてみたら、アータ、The Kinksの「Dedicated Follower of Fashion」を取り上げているじゃないの!
かなり驚いたワイ。
レスポール・カスタムにSelmerアンプとジミー・ペイジ。
コレお店で撮影したのかしらん?
「買っちゃいました~!」みたいな。

11_js エリック・クラプトンはアクスブリッジのジムの店によく来ていたことが知られているけど、もちろん、チャリング・クロスのチェックも怠らなかった。
特にSelmer'sには頻繁に訪れていたらしい。
1965年、『Beano』アルバムで使ったレスポールはSelmer'sで買ったそうです。
アンプはご存知の通りMarshall 1962。
ローズ・モーリスがつけた「1962」というモデルナンバーに「Bluesbreaker」というアダ名がつけられたのはココから。
クラプトンは当時Selmer'sの店員だったジェリー・ドナヒューからES-335も買っているそうだ。
その時から1~2週間後にCreamのさよならコンサートを観にロイヤル・アルバート・ホールに行ったジェリーは、自分が売ったギターがそこで使われているのを目撃した。
うれしかっただろうな。
Benoちなみにジェリー・ドナヒューはスゴイよ。
私はカントリーがニガテで、Fairport ConventionとかPentangleとかのようなブリティッシュ・トラッド・フォークもどうしても受け付けることができない。
でも、教則ビデオの仕事をしていたのでジェリーのことは知っていた。
こういうヤツね。
なつかしいな、ロジャー・ハッチンソン。11_jd それで、2004年にウェンブリーで『London Guitar Show』が開催された時のこと。
名前は出さないけど、なかなかに貧相なブースでカントリー系のものスゴいギターを弾いている人がいた。
2弦をウネウネとベンドしまくって、もうナニをやっているのかサッパリわからなかった。
ところが、その人が誰だかわからなくて、「ただ今デモ中」の看板を見てビックリ。
ジェリー・ドナヒューだった。
まぁ、このベンド・テクニック…正真正銘の「超絶」。
楽器というモノはナニも速弾きだけが「超絶技巧」ではない。
この人、イギリス人かと思っていたらニューヨークの生まれなんだってね~。
しかも、ジェリー・マッギーにギターを教わっていたことがあるとか…。
カントリー・ギターのテクニックを引っ提げて、ニューヨークからロンドンに渡って来てSelmer'sでアルバイトしていたんだネェ。
それで、クラプトンにギターを売って…。
一時、身体がかなりヤバイと報じられていたけど、最近は大丈夫なのかしらん?

11_0r4a0020_2 ジェフ・ベックも1966年に最初のレスポールをSelmer'sで買った。
クラプトンの『Beano』アルバムの影響とか…。
また、ジミー・ペイジのカスタムの音を聴いて、自分のバンドにも分厚いギターの音を持ち込みたいと思ったんだって。
ジェフの記憶によれば'59年製で175ポンドだったそうだ。
1959年製のレスポールが175ポンド?…いくらよ。
また例の為替の固定相場を適用すると、当時の値段で176,400円。
今と変わらないじゃん!
消費者物価が5倍になっているとすれば、今買えば882,000円。
高いな。
イヤ、この値段ならどんなムリをしてでも買うか?
だって'59年製のレスポール・スタンダードの相場って今いくらよ?
この辺りはヘタなことを書くとマニアの皆さんから怒られそうなので、インターネットに実際に出ていた値段だけで言えば…2,000万円台。
ジェフはこのSelmer'sで買ったレスポールで『Truth』を録音したのかな?
あ、コレもアンプはMarshallだわ。
悪いね、Seilmerアンプさん。
音楽のトレンドが変わるタイミングだったのよ。
コレをもってしてもギターの音はアンプが作っていることが窺われる。

11_tt 次、スティーヴ・ハウいってみよう!
あのトレードマークのES-175Dも1964年にSelmer'sが販売した。
スティーヴによれば、Selmer'sはギブソンの在庫が豊富で、何でも気軽に弾かせてくれたそうだ。
やっぱりよくアルバート・リーが来ていて、スティーヴのことを「Face」って呼んだらしい。
ナンで、「顔」?
私はロンドンの野外フェスの楽屋で一度だけスティーヴ・ハウに会ったことがあるんだけど、「一体どこの痩せたおジイさんだろう?」という感じだった。
確かにいつも写真で見ている通り、お顔のインパクトはなかなかのモノだった。
175はこういうヤツね。
私も持っているけど、ギブソンのフルアコ・ラインの廉価版。175ミック・テイラー、ピーター・グリーンもSelmer'sでレスポールを買っている。
 
従業員もスゴかった。
ポール・コゾフ、ジョン・マクラフリン、ジェリー・ドナヒュー等々。
楽器屋の店員がジョン・マクラフリンってスゴすぎない?
「ナニかお探しですか?」と訊かれたら思わず「ひ、ひ、ひ、『火の鳥』一羽ください」とか言っちゃうそうだ。
ちなみにジム・マーシャルはギターやアンプの他にPremierのドラムスを大量にSelmer'sから仕入れていた。
ジムはPremierドラムスの第1号エンドーサーで、ドラム教室の生徒さんにガンガンPremierドラムスを販売しちゃったんだね。

11_jim さて、イギリスのギター・アンプ・マーケットは、1960年代に入るまで、すなわち1962年にMarshallが出現するまでほぼSelmerとVOXの寡占状態だった。
もちろんみんなFenderが欲しかったんだけど、舶来品で高くて買えなかった。
他の記事にも書いたけど、イギリスは戦勝国でありながら、終戦から9年も経った1954年まで配給制度が続いた国だからね。
庶民の暮らしはかなりつつましかった。
最近知ったんだけど、「イギリスの食事がズイマ」というのは、産業革命のせいだけでなく、ドイツ軍のカール・デーニッツのせいもあったらしい。
この話はまた別の機会に…。
 
もう1軒、チャリング・クロスで寄り道ね。
Selmer'sのあった場所から少し通りを下った「100 Charing Cross Road」という住所にかつて「Jennings(ジェニングス)」という楽器屋があった。
その向かいにあるのが元Marqueeの第3号店だった「The Montagu Pyke」。
11_0r4a0177第二次世界大戦の後、トマス・ウォルター・ジェニングスがケントのダートフォードにオルガンを製造する会社を設立した。
ダートフォードはミックジャガーとキースリチャーズが出会い、The Rolling Stones発祥の地とされているところね。
UNIVOXはジェニングスのブランド。
そして、1956年にディック・デニーというエンジニアがギター・アンプのプロトタイプをジェニングスに見せた。
それから2年後にそのプロトタイプを商品化したのがVOXのAC15だ。
そのジェニングスのロンドンの楽器店が下の写真のお店。
つまりVOXのロンドンの本拠地だね。
Jn下はSelmer'sの数軒先の「Macari's(マカーリズ)」。
「VOX Main Dealers」なんて金看板を掲げている。
創設者のラリー・マカーリはかつてJenningsのお店に勤めていて、多分一種の「のれん分け」みたいな恰好だったんでしょうね。
「Macari's」をそのままVOXのショウルーム的店舗にした。
この時代、デンマーク・ストリートには例の音楽出版社とリハーサルスタジオがあるだけで、まだ楽器店はチャリング・クロス・ロードに集中していた。
 
こうしてみると、ナゼMarshallがローズ・モーリスと契約を交わして、販売の全権を渡したのかがわかるような気がするな。
Selmer、VOXより後発のMarshallは、ギター・アンプのマーケットに食い込むために、ロンドンで幅を利かせている販売会社と組む必要があったに違いない。
Mcナンダカンダで何回もMarshall Blogに登場しているMacari'sはTone Benderを開発したSola Soundという会社の兄弟会社。
だから店内には「Colorsound」のペダルがゾロリと並んでいた。

11_img_0344何度も使っているこの写真、チャリング・クロスの94番地にあった頃のようす。

11_img_0345_2このMacari'sがいつの頃からか、デンマーク・ストリートの真ん中あたりに引っ越していた。11_img_0232最近知ってチョットしたショックを受けたんだけど、この1958年からここウエストエンド地区で営業して来た老舗が最近店をたたんだというのだ。
正確に言うと、ロンドンの中心地から撤退してエセックス(ロンドンの北東)に移ったっていうんだよね。
何度も書くけど、Macari'sはかつてMarshallに勤めていた親友が若い頃にアルバイトをしていたということもあって、勝手に身近に感じていた。
そんなお店だけに、この話を聞いた時はナントも複雑な気分になってしまった。
変わりゆくな~…しかも、寂しい方に。
96fvナンカも~、順番がバラバラでスミマセン。
またデンマーク・ストリートの入り口に戻ってもらいます。
下は去年の光景。
11_0r4a0184コレは10年近く前かな?
何かパット見ても昔の方が賑やかな感じがするでしょ?
ナニ?大して変わらない?
じゃ、ズットさびれてるということか。
104また去年の様子に戻って…。
通りの入り口のこの角ッコのお店。
1980年代、ココには「Job Centre」と呼ばれる公共の職業安定所があった。
ココに勤めていた男がスコットランド出身のデニス・ニルセン。
愛称は「Des」。
「デニス・ニルセン」…この名前に聞き覚えがありますか?
普通はないよね。
同じことをイギリスのMarshall Recordsの若い2人に尋ねてみた。
2人とも「デニス…?」、「ニルセン…?」と全くピンと来ていなかったので、こう問い直してみた。
「じゃ『Muswell Hill Murderer』は知ってる?」
2人とも「ああ~、知ってる~!」
若いシャーロットは「知ってるも何も、事件が起こったのはウチのすぐ近くだったのよ!」なんて言っていた。
通称「Muswell Hill Murderer(マズウェルヒルの殺人鬼)」、それが「デニス・ニルセン」。

11_0r4a0189アリス・クーパーに「I Love the Dead」って曲があるでしょ?
「♪冷たくなる前の死体が大好きなのさ  青ざめていく肌にそそられる」ってヤツ。
デニス・ニルセンがコレだった。
いわゆる「ネクロフィリア(necrophilia)=死体愛好」。
あるいは精神医学的に言うと「死姦症」というらしい。Bdbニルセンは同性愛者で、盛り場で知り合った若い男性を家に連れ込んでは首を絞めて殺し、死体と一緒にテレビを見たり、添い寝をしてハッピーな時間を過ごした。
被害者の数は5年の間に15、16人にのぼったとされているが、今もって正確な数はわかっていないらしい。
5年もの間よく捕まらなかったと不思議に思ってしまうが、ホームレスに近いような連中や明日の行方も知れないバンクパッカーなどを狙ったため、捜索願いが出されず足がつきにくかった。
中には標的となった日本人もいたが、犠牲には至らなかったという。
昔、死体を硫酸で溶かして下水に流しちゃう…なんて実際にあった犯罪を描いたロミー・シュナイダーの『地獄の貴婦人』というフランス映画があった。
ちなみにこの映画の音楽は皆さんお好きのエンニオ・モリコーネだよ。

11_jk_2 このニルセンのソレは『地獄の貴婦人』に勝るとも劣らない。
肉屋に勤めてあったこともあって、死体をさばくテクを身に付けていて、腐乱してどうにもならなくなった死体を粉々にして庭で焼いて処分した。
死体を処分できる庭があるから殺人を繰り返してしまう…ということで、庭のない家に引っ越した。
そもそも、この思考からしておかしい。
その引っ越した先がThe Kinksの地元、マズウェル・ヒル。
Marshall Blogでも特集した閑静な住宅街だ。
ニルセンはそこでもやはり同じことをしてしまう。
今度は死体を燃やすスペースがないので、どうしたかというと死体を切り刻み、鍋で煮て肉を柔らかくしてそぎ落とし、下水に流したっていうんだよ。
頭蓋骨を煮た鍋を上の勤め先に持って来たこともあったとか…。
私の英文の読み違いがなければ、その頭蓋骨はクリスマスのプレゼント用だったっていうんだけど、どうするつもりだったんだろう?
そんなことをしているもんだから、いい加減下水が詰まってしまい、悪臭もヒドかったため近所の人がガマンしきれず下水道の業者を呼んだ。
業者が下水の中を調査したところ、あまりの悪臭に気を失いそうになってしまったという。
その原因を調べたらアータ、人肉が下水道の中にベッタリくっついていたそうな。
小さな骨も転がっていたらしい。
「な~んだ、人肉のせいで流れが悪かったのか~。こりゃクサイわけだわ」と、収まるワケはなく、ニルセンはコレで御用。
そして、マズウェル・ヒルで捕まったので、通称が「マズウェルヒルの殺人鬼」となった。
 
私はそうしたグロ系の趣味を持ち合わせていないので、ココにはこれ以上書かないが、ニルセンが何をしたのかをもっと詳しく記したサイトがいくらでもあるので、変わった趣味をお持ちの方は調べてみるといい。
この記事を書くために一応私もいくつか目を通したが、気分が悪くなったワイ。
特に死体を愛でるシーンね。
…という英国史上最悪の連続殺人事件が「マズウェルヒルの殺人鬼(Muswell Hill Murderer)」。
 
私もこんな事件は以前から知っていたワケではなくて、今回デンマーク・ストリートのことを調べていて初めて知った。
そもそも知っていたら去年マズウェルヒルに行った時、この事件現場を見にいってるわ。
 
そして、この話はココで終わるハズだったのよ。
ところが!
驚いたぜ~。
このデニス・ニルセンの事件がテレビ・ドラマ化されて、先月放映されたっていうんだよ~!
この記事を書き始めてからひと月近くかかっているからね。
タイトルはドンズバの『DES』。
制作はBBCと並んでドラマ作りに定評があるITV。

Des主演したのはシェイクスピア俳優のデヴィッド・テナントという人。
ニルセンと同じスコットランド出身…どころじゃない!
もうホンモノにソックリじゃん?
早速Marshallの仲良しにドラマを観たかどうか尋ねてみた。
そしたら答えは「Yes」。
重厚ですごくヨカッタって。
11_tennant私は日本のテレビドラマって、子供の頃から「絶対」と言ってもいいぐらい観ることはないんだけど、海外のは別。
イヤ、『池中玄太』の最初の頃と『ナースのお仕事』は観たか…。
海外のTVドラマといえば…例のThe Allman Brothers Bandの地元、アラバマはメイコンで起こった「タスキギー梅毒実験事件」を題材にした『Miss Ever's Boys』というのもなかなかヨカッタ。
Amazon Primeで観たんだけど、吹替え版なのが「タマに大キズ」だった。Meb それにしても観たいな~、『DES』。
YouTubeに予告編が上がっていたのでご参考に…。
コレを見たらよけいに作品を観たくなった。
やっぱりドラマは「ハンザワ」より「ハンザイ」だな。

しからば、本は?
ブライアン・マスターズという人が書いた『死体と暮らすひとりの部屋』というのがそれ。
ドラマの原作にもなっている。
またしてもどうしようもなくセンスのない邦題をつけるナァ…コレじゃ地方から東京に出て来て一人暮らしをする学生さんのための住まいのガイドブックみたいじゃないか。
原題は『Killing for Company: The Case of Dennis Nilsen』という。
Amazonで買って読もうかと思ったけど、高いし、400ページもあるのでヤメた。
とにかくテレビ・ドラマが観れるようになるのを待つことにする。
しかし、日本でもつい最近ドラマではない同じようなことがあったもんね。
座間で8人の若い女の子と1人の男性が殺された事件。
数日前から公判が始まったけど、犯人は反省の色がまったくなく、後悔していることといえば、自分のミスで足がついてしまったことだけ、だとか。
ヒデエ話しだよ。Photo チャリング・クロスから入ってチョット行った右側にある「music room」というお店。
コレは鍵盤とアクセサリーのお店。

110コレは通りの左側、デニスが勤めていた元職安の隣の隣にあるもうひとつの「music room」。
こっちは楽譜屋さん。
ナニかFrank Zappaのいい楽譜がないかと何回か入ったことがあるけど、買い物をしたことは残念ながら一度もない。
「music room」の下の赤い「ARGEN〇S」サインに注目。
〇の部分を埋めると「ARGENT'S」となる。
そう、この楽譜屋さん、Rod Argent(ロッド・アージェント)のお店なのだ。130ロッド・アージェントは「The Zombies」のオリジナル・メンバー。
「Time of the Season(ふたりのシーズン)」はおなじみでしょう。
他にサンタナで有名な「She's not There」もアージェントの作品。
カーナビーツの「♪好きさ、好きさ、オマエのすべ~て~」もThe Zombiesの曲。
1968年の『Odessey and Oracle』はロック史に残る名盤とされているけど、私はあんまりピンと来なかったナァ…という印象だった。
でも、聴き直してみると…いいね。
The Zombiesといえばコリン・ブランストーンなんかも有名だよね。
私は断然ロッド・アージェント。
ちなみにロッドはリック・ウェイクマンが抜けた後のYesに誘われたことがあったらしい。
歌もキーボードもうまいし、作曲能力に優れているからね…かどうかは知らない。
でも、The Zombies時代の「The Way I Feel Inside」なんて殺人的にいい曲だもんね~。
やっぱり「人の心を揺さぶるのはクロマチックである」という持論は間違いではないと思っている。
Or私はロッドがThe Zombiesの後に結成した、その名もズバリのArgentが好きなのね。
というか、高校生の時にRuss Ballardをよく聴いていたのだ。
2010年にArgentをロンドンで観る機会があってね、ラス・バラードがJMP期の1959を使っているのを目にしてうれしかった。
もちろんこの『All Together Now』収録の大ヒット曲「Hold Your Head Up」は大ウケだった。
Id_2Rainbowで知られる「Since You've Been Gone」も「I Surrender」もラス・バラードの作品だからね。
Three Dong Nightの「Liar」もラスの作曲でArgentでも演ってる。
で、その2010年のロンドンのライブの時、ある曲で会場にいたオジサン&オバサンがひとり残らず大合唱したのには驚いた。
それは下のArgentの『In Deep』に入っている「God Gave Rock'n'Roll to You」。
KISSがカバーして有名になったらしいんだけど、コレもラスの作曲だ。
この『In Deep』、ジャケットのデザインはヒプノシス。

Id_1ヒプノシスが出たところで…。
 
コレは去年の6月のようす。
通りの中間部あたりの右側で盛んに外装の工事をしていた。
なんか、デンマーク・ストリートがどういう所であるかを無視しているかのような遠慮のない養生シートの巨大な壁よ。

145その下で懸命に営業してるのよ、楽器屋さんたちが!

170コレは法律で定められているんだろうか?
現場の作業員さんたちはひとり残らず黄色い上着を着ている。
いや、考えてみると、お巡りさんもこういうのを着ているな。
調べてみると、コレは「Safty Waistcoat」というモノらしい。
いいね、「waistcoat」なんざ…イギリス英語ですな。
アメリカ英語でいうところの「vest」。
「waistcoat」の方が風情があって断然理知的に聞こえる。
ま、私もたぶんイザとなると「vest」って言っちゃうだろうけど。

180その工事現場の向かい。190壁に付いているプラークは「Augustus Siebe(オーギュスタス・シーべ)」という19世紀に潜水の機材の開発をした人。

200このヘルメットをかぶるタイプの潜水服はシーべが開発した。
下は10ccの『Deceptive Bends』。
このタイトルの解説はいつかどこかでしたことがある。
ジャケットのデザインは「Hipgnosis(ヒプノシス)」。
この「名所めぐり」をやっていて、「そういえばヒプノシスってロンドンのどこにあったんだろう?」と思うことが過去に何度かあった。

Dbそのヒプノシスの事務所が入っていたのがそのビルなのだ!
言い換えると、このビルにかつてヒプノシスの事務所があったのだ!

210今は誰でも「ヒプノシス」の名前を口にするけど、昔はシッカリと自力でロックを探求している人以外にはなじみのない名前だった。
1978年、高校1年年の時にナニかで下の本が上梓されたことを知って、ワザワザ取り扱っている青山の輸入書籍店まで買いに出かけた。
ウドー音楽事務所さんの昔の事務所ののチョット先だったような気がする。
 
ストーム・ソーガソンやオウブリー・パウエルのことを知っているというMarshall Recordsのヘッドにヒプノシスの事務所のことを訊いてみても「何か所かあったハズだ」ぐらいの返事で確固たる情報がなかった。
そして昨年、渡英する前にダメ元でこの本を開いてみたところ…「6 Denmark Street」という住所の表記を発見したのだ。

11_hp私がビルの写真を撮っていると、Safty Waistcoatを身にまとった工事の人たちが何人か寄って来た。
「おおい、一体ナニを撮ってるんだい」
「この向かいのビルだよ」
「なんだってこんなビルを撮っているんだい?」
「かつてヒプノシスの事務所がココにあったんだ」
「ヒプノシス~?」
「そう。ロックのレコードのジャケットのデザイナーだよ。ピンク・フロイドのプリズムのヤツとか知らない?『The Dark Side of the Moon』…」
「おおおおお!もちろん知ってるさ!へ~、ココにね~」
ってな会話をするとサッサと持ち場に帰って行った。
知ってはいるけど、興味なし…ってとこか?
でも、日本の工事現場よりは間違いなく「知っている人率」は高いだろう。2201992年には最後の大手の音楽出版社「Peer Music」がデンマーク・ストリートを離れ、この通りは完全に楽器屋街となった。
11_img_0339それではデンマーク・ストリートに最初に開いた楽器店はどこか?
調べてみると諸説あるようだが、「Musical Exchange」というギター・ショップが最初らしい。
場所は上に出て来た工事中のところ。144オープンは1965年の初頭。
チャリング・クロスにあった楽器店の開店は古いけど、デンマーク・ストリートのお店は、実はそうでもないのだ。
例のラリーとジョーのマカーリ兄弟が開いた。
この店の裏でセッセと「Tone Bender」を作っていたそうだ。
アクスブリッジのジムのお店と同じ。
みんな同じことをしていたんだね。11_0r4a0210そして、2番目に古い店はどこかいな?
 
それは1969年オープンの「Top Gear」という店らしい。
こっちを「デンマーク・ストリート初の楽器店」としている記述も見かけたが、マァどっちでもいいわ。
このTop Gearは中古品を扱っていた。
当時はビンテージ・ギターのコレクターなんて存在しておらず、買い取ったギターを右から左へと売りさばいて、かなり分のいい商売を展開していた。
そうだよね、多分、「ビンテージ、ビンテージ」と騒ぐようになったのは1970年代の中頃ぐらいからじゃないかしら?
当時は「オールド」という呼び名で、中学生だった私は「なんでそんな古くて汚いギターがもてはやされるんだろう?」と不思議に思ったモノである。
 
下がTop Gearがあった場所の現在のようす。
入り口のところにある「WUNJO」がココにもある。
私が最初にココに来た時には、この楽器屋はなかった。
多分、違う名前で営業していたのであろう。
というのは、ココでの商売にはチョットしたカラクリがあるようでね。
それはもうチョット後でお話しします。
 
で、Top Gearも当時の他の楽器店同様、当時のギタリストたちのたまり場になっていたようで、常連さんの名前を見てみると、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼンド、バーニー・マースデン、ミック・ラルフス、The Spooky Toothのルーサー・グロヴナー等々…しょっちゅう来ていたらしい。
ハンク・マーヴィンも常連のひとりだったが、ナニひとつ買い物をしたことがなかったそうだ。
 
ジミー・ペイジとクリス・スぺディングはレスポール・カスタム、Procol Harumの『Grand Hotel』の頃のギターのミック・グラハムは'59年のレスポ―ル・スタンダードを、マーク・ボランはレスポール・カスタム、フライングV、白のストラトを、キース・リチャーズはレゾネイターやリッケンバッカーやレスポール・カスタムをTop Gearで手に入れた。
225下のライブ盤のジャケットに写っているボブ・マーリーのレスポール・スペシャルもTop Gearが販売したそうだよ。
私はレゲエってカラっきしダメなんだけど、ロンドンを歩いているとボブ・マーリーの影響力が当時いかに凄まじかったかを感じるんだよね。
間違いなくひとつの音楽文化を確立させたワケでしょ?

Bmレゲエを全く聴かない私でもさすがにこのライブ盤は聴いてるのよ。
コレってウォータールー・ブリッジのこっちにある「Leyceum Theatre(レイセウム劇場)」で録音してるんだよね。
Led Zeppelin、Queen、Pink Floyd、The Who、ELP…み~んなココで演奏している。
Geneisは『Duke』の時にココでビデオを撮っていて、今はYouTubeで観ることができる。
 
そんなTop Gearだったが、1978年に廃業してしまった。

11_img_0476そろそろデンマーク・ストリートも終点に近くなって来た!
皆さん、もうチョットの辛抱ですよ!
 
チャリング・クロスの方から入ってズット行った左側に「Hank's」という店がある。
この「Hank」はハンク・ウィリアムスだろうね。
アコギの店だから。11_0r4a0660 風情があっていかにも昔からある感じでしょう?
エアコンがなくてね、夏になると汗ダクになってお客さんがギターを試している。
下はHank'sで掘り出し物を探すD_Driveの3人。

11_0r4a0654 私が初めて来た時には違う場所にあった。
ね、同じ「Hank's」でも全然違うでしょ?
コレ、おかしいと思わない?
同じ店が何軒もアッチへ行ったりコッチへ来たり…その理由は後でわかる。

96c 写真の左側、看板の「27」の下。
空き段ボールが置いてあって、お店の通用口みたいだけど、裏道に抜けられるようになっている。
以前は通り抜けができたんよ。
通り抜けると貸しリハーサル・スタジオがあった。
一度、開けっぱなしになっていたことがあって、中を覗いてみたら日本のスタジオと違って薄暗くて、マァお世辞にもキレイとは言えない代物だった。
今はもうなくなってる。260裏道はこんな感じだった。
ココは「デンマーク・プレイス」といって、昔はミュージシャン用の安ホテルが並んでいたが、1980年代には闇営業のナイトクラブがウジャウジャしていたらしい。
いかにもでしょ?
そのナイトクラブの中に1階が「Rodo's」という南米からの移民が集まるサルサ・クラブ、その2階にアイリッシュとジャマイカンがやって来る「The Spanish Rooms」というクラブが入っている建物があった。
1980年の8月16日のこと、ジョン・トンプソンという男がその2階のバーで勘定のことでイサコザを起こして店を追い出されてしまった。
ほどなくしてトンプソンは店に戻って来た。
そして手にしていたガソリンを1階にブチ撒け火を放った。
写真の通り、クラブは奥まったロケーションだったため、消防車が近づくことができず、速やかに鎮火することができなかった。
その結果、ナント、37人もの人が亡くなったそうだ。
中にいる女性を助けようと炎の中に飛び込み亡くなった勇敢な男性もいたとか。
コレは第二次世界大戦後にイギリスで起こった最悪の放火殺人事件となった。
殺人の廉で投獄されたトンプソンは2008年に獄中死したそうだ。
コレも似たような事件が京都であったもんね~。
Desの件といい、海の向こうの出来事を「コワい」なんて言っていられない。
日本も本当に物騒になったもんだよ。

11_2dplHamk'sの隣りはかつて「Jubilee Hair」という美容室だった。

280現在は「Sixty Sixty Sounds」という楽器屋になっている。
ココまでがデンマーク・ストリート。
短い通りだけど記事は長かったね。

270そろそろ締めくくりに取り掛かりたいんだけど、最後にクリフ・クーパーという人に登場して頂く。
クーパーは元々ソーホーで楽器店をやっていたが、その店を1978年に閉めると、今度は「22」というから…かつて「Music Exchane」があった所に新たに「Rhodes Music」という楽器店を開く。
その頃、まだこの周辺はほとんどすべてが音楽出版社だった。
それからクーパーは1989年にその隣に「Sutekina Shop」という店を開く。
店名は日本語の「素敵な」よ。
90年代に入るとクーパーはあたりの店を手当たり次第に手中に収めてしまう。
何でも、クーパーはデンマーク・ストリート全体を買い上げて「水平の楽器のデパート」を作ろうとしていたんだそうです。
11_0r4a0210デンマーク・ストリートに行ったことがある人ならわかると思うんだけど、ココってMarshallの展示が極端に少ないと思わない?
こんなに楽器屋が集中しているのにMarshallっぽい雰囲気が一切ない。
私は最初に来た時、すぐにコレに気がついた。
やや潤沢にMarshallを展示しているのはローズ・モーリスぐらい?
20年ぐらい前にはオックスフォード・ストリートのVirgin Mega Storeの地下に「Sound Control」という大きな楽器屋があって、そこはもうMarshallが壁になっていた。
でも、デンマーク・ストリートのお店は寂しい限り。
え?
Marshallの人気がないからだって?
トンデモナイよ!
Marshallのコピーが飛び交っているのは日本ぐらいなもんよ。
海外の人はみんなホンモノを好むからね。
じゃ、ナゼか?
営業力がないから?
イヤイヤ、確かにデンマーク・ストリートでの営業仕事は大変だ…と聞いたことがある。
でも違う。

11_img_1128 答えは下の写真にある。
このシリーズの一番最初に掲載した写真…もはや懐かしいね。
左下に描かれているギター・アンプのイラストね。
Orangeさんなの。

11_img_0242イギリスの楽器業界に詳しい人はコレでピンと来たと思うんだけど、さっき書いたデンマーク・ストリート中の楽器店を買い漁ったクリフ・クーパーという人はOrangeアンプの「Orange Music Electronic Company」 の創設者なの。
そうとなりゃ、自分の息のかかった店にMarshallなんか置きたくないわナァ。
コレがわかるとやたらとオレンジ色の四角い箱が目に付くんだわ~。
何しろ、下の写真の右側の楽器店…11_img_1421 下では左。
チャリング・クロスから見て左側ね。
こっちサイドにある店はほとんどクーパー傘下だったらしい。
そりゃデンマーク・ストリート全部を買っちゃおうとしていたんだから、それも不思議ではない。
左側のお店の売上げ金は毎日すべて入り口近くにあるさっきのArgentの「music room」に集める。
3つのバッグを用意しておいて、その中のひとつに売上金を入れる。
他の2つのバッグはダミーね。
その3つのバッグを持って近くの銀行に入金しに行くシステムだったのだそうだ。
当時はロックが盛んだったし、現金商売が当たり前だったので毎日モノスゴイ売上金だったらしい。
 
思い出して見ると、<中編>に出て来たロンが2003年か2004年にフランクフルトで一緒に食事をしていた時、「シゲ、デンマーク・ストリートの楽器屋はね、ほとんど1人の人が経営しているんだよ」と教えてくれたことがあった。
「ナニ言ってんだ?」とその時は思ったけど、こういうことだったのだ。
クーパーは2006年に持っていた店舗をすべて売りに出してしまった。
全部ではないが、ほとんどの物件を引き継いだ人がいて、現在に至っている。
だから、店の引っ越しも「部屋の模様替え」ぐらいに過ぎないワケよ。
同じ人がやってるんだから。
11_img_2825このデンマーク・ストリート、これからどうなっていくんだろう?…と思っていたら興味深いモノを見つけた。
2014年の12月、ピート・タウンゼンドが当時ロンドン市長だったボリス・ジョンソンに新聞紙上で送った公開書簡だ。
こんな内容。

「私は発展と変化の必要性について理解を示します。'Crossrail(デンマーク・ストリートのの近くを通ることになる鉄道路線)'がロンドンの繁栄にとても重要で、その工事がロンドン、特にソーホー地区にもたらす混乱も仕方がないと思っています。
ゆくゆくは人々がその鉄道を利用することにより、車の渋滞が減ることにもなるでしょう。
しかし、鉄道の敷設はソーホー地区の風情や魅力を悪い方向に変えてしまうのを隠すための口実にすぎないのではないでしょうか?
開発者はこう言います…デンマーク・ストリートを壊すのではなく、再開発するのだ…と。
しかし、店舗面積は極端に小さくなる半面、賃貸料は値上がりする。
再開発のために『ロンドンのティン・パン・アレイ』であるデンマーク・ストリートが無くなってしまうなんて考えただけで胸クソが悪くなります。
他に類を見ないこの『音楽の路』を高く評価し、その存在をCrossrailの目覚めから除外できればいいのに…。
60年代、私はデンマーク・ストリートのMacari'sでファズボックスや弦を買ったものです。1964年にはRegent Sound Studioでシェル・タルミーと一緒にバッキング・コーラスの録音をしたこともありました。
ソーホーのウォード―・ストリート(The Whoがレギュラー出演していたMarqueeの第2号店があった通り)の近くに住んでいた時には『Drum Shop』でよく買い物をしました。
ボリス・ジョンソン、そしてカムデン評議会(デンマーク・ストリートのエリアが属する地方自治体)の皆さん、どうかデンマーク・ストリートを保存地区に指定してください。
そうでもしないことには、膨大なロックの歴史を永遠に失いことになってしまうでしょう。
進化は大切です…しかし、我々の偉大な街に根差すそうしたランドマークも同様に大切なのです。
 
ピート・タウンゼンド」
 
みんなロンドンが大好きなんだよ。 
ボリスはこの手紙を読んでどう思っただろうか?
ボリスがロンドン市長だった時代とはいえ、2年後のBREXITでロックどころではなかったであろう。
返事が来ていなければ、ピートは「チッ、あの蜘蛛野郎!」と思ったに違いない。
アレはジョン・エントウィッスルの曲…ジミ・ヘンドリックスのお気に入りだったんだってね。
お、そういえば<中編>で出て来たようにこの「Boris the Spider」は入っている『A Quick One』はRegent Sound Studioで録音しているんだっけ!

Qo 私はどう思っているかって?
様々な保存運動をしているようだけど、この通りは近い将来、今の「楽器屋街」の風情がきれいサッパリなくなってしまうと私は見ている。
短い間とはいえ、20年の間定点観測をして来てヤッパリこの斜陽具合を痛烈に感じないワケにはいかないし、何よりも「音楽」そのものに力がなくなってしまったもん。
だから、この類まれなる「音楽の路」を見ておくなら今のウチだと思う。
ヤッパリ『『Shigeさんとめぐるロンドン・ロック名所ツアー』やるか?

11_0r4a0185 しかし、長くなっちゃったな~。
デンマーク・ストリートの探訪はいかがでしたでしょう?
このシリーズ、本当は冒頭のThe Kinksの「Denmark Street」のところをやりたいがタメの企画だったのよ。
それがMarshallのモデルナンバーから、他社の歴史から、変態から放火犯まで範囲が広がっちゃって!
どれだけ英文の資料に目を通したことか…。
エラい苦労したわ~。
でも、いつも通り書いていてとても楽しかった。
 
この『変わりゆくロンドン』のシリーズも次で最終回。
その後は、満を持して『ロンドンのジミ・ヘンドリックス』特集をやろうかと思っています。
その次はまた『キンクスのロンドン』特集。
好きな人だけ読んで頂ければうれしいです。
好きは人は乞うご期待!
 

200_2 
(Kさん、ポール・コゾフの情報をありがとうございました。そして、いつもMarshallをご愛用賜り御礼申し上げます)