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2020年7月 7日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 46 ~ ブレッチリー・パーク <その2>

 

「The Mansion(ザ・マンション)」と呼ばれるブレッチリ―・パークのシンボル。
1870年代の建物で、サー・ハーバート・レオンというとても裕福な株式仲買人の持ち物だった。
ルックスは大分異なるが、映画『イミテーション・ゲーム』の中にもジャンジャン登場していた。

420_2ココはMarshallのClass5の「Pin-Up」というシリーズの宣伝写真のロケ地。
かなりの曇天で、コレを撮ったマットもこれだけ色を出すのは大変だったろうナァ。

430私はこの撮影の時にちょうどMarshallに行っていて、撮影に誘われた。
一緒に行きたかったんだけど、他の用事があって泣く泣くお断りした。

440vこのモデルに興味のある人はコチラをどうぞ。
フレットクロスに描かれている女優さんについてチョコっと書いておいた。

450戦時中は後で紹介する「HUT」と呼ばれる設備が出来るまでの間、1階部分を暗号解読舞台の本部やレクリエーション施設として使用した。

460しかし、コレって建て増しを繰り返したのかナァ?

11_0r4a0984棟続きなんだけど色んなデザインが混ざっちゃてるんだよね。

11_0r4a0986早速中に入ってみる。

11_0r4a0987入り口に付いていた「Institute of Electrical Electrics Engineers(略称:IEEE)」から寄贈されたプラーク。
IEEEはアメリカに本拠地を置く世界最大の電気・情報分野の学術研究団体であり、技術標準化機関。
メッチャ権威が高い。
それが言うには…
「1939~1945年の世界大戦中、ココで12,000名の男女がドイツのロレンツやエニグマ、日本やイタリアの暗号解読に従事した。
彼らは革新的な数学的分析を用い、ココでアラン・チューリングがゴードン・ウェルチマンと主に開発した電気機械ボンベやトミー・フラワーズが設計したコロッサスの助けを得て解読に成功した。
この偉業は終戦を早め、多くの命を救った」
そういうこと…なんだけど、従業員の数が12,000人に増えてる。
オモシロいのは、ココに集められたスタッフの顔ぶれで、暗号の専門家だけでなく、数学者(アラン・チューリングは数学者)からチェスに強いヤツ、クロスワード・パズルの達人…と、様々なキャリアを持った人たちだった。

11_0r4a0988 現在は1階部分のみ見学できるようになっている。

470vお偉いさんの事務所だった部屋。480天井が低いね。

490どこもやたらとゴージャスな作りになっている。

500天井もこの通り!

510西洋の建築物の格付けをするには天井を見るのが一番早い…持論です。

520ひと通りMansionを見学してまた庭に出ると、さっきのジャズに合わせて…

539子供たちが盛り上がっていた。

540所員のためのテニスコート。
みんなモノスゴク頭を使うもんだから、空き時間には積極的に身体を動かして気分転換を図った。

550マンションの斜め裏手にある「Stableyard(厩舎)」と呼ばれているエリア。
純正ガイドブックを読むと、この奥に「Apple and Pear Storeがあった」って書いてある。
「リンゴと梨の店」?
そんなバカな…確かにイギリス人は食餌として小さなリンゴ(マッキントッシュ?)を食べるけど、それを売る店だったのかかな?
調べてみると「Apple and pear」というコックニー・スラングを発見した。
コレは「stair」のシャレだって。
「stair」は「階段」だから、コレもおかしい。
絶対に何かの隠喩だと思い、すぐにMarshallの友達に尋ねてみた。
彼女はこの表現を知らず、親切にインターネットで調べてくれた。
結果、本当に「リンゴと梨を売る店」だそうです。
ヘンなの~!

560今は動いていない時計塔。
前回紹介した「Dispatch Rider」たちは、1日に3,000ものメッセージを携え、この門をくぐって静か~にブレッチリ―・パークに入って来た。
11_0r4a0024 アラン・チューリングやディリー・ノックスらの暗号解読スタッフは、1939年からこのコテージで作業をしていた。

570そして、ディリーはココで初めてエニグマ暗号を解読した。
11_0r4a0043ココでの解読作業が、後の「Double Cross」作戦で大いに活躍し、それがノルマンディ上陸作戦につながり、ヨーロッパ戦線の早期終結に結び付いた。
「Double Cross」作戦というのは、「Double Cross System」とも呼ばれる、ニセの情報を流して相手をダマす作戦。
ココでエニグマの解読に成功していたことはブレッチリ―・パーク内でも極秘にされていた。
それだけ秘密の保持に厳しかったので、時の首相サー・ウィンストン・チャーチルはブレッチリ―・パークの職員を「The geese that laid the golden eggs and never cackled(金の卵を産む決して泣かないガチョウたち)」と呼んだそう。
『イミテーション・ゲーム』にもチューリングが軍の上層部に直談判してチャーチルから研究予算を引き出すことに成功するシーンがあるが、実際にチャーチルは暗号解読の重要性をよく理解し、ブレッチリ―・パークの仕事にとても協力的だった。
11_0r4a0045Stableyardの近くのガレージに展示してある当時のMI6の社用車。
こうした車はブレッチリ―からほど近い、ニューポート・パグネルにある「ティックフォード(Tickford)」という有名な車体屋(Coachbuilder=コーチビルダー)に送られ、元の塗装を剥がし、戦時下特有のカムフラージュ塗装を施した。

580私、ニューポート・パグネルに家内と1泊したことがあるの。
ココはアストン・マーチンの本拠地なんだよね。
その加減でその車体屋があるのかも知れない…イヤイヤ、おおよそ自動車産業とは結び付かない静かな田舎町なのよ。
下がニューポート・パグネルのアストン・マーチンのショウルーム。11_img_0978 これらのパッカードには強力な通信装置が搭載されていて、イギリスとドイツの間で起こっていることが随時把握できるようになっていた。

590

610コレは救急車。
カッコいい。
なんか看護婦さんみたいなイメージだな。

600Norton社製のオートバイ。
1937~1945年の間、ノートン社はイギリス軍が使用するオートバイの1/4に当たる10万台を供給した。
その代表機種がこの『WD 16H』だった。

11_0r4a0034公園の奥を見終わって、中心部に戻ってきた。
「HUT3」…上で紹介したマンションが手狭になり、スタッフはこの「HUT」と呼ばれる建屋に作業の場を移した。
「hut」というのは「小屋」という意味ね。
「ピザハット」の「ハット」。

10_2HUTごとに役割が決まっていて、隣のHUT6で解いた暗号がこのHUT3に運ばれて来て、翻訳作業が行われた。

20vココで翻訳された文章は厳格に軍隊特有の文体に定型化され、あたかも実際のスパイが書いたかのように仕立て上げ、暗号の受取人は、それら情報がブレッチリ―・パークから発信されたものであることを全く知らなかった。
ところで、我々ってよく…
「それじゃ11時にお願いします」
「11時…わかりました23時ですね」
…ってやるでしょ?
向こうの人は「おお!ミリタリータイム!」とか言ってコレにビックリしちゃう。
じゃどう云うかと言うと、「11pm」って言う。
午前の11時なら「11am」って言う。
「日付vs.曜日」の感覚とかも我々とは違うんだよね。

30_2HUT6で解読した文章はいつも不完全で、時には全く意味を成さないモノもあったが、ごくまれに簡単に訳すことができる完璧な解読分も含まれていたそうだ。

40_2この奥がHUT11Aと11。

50_2「The Bombe」が展示してあることを知らせる看板。
要するにココの展示のハイライトですな。

60vやっぱり人気があって多くの人が出入りしていた。
私もコレを見に来た。70_2ココに展示されているモノといえば…
ハイ、またエニグマ暗号機。

80vコレはずいぶん程度がいいね。90_2目盛りが数字になっているローター。

100_2エニグマのローターはしまいには5枚使いにグレードアップした。

110_2アルファベットを根こそぎ入れ替えてしまうプラグボード。
3枚のローターに比べ、組み合わせが多岐にわたるこのプラグボードこそ暗号の生成を複雑にしているのだが、ただの文字を入れ替えているだけの構造なので頻度分析で比較的簡単に解読できてしまうのだそうだ。
やはりエニグマの主役はローターなのだ。

120_2見ての通り真空管。
この時代、真空管は電気機器の大スターだった。

125ドイツ軍のエニグマの初期設定のコードブック。
ローターの番号と向き、初めにセットするアルファベット、プラグボードで入れ替える2つのアルファベットのペアが日替わりでひと月分明記されている。

130_2そして、いよいよ登場したのがコレ。
エニグマ暗号を解き明かした機械、「The Bombe(ザ・ボンベ)」。
初めて聞いた時「変な名前だな~、'ボム'の間違いじゃないの?」と思ったのだが、「ボンベ」でいいの。
最初にエニグマ解読の風穴を開けたのはポーランドのマリアン・レイェフスキという人なんだけど、そのポーランドで使われていたマシンを「The Bomba」といった。
それに敬意を表して「Bombe」という名前を付けたらしい。
160_2コレ、『イミテーション・ゲーム』の中でも盛んに出て来るでしょう?
どういう仕組みになっているのか、いくらその手の本を読んでもピンと来なかったんだけど、3段になっているひとつひとつがローターに対応していて、とにかく電気信号を利用して総当たりでエニグマのローターの初期設定を突き止める…みたいな働きのハズ。
だから「グーグル翻訳」みたいにコレ自体が暗号を解いて、普通の文章に変換してくれるワケではなくて、ジーコ、ジーコと動かしてエニグマの初期設定を格段に突き止めやすくしてくれる。
初期設定さえわかれば、さっき書いた通りプラグボードは頻度分析で解析できるので、手元に同じエニグマ機がありさえすれば暗号が解読できる。
 
ところで、この機械、すごくキレイでしょ?
コレが活躍したのは80年も前のことなのよ。
そんな昔のモノがこんなにピッカピカなワケがない。
そう、残念ながらコレはレプリカなの。
この辺りの話は次回やります。

140_2こういうモノにはつきもののシミュレーションの展示。

170_2アラン・チューリングのスゴイところは、暗号を解いたことではなくて(実際にはレイェフスキがすでに解読していた)、機械が作った暗号を機械に解読させたということなんだって。
コレが今のコンピューターにつながっているんですよ。

180_2コレは映画の中にも出て来るけど、当時イギリスが困っていたのは、ドイツの潜水艦司令長官カール・デーニッツが考え出した作戦によって大西洋航路のアメリカからの物資の補給路を完全に断たれていたことだった。
大西洋をマス目に区切って場所を特定し、複数の潜水艦で寄ってたかって輸送船をイジめちゃう。
エニグマ暗号を解読していれば潜水艦の位置を突き止めることができるので、輸送船はそれを避けて航海することができた。
ところが、先回りばかりをしていると、イギリスがエニグマの解読に成功したことがバレてしまい、ドイツ軍が暗号の難度を上げてしまう恐れがあったので時々故意にヤラれてやったらしい。
映画ではスタッフの1人のお兄さんが輸送船に乗っていて見殺しにしなければならないシーンが出て来るが、実際にチャーチルはドイツ軍の空爆の確かな情報をつかんでいながら、どこかの街をワザと空襲させたことがあったらしい。
多分住民にも知らせなかったんだろうナァ。
だって住民の中にスパイがいたら一発だもん。

190_2誠に勝手ながら、ボンベのホンモノが展示してあるものとばっかり思っていたのでナンカ狐につままれた感じでHUT11から出て来た。

200_2HUTの他にも「BLOCK」と呼ばれているエリアがあるけど、展示物はほとんどなかった。

11_0r4a0110 「D」のオブジェ。
イギリスでは6月6日になると「D」を祝う。
この「D」は「D-Day」、すなわちノルマンディ上陸作戦が決行された日。
私、偶然にも2012年以降の6月6日は3回ほどにロンドンに滞在しているんだけど、向こうではそこら中でこの日を祝っちゃう。
今年もfacebookでガンガンやってた。
ドイツ占領下のフランス。
連合軍がカレーに上陸すると見せかけておいて、ノルマンディに上陸したといういわゆる「史上最大の作戦」…要するにダマし討ち。
さっきの「Double Cross」ですな。
この作戦を成功に導いたのがブレッチリ―・パークが発した情報だった。
だから、アラン・チューリングは戦争の終結を少なくとも2年早めたと言われているワケ。
そして、今度イギリスの最高額紙幣の£50札の顔になる。
11_0r4a0112日本は渋沢栄一か…。
城山三郎が書いた渋沢の伝記『雄気堂々』っての…上下巻読むのにエラく苦労したっけナァ。Ud ビデオを上映している部屋もあった。
第一次世界大戦で活躍した伝書バトのビデオがかかっていた。

230_2最後に…HUT8。11_0r4a0120後のアラン・チューリングのオフィス。

250_2ドイツ軍はその後、さらに複雑な暗号を作り出す「ロレンツ」という機械を開発したが、イギリス軍はチューリングの技術をもってしてそれも解読に成功している。

240_2他の記事にも書いたが、チューリングの偉業はもっと称えられてしかるべきなのに、関わっていた仕事が戦後も長い間極秘扱いになっていたり、チューリングが当時法律で禁じられていた同性愛者であったりしたことから歴史に埋もれてしまった。
チューリングは1954年、青酸カリを塗布したリンゴをカジって服毒自殺を遂げた。
アップル・コンピューターのひとかじりしたリンゴのロゴはチューリングのリンゴだ…という説がある。
できればそうであって欲しい。

260_2ミュージアム・ショップはこんな感じ。

270_2やっぱりD-Dayの本が盛んに飾ってあった。

280_2例によって、下の写真の真ん中のスーヴェニア・ガイドブックを買っておいた。

290_2コレはMarshallの本社のエントランス。

11_img_4521 ココにこんなモノが飾ってある。
ブレッチリ―・パークに寄付をしたので、一般に公開している間は自由に出入りが許されるという入場許可証。
でも入れるのはDr. Jim Marshall OBEだけね。
ジムは生前見に行ったのかな?Img_0714<つづく>
 
近々、CODEに関する新しいシリーズを始めますので乞うご期待!

12code25  

200

(2019年6月16日 イギリス バッキンガムシャー ブレッチリ―・パークにて撮影)