犬神サアカス團単独興行 犬神明生誕祭2022 <前編>~私の赤い猫
犬神サアカス團の『犬神明生誕祭2022』は2022年の最後に足を運んだライブだった。
いつも通りイタコの口寄せやブルガリアン・ポリフォニーが流れる中、ステージに上がった犬神サアカス團。
オープニングは「目障りな異分子」。
新生犬神サアカス團が最初にリリースした曲…久しぶりだな。
犬神凶子犬神明ONOCHINベースの犬神敦…アレ?ずいぶん小さくなっちゃったナ!
…と思ったら(本当は思っていませんよ~)、体調を崩してしまい、この日は安全を見て欠演することになった。
「どうもありがとう!こんばんは、犬神サアカス團です!
今日は3人で~す…なんですが、みんなも知ってる通り明兄さんの生誕祭です。
今日のために素晴らしいゲストが来てくれています。
では、早速お呼びします…ゲストの人~!」
「どうも、石橋凌です。
今日、誕生日を迎えまして…。
一生歌い続けます、『魂こがして』」
何だか知らんが、明兄さんがその場で1曲ノドを披露。
サワリをひとウネリするだけかと思ったらトンデモナイ。
真剣にワンコーラスを歌い切った!ひと通り歌い終わり正気に戻った明兄さん。
「今日みんな集まってくれてありがとうございま~す!
いくつになっても祝ってもらえるってうれしいしいもんですね。
今日は3人になっちゃったけど、オレは慣れない打ち込みでクリックを聴きながらガンバります。
チョットでも失敗したら毎回やり直しますんで…最後までよろしく!」「というワケで、今日は諸事情により1曲づつMCが入ります。
どうぞよろしくお願いします。
さぁ、今日のために久々の曲を演りたいと思います。
今日はいろんな電子音が聞こえるね~。
犬神サアカス團も進化してるよ。
今年28年目だし、来年になったらもっと色んなことがあるのかナァと思います」
28年目!? スゴイね!
20周年を祝ったのがつい先日のようではあるまいか?
その時の記事はコチラ。
↓ ↓ ↓
【Marshall Blog】祝20周年!犬神まつり千秋楽<後編>
「久しぶりの曲」というのは2016年のアルバム『黄金郷』から「パンデモニアム」。シャープなギター・リフに乗って凶子姉さんが「伏魔殿(パンデモニアム)」を歌い上げる緊張感あふれるナンバー。そのシャープなギター・リフを際立たせるこれまたシャープなドラミング。明兄さんのナイスなドラム・サウンドはNATALから。ONOCHINのギター・ソロも炸裂!ONOCHINはMarshall。
今日もJCM800 2203と1960Aのコンビネーションだ。「犬神サアカス團って結成当時は6人だったんですね。
そっから4人になって…ずっと4人だったんですけど、多分、同期を使ったというか、打ち込みでライブを演るのは今日が初めての経験です。
これは、緊張するね!
実はリハが事前に1回もできなかったのね。
なので、今日はブッツケ本番です。
明兄さんが1日で全曲打ち込んでくれて、それで今日ですから!
なんてスゴイんだろう!
明兄さんはホントにスゴイよ。
でも色々な『間』がやっぱりチョット違うんですよ」MCに続けて演奏したのは「赤猫」。2000年の5曲入りアルバムのタイトル・チューン。
ナンダってココで特別にジャケットまで引っ張り出して来たのかと言うと、「赤猫」を題材に大脱線しようとしているからなのだ。
ワザワザ明兄さんにこの日に「赤猫」をセットリストに組み込んでもらうようにリクエストして、レポート内で大きく脱線する許可も頂戴している。
よってここから先はしばらくの間、私の好きなようにやらせて頂く…って毎回好きなようにやっているんだけどサ。
さて、犬っ子の皆さんは「赤猫」が「放火」を意味することはご存知ですよね?
一説によると、ネコはモノを舐めるので「火が舐める」に引っ掛けた表現だとか…。
今日の「赤猫脱線」は下の商店街から始まるよ。
ココは旧東海道の品川宿があったところ。
この両脇にズラリと旅籠が並び、東海道最初の宿場として大層栄え、また「岡場所」としては吉原に次ぐ賑やかさを誇った。
今となっては週末でも商店の多くがシャッターを下ろしているサビれた商店街だ。
関東大震災と空襲とオリンピックのせいで、「ココがかつて品川宿だった」ことを思わせるような古いモノはほとんど何も残っていない。例外は、慶応元年(1865年)に店を開いてから、現在でも当時のスタイルで草履や下駄を作っては売っている「丸屋」というはきもの屋。
それに銅板建築がチラホラ。
この金物屋さんは立派だね~。
とてもカッコいい…でも、大抵は昭和のモノだ。
この銅板建築というのは大正12年の関東大震災の火災を教訓に、昭和3年に建てられたモノが圧倒的に多いらしい。
木材を薄い銅板で包んで燃えにくくしたんだね。
商店街から数十メートル下って来た船溜まりの前にある銅板の建物。
江戸時代はココはもう海だったハズ。
そして建物の緑色の部分は、建築当初は赤銅色だったんだよ。
さぞかし美しいことだっただろう。他、小さな神社や寺以外に古い建造物は一切残っていない。
そして、ココ。
日本橋を背に品川宿へ入ってチョット行った左側。
現在このファミリーマートがある場所。ココには「土蔵相模(どぞうさがみ)」という大きな旅籠があった。
外壁が「なまこ壁」になっていて、あたかも土蔵のようなルックスだったのでそう呼ばれたが「相模屋」とうのが屋号。
ココに高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文らが集まって品川御殿山のイギリス公館焼き打ちの準備をした。
下は品川区営の郷土資料館に飾ってある相模屋の模型。
落語の「居残り佐平次」他をベースにその辺りの話を組み合わせて作られているのが1957年の川島雄三監督の『幕末太陽傳』。
私は10歳に満たない頃から父親の影響でハリウッド映画を観て来ていたが、日本映画はカラっきしダメだった。
その私が日本映画に凝り出したのはココ1、2年のこと。
観出したらコレがもうオモシロくて、オモシロくて。
もちろん「キムタクとはるかちゃんのヤツ」みたいのは絶対に観ませんよ。
もっぱら映画の黄金時代だった1950年代を中心に戦前からせいぜい60年代の間の作品ね。
その中でも定番の『七人の侍』や『二十四の瞳』と並んで強力に推薦したいのがこの作品。
ハリウッド映画に引けを取ることは全くありません。
私はこの映画を観ることができて命拾いしたと思っているぐらいだから。
危うく観ないで死ぬとこだったよ。
実は、この記事を書くに当たって昨日も観てしまったんだけど、また新しい発見があってオモシロかった。
Amazonプライムで観ることができます。
時代考証を安藤鶴夫が担当していることもあってリアリズムも満点。
下の模型の裏庭で南田洋子と左幸子が壮絶な取っ組み合いをするシーンがあるんだけど、丸っきりこのまんまよ。
南田洋子の美しさはどうかな?
果たしてこれほどの美人が江戸の時代にいたのかしらん?
それにしても、これだけ別々の話を一分のスキ間もなく1本のストーリーに編み上げた川島さんは本当にスゴイと思う。
他の監督が作ったらきっとボロッボロになっていることでしょう。
それもそのハズ、黒澤明もこの映画を観て、川島監督のことを「腕がいい」と評価しているぐらいだから。
また、品川宿を訪れておくと地理もわかっていて余計に興味深く観ることが出来るかも知れない。
さて、ココまでが脱線の脱線の脱線。 さらに品川宿跡を川崎方面に向かって進む。
この旧東海道をどこまでもどこまでも行くと「鈴ヶ森刑場跡」という江戸自体の処刑上の跡に当たる。
コレもかなり犬神チックなので興味のある方はコチラをどうぞ。
明さん読んでくれたかな?
↓ ↓ ↓
【Marshall Blog】私の鈴ヶ森
そんなに行かなくても、しばらく歩いて行くと左側に出て来るのが、ナント「赤ねこ」という煮込みの専門店。
「赤猫」の意味をご存知でお店の名前を決めたのであろうか?
もちろん「red cat」という意味なんでしょうけど…。
コレ、今だと「フィリピン料理店 ルフィ」みたいな感覚になりはしまいか?
でも、おいしそうな煮込みだ。
さて、ガラリと変わって…ココは中央区の日本橋小伝馬町にある「十思(じっし)公園」。
江戸時代、時代劇などでは大変名高い「伝馬町牢屋敷」、つまり刑務所があった。
こんな感じだったらしい。
この小伝馬町の牢屋敷の長官は「石出帯刀(いしでたてわき)」。
コレは人の名前ではなく、「浅草弾左衛門」とか「山田浅右衛門」と同様に世襲の役職名だった。
当時は刑務所に「人間を更生するための施設」という思想は全くなく、悪事を働いた者に懲罰を与えるための施設がこの牢屋敷だった。
よって牢内での囚人の扱いは過酷極まりなかった。
よく映画なんかでタタミを積み上げてその上でふんぞり返っている「牢名主」というのが出て来るでしょう?
アレ、本当だった。
その親分がいて、以下牢内の階級に応じて居住スペースの規模が定められていた。
ヒドイ時にはタタミ1畳に18人が起居するなどという状態もあったらしい。
当然横になったりすることはできないので、仲間内で殺し合って口減らしをすることも日常茶飯事だった。
下の絵がそのギューギューのイメージなんでしょう。
こりゃタマらんよ。冬ならまだしも真夏もこうだからね。
そして、新入りには問答無用で凄惨なリンチが加えられた。
イラストの中に2人ほど板を振り上げているヤツがいるでしょう?
この板のことを「キメ板」といって、新入りはまずコレでイヤというほどウチのめされて入獄の洗礼を受ける。
隠し持って来た金は「命のツル」と呼ばれ、持って来ないヤツはその時点で命を失うことも珍しくなかったそうだ。
衛生状態も極めて悪く、疥癬などの皮膚病も蔓延していた。
だから、この牢屋敷から生きて出て来ることはなかなかに難しかったらしい。
シーボルト事件で有名な高橋景保をはじめ、「獄死」と遂げた知名人が多いのはそのせい。
牢内での地位が低いと、丈夫でない人は半年も持たなかったという。
黒船での密航に失敗した吉田松陰もこの小伝馬町の牢屋敷に収監された。
松陰は高名な学者だったのでグレードの高い牢に入り、後払いで命のツルは出したものの、その学識で牢内での地位を高め、地元の萩へ送還された。
一方、よせばいいのに密航に付き合った金子重輔は百姓の出だったため、かなり悲惨な目に遭ってしまった。
下は萩にある松陰の墓のそばに立てられている吉田松陰と金子重輔の象。 松陰は萩へ送り返されると「野山獄」という地元の牢獄に収監されるが、長州の連中の自分への粗雑な取り扱いに大層ハラを立て、「江戸の牢屋敷の方がヨカッタ」と言ったらしい。
一方の金子重助は、やはり一般人を収容する「岩倉獄」に収監され悲惨な最期を遂げた。
下は萩にある「野山獄」の跡。
「岩倉獄」跡は通りを挟んだ向かい。
その後、井伊直弼が大老になると、安政の大獄が始まり、松陰はまた小伝馬町に移送されて死刑となる。小伝馬町の牢屋敷には「首斬場」というコーナーがあって、何代目かの山田浅右衛門が松陰の首を落としたとか…。
他にも同時期に儒学者の梅田雲浜や頼三樹三郎もココで斬首された。
それゆえ十思公園には吉田松陰の辞世の句碑が設置されている。吉田松陰の亡骸はこの後、千住の小塚原に移送されて一時的に回向院に埋葬された。
それを高杉晋作が掘り起こしに行ったのは有名な話。現在、十思公園にある「十思スクエア」という公民館内にはちょっとした資料と、発掘された牢屋敷の跡が展示されている。牢屋敷については『物語 大江戸牢屋敷(文芸春秋刊)』なんて新書も出ているので興味のある方はどうぞ。
さて、ココまでが脱線の脱線。
ようやく「赤猫」の本題に入る。
一般的に「赤猫」というのは凶子姉さんが歌っている通り「放火」を意味するが、この小伝馬町の牢屋敷では猫がペロリと舐める赤い舌を炎と見立て「火事」を意味したらしい。
そして1635年、「振袖火事」で有名な「明暦の大火」が発生する。
この有名な「振袖火事」も犬神チックな話だよね。
江戸のほとんどを焼き尽くした歴史に残る大火事が牢屋敷に近づいた時、このままでは囚人が全員焼け死んでしまうと考えた三代目石出帯刀の「吉深」が自分の権限を越えた大英断を下す。
「このままだとお前たちが全員焼け死んでしまうので一時的に釈放する。
3日後、指定する場所に必ず戻って来い。
戻って来た者は一級減刑。
逃げた者はどこまでも追いかけてとっ捕まえて死罪。
私を信じて帰って来い!」とやった。
そうして吉深は120人を解放した。
これを「切り放し」といった。
幕府の承諾は事後になったが、吉深の行動は許され約束は果たされた。
この許しを与えたのが保科正之だったらしい。
さすが、保科正之!
吉深が指定した3日後の集合場所とは浅草の「法慶山 善慶寺」。
下が現在の善慶寺。ココは通りから引っ込んでいて中が全く見えないんだけど、石出帯刀を開基とする寺なのだそうだ。
だから吉深はこの寺に戻って来るように囚人たちに指令を下したワケ。
コレも日本人がマジメな性格だからこんなことができたんだろうけど、切り放された囚人たちはほとんど全員戻って来たということだ。
コレ、今でも万が一の時はやるんだって。
つまり小菅でも仙台でも、刑務所が火事になって収容者の命に危険が及ぶときは「切り放し」をすることが法律で定められているのだそうだ。ちなみに…。
明暦の大火のような大火事が発生して鎮火した時、どうやってそれを江戸中に知らせたか知ってる?
それは寺の鐘を使ったのだそうだ。
下は伊能忠敬やその師匠の高橋至時、その息子で上に出て来たシーボルトに事件で死罪になった高橋景保の墓がある台東区の源空時。
昔は街中に寺がたくさんあって、こうした鐘楼で鳴らした鐘の音を近くの寺にパスして江戸中に情報を広げたのだそうだ。
東京はロンドンと違って江戸の昔から緑の少ない街で、それを補ったのが寺社だった。
ところが関東大震災でそれらが壊滅してしまうと、東京市が大規模な区画整理を行い、寺社を東京の中心から退て宅地にしてしまった。
それで余計に東京は緑が少なくなってしまったんだよ。
今年はその関東大震災からちょうど100年だからね…コワくてしょうがない。 チョットこの切り放しのことを調べていくと、「火事は江戸の華」とはいえ、実際に行われたのはそれほど多い回数ではなかったことがわかる。
そして、後には両国の「回向院」を切り放しの集合場所に定めたようだ。
ナンとならば、両国の回向院は「振袖火事」の犠牲者を慰霊するために建立された寺院なのよ。
で、東京の「回向院」となるともうひとつ…千住の回向院。
コチラは小塚原の刑場で斬首された罪人を慰霊している。そして、ココで刑に処されたフレッシュな死体を使って日本初(とされる)の解剖(腑分け)が杉田玄白や前野良沢によって行われた。もうチョット。
さて、この「切り放し」のシステムを利用して脱獄をしたのが、洋学者で医者の高野長英。
長英はシーボルトの門下生で、松陰同様その知性と医学の知識で牢内での地位を高め、外部との接触ができるようになり、子飼いの者に牢屋敷に「赤猫」させた。
「3日以内に回向院に集合」の命を無視し、長英は逃亡の旅に出る。
さもないと、幕府を批判する書を出していた長英は、そのまま牢屋敷に留まっていると間違いなく死罪になることを察知していたからであった。
下は長英がシーボルトに学んだ長崎の「鳴滝塾」の跡。
ルックスはキテレツだが、長英はものスゴイ秀才だったんだって。
ところが、その優秀さを自慢するところがあって、時と場合によってはイヤがられていたとか。 その長英の逃亡を描いた作品が、吉村昭の「長英逃亡」。
もう何度もMarshall Blogで紹介してきたけど、ハラハラドキドキでメチャクチャおもしろいよ。
そして、明治元年の「切り放し」をテーマにした小説が浅田次郎の『赤猫異聞』。
切り放しで法慶寺に戻らなかった3人を一人称で描いたチョット変わったつくりになっている。
結構オモシロかった。
犬神ファンならゼヒ。
以上、「赤猫大脱線」終了!
ご精読ありがとうございました!
さて、犬神サアカス團の「赤猫」…この曲ってタイトルは「赤猫」だけど、歌詞にその言葉は出て来ない。
そこがニクイ。
「知っている人だけがわかってくれればいい」ということか…。そして、コンパクトなギター・ソロが曲に色どりを添える。
もちろんその色合いは「赤」だ。
ちなみに「放火」は英語で「arson(アーソン)」という。
そういえば、かつて「イギリス最悪の放火殺人事件」について書いたことがあった。
リンクしたところで誰も読みやしないだろうけど、一応つなげておこう。
明兄さん読んだかな?…というのも、この記事はMarshall Blog史上最もグロな内容で、「デニス・ニルセン」というロンドンの連続猟奇殺人魔を取り上げてみたのだ。
切り口は全く異なれど、「異常」ということについては「小口末吉事件」に通じるのではないか?…と。
ヒプノシスにも触れているので、明兄さんよろしかったら読んでみてください。
記事はコチラ
↓ ↓ ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.56~変わりゆくロンドン <その6>デンマーク・ストリート(後編)
「ああ、そんな?読んでみるよ」
「ありがとう!
イヤ~、もう1曲1曲手に汗握る緊張感!
多分、みんなもどうなっちゃうんだろう?と思って来たと思うの。
グゥーってなるでしょ。
だいたいライブってのは心拍数でテンポがドンドン速くなっちゃうのね。
だから正式な音源と比べるとライブのバージョンは大分速くなるんだけど、今日はどんなにグゥーっとなってもテンポは上げらんない。
ずーっと一定のリズムでいきますから。
コレ、もどかしいのよ!
ココはもっと走りたいなぁ~って思ったところが、オイオイ…みたいなね。
も~シビれるわ、今日は。
たぶん、長いバンド人生の中で1番シビれる日かもしれない。
そんな記念すべき日にみんなに見てもらえるってことはとても幸せです。
どうもありがとうございます。
次はノリノリのナンバーですよ~。
心拍数を上げながらテンポに忠実にいきたいと思います!」続いては名曲「花嫁」。
この曲が出て来る時、いつも「名曲」という枕詞を付けているけど、「名曲」でしょ? 物悲しく切ない歌詞と美しいメロディ。それがストレートなロック・ビートと… ソリッドなバッキングに乗って展開する。凶子姉さんのセリフもとても印象的だ。
コレを「名曲」と呼ばずして何と言おう…というワケ。
「どうもありがとう!ワクワクするね。
私がどれだけワクワクしていたかと言うと…昨日、イスで寝ちゃったんだよ。
朝起きたら10時だった。
ベットで寝る前にちょっとイスでリラックスしていたんだよね。
そしたらそこで寝ちゃってサァ…椅子でだよ。
足がむくんでパンパンね。
足が痛いなぁ~、と思いながらワクワクしてるよ!アッハハハハ!
明兄さんはどうですか?」
「いいねぇ。
ナニがいいかって、今日は平日だしね。
この年末だし、ヘタしたらもうお客さんが2人ぐらしかいないんじゃないかって思っていたんだよね。
でもネ、自分ってけっこう愛されたんだなって思って。
今日は有頂天ですよ。
え、誕生日だからナニを言ってもいいの?
そうだな…イザ、なんかチョーダイって言おうと思っても、もう物欲がなくてさ。
やっぱ、年齢なんだな。
え、モノをもらうじゃなくて?
そうだな…やっぱ言って欲しいよね…『誰がオレのハートを射止めてくれるの?』って言ったら
「ワタシ!」って言って欲しいよね」「あ、ココでやる?
実はね、私、明兄さんのために歌を用意したんだ。
私の大好きな大映ドラマ、『スチュワーデス物語』から…聞いてください」
と、ココで凶子さん突然「洒落男」の替え歌を歌い出した。
「♪明はこの世で1番
イカスといわれたドラマー
リズムにオカズにパラディドル
誰が射止めるそのハート!」
するとお客さんが…
「ワタシ!」
明兄さん、照れてら! お客さんとのコール&レスポンスがキマって明兄さんがいい気分になったところで「燐寸喞筒」。
ONOCHINのギターのイントロが耳に残る!最近取り上げることが多くなった1曲。しかし…「ガンバレ」だの「負けるな」だのばっかりになってしまった現在の音楽界にあってこの曲の存在は特異すぎるわね。
だってコレって「当たり屋」の歌だぜ~。
やっぱり明兄さんはスゴイ。
生誕祭でなくてもホメ称えたい。
<後編>につづく
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