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2023年7月10日 (月)

【追悼】PANTAさんのこと

 
先週の金曜日の晩、PANTAさんの訃報に接して大変驚いた。
6月に夕刊フジのイベントに出演され、体調を取り戻されたのかとばかり思っていたので、その知らせは大きなショックだった。
ここ数年は疎遠になっていたものの、こと「ロック」に関してPANTAさんは私にとって特別な存在だった。
そんなPANTAさんを偲んでPANTAさんの思い出を綴って一筆執らせて頂く。
  
時折Marshall Blogで触れている通り、私は若い頃から観光地でも食べ物屋でも、大勢の人が群がるところがニガテで、エンターテインメントに関しても周囲の人たちが騒いでいるモノに興味を持つことは絶対と言っていいほどなかった。
要するに「アマノジャク」なのだが、私はいつでもマイナーなモノの味方だったし、その中にこそ純粋で優れたモノが潜んでいるという考えは今でも変わらない。
しかし、独占欲が強いのか、どんなに好きなモノでもそれが世間で知れ渡り、人が群がり出してメジャーになってしまうとスッカリ興味を失ってしまう。
「ロック」という音楽もまさにそうだった。
70年代中頃、まだ歌謡曲とロックの世界がハッキリと分かれていて、まだまだマイナーであった時代に私はロックを聴き始め、そして夢中になった。
その頃は「日本のロック」に全く興味がなく、100%洋楽しか聴いていなかった。
そんな高校1年生のある日、私の前に現れたのが現在も「三文役者」で活躍しているギタリスト、「ちぇり~」の愛称で知られる大竹亨さんだった。
この辺りのことは以前詳述しているので今記事では割愛するが、私は三文役者によって日本のロックに開眼した。
イヤ、大竹さんに『日本のロック』を教わったと言った方が適当か。
そして、三文役者を知るということは「PANTA」さんあるいは「頭脳警察」を知るということとイコールだった。
ナゼなら、三文役者のボーカルズの花之木哲さんがPANTAさんに歌詞を提供していたからだ。
大竹さんからPANTAさんや頭脳警察の話を聞き、SONYビルの下にあったハンターへ行って『ふざけるんじゃねえよ』を買った。
700円か800円だった。
聴いてビックリしたわ。
まだ「パンク」なんてのがない時代、「♪ふざけるんじゃねぇよ、殺られる前に殺るさ」なんて物騒な歌はそれまで聞いたことがなかったからね。
それもそのハズ、それまで聴いていたロックの歌詞は全て英語だったから。
今聴くと「前衛劇団モータープール」なんかはモロにザッパの「Brown Shoes Don't Make It」が下地になっていたりすることがよくわかるが、総じてそのサウンドはとても刺激的だった。0r4a0703 その直後だったような気がするが、当時のPANTAさんの最新アルバムだったPANTA & HALの『マラッカ』を買った。
プレグレッシブ・ロックやハードロックにドップリと浸かっていた私にはそのサウンドが少々アマアマに響いたが、どの曲も聴けば聴くほど味が出て来るとても魅力的なアルバムだった。
私は万に近い単位でレコ―ドやCDを買ってきたが、「一番回数多く聴いたアルバムは?」と問われたら何のためらいもなく「PANTA & HALの『マラッカ』」と答えておいて、「同じぐらいでザッパの『One Size Fits All』です」と付け加える。
ウチの母はこの鋤田正義さんが撮ったジャケットのPANTAさんを見て「パンダさんはハンサムだね~」と言っていたな。
「パンダじゃない、パ・ン・タ・」といくら教えても直ることはなかった。
0r4a0731大竹さんの口利きで、高校2年の頃より三文役者のお手伝いをさせて頂くようになった。
いわゆる「ボーヤ」だ。
当時、三文役者は月に1回のペースで渋谷屋根裏と新宿ロフトに出演していた。
ある時、PANTAさんが渋谷の屋根裏を訪れてくれて、そこで初めてホンモノにお会いした。
うれしかったネェ~。
下の写真は三文役者の写真を撮っていたサナさんから頂戴した。
43、44年前の写真。
サナさんは現在も三文役者のスタッフを務めていらっしゃって、元は熱心なPANTAさんファンだった。
今回SNSへの投稿で知ったのだが、サナさんがPANTAさんを初めて観たのはスージー・クアトロの前座で出演したソロの時の中野サンプラザだったという。
PANTAさんがスージー・クアトロの前座をされたというのは知らなかった!
PANTAさんは17、18歳の頃から「パンタ」と呼ばれ出したらしいが、この名前が大キライだったそうだ。
そのお名前の由来は、「昔パンタさんがパンタロンばかり履いていたから」…と、高校生の私に教えてくれたのもサナさんだった。
屋根裏の楽屋…知っている人は懐かしいでしょう?
ホールが4階で楽屋はそのひとつ上の階にあった。
ベランダに出ると目の前が西武デパートの裏の壁。
電話機のダイヤルに南京錠がかけられていて自由に使えないようになっていたのをよく覚えている。
当時はダイヤル式の電話が当たり前だったのよ。
(目かくしがないのは、左から大竹さん、私、哲さん、PANTAさん)
1_3p「スキスキ」と言っていながら、実は私はそれほどPANTAさんのステージを拝見する機会がなかった。
初めて観たのは新宿ロフトのPANTA & HALだった。
レンガ造りで上手側が高くなっていた昔のロフトね。
客席はギッチギチだった。
「最近もっともお客さんが集まるライブはPANTA &HALとRCサクセション」と屋根裏の人が言っていたのを覚えている。
このロフトの時のセットリストは『マラッカ』からの曲が中心で、「ネフードの風」がすごく印象に残っている。
「津軽海峡冬景色」風に「マラッカ」を演奏するサービスが差し込まれてしたりしてオモシロかったナ。
もうひとつ、よく覚えているのがアンコールの時のこと。
本編が終わってPANTAさんがステージに戻るとMCでこうおっしゃった。
「さっきどっかから『ネコ、ネコ』って声が聞こえて来てサ、はじめからアンコールを演るのがキマっているみたいでバツが悪いから、『ネコ』じゃなくて………『HALのテーマ』!」と曲を紹介して平井さんがあのファンク・ストラミングを弾き始めた。
まだ、「アンコール」が「アンコール」として機能していた時代よ。
それにしもこの「HALのテーマ」がカッコよかった!
こんなストラミングにブリティッシュ・ハード・ロック風のリフを重ねるなんて曲、世界的にも他にないんじゃないの?
そして、何やら聴いたことのない和音がゾロゾロと出て来た。
当時「HALのテーマ」は正式な音源でリリースされていなかったので、この時に初めて聴いたんだけどトリハダが出まくった。
ところで、この曲の「HAL」はバンドのことではなくて、『2001年宇宙の旅』に出て来るコンピュータ「HAL9000」のことなんだよね。
170_2そして、「HAL」は「I・B・M」の3文字よりひとつ前のアルファベットを並べている…ということがつとに知られていて『マラッカ』のライナーノーツにもそう書かれているが、そうではなかった。
『2001年宇宙の旅』の原作者であるアーサー・クラークが自らこの説を否定している。
コレは余談。
22180v そして、このロフトのライブの時、PANTA & HALが中野サンプラザでコンサートを開くことを発表して大きな歓声が送られた。
でも、上のサナさんのお話からいくと、PANTAさん時代は既にこの舞台に立たれていたんだネェ。
歴史を知るのはオモシロイなぁ。
とにかくみんなイスに座ってジ~ックリと音楽を聴いていた良い時代だったよ。40 下はその時のPANTA & HALを観た新宿ロフトがあった場所…なのだが、もう街が変わっってしまってどこにあったのかが正確にはサッパリわからない。
あんなに何度も通ったのに!0010 1980年、アレは今で言う「レコ発ライブ」を控えていたのかな?
新しいアルバムは『1980X』。
渋谷の明治通り沿いに「ベガ・スタジオ」というプロ・バンド御用達のスタジオがあって、PANTA & HALも三文役者もココでリハーサルをしていた。
そこで哲さんからPANTAさんに口を利いて頂いて、リハーサルにお邪魔したことがあった。
緊張したよ~。
高校生の分際で私もよくも1人でノコノコと行ったもんだわ。
言っておきますけど、この時代、ライブハウスに通っている高校生なんてまずいなかったからね。
私は大竹さんのおかげでライブハウスに関しては早熟だった。
で、スタジオに入るなりPANTAさんが「キミ、三文役者を手伝っているんだってネェ」ととても気さくに話しかけてくださった。
スタジオの中にいらっしゃったのは、平井光一さん、浜田文夫さん、長尾行泰さん、そして中谷宏道さんからなるホンモノの『1980X』のレコーディング・メンバー。
「サ、サインしてください」と、当時発売されたばかりの『1980X』を差し出すと、PANTAさんはサササとジャケットにサインをしてくださり「毎度アリ!」とおっしゃった。
そして、「どの曲がヨカッタ?」と訊かれて、とっさに「ル、ル、ル、『ルイーズ』です」と答えてしまった。
コレにはチョット後悔した。
世界初の試験官ベビー、ルイーズ・ブラウンのファースト・ネームを冠したこの曲はシングル・カットもされて誰もが好むにキマっている曲だったから。
そうではなくて、「臨時ニュース」とか「Audi 80」とか「キック・ザ・シティ」とか通っぽい答えにすればヨカッタ。0r4a0715 コレがその「ルイーズ」と「ステファンの6つ子」をカップリングした両A面シングル。
周りの年上の皆さんがよく「ステファン、ステファン」と言っていたんだけど、その頃はまだ音源になっていなくて聴くことができなかった。
そして、このシングル盤で初めてこの曲を耳にすることができた。
名曲だよね~。
曲もいんだけど、コレも歌詞がすごくステキだと思うワケ…もっと丁寧に言うと、歌詞とメロディが奇跡的にうまく組み合わさっていると分析したいんですわ、私としては。
…というのは口に出して歌った時にすごく気持ちがいいのね。
もちろんそれに合った歌い手の声質と演奏も必要で、それらが完璧に組み合わさった時に「音楽の感動」というモノが生まれるワケですよ。
ビートルズの曲も同じ。
0r4a0734 この日のリハーサル曲のひとつが「ナイフ」だった。
世にもカッコいいドラムスのイントロを文さんが叩き出すと、PANTAさんが「ホントにコレはすごいフレーズだよな~」と感心しておっしゃった。
それと、アルバムには入れたかった曲がもっとたくさんあって、30cmどころではなくて70cmぐらいのレコードにしたかった…ということをもお話しされていた。
CDが世に出て来る5年位前の話。
そうそう、思い出した…この時PANTAさんが話していたレコーディングの時のエピソード。
歌入れの時にミキシング・ルームの方に目をやるとディレクターの方が人差し指と親指で輪を作ってPANTAさんに見せた。
PANTAさんはナニを思ったか、その仕草を見て「ナニ、小銭を貸せってか?チッ、こっちは歌入れしている真っ最中だってのにナニ考えてんだ?オレだって100円ぐらいあるぞ(10円とおっしゃったかも知れない)」と、ポケットに手を入れて硬貨を探した。
そして、区切りのよいところでミキシング・ルームに行き、そのディレクターに小銭を渡すと怪訝そうなな顔をして「ナニこれ?」とPANTAさんに尋ねた。
PANTAさんが「だって小銭が要るんだろう?」と言うと、ディレクターが「そんなバカな!アレはOKって合図だったんだよ!」という話し。
みんなで大笑いした。
あと「トリック・スター」という言葉についても色々と語っていらっしゃったが、コレは私には理解できなかった。
このアルバムは両面が表ジャケットになっていて、便宜上裏面扱いされる面にはPANTAさんが単車に乗っている写真が採用された。
撮影はPANTAさんのジャケット写真をずっと撮られていた鋤田正義さん。1_00102 上に書いたようにPANTAさんは「パンタ」という名前がキライで、このアルバムを機に名前を変更しようとしていたらしい。
ところが、イタリアの単車メーカー「DUCATI(デュカティ)」が1979年に下のモデルをリリースした。
当時日本には2台しか入って来ておらず、そのウチの1台をこのジャケ写に適用した。
この単車のモデル名がナント「Pantah500」だった。
PANTAさんはコレでもう名前は変えられない…と思ったそうだ。1_duca また、私は新宿ロフトで聴いた「HALのテーマ」がズット気になっていて、このリハーサルの時に平井さんにお願いしてコード進行を教えて頂いた。
持ち合わせのメモ用紙がなかったので、レコードを入れて行った石丸電気の紙袋の上部を破いて開き、テンション・コードの表記の仕方も意味も全くわからず、そこに平井さんが口にする「なんとかナインス」とか「なんとかサーティーンス」というコード名を書き連ねていった。
小節線も入れずにズラズラ書いて行ったので、それを見た平井さんが「そんなんでわかるの?」とビックリされていた。
ジャズをカジった今ならナンてことはないけど、この時は後で見てやっぱりわからなかったナ。
コード譜すら書けなかった頃の話…あのメモ、保存しておけばヨカッタなぁ。
平井さんは愛用のレスポールの裏面にキズが付くのを避けるために、ベルトのバックルをグイっと横にズラしていた。
コレがまたカッコよかった。
あの頃はギブソン、フェンダー、Marshallのニオイを嗅ぐことすらできない高級品だったからネェ。
それと、休憩の時に平井さんと長尾さんが1本のギターを2人で弾いて「裸にされた街」のイントロを奏でていらしたのも覚えている。
下が石丸電気レコード館の袋。
コレはビニールだが、昔は厚手の紙で作られていた。
ベガスタジオは喫煙OKで、中は凄いニオイだったっけナ。
当時のミュージシャンは「ハイライト」を吸っている人が多かった。
この黄色い袋の似顔絵はもちろん和田誠さんの仕事だけど、あの「ハイライト」のパッケージのデザインも和田さんなんだよね。0r4a0086 その後、80年代に入って時間が経過すると、猛烈なスピードでロックが普及し出し、ロック・ミュージシャンがより一般大衆に受け入れられやすい作品を発表するようになった。
いわゆる商業ロック時代の幕開けだ。
そんな時合の中、PANTAさんも「キッスは飽きない」という惹句を伴って『KISS』というアルバムをリリースした。
買ってはみたものの、残念ながらどうしても受け入れることができなかった。
私は同時に最早マイナーではなくなってしまったその時代のロックにも完全に興味を失い、急速にジャズに傾倒していった。
一方、家内はこのアルバムが好きで、友人を誘って中央大学の学祭に出演したPANTAさんを観に八王子まで足を延ばした。
ココだけの話、42年前に家内と初めて会った時、共通の2人の話題のひとつが「PANTAさん」と「頭脳警察」だった。
今でこそMarshall Blogのスクリプターを務めてもらっているが、家内は決してコアなロック・ファンではないので、私はその時、普通の若い(当時)女性がPANTAさんや頭脳警察を知っていることに大層驚いてしまった。
というのは、彼女の一番の親友が佐藤宜彦さんの大ファンだったから。
宜さんはPANTA& HALのオリジナル・メンバーだったので、その関係で「PANTA」や「頭脳警察」という名前を知っていたのだ。
だからPANTAさんは私ら夫婦の「恋のキューピッド」でもあったのだ。
それとコレとは話は別で、当然私も中大の学祭に誘われたが断った。0r4a0091『KISS』の裏ジャケ。
ハートだもん。
かつては「銃をとれ」とか「マルコムX」とか歌っていた人の作品とは思えなかった。
でもネ、コレを書きながら久しぶりにこのアルバムを聴いてみたけど…いいネェ。0r4a0094 でも、当時私がこのアルバムを受け入れることができなかった理由は、上に書いたように「頭脳警察のPANTAさん」が創った音楽が全く違う世界に行ってしまったからだった。
しからば私の認識していたPANTAさん、あるいは頭脳警察の音楽はどうだったのか?
私が高校の時は頭脳警察のファースト・アルバムとセカンド・アルバムを入手することが全く不可能だった。
そこでズッと年長の三文役者のPAを担当されていらした方にお願いしてファースト・アルバムをカセット・テープに録音して頂いた。
そして、聴いた。

First「あ、あ、期末試験、中間試験、実地試験」に続いていきなり「♪ブルジョワジー諸君!われわれはァ~」でしょ?
「世界革命戦争宣言」ね…ビックリ仰天、「ナンじゃ、コリャ~!」だった。
あの頃はせいぜい「ノンポリ」なんていう言葉が残っていたぐらいで、70年代後半、学生運動はすでに皆無に等しかった。
しかし私は興味を持った。
完全に頭脳警察の影響である。
「興味があった」と言っても思想や活動では全くなく、大学進学を控えていた私とそう年齢の変わらない当時の若者が、ナゼああした活動にノメリ込んだのか?ということをモノスゴク不思議に思ったのだ。
「丸」だの「角」だの、思想については今でもサッパリわからないし、興味もない。
ちょうどその頃、角間隆さんというルポライターが書いた『赤い雪(読売新聞社刊)』という連合赤軍に関する本が上梓され夢中になって読んだ。
「オルグ」だとか「ブント」等の専門用語はこの本で知ったのだが、まぁ、この本にもかなりショックを受けたナァ。
「あさま山荘事件」が起こったのは私が小学校4年生の時(1972年)のことで、職人だった父が仕事にも行かず、朝から晩までテレビにカジりついて事件の行方を追っていたことが強く記憶に残っているものの、事件の背景は全く知らなかった。
あのどデカイ鉄球が出て来た時には興奮しちゃっても~大変だった。
そして、あさま山荘に立てこもる前の凄惨な仲間内のリンチ殺人事件。
自分と年のそう変わらない、もしくは年下の若者同士が「総括」という名の下で毎夜殺し合い、12人もの犠牲者を出したんだぞ。
「時代がアクティブだった」と言えば聞こえはよいが、色々と危険なことが起きる時代ではあった。
でも今、この国をこんな状態にしてしまった政府に対し、ナニも行動を起こさない国民の方がむしろ危険なのではないか?
PANTAさんがもっと若かったら一体どんな歌を作ってくれていたことだろう。

0r4a0743 そうして、連合赤軍の事件に興味を持った17歳の私は親友の安藤くんを誘い、東京地裁で開かれた永田洋子の初公判を聞きに行った。
6時起き。
傍聴希望者が多く、抽選となることがわかっていたので一番乗りをすれば幾分有利かと思ったのだ。
もくろみ通り一番乗りで行列に並んだ。
下の写真は現在東京地裁が入っている合同庁舎。
私が行った時、地裁は日比谷公園に隣接していて公園内で列を作ったように記憶している。
時代的に公判の内容にそぐわない若者が列の先頭で並んでいるのを見つけた読売新聞の記者から取材を受けた。
「学生運動が存在しない現在、アナタ方のような若者がナゼ赤軍派に興味を持っているのか?」という質問だった。
その問いに…「大好きな頭脳警察の影響です。知ってますか?…頭脳警察。
PANTAとTOSHIという人がやっていたロックバンドなんです。
そこら辺の普通のバンドとはゼンゼン違うんです。
彼らの歌を聴いて、日本赤軍を知り、自分と同じぐらいの年齢の若者がナゼああした事件を引き起こしたかについて興味があるんです」と元気に返答をした。
テレビで放映されることはなかったと思う。
フト気がつくとその時、私たちのすぐ後ろにいた「裁判マニア」みたいなオッサンがジリジリと我々より前に出て来て、時間になると一番にクジを引きやがった。
野郎、慣れていたんだナァ。
そのオッサンは見事当たりクジを引き、周囲の人に深々と頭を下げて「ありがとうございます!おかげさまで当たりました!」と大きな声で挨拶したのには呆れ返ってしまった。
一方、我々は2人とも見事にハズレ!
仕方なしに我々は社会勉強のために他の公判を聞きに行った。
傍聴席に座って、被告も出廷していないダラけきった公判を聞いていると、岩下志麻が入ってきて私の隣に座った。
おそらく野村芳太郎の『疑惑』の弁護士役を演じるための勉強だったのであろう。
裁判マニアのオッサンのおかげで、結果ラッキーな1日になった。
それで満足したのか急速に私の学生運動への興味は失せた。
ところで、日本赤軍の最高幹部だった重信房子は明治大学の先輩で、私が大学に入った1981年頃は和泉校舎(明大前)の校門付近にあの独特な文字で書かれた檄文のパネルがたくさん掲げられていた。
時間が経ってもそんなところに重信房子臭を感じたことを覚えている。1_tc 上に書いた通り、洋楽一辺倒だった私が日本のロックを聴かなかった理由のひとつが「歌詞」だった。
「英語か?日本語か?」なんて歌詞についての論争をよくやっていた時代よ。
その点、PANTAさんの作品は、曲の魅力もさることながら、歌詞がすごく魅力的だった。
簡単に言って、PANTAさんと三文役者の曲は詞を聴いていて全く恥ずかしくなかったのだ。
あの頃のことを考えると、今、どんなタイプの音楽でも平気で日本語で歌っていることに驚きを禁じ得ない。
コレはすごい進化だとは思うが、一方ではそれが日本のロックをガラパゴス化してしまっていることは大きな皮肉といえまいか?
PANTAさんの曲には「アラビアン・ミディ」とか「レディ・シュライヤー」とか、他の歌には絶対に出て来そうにない言葉が出て来るでしょ?
コレがカッコよかった。
それと「ルイーズ」ではフランス語を、「フローライン」ではドイツ語を導入したりもしたのも新鮮だった。
加えて凄まじいまでのロマンチシズム。
「♪夜が疲れかけた時 鳥が夢をさがす時 銀のペンをイマージュに突き刺す
星が溢れすぎた街 時がこわれそうな街 それを今のテーマと見なそう」
どうよ!
コレは下の頭脳警察の4枚目『誕生』に収録されている「詩人の末路」という曲。
こんなこと誰が詠えるよ?
そういえば、「あなたの心の中に黒く色どられていない処があったらすぐ電話をして下さい」という曲もモロにザッパの「Brown Shoes Don't Make It」ですな。うれしいです。
0r4a0700 それと「まるでランボー」。
「♪みっともないオレはまるでランボー…架空のオレはまるでシェイクスピア…」と、詩人、作家、画家、音楽家、女性の名前を列挙したことば遊びの1曲。
「アンヌ・ド・ブリュタール」なんて今でも誰だか知らんわ。
このアルバムの「ハイエナ」のPANTAさんの歌い方もメチャクチャかっこよかった。0r4a0767 そして、『悪たれ小僧』!
日本のロックの名盤中の名盤。
オープナーの「戦慄のプレリュード」から「あばよ東京」まで全ての曲がハイライト。
大竹さんがよくインストの「『真夜中のマリア』は名曲だ!と言っていたっけ。
私は「戦慄プレリュード」と「落ち葉のささやき」がすごく好きだった。
「サラブレッド」も「スホーイ」も「夜明けまで離さない」も好き…やっぱり全曲大好き!0r4a0771 このアルバムでベースを弾いていらっしゃるのが、石井正夫さん。
私が大学1~2年の時、三文役者に迎えて頂き2年間正夫さんとご一緒させて頂いた。
2度ほど関西方面にツアーもした。
コレは8年前に哲さんのご厚意で三文役者のステージに呼んで頂いた時の写真。
20年ぶりに人前でギターを弾いたけど、緊張してメッタメタだったけど最高に楽しかった。
三文役者時代、私はいつも下手で正夫さんの隣だった。305 更にこの時ステージに飛び入りしてくださったのが勝呂和夫さん。
『悪たれ小僧』でギターを弾いていらっしゃる方だ。
この時は本当にうれしかったナ~。
何しろ『悪たれ小僧』が好きだったから!530 こんな出会いを作ってくれた大竹さんには心の底から感謝している。450 頭脳警察の後のPANTAさん。
ソロ第1作の『PANTAX'S WORLD』もよく聴いた。
「♪光の壁をすり抜けて オレはキミになる」か…なんてカッコいいんだろう!  
哲さんは確かこのアルバムの「三文役者」と「EXCUSE YOU」の詞を書いていらっしゃるハズ。
先のサナさんによれば、スージー・クアトロの前座の時のPANTAさんのステージは「三文役者」でスタートしたらしい。
誰がバックを務めたんだろう?
観たかったナァ~。
どうして「ろくでなし野郎」が「赤い羽根」なのか、ナゼ「ギタリスト」が「ミシンを担いで」いるのか今もってわからないけど、瀧口修造もビックリの「言葉のミックスサラダ」ぶりがスゴイ「マーラーズ・パーラー」も大好きだった。
先述したロフトの時、歌い終わったPANTAさんが「ヨカッタ…今日は歌詞を間違えずに歌えた」とおっしゃった。
「やっぱり大変なんだナ…」と思ったわ。
ウチには今剛さんがHALに在籍していた時代のLo-Dプラザで録音したこの曲のライブ音源があるんだけど、信じられないぐらい今さんのギターがスゴイぜ。
他に「マラッカ」と「ロックもどき」と「HALのテーマ」を演奏しているんだけど、どれも素晴らしい。私の生涯の宝物。0r4a0719 1977年の『走れ熱いなら』は山岸潤史さんやジョニー吉長さんと組んだ快作で、哲さんは「ガラスの都会」や今でも三文役者で演奏している「あやつり人形」の他、「走れ熱いなら」や「追憶のスーパースター」の歌詞を提供していて、はじめの3曲は三文役者でもよく演奏していた。
高校の時に三文役者のコピーバンドをしていた私は島村楽器さんでのEAST WESTの予選で「ガラスの都会」を演奏したがあった。
このアルバム、ミュージック・マガジンで中村とうようさんがレコード評を寄せている。
少々長めに転用させて頂くと…
日本語でロックを歌えるシンガーのひとりとして、ぼくはパンタを買っている。(中略)ソングライターであることと歌手であることがみごとに一体化していて、トータルに彼独自の演劇性をウタ(ママ)に構築している点でパンタは日本では非常に貴重な存在だ。むこうでドラマ性をもったロックのシンガー・ソングライターといえばデヴィッド・ボウイやルー・リードになるのかもしれないが、ボウイやリードの押しつけがましいヨーロッパ近代個人主義的意識がないだけ、パンタの方が偉大だと思っている(ミュージック・マガジン4月増刊号『中村とうよう 今月のレコード』より)
勝った…PANTAさんはデヴィッド・ボウイやルー・リードに勝っていたのだ!
とうよう先生は他の機会でもPANTAさんの作曲能力をすごく高く評価されていた。
0r4a0726 そして、2枚組のライブ・アルバム『TOKYO NIGHT LIGHT』。
このアルバムに参加しているキーボーズの石田徹さんは一時期三文役者に在籍されていて、フェンダー・ローズ・ピアノを使われていた。
2階のキャバレーを通過して屋根裏がある4階までローズを持って上がるのがメチャクチャ大変だった。
あのビルにはエレベーターがなかったんだよね。
ロフトもそうだったけど、アソコは地下1階だったからまだマシだった。
今ではとてもできんわ!
このアルバムの音源が収録されたコンサートには行かなかったが、コレより前、前述した新宿ロフトで発表した時の中野サンプラザは観に行った。
メンバー紹介の時に「文ちゃん!」という掛け声がかかると、文さんがスネア・ドラムとバス・ドラムで「♪ダカドン!」とその声援に応えたのを覚えている。
後年、あの時のヤマハのドラム・キットは有名な海外のドラマーが使ったいたものだったと文さんからお聞きした。
比較的ジックリ聴かせるコンサートで、確かアンコールの「マーラーズ・パーラー」でドッカ~ンと盛り上がったような気がする。
それと上掲した『誕生』の「やけっぱちのルンバ」を演ってオールド・ファンを驚かせたんじゃなかったかな?
帰りに哲さんたちに「陸蒸気」という居酒屋に連れて行ってもらってごちそうになった(「陸蒸気」は今でもあるね)。
0r4a0696 ロフトで一度PANTAさんが三文役者のステージに飛び入りで歌ってくれたことがあった。
ナニを演るかということになって、PANTAさんのご提案で「キャデラック」というブルースを演ることに決まった。
私の前でPANTAさんが「♪ウォウウォウウォウウォウ キャデラック!」と歌ってくれているのが信じられないぐらいうれしかった。
私はその後大学3年の時に三文役者から離れると同時にロックからも離れ、大学に戻ってジャズのオーケストラに加入し、就職して、結婚して、そして転職して楽器業界に入った。
2001年、厚生年金での『ROCK LEGENDS』という四人囃子とのダブルヘッドライナーで頭脳警察のPANTAさんを観た。
楽屋にもお邪魔したが、この時は岡井大二さんと廊下のイスに座っておしゃべりをしていたことしか覚えていないんだよナァ。
今ではお仕事を通じて大二さんと気安くさせて頂いているが、この時はすごく緊張した…だから他に何も覚えていないのかも。Rl その次にお会いしたのは2003年4月、日比谷野音でのことだった。
『NO WAR WORLD PEACE NOW CONCERT ~イラクの子供たちに医療援助を~』というイラクの子供たちの医療援助を目的としたチャリティ・イベントだった。
確かMarshallでサポートしたように記憶している。
朝から雨が降る4月とは思えないとても寒い日で、イラク戦争も終わっていて少々タイミングが悪く、お客さんの入りも大変に寂しかった。
後に「浅草ジンタ」と名前を変える「百怪の行列!」とVELVET PAWというチームがア・カペラので演った「歴史から飛び出せ」が印象に残った。
 
それからまた大分時間が経って…2008年1月。
Zappa Plays Zappaの横浜BLITZの公演の時の話。
コレには本当に驚いたよ。
上演中だったのだが。私は尿意をもよおしギリギリまでガマンしてトイレに駆け込んだ。
するとトイレの中に男性が1人いた。
その男性に目をやると…ナントPANTAさんだったのだ!
PANTAさんは私の顔をご覧になって「おお!ナンダ!こんなところでナニやってんの?」って、用件はキマってるでしょ!
用を済ませてから「『Uncle Meat』の曲は演りませんね~」なんて話をした。
『Uncle Meat』がPANTAさんのお気に入りのザッパのアルバムであることを知っていたからだ。0r4a0737 いつのことだったか、またナンの野音のイベントの時だったかは覚えていないが、音楽評論家の大野祥之さんが「Marshallのスタッフ」ということで、ご親切に野音にいらしていたPANTAさんに私をご紹介頂いたことがあった。
大野さんに連れられた私を見るなりPANTAさんは「ナンだ、牛澤じゃん。昔から知ってるよ!」とおっしゃった。
いつも呼び捨てなの…それがまたうれしいの。
私はこの「昔から知ってる」というPANTAさんのお言葉がすごくうれしかったのです。
「今度Marshallの壁を作ってくれよな!」なんておっしゃっていたこともあったけど、ついに実現しなかった。
 
ザッパつながりで…2011年の2月のイベントにご登場されたPANTAさんをキャッチしたことがあった。
『ザッパを語り、唄う一夜』と題してパネラー&ミニ・ライブのパフォーマーとしてのご登板だった。

Zk フランク・ザッパについて語るPANTAさん。
このお姿を見て思い出した。
そういえば、PANTAさんって一時「イカ天」の審査員だったよね?
「オマエ、それでオリジナリティがあるとでも思ってんのかよッ!? ロックをナメてんのかよ!」みたいな超辛口のコメントを連発して、最恐のキャラを演じていらっしゃった。
「ポンタさん」もスゴい辛口だったけど、「パンタさん」もスゴかった。
私はブラウン管のこちら側でいつも「本当は優しい人なんだよ~!」と言いながらPANTAさんの厳しいコメントを聞いていた。Img_1548_3「Motherly Love」とか「Who Are the brain Police?」とかを演奏されていたような気がする。
ちなみにPANTAさんが一番最初に手に入れたザッパのアルバムは『Freak Out』の国内盤だったとか…いいな、国内盤!Img_1658_2その後、2015年6月に開催された『伝説のロッカーたちの祭典』というイベントをMarshallとNATALでお手伝いさせて頂き、Marshall Blogにもご登場頂いた
450_2 コレも2015年。
今朝facebookを見ていたら、偶然8年前の今日の投稿が目に入った。
私が『ジャズは死んだか』の著作で下れる音楽評論家、相倉久人さんのご逝去についての投稿をするとHaruo Nakamuraさんという方が「知らせてくれてありがとう…合掌」とコメントしてくださった。
「Haruo Nakamura」さんとは「中村治雄」…もちろんPANTAさんのことだ。Ah

2015年はPANTAさんの当たり年だったようで、10月には寺山修司さんの生誕80歳を記念するイベントが開かれ、私は第2日に出演する犬神サアカス團のMarshallのサポートでお邪魔した。
が、PANTAさんがご登場されたのが第1日目だったので、演奏する姿は拝見できなかったが、会場にはいらしていたのでご挨拶だけさせて頂いた。
 
犬神サアカス團のリーダー、犬神明さんもお悔やみご投稿をされていた。
コレがケッサクだった。
あるイベントで一緒になったPANTAさんが明さんのことを気に入りとても親しく接してくれたのだが、いくら訂正しても「マコトくん」とお呼びになる。
別れ際にも「それじゃ、またどこかで…マコトくん!」とご挨拶されたとか。
コレじゃウチの母の「パンダさん」と同じではありませんか。
ちなみに明さんはChatGPTでは「チロリン」という愛称で親しまれている。
Ts_3 そして、さらに同じ年の年末、三文役者の忘年会にお越し頂いたのが最後になった。
だからもうずいぶんお会いせずに永遠のお別れとなってしまった。
この時の私はまだ写真に夢中だったので。鋤田さんのお話を色々と伺ったっけナァ。
Img_1809 今回は大分歌詞のことについて書いたが、その歌詞から香って来るPANTAさんのインテリぶりに私はすごく憧れた。
よく「頭脳警察は日本のパンクロックの元祖」みたいなことを耳にするでしょ?
音楽に込めた「反骨精神」とか「反体制」みたいな精神はそうだったかもしれないが、PANTAさんが実際に創っていらっしゃったモノはとても知性豊かなモノで、凡百のパンクロック・バンドなどとは決して混同してはならないと私は考えている。
さぞかしたくさんの本をお読みになったのであろう。
「つれなのふりや すげなのかおや」なんて安土桃山時代に流行した「隆達節(りゅうたつぶし)」を引用したり、ヘッセやゲーテの詩にメロディをつけたり、PANTAさんの他にそんなことを成し遂げた人はそうおいそれとはいなかったハズだ。
声もしかり。
「詞」と「曲」と「声」がいつもベストマッチしていたのがPANTAさんの作品だった。
 
私も長い間これだけ色んな音楽や映画や本に接しているんだもん、「こんな曲を作ることができたらいいな」というアイデアはいくらでも浮かぶよ。
ところがそのアイデアを詞なり、曲なりに昇華する能力が全く欠落しているのね。
溜め込んで終わり。
反対にそれを形にすることができる才能を持っている人たちがいて、そういう人のことを「アーティスト」っていうんだよ。
まさにそのひとりがPANTAさんだった。
私がプライベートで聴く音楽の中心がロックでなくなってから長い年月が流れたが、大学の時、もしあのままロックを聴き続けていれば、後のホロコーストを題材にした作品等にも夢中になり、多くのことを学んでいたことであろう。
0r4a0749本も何冊か拝読させて頂いた。
読めば読むほど70年代が恋しくなる。
0r4a0745
晩年のPANTAさんは若いミュージシャンを引き連れて頭脳警察の活動を展開していたが、コレもすごく立派なことだと思った。
ジャズではよくやるんだけど、ロックでは珍しい。
その中で心底驚いたのは、真ん中の『万物流転』というライブDVD。
最近お世話になっているプログレッシブ・ロックバンド、「金属恵比須」のドラマーである後藤マスヒロさんがドラムスを叩いていたのだ!0r4a0758かつてないほど長い追悼文になってしまったが、前々からPANTAさんにもしものことがあったら自分の周囲で起こったPANTAさんとの出来事のすべての記しておこうと思っていたのだ。
まさかそんな日がこんなに早く思っていなかった。
忘れてしまっていることが他にもあるかも知れないが、今日この時点で頭に残っていることを細大漏らさず書いたつもり。
PANTAさんの存在は私の「日本のロックの一番のヒーロー」というだけでなく、作品を通じでロック以外にも色んなことを教えて頂いた。
私の人生で本当に夢中になった「音楽のアイドル」はフランク・ザッパとPANTAさんだけだった。
 
偉大なる日本のロック・アーティストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます
 

200




2023年6月24日 (土)

D_Drive Chiiko~NATALひとり旅

 
D_DriveのChiikoちゃんがNATALを試しにヒョッコリひとりで東京に出て来てくれた。
ウソ…本当の目的は東京のウマいもんと酒。
ウソ…それもあるけど、NATALの輸入販売元のヤマハミュージックジャパンさんにご協力頂いてカホンやカウベル等のNATALのパーカッションをイジってみよう!というワケ。
10vまずはCafe Racerのキットを叩いて準備運動。20「コレ…エライ音、よろしおますナァ」
猛烈な関西弁で一気にその場がなごむ。
関西弁はサシムキ笑いを取るのに楽でいいよナァ。
(「サシムキ」は山口地方の方言で「とりあえず」という意味です。Chiikoちゃんとは何の関係もないけど、最近この言葉について調査をしたものですから…)30vでは早速本日の本題。
まずはカホンから。40「ハァ~、コレも音、よろしいナァ」とご満悦のチーさま。
そう、NATALのカホンってすごく評判いいのよ。
音と使い勝手とお値段。
ようするに「コスパが良い」というヤツ。50vそして、実は今日のメインであるところのカウベル。
♪カンカン0r4a0016♪コンコン60「ナンや、エライ音のバリエーションが豊かですナァ」
ホント…ピッチやらサスティンやら、いかにもハンドメイド感が漂う。70続けて♪カンカン。
すべてのサイズを試す。
80♪コンコン
まるでユキちゃんがどっかから現れて来そうな雰囲気。
「ユキちゃん」とは『ハイジ』に出て来るヤギね。
D_DriveのYukiちゃんではありません。
しかし、アレってペーターとかクララとか出て来るけど、ナンでヤギだけ日本の名前なんだろう。
それとスイスだかオーストリアには「ユキ」という名前があるのかしらん?65vそれでは実戦で使うとどうなるか。
「古き良き街(I Rmember the Town)」なんかで実際にカウベルを使っているからね。90♪カンカンカンカン100vおお~ナイス・チョイス!
ちょうどいいバランで音が抜けて来よる!
なるほどココへ来る前にChiikoちゃんがしきりに「カウベルだけはひとつひとつ試さなアカンのですわ。アレだけはどうにもならしまへん!」と言っていた理由がわかった。110ということで次のライブから導入決定!0r4a0047_2で、次のライブはいつじゃろな?
7月2日の新横浜。
楽しみが増えました。72_3Chiikoちゃんはジルジャン・プレイヤーでもあるので、新商品にトライ。
コレも大変気に入った様子だった。
色々と楽しかったネ!120ん、「オマエがジルジャンのナニを知っているのか?」って?
今日は最後に少しだけZildjianのことについて書きましょうか?
フフフ、アメリカのHal Leonard(ハル・レナード)社から刊行されているジルジャンの歴史本『A History of the Legendary Cymbal Makers(ジルジャンの軌跡)』の日本語対訳書の監修をしたのはナニを隠そうこの私なのです。
数年前のMarshall本ほどではないにせよ、コレも大変な仕事だった。
外注した下訳ではどうしてもならなくて、結局自分で丸々1冊原語で読んでかなりの量を書き直した。
でも、ジルジャンはジャズと共に発展した歴史があるので、原文で読んでいてもとてもオモシロかったし、大分勉強になった。
実際にジルジャン社の中興の祖であるアヴェディス・ジルジャンとの親交が深かったせいもあるが、まぁアメリカでのバディ・リッチのスターっぷりには驚かされた。
私も30年近く前にニューヨークの「Botomline」でバディ・リッチ・オーケストラを観たけど、メッチャクチャかっこよかったナァ。
もちろん、バディ・リッチはとっくの昔に亡くなっていたのでドラムスはディヴ・ウェックルだったけどね。
いいの、サックスのスティーヴ・マーカスのファンだから。130b今年、Zildjian社は創業400周年を迎える。
Marshallは去年60周年を迎えたところですからね、400年というのはスゴイ!
そもそも「Zildzian」というのは「シンバルを作る人」という意味だからね。
トルコから始まった連綿とした歴史がある。
で、輸入販売をしているヤマハさんとの歴史もとても長く、今年で72年になるのかな?
というのは、2001年にZildjian社とヤマハさんの関係が50周年を迎え、それを記念する式典が今は無き六本木のスイートベイジル139で開催されたのね。
そのイベントの台本を書いたのが私。
そうる透さん、菅沼孝三さん、大坂昌彦さんをお招きして3つの異なるバンド・フォーマットをお見せした。
とりわけ、公私混同で私の大学時代に参加していたビッグバンドを呼んで孝三さんと組み合わせたのは我ながらとてもいいアイデアだったと思う。
カウント・ベイシーの「Magic Flea」を演奏し終わった時の割れんばかりの歓声は今でも耳に残っている。
このイベントの評価が高く、某社からブッキングのお仕事の誘いも頂戴したがもちろんお断りした。
2度のMarshall GALAの台本はこの辺りの経験も基にして書き上げた。
3回目はどうなるか!140Chiikoちゃんお疲れさまでした!
 
D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official Website

150 

★★★★★「マーさく君」をよろしく!★★★★★
 
Marshall Blogの索引『Marshall Blog INDEX』を作りました。
通称「マーさく君」。
過去2,200本に上る記事のタイトルすべてをアーティスト順やカテゴリー順に並べ、リンクを施しました。
調べごとに利用するもよし、マーブロ・サーフィンするもよし、ゼヒご活用ください!
 
マーさく君はコチラからどうぞ⇒Marshall Blog INDEX 

1_3_index 
Marshall Blogからも直接移動できます。
左の列から行~っちゃって。
1_mar_add 

★★★★★Marshall 冷蔵庫発売中!★★★★★

マーシャルの純正冷蔵庫『Marshall Fridge』がこの度正規に輸入販売されることになりました!
 
詳しくはコチラ⇒【Marshall Blog】ついにMarshall冷蔵庫が国内で正規に発売されました!

70

200 (一部敬称略 協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン どうもありがとうございました!)

2023年6月15日 (木)

松田聖子ツアー2023~『Parade』はNATALで!

 
アチコチで大活躍の売れっ子ドラマー、伊藤ショボン太一。
ウマいからな~…この人が叩き出すリズムには圧倒的に「音楽」というものを感じる。
反対にテクニックは感じさせない。
とてもいいドラマーだと思う。
そしてもうひとつ…ショボンちゃんが何よりもいいドラマーだと思うのはNATALにゾッコンということなのだ!(当社比)10vショボンちゃんとはナンダカンダでずいぶん長いお付き合いをさせてもらっているけど、一番最初にこのMarshall Blogに登場して頂いたのはいつのことだったかな?
こういう時には「マーさく君」が大活躍!
  ↓  ↓  ↓
Marshall Blog INDEX1_3_index ホラ、すぐに「2014年3月1日の横須賀芸術劇場」だってわかっちゃう。
あ~、便利だ「マーさく君」!こんな便利なモノはいまだかつて見たことがない(当社比)!
 
それは9年前のことだった。
お若いのに…なかなかの貫禄でしたな。380 とにかく、いつでも…20vどこでも…NATAL。30ドラム・キットだけでなくNATALカホンも大のお気に入り。
この人が叩くカホンはスゴイよ。
ジャズ・ビートなんかを叩かせると猛然とスウィングしちゃう。530v つい先日も「RED-i(レッド・アイ)」というアイドル・グループのバックでNATALサウンドを炸裂させてくれたばかり。40vそのショボンちゃんは2021年にリリースされた松田聖子の40周年記念アルバムの続編のレコーディングに4曲ほど参加している…のはその当時にレポートした通り。50cd 今回はその流れもあって先週からスタートした聖子ちゃんのツアー『Parade』に参加している。
60そのツアーのリハーサルが始まる直前、Marshallの事務所へ泊りがけでやって来て使用するNATALを入念に調整した。
そして、リハーサル当日の朝、スタジオに出発!…の図。
「ガンバりまっす!」70v今回はメインのキットにウォルナットをチョイス。
当初、大好きなブビンガのキットで臨むつもりであったが、レパートリーの音源を耳にして急遽ウォルナットに変更した。
ショボンちゃんは自分のスタジオではウォルナットのキットを使用しているので勝手知ったるところなのだ。8010"、12"、16"、22"というごくスタンダードなコンフィグレーションからなるキット。
14"×5.5"のデフォルトのウォルナットとアルミ・シェルのスネアドラムを組み合わせた。Xx スタンド類、ペダル、イスもすべてNATAL。
90今回のツアーでは、ショウの中盤に小さめのキットも使うことになっており、そちらにはCafe Racerを選んだ。
12"、14"、18"のコンフィグレーション。
100
コチラもハードウェはすべてNATAL。
スネアドラムは14"×5.5"のメイプル。110ツアーTシャツに身を包んだショボンちゃん。
なんかドラム・キットがホントにちっちゃく見えるナァ。120vツアーは9月上旬まで。
さいたまスーパーアリーナ、大阪城ホール、日本武道館、福岡国際センター、日本ガイシセンターで10本のコンサートが予定されていて、先日、武道館での2回の追加公演が決定した。
 
詳しい情報はコチラ⇒松田聖子オフィシャルサイト

130「初日のスーパーアリーナ、メッチャよかったです!」と公演翌日にショボンちゃんから連絡を頂戴した。
NATALのドラム・サウンドでたくさんの人を楽しませてあげて来てくだされ!
 
伊藤ショボン太一の詳しい情報はコチラ⇒Twitter140 

★★★★★「マーさく君」をよろしく!★★★★★
 
上にも出て来た通り、Marshall Blogの索引『Marshall Blog INDEX』を作りました。
通称「マーさく君」。
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調べごとに利用するもよし、マーブロ・サーフィンするもよし、ゼヒご活用ください!
 
マーさく君はコチラからどうぞ⇒Marshall Blog INDEX 

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(一部敬称略 写真提供:伊藤ショボン太一)

2023年6月14日 (水)

ついにMarshall冷蔵庫が国内で正規に発売されました!

 
よく『コレを英語で言えますか?』なんて本を見かけるでしょ?
さすがに最近はそうした本に興味をそそられることはなくなったけど、昔は私も腰巻の惹句に吸い寄せられてよく買ったもんです。
それでも身近にある物をスンナリと英語で言うことがムズカシかったりするよね。
自分の身体のパーツだって言えない個所がまだ山ほどあるもんね。
例えば「人中」…鼻と口の間にある溝のことね。
アレは「Philtrum(フィルトラム)」というらしい。
それじゃ「ふくらはぎ」は?
「calf」という…発音はアメリカでは「キャーフ」、イギリスでは「カーフ」かな?
「耳たぶ」は?…「lobe」ね。
じゃ、「つむじ」は?
これは言葉を知っていれば簡単…「hair whirl(ヘア・ワール)」ね。
「whirl」というのはグルグル回っているモノのこと。
…と、こんなことをやっていると、自分がまだまだナニも知らないことを知って情けなくなってくる。

1_partsチョット脱線。
かつて、The Whoの『Quadrophenia(四重人格)』のハイドパーク公演にも参加したイギリスの名ギタリストがMarshallのプロモーションで来日してイッパイやった時の話。
ナゼか「前立腺」の話題になった。
「前立腺」は英語で「prostate(プロステイト)」っていうのね。
ところがそれを知らない日本人のスタッフが「『プロステイト』って一体ナンですか?」と訊いた。
すると間髪入れずにそのギタリストがこう答えた。
「Behind the balls, in front of the ass hole」
コレを当意即妙に口にしたので「prostate」の意味を知っている連中一同がその説明を聞いて大爆笑してしまった。
場所が場所だけに私もタマタマ「prostate」が「前立腺」を意味することを知っていたのでヒックリ返って笑ってしまった。
いい思い出です。
あ、下品な話題でスミマセン。London_tommy 家電製品の英語名も結構怪しい。
まさか「電子レンジ」の英語の名称が「chin」だと本気で思っている人はいないだろうけど、「microwave oven」、通称「microwave」とスッと言える人は存外に少ないのでは?
冷房装置だって「cooler」じゃ通じないしね。
いちいち「air consitioner」というのは実に面倒なので「cooler」というのはうまい言葉だと思う。
ちなみにMasrshallへ行って「air conditioner」の話をすることはまずない。
必要としないから。
本当に「羨ましい」と思ったけど、最近はイギリスも夏の暑さがひどく、家にエアコンを備え付ける人も増えて来ているようだ。
それと、イギリスには蚊がいないんよ。だから網戸がない。
セミもいない…ハズ。
何しろ夏に渡英しても鳴き声を聞いたことが一度もない。

1_acmw じゃ、冷蔵庫は?
コレは今となってはよく知られているか?
「fridge(フリッジ)」だよね。
でも、フルネームは「refrigerator(リフレジレイター)」ですからね。
コレが「長い!」ってんで短縮されて「fridge」になっているんだけど、短縮すると間に「d」が入って来るところが何ともトリッキーではあるまいか?
気になって調べてみると、昔は「frige」と「d」抜きで綴っていたこともあったらしいが、英語を母国語
とする皆さんにとって「フリッジ」と発音するためには本能的にどうしても「d」を入れないと気が済まないらしい。
要するにシックリこない…そこで強引に「d」を間に突っ込んで「fridge」に定着したそうだ。
とういうことは、「リフレジレイター」は「フリッジ」と省略しようということが初めから決まっていたことになるわね?…どうやって決めたんだろう?
きっと発音のしやすさだけで決定したんでしょうナ。
日本人が「リフレジレイター」を省略したらかなりの確率で「リフレジ」にしていたことでしょう。
「ちょいとアンタ…リフレジにビールが冷えてるよ!」なんてナンか締まらないな。
 
ウワ、イケね!こんなに書いちまった!
…ということで今日は冷蔵庫の話題。
 
Marshallの冷蔵庫がついに正規輸入品として発売されました~!10最早Marshall Blogをご愛読頂いているMarshallファンの読者の皆さんには特に説明することもないでしょう。20あのMarshallの冷蔵庫「Marshall Fridge」です。30これまで個人輸入で日本に入って来ていましたが、このMarshall Fridgeは日本市場に合わせた100Vの仕様で、政府から義務付けられているチョー厳しい各種のテストをすべてクリアした正規の品物です。40Marshallのリアルなパーツを使用したルックス。
いいデザインというのは飽きないもんだネェ。
私も四半世紀の間、仕事で朝から晩までこのデザインと向き合っているけど、それでも魅力に感じるもんね。
50むか~し、新商品の企画に関する会議が本国イギリスであった時に、私が「冷蔵庫はいかが?」というアイデアを出したことがあった。
でもね、それって私のオリジナルのアイデアではなくて、ある人の発言がヒントになったものだったのです。60その「ある人」とは、ジミ・ヘンドリックス。
会ったことはないけど…妹さんには会ったことがあるけど。
ジミはかつてこう言った。70「オレが愛用しているマーシャルの真空管アンプが大好きなんだ。
チャンと鳴りさえすれば、世界中のどこを探したってアレに敵うモノはナニひとつありはしない。
冷蔵庫を2台並べたような見てくれも最高だ」75v_2私は「コレだ!」と思って会議で提案したけどシカトだったナァ、あの時は。
ココだけの話…私は結構Marshallに新商品のアイデアを出して来たんだゼ。
私の提案とは全く関係がないにしても、時と形を越えてこうして正規に日本に入ってくるようになったのはうれしい限り。80今までの個人輸入品だと値段がマチマチで、「エ~ッ?」というのも散見されたが、この度の正規輸入による天下統一でそういうこともなくなることでしょう。
税抜き本体価格99,000円。
1年間の品質保証つき。
90今年の夏は暑いらしいからね~。
部屋にMarshallフリッジを置いて…100Marshallビールを冷やしてカッ~っとやりましょうよ!

110v2

そのウチ、チョット前に紹介したMarshallのジンも入って来ますから!

120v_2輸入販売元はMarshallビールで大ヒットを飛ばした「株式会社都商会」さん。160都さんのウェブサイトからもオーダーできるので是非チェックしてみてください。
  
Marshall冷蔵庫の詳しい情報はコチラ⇒都商会公式ウェブサイト

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★★★★★「マーさく君」をよろしく!★★★★★
 
Marshall Blogの索引『Marshall Blog INDEX』を作りました。
通称「マーさく君」。
過去2,200本に上る記事のタイトルすべてをアーティスト順やカテゴリー順に並べ、リンクを施しました。
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マーさく君はコチラからどうぞ⇒Marshall Blog INDEX 

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2023年6月13日 (火)

Marshall Blogの索引『Marshall Blog INDEX』出来!~「マーさく君」登場!

 
2012年10月26日に現在のMarshall Blogをスタートして以来、10年7か月の間に投稿した記事の数は今日現在で2,200本を越えるに至りました。
ココまで続けて来られたのも記事の制作にご協力くださる皆さまとご高覧頂いている読者の皆さまのおかげとこの場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
さて、この度『Marshall Blog INDEX』なるMarshall Blogの「索引ウェブサイト」を制作したことをご案内申し上げます。
通称「マーさく君」。
 
Marshall Blog INDEXはコチラ⇒Marshall Blog INDEX
1_index 2,200本…2008年から始めた昔のMarshall Blogも合計すると約3,100本。
我ながら飽きもせず、よ~書いたナァと感心するやら呆れるやら…。
ところが正直、書いた本人の記憶にないモノも少なくなく、昔の記事を見返してみるに「ああ、そういえばこんなこと書いたっけナァ~」と関心するやら、驚くやら…。
さすがにコレだけやっていると記憶に残っていない記事があるのは当然だと思うし、よしんば書いたことは覚えていても「ナニをどういう風に書いたのかまでは覚えていない」なんてことはちっとも珍しくないと思うワケです。
だって「人間だもの」…。Start 
困るのは「ナニを書いたのかを覚えていない」ということより、「書いたかどうか覚えていない」というヤツなのです。
数えきれない脱線で容赦なく色んなことを書いて来ましたからネェ。
コチラとしてはエラそうに同じことを丸々繰り返し書くのは恥ずかしいし、どうしても繰り返して書きたいことには「以前にも書いたことだが…」と但し書きを付けたいのです。
さもないと「コイツ、ボケ出してるナ」なんて思われちゃいますからね。
ボケるにはまだチト早い。 
「ナンカ、コレは昔に書いた記憶があるナァ…イヤ、ないか?…イヤ、書いたか?」となってしまった時にはITの得意技である「検索機能」を活用しますわね…いわゆる「ググる」というヤツ。
ところが、コチラの検索の仕方が悪いせいか、思うような結果を得られないことが多くて大変イライラしてしまうのです。
「ああ、こんな時にMarshall Blogのアーティスト別の索引でもあればいいのにナァ…」と思い始めたのはもうもう大分前のこと。
マァ、つべこべ言っていないで作ればいいんだけど、大変に根気を要する作業になることもわかりきっていたので二の足を踏んでいたのです。Index_logo それでも少しずつやっていけば、きっといつかは完成するだろうと、もういつのことだったかは忘れたがとりあえず手をつけてはみた。
実際にやってみたところ、思った通りコレがヤケクソに面倒な作業で飽きるのナンのって!
始めてすぐにホッポリ出してしまったのです。
それから随分と時間が経過してしまったのですが、フト重大なことに気がつきました。
「重大なこと」というのは、時系列で記事を積み重ねていく「ブログ」という表示スタイルでは、苦心して書いた記事が時の経過とともにドンドン埋没していってしまい、滅多なことでは二度と人の目に触れなくなってしまっているということでした。
こんな状態では、折角ギタリストの三宅庸介さんに指摘して頂いたMarshall Blogの大きな意義である「記録を半永久的に残す」という役割が果たされていないではないか!
「記録」というモノは人の目に触れて初めて役に立つワケだから…ということで、決死の覚悟で索引づくりの作業を再開したのです。
作業としては実に単純で、記事のタイトルとその記事に付されている独自のURLを、新しく作った索引のページにひたすらコピペしていくだけ。
それでも軽く7,000回以上はこの作業を繰り返したかな?
精神的にも時間的にもコレばかりやっているワケにはいかないので、だいたい1回の作業あたり3ケ月分を処理するように努めました。
それでも3ケ月分ずつ約11年分の記事を片づけるには毎日取り組んでもひと月半近くの時間を要しますからね。
なかなかにマッシブなでタイム・コンシューミングな仕事です。
 
Cp_4  
仕分けの方法については熟考を重ねました。
Marshall Blogの記事の概ね8割は「ライブ・レポート」なので、ココの仕分けが肝心。
まずは国内のバンドまたはアーティストを洋邦の別に分けました。
基本は全てのカテゴリーを通じて時系列と50音順です。
バンド名に付けられている冠詞は省略。
濁音や半濁音で始まるバンド名はすべて素の文字の行に入ってもらいました。
つまりTHE GOOD-BYEの最初の文字の素は「く」なので「カ行」のバンドとなるワケ。
同様に「ヴ」みたいのは「ア行」ね。
それから、グループへの帰属性が高いアーティストはソロ活動の記事でバンドの欄に、反対に所属アーティストによる運営度が高い印象が強いバンドはソロ・アーチストの項目に繰り入れさせて頂いた。
1_kokunai海外のバンド/アーティストはアルファベット順だからスンナリ。
こういうことをする時にはアルファベットは実に簡単でありがたい。
ロシアや韓国のバンドがいたら大変なことになっていたけど今回はセーフ。
この歳でキリル文字やハングル文字を学習するのはあまりにも大変だからね。
Photo一方、ダブル・ヘッドライナーのように複数のバンドが出演するライブのレポートはそれぞれのバンドの項目に記事のタイトルとURLを貼り付けてやらなければならないでしょ。
コレがベラボーに厄介だったわ~。
貼り付ける時は1回コピーしたモノを複数回ペーストして使い回してやればいいだけなんだけど、それぞれのバンドが属するカテゴリーの作成ページに移動するのが大きな苦痛だったのです。
イライライライラ…。
それから1回とか2回しか登場しなかったバンドやアーティストね。
私が取材に寄り付かなくなった手合いもあるにはあるが、現れては消え、現れては消え…こういうバンドの数がバカにならない。
特に若いバンドの皆さんね。
各カテゴリー内にそうしたチームの項目を個別に設けると、イタズラに紙幅を増やしてしまうので、「その他のバンド/アーティスト」というカテゴリーに入ってもらった。
ただし、例外が多々あります。
ブレています。
この辺りは忘れている記事がたくさんあったので、作業をしていて存外に楽しかったナ。
登場回数が増えてきた場合には独立した項目を設けていくつもりです。
2_  Marshall発の情報や本国のウェブサイトの翻訳は「Marshall関連」というカテゴリーに集約しました。
コレが思いの他多くてちょっと驚いたナ。
ま、Marshall社が運営しているブログなのでそうでなくちゃイケないんだけどね。2_ Marshall GALA関連はイベントのレポートの以外の告知記事がスゴかったね。
必死に宣伝したのです。
記念に全部網羅しておいた。
おかげさまで過去2回とも大きな反響を頂戴し、今でもライブ会場などで「またGALAをやってください!」というリクエスト頻繁に頂戴するのはとてもうれしいことです。
安心してください、考えていますよ…GALA~!1_galaコレもツラかった…「イベント」の類。
もちろん複数のバンドやアーティストが出演するからでしてね。
本当は当該のイベントに出演されている各々の皆さんをアーティスト別の項目に表示したかったし、その結果が「索引」の目的であることもわかっていたんだけど…断念!
もう、コレはイベント単位で「各種イベント」というカテゴリーに括らせて頂いた。
シリーズで開催されたイベントについては単独の項目を設定した。
そして、単発やそれに近いイベントは「その他のイベント」に括らせて頂いた。
いつかまたヤル気の波が到来した時にブラッシュ・アップしたいと思っています。
今は完全に燃え尽きちゃって白い灰になっているからムリ。2__2「イギリス-ロック名所めぐり」はチョット強引な記事も含めて65本に及んだ。
実は、筆者としてはコレを皆さんに読んでもらいたいと常々思っているのです。
ロックの全盛期を知らない若い人が読んだとしてもオモシロくないでしょうけど、コアなロック・ファンにはゼヒご一読頂きたい。
だって、他にこんなのないでしょう?
コロナ以降、渡英するチャンスがなくて、このカテゴリーの新しい記事を書くことが出来ないことは私にとって苦痛でもあるんですよ!
ムリをしていくつか書こうかと思って集めたネタもあるんだけど…。
とにかく、航空運賃と円安が早いウチにもう少し落ち着いてくれることを願うばかりだ。
今、1ポンドって178円とかでしょう?チョット前まで130円ぐらいだったんだよ。
20年チョット前は平気で250円とかだったんだけどね…。2__3「ミュージック・ジャケット・ギャラリー(MJG)」も自慢のカテゴリー。
コレも「名所めぐり」と一緒で、本当に長いこと真剣にロックを聴いてきた人以外にはオモシロくも何とも類のモノかも知れません。
でも、それだけにコアなロック好きにはお楽しみ頂けると信じているヤツ。
2016年から投稿がパタリと途絶え、2022年に苦し紛れに強引にネタをヒネリ出すかのように再開した風ではあるんだけど、そんなことはありませんから。
まだもうひとつ書いていないネタも残っているのでどうぞお楽しみに!
コレも「名所めぐり」同様、Marshall Blogでしかお目にかかれないであろう記事だと思っているので、またギャラリーの常設展が再開することがあれば続けていきたいと考えている。2_mjgもうひとつのお楽しみ…「名所めぐり」や「MJG」と並んでいつも楽しく筆を執っているのが「私の〇〇」。
案外コレを楽しみにしてくださっている読者が多いということを知ってとてもうれしかった。
取材で出かけた先の「旅日記」を題材の主としているが、もう自分勝手なウンチクを並べるのがオモシロくて仕方ない。
それに折角時間を割いて読んでくださったのですから、ナニがしか「タメになること」を提供したじゃんねぇ。
そんなつもりで書いています。
特に歴史関係。
若い頃は何の興味もなかったけど、読書が一番の趣味となってからというもの、「歴史」が最高にオモシロイ。
2__4「その他の話題」には年末年始のご挨拶からエッセイっぽいものまで、他のカテゴリーには入らない記事を集めた。
案外掘り出しモノが見つかるかも?
今日現在まででこのカテゴリーの記事数が128本…そのウチ36本が訃報だった。
Marshall Blogの訃報は洋の東西を問わず、Marshallに深く関連していた方、Marshall Blogにご今日を頂いていた方、私が個人的に深い思い入れを抱いていた方を掲載の対象にさせて頂いているが、ココのところ訃報が多すぎる。2__5Marshallに直接関係のないイギリスの旅日記はShige Blogで展開してきたが、勝手ながら「副教材」的に掲載させて頂くことにしました。
本当のことを言うと、自信作&苦心作だからなのです。
だって、もう「同じ規模で開催されることは将来二度とないであろう」と謳われたロンドンの「スタンリー・キューブリック展」をココまで詳しくレポートした日本の記事なんて他にないでしょう?
あったらゴメンね。2_shigeバナーのデザインは、「下町のひとりヒプノシス」でおなじみの梅村デザイン研究所さん。
 
こうして2,200本を超す全ての記事をいずれかのカテゴリーに押し込みました。
しかし…今回の作業を通じてまたしても痛感したね~。
この11年、特にこの3年はコロナがあったせいもあるけど変わってしまったゼ~、ロック業界は。
微力ながら私はこのMarshall Blogを通じて少しでもかつて「ロック」と呼ばれた音楽の延命と発展のお手伝いたいと思っている。
アクセスや「いいね!」の数が多いモノが「いいモノ」では決してありませんからね。
「いいモノ」かどうかはアクセスや「いいね!」の多寡ではなく、皆さんの感性がキメるのです。
私としては、もこれからも「Marshall Blogでプッシュしていたから、カッコいいバンドに違いない」なんてことを言われるようにガンバっていきたいと思っています。
ヒマな時には「マーブロ・サーフィン」するもよし、ゼヒともMarshall Blog INDEXをご活用をください!
そして、掲載ミュージシャンの皆さんにはPRツールのひとつとして「マーさく君」をご利用頂ければ幸いでございます。
 
Marshall Blog INDEXはコチラ⇒Marshall Blog INDEX3_index

2023年6月 2日 (金)

Marshall London Dry Gin発売!

 
今度はコレ…Marshallのジン。10s_2 「イギリスのアルコール飲料」というと、スコッチ・ウィスキーかエールがまず頭に浮かぶでしょ?
私なんかイングリッシュ・エールが大好きなので、パブに行ったらとにかくエールしか飲まないし。
周囲を見るとラガーを飲んでいる人も少なくないが、「なんでイギリスでラガーなんか飲むのよ?!」といつも思う。
上面だの下面だの発酵方法の別を問わず男は総じてビール系。ヌルいやつね。
一方、女性はどうするかというと、ジンをオーダーすることが多いようだ。
ジン・トニックとか、ジン・ライムとか、マティーニとか。
で、現地の女性にこの辺りの事情を尋ねてみると、やはり女性がパイント・グラスを傾けてエールをグビっとやる姿はあまり好ましくないのだそうだ。
そうしている女性もよく見かけるけどね。
ウチの家内もエールが大好きで、平気でグビっとやっちゃうよ。だって日本のビールより断然美味しいからね。20「ジン」とくれば、「ビフィーター(Beefeater)」とか「Bombay Sapphire(ボンベイ・サファイア)」とか、「タンカレー(Tanqueray)」とか、日本でも普通のスーパーで売っているような銘柄も色々あるが、もちろんジンは女性のためのアルコール飲料に限ったモノではない。
それどころか、イギリスのスーパーの酒類売り場に行くと、信じられないぐらいたくさんのジンの銘柄が流通していることに驚かされる。30色もとりどり、香りは千差万別、値段もマチマチ。
入れ物がシャレていて、ビールの缶を眺めているより断然楽しいし、実際にどれも独特の風味があっておいしい。
ヒックリ返っちゃうんであんまりは飲めないけどね。
下の写真は数年前、Marshallの友達のカールに「イギリスでしか手に入らないジン」とリクエストして持ってきてもらったジン。
ラズベリーとブラックベリーのテイストでピンク色なの。
アルコール度数は40%。
とても美味しかった。Img_0039 で、この「ジン」というヤツ…そんな具合にイギリスで盛んということであれば、スコッチ・ウイスキーのようにイギリス発祥の酒かと思うとさにあらず。
発祥はイタリアらしいが、1660年頃、オランダの医者がジュニパー・ベリー(Juniper berry)という果実をベースに解熱と利尿の効用を持つ薬酒を開発し、その「ジュニパー・ベリー」のフランス語バージョン「ジュニエーブル」として普及した。
昔のヨーロッパの貴族はフランス語が公用語だったからね。40v_2下がそのジュニパー・ベリー。
この「なんとかベリー」ってのはものスゴい種類があるのね。
17世紀の終盤、オランダ総督だったウィリアム3世がイングランド国王に迎えられてその「ジュニエーブル(Genievre)」がイギリスに伝わった。
その時に「この名前、長くね?」ということで、バッサリと「Gin」という名前に短縮してしまったそうだ。
そのジンが時を経て特に製法が厳密に規定されているイギリス独特の「ロンドン・ドライ・ジン」に進化した。
言い換えると、この製法の規定に則って製造すれば、ロンドンで作っていなくても「London Dry Gin」と名乗ることができるそうだ。
5jp チョットここで名前の短縮について脱線。
よく日本人は苗字と名前から一字ずつ取っ略称を通称にすることがあるでしょう?
例えが古くて恐縮だけど、「ハマコウ(浜田幸一)」とか「ヤマカジ(山本嘉次郎)」とか。
コレは江戸の昔(あるいはもっと以前)からある日本人の習慣なんだよね。
屋号から来ているのかも知れない。
「綿屋半兵衛」で「綿半」とか、炭屋平六で「炭平」とか、「鍋屋久左衛門」で「鍋久」みたいな呼び方が普通だったから。
一方、英語も名前を省略するのがお手のもの。
「アレキサンダー」を「アレックス」って呼んだり、「エリザベス」を「ベス」にしたり。
こういう呼び名は「ニックネーム」ではなくて「demunitive(ディミュニティブ)」という。
それで…1969年公開の『1000日のアン(Anne of the Thousand Days)』というヘンリー8世の2番目のお妃であるアン・ブーリンを主役据えた映画があった。
なかなかオモシロい映画でね、リチャード・バートンがヘンリー8世を演じた。
で、アン・ブーリンはフランス系カナダ人のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドというカワイイ女優さんが熱演した。
英語圏の人はこの「ジュヌヴィエーヴ(Genevieve)」を「ジェネヴィーヴ」と発音する。5anne ところで、Marshall Recordsから音源を発売しているバンドのひとつにGen and the Degenerates(ジェン&ザ・ディジェネレイツ)というチームがある。
ここの女性シンガーの名前は「ジェネヴィーヴ」。
元来のフランス風に読めば「ジュヌヴィエーヴ」。
で、そんなん面倒なので「Gen(ジェン)」というディミュニティヴを使っている。
この感覚なのかどうなのか、「ジュニエーブル(Genievre)」を省略して「ジン(Gin)」と呼ばれるようになったらしい。5gen話を戻して…
そのロンドン・ドライ・ジンのひとつがこの「Marshall London Dry Gin」。
ジュニパー・ベリーとコリアンダーのタネのコンビネーションに柑橘系のさわやかな香りを加えたスムーズな飲み心地。
自然植物原料をスウェーデン製の原酒に12時間浸し、大型の銅製の釜で蒸留した。
低温でこの工程を進めることによりフレッシュなテイストに仕上がるそうだ。
50黒、金、白のMarshallトリコロールとスクリプト・ロゴが映えるボトル・デザイン。
何に適用しても相変わらずカッコいいナァ。60vリアはこんな感じ。
これもカッコいい。65vアルコール度数は43%。700ml入り。

70vああ~ん!フタはノブのデザインにすればヨカッタのに!

80v_2

スウェーデンの「Live Brands Factory」が製造。90v_2 …ということで、本家Marshallのウェブサイトでは早くもオリジナル・カクテルが紹介されているよ。
 
コレは「シグネチャー・ジン・アンド・トニック(Signature Gin & Tonic)」。
★50ml Marshall London Dry Gin
★100~150ml メディタレイニアン・トニック・ウォーター
★15~20ml 赤ワイン
★ローズマリーをチョコッと
★ピング・グレープフルーツ

江戸切子のグラスで頂きたい感じですな。100もうひとつは…
クローバー・クラブ(Clover Club)」。
★40ml Marshall London Dry Gin
★10ml リレ・ブラン
★30ml 新鮮なレモン
★30ml ラズベリー&ブラックベリー・ティー・シロップ
★卵白
★金粉を飾りに

「シロツメクサの会」?シャレになってるのかな?110この商品は酒販ルートを通じて日本国内でも販売される予定です。
発売の際には、Marshall Blogを通じてお知らせ致します。
特に飲んだくれのギタリストの皆さん、よろしくお願いします。120_4 

 

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
オルタナティブなパンクロッカー、パーティ・スターター、混沌の使者…そんな呼び名がピッタリのDegenerates。
揺れ動くブリティッシュ・ロック・シーンの中にあって、このチームをもっとも印象的なバンドのひとつにしているのは、アンセミック・ロックの暴動と侵略がもたらすカッコよさ、そして存在感と魅力に満ちたライブ・パフォーマンスだ。

<Underwear>

<Runaway Blues>

Gen and the Degeneratesの7インチEP『アンダーウェア(Underwear』絶賛発売中!

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200

2023年5月 1日 (月)

【訃報】Fair Warning ヘルゲ・エンゲルケのこと

Fair Warningのギタリスト、ヘルゲ・エンゲルケの訃報を耳にした。
死因は大腸の腫瘍を原因とした合併症で、その腫瘍は亡くなるたった2日前に発見されたばかりだったという。
享年61歳…って、この人、私より1歳年上なだけだったのか?
他人事とは思えん。
私よりもっとズットズット年上かと思っていたのだ。
…というのは、2010年1月の来日時にMarshallでバンドをサポートしたことがあって、ヘルゲに会って少し話をしたことがあったのだ。05v場所は今はなき新宿厚生年金大ホール。
懐かしいね。10v厚生年金会館ホールはこのFair Warningの公演の2ヶ月後に営業を完了することに決まっていたため、思い出にホールの写真を何枚か撮っておいたのだった。
下もそのウチの1枚。
GenesisやVan Halen、Blue Oyster Cultからイングヴェイ、Sonny RollinsにPat Metheny、ジャズからロックまでずいぶん通ったからネェ。
ところが、Fair Warningもヘルゲ・エンゲルケもこの時まで全く知らなかった。
つまりこの日、生まれて初めてブッツケ本番でFair Warningの音楽を耳にしたというワケ。
すごく良くてネ。
感動したことを覚えている。202010年というと、もうMarshall Blogを運営していて、当然このコンサートのレポートも掲載した。
しかし、見ることができなくなっていたのでヘルゲを偲んで2010年1月27日に掲載した記事をココに復活することにした。
例によって文章は大幅に加筆訂正し、写真も新しくプリントして何枚か追加した。
天国のヘルゲに捧げる。
 
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
 
FAIR WARNING(フェア・ウォーニング)のマーシャル
 
先日のLOUD PARK09にも来日したフェア・ウォーニングが単独来日した。これがまた実にいいライブでハードロックの素晴らしさを十二分に伝える演奏となった。30トミー・ハート40vヘルゲ・エンゲルケ55vウレ・リトゲン60vCCベーレンズ70vサポート参加のトーステン・リューダーヴァルト。80vそして同じくサポート参加のギタリスト、ニクラス・ターマン。155v_2 メロディアスなハード・ロックがウリのFair Warning。
またコーラスがスゴイ。90美しいコーラスの有無は欧米と日本のハード・ロック・バンドを大きく隔てる。110vどうして向こうの人ってこう歌やコーラスがウマいかネェ。115vニクラスは一昨年にウリ・ジョン・ロートと来日した時以来、Marshall Blogへは2度目の登場となる。
あの時も素晴らしいプレイで業界では「あの若いのウメェなぁ~!」と話題になった。
「カロンの渡し守(The Sails of Charon:これ英語圏では「シャロン」と発音します)」のイントロのソロを軽々と弾いていたからね。120vウリの時と同様、今回もJVM410Hを使用。
130v出番前の楽屋でのショット。
目がブルー&グレイで、同性の私が見ても美しいと思うわ。
こうして見ると、背の高さといいちょっとレイ・デイヴィスに似てる?
JVMについて少し話をきいてみた。
150v彼はJVM4すべてのチャンネルを使用しているそうだ。
各チャンネルのモードの設定は…
①CLEAN/GREEN
②CRUNCH/ORANGE
③OD1/ORANGE
④OD2/GREENという設定。
①を除いてかなりGAINが高めだがMASTERはそれほど上げていなかった。
内蔵のリバーブも使用している。
そしてコレらのチャンネルは全てMIDIで制御している。
160足元のようす。
かなりスッキリ。
140「シゲ、バッチリだぜ!」155v一方のヘルゲ。
コレも「Sky Guitar」っていうのかな?
時折炸裂する超高音によるギター・ソロがとてもスリリングだった。
180イタズラにその高音域を使うのではなく、ココぞという時に一発。
実に音楽的なのだ。
アンプ・ヘッドは残念ながらMarshallではなかったが、ヘルゲもキャビネットは1960を2台使用。190v開演前のヘルゲとの会話の話題は当然Marshall。
彼がまたやたらとMarshallに詳しかった!
自分が一番気に入っているMarshallは70年代初頭の1959だそうで、その写真を見せてくれた。
それを見てビックリ!
その1959、何とフロントパネルがなかったのだ!200v「It looks cool!」と私が言うと大ウケしてくれた。
シャレになっているんです。
つまり「Cool=カッコいい!」を「Cool=涼しい」に引っ掛けているワケ。
そのヘッドにはフロント・パネルが付いていないので、真空管やトランスがむき出しになっているでしょ?
風通しが良くて「涼しい~!」ということ。
こんなのがオモシロイらしい。
とても気さくな方で話をしていて楽しかったな。210v曲を重ねる毎に演奏に熱が入る!Img_1693 トミーもノリノリで観客をアオる、アオる!220メンバー同士のカラミのシーンも随所にちりばめられた。225竿チーム、揃い踏み!230この人はElectric Sunにも参加していたんだってね。
ウレと…240CCのコンビネーションも完璧だった。250 次から次へと出て来る人気ナンバーに観客は総立ち!255最高のロック・ショウを見せてくれた5人!
260v

270v

280v

290v

300v全曲を演奏し終えて大きな喝采に応えるメンバー。310最後は「体操の隊形」に開いた。
これはドイツ式なのか?320 
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
 
名ギタリストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げますImg_1570 (敬称略 2010年1月22日 新宿厚生年金会館ホールにて撮影)
 

2023年4月27日 (木)

Marshallビール、地下鉄を往く

 
今日は地下鉄丸の内線「新宿三丁目」駅にやって来た。10_2いつも近くのライブハウスに行く時に通るコンコース。
相変わらず人の行き来が絶えることがない。
30「今だ!」
瞬間的に人の通りが途絶えたところで素早くシャッターを切る。
20お目当てはコレ。60現在、Marshallビールの輸入代理店の株式会社都商会が、新宿三丁目駅のコンコースでポップアップ・ストアを設営しているのだ。
150「Marshall」ブランドに馴染みがあるからなのか、あるいはまったく知らないからなのか、驚くほどたくさんの人が足を止めてストアを覗いて行く。50vズラリと並んだMarshallビール「アンプトアップ・ラガー」。40_2 人気のケース入りからバラまですべてのMarshallビールを取り揃えている。65v「地球上でもっともクールな冷蔵庫!」…Marshall冷蔵庫(Marshall Fridge)のPRにも余念がない。70私もMarshallビールが大好きでしてね…「おや?」と思ったのはその値段。80「メトロ特価」と銘打ってディスカウント販売しているのだ。
かなり安くなってる!
90v都商会は「ロック酒」のパイオニア。
The Rolling Stones、Def Leppard、The Pogues、Motorhead柄のワインやウイスキーもズラリと並んでいる。0r4a0020 Marshallビールも「小さな壁」状態。110相変わらず並べたり積んだりするのを得意としております。120中国語での案内は時代を感じさせるナァ。
実際に撮影している間にも中国の女性がセットもののMarshallビールをご購入されていた。
130vこのポップアップ・ストアは5月7日まで。
お近くにお越しの際にはゼヒお立ち寄りくださいませ。140vさて、ポップアップ・ストアでも告知しているMarshall Fridge(マーシャル冷蔵庫)。
ノビノビにはなっているが現在絶賛発売準備中。Fridge1いよいよ都商会による正規の輸入が始まって全国が統一される!
よろしくお願いします!Fridge2
Marshallビールの詳しい情報はコチラ⇒都商会公式ウェブサイト

160 

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フィル・リノットの魂を受け継ぐGRAND SLAM。
Marshallビールを飲みながらゼヒ聴いてみてくだされ!
 
<Gone Are the Days>

Marshall Recordsから『ヒット・ザ・グラウンド』絶賛発売中!
 
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 200 (一部敬称略)

2023年4月24日 (月)

私だけの英雄~大山まきの新しいミュージック・ビデオ

  
大山まきの新しいミュージック・ビデオの撮影現場にお邪魔して来た。
まずは増村保造もビックリの「赤い」セット。
※増村保造は東京大学卒の名映画監督。在学中の同級生は三島由紀夫。日本映画史に残る名匠溝口健二の助監督を務め、後に『兵隊やくざ』、『陸軍中野学校』の他、若尾文子と組んだ『清作の妻』、『華岡青洲の妻』、『卍』、『刺青』、そして『赤い天使』等々多数のヒット作や問題作を製作した。
1970年代、テレビドラマの山口百恵が主演した「赤い」シリーズはあまりにも有名だ。
000r4a0014真っ赤っかで誰が演っているのやらわからない?!00img_8499
00img_8537

00img_8506

00img_8512次のテイクに備え、すぐにプレイバックを観察。
完璧な仕上がりに向けて改良に余念がない。000r4a0034パート別の撮影。000r4a0036 皆さん、何から何まで心得ていてサクサクと撮影が進む。
そんな中、ただひとり私だけが心配を募らせていた。
というのは…最後の最後まで真っ赤っかだったらどうしよう!000r4a0010 心配ご無用!
撮影はほどなくしてノーマル・バージョンに移行した!90大山まき

100v斉田和典110vRosana:miho120v森はるか130vやっぱり!
さっきは赤くてわからなかったけど、はるかちゃんはいつも通りNATALだ!

140スネア・ドラムもイスもハードウェアもすべてNATAL。
群馬の方ではこういう風にすべてがお揃いである状態を「ゾッキ」という。
だから今日のはるかちゃんは「NATALゾッキ」だ!150赤いマイクを握ってエキサイティングなパフォーマンを見せるまきちゃんとバンドの3人!160「暑い、暑い!」
携帯扇風機で顔に風を送るはるかちゃん。
こういう撮影を見ていて、ホント、「ドラマーさんは大変」だといつも思うよ。185vハイ、もう1回。190最高にカッコいいまきちゃん。
自信タップリにふるまう様が実にクールだ。
240疲れなどまったく見せずパワフルにNATALを叩きまくるはるかちゃん。

210vmihoちゃん、スゲエ久しぶりだった。
8年ぶりぐらいかな?
待ち時間の時、mihoちゃんがいきなり私の超大好きな洋食屋の話をし出したのでビックリしちゃった!

220vKAZZさんとも久しぶり。
今日は背後のMarshallがなくて寂しいけど、アクションは完璧!230vん~、マイクのケーブルまでカッコよく見えて来たぞ!195vテイクを重ねるたびにパフォーマンスの密度が濃くなってくる。245ハイ、扇風機、扇風機!
お櫛の乱れを直してください。
はるかちゃんもアクションが激しいからね。246今度はまきちゃんがギターを提げたバージョンの総天然色版。250ギターがスッカリ板について来たまきちゃん。260vこんな動きはもう完全にギタリストだ!270バックの3人のパフォーマンスがますます冴える!274v

275v

280vまきちゃんの魅力全開!300こうして取り組んだビデオがコレ!
曲は「My Only Hero」。


「My Only Hero」収録の大山まきのニューアルバム『Valkyrie』は6月7日発売!
 
しかし、最近「ワルキューレ」だの、「ヴァルハラ」だの。「ギュルヴィのたぶらかし」だの、北欧神話にまつわる話題によく出くわすナァ。
勉強しないとマズイか…?
  
大山まきの詳しい情報はコチラ⇒Oyama Maki official website9album 

☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
クールな女性シンガーがお好きなアナタにピッタリのバンドはREWS!
 

<Birdsong>

<Today We're Warriors>

<Monsters>

<Heart is on Fire>


Marshall Recordsからのセカンド・アルバム『Warriors』絶賛発売中!

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200 (一部敬称略)

2023年4月 4日 (火)

NATALでハレソラ~岡井大二のドラム・キットの新旧

 
雅楽師の東儀秀樹が3年ぶりにニューアルバムを発表した。
タイトルは『NEO TOGISM』。
東儀さんは、まだ六本木にスイート・ベイジルがあった頃にMarshall Blogにご登場頂いたことがあった。10cd今回は岡井大二がらみ。
大二さんがその『NEO TOGISM』のレコーディングに参加されたのだ。
20vとくれば、当然Marshall Blogとしては放っておけないワケで…大二さんにお願いして現場にお邪魔させて頂いた。
レコーディングで使用したドラム・キットはもちろんNATAL。30大二さんのホームはこのバーチのキットだけど…402今回はアッシュのキットを起用。40コンフィギュレーションは13"、16"、22"。
60
いくつか用意されたスネア・ドラムのひとつがNATAL Stave(ステイヴ)。
simoの時にいつも使っているスネア・ドラムだ。50マイクの数がスゴイ!70後ろで控えているのはsimoのライブでおなじみのユースケくん。
この日もバッチリとサポートしてもらいました。80大二さんが演奏したのは1977年の四人囃子の『Printed Jelly』の1曲目に収録されている「ハレソラ」。85cdこの日レコーディングしたパートは大二さんのドラムスとギターだった。100ギターを弾いているのは東儀さんの息子さんの東儀典親。
典親くんは70年代の音楽が大好きだそう…私と一緒。
また四人囃子についてはミツルさん期がお好きなようで、この日のレコーディングはメチャクチャうれしかったことでしょう。
ドラムスは「ホンモノの人」ですから!
110v
今回のバージョンはオリジナルの大二さんのプレイとアレンジの魅力をそのままに…
90v
篳篥(ひちりき)や笙(しょう)のサウンドを大胆に導入して東儀さんのテイストをガツンとフィーチュアしたスグレモノ。
コレぞ「Togism」!120数回テイクを繰り返して、ハイOK!
大二さん、完コピ…当たり前か。
スゴイよナァ、この曲を録ったその46年前の現場にいた人だもんナァ。
アタシャ中学校3年生だったわ。130大二さんのタスクは終了。
典親くんが持参した四人囃子のインタビューが掲載されている当時のプレイヤー誌を囲んでみんなでパチリ。0r4a0145記事のページにサインをする大二さん。
典親くん、うれしそ~!
0r4a0148
愛器を手にして笙の説明をしてくれた東儀さん。
それにジックリと聴き入る大二さん。
スミマセン…私も質問させて頂きました。
というのは、笙のサウンドがある物にとてもよく似ていることに気が付いてすごく興味があったのだ。
「ある物」とはナニか?…それは、マイルス・デイヴィスが弾くオルガンのサウンド。
演奏の途中でソロの交代を指令するときにやる「ビャ~」というあの音が笙のサウンドにソックリに聞こえるワケ。
マイルスのことだから、テオ・マセロと2人で笙のサウンドを研究したに違いない。0r4a0151最後に記念撮影。
東儀さん父子は「若年寄」というバンドを結成して活躍中!
  
東儀秀樹の詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAl WEBSITE
140
さて、今日の記事の後半はガラリと趣きを変えて…。
大二さんの思い出のドラム・キットを紹介する。
NATALではござらんよ。160それは、イギリスの老舗ドラム・ブランド「Premier」のキット。
Marshall BlogがMarshallファミリー以外のブランドの商品を取り上げるのはごくごくマレなことなんだけど、このドラム・ブランドはイギリスの方で大いにMarshallと関係がありましてな。
203
かつてプロ・ドラマーだったジム・マーシャルはPremierドラムスの第1号エンドーサーだったのだ。170vだからジムは元気だった頃、フランクルトの展示会のパーティの席上でよく余興でドラムスを演奏していた。
そういえばネクタイ姿のジムは珍しい。180写真を撮ったのは2005年のちょうど今頃。
ジムは大正12年(1923年)の生まれなので、もし生きていれば今年100歳だった。1901962年、ジムはやがてやって来るであろうロック・ブームを予測してドラム教室を運営する傍らロンドンの西のハンウェルというところに小さな楽器店を開いた。
それが後のMarshallだ。
ジミ・ヘンドリックスのドラマー、ミッチ・ミッチェルはジムのお弟子さんで、この店でアルバイトをしていた(リック・ウェイクマンも働いていたことがあったとか…)。
またキース・ムーンも一時期ジムの教室に通い、今は下の写真の床屋になっているそのジムのお店でPremierドラムスを買ったワケ。
イヤ、買わされたのかも知れない。
教室の生徒さんに楽器を販売するというのはジムのアイデアだったからね。195そのミッチ・ミッチェルやキース・ムーンのドラミングに憧れて、大二さんはこのPremierのキットを購入し、『二十歳の原点』や『一触即発』の一部で使用したというのだから、回り回って今NATALとご縁があってもナンの不思議もないのかも知れない…と考えると、「ロマン」じゃない?920s 大二さんがこのキットを手に入れたのは1972年頃。
高校を卒業して、四人囃子が始まる時のことだった。
大二さんだけでなく、バンドとしてそれぞれのメンバーが楽器を新調してもらった。
森園さんはSGスペシャルと迷い、メンバーの押しもあってストラトキャスターを入手。
当時はまだストラトキャスターを使っている人は少なかったそうだ。
コレが後のチャーさんの「ストラトをああいう風に使ったのは日本ではモリが一番最初なんだよ」という発言につながっているのかも知れない。
中村さんはプレシジョン・ベース。
坂下さんの楽器が最も高価で、ハモンドもどきと小さなレズリー・スピーカーだった。
そして、大二さんはこのキット。
当時、Premierドラムスを扱っている楽器店は珍しかったのだが、大二さんは池袋の「モリタ楽器」というお店に置いてあることを知っていて、他のメンバーの楽器と併せて某楽器店を経由させて入手した。
 
キットは20"のバスドラムと…20012"のタムタムと16"のフロアから成っていたが、フロア・タムは自宅の倉庫で保管している時に水分によるダメージを受けて残念ながらダメになってしまった。210今もほぼ変わらないロゴが「パーマン」みたいでいいね。
シッカリ「MADE IN ENGLAND」と謳ってある。
Premier社は創業が1922年なのでPremierも100歳を超した。
スゲエな、Marshallより40年も古い。
220大二さんがとにかく気に入っているのはこのフィニッシュ。
このウネウネは手作業ならではだね。
230v確かにこの重厚な風合いは見事だよ。
漆の名匠が丹精込めて塗り上げたような仕上げになっている。240今はこんなに手の込んだことはできないでしょうね。
オーダーしたらまず「データを送ってください」と言われてプリントしたフィルムを貼るのが普通だろう。
楽器に限らず、昔のモノって何でもチャンと作ってあるんだよね。
「使い捨て」なんてトンデモナイ!チャンと作って長持ちさせる。
コレぞ江戸時代の庶民の精神。
Premierはレスターっ子だけどね。
250パーツひとつひとつが前時代的で落ち着いているナァ。260バス・ドラムの最下部。
この蝶ナットがなっとも言えないね~。270ヘッドはキース・ムーンとお揃いのEverplay。
このヘッドは普通のモノと異なりティンパニのヘッドのような作りになっているそうだ。
もちろん「MADE IN ENGLAND」。280バスドラムの中。
シンプル・ムード満点!290エッジのようす。
320
バスドラムのシェルに残っている魚の形のステッカーの後。
大二さんがかつてサカナクションでプレイしていたワケではない。310コレはマーク・ベノの『雑魚(Minnows)』についていたオマケのステッカーを貼っていて、それをハガした後だそうです。
320cd「よにんばやし」か…コレ、なつかしいね。
何て言うんだっけ?カチンカチンとやって文字を打っていくテープ。
Premierドラムスを使っているドラマーは他にいなかったので他の人の持ち物と混同されることはまずあり得なかったが、念のため貼っておいたそう。
大二さん、ステッカー貼るの好きだからな。330大二さんにこのキットで臨んだ最も印象に残っているコンサートは?とお訊きすると即座に「ミラージュ・オブ・四人囃子」とお答え頂いた。
『ミラージュ・オブ・四人囃子』とは1973年7月21日に杉並公会堂で開催された四人囃子にとって初めてのホール規模での単独コンサート。
昔は「杉並公会堂のコンサート」ってよく見かけたよね。
私も高校の時に一度だけステージに上がったことがあるわ。
「泳ぐなネッシー」と「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」と「中村君が作った曲」はこの日が初演だったという。
つまり大二さんはPremierのドラムスでそれらの曲のPremierをしたワケよ。
そして今、『一触即発 デラックス・エディション』という3枚組CDでこの時の演奏を聴くことができる。
オフィシャル音源にはない「ピンポン玉の嘆き」のイントロのインスト・パートや「円盤」の長尺のドラム・ソロなど、このドラム・キットの写真を眺めながら大二さんの演奏を聴くのは実に楽しい。
でもね、結局は「大二さんのドラムスの音」なんだよね。
0r4a0830思い出のドラム・キット…処分しなくてヨカッタ!
そう、大二さんとのお話の結論は「捨てちゃダメ!」。
捨てちゃおしまいなのよ。
我々は断捨離反対派なのであった。
でも大二さん、もう安心。
こうしてMarshall Blogに残しておきましたから!340

 
☆☆☆Marshall Music Store Japanからのお知らせ☆☆☆
 
D_Driveのレーベル・メイト、Press to MECO。
いいバンドだよ~。

<Gold>

<A Test of Our Resolve>

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(一部敬称略)

2023年3月30日 (木)

生まれ変わるMarshall~Marshall GROUP誕生!

 
すでに経済関連のウェブサイトの速報でご存知の方もいらっしゃることと存じます。
この度Marshall HEADPHONESを運営しているスウェーデンのZOUND Industies社がMarshall Amplification plcを買収し、新しく『Marshall GROUP(マーシャル・グループ)』を立ち上げることとなりました。Img_5980現在、Marshall社はMarshall、NATAL Drums、Marshall RECORDS、Marshall STUDIO、Marshall LIVE AGENCYを運営していますが、今後はMarshall HEADPHONESを加えた『Marshall GROUP』として一本化されます。
日本市場においてはMarshall、NATAL Drums、Marshall RECORDS、Marshall HEAPHONESが流通しておりますが、当面はナニも変わることはありません。
MarshallはMarshall、NATALはNATAL、RECORDSはRECORDSです。
同じブランド名を持つMarshall HEADPHONESと一体化し、グループを強化することによって以前にもまして魅力的な商品やサービスをお客様に提供することが目的です。
つきましてはMarshallファミリー商品の倍旧のご愛顧を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

M_group

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2023年3月27日 (月)

もしも東京の真ん中に、山があったら。…石川達也のNATALカホン

 
森永乳業のコーヒー飲料「Mt. RAINIER」。

10v_4発売30周年を迎えて商品をリニューアルしたことを知らせるテレビCMが流れている。
それがコレ。

「もしも東京の真ん中に、山があったら。」か…東京がCMのようだったらオモシロイね。
でも、400年チョット前の江戸には山があったんですよ。
それは「神田山」。
今のお茶の水駅前あたりが山頂だったそうだ。

40_2徳川家康は江戸の居住地区の面積を広げようと、この神田山をガンガン切り崩して…30v_3その土砂を今の日比谷公園の辺りに運び込んだ。
この辺りは江戸時代の初め頃には「日比谷入江」という海だった。
スゴイね、家康ってのは。
この大工事の副産物として出来たのが神田川というのもオモシロイ。50_2さて、このテレビCMの中に若い人集って野外で音楽を演奏しているシーンが出てくる。
画面の右端でカホンを叩いているのはSilexのドラマー、石川達也。
NATALプレイヤーだ。970v_2ロゴは映らないけど、達也くんが叩いているのはもちろんNATALを使ってくれている。
コレがそのNATALのカホン。80s_3横はこんな感じ。90s_2背面はこう。100s_2ナチュラル・フィニッシュもあるよ。105_2NATALカホンの詳しい情報はコチラ⇒NATAL日本語版オフィシャル・ウェブサイト

9110v_2さてその達也くん、既に本人が発表している通り、この度残念ながらSilexを脱退することになった。
最後のステージは4月1日の四谷ハニー・バースト。
達也くんのSilexでの雄姿を是非ご覧になりに来てくだされ!

Silexの詳しい情報はコチラ⇒Silex Official Website

120s_2 

200

2023年3月10日 (金)

ANVIL PLAYS NATAL

 
「anvil(アンビル)」というのは「金床」のことだったのか…知らなかった。
「安蒜」さんという方もいらっしゃるよね。
この「金床」というヤツ、これまで全く用がなかったので詳しいことは全く知らかったが、歴史としては青銅器時代にまでさかのぼる古いモノで、鉄道の廃レールで作るらしい。
鍛冶仕事に使うことぐらいはもちろんわかってはいたが、ナンでこんな形をしているのかがややナゾだった。
良い機会だと思って調べてみると、当然のこととはいえ金床のすべての部位に意味があることにスッカリ感心してしまった。
赤く熱した鉄塊を乗せて「しばしも休まず槌を打つ」上面の平らな部分は「Face(フェイス)」という。
サイの角のような尖がりの部分は、そのまま「Horn(つの)」。
ココは部材にアールをつける時に使用される。
また丸い穴は「Pritchel Hole(プリッチェル・ホール)」と言って、部材に穴を空ける時の目打ちのウケの役目をする。
一方の四角い穴は「Hardie Hole(ハーディ・ホール)。
外部の固定工具を取り付けるためのモノ。
さらにフェイスの両端は部材を直角に曲げるために几帳面に90度になっているし、フェイスとホーンの境目に段差が付いているのは部材を切断する時に利用するのだそうだ。
これまでは金床が不愛想な鉄の塊にしか見えなかったが、職人の技に応えるべく至れり尽くせりのアイデアが詰め込まれていることを知った。
やっぱりモノの形には理由があるんだネェ。
10それらの機能が何に有益だったかと言うと…代表的なモノでは馬の蹄鉄づくりなのね。
で、果たして30kg内外もあるこの金床がいくらぐらいするものかと思ってAmazonをチェックしてみると…チャンと取り扱っていて、その値段は1万円もしなかった。
意外に安いんだな。
ウチは使わんナ。

Hs

さて、コチラは少し前にドキュメンタリー映画で大きな話題となったカナダの職人ヘヴィメタル・バンドANVIL。
今日はその来日公演の話題。20v先週、東京で2度の公演を開催した。
40ドラマーのRobb "Geza" ReinerはNATAL。30メイプルの10"、12"、13"、16"に24"のバスドラム×2に、スネアは14"×5.5"のアルミシェルというコンフィギュレーション。50v残念ながら私はお邪魔できなかったのだが、凄まじくパワフルなサウンドで両公演とも満員の観客を魅了したと聞いた。
観たかったナァ~。60NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL日本語版公式ウェブサイト

70v 

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<Nowhere>


<Die Laughing>

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200 (一部敬称略 2023年3月1日 立川BABELにて撮影 ※写真提供:UPP-tone music様 ご協力ありがとうございました!)

2023年3月 6日 (月)

かかってこんかい!~HADESのファースト・ミニ・アルバムとMV

 
「イギリスの食事はマズイ」と聞いた風なことを言うけど、体験してそれを言っているのかね?
知りもしないでそんなことを言ってるなら勘弁しねーぞ!
Bring it on!(かかってこんかい!)…と頭から湯気を出して怒るほどのことはなくて、ただウマいものはウマいし、マズいものは確かにマズいというだけの話。
日本と一緒だよ。
ただ、イギリスは産業革命や石炭や鉄鋼産業が盛んなりし時代に「メシよりも仕事」ということで、簡単に食事を済ませてもヘッチャラだぜ…という習慣がついた。
…という話には頷ける。
他にも「ジェントルマンは質素であるべき」という思想や、ライバルのグルメ国フランスの文化を排除したとか様々な理由が挙げられる。
じゃ、美味しいモノはナニがあるのよ?…という話になると…朝食?
「イギリスは朝食が一番豪華」と言われているぐらい。
下はその典型的な「English Breakfast」。
なるほど豪華…でも毎日はとても喰えん!それにそもそも特段ウマいワケではない。
でも、日本でいうところの「10枚切り」に薄くスライスしたトーストは日本の食パンよりはるかに美味しい。
しかし、間違いないのは「アジの開きに焼きのり、納豆、卵焼き、それに豆腐の味噌汁」の朝食の方が断然おいしい。
今は化学薬品まみれのヘンテコリンなものばかり喰わされているけど、こうして考えてみると日本ってのはホントに食文化を持った国だと思う。
それを…コオロギだなんて。10フィッシュ&チップスは「マズイもの」の代表にも出て来ることもあるようだけど、それは店の選択が悪いだけ。
美味しいお店ではホッペが落ちるほどウマいフィッシュ&チップスを食べることができるよ。
下はイングランド最北部のノースポートという港町にある「イギリスで一番美味しい」と評判のお店で出されるスタンダードなフィッシュ&チップス。
フィッシュはタラね。
でも「イギリスで一番美味しい」と謳っているお店は100軒は下らないらしい。
日本で言う「元祖つけめん」とか「カレーうどん発祥の店」みたいなもんですな。
でも、コレはホントに美味しかった。
こんなにギッタギタなのに全く油っこさを感じさせないの。
フィッシュだけでなく、元々から美味しいイギリスのジャガイモをナマのイモの状態から揚げたチップスがまたウマい。
〇〇ドナルドのポテトフライとはワケが違う。
20
それとカレー。
ま、イギリスのオリジナル料理ではないけれど、長いこと支配していただけあってインド料理はおいしい。
ただし、店によってクォリティの差が激しく、安い店はダメ…クサくて食べられませんから!
反対に値段の張る店は日本ではとても味わえないような美味しいヤツを食べさせてくれる。
下のアールズコートのインド料理店で食べた野菜カレーは人生の中でも1、2を争うおいしいカレーだった(ホントは家内のチョイス)。
他にもチョコチョコと美味しいモノがあったし、私は食の冒険を絶対にしないので他の美味しいモノを知らずに損をしているのかも知れない。
食べ物ではないけれど、何よりもパブで飲むあの上面発酵のビールのウマさは日本のビール会社が束になって逆立ちしても勝てやしまい。
それと硬水で淹れた紅茶の美味しさも日本では味わうことのできないモノだ。
だから「イギリスの食べ物はマズイ」と全面否定するのは全く間違えていると思うワケ。30反対にイギリスでマズイとされている代表的なモノを3つ。
まずはマーマイト。
コレはマズかった…というか、日本人の知らない味なんだよね。
パンに塗って食べるんだけど、ホテルに置いてある1回分の小さなパッケージを日本に持って帰り、コックの経験者に差し上げたことがあった。
その人はさっそくそれを指につけてペロリ。
「コレ、イーストじゃん」と平然と言ってのけた。
つまりマーマイトは下の写真のラベルに書いてある通り、イースト菌のペーストで知っている人にはおなじみの食材なの。
でもナニがナンでもマズイ。40次に「ジェリード・イール」。
「うなぎのゼリー寄せ」というヤツ。
あ~あ~、蒲焼にすればいいのに!
テムズ川の河口で獲れるうなぎをブツ切りにして煮凝りにした食べ物で、かつてはロンドンの下町っ子「コックニー」の皆さんの常食だったとか。
いつも「食の安全地帯」にいる私としては当然食べたことがないのだが、「すごく生臭い」と聞いただけでとてもじゃないけどパス。
しかし、最近はうなぎもご無沙汰だナァ。50そして、この手の話題でいつもチャンピオンのなるのがこの下のヤツ。
羊の心臓などの内臓を茹でてミンチにして、それにハーブを混ぜて羊の胃袋に詰めた…というキテレツな料理。
はい、即パス。
 
まぁ、「ウマい」、「マズい」というのは人それぞれの好みによるところが大きいので、一概には言えないことだけど、色々と経験してみるに、やっぱり食に対する心構えが日本人と違う感じがするね。
例えば、温めれば美味しく食べられるものを平気に冷たいままで食べて、それを「ウマい、ウマい」とやっているところとかね。
でもね、ひとつハッキリ言えるのは、化学調味料や化学薬品が山ほど入っている日本の食べ物の方がよっぽど「ヤバい」し、それを「安くてうまい!」と平気で食べている人たちの方がおかしいと思うよ。
そういう意味では日本人の食に対する心構えは完全狂っていると言えるでしょう。
イギリスのパンはアッという間にカビが生えちゃうんだよ。
それが当たり前なのだ。
 
あ、ところでこの下の食べ物はスコットランドの料理で名前を「ハギス(haggis)」と言います。
で、今日はその「ハギス」の話題。60…ではなくて、「HADES(ヘイディーズ)」の話題。
Marshall Blogにも何度か登場してもらったAZAZELの後進バンド。
もちろんハギスとは何の関係もありません、どころかコチラは最高に美味しいバンドなのだ!
80上の前書きで「HADES」を「ハギス」と引っ掛けたのは、下のギリシア神話の神様の「Hades(向かって右)」の読み方には「ハーイデース」とか「アイデース」とか、ものすごくたくさんのバリエーションがあって、その中に「ハデス」というのがあったから話をくっつけてみた。
西洋古典文学では「ハーデース」という表記が一般的らしいが、英語圏ではバンド名のように「ヘイディース」と発音するようだ。
このヘイディースはポセイドンとゼウスのお兄さんで、地下の世界に君臨して「冥界を支配する神様」。
それだけ聞くとナニやらコワ~い感じがするが、「曲がったことが大っキライ」という折り目正しい神様らしい…会ったことがないのでよくは知らないけど。
下の写真で写メを撮っているのが奥さんのペルセポネー。
ヘイディースの横にいる犬みたいなヤツは冥界の番犬、ケルベロス。
頭が3つ、尻尾がヘビ、胴体にヘビの頭が付いているというメチャクチャなデザイン。
ヘラクレスがコイツを地上に引っ張り出したところ、あまりの明るさに驚いてヨダレをたらした。
するとそのヨダレが猛毒のトリカブトになったらしい。
洋の東西を問わず「ケルベロス」という名前のバンドがいくつかあったナ。
70sその「正しい神様」のハズのヘイディースも男ですからね、浮いた話がないわけではなかった。
相手は「メンテ(Menthe)」というとても美しい妖精。
メンテを地下の世界に連れて来ようとすると、奥さんのペルセポネーが「オイ、ヘイ公!フザけんなよ!」と怒ってメンテを葉っぱに換えてしまう。
コレが「ミント」になった。
だからミントのことを英語で「メンソール(Menthole)」って言うでしょ?
アレは妖精の「メンテ(Menthe)」から来ているんだって。
メンテは自分の居場所を知らせるためにあの香りを発しているそうだ。
コレがホントの「居場所の発覚」…ナンチャッテ(←「ハッカ」のシャレになっているんですよ~)

9mint さて、HADESのドラマーはもちろんDr. MayoことMayo。
今回、HADESはファースト・ミニアルバムのリリースに先駆けてシングル曲のビデオをリリースすることになった。
Mayoちゃんといえば、NATALドラムス。
そこでそのビデオの撮影現場にお邪魔して来た…というワケ。
今日はそのレポート。

My_2 コレがそのファースト・ミニアルバムの『BRINGS』。
とてもいいデザインだ!100cd撮影スタジオのようす。110ギター用のMarshallはJVM410Hと1960A。
130一方、ベース用のMarshallは1959SLPと1960A。120NATALはMayoちゃん愛用のバーチのキット。
もんのすごく鳴るヤツ。140準備完了!150さっそく撮影開始!
曲は「BRING IT ON!!!」。
「bring it on」とは「かかって来いや~!」という意味。
サム・クックの有名な「Bring it on Home to me」とは意味が違う。
160Sala

170v空也180vyuriImg_3857 Mayo

200vもう皆さん手慣れたもので撮影はサクサクと進む。

205次のテイクまでチョットすり合わせ。
「このすぐ近くにメチャクチャおいしいパン屋さんがあったんだけど、今やってないんだって!」
「イヤ、最近週末だけはお店を開けているらしいよ」
なんて会話をしているのであろうか。
210こんなことをしている人もいる。220vカメラアングルを変えてもう1回。
何回も大変だネェ。
でも、同じことを同じように何度でも繰り返しできることが「プロフェッショナル」ということだから!
ラーメン屋さんも学校の先生もミュージシャンもやっていることはみんな同じ。
230皆さん、すべてのテイクで問答無用の大熱演!
オラオラ、かかってこんかい!Yy

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Img_3930

260vそして出来上がったのがコレ。
4月28日発売のHADESのファースト・ミニアルバム『BRINGS』のリード・チューン「BRING IT ON!!!」。
見てね!


ミニアルバムのリリースに向けて色々とライブも仕込んでいるHADES。
詳しい情報はコチラでどうぞ!⇒Official Website

My2 Mayoちゃん出演のMarshall/NATALのイベント『Marshall GALA2』はコチラ。

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ビックリの大反響! 
1988年に発売したエフェクト・ペダル4種類が完全復刻発売されます。
イギリス製の手づくり!

20The Guv'nor(ザ・ガヴァナー)

290BLUES BREAKER(ブルースブレイカー)

9f43f3948e5fb45dcbd6eda5a9505b2fbDRIVE MASTER(ドライブ・マスター)

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200(一部敬称略)

2023年1月31日 (火)

【追悼】鮎川誠さんのこと

 
鮎川誠さんの訃報に接した。
長年にわたってMarshallをご愛用頂いたベテラン・ギタリストをまたひとり失ったショックは大きかったが、それよりも偉大なギタリストたちの度重なる物故によって、ロックが凄まじい勢いで「ロック」から遠ざかっているような気がしてコワくなってしまった。
 
私が初めて鮎川さんのギターの音に接したのは高校生の時に後追いで聴いたサンハウスだった。
20年以上前からMarshallの仕事をするようになって、幸運にも幾度となく鮎川さんとご一緒させて頂く機会に恵まれた。
最近は疎遠になっていたものの、Marshall Blogにも何度もご登場頂いたことは私の自慢のひとつである。
さて、Marshall Blogへの追悼記事を掲載するに当たっては、追悼の意を込めて故人との関りや思い出を綴ることを常としている。
ところが、そうした内容の詳しい記事を以前に掲載してしまっているので、今回どのようにするのがよいのかひと晩かなり悩んだ。
結果、同じことを何度も書いても仕方ないので、「SHEENA & THE ROKKETSの35周年記念」の時に書いた記事を加筆訂正したうえ転用し、現在閲覧することができる鮎川さん関連のMarshall Blogの記事を巻末で紹介して弔意を示すこととさせて頂いた(オリジナル記事は2014年10月23日初出の『【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】鮎川さんとMarshallとわたし』)。
 
     ★     ★     ★     ★
 
街というものは変わるものだ。
よくテレビで有名人が下積み時代に過ごした街を訪れる番組があるが、あの中で「アっレ~、ココだっけな~?」と自分が住んでいた場所を思い出せないシーンに出くわす。
アレを見るたびに「そんなに思い出深い場所なのに何で忘れちゃうの?」と思ったりするのだが、アレは忘れてもいないし、本人が変わってしまったワケでもなく、街があまりにも大きく変化してしまうのでわからなくなってしまうのであろう。
  
下の写真は新宿駅を背に小竹橋に向かう通り、いわゆる西新宿の光景だ。
かつてこのあたりに「新宿ロフト」があった。
前回いつ訪れたのかがサッパリわからないぐらい久しぶりにこの辺りに来たついでに、「新宿ロフトの跡はどうなってるのかな?」と思いつき、ブラリと足を向けてみた。
ところが…。 
恥ずかしながらわからなかったのである。
どこにあったのかがハッキリとわからなかったのだ。
1970年代、あんなに足繁く通い、80年代の初頭にはしばらくの間、月1回のペースで出演者の末席を汚していたにもかかわらず明確な場所が特定できなかった。
街が大きく変わってしまったのだ。0010ついでにもうひとつ…。
こちらはさすがにしょっちゅう通りかかるので忘れようがないのだが、渋谷駅前西武百貨店A館の裏。
下の写真のビルとビルに挟まれたやや背の低い建物。ここに何があったかを知る若い人はまずいないだろう。
ここの4階に「渋谷屋根裏」があった。

今となっては大資本が運営するホール様式の巨大なライブハウスが林立してごく普通の高校生もライブ・コンサートに足を運んでいるが、ここに屋根裏があった1970年代は「ライブハウス」というと「いかがわしい」とか「危険な」イメージが世間にあって高校生が出入りすることは大変マレなことだった…と思う。
どうしても酒を出すからね。
当時はもちろん店内でタバコもスパスパだった。
 
高校1年生の頃、当時スペース・インベーダーがものすごく流行っていて、スコアを伸ばそうと私も地元の小さなゲームセンターに入り浸って研鑽を積んでいた。
そこでアルバイトをしていたお兄さんがバンドをやっていて、毎月新宿ロフトや屋根裏に出演していた。
何となく口をきくようになったある日、「別にライブハウスは危ないところではないから、ロックが好きなら観においでよ!」と誘われ、ほどなくして屋根裏に遊びに行った。
多分16歳の時だったと思う。
そのバンドは現在でも元気よく活躍している「三文役者」で、「ゲームセンターのお兄さん」はそのギタリスト、大竹亨さんだった。
「あまり遅くならないように…」ぐらいのことは言われたろうが、親もよく行かせてくれたものだと思う。
これが私のライブハウスの初体験で、結構当時の色んなバンドを拝見した。
それでももっともっと色んなグループを見ておけばよかった…と今でも臍を噛む思いをしている。
その後、パンク/ニューウェイブが台頭してきて私の興味はジャズに移り、時のロックを熱心に聴かなくなってしまったので自然とライブハウスからは足が遠のいてしまった。
今では街も音楽もライブハウスもすっかり変わってしまった…。
前置きは以上。
鮎川さんとの出会いを記すにあたってはどうしても当時のライブハウスのことを書いておきたかった。
0030v
私は高校生ながら洋楽の知識をひと通り持っていたが、こと「日本のロック」となるとからっきしダメで、色々なグループの存在をずいぶん大竹さんから教わった。
その中のひとつが「サンハウス」だった。
当時、サンハウスのレコードは完全に入手不可能で、当時三文役者のPAを担当していた方にお願いしてサンハウスの3枚のアルバムをカセット・テープに録音して頂き、初めてサンハウスのサウンドを耳にした。
「3枚のアルバム」とは『有頂天』、『仁輪加』、『ドライブ・サンハウス』のこと。
本当にテープが伸びるほど聴き狂ったね。
大好きだった。
下はその時のカセット・テープ。
「Sun House」と綴っているのは私がバカだから。
イヤ、それもあるけど、それだけ情報量が少なかったのだ。
だって、レコード・ジャケットを見たことがなかったんだから!
正しくは「Sonhouse」。
元はEdawad James "Son" House Jr.だもんね。
0r4a0397 ブルースをベースにした洋楽風の曲想に、柴山さんの図太い声で「いかにも」の歌詞がビシっと乗せられたサマはナニよりもカッコよかった。
そして、夢中になったのは鮎川さんが弾くギターだった。
そうなると当然ホンモノを見たくなるのが人情だ。
ところが、サンハウスはとっくに解散しており、レコードですら入手できないのだからホンモノを見るなんてことは夢のまた夢。
年上のロック好きの人たちから耳に入ってくる情報といえば、「何年か前に上京して鹿鳴館で素晴らしい演奏をして九州へ帰っていった」なんてまるで月光仮面かスーパーマンのような話しばかり。
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そして、知ったのが鮎川さんが新しく結成したバンド、「シーナ&ロケッツ」のことだった。
1979年、セカンド・アルバム『真空パック』が発表されてすぐに買いに行った。
そして、同じ時期に新宿ロフトではじめてホンモノの「鮎川誠」を目にしたのであった。
ここで冒頭のロフトに話が結びつくというワケ。
それはまだ改装前のロフトで、店内がまだレンガづくりになっていたっけ。
超満員でメチャクチャかっこよかったのを覚えている。
もちろん鮎川さんとお話することもなどできるワケがなかった。Spその後すぐにファースト・アルバムも購入。
みんな「レモン・ティ」のことを口にするけど、私は鮎川さんがお歌いになった「ビールス カプセル」と「アイラブユー」がとても好きだった。
後にそれらの曲の出自を知ったが、「でもそんなの関係ネェ!」だった。S1_2 それから時代は25年ほど下って2004年。
『Marshall Nite』というビクター主催のイベントが開催された。
渋谷のTOWER RECORDSの地下にMarshallの壁を持ち込んでコンサートを開催する…という企画だった。
それはデビューして1年足らずのFUZZY CONTROLをプロモートするのが目的で、当時同じレコード会社だった増子真二率いるDMBQ、そしてSHEENA & THE ROKKETSが出演して華やかな色どりを添えてくれた。
その時、鮎川さんはMCで「ボクはズ~っとMarshallを使ってきた。ナニモノにも代えがたい信頼のおける相棒だ」とMarshallの素晴らしさを博多弁で熱心に説いてくださった。
コレは私がお願いしたワケではなくて、鮎川さんが企画の趣旨をご理解のうえ自主的に対応してくれたのであった。
そのお気遣いがとてもうれしかった。
ところが、この時はごどうしてもタイミングが合わずご本人にご挨拶をすることができなかった。
このイベントの記録がナニも残っていない。
下は第2回目の『Marshall Nite』の告知チラシ。
第1回目は「都心にMarshallの壁現る!」というキャッチとともに「ギターマガジン」誌が大きなレポートを組んで頂いたが、どこを探してもそのスクラップが見つからなかった…残念。
9mnt 
そして、翌2005年。場所は日比谷野音。
『Lightnin' Blues Guitar Festival』というイベントが開催され、中野重夫さんや故住友俊洋さんが出演するということでお邪魔させて頂いた。
私がMarshallのTシャツを着て楽屋をウロチョロしていると、「チョットチョット!そのシャツ、写真撮らせて!」と声をかけて来た人がいた。
鮎川さんだった。
恥ずかしいので「イヤ、こんなシャツの写真を撮ったって仕方ないですよ!」とお断りしたのだが、「構わん、構わん、ジッとして」と何回もシャッターをお切りになった。
コレが初めて鮎川さんとお話をする機会となった。
もちろん、上に書いたようなそれまでの経緯をご説明したことは言うまでもない。
鮎川さんはニコニコして「そうか、そうか」と私の話を聞いてくださった。
もちろん、その時もステージには愛用のMarshall 1987がセットされていた。
 
さらに、5年もの月日が経ち、次にお会いする機会がやってきた。
場所は原宿のクロコダイル。
楽器業界の重鎮の還暦祝いのコンサートが企画され、鮎川さんとシーナさんも出演した。
その頃はもうMarshall Blogを始めていて、撮影に忙しく簡単なご挨拶しかできなかった。
これはその時に撮影したうちの一枚。
写真には入っていないが、アンプはもちろんMarshallだ。
0040v
その時から2か月後の2010年5月、『JAPAN BLUES SOUL CARNIVAL』のSHEENA & THE ROKKETSをMarshall Blogで取材させていただいた。
この頃にはお会いすれば「ヨウ!」ぐらいの感じになっていたのがうれしかった。
 
ヘッドライナーはこの時が日本初公演となったR&B/ソウルの大御所ソロモン・バークだった。
元よりその手の音楽を聴かない私は、鮎川さんたちの出番が終わったらすぐに帰ろうかと思っていたのだが、開演前に鮎川さんが「今日のソロモン・バークは見逃せんよ~。ローリング・ストーンズの師匠じゃけんね。初めて日本で演るんじゃ」と教えてくださったので、せっかくだから最後まで観ていくことにした。
これが信じられないぐらい素晴らしいパフォーマンスで感動の嵐だった。
危なく見逃すところだった!
しかも、ソロモン・バークはこの日本での初公演から5か月後に急逝してしまった。
もう2度とその歌声を生で聴くことはできない。
だから鮎川さんには二重に感謝している。
その後、ソロモン・バークは名古屋のBOTTOM LINEに出演したが、車イスの幅が楽屋の入口より広く、御大は楽屋の中に入ることができず、終始外にいた…という話を大分経ってから耳にした。

もちろんここでもMarshall。

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鮎川さんの1987と1960B。Sb2 鮎川さんのMarshallは魚のマークが目印。50ホラ、リアパネルにも。Rear4続いては同じ年の夏のフジ・ロック・フェスティバル。
私はとうとうサンハウスを観たのだった。
この時、ドゥイージル・ザッパも出演していて、一週間ぐらい前にロンドンで会ったばかりだったので、私の顔を見るなりドゥイージルは飛び上がって驚いていた。
「オイオイ、キミは一体どこに住んでいるんだい?!」って!
 
サンハウスの出番は遅く、朝から降ったり止んだりの雨の量が強くなるばかりだった。
帰りの新幹線の時間も気になるし…チョコっとだけ観て帰ることにした。
ところが、ナンのこたぁない。
結局、ほとんど全部観てしまった。
だって演る曲、演る曲が好きな曲ばかりなんだもん!
しかし、この後がシンドかった。
ズブ濡れになって苗場の駅から乗った新幹線がガラガラのうえに冷房がギンギンに効いていて寒くて凍死するかと思った。
でも、心の中はとうとうサンハウスを見たよろこびで暖かかったナ。
0042v
残念ながらマネージメント・オフィスの方から演奏中の撮影許可を取り付けることができなかったので、機材の写真だけ撮らせて頂いた。
もちろんMarshallにキマってる。
ライブの写真を撮ってMarshall Blogに残しておきたかったナァ。Img_0204そして、2010年の10月。
今度は「京浜ロック・フェスティバル」にお邪魔させて頂いた。
コレが川崎の駅から超満員のバスで40分というかなり過酷なロケーションだった。
考えてみるとこの時も野外。
シナロケは野外が良く似合う。

0043vもちろんこの時もMarshallだ。Photo_2さて、先のソロモン・バークとフジロックの間に私の人生の中でも指折り印象に残る出来事が起こった。
もうMarshall Blogのアチコチで書いて来たことなんだけどね。
福島県の郡山市立美術館が『スウィンギン・ロンドン 50's-60's ―ビートルズたちが輝いていた時代―』という企画展を開催することになり、MarshallのJTM45 OffsetやJTM45/100を展示品として貸し出すことになった。
その時代に流行した様々なグッズを展示し、ブリティッシュ・インベンションの時代を振り返ってみようという企画だ。
 
美術館の学芸員の方が事前にご挨拶にお見えになり、展示品の貸し出しに関する打ち合わせをしているウチに私の悪いクセが爆発してしまった。
今でも時折展開している自分勝手な「ロックはこうあるべき論」を熱くぶってしまったのだ。
ビックリしながらもその美術館の方は私の話に耳を傾てくださった。
10_2

打ち合わせから数日してその美術館の学芸員の方から連絡を頂戴した。
Marshall Blogを子細にご覧頂いたうえでの「折り入ってのお願い」とおっしゃる。
「困った時はお互い様」とご依頼の内容を伺ってみると、その企画展の関連事業として『60'sロック談義』と題した公開座談会を企画しており、私に出席して欲しいという。
…ザダンカイ?
題名の通り「60年代のロック」について、またロンドンについての話しをするという内容だ。
「60年代か…70年代ならまだしも、60年代はキビしいかな?」と思いつつ、対談の相手を尋ねると鮎川さんとシーナさんだっていうではないの!
だから対談ではなく鼎談だ。
51_2
上に記した通り、鮎川さんは既に何度かお会いして存じ上げていたし、Marshallのクリニックや研修を数えきれないほどやってきた私としては人前で話しをするのもキライな方ではない。
目立ちたがり屋の自分としては飛びつくべき話しなのだが、相手が相手だからナァ。
鮎川さんのロックのキャリアと言えば、ビートルズが完全にリアルタイムなワケだし、ブルースやR&Bの造詣の深さたるや尋常ではなかろう。
直接ではないにしろ、時代的に実際に「ブリティッシュ・インヴェイジョン」をご経験なすっている方だ。
一方、こちとらローリング・ストーンズすらロクに聴かない、どちらかと言えば「正統派」から遠く離れた「変態」に属するロック・ファンだ。
ジャズなら人後に落ちないが、それ以外の黒人音楽は全くと言っていいほど聴いて来なかった。
コレは何日も考えたね~。
正直かなり悩んだ…訊けばお客さんもかなりの数だというし。
鮎川さんとシーナさんの前でワザワザ自分の無知をさらけ出すのか?!
学芸員の方とは押したり引いた入りの局面があったが、「ええいママよ!Marshallのためじゃい!」と自滅覚悟でお引き受けすることにした。
52
それからは徹底的に鮎川さん研究に没頭した。
相手のことを知らないで対談するなんてエチケット違反だと考え著書を漁った。
コレがまた読めば読むほどますます自信がなくなるようなご経験を鮎川さんはされていらっしゃるでありませんんか!
「やっぱり、断ろうかな…」と再び弱気になったこともあった。0030こんなのも読んだ。
こうして鮎川さんに関する情報を仕入れているうちに、不思議とご本人と打ち解けてきたような気になってきた。
「そうか、要するに生きた時代は違うし、経験も異なるけど、我々は結局『ロックバカ』なんだな…」と…。
それからは楽だった。
途中からおふたりの胸をお借りするつもりで「何でも教わっちゃおう!」という気持ちに変わったのだ。0050もちろんシーナさんの本も楽しく拝読した。0040
コレで準備万端…と言いたいところだが、実はまだ悩みが残っていた。

20v
この座談会、ただ座って「フムフム」と鮎川さんのお話の相手をするだけでなく、司会役も仰せつかっていたのだ。
「司会」とあらばツカミが肝心。
段取りとしては冒頭でお客さんの笑いを取るのが一番手っ取り早い。30_2

当時は「なぞかけ」がブームになっていた。
「●●とかけて▲▲ととく。その心は××です」というアレだ。
コレで行こう決め、郡山にちなんだネタを仕込もうと考えた。
郡山って何が名物なんだ?何しろ一度も行ったことがない場所だ。
地名で行くか?「こおりやま、こおりやま」…「こりゃマァ」でナンカできないかな?
ん~、いいのが浮かばない。
有名な食べ物は「ママドール」というお菓子か…?
ダメだ…いいアイデアが出てこない。
こうなりゃチョイと浅草演芸ホールまで行って「ねづっち」にお願いしてくるか?

40v_2…とかなんとか言っているうちに当日が来てしまい、座談会の心配はどこへやら、「なぞとき」のネタができずに新幹線の中で七転八倒する始末!
デコでもアイデアが浮かばない!
それでも何とか郡山駅に着く直前に強引にヒネリ出したネタを携えてこの超立派な美術館に入り込んだのであった。

50vドワッ!開演を待ちわびる人でロビーがゴッタ返してる!
こりゃ責任重大だぞ!

60…と、いよいよ開演時間になり、総合司会の方からご紹介を頂き予定通り考えたヤツをカマしてみた。
「エ~、郡山とかけまして…台所に通じる廊下ととく、その心は…『ママドール』。しげっちです!」
コレが大ウケよ、大ウケ。
もちろん無理してウケてくれた郡山の皆さんが飛びっきり心優しい人たちだったということなんでしょうけどね。
でもね、コレ、終演後に私のところにやや年配の方がいらしゃって、「アノ~、あの『ママドール』のなぞときなんですが、会社の宴会でやってもいいでしょうか?」とおっしゃるではないの!
「どうぞ、どうぞ!」…とてもうれしかった!
そんなこと私にワザワザ断らなくたっていいのにね。
もう、郡山がいっぺんで気に入っちゃった。

T_img_0039 そして、いよいよ鮎川さんたちをお迎えした。70_2ものスゴイ歓声!
お客さんは200人は優に超えていただろうか?
決して小さくはない講堂が超満員になっていた。

80事前の打ち合わせは一切なし。
話す内容についても主催者側からの指定が一切ない。
例の鮎川さんの著書を叩き台にして、当時の話しをお聴きしつつ鼎談がが進行した。
始まってみたらとてもオモシロかった。90_2何しろ鮎川さんは「ビートルズ」の名前をお弁当を包んでいた新聞紙でお知りになったっていうんだから驚きよ。
まさにリアル・タイムな人なワケ。
他にもThe Kinksのレイ・デイヴィスとのことや当時の九州のロック事情など貴重なお話をたくさん伺うことができた。
シーナさん曰く「レイはとってもいい人よ~」。
私はレイとデイヴのマズウェルヒルの生家までは行ったけど、もちろん会ったことはない。
キンクス・ファンの私としてはもっとおふたりにレイの話をお伺いすればヨカッタ。
最後の方では美術館のお計らいで、Marshall Blogの「ロック名所めぐり」の写真を使った「プチ・ヴァーチャル・ロンドン・ツアー」なんてこともやらせて頂いた。
鮎川さんもシーナさんも私が撮ったそれらの写真を熱心に見入ってくださり、とこどろどころコメントや質問を頂いた。
このコーナーも大成功だったと思う。
この時だったかナァ?
「ユー・メイ・ドリーム」の話になって、鮎川さんがプロデュースを担当した細野さんを天才だと思ったっておっしゃった。
「どんなところが?」と私が訪ねると、「例えばあのカスタネットを入れたこと」と鮎川さんがおっしゃる。

Img_00322 私があまり納得していない風に見えたのか「だってあんなところにカスタネットを入れるなんてアイデアは絶対に浮かばんけん!」と説明を加えてくれた。
私はそういう風に思うことの方がよっぽど天才だと思った。
100そして、最後はお2人のパフォーマンス。
残念ながらパソコンの調子が悪く、バッキングトラックが再生できなかった。
しかし、鮎川さんはゼ~ンゼンひるんだり困ったりする素振りなど見せず、「ア・カペラで演るけん!」とひとことおっしゃって、シーナさんのタンバリンをバックに「Satisfaction」を弾き始めた。
Img_00242「ロック」がそこに出張して来て演奏しているようなすさまじいパワーで会場は大いに盛り上がった。
この時だってもちろんMarshall。
限定で発売した1987のコンボ、2187をお使いになった。
 
とにもかくにも座談会は大成功で、大きな拍手をお客さんから頂戴して私はようやく肩の荷を降ろすことができた。
もうひとつとてもうれしかったのは、その学芸員の方が「私に任せて間違いなかった」とおっしゃってくれたことだった。
イエイエ、100%お2人のおかげでした。
Img_00203終演後は閉館して貸切状態になった展示場を鮎川さんとシーナさんたちとでユックリ見学させていただいた。
先にも触れた通り、数えきれないほどの50~60年代のグッズが完全な形で展示されていて、実に興味深い。
初めて見るようなモノあり、なつかしいモノもあり…。

125vおふたりにMarshallの前でポーズをお願いする。
同行した家内がシーナさんとパンの話をすると「マコちゃん、パンが好きなんだけど、太っちゃうからあんまり食べさせられないのよ~!」なんておっしゃっていらした。
鮎川さんたちと親しくなるわ、ギャグはウケるわで、人生の中でもマレに見るエキサイティングな一日だった。160v座談会に先立ってのソロモン・バークの時の野音で鮎川さんの著書にサインを入れて頂いた。
0060
家内はシーナさんにサインをしてもらった。
0070_2
鮎川さんのトレードマークのレスポール・カスタムをジックリ拝見させて頂いたこともあった。
170v1969年製。
恐らく日本で最も有名なLes Paulの内の1本だろう。180vさぞかし何度もリフレットしているのかと思ったら案外そうでもないらしい。

190v満身創痍のボディ表。

200v_2リア・ピックアップが少し傾いてしまっている。

210v上の写真は郡山以前月に撮影したもの。
そして下は郡山市立美術館で撮影したもの。
よく見るとブリッジ・サドルが交換されているようだ。T_img_0038 リアのトーン・ポットのノブは4年経っても取り付けられていない。
このハット・ノブについているハズの数字なんか完全にのっぺらぼうになっちゃってる。

220vテールピースとスタッドも最早一体化している。
コレの方が振動の伝導率が高くてサスティンが稼げたりして…。

230ボディ・サイドもかなり塗装部分が減ってきている。

240v_2ストラップ・ピンも何回も交換されたのかもしれない。

250_2ヘッド裏。
ペグは交換していないとお聞きした。

260v_2あ~あ、ネックはもう完全に塗装がなくなっちゃってる。

270vボディ裏の塗装もかなり剥がれている。残っているのは60%ぐらいか?

280v触ってみるともうツルッツルのドモホルンリンクル状態。
塗装はハデに剥がれているにしてもズボンのベルトの傷がまったく見当たらない。

290vジャックも何度か交換されているに違いない。

300私のフォト・クレジットが入っているが、下は鮎川さんが撮影してくれた写真。
宝物の写真だ。
このギター、鳴りがいいのはもちろんだが、それよりもネックを握った瞬間「アレ?あったかい」と感じた。
愛用のMarshall 1987とともに鮎川さんの愛情を分かち合っているからなのだろう。
1969年生まれだから私より7歳も若いのよ。
この時、鮎川さんの前で何を弾いたかって?
「キング・スネーク・ブルース」と「レモンティ」。320v_2
以上、鮎川さんに関する思い出。
やはり郡山美術館の仕事は私の人生のハイライトのひとつだった。
その後も鮎川さんにはMarshall Blogにご登場頂いていた。
記事は以下の通り。
ゼヒご覧頂いて日本最高のロック・ギタリストを偲んで頂きたい。
鮎川さんにご愛用頂いたMarshallも記事内で紹介しています。
 
★【SHEENA & THE ROKKETS 35周年記念特別企画】 ROKKET RIDE TOUR
[2014年9月13日 日比谷大野外音楽堂]
鮎川さんのリクエストでステージの前っツラまでお客さんを入れた野音のライブ。
私もずいぶん野音でコンサートを観て来たが、他にこの景色を見た記憶がない。
シーナさんのお葬式の時に、鮎川さんが私の顔をご覧になるなり「あの野音でシーナが登場して来る時の写真、彼女、とても気に入っていたんよ」とおっしゃてくださった。
それを聞いて家内と2人でドバ~っと涙を流した。
 
<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog10_2

『シーナの日』 #1 ~シーナに捧げるロックンロールの夜~
[2015年4月7日 下北沢GARDEN]

シーナさんのご逝去から2か月後の4月7日に開催した追悼ライブ。
イベントの名前通り本当に「ロックンロールの夜」の様相を呈していた。
菊さんやマリさんも登場してこの上ない盛り上がりを見せたが、鮎川さん、やっぱり寂しそうに見えたな。
 
<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog

210

鮎川誠と祝うMuddy Waters生誕100年
[2015年9月12日 下北沢GARGEN]
 
上にソロモン・バークのことを書いたけど、普段ブルースをいう音楽を全く聴くことのない私はこのコンサートで多くのことを勉強させて頂いた。
この時も菊さんが出演して鮎川さんとのコンビネーションで凄まじいステージを見せてくれた。

<前編>はコチラ⇒Marshall Blog
<後編>はコチラ⇒Marshall Blog

200_2
★SHEENA & THE ROKKETS 35周年ライブ日比谷野音DVDリリース!
[2019年7月2日]
35周年を記念するコンサートのDVDが5年の月日を経てリリースされることになったニュース。
許可を得てMarshall Blogの記事に使用しなかった写真を多数掲載させて頂いた。
  
記事はコチラ⇒Marshall Blog
20以上。
 
鮎川さん、本当に色々とありがとうございました。
私はいちファンとして、そしてMarsdhallの人間として、偉大なるロックンローラーとお仕事をさせて頂いたことを誇りに思っています。
安らかにお眠りください。270v SHEENA & THE ROKKETSの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAl WEB SITE

2023年1月12日 (木)

【追悼】I REMEMBER JEFF

 
ココ数年はスッカリ朝に強くなって…イヤ、正確に言うとやたらと朝早くに目が覚めてしまってユックリ寝ていられないだけの話なんだけど…。
今朝も5時起きだった。
今年はいつになく忙しい正月でMarshall Blogの更新がスッカリ滞ってしまっていた。
そこで「今日こそは新しい記事を公開しよう!」とまず気合を入れ、顔を洗って5時15分には事務所のパソコンの前に座った。
昨晩ひと通り書き上げた記事の推敲をするしようとインターネットをつなげてブッタマげた。
それで完全に目が覚めた。
いきなり「ジェフ・ベックの訃報」が目に飛び込んで来たのだ。
 
…と言っても、私は昔から熱心なファンであったことはなくて、むしろそのスゴさに気づくようになったのは、来日した時にMarshallでサポートをするようになってからかも知れない。
それでも私が初めてジェフ・ベックの演奏を耳にしたのは1976年のことだからカレコレ47年も前のことになる。
初体験はBBAの『Live in Japan』だった。
あのトーキング・モジュレーターがカッコよくてね。
その時にはもうギターを始めていたので、ラジカセを使ってマネをしたことをよく覚えている。
ギターをラジカセにつないで、イヤホンで鳴らす。
紙を巻いて作った筒をそのイヤホンにセロテープで貼り付けて筒の先端を口にくわえる。
するとイヤホンの中のスピーカーを通して口の中でギターの音が鳴るという寸法だ。
要するにホンモノのトーキング・モジュレーターと仕組みは同じ。
ところが、加入力になってしまったイヤホンが猛烈に熱くなるのがチョット怖かった。
それにトーキング・モジュレーターを使いすぎると、その振動で脳波が乱れる…とかいうウワサが流れてこの遊びはそう長くは続かなかった。
そもそもギターもほとんど弾けなかったし!

Bba 1976年と言えば、ちょうど『Wired』がリリースされた年で、ロック界ではかなり大きな話題になっていた。
オコチャマだった私はあのインストゥルメンタルのアルバムのどこが良いのかサッパリわからなかった。
一方、『Blow by Blow』は後追いだった。
その中2の時、ひとつ上の学年の人が文化祭で「Scatter Brain」を弾いたんだよね。
中学校3年生ですよ!その演奏にかなりビックリしてね~。
今では「万国ビックリショウ」にエントリーできそうな速弾きキッズも珍しくなくなったけど、当時はロクな教則アイテムがなかったからね。
バツグンのうまさだった…ように見えた。
その人は全くの独学で、ライナー・ノーツに掲載している譜面をさらったようなことを言っていた。
それで『ギター殺人者の凱旋』というアルバムがあることを知ってすぐに買いに行った。
コレも私のジェフ・ベックの思い出のひとつなのだ。
ちなみにその方は最終的にジャズに走ったが、お兄さんは明治大学ビッグサウンズソサエティ・オーケストラに在籍し、慶応大学ライトミュージック・ソサエティオーケストラの神保彰さんの向こうを張った名ドラマーだった。
とにかく、この『ギター殺人者の凱旋』というアルバム名は子供ながらに「ナンじゃらほい」と思ったモノだったな。
このアルバムを持っているにも関わらず、石丸電気レコード館2階のロック売り場に行って「すいません、ジェフ・ベックの『ブロー・バイ・ブロー』をください」と店員さんに頼んで、出て来たアルバムが『ギター殺人者の凱旋』だったので赤っ恥をかいた友人もいた。
かく言う私もこの凄まじい邦題が海外の宣伝惹句の直訳だったことを知ったのはかなり後になってからのことだった。9am1 その後、ひと通りアルバムはさかのぼって聴いてはいたが、上述の通り夢中になることはなかった。
それでも『Truth』が好きだったかな?
そんな状態だったので来日してもコンサートに足を向けることはなかった。
そして、初めて生のジェフ・ベックを見、そのギターの音を耳にしたのはジェニファー・バッテンとステージをともにした2000年の来日の時のことだった。
この時はJCM2000 DSLでサポートしたように記憶している。
会場は東京フォーラムで、ショウが始まってすぐに観客全員が立ち上がったのにはハラが立った。
こっちは初めてのジェフ・ベックだからジックリ観たいワケよ。
少々ムカムカしながら仕方なく立って観たことを覚えている。
Dsl その次に来日したのが2005年。
この時も東京フォーラムか…コレはまったく記憶にないな。
でもMarshallでサポートして、ゲストとしてショウを拝見したハズだ。
そしてその翌年が富士スピードウェイで開催された『ウドー・ミュージック・フェスティバル』での来日。
コレはよく覚えている…というか、色んな意味で一生のウチでも最も印象に残るイベントのひとつとなった。
御殿場まで電車で行くのがツラかったな~。
この時もジェフはJCM2000 DSLと1960BXを使用した。
ステージのソデでそのプレイをジックリ拝見させて頂いたのもとてもいい思い出だ。
この頃はMarshall Blogをやっていなかったので記録はなし。
その後、2008年にMarshall Blogをスタートさせて機材を紹介するようになった。
そんなジェフ・ベックに関する過去の記事を紹介して追悼記事に代えさせて頂きたい。
 
Jeff BeckとDSL
2009年。
この時は単独公演とクラプトンとのダブル・ヘッドライナーで来日。
ジェフのバンドはキーボーズがデビッド・サンシャス、ベースがタル・ウィルケンフェルド、ドラムスがヴィニー・カリウタというメンバーだった。
2020年のNAMMのイベントの楽屋でタルちゃんと2人きりになってしまい、無言でいるのも心苦しいので、この時のジェフのMarshallをサポートしたことを話したところ「あ、そう」で終わり。
あ、もちろん他の会話をしたけど、とても落ち着いた方で、自分の軽さが恥ずかしかったワ。Jb_jb1_4 この来日時の前半では、持参したカスタム・メイドのMarshallを使用していた。
ところが横浜の「みなとみらいホール」で演奏中にノイズが盛大に出てしまい、途中から上の写真の通り1987Xに変更となった。
確か大急ぎで名古屋へ1987Xを送り出さなければならなくて、も~その手配が死ぬほど大変だったことを覚えている。
ちなみにそのノイズはMarshallのせいでは全くなくて、会場側の電源のケーブルの不良が原因だった。
それを映画の『欲望』よろしくジェフがアンプをバンバン叩くもんだから、あの時は客席から見ていて寿命がかなり縮まったわ。
今、そのモデルはMarshall本社の博物館に収蔵されている。0r4a0094
Jeff BeckのMarshall 2010
この記事はゴメン。
秘密が多くて写真を撮ることができなかったように記憶している。
何せペダルボードなんかはいつも目隠しされていて、本番の時以外は見えないようになっていたりするからね。
そんな!…例え全く同じ機材を使っても誰にも絶対にあんな音を出すことはできないんだから心配ないのにね。
そういえば、あのジェフのストラトのワーミー・バーがどんな感じなのか、この頃はスッカリ顔なじみになっていたギター・テクに頼んで触らせてもらったことがあった。
想像していたよりはるかに動きが硬くてビックリした。
 
Jeff BeckのMarshall 2014
この頃になるとMarshall Blog用にライブの写真も撮らせてもらうようになった。
外タレのコンサートの場合、「アタマ3曲」とか制限つきでステージの真ん前で撮らせてもらうことが多い。
この時も同様だった。
コレはどこかに書いたように記憶しているけど、ステージの前からレンズをジェフに向けるとこっちを見るでしょ?するとカメラのファインダー越しに目がバッチリと合っちゃうワケよ。
向こうには私の目は見えないハズなんだけど、それがコワくてね~。
そんな時には「許可もらってますから!」と心の中で叫びながらシャッターを切ったものでした。10v 
Jeff Beck Live in Japan 2015
この頃は今のDSL、つまりDSL100Hを使用していた。
それでも完全に音は「Jeff Beck」だったナァ。
撮った写真はもちろん先方のチェックを経てMarshall Blogへ掲載したのだが、てっきりスタッフが選ぶのかと思っていたらジェフ自身が選んでいるということを後に聞いてかなりビックリして…照れた。

90 そして、コンサートにお邪魔したのは2017年1月31日の東京フォーラムでの公演が最後だった。
いつかfacebookに投稿したが、スタッフの連中がフォーラムのトイレに驚いて「Electric toilet!」と大騒ぎしていたのが大変にオモシロかった。
ジェフは愛器を人任せにせず、自分でギターを肩にかけて会場に現れ、楽屋にいる間はズッと練習していた。
この時、リハーサルで何度もジョン・ルイスの「Django」を弾いていたっけ。
アンプは1987と1959、キャビネットはやはり1960BXを使用していた。
ライブの写真も撮らせてもらったので大量の写真が残っているのだが、どこをどう探してもMarshall Blogにライブ・レポートが見当たらなかった。
理由を思い出すことができないが、恐らく先方スタッフと没交渉になってしまい記事は書かずじまいになってしまったのだろう。
 
ま、コレは偶然だけど、ジェフの住むサーリーへ行ったこともあった。
仕事や用事があるといちいち車でロンドンへ出て来るというような話を聞いた。
Img_1101
こうしてみると2000年から2017年までずいぶんと長い間お手伝いをさせて頂いたものだ。
残念ながら顔を突き合わせてヤアヤアなどとやることはとてもできなかったが、トーキング・モジュレーターごっこで遊んでいた頃には「ジェフ・ベックのお手伝いをする」などという光栄なことは想像したこともなかった。
こうして毎回来日するたびにコロコロとバックラインが変わったし、Marshallを全く使わない来日公演もあったが、基本的にはいつでもMarshallがメインだった。
50WでBキャビ…コレがジェフのMarshallのベースだった。
下の写真はかつてのフランクフルトの展示会のMarshallブースのようす。
やはりジェフはいつでもMarshallの大切なアイコンのひとつだった。
 
ギターの奏法云々はマニアの人に任せることとして…私流に考えると、ジェフ・ベックのスゴイところは、ヒット曲を作るでもなく、歌を歌うでもなく、本当にギターだけで自分の音楽をつくり出したことだと思う。
Marshallは長い間そのジェフの音楽づくりのサポートを務めて来た。
ジェフ・ギターの音はMarshallの音であり、Marshallの音がジェフのギターの音だった。
それが突如としてこの世から消えてしまった。
大変に恐ろしいことだ。
昨年の大谷令文さんといい、今回のジェフといい、「Marshall」という「音楽を作る装置」を本当に理解しているギタリストが年を追ってドンドン少なくなっているのだから。
Marshallを愛用しているスゴいギタリストはまだまだ枚挙にいとまはないが、今日「ひとつの時代」が終わり、「ギターが作り出す音楽」のひとつが絶滅したような気がした。
Rimg0167偉大なるギタリストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます
 
さよならジェフ・ベック!20_2

2022年12月30日 (金)

来世でもMarshall!!~現世のCASPA NatasumiとMarshall

 
CASPAが昨年末に活動休止を発表した時は本当にガッカリしてしまったっけ。
ところが!
しばらくの間鳴りを潜ませていたものの、いよいよ活動を再開させて今月上旬ライブハウスのステージに戻って来た!
ヨカッタ、ヨカッタ!
そのCASPAのギタリストがNatsumiちゃん。10vNatsumiちゃんはいつでもMarshall。
楽器フェアの大舞台でも…20v汐風そよぐ夏の渚でも…30v熱狂のライブハウスでも当然Marshall。40そして、テレビ番組の収録スタジオでもMarshall。
70このMarshallはテレビ東京で来年1月4日の深夜0:30からスタートするドラマ『来世ではちゃんとします 3』のオープニング映像の撮影のために用意したモノ。
1959と1960Aね。
110v夜中の12時まで起きていることが全くない私は、残念ながらこのドラマのことを存じ上げなかったが、何でも人気の4コマ漫画を実写ドラマにコンバートした作品だそう。
もう『3』だからね、その人気が窺えるというモノだ。50オープニングの映像に出演されているのがこの方々。60その映像がコレ。
曲は大森靖子さんの「ムゲンライセ」。

映像の中でギターを弾いている人はNatsumiちゃんではない…見ればわかるか。
でも、使っているギターはNatsumiちゃんの愛器のレスポール・カスタムなのだ。90vそう、自身は出演していないが、ギター演奏の演技指導と楽器の調達をNatasumiちゃんが担当したというワケ。100やっぱりこういう映像にMarshallが映り込んで来ると全体の印象がガラっと変わって「シマる」よね。
問答無用で「ロック」になる。
そりゃMarshallは60年間もロックをクリエイトするお手伝いをし続けている「ロックのための必須道具」なんだもん、当たり前といえば当たり前のこと。
この大きな黒いハコの中にはロックの夢とカッコよさが詰め込まれているのサ!
「夢」はこの大きさであるべきなのよ!
ねぇ、カスタムさん!
(ちなみに筆者は27年前、生前のレス・ポールさんにニューヨークでお会いして少しお話をしたことがあります)
1959活動を再開したCASPAには大いに期待していますからね!
現世はMarshallでガンバレ、Natsumiちゃん!
 
CASPAの詳しい情報はコチラ⇒CASPAオフィシャルウェブサイト

120v

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<Birdsong>

<Today We're Warriors>

<Monsters>

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200 (一部敬称略 写真提供:NatsumiHoney Burst)

2022年11月26日 (土)

PROGのD_Drive

 
もうスッカリご無沙汰しているけど、内容が少しでも良ければイギリスに行くたびに買って帰る雑誌がある。
それは70年代のロック・アーティストを中心に据えた『CLASSIC ROCK』。
このことは以前にも何度書いてきた。102010年にはこの雑誌が主催する『HIGH VOLTAGE』というロック・フェスがロンドンで開催され、たまたまその時にロンドンに居合わせた私は、2日間にわたって「我が青春のロック」を十二分に堪能したのであった。
その時のようすはコチラでレポートした(4回シリーズ)⇒HIGH VOLTAGEの思い出 <その1>

05_2さて、そんなこんなで大好きな『CLASSIC ROCK』の姉妹誌がプログレッシブ・ロックに焦点を絞った『PROG』という雑誌。
私は中学校3年生ぐらいからプログレッシブ・ロックに夢中になり出し、結果的に人生で一番長い時間聴いたロックとなった。
どういう頻度で刊行されているのかは知らないが、イギリスに行く機会があれば、スーパーでこの『PROG』という雑誌も必ずチェックしている。
日本でも手に入るんだけど、お値段がね~。550r4a0204ちなみに「Prog」というのは「プログレッシブ・ロック」のこと。
プログレッシブ・ロックの故郷のイギリスでは間違えても「プログレ」なんて言わない。
「プロッグ・ロック」と呼んでいる。
それで、子供の頃から親しんで来たつもりの「プログレッシブ・ロック」がどうも日本で捉えている「プログレッシブ・ロック」とどうも違うようだ…ということに気が付いたのはつい先日のこと。
今年8月にD_Driveが2枚目の世界リリース・アルバム『DYNAMOTIVE』を発表した時、ヨーロッパでの受け止められ方を目にして日本が「プログレッシブ・ロック」という言葉に関して世界の感覚とズレていることを発見したワケだ。
コレは結構大きなショックだったね。
 
詳しいことはコチラに書いておいたので、キミも読んで世界に通用する「ロック博士」になろう!⇒プログレッシブ・ロックってナンだ?~D_Driveの新作『DYNAMOTIVE』が教えてくれたこと

225479_ddrive_dynamotive_615x600px さて、ココからが今日の記事の本題。
今までは前置き…「You ain't heard nothing yet!」というヤツ。
そのD_Drivenの新作はイギリス本国のみならずフランス、イタリア、ベルギー、オーストリア、あとキリル文字のどっかの国、等々のネットで思いっきり取り上げて頂いた。
そのこともココに記録しておいた⇒世界の国からD_Drive

9pr2 そして、真打登場。
ナント、その私の大好きな『PROG』誌面にD_Driveを取り上げてもらったのだ!
下が昨日発売されたその掲載号。
いきなり表紙がThe Moody Bluesですからね。
昔、『Every Good Boy Deserves Favour』だの『Seventh Sojourn』だのよく聴いたね。
たしかムーディーズは「Go Now」で最初にMarqueeのスタジオでミュージック・ビデオを作ったバンドじゃなかったけか?Progド~ン!
1ページまるごとD_Drive!
コレは「Limelight」という注目のバンドを紹介するコーナー。
「ライムライト」とは「スポットライト」と同じ。
コレは間違いなく日本人初でしょう。
マジでうれしいわ。
「歌詞がないけど歌はある」というSeijiさんの名言で始まるインタビュー記事。
さすが「PROG」。
D_Driveが言いたいことをバッチリと記述してくれている。
翻訳したのは私なんだけど、いつもの通り実に巧みな英語にブラッシュアップされているのがうれしい。
実は、この雑誌でこうして大きくフィーチュアされるのは、お膝元のMarshall Recordsも喜ぶぐらいイギリスでは価値のあることなのです。
いくら時代が変わったとはいえ、チャンとした雑誌に取り上げてもらうのは、やっぱりインターネットに登場するより格段にステイタスが高いということよ。
当たるといいナァ。
Thanks very much for your hard work Tristan!!

9ddrive_colour_blurred 「PROG」はTOWER RECORDやHMV等の大手輸入レコード店のウェブサイトでお求めになれます。
 

■□Marshall Music Store Japanからのお知らせ■□

 
D_DriveのSeijiとYukiのビデオがイギリスで人気のギター・雑誌『GUITAR WORLD』のウェブサイトに登場しました!
 ↓  ↓  ↓
GUITAR WORLD PLAYTHROUGH

Gw  

このビデオの曲が収録されているD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』を絶賛販売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。53000x3000コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive official website
 
Marshall Music Store JapanでCDをお買い上げのお客様にはMarshallスクエア・ロゴステッカー3枚をプレゼント!
 
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Simg_9727

200(一部敬称略)

2022年11月 9日 (水)

【I REMEMBER 令文】Marshall Mania

  
大谷令文さんの追悼特集はまだまだ続く。
ウチの「大谷さん」は「翔平」ではなく、徹頭徹尾「令文」だから!
今回からは今のMarshall Blogでは見れなくなっていた記事を加筆訂正して、かつ新たに現像した写真を交えて紹介していく。
今日は私の手元に残っている一番古い令文さん関連の記録。
2006年に開催された『Marshall Mania』というイベントのレポート…と言っても、この記事は今のMarshall Blogにも復刻掲載していたことがあるので見覚えのある読者も少なくないと思う。
局面によって内容を書き換えていたのではジャーナリズムとして成り立たないことはわかっているけど、令文さんの追悼に主眼を置くとどうしてもリライトせざるを得ず、大幅に内容を書き換えて再々掲載させて頂くことにした。
つまり書下ろし!
 
それでは早速はじめましょう。 
『Marshall Mania』が開催されたのは2006年4月16日のこと。
「昨日のことのよう」と言いたいところだが、ずいぶん昔の話だナァ。
会場は名古屋伏見の老舗ライブハウス『Heartland Studio』。
『Marshall Mania』は中京地区のMarshallファンの皆さんが自慢のMarshallを持ち寄って展示するという企画。
そして、ゲストの令文さんのギター・クリニック、さらに夜の部ではMarshallゆかりのミュージシャンが集ってのスペシャル・ライブ…というMarshallゾッキのイベントだった。
Marshall Blogが始まる2年前のことで、私は「Marshallの輸入代理店の担当者」としてVBA等、夜のスペシャル・ライブで使用する機材のサポートをする格好で参加させて頂いた。
この日、イベントが終了したのがかなり遅い時間で、お客さんが全員お帰りになった後に機材を地下の会場から人力で地上まで運び出すのがメチャクチャ大変だった。
また、よりにもよって、8x10"のベース・キャビネット「VBC810」を持って行っていたんだよね。
営業所の若者と2人で大騒ぎしながら何とか階段で運び上げた。
その後、松屋かなんかに食事に行った時は午前1時を過ぎていた。
16年前…私もまだ若かったんだネェ。
今じゃとてもそんなことできないわ。
 
さて…。
昼の開場と同時にお客さんがポツポツ集まりだした。
所狭しとズラリと並んだ新旧のMarshall。
右を見ても左を見てもぜ~んぶMarshall!
101959は当然のこと、JCM800 2203、JCM900 2100SL-Xや4100、JCM2000 TSL60、6100と様々なモデルが並んだ。
この当時はまだJVMが出る前だった。
よってフラッグシップ・モデルはまだJCM2000のTSLシリーズ。
この半年後ぐらいにVintage ModernとJVMシリーズが発表になったのです。
壁に貼ってあるジミヘンのポスターもなつかしいね。201974X、2061X等のハンドワイアード・シリーズに加えてJTM45 Offset(右端)まで並んでいた。
JTM45 Offsetは思い出のある商品でしてね~。
真相は恥ずかしくてとてもココに書くことはできないが、土壇場でアメリカに頼んで50セット分けてもらったんだよね。
コレは本当に素晴らしいアンプだった。
お金のことなら何とでもなる!…と、職権を濫用してマジで1台買おうかと思ったが、家に置くスペースがないので泣く泣く諦めた。
Marshallもコレを復刻するのが大変だったそうで、「もう二度とやらない」と以前言っていた。
買ったお客さんは「ラッキー中のラッキー」と言えよう。
30「White Special」も並んでいる。
白い1959、白い1960、そしてPower Brake PB-100まで白で揃えたラインナップはMarshallの35周年を記念するモデルだった。
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ココは1959族がズラリ。
一番右は1994年に世界限定で200セットを生産し、発表とほぼ同時に完売した「Barney(バーニー)」とアダ名されたモデル。
紫色のカバリングをまとい、Bキャビが背高の1959のフル・スタックだ。
別名「The Hendrix Stack」。60「Barney」というのはアメリカの子供向けテレビ番組に出て来る紫色のティラノサウルスのこと。
当該のスタックはこのキャラクターと同様、紫色でサイズが大きいということから海外で「Barney」と呼ばれた。
コレは多分アメリカだけの話だと思う。
イギリスのMarshallが「バーニー」と言う時にはバーニー・マースデンだし、日本で「バーニー」と言えば日下部正則さんと相場がキマっとるからね。
 
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目の玉が飛びだすようなウルトラ・レアなアイテムが並んだワケではないが、オーナーの皆さんが自分のMarshallに愛情を注いでいることが伝わって来るうれしい展示だ。
しかし、これはさぞかし設営/撤収が大変だったことだろう。
今更ながらに主催者に感謝を申し上げたい。
50Marshallを手に入れること、Marshallをステージにセットすること、Marshallを弾くこと…すべてが「ロック」ですからね。
その「ロック」に直結しているのがこの光景は圧巻だった。70楽屋に行くと、出番を控えた令文さんがウォーミングアップをしていた。
しばらくすると令文さんのギター・クリニックが始まるのだ。
追悼記事『私の令文さん』の中で触れた通り、この時に初めて令文さんと面と向かってお話をした。
もちろん私から声をおかけして、「〇〇の時の私です」と過去の接触事例を引き合いに出して自己紹介すると、とても気さくに対応してくれて、早速Marshallの話をしたのであった。
 
ほどなくして令文さんのギター・クリニックがスタート。
この内容がまたスゴかった。
こう言っちゃナンだが、「ギター・クリニック」とは名ばかりで、バッキング・トラックもナニもなしに令文さんがコアなロックの曲を好き放題に弾きまくるというスタイル。
グワ―ン!と弾いて「フリートウッド・マック…ピーター・グリーン…知ってる?」とやるだけ。
こんなの令文さんだからできるし、許される。
他にロビン・トロワ―の曲なんかを持ち出して「コレ知ってる?知ってんの?知らないだろうな~」なんてお客さんに向かってやってる。
そのようすが滅法オモシロかった。
80その代わりサウンドは抜群だった。
だって、この後のライブのためにご自分のMarshallを持ち込んでいたんだもん。
もちろんスライダック&コーラスエコー付きのフル装備。
ナンのことはない、令文さんが一番の「Marshall Mania」だったんだよ。Rimg0186 途中で加わったのがGEORGIE PIEの原マサシ。
当時マサシさんはロンドンのテムズ川南岸のパットニーというところにお住いで、この時がご縁となって翌年私が渡英した時にMarshallの工場にご案内した。Rimg0192_2 マサシさんもご自分のMarshallを持ち込まれていた。
フル・フェイスの1962。
その後ろに見えているのがVBC810。Rimg0185 マサシさんは「本当はトロロのブルースブレイカーが好きなんです」とおっしゃっていたナァ。
「トロロ」というのは下の写真のフレットクロスのこと。
「とろろ昆布」のトロロね。
トトロじゃないよ。Img_0905 そして、令文さんが「それじゃ、アイルランドの民謡でも一発やりますかな…」と言って2人で弾き出したのがThin Lizzyの「Black Rose」のあの真ん中のギター・アンサンブルのパート。
ココもバッキング・トラック全くなしのア・カペラ。
生身の人間が目の前であのパートを完璧に弾くのを見てビックラこいたわ!
だって、スコット・ゴーハムが「こんなもんできるかい!」と投げ出してしまったもんだから、あのパートはゲイリー・ムーアがひとりでレコーディングしたっていうんでしょ?
もう、音は十二分にスゴイいし…というか、鳴っている音がギターだけなのでそれはそれはスゴイことになった。
一生忘れることができないパフォーマンスだったな。
そして、この2人にはもう一生会うことができない。Rimg0202 この時から数年経って…。
Fairport Conventionは私のガラではないんだけど、勉強のために名盤と呼ばれているアルバムを大かた揃えて(ガマンして)聴いていたらビックリ!
『Liege & Lief』に収録されている「Medley: The Lark in the Morning」という曲に「Black Rose」のあのパートの最後の方のメロディがそのまま出て来るじゃないの!
きっとアイリッシュ・ミュージックを好んで聴く人には基本中の基本なんだろうけど、私は全く興味がなかったのでコレを見つけて結構感激した。
そして、さっそく令文さんに報告した。
令文さんもおおよそFairport Conventionは守備範囲でなかったらしく、私の報告を聴いて驚き、「ええ!聴きたい!」とおっしゃていた。
当時はYouTubeもSpotifyもなかったので、確か音源をCDに焼いてお渡ししたように記憶している。Ll そして、夜。
マーシャル弾きが集まって熱気あふれるライブ・パフォーマンスが繰り広げられた。
もう会場はこれ以上はひとりとして入れないような満員状態!90出演は令文さんの他に、トーベンさん、The Sons、Shigeo Rollover、マサシさん、メリケン・バンドのコヤマタケシさん等々の豪華メンバー。
Rimg0227コレだけのメンバーだからして当然最後は大セッション大会になるわな。
まぁ~みんな弾くわ弾くわ!
もう完全にコントロール不能になってしまい、まさしく阿鼻叫喚のギター地獄!
誰かが「Child in Time」に出て来る「♪A、C、E、Eb~」のフレーズを弾き始めたらセッション内で流行っちゃって、トーベンさんまでベースでそのフレーズを弾き出す始末。
楽しかったナァ~。
ところが、いっくら弾いても終わる気配を見せず、そのウチ終電に乗り遅れそうな人も出て来てしまい、会場のお客さんが少しずつ減り出して来た。
まさにジミ・ヘンドリックスが登場した時の月曜日の朝のウッドストック状態!
ま~、冗談抜きにゲップが出るほどギター聴かせてもらいました。Rimg0249セッション・リーダー的な存在だった令文さんも思う存分弾きまくっていた。Rimg0250しかし、人間ってナンだってこんなにギターを弾くかネェ?
答えはカンタン!…そこにMarshallがあるから。
Rimg0257とにかく素晴らしいイベントだった。170このイベントは翌年、『HeartLand 30th Anniversary HTV MARCYのロック道場 Presents Marshall Mania2 in NAGOYA』と銘打って再演され、令文さんも出演されたが私はお邪魔しなかった。Mm2

200_2(一部敬称略 イベントの写真は2006年4月15日、名古屋HeartLand Studioにて撮影)

2022年9月13日 (火)

世界の国からD_Drive

 
去る8月26日にインターナショナル・リリースされたD_Driveの『DYNAMOTIVE』ですが、おかげさまで中身はもちろんのこと、ジャケット・デザインに対しましても大変な好評を頂戴しております。
D_Driveのライブ会場並びにMarshall Music Store Japan他でお買い上げ頂きました皆様には心より御礼申し上げます。
 
さて、Marshall Recordsからの報告によると、『DYNAMOTIVE』は海外のSNSを中心とした数多くのメディアに盛んに取り上げられ、特に本国イギリスでは注目の的となっており、1作目の『MAXIMUM IMPACT』の時に比べて『D_Drive』の名前が飛躍的に浸透してきているそうだ。
『日本のプログレッシブ・ロック・バンド」としてね…。
D_Driveの音楽がプログレッシブ・ロックか否かは先日書いた記事「プログレッシブ・ロックってナンだ?~D_Driveの新作『DYNAMOTIVE』が教えてくれたこと」をご覧あれ。
気に喰わないったって仕方がない。
エリザベス1世がスペインの無敵艦隊を破ってからというもの、言葉も時間も世界の標準は全てアチラですからね。
同じ島国でもこっちは世界の田舎の「Far East」だからイギリスが「D_Driveはプログレッシブ・ロック・バンドである」と言ったら世界的に「D_Driveはプログレッシブ・ロック・バンド」なのだ。
そもそもプログレッシブ・ロックは「イギリスの音楽」なのだから逆らうことは絶対にできまい。
私も今度イギリスに行った時に「D_Driveってどんなバンド?」と現地の人に訊かれたら胸を張って「インストゥルメンタルの『プロッグ・ロック』を演っているんですよ」と答えるつもりだ。
ま、何でもいいのよ、注目されれば!
そんなワケで今日はどんな海外のメディアでD_Driveが取り上げられてきたかを今日は紹介するよ!
今日の1本、泣きたいぐらい大変だった!53000x3000_2 D_Driveに関する記事が投稿された順番にはなっていないのであしからず。
目についたヤツを片っ端から並べてみた格好だ。
ホトホト困ったのが国籍。
ウェブサイトって、ナゼかどこの国のページかを明らかにしないんだよね。
「About Us」というページを読んだところで、どのサイトも全くと言っていいほど国籍に言及していない。
だから英語で文章を書かれてしまうと、どこの国のウェブサイトかもうゼンゼンわからない。
例えばスウェーデンなんかは、国の刊行物が英語と自国語の2通り発行されるっていうぐらいの英語国だからね。
英語でもスウェーデンのサイトかも知れないワケ。
オランダ人なんかホントに英語がうまいからね。
でも、「世界の人が見る」というインターネットの特長を考えれば、英語で書きたいのは当然だ。
今日これから紹介するサイトは、Marshall Recordsの情報によるとイギリスのウェブサイトがかなり多いようだ。
猛烈にウェブマガジンの文化が浸透していると言い換えられるではなかろうか?
でも、どれも言っている内容はほぼ一緒。
基本は私がD_Driveやアルバムについて書いた文章を参考にして、各サイトが音源を聴いての感想が付け加えているという流れ。
そんな感じでご覧頂きたいと思う。
 
 
1. Games, Brrraaains & A Head-Banging Life
まず…コレはイギリス。
「ゲーム、ホラー、ヘビメタ…他に人生で何を望もうぞ」みたいなサイト。
「少しは本を読んで勉強しなさい!」とでも言いたくなるナ。
D_Driveは「ロック/メタル・アルバム・レビュー」というページに登場している。Uk1

2. DISTORTED SOUND

名前からするとどうしても歪み系ギターが活躍する音楽のサイトという印象を受けるが、今イギリスで大人気のウチのNOVA TWINSやMarshall Records初のブルース系ギタリストのローレンス・ジョーンズなども取り扱っているところを見ると、総合的な音楽サイトのようだ。
上でリンクしている記事に書いた通りD_Driveを冒頭から「Japanese progressive rockers」と紹介している。
Uk2
誌面ではご親切にも大分前にシングルでリリースした「Begin Again」のビデオも紹介してくれていてチョット照れるな…イヤ、コレは私が作ったビデオなんですわ。5ba  

3. METAL NOISE
名前の通りのメタル系ロックのサイト。
『DYNAMOTIVE』に収録されている曲をひとつずつ音楽的に丁寧に説明してくれている。
最後に点数が付けられているんだけど、10点中8.5。
何枚か他のアルバムもチェックしていみたけど、8.5は高いほうみたい…ヨカッタ。

Uk3 
4. METAL EPIDEMIC
「生きてるかッ?メタルで息をしているかッ?没頭できる新しいバンドやアルバムを探しているかッ?」…みたいなサイト。
ん~、この記事は放っておこう。
真実と違うことを推測で書いている。Uk4

5. ROCK 'N' LOUD
コレはイギリスのロックの総合ウェブ・マガジン。
コチラさんはシングルやら、ビデオやら、当然アルバムやら、何かをリリースするたびにD_Driveを取り扱ってくれてありがたい。
アルバムのレビュワーはBABY METALとCROTHFAITH以外の日本のロックやインストゥルメンタル・ミュージックに詳しくない…としていながら『DYNAMOTIVE』のことは大変気に入ってくれたようで、やはり1曲ずつ適切な感想を述べてくれている。

Uk5

6. BRING the NOISE UK
昔、黒人音楽の歴史を綴った『Bringin' da Noise, Bringin' da Funk』というブロードウェイ・ミュージカルがあったが、それはそれは素晴らしい作品だった。
このサイトは特に『DYNAMOTIVE』の解説はしておらず、「I remember The Town」と「Wings」、それに「Red Light, Green Light」のビデオを紹介していた。

Uk6 

7. CLASSIC ROCK
大好きなCLASSIC ROCKマガジン。
イギリスのスーパーへ行った時、雑誌コーナーにおいてある本が好きなバンドを特集している時には必ず買って帰ってくる。
そんな雑誌がD_Driveを取り上げてくれてとてもうれしい。
コレはシングル「I Remember The Twon」の紹介記事。 

Uk7

8. MAXIMUM VOLUME
「Maximum Volume」なんて言ってるけどサ、向こうの連中、「Marshall Live」のサウンドチェックの時にD_Driveの「音がデカい!」ってやたら言うんだゼ。
いくら音量を下げても「まだデカイ!」とか言われてPAとD_Driveの間に入っていて往生したわ。
でもこの『MAXIMUM VOLUME』は大丈夫。
他の記事では「TURBO D_Drive」なんてキャッチ・コピーまで付けてくれてとても好意的。
この『DYNAMOTIVE』の紹介記事では『POWER ON』だよ。
ココのサイトも『MAXIMUM IMPACT』の頃からとてもD_Driveに協力的で、このレビューでもメンバーの言葉を引用しながら丁寧な解説をつけてくれている。5mv3  
 
9. METAL PLANET

タイトルの通りメタル中心のウェブ・マガジン。
出ているバンドは結構ベテラン感大。
D_Driveが若い感じ。
このサイトも「Thumbs Up」や「Begin Again」の頃から応援してくれているが、今回もシングル「I Rmember The Twon」を取り上げているだけで『DYNAMOTIVE』自体の紹介はなし。Uk9 

10. FrontView Magazine
コレはベルギーだな。
上で紹介したどれかの記事と同じ内容。Uk13 
11. Musipedia of Metal
コレはイギリスのブログ。
一切写真が使われていない男のブログ。
今時、政府の刊行物でもゆるキャラを遣ったりして愛想を良くしているものだが、大丈夫なのか?。
内容的には他のサイトと同じ。Uk14 
12. Stormbringer.at
オーストリアのサイト。
副タイトルが「THE AUSTRIAN HEAVYZINE」だって。
ヘビメタル+マガジンね。
「ヘビジン」か…浅草の蔵前に「蛇善(へびぜん)」という明治17年創業のゲテモノ食材屋があるけどね。
品揃えのスゴさは『DYNAMOTIVE』の比ではない。
このページはドイツ語なので解読不可。
大学の時、もっと勉強しておけばヨカッタ!(←ウソ)
Uk15 
13. At The Barrier
アルバム発売前の記事。
先行リリースしたシングル2曲の紹介と、近い将来リリースされるアルバムへの期待が書かれている。
メンバーの言葉も引用された結構マッシブな内容。Uk17 
14. News Day FR
コレはフランス。
まったく読めません。Uk18  
15. SPAZIO ROCK
コチラはイタリア。
チャオ!
「SPAZIO ROCK」というのは「ロック空間」みたいな意味かな?
まったく読めないけど、評価はかなりよさそう。
グラッツィエ!

Uk19 
16. RADIO ACTIVE
ドイツの総合音楽ウェブサイト。
ビデオからサブスクから丁寧な作りでダンケ!Uk20 
17. DISTORTION
「интерактивный журнал о музыке и искусстве.」…ってサッパリわからんわ!
とうとうキリル文字の登場!
スゲエなD_Drive。
コレがですね、どこの国のサイトかどうしてもわからない。
ロシアとウクライナはD_Driveどころじゃないだろう。
他のキリル文字の言葉を使うどこか他の国だろうから…ベラルーシ、ブルガリア、マケドニア、セルビア、カザフスタン、キルギス、ウズベク…。
そうそうモンゴルもキリル文字なんだよね。
「D_Driveのウランバートル公演」とか見てみたいナ。
会場は当然あの「ゲル」よ。
ホーミーと共演しちゃったりなんかしてね。Uk21

18. THE RAZORS EDGE
コレもイギリスかな?
『DYNAMOTIVE』がリリースされる大分前に掲載された記事。
Uk22 
19. Progressive Rock Journal
待ってました、プログレ!
「Wings」がリリースされた時の『DYNAMOTIVE』の紹介記事。
サイトのページは「Progressive Rock」を声高らかに謳っているけど、オリアンティとかも出ていてそれほど専門色が強い感じはしない。
「プログレ」として目立つのはせいぜいELPのことが少し書いてある程度か?
D_Driveのことも「プロッグ・ロック・バンド」と騒いでいるワケでもなく、ごく平均的な内容。

Uk24

20. Shreddelicious
「シュレッド+デリシャス」がサイトの名前。
コレはその名の通り、速弾き系ギタリスト向けのサイト。
すでにYukiちゃんとLisa-Xちゃんが取り上げられていた。
イヤ、ナニがビックリって、私が『NAONのYAON』で撮影した時よりLisaちゃんがメチャクチャお姉さんになっていたことよ!
ココでは「Red Lighjt, Green Light」と「Begin Again」のビデオを紹介してもらった。Uk25
21. Marshall Blog
コレは国内のブログだけど常時D_Driveの情報やライブ・レポートを掲載している。
スゲえホーム感!
やっぱ、コレが一番いいな。

Uk26

これだけじゃないの。
現在もビデオがらみや雑誌インタビュー等、仕込み中の企画がいくつかあるのだ。
例えば『POWER PLAY』という人気雑誌のインタビュー。Uk27アメリカの人気ギター雑誌『GUITAR WORLD』のイギリス版。
ココからはビデオがらみで「I Remember The Town」のインタビューが来た。
Gw_2困っちゃうのは、「I Remember The Town」の作曲のコンセプト、音楽的な解説、ギターの奏法について…を英語で5~6行でまとめてください、って言うワケよ。
「英語で5~6行」?
幅はどれだけなのよ?
日本語で「何千字」と言うのであれば簡単なんだけど、英語の「5~6行」というのはかなりムズカシイ。
でも、こっちも大分慣れてきているから、こういう時は遠慮なく箇条書きで応えちゃう。
それで後は「煮るなり、焼くなり、二宮和也」で「後は自由につなげてくれ!」と、先方に押っ付けちゃう。
そして、出来上がって来たのがコレ。
オイオイ、コレのどこが5~6行なんじゃい!
ま、そんなもんですわ。
Uk30 そして、プログレッシブ・ロック・メディアのボスキャラ的な存在の「Prog Rock」マガジンのインタビュー。
ゼヒお楽しみに!
 

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒D_Drive Official website
Pr…なんてやっていたら、今朝来たのはイタリア。
コレは結構マッシブなインタビューでホネだな~。
『TuttoRock』というウェブ・マガジン。
「tutto(テュット)」というのは「all」という意味だね。
「tutti(テュッティ)」という音楽用語があるのでコレは知ってる。
イタリアはプログレ大国だからね…プログレッシブ・ロック・バンドのD_Driveとしてはイタリアも大切にしなきゃイカン。
Seijiさん、質問を後で送るのでよろしく!Uk29  
うれしいことにこんな仕事がまだまだ続きそうだ。 
そして、Marshall Blogは先日の初台Doorsでのレコ発ライブのレポートを次回公開します!0r4a0026

■□Marshall Music Store Japanからのお知らせ■□

インスト・ミュージックを盛り上げよう!
Mmst_square 去る8月26日に発売したD_Driveのインターナショナル・アルバム第2弾『DYNAMOTIVE』絶賛発売しております。
おかげさまで、中身もジャケットも皆さまから大変好評を頂戴しています。53000x3000コチラはリード・チューンのひとつ「だるまさんは転ばない(Red Light, Green Light)」。

また長らく欠品しておりましたインターナショナル・アルバム第1弾『MAXIMUM IMPACT』も入荷しました!7_d_2Marshall Music Store JapanでCDをお買い上げのお客様にはMarshallスクエア・ロゴステッカー3枚をプレゼント!
 
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200 (一部敬称略)