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2023年1月12日 (木)

【追悼】I REMEMBER JEFF

 
ココ数年はスッカリ朝に強くなって…イヤ、正確に言うとやたらと朝早くに目が覚めてしまってユックリ寝ていられないだけの話なんだけど…。
今朝も5時起きだった。
今年はいつになく忙しい正月でMarshall Blogの更新がスッカリ滞ってしまっていた。
そこで「今日こそは新しい記事を公開しよう!」とまず気合を入れ、顔を洗って5時15分には事務所のパソコンの前に座った。
昨晩ひと通り書き上げた記事の推敲をするしようとインターネットをつなげてブッタマげた。
それで完全に目が覚めた。
いきなり「ジェフ・ベックの訃報」が目に飛び込んで来たのだ。
 
…と言っても、私は昔から熱心なファンであったことはなくて、むしろそのスゴさに気づくようになったのは、来日した時にMarshallでサポートをするようになってからかも知れない。
それでも私が初めてジェフ・ベックの演奏を耳にしたのは1976年のことだからカレコレ47年も前のことになる。
初体験はBBAの『Live in Japan』だった。
あのトーキング・モジュレーターがカッコよくてね。
その時にはもうギターを始めていたので、ラジカセを使ってマネをしたことをよく覚えている。
ギターをラジカセにつないで、イヤホンで鳴らす。
紙を巻いて作った筒をそのイヤホンにセロテープで貼り付けて筒の先端を口にくわえる。
するとイヤホンの中のスピーカーを通して口の中でギターの音が鳴るという寸法だ。
要するにホンモノのトーキング・モジュレーターと仕組みは同じ。
ところが、加入力になってしまったイヤホンが猛烈に熱くなるのがチョット怖かった。
それにトーキング・モジュレーターを使いすぎると、その振動で脳波が乱れる…とかいうウワサが流れてこの遊びはそう長くは続かなかった。
そもそもギターもほとんど弾けなかったし!

Bba 1976年と言えば、ちょうど『Wired』がリリースされた年で、ロック界ではかなり大きな話題になっていた。
オコチャマだった私はあのインストゥルメンタルのアルバムのどこが良いのかサッパリわからなかった。
一方、『Blow by Blow』は後追いだった。
その中2の時、ひとつ上の学年の人が文化祭で「Scatter Brain」を弾いたんだよね。
中学校3年生ですよ!その演奏にかなりビックリしてね~。
今では「万国ビックリショウ」にエントリーできそうな速弾きキッズも珍しくなくなったけど、当時はロクな教則アイテムがなかったからね。
バツグンのうまさだった…ように見えた。
その人は全くの独学で、ライナー・ノーツに掲載している譜面をさらったようなことを言っていた。
それで『ギター殺人者の凱旋』というアルバムがあることを知ってすぐに買いに行った。
コレも私のジェフ・ベックの思い出のひとつなのだ。
ちなみにその方は最終的にジャズに走ったが、お兄さんは明治大学ビッグサウンズソサエティ・オーケストラに在籍し、慶応大学ライトミュージック・ソサエティオーケストラの神保彰さんの向こうを張った名ドラマーだった。
とにかく、この『ギター殺人者の凱旋』というアルバム名は子供ながらに「ナンじゃらほい」と思ったモノだったな。
このアルバムを持っているにも関わらず、石丸電気レコード館2階のロック売り場に行って「すいません、ジェフ・ベックの『ブロー・バイ・ブロー』をください」と店員さんに頼んで、出て来たアルバムが『ギター殺人者の凱旋』だったので赤っ恥をかいた友人もいた。
かく言う私もこの凄まじい邦題が海外の宣伝惹句の直訳だったことを知ったのはかなり後になってからのことだった。9am1 その後、ひと通りアルバムはさかのぼって聴いてはいたが、上述の通り夢中になることはなかった。
それでも『Truth』が好きだったかな?
そんな状態だったので来日してもコンサートに足を向けることはなかった。
そして、初めて生のジェフ・ベックを見、そのギターの音を耳にしたのはジェニファー・バッテンとステージをともにした2000年の来日の時のことだった。
この時はJCM2000 DSLでサポートしたように記憶している。
会場は東京フォーラムで、ショウが始まってすぐに観客全員が立ち上がったのにはハラが立った。
こっちは初めてのジェフ・ベックだからジックリ観たいワケよ。
少々ムカムカしながら仕方なく立って観たことを覚えている。
Dsl その次に来日したのが2005年。
この時も東京フォーラムか…コレはまったく記憶にないな。
でもMarshallでサポートして、ゲストとしてショウを拝見したハズだ。
そしてその翌年が富士スピードウェイで開催された『ウドー・ミュージック・フェスティバル』での来日。
コレはよく覚えている…というか、色んな意味で一生のウチでも最も印象に残るイベントのひとつとなった。
御殿場まで電車で行くのがツラかったな~。
この時もジェフはJCM2000 DSLと1960BXを使用した。
ステージのソデでそのプレイをジックリ拝見させて頂いたのもとてもいい思い出だ。
この頃はMarshall Blogをやっていなかったので記録はなし。
その後、2008年にMarshall Blogをスタートさせて機材を紹介するようになった。
そんなジェフ・ベックに関する過去の記事を紹介して追悼記事に代えさせて頂きたい。
 
Jeff BeckとDSL
2009年。
この時は単独公演とクラプトンとのダブル・ヘッドライナーで来日。
ジェフのバンドはキーボーズがデビッド・サンシャス、ベースがタル・ウィルケンフェルド、ドラムスがヴィニー・カリウタというメンバーだった。
2020年のNAMMのイベントの楽屋でタルちゃんと2人きりになってしまい、無言でいるのも心苦しいので、この時のジェフのMarshallをサポートしたことを話したところ「あ、そう」で終わり。
あ、もちろん他の会話をしたけど、とても落ち着いた方で、自分の軽さが恥ずかしかったワ。Jb_jb1_4 この来日時の前半では、持参したカスタム・メイドのMarshallを使用していた。
ところが横浜の「みなとみらいホール」で演奏中にノイズが盛大に出てしまい、途中から上の写真の通り1987Xに変更となった。
確か大急ぎで名古屋へ1987Xを送り出さなければならなくて、も~その手配が死ぬほど大変だったことを覚えている。
ちなみにそのノイズはMarshallのせいでは全くなくて、会場側の電源のケーブルの不良が原因だった。
それを映画の『欲望』よろしくジェフがアンプをバンバン叩くもんだから、あの時は客席から見ていて寿命がかなり縮まったわ。
今、そのモデルはMarshall本社の博物館に収蔵されている。0r4a0094
Jeff BeckのMarshall 2010
この記事はゴメン。
秘密が多くて写真を撮ることができなかったように記憶している。
何せペダルボードなんかはいつも目隠しされていて、本番の時以外は見えないようになっていたりするからね。
そんな!…例え全く同じ機材を使っても誰にも絶対にあんな音を出すことはできないんだから心配ないのにね。
そういえば、あのジェフのストラトのワーミー・バーがどんな感じなのか、この頃はスッカリ顔なじみになっていたギター・テクに頼んで触らせてもらったことがあった。
想像していたよりはるかに動きが硬くてビックリした。
 
Jeff BeckのMarshall 2014
この頃になるとMarshall Blog用にライブの写真も撮らせてもらうようになった。
外タレのコンサートの場合、「アタマ3曲」とか制限つきでステージの真ん前で撮らせてもらうことが多い。
この時も同様だった。
コレはどこかに書いたように記憶しているけど、ステージの前からレンズをジェフに向けるとこっちを見るでしょ?するとカメラのファインダー越しに目がバッチリと合っちゃうワケよ。
向こうには私の目は見えないハズなんだけど、それがコワくてね~。
そんな時には「許可もらってますから!」と心の中で叫びながらシャッターを切ったものでした。10v 
Jeff Beck Live in Japan 2015
この頃は今のDSL、つまりDSL100Hを使用していた。
それでも完全に音は「Jeff Beck」だったナァ。
撮った写真はもちろん先方のチェックを経てMarshall Blogへ掲載したのだが、てっきりスタッフが選ぶのかと思っていたらジェフ自身が選んでいるということを後に聞いてかなりビックリして…照れた。

90 そして、コンサートにお邪魔したのは2017年1月31日の東京フォーラムでの公演が最後だった。
いつかfacebookに投稿したが、スタッフの連中がフォーラムのトイレに驚いて「Electric toilet!」と大騒ぎしていたのが大変にオモシロかった。
ジェフは愛器を人任せにせず、自分でギターを肩にかけて会場に現れ、楽屋にいる間はズッと練習していた。
この時、リハーサルで何度もジョン・ルイスの「Django」を弾いていたっけ。
アンプは1987と1959、キャビネットはやはり1960BXを使用していた。
ライブの写真も撮らせてもらったので大量の写真が残っているのだが、どこをどう探してもMarshall Blogにライブ・レポートが見当たらなかった。
理由を思い出すことができないが、恐らく先方スタッフと没交渉になってしまい記事は書かずじまいになってしまったのだろう。
 
ま、コレは偶然だけど、ジェフの住むサーリーへ行ったこともあった。
仕事や用事があるといちいち車でロンドンへ出て来るというような話を聞いた。
Img_1101
こうしてみると2000年から2017年までずいぶんと長い間お手伝いをさせて頂いたものだ。
残念ながら顔を突き合わせてヤアヤアなどとやることはとてもできなかったが、トーキング・モジュレーターごっこで遊んでいた頃には「ジェフ・ベックのお手伝いをする」などという光栄なことは想像したこともなかった。
こうして毎回来日するたびにコロコロとバックラインが変わったし、Marshallを全く使わない来日公演もあったが、基本的にはいつでもMarshallがメインだった。
50WでBキャビ…コレがジェフのMarshallのベースだった。
下の写真はかつてのフランクフルトの展示会のMarshallブースのようす。
やはりジェフはいつでもMarshallの大切なアイコンのひとつだった。
 
ギターの奏法云々はマニアの人に任せることとして…私流に考えると、ジェフ・ベックのスゴイところは、ヒット曲を作るでもなく、歌を歌うでもなく、本当にギターだけで自分の音楽をつくり出したことだと思う。
Marshallは長い間そのジェフの音楽づくりのサポートを務めて来た。
ジェフ・ギターの音はMarshallの音であり、Marshallの音がジェフのギターの音だった。
それが突如としてこの世から消えてしまった。
大変に恐ろしいことだ。
昨年の大谷令文さんといい、今回のジェフといい、「Marshall」という「音楽を作る装置」を本当に理解しているギタリストが年を追ってドンドン少なくなっているのだから。
Marshallを愛用しているスゴいギタリストはまだまだ枚挙にいとまはないが、今日「ひとつの時代」が終わり、「ギターが作り出す音楽」のひとつが絶滅したような気がした。
Rimg0167偉大なるギタリストのご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます
 
さよならジェフ・ベック!20_2