Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。
【マー索くん(Marshall Blog の索引)】
【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
【CODE/GATEWAYの通信トラブルを解決するには】

« D_Driveシングル配信第2弾「Wings」発表! | メイン | 犬神サアカス團単独興行2022~地獄の業火~<前編> »

2022年8月 1日 (月)

【弔辞】坂下さん、どうもありがとうございました!

 
今朝、四人囃子のキーボード奏者、坂下秀実さんのご逝去の報に接し大変驚いてしまった。
しばらく前から療養をされていて、岡井大二さんから時折その様子を伺ってはいたものの、何の前触れもない訃報にただただショックを受けている。
私が国内で最も好きなロック・バンドのメンバーであり、弊社のイベントをお手伝い頂いたこともあって、Marshall Blogで記事を編んで弔意を示したいと思う。
 
私は中学1年生だった1975年あたりからロックを聴き始めたが、当時は100%洋楽しか聴かなかった。
それでも高校に上がる前ぐらいには日本のバンドのことも気になり出し、遅ればせながら頭脳警察や外道を中心に聴き始めた。
その頃に初めて聴いた「四人囃子」のアルバムは数寄屋橋のハンターで買った『ゴールデン・ピクニックス』だった。
0r4a0682 一方、四人囃子はリアルタイムでは『包(Bao)』をリリースした頃で、音楽雑誌でその広告を見て「面白いジャケットだナァ」と感心したのを覚えてはいるのだが、中身を聴くことはなかった。
ナマの演奏を見ることもなかった。
05s_3
それから時代がだいぶ下って…今にして思うと初めて四人囃子の演奏をナマで拝見したのは2002年、10月25日の新宿厚生年金会館の頭脳警察とのダブル・ヘッドライナーだった。
この頃、森園さんにMarshallをお使い頂いていて、お呼ばれして頂いた。
その1年後、四人囃子を観るチャンスがまためぐって来た。
場所は同じ厚生年金会館大ホール。
今度はプロコル・ハルムとのダブル・ヘッドライナーで、ハルムのギタリストのジェフ・ホワイトホーンに挨拶に行き、この時楽屋の廊下ではじめて大二さんとおしゃべりをさせて頂いた。
もちろん坂下さんが両方のコンサートでキーボーズを演奏されていたことは言うまでもない。7img_1728 そんな関わりがあって、2010年8月。
日比谷野音で開催された『プログレッシブ・ロック・フェス 2010』にお邪魔させて頂いた。10この頃はもうMarshall Blogを運営していたので写真が残っている。
イベントのバックドロップを背に颯爽と鍵盤を叩く坂下さん…カッコよかった!30前のMarshall Blogに掲載していたこの時のレポートは消去されて見れなくなっていたが、加筆訂正
の上、今のMarshall Blogに再掲したので野音での坂下さんの雄姿をゼヒご覧あれ。
   ↓    ↓    ↓ 
PROGRESSIVE ROCK FES 2010 IN TOKYO~四人囃子編
20この日は猛烈に蒸し暑くてね~。
四人囃子の皆さんは出番が終わると、エアコンの効いた楽屋に籠り、モニター・テレビで「ア~でもない、コ~でもない」と言いながらReneissanceやスティーブ・ハケットのステージを観賞していた。
私もその場にお邪魔していたが、そのおしゃべりを聞いているのがとても楽しかった。
この時、初めて坂下さんと会話をした。
そして、持参したCDにメンバー全員のサインを入れてもらった。
ビックリしたのは、佐久間さんも坂下さんも想像を絶するまでにデカかったこと。
ホントにビックリした。
佐久間さんとオフステージでお会いしたのはこの時が最初で最後だった。40翌年、四人囃子のオリジナル・メンバーのおひとり、ベースの中村真一さんがお亡くなりになり、『The Beat Goes on』と銘打った追悼コンサートが青山のCayで催された。45v四人囃子のメンバーが弔辞を述べ…50追悼の演奏が贈られた。
坂下さん、森園さん、大二さんの四人囃子メンバーに加え、安全バンドの長沢ヒロさん、それにCharさんや金子マリさんが加わり「空と雲」他を演奏して中村さんに弔意を示した。60その後、NATALのビジネスがスタートし、大二さんにお使い頂くようになると、坂下さんの演奏に接する機会が増えることになった。
コレは稲葉政裕さんと山崎洋さんと組んだ「稲葉囃子」。70メンバーは異なれど、オリジナル・メンバーがオリジナル通りに演奏する姿を拝見するのはとてもうれしかった。
この時だったかナァ~、坂下さんがお話になった「自動操縦」の話がメチャクチャ面白かった。
「自動操縦」というのは「寝ながら演奏する」こと。
これ以上は書かない。80vそして、2016年3月6日。
イギリスからMarshall社の社長を招き、東京キネマ倶楽部で第1回目の『Marshall GALA』を開催。
私は1人でも多くの人に四人囃子の音楽を素晴らしさを伝えようと、稲葉囃子にトリでの出演をお願いした。90このコンサートからほどなくして、とてもうれしいことが起こった。
今は無き赤坂BLITZでのこと。
Marshall GALAに出演した稲葉囃子ではない他のミュージシャンを観に来てくれた若い女性が、私を見つけて声をかけてくれたのだ。
「Marshall GALAはとても楽しかったです。特に最後に出たバンドがすごくよくて、あんな素晴らしい音楽があったなんて知りませんでした!」
我が意を得たり…正直、とてもうれしかった。
「機械仕掛けのラム」、「なすのちゃわんやき」、「一触即発」と3曲だけの短い持ち時間ではあったが、良質な素材と坂下さんたちの熱演が多くの観客の心を大きく揺さぶったのだった。100v打ち上げ時のようす。
楽しかったナァ~。
ん?坂下さんだけグラスを持っているのはナゼだ?110クレイジーケンバンドの小野瀬雅生さんとのスピンオフ四人囃子にもお邪魔した。120バンドのフォーマットがどうあれ、黙々と、そして着実に四人囃子のキーボーズ・サウンドを繰り出す坂下さんの存在感は大きかった。130v2018年7月には名古屋のボトムラインへ飛んだ。
今度は根本要さんと西山毅さんと組んだ「スピンオフ四人囃子」だ。140この時も誠実感極まりない演奏で坂下さんは観客を魅了した。150公演は大成功!
超満員のお客さんは、皆満面の笑みを浮かべていらっしゃった。160DVD『Fullhouse Matinee 』のリリースを記念して、名古屋の時の反省会を兼ねて「スピンオフ四人囃子のスピン」なんてこともやった。
大二さんが「四人囃子の名前を守って行きたい」みたいな発言をすると、坂下さんはそれを受けて「守るんじゃなくて、攻めなきゃダメ!」なんておっしゃっていたのにナァ…。1702019年11月9日、再び稲葉と山下さんを迎えて『Marshall GALA2』のトリをお引き受け頂いた。
この時は「稲葉囃子」ではなく「スピンオフ四人囃子#1」という名義で、自分の企画したイベントに「四人囃子」という名前が組み込まれたのがうれしかったナァ。190思えばこの時拝見した坂下さんの演奏が最後になってしまった。
そんなこと、この時は全く思いもよらなかった。
『Marshall GALA2』の後、年が明けてしばらくするとコロナ禍に突入。
延期を余儀なくされ、ようやく2022年3月3日に六本木のEXシアターで開催された東京でのスピンオフ四人囃子のステージに坂下さんの姿はなかった。
寂しかった。
200こうして坂下さんとは何度もご一緒させて頂いたのだが、ドップリおしゃべりをしたことが一度もなかった。
だからココにナニか坂下さんとの個人的な思い出を書き記すことはできない。
でも、私には何度も拝見した坂下さんの素晴らしい演奏の思い出がタップリ詰め込まれているのだ。210私は仕事で四人囃子のことをMarshallに説明する時、今でも毎回誇りを持って「日本のロックのパイオニア」とか「イノベーター」と紹介している。
間違いではあるまい。
そんなバンドのサウンドの要だった坂下さんのご逝去は日本のロックに大きな損失を与えることになる。
しかし…220s今、タマタマ『一触即発』と『ゴールデン・ピクニックス』のジャケットをココに挙げているが、
日本のロックの歴史に残る数々の四人囃子の名作を通じていつまでも音楽ファンの心の中で坂下さんは生き続けることは間違いない。

230s坂下さん、色々とお世話になりました。
安らかにお休みください。240v

200_2