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イギリス‐ロック名所めぐり Feed

2017年2月15日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.24~カーナビー・ストリート <前編> Dedicated Follower of Fashion

先日、あるライブ会場でカメラをブラ提げて客席を横切っていると、私を見かけた二人のお客さんからお声をかけて頂いた。
Marshall Blogをいつも楽しみにして頂いている…という励ましのお言葉を頂戴し、とてもうれしかった!ホメられると伸びるタイプなものですから。
でも、うれしかったのはその励ましのお言葉だけではなかった。
そのお二人もイギリスが大好きで、この『イギリス-ロック名所めぐり』をいつも心待ちにして頂いているとおっしゃるのだ。
Marshall Blogだけではなく、Shige Blogの『イギリス紀行』までご愛読頂いているとおっしゃる。
うれしいやら、恥ずかしいやら…。
こうしたイギリス系の記事は特に思い入れがあるカテゴリーなので、あんなことをおっしゃって頂けると俄然ヤル気が出ちゃうね。
そこで、更新がスロー・ダウンしがちな『名所めぐり』を一発お見舞いしちゃうよ。
くらえカーナビー・ストリートを!
あ、旅行会社の方、『イギリスのロック名所とMarshallをめぐる旅』、企画しますので現地ガイドやらせて!
  
さあ、今日はまずオックスフォード・ストリートから。
ロンドンの中心の通りだけあって何度も登場するね。
交通量も多いこんなにぎやかな通りなのに二車線しかない。

10建ち並ぶビルディングも立派で何度ほっつき歩いても飽きることがない。
こんなカッコいいビルなのに一階のテナントさんには興ざめするナァ。

20そのオックスフォードをオックスフォード・サーカスに向かって左に曲がる。
ラミリエス・ストリートという道。
こんな細っこい通りにも名前がついているところがスゴイ。そして楽しい。
日本では絶対に考えられない。

30vするとグレート・マールボロ・ストリートに当たる。
この辺りは何やらフィッシュ&チップス屋が多い。

40そろそろフィッシュ&チップスが食べたくなってきたな…。
あ、おいしいヤツね。

50vこんなもん、魚と油が新しくて良質でありさえすれば誰でも簡単においしいのが出来上がると思うんだけど、腕なんだってサ。
「揚げテク」ってヤツ。
タラに衣をひっつけて、適温の油に放り込めばいいというものでは断固としてないそうだよ。

60…と、その通りに「ハロルド・ムーア」なる中古レコード屋さんを発見!

70カッコいいナァ~。
HUNTERとはだいぶ違うな~。
このお店はクラシックとジャズの新品&中古を扱っている。
店先のエサ箱をチョット漁ってみたが、クラシックばっかりだった。
私は海外で中古レコードは買わないようにしているのでサラリとパス。
だってサ、ボロだし、高いし、持って帰るの大変だし…私はジャンルを問わず死ぬまでにひとつでもいい曲が聴きたいと思っているので、タテには掘らない。ひたすら横。
したがって海外でオリジナル盤探しなんてことには興味がないのです。
でも、「Punky's Whips」が入っている『Zappa in New York』のイギリス盤のオリジナルは欲しいな~。
いつか、イングランド中部の田舎町を訪れた時、マーケットが開かれていて、そこに出店していたレコード屋をチラリとのぞいた。
店員がえらくガラッパチのオッサンで、コリャ何か買わないとこの場を去れないな…と思っていたら「ナニか探してるか?」と訊いて来た。
「しめた!」と思い伝家の宝刀をヒラリと抜いた。
「Oh, yes!  I'm looking for the original UK press of Zappa in New York for a log time」
と言ってやった。
すると間髪入れず「あ~、そんなのないない!」で終わり。セーフ。
この手はサウス・シールズのレコード屋でも使ったことがある
そのレコード屋さんのおじいさんはとても感じのいい人で「それはないな~」といってかなりすまなそうにしていたのでその時は恐縮してしまった。

80そこら中にあるレンタル自転車。
コレも色々と問題があるらしい。
人気の観光スポットはたいてい決まっているので、借りたい場所は空っぽで、返したい場所は満員で返せない…なんてことが多いとか。
ココはずいぶんとヒマそうだな。

90vグレート・マールボロ・ストリートをリージェント・ストリートに向かって歩くと出てくるのがコレ。
昔は裁判所だったが、今は「Court House Hotel Kempinski」というホテルになっている。
ケンピンスキーというのはドイツのチェーンのホテル。
フランクフルトに行った時に何度かケンピンスキーに泊まったことがあったんだけど、イヤだったな~。
この話はまたいつか「Marshall Blog Archive」で語らせて!
私はストーンズはやっていないのでサラリと書いておくが、1967年、ココでMick Jagger、Brian Jones、Keith Richardsの麻薬不法所持の裁判が開かれたとか。

Chhkその向かいは有名な「リバティ」。

1101875年創業の高級デパート。

120その恐るべき高級ぶりはShige Blogの記事でご確認頂きたい。

130vそのすぐ裏手の公衆トイレの傍らで目に入るのが「Carnaby」の赤い標識。

140vココがモッズの故郷、「カーナビー・ストリート」のオックスフォード・ストリート側からの入り口だ。
1960年代のロンドン・ファッションとロックのメッカ。

150_2この通りの名の由来は17世紀の後半に「Karnaby House」という建物がそばにあったことに由来しているが、「カーナビー」自体の由来は、人の苗字か、ヨークシャーにある地名を持って来たのかが不明とされている。
商店街は1820年代に形成され、1845年にはベンジャミン・ディスラエリという人の「Sybil」という小説で「カーナビー・マーケットの有名な肉屋」というくだりが出ているそうだ。
ハイ、ココでなぜコレに触れたか?
わかる人?
そう、答えはクリームね。
クリームったって食べるクリームじゃないよ。
Eric Claptonの方ね。
このベンジャミン・ディスラエリは1800年代の後半、二期にわたってイギリスの総理大臣を務めた政治家であり、小説家であった人。
もちろん貴族で爵位は「伯爵」。いいナァ、伯爵。やってみたいナァ。
あ、今、脱線中です。
で、話はCreamに飛んで、彼らのセカンド・アルバム。日本ではナゼか『カラフル・クリーム』というタイトルが付けられているが、原題は『Disraeli Gears』という。
この「Disraeli」は「ベンジャミン・ディスラエリ」のこと。
サイクリング自転車についている五段変速とかのギアがあるでしょ?アレ、英語で「ディレイラー・ギアズ(Derailleur Gears)」っていうんだけど、当時サイクリング車を買おうとしていたGinger Bakerがローディと自転車の話をしていて、そのローディが「ディレイラー・ギア」を「ディスラエリ・ギア」と聞き違えてしまった。
すると、Gingerが「ソレ、おもしれーじゃねーか!次のアルバムのタイトルにしようぜ!」となった。
………ゼンゼンおもしろくないんですけど。
こういう聞き間違えをそのまま適用しちゃうことを「Malapropism(マラプロピズム)」といって、日本語では「誤用語法」なんていうらしい。動詞は「malaplop」。
ウチの家内はコレの天才なんですよ。
天才マラプロッパ―。
いつも触れているように、Marshall Blogライブのレポートは家内が記録してくれるメモを頼りに記事を書いているのね。特にMC。
ま~、そのメモに出てくる、出てくる。
彼女は音楽の専門家では全くないので、曲名とか人名については、とにかく何の知識もなしに、話し手の言葉を「音」としてそのまま文字で書き取らざるを得ない。
そこでマラプロピズムが発生する。
コレがおもしろいのなんのって!
チョットすぐには例を引けないんだけど、簡単なヤツで言うと、犬神サアカス團に放火魔のことを歌った「赤犬」という曲がある。
メモには「バカ犬」と書いてあった。
そりゃ、曲も知らなければ「赤犬」という裏の意味も知らないのでそれも無理はない。
中には思い出しては何回でも笑える大傑作があるのよ。
それでも、そのメモに書いてあることは、後で私が見ればすぐにわかるので、本当に重宝しているのです。
そして、今となってはひとつの楽しみでもある。
あ~あ、どうすんだよ、まだ先が長いのにもうこんなに脱線しちゃって…。
Dg2
1960年代にイギリスのモッドとヒッピー文化の中心地として隆盛を極め、マリー・クワントをはじめとした多くのファッション・ブランドを輩出したカーナビー・ストリート。
現在は見る影もないが、かつてはライブ・ハウスも多数存在し、The WhoやThe Small Faces、The Rolling Stones等がココで仕事をこなした。
最新のファッションと音楽…カーナビー・ストリートはいわゆる60年代の「スウィンギン・ロンドン」の中心地で、その名をアメリカまで轟かせたという。
GSのザ・カーナビーツは当然この通りの名前から来ている。
海外旅行なんて簡単には行けない当時、やっぱりみんなロンドンに憧れて「好きさ、好きさ、好きさ」だったんだろうね。ちなみにこの曲のオリジナルはThe Zombies。
チョット調べてみると、1960年代、1ドルは当然360円だったでしょ?
しからば1ポンドはいくらだったか…。
ナント、1,008円だって!
コレを今の貨幣価値に引き直すと、4,000~5,000円なのだそうだ。
だとするとだよ、今ロンドンの地下鉄の初乗りって£4.70だから、もしこの昔の為替レートで
、かつ今の貨幣価値で計算すると、地下鉄一駅乗るのに…ギャハハ!
18,800~23,500円だって!
ま、実際は今145円ぐらいだから680円ぐらい。
それでもスゴイでしょ?渋谷から表参道、あるいは梅田から中津に行くのに680円かかるんだぜ!
しかし、「円」っていうのはホントにスゴイ。

160皆さん、The Kinksはお好き?
私は超大スキ!
若い頃はほとんど聴かなかった。比較的年を取ってから聴くようになって、ロンドンに行くようになってからはどうしようもなく好きになった。
彼らの1966年のシングルに「Dedicated Follower of Fashion」という曲がある。
オリジナル・アルバムに収録されてはいないが、ベスト盤などで聴くことができる名曲。
歌詞に「リージェント・ストリート」とか「レスター・スクエア」とかいう名前が出て来てうれしくなる。
そして、「the Carnabetian」という言葉が出てくる。もちろんカーナビー・ストリート・マニアのこと。
「♪Everywhere  the Carnabetian marches on」とRay Davisが歌う。
「そこのけ、そこのけカーナビー狂いのお通りだ」ぐらいの意味になろうか?
いかに当時の若者が、猫も杓子もカーナビー・ファッションに狂っていたかがわかる。
しかし、こういう諧謔精神にあふれた歌が日本はスッカリ姿を消したね。
本当につまらない歌ばかりだ。

Single さて、カーナビー・ストリートといえば、必ずついて回るのが「Mod」。
日本では「モッズ」と言っているが、英語では「モッド」だ。
語源は「modeninsts(モダニスツ)」。
コレ、何かと思ったら50年のモダン・ジャズ・プレイヤーやファンの連中のことをそう呼んだらしい。Modern Jazzのモダンだって。
当然焼きそば入りのお好み焼きでもない。
だから、反対は「traditionalist(トラディショナリスト)」、すなわち「トラッド」だ。
スイングとかディキシーを聴いていたのかね?
Modの好物はファッション、音楽、そしてスクーター。
初期には一晩中踊り続けるため、覚せい剤の一種とされる「アンフェタミン」が付き物だったらしい。
音楽にはスカやレゲエなど好まれたが、主にR&B系のロックが標準だった。
Modは60年代のイギリスにおける最大のサブ・カルチャー・ムーブメントであり、ココで詳述していると紙幅がいくらあっても足りないので、やり方が乱暴で申し訳ないんだけど、興味のある人は映画『さらば青春の光』あたりを観て「フフン、こんなんか…」と雰囲気を実感してみてはいかがだろうか?
映画のストーリーとしては、まったく大したことはないかも知れないが、その時代の若者がやり場のないエネルギーをどう噴出していたのかがうまく描かれていると思う。

Qp_2 この映画の原作がThe Whoの『Quardrophenia(四重人格)』。
架空の映画のサウンドトラックをモチーフにするという手法はFrank Zappaのアイデアをマネたという。『Uncle Meat』のことかしら?
この『Quadrophenia』は付録のブックレットの写真がいいんだよね~。
あのバタシー発電所をバックにVespaに乗っているジミーの写真は合成だということを知ってチョットがっかりしたが、コレはゼヒLPで持っていたいアルバム。

Qpところで、2007年に『Quadrophenia』の特別展示がコッツウォルズのボートン・オン・ザ・ウォーターの「Motor Museum」であったそうな。
一昨年行ったんだよな~、そこ。
車にはまったく興味がないもんだから前を素通りしたけど、危なかった。
もしあの時、その展示をしていたら悔しくて怒り狂っていたかも知れんわ。
クワバラ、クワバラ。

1_img_07862上の『Quadphenia』はテーマはModでも、収録されている曲、「Real Me」にしても「5:15」にしても、Mod的な雰囲気は感じあれないよね。「何しろカッコいいロック」ということだけだ。

私なんかの勝手な「Mod」の音楽のイメージというと、The Whoよりも圧倒的にThe Small Facesなんだな。
先述の通り、Modムーブメントにおける音楽というものはスカやレゲエも含まれるらしいが、上述したようにR&Bがかったロックが主体だった。
そういう意味ではThe Whoのファースト・アルバムなんかはモロにそうなんだけど…でもThe Small Facesなの。
やっぱり、Steve Marriottがメチャクチャかっこいい。
The Small Facesは無理にしても、Humble Pieは観たかったナァ。来日公演をご覧になった大二さん曰く、それはそれはスゴいコンサートだったらしい。
下のファースト・アルバムに収録されている「You Need Loving」って曲知ってる?
ご存じない方はLed Zeppelinのセカンド・アルバムの一曲目と聴き比べてみてください。

Sm2

さて、まだ前置きは続く。
The WhoとThe Small Facesが出そろったから。
1965年頃、ロックはドンドン過激になり、爆音を必要していた。
そこでPete TownshendのリクエストでMarshallが作ったのが世界で最初の100Wのギター・アンプ。
それがこのJTM45/100。
Peteが「12インチのスピーカーが八個入ったキャビネット」の製作をJimに頼んだ。
作ったはいいけど、重くて持ち運びができず、結果半分に切ったことから出来上がったのがFull Stack、すなわり「三段積み」であることはMarshallファンならだれでも知っている話だ。
JTM45/100のリイシューに当たっては下の写真のようにキャビネットをはじめから切り離して製作された。
だって大きいし、重すぎるしで出荷できないもん。

J45_2 下の写真は当時のキャビネットを正確に再現したもの。
で、このJTM45/100、そうした実用性の低さから、ごく少量しか生産されなかったが、そのほとんどを買ったのがThe WhoのPete TownshendとJohn Entwhistle。
ところが、The Whoの二人が買ったいくつかのJTM45/100に打たれていたシリアルナンバーは連番ではなかった。
Marshallは当然シリアル・ナンバーを続けて打ってはいたが、誰かがJTM45/100を買っていたため番号が飛んでいたのだ。
他にJTM45/100を買っていた者こそThe Small Facesだったという。
これは、これらのModを代表するバンドが当時、大爆音合戦に明け暮れていたことを示していることに他ならない。
また、Modの音楽とはそういう音楽だったということが一発でわかる話だ。
しかし、こうしたことを知るにつけ、Marshallって本当に音楽の発展に寄与してきたんだな~と我ながら感心するね。
この後にはハード・ロックの時代がやって来るワケだから。
Mod時代からのMarshallの積み重ねがなければ、ブリティッシュは違うモノになっていたことは間違いない。
こうして歴史を知るにつけて思うのは、デジタル・テクノロジーの力を借りて、努力と時間を重ねて人様がクリエイトした偉大なサウンドをチョコチョコとマネッコして商売するなんて音楽をバカにしているとしか思えない。

1_jc もうチョット…Modムーブメントのロゴとして有名なのが下の「ターゲット・マーク」ってやつ。
これはRAF、すなわちRoyal Air Force、イギリス空軍のマークですな。
なんでModの連中がこのマークをシンボルにしたか…確かなことはわかっていないようだが、1960年、Modムーブメントと時をほぼ同じくしてイギリスは徴兵制を廃止した。
そのパロディというか、イヤミではないかという説が有力のようだ。
徴兵制の廃止と同時にイギリスの若者の文化は急速に力をつけ、様々なムーブメントを生み出した。
「ブリティッシュ・インヴェイジョン」が起こったのはアメリカの徴兵制廃止がイギリスより遅くなったからと言われている。
この徴兵制でんでん、じゃない、云々もブリティッシュ・ロックの隆盛を助長したことになるワケ。
このマーク、当時イギリス空軍は著作権を登録していなかった。
後年、申請をしたが、「このシンボル・マークはModの連中が有名したもの」としてその申請は受け容れられなかったそうだ。
イキだな~。
最近のPPAPの騒ぎとは大違いだ。

Mods

ハイ、前置き終わり!
マーブロ史上最長だったかな?
  
さて、それではカーナビー・ストリートをブラっとひと歩きしてみましょかね。
掲載している写真は10年がかりぐらいで撮り溜めたものなので、現在と様子が異なっているものもあることを予めお伝えしておく。
ま、それでもだいたいココ3年以内ぐらいのモノばかりかな?170残念ながら今はモッズの「モ」の字も感じさせないただの洋服屋がたくさん軒を連ねる商店街になっている。

180それでもやはりディスプレイはチョットしゃれてるな。
あ、そうだ。
このイギリスの兵隊さんがかぶっているモコモコのデカイ帽子ってなんていうか知ってる?
その前に、この帽子を被っているのはただの兵隊さんではなくて、女王陛下を警護する「近衛兵」っていうヤツ。
で、この帽子は「Bearskin(熊の皮)」といい、本当にカナダの熊で作られている。
熊一頭で一個しか帽子が作れないのだそうだ。
なので、動物愛護という面では色々と問題があるのだとか…。
それでも、古いものを大切にする国民性もあって、代々引き継がれている帽子の中には100年以上使っているものもあるんだって。
クセエぞ~。

190ま、ロンドンまで来れば、こんなお店のディスプレイを眺めなくても昼前にバッキンガム宮殿に行けば本物の近衛兵の交代式を毎日見ることができる。
たかが兵隊の引継ぎなのに♪ブンガチャブンガチャとそれこそ鳴り物入りでにぎやかったらありゃしない。
何しろ世界からロンドンに来た観光客がこの時間に一斉に宮殿に集まるもんだからものすごい人出なのよ。三社か!?みたいな。
それでもロンドンに行ったら一度は見ておいた方がいいでしょう。
このあたりのことはココに書いておいた。
ところで、この帽子、オリジナルはフランスのもの。
1815年、ベルギーのワーテルローでナポレオン戦争に勝利したことを記念し、それ以来この帽子を採用しているんだって。
ワーテルロー(Waterloo)は英語読みすればウォータールーね。
何だってこんな形をしているのかと思ったら、デカく見せようとしているのだそうだ。要するに敵を威嚇するため。
こんな長い頭しているヤツがいるワケない。そっちの方がよっぽどコワイわ!

300カーナビーに戻る。
これはもうずいぶん前の写真だけど、ホラ、1960Bが洋服屋のショウ・ウインドウの中に!

1_rimg0056やっぱりロックとMarshallは切り離せないからね…と言いたいところだけど、オイオイ、アコギはおかしいんじゃねーの?

1_rimg0057 こんなのもおもしろいね。

215巨大なレリーフも見事。

220コレは脇道なんだけど、こうした凝った装飾に惜しむことをしない。

230v2015年に行った時は『ひつじのショーン』って映画のキャンペーンをやっていて、カーナビーには二体のショーンがディスプレイされていた。

225コレなんかもおもしろい。

240下から見るとこう。
ま、どうなるかは想像つくね。

250リバティ側からカーナビーに入ってすぐの右側にある立派なパブ。
1735年に作られた建物だ。

270v窓から顔を出しているのはウィリアム・シェイクスピア。
最近、ウチの家族が私が「シェイクスピアに似てる」って言うんだよね。
Marshall Blogを2,000回も書いているんだもん、私もいよいよ「文豪」の仲間入りか?…って思ったら、似てるのはアタマだってよ!
このパブ、「シェイクスピアズ・ヘッド」という…イヤな名前だ。
なんでもトーマスとジョンというウィリアム・シェイクスピアの遠い親戚が始めたのだそうだ。

280シェイクスピアといえばコレ…なワケはないんだけど、Cleo Laneの『Shakeare and All That Jazz』。コレ、メッチャかっこいいんだゼ。
Dame Cleo Lane、Jim Marshallの幼なじみらしい。

Clホンの少しだけモッズの香りも残っている。

290ホ~ンの少しだけね。

300vやっぱりしゃれているディスプレイ。

310vココをくぐって中に入ると「Kingly Court」という有名な中庭があってチョットしたアーケードになっている。
そして、わかりにくいけど、入り口の左についている小さなプラークに注目。

320プラークには「The Roaring Twenties」とある。
今回と次回の名所めぐりは、このプラークを辿る。

330現在はBen Shermanという用品店になっているが、かつてココの地下にはThe Roaring Twentiesという名のロンドンで最初の(今でいう)クラブがあった。
それ以前は、11人の創始者によって1948~50年まで開業していたClub Elevenというジャズ・クラブで、ロンドンのビバップ・ムーブメントの重要拠点だった。
もしかしたらJim Marshallもココでドラムを叩いていたかも知れないね。
1961年、Count Suckleという人がイギリスで初めてココでDJを務めた。
「The Roaring Twenties(狂騒の20年代)」というのは1920年代のアメリカのアダ名。
このクラブには夜な夜なGeorgie FameやThe AnimalsやStonesのメンバーが遊びに来ていたらしい。

340チョットKingly Courtに入ってみる。
コレももう三年前の写真かな?
この時はまだ改装工事をしていたが、二年前に行った時には完成していた。

350ロンドンの中心街では日本食のレストランもそう珍しくはないが、こんな本格的な博多ラーメンが出てくるとはビックリ!
チョットしたラーメン・ブームと聞いてはいたが…。

360しかも、同じ字で同じ名前のお店が上野にあるでね。
とてもロンドンに来たとは思えない。
でもゼンゼン違うのはそのお値段。
このお店のことではないが、チョット前にロンドンでラーメン屋に行った人に聞いたのだが、ラーメン、餃子、ウーロン茶で5,000円を超えたってサ。
為替の都合もあるけど、すさまじい。わかっちゃいるけど恐ろしい。
それと、連中のお気に入りはお好み焼きね。
どうもあの甘さが口に合うらしく、Marshall GALAにも来てくれたGraceが先日テムズ川の南岸のヴォクソールにできたお好み焼き専門店に行って来たと言っていた。
値段を聞いたら、普通のお好み焼き一枚で3,000円近くって言ってたかな?
ま、それぐらいは当然でしょう。
だいたい「日本の三倍」と考えておけばイザという時に気を失わないで済む。

370この黄色いビル。

400vココにはかつて「Load John」というブティックがあった。
Lord Johnは1960年代のカーナビー・ストリートを代表する洋品店、すなわち当時のロンドンのファッションを代表するファッション店だった。
つまりロックとは切っても切れない間柄のお店だった。
410さっきのディスプレイは遠くから見ると…ハイ、この通り。
どうもこのユニオン・ジャックのディスプレイはカーナビー・ストリートの伝統の飾りつけのようだ。
ない時もあるけどね。

260

また、プラークを発見!

420ココは1976~1986年までNMEの本社があったところ。
NMEはNew Musical Expressの略。1952年創刊のイギリスの音楽専門誌、かつては専門紙だ。
イギリスで初めてヒット・チャートを掲載したことで知られている。
現在はサザークに引っ越している。

430このPumaが入っている赤いビルなんだけど…

440ココにはSmash Hitsという音楽雑誌の出版社が入っていた。
1980年代の話なのでスルーしよう。

450同じビルの正面の左端のは「City of Westminster」の緑のプラークが掛かっている。
今日一番見せたかったのはコレ。
この水平を採っている職人さん。女性だよ。カッコいいね~!
イヤ、違う、違う!
このプラークに書いてあること。

460「プロデューサー、ドン・アーデンとモッド・バンド、「スモール・フェイセズ」(スティーヴ・マリオット、ロニー・レーン、ケニー・ジョーンズ、イアン・マクレガン、そしてジミー・ウインストン)がココで働いていた。1965-1967年」…と書かれている。
ドン・アーデンは手段を選ばない強引なビジネスで有名な音楽プロデューサーだった。
The Small Facesを始め、The MoveやBlack Sabbathの面倒を見たことで有名。
ギャラの支払いも悪く、業界では「悪徳プロデューサー」としてその名を届かせたが、The Small Faceのドラマー、Kenny Johnesは「ドンがいなければThe Small Facesが世に出ることはなかった」とドンへの感謝の意を表し、このプラークを大変よころび、Steve MarriottとRonnie Laneと一緒にコレを目の当たりにすることができなかったことをすごく残念がったという。
この人、いい人なんだねェ。The WhoのKeith Moonの後任ね。
皆さんはよくご存じでしょうが、ちなみにこのDon ArdenはOzzy Osbourneの義理のお父さん。
お嬢さんのSharonはOzzyの愛妻だ。
そうそう、Donのアダ名は「Mr. Big」。
Freeの「Mr. Big」の「you」はDonのことか?
歌詞を読むと「オイ、ミスター・ビッグ!ひとりでオレに近づく時は気を付けたほうがいいぞ!お前のために地面にデッカイ穴を掘ってやるからな!」なんて物騒な内容だ。
Freeの連中はDonにヒドイ目に遭ったことがあるとか?
いずれにしても、Donがいくら悪かろうと、The Small Facesがどれだけ爆音であろうと、こうして街から正式に認められてプラークをつけられるということは、彼らが街にもたらした利益と業績がいかに大きかったかを物語っている。

470コレがカーナビー・ストリートの反対側。
右のビルの柱にも緑のプラークが掛けられている。

480John Stephan…「ジョン・ステファン 1934-2004  1960年代、世界のメンズファッションの中心であったカーナビーストリートの創設者」
1958年、一番最初に「His Clothes」というブティックをココでオープンし、時流に乗って次々にブッティックを出店していった。
1960年代、「100万ポンドのモッド」とか「カーナビー・ストリートの王様」と呼ばれたのだそうだ。
金持ってそうだな~。
The Who、The Kinks、The Rolling Stones、The Small Faces等のメンバーがJohn Stephanが扱う洋服を愛着したというワケ。
「カーナビーは私の発明だ。ミケランジェロがあの美しい像を作るのと同じ感覚だと思っている」言ってみたいね。

490明日はこのお隣のKingly Streetをブラつくよ。

つづく

2016年10月14日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.23~BrightonでRock!

ソロソロまたカメラを持ってイギリスへ行きたくなって来たな~…ということで久しぶりの「名所めぐり」。
今回は旅だよ。
スタートはまたしてもヴィクトリア駅。カンタベリーへの旅の時もココが起点だった。
今日はココから南へ向かうのだ。
行先はブライトン!

9_rimg0131 ヴィクトリア駅発の電車のお楽しみは何と言ってもコレ。

20何回も登場させて申し訳ありませんが…好きなものは好き。
バタシー発電所ね。
駅を出て5分も経たないウチに左側に見えてくる。
だから必ず進行方向左側に席を取る。

30少し前に再開発工事により煙突が一本取り除かれている姿をインターネットで見た。
手入れをしてまた取り付けるような話を聞いたが、その頃には周囲にバカでかいビルディングが立ち並んでしまい、この光景は二度と見ることができないであろう。
この写真はもうだいぶ前に撮影したものだ。

バタシー発電所の詳しいレポートはコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所

40しばらくしてロンドンの南で停車した駅。
オ~!クロイドン!
こんなところだったのか!
数年前の黒人の暴動が発生し、日本のテレビでも盛んにこの名前が叫ばれていた。
でも私は違う理由で感動したのね。

50その理由とはこのCD…ここクロイドンにある「Fairfield Hall」というところで1965年に録音されたオーネット・コールマンの二枚組のライブ・アルバム。
正式なタイトルは『An Evening with Ornette Coleman』だけど、通称は『コロイドン・コンサート』…と思っていたら『Croydon Concert』というタイトルで発売してみたり、ジャケットにやたらと種類があったりでワケがわからない盤。
私が持っているCDはかなり質素なでき。本当はオーネットがヴァイオリンを弾いているジャケットのヤツが欲しかったんだけど…。
内容は、我ながらよくもこんなキテレツな音楽を好んで聴いてるな…と自分で自分をホメてあげたくなるようなシロモノ。
オーネットはフリージャズ・アーティストだけど、このアルバムにはクラシックの現代音楽に近いパフォーマンスが収められている。
電車で通過しただけだったけど、とりあえず来れてうれしかった。

60ついた~!ブライトン駅。
何か熱海みたいだな。
ま、ここもイギリスきっての保養地だからして…。

70熱海ほど急峻ではないにしろ、海に向かって坂になっている地形が余計にそう感じさせるのかもしれない。
80v
駅を背にして駅前の目抜き通りを下る。
90v
天気がいいな~。
110
海辺が近いせいかなんか、景色がやたらとキラキラして見える。

100v海に出た~!

120ココは熱海とは全然違うな~。
干物屋とかないもんね。
そういえばウチの家内のご両親の新婚旅行は熱海だったとか…。近すぎる!
ウチの両親は京都。
我々はアメリカ西海岸。
調べてみると、ある旅行会社のデータによると、今の人気ベスト5は;
1位 : ハワイ
2位 : イタリア
3位 : フランス
4位 : スペイン
5位 : モルディヴ
なのだそうだ。

130コレは6月の風景。
別にまだ暑いワケでもないのに結構な人出だ。

140何かいいよね。
日本の浜では拝めない光景。

160向こうの方に見えるが有名なパレス桟橋(Palace Pier)。

170_2ブライトンは、モッズ少年たちの青春を描いた『さらば青春の光』の舞台の一部となったところ。
皆さんよくご存じの通り、The Whoの『四重人格(Quadrophenia)』が原作ですな。
『さらば青春の光』だなんてあまりにもヒドイ邦題!
Vespaに乗ってモッズのあんチャンたちがブライトンに集まってケンカするヤツね。
私にしてはツッコミが浅いでしょ?
Can you see real me?
そう、実はこの映画があんまり好きじゃなくて一回しか観たことないの。『トミー』の方がケタ違いに好き。
あ、もちろんThe Whoの『Quadrophenia』は好きよ。
下はそのサントラ盤。

180cd裏ジャケにはパレス桟橋が写っている。
『トミー』にもブライトンが出てくるの知ってる?
それは映画ではElton Johnが歌った「ピンボールの魔術師」。
「♪I've played the silver ball from Soho down to Brighton」とある。
ピートはプライトンが好きだったのかね?

190cd桟橋の先端がチョットした遊園地になっている。
潮の加減か、深さの関係か、防波堤はあっても日本の浜にはこういう桟橋はないね。
先っチョまで行きたかったんだけど、もう足が言うことを聞かなくて断念。
すごく後悔している。
無理をしてでも、這ってでも行けばヨカッタ。
そして海の側から大英帝国の写真を撮ればヨカッタ!
滅多に来れないところはもちろん、仮にしょっちゅう訪れているところでも「また来ればいいか!」は旅には絶対に禁物だ。
何でも見れるときに見ておかないと必ず臍を噛む思いをする…ということは百も二百も承知なんだけどね~。
「好奇心」と「足」がケンカして疲れて「好奇心」が負けちゃった。
「捨てる神あれば疲労神あり」ってヤツ。

230

周辺には『さらば青春の光』通り、豪華なホテルがズラリと並んでいる。
主人公のジミーがスクーターをブッ飛ばして崖から飛び降りるシーンは、ここからチョット東に行ったセブン・シスターズというところだ。
あの白い壁の崖で有名なところね。
しかし、こっちは海の家もシャレてるね~。もちろんラーメンもカレーライスも置いていない。
260

この海の向こうっておフランスなんだよね~。
ステキね~。
Eric Johnsonは思い出さないよ。
いつかも書いたけど、イングランド最北部のサウス・シールズに行った時も感動した。
目の前にあった海は北海で、その向こうがスウェーデンだっていうんだもん。
「ずいぶん遠くまで来たな~」って思った。

210浜は砂ではなくて細かい砂利。
裸足で歩くとチト痛い…のではなかろうか?私は試していません。

220マァ、何せきれいで気持ちいいことこの上ない。

240コレも日本では見かけない…というか見たことがない。
サンタモニカなんかにもあるけど、浜辺に遊園地を作っちゃう。
コニー・アイランドなんかもそうなのかな?
さて、The Whoの後はQueen。
当然お題は「Brighton Rock」でしょう。
『Sheer Heart Attack』をかけると最初に聞こえてくるSEはこのメリーゴーランドの音なのかな?
実は私、ロックを聴き始めた頃、Queenが苦手だった。
別に彼らの音楽がどうのというワケではなくて、硬派な私としては、女の子にキャーキャー言われているのが気に入らなかったんだな。
やっぱり男はZeppelinやPurpleだよ…てな具合。
でも、みんなには秘密ですごく「いいな」と思っていた曲が当時ふたつあった…それは「Keep Yourself Alive」と「Brighton Rock」だった。
子供の頃は「ブライトン」ってのが地名だとは知らなかったので、何かのロックの一種類かと思っていた。
…なんて言うと、今ではこの曲とタイトルの関係がわかっているかのように取られそうだけど、いまだにわからないでいる。
恥ずかしながらどんなに調べてもわからないのだ。

250では「Brighton Rock」とは何か?
言葉の意味としては、ブライトンで売られている飴のこと。
数年前にMarshallの社長夫人がウチに遊びに来てくれた時に頂いたお土産の中にも入っていたんだけど、金太郎アメをもっと頑丈にした、ともすれば凶器にでもなりそうなゴツいキャンディだ。
恐らく向こうの人はコレをバキンバキン噛み砕いて食べちゃうんだろうけど、こっちはムリをして歯をおかしくしちゃうのが関の山なので、金づちで砕いて少しずつ頂いた。
味はいわゆる普通のアメちゃん。
「ブライトン・ロック」の意味がこれでわかった。

Br次。
歌の内容と言えばジミーとジェニーのある日の浮気物語でしょ?
コレ、一部が「木綿のハンカチーフ」みたいになっていて、フレディがジミーのパートは地声で、ジェニーのパートはファルセットで歌っている。
歌詞の中で「ブライトンへ行った」みたいなことは一切触れていない。
「rock」という単語は出てくるが、「rock of ages」というひとかたまりのフレーズとして出てくる。
何年か前に同名のミュージカルがあった。「永遠の岩」のような解釈がよくされるが、本当は「神様」を指す表現なのだそうだ。だからこの曲の「Oh rock of ages」は「Oh my God」ということになる。
わかったのはコレだけ。
コレらがゼンゼン結びつかないでいる。
ま、細かいことを気にしないでタマにはMarshall以外のギター・サウンドを楽しんでいればそれでいいか!
Brian Mayのギター・サウンドはあまり人の口に上らないが、私はかなりユニークなものとしてそれなりに評価しているつもり。でもMarshall Blogには出られないよ。
あのギター、「100年前の暖炉の木で作られている」と聴いて当時は驚いたものだが、そんなの何でもない。
だってイギリスの人は200年以上も前に建てられた家にごく普通に住んでいるんだから。
そんなことを知った今となって思うのは、もしかしてブライアンが言ったのは、その木が古いということがスゴイということではなくて、そんな古い暖炉を保存しかおかず、ブッ壊してギターにしてしまったところがスゴイと言っていたのはなかろうか?
地震がまったくない国に住むイギリスの人たちは古い建造物を大事に保存し、本当に大切に使っているからね。
日本だって地震と戦争さえなければな~。

200v

ハイ、海は十分堪能したね。
陸に上がることにしよう。

270vブライトンは町も十分に魅力的だ。

280v街が発展したのはジョージ四世と18世紀に流行した海水浴のおかげらしい。それまでは小さな漁村だった。

290また、ロンドンまで一時間かかるかかからないかの距離なので…「か」ばっかりで読みにくいな、言い直そう。
また、ロンドンまで一時間要するか否かぐらいの距離なので(向こうの電車は滅法速い)、ロンドンのベッドタウンとしても機能している。
いいな~、こんなベッドタウン!

305
「お仕事ですか?」…いつだったか、ヒースローで一緒になった上品そうな日本人のオバさんが私に話かけてきて、少し会話をしたことがあった。
話を聞くと、そのオバさんはイギリスに住んでいるという。
「私はイギリスが大好きなんですよ。だからうらやましいですね~。どちらにお住まいなんですか?」と尋ねると…
「(小さく)エヘン!ブライトンなんですよ。だからヒースローから面倒で…」と、訊かれてうれしそうに答えてくれた。
ま、自慢したくなる気持ちもわかるわな…実際に来てみると。
有名なレコード市はあるし…。

300おもしろいのはこの「The Lanes(ザ・レーンズ)」と呼ばれる細い路地。

330v

やたらめったら狭い路地に洋品店、宝飾品店、アンティーク・ショップ等のファッション系のお店がひしめいている。

320v

あっち行ったり、こっち行ったり…歩いてみるとその様子はさながら迷路を巡っているようで、お店には興味がないものの存外に楽しい。
「アレ!こんなところも入れるわ~!」みたいな。

340v

あのCath Kidstonもこんなに小ぢんまり佇んでいる。
ところで、この「Cath Kidston」、家内が結構好んで使っていて、本家だけあってイギリスには日本に入って来ていないアイテムが多いらしく、以前は命を受けてよくお土産に買っていた。
で、日本ではコレ、「キャスキッドソン」って言うでしょう?
それが気になっていたので、マリルボンのお店に行った時、お店の女性に正しい発音を聞かせてもらった。
「キャ~ス、キッ~ド、ストン」、つまり「キャス・キッドストン」とちゃんと「t」を発音していた。
脱線ついでに…「COSTCO」っていうのあるじゃない?バカでかい荒物屋みたいの。
今、「荒物屋」なんて言葉は使わないか?
日本人は「コストコ」って呼んでいるけど、アレ、「コスコ」って発音するんだよ。
コレは本当に外人に笑われた。
「シゲが『コストコ』とか言ってら!バカで~!」みたいに。
この下の写真なんかスゴイでしょ。
こんな狭いのに立派に公の通路になってる。

310vホント、どこの路地もビックリするほど細くて、上の写真のようにハラの出たオッサンが向かい合ったら道がふさがっちゃうような箇所も結構あった。

350v道の隙間から見えるイギリス海峡。
すごくキレイなの。

360v保養地、観光地だけあってシャレた建物も多い。

370vこの時、発見したんだよね~。
もう、何かおつゆにつかった麺が食べたくて、食べたくて…。
ことあるごとに触れているけど、海外で発生するこの衝動は「麺恋し」ももちろんあるけど、その実体って「ダシ」なんだよね。
魚とか鶏から採ったダシ。
どうにもダシのモノが食べたくなる。
で、思いついたのが東南アジアの料理。
日本料理店はなくてもベトナムとかタイの料理店は比較的どこにでもあるし、そう高くもない。
私は「食の冒険」が苦手なので、日本ではエスニック系の料理を食べる習慣がない。
それでイギリスに行ってもそれらの料理を敬遠していたんだけど、「麺とダシ」の禁断症状に負けてココで入ってみた。
どこの国の料理だったか忘れちゃったけど、おいしかったナ~。
あんまりおいしそうに食べていたのでウエイトレスに笑われちゃった!
大発見だった。
この時以来、ダシと麺に困ったらベトナム料理店に入るようにしている。フォー!

380v…と食べたかったモノを首尾よく頂いて町を散策する。

390vもちろん普通のビジネス街もある。
アップタウンっていうのかな?
イギリスには「アップタウン」とか「ダウンタウン」という言葉は聞かないな。
その代わり目抜き通りのことをよく「ハイ・ロード」なんて呼んでるね。

400

コレはブライトン博物館&アート・ギャラリー。
入らなかったけど。

410vコレがスゴい。
見るのを楽しみにしていた。
「ロイヤル・パヴィリオン」といって、ジョージ四世の別宅だったところ。

420何だってこんなデザインにしたのか…趣味悪し。
このジョージ四世ってのがヒデエ野郎だったらしくて、アダ名は「快楽の王子」。
「飲む・打つ」狂いで、宝石や骨董に目がなかったというのだからタマったものではない。
洋服にも遠慮なく金を使い、「ダンディ」の元祖はジョージ四世という話もある。
このロイヤル・パヴィリオンも金に糸目をつけず作らせたという。
440v
内部の写真が一枚も残っていないところを見ると、中は撮影禁止だったのかもしれない。
ま~、どこもかしこもアホほど豪華絢爛で見ごたえは十分だった。
ヘンリー八世の家、ハンプトンコートもスゴかったけど、やはりここのバンケットルーム(宴会場)のデカさには舌を巻いた。
熱海の大ホテルの宴会場とは雲泥の差だ。
18世紀の中頃まではイギリス西部のバース(「bath」の語源となったところ)が紳士淑女の一番の人気スポットだったが、このパヴィリオンが出来てからというもの、海水浴人も手伝って、その人気はブライトンに打って変わったという。

430ロイヤル・パヴィリオンを後にして近隣の商店街を進む。

310

このあたりもすごくいい感じ。

480海外からの観光客が多く、結構にぎわっている。

490vお、前方に趣味の悪い建物を発見!

500ド~ンとレスポールが飾ってある。
もちろん楽器屋さん。
「GAK」というお店。「ガッキ」という意味ではないよ。
看板に書いてある通り「Guitar」、「Amp」、「Keyboard」の頭文字だ。
そ、そんな名前にしちゃって本当にヨカッタのッ?!

510しかも、この色!
ま、目立つには目立つけどね~。

520vお、プラークを発見!

540Tom Sayer…知らないな。
職業はPugilist。
Pugilismとはボクシングのこと。
『あしたのジョー』でも段平オッチャンだったか白木財閥のジーさんだったかが説明しているように、昔のボクシングは素手でぶん殴り合ってた。いわゆる「ベア・ナックル」というヤツ。
で、このトム・セイヤーというのは1926年生まれのその時代の健闘のイギリス・チャンピオン。まだ体重の階級別が導入される前の時代、自分より大きな相手をガンガンやっつけてしまうというので「The Brighton Boy」と呼ばれ大変人気があったそうだ。
その生家がココ…だと思う。

550それで、ナゼここを取り上げているのかというと…ボクシングは全く関係ない。
実は、ココは生前のゲイリー・ムーア御用達の楽器店だったのだ。
ゲイリーは不幸にしてスペインで客死したが、ブライトンに終の棲家を定めていた。
雑誌などで新商品に興味を持つと、たまにこのお店に来て試奏することがあったそうだ。
ゲイリー・ムーアがそこらの楽器屋さんで試奏してるのに出くわしたらかなりの確率で腰を抜かすよね!
だからイギリスはおもしろい!

530v
ま、お店も休みだったし、いくら待っていても二度とゲイリーが現れるワケでもないのでこの場を早々に離れることにした。

560もう「足が棒」もいいところ。駅までの坂がツライ!
でも何とかたどり着いた~!

570駅の横のコンビニで水を買った時に隣の保険屋のウインドウで見かけたポスター。
イギー・ポップが車の保険の広告に出ている。
「Saving it ROCKS」なんてキャッチ・コピーがつけられているけど、イギーはイギリスでは裕也さんみたいな存在なのかな?

580v…というのがブライトンへの旅。
にわかジミーを味わった一日だった。
また行きたいな~。

590v

<オマケ>
今日のバナーに写っているのはかつてロンドンの神保町、チャリング・クロス・ロードにあったMacari'sという老舗楽器店。
もう10年近く前に撮った写真だ。
このすぐ近くにはロンドンのお茶ノ水、デンマーク・ストリートがあって、このチャリング・クロス・ロードにもいくつかの楽器屋が軒を並べていた。
今、それらの店はほとんど姿を消してしまった。
このMacari'sは私がMarshallと仕事をするようになって最初にお世話になったスティーヴが業界でのキャリアをスタートさせたお店で、一緒にお店に行ったこともあった。
ロンドンの楽器店というと真っ先にこの店を思い浮かべる。
そのスティーヴももう天国へ行ってしまった。
Macari'sは規模を縮小して今でもデンマークストリートで営業を続けている。
そのデンマークストリートも近い将来なくなってしまうらしい。

9_macarris

2016年2月10日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】 vol.22~Jubilee Lineに乗って

昨年の2555X Silver Jubileeの大ヒット。
20
味をしめたか、今年のNAMMでのMini Jubileeの発表。
とにかくMarshallにはいまだに銀色の烈風が吹き荒れている。
30

…ということで、今日の「名所めぐり」はロンドン市内を北西から南東に斜めに横断するジュビリー線(Jubilee Line)に乗って出かけることにしよう!…といっても短い区間の旅ね。
ジュビリー線は1930年代から稼働していたが、エリザベス2世の戴冠25周年(Silver Jubilee)を記念して1977年に現在の名称に改められた。

10_2
車両は当然銀色…ではゼンゼンない。
ピカデリー線等と同じガラのカマボコ・タイプだ。
こんなヤツ。
ところで、私はゼンゼン「鉄」ではないんだけど、地下鉄は好きだナァ。特に世界で一番長い歴史を持つロンドンの地下鉄は好き。
ニューヨークの地下鉄もそうなんだけど、ロンドンの地下鉄は、地上に出た時に大きな感動があるんだよね。
日本の地下鉄はどこで降りて地上に出ても、慣れているせいもあるんだろうけど、景色がどこも似たかよったかじゃない?
マンハッタン島内の地下鉄は本当に面白いよね。全部の駅で降りてみたいぐらい。
で、今日は先日紹介したベイカー・ストリート駅から北へ向かう。
ベイカー・ストリートの次の駅は「セント・ジョンズ・ウッド」。
アビィ・ロードのところね。
で、その次が「スイス・コテージ」。ロンドンの高級住宅街のひとつでかつての首相、トニー・ブレアの家もここにあるとか…。
そういえばジムはブレア首相のことを「トニー、トニー」って呼んでたっけ。
その次は「フィンチリー・ロード」。
私が財布を掏られた時に滞在していたところ。バカでかいSainsbury'sがあったな。

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そして、その次がココ。
「ウエスト・ハムステッド」。
このハムステッドという街も人気があるようだが、駅自体はノーザン線(Nothern Line)だ。

50
ここは「ウエスト」。

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駅を背に前の通りを左にくだってしばらく行ったところにあるのがコレ。
「ハムステッド・ガーデン・オペラ」という団体の本拠地なのだが、ココはかつてDecca Recordのレコーディング・スタジオがあった。
そんじょそこらにあるレコーディング・スタジオならこうして名所にはならなかった。
ココは1962年の元旦にビートルズがオーディションを受け、15曲を録音したところなのだ。
ディック・ロウというプロデューサーはNGを出して「ビートルズを蹴った男」として音楽市場に不名誉な歴史を残すことになった。

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恐ろしい世の中になったもので、この時のビートルズの演奏を聴くことができる。
メッチャ演奏うまいと思うんだけどね~。
デッカはビートルズでしくじったその穴埋めをストーンズとの契約で少しは挽回した。そのストーンズはジョージ・ハリソンの紹介というのだが、どうなってんだ?
ココのパートは本当はもっと長くなる予定だった。ちょっと色々ありまして今は書くことができず大幅にカット。
近いうちにこのパートだけ<続編>をお送りしたいと思っている。

80
そして、ソコの並びにあるのがこのRailway Hotel。
ココがすごい。
100_2
このホテルにはかつて「Klooks Kleek」というライブハウスがあった。
「Klooks Kleek」というのは、モダン・ジャズ・ドラミングの開祖と言われているKenny Clarkの1956年のアルバム『Klooks Clique』から採られた。
1961~1970年と9年しか営業していなかったが、John Mayall、Graham Bond、Ten Years Afterらが出演しイギリスのロック・シーンに大きな足跡を残した。
Led ZeppelinやThe Whoもここで演奏したことがあったという。
私的に驚いちゃうのは、Ben Webster、Sonny Rollins、Roland Kirk、Zoot Sims、Max Roachなども出演したというのだ!

実際にココで録音されたライブ・アルバムも多数残っている。
John Mayallの『Live at Klooks Kleek』。

110cd
コレはGraham Bond。
左から2番目はGinger Baker、右端はJack Bruce。
Jack Bruceも亡くなってしまった。

115cd
Graham Bondのもう一枚、『Solid Bond』。
こっちはGnger BakerとJon Hiseman、John McLaughlinにDick Hecktall Smith、さらにJack Bruceという夢のような面子。
ちなみにGraham Bondはレインボー・シアターのあるフィンズベリー・パーク駅で地下鉄の飛び込んで粉々になった。
このアルバム、メッチャかっこいい。

120cd
Ten Years Afterのライブ・アルバムは1973年の二枚組、『Recorded Live』がよく知られているが、それに先立つこと5年、1968年にもここで録音された『Undead』というライブ・アルバムをリリースしている。

130cd
こんなところにこんなスゴイものが…ロンドンは本当におもしろい。

90

次の駅は「Kilburn」。

140v
数分前まで雨が降っていたんだけど、この通り。典型的なロンドンの天気!気持ちいい~!

150
コレは映画館。
この街はかなりノスタルチックな雰囲気が漂っていてなかなかいいナァ。

160
トボトボ歩いているとラーメン屋の赤い看板が目に入った。
チャイニーズ・レストランではなくて明らかに「ラーメン屋」なの。
ココから先はShige Blogを加筆して再掲する。


写真を撮ればよかったんだけど、雨が降ったりやんだりだったので面倒でスキップ。
その看板には「Fast Noodleナントカ」って書いてあって、おいしそうなタンメンのようなものが見える。もーガマンできん!
餃子とワンタンメンとビールを頼む。
まず餃子が出てきた。フム、優秀、優秀。ちょっと皮が厚手だか餃子飢饉の口には十分すぎるぐらい「餃子」。
酢は黒酢だ。ハフハフいいながらビールで流し込んで…と。
さあ、ワンタンメンが来るぞ~! ♪ワンタンメン!ワンタンメン!キタ~!
(間)
エッ…?
(さらに間)
何じゃコレは?
麺がヤケに角ばってるじゃねーか?打ちたての信州そばってか?
ま、ツベコベ言ってないで食べてみよう。
ドワ~!いくら「ファスト・ナントカ」だってこれはないだろう?
オマエ、これカップヌードルの麺じゃねーかよー!「コシ」どころか「カタ」も「アタマ」もありゃしねぇ!フカフカじゃねーか!
それになんだ、このスープは?
味ねーよ!なんも味がしないっつってんの!
ナニナニ、「究極の湯麺」ってか?
オイオイ、まさかお湯に麺を入れて「湯麺」ってか?そんなこと考えてたらいよいよ許さねーゾ!でも、ワンタンはエビが入ってて存外にウマいな。
今度はナンダ、オイ?上に乗ってんのはキャベツかと思ったら白菜だよ、ハクサイ!
しょうがねーなー…オイ、チョット待て!
食ってみたらコレ漬物じゃねーか!すっぺーんだよ!どこにラーメンに白菜漬け乗っけるヤツがいるよ?! とても喰えたもんじゃねェ~!
多分、人生で一番マズイラーメンだったな。一生忘れない。

170
さぁて、目的はココ。
1937年に開業したGaumont State Cinema(ゴーモン・ステイト・シネマ)という映画館。The State Theatreともいう。
Gaumontというのは、今もあるフランスの大手映画制作会社だ。
エンパイア・ステート・ビルのマネっこをしたアールデコ調のこの建物は、上空を飛ぶ飛行機が目印に使っていたという。
キャパシティは4,004人。当時ヨーロッパ最大の映画館だった。
チョット考えてもみてくださいよ。4,000人が一時に同じ映画を観たんですよ、昔は。
日本的な興行をしていたとすれば、休日なんかは2時間の映画を5回まわして一日20,000人がひとつの映画館で同じ映画を観たことになる。
内部は滅法ゴージャスなつくり(写真を見ると実際スゴイ!)で、ウーリッツァー製のパイプ・オルガンが据えつけられ、係員も制服をバシっと着込み、一流の映画館然としていた。

180v_2
コンサート会場としても最適で、出演者のリストを見るといよいよスゴイ。
ジャ ズでは、Django Reinhardt (ホンマか!? 1938と1939年)、Frank Sinatra、Lee Konitz (Konitzってそんなに人気があったのね~?)、 Duke Ellington、Marilyn Monroe、Louis Armstrong、Sarah Vaughan、Thelonious Monk、Art Blakey、Lee Morgan、Dizzy Gillespie、John Coltrane、Dave Brubeck…Milesの名前が見当たらないナァ。

ロックの方もスゴイ。
Jerry Lee Lewis、Buddy Holly、Bill Haley & His Cometsといったロックの黎明期組から、The Beatles、The Rolling Stones、David Bowie、The Faces、Jethro Tull、Black Sabbath…といった当然組も。

190
1974年5月、Deep Purple MKIIIの『Live in London』はここで録音された。
Kilburnだけに「Burn」を演ってますな。Jon Loadが自分のことを「Rick Emerson」と紹介するくだりは有名。

200cd
それからコレも有名。The Whoは映画『キッズ・アー・オールライト』のためにがシークレット・ライブを敢行したのだが、その会場がココだった。1977年12月の話し。
最近書いていないが、『キッズ・アー・オールライト』の中でPeteがJimのお店に触れるシーンがある。興味のある人は是非ご覧いただきたい。字幕には出て来ないので要注意!

210dvd
こ の他にも1974年、Ron WoodがIan McLagan、Andy Newmark、Keith Richards、Rod Stewart 、Willie Weeksらと「First Barbarians」名義で2回公演し、その模様が『Live from Kilburn』としてCDやDVDになっている。
Gaumont State Theatreはその後、2007年に閉鎖。
この歴史的な音楽の遺産を保護しようと立ち上がったが、同年、ブリクストンに本拠地を持つ「Ruach Ministries」という宗教団体が1120万ポンド(約25億円)で買収した。

220
また移動。
さらに北を目指す。
「Mind the gap」はロンドンの地下鉄では必要不可欠な警告文。

230
4駅ほど行くとココ「Wembley Park」に着く。

240
もうこのあたりはZone4になり、かなりロンドンの中心から外れる…といっても東京でいえば市川とか本八幡ぐらいの感覚かナァ?
駅を出ると当然のように、ウェンブリー・スタジアムのアーチが目に入る。
コレ、飛行機の中からもよく見える。

250
ロンドンの中心部から離れているにしても、なんか広々としてるんだよね~。
ロンドンの人口は700万人。東京とマァ大差ないのにエラクせいせいとしてる。

260v
日本は空前のラグビー・ブームとなっているが、ご存じの通りサッカーもラグビーもイギリスが発祥だ。
そして、ラグビーの聖地といえば「トウィッケナム・スタジアム」。一方、サッカーはここ「ウェンブリー・スタジアム」なんだと。
ナンダ、ラグビーの聖地って「ラグビー」じゃないんだ?
ウェンブリー・スタジアムはご存じの通り、たくさんのコンサート・イベントが開催されている。

270
やや上から見るとこんな感じ。
左側に進むとさっきの「ウェンブリー・パーク駅」がある。
一方、この写真の手前側にももうひとつ、ベイカールー線の「ウェンブリー・セントラル」という駅があって、そちらにハイ・ストリート(繁華街)がある。
2004年にココに停まった時、外へ出るときは十分気をつけろ…とMarshallのスタッフに言われた。何でもその時、チョット前に路上で強盗事件があったのだそうだ、
あまり治安がよくないエリアだったらしい。
それでも、ひとりでヒョヒョいとよさげな中華料理屋に行って餃子とワンタンを食べたのを覚えている。

280
その時の用向きは「London Guitar Show」というロンドンで最大の楽器の展示会にお邪魔したのだった。
もう10年以上前か…。

285
そういえばあの時、盛んにスタジアムの工事をしていたっけ。
その後、London Guitar ShowはLondon Drum Showとくっついて今でもドックランドで毎年開催されているハズだ。
2012年の50周年コンサートの時にウェンブリーにまた滞在したので、なつかしくなってGuitar Showの会場となった場所を探したけどもうなくなっていた。

286
スタジアムは夜になるとこんな感じ。

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そして、スタジアムの向かいにある写真右の三角の建物がおなじみウェンブリー・アリーナ。

300
スタートは1934年。元々は水泳競技を開催するプールだったため、かつては「エンパイア・プール」と呼ばれていた。
1948年のロンドン・オリンピックでは競泳、飛び込み、水球等の競技を開催。
その後、1978年、多目的ホールに改修され、「ウェンブリー・アリーナ」とその名称を変え、こないだのオリンピックでもバドミントンと新体操の会場として使用された。

310
ご存知の通り、コンサート会場としても有名で、O2アリーナ、アールズ・コート・エキシビジョン・センターに次いで、ロンドンで三番目に大きなイベント・ホールだった…が、二番目に格上げになった。
アールズ・コートが閉鎖したからだ。

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ここから先はMarshallの創業50周年を祝った『50 YEARS LOUD LIVE』で紹介した写真も含まれているが、イギリスを代表するロック・コンサートの殿堂を『名所めぐり』にも加えておきたいので辛抱願いたい。

ロビー正面のようす。
ガッチリ物販のスペースが確保されている。
340
しかし、殺風景なロービーだナァ。
ま、元はプールだからね!

330
コレは2階の通路。
何とかアリーナと似てるね。ザハッ、こういうのを日本が真似て作っているのか…。

350
キャパは12,500。
横アリとかスーアリよりチョット細めかな?奥行きがスゴイ。

360
ま、私も記念に一枚。

370
ただいまリハ中。見覚えのある後頭部!

380
ココは食堂。
写っているのは左がアーティスト担当のジョエル、右はエンジニアのサンチャゴ。
ふたりとも私の大の仲良し。

390
この日のメニューはペンネ・アラビアータだった。
何か、向こうのトマトソースってスパイスが強すぎてなじめない。
この時、ポール・ギルバートご夫妻とご一緒させて頂いた。

400
楽屋に通じる廊下。
この日、モノスゴイ疲れてしまって、楽屋に山と積まれたレッドブルを立て続けに3本飲んだ。
それを知った友人が「おいシゲ!そんなことしたら本当に死ぬぞ!」とマジで忠告してきた。
ビビった…知らなかったんだもん。
何とかまだ生きてる。でも、疲れはゼンゼン取れなかったぞ!

410v
夕暮れともなると噴水がライトアップされていい感じ。

420
もはやなつかしいナァ。

430
お客さんのうれしそうな顔は一生忘れない。
440
50 YEARS OF LOUD LIVEの様子は、前日のリハーサル、当日のリハーサル、本番…とウンザリされるほど仔細にレポートを掲載しているので興味のある方はコチラをご覧あれ。
下の方の記事がスタートでござる。

【50 YEARS OF LOUD LIVE】

450
つづく

2015年12月 9日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.21~マリルボン周辺

今日の名所めぐりは、マリルボン地区のベイカー・ストリートから。

10コレはジュビリー線の「ベイカー・ストリート」駅。この駅は他にベイカールー線、ハマースミス&シティ線等、五つもの路線が交差するロンドンの地下鉄の要所だ。
「ベイカー・ストリート」と聴いてピンとくる人はきっと根っからの推理小説ファンだろう。
そう、シャーロック・ホームズが住んでいたところだ。

20…というワケで、駅には様々なシャーロック・ホームズのイメージが使われている。
ホームの壁ではシャーロック・ホームズ作品が紹介されている。
コレは「The Speckled Band」、つまり「まだらの紐」。

30 こっちは「四つの署名」といった具合だ。

40コンコースの壁もシャーロック・ホームズ。

50シャレてるね~。
あ、皆さん、シャーロック・ホームズはコナン・ドイルの架空の人物ですからね~。実在はしていませんよ~!
でも、この近くにはシャーロック・ホームズの家があって、博物館になっている。

70_2 地上に出るとこんな感じ。
ベイカー・ストリートはその道路を作ったウィリアム・ベイカーの名前から来ている。
入り口に、「マーキー」の時に紹介したWetherspoonというチェーン・パブがあって、大繁盛している。週末になると昼間っから信じられないぐらいの賑わいを見せている。
すんごいよ、中に入るとエールのニオイが充満していて、呼吸をしただけで飲んだ気になりそう!
ま、それはどうでもよくて、実はココ、他にモノスゴイ思い出がある場所なのよ。

80vあ、ちなみにこの駅舎のビルにはかつて「SFの父」といわれるハーバート・ジョージ・ウェルズ…すなわち『宇宙戦争』で有名なH.G.ウェルズが住み、ここで執筆活動をしていたんだと。
ダスティ・スプリングフィールドもベイカー・ストリートの住人だったそうだ。

85v駅前にもシャーロック・ホームズ。

90まず、最初の思い出はこの両替所。
もう大分前のことになるが、地下鉄でサイフをスラれたことがあった。
その日は滞在の最終日で、夜の便で日本に帰ることになっていた。したがって、ヒースロー空港まで行くポンドが必要だ。
ところが、最終日だったため、残りのポンドをすべてスラれたサイフに入れていた。
面倒ではあったが日本円をいくらかスーツケースと一緒にホテルに預けてあったので、それを両替すれば空港まで行けるし、パスポートはゼンゼン無事だったので日本へ帰ることは何なくできそうだった。
ところが、ものすごく困ったことが起きた。
それはクレジット・カード。サイフには予備のカードも含めて三枚入っていた。
すぐに止めにかかるため一旦ホテルへ帰った。
幸いホテルで電話を貸してくれたので、よく使うカードの信販会社のロンドンの事務所に電話をしたところ一発で止めることができた。
ところが…最後のカードの信販会社がどうにもわからない。それは大手家電店のポイント・カードかなんかに信販機能がくっついているヤツで、勧められるままに「ホイホイ」と気軽につくったものだった。したがって、要で作ったカードでなかったためにただの一度も使ったことがなかった。
そのため、請求書なども見たことがなかったのでどこの信販会社が取り扱っているのがわからなかったのだ。
当然、管理している信販会社がわからなければカード機能を止めることはできない。
サァ、困った。
で、閃いたのが東京にいる我が家内。「そうだ!東京に電話して家内に調べてもらって止めよう!」
実にいいアイデアだった。
ホテルでお金を払うので国際電話をかけさせてもらうように頼むと、その電話では海外につながらないという。
「そんじゃ、どしたらいいの?!」と焦る私。こうしてるウチにカードが悪用されたらどうすんの!オマケに飛行機に乗り遅れたらどうすんの!
すると「ベイカー・ストリートまで行けばインターネット・カフェがあって、そこで国際電話がかけられる」ということだった。
ホテルは「フィンチリー・ロード」というジュビリー線で「ベイカー・ストリート」から北へ三駅ほど離れたところにあった。
「お~!それじゃすぐに行ってこよう!…チョット待てよ!だ~か~ら~、ポンドがスッカラカンなんだってば~!」とか言って騒いでいると、奥から若いアンちゃんが出て来て、「話は聞いた。コレを貸してあげるからすぐにベイカー・ストリートまで行ってくるといい。バスが便利だよ」…と1ポンド硬貨を渡してくれた。
うれしかったね。地獄にホトケ。
「すぐに帰ってきます!日本人ウソつかない!」とかなんとか言って、日本円を握りしめてバスに飛び乗った!
で、まず向かったのがこの両替所だったというワケ。

100まずは両替して、そして飛び込んだのがインターネット・カフェ。
家に電話する。当然すぐに電話には出ない、東京は真夜中だからね。
いつもは一旦寝入ったら目を覚まさない家内がウマい具合に電話に出てくれた!
慌てて事情を話してカードを止めるようにお願いすることができた。
もちろん、すぐに踵を返してホテルに向かい、さっきのアンちゃんにキチッと3ポンドを返すことができた。
後日譚。
何でも、そのカードを止めるのに家内はものすごく苦労したらしい。カードのブランドは有名でも、それを取り扱っている信販会社がたくさんあり、私のカードがどの信販会社が振り出しているのかがわからなかったのだ。
で、どうしたかというと、真夜中に片っ端からそれらの信販会社に電話して探し当ててくれたのだ。
当然、そのカードはそのまま消滅して終わった。
皆さんも、あのクレジット機能つきのカードの取り扱いには十分注意しましょう。私はあれから一切作らないようにしている。

110さて、ベイカー・ストリート駅を背に目の前のマリルボン・ストリートを左に進む。というかすぐ左隣がコレ。

120有名な「マダム・タッソーろう人形館」。

130コレ、今、お台場にもあるんだよね?

140なんぞ楽しそうだな~。でも一度も入ったことがない。

150 だってサ…聞いてオドロけ!
入場料が一番安いチケットでも8,000円近くするんだゼ~!あのお得なロンドン・チケットも使えない。
でも、いつもすごい人出なのよ。

160マダム・タッソーを過ぎてどんどんマリルボン通りを進む。

170お目当てはコレ。

180なんか知性的でいい感じでしょ?

190「Royal Academy of Music」。
日本語では「王立音楽院」とか「王立音楽アカデミー」という。

200vエルトン・ジョンの母校なのだ。
440v
ま、学校の中は入れないけど、コチラは無料。付属のミュージアムだ。

210v 1822年に創立した歴史あるこの学校にまつわる貴重な品々が一階に展示されている。

220

230ギョっとしたのがコレ。
なんでFrank Zappa?
ココの生徒がZappaの作品をクラシック風にアレンジして演奏しているアルバム。Zappaにはこの手の作品が何枚もあるのでそう珍しい趣向のものではないが、当然ミュージアム・ショップでゲット。最後の一枚だった。
その下に見えるのはElton Johnのニューヨークはラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのコンサートのパス。
コチラは非売品。
ジュリアード音楽院とここアカデミーが後援したようだ。スゴイね、レジは。英米の音楽学校の最高峰が後援しちゃうんだから。

240ナゼかKenny Wheeler関連の展示が…と思ったらこの人、この学校の「ジュニア・ジャズ」というコースの後援者だった。

250vKenny Wheelerはカナダ出身のジャズ・トランぺッター。
1950年代にイギリスに渡り、タビー・ヘイズやロニー・スコットらと活動を共にした。

260vフリー・ジャズのフィールドでも活発に活動し、「Karyobin」という1968年のユニットではEvan ParkerやDerek Bailyらとグッチャグチャなフリーを演じている。
70年代にはフリーの巨匠、Anthony Blaxtonのグループの一員として活躍した。
また、Azimuthというボーカル、ピアノ、トランペットから成るトリオのフュージョン・グループで活動していた。
私もSonny Greenwichというカナダのギタリストとの共演盤を持っているが、何やら小難しいジャズを演奏していたナァ。

270v「Stella bu Starlight」の直筆譜面。
Wheelerは2014年に死去。

280vこのミュージアム、ここからがスゴイ!
まずは三階に上がる。
330
いかにもレアそうなピアノがズラ~リ。

2901920年製のスタインウェイ。コレがココの展示で最新のピアノなんだと!

300こんなの見たことないもんね。
V&Aなど、ロンドンの他の博物館でも歴史的なピアノを展示しているところがあるが、ここは圧巻!
上品で美しいことこの上ない工芸品の数々は見ているだけでも楽しい。

310
コレなんか、ベートーベンに送られたピアノで、その後、リストに渡ったんだってよ。

320工房も併設されている。

340二階は弦楽器コーナー。

350はい、ストラディバリウス。

360v今のところ、ストラティバリウスの最高落札額は2011年の16億円だって。

370vはい、アマティ。

380vニコロ・アマティはアントニオ・ストラティバリの師匠ね。
こういう楽器がゴロゴロしている。
しかし、イタリアってのはスゲエな~。

390vこんなものも展示している。
1831年のパガニーニのライブの告知ポスター。

400vその傍らにはパガニーニの肖像画が飾られている。
よくパガニーニは、古くはUli Jon Roth、さらにYngwie等の速弾き系のギタリストがネタに使っているけれど、パガニーニ自身も超絶技巧を誇ったバイオリニストだった。
病弱で顔色も悪く、暗号で記譜していたりする極端な秘密主義者で、周囲の人から気味悪がられていた。
ある演奏会でパガニーニがソロを弾いていると、運悪く弦が切れてしまった。それでも顔色ひとつ変えずに弾き続ける。ま、コレはクラシックの世界ではできる人は少なくないでしょう。
すると、他の弦が切れ、さらにまた他の弦が切れる。
とうとう四本の弦すべてが切れてしまったが、パガニーニは美しい音色でバイオリンを弾き続けていた…そんなバカな。
ミステリアスな雰囲気から、当時、そんな噂ばはしがあったらしい。
で、このポートレイトを見ると…。

410vね、もう弦が一本しか残ってない!
でもヤッコさん、全然平気で弾き続けているようす。コレがホントの超絶技巧ってか?
一体誰がこの絵を描かせたのかね?考えてみると興味深い。

420マァ、楽器がすきな人ならジックリ楽しめます。
ちなみにタダ。

430さらにマリルボン通りを進むと国鉄の「メリルボーン駅」に到達する。

450ココも駅舎がとてもステキ。

460vバーミンガム方面へ向かう列車の始発駅になっている。

455その駅舎の隣のこの道。

470ココはビートルズの最初の映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Days Night)』の撮影で使われたところ。
ファンに追いかけられて駅に駆け込むシーンだっていうんだけど、正直覚えていないナァ。13歳の時に一回観たきりだからナァ。
でも、列車の中のシーンは覚えている。ジョンが「I Should Have Known Better」を歌うところ。当時はこのタイトルの意味なんかサッパリわからなかったけど、今はわかる。仮定法過去完了だ。
ところで、今はこの映画のこと「ア・ハード・デイズ・ナイト」って普通に呼んでいるんだろうけど、当時はどうだったんだろうね?
「ネェ、ネェ、もう『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』観た?」なんて学校でやっていたのだろうか?聞いてみたい。

480vベイカー・ストリート駅に戻って今度はマリルボン・ストリートを渡る。
ね、パブもシャーロック・ホームズ。

490vコレは駅前の公衆トイレ。

500vすんごいきれいなの。

510vロンドンの公衆トイレは比較的どこも清潔だがココはダントツだ。感動して写真を撮ってしまった。

520ベイカー・ストリートを進むと左側に目的の建物が見えてくる。

530ブルー・プラークが見えるでしょ?

540vコレ。

550拡大すると、「JOHN LENNON M.B.E. 1940-1980  GEORGE HARRISON M.B.E. 1943-2001  worked here」とプラークに刻まれている。
ま、場所的にはそういうこと。

560vココ、1967年にオープンしたビートルズのAppleショップ(本当は「Apple Boutique」という名前だったがジョンがその名称をイヤがったらしい)があったところ。コンピュータ屋さんじゃないよ。
オープン当時はド派手でサイケなペイントが壁面に施されていたが、「見苦しい」と周囲から反対をうけ、真っ白に塗り替えられた。
この店、万引きが横行してたった8か月で閉店。最後は「もってけドロボー!」よろしく、商品をすべて無料で開放した。
ところが!
実は、その元のAppleショップあったビルは1795年に作られた大層古い建物だったので1974年に壊されてしまった。
したがって、今この写真にあるビルにAppleショップが入っていたワケではない。
だからよく見ると、ブルー・プラークもおかしい。
「ENGLISH HERITAGE」等、制定者のクレジットが入っていないのだ。勝手に作って付けちゃったんだね。
でも許す!ロンドンはロックの街なのだから!

570「Excuse me!」…と、これらの写真を撮っていたら女性から声をかけられた。
私が大きなカメラを操っていたのを見ていたのだろう。
「あの~、このカメラ、うまく撮ることがどうしてもできないんです。何か設定がおかしいのでしょうか?」
オイオイ、アタシャ取説じゃござんせんよ…と見ると、そのカメラは以前使っていたのと同じ汎用のCキャノンの一眼レフ。
ま、困っている人は助けてあげなきゃね…イヤ、美人だったからかな?
よろこんで調べてあげた。
すると、設定が確かにメチャクチャだ!
基本的な操作方法を教えてあげて、実際に撮らせてみるとバッチリ写るようになった!
「キャ~!ありがとう!」とおおよろこび。
「それじゃ、お返しに私のカメラで数枚撮らせてもらえませんか?」と投げかけると「撮って、撮って!」と大騒ぎ。
そして、レンズを向けると。全く頼みもしないのに、ふたりはビシっとポーズを取ったんですよ。
それが自然でカッコいいんだ~。
コレなんかそう。普通レンズ見るじゃない?
そうはしない。

580v「ダブル・デッカーをバックに」というリクエストに応えた一枚。
撮った写真を見せると「キャ~!送って送って!」とまた大騒ぎ。
あ~、気分いいわ~。篠山紀信になった気分だわ~。
で、メールのアドレスを渡され、写真を送って差し上げた。
二人は中東からの観光客で、いかにもお金持ちそう。
「ヒヒヒ、こりゃお礼に油田の一枚(「油田」ってどうやって数えるんだ?)ぐらいは軽いナ…」と期待していたのだが…。
油田はムリだったけど、後日キチンとお礼のメールが届いた。

590そのまま西にチョイと移動。

600モンタギュー・プレイスという場所。

610ココにもブルー・プラークが…。

620コレは正真正銘の正式プラーク。
ジョンがココに住んでいたことになってる。
ビートルズ・ファンならご存知だろうけど、実はココはリンゴの家だった。1965年にリンゴが買ってごく短期間住んでいた。
リンゴは引っ越したものの、このフラットを手放すことはせず、何人かの友人に貸し与えていた。
ポールはそのウチのひとりで、ここを簡易スタジオ(一階と地下のメゾネット・タイプだった)として利用し、「Eleanor Rigby」をここで制作したとか。
そして、ジョンが住むことになり、こうしてジョンの住いとして認識されるまでになってしまった。
ジョンとヨーコの素っ裸のジャケットで有名な『Unfinished Music No.1 : Two Virgins』ってのあるでしょ?
あのジャケット写真はココで撮影された。

680この玄関をジョンやポールが通っていたのかと思うと感慨深いナ。
そして、ナントここにはChas Chandlerと一緒にJimi Hendrixが住んでいたこともあったという。
今にもJimiが「イエ~」とか言いながら出て来そう?「家」だけに。

690vやっぱりロンドンはおもしろい!

700 

200

2015年12月 1日 (火)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.20~Marquee物語 <後編>

それにしても爆音による振動で建て付けが狂っちゃうなんてネェ。

考えてみると今みたいにシッカリしたPAシステムなんてまったくなくてギターなんて生音だったに違いない。実際に当時のJimiやCreamの写真を見るとMarshallにはマイクが立てられていない。
230Vで鳴らした1959のボリュームをクランク・アップして思いっきり弾いていたハズだ。Marshallの真ん前に立っていたお客さんはどんなだっただろう?爆音浴の極致。
それと、空気…。
朝晩は夏でも寒いロンドンは今でもエアコンを取りつけていない建物がザラにある。しかも60~70年代ならなおさらだ。
防音のために強力に密封された狭い室内に700人も詰め込んだ阿鼻叫喚の爆音灼熱地獄。
で、当時はみんなタバコを吸うのが当たり前だったから空気は汚れ放題。
こんなんで行きたいかァ?
行きたいなァ~。
日本では見ることのできないバンドのパフォーマンスを観たかったということももちろんあるが、その当時の本場の雰囲気を味わってみたかった。
ナゼかというと、イギリスの連中と話しをしていると、アメリカのルーツ・ミュージックや一部のグループを除き、他国のロックを基本的に認めていないことがありありとわかるからだ。
ナゼか?
それはまず、イギリスは「ビートルズの国」で、今のロックを作ったという誇りを持っていて、自分たちの音楽で世界を制覇したバンドが山ほどいるからだ。
こうしたMarqueeの状況を見ればそれも無理からぬことだと思う。
そんだば、何で最近日本の若いバンドがイギリスの名だたるロック・フェスティバルに出演できるのか?
ま、大人的な色々な事情があるんだろうけど、ひとつにはやっぱり世代が変わって、こうしたMarqueeのような場所で育まれたブリティッシュ・ロックの財産の価値が下がったということだろう。栄光のブリティッシュ・ロックの進化と呼ぶのか、退化と嘆くのか?どちらが適当なのかはわからない。
とにかく、Marqueeは遠くになりにけり…だ。
50_2
ロンドンにはそれこそ「ロック名所めぐり」みたいな有料のプライベート・ツアーがあって、こうして足を止めて観光客にMarqueeの説明をしたりしている。
近くに寄ってガイドさんの話しに耳をそばだてると、「Jimi Hendrix」とか「The Who」とかいう名前がしきりに漏れ聞こえてくる…。一般の人にはそれで十分だろう。
この手のツアー、どんなもんかと思って内容を調べてみると…安心してください。Marshall Blogの方が断然内容が濃いですよ。
こんなガイドの仕事いいナァ。
どこかの旅行代理店で雇ってくれないかナァ。
『ロンドン・ロック名所めぐりとMarshall工場見学の旅』って企画。
おいしいフィッシュ&チップスつき。プログレ・ファンには「カンタベリー行き」の、メタル・ファンには「バーミンガム行き」のオプションも用意…ナンチャッテ。

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さて、そのMarquee。
我が日本からもLOUDNESSやVOW WOW等、栄光の二号店に出演したバンドがいくつかある。アニメもゲームもない時代だ。コレを「偉業」と呼ばずしてナント言おう?
SHOW-YAもそのうちのひとつだ。
…ということで、Marshall JVMをお使い頂いている五十嵐sun-go美貴さんにお時間を作って頂き、特別に当時のようすを語って頂いた。

4img_0259 Marshall(以下M):店内の写真が見たいですね~。
sun-go(以下s):当時は写メなんかなかったですからね~。とにかくLed Zeppelinと同じステージに立てるというのがすごくうれしかった。
M:でも、Marqueeは何度も移転していますからね…。Zeppelinが出たのと果たして同じ店舗だったのかしらん…?。
S:エ~!
M:表はこんな感じでした?(現在の様子の写真を見せる)
S:ん~、表は覚えてないですね。中だけしか覚えていません。
M:出演されたのはいつでしたっけ?
S:1985年11月25日!
M:じゃセーフですね。最も有名なMarquee二号店ですね。
S:ヨカッタ~!
M:コレはその時の公演告知ポスターですね。対バンがLAシークレッツっての。これはガールバンドだったんですか?  

135v
S:イヤ~、全然覚えてないんです。  
M:そもそも「LAシークレッツ」ってバンドだったんですかね?調べたんだけどわからないかった。
S:バンドかな?
M:ゼンゼン覚えてないんですか?緊張してた?
S:それもあるけど、メチャクチャ忙しかったし…。マーキーにいるってこと自体だけでもう満足だったのかもしれません。
M:ま、とにかくこの「LA Secrets」のことは覚えてない…ということで。
S:ハイ。でもマラカスおじさんは覚えてる。
M:「マラカスおじさん」?

4img_0026_2S:マラカス持って踊っている名物おじさんがいたんですよ。
M:へ~、そんなの初めて聞いた。
この時の渡英の目的は?
S:SHOW-YAの2枚目のシングル、「しどけなくエモーション」のPVにライブ映像を使おうということになって、その撮影に行ったんです。
M:85年は二回イギリスにいらっしゃってますね? 7月にまず行ってる。こちらの用向きは?
S:ファースト・アルバムのミックスダウンですね。アビー・ロード・スタジオでした。それとコーラスの一部をそこで録音しました。
M:どうでしたアビー・ロード・スタジオは?当時は「EMIスタジオ」って言ってたのかな?
S:Paulの卓球台なんかが昔のまま置いてあってビックリしましたね。
M:その他には何をされたんですか?
S:ライブをしました。
M:どちらで?
S:ハーフムーンとディングウォールズというお店でした。 

★ハーフ・ムーン(The Half Moon)★
現在も営業しているThe Half Moonはテムズ川の南岸のパットニーというところに位置し、ロンドンでも最も息の長いライブ・ハウスとして知られている。キャパは250。
開店は1960年代初頭で、1963年から毎晩フォークのグループがブッキングされ、その後、John Mayall's Bluesbreakers, Alexis Korner, The Yardbirds等、ブルース系のバンドが取って代わり、The Half MoonはトゥイッケナムのThe Eel Pie ClubやリッチモンドのThe Crawdaddy Clubと並ぶ人気のブルースのハコとなった。
フォーク、ブルース系の店として他にもFairport ConventionやVan Morrisonも出演。次第にジャンルも広げThe Bonzo Dog Doo Dah Bandまで出ていたらしい。
他にもThe Pretty ThingsやNashville Teens、さらにDr. Feelgoodでパブ・ロックにも幅を広げた。
The Rolling StonesやThe Who、U2なども出演している。

Steve Marriottも常連で、Elvis Costelloは70年代の中頃レギュラーで月に二回出演していたというし、Kate Bushが初めて人前でパフォーマンスをしたのもここHalf Moonだったという。
コリャなんだかMarqueeどころじゃなくなってきた?
しかし、2010年頃になると客足もメッキリ減少、(ロンドンもいいバンドが少なくなったのだろう)経営が苦しくなりほとんど閉店状態になってしまった。
あわやそのままクローズしてしまうかと思いきや、何百人分もの署名を集め、facebookのキャンペーンでは6,500人もの賛同を得、経営を続けることになった。
今では食べ物も出している。今度ロンドンに行ったら絶対に寄ってみようと思う。

★ディングウォールズ(Dingwalls)★
カムデン・ロックにある1973年から生演奏をはじめたキャパ500のパンク、ロック系のライブハウ

11img_1674_3ス。70年代後半には当時イギリスでもっとも人気を博したThe Stranglersが出演していた。
Steve Marriottは1984年7月に出演し、『Live at Dingwalls』というライブ盤をリリースした。
80年代後期から90年代初頭にはジャズ・ダンス・クラブに体裁を変えたが、現在はライブ・ハウスとして営業している。
カムデン・ロックの「ロック」は「Lock」、すなわち「閘門」のこと。運河の高低差を調節して船の行き来を可能にするエレベーターみたいなもの。「Rock」ではありませ。

M:アンプはMarshall?
S:はい。音があまりにも良くてビックリしましたね。100Vと230Vの電圧の違いを身体で感じた。

4img_0019音がすごく澄んでいて、JCM800だったんですけど歪まなかったですね。
M:鳴り方がまったく違いますよね。
S:昔のマーシャルはミッドを上げるとハイもつられて上がっちゃって…。どうやってもローが上がらず困りました。自分の弾き方のせいか耳が痛かった。なんか無意識のうちにピッキングハーモニクスで弾いているみたいな感じって言うのかな?
M:よくわかります。私なんかとても弾けない!
それはハコのMarshallだったんですかね?
S:イヤ、どこからか借りてくれたんだと思います。
あと、日本語と英語の違いもビックリした。機材の名前なんかでもちょっとした単語が通じなかったんです。そういう意味では本当に色んなことを勉強しましたね。
M:なるほど。私なんか今でもそうですよ!「え~、シールドって日本語なの?」みたいな…。イヤ、コレは昔から知っていましたけど、とにかく知らないことがいまだにたくさんある!「プレクトラム」とか…「ピック」って言って欲しい。
その他には何をされたんですか?

4img_0025_2S:7月の時にはウェンブリー・アリーナで「Live Aid」をみんなで観に行ったのが印象に残っています。
M:それヘッドライナーは誰だったんですか?
S:「Let It Be」が最後に演っていたんでPaulだったんだと思います。最後のQueenを観ました。Led Zeppelinが出るかと思ったら出なかった。それはアメリカだった!
Phil (Collins)が自家用ジェットでアメリカへ行ったんですよ。私も連れてって~!って思った!
M:それはムリでしょ。11月の時のメインの業務は?
S:なんだったんだろう?多分ミックス。それとさっき言ったセカンドシングルのPV撮りですね。
M:それでどうでした、マーキーは?うなぎの寝床?昔のELLみたいなイメージがある…。
S:やっぱり楽屋の印象しか覚えてないナァ~。
M:キャパは?
S:そんなに大きくないですよ。ステージも小さかったけど、天井は高かったですね。
スマホが当時あればネェ。とにかくマラカスおじさんが踊っているのがよく見えた。

4img_0023M:客席の雰囲気はどんな感じだったんですか?
S:みんな好き勝手にノッテるって感じかな。 なんか『ウッドストック』に出て来るお客さんみたいでしたね。
M:反応はいかがでした?
S:「オリエンタルの女性のバンド」というだけでかなりインパクトはあったようです。一回目の時もそうでしたけど、終わった後には何人もの男性から「ヨカッタ!」と言われました。
M:みんなどうやって知って来たんだと思いますか?何かで「東洋の魔女が来るぞ!」って告知された?
S:チョッ~ト!それは古すぎでしょ!「女性」の、しかも「日本から来ている」のがとにかく珍しいということだったんでしょうね。
あ、ひとつ思い出した。

4img_0011_2M:え、ナニ?
S:前の晩、ホテルのバーで飲んだ時、ホワイトソースみたいの食べたんだけど、それでお腹をコワしちゃって…。翌日モドしちゃったんです。そしたら、「妊娠疑惑」が起こっちゃって!
M:ハハハ!昔からイジられ上手だったんですね?しかし、向こうは何でもかんでも食べ物には思いっきり火を通すから何かに当たるというのは珍しい。
S:作り置きして相当時間が経ってたんじゃないですかね?
M:ショウの上演時間は?
S:40~50分ぐらいかしら?
M:当時はロンドンに飛ぶのも大変だったでしょう?
S:ロシアの上を飛べませんでしたから、南回りで24時間。カラチ経由とかでしたね。
直行便がなくて、ドゴールを経由した時にはマスターテープを通関するのに時間がかかってしまって飛行機を遅らせたこともありました。
M:しかし、うらやましいですね。一度でいいからMarqueeの中に入ってみたかった!
S:私はもうそこにいられるだけで幸せでしたね。それと楽屋や通路とかに感動。
M:わかるわかる!
S:匂いが残ってるような気がする。
M:一番うれしい残り香はLed Zeppelin?
S:そうですね。
M:1968年にYardbirds名義で初めて出演してますね。その三日後ぐらいにFreeですよ。いい時代。
S:私はとにかくLed Zeppelinですね。
M:我々、もうチョット早く生まれていれば見ることが出来たのにね。(sun-goさんと私は同級生で、誕生日は一日違いなのです)
S:2~3年早ければ私は観てたな…。
M:私も…。ありがとうございました!

Marqueeのsun-goさん、見てみたかったな~。そして写真撮りたかった!
SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA オフィシャルサイト

4img_0193さて、その後Marqueeはいずこへ…。
長年住み慣れたウォードー・ストリートを離れ、Marqueeはチャリング・クロス・ロードへと引っ越したのであった。
といっても、歩いて10分ぐらいのところよ。
チャリング・クロスは本屋さんが集まる私にとっては魅力的なエリアでしてな…。

11img_8358下の写真にある「FOYLES(フォイルズ)」というのは1903年創業の老舗の本屋さん。7つの店舗を運営していて、ここはその本店。かつては「世界で最も広い店舗面積と品揃えの数の多さ」でギネス・ブックに出ていた。
知らなかったんだけど、八重洲のブックセンターはこのFOYLESの姉妹店なんだって!
CDなんかも売っているよ。
ここの音楽関係のコーナーなんて行くと書棚には見たことのない本がたくさん並んでいて実に楽しい。
ロンドンには古い本屋さんがそこら中にゴロゴロしていて、店の中を見るだけでも十分におもしろい。
あの楽器屋街、デンマーク・ストリートもこの道につながっている。

11img_2824 チョット小道に入ると古本屋さんがイッパイある。
カレー激戦区ではないけど、神保町の風情だ。

11img_8329古本もね~、ゆっくり見て、買って持って帰って来たいんだけど重くて!
こんなのインテリアにいいんじゃない?
ウチはダメダメ。読んでる本だけでも収まり切れなくて困ってるからさ。

11img_8339神保町もそうだが、車、音楽、ファッション、地理、古文書…等々このあたりの古本屋さんは取り扱いの本のジャンルをキッパリ分けて商品を取りそろえている。
脱線。
昔、井上ひさしがタヌキに関する小説を書くことになり、行きつけの神保町の古書店の主人に「タヌキに関する本を集めて欲しい」と依頼した。するとその主人は自分のネットワークを駆使してその類の本を集めた。その結果、神保町からタヌキに関する本が一冊もなくなってしまったという話しを聞いたことがある。
何冊集まったのかは知らないが、もちろん井上さんは全部ゲットして、読破し、そうして一編の小説を仕上げたのだという。
ボリュームにもよるが、本を書く人は一作編むのに最低でも書架二台分の本を読むとかいうからね。
私も『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』やこの『名所めぐり』を書く時にはかなりの量の英文の資料に目を通すが、チャンチャラおかしいね。
だから『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』や『名所めぐり』はアクセス数が伸びないのかな?
Marshall Blogの中で一番面白いと思っているのは私だけか~?

そして、その井上さんのエッセイで読んだ話し。
同じような話しで、司馬遼太郎が何かの本が必要で探したがどうしても見つからない。そうこうしているうちに井上さんが蔵書していることを知り、それを見るために井上宅を訪ねた。
その本を手にして、ツラツラと目を通しながら井上さんと雑談をする。
そのうち井上さんは「どうぞお貸ししますのでお持ち帰り下さい」と司馬さんにすすめると、「イヤ、もう内容は全部覚えましたので結構です」とその申し出を断ったという。
これにはさすがの井上さんも驚いたらしい。
井上さんの『江戸の夕立』という短編はおススメ。

11img_8330 で、Marqueeがチャリング・クロスに引っ越したことは知っていたんだけど、どうも正確な場所がわからないでいた。
おかしいな…この辺のハズなんだけど。

80

チヤリング・クロス・ロードをブラついているとある時この看板が目に入った。
このおじチャンじゃないよ。
下にある「WETHERSPOON」の文字。
WETHERSPOONというのはイギリスのパブの大手チェーン。安いのよ。
日本だと田舎へ行って安くなるのはせいぜい生鮮食品ぐらいだけど、イギリスはそれだけじゃなくて電池だとか以前は必需品のひとつだったカメラのフイルムなんかもロンドンより田舎の方が格段に安い。
ビールも同様。
ロンドンのWETHERSPOONは残念ながら他店とそれほど変わらないけど、コレが田舎の店舗に行くとロンドンの半額近くで飲めちゃう。
元Marshallの友人が住むニューキャッスル近くのサウスシールズという町にもWETHERSPOONの店があって、あの時は円も強かったせいもあって、ギネスの1パイントが400円以下で飲めた。
ロンドンで飲むなら、今では東京の方が安いぐらいだよ。
ロンドンの物価は何でも日本の倍。ホテルは3~4倍。バカバカしくて何にも買えない。
でもウチは円安の方がありがたい。皆さんゴメンね。

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で、さっそく入った。

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この日のランチ。
スタウトを一杯とB&Bから持ち出した朝食のパンの残り。まるでハトのエサだ。
それでもビールがウマい!
疲れた身体にジトーっと沁み込んで行く。
イギリスのビールが大好きなのだ。
ホッとして店の壁に目をやると…。

11img_0756…「Welcome to the last home of the Marquee Club 1988 - 1996」ってアンタ…。
おいナンダ!ここがMarqueeの三号店だったんじゃないの!…なんて『猿の惑星』のテイラー船長みたいなことになった。この店の前はもう何十回も通っていたんだから!

110

1988年Marqueeはこの地に移転。
ロック・ビジネスがますます大衆化を進め、隆盛を極める中、この三号店も大変な賑わいを見せ、ブリティッシュ・ロックの歴史にその名を深く刻んだ。
こけら落しは8月16日、KISSがその重責を担った。
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店内のデコレーションは意図的に一新されたが、入り口はクラシックな劇場の雰囲気をフィーチュアし、ステージの突き当たりには伝統の「Marquee」ロゴが据え付けられた。

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コレは今の内装。エントランスの部分。

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店内はこんな感じ。

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かなり広い。
スクリーンが下がっている奥がステージだった。

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ところどころソレっぽいデコレーションが施されてはいるものの、天井の高い巨大な飲み屋といった感じ。
これが夕方になると足の踏み場が全くないほど混みやがる。土日は昼間っから酔っ払いであふれかえっちゃう。1,000人ぐらい入ってるんじゃないかな?
あ、トイレは二階です。
この三号店は1995年にクローズした。
出演したバンドを調べてもほとんど知らない名前ばかりだった。
日本からはGargoyleがこのステージに立っている。

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「The last home of the Marquee Club」なんて言ってるぐらいなので、ここでMarqueeの歴史が閉じられるのか…と思うとさにあらず。

この後、2002年にEurythmicsのDave Stewartを迎えてイズリントンに復活。しかし、たった4か月でボツ。
さらに2004年にはレスター・スクエアに開店。900ものキャパの大店舗だったが2005年にはクローズ。
みんなMarqueeの名前だけで商売できると思っていやがる。
まだ続く。
2007年、レスター・スクエアとコヴェント・ガーデンの間ぐらいのロケーションで復活。
これは小ぶりな作りで、第一号店並びに二号店の雰囲気を踏襲してみたが翌年には閉店と相成った。
してみると100Clubとかロニー・スコッツなんてのはスゴイもんだ。やっぱりこういう商売は場所を変えるとシンドイようだ。

こうしてこのブリティッシュ・ロックのアイコンともいうべき大看板の歴史は閉じられた。
また復活する日が来るかも知れない。
しかし、例え復活したとしてもうまくいかないのであろう。
BPI(イギリスレコード協会)によれば、アメリカのヒットチャートの上位の曲の半分近くはイギリスのアーティストによるものだ…豪語してと息巻いているが、こと「ロック」という言葉を投影してみると…虚しい。
私の感覚ではは世界の若者を魅了するようなオリジナリティにあふれたロック・バンドがイギリスにいない…ということでもなく、最早「ロック」という音楽そのものが往年のパワーを持ち合わせていないと思うからだ。
そして、あれほどブリティッシュ・ロックを支持した日本はその衰退と交替するかのようにJ-POPが隆盛を極めロックを失い、「世界のロック後進国」になってしまった。
ロックは遠くなりにけり…か。

11img_0369_m (参考文献:The Marquee Clubオフィシャル・ウェブサイト、Tony Bacon LONDON LIVE BALAFON他)

2015年11月30日 (月)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.19~Marquee物語 <前編>

安心してください。今日はツベコベ言いませんよ。
後でたくさん言います。
まずはコレをご覧くだされ!
 コレを見て興奮しないベテランのロック・ファンは誰ひとりいまい。
もし、何も感じなかったら、自分が「ロック」だと思って聴いてきた、あるいは聴いている音楽は「ロック」でない…と思った方がよい。
若い人はコレを見てどう思うんだろう?ただ単に古臭く映るだけなのかナァ~?
「ロック」という音楽が一番カッコよく、そしてクリエイティブだった時代。
うれしいね、みんなMarshallだよ。
 (…と、オリジナルの記事ではココで「Marquee クラブ」の歴史の動画にリンクされていたんだけど、見れなくなってしまったので動画は削除させて頂いた)
 

いつもは「ブラリ、シゲさんぽ」よろしく、地区ごとにイギリスのロックに関わる名所を紹介するこのシリーズだが、今日はちょっと取り組み方を変えてお送りする。
ブリティッシュ・ロックの黄金期を育んだ、世界に名だたるライブ・ハウス、Marquee Clubに焦点を絞るのだ。

下はロンドンでももっともにぎやかなエリアのひとつ、オックスフォード・ストリート。
東京で言えば銀座の中央通りか。
恥ずかしながら今まで気が付かなかったんだけど、こんな有名かつ重要な通りなのにコレ、ナントたったの二車線しかないんだよね。
車道と歩道がほぼ同じ幅だ。この狭い道をおびただしい数の二階建てバスが行き交う。
Marqueeは数回移転しており、第一号店はこの写真の左側あたりの場所にあった。
オックスフォード・サーカスとトッテナム・コート・ロードのほぼ中間。

10ここのどこがMarqueeなんだ?という感じで面影がまったくないが、住所からするとココしかない。
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Marqueeの第一号店がオープンしたのは1958年の4月。
記念すべき最初の出演者はKenny BakerとMichael Garrickという人たちのカルテットだった。「どんなもんかいな?」と思ってこの人たちの音源を探して聴いてみたら、二人ともごく普通のモダン・ジャズを演奏していた。
1950年代の中頃、ロンドンにはジャズ系のライブハウスが盛んに営業していた。同じくオックスフォード・ストリートに今もある「100 Club」、Georgie Fameで有名な「Flamingo」や「Ronnie Scott's」もこの時分に歴史をスタートさせている。

Marquee Clubはいきなりスタートしたワケではなく、Academy Cinemaという映画館の地下にあったMarquee Ballroomが前身となっている。
「ボールルーム」というくらいだから、そこはビッグ・バンドが入ってダンスを楽しむようなゆったりしたスペースだったはずだが、客の入りはあまり良くなかったようだ。
「marquee(マーキー)」というのはサーカスの会場などに使われるテントのことで、「キー」にアクセントを置いて発音する。
クラブの昔の写真や映像を見たことがある人はピンとくることと思うが、店内が赤と白のストライプでデコレイトされてるでしょう?アレは、サーカスのテントのイメージなワケ。
この店内のデザインを担当したのはAngus McBeanというデザイナー。この人はポートレイトの写真家として有名な人だ。
このAugus McBeanという名前を知っている人はビートルズ通と見て差し支えないだろう。
『Please Please Me』、『赤盤』、『青盤』のジャケット写真を撮った人なのだから。
撮影場所は、このMarqueeからほど近いマンチェスター・スクエアにあったEMIの社屋の中。(最近もチョイと寄って来たので興味のある方はコチラをご覧あれ)
適当なレンズを持ち合わせていなかったため、Angusは床に寝転がった状態で階段から見下ろす四人を撮影したという。


さて、前身のMarquee Ballroomは1957年に入ると、土日はジャズのライブ・ハウスも兼ねるようになり、先述のKenny Bakerらが出演するようになった。
要するにダンス・ホールでは商売が立ち行かなくなってきたのだ。

一方、Harold Pendletonという若い会計士がマージーサイド(リバプールがある地域)からロンドンに出て来る。
Pendletonはジャズが大好きで、ジャズ盛んなりし都会で次第にそちら方面の仕事に加わるようになる。
そうしてジャズ・トロンボニストのChris Barberと親交を深め、しまいには会計士の仕事を辞め、Chrisのマネージャーになってしまった。日本でも時々耳にする話しですな。

「好きこそモノの上手なれ」で、Pendletonはジャズ団体に加わり数多くのアイデアを提供し、1958年にはアメリカからMuddy Watersを招聘し、Chris Barberと共演させたりした。
チョット脱線するけど、1958年の日本の流行歌といえば「無法松の一生」、「嵐を呼ぶ男」、「からたち日記」、「星はなんでも知っている」、「だから云ったじゃないの」等々。
日本のジャズの黎明期を記録したレコード、『銀巴里セッション』の「銀巴里」が銀座にオープンしたのもこの年だ。
同じ頃、地球の反対側ではジャズ人気の傍ら、一部の音楽愛好家がMuddy Watersの訪英に熱狂していた。つまり、ロンドンはブルースにも夢中だった。
このあたりが「ロックにしかロックのルーツを持たない」日本のロック・シーンとの決定的な違いがある。

さて、その頃になるとMarquee Ballroomはいよいよ経営が立ち行かなくなってしまい、店はPendletonに経営についての協力を乞い、店を借りてもらうことになった。
彼はたちまちその手腕を見せ、優秀なジャズの新人を出演させて1958年の末には店の経営を盛り返すことに成功した。
その出演バンドのひとつがAlexis KornerのBlues Incorporatedだった。
Blues Incorporatedはハーモニカ&12弦ギター・プレイヤーのCyril DaviesとギタリストのAlexis Kornerが組んだバンドで、スキッフル~ブリティッシュ・ロックの黎明期を支えた。
このグループにはかつて、Jack Bruce、Ginger Baker、Charlie Watts、Graham Bond、Long John Baldry(Elton Johnの「John」はこの人のJohn)、Dick Heckstall-Smith(ColoseumやGraham Bond Organizationのテナー・サックス)らが在籍していた。
そしてMarqueeは徐々にR&B色を濃くして行き、1962年にはロンドンを代表するR&Bのクラブになった。
Jim Marshallが50年代の終わり頃にはジャズに見切りをつけ、ロック(実際にはスキッフル)のドラム教室を開いて成功したのと時を同じくしていると見てよいだろう。
ジャズは急速に「古い音楽」になっていったのだ。

ところで、Pendletonが加わっていたジャズの組織は「The National Federation of Jazz Organisations of Great Britain」といい、1961年に「National Jazz Festival」というイギリスで最古の音楽フェスティバルを開催した。
コレはいわば大型のMarquee Clubといった企画で、第一回目のフェスティバルの会場にはMarquee Clubの店内とお揃いの装いが施された。
このNational Jazz Festivalが後に「Reading Festival(レディング・フェスティバル)」に発展する。

1963年になると、Manfred Mann、Graham Bond、Brian Auger、John Mayallらが顔をそろえ、The Rolling Stonesも他のR&Bバンドの前座としてMarqueeに出演するようになり、「ロンドンで一番のR&Bライブハウス」の名を欲しいままにしていった。

しかし、好事魔多し。
1964年に目玉の出演者の一人Cyril Daviesが白血病で急逝する。
巷間では「Marqueeはつぶれてしまうのではないか?」との噂まで出始め、ほぼその通りになってしまった。
正確には、Academy Cinemaが映画館を増設することになり、Marquee Clubに立ち退きを要請してきたのだ。
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Pendletonはせっかく軌道に乗り始めたR&Bのライブ・ハウス・ビジネスを放り出すワケにはいかず代替地を探した。
すると、ノッている時は運も味方してくれるようで、ソーホーにほど近いウォード―・ストリートという場所に適当な物件を見つけたのだ。
その界隈にはフラミンゴやロニー・スコッツ、ラ・ディスコティックといったライブハウスが林立しており、まさにロンドンのナイト・ライフの中心地だった。

…といっても、東京とゼンゼン違うせまいせまいロンドンのこと、第二号店の候補は一号店から歩いて15分かからないぐらいのロケーションなのよ。
下の写真がウォード―・ストリート。第一号店があったオックスフォード・ストリートから入って来たところ。
このウォードー、Wardourと綴る。ずっと「ウォルドア」と発音するのかと思っていたら、どうも「ウォードー」らしい。
写真の中央の茶色いレンガ造りのビルが第二号店が入っていたビルだ。

I_img_7363この建物にMarquee Clubの第二号店があった。
90 Wardour Street, London…ロック史で最も有名な住所のひとつだろう。
前の使用者はナント、あのバーバリーだった。
オープンは1964年3月13日の金曜日。日取りは縁起でもなかったが、そんなことはツユ知らず、Marqueeの二号店はブリティッシュ・ロックの本拠地のひとつとして歴史に名を残して余りある大活躍を見せるのであった。
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また話しは反れるが、一号店の最後の日、1964年の3月5日にStan Getzが出演してR&Bを演奏し、大ウケしたことになっている。
他の記録ではLong John BauldryとThe Yardbirdsになっているのだが…。
どっちなんだ?
Stan Getzと言えばテナー・サックスの巨匠にして大スターだ。ボサノヴァで大人気を博したことを考えればジャズ以外の音楽をやっても不思議はないかもしれない。
もっと言うと、1972年にはChick CoreaとReturn to Foreverのレパートリーを演奏した『Captain Marvel』を録音している。案外なんでもやっちゃう人…という捉え方もできるかもしれない。(『Captain Marvel』のドラムはTony Wililamsでメッチャかっこいい。『Return to Forever』しか聴いたことがない人はゼヒお試しあれ。ロック・ファンにもおススメ)

それで、この辺りのことをチョット調べてみると、Getzは1964年の録音で『Live in London』というアルバムを残している。残念ながら聴いたことはないのだが、内容を調べてみると、「Here's That Rainy Day」とか普通のジャズを演ってるじゃんよ。
で、録音場所をチェックすると…なんだよ、ソーホーのロニー・スコッツじゃん!ロニー・スコッツでジャズ、マーキーでR&Bをプレイしたのか…。
とにかく1964年にはロンドンをうろついていたことは確かだった。
しかしね~、あのナイーヴな音色でR&Bを演るとはどうも思えん。
ついでに、Getzでもうひとつ。
この人、顔のどちらかの写真を撮られるのを極端にキラっていて、それを知らずにシャッターを切ったカメラマンを問答無用でブン殴っちゃったとか…。
クワバラ、クワバラ…人の写真は勝手に撮ってはイケませんな。

さて、第二号店。
お店が移転したということを常連のお客さんに感じさせないために、極力内装を第一号店に近づけた。
そして、Pendletonはこの二号店をロンドンの「ロックのメッカ」に育てあげることを決心するのだが、それには大きな悩みがあった。
つまり「爆音」のことだ。
ジャズのライブであれば数10ワットの何ら問題ない音量が、ここでは数千ワットにまでハネ上がることが予想され、かなり頑丈に防音工事をしなければならなかった。
その工事のためにステージを狭くせざるを得なかったそうだ。
記念すべき最初の舞台に上がったのはSony Boy WilliamsonとLong John BaldryとThe Yardbirds。
ちなみにこの時のLong John BaldryのバンドにはRod Stewartがいた。
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有名なThe Yardbirdsのデビュー・アルバム、『Five Live Yardbirds』はその日の録音だ。

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この頃の出演者の顔触れを見てみると…
John Mayall、Mandred Mann、The Moody Blues…日本で名の知れたバンドはコレぐらい。
他は全然知らん。地元のR&Bバンドだろう。
しかし、様子が変わり出したのは1964年の11月24日のことだ。
The WhoがMarqueeのステージに上がったのだ。今から丸51年前のことだ。64年であれば当然Marshallといっしょだろう。
この日は雨が降ってしまい、とても寒かったため客足は最悪だったが、The Whoがブレイクするまでそう時間がかからなかった。
この日のステージを観た人の思い出話がおもしろい。
その人はDick Charlesworthというジャズ・クラリネット奏者を観に行ったのだが、都合により出演がキャンセルとなり、代わりにシェファード・ブッシュからやって来たワケのわからないロック・バンドを観なければならないハメになった…という。
このワケのわからないバンドこそThe Whoだ。
デビュー間もないThe Whoをイヤイヤ観たというワケ。オイオイ。
それは「I Can't Explain」の大ヒットまであと数週間のことだった。
この人はChris Barberを観にMarqueeへよく通ったのだが、時折Steve Winwoodを客席で見かけたそうだ…スゴイね。

この後、The Whoは長期にわたり木曜日のレギュラーを務めることになる。
モノクロでピートがリッケンをしょって右手を上げたポスターを見たことがあるでしょう。キャッチコピーが「The Mazimum R&B」。
アレは「The Whoが毎週木曜日にMarqueeに出てますよ」という告知ポスターだ。

いよいよブリティッシュ・ロックが大きく動き始めた。
一方、Pendletonは最後まで爆音に悩まされていたようだ。時が経つにつれて、出演するバンドの音量がドンドン大きくなっていったのだ。
その立役者がThe WhoとMarshallだったことはMarshall Blog読者の皆さんならよくご存知のことだろう。
この時代はJimとPeteがMarshallの開発でアレコレとやり取りをしていた頃だ。
フル・スタック、100W…PendletonもさぞかしMarshallには頭を悩ましたのではなかろうか?
Peteが初めてギターを壊したのもMarqueeでのことだった。Peteが壊したリッケンバッカーをJim Marshallがセッセと修理した話しは良く知られている。
1968年のMarquee十周年の記念イベントでもThe Whoは主役を務めたそうだ。

コレは現在のMarquee二号店跡の入り口に飾ってあるプルー・プラーク。
Keith Moonがフィーチュアされている。

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1964年にはこのビルの二階に4トラック(たった!)のミキサーを擁したレコーディング・スタジオもオープンさせていて、Marquee Audio ltd.という名称で現在も別の場所で営業している。
そして、Maqueeの出演者でこのスタジオで録音したある曲がメロディ・メーカーのチャートで見事に一位をゲットする。
それはバーミンガム出身のバンド、The Moody Bluesの「Go Now!」だった。
この曲はDanny Laineの大フィーチュアでPaulの『Wings Over America』に収録されているのでご存知の方も多いことと思う。

I_img_0266でもこの曲、残念ながらThe Moody Bluesのオリジナル曲ではなくて、Bessie Banksというアメリカのソウル・シンガーの作品。
この曲のヒットに一役買ったこのプロモーション・ビデオはQueenの「Bohemian Phapsody」のそれの元のアイデアといわれている。なるほどね~。
チョット見てみようか?
The MoodysはこのビデオをMarqueeのウラで撮影したとか…。

さて、1965年に入るとMarqueeは新たなスターを迎える。メロディ・メーカーの読者投票でブライテスト・ホープに選ばれたDavid BowieとSpencer Davis GroupのSteve Winwoodだ。
才気あふれていた頃のBowieをこんな小さいお店で観ることができたらどんなにか幸せだろうか?

また、ジャズ好きのPendletonのアイデアだったのだろうか、ロニー・スコッツと共同でジャズ・スクールまで開講している。
先生のひとりはナ、ナントTubby Hayesだったっていうのだからスゴイ!Tubby Hayes好きなんだ~。
この頃になるとサイケデリックの流行が始まり、The Move、Pink Floyd、Soft MachineらもMarqueeを通過していった。
1966年8月16日、Cream初出演。その後は月一のペースで登場。
1967年1月24日、Jimi Hendrix出演。Jimiはドイツのテレビ番組『Beat Club』の収録を含めて合計3回Marqueeに登場した。
1968年10月18日、The New Yardbirds名義でLed Zeppelin出演。
Robert PlantとJohn BonhamはBand of Joyで、Jimmy PageはThe Yardbirdsで、John Paul Jonesは色々な機会ですでにMarqueeのステージに立っていた。
一部ではこれがLed Zeppelinとして最初のギグとされているようだが、この12日前、四人はニューキャッスルのThe Mayfairというハコで既にステージに立ちZeppelinナンバーを演奏している。
とにかくヤケクソに音がデカかったらしく、当時のクラブのマネージャーも「会場の大きさを考慮しない音の大きさでマイッた。お客さんからはウケるにはウケていたが、それほど熱狂的なものではなかった」と回想している。

ブルースやサイケから発展し、ハード、プログレッシブとロックが多様化を進めると同時に、書き出せばまったくキリがないぐらいスゴいバンドが毎日のようにMarqueeに出演することになる。
チョット触れると、Ten Years After、FreeT、raffic、Slade、Procol Harum、Taste、Family、Queen、The Nice、Jethro Tull、King Crimson、Genesis、Van Der Graaf Generator…。
Yesなんか、水曜日のレギュラーだったんだから。
地球上にかつてこんな場所があったなんて全く考えられん!
こういうメジャーなバンドの出演もいいんだけど、日本では一般的にあまり知られていないバンドの出演も実に興味深い。
Timebox、The Spirit of John Morgan、Titus Groan、Cressida、East of Eden、Patto…こういうのはなかなか見る機会がないでネェ。動員はどうだったんだろう?
他にロンドンと言えば、レインボーだとかハマースミス・オデオンという有名なコンサート会場があったが、それらは規模が大きく、自然とビッグ・ネームの出演が多くなるため、Marqueeのようにひと山当てる前のエグいバンドが登場することことは少なかった。
それだけにMarqueeは歴史的な価値を持っているといえるだろう。

1970年代後半に入るとパンク/ニューウェイブの嵐がMarqueeにも吹きすさぶ。
Clash、The Jam、Ultravox、The Pretenders、The Police、The Cure、Adam and the Ants、The Dammed、Generation X、The Sex Pistols…みんなMarqueeの卒業生だ。

傍ら80年代に入るとハード・ロックやプログレッシブ・ロックのリバイバルのムーブメントも加わりMarqueeはますますその存在価値を高めた。

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1987年、建築の専門家の測定により、このMarqueeの入り口が微妙に歩道側にセリ出していることがわかった。
開店以来、毎日爆音の連続で、その振動が建物を変形させてしまったというのだ。
「そんなバカな!」と思うかも知れないが、元々古い建物だし、Led Zeppelinあたりは前述の通りシャレにならないぐらい音がデカかったというからね。
結果、安全性を考慮してMarqueeは再び移転することとなったのであった。
Marquee第二号店、1988年7月18日閉鎖。
最後の出演者はJoe Satorianiだった。


ちなみにこの二号店のキャパは500~700人で、バンドによっては1000人ほど詰め込むこともあったという。
床はガムとコーラでベトベトだったらしい。
また、換気も悪く、窒息しそうなほどの高い室温がギターのチューニングを始終狂わせ、Jimi Hendrixも当惑したらしい。ま、Jimiにはあんまり関係ないような気もするが…。

当時Led Zeppelinを見た人の回想…「The New Yardbirdsを観に行ったのを覚えているわ。Jimmy Pageがお目当てだったの。その日のMarqueeはスシ詰めでもうホントに暑かった。
Robert Plantはkeith Relfに比べるともっとソウル・シンガーっぽかったわ(KeithはThe Yardbirdsのボーカリスト。つまりその時Led ZeppelinはThe New Yardbirds名義で出ていたからこのお客さんは素直にPlantをRelfを比較しているのだ)。
とにもかくにも音が大きかった!でも、「Dazed and Confused」は最高だったわ。あの時、一番よかった」
一体どれだけの爆音だったんだろうね?

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<後編>につづく

2015年8月22日 (土)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.18~ロンドンぶらり途中下車の旅 2015 <後編>

『ぶらり』の<後編>はデンマーク・ストリートの続きから…。
相変わらず斜陽感満点!
そういえば急に思い出した。私がロンドンに初めて来た時、トッテナム・コート・ロードの交差点からちょっとオックスフォード・ストリートを行ったところにまだVirginのレコード屋が店があって、その下がドデカイ楽器屋だったんだ。
アレ、「サウンド…」なんて言ったっけかな~。バーミンガムが本社のお店だった。店内にはデモ用のステージまで用意されていて、それはそれは立派な楽器屋さんだったんよ。
しばらくして、その店は撤退。
その後も楽器屋がまた入ったけど、すぐにつぶれて洋服屋さんになっちゃった。

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Regents Sounds Studioは1961年にJames Baringという人が始めた。
ストーンズのマネージャーだったAndrew Loog Oldhamが所有していたこともあって、The Rolling stonesのファースト・アルバムはここで録音された。マーブロではとても珍しいストーンズ・ネタだよん!
1950~60年代にかけては、Regent Studioだけでなくデンマーク・ストリートにはレコーディング・スタジオが林立した。

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Jimmy PageやJohn Paul Jonesは毎日のようにせわしく数々のスタジオを渡り歩いていたらしい。
「You Really Got Me」はこのあたりの地下のスタジオでレコーディングされ、せわしないギター・ソロはJimmy Page、私でも弾けそうなピアノはJon Lordということになっているようだけど、ホントかね?
Jimmy Pageは否定しているようだけど…。
そもそもこの曲を録音したのはメリルボンのIBCスタジオというところで、デンマーク・ストリートからは結構離れてる。
メリルボンにはRegents Parkという公園があるので、どこかでRegents Studioとゴッチャになってるんじゃないかね?
よってJimmy PageやJon Lordの話しもなんだか信じがたいような気がする。
それより、The Kinksには「Denmark Street」という曲があるんだよ。

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1970年にはElton Johnがここで「Your Song(僕の歌は君の歌)」を作曲した。
Scott GorhamがThin Lizzyで最初に使ったギターはこの通りの楽器店で買ったそうだ。GorhamはThin Lizzyのオーディションの時、日本製のLes Paulのコピー・モデルを使ったが、合格するとPhil LynottはGorhamをデンマーク・ストリートに連れて行き、高かったにもかかわらずGibson Les Paul Deluxeを買わせたという話しだ。強引だったかどうだかはわからない。

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とにもかくにも品揃えは日本の楽器店の足元にも及ばない。
それに高い!
楽器とレコードは間違いなく日本が一番だ。
でもね、品揃えは貧相で、日本では見向きもされないような素朴なアイテムでもひとつひとつがまるで貴重品であるかのように販売している様は昔の日本の楽器屋さんを見ているような気がしていつ来てもちょっと微笑ましいんだよね。

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拙著『Marshall Chronicle』や監修を担当した『アンプ大名鑑 [Marshall編]』をご高覧頂いた方々にはおなじみの名前だろう。
これがRose Morris。

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デンマーク・ストリートの周囲、言い換えればトッテナム・コート・ロードのあたりは今、大規模な再開発工事が進んでいる。
ぜんぜん景色が変わっちゃった!
デンマーク・ストリートも指定された貴重な構築物を除いてスクラップ&ビルドが進んでいくということだ。
この写真を撮っている場所の背中にはかつてLondon Astoriaという立派な劇場があった。
毎週木曜日は「Gay Only」となっていて、一体どんなものかと気になったものだが、とっくの昔に取り壊されてしまった。
今回、この工事現場でインド人の作業員がタバコを吸いながら休憩している姿を見かけた。なんでインド人とわかるかというと、頭にドデカいターバンをまとっていたからなんだけど、アレどうしても巻かなきゃならないのかね?
すごいデカイんだぜ。それを見て家内と大爆笑してしまった。
しかも超立派なカイゼル髭を鼻の下に蓄えている。
こんな現場作業員はさすがに日本では見ることができないだろう。西葛西の工事現場はこうなのかな?
アレ、ターバンの中身はすごいロン毛で、それをクルクル巻いてターバンでまとめているらしい。
何か詰め物をしているワケではなくて、もちろん宗教上の理由で巻いている。
アレをはぎ取ったりされると、いかに温厚なインド人でも激怒するらしい。
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このトッテナム・コートロードの交差点の向こうにあるのがドミニオン劇場。
コレはその去年の様子。
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Freddie Mercuryが右手を高く上げて行き交う人を見下ろしている。
そう、『We Will Rock You』を上演している劇場だ。

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今のようす。
アレ、Freddieがいなくなっちゃった!
劇場の看板も変わった。
2002年の初演以来、12年のロングランを経て、とうとうドミニオンでの上演が終了したのであった!
私が観に行った時はギターがかつてMarshallのデモンストレーターをしていたPhil Hilborneと元Wishbone AshのLaurie Wisefieldだった。
Philどうしてるかな?

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さて、またまた出ましたウォレス・コレクション。国立の美術館。

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ココもいつ来ても、何回来ても、その荘厳な内装とコレクションにため息を漏らさずにはいられない。

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で、今回の目玉はコレ。
わかりますか?
Jean-Honoré Fragonard というフランスの画家の1767年の「The Swing」という油彩。

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拡大してみようか?
Lowell George好きでしょ?Bill Payne好きでしょ?Paul Barrere好きでしょ?Sam Claytonは?Roy Estradaは?
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そう!『Sailin' Shoes』のジャケットの元ネタなんですね~。
こちらはFeatの諸作の他、Zappaの『Weasels Ripped My Flesh(いたち野郎)』なんかでおなじみのNeon Parkの作品。

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コレね、よく見比べると完全コピーというか、完璧に元ネタを踏襲してるんだよね。
どこかの国のオリンピックのロゴより断然素晴らしい。
左下のお兄さんがカタツムリになってるところなんて思わず笑ってしまうね。
本当は『Music Jacket Gallery』の「乗り物ジャケット」のところでやりたかったんだけど、元の絵の方の写真がなくてできなかった。
今回写真を撮って来たのでここで紹介させて頂きました。

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「絵」ということで、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーに話しが飛ぶ。
ナショナル・ギャラリーに隣接するこの国立の美術館は、その名の通り肖像画ばかりを集めた美術館だ。
ミュージシャンものはほとんどないんだけどね…。
あるのはPaulと(Pualはもう一点あり)…

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Mick Jaggerと…

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今回新たに発見したのがコレ。
誰だと思う?
元Roxy Music。
そうなの、Bryan Ferryに、「同じバンドにブライアンはふたり要らない」と言われてRoxy Musicを追い出されたとされるBrian Enoなの。スペリングが違うのに気の毒に…。
ところで、このポートレイトなんかコワくね?
中学の時、Enoのソロ・アルバム『Here Comes the Warm Jets』とか『Talking Tiger Mountain』が死ぬほど聴きたかったんだけど、廃盤でどうしても手に入らなくて悶々とした日々を過ごした。
その後、Robert Fripとの『No Pussyfooting』は高校の時に初めて聴いた。
驚いたナァ。ビエ~ン、ビエ~ンといってるだけで…。
King Crimsonみたいなのを期待していたら全然違うジャン?今でこそ「アンビエント」なんて当たり前みたいになってるけど、当時はそんな音楽、他に聴いたことがなかった。
後で聞いて驚いたのはEnoはMiles Davisの『Get Up With It』に入っているDuke Ellington作曲の「He Loved Him Madly」にヒントを得てアンビエントなるアイデアを思い付いたとか…。
やっぱすごいなMilesは…というよりTeo Maceroかな?

このほかにBlurを描いたポップ・アートなんかも展示されている。

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コレはなんてことないんだけど、サーリーに来たよ…という証拠。
サーリーはJeff BeckやEric Claptonの地元です。そんだけ。

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最後!
ヴィクトリア駅を出て、テムズ川を渡ると左手にすぐに見えてく~る~の~は~…

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バタシー!なんだけど、ギャ~、工事してる~。

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やっぱい再開発されるんだな~。
そりゃ、いくらテムズ南岸とはいえ、こんなロンドンのど真ん中にこんな廃墟と空地をほったらかしておく手はない。

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ロンドンのやることだから、バタシー発電所の面影を残しつつ手を入れるんだろうけど、もう煙突が三本になっちゃってるじゃんかよ~!

バタシー発電所については ↓ をご覧くだされ。
イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所

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私なんかたった15年ぐらいしかロンドンを見ていないし、その範囲も自分の仕事や趣味に関する部分だけで極端に狭いけれど、ロンドンも結構変わったと感じる。
大ゲサなことを言えば、ブリティッシュ・ロックのよき時代も消し去られていくようですごく残念なような気がしてとてもコワイのだ。

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※この2015年の旅の様子をShige Blogに掲載しています。そちらもゼヒ併せてどうぞ!
コチラ⇒【Shige Blog】 イギリス紀行2015



おわり

2015年8月21日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり】vol.17~ロンドンぶらり途中下車の旅 2015 <前編>

Marshall Blogは、ホントにホントにたくさんの皆さんからの絶大なるご協力を頂いているおかげで「ア~、どうしよう~!ネタがない~!」ということが今までまったくない。
しかし反対にネタが多すぎて記事の掲載の配分に苦慮することがたまにある。
記事の長さの調節に苦労したり、二本立ての記事が連続で掲載されるよう計画を立てたり…。
基本的には時系列に沿って記事を掲載しているが、時折そうなっていないのはそういう理由からだ。
で、それでもどうにもならないことがある。
実は今日がそれだ。
あるテーマに沿って『名所めぐり』を一本仕立てて、今日を目標にアップしようと思っていたのだが、色々な文献を当たっているウチにドンドン知らないことや興味深いことが出て来て収集がつかなくなってしまった。
いい加減に取り扱いたくないテーマだったものだから、内容をもっと充実させるべく、涙を飲んで掲載を先送りすることにした。
それで困ったのが今日掲載する記事…最近はあまりにも忙しくて「雨傘記事」も用意していない。何か書かなくては…。
よっぽどスキップさせて頂こうかと思ったが、それもシャクだ。
そこで、決死の思いで急づくりに一本『名所めぐり』を仕立てることにした。
…といっても適当にやっつけ仕事で当たったワケでは決してない。近い将来記事にしようと思っていた内容を急遽取りまとめたのだ。
ところが、コレがまた何とも中途半端な長さになっちゃって…一本じゃ長すぎるし、二本立てじゃちょっとオーバーだし…。
悩みに悩んだ結果、普段は更新しない週末を使って二本立てにすることにした。
こんなことどうでもいいじゃんね~…と我ながら思うが、こんなこと考えるのがまた楽しかったりして…。
それもこれも毎日Marshall Blogを読んで頂いている皆さんのおかげです。
ということで、今日&明日、お気軽に目を通してやってくださいまし。

内容は5月に行ってきたロンドンのレポート。
年に一回か二回しか行かないロンドンだけど、何年も定点観測をしていると結構変化が見えて来て面白い。
そんなことを考えながら最近のロンドン・ロック・タウンの様子をランダムにお送りしたい。

まずはビートルズ・ネタから…。
チョット前までプリンス・オブ・ウェールズ劇場にかかっていたビートルズのミュージカル『Let It Be』。

10アッという間にチヤリング・クロス・ロードのギャリック・シアターに格下げになっちゃった!

20そんなファイブ・スター級の作品なら大劇場でロング・ランできたでしょうに…。
でもね、コレ、以前レポートしたようにとてもヨカッタんよ。
曲は全部知っているワケで、また、どうあがいても演者はニセモノなワケだし、どこが面白いのか?ということにもなりそうなんだけど、私なんかはコレをロンドンで観ることに感動しちゃうワケ。
すなわち、1965年、「Twist and Shout」を演奏する時、エリザベス女王が観ている前でジョンが、「安い席の人は拍手をしてください。その他の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と言ったプリンス・オブ・ウェールズ劇場でこのショウを観ることに大きな意義があったのです。
だから会場が変わっちゃったらチョット…。

その時のレポートはコチラね↓
【Shige Blog】イギリス紀行2012秋の陣 その3~『Let It Be』を観たよ

Img_0076 今はコレでしょ。
結局時間がなくて観れなかったんだけど…The Kinksのミュージカル『Sunny Afternoon』。
タイトルは四枚目のアルバム『Face to Face』に収録されたKinksの代表曲のひとつ。
内容はどんなんか知らないけど、個人的には『Waterloo Sunset』にして欲しかったナァ。
40
それにしてもThe Kinksには名曲が多い。
コンピレーション・アルバムの始祖的存在だけにアルバムごとのまとまりもよく、名盤が多いのに日本ではナゼかその良さが伝承されていないような気がするな。
「Lola」とか「Waterloo Sunset」とか、このポスターの左にあるのは代表曲の一部だけど、皆さん歌える?
The Kinksは「You Really Got Me」だけではござんせん!

30ココは変わらない。
説明不要ですな。
どこの国の人かしらないけど、家内と私がニコニコしながらこの四人の横断歩道を渡る様子を眺めていたら、「アナタたちもやりなさいよ!私が写真を撮ってあげるから!」と声をかけてくれた。
この交差点はゼブラゾーン。
横断しようとしている人がいたら問答無用で車は停止しなければならない。
この写真を撮ったのはかなり早い時間だったので交通量も少なかったが、この通り、すさまじい車の量なんだよね。
ロンドン観光の目玉のひとつだけど、車にはあまりにも迷惑な話しだ。

50落書きも相変わらず。
何か月に一回は上から白いペンキが重ねられて壁は更新される。
そういえば、この日は平日だったんだけど、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド駅は朝からスゴイ人でゴッタ返していた。
みんなオッサン。
まさか、ビートルズ・ファンではあるまい?とは思っていたが気になる。
後に現地の友人に理由を尋ねたところ、答えは「クリケット」だった。
すぐ近くにクリケットのグランドがあって、みんなそこで行われる試合を見に行くのだそうだ。
イヤ、クリケットはいいけど、木曜日ですよ!仕事どうなってんの?って話し。
ご存知の通り、イギリス人のクリケット熱は相変わらずスゴイものがある。

60もひとつビートルズ。
ゼヴィル・ロウの元アップル本社社屋。有名なルーフ・トップ・コンサートをやったところね。
ココ、何かの店になったね。入らなかったけど。
セヴィル・ロウは「背広」の語源にもなったように、洋服屋さんがズラリと並ぶ通り。やっぱテイラーなのかな?
ちなみに「Bespoke(ビスポーク)」という言葉をご存知か?
「be」+「spoke」、すわなち「話しかけられる」というところから「注文を受ける」という意味になり、オーダーメイドを示すようになった…と聞いた記憶がある。
セヴィル・ロウはかつてはビスポークの紳士服が主流であったが、今ではセミ・オーダーや既製品に需要が移行しているそうだ。
いつかはここでビスポークのスーツを仕立ててみたいものだ。
ちなみに下の写真の真黒の人はワタシ。はじめてここの前で写真を撮った。

65vさらにビートルズで、Trident Studio。
ココはすでに「名所めぐり」で紹介した。
これね↓
【イギリス-ロック名所めぐり vol.7】 ソーホー周辺 その2

『White Album』や「Hey Jude」を録音したスタジオね。

70なんかまた様子が変わってる。
あ、この写真、私のことは気にしないでね。スタジオの様子だけが写っている写真がなかったのよ。

80上で紹介した『名所めぐり』の記事にも書いたけど、Rick Wakemanはココのハウス・ピアニストをしていた。(RickはJimの店でアルバイトをしていたこともあったらしい)
何回か前に乗った飛行機の中で、David Bowieのドキュメンタリーをやっていた。それに出ていたRick WakemanがBowieの才能をほめそやしていた。
Rickはその中で、ピアノを弾きながら「普通はコードをこう進めるところなんだけど、Davidはこうやったんだよ」…みたいに「Life on Mars?」を例に挙げ、Bowieの非凡さを解説していた。
文句なしにいい曲だもんね~。
冒頭に挙げた今取り組んでいる記事の調べごとをしている時に、David Bowieの才能というものが、ブリティッシュ・ロックの歴史の中でとてつもなく大きな存在だということを思い知った。
「Life on Mars?」は1971年の8月、Rick Wakemanのピアノで、ここで録音された。44年も前の曲だよ。

90ガラリと変わって、クラシックでゴメンね。
ココには1854年から1936年まで、アルハンブラ劇場というロンドンを代表するホールがあった。
そして、1919年にセルゲイ・ディアギレフが主宰する「Ballets Russes(バレエ・リュス=ロシア・バレエ団)」が公演を行った。

100v…ということがココに書いてある。
ディアギレフはバレエのプロデューサーみたいな人で、バレエのための音楽を有名な作曲家に依嘱し、多くの傑作を世に残した。
ディアギレフは天才バレエ・ダンサー、ヴァスラフ・ニジンスキーの育ての親で、同性愛の間柄だった。
ニジンスキーの名を聞いたことがある人も多いと思うが、「ニジンスキーがひとたびジャンプをすると10mは軽く飛んだ」という名ダンサーだった。
クロード・ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」では舞台で恍惚状態となり、本番中にステージでマスタべ―ションをしてしまったという逸話も残っている。
な~んてもっともらしく言うと、私がいかにもバレエのことを知っているように聞こえるかもしれないが、ゼ~ンゼン。
映画よ、映画。
ハーバート・ロスの1981年の映画を観ていたく感動しましてな…。
その中で、『春の祭典』のリハーサルで直接ストラヴィンスキーの指導を受けるシーンがある。本当かどうかは知らないが、ストラヴィンスキーも頭が完全にイっちゃってて、「1,2,3,1,2,1,1,2,3」みたいに変拍子でリズムを取るのだが、ニジンスキーはそれがなかなか理解できない。
すると「オマエは数も数えられんのかッ!!!」と言ってストラヴィンスキーが大カンシャクを起こすという場面。そこが異常にカッコよかった。
ニジンスキーのおかげでディアギレフは名声をさらに高めて行くのだが、次第に愛情の対象が他の若いダンサーに移って行ってしまう。
それに苦悩するニジンスキーも実にうまく描かれている。
忘れることができないなかなかの力作だった。
おススメです。
音楽好きなら、『春の祭典』のシーンだけでも観る価値アリかも。

110いつも素敵なLondon Undergroundのポスター。
「週末ライブに行きますか?」
フェスティバルやコンサートが盛んになって来るシーズンということなのか、混雑を避けるための別ルートを地下鉄のウェブサイトで調べてね…という案内。
今回はストラトキャスター。
以前はJCM900のフル・スタックが登場したことがあった。
地下鉄にMarshallが乗っていて、それでギターを弾く若者…キャッチコピーは「車内は静粛に!」だった。
それがどうした?重くて、デカくて、うるさいのがMarshallよ!

120vソーホーにあるジャズのライブハウスのピザ屋。

R_img_0257かつてはJohn Etherridgeが出ていて、一度は入ってみたいと思っているが、ゼンゼンいいのやってな~い!

R_img_0258カーナビ―・ストリートに移動。
唯一モッズの香りがする洋品店を発見。こういうのはうれしいね。

130カーナビ―の一本隣の通り。
ココはMarshall天国なの。

140何しろMarshall Streetだから!

150

155

160ハイハイ…こんなことして喜んでいます。

165デンマーク・ストリート。
ご存知ロンドンの楽器屋街。東京で言えばお茶の水。大阪ならアメリカ村ってことになるのかな?

170家内が一目見て、「ウワッ!さびれてる!」だって!
ま、確かに。
ニューヨークでいえば西48丁目ということになるが、もう48丁目も消滅してしまったらしい。
20年ぐらい前は通りの両脇に、Sam Ash、Manny's、Rudy's、日本から出店した楽器店等々、たくさんの楽器屋が並んでいたが、大手楽器チェーンストアがマンハッタンに上陸して一気にすたれていった。
Miles Davisが通った管楽器店なんてのもあったが、もうなくなったようだ。
何でも揃う大型店も便利かも知れないが、風情がなくなってしまった。チョコチョコとした小さい店を見て回るのが楽しいのに…。
今の48丁目の写真を見せてもらったが、まるでゴースト・タウンのようだった。

180_2ココはロンドンの「Tin Pan Alley(ティン・パン・アレイ)」ということになっている。
Tin Pan Alleyは19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけてマンハッタンの28丁目付近に存在した、音楽出版社やスタジオが密集していたエリアの名前。
当時は、レコードのようにいつでも音楽を再生できる装置が普及しておらず、音楽を楽しむためには自分たちでピアノを演奏し、歌うしかなかった。
そのため、「シート・ミュージック」と呼ばれる楽譜の需要が高く、それらの曲の制作がこのティン・パン・アレイで行われていた。
George & Ira Gershwin、Harold Arlen、Irving Berlin、Sammy Kahn(Steve Kahnのお父さん)Cole Porterら、後にジャズのスタンダードとなった名曲を作った人たちは皆そこの出身だ。
「Tin Pan Alley」の語源は定かではないらしいのだが、その界隈にあふれていたピアノや打楽器の騒音を模しているとか、そこで使われているピアノには改造が施してあって、よりパーカッシブな音がしていたから…とかいう説がある。
『アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)』というガーシュインの伝記映画を観れば当時のにぎやかぶりがよくわかり、その語源にも頷けるような気がする。

一方、ロンドンのティン・パン・アレイ…全長100m程度のデンマーク・ストリートの中ほどの建物の壁にプラークが付いている。
「Tin Pan Alley  1911-1992
Home of the British Publishers and songwriters and their meeting place the Giaconda.」
と記されている。
マンハッタンのそれより規模が極端に小さいのは容易に想像できるが、ここも一応そういうことで…。
ココにある「Giaconda(ジャコンダ。イタリア語で”楽しめるもの”という意味)」というのはデンマーク・ストリートにあった喫茶店のこと。
若き日のDavid BowieやElton Johnがそこに集い、音楽の話しをした。

230
15年ぐらい前に比べると、随分お店もスタジオも減ってしまったが、デンマーク・ストリートの方がまだ残っているだけ48丁目よりマシだ。
でね、今はチョットわからないけど、ここら辺のお店ってエアコンが付いていないのよ。せいぜい扇風機。
涼しいロンドンとはいえ真夏はかななり暑いでね。
100年ぐらい前に建てられたビルは、寒い冬に耐えられる仕様なので風通しが極端に悪い。だって窓が一面にしかないんだもん。風が抜けるワケがない。
じゃ真夏はどうしているのか?というと、みんな汗ダク。
汗ダッラダラたらしながらギターを弾いてる。
それでも朝晩は寒いからね。アタシャ、暑いより寒い方がゼンゼンよくて、エアコンなしのロンドンをいつもうらやましく思う。

190この通りは日本で言えば神保町のような本屋街(古書店街)、チヤリング・クロス・ロードに突き当たる。
以前はチヤリング・クロスにも大小何軒かの楽器屋があったけどほとんどなくなってしまった。
この下の店もチヤリング・クロスにあったんだけど、引っ込んできちゃった。
Macari'sは何年か前に亡くなったMarshallの親友のSteveの親戚がやっている(やっていた?)店で、Steveも務めていた。「自分の楽器業界でのキャリアのスタート地点」と彼は何回か私に説明してくれたっけ。
だから場所は移っても変らないこの店の看板を見ると必ずSteveを思い出す。
一度書いたような気もするが、SteveはMarshallで最初に仲良くなった人で、フランクフルトの展示会などですごくお世話になったが、数年前に亡くなってしまった。
それから何年か経ってSteveの夢を見た。
場所は紛れもなくフランクフルト中央駅の前でSteveと私は何もなかったように普通にMarshallやロックの話しをしている。夢の中だからと言って上達しているワケではないが、もちろん英語。
Steveはいつも間にか私の前を他の人と歩いていて、フトが気づいてSteveに後ろから声をかけた。
「Steve, I think you died、didn't you?!」
すると彼は振り向きざまに私を見て、ニコリとほほ笑んだ。ハッキリそれを見た。
そこでハッと目が覚めた。
きっと私のMarshallでの仕事ぶりを見守ってくれているのだろう。

200vもうひとつプラークを発見。
Augustus Siebeという人。潜水服を開発した19世紀の人。何でそんなモノがマーブロに出るのかと言うと…

220

コレです。
このプラークを目にした途端、10ccの愛聴盤の第三位、『Deceptive Bends』を思い出したのだ。
10ccはマンチェスターのバンドだけどね。

Db<後編>につづく

2015年6月17日 (水)

【イギリスーロック名所めぐり vol.16】 コッツウォルズにロックの名所なんかあんの?!

コッツウォルズに行ってみた。
「コッツウォルズ」といえば今やイギリスを代表する観光地のひとつ。
そんな所に「ロックの名所」なんかあんのかいな?
それがですね、見つけちゃったんですね~、コッツウォルズ行ってみたさに…。
最初に紹介しちゃうとアッという間に終わってしまうので、最後の最後まで隠しておくことにしますからね。
それまでは完全に観光ガイドか旅の思い出。

10コッツウォルズはイングランドの真ん中へんにある地方の名称。標高300m程度の丘陵地帯。、山の少ないイギリスのこと、かなり高地になる。
ちなみにコッツウォルズというのは「羊小屋のある丘」という意味だそうだ。
そのエリアにいくつかの村落が点在していて、それらの光景が飛びっきり美しいのね。
…ということで、Marshallの社長の奥様のおススメで最初に訪れたのは、Stow-on-the-Woldという村。

20コッツウォルズの村々を美しくしているのは何といってもこの「ライム・ストーン」という石灰石。
「コッツウォルズ・ストーン」とも呼ばれている。
ここら辺の建物がすべてこの石を使って作られているもんだから、「ハチミツ色の村」なんて呼ばれている。
この辺りは19世紀、石炭が採れなかったために鉄道が敷設されず、一種の隔離状態に陥り、昔のままの生活が残ったのだそうだ。
ま、考えてみれば、岐阜県の白川郷みたいなもんよ。

30以前、イギリス大使館のクリスマス・パーティで一緒になったオジちゃんが、兄弟でコッツウォルズ・ストーンを輸入しているとか言ってたな。
まさかストーンを輸入して家を作るワケはないだろうから、ちょっとした家の装飾に部分的に使うんだろう。

40中にはこの真ん中の三角の家のように盛大に傾いちゃってりる建物もあるけど、やっぱりどこもかしこも風情があって美しい。

50いくら歩いても飽きることがない。

60ま、足はヘロヘロになっちゃうけどね。

70こんな家はザラ。

80どこに行っても必ず出くわす古い教会。

90v森の小人が入っていきそうな入口。
高さは170cmにも満たない。
コレは目的があって入り口を小さくしたワケではなくて、昔の人はこの高さで十分な身長だったのだそうだ。

100こういうカビの生えたようは墓石は大抵古い。
16世紀とか17世紀なんてのをよく見かける。

140
その中で見つけたのは「Battle of Stow」の戦没者の慰霊碑。

120「Battle of Stow」というのは1646年に起こったイギリスの内戦のこと。
一晩にして200名の王政主義者がここで殺され、1,500人が捕虜として教会に収監された。

130とにかく村を見て回っていると飽きることがない。

170
商店街も。

160この村はアンティークのお店が有名なのだそうだ。

180v郵便局もライムストーン。

190vロンドンでは街で電線を一切見かけないが、田舎に行くとこうしたものを見かける。

195ものすごくシンプルな配線に見える。こんなんで大丈夫なのかな?
ところで日本の「電線の地中化」ってまだ1%台なんだって?!
地中化が進まない理由は、道路の狭さ、地震の多さ、住民の権利(住民が工事をイヤがるのでやりにくい)に加えて、日本人の景観に対する美的センスの欠落ということになるそうだ。

196肉屋さん。
肉食人種の国の肉屋さんはおもしろいでね。

200ウインドウを覗いてみる。
ま、牛やら豚は当然。
Lamb(子羊)やDuck(アヒル)はどこでもかなりポピュラーだ。

210Guinea fowl(ホロホロ鳥)
Venison(シカ、バンビちゃんね)
Pegion(ハト)
Rabbit(ウサギ)
…なんてのもある。

確かブレッチリ―にあるパブかレストランでJimと会食した時、彼はメニューを見て「ホホウ、ウサギがあるのか…」なんて言っていたのを思い出した。
オーダーはしなかったように記憶している。
ま、「エ~、ウサギ~?」なんて驚くことはゼンゼンなくて、日本も戦時中は食用にウサギを飼うことを政府が推奨したため東京にもたくさんいたっていうからね。

ハトはマズそうだな。胸肉だって。コレがホントの「ハトムネ」ね。
それからWild Boreなんてのも他のマーケットでパイかなんかに使われているのを見かけた。すなわち「イノシシ」。
シカやクマなんかは日本でも飯田の山奥あたりへ入れば山肉料理として普通に食べることができる。アタシャチョットあんまりだったけど…。
でも、この村にこんなにバラエティに富んだ肉の食材があるのには理由があって、このエリアはハンティングの名所なのだそうだ。

「英語圏の肉食人種の国の肉屋に行って、難なく買い物ができれば英語はマスターしたも同然」…と昔よく聞いた。こういうのを見ると、ホントそう思うね。
肉の種類だけじゃなくて、部位、切り方、度量衡の違い…肉屋で買い物ができるのは、言葉だけではなくてその国の文化をマスターしたということを表わすというワケ。

220オーガニックの八百屋&総菜屋さん。ホラ、「牛とシカの赤ワイン煮のパイ」なんて売ってる。「馬と鹿」じゃなくてヨカッタね。

230そういえば、村を歩いてやたらと目についたのは不動産屋。
観光人気に当て込んだ商売が盛んなのかな?
Pimg_2127

下のお屋敷950,000GBP。約2億円。安いんじゃない?電車通ってないけど。

Pimg_2119商店街の端にあった建物。教会の一部かな?

240ドワッ!フリー・メイソン!

250「Public Conveniences」とは「トイレ」のこと。
「バス・シェルター」なんてのもスゴイ。

260「男女共用」のトイレで「Unisex」なんて言葉を使っているのを初めて見た。
有料。20p(40円ぐらい)。
ホントにイギリスの人が集まるところの公衆トイレはアッという間に有料になったね。ロンドンの駅のトイレは昔は全部無料だったのよ。

270vこれは警察。
警察もライムストーン。

280自転車もビンテージ!
モノクロにしてみた。

Pimg_2150さて、Stow-on-the-Woldはコレぐらいにして次の目的地へ…。

290Bourton-on-the-Waterという村。

300ココはスゴイ。
三社祭か年末の明治神宮か…オーバーか。とにかくものスゴイ観光客の数!
何しろ日本人ばかりなんだってサ。
日本では1990年代の初めごろから人気が出だして、今ではもっとも人気の高いイギリスの観光地になっているんだそうだ。
340
確かに、イギリス観光の関連のウェブサイトをちょっと見ただけで「コッツウォルズ、コッツウォルズ、コッツウォルズ、コッツウォルズコッツウォルズ、コッツウォルズ」ってやたら盛んだもんね。
その中でも一番人気があるのがこのBourton-on-the-Water。

330コレだもん。ああ、ベンリだな~。日本語メニューでラ~クラク。
365
でも最近は、中国人とロシア人の観光客がモノスゴイ勢いで増えているのだそうだ。
どこも一緒よ。
でも、さすがにこの物価じゃ「爆買い」はキツいだろうね。
360
少なくとも日本人観光客には地獄だよ。だって、コレ!
もう1ポンド217円だもん。
今回、渡英する直前に換金した時はまだ190円台だった。
もちろんこれはコッツウォルズの両替屋なのでちょっと割安ではあろうけど、今ではもっと安くなっているでしょう。
でも、コレ、15年ぐらい前はこうだったんよ。その後、アレよアレよと円が高騰して、1ポンド120円代ぐらいまで上がった。
あの時はヨカッタよ~。
今はCDも本もバカバカしくて買えんわ。
笑っちゃったのが、ロンドンに日本人が経営しているラーメンの専門店があるんだけど、ラーメン、餃子、ソフト・ドリンクで5,000円以上だってよ!もちろんひとつずつでの値段だよ。
もちろん私はそんなのパス。

370

「クリーム・ティー」が800円チョット。スコーン2個にイチゴジャムとコテージ・クリーム、それに紅茶でこの値段。
高いと思うか、安いと思うかはあなた次第…。

366v

コッツウォルズ地方で一番人気の観光地だけあって、どこを見ても確かにきれいだわ~。

350お年寄りはこんな電動の車で移動している。何台か見かけたけど、やたらタテ長。スッゲェノロノロなの!
もうこっちは足がボロボロで…コレに乗ってるおバアちゃんがうらやましかった!

380イギリスに来て毎回思うのは、特にロンドンがそうなんだけど、街中の標識や地図。日本に比べて圧倒的に多い。
「アレ、ここはどこかいな?」と迷いそうになった時、必ず標識か地図がそばで見つかる。
コレもそう。
で、また、この標識が絵になるんだよね~。

上から三番目の「Heart of England Way」というのが気になって調べてみた。
これはミルフォード・コモンというところを起点にしてこのボウトン・オン・ザ・ウォーターで終点になるイングランド中央部を貫く全長160kmの道。日本の「街道」みたいなものか。

390あたりには土産物屋や喫茶店がゾロゾロと居並んでいる。
320
何にも買わなかったけど…

310

この店にはビックリ!
な、なんでこんなところでMarshallのバッグ売ってんだよ!
誰か買う人いるのかナァ?

400さて、今日の本題。
コッツウォルズのエリアのひとつ、Chipping Norton(チッピング・ノートン)というところ。

410ココにですね、スゴイものがあるんですよ。いいや、正確には「あった」んですよ。

420それはこの建物。
440

今では一階には歯医者さんが入っている。

430実はこの建物、元々は学校だったんだけど、1971~1999年までかつては「Chipping Norton Recording Studio」という有名なスタジオだったのだ。

450Bay City Rollersの「Bye Bye Baby」やKajagoogooの「Too Shy」などのヒット曲がここでレコーディングされた。
Jeff Beck、Status Quo、Judas Priest等もこのスタジオを使っていた。あるいは使ったことがあるという。

460他にも、Barclay James Harvest、Dr. Feelgood、Duran Duran、Fairport Convention、Freddie King、Go West、Jack Bruce、Jimmy Witherspoon、Level 42、Lindisfarn、Marianne Faithful、Mike Oldfield、Noel Gallagher、Pentangle、Radiohead、Richard Thompson、Shakatak、XTC…等、そうそうたるクライアントが名を連ねている。
Focusもそのうちのひとつということで、持っているLPを全部引っ張り出して調べたところ、どうやら『Ship of Memories』のリミックスをこのスタジオでやったらしい。

480そういったアーティストがここらに来ていたとは…。
ココを通って何百、何千というMarshallが運び込まれたのであろう。
ああ、こういう古代のロマンっていいナァ。

490最後に…コッツウォルズに連れて行ってくれた大好きなDeanne(ディアン)とパチリ!
Deanne, thank you very much for your great lift!  We had a lovely time with you!

500vさて、その帰り道、花屋を経営している友人にプレゼントを届けるので付き合ってくれとDeanneが言うので行ってみた。
トイレを借りちゃおう!という魂胆もあったもんで…。

510行ってみてビックリ!
その花屋さん、「eden flowers」という名前だった!

520充実した一日だった!
熱心なコッツウォルズ・ファンの方々に言わせれば、この地方の村々が本当に神秘的で美しくなるのは明け方と夕暮れなのだそうだ。
いつかまた見てみたい。でも、やっぱり私はロンドンの方がいいかな?
あ~あ、イギリス行きてぇな~。

Cimg_0696(敬称略 2015年5月23日 イギリス コッツウォルズにて撮影 ※写真協力:ウチのカミさん)

2015年6月10日 (水)

【ルーク篁2Days】 Luke Will Rock You!!

先月の後半、ロンドンに行って来た。
渡英するのはかれこれ30回ほどになるが、今回ほど雨が少なく、天気が良い旅は初めてで、かえって気候の変動が心配になってくるぐらい。
あれほど天気のよいロンドンは怪しい…ま、天気が良い分には文句は言うまい。
この旅の様子をまたMarshall BlogやShige Blogでつづろうと思っているので、お好きな方や興味をお持ちの方は楽しみにしていて頂きたいと思う。
今日はその中からひとつ切り出してお送りする。

今回投宿したのはウエスト・エンドにほど近いアールズ・コート。

10_2この街はすでにMarshall Blogで紹介しているので、コチラをご参照願いたい。
⇒【イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ

帰国後、ヒョンなことからこの辺りにまだすごいロックの名所があるのを知った。
あ~、もっと早く知っていれば取材したのに!
現在盛大に臍を噛んでいるところ。またいつか行こう。

20_2おなじみのエキシビジョン・センター。
前回は花柄、今回は工事中でクローズしていた。

24Led Zeppelinの『Presence』。
ここを舞台にした1975年のコンサートは有名だが、1976年にリリースされたこのアルバムのジャケットも大いにエキシビジョン・センターに関係がある。
ジャケットの写真は合成されていて、後ろに見えるのは、アールズ・コート・エキシビジョン・センターで毎年開催されていたボートの展示会に設けられた人口の水溜りの写真なのだ。
コンサートの成功に感謝してJimmy PageがHipgnosisに「エキシビジョン・センターの写真を使え」と言ったかどうかは定かではない。

Presence 第二次世界大戦後、オーストリアやニュージーランドからの多くの移民が住んだ地域。フラットを改装した簡易なホテルがそこら中に見受けられる。

40一方では、ヨーロッパ屈指の高級住宅街としても知られるサウス・ケンジントン地区に隣接していて、贅沢なたたずまいを見せる。

50_224時間営業のTESCO。
TESCO、ASDA、Sainsbury'sがイギリスのスーパーご三家。
物価の高いイギリスでは、こうした市民のためのスーパーは絶えず熾烈な競争を強いられ、勢力図が簡単に書き換えられるということだ。日本でも同じか…。
このTESCOにはヒドイ目に遇った…といってもこのTESCOが悪いワケではゼンゼンないんだけどね。
ちなみに、イギリスにはセブンイレブンもローソンもampmもないの知ってた?イヤ、あるのかもしれないけど、まず見かけることはあり得ない。
タネ明かしとTESCOでのヒドイ話しはまた別の機会に…。

60_2ローガン・プレイスという通りに入る。これだけ大きな標識なら「老眼」にもラ~クラク!
80_2
日本のつまらん風景に囲まれていると、ロンドンの街はどこもかしこも高級住宅街に見える。
ここはそれほどでもない感じ…。
いつか紹介したし、さっきも出たJimmy Pageの家があるサウス・ケンジントンあたりは誰が見ても高級ということがわかるけど。

70そう、この通りの端は「Garden Lodge」と呼ばれるFreddie Mercuryの家がある。
1991年11月にFreddieが亡くなるまで済んだ終の棲家だ。Marshall Blog二回目の登場。

90バイ・セクシュアルで知られるFreddieだが、この家はFreddieの遺志によりガール・フレンドだったMary Austinに贈られた。
その価値ナント2千万ポンド。今のレートなら42億円といったところか…。
地震がまったくないこの国の家は、ご存知の通り石やレンガで出来ていて、日本の家とは比べものにならないぐらい耐用年数が長い。
反対にイギリスの家を日本に建てるとすぐダメになってしまうらしい。頑丈な作りが地面の揺れを吸収できないからだ。
それに、極寒に対抗するあの密封性の高さは、とても日本の高湿度をさばききれまい。

一般的なイギリス人は、その耐用年数の長さを利用して、貯金をせずに家の手入れにお金をジャンジャンつぎ込む。
そうすることによって、中身や機能はいつでも最新の状態に保たれつつ、建物の歴史的価値が上がるため、買ったときよりも格段に良い値段で転売することができる。
日本のウワモノとは正反対だ。
そして、転売して生じるその差益を老後の生活費、すなわち老人ホームでの生活の資金に充てる…ということをするらしい。
聞くところによれば、老人ホームのシステムもしっかりしていて、税金さえシッカリ払っていれば末期の生活の心配もそうないということだ。
どこかの国と違って、税金を取るだけ取ってやりっぱなしなどということはない。世界の一等国として「ゆりかごから墓場まで」のポリシーは堅持されているのだ。

ま、このGarden Lodgeはそんな俗世のこととかけ離れた億万長者のすみかだけどね。
また、Maryは同時に9百万ポンドの遺産を受け取ったそうだ。
2千万ポンドに比べれば9百万ポンドなんて大したことなさそうだが、アータ、20億円近いからね。
こちとら昨今の円安で9ポンド使うのにも冷や汗タラタラだったんだから!
それにしてもロンドンの物価の高さは殺人的だよ!

ところがよくある話しで、この遺産相続のおかげでMaryは骨肉の争いに巻き込まれることになり、残されたQueenのメンバーとも疎遠になってしまい、塗炭の苦しみを味わうことになってしまった。

100壁にはアクリルの板が取り付けてあって、世界中から訪れるファンがメッセージを残していく。
Freddieの死後、ここはロンドンで最大の「Rock'n'Roll Shrine」と呼ばれている。すなわち、不世出のロックンローラー、Freddie Mercuryを祀った「ロックンロール神社」。
でも、誰かアクリル板を汚しやがったな?以前はもっときれいだったのに!

120_2コレはロシアのファンからだね。
そういえば、ロンドンやコッツウォルズのようなイギリスの有名な観光地は中国とロシアの観光客が爆発的に増えたと聞いた。
150
日本人のメッセージらしきものはなかったな。
このお屋敷の庭には日本の桜の木が2本植わっているそうだ。
最初に日本で人気を博したQueenだけに、Freddieの感謝の気持ちがそうさせたのであろうか?

140ところで、イギリスはいまだに火葬と土葬が選べるそうで、Freddieは火葬を選んだそうだ。
コレもFreddieの遺志で、彼は生前、熱狂的なファンに墓を掘り返されることをひどく心配していたらしい。
そこで、荼毘に付してもらい、その灰をMaryが預かった。Maryはしばらくの間その灰の入ったツボをGarden Lodgeに安置し、ごくごく秘密裡に持ち出してどこかへ納めた。
その場所はFreddieの両親すら知らないとのことだ。
130
庭への入り口。ドアには一輪のバラが…。
アレ?

160_2アレレ?
ドアの右…。

170_2コ、コレは!

180そう、「We Will Rock You」を歌うルークさんなのだ!
ルークさんの思いをロンドンに届けたというワケ。
CGではありません。
Freddieの魂は日本で受け継がれているのだ!
Luke Will Rock You with Marshall!!

190_2CANTAの詳しい情報はコチラ⇒CANTA OFFICIAl WEBSITE

200_2(一部敬称略 2015年5月19日 London Earl's Courtにて撮影)

2014年9月12日 (金)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.15】 カンタベリー…プログレの聖地

Canterbury(カンタベリー)…熱心にプログレッシブ・ロックを聴いている方には魅力的に響く言葉に違いない。
文学ファンにはジェフリー・チョーサーか…。しかし、『カンタベリー物語』を読んだ…なんて人に出くわしたことないな。私も読んでいないことは言うに及ばないだろう。

でも、自称プログレ・ファンとしては、やっぱりカンタベリーに目がない。日本ではプログレッシブ・ロックのサブ・ジャンルとして「カンタベリー・ミュージック」とか「カンタベリー・ロック」と呼ばれているが、英語圏では「Canterbury Scene」とか「Canterbury Sound」という呼称がついているようだ。
ところが、本場イギリスの人とロックの話しをしても、まず「Canterbury Scene」の話しなんて出て来ない。それどころか「Prog Rock」の話しすら普通はしないから。

そこへいくと日本人は何でもよく知ってるよ~。マニアックな音楽や楽器の細かい知識はかなり高水準だと思うね。
でもね、イギリスでも詳しい人はホントに詳しい。
本場だし、自分たちの国の音楽なんだから当たり前なんだけど、話しを聞いてみると、我々のように文物で知ってるとか、YouTubeで最近見ることができるようになった…などというのとはワケが違う。
こないだのニューキャッスルじゃないけど、ビートルズをHammersmith Odeonで観たとか(Cavernで観たという人はさすがに会ったことないな…)、The WhoのMarqueeはスゴかったとか、SpeakeasyのDeep Purpleは忘れられないとか、そういうのがゴロゴロしてるワケだ。
こういうことをひとつでも言われると「うらやましい」と同時に自分の座学がチョット恥ずかしくもなる。
ま、しょうがない。それならこっちだって向こうを張って歌舞伎を観まくるか~?イヤ、カンタベリーの方がいいわな。

で、そのカンタベリー・ミュージック、ひとます「マイナー」ということで、知らない人のためにサラっと復習しておくならば…ジャズっぽいプログレッシブ・ロックということになるんかいな?

でも全然ジャズではないよ。
歌が入っていなくて16ビートの曲にロック・フレーズを乗っけて「ジャズっぽい」って言うロック・ミュージシャンを時々みかけるけど、それはロックですよ。ジャズというのはジャズで使う言葉、つまりジャズ・フレーズを編み上げて作る音楽のことで、ロックと言語体系がまったく違うんですね。
たとえストレート・アヘッドなジャズ・ビートでギンギンにロック・フレーズてもそれはリズムが4ビートなだけで「ロック」なんですね。ほとんどジャズには聴こえない。もちろんロックとジャズ、どっちがいいということではまったくない。
反対に、例えば16ビートのギンギンなブギにビ・バップ・フレーズをブチ込めばかなりジャズに聴こえるのね。香津美さんの「Manhattan Flu Dance」なんて最高の例だ。

脱線失礼。チョットどうしても言っておきたかったもんで…。

カンタベリー・ミュージックがハッキリ音楽的に定義づけることがムズカシイのは、この流派に属すると言われるバンドやミュージシャンの音楽のタイプがあまりに幅広いからだ。
初期のSoft MachineからHenry Cow、IsotopeとかGilgameshまでどれも全然違うもんね。
それでもひとつのジャンル感が強いということだけは言えるだろう。

どんなバンドが挙げられるかというと…
まず、Soft Machine、Cravan、Gong、Hatfield and the North、National Health、Camel…らのメジャー陣。どれもスキだナァ~。
加えて、Comus、Egg、Gilhamesh、Henry Cow、In Cahoots、Isotope、Matching Mole、Quiet Sun等々。他に知らないのもたくさんある。プログレ好きにはタマらんメンツだ。

それと、この流派の人たちは人材の交流が激しく、こっちのバンドにいたかと思うとあっちのバンド…みたいにコロコロとメンバーが入れ替わる。
それがまたこの「カンタベリー」という流派をファミリーっぽくさせている大きな要因だろう。

結局、このカンタベリーという街に住んでいたっぽい人が演奏していたロックということになるようだ。
それにもうひとつ付け加えるならば、「極めてイギリスっぽいロック」と断言できよう。

その大好きなカンタベリー、イヤ、正確にはカンタベリー派のバンドたち…、数年前、意を決してその地をこの目で確かめるべく訪れる計画を立てた。

めざすはケント。ここヴィクトリア駅がケント方面に行く電車の始発駅だ。

10ホームを離れると5分もしないうちに左手に見えてくるのはバタシー発電所。もうMarshall Blogではスッカリおなじみだね。

20約1時間半ぐらいで「東駅」に到着。「西駅」もある。
イギリスの電車はものすごくスピードを出すからね。一時間半も走るということは、結構ロンドンから離れていることを意味する。
途中、車両が前後に切り離されてそれぞれが別方面に行くことがわかった。果たして自分が乗っている車両がカンタベリーに行くか否か、ビビったけど、難なくクリア。

30改札を出たところの駅前の風景。いきなりコレ。歴史を感じさせる。

40街をトボトボと進む。日曜日だったのでかなりヒッソリとしてる。

50v向こうに見えるのがカンタベリー大聖堂。
デカいうえに、街には他に高い建物がないのでどこからでも見える。

60地元の不動産屋。どれも小ぢんまりしていて素敵な家が多いのだが、結構高い。もちろんロンドンの比ではないが…。

70vやっぱりヒッソリしてるな~。市街地の人口は4万人程度の小さな街だ。

80ここからもカンタベリー大聖堂の鐘楼が見える。

90ココが一番の繁華街かな?
Marshallのロゴの帽子をかぶって歩いていたら、前からやって来る若い男の子ふたりが「オイオイ、あのオッサンの帽子見てみな!」ってな感じで私の方をジロジロ眺めていた。
どういう風に見えたんだろうね?

1. タハッ!オッサンのくせにMarshallの帽子なんかかぶりやがって…。
2. ウワッ!いいな~Marshallだよ、アレどこで売ってるんだろう!
3. ドヘッ!ナンダあの変なロゴ。見たことねーよ。
4. ゲゲッ!あのオジさまステキだな~。もしかしてマーブロの人じゃない?

まず、4はない。答えは1か2だな。

ココへ行ったのは3月ぐらいだったかな?みんなジャケット着てるのに平気で半ソデのヤツがいるし…。

100街のいたるところで歴史的な建物に出くわす。

110こんな道の真ん中にも…。日本で言えば京都ってイメージかね。
小京都?「小京都 全部集めりゃ 超京都」なんてね。

120これは公衆トイレの手洗い台。なんとお湯が出る。
最近、ロンドンの公衆トイレが片っ端から有料になってる。10年ぐらい前はきれいで無料だったんだけどな…。
公衆トイレに入る時なんて焦ってる時じゃない?「ああ、アソコにトイレがあったな!」なんて大急ぎで辿り着いた瞬間、以前はなかったハズなのに、入り口にガッチリ有料のゲイトが付いていたりするとものすごくパニクってしまう。コイン難しいから。
ロンドンの公衆トイレのことを少しココに書いておいたので興味のある方はどうぞ!

140そろそろ「オイオイ、コレのどこがロックの名所めぐりなんだよ?」って声が聴こえてきそうですな。
それらしいものはナニもない。ないのよ。
事前に調べては行ったものの情報がとにかくない。だから現地に行ってもナニもない。
130
とにかく、カンタベリー大聖堂だけは観とかないと…。

これは山門みたいなもの?
普通の通りにいきなり現れる。
日本で言うなら…

150_2コレだ!

雷門の提灯もリニューアルされてとってもきれいになった。

160一時期、コレだったからね。
コレはないでしょう…。
気の毒だぜ~、ワザワザ遠くから観光に来た人に~。

Gate22 で、その門をくぐるとド~ンとコレが迫りくる。

170問答無用でデカいし美しい!感動しますよ。

180v今、入場料は£10.50だから1,900円ぐらい。浅草寺はタダ。
京都の名刹でも拝観料と言えば数百円でしょ?この1,900円、高いと思うか、安いと思うか…。
ココは安いと思う。
イギリスの博物館とか美術館といった類のものはほとんどが無料でうれしいのだが、有料のものもたくさんあって、それらの値段はことごとく高価だ。激高なのである。

たとえばイギリス王室のお宝を展示していることで有名な観光名所、ロンドン塔(Tower of London)なんて4,000円近い。
また、これは完全に民営なんだろうけど、ロンドンの(今は世界中にある。東京にもできやんの)マダム・タッソーの蝋人形館なんて聖飢魔IIもビックリの9,000円近くなんだぜ!(ちなみに東京は2,000円だって)それでもいつもロング・キュー(long queue)ですわ。

そこへ行くと、ここの1,900円はメッチャ安いと思う。ものすごく見応えがある。

コレは内部の大聖堂のようす。
スゴイよ。コレ見てビックリしなかったら浅草寺へ行ったほうがいいわ。
もちろん聖堂だけでなく、地下まで観るところ満載。歴史やキリスト教を勉強して、ホントにジックリ観るとするなら一日以上かかるだろう。

190v世界遺産。1070年から建設が始まり、ナンダカンダで1503年に出来上がったという代物。
200v
Herman's HermitsやRick Wakemanでおなじみのヘンリー八世が最初の奥さん、「アラゴンのキャサリン(スペインから輿入れしたこの人はすごく評判がよかったらしい)」との離婚がローマ教皇から認められなかったもんだから、逆ギレして自分で会派を作ってしまったんだね。これがイングランド国教会。
そして、教会裁治の権力を北部をヨークの、南部をカンタベリーの大司教に与えた。だから、ここがイングランド国教会の本山になっている。ヨークの大聖堂もスゴイよ。

それで晴れて2番目の奥さん、アン・ブーリンと結婚したワケ。
で、以来この会派の親分は英国を統治する者ということになっていて、今ではエリザベス2世女王がその地位についていて、ロンドンのウエストミンスター寺院で執り行われる戴冠式も必ずオープニングがカンタベリー大司教の祈祷なんだそうだ。
大司教にチョットあいさつしてくればよかったな~。
160v
さて、ここで強引にロックっぽい話題に引っ張り込むと~…ヘンリー八世の6人の奥さんといえば、アラゴンのキャサリン⇒アン・ブーリン⇒ジェーン・シーモア⇒クレーブスのアン⇒キャサリン・ハワード⇒キャサリン・パー。
6人中3人が「キャサリン」で2人が「アン」。流行してたのかね?
イギリスの人はコレを我々が歴代徳川将軍の名前を覚えるみたいに学校で覚えさせられる。

それに…アレレ、Rick Wakemanのアルバムの収録曲とタイトルがおんなじだ~!…って当たり前か。
この6曲のうちで一番カッコいいのはやっぱり有名な「Catherine of Aragon」か…。それと「Anne of Cleves」…コレがYesの「海洋地形学」の3曲目と同じなのは以前にも書いた。
それにしてもこのアルバム、改めて聴き直すとどの曲ももめっちゃカッコいいな~。それと、Yesの『Yessongs』のRickのキーボード・ソロが『ヘン8』のアルバム全体を何とうまくダイジェストしていることよ!

ちなみに「Jane Seymour」のパイプ・オルガンのパートはロンドンの「St. Giles-without-Cripplegate 」という教会で録音された。このパイプ・オルガンって「Close to the Edge(危機)」に出てくるあのパイプ・オルガンと同じなんだぜ。

それとRick WakemanはSaturday Boy、つまりアルバイトでJim MarshallのUxbridgeの楽器店で働いていたことがあったそうだ。
それに、例の50周年の記念コンサートのキーボードは息子のAdam Wakemanが務めた。

これがヘンリー八世と六人の妻。写真はカンタベリーとゼンゼン関係ないところで撮ったもの。

R_img_0779 さて、それとやっぱりHerman's Hermits「ヘンリー八世」。1910年の曲のカバー。
この歌の内容は、「隣の未亡人と結婚したよ。彼女、7回も離婚していて、前の旦那の名前はみんなヘンリーなんだって。だから僕はヘンリー八世なんだよ」みたいな。
ま、史実のパロディということなんでしょうな。
曲のなかで「Henry」を「ヘネリー」と歌っているのはコックニー訛り。

このオッサンがヘンリー八世。好き放題やっちゃって、もう!
アン・ブーリンとの間の娘、メアリー1世と「ブラッディ・メアリー」については別項に記したので興味のある方は是非コチラをご覧あれ。

R_img_0780_2 裏庭も美しい。とにかくこの街は美しいですよ。街全体が世界遺産なんだそうだよ。

210ま、すっかりカンタベリー・ミュージックとはかけ離れた街の観光案内になっちゃった。
だってナニもないんだもん!

先述の通り、「カンタベリー」という音楽ジャンルの定義はものすごくあいまいで、EggのDave Stewartなんかはその言葉に否定的な考え方をしているらしい。
まず、「カンタベリー・ミュージック」とは言っているものの、地名、もしくは場所に関係ないということ。実際、シーンの立役者的な存在のひとりでもあるSoft MachineのHigh Hopperは他の場所に住んでいたし、Robert Wyattもその呼び方を嫌っていたという話もある。
それに、こんな小さい街なので音楽で喰っていくなんていうことは不可能で、Soft Machineもロンドンで結成し、活動していた(トッテナムにあった有名なUFOというクラブのハウスバンドは最初Pink Floydだったが、後にSoft Machineがそれを引き継いだ)。だから、現地の人に言わせるとSoft Machineはカンタベリーのバンドではない…ということになるらしいよ。
でも、なんか響きがいいじゃん、「カンタベリー」って?

以前エジンバラの時に出てきた「Prog Rock」のプログレ・アルバム・TOP30でカンタベリーのバンドがどういう扱いになっているのか調べてみると…。
16位にCamelの『The Snow Goose』…

Sg 21位にCaravanの『In the Land of Grey and Pink(グレイトピンクの地)』がランクされていた。
どっちも大好きだけど、ま、こんな順位。もっと上だろうとも下だろうとも思わない。それがカンタベリー?
また両方ともジャケがいい!

Ca とにもかくにも何のサプライズもなかった…と諦めかけて、街を突き抜けた時に発見!
Caravanファンの皆さんなら一発で手を叩く。
そう、『Blind Dog at St. Dunstans(聖ダンスタン通りの盲犬)』のジャケットのモチーフとなった場所。

220コレね。
発見した時はうれしかったね。

230cd…ということでまた電車に乗ってロンドンに帰ったのであります。
でもね、ものすごく街がきれいで雰囲気があってとてもいいところです。ヨークをすごく小さくした感じ。
残念ながら好きなカンタベリー・ミュージックの名所はほとんどみつからなかったけど、同名の街に訪れた…ということでとても思い出深い旅になった。
将来、また行くかも知れない。温泉でも出てりゃ尚いいんだけどな…。

240※カンタベリーの案内は以前にも掲載しましたが、全面的に書き直して再掲しました。

つづく

2014年8月28日 (木)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.14】 エジンバラ(Edinburgh)にも行ってみた

今日の「名所めぐり」はウスイ。そして、短い。
前回のニューキャッスルはなかなかに内容が濃くなったので、併せて2本にして連作としてご覧いただきたい。
ニューキャッスルからも電車で約1時間半と近いし。

スコットランドの首都、エジンバラ…それにしても最近のスコットランド独立騒ぎには驚くね。通貨や油田の枯渇等の経済的な問題が大きく、どうも反対の動きに固まっていきそうだけど、イングランドでは「行かないで…」なんて結構真剣に心配している一般市民も少なくないようだ。

我々は「イギリス」ということで完全に一本化してあの国を見ているが、実際に行って、図柄の全く異なるスコットランドの1ポンド紙幣なんかを手にすると、「コレ、ロンドンで使えるのかいな?ああ、ここではイギリスとは別の国のつもりなのか…」と実感したりするのだ。

ちなみにイギリスの人たちは「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」という大層な名称の自分たちの国が、東の小さな島国では単に「イギリス」と呼ばれていることは夢にも思っていない。

10さて、エジンバラ…エジンバラ…どう考えてもロックっぽいイメージがない。せいぜいBay City Rollersぐらいだ。
Jethro Tullがエジンバラかと思っていたらドンズバではなかった。
エジンバラに行く前にロックに関する情報を集めようとしたが、とうとうナニも得ることができなかった。

30でも行った。
ロックのファッションの店のような土産屋。
せっかくスコットランドに来たんだからタータンのスカートの一着でも買っていくか!…なんてことは思わないわな。絶対はかないもん。

40それにしても素晴らしい街のいでたち。
エジンバラは電車の線路がある峡谷を境に旧市街と新市街に分かれていて、そのどちらもがユネスコの世界遺産に指定されている。

天気がメチャクチャ悪くて…ゼンゼンいい写真が取れなかったのが返す返すも残念だ。
それと、行ったのは5月の末だったんだけど、もう寒くて寒くて。厚手のセーターにしっかりしたダウン・ジャケット、つまり真冬の格好をしていてもまだ寒かった。それでも現地の人はシャツ一枚とかで平気そうなんだよね。やっぱり寒い国の人たちなのだ。
写真は旧市街の目抜き通りRoyal Mile。この道を行った突き当りにエジンバラ城がある。

50_2さて強引に名所を探しましょう。
まずはGenesis…。5枚目のスタジオ・アルバム『Selling England by the Pound(月影の騎士)』のA面の3曲目に「Firth of Fifth」って曲があるでしょ。
メッチャかっこいい曲。イントロのTony Banksのクラシック調のピアノでまずヤラれちゃうヤツね。

D_img_0147 お、タネ明かしをする前に…このアルバム、70年代の粒ぞろいのGenesisの諸作の中でも確かに名盤だと思う。
それもそのハズ、Marshall Blogにもよく出てくるCLASSIC ROCK誌の別冊「RROG ROCK」のライターが選ぶ「THE TOP 30 PROG ROCK ALBUMS」で、『炎』、『宮殿』、『頭脳改革』、『危機』、『狂気』を抑えて見事第一位に輝いている。(この雑誌、奥付に発行年月日が書いていないんだけど、たぶん2007年の発行だと思う)

それにしてもプログレの邦題ってスゴイな。なんかもう単語ひとつでナニを指しているかわかっちゃう、という。これぞ日本のレコード会社のもくろみ。目的達成!
おかげで外人と話すときにエラク苦労する。だいたい『月影の騎士』ってナンだよな。

『恐怖の頭脳改革』なんて恥ずかしいだろ。後にELPが同名の曲を吹き込んでいるけど、原題は「Brain Sald Surgery」。昔、名古屋のなぞなぞ商会が「脳ミソサラダの外科手術」って曲を演ってたけど、ELPの方もそういう邦題にすればよかったんだよ。そうすれば今頃あのアルバム「脳ミソ、脳ミソ」って呼ばれていた。そっちの方が可愛いじゃん?

スミマセン、今回内容が薄いので「脱線」で紙幅を埋めています。
D_img_0140 さて、Genesis。題名の由来はここから…イヤ、正確に言うと、このRoyal Mileを下の写真の方向へ下ったところにある。(エジンバラ城への反対の道)
このまま進んでいくとドンドン道が下って行き、やがて北海に連なる入り江に出る。対岸はスウェーデンだ。
その入り江の名前が「Firth of Fourth」という。「firth」は「入り江」のこと。Genesisのこの名曲「Firth of Fifth」は、スコットランドに実在する入り江の名前のゴロ合わせだった。

ギタリストのSteve HackettはMarshallですから。

そういえば、昨日登場したスティーヴは「Genesisなんか聴いたことない」って言ってたな。
「Prog Rock」とはもちろん「プログレッシブ・ロック」のこと。向こうの人はみんな「プロッグ・ロック」と呼ぶ。

70vそれにしてもナニもない!この情報化の時代、事前に調べてないものは現地に行ってもなにもない!
コレはライブハウス。でもただそれだけ。

80vスティーブにも確かめたんだけど、コレはややそれっぽい。駅からほど近いところにある「PLAYHOUSE」という劇場。
今はミュージカルや芝居専門の劇場になっているようだが、以前はロックのコンサートも開かれていたようだ。
オープンは1929年。シート数は何と3000以上。
ウェンブリー・アリーナアールズ・コートのようなスポーツ・イベントを開催する巨大な施設を除けば、現在も使用している多目的劇場としては全英で一番大きいそうだ。
シート数に限って言えばロンドンのHammersmith Apollo(旧ハマースミス・オデオン)の方が多いが、こちらはコンサート専用でミュージカルには使用されることがない。

パッと見ると大して大きくはなさそうだが、この場所は高台で、建物はすぐ後ろから下に限りなく延びている。

色々調べてみたが、残念ながらどんなバンドに出たのかはわからなかったが、出たものを他にひとつ見つけた。
それは6階に夜な夜な現れる幽霊。アルバートというグレイのコートを着て、冷たい風とともに突然現れるのだそうだ。
さまざまな憶測が飛んだらしいが、事故で亡くなった舞台係かここで自殺をした警備員ではないかと言われている。

100やっぱり、エジンバラ出身のバンドというとホントにBay City RollersとPilotぐらいしかわからないな。
そこへ行くと同じスコットランドでもお隣のグラスゴーは結構イケてる。
古くはThe Sensational Alex Harvey BandにBeggar's Opera、Aztec Camera、Snow Patrol、Primal Scream、Franz Ferdinand、Mogwai等々。
Dunfermlineという町からはJethro TullとNazarethが出て来ている。

なんか文学優先の真面目そうな雰囲気もあるし、エジンバラではロックが育たなかったのかな?

ま、後はこんなジャズ・クラブぐらい?
コレじゃネタにならんわな~。
110
やっぱエジンバラのロックの名所はあきらめよう。
エジンバラの「バンド」や「ライブ」といったらコレにつきる!
60
明日は土曜日ですな…後はコレで我慢してください。

D_img_0137…とマァ、ロックの名所としてはゼンゼンダメだけど、街は信じられないぐらい美しい。
すべての景色が絵はがきみたいで、ゴミも落ちてなくてとても清潔だ。
ただ天気は悪いし、寒い。北海道より緯度がゼンゼン北だからね。
天気がいい時を狙ってまた訪れてみたいと思っている。

ここでは街の案内をゼンゼンしていないので、ゼヒこちらをご覧いただきたいと思う。
Shige Blog : イギリス紀行2012 その7~エジンバラ
Shige Blog : イギリス紀行2012 その8~エジンバラ2
Shige Blog : イギリス紀行2012 その9~エジンバラ3

20

つづく

2014年8月27日 (水)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.13】 Newcastle(ニューキャッスル)はよいところ

今日の名所めぐりはイングランド北東部最大の都市、ニューキャッスルから。
もうすでにこの街の紹介はShige Blogでしているので、未読の方にはそちらからご覧いただくとうれしい。

Shige Blog : イギリス紀行2012 その10~ニューキャッスル
Shige Blog :  イギリス紀行2012 その11~ニューキャッスル2

チョット重複してしまうパートもあるかもしれないが、コチラでは「ロック名所」魂でお送りするのでお楽しみいただけば幸いである。
今回は結構マニアックだよ。
  
スタートはニューキャッスル駅。

10_2ニューキャッスルはイギリスで7番目に人口の多い街でその数28万人。
正式な名称はニューキャッスル・アポン・タイン(Newcastle Upon Tyne)。
この「アポン・ナントカ」の「ナントカ」以後は川の名前を指す。
シェイクスピアの出身地で有名な、観光地にもなっているストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford Upon Avon)も同じ。エイヴォン川のほとりの村だ。

「名所めぐり」Shige BlogのSouth Shieldsの回でも紹介したように、タイン川流域は、今は猛烈にさびしくなっちゃったけど、昔は炭鉱や造船、鉄鋼で栄えた一大工業地帯で、北海に面したその河口までこのエリア全域の住民まで加えると、今でもその人口は165万人にもなる。なかなかの大都市なのだ。

20_2「イギリス紀行」で紹介したが、タイン川にかけられたこの街の橋はどれも魅力的だ。

30_2そのタイン川べりにある「Riverside」という名のクラブ。
週末になればライブ演奏をしている。

40v_2これもタイン川べり。
この向かって左の真ん中の三角屋根の建物、「The Cooperage」というライブハウスなんだけど、何と15世紀、つまり1430年に建てられたモノなのだそうだ。
案内してくれたスティーヴはほとんど来たことはないというが、そこそこのバンドが出ることもあるらしい。
内部は外観よりはるかに狭いらしく、キャパの関係でさすがに有名なバンドが出演することはできない。
有名なアーティストのサイド・プロジェクトなどが出たりすることが普通なのだが、その際にはデカデカと看板を出すのだそうだ。
そうすることによって、この建物が現役で役に立っていることを示すことができ、取り壊し対象の指定から逃れることができる。
東京なんかどんどん古い建物を壊しちゃうもんね。つい最近も銀座一丁目の「ホテル西洋銀座」という建物の解体が決まったらしい。
私はむしろその前にそこ建っていた「テアトル東京」や「テアトル銀座」の方になじみがあったので、コレに関しては惜しい気にはならないが、古い建造物はやはり大切にするべきだと思っている。
建造物には文物と同じく、時代の文化や空気が詰まっている。それを平気で壊すのは文化的民度の低さを露呈しているように感じるね。
まったく地震がないイギリスと土俵を同じにすることはできないが、日本だって優秀な建築家が揃っているのだから、古いモノを保存しながら地域を開発する技術を惜しみなく発揮するがいい。50街中に入る。

60v_2何しろ天気が悪くて色が出ないのが残念。
この建物、実物はオレンジと白とピンクでもっと色鮮やかなのね。
90_2
こんな建物がドカンと居座っていてもちっともおかしくない。

70その一階に楽器屋さんを発見。

80これはShige Blogで紹介したThe Thetre Royal Newcastle。

100_2浅草寺の本堂にも似た天井。

110_2このアーケイドも紹介したね。
左はクラシック系の楽器屋さんだ。

120目抜き通りのGrey Street。
130
実はニューキャッスルは、偉大なミュージシャンを何人も輩出している。
Hank Marvin、The AnimalsすなわちEric BurdonとChas Chandller(この関係でJimi Hendrixもしばらくこの街に滞在していた)、Bruce Welch(The Shadowsのメンバー)、Bryan Ferry、Sting、Brian Johnson、Mark Knopflerなどなど。Mr. Beanもそう。

チョットここでHank Marvinについて触れておきたいと思う。
赤いストラトキャスターがシンボルのこのThe Shadowsのギタリストは、Bruce Welch(上掲)によると「1958年から1964年までギターの神様」だったという。ナゼ1964年までかというと…Eric Claptonの登場である。64年はYardbirdsでClaptonが頭角を現してきた時分なのだ。

あまりの影響の大きさゆえ、イギリスのロックの歴史は何でもビートルズづくしだが、その前にはCliff Richardの存在が大きく、The Shadowsを従えて飛ばしたヒットの数々はブリティッシュ・ロックの礎を作ったとされている。
そんな功績で、CliffはSir.(一代限りの貴族)の称号を拝受し、2012年のエリザベス女王在位60周年記念(Diamond Jubilee)コンサートにも出演し、「Congratulations」を歌い、テレビのインタビューに元気に受け答えしていた。郷ひろみに似てると思った。

1958年、「Move It」でCliffはデビュー。
この曲のイントロはシーナ&ロケッツのファンにはおなじみのハズだ。
その時のCliffのバック・バンドはDriftersといったが、プロデューサーがギタリストに不満を感じもっと強力なギタリストに差し替えることを画策する。

一方、ある日飛び入りでステージに上がったことがキッカケでHankとBruce Welchはロンドン、ソーホーの「2i's Coffee Bar」専属のミュージシャンとして演奏していた。
そのHankの演奏を見たCliffのプロデューサーが白羽の矢を立て、Bruceもメンバーに加えて改編したバンドがThe Shadowsになったというワケ。
その後、Cliff RichardとThe Shadowsは快進撃を続け、ビートルズ以前にBritish Rockを強力にけん引したのだ。

ハイ、ここでコレを見てください⇒【イギリス-ロック名所めぐり】Vol.5~ソーホー周辺 その1

この中で紹介している「2i's」のプラークに刻まれた「Birthplace of British rock 'n roll and the popular music industry」という文句の大きな意味のひとつはこのCliffとHankのことだったのだ。
何しろ、歴史上イギリスのヒット・チャートにもっとも多くの曲をブチ込んだのは、一位がElvis。二位がCliff Richard、そして三位がThe Shadowsというのだから驚きだ…イヤ、自分の勉強不足だ。
ま、それだけライバルも少ない時代だったんだろうけどね。
この2i's Coffee Barがなかったらブリティッシュ・ロックの歴史は変わっていたのかもしれない。
話しはニューキャッスルにもどって…

Nc_img_6900 ちなみにAC/DCのBrian Johnsonが以前やっていたバンドはGeordieという。GeordieとはNewcastleからタイン川流域に住む人たちが使う方言の名前、並びにこの辺り出身の人がのことを意味する。
イギリスではかなり有名な方言らしい。
South ShieldsにB&Bに泊まった時、おっそろしく早口の女性が面倒をみてくれた。スティーヴが彼女に「そんなに早くジョーディ弁でまくしたてたらシゲは理解できないぞ!」なんて言ってくれたが、スティーヴと長い時間いっしょにいたせいか、はたまた彼女の言っている内容がホテルの決まりきったルールだったからか、英語力がアップしたのか(←コレはない)、スンナリ聞き取れたな

そこからちょいとウラに入る。

140vゼンゼン風情もナニもないビルディング。この地下にあるのが…

150_2ロック・パブ(というらしい)の「Trillions」がある「The Jubilee」とか「The Man in the Moon」だとか、何回か名前が変わってはいるものの、創業開始は30年前だというからなかなかの老舗だ。
休憩がてらスティーヴとエールを頂く。

160_2これがステージ。
出演するのは地元のバンドか中級知名度のバンドが多いらしい。やはり基本的にはパブなのでギンギンにライブ事業を展開しているワケではないようだ。
やはりスティーヴも頻繁に訪れるワケではないが、ミュージック・パブとしてはすごく居心地がいいとか…。
Marshallのインターナショナル・デモンストレーターを務めるChris GeorgeはWaystedというバンドでここに出演したことがあるとのこと。

170_2街のど真ん中にあるThe Gateというショッピング・ビル。2002年にオープンした。
このビルができる前はThe Mayfair Ballroomという有名なダンス・ホール兼コンサート・ホールだった。
イギリスにもドアホがおったわ。こんなツマランものに作り変えてしまったのだ。
180_2
このThe Mayfair Ballroom、スティーヴと前を歩いた時は「ここにも有名なホールがあったんだよ」、「あっそう」ぐらいにしか話をしなかったが後で調べてみて驚いた!

1961年に開業したこのホールは1500人を収容することができ、1999年に閉鎖するまでの約40年間、ヨーロッパで最大のロックのライブハウスだったという。(みなさん「live house」は日本語ですからね!イギリスではそういう生演奏をする施設をひっくるめて「club」といいます)

どんな連中が出演していたかといえば…AC/DC, The Who, Pink Floyd, Queen, The Police, U2, The Clash, Iron Maiden, Judas Priest、Nirvana等々。ようするに「みんな」だ。

スティーヴは1980~1981年の間にここに出演していたこともあったし、アルコールが出される年になった1976年から、ロンドンに引っ越した1983年までここでずいぶん色々なバンドを観たそうだ。最後に観たのは1982年のGary Mooreだって。

で、ですね、ここに関するクロニクル的なウェブサイトってのがあって、これが滅法おもしろい!
記録がナニも残っていなくて、みんなで情報を持ち寄ってページを作ったとか。
出演者が何しろエグイ。
Juicy Lucy、Edgar Broughton、Graham Bond、Jon Hiseman、Quientessence、If(Terry Smith見たい!)、Chicken Shack、Van Dar Graaf Generator、Pretty Things、Derek & Dominos、Deep Purple、Humble Pie、Mottthe Hoople、Fleetwood Mac、Black Sabbath、T-Rex、Ten Years After、Faces、Curved Air…あ~もうキリがない。コレで1970年の一部。
一体、何だコレ?天国か?パラダイスか?それとも冗談か?
60年代もスゴイ。The MoveだのThe NiceだのFamilyだのTrafficだの…。

コレ、今だったら毎晩行っちゃうね、カメラ持って…。
Marhall Blogも毎日Alvin Leeだの、Russ Ballardだの、KossoffだののMarshallの紹介よ。

それにしてもスゲエな、コレ。止まらんわ。IsotopeとかOsibisaまで出てる。
1973年にはCurved AirとGary Moore Bandなんてブッキングもあるね。このGary Moore Band、Nazarethとも対バンしてるわ。

Led Zeppelinがイギリスで最初にライブをしたのがこのThe Mayfair Ballroomだったという。
スカンジナビア・ツアーから戻った末期Yardbirdsが、既にブッキングしてあった1968年10月4日のThe Mayfairのステージを契約消化のために出演した。
ステージに上がったのは例の4人。この晩からバンド名をLed Zeppelinに変えた。セットリストはすでにLed Zeppelinのモノだったという。
これを見た人がニューキャッスルに1,500人ほどいたいたワケだ。ため息が出る。

写真を勝手に使うことを控えているので、内部の様子をここでお見せできないのが大変残念だが、規模の違いはあれどこのゴージャスさは、日本でいえば東京キネマ倶楽部のようだ…とだけ言っておこう。そう東京キネマ倶楽部もかつてはBallroomだった。

The Mayfair Ballroomに興味のある人はコチラをチェックして欲しい。令文さんなんか大喜びするんじゃないかな?ああ。一緒に見て語り合いたい。
Quireboysが「Mayfair」という曲を演っていることも記しておこう。このビデオ・クリップではバックがMarqueeになってるけど…。

そして1999年、The Mayfair最後に日には5,000人ものファンがここに集ったという。だから残しときゃよかったんだよ!Nc_img_6863 O2 Academyはホールのチェーン店。ニューキャッスルのO2 Academyは2005年にオープンした比較的新しいモノ。Uriah HeepやY&Tなどいまだに活動を続けている70~80年代のバンドが比較的多く出演している。

190O2 Academyのすぐそばのギター・ショップ、McKay。
1977年、スティーヴが17歳の時、一大決心をし、大枚はたいてフェンダー・ストラトキャスターとMarshallの三段積みを買うことにした。
今でも使っているメイプル指板のナチュラルのストラトキャスター(私も何度か弾いたことがある)は今はもうない「Rock City」というお店で278ポンドでゲット。当時のレートで13万円ぐらい。

Marshallは1959のフル・スタック、いわゆるUNIT3が希望だった。価格は510ポンド(≒24 万円)。しかし、このMcKayでは現金なら472ポンド(≒9万4千円)で買えた。かくしてスティーヴは人生初のMarshallスタックをここでゲットしたのであった。
しかし、その1959はまったく歪まず、スティーヴはTonebenderのペダルをつながらなければならなかった…とさ。
この話、洋の東西を問いませんな~。

その後、スティーヴはその1959と使わなくなったBキャビを売り払い1973年製の100Wサイズの1987と1972年製の1959を手に入れ、今までも使っている。
Aキャビを売らなかったのは内部にJim Marshallのサインが入っていたからである。事業が成功した後もJimは工場に入り、キャビネットの製造を手伝っていた。ま、一種の趣味だ。

店の中は滅法せまく、商品も少ししか置いてない。

210v一方こちらは「Guitar Guitar」というモダンなお店。Marshshallウォールがうれしいね。

220裏通りにはこんなサルサ・バーも。
200_2
さて、今日のメイン・パート。Newcastle City Hallだ。

230_2落成は1928年。キャパ2135席のイングランド北東部屈指の名ホール。

240堂々たる威容。
この建物ですら解体の危機に迫られている。13000人の反対署名運動が行われたほか、facebookの「North East Music History Group」という団体がこの地方のロック文化の伝承・保護を目的に解体反対運動を推進している。スティーヴはもちろんのこと、私も知らない間にメンバーになっ ちゃってんだよね。でも、時折ポストされるコメントはコアなブリティッシュ・ロック・ファンには貴重な情報ばかりで存外に面白い。
270_2
ロビーはこんな感じ。やはり荘厳な雰囲気だ。

250これは2年前に撮影したものだが、今でも普通にコンサート・ホールとして使用されている。
The Osmomds、Elvis Costelo、Billy Oceanなんて名前が見えるが、私的興味をそそられるのは何と言ってもIan Andersonだ。

260もう挙げ出したらキリがないのでやらないが、まず大御所は全部出てる。
ここのウェブサイトには「みんなで思い出を語ろう!」みたいなコミュニティがあって、開業時の1920年代から思い出を語り合ってもらおうというイキな計らいをしているのだが、悲しいぐらい情報が集まっていない。
そもそも1920年代なんて大正時代だからね。ジャンジャン情報が寄せられることを期待する方に無理があるだろう。でもね、60年代の情報もないのよ…。
やっぱもう壊しちゃおうか…。

で、70年代。やっぱり少ないんだけど、オモシロい書き込みを見つけた。
それはSladeに関すること。
曰く「1974年にSladeを観ました。素晴らしい夜でした。前座はBeckettというバンドでリード・シンガーはTerry Slesserでした。
この人はFreeが解散した後Paul Kossoffが結成したBack Street Crawlerというバンドのリード・シンガーでもありました。
大分後になってライブハウスに出ていたTerryに会った時、このことを話すとうれしそうにこの晩のことを語っていました」
オイオイ、Sladeのことが書いてないじゃないの!

ちなみにBack Street CrawlerはKossff亡き後、Crawlerと名前を変え、Geoff Whitehornをギタリストに迎え活動を続けた。
そして、Terry Slesserは今、スティーヴとバンドを組んでいる。

もうひとつ…
「14歳の時に初めて観たナマのバンドがSladeでした。前座はThin LizzyとSuzi Quatroでした。素晴らしい夜でした」…そりゃ素晴らしいにキマってる!
うらやましいよね~!

その後、Sladeは1981年にココでのパフォーマンスをライブ録音し『Slade on Stage』というアルバムにしてリリースした。元々他の会場で録音した音源と混ぜて2枚組にする計画だったが、他の会場では、アンビエンスで録った音源に、あまりにもたくさんの観客のお下劣な騒ぎ声が入ってしまい使い物にならなくなってしまった。
仕方なくCity Hallだけの音源でシングル・アルバムとして制作されたのだそうだ。

この頃のSladeはもうかなり下火になっていたが、ナンノナンノ、このアルバムを聴く限りでは観客の盛り上がりは異様なまでに激しく、その人気を知ることができる。

Sos
City Hallで録音されたもっとも有名なアルバムはコレだろう。Emerson Lake & Palmer。

Keith Emersonが弾く冒頭のパイプ・オルガンはダーラム(ダーラム大聖堂が有名。ニューキャッスルからそう遠くない)で1861年に開業したHarrison & Harrisonというパイプ・オルガンの老舗の製品で1928年にこのCity Hallに備え付けられた。
当時のレコード会社はロックとして長大なクラシック曲の作品をリリースすることに消極的で、自分たちのクラシックのレーベルからリリースしたが案の定セールスは惨憺たるもので、ELPはこの作品をオクラ入りさせることを希望したらしい。
ところが『Tarkus』がヒットし、レコード会社も元の計画でこのアルバムを世に出すことに同意し、我々が普通に耳にすることになった。
今ではDVDで映像でも鑑賞できるようになったが、あの映像は1970年12月にロンドンのLeyceum Theatreのもので、ここのパフォーマンスではない。

正直、私はちょっとコレ苦手。
曲名を告げるMCへのお客さんの歓声が大きく、エラク受けているが、本当にみんな楽しんだのかしらん?静かなパートではお客さんが飽きちゃってるんだか、結構ギャーギャー騒いじゃってるんだよね。
もちろん「Nutrocker」はいつ聴いてもいいよね!

PeMotorheadの1981年のライブ盤『No Sleep 'til Hammersmith』の一部もCity Hallで録音された。

Index 建物の脇に回ってみる。

280_2これがステージ・ドア。
ここから数えきれない偉大なミュージシャンたちが会場に入り素晴らしいパフォーマンスを繰り広げたワケだ。

290v_2こちらはボックス・オフィス。どこかの工場の中にある売店みたいだ。

300vこれは見ての通りバー。ホールの中のお客さんも中に入らない外の人もここでイッパイできる。
以上Newcastle City Hall。

310v近くのパブ。
週末にはバンドが入る。

320vイギリスにもほら!I AM MAIDENだって!

330vスティーヴに連れられてさらに裏道を行く。こんな行き止まりの細い路地の奥には…

340vギター・ショップ。店の名前は何と「The Guitar Shop」。安直すぎない?

350狭いながらもすごくコージー。
スキン・ヘッドのオッサンはオーナーのBrian Younger。
またすごくいい人でさ。
入った瞬間、店内にはMiles Davisの『Kind of Blue』が流れていて、曲名とパーソネルを全部言い当てたらいっぺんに仲良くなっちゃった!(ジャズを聴いていればこんなのへのカッパ←コレ最近聞かなくなったね)

360リペアの仕事もこなしている。
このテリー、弾かしてもらったらエラク具合がいい。
「これはいいギターですね~」なんて言ってたら、上からジャンジャン在庫のビンテージ・ギターを持って来ちゃって「コレを弾いてみろ」、「次はコレだ!」なんて留まる気配なし。
とても感じのいい人だったな。

370最後にSteve Dawsonと一枚。
ああ、こんなことはもう二度とないだろうな…最高に楽しい一日だった。

Thank you very much for taking your time on that day, Steve.  And I apprecite not only your hospitality but also your cooperation for the addtitional iformation.  I couldn't make it without your generous support.
I wish I was born as a Gerodie so that I could experience the golden age of the great British rock!!
380スッカリ長くなっちゃった!

つづく

参考文献 : ロックの歴史(中山康樹著 岩波新書 2014年)

2014年5月28日 (水)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く

メイフェア、チェルシー、マリルボーン、スイスコテージ…といえばロンドンの高級住宅街。

10ここサウス・ケンジントンもその中のひとつだ。

20vビバリー・ヒルズもそりゃ立派だけど、ありゃ立派すぎちゃってどうも実感が沸かない。ロンドンの場合、建物のどれもが飛び切り古く、その荘厳さはビバリーヒルズのそれに勝る。
それにあんなビバリーヒルズのような山の中ではちょっとコンビニに行くのも困る。セレブは行かないか…。

40そこへ行くとロンドンの高級住宅街は本当に街のど真ん中にあって、その利便性たるや田園調布の比ではない。
ここもそう。High Street Kensingtonという大通りからちょっと入っただけでこの様相だ。

30驚くのは冒頭に挙げた高級住宅街の地所はグロブナー、カドガン、ウォールデン、ポートマンといった貴族の名家の私的所有物だというのだ。
また、Regent StreetやHyde Parkのような巨大な公的資産はすべて王室の所有物となっている。

50その住宅街を進むと妙な形の建物が目に入る。

60コレ、コレ。通称「Tower House」。Jimmy Pageの家だ。

1975年、建設に着手され、1978年には概ね完成した。しかし、内部の装飾の完成にはさらに時間を要した。
設計したのはウィリアム・バージェス(William Burges)という建築家。
この屋敷はバージェスの終の棲家となっただけに何しろモノスゴイ凝りようだった。

70vJimmy Pageが購入する前、この家は元々Richard Harrisが所有していた。Richard Harrisといえば、『許されざる者』や『ハリー・ポッター』シリーズに出ているアイルランド出身の名優だ。
古くは『ナバロンの要塞』、『テレマークの要塞』等の戦争映画や『クロムウェル』や『天地創造』等の文学的作品等、目もくらむような立派なフィルモグラフィを誇っている。
中学の時、『ジャガーノート』なんて映画館に観に行ったな。

ハリスは1970年に75千ポンドで購入。現在の貨幣価値に引きなおすと982千ポンド、今のレートなら175百万円。今から44年前の話だから大変な額だ。
ハリスはVictoria and Albert Museum(ヴィクトリア&アルバート博物館:後出)で保管してあったオリジナルの図面を取り寄せ、元々内装を担当していた業者に内部のレストアをさせた。

その後、1972年にDavid Bowieと競ってJimmy Pageが350千ポンドで購入。今の貨幣価値だと3,910千ポンド、684百万円。
今日から一般公開されるという「ひばり御殿」が推定3億円だというのだから、やはりロンドンはケタが違う。ペイジの方が42年前で7億円だからね。

ペイジはバージェスのラファエル前派趣味の大ファンでこの家を大切にしていたらしい。
建物や内装だけでなく、家具も相当に高価なものが多かったが、今では散逸してしまった。たとえば「Golden Bed」はヴィクトリア&アルバート博物館に収められ、「Philosophy Cabinet」は作曲家(「Cats」や「Evita)」のAndrew Lloyd Webberに引き取られている。
きっといいものなんだろうね~。

80vちょっとお茶でもごちそうになろうかと思ったけど図々しいからヤメた。
私邸なので当然内部は一般公開されていない。でも見たい。
で、写真を見てみると、マァ~、ゴテゴテしててスゴイ。とても落ち着かん。

90v大層立派なお屋敷だけど私はイヤだな。そもそもコワイわ、ひとりでいると。

100ちょっとここから観光案内。

120vコレはKensington GardensというHyde Parkに隣接するお庭にあるKensington Place。

130現在でもグロスター公爵リチャード王子という、エリザベス女王のイトコが住んでいる。

140ちょっとコレも広すぎるわ。

150宮殿の庭。

160内部の一部を一般公開しているが、写真撮影が禁止されているので入らなかった。

170さて、今日の第二のハイライト。第一はJimmy Pageの家ね。
これがさっき出てきたVinctoria & Albert Musum(ヴィクトリア&アルバート博物館)。
この辺りはNYCでいえばMuseum Mileのようなもので(東京で言えば上野)、自然史博物館、科学博物館、ロイヤル・アルバート・ホールなどが立ち並んでいる。
どの博物館も日本の同種のモノに比べればスケールも内容も格段に上なのだが、さすがにこの歳になると立派な恐竜の骨格見本を目にしても感動を受けることはない。
その点、このヴィクトリア&アルバート博物館はケタ違いにおもしろい。もちろん無料。

180ヴィクトリア女王とそのダンナ、アルバート公にちなんで名づけられたこの博物館は装飾品や芸術品だけが陳列されている。
言い換えると、人間が作ったアイテムだけが飾られていて、その数460万点。オープンしたのは1852年のことで、今では年間300万人の人が訪れるそうだ。

下は入り口が装飾されたV&A。そう、イギリスの人はここをV&A(ヴイ・アンド・エイ)と呼ぶ。

190vパイロンで作られたオブジェ。

200エントランス・ホールのようす。

210vホントにありとあらゆるモノが展示されている。

220vどっかの史跡から引っぺがして来たモノ。

230vあ~あ~、こんなものまで持って来ちゃって!

240v下の方の人を見ればコイツのバカでかさがわかるでしょ?

250vこんなの持って来ちゃってバチが当たらないかね?

255彫刻や…

260v

270衣装。古今東西の洋服が飾られている。もちろん実物。こんなのホントに着てたんだね~。

280_2ペルシャの巨大な絨毯。

290コレ、有名なヤツ。

300v楽器もあるよ。
310
320v展示品だけでなく、荘厳な内装も見逃せない。

305v世界の4大博物館といえばルーブル、メトロポリタン、エルミタージュ、大英博物館とされている。
この話しを聞いて「ダイエーってすごいですね!」と言ったバカが実際にいた。そのダイエーじゃねーっつーの!

306残念ながら私は4つのうちメトロポリタンと大英しか観たことがないが、こうした工芸品のコレクションに関して言えば、イギリスの方が断然スゴイ。さすが「トップバリュ」だ。違うか…。

330この他にも門扉、手すり、階段等の構築物や銀食器、銃剣等々、その守備範囲はあきれるほどだ。

340v当然1日や2日じゃとても見きれない。

345v展示品が世界のエリア別に分かれているパートもあって、これは日本コーナー。

350このあたりのものは、太平洋戦争の戦利品とかかと思ったら、そのズッと前からここにあって、チャンと交易でゲットしたものだそうだ。

370これらの甲冑はかなりマイナーというか小藩の大名が所有していたモノが多い。

380でもずいぶんキチンと保管してある。

390イギリスから独立したエジプトが、「ウチから持って行った歴史的なアイテムを返してチョーダイよ」と申し入れたところ、「ナニ言ってんの?アンタとこにアレをおいておいたらみんなダメにしちゃってたでしょうが!我が大英帝国が大切に管理しておいたことに感謝しなさいよ!」と返還に応じなかったという。
でも、ロンドンの博物館はどこを観てもこのエピソードに頷けるような気もする。
360コレ何だかわかる?根付(ねづけ)。
今でいえば携帯ストラップの先っちょみたいなものといえばわかりやすいか?
大昔は、ヒモの片方に印籠なんかを付けて、そのヒモを帯の下に通し、帯から出てきたヒモに根付を付けた。着物にはポケットがないので、そうして携帯物を身に着けたというワケ。
外人に人気あるんだよね。ここらのモノは象牙でできていて作りも恐ろしく精巧だ。日本の文化は素晴らしい。
大英博物館にも「日本コーナー」があるけど、V&Aの方が品があって見応えがある。

400これが中庭。

410レストランなんかも完備しているし、ミュージアム・ショップも巨大だ。

420さて、Marshall Blog読者の皆さん、ここからが本題だよん。ここまでよくガマンして読んでいただきました!
V&Aには「Theatre and Performance」という展示コーナーがあって、そこに飾ってあるもの実にうれしい。
まずはロック・スターの衣装。

430vこれはBrian Eno。もちろんRoxy Music時代のもの。Enoの衣装が飾ってあるなんていかにもイギリス的でしょ?Roxy Musicがいかに人気があってセンセーショナルなものだったのかを物語っている。
その前座を務めて全英ツアーをしたサディスティック・ミカ・バンドの偉大さにも触れておかねばなるまい。詳しくはコチラをご覧いただきたい。

440vコレはさっきから出ているJimmy Page。
彼の衣装は他の機会でも実物を見たことがあった。それは2010年5月から7月にかけて福島県の郡山市立美術館にて開催された「スウィンギン・ロンドン’50s-’60s」という展示イベントの時のことだ。
このイベントについては何回かMarshall Blogで触れているが、オープニング企画でSHEENA & THE ROKKETSの鮎川誠さんとSHEENAさん相手に、200人以上のお客さんを前に鼎談をさせて頂いた。
イベントにはMarshallも展示されることになり、そのやり取りを主催者の方としているウチに、私にこの仕事が持ち込まれてきた。要するにいつもの調子でベラベラしゃべっていたら、「このおしゃべりのロックバカならイケる」と踏んでくれたのだろう。
得な分野の話しを大勢の人の前ですることはさして苦にならないが、鮎川さんは60年代のロックをナマで体験したロックの生き字引のような人なので、初めはこの私に相手が務まるか心配でお断わりしようと思った。しかし、こんな機会は二度とあるまいと意を決し、謹んでお受けした。

鮎川さんとSHEENAさんのご協力や、それこそ【名所めぐり】の写真を披露したりして結果は上々。実に楽しく、誇りとなるお仕事となった。
もちろん、マーシャル・ブログでレポートしたが、もう見れなくなってしまったので、いつかもう一度新しく記事を書き直して記録を残しておきたいと思っている。

で、この郡山美術館で展示されたジミー・ペイジの衣装、主催者側の方々が大層困ったそうである。
ジミー・ペイジのウエストが細すぎて用意した普通のマネキンでは、ズボンが入らなかったというのである。
そこでシャツやジャケットの前を占めて閉まりきらないウエストの部分を隠して展示したのだ。
ま、ズボンのウエストが閉まらないなんて、こちとら日常茶飯事なんだけどサ。
なるほどこうしてみるとメッチャ細いな~。これがロック・スターの基本仕様なのね。

450vこれは説明不要ですな。前回この方の住いを紹介した。Freddieだってコレ、相当細いよ!

460v1963年、ファン・クラブ会員のために制作されたThe Beatlesのクリスマス・レコード。
ロンドンの博物館にビートルズ・グッズがおいてあるのはここだけではないが、さすが本場、『A Hard Days Night』あたりまでの古い関連アイテムが多い…ってビートルズ自体が古いか。
このシングル盤のジャケットもそうだが、さすがにどれも古式ゆかしい、うまく言おうとするなら「レトロ」…の雰囲気が濃厚なものが多い。
しかしですよ、ビートルズの音楽ってまったく古くならない。コレはもう言い古されたことだけど、こうしてヴィジュアルが絡んでくるとなおさらそのことに驚かざるを得ないのである。
でもね、ジミもジャニスもドアーズもビートルズも短命だったからこそ咲かせた花が散らないんだよね。マリリン・モンローが歳をとらないのと同じだ。

ま、とにかくポールも無事離日してヨカッタ。

470この人、人気あったよね~。今でも活動している。これは化粧品ですな。果たして女性が使ったものなのか、男性が使ったものなのか?男なんだろうね。

480レアなポスターもゾロリ。

4901969年4月14日、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのPink Floydのコンサートのポスター。デザインはStorm Thorgerson(Hipgnosis)。
真ん中に「INTRODUCING "THE AZIMUTH CO-ORDINATOR」とある。コレは2本のレバー(Joystick)を使って音を6つのスピーカー間でパンニングさせる装置。
キーボードの故Rich Wrightが操作したらしい。デビュー当初からフロイドが音楽と照明をはじめとしたそうした特殊視覚の融合に取り組んでいたことがわかる。
この装置の1号機はクイーン・エリザベス・ホールの公演時に盗難にあい、このポスターの時は2号機が使用された。
やっぱポスターのデザイン、カッコいいな。

510vこれは『The Great South Coast Bankholiday Pop Festivity』なんて書いてあるが、いわゆる『ワイト島』の第一回目のこと。1968年の8月31日から9月1日かけて開催された。
後にMiles Davisも出演する大フェスティバルになったが、この時はイギリス国内のバンドをかき集めてごく小規模に開催された。
唯一の例外がJefferson Airplaneで、Jeffersonにとってもこの時が初めてのイギリスでの演奏だったそうだ。
司会進行はあのJohn Peel。出演は、The Pretty Things、Tyrannosaurus Rex(「T. Rex」と名乗る前)、Fairport Convention、The Aynsley Dunbar Retaliationなど。ヘッド・ライナーがArthur Brownだったなんて…。

520vMOVEのMarquee出演時の手作り風ポスター。見たかったな~。

530vQueen、1977年のEarls Court。『A Day at the Races』のレコ発ツアー。「Someday to Love」が初めて演奏され、「Bohemian Rhapsody」や「Brighton Rock」もこのツアーで初めて一曲丸々演奏された。
ニューヨークではマジソン・スクエア・ガーデンで開催され、そのチケットは瞬時にして売り切れた。この時の前座はThin Lizzyだったという。Queenの一番いい時だね。

ところで皆さん、Marx Brothers(マルクス兄弟)ってご存知ですか?グルチョ、チコ、ハーポという本当の兄弟からなる喜劇グループ。
私も好きでDVDのボックスセットなんかを買い込んできて時々見たりするんだけど、この人たちの映画に『A Night at the Opera(1935年)』と『A Day at the Race(1937年)』というのがある。どっかで聞いたことがあるでしょ?
そうQueenの『オペラ座の夜』と『華麗なるレース』の元ネタだ。『オペラ座の夜』のレコーディング中にスタジオで観たマルクス兄弟の映画をそのままアルバム・タイトルに頂き、『レース』には続編の『A Day at the Race』をこれまたそのままタイトルにしちゃったらしい。

このEarls Courtの2公演はこのツアーのファイナル。あの有名な照明セットがこの時初めて使われた。
ちょっと待てよ…このコンサートの後、Freddieって歩いてあの家に帰ったのかな?歩いて10分ぐらいだからね…どうでもいいか、そんなこと。

500前回も紹介したEarls CourtのLed Zeppelinのポスター。

540チケットの販売を促進するため、グラスゴーからニューキャッスル、リバプールからマンチェスター、全英の主たる都市のボックス・オフィスの連絡先を掲載した。

550コレはZeppelin Expressの時刻表!よ~やるわ!上の写真の矢印が組み合わさったようなデザインはイギリスの国鉄(British Railway)のロゴ・マーク。

560v機関車のドテッ腹には「PHYSICAL ROCKET」のサインが…。『Physical Graffiti』のレコ発コンサートだったからね。

570これはCovent GardenにあるTheatre Royal Drury Laneという由緒ある劇場の入場料の掲示板。
スゴイ。真ん中の「PRIVATE BOXES」というサインの下に「£1-17-0 to £7-0-0」とあるでしょ?
コレ「1 ポンド17シリング0ペンス」から「7ポンド0シリング0ペンス」と読む。
同様にその下の「16'6」だとか「3'3」なども「16シリング6ペンス」、「3シリング3ペンス」を意味している。

この補助通貨のシステムが異常に複雑で1ポンドが20シリング、1シリングが12ペンスと、20進法と12進法が組み合わさっていた。
さらによく映画なんかでも見かけるが、「ギニー」というのがあって、1ギニーが21シリングと同価値だったという。
このギニーというのは長い間価値が定まらず、18世紀の初めに1ギニーが21ポンドと決められたが、この辺りを主導したのはあのニュートンだったそうだ。
このポンドとギニーの1シリングの差はチップ込みか否かという表れだったらしい。

こんなんでどうやって買い物してたんだろうね?
今ではポンドとペンス(1の時はペニー。ペンスはペニーに複数形)しかないし、計算も100ペンスが1ポンドとごくごく簡単だが、1971年まではこのシステムが通用していた。
Roxy Musicの「Three and Nine」という曲はこの複雑なシステムを題材にしていることは以前にも書いた。この曲が収録されている『Country Life』は1974年の発表なので、そのチョット前まで、Bryan Ferryたちはこのシステムの中で生活していたことになる。

590vこれはTheatre Royal Drury Laneの実物。
このすぐ近くにフリー・メイソンの本部がある。

600私はココで『May Fair Lady』を観た。お金がないので3シリング3ペンスの一番安い席だった。

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V&Aにはこの劇場の構造図なども飾ってある。

610一番紹介したかったのはコレ。Pete Townshendによって破壊された1960年代製のGinson Les Paul Deluxe。
壊されたのは60年代の後半か、70年代初頭とされている。

620vMarshallのスピーカー・キャビネットにピートがギター・ヘッドを突き刺している有名な写真。
こうしてピートはフレット・クロスを破いてはジムの店に持ってきて修理を依頼した。それをジムがセッセと直した。
ジムによればピートはギターを突っ込んでもスピーカーを痛めることは決してなかったという。寸止めの達人だ。

630コレはどういう経緯でここに収蔵されたんだろう。折れたネックの先端部はどこへ行ったんだろう?
そんなことはヨソに、ピートが実際に目の前にあるこのギターを振り回してブッ壊したのかと思うとかなり興奮する。

ところで、コレらのコレクションはどうも常設ではないらしく、今年V&Aを訪れた友人は探し出すことができなかったと言っていた。このピートのギターなどはV&Aのウェブサイトに出ているのだが…。
もし、コレらのコレクションを目当てにV&Aに訪れることがあるならぜひ事前に情報を集めてから行ってください。
もちろんコレらなしでも十分に楽しめる博物館だ。

640vそれにしても美術館や博物館を観て歩くのは実にシンドイ。立ちっぱなしということもあるが、目と足腰が、つまり、脳と身体がまったく別の動きをしていて、知らない間に途方もない距離を歩いていることに気づかないからだろう。

650vつづく

2014年5月22日 (木)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.11】 Earl's Court(アールズ・コート)の見どころ

ロンドンの地下鉄、ピカデリー線でハロッズのあるナイツブリッジ駅から3つ先にあるのがこの駅。
アールズ・コート(Earl's Court)。

10vこのエリアにちなんで「アールズ・コート建築」という言葉があるらしい。
名だるた高級住宅街のエリアがある一方、戦後、オーストラリアやニュージーランド(ちなみに「ニュージーランド」はNew ZealandでNewzea Landではない。英語圏の人と話すときは「ジ」にアクセントを置かないと通じない。この手の話では、「インディアナポリス」があって、日本人は「インディアナポリス」と一本調子で「インディアナ+ポリス」っぽく発音してしまうが、正しくは「インディ+アナポリス」でアメリカ人は「ナ」に思いっきりアクセントを置いて発音する)の移民の多くがこの地に住み、今でも安ホテルが集まるエリアとして知られている。

20vどこの通りもシッカリした建造物が多く、とても立派な街並みだが、友人の女性ベーシストがかつてこの地に滞在した際、夜歩きは怖かったと言っていた。
30しかし、高級住宅街の方はというと、なかなかのもので、ダイアナ妃、アルフレッド・ヒッチコック(住いにはブルー・クラークがかかっている。残念、見逃した!)、俳優のスチュアート・グレンジャーらが住んでいた。
40_2ガッチリした石造りの建造物の間にこんなかわいらしい家も!まるでディズニーの「小さな家」。

50v_2しかし、ここは何といっても駅を出ると真ん前にそびえたつアールズ・コート・エキシビジョン・センターが有名だ。
1887年に初代のセンターが建築され、1937年に現在の建物が落成した。それでも戦前の建物だ。
商品展示会、スポーツの試合、コンサート、様々な式典等多目的な用途に使用されている。

60向こ~うの方まで続いているおっそろしくでかいホール。コンサートで使用する場合は19,000人のキャパシティだそうだ。

70v_21975年5月、Led Zeppelinの有名なコンサートはここで開催された。元々は5月23、24、25日の3回の興行だったが、すべてのチケットが4時間で売り切れとなっ たため、17と18日に公演が追加され5回興行となった。総動員数は85,000人だったという。
全米ツアーの2か月後に企画されたこの公演は、そのままステージ設備がスライドされ、40tにも及ぶ舞台装置が空輸された。
メインとなった設備はステージに備え付けられる巨大なスクリーンで、このような大がかりな映写設備を使ったコンサートはイギリスではこれがはじめてのことであったという。
また、PAシステムが支障をきたさないように入念なリハーサルが3日間も行われた。

80v一方、宣伝の方も手抜かりはなく、Peter Grantらの発案で、車内にコンサートの告知ポスター貼った「ZEPPELIN EXPRESS」をBritish Rail(日本のJR)に走らせた。
下がその時のポスター。この写真はかつてVictoria & Albert博物館に展示されていたものを私が撮影したものだ。

この5回公演のセット・リストは…
1. Rock and Roll
2. Sick Again
3. Over the Hills and Far Away
4. In My Time of Dying
5. The Song Remains the Same

このあたりからちょっと飽きてくるか?
6. The Rain Song
7. Kashmir
8. No Quarter

アコースティック・セットはどうしてもやるのね?全部飛ばして「Rumble On」演ってくれないかな~。でも、『III』あたりで聞かれるパーカッションの音はNATALのハズだからな…。
9. Tangerine
10. Going to California
11. That's the Way
12. Bron-Yr-Aur Stomp
13. Trampled Under Foot (including. 「Gallows Pole」)

ドラム・ソロ長そうだな~。でもJohn BonhamはNATALユーザーだったからな…。
14. Moby Dick

え、今から「幻惑」やんの?
15. Dazed and Confused (including 「Woodstock」、「San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」)

やっぱ最後はコレだよね。
16. Stairway to Heaven

アンコールで…
17. Whole Lotta Love (including 「The Crunge」)
18. Black Dog

そして最終日、25日のアンコールでは…
19. Heartbreaker" (Bonham, Page, Plant)
20. Communication Breakdown (including 「D'yer Mak'er」)
…だった。やっぱり観たかったな…。

Img_2230この他、Pink Floydは1973年3月に『狂気(The Dark Side of the Moon)』を発表し、その年の5月18日と19日にここでコンサートを開いた。公演は完全にソールドアウトだった。その後、1980年に『ザ・ウォール(The Wall)』のパフォーマンスを開いたのもここでのことだった。

Sladeもここでコンサートを開き、19,000人を集めた。
ニューヨークはマジソン・スクエア・ガーデンで開かれたThe Whoの『四重人格コンサート(Quadrophenia)』もここで開催された。
他にもThe Rolling Stones、Queen、Genesis、Super Tramp、Dire Straights、Oasis、R.E.M.、U2、Celine Dion、Muse等々新旧の大物アーティストによるコンサートが開催されている。

90_2建物の正面には用途をシンボライズした巨大なプラークがかかっている。

100v_2音楽会。

110vスポーツ全般。ダーツが入っているところがいかにもイギリスっぽいね。

120v花の展示会だろうか?イギリスはガーデニングが盛んで、バラ(イギリスの国花)の品評会なんてのが頻繁に開かれている。

130vこれは工業商品の展示会ですな。

140v_2別の日…ナンじゃこりゃ~!
エキシビジョン・センターがすっかり花柄になっちゃってる~!

150これは「ideal HOME SHOW」という100年以上も続いている日用品の展示会。

160_2コンサートっぽくないごく普通の人たちが大勢集まっていた…そりゃそうだ。

170v_2中に入ってみる。
受け付けがガッチリ据えつけられていて勝手に入れないのでココまで。

180_2エキシビジョン・センターからみたEarl's Court駅。元々こっち側の改札は使われていなかったが、センターの拡張に合わせて使用されるようになった。その除幕式はかつての住民ということでダイアナ妃が執り行ったという。

190インテリア、日曜大工(英語でもSunday carpentry)、調理器具、ガーデニング機器、アイデア商品等、ありとあらゆる日用品が展示されているらしい。
このセンターの造作を見ても金がかかってるのがわかりますな…。

200Marshallの100周年記念コンサートはココだな。私は観れないな~。

210vさて、こちらはエキシビジョン・センターとは反対側のEarl's Court駅。立派な駅舎だ。開業は1871年。

220駅前のようす。

230_2雰囲気のあるパブ。ロンドンを歩いていれば、こんなのどこででも出くわすが、やっぱり入ってエールの一杯もひっかけたくなる…でもまだだいぶ歩かなければならないのでもう少し我慢ね。

240vこちらも立派な建物が立ち並ぶ。

250_2こんなにデッカイTESCOも!

260しばらく周辺の景色を楽しむ。

270私は自然を楽しむ山歩きよりもこうした人間が英知を傾けた造作物を眺める方が好き。

280すげぇいい天気!晴れさえすればロンドンもこの通り!

290_2この角のウラが目的地。

300ココ、Logan Place。

310_2この右側の壁の家を見に来た。

320引くと目に入るのはごく普通の豪邸。

330コレ、勝手口というワケではないと思うんだけど、勝手口っぽい。でも他に道路に面している出入り口がない。

340_2ドアには「GARDEN LODGE」と書いてあって周囲にはおびただしい数の手紙がアクリル板に挟まれている。
「GARDEN LODGE」というのは家のアダ名だろう。イギリスの人は自分の家にニックネームを付ける習慣があるようで、特に田舎の建物には番地を記したプレートに「Rode Garden」とか「Lily House」とか可愛らしい名前が記されているのをよく見かける。
Marshallの工場の近くの古い家には「Red House」なんてのもあった。もちろんいくらMarshallの工場が近いからといってJimi Hendrixを意識してつけたアダ名というワケではないだろう。

360アクリル板に挟まれたQueenのポートレイト。
そう、ここはFreddie Mercuryの家なのだ。

370手紙はすべてFreddieへのメッセージ。

380『ぎんざNOW』盛んなりし頃、Queenは女の子のアイドル・バンドみたいで好きではなかったが、今では私の中の「見ておけばよかったリスト」のかなり上位にランクインしている。

やっぱり「Bohemian Rhapsody」はポップス史上最良の音楽作品だと思っていて、「Hey Jude」とか「Waterloo Sunset」とか「Your Song」のように、どんなに科学技術が進歩しようとも、もう人類が二度と到達し得ないレベルの名曲のうちのひとつだと確信している。アララ、やっぱりイギリスの曲ばっかりになっちゃった。
日本の曲では断トツで「木綿のハンカチーフ」だ。

390入り口には花もたむけられていた。

400この通りを通ってFreddieが家に出入りしていたとはねェ。ロンドンはロマンだ!

410_2ココを訪れた時に流通していた大好きな『CLASSIC ROCK』誌。奇しくもQueen特集だった。

420_2 つづく

2014年4月15日 (火)

【イギリス - ロック名所めぐり vol.10】 ヒースロー空港

今日のネタはメッチャうすい!いつものことか?イヤ、今日のは特にうすい!
記事にしようかどうかとさえ迷ったんだけど、書き残しておきたいし、Shige Blogネタにしようとも思ったけど、わが親友のギタリストに敬意を表して1本仕立てる決心をした。そのネタは最後の方に登場することになっている。

今日はVirgin Atlanticとロンドン・ヒースロー(London Heathrow)のお話し。

Img_0003まずは成田で気づいたこと…。

Virgin Atlanticのカウンターの案内板。
ね~、もうイギリスっぽいでしょ?「queue」という言葉。アメリカ人は使わない。名詞で「列」。動詞で「列をなす」という意味だが「ue」が続いてすごく妙な綴り。

イギリスにQueueというQueenのコピー・バンドがいるかといえばそうは思えない。なぜならこの言葉は「クゥィー」ではなく、「キュー」と読むからだ。
イギリスではこういう場合、「列」を意味する「line」という単語を使わない。駅でも劇場でも列ができるところはみんな「Queue」。

Queue試しに他の航空会社の案内板をチェックすると、アメリカのUnited Airlinesでこんなのを見つけた。ま、案内の内容は異なるが、少なくとも「Queue」という言葉は見当たらない。
同じ英語でも英米で表現が異なるなんてことは山ほどあるんだけどね。「Queue」という言葉の字面がおもしろいので取り上げてみた。

ちなみに、この英米間の表現の違い…スラングを含めて、イギリス人はアメリカ人の表現を理解するが、その逆は難しい場合があるのではないかと見ている。
それは、イギリス英語の方が表現のバリエーションが多く、また、アメリカのスラングが映画や音楽を通してイギリス人の間にも普及しているということがあるように思う。
一度実験で、コッテコテのアメリカン・スラング満載の文章をMarshallの友人に読んでもらったことがあった。私は当然チンプンカンプンだった。ところがその友人は、「正確ではないかもしれないけど、大体の意味はわかるよ」といってパラフレーズ(言い換えて)してくれた。
彼の理解はほぼ満点だった。

反対のことをしてみる。
一時期、私はイギリス人が日常的に使っている言葉に興味を持ち、色々と変な表現を教えてもらっていたことがあった。
MarkというMarshallの営業担当に教わった表現。
「シゲ、トイレに行くときはこう言うんだよ。I'm retiring to the lounge to light a bum cigarって」

これをアメリカ人に言っても、完全に通じない。
ところが、ひとたびコレをイギリス人の前でやると必ずといっていいほど大爆笑となる。
額面通りに解釈すれば「タバコのケツに火ィつけにブラブラしてくら」ぐらいの意味なのだろうが、ナゼそれほどおもしろいいのかがいまだにわからない。
Markには他にもずいぶん妙な英語を教わったな。「shitfaced」とか「bollocks」とか「geezer」ととか…。「kinky」なんて言葉を普通に使っているのも知らなかった。

Enter やはりこのロゴを見るとあのメロディが頭に浮かんでくるのは私だけではあるまい。
もちろんMike Oldfieldの『Tublar Bells』だ。
Img_0004特にMikeのファンでもないのに関連グッズがいくつかコレクションに収まっている。
やはり私も小学生の時に『エクソシスト』で初めてこの曲を聴いたクチだ。あの当時の『エクソシスト』旋風はスゴカッタ。「失神者続出!」とかいってスポーチ新聞をにぎわせていた。

私はロードショウで観ることはなく、時間が経ってから体験したのだが、別にコワくもなんともなかったな。あのコックリさんのところは少しゾっとしたけど。それより、宗教がらみでむしろ日本人にはムズカシイ映画なのではないかと思った。

映画よりも断然ショックを受けたのは、後に『Tublar Bells』を全編聴いた時だった。感動したな~。2,000回だかなんかオーバーダビングしてMikeがおかしくなっちゃったというエピソードもよかった。この後の『Hergest』や『Ommadawn』も、80年代初頭の幾つかの作品も聴いてはいるが、『Tublar Bells』にははるか遠く及ばない。

一方、Virgin Recordsの第一弾としてこの作品を当てた社長のRichard Bransonはイギリスの名士になっちゃった。
自伝を読んだけど、あんまりおもしろくなかったな。

Bm_img_0123Heathrow空港。
この水平のエレベーターみたいなヤツ、よく「歩く歩道」とか言っている人がいるけど。「歩く歩道」は当たり前だってば。英語では「Moving Walk」という。

上の青いサインがおもしろいと思って撮った。「Face direction of travel」とある。「進行方向を向いてください」という意味だが、「travel」という言葉がいかにもイギリスっぽい。我々は「トラベル」と聴くと丸っきり「旅行」の意味しか頭に浮かんでこないのが普通だろう。ここでは「移動」みたいな感覚でこの言葉が使われている。
他にもイギリス人は「journey」という言葉をよく使う。かわりに「trip」ってあんまり言わないような気がするな。家に帰る道ですら「journey」だ。仕事が終わると会社を出る時に、仲間に「Take a safe joueney home!」なんて言う。もちろんイギリスでは「それジャーニー!」なんてシャレは通じない。

とにかく長時間のフライトの後の疲れ切った身体には「歩く歩道」はありがたい。

Img_0006_2「ようこそ!」と迎えてくれるのはどこの空港も同じ。

Img_0008_2こんなオッサンを登場させるところがスゴイ。どういう感覚だ?ロンドン・タクシーの運転手さんかな?
ご存知の通り、ロンドンでのタクシーの運転手というのは大変ステイタスの高い仕事で親子代々、運転手などという家もある。
70年代の頃までは、世界で一番信用のおけるタクシーと言われていたらしい。どんな小道でもロンドン中の地理が頭の中に完璧に入っていなければ試験に受からず運転手にはなれない。

それどころか、モノだけを運転手に預けて、お金を渡すと、そのタクシーが目的地へ運んでくれるというサービスも普通にしていたらしい。それでその運転手が預けたモノをネコババするなどということはまったく起こらなかったというのだ。
例えば、撮影済みのフィルムをタクシーに頼んで急ぎで出版社へ運んでもらう。カメラマンにとっては命より大切なフィルムだ。それでもロンドン・タクシーには安心して頼むことが出来た。
今はもうこんなことも難しくなったようだ。

Img_0007_2入国審査を終えて到着ロビーへ出る。
こないだ行った時は、以前少しだけお仕事でご一緒させて頂いたロンドン在住の高名なミュージシャンにお会いしてしまった。もう私のことは覚えていらっしゃらなかったが、キチンとご挨拶頂いて恐縮してしまった。

Img_0010この空港も長いこと工事をしていたがようやく完成してとてもきれいになった。

Img_0031海外の大空港に来るといつも思うのだが、成田ってのはずいぶん世界の端っこにあるんだな~ということ。
こういう所へ来て、飛行機の離着陸の掲示板を見ると、成田ではお目にかかれない行き先や出発地がゴマンと出てる。
特にアフリカ系とか中近東系、それとヨーロッパ各国のローカル空港の名前がゾロゾロ挙がっているのだ。コレを見ていると案外おもしろい。

Img_0027Virgin専用のカウンター建屋もすっかり立派になった。スゴイなぁ、ブランソン。
Img_00262007年、まだ喫煙の習慣があった私はKENT Mildを2本だけ(2箱ではない)携えてこの地に降り立った。成田の免税店で買い込むつもりだった。ところが、成田のVirginのカウンターでのチェックインに時間を取られ、タバコを買う時間の余裕などまったくなくなってしまったのだ。
出国ゲートを出たところにVirginの女性が待ちかまえていて、そのまま飛行機に連行された。

そして、ヒースローについてとりあえず一服。
ウマくなかった。
あの当時は1ポンドが230円ぐらいで、現地のタバコの値段が5~6ポンド。すると、タバコ1箱で1,200円ぐらいになっちゃうワケよ。
そして考えた。「こんなウマくもなんともないモンに1,200円も払えるか?いつ払うの?今じゃないでしょ」…と。

そして、ホテルに移動後、いよいよ最後の1本をチェックインする前に吸ってみた。
やはりウマくなかった。
そして思った。「これは止めざるを得ないナ。いつ止めるの?今でしょ」…と。

この後のことはDoug Aldrichの回で書かせてもらっているのでコチラをどうぞ。

こうして私はタバコを止めたんじゃ。そう、イギリスのアホほど高い税金のおかげでタバコ止めさせていただいた…というワケ。タバコを止めたい人、禁煙外来へ通う経費で、マーブロの『ロック名所めぐり』を片手にロンドン見物をしてみたら?!

Img_0028ここ、Heathrowという名前は「ヒース(heath:イギリスに群生する植物。Percy Heathなんてベーシストがいるけど、祖先の主人はイギリスの人だったんだろうね)のそばの家の列(row)」ということらしい。そのままジャンね。
そして、そうした家々は1946年にこの空港を作った時にすべて立ち退かせたという。

Img_0029さて、本題に入ります。
ナゼここを「ロック名所」にしたか。強引と言えば強引。
数々のブリティッシュ・ロックの名バンド/ミュージシャンがここから世界に出て行ったから…なんてことはない!

Img_0032実は、1961年から63年まで通信技師として、Ritchie Blackmoreがココで働いていたのだ。

そんだけ…でもね、このコーナーはロマンをかき立てて読まないとダメ!日本中どこを探してもリッチーがツナギを着て、スパナ片手に歩いていた空港なんてないワケだから!
「あ~、ここをリッチーが歩いてたのか~」と想像する。ロック・ファンなら幸せな気分になれるハズだ。

で、驚いたのは、島紀史がこの話しをチャンと知っていたこと。尊敬するわ~、ノンちゃん。それともリッチー・ファンなら誰でも知ってるのかな?

Img_0033ここからはいきなり帰途の話しになる。
Heathrowへのアプローチは地下鉄を利用することが圧倒的に多い。ピカデリー線でロンドンの中心から40分ぐらい?実に便利だ。行先は「Heathrow Terminal 1,2,3」という駅。ターミナルは5まである。

Img_0024この写真、少々レアなのだ。ターミナルの4。ナゼなら普通の電車はこの駅に止まらないからだ。

Img_0816この路線図をみればわかる通り、ターミナル4に行く線が点線になってるでしょ?この点線の経路の電車は頻繁に来ないということ。
「ターミナル1,2,3へ行く人はひとつ前のHatton Cross駅で乗り換えてください。その方が早く着きます」なんて社内アナウンスで言っているけど、動くのも面倒なので、試しにそのまま乗りっぱなしにしておいた。
そしたら、ターミナル4がよっぽど遠いのか、ものスゴイ時間がかかりやんの。

Img_0025そして出国の手続きを終えて免税店でにぎやかな待合スペースで時間をつぶす。

私、これはまったく自慢じゃないんだけど、ヒースローで2回、フランクフルトのマイ空港で1回。ページング、つまり館内放送で呼び出されたことがあるんですよ。要するに「早くしないと飛行機出ちゃうぞ、このアホンダラ!」って。
ヒースローでは2回ともわかってて遅刻しちゃったんだけど、フランクフルトではビビった。
実はアウシュビッツの本を読んでて、時間の経つのを忘れるほど夢中になっちゃったんだよね。
ま、アウシュビッツはポーランドだけど、その近くでその類の本を読むと得も言われぬ臨場感があってどうにも止められなくなってしまう。
ベンチに座って夢中になって読んでいたら空港の係員の女性が「もしもし、あなた、もしかしたらシゲさんじゃないんですか(実際にはちゃんと名前を呼んでくれた)?さっきからガンガン呼び出されていますよ!」と親切に話しかけてくれたのだ。
走った走った!ロックだぜ!
皆さん、本の読み過ぎには注意しましょう。

Img_0817そしていつもこのパブ&レストランでビールを一杯いただいてから飛行機に乗りますな。

Img_0821「何千マイルの旅の前に最高のブリティッシュ・パイントを口にする最後のチャンス!」なんて言われりゃ…飲むわな。

Img_0822これで時差ボケがなければどれだけラクか…。
久しぶりの『名所めぐり』…うすいネタでごめんね。このシリーズ、今後は濃いネタが山積みなのでご心配なく。一体どうやってサバいて行こうかと悩んでいるぐらいなのだ!

Img_0015つづく

2014年1月31日 (金)

【イギリス-ロック名所めぐり <番外編>】マーブロ聖林へ行く~Mar-Blo Goes to Hollywood <後編>

<後編>もSunset Boulevardから。

540_2コレ、朝の6:30ぐらい。
夕焼けじゃなくて朝焼けなの。
朝は空気が澄んでいるし、湿気が少なくて本当に気持ちがいい。
日本でいえば4月の上旬くらいの気温だろうか。
でも、毛布を頭からかぶった人達がウロウロしていて結構コワイ。
目が合ったりしちゃうとマジでビビるよ。
色のせいもあるのだろうけど、とにかく目ツキがまったく普通じゃないんだ。

560_2さて、この「サンセット大通り」…

570_2私にとっては何と言っても下のヤツ。
ビリー・ワイルダー(映画の話題の時の人名はカタカナ表記にしよう)。
もう何回観たことか!
もっとも好きな映画のひとつ。1950年公開。
グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン、エリッヒ・フォン・シュトロハイム。
それぞれの役名をノーマ・デズモンド、ジョー・ギリス、マックスという。
ジョーの若い恋人はベティ・シェイファー。
いい映画は役名もいい。
他にセシル・B.デミル、バスター・キートンらが実名で登場しているのは有名な話。
脚本もワイルダー。
ストーリーの面白さもさることながら、小道具の使い方や伏線の張り方が尋常でなく巧妙だ。
それに引き換え最近のアメリカ映画ときたら…。
もうハリウッドはこういう緻密で面白い脚本を書ける才能が絶滅してしまった。
 
そう言えば帰りの飛行機の中で「情婦(Witness for the Prosecution)」をやっていた。
アガサ・クリスティ原作の法廷劇だ。
これもビリー・ワイルダー。
タイロン・パワー、マルネーネ・ディートリッヒ、チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスター(弁護士とその看護婦を演じた最後の2人は本当の夫婦)という英米独混合の最高の配役。
大ドンデン返しがウリの1957年作品。
これももう4、5回見ていて、もちろんドンデン返しのネタもわかりきっているのだが、つい観てしまう。
そういうのが本当にいい映画。新しい発見なんかなくてもいい。
問答無用に何度も観れる映画がいい映画。
 
飛行機での他の新しい映画があまりにもドイヒーだ。
イギリスを勉強するつもりで『ダイアナ』とかいうのに挑戦したが、とても最後まで観れたものではなかった。
退屈で耐えられなかった。
とにかく洋のの東西を問わず映画は瀕死の状態にあることは否めまい。
アニメは「アニメ映画」であって「映画」とは違う。
ワイルダーやキャプラ、黒澤らと、宮崎を一緒に語るべきではない。
  
それと観たのが小津の『秋刀魚の味』。
いいナァ、小津は。
ようやくその良さがわかって来た。御前さまや黄門さまの演技もいいが、岩下志麻のナント美しく愛らしいことか!
さらに佐田啓二のカッコよさ!
今のイケメンと言われている子たちが百人束になってもカッコよさではかなうまい。
美男美女の基準はこうでなければならない。
杉村春子がつまんない役で出ているのもオモシロかった。
 
とにかくまだ『サンセット大通り』や『情婦』を観ていない人が心底うらやましい!

580v_2

そんな大好きな映画だからミュージカルも好きだった。
ロンドンのウエスト・エンドでは1993年にアデルファイで初演、ブロードウェイの初演は1994年のミンスコフ。
ブロードウェイで初代ノーマ・デズモンドを演じたのは『ガープの世界』、『危険な情事』や『101』のグレン・クローズ。これを観たかった!
私もミンスコフで観たのだが、タッチの差でノーマは2代目になっていた。
でも、これを演じたのはエレイン・ペイジだった。
エレインはウエスト・エンドで『Cats』で最初にグリザベラを演じ「Memory」を歌った人。
イギリスのスーパースターだ。
「アンドリュー・ロイド・ウェバーの最新作と超豪華なセット」ということでが話題を呼んだが、残念ながら『キャッツ』や『ファントム』のような超ロングランにはならなかった。
でも、ジャズを基調とした挿入曲はどれも素晴らしくて、「As If We Never Said Good-Bye」という名曲が生まれた。
下はオリジナル・ブロードキャストによるCD。

590_3ブロードウェイのみやげ屋で譜面まで買っちまった。版権はLarryのところだったのね。

Us_img_0012この映画の重要な場面に出て来るパラマウント・スタジオのツアー。いつか行ってみたいと思う。
Us_psこれが私のSunset Boulevardなのだ。

570そして、今回知ったんだけど、この通りの一部はTHE SUNSET STRIP GUITARTOWNというらしい。
「Strip」とは通りのこと。
英語は「通り」を意味する単語がたくさんあるよね。
StreetやAvenueは誰でも知ってる。
NYCだとタテの通りがAvenue、ヨコの通りがStreet。
大阪で言うと「筋」と「通り」だ。
東京にはこういうのがない。
街が「碁盤の目」状じゃないからね。
日本に来た外国の人は、あまりにも道路に名前がつけられていないことに驚くらしい。
ロンドンなんかはどんなに短くて細い路地や空地でも大層な名前が付けられている。
なので、終戦直後に進駐軍が占領下の東京に来て最初にやったことのひとつは通りに名前をつけることだったという。
例えば、昭和通り…終戦直後は「Dark Street」と呼ばれていた。
 
で、英語の「通り」を示す単語の使い分けが気になってちょっと調べてみた。
Avenue : 街の広い道を指す。語源はフランス語。
Boulevard : 広い並木道を指すことが多い。
Road : 街と街をつなぐ意味が元。「ロード・レース」とかいうもんね。「車道」というイメージらしい。
Street : 街中の舗装された道のこと。人や車が行き交う道。
Strip : お店が両側にある街路。
 
イギリスに行くと、これにCrescent(三日月状の道)やCourt(これは道ではないが地名によく出て来る)なんてのが加わるが、AvenueやBoulevard、Stripというのは見たことがない。もっぱらStreetとRoadだ。
同様に、NYCでもBoulevardはお目にかかったことがない。

このギターのオブジェには「G」の字のロゴが入っている。

730Jack Danielsの広告のピックも弦に挟まってる。こっち側から見るとレフティだ。

575vこうして通りにスポンサーが付いているというのもいかにもアメリカらしい。日本も近い将来こうなるんじゃない?

595_2そして、そのバーボンの広告の根元にあるのが有名なRAINBOW。

600_2MotorheadのLemmyがひがな一日中ここで過ごしていることが名物になっている。

610_2入口の脇にはElvisのプラークが…。

635その隣はMotorhead!
ご存知の通りMotorheadはLemmyもPhil CampbellもMarshallだ。
Lemmyは1992SUPER BASSをベースにしたシグネチャーモデルを、PhilはMarshall創立50周年記念のコンサート『50 YEARS OF LOUD LIVE』に出演したことは記憶に新しい。

Phil Campbellのようすはコチラ⇒【50 YEARS OF LOUD LIVE】 Vol.4
636RAINBOWの壁に掲げてあるWHISKY A GO GOの広告。この有名なハコはココより少し東側に位置している。

620…と思って眺めていたら、アララ、Uli出てんじゃん!NAMMのついでか…。いやNAMMがついでなのかな?
その上はRobby Kriegerだ。

630お店のディスプレイ。やっぱ、レス・ポール・シェイプ。

637vすぐ隣はコレ。

640コレは感動した。
だって「ROXY」なんだもん!この前を通りかかったのは決して初めてではないハズなのに!

650もちろん、私にとってはコレね。Zappaの『ROXY & ELSEWHERE』。
アルバムの大部分の音源が1973年12月10~12日にココで録音されている。
「Son of Orange County」と「More Trouble Day」の2曲は1974年5月11日の「Elsewhere(「どこか他の所で」という意味)」での演奏。
それはペンシルバニアのEdinboro State Collegeという大学で、「Son of ~」の一部はシカゴのThe Auditriumというところで録音された。

660cd_2つまり、この世紀の大名盤はほとんどがここで録音されたワケだ。

670ああ、ここにFrank Zappaがいたなんて!
しかもあれらの究極の名曲が演奏されたなんて!
 
Zappaは音楽だけでなく、ビジネスにもクリエイティビティを発揮した。
かなり昔からメール・オーダーの手法を取り入れたし、海賊盤を正規盤として発売したりもした。
アダプターを付けてシングルCDを世界で最初に発売したのもZappaのハズだ。
 
ちょっと背景を話すと、この『ROXY』の時分はGeorge Duke、Chester Thompsom、Ralph Humphlry、Ruth Underwood、Napoleon Murphy Brock、Jeff Simmons、Walt, Bruce & TomのFowler兄弟というZappa史上もっともZappaらしいメンバーによるZappaらしいレパートリーが集中している時期だった。それゆえ人気も高い。
LPは2枚組なのだが、収録時間がとても短いのが残念。ファンならもっと聴きたい。
しかし、未発表の音源がまだたくさん残っていることも知られており、それがいつ発表されるかというのがZappaファンの定番の話題であり、悲願なのである。

そして、一昨年だったかな?Zappaファミリーはこの『ROXY』の未発表音源を驚くべき手法を用い公開することを発表した。
それは、「CDを販売する」にではなく、「原盤権を販売する」ということだった。
浅学にして私はこの「隣接著作権」とかこのあたりのことに詳しくないが、認識の仕方としては、「この権利を買った人は自分で好きにCDを生産して販売していい」というもの。
しばらく時間が経ったがあれからどうなったろう?…と思ったら普通にCDが出るみたいだ。

680v同じくZappaが演奏した場所といえばNYCのBeacon Theaterも訪れたことがあるが、ライブ・アルバムのタイトルになっているだけにROXYの方が感激が大きい。

690v東京で言えば今は無き「国際劇場」と「日本青年館」だ。
これが全景。
隣にRAIBOWが見える。

700RAINBOW側の壁に掲げられていたのはSABBATHの広告だった。
あ、ちなみにRoxy Musicも好きです。

710vさすがLA。街中の広告もダイナミック!

720ますます西にやって来た。Picoという所。
ここにもGuitar Centerがあるよ。

740こも店もデカイ!

750店の周りにはJeff BeckだのIngwieだの大型のポートレイトが飾ってある。その中でひと際私の目を惹いたのがコレ。唯一のジャズ・ミュージシャン。
ナンでStanly Clarkなの?!

760そして太平洋まで来たよ。Santa Monica。
こっちの人は「サナモナカ」みたいに発音するよね。770まるでブライトン!

780でもこっちの方が南国ムードだ。
ここのショッピング・モールも立派だね。驚いちゃったのが駐車代。
数時間停めてまさかの$1!
赤坂あたりだったら軽く3,000円は越すよ。
つまり、東京の中心地の駐車代はサンタモニカのソレの30倍ということになる!
ロンドンを経験した後では、東京の物価が高いとは決して思わないが、こういう所から来た人に言わせれば確かに東京の物価は「クレイジー!」ということになる。
チョット言っておきますが、もちろん為替レートにもよるけど、ロンドンの物価なんかスゴイよ。消費税(VAT)が20%も含まれているせいもある。
チョット前に確か16%から上がった。
でも、スーパーの食料品なんかは激安だ。
アイテムあたりの量が多いのがタマにキズだが、単価換算すると恐ろしく安い。
つまり、消費税の軽減税率が導入されているということ。
日本政府もマジでコレを考えてもらうことを願っている。

790vこれはロック名所というよりジャズの名所なのかな?R&Bか?
この有名な曲は1946年のBobby Troupの作品。Troupは俳優としても活躍。
お色気系ジャズ歌手、Julie Londonのダンナさまだ。

ここサンタモニカはシカゴからスタートする66号線の西の終点なのだ。

800そして、こんな記念碑が…。Will Rogersって知ってる?
私は不勉強で知らなかったが、この人、「アメリカ人なら知らない人はマズいない」的な、チェロキー族の血を受けたカウボーイ、コメディアン、ユーモア作家、社会評論家、ボードビル芸人、サイレント時代の俳優だったそうだ。
世界中を3度旅して、映画俳優としては1930年代、ハリウッドでもっともギャラが高かったという。
調べてみるともうここに書ききれないぐらいすごいキャリアの持ち主で、こに人の名前が付いた学校が数々はおろか、原潜まであるという。
 
この人いいことを言ってる。「私はまだ嫌いな人に会ったことがない」…ウソでも言ってみたいセリフだ。

810そんな美しいサナマナカでもこういう光景は当たり前。

Tree サンタモニカを後にしてド観光地、ハリウッドの真ん中に移動する。
ずいぶんここもさびれたしまった…ってコレ浅草六区じゃねーか!
ちなみにここ浅草六区は戦前は東洋一の繁華街で、映画館と寄席や芝居小屋が合わせて60近くあったという。
関東大震災の前はもっと栄えていた。
Us_img_00051こっちがホンモノ。
でもね、ハリウッドもホントに同じなのよ。
私は26年前にチョコッと見たハリウッドの姿しか知らないが、その間のハリウッド映画の幼稚化、陳腐化に呼応するようにヒドく猥雑化してしまったように感じた。
表通りの必要以上な喧騒から離れ、ちょっとウラ通りに入れば人っ子ひとり見かけず、昼間からナニが起こってもおかしくないような不気味さが漂っていた。
通りに並ぶ店のほとんどが二束三文の土産品を販売する店舗で、店員は100%と言っていいぐらい黒人。
この街は薄気味悪いことこの上ない。
サッサと移動しよう。

820有名なCapital Tower。
レコードの形をしているワケね。屋根のサオはレコード針なんだって。
このビルはもうすぐiPODの形になりますから。

830アメリカ西海岸地区最大のレコード・レーベル。Johnny Mercer(有名な作詞家。モノスゴイ数の作品がジャズのスタンダードになっている)が設立者のウチのひとりなんだね~。

840v50周年を迎えたThe Beatlesを祝う広告。一昨年のモノだぜ。

850ミュージカル『Mary Popins』がかかっていた。私はコレ、数年前にロンドンで観たけど、ヨカッタな。
あまり語られることがないが、これに使われているシャーマン兄弟の曲の数々は問答無用で名作だ。

860Zappaがないかと下を向きながら「Hollywood Walk of Fame」を歩く…なかった。
でもこんなものを発見。
「Walk of Fame」の50周年を記念するプラークがRUSHの所にだけ貼り付けられていた。
あ、私、Rushはまったくの苦手です。

870おなじみHard Rock Cafe。
KISSのキャンペーンをやっていた。

880チャイニーズ・シアターにも行ってみたが…

890汚ね~!
見るも無残に汚くなってしまった。
あまりにも多くの人が歩くため、石板の表面が摩耗し。文字や手形足形が薄くなってしまっているモノもある。
コレは作り返すワケにも行かないし、その内通行止めにして上を歩けなくするだろうね。
ここでもハリウッド映画、イヤ、アメリカ映画衰退のようすを見た。

900最後に…。
この日の晩、夕食を共にさせていただいたのはKenji Nakai。
マーブロ読者にはご存知の方も多かろう。
Kenjiさんは日本でレコーディング・エンジニアとして活動後、'90年に渡米し、レッチリ、Cheap Trick、Boz Scaggs、Celine Dion、Tom Scott、さらに国内ミュージシャンではChara、福山雅治、アンジェラ・アキ等とのプロジェクトに参加している。
コンサートのミキシングやマルチ・チャンネル作品、ゲーム音楽などの制作にも積極的に取り組んでいる日本を(イヤ、もうアメリカか…)代表する音響マン。
歳も限りなく近く、色々な話しがお聴きできて楽しかった。

居酒屋風のお店で会食をしたのだが、この日のお客さんはほぼ我々だけ。
実はちょうどこの日はグラミー発表の日で、多くの人は外出せず家で、もしくは仲間とスポーツ・バーで授賞式の様子をテレビで見てすごすのだそうだ。紅白状態ね。
ところが!
この放送は録画でナマじゃないんだそうだ。(時差の加減で東海岸はナマなのかも…)つまり、もうみんな結果を知ってるワケ。
にもかかわらず放送に夢中になるのは、グラミーならでは顔合わせのセッションを楽しむのだそうだ。
要するにダウンタウンが時々やってる、相方を替えて漫才とかコントをやるヤツね。

他にも食べ物の話し、アメリカ式思考の話し、チップの話し等々…定番の話題ではあるが、いつ聞いてもこの手の話しは実に楽しいものだ。
最高に楽しい夜だった。

Kn…というワケで3回にわたってお送りした<LA編>。書いてる私は十分に楽しめた。
最後に気がついたことをひとつ。
身の危険を案じてのことか、LAには携帯だかスマホだかをいじりながら歩いている人はまずいなかった。
日本人にもアレはやめてもらいたい。
エラそうに言ってる私も以前はやっていたが、今年に入ってから絶対にやるまいと決心した。何もできない私でもこれぐらいはできる!

ついでに…もうひとつは電車の優先座席で携帯イジってるヤツ。これは以前から私は絶対にしなかったが、いいオッサンやオバサンまでも黄色い吊革の下で平気で携帯をイジくってる。ルールはルール。日本人なら恥を知ろうではありませんか!

910(一部敬称略 2014年1月 ロサンゼルスにて撮影)

2014年1月30日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり <番外編>】マーブロ聖林へ行く~Mar-Blo Goes to Hollywood <中編>

ところで、先日の『NAMMレポート』の時に書き忘れたんだけど、「トラベラーズ・チェックって無くなった…」って知ってた?
昔はセッセとサインしまくったもんだけど、もうないんだってね~。
「落としても安心」とか「両替手数料が安い」とかいいことずくめだったのにクレジット・カードの普及にまったく敵わなかったらしい。
アメリカは特にすごいよね。パーキング・メーターや駐車場の改札機なんて現金を入れるところがないもんね。(「ない」で思い出したけど、食パンありました。リーズナブルなホテルの朝食で発見!もちろんいただきました)

それにトラベラーズ・チェックを受け付けないお店もあったりして段々と不便かつ使うのが億劫になり、私もいつの間にか比較的低額な買い物は現金で、(滅多にないけど)まとまった買い物はカードを使うようになっちゃったね。

クレジット・カードも旅先で落としたりしなければ確かに便利だけど、失くすと泣くよ~。止めるのが実に面倒だし、現金を持っていないとニッチもサッチも行かなくなっちゃうからね。
私の場合、ロンドンで財布を掏られてマァ苦労したのナンノって。クレジット・カードが3枚入っていたからね。2枚はすぐに止められたんだけど、もう1枚が大手家電店で勧誘されて安易に作ったヤツ(よく自動的にVISAとかが付いてくるポイント・カードみたいなヤツ)で、間に入っている信販会社がどこかがわからない。
カードを作っている家電店がわかっても、実際に面倒をみている信販会社がわからないと絶対にカードを失効させることができない。
マジで慌てた。
こうなりゃ時差なんかカンケーねぇ。家内を真夜中に叩き起こして(実際には国際電話で起こしたんだけど…)、その場で片っ端から信販会社に当ってもらった。
あれで懲りた。もう特に用のない余計なカードは二度と作るまい…と心に誓ったのであった。
皆さんもご注意アレ!

さて、これはホテルの裏の空地。
真ん中に黒いものが転がってるでしょ?
これ、人。
そのやや左上の壁の緑の落書きの下に転がっているのも人。
昼間は半袖、陽が出れば日焼けするぐらい暖かいLAの冬だけど、夜はすごく寒くなる。
こうして街中で寝てる人が結構いる。
この広い空地のど真ん中で寝てるというのが何となくアメリカっぽいな。私だったらやっぱり端っこに寝るだろうな…なんで考えてしまった。

550_2今回もGUITAR CENTERから。
ROCK WALKをもう少しやらせてね。ここからが肝心。

これが入口左側の壁。
こういうのは何と言うのだろう…レリーフか?天国の大音楽家たちだ。
上からJaco、Otis, Dimebag、Curtis Mayfield、Miles、Muddy Waters。
あまり似てない。
480v右側は左の列からタテに、Bill Graham(Filmore East & Westのオーナー。Santana他数々の名バンドの面倒をみた)、Roy Orbison(Royは「Pretty Woman」ばかり有名だが、1962をアメリカに持って帰った初めてアメリカでMarshallを使用したミュージシャン)、Randy Rhoads。真ん中の列は同じく上からBuddy Rich、Gene Krupa(Jim Marshallのアイドル)、Robert Johnson、Marvin Gaye、James Jemerson(Motownのハウス・ベーシスト)、Janis、Richie Valens(「La Bamba」の人ね)、Tito Puente(ラテンの大御所。Santanaの「Oye Como Va」はこの人がオリジナル)。
やっぱり似てね~。
470vさて、手形シリーズのつづき。
「Rock Walk」ってぐらいだかた仕方ないのかもしれないけど、あまりにもジャズ・ミュージシャンが少なすぎる!ってんで探してみた。

Herbie。コレはジャズというよりも「Head Hunters」とか「Future Shock」ってところでしょう。手、ちっちぇ~!Herbieは耳もかなり小さいよね。
ChickもKeithもなかったナ…。
190_2Louie Belsonは有名なドラマー。ツイン・バスドラム・キットのパイオニアだ。
310_2あ~あ~、Joe Zawinulなんて花の下敷きだよ!ZawinulはWeather Reportだけだと思ったら大間違いよ。チャンとしたストレート・アヘッドなジャズを演った『To You with Love』なんてゴキゲンなピアノ・トリオ盤がある。
Capitol時代のCannonball Adderleyの数多くの作品に参加していて、有名なスタンダード「Mercy. Mercy, Mercy」は彼の作品。Davis Axelrodプロデュースのアルバムは好きで買ってきて聴いては悦に浸っている。
それがこのザマだもんな~。
390_2さて、肝心な楽器部門いってみよう!

Armand Zildjian。先代のZildjianの社長。Zildjianは今年で創業何年になるのかな?390年ぐらいかな?
Zildjianとはトルコ語で「シンバル職人」という意味。創業者はAvedis。よく知ってるでしょう?
実はジルジャンの本の監修をしたことがあるのよ。そんな関係で2001年に開催された六本木のスイートベイジルの記念コンサートの台本も書かせてもらった。アレは本当におもしろかった。

130_2Steinwayは例のピアノね。

140_2これはマーブロ読者には説明不要でしょう。
Wilkinsonブリッジの創始者、Trev Wilkinsonから聞いた話し。彼は生前のLeoにギターづくりを師事していたことがあった。Trev曰く、「Leoはよく怒っていたよ。テレビでもオーディオでも消費者は新しいものを欲しがるのに、ギターだけは古いものが求められている。54年だか57年だか知らんが、そんな古いギターよりもワシが今やっている新しいことに注目するべきなんだよ!って」…だそうだ。

150_2ERNiE BALLのEarnie Ball。

240_2ピーヴィー。

270_2梯郁太郎さんはローランドの創始者。グラミー賞も獲得している。
320_2アコギ。

330_2打楽器のヘッドの雄、REMOの創始者。
ここでおもしろいのは、みんな名字をブランド名にしているのに(ERNiE BALLは例外)、この会社だけは創始者のファースト・ネームを使っている。

340_2ラディックね。ドイツ系だね。ドイツ読みでは「ルードヴィッヒ」。
そういえばLudwig Donathというオーストリア出身の俳優がいた。「ジョルソン物語」とかヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」とかね。この人は日本では「ルドヴィク・ドナス」という名前で通っていたが、本当は「ルードヴィッヒ・デナート」と発音されていたようだ。

360_2我が友、レス…というのはウソ。一度だけNYCの「The Iridium」でお会いして握手してサインしてもらった。
370_2皆さん大好きのEVH。

380_2スティービーも撮っておいた。ナ~ンでか?
お気づきだろうか?
プラークの日付をご覧ただきたい。そして、<前編>で紹介した「ROCK WALK」のプラークの日付。
全部、1985年11月13日だ。
つまり、このお店のオープンの日。
Guitar Centerは楽器屋さんだもんね。グランド・オープンの時にロックの創造に欠くべからざる歴史に名を残す楽器メーカーの創始者たちを招待したというワケ。
エ、肝心なのが抜けてるって?
ご心配なく!

490_2The Guv'nor、Dr. Jim Marshall OBEはココにあります。
ナンカ、ここにJimが来てたなんてヘンな感じ。
案外手形がデカイ。
Jimは握手をする時、必ず相手の手をギュッと握った。これを見てあの力強いJimの握手を思い出してしまった。
この石板は筆がスムーズに動かず、サインを入れるのがムズカシイのだろう。ブロック体で簡単に署名している人が多い。でもJimは違う。JCMシリーズに施されるあのサイン通りに署名しようとしているところがいかにもJimらしい。
しかし、「ジム・マーシャル」なんて、今更ながら実にいい名前だな~、ウン。

400_2Bo。
結構好き。「Bo Diddley」というのはもちろん芸名で、本名はEllas Otha Bates。アメリカのスラングで「Bo Diddley」というのは「Absolutely Nothing」という意味のようだが、芸名の本当の由来はわかっていないらしい。

510_2お店の入り口のウインドウに飾ってあるアイテムのひとつがBoのギター。
Boはあのトレードマークの四角いギターにもエフェクターを組み込んでいたが…
440v

これはあからさまにスゴイというか、もはやフザけているに違いない。

450vリズム・マシーンまで組み込まれちゃってるんだもん!
460_2もひとつ。1960Bもウインドウに入っている。上に乗ってるレリーフはKurt Cobain。
これにてGuitar Center終了。
次回はSunset Boulevardをさらに西に進む。
430v<後編につづく>

2014年1月29日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐり <番外編>】マーブロ聖林へ行く~Mar-Blo Goes to Hollywood <前編>

 
…ということでNAMMへ行ってきたワケだけど、日本の航空会社の機内のアルコールは無料だった。
ま、酒を飲むために飛行機に乗るワケではもちろんないんだけど、やっぱり何につけても日本の航空会社のサービスの方が圧倒的に勝ってるね。
 
さて、いつもはイギリスのロックに関する名所を紹介しているこのカテゴリー、たまにはアメリカもやってみようということでネタを集めてきた。
…といっても、いつも言っているように根っからのブリティッシュ・ロック派の私としては、ロサンゼルスのロックの名所なんて知ってるワケがない。
EaglesとかDoobieとかが苦手で…。ZappaとTodd以外のアメリカのロックはほとんど聴かないからね。
なので内容的には「ベタ」、または「こじつけ」、あるいは「強引」、とにかく「薄い」等のお叱りも受けそうだがやってみようではあ~りませんか。
 
タイトルは大きく「ロサンゼルスを行く」にしようと思ったけど、「ハリウッド」にしてみた。「Frankie Goes to Hollywood」ってイギリスのバンドあるじゃない? 
どんな音楽をやってるのか全く知らないけど、アレに倣ってみた。
 
しかし、昔の人はエライ。
まるで直訳ロックの王様みたいだけど、ハリウッドを「聖林」なんて実にうまく当てたモノだ。
じゃ、ロサンゼルスは漢字でどう書くか?
「羅府」と書く。これは1800年代の終わり頃にLAにいた日本人が「ロス」を漢字化したものだ。
「ラフ」としたのはそういう風に聴こえたからだろうか?

何しろ新婚旅行の時以来のハリウッドだでね~。超久しぶりで面白かった。
まずは、ココ。
Sunset Boulevard(コレ発音ムズカ難しいよね)からスタート。
「サンセット大通り」ね。

10それにしても驚くべきは、いわゆるアメ車っていうの?
あのバカでかい車をま~ったく見かけなくなっちゃったね。
25年位前にはまだウジャウジャ走ってたのに、今では皆無だよ、皆無。
若干ヨーロッパのブランドが多いけど、車に限って言えば、通りの光景は日本とまったく変わらなくなっちゃった。

20_2この通りを西へ進むと楽器屋街がある。
後で知ったのだが、この通りは一応「Guitar Strip」という名前がついているらしい。
要するにNYCなら49丁目、ロンドンならDenmark Street、東京ならお茶の水だ…と言われてもピンとこないな~。
確かに数件の楽器屋さんが集まっているんだけど大味すぎちゃって…。

30_2その中でひときわ目立つのがコレ、Guitar Centerだよね。
楽器をやる人なら誰でも知ってるでしょ。
このGuitar Centerは1959年に「Organ Center」として開店した、現在では世界最大の楽器チェーン店だ。
その後、VOXの売り上げを伸ばし、1964年には「The VOX Center」と名称を変更した。当然、ビートルズの影響だ。
その後、音楽の多様化にともない他のブランドの売り上げが増進したことより「Guitar Center」と再度名称を変更した。
エリック・クラプトンの人気によってMarshallの売り上げも相当大きかったらしい。まだRose MorrisがMarshallの輸出をしていた頃の話し。

40vこれが入口。
入口の上のドラマーはTaylor Hawkins。

50_2ナント言ってもここの見どころは自慢の「Rockwalk」だろう。

60_2店の入り口の手前に広がるスーパースターたちの手形。
もちろんチャイニーズ・シアターのマネッコだが、今や本家よりこぎれいでゴージャスな感じがする。
まず、ここで一番最初にチェックしたいのは当然…

70_2コレ…三波春夫!
アレ? コレ違うな。
じゃ、一世を風靡したデュオ・チーム「Seto & Shishi」…

Us_img_0001「てんやわんや」じゃねーか!
ナンてね。 
コレがやりたくてワザワザ浅草まで行って来た。

Us_img_0002これはホンモノ。
ROCK WALKは1985年11月13日にスタートした。

520_2

やっぱりまずはコレね。
初めてコレを見つけた時は恥ずかしながら何のためらいもなく我が手を合わせました、ハイ。

80_2ま、Van HalenとかEaglesとかじゃおもしろくないのでマーブロ的にちょっとヒネくれたヤツを紹介したいと思う。
これはThe Yardbirds。
左からJimmy Page、Jeff Beck、Chris Dreja、Jim McCarty、Eric Clapton。
Jeff Beckのプラークにくっついているのは「リトル・マーメイド」のステッカー。どっかのファンが勝手に貼っちゃったのかな?
Claptonはどうも別の機会に手形を施したらしく、別の石板になっている。
ちなみにサイド・ギターやベースを担当するChris Drejaは『Led Zeppelin(ファースト・アルバム)』の裏ジャケの4人の写真を撮った人。
『Roger the Engineer』のイラストもこの人の手によるものだ。

90_2これはシブイ…Hubert Sumlin。
Howlin' Wolf Bandのギタリスト。メッチャ指長い!

100_2コレ、どうしてなのかな~?
ファンの方には失礼だけど、なんでSimon Kirkなんだろうな~。
Paul Rogersはないんだよ。ナゼかサイモン。
15~16年前にここに来た時、Mick Ralphs所有の59年のレスポールを売っていた。
値段は7万ドルだったことを覚えている。

110_2ここは往年のスターギタリスト特集。
左からChet Atkins、Scotty Moore、Duane Eddy、James Burton。

120_2これも日本では考えられない。Gary Brooker…Procol Harumね。
新宿厚生年金ホールの楽屋でGaryとは知らずに話しかけて恥をかいた話しはどっかに書いた。

160_2大好きAlice Cooper。
あ、この人も数少ない私が愛聴するアメリカのロック・ミュージシャンだ。
最近はMarshallとも近しくて、数年前にロンドンのRoundhouseで開催したMarshallの大きなイベントで司会をやっていた。
アレ観たかったな~。

170_2The Animals。
左からDave Rowberry、Hilton Valentine、Alan Price、Eric Burdon、John Steel。
ここも歴史が長い上におっそろしくメンバーの出入りが激しいグループだから誰が誰やらよくわからん。
真ん中のプラークには「IN MEMORY CHAS CHANDLER DECEMBER 18, 1938 - JULY 17, 1996」と書いてある。だから撮った。
Steve Dawsonの名前があったらおもしろかったのにな…。

200_2これはLynard Skynard。飛行機事故で亡くなったRonnie Van ZantやSteve Gainesらのプラークも設置されている。
The Animalsと扱いが違うな~。

210_2これは皆さんおよろこびでしょう。

220_2これもシブイ…Solomon Burke。
野音で観たっけな~。柱が気の毒!

230_2Jethro Tull。
左からDave Pegg、Ian Anderson、Martin Barre。
2段でサインしちゃうもんだからMartin Barreのプラークだけ小さくなっちゃった!
ここも3人だけっておかしくね?
260_2トッドはいいでしょう。問題なし。

280_2そういえば、ビートルズ関係はこのGeorge Martinだけだな。

300_2Iron Maiden。
ここはすごくきれいだな。真ん中のEddieがうれしい。

290_2あ、これも好きでした。

410_2ELP。
左からKeith Emerson、GregLake、Carl Palmer。
Keithは人差し指のところ失敗しちゃったね。
手形だとこんなに3人仲良しなのね…あ、これ以上は書きません。

420_2やっぱり日本には来ずじまいなのか、Steve Miller!?

500_2「あッ!」とうれしそうな声を上げて自分の手を合わせる女の子。
誰の手形だったと思う?
答えはオジー。
Ozzy Osbourneでした。ホントにオジーはアイドルなんだね~。
こんな女の子でも家で「♪Generals gathered in their masse~s 」なんて歌ってるのかね?!

250_2<中編につづく>

2013年6月19日 (水)

【イギリス-ロック名所めぐりvol.9】 バタシー発電所

やっぱりロック・ファンなら絶対に気になるよね~、「東京電力千住発電所」…違うか!
 
スゴイよな~、こんなモノが街の真ん中にあって、昭和38年までガンガン石炭を燃やしていたんだから。
「地球の気温が上がる」なんて全く知らかった時代の話。
「オバケ煙突」ね。
私は昭和37年生まれなので見た記憶は全くないが、生まれも育ちも浅草の父が時折話していたのは覚えている。
「見る角度によって本数が変わるんだぞ!」って。
だから「オバケ」なのね。
Oe さて、ロック・ファンの間で煙突とくれば当然Pink Floydの『Animals』。
『Wish You Were Here』以来2年ぶりのPink Floydのアルバムだということで大きな話題になっていた。
私が中学3年生の時かな?
「犬」だったか「羊」だったか、発売前にラジオで収録曲を聴いたんだけど、それまでに聴き狂っていた『The Dark Side of The Moon』や『Wish You Were Here』に比べるてどうもピンと来なかった。
でもジャケットは「カッコいい!」と思った。
そこに写っている、白い4本の煙突を擁する薄気味悪い建物が「バタシー発電所(Battersea Power Station)」という名前であることを知ったのは大分後になってからのことだった。
そして、初めてロンドンに行った時から訪れてみたいと思っていた場所のひとつだった。

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バタシーに行くにはこの「London Victoria」駅を使う。
ココから国鉄でたったひと駅。
ロンドンの中心街の南側、テムズ川を渡ってすぐのところにある。
なんてエラそうなことを言っていても最初はよくわからなかったので、さっそく駅の案内所でどの電車に乗ればよいかを尋ねた。
係員は50がらみの黒人。
「スミマセン、バタシー発電所に行きたいんですけど?」と告げると、「ナニナニ、バタシーに行きたいのか?へへへ~、そうかそうか!バタシーに行きたいのか~」とナゼかメチャクチャうれしそう。
…と思ったら「へへへ。実はオレ、昔アソコで働いてんだよ~。」とのこと。
ていねいに出発番線を教えてくれた。Ert_20
Victoria駅を出たかと思うとすぐ着いちゃう。
乗車時間は約5分。

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駅の名前は「バタシー公園(Battersea Park)」。
ホームに降り立つともうあの白い煙突が見える。
興奮する~!
Ert_40v

駅の階段。
ロンドン周辺の公共の交通機関の設備はどれも貫録があっておもしろい。
木造だよ。

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同じく木製の渡り廊下。
なつかしいな~。東京の小学校でも1970年ぐらいまでは校舎はこんなんだったな。
塗りたてだったのか、ペンキの匂いがスゴイ!

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エントランス・ホールもまるで博物館のようだ。ほぼ無人駅。

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外観も立派!

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駅のそばの交差点に立っている標識。ここには「Battersea Park」という大きな公園があるのだ。

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街はかなりヒッソリとしていて、スレ違う人は色黒の方が多い。

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駅から5分も歩くとコイツが現れる。

発電所に向かう途中、モーターウェイ(mortorway:イギリスでは高速道路のことをこう呼ぶ)があり、それをまたぐ陸橋がかかっている。
発電所の周りはガッチリと囲いがめぐらされていて、なかなか設備を上から下まで撮影するポイントが見つからない。
仕方ないのでその陸橋の欄干にヨジ登って撮影した写真が以下の何枚か。

通る人たちがジロジロと見ること見ること!
果たして熱狂的なPink Floydファンと思われただろうか?…私、特にファンではないんだよね。

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天気も良くて『Animals』の雰囲気とはまったく違う!

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ものすごいデカさ!
レンガ造りの建物としてはヨーロッパ最大だそうだ。
ダムもそうだけど私はこういう人間が作ったバカデカイものが好きなのだ。

しっかし、こんなにデカイ火力発電所が街中にあるとはね~。
冒頭で触れた「オバケ煙突」と同じ。
オバケ煙突は1925年の建設。なんとバタシーより早かったのだ!
でも千住が1964年に廃止になったのに比べ、バタシーは1983年まで使っていたというのだから驚き!
1983年なんてつい最近だぜ!

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内部に陽が差し込んでいる。つまり、撤収したのか朽ち果てたのか、もう屋根も天井もないのだ。

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やはり一番の見どころはこの巨大な4本の煙突。って三本しか写ってないけど…。
ココも「オバケ煙突」なのよ。

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コンクリート製の煙突の長さは53m。最後部は地上から103mにもなる。根本の直径は8.5mもあるそうだ。

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この建物は、1929年に着手し、1933年に稼働を開始した時分にはこの写真の向かって右側しかなかった。
つまり煙突は2本しかなかったワケだ。

その後、ロンドンの電力需要が増えるにつけて増床することになり、1944年に工事を開始。
1953年に(この写真の)向こう側の建物が完成し、4本の煙突が出そろった。
その2年後の1955年から完全に稼働開始となった。

1983年にその役目を終えるまでロンドンでももっとも有名なランドマークの座に君臨した。Shige Blogでも触れたが、バタシー発電所は国から「Listed Buildings(保存すべき重要な歴史的建造物)」の「GradeII」の認定を受けている。
ところが後でイギリスの友人から聞いた話では、この「Listed Buildings」というのは「Grade I」、つまり一番上のランクの建物以外は壊しても構わないことになっているのだそうだ。

例えばウエストミンスター寺院とかヨーク大聖堂とかカンタベリー大聖堂とか、こういうのは壊しちゃダメなの。
でも「Grade II」のバタシーは「ま、ぶっ壊してもいいか?」みたいな。
だからこんなにボロボロになっちゃってるのよ。
モッタイない~。

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ロンドンには同じくテムズ川の南岸に「Tate Modern」というゴミ焼却場を改装したバカでかい美術館がある。
そこも焼却場だけあって大層立派な煙突がそびえているが、このバタシーもそういう風にできないもんかな~。
セント・ポール寺院の川向いのロケーションの「Tate Modern」に比べると、バタシーはあまりにも場所が悪いわな。
もっとも街中の便利な場所にはこんなバカでかい火力発電所なんか作れるワケないもんね。

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それでもこれだけのロンドンにほど近い物件だから色々と跡地利用の話が持ち上がってきた。
最近では2006年に4億ポンドでアイルランドの不動産会社がコレを買い、発電所をぶっ壊して3,400世帯を収容する新興住宅地にしようとしたが、経営難に陥り計画は頓挫。

その後、2012年にマレーシアの会社が同じく4億ポンドでこれを買収したという。さらにその後、スッタモンダがあって、最終的には2019年までにこの設備を取っ払って宅地にするようだ。だから興味のある人は早く見に行かないと!

でも調べてみると、この建物を残しつつ再開発をするという計画もあるようだ。
そうして欲しいナァ。(2022年現在、実際に再開発中。やや詳しくはコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.51~変わりゆくロンドン <その1>)。

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『Animals』のジャケットはこっちの方向から撮ったハズ…。

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ジャケットは…オイオイ全然違うじゃん!

この有名な空飛ぶブタちゃんのアイデアはロジャー・ウォーターズによるもの。
オーストラリアのジェフリー・ショウというアーティストとHipgnosisが共同でデザインした。
ホンモノのZeppelin号を作ったドイツの業者によるヘリウムを詰めた12mにも及ぶ巨大な気球だった。
これをバタシー発電所の上に飛ばしてジャケット写真を撮ろうと計画したのだ。

撮影の初日、もしブタが何かの拍子にスっ飛んだ場合に備えて狙撃手も待機したが、天候に恵まれずブタを飛ばすことはなかった。

2日目の撮影日以降、ウッカリ連絡をするのを忘れたため、狙撃手が現場に現れなかった。
そして、3日目も撮影は決行されたが、運悪く突風に見舞われ、ブタちゃんは5分もするとその姿を空の彼方に消してしまった!
本来であればその場で狙撃手がブタちゃんを打ち落としてこと無きを得る予定だった…。

ブタちゃんの姿は10万メートル上空を航行する東方面へ向かう旅客機のパイロットに目視され、ヒースローでは欠航便が出てしまった。
そんな高所にパンパンに膨らんだブタが飛んでるんだからそのパイロットもさぞかし驚いたことだろう。

結局、ブタちゃんは風に乗ってケントの農場に着陸した。
「おまんらがそんただバカデカイ豚さ落っこどすもんだで、ウチがとごのベコさが怖がっとるでねーけ!」…と地元の農夫は大激怒。

結局、ブタちゃんを修理して再チャレンジしたものの納得いくモノができず、最終的に写真を合成してジャケットを完成させた。

ま、ココはコーナーが違うんでうるさくはいわないけど、こういうことなんですよ。
ジャケットひとつ作るのにこの情熱!
だからジャケットはオモシロイ!
今ならこんなことはしないでいきなりCGだね。
イヤイヤ、それどころかジャケットすら無くなりそうだもんね!

Hipgnosisのジャケットについてはコチラをご参照くだされ。

Ert_sleeve2_2

何とかして中に入って写真を撮りたいけど…ガッチリとゲートが閉まってる。何しろ「メッチャ危険な建物」にも認定されているからね。

Ert_220

「GATE2」か…。
行ってみるとしよう。

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塀沿いに進んで現れた工場の向かいの生コン屋。

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発電所の横をひっきりなしにゴミ収集車が通行している。
そう、この先にゴミ焼却場があるのだ。
さっきからどうも変なニオイがするのはこのせいなのね。

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発電所の真横にやって来た。

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近くで見るとますますデカイ煙突。壮観!

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写真の下の方にオジちゃんがいるでしょう。 何かしきりに話しかけてくるんだけど車の騒音スゴイのと訛りがキツすぎてナニを言っているんだかサッパリわからん。

んじゃ…と近づくと「あんまり入って来ちゃイカン!」と怒るし…。
イチかバチか「中へ入って写真撮らせてよ~」と頼んでみたがまったくダメ。
そりゃダメに決まってるわ。
「写真は外からならいくら撮ってもいいよ」というので数枚撮って退散。

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『Animals』の印象が強すぎて「Battersea」というとすぐにあのジャケットが頭に思い浮かぶ人も多いだろう。
でも、Pink Floyd以外にもバタシーの姿を確認することができるんよ。

中学1年の時に有楽町の日劇の横の地下にあった「日劇文化」という今でいうミニ・シアターで観たきりなのでまったく思い出せないが、ビートルズの『Help!』にもバタシーが出てくるんだってね?

しかしですよ、私が中学1年の時って1975年なんだけど、この『Help!』が公開されてまだ10年しか経ってなかった時なのね。
そうなんですよ、ロックを聴き出した頃ってまだビートルズが解散して5年しか経ってない頃なんだよね~。
驚くわ~。
若手のバンドのライブ会場に行くとどこでも最年長なのも仕方ないね。

話しを戻して…Judas Priestの「You've Got Another Thing Coming」(←映っている煙突、バタシーかな~?)やTake Thatの「The Flood」(←コレはいい!)などにも登場している。

Hawkwindの『Quark Strangeness and Charm』には発電所のコントロール室の写真が使われている。

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コレはThe Whoの『Quadrophenia(四重人格)』のブックレット。
Vespaに乗って疾駆するジミーの後ろにはもうもうと煙を上げて発電にいそしむバタシーの姿が見える。
『Quadrophenia』を題材にしたイギリス映画、『さらば青春の光(原題:Quadrophenia)』の舞台は1965年のロンドンだ。

1965年頃のロンドンはこうした光景が当たり前だったのだろうか?
興の覚めるようなことを言って恐縮だが、実はこの写真自体は合成らしい。
もともとのバタシーの写真にジミーが乗ったVespaの写真を乗っけてあるそうだ。
火力発電所の話もユックリ書きたいんだけどまたの機会にしておこう。

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両さんの「勝鬨橋」の話じゃないけど、4本の煙突から勇猛に煙が吐き出される光景を一度見たいものだ。

ああ、ロンドンはおもしろい。

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<つづく>
 

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