ロンドンとニューヨークに拠点がある個人所有の音楽出版社としては世界最大のものだ。 Apple社とアラン・クラインから距離を置くためにポールが1970年に設立した。最終的にはポールはAppleレーベルに1975年まで籍を置いたため、結局mpl名義で最初にリリースしたアルバムはWingsの『Venus and Mars』となった。
この会社は多数の音楽著作権を管理しており、ポール自身の作品はもとより、ポールらしくBuddy Holly、Carl Perkinsらのロックンロールもの、Harold ArlenやJerry Hermanらのブロードウェイの作曲家たちの作品を網羅。アル・ジョルソンで有名な「Rock-a-Bye Your Baby with a Dixie Melody(私はSummy Davis Jr.のバージョンが大好き)」や有名な「Blue Swade Shoes」の著作権もmplが持っている。 ビートルズ関連では「Love Me Do」、「P.S. I Love You」、「Please Please Me」や「Ask Me Why」などの曲がカタログに掲載されている。
ちょっと失礼して…。壁にズラリとゴールド・ディスクが飾られている。 儲かってんだろうナァ~。
Hal Leonard(←このリンク先、加筆したので見てみてね!)という北米最大の音楽出版社がある。ここにBradという仲良しがいて、彼とニューヨークの話をしていて色々とニューヨークにまつわる歌を口ずさんでいると、「ア、それウチ」、「それもウチだ」っていちいち主張していたのが面白かった。「ウチ」というのはこの場合Hal Leonard社がその曲の著作権を管理しているという意味だ。Bradはマーブロに何回も出てきているChad Smithの実兄。ニューヨークの歌の数々はMel Tormeの『Sunday in New York』から引用した。
このスタジオは1967年にNorman とBarryのSheffield兄弟によって設立された。ここには独自に開発したTrident A Range Consoleというマルチトラックの録音機器が備え付けられており、音楽的なEQ機能を持つこのコンソールが大変な評判を呼んだ。
何でも68年の開業時にはManfred Mannが「My Name is Jack(The Kinksの「Village Green Preservation Society」のちょっと似ているなかなかの佳曲)」という曲をここで吹き込んで大きな宣伝効果をもたらしたという。
このManfred Mannもよくわからんよね~。日本ではまったく人気がないけど、イギリスではスゴイ人気。私は後年結構好きになり、Earth Bandを含めて何枚もCDを持っているけど、毒もクセもないワリには何となく病みつきになるバンドだ。解せないのはカバー曲でバカスカとヒットチャートに食い込んでくるところなんだよね。例えば「Blinded by the Light」。これはBruce Springsteenの曲でしょ?Manfred Mann's Earth Bandは完全に別曲にアレンジしてる。ま、好みにもよるけど、私なんか完全にEarth Bandの方がいいと思う。こういうところで人気があるのかな?
The Beatlesの『White Album』や「Hey Jude」、Elton Johnの「Candle in the Wind」、David Bowieの『The Rise and Fall of Ziggy Stardust(ジギー・スターダスト)』など数えきれない名盤、名曲がここで録音された。
さて、もう少し。さらにTrident Studioは繁忙を極めた。当時のApple Recordのアーティストが大量にこちらに流れて来たのだ。Billy Preston、Mary Hopkin、James Taylorなどなど、George Harrisonの『All Things Must Pass』もここでレコーディングされた。
また、Charismaもお得意さんのひとつで、Genesisはここで『Trespass(侵入)』、『Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)』、『A Trick of the Tail』を制作。さらにVan Der Graaf Generatorやその重鎮、Peter Hammillもこのスタジオでレコーディングしたのだ。
加えてRick Wakemanはこのスタジオでハウス・プレイヤーとして働いていて、ものすごい数のレコーディングでピアノを弾いているらしい。David Bowieの「Life on Mars?」や「Changes」はそれらのうちのふたつ。
さて、スティーヴの住むサウス・シールズ(South Shields)はイングランド北部最大の都市、ニューキャッスル(Newcastle upon Tyne)からタイン川沿いに河口に向かって電車で20分ほ行ったところだ。
近くにあるサンダーランド(Sunderland)という街がある。ここは実は我々には馴染みのある場所だ。Freeの『LIVE!』に収録されている「All RIght Now」と「The Hunter」がこの街にあった劇場で録音されているからだ。その劇場は残念ながらもう取り壊されてしまったが…。このアルバムの残りの曲はロンドンからブライトン(Brighton)に行く途中にあるクロイドン(Croydon)にある劇場で録音されている。これは「ブライトン」の回でまた登場することになる。
さて、エリック・アイドルの持ち歌に「Always Look on the Bright Side of Life」というモンティ・パイソンの映画『Life of Brian』の挿入歌がある。
「Look on the Bright Side」というのは映画や歌でも時折見かける表現で、「明るい面を見ようよ」…要するに「くよくよしないでポジティブに行こうぜ!」という意味。
磔刑、つまり、はりつけに処せられたエリック・アイドルが、同じく十字架にはりつけられた主人公に向かって「口笛ふいて明るく行こうぜ!」と歌いかけると、やがて20数名の受刑者全員が首を揺らせて(みんなはりつけになっているため自由に動く身体の部分が首しかない)みんなで楽しく合唱してしまうというこの映画のラスト・シーンに使われた曲だ。このシーンは当然、宗教上の理由で大きな問題になったらしい。また、驚いたことにこれがディズニーの『ピノキオ(Pinnochio)』の挿入歌「困ったときには口笛を(Give a Little Whistle)」のパロディかつアンサー・ソングだっていうんだよね。よ~やるわ!
ビートルズの曲を除いてイギリスで有名な歌といえば「God Save the Queen(イギリス国家)」、「Pomp and Circumstance(エルガーの『威風堂々』)」、「Jerusalem(エルサレム:ELPが演ってるアレね)」、「Greensleeves(民謡)」らがすぐに思い浮かぶが、もしかしたら「Akways Look on the Bright Side of Life」が次点につけているのかもしれない。
The Bondという地元のバンドがサポート・バンドとして登場した。普通、サポート・バンドは前座としてメイン・アクトの前に演奏するのが常識であるが、この時は何とエクスペリエンスが先に演奏したという。理由はエクスペリエンスの到着が大幅に遅れてしまったため、The Bondはエクスペリエンスの演奏が終わるまで自分たちの機材のセットをさせてもらえなかったというのだ。
この辺りがSoho。ニューヨークのロウワー・マンハッタンにもSohoというエリアがあるが、あれはHouston Street(ハウストン・ストリート:ヒューストンとは読まない)の南、つまり「South of Houston」、略して「Soho」という意味。だから「Noho」というのもある。当然これは「North of Houston」の意味だ。「西荻」みたいなもんやね。
私は17~18年近く前にこれをブロードウエイで観た。ビクトル・ユーゴーなんて子供のころに読んでいるワケもなく、ジャン・バルジャンの名前と「民衆の歌 - Do You Hear the People Sing?」以外、何の予備知識も持たず観たのね。当時こっちゃ英語なんかまったくわかりゃせんから(今も?)、曲だけを聞いて楽しむつもりだったワケだが、何しろまわりの女性が観ながらやたらとシクシク泣いていて、ヤケに湿っぽい印象が強い。他方、何しろ曲が素晴らしくて、その足でCDを買いに行った。
開演前に横に座っていた小さい子供たちがテナルディエの「The Master of the House」を合唱していたには驚いたな。やっぱり日本とはケタ違いに子供のころから聴く音楽の幅が広いと思った。
ここの屋上で1969年1月30日、有名な「Roof Top Concert」が開かれ、「Get Back」、「Don't Let me Down」、「I've Got a Feeling」、「One After 909」、「Dig a Pony」などが演奏され、一部がアルバム『Let It Be』に収録され、ほかの一部も『Anthology 3』に収められている。
このハンウェルにはHanwell Community Centreという公民館のような施設があって、1969年ごろにはThe Whoが『Tommy』を中心にしたセットリストのツアーのリハーサルをそこで行っており、ピートが挿入歌「Sally Simpson」を歌っている写真が残っている。その頃はもうマーシャル使ってないけどね。
また、同じころDeep Purpleもそこで『In Rock』用の曲をつくり、リハーサルをした。Ian Paiceの回想によると、この施設はいつもあいていて、安くて、かつメンバーがその頃住んでいた家が近かったらしい。ロジャー・グローバーによれば、「その頃あの辺で爆音が出せるのはHanwell Community Centreぐらいだった」 「Speed King」も「Child in Time」も「Hard Lovin' Man」もここハンウェルから生まれたのだった。
そして、突き止めた最寄りの駅は地下鉄セントラル(Central)線の「ホワイト・シティ(WhiteCity)駅」。何となくこの名前を聴くとスティーヴィ―・ワンダーの「Living for the City」を思い出してしまう。この駅は1908年に開業している。同じ年に竣工したスポーツ・スタジアムや付帯設備が純白だったことよりこの名前が付けられたらしい。
マー本にも記した通り、ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントの『ノッティング・ヒル・ゲイト(Notting Hill Gate)』から2つ西に行っただけなのだが、街の雰囲気はガラリと変わる。例えていうと、そうだな…錦糸町から亀戸へ移った感じかな?