【姉妹ブログ】
【Marshall Official Web Site】
Marshall Blogに掲載されている写真並びに記事の転載・転用はご遠慮ください。

« Strange Beautiful & Loud~Sound Experience 7 | メイン | Koenji Rock Show!!!~STAND他登場! »

2013年5月16日 (木)

【イギリス-ロック名所めぐり vol.7】 ソーホー周辺 その2

海外に出ると、とにかくすぐに日本の食べ物が恋しくなる。昔はこんなことなかったんだけどナァ~。どこまでいっても肉、肉、肉.

油っこいもの大歓迎!ステーキなら何枚でも食べられた。

それがね~、今では「ああ、刺身が食べたい…」なんて思うようになっちゃって…。大分若い頃と食べ物の嗜好が変わってきた。逆流性ナントカが怖くて大食い、早食い、脂っこいモノの過剰摂取にも注意が必要になった。

こうなるといよいよ困るのが海外での食事。ビールはウマイけど、サンドイッチが辛くて辛くて…。ピザはもとよりあまり好きじゃないし…。そうかといってチキンとポテトばかり食べてもいられない。いよいよ和食が恋しくなってどうにもならなくなってきた旅の半ばに食べるハンバーガーのシンドさといったら筆舌し難いものがある。

私だけの嗜好かもしれないが、摂取できなくて一番苦しくなるのがダシとコシのある麺と炊き立ての米だ。お茶もそうだが、イギリスは紅茶があるからさほど困ることはない。緑茶も紅茶もウーロン茶もどうせもとは同じ葉っぱだ。

しかし、ダシ・麺・米にはほとほと困る。

そういう時に圧倒的に助かるのが中華料理だ。ロンドンにもニューヨークにもサンフランシスコにもチャイナタウンがあって、おいしいものが安く食べられる。ロンドンは高いか…でも同じ料金を払って食べる味の濃い現地の和食よりは納得がいく。

それにどこにでもあるから助かるってものだ。7~8年前にWembleyで食べたチャーハンなんかとてもおいしかった。

で、同じくどこにでもあるのがインド料理。おいしいところはメッチャおいしいでねぇ。そこで、じゃどっちを食べようか…ということになる。

アレって法律で定められているのかどうかは知らないけど、イギリスのレストランってどんなところでも必ず店の入り口に値段を明記したメニューが置いてある。当然それをチェックして店を決めることになるワケだが、中華と印度を比べると1~2割インド料理の方が高い。もちろん同じものが置いてあるわけではないので感覚的なものなのだが、このあたりを工場の友達に尋ねると、思った通りインド料理の方が高級なんだそうだ。日本だと中華の方が高級という感じがするんだけどな…。

ということでロンドンに行くとたいては1~2回、チャイナタウンに来てワンタンメンを食べることになる。

20

ロンドンの中華街はShaftesbury AvenueをはさんだSohoの反対側、Leiceter Squeareとの間ぐらいに位置している。横浜の中華街とは比べ物にならないくらい小さいが、いつも賑やかでその中華街的雰囲気(当たり前!)はロンドンにいることを忘れさせてくれる。

30v

Wardour Streetから左に折れて中華街に入ってすぐの左側のビル。

40v

ナント、1968年8月、この中華料理店の地下でレッド・ツェッペリンの最初のリハーサルが行われたというのだ。最初に取り上げた曲はThe Yardbirdsの「Train Kept a Rollin'」だったという。ご存知の通り、Led Zeppelinは当初New Yardbirdsと名乗ったぐらいだからね。マーシャルを持ち込んだのかな?

50

ここにあの4人がネェ…。

こういうところが本当にオモシロイ。つまり、なんてことないロンドンの街かどにそんな話が残っている。興味のない人にとってはバカバカしいと思うだろうが、こちとらそうはいかない!こうした話は何だって感動しちゃう。

日本でもよく「何でこんなとこ写真撮ってんの?!」っていう外国からの観光客がいるでしょ。ガソリンスタンドとかタワーの駐車場とか(ちなみに駐車場のビルはあってもタワーの駐車場はイギリスでまったく見たことがない)…アレとまったく同じ。しかもこっちは興奮しているもんだから夢中になって熱を込めてシャッター切っちゃうじゃない?その姿はすごく不思議だと思うよね。

60

Marshallを使わなかったバンドの代表はThe Beatlesだろう。続いてThe Rolling Stones。個人的にビートルズは好きだからこの「名所めぐり」にも頻出する。だってビートルズだもん!

反面、ストーンズは個人的にまったくと言っていいほど聴かないので残念ながら取り上げられることはない。ファンのみなさん、ごめんなさい。でのここでひとつだけ…。

上の中華街を抜けてすぐ右に曲がったところにあるこの建物。今はバート週末には簡単なライブハウスになるこの「Ku」というお店はローリング・ストーンズが初めてリハーサルをやったパブだったところだそう。そんだけ~。

 

70v

さて、ここはソーホー・スクエア。ロンドンには町の真ん中にこうした公園がゴロゴロしている。これはとってもいいよね。みんな草の上に座ってお弁当を食べたり、ゴロリと寝転んだり…うらやましい。
公園の外の正面に茶色の建物がある。二階がガラスになってるビルだ。

80

コレがその建物。「mpl」というのは「McCartney Productions Limited 」の略。ポール・マッカートニー卿関連の出版物を管理する会社だ。

ロンドンとニューヨークに拠点がある個人所有の音楽出版社としては世界最大のものだ。
Apple社とアラン・クラインから距離を置くためにポールが1970年に設立した。最終的にはポールはAppleレーベルに1975年まで籍を置いたため、結局mpl名義で最初にリリースしたアルバムはWingsの『Venus and Mars』となった。

この会社は多数の音楽著作権を管理しており、ポール自身の作品はもとより、ポールらしくBuddy Holly、Carl Perkinsらのロックンロールもの、Harold ArlenやJerry Hermanらのブロードウェイの作曲家たちの作品を網羅。アル・ジョルソンで有名な「Rock-a-Bye Your Baby with a Dixie Melody(私はSummy Davis Jr.のバージョンが大好き)」や有名な「Blue Swade Shoes」の著作権もmplが持っている。
ビートルズ関連では「Love Me Do」、「P.S. I Love You」、「Please Please Me」や「Ask Me Why」などの曲がカタログに掲載されている。

90v

ちょっと失礼して…。壁にズラリとゴールド・ディスクが飾られている。 儲かってんだろうナァ~。

Hal Leonard(←このリンク先、加筆したので見てみてね!)という北米最大の音楽出版社がある。ここにBradという仲良しがいて、彼とニューヨークの話をしていて色々とニューヨークにまつわる歌を口ずさんでいると、「ア、それウチ」、「それもウチだ」っていちいち主張していたのが面白かった。「ウチ」というのはこの場合Hal Leonard社がその曲の著作権を管理しているという意味だ。Bradはマーブロに何回も出てきているChad Smithの実兄。ニューヨークの歌の数々はMel Tormeの『Sunday in New York』から引用した。

100

しっかし、天気が悪いのう。

次に行ってみるのはmplからすぐのレコーディング・スタジオ。この先にあるハズ…。

110v

コレ。ここはかつて「Trident Studios(トライデント・スタジオ)」といって、数々のブリティッシュ・ロックの名作が録音された場所なのだ。

今は撮影スタジオになってるのかな?

このスタジオは1967年にNorman とBarryのSheffield兄弟によって設立された。ここには独自に開発したTrident  A Range Consoleというマルチトラックの録音機器が備え付けられており、音楽的なEQ機能を持つこのコンソールが大変な評判を呼んだ。

何でも68年の開業時にはManfred Mannが「My Name is Jack(The Kinksの「Village Green Preservation Society」のちょっと似ているなかなかの佳曲)」という曲をここで吹き込んで大きな宣伝効果をもたらしたという。

このManfred Mannもよくわからんよね~。日本ではまったく人気がないけど、イギリスではスゴイ人気。私は後年結構好きになり、Earth Bandを含めて何枚もCDを持っているけど、毒もクセもないワリには何となく病みつきになるバンドだ。解せないのはカバー曲でバカスカとヒットチャートに食い込んでくるところなんだよね。例えば「Blinded by the Light」。これはBruce Springsteenの曲でしょ?Manfred Mann's Earth Bandは完全に別曲にアレンジしてる。ま、好みにもよるけど、私なんか完全にEarth Bandの方がいいと思う。こういうところで人気があるのかな?

140v

The Beatlesの『White Album』や「Hey Jude」、Elton Johnの「Candle in the Wind」、David Bowieの『The Rise and Fall of Ziggy Stardust(ジギー・スターダスト)』など数えきれない名盤、名曲がここで録音された。

ま、名前を挙げだしたらキリがないが、他にも…The Bee Gees、Carly Simon、Joan Armatrading、Joe Cocker、 Kiss、Lou Reed、Peter Gabriel、The Rolling Stones、Thin Lizzy、Tina Turner、T-Rex、Yesなどなど。結構アメリカのミュージシャンも多い。それにしてもゴイス。

このスタジオには100年前につくられたドイツの名器、C.Bechstein(ベヒシュタイン:「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるスタインウェイやベーゼンドルファーと並ぶ世界3大ピアノ・ブランドの一角)のハンドメイドのコンサート・サイズ・ピアノが備え付けてあり、「Hey Jude」やEltonの「Your Song(僕の歌は君の歌)」に使われた。その後、このピアノは弦を張り替えた途端音が硬くなってしまい、使われなくなってしまった。あ~あ~モッタイないね。しかし、この2曲が同じピアノで吹き込まれているというのはまた感動ですナ~。今の若い人たちにはわかんなだろうナァ~、この感動。かわいそうだナァ~。
130v

また、ここのスタジオは、イギリスで始めてドルビー・システムを使い、まだ、Abbey Road Studioが4トラックのレコーディング・デッキを使用していた時にすでに8トラックのそれを導入していた。

この8トラック・デッキは「Hey Jude」の他、『White Album』の「Dear Prudens」、「Honey Pie」、「Savoy Truffle」や「Martha My Dear」、さらに『Abbey Road』収録の「I Want You」のベーシック・トラックが、そして、Eric Claptonも参加してのJohn Lennonの「Cold Turky」が吹き込まれた。これまたゴイス。

私は2006年にタバコをやめました。工場に行った時にやめた。当時まだ円が桁違いに安くて、ただでさえ高いイギリスのタバコが縁に換算すると1箱1,500円近くしていたのでバカバカしくてとても買う気にならず、「やめた」というより「やめざるを得なかった」というのが正しい。

それほどヘヴィ・スモーカーでなかった私でも初めの頃はその禁断症状に大いに悩まされたね。目はチカチカ、指先ジンジン。少しでもラクになろうとやたらと深呼吸をしていると、ちょうど食事で一緒になったDoug Ardrichも「シゲ、具合でも悪いのか?」と心配してくれる。

Marshallの友人もそれを見て、「どうしたの?調子でも悪いの?」と心配してくれる。「実はタバコをやめたんだ」と告げるとみんな口をそろえて「オー、コールド・ターキーか?!」と言うではないか!その瞬間、あの世にもカッコいいイントロをクラプトンが弾く姿が目に浮かび、禁断症状の苦しみも和らいだのだった。「オレ、コールド・ターキーなのか~!カッコいいな~」って。もちろんあの歌詞ほど禁断症状はヒドくないよ。

150

さて、もう少し。さらにTrident Studioは繁忙を極めた。当時のApple Recordのアーティストが大量にこちらに流れて来たのだ。Billy Preston、Mary Hopkin、James Taylorなどなど、George Harrisonの『All Things Must Pass』もここでレコーディングされた。

また、ポールは自分が使わない時に将来有望と見込んだバンドを呼んできて自由にスタジオを使わせた。その有望なバンドこそQueenだった。

他にも出てくる出てくる、70年代初頭にこのスタジオを使用したアーティストは他にもFrank Zappa、Rolling Stones、Free、Lindisfrne、Mahavishunu Orchestra、Jeff Beckがいた。

また、Charismaもお得意さんのひとつで、Genesisはここで『Trespass(侵入)』、『Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)』、『A Trick of the Tail』を制作。さらにVan Der Graaf Generatorやその重鎮、Peter Hammillもこのスタジオでレコーディングしたのだ。

加えてRick Wakemanはこのスタジオでハウス・プレイヤーとして働いていて、ものすごい数のレコーディングでピアノを弾いているらしい。David Bowieの「Life on Mars?」や「Changes」はそれらのうちのふたつ。
160v

残念がらBrian MayはMarshallプレイヤーではないが、Jimがなくなった時には弔辞を寄せてくれていた。そのお返しと言ってはなんだが、最後にQueenの話しをひとつ。

Sheffield兄弟は初期のQueenのブレイクに一役買っている。兄弟はQueenに最新機器とオペレーション・スタッフを自由に使わせるという契約を結び、プロデューサーやエンジニアも紹介した。まだQuennがまったく無名の頃の話し。

アルバムが完成すると、Sheffield兄弟はそれを発売するレコード会社探しに苦心惨憺してしまう。他のバンドとは異なり、当時はまだQueenの音楽があまりにも風変わりでレコード会社は契約することを恐れたのであった。

そして、とうとう兄弟は「Trident」というレーベルを立ち上げ、Queenのデビュー・アルバムをリリースしたのであった。結果、アルバムはヒットし、QueenはEMIと契約して『クイーンII』をリリースした。Queenは本国イギリスよりも早く日本で火のついたバンドだ。

つまり、シェフィールド兄弟と我々の支持がなかったら「Bohemian Rhapspdy」も「Brighton Rock」も「Killer Queen」も聴くことができなかったのかも知れないのだ。ま、若い人にはわからんか…気の毒に。

しかし、この細い道をそういう人たちが歩いていたのかと思うと…やっぱりロンドンはゴイス!

120v

つづく