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2016年1月22日 (金)

【NAMM速報】 BREAK THE CODE!~その暗号を解け!<前編>

Marshall Blogをやっていると、時の流れの速さを痛感することが多い。
アレからひと月、アレからもう一年、アレから早三年…ていうヤツ。
NAMMショウみたいに毎年恒例の行事は特にそれを感じさせる。
今年も昨日(現地時間)からNAMMショウが始まった。

今年も私は東京でこうしてMarshallのブースをヴァーチャルで開いている。
コレが一番!
初めてNAMMに行ったと時はも~うれしくて、うれしくて…。
通路やブースで有名なミュージシャンを見かけるといちいち狂喜乱舞したものだった。
しかしその後、年を追うごとに現地での仕事が増え続け、現地では時間に追われっぱなしでニッチもサッチもいかない状態になってしまった。今ではその殺人的な忙しさばかりがNAMMの思い出になっている。
最も忙しかった時で、大小、公私ひっくるめて合計31個のアポイントに臨んだことがあった。こうなると自由な時間は皆無だ。
今でもそうだけど、私、自分で言うのもナンですが、モノスゴイ仕事したんよ。仕事がおもしろくてしょうがなかった。海外の友達も多かったし。
でも4日間、毎日朝から晩まで、食事の時間も含めてすべて誰かと会って英語で話している状態は結構シンドイい。
こっちだって英語の達人なワケではないので、少ない脳ミソを四六時中フル回転させなきゃならない。なるべくうまく、そして早く英語を話さないと、連中からバカにされるからね。コレは疲れるよ~。
彼らは決して顔には出さないが、大抵の連中は英語が話せない輩を信用しない。どんなに酒を飲んでワイワイ楽しくやったとしても、言葉が通じないと最終的なコミュニケーションは成立しない。コレ、私が苦労して体得した外人と付き合うためのひとつの処世訓。

それで、NAMMの会場内はやかましいことこの上ないもんだから、英語を聴き取るのも大変だし、大声で英語をしゃべることは大幅に体力を消耗させる。
もうね、Lealand SklarやTony Levinどころじゃない。(この二人は必ずNAMMに来ていて、その風貌からやたらと目につく)
それと、人の多さ。
初めて行った90年代の後半の頃はそんなでもなかった。まだ、「業者オンリー」の鉄則が守られていたのか、場内で子供を見かけることなんてほとんどなかった。
今では子供ばっかりだもんね。どう見ても「業者」じゃない。
それと中国や台湾の業者の台頭ぶりも驚くばかりだ。日本人も圧倒的に増えた。
「業者のための楽器展示会」が「みんなのNAMMショウ」みたいになった感すらある。
そして、IT技術の進化による情報戦のすさまじさ!
昔は一番早いNAMMレポートは「社内の出張報告」と相場がキマっていたが、今では猫も杓子もその場で「現地レポート」だもんね。
それでも、海外の友人にたまに会う機会なので、そういう面では私もNAMMを楽しみにしていた。
イケね、イケね、今日はNAMM自体のことを書くつもりじゃなかったんだ。
ヤバいな、この時期が来たらまた来年も同じことを書きそうだ。

10ハイ、NAMMのMarshall。
今年はスゴイの発表しちゃいました!
待ってたんよ~、コレ!

シリーズの名前は「CODE(コード)」。
まず名前がいい。
「経済開発協力機構」じゃないよ。アレは「OECD」だから。
Marshallの商品名って今までは事務的な名前が多かったでしょう?要するに何かの頭文字をつなげるタイプね。スタートが「JTM」だから自然の成り行きなんだけど、「JCM」とか「DBS」とか「DSL」とか…。
もちろん「MODE FOUR」とか「Vintage Modern」という普通名詞から成るシリーズもあったんだけど、それとて機能や音の性質を表す事務的なもので、愛称っぽいモノではなかった。
それがどういう風の吹き回しか、ここのところ「ASTORIA」とか「CODE」だなんて…。
とにかくここ数年、50周年をはさんでリイシューものとか、チビッコものばかりで、完全なる新しいシリーズの発表から遠ざかっていたので、「ASTORIA」にしても「CODE」にしても大歓迎なのだ。
30
「CODE」はMarshallが自信を持って世に放つデジタル・アンプのシリーズだ。
黒と白と金…まずはMarshallカラーが引き立ちますな。

20この「CODE」、実は昨年の5月に工場に行った時、ひと足先にコンボを試させてもらった。
写真の右の人はR&Dチームのピーター。ヒゲがよく似合うじゃん!
やさしくて物静かなピーターが懇切丁寧に商品を説明してくれた。
まだ、プロトタイプ真っ盛りという状態であったが、これが実に素晴らしかった!
まずはコンセプトがバッチリ。
そして、音や弾き心地の素晴らしさ…「こういうのが欲しかった!」と思わず叫んでしまった。
商品の詳細は今日明日で追ってお知らせすることにして、まずこの「CODE」という商品名の周辺から話しをスタートさせる。
ものすごく長い話しだけどMarshallファンには楽しんでいただけると思う…と信じて一生懸命書く。
今日は「読み物」です。
では…。

40東京で言えば銀座線のような、ロンドンの地下鉄のスター路線、ピカデリー・ライン。
この路線が重要な理由は、ロンドンの名所多くを通っているだけでなく、西側の終点のひとつがヒースロー空港であることに尽きるだろう。
そして、西側にはもうひとつ「Uxbridge(アクスブリッジ)」という終点駅がある。
熱心なMarshallファンならこの名前に聴きおぼえがあることだろう。
「76 Uxbridge Road」…そう、1960年にJim Marshallが初めて出した楽器店の住所だ。
この辺りのことはコチラに詳述してあるので未読の方は是非ご覧頂きたい。
でも、Jimの店があった場所はこの地下鉄のアクスブリッジ駅からはかなり離れているので注意。バスに乗らないと行かれない。
もし、何かの拍子に行くことになった時は国鉄のHanewell駅から行くこと。

50じゃ、このピカデリー線の反対側の終点はどこか?
大分前に行ってみたことがある。
ピカデリー線の東の終点駅は、Cockfostersという。

60コックフォスターズはロンドンの中心からチョット外れればどこでも見かけることができる普通の街だ。
ところが、ほとんどの人が知らない…と言うか、何の興味も示されないのだろうが、ここには戦時中にスゴイものがあった。
話はアメリカに飛ぶ。
第二次世界大戦時、カリフォルニア州バイロン・ホット・スプリングスというところ「日本兵捕虜秘密尋問所」という秘密の施設が設置された。
暗号名を「Tracy(トレイシー)」といい、捕虜となった日本兵から有益な軍事情報を引き出すための専用施設であった。
アメリカは大戦後期、対日本戦を効率的に遂行するために、諜報作戦を徹底的に強化した。
はじめは日本語がしゃべれる純アメリカ人は国内に数人しかいなかったが、急速に教育を推進し、数年後には数万人がペラペラになったという。
相手を知るのはその文化を知ることが手っ取り早く、「言葉=文化」ということを熟知していたのだ。そこへいくと日本は「鬼畜米英」とか言って、「敵国語」として英語を閉め出す始末だった。
そして、そうした情報収集に当たっては、何といっても捕らえた捕虜から情報を引き出すのが最も手っ取り早かった。
日本が中国大陸や南方戦線で決死の肉弾戦、あるいは白兵戦を強いられ戦死者、餓死者が量産されている時に、アメリカはステーキにかぶりつきながら頭脳戦で戦局を更に優勢に導いていたというワケ。

話は脱線するけど、開戦は1941年でしょ?
この年ってCharlie Christian他の先進的なミュージシャンによって、ハーレムのMinton's Playhouseでビ・バップが産声を上げた年だからね。モダン・ジャズがスタートした年。
Charlie Parkerが「Now's the Time」だの「Billie's Bounce」だの「Donna Lee」だの、Savoyでレコーディングしていたのは戦時中の話だ。信じられん!
日本が「ぜいたくは敵だ!」なんてやっている頃、アメリカでは音楽ファンがビ・バップに夢中になっていた。
こんなんでかなうワケないよ。

話を戻して…トレイシーでは日本語力を十分に習得した尋問官が、捕虜への人道的配慮を示しながら懐柔的に情報を引き出したという。要するに拷問や詰問など全くしないで、やさし~く捕虜に接してあげたのね。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という旧日本軍の戦陣訓を叩き込まれていたはずなのに、尋問官の戦略的な温情に簡単に心を開いちゃったというワケ。
率直に言えば、みんな飢えていたのでメシを喰わせれば何でも白状しちゃったらしい。
笑っちゃうのは、氏名を問われると多くの兵士が「長谷川一夫」と答えたらしい。
アメリカ人の尋問官は長谷川一夫のことを知らなかったので、「日本にはなんて同姓同名のヤツが多いんろう?」と思ったという。今なら全員「木村拓哉」だろう。
他にも「聖徳太子」とか「石川五右衛門」とかダイナミックな連中がたくさんいたらしい。
そうして捕虜から多くの情報を引き出すことに成功したアメリカは、日本軍の機密事項を驚くほど正確に握っていたという。

ところで、このトレイシーで活躍した尋問のテクニックはアメリカが開発したものではなく、イギリス軍によるものだった。
イギリスは早くから情報戦の重要性を認識し、ドイツ兵への尋問がスムースに行えるよう研究を重ねていたのだ。
イギリスのその研究機関は「MI19」といい、ここコックフォスターズに施設を構えていた。
元々はロンドンの中心部のテムズ川沿いにあったのだが、ドイツ軍の空襲を避けるために、ロンドンの東の郊外に居を移したのだ。
ちなみに007のジェイムズ・ボンドの所属は「MI6」ね。
で、アメリカ軍はここコックフォスターズに出張して来て、尋問のテクニックを伝授してもらいトレイシーを立ち上げたのだそうだ。
「情報」というものがいかに大切か…という話。

70さて、ここで…その大切な情報を守る有効な手段は何か?
そのひとつとして挙げられ有力な手段が「暗号」である。

「暗号」は英語で「code」という。

「cipher(サイファー)」という言い方もあるが、「code」で十分だ。
そして、下の写真をご覧頂きたい。
Bletchley(ブレッチリ―)というのはMarshallの本社&工場があるところだ。
この標識は「暗号解読者の故郷、ブレッチリ―へようこそ」…となる。
今度の新商品はこの「code」から名付けられたワケ。
「BLETCHLEY」ではなく「CODE」にしたところがミソだろう。さすがMarshall。

80「暗号解読」って言ったって、ブレッチリ―のそれは生半可なモノではなかった。


暗号というものは紀元前から存在し、古くはシーザー(カエサル)なんかも使っていたという。
もちろん戦争の技術のひとつとしてである。
暗号にもたくさんの方式があるのだが、連中はアルファベットがあるので基本的にはあるアルファベットを異なるアルファベットに置き換えて元の文章(「平文」という)をわからなくしてしまう(スクランブル)のが標準的な手法だ。
シーザーは「A」を「D」に、「B」を「E」にという風にアルファベット26文字を並行してズラす単純な方法を用いた。これを「カエサル・シフト」という。

で、一般的に暗号を作る側と解読する側とどちらが強いか?ということになると、歴史的に常に解読者側が勝利をおさめてきたという。
どんなに複雑でこねくり回した暗号でも、それを見破るテクニックがあって、後は勘と才能と時間と根気の勝負なのだ。
もっとも一般的な方法が「頻度分析」という手法で、暗号化された文章の中に繰り返すパターンを発見し、そこから少しずつ手がかりを探っていくというのだ。
例えば、英語の場合、一文字の単語は二つしかない。「a」と「I」だ。
また、「as」「in」「of」「on」二文字の単語は前置詞に多い。さらに言語の性質上重要な頻出単語といえば定冠詞の「the」だ。コレは三文字。
こういうことを手掛かりに地道に糸口を探していくのである。
コンピュータなどなかった時代なので、人海戦術でこの作業をしていたワケ。
特にイギリスは先のトレイシーよろしく、人や武器を投じてムヤミに戦うよりも、情報を集め、相手の動きを掴んで、それに対する有効な手立てを企てた方が時間的にも経済的にも有利であると考えていた。
特にイギリスも国内に資源の少ない国ゆえ、アメリカに物資の補給を頼っていた。その輸送船をドイツのUボートがつけ狙うので困っちゃうワケ。
ドイツはコレでイギリスを兵糧攻めにするつもりだったらしい。
当時、ドイツの潜水艦は世界一優秀で、Uボートこそ世界を征服することができる最強の武器のひとつとされていたんだって。
だからイギリスはそのUボートの動きが何としてでも知りたい!
もうこの時代は、無線を傍受するのはお茶の子さいさいだった。しかし、傍受した電文は暗号でスクランブルされている。
ところが、イギリスは早くから「暗号解読」の重要性を認め、研究を重ねていたことからドイツ軍の動きを具に掴んでいた。
しかし、第二次世界大戦中のある時からドイツの通信に見慣れない暗号を発見する。
この暗号がどんなテクニックを使ってもどうしても解読できない…。
なんじゃコリャ~!
その暗号こそ「Enigma(エニグマ)」と呼ばれるドイツ軍が誇った軍用暗号の歴史上最も複雑かつ最悪な暗号だった。
「エニグマ」というのはギリシャ語を語源とし、「謎」を意味する。
英語では「なぞなぞ」のことを「riddle」というが、「enigma」でも通じる。発音は「イニーグマ」だ。

下の写真のタイプライターに毛が生えたような機械が「エニグマ暗号機」。
ドイツ軍はコレでその複雑極まりない暗号を作り出していた。
詳しい仕組みに触れていると紙幅がいくらあっても足りなくなるので簡単に説明すると、手前のアルファベットのキーを叩くと、その電気信号が「スクランブラ―」と呼ばれる仕掛けを三回通過してまったく関係のないアルファベットに変換される。その変換されたアルファベットはキーの上にある丸いポチポチが光ることによって知らされる。もちろん、キーを打つたびに違うアルファベットに返還される。
その変換されたアルファベットの暗号文を書きとって通信士に渡すと、その通信士はモールス信号に変換して打電する。
ちなみに、トンツー、トントンツーってやるこのモールス信号っていうのは打つ人によってどうしてもクセが出てしまい、こういう無線を傍受して信号を注意深く聴いている人には、打ち手が誰であるかがわかるそうだ。もちろん、会ったこともなければ名前もわからないのだが、「ああ、今日はあの人が打ってるナ」とハッキリ区別できるのだそうだよ。
さて、一方、受け手はどうするか?
暗号の受け手にもエニグマ暗号機が用意されていて、打ち手がしたことの逆のプロセスを経て平文を手に入れる。
さらにプラグボードと言われる装置が更に暗号の変換パターンを複雑にした。
しかも、イギリス軍にとって厄介だったのは、この暗号のトリックが毎日変わることだった。
つまり、24時間以内に暗号を解かないと、掴みかけたヒントが水泡に帰し、また振り出しに戻ってしまうのだ。
180
結論をやや急げば、この「エニグマ」を解読したのがアラン・チューリングというケンブリッジ大学の教授で、その作業がここブレッチリ―で行われたのだ。
下の写真はMarshallのピンナップ・シリーズの宣材写真なのだが、撮影したのは友人のマット。場所はブレッチリ―・パーク。50周年記念コンサートの二日ぐらい前の撮影だ。
第二次大戦中、後ろの建物の中で暗号を解読する作業が行われた。
最盛期にはここに暗号研究家、クロスワード・パズルの達人やチェスの名人等、何百人もの人が詰め、暗号解読の作業に従事していたという。
C_bp
ブレッチリ―はロンドンから電車でちょうど一時間ぐらいの静かな街だ。もちろん極秘の任務ということもあってこうした郊外の地が選ばれたのであろう。
時の宰相、ウィンストン・チャーチルは、先に述べた理由で暗号解読に特段の理解を示し、膨大な資金提供に応じ、更にはブレッチリ―にも激励に訪れたという。

120 アラン・チューリングはどのようにしてエニグマを解読したのかというと、「Bomb」と呼ばれるオリジナルの機械を開発したのであった。
人間では到底処理ができない天文学的な規模の順列組み合わせの分析をこの機械にやらせたのだ。
この「Bomb」こそが現在のコンピュータの礎といわれているのだ。
また、エニグマにはひとつだけ弱点があった。それは、エニグマ暗号機はすべてのアルファベットを別のアルファベットに変換してしまう性質があって、元のアルファベットのままにしておくことが出来なかったといういうのも解読のヒントになったらしい。

こうしてイギリスはチューリングのエニグマ解読の功績によって、ことごとくドイツのUボートから自軍の物資輸送船を守ることに成功した。
他にも、ドイツ軍の攻撃を未然に防ぐことに大いに活躍したBombは戦争の終結を数年早めたとまで言われている。
しかし!
ここがまたスゴイところなのだが、チャーチルは解読した暗号によって得たドイツ軍の攻撃の情報を無視させたこともあったという。
たとえば、ブレッチリ―にほど近いコヴェントリー(ジャガーの工場があるところ)を空爆するという情報を得ても、それを無視して好きなようにドイツ軍に爆弾を落とさせたのだ。
理由は簡単。
あまりドイツの先回りをすると、ドイツ軍が「アッレ~?もしかしてイギリスの連中、エニグマちゃんを解読しちゃったのかな~」と勘ぐられ、更に複雑な暗号を編み出すことが必至だったからである。
余裕である。
実は、チャーチルはコレと同じようなことをアメリカにもしている。
チャーチルは得意の自国の情報ネットワークを駆使して、日本の真珠湾攻撃をかなり前から知っていたのだが、アメリカの戦意を鼓舞するためにワザとルーズベルトに知らせなかったというのだ。

それほど国家に貢献したチューリングであったが、任務の性格上、表舞台に出ることはなく、同性愛者であったことも災いして戦後は不幸な時を過ごし、1954年、41 歳の時に自殺を遂げた。
今ではコンピュータの開祖的存在としての評価が高まり、去年チューリングの当時の手書きのノートがオークションに出品され、1億2千万円もの値がついたとか。

このアラン・チューリングの話は『イミテーション・ゲーム』という映画になっている。
ってんで、さっそく借りて来て観たが、ガッカリ。
アカデミー脚色賞受賞っていうけど、一体どこがいいんだろう?私なんかにはウスっぺらくてゼンゼン面白くなかった。
あのね~、脚本の書き方が浅くて主人公はおろか、脇役にすら感情移入できないんだよね。伏線の張り方が甘いというか…フラッシュバックの仕方もややわかりにくいし、
それにアメリカよりの英語の発音も気に喰わない。
チューリングたちはそんな英語を絶対に話してないって!
これイギリスの資本も入っているのにナァ。アメリカのマーケットを意識しているんでしょうね。
何よりもコレ、暗号の知識がないとかなり内容がわかりにくいんじゃないかな?
ま、「アラン・チューリングはいかにしてエニグマを解読したか?」という「プロジェクトX」的な展開を期待していた私も悪いのだが…。

90v

…ということで、去年ブレッチリ―に家内と行った時、ブレッチリ―・パークに寄ってみた。
ブレッチリ―の駅から歩いて4~5分のところなのだが、Garyが工場から車で送ってくれた。
駐車場で、「私たちを下車させたいのでゲートを開けて駐車場に入らせて欲しい」と守衛のオジちゃんにGaryが頼むとオジちゃんが快くゲートのバーを上げてくれた。
するとGaryがそのオジちゃんに向かって言ったのは「Thank you!」ではなくて「Lovely!」だった。「ラベリー」みたいに発音するんだよね。
家内がエラく感動してしばらく「lovely」ばっかり言っていたが、そう、これがイギリス英語ですよ。

130上の写真の建物がエニグマ解読関連の博物館になってる…らしい。
「らしい」ってなによ?
そうなの、入らなかったの。
だって入場料が(当時の為替レートで)3,700円もするんだもん!
次回のために、Marshallの友達にタダ券を探しておくように頼んでおいた。

140入り口には『イミテーション・ゲーム』の宣伝が…。

150ちなみにエニグマ関連の映画にはその名もズバリ『エニグマ』ってのがあるのだが、コレも「プロジェクトX」的な「エニグマ根性記」ではなくて、戦争ロマンものらしい。ヨカッタよ、見ないで!
でも、この映画、ナゼかミック・ジャガーが製作してるんだよね~。どうしちゃったんだろう?

Egd駅からMarshallの工場に行く途中にこんなパブもある。

190その名も「ジ・エニグマ・タヴァーン」。
ここまでくると新商品の名前も「CODE」より「ENIGMA」の方がヨカッタような気がして来たな…。

200ブレッチリ―ついでに…これは「Voong's」というジムのお気に入りだった中華料理店。
ベトナム人が経営していて、ここだけの話しだけど、スゲエんだ…味が…。
ジムはココのスペア・リブが大スキで、会食の時、私がジムの隣に座ることがあると、「シゲ、私にあの世界一おいしいスペアリブを取ってくれないか?」なんてことがよくあった。
いい思い出だ。

210さて、長い間お付き合い頂いてありがとうございました。気が済みました。
実はですね、この記事を書くためだけに本を二冊読んだのですよ。
こんなことばっかりしているから時間がいくらあっても足りないんだけど、「ブレッチリ―」なんて言葉を聞くといても立ってもいられなくなる。
一冊は、サイモン・シンというイギリスの物理学者の『暗号解読(新潮社刊)』というヤ~ツ。
コレがですね~、もう底抜けに面白ろかった。
元々、暗号に興味があったせいもあったけど、こんな面白い本はここのところ読んだことなかったな。
吉村昭の『ふぉん・しぃふぉるとの娘』以来かな?
古今東西の暗号の歴史と解読のテクニック、もちろんエニグマについても詳述している。
あんまり面白かったので、このサイモン・シンの本をamazonで取り寄せて何冊か読んでみた。
どれもベスト・セラーらしい。
ついでだから書いちゃうけど、前作の『フェルマーの最終定理』ってのもメッチャ面白かった。
他に、『ビッグバン宇宙論(上・下)』…コレはよくわからなかったので、まだいつか読み返してみようと思っている。
で、今読んでいるのは『代替医療のトリック』という本。なかなかに興味深い。
とにかく『暗号解読』はおススメ。

100
もう一冊は『暗号機エニグマへの挑戦』っての。
コレはダメ。
ゼンゼン挑戦していない。
ブレッチリ―・パークを舞台にした推理サスペンスみたいな小説だった。
110
もうひとつ…今度は音楽の「エニグマ」ついて…。
音楽で「エニグマ」といえば~、エルガーでしょ。
エルガーといえば「威風堂々」。
イギリス人はもうコレ大スキだからね。歌詞をつけて「Land of Hope and Glory」って歌にして大きなイベントのフィナーレには必ずコレを歌う。
そのエルガーの代表作が「エニグマ変奏曲(Enigma Variations)」。写真はBBCが制作したこの曲にまつわるドキュメンタリーDVDでなかなかに面白い。
この「エニグマ」はドイツの暗号とは関係ない。
各曲が実在する誰かをテーマにして作曲されていて、その曲名がその人の頭文字になっている。それが「ナゾ」ってなワケ。
名曲です。
ビートルズでおなじみのアビィ・ロード・スタジオのこけら落しはこの人だったんですよ。
あのスタジオはオーケストラがすっぽり入るというのが売りで、エルガーが棒を振ったのよ。

220以上で、新商品の名前の解説は終わり。
どうして「CODE」なのかがドラマチックにお分かり頂けたたと思う。

さて、このCODE、冒頭に「デジタル・アンプ」と記した。
もちろん最近流行のデジタル・テクノロジーに対応した機能を搭載しているのだが、Marshallファンにとって最大の魅力は、歴代のMarshallの名器のプリアンプが14種類、パワーアンプが4種類、キャビネットが8種類のサウンドがモデリングされていることだろう。
加えて24種類のエフェクツを自在にミックスして自分だけのMarshallを楽しめるのだ。

ラインナップはコンボが三種類とヘッドとキャビネットがひとつずつという構成。
フフフ、コレも当初の計画に大分変更が入って期待していた通りになった。

まずは25W、1x10"コンボのCODE25。
チョット写真が大きめなのね、コレ。実際には一番チビッコです。

240_code2550W、1x12"のCODE50。

250_code50100WのCODE100は2x12"だ。

260_code100さらに100WヘッドのCODE100H。

270_code100h4専用キャビネットのCODE412も用意されている。

280v_code100h3明日はこのCODEを詳しく解説する。
あ、明日は土曜日だけどMarshall Blog更新しますのでよろしく!

290

2015年12月25日 (金)

さよなら2015、今年のMarshall Blogを振り返る!

昨日、「Marshall Gala」のお知らせをしたところ、おかげさまで信じられないぐらいの大きな反響を頂戴した。あまりの反応の良さに正直ビックリした。
もう今さら「アレは冗談だった」なんて言えなくなってしまった!
…なんてのはもちろん冗談。
今年は、私的には映画の師匠であった父を失うという不幸があったが、最後にこんなにうれしいことが待ち構えていてくれた。

2015年のMarshall Blogの更新は本日を最後とさせて頂きます。
ご愛読の皆様、制作にご協力いただいた皆様の絶大なるご支援に心から感謝申し上げる次第です。
締めくくりに今年のMarshall Blogをチョット振り返って気が付いたことを記してみた。

今年の更新した記事の数は今日の分を含めて全部で246本。
海外滞在時を除いて何とか今年も毎日更新を達成した。一、二回休んだかな?
2012年10月26日にMarshall Blogが再スタートを切って以来、記事の数の累計は800本を超えるに至った。
記事を書くためにコンサート・ホールやライブ・ハウスに出向いた回数は今年一年で146回。
この他にもレコーディングやミュージック・ジャケット・ギャラリーの取材があるので「取材全部」ということになると更に数は増加する。
一番多く記事の舞台になったライブ会場はどこかな~?アリーナは何回も訪れたが、ドームなんか一回も行かなかったな。

おかげさまでこれだけ書いていてスランプのようなモノに出くわしたことはなかった…と、いうかスランプ気取りで「書けない!」と思ったらその瞬間から書けなくなることがよくわかっているのだ。
Marshall Blogはオープニングにどうでもいいことがズラズラと書いてあることが多いでしょう?
私の場合、コレがひとつのリズムになっていて、このパートがうまくいくと、後は比較的気分よくスラスラと書くことができる。
落語の「マクラ」とまったく同じだ。
でも、スランプではなくても更新自体が本当にシンドいこともある。
音楽の良し悪しは抜きにして、やっぱり今風の若いバンドさんの音楽についてはなかなか筆が進まないことが多いナァ。
大きな世代のギャップが障害となって、自分の中にそういう音楽を引っ掛け上げるフックのようなモノがないのだ。
それとどうしても気分が乗らない時もある。ただ、イヤなの。
こういう時は「エーイ、もう止めた!止めた!あのボリュームで毎日更新する方がおかしいんだ!」なんて減量にガマンできなくなった力石徹みたいになってしまうことがある。
そんな時はウチの白木葉子である家内がコップ一杯の白湯を差し出してこういう。
「ムリよ。止めちゃいなさい。そんな毎日なんてムリなのよ。今までよく頑張ったわ!尊敬してる。でもね、毎日を更新を楽しみにしている人がたくさんいることも忘れてはいけないわ…」
と諭されて、私の四角いジャングルであるパソコンの画面に向かうのであった…アホか。
そんな気分が乗らない時でも朝になれば、「ヨッシャやるか!」という気になるから習慣とは恐ろしい。きっと疲れがたまるとヤルのイヤになっちゃうんだろね。

考えてみると365日、マーブロのことを何もしないで休んでいるという日は全くない。皆無である。
温泉にもパソコンを持って行くし、車の修理を待っている間にも原稿を書く。リハと本番の間の時間つぶしには記事を書くのが一番だ。ネット喫茶の会員証だって何枚も持っている。ま、それで「あんな記事」かと笑わば笑え。
とにかく24時間考えて(夢の中でも考えてる)、毎晩12時か1時までパソコンに向かって写真の整理をしているか、文章を書いているか、調べものをしているかのどれか。
私の仕事はMarshall Blogだけじゃなくて昼間は別のことをしていることが多いからね。だからどうしても夜中までかかってしまう。
なんて書くと、さも地獄の日々を送っているように見えるかもしれないけどさにあらず。
実に楽しいのだ!。
いい写真が撮れた時はとてもうれしいし、何かをトコトン調べて知識を蓄えるということは無上の喜びなのだ。まだまだもっと色んなことが知りたい!
そして、Marshall BlogがMarshall本家直営のブログであり、私にそれが任されているということに誇りを持って臨んでいるということも大きい。
だって、Marshallに入社する時、社長が「Marshall Blogを再開してくれ」なんて言うのよ。
手を抜くワケには行かないじゃない?!
そして何よりもあんな記事でも読者やアーティストの皆さんからおホメや励ましの言葉を頂戴するのがうれしくてやってるようなもんだ。
読んで頂いて、楽しんで頂いて、Marshallを知って頂いて…『雨に唄えば』のジーン・ケリー状態なのね。つまり「Who could ask for anything more!(この上一体何を望もうぞ!)」ということ。
それだけに「動くMarshall Blog」をテーマにした「Marshall Gala」に大きな反響があったことは最高にうれしいのだ。

今、2015年にアップした246本の記事のタイトルにザーっと目を通したんだけど、色々ありましたナァ。
ここでひとつひとつ思い出を書き出したらとてもキリがないので、お正月休みにみかんでも食べながらノンビリ2015年の記事を読み返して頂ければありがたい。

Marshall的&個人的にうれしかったのは何といってもNATAL(ナタール)の大躍進かな。
三年前には私と家内と一部のMarshallの関係者しかその名前を知る者はいなかった。
「ナタール?頭痛薬かなんか?それともアルコール・ランプに入れるヤツ?」ってな感じだった。(ちなみにアルコール・ランプの燃料はメタノールである)
すなわち日本でNATALの名前を知る人は十人にも満たなかったと思うのだが、今では比較的どこに行っても名前が通っていて、かえってこっちがビックリしちゃう。
そしてその評判がどれもいいのだ。うれしいね~。
NATALの普及にご協力を頂いている皆様にはこの場をお借りして心から御礼申し上げます。
最近海外でのNATALの勢いがスゴイので私も頑張らねば!

それと痛切に感じるのはSNS(イギリスではSocial Netowrk Media)の普及のすさまじさだよね。
例えばMarshall Gala
私は2000年、2001年、そして2005年に「マーシャル祭り」というイベントを企画したのだが、あの頃はインターネットやメールはあったにせよ、facebookやらTwitterなんでものはなかった。
チラシやポスターを作って雑誌広告を出して…もちろんこうした告知活動は今でも必要不可欠なことなのだが、そういったことなしに、たった昨日一日で、すでに五千人を軽く超す人達に「Marshall Gala」というイベントを認識して頂いた。
うれしいことに今日も朝からアクセス件数がウナギ上りである。
NATALもそうしたSNSがなければこんなに早く名前が世間に浸透することはなかったであろう。
SNSを介した犯罪が世間では頻繁に発生しているが、便利な半面、本当に使い方に気を配る必要があることを痛感する。

『Marshallだより2015<前編>&<後編>』と題してレポートした家内とのイギリス旅行は本当に有意義なものであった。
Marshallの社長夫妻の結婚記念パーティにお呼ばれしての渡英だったのだが、社長ご夫妻のご親戚一同に混ざって最高に楽しい時を過ごした。(今止まっちゃってるけどShige Blogで旅行記を連載中)
ま、イギリスに行ってる間にお父さんが死んじゃったんだけどね…。日本に帰ったてからは精神的にも肉体的にもマジでシンドイ思いをした。

そうそう、忙しくてとても手が回らなかったんだけど、英語版のMarshall BlogであるところのMarshall Blog AORも始めたんだ!
コチラはもうチョット落ち着いたら再開するつもり。Marshall Blogは世界を目指すのだ!

反対に寂しかったのは、海外のアーティストの記事は極端にアクセス数が減るということ。年々この現象が顕わになってるような気がする。
もちろん取り上げるアーティストのポテンシャルや記事のクォリティにもよるが、ココだけの話し、Jeff Beckですらあまりパッとすることはなかった。
洋楽の日本での絶滅を予感させる現象のひとつであることは間違いないが、実はコレ、SNSの効果が大きく関与していると私は分析している。要するに外タレはどうしてもfacebookのシェアやTwitterのRTが少なくなるので記事の存在が世間に知れ渡らないのだ。
こんな時、Marshall Blogの力不足を感じざるを得ないのと同時に、SNSの恐ろしさを再認識するのだ。

それと「ミュージック・ジャケット・ギャラリー」と「名所めぐり」はどうしてもアクセス件数が落ちるナァ。
このふたつのカテゴリーの記事は、それぞれ一本仕上げるのに膨大な時間をかけている労作なのよ。自分で言うのも何だけど、Marshall Blogの中で一番面白いと思うんだけどね~。
私が子供の頃にMarshall Blogがあったらこのふたつを一番楽しみにしていたと思う。
双方洋楽の話題が中心なので、ここでも洋楽離れの傾向を強く感じざるを得ない。
それと、これらのカテゴリーもSNSでの横のつながりがあまりにも脆弱だから広まらないんだろうね。誰も拡散てくれないから当然こうなる。
でも私はアクセスの数だけに拘泥するつもりはそれほどなくて、おもしろい内容であれば自然とMarshall Blogのステイタスが上がるものと信じている。

…ということで今年もどうもありがとうございました。
マーガラに関する情報は年明けからウンザリするほどアップさせて頂きます。
来年もMarshall、NATAL、EDEN、Marshall Blogをよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。

2015年12月15日 (火)

【後日譚】 『アンプ大名鑑 [Marshall編]』のこと~あらためましてのありがとう!~

Marshall Blog読者のみなさんは、仕事や宿題をする時、早めに片付けて余裕しゃくしゃくで期限の日に臨むタイプですか?
それとも、期限が目前に近づいてプレッシャーがかからないと発進しないタイプですか?
私は完全に後者の方でしてね。
思い返してみると子供の頃から比較的そうだったかな…。もう冬休みの書初めがキライでサ。
「どうせやらなきゃならないんだから、サッサとやっちゃいないさい!」…このセリフが一体何回母の口から発せられたことか…。
母は私と正反対で、笑って締め切り日を迎えるタイプなんだよな~。なんでこうなっちゃったんだろう?
…ってんで去年の11月頃は『アンプ大名鑑』で本当に大変だった。
このことである。
(↑ 私が時々使うコレは、池波正太郎の『真田太平記』からの借用なのだが、池波正太郎って関東大震災があった大正12年、すなわち1923年生まれでジム・マーシャルと同じ歳であったことを先週発見!)
05
よくある話しだけど、今にして思うとどうしてあんな時間があったナァ~と思うね。
そう、あったんです。
睡眠時間を削ったんです…シンドどかった。
コレも自業自得でしてね、私の仕事は翻訳文のチェックで、内容に齟齬がないかどうかを見極めるという作業だった。
その対象となる訳文が八月ぐらいから当方に届き出した。冒頭に述べた私の性格ゆえ、「コリャ溜めちゃうとエライことになるわい…」と最初の頃は原稿が届くたびに内容をチェックしていた。
それが日々の忙しさに紛れてしまい、いつの間にか作業から遠ざかってしまったんだな~。
「コレならいつでもできるかな」とナメてしまったことも正直ある。

気がつくと「アツイ、アツイ」と騒いでいた季節はとっくに去ってしまい、シャツが長袖になり、「し・め・き・り」と言葉が頭の中で反響するようになった。
何だかコ、コワイ!
でも、「怖がってなんかいられない」なんて、宮口精二が扮するヤクザに恫喝される『生きる』の志村喬よろしく、「コリャ、マジでヤバい!」とエンジンをかけだした。
やっぱり「ああ、お母さんの言う通りだナァ。『親の意見とナスビの花は…』ってか!」ってな具合。
朝はMarshall Blogの執筆やらSNSやら、昼はMarshall他のブランドに関する細々した仕事や写真の仕事ゴチョゴチョ、夜はイギリスとの連絡、Marshall Blogの取材や執筆…コレらの時間の合間すべてに『アンプ大名鑑』の作業をブチ込んだ。
もちろん土日なし。
特設作業机を設置して、24時間いつでもすぐに作業に取りかかれるような態勢を取った。

ところがですね、チョロイと思っていた作業がさにあらず。考えていたよりはるかに作業量が多かったのだ。そして、精神的な苦痛も伴い、やればやるほどシンドくなってきた。

この本は原本に誤謬が少なくなく、まずそれに細心の注意を払わなければならなかった。
100Wのモデルなのに表記ではパワー管が二本しか搭載されていなかったり…ま、こういう仕様に関することは長年Marshallをやっていると少しはピンと来る。
だいたいネ、イングヴェイのシグネチャー・モデルのモデル名が原本では「JMY」になってたりするんだゼ!
それと、インターネット。
なまじ何でも簡単に調べられるような環境になったので、何でも調べ切らないと気が済まない。
順調にいけば、イギリス好きな私にとってこの作業は面白いことこの上ないのだが、一旦つまづくとドツボにハマってしまってどうにも抜け出せない時間浪費のアリ地獄となってしまう。
でもネ、とにかく一番苦労したのは翻訳文のチェック作業そのものだった。当たり前か。それが仕事だもんね。
長年にわたってこれだけ毎日文章を書いていると、ヘタクソながら自分の文章のスタイル、イヤ、リズムかな?のようなものが出来上がってしまっていて、他人の書いた訳文というのはどうも座りが悪い。
私は普段Marshall Blogの文章を書く時、なるべく平易な表現を使って、読者に二度読みさせないように努めている。いつもフザけているように見えるかも知れないが、実はいつもフザけているのである。
ウソウソ!でも、「これで一発で意味が通じるかな?」と悩み、何度も何度も書き直す文章も存外に多いのである。
それだけに、そうではない複雑な記述の文章に出くわすとどうしようもなくそれが気になってしまうのだ!
それと、ギター・プレイに関する独特な表現はプロの翻訳家さんでも馴染みの薄いところであるのは仕方のないことであり、少なくない箇所で訂正を要した。
私とてそういった方面に明るくないため、アメリカ、イギリスのMarshall関係の友人に指導を乞い、たまたま観光でやって来たオーストラリアのディストリビューターの友人とは、イッパイやりながら原稿を片手にその辺りの英語に関するレクチャーを授けてもらったりもした。
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つまり、日本語となった文章をチェックするのが本来の仕事だったハズの私の作業は、すぐに原本にある「英文と首っ引きで翻訳文に目を通す」という作業に拡大した。
コレは辛かった。
あまりにも時間がかかってしまったのだ。
訳文の内容に矛盾を発見し、その真偽を見極めるためにたくさんの英語に関するウェブ・サイトをひも解き、そう長くもないひとつの英文を訳すのに30分以上を要したこともザラだった。
中には一時間考え込んでも答えが出ない英文もあった。
ネイティブなら子供でも一発で読みほどく文章なのに…だ。バカでしょう、ワタシ?

今だから言うけど、実は途中で「ムリです。できましぇん。この作業は締め切りまでには終わらないかもしれない…」と出版社の担当の方に泣きを入れたこともあった。
ところが、ウマいこと言いくるめて頂いて仕事に復帰。こっちは単純を絵に描いたような人間だからね。
写真が多いとはいえ400ページにも及ぶ大著である。その英文のほとんどすべてに目を通すのはかなり苦痛を伴なう作業だった。しかもコレだけやっていたワケじゃないし。
マァ、おかげで知らなかった熟語表現なんかもたくさん発見した。もう全部忘れちゃったけど…。
これがチェックした原稿。これとほぼ同じ量の英文も読んだ。
A3で460枚。さっき量ったら2.7kgあった。
CDを並べたのは厚さがわかるかな?と思って。
脱線…この『Amplified』という二枚組CDは大分前にLAで見つけて買ったもの。70年代の英米のロックをあまりにも無造作に詰め込んだコンピレーション。選曲の無責任さがおもしろいのと、ジャケがMarshallだったもんでゲット。ケースを開けたら中に使われている写真はF社のアンプでやんの!
左は原本。この英文ほとんどすべてに目を通した。
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表記の問題も大きかった。
アルファベット表記か、カタカナか?「ヴ」か「ブ」か?「・」を入れるか入れないか?大きな問題なのだ。

また、よしゃいいのに表紙の1959SLPと1960AXの写真まで撮らせてもらった。
これがまた結構大変だった。
表1に使われているフロントの写真はそれほど難しくないのだが、リアが死ぬほど難しかったことは以前にも書いた通り。
この我が家のスタジオも今となっては完全にNATALの倉庫になってしまったが…。ありがたいことに、NATALは色んなところからお声をかけて頂き、出入りが激しいので手元に置いておかないと動きが取れないのだ。うれしい悲鳴ってヤツ。
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さて、本の方はといえば、最後には一日に何回もバイク便を飛ばして出版社と原稿のやり取りをしなければならないほど切羽詰まった状況ではあったが、何とか締め切り日までに入稿することができた(つもり)。
だいたい初めからコツコツやっていたらあんなに苦労しなかったってんだよ!…という自業自得の見本みたいな話し。
そして予定通り2014年12月19日に発売の運びとなった。
やっぱりコレだけの分厚い本だからね、製品を手にした時にはうれしかったね!
苦労はスっ飛ばなかったけど…。
130
それにも増してうれしかったのは、日頃お世話になっているMarshallプレイヤーの方にこの労作を手にして頂いたことだ。

大谷令文さん!
100Wモデルのページはお気に召して頂いたでしょうか?ココ、技術的な記述が多く死ぬほど苦労したところです。
P152のウェンブリーのThe Whoの写真はご存知でした?
令文さん、ありがとうございます!

大谷令文の詳しい情報はコチラ⇒ホームページ

O_10石原SHARA慎一郎さん!
SHARAさんご使用の歴代Marshallのモデル、すべて網羅されとります!
SHARAさん、ありがとうございます!

石原SHARA慎一郎の詳しい情報はコチラ⇒Official Blog

O_30五十嵐sun-go美貴さん!
MarqueeのJCM800ありがとうございました。
JVM410Hと1960DMもしっかり掲載されておりま~す。

五十嵐sun-go美貴の詳しい情報はコチラ⇒sun-go☆彡Blog

O_40大槻啓之さん!
日本屈指のジェフ・ベッカー。
考えてみるとジェフも1987からDSL、Vintage Modern、直近のDSL100HまでかなりのMarshallistですからね~。
大槻さん、ありがとうございます!

大槻啓之の詳しい情報はコチラ⇒BEPP Official Website

O_50_2ルーク篁さん!
ルークさんは実は歩くMarshall Museumなのだ。コンテンポラリーなMarshallは最近の1959SEまでほとんどすべて実戦でご使用頂いているけんね。
それだけじゃなくて、いくつもの即戦力の極上ビンテージMarshallのオーナーでもあるのよ。
ルークさん、ありがとうございます!

CANTAの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site

O_60

三宅庸介さん!
この本を日本で初めて販売したのは、発売日三日前の三宅さんの『Sound Experience 14』でのことだった。
よくある会場限定先行販売ってヤツね。一般のお客様にも多数お買い上げ頂いた。
みなさん、サインがへタでゴメンね。
三宅さん、ありがとうございます!

三宅庸介の詳しい情報はコチラ⇒Strange, Beautiful & Loud

55島紀史さん!
大好評の新生CONCERTO MOONでも大活躍してるのがノンちゃん自慢のMAJOR 1967。
このモデルもシッカリ一項目となって編み込まれている。
そのサウンドはCONCERTO MOONのライブで体験して欲しい。
ノンちゃん、ありがとうございます!

CONCERTO MOONの詳しい情報はコチラ⇒Official Site

56関西からは金谷幸久さん!
今年発表した四枚目のソロ・アルバム『CRY FOR THE MOON』も好評な根っからのMarshallistだ!
金谷さん、ありがとうございます!

金谷幸久の詳しい情報はコチラ⇒Official Blog

O_20中野重夫さん!
ウチに遊びに来て頂いた時にパチリ。
Jimi Bruce Band他でますます活動を活発にするシゲさんとMarshallは切っても切れない縁だ。
考えてみると、シゲさんって世界一のSUPER100JHのオーナーかも。なんぼ好きでも、このJimi Hendrixのシグネチャー・モデルを三セット持っている人は他にいないでしょ?
Marshallの工場にももうないかも?
シゲさん、ありがとうございます!

中野重夫の詳しい情報はコチラ⇒Jimi Bruce Band facebook

O_70田川ヒロアキさん!
最近はJVM201Hと1936VでブイブイいわせていることはMarshall Blogでレポートした通り。
生半可ではないMarshallへのロイヤルティにはいつも感謝しております!
ヒロアキくん、どうもありがとう!

田川ヒロアキの詳しい情報はコチラ⇒FretPiano

O_75関雅樹さん!
Marshall Blogには珍しいジャズ畑のギタリストにもゲットして頂きました。コレがまたMarshallでいい音出しよる!
最近は1974Xにズッポシはまってらっしゃる。
関ちゃん、ありがとう!

関雅樹の詳しい情報はコチラ⇒Offcial Website

M_seki1

Anziさん!
本を手渡すと、「こういう図鑑みたいなモノって大スキなんですよ!」とうれしそうにページをめくってくれたのがうれしかった。
摩天楼オペラのステージ、Anziさんの背中にMarshallがなかったらどうするの?
Anziさん、いつもありがとう!

摩天楼オペラの詳しい情報はコチラ⇒OFFICIAl SITE

O_76ニューアルバム『R』がバカウケのD_DriveのMarshallチーム。
まずはSeijiさん。
Seijiさんが愛用している私が企画したECフレットのDSL100は掲載されていないのが残念!
でも唯一無二のインスト・メタル・バンドでMarshallが活躍しているのは誇らしいことだ!
Seijiさん、ありがとう!

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site

O_80そしてYukiちゃん!
日本を代表する女性シュレッダーとしての地位を確立した感十分ありのYukiちゃん。
いつも最高のプレイとサウンドを聴かせてくれるのはうれしいナァ~。
Yukiちゃん、ありがとう!

O_90若手コーナー。
Fury of Fearから西村守くん!
ゴメンね、オジちゃんいつも「Fury of Fear」か「Fear of Fury」かわからなくなっちゃうの。
でもこれからの活躍に期待しております。
もちろんMarshallといっしょにね!
守くん、ありがとう!

Fury of Fearの詳しい情報はコチラ⇒Official Website

O_100同じくFear of Furyから…イヤ違う!Fury of Fearからベースの文月りらちゃん!
こんなことやってるからいつまでたっても正確に覚えられないんだよね~、失敬、失敬。
りらちゃんは勉強熱心でしてね、昔のMarshallのベース・アンプに関する質問なんかをしてくれる。
ステージに立って髪を振り乱して四本の弦をかき鳴らす姿は大変セクシーだ。
りらちゃん、ありがとう!

O_110最後、SHARAさんや劇団☆新感線を手伝っている中村貴くん。
考えてみると貴くんとも長いお付き合いになってきた。色々とお世話になっちゃってるんだ!
貴くん、ありがとう!
そして、左は冒頭に書いたようにこの本の監修で煮え湯を頂戴した私。

O_120…以上、『アンプ大名鑑 [Marshall編]』の発売一周年を記念して一本編ませて頂きました。

もちろん、ココにお出になってはいないものの、この本をお買い上げ頂いたミュージシャンや関係者の方々もたくさんいらっしゃることと存じます。
そして、この本をお買い上げ頂いたMarshallファン、アンプ・ファン、音楽ファンの皆様、この場をお借りしましてご厚情に心から感謝を申し上げます。
次回は2062年の出版となります…てかッ?!

(一部敬称略)

 

 

2015年10月28日 (水)

Marshall Blog やっと、ずっとの三周年…とお知らせ

おはようございます。
今日はまずフォーマルに…


平素よりMarshall Blogをご愛読賜り誠にありがとうございます。
2012年10月26日にイギリスMarshall Amplification plcの公式ブログとしてスタートしたMarshall Blogが一昨日三周年を迎えました。
こうして順調に三周年を迎えることができたのもご支援を頂いている読者の皆さまと関係者各位のおかげと心から感謝申し上げます。
これからも尚一層充実した内容を目指して記事作りに精進する所存でございます。
今後ともMarshall、NATAL、EDENをお引き立て頂き、Marshall Blogをご愛読頂きますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
また、Marshall Blogを通じて皆様の音楽ライフがより豊かになりますようお祈り申し上げております。

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それでは弊社社長、ジョナサン・エラリーからもひとことご挨拶させて頂きます。

Congratulation on the 3rd anniversary of the Marshall Blog, I hope that you have all enjoyed the information and continual updates the blog has delivered over the last 3 years.
This blog is the official Marshall Blog for Japan and covers all information regarding Marshall NATAL and EDEN as well as all of the life style products.
If you want to keep updated then remember keep coming back for more exiting updates and everything you need to know about Marshall, NATAL and EDEN.


Jonathan Ellery (MD) Marshall Amplification plc

Je_portrait_c_sm (マーシャル・ブログ三周年おめでとうございます。
読者の皆様におかれましては、様々な情報と三ケ年にわたる絶え間のない更新をお楽しみ頂いていることと存じます。
このブログはMarshall社の日本の公式ブログで、話題はMarshall、NATAL、EDENだけでなく、ライフスタイルの商品にまで及んでいます。
もしあなたが最新の情報をお望みであるならば、Marshall、NATALそして、EDENのすべてがつまったエキサイティングなMarshall Blogの更新のチェックをお忘れなく。)

ジョナサン・エラリー Marshall Amplification plc MD(最高経営責任者)

ハイ、ありがとうございました。
では、素に戻って…。


…ということで「Marshall Blog三周年」を迎えることができた。
上にあるように2012年の10月に第一回目を掲載して以来、土日祝日、盆暮れ、海外渡航時等の若干の例外を除いて何とか毎日更新することができた。
その回数は、号外を含めて今日の分までで767回に上った。
年間に255.7本の記事を書いたことになる。


昔からの読者は以前にもMarshall Blogをやっていたことをご存知だろう。
あの時は、2008年4月にスタートし、前の会社を退職する2011年末まで三年八ケ月にわたって毎日更新を続けた。
正確な数字ではないが、930本ほどの記事を書いたように記憶している。
そして、今回のMarshall Blogは三周年を迎えた現時点で、以前のMarshall Blogのアクセス件数を軽く追い越してしまっている。
双方累計の記事の数は書きも書いたり、〆て1,700本!
一体何枚写真を撮ったことだろう?延べ120~130万枚を下ることはまずあるまい。
我ながらよくも1,700もの記事を書いてきたものだと呆れるやら、感心するやら…。
それにお付き合いくださった読者の皆さんこそスゴイ。
同じことを何回も繰り返し書いてみたり、ただのオヤジのボヤキになってしまったりすることもあったりして…ゴメンね。
にもかかわらず順調に読者の数を増やし、成長して来れたのはご協力頂いた皆様のおかげだ。
ま、どう考えてもあの膨大な脱線ネタは不必要だよね?…かと思うと、「アレが好き」というご支持のお言葉もたくさん頂戴するのですよ。だから脱線は止まらない。
「よくあんなに書くことがありますね?」なんてこともよく言われる。
でもネ、筆が進みが遅いことはあっても、ネタがなくて困ったことは今まで恐らくただの一度もない。


これらの記事を書くためにコンサート会場に足を運ぶ回数は年間に150回内外。
重いカメラをブラ下げて会場を駆けずり回るのは年々キツくなる。
訪れるコンサートが好きなタイプの音楽ばかりとは限らない。
私だって人間だ、いくら仕事とはいえ、正直肉体的にも精神的にもシンドイしんどい時も少なからずある。
しかし、タマには政治的に動くこともあるけど、とにかくいい音楽を皆さんに紹介したい一念でやりぬいている。
何も大会場やフェスティバルばかりのコンサートがいいワケではないし、ワンマンではないイベント・ライブでも素晴らしい内容のものはいくらでもある。
私は80年代から最新のロックを率先して聴くことはしなくなっているが、四十年間ずっと傍らでこの音楽を見聞きして来てあまりにも草食化、幼稚化していることに驚きと絶望を感じざるを得ない。
ロックはどこへ行ってしまった?!
音楽のスタイルが時代とともに移ろうことは百も二百も承知している。クラシックもジャズもそうだった。
でも、結局クラシックもジャズも変わらない方が良い要素が根強く残っていて、頑なにそのよき伝統を守り通している動きがある。
ジャズの場合には若手が奏でるトラディショナルなジャズを「新伝承派」と名付け支持を惜しまなかった。
そう、現在のシーンをレポートするとともに、いつもブログに書いているように「伝承」に重きを置いて記事作りをこれからも推進していきたいと思っている。
だって、誰かがやらないと!
安心しないでください!マズイですよ!
さもないと世の中のロックが全部「ありがとう」と「がんばれ」と「さくら」になっちゃうよ!あと「負けるな」か…。

ロックも齢を重ねて最近では還暦をお迎えになるミュージシャンの方や、デビュー何十周年記念という記念イベントが富に多くなった。実にうれしくめでたいことではある。
しかし、その一方、この三年を振り返っただけで我々はずいぶん多くの悲しみに遭遇した。
Bert Weedon、Jon Lord、青山純、佐久間正英、Big Jim Sullivan、小川文明、Jack Bruce、KAZ南澤、シーナ、Andy Fraser、渡辺英樹、小川銀次、そしてTAKAE(以上敬称略)…MarshallやMarshall Blogに関わって頂いた方々のご逝去に際しては都度【訃報】あるいは【号外】を掲載して来たが、たった三年でこれほど多くの偉大な才能を失ったことにも驚きを隠せない。改めて謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
こうした偉大な先達たちの遺産を後世に伝えるのも大きなMarshall Blogの役割だと思っている。

こうして記事では様々な話題に触れてきたワケだが、ひとつ残念なことがある。イヤ思い切ってこの際、お願いしてしまおう。
『ミュージック・ジャケット・ギャラリー』と『イギリス-ロック名所めぐり』の回はアクセス数がズドンと落ちてしまうのが常です。
決してアクセスの数だけに拘泥しているワケではないんだけど、アレ書くのものスゴイ大変なのよ。山ほどの英語の文献に当たるもんだから膨大な時間がかかる。
この作業とイギリス人との交流を通じて思い知ったのは、日本に流布しているロックの歴史的な情報や知識たるやあまりにも貧弱であるということだ。
そうした状況を少しでも改善すべくこの二つのカテゴリーに取り組んでいるつもりなワケ。
だから我ながらメチャクチャ面白いと思うのね。自分が知りたいようなことがテンコ盛りなの(自分でやってるんだから当たり前か…)。
なので、毛嫌いしないで是非多くの方々に目を通して拡散して頂きたいと願っている。

話がアチコチ飛んで恐縮だけど、最近はほとんどのコンサート会場で最年長なんだよね~。
驚いちゃうのは出演者のご両親より年喰っていることが多くなっていること。
Marshall Blogが十周年を迎えようものなら、その頃には孫の世代のミュージシャンが出て来てるね。
体力が続く限りMarshall Blogやってやろうじゃないの!
ま、コレやっているウチはボケることはないだろうし…。
やっと三周年だけど、ずっと続けていきたいMarshall Blogなのだ。

その原動力は何といってもご愛読頂く皆さんです。
もし、Marshall Blogがおもしろいとお思いになられたら、是非ひとりでも多くの読者を増やして頂くようご協力をお願いします。

最後にあとチョット…安心してください、お知らせですよ。
海外からのアクセスも少なくないMarshall Blog。
「Marshall Blog AOR」という名称の元についに英語版を始めることにしたのだ!
大丈夫なのか?!
「AOR」とは私が担当する「アジア&オセアニア地区(Asia & Oceania Region)」の略だ。
さすがにMarshall Blogをそのまま英訳することは時間的、労力的に不可能なので、海外にも訴求しそうな話題をセレクトして、かつ文章を軽量化して記事を作っていくつもりだ。
人気の海外ミュージシャンの来日公演レポートや海外に紹介したい我が日本のバンドの話題を中心にお送りしていく予定。
Marshall、NATAL、EDENをお使い頂いている皆さんのさらなるPRの一助ともするなれば幸いである。
それと、今Marshall Blogがらみのチョットした企画も推進中。そちらも乞うご期待!

最後にこの場をお借りして家内に感謝の気持ちを伝えたい。
毎回コンサート会場に一緒に足を運んで、撮影に集中する私の傍ら、暗闇の中でショウの内容を記録してくれている。この記録がなければ記事を書くことは到底不可能だ。
いつもありがとう!
加えて、Marshall Blogを理解し、再開を要望してくれた上、いつでも全面的な協力を惜しまないエラリー社長に心から感謝申し上げる次第である。
Thank you very much for your generous support, Mr. Ellery!

そして、Jimへの尊敬と感謝はいつも忘れない。
And the respect and gratitude to Dr. Jim Marshall OBE is always in my heart. 

Jimgraphic_3 以上で『Marshall Blog三周年記念式典』を終了させて頂きます。
これからも何卒よろしくお願いします!


字が多すぎて貧血で倒れている女子はいませんか~?昔は夏の朝礼で校長の長い話しで倒れちゃう女の子が何人もいたもんです。
ハイ、「いいね!」、リツイート等各種拡散よろしくお願いしま~す!


※今日の記事のタイトル「やっと、ずっと」はMarshall Blogでおなじみの田川ヒロアキさん作の曲名から拝借しました。

2015年10月 2日 (金)

LONDON ARRIVES IN TOKYO

『#LIVEFORMUSIC』を旗印に、ギター・アンプだけでなく、ヘッドホンや冷蔵庫まで「Marshall」ブランドをまとった商品が続々と登場していることは皆さんもご存知の通り。
『音楽に生きる』…50年以上にわたってロックの発展に貢献したブランド・ロゴがステージだけでなく、我々の日常の暮らしの中でお目にかかれることはよろこばしいことだと思う。
やっぱりMarshallロゴ、カッコいいもんね。
Jimが生きていたらよろこんでいただろうナァ。

10_2で、すごく気になっていたのがそのネーミング。
冷蔵庫なんかは「Marshall Fridge」とド直球だけど、おもしろいのはシリーズで発売されているスピーカー。
最近は家電量販店で販売されていて、40年近く前からMarshallロゴを知る私なんかにはドキっとさせられると同時に劇的な時代の変化を感じる。
だって、電気屋さんで「Marshall」が売られているんだゼ~。
そのスピーカー・シリーズにはロンドン、並びにロンドン近郊の地名がそのまま付けられている。

例えば「HANWELL(ハンウェル)」。
これは国鉄のHanwell駅。

20ここから10分ほど歩くとこのUxbridge Roadに行き着く。
「Uxbridge Road 76」はJimが最初に開いた楽器店があった場所だ。すなわちMarshall発祥の地。
そのあたりに興味のある方はコチラをご覧頂きたい⇒【イギリス‐ロック名所めぐり vol.2】 マーシャルの生まれ故郷<後編>

30「WOBURN(ウォバーン)」という商品もある。
WoburnはMarshallの工場があるBletchleyの近隣の小さな町の名前だ。

40空港から工場へ車で移動する時、高速道路が渋滞していると「下道」の一ルートとしてよくこの町を通過する。
とても小さな町だが、古い建物や教会が並ぶ実にチャーミングなところだ。

50「KILBURN(キルバーン)」というモデルもある。
コレは地下鉄Jubilee線のKilburn駅。
ロケーションとしてはシャーロック・ホームズで有名なBaker Street駅や『Abbey Road』のあるSt.John's Wood駅のチョット先。

60v何でこんなところに行ったのかというと…目的はコレ。
The WhoやDeep Purpleの熱心なファンはよくご存知だと思う。
ちなみにRitchie Blackmoreフリークで名高いCONCERTO MOONのノンちゃんはさすが、よく知っていた。
詳しくはまた『ロック名所めぐり』で。
ひとつだけ書いておけば、私、ここの通りにあった東洋人が経営するラーメン店で、人生で一番ズイマなラーメンを頂きました。
考えてみりゃ、二番目にズイマだったのも、三番目にズイマだったのもイギリスだわ。

70vまだある。すごいラインナップの数だ。
「ACTON(アクトン)」はロンドンの西のハズレ。観るところが特段ないので写真はないが、行ったことはある。
ヒースロー空港に乗り入れしている地下鉄Piccadilly線の西のエリアが何らかのトラブルで普通になってしまい、バスで空港からActon Town駅まで振り替え輸送してくれた時だ。
デカいスーツケースを持っていたので大変だったが、その振り替え輸送の段取りは実にスムースで驚いた記憶がある。
ロンドンの地下鉄はやたらめったら止まるでね。スッカリ慣れっこなんだろう。
確か、Marshallがサポートしている音楽学校があるのもActonだったような気がする。

それから「STANMORE(スタンモア)」。
コレはまったく行ったことがない。さっきのKilburnを過ぎて、Wembleyを過ぎたまだ先のJubilee線の西の終点。
Jubilee線に乗った時に思い出して社内の路線図だけ撮影しておいた。

こうしてみると、Marshallに深く由来している名前はHANWELLだけだな。ま、あとWOBURNぐらいか…。ワン・ワードの地名で揃えているだけかな?

80コレ以前に書いたかナァ…エエイ、好きな話しだからまた書いちゃえ!
世界のディストリビューターがMarshallの工場に集って開催される会議で、以前「新商品の名前をどうするか?」という議題があった。
ま、「議題」といってもそう堅ッ苦しいものではなく、それは雑談に毛の生えたようなもので、色んな意見が出た。
その中に内蔵の名前はどうか?」というアイデアが出てみんな大爆笑。
私もこういうの好きだから…「考えてみるとディーラーからのオーダーの時スゴイことになるよ!だって”エ~、今日は腎臓を一個と肝臓が二個、今日は目玉は要らないよ”だもん」…と言ったら大ウケ。
こういう時の英語はできる限り速くしゃべる。それないと絶対にウケない。そのために日頃から英語を練習している(←ウソこけ!)。
でも、多くの日本人は内臓を表す英単語なんて知らないだろうから、このアイデア結構イケると思うよ。
たとえば、「キドニー」。または、「ブラダー」。「パンクリアス」、「デュオディナム」なんてのもある。
コレ、それぞれ腎臓、膀胱、膵臓、十二指腸という意味。
カッコよくね?「デュオディナム」なんて出力が12Wでいい音が出そう。「キドニー」は音が小さいよ。腎臓は「沈黙の臓器」だから。

ハイ、ここまでが前置き。
そして、やって来たのが地名の真打。LONDONだ。

90今日はロンドンに行った話題ではなくてLONDONがウチにやって来たというお話し。

100もう皆さん、よくご存知でしょう。
Marshallブランドのスマートフォン。その商品名がLONDONだ。
コレが昨日届いたのよ!
パッケージはこんな感じ。
カチンカチンの紙のハコに入ってる。

110

120

130フタを開けると…オ~っと、Marshallロゴ入りピック。といっても、穴が開いているところを見るとギターを弾くためのものではなく、アクセサリーの一種ということなのだろう。

140それをめくると紙の袋に入った本体が登場。
紙の袋には「LONG LIVE ROCK 'N' ROLL Marshall」とある。
大丈夫。Marshallが存在する限りロックは長生きだ。Marshallを忘れた時、ロックは死ぬ…ナンチャッテ!

150コレが本体。

160薄くてメッチャ軽い!大きさもデカすぎず、小さすぎずちょうどいい。日本人の手のサイズでもバッチリ。
あ、この手は私の手ではござらんよ。

163もう色々なサイトで紹介されているので、ココで詳しくは書かないが、コレが例の二つのヘッドホン・アウト。
165それぞれ異なる音量で音楽を聴くことができる。
そう、「#LIVEFORMUSIC」…音楽好きに有利なスマホなのだ。
しかもMarshall、しっかりしたスピーカーを搭載して世界一ラウドなスマホを目指した。

166_2ゴールドのボリュームのホイールがいいね。
こういうデザインはウマいナァ。黒、金、白がMarshallのイメージ・カラーだもん。横っちょのギザギザもいい感じだよ。

166裏面はこんな感じ。

170やっぱりこのロゴがうれしいね~。
表面の仕上げは「シボ加工」というヤツ。
コレ、我々にとっては1959や1962等のビンテージ・モデルのレヴァント・カバリングだよね!

175これがバッテリー。
「LONG LIVE」なのね。なるほど、ウマくやったな…。

180本体を箱から取り出すと下段はこんな感じ。
なんだかサンダーバード2号みたいだな。

190ここには充電機と安全のしおりが入っている。
コレ、プラグはドイツやフランス向けのヤツだな。イギリス仕様の商品はこの箱に入るんかいな…なんてのは余計なお世話か。

200付属のイヤホン。

210スピーカーには「M」の字。

220リモコン部にもMarshallロゴ。

230一応記しておくと、仕様はこうなってるそうだ。
●OS :Andoroid Lollipop 5.02
● CPU :Snapdragon 410、1.2GHz クアッドコア
● メモリ :RAM 2G、ストレージ16GB、Micro SDカード挿入可能
● ディスプレイ :4.7インチ、720p HD、ゴリラガラス3採用
● カメラ :8MP、フラッシュ付き(メインカメラ)2MP(フロントカメラ)
● SIMカード :Nano-SIM (Simロックフリー)
● センサー :環境光センサー、近接センサー、加速度センサー、ジャイロ、e-コンパス
● ネットワーク :GMS、3G、4G LTE
● WiFi :802.11a//b/g/n、2.4GHz/5GHz帯に対応
● Bluetooth :4.1、BLE、aptX
● バッテリー :2500 mAh 取り外し可能 USBチャージャー付き
● サイズ :140.45×70.25×9.45mm、 重さ140g

235…とこんな感じ。
時間がなくてまだ実際に試してみたワケではないんだけど、やっぱり持ってるだけでうれしくなっちゃうね~!

236さて、このLONDON、早くもうれしい話題が!
「IFA」という展示会で2015年のベスト商品のひとつ(Best of IFA 2015)に選ばれたのだ!
このIFAというのは、別名を「Internationale Funkausstellung Berlin」といい、毎年9月にベルリンで開催される世界最大の電気&家電用品の展示会だ。日本語では「国際コンシューマ・エレクトロニクス展」と呼ばれているらしい。
我々の業界で言えばフランクフルト・メッセとかNAMMショウだね。
この展示会、初の開催が1924年と歴史は古く、真空管ラジオ、テレビ、テープレコーダー、最近ではデジタル関連の家電製品…等々、我々の生活に当たり前に存在している家電製品がこの展示会で初めて紹介されている。
そんな名だたる展示会で賞をゲットするなんて幸先のよい話しだ。

Congratulations on your daughter's great achievement, Grace!!

今回この記事を書くにあたり、巷間の状況をインターネットで調べたところ、マァ~、ウェブサイトからYouTubeまで出て来るわ、出て来るわ。呆れるぐらいたくさんの情報が出回っていた。
スゲェ注目度で驚いたわい。
それらを見たらココに細かいことを書いても仕方ない…ってな気になってしまって記事は故意にサラっと仕上げてみた。
日本版の発売の情報はまだ入ってきていないが、興味のある人はそれぞれのサイトや動画をチェックされたし。

237_4「#LIVEFORMUSIC」…Marshallの次の一手はなんだ?!

M_img_0005

2015年10月 1日 (木)

貴方とナタールと音楽と

Marshall BlogではスッカリおなじみのMarshallのドラム・ブランドNATAL(ナタール)。

M_jmk_front


1965年の創立だからして、Marshallの3年後輩で、元々はアラン・シャープという人が作ったハンド・メイド・パーカッションのブランドだ。
2015年の今年は創業50周年なのだ!

As そのアランが作るパーカッションがあまりにも素晴らしいので、瞬く間に時のイギリスのパーカッショ二スト、ドラマーたち愛用された。
T.RexのMicky Finn、The Rolling StonesのCharlie Watts。
そして、Led ZeppelinのJohn Bonham等々。

Jb_1 Deep PurpleのIan GillanだってNATALのコンガを使っていた。
この『Live in Japan』の海外盤、『Made in Japan』のジャケットに写っているコンガはNATAL製だ。

Dp Fleetwood MacのMick Fleetwoodもそう。
Led Zeppelinの「Black Dog」の原型といわれる「Oh Well」のコンガがNATAL製だったのかもしれない…なんて想像するだけでも興奮しちゃうよ!


残念ながら当時日本には入って来なかったので名前を知っている人は皆無に等しかったけど、60~70年代のブリティッシュ・ロックを聴いている人はまず間違いなくNATAL製品の音を耳にしているハズなのだ。

そのNATALがドラム・キットを製造し出したのはMarshallがブランドを買収した数年前のこと。
最後発とはいえ、確かな品質と手ごろな価格、そして何よりもブリティッシュ・ロック魂に満ち溢れたサウンドで急速に世界中のドラマーの間に普及している。
おかげさまで大分日本でもその名前が知れ渡るようになって来て、楽器店でも見かけるようになってきた。
NATALを応援してくださっている皆さんには。この場をお借りて心から感謝申し上げたい。
Jim Marshallも天国で喜んでいるはず。
「日本でもようやく動き出したか…フォッ、フォッ、フォッ!」って。Jimはドラマーだったからね。

Jim そして、昨日イギリスからNATALブランドを紹介する最新の動画が届いた。
是非、ご覧くだされ!

そして、私といえば、今NATALの日本語版ウェブサイトの制作に悪戦苦闘&七転八倒しておりやす。
もうチョット待ってて!

★NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL Drums Official Web Site(英語版)
★NATAL製品は全国有名楽器店にてお求めください。
★NATALドラムは高田馬場バズーカスタジオでお試しになれます。バーチ、メイプル、そしてアッシュのキットの他、各種スネアドラムも用意しています。ドラマーの方、「NATALの部屋」ご指名でお出かけください。
詳しくはコチラ⇒バズーカスタジオ公式ウェブサイト

P.S. :今日の記事のタイトルは美しいジャズのスタンダード曲、「You and Night and the Music(貴方と夜と音楽と)」から引用しています。頭がおかしくなったワケではございません。

2015年9月 9日 (水)

『マーシャル・スタック』生誕50周年記念~壁をあじわう

「壁」…という言葉にあなたは何を想いますか?

ベルリン?ピンク・フロイド?ゲゲゲの鬼太郎?スパゲティ屋?左官屋のオジサン?安部公房(読んだことない)?、はたまた人生の壁?…人それぞれ色々あるでしょう。

もう私は圧倒的に「Marshall」。
他の壁は思い浮かばないほどにMarshallの壁。

…ということで今日はあるギタリストが実際にステージに並べたMarshallの壁をジックリと鑑賞していただきましょう。
色々な事情があって当のギタリストは登場しません。
一体誰でしょう?
ま、Marshall Blogの読者なら一目瞭然でしょう。この「万里の長城」並みに宇宙から見えるMarshallの壁の施主を…。

10ヘッド三段、キャビ二段の五段積み。
昔はヘッドとキャビ二段ずつだったんだけど、ドンドン成長している。

15照明でイメージも変わる。
まるでエアーズ・ロック。

30この効果を期待して白いMarshallを並べたのはStatus Quoだった。

40実はこの光景は珍しい。ナゼなら本番中は白い照明がまったくと言っていいほど使われないからだ。

20

しかし、いいナァ~。

50しかし、不思議だナァ~。

70他のギター・アンプを並べたって絶対にこの雰囲気は出ない。
ナゼなら似たようなデザインの商品が数えきれないほど世の中に出回っているが、これこそがオリジナルであり、ロックの歴史を作った一部であるからだ。
この黒いハコには「ロックの夢」が詰まってるんだ。

60
しかも、音がいいと来てるんだからいうことありゃしない。


唯一無二にして不滅のロック・アイコン。それが「Marshallの壁」。
今年はその壁板であるフル・スタック(三段積み)が誕生してちょうど50年めに当たる。
ナゼ、こういうものが生まれたのかはMarshall Blogの読者なら多くの方がご存知であろう。
Marshallの創立25周年を記念して1987年に発売されたSilver Jubilee2555Xを今回リイシューしたのはそのためだ。
実は、私はもう何年か前に2555のリイシューをリクエストしたことがあった。
別の言い方をすると「JCM800のスプリット・チャンネル・モデル」、すなわち2210、2205、あるいは2555を再生産したらどうか?と提案したのだ。
そのことをジョン社長に話すと、「知ってる。しかし、スタック50周年を記念するモデルとしてリイシューをキープしておいたんだよ」…そうなのッ?

80v …ということでスタック生誕50周年を記念して、ここで最近の日本の「壁」も味わってみよう!
コレは陰陽座のステージの下手。招鬼さん側だ。
同様の壁が狩姦さんが位置する上手にも設置してある。世界に誇れる日本の「壁」の代表選手だ。

90 GRANRODEO
GRANRODEOの壁はいつもアンプとアンプの間にスキマを与えているところが特徴だ。
コレはステージ上手、e-ZUKAさん側のようす。

N_img_0003_2全体ではこうなる。
ショウの中でアンプのスキマに設置されている照明が輝き、舞台装置として素晴らしい働きを見せてくれる。

100__2

110

こちらは摩天楼オペラ
Anziさんも必ず壁を設置してくれる。ヘッドがJCM2000 DSL100に揃えているところがこだわりか…。

120コレはKelly SIMONZさんの東京キネマ倶楽部でのセット。
1959と1960の組み合わせは実にMarshall感が強い。やはり時代の音楽を作った実績を持っているからだろう。

140こちらも東京キネマ倶楽部から…東京ネイルキャッツのステージだ。

150野音のステージを埋め尽くす7セットのスタック。壮観!MEJIBRAYのステージ上手。

160ドバっと並べなくても「壁」はできる。
コレはCONCERTO MOONの壁。2セットでも壮観だ。Marshallだから。
そして見よ!この名誉の負傷!
カバリングの剥がれて地がムキ出しになった部分にはノンちゃんの血と汗と音楽に対する情熱しみ込んでいる。
満身創痍のビンテージ・ギターと同じだ。

130v Marshallの壁…ロックが存在し続ける限り生き続けるに違いない。がんばれ、壁くん!

170

 

2015年8月 7日 (金)

Marshallだより~Joel Mananの最新バックライン情報 (2015年8月)

Marshallのアーティスト担当のJoelから届いた最新のアーティスト情報をまとめて…。

1. X Factor
X FactorはSimon Cowellという人が中心となって展開しているテレビ・オーディション番組だ。日本ではあまりなじみがないことと思うが、イギリスが発祥で、現在ではアメリカをはじめとして世界中で親しまれている。
そういえば時折Marshallの連中がこの番組のことを話しているのを思い出した。
以前からMarshallはこの番組と提携していたが、このたび契約を更新したそうだ。つまり、この番組オフィシャル機材としてMarshallが活躍するワケ。イギリスの話ね。

20

2. Dr. Martens
今度は靴。コレ、「ドクターマーチン」って読むのね?1947年創業のドイツの老舗靴ブランド。
ココがスポンサーとなったイベントをMarshallがサポートする。
出演は、マンチェスターはマープルからDUTCH UNCLES、ランベスだからロンドンか…PALMA VIOLETS、さらにケンブリッジのLONELY THE BRAVE。

10v_2

3. James Bowman from Against Me!
Against Me!はフロリダ出身の人気バンド。そのギタリストのJames Bowmanが他社ブランドからMarshallに鞍替えした。
使用モデルは今回の2555Xと2551BV。
アメリカ・ツアーはすべてソールド・アウト。これからレディングやリーズを含むイギリスやヨーロッパのメジャー・フェスティバルを巡るツアーを敢行する。

30

4.  Andy Williams & Jordan Buckley from Every Time I Die
Every Time I Dieはニューヨーク州出身のメタルコア・バンド。そしてコレは二人のギタリストのMarshallとの近影。
Andyは2555Xを購入し、愛用のJCM800、9200、JMP-1に付け加えた。
現在アメリカをツアー中。年末にはイギリスを訪れる。

40v

5. Lenny Kravitz
Lennyをバルセロナでキャッチ。
Hard Rock Cafeが主催するイベント「Hard Rock Rising」でのひとコマ。Lennyは二台のオリジナルの1987をツアーで使用。向かって左下に1987が見える。
キャビネットも2x12"に刷新を予定している。

50vLennyの1987。

60

6. Code Orange
女流ギタリストのReba Meyers率いるピッツバーグの若手バンド、Code Orangeも新しいMarshallの仲間だ。
もうひとりのギタリスト、Eric Balderoseとともにサッチ・ヘッド、つまりJVM410HJSを愛用している。キャビネットは1960Aだ。
Code Orangeは超人気のノルウェイのMayhemとのアメリカ・ツアーをSlayerとKing Diamondとともに終えたばかりだ。

70v_2

7. Joe Perry - Aerosmith
ゲットし次第Joeのシステムに組み入れられたJTMの1W Off Setヘッド。
とにかくいい写真だ!

80

8. Coldplay
ギタリストのJohnny Bucklandが最近入手した1960BX。彼は長年にわたってのMarshallプレイヤーだ。現在絶賛作曲中!

90

9. Kiko Loureiro
新たなMarshallプレイヤー、Kikoが最強のMegadethに加わった。
Kikoは他社アンプを使っていたが、Dave Mustaineと同じくJVMでMarshallファミリーの一員となった。
彼らはレコーディングを終わり、世界規模のツアーに出るところ。
Kikoは南米と日本で大人気を誇っている。

100_2KikoとDave Mustaine。

110

10. Tommy Hill from Rita Ora
映画『ノッティング・ヒルの恋人』の舞台からほど近いポートベローで育った人気歌手Rita Ora。
そのバンドのギタリストも他社アンプからMarshallにスイッチした。
彼のセットはJTM45と1960AX。このコンビネーションでテレビ界隈を賑わせている。

120_2相変わらずMarshall大活躍!
Thanks for your great job, Joel!!

2015年7月17日 (金)

ギター・テック・インタビュー:トレース(エアロスミス)

この仕事をしていると、海外のギター・テックと接するケースが度々出て来る。
来日、すなわち海外公演するような世界的なバンドについている連中だから、どんな仕事をしているのか当然気になる。
で、「他に誰の面倒をみてるの?」なんて話しをよくするんだけど、やっぱ世界はスゴイね。
ジェフ・ベックのテックのスティーブなんか、「ん~、ブライアン・メイとかブラーとか?」みたいな。オイオイ、軽く言うんでない。
かつてゲイリー・ムーアについていたグラハムも当たり前のようにすごいことを言っていた。忘れちゃったけど…とにかくスゴイいいヤツだったのは覚えている。
今日ここに登場するトレースも興味深いキャリアを誇るひとり。
エアロスミスのギター・テック、かつてはAC/DCやチープ・トリックとも仕事をしていたそうだ。
トレースのインタビューをお届けする。

Trace オクラホマのタルサ周辺が拠点なんだ。シカゴで育ったんだけど、80年代にはLAに移って20年ほど過ごした。自分でも楽器を演奏する一方、他のバンドの機材の面倒をみてかれこれ30年以上になるんだ。

僕はプレイヤーでもあり、テックでもやっている。いくつかのバンドでは両方を務めているんだよ。13年間にわたってメリッサ・エサリッジのショウ・バンドでテックを務め、キーボードとギターを弾いたよ。ものすごくバタバタした夜を過ごしたね。
ここ10年間で一緒に仕事をしたのは…

●エアロスミス:ジョー・ペリーのギター・テックを務めて7年経った。
●AC/DC:2015年のワールドツアーでスティービー・ヤングと仕事をした。AC/DCのツアーの仕事はこれが初めてなんだ。
●チープ・トリック:リック・ニールセンのギター・テック。普通のツアーだったけど、40本のギターの面倒をみなければならなかったよ。
●キース・アーバン:(訳者注:エ、この人ってニコール・キッドマンのダンナなの?!)
●コレクティブ・ソウル:過去10年くっついたり、離れたり…。いいバンドだね。
●グー・グー・ドールズ:テックとしてトラでツアーに参加したんだ。

ま、挙げ出したらキリがないね。本当に色々なタイプの音楽に携わってきたよ。

Marshall(以下M):はじめてマーシャルに接したのはいつですか?またどのバンド?
Trace(以下T):エ~、最初は僕が高校の時のバンドにさかのぼるかな。長い間お金をためてハーフ・スタックをゲットしたよ。
JCM800だったと思う。それがその時にもっともゲットするのにふさわしいモデルだったんだ。


M:今まで仕事をした中で最も爆音だった機材は?
T:よくぞ訊いてくれました。2か月前だったら「ジョー・ペリー」と答えていたな。ジョーの音は信じられないぐらいデカいんだ。
でもね、AC/DCの方がデカい。ウン、はるかにデカいな。耳の保護をしないままでアンプの前を通りすぎることができないんだ。痛いんだよ。
でもそれが彼らのサウンドなんだ。そして、メッチャ音がいい!


M:今まで仕事をしてきた中で最高と最低のギグはどれでした?
T:最高だったのはエアロスミスのジョー・ペリーとの最初のショウだね。十分な準備もリハーサルもなしにほとんどブッツケ本番だったんだ。
メチャクチャビビったよ。ジョーは要求がすごく多くてね、いつでも期待以上の仕事をしないとマズイことになるんだ。
でも僕は仕事をうまくこなした。そして、ジョーから仕事を頼まれ、後は現在に至るってとこ。
最初は一週間分の着替えだけをバッグに詰め込んで彼の所へ行ったんだ。彼との仕事はキツイと聞いていたので長いことは持たないと思ったんだけど、結局7年間もお世話になってるよ。

最低のギグか…。実際、心底ヒドイと思ったギグはないな。今まで一緒に付き合ったやつらでヒドイと思うヤツはいたよ、でもギグはいつもうまくいった。
僕は機材のバック・アップをいつも2セット確保しておくんだ。1セットじゃダメだ。2セット必ず用意する。「準備」こそ成功のカギなんだ。そうすればより楽しく、ストレスの少ない夜が確実となるんだ。


M:お気に入りのマーシャルのヘッドは?
T:完璧ではないんだけど、ジョーが持っている1969年製のプレキシかな。もうヤケクソにいい音なんだ!そういうことから言えば、プレキシ時代のヘッドは何でも好きかな。


M:最近の仕事でマーシャルに関するおもしろい話しは何かある?
T:AC/DCのツアーでの呆れるほど大量のマーシャルだね。ツアーでは60台のヘッドを運んで歩くんだ。まったくスゴイよ!しかも、そのヘッド一台一台にストーリーがあるんだ。


M:仕事関係で最も仲のいい人物は誰?
T:僕はAC/DCやエアロスミスの音楽と一緒に育ったんだ。若い頃は彼らの音楽を通じてギターの弾き方を学んだ。それが今では毎晩彼らが最高のサウンドを出せるようにすることに責任を負っている。夢がかなったんだ。
今ではアンガス・ヤングやジョー・ペリーやスティーブン・タイラーの周りにいて彼の話しを聞くことができるんだよ!それは音楽の歴史であって、彼らの音楽がその歴史の一部になっているなんてスゴイことだ。僕は本当に恵まれていると信じている。


M:今仕事でお付き合いしているアーティストとは関係なしに、あなたのお気に入りのギタリストやバンドは誰ですか?
T:リック・ニールセンやチープ・トリックと仕事をするのは大好きだった。僕らは出身地が同じで、彼らはいつも地元のヒーローだった。スタイリッシュで最高のミュージシャンだったよ。
僕の永遠のギター・ヒーローは問答無用でランディ・ローズなんだ。僕はオジー時代のランディに三回ほど会う特権に恵まれた。本当に素晴らしかった。彼が死んだ時、私たちは道半ばにして本物の伝説を失ったんだ。


M:JCMとプレキシどっちが好き?
T:プレキシだね。


M:最近のマーシャルではどれがお好み?
T:僕はビンテージにこだわるタイプなんだ。ゴメンね、最近でもメッチャいいヘッドをいくつか出しているのはわかっているよ。でも僕が面倒をみているアーティストはアンプが壊れていない限りはアンプをイジろうともしないんだぜ。

M:手持ちの機材で何か改造しているものは?
T:AC/DCの機材に関してはウィザード・アンプのリックに訊いてもらいたい。彼はAC/DCのアンプ・テックなんだ。チョコチョコっと改造しているのは知っているんだけど彼から話しを聞くべきだよ。もし彼がOKならば…の話しだけど。
ジョー・ペリーの機材はいくつか改造を施している。彼は最近のツアーからJCM800の100Wヘッドを使い出したんだけど、もうチョットだけヘッドルームを大きくして歪みにくくしたがった。そこで僕はボストンのロイ・グッド(かつてのジョーのスタッフ)の所へ二台送ったんだ。すると彼はチョットだけパワーアップさせて、かつハイを抑えるために音をダークにした。それがジョーの希望だったからね。
それからヴードゥー・アンプのトレイス・デイヴィスにも二台送った。彼もヘッドルームを少しだけ広げて、やはりハイを削って音を暗めにする改造を加えた。トレイスはそれに高域を調整できるようにプッシュ/プル式のポットを取り付けた。必要ないんだけど。


M:あなたのセットアップに何かマーシャルの秘密兵器はある?
T:秘密兵器と言えば、70年代のSUPER BASSとSUPER LEADかな。それだけ…でもAC/DCと来た日にはそれがすべてだからね。


M:最後に、何かマーシャルがらみの特に愉快な話しってある?
T:ジョーと僕がポール・マーシャルと一緒にマーシャルの工場見学をしていたんだ。ポールがこのアンプ(訳者注:どのアンプかは原文に明記していない。多分オリジナルのJTM45のことだろう)を見せて、いかに少数しか出回っていないということを口にしたんだけど、ポールはそれらが他にどこにあるかは不確かなようすだった。するとジョーがニヤリとしながら「どこにあるか知ってるぜ…俺んとこだよ」と言ったんだ!

マーシャルの層は驚くべき厚さだよね。エアロスミスのジョー・ペリーやブラッド・ウィットフォード、AC/DCのメンバーたちは何百ものマーシャルを持っている。それには理由があるんだ。それらはサウンドを構成する巨大な要素なんだ。

M:トレース、貴重な時間をありがとう!

Marshall Offical Websiteより引用)

2015年6月26日 (金)

Marshallだより 2015 <後編>

<後編>の最初の方はもうチョット工場の中のモノを見てみる。後半はMarshallがあるBletchleyの町を紹介する。

10_2コレは気に入った!
ロンドンの地下鉄の路線図を模した会社の業務相関図。

M_img_0366_2 ホンモノはコレね。
Marshallのは大分シンプルということがわかる。会社の組織はシンプルな方が良いにキマってる。

30b_2 この路線図はロンドンの地下鉄の駅に行けばどこでも簡単にゲットできる。
どれぐらいの頻度で更新されるのかは知らないが、結構頻繁に表紙が入れ替わる。
昔はコレが楽しみで、この路線図を集めていた時期もあった。
最近は老眼が進んでしまって、裸眼で駅名をチェックするのがなかなかツライ!そこで今回は小さなルーペを用意していったよ!

40b そして、もう一度工場の路線図を見る。
結構マジで作ってある。
まず、紫のホンモノで言うところのMetropolitan線は「Creative Line」になっていて、始発駅が「Creative」。途中「Artist Relations」とか「Sales」といった駅を通過して「Theatre」駅が終点。
赤のCentral線は「Packing Line」になっていて、「Final Inspection」駅から「Goods Out」駅で終わっている。
他にも緑のDistrict線は「Woodshop Line」、水色のVictoria線は「Engineering Line」となってその工程を示す駅が並んでいる。
それがですね、すごくおもしろいのは、どのMarshallの駅の名前もロンドンの地下鉄に実在しているような感じがするのだ。
「Goods Out」なんてのは「Goodge Street」という駅があるし、「Museum」は「Monument」、「Fabrication」は「Barbican」みたいだし、「Theatre」は何となく「Temple」みたいだ。
「Packing」なんて駅も本当にありそう…。
私、ロンドンの地下鉄大好きなんです。エ、そうは見えない?そりゃMind the Gapだ!!

M_img_0367 こっちは行きつけの浅草の地ビール屋のトイレの壁に貼ってあったポスター。
一見するとロンドンのまんま地下鉄の路線図なんだけど、よく見ると、コレ全部プレミア・リーグの選手の名前になってるの。
フォントも地下鉄のモノと同じでおもしろい!BeckhamとRooneyぐらいしか知らないけど…。

50_2昔と比べて変わったな~、と感じるのは、前編で触れた通り、場内に色々なディスプレイが増えたことだ。
その代表がコレ。

60v_2それぞれの工程が何をやっているかを、わざわざミニチュアを作ってわかりやすく説明しているのだ。
「ここの工程ではカバリングを貼って、こういう状態にしてますよ~」…みたいな。

70vここはバッフル板を作る工程。

80vそばにはフレット・クロスの展示も。
95
丁寧に型番や仕様まで表示している。

120v

130_2
そして、1960Aの「最終工程」にたどり着く…というワケ。
もうちろん工場のスタッフはこれらの工程をよくわかっているので必要なワケがない。
そう、これらのディスプレイは一般の訪問者の工場見学のためのものだ。

90vこのベア・ウッドのようなフル・スタックの抜け殻なんかもそう。
実際、このハダカの三段積みは何年か前からあったにはあったが、もっと以前はこんなことをしていなかった。とてもいいことだと思う。

55v

工場の建屋から離れ、従業員用の駐車場を抜けたところにあるのが「Theatre」。

240_2Jimが晩年使っていた「N1 AMP」(運転はしない。運転していた頃の愛車はフェアレディZだった)。
「ナンバー・ワン・アンプ」という意味だ。

250vエントランスは変わった~!オ、Astoria!

260_2入って左側の壁にはサインが入ったMarshallプレイヤーたちのポートレイトが所狭しと飾ってあったが、全部取っ払ってこうなった!
「Theatre」と呼ばれているこの施設は文字通りの「劇場」で、実際にコンサートの会場になったり、会議室として使用したり、爆音で新商品の試奏をしたりと、ありとあらゆる用途に供されている。
東日本大震災のチャリティ・イベントや、Thin LizzyやElectric Maryのコンサートを開いたこともある。
そういう時の外部からのお客さんに新しいMarshallのイメージをアッピールするために改装したのだろう。
Marshallはウェブサイトを大幅に刷新したりして積極的にイメージをチェンジしているが、コレもその一環。そこに1959を使っているところがうれしい。
「伝統と革新」を重んじたいかにもイギリスの会社らしいふるまいだと思うのだ。

270_2Theatreのトイレ。
この「もれちゃう!」ロゴは最近つけられた。アタシャこのトイレ、もう何百回行ったことか!
…というのは、さっきも書いたようにこのTheatreのホールで会議をよくやるんだけど、何せ火の気がまったくなくて、どの時期に行っても寒い。
夏でも寒い。
会議メンバーでセーターを着ているのはいつも私だけなのだ。
だから冷えちゃって、やたらとトイレが近くなる。

280vこの手のロゴ・サインはロンドンの公衆トイレでよく見かけるよね。

290vこんなゲーム機も!飾りかな?

ホールはナントカっていう若手バンドがリハーサルで使っていたので中に入れなかった。
バーの写真を撮りたかったんだけどネェ。

300v…と、これで工場めぐりは終わり。
家内も大層感激しておりました。

さて、今回は望まれてもいないスペシャル企画!
工場から出て周辺をブラついてみよう。

Marshallの工場があるのはBletchley(ブレッチリ―)という人口34,000人程度の小さな町。
ここは下の標識にあるように「暗号解読者」の町なのだ。
<前編>で触れた今「夢中になっている」というのは実はコレ、すなわち「暗号」のこと。
今ここで徹底的にウンチクを固めまくりたいところなのだが、時期が来るまでガマンすることにする。
イヤ、ガマンしなければならない理由があるのサ。

305「Bletchley Park」という有名な公園もある。有料。コレについても時期が来たら語らせて!
ああ早くウンチク固めたい!

306この公園の近くにはWilton Hallという施設があって、Syd Barrett在籍時代のPink Floydがそこでコンサートを開いたりしている。
他にもアッと驚くようなビッグなバンドも出てたハズなんだけど忘れた。The Beatlesだったっけかな、Jimiだったかな?
そして、ここはMarshall創立40周年の記念パーティを開いた場所でもあり、Jimのお別れ会が開催された場所でもあるのだ。
今、久しぶりにその時の記事を読み返していて我ながら感動してしまったよ。
未読の方はゼヒ。内容がヨカッタらぜひ「いいね!」押しておいてくださいまし。(言い訳:Marshall Blogは途中でドメイン名を変更しました。それが理由で、旧ドメイン名時代に書いた記事に頂いた「いいね!」はすべてご破算になっちゃっています。古い記事でそういうのを見かけたら是非「いいね!」を押してやってください。ナンカそういうのを見ると記事がかわいそうになっちゃって…一応どの記事も心と愛情を込めて書いておりますもんで…)

記事はコチラ⇒ジム・マーシャルの生涯を祝う会

M_img_5850 そのJimの会に出席してビックリしたのがイギリスを代表するジャズ歌手のDame Cleo Laine。Cleoは1927年の生まれで、4歳年上のJimと幼なじみだったということで同席していたのだ。

日本ではあまりなじみがないかもしれないが、Cleoはジャズ、ポピュラー、クラシックと3部門でグラミーにノミネートされた世界でただ一人の人。ジャズ・ボーカルの世界ではElla、Sarah、Carmenと比肩する存在だ。
と、かく言う私も持っているのは下のアルバムぐらい。
『Shakespeare and All That Jazz』という1964年の作品。
タイトル通りシェイクスピアの言葉にメロディを付けたという、それだけ聞くとイギリス趣味丸出しのややゲテモノ盤のような感じがしなくもない。「それが問題だ」ったりもするがトンデモナイ!
Cleoの野太くもチャーミングな声で軽快にスウィングするサマは圧巻!

M_img_0358 線路だけ国が管理しているイギリスのJR、National RailwayのBletchleyの駅はそのWilton Hallのすぐそばだ。
「Bletchley」の次の駅は大きな駅、「Central Milton Keynes」。
Milton Keynesはいくつかの日系の企業も事業所を構える人口23万人の新興の街だ。
巨大なショッピングセンターがあって、現地の人たちはその中心部を「City」と呼んでいる。
そうだ、ココでハッキリさせたいことがある。
「Milton Keynes」を「ミルトン・ケアンズ」とか「ミルトン・ケインズ」と記してある日本語表記の地図をよく見かける。
コレは断じて間違っていて、向こうの人はハッキリと「キーンズ」と発音している。「ミルトゥン・キーンズ」って。住んでいる人たちが言っているんだから間違いない!

310_2Bletchley駅の改札。
この自動改札、いつもは電源が入っていないんだけど今日は動いてるナ。
電車でMarshallに来た時は、ココでタクシー会社に電話をして迎えに来てもらってホテルへ行くことが多かったんだけど、アレが結構イヤでね。
というのは一度、迎えに来た車の運転手から「夜の誘い」を受けたことがあったんよ。
ま、ホントに親切心だけで言ってくれたのかもしれないけど、「今夜予定がなかったらこれからふたりで夜の街に出かけようよ。僕が案内するから…ネェ、いいでしょう?」みたいな。
翌日、このことをMarshallの連中に話したら「シゲ、お前、それで行ったのか?」って…行くワケねーだろ!
「よかったナ、行かなくて」…だって。
だから行かないってば!でも行っていたらどうなってたんだろう?…夜のブレッチリ―…コワイ。

320_2駅から工場までは歩いて15分ぐらい。
大きな荷物さえなければ平気で歩いて行かれちゃう。
他にも「Fenny Stratford」という駅があって工場への距離はそこからの方が短い。でも、そちらは支線の駅だから使い物にはならないのね。

330_2コレがBletchleyの繁華街。いわゆるHigh Street。
「High Street」というのはイギリスでは大抵どこの街にもあって、一番賑やかな商店街を指すことが多い。
あ、一応「街」と「町」を使い分けています。変換ブレではありません。

340メッチャにぎやか…ウソこけ!

350_2すさまじいまでの「斜陽感」!浅草なんか比じゃない。
年寄りがやたらと多い。

360vどうだろう100mチョットも歩けば通りを突き抜けちゃう。
でもね、このノンビリムードは日本の田舎のさびれた町ともチョット違っていて、なかなかに味わい深い。
もの音ひとつしないんだから!時間の経過が違う感じがするのはツーリストの性か?
電車でちょうど一時間のこの町は完全にロンドンのベッド・タウンになっている。

370_2唯一にぎわっていたのはこの肉屋。
実はコレのハス向かいにももう一軒肉屋があるんだけど、そっちはガラガラだった。
それがどうにも謎で地元の人に尋ねてみた。
理由は簡単。
「売っている商品が違う」のだそうだ。
つまり、こっちのお店は安い商品をたくさん取り扱っているというワケ。「安い商品」といっても単純に値段が安いということではない。
鶏の足とか、ナンカの内蔵とか、「安い部位」を売っているのだそうだ。当然お客さんの層もご想像の通りとなる。
だから「それなりの階層にいる」と考えている人は絶対にこの肉屋には行かないそうだ。
こういう話しを聞くと、いまだに根強いイギリスの階級社会を見たような気がするね。

380_2メインの通りからチョット離れるとこんな感じ。

390_2さ、さびしい…。

400_2コレは「Voong's」というベトナム人が経営している中華料理屋。そんなんだから、味は我々が知っている中華料理とまったく異なる。
エ、「ベトナム料理はウマいハズ」だって?おいしいよねベトナムの料理。でもココは中華料理屋なのね。
だから変な化学反応が起こっちゃって…。
でも、一体何回行ったことか…。13年前に生まれて初めて工場に行った時の最初のランチもここだった。
というのは、この店はJimの大のお気に入りでね。
特にココの甘いスペアリブが大好物だった。そもそも中華料理店でスペアリブっておかしいじゃんね?

410_2コレは2006年にこのお店で撮った写真。アメリカのNickとRyanと…。
ア~、ニック汚ネェ!口から何か出してる!彼はいつもこんなです。すべての写真を犠牲にして笑いと取ろうとしてする姿は立派だ。

M_rimg0427 それでも緑が多くて気持ちがいい。ハラ減った…。

415vまさか中華料理には行くまい…と無難にホットドッグ。
世界中どこへ行っても、ナンガカンダ言ってこういうものが一番ウマい。
ドイツの若いお兄ちゃんがやってた。

420_2ドッグと飲み物で£3.70。今なら800円弱。高い?それとも安い?ウマいことはウマい。
5、6年前なら500円もしなかったのよ。
アノさ~、いつも思うんだけど、頼むからパンを焼いてくれってば!
ナゼかは知らないけど、向こうの人ってトースト以外はパンを焼かないんだよね。何でなんだろう?
♪もしかしてだけど、焼くとウマくなることを知らないんじゃないの?
それとも宗教上の理由か?
イギリスのソーセージはかなり危険だけど、コレはドイツのソーセージ。おいしかった~!

M_img_1937 ブラリブラリと歩きながらホテルへ帰る。コレがまた楽し。

440_2コレは工場の真ん前にある小さなラウンドアバウト。
家内が撮った写真。私だったら絶対撮っていなかった。後ろの青い建物はIKEA。
このラウンドアバウト、気が付かなかったけど「Centurion Roundabout(センチュリオン・ラウンドアバウト)」なんて名前が付いていたんだね。
「Centurion」というのは「ローマの小隊長」という意味。
この道も2000年ぐらい前にはローマ人が通ったんだろうな~。
西暦43年にローマ人がイギリスに入り込み400年もの間、この国を統治していたっていうんだから。

450_2こんなものをMarshallの工場から少し離れたところで発見。
一里塚、Milestoneだね。
「Londonから45マイル、Stony Stratfordまであと6マイル」
ロンドンから72km…ま、そんな感じでしょ。
Stony StradfordというのはMilton Keynesの北西に位置する人口8,000人ほどの小さな町だ。
で、さて、この「ロンドンから45マイル」というのはロンドンのどこから測って45マイルなのか?
ニューヨークならCentral Parkの端っこ、Columbus Circleが起点。
東京なら日本橋の真ん中だ。

460v答えはコレ。
アタシじゃないよ。写真がコレしかなかったの。
ココはTrafalgar Square(トラファルガー広場)のCharring Cross(チヤリング・クロス)。目の前には、1805年、トラファルガーの海戦でフランス&スペインの連合艦隊を破ったネルソン提督の像、そしてその向こう側はNational Galleryというロケーションだ。
この写真の私の向かって右後ろに赤い線で囲ってある像があるでしょう?馬にまたがってるオジちゃん。
この像はイングランド、スコットランド並びにアイルランドの王、Charles I(チャールズ1世:在位1625~1649年)。
ココが起点なんだって。
このチャールズ1世のところから、「ロンドンから●●マイル」と数えるのだそうです。
だからココがロンドンの日本橋なのだ。ああ、「そばよし」の立ち食いソバが恋しい…。
でもこの家内が撮ってくれた写真、何となくミカバンドのロンドンのライブ盤のジャケみたいで気に入ってる。

470vで、ロンドンからはるばる72km離れた場所に来ているというワケなのでした。

480vホテルのとなりの巨大なスーパー。
TESCO、ASDA、Sainsbury'sがスーパー三強だが、いつも熾烈な競争が展開していることは以前にも書いた

490ホテルにはサッカー場がくっついていて…イヤ反対か?…廊下や部屋からピッチが見下ろせるようになっている。
コレ見てると一日中スプリンクラーで水をまいているんだよね。芝生の管理って大変なのね。

500Milton Keynesのフランチャイズ・チームはMK DONS。「DONS」の「DON」は「Wimbledon」の「don」。
昔はMarshallもスポンサーをやっていた。

M_img_0360

M_img_0361チャンスがあれば一回ぐらい試合を見ておけばヨカッタな…。

M_img_0365…ということで今回もとてもいい旅でした。

510おわり。
また次回をお楽しみに。

※後日Shige Blogで『イギリス紀行』を編む予定です。お好きな方は是非ご期待ください!

2015年6月25日 (木)

Marshallだより 2015 <前編>

先月、一年チョットぶりぐらいにMarshallに行ってきた。
最近の工場のようすを二本立てでお届けする。
<後編>はほとんど周辺の「エリアガイド」なんだから!

10一年チョットぐらいでは場内の様子がそう変わることもないだろう。
ところが、今回はコチラ側がいつもと大きく変わっていた。
私はかれこれ30回は工場を訪れているだろうか…今回は初めて家内を帯同したのだ。
もちろん家内はMarshallはおろか、イギリスに来るのも初めてだった。

15誰が呼んだか「Marshall Widow」…。
憧れの地(?)への初めての訪問とあって家内はとても感慨深そうにしていた。
それだけに慣れっこになっている私だったら絶対にシャッターを切らないようなモノにも興味津々。
色んなところを写真に収めていた。
私ならこんなところ絶対に撮らないもんね。工場の横っちょ。
でも、面倒がらずに何でも撮っておくべきですな、写真というものは。こういうどうでもいいところは記憶になくなっていて、後で写真で見るととても新鮮に映る。
…ということで、今回のレポートは家内が撮った写真満載でお送りさせて頂く。ちなみに普通のコンパクトカメラによる撮影だ。

16工場の前の道路、Denbigh Roadから望む正面玄関。
コレは変わらない。

20正面の回転扉の向かって右側に飾ってあるJimとユニオン・ジャック仕様のJVMのフル・スタック。Jimとユニオン・ジャックは、Marshallとは切っても切ることができない2大イメージだ。
NATALのキットにある「50 YEARS」はMarshallの50周年ではない。
NATALの創業は1965年。
つまり、今年はちょうど50周年の年に当たるのだ。
え、Marshallに比べて地味な「50周年だな」だって?
いいの、いいの、昨日レポートしたDOWNLOARDもそうだけど、いつもMarshall Blogに掲載しているように絶賛活動範囲拡大中だから!

30中に入る。
「Reception」と呼んでいる玄関ホール。私も初めてここに来た時は大いに感動したよ。

50この場所には昔、なが~い間JCM900のフル・スタックが2セット飾ってあった。

60v今はPrincess Royal、すわちAnne Elizabeth Alice Louise、つまりHer Royal Highness、わかりやすく言えばアン王女が2012年12月にご来場した際に除幕したJVMのフル・スタックが備え付けられている。
アン王女は今のエリザベス女王、エリザベス2世の長女ね。
このお方、乗馬が得意で、イギリスの代表として1976年のモントリオール・オリンピックに出場しているのだそうだ。

このあたりのことはコチラでレポートしたので未読の方はゼヒご覧頂きたい⇒【英王室アルバム】Her Royal Highnessがお見えになりました!

70タマには自分も一枚。
アタシャ仕事柄、年間10万回近くカメラのシャッターを切っているけど、驚くほど自分の写真がないんよ。特にMarshallの工場で撮った写真がない。
…というんで、いい機会だったので家内に撮ってもらっておいた。
へへへ、またマーブロ出ちゃった!
初めての方、コイツがMarshall Blog書いてるオッサンです。いつも勝手なこと書いてスミマセン!

80レセプションに飾ってあるNATALのドラム・キットとパーカッション。
NATALのカホン、バカ売れなんだって!

90チョーっと、これメッチャかっこよくね?
Marshallのシンボル・カラーのゴールドとブラック。
フロント・ヘッドにExtended Chequeのフレット・クロスが施してある。

100シェルはElephant Grainのカバリング!もう完全にMarshall!大二さんなんかヨロコビそうだ。
実にいいアイデア!

110ちなみにさっき外に向けて飾ってあったホワイトのキットのシェルは、白いLevantのカバリングで出来ている。

115正面の階段の向かって左側にはEDENがディスプレイされている。

120Jimや会社の業績を示す宝物棚。
ココは結構仲のアイテムが入れ替わる。

130こちらはよくMarshallロゴのついたアクセサリーが飾られていたが、今はMarshallが「Lifestyle」と呼んでいるヘッドホンやMP3機器が飾られている。
あ、本やMS-2も入ってるね。

140vまずはボスご夫妻にご挨拶…。
かつてJimの執務室だった、現在はメインの応接間として使用している部屋に入ると、アララ、うれしいことに!
テーブルの上に置いてあるじゃんよ!
真ん中、真ん中!
200
例のマー本
「Shigeが来るっていうんで咄嗟にテーブルの上に出しといたんじゃないの~?!」とボスに訊くと、「イヤイヤ、とても大事にしていて、アソコに置いておいて、いつでも来客が見れるようにしているんだよ」…とのこと。
うれしいです!
皆さん、チャンとあのページ見てくれてるかな?
210v
正面二階のミュージアム。

150パッとみたところでは変わっている雰囲気はない。

160オ!こんな風にしたんだ!いいじゃない。

170v反射して良く見えないけど、上のガラスケースの中には例の「#1」が飾られている。コレは前回通り。
注目して欲しいのはその下の黒いプラーク。

180vこれはコチラでレポートしたロンドンの西、HanwellのMarshall発祥の地にあるプラークのレプリカだ。実は今回コレの実物の写真を撮りにUxbridge Road(アクスブリッジ)に行きたかったのだが、どうにも時間が足りなくて断念した。
社長夫人のEllieの話しによれば、実物のプラークは結構高いところに取り付けてあって見にくいので、こちらの方がゼンゼンよろしいとのこと。
ちなみに、かなり脱線するけど、『Monty Python's Flying Circus』に道路を登山するコントがあったでしょ?
マーブロ愛読者ならご存知の方も多いのでは?と思うのだが、あの道路って実はUxbridge Roadなんだよね。コレ発見した時はメッチャうれしかった…いくつになってもこんなことやってます。
で、今は別のことに夢中になってるんだ~。<後編>でチョットだけ触れます。

このプラーク、そばで見ると案外デカくて重厚な雰囲気。ナンカ蒸気機関車に取り付けられていそうな…。
そういえば1959あたりは存在が何となく蒸気機関車みたいだもんね。

190コレはウチにあるレプリカ。ちっちぇ~!バッジになってるの。

195さっそく家内に工場を見せようとしたら、仲良しのGaryから「シッギ~(シゲのこと。彼らは「ゲ」という音を持っていない)」の呼び声。
レセプションへ降りると可愛い女の子がニコニコしながら私を迎えてくれるでないの!

M_img_1798 彼女はConnie。Garyの下のお嬢ちゃん。
チョット今、ビスケットに夢中になっちゃってるけど…。

230コレは50周年記念コンサートの時だから2012年の9月に撮ったもの。
「人ン家の子は育つのが早い」っていうけど、2年と8か月でこんなに立派なレディになっちゃった!
キャーイーな~。赤ちゃん大好き!

M_img_8097ConnieちゃんをダッコしているのがパパのGary。
かのZakkも赤ちゃんにはデレデレだ!
左はMarshall Blogの『Nick's Photo Gallery』でおなじみのNick Bowcott。

M_img_8100事務所のスタッフに家内を紹介した後、彼女にとって初の工場見学に出発!
ココがかなり家内制手工業ってことにきっと驚くぞ~。

240エレクトロニクス系のセクション。
パーツの供給機とかソルダー・バスとかの設備はなんら変わりがない。

245この写真の右側はコンデンサーやトランスのような大きなパーツを取り付ける部門だったが引っ越しをしたようだ。

250コレは昔から変わらないナァ。
飲み物だけじゃなくて、Marsバーのようなお菓子まで販売していることに家内はビックリしてた。見てると買っていく工員が結構いるよ。

260木材パーツを切り出すための工場で最も大きな機械もそのまま。

270キャビネットの強度を発揮する自慢のコム・ジョイントもちゃんとやってる…当たり前か。

280やはりカバリングの工程はファクトリー・ツアーの見どころのひとつ。

290金曜日なので少しスタッフも少な目だ。

3002555Xの生産も盛ん。
やはり二回目の世界的なヒットになることは間違いないようだ。

310キャビネットのコーナーにRを付ける工程。おなじみのオジちゃんたちが鮮やかな手つきで作業をこなしていく。

315今から10年チョット前、ここにはHandwiredの基板をつくる部隊があった。
Marshall社では70年代の初頭までポイント・トゥ・ポイントで基板を製作していたが、その後プリント基板に移行。
当然、手作りで基板を作る技術者が必要とされなくなった。
それから時代が下り、2004年にHandwiredシリーズの発売をアナウンスすると、それは想像をはるかに上回るヒットとなった。
そこまではよかったのだが、Marshallは、はたと困ってしまった。
ポイント・トゥ・ポイントで基板を製作できる技術者が足りないのだ。
そこでMarshallは、当時から工場に在籍している数少ない経験者に先生になってもらい、若い男女に古式ゆかしい基板の製造方法を仕込む作戦に打って出た。
キャシーという女性をリーダーに、若い男女が…そうだナァ30人近くはいたかナァ…はんだゴテを手に、黙々とシャシに顔を突っ込んで作業をしている姿はなかなかのものだった。
キャシーにも色々教わって、ずいぶんよくしてもらったっけナァ。

316前と変わったナァ…と感じるのは場内のデコレーション。

320こんなスナップ・ショットを貼りつけてみたり…

330商品に関するポスターを張ってみたり…

340v展示会で使用したディスプレイを並べたりしている。

350以前からやっていたことではあるが、その数が増えたような気がする。

360こんなにジミヘンがいる職場は他にそうないだろう。

380

380vコレは何かのパロディなのかナァ?
 ベース:低音を強調する設計になっとります。
 ドラムス:打たれるように設計されています。
 Marshall:11まで行っちゃいます。
ナゼかMarshallだけロゴ・サイン。「11」はもちろん『This Is Spinal Tap』から。スキだナァ。
ってんで、以前書いた『Spinal Tap』関連のマーブロの記事を探したんだけど、アレ消されちゃってるんだネェ。
またいつか書かせてね!

370

これは飾りではござらん。
重いものを持つ時のマジなマニュアルね。

390最終工程のライン。ここもそう変わらない。

400出荷を待つ完成品の倉庫。

410NATALもいっぱい!コレはカホンかな?

420パレットに積まれた荷物をラッピングする装置。下の丸い台がゆっくり回ってラップが巻かれていく。

4302555Xもジャンジャン作ってるよ~!

440日本では夏には発売になる感じ?

450カスタム・ショップのオリジナル・デザインは工場に行くたびにいつも楽しみにしているんだけど、今回あんまり目立ったものはなかった感じ。
その中で目に留まったのはコレ。
「HELP for HEROES(H4H)」というのは、2007年に設立された傷痍軍人のためのチャリティ団体。
2010年にはトゥイッケナムで慈善コンサートが開かれ、Roger Daltrey、Tom Jones、Robbie Williamsらが出演した。

460<前編>はこんなところかな…。

470つづく

1965年創業のNATAL(ナタール)はMarshallのドラム・ブランドです。

M_natal_square ★NATALの詳しい情報はコチラ⇒NATAL Drums Official Web Site(英語版:現在日本語版制作中!)
★NATAL製品は全国有名楽器店にてお求めください。
★NATALドラムは高田馬場バズーカスタジオでお試しになれます。バーチ、メイプル、そしてアッシュのキットの他、各種スネアドラムも用意しています。ドラマーの方、「NATALの部屋」ご指名でお出かけください。
詳しくはコチラ⇒バズーカスタジオ公式ウェブサイト

2015年4月30日 (木)

【新商品情報】 MS-2の新しい仲間たち

毎度おなじみMarshallのマイクロ・アンプ、MS-2シリーズ。
先日ASのことに触れ、「ビンテージ系のモデルを除くと寿命が長い商品」とお伝えしたが、このMSシリーズもいいかげん寿命が長い。ASよりも長寿商品だ。
過去、モデル・チェンジの計画もあったが、結局今のスタイルで生きながらえている。
その長寿のキモは「音」だ。
こんな小さい「形(なり)」で実に「鳴り」がいい!
もちろん、ステージで鎮座ましましている勇壮な姿が、「こんなにちっちゃくなっちゃった!」とばかりに小型化した「可愛さ」というチャーム・ポイントもあるだろう。

N_microstack_range こんなのもあった。コレは以前紹介したかな?

N_img_0007_2『This is Spinal Tap』の25周年を記念した非売品のSpinal Tapバージョン。
私の宝物なの。

N_img_0004そしてこの度、一回きりの生産で新しい仲間を追加した。

ひとつはJubileeバージョン。
今年のNAMMで発表されたSilver Jubilleの小マーシャルだ。

N_ms2_silverjubilee_render_extend2そして、もうひとつ。こちらはホワイト・バージョン。
ある人にはRitchieバージョン。また、ある人にはRandyバージョン、さらにある人にはStatus Quoバージョン…とでもいおうか?
実際にはただのホワイト・バージョンだ。

「仲間入り」といっても、今の計画では双方一回コッキリ生産の限定モデルということになっている。

N_ms2_white_box ※明日からMarshall Blogはゴールデン・ウィークに入ります。次の更新は5月7日を予定しています。
Marshall Blogご愛読の皆様におかれましては、楽しいゴールデン・ウィークをお過ごしください。

2015年4月19日 (日)

【新商品情報】 Astoriaシリーズ発進!

昨日終了したFrankfurt Musik MESSE 2015。
「フランクフルト・ムジーク・メッセ」はクラシック楽器や楽譜に加えてアコーディオンやリコーダーのようなヨーロッパの標準楽器が展示されることにより、アナハイムのNAMMショウを上回る規模を誇る世界一の楽器展示会だ。
日本人は「メッセ」と呼ぶが、Marshallの連中でこの展示会をそう呼ぶ者はいない。全員が全員、「Frankfurt」と呼んでいる。
この地名がこの展示会の同義語になっているのだ。
私はココで本当にたくさんのことを教わった。Marshallのことだけでなく、英語も、イギリスの文化も…。ドイツでは公衆の面前で指を伸ばした右手を斜め上に上げては絶対にいけないことも教わった。
スタッフみんなでプレゼント用のポスターをクルクル巻いたり、ジムのサイン会の会場整理をしたり、ニコとドラムセットを組み立てたり、みんなでドイツ料理を食べに行ったり、毎日ジムたちと朝食をとったり…数えきれないほど楽しい思い出があるのだ。
今でこそ正式にMarshallのスタッフとして働いているが、当時は結局は部外者であったワケだが、分け隔てなく本当にみんなによく可愛がって頂いた。

先日、10年チョット前にイギリスの連中とフランクフルトのイタリアン・レストランで撮った写真が出て来た。
見ると、その写真には10人ぐらい写っているのだが、亡くなった人、辞めた人…ナンダカンダで今でもMarshallに残っているのは私ともう一人だけだったのだ。私もスッカリ古株になってしまっていてビックリしたよ。

そんな思い出のフランクフルト。ここはヨーロッパの会社であるMarshallにとって新商品発表の大事な舞台だ。
ここのところ50周年がらみの記念モデルが続いたが、次の50年に入って久しく、いよいよ本腰を上げて新しいモデルの投入が始まってきた。

今回発表されたのは、Astoria(アストリア)というブティック系のモデル。
ハンドワイアード基盤とPCBを併載した回路。
整流管を搭載したビンテージの弾き心地。
さらに、KT66をパワー部に使用したこれでもかの図太いトーン。
小型で本当にいい音のアンプを待っていた人にはコレはかなりの朗報となるであろう。

Astoriaシリーズの商品構成はモデルが3種類。それぞれにコンボとスタックが用意されている。
ルックスも従来のMarshallの精神を取り入れた新バージョンだ。
それでは3種類のモデルを見てみよう。
マーブロLCCでイザ、フランクフルトへ!

10まずはベースとなるモデルから…

Astoria Classic(アストリア・クラシック)

ラウドでクリーンなヴァルブ・トーン。お気に入りのエフェクターをつないで自分だけのオリジナル・トーンをクリエイトするモデル。
みなさん、エフェクター好きですよね~?
日本は世界有数のエフェクター天国。アメリカに行ってもイギリスに行っても、ドイツに行っても楽器屋さんにこんなにたくさんの種類のエフェクターが展示されている国はないからね。
テクノロジーの進歩によりスプリット・チャンネルやマスター・ボリュームの発想が生まれ、今、みんな平気でアンプをギンギンに歪ませてるけど、昔はMasterもLoopもReverbもない、いたってシンプルなアンプにシンプルなエフェクターをつないで、指で音を作っていたワケ。それであの魅惑的なトーンを作っていたんですな。
その一番いい例はJimi Hendrixだ。
でも、それをするには音の最終出口であるアンプがよくなければ絶対にできない。
すなわち極上のクリーン・トーンだ。
Marshallが本気出したクリーンはコワイよ~!
とにかくお気に入りのギターと自慢のエフェクターをつないで弾いてごらんなさい。
ナンカこの手のスモール・コンボに最終回答を出すのはAstoria Classicになるような気がするナァ。
ブルージーなプレイを身上とする「ミスター・トーン」たちだけでなく、今ギター/ボーカルで小さなコンボを使っている人も絶対に見逃してはならないアンプだ。

私と付き合いの古い数人のプロ・ギタリストの方々ならこのモデルがどういう位置づけにあるかピンと来ていることと思う。
タイプはすでに上に書いたように、コンボとスタックの2種類。

<コンボ>
●モデル名 : AST1C
●チャンネル: 1 (エフェクターで音を変えてくだされ)
●出力    : 30W
●インプット : HiまたはLo(ギターの出力に合わせて選択。つまり、アンプ・サイドでクリーン・トーンを保っておくということ)
●コントロール:
  Master (マスター:引っ張ると出力ダウン)
  Sensitivity (センシティヴィティ:インプットを選択した後、ここで入力を微調整。この組み合わせでまたサウンドが変わって来る。でも基本はとにかく「クリーン」)
  Treble (トレブル)
  Middle (ミドル)
  Bass (ベース)
  Edge (エッジ)
●リアパネル  : 何にもなし。とにかくシンプル!シンプルさが間違いなく音をよくする。
●スピーカー : Celestion Creamback (カスタム・ヴォイシング)
●真空管    : ECC83×3、GZ34、KT66×2
●センド&リターン : なし(アンプで歪ませないので必要なし。コレで音がまた良くなるってワケ)
●フットスイッチ : なし(1チャンネルだしリバーブもないし…当然フットスイッチは使わない)

<ヘッド>
●モデル名 : AST1H
●スピーカーの有無以外の仕様はすべてAST1Cと同じ。

<スピーカー・キャビネット>
●モデル名 : AST1-112
●入力   : 30W
●インプット: 1 (モノ)
●インピーダンス: 8Ω
スピーカー: Celestion Creamback(カスタム・ヴォイシング)×1

20つぎ…、

Astoria Custom(アストリア・カスタム)
こちらもごくシンプル。歪むAST1だ。KT66の堂々としたサウンドは何しろ魅力的だからネェ。
この小さなガタイが懸命に極上の歪みをブチかます姿はタマらない!
アンプで歪ませておいて、ギターのボリュームをチョイと下げれば、ビロードのようなクランチ・トーン。
さらに、下げれば今度は図太いクリーン。
まるでギターのボリュームの目盛りひとつひとつに異なったトーンが宿されているように感じるだろう。
コレにセンド&リターンとトーン・シフトやブースト機能を搭載してAST1よりコンテンポラリーにしたモデルがAST2。
Vintage Modernを思い出すナァ。
ク~、ギター弾きたくなってきた!

タイプはすでに上に書いたように、コンボとスタックの2種類。

<コンボ>
●モデル名 : AST2C
●チャンネル: 1 (手元で歪みを調節してくだされ)
●出力    : 30W
●インプット : HiまたはLo
●コントロール:
  Gain  (ゲイン:AST1のSensitivityとの違いに注意。引っ張るとBody=トーン・シフト)
  Boost Toggle Switch (ブースト・トグル・スイッチ:ブーストのオン/オフ)
  Treble (トレブル)
  Middle (ミドル)
  Bass (ベース)
  Edge (エッジ)
    Master (マスター:引っ張ると出力ダウン)
●リアパネル  : 
    Loop Level
    Loop Toggle Switch
●スピーカー : Celestion Creamback (カスタム・ヴォイシング)
●真空管    : ECC83×3、GZ34、KT66×2
●センド&リターン : あり
●フットスイッチ : 2ウェイズ(トーン・シフトとブーストのオン/オフ)

<ヘッド>
●モデル名 : AST2H
●スピーカーの有無以外の仕様はすべてAST2Cと同じ。

<スピーカー・キャビネット>
●モデル名 : AST2-112
●入力   : 30W
●インプット: 1 (モノ)
●インピーダンス: 8Ω
スピーカー: Celestion Creamback(カスタム・ヴォイシング)×1

30At last but never least!
最後に…

Astoria Dual(アストリア・デュアル)
ここまで来ると大抵出て来るアイデアということになろうか…2チャンネル・モデル。
AST1のクリスタル・クリーンからAST2の極上ディストーションまでをコレ1台で網羅…と言ったらAST1もAST2も要らなくなっちゃう。
ココがアンプの面白いところ。
楽器というものは「餅は餅屋」で、ひとつのことしかできないのがホントは当たり前。
しかし!30Wで、このサイズで、KT66で、整流管が入って、2チャンネルで、しかもMarshallで…
サウンドを追求しつつ利便性を確保したいのであればとこのモデルになるだろうな。
プリ管は1本増設されている。
マルチ・チャンネルが当たり前の世代にはこのモデルがドンピシャだろう。
使い勝手のよい、極上高級スモール・コンボというくくりでは恐らく最上位に食い込むに違いない。
クリーン、クランチ、リードの各トーンで遠慮なく弾き狂っちゃう人はもちろん、これまたギター/ボーカルでちょっとギター・ソロも弾くぜ!という人には最高のモデルだ。

タイプはこれまたコンボとスタックの2種類。

<コンボ>
●モデル名 : AST3C
●チャンネル: 2 
●出力    : 30W
●インプット : HiまたはLo
●コントロール:
    Clean Volume(クリーン・ボリューム:引っ張るとチャンネルが変わる)
    OD Gain(ODゲイン:引っ張るとトーン・シフト)
    OD Volume  
    Treble (トレブル)
  Middle (ミドル)
  Bass (ベース)
  Edge (エッジ)
    Master (マスター:引っ張ると出力ダウン)
●リアパネル  : 
    Loop Level
    Loop Toggle Switch
●スピーカー : Celestion Creamback (カスタム・ヴォイシング)
●真空管    : ECC83×4、GZ34、KT66×2
●センド&リターン : あり
●フットスイッチ : 2ウェイズ(チャンネルとループのオン/オフ)

<ヘッド>
●モデル名 : AST3H
●スピーカーの有無以外の仕様はすべてAST3Cと同じ。

<スピーカー・キャビネット>
●モデル名 : AST3-112
●入力   : 30W
●インプット: 1 (モノ)
●インピーダンス: 8Ω
スピーカー: Celestion Creamback(カスタム・ヴォイシング)×1

40モデルや機能は上の通り。
このルックスに面喰ったオールド・ファンも多いかも知れない。
フィニッシュは;
Astoria Classicがグリーン&クリーム
Astoria Customがレッド&クリーム
Astoria Dualはブルー&クリーム
となっている。

ブラシをかけたアルミ・パネル、レザー・ストラップ、ランプ・インジケーター、60年代のごく短期間に使用されたプレキシグラスを使用した「Oxblood(オックスブラッド)」と呼ばれるロゴ・バッジ等々、Marshallの血脈(けちみゃく)が確実に受け継がれている。

価格は現在のところ未定。発売は今夏~秋が期待されている。
お金貯めといて!
もし、今、小型で音のいいコンボ購入の予定がある人…焦っちゃダメです。
夏~秋までまってAstoriaを試してからでも損をしないと思うよ!

マーブロではAstoria情報を追ってお知らせします。
15v

2014年8月 6日 (水)

フィル・ウェルズ・インタビュー~その8(最終回)

技術の進歩とアンプ製造
S:技術の革新によって、アンプ製造のプロセスは変わったと思いますが、どこが一番大きな変化だと思いますか?
P:一番大きな変化は、エレクトロニクスだと思います。例えば金属製のシャーシがありますよね。今作られた物と1959年に作られた物を比較してみると、1959~1970年頃に作られた物は大し

Pw_img_7777て変化がありません。色は違います。しかし基本的な素材は一緒ですし、同じ製造工程、同じ型です。
キャビネットに関しては4x12”のキャビネットやヘッドのキャビネットを見ると、1960年に作られたものと現在のものは同一です。同じ厚みで同じ素材を使っています。
しかし、エレクトロニクスに関しては劇的に変わりました。
1977年に私が勤め始めた頃はフロート・ソルダー・マシンの数が少なかった。最初に製作したアンプのほとんどは同じ回路基板を使い回しました。「ST-1」と呼ばれたものです。
これから10種類の異なるアンプが作られました。リード、キーボード、ベース用、何でも作れたのです。30~40の部品から成り立つとてもシンプルな構造でした。
最近では、ほとんどのアンプが複数の回路を持っています。DSL100を例に挙げると、これは回路が6つあり、500個の部品で出来ています。1959は37個ですけどね!
これは大きな変化です。
S:10分の1以下?!
P:はい。
理由のひとつはお客様からのご要望です。もっともっと、という声に答えて、JVMはノブを29個搭載し、4台分のアンプを1台に詰め込みました。見た目が複雑そうだなという懸念がありましたが、お客様はこういった、クリーンからスラッシュ・メタルまでスイッチを切り替えれば対応出来る製品が要求され」ました。
だから、エレクトロニクスの違いですよ。私が35年前に始めた時はサーキット・ボードが導入され、部品は手作業で取り付けされました。手でカットし、ハンダ付けの機械を通り、配線されました。非常にシンプルでストレートです。今ではJVMの場合、67%は自動で組み込まれています。
私はそれ自体は良いことだと思っています。こんなにたくさんの部品を手作業で組み込んでいたら、間違う可能性も少なくありません。自動挿入のメリットは間違いがないということです。正しくプログラミングが出来ていれば…の話ですが。コストも少なくて済みますし…。
今までの統計のファイルを見ると、部品の数こそ増えましたが、昔に比べると間違った部品を入れるという人為的なミスが減っているのが分かります。自動装着のおかげです。
また、JVM410などは4段階で製品がチェックされています。部品が載せられた時に1回、フロー方式でハンダ付けされた時に1回。

Pw_img_7784それから、アンプに組み込まれた後にもう1回チェックを行ないます。シャーシに本体を入れてアンプとして完成した状態にして、電源を入れてちゃんと動くかどうか確かめるのです。それから最終チェック。ギターをつないでチェックします。
以前よりチェック回数が多くなっているんです。ちゃんと動いているかどうか、確実に見ていきたいからです。
お客様の要求により複雑なアンプを製作するようになったので、こういう形になりました。
S:なるほど…。
P:あなたの質問に簡単にもう一度お答えすると、エレクトロニクスが大きな変化の原因です。箱もシャーシも同じ。組み込み方すら変わっていません。木材を使って総てを手作業でスピーカーを入れ、ネジで留める。
アンプも同じ形で作られ、シャーシも同じ形で作られています。35年前にここの仕事を辞めた人が今戻って来ても、同じ仕事が出来ると思います。機械は新しくなっていますけどね。基本的には同じような事をやっています。
S:スゴイ!でも…。
P:そう。エレクトロニクスはものすごい変化を遂げました。でも、「ST-1」の作られ方は今も昔も一緒です。
若い女性でヘーゼルという人がいるんですが、彼女がパーツを入れてハンダ付けの機械を通り、ハンダが終わるとヘーゼルの前に戻ってくる。伝統的には35年前と全くもって同じ方法です。もっと複雑なアンプを作っている所だけが違うんです。

ギター・アンプの未来
S:ありがとうございます。私はシンプルな構造のアンプが好きです。
P:例えば?
S:JTM45や1959などですね。私は音楽は振り子のようなものだと思っているので、今、振り子がこの辺(右)だとしたら、いつかこちら(左)に戻っていくと思っています。
つまり、ベーシックなサウンドを必要とする音楽がまた戻ってくるような気がしています。
あなたはギター・アンプの未来のゴールはどこにあると思いますか?方向性は?
P:私たちはロック・マーケットに向けたアンプを製作しています。そこにはふたつの道があります。やはり、インターネットやiPad、コンピュータによる相互作用などでギターを弾く人達もアンプを使いたがっています。

Pw_img_7814だから、その方向に沿ったアンプを用意し…ヴァーチャルなアンプですが、すべてがパソコンの中で設定され、小さな箱か何かにダウンロードされて…Jimi Hendrixの音なんかがプレイ出来るようになっている…と言いってもそれは不可能で、絶対にHendrixの音にはなりません。
S:もちろん!
P:人々はふたつのタイプに分かれていると思います。ベースやトレブルなどをiPadのようなものでダウンロードするような人達。良いことですよ。私たちも入って行くべき市場だと思います。ねえ、マイルス?(フィルと机を並べていたR&Bのスタッフ)
マイルス:はい。
P:しかし同時に、マイルスや他の人たちと話していて思うのが、伝統的なアンプが欲しい人は熱い真空管の入ったアンプを地元のパブやクラブに持ち込んで鳴らしたい。市場はそこにもあると思っています。
S:私もそっちだな~。
P:でしょうね。

ホンモノの音
P:35年間Marshallに勤める中で私が発見したことがあります。
よく見られる傾向として、マーシャルの中に限った話ですが、毎回新しいシリーズが発売されるたびに、その前のシリーズが注目されるようになります。
JCM800の前は1959と1987ぐらいしかありませんでした。さらにゲインが欲しい時は歪み系のペダルをつないでいました。
そしてJCM800を発表しましたが、最初は「ウ~ン、どうだろう」という反応でした。しかし、間もなく気に入ってもらえるようになりました。それからJCM900が出ました。
すると「ン~…違うなあ。JCM800の方が良い」という評判が多く寄せられました。
生産終了になると、JCM900の人気が出ました(注:JCM2000への移行後、ヨーロッパではJCM900が流通しない時期があった)。
S:そう!市場から消えるとみなさん探し出す。
P:そして、その後一般的な傾向として多機能が望まれることから、TSLやJVMを発表しました。最初は「スゴイ!」ということになりますが、「多機能すぎる」という意見が出始め、昔のモデルに戻ります。そうした多機能のモデルも、家に持ち帰り、ある一定の期間が過ぎると、彼らは1~2チャンネルしか使わないようになります。他のチャンネルは使われなくなってくるのです。

Pw_img_7793S:自分好みの音を作っちゃいますからね。
P:その通り!しかし、そういうお客さんはそもそも真空管アンプが欲しいからそれらのアンプを購入したのです。チャンネルがいくつあろうと関係なく、真空管アンプが欲しかった。
そういうものが欲しい人は、ほとんどの場合iPadは持っていません。たとえ持っていたとしても用途はせいぜいインターネットの閲覧です。iPadの中で音を作ったりパソコンでデータをダウンロードして弾いたりということはしないでしょう。
このふたつはまったく別々の事柄なんです。統合されることはないと思います。そのマーケットの在り方は良いものだと思います。

しかし、コンピュータで欲しいサウンドを作り出すためにデータをダウンロードして、「Marshall」と書かれた小さな黒い箱みたいなものからYngwie Malmsteenの音が出る事は絶対にないんですよ!
S:YE~S!
P:音は良いかもしれませんし、あなたの要求には応えてくれるでしょう。
しかし、決して真空管アンプと同じ音にはなりません。もしも同じ音になったとしたら、真空管アンプは消滅するでしょう。わかりますよね。
S:もちろん!まったく同感です。
P:突然完全デジタル仕様のアンプを作り、JTM45と全く同じ音を出す。歪みも倍音も同じ。その時、真空管アンプの時代は終わります。
でも、その兆しはまだ見えません。少なくともしばらくはなさそうです。
トラディショナルな人達がいますから…私の世代もあなたの世代も、マイルスの世代も、みんな真空管アンプを使いたいと思っている。
でも、どんなものにも流行はあります。80年代にはみんなこぞってラック・システムを買い始めました。パワー・アンプ、プリ・アンプ…。
その時代は終わりました。もうラックを買う人は少ないでしょう? 
S:はい。まるであの時代が幻のように…。
P:それからフル・スタック。60~70年代ですね。ステージに4×12”を10台並べて…。
今なら、ステージに置いてあるのは2×12”のコンボ。信号はDIを通ってミキサーに送られます。しかし、アンプはギタリストのためのものです。本物のギタリストは何を使って弾けばいいかよくわかっている。オーディエンスはそれをPAから聴く。
S:「ロック」という音楽があまりにも変わってしまいましたよね。
P:はい。たとえばAC/DCのAngusやMalcomが2×12”のコンボをステージで使っていたとしら、今のPAの技術があればお客さんが聴く音はスタックで鳴らした時と同じかもしれませんが…ダメです。やっぱりあの見た目がないとダメなんです。
S:音楽は空気ですからね。
P:そう!しかし、Angusは今、自宅で曲を思いついた時に、パソコンに向かって小さなデジタルの箱に音をダウンロードして、1×10”みたいなスピーカー…完全にデジタル仕様なんですが…から音を出しているそうです。とても気に入っているそうです。そういう状況下でなら何ら問題ないと思います。
S:それはやっている作業が違いますからね。

マーケットを満足させるということ
P:マーケットを満足させなりません。だから、ロック・コンサートに対するマーケットは常に存在します。地元のパブやクラブ、ナイトクラブへのマーケットも存在します。
そして、自宅にこもって小さな1×10”のコンボからYngwieの音を出したいという人達のマーケットもあります。
私達は、これらすべての市場を満たさなければならないと思っています。
S:そうしましょう!
P:しかし、よく考えてみると、30年前と音はほぼ同じなんですけどね。

Pw_img_7789また、ノブが6つ必要なのか、36個必要なのか…もしくはバーチャルで36個必要なのか。コンピュータがあれば、ベースのつまみをコンツァーやボリューム、リヴァーブ、ディレイなどに切り替えたりすることが出来ます。デジタル・ユニットならではのメリットです。ノブが前面に6つしかなくても、好きなように出来るワケです。そういう市場があることもよくわかっています。
一方、私達はロック・コンサートのアンプの壁で最も有名になりましたし、今でもそうです。両方大切です。
S:音楽がマーシャルで作られている限りは心配はいらないんでしょうかね?
P:まあ、あと50年ぐらいは…。
よく言われるのが、Marshallがスタートした頃はThe WhoやJimi Hendrixなどがいました。それから50年経っても、人々はまだThe WhoやHendrixの音楽をプレイし続けています。このスタイルの音楽を弾き続けたい人がいる限り、アンプは存続するでしょう。
S:残念なことのひとつは、1969年以降にピート・タウンゼントがマーシャルを弾くのを辞めてしまったことですね。
P:そうですね。使っていたのはごく短期間でした。しかし、珍しいことです。
名前は伏せておきますが、とあるバンドと話をしたことがあります。話題になったのは、ジムが絶対にやらなかったことのひとつは、無償で製品を供給することでした。ステージ上で見かけたアンプは、必ず購入されたものだったのです。
誰かが私たちのために何かをしてくれたからといっても、ジムは絶対に「ああ、The Whoだから機材を提供しなさい」というようなことは言ったありませんでした。
ジムは絶対にそういうことをしなかったんです。
S:よく聞く話ですね。ジムの半生記、『Father Of Loud』によると、ピート・タウンゼントがマーシャルを辞めた理由はテリーとの摩擦だったようですね。それは本当ですか?

P:私もそのように聞きました。テリーのことは知っています。面白い人でした。しかしそのこと事を尋ねる勇気はありませんでしたね。
S:その後、彼は「H」に移ったんですね。「H」は当時マーシャルの最初のフォロワーだったとか…。
P:はい。何十年も見ていると、アンプにはファッションがあります。どういう意味かというと、有名なギタリストが小さなブティック・カンパニーに移ってステージ上でもそのアンプをプレイする。マーシャルを弾くのを辞めて、短い間のうちにその会社が凄く有名になります。お客さんは自分の大好きなギタリストが使っているアンプだから、同じ物が欲しいと思う。
S:それは自然なことですね。
P:しかしそれほど長くは続きません。私達は50年経っています。そんな風には仕事を回していません。バックアップを出来るだけとっておけるようにします。経済的な面も大切です。
S:それも大切なことです。
P:しかし、そういうファッション的なものは気にせず…みんな、マーシャルを使いたがるものです。ステージでどんなロック・バンドを観ても、マーシャルを目にするチャンスはとても多いですよね。フリーの広告みたいなものです。ジムは口コミが好きでした。

Pw_img_7890_2 (注:テレビ局の取材を受けるフィル)

フィルからのメッセージ、ジムの言葉
S:ありがとうございます。では最後に、35年マーシャルで働き続ける大ベテランから日本のマーシャル・ファンに向けて、メッセージをいただけますか?

Pw_img_7825_2P:何を言えばいいのかよく分かりませんが…私はここに35年いました。日本のミュージシャンがいつぐらいからマーシャルを使い始めたのかわかりませんが…。
S:おそらく一般的になり出したのは…1970年代の初めだったと思います。
P:では30年は使ってきた可能性があるわけですね。もうすぐ40年ということですね。
S:はい。
P:私が言えるのは、マーシャルを使い続けていれば、私たちは同じクオリティのものを生産し続けます。私たちの目的は誰もが使いたくなるアンプを作ることです。日本の皆さんがマーシャルを使っていただければ、単純に私もまだずっとマーシャルで働き続けることが出来ます。
マーシャルを試しに弾いてみれば、あなたの弾きたい音楽に合わせてマーシャルが適切な音を出してくれます。ユニークだとは言いませんが、使う人の音楽に合わせてくれます。
あと、最近は聴き飽きたような言葉ですが、この会社は家族のような会社です。ジムもいつも言っていたのですが、「お客様をお客様と思わないこと」といつも言っていました。「家族のようにもてなしなさい」と。
ですから、彼の哲学は、「マーシャルのアンプを購入した人なら日本人でもアメリカ人でもドイツ人でも、みんな家族と思うように!」でした。
マーケティングのようなビジネス的なものではなく、彼自身の考えでした。マーシャルを買えば、マーシャルの名前とマーシャル・ファミリーが付いてきます。
もっとたくさんの人に使ってもらいたいですね。我々はお金を作るためではなく、お客様のためにあります。それ以上のことは言えませんね。  
S:長時間にわたりありがとうございました!
P:どういたしまして!


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

以上でフィル・ウェルズのインタビューを終了する。ご愛読ありがとうございました。

全8回。第1回目の掲載は何と2013年の4月だった。その中に記したとおり、インタビュー自体も3時間半に及ぶ長大なものであったが、小出しにお送りしたとはいえ、掲載期間はさらに長期間に及んでしまった。
もう、初めの方のことを覚えていらっしゃる方はいないのではないかしらん?
まだご興味があれば読み返して頂きたいと思う。
第1回目の記事はコチラ⇒フィル・ウェルズ・インタビュー~その1

最終回を終えて…このインタビューはフィルの経験談という形こそ採っているものの、内容としてはジムのメッセージを後世に伝え、そのカリスマ性とリーダーシップがどれだけ強力であったかを物語る一編となったような気がする。

もちろんフィルの体験談もとても興味深いものであった。
もっとたくさんの関係者にこうしたインタビューをしたら、オモシロい話しが止めどもなく出てくるのではなかろうか?
たとえばMitch Mitchelに連れられてJimi HendrixがUxbridgeのジムの店を訪ねた際、店にいたのはジムひとりではあるまい?
Deep Purpleがマーシャルのデモ・バンドをやっていた時にRitchie Blackmoreとギター・サウンドについて語りあった人もいるだろう。
Creamを観にMarqueeへ顔を出した人がまだ元気でいても不思議はない。

第1回目で書いたようにケン・ブランも健在だし、ダッドリー・クレイヴンが物故したという話しは聞いたことがない。ギャラガー兄弟は?ジムの弟もまだ元気だ。他にもオモシロそうな話しが聴けそうな先達がたくさん残っているのではないか?

<付記>この原稿を書いた後しばらくして他のMarshall関連の調べごとをしていて知ったのだが、ダッドリー・クレイヴン氏がすでに亡くなったそうである。したがってMarshallの黎明期を知るキーパーソンのひとりを失ったことになる。残念だ!

そうした方々の話しを一編にまとめることができたらさぞかし興味深い「裏ロック史」的な読み物ができるに違いない。
誰かやってはくれまいか?
どんな形でもいいから伝承をしないと!

本企画の掲載を快く承諾してくださったヤングギター編集部の平井毅さん、気が遠くなるような量のフィルと私の会話を文字に起こしてくれた同誌編集部の蔵重友紀さんにこの場をお借りして心から御礼申し上げる次第である。

そして長時間にわたったインタビューに快く応えてくれたフィル・ウェルズ氏に心から感謝する。

おしまい

2014年7月16日 (水)

You Got News from Marshall

この数日、facebookで多くの人にシェアされているMarshallの動画がある。
それはHandwiredシリーズのPVで、1962を製造するシーンが収められている。

A_1962 「#LIVEFORMUSIC」を標榜するMarshallの新しいイメージに合致させたこのPVのつくりは、今までの同種のモノに比べ、ケタ違いにソフィスティケイトされている。
ここで見られる光景は、さすがに私には見慣れたものではあるのだが、とても新鮮に感じた。そして、何よりもカッコいい!ウマいこと作りよるわ~。
まずはそのPVをご覧いただきたい。

Marshallではすべての工程を工場で自己完結している。PVの中では木工や配線、組み立てのシーンがフィーチュアされているが、当然これだけではMarshallを作ることはできない。

F_img_8273_2他にも鉄板からシャシを作り上げる工程や…

50

55組み立てたケースの下地の処理…

83

85とても高度な技術を要するカバリングの貼り付け…

90

100真剣である。

110他にもある。
これはハコに入れる緩衝材。要するにクッションを作る装置。コレがなくては出荷することができない。

130イングヴェイやサトリアーニがしっかりと応援してる!

140vこのあたりは最終の工程だ。

150こうした工程のどれかひとつが欠けてしまってもMarshallを作ることはできない。これはHandwiredであろうが「普通ワイアード」であろうが同じことだ。

160v最初のHandwired製品の復活は1999年のJTM45 Offsetだ。
下の写真、今はNATALの設備になっているが、2003~2004年にHandwiredシリーズをスタートした頃はこのスペースで作っていた。
ここにベテランと若い男女の工員が学校の教室のように机を並べでみんなでセッセと配線や組み立ての作業に勤しんでいたのだ。

この部隊のリーダーであったキャシーと私は仲が良く、工場を訪れるたびに彼女はとてもよくしてくれて色んな話しを聞かせてくれた。(キャシーにはすごく可愛い男の子がいて、ずいぶん大きくなったろうな~)
この部門の一番の苦労は「教育」だと彼女が言っていたことがすごく印象に残っている。

ご存知の通りMarshallが操業を開始したのは1962年のこと。当時は今のようなPCBなどは使用せず、すべて手作業で基板を製作していた。
その後、Marshallは世界的な成功を手中にし、大量生産を可能にするPCB基板を採用するようになった。

2004年にHandwiredシリーズを始めた時にはまだ昔の手作業時代の経験者が工場にいて、当時の作業を完璧に再現することができた。その人たちはほとんどが女性だった。
しかし、そういった先輩たちがいつまでもこの作業に従事できるワケはない。いずれはリタイアしてしまうのだ。そこで若い工員にその技術を伝承する計画が持ち上がった。
コンピュータの使用法などと違って「マニュアル一冊あればいい」などということはあり得ず、手取り足取り、細かなところまで技術の伝授を行う必要があった。

コレだけやっている分には特にも問題はなかった。
ところが、うれしいことにと言うか、当たり前のことと言うべきか、最初に出した1974Xと2061Xが世界的な大ヒットとなり、オーダーが山となってしまった。
これでもベテランの工員さんが次から次へと製作すればさほど大きな問題にはならなかったのだが、何しろ若手の指導も将来へつなげるための大切な仕事である。
つまり、ベテランの工員さんは若手の「教育」に時間を割きながら自分の作業をしなければならないという大きな苦行を強いられてしまったのだ。

その苦労が実ってか、今では先の2機種のみならず、この1962他の新しいモデルも追加されHandwiredシリーズはMarshallの人気シリーズのひとつとなっている。

200工場に行くと、ここでしか見ることのできない工具がゴロゴロしている。

210どれも職人の魂が込められた逸品だ。

220こうしてみると、年季の入ったRoly Gallagherのストラトキャスターのようではあるまいか?

230Marshallに関する情報をもうひとつ。

それはASシリーズのことだ。ASとはAcoustic Soloistの略で、Marshall自慢のアコースティック・ギター用のコンボのこと。
このシリーズが今年でめでたく発売20周年を迎えたのだ。
何回かのモデルの入れ替えや仕様変更があったものの、20年続く商品ってかなりスゴイよ。

「生きる化石」よろしく、Marshallのラインナップで仕様を変えずにもっとも長い間製造され続けているアンプ(キャビネットはのぞくという意味)は1959と1987で48年。もうすぐで満50歳になる。
1962は初期に大幅にルックスを変更しているので、1959たちに軍配が上がる。

1959や1987を除いて現行のラインナップの中の20年選手はASシリーズだけだ…と思うとさにあらず。
昨日説明したEL34 100/100も20周年を迎えている。しかし、汎用性ということで言えばASにとてもかなわない。

というのは、実はASは海外では「大」が5つぐらい付くベストセラー商品なのですよ!

日本ではステージでアコギを鳴らす時、いまだにラインを使用するのが主流だが、海外ではアンプを使うのが極当たり前。
その時にお声がかかるのが、ナチュラルにアコースティック・ギターの音をアンプリファイするMarshall ASなのだ。
特にヨーロッパでの人気は非常に高く、フランスでは最も人気のあるアコギ・アンプのひとつに数えられている。ま、これにはPierre Bensusanの影響もあるかもしれないけどね。

日本もアコギ・アンプのステージでの使用が主流になればいいんだけどナァ。
ナゼ、海外のミュージシャンがアコギ・アンプをステージで使うのかというと…これは実際に世界的に有名なフィンガー・ピッカーに聴いた話し…

「ホワッ?なぜアクースティック・グィターのエンプを使っているかって?(この発音からわかるように話してはアメリカ人です。帰国子女ではありません)
オイオイ、シゲさん、そんなこと訊くのかよ。可愛いヤツだな~(←ウソ。これは言っていない)
そりゃ、キマってるだろ、ハァン?
自分のグィター・セァウンドを作るのにミクサー・ガイにいちいち頼むのは面倒だろう?モア・トレブリーとか…。
オン・ジ・アザー・ヘァンド、エンプが自分のところにあれば自由にセァウンドを作れるじゃないか。
それと、エンプから出したセァウンドはラインの音に比べて何といってもパァンチが効いてるからね。
一度使ったらやめられないよ!」

とこんな調子だった。
まさにASはそうしたギタリストの考えを満足させる名器なのだ。

Asしかし、コレ忘れてたんだけど、このシリーズの開祖はAS80Rという40W+40Wのステレオ・コンボだけだったんだよね。1994年の発売。
その5年後、もっとリーズナブルな入門機種を導入しようとすることになってAS50Rが誕生した。

As50d



また、その1年後、AS80Rは6年間の勤務を終えてリタイア。2000年に代わって登場したのがデジタル・エフェクトを搭載したAS100Dだった。
AS50Dもその後、デジタル・エフェクトを搭載し生まれ変わって現在に至っている。

このシリーズって考えてみると何のオプションもなくて、思い切り自己完結しているところがいいのかもしれないな。
ASというとても狭い世界の中にも20年の間にデジタル・テクノロジーが浸透し、技術の変遷を見る気がする。

Handwiredのような伝統的な技術からデジタルまで…Marshallはやはり魅力的だ。
ひとつ頭に入れておきたいのは、こうした幅のあるビジネスができるのもひとえに50年の伝統があるからだと思う。
これは、どんなに低音や爆音を出そうが、どんなに歪もうが、他の新しいアンプ・ブランドには到底マネできないことなのだ。
Marshallはその伝統を大切に前進を続けていくのだ!コレでいいのだ!

A_as100d

 

2014年6月 1日 (日)

Big Jim Sullivan逝く

2012年10月5日 Shige Blog初出

イギリスでもっとも早い時期から、膨大な数のセッション・ワークをこなしてきたファースト・コール・ギタリスト、ビッグ・ジム・サリヴァンが10月2日、永眠した。

Bjs

Big Jim Sullivanは1941年、ロンドン西部のアクスブリッジ(Uxbridge)の生まれ。熱心なマーシャル・ファンの方ならおなじみの地名だ。

IMG_8118

何故なら、この通りにあったジム・マーシャルの楽器店からマーシャルの第1号機が生み出されたからだ。

この通りの両側にジム・マーシャルの第1号店と第2号店があった。そして、ピートやリッチー、クラプトンらが毎日のようにここに遊びに来ていたのだ。その中の一人がBig Jimで、ピートらとともにジム・マーシャルへ新しいタイプのギター・アンプのアイデアを伝え、開発に取り組みキッカケを作ったのだ。

Jimのお店の詳しい情報はコチラ⇒【イギリス‐ロック名所めぐり vol.2】 マーシャルの生まれ故郷<後編>

IMG_8089
Big Jimは1958年からセッション・ワークをはじめ、リッチー・ブラックモアのギターの先生でもあった。

共演したアーティストの名前を上げればそのままイギリスの軽音楽史がつづれそうなラインナップだ。ビリー・フューリー、ヘレン・シャピロ、シラ・ブラック、ダスティ・スプリングフィールド、トム・ジョーンズ、シャーリー・バッシ―…。

イギリスで初めてワウ・ペダルを使ってレコーディングしたのもこの人で、1962年のアレクシス・コーナーのアルバムでは、ジミー・ペイジからファズを借り、これまたイギリスで初めてファズ・サウンドをレコーディングしたという。

さらに、ザ・ウォーカー・ブラザーズ、ドノヴァン、デヴィッド・ボウイ、エンゲルベルト・フンパーディンク、ロング・ジョン・ボールドリー(エルトン・ジョンの「ジョン」はこの人から取っている)、マーマレイド、スモール・フェイセズ、ザ・トレモロズ、ジョージ・ハリソン等とのレコーディングでプレイした。

加えて、キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』の序曲を手掛けたり、『Tommy』のオーケストラ・バージョンのアレンジ、ザッパの『200 Motels』にまで参加している。

一体どれだけスゴイのよ?!

とてもイイ感じの動画があった。

 

ここで演奏されているのはガーシュインの『Porgy & Bess』から「It Ain't Necessarily So」とボサノバの定番「The Shadows of Your Smile(いそしぎ)」のメドレー。

バキンバキンとしたタッチが、ジョー・パスやウェスあたりのソロ・ギターと異なりいかにもイギリス人らしい印象を受ける。

音楽を作って来た世代の本物の音楽人がまたひとりこの世からいなくなってしまった。

こころからご冥福をお祈り申し上げます。

2014年4月23日 (水)

マーシャルだより 2014~その1

久しぶりのMarshall。
Receptionと呼ばれているおなじみの玄関。

10正面にはHer Royal Highness、アン王女(Princess Royal)が来場された際に制作したJVM410のフルスタックが飾られている。

20v知らなかったんだけど、このアン王女、今からちょうど40年前、バッキンガム宮殿の近くで誘拐されそうになったことがあったそうだ。
誘拐犯はアン王女たちが乗るリムジンを停車させ、お付きの人を銃で撃ち、アン王女に「200万ポンドが欲しいので2~3日一緒に来てください」と頼んだ。
この当時の200万ポンドは今の1300万ポンドに値するそうで、邦貨に換算すると23億円ぐらい?アホか…?
するとアン王女は暴漢に向って「私は200万ポンドなんて持っていません。どこへも行きません!」と気丈に断ったという。
アン王女は反対側から車を降り、暴漢を誘導。通行人がその暴漢の後頭部を殴打し、アン王女を安全な場所へ移動させたというんだからスゴイ。
このドキュメンタリーをBBCでしきりにやってましたわ。

30スタックの傍らにはスタックの序幕式の写真が飾られている。
この時の模様はコチラ⇒【英王室アルバム】Her Royal Highnessがお見えになりました!

40これは一緒に飾られている王室から送られたMarshall社社長、Jonathan Elleryに宛てた感謝状。

43v1階の右奥にはJimの思い出コーナーが…。

45Jimが愛飲していたハバナ産の葉巻。

50大英帝国勲章。OBE(Order of British Empire)。
コレってJimmy Pageももらってんるんだって。David Beckhamもそう。
叙勲するとその勲章のタイトルを名前の最後にくっつけることが許される。

60これは私のコレクションからなんだけど、2002年当時のJimのサイン。

Jm_img_0095そして、コチラは2004年のサイン。名前の後ろに「OBE」が付いている。2003年にOBEを叙勲したからだ…そういうこと。

Jm_img_0093 これはご存知ハリウッドのGuitar CenterのROCK WALKのCertification。
詳しくはコチラをご覧頂きたい⇒マーブロ聖林へ行く<中編>

65vレセプションに飾ってある特注のNATAL。

70しゃれこうべづくし。

80「しゃれこうべ」ってヘンな言葉だよな。元々は「されこうべ」と言っていたらしい。「曝首」と書く。「こうべ」ってのは頭のことじゃん。つまり「曝(さら)したクビ」という意味で、ただのガイコツとは異なり、さらし者になったり野原に転がってるガイコツという意味があるそうだ。

90裏ヘッドには血痕が!よーやるわ~。

100v向こうの人ってこの手のデザイン好きだよね~。

110バッターもガイコツだらけ!

120

130

140階段を挟んだ向かって左サイドはEDEN。こっちはおとなしい。

150v2階はおなじみのミュージアム。

160このあたりは紹介してるね?
Zakk Wylde

170Paul Weller

180Lemmy

190もいっちょZakk

200こちらはJimの親友だったBert Weedonの1923C。
Bert Weedonについてはコチラをご参照されたい⇒【号外】バート・ウィードン逝く!

210ギター・コレクション。少し増えたかな?

230これは社長室の壁に飾ってあるQueenの人気ミュージカル『We Will Rock You』のデザインを模した感謝状。贈り主はMarshallの工場が位置するMiton keynesにあるWillenというホスピス。
Marshallはこのホスピスのスポンサーを務めている。
チョット見にくいが銀のペンで施されたサインはBrain Mayのもの。

240vうれしかったのはコレ。
社長室の書類キャビネットの上なんだけど、この2本のミニチュア・ギター…白いのはEARTHSHAKERのSHARAさんから、奥の黒っぽいのはSHOW-YAのsun-goさんから…去年社長が東京に来た時に催されたMarshallアーティストが集うパーティでプレゼントされたもの。うれしいな~、自分がプレゼントしたワケじゃないけど…。大切に飾ってある。

250これは3月13~16日に北ウェールズで開催されたHammerfestというメタル系のフェスティバルのプログラム。
誰が出てるのかって?
自慢じゃないけど、ひとバンドも知らん。

Img_0097 でもMarshallがスポンサーを務めていて、広告が出てるのさ。
Marshallじゃん…

270NATALじゃん…

280それとEDEN。
気合入ってます!

290行くたびにチョコチョコと色んなものを発見して楽しい。

300vNATALドラムは高田馬場バズーカスタジオでお試しになれます。バーチ、メイプル、そしてアッシュのキットの他、各種スネアドラムも用意しています。
おかげさまでNATALが設置されている部屋のご指定もたくさん頂き、高い評価を頂戴ております。
詳しくはコチラ⇒バズーカスタジオ公式ウェブサイト

そして、日本初のNATALイベントが今週の金曜日(25日)に開催されます!是非お越しください!
詳しくはコチラ⇒ナタール・ドラムをサワール。そんな企画でゴザール。Ne_poster
<その2>につづく

2014年3月11日 (火)

フィル・ウェルズ・インタビュー~その7

AC/DC

P:ウェンブリーのステージにAC/DCを観に行った時はスゴかったですよ。コンサートの後、マネージャーに連れられてバンドのメンバーにあいさつに行ったのですが、廊下がマーシャルだらけになっ

Pw_img_7793_2ていました。アソコの廊下は狭いんですよ。

S:そうそう、やたらと細くて長いんですよね!アソコにマーシャルが並んだら相当狭い! 
P:その通り。バンドの連中は話してみるとすごく親切な人達でした。
S:実はAC/DCのバック・ステージを数年前に東京で見せてもらいました。すごくラッキーだったと思います。バック・ステージを見ることができた数少ない日本人のひとりだったかもしれない。ゲストは完全にシャットアウトされていたので。
「マーシャルの方ですか? それではどうぞ!」と快くバック・ステージに招き入れてくれ、ツアー・マネージャーが付きっきり案内してくれました。
P:それは素晴らしい!
S:ちなみに、ステージの真下は見られました? あそこには1959のタワーがいくつかありましたでしょ?
P:はい、そうですね。
S:マルコムのピックもお土産にいただきました。アンガスのはもらえませんでしたが…(笑)。
P:1枚だって何もないよりずっといいですよ!

Wembley Arenaの狭い廊下はコチラ⇒【50 YEARS OF LOUD LIVE】当日リハーサル~その1

プログレッシブ・ロック

S:ハハハ!ところで、あなたはロック・ファンですか?
P:ロックといっても、私はオールド・スクールです。
S:エルヴィスとか?
P:いえいえ。エマーソン、レイク&パーマー、ジェスロ・タル…プログレッシヴ・ロックが好きです。
S:私と同じですね!
P::私はそういった音楽を聴いて育ちました。ヘンドリックスも同様です。でも、モダン・ロックはマァ良いのですが、音が大き過ぎます。
私のCDのコレクションには、ザ・ナイスに関連するものしべてが網羅されています。結局はキース・エマーソンということなのですね。ザ・ナイスから始まり、すべての時代のLPを持っています。(注:イギリスにはELPファンが想像以上に多い)
後は、あまり有名ではないバンド…。

Pw_img_7777S:例えば?
P:トゥモロウという名前のバンドがいました。
S:スティーヴ・ハウの?
P:そうです。そういう感じのバンドたちです。
現代のバンドも悪くなないのですが、私の好みではないんです。アイアン・メイデンは紹介されて聴きました。一緒に仕事をしたので、バンド・メンバーのサインが入った腕時計ももらいました。しかし、彼らのCDは持っていません。AC/DCは1枚しか持ってないな…。でも、彼らを観に行くのは楽しい。ライヴというのは素晴らしいものです。
初めて姪を連れて…38歳になるので若いとはいえませんが…ジェスロ・タルのコンサートに行きました。彼女はクラシック音楽が好きで、タルを一度も見たことはなく、学校でフルートやピアノの先生をしていました。ロックというジャンルには馴染みがなかったんです。
そこで彼女を連れてジェスロ・タルのコンサートに行きましたが、彼らの演奏に圧倒されて「素晴らしかった!」と言っていました。他のことはさておき、イアン・アンダーソンはフルートを吹きますでしょ? S:1本足で。
P:そうそう。最近の話では、彼の頭はハゲ上がってしまったということでした。昔は金髪だったのですが…。
S:髪のことは私の前で言わないでください!
P:ハハハ!イエイエ、そういうことじゃないですよ!とにかく、そういうスタイルが私の好きな音楽です。その他にはそんなに好きなバンドはいません。年のせいだと思います。プログレで育ったんだと思います。
S:プログレは英国人の間では大きな存在ですね?
P:はい。

ゲイリー・ムーア

S:今回50周年のコンサートがありますが、出演するすべててのギタリストがアメリカの出身です。もしゲイリー・ムーアが生きていたら、出演してくれたと思いますか?
P:もちろんです。彼とは2~3度話をしたことがあります。私の経験からして気難しそうでした。しかし、彼はマーシャルが大好きでした。それは純粋かつ単純なことで、彼の欲しいものをマーシャルが提供してくれるから、マーシャルが好きだった。最後までずっと、それだけでした。彼に関する面白い話がありますよ。
S:何ですか?
P:バーミンガムでゲイリーがプレイしていた時のことなんですが、その時、私の息子が大学に通っていました。そこで息子は「ゲイリーを観に行きたいんだけど、チケットが手に入らないかな?」と言いました。
そこで私は2枚…実際は3枚ですが…のチケットを手に入れました。一緒に観に行ったのですが、その時ゲイリーはブルースだけをプレイしていました。素晴らしかったです。コンサートは最高でした。
ところが、アンコールの2曲目では“DSL”の調子が悪くなってしまいました。
しかし、あんなに素晴らしいプレイはこれまでの人生の中で観たことがありませんでしたよ。

Pw_img_77841960の上にDSLの50W、つまりDSL50を置いて、となりにフェンダーのTwinもつないであったのですが、ステージの反対側にはDSL 50がもう1台設置してあり、使ってはいませんでしたが、照明が当たっていました。つまりステージの両側にDSL 50が置いてあったのです。
そして、ゲイリーは調子の悪くなったDSL50の電源をオフにして、反対側のアンプの電源を入れ、プラグ・インしました。
それからたった15秒かそこらで、元通りノリノリでプレイし始めました。アンコールの最後で2~3曲が止まってしまったんですが、みんな拍手喝采でした。
ギグの後、片づけをしているステージの上でギター・テクのグラハム・リリーと話をしていた時、若者2~3人が我々のところに近寄ってきて「ゲイリーのピックはありますか?」と訊いてきました。
グラハムはその若者にゲイリーのピックを1枚渡しながら、「明日このピックがebayに載っているのを見たくないよ!」と言っていました。
若者は「やった!すごい!」と大喜びで立ち去りました。
そして、私はその壊れたアンプを持って帰って修理して、次のギグの時までに送っておくことをグラハムに約束し、「Gary Moore」とフロント・パネルに書かれたDSL50を肩に担いで…50Wヘッドは軽いですから…グラハムと別れました。
すると、さっきピックを手に入れた若者がホールの外にいて大きな声でもらったピックを友達に自慢していました。
そして、ゲイリーのアンプを肩に担いでいる私の姿が目に入った途端、彼は絶句してしまったのです。その時の彼らの顔ときたら!すごく面白かったです。
S:まさかさっきのオジサンがマーシャルの人だったとは?!…みたいな?

マノウォー

P:ハハハ!
アメリカのヘヴィ・メタル・バンドのマノウォーが、今は何と呼ばれているか知りませんがハマースミス・オデオンでライヴを行なっていました(今はHMV Hammersmith Apollo)。3000席はある開場です。そこに行ったのですが、リーダーのベーシストがステージ上で1600Wの電力を消費していました。
S:(笑)
P:キャビネットが32台。18インチが16台…ベースですからね。4×10インチが16台。それで1600Wを使っていたんです。
リード・ギタリストはスタックが3台。3300WのPAがありました。私達は耳をちゃんと保護してはいましたが、もう痛くて大変でした。ですから長居はできませんでした。スラッシュ・メタルでもあるので…ベーシストはたくさんペダルを持っていて、ゲイン・ペダルを踏むんですが、通常の爆音がさらに爆音になり、もうバカげているとしか思えない音量でした。もっとゲインを上げるとどんどんラウドになっていきます。人生最大の爆音ライヴでした。全く存在感がなかった。音楽の存在感はありましたよ。ただただうるさかったんです。
でも、ケータリングは最高でした。ツアー時には大抵会場内に飲食出来る場所が用意されていますが、本当においしかったです。
S:そっち?!(笑) 

ジム・マーシャル

S:ジムの思い出を話していただいていいですか? 何か印象的なお話はありませんか?
P:もちろんありますよ。
たとえば…1977年に私がマーシャルで働き始めた日から一週間が経ったぐらいの時のことです。工場内にスピーカーや抵抗などが保管されている倉庫がありました。その頃の工場の従業員の平均年齢は22~23歳ぐらいで若い戦力が中心だったと思います。最初にその倉庫の管理を担当したんです

Pw_img_7820私はトランスをその倉庫に取りに行ったんですね。場内では色んな従業員に出くわしますから当然挨拶をして歩きます。
そしてカヴァリング作業の場所を通りがかりました。倉庫へは、カヴァリングの工程のところを通らなければ行かれなかったんです。その時、私はそこにいる若い人に「あのカヴァリングで働いてるジジイは誰?」と尋ねました。すると「え?あれがこの会社のオーナーだよ!」という返事が帰ってきました。
S:(笑)
P: おかしなことに、私の面接はその1週間前、当時のマネージング・ディレクターのマイク・ヒルによって行なわれたのですが、場所はジムのオフィスでした。ジムはデスクの端っこで何かの作業をしており、私はマイクと共にジムとは反対の方を向いて座っていたのです。私は就職の面接だったのでとても緊張して周りがあまり目に入らなかったんですね。
とにかく、ハッキリと見た最初のジムの姿は彼がカヴァリングの作業をしている時だったのです。
S:ウワ!私も見たかったな!ジムが社長室で帳簿をチェックしている姿は何回か拝見したことはあります。
P:はい。おそらく5~6年はその倉庫の仕事をしていました。ある時、ジムの秘書から電話をもらいました。「12時にオフィスに来てもらえませんか」と言うので、「アレ? 何かしでかしちゃったかな?」と思って行ってみたところ、ジムに来客があって、技術的な質問を受けることになっていました。そこで助っ人が欲しいということだったのです。
ジムの部屋に行くと秘書が「間もなくリムジンが到着します」と言うのです。どういう事だろう?と思っていると、ジムと昼食を一緒にすることになったのでした。それからレストランに出かけ、席について、お客さんから技術的な質問をされるたびに私が返答しました。ジムはワインを注文しました。ご存知かもしれませんが、ジムは赤ワインが好きでした。「すみません、胃もたれするのでワインは飲めないんですが…」と言いましたが「そうかい、じゃあグラス1杯ぐらいなら」するとボトルが1本運ばれて来ました。「私のおごりなんだから、飲んでもらうよ」と言われました。
S:ハハハ、ジムはすすめ上手でしたもんね。
P:結局、仕事に戻る頃にはもうヘベレケ…。
S:(笑)私も同じような経験があります!
P:私はもう寝る事しか頭にありませんでしたよ!
まあ本当に…彼は素晴らしい人だなと思いました。そして1ヵ月後、また同じオファーが来ました。3度ぐらいやっていると、段々ジムがボスだということが実感できるようになってきました。「ミスター・マーシャル」です。
ある日「よければ『マーシャルさん』じゃなくて『ジム』と呼んでくれ。君次第だが…」とジムに言われました。
そこでまたレストランに行った時から、彼を『ジム』と呼ぶことになりました。その方が適切だと思ったので…。
しばらくすると友達と呼べるような関係になりました。ジムはそれまでの自分のことについて話をしてくれたりしました。
他の人にも話していることですが、アンプに関する話や物事がどうして起こったか、そしてヘンドリックスみたいな人達との会話なども教えてくれました。話していてとても楽しかったです。トラブルに巻き込まれた人がいると…例えば忠誠心に関わるようなことがあると、ちょっと気まずい…気まずいというか、緊張して話しづらくなりますが、彼はそういうことはありませんでした。
私に対して怒っていたことがあったかどうかは知りませんが、彼とは一度も問題を起こしたことはありませんでした。私は尊敬するに値する人として扱われたんだと思います。私もジムのことをいつも良い人だなと思っていました。私もとても良くしてもらいました。
S:本当の「親分」だったんですね?
P:その通り。彼は常に私を酔っぱらわせようとしていました。最後に会った時でさえも!3年前に容態が深刻になる前のことですが…あ、2年前ですね。レストランにいて…毎年もらうウィスキーがあるのですが、これまでに1本も開けたことがありませんでした。初めてもらった1994年から、フル・セットでずっととってあります。それで私は94年と95年のウィスキーをジムのところに持って行きました。ジムはその両方にサインをしてくれました。
それからランチに行ったのですが、そのウィスキーの話しになり、「あのウィスキー、本当には飲んだことがないの?」とジムに訊かれて「本当にないんですよ」と答えました。すると他の誰かが「開けて飲めばいいじゃん!」と言ったのです。
するとジムが私の方に振り返り、「イヤイヤ、フィル、開けないで取って置いておきなさい。私がさっきサインをしておいたんだから!値段がついて高く売れるぞ!」と言うんです。
「そういう理由でもらったんじゃないですよ?」と大盛り上がりになりました。
結局、そのウィスキーを出してきて、チョコっと口にしましたが、なかなか良かったです。ジムにはそういうユーモアのセンスがありました。

つづく

(一部敬称略 2012年9月 英Marshall社にて撮影・収録 ※協力:ヤングギター編集部、平井毅さん&蔵重友紀さん)

2014年2月24日 (月)

#LIVEFORMUSIC~Marshallのあるライフスタイル

マーブロ開いてビックリした?

操作ミスで実は昨日ホンノ少しの間、このスタイルでアップされちゃったんだけど、見られちゃったかな…?
新しいMarshall Blog…いかがかしら?

先日、本国イギリスのMarshallのウェブサイトが大幅にイメージを一新したことをお伝えした
以前の梅村デザイン研究所のバナーが大好きだったので、ちょっと戸惑ったが、Marshall Amplificationの公式ブログとして、その新しいMarshallのイメージにのっとってリニューアルしたというワケ。
素晴らしい作品を提供して頂いた下町のヒプノシス、梅村昇史さんにはこの場をお借りして感謝の気持ちをお送りしたい。

さて、ちょっとこの動画をご覧いただきたい。

ね~?! イメージ変わったでしょう?
もう世界中のMarshall関係の露出がこの新しいイメージを取り入れている。

こちらは新しいHandwiredシリーズの仲間の1962HW、Bluesbreakerのハンドワイアード・バージョンのデモンストレーション。
こうした動画の作り方も大幅に変わった。

クリスも変わったな~。初めて彼に会ったのはもう10年以上前のこと。Marshallの工場で開催されたイギリス中の楽器店の担当者を集めた商品説明会の時にデモンストレーターとして登場した時だった。
クリスは20歳になったか、ならないかぐらいの時分で、髪はフサフサとソバージュにしていた。
『50 YEARS OF LOUD LIVE』でも重要な役回りを演じていたことは以前レポートした

ところで、私がMarshallという名前を知ったのは1974年位のことか…。Marshallがスタートしてちょうど干支がひと回りした頃だ。
そして初めて三段積み(ここは敢えて「フル・スタック」とはいわない)を実際に見たのは秋葉原の「朝日無線」だったろうか?
初めてMarshallのスタック(JMP時代の1959と1960AX)を手に入れてから34年。
そして、Marshallの仕事に携わってカレコレ16年。
さらに正式にイギリスのMarshallのスタッフになって約2年。
外から、中から、ずいぶん長いことMarshallに接して来た。

過去のMarshallの視覚的なイメージはといえば、黒、金、銀、ガイコツ、ライオン…ってとこか?
実際に展示会などでブースを設営する時は、黒を基調に銀のトラスを使用すべし…という指定がかかったこともあった。
とことんへヴィ・メタルのイメージだったのよ。

それがですよ…動画を見てビックリでしょ?
まるでパソコンやらスニーカーやらのPRイメージみたいじゃん?
ギターでコレをやるならまだわかる。現実的に海外では「生活の中に音楽&ギターありき」的路線でPRをし続けている有名アコギ・ブランドもある。

ギターならともかく、Marshallはギター・アンプでこの路線を打ち出した。
コレはね~、メッチャすごいことだと思うのですよ。

創業から50年を経過し、今ではNATAL(ナタール)とEDENも加わった。他にもヘッドホンやブックシェルフ・スピーカー等のオーディオ機器、海外では冷蔵庫の発売等、「Marshall」のスクリプト・ロゴをまとった関連製品も定着してきた。

先述した初めてMarshallの実物を目にした時は、ショウウィンドウの中にガッチリしまわれていてニオイをかぐことすらできなったMarshallが、今や生活の中に溶け込んでいるのである。
これはロックが生活の中に染み込んだということに他ならず、50年にわたってロックの発展に貢献して来たMarshallのひとつの業績ということが言えるだろう。

3brands先の動画にJim Marshallの姿はもうない。
明らかにMarshallは51年目以降の新しいステップを踏んでいるのだ。
しかし、Jimの精神はMarshallに生き続けている。
やはり、MarshallはMarshallなのだ。

これからもMarshall、そしてMarshall Blogを何卒よろしくお願いします。
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2014年2月13日 (木)

フィル・ウェルズ・インタビュー~その6

マーシャルへの信頼
P:成功したのは1つの事柄だけではありませんでした。すなわち、アンプは当時誰も得られなかった

Pw_img_7798サウンドを出す事に成功しました。そして、そのシンプルでストレートな構造ゆえ、信頼性がありました。
そのアンプはアーティストたちが欲がっていたものを与えたのです。
ザ・フーがアンプを持って、ジムに「2、3台、明日までに修理して欲しいんだけど…」とショップにやって来ます。
それを「分かりました、明日までにやっておきます」と預かる。そして修理をやっておきます。こういうことがマーシャルをお客さんに所有させるチャンスを広げて行ったのです。
S:信頼性ということですか。
P:はい。

古いアンプ話しいろいろ
P:2010年でしたか…、早いものですね。我々が最初に製作した20台のアンプのうちのひとつが持ち込まれました。
本物かどうか確認したいとのことでした。そこでプラグ・インしてみたのですが、50年近く経ってもまだちゃんと動きました。もちろん、時が経つにつれていくつか部品は交換されていましたが…真空管は何度変わったか分かりません。しかし、コンデンサーやトランスなどのパーツはすべてオリジナルのままでした。問題なく動きましたよ!
持ち主も1ヵ月に1度はプレイしていたようです。
地元のクラブなどで友人とジャムっていたのですが、ある日誰かから「どこで手に入れたの?」と訊かれて、「わからないけど、すごく古いアンプでしょ!」と答えたのですが、その友人に「コレは相当価値のあるものだよ」と言われてここに持って来たそうです。
S:それはまたノンビリした話しですね。さぞ音も良かったんでしょうね。
P:はい。それでその彼はそれを売ってしまったそうです。

ディープ・パープル
S:ディープ・パープルがマーシャルのデモンストレーション・コンサートで演奏したことがあるそうです

Pw_img_7789_2が、本当ですか?
P:はい。確認したわけではありませんが、その話は聞きました。
S:ドラム・キット以外はすべてマーシャルの機材を使ったとか…。
P:はい。
S:いつ頃、どのように行なわれたんでしょう?
P:わかりません。特定しにくいです。かなり昔のことなので。
それはジムが一番知っていたと思います。残念ながらもう尋ねることも出来ませんが…。しかし、当時ディープ・パープルはまた新しく出て来たバンドという感じでした。今のように大規模な人気はありませんでしたよ。
もちろんその後どんどん大きくなっていきましたが…。ザ・フーもそうです。でもやっぱり可能性は感じさせましたね。マーシャルをたくさん使っていました。
S:アーティストに関して、あなただけが知っている面白いエピソードは他にもありますか?

アンガス・ヤング
P:そうですね、おもしろいと思った話は…この工場に移って来た時のことなんですが…。80年代初期のことです。バンドがやって来て新製品を試奏したんです。最終段階のところでの試奏でした。その頃はまだシアター(Marshallの工場内にある劇場。今ではそこで爆音が出せるようになっている)がありませんでした。
アンガスがやってきた時なんですが、彼に6セットのスタックを作ったんです。総計600Wのヘッドに4×12インチ・キャビが12台です。
工場の前の道の向かいにはB&Q(イギリスの日曜大工用品販売店。ヨーロッパ最大、世界大3位のDIYショップ)があるんですが、彼らが私に向かって文句を言うんです。「やかましい!」と言って。
そこでマネージャーが丁寧に、ボリュームをさげるようにアンガスに伝えました。爆音すぎて怒られちゃった!
S:ハハハ!アソコまで聴こえるとはすごい!

★      ★      ★      ★      ★
どっかにないかな~と思って昔の写真をヒックリ返したら何とか見つかった!
左の2階建ての白っぽい建物がMarshallの本社。
そして、Dnbigh Road(デンビー・ロード)という道路を隔てた写真右端、オレンジ色に「B」っぽい文字が見えるでしょ?これがフィルの言っている「B&Q」。
アンガスのギターは場内からココまで聴こえて、かつうるさかったというのだ。

よく、Grand Funk Railroadの演奏が後楽園ホールから池袋まで聴こえたなんていう話しを聴くけど、これは完全にガセらしい。本当にしておきたいエピソードだけどね。
でも、このアンガスの話しはマジらしい。
しかも。アンガスはコンサートではなくて、ただのMarshallの試奏だからね。試し弾きでこの爆音ではタマらん!

B_q これがシアターの内部。突き当りがステージなっている。
この空間を利用して、イギリスをツアーするMarshallのバンドのリハーサルに貸したりすることもある。
2010年のZakk Wyldeのツアーの時などは、リハーサルの最終日にMarshallの従業員をシアターに招待して演奏を披露していた。
その他、大勢が出席する会議でも使われるのだが、火の気がなくて夏でも寒い。そんな時でも半袖のTシャルのヤツいるもんね。私なんぞすっかりセーターよ。
そんな私の姿を見て、「シゲ、どうした?! 風邪でも引いたか?」とヨーロッパの人たちは心配してくれる。イエイエ、DNAが違うんですよ、寒い国から来た人達とは!
ホント、日本って「暑い国」の仲間なんだよ。
Gm_img_8322★      ★      ★      ★      ★

ゲイリー・ムーア
P:ゲイリー・ムーアがシアターを使っていた時のことも覚えています。何だったか覚えていませんが、何かを試奏していました。とにかく何かを弾いていました。曲の最後になって彼はバンドのメンバーを振り返り、「今の所は書いておかなくちゃな」と言ったんです。
あの場で曲が出来たようで、ああいう状態で曲を作るようなミュージシャンはそんなに多くはないでしょう。
彼が振り返って「書いておかなくちゃならない」と言った時、すごく良い気分でしたね。
S:確かに…。

古いアンプ話しいろいろ2
P:古い機材の話はたくさんあります。ロック・バンドだけではありません。3~4年前、…なんといったらいいんでしょうね、教会の牧師のような人だったんですが、この人は1963年にHanewell(ジムの

Pw_img_7800_2店のこと)でJTM45のPAを購入していました。それを教会に設置し、ずっと使い続けてきました。結婚式、お葬式、クワイアの練習といった用途でした。2008年ぐらいの事だったと思いますが、彼はここ2~3年で音質と音量が劣化して来たと感じていたそうです。
S:ずっと使って来たから…。
P:はい。そこで、「古いマーシャルを使っているのですが、どうしたら良いか分かりません」と、私達のところへ尋ねてきました。
「持って来て下されば修理しますよ」と伝えたところ、果たしてそのアンプを持っていらっしゃったのです。
買ってから一度も手をつけていないそうで、1963年に購入されたものですが、教会に設置されたきり2008年になってここに持ち込まれるまで誰もメンテをしていませんでした。
内部には1インチのほこりがたまり、真空管は1963年当時のままのオリジナル。
S:ハハハ!
P:はい、そこでパワー管を新しい物に交換しました。完璧に動きましたよ。
「コレ、これからどうしたらいいですか? オークションに出して売った方が良い? それとももう捨てた方がいいでしょうか?」と訊かれたので「いえ、売って下さい。ネットのオークションに出したらいかがですか?」と言いました。
そうして彼はそのJTM45を持ち帰ったのですが、1ヵ月ほどして再び連絡がありました。
S:彼はどうしたんですか?
P:結局あのアンプを売ったそうです。その売ったお金で教会には新しいPAのセットが導入でき、建物の修理基金に大枚充てたそうです。かなり高額で売れたようですよ!
S:へえー。
P:バンドということで考えれば、昔はよくバンドのメンバーがよく来ていましたが、最近はめっきりローディが持ってくるようになりましたね。ほとんどローディが持参しますね。
S:今は工場にシアターが出来たので、試奏などはそこで行なっています。でも昔、1977年に私が働き始めた頃は、彼らは直接工場内に遊びに来ていました。工場の中でアンプを弾いていましたよ。
つまり今より多分、もっとバンド・メンバーとの距離が近く感じられました。
しかし、私がいつも驚いていたのは、素晴らしいギタリストがとてもシャイだということです。ステージ上で見るように派手だと思いがちですが、1対1で向き合ってみるととてもシャイなんです。
S:一般的にドラマーとは全然違いますね?
P:P:全く違います。彼らはどこにいても目立ちたがり屋ですからね!

イアン・ギラン
P:あとは何だったか…ディープ・パープルでしょうか。リード・シンガーの名前はなんでしたっけ。
S:どの時代ですか? ロード・エヴァンス? イアン・ギラン?

Pw_img_7784P:イアン・ギラン。彼は凄い紳士です。イアン・ギランに関する話があります。
ミュージアムには2台のPAキャビネットがあるんですが、これはディープ・パープルの所有品です。今から数年前、イアンが奥さんや娘さんと一緒にここを訪れました。もちろんイアンはジムと知り合いで、ジムの所に来たんです。
S:昔の仕事仲間ですもんね。
P:はい。そして、私は奥さんと娘さんを連れてちょっとした工場見学をしていました。それが終了してエントランスに戻りました。
エントランスの二階はミュージアムです。
終わって階段を上がるとミュージアムです。そこでおしゃべりをしていると、イアンとジムがやって来ました。イアンが2台のキャビネットの前でしばらく立ち止まり、「これは…私のだ」と言いました。
「どういうことだい?」…ジムは「このキャビネットをディープ・パープルのためだけに作ったんだよ」と言いました。
S:何しろデモ・バンドですもんね!
P:あおう。特定のスペックで特徴のある見た目になっています。するとイアンは「これは盗品だ!」と言うんですよ!1970年ぐらいのモノだったか、詳しい時は覚えていませんが。
「どこで手に入れたですか?」とイアンに訊かれたので顛末を話しました。
 その6ヵ月前、ある青年が工場にやってきました。彼のおじいさんが亡くなったので、遺品を片付けに行ったら、裏庭の小屋の中にコレが置いてあったというのです。そこで返した方がいいのではと思い、ここに持って来たというのです。
私達もどうしていいかわからず、歴史も、作られた年代も、大体のことは特定出来るし、誰にあてた物なのかも大体分かります。
しかし、25年も前の物が突然現れてもね…。
S:それは驚きますよね。
P:イアンもかなり衝撃を受けた様子で、「どこで見つけたんだろう!」と知りたがっていましたが、「分かりません…」と言うしかありませんでした。
でもこうして2台は出て来たんです。失くしたり、盗まれたり…そういう事はよくあります。
たくさんのバンドが失くして、いろんな人が見つけてきます。なぜなら古い物は金銭的な価値が高いから。扱いにはちょっと注意した方がいいと思いますけどね!あとは…何が知りたいですか?

★        ★        ★        ★        ★

Marshall本社のエントランス。2階部分がミュージアムになっている。

Gm_img_7851これがミュージアム。
以前はガラス張りになっていたが、今ではそれが取り払われオープンな雰囲気になった。
50周年記念コンサートの前日、Jonathan ElleryのBBCのインタビューもここで収録された。

Mb_img_7943_2そして、この赤いキャビが当該のIanが所有していたとされるキャビネット。ガッチリとコレクションに組み込まれている。

Mb_img_8009 つづく

(一部敬称略 2012年9月 英Marshall社にて撮影・収録 ※協力:ヤングギター編集部、平井毅さん&蔵重友紀さん)