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2014年8月 6日 (水)

フィル・ウェルズ・インタビュー~その8(最終回)

技術の進歩とアンプ製造
S:技術の革新によって、アンプ製造のプロセスは変わったと思いますが、どこが一番大きな変化だと思いますか?
P:一番大きな変化は、エレクトロニクスだと思います。例えば金属製のシャーシがありますよね。今作られた物と1959年に作られた物を比較してみると、1959~1970年頃に作られた物は大し

Pw_img_7777て変化がありません。色は違います。しかし基本的な素材は一緒ですし、同じ製造工程、同じ型です。
キャビネットに関しては4x12”のキャビネットやヘッドのキャビネットを見ると、1960年に作られたものと現在のものは同一です。同じ厚みで同じ素材を使っています。
しかし、エレクトロニクスに関しては劇的に変わりました。
1977年に私が勤め始めた頃はフロート・ソルダー・マシンの数が少なかった。最初に製作したアンプのほとんどは同じ回路基板を使い回しました。「ST-1」と呼ばれたものです。
これから10種類の異なるアンプが作られました。リード、キーボード、ベース用、何でも作れたのです。30~40の部品から成り立つとてもシンプルな構造でした。
最近では、ほとんどのアンプが複数の回路を持っています。DSL100を例に挙げると、これは回路が6つあり、500個の部品で出来ています。1959は37個ですけどね!
これは大きな変化です。
S:10分の1以下?!
P:はい。
理由のひとつはお客様からのご要望です。もっともっと、という声に答えて、JVMはノブを29個搭載し、4台分のアンプを1台に詰め込みました。見た目が複雑そうだなという懸念がありましたが、お客様はこういった、クリーンからスラッシュ・メタルまでスイッチを切り替えれば対応出来る製品が要求され」ました。
だから、エレクトロニクスの違いですよ。私が35年前に始めた時はサーキット・ボードが導入され、部品は手作業で取り付けされました。手でカットし、ハンダ付けの機械を通り、配線されました。非常にシンプルでストレートです。今ではJVMの場合、67%は自動で組み込まれています。
私はそれ自体は良いことだと思っています。こんなにたくさんの部品を手作業で組み込んでいたら、間違う可能性も少なくありません。自動挿入のメリットは間違いがないということです。正しくプログラミングが出来ていれば…の話ですが。コストも少なくて済みますし…。
今までの統計のファイルを見ると、部品の数こそ増えましたが、昔に比べると間違った部品を入れるという人為的なミスが減っているのが分かります。自動装着のおかげです。
また、JVM410などは4段階で製品がチェックされています。部品が載せられた時に1回、フロー方式でハンダ付けされた時に1回。

Pw_img_7784それから、アンプに組み込まれた後にもう1回チェックを行ないます。シャーシに本体を入れてアンプとして完成した状態にして、電源を入れてちゃんと動くかどうか確かめるのです。それから最終チェック。ギターをつないでチェックします。
以前よりチェック回数が多くなっているんです。ちゃんと動いているかどうか、確実に見ていきたいからです。
お客様の要求により複雑なアンプを製作するようになったので、こういう形になりました。
S:なるほど…。
P:あなたの質問に簡単にもう一度お答えすると、エレクトロニクスが大きな変化の原因です。箱もシャーシも同じ。組み込み方すら変わっていません。木材を使って総てを手作業でスピーカーを入れ、ネジで留める。
アンプも同じ形で作られ、シャーシも同じ形で作られています。35年前にここの仕事を辞めた人が今戻って来ても、同じ仕事が出来ると思います。機械は新しくなっていますけどね。基本的には同じような事をやっています。
S:スゴイ!でも…。
P:そう。エレクトロニクスはものすごい変化を遂げました。でも、「ST-1」の作られ方は今も昔も一緒です。
若い女性でヘーゼルという人がいるんですが、彼女がパーツを入れてハンダ付けの機械を通り、ハンダが終わるとヘーゼルの前に戻ってくる。伝統的には35年前と全くもって同じ方法です。もっと複雑なアンプを作っている所だけが違うんです。

ギター・アンプの未来
S:ありがとうございます。私はシンプルな構造のアンプが好きです。
P:例えば?
S:JTM45や1959などですね。私は音楽は振り子のようなものだと思っているので、今、振り子がこの辺(右)だとしたら、いつかこちら(左)に戻っていくと思っています。
つまり、ベーシックなサウンドを必要とする音楽がまた戻ってくるような気がしています。
あなたはギター・アンプの未来のゴールはどこにあると思いますか?方向性は?
P:私たちはロック・マーケットに向けたアンプを製作しています。そこにはふたつの道があります。やはり、インターネットやiPad、コンピュータによる相互作用などでギターを弾く人達もアンプを使いたがっています。

Pw_img_7814だから、その方向に沿ったアンプを用意し…ヴァーチャルなアンプですが、すべてがパソコンの中で設定され、小さな箱か何かにダウンロードされて…Jimi Hendrixの音なんかがプレイ出来るようになっている…と言いってもそれは不可能で、絶対にHendrixの音にはなりません。
S:もちろん!
P:人々はふたつのタイプに分かれていると思います。ベースやトレブルなどをiPadのようなものでダウンロードするような人達。良いことですよ。私たちも入って行くべき市場だと思います。ねえ、マイルス?(フィルと机を並べていたR&Bのスタッフ)
マイルス:はい。
P:しかし同時に、マイルスや他の人たちと話していて思うのが、伝統的なアンプが欲しい人は熱い真空管の入ったアンプを地元のパブやクラブに持ち込んで鳴らしたい。市場はそこにもあると思っています。
S:私もそっちだな~。
P:でしょうね。

ホンモノの音
P:35年間Marshallに勤める中で私が発見したことがあります。
よく見られる傾向として、マーシャルの中に限った話ですが、毎回新しいシリーズが発売されるたびに、その前のシリーズが注目されるようになります。
JCM800の前は1959と1987ぐらいしかありませんでした。さらにゲインが欲しい時は歪み系のペダルをつないでいました。
そしてJCM800を発表しましたが、最初は「ウ~ン、どうだろう」という反応でした。しかし、間もなく気に入ってもらえるようになりました。それからJCM900が出ました。
すると「ン~…違うなあ。JCM800の方が良い」という評判が多く寄せられました。
生産終了になると、JCM900の人気が出ました(注:JCM2000への移行後、ヨーロッパではJCM900が流通しない時期があった)。
S:そう!市場から消えるとみなさん探し出す。
P:そして、その後一般的な傾向として多機能が望まれることから、TSLやJVMを発表しました。最初は「スゴイ!」ということになりますが、「多機能すぎる」という意見が出始め、昔のモデルに戻ります。そうした多機能のモデルも、家に持ち帰り、ある一定の期間が過ぎると、彼らは1~2チャンネルしか使わないようになります。他のチャンネルは使われなくなってくるのです。

Pw_img_7793S:自分好みの音を作っちゃいますからね。
P:その通り!しかし、そういうお客さんはそもそも真空管アンプが欲しいからそれらのアンプを購入したのです。チャンネルがいくつあろうと関係なく、真空管アンプが欲しかった。
そういうものが欲しい人は、ほとんどの場合iPadは持っていません。たとえ持っていたとしても用途はせいぜいインターネットの閲覧です。iPadの中で音を作ったりパソコンでデータをダウンロードして弾いたりということはしないでしょう。
このふたつはまったく別々の事柄なんです。統合されることはないと思います。そのマーケットの在り方は良いものだと思います。

しかし、コンピュータで欲しいサウンドを作り出すためにデータをダウンロードして、「Marshall」と書かれた小さな黒い箱みたいなものからYngwie Malmsteenの音が出る事は絶対にないんですよ!
S:YE~S!
P:音は良いかもしれませんし、あなたの要求には応えてくれるでしょう。
しかし、決して真空管アンプと同じ音にはなりません。もしも同じ音になったとしたら、真空管アンプは消滅するでしょう。わかりますよね。
S:もちろん!まったく同感です。
P:突然完全デジタル仕様のアンプを作り、JTM45と全く同じ音を出す。歪みも倍音も同じ。その時、真空管アンプの時代は終わります。
でも、その兆しはまだ見えません。少なくともしばらくはなさそうです。
トラディショナルな人達がいますから…私の世代もあなたの世代も、マイルスの世代も、みんな真空管アンプを使いたいと思っている。
でも、どんなものにも流行はあります。80年代にはみんなこぞってラック・システムを買い始めました。パワー・アンプ、プリ・アンプ…。
その時代は終わりました。もうラックを買う人は少ないでしょう? 
S:はい。まるであの時代が幻のように…。
P:それからフル・スタック。60~70年代ですね。ステージに4×12”を10台並べて…。
今なら、ステージに置いてあるのは2×12”のコンボ。信号はDIを通ってミキサーに送られます。しかし、アンプはギタリストのためのものです。本物のギタリストは何を使って弾けばいいかよくわかっている。オーディエンスはそれをPAから聴く。
S:「ロック」という音楽があまりにも変わってしまいましたよね。
P:はい。たとえばAC/DCのAngusやMalcomが2×12”のコンボをステージで使っていたとしら、今のPAの技術があればお客さんが聴く音はスタックで鳴らした時と同じかもしれませんが…ダメです。やっぱりあの見た目がないとダメなんです。
S:音楽は空気ですからね。
P:そう!しかし、Angusは今、自宅で曲を思いついた時に、パソコンに向かって小さなデジタルの箱に音をダウンロードして、1×10”みたいなスピーカー…完全にデジタル仕様なんですが…から音を出しているそうです。とても気に入っているそうです。そういう状況下でなら何ら問題ないと思います。
S:それはやっている作業が違いますからね。

マーケットを満足させるということ
P:マーケットを満足させなりません。だから、ロック・コンサートに対するマーケットは常に存在します。地元のパブやクラブ、ナイトクラブへのマーケットも存在します。
そして、自宅にこもって小さな1×10”のコンボからYngwieの音を出したいという人達のマーケットもあります。
私達は、これらすべての市場を満たさなければならないと思っています。
S:そうしましょう!
P:しかし、よく考えてみると、30年前と音はほぼ同じなんですけどね。

Pw_img_7789また、ノブが6つ必要なのか、36個必要なのか…もしくはバーチャルで36個必要なのか。コンピュータがあれば、ベースのつまみをコンツァーやボリューム、リヴァーブ、ディレイなどに切り替えたりすることが出来ます。デジタル・ユニットならではのメリットです。ノブが前面に6つしかなくても、好きなように出来るワケです。そういう市場があることもよくわかっています。
一方、私達はロック・コンサートのアンプの壁で最も有名になりましたし、今でもそうです。両方大切です。
S:音楽がマーシャルで作られている限りは心配はいらないんでしょうかね?
P:まあ、あと50年ぐらいは…。
よく言われるのが、Marshallがスタートした頃はThe WhoやJimi Hendrixなどがいました。それから50年経っても、人々はまだThe WhoやHendrixの音楽をプレイし続けています。このスタイルの音楽を弾き続けたい人がいる限り、アンプは存続するでしょう。
S:残念なことのひとつは、1969年以降にピート・タウンゼントがマーシャルを弾くのを辞めてしまったことですね。
P:そうですね。使っていたのはごく短期間でした。しかし、珍しいことです。
名前は伏せておきますが、とあるバンドと話をしたことがあります。話題になったのは、ジムが絶対にやらなかったことのひとつは、無償で製品を供給することでした。ステージ上で見かけたアンプは、必ず購入されたものだったのです。
誰かが私たちのために何かをしてくれたからといっても、ジムは絶対に「ああ、The Whoだから機材を提供しなさい」というようなことは言ったありませんでした。
ジムは絶対にそういうことをしなかったんです。
S:よく聞く話ですね。ジムの半生記、『Father Of Loud』によると、ピート・タウンゼントがマーシャルを辞めた理由はテリーとの摩擦だったようですね。それは本当ですか?

P:私もそのように聞きました。テリーのことは知っています。面白い人でした。しかしそのこと事を尋ねる勇気はありませんでしたね。
S:その後、彼は「H」に移ったんですね。「H」は当時マーシャルの最初のフォロワーだったとか…。
P:はい。何十年も見ていると、アンプにはファッションがあります。どういう意味かというと、有名なギタリストが小さなブティック・カンパニーに移ってステージ上でもそのアンプをプレイする。マーシャルを弾くのを辞めて、短い間のうちにその会社が凄く有名になります。お客さんは自分の大好きなギタリストが使っているアンプだから、同じ物が欲しいと思う。
S:それは自然なことですね。
P:しかしそれほど長くは続きません。私達は50年経っています。そんな風には仕事を回していません。バックアップを出来るだけとっておけるようにします。経済的な面も大切です。
S:それも大切なことです。
P:しかし、そういうファッション的なものは気にせず…みんな、マーシャルを使いたがるものです。ステージでどんなロック・バンドを観ても、マーシャルを目にするチャンスはとても多いですよね。フリーの広告みたいなものです。ジムは口コミが好きでした。

Pw_img_7890_2 (注:テレビ局の取材を受けるフィル)

フィルからのメッセージ、ジムの言葉
S:ありがとうございます。では最後に、35年マーシャルで働き続ける大ベテランから日本のマーシャル・ファンに向けて、メッセージをいただけますか?

Pw_img_7825_2P:何を言えばいいのかよく分かりませんが…私はここに35年いました。日本のミュージシャンがいつぐらいからマーシャルを使い始めたのかわかりませんが…。
S:おそらく一般的になり出したのは…1970年代の初めだったと思います。
P:では30年は使ってきた可能性があるわけですね。もうすぐ40年ということですね。
S:はい。
P:私が言えるのは、マーシャルを使い続けていれば、私たちは同じクオリティのものを生産し続けます。私たちの目的は誰もが使いたくなるアンプを作ることです。日本の皆さんがマーシャルを使っていただければ、単純に私もまだずっとマーシャルで働き続けることが出来ます。
マーシャルを試しに弾いてみれば、あなたの弾きたい音楽に合わせてマーシャルが適切な音を出してくれます。ユニークだとは言いませんが、使う人の音楽に合わせてくれます。
あと、最近は聴き飽きたような言葉ですが、この会社は家族のような会社です。ジムもいつも言っていたのですが、「お客様をお客様と思わないこと」といつも言っていました。「家族のようにもてなしなさい」と。
ですから、彼の哲学は、「マーシャルのアンプを購入した人なら日本人でもアメリカ人でもドイツ人でも、みんな家族と思うように!」でした。
マーケティングのようなビジネス的なものではなく、彼自身の考えでした。マーシャルを買えば、マーシャルの名前とマーシャル・ファミリーが付いてきます。
もっとたくさんの人に使ってもらいたいですね。我々はお金を作るためではなく、お客様のためにあります。それ以上のことは言えませんね。  
S:長時間にわたりありがとうございました!
P:どういたしまして!


*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

以上でフィル・ウェルズのインタビューを終了する。ご愛読ありがとうございました。

全8回。第1回目の掲載は何と2013年の4月だった。その中に記したとおり、インタビュー自体も3時間半に及ぶ長大なものであったが、小出しにお送りしたとはいえ、掲載期間はさらに長期間に及んでしまった。
もう、初めの方のことを覚えていらっしゃる方はいないのではないかしらん?
まだご興味があれば読み返して頂きたいと思う。
第1回目の記事はコチラ⇒フィル・ウェルズ・インタビュー~その1

最終回を終えて…このインタビューはフィルの経験談という形こそ採っているものの、内容としてはジムのメッセージを後世に伝え、そのカリスマ性とリーダーシップがどれだけ強力であったかを物語る一編となったような気がする。

もちろんフィルの体験談もとても興味深いものであった。
もっとたくさんの関係者にこうしたインタビューをしたら、オモシロい話しが止めどもなく出てくるのではなかろうか?
たとえばMitch Mitchelに連れられてJimi HendrixがUxbridgeのジムの店を訪ねた際、店にいたのはジムひとりではあるまい?
Deep Purpleがマーシャルのデモ・バンドをやっていた時にRitchie Blackmoreとギター・サウンドについて語りあった人もいるだろう。
Creamを観にMarqueeへ顔を出した人がまだ元気でいても不思議はない。

第1回目で書いたようにケン・ブランも健在だし、ダッドリー・クレイヴンが物故したという話しは聞いたことがない。ギャラガー兄弟は?ジムの弟もまだ元気だ。他にもオモシロそうな話しが聴けそうな先達がたくさん残っているのではないか?

<付記>この原稿を書いた後しばらくして他のMarshall関連の調べごとをしていて知ったのだが、ダッドリー・クレイヴン氏がすでに亡くなったそうである。したがってMarshallの黎明期を知るキーパーソンのひとりを失ったことになる。残念だ!

そうした方々の話しを一編にまとめることができたらさぞかし興味深い「裏ロック史」的な読み物ができるに違いない。
誰かやってはくれまいか?
どんな形でもいいから伝承をしないと!

本企画の掲載を快く承諾してくださったヤングギター編集部の平井毅さん、気が遠くなるような量のフィルと私の会話を文字に起こしてくれた同誌編集部の蔵重友紀さんにこの場をお借りして心から御礼申し上げる次第である。

そして長時間にわたったインタビューに快く応えてくれたフィル・ウェルズ氏に心から感謝する。

おしまい