今日は新記録出しちゃいます。
チョットいくらなんでもこんな入り方はどうかと思ったんだけど、「もうココに載せるしかない!」と思って、出だしはまさかの成田空港。
到着ゲートのところにいつも必ずいる『YOUは何しに日本へ』のスタッフの方々。
大変なんだってね~。アレ、取材がOKになる人を捕まえることができる確率の低さと言ったら中途半端ではないとか…。100人単位に1人いるかいないか以下らしい。
ナニを基準に声をかけているのかは知らないけれど、この日も彼らをしばらく見ていたけど、適当なターゲットすら見当たらないらしく、ゲートから出て来る客の姿をボーっと見ているだけの感じだった。
そんだったら私に訊いて欲しいね…「Youは何しに成田空港へ?」って。
「あ、私はイギリスへ帰る社長夫妻のお見送りに来たんです」ってのが質問の答え。
かつてウチの社長はVirgin Atlanticを使っていたんだけど、日本航路から撤退してしまったのでイギリスの航空会社のチョイスはもうBritish Airwaysしかない。
このBritish Airwaysの日本からの出発時間が朝の9時なもんだから、いつも6時にホテルへ迎えに行って成田へ送り届けている。
2時間前のチェックインを目指すとなると、時間の余裕が皆無となる。
コレがいつも心配なのよ。
もし京葉道路で何かがあって、大渋滞なんてことがあったら、飛行機に間に合わなくなっちゃうからね。
かといって、安全を見てあんまり早く迎えにいくワケにもいかないし…。
車だと結構あるよね~、成田空港って。
おかげさまでこの日も何事もなく無事に社長夫妻をお見送りして、「さぁ、行こう」と駐車場への渡り廊下があるターミナルビルの2階に上がってコレがあることに気が付いた。
「Anime Tourisum」という展示。
ナニかと思ったら、要するに私が『イギリス-ロック名所めぐり』でやっていることと全く同じ。
アニメに出て来るスポットを実際に訪れてみよう!という観光案内。
どこが何のアニメに出て来るのかはサッパリわからないけど、この「アニメ名所探索の旅」のスタートはココ、成田空港。
ナンカやることがウマいね。
「札所ポイント0」だから。
まずはココで記念のスタンプを押すワケよ。
それがコレ。
「名所」じゃなくて「アニメ聖地」だった。
完全にお遍路さん状態。
それぞれの聖地へのルートが示してある。
コレは空港や千葉近辺の案内。
コレは神田明神だって。
コレは横須賀。
面白いのは起点が全部秋葉原になってんのよ!
つまり「秋葉原からどう行くか」…ということが記してある。
スゲエな、秋葉原。聖地どころの話じゃない。『私の秋葉原』とは似ても似つかない。
聖地の写真もそれぞれ飾ってある。
コレ、つい自分の知ってるエリアを探しちゃうね。
神田明神の写真。
一体何というアニメに出て来るんだろう。皆目見当がつなないな…。全部「セーラー・ムーン」に見える。
ちなみにウチの両親は神田明神で結婚式を挙げた。
パンフレットも立派。
日本語、英語、中国語で用意されている。
よくテレビのCMなんかで「英語が話せれば〇億人とコミュニケートできる」なんてやってるでしょ?
母国語として世界で最も離されている言語って「何語」だか知ってる?
中国語なんだよね。
次いで英語、スペイン語、ヒンドゥー語と続く。
中国語は国連でも公式の原語に定められているし、コレからは中国語ですよ。
私は英語をマスターしたら中国語をやろうかな…イヤ、もう私の人生内では間に合わないな。
当然フィギュアの展示もある。
『ラブライブ!』は知ってますよ。
主役の声優さんのライブではショボンちゃんがNATALを叩いてるからね。
『文豪ストレイドッグス』も知ってる。
GRANRODEOだもん。
それとガチャガチャが完備している。
コレもいいアイデアだよね。
普通はコインは母国にに帰っても両替することができないので、日本から離れる前にアニメ・ファンの観光客は硬貨を全部コレにつぎ込んじゃうらしい。
我々にしてみれば、コインをかき集めて飲むヒースロー空港のエールみたいなもんよ。
まぁ、ホントにアニメの力ってのはスゴイよ。
…とイントロはここまで。
この話題をどこで出していいのか考えていたんだけど、今日の記事に載せるのが一番いいと決断した。
この後にどうつながるかというと、社長夫妻に別れを告げて、その足で成田空港から今日の記事の舞台となる名古屋へ向かったのだ! 行くぞ名古屋~!…と張り切って京葉道路から新東名をブッ飛ばしたのはいいんだけど、エラく遠い。
決して走り慣れていたりするワケではなないが、「遠い」感が中途半端でなはい。
考えてみたら「成田⇒東京」間の80kmが加算されてたのね。調べてみると「東京~彦根」間か…。井伊さんのとこだな。
名古屋に向かっている途中、Concerto Moonがell.SIZEに出演する情報をキャッチ。
ELLの平野さんともずいぶんご無沙汰していたので、ノンちゃんに会うためにまずは大須へ向かった。
ま、大須に向かったのにはもうひとつ理由があったんだけどね。
その理由は今シリーズの<後編>で解明する。
ノンちゃんと1枚。
ホントはライブを観て行きたかったんだけど先約があったので断念。
前の会社を辞める時にELLにお邪魔して以来だから、平野さんにも6年ぶりぐらいにお会いしてご挨拶させて頂いた。
実は、大須へ行く前にもう1ヶ所立ち寄ったところがあった。
「有松」というところ。
ココは名古屋市の南東になるのかな?
1560年、戦国時代の転機ともなった、織田信長と今川義元が一戦交えた桶狭間のすぐ近くというロケーション。
なんでそんなころへ行ったのかというと…。
コレ。
古い町並み。
ココは「有松しぼり」で有名なところね。
スゴイんだわ~。
重要文化財級の古民家がゴロゴロしてる。
しかも、訪れた時間がチョット遅かったせいか観光客はゼロ。
コレは有松絞りの開祖といわれている竹田家の住宅。
何でも14代将軍、家茂がココの「裁松庵」と呼ばれる茶室を訪ねたとか。
江戸末期の1862年(私が生まれるたった100年前!)、「公武合体」ムーブメントの中で和宮親子内親王が家茂に降嫁し、翌1963年、家茂は3,000人を率いて229年ぶりに上洛した。つまり徳川将軍が229年ぶりに京都へ行ったっていうことね。
その時にココに寄ったのだろう。
ナニせ、この前の道は東海道だからして。
チョット脱線。
一方、その前年に将軍家へ嫁いだ和宮様は京都から江戸へ引っ越す際、中山道を進んだ。
中山道は大井川のような大きな川を渡る危険個所が少なく、かつ外敵に狙われにくいというのがその理由だった。
下の写真の山道を30,000人で行列したという。(コレは人間椅子さんの回でやりましたね)
こんな山道を30,000人がいっぺんに歩いてごらんなさいよ。行列は50kmに及んだという。
和宮様は有栖川宮熾仁親王との結婚が決まっていたんだけど、岩倉具視らの「公武合体(朝廷と幕府が仲良しになること)」派の動きで身を挺して幕府に嫁いだ。
でも家茂と和宮様はすごく仲がヨカッタらしいね。
しかし、竹田さんち、できゃー!
この塀見てよ!
ズッと向こうまで竹さんの家だよ。
岡さんの家。
江戸末期の有松絞り問屋の典型的なつくりらしい。
かなり当時のまま残されている。
小塚さんの家。
コレも典型的な有松絞り問屋の形式なのだそうだ。
卯建(うだつ)が付いているところがカッコいい。
ん~、どの家も素晴らしい。
郵便受けだってシャレてるよ。
この松の木もスゴイ。
傍らに「東海道五十三次二代目松」という碑が立っている。
何でもこの松は、東海道が開かれた当時からここに生えていた樹齢300年の松…からエキスを採取して育てた松なのだそうだ。
要するにクローン。
松のすぐそばに立てられている梅屋鶴壽という人の歌碑。
「あり松の 柳しぼりの 見世にこそ しばしと人の たちとまりけれ」
「あり松」の「松」はこの松に引っ掛けてあって、柳と対になってるんだね。
行き交う人がお店に飾ってある有松絞りの美しさに目を奪われて立ち止まってしまう。有松はそんなステキなところさ…ぐらいの意味かしら?
この梅屋鶴壽という歌人は神田佐久間町の出身なんだそう。
神田佐久間町は今の秋葉原のイケベ楽器さんがあるあたりね。
イヤ、とにかく見ごたえがありますよ。
ガラガラだし。
お、銅板。
東京に残る銅板建築は関東大震災の火事に凝りて、防火を目的に木材を薄い銅板で覆っているんだけど、この銅板建築って、地方ではまず見かけないんだよ。
ナゼって家屋が密集している東京とは火事のコワさの度合いが全く違うから。
多分ココも同様で、飾りで戸袋に銅板を貼り付けただけなのではなかろうか。
今は緑青が生えて緑色だけど、取り付けた当初はゴージャスな赤銅色をしていて相当目立ったに違いない。
見て、この雨樋(あまどい)。
古い家屋って、こういうディテールがいいんですよ。
瓦のデザインなんかも実に味わい深い。
コレはなんだろね?
コレが今歩いて来た旧東海道ね。
上の写真の左側の茶色いトタンの家屋がコレ。
昔は薬屋さんだった。
今は有松絞りのショウルームみたいになっている。
チョット覗いてみた。
藍だね。
以前、チョット書いたけど、藍に携わる仕事は極めて過酷で、「藍百姓」といって年貢にあえぐ一般の農家ですら「セーフ!藍じゃなくてヨカッタ」と思わせたらしい。
チョットその仕事の内容を見てみると…。
2月上旬に苗床を作って種をまく。それから何回も何回も間引きをし、施肥をする。虫よけのためにタバコの茎の汁で苗を撫でて歩くという単調極まりない仕事を繰り返す。
苗がある程度育ったら、本畑へ苗を移植しなければならない。その前の本畑を整備する作業がツライらしい。
本畑に移植した後、3回根踏みをし、畑に水を引いたり、何度も施肥を繰り返さなければならない。
そして害虫駆除に当たっては、ホウキを使って葉の1枚1枚を撫で払う必要があり、コレが気が遠くなるほど根気の要る作業だった。
また搗(つ)いたタバコの葉の粉を撒いて害獣駆除をする方法もあったが、タバコの粉は鼻や喉をひどく痛めるので、これも相当ツライ仕事だったのだそうだ。
刈り取った藍はその日のうちに茎や葉をナタで同じ長さで細かく刻み、翌朝からはその細かい藍を打ちほぐさなければならず、この間しばらくは不眠不休で作業をしなければならない。
要するにヤケクソに手がかかる商品だったということ。
デューク・エリントンはこのことを知っていたのであろうか?とても「Mood Indigo」なんて言ってる場合じゃないのだ。
…とそんな話をこのギャラリーの女性店長に話すと、さすが、よくご存じだった。
それどころか、その方は邦楽とロックを合体させた音楽をクリエイトしている集団との関わりがあって、私がMarshallの人間であることを告げるといよいよ話に花が咲いてしまった!
ギャラリーの内部はまだ薬屋の造作を保存していて、コレがまたエラくカッコよかった。
昔の薬屋ってこうだったよね。
今度は駅前の道をはさんで反対側に旧東海道を進んでみる。
コチラ側も負けてはいない。
この家はかなり立派ですよ。
なんとならば、卯建が付いているから。
よく「ウダツの上がらない男」とか言うでしょ?
この屋根に垂直に設置されている小さな壁のことを「卯建(うだつ)」といって、ある程度の財力がある家にしかコレが付いていなかった。
だから、甲斐性のない輩のことを「卯建が上がらない」と表現した。
コレ、何のために付いているかというと、延焼を防ぐための火除けだったのね。一種の防火設備。
この屋根がカッコいいよね。
服部さんの家。
「服部」さんというぐらいだから元々服の職人だったんだろうけど、ココでは屋号を「井桁屋」といい、やはり絞り問屋だった。
見事な蔵だネェ。
壁の下の方が海鼠壁になっているのも防火対策のひとつ。
蔵に関する落語に「鼠穴」という人情噺があるんだけど、チャンスがあれば是非聴いてくだされ。
「夢は土蔵の疲れなり」なんてね。スゴクいい噺です。
鬼瓦も立派!
「井桁屋」だけあって、瓦には「#」のような井桁の紋がついている。
この服部さんの家は有松を代表する建築物とされているのだそうだ。
反対側も大変立派な建物ばかりでどこもかしこも見ごたえ十分!
ここにも銅板。
やっぱり戸袋だけだ。
この道が東海道であったことを示す碑。
でも有松は宿場ではなかった。
有松は東海道39番目の宿場、池鯉鮒(ちりゅうじゅく)と40番目の鳴海宿の間にあった「間宿(あいのしゅく)」と呼ばれる集落で、宿場と異なり間宿には宿泊することが許されず、旅人が休憩をしていくエリアだった。
有松絞会館の裏手にあるかなり立派な碑。
有松絞りの開祖といわれている竹田庄九郎の碑ですって。
マンホールのフタも絞り風だよ。
コレは「きょうか」という駄菓子屋さん。
ウインドウには何やら懐かし気なモノが並んでいる。
ウインドウにあった張り紙。
「ばっちゃんは、しばらくお休みをさせてもらっていましたが、体が悪くなってしまい、お店を続けていくことができなくなってしまいました。
今までしんせつにしてくれたみんなに会えなくなってしまいさみしいですが、駄菓子きょうかを閉店することにしました」
チョット~、ヤメてよ~。ホロっと来ちゃうじゃんか!
駄菓子屋って必ずバアさんなんだよね。
私は小さい頃、実家の近所の「金子」と呼ばれる駄菓子屋によく通った。
別に看板が出ているワケではなくて、普通の家の一角で営業していたので、表札を見た誰かが「カネコ」と呼びだしたんだろうね。
金子のバアさんも江戸時代に生まれているんじゃないか?と思うぐらいシワクチャだったナァ。
当時、まだ1円とか2円の商品がゴロゴロしていて、アンズの甘露煮が3つ刺さっていた串が最初の頃は1本2円だった。
私はコレが大スキで、2円ずつ払って食べていたら、そういうことにはダイナミックな母が「そんなチビチビ買って食べるのはみっともないからヤメなさい。箱ごと買っといで!」と数百円渡してくれた。
早速カネコへ箱入りのアンズを買いに行くと、そんなことをする子は他に全くいないので、バアさん、「いいのかい?」なんて目をシロクロさせてブッたまげていた。
50年も前の話…こういうことはよく覚えているんだよな~。
もうカネコはとっくの昔になくなっちゃったけど、あのバアさん、今生きていれば130歳ぐらいかな?まだ顔も店の様子もハッキリ覚えてるわ。
ソロソロ有松の町に別れを告げようかと思っていたところ…
良さげなパン屋を発見。
パンもさることながら、家の中が見てみたくて買いに入ってみた。
おお~。
雰囲気満点!
多分ここはお屋敷の下働きをする人たちの居住スペースだったんだろうね。
かまど…こっちでは「へっつい」かな?…があったり…
井戸があったりいい感じ。
「へっつい幽霊」はメチャクチャ面白い噺だよね。
店の奥にある窯。
「どうぞ、どうぞ」と中を見せてくれた。
屋根にはこの窯に直結した煙突が飛び出していた。
あ~、堪能した!
最高に面白い町でありまつた!以上で『私の有松』は終了。
ココから本題だでね。
やって来たのは今池のライブハウス、THE BOTTOM LINE。
久しぶり~。
2015年の1月以来。
ココはいいよね~。
とても好きなハコ。
2階に上がる階段の壁に飾ってある、ここで演奏したジャズ・ミュージシャンの写真がまずうれしい。
そして2階の楽屋…面白い話を聞いちゃったんだ~。
ソロモン・バークって知ってる?
「The King of Rock & Soul」の異名を取る、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンに大きな影響を与えたR&Bの超大御所黒人歌手。
2010年に日比谷野音で開催された『ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバル』に出演するために初来日した。
この時、私はシーナ&ロケッツの取材でお邪魔していたのだが、いつもMarshall Blogに書いているように、私はジャズ以外の黒人音楽をほとんど聴かないので「キング・ソロモン」と名前を知っているものの、シーナ&ロケッツの出番が終わったところで失礼しようと思っていた。
ところが、鮎川誠さんが「絶対に観ておいた方がいい」と博多弁で猛烈に勧めてくださり、最後まで残ることにした。
スゴかったね。
コレが人間の声かッ?というぐらいの圧倒的な歌唱力と説得力、そして最高のショウマンシップ…最後まで鳥肌が止まらなかった。
それで、キングは野音の後、大阪と名古屋を回った。
名古屋公演の会場はココ、THE BOTTOM LINE。
キングは一時期は体重が180kgを越したこともある巨漢で、晩年のチャールズ・ミンガスのようにもう自分の足では歩行することが難しく、車椅子を使っていた。
そんな巨漢だからして、当然使用する車椅子も規格外にデカい。
そこで、プロモーターのスタッフは車椅子のサイズの情報を得て、キングが不自由を被らないように行く先々のエレベーターや出入り口の寸法を前もって測ったっていうんだよね。
すごいナァ、プロは!
大きな車椅子といえども、意外にどこでも通過できることがわかったのだが、ただ1カ所だけどうしても通り抜けることができないポイントがあった。
それが下の写真。
ボトムラインの楽屋の入り口。
ドアの部分自体は通過できるのだが、内側の作り付けのテーブル(写真左)とソファの間隔が狭く、ナニをどうやっても車椅子が通過できないことがわかった。
作り付けのテーブルを壊して取り除いてしまえば通行に関する問題はすべて解消するのだが、まさかソレ1回だけのためにそうするワケにもいかず…。
で、どうしたか…。
「The King of Rock & Soul」は出番の時以外、ズット楽屋の外にいたんだそうだ。
知らない人はビックリしただろうナァ。バカでかい黒人が車椅子に座ってエレベーターホールにいるんだから。
キング・ソロモンは2010年、オランダのスキポール空港に向かう飛行機の中で亡くなってしまった。
結果、ソロモン・バークはロイ・ブキャナンやローウェル・ジョージ、リック・ダンコと並んで私の「観ておいてヨカッタ!」リストの上位に入っている。
鮎川さんにはホントに感謝している。
さて今回、新東名をブッ飛ばしてはるばる名古屋にやって来た用向きは昨年1月にリリースしたアンソロジー『錯』も大好評だった四人囃子。
名古屋在住のある人の熱意でココTHE BOTTOM LINEで四人囃子がよみがえったのだ。
タイトルにある最近よく聞く「スピンオフ」というのは「副産物」という意味。
「番外編」みたいな意味で解釈されることが多いみたいね。
会社がある部門を独立させて子会社にすることなんかを英語で「spin off」という。
もちろん「spin」というぐらいだから、グルグル回って、その遠心力に耐え切れなくなってブチッと本体から切り離されちゃうイメージが語源だそうだ。
定刻になりステージに登場したのがその「ある人」、野田欣志。
「こんばんは!スピンオフ四人囃子のライブにおいで頂きありがとうございます。
2014年、4年前に四人囃子はデビュー40周年を迎え、東京と大阪で記念ライブをする計画がありました。その時、ゼヒ名古屋でも演ってください!とお願いしたんですが、佐久間さんが亡くなって、結局そのプラン全体がなくなってしまい、そのまま現在に至っています」
「しかし、今回そのライブが実現することになりました。サポート・フロントで根本要さんが参加され、西山毅さんも来てくれました。
リハを拝見したんですが震えるぐらいスゴかった!
その震える思いは最後にとっておきましょう!」
野田さんの四人囃子への情熱で実現したコンサート。
会場は超満員!ご盛会おめでとうございます。
まず、最初にステージに上がったのは…
東北出身の3人によるトリオ、∞Z(ゼロゼロゼット)。
福島で2016年に開催したワンマン・コンサートでは1,700人を動員したという人気チーム。
1976年、四人囃子が出演した郡山で開催された伝説のロック・フェスティバル、『ワンステップ・フェスティバル』にちなんで福島から招聘したのだそうだ。
17歳の時にそのフェスに参加した野田さんの計らいだ。
ボーカルズ/ギターのERIKA。
ベースのKenji Sato。
ドラムスはShingo Katagiri。
「フュージョン・ポップ・パワー・トリオ・バンド」というスタイルを標榜するこのバンド、確かにそんなサウンド。
え~、このタイプの音楽を3人で演っちゃうの?って感じ。
「こんなタイプの音楽」っていうのは、いわゆる「シティ・ポップス」っていうのかな?
普通だったらキーボーズがいるのが当たり前という雰囲気の音楽とでも言おうか?
それを緩急自在にギター・トリオで演っちゃう。
ERIKAちゃんの個性的な声。
高度な技術を駆使した厚みのある演奏。
そう、アンサンブルが強力なんだよね。
とても3人演奏している感じがしない。
MCでも大いに笑いをゲットして、この記念すべきコンサートの幕を華々しく切って落としたのであった!
ちなみにドイツ人は「0 0 Z」を「ぬるぬるツェット」と発音するハズ。
∞Zの詳しい情報はコチラ⇒The Official Website ゼロゼトゼット
続いてステージに上がったのはThe BECK's。
名前の通り、ジェフ・ベックの音楽を追求するバンドだ。
ギターというか、ジェフ・ベック担当は冒頭にご挨拶をされたこのコンサ―トの主催者、野田欣志。
今日は1959と1960BX。
そう、ジェフはBキャビしか使わないからね。
野田さんはClass5なんかも愛用してくださっている。
おお~っと!それと、いつもMarshall Blogを応援してくださってるのだ。
足元のようす。
ドラムスは古山哲。
使用するNATALは大二さんのバーチのキット。
サイド・ギターの宮脇貴博。
宮脇さんはDSL20Hと1960A。
ハイ、宮脇さん座布団1枚。
Marshall BlogにDSL20Hを持ち込んだのは宮脇さんが初めてです。
ベースはサポート参加の河童。
あ、チガウ!
ベースは藤田亜沙子。
ニックネームが「Kappa」さん。
EDEN WTP-600とD410XSTを使用。
そして、ゲストで参加したのは松川純一郎。
オープニングはおなじみ「Superstition」。
ノッケから野田さんのジェフ節炸裂!
「ジェフ・ベックはインストゥルメンタル曲が多いが、そればっかり演っちゃうとお客さんが引いてしまう…」ということで今回はすべて歌モノのジェフ・ベックでセットリストを構成したという。
そこで松川さんのボーカルズが大活躍!
2曲目は「Drifftin'」。
ココでいかに私がジェフ・ベックに疎いかが自分の中で露見するのだ。
この曲のレコーディングではウィル・リーと共演してるのね?
作曲はジミ・ヘンドリックス。
続いては、ジミつながりでおなじみ「Little Wing」。
「Little Wing」はジェフのライブの重要なをレパートリーだ。
そんなジェフの愛奏曲を歌うように弾きまくる野田さん。
以前、広規さんのkoki Tetragonがツアーを終えて、そのレポートを兼ねたライブをやったんだけど、MCで窪田晴男さんが「名古屋にジェフ・ベックそっくりな人がいて驚いた」なんておっしゃっていた。
それが野田さん。
ココで野田さんが四人囃子の思い出について語る。
「ボクが高校生の時にレコード・デビューを果たし、四人囃子が今はなき勤労会館にやって来ました。東京の大学に行っていた友達のお兄さんが『観た方がいい!』と勧めてくれて観に行きました」
インターネットなんてない時代だからね、年上の人からの情報はとても貴重だったんでしょう。
当時は神様のような存在だったそうしたミュージシャンたちは当時20歳ぐらいで、野田さんは17歳。もっと年上だと思っていたという。
わかります。ソレ、すごくよくわかる。
そして、郡山で『ワンステップ・フェスティバル』が開催されることを知り、当時のロックを演っている人たちが全部出てるな…と思って観に行ったという。
コレもわかる。
当時、ロックはまだマニアックな音楽でバンドの数もそう多くなかったからね。大人の趣味のひとつだった。
パンク/ニューウェイブの後、80年代に入ってロックがビジネスになり出すと様子がガラっと変わってしまった。
若い人はこのワンステップ・フェスティバルに出演したバンドの音楽を聴き比べてみるといい。今、いい感じで音源がリリースされてるでしょ?
若い人たちはそれを聴いて、どのバンドも替えのきかないオリジナリティのカタマリであることを知るだろう。
海外のロックに追いつけとばかりに、人がやらないことを考えて独自性を競った時代のロックだ。
今の若いバンドさんを見てると、「人と同じこと」をやるのに必死になっているとしか思えない。そして、武道館が上がりの「バンド双六」をやってる。
野田さんの思い出話は続く…。
フェスティバルの初日のトリがジュリー。
2日目が四人囃子だったそうだ。
宿泊ってどうなってたんだろう?テント?
ロックのコンサート・イベントとしては「日本のウッドストック」みたいなものだからネェ、うらやましいね。私は生まれて来るのが5年遅かった。
そして、ナント同じ時間、同じ場所にこの後に登場する根本要さんもいらっしゃったというのだ。
「このことが自慢です。今日、このイベントを開催することができて本当にうれしくて…。
リハーサルを見ていてうれしくて泣いてしまいました。皆さんも泣きますよ!」
感動のMC!
ドラムからスタートしたのは「Rough Boy」。
コレはZZ Topの曲なのか!
自慢じゃないけどゼンゼンわからないな。
でも、ビリー・ギボンズにはロンドンで1回会ったことがあるんだけど、私なんかにも気軽に声をかけて来てくれるすごく感じのいいおジイさんだったよ。ダスティもとても気さくな方だった。
もちろん野田さんと松川さんのギター・バトルもバッチリ。
ベックとSRVの共演か?それともジェフとビリーの共演か?
いずれにしてもゴージャスな組み合わせではあるまいか!
野田さん、楽しそう!
イヤ、2人ともギターを弾く楽しみを存分に味わってる!
その2人を安定した低音で支える亜沙子さん。
コレを機にfacebookで友達になって頂き、やりとりをしてビックリ。
ジャズを大変よく聴いていらして、今般発売になったジョン・コルトレーンの未発表音源はCDもLPもゲットされたという。
それだけではなくて、彼女はKYOW-YAというSHOW-YAのコピー・バンドをされていて、10月20日にはell.FITS ALLで『NAONのNAGOYA』という一大イベントを今年も開催する。
おもしろいな~。
「尾張名古屋は芸どころ」っていってね。とてもお盛んでよろしいな。
NAONのNAGOYA 2018の詳しい情報はコチラ⇒facebook
キタキタ~!定番の「Going Down」!
イケイケ、宮脇く~ん!Marshallがついてるぞ!
ココはもう皆さんに弾きまくっていただかないと!
いつかも書いたけど、ジャムセッション最強の曲のひとつだからね。
The BECKSのステージを締めくくったのは「Purple Rain」。
この曲はKoki Tetragonでも取り上げている松川さんの自家薬籠中の曲。
それだけに実にシットリと滑らかな演奏が展開した。
思い入れタップリの舞台で充実の6曲を演奏した野田さん。
そして、この後はスピンオフ四人囃子。
今日は最高の1日ですね~!…ニンマリ。
The BECK'sの詳しい情報はコチラ⇒The BECK's - JEFF BECK BOOTLEG NAGOYA -
さて、冒頭でチョット触れた「新記録」ね。
何のことかおわかりになりましたか?
「いつになく長い記事だな…」とお思いになられた方、ほぼ正解。
本日掲載した写真の数は131枚。
80枚台は過去に何回もあるんだけど、100超えは今回が初めてのことだったのです。
最後までご高覧ありがとうございました!…イヤイヤ、このシリーズまだこれからですから!
四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook
<中編>につづく
(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)