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2017年12月19日 (火)

犬フェス~コピー・バンド決勝大会 <前編>~私のディープ浅草 <その3>

   
「犬フェス」か…私は特段犬好きでも、動物好きでもないがいい名前だと思う。
「犬神フェスティバル」を略して「犬フェス」というワケでもなし、最初から「犬フェス」としているところが何とも犬神サアカス團らしいではあるまいか。
2回目の開催。
前回は「プロのバンドが犬神の曲を演奏する」という内容であったが、今回はアマチュア・バンドによるコンテストとなった。
下のチラシにあるように「厳正な審査を勝ち抜いた犬神サアカス團のコピーバンドによる決勝大会!」だ。
ん?…「厳正な審査を勝ち抜いた」?
コレは変でしょう?
「厳正な審査を経て勝ち抜いた」が正しいところではなかろうか?
「審査」自体は勝負ごとではないので、「勝ち負け」はつけられない。
な~んてね、
タマには揚げ足取りもよかろう。
「クセ」のある連中が集まったイベントだけに私も「ナンクセ」をつけてみた。05v「うぇいうぇいうぇいうぇいうぇい!」
司会はおなじみ魔将軍チャッキー!
「千葉県市川市の魔界から来ました~!」
うぇいうぇい!あの魔界には私も2年ほど住んでいたことがあるぞ!
駅のすぐ横の「田吾作」といううどん屋が大好きだった。まだあるのかな?
魔将軍からこのイベントの主旨が説明される。
優勝者には犬神サアカス團の前座として同じステージに立つ権利が与えられるという。
その他、個人賞もモロモロ。
徹頭徹尾、犬神にまみれた豪華イベントなのだ!

20vさっそく「團」の登場だ!

30まずはメンバー各々からひと言ずつご挨拶。
「ボクらが愛している曲を何度も聴いて、音を採って、一生懸命やってくれたのかと思うだけで胸がイッパイです!」とジョニーちゃん。

40v凶子姉さんは、「今日はみんなガンバルと思います。そんな中で我々が一番チャンとやらなきゃいけない…というプレッシャーを感じながらもガンバります!」

50v「個人賞の景品も豪華です。真剣に審査したいと思います!」とはジンにい。

60v最後は明兄さん。
「2年前からこの企画を考えていました。それがやっと形になってうれしいです。コレが続いていったらいいな…と思います」
大丈夫でしょう。
ナントならば、いつも書いている通り、ファンがジャンジャン入れ替わって、犬神さんには若い人たちも多いから。
伝承がうまくいっているので、ズッと続けることができると思いますよ。

70vところで、明兄さんの毒蛾のようなマツゲ。
いつ見てもスゴイな。

80一番最初に見た時、即座にこのToddを思い出したわ。
Toddの代表作の2枚組『Something/Anything』を日本で編集したアルバム『Hello It's Me』。
私はコレ、14歳の時に買って「I Saw the Light」の良さにビックリしたわ。
それから10年チョット経って中古レコード屋に売ったら、買った時より高い値がついてまたビックリした。
そして、売らなければよかったと後悔した。

85cd開会宣言よろしく…

90「キンメダイ」の社歌を斉唱した。

100vさて、厳選な審査を経て決勝大会に進出した皆さんがステージで使用するバックラインは…
ギター・アンプはMarshall。

110vベース・アンプはEDEN。

120vヘッドは大人気のTerra Nova TN-501。

130そして、ドラム・キットはNATALね。

140「さっそく犬フェス始めるぜうぇい!」

150vトップ・バッターは福島県はいわき市から参加の「犬っ子サーカス團!」。
初めてのステージだそうだ。

1_img_0033 ゆら

170vこうた

180vそういち

190vあやた

200曲は「幽霊忌憚」と「命みぢかし恋せよ人類!」の2曲。

210まだ皆さん、10代だでね。
ギターのこうたくんは暴れすぎて何度もギター・ケーブルを抜いちゃった!
何しろ元気イッパイ、忠実に犬神ミュージックを再現してくれた。

220審査員席の犬神メンバーさ~ん!

230情次兄さん、「初ライブとか言ってたけど、楽しそうにやってたね!張り切りすぎてケーブルが抜けちゃったけどギリギリ間に合ってヨカッタね!」
   
※Marshall Blogでは「シールド」という言葉を使わないのでチビッとアレンジさせてもらいました。

240v明さん「そうだねェ、始まった瞬間から涙が止まらないよ!可愛くってサ!やばい…本当に泣いちゃった!」

250「うぇいうぇいうぇいうぇいうぇい!次のバンドは水仔寺!」

260今度は杉並から来たトリオ。
明兄さんじゃないけど、ステージの中央に「遺影」が飾ってある。
ま、出て来るべくして出て来たタイプやね。

270ギターは犬神ちゅうこ。

280vベースに犬神ちょうこ。

290vドラムスが犬神けしこ。

300vボーカルズの方は先ごろ亡くなられたそうです。

310取り上げた曲は「後生車」。
ナンカ、みんな渋いな。
「後生車」なんて落語の題名みたいだけどスゴイ曲だ。アレは「後生うなぎ」か…。
2_img_00752曲目は「瘡の妙薬」。

2_img_0054 ココのチームはアングラ感をプッシュした「負の犬神」みたいな感じ?…と思ったらなるほど「暗黒アヴァンギャルド・バンド」を標榜してるんだって。
独特の世界だった。

2_img_0053 凶子姉さん、「多分、演奏しながら歌うってムズカシイよね?ボーカルズさん死んじゃったからしょうがないけど。
みんなチビっ子でよく学ランがあったね!このまま私がボーカルズで入ってもできるね!チビっ子で可愛かった!」
  
※Marshall Blogでは「ボーカル」は正しい英語に倣い、常に「ボーカルズ」と複数系で書き表しています。英語では歌と鍵盤のパートは常に「vocals」と「keyboards」と複数形で表現するのが普通です。

320芝居仕立てで始まったのは「なな神サービス団」。
ギターの人が読んでいるマンガは「ガロ」。
犬神サアカス團は、その昔ガロの文通コーナーでメンバーを集めたとか…。

330vキーボーズ入りの5人チーム。
結成は2014年。
曲はまず「レクイエム」。

340なな神なな
1_img_0146なな神けいた

360vなな神たかお

370vなな神さたろう

390vそしてキーボーズのなな神まみ。

380vもう1曲は「くたばれ」。
350小芝居を交えてこのチームも正統派犬神ワールドを展開した。

400「もうね~、涙が止まらないね!工夫してるよね。色んな所から抜いてきて、ボクらのエンターテインメント性をよく消化してくたよね。『くたばれ』なんて渋いね!最近演ってないよね」
  
※「くたばる」の語源は「くたくた」と「へたばる」が合体してできたという説があるが、多分違うだろう。この他にも色々な説があって実のところは不明らしい。
※「なな神」と言えば「七福神」。七福神をスラスラ言える人は存外に少ない。「恵比寿天」だ「大黒天」だのは簡単に出て来るが、たいてい「福禄寿」でつまづき、もうひと柱であるところの「寿老人」が出て来ず六福神で終わってしまうケースがなんと多いことか…私は言えます。

2_img_0044「うぇいうぇいうぇいうぇいうぇい!次で最後だ!」

406v一人サアカス團の犬神ゴマ丸。
「見て!私、きれいなあざらしでしょ?!」
バッキング・トラックを使っての演奏。
「ひとりコピー・バンドという無謀な挑戦ですが、やらずに後悔するより、やって後悔した方がよいという思いで応募しました」という。
ココまでくれば、やって後悔するってことはないでしょう!

410曲は「桜散る中」と「聖約」。
ジョニーちゃんに「リズムの向こう側を見た気がする(←コレはナイスな表現ですナァ)」と絶賛せしめたギター・ソロ!

420vバッキング・トラックを使ってのエントリーなんて今の子ならではだよね~。
色々な形態があっていいですよ。
一人サアカス團がトリを務めるという構成も強烈といえば強烈だった。
  
※文中に記した出場者さんのお名前は一発勝負で聞き取ったものなので誤謬が多々あるかとは存じますが、正しい情報が入った時点で都度直してまいりますことご了承願います。

430凶子姉さん、「ネタからブッ込んでいきましたね!出オチになる要素がイッパイだったけど、15分の間、会場を惹きつけていたのはスゴイよ!」
ジン兄さん、「自分で録音したという『桜散る』のベース。ちゃんとコピーしてましたね~!声のキーが高くてヨカッタですね。男性があのキーで歌えるってスゴイですよ!」
明兄さんは横で泣いていた。

2_img_0047 「うぇいうぇいうぇいうぇいうぇい!次は犬フェス・スペシャル・バンドです!」
…ということで<後編>につづく。
 
犬神サアカス團の詳しい情報はコチラ⇒公式家頁
 
※ウチのPCは「うぇい」と1回タイプするだけで5回「うぇい」が連なって変換される。

440v   
(一部敬称略 2017年10月8日 高田馬場CLUB PHASEにて撮影)

さて、今回で3回目となる「私のディープ浅草」。
段々犬神サアカス團の「女殺火箸地獄」との関係も薄れるわ、なかなか本題に入らないわで迷惑に思われている方もいらっしゃることだろう。
そういう方はココでバイバイ。
ご興味がある方は下から切り離して前回に次に足しておいてくだされ。

  
--------------------------きりとりせん------------------------

  
前回「吉原は元々人形町にあって、それを『元吉原』と呼ぶ」ってなことを書いて、人形町の交差点付近のようすを紹介した。
実はコレを書いた時、ものすごく迷ったのね。
何に迷ったのかというと、人形町の交差点からはさほど遠くはないにしろ、その「元吉原」はもっと秋葉原寄りにある隣町の堀留町に存在した…という説があることを知っていたからだ。
どちらが正しいのだろう?とさんざん悩んだあげく、「元吉原総鎮守」というコピーを掲げる末廣神社の威光に負け、「堀留」案を引っ込めた。
では、何で「元吉原は堀留町にあった」ということを知ったのかというと、その出自は下の写真の本にある。
この『吉原夜話』は、喜熨斗古登子(きのしことこ)という新吉原にあった「中米楼」という妓楼の家に生まれ、初代市川猿之助に輿入れしたという女性が著した本だ。
今の東京新聞の前身である「都新聞」に連載されていたインタビューを一冊にまとめたもので、喜熨斗さんの言葉が仔細に筆記されている。
インタビュー大正期のことだから、連載されていたのは100年以上も前のことだ。
そして、この本が上梓されたのが昭和39年。
現在でも装丁を変えて出版されているが、私はこの箱入りのオリジナル・バージョンが欲しかったので、東京オリンピックがあった年、すなわち私が2歳の時のモノを手に入れた。
ゼンゼン高くはなかったんだけどね。
ただ53年前で定価が950円もしている。
昭和39年の大卒の初任給は20,000円内外だったらしく、物価水準は現在の1/10と見て差し支えないらしい。
ということは、今の感覚で言うと、この250ページ足らずの本が9,500円もすることになる。
コレは高いよ!当時は相当高級な書籍だったハズだ。
前の持ち主が大事にしていたのか、ロクに読まなかったのか、私が入手したモノはまだ製本が大変シッカリしている。
1,200円で買ったの。
内容は…メチャクチャおもしろかった!
江戸時代から明治にかけての吉原や東京の様子が、喜熨斗さんの口から出たナマの言葉で綴られているワケ。
つまり、本物の江戸時代の人の言葉をそのまま聞くことができるシロモノなのだ。
昔の女性はこんなクチのききかたをしていたんだナァ…と思うことしきり。
カッコいいの。まるで落語を聴いているようだ。
そう、落語を聴いていてつくづく思うんだけど、日本人ってオッソロしく多くの言葉を切って捨てて来ているんだよね。
あまりにもクダらないマスコミやテレビのおかげで日本語のステキな部分を台無しにし続けているのだ。
日本人は日々の生活の中で5万語を使い、その点英語はたったの2万語しか使わない…という話を聞いたことがあるが、恐らくコレは昔の話だろう。
英語など足元にも及ばない数多くの擬音語や擬態語が示すように、日本語ってのは英語より語彙がゼンゼン豊富なのだ。
そして、何よりも響きが上品で美しい。
コレは四季が豊かに変化することに起因しているとよく聞くが、まさにその通り。
そのおかげで食べ物や着る物の種類が多くなり、それに連れて語彙も多くなったのではないか?
落語を聴いていると、登場人物がナニを着ているか…ということをすごく細かく説明するでしょ?
アレは季節とそれを着ている人の暮らしぶりを表現しているに他ならない。
そして、それを理解している寄席の客さんがスゴイ。
私なんか恥ずかしながらその衣料のことに関しては、出て来る言葉がほとんどわからないもんね。
あ、それと日本はイギリスと並ぶ世界の文学王国なんだよ。
そのおかげで語彙が豊富なのか、語彙が豊富だから文学が盛んなのかはわからないが、昔は知的な国民であったことは論を俟たない。
 
それで、この本の中で喜熨斗さんがいとも簡単に言ってるんだよね…「元吉原は堀留でしたかしら?」って。
「人形町」とは言ってないの。
また別の回で紹介するが、その後、昔の吉原の関係者の方が書いた他の本を読んでも「元吉原は堀留二丁目にあった」ということが書いてあった。
それでいよいよ「人形町」か「堀留町」かがわからなくなってしまったのだ。
ま、双方近くだからゴッチャになっているか、昔は堀留町と人形町を同じに見ていたのか…いずれにしても彼の地を一回押さえておこう。

10…ということでやって来たのは中央区日本橋堀留町。

20400年前の話だからね、「元吉原」のカケラもありゃせんわな。

30_2この辺りも通勤路で何度通ったことか…。
古いモノは何にもないことは先刻承知。

40コレぐらいかな?
椙森神社(すぎのもりじんじゃ)は、江戸時代には柳森、烏森と並ぶ「江戸三森」の一角として栄えた…って、そんな「三大」あるの?!

R_0r4a7975ここはまた、江戸時代は富くじで大層にぎやかだったらしい。
「富くじ」っていうのは今の宝くじね。
「富久」だの「水屋の富」だの、富くじを題材にした噺も多いよね。

R_0r4a7972 さて、吉原に関する専門書の類を読むと間違いなく出て来るのが「吉原への道」。
つまり、昔の皆さんはどうやって吉原へ行ったか…ということ。
吉原は今でも交通の便が悪いところだ。
「陸の孤島」とまでは思わないけど、「最寄りの駅」がないところなんだよね。
ココは喜熨斗さんの本に沿って実際にやってみることにする。
ルートは陸路か水路かの2つ。
まずは陸路。
はじまりは蔵前から。
下の写真は大川…あ、隅田川のことね…にかかる蔵前橋の西詰からスカイツリーの方を見たところ。
江戸の昔は吉原へ向かう人でこの蔵前あたりからもうスゴイ人出だったのだそうだ。
まだ相当あるよ、吉原まで。

50蔵前橋のたもと。
私が学生の頃までは「蔵前国技館」といって、今両国にある国技館がこのピンク色の建物あたりにあった。

60そして、江戸時代、ココには「浅草御蔵(あさくさおくら)」という倉庫があった。
なぜココに来たのかというと、喜熨斗さんの本に出ているこの辺りにあったという「札差屋」なる言葉が気になったのだ。
この「浅草御蔵」というのは「浅草御米蔵」とも呼ばれ、大坂(昔は「大阪」ではなく「大坂」と書いた)、京都の二条と並んで「三御蔵」と呼ばれる重要な米の倉庫だった。
幕府が全国に点在する「天領」と呼ばれる直轄地から巻き上げた年貢米や買上げ米をココに貯蔵していた。
江戸には北の丸や代官町にも米蔵があったが、享保年間にココに集約してしまった。
この前の地帯を「御蔵前」と呼んでいたことから、辺りを「蔵前」と呼ぶようになったんだな。
さて、その「札差屋」…ナニをする職業だったか。
よく時代劇なんかで「石高」ってやってるでしょ?武士の給料ね。
コレは米ですよ。
江戸ではこの浅草御蔵からその米が配給されていたらしい。
で、武士は米をもらって一体どうやって暮らしているのかって以前から不思議に思っていたのね。
米ばかり食べていたら脚気になってしまうから。
そこで出て来るのが「札差屋」。
この札差屋というのは、武士が幕府からもらった米を買い取って、他へ売って利潤を得る仕事なのです。
つまり、武士はもらった米を札差屋に売ってお金に換えていたワケ。
あのディスカウント・チケット屋みたいなものですな。
喜熨斗さんの本によると、この辺りには札差屋が軒を並べていたそうだ。

70その御蔵前の通りを秋葉原方面に向かって50mほど行くとこの交差点に出る。
ココはスゴイですよ。
おっと、その前に…この写真の道を左に行くと浅草橋になる。
江戸時代は「浅草見附」といった。
「四谷見附」、「赤坂見附」と東京には「見附」がつく地名が今でもあるが、コレは「見張り台」という意味。
だからディランのあの曲にチャンとした邦題をつけるなら「見附からずっと」になる…コレ、以前にもどこかに書いたかな?
下の写真の中央にある白いビルのあたり、江戸時代、ココには人工の山があった。
そのてっぺんには「浅草視天台」という「天文観測所」があったんだな。
見たことはないけど。
そこの所長を高橋至時(よしとき)といった。
そして、そのお弟子さんが伊能忠敬だ。
伊能勘解由、または推歩先生。
歩く時にいつも歩数を数えていたので「推歩」というアダ名がついた。
忠敬は千葉の佐原というところの出身だが、隠居してからは江戸に出て深川に住んだ。
そして、毎日深川からこの浅草視天台に歩いて通った。
もちろん歩数を数えながらだ。

80_2チョットここで思いっきり伊能忠敬で脱線させて頂く。
というのは、大分前にはなるが、井上ひさしの伊能忠敬の伝記小説『四千万歩の男』を読んでいるからだ。
文庫で約3,200ページ、全5巻の大著をアッという間に読破した…というのはウソで、実はあんまりおもしろくなかったな。
イヤ、世間一般では十分におもしろい部類に入るのだろうが、他の井上作品に比べるとチョットな~。
私にとっての井上ひさしの最高作は、直木賞を獲った出世作の『手鎖心中』…ではなくて、それとカップリングされている『江戸の夕立』という中編なのね。手に汗握るローラー・コースター小説。
でも、『四千万歩の男』は「伊能忠敬」という偉人に興味を持つには余りあるほどの良著ではあった。
そんなワケで、伊能忠敬の出身地、千葉県佐原市に行ってみたよ。

90_2コレが伊能忠敬の住居。
忠敬は貧しい家の出で、17歳の時に婿として伊能家に入り、50歳までココに住んだ。
伊能家は作り酒屋や米穀商を営む佐原の名家だったが、奥さんがキツかったらしく、イヤミたらたら、ずいぶんイジめられたようだ。
しかし、忠敬はとても優秀で人望が篤く、ラッキーなことにそのイジワルな奥さんも早逝して、伊能家の資産を桁違いに増やしたそうだ。
50歳になって念願の天文学を修めるべく江戸に出て、「栄」という三番目の奥さんをめとった。
お栄さんは吉原の花魁だった。
花魁は一般の女性を「地女」と呼んで軽蔑するほど皆優秀ではあったが、お栄さんは取り分け頭がよく、計算もでき、忠敬の地図作りも手伝ったという。

100家の中庭にある忠敬の銅像。

95推歩先生、案外小柄である。
んな、バカな!

110v_3町には「伊能忠敬記念館」もあり、興味のある人には大きな見どころとなるだろう。
そもそも伊能忠敬は地図を作ろうと思って日本国中を回ったワケではないんだよね。
師匠である高橋至時のススメで、その当時誰も実現していなかった子午線の一度の長さを実測して世界的な名声を得ようとしたワケ。
それをするには長い距離を測量する必要があった。
ところが当時は国内を自由に行き来することができなかったので、至時の骨折りで「地図作り」という名目を用い、「測量方」というオールアクセスエリアのパスを幕府から取り付けた。
結果、日本で初めて正確極まりない全国地図を作ることができたというワケ。115このね~、佐原という町がまた素晴らしくいいですよ。

120 最近オロナミンCのコマーシャルで古い町並みが出て来るでしょ?
190あのロケ地がココですわ。

130_2水郷と呼ばれる佐原は水運の重要拠点であり、酒造や醤油の製造で発達した。
そして、空襲がなかったので、この美しい町並みが残った。
こういう古い町並みが残される条件って、私の観察では3つあって、ひとつは何がしかの産業が発達していたこと、水運の利があったこと、そして、空襲にあっていないこと…なんだよね。
麻で栄えた栃木市なんかもそう。

140_2しかし、いくら古い建物が現存しているとはいえ、やはり痛みかたが尋常ではなく、これらの建造物は町でかなり手を入れているのだそうだ。

150だからどこもとてもキレイなんだけど、昔の風情をブチ壊すようなところまで手を入れていないのが実に素晴らしい。
いつも書いているけど、東京だって大震災と空襲がなければもっと素敵な街だったんだよ。
170「もい」じゃないくて「いも」ね。
166それだけに観光客の数もスゴイ。
ウチは9時前に来たので駐車場には困ることはなかったが、ユックリ来ていたら面倒なことになっていた。
それでナンダカンダで夕方まで見て回ったからね。
すごく面白かった。

160いいでしょ、この住所!

165町はやはり忠敬色が濃く、公園にもこんな立派な銅像が建っている。

180v_2この山車も有名なのだそうだ。

195そして、話はいきなり浅草に戻る。
スカイツリーがよく見えるこの辺り。
アレ、先っチョがない!
そうなの。
もっと以前から撮っておけばよかったんだけど、気がついた時にはこの高さになっていたんだぜ。

200_2この辺りに源空寺という寺がある。

210_2ココは有名な幡随院長兵衛や天保年間の画家である谷文晁(たにぶんちょう)の墓があることで知られている。

220vなかなか立派なお寺ですよ。

230_2大みそかにはひとり1回この鐘を突くことができる。
鐘を突くとギャラとしてお菓子がもらえるよ。

240コレが幡随院長兵衛の墓。
この人が誰かご存知ない人は池波正太郎の『幡随院長兵衛』でも読んでみてくだされ。
ま、任侠の人だよね。
命を狙われるのがわかっていて風呂に入っている時に暗殺された。
池波本を読んだけど、あんまりおもしろくなかったナァ。

250vコチラが谷文晁の墓。

260vそして源空寺にはまだスゴイものがある。
それが伊能忠敬と師匠の高橋至時のお墓なのです。

265vコレが高橋至時の墓。

270vその向かって右隣りにあるのが伊能忠敬の墓。

280そうなの。
師弟、同じところに眠ってるの。
忠敬は年下の師匠である至時を心から敬愛していて、「自分が死んだら高橋先生の隣に葬って欲しい」という遺言を残した。

290v_2それがこの通り守られているというワケ。
向かって左が至時、右が忠敬の墓。

R_0r4a1529 脱線の幅を広げよう。
至時の向かって左の墓は長男の高橋景保の墓だ。
景保は父親の後を継いで天文学者になった。

300v_2四角い墓標の後の石碑はなんだろう?

310v背面を見るとアルファベットではあるが見慣れない単語が並んでいる。
オランダ語だ。
330景保に色々と助けてもらったことに対するお礼の言葉だ。
その言葉の送り主はフリッツ・フランツ・フォン・シーボルト。
樺太東岸のことを知りたがっていた景保はその情報を記した書物と引き換えに忠敬の全国地図の写しをシーボルトに渡してしまった。
有名な「シーボルト事件」ね。
当時、国内の情報を海外へ持ち出すことは厳禁で、景保は捕らえられ、伝馬町の牢屋に入れられ、獄死してしまう。
そして、景保は塩漬けにされた。
コレはメッチャ重罪を意味しているのね。
死んだ罪人を塩漬けにするのは、死刑に処すためなの。
もう死んでいる罪人を死刑にするなんておかしいでしょ?
罪人はとにかく処罰を受けなければならない…という精神だったワケ。
結審する前に死んでしまった重犯罪人を腐らないように保管しておいて、刑が確定したところで…といってもまず打ち首なんだけど…塩漬けの死体を取り出し、ワザワザ首を落としたのだそうだ。
モノの本によると、冷凍庫も冷蔵庫もない時代だからね、この塩漬けは膨大な量の塩を使って、作業もエラく大変だったんだって。

320_2さらに、今度は長崎に話が飛ぶ。
シーボルトの日本の奥さんは「瀧」といった。
やはり彼女も出島に出入りする遊女で、オッソロシク美人だったらしい。
またぞろ吉村昭で恐縮だが、日本で最初の産婦人科医となったお瀧さんの娘、楠本イネの生涯を描いた『ふぉん・しいほるとの娘』は最高におもしろいよ。
文庫で1,000ページぐらいあるのかな?
もう読みだしたら止まらなくて、本当に一気に読んじゃった。
吉村昭は他にもシーボルト関連の長編を書いている。
『長英逃亡』という、無実の罪で投獄された高野長英なる医者の逃亡劇。
コレも破天荒におもしろかった。
江戸時代の幕府の諜報網というのはものすごく優秀で、逃げても逃げても追いかけて来る。
最後は…あ~言えない!
  
それと、高橋景保のことを幕府に売ったのは「間宮海峡」で有名な間宮林蔵だと言われているらしい。
間宮はやはり『四千万歩の男』の中でもクセモノで描かれているんだよね。
吉村昭の『間宮林蔵』という小説もメッチャおもしろかった。
当時、樺太の先っチョと大陸が陸続きかどうか…コレが「世界の七不思議」のひとつになっていたんだけど、間宮はそれを確かめに行って、中国大陸まで歩いて行って帰ってきた。
つまり、干潮になって海水が引くと、陸地になることを発見したのだ。
樺太の情報が欲しかった景保は間宮と敵対していて、そのあたりを間宮に訊くに訊けないので、シーボルトの書物がどうしても欲しかったのかも知れないね。
そして、間宮は地図の写しをシーボルトに渡した景保を幕府に売った…のかどうかは知らないけど、そういうことと自分の中でまとめておくことにしよう。

340_2そんなことがあったので、昨夏上野科学博物館で開催されていた『シーボルト展』に行って来た。

350_2スゴイんだよ、何でもかんでもオランダに持って帰っちゃったんだから。
動物も剥製にして持って帰った。

360植物学者であったシーボルトは日本の固有種にとても興味がったようで、おびただしい数の植物を押し花にしてコレクションした。
植物は剥製にできないからね。
しかし、そのコレクションは押し花にとどまることはなく、ワザワザ日本人の画家を雇って細密な絵まで描かせた。
実物があるのになんでそうしたか…。
それは押し花にしてしまうと、ペッチャンコになってしまって、どういう風に生えていたのがわからなくなってしまうため、3Dの様子を記録したかったのだそうだ。
後は色だね。
押し花は色が褪せちゃうから。

380コレが押し花。
このアジサイはシーボルトによって「オタクサ」と名付けられた。
「オタクサ」とはシーボルトの細君となった例の「お瀧さん」からの命名だ。

390コレがお瀧さんの肖像。
笄に櫛、かなりキチっとした身なりをしている。
実物は最高の美人だったらしい。

410_2話は長崎から蔵前へ戻りますよ。
今日はメッチャ忙しい!
  
この辺りはおもちゃの街で、昔は数多くの問屋が軒を連ねていた。
一般のお客さんが入れないような業者向けの問屋だ。
ま、元来問屋ってのはそういうものだけど。

420うわ~。

430_2古式ゆかしいな~。
コレも玩具問屋。
450隣のこの看板建築もいい感じだよ。

440ウチの父は変なところがダイナミックで、花火というと業者のふりをして、この辺りの「オンダ」という問屋へ来て大量に買って来ちゃう。
問屋だから箱単位でしか売らないからね。
たくさん買うのはいいんだけど、何しろ種類が同じモノばっかりになっちゃう。
こっちは子供だから線香花火やヘビ花火とか色んなのをやりたいじゃない?
ドラゴンならズッとドラゴン。
キーンロケットならズッとキーンロケット。
それだとさすがに飽きちゃうもんだから、最後はたいてい連射で消化しちゃう。
ドラゴンを20個ぐらい地面に並べて片っ端から火をつけて「ナイヤガラだ~!」とやるワケ。
それはそれなりに面白かったか…。

460もう少し行くとアソパソマソがお出迎えしてくれるバンダイの本社ビル。

470社屋の横にはウルトラマンや仮面ライダーも…
Img_5436コレはドラゴン・ボール?

R_2img_5435通りを挟んだすぐ隣は有名な駒形どぜう。

480ようやく松屋まで来たよ。
吉原まではまだまだ結構あるわ。

490ココまで来ると大川の対岸はこんな感じ。
ちょうどウンコビルのウンコを改装していた時。
下品ですみません。私のせいではありません。この辺りでそれがは正式名称ですのであしからず。

500で、さっきの源空寺の方から夕方スカイツリー方面を眺めるとこういう現象が起こる。
上の金色のビルに西日が当たって辺り一面が黄金色に包まれるのだ。
コレはホンの数分だけしか起こらない。
ステキでしょ。
車の運転には要注意だけどね。

510<まだまだつづく>