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2018年7月11日 (水)

スピンオフ四人囃子 #3 <後編>:スピンオフ四人囃子~私の光太夫

 
ことあるごとに「吉村昭が好き」とMarshall Blogに書いてきた。
どれぐらい読んだかナァ…と思って手近にあった文庫本を並べてみた。
この他にも何冊かあって、またはハードカバーなども加えるとちょうど100冊ぐらいか?
私は本はハードカバーで読んでキチンと蔵書しておくのが正しい読書の作法だと思っているのだが、吉村作品の場合はいつでも、どこでも読みたいので、持ち運びに便利な文庫で集めた。
正直言うと下の写真の蔵書の中にはまだ読んでいない作品もいくつかあるのだが、もう吉村さんが亡くなってカレコレ12年…当然二度と新作は出て来ないので大事に大事に読み進めているのだ。
吉村昭の作品は徹底した取材と史実に基づく「記録文学」といわれるモノ。
エッセイや若干の創作が混ざっている作品もあるにはあるが、どの作品もが重厚で、とても読みごたえがある。
この歳になると、フィクションを読んでいる時間がモッタイなくなるのよ。
ま、どちらかといえば男性が好む小説だよね。
最近読んだ全く別の分野の本に「松本良順」という江戸後期の奥医師のことが書いてあって、とても興味を持った。
ハテ、どこかで見た名前だな…と思って調べてみると、あったあった、吉村先生の『暁の旅人』という作品。
次はコレを読むのを楽しみにしている。

10そして、大分前に買ってはいたものの、まだ読んでいなかった作品に『大黒屋光太夫』という文庫で2巻組の作品があった。
何の気なしに読み出したら、アータ、最後まで止まりゃしませんよ…おもしろすぎちゃって!
吉村作品は圧倒的に長編がおもしろい。
「磔」などという隠れキリシタンが、処刑されるために長崎へ向かう行程を描いた優れた短編などもあるにはあるが、やっぱり長編がいい。
実際一番おもしろかったのは、吉川栄治文学賞を獲った文庫の上下巻合計で1,300ページを超す大著『ふぉんしいほるとの娘』だな。
コレも読みだしたら全く止まらなくなっちゃって一気に読み抜いた(シーボルト関連についてはコチラに書いたことがある)。
さて、この『大黒屋光太夫』、吉村先生お得意の「漂流もの」。
1782年に伊勢白子浦を出帆した回米船、神昌丸が江戸に向かう途中遠州灘で時化に合い、17人の乗組員がロシアに漂流し、10年ぶりに日本へ帰って来る…という実話。
ストーリーを書けばそれだけの話なんだけど、極寒地での苦労は想像を絶するものであり、また光太夫の賢明かつ勇気ある行動がこと細かく記録されており、読む者の感動を誘わずにはいられない…って新潮社の宣伝惹句みたいなことを書いているけど、そういうことです。
私も-50℃の冷凍庫の経験があるからね…10秒しかもたなかったけど。そのスゴさは知ってる。
ウチの家内も読書が好きで、山岡荘八の『徳川家康』を完全読破しているのが自慢なんだけど、吉村作品は固すぎて苦手だと言う。
その家内が2、3日で読み終えてしまったのがこの上下巻。
それだけ魅力的だったのです。

20実はこの光太夫の物語は井上靖も文藝春秋に連載小説で発表していて、1992年には緒方拳の主演で『おろしや国酔夢譚』という同じタイトルで映画化もされている。
ところが井上靖が執筆したのは1966~1968年のこと。
当時は光太夫の行動についてわからないことが多かったらしい。
対して吉村作品の発表は光太夫の研究が進んだ後の2003年のことで、以前は不明だった部分が数多く明らかになってからの執筆だ。
なので井上作品より緻密な内容となっているのだそうだ…「だそうだ」というのは井上作品は読んでないから。
でも、映画はDVDを借りて観てみた。
ま、こんなもんでしょうな。光太夫の苦難の10年を2時間で描くんだから、こういうダイジェスト的な脚本になってしまうのは避けられまい。つまり黒澤明なら絶対に題材にしない小説ということだ。
映画を観ていて、こっちの教科書は微に入り細にうがち光太夫を書き表した吉村作品でしょ?「ああ、そうじゃない!」とか「イヤ、こんなもんじゃない!」とか、大騒ぎしながら鑑賞させて頂いた。
結果、ナンダカンダで結構楽しませて頂いた。
ちなみに光太夫たちが7ヶ月の漂流の末に到着したアムチトカ島はアリューシャン列島の西に位置し、アメリカが1867年にアラスカを買った際に米国領に組み入れられた。
その後、アメリカはこの島で3回も核実験を行っている。

2_ で、今回名古屋に車で行くなら、おお!光太夫のところまでいってみようじゃねーか!
ということになった。
実は以前、光太夫のことをMarshall Blogに書いた時、誤謬を指摘してくださった方がいらっしゃった。その方から「大黒屋光太夫の記念館がある」という情報をありがたくも頂戴していたのだ。 
そして、やって来た!
場所は三重県鈴鹿市若松というところ。大黒屋光太夫の故郷。
「郷土の偉人」ですよ。
この記事に触発されて、もしかしたらこれから本を読む人がいるかもしれないので詳述は避けるが、光
太夫がナゼ偉人なのかというと…日本に帰って来たからなのね。
当時、時化によって内航船がロシアに漂着した漁師は過去にもたくさんいた。
「種痘」ってあるでしょ?天然痘の予防接種。
今、天然痘は絶滅して種痘はしなくなったけど、私が子供の頃は種痘とか結核の予防接種BCGとか、そういうのがまだあった。
この種痘を日本に持ち込んだのも確かロシアに漂流した漁師だったハズ。
吉村昭の『花渡る海』という作品がこの話だったように記憶している。
ちなみの「日本の新聞の父」とされる「アメリカ彦蔵」こと浜田彦蔵も2ヶ月の漂流の末、アメリカの商船に救助されにサンフランシスコに渡り、当時まだ日本には存在しなかった「新聞」を持ち帰った。私はこのことも吉村昭の『アメリカ彦蔵』で知った。
話を元に戻すと、光太夫より以前、ロシアに漂着した日本人で祖国へ帰って来た者はいなかった。
光太夫は何とか日本へ帰還しようとロシア人支援者の力を借りて、時のロシアの君主エカテリーナ2世に何千キロもの旅を経て謁見し、彼女に直訴したんだね。
そして女王の憐憫の情を買い、見事OKをもらって帰って来た。
その時、一緒に日本にきたのが有名なラクスマンなんだな。

30vまず訪れたのは若松町公民館敷地内にある「開国曙光」という光太夫の顕彰碑。
この「開国曙光」の書は第16代徳川宗家当主、徳川家達(いえさと)によるもの。
家達は田安家の徳川慶頼の三男。
その慶頼は14代将軍徳川家茂の後見職で、幕府の要職に就いていた。
家達は家茂および13代将軍の家定の従弟にあたる人。 

40v1976年に立てられたこの石碑は3代目なのだそうだ。
光太夫の生涯がガーッっと書かれている。

50コレが大黒屋光太夫記念館。
入場は無料だけど、展示物の撮影はNG。

60コレが光太夫。

70v光太夫はエカテリーナ2世からたくさんのお土産をもらって来た。
そういうモノが飾ってあるのかと思いきや、ほとんどなし。

2_img_6971 でも、光太夫に関するさまざまな資料が展示してあって、小説を読んだ人ならば、かなり興味深く見学することができるであろう。

80せっかくだから光ちゃんとツーショット。
小説を読んでいると、漂流中に始まり、ロシアに渡ってからも光太夫のリーダーシップとその聡明な頭脳に感心せざるを得ない。
そのウチの際たるモノが「言葉」だ。
光太夫は最初に漂着したアムチトカ島に来ていたロシア人に遭遇した時点でロシア語を学習し出した。現地の人間と言葉でコミュニケーションすることが自分たちの命を救うと直感したのだろう。
やっぱり「言葉」なんですよ。音楽に国境がないのは音楽をやっている時だけです。
加えて光太夫はロシア語の読み書きも習得した。
また、ロシア滞在中の記録を残したことが幕府の取り調べに役立ち、『北槎聞略〛という書物になって家斉に献上された。
そして、光太夫はロシア文化のエキスパートとして幕府に重用され、厚遇を受けた。

90v光太夫は16名の乗組員とともにロシアに流れつき、10年の歳月を彼の地で過ごしたワケだが、病気で死んでしまう者、寂しさや不安に耐え切れず現地で改宗してキリシタンになってしまった者等を除き、日本に帰って来れたのはわずかに3人だけだった。
そのウチのひとりが磯吉という船乗りで、この寺が菩提寺なのだそうだ。
100

110小市もそのウチの1人だったが、気の毒なことに蝦夷に帰って来て亡くなってしまった。
せっかく祖国にたどり着いたのに…。
コレがその小市の菩提寺の宝祥寺。
140ココには小市の供養碑が立っていた。

120残された小市の妻は、光太夫たちがロシアから持ち帰った小市の分のお宝を譲り受け、人のススメでそのお宝の展示会を開いた。
その会場のひとつがココ。

160大須にある「大須観音」の境内。
展示会は爆発的な人気を呼び、小市の奥さんは大儲けしたらしい。

170ところが、「死んだ夫の形見で商売をするなんて!」という非難も少なくなく、良心の呵責に大層悩み苦しんだそうだ。
このことがあったもんだから、ELLやell.SIZEに行くついでに大須観音にお邪魔したというワケ。
もちろん何度も大須には行っているが、大須観音の境内に入るのは初めて。

175同時に大須の商店街もブラリと見て回ったが、世界の料理屋が揃っていて驚いたわ。
それとコレ。

180大須ってのはスカジャンの聖地かなんかなのかしらん?

190 若松町に戻って…。
若松東墓地というところにある光太夫他の供養碑。
光太夫たちが姿を消してから3回忌に当たる年に立てられた。
それから7年後、本人が生きて帰ってきたもんだからハラホロヒレハラ!

150千代崎という港。
200防波堤には光太夫のロシアへの漂流記の壁画が飾ってある。

210

230ココから光太夫たちは江戸を目指し、ロシアに流れ着き、シベリア大陸を横断し、7,500km離れたペテルブルグ(現在の「サンクトペテルブルグ」、ソ連時代の「レニングラード」。ロシア第2の都市)まで行って、日本に帰って来た…のかと思うと感動的よ。
興味のある人はゼヒ『大黒屋光太夫』を読んでみてくだされ。

240さて、アッと言う間に『スピンオフ四人囃子』のステージも後半になってしまう。

Fl 最良の素材に最高の演奏…イヤ、それだけではなくて、根本さんのMCがこれまた絶品でしてね~。
どのMCも見もの、聴きものだった。
以前、佐橋佳幸さんのコンサートに根本さんがゲストでご出演された時にそのMCに接して仰天したね。
何やら変な装置でも身体に付けているのではないか?と思うくらいの爆笑MC。
アレ、どうやってるんだろう?
あのケタ外れの「フラ」こそ持って生まれた才能なんでしょうネェ。
「フラ」というのは落語用語で、「独特の面白み」とか「何もしなくても面白い」みたいな、人を笑わせる特殊なエキスですな。
五代目古今亭志ん生は高座に上がっただけで笑いを取った。そして「アタシャ、まだナニも言ってないんで…」と言うとまた大爆笑。
根本さんはコレに似たフラをお持ちの稀有な方だ。
 
根本さんの四人囃子の思い出話。
「高校生の時、郡山ワンステップ・フェスティバルで四人囃子を観ました。日本初のロックフェスで世界からバンドが来て演奏したんですね。
2日目の最後に出演したのが四人囃子で、初日はジュリーでした」
…と、野田さんのMCを丸っきり聴いていなかったかの内容。
アレは根本さん一流のギャグだったのかナァ?きっとそうに違いない。
「チャーさんは直前にバンドを解散していたので出なかったんですよね。四人囃子はステージの上からゼンゼンお客さんを相手にしてなかった感じでした。
ボクは気持ちが空を飛んでいましたね。小鳥がエサをもらうようにボクは四人囃子から全てをもらいました」

250v西山さんとのカラミも楽しかった。
「西山さん、そんなにシッカリとムズカシイ曲を完璧に覚えたって1度しか演らないんですよ!」
「イヤ、ボクは1度きりとは思ってないんで…」
「一度きりって言ってたよ!」
「もう『スピンオフ四人囃子』という名前で、このメンバーでやればいいんじゃないですか~」
西山さんに賛成!

260さて、後半。
「昼下がりの熱い日」が終わって…。
「聴いて頂きました。喜びがあふれていたと思います。ココで喜びがあふれると、ウチのメンバーに悪い気がするんですけどね。
四人囃子は1974年にデビューしたんですよね?…『一触即発』で。熊谷ではなるべく四人囃子のことは言わないようにしていました。
『一触即発』を出した東宝レコードはロックのレコード会社ではありませんでしたよね?」

2_s41a3276「そう、他には研ナオコさんとか中日ドラゴンズとか…。中日ドラゴンズが優勝して応援歌を出したの」と大二さん。

2_s41a3694「その頃から名古屋に縁があったんですね?野球はトンチンカンなんですが、今日1日はドラゴンズ・ファンでいます。
さて、私は個人的には『ゴールデン・ピクニックス』までシッカリ聴いています。その後、自分たちのデビューが決まったので、急に四人囃子がライバルになったんです。
だからライブは3、4回、アルバムは2枚しか買ってなくてスミマセン!」

2_s41a3433_2曲のコーナーに行ってみましょう!
「昼下がりの熱い日」に続いてもう1曲『Printed Jelly』から…。

Jelly 「ハレソラ」!

270_hsオリジナルのマンドリンのイントロは、ライブでは坂下さんのキーボーズが奏でているのだが…

280今日は西山さんがそれにハーモニーをつけた。
オオ~!
レコードみたい!

290vそして、大二さんのドラムスと…

300v山崎さんのベースが圧倒的なドライブ感を演出する。

310v根本さんの歌が加わる。
タマりまへんナァ~。

320v中間のギター・バトルもスリル満点!

330次々とシーンが移り行く音のパノラマ!
360コレコレ!
最後のリフレインのところのオブリガード。
さすが西山さん、バッチリ完コピでキメてくれた。コレ、絶対演ってくれると思ってたんだ!
このパートって歌いながら弾くのはサスガにシンドイいからね。
今日は五人囃子でいつもよりゴージャスに空が晴れてる!

340v西山さんは今日はMarshall ASTORIA CLASSICを使用。

350ASTORIA CLASSICは極上のクリーン・トーンを出すのが仕事のアンプ。
だから歪みはエフェクターで作る。
コレが西山さんのこの日の足元のセッティング。
キチ~っとした美しいロックギター・サウンドとなった。
やっぱASTORIAはスキ。410_2 そして、大二さんはNATAL。

370v愛用のバーチ・キット。

380キットとお揃いの14"x5.5"スネア。
文句のつけようがないドラム・サウンドだ。

385「恐らく日本のロックバンドは音楽を作りながら自分たちの思いを伝えられたら…と考えて演っていると思うんですけど、四人囃子は一生懸命世の中に出ようとしているようには見えなかったんです。
その点ご両親はどう思っていらっしゃったんでしょう?ウチは随分心配されましたけど…」
今から40年も前の話だからね。
Marshall Blogでしょっちゅう書いているように、その時代はまだロック文化はマイノリティで、売れもしないのに30歳を過ぎてもバンドをやっているのはかなり奇異なこととされていた。
今、「若手」と呼ばれているバンドでも平気で30歳を越しているでしょう?
私が若い頃にも当然そういうバンドはいたけど、やっぱり少数派だったハズ。売れていればもちろん話は別ですよ。
そして、ココで話題は坂下さんに…。
このプロジェクトに関して3人で酒席を設けたのだが「酒の席で坂下をキライにならないでくれよ!」と、大二さん言われたそうだ。
「お2人の行きつけの店だったんですが、お店の人がコチラを見るなり3人なのに『一升ビンありますよ!』って言うんですよ。焼酎のお湯割りを飲むと、一番年下のボクが作るんですけど、坂下さんのお湯割りを作って、しゃべると無くなってる。
作る、しゃべる、ない…作る、しゃべる、ない…の繰り返しで、ボクが2、3杯飲む間に焼酎のボトルが3本空いてたんですよ!ビックリです!」

2_s41a3437苦笑いの坂下さん。
坂下さん、大きいからね~。そりゃ酒量もそれなりに嵩むことでしょう。
2_s41a3542また曲のコーナーへ行ってみましょう。
「次の曲は日本で第1位か2位の難易度の曲だと思います。インスト曲なんですが、コレに歌が入ったら死ぬね。
やることなくてディープ・パープルのイアン・ギランみたいにコンガを叩いちゃう」
ハイハイハイハイ、「ディープ・パープルのコンガ」というのはコレですね。
海外仕様の『ライブ・イン・ジャパン』、すなわち『Made in Japan』のジャケット。
内容は日本でのライブだけど、ジャケットの写真はロンドンはフィンズベリー・パークにある「レインボウ・シアター」で撮影したモノが使われている。
イアン・ギランがコンガを叩いてるでしょ?

Dp ガラは違うけど、このイアン・ギランが叩いている黒いコンガこそ、大二さんが愛用しているドラム・キットを作っているNATAL製。
ローリング・ストーンズもレッド・ツェッペリンも、Tレックスもフリートウッド・マックもみんなNATALのパーカッションを使っていたんだよ。

Conga さぁて、根本さんのおっしゃる通り、ココでウルトラG難度の曲の出番。
アレ、今日『ゴールデン・ピクニックス』から初めての曲になるのか…。

Picnics 「なすのちゃわんやき」!

390_ncこの曲を聴くといつも思うことがあるの。
それは、日本のプログレッシブ・ロック・シーンのことなのね。
コレも何度もMarshall Blogに書いていることなんだけど、日本はプログレッシブ・ロック大国で、御茶ノ水の明治大学の向かいにあったレコード屋が世界で一番『クリムゾン・キングの宮殿』を売った店だったんだって。

420vマァ、色んな数え方があるんでしょうし、シャレで言っているのかもしれないけど、とにかく日本人は本場のイギリス人やイタリア人すら忘れかけているこの音楽がいまだに大スキであることは間違いない。
それなのに、日本ではプログレッシブ・ロックのバンドってのが驚くほど出て来なかったよね。
コレ、何でだったんだろう?

410日本人ミュージシャンの器楽演奏技術はピカいちだし、プログレ消費大国だけあってプログレッシブ・ロックの情報も比較的沢山入って来ていたし…それなのにナゼか大成したバンドが極端に少なかった。
プログレッシブ・ロックの大ファンである私としては実に残念なことなのだ。
四人囃子がいたからみんなビビっちゃったのかしら?
この「なすのちゃわんやき」は「日本のバンドにもこういう音楽を作って欲かった!」という私にとっては最良のお手本の曲なのね。
だからMarshall GALAでも演奏して頂いた。

2_s41a3289それと、プログレッシブ・ロックはLPレコードの特長をフルに活かした音楽だとも思っている。
ジャケットが作り出す30cm四方の視覚的な魅力、コンセプト・アルバムというドラマチックな舞台。
コレラのすべてをインターネットがブッ壊しちゃった。

430この日、ボトムラインに集まった満員のお客さんは「なすのちゃわんやき」のパフォーマンスを固唾を飲んで観ていたと思う。
演奏が終わった後、「フ~…」という緊張がほぐれるような雰囲気がヒシヒシと伝わってきた。
そして、大きな拍手と歓声。
正真正銘、鬼気迫るパフォーマンスだった。

440「スゴイ曲を作っちゃったのね。こういう曲を作って普通にライブでやっていたんだから、この人たちは本当に変ですよね」
「なすのちゃわんやき」を作ったのは四人囃子の初代ベーシストの中村真一。
「こんな曲作っちゃった~!」と四人囃子が合宿しているところに持っていらっしゃたとか。
その中村さんも2011年5月、くも膜下出血で帰らぬ人となってしまった。
その追悼コンサートの模様を旧Marshall Blogでレポートしたが、残念ながらブログごと消滅してしまって今はもう見ることができない。
ただし、記事の元データは私が保管しているのでいつか「Marshall Blog Archive」で復活させたいと思っている。
 
「最後の曲になりました」
お客さんの「エ~!」。
「スゲエむずかしくて覚えるの大変なんだよ!今日は1曲につき1本ずつ毛が抜けて行きましたよ!」
ココまで7曲で7本?
ゼンゼン大丈夫ですから。
「この機会を作って頂いて本当にうれしいです。岡井さん、坂下さんに大きな拍手を!」

450「最後は『一触即発』を!」

Sokuhatsu 問答無用の四人囃子の代表曲。
「ウシさん、せっかくだから…」と大二さんからのご提案でMarshall GALAでも演奏してくれた。

460_is歌詞と曲とインスト・パートの見事な融合。

470vコレぞ四人囃子の世界。

480v一糸乱れぬ中間のインスト・パート!
スゴイ緊張感!

510この日初めてこの曲をお聴きになられた方も多かったと思うが、一体どうお感じになられたのか…出口調査をしたいぐらいだった…

500イヤイヤ、そんなことをするまでもない。
演奏後の大きな大きな拍手と喝采ですべてがわかった。

520アンコール。
「皆さん、トイレに行っています。あんまりお待たせしてはイケないので、私と坂下さんで出てきました」
初めて根本さんがこの曲を聴いた時、とても荘厳な気持ちになったという。
「あまりライブでは演らないそうですが、坂下さんに『歌わせてください』とお願いしました」

530v曲は『ゴールデン・ピクニックス』収録の対策「泳ぐなネッシー」。
坂下さんの作品。

Picnics実は当初のセットリストには入っていなかった曲。
540確かにこれまでのスピヨンでは取り上げられて来なかった。
オリジナル・バージョンを知っているればそれも無理からぬことだとは思うが…。

540vもちろんココでは水のようにやさしい坂下さんのピアノをバックに歌のパートだけがしっとりと演奏された。

550v「このライブを主催してくれた野田さんを紹介します」
The BECK'sの野田さん再登場!
「欣ちゃん、こんなキッカケを作ってくれてありがとう」と、大二さんからもお礼のお言葉。
野田さんもそれに応えてこのコンサートに注いだ情熱を言葉にした。

560野田さんを交えての1曲は『ゴールデン・ピクニックス』から。
Picnicsこれまた日本のロック史に燦然と輝く名曲「Lady Violetta」。

570v四人囃子+ジェフ・ベック!
こんなのココでしか観れないよ~!

580ジェフ・ベック・スタイルで歌い上げる名旋律。
どこでこの曲が出てくるのかと思っていたらジェフ・ベックが弾くとは!
野田さん、夢のひととき。

590vそして、いよいよ最後の曲。
私は中学生の時、ハンターで買った中古の『ゴールデン・ピクニックス』でこの曲を聴いてブッ飛んだ。
実はこの曲ではもう1回ブッ飛んだことがあった。
高校の時に渋谷の屋根裏でその音源を聴いた時だった。
もちろんこの曲はよく知っていたんだけど、その演奏があまりにもスゴかったのだ。
それはミツルさん時代の四人囃子が屋根裏に出演した時に録音された演奏だった。
ミツルさんには2000年に開催された『マーシャル祭り』にご出演頂いたことがあったんだぜ。
曲は「カーニバルがやってくるぞ」。
Picnicsこれこそ、シャッターを切りながら思いっきり歌ってしまったよ!

600_carどんなに演奏の技術が向上しても、オーディオ・テクノロジーが進化しても、もうこんなバンドは二度と出てこないだろうナァ。
そして、こうして楽器やブログを通じて日本のロックを永遠に代表し続けるであろう名門バンドと一緒にお仕事をさせて頂けることを誇りに思っている。

610v私は根本さんや野田さんのように当時の四人囃子を見たことはなかったが、それでもほぼ同じ時代に生まれてヨカッタと思っている。

620その最高のロックをこうして楽しめるのもこの3人の名手がいてくれたからこそ!

630v西山さんがおっしゃった通り、このメンバーで東京や他の街で再演されることを望む。

640vそのためにも根本さんは十分にご自愛くださいまし!

650v エ~!まさかの「Smoke on the Water」終わり?
そんな大二さんがス・テ・キ!

660今回も各曲ごとに収録アルバムのジャケットを掲載した。
もちろんコレは昔のロックはジャケットも最高だった…ということが言いたかったから。
 
四人囃子の詳しい情報はコチラ⇒①Official Web Site ②facebook

670 
<オマケ>
ほんの少しだけ打ち上げの様子を…。
乾杯の音頭は大二さん!

680v「カンパ~イ!」
楽しいひと時だった~!

690今回の名古屋への旅は耳や目だけでなく、舌も大いに楽しませて頂いた。
まずはコレ。
うなぎヤケクソに高いじゃん?
ひっさしぶりに頂いた。
今池のひつまぶし屋、「白河」。

695私は大盛り。
イヤ~、うなぎってこういう味だったっけか?
おいしいね~、おいしいね~、おいしいね~。

700このお店、リーズナブルなこともあって開店時から大行列。
店の前の廊下のイスに腰を下ろしてフト前に並んでいる人を見ると…ウワッ!元センチメンタルシティロマンスの本多taco-bow正典さん!
ビックリしたわ~!
久しぶりにお会いできてうれしかった。
 
この場をお借りして…中野督夫さんの1日も早いご回復をお祈りしています。

710味噌煮込みうどんは何軒か行ったことがあるのだが、今回は「山本屋本店 大門本店」ってのにした。
私は絶対にうどんをフタに移して食べたりはしない。
Marshallじゃないけど「直」で頂きます。
そっちの方が激熱でおいしいじゃん?身体に悪いことはわかってます。
心を鬼にしてご飯は止めておいた。
今年から「炭水化物 on 炭水化物」はしないようにキメたのだ。

720この食べ放題のお新香もおいしいね~。

2_36968069_1648735135237927_4568329 それから天むすも行っといた。
ジム・マーシャルと名古屋にお邪魔したのはもう20年も前のことか…。
名古屋へは仕事で相当な回数行っているけどこんなフルコースは初めて。
おいしいかった~。
あ、きしめんが抜けてた。

730イヤ~、今回書いたわ~。
そんな入魂の一編を天むすの写真で締めくくるのもナンなので、このコンサートにお誘い頂いた大二さんにもう一度ご登場頂くことにしよう。
大二さん、ありがとうございました!

740v  

200_2 

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(一部敬称略 2018年5月12日 名古屋Bottom Line他にて撮影)