【イギリス-ロック名所めぐり】vol.36~The Beatles was here! <後編>
さて、宿舎の紹介も終わったところでビートルズ・ネタはお定まりのココへ。
地下鉄ジュビリー線の「St. John's Wood Station(セント・ジョンズ・ウッド駅)」
他の駅のステンレスのエスカレーターと異なり、ココのは茶色くて素敵なの。
この駅だけではないけれど、ココは上下のエスカレーターの間に階段がついている。
「一体誰が階段なんか使うんじゃい?」と思うけど、結構コレを使って上り下りしている人を見かけるよ。
上から見るとこんな感じ。
ね、なんかステキじゃない?
でもエスカレーターと階段の間に付いている照明具は滑り台防止のためのモノなんだろうね。
実際、タマに他の駅でツルツル~っとやってる若いヤツをみかけるからね。
当然そういうのは下で友達が動画を撮っていて、YouTube行きとなる。
バカは洋の東西を問わない。
どうでもいい話なんだけど、ロンドンの地下鉄構内に貼り出してある広告ってどれもオモシロくって電車を待っている間も退屈しないで過ごすことができる。
芸能人なんかゼンゼン出て来ないけど、どれもおシャレでカッコいい。
コレはケンジントン宮殿で開催していた『ヴィクトリア朝特別展』の広告。
カラーで目の部分を提供している美女は誰か知らないが、モノクロの部分は今のエリザベスII世が2015年に記録を破るまで、イギリス建国史上最も長期にわたってその地位に就いていた国家君主。 多分コレが上のヴィクトリア女王の元の写真だろう。
実にうまく作ってある。
それにしても、人間ってのは「目」のデザインがモノを言いますな~。 で、このイベントの会場となっているケンジントン宮殿。
今はケンブリッジ公のお住まい。
「ケンブリッジ公」とはウィリアム王子のことね。
ジミー・ペイジの家を訪ねた時に寄ったんだけど、ブッたまげるぐらいキレイだった。
ココ、入場料が高い割には内部の写真撮影がNGなの…だから入らないで帰って来ちゃった。
この時ウィリアム王子はまだ結婚していなかった。
キャサリン妃にお目にかかれるなら…デヘヘ、入場料払ってもいいナァ。
こんなのはどう?
コレも地下鉄の広告。
「父の日」が近かったので「スカル・シェイバー」の広告。
「90秒で完了!ー父の日スペシャルで替刃プレゼント」
「キズの心配ご無用 | ムリなく届く」
見ながら「ああ、オレもそろそろスカル・シェイバー買おうかな…」なんて思ったわ!
しかし…確かにイギリス人とかドイツ人ってハゲが多いけど、こんな広告が成り立つほどスキン・ヘッドの人が多いのか?
実際スキン・ヘッドにすると手入れがメッチャ大変だろうな~、イヤ「スカル・シェイバー」があれば大丈夫か!
外人は頭蓋骨の形がカッコいいからね~。ハゲてもうらやましいわ。
今、絶賛脱毛中…イヤ脱線中!
こんな広告も楽しい。
コレは以前Shige Blogで紹介したヤクルトの広告。
日本のお家芸の折り紙で作ったネコのドテっ腹の部分。
「Which 2 underground stations contain no letters from the word "CATLIKE"? (「CATLIKEーネコっぽい」という言葉に使われている文字が出て来ない地下鉄の駅名を2つ答えてね)
コレが滅法ムズかしい。
Marshallの社長のジョンやスタッフと考えたんだけど、なかなか出て来ない。
私が提案したのがそれこそ「St. Johns Wood」だったんだけど、「t」で引っ掛かった。
やっとのことでジョンがBorough(バラ=有名なバラ・マーケットがあるところ)はどうだ?」…と、ひとつ見つけただけで終わった。
この「St. Johns Wood」という名前に関しては「鯖クイズ」というのがあるんだって。
「『鯖』の綴りに使われいる文字がひとつも入っていないロンドンの地下鉄の駅はど~こだ?」というモノ。
「鯖」は英語で「Mackerel」。
「St. Johns Wood」という名前にはこの「Mackerel」に使われている「a, c, e, k, l, m, r」の文字が使われていないというワケ。
コレね、結構スゴイんですよ。
英単語で最も使用頻度の高いアルファベットは「e」で12.7%。続いて「t」で9.1%。さらに「a」で8.2%。
「c」と「k」はたいしたことない(この2つの文字は同じ発音を担当することが多いのでどうしても使用頻度がバラけてしまう)けど、「l」が4.0%、「r」が6.0%とくる。
コレらのポイントを全部足すと実に46%。
日常使われている英語に出て来る約半数の単語に含まれている文字がひとつも使われていないのが「St. Johns Wood」という名前なんですわ。
ナンでこんなことを知っているのかと言うと、今また「暗号」の本を読み返しているの。
伝統的に、暗号を解読するには「頻度分析」という手法が最も頻繁に用いられるんだけど、こうしたデータがないとそれができないというワケ。
こういうことが大好きなんだよね、オレ。
改札口はこんな感じ。
外に出てすぐ左にある売店。
我々にとってはナンと言ってもこの場所は「アビィ・ロード・スタジオ」なんだけど、実はココってクリケットの聖地でもあるんだよね。
4年前の同時期に家内とココに来た時、平日の真っ昼間からモノスゴイ数のオジサンの大群に出くわしてビックリしたことがあった。
Marshallで運転手を務める仲良しのディアンにその理由を尋ねたところ「クリケットじゃないかしら」との答え。
好きな人は仕事を休んで平気で試合を見に行っちゃうんだって。
5~6月はクリケットのシーズンだからね。それが終わるとウィンブルドンが始まってテニスの季節になる。
なるほど、今回バスの2階から確認したんだけど、この近くに「Lord's Cricket Ground(ローズ・クリケット・グラウンド)」というのがあったわ。
この「Lord」というのは、主に18世紀後半から19世紀の初めぐらいまで活躍したThomas Lord(トマス・ロード)という人にちなんでいる。グラウンドの創設者。
もう「Lord's」と言うだけでこのグラウンドを指すらしい。
そして、駅構内にはこのロードさんの姿を彫り込んだタイルがハメこまれている…ということが書いてある。
その横ではビートルズの4人が「ひょっこりはん」をキメてくれている。
そういえばヘアスタイルが同じだわ。
今からアビィ・ロード・スタジオに向かうよ。
コレも以前取り上げているネタ。でも、また様子が大きく変わっていたので喜んでレポートさせて頂く。
門柱や壁面の落書きはいつも通り。
スタジオの建屋もその通り。
オーケストラがスッポリ入る大きなレコーディング・スタジオをロンドンに作る目的でアビィ・ロード・スタジオは作られた。
そもそもココは「EMI Abbey Recording Studios」という名前だった。
ビートルズの面々はココのことを「アビィ・ロード」と呼んでいたから「Abbey Road Studios」の方が通りが良くなり、EMIが名前を変えた…ということは全くなかった。
ビートルズは200曲を超える作品をココの「第2スタジオ」で録音していて、連中にとってのアビィ・ロード・スタジオはただの「Studio Number 2」だったらしい。
彼らにしてみれば、自分たちの普通の仕事場だからね。
ココが「Abbey Road Studios」として定着し、その名を変えるまでに至ったのはやっぱりアルバム『Abbey Road』によるものだったそうだ。
こけら落しはエルガー。
そのことが入り口の横の緑のプラークに書いてある。
元々はHMV、Columbia、Parlophoneという3つのレーベルのための録音施設だったのだが、レコーディングのノウハウが盗まれはしないか…とお互いに心配し合っていたらしい。
私はもう数え切れないぐらいココへ来てるんだけど、今回はチョット気分が違う。
D_Driveの4人と一緒だったからだ。
以前から何度も触れて来た通り、D_Driveの世界デビュー盤『Maximum Impact』はここアビィ・ロード・スタジオでマスタリングしたのだ。
Marshall Recordsを通じてマスタリングを担当してくれたクリスチャン・ライトと面会したかったのだが、クリスチャンはあいにく遠方に出ていたため断念!
外から写真だけ撮ったよ。
でも「データのやりとり」とはいえ、この中で作業してくれていたなんて感無量ですわ。
ま、私は演奏したワケではないけれど、「間を取り持った」ということで…ハイ。
イヤ、それでもそこに行きつくまで色々と大変だったんだから!
今年の前半は人生で一番忙しかったかも。
4人だからね…当然コレをやるわな。
ビートルズの『Abbey Road』のジャケット写真は道路の真ん中に脚立を立てて、イアン・マクミランというフリーのカメラマンが、3往復するビートルズのメンバーに向けて6回シャッターを切った。
そのウチ、3回目の往路の写真がジャケット写真に採用された。
カメラはハッセルブラッド。レンズは50mmの広角。カメラの設定はf=22、1/500だった。
対してD_Drive。
私が交差点の真ん中にある島に立って、横断歩道を渡るメンバーに向けてやはり6回シャッターを切った。片道1回だけ。
カメラはキャノンの5D MKIII。レンズは24-70mmのズーム。カメラの設定はISO125、f=4.5、1/125だった。
激曇りだったからね~。ホントはもっと絞りたかったサ。
やり直しはなし。
ナゼか知らんが、そこにいた観光客から拍手や歓声を浴びていた。
Marshall LiveとCamden Rocks Festivalで早くもイギリスの誰もが知る存在になったのかしらん?
んなワケない。
そもそもこのあたりは外国からの観光客ばかりでイギリス人なんていないんじゃないかしら?
ところで、ビートルズのあの写真はスタジオにバイバイして去って行くところなんだってね~。
知らなかった。
ということでD_Driveの次回のアルバムのジャケットはコレに決定しました。
そうそう、ビートルズの『Abbey Road』ってフロント・ジャケットに文字が入っていないのね。
上の方に「Abbey Road The Beatles」って入っていたような気がしたんだけど…。
今回コレを作っていて参考に久しぶりにレコードを取り出して初めて気が付いた。
何ヶ月かに一回上から白いペンキで上塗りすると聞いたが、スタジオ・サイドでもコレを楽しんでいて、アッと驚くようなアート感あふれる作品を期待しているようなのだ。
すぐ近くの「Abbey Road Baptist Church」。
そもそも「Abbey」というのは「大修道院」という意味。
この道路は19世紀に整備された新しい道路で、元あった小道がKilburn(キルバーン)にある中世の小修道院に続いていたことよりその名がつけられたのだそうだ。
キルバーンはいつか行ったね~。
そこで人生で一番マズいラーメンを食べた。
さて、今回この記事を編もうと思ったのはコレを紹介したかったから。
スタジオのすぐ隣のこの真っ白い建物。
コッチも落書きだらけになっちゃってる。
4年前にはこんなお店なかったんよ!
ブッパン、ブッパン!
もう何でもグッズやら、ショップやらですな。
お店の入り口に続く廊下にはスタジオの歴史が綴られている。
細々書こうかと思ったけど、どれも重要な出来事ばかりで長くなるから止めた。
この入り口で撮る写真はこのスタジオを利用するアーティストにとってひとつのステイタスとされているそうだ。
だからこんな写真も…スティーヴィー・ワンダーだのガガ様だの。
こんなメモラビリアも飾ってある。
コレはEMI HB-1EというスタジオやBBCで活躍したマイクロフォン。
戦前~戦中のレコーディング機器の大家、アラン・ブルームラインが設計し、EMIのハーバート・ホルマンが製作した。
あのね、Marshallもダッドリー・クレイヴンというEMIのエンジニアをヘッドハンティングして第1号機を作ったんだよ。
限定生産されたポールのヴァイオリン・ベースと同型のヘフナー。
500部限定で発売されたジョージ・マーチンによる「Yesterday」の弦カル・パートのスコアのレプリカ。
書き込みや汚れ、紅茶のシミまで再現しているとか。
£250.00だって。額装込みで37,500円ぐらい。
もちろんビートルズ関連グッズだけでなく、Pink Floydや他のアーティストにちなんだグッズも多数販売している。
図録…こういうのを英語で「Souvenir Guidebook」と言います。
ココでしか手に入らないっていうからサ。
帰って来てウェブサイトを調べたらスッカリ通販してやがる。
でも、欲しいモノと言えばコレぐらいなんだもん。
£12としてはボリュームが小さいけど、興味深いことがたくさん書いてあってオモシロかった。
ということで楽しいショッピング・タイムは終わり。
ロンドンの新しい「ロック名所」のひとつということで…。
駅に戻る途中、ポール・マッカートニーのお宅を訪問。
他の3人のメンバーが喧噪から離れるべく郊外に移り住んだが、ポールだけはロンドンを離れようとせず、エライお医者さまから£40,000で購入したのが65年3月だというから、改装工事が終わるのを待って、昨日紹介したプレジデント・ホテルを出てココに引っ越したんだろうね。
「Penny Lane」、「Gettin' Better」、「Hey Jude」はココで作られたのだそうだ。
それと、ホワイトアルバムのオマケのポートレイトもココで撮影したんだって。
当時の4万ポンドっていくらぐらいかしらん?…と思って調べてみると、当時は固定相場制で、ドルが360円、ポンドは何と1,008円だった。オイオイ、今140円切ってるからね。
40,000に1,008をカケると…約4,000万円。
今から54年前の4,000万円だからね~。
まだ「She Loves You」の頃だよ。
何でも「Hey Jude」1曲で孫子の代まで遊んで暮らせるだけ稼いだと聞いたことがあるけど、しかし…ポールって人生で一体いくら稼いだんだろう。
ポールは70年代の後半までココに住んでいたそうだ。
で、今でも保有してるんだって…また儲かっちゃうやんけ。
そうでもないか、多分地所はどこかの貴族が所有しているのだろうから。
上物だけなら大したことないだろう。
ポールにあやかろう!ということでD_Driveも記念撮影。
『Maximum Impact』ヒット祈願!
すぐ近くにあるのがBilly Fury(ビリー・フューリー)が住んでいた邸宅があった。
フューリーはクリフ・リチャードと肩を並べて1950年代後半から1960前半に人気を博したイギリスの歌手。
…ということで『Abbey Road 2019』はおしまい。
ところで今回の記事のタイトルね、コレも前にやったことがあるんだけど、「Kilroy was here」から頂戴した。
興味のある方はコチラをどうぞ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.33~ハマースミスが好きだった <後編>
この曲を作ったロイ・ウッドね。
Rennaissanceのシンガー、アニー・ハズラムの元ダンナ様。
夫婦デュエットの「I never Believed in Love」なんてあまりにも素晴らしい。ナニせ出だしのコードがディミニッシュだからね。
初期のELOのメンバーでもあったワケだけど、私はジェフ・リンよりロイ・ウッドの方が断然好き。
この1975年のソロ・アルバム『Mustard』なんてメッチャいいと思うし、当時の日本のポップ・ロック系のミュージシャンって結構コレを研究したと思うよ。
(2019年6月 ロンドンにて撮影)