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2017年6月 7日 (水)

電波は飛ぶ、飛ぶどこまでも~Marshall HEADPHONESの新商品 <ヘッドホン編>

今日はある事情により『NAONのYAON 2017』のレポートはお休み。またすぐに再開するのでお楽しみに!
  
さて、恵比寿のおしゃれなバーへ行ってきた。
「バー」なんていうと私なんかのイメージでは…
年季の入った重厚な扉を開けると薄暗い中に高椅子のカウンターがあって、太宰かなんかがタバコの煙をくゆらしながらウヰスキーをダブルで、そしてストレートでチビチビ舐めている。
当然BGMはジャズ。
そうだナァ、ここはMilesにするか…。『Cookin'』の最後、それこそ「When Lights Are Low(灯りほのかに)」かなんかがかかってる。
今日はチョットだけいいことがあったから、このBenny Carterの愛らしいメロディが実に心地よいのだ。
間違っても『Bitches Blew』はかからないし、ましてや『On the Corner』など置いているワケがない。
バーテンダーも結構ジャズに詳しくて、Milesがかかったところで、Thelonious Monkとのケンカ・セッションの話になる。
「イヤ、お客さん、アレ実は作り話で、大先輩のモンクに向かって『オレのバックでピアノを弾くな!』なんてこと、マイルスは絶対に言えなかったらしいですよ。実際には『弾かないでください』とお願いしたらしいんです」…声が小さくてよく聞こえない。Milesのソロが流れているからだ。Milesのミュート・トランペットは恐ろしく音がヌケるのだ。
そもそも、そんな話は昔から知ってる。
…とマァ、こんなイメージが私の「バー」ですな。
実際には私はひとりでバーに行くことなんてことはほとんどないんだけどね。
若い頃から夜間に外で出歩くのは好きではないのだ。
もう家が一番!
ジャズのレコードなら売るほどある。
酒が飲みたくなったら、好きなジャズを聴きながら、あるいはお気に入りの古い映画を観ながら、チビチビと頂きモノのウイスキーで唇を湿らせるぐらいでちょうどいい。
読みかけの吉村昭など読みだしたら一発で眠くなる。そして、眠くなったチャッチャと寝ればいい。
外へ出てしまうと、帰るのが億劫で仕方ない。
たまに誰かとおしゃべりがしたければ、とにかく家に来てもらう。
子供の頃からデブ性…なんだこの変換ミスは!目立って太ったのは最近じゃい!
何しろ出かけるのが面倒な「出無精」なんですわ。
ところが今日はバー。
こんな機会は滅多にないので、せっかくだからバーで少し脱線してみるか…。

10場所は変わって、ココは浅草。
雷門通りと江戸通りの交差点。
写真の向かって右が浅草松屋。左が神谷バー。
この「松屋」のことを「つ」にアクセントを乗せて呼んでいる人にタマに出くわすけど、それじゃ牛丼だ。この松屋はやや語尾を上げ気味にフラットに発音する。
浅草松屋は1931年の開業。日本最古の屋上遊園地がかつてあった。

11そして、神谷バーも最古。
日本で一番古いバーなのだそうだ。
創業が明治13年というから1880年。
コレは相当古い。
イギリスはヴィクトリア女王の時代。総理大臣が『フレッシュ・クリーム』でおなじみのディスラエリの頃だ。
日本の総理大臣は誰だったか?
いなかった。
伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任するのは1885年のことだから、神谷バーは日本に内閣ができる前から飲み屋をやっていることになる。
ビルの中ほどに付いている看板が「ーバ谷神」になってる。
14

この建物も「国民的財産」ってなことになってる。
でも、当然創業当時のモノではない。
それでも竣工は1921年だそうだ。
もうソロソロで100年。東京ではまず珍しい。

13浅草もアメリカによる1945年の東京大空襲で焼け野原にされてしまったが、この建物は損壊を免れた歴史の証人なのだ。
昔の鉄筋コンクリートの建物というのはホントに頑丈にできている。何でか知ってる?
今みたいにポンプで生コンを流し込んだりすることなどができなかったので、人海戦術でコンクリートを締め固めたハンドメイド製品だったからだ。
ようするに丁寧に作ってあるということ。だからこうして手を入れながら大事に使えば100年は軽くもつ。
良質な骨材の枯渇など、工法の変化以外にも要因はあるが、現在の鉄筋コンクリートの建物の耐用年数はたった50年といわれている。
この建物は清水建設の作品らしい。

12

入り口看板の下に景気よく書かれた番地。
「浅草一丁目一番一号」…コレとよく似た有名な番地で「千代田区千代田1丁目1番地」というのがあるんだけど、コレはど~こだ?
そう、皇居。
この神谷バーの番地、ナンだってこんな風にフィーチュアしてると思う?

15コレは私の推測だけど、浅草は昔、日本はおろか、東洋で一番の繁華街だった。(それ以前は神田の須田町だったというから驚く)
その当時の番地がどうなっていたのかはわからないが、その大繁華街の地名の付いた一番最初の番地を持っているのを誇りとしているのはなかろうか。

16vもちろん名物は「デンキブラン」。
飲むとビリビリしびれちゃうような酒かと思っていたらさにあらず。
昔は「デンキ」という言葉をつけて新しいものを表現したらしい。
「ブラン」はブランデーから。
要するにブランデー・ベースのカクテルなのだが、コレが滅法甘い!
大正時代は浅草六区で活動写真を見て、一杯十銭のデンキブランを引っ掛けるのが当時の一般庶民のナウい楽しみだったという。
いい時代だナァ。
その東洋一の繁華街だった浅草も、今じゃ夜はゴーストタウンだぜ。

17v雷門通りに面したスペースではデンキブランのボトルの販売コーナーも設置されていて、看板の文字が右から読むようになっている。コレは意地か。

19

今ではレギュラーのボトルだけではなく、こうしたお土産用の小さなボトルも発売されている。
一度コレをお土産でMarshallの連中に持って行ったことがあるんだけど…そういえば誰もナニも感想を言ってなかったな…。
彼ら甘いものが好きなので口には合うハズなんだけど…。

18vそしてデンキ・ブランからいきなり話はバーボンに飛ぶ。
脱線が終わったのだ。
アメリカの老舗ブランド、Maker's Mark。

 30
「原料にライ麦ではなく冬小麦を使用しているため独特の柔らかい口当たりがある」…って、チョット!
バーボンの原材料ってトウモロコシなんじゃないの?
…と思っていたら、ケンタッキーを中心に作られているウイスキーのことを「バーボン」って呼ぶんだって?
知らなかった。
夜飲み歩かないから。
「bourbon」ってのはアメリカ式にやると発音が難しい単語だ。「ブアブン」みたいな。

20vさて、バーの店内に入ると、いきなり1959が!
あ、バーといっても、冒頭に書いた「太宰系のバー」とは全く違うからね。
若い人たちが集ってガヤガヤやるスペース。
奥にはホールもあるような大きな空間だ。
壁のメタルっぽい飾りつけはお店の方がこの日のために特別にしつらえたそうだ。

40「この日」が何の日かというと、Marshall HEADPHONESの新商品をお披露目する日。
海外ではすでに発売されていたのだが、それがいよいよ日本に上陸したのだ。
それで、その発表会をMaker's Markさんからご後援を頂き、こうしてイベントに仕立てたというワケ。

50コレがその新商品。
写真ではケーブルが付いているけど、コレは着脱可能。
すなわち、Bluetoothヘッドホン。
Marshall HEADPHONESでは予てからBluetoothヘッドホンを取り扱っていたが、よりソフィスティケイトされたルックスを持つモデルがラインナップに加わった。
名前を「MID BLUETOOTH」という。
音質が一段と向上。
一回の充電で30時間使用可能。
携帯でコントロール可能なノイズリダクション搭載…等々、機能がますます充実した。
何よりルックスがいいね。

詳しい情報はコチラに出ていないけど、そのうちにアップされると思います⇒NAVYS
英語版でゴメンね、ゴメンね~はコチラ⇒Marshall HEADPHONES Official Web Site

60さて、もう少しイベントを紹介しましょうね。
ラウンジの壁には人気デザイナーの作品が展示されていた。
テーブルには「MID」のパネル。

70コチラはホール。
ね、「バー」なんて感じじゃないでしょ?

80奥の小部屋には壁一面にレコードが。
コレがすごい雑多な趣味。
Marvin GayeからThe Beatles、Boz Scaggsまで。
お~、なんでCharles Lloydの『Love-In』まであるの?!
1967年のFillmore Westでのライブ盤。(『HELP』の向かって左斜め下の赤っぽいヤツ。
この時期のCharles Lloydの作品はKeith JarrettのピアノとJack DeJohnetteのドラムスを聴くためのようなモノだけど、コレもそう。まぁ、DeJohnetteのカッコいいことよ!

90こっちの壁にはColtraneも。
Steve Millerの『Fly Like an Eagle』まで飾ってある。

100ホールの壁にも様々なイラストが…。

110もちろん「MID BLUETOOTH」も。

120vちょっとスケジュールが合わなくて観ては来れなかったんだけど、ライブ演奏も催された。

130お~、ステージのDJテーブルにもMarshallのロゴが!
ナニ、「ただバナーをくっつけただけじゃないか」って?
冗談言っちゃイケませんぜ。
さてはMarshallとDJの古い関係をご存知ありませんな?

140コレコレ。
1970年代の初めにMarshallが作っていたDJのターンテーブルセット。
ご丁寧にアンプとスピーカーもセットで販売していた。
写真はMarshall Museum Japan収蔵のモノ。実際にはコレとは異なるスピーカーが組みになっていた。

141ね~。
あったのですよ、こういうのが。
どうやらJim Marshallのアイデアだったらしい。
ところが、1970年代初頭、時はブリティッシュ・ハードロックの全盛期。
ギター・アンプを作るのに忙しくて、ターンテーブルなんかやってる場合じゃない!ってんで、このアイデアはアメリカの電気機器メーカーに売ってしまったらしい。
そんな状況だったので、生産台数も極端に少ないようで、Marshallの工場にも実物は置いていない。
先日、このターンテーブルの詳細が知りたいとのことで、写真の提出の協力を求められた。
あのね、困るとすぐ「シゲ、シゲ」って言ってくるんだよ…ナンチャッテ!
ちなみにこのターンテーブルの所有者であるMarshall Museum Japanの竹谷館長にはJTM45/ 100のリイシューの時にも写真でご協力を頂いた。
リイシューの際、やはりMarshallは実物を保有しておらず、細部の仕様がわからなかったためホンモノを所有していた竹谷氏に写真の提供を依頼してきたのだ。同品の取扱説明書に氏の名前が掲載されているのはそのため。
JTM45/100の取説には私の名前も載っているが、そのお手伝いをしただけなのさ。
Marshallは「コレじゃイカン」ということで、過去の商品のコレクションの充実を図り、JTM45/100に関して言えば、今は工場の博物館に実物が収まっている。

142ね、「Marshall Disco」って書いてある。
ターンテーブルは左右で仕様が異なるところを見るとどちらかを載せ換えたのだろう。
つまり、どこかで相当活躍していたということだ。
銀色の方はイギリスはスウィンドンの有名なターンテーブル・メーカーGARRARD製だ。

143話を戻して…
そして、ステージにはJVM210Hと1960Aのハーフスタックが!
気ィ遣ってくれたんじゃないの~。

150コレはライブのコーナーで出演した「Otogivanashi」のアルバム。
どっかでみたような…どころじゃなくて、実はこの翌日のMarshall Blogの記事に使うので、当日の昼間にホンモノの写真を撮ったばっかりだったのですよ!
こういう「虫の知らせ」みたいなことがやたら起こることは時々書いている通り。

160これがその昼間に撮っていた写真。
ま、偶然には違いないんだけど、普通『Earthbound』でダブるか?
『宮殿』だったらまだわかるけど。
気味悪いでしょ。
昨日も飛び切りスゴイ「虫」が飛んできたんだよ。コレはまた別の機会に書かせて!

170Marshall HEADPHONESはライセンス商品であり、本業のギター・アンプの方とはビジネス的には全く交流がないのね。
生産しているところも違うし、輸入販売元もまったく別。
ところがですね、このMarshall HEADPHONESを配給して頂いているNAVYSさんの「Marshallブランド」の普及に関する熱意は生半可ではなく、本当に頼もしく、アタマの下がる思いだ。

180先日の髙島屋さんもそう。
伊勢丹さんの時もそう。
今回もそう。
いつもありがとうございます!
やっぱりそういう熱心な方々と仕事をするのは楽しいものです。
Marshallブランドはこの他にもEYEWEARがありますからね。
そちら共々ご愛顧のほど、引き続きどうぞよろしくおねがい申し上げます!

270v_2
(一部敬称略 2017年5月30日 恵比寿NOSにて撮影 ※写真協力:Marshall Museum Japan)

2017年5月31日 (水)

CROSSWINDの未発表ライブ音源とLo-Dプラザの思い出

よくMarshall Blogに書いていることだが、「虫の知らせ」的な現象がやたらと身の回りで起こる。
別段困ることは何もないのだが、あんまり手の込んだヤツになるとさすがにうす気味悪くなる。
コレがラッキーな知らせだったら大いにありがたいのだが、そういうのはほとんどやって来ないね。
何かがキッカケで普段はまったく興味がない宝くじを買ったら大当たりしちゃった!…「ああ、アレは虫の知らせだったんだね~」みたいなヤツ。
来いよ、虫!
寄ってくるのはハエか蚊ばっかりじゃんか!
イヤ、知らず知らずのウチに「ラッキー虫の知らせ」も受けているのかも知れなくて、それに気が付いていないだけなのかもしれない。
また、人間はどちらかというとアンラッキーな事象に「虫の知らせ」を当てはめたがる習性があるのかも知れない。
今日の話はラッキーな部類に入るだろう。
それはこういうことだ。
私はよくジャズのピアノ・トリオを聴くのだが、好きなピアニストのひとりにKenny Barronという人がいる。
先日中古CD屋で目に留まったBilly Cobhamがリーダー名義のピアノ・トリオ盤『The Art of Three』に参加しているピアニストがKenny Barronだったので早速買ってみた。ベースはRon Carter。
コレが存外によくて、時々CD棚から引っ張り出しては聴いている。
で、数日前もこのCDを聴いていたのだが、その日は何となくBilly Conhamのドラミングがすごく気になった。
バックをやっている時は、何とも言えない硬質なスウィング感がとても気持ち良いのだが、ひとたびソロになると、やかましいというか、落ち着かないというか、場所違いというか、「コブさん、今演ってんのマハビシュヌではありませんよ!」と横から耳打ちしたくなるような感じ?
ま、それもこの人ならではのスタイルなんだけどね。
そこから、ますます気になり出して他のBilly CobhamのCDに乗り換えた。  

A3_2耳タコの「Stratus」を聴くのが辛いので、ファースト・ソロ・アルバムであるところの『Spectrum』は今回敬遠させていただいて、メッチャ久しぶりに2枚目のソロ・アルバムなんぞを聴いてみた。普段はまず聴くことのないアルバムだ。
その翌日のことだった。
ある友人から連絡があり、故小川銀次さんのバンド、CROSSWINDの未発表音源をクラウドファウンディングで制作することになったというのだ。
チョット、ビックリでしょ!
なぜなら、Billy Cobhamの2枚目のソロアルバムのタイトルが『Crosswinds』だからだ。

Cw2その新譜の音源というのは、かつて有楽町にあったLo-Dプラザでのライブ演奏を収録したものだ。
Lo-Dプラザは過去何回かMarshall Blogに登場しているので、熱心なマーブロ読者(そんなのいるのか?ありがたいことにいるんです!)は実際に行ったことはないにしても、名前を耳にしたことがあるかも知れない。
今日はそのLo-Dプラザのお話から。
チっ!こんなことになるなら今までチビチビ書くんじゃなかったよ…ということで、もう一回ちゃんとおさらいしておこう。
なんとならば、その連絡をくれた友人というのは、このLo-Dプラザでエンジニアをされていた方なのだ。
  
何か月か前に「ポタフェス」というポータブル・オーディオの展示会のレポートを掲載したでしょ?
なんとマァ、音楽やギター・アンプだけでなく、オーディオ機器のスタイルもデジタル・テクノロジーの革命を経て、すっかり変わり果ててしまったことに私は驚いてしまったワケだけど、40年ぐらい前は音楽を聴く時はチャンとしたオーディオ装置、いわゆる「ステレオ」で鑑賞するのが普通だった。
それがウォークマンの登場以来、アレよアレよと小型化が進んで、今では何もかも「こんなに小っちゃくなっちゃった!」状態になってしまったのはある意味残念なことだと思っている。
私も初代のウォークマンを手に入れて以来、40年近くの間その手のポータブル・オーディオの恩恵を受けているので、決して悪く言うつもりはないのだが、せめて家で音楽を聴く時は大きなスピーカーを鳴らす正式な再生装置を使うべきだと思っている。
時代が変わったといえばそれまでなのだが、昔はオーディオ機器もひとつのステイタスだったんだろうね。居間にステレオがあるのが当たり前の時代。だから50年ぐらい前のステレオは家具調だった。
こんなヤツ。
この電話器!ウチもコレだった。
でも、何もステレオの上に電話器を置くことはないと思うのだが…。
ウチは違ったけど、昔は玄関に電話器が設置してあった家をよく見かけた。アレはどういう理由からだったんだろう?

Cst そういう時代だったので、各家電メーカーがそれぞれ独自のオーディオ機器ブランドを持っていた。
コレも以前にも書いたけどね。忘れていませんよ。
三菱はダイアトーン(スリー・ダイヤだからね。岩崎弥太郎のステレオだ)
松下はテクニクス(当時は「松下電工」だった。雷門の提灯をありがとう!)
東芝はオーレックス(東芝にもそんな時代があった。毎年武道館でジャズ・フェスまでやってたんだから!)
サンヨーはオットー(親亀コケすぎ。三洋電気もろともなくなってしまった)
シャープはオプトニカ(ココも目の付けどころがちょっとマズかったか?)
…ってな具合。
DENONは「デンオン」と読んだし、KENWOODはTRIOという名前だった。
TRIOなんてレコードもやっていて、一時ECMを配給していたもんだから私が持っている『Travels』ぐらいまでのPat Methenyの初期のLPは全部トリオ・レコード製よ。
そして、日立。
日立のオーディオ機器ブランドは「Lo-D(ローディ)」という名前だった。
すごいよね、発電所のタービンやジェネレーターやエキサイターを作るメーカーがステレオのブランドを持っていたんだから。
こうした高速回転する重量のある発電機器を設置する時には「グラウト材」という特殊なセメントを使うんだ。
どうする?「セメント」で脱線する?それとも「発電所」?いくらでもできるよ。
でも、今日はやめておこう。
さて、Lo-D。
名前の由来は「Low Distortion」なのだそう。
ASTORIA CLASSICみたいなもんだね。ASTORIA CUSTOMは当たらない。
それで、各メーカーはそうしたオーディオ機器のデモンストレーションをするために、大都市にショウ・ルームを展開したんだね。
SONYビルなんてのはそれの親玉みたいなもんだ。
で、日立は有楽町のフードセンター(現銀座インズ)という高速道路の高架下に「Lo-Dプラザ」というショウルームを設置したというワケ。
コレがいつ始まったのかはわからないんだけど、クラスメイトの安藤君に教わって私が初めて行ったのは1976年ぐらいのことだったと思う。
私は最初映画キチガイだったので、有楽町にはなじみがあり、とても行きやすかったのだ。
ずいぶん通ったよ。
当時は土曜日にも学校があったので、日曜日になると毎週有楽町に足を向けた。
ナゼかというと、Lo-Dプラザには、オーディオ機器の視聴用に無料で聴けるレコードがたくさんあったからなのだ。
当時はLPレコードが一枚2,500円。
2,500円といえば子供にとっては大金だ。
大人になった今でも大金なのが情けなくもあり、不思議でもあり…。
当然YouTubeなんてあるワケがないので、今みたいに聴きたい音楽を無料で聴くなんてことは一切できなかった。
「もっと色んなレコードを聴きたい!」という欲望はもちろん激烈に強かったが、「不便」だと思ったことは一度もなかったし、音楽はお金を出して手に入れることに何の違和感もなかった。今でもそれが当り前だと思っている。
時代はまだCDが一般化するより十年も前の話で、「レンタル・レコード」なんていうのが登場するのはそれから四年ぐらい後のことだ。
だから、Lo-Dプラザに行って、レコードをそこで借りて、まったく買う気のないオーディオ機器を試すふりをして、次に買うべきレコードの下調べやロックの勉強をしたワケだ。
今にしてみると、何に興味を持って聴きに行っていたのかはほとんど覚えていないのだが、一枚だけハッキリと記憶しているのはサディスティック・ミカ・バンドの『ライブ・イン・ロンドン』だったが、何回か貸してもらって聴いたものの結局LPは買わずじまいだったな。
そうやって買った一枚のLPを大事に大事に何回も聴いたものだった。
不幸にして買ったLPが気に食わない内容だったとしても、ひたすら聴き込んで強引にお気に入りにした。
Cld
Lo-Dプラザにはスピーカーから盛大に音を出して聴く小部屋があって、日曜日はいつも満室で順番待ちだった。
一方、ヘッドホンを使って聴く装置が何台も並んでいて、私はいつもこっちだった。
他にもラジカセ等の小型オーディオ機器をディスプレイするコーナーや高級オーディオを体験するリスニング・ルームがあったのを覚えている。
…と、こんな説明をするより、その友人から写真をお借しりて、ココでお見せすればどんな様子だったかが一目瞭然なのだが、奇妙なことに写真がまったく残っていないらしいのだ。
今ならチョチョイとスマホで撮って残しておくところだろうが、昔は写真一枚撮るにしても、カメラを持って行って、撮影して、写真屋にフィルムを持って行って現像してもらわねばならなかったのだから大事だ。だからそう簡単に写真に残しておくなんてことなどできなかったんだね。
  
チョット脱線になるが、このLo-Dプラザの奥に「モーニング・サン」という輸入&中古レコード屋があった。
今はもう見る影もないが、昔は数寄屋橋の西銀座デパートとSONYビルの地下にハンターがあって、レコード好きにとっては有楽町も捨てたモノではなかった。
数寄屋橋のハンターは私が学校を出て就職した頃でもまだ残っていたな…と言っても1985~1986年ぐらいの話だからもう30年も経ってるか。
下の写真は数寄屋橋のハンターがあった場所。
私は14歳か15歳の時にココで生まれて初めて中古レコードというものを買った。ELPの『Tarkus』だった。
昔はこんなにきれいな内装ではなかった。

C2img_2499 ハンターは規模を拡大し、上の写真から50mほど離れた場所にもう一軒店を構えた。
そこで手に入れたのが下のTony Williams Lifetimeの『Energency!』。
大学の頃、どうしてもコレが手に入らなくてネェ。聴きたくて、聴きたくて…まんじりともしない日々を送っていた。
それがある日、その新しい方のハンターで発見したのだ。
まだカウンターの中にあって、値札も付いていない状態だったのだが、頼み込んで何とか売ってもらった。
当時は万単位のプレミアが付いていたやに聞いていたが、1,400円だった。
「へへへ、コレだから中古レコードはやめられまへんナァ」とか何とか言いながら家に持ち帰ったのではなかろうか?
で、聴いてガックシ。期待しずぎちゃったんだね。
今ではCDで簡単に手に入るが、コレはまだCDが世に現れる前の話。

C0r4a5836 まだ脱線中ね。
さて、そのLo-Dプラザの奥にあった「モーニング・サン」というレコード屋、いつまで営業していたんだろうか?
気が付いてみるとなくなっていて、洋品店になったのかな?
それでも二枚ほどその店でレコードを買ったことがあった。
一枚はコレ。
King Crimsonの『Earthbound』。
やっぱり15、16歳の時だった。
コレも以前に書いたことがあったが、当時このアルバムは音質が劣悪ということで国内盤が制作されておらず、聴くためには輸入盤を手に入れるしかなかった。
どうしても聴きたくて、Lo-Dプラザに行ったついでに、多分このお店で探したんだろうね。
店員さんが「ボク、何を探してるの?」…ま、本当に「ボク」と呼ばれたのかどうかは定かではないんだけど、とにかく店員さんに話しかけられて、「あ、キング・クリムゾンの『アースバウンド』です」と答えると、「あ~、今ないな~。イギリスから取り寄せてあげるよ!」と言うではないの。
「イ、イギリスから!?」とかなりビビった。
だって、コストがどれだけかかるかわからないじゃない?…と心配していたら「値段は普通のレコードと同じ」だというのでお願いすることにした。
すると今度は「やっぱりIsland盤がいいんでしょ?」と来た。
「あ、あいらんどぉ?」
こっちはロックを聴き始めて数年の15、16歳の子供だ。何のことかサッパリわからなかったが、「ええ、マァ…」と答えておいた。
そして、数か月後に「入荷した」という連絡を受けて手に入れたのが下のIsland盤の『Earthbound』。
2,000円だった。消費税などない時代のお話し。
Cimg_0096

もう一枚はKevin Ayers他の『JUNE1,1974』。
コレも聴きたかったのだが、当時国内盤は廃盤になっていてどうにも手に入らなかった。
それで、もう勝手がわかっていたので、コレは「モーニング・サン」にこちらからお願いしたような記憶がある。
私はこのアルバムでPeter Ollie Halsallという素晴らしいギタリストを知った。やはり15、16歳の頃。
世間的には決して貴重品というワケではあるまいがそれぞれ青春の思い出のアイテムとして今でも大切に保管してある。
私の青春はロックだったから。

Cimg_0097

話をLo-Dプラザに戻す。
そのオーディオ機器ブランドの戦国時代、Lo-Dプラザが他のブランドのショウルームと大きく異なっていたのは、今でいう「ライブ・スペース」があって、歌謡曲からロックまで広範囲なジャンルにわたるアーティストが頻繁に出演していたことだろう。
当時私は国内のアーティストにほとんど興味がなかったので、満員になっているそのスペースを横目に見て、「ああ、また今日も誰か出ているのか…」程度のものだった。
それよりも自分の聴きたいレコードの方が優先だった。
当時はこんなプログラムを発行していたそうなのだが、見事に記憶がない。
「ヤングと音楽のふれあう広場」だもんね。
「ヤング」か…。
名実ともに「ヤング」もずいぶん遠くなったもんだ。
人間、ヤングよりオールドの時期の方がはるかに長いということを知るのは、オールドになってからなんだよな~。
右は1981年8月の発行。表紙の人…有名な方なのかな?こんな二重アゴの写真、今なら絶対NGでしょう。ノンビリしてたナァ。
左の人が肩からブラ下げているのは日立製のウォークマンか?
ヤケにデカいな。
あ!今気が付いた!
このお姉さんが右手をかけている白い複数の板!
このケースにレコード・ジャケットが入っていたの。
コレをめくっていって気に入ったレコードを探す。ケースには番号が付いていて、その番号を受け付けのお姉さんに伝えると当該のレコードを出して来てくれる…というシステムだった。
Cpg
さらにLo-Dプラザがスゴかったのは、抽選で当たった10人のお客さんに16チャンネルのミキサーが設置された客席に座ってもらい、目の前の生の演奏をマルチで録音させていたのだ。(ミキサーを8チャンネルで使う時は20名)
録音媒体はカセット・テープ。
当然、そこで売っている日立Maxellのモノを使用する。
私は高校の時にコレを二度ほどやらせて頂いた。
ひとつはPANTA&HAL。
実はこの時は生の演奏ではなくて、卓に8チャンネル分の音源が送られてきて、それをミキシングして、その場で2チャンネルにトラックダウンするというものだった。
正確な演奏日時はわからないが、まだ『マラッカ』をリリースする前だったのだろうか?「マラッカ」の歌詞がレコードとは異なっている。
まだ今さんがHALにいた頃で、卒倒もののすさまじいギター・ソロを聴かせてくれている。
特に「マーラーズ・パーラー」のオブリガードは人間ワザとは思えないほどの出来で、ずいぶんコピーさせて頂いた。
もう一回はBAD SCENEだった。
この時は本当の生の演奏で、3曲演奏した後、BAD SCENEに銀次さんがジョインして更に3曲を演奏した。
どの曲も銀次さんらしいプレイにあふれていて、とりわけ「Rising Dream」のソロはあまりにも素晴らしい。Maj7thのアルペジオがクロマチックで上がっていくアイデアがカッコよくてね、コレも高校の時にコピーさせて頂いた。
下がその時のカセット・テープ。
アレ?富士フィルムのテープだね。
ったく、エチケットを知らねーな、若いヤツは!って、私ですわ。
とにかく大切な宝物のひとつ。
しかし不思議なのは、実施日が異なるのにどうして同じテープに音源が収まっているんだろう?
二回分を考慮して初めから90分テープを用意していたワケはないので、「PANTA&HALのテープにまだ空きがあったな…」とワザワザ家から持って行ったのだろうか?
あの頃はカセット・テープだってそう安くはなかったからね。

50

これでLo-Dプラザがわかった。
そして、今回のCROSSWINDの未発表音源は、1981年9月13日、1982年1月30日と5月15日にLo-Dプラザに出演した時のモノが収録されているのだそうだ。
私の友人がその音源を蔵出しし、ナント35年ぶりに陽の目を見ることになる。
下はLo-Dプラザのステージで演奏するCROSSWIND。
こんなだったかな~。もっと広い感じがしたんだけど。
そうそう、各ミキサー卓に「録音中」っていうサインがついていたな。

Ccw4 下の写真は渋谷の屋根裏ね。
しかし、こうしてみると屋根裏もいい加減小さかったな~。
でも、そんな感じはまったくしなかった。
私は高校二年の時にこのステージで銀次さんを観たことがあった。
RCサクセションで活動していた時のことだ。
大ブレイク寸前で、当時屋根裏でもっとも集客力の大きい二大バンドのウチのひとつだっただけに息もできないほどの超満員だった。
もうひとつの人気バンドはPANTA& HALだった。

Yu_2

持っているクラスメイトにカセットに録音してもらってよく聴いていたので、私はCROSSWINDのレコードはとうとう買わずじまいだった。
銀次さんのギターが殺人的にカッコよくてね~。
2001年の『マーシャル祭り2』にご出演頂いたのも、その時分のあこがれ感によるものだった。
結局大分後になってCDを買い込んだ。
「フュージョン」と形容するにはあまりにもハードなサウンで、当時の日本のロック・シーンでは他に類を見ないバンドだった。
日本人ばなれしていてジャケットもいいよね。真ん中のセカンド・アルバムなんてまるでフランスのAngeのアルバム・ジャケットのようだ。

60そして、今回のアルバムは今はやりのクラウド・ファンディングでの制作となる。
クラウドファンディングっていうのも私のような古い人間から見るとナンカ違和感のカタマリなんだよね~。
この手法について深い知識を持ち合わせているワケではないので大言は控えるべきだが、要するに「カンパ」っていうことなんでしょ?
私なんかが思うには、本当にいい音楽なら、やっぱりレコード会社が率先して作るべきだと思うんですよ。
そんなにね、誰も彼もが音楽をやったって、いいモノができる可能性なんか万にひとつもありゃせんって。
コレね、音楽だけじゃなくて、今の世の中何でも同じで、食べ物なんかもそうなんだけど、いいモノを教えないからドンドンおかしなモノばかりになってるんだよ。
それで、そのおかしなものばかりの中でラクして商売をしようとするから、ますます状況が悪くなっているんだと思う。
音楽に関して言うと、傍で見ていて今の若い人は本当に憐れだと思いますよ。
いい音楽を厳選して、レコード会社がコッテリと金をかけていいモノを作るだよ。
とにかくミュージシャンがタオルやシャツやチェキを売らなければ生活できないような状況を打破してやらないと!
「ミュージシャン」という職業は自分たちだけのいい音楽を作ってそれを形にすることなんだから。
断じてタオルやシャツを作って売るのが仕事ではない。
ま、古いと思ってもらって結構。
とにかくコンピュータの利便性が「無償」を武器に、「風情」どころか「芸術」までも壊滅的な状態に追い込んだことを人類はよく見つめ直すことですな。
私は「CD」というフィジカルな製品がある限り、それを支持します。
お、ナニが言いたかったかというと、小川銀次のような不世出のギタリストが作った音楽をナニが悲しくてカンパで形にしなきゃならないのか?ってことよ。
久しぶりに毒づいてみたけど、逆らったところで時代の趨勢にかなうワケがないこともわかってる。
結果、形はどうあれCROSSWINDの新しい音源が世の中に出て来ることは大歓迎であることは間違いない。
私は内容を耳にしているワケではないが、この時点で既にひとつ言いたいのは、「若い人」、特にひとりでもの若いギタリストやギターの勉強をしている人たちに聴いてもらいたいということだ。
銀次さんのギターを通じて「オリジナリティ」という言葉の意味を自分なりに分析してもらいたいと思う。
Cwc
さて、そのクラウドファンディングの案内がこの動画だ。
6月2日から出資者を募るそうだ。
興味のある人はゼヒご参加あれ。

今年の8月で三回忌を迎える銀次さん。
このプロジェクトがその三回忌に合わせた動きであることは言うまでもない。
また、「CROSSWIND」という唯一無二のバンドの名前を後世に残すことを目的にもしている。
さらに、経費を差し引いた売上金はすべて銀次さんの奥様のご遺族に贈られるとのことだ。
  
今日は過去の記事と内容が重複してしまうので銀次さん自身のことについてはほとんど触れなかった。
代わりに銀次さんの思い出や関連情報を掲載した過去のMarshall Blogの記事を紹介しておく。
★【訃報】 小川銀次さんのこと

★Ginji Lives!~小川銀次、新譜をリリース!

10v_2※今日のバナーは、銀次さんが2001年の『マーシャル祭り2』にご出演された際、JCM2000 DSL50をステレオでお使いになられたことより現行のDSL100の図柄を採用しました。

(Marshall並びにMarshall Blogは記事内のクラウドファンディング事業には関わってはおりません。ご質問他、いかなるトラブルも関知いたしませんこと予めご了承ください)

2017年4月25日 (火)

BLIMEY!!~GRANRODEO飯塚昌明のBIRTHDAY PARTY

タイトルの「Blimey!」はイギリスの「オーマイガッ!」。
「ブライミー」と読むんだけど、イギリス人はコレをよく使う。
「コイツぁスゲエ!」とか「ビックリしたナァもう!」みたいな場面に出くわすと「ブライミ~!」とやるワケ。
さて、ステージにはMarshallの壁。
Marshall GALA他でおなじみの光景は東京キネマ倶楽部のステージ。

10_2でも、今日はいつもとチト様子が違うよ。

20_2テーブルにはシャンパンが置かれちゃって…。

30v奥のMarshallロゴのカウンターにはおいしそうな料理がズラリ…。

40v そして、ステージに現れたのは今日のイベントの司会を務めるジョイマックスさん。

50_2ジョイマックスさんが手にしているのは携帯電話。
「え、今どこですか?」とこと細かに相手の状況をチェックする。
電話の相手はGRANRODEOのe-ZUKAさん、すなわち、飯塚昌明さんだ。
「皆さ~ん、もうすぐ着きますよ~!」
つまり、ほどなく飯塚さんがキネマ倶楽部にお越しになるということ。

55v ステージは飯塚さんを迎える準備も万端。
そう、タイトルにあるようにこのイベントは飯塚さんの誕生パーティで、本人にはこのことを知らせていない。
「キネマ倶楽部に来てください」ということだけを伝えている正真正銘のサプライズ・パーティなのだ。

60_2そして、何も知らずに飯塚さんがキネマ倶楽部に到着。
二階から会場を見下ろして…飯塚さんビックリ!
もうマジでお顔がブライミーになってる!

70v ステージでは飯塚さんを迎える一曲、「Can do」!

80_2演奏するのはKISHOWさんと…

90v FLOWの皆さん!

100_2「『キネマ倶楽部に来てください』しか言わないからおかしいな~と思ってたんだよね~!」とまずは飯塚さんのご挨拶。
本当に知らなかったんだ?!
ご挨拶の中ではMarshall GALAや東京キネマ倶楽部がMarshallのオフィシャル・ライブハウスであることにも触れて頂いた。
この日で50歳。
若いな~。

105v階下に降りステージに向かう飯塚さん。

110vそして、KISHOWさんと合流。

120_2FLOWの皆さんから誕生プレゼントが贈られる。

130_2GRANRODEOの抱き枕!

140_2飯塚さんはサブ・ステージに上がり…

150_2正式にご挨拶。

180vそして、カンパイ~。

190v_2 KISHOWさんやFLOWの皆さんと乾杯の記念撮影。

200_2

205こんなビデオも放映された。
GRANRODEOの二人が十日町の飯塚さんのご実家を訪れる。
さすが日本有数の豪雪地帯。スゴイ雪だ!何もこんな時に行かなくても…。
へぎそばだよね、十日町といえば。
私は信州に住んでいた時、その手前の津南には紅葉を見に何度か行ったな~。

210_2次のパーフォーマンスをジックリと見守る飯塚さん。

220v登場したのは…
プロデューサーの伊藤さん。

240vminamiさんは二回目のMarshall Blog。
前回の記事はコチラ

250vベースに滝田イサムさん。

260vチョット前にLAZYでMarshall Blogにご登場頂いた岩田ガンタ康彦さんがドラムス。
S41a0112

ギターはFo'xTailsの鳴風さん。

Img_0135 曲はアニメ『君が望む永遠』から「Rumbling hearts」。
minamiさんが作詞で作編曲は飯塚さんだ。

230

バースデイ・パーティとくれば「ケーキ」だよね~。
スペシャルなヤツが用意されていた!

280飯塚さんんシグネチャー・モデル、RODEOholic仕様!
弦がチャンと六本になってる。
ホンモノはスワンプ・アッシュ・トップにマホガニー・バックだけど、コチラはクリーム・トップにスポンジ・バック…ってとこかな?
飯塚さんの名前が「晶明」になっちゃってるけど、「日」が一個多い分だけ明るいってことよ!

290ローソクも無事にひと吹きで消えました。

300歓談タイムも飯塚さんはご来場のお客さんへのご挨拶や記念撮影で大忙し。

310人気声優の森川智之さんも駆けつけてくれた。

320下はGRANRODEOのコンサートでホーン・セクションを担当しているファイヤー・ホーンズの皆さんと。
ところで、音楽関係のお客様では私も存じ上げている方がたくさんいらしていて私もブライミー!
「ナニやってんですか?」なんて訊かれちゃったけど、仕事です。
「アレ?ウッシーじゃないの?!」とひときわ大きな声をかけてくれたのはSATOKOちゃん!
ウワ~、ひっさしぶりだな!
FUZZY CONTROL時代は毎月のように顔を合わせていたんだけどね~。

330そして、クライマックス。
飯塚さんが深々と頭を下げているのは…
360

恩師、つのだ☆ひろさん。
お出になられただけでスゲエ迫力!

350v「マチャアキ、誕生日おめでとう!」と歌い出したのは…

340

もちろん「メリー・ジェーン」。

370vバンド・メンバーは滝田さん、

380v岩田ガンタ康彦さん
270v

鳴風さん…と先ほどと同じメンバー。
鳴風さんはギター・ソロでが華麗なテクニックを披露。

390イヤ~、しかしスゴイ。
もう、つのださんが歌い出した瞬間、すなわち「♪メリジェ~ン」の歌いだしの「」のところでもう空気がガラリと変わってしまう。

 S41a0298

恩師の熱唱を起立したままで聴き入る飯塚さん。
そりゃ、座ってふんぞり返ってなんて聴けるワケがないですよね~。

405ジャズ・ドラマー時代のつのださんのことをかつてほんの少しだけコチラに書いたことがあった。
  
もう何しろこの「生メリー・ジェーン」は大感動。
本当に「音楽の塊」のような人だと思った。

400
「あのナァ~、オレはこの曲のギター・ソロだけは原曲通りに弾いたんだよ!ダメだよ、勝手に弾いちゃ!」
…と鳴風さんへのツッコミで笑いを誘っておいて、Marshallをバックに飯塚さんの最後のご挨拶。

420それをジックリ聴き入るKISHOWさん(?)。

430v飯塚さんが普段から思っていることや感謝の言葉が、ご自身の口から丁寧に綴られていった。

440vそして、最後はご参加いただいたお客さんと記念撮影。
450
笑いと音楽に満ちたミュージシャンのそれらしいブライミーなお誕生会だった。
楽しかった~!
飯塚さん、お誕生日おめでとうございました!
明日もGRANRODEO!  

GRANRODEOの詳しい情報はコチラ⇒GRANRODEO Official Website

Img_0180 (2017年2月22日 東京キネマ倶楽部にて撮影)

2017年4月24日 (月)

Marshall EYEWEAR~SLiT 2017より

「カツ丼」と聞いたら、卵のヤツとソースカツ丼のどちらを思い浮かべる?
あるいは、どちらが好き?
私は卵の方。
ソースカツ丼なんてモノがあるなんて「ヨーロッパ軒」に行くまで知らなかった。
もう30年以上前の話になってしまうが、当時勤めていた会社で、北陸三県と飛騨の高山をテリトリーとしていた富山の事業所にいた時、石川県と福井県の担当をしていた。
担当が決まるやいなや、「福井といえばヨーロッパ軒だがやっちゃ!」と地元出身の先輩従業員に教わった。
「よーろっぱけん?」と聞きなれない名前の正体をその先輩に尋ねると、それは福井と敦賀にあるレストランだという。
そして「ジクセリ、パリ丼…名物が色々あるが。でもワシはソースカツ丼が一番好きだがやっちゃ!」とその先輩は続けた。
この時点で初めて「ソースカツ丼」というモノを知った。
ちなみに「ジクセリ」というのはピカタのような料理だが由来はわからず。
で、「パリ丼」というのはソースカツ丼のソースのカツの代わりにメンチカツが乗っかっているというもの。
「パリ丼」なんていい名前だ。
この記事を書くに当たってヨーロッパ軒のウェブサイトを拝見したが、「シュニッツェル」なんてやっていて驚いた。
「シュニッツェル」というのはドイツの代表的な料理のひとつで、トンカツに限りなく近い…というより、ま、トンカツ。
フランクフルトに行っていた時は滞在中にたいてい一回以上は口にする日本人好みの料理。
このヨーロッパ軒、ネーミングというか、プレゼンテーションに長けているな~。
で、先輩のおススメにしたがってヨーロッパ軒ではもちろんソースカツ丼を何度か頂いた。
名前通り、見た目通りの味で一発で好きになった。
それから何年かして今度は長野に赴任することになり、そこでは松本を中心とした「中信地区」と飯田や伊那。諏訪を中心とした「南信地区」、さらに山梨の北部を担当することになった。
その伊那の駒ケ根で発見したのが「元祖ソースカツ丼の町」の触れ込み。
驚きもしない、ひよこになったこともないけど、ヒナ鳥が最初に見たものを親と思い込むような気持で「え?ソースカツ丼ってヨーロッパ軒が元祖じゃないの~?」と訝しんだものだった。
話としてはコレだけなんだけど、コレじゃここまで読んでくださった方々に申し訳ないので、おもしろい話をひとつ。
「Left Alone」という曲ご存知だろうか?
ビリー・ホリディが作詞をし、レディ・デイの伴奏を務めていた黒人ピアニスト、マル・ウォルドロンが作曲したジャズのスタンダード。
昔、サキソフォニストが主人公の日本の映画に使われてあの頃はそこら中で流れていたので耳にしている人も多いハズだ。
このマル・ウォルドロン(2002年没)、チャールズ・ミンガスやエリック・ドルフィーといったジャズの巨人との共演も多いことから日本にも何度も来ていた。
そうして来日しているウチにカツ丼のおいしさを発見し、ツアーの先々でおいしいカツ丼を探し歩き、しまいにはカツ丼の大家になってしまったということなのだ。
え、どっちのカツ丼かって?
もちろん卵の方だよ。
マル・ウォルドロンがソースカツ丼をどう思っているのかは残念ながら情報がない。
さて、こうして30年チョット前にソースカツ丼を福井で知ったワケだが、その時にもうひとつ福井に関して知ったことと言えば「メガネ」。
北陸道を西進して福井市を少し超えた右側に見える建物を見て驚いた。
建物がメガネをかけている!と興味深そうにその建物を見ている私に同行した先輩社員が教えてくれた。
「アレはな…『めがね会館』や。ココは『鯖江』いうてな…」
そもそも「鯖江」なんていう地名も知らなかった。聞けば日本のメガネのフレームはほとんど鯖江で作られているという。
私はメガネには無縁だったので考えたこともなかったので結構驚いた。
今、調べてみると、日本のメガネ・フレームの96%が鯖江製だそうだ。
鯖江のメガネ・フレームづくりは1905年に農家の副業としてスタートしたらしい・
今ではマリンバなどの打楽器の製造も鯖江の主な産業のひとつになっているとのこと。
Ruyh UnderwoodとかEd Manが見学に来ればいいのにね。
「めがね会館」は現在「めがねミュージアム」という名称になっているようだ。
…ということで、今日の話題はメガネ。
Marshall EYEWEAR、久しぶりの登場!

Marshalleyewearblack2501

Marshall EYEWEARの輸入販売代理店のエムズプラスさんから情報を頂戴し、先日『2017年ワールドオプチカルフェア』というイベントにお邪魔してきた。
早い話が「メガネ展」。
まぁね、先日レポートした「ポタフェス」を経験した私だからしてチョットやそっとの「~展」ではビビらんぜよ。
「メガネの展示会」なんて、あってトーゼン。至極まっとうだ。
老眼が進む一方の私にもってこいじゃないか…と足取りも軽く高田馬場の会場に向かった。

10ドワッ!
会場に入ってやっぱり驚いた。

20スゲエな、「たかがメガネ」などとは決して言わないが、まぁスゴイ迫力!

30ん~、さすが「紺屋の白袴」か「医者の不養生」か、はたまた「易者の身の上知らず」に注意をはらっているのか、係の方々が全員と言っていいほどメガネをかけている!
「な~んだオマエ。メガネかけてねーじゃねーか。帰んな、帰んな、ココはオマエさんのくるところじゃねェ!」なんて言われてしまって…。
もちろんコレは冗談だけど、メガネをかけていないとチョット恥ずかしいぐらい。
ク~、愛用のJAMESかけて来ればヨカッタ!

40お手入れセットやケースといった周辺グッズの展示ももちろんにぎやか!
この緋毛氈というか、赤い造作は目立つね~。赤が「パール」さんのブランド・カラーなんだろうか…コレはいい作戦だ。
80
メガネに関する書籍も。
70
この辺りはメガネの工作機械の展示。
楽器フェアでいえばギター・ボディの削りだし機を展示している感じか?

50レンズを削り出すときは「etch」という言葉を使うんだね~。
そうそう、以前から「optical」という言葉がどうしてメガネに関連しているのか不思議に思っていたんだけど、コレを機に調べてみると、「目の、視力の」という意味の「optic」」という形容詞があって、語源はギリシャ語の「optikos」。
「see=見る」という意味なんだって。
コレを同じ形容詞で「optical」にすると「視力を助ける」とか「光学の」という意味になる…ようだ。
よく楽観的な人を指して「オプティミスト」なんていうでしょ?
コチラはラテン語の「optimum」から来ていて意味は「最高の」。
反対は「pessimus」で「最低の」という意味。
やっぱ楽観的にいこう!

60さて、会場の奥のスペースを陣取って併催されていたのが『SLiT 2017』。
「SLiT」は「Salon de Lunetterie International Tokyo」の頭文字を並べたもの。
「Lunetterie」というのはフランス語で「メガネ産業」という意味…だと思う。
90SLiTは、毎年イタリアのミラノで開催されるMIDOというイベントで発表されるヨーロッパ・ブランドのニュー・コレクションをいち早く一度に目にすることができる展示会だ。

100今年で10回目を迎えたそうだ。

110当然、Marshall EYEWEARはSLiTでの展示。

130となりで売っているポップコーンの香りが印象的だ。

140SLiTの主旨通り、Marshall EYEWEARも新しいアイテムを存分に展示していた。

150カッコいいのやら斬新なイメージのやらが色々出て来てるよ。

170私はオプティカルはJAMES、サングラスはJOHNNYを愛用しているんだけど、こんなの見るとまた欲しくなっちゃうね!

180え、オマエさっき「メガネをかけない」って言ってたじゃないか?って?

190vイエイエ、もう本を読むときや観劇する時はもう中近両用がないとどうにもならんのです。
Marshall EYEWEARはかけ心地も最高なのだ。

200外箱(右)のデザインも一新されてよりゴージャスになった。

210残念ながら細かい資料がこの記事に間に合わなかったので、今回は個々のモデルの紹介はパスさせて頂くが、また別の機会に取り上げることができるよう楽しみにしている。

220Marshall EYEWEARの詳しい情報はコチラ⇒Offciial Web Site

120

※SLiT 2017は4月11日と12日の開催です。

(2017年4月12日 ベルサール高田馬場にて撮影)

2017年4月20日 (木)

Marshall HEADPHONES~音のあるくらし

新宿通りの四谷四丁目から新宿四丁目へ抜ける、あの新宿御苑の下を通ってるトンネル…昼間はいっつも混んでるんだよな~。
チンタラチンタラ動いてトンネルを出て、陸橋に上がると新宿駅の南口。
「バスタ新宿」とかいう大きなバス・ターミナルができてすっかり雰囲気が変わっちゃった。
アレもずいぶん長いこと工事してたもんね。
しかし、「バスタ」なんて名前、英語圏の人が聞いたらビックリする人もいるんじゃないのかしらん?

10 ま、ナニはともあれ、あのバス・ターミナルができたおかげで、新宿駅と髙島屋さん(以下敬称略)がくっついて利用客にはとても便利になった。
天保年間、飯田新七という人が京都で古着・木綿商を開店。その義理のお父さんが高島(現滋賀県高島市)の出身であったことからそれに「髙島屋」と名付けたんだって。
コレが髙島屋のことの起こり。
大正時代に髙島屋呉服店を大阪で興し、昭和7年には今の難波のあの店舗ができて、翌年には日本橋に進出している。
日本橋には大伝馬町や小網町など、木綿問屋や呉服問屋が多かったんだよね。松阪から出てきた三越も同じ。
植草甚一の実家は日本橋小網町で、実際に木綿問屋を営んでいたそうだ。
余談になるが、明治41年生まれの植草さんは、関東大震災が起こった時は学生で、ちょうど通学で市電(路面電車)に乗っていたそうだ。
そして、地震が起こった時、突然電車が回転したらしい。ナニが起こったのかサッパリわからなかったという。コワいな~。
関東大震災は1923年、大正12年のこと。Jim Marshallが生まれた年だ。
へ~、横浜の髙島屋は相鉄との合弁なのか…知らなかった。道理でホームがデパートの中にガッツリ入り込んでるワケだ。
さて、そのバスタを通って(コレがホントの「バスタ道」。あ、わかる人だけ呆れてください)駅から来るとこんな感じで髙島屋に通じている。

20この下の階はMarshall BlogでもおなじみのMusic Jacket Galleryの会場になるところだ。
下の写真ね。
今はやってないよ。

30そして、髙島屋に入る。

40おお~!いきなりMarshallのスクリプト・ロゴ!

50コレはね、結構興奮するよ。
ホントに入って真正面のロケーションだからね。

60入り口に左手にはローズちゃんがお出迎え。
ローズちゃん、私より年上だでね。
そして、この新宿店は今年で開店から21年目に入っている。
このあたりの詳しいことは上にリンクしておいた「Music Jacket Gallery 2016」に書いておいたので未読の方はゼヒご覧頂きたい。

65さて、なんだってMarshallのロゴがこんなところで威張っているのかというと、今髙島屋新宿店では「Sit Back and Relax」をテーマに『モノとオト』というフェアを開催していて、Marshall HEADPHONESでポップ・アップ・ストアを設置させて頂いているのだ。
「sit back」というのは「Sgt. Peppers」にも出てくるけど、英語らしい面白い表現だ。実際によく使われる表現。

70前回よそのデパートでのポップ・アップ・ストアをMarshall Blogで紹介したところ、驚くほどの反響を得て、多くの方に足を運んで頂いた。
そこで、今回もこうしてご紹介させて頂いたというワケ。
そうだね~、味をしめちゃったんだね~。

30r4a2327 で、今回の展示はこんな感じ。

30r4a2339しかしね~、ヘッドホンからケーブルがなくなるなんてね~。
大人気のBluetoothヘッドホン。

75Bluetoothスピーカーがスゴイ人気なんだって。

90以前紹介した通り、私はWOBURNとSTOCKWELLを使っているんだけど、Bluetoothの使い方の妙を知ってしまうと、なるほどコレはやめられんわ。

100もちろん従来型のヘッドホンの人気も衰え知らずだ。

110お、コレはウチと同じ組み合わせ…WOBURN(白い方)とSTOCKWELL。
私はやっていないが、デジタル・レコード・プレイヤーと併用している人も多いと聴いた。

120Marshall EYEWEARも展示されている。
EYEWEARも新しいモデルが出てきたので、近いうちにMarshall Blogで紹介したいと思っている。

140展示は25日(火)が最終日。
夜は8時閉店。金曜日と土曜日は8時半まで開いている。

150ローズちゃんがお待ちしています!

160vMarshall HEADPHONESの詳しい情報はコチラ⇒NAVYS INC Official Website

170s(髙島屋新宿店にて撮影)

2017年4月18日 (火)

暗号は「C-R-Y-I-N-G」~Masha Plays CODE

Marshallのフル・スタック生誕50周年を記念してリイシューした2555X Silver Jubileeが世界中で大ヒットした傍ら、ほぼ時を同じくして発表されたMarshall初のフル・デジタル・アンプ・シリーズ、CODEがこれまた大ヒット!
うれしいね~。
「トラディショナルくん」と「カッティング・エッジくん」のその両者の年齢の差たるや約30歳。
車だったらこんなこと絶対にあり得ない。
自動運転装置搭載の最新鋭の車と1987年に新しく発売された…と、自動車に例えようとしたけど、そっちの方面はサッパリわからん。
ただ、30年前というと、アサヒのスーパードライが発売された年なんだね。
そのころ私は大阪にいて、同じビルにアサヒビールの支社だか支店が入っていて、毎日遅くまでメチャクチャ忙しそうにしていた。
人づてに聞いた話では、スーパードライの超大ヒットで息をつくヒマもないとのことだった。
アレは今でも姿を変えずに店頭に並んでいるもんね。スゴイことだ。
Marshallで言えば1959ってとこか?…ヘッヘッヘッ、1959は発売からもう52年経ってるけどね。
それは、ロックという音楽の進化を実現させた自分だけのオリジナル・サウンドを持ったMarshallだからこそあり得た話なのだと思う。
そして、JubileeやCODEへの好反応は、Marshallというホンモノを選んだギタリストの皆さんのご慧眼の賜物だと感謝している。

10さて、そのCODE、現在までに25Wと50Wの2種類が発売されていることは皆さんもご存じの通り。
100Wモデルの登場が待ち遠しいところだ。

20そして、ところ変わって…あるDVDの撮影現場。
CODE50がビデオカメラの標的になっている。

30CODE50の上に置いた携帯電話を操作するギタリスト…

40vSilexのMasha!

50Silexは4月1日にセカンド・シングル『Everlasting Symphony』が好評だ。
群雄割拠が続く若手メタル界にあって目立って勢いがあるのがSilex。
他のメタル・バンドとは一味違ったSilexサウンドをクリエイトしているのがこのMashaくんだ。

55cdMardelas、TEARS OF TRAGEDYと組んだ『2017 春の魔界都市めぐりツアー』の大阪&名古屋公演を前にMashaくんがヤング・ギター誌の付録DVDの収録に出演してくれたのだ。
このツアーの柏公演の模様は近々Marshall Blogでレポートするのでお楽しみにね!

Syg
まずはサウンドのチェックから。

60v

この企画は偉大なMarshallギタリストたちのサウンドをCODE一台で再現してみようという壮大かつ無謀なもの。
言い換えるとMarshallサウンド・クロニクルということにもなってくる。

80もちろん予め念入りに音作りをして来てくれてはいるが、撮影の前に最終なサウンド・チェック!

70v
GATEWAYを起動して微調整を加えていく。
Mashaくん、サスガもう手慣れたものだ。
かつては1987と1960BがMashaくんのステージでのトレードマークであったが、最近はJCM800 2203を使用している。
Jubilee効果かどうかは知らんけど、近頃若手ギタリストの間で2203が広がっているんだよね~。
いいの、いいの、1987でも2203でもJVMでも、Marshallでありさえすればいいの。それだけでホンモノを使っている…ということなのだから。

90まだイジってる…あ、コレは誰かにメールしてるのか。

100いよいよ撮影スタート!
さぁCODEでも思いっきりクライングして頂きましょう。

110かなり振り幅の広いギタリストたちのサウンドを狙うので、音作りも、演奏もかなり大変な作業だ。

120「シゲさん!やっぱりこうなりますね」…何のことかと思ったらMashaくんの足!
ノンちゃん足になってる!
Mashaくんがナニを言っているのかわからない人はコチラ

130vこりゃ時間がかかりそうだ!…というのは最初の印象だけ。
さすが若手トップギタリスト。
サクサクと作業は進んでいった。

140vここのところ、しばらくCODE50と首っ引きだったというMASHAくん。
なかなかにシンドイ作業で結構クライングだったようだ。
その甲斐あってか大変興味深いサウンド・メイキングになっていた。

150このもようはヤングギター誌6月号(5月10日発売)と7月号(6月10日発売)の付録DVDに収録される予定だ。
Mashaくんのサウンド・メイキングで歴代の偉大なギタリストのサウンドをゲットしてクライングしてもらいたい。
皆さん、お楽しみに!
  
Silexの詳しい情報はコチラ⇒Official facebook

ヤングギターの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

160ところで皆さんは「MY MARSHALL」への登録はお済みかしらん?
MY MARSHALLはイギリスのMarshallが展開しているCODEのコミュニティね。
せっかくCODEを買ったのであればMY MARSHALLに登録しなきゃソンソン!
世界中のMarshallフレンズが編み出したプリセットがアップされている他、CODEの情報が満載だ。

170いきなり英Marshallのウェブサイトにアクセスして、「え~、アレ英語なんだもん!」…と、英語を理由に敬遠している人もいるんじゃない?
その割には「lol」とか「OMG」とか「R.I.P.」とかをSNSで使ってる人…あ、コレは大きなお世話か。
「ダブル・ヘッドライナー」と言わず、「ツーマン」とか言っている人…コレは気をつけましょう。
ま、そうはいっても不慣れな場合は英語も実に面倒なモノ。
そんな時はコチラをご覧あれ!⇒CODEをフル活用するなら、MY MARSHALLへ登録!
日本語でMY MARSHALLの説明をしてくれている。
そんなこんなでCODEを使いこなして、Marshallの歴代の名器で楽しくギターを弾いちゃって!

180<オマケのクライング>
この日、次の撮影の仕事が入っていたため収録現場を途中で失礼したのだが、駐車場に着く寸前で駐車券がないことに気が付いた!
ヤバい!と思って、スタジオに急いで引き返したところ、見事駐車券を発見(Kさんありがとう!)。
イヤ~、危うくこっちがクライングになるとこだった。
…ってんでこういうバンド知ってる?
After Cryingというハンガリーのプログレッシブ・ロック・バンド。
このアルバムはKeith Emersonが大好きなピアニストが自分好みのバンドを作って好き勝手にやっちゃってる感じだが、プログレ・ファンには聴きごたえは十分でしょう。
ハンガリーはおもしろいよ。
バルトーク、コダーイ、リスト、リゲティ、コズマ(枯葉)、ガボール・ザボ、アッティラ・ゾラー等の個性はぞろいだからして。
残念ながら行ったことはないんだけど、聞いた風なことを言えば、ハンガリーは名前を表す時、日本と同じに姓・名という順番で言うんだって。
だから、よくベラ・バルトークとかゾルタン・コダーイとかモノの本に出てくるけど、これは西欧式の呼び名で、本国ではバルトーク・ベラだったり、コダーイ・ゾルタンになるのだそうだ。
ゾラー・アッティラなんて宗教っぽい名前だ。
アッティラ・ザ・フンっていうのもいるけど、この人はトリニダード・ドバゴのカリプソ・ミュージシャン。
このカリプソがまたおもしろいんだよ!
ま、この話はまた別の機会に…。
で、このAfter Crying、Zappaへのオマージュ曲を書いたりしているらしいが、King Crimsonへの傾倒ぶりがハンパではなくて、「精神異常者」を複数のサックスを加えて完コピで演奏したり、ホンモノのJohn Wettonを呼んで「Starless」を一緒に演奏したりと、その筋では世界的に有名なバンドなんだって。
試しにYouTubeで画像をチェックしてみたら…ギャハハ!笑った!!
ELPで有名になったアーロン・コープランドの「Fanfare for the Common Man」を本当にオーケストラを入れて演奏している!バッカだな~!
ウワ!途中でホルストになった。どうしてもやりたかったんだろうね~。
こういうタイプの「バカ」は大歓迎!こういうバンドは日本からは出てこないね。

AcSilexの詳しい情報はコチラ⇒Official facebook


CODEのロマンに関する長い長いお話に興味のある方はコチラ(私のお気に入りの記事なのです)⇒BREAK THE CODE!~その暗号を解け!<前編>

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2017年4月17日 (月)

【訃報】 アラン・ホールズワースのこと

まぁこんなこと…大きなお世話だし、年寄りがキラわれる理由のひとつでもあることはよくわかっているんだけど…。
SNS(イギリスではSNM=Social Network Mediaという)の発展に伴い、有名人の訃報が瞬時にして届けられるようになった。
ロックがまだ比較的マイナーなものであった時代、新聞の死亡覧でロック・ミュージシャンの不幸が伝えられることもなく、翌月のミュージック・ライフの雑記事の中でヒイキのミュージシャンの名前を発見して驚く…なんてことが何回かあった。
さすがにマーク・ボランとかジョン・ボーナムなどは新聞に出たが、マイナーなミュージシャンの急逝をリアルタイムに知ることはできなかった。
それで今、facebookなどでそうした不幸なニュースが伝播されるや否や、お悔やみの言葉やチョットした思い出を綴ったコメントがウワッと寄せられるようになったワケなんだけど、傍で見ていて「?」と思うことがよくある。
それを一段と強く感じたのはデヴィッド・ボウイが逝った時のこと。
ホントにこんなにたくさんの人が好きだったの~?…と、かなり驚いてしまった。
こんなにファンが多いんだったら、生前にもっと盛り上げてあげればよかったのに~、なんて思っちゃうワケ。
思い入れの強弱はともあれ、故人を偲ぶことは決して悪いことではないが、チョット滑稽に見えてしまう。
え?大きなお世話だって?
だから初めにそう言ったでしょ。
  
そんなワケでMarshall Blogでも(特に最近は頻繁に)訃報を掲載しているが、本当にノメリ込んだアーティストでない限り、大ゲサに文章書くことを控えるようにしている。恥ずかしいから。
Jim Hallの時も、Larry Coryellの時もそう。
でも、今朝接した訃報はちょっと重みが違う。
2017年4月16日、Allan Holdsworthが70歳で他界した。
コレを書いている時点では死因は伝えられていないようだ。
以前のMarshall Blogでも一度Holdsworthについて書いたことがあったが、私は昔かなり夢中になった時期があった。
後にも先にも、好きで好きで、自身の作品や客演作を追い求めてLPやCDを買い漁ったアーティストはFrank ZappaとHoldworth、Philip Catherineと渡辺香津美ぐらいのものだ。
Holdsworthの名前を知ったのは1977年ぐらいかな~。
中学校三年の時だったと思う。
ハード・ロックに飽きて、プログレッシブ・ロックに夢中になっていた頃、ある日、「今度、John WettonとBill Bruford、それにEddie Jobsonで『U.K.』というバンドを始める」という情報をキャッチした。
当時は「U.K.」が「United Kingdom」の略称だなんてことは知らなかったし、まさか将来そのU.K.から給料を送って頂くことになるだなんて想像したこともなかった。
でも、King Crimsonが大好きだったのでこのニュースにものすごく興奮したのを覚えている。
Eddie Jonsonについても、Roxy Musicがメチャクチャ好きだったのでCurved Airの『Air Cut』まで手を伸ばしてその名前も演奏を知っていた。
ところが、ギターが誰なのかがわからない。
今考えてみると、のちのU.K.がそうであったように、ギターレスでも何ら問題はないのだが、ロック・バンドにはギターがいて当たり前だと思っていたから…。
だから、一番最初、「ウェザー・リポートというバンドにギターがいない」…と聞いて結構驚いた記憶がある。
毎度おなじみのフレーズで恐縮だが、「インターネットなんてない時代」、どうやってU.K.というバンドのギタリストを調べたのかというと、レコード会社に電話して訊いたの。
まだノンビリしていた時代だよね。確か女性が応対してくれたと思うのだが、「こんど~、ジョン・ウェットンとかビル・ブラッフォードとかが始めるグループで~、『ユーケー』っていうのがあると思うんですけど~、ギタリストは誰ですか~?」と尋ねると、「アラン・ホールズワースですよ~」と教えてくれた。
知らない名前だったが、とにかくその名前をメモして頭に叩き込んだ。
コレが「Allan Holdsworth」との最初の出会いだった。まだ、音は聴いていない。
私の学校にはロック・ファンが少なく、若い子は歌謡曲を聴いているのがまだ当たり前の時代だった。
ま、自分で言うのもナンだが、多分私が学校で一番ロックに詳しかったのではないかと思う。
よって、誰かに尋ねることもできず、それからどうやったのかは覚えていないが、とにかく参加作を調べて聴き漁った。
そんな自分のHoldworth史とわがままディスク・ガイドを記して偉大なるギター・イノベーターへの追悼の気持ちを表したいと思う。
そもそも昔、すなわちMarshallしかなかった時代はMarshallユーザーだったしね。
  
1969年の『Igginbottom's Wrench』と1972年のIan Carrの『Belladonna』。
この2枚は手に入らなくてね~。
ゼンゼン最近になって初めて聴いた。
Igginbottomの方は、4ビートを交えたジャズ・ロックというかロック・ジャズというか、Steve Marcusの『Count's Rock Band』とかGary Burtonの『Dustar』あたりを連想させる雰囲気。
チラリチラリと出ては来るが、ほとんどロック・フレーズを排除したジャズ寄りのプレイは当時かなり珍しいものだったのではないだろうか?
ただ、何をやりたいのかサッパリわからない冗長な作りなのがツライ。
一方、右のIan Carr。
Ian Carrはイギリスの名門ジャズ・ロック・バンド、Nucleusを率いた名トランぺッター。よってかなりしまった作りなのだが、ホールズワースの出番が少ないのが残念。
ただ2曲ぐらいで与えられているソロ・スペースでは大爆発。
最近とは似ても似つかない粗削りなギタートーンであのフレーズを炸裂させている。

10コレはよく聴いた…Tempest。
恐らく上に記したレコード会社への電話でAllan Holdsworthの名前を知って最初に買ったLPが『Tempest』だったような気がする。
右はBBCの発掘音源で二代目ギタリスト、Peter 'Ollie' Halsallとのバトルがタップリ聴ける。
私の持っているのは海賊盤だが、このCDの存在は故小川銀次さんに教えて頂いた。
私は今ではOllieの方が好きなので、このCDを聴くとついOllieを応援したくなっちゃうんだけど、。Holdworthの方がチョイと上手なんだよな~。
この音源はのちにオフィシャルで発売されたハズだ。
ドラムがJon Hasemanだし、このバンドはいかにもイギリスのロックらしい、いいバンドだったよね。Paul Williamsがチト苦手だったんだけど。

20私が持っているLPは再発盤でジャケットがギミック仕様になっていなかった。
でもCDはホレ、この通り…ああ、やっぱりLPの方がいいな~。
呆れたことに高校一年の時にこのアルバムに収録されている「Foyers of Fun」をコピーして友達とチャレンジしたことがある。
私は何とかソロをコピーしようと近所の質屋で質流れのオープン・リール・デッキを買い込んできて、Allanの弾くメロディを半分の速さにして聴いてみたが、サッパリわからなかった。

30Allan Holdsworthというとヤッパリ一般的にはこのあたりなんでしょうな~。
なんかSoft Machineなんてどちらかというと「Allan Holdsworthがいたバンド」として名前が通っているんじゃないの?
皆さん、違いますからね~。
Allanが残したスタジオアルバムはこの1975年の『Bundles』だけですよ~。
確かにこのアルバムでのプレイはカッコいいけど、Soft Machineは他にもいいのがイッパイありますからね~。
前の会社で、「Marshall祭り2」の打ち合わせでスタジオに和田アキラをお迎えした時、どうしてもアキラさんのギターが触りたくなって、お願いしてイジらせて頂いた。
コチラはアキラさんがHoldsworthフリークなのを先刻承知だったので、私がこのアルバムの1曲目の「Hazrd Profile Part1」のリフを弾くとアキラさんは、「おお~、知ってるね~!」とニコやかに反応してくれた。
そして、私がギターをお返ししてアキラさんが最初に弾いたのはTempestの「Gorgon」だった!
右のCDはElton Dean、Hugh Hopper、John MarshallらのSoft Machineメンバーとの再演を記録した2003年の『abracadabra』というアルバム。
酸いも甘いも知り尽くした孤高のギタリストの古巣での演奏はなかなかに良いものですわ。
滅多に聴かないけど、聴き出すとつい聴いちゃう一枚。
Hugh Hopperも死んじゃったもんナァ。40それとコレでしょうな…Gong。
76年の『Gazeuse!』。コレ、昔「ガズーズ!」っていっていたけど今は「ゲイズユース!」って呼んでるようだ。
フランス語で「Sparkling!」という意味らしい。
そして、78年の『Expresso II』。
Daevid Allen期のGongはもちろんなんだけど、このあたりのGongも殺人的にカッコいいよね。
ラテン・ロック以外でこんな打楽器が3人も入ってるロック・バンドなんて前代未聞だもん。
それに呼応するような形のAllanのシャープなギター・プレイは素晴らしいのひとことに尽きる。
私的にはAllanの一番良い時期だったと思う。
この時期はGongじゃなくてPierre Moerlen's Gongっていうんだっけか。
そうそう、この「Moerlen」の発音こそわからん!
これまで「モエルラン」とか「ミューレン」とか日本語で表記されてきたけど、真相はいかに…?
で、ちょうどいいチャンスだと思い、年に一度だけ東京で会うフランス人の兄弟に訊いてみた。
「Moerlen」というのはフランス人にもなじみのない名前で、どこかある地方にしかない名前だとか言っていた。
発音は「モエルラン」に近く、「ミューレン」という発音はあり得ないと言っていた…コレで解決。

50「ほほう、ソロ・アルバムも出しているのか」…と飛びついたのが1976年の『Velvet Darkness』。
まだ子供だったからかナァ…コレにはガックリ来た。
今なら「ほほう、CTIか、Creed Taylorか」なんてことになるけど、初めて聴いた時はサッパリわからなかった。
ドラムがスゴイと思った記憶がある。
ん~、考えてみるとあの当時からこの約40年、一回も聴いていないかもしれない。CDも持っていない。
大学の時に「へ~、こんなのあるのか…たまにはHoldworthでも聴いてみるか…」と渋谷の公園通りにあったディスク・ユニオンで見つけて買ったのが1982年の『i.o.u.』。
その頃はもうあまりロックを聴かなくなっていていたが、VocalsにPaul Williamsのクレジットを見つけて懐かして買ったのかも知れない。

60_3 コレが自主制作でリリースされたということは買った後に知った。
「i.o.u.」の意味は大分後になって知った。
コレはどうなんだろう、オリジナル盤なのかしらん?

70世間では人気の高いLifetimeはあまり聴かなかったな。75~76年。
Jean Luc Pontyの『Enigmatic Ocean』も持っていたハズなんだけど、みつからなかった。
『Individual Choice』は出てきたけど、どんなんか全く記憶にない。

80そして、1978年、U.K.!
コレがスベった。
期待しすぎちゃったんだろうね。
パンク/ニューウェイブの嵐が吹きすさぶ中、満を持して切り込んだ「憂国の四士」だったけど、プロッグ・ロックの老いさらばえた醜態を露呈することになった…と私は思っている。
今だからこんな言い方をしているけど、ま、「Alaska」以外の曲はおもしろいと思わなかったのですわ。
「In the Dead of Night」にしたって、Allanのソロが恐ろしく不似合に聞こえる。
ファンの人ゴメンなさいね。
でも、来日公演は日本青年館に観に行ったから。
先日、若いギタリストが事務所へ来て、「シゲさん、U.K.の『Presto Vivace and Reprise』という曲を聴かせてください」ってんで聴かせてあげたところ、「カッコいい!」と大いに感動してくれたのはうれしかった。

90こんなのも当然聴いた。

100Marshall Blogにしょっちゅう書いている通り、80年代の初頭から時のロックを聴かなくなってしまったが、それでも比較的最近に買ったアルバムのうちのいくつかがコレ。
Chad Wackermanのソロ・アルバム。
Zappaファミリーということもあったが、「Holdworth、久しぶりの弾きまくり」みたいな惹句をどこかで読んだからであった。
確かにギターはバリバリ弾いているけど、曲がシンドイわ。

130

Tubby HayesのカルテットやPhil WoodsのEuropean Rhythm Machineに在籍したイギリスのジャズ・ピアニスト、Gordon Beckとは何枚かのアルバムを残しているが、コレは1979年のGordon Beckのカルテットへの参加作品。
コレがなかなかにいいんよ。
急速調の曲でGordon BeckとHoldsworthがバトルをやっているんだけど、ギターの方がゼンゼンすごくて、Holdworthの弾くフレーズをかのGordon Beckが必死になって追いかけているサマは痛快。
残念ながらギターの音がよくない。イヤ、ギター自身の音はいいんだけど、ギターのパートだけ録音が遠くてチョット不満が残る。
Gordon Beckとの作品は他にも『The Things You See』というのと『Coversation Piece』ってのがあったハズなんだけど、探し出せなかった。あるいは売っちゃったのかもしれない。
あればまた忘れたころ出てくるでしょう。

120
結局、『i.o.u.』からこっち、Van Halenがテコ入れしてから『Road Games』以降、順調にアルバムをリリースし、来日公演まで果たしたからね~。
すっかり「Allan Holdsworth」の名前が知れ渡っちゃって、ヘソ曲がりな私としては追いかけるのをやめた。
こうした才能豊かな芸術家が有名になることはよいことなのだが、根っからのファンとしてはどうもね~。
それでも下のアルバムを買った。
真ん中の『None Too Soon』は先週、Koki Tetragonの記事でJoe Hendersonのことを書く時に引っ張り出してきたばかり。
アレも虫の知らせだったのかもしれない。

140

Allan Holdworthの魅力はナンだったのだろう?
私は今の若い子たちがYngiweにシビれるように、あの速いフレーズに魅力を感じて喰いついた。私も若かったからね~。
でも、今こうして振り返ってみると、やっぱりあのギターの言葉と声だよね。
ウットリするような美声で誰も使わない言語を聴かせてくれた。
昔、本当のギター演奏のイノヴェーターはFrank ZappaとEdward Van HalenとAllan Holdsworthだと言っていた評論家かギタリストがいたが、まさにその通りだと思うし、面白いことにEddie Van Halenは影響を受けたギタリストとしてZappaとHoldsworthの名前を挙げているようだ。
ひとつ残念なのは、Holdworthは曲がシンドかったように思うな。
失礼ながら言わせてもらえば「名演あれど名曲なし」というヤツ。
その代わり、シチュエーションが合ってさえいれば例えようのない素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
そう、誰かをHoldsworthに例えることはたやすくても、Holdsworthを誰かに例えることは難しい。
なぜなら、奏法でなく、音楽で「ギター」という楽器の枠をブチ破ったからだと思う。
Allan Holdsworthの前にも後にもAllan Holdsworthはいないということだ。

さて、最後にもう一枚参加作を紹介させて頂く。
それはJohn Stevensというのはイギリスのジャズ・ドラマーの『Touching On』という1977年の作品。
この人は、Tubby Hayes&Ronnie Scottのところでオーソドックスなジャズをやっていたが60年代にフリーに転向した人。
コレも内容は無調の音楽だが、緩急取り交ぜたリズムに乗ってHoldworthが自由自在に即興演奏を繰り広げている。
B面はちょっとシンドイが、A面でのプレイはあまりにも素晴らしい。
音色、フレーズともに絶対に誰にもマネできないギターを聴かせてくれる。
色々なことにチャレンジしたHoldsworthだが、最もやりたかった音楽はこの手のモノだったのではないであろうか?
ジャズだけどジャズのフレーズでもない。また当然ロックのフレーズでもない。
そこにあるのはAllan Holdsworthという人の「音楽」なのだ。
  
本当の意味での唯一無二のギタリストの逝去を悼み心からご冥福をお祈り申し上げます。

110
※今日のバナーはAllan Holdworthが大好きだったというビールのハンドポンプを選びました。

(一部敬称略)

2017年4月 6日 (木)

FATHER OF LOUD DAY!~その2

4月5日はDr. Jim Marshall OBEの命日という記事をMarshall Blogに投稿したが、Marshallの友人からこんな写真をもらったので紹介しておこう。
下はいつかレポートしたMilton KeynesのMK Rose Campbell Park(キャンベル公園)というところにあるJimの記念碑。

10v昨日はJimの命日とあって、その記念碑の傍らにJCM800 2203のフル・スタックが設置された。

20vそして、Jimへの追悼の演奏が行われた。

30v彼はデモンストレーターのSteveだね。

40

ガッツリとフル装備で演っているところがおもしろい。
イギリス人って、ま、こう言っちゃナンだけど、案外変なところにビックリするほど全力投球するところがあるんだよね。
JVM210Hまで持ってきてる。
この向いはショッピング・センターなんだけど、コ~レ、音大丈夫だったのかしらん。

50vそんなイギリスやイギリス人が好き。
 
改めまして、Jim、安らかにお眠りください。

60v_2 (写真提供:Steve Hill   Thanks for your cooperation bro!!)

2017年3月21日 (火)

GENERATION AXE~A NIGHT OF GUITARS

私もMarshallのイベントを何回も企画してきたけど、いつも考えているのは、「観ているお客さんが飽きないようにギターのゲップを出して頂く」ということ。
去年の『Marshall GALA』も昔三回開催した『Marshall祭り』もその点ではうまく行ったと思っている…つもり。
出演者が多いコンサートってのは演者の知名度ももちろん大切だけど、映画と同じで、一番大切なのはやっぱり脚本なんだよね。
いかにすごいパフォーマーが出て来てもショウに何の工夫もなければやっぱり観ていておもしろくないもん。
さて、そこへ行くとこのコンサートはスゴイんじゃない?
少なくとも脚本の良し悪いを気にする必要がないほどの顔ぶれ!
私が説明するまでもないでしょう。
昔、こうした「オールスターもの」のコンサートが海の向こうで開催されるのを音楽雑誌なんかで見てずいぶん悔しがったものだ。
それが、今では日本で観れるんだもんネェ。
信じられんわ!
それにしてもギターって楽器はスゴイね。
ジャズではそう珍しくないことけど、同じ種類が集まって大コンサートが開ける楽器なんてロックにはそうないじゃん?
お見逃しなく!
  
<脱線>ちなみに「axe」というのは「斧」という意味だけど、コレは元はジャズ用語で「楽器」を意味する。
Charlie Parkerの伝記『バードは生きている(ロス・ラッセル著)』に「オレのアックス(=サキソフォン)を取ってくれ!」というシーンが出てくる。
また、26歳で早逝した天才トランぺッター、Clifford Brownに「Clifford's Axe」という曲がある。
カッコいいね。

1_generationaxejapan

2017年3月 8日 (水)

Marshall Records続報!

「Marshall Records」というレーベルが立ち上がって、最初のアーティストと契約して…なんてレポートしたのはつい先日のことだった。
その後、Marshall Recordsは続々とアーティストを獲得して気炎を吐いている。
今日なそんな話題。

Image001

ロンドンに事務所も構え、引っ越しも終えたそうだ。
場所はロンドン・キングス・クロスから少し北に行ったところにある「Tileyard Studio」というところ。

1_20

スタジオや事務所やチョットしたイベント・スペースが詰まった音楽関連の複合総合施設ってところかな?
朝晩、キングス・クロス駅との間を往復するシャトル・バスが出ているそうだ。
朝は8:30~10:00の間、ダニエルに連絡してくれればキングス・クロス駅まで迎えに来てくれる。夕方はカフェの前から17時以降15分毎に出発だ。
キングス・クロス駅のことはShige Blogの記事に書いておいた。

1_10そして、Marshall Recordsのウェブサイトも立ち上がった。
その内容を紹介しておこう。
まずはスタッフの紹介。
    

St_4ディレクター
Steve Tannett(スティーヴ・タネット)
この道40年の大ベテラン。I.R.S. Records時代に培った経験と隅から隅まで知り尽くしたショウ・ビジネスのノウハウをMarshallのレーベルに注ぎ込んでくれている。
スティーヴのMarshall Recordsに対するヴィジョンは、高度に洗練された音楽とトップ・クラスのパフォーマーを発掘し、音楽ファンに紹介するということ。
   

Rcディレクター/プロデューサー
Rob Cass(ロブ・キャス)
音楽制作のあらゆる場面で活躍した世界的プロデューサー。アビィ・ロード・スタジオでの勤務を経て現在はタイルヤード・スタジオで自分のスタジオを構えている。
業界で超売れっ子のロブはレコーディング、ミキシング、マスタリングのスキルだけでなく陰に陽に様々ノウハウをMarshall Recordsにシェアしてくれる。

 
Marshallから役員として参画するスタッフは…

Bm_2Barry Moon(バリー・ムーン)
バリーは過去20年にわたってMarshall製品の品質管理の業務に専念してきた。その能力がMarshall Records周辺におき得る事象を的確に処理するであろう。
「ムーンさん」なんて変わった苗字でしょう?どこかにそういう名前の有名人がいたでしょ?イトコだそうです。
元々そのことを知っていたんだけど、15年以上前にバリーに初めて会った時、もうそれが気になって気になって…似てるし…ガマンできなくて本当かどうか尋ねてしまったよ。
「そうだよ~」なんてゼンゼン普通に答えてくれた。似ていないのは身長。バリーは2m近い長身なのです。
   

Lg_2Luke Green(ルーク・グリーン)
地元での音楽関係の仕事を経てMarshallに合流。MarshallとEDENの業務に携わってきた。彼の音楽への情熱はプレイヤーやテック、制作者の関わりをスムースかつ有機的に深めてくれるであろう。
ルークに初めて会ったのは2007年のフランクフルトだった。ナゼ正確に覚えているかと言うと、展示会のミーティング・ルームにVintage ModernとJVMは「秘密の新商品」として置いてあったから。その頃からの付き合い。
最近はEDENの仕事で寛大なる協力をしてくれていた。
以前、伊藤広規さんと工場に行った時、広規さんが何色かのiPhoneのストラップをお土産のひとつとして持って来てくださった。「何色でもお好きなヤツをどうぞ」と言うと、ルークはお礼を言いながら、緑のヤツを手にして、彼自慢のバリトン・ヴォイスでこう言った、「Because I'm Green」…カッコいい~。
ちなみに彼の名前はルーク・スカイウォーカーから。ご両親が『スター・ウォーズ』の大ファンだったんだって!
  

Dc_2David Cole(デヴィッド・コール)
2004年よりMarshall社の経理部門の業務に携わり、6年前に役人に就任。彼も音楽への熱意を活かし、Marshall Recordsだけでなく音楽業界全体への発展に力を注いでくれるであろう。
デヴィッドはキーボーズ・プレイヤーだ。ジム・マーシャルの家で開かれたパーティで同じテーブルになり、音楽の話で仲良くなった。まだジムがゼンゼン元気な頃だったのでずいぶん昔の話。なぜかあの時ニコ・マクブレインがパーティの司会みたいなことをしていたっけな。
デヴィッドの息子さんのパートナーの名前がウチの家内と同じで、一昨年、イギリスで家内と一緒になった時、それでエラク盛り上がった。
  
そして、最新のMarshall Recordsと契約しているアーティストの情報をお伝えする。

  
THE DIRTY YOUTH
先日紹介したMarshall Records第1号アーティスト。
2009年結成の南ウェールズのチーム。
シンガーの声がいいね。
女性ボーカルズのバンドは日本にもたくさんいるけど、職業柄か、最近はメタル系が多く、それより緩いこんな感じのバンドがあまりないような気がするな…。
私が知らないだけなんだろうけど。

THE DIRTY YOUTHの詳しい情報はコチラ⇒Official Website(英語版、工事中)

  

Rews
ロンドンとベルファストを拠点に活動する女性2人組。「リューズ」なんて時計みたいだけど、「竜頭」なんて言葉は最近聞かないね。
「ハイ・エナジー・オルタナティヴ・ロック・ポップ・フィメール・デュオ」を標榜しているらしい。
昔、兄妹でギター/ボーカルズとドラムスのデュオってのがあったけど、その女の子がDSL50と1960TVを組み合わせてモノスゴイ音を出していてなかなかイケてた。名前は忘れちゃった。
このバンドも適度にポップで適度にエネルギッシュでいい感じゃん?

Rewsの詳しい情報はコチラ⇒Official Website(英語版)

KING CREATURE
ようやくMarshallっぽいのが出て来た。
セント・アイヴスとかイングランド南西部の先っちょのコーンウォールで2008年に結成されたバンド。
コレは文句ないでしょ。何せボーカルズがいい!チョットBlind Birdを思い出させるな。
何だ、何だ!途中の展開には驚くぞ!
ギター・ソロもトラディショナルでいいね。落ち着くわい。2人ともレス・ポールってのも近頃珍しい。
ベース・アンプがMBだね。このアンプ、すごくよくできてたんだぜ。買った人、ラッキー。
しっかし狭いところで撮影したな。

KING CREATUREの詳しい情報はコチラ⇒Official Website(英語版)

REIGNING DYAS
「reign」っていうのは「統治する」っていう意味。
ん…このバンドはいいぞ。
私がいつも言っている、トラディショナルと新しい感性がミックスしている感じを受ける…と思って他の曲を聴いてみると…お~、なかなかですよ。
チャンとギター・リフがあるもんね。
さっき出たコーンウォールの手前のデヴォン出身の3人組だそうだ。
やっぱりイギリスっていうのはこういうどこかクラシック・ロックの香りがするバンドが出てくるところがいいよナァ。
どんなにロックが変容しようとも、流行りに浮かれているだけではないシッカリした音楽の流れみたいなものを感じさせてくれるバンドがウジャウジャいる…んじゃないの?

REIGNING DYASの詳しい情報はコチラ⇒Official Website(英語版)

 

…と、現在Marshall Recordsと契約が完了している4つのバンドを紹介してみた。
ああ、私もMarshall Blogに出ているようないいバンドを、レーベルを通じて日本から送り出して世界をアッと言わせてみたいナァ。
ガンバラねば!

Marshall Recordsのオフィシャル・ウェブサイトはコチラ

2017年2月21日 (火)

【号外】 ラリー・コリエルのこと

Larry Coryellが逝った。
コレはちょっとショックだナァ。
果たして彼がMarshallを使っていた、あるいは使ったことがあるかどうかサッパリわからないし、かつてSuper400を愛用していたことを知っている以外、どんな機材を使っているのか気にしたこともなかった。
よって、Marshall BlogにLarryの話題を挙げるのはふさわしくないかもしれないが、ジャズ・ロックの全盛期を彩った偉大なギター・イノベーターに公私混同的に一文寄せることをお許し願いたい。
  

ところで、この人何ですか?…「フュージョンのゴッドファーザー」って呼ばれていたんですか?
そんなことゼンゼン知らなかった。
この通り、私は熱心なファンではないのだが、昔は「ラリー・コーイエル」と表記されていたのは覚えている。
特にファンでなくても、ジャズやフュージョンの道を通ると、彼が参加した作品を数多く保有してしまうのは自然のことではなかろうか?
コレは恐らく私だけに起こっている現象ではないだろう。
今、この記事を書くに当たって、LPとCDの棚をサラっとチェックしてもコレだけ出て来た。

1_img_34272 『Standing Ovation』やクラシックものは遠い昔に処分してしまったし、この他にもラリーが参加した作品がゴチョゴチョあるのだが、棚から出すのが面倒だったのでパスさせてもらった。
どんなアルバムかというと…
例えばGary Burtonとの『Dustar』や『Lofty Fake Anagram』、『A Genuine Tomg Funeral(葬送)』…

Gb Steve Marcusとの『Count's Rock Band』『Tomorrow Never Knows』、『The Lord's Prayer』…

Sm
Charles Mingusとの『Three or Four Shades of Blues』や『Me Myself an Eye』…

34 それと、私はPhilip Catherineが大好きだったので、最初の写真にあるように、共演盤を買い込んで来ては聴き入っていた。
こうして書いてみると、イヤ~、ものすごいキャリアだよね。
一応、ジャス史的にはジャズ・ロックの中心人物みたいな扱い、言い換えるとジャズにロックのエキスを注ぎ込んだ人として知られているけど、果たして本当のストレート・アヘッドなジャズができるんかいな?とジャズを聴き出したころ訝しんでいた。
だってなんかフルアコを使って強引にロックを演っている人…というイメージが強かったんだもん。
そこに現れたのが故Emily Remlerとのデュエット盤『Together(1985年)』だった。
この中でLarryはClifford Brownの「Joy Spring」を取り上げ、Emilyとバリバリのジャズを聴かせてくれた。
ウォーキング・ベースのバッキングがすごくカッコよくて「なんだよ、ジャズできるんじゃん!」と驚きつつ感動したことがあった。

Tg 一方、自信のアルバムは私の感覚では粗製乱造というイメージが強くて昔は避けて通っていた感があったな。
その中で名盤の誉高い『Spaces』はアタマひとつ抜けていた。
その2曲目に収録されているのがベルギーのジャズ・ギタリスト、Rene Thomas(ルネ・トーマ)の『Rene's Theme』。John McLaughlinとのギター・デュオだ。
緻密なMcLaughlinと大胆なCoryell、昔はMcLaughlinの方が好きだったが、色んな作品を聴いているウチにLarryの奔放なプレイの方に惹かれるようになった。
四角い部屋を丸く掃いて掃除するような感覚でなんか、乱暴なんだよね。
でも、その丸く掃いた部分の密度がものすごく濃いのだ。
それと髪の毛の量がスゴイ。
うらやましい。
  
考えてみると、一回もステージでチャンと弾くLarry を見たことがなかったな。
一度、NAMMショウで某ギター・メーカーのデモンストレーションをしているのを見たことがあった。
「Oleo」をサラっと弾いた後、「ハイハイ、CDはコッチで売っています。買ってチョーダイ!」みたいな感じでチョット幻滅してしまったのを覚えている。
  
しかしね~、もうこの世にいないとは…74歳だったそうだ。
最後にややヘソ曲がり的に、好きなLarryの演奏を3枚ほどピックアップしたいと思う。
   
まず、コレ。
コレは誰も挙げないでしょう。
Sonny Rollinsの1979年の『Don't Ask』。
大学の頃、上野にあった「イトウ」というジャズ喫茶で初めて聴いた。
たまたまB面をリクエストした人がいて、最後の「And Then My Love I Found You」という曲にヤラれた。
あの時A面がかかっていたらこのアルバムを買うことはなかったと思う。
Rollinsはギター好きと言われていて、全編にわたってかなりLarryのプレイがフィーチュアされている。
今でも時々引っ張り出しては聴いている。

Srフランスのジャズ・ヴァイオリニスト、Stephane Grappelli名義の『Young Django』。
コレはホントに好きだった~。
「Young Django」とは、Charles Mingusがこのアルバムに参加しているPhilip Catherineに向かって言った言葉。
Django Reinhardtの代表曲がベテラン+若手(当時)でフレッシュによみがえるといったところか?
やはりここでもLarryのプレイはダイナミック。
センシティヴなCatherineのギターとの対比がおもしろい。

Sg 最後にLarryのリーダー・アルバムを…。
やっぱコレか…『Spaces』。
今また聴いてるけど…いいナァ。

Lc さようならLarry Coryell…素晴らしい音楽をありがとう。

2017年2月14日 (火)

WeROCK最新号がうれしい! <追補版>

今日はヴァレンタイン・デイか~。
何か、世間は昔ほど騒がなくなった感じがしない?「義理チョコ」なんて言葉も一切聞かなくなった。
クリスマスは別格として、こういう上辺だけの海外憧れ行事で今最も盛んなのはハロウィンかね?
アレもそのうち飽きてしまって誰も騒がなくなるだろう。
何せ宗教的な礎が何もないところで、商魂丸出しでそうした文化の上辺だけをマネするもんだから飽きたらポイだ。
日本人らしくていいわ。
そういうことをやるのもいいけど、「花まつり」だとか「二十四節気」とか、日本古来の文化をキチっと伝承した上でやってもらいたいと思うよな~。
そうそう、「恵方巻」だって昔は東京の人は知らなかったんじゃないかね。
私は子供の頃に聞いた記憶がないんだよナァ。
ま、コレは日本の文化だからまだいいけど、「売らんかな精神」には一種の凄みすら感じるわ。
「財団法人 日本太巻寿司協会」の方々もウマいことやった。(そういう協会があるかそうかは未確認です)
  
とか何とかいっておきながら、へへへ、ヴァレンタイン・デイのプレゼントをもらっちった!
それは本日発売のWeROCK Vol.057。
ナゼなら、「オレ特集」なのだ!…というのはタチの悪い冗談で、大好きなMarshall Familyの皆さんが誌面に勢ぞろいしてるのだ!
しかも私が撮らせて頂いた写真でね、へへへ。
こういうのはいくらやってもうれしいもんです。
それと関係はないにキマっているが、もうすでにamazonや楽天等のウェブサイトの流通分はソールド・アウトになってしまったとか。
でも、心配ご無用!
まだ書店や楽器店への流通分は残っているということなので、見つけた方はゼヒお手に取って頂きたいと思う。
しからば、その内容をマーブロ的に紹介していこう。

10冒頭、いきなりJubileeの20Wシリーズが紹介される。

2525_mini_jubilee2 そして、LOUDNESS!
Marshall Blogで予てよりレポートしている通り、35周年イヤーを終えての高崎さんの総括的インタビューが掲載されている。

20写真は昨年末に六本木で開催された35周年イヤーを締めくくるコンサートで撮ったもの。
こちらのレポートも近々Marshall Blogに掲載する予定にしているので乞うご期待!
 
LOUDNESSの詳しい情報はコチラ⇒LOUDNESS Official Website

30DVDの付録がウリのWeROCK、この号にはDVDではなくCDが付いている。
タマにそうした回があるとのことで、CD付録号はその充実した内容で毎回大きな人気を呼んでいるのだそう。
コレがその付録CD。

40cd 内容に目を向けてみると…
まず、昨年末に自分たちのレーベル「FSB TURBO DREAMS」を発足し、新体制で再び活動を開始したFEEL SO BAD。
掲載されている写真はそのレーベル発足の記念イベントの時に撮影したもの。
そのイベントのレポートはコチラをご参照願いたい。

50収録されている曲は「DIRECT MAIL」。
先日のそのイベントでも演奏したFSBならではのゴキゲンなナンバー。
MarshallとNATALサウンド炸裂だ!
コレを聴いたらきっともっと聴きたくなるハズ。

60そんな人は3月17日、六本木の「新世界」に集合や!
あイカン、今、オガンちゃんと一緒にいるから関西弁がうつっちゃった。
3月15日にリリースされる川島だりあさんのソロ・アルバム『LIFE=NOW』と…

80cd同日に発売の冬樹さんのソロ、『Tyranosaurus』のレコ発記念ライブが開催されるのだ!

70cd FSB TURBO DREAMSの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site
FEEL SO BADの詳しい情報はコチラ⇒Official facebook

  
続いてはTSPことTribal Scream of Phoenix。

90メンバーが入れ替わっても相変わらずのパワーをまき散らしているTSPが送り込んだ曲は「Departure」。
Shuちゃん自慢のMarshallサウンドがタップリ詰め込まれているのだ!
インタビューと合わせてどうぞ。

100しばらくご無沙汰だったTSPだけど、もうすぐ久しぶりにMarshall Blogに登場してくれるのでお楽しみに!

110そして、ピッカピカのニュー・フェイス。
Heaven's TragedyもCDに参加した!

120誌面に採用されているアーティスト写真は私が撮影したものだが、楽しかったな、この時は。
若い人と仕事をすると若返る。
ジイさん臭いこと言っているが、ホントのことだから仕方がない。少なくともバアさんではない。
何しろリーダー/ギターのJienくんはまだ10代だからね!もちろんMarshall。
そんな若き炎が今回CDに収録されている。曲名は「Thears of the Sky」。

130Heaven's Tragedyのライブ・レポートも近日中にMarshall Blogに掲載される予定だ。

140「一流の音作り」というページがまたうれしい。
まず、このタイトルがいいよね。
「プロに聞く、憧れのサウンドに迫る方法」ということで、高崎さんとルークさん他にサウンド・メイキングのコツや信条をお伺いしている。
とにかく、お二人の話をよく聞いてもらいたいな~。
ルークさんのデジタル・アンプに関する見方なんかは全くの同感だし実感!
あ~、色々それについて書きたいんだけどガマン、ガマン…皆さんにはWeROCKをお読みいただくということで…。
やっぱりハイ・クォリティのビンテージ・マーシャルをコレクションしているぐらいの方なので、Marshallをよく理解してくださっている。まさにご慧眼!
高崎さんのお言葉にも思わず「そう!その通り!」と声をあげてしまった。
インタビューされているのは三人のギタリストだが、やはり世代によってMarshallへの認識がゼンゼン異なっているところがまた面白い。
やはり聴いてきた音楽が全く違うということなんだろうね。
ジャズの巨人、デューク・エリントンの名言で「音楽は二種類しかない。良い音楽と悪い音楽だ」ってのがあった。カッコいい~!
ま、私もコレを模して言わせて頂ければ、「ギタリストは二種類しかいない。Marshallを使っているギタリストかそうでないギタリストだ」…ナンチャッテ!
でも、マジでそんな気分なのです。

  
ルーク篁の詳しい情報はコチラ⇒⇒CANTA OFFICIAl WEBSITE

1_img_0108 まだ続く、我がMarshall一家の面々!
D_DriveのYukiちゃんも大フィーチュア。
WeROCKの人気企画「メタル女子」での登場だ。
写真は私の友人の野田さんが撮影したもの…さすが!
D_Driveの音源はCDには収録されていないッス。

150D_Driveもライブ・レポートがいくつか控えているでね~。
ちなみにSeijiさんはもう「ツーマン」という言葉を使っていない。
MCもウェブサイトも「ダブルヘッドライナー」だ!
ね~、Seijiさん?!
そして、今夏にはFEEL SO BAD、TSP、D_Driveが手を組んでの人気シリーズ、「美女と金髪と野獣」が昨年に引き続き開催される予定だ。
このトリプル・ヘッドライナーは見逃せない!
お願いだから「スリーマン」なんて言わないで!世界中の人に笑われる。
ね~、Seijiさん?!

D_Driveの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site

160それにEDENの広告もバッチリ載ってる。
広告を宣伝してりゃ世話ないけど、このTERRA NOVAはひとりでも多くのベーシストに知ってもらって、ゼヒお試し頂きたい。
ここ数年で小型のベース・アンプ・ヘッドがスッカリ定着した感があるが、このTERRA NOVAはそういったタイプのヘッドの番長を張れるクォリティを誇っているといえよう。
この値段にしてこの音質とパワー、まさにバツグンのコスト・パフォーマンス。

170このTERRA NOVA、Silexのhibikiくんにもご愛用頂いているんだけどマジでスゴイ音だった。
音にうるさいhibikiくんの相棒を務めているということを考えれば自ずとそのレベルが知れよう。
この写真でhibikiくんの後ろのアンプの上にチョコンと乗っている白い奴がTERRA NOVA。

175vそして、先日犬神サアカス團のジン兄さんにも試して頂いた。
「狗餓身稲荷」の赤い幟に隠れて見えないが…

176vぞの裏はコレ。
TERRA NOVA TN501。
リハの時に試すだけのつもりが、一発で気に入って本番を通して使っちゃった!
ヘヴィな犬神サアカス團の音楽にあって、ジン兄さんが奏でるベース・ラインは大変重要な役割を担っているが、ぶっつけで使って軽々とその重責を果たしたのには驚いた。

177vしかしね~、Marshallもずいぶんベース・アンプを手掛けて来たのよ。
1981年にJCM800と時を同じくしてリリースされた「THE 2000」というシリーズがあった。
ギター・アンプは200Wの2000 Lead。
そして、ベース・アンプは下の写真の2001 Bass。
このヘッドがあきれるほど重い。
触っただけでも魔女の一撃を喰らってしまうかのような超重量級。(ギックリ腰を英語で「witch's shot=魔女の一撃」 という風に聞くが、コレはドイツ語の「Hexenschuss」という言葉を英語に直訳した表現で、英語圏の人にはほとんど通じないらしい。「Hexen」は「魔女」という意味で、「Schuss」が「一撃」という意味。
英語では何というかとうと、そのまま症状を表して「a low back sharp pain」みたいに言うそうだ。英語にしてはつまらない表現だね。
ま、おかげさまで英語で言う機会にはまだ出会っていない。私は「slipped disc」持ちなので日頃より気を付けているおかげかもしれない。「slipped disc」は「椎間板ヘルニア」ね)。
とにかく、冗談抜きに50kgぐらいはあるのではないかと感じる。

1_img_0610 このヘッド、最大出力が375W。
6550が8本も入ってる!
Marshallもヤケクソだったんだろうな。
見て、この電源トランス!
トランスは鉄の塊りだからね、こんなデカイもん載せれば破天荒に重くなるにキマってら!

1_img_0622 それから36年経ったらこれだよ。
しかも出力はこっちのほうがデカイときてら。
人間の欲望ってのはスゴイもんです。
マジでおススメ。

  

Terra_nova_2

  

そして、表4、つまり裏表紙はCODE!
おかげさまで大ヒットでございます!
180

先ごろのNAMMショウのMarshallブースではCODEの100Wヘッド、CODE100Hとキャビネットがフィーチュアされていた。日本ではリリース時期は今のところ未定。
先行発売されているCODE25やCODE50を試したプロ・ギタリストの皆さんがそのクォリティに感心し、「ゼヒ100Wも試したい!」とおっしゃてくれているので発売が楽しみだ。
  
本国Marshallではさっそくウェブサイトにユーザーのプリセットやフォーラムを掲載してCODEワールドの充実を図っているので今後の展開にご期待頂きたい。
  
Marshall英語版ウェブサイト⇒MY MARSHALL>PRESETS
Marshall英語版ウェブサイト⇒MY MARSHALL>FORUM

1_code_0以上、WeROCK Vol.027本日発売!

  
(2001 Bass写真提供:マーシャル・ミュージアム・ジャパン)

2017年2月10日 (金)

カギはMarshallがにぎってる!

口を酸っぱくして言い続けているのは、「ツーマン」という言葉。
いくら和製英語でも恥ずかしいので「ダブル・ヘッドライナー」もしくは「ダブル・ヘッダー」という言葉を使いましょう…というヤツ。
日本人の得意技で「ダブへ」と省略してもいいだろう。
「ツーマン」よりはるかにカッコいい。なぜなら、「ネイティブ・スピーカーが実際に使っている言葉」というチャンとした出自があるからだ。
それで、おかげさまで最近、私の周りからは「ツーマン」という言葉がほぼ消えましたわ。
皆さんご協力ありがとうございます!
やっぱ「ペン」は「変」より強いな。
さて、今日はまず、その「ツーマン」という言葉をお借りする。
ただし「ツーマン」の「ツ」を「キ」に変える。
するとどうなるか…「キーマン」、すなわち「Key man」。
日頃この言葉を使っているかどうかは別にしても、意味はおわかりでしょう。
物事のカギを握っている重要な人物という意味を持つ表現だ。
「ツーマン」のように恥じたりすることは決してないが、私は言葉も和製英語かと思っていた。
よって、英文を書く時に同様の意味を表す言葉を使いたい時は、「Key person」という表現を適用していた。
もちろんこちらの方が自然な英語なのだが、「key man」という言葉もOKらしい。
したがって「ツーマン」はNGだけど、「キーマン」はOKということだ。
  
ちょっとカギにまつわるクイズをひとつ…。
「Aさんが誰にも知られたくないことを記した手紙を箱に入れてBさんに送りたいとします。そこでAさんは箱に錠をとりつけて、カギをかけてBさんに送り出すことにしました。
しかし、Bさんは合いカギを持っていないので箱を受け取っても開けることができません。さて、この先どうすればいいでしょうか?」
もちろんBさんがカギをぶっ壊して開ければよい…とか、別便で合カギをBさんに送ればよい…とかいうのはなしね。
      
答えは簡単。
「Bさんがその箱に二重にカギをかけてAさんに送り返せばよい。」
ハイ、もうみなさんおわかりですね。
釈迦に説法になるのでこのクイズのカギはココには記しません。
念のため巻末に記しておきます。

さて、今日の本題。
「カギを握る」を英語でどういうか…「hold the key」と日本語と同じ。
そして、ギター・サウンドのカギを握っているのは?…そう、Marshall!
本物のカギもMarshallに握らせてはいかが?というのが今日のマーブロ。
  
以前チョット紹介した「鍵掛け」のアクセサリーがイギリスから届いたので、もう一度レポートしちゃう。
商品名は『JACK RACK』。
Marshallのデザイン以外のものも色々と取り揃えている。
ま、Marshallがダントツでカ$コ&いけどね。
ケースにはチャンと「#LIVEFORMUSIC」とMarshallのペット・フレーズが入ってる。
もちろんMarshallで作っているワケでじはないんだけど、ずいぶん気の利いたメーカーさんだ。

05イギリスから送られてきたのはJCM800をモチーフにしたもの(商品名:JCM800 STANDARD)と…

10_21959をモチーフにしたその名もズバリ「1959SLP」。
双方、本物の部材が使われているワケではなくて、フロントパネルを印刷したものが貼られている。それで充分!

20本体の裏ブタの四隅を木ねじで壁に固定して、そこにパコッと本体をかぶせてビスで留める仕組み。

40中を見てみると本物の4pinのジャックが使われていた。
面白いのは、このケース、上下のコンパーチブルになっていて、コンボ・アンプの時は逆さに使用されるのだ。
頭いいな~。

50コレがプラグ形のキー・ホルダー。英語でKey Chain。
4つ入っている。
そうか、この黒いのはケーブルを模しているのか。
30
プラグの「M」の字がうれしいね。

60工場に行くとこんな飾りが施されているんだよ。

1_img_7901 全部ブッ刺したところ。
コレね、実際のジャックより抜き差しがスムースで「カチャリ」っていう手ごたえがチョット快感なの。70他にもECフレットやLCフレット仕様のJCM800がラインナップされている。
実際にはこんなJCM800は特注でもしない限り存在しない。
JCM800シリーズというのは、1959のようなセンター・ウインドウのデザインではなく、フロント・パネルが両端まで伸びたMarshall史上初のモデルなのね。
1981年に発表した時、Marshall信者の衝撃はそりゃ大きいモノだったらしい。
そうだよな、確かに私が大学生になるまで、そういうデザインのMarshallはなかった。
JCM800の後は900、2000、そして今のJVMまでフラッグシップ・シリーズは全部同じデザインだ。
そういう意味で1959とJCM800の2種類に限定した判断は適切だったように思う。

80「Hang your keys like a rockstar」…なんでやねん?
コレ何かのシャレなのかしらん?

詳しい情報は「Marshall」、「Jack Rack」というキーワードで検索してみてくだされ。

90さて、最初のクイズのカギはコレ…。
Bさんが自分のカギをかけてAさんに送り返す。この時点では箱に錠が2個ついている状態だ。
Aさんは箱を受け取り、自分のカギを開けて、錠をハズし、再度Bさんに箱を送り出す。
すると、今度はBさんがかけた錠が付いているので誰かに開けられる心配はない。
そして、箱を受け取ったBさんは自分のところにあるカギで錠をハズし、箱を開けて中の手紙をユックリ読むことができる。
そこに「金返せ!」と書いてあったらBさんの努力は水の泡となる。

 

よい週末をお過ごしください!

2017年2月 7日 (火)

Marshall Records 第1弾アーティスト!

Marshall Blogが『Marshallがレコード・レーベル始めました!』と題して、新事業に乗り出したことを報じたのは昨年の7月のこと。
そのレーベルの第1弾アーティストが決定した。

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2009年に結成された女性ボーカルを擁する南ウェールズ出身の5人組、The Dirty Youth(ザ・ダーティ・ユース)。
現在までに2枚のアルバムをリリースしている。
プロデューサーのスティーヴ・タネット曰く、「バンドのものすごいエネルギーが気に入った」とか。
バンド・マネージャーのロブ・ファーガソンによれば、「今までいくつものメジャー・レーベルと接触したが、昔とは違ってみんなリスクを恐れ、契約内容がとても窮屈なものだった。
ところがMarshallのアプローチはチョット違っていた。
Marshallは世界的なブランドゆえ、その活動範囲も世界的だ。バンドにとっては最高にエキサイティングな取引になったよ」
バンドはすでにAbbey Roadスタジオでレコーディングに取り掛かっており、今年の末までにはアルバムを出す予定だ。
Marshall Recordsのもう一人のプロデューサー、ロブ・キャスは言う…「私はここ6年にわたってAbbey Roadスタジオを拠点に活動しているのだが、プロデューサーとしての経験が役立っている。
Marshall Recordsを通じて高いクォリティのレコードを制作したいと思っている。時の流れに耐えるようなレコードを作っていた頃に戻りたいんだ」

Art 今年の後半から『Marshall Classics - Live From The Factory』と題して、Marshallの工場にある劇場(Theatre)で録音された数々のバンドのライブ音源をシリーリリースしていくという。

以上が記事の内容。
先週、このタネットさんと連絡を取り合うことになっていたが、彼の都合で延期。
なるほど、タネットさん、アビィ・ロード・スタジオにこもっていたのね?
で、早速このThe Dirty Youthというバンドの動画を見てみた。
ん~、ま、正直私のガラではないが、なかなかイケるナァ。
やっぱりプロの目は鋭いと言えそうかな?
ただ、驚いたことにその動画の中ではウチの楽器を使ってないんだよね~。
ま、アッという間にMarshall、NATAL、EDENに替わるでしょう。
  
ああ、私も早くこういう仕事がしたいな~。
日本でも「Marshall、NATAL、EDENを使っているこんなにかっこいいバンドがいるんだぞ!」と世界中を驚かせたいのだ!
人生これからよ!

   
The Dirty Youthのウェブサイトはコチラ
  
で、下はMarshall工場にあるその「Theatre」と呼ばれている設備。

Img_8313 中はこんな感じ。
この時は、それこそ今復活レポートを展開している『HIGH VOLTAGE』のリハーサルでZakkが使っていたのでこんなルックス。
私が知っているだけでもThin LizzyとかElectric Maryとか、イギリスの数々の若手のバンドが舞台に上がっている。

1_img_0039 Marshall Records、今後の展開をお楽しみに!

(本日2回更新したので金曜日はお休みします…多分。チョット他にも片付けなきゃならないことが山積なのよ!)

2017年2月 4日 (土)

【号外】 星牧人さんのこと

また訃報だ。
ジャズ・ピアニストの星牧人さんが2月1日、虚血性心不全のためこの世を去った。
まだ44歳の若さだった。
星さんのお名前はロック・ファンの方にはなじみが薄いことであろうが、Marshall Blogには杉本篤彦さんの記事で数回ご登場頂いていた。
星さんは国立音楽大学を卒業後、ピアニスト、キーボード・プレイヤーとして和田アキ子、平井堅、ダイヤモンドユカイ等のサポートを務めるかたわら作編曲家として活躍していた。
多数の杉本さんのアルバムに参加し、まさに「片腕ピアニスト」的存在だった。
  
私が初めて星さんにお会いしたのは、2015年の『真夏のJazz葉山』に二回目にお邪魔した時のことだ。

160

真夏のイベントゆえ、外はうだるような暑さ。
ところが、この会場の楽屋は携帯電話の電波が入らないため、用を足すにはいちいち熱暑の屋外へ出ねばならない。
この時、星さんとはその出入りでスレ違う程度で、最初のご挨拶の時以外はほとんどおしゃべりをする機会がなかった。
何しろスゴイ暑さだった。
ミュージシャンの皆さんもオフ・ステージではラフな格好をしていて、星さんも例外ではなかった。
確か白いジャージを来ていらっしゃったような気がする。
そして、杉本グループの出番になった。
ステージ上のメンバーを見てビックリした。
さっきまでのラフなジャージ姿はどこへやら、ビシッと黒いスーツに身を包み、中折れ帽をかぶった星さんがピアノの前に座っていたのだ。

140v

身幅は異なるにしろ、その姿は私の大好きなピアニスト、ウィントン・ケリーを思わせた。
終演後に「ウィントン・ケリーみたいでしたよ!」と伝えるとニコッとしてくれた。

9_wyntonkellybw もちろん颯爽としたプレイもウィントン・ケリーのようで、杉本グループの演奏の大きな見どころのひとつだった。
330v

その次にお会いしたのは杉本さんの公開レコーディングの時のことだ。

20 コレがその時の杉本さんのアルバム、『Tomorrow Land』。
星さんはこのアルバム以外に『Magic』、『Cheer!』、『Black & Blue』、『Blue Moment』といった杉本さんのアルバムに参加している。
星さんはまさに杉本さんの相棒の鍵盤奏者だったのだ。
10cd
実はこの時、はじめて星さんと言葉を交わし、すぐにfacebookで友達の申請をしてくれた。
私は、星さんとお近づきになりジャズ・ピアノの話をする機会を楽しみにしていた。
Marshallの仕事だと、ジャズ・ピアニストと接する機会なんか滅多にないからね。

140v_2
そして、昨年の夏。
また葉山の季節がやって来た。

150 この時、星さんはピアノだけではなく、「今日はコレも使うんですよ!」と赤い小さなキーボードを見せてくれた。
その姿がとても印象的だった。
この時もリーダーの杉本さんの音楽を完全に咀嚼したプレイで、ソロにコンピングにと素晴らしい演奏を聞かせてくれた。

330

この時、あいにく私は日比谷野音でもうひとつ仕事が入ってしまい、トップ・バッターの杉本さんのグループの演奏が終わった後、挨拶もソコソコに葉山を後にしなければならず、星さんとおしゃべりする時間など全くなかった。
つまり、星さんとジャズの話をする機会を永久に失ってしまったのだ。
そして、あのピアノがもう聴けないことがとても寂しい。
今年もごく普通に葉山でご一緒できると思っていたのに…。
  
才能あふれる若きピアニストのご逝去に際し、心より哀悼の意を表します。

240v2

<星さん関連の記事>
● 15th 真夏のJazz葉山 <前編>
● 杉本篤彦のニューアルバムはJVM!~公開レコーディングの現場から
● 16th 真夏のJazz葉山~杉本篤彦グループ

  

(一部敬称略)

 

2017年1月29日 (日)

【号外!】 四人囃子『錯』、桜咲く!サクサクとサクセス!!

岡井大二さんのロング・インタビューを交えて紹介した四人囃子の新譜『錯』が去る25日にリリースされ、大好評を頂戴しているそうです!

9_ 過去のバンドの古い音源で編まれたアルバムとして異例の売れ行きだとか。
Marshall Blogをご覧になってお買い求め頂きましたお客様には心から御礼申し上げます。
ご存知の方にはなつかしく、初めての方には新鮮にこの日本のロックの最高峰のサウンドをお楽しみ頂いていることと存じます。
これを機に…というほど甘いものではないことはわかっていますが、流行や話題以外のいい音楽が復権できることを願って止みません。
ありがとう四人囃子!

Img_01042 <岡井大二さんのインタビューはコチラ>
Vol.1
Vol.2
Vol.3
Vol.4

おかげさまで大二さんのインタビューは毎回ものすごい件数のアクセスを頂戴しました。
やはり、いい音楽を求めている人がたくさんいらっしゃることを確信した次第です。
末筆ながら、すでにご覧頂きました皆様にこの場をお借りして併せて厚く御礼申し上げます。

2017年1月 6日 (金)

こんにちは2017、今年もよろしくお願いします!

明けましておめでとうございます
   
Marshallファミリーの皆様におかれましては、良いお年をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。
本日より2017年のMarshall Blogをスタートします。
今年も毎日更新を励行する所存ですので相変わらずのご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。
内容にさしたる変化はないでしょう。まったくの「相変わらず」で…コレしかできないんです。
ムリして抱負めいたことを言うのであれば、開店休業中となっている英語版に手をつけていきたいと思ってることぐらいかな…おかげさまで海外の読者も増えてきているようですので。
「毎日の更新だけでもヘロヘロになっているのに英語版なんかできっこないだろ!」って?
私もそう思いますわ。
「それなら言うんじゃない!」って?
ダイジョブ、ダイジョブ…英語でマーブロを読むような人は今コレを読んでないから!
とにかく今年もワガママなコンテンツにどうでもいい脱線話をタップリとブチ込んで元気よくやるつもりです!  
さて、今日はウォーミング・アップということで脱線で固めることにするよ。
   
2017年は平成29年。
「2」と「9」をひっくり返すと昭和になる。
つまり、今年は「昭和92年」…私なんか昭和37年生まれだからね。ずいぶん遠いところまで来たよ。あと8年すると「昭和100年」!
そして、年末にチョット触れた干支。
今年の干支はなんじゃんろな?
2017年は、十干の4番目の「丁」、十二支の10番目の「酉」を組み合わせた『丁酉』。
コレで「ひのととり」と読む。

さて、この「丁酉」、陰陽五行説では「相克(そうこく)」の関係になる。
人間椅子に「相剋の家(「克」にりっとうがついていても意味・読みが同じ)」という曲があったけど、「相克」とは、対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うことで、決して穏やかな状態ではない。
反対の「相生(そうじょう)」はすべてがうまくいっちゃう。「相性がいい」の「相性」という言葉はコレからきている。
今年は残念ながら「相克」だ。
また、コレも年末の記事で触れたことだが、「酉」は革命の年で、世の中に大きな変化が現れると太古の昔から言われている。
政治の局面では思い当たる節が色々と「あるある」じゃない?
おお~っと、コレ以上は言わねぇぜ!麻風呂では政治の話はご法度でい!
とにかく何がしかの変化があるにしても、いい方に転んでもらいたいものだ。
  
…と、今年の雰囲気がわかったところで次の脱線。
ア、今日は最初に書いた通り全部脱線ですから。
この記事を書くに当たって、「2017年か…。二度とやってこないからな…干支の話題以外にナンカないかな…2017、2017」…と考えているウチにフト気が付いた。
「2017」は素数じゃないの?…と思ったら大当たり!306番目の素数。
最近で素数の年といえば2011年があった。
そして、この2017年が来て、次は2027年まで間が空く。
だから何だ?といわれれば、何でもありません。
この他にも三角数とか巡回数とか「2017」という数にまつわる興味深い数学的な話題があるんだけど、長くなるし、ヘタな説明でボロが出てもナンなので触れないでおくことにした。
    
最後に音楽的な話題で2017年のMarshall Blog1回目を締めくくることにしよう。
10年前にどんな音楽、あるいはロックがもてはやされていたかを調べてみた。
2007年、つい最近だ。
売り上げということで活躍していた国内のトップ3は倖田來未、浜崎あゆみ、Mr.Childrenだって。
洋楽ではArctic Monkeys、My Chemical Romance、Norah Jonesが活躍していたようだ。
映画では『ノーカントリー』という作品がアカデミー作品賞を獲っているようだけど、聞いたことないわ。
この年のオリコンの年間チャート第一はコレだったそうな。
王様のモノマネがおもしろかったな。

2007_2  

もう10年さかのぼって1997年。
同じ調子でいくと、御三家はGLAY、globe、Mr.Childrenとなる。
ミスチルってのはスゴイね。10年持ちこたえたんだ。今も人気あるもんね。こんな人気の続いているバンド形態の歌手は珍しいんじゃない?後はサザンがいるか。
洋楽では、Mariah Carey、Boys II Men、OASIS、Jon Bon Jovi、U2、Mr.Big、Jamiroquai、なんて名前が散見される。
アカデミー作品賞は『タイタニック』。
同じようにこの年のオリコンの年間チャートをチェックすると安室ちゃんがNo.1だった。
この長っ細いCDシングルのジャケットも懐かしいんじゃないの?
ちなみに世界で最初のCDシングルはFrank Zappaの「Peaches en Regalia」とされている。

1997   

さらに10年さかのぼって1987年。
私が今のMarshall Blogのアシスタントと結婚した年。今年で結婚30周年だよ!真珠婚式か…30年なんて本当にアッという間だった。
さて、この頃になるとだいぶ身近な名前が出てくる。
中森明菜、安全地帯、荻野目洋子だもん。
特筆すべきはオリコンの年間チャートの第1位は瀬川瑛子の「命くれない」、そして3位が吉幾三の「雪國」ということ。
演歌が盛んだった時代に戻るには30年もさかのぼらなければならない!
この頃はスーツ着てネクタイ絞めて普通のサラリーマンをやっていた。
まだまだ景気が良い時代で、一杯飲みに出ると必ず何軒かスナックを梯子をしてカラオケ。
コレが苦痛でしてネェ。
当時はまだ麻雀がサラリーマンの必須科目だった。私はまったくやらなかったけど。
「どうせコイツは麻雀よりギターの方がいいんだよ」なんて言われたこともあったけど、そんなの当たり前じゃねーか!
洋楽ではThe Bangles、Heart、Whitney Houston、Whitesnake、Bon Joviらの鼻息が荒かった。
私はまったく興味なかったな…やっぱり80年代はどこを切っても私には「暗黒時代」なのだ…それ以降もずっと「暗黒」だけど。
アカデミー作品賞は『ラスト・エンペラー』。
いいナァ~、ドーナツ盤。CDが普及しだしてまだ3年かそこらの時代。
あれほど「音がいい!」とCDを崇め奉っていたヤツら…まさか今のレコード・ブームに加担しているんじゃねーだろーな!許さんぞ!(私は昔から両刀使いです)

1987  

まだ行くよ!
1977年だ~!
さすがに40年もさかのぼると実にいい感じだ。
ピンクレディーに清水健太郎に百恵ちゃんだもん。日本レコード大賞はジュリーの「勝手にしやがれ」だからね。まだ「レコード大賞」にも意味があった時代だ。
洋楽では何といってもFleetwood Macの『Rumours』でしょうナァ。Eaglesの『Hotel California』、Stevie Wonderの『Songs in the Key of Life』がリリースされ、Bostonがデビューした。
Bostonはスゴかったナァ。秋葉原の石丸電気のレコード館2階の洋楽売り場があの円盤だらけになってた。あの頃は洋楽のPRに経費を突っ込んでも十分に元が取れたんだろうね。
『噂』ねぇ。コレはいくらヘソ曲がりな私でも「名盤」と言わざるを得ないだろうナァ。イヤ、大好きです。捨て曲なしの超名盤!私はChristine McVieの声がとても好きなのです。
もっともコレが出たときはハードロックに狂ってて全く聴かなかったけどね。
アカデミー作品賞は『アニー・ホール』だって。アタシャ、ウディ・アレンが苦手なもんでいまだに観たことないわ。
この年のNo.1は「渚のシンドバッド」。名曲だ。そもそもタイトルからして素晴らしい。
またこの頃みたいにキチンと音楽を勉強した職業作曲家が流行歌を作る時代に戻るといいと思っているのは今年も同じ。
ところでコレ、B面は「パパイヤ軍団」っていう曲だったの?どんな?

1977   
まだまだ行くぞ~、1967年。
私は幼稚園生だったけど、レコード大賞を獲得した「ブルー・シャトウ」が大流行していたのがわかったな。「♪森トンカツ、泉ニンニク、か~コンニャク、まれ天丼」のせいかな?誰だ。こんなの考えたの?今は流行歌がないので、こんな替え歌もでてこないね。
せいぜい「アッポーペン」をアレンジするぐらいか?
この時代は裕次郎だとか水原弘、伊東ゆかりの時代ね。
そして、日本のロックの礎の一部ともいえるGSの人気がすごかった。「失神ショー」なんてね。
そんな日本の音楽界を尻目に海外では何が起こっていたのかというと…ビートルズが『サージェント・ペパーズ』を発表。
大二さんのお話によると、コレですべてが変わってしまったという。
この時期のロックの創造力たるやモノスゴくて、1967年は『サージェント・ペパーズ』を筆頭に、後に名盤と呼ばれるアルバムが続々と登場している。
ツラっと挙げてみると…
Are You Experienced? / Jimi Hendrix
Axis:Bold as Love / Jimi Hendrix
Surerealistic Pillow / Jefferson Airplane
Disraeli Gears / Cream(このアルバムのタイトルの意味はかつてどこかに書いたね)
Vanilla Fudge / Vanilla Fudge
Mr. Fantasy / Traffic
The Velvet Underground / Velvet Underground & Nico
Groovin' / Rascals
The Satanic Majesties The Rolling Stones
私的には、We're Only in it for the Money / The Mothers of Inventionも入れてしまえ!
そして、この翌年の1968年には『Led Zepplin I』やJeff Beck Groupの『Truth』が出て一気にハードロックが力をつけてくる。
まさにこのあたりを境にロックが思いっきり自己表現の場を広げていったんだね~。
Marshallがそのムーブメントに大活躍したことはココに書くまでもないでしょう。
今から50年も前のお話。
このあたりのことは実際にこの時代を体験されている岡井大二さんにお話を伺った。
近々そのインタビューを掲載する予定にしているのでお楽しみに!
この年のアカデミー作品賞は『夜の大捜査線』か…ロッド・スタイガー、メッチャよかったよね~。ちなみにこの映画の音楽はQuincy Jonesだ。
コレ、原題が『In the Heat of the Night』といってね、全然関係ない邦題をつけるもんだから、アメリカ人と話をした時に通じなくてエライ苦労したんだぜ。
ちなみにこのブルー・コメッツの方々はジャズメンなんだよね、確か?

1967  

さて、これで最後。
60年さかのぼってみよう。私は生まれていないし、MarshallもJTM45を発表する5年も前の話だ。
ラーメンが40円だったって。
コレも昨年書いたけど、ラーメンってのは昔は生活が苦しい時の食べ物だったんだよ。
「月末でお金がないから今日もラーメンで我慢するか…」みたいな。だからこそいつもラーメンを食べている小池さんが奇異に映るワケ。
今、毎日ラーメンを食べている人なんて幸せ者扱いじゃん?
ラーメンはもはやグルメ・メニューだもんね。
そして、この50~60年で最も社会的地位が上がったモノは「ラーメン」かも知れないよ。
1957年…ロックに関して言えば、プレスリーが「監獄ロック」のヒットを飛ばした年だって。
ともなるとロックもまだジュラ紀みたいなものなので、書いてもおもしろくないので個人的趣味でジャズの世界を見ておこう。
こういう時はMiles Davisの動向をみるとわかりやすい。
57年はPrestigeで『Walkin'』、Columbiaで『'Round Midnight』と『Miles Ahead』をリリースしたMiles激動の年だ。モード・ジャズ前夜。
この後、有名なマラソン・セッションの四部作がチマチマとリリースされたワケね。
ColtraneはPrestigeから初めてのリーダー・アルバムを出して、Blue Noteからは『Blue Train』を発表した。
一方Sonny Rollinsを見てみると、Blue Noteから『vol.1』と『vol.2』に『Newks Time』…ということはBlue Noteの型番が1500番台から4000番台になった年ということか。さらにContemporaryから『Way Our West』を発表してギンギンだった時代だ。
ちょっと個人的な趣味でMingusに目をやると『The Clown』を出している。このアルバムに収録されている「Haitian Fighting Siong」なんてのはハードロックの祖先だよ。
ジャズもいい時代だったんだな~。
もっともこの頃がアメリカの一番いい時代だったんだろうね。華々しい白人社会の裏では黒人に対して壮絶な人種差別をやっていた。
アカデミー作品賞は『戦場にかける橋』が受賞した。
歌謡曲では島倉千代子の「逢いたいなァあの人に」という曲だそうです。「知らないなァこの曲は」。

1957 せっかく名前が出たところで(自分で出したんだけど…)、上記のジャズの名盤のカッコいいジャケットを掲載して今日は終わり。

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さて、2017年の音楽界はどうなる?

今年もMarshall、NATAL、EDEN、そしてMarshall Blogをお引き立てのほど何卒よろしくお願い申し上げます。
  

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2016年12月29日 (木)

さよなら2016、今年のMarshall Blogを振り返る!

今年もMarshall Blogをご支援頂きましてありがとうございました。
制作にご協力いただきましたミュージシャンや音楽業界関係者の皆様、そして、ご愛読頂きました皆様に心から御礼申し上げます。
今年の締めくくりに、いつも通りこの一年をチラリと振り返って2016年にお別れすることにします。
   
【更新】
例によって挫折しそうになったことも多々ありましたものの、今年も何とか限りなく毎日の更新を継続することが出来ました。
記事を更新しない土日は翌週の更新に備えて写真の整理に時間を割くことが多いのですが、その土日が忙殺されると月曜日の更新が何しろツラくて、ツラくて…とか言いつつ、今年は235本の記事を書き上げました。
【Music Jacket Gallery】と【イギリス-ロック名所めぐり】の更新が停滞してしまったことが悔やまれますが、どうにも時間がなかった!
大した内容ではありませんが、あれらの記事を一本仕立てるのには膨大が時間がかかってしまうのです。
英語版もしかり。facebookを通じてせっかく海外のお友達が増えたというのに!
さらに、どうしても作業が進まず、途中で筆が止まっている記事が何本かあるのです。何としてでもこの休み中に仕上げたいと思っています。
  
【Marshall GALA】
今年最大のトピックスは何といってもMarshall GALAを企画、実行したことでしょう。
よって、それに関する記事もたくさん掲載致しました。
あの開催から9か月を経た現在でも、ビックリするほど好意的な感想を頂戴し続けています。また、「次回開催を待ち望んでいる」とのうれしいお言葉を頂戴することも珍しくありません。
先日は街中で「Marshall GALAの人!」とお声をかけて頂きました。
大変な仕事でしたが、本当にやってヨカッタと思っています。
開催に当たってご協力を賜りました皆様には、この場をお借りしまして改めて御礼申し上げます。
もう『Marshall GALA 2』の開催は避けられません。
可能であれば再来年の春ごろには実現させたいと考えておりますので何卒よろしくお願い申し上げます。

9_shige1 ★Marshall GALAのレポートはコチラからいろいろ。
    
【更新1000回】
10月の下旬に1000回目の更新を迎えました。
イヤ~、コレはうれしかった!
そして、ご関係者の皆さんからたくさんのメッセージを頂戴できたことはもっとうれしかった!
記念記事内にも書きましたが、以前のMarshall Blogは1000回を目前に脱稿せざるを得なかったので、今回はまさに悲願達成!
また気分を新たに健筆を奮う決心をしたのであります!
ところで、その以前のMarshall Blogを合わせると、来月には通算2000回更新を達成することになるのね。
「新旧マーブロ合計2000本」なんて、「日米合計安打記録」のイチロー気分になっていたら、あっちは4000本以上なのね!負けた!
イヤ、「Marshallジジイ」の名のもと、Marshall Blog5000回更新目指すぞ!
待てよ…5000回っていうとアタシャいくつになるかな?
このまま毎日更新したとして…4年で1000回。あと3000回として12年。
なんだ、今のミック・ジャガーよりゼンゼン若いじゃん!
ガンバルるぞ!
  
★1000回達成関連の記事はコチラにゾロゾロ。
   
【墓碑銘】
今年の音楽界も本当に多くの才能を失った。
Marshall Blogでも無念ながら何度か訃報を掲載させて頂いたが、ロック界のプリンスやデヴィッド・ボウイだけでなく、各ジャンルの大物が相次いで物故を重ねてしまった。

故人を偲ぶつもりで名前を並べてみると…
<ポップス>
プリンス
デヴィッド・ボウイ
レナード・コーエン
グレン・フライ
キース・エマーソン
スコティ・ムーア
レオン・ラッセル
グレッグ・レイク
モーリス・ホワイト
パパ・ウェンバ
ジョージ・マイケル
リック・パーフィット
りりィ
黒沢健一

<ジャズ>
モーズ・アリソン
ガトー・バルビエリ
ポール・ブレイ(知らなかった!)
ボビー・ハッチャーソン
トゥーツ・シールマンス
ナナ・バスコンセロス
ルディ・ヴァン・ゲルダ―(録音技師)
宮間利之

<クラシック>
ピエール・ブーレーズ
富田勲
中村紘子
ジョージ・マーチン
(以上、敬称略)


まだまだ今年お亡くなりになった重要な方々がいらっしゃったはずだが、自分が存じ上げない故人は偲びようがないので割愛させて頂いた。
それにしもELPのうちの2人がなくなって、「P」だけになってしまったのはビックリした。
こうなるとどうしても言いたくなるのが「いつ観た」とかいうヤツ。
ELPが全盛期の頃は私はまだ子供だったので伝説の後楽園を観るチャンスはなかったが、2010年に「HIGH VOLTAGE」で一度だけ再結成したロンドンの公演を観ることができた。
それとすごく印象に残っているのが超絶ジャズ・ヴァイブ奏者のボビー・ハッチャーソン。
31年前にソニー・ロリンズのコンボで来日した時、今はなき新宿厚生年金で観たことがあった。
終始ニコニコしながら、ちょっとコミカルに、そして軽やかにマレットを操る姿がメチャクチャかっこよかった。

9_2img_3171 故人の皆様におかれましてはこの場をお借りして心からご冥福をお祈り申し上げます
それにしても、これだけ多くの才人をたった一年の間になくしたなんて考えられないね。
実は、昨年末もこうして最後のご挨拶を申し上げた後、レミーが逝った。
こんな調子が続いたら音楽界は一体どうなっちゃうんだろう?
クラシックは歴史が長いく、すでに中身が何回も入れ替わっているので心配はないだろう。教育システムが確立されているので新しい才能も生まれやすい。ジャズも同様。ジャズの場合はオリジネイターが続々と鬼籍に入っていくが、担い手が育っているのと音楽のコアがシッカリしているので細々ながら生きながらえていくだろう。
心配なのはロックだ。これからどうなっていくんだろう?
演る方の間にも、聴く方の間にも、まったく伝統が継承されていないことは「大惨事」と考えていいのではなかろうか…Confusion will be rock's epitaph.
  
【脱線】
今年もたくさん脱線させて頂きました。
辛抱強くお付き合い頂きました皆さん、ありがとうございました!
コレはもうお礼しかない!
さて、それでは今年最後の大脱線をさせて頂きます。
年末ということで、「年」に関するお話。

   
今、天皇陛下の生前退位でモメてますわナァ。
ご存知の通り、現在元号は天皇陛下が崩御すると変わる仕組みになってるでしょ?
でも、時代小説なんかを読んでいると、「天明」だの、「万延」だの、「享保」だの、すんごいコロコロ変わっていることがわかりますよね?
コレがどういう仕組みになっているか知りたかった。
どう考えても、その都度天皇が変わっているワケはない。
  
話は飛んで…日本人の生活には「干支」というものが深く浸透しているよね。
来年は「酉年」だ。
コレ、干支というものは、詳しくは十干と十二支の組み合わせでできているのね。
「ねーうしとらうー」の十二支はおなじみ。
よくわからないのは十干ね。
コレのメンバーは、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)で構成されている。
そして、この十干と十二支を組み合わせるのが干支。
一番バッター同士がくっつくと、「甲」と「ねずみ」だから「甲子」…「きのえね」あるいは「こうし」と読む。
甲子園球場が完成したのが大正13年で、「甲子」の年に当たっていたことからその名前が付けられた。
そして、この干支は年だけでなく、月ごと(月干支)、日ごと(日干支)に決まっていてそれぞれが順繰りに回っているのね。
2016年12月29日の今日、年干支は「丙申(ひのえさる)」、月干支は「辛丑(かのとのうし)」、日干支は「乙酉(きのとのとり)」…という具合。
ところで、十干と十二支を組み合わせていけば10×12で120通りの組み合わせがきる…と考えるは早計で、これは60通りしかない。
それぞれ甲と子から始めて順に組み合わせていくと、5回十干を繰り返したところで「甲子」に戻ってしまう。
西洋式の組み合わせの計算は成り立たず、永遠にめぐってこない組み合わせもあるワケ。
それで、この干支を5回繰り返すには当然60年を要するでしょ?それが還暦。「暦が還る」ということ。おもしろいね~。

さて、この60通りの組み合わせには、縁起の良いものと悪いものがある。
予想通りの展開だ。
特に最初の「甲子」、54番目の「戌午」、そして57番目の「辛酉」の3つの年は「三革」といって世の中が改まる年とされているのだそうだ。
天変地異等、何かよくないことが起こるかもしれない。
特に「辛酉」の年はヤバいとされていて、悪いことが起きる前に元号を変えて先回りしちゃえ!ということになっていた。
だから天皇が変わらなくても昔はガンガン元号を変えていたのですよ。
元号を変えたのはコレだけが理由ではないようだが、八世紀からかなりの確率でコレを理由に元号が改められてきたそうだ。
来年は「酉」だけどそのヤバい「辛酉」には当たらず「丁酉(ていゆう)の年」になるそうだ
良い年になってもらいたいものだ。

来年もよろしくお願いします。
新年の初更新は6日を予定しています。
よいお年をお迎えください。

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2016年12月 9日 (金)

SHOW-YAカレンダー2017できました! <オマケつき:最後まで見てね>

「Time flies like an arrow」は学校で習う英語のことわざの代表だよね。
ご存知の通り、「光陰矢の如し」と教わる。
「もうアレから10年も経ったのか!」なんて、洋の東西を問わず外人にとっても時の流れというものは速いモノらしくて、彼らもよく「光陰矢の如し」を口にする。
でも、「Time flies like an arrow!」なんて言わない。どう言うかというのと…
「Time flies!!」
コレだけ。
「たいむふらいずらいくあんあろう」なんてチンタラ言っているより、確かに「タイムフライズッ!」ってやった方がはるかに時が速く流れた感じがする。
ついでに…と、「time」のことわざにどんなものがあるか調べてみた。
他にやらなければならないことが山積みなんだけど、一旦興味が出ちゃうともう収まらない!
出典はロンドンのハマースミスにある新古本屋で買った£2.99(VAT込み、新品だと£7.99)の「dictionary of proverbs and their origins」ということわざ辞典。
●A stitch in time saves nine
●Take time by forelock
●There's a time for everything
●There's no time like the present
●Time and tide wait no man
●Time is a great healer
…などなど。
意味はインターネットで簡単に調べることができるのでココには記さないが、一言でいえば、どれも「時間を大切にしなさい」ということか…。
そしてトドメは「Time is money」。
なんか西欧人の「時」の感覚は結局何でもコレに帰結するように見えるな。
ま、日本も同じか…。
  
さて、2016年のSHOW-YAのライブ活動も今月4日の『メタロッポン~METALLIC ROPPONGI~』を持って店じまいした。
今年もバツグンにカッコいいところを見せてくれたね~!
チョット振り返ってみようか…
  
昨年の12月末には東京フォーラムでデビュー30周年イヤーをまとめる大コンサートがあった。その次は野音までライブなし…という状態でファンの皆さんも首を長くして半年ガマンした。
Time flies!!
その6月もアッという間にやってきて『NAONのYAON 2016』がいつも通り盛大に開かれて…

10そのひと月後の7月。
「初対バン」が意外だったEARTHSHAKERとのダブル・ヘッドライナーの『SHOW-YA×EARTHSHAKER~初対決! KING vs. QUEEN』があった。
この撮影はキツかった!
でも会場となった渋谷のREXはSHOW-YAが杮落しをしたんだってばよ。
恵子さんが「『杮』と『柿』という字は違うんだよ」と、MCで触れていたのをよく覚えている。私もそれを言いたかったから。

20Time flies!!
あの灼熱の地獄から早や1年!
今年も2日にわたり、5人は目黒の鹿鳴館の舞台に立った。それが『メタメイカン~METALLIC 鹿鳴館』。
身動きひとつできないのは昨年と同じだったが、今年は昨年より20℃ぐらい室温も下がって快適に、そして間近でSHOW-YAのロック・ショウを楽しみことができた。

30もう1ケ月なんか鼻クソほじってる間にすぎちゃうよ。
9月…Gacharic Spinとのダブル・ヘッドライナーで『Different Colors ~ SHOW-YA x Gacharic Spin 』。
ガチャピンとの共同作業による「5人のサオ回し」は圧巻でしたな。
アレにはビビったぜ。撮り逃がしたらヤバいもんね。

40_2昨年の鹿鳴館のようすを収録したDVDがリリースされ…

50dvd30周年イヤーの活動を総括したCD&DVDのボックス・セットも発売されてファンを喜ばせてくれた。
コレは私もホントにうれしかったよ~。
どうしてそんなにうれしいのかはコチラ

60dvdTime Flies!!!
そして、冒頭で触れた通り六本木のコンサートで今年のライブは終了。
アッという間だった。
こうして見ると、SHOW-YAの単独コンサートって『鹿鳴館』とこの『メタロッポン』だけだったんだね。
ナンカもっとあったような気もするけど…だからスゴイ存在感だ。

65sun-goさんのMarshallもよく働いた!

9_img_0016すべてのステージで素晴らしいギター・サウンドを出してくれたイイ子ちゃんたちだ。

9_img_0017 そして、ここからが今日の本題。
今年もやってきました!!
SHOW-YAカレンダー発売になったよ~!
70ありがたいことに、私が心を込めて撮影した5人のステージの姿がふんだんに盛り込まれております!

80しかし、よ~撮ったな~。
やっぱり気心の知れたアーティストを撮るのはとても楽しいね。
SHOW-YAの皆さん、そしていつも私の写真をご愛顧頂いている株式会社マスターワークスさんにこの場を借りて心から御礼申し上げる次第でございます。
そして、そして!
いつもコンサート会場で私にお声をかけてくださる大勢の「シゲ・ファン」と「Marshall Blogファン」の皆さん…ウソウソ!SHOW-YAファンの皆さん!
皆さんの「いつもカッコいい写真ありがとうございます!」とか「写真楽しみにしてます!」とか「Marshall Blog待ってます!」等のお言葉はいつでも大きな励みであり、私の創作活動の原動力になっています。
来年もやさしい言葉で気合を入れてやってくださいね!
2017年もSHOW-YAとTime flies!

SHOW-YA 2017年カレンダーのご用命はコチラ⇒SHOW-YA Official Web Shop

90さて、今日のMarshall Blogはここからもスゴイ。
…というのは、マスターワークスさんからご許可を頂戴して、どこよりも早く『メタロッポン』のようすをお届けしちゃおう!という趣向。
よかったね~、最後まで見て。
以下の写真はすべて12月4日に私が撮影したオフィシャル写真です。会場はEX TEATERね。

100寺田恵子

110五十嵐sun-go美貴

120v中村美紀

130v仙波さとみ

140v角田mittan美喜

9_s41a0734 ココのシーンはおもしろかったね~。
シャッター切りながらゲラゲラ笑っちゃったよ!

155こんなシーンも…

160vこんなシーンも…詳しくはMarshall Blogで!

170SHOW-YAの次回のステージは4月29日の『NAONのYAON』だからね。
それまでの間、SHOW-YAカレンダーとお過ごしくだされ!

SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YAオフィシャルサイト

180Marshall Blogは、年内は28日まで更新する予定です。

2016年12月 8日 (木)

【訃報】 黒沢健一さんのこと

「アレ?大二さんだ」とつぶやきながら、携帯電話のディスプレイの「通話」ボタンを押す。
「あ、ウシさん……」と切り出した大二さんの語気にまったく張りがない。会話を始めた途端、いつもとは違うことがすぐにわかった。
用向きは年明けにリリースされる四人囃子の未発表音源CDと、あるレコーディングにお使い頂くNATALに関することだった。
双方結構なお話で、それらに関して大二さんが元気をなくすなどという理由は見当たらない。
ホンの少し間をおいて、「それと…」と切り出した話を耳にして合点がいった。
「黒沢くんが脳腫瘍で亡くなったんですよ…」
驚いた…黒沢健一が亡くなった?
もう二年もお会いしていないが、お元気な印象しかない。
そして、「またか…」とハラが立った。
どうして神様はこうもワザワザ才能ある人を選って天に迎え入れてしまうのだろう。
260v

Marshall Blogにいつも書いているように、私は子供の頃から巷間に流布している音楽を自らすすんで聴くことはまったくなくて、常に「普通の人なら知らないようなモノ」、「周囲の人が聴かないモノ」を探してひとり悦に浸って来た。要するに天邪鬼なのだ。もしくは卑怯者か?
だから、「L⇔R」並びに黒沢さんについては失礼ながら何の知識も持ち合わせていなかった。
「四人囃子の岡井大二」がプロデュースをされているということぐらいは認識していたが、音楽に接する機会がなかった。
ところがある時、状況が一転した。
大二さんにNATALをお使い頂くようになり、Marshall Blogで黒沢健一さんのコンサートの取材をさせて頂くことになったのだ。
そして、まずはリハーサルをやっていた目黒のスタジオにお邪魔した。
大二さんにご紹介して頂き、この時初めて黒沢さんにお目にかかった。
始終ニコニコされていて、とてもキチっとした感じで、やはりどこか才気にあふれている印象だった。
「黒沢くんは大瀧さん、達郎くんの系譜を継ぐ『ポップスおたく』なんだよ」という、自身も「大ポップス狂」である大二さんの言葉も効いたのかもしれない。
このリハーサルは2013年年末の大久保の「東京グローブ座」で開催されたソロ・コンサートのためのモノだった。
大舞台でのNATALということもあって、当然取材を楽しみにしていたのだが、この日はあいにくと先約がガッチリと入っており、どうしても本番を拝見することができなかった。
仕方なく、本番前のリハーサルを取材させて頂きレポートを掲載した。
  
黒沢健一 Live 2013~Rock'n Roll Band without Electricity~

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それから早や一年。
翌年も同じ場所でコンサートが開催されると聞いて「チャンス到来!」。今度は慎重にスケジュールを調整して本番に臨んだ。
110v

詳しい内容はかつて掲載したMarshall Blogに譲るが、それは本当に素晴らしいコンサートで、演奏される曲のクォリティがどれも高く、かつ味わい深いもので、まさに「音楽のカタマリ」ともいうべき空間がそこに広がっていた。
曲の良さもさることながら、黒沢さんの声にも大きな感動を覚えた。
静かな曲でジックリと聴かせるシーンはもちろんだが、後半のロックンロールのパートではカッコよすぎてトリハダが立った。
ビックリしちゃったんだね、あんな声でいきなりゴキゲンなロックを演奏したから。
大ゲサな話ではなくて、この時の黒沢さんのシャウトを今でも思い出すことがあるのだ。
  
この時、黒沢さんとは本当にご挨拶程度だったが、とてもお元気そうで、ちょうど二年後にこんなことになるなって一体誰が予想できたであろうか? 
この時私が撮った写真をマネージャーがご覧になり、お褒めの言葉をたくさん頂戴した。だからまた撮影させて頂く機会を楽しみにしていたのに…。

  

黒沢健一 Live at the Globe vol.VI~大二 Plays NATAL

250また、日本の音楽は大きな才能を失った…このセリフを一体何回吐いたことだろう。
音楽の伝統を背負った黒沢さんのような才能ある人の物故が音楽シーンに与えるダメージが想像以上に大きいことをもっと我々は認識すべきなのではなかろうか?
  
黒沢健一さん 享年48歳
心よりご冥福をお祈り申し上げます

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(一部継承略)