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2017年6月 7日 (水)

電波は飛ぶ、飛ぶどこまでも~Marshall HEADPHONESの新商品 <ヘッドホン編>

今日はある事情により『NAONのYAON 2017』のレポートはお休み。またすぐに再開するのでお楽しみに!
  
さて、恵比寿のおしゃれなバーへ行ってきた。
「バー」なんていうと私なんかのイメージでは…
年季の入った重厚な扉を開けると薄暗い中に高椅子のカウンターがあって、太宰かなんかがタバコの煙をくゆらしながらウヰスキーをダブルで、そしてストレートでチビチビ舐めている。
当然BGMはジャズ。
そうだナァ、ここはMilesにするか…。『Cookin'』の最後、それこそ「When Lights Are Low(灯りほのかに)」かなんかがかかってる。
今日はチョットだけいいことがあったから、このBenny Carterの愛らしいメロディが実に心地よいのだ。
間違っても『Bitches Blew』はかからないし、ましてや『On the Corner』など置いているワケがない。
バーテンダーも結構ジャズに詳しくて、Milesがかかったところで、Thelonious Monkとのケンカ・セッションの話になる。
「イヤ、お客さん、アレ実は作り話で、大先輩のモンクに向かって『オレのバックでピアノを弾くな!』なんてこと、マイルスは絶対に言えなかったらしいですよ。実際には『弾かないでください』とお願いしたらしいんです」…声が小さくてよく聞こえない。Milesのソロが流れているからだ。Milesのミュート・トランペットは恐ろしく音がヌケるのだ。
そもそも、そんな話は昔から知ってる。
…とマァ、こんなイメージが私の「バー」ですな。
実際には私はひとりでバーに行くことなんてことはほとんどないんだけどね。
若い頃から夜間に外で出歩くのは好きではないのだ。
もう家が一番!
ジャズのレコードなら売るほどある。
酒が飲みたくなったら、好きなジャズを聴きながら、あるいはお気に入りの古い映画を観ながら、チビチビと頂きモノのウイスキーで唇を湿らせるぐらいでちょうどいい。
読みかけの吉村昭など読みだしたら一発で眠くなる。そして、眠くなったチャッチャと寝ればいい。
外へ出てしまうと、帰るのが億劫で仕方ない。
たまに誰かとおしゃべりがしたければ、とにかく家に来てもらう。
子供の頃からデブ性…なんだこの変換ミスは!目立って太ったのは最近じゃい!
何しろ出かけるのが面倒な「出無精」なんですわ。
ところが今日はバー。
こんな機会は滅多にないので、せっかくだからバーで少し脱線してみるか…。

10場所は変わって、ココは浅草。
雷門通りと江戸通りの交差点。
写真の向かって右が浅草松屋。左が神谷バー。
この「松屋」のことを「つ」にアクセントを乗せて呼んでいる人にタマに出くわすけど、それじゃ牛丼だ。この松屋はやや語尾を上げ気味にフラットに発音する。
浅草松屋は1931年の開業。日本最古の屋上遊園地がかつてあった。

11そして、神谷バーも最古。
日本で一番古いバーなのだそうだ。
創業が明治13年というから1880年。
コレは相当古い。
イギリスはヴィクトリア女王の時代。総理大臣が『フレッシュ・クリーム』でおなじみのディスラエリの頃だ。
日本の総理大臣は誰だったか?
いなかった。
伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任するのは1885年のことだから、神谷バーは日本に内閣ができる前から飲み屋をやっていることになる。
ビルの中ほどに付いている看板が「ーバ谷神」になってる。
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この建物も「国民的財産」ってなことになってる。
でも、当然創業当時のモノではない。
それでも竣工は1921年だそうだ。
もうソロソロで100年。東京ではまず珍しい。

13浅草もアメリカによる1945年の東京大空襲で焼け野原にされてしまったが、この建物は損壊を免れた歴史の証人なのだ。
昔の鉄筋コンクリートの建物というのはホントに頑丈にできている。何でか知ってる?
今みたいにポンプで生コンを流し込んだりすることなどができなかったので、人海戦術でコンクリートを締め固めたハンドメイド製品だったからだ。
ようするに丁寧に作ってあるということ。だからこうして手を入れながら大事に使えば100年は軽くもつ。
良質な骨材の枯渇など、工法の変化以外にも要因はあるが、現在の鉄筋コンクリートの建物の耐用年数はたった50年といわれている。
この建物は清水建設の作品らしい。

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入り口看板の下に景気よく書かれた番地。
「浅草一丁目一番一号」…コレとよく似た有名な番地で「千代田区千代田1丁目1番地」というのがあるんだけど、コレはど~こだ?
そう、皇居。
この神谷バーの番地、ナンだってこんな風にフィーチュアしてると思う?

15コレは私の推測だけど、浅草は昔、日本はおろか、東洋で一番の繁華街だった。(それ以前は神田の須田町だったというから驚く)
その当時の番地がどうなっていたのかはわからないが、その大繁華街の地名の付いた一番最初の番地を持っているのを誇りとしているのはなかろうか。

16vもちろん名物は「デンキブラン」。
飲むとビリビリしびれちゃうような酒かと思っていたらさにあらず。
昔は「デンキ」という言葉をつけて新しいものを表現したらしい。
「ブラン」はブランデーから。
要するにブランデー・ベースのカクテルなのだが、コレが滅法甘い!
大正時代は浅草六区で活動写真を見て、一杯十銭のデンキブランを引っ掛けるのが当時の一般庶民のナウい楽しみだったという。
いい時代だナァ。
その東洋一の繁華街だった浅草も、今じゃ夜はゴーストタウンだぜ。

17v雷門通りに面したスペースではデンキブランのボトルの販売コーナーも設置されていて、看板の文字が右から読むようになっている。コレは意地か。

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今ではレギュラーのボトルだけではなく、こうしたお土産用の小さなボトルも発売されている。
一度コレをお土産でMarshallの連中に持って行ったことがあるんだけど…そういえば誰もナニも感想を言ってなかったな…。
彼ら甘いものが好きなので口には合うハズなんだけど…。

18vそしてデンキ・ブランからいきなり話はバーボンに飛ぶ。
脱線が終わったのだ。
アメリカの老舗ブランド、Maker's Mark。

 30
「原料にライ麦ではなく冬小麦を使用しているため独特の柔らかい口当たりがある」…って、チョット!
バーボンの原材料ってトウモロコシなんじゃないの?
…と思っていたら、ケンタッキーを中心に作られているウイスキーのことを「バーボン」って呼ぶんだって?
知らなかった。
夜飲み歩かないから。
「bourbon」ってのはアメリカ式にやると発音が難しい単語だ。「ブアブン」みたいな。

20vさて、バーの店内に入ると、いきなり1959が!
あ、バーといっても、冒頭に書いた「太宰系のバー」とは全く違うからね。
若い人たちが集ってガヤガヤやるスペース。
奥にはホールもあるような大きな空間だ。
壁のメタルっぽい飾りつけはお店の方がこの日のために特別にしつらえたそうだ。

40「この日」が何の日かというと、Marshall HEADPHONESの新商品をお披露目する日。
海外ではすでに発売されていたのだが、それがいよいよ日本に上陸したのだ。
それで、その発表会をMaker's Markさんからご後援を頂き、こうしてイベントに仕立てたというワケ。

50コレがその新商品。
写真ではケーブルが付いているけど、コレは着脱可能。
すなわち、Bluetoothヘッドホン。
Marshall HEADPHONESでは予てからBluetoothヘッドホンを取り扱っていたが、よりソフィスティケイトされたルックスを持つモデルがラインナップに加わった。
名前を「MID BLUETOOTH」という。
音質が一段と向上。
一回の充電で30時間使用可能。
携帯でコントロール可能なノイズリダクション搭載…等々、機能がますます充実した。
何よりルックスがいいね。

詳しい情報はコチラに出ていないけど、そのうちにアップされると思います⇒NAVYS
英語版でゴメンね、ゴメンね~はコチラ⇒Marshall HEADPHONES Official Web Site

60さて、もう少しイベントを紹介しましょうね。
ラウンジの壁には人気デザイナーの作品が展示されていた。
テーブルには「MID」のパネル。

70コチラはホール。
ね、「バー」なんて感じじゃないでしょ?

80奥の小部屋には壁一面にレコードが。
コレがすごい雑多な趣味。
Marvin GayeからThe Beatles、Boz Scaggsまで。
お~、なんでCharles Lloydの『Love-In』まであるの?!
1967年のFillmore Westでのライブ盤。(『HELP』の向かって左斜め下の赤っぽいヤツ。
この時期のCharles Lloydの作品はKeith JarrettのピアノとJack DeJohnetteのドラムスを聴くためのようなモノだけど、コレもそう。まぁ、DeJohnetteのカッコいいことよ!

90こっちの壁にはColtraneも。
Steve Millerの『Fly Like an Eagle』まで飾ってある。

100ホールの壁にも様々なイラストが…。

110もちろん「MID BLUETOOTH」も。

120vちょっとスケジュールが合わなくて観ては来れなかったんだけど、ライブ演奏も催された。

130お~、ステージのDJテーブルにもMarshallのロゴが!
ナニ、「ただバナーをくっつけただけじゃないか」って?
冗談言っちゃイケませんぜ。
さてはMarshallとDJの古い関係をご存知ありませんな?

140コレコレ。
1970年代の初めにMarshallが作っていたDJのターンテーブルセット。
ご丁寧にアンプとスピーカーもセットで販売していた。
写真はMarshall Museum Japan収蔵のモノ。実際にはコレとは異なるスピーカーが組みになっていた。

141ね~。
あったのですよ、こういうのが。
どうやらJim Marshallのアイデアだったらしい。
ところが、1970年代初頭、時はブリティッシュ・ハードロックの全盛期。
ギター・アンプを作るのに忙しくて、ターンテーブルなんかやってる場合じゃない!ってんで、このアイデアはアメリカの電気機器メーカーに売ってしまったらしい。
そんな状況だったので、生産台数も極端に少ないようで、Marshallの工場にも実物は置いていない。
先日、このターンテーブルの詳細が知りたいとのことで、写真の提出の協力を求められた。
あのね、困るとすぐ「シゲ、シゲ」って言ってくるんだよ…ナンチャッテ!
ちなみにこのターンテーブルの所有者であるMarshall Museum Japanの竹谷館長にはJTM45/ 100のリイシューの時にも写真でご協力を頂いた。
リイシューの際、やはりMarshallは実物を保有しておらず、細部の仕様がわからなかったためホンモノを所有していた竹谷氏に写真の提供を依頼してきたのだ。同品の取扱説明書に氏の名前が掲載されているのはそのため。
JTM45/100の取説には私の名前も載っているが、そのお手伝いをしただけなのさ。
Marshallは「コレじゃイカン」ということで、過去の商品のコレクションの充実を図り、JTM45/100に関して言えば、今は工場の博物館に実物が収まっている。

142ね、「Marshall Disco」って書いてある。
ターンテーブルは左右で仕様が異なるところを見るとどちらかを載せ換えたのだろう。
つまり、どこかで相当活躍していたということだ。
銀色の方はイギリスはスウィンドンの有名なターンテーブル・メーカーGARRARD製だ。

143話を戻して…
そして、ステージにはJVM210Hと1960Aのハーフスタックが!
気ィ遣ってくれたんじゃないの~。

150コレはライブのコーナーで出演した「Otogivanashi」のアルバム。
どっかでみたような…どころじゃなくて、実はこの翌日のMarshall Blogの記事に使うので、当日の昼間にホンモノの写真を撮ったばっかりだったのですよ!
こういう「虫の知らせ」みたいなことがやたら起こることは時々書いている通り。

160これがその昼間に撮っていた写真。
ま、偶然には違いないんだけど、普通『Earthbound』でダブるか?
『宮殿』だったらまだわかるけど。
気味悪いでしょ。
昨日も飛び切りスゴイ「虫」が飛んできたんだよ。コレはまた別の機会に書かせて!

170Marshall HEADPHONESはライセンス商品であり、本業のギター・アンプの方とはビジネス的には全く交流がないのね。
生産しているところも違うし、輸入販売元もまったく別。
ところがですね、このMarshall HEADPHONESを配給して頂いているNAVYSさんの「Marshallブランド」の普及に関する熱意は生半可ではなく、本当に頼もしく、アタマの下がる思いだ。

180先日の髙島屋さんもそう。
伊勢丹さんの時もそう。
今回もそう。
いつもありがとうございます!
やっぱりそういう熱心な方々と仕事をするのは楽しいものです。
Marshallブランドはこの他にもEYEWEARがありますからね。
そちら共々ご愛顧のほど、引き続きどうぞよろしくおねがい申し上げます!

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(一部敬称略 2017年5月30日 恵比寿NOSにて撮影 ※写真協力:Marshall Museum Japan)